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浦和の隅から教育をのぞく
す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。
「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。
ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。

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第115回 営業する若者たち
 わたしのような自営業のところは、訪問・電話・DMなど、実にたくさんの営業活動の目標になります。先物商品取引などの投資・小口貸付などの金融・マンション土地などの不動産・電話会社・OA機器・広告などはもちろんのこと、屋根診断、床下診断・下水掃除・庭木の手入れ・葬儀屋さん、それに宗教の勧誘も加わります。塾ならではの営業としては、教具・教材、それに塾経営セミナーなどがあります。私立学校の先生たちが、こんな零細塾にまで頭を下げながら回ってくる姿は、少子化の時代とはいえ身につまされる思いがします。

 明らかに営業の電話とわかっても、「塾長さんでいらっしゃいますか?」「はい、そうですが、どんなご用件ですか?」と、とりあえず相手の話を聞きます。営業の内容がわかったところで「ウチでは間に合っています」「興味がないことなので、失礼」などといって断るのですが、かなりしつこくネバる人、いきなり「ガシャッ」と切る人、「大変失礼しました。」と丁寧な対応の人など、これもじつにさまざまです。

 これも比較的余裕のある昼間の時間帯ならば、まだいいのですが、塾が始まる直前などに電話があると、ほんとうにてんやわんやです。塾生からの休みの連絡などのこともあるので、出ないわけにはいきません。こんなときに営業の電話などだと本当に腹が立ちます。それも、こちらが塾であることを知っていて電話をしてくる営業もあります。「まったくもう、こっちが忙しい時間だって知っているはずなのに」と、ブツブツ言いながら教室に戻ると「おじさん、大きな塾では塾長なんか電話に出ないで、事務室の人が応対するんだよ。」と子どもたちに笑われます。

 子どもたちや親たちから聞くのは、塾からの猛烈な勧誘電話です。塾のOBのひとりが「進学塾の勧誘電話のバイトやっちゃったよ。」と楽しそうな様子で話してくれたことがあります。「まったく、おじさんのところをつぶそうっていうのか?」と言ってみると、「ここの塾とはまったくちがうよ。全部マニュアルがあるんだ。相手が不安になりそうなことをたくさん並べて、相手の反応をみてどう言うか全部決まっているんだ。それでね、お宅のお子さんなら偏差値が10近く上がります、って言ったら、そんなに急に上がっちゃった結果で選んだ高校に行ったらあとが大変でしょ、って言われちゃった。なるほど、って感心しちゃったよ。すぐやめちゃった」「だから、そんなバイトはきみにはできないんだよ。」と、のんきな会話ができているうちはいいのですが・・・。

 やさしい性格で、ひとへの気配りもよくできるY君は、いくつかの会社を辞めた挙句、ある営業の仕事に就きました。個人の家を回って契約をとる仕事で、この時代、おいそれとうまくいく仕事ではないので、周囲も心配していました。初めのうちは、彼の人柄もあって、何人もの知り合いがムリをして契約をしてくれたようです。わたしも、家族の分の契約をしました。ところが、そんなことがいつまでも続くわけがありません。飛び込みの営業をしてみてもほとんど契約が取れず、ノルマの期限が迫ってきます。わたしのところへ何度となく来ては、そのつらさを訴えます。「ツテを頼ってだけの営業は、必ず破綻するからもうムリだよ」と言い続け、わたしは以前の分以上の契約をはっきりと断ったのですが、それきり彼は姿を見せません。銀行口座からは毎月の掛け金だけが落ちています。心根のやさしいY君の泣き出しそうな顔が目に浮かんで、いまでも胸が締め付けられる思いです。

 まだまだ不況が続いているなかで、Y君のほかにも営業の仕事をしている塾OBが何人もいます。彼らの悪戦苦闘ぶりをいくつか書いてみたのですが、あまりにもつらくて、すべてカットしました。わたしのところにかかってくる勧誘電話の声や訪問営業の若者たちの姿は、まさに塾OBの彼らの姿と2重写しになって、取り付く島もないようなことわりかただけは、どうしてもできません。強引な勧誘や脅迫まがいのものには、迷いもなく毅然として断ることができるのですが、気弱そうな営業に出会うと、ぐらつきそうな気持ちを危うく立て直すこともしばしばです。

 会社によっては、こういう若者たちは“使い捨て”として、短期間で辞めていくことを最初から見込んで採用しているところもあるようです。Y君にも「どんなにつらくても、きみが築いてきた人間同士の信頼関係をこわすようなことだけはしないように」と言ってはみたのですが、苦しそうな顔をするだけでした。第111回で書いた{NEET]の若者たちも、こういう雇用状況から生まれていくのかもしれません。


**11月9日(火)掲載**
(す〜爺)

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親がしてやれること2004/11/12 22:55:39  
                     他県の者

 
す〜爺さんこんにちわ、はじめまして。
中3の子を持つ母です。他県に住んでいますが、時々ここをのぞいては、あったかい気持ちになっています。
とりあえず、我が子はまず目前の高校入試を突破しなければならないのですが、問題はその先です。高校や大学を卒業したら、普通に正社員になれた我々親世代と違い、これからの子たちは本当に大変です。誇りをもって働ける仕事につき、経済的に自立するには、知識や技術よりもまず、精神的な何かが必要なのでしょうか。子どもにあった高校に進ませる以外に、今、親としてしてやれること、やらなければならないことは何なのか、と考えてしまいます。
 

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第114回 T荘アパート異聞ーその2
 その後も、T荘にはさまざまな人が移り住んできました。「バールを貸してくんない?」と縁側からひょっこり顔を出す人がいました。「なにに使うの?」と聞くと「クギをちょっとね・・・」と言って持って行ったかと思うと、裏でドンドンとすごい音がします。アパートに行ってみると、さっきの人がドアを壊しているのです。あわてて事情を聞くと、「部屋の鍵をなくしたんだ。」と、けろっとしています。これと似たようなことは毎日のようにあって、われわれも心休まる日がありません。極めつけは、第1話の子どもたちが中3になったある冬の日の出来事でした。

 授業中トイレに立った男の子が、教室に戻ってくるなり、真っ青な顔で玄関のほうを指さしながらふるえているのです。声も出ないほどの異常事態であるようなので、ツレアイに子どもたちを避難させるようにたのんでから、玄関に出てみました。すると、目深に帽子をかぶった見知らぬ男が立っていて、わたしの顔を見るや、やおらふところから包丁を取り出したのです。わたしもとっさに身構えて、できるだけ静かな声で「ちょっとここで待っててね。子どもたちを静かにさせてから、また来るから」などと、われながらつじつまの合わないことを言いながら、あとずさりして教室に戻りました。

 ところが、くだんの男は、意外にもそれ以上家の中に上がりこんで来ないようです。ツレアイが子どもたちを裏の窓から外に出そうとしていましたが、なかには本棚から取り出したコミックから目を離そうとしない子や、動けない子、あわてて外に出ようとする子もいました。そういう子どもたちを落ち着かせながら一人ずつ窓から出している間に、わたしは玄関のほうをうかがいながら110番をしたあと、念のために手近な木刀を後ろ手に隠し持って、再び玄関へ戻ってみました。すると、その男は、上がり框(あがりがまち)に腰を下ろしたまま、なにやらぶつぶつ言いながらじっとしています。とりあえずの危険はなさそうなので、しばらくそのままの状態を見張っていたのですが、そのうち、おもてで「待ちなさいっ」という鋭い声とともにバタバタと走っていく音が聞こえました。それまでじっとしていた男が、急に立ち上がって自分の首に包丁を当てました。「あぶないっ」と思ったとき警官が飛び込んできて、その男はわずかに血がにじむ首を押さえてうずくまっていました。男が警官たちに連れられていって、“事件”は一件落着のはずだったのですが・・・・。

 しばらくしてから、子どもたちが3人、別の警官といっしょに帰ってきました。白いソックスは泥だらけ、警官の息が上がっています。聞けば、裏からおもての通りに出たところで、突然「待ちなさいっ」と言われたので、あのおじさんが・・・と思ったというのです。反射的に逃げた彼らを見て、警官の一人が追いかけたというわけです。それが、すこしまえのバタバタの正体でした。バスケ部と陸上部とバレーボール部の3人の男子は「あのおじさん、ライトまで持っているよ。」「刺されたら死ぬんだろうなあ。もっとお母さんの言うことを聞いておけばよかったなあ」「きょうの夕飯たくさん食っておけばよかった」「○○ちゃん、好きだったよ」などと頭の中はもう混乱の極み、あとから聞くと抱腹絶倒の“逃走劇”だったようです。そのうち、一番足が遅いバレー部のS君が追いつかれて「ごめんなさい。ゆるしてくださ〜い」と言って頭を抱えてしゃがみこんだそうです。あとの2人は駅前の交番の中に一気に走り込んだということでした。

 その3人のひとりのN君と、女子といっしょに残っていたK君は大の仲良しでしたが、この“事件”を契機になんとなくギクシャクするようになりました。K君からすれば「Nはオレを見捨てて逃げた」と不満です。ところが、そういうK君は「わたしたちのために残ってくれた」として、女子たちには大いに見直され、株が上がってしまったのです。

 その翌週は、雪が降りました。ちょうどその日も塾があった彼らが、またまた青い顔をして飛び込んできました。「あのおじさんが・・」と言ったまま後が続きません。外に出てみると、例の男がわが家の前の通りの雪かきをしているところでした。彼、Tさんは、わたしに照れたような顔を見せながら「このあいだは迷惑をかけちゃって・・。お詫びの気持ちです。」と言って、ペコンと頭を下げました。

 じつは、Tさんは、あの日の昼間「T荘アパート」に越してきたばかりで、一人さびしく夕飯を食べていたら無性に悲しくなったのだそうです。そうしたら、前の家から明るい元気な子どもたちの声が聞こえてきて、どういうわけか「あの明るい子どもたちの声を聞きながら死にたい」と思ったのが、この“事件”の始まりだったようです。

 その後、Tさんは、さまざまな問題を起こしました。その顛末を書くスペースはありませんが、あれこれの後に、浦和の福祉事務所と相談して、彼のふるさとの福祉事務所で引き受けてもらうことにしました。足の不自由なTさんが引越しの挨拶に来た日の突き抜けるような冬の寒気を今でも思い出します。

 T荘アパートは10数年前に取り壊されることになり、そこに住んでいた人たちは何の保障金ももらえないまま追い出され、ある人はホームレスになったり、施設に入ったと聞きました。その後数年たって、跡地には5階建ての立派な賃貸マンションが建ちましたが、とても彼らが入居できるような家賃ではありません。マンションには、新しい住人たちが移り住み、むかしのようなトラブルはまったくなくなりましたが、それとともに、そこの住人たちとのかかわりも、ほとんどなくなってしまいました。


**11月2日(火)掲載**
(す〜爺)

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やあ、一本取られましたね。2004/11/03 18:16:35  
                     す〜爺

 
「高一の親」さん、こんばんは。
 このところせわしない日々を送っていたのと、前のスレッドが長くなったので、遅くなりましたが、こちらにレスします。
 「コミュニケーション力回復戦士」だなんて、大いに赤面しました。どちらかと言うと、わたしは人付き合いが苦手なほうです。さりげなく天気の話なんかすることや、大勢の人の前で話すことなども必要だとは思いながらも、どうしても少人数の中での“濃い付き合い”に傾いてしまいます。

 「はらふくるるわざ」とか「ルサンチマン」なんて、何気なく使ってしまったことを、みごとに見抜かれて一本取られてしまいましたね。徒然草や蘇軾やニーチェが典拠だということは知っていたつもりでも、使ったときには、「気持ちの中にたくさん溜め込んでいる思い」「学校とか社会へのうらみつらみの感情」というぐらいの意味でした。不消化なままのことばを無意識に使ってしまってお恥ずかしい。
 ところで、「ググる」って初めて聞くことばです。「調べる」という意味ですか? 語源はなんでしょうね。辞書を引いても出ていなかったので、ついでのときにでも教えてください。
 
 

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Re: やあ、一本取られましたね。2004/11/03 23:07:16  
                     高一の親

 
はぁ、お恥ずかしい・・・日本語の乱れを実践してます。
語源は、検索サイトのGoogle(グーグル)で「検索サイトで調べてみる」ことです。

「ルサンチマン」と「はらふくるるわざ」は難しい言葉なので、私以外にも意味が分からない人がいると思いまして、検索で出てきたものをコピペ(コピー&ペースト=貼り付け)しました。すいませ〜ん。勝手に。
そのほうが、す〜爺さんの面白いお話が、多くの方に良く伝わるかと思いまして。
 
普段、何でも解らないことに出会ったときはチャンスとして、噛み砕いて、覚えよう、覚えさせようとしているもので・・・にもかかわらず・・・いや〜ほんとに無知な我が子にびっくりするような事が多いです。

高一になって「干物の魚って、切ってあったんだね。あの形で泳いでいると思っていた」と告白されたときには、うちの子に限って、まさか!!と思ったものです。
 

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Re: やあ、一本取られましたね。2004/11/03 23:46:06  
                     す〜爺

 
こんばんは。いま、やっと、塾が終わりました。
 実は、さきほど高校生たちに「ググる」を聞いてみたら、「聞いたことないことばだけれど、ひょっとしてグーグルで調べることじゃない?」と言われて「あっ、そうか。すごいね、よくわかったね。おじさんも、頭固くなったもんだなあ。」「その人いくつぐらいの人?」「わからないけれど、高校生の娘さんがいる人だよ」「すご〜い。そのおばさん(失礼!)すすんでるねえ」という会話をしたばかりです。
 
 これからも、わたしが無意識に使ってしまうことばをしっかりチェックして、サポートしてくださるととても助かります。塾では「それってなに?」とみんなが言ってくれるので助かっているのですが、こういうところでは、独りよがりになりがちですからね。
 ところで、干物があのままの形で泳いでいる、と考えていた子は、わたしの塾にもいました。たらこだって、あの形で海の中にいると思っていた子だっていました。こういうこと集めても面白いかもしれませんね。

 
 

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第113回 T荘アパート異聞−その1
 このところ重苦しい話題が続いたので、すこし目先を変えてみましょう。
 36年も塾をやっていると、さまざまな“事件”に遭遇します。塾の子どもたちが関係している“事件”(刑事事件というわけではありません)も、いろいろありましたが、何年たっても本人にとっては恥ずかしいことに変わりありません。そもそもプライバシーにかかわる話題は、できるだけ避けたいところです。そこで、今回は、わたしの家の裏に10数年前まであったアパート「T荘」の住人たちと塾生たちとの“ドラマ”をお話しすることにします。

 59年前の空襲で民家が焼けたあと、わたしたち近所の子どもたちの格好の遊び場になっていた裏の空き地に、「T荘」という名の2棟のアパートが建ったのは、たぶん昭和30年代の半ばごろだったと思います。木造モルタル2階建てで、6畳一間に小さな台所、トイレは汲み取り式の共同便所というものでしたが、それでも、初めのうちは小さな子どもがいる家族や、独身のサラリーマンなどが住んでいました。ところが、世の中が高度経済成長期に入り、そういう人たちは、もう少しこぎれいなアパートに移っていきました。

 わたしが塾を始めた昭和48年ごろには、一人で子どもを育てている女性や老夫婦がひっそりと住んでいて、周囲もきれいに掃除されていました。しかし、下水道が整ってどこの家も水洗トイレになっていたそのころでも、月に一度バキュームカーが来るときには、子どもたちはあわてて窓を閉め、鼻を押さえて勉強していたものです。昭和50年代後半になってくると、アパートもかなり老朽化してきて、かわりに住み始めたのは、正体不明の独身の中年男たちです。昼間から酒を飲んで騒いでいたかと思うと、何日も部屋を真っ暗にして留守、などという人もいました。

 裏がこういうアパートだと、子どもを塾に送り出す親たちも不安だろうなあ、何か起こらなければいいけれど・・・、などと考え始めていたある日のことです。気の合うメンバーがそろっていた中2のクラスで、歓声を上げながらの授業が最高潮のとき、裏の窓がわれるかと思うほど叩きながら「うるせー、ぶっ殺してやるから外に出て来い」という怒鳴り声がしました。窓際の席に座っていた運動神経抜群のN子ちゃんなどは、最初の一叩きで二つも席を跳び越して逃げていたほどでした。突然のことにシーンと静まり返っておびえている子どもたちの様子を見て、わたしはつとめて冷静に「うるさくてごめんなさい。いま、門のところに行くので、そちらに回ってください」と言って、授業はツレアイにバトンタッチしました。

 もちろん、わたしだって「ひょっとすると刺されるかもしれないな。そうでなくても殴り飛ばされるぐらいのことはあるだろう」と悲壮な覚悟?を固めながら、外に出て行きました。門の外で待っていたのは、一見ヤクザ風の中年男で、凄みをきかせながらひとしきり文句を言ったあとで「オレは、田舎の高校を出たんだけど、先生なんてみんな平気でウソを教えるんだよな。あんただってそうだろう? 秀吉だって家康だって会ったことないし、原子だとか電子なんか見たこともないくせによう・・・」と言い出したのです。わたしは、歴史の事実がどのように積み上げられてきたかということや、原子や電子のふるまいを、風と木の葉の動きにたとえて説明しました。彼は腕組みしながら聞いていましたが「おもしろそうだから、また来るよ」と言って帰っていきました。

 ふとわれに返って教室にもどってみると、子どもたちはシーンとしたままわたしを見つめています。勉強などそっちのけで、全員で聞き耳を立てていたそうです。無事であったわたしの顔を見てホッとしたのか、声を潜めて「こわかったよー、ほんとに殺されるかと思った」「それにしても、あのおじさん、けっこうアタマいいんだね。オレ、あんなこと考えたことなかった。教わったとおりに覚えていたなあ」「ああいう話をぼくたちにもしてよ」と口々に言い始めました。

 そのヤクザ風の彼は、その後も時間かまわずときどきやって来ては、あれこれ問答をふっかけてきました。初めのうちは、子どもたちに危害が及んでは、と相手をしていましたが、彼の性格もすこしずつわかってきたので「塾生がいないときにゆっくり来てね」と言ってみました。ところが、その後、彼はぷっつりと顔を見せなくなったのです。たまたま道で会ったときに聞いてみると「生徒がいないときにわざわざ時間とってもらうのもなあ」と、妙なことを言いい出しました。彼にとっては、隣の部屋で息を潜めてわたしたちの問答を聞いている子どもたちの存在を感じることが、この上ない快感だったようです。


**10月26日(火)掲載**
(す〜爺)

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Re: 第113回 T荘アパート異聞−その12004/10/28 1:08:51  
                     高一の親

 
こんばんわ。なんか、いいお話ですね。
なんていうか、昭和の映画のワンシーンみたいです。

最近の風潮として、議論とか、あまり無いじゃないですか。
意見するまえに、ぐさっとか。(物騒ですが)
あるいは、「どう?」って聞かれても、「べつに・・・」って感じで本音を言わない。

その反発か、ネットの掲示板なんか、盛況ですよね。
喧嘩ふっかけまくっている人が大勢いて。
でも、「アラシには無視が一番」って、そこでも相手にされない人が大勢いるようです。

小津安二郎の映画をみると、昔の人って、案外早口。そして、すごく喋る。
失われた物を懐かしがってもしょうがありませんが、今の社会の課題はコミュニケーション力回復かもしれませんね。
 

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Re: 第113回 T荘アパート異聞−その12004/10/29 19:42:36  
                     す〜爺

 
「高1の親」さん、こんにちは。ひさしぶりです。
 世の中、重い話・悲惨な話・つらい話・恐ろしい話・許しがたい話、などに満ちています。そういうものから目を離してはいけないのですが、あまりにも「はらふくるるわざ」なので、直接取り上げるのも気がめいるばかりです。
 今回の話も、一つ一つのディテールのなかに、上に挙げたほとんどの要素がふくまれています。しかし、わずか10数年前の話であるのに、「なんか、いい話」と言ってくださったようなレトロな気分を感じますよね。いきなりグサッなんてことはほとんどなくて、わずかながらでもその前兆や前哨戦?があった時代なのかもしれません。次回は、その2を書く予定ですが、これもまた現代状況のハシリのようでありながら、どこかヌケている話です。
 もし、このわずかな年月の間に“時代の気分”が変わってきているとすれば、とてもこわいことです。
 ネットでも、何かに対する自分のコンプレックスやルサンチマンをぶつけているだけの、議論ともいえない書き込みを見かけることがあります。もし、このコラムにそういう書き込みがあっても、わたしはレスを書くつもりでいます。いまのところ、「高1の親」さんはじめ誠実なひとばかりで、とてもありがたいとおもいます。
 

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Re: 第113回 T荘アパート異聞−その12004/10/29 20:52:37  
                     高一の親

 
すー爺さんこんばんは。

やはり、すー爺さんは「コミュニケーション力回復戦士」ですね。

ネットの中でも、「相手にしない方がいいですよ」と常識人ぶっている人がいる一方で、「でも、切り捨てちゃいけないと思います」って向き合う人もいます。

殺伐とした世の中でも、関わり合いを丁寧にしていくことで、潤いが生まれてくるのだと私も信じてます。

ところで、「はらふくるるわざ」って「肉体的な無理を 睡眠や食事を犠牲にする, 休養や余暇をとらない 疲労をおして無理 精神的な負担 生の感情を出さない」ことですか?

「ルサンチマン」って、「(1)ニーチェの用語。 弱者が強者に対する憎悪や復讐心を鬱積させていること。 (2)一般に、怨恨、憎悪、 嫉妬などの感情が反復され内向して心に積もっている状態。 」ですよね。

解らなかったので、ググってみました。勉強になります。
 

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第112回 ネット心中
 先週12日早朝、皆野町で発見された男女7人の集団自殺が話題になりました。これが、新聞で報道されたように、インターネットで仲間を募ったいわゆる「ネット心中」だとすれば、これまでのテーマと深いかかわりがありそうです。事実関係も不確かである上にその動機はまったく不可解で、しかも、わたしはこの事件に関しては、まったくの部外者・門外漢です。でも、子どもたちの日常と接していると、ときどきその予兆のようなことばに出会うことがあります。

 「なんか、ふっと消えちゃったらラクかも・・」「あの世って、絶対あるよね。」「おじさん、生きていて楽しい?」「おじいちゃんが、人間死ぬときはみんなひとりだ、って言ってたけれど、それってすっごくさみしくない?」「苦しまないで死ぬ方法ってある?」・・・。こんなことばをそのまま並べると、だれでもギョッとしますが、もちろん、これらのことばが、何年にもわたってさまざまな場面で、わたしが耳にしたものであることは言うまでもありません。これらとは少し違いますが、いつもは元気がいい高校生の女の子が「わたしたちの孫の時代って来ないような気がする」と、妙に哲学的な表情で話したこともあります。

 わたしのような年代の者にとって、世をはかなむ人間同士が身を寄せ合って死地におもむく、いわゆる“心中”は、肯定こそしないものの理解できる行動です。歌舞伎や浄瑠璃で多く演じられてきた男女の心中、生活苦からの家族心中、大切な人を失った結果の後追い心中などはもちろんのこと、明らかに殺人としか思えない無理心中でさえ、そこには、ともに死ぬ相手に対する強い思いがあります。ふとゆきずりに出会った人と厭世観が一致して・・・、という場合も、かろうじて理解できます。さらには、カルト的な宗教による集団自殺もまた、彼らがよりよい来世を信じたがゆえに・・・と考えれば、理解できなくもありません。

 しかし、「ネット心中」は、相手の素性どころか、ほとんど名前さえ知らない同士でのことです。今度の事件の場合でも、就職、進学、虐待など、それぞれの悩みを抱えていたようですが、たぶん、いっしょに死ぬ“仲間”についてはほとんど何の関心もない、という様子が感じ取れます。男女がいっしょであっても、そこにはまったくといっていいほど「性的なにおい」を感じません。彼らにとっての“同志”は、いざとなって動揺したときにおたがいに後戻りをさせないための存在にすぎなかったのでしょう。あるいは、「練炭、車、睡眠薬」という“自殺アイテム”の共用者だったのかもしれません。

 そして、今度の「ネット心中」の中心的役割を果たしたとされる女性の主治医が、あのタレント精神科医M氏であることを知っておどろいたことも、今度の事件に関心を持った理由のひとつです。M氏は、アメリカの精神科医たちが作ったDSM−Wという分類マニュアルにもとづいて、さまざまな事件の加害者につぎつぎとレッテルを貼っていくことで知られている人です。とくに、多重人格の専門家ということで、今回の事件の女性についても「12の人格をもつ多重人格障害」である、と診断しているようです。そして、そのM氏のテレビでの行状をかつて痛烈にルポしたことのあるフリーライターのS氏に、事件直前のその女性が何度も連絡を取っていた、という記事がありました。視聴率や販売促進のためには、ときには事実を捏造することもあるメディアの中で活動するM氏やS氏に出会ったことは、彼女にとってどのような意味を持っていたのだろうか、と考えさせられます。

 先に述べたように、子どもたちのさまざまな“つぶやき”を耳にしてきたので、彼らの心情はまったく理解できないものの、現代社会の底流を流れる“気分”の表れであるとすれば、わたしにもその現象は理解できそうです。少なくとも、M氏の言うように、個人の人格障害だけに起因するものではないような気がします。現代の子どもたちの体力・気力・生命力の低下が行き着いた果ての現象ではないか、と思えるからです。不登校やひきこもりなど、いわゆる“生きにくい若者たち”と長年接してきたわたしの友人は「こんなこと絶対どこにも書けないけれど、なんとなく彼らは“淘汰”されたんだなあ、という感じがするんだよね。」と言っていました。だとすれば、これまでわたしが書いてきた子どもたちの現象は、この島国の若者たちの多くが“淘汰”されていく前兆なのではないか、などと、とてつもなく恐ろしい想像をめぐらせてしまいます。

 件の女性が2人の娘にあてたメモに「ごめんね。お母さんはもう死んじゃうけど、あなたたちを産んで幸せだった。うれしかった」(埼玉新聞より)とあったそうです。このメモを知ったとき、悲惨で不可解でやりきれない事件であるにもかかわらず、どこかホッとしている自分に気がついて、うろたえてしまったものです。


**10月19日(火)掲載**
(す〜爺)

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第111回 「NEET」と呼ばれる若者たち
 9月に厚労省が発表した労働経済白書の中で取り上げられたために、最近、あちこちで話題になっているNEET(Not in Education,Employment or Training)について考えます。これは、イギリスで言われ始めた定義だそうで、学校に行かず、就職活動もしていない15歳から34歳までの無業者をいうのだそうです。16年度でいえば、約52万人いることになっているようです。この中に、高校や大学に在籍はしていても、長期にわたって出席していない者も含んでいるのかどうかはわかりません。周囲の状況を考えても、そういう学生は少なくないと思うからです。授業料だけ払い続けて何年も留年している学生の話を耳にしたことがあります。彼らは、どうもNEETとしてカウントされていないようです。

 当然のことですが、フリーターはNEETには含まれません。人によっては正社員よりも長時間労働し、わたしなど足元にも及ばない収入を得ている若者さえいます。NPOやボランティア活動に従事している若者を何人も知っていますが、彼らももちろんNEETではありません。

 A君は、大学を出てやっと就職したけれど、試用期間ということで休みがほとんどなく、さらに体調もおかしくなって2ヶ月ほどでとうとう退社してしまいました。親からは「しばらくゆっくりしてから職を探せばいいよ」と言われていたけれど、まじめな彼は「そうもしていられない」とバイトをしながら職探しをしていました。ところが、新卒でもなく職歴もないA君ではまったく正社員の口はなく、おまけにバイト先では年下の店員にあごで使われる、という悪条件が重なって、彼はとうとう職探しもバイトもやめてしまいました。ある程度経済的なゆとりがある両親は、相変わらず「ゆっくり探せばいいよ」と言ってくれるのですが、彼はそう言われる自分自身もいやになって、悶々とした毎日を送っているようです。

 B君はとても繊細な感性の子で、新しい事態を前にすると、その正体がはっきりとするまでは動けない、また、自分がなにかすることでだれかが傷つくのではないか、ということをいつも気にかけていました。いざ就職ということになって何社かを受験して合格したのですが「職場の人間関係をうまくやっていけるだろうか、仕事でほかの人に迷惑をかけそうな気がする」などと言って、とうとうどこへも就職しませんでした。ときどきはバイトもやっているようですが、NEETの予備軍であるとも言えそうです。

 じつは、40年ほど前、このわたしもNEETであったことがあります。就職先などよりどりみどりだった時代ですが、大きな組織に入ることになじまない性格であることを知っていたので、強く誘われていた小さな同族会社の総務部に入社しました。ところが、経営幹部のプライベートな接待を経費で落とすー比較的重要な稟議書をロクに読まずに判を押した挙句、その責任を部下にとらせる、などに激しく抗議して、退職勧告を受けてしまいました。あとで知ってみれば、当時はどこでも少なからずあったことで、若気の至りだったかもしれません。その後、しばらくは“社会に受け入れられない自分”を恥じて、1年ほど就職活動もせず苦しんでいました。その意味では、わたしはNEETのハシリ?だったのでしょう。

 彼らを「甘い」と非難するのはかんたんですが、その状況は、まさに千差万別です。そういう彼らに対して、国は「3ヶ月の合宿を通して、コミュニケーション能力の強化、ビジネスマナーの獲得をして就職に有利な人間作りをする」という対策を考えているようです。しかし、フリーターなどの増加が経済環境の悪化や新卒者の就職活動の時期の実質早期化などが原因であると考えられるのに対して、最近のNEETの増大は、このところ取り上げている「体力、気力の低下」と深い関係がありそうです。その意味では、上述の国の対策は、まったく方向ちがいであると言えます。むしろ、企業に対して一定の障害者雇用枠を義務付けたように、彼らをいったん雇用する体制を作って、それでも彼らが会社や組織になじまないのであれば、かつてのわたしがそうであったように、それぞれの途を選択すればよいのではないかと考えます。また、NPOでの活動や、ボランティアでの経験も職歴として評価する体制も必要かもしれません。彼らの多くは一人で悩み、自信を喪失しているはずです。また、だれかが振り向いてほしいと考えているはずです。そういう彼らが“自分の力で生きられる”ように、声をかけ力を添えるのも、こういう社会を作ってきたわれわれの責任です。


**10月12日(火)掲載**
(す〜爺)

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風さんへのお返事2004/10/14 17:41:28  
                     す〜爺

 
風さん、こんにちは。
 遅くなりましたので、こちらにレスを書くことにします。
 子どもたちの話を聞いても、先生たちの話を聞いても、「学校の先生は、大変だ」とつくづく思います。これまで書いてきたテーマについて、わたしも風さんと同じように憂いてはいますが、それほど悩んではいません。わたしの目の前にいる子どもたちは、反発しようとふてくされようと、わたしのところを選んできてくれている子どもたちだからです。その意味では、場合によっては学校の先生たちより子どもたちを強く叱ることもできます。わたしが責任をもてなければやめてもらうことも、子どもたちのほうからやめてしまうこともできる関係です。
 おっしゃるとおり、大衆消費社会の中で育っている子どもたちは、ますます大変なことになっています。でも、基本的には彼らの責任というよりわれわれ大人の責任なのだと思います。
 何とか知恵を出し合って、少しでもよい方向にしたいものです。

 
 

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第110回 子どもたちの気力
 若者が無気力である、と言われるようになってからかなりの年月がたっているような気がします。無軌道で礼儀知らずで正義感が強くて、・・・、という古代エジプト以来の若者観は、すくなくとも現代文明の中では大きく変わってしまいました。このことについて書かれた本はたくさんありますが、ここでは、<わたしの塾>という限られた場面の中での子どもたちの様子をお伝えしながら考えることにします。

 「わかんないよ」「ここのところをもう一度ゆっくり読んでごらん」「教えてくれないなら、もういいや」こんなやりとりがよくあります。わからないから塾に来て教わる、という建前から考えれば「塾のつとめを果たしていない」と言われそうな場面です。でも、知識はしっかりついている、一つ一つの要素は充分理解している、あとは、ちょっと読みさえすればできるはずのところです。たぶん、わたしがその部分を読み上げるだけでわかってしまうようなことです。「わからないから教わる」といっても、「自分の力でわかるようにする」ことができなければ“テスト学力”にはなりません。多くの生徒にとって、その最後のステップがむずかしいのです。わかる、というよりも、そのステップを踏む<気力>の問題だと思えるのです。

 「せっかくがんばっても、うまくいかないとイヤだからやらない。」と言う子がいます。「すぐにはうまくいかなくても“がんばった”という経験は、あとで生きてくるよ」ということばは“やらせるための口実”としか考えられないようです。

 「体育祭の日の朝、どれくらいの雨だったら中止になるんだろう」「担任の先生に聞いてみれば」「そこまでして知りたくない」などという会話にしても、先生にちょっと聞くことが、どうして「そこまでして」というほどのことなのか、わたしにはどうもよくわかりません。そういう子も、ふだんは、担任の先生と仲良くおしゃべりしているらしいのです。

 「おじさん、○○高校ぜったい受かる、って言ってよ」「絶対合格する子も、絶対不合格になる子も受験していないんだよ。どの子もきみと大差ない学力の子たちが受験するんだからね」、すると「じゃあ、あと2つランクを下げる」とあっさり言い出して、わたしをあわてさせます。「それだって<絶対>ということはないよ」と言えば、「それじゃあ、受けるところないじゃん」となります。最後には「きみが持っている学力をしっかり出せれば、○○高校だって<ぜったいに>落ちることはないから、がんばってみよう」と言うと、今度は「ラッキー、絶対なんだよね」と単純に喜びます。「その<持っている学力を充分に出し切る>ことがなかなかむずかしいんだから」と言いたくなる気持ちをぐっと抑えます。

 こういうことばのやり取りだけをみれば、心理学で言う<獲得された無力感>ということになるのでしょうか、子どもたちのそれは、「どうせダメさ」といういわゆる無力感とはやや違うような感じがします。つまり、彼らには、「“実際に”努力してもがんばっても報われなかった」という経験がほとんどないのです。子どもたちがよく口にする「勉強なんて何でやらなければいけないの」ということばの真意が、“勉強する意味”を求めているというよりは「勉強なんてやりたくないよう」という叫びであるのと似ています。

 早く、正確に、そして大量に処理されることが求められ、その結果としての「豊かな社会」が実現し、ラク・トク・ベンリな生活が現実のものになって、ずいぶん経ちます。冒険をする必要も、長い年月をかけた熟練の技も必要ないし、ひどい失敗をする経験もない、そして、事故・事件が起きれば2度と起きないように、2重2重にも過剰な安全対策が行われる、そういう社会の中で子どもたちは育っています。この<気力>ともいえない子どもたちの<気分>は、前回の<体力の低下>とも密接な関係があります。わたしたち大人社会が、次の世代のためにいったいなにができるのか、何をしなくてはならないのか、考え込むことが多くなりました。


**10月5日(火)掲載**
(す〜爺)

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私も悩み、憂いています2004/10/11 11:06:39  
                     

 
いつも楽しみにしています。気になっていましたが、なかなか感想が書けませんでした。3回分まとめての雑感です。悲観的かも知れませんが、同じように悩んでいますので…
少し躓くと「もういい」と諦める子ども、結構います。投げやり風な態度は、甘え、幼児化と思えます。気分で行動、嫌なことはしない。皆が皆ではありませんが、傾向としてそういうことが言えます。体力、生命力の低下。その通りですね。「生きていく力」がなくなっています。欲しいものが「何でも」手に入る。我慢しなくてよい、我儘言ってもそれが通る人生。大人と子どもの境界線がなくなり(人権としては同じであっても)、子どもは格好の消費者、カモとしての存在にされている。本物から遠ざけられて(自然でも、人間関係でも、考え方でも)、感覚も思考もおかしくされている。小・中・高の女の子に何万も出して買春する男。金の価値を誤解させてしまう。得は損、楽は苦、便利は不便という真実を実感させる体験をさせて欲しい。直線的ではない、多角的な、柔軟な、或いはバランスのある思考力を養うにはどうしたらいいのでしょう?「日の丸・君が代」が『愛国心』ではなくて、こういうことを憂うことが広義の『愛国心』ではないでしょうか?
 

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第109回 子どもたちの体力
 前回の文末に「現代の子どもたちの学力の低下というよりは、気力・体力、ひいては生命力の低下を感じている」と書きました。まず、わたしの周辺で見られる中学生・高校生の体力の低下についての話です。
 
 先日、高1のK君が「ショックだよ〜、女子と腕相撲やって負けちゃったよ。」と言いながら入ってきました。いつもひょうきんなK君のこと「柔道部の女子とでも勝負したんだろ」と言うと「いや、美術部のごく普通の女子」と、ほんとうにややショックの面持ちです。「おじさん、オレと勝負してよ」と言うので手を合わせてみると、わたしよりも背が高く高校生としては並みの体格で健康に育っているはずのK君なのに、たしかに力がありません。「えっ、年寄り(失礼な!)に負けるなんて、ショック倍増」なんて言っているのをみて、考えてしまいました。

 K君だけではなく、高校生・中学生男子の“非力”さを感じることが多くなりました。中3の男子でも、わたしに腕をつかまれると動けません。わたしは、わずかの期間柔道をかじったとはいえ、大人としてはむしろ華奢(きゃしゃ)な体格で腕も細く、しかもすでに“高齢者”の仲間入りをしています。彼らとときどきジャレ合うことがあるのですが、力だけではなく体の捌き方もややおぼつかない子が多いようです。彼らの親の世代では、中1・中2はともかく、中3ともなればほとんどの子が、腕相撲でも取っ組み合いでも、今よりずっと若かったわたしをどんどん追い越していったものです。

 むかしもいまも、スポーツでガッチリと鍛えている生徒は年齢相応の体力があることには変わりありません。(余談ですが、幼いころ虚弱だったり、喘息もちだったりした子どもが、かえってスポーツで鍛え上げられた体になっていく場合によく出会います。親が「まずは健康と体力」を優先した結果なのかもしれません)。問題は、文化部や軽い運動部に属しているごく普通の健康状態である中・高校生の体力の低下が著しいような気がするのです。今でも、ときどきは彼らと自転車で出かけることもありますが、あとで「おじさん速すぎっ。息あがっちゃうよ」と言われることも少なくありません。交通事情が悪くなっていることもあって、以前よりはだいぶ慎重に走っているつもりなのですが、少し長い距離を走ると、わたしよりも彼らのほうが疲れてしまうようです。ツレアイからは「年寄りの冷や水にもほどがある」と叱られながらも、その“年寄り”よりも体力がない若者たちのことは、ほんとうに心配です。

 駅では、階段が広くあいているのに、わざわざ遠回りしてまであの狭いエスカレーターに並ぶ若者の姿がよく見られます。聞いてみると、先にあげたスポーツ系の生徒までが「だって、階段ってかったるいじゃない、せっかくエスカレーターあるのに乗らないほうがおかしい」と言います。体力があり余っている若い時期は、じっとエスカレーターなんかに乗っていられなくて、階段を2、3段おきに駆け上がりたくなるものだ、というかつてのわたしの“常識”はまったく通じなくなっているようです。

 30年前とくらべて子どもたちの体格はかなり大きくなっているものの、反面、体力測定値はそれに反比例するように下がっていることが指摘されています。とくに、瞬発力の低下は少ないものの、持続的な体力はかなり低下をしているそうで、わたしの実感はデータによって裏付けられているようです。この原因についてはさまざまに言われていて、特定はできないものの、外食・コンビニ食・インスタント食品などの増加による食生活の変化が、第一に挙げられそうです。これも、わたしが接している子どもたちの食生活を見聞しての実感と一致しています。さらに、先日の新聞記事によると、中学生のテレビの視聴時間帯が、以前と比べて1、2時間後ろにずれていて、その分夜ふかしする子が多くなっているようです。これは、塾から帰ってからテレビを見始める場合が多いということなので、塾をやっているわたしとしても胸が痛むデータです。

 将来の社会にとっても、若者の体力の低下は大変憂慮しなければならないことです。「ゆとり教育」だの「新学力観」だのといっている間に、もっと深刻な事態が進んでいるのではないかと考えると、恐ろしい気がしてきます。


**9月28日(火)掲載**
(す〜爺)

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Re: 第109回 子どもたちの体力2004/09/30 20:54:44  
                     MOTER MAN

 
確かにこれは由々しき問題ですね。
高校野球等も回を重ねていくほどに、選手がやわに見えてきます。
私も体力には自信がありません。日夜トレーニングにはげんでおります。
 

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第108回 “とりあえず、今を切り抜ける”感覚
 わたしの塾では、定期テストの準備を除いては理科・社会をやる時間がありません。ところが、今年の中3は、テスト準備勉強のときでも、理科・社会の質問がほとんどなく、どうしたことかと思っていました。そして、今夏の講習で初めてわかったことがありました。

 たとえば、インドの位置がアメリカの北部だったり、フランスやドイツの場所を聞けば、東南アジアのあたりを指すー現在のアメリカ大統領の名を知らないー最近のニュースでは、北オセチアの学校占拠事件のことを知らないー東西南北の方角がわからない(太陽がどの方角から昇るかわからない)・・・初めのうちは、ふざけているのかと思いました。しかし、どうも本当に知らないのだと気がついていろいろ聞いてみると、まず、新聞はテレビ欄以外読んだことがない、学校の授業でやったかもしれないけれど、聞いてないし、テストが終わったら全部忘れた、と言うのです。「第一、そんなこと知らなくてもテスト範囲の勉強をやっていれば、何とか点は取れる」と不満顔です。

 つまり、いわゆる一般常識といわれるものが身についてない子が多いのです。これまでもそういう生徒はいました。しかし、こういう一般常識に欠ける子は、数学や英語はもちろんのこと、勉強と名のつくものはすべて嫌いです。その一人一人の状態は千差万別で、じっくりと時間をかけて、その子なりに勉強に取り組めるようにすることが、プロとしてのわたしの仕事のひとつでした。ところが、今年気がついたことは、“学校でやったこと”はそこそこできるのに、中学生ともなれば“自然に”(とわたしは考えるのですが)身についているはずだ、と思えるような知識がまるでない子が増えている、ということです。

 このことで、いまは下火になった『学力低下論争』を思い出しました。「分数ができない大学生がいる」という指摘から始まったこの論争ですが、分数がよくわかっていないために微積分の計算途中でつまずく、世間では一流と言われる某大学の理工学部生を、わたしも知っています。わたしの塾仲間で、大学生や院生を対象に、中学1年程度のごく基本的な和文英訳をやってみたところ、完全にできた学生はごく少なかった、ということでした。このコラムでも何度か登場していただいた教育社会学者・苅谷剛彦教授が「東大文科の学生で、鎌倉幕府の成立と滅亡の年を知らない学生が3分の1くらいいた」というエピソードを紹介して、徹底的に批判された話も思い出しました。彼は、たぶん「受験科目になかろうと、学校で教わらなかろうと、文科系の学生ならそれくらいの知識はもっていないと、何も考えられない」と言いたかったのだと思います。

 以上のことを考えてみると“とりあえず、今を切り抜ける”感覚が支配していることに気がつきます。テストに出る、受験に必要だ、明日の授業で指名される、宿題・・・こういう目の前のことをこなすことに汲々とする子どもたちの姿が見えてきます。そして、好奇心が強く、とことん考え抜く、一つのことにこだわる不器用な生徒は、よほど優れた処理能力を備えていない限り勉強嫌いになっていきます。

 30年ほど前の塾の初期に、覚えたはずのことをすぐ忘れてしまうことに悩んでいた子がいました。「忘れてしまうのはキミの人生にとって必要のない知識なのかもしれないよ。」と言ったときにパッと明るい表情になった彼のことを思い出します。そのころの生徒と、いまの生徒たちの“忘れる・知らない”とは、どうも質的に違いがあるような気がします。“とりあえず、今を切り抜けるために不要なこと”は、はじめから覚えようとも知ろうともしていない、と思えるのです。はたしてそれでいいのか、その感覚は、彼らと彼らが生きるこれからの社会にどのようなものをもたらすのかと、わたしなりに考え始めています。

 これらのことの根底に、現代の子どもたちの学力の低下というよりは、気力・体力、ひいては生命力の低下を感じているこのごろです。詰め込み勉強でもゆとり教育でもない、まったく別の影を感じるのです。ひきつづき、この問題にこだわりながら考えていくつもりです。


**9月21日(火)掲載**
(す〜爺)

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第107回 好奇心
 「高一の親」さんのお嬢さんが、オーストラリアでのホームステイの体験を経て「国際的な仕事をしたい」と言い始めたことが、前回の書き込みにありました。子どもや若者は、ほんのちょっとしたきっかけでなにかに興味をそそられたり、好奇心をもち始めることがよくあります。それが、必ずしも持続するものとは限らず、また、そこに向かうための準備に取り掛かるとは限らないことが多いのですが、なかには、そのちょっとしたきっかけが、一生の仕事につながっていく人もいます。

 当時17歳だったMくんがわたしのところを訪ねてきたのは、かなり前のことになります。じつは、彼の兄が塾生だったころ、小学生の彼は「お兄ちゃんの塾なんか絶対に行かないぞ」と言って、ガンとして拒否していたらしいのです。時は移り、諸事情で高校中退していた彼が、ふと、わたしを訪ねてみようと思い立ったきっかけは、すでに大学の建築学科に在籍していた兄の一言だったようです。−「たぶん、いろんな生き方知ってるぞ」−

 彼の兄(Yくん)が高校生だったころ、大好きだった部活をあきらめて鬱々(うつうつ)としていたときに「両親のふるさとの四国まで自転車で行ってみたら?」と勧めたことがあります。Yくんは、関東周辺にいる親戚からのカンパを受けてその計画を敢行したのです。何度か野宿をし、見ず知らずの人の家に泊めてもらい、多くの人の世話になった彼は、その道中で、当時はまだ充分に残っていた地方色豊かな家のたたずまいとその暮らしぶりにも大いに心を揺さぶられたようです。その体験が、迷っている弟Mくんへの一言になったのかもしれません。

 両手をズボンの尻ポケットに突っ込んだポーズで現れたMくんは、ツッパリくんだったころの面影を漂わせながらもすなおで、初めは「オレでも定時制って入れるんスか?」などと、ポツポツと話し始めたのをじっと聞いていると「プラモのように、少しずつ時間をかけて形ができてくるものに取り組んでいるときが、一番好き」ということがわかりました。そこで、はたと思いついて、知り合いの大工の棟梁のところに連れて行ってみました。目を輝かせてひとつひとつの所作を見つめる彼の表情は印象的でした。結果的には、その棟梁のところには世話にならなかったものの、その後、別の木造建築の棟梁のところで修行した彼は、比較的早く腕を見込まれるようになったようです。しかし、その間にもバブルの崩壊などさまざまな環境の変化があって、Mくんは棟梁のところを出ることになり、再びわたしのところに顔を見せるようになりました。そんなときに、わたしの書棚にあった社寺建築の図鑑を見せたところ、意気消沈していた彼の顔がぱっと輝いて「オレ、これをやってみたい」と言うのです。わたしに宮大工の知り合いとてあるわけもなく、考えあぐねてタウンページを繰っていると,偶然、社寺建築の会社が見つかりました。「ほんとうにやりたいのなら、1、2年は無給でいいから、と言って土下座してでも頼み込んでみたら?」とのわたしのことばを真に受けて、Mくんは「いま、見習いの大工はいらないんだ」と言う社長のまえで、土下座をして頼んだそうです。

 そのまえの木造建築の経験も相俟って、土下座までして採用されたあとのMくんの上達ぶりはめざましく、次々と仕事を任されるようになっていきました。ある日「いま、千葉の寺の修復工事をしているんだけれど、古い天井板はがしていたら<寛永十三年 大工〜助>って書いてあったんだ。住職が、今度はおまえの名を書いておいてくれ、って言うんで、<平成○年 M>ってオレの名前を書いたんだ。寛永っていつごろ?」と電話がかかってきました。「300年以上前だなあ」と答えると、「オレの名前も300年も残るんだ」と電話の向こうから感慨深げな声が返ってきました。

 その後も、時折、現場の写真を持ってたずねてくる彼の表情は、会うたびに自信と充実した喜びに満ちてきました。「いつか、このボロ塾をオレの手で建て直してやるからな。しっかり金を貯めておいてよ。」「こんな屋根が反っている(神社のような)塾を建てられてもなあ」と冗談とも本気ともつかない会話を交わしたものです。休みの日には、現場で集めた端材を使って木組みの五重の塔を作っているということでした。一級建築士となっている兄のYくんや、かつてはMくんを厄介者扱いした親戚の人たちが、そういう彼を「うらやましい生き方だ」と認めてくれることも、Mくんにとっては大きな喜びだったようです。
 
 塾の日常は、子どもたちが見せてくれるエピソードに満ちています。あるときはおもしろく、あるときはおかしく、あるときはツラく、またあるときは深刻な・・・。なにげない日常の中に潜む子どもたちの好奇心に気がつくのはとても楽しいことです。でも、子どもたちから、あのキラキラとした<好奇心の目>が少なくなっていると感じるようになって何年もたちます。これでもか、これでもかと与えられる情報の渦の中で、<好奇心の目>を保つことは、難しいことなのかもしれません。


**9月14日(火)掲載**
(す〜爺)

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第106回 夏の名残り
 長いお休みをいただきありがとうございました。前回のコラムの中でお話した「川遊び」やら、中3の夏の講習、そして久しぶりに訪ねてきたOBたちとの交流・・・わたしなりに充実した夏をすごすことができました。とくに、小学生中心の「川遊び」は、一家で参加した子どもたちも含めて、とても楽しい一日になりました。思いのほか大胆に向こう岸まで泳ぎきった子、器用に釣竿を操る子など、ふだん見ることができない子どもたちの姿があちこちで見られました。じつは、わたしにとって一番楽しかったことは、行き帰りの車中の子どもたちの遊びやおしゃべりでした。助手席にいるわたしたちの存在などすっかり忘れて、どの子ものびのびとやりとりしていて「幼さ」「早熟さ」など大人が持っている既成概念をはるかに超えたところに「子どもの現在」があることを実感したものです。(このテーマについては、いずれ別の機会に取り上げたいと考えています。)

 子どもたちにとっては短い、そして親たちにとっては長い夏休みが終わりました、とはじめるのが、2学期始めの常套句です。
 もっとも、これは一般的な言い方であって、学校が再開されることを心待ちにする子もいれば、せっかく毎日子どもといっしょにいられるのに・・、と2学期の始まりを切ない気持ちで迎える親もいます。なかでも、不登校の親子は、かなり割り切れるようになってはいても、夏休み中、あっけらかんと過ごすことができたのに、日中の街から子どもの姿が見えなくなる2学期は心穏やかでないものがあるようです。ことに、教育行政の問題を棚上げにして「不登校を“治す”“防止する”」ことに情熱を傾ける人たちがもっとも重視する時期でもあるので、なおさらつらい毎日になります。

 学校に行ってはいても、「学校は疲れる〜」と、塾の教室に着くなり机に突っ伏してしまう中学生もいます。夏の間、毎日のように朝から元気に講習に来ていた中3の生徒たちも、休み明けの実力テスト、北辰会場テストと立て続けのテストが重なって、その上、多くの中学では今月の18日前後が“文化祭”なので、その準備で学校に遅くまで居残ることも多いようです。

 そういう子どもたちの様子を見ていると、数学なら1学期までの計算練習、英語も基本文型練習と、比較的取り組みやすいものから始めることになります。こういうときに、複雑なこと・応用度の高いことをやっても、わかってきていたはずの基本事項まで混乱してしまうことになります。なかには、夏休みの宿題が終わらなくて「塾の時間にやらせてよ」という子もいますが、これは内容次第です。地図の色塗りなど作業的なものは家でやること、というのが以前からの子どもたちとの合意事項だからです。

 その点、高校生たちは、さすがに心得ていて、終わらない宿題の“あきらめかた”も堂に入っています。高校の宿題ともなれば、自分でチェックするために模範解答が渡されているので、苦手な科目はそれを丸写しして覚えてしまう生徒もいます。「それをやると、実力テストで困るよ」とわたしが言うと「いや、いいんです。まず提出すればなんとかなるんっすよ。それより、新学期になって急に進度が早くなる授業に備えて予習をやっておくほうが、あとがずっとラクなんです。」と、いかにも学校との付き合い方のベテランらしい計算です。

 今年の夏は格別の暑さだったので、いまごろの少し涼しい日に夏の疲れがどっと出てくるのが、わたしの年齢です。しかし、今年はオリンピック観戦ですっかり生活のリズムを崩してしまった子どももいるようで、中学生では、わたし以上に疲れている子が目立つような気がします。どんなに疲れていても、一晩熟睡すれば翌朝はけろっと元気になっているのが子どもである、ということも当たり前のことではなくなってきたのかもしれません。

 「川遊び」の写真を囲んで、キャッキャッと元気に夏の名残りを楽しんでいる小学生たちの姿が、いま、ぐったりとしている中学生たちのホンの数年前の
あどけない姿と二重写しになって、感慨にふけっている自分にハッと気がつくこのごろです。


**9月7日(火)掲載**
(す〜爺)

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Re: 第106回 夏の名残り2004/09/09 21:39:47  
                     高一の親

 
お久しぶりです。
いよいよ、2学期ですね。再開を心待ちにしておりました。
 
うちの子供は、この夏、オーストラリアにホームスティしてきまして、すっかり、かぶれてしましました。
「日本には、ゆとりがない!」とか言っちゃって、英語の塾をやめてしまいました。
にもかかわらず、「国際的な仕事をしたい!」そうで・・・。
 
どうしたもんでしょうかね? 今は、学校行事もいそがしい上、勉強はせずにハリーポッター読んでます。
まぁ、本人に自覚がないことには、どうしようもないですが・・・
 

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国際的な仕事2004/09/10 16:26:18  
                     す〜爺

 
「高一の親」さん、お久しぶりです。
「再開を心待ち」とは、老骨への鼓舞としてもたいへんうれしく、夏バテ気味の気持ちと体が一気によみがえる思いがします。
 
 お嬢さんがホームステイされたとのこと、初めての経験で、さぞかしたくさんの刺激を受けてきたことと思います。せっかく「国際的な仕事」に目覚めたのだから、たくさんたくさん勉強してほしいところですね。自分から目指した勉強は、どれだけハードであったとしても、気持ちのゆとりをなくすことはありません。
 ハリーポッター、おもしろいですよね。わたしも原書で読んでいたのですが、松岡佑子さんの翻訳は原文のよさを引き出して余りあるほどすばらしく、結局静山社の本で読んでいます。原書はボリュームもあるので、J.K.Rowlingへのインタヴューを英文で読んでみてはどうでしょうか? わかりやすい英語ですし、彼女の家族や子ども時代のこと、学校のころのことなど、彼女の息づかいまで感じられるような楽しさがあって、「ハリポタ」の楽しみが倍増すると思いますよ。
 
 

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