す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第155回 プライドとブランド | ||
お母さんたちと話していると「うちの子はプライドが高くて・・」という話になることがあります。よくよく聞いてみると「勉強はやりたくないけれど、せめて○○高校ぐらいには入れなければ・・・」ということのようです。さらに話を聞いているうちに、実は、これは本人の弁ではなくてお母さんのホンネなのだ、とわかります。この場合の“プライド”というのは、“ブランド”志向と同じようなものなのかもしれません。もっとも、英語のPRIDEには「派手な仰々しい人たちの群れ」という意味もあるようなので、あながちまったく無関係ではなさそうです。
わたし自身も、あるメーカーの商品を何度か買ってみて信頼感が高まると、メーカーの名前を確かめただけで購入してしまうことがあります。これは、マイブランドですが、そういう一人一人のマイブランドが長い間集積されていくことで、ほんとうのブランドになっていくのでしょうね。ところが、テレビなどで“ブランド物”と紹介されて、その品物のよさも実感しないまま買う人たちが多いので、“偽ブランド”が横行するのでしょう。 本来は、よいものを身につけているあるいは使っているということは、それを選んだ人のセンスがそこに表れているからこそ、身につけている物の価値がその人間の評価にもつながっていったはずです。よいものを選んでいるという1種の“プライド”がそこに感じられます。他人が評価した“名前”で買うのでは、この“プライド”も持ちようがありません。 “家柄・学歴”というブランドも同様で、たしかに“血筋正しい家柄”であるはずなのに、なりふりかまわず利権を漁っていたり“名門大学出”であるはずなのに、知性のかけらも感じられないふるまいをしている人は、かえって人一倍みすぼらしくみえるものです。 その意味で“プライド”も、維持していくのに不断の努力が必要だと言えるのかもしれません。 スケバンのSさん(第123回)は、ブランド物に身を包んでいながら、別の意味での強烈なプライドをもっていました。「わたしは、自分でしたことの責任はきっちり取る」というプライドでした。「だって、自分がしたことをほかのヤツに尻拭いされたら、自分があまりにもみじめだから」と言って、くちびるをかみしめていた姿が思い出されます。まさに第124回に書いた“開けたら閉める”を実践しているプライドです。 わたしがサラリーマンから落ちこぼれて(第111回)鬱々としていた時期のことです。ある日、考えごとをしながら駅の近くを歩いていると、声をかける人がいました。ふりむくと、高校時代の社会科のI先生でした。その当時、先生は30代前半で、たぶんまだ独身でした。そのI先生に誘われて、近くのそば屋に入ることになりました。 わたしが属していた研究会の顧問でもあった先生は、わたしにそばを勧めながら、職員室のウラ話やら自分の研究テーマなどについて話していましたが、突然気がついたように「ところで、ぼくはいま年休を取ってきた帰りなんだけれど、君はこんな平日の昼間に、なぜこんなところを歩いていたの?」と言い出しました。 「じつは・・」と、それまでのいきさつを話すと、先生は、しばらくまじまじとわたしを見つめて、「ふ〜ん。でも、君ってさあ、道端にムシロかなんか敷いて座っていて、目の前の空き缶に小銭がパラパラなんて状態でも、どこか安心して見ていられるようなところがあるよなあ」と、しみじみとした口調で妙なことを言い始めました。「いえ、そんな・・・」と口ごもりながら、わたしは、ムッとするような、こそばゆいような不思議な気持ちにとらわれていました。 まるでさえないわたしの姿を揶揄して出たことば、というのが真相かもしれませんが、わたしは、これが後にも先にも自分が生涯に受けた最高の“ほめことば”である、と確信しています。その後の人生のなかで、何もかも投げ出したくなるほど苦しいときに、ふと、I先生のこのことばを思い出して自分を支えることが何度かあったからです。もしかしたら、これがわたしのささやかなプライド、といえるのかもしれません。 このところ、この“ささやかなプライド”が崩れつつあります。それは、あれから40年近く、護るべきもの、断ち切れないもの、を身にまといながら年齢を重ねてきたためでしょう。 **10月11日(火)掲載**
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第154回 社会のルール | ||
かなり以前、塾のOBが集まったときのことです。いわゆる進学校に通っているA君と“底辺困難校”と呼ばれる高校に通っているB君との会話です。
B君「あした頭髪検査があるから、これから床屋に行くんだ。」 A君「え〜っ? ウチの学校じゃ茶髪やロンゲもいるし、みんないろんな髪形をしているよ。髪の毛で人に迷惑をかけるわけじゃないのに、ヘンだよねえ。」 B君「おまえの学校みたいに“あたまのいいやつ”ばかりのところならいいけれど、ウチみたいなところでは、服装や頭髪で厳しくしていないと“なんでもあり”みたいな感じになっちゃって授業なんか成り立たなくなるんだよ。なさけないけどなあ」 勉強は大の苦手だったけれど、ズバリと本質を突く鋭いことばに中学生のころからたびたび感心させられてきたB君でしたが、このときもまた、わたしは「ウ〜ム」と考え込んでしまいました。当時、わたしもA君と同様に「学校のルールは、社会に出てもそのまま通用するルールでよいのではないか」と考えていました。 しかし、ここで「社会のルールとは何か」と改めて考えてみると、なかなかむずかしいことがわかります。この問題に到達するまでには、近代民主主義の理念・道徳と法とルールの違いなどのむずかしい概念を定義しなければなりませんが、それは専門家に任せることにします。 言わずもがなのことですが、わたしたちは、成長するにしたがって、さまざまな社会に複層的にかかわっていきます。新生児のころは母子関係、すこし成長して両親と自分の関係、さらに兄弟を含んだ家族関係と、ここまでは社会と言ってもルールなどないように思えますが、その家族の文化的背景によって、おのずと暗黙のルールができているはずです。それは、食事の作法であったり、後始末であったり、家族間の挨拶であったりします。そういう一つ一つのルールは、とりたててことばが介在することなしに“自然に”染み込んでいきます。 ところが、これが他の家庭文化や社会と接触することになって初めて、これまで自分が獲得してきたルールとは異なるルールに触れます。それでも、親密な家族関係に包まれているうちは、それらのルールとのギャップを感じなくても済みます。 そして、おそらく生まれて初めて出会う“社会制度”が学校です。ここでは、それまで親の裁量だけでどうにかなってきたものが通用しないことが多くでてきます。『ぼくはぼく、わたしはわたし』であって“かけがえのない存在”だった自分が“おおぜいのなかのひとり”にもなる瞬間でもあります。つまり“『うれしい、たのしい、いやだ、つまらない』という感情や感覚を持つ自分”と“クラスや学校という集団を構成する一員である自分”との折り合いをどのようにつけていくか、という大問題にぶつかります。 本来のルールの話からはすこしずれてしまいますが、「自分は苦しんでいる。傷ついた。」という叫びは、たとえ本当であったとしても、それがそのまま「だから、自分がこの状態に置かれているのはおかしい」ということにはなりません。「みんなが公平に自由に共存していく上で、あなたの現在の状態は改善されなければならない」となって初めて“集団の理念”となります。この2つの違いを明確に理解しないところから、学校だけではなく、自己中心化した社会のあちこちでさまざまなトラブルが起きているのではないかと感じています。 一方、「自分を殺して集団に従う」「いやなことでも我慢して集団についていく」ことが大前提であるわけではありません。そういう“押さえ込まれた感情”もまた、大きなトラブルを生み出します。 それでは、どんな状況が望まれるのでしょうか。集団の中での経験が楽しかったり、意味のあるものに感じられたとき、だれしもその状況を維持しようと考えるはずです。そして、それはすでに“我慢したり、自分を殺す”ことではなくなります。たとえば、なにか楽しいゲームをしているときに、そのゲームのルールを守ることは苦痛でないばかりか、ズルをするメンバーがいれば、みんなのブーイングを浴びるのと同じです。ただ、その“ズル”と思えたものが、じつはゲームのおもしろさを倍加するものだとみんなが認識したときに、ゲームのルールが変更されます。 社会のルールもまた、状況によって変わっていくはずのものです。前回、わたしは『社会のルールを伝え教えていく』と書きましたが、むしろ、より望ましいルールを作り上げる経験を積む機会を増やしていくことこそが必要だと、書くべきだったかもしれません。 **10月4日(火)掲載**
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第153回 ゼロ・トレランスって? | ||||||||||||||||||
わたしの塾では小学5年生7名が一番下の学年で、金曜日の1時間だけ第151回のコラムに書いたような“日本語の勉強”や、ゲームや手作業を取り入れた“数の勉強”をしています。わたしが年をとったこともあって、金曜日は、まるで孫たちが訪ねてくるような気分でウキウキして準備をしている自分に気がつくこともあります。そういうこともあって、彼らがやることについては失敗にしてもいたずらでも、つい目を細めてしまいがちで、ツレアイに叱られます。
ところが、考えるまでもなく彼らは小学校では高学年の子どもたちです。昨日のニュースでも「小5が車を盗んで32キロをドライブ」という記事がありましたが、記憶に新しいところでは佐世保の事件や長崎の事件なども、彼らとほとんど同じ年頃の子が起こした悲惨な事件でした。 先日、文科省は「生徒指導上の諸問題の現状」として、〈暴力行為やイジメなどの問題行動〉の調査結果を発表しました。これによると、小学校が1,890件、中学校23,110件、高校5,022件と、相変わらず中学が大部分を占めている状況です。しかし、報道では、小学校の対教師暴力が大幅に(約33%)増えていることを大きく取り上げています。とはいっても、全国の実数は253件から336件へと83件増加ということで、これだけ分母が小さければ、この増加は統計上それほど有意な数字であるとも思えません。その意味では、マスメディアがニュースバリューをどのように評価するかの一端をうかがわせる記事ではあります。 しかしそれはそれとして、小学校の教員である何人かの知人の話を聴いても、小学生の中に、以前とは違うある種の“気分”の変化を感じることがあると言います。反抗といっても、まるで赤ちゃんが手足をばたつかせるようなものだったり、授業中座っていることができなかったり、というものだそうです。さらに、もっと大きな変化は親の意識で、子どものことをいっしょに考えていこうとして話をしても、初めから親自身が責められているように受け取ってしまって聴く耳を持たないという人が多いのだそうです。 「うちの小学生たちからはそんなことはまったく感じないなあ。いたずらもするし、立ち歩いたりもするけれど、きちんと目を見てゆっくり話せばおちつくよ。お母さんたちもこちらの話に耳を傾けてくれるし・・・」と言うと、彼らは「それは、こういう塾を選んできている親子だからだよ。学校では、そんなことでは通用しない」と言下に否定されてしまいます。そして「このつぎはどんなことでねじ込まれるか、と戦戦兢兢としているのが学校の現状だ」と付け加えます。 じつは、文科省は、上の調査結果と同時に「新・児童生徒の問題行動対策重点プログラム」(中間まとめ)を発表しています。このなかでは、さまざまな問題行動の要因として、対人関係能力やコミュニケーション能力の不足、家族関係のトラブル、インターネットサイトなど有害情報などを挙げています。これは、このコラムでも何度となく取り上げてきた“社会問題”であって、現代日本の多くの大人たちの中にも見られる、まさに“教育問題以前”のベーシックな問題です。 ところが、その具体的方策として、文科省は警察庁と共同で、年度内に刑法や少年法などを詳しく解説した副読本を作成するそうです。また、アメリカなどで取り入れられている「ゼロ・トレランス方式」の調査研究を始めるもようです。これは、事前に保護者の理解を得た上で、校内規律維持のため規律違反の児童生徒を厳しく罰する生徒指導の方式です。内容から推察すると“zero tolerance”のことで、原義は「寛容さをゼロにして、さして重大でもない違反に対しても厳しく法律を適用すること」です。 次世代市民社会の担い手であるの子どもたちに“社会のルール”を教え伝えることはたいへん重要なことですが、この「ゼロ・トレランス方式」が実現すれば、問題行動の要因として挙げられた、対人関係能力やコミュニケーション能力の不足などは、むしろその再生の可能性を奪われ、殺伐とした気分が学校をおおうようになることは、警官が常駐するアメリカの学校の例を見てもわかります。その上、規範意識があいまいな日本では、アメリカ以上に危険な状況になるのではないかと心配します。 では、どのようにして“社会のルール”を伝えていったらよいのか、たいへんむずかしい問題ですが、次回から具体的に考えていきたいと思います。 **9月27日(火)掲載**
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第152回 プロセス抜き・二者択一 | ||
「あれっ、途中の式はどうしたの? どうしてこういう答えが出てきたのかな?」中学生や高校生には「計算の途中式は必ず書くこと」と言い続けてきていますが、なかなか書こうとしない子が増えているような気がします。「だって、この答えは合っているでしょ? だったら書かなくてもいいんじゃない?」とか「ここに計算したけれど消しちゃった」と言います。「途中式を書かなくても絶対に間違えなければいいけれどね。ここも、ここも、途中式を書いていれば多分間違えなかったんじゃないかな?」と言えば、「いちいち書くのカッタルイよ。テストだって途中式を書かせるのってあまりないし・・・・」と不満げです。
“途中式を書く”ということは、単に“計算をする”ことだけではなく、考え方の筋道を表現することなので、この習慣がついていれば、計算問題だけでなく数学全般、いやおよそ“考えることすべて”に通じていくような気がします。もっとも、わたしの高校時代には、あの複雑な因数分解を途中式ナシで瞬時に解いていって、しかも全問正解だった、などというすごいヤツもいましたが、彼の頭の中には、正確な途中式がすさまじい速さで流れていたはずです。しかしその一方、彼は、論証のひとつひとつのプロセスに首をかしげ徹底的にこだわるO君(後に数学者になった)の疑問にはほとんど答えることができませんでした。 話を元に戻しましょう。“途中式を書く”ということは、例えて言えば、複雑に入り組んだ小さな水の流れを少しずつ大きな水系にまとめていって最後は海に注ぐ一本の大河になるように、流れの分岐点を書きとめておくことなので、わたしも含めて“ふつうの”学習者にとっては、たいへん効率的で安定した結果を得られるはずの作業です。 この“プロセスを省く”という習性?は多くの子どもたちに見られます。質問だと思って説明していると「それはいいから、答えはなんなの?」と言われたり、説明の途中で「わかりました」と打ち切られることもあります。ある高校生の場合などは、「ちゃんと質問に答えてください」「そこに行くには、まずここをしっかり理解しないとわかったことにはならないよ」「それならいいです。わからなくてもいいから、この問題の解き方だけ教えてください」という、まことに頓珍漢で殺伐としたやりとりになることもあります。 よく観察していると“結論を急ぐ”というより“わからないという自分の状況に耐えられない”らしいのです。「わからないから考える楽しみがある」などとわたしが言おうものなら決定的な不信感を持たれかねない勢いです。「別解がありそうだ」とか「その英作文にはこういう表現もあるよ」と言えば、とたんに不安になり「あ〜、言わないで、答えはひとつだけでいいです。」という場合もあります。 “わかるかわからないか”“解けるのか解けないのか”“知っているか知らないか”の二者択一しかなさそうです。ジワジワと納得していったり、さまざまな角度から検証していくことの価値は、ほとんど一顧だにされません。 こういう風潮の中では、「1+1はいつも2でなければならないのか、なぜ“0”は分母になれないのか、定直線外の一点を通ってその直線に平行な直線はほんとうにただ一本だけなのか、英語の2人称単数のときBe動詞はなぜare(複数表現)なのか、鎖国は間違った政策だったのだろうか、あんな戦争をしてしまった昔の日本人はみんな愚かだったのか、天動説でも宇宙の仕組みを説明できるんじゃないか、日本語の文章のすべてに主語を入れてしまうとなぜ変な感じになるのか・・・」などの疑問は、ムダどころか“勉強にとって有害”という烙印を押されてしまいそうです。 ○か×か、勝ちか負けか、正義か悪か、光か影か、という2分法は、閉塞感が漂う社会、不安や不満が渦巻く社会の中では、非常にすっきりとわかりやすいのでストレスを感じにくいものです。子どもたちがプロセスを軽視したり、二者択一の考え方しかできなくなったり、というのもそういう社会背景があるのかもしれません。 さらに、よりメジャーなもの、より強力なリーダーシップに同化することで、安心感を得ようとするのも時代の流れでしょうか。「それはきみ自身の問題だよ。一生懸命サポートするから、じっくりとやっていこうね。」というのがわたしのホンネであったとしても「もう40年近くも受験生を見てきているのだから、安心して任せなさい」と言うとホッとした表情を見せ、しかも結果もよくなる、というのが現実です。 どちらともつかないことがらや現象が受け入れられ、多様な価値観や生き方が共存する社会こそが健康で潤いのある社会であると考えてきましたが、子どもたちの勉強の様子を通してみても、社会が確実に変容しているような気がしてなりません。 **9月20日(火)掲載**
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第151回 あたまを活性化する | ||
「この塾では、宿題たくさん出したりテストやったりしないの?」と、小学5年生が真顔で聞いてきました。小学生は、週に1時間だけの授業の中で“とりあえずできること”を増やすより、“あたまを活性化すること”を目標にしているので、子どもたちがうんざりしてしまうことやあたまが硬直化することは、できるだけ避けるようにしています。宿題やテストがないのはそういう理由です。お母さんたちにはわかっていただいているし、子どもたちも、ほんとうは納得しているのですが、「ふつう、塾ってそんなもんじゃない」から、ちょっぴり不安になるのかもしれません。
わたしのところの小学生クラスでは、読む・書く・表現する勉強を“国語”ではなく“日本語”と称しています。家から塾まで来る途中で見たものをできるだけくわしく書く、ウソ作文(物語)を書く、好きな人やアニメキャラに手紙を書く、目の前にあるものを文で写生する、担任の先生のことがわたしにわかるような紹介文を書く・・・などが作文の勉強です。文学の勉強ではないのだからカッコいい表現や巧みなレトリックは必要ありません。だから、作文を書く前に“話しことばを文章語にする・句読点がまったくないひらがなだけの文章を、原稿の使い方にしたがって読みやすい文にする・4コママンガを文で説明する”などの練習をします。自分が伝えたいことがらをできるだけ正確に相手に伝える技術を持つこと、が基本的な目標です。 「たのしかった」とか「つまらなかった」などという表現を制限して、できるだけ具体的に書くように言うと、慣れてくるにしたがって描写が細かくなります。担任の先生の紹介文などは、悪口・賛辞を含めて抱腹絶倒のおもしろさで活写されていますが、子どもたちとの約束もあるので、公表することができないのが残念です。ウソ作文(物語)では、いかにもゲームの世界そのもののような「バキューン!ガーン」という効果音だらけの物語を書く男の子や、あこがれのアイドルタレントと“結婚しちゃった”お話を書く女の子もいます。 そういう一枚一枚の作文の裏に、講評を書いて翌週返却しますが、文の内容についての評価はしません。仮に“イジメのおもしろさ”について書いたとしても「イジメはとても悪いことだよ」などと書くことはありません。それぞれのフレーズについて「どんなことをしていじめたのか。どうしていじめたくなったのか、いじめられている子がどんな表情をしていたか、なぜおもしろいと思ったのか、そういうことが読む人によくわかるように、もうすこしくわしく書いてみよう」と書きます。作文で“道徳教育”をするよりも、自分のアタマのなかにあるものを的確に表現する技術を持つ(これは、わたし自身にとっても一生の課題)ことが、知性的で理性的な生き方を獲得できると思うからです。 漢字の勉強では、象形文字に近い中国古代の小篆(しょうてん)を使ってわたしが書いた教科書の一節を読んだり、高校受験に出題されるような漢字を読む(文脈で読める!)、万葉仮名遊び(子どもたちに人気)をしたりします。50音図のなかに隠されていることばをタテヨコナナメに、どれだけ漢字に直せるかを競うのも人気があります。 特に子どもたちに好評なのは“逆漢字テスト”です。これは、子どもたちが、それぞれ1冊ずつ辞書を持ってわたしにテストをし、わたしが書けない漢字を出題した子が得点します。わたしは、その出題者に“お願いして教えていただく”ことになります。そのときのなんとも得意げな表情はとてもいいものです。出題条件としては「出題者が知っていることばであること」だけです。子どもたちが「むずかしい」と考える字ではほとんど得点できません。とはいえ、要領のいい子は、ミミズ、おけら、ゴキブリ、などの虫の名や、バラ、サザンカ、などの花の名、あくび、けいれん、めまい、などの変化球で攻めてくる子もいます。こういう“定番難漢字”は、何度も登場するのでなんとかクリアできますが、意外にも「にんにく〜」などと言われてたじろいてしまうこともありました。とくに、最近はパソコンが出力してくれるので、ハネを書かずに「ブー」と言われたり、簡単な字に詰まることもあります。そして、書けなかった字は「つぎのときまでの宿題!」ということになります。 ひとりひとりが「○○が、△△で、□□に変身した」と3色の短冊に書いてから、全員の分をシャッフルして並べ直す遊びなども子どもたちのお気に入りです。この遊びでは、「ボールペンが、おなかの中で、大蛇に変身した」などと意外な展開になるおもしろさにはまる子もいます。ほかにも、「ください、いただく」などの敬語の使い分け、「絶対に打たなければならない読点、絶対に打ってはいけない読点」の勉強、「ドラえもん」や「風の谷のナウシカ」などについての短文の文節をバラバラにしておいて、自然な文になるよう並べ替える練習、などなど、いろいろな“メニュー”を用意しています。 なにかの知識を教え込んだり、テクニックを練習したりすることは最小限にして、まず、すこしでも“知的好奇心”を刺激できるようにと考えてはいるのですが、そのときどきの子どもたちの体調や気分でかなり違った展開になることもまた、ライブのおもしろさです。 **9月13日(火)掲載**
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第150回 夏休みの宿題 | ||
長いお休みをいただきました。おかげさまで、午前中の講習や午後の自主勉強など、学校がある時期ではできない多くのことをすることができました。お盆休みには塾のOBや友人たちが訪ねてきてくれたり、電話をもらったりしたことも、日ごろ夜中まで時間に追われているわたしにとっては、夏休みならではのことでした。
夏休みの宿題といえば、昆虫採集や図画工作、“夏休みの友”絵日記帳などが定番だった昔に比べて、ずいぶん宿題が少なくなってきました。特に小学校では「家族といっしょに過ごす時間」「ふだんではできないことに挑戦する機会」という“建前”から、膨大な宿題を出す先生はほとんどいないようです。 最近びっくりしたのは、ある私立高校の宿題で、「300字ほどの漢字をひとつ20回ずつ書く」「日本国憲法を全文清書する」というものです。その意味がまったくないとは思いませんが、やらされている当人にとっては「ただの我慢比べッス。」と言うほかないかもしれません。 現代の宿題の定番は、読書感想文と自由研究です。そして、この二つが多くの子どもたちにとってもっとも苦手なもののようです。「宿題は、7月中に終わっちゃったけどさ、あとは読書感想文と自由研究だけなんだ。本は“朝の10分間読書”で読んだのを書いているんだけど、なんとなく読んじゃったから『おもしろかったです』ぐらいしか書けないんだよね。」と言う子が、わたしの塾生の平均的なところかもしれません。 それにしても、読書感想文に課題図書を設けている場合はともかく“自由課題”であるのに、「マンガはダメ」というのが、わたしにはどうも解せません。最近のマンガはほとんど知りませんが、手塚治虫の『火の鳥』・竹宮恵子の『地球(テラ)へ』・白戸三平の『カムイ伝』などは、ありきたりの文学作品以上に壮大で重いテーマを含んでいます。あるいは、赤塚不二夫の『天才バカボン』のようなナンセンスマンガでも、藤子不二雄の『ドラえもん』のように、いつの時代の子どもたちの心も捉えてしまうマンガでも、子どもたちにとっては読書感想文に新鮮で楽しい意欲を感じさせるものだと思います。 ある作家が「子どもの読書感想文ほどつまらないものはない。」と言っているのも、どれほど優秀な読書感想文であっても、プロの目に耐えるほどのものはめったにないからだと思います。ところが、日常それほど読書量が多くない子どもたちほど、大好きなマンガともなれば、大人が思いもつかない斬新な切り口の書評を書きます。これは、わたしのところの小学生たちの感想文で実証済みです。そうでなくとも「読書感想文はキライだ」という子が少なくなるはずです。 もうひとつ、子どもたちが苦手なのが、自由研究です。 “自由”なんだから、自由にいろいろ考えればいいじゃないか、と思いますが、これがなかなかむずかしいようです。まじめな子ほど苦しんでいるのを見かねて、助け舟を出すこともしばしばです。塾の帰り際に、「なんとかしてえ」と泣き付かれて、言葉遊びをしたり、手遊びをしたりして見せているうちに「あっ、それ、も〜らい」と言って帰って行った子が、後日「あの自由研究、金賞もらっちゃった」と言ってわたしをあわてさせたこともあります。“研究”なんてむずかしそうな名前なので、ついまじめに考えてしまうようです。「なにかおもしろそうなことがあったら、やってきてみて」と、まさに“自由”に任せるほうが、よほどよい物が出てきそうです。 こんなことを書いていたら、わたしが中学生だったある年の8月31日のエピソードを思い出しました。ふだんは勉強のことなど一言も口を挟まない父が珍しく「あしたから学校だな、夏休みの宿題終わったか?」と聞いてきました。「まったく手をつけてないよ。学校が始まってからのテストがよければ問題ないらしいから・・」と、生意気盛りのわたしが答えたとたん、父の顔色が瞬時に変わって「おまえはいつからそんなに傲慢になったんだ」と言うが早いか、近くにあった教科書類をすべてかき集めると、あっというまに風呂の炊き口に突っ込んで燃やしてしまったのです。今とちがって、教科書は学年初めにしか手に入らず、2、3学期は教科書ナシで授業を受ける羽目になりましたが、このことがきっかけで“つまらない授業”も真剣に聴き、克明にノートをとる習慣がついたというのも思いがけない収穫でした。父が身をもってそれを教えようとしていたのかどうかは、今となっては知る由もありません。 **9月6日(火)掲載**
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第149回 エリート養成? | ||||||||||
「同じクラスの○○くんがね、遠くの“あたまのいい”中学に行くために引っ越すんだって」と聞いたとき、なんとなく「あっ、あれかな?」と、思い浮かんだ学校があります。トヨタ・JR東海・中部電力などが出資して、愛知県蒲郡市に来年度開校するという、中高一貫“エリート養成校”「海陽中等教育学校」(略称・海陽学園)です。
わたしが、いわゆる“教育問題”のなかで、このところ最も腹が立っていることは、学校の現状でも教員の質でも、あるいは国家戦略の一環としての教育制度改革でもありません。これらは、憂慮することではありますが、どれも社会全体の質の低下と連動していることであったり、すくなくとも、よかれ悪しかれ、わたしたちの社会が戦後60年をかけて選び取ってきたものの結果であると思えるからです。ところが、この『海陽学園』については、さまざまな意味で激しい怒りと深い憂慮を感じています。 7月19日の毎日新聞の記事によると、この学校は、文部科学省が“ゆとり教育”を全面的に推し進めていた2年前、時の文科省事務次官が現役キャリア官僚を1年間派遣し、校地選定から県への設置許可申請まで、強力にバックアップした結果、驚異的なスピードで開校する運びになった“エリート養成校”です。前開成中・高校長を新校長に据え、定員120人の男子全寮制、年間授業料・施設費120万円、寮費120万円、初年度入学金40万円・・・、6年間で1500万円、平均的な私立大理系の学費ベース(4年間で5〜600万円)の約2倍、ということだけでも、その特異性がうかがわれます。 教育社会学者・苅谷剛彦氏が好著「大衆教育社会のゆくえ」(中公新書)のなかで精緻に分析したように、戦後の日本は、教育の機会均等という原則と能力主義という現実との微妙なバランスを保ってきました。つまり「貧富や出身階層にかかわらず、だれでもが努力すれば最高レベルの教育を受けることができ、社会的地位が保証される」という社会的合意の下に、実は、一定の階層による高等教育の寡占という厳然とした事実が見落とされてきたことを指摘したのも苅谷氏です。 そして、文科省は、10数年前『児童・生徒一人ひとりのよさや可能性を活かし、自ら学ぶ意欲や思考力、判断力、表現力などの資質や能力を重視する』として“新しい学力観”を打ち出し始めました。ここで、日本の教育は戦後最大の改革を行ったかに見えました。当時、わたしは「この、耳に心地よさそうな“新学力観”は、多くの人を切り捨て一部のエリートだけを育てようという国家戦略の最初のステップではないのか」という疑いを強く持ちました。わたしがこんなことを考えたのは、この“新しい学力観”が示す“見えない学力”(情意的領域)は、長い時を経て変容してくるもので、遺伝的要素まで含む生育環境が大きくかかわるものではないかと、漠然と考えていたからです。 その後、ゆとり教育の推進とその見直しと、教育行政はめまぐるしく変わっているようにも見えましたが、行政がみつめる先はただひとつ「大衆教育社会の幻想を維持しつつ、次代の社会のテクノクラートの形成を急ぐこと」であったのだと思います。 ところが、どのような教育改革をもってしても、この隠された目的を達成できない、という危機感があったように思います。この背景には、マスメディア・ITなどによる文化の平準化と高度経済成長を経たあとの中間層の富裕化などがあると考えられますが、それはともかく『海陽学園』は、その危機感を背景にして、上記の隠された目的を、むきだしの形で打ち出してきたものだと感じています。 破格の学費設定は、経済的な面でのフィルターになり、男子全寮制は、それに踏み切ることができるある種の文化的な踏み絵になり、さらに外界の平準化された文化を遮断するのに必要です。『日本の勝ち組企業が作るパワーエリート養成のための学校』というキャッチフレーズの通りです。 いま、かつて『一億総中流』と言われた日本社会が2極化し始めているなかで、文科官僚トップが推進している『海陽学園』的な発想は、虚実取り混ぜて、他の私立一貫校や幼稚園にまで広がっているようです。 第48回でも触れましたが、“エリート”とは、「自分が大衆から託されている社会責任を自覚し、自らが託されている権限を、大衆が形成している社会のためにのみ使う人たち」のことであって、『海陽学園』の理念である「社会や国家への自己犠牲、奉仕の精神を備えるリーダー」ではありません。純粋培養されたなかからは、真のエリートは生まれません。大衆の中で育ち、大衆の息づかいを感じて育ったエリートでなければ、これからの社会に起きるさまざまな困難を乗り切ることはできないはずです。大衆とは、この社会の大部分を構成する人々だからです。 塾稼業のつらさ(?)で、たいへん勝手ながら、例年の通り8月のコラムをお休みさせていただきます。定期的にチェックをしますので、このテーマにこだわらず自由に書き込みをいただけるとありがたく思います。 **7月26日(火)掲載**
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第148回 70年前の教育相談 | ||
わたしの手元に、霜田靜志著『相談に現はれた子供の問題』(刀江書院刊)という古びた本があります。奥付けを見ると昭和14年刊とあるので、まさにナチスドイツのポーランド侵攻で第2次世界大戦が始まった年であり、ソ満国境のノモンハンで日ソ両軍が軍事衝突をした年です。
著者の霜田靜志氏は、当時杉並区で「井荻子供の家児童研究所」を開設して母親たちの相談を受ける一方、『母性日本』という雑誌の主幹をしていて、わが国の教育相談の草分け的存在であるらしいのです。“らしい”というのは、いろいろ調べてみても、この本以外で霜田氏の名前はどうしても見当たらなかったからです。 ところが、この本を読む限り、かなり先進的なことを実行していた人のようです。自由主義教育で有名なA.S.ニイルが開設したサマーヒルスクールに刺激されて、すでに、現在の“総合学習”や“自ら考える力”などを実践するための『子供の家』という施設を1933年(昭和8年)にスタートしています。満6歳から15歳までの子どもたち20名対象で、土日の午後だけというところを見ると、塾のようなものであったと思われます。 ここでは、いわゆる創作活動全般、絵画・デザイン・手工芸・唱歌・楽器・詩作・作文・演劇・舞踊などから科学実験まで、それぞれ当時一流の講師を招いて行っていたようです。この『子供の家』の活動については、塾の立場から非常に興味があるのですが、残念ながら、これ以上くわしいことはわかりません。 霜田氏は『子供の家』の活動のかたわら、母親たちからの相談にのっているうちに、真剣に向かい合うほど、そのむずかしさと複雑さを感じ、本格的な教育相談の組織を作りました。それが、前述の「井荻子供の家児童研究所」で、このスタッフというのが、医師・心理学者・教育家(霜田氏自身)というものでした。つまり、子供の問題は、単にカウンセリング的な対応だけでなく、身体的な面や、日常学習活動など、さまざまな角度からサポートする必要があると考えたようです。 この本に出てくる事例には、登校忌避、言語障碍、盗癖、浪費癖、わがまま、反抗、怠惰など、現代的な問題が多く見られます。おもしろいのは、これらの相談を通して、子ども自身を変えようとする試みはほとんどなくて、家庭の問題にかなり深く立ち入ったり、当時60人70人の多人数学級の中で、画一的な知識を詰め込むだけだった学校に対して抗議し、その一方で、子どもたちの問題行動に困惑している教師たちのサポートを積極的にする、さらには、少年鑑別所や教護院などの少年施設のありかたなどにも発言し、実際に教護委員に対するサポートもしています。 家庭の問題では、嫁姑問題、夫婦間の問題にも踏み込んだり、あるいは、女中(お手伝い)さんや、子守(ベビーシッター)と子どもの関係など、現代ではほとんど見られないことにまでかかわっています。女中さんたちを集めて講話をしたり、そのまま家庭においておくことが問題であると思われる子どもを一時的に引き取ったりと、まさに八面六臂の活躍ぶりです。 この本の後半は、その当時かなり組織的な相談システムができあがっていたアメリカの事例を多く取り上げ、日本はそれを手本とするべきなどと書いています。昭和14年という時代を考えてみると、これは大変なことだと思います。 この本の冒頭で「いまや、わが国は有史以来未曾有の非常時局に際会し・・・資源物資以上に大切にしなければならぬ人間をクズ同様に取り扱って省みぬようなことがあってはならない。・・・」と断言し、サマーヒルの紹介では、「それは決して自由主義のための自由ではない。人間の本性を培うための自由である。新しき国家主義の教育も、統制下の訓練も、人間の本性に根ざすこの大事な心理的基礎を度外視しては、その効果を発揮し得ないであろう・・」と、非常に鋭い警告を発しています。 あの時代に社会に向かって発言し、事態そのものの中に飛び込む、そういう生き方をした人がいました。現在の社会状況は、もしかしたら、その昭和14年と非常に近いのかもしれません。真摯に子どもと向き合えばよい、としているわたしなどは、子どもを取り巻く状況の中にもっと身をおき、さらに時代の変化に敏感であれ、という強烈なサジェスチョンをもらったような気がします。 **7月19日(火)掲載**
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第147回 親から受け継ぐもの | ||
まったくの私事ですが、このところ、こうして一人でパソコンに向かっているときなどに、わたしの心を大きく占めていることが2つほどあって、なかなか先にすすめません。そのうちのひとつについては、いずれこのコラムにも書くことになると思います。
それでも、塾の準備をしているとき、子どもたちと向かい合っているときは、そこに集中している自分に気がついてホッとしたりします。 先日、塾OBである若い母親との話のなかで「子どもの学校の先生がね『お宅では、お子さんに、あれこれとこまかいことを言ったり、逆に甘やかしたりしていませんか?』と言うんだよね。そう言われてみると、あの子のことは心配で心配で、つらい思いをさせてはいけないからって、けっこう、あれこれ言い聞かせたり、つい甘やかしたりしてるんだよね。わたしは、両親とも仕事でふだんはあまり家にいない家庭で育ったせいで、子育てに自信がないからかなあ。」という話をし始めました。そんな自分のせいで、将来この子がワルにでもなったらどうしよう、と言います。彼女はとてもまじめで、どちらかというと思いつめてしまうタイプです。 彼女は、ちょっとゆっくりめに行動し、すこしわがままな子どものことが心配のあまり、たしかに「早くしなさい。遅れるよ」「 もうちょっとがまんできるかなあ、そうしたらいいもの買ってあげるよ」とか言って、たまたまそばにいたわたしに目配せされて、ペロッと舌を出したりしていたこともあります。でも、彼女が子どもを見るまなざし・そっと子どもに手を添えるなどのなにげない振る舞い・あたたかい響きを感じる声音などのなかに、そういう“マイナス(と思われる)ことば”を補ってあまりある愛情を感じます。 考えてみれば、わたしたち大人は、ほとんどの場合、彼女のような“マイナスことば”を親からふんだんに?浴びて育ってきています。むかしの親は忙しかったので、ゆっくりと見守ってはいられない、という事情もあって、ある意味では現在よりもそういう親が多かったかもしれません。親から罵声を浴び、ある場合には殴られ、そのうえ生活の忙しさに追われて、こちらを振り返ってもらえないこともありました。悲しかったり、親を恨んだりしたこともあるはずです。「ぼくは、橋の下から拾われてきた子じゃないだろうか」と、ヒソカに叔母に聞いたこともあります。しかし、成長するにしたがって、そういう親を相対化し、全体像として考えられるようになるとともに、親に対する意識は変化してきます。 親の一つ一つの言動よりも、受け継いだ資質まで含んだ“全体として受けたなにか”こそが、よきにつけ悪しきにつけ、現在の自分を形成しているのだと気がつくはずです。都合のよいところだけを受け継ぐ“限定相続”のようなわけにはいかないところに、人生の悲哀も妙味もあります。 前回にも書いたように“人間として対等であること”と“関係において対等であること”とは違います。親子、師弟、など、なにかを伝え伝えられる個別の関係のなかでは、ある程度の“関係の傾斜”があったほうがスムーズに働きます。そんなきれいごとではなくても、人間は、ある程度の理不尽さのなかでこそ、成長していけるような気がします。父親が食べているうまそうな酒のつまみを指をくわえて眺めていても、本の世界に没頭しているときに、お使いを命じられたりしても、親の勘違いで殴られたりしても、自分が最終的には保護されている存在であること、かけがえのない存在と見られている意識があれば充分です。適度な理不尽さのなかでこそ、保護と引き換えに、厳しくても自分の足で歩くことを選ぼうとするのではないかと思います。 高校生になっても「だって親が・・・・だから」と言う子がいます。「たしかにきみの親は、口うるさくて干渉しすぎるところがあるかもしれない。でも、それがお母さんの愛情の表現の仕方だということが、きみにはわかっているはずだ。だったら、それに寄りかかっていながら、お母さんのせいにするのは、恥ずかしいよ。あとは、自分でぶつかっていってごらん」と言うことがよくあります。 その若い母親のそばにいたわたしのような存在が、かつてはどこにでもいました。ところが、地域のコミュニティーが壊れ、孤立した子育てが多くなるなかで、先の学校の先生のように“あるべき育児”を一般化した形の情報として与えられるので、彼女のようなまじめな母親ほど、自己否定に陥りやすい傾向があります。児童虐待やネグレクト(育児放棄)は、子どもをなぐったとか、家において出かけたとかいう現象の問題ではなく、親自身の自己否定がベースにある、と言う人もいます。 **7月12日(火)掲載**
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第146回 “子どもの人権”と“呼び捨て” | ||||||||||||||||||
わたしもツレアイも、子どもの名を“呼び捨て”(どうも響きがよくないのですが、日本語ではほかに表現がなさそうですね)することが少なくありません。入塾したばかりのころはどの子も、Aくん、Bちゃんとファーストネームで呼ぶのですが、付き合いのなかで、自然に、まさに自然としか言いようのないように“くん”や“ちゃん”が取れていく子がいます。これが、必ずしも親しさの度合いを表すとは限らないところも不思議です。もう、何十年も付き合ってきて、とても親しい塾OBの中にも、“ちゃん”“くん”をつけたままでいる人もいれば、もう50歳に手が届こうというOBに向かって、つい“呼び捨て”をしている自分に気がついたりします。小4から付き合っているのに、高校生になっても“ちゃん”付けをする子もいるし、入塾後、日が浅いというのに、“呼び捨て”になる子もいます。
ところが、ある日「新聞で読んだんだけれど、“呼び捨て”って子どもの人権がわかっていないんだってさ」と、Aと呼ばれている子が言いました。そこで「Aは、Aって言われるのいや? A君って呼ばれたい?」と聞いてみると「う〜ん、なんだか気持ち悪いな、やっぱりAって呼んで」と落着してしまいました。それにしても、“呼び捨て”が「子どもの人権無視」とは、と唸ってしまいました。 わたしの父の姉妹は、たがいの子どもたち(つまりわたしのいとこたち)を、“呼び捨て”で呼んでいました。ところが、おばたちは、わたしの兄弟(わたし、弟、妹)に対しては、“ちゃん”付けで呼ぶのです。同じようにかわいがられながらも、なぜウチだけ違うのだろう、といぶかしく思っていました。たしか、そのことをおばの一人に聞いたことがあります。すると「あなたのお母さんが、ウチの子どもたちのことを“ちゃん”付けで呼んでるんだもの、呼べないよ。」と言われました。“嫁と小姑”のむずかしい関係などわかるはずもない子どものわたしは、なんだかとてもさびしい気持ちになったのを思い出します。その上、母は、ふだん子どもたちを“呼び捨て”にしているのに、どういうわけか、とくにおばたちの前では、わたしたちのことも“ちゃん”付けで呼んでいました。これでは、おばたちに“呼び捨て”してもらえないのも当然でした。 塾生の中で、わたしのほうで、いつまでも“ちゃん・くん”づけが取れない子をよく観察してみると、なんとなく、これもまさになんとなく、親が“ちゃん・くん”づけをしている雰囲気があるのです。でも、それは、各家庭の文化の違いにすぎないので、わたしたちと彼らとの距離が離れているということではありません。 あるとき「おたくのお子さんは“呼び捨て”されていていいわね。いつになったらウチの子も、おじさんたちから“呼び捨て”してもらえるのかなあ」と言っているお母さんがいる、と人伝てに聞いてびっくりしたことがあります。そのお母さんも“親しさの度合い”をあらわすものだと、誤解していました。逆に、自分の子どもを“呼び捨て”されるのはおもしろくない、という視線を向ける親もいます。すると、こちらもそれを感じて、気がついてみると、“ちゃん・くんづけ”で呼んでいます。 これまで書いてきたように、この“呼び捨て”というのは、まさに個々別々の“阿吽の呼吸”で成立するもので、“人権”だとか“イデオロギー”だとかいうこととは、まったく無縁のことです。もちろん、教師という権威を振りかざして、子どもをえらそうに“呼び捨て”にする教師もいるかもしれません。それは、確かにたいへん恥ずかしく、見苦しいことです。でも、その場合は「子どもに対してそんな威張り方をするのは見苦しいですよ」と言えばいいので、そこに“人権”などという社会的な概念を持ち込むと、個人と個人の関係が見えなくなるような気がします。ある教師は、信念として、男子にも女子にも「○○さん」と呼びかけ、丁寧語で話しています。それはそれで、まさに彼と子どもたちとの個別関係であるはずです。 人間が平等である、という近代社会の約束は、妥当なものです。しかし、親と子、教師と生徒、導くものと導かれるものなど、個別の関係のなかでは、一定の“権威の役割を担う”ことによって、その関係がスムーズになることもあります。それは、決して平等原則に反するものではありません。 “子どもの人権”も、イデオロギーや“神聖不可侵な正義”としてではなく、大人たちが子どもとどのように接するか、という約束事に過ぎません。「子どもは、10歳になったら家計の大切な担い手として働くことが美徳だ」という文化に対して「教育の機会を奪い、子どもの人権を侵害している」と非難することはできないはずです。その文化のなかで、人々がたがいに納得し信じあって生きていくことが、硬直した“正義”を振りかざすよりはるかに大切だと考えるからです。最近のマスメディアには、意図してなのか無自覚にかそういう繊細さをなくしている主張やキャンペーンが多いような気がします。 **7月5日(火)掲載**
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