す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第135回 Every Child Has a Beautiful Name. | ||
このところ以前にも増して、親の思いを聞くことが多くなっています。「わが子を見ていると歯がゆくて・・・.何で、こんなことさえできないのだろう」「元々、体が弱い子だったので『無事に育ちさえすればいい』と思っていたのだけれど、おかげで人並み以上の健康体になってきたら、こんどは『人並み以上の学歴をつけてほしい』と思うんです。親って因果なものですよね。」「あの子が生まれたときは、両方の親たちも含めてみんなで名前を考えたんですよ。字画や姓名判断を持ち出すやら、親の名前から1字採るだのと、いろいろともめた挙句決まったいくつかの候補を、みんなで口に出して苗字との語呂がいいかどうかをまた話し合う。そんな風にしてあの子は育ってきたんです。」etc.。
タイトルは、国際児童年(1979)のテーマソング、ゴダイゴ(GODIEGO)の大ヒット曲です。作曲者は当地出身のタケカワユキヒデであることもみなさんご存知のことと思います。あれから四半世紀の月日が流れ、子どもをめぐる状況もずいぶん変わりましたが、この歌が持つメッセージは、とてもさわやかなよそおいをしながら、重い意味を持ちつづけています。歌詞を引用するのは著作権に触れることになるので、ぜひ思い出していただきたいと思います。“all children”ではなく“every child"であるところに「それぞれの、かけがえのないひとりひとり」というメッセージが込められています。たとえば、小和田雅子さん(皇太子妃)夏目雅子さん(女優)では、同じ雅子でも命名のときの親の思いも周りの状況も異なります。命名という行為は、世界でただひとつの、そして地球上にかつて存在せず今後も存在することのないそれぞれの“雅子”が、まさに名前という命を与えられて存在を確認した瞬間です。 塾生名簿をながめながら、一人一人の顔を思い出していることがあります。そのなかに出ているどの名前からも、親の深い思いと大きな期待が感じられます。そこから伝わってくるメッセージはとてステキで、そういう子どもたちを預かっていると考えると、改めて新鮮な緊張を感じます。文字の一つ一つに意味を込めている場合もあるし、音の響きの快さで選んだ名前もある、姓名判断でつけた名前もあるかもしれません。いずれにしても、「幸せな人生であってほしい」という親の思いは古今東西共通です。優(まさる)・登(のぼる)・実(みのる)という名前はあっても、劣(おとる)・降(おりる)・腐(くさる)などという名前はまずありません。 とはいっても、貧しかった時代には子どもが多すぎて「もうこの子で終わりにしたい」という意味で、留吉・末子などという名前をつけられた人もいました。でも、その人たちの親の本意は「これでおまえたちの兄弟は全部だよ。みんなで力をあわせて生きていってほしい」ということだったのではないかと思います。“悪魔ちゃん”という名前が話題になったのはいつごろだったでしょうか。もっとも、むかしは「悪源太」などといって「悪」という字は「強い」という意味で使われていたし、サリーやハリーやハウルのように愛すべき魔法使いのことを考えれば「魔」には、必ずしも悪いイメージがあるわけではありません。世間から批判された“悪魔くん”の親の思いも、実はそのあたりにあったのかもしれません。 また、勤(つとむ)・智津夫(ちずお)・守(まもる)という名前は、日本中を震撼させた名前です。日本中の憎しみと恐怖を一身に集めた名前です。それぞれの姓が宮崎・松本・宅間であることは言うまでもありません。「人間ではない」と言われ、被害者たちからは当然のように「名前を耳にすることさえおぞましい」とされる3人です。でも、この名前からも「マジメにコツコツと生きていってほしい」「頭のよさがあふれるような男になってほしい」「家族を守り、人の道を守って生きよ」という彼らの親の思いが伝わってきます。まだ存命であろう彼らの親に思いを致すとき、これらの名前は切なくいたたまれない思いで響いてきます。 核家族化どころか、潜在的なものも含めて単親家庭が増え、地域コミュニティーも希薄になってくるのと反比例するように、“わが子にかける思い”が強くなっているような気がします。それはそれでよいことだとは思いますが、やや気にかかるのは“家族全体を包む温かい愛情”というよりも、必死になって“わが子への愛情”を演出しているように思えることです。その結果、それがどんどん過剰になっていって子どもに大きな負荷がかかってしまう、さらには親自身が受ける「(子どもに対して)こんなにのんびりしていていいのだろうか」というプレッシャーもエスカレートしていきます。そんな時代に“わが子にかける思い”の原点として“名前に託した親の思い”を、改めて考えてみることも意義のあることではないでしょうか。 **4月12日(火)掲載**
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第134回 “孫”たちの非日常 | ||
ハッピーマンデーなどというものができてから「国民の祝日」が月曜日であることが多くなりました。そんなこともあって、週単位で授業数を決めているわたしのところでは「国民の祝日」を休日にしないかわりに、春と夏と冬に休みをいただきます。10日ほどの春の休みは、たまりにたまったプリント類の整理と新年度の準備、それに物置と押入れの大掃除でほとんど終わってしまうのですが、そういう合間をぬって、いろいろな人たちが訪ねてきてくれるのも、休み中の大きな楽しみです。
塾OGの一人が転勤で家族ぐるみ引っ越すことになり、学年は違うけれど、中学生のころからの仲間二人といっしょにささやかな歓送会をやることにしました。それぞれが子どもを2人ずつ連れてきてくれたので、わたしたち夫婦を入れて11人分の昼食は、わたしの手打ちうどんとツレアイの手料理です。まもなく4年生になるA子ちゃんは「わたしもうどんを打ってみたい」と言って、お母さんよりも早めにひとりでやってきました。 前の晩に打って寝かせておいたうどん玉を木鉢に入れて、A子ちゃんにもう一度こねてもらいます。空気抜きをして打ち台に乗せて丸く伸ばし、それから麺棒に巻きつけながらどんどん広げていく過程を、A子ちゃんは、なかなかうまくいかないことに戸惑いながらもすこしずつコツをつかんでいきました。大きな長方形に伸ばした生地をきれいに折りたたみ終わったころ、新2年生になるS君が、2歳の妹Kちゃんを連れたママといっしょにやってきて作業に加わります。わたしがトントンと切っていくうどんを、S君とA子ちゃんのふたりで一本一本振り分けながら箱の中に並べていきます。 そうしているうちに、ツレアイの料理といろいろな具が入ったあったかいツユができあがりました。A子ちゃんのお母さんも新1年生になる弟のU君を連れて登場、そして、転勤するSママが、新5年生になるA君と2歳の弟Y君をともなって到着しました。みんながそろったころを見計らってうどんをゆで始めます。その間に、ほかの人たちは教室の机を配置換えして即席のパーティー会場をつくっていました。お手伝いしたA子ちゃんとS君は、「おいしい、おいしい」と言いながら食べているみんなを見て、ちょっと得意そうです。 食事が終わると、ママたちは「コーヒー飲みたいなあ」と言い始めます。彼女たちにとっては、ここは“第二の実家”であるようです。ダイニングでお菓子をつまみながら、わたしが淹れたコーヒーを片手に、久しぶりのおしゃべりに花が咲きます。“爺”のわたしはと言えば、子どもたちの相手をママたちからおおせつかって教室で遊びます。 わが家には階段が2つあります。その東の階段から上がって2階の各部屋を通って西の階段から降りるという遊びが、子どもたちは大好きです。わたしは2歳児2人のことが心配で、目を配っていましたが、その心配は無用であったようです。小学生の4人は、かわるがわるに2人を抱え上げたり手をとったりして、ごく自然に面倒を見ています。それにあきると、今度は教室にコの字形にならべた机のうえをぐるぐると回り始めました。ここでも、小学生たちは幼児ふたりに気を配りながら回っています。ダイニングのドア越しに、おしゃべりの手を休めてときどき見守っているママたちから「いつもは、すごくおくびょうなんだよ。あんなに大胆なことをするなんて・・・」とか「ええーっ、あの子あんな表情するんだ。いつものナマイキな顔はどこにいっちゃたんだろう」「あの子、案外やさしいんだなあ。家じゃあんなことしないよ」などという声が飛び交います。 じつは、4年ほど前、上の4人はママたちに連れられて来て何度も会っているはずなのですが、どの子もおたがいにほとんど覚えていないようです。彼らにとっての4年前はもうはるかかなたのことです。そのあいだに数え切れないほどのものを見てたくさんの人に会って、自分の世界をどんどん広げてきたからなのでしょう。それにひきかえ、2歳児2人は、楽しいことおいしいものがまるごとわかってきていて、自分を肯定してくれる人たちに囲まれていてほかの世界を知らない、「ひょっとしたら“人生で一番いいとき”をすごしているような気がする」とは、ママたちの弁です。 でも、共通しているのは、子どもたちが見せる表情はまさに“非日常”のなかのものだということです。“いつもと違う”状況の中で、こどもたちは“いつもと違う”表情を見せます。“非日常”が子どもたちの世界をさらに広げていく様子を実感した一日でした。 **4月5日(火)掲載**
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第133回 最小社会単位としての夫婦 | ||||||||||
今回は、「大人になるシリーズ」の4回目として、社会とのかかわりを取り上げる予定でした。しかし、前回、「なっつんさん」からのたいへん意欲的な書き込みに刺激をいただいて、あらためて“夫婦”について考えてみることにしました。
思えば、夫婦とは不思議な人間関係です。多くの場合ある時期までまったくの他人であったのに、善きにつけ悪きにつけ、もっとも身近で濃密な人間関係になるのが“夫婦”という関係です。親子関係が(養子などの場合を除けば)これも関係の善悪は超えて、おたがいに選択の余地なく結ばれている人間関係である(それゆえに、深刻な問題にもなりうるのですが・・・)のに対して、夫婦は、おたがいに選択し、そしてまた、他人に戻ることができる関係です。そして、その関係の維持には、おたがいの“努力”が不可欠である、という意味では、夫婦こそ社会的人間関係の最小単位であるといえます。 これまでの人生のなかで、ある程度踏み込んだ視点で多くの“夫婦の形”を見てきたような気がします。明治初年生まれの母方の祖父が、強い口調で祖母になにかを言い渡したとき、祖母が「もうしわけのう存じます。承りました。」と平伏している横顔が、見たことがないほど険悪であったという幼児期の記憶は、いまだに焼きついて離れません。他人同士にはない緊張関係を子供心に感じ取っていたと思います。 この祖父母夫婦から始まって、両親、伯叔父母、弟夫婦、妹夫婦、友人夫婦など、蜜月のときも修羅場にも立ち会ってきました。わたしの目の前で妻が殴られ、あるいは夫が妻から徹底的に罵倒されている現場にもいました。そして、ある塾OBの離婚の修羅場に立ち会ったときのつらさは、想像を絶するものでした。また、両親の離婚について相談する家族会議に、塾生である子どもたちの後見役として呼ばれたことも、離婚した2人の連絡仲介役もやらされたこともあります。 一方で、塾OBの結婚式の媒酌人を何度か務めました。祖父母・父母・孫夫婦の3代の夫婦が4代目の子どもの誕生を祝う席に招かれたこともあります。手をつないで結婚の報告に現れる新婚夫婦に当てられたことも、生まれてくる子どもの名前を、両親となるべき夫婦といっしょに辞書を引き引き考えた楽しい思い出もあります。 結婚を前にした若い二人に「共通の趣味を持つことよりも、きらいなものが一致しているほうが大切だよ」と言うのは、わたし自身の体験から出たものです。じつは、わたしとツレアイは、かなり価値観が違う夫婦です。(彼女を知っている方々、これオフレコですよ!)初期のころのコンピュータを駆使していたはずなのに、パソコンには頑として触れようとしません。日本画を初めとする美術には惜しみなくエネルギーと時間を割くのに、人との交流には消極的です。しかし、わたしが何度か書いてきた「ラク・トク・ベンリなものはできるだけ避けたい」という点で2人は一致しています。ケータイも車もない生活ですが、どちらもそれに不満がありません。趣味が違っても、おたがいにそれを認め合えばよいのですが、生活の場での不一致は深刻な亀裂を招きます。 恋人として5年以上も順調に付き合ってきたのに、結婚したとたんにうまくいかなくなった二人がいます。まさに“生活”が始まったからです。「“生活”は、わずらわしい、収入のほとんどが自分の小遣いであった独身時代がなつかしい」と言った男がいます。しかし、そのわずらわしさを補ってなお余りある豊かなものが、“夫婦”にはあるようです。 若いころ、あれほどいがみ合い衝突していた二人が老境を迎え、もちろん性生活もなくなったけれど、夜には手をつないで寝ているという夫婦を知っています。先立ってしまったツレアイの遺体の額に自分の額を押し当てて、声を押し殺して嗚咽している老人は、かつて、奥さんの顔を見るのもいやだと言っていたこともあります。妙なたとえですが、高齢者の場合、後追い自殺や無理心中はあっても、一方を残しての単独自殺というのを聞いたことがありません。長い長い期間の相克・愛憎・葛藤が醸成していって、そういう豊かな境地に至るのかもしれません。そのためには、若いときに、少なくとも正面から向き合い、子どもを初めとする大切なものを共有し守り育て、それを次代に引き継いでいくことが、最小社会単位としての夫婦の役割であるのだと思います。 **3月29日(火)掲載**
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第132回 大人とはなにかーその3 活力 | ||||||||||||||||||||||||||
前回、“その2 性”に関して、多少の補足をさせていただきます。「学校での“性知識教育”は不必要」としたのは、最近、新聞の社会面をにぎわす政治家・大学教授・学校教師などによるセクハラ事件は、彼らに性知識が不足していたためである、とは到底考えられないからです。むしろ、次世代の男の子たちに向かっては、リビドー(性衝動)をどのようにコントロールするか、そして女の子たちに対しては、男性のリビドーの正体とその対処法を個別具体的に伝えていくことが必要だと考えています。
電車通学をする女子高校生が、痴漢被害に遭うことがあります。ずっとあとまでとても不愉快な感触が残るといいます。「でも、逆ギレされるのが怖くて、なにも言えなかった。そしてあとから猛烈にむかついたけれど、そのときに何もできなかった自分にもむかついた」という話を聞きました。これに対しても「すみません。手が当たっているのですが・・」と言うことによって相手を引きやすくし同時に自分の被害を軽減する、というような知恵を伝えることは、周囲の大人の役割だと思います。 さて、本題に入ります。最近の若者の精神年齢=むかしの若者の精神年齢×0.7などと言われ、なんとなくそのような感じもありますが、じつは、何の根拠もないことです。むしろ、したたかで現実的な感覚を持っている点では、青臭かったむかしの若者よりずっと大人であるといえなくもありません。データによると、以前は、血気盛んな20代前半が凶悪犯罪を起こす比率が多かったのに、徐々に30代・40代の比率が大きくなっているようです(犯罪白書)。つまり、ごく一部を除いて、若者たちが大変おとなしくなっているということです。学生運動もおとなしく、他人とできるだけ摩擦を起こさない、たがいに孤立しているので、以前よりは授業中の私語も少なくなった、という大学教員の話を読んだことがあります。 一方、貧困・身分差別・軍事体制などのなかで、ギリギリのところで他の選択肢がなかった時代、多くの若者が持たざるを得なかった“覚悟”とか“決断”という心のありようは、若者たちの中からほぼ跡形もなく消えてしまったように見えます。このあたりが先ほどの“×0.7”の感覚をもたらすものかもしれません。かつて、若者たちは、貧困・身分差別・軍事体制などによって、思うようにならない社会の現実を突きつけられたとき、なんらかの“決断や覚悟”をしてきました。現在、若者たちは、周囲が自分にとって思うようにならないとき、わずらわしいことを避け、挫折しそうなことには近づかず、できるだけリスクを負わないような行動をとります。その結果が、フリーター・パラサイトシングル・晩婚化などの現象が増えてくることになります。 むかし、10歳になることは“ツ離れ”と呼ばれていました。10歳を機会に、子どもが自分の判断でできることを増やすとともに親からの保護も減らしていく、という意味でした。このことで「自由とは、保護を手放すことだ」という実感がありました。「かわいい子には旅をさせろ」ということわざも、同じ意味を持っています。子ども時代に様々な挫折をすることで、社会的な免疫をつけていく、というのは、長い間“子どもに対する大人のまなざしの基本”であったような気がします。ところが、平和と経済的な豊かさと少子化のなかで育ってきた世代がすでに親になってきている今、“決断・覚悟”の必要などどこにもなくなっています。個人の次元では、「ラク・トク・ベンリ」の中にどっぷりとつかって生きることが可能になっているからであって、これを“悪いこと”と断定することはできません。しかし、“わたしたちの社会”という視点から見ると、この若者たちの活力のなさは社会の衰退の兆候であるといえます。 では、どうしたらよいか。教育基本法や憲法の改正の動きは、この問題に対するひとつの答えとして、急激な流れになり始めています。あるいは、徴兵制によって、国家防衛と若者の現状打破という一石二鳥を狙っているのかもしれません。しかし、わたしは、もうひとつの答えとして、“人間としての誇り”を回復する社会システムがないものか、と考え始めています。 **3月23日(水)掲載**
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第131回 大人とはなにかーその2 性 | ||
子どもたちが、自分自身の大人へのステップを初めて具体的に認識するのは“性”であるような気がします。年長の子どもや大人たちが妙な表情や気分とともに発することばであったり、テレビ、ウェブなどのメディアからであるにせよ、“性”は、自分が実感できない未知の世界のことばとして、子どもたちの前に現れます。食べる、排泄する、眠るなどの身体感覚は、この世に生まれると同時に獲得します。そして、これらは、自分という個体を維持するための生命現象です。それに対して“性”は途中から獲得し始める身体感覚であって、本来は種属を維持するために他者との関係の中で生じてくる生命現象です。“性”について語るときのむずかしさは、すべてここから発しているように思います。ここでは、精神医学的な発達論に踏み込むことなく、わたしが見てきた子どもたち(とくに男の子たち)の変化の様子をもとに考えてみることにします。
小4ぐらいの男の子たちは、あちこちに“ウンチ”の絵を書きたがります。ちょうど自分の体に大きな関心を持ち始めるこの時期に、性に関することばを大声で叫んだりすることもあります。そんなときには「ウンチやおしっこって、ぼくたちが生きていくうえでとても大切だけど、みんなに見せるものじゃないよね。きみがさっき叫んでいたこともとても大切だけれど、みんなの前で叫ぶのは、ちょっと変なことなんだよ。」と言うと、「ふ〜ん、そうなんだ」と、すなおに納得します。この年齢では、“性”は、ウンチやおしっこと同じような身体感覚ではあるけれど、実感が伴わない“妙な感じ”なのでしょう。男の子たちは“ウンチの絵”を書かなくなってくるころになると、そういうことばを口にすることがなくなる代わりに、“性”が実感を伴った身体感覚になってきます。 とてもまじめな中学生の一人が、「すみません、電子辞書を貸してください」と言うので、「なにを調べるの?」と聞くと「いえ、ちょっと・・・」と口ごもって、つくえの陰で使い始めました。その真剣な表情(に見えた)といったらありません。やがて、神妙な顔で「ありがとうございました。」と返してきたので、ちょっと気になったわたしがなにげなく電子辞書の“履歴”を見てみると、そこには、性に関することばのいくつかが並んでいました。彼があとからこの履歴機能を知ったら、恥ずかしい思いをするのではないか、と考えたわたしは、彼に「疑問に思ったり、興味を持ったら、こんなふうに調べるのはとてもいいよね」と言いました。 先日、3月3日のこと、女の子たちがひとしきりひな祭りのことなどを話して帰っていったあと、何人かの男子高校生が残りました。ちょっとイタズラ心を起こしたわたしが「ひな祭りがむかしの性教育だったってこと知ってる?」と、一つ一つの意味を説明すると「すげえ、トリビアだ〜」と大喜びです。そこで「君たちが知っている“いやらしいことば”をどんどん言ってみて」と言うと、さすがに男子しかいない気安さで、おずおずとながらも、いろいろなことばを出してきました。わたしがギリシャ・ローマ神話や旧約聖書に出てくるそれらのことばの語源を説明し、祭りの多くが性的なものに関係していること、PENで始まる英単語の共通なイメージの話、彼らが口にしたことばの医学用語としての意味、などを彼らとやり取りしながら話しているうちに、初めのうちは猥談(わいだん)のつもりで聞いていた彼らの目は、学校勉強のときには見せたことがないようなキラキラした好奇心を示し始めました。 そこまで話したところで「人類にとって、一番大切な問題のひとつなんだよ。男は爆発的なリビドー(性衝動)を持つからこそ、女性を決定的に傷つけることがある。そのリビドーをしっかりコントロールできるかどうかは、大人になるためには、もしかしたら、勉強と同じくらい大切かもしれないね」と結ぶと、彼らからは場面場面の具体的な質問がどんどん出てきました。 中学生以上の塾生は、わたしとの間の交換ノートを持っていますが、そのなかでも、さまざまな性に関する問答があります。いまの子どもたちの現状を知るためには、格好の話題ですが、どれも高度なプライバシーに属することなので、ここで取り上げるわけにはいきません。しかし、言えることは、現代の中高生の多くは、大人が考えている以上に、真剣に“性“について考え悩んでいる、ということです。 学校での性教育については、子どもたちから聞く限りでは、単なる性知識教育だったり、“明るく正しい”というスローガンのあからさまな“性交教育?”であったりします。こういうものなら、子どもたちにとっての公的な空間である学校で学ぶことにはなじまないと考えます。“性”はきわめて私的な問題であるからです。むしろ、食事・排泄・睡眠などとともに、「しつけ」の領域に納めるべきであると考えています。そして、医学的・生物学的な知識などよりも、子どもたちが、“性”という身体感覚をどのようにしてコントロールし、パートナーとの信頼関係を築いていくかが大切です。さらに言えば、彼らにとってもっとも身近で自然な性愛のすがたである両親が、互いに相手を尊重し共生することで、身をもって示すことが最高の性教育ではないでしょうか。 **3月15日(火)掲載**
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第130回 大人とはなにかーその1 バランス | ||
大人へのステップは、K君やS君のように、ほんの瞬間と言ってもよいほどの短い期間に踏む、と書きました。しかし、いったい「大人になる」というのはどんなことなのでしょうか。人はどんなときに大人として認められ、自分自身が大人になったな、と実感するのでしょうか。
いまどきの子どもたちより体の小さい大人もたくさんいるし、30歳過ぎても子どもじみた振る舞いしかできない人もいる、とくに身体的なハンディもないのに、40歳過ぎて親のすねをかじっている人もいます。一方で、むかしの若者よりずっとしたたかで大人びた振る舞いをする若者もいます。数百億の資金をいとも簡単に動かしているライブドアの堀江社長は、その典型的な存在です。また、わたしが若いころには多く見かけた青臭い社会改革に燃える理想主義者やストイックな生き方を選ぶ若者はほとんどいなくなり、モノやカネなどの現実生活と享楽にしか関心のない若者が目立ちます。その意味では、わたしの時代の若者が糾弾していた“薄汚れた大人”のようになっていると言えなくもありません。 このように考えてみると「大人とはなにか」が、ますますわからなくなります。多くの人たちが『大人の条件』として挙げるのは、1.生物体としての大人 2.精神的な面での大人 3.社会的存在としての大人、の3つの要素です。そして、これらのそれぞれの要素は、お互いに深く関係しあって“大人性”を形成しています。大人より体が大きい子どもがいても、大人ではありませんし、年齢だけ成人に達しても大人であるとはいえないのは、最近の事件の中にも表れています。また、オレオレ詐欺に見られるように老人を手玉に取る悪知恵を発揮するのも、大人とはいえません。先ほどの3つの要素をバランスよく身につけている人が“大人である”といえるのではないかと、わたしは考えています。 かなり以前、A君という中学生がいました。彼は、がっしりとした体格のスポーツマンで、ことばや振る舞いもていねい、学校の成績も優秀で、そのうえ兄弟3人の母子家庭の長男として、全面的に母親を支えていました。上の3要素をそのままバランスよく備えているという点では、まさに“大人っぽい”子でした。家事と部活と勉強で手一杯だった彼は、当然友人と遊ぶ時間もなく、いじめられることはないものの、いつもみんなから敬遠され、いわゆる“浮いている存在”でした。その彼が、ある日わたしに「ぼくは、たまに、家も学校も何もかも全部たたきこわしたくなることがあって、自分が怖くなることがあるんです。」と言いました。わたしは、お母さんには事情もいわずに頼み込んで、彼を誘って自転車で川越まで出かけました。追い越し競争をしたり、横道に入っていったりとたわいなく戯れながらの春の一日は、彼にほどよい開放感を与えた様子でした。しかし、それはやはり一時的なもので、20歳を過ぎたころ、とうとう気持ちのバランスを崩してしまいました。いまでは立ち直っているようですが、苦しかったときの記憶につながるためか、いまだに音信不通です。 子どもたちは、小生意気な口を利いたかと思うと、すぐに甘えてきたり、妙に大人びた表情をするかと思うと、つぎには屈託のない笑顔を見せたりします。大人顔負けの悪知恵を働かせたあと、それがもたらした思わぬ結果にうろたえることも多くあります。事件にまで至ってしまうのには、様々な悪条件が重なっているはずですが、人は成長の過程で、あたかも幼木の枝がアンバランスに伸びていくのに似て、そういう試行錯誤を繰り返しながら、大人になっていくのではないかと思います。上述のA君の場合は、特異な環境ゆえのことですが、お母さんたちの中には、伸びていく枝を切り落としたり、捻じ曲げたりして、まるで大人の雛形である“盆栽”のようにしてしまう人がいます。 このテーマは、わたしたち“大人”にとって、自分自身のことを棚上げにしなければ書けないほどシビアなものです。そもそもこの原稿からして、約束の期限をとっくに過ぎた1日遅れになってしまいました。書いているす〜爺自身が“大人の条件”を欠いています。しかし、内心忸怩たるものを抱えながらも、もうすこしこのテーマに関わってみたいと思います。 **3月9日(水)掲載**
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第129回 大人へのステップ | ||||||||||||||||||
長い期間子どもと付き合っていると「あ、この子おとなになったな」とか、「大人になろうとしているんだな」と感じることがあります。
K君がわたしの塾に入ってきたのは5年生のときでした。6歳違いのお姉さんとの二人姉弟のためか、無邪気で明るくすなお、ということばそのもののかわいい子どもで、彼がひとこと言うと、同じ学年の子たちでさえ男の子女の子を問わず、やわらかい笑顔になるほどでした。どこに行っても大人たちからはかわいがられ、同級生たちからも、なんとなく保護されているような存在でした。ほかの生徒は玄関から入ってくるのですが、K君だけは中学生になっても縁側から入ってきます。「こんちは〜」という声とともにガラガラと縁側の引き戸が開く音がすると、わたしもツレアイもなんとなくほほの筋肉が緩むのでした。わたしがいすにかけているとひざの上に乗りたがり、その状態で勉強をするのが大好きでした。ふつうは、そんなことをすれば、他の子たちからのからかいの対象になったり、そんなことを許しているわたしへのブーイングが起こるはずです。ところが、彼がなにをやっても、それがとても自然ななりゆきであるかのように、他の子たちの目に映っているようでした。 彼が中2になったある日のこと、いつものK君の元気な声とともに、意外にも玄関が開く音がしました。わたしはツレアイと顔を見合わせて首をひねりました。やっぱり彼でした。その日は、自分の席に座って、これまで見たこともないような引き締まった表情で勉強をしています。とくに体調が悪いわけでもなさそうです。「きょうはどうしたの?」と聞くと「どうもしていません。」と、これまた初めて聞くK君のていねい語です。「きょうは、ひざの上に乗らないの?」と言うと、K君はこちらの目をじっと見据えて「ぼくはもう子どもではありません。少年です。」と、きっぱりした口調で言いました。これには、思わず噴き出しそうになるところを、ぐっとこらえてツレアイのほうに目をやると、彼女も必死に笑いをかみ殺している様子です。みれば、他の子たちはあっけにとられた顔をしています。「そうか、それは失礼したね」と言って、いつもの通りに授業を進めました。K君は、その日を境に縁側から入ってくることはなくなり、もちろんひざに乗ることもありませんでした。さらに、「これは、どういう意味ですか?」「はい、わかりました」などと、まるで以前からそうであったように自然なていねい語を使うようになりました。その日の前になにがあったのか、彼が名実ともに大人になった今では、知るすべもありません。 S君の場合は、ちょっとツラい話です。彼が中3だった秋、お母さんのガンが見つかり、手術ということになりました。一人っ子のS君は、それまでほとんどすべてをお母さんにやってもらっていたこともあって、お母さんは「受験だというのにこんなことになってしまって・・・」と、自分の手術のことそっちのけでS君のことを心配していました。わたしも「勉強のことはわたしにまかせて、早く回復することに専念してください」とお願いしました。これまでも、のんびりおっとりのS君だっただけに、わたしも内心はかなり危ぶんでいました。ところが、それまでのS君とは打って変わって、顔つきも真剣で、いままではっきりしなかった数学も、覚えられなかった英文もぐんぐん安定してきたのです。そればかりではありません。「塾に行く前に洗濯物を取り込んでから出かけるので、少し遅くなります。」「夕飯の支度をしてから・・」という電話がたびたびあります。お父さんに聞くと、S君は入院中のお母さんに聞きながら、懸命に慣れない家事に取り組んでいる様子でした。お母さんが退院してからも、体調が回復しないお母さんに代わってずいぶん家事をやっていたようです。無事第1志望の高校に合格したS君は、それからもほぼ学年首位の成績を維持し続けました。「わたしが病気になっていなかったら、のんびりすぎるSのことを心配しすぎて、かえってあの子をだめにしたかもしれませんね」と冗談めかして言っていたお母さんも、工学部の学生として成人式を迎えたS君の晴れ姿を見てまもなく、まだ早すぎる生涯を閉じました。 子どもから大人への移行は、緩やかにいつのまにか進んでいくものと考えるのが一般的でしょうが、K君やS君のように、案外、何かのきっかけで大人への大きなステップを上がることもあるのではないか、そして、それは多くの場合、大人になってからでは思い出せないものではないか、とヒソカに考えています。わたし自身にも、そういうステップがあったような、なかったような・・・、と思いをめぐらせています。 **3月1日(火)掲載**
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第128回 敬語法 | ||||||||||||||||||
前回、まっちさんへのレスのなかで、会話が成り立ちにくいことにふれましたが、わたしも含めて現代人は、目の前の相手との“距離のとり方”が苦手なようです。まさにコミュニケーションの技術が身についていないのかもしれません。“わたしも含めて”と書いたのは、状況の読み方をたびたび間違えて気まずい思いをすることが、わたしにもあるからです。先日も、知人の職場のパブリックアドレスに個人的な内容を書いて迷惑をかけてしまいました。これも、そのアドレスとの距離の測り方を誤ったから、といえなくもありません。
今回とりあげるのは、ことばのコミュニケーション技術としての、敬語法の話です。 子どもたちが普通に敬語を使っていたのは、もうはるかむかしのことのように思えます。いまでも、たまにていねい語を使う生徒はいますが、まれになりました。「ここ、教えてくれ」と言う子がいたのでたしなめると、「じゃあ、どう言えばいいの」と聞きます。「ここ、教えて、でいいんだよ」と言うと腑に落ちない顔をしています。「えっ、そっちのほうが乱暴じゃん。だから、オレは“くれ”ってつけたんだけど・・・」というのが彼の言い分でした。思わず笑いながら“くれ”の語感を説明しました。子どもたちがいわゆる“タメ口”を使うことについて、わたし自身は一向に気にしませんが、ときどき(この子たちが大人になっても敬語が使えないとしたら、わたしの責任でもあるかなあ)と、考え込むことがあります。 「敬語は身分制社会のことばであって、排除しなければならない」と考える人もいるようですが、相手との距離を測り、親密度を表現し、あるいは疎遠になってしまった関係を修復する場合など、敬語法はじつに便利な日本語だと思います。塾生の親とも、初めは大変ていねいなやりとりだったものが、5年も10年もお付き合いしているうちに、家族同然の親密さになり、気がついたら、おたがいにまったく敬語を使わなくなっていることもあります。でも、なかには、初対面のわたしに対して「あのさあ、聞きたいんだけど・・」という話し方をする大人がいます。ふつう、人の出会いはていねい語で始めるのが常識だと思っているわたしは、大変面食らうのですが、よく聞いてみると、彼女は、初めて会うわたしに対して悪意があるわけでも、見下しているわけでもないようです。単に敬語を知らない、あるいは使う習慣がないということのようです。 ふだんはおだやかで、対人関係の中でもきちんと敬語を使える知人が、初対面の店員さんに向かって「おい、○○くれ」と言うのを聞いてびっくりしたことがあります。また、初めての患者に対して、大変横柄な口調で話す大病院の医師がいました。わたしが、努めてていねいに受け答えをしているうちに彼のことばづかいも徐々に改まってきました。この2つの場合とも、ご本人たちは“くだけたつもり”でいたようですが、彼らの想像力を疑いたくなります。 わたしも、塾の生徒に対しては、初めからていねい語を使うことはなくなりましたが、それは、子どもたちのほうがとまどうようになったからです。町なかで知らない中高生などに道を聞くときは、いまでも「〜ですか?」と聞きます。 一方、過剰な敬語、まちがった敬語を耳にすることがあります。いわゆるお店の接客マニュアル語です。さる大銀行で「お預けいただけますようお願い申し上げます」と書かれているのを見つけました。チェーン店などの「〜のほうご用意させていただきましたが、いかがなさいますでしょうか」などというのを聞くと、背中がゾッゾッとします。もっとも、政治家や官僚が、国会答弁などで使う「先生ご案内の通り、鋭意調査をしておるところでございます」などの、言質を取られないための敬語は、さらに嫌悪感を覚えます。ベテランのラジオアナウンサーが、リスナーに向かって「ご意見をお寄せいただきますように」と繰り返し言っているのも、彼がことばのプロであるだけに、聞いているこちらのほうが赤面してしまいます。 自戒を込めて言えば、その場に応じた適切なことばづかいができるということは、その人の想像力だけでなく、洞察力の深さや視野の広さ、感情の豊かさまで感じさせてくれるような気がします。もちろん、尊敬語、謙譲語、丁寧語を精妙に使い分けていた平安時代のようである必要はありませんが、ある程度しっかりとした敬語法を使いこなすことは、成熟した大人としての必要条件であるように思います。 **2月22日(火)掲載**
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第127回 ことばが通じない!? | ||||||||||||||||||
「若い人たちがことばの意味を知らない、かんたんな漢字が読めない」と言って嘆いている文章を読んだことがあります。また、親たちから「ウチの子は、こんな字も書けないんですよ」という話を聞いたこともあります。先週、あるラジオ番組の中で、「縁の下の力持ちってなんですか?」と聞いたり、「みどり!の下の力持ち」って読んでいた、という若者のエピソードを紹介していました。
考えてみれば、これはごく当たり前の現象で、なんの不思議もありません。そもそも、ほとんどの家から縁側(座敷に沿ってついている板敷き、これが雨戸の外についているのを濡れ縁)がなくなってしまったのですから、縁の下だってわからなくなるはずです。たまたま、この話をラジオで聞いた日に、塾の子どもたちに「縁の下」を聞いてみたところ、ほとんどの子が知っていました。築70年以上の大古住宅であるわが家の縁側(廊下)を通って教室に入ってくる子どもたちならでは、のことかもしれません。かなり早めの“恋の季節”を迎えたネコたちのうなり声が、きょうも縁の下から聞こえてきます。 家の構造だけに絞ってかんがえても、「軒(のき)」も「上がり框(あがりがまち)」もないので、「軒先を借りる」や「上がり框に腰を下ろし」という表現もなくなります。したがって、来客に対して「どうぞ、お上がりください」という代わりに「どうぞ、お入りになって」が今では主流のようです。 若い人たちの語彙の少なさを嘆いている人たちも、「面映い」「寝しなに」「身繕い」「あしらい」などという風情のあることばをご存じないようでした。これ以上書いていると、「衒学(げんがく)趣味」「村夫子(そんぷうし)」と嘲られそうなので、本題に入ることにします。 じつは、本当に深刻なのは、語彙の少なさや漢字を読めないことではなく、子どもたちのことばが、センテンスではなく単語になってしまっていること、さらに、その単語も、われわれと同じことばを使っているのに、まったく別の意味になっていることが多いこと、こちらが話すことばを、文脈や発せられた状況のなかで理解することなく、パッと聞き取った一部分だけで受け止めてしまうことなどです。これらの現象は、徐々に増えているような気がしてなりません。ことばによるコミュニケーションがむずかしくなるということは、文化の伝承の危機だけではなく、社会の成り立ちそのものが危うくなることを意味しています。 まず、目立つのが「水っ」「消しゴム」という単語だけを発する子です。「水がどうした?」と反問すると、キョトンとする子さえいます。「のどが渇いたので、水をください」ということばを言わなくても、目の前に水が出てくる日常なのでしょう。「自習室として使うなら5時までにしてね」と言ったのに、4時を過ぎても来ないので電話したら、「5時に行けばいいと思っていた」という話や、「キズついた」と憮然としているのでよく聞いてみると、わたしが「その問題は、無理にやる必要はないよ」と言ったことを「その問題は、きみにはムリだ」と聞き取っていたことがわかったり、などということは、日常茶飯事です。「夏至には、太陽が最も北にかたより・・・」という表現があると「えっ、太陽って北から出るの?」とびっくりします。「机の上においてある本」「赤ちゃんを連れているお母さん」などの、いわゆる連体修飾の連文節がなかなかわからない子もいます。 総じて、ストレートで原色だけのような表現しか伝わらない状況を感じます。「2時過ぎに来てください」というと、3時近くになって来る大人もいます。だから、最近でははっきりと「2時においでください」と言うことにしています。「修学旅行で塾を休んだ分の授業料はどうなるの?」と聞く子に、「わかった。じゃあ、テスト勉強で来た日の授業料をもらいましょうか」と言うと、やっと理解します。 強いインパクトを持つフレーズばかりが機関銃のように流れ出るTVコマーシャルや宣伝チラシに慣らされている現代人は、微妙な言い回しや、風情のある表現からますます遠ざかっていきます。日本語のそういう表現は、人間関係を滑らかにする知恵をたくさん含んでいます。ことばが通じなくなっているので、ちょっとしたことばで傷ついたり、キレたり、断定的なことばに踊らされるのではないかと考えています。 **2月15日(火)掲載**
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第126回 活力と創造を阻むもの | ||
「よくわからな〜い」「もう少し考えてごらん。もう一度よく読めばぜったいできるから」「わからないから聞いているのに〜」というやり取りのあげく、結局まけてしまって、説明したり大きなヒントをあげてしまうことがときどきあります。プロとして甘いな、とわたしが自覚するときでもあります。塾は“教えることが仕事”と考えられがちですが、じつは“わかるようにする、できるようにする、頭が働くようにする”ことが塾の仕事です。ところが、もともと“教えることが好きだから塾をやっている”という要素もあるので、つい、プロにあるまじき失敗をしてしまうこともあります。
英語の教科書の巻末に単語集が載るようになってから、子どもたちの単語力、とくにスペルの力が低下したと言われています。辞書を使って英単語を引けば、アルファベットを前に後ろに拾いながら探しているうちに、自然にスペルを覚えてしまいます。わたしが中学のときに使っていた辞書は、左の人差し指を辞書のハラに当て親指でパッとページを繰ってほぼ一発で引き当てるという特技?が身につくころになると、真ん中に手垢の帯がくっきりとついたものでした。引き当てたあとでも、文の中の単語がどんな意味で使われているのかを、まさに辞書に相談(consult a dictionary)しなければなりません。しかし、いまどきの教科書は、その文にぴったりの訳語だけが載っているので、その必要もありません。 参考書や問題集もじつに懇切丁寧に作られていて、ほとんど例題のとおりに類題を解き、スモールステップで難度を上げていきます。これに慣れすぎると、いろいろな単元の要素が複合した問題や、難度がわからない問題が混在する入試問題などには対応できなくなります。かく言うわたしが作るオリジナルプリント類も“つい”わかりやすいものを目指してしまいます。そこで最近では、わかりやすさよりも、子どもたちのアタマを刺激するプリントになるように心がけています。 わかりやすいこと、親切なこと、消化がよいこと・・・は、まさに“望ましいこと”としてわたしたちの社会のなかに定着した価値観になっています。前回のコラムで、「“望ましくないこと”を極力排除してきた結果、危険を察知する能力、工夫、忍耐力などを失ってしまった。」と書きましたが、同様に、この“望ましいこと”を追い求めていった結果失われたものが、活力や創造力であるように思います。えさを探す必要のない動物園の猛獣たちから野生が失われるのと同じことです。 冷蔵庫がない時代には、各家庭では、干す、焼く、煮る、漬ける、蒸す、燻す、など様々な工夫をして食べ物を保存しました。洗濯機のない時代、母親たちは、汚れ物を一枚一枚手で洗いながら家族ひとりひとりの体調を知ったり、天気の変化に敏感に反応していました。そこに細やかな気遣いがはぐくまれてきました。着られなくなった服は雑巾にし、こわれてしまった道具は別の用途に使い、調理くずは飼料や肥料にする、そういう生活のなかでは、ゴミなどほとんど発生しようがありません。クーラーがない時代には、打ち水・風鈴・行水など、さまざまに涼を取る工夫がありました。いまでも暖房がなくすきま風の通うわが家の寝床では、湯たんぽを入れ、掻巻(かいまき)をかけて寝ます。 お金がふんだんにあればそれに越したことはない、とだれでも考えますが、趣味の悪い高級家具やブランド品に埋もれ、そのうえ、浪費癖のついた息子がいるお金持ちを知っています。なけなしのお金を有効に生かそうと思えばこそ、物を選ぶセンスも磨かれようというものです。やわらかく口当たりのよいものばかり食べている現代人の咀嚼力は極端に落ちて、あごの形も変わってきていると聞きます。すぐ近所に出かけるのでも車を使う生活は、足が弱るだけでなく、ゆっくり歩くことによって気がつく町のなかのさまざまなおもしろい風物や現象を見落としています。 わたし自身もまた、これらの“望ましいこと”に囲まれ、“望ましくないこと”から距離を置いた生活をしています。あえて“望ましいこと”を捨て、“望ましくないこと”を求めることも、これまた大変不自然なことです。でも、わたしたちが、そういう社会のなかに生きているのだ、ということを認識しているだけでも、多少は何かが違ってくるのではないかと考えています。次の世代の子どもたちに、活力と創造の社会を残すために、わたしたち大人がなにができるのか、悩みは尽きません。 学力や学習意欲の低下も、こうして考えれば、教育制度の問題や教員の質の問題がそれほど大きな原因とは言えないことに気がつくはずですが、国家戦略としての標的となった教育制度は、これから大きく変わっていきそうです。 **2月8日(火)掲載**
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