す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
全265件中 新しい記事から 231〜 240件 |
先頭へ / 前へ / 14... / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 / 次へ / 最終へ |
第35回 学校が見える! (その7)ー学校のきまり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「うちの先生ってヘンなんだよ。巻き尺持ってきて『おまえのスカート、ひざうえ3cmも上がっているぞ』なんて言うんだよー」と訴える女の子。「あっ、おまえムースつけてるだろ、今晩洗っておかないと明日の朝会でチェックされるぞ」と隣の席の子に忠告する男の子。「名札なくしちゃった。ヤベーなあ」などとあせる男の子もいました。
気がついてみると、<学校のきまり>についてのこんな話を、このところ子どもたちから聞かなくなっています。そこで、中学生たちに「こんど生徒手帳見せてよ」と頼んだところ、市内7校分の<学校のきまり>が集まりました。 先生方も異動することだし、市内の中学は判で押したように同じような<学校のきまり>なのかな、という先入観を持っていたのですが、較べてみると、意外に各学校の特徴が出ていました。1ページに頭髪・服装・登下校・持ち物についてあっさりと書いてある学校があるかと思うと、7ページから9ページにわたって、こまごまと決めているところもあります。ある中学では学校生活のあらゆる場面にきまりがあって、例えば、「給食当番以外の者は、手を洗い静かに席につき順番の指示を待つ」という項目まであってびっくりしました。 総じて服装についてはかなり細かく決められていて「服装の乱れは心の乱れ・・・」という学校運営の“常識”がしっかりと根付いているのだという感じを受けました。これは、お気に入りの私服やそれぞれの髪型でわたしの目の前にいる塾生たちにはまったく当てはまらない“常識”です。たまに、着替える時間がなくて<標準服>のまま飛び込んでくる子がとても新鮮に見えたりします。それでも、中学によっては「<学校のきまり>制定委員会」をつくって、「ワンポイントじゃない靴下を探すのはとても大変で、かえって高くつくよ」とか「冬はセーターなしだと登下校のときには寒いです」という生徒たちの意見を全面的に採り入れた学校もあるようです。 先生たちの初任者研修で、「出勤前に、服装をチェックし、さっぱりとした教員らしい身なりを整える」「朝、職員室に入ったら、校長先生・教頭先生・先輩の先生がたに元気よく挨拶をする」などという注意事項があった、と聞いたことがあります。先生たちでさえそうなのだから、やむを得ないとは思うのですが、あまりにも細かいルールや約束事はそれぞれの生徒の判断力を奪ってしまうことにならないでしょうか。それでも、たしかに以前と比べれば、ずいぶん緩やかになったような気がしますし、子どもたちの話を聞くと、何か“事件”があるとうるさくなるけれど、ふだんは<学校のきまり>に書いてあるほどにはチェックされないようです。 これが、大人に近づいてくるはずの高校生ともなると、くせっ毛の生徒にストレートパーマを強要したり、夏休み中茶髪にしていた生徒が「黒く染めてこい」と言われたりするそうです。こんなふうに妙な方向に厳しくなるのは、刺激の多い世界に子どもたちが触れる頻度が多くなるに従って、学校もどんどん神経質になってくるということなのかもしれません。 化粧をしている高校生に「おい、くさいぞ。すっぴんの方がずっとかわいいよ」とか、自分のゴミを拾えない中学生に「自分のおしりを他の人に拭いてもらうのと同じだよ」と言ったりしている<イヤミでのんきな塾のおじさん>には、学校のきまりについて論評する資格はないのかなあ、と思ったりもするのです。 **12月27日(金)掲載**
|
第34回 学校が見える! (その6)−線引き | ||||||||||
「あしたカクチャリしようかなあ・・」大会間近の猛練習で疲れ切っている子がつぶやいています。<カクチャリ>とは、隠しチャリンコの短縮語で、学校近くの友だちの家や、チェックが甘い団地の駐輪場などに自転車を隠しておくことです。
学校の駐輪場の収容台数が限られているという事情や、もしかしたら、子どもは体を鍛えるために歩きなさい、という<教育的配慮>も含めてのものか、自転車通学は許可制になっていて、学校からある一定の距離の道路より向こうに住んでいる生徒だけがステッカーをもらうことになっています。 通学区がかなり広い中学校もあって、とくに、学校がその通学区の隅の方にある場合は、徒歩30分もかかるという子もいるようです。だから、やっと学校の近くまでたどり着くころ、道一本隔てただけて<チャリ通>やってるヤツが「オィース」なんて言いながらゆうゆうと追い越していくと「朝っぱらからチョームカツク」気持ちも分からないではありません。いくら寝ても寝足りないさかりの中学生にとって「チャリ通できたら、あと10分寝られるのになあ」と言いたくなるのです。 まして、自分より明らかに通学距離の短い友だちが、道路の線引きの関係で、毎日チャリ通ができる、というのはうらやましい限りだと言います。 ちょっと以前の子たちは、こういうことにかなりむかついていて、塾でも不平を並べていたものですが、最近はずいぶん様変わりして、<カクチャリ常習犯>が何人かいたとしても、大部分の中学生は、意外にあっさりとしていて「キマリだからしようがない」とすなおです。学校の側から言えば、平穏無事でよろしい、ということになるのでしょうが、不正義とは言わないまでも、筋の通らないことに対して淡泊で思考停止しがちの中学生、というのも何となく気になるところです。 それはさておき、自転車通学については、もう少し自主申告制のようなものを取り入れてはどうかと思うのです。学校から比較的近くても体が弱い生徒はいますし、ふだんは丈夫でも、極端に体力が弱っている場合もあるはずです。そういう子にとっては、重いカバンをかかえての徒歩通学はかなりの負担になります。また、学校からかなり遠くても、健康だったら徒歩通学の方がずっと気持ちがいいし体力がつく、と考える生徒も多いと思います。なかには単にラクをすることしか考えない生徒もいるかもしれません。でも、何かを決めてもらってそれに従っていればいい、ということではなく、自分で判断し、自分で決め、自分で責任をとる、ということは、こんな小さなことからでも始められるのではないかと思います。 しかし、そうは言っても、たまに外出したとき、ふと考えさせられることもあります。広く空いた駅の階段を横目に、せまいエスカレーターに向かって列をなす若者の多いこと。階段をトコトコと上っているのはわたしのような年配者が多く、どうも<健康オヤジ>と冷笑されているようです。彼らいわく「だって、ラクできるものがそばにあるんだから、わざわざ疲れる必要はない」のだそうです。そう言われてみると、<通チャリ>の自己申告制なんて、オヤジの世迷い言なのかもしれませんね。 **12月16日(月)掲載**
|
第33回 学校が見える! (その5)−でっかい名前 | ||||||||||||||||||
先頃亡くなったイヴァン・イリッチをはじめとして、社会学・心理学・教育学などさまざまな分野から<学校をめぐる問題>に鋭く迫った議論は多いのですが、そういうむずかしいことはわたしの柄ではないので、わたしの塾、という地域限定の目から見えた<学校の不思議>を書いてみようと思います。
ある夏の日、子どもたちを連れてプールに行こうとしたときのことです。「学校の水着じゃなくちゃだめ?」とか「学校のしか持ってないからいやだなあ、かっこいいのを買ってもらおうかなあ」とか子どもたちが口々に言うので、聞いてみると、「だって、おしりのところにでっかく名前を書いた布が縫いつけてあるんだよ。」と言います。「えっ、どうしておしりのところなの?」「それでね、先生に『どうしてですか?』って聞いたら、『おぼれると、おしりの方からポコッと浮かんでくるかららしいよ』だって、変だよねえ」。 この話は子どもたちと大いに盛り上がって「すると、その名前を見て、××君だったら、助けるのや〜めよ。ってなるのかなあ?」「全然知らない子だって、おぼれていたらだれだって助けようとするよね」「先生も、変だと思っているのにやめられないらしい」などなど、議論沸騰です。塾には、遠い地域の学校に通っている子もいて、「うちの学校でも、前はそういう水着だったけれど、いまはそうじゃなくなった」と言います。そういえば、最近、このことについては子どもたちに聞いていないので、さっそく明日聞いてみようと思います。 このスクール水着ほどではないにしても、ジャージの胸のところに大きく名前が書いているのは一般的です。あれも理解できない現象のひとつです。「非行防止」説、「名前を覚えるために便利」説、「持ち物に名前を書くのはあたりまえ」説、など諸説(?)入り乱れていますが、どれを聞いてもピンときません。担当の先生なら、どんなに物覚えが悪い先生でも(失礼!)1学期がおわるころには、生徒の名前と顔は一致するはずですし、担当したことのない生徒だったら「あなたの名前は?」と聞けばすむことだと思うからです。ましてや、学校内での<非行>は、おたがいに名前を知っている人が多いという点で、<ジャージの名前>は何の防止策にもならないはずです。 この「持ち物に記名する」という学校の習慣は古くからのものですが、あの異常に大きく表示する近年の風潮には首を傾げたくなります。むしろ、あんなに大きな名前が書いてなければ、先生としては、クラス・学年の<領分>を越えて、見知らぬ生徒にもどんどん声をかける<口実>ができるし、子どもたちにとっても、担当の先生以外に親しい先生ができるきっかけにもなるはずです。また、先生方にしても、自分だけで担当の生徒を抱え込むのではなく、先生たちみんなで子どもたちをゆるやかに見守ることができれば、ずいぶん気が軽くなるのではないか、と思うのですが、これは、<外部の人間>の能天気な見方なんでしょうか。第一、生徒番号の入ったあのでっかいネームは、どうしても囚人服を連想してしまうのです。 **12月9日(月)掲載**
|
第32回 学校が見える!(その4)−先生の資質? | ||||||||||||||||||||||||||
まず、およそ50年前の“文教都市”浦和のある小学校4年生の教室から実況中継です。つまり、わたしが小学生だったときの話です。当時、多分60才近かったA先生が、つましい身なりをした生徒たちに語りかけています。「先生はね、もうおばあちゃんなんだけれど、先生の数が足りないというので、学校に戻ってきたのよ。だから、算術も忘れちゃったし、体操もできないし、お絵かきもできない、でも、新しいことを教わるのは大好きなの。こんどのわり算のところはみんなで勉強してきて、先生に教えてね。先生、いっぱい質問するからね。」
たしかに、先生が黒板に書く字は<國語のお勉強をしませう>だったりして、子どもたちはとまどいながらも、おもしろがっています。とりわけ、国語の時間に子どもたちが先生にねだるのは、<鉢の木>や<寛永三馬術>などの講談でした。子どもたちは、時間が過ぎるのも忘れ、キラキラとした目で先生の名調子に聞き入っています。この講談のネタは無尽蔵にあるようでした。つぎに、体操の時間です。「先生は、ここで見ているから、みんなが得意なものを見せてね」といって、校庭の石段に腰を下ろしています。子どもたちはグループに分かれて、走ったり、跳び箱をしたり、なわとびをしたり、なかには相撲を取り始める子もいます。先生は「みんな、うまいねえ。すごい、すごい」と感心しきりです。そして、少しずつそのグループのなかに別のメンバーを入れていきます。つまり、得意な子が先生になるのです。図工の時間も、先生は「ふーん、すごいねえ、昔の子はクレパスなんかなかったから、こんなに上手には描けなかったねえ」と、どの子の絵を見ても感心しています。 さて、算数です。子どもたちは、それぞれ勉強してきたことを先生に教えます。「あのね、675÷15だったらね、6のなかに15はないでしょ、だから、67のなかに15があるかどうか考えてみるの・・・」すると、先生は「どうして、5の方から考えて、つぎに75のなかに15があるかどうかを考えないの?」と聞きます。子どもたちは「う〜ん」とうなっています。べつの子が、「だって、675は600と700のあいだにあるでしょ、だから、大きい方から考えていくんじゃないですか?」といいます。もちろん、このあたりは正確な実況ではありませんが、大体こんな風に授業が進んでいって、子どもだけではなく先生の頭のなかにも、大きな【?】を残したまま授業が終わります。そして、つぎの授業のときにこの続きが始まって、先生も子どもたちも納得したところでみんなで問題を解いてみて、つぎの単元に進みます。 もしかしたら、子どもたちは見事に先生の策略(?)に乗せられていたのかもしれません。でも、先生が、戦後の学校教育にほとんど順応できていなかったことは、子ども心にもはっきりと感じていました。 また、当時は、戦時中の「生めよ、増やせよ」のスローガンの置きみやげ(?)で、1学級50人を超えることは珍しくなく、二つの小学校からの生徒がいっしょになる中学では1学年12クラス600人の大所帯になっていました。だから、先生たちの目は、ちょっとしたいたずらや子ども同士の小さなイザコザまでは当然行き届かず、その解決は必然的に子どもたち自身にゆだねられていました。こんな時代に先生の管理能力を云々すること自体がナンセンスだったと思います。 「中2の親」さんが言われるように、いまの親たちがさまざまに先生を評価し、行政が<教師の資質の向上>をうたい文句にする<現代の教育状況の目>から、上記のA先生や超多人数学級のようすを見れば、一体どんなことになるのでしょう。でも、子どもたちは、その時代、たくましく活き活きとしていました。それは、どうしてだったのでしょう。 いま、子どもと日常接している現在のわたしの目から見れば、いやなことばかり言う先生も、めちゃくちゃなことを教えていた先生も、戦後の世相を体現したようなクラい先生もいました。でも、子どもたちはそういう先生からも、何かしらを学んでいたような気がします。それは、子どもたちのなかに流れていた<時代のエネルギー>とでも言えるものだったかもしれません。社会のなかに希望や活気が出てくることこそ大切であるはずなのに、<教育改革>で学校や教師を変えようとしていることに、わたしが危惧を感じているゆえんです。 今回は、すこし理屈が多いコラムになりました。<先生の生態図鑑>のつもりが<不満合唱曲>にならないうちに、このシリーズの軌道を少し変えて、外側から見た<学校>という組織のおかしさに少し触れてみたいと思います。みなさんからのご意見もお聞かせください。 **12月2日(月)掲載**
|
第31回 学校が見える!(その3)−マニュアル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
かつて、算数では水道方式、美術ではきみこ方式、国語では大村はまさんの実践などがもてはやされて、わたしもずいぶん触発され、大いに参考にさせてもらったことがあります。その後、向山洋一氏による「教育技術法則化運動」があらわれ、「だれでも跳び箱が跳べるように指導できる」から始まって、全教科の指導技術の法則化が試みられ、厳しい研修を受けるために全国から学校の先生たちが参集していたようです。そして、現在は、あのベストセラー「声に出して読む日本語」の著者斎藤孝氏による「斎藤メソッド」が脚光を浴びています。
あるとき、小学生が「これをやれば、だれでも、絶対算数ができるようになるって先生が言ってた」と、1枚のプリントを見せてくれました。それには、分数の基本的な文章題がずらっと並んでいて、その一題ごとに空欄があって、それにことばや数字を書き込んでいくと自然に答えが導かれてくる、というものです。それをみてピンとくるものがあったわたしが、「このプリントをやるだけ?」と聞くと、「ううん、先生がね、問題を読んで、それからみんなでいっしょに読むの。それからね、ノートにそのまま問題をそっくり写すの」ここまで聞いて「あっ、やっぱり」と思い当たりました。まさに「教育技術法則化運動」の向山方式です。 さらに聞いていくと、先生がその問題についての図を黒板に書き、これもまた生徒はそのまま写す、と言います。先生はほとんど説明しないで、授業は分刻みでどんどん進んでいきます。つぎに、ノート点検です。大きな字できれいに書いてある子はほめちぎります。消しゴムは使わせず、間違えた問題には大きく×をつけさせて、できるまで、先生のところに持っていきます。それでもできない子には、先生がうすく答えを書いて、それをなぞって書ければ、マルがもらえます。そして、そういう一連の手順が、細かくしかもスピーディーに進められるのです。かくして、クラスの全員がマルをもらえることになっています。 わたしは、ちょっぴりイジワルな気持ちになって、その小学生に「この問題をやってみて」と、学校のプリントとほとんど同じようにみえるけれど、中学生以上の知識がないと解けない問題をやってもらいました。案の定「こんなのわからないよ」と言います。「そうだね、これはできないのが当たり前の問題なんだ。できない、ってことがわかったのはすごい!」と、変なほめ方をしました。 そういえば、「15kmを45分で歩く人がいます。この人の時速は?」という問題を出して、「時速20km!」と“正解”を出した子たちを尻目に「そんなに速く歩ける人はいないよ。それにそんなに長く歩けるわけないよ」と答えた“算数にがてっ子”に正解の栄誉を与えた塾仲間がいました。 あの中村メイ子さんが子どものころ、お借りしたものはお返しするんだ、といって、いったん10の位から“借りてきた”数を“返して”計算をした、という有名なエピソードがあります。 先ほどの小学校の先生は、だれでもがきちんと自分の定めた方向に進み、そして、だれでもが同じ正解に達する、ことをなによりも大切にしているようで、その通りにならないときには、とても苛立つそうです。 現在「教育基本法の見直し」がどんどん進められています。「公の意識」を前面に押し出すなど議論の多い「見直し」ですが、わたしが気になるのは「教員の質の向上」を強く取り上げていることです。聞くところによると、埼玉でも教員の評価や査定などの基準を明確化する方向に動いているようです。どんなにすぐれたメソッドでも、それが無機的にマニュアル化されると命が失われてしまいます。個性豊かな先生たちが、そういう流れの中でがんじがらめになっていくのではないかと、心配でなりません。 **11月25日(月)掲載**
|
第30回 学校が見える!(その2)−変身 | ||||||||||||||||||
「今度の社会の先生、とってもわかりやすい授業をしてくれるよ」と、A中の子たちが口々に言います。ノートを見せてもらうと、たしかに、歴史の流れのポイントをきちんと押さえて板書しているようです。それに、丁寧な字で手書きされた補充プリントに生徒が書き込んでいくと、とても見やすい年表ができあがるようになっています。さらにくわしく聞いてみると、歴史の中のおもしろいエピソードなどを交え、生徒との掛け合いをしながら板書し、あとで、充分にノートを取る時間をくれる、その間、生徒たちのあいだを回りながら、一人ひとりノートの取り方のポイントを教えてくれるそうです。
「なんという先生?」と聞くと、「P先生! B中から来たんだって」といいます。「P先生?!」わたしの記憶の中をその名前がぐるっと回った後、「あっ!」と小さな叫びをもらしてしまいました。3年ほど前、B中の子が「社会科の先生イヤだ〜」と言っていて、その先生の名前がP先生だったことを思い出したからです。 そう言えば、そのときも、生徒はいろいろ工夫された補充プリントを持っていて、それに書き込んでいくだけでその単元の流れとポイントがわかるようにできていました。しかし、そのB中の生徒のプリントは、もうその単元が終わっているはずなのに、ほとんど空欄のままで、そのうえ、ノートもあまり取っていないようです。「こんなにいいプリントを作ってくれるし、いい先生なんじゃないの? 授業をしっかり聴いて、ノートをとって、そのプリントをちゃんとやったら? やらないきみが悪い!」と言ったところ、「わたしだけじゃないよ。授業中みんなうるさいよ。」と不服のようすです。 よく聞いてみると、−−授業は、ちょっと話しては板書、の繰り返しで退屈だ、必死になってノートに写しているうちに授業が終わってしまう。しかも、授業中にちょっとでも隣の子に聞こうとすると、怒られる。単元が進むのは早いんだけれど、ぜんぜんわからない。そのうち、ノートを取らない子が多くなってきて、補充プリントもやらなくなった。−−ということなのです。そして、子どもたちの気持ちが決定的に離れたのは、P先生の「ぼくが、こんなにいっしょうけんめいプリントを作っているのに・・」という一言だったようです。 そのときのB中の生徒と「社会の授業、わかりやす〜い」と言っているA中の生徒たちと、塾でのようすをみる限りではあまり変わりはないようです。B中の子も他の授業はしっかりと受け、ノートもきちんと取っている子でした。 転任をきっかけにがらっと変わってしまった先生の例は、P先生に限らず何人も経験しました。もう20年も前のことですが、生徒からバカにされつづけ、授業がまったく成り立たなくなっていた先生が、遠く離れた学校に転任したあと「えっ!? あの先生が・・」とびっくりするような暴力教師に変身していたこともありました。 まじめなP先生は、B中でずいぶん苦しみ悩んだ結果、A中で見事に変身されたのでしょう。A中の子たちには「いい先生に出会ってよかったねえ」と言いながら、心の中でP先生にも「がんばりましたね」と喝采を送ったものです。 **11月18日(月)掲載**
|
第29回 学校が見える!(その1) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1教室しかない塾で、理数系担当のツレアイと主に文系担当のわたしの2人で手分けしてみてきました。そんな中で、一人ひとり状況も性格もわかり方もちがう子どもたちに対応しようとすると、8人、多くても9人が限度です。そして、一人ひとりの子どもとしっかりかかわろうとすると、2人で目配りができるのは、小学生から高校生まで合わせても、せいぜい在塾生50人ぐらいまでがわたしたちの能力の限界かなあ、というのが、30年以上塾をやってきた者としての実感です。
そういう観点で学校の先生たちを見ると、これは驚異です。強制力も評価権もない塾とはまったくちがうとはいえ、30人以上のさまざまな個性を持っている子どもたちのクラスを担任し、いくつものクラスで担当教科の授業を成立させ、生徒指導や部活に飛び回り、個性派揃いの(?)職員室で雑務を含めた教務をこなしていく・・。この大変さは想像を絶します。 さまざまな研究会で出会う先生たち、若いときからの親しい友人である先生たちの多忙さも「ゆとり教育」などとはとても言えない異常さです。わたしは、少なくとも午前中は音楽を聴きながらゆっくり読書ができ、新聞を広げることができます。どうしてもやりたくないこと、やる意味が感じられないことはやらなくても済みます。そういう状況の者が学校の先生たちに対してなにほどのことが言えるか、というのは、以前このコラムで議論に参加してくださっていた「教師23号」さんもご指摘の通りです。 でも、学校の先生たちは、公開授業でもなく研究授業でもないごく日常の授業や活動が、別の「プロの目」に見られていることに気がついているのでしょうか? 子どもたちが見せてくれる学校用のノート、提出物、プリント、テスト問題、そして、子どもたちが逐一話してくれる「きょうのA先生の授業」・・・。学級活動の中で、部活指導を通して、先生たちが語りかけてくれたこと、投げつけられたことば、子どもたちへの、きびしいけれど温かい気遣い、冷たい視線・・・。30数年の間、子どもたちはさまざまな形で学校の中のようすを伝えてきました。 次回から数回、そういうことのひとつひとつを“塾”という、いわば陰の部分から、明の部分である“学校”をのぞいてみることにしようと考えています。ただ、これは学校と先生たちに対する一方的な批判の気持ちから出てきたわけではありません。地域の学校の先生たちの“生態図鑑”(失礼!)のつもりで読んでいただいて、新しい問題提起とさせていただければ幸いです。当然、わたしの方の勘違い、思い込みなど数知れないことと思いますので、学校の先生方の積極的な参加をお待ちしています。 **11月11日(月)掲載**
|
第28回 成績−この、気になる数字! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
前々回、「中2の親」さんからのレスに「勉強ばかりが人間の価値じゃない。といいつつも実際ひどい成績をみると動揺してしまう。この子がろくでなしになるんじゃないかとかって・・」とありました。このあたりが、ほとんどの親のいつわらざる気持ちなのではないかと思います。
やっとテストが終わって、「どうだった?」と聞くと、ほとんどの子が判で押したように「わるかった〜」と言います。「そうかあ。ところで、どんなところがわるかったのかな?」「う〜ん、なんだか知らないけれどわるかった。」というやりとりがそのあとに続きます。 「悪かったテストは、自分が勉強するためのヒントや、教える方が工夫するためのアイディアがいっぱい入っている宝箱だから、持ってきてね。」というと、ほとんどの子がおずおずと持ってきます。「終わったテストの成績は取り戻せないから、点数にはぜ〜んぜん興味ないけれど、どんなところを、どんなふうに、どうして間違えたかを、必死に分析してみるからね」と付け加えるのが大切なところです。 さて、合計点が書いてあるところを何重にも折り曲げたのやら、ほとんど紙くずのように丸めたの、問題用紙の間に小さく折りたたんだの、それぞれの子どもたちの点数への思いが表れているような答案用紙を広げてみると、そこには子どもたちの(イヤ、先生たちのもかな?)悪戦苦闘の世界がみえてきます。 「おっ、数学だいぶよくなっているじゃない!」と言っても「でも理科が前よりも悪い」と定番の反応です。よくなったものより、悪かったことを大きく言うのは、向上心の表れなのか、はたまたよくなったものへのテレなのか、親の手前(?)塾に対してプレッシャーをかけているつもりなのか・・・。「理科は前よりもひねった問題が多いようだから、しようがないよ。」と言いつつ、一枚一枚コピーして塾が終わったあと分析を始めます。この作業の中で、ときには明らかな出題ミスや、採点ミスが見つかることもありますが、われわれの関心は、答案のナカミに向かいます。 案の定、どの子の答案を見ても、個人差こそあれ「なるほど、この子がこれができないのはむりもないかな」と思えるものは少なく、「なんだ、これとほとんど同じ問題をやったときにはわかっていたじゃないか!」と、ツレアイとふたりでブツブツとつぶやきます。以前に書いたように、透明人間になってその子の机のそばに立ち、その箇所を指さすだけで正解できてしまうような間違いが、圧倒的に多いのです。 われわれも親も、そういう間違いがなければ、一体何点上がることか、と嘆くことになるのですが、実は、そういうミスをするのも中学生ならではのことで、同じ子が高校生になってしばらくすると、こういうことがどんどん少なくなってくるのが不思議といえば不思議です。 ちょっと突飛な言い方に聞こえるかもしれませんが、中学生の場合、本人が投げ出したりしない限り、<テスト問題を解く力>という意味での学力は確実に上がっていきます。ただ、実際の成績は、そのときどきの体調・心理状態・得意不得意などの要素が絡み合ってくるので、必ずしも上がるとは限りません。それどころか、テスト前日に深夜までやったり、親や先生から強いプレッシャーをかけられたりすれば、上に書いたようなミスが多くなりがちです。気持ちがテストの中身に向かわないからです。 勉強をやれば、やっただけ成績がよくなる、と思っている人は少なくないと思います。ところが、疲れ切っているとき、精神的にひどく落ち込んでいるとき、気持ちが何か他のことに囚われているときなどに無理にやったとしても、せっかくわかっていたはずのことが混乱してしまったりするのが、平均的な中学生です。 親にとってはちょっと耳が痛い話になりますが、もし、その子の学力に見合った成績を取らせたいのなら、言葉で勉強をやらせようとするより、<食事>・<睡眠>・<運動>など体調への気遣いをしてあげるのが、先決のような気がするのです。 **11月5日(火)掲載**
|
第27回 子どもの人間関係? | ||||||||||||||||||||||||||
「こんばんわ〜」「ちわっす」と中学2年生たちがやってきました。教室では、まだ高校生が勉強している時間なので、空いている席にそっと座る子、隣の自習室兼コピー室で小さな声でおしゃべりを始める子、奥の居間に直行して、自分たちの時間が始まるまで漫画を読んでいる子、時間ギリギリにやってきて、挨拶のことばは出ないけれど、目を合わせるとニッと笑いかける子・・それぞれの表情で入ってきます。高校生たちが帰っていくと彼らの時間です。「さあ、はじめるぞ〜、奥の部屋は消灯っ、みんな席について」という声がかかって、それぞれのファイルを広げ、用意されているプリントを机の上に出して始まりです。なかには部活で遅くなって、息せき切って入ってくるなり「ねえ、聞いて聞いて、きょう学校でねえ・・」と話し出す女の子がいて、男の子の席の方から「遅れて来たのにうるせーぞ」と声が飛びます。
つい先日の日常の1コマから書き出したのには、ちょっとしたわけがあります。子どもたちの集団は、微妙な人間関係やらほんのわずかのきっかけで、かなりちがう様相をみせる、ということです。 わたしの塾では、8人ほどの中学生のクラスに通常2〜4校からの子どもたちがいます。何人かコーディネーターのような子がいると、学校の違いを越えて遊んだり情報交換したりします。奇声が発せられ、笑い声がはじけ、近所の人たちには少なからず迷惑をかけてきたように思います。おたがいに教え合ったり、消しゴムを貸し借りしたり、騒々しいけれど活気があります。 ところが、クラスによっては、子どもたちの構成は同じようなものなのに、こういう活気はありません。かといって暗いわけでもありません。数学・理科を中心に勉強を見ているツレアイ(子どもたちは<おばさん>と呼んでいる)とわたしにだけはよく話しかけてきます。「おばさん、ウチの担任の先生ってねえ」と一人が始めると、別の子が「おじさん(わたしのこと)聞いて。ウチの社会の先生ねえ」と負けじと話すのですが、直接話すことを巧妙に(?)避けているのです。だからといって、おたがいに嫌いじゃないらしいのです。相手から話しかけられれば話したいんだけれど、もし自分から話しかけてシカト(無視)されたらイヤだから、と言うのです。 そうかと思うと、中学も同じで帰る方向も同じなのに、塾では全く言葉を交わさない2人がいます。仲が悪いのかなあ、と聞いてみると、両方とも「そんなことはない、なにを話していいかわからないだけ」と言います。ほかの子たちも同じようなものなので、このクラスはみんなシ〜ンとして勉強に取り組んでいます。決して消極的なわけではなく、ほとんどの子がこちらの説明にもはっきりと反応してくれます。 こういうクラスの子どもたちと、冒頭の中2のクラスの子たちとではずいぶん≪勉強の能率≫が違うのではないかと思われるでしょうが、これがほとんど変わらないのです。むしろ、活気がある分、頭がよく働いているとさえ思われます。高校生のクラスでも、だれかのジョークに絶妙なツッコミが入ったりすることで、肩の力が抜けるせいか、その後の質問が活発になることもあります。 集団を構成している一人ひとりの個性の微妙な組み合わせのちがいと、何かしらのきっかけによってその集団の様相ががらりと変わるのは、大人の場合にも言えることですが、若者や子どもの集団では、かなりはっきりと出るようです。 **10月28日(月)掲載**
|
第26回 受験生の親 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月もそろそろ終わりに近づいてきて、中3は学校説明会・受験校の絞り込み、大学受験生はセンター試験の申し込みと指定校推薦の受付開始、とあわただしくなっています。
この時期の不安やアセリに関して言えば、受験生本人よりも深刻なのが<受験生の親>です。すでに経験済みの方、いま、真っ最中の方、これからの方、そして、受験生本人の立場で自分の親のパニックぶりを見てきた方、まで含めて考えれば、ほとんどの人たちに当てはまる“経験”かもしれません。 それでも、大学受験の場合は良くも悪くも「本人に任せるほかない」と納得していきますが、これが、高校受験までは、受験校の選定にとどまらず日常の勉強の管理まで親がかかわることができる、あるいはそうあるべきだという思い込みがでてくるようです。 第1子の受験ともなるとそのパニックたるやすさまじい人が多く、ともかく少しでも<偏差値>の高い高校を望むかと思うと、一転して絶対失敗させたくないとばかりに極端な安全校を求めて右往左往するといった状況さえ起こります。また、男系社会を引きずっているせいか、はたまた息子偏愛型の母性のゆえか、特に<長男の受験>が迫ってきたときには、冷静さを失いがちのお母さんが少なくありません。 いや、お母さんだけではないかもしれません。<受験生の親>の特殊な心理状況を熟知しているはずの塾仲間の一人T氏は、一人息子の受験のとき「のんびりと本なんか読んでいたり、ギターを弾いていたり、そういう姿を見ているだけでイライラするんだよ。塾生の親たちには『受験するのは本人ですから』な〜んて言っているくせにホントに恥ずかしいよ。」と長距離電話を何度もかけてきました。そして、高校入学後の気ぜわしさが一段落したころ、親たちは一様に「なぜあんな気持ちになってしまったのだかわからない」と首を傾げます。 第2子の受験のころはさすがに落ち着いて我が子の動静を見守る人も多くなりますが、そんな親を見て「自分のときはあんなに騒いでいたのに、あいつは悠々とやらせてもらえていいなあ」とぼやく兄や「お母さんは、お兄ちゃんのときは青くなっていたのに、ぼくのときはあまり心配してくれない!」とすねる弟がいたりします。 「自分が受験生だったころはもうちょっと努力したよなあ」とか「えっ、あの高校わたしたちのころは入り易かったのに、なんでウチの子が無理なの?」などと嘆き、時代が変わってしまったとまどいと、のんびりしている(ようにみえる)我が子にできれば代わってやりたい、という歯がゆさがともなうのも親ならではのことです。 今年度からの新学習指導要領の実施とともに少しずつ入試の状況も変わっていくかもしれません。しかし、制度をどのようにいじったところで<受験生の親>がラクになるわけではありません。全員が希望する進路を選べる、という制度は存在しないからです。 どの受験生も「絶対安全校」「絶対不可能」のどちらの受験校選定もしていないはずです。だとしたら、結果を心配して口うるさくなるより、≪黙々と!≫毎日の食事に気を配ったり、睡眠時間を確保する配慮をしたり、学費のやりくりをしたりというほうが、本人としては最大限の努力をすることになるのではないかと思います。などと、わかっちゃいるけれど<受験生の親>ならぬ、わたしだって受験が近づくと「透明人間になってそばについていてやりたい!」と思うのです。 たかが受験、されど受験ですね。 **10月21日(月)掲載**
|
全265件中 新しい記事から 231〜 240件 |
先頭へ / 前へ / 14... / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 / 次へ / 最終へ |