す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第85回 子ども中心主義 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
およそ20年ぐらい前、数人の市民や学校教師・塾教師とともに「浦和・教育を考える会」をつくっていました。当時は、浦和市内にも校内暴力が吹き荒れ、それを抑えようとする教師の体罰がさらに生徒の反発を生む、というイタチごっごが繰り返されていました。このころの取り組みについては、いずれ稿を改めて書くことがあるかもしれません。
当時、わたしたちははっきりと“反管理教育”の立場に立っていました。それは「学校は子どもたちのためにある」という思いがあったからです。管理教育こそが、教育現場にさまざまな問題をもたらす元凶であって、学校は子ども中心の“開かれた”ものであるべきだと考えていました。環境問題を初めとする解決困難なものが見え始めてきた時代でした。それまで営営として積み上げてきた“人類の英知”に対する信頼が揺るぎ、それらを一方的に教え込む授業への疑問が、“子どもたちの自発性を重んじ、生徒の選択の幅が広い学校”という幻想を生み出したのだと指摘する苅谷剛彦氏などの学者もいます。当時のわたしたちは、管理されたり押し付けられることと闘ってきた自分たち自身の生き方とも重ね合わせ、子どもたちへの信頼を基盤に“学びの世界”を求める“子ども中心主義教育”は、キラキラした理想にも見えたのです。 その後“子ども中心主義教育”は、ゆとり教育・生きる力・総合的学習というすがたで実現しました。「浦和・教育を考える会」は、自分たちの目標に近いものが現実のものとなったことと、それぞれが多忙になったこともあって自然消滅してしまいました。 じつは、この“教育改革”は、“子ども中心主義”から出てきたものではない、とわたしは考えています。1980年代の社会、とくに企業や研究機関のなかで、「指示されたことはできるけれど、自分からは何もできない優等生」が続出していることへの危機意識が高まり、問題発見解決能力や独創的な発想ができる人材を求める声が大きくなってきたからこそ実現したものではないかと思うのです。文科省をはじめとする“教育現場”は、政治の世界の“55年体制の崩壊”の潮流にも乗って、従来の反文部省的色彩さえ帯びるこの教育改革を実現しました。 ところが、この教育改革は、早くもさまざまな問題をさらけ出しています。ひとつは、各方面の調査でも明らかになってきた“学力低下”問題です。もうひとつは、それと連動する形で始まった“確かな学力”“役に立つ学力”の要請が急速に強まってきたことです。トヨタ・JR東海・中部電力が中高一貫の私立学校を設立する、と発表したのは1年前です。私立学校は競って初等教育に参入し、公立学校も、本県の伊奈学園総合の例に見られるように中高一貫を進める動きがあります。大学の独立行政法人化もこれと無縁のことではないような気がします。これら一連の動きを、わたしは「公教育の私教育化」であると考えています。次代の子どもたちになにを伝え、なにを身につけてほしいかではなく、教育の効率化・実用化を目的にしているように思えるからです。 考えてみれば、一連の“子ども中心主義的教育”が輝かしい成果を挙げてきたのは、ある一定の条件が満たされた場合です。発祥の地のアメリカにしても、例のトットちゃんのトモエ学園にしても、池袋児童の村小学校にしても、「裕福な専門職の親をもつ家庭の子どもたちが生徒であり、選りすぐりの教師たちによって、非常に恵まれた環境の中で行われた教育」であって、しかも、それほど長期にわたっては続かなかった試みなのです。 先述の「浦和・教育を考える会」の仲間たちとは、今でも折に触れ酒を酌み交わしますが、彼ら学校教員からは「自分たちが目指してきた“学校の垣根を低くする”ことは実現したけれど、反面、学校はサービス業と化し、教師は誇りも自信を失ってしまったのではないかなあ」というぼやきも聞かれます。公教育は、一人一人の子どもたちのものではなく、わたしたちの社会のためのものである、という観点で、しっかりと捉えなおさなければならない時期に来ていることを痛切に感じています。 **3月2日(火)掲載**
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第84回 入試目前! | ||||||||||
「公教育」は、ますます大きなテーマになっています。このところ、国会では超党派議連を発足させ、いよいよ「教育基本法“改正”」に向けて本腰を入れ始めている様子だからです。しかし、こういうときだからこそ、理念や抽象論ではなく、タイトル通り“町の片隅から”という視点から考えることの必要性を強く感じています。もうすこし、考えを深めてから、あらためて「公教育」を取り上げることにします。
県公立高校の一般入試が、目前(26・27日)に迫っています。この一般入試を受ける中3の多くは、先の公立推薦入試に不合格だった子たちです。彼らには、あらかじめ「調査書(内申書)と面接だけのテストだから、合格を期待しないでおこうね。しかも、今年は、絶対評価のうえに学年別評価併記だから、たぶん高校のほうでもかなり戸惑っているはずだ。だれが受かるかはまったくわからないよ」と、何度も念を押していました。発表前には「うん、それはわかっているよ。受かればラッキーだけど、それは考えないで、一般入試のことだけ考えればいいんだよね」と言っていた彼らでしたが・・・。 やっぱり、と言うか、例年通りのことながら、あらためて<不合格>の結果を突きつけられると、本人はもとより、何度も話し合って理解していたはずの親たちまでも、相当のショックがあったようです。すでに確保している私立高校のB推薦が、ほぼ“確約”のようなものであることを経験しているので、わかってはいてもどうしても期待してしまうのでしょう。それと、公立推薦に合格した生徒が異口同音に言う「受かったことより、もう受験しなくてもいいってことのほうがうれしい」という気持ちの裏返しなのでしょう。彼らにとっては、まさに初めて経験する“人生の岐路?”に、とまどいとおそれと不安が一度に降ってくるような重圧を感じているようです。わたしの口癖である「学校は入れ物に過ぎない。きみという中身をどれだけ充実させるかが大切なんだよ」という言葉は、こういうときの彼らの耳には届きません。 この1ヶ月ぐらいは、毎日のように勉強しに来る生徒もいれば、「重苦しい雰囲気に耐えられないから」と言って、なかなか教室に来ない生徒もいます。実は、その当人が一番重圧を感じ、殊更に明るく振舞おうとしているのが、はっきりと見て取れる分痛々しいのですが、そうかといってそれを指摘することは逆効果になりかねません。目を合わせて笑顔を見せて、いま取り組んでいる勉強の内容についてだけ相手をします。「どうしよう、あと○○日だ〜」と叫んで、周りの顰蹙(ひんしゅく)をかう子もいます。毎回なにかしらのパフォーマンスを考えて教室に登場する子もいます。いらしらして親と衝突をしてしまう子もいます。そういう子たちも、さすがにここまでくると、それぞれに落ち着いてくるのが不思議です。そして、もっと不思議なのは、これまで、遠回りに考えたり行き詰ったりしていたことが、かなりすっきりとわかっていったり、うっかりミスを多発していた子たちが、見ちがえるように正確さを増してくることです。まわりから見ると「もっと早くそうなればいいのに・・」と思いますが、これも、切羽詰ってきてカッコつけや必要以上に欲張る余裕がなくなってきたからだともいえます。逆に言えば、それまでの試行錯誤があったればこそのことです。 親が感じる重圧も相当なもので、ある意味では代わってやれない分だけ、心理的には本人よりも大変かもしれません。なかには、家族みんなが過剰反応をして、テレビの音をこれまでになく小さくしたり、ハレモノに触るような対応をして、かえって本人のストレスを増やしてしまうこともあります。親ごさんたちには「そういうときの不安、イライラは子どもに向けないで、遠慮なく塾にぶつけてきてください」と“お願い”しています。 きょうは「もう落っこちてもいい。早く受験が終わってほしい」と、切実な表情でつぶやいた子がいました。「受験の時には、透明人間になってそばにいてあげるからね。いつものように、もう一度よく読んでごらん、と言う声が聞こえるはずだよ」というと、小さくうなずいてくれました。 **2月24日(火)掲載**
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第83回 公教育の目的 | ||
子どもたちが「勉強ってなんのためにするの?」と聞くとき、たいていの場合「やりたくないなあ」という気持ちが表情に表れています。それでも、ときには、なぜ勉強をするのか、勉強の目的は何か、について真剣に悩み考える生徒もいます。
そこで思い出したのが、ン十年前のわたしの高校時代のことです。入学まもないころ、M君という生徒が、各教科の第1時間目の授業の冒頭に手を挙げて、それぞれの教科の学習目的を先生たちに質問し続けたのです。何回目かには職員室でも評判になったらしく、機先を制して「質問は却下します。わたしにも本当のところはわからない」と言う先生や、真正面から真剣に答える先生、「きみは大学受験をしないのかね」と言い放つ先生までいて、なかなかおもしろかった記憶があります。 この「勉強の目的」は、考えてみると、まさに一人一人異なってもよいもののはずです。「受験のため」「真理(ほんとうのこと)を知りたい」「社会の役に立ちたい」「親や先生に認められたい」「他人より優れていると思いたい。または他人より劣っていると思いたくない」など、どれであってもよいのです。 ところが、多くの場合、これを「教育の目的」と同じ次元で議論していることがあります。「新しい学力観」に始まる教育改革は「自ら学び、自ら考える」ことをベースにして、子ども自身の興味・関心・意欲を「教育の中心」に置こうとするものでした。これは、現代の子どもや若者が惹き起こすさまざまな問題の原因を、「管理教育」や「過度の受験競争」がもたらしたもの、と考えたからです。いままでのコラムで繰り返し述べてきたように、わたしは、いじめ・不登校・勉強離れ・「指示待ち人間」の増加などのいわゆる「教育問題」の多くは、「学校教育」とは別のところにその要因がある、と考えていますが、ここでは深く立ち入らないことにします。 ここで、前回のコラムでとりあげた「公教育」をはっきりと定義しておきます。現在、公教育とは、「教育基本法第6条に定められている『学校』で行われる『公の性質』をもつ教育」だとされています。つまり、公立校はもちろん、私学助成金など多くの優遇措置がある私立校までふくめ、税金によって運営される学校で行われる教育が「公教育」です。 その意味では「各自の関心・興味に基づいて、それぞれの個性を伸ばす教育」は、たいへん耳に心地よい言葉ではありますが、「公教育」の中では実現できないものであるはずです。子どもは、いや人間の興味・関心は、それこそ無限に近く多種多様であって、しかも、それはお互いに相容れないものも多くあります。たとえ「10人学級」のなかでも不可能です。繰り返しになりますが、「公教育」が、税金で運営されているわたしたちの社会システムのひとつだからです。塾・予備校などの「私教育」では、ある程度「各自の関心・興味に基づいて、それぞれの個性を伸ばす教育」が可能です。塾・予備校のほうが優れているからではありません。システムが違うからです。ここのところの議論をしっかりとしなければならないのではないかと思うのです。 前回も書いた、首相の私的諮問機関であって国家主義的な色彩が強い「教育改革国民会議」は、そのあたりのところを突いているのです。文部科学省が、「ゆとり教育」の見直しを始め、学校教員に対して、強力に「公の意識」を求めているのも、ここからの要請です。「個性主義教育」に対する強い反動が進み始めています。 その「教育改革国民会議」が「戦後教育をだめにした元凶」として目の仇にしているのが、教育基本法です。先ほど挙げた「公教育」を謳っているのも教育基本法です。とすれば、わたしたちは、公教育に対して「わたしの子どもにとってよい教育」を望むのではなく、「われわれの社会は、次の世代になにを伝え、なにを身につけてほしいか」という視点で、しっかりと考えておく必要があるのだと思います。 **2月17日(火)掲載**
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第82回 公教育の役割 | ||||||||||||||||||
今回のコラムを書き始めたのは、日曜の夜8時半です。つい先ほどまで、入れ替わり高校受験生やら大学受験生が自主勉強に来ていました。取り組んでいる科目もバラバラなら、同じ科目でもわかり方はさまざまです。どんな設問でもその答え方は、ほとんど一つに収束しますが、「わかり方」というのは、ストンと腑に落ちるまでのプロセスなので、これはまさに千差万別です。
たとえば、「わかんな〜い」と言うA子ちゃんの手元を見てみると、問題文の条件を読み落としているようです。ようだ、というのは「ここのところ、声を出して読んでごらん」と言えば、その通り読みます。それでもまだ気がつきません。その場所を指さしながら「黙ってあと2回読んで・・・」。すると、A子ちゃんが、「あーっ、なんで気がつかなかったんだろう」と頭を抱えます。目は文字を追っているのですが、それが脳に到達してから、本人にとって意味のあるものになるまでのタイムラグがあるのです。これは特に勉強苦手な子というわけではありません。フッとそうなってしまうのです。教科書に、なぜホニュウ類とカタカナで書いてあるのかが気になって先に進めない子もいます。間違えることを極端に恐れるために、うすくて小さい字しか書かない子もいます。自分がいったん獲得した解き方に徹底的に固執して、あとからどれほどすっきりとしたわかりやすい(と本人も認める)解き方を説明しても、絶対に変えようとしない生徒もいます。わからないことをわかるようにしてやればいい、などという単純なものではないのが実態です。そういう子たちに「学校でも、こうなの?」と聞くと、「学校の授業では、こんなもんなんだ、と思って、あまり考えない」と言います。 学校の地位や先生の権威が失墜した、と言われ出してからずいぶん経ちますが、「学校では、こう教わった」と言う子はいても、学校の先生に対して「塾では、もっとわかりやすい考え方を習った」と面と向かって言う子は少ないでしょう。学校を休んだ日には、たとえ体調が回復していても当然のように「学校を休んだので・・・」と電話をしてくる家庭は多くあります。ある意味では、公教育としての学校はまだまだ充分に機能しているのです。先生たちの好き嫌いを言い募ったり、場合によっては、先生に対する暴力、不登校などというかたちで表れる子どもたちの「反学校」の行動も、言い換えてみれば、学校が公的な存在であるからこそ起きる現象で、どれも塾では(特に個人塾では)ありえないものです。まさに、塾は私的な存在だからです。 その公教育に「個々人の学習要求の多様性にこたえ、一人一人の関心と興味に沿って子どもたちの主体性を引き出す」ことを求める議論があります。これらは、学校現場の混乱の原因を、学習事項の多さ・画一的な授業などに求めた結果です。そして、これらは「ゆとり教育」や「総合的な学習」「個性重視」という方向をもたらしました。ところが、その反動で、「学力低下」が叫ばれ、文科省からは「確かな学力」方針が打ち出され、来年度からは学習指導要領の枠をはずすことを、むしろ奨励する通達が出されました。一方で、首相の諮問機関である教育改革国民会議からは、国家公民意識の育成、国歌国旗の強制、あるいは徴兵制の布石ではないかと思われる奉仕活動の義務化などが提唱され、教育基本法の“改正”の動きが活発になっています。 その教育基本法は「教育は・・(中略)・・自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」を目的としている(第1条)のであって、「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を持って行われるべき」(第10条)としています。公教育は、まさにわたしたちの社会が次代の人たちに伝えるべきこと、社会に出る前に身につけていてほしいことを学んでもらうためのシステムです。だからこそ、公教育には、毎年20数兆円の莫大な予算がつぎこまれているのでしょう。公教育に関する議論は、知識・手段も含めて、その伝えるべき中味が何であるか、そして、それはどういうシステムでなされるべきなのかに焦点を絞っていかなければならないと思います。率直に言って、公教育システムは、一人一人の子どもたちのためでも「個性を育てる」ためでもなく、われわれの社会のためにあるのだと考えます。そうでないと、ますます社会=国家という動きに押されていって、取り返しがつかなくなるのではないかと心配しています。大手の進学塾にせよわたしのような個人塾にせよ、社会からの要請ではなく、一人一人の子どもやその親からのニーズにこたえるのが私塾で、これこそが公教育との決定的な違いです。 **2月3日(火)掲載**
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第81回 個性って? | ||
いま、わたしは塾生たちの名簿を広げています。名簿といっても、初期のころは、本人や家族に連絡が取れればいいという程度のメモだったので、すっかり散逸してしまって、今でも付き合いが続いている数人の所在しかわかりません。それでも、数ヶ月でも在籍した生徒なら、表情、動きかた、クセなど懐かしく脳裏に浮かんできます。ときどき、電車の中や町でそういうものを感じさせる人がいて、そっと顔を見るのですが、相手は何の反応も示さないので「人違いだったかな?」と、あわてて視線を戻したりすることもあります。仮に本人だとしても、30数年の歳月は、紅顔の少年や匂い立つ少女の顔立ちだけでなく、わたしの人相もかなり変えているはずで、そのうえ、わたしは目が少々不自由ときているので、なおさら自信がないのです。でも、わずかなしぐさの中に感じるものは、たしかに“あのAくんのもの”でしかない、と確信することもあります。
ごく初期の塾生たちのことはさておき、手元に残っている28年前からの名簿を繰っていくと、各学年10人足らずなので、一人一人の表情が鮮やかによみがえります。不思議なことに、顔の造作ははっきりと思い出せなくても、その人特有の表情の動きやしぐさは鮮明に覚えているものです。楽しそうな表情、つらそうな様子、甘えてくるしぐさ、一人一人違った様相でよみがえるのです。 以前にも書きましたが、子どもたちが勉強することを要求される時期は、また、人生のなかで心の揺れが最も激しい思春期と重なります。だからこそ、戸惑い、悩み、苦しみ、さらには頭も心も閉じてしまうことさえあります。「塾なんて、お客である生徒に勉強がわかるようにして、成績を上げてやりさえすればいいんだ。余計なことは言わないでほしい。」と言う人が時々いますが、じつは、その辺りのことがわからない、あるいはわかりたくない人たちなのではないかと思うことがあります。何の疑いもなく勉強に取り組む子もいれば、勉強をやらされることにうんざりして投げ出していた子もいます。わかることが増えるほど自己嫌悪に陥っていった子もいます。子どもたちの苦しみは、必ずしも勉強に行き詰ったからではないのです。まさに十人十色です。 ここで、ふと気がついたことがあります。教育の世界では、よく「個性を伸ばす教育」「個性を尊重し育てる」という表現に出会います。これは、学校の多様化・複線化の動きの中で、ますます声が大きくなってきています。こういう場合、個性とはなにを指しているのでしょうか。どうも、これまでの同一基準での学力の評価ではなく、個々別々の方面での学力の評価のことを言っているようです。2002年の中教審報告の中では「各自に備わった個性や才能を発見・認識させ、これらを将来の職業選択も見据えつつ各人のニーズに応じて伸ばしていく」と表現されています。大変耳に心地よい文言ですが、早い段階から学力の領域を分化していくことに大きな危険を感じます。子どもの興味・関心は成長とともに刻々と変化していくし、特定の分野での才能もかなり成長してから花開いていく例をたくさん見てきているからです。それどころか、こういうものを個性と呼ぶならば、制度の中に設定されたどこの分野にも興味・関心がない子は「個性がない」ことになってしまいます。 じつは、冒頭に述べたそれぞれに固有の表情の変化や動き方、ものの感じ方こそが<個性>である、とわたしは考えています。これは育てたり引き出したりできない、言い換えれば、過去にも将来にも一人として同じ人間はいない(たとえクローン人間であっても)、その人間の属性です。その人の文化であったり、あるいは<育ち>と置き換えてもいいかもしれません。この意味での<個性>を“税金で運営され、一定の社会的な要請を前提とする公教育”で育てる、などというのは、無茶な話です。個々の教師や大人たちが、まさにそれぞれの<個性>で子どもの<個性>と接することはあっても、すくなくとも、教育のシステムとしての<個性を伸ばす教育>は論理矛盾であるばかりか、<個性>をつぶしかねないと感じています。 では、<公教育の役割>とは、なんでしょうか。わたしごときの手に余るテーマですが、今年あたり国会に上程されようとしている「教育基本法」の“改正”を睨みながら考えていくつもりです。みなさんからの率直なご意見をお聞かせいただければ、わたしの考えも深まっていくのではないかと期待しています。 **1月27日(火)掲載**
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第80回 中学生と初詣 | ||
長いお休みをいただきました。だからというわけではありませんが、今年の冬は子どもたちと多くの時間を過ごすことができ、また、大晦日や正月には塾のOBや友人たちと存分に語り合う時間がありました。
ところで、冬の講習中の中3たち9人と、元日の朝、湯島天神まで「初詣」に行きました。ちょっとした息抜きをかねての恒例行事なのです。この何年かは子どもたちお互いの関係がスムーズでなかったせいか、わたし一人だったり、2,3人で行くことが多かったのです。今年はほとんどの子どもが積極的に参加することになりました。 以前にも書きましたが、大学受験生は、ほとんどの場合、どれだけ勉強時間を確保できるかが勝負です。しかし、この時期の高校受験生は、何ページ何時間勉強をしたかよりも、体調を整え、安定した“気分”で、普段の学力を出せるように気を使います。かつては、初詣なんて行くくらいだったら勉強させてよ、という親もいましたが、真剣に取り組むほど、この<体と気分>の大切さがわかってくるようです。 もう、ほとんどの子が自分の受験する高校を決めているので、朝、集まってきた顔は少々緊張気味でした。それでも駅に着くころにはいつもどおりの表情を取り戻していました。10時近くなっていたので、電車も意外に空いていました。前夜の大晦日に、わたしの年越し手打ちソバをねらって来訪したOB2人と明け方まで呑んでいたせいか、ついコックリし始めたわたしに「西日暮里についたら起こしてあげるから」と、やさしい(?)ことばがかけられます。 こうして湯島天神にたどり着いたのですが、さすがに一昔前の雑踏のような混雑はなかったものの、ふだんはおよそ神仏と縁のなさそうな親子づれが、神妙な顔をして拍手を打つ相変わらずの光景が見られました。「いくら出せば合格するの?」などと大真面目に聞いてくる子や、5円(ご縁)玉を調達し始める子などを急かして拝殿前の混雑を抜けると、女の子たちは途中でおみくじを買ってキャーキャーさわいでいます。そのおみくじを結んで、絵馬を読んで回り、いつもの札所で、その日同行した子どもたちの分のほかに大学受験生や今年受験をする数人の知り合いの子たちの分まで、お守りを買いました。「このお守りは全力発揮祈願のおまじないです。自分の力ではどうしようもない事故病気を防ぐと思ってください。今までこの塾からの受験生は35年の間、全員無事に受験しています。残りの運は自分の学力気力で引き寄せよう。」というわたしからのコメントを添えて、年初めの授業のときに一人一人に手渡します。 その後は「きみたちを東大に入れてあげよう」と言って、湯島天神からほど近い東大構内を散歩するのが慣わしです。元日の構内は閑散としていて、いつもにも増して広く感じます。およそ都心とは思えないほど静寂な三四郎池のほとりで、散歩の親子連れに集合写真のシャッターを押してもらったりしながら、赤門を見、安田講堂を回って、大学病院の裏を通って池之端門から出てくるというシンプルなコースでした。子どもたちは、都心にこれだけ広大な大学があることにびっくりしながら「東大に入った」というシャレにもちょっと満足しているようでした。 帰り道の不忍池では、カモやシギなど多種多様な水鳥が群れているなかで、ベンチに横たわるホームレスの人たちに感慨を込めた視線を送る子もいました。 非日常のなかにいる子どもたちの表情を見ていると、いつもとはちがう発見がありますが、これもいずれはこのコラムのテーマとして取り上げることになるかもしれません。遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。 **1月20日(火)掲載**
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第79回 無意味の意味 | ||||||||||||||||||||||||||
前回、不安とは、実態が見えないことで惹き起こされる心理状態である、と書きました。それにしても、わたしの周りを見回すと「どうすればいいの。一体どうなるの」と言う声を耳にすることが多くなっています。現代が“高度情報化社会”といわれる時代ならば、昔よりもはるかに事の真相を知り、しっかりと対処できるようになっているはずです。それなのに、これはどうしたことでしょう。子どもは<親の子であると同時に時代の子>だと、以前に書きました。いまの子どもたちはこういう“不安の時代”の中を生きているように思います。
ひとつは、これまでも繰り返し書いてきたことです。「だいじょうぶですよ。安心していいですよ。」というメッセージよりも、ネガティヴなメッセージの方が耳に入りやすいこと、地味だけれど重大なニュースよりも、センセーショナルなニュースが取り上げられやすいことです。その結果、高まってきた不安は、一見歯切れよく勇ましい言説を求めることになります。首相や都知事に対する支持の高さは、その表れだと思います。 つぎに、時間の流れ方の問題です。よく言われることですが、わずか半世紀前まで、炊事・洗濯・掃除に代表される家事にしても、火を熾すことから始めて、家族一人一人の衣類を手で洗い、ハタキをかけ、たたみの目に沿ってほうきで掃いていました。それほど忙しいなかでも、人々はそれぞれ<自分の時間>を持っていました。いつもこまねずみのように働いていた寡黙な叔母が、縁側で一人童謡を口ずさんでいる後姿を目にして、わけもなく涙があふれてきた記憶は、40数年前の場面にしては鮮やかによみがえります。 家事の重要な担い手でもあって結構忙しかったはずの少年時代のわたしも、アリの行列をどこまでも追って行ったり、雲が形を変えながらゆっくりと流れていくのを見ていたり、晴れた日の晩に、屋根に上ってぼんやりと月を眺めていたり、そんな<ゆったりと流れていく時間>をたくさん過ごしました。さしずめ、いまなら「そんなことをしていないで、勉強しなさい」と、親の怒声が聞こえるところでしょう。あるいは、“タメになる本”でも読んでいれば、叱られずにすむのかもしれません。しかし、引き合いに出すのも恐れ多い、希代の読書家吉本隆明氏も、ぼんやりと過ごしていた時間こそが自己形成の核である、という趣旨のことを書いています。 さらに、空間の違いです。わたしの家は築70年を超えるボロ家なので、わけのわからない空間がたくさんあります。教室の中央に柱があったり、階段が2つあったり、縁の下にはいろいろなものが見えたり、変なところに窓があったり、子どもたちにとっては「千と千尋の神隠し」に近い感じのようです。すべてきっちりと作られた空間で満たされ、光が届かない場所などない現代の住居とはずいぶん違います。 現代は、すべて、<意味のある時間や意味のある空間>で満たされています。子どもたちの事件がおきると、<心の闇><心の空白>などという見出しが躍ります。闇も空白もあっていいはずのものです。それをムリに埋めようとしたり、照らし出そうとするところに、現代の<不安>を増幅させる原因があるのではないかと考えるのです。 昔はよかった、昔にもどれ、と言いたいのではありません。ラクでトクでベンリを追い求める生活から、ちょっと立ち止まって、ちょっと手間隙をかけ、ちょっとゆったりと過ごすことで、いわれのない不安から、少しは解放されるのではないでしょうか。 ところで、これからの時期、塾生たちのための時間を確保するのに必要な体力を温存しなければなりません。そこで大変勝手ながら、今回のコラムで、一区切りつけさせていただきます。1月20日のコラムから再開の予定です。みなさん、どうかよいお年をお迎えください。 **12月9日(火)掲載**
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第78回 さまざまな不安 | ||
Mちゃんのお母さんが、不安そうな顔で訪ねてきました。手には、学校でやった算数のドリルをしっかりと握りしめています。あまりが出る割り算で、半分ぐらい間違えています。そして、担任からは「九九を暗記しているだけで、割り算の意味がわかっていない。これではこれから困りますよ。」と言われたらしく、顔もいくらか引きつっています。
原則として5年生以上対象のわたしのところに小3のMちゃんを引き受けたのには、わけがあります。近所に引っ越してきたばかりで、しかも一人っ子のMちゃんを連れてきたお母さんの、押しつぶされそうな不安の表情を見るに見かねたからです。さいわい、Mちゃんは活発な子で、上級生の子たちとも、自然に溶け込んでいきました。ただ、どういうわけか引き算がきらいで、それも「なんかヤダ。減るなんてヤダよ」と言うのです。わたしは、以前のコラムに書いた“お育ちのよい昔のお嬢さん”のエピソードを思い出しました。二桁の引き算では、繰り下がりで十の位から“お借りした”数を、次に十の位の計算をするときに“お返し”するのです。彼女は、60年以上たったいまでも数学は苦手なようですが、彼女の個性はそれを補って余りあるものだと、だれもが認めています。そんなことで子どもに劣等感を植え付けなかった彼女の両親の賢明さがうかがわれるエピソードです。 ところで、(割り切れる割り算はできていたはずなのになあ)といぶかりながら渡されたドリルを眺めてみると、どれも商が正解よりも1だけ多いのです。被除数ー商×除数=剰余になるところ、逆になっているのです。つまり“50÷7=8あまり6”になっているのです。(ははん、引き算がきらいなMちゃんはあまりを出したくなかったんだな・・・。これはMちゃんの“美学”で、わかってないわけじゃないようだ)と気がついて、お母さんに説明し「大丈夫ですよ。きちんと自分の考えを持ってやっているのだから、しっかり納得すれば直るし、教わったことをオウム返しにできる子よりもずっとおもしろい」と言ったものです。そして、“昔のお嬢さん”の話をしました。お母さんがほっとし、そして次の授業のとき、Mちゃんもケロッとしていたので、わたしたちもほっとしました。引き算は相変わらずきらいなものの、そのうち直るだろう、とわたしもツレアイもさして心配していません。 お母さんの不安が少しは解消されたMちゃんはよかったものの、子どもたちの中には、どこかしら「全部が全部いつも完璧じゃないと不安」という気持ちが残っています。中学生ともなれば、さすがに“あきらめ”があるのか、口にはしないものの、「ほんとうは全部デキナケレバイケナイ」と思っています。なかには、苦手な歴史をやるのに、“完璧に”やりたいので、いつも<古代世界の四大文明>のところを繰り返しやっている、という笑えない話もあります。「やってもできないとイヤだから、勉強しない」という子もいました。まるで“ヘボ将棋”のように、いまから考えてもどうしようもない先の先まで心配して頭を悩ませて、なにも手につかない子もいます。そんな子には「今、目の前のことを一生懸命やってみよう」と言います。テスト前になると、塾にあるテスト範囲の問題を全部コピーしまくろうとする中学生がいます。「テスト直前になったら、テスト範囲を完璧に、と考えないで、いまキミができるはずのことをしっかりできるようにすればいいんだよ」と言うと、少し安心するようです。そして、そのほうがいい成績をとるのです。 不安とは、実態が見えないときに惹き起こされる心理状態です。実態が見えれば、安心をするか、その反対に恐怖に陥るかのどちらかなのかもしれません。実態が見えないことだから、ウワサ話やマスメディアの<ネガティヴキャンペーン>などに振り回されるのでしょう。だれにでも<不安>の影が忍び寄ることがあります。未経験なこと、自分の能力を超えること、未知の事態に出会うことは、だれにでもあります。そういうときに、できるだけ実態を見極め、自分にとってそれがどういう意味を持つことなのかを考え、さらに自分にとって適切な対処ができる“知恵”を身につけることこそが、もしかしたら<勉強をする>ことの本当の目的かもしれません。次回は、現代が、なぜ、これほどの“不安の時代”なのかを、わたしなりに考えたいと思います。 **12月2日(火)掲載**
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第77回 “外野からみた”幼児教育−不安の序章?− | ||
世の中の「学力低下」の大合唱にもかかわらず、ある小学校の先生の話によれば「このところの小学校の新入生は、よくできる」のだそうです。「たいていの子が五十音の読み書きができるし、かんたんな加減算ができる」ということです。たしかに、塾OBの若い母親たちがつれてくる就学前の“孫”たちは、教室のホワイトボードに嬉々として家族の名前を書いています。ママたちに聞いてみると、「自然に覚えちゃったのよ」と言います。「ほんとかな?」と思いながらも、ことはそれほど単純ではないようです。
就学前の子どもがいる家には、電話やら訪問やらでいろいろな勧誘があるようです。「おかあさん、ご存知ですか? いまは小学校から英語をやっています。今のうちから英語に慣れておかないと、学校に入ってから困ると思いますよ。」「教科書が簡単になってきているので、学校の勉強だけではとても足りません。家庭でも、しっかり勉強をやらせないと、将来とても困りますよ。」などというのは序の口です。 わたしの塾仲間のところのOBの話では、まだ2歳にもならない子どもがいる家に教材のセールスマンがやってきて、当然のように家に上がり込み、あれよあれよという間に子どもにテストをやらせてしまうのだそうです。そして、その代金1000円を請求し、あとでテスト結果を送ってくるというのです。たぶん、都合のいいようにデータ操作してあるその結果をみせられれば、若い母親が不安になるのはあたりまえで、そこで、教材を売りつけるのだそうです。なかには、産科の病棟で、すでに幼稚園の話が出るのでびっくりした、という話を聞きました。ほかにも、<右脳教育>だとか、<胎教グッズ>などという話はたくさんあります。乏しい家計のなかから英語のビデオを100万円で買ってしまったという話もあるそうです。 先日出席した塾OBの結婚式では、隣の席の若い母親同士が、「<公園デビュー>をしやすいのは、どこの公園?」などという情報交換をしていて、思わず耳をそばだててしまいました。そんなところまで不安の材料が転がっている若いママたちの大変さに、何人もの“孫”たちの顔を思い浮かべて、身につまされる思いがしました。 その若いパパやママたちの子ども時代は、まだ、「名前ぐらい書ければいいよ」とか「子どもは元気でいれば、それでいい」という空気が支配していたような気がします。と、ここまで書いてきて、ふと自分の就学前のことを思い出しました。食糧疎開(若い方はご存じないでしょうが・・)から浦和に戻ってきたとき、わたしの父は「浦和の子たちは、ほとんど幼稚園で読み書きを習っているそうだ。田舎で遊びまわっていたお前にも教えておかなくちゃな」と言って、わたしは、入学1週間前に文字カードを作って教え込まれました。初めての授業から帰ってきたわたしが「こんなクネクネした字を教わったよ」と言って書いてみると、父が頭を抱えてしまいました。大正初期の生まれの父は、わたしにカタカナを教えていたのです。 それはさておき、核家族であるうえにホンネで話し合える友だちもいない、仮にいても、ママ仲間で話しているといろんな情報があふれていて、かえって不安が募っていく、という話も聞きました。さいわい、わたしが知っている若い母親たちは、実際に振り回されることはないものの、“周りから取り残されてしまわないか?”“小学校で差がついてしまうのではないか?”という底知れぬ不安を抱いてしまうようなのです。第68回のコラムで取り上げた<ネガティヴキャンペーン>は、こういう親たちの心理をたくみについてきます。それがまた、新しい不安を生み出していくようです。冒頭の小学校の先生の「みんな勉強がよくできる」ということの実態がこういうことだとしたら、<学力低下>などより、もっともっと恐ろしい事態が進んでいるような気がします。 いま、小学校高学年・中学・高校生になっている子どもたちからも、そういう親たちの<不安>の後遺症のようなものを感じています。次回から、“不安”について考えてみようと思います。 **11月26日(水)掲載**
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第76回 一隅からの大学入試 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
大手の予備校と違って、ごく少人数の生徒たちとほとんどマンツーマンの付き合いの大学受験ですが、それでもこのところの大きな流れの一端を感じることがあります。高校入試に続いて大学入試について考えます。
大学付属高校の中には、夏休み前にすでに内部進学が決まるところもあります。一学期までの内部成績でほぼ決まってしまった生徒の一人Wさんは、大学での勉強に備えて語学のスキルアップと幅広いテーマを設定し、挑戦しているようです。内部進学の生徒でも、矢継ぎ早に課される過酷な課題を乗り越えて、年が明けてから希望学部進学を決めたK君がいます。彼の高校には大学との兼任の先生もいて、高校のレベルをはるかに超える課題は、サポートするわたしたちにとっても大変刺激的で<エスカレート進学>などという生易しいものではないことを実感しました。 フツーの学力の高校生にとって、国立大学はますます遠い存在になってきました。第一に、<学力低下>論を背景に、センター試験の科目数が増えて5教科7科目になったこと。第二に、行政改革の一環と称する国立大の独立行政法人化の動きの中で、群馬大+埼玉大のように再編統合されることで従来よりも難度があがるのではないかと見られること。第三に、研究教育拠点を選定して重点的に国が資金援助をする「21世紀COEプログラム」では、旧7帝大を中心に7割以上が国立大で占められ、圧倒的な<国高私低>の状態になっていることです。センター試験の質も向上して難問奇問は見かけなくなったようですが、それでも、国公立大に合格するためには75%前後の得点率は必要なようで、2次試験の受験機会が3回あるとはいえ、かなり高いハードルです。 また、処理能力だけが高くても、判断力・創造力がない受験エリートに危機感を持った各大学が次々と取り入れてきたいわゆるAO入試(学科試験を課さず、適性・特技・意欲などを時間をかけて選考)は、今年度は国公立大学をはじめとして325大学が実施したようです。学科試験がない分、大学によっては能力を丸裸にされるような厳しいものになるようです。 一方で、多くの私立大学は、少子化傾向が年々強まるにつれ、施設と環境の維持に苦しんでいるようで、あの手この手の学生集めの方法には目を見張るものがあります。それにともなって、国公立とは対照的に入試(と呼べるかどうか)の形態も実に多様化しています。 「○○大学合格しました。ありがとうございました。」という電話がかかってくる季節になりました。いわゆる指定校推薦での入試は、こうしてそろそろ終わりです。普通科の高校はもとより、工業商業などの専門学科の高校を含むほとんどの高校が、各私立大学の指定を受け、各校1〜2名程度<調査書評定平均○○以上で合格>ということになります。この結果、従来の一般受験では到底合格できなかった学力の生徒でも、3年間まじめにやっていればOKです。そんなわけで、この<指定校推薦>は、高校受験にもさまざまに影響を与えていて、ギリギリの学力で合格するよりも悠々とトップクラスを維持して<指定校推薦>を狙う、という選択肢を取る生徒もいます。ほかにも、私立大学には、1〜2教科の少数科目入試・試験日自由選択入試などのほかに、インターネット入試や講義を聴いてその内容を問う<講義理解力入試>など、実にユニークな入試方法をとっているところもあります。さらには、どんな勉強をやるのか判断に迷うような不思議な名称の学科を作って学生を呼び込もうと必死の大学もあります。 こうして、大学はどんどんと2極分化し、入りやすいといわれる大学では志望者が減り続け、率直に言って、受ければほとんど合格できるといったところも多くあります。大学さえ出ていれば、という時代はとうに過ぎ去り、新しい形の受験競争が再燃する予感があります。つまり、<国家有為のエリート>と<実直な大衆>の創出。これが「ゆとり教育」「総合学習」「愛国心の確立」と仕掛けてきた教育行政の真の目的だったのではないかとさえ勘繰りたくなるほどです。 こういう時代だからこそ、そういう競争の中に安易に参入するよりも、地に足をつけた誇り高い進路選択がますます必要になってくるのではないかと思えるのです。 **11月18日(火)掲載**
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