す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第75回 私立高校入試 | ||
このところ、私立高校の入試説明会や個別相談会が盛んに行われています。わたしのところの中3生の親子も、あちこちの学校を回っています。私立高校では、北辰図書などを通じて、塾向けに推薦の基準点(表向きには内申点の推薦基準のみ)を出しています。学校現場からの<偏差値追放>のあとの、私学の“選抜”ならぬこうした“生徒集め”の実態の一部と、そういう中でも見られる情報の錯綜と、それを受ける側のとまどいと不安について考えてみることにします。
わたしのところでは、ほとんどの生徒が公立高校第一志望なので、いわゆるB推薦の約束をしてもらえるかどうかの個別相談に臨むのですが、なかには 「内申点が基準に達していない」あるいは「北辰偏差値が2ほど足りない」とかで、A推薦(その私学を第一志望)を勧められた生徒もいます。がっくりと肩を落として帰ってきて「私立を確保しないままで公立を受けるわけにはいかないから、あきらめてA推薦でお願いしようと思います」などというのを聞いて、こちらのほうがびっくりします。「えっ? ○○高校、そんなに気に入ったのですか?」と聞くと「いえ、遅くなればなるほどワクが小さくなります、といわれたので・・」と口ごもります。 少子化が進むなか、私学の生徒獲得競争は、ますます熾烈を極めています。現在の中学3年生の人口は、親の世代の学級数のままでもまさに30人学級が実現してしまうほどです。さらには、あの<団塊の世代>当時の各年度の半分にさえはるかに及びません。したがって、進学トップ校と言われる一部の私学を除いては、程度の差はあれ、どの私学もその経営は危機的状況である、と聞いています。そのため、中学段階で生徒を確保しようとする学校、学費免除や手厚い奨学金などで<優等生>を集め、進学実績に活路を開こうとする学校、公立高校の推薦試験のまえに、できるだけ生徒数を確保をするためにA推薦の枠を大幅に増やしている学校、さまざまです。入学者が少なすぎても、逆に受け入れ人数を大きく上回る入学者が出ても、私学にとっては“命取り”になりかねません。この“歩留まり”を見事に整えるベテランの入試担当が、どの私学にもいるようです。 私学の先生たちは、新年度が一段落した5,6月ごろから、まさに“営業マン”と化します。各中学校へのあいさつ回りはもちろんのこと、わたしのような小さな塾にまで、教頭先生自らが手土産を持ってみえる学校も珍しくありません。もちろん、手土産は丁寧に遠慮させていただくことにしています。塾対象の説明会の案内ハガキは毎週のように舞い込み、そういう説明会に参加すると、いわゆる“ここだけの話”だけではなく、さまざまな取引が見られるようです。というのは、よほどのことがない限り、私学説明会には出ないことにしているからです。 よほどのことというのは、生徒本人がその私学にどうしても入りたいけれどちょっと学力が届かない、そして、その学校の生徒または卒業生である塾OBを通じて、ある程度学校の様子がわかる場合です。そんなときは、何年も身近に見てきた生徒の日常の様子や傾向を、それこそ“心を込めて”推薦書にしたためます。そして、直接出向いてお話をするのですが、たいていの学校は、大変快く応対してくれます。それでも帰りに持たされる資料の封筒のなかをみると、“御足代”として交通費にあまるイオカードが入っていたりします。途中で気がついても、無下に返しに行くのもためらわれて、これだって生徒たちが納める受験料や授業料から出ているのだと思うと、子どもを“売った”ような、どこかしらうしろめたい気分になります。 ここにあげたのはかなり良心的な例で、聞くところによると、塾対象の説明会では、かなり高価なお弁当が出て“御足代”も相当な金額の現金が入っているという話を聞いたことがあります。中学の先生たちが私学との交渉に行っていたころは、さすがにそういうことはなかったはずですが、こういう話がもし事実なら、あの<偏差値追放>がいったいなんだったのかと考えさせられます。 ちなみに、冒頭に述べた例のような生徒確保の仕方をする私学も多くなりましたが、10月初めの時点での基準点は、いわば“定価”であって、多くの場合、生徒の集まり具合によって、最終的に実際の“売値”は徐々に下がっていくのが通例だということを、毎年経験しています。つまり、この少子化の時代はまさに<売り手市場>なのだから、必要以上にあせったり不安に思うことはないのです。 そうしたなかで、規模が小さくても生徒一人一人と丁寧に付き合い、厳しくも温かい校風を維持している学校がいくつもあります。むしろ、設備維持や人件費負担が多い大規模校には難しいことなのかもしれません。 **11月12日(水)掲載**
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第74回 お金の話 | ||
数値と数字についての話が続いたので、関連がなくもない『お金』のことについて、感じてきたことを書いてみることにします。
塾を始めたころは、若気の至りと親の家に寄生していた気楽さとで、「お金」がからむことにはかなりストイックになっていました。『授業料は極端に安くし、その上、滞納しても一切催促しない』ということで、生徒の数が増えていくほどに経費がかさんで赤字になり、親に支払う約束の日常経費や食費負担、自分の本代にも事欠くようになりました。事ここに至ってあれこれ苦しんだすえに、初めて世間並みの授業料にしたのですが、不思議なことに、生徒数もさほど変化はありませんでした。 その後、子どもたちの原点を見たいという気持ちから、塾生の小学校低学年の弟妹たちを集めて無料の<まめクラス>を作ったり、家の経済状態が悪い子たちの授業料を無料にしたり、大幅割引したこともありましたが、これらは、ことごとく失敗しました。「タダだから、安いから」という気持ちは、親にとっても子どもにとっても、あるいは、ひょっとしてわたしの側の気持ちにも、チャンスや励みとはならず<テキトー>になっていって、気楽に休むし勉強もいい加減にやる子さえいました。 「親から『高い月謝払ってんだから、しっかり勉強しておいで』と言われた」との子どもたちの話を、若いころは苦い気持ちで聞いていましたが、上で書いたような経験から「ほんとだよ。きょう塾に来てよかった、すこしカシコクなった、という“おみやげ”を持って帰るようにしよう」と、本心から言えるようになりました。それでも、短絡的に「月謝の分、成績を上げて」と言われると、前回のコラムの後半に書いたように「そんなものではない」と言いたくなるのです。 最近では、子どもたちも親もお金にはシビアになってきて、なかには「休んだ日の分はお金返してくれるの?」と聞く子もいます。休んだときの<振り替え>は基本的にしないことにしているのですが、高校生などでは、レギュラーの生徒優先、という条件で定例日以外の日に来ることを認めています。そうなればなったで毎日のように来る生徒もいて「席が空いている限りはいいかあ、積極的に来てくれるのはうれしいし・・・」などと自分を納得させていますが、これとても、決められた日だけに来る子たちと授業料が同じでいいのかな、と迷うこともあります。 わたしのところでは「来月もがんばるね」「うん、おじさん・おばさんも一生懸命付き合うからね」という意味で、毎月末に「教室通信」と子どもたち一人一人に短いコメントを添えて授業料袋を手渡しします。そして、そのお金を持ってくるときの子どもたちの様子もさまざまです。「はい、集金!」「おじさんのおこづかい」と渡す子もいれば、自分の机の上に出したまま黙っている子もいます。他の忘れ物はまったく気にしないのに、授業料を忘れたときだけは、何度も「おじさんゴメンネ、今度は絶対持ってくるからね」と繰り返す子もいます。なかには、ふざけ半分で投げてよこす子もいます。そんなとき「受け取らないよ」と言うと、ほとんどの子はきちんと渡し直してくれます。 いつもいつも新札を入れてくる家庭もあれば、これ以上ないほど汚れたお札を入れてくる親もいます。お札はどれも同じ価値とは言いながら、そこにそれぞれの親の思いが伝わってくるようにも思えます。毎回丁寧な手紙が添えられていることもあります。なかなか持ってこない子の家に連絡すると「とっくに渡したのですが・・」というので、本人に確認すると、バッグの底で何往復かした授業料袋がガサゴソと引っ張り出されてくることもたびたびです。それらの一枚一枚に領収印を押しながら「今月も精一杯やっていこう」と気持ちを新たにするのです。 **11月4日(火)掲載**
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第73回 偏差値再考 | ||||||||||
前回の話題をもう少し続けましょう。学校から偏差値がなくなってしばらくは、「だんご」さんが書き込んでくださったように、学校の先生たちが進路の判断を放棄するというような話を何度か耳にしました。その後、公立高校普通科の推薦制度が広がるにつれて「内申点が足りないから推薦できない」という話が多くなりました。そして推薦制度の趣旨が浸透してくると、どういう生徒がふさわしいかは高校側が決めること、という動きになってきました。そのころは「受けるのはいいけれど、落ちますよ」と言われた生徒がいました。このところはだいぶ落ち着いてきて、それほどひどい話も聞かれなくなりました。来年度は、調査書(内申書)公開・3年間の学習の記録の併記など、従来と大きく変わってきているので、三者面談が進むにつれ混乱がおきなければいいが、と心配しています。
だれにとっても不満のない入試制度というのはありえないことです。受験者が同じ問題に取り組み、たまたま出たそのときの得点だけによって選抜するのと、何度もテストを繰り返し、全体として選抜するのとでは、受験生としてどちらが納得するのか難しいところです。また、人物評価を重視して、中学校からの行動の記録の検討や面接にたっぷりと時間をかける、というのも、問題がありそうです。以前にも書いたように、基本的に学校は容器にすぎない、たとえて言えば、粗末な容器に入っていても名酒は名酒であるし、しみじみとうまいイモ焼酎が白磁の壷に納まっていたのでは興ざめになる、と酒好きのわたしは考えています。ただ、できれば、ある程度その酒の味わいにふさわしい容器に入っているほうが、酒もその本領をより大きく引き出されるのではないか、と思うのです。 テストの質を度外視すれば、偏差値は、テスト受験者全体の中での自分の位置を知ることができます。その意味では、無機的な数字ながら、何回かテストを重ねた結果の個人の偏差値の動きとデータの数字とによって、過去の受験者がどういう学校を受験し、あるいは現在の受験生たちがどの学校を志望しているかを知り、自分の“容器”の目安をつけることができます。しかも、そのデータは一般に考えられているように、2や3の違いを争うほど厳密なものではありません。ひとつの学校の合格者偏差値の上位と下位で10程度のひらきがあるのがふつうです。 “ほんとうの学力"とは何か、の問題はひとまず措くとして、とりあえずの“学校勉強適応力”とでも呼べるものがあるとしたら、偏差値は、ある程度それを反映しているのではないか、というのが、長いこと子どもたちと接してきたわたしの実感です。学校制度についてのわたしの考えは、実は別のところにあって、それは、おいおい述べていこうと考えているのですが、ここで言っているのは、あくまでも現行の学校制度の中で、を前提にした議論のつもりです。 ところで、とにもかくにも受験校が決定し、いよいよ入試が近づいてくると、子どもたちからよく聞かれることのひとつに「何点取れはいいの?」という言葉があります。もちろん本人の不安の表れから出た言葉なのですが、そんなとき、わたしは「きみが受ける学校には、絶対合格する子も絶対不合格になる子も受験していないんだよ。だから、きみは、全力を出し切ることだけを考えていればいいんだ。」と答えることにしています。これも、ある程度、偏差値を元にして受験校が決められていることを前提にしているから言えることです。もちろん、これに調査書の状況、その学校への志望の強さなど本人の傾向や家庭の経済状況、さらには通学時間と体力の関係なども加味するのは当然ですが、これとても、偏差値の目安があってのことです。 ただ、偏差値を“学校勉強適応力"と考えているわたしは“投げ出しもせず、精根尽き果てるほど絞り切りもせず”自然体で取り組んでいった結果で、本人の偏差値の動きがその学校の偏差値のピークを少し越えるぐらいになるところ、を受験校選定の基準にしています。それも、9月以降の偏差値の動きを睨んで考えることにしています。 つまり、数字は主役ではなく、あくまでも使う側にとっての道具に過ぎません。数字を使うことと振り回されることの違いを、いつも肝に銘じておかなければ、と自戒する季節になってきました。たかが偏差値、されど偏差値ですね。 **10月28日(火)掲載**
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第72回 偏差値世代 | ||||||||||||||||||
埼玉県には、全国に先駆けてたった1社で独占的に全県を支配し、かつて「埼玉県私設教育局」とまで呼ばれた北辰図書(株)があります。わたしが塾を始めた1968年(昭和43年)当時、北辰テストの成績表には、すでに偏差値表示が入っていました。茶色のインクで印刷された細長い紙に印字される偏差値の数字が、どこかしら権威めいて見えた記憶があります。
もともと統計学用語であった偏差値が受験学力判定の道具として登場したのは、その2、3年前からで、薄切りハムと形容されたほどの精緻なデータが猛威を振るったのが、70年代から80年代にかけての時期です。それと歩調を合わせるように、全国の高校進学率も90%を超えました。折りしも、高度経済成長、それに続いて数字のマジックを巧妙に使う田中角栄の<列島改造論>、さらに1985年のプラザ合意以降のバブル経済とも見事に重なるのが<偏差値>でした。そして、興味深いことには、労働官僚出身であった当時の竹内埼玉県教育長が、これまた全国に先駆けて学校現場からの偏差値追放を掲げたのが、まさにバブル崩壊が決定的になった1993年(平成4年)のことです。 選抜資料としての偏差値の功罪について論じるのは、また別の機会に譲ることにします。そこで、高校入試に際して、上で述べた偏差値の洗礼を受けた世代を考えてみると、現在、50歳前後から25歳前後の人たちです。もちろん、偏差値は、<会場テスト>と形を変えて、まだまだ衰えを見せてはいませんが、かつて、中学校で業者テストを実施され、先生によって偏差値を進路決定の資料にされてきたのが、この世代の人たちです。そして、この年代の人たちが、いまや社会の第一線で活躍するとともに、小中高生の親であり、教師として学校現場の中心を担っているわけです。 「こんな問題出たよ〜。だれもできなかったみたい」と言いながら、学校でやったばかりの「公民」の実力テストを持ってきました。見てみると、相続の問題で、代襲相続まで含んだ知識がなければわからない問題です。「授業で教えてくれたの?」と聞くと「ぜんぜんやってない」と言います。また、数学では非常にテクニカルな問題が出たり、単語としては中学レベルであっても、大学受験生でさえとまどうlook up to〜などという熟語が英語のテストの中で使われていたりします。こういうことが珍しいことではなくなったのは、最近のような気がします。 一時期、受験特訓に手を染めたこともある私自身思い当たる節があるのですが、これらの問題からは、どうやら進学特訓の臭いが漂います。公立入試など実際の標準的な入試ではほとんど役には立たないものの、「当塾ではこんな高度なことまで教えます。ここまでやっていれば、どんな問題が出てもOK」という受験塾特有の経営戦略です。あるいは、若い講師が自分の“優秀さ”を見せつけるためのパフォーマンスとして、生徒たちに示すこともあります。考えてみれば、これらの問題を出題した先生たちのほとんどは進学塾を経験し、いわゆる<偏差値教育>の真っ只中で学校生活を送った人たちなのでしょう。これらのことを授業の中で余興的に取り上げるのならまだしも、テストに出してしまうところが、いかにも<偏差値世代>的に思えるのです。 さらに、親たちからも<偏差値>で育った影を色濃く感じることがあります。偏差値がわずかに足りなかったために、希望の高校を受けさせてもらえなかった体験を話すお母さんがいました。だから、自分の子どもには、すこしでも高い偏差値がほしいと言うのです。その反動で、前回の北辰テストより、ほんの1だけ下がっても悲嘆にくれてしまって、その結果、子どもがふてくされてしまったなどということもありました。「偏差値は決定的なものじゃなくて、受験するときの1つの目安に過ぎないんです。本人の傾向とか、学校の様子などいろいろ考えて、ゆとりを持って高校生活を送れる学校を選ぶほうがいい場合もあります。」と言っても、なかなかわかってもらえません。<偏差値世代>のお父さんたちもまた、わが子のわずかな数字の変化に対して平静な気持ちではいられないようです。実は、いったん身についた学力は基本的に下がることがないものです。しかし、表面に現れる数字は、その時々の精神状態や体調に微妙に左右されるのが、中学生である、とわたしは考えています。 そして、前回取り上げた「数値目標」のひろがりも、<偏差値世代>の行政マンが仕掛けたもののような気がしています。もっとも、こんな<世代論>にはたいした意味はなく、数字によって安心し、数字に絶望し、数字にだまされ、数字によって権威付ける傾向は、多くの日本人の中にむかしから根付いていたものかもしれませんね。 **10月21日(火)掲載**
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第71回 数値目標 | ||||||||||||||||||||||||||
東京都では、今年度からすべての都立高校で、難関大学合格者数・生徒の満足度?などについて「数値目標」を掲げることになりました。新聞によると、この動きは全国に広がり始めているようです。このところ、社会全体に具体的・デジタル的な表現がどんどん増えてきていることからみても、いずれこういうことになるだろうとは予想していましたが、これほど抵抗なく受け入れられていくとは意外でした。
「授業中、名前を呼ばれたら『はい』と返事ができる児童80%以上」「フリーター10%減」「給食残量30%減」「外部からの苦情件数3割減」などなどなかなかユニークなものもありますが、「国語テストの平均点80点以上」とか「問題行動による特別指導2割減」など、先生たちのさじ加減ひとつで逆効果になりかねない数値目標もあります。 「この塾からどの高校・どの大学に何人合格したかをどうして書かないの?」と、子どもばかりでなく親たちからもよく聞かれます。わたしが「どうして書く必要があるの?」と聞き返すと「だって、この塾にいれば、どの程度の学校には入れるんだという目安になって安心できるじゃない」と言います。「35年の間にはいろんな生徒がいたからね。ここの塾生は、普通科の進学トップ校から工業・商業の専門学科もふくめ、県南の全部の公立高校に入っているし、国公立の大学に進学してフリーターやっている人も、高校を中退して立派な職人になっている人もいるよ。おじさんもおばさんも全力を傾けてサポートするけれど、きみが志望校に入れるかどうかは、最終的にはきみ次第。そして、その後の人生をどう歩むかもきみ次第なんだよ。勉強を通して、きみたちの充実した人生のほんのわずかなお手伝いができればいいなあ、と考えているんだけれどな」と言うと、わかったようなわからないような顔をしています。まさに、そんな雲をつかむような話はもう通じない時代になっているのです。 でも、よく考えてみると、どちらが<雲をつかむような話>なのでしょうか。A君が世評高い○○高校に入ったからといって、同じ塾生のB君も○○高校に入れる、あるいは、C君が評価の低い××高校だったから、同じ塾生のD君もそうなる、ということではないはずです。それぞれの生徒の傾向の違いであったり、場合によってはわれわれとの相性の問題だったりするからです。(もっとも、相性が悪い場合には自主的に退塾するか、本人のためにもこちらから塾を変わるように勧めることもありますが)確実なことは、かかわりを持ったどの子にとっても、全力を傾けてサポートされる環境が得られるということです。 このコラムの初期のころにも触れましたが、個々人の数値目標は、テストの得点にしても勉強時間にしても、あるいは記録、成績などでも一定の意味があると思います。そこに向けて自分の気持ちを発奮させたり、自分自身を振り返る材料になります。しかし、これが、学校などの組織、集団などの数値目標ともなれば別です。たとえば、海外で仕事をするという目的のために、正社員になって中途退社をして迷惑をかけたくない、と言ってフリーターをやっている青年がいます。アレルギーその他のためにどうしても給食を食べ切れないという生徒もいます。有名国公立大学より、自分の研究テーマが充実している大学を希望する優等生もいます。そんなの特殊な例だと言われるかもしれません。でも、その一人一人にとっては極めて切実な問題なのです。それを数値目標を追求する中で、あっさりと切り捨てていいものでしょうか? 表向きの合格率を上げるために、指定校推薦などでの合格を優先させたり、一見よさそうに見える中退率の減少目標などでも、その数値目標を達成するために、合わないとわかっている生徒をムリに卒業させることで、可能性を奪ってしまうこともあります。 こういう動きについて、わたしは、ある仮説を立てています。60年代に始まり、70年代に全盛期を迎えたあの偏差値です。その真っ只中で育った人たちが、いま行政の最前線を担い、親になり、教師になっているのではないか、ということです。わたしは、選抜資料としての<偏差値>に一定の評価をしてきたのですが、予想外のところで、数値があることによって安心し、数値が示されないことであいまいでいい加減になってしまう、という価値観を育ててしまったのかもしれないとヒソカに考えています。 **10月14日(火)掲載**
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第70回 教師の子 | ||
塾生の家の職業はさまざまです(正確には過去形ですが・・)。かつては商店の子や大工さんなど現業の家の子なども多く「いいなあ、おまえンち、菓子屋だし、○○くんのうちはおもちゃ屋だしさあ。オレんちなんか燃料だもんなあ。食えないし、遊べないし、ツマラないよ」と、のどかな会話が成り立っていました。圧倒的にサラリーマン家庭の子が増えてくるとともに、親の職業が話題に上ることも少なくなりました。サラリーマン家庭では、親が仕事をしている姿を見ることは極めてまれなことだからでしょう。
そういうサラリーマン家庭のなかでも、例外的に親の職業の影響を受けるのが<教師の子>です。どういうわけか、わたしの塾には、初期のころから<教師の子>が多く、その苦しさ、せつなさを見てきました。また、その子たちの親である教師や、教師をしている多くの友人たちの“親”としてのとまどいや悩みにも接してきました。もちろん子育ての喜びや楽しさ・希望などは、ほかの親とまったく変わらないのですが、その苦しさやとまどいには独特のものがあります。 その悩みは、まず子どもが誕生したときから始まります。命名です。いろいろ名前は思い浮かぶものの、そのつど、自分がこれまで教師として接してきた同名の“困った”生徒の顔が重なる、と言います。かといって、聞いたことのないような名前にすればーイジメの種になるのではないかーという不安がよぎり、なかなか決まらないそうです。気がついてみたら、自分にとって“いい生徒”だった子の名前を選んでいた、などという話を聞いたことがあります。 そして、子どもが学齢に達するとともに、学校の勉強についていけるかどうか、友だちができるだろうか、という心配がでてくるのは、どの親でも大差はありません。しかし、多くの教師の場合は、子どもが学校でどのように教えられ、どのように扱われているかが、宿題・ノート・連絡帳などを通して透けて見えるので、気が気でないようです。ちょっとわからなくなっているな、と思えば、ついつい教え込んでしまったり、教師の立場からは、全体的な見通しもなしに家で教え込まれている子のやりにくさを知っているだけに、グッとこらえて「ここは、学校に任せて静観してみよう」などと考えたりします。 子どもが中学生ともなれば、自分の専門教科が特に気になります。子どもが持って帰るテストを見ては「えっ、おまえこんなこともできないのか」とあわてたり、「何だ、このテスト問題は。こんな問題は先生の趣味だからできなくてもよろしい」と怒ってみるのです。 子どもにしてみると、ほかの子なら「先生がこうしろって言ったんだ」と誤魔化せるところでも、教師である親にはお見通しで「いまの時期に学校でそんなことやるはずがない」と言われてしまいます。昔風の管理主義的な教師の子だけでなく、“子どもの側に立って考える"ことを大切にしてきた教師の子も、また、つらいものがあるようです。反抗期真っ只中のわが子に「家に帰ってまで教師がいたんじゃたまんないよ。物分りのよさそうな顔をしないでほしい」と言われた先生もいます。親子の関係とは、ある種の理不尽さを伴うものだからかもしれません。 極め付けは退職教師の孫たちです。古い時代の教育観が染み付いている上に、かわいいかわいい孫の勉強となれば、昔とった杵柄とばかり、徹底的にかかわろうとします。孫たちの成績やテストは逐一報告させます。成績がすこしでも下がろうものなら、親への叱咤はもとより、孫の教師への憤懣が炸裂します。ついでに「金は出すからもっといい塾に行かせろ」などという圧力がかかることもあります。 ほとんどの<教師の子>たちは、さすがに根がまじめで、それゆえに苦しんでいる場合が多いのです。しかし、その大変さを伝えようとするあまり、カリカチュアしすぎてしまったかもしれません。 **10月8日(水)掲載**
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第69回 所作の人・抽象の人 | ||
今回取り上げるテーマは、わたし自身まだはっきりとした方向が見えないものですが、あえてここに提示して、みなさんのご意見も伺いながら考えを進めたいと思います。
中学生たちが方程式の文章問題に取り組んでいたときのことです。いつもは基本的なことに徹底的にこだわるのですが、たまには手ごわい問題に挑戦してて、その達成感を味わうこともあります。このときは、何人かの間で水をやり取りする問題だったとおもいます。子どもたちもあれこれとやってみては、わたしに「もう一度しっかりと図を描いて考えてごらん。」と言われながらも、そろそろ飽きてきたころです。 突然、Aくんが「できた〜!」と叫びました。さっきから、プリントを手で隠しながら黙って取り組んでいたので、わたしも気になってはいたのです。Aくんは、どちらかというと数学は苦手というタイプの子です。もしかしたら、イタズラ書きでもしていたのかな、と思いながらのぞき込んでみると、答えは立派に合っています。でも、方程式らしいものはどこにもなく、余白に書いてあるのは、細かい表でした。彼は、一回ごとの水の移動をすべて表に書き込んで、ちょうど合うときの値を見つけたのです。 問題文から式を導くことばかりを考えていたわたしにとっては、彼が作った表の見事さも手伝ってカルチャーショックにも似た驚きでした。本人はといえば、「式を立てるなんてカッタルくて」というのです。あんな細かい表を作るほうがよほどカッタルいんじゃない?と思ったものです。 このエピソードはほんの一例で、図形の証明は苦手だけれど、実にきれいな図が描ける子や、「areって複数のときに使うんでしょ。どうしてyouが一人のときでもareを使うの?」と、学校勉強としての英語には邪魔な疑問にこだわって、わたしから中世英語の説明を引き出す子もいます。 この子は理系なのか、文系なのかという分類の仕方があります。上であげたようなことを何度も経験すると、長年慣らされてきたこの分類は、大げさに言えば、日本の教育、さらに言えば、日本社会の知的財産を損なってきたのではないかと感じている、というのが今回のテーマの本論です。 みなさんのなかには、数学が得意だから理系、英語が好きだから文系、という進路選択をしてしまったために、ちょっぴり後悔をしている方はいませんか? 今回のタイトル「所作と抽象」という分類は、わたしなりの思いがあるのですが、一般的には、実業・虚業という表現に近いかもしれません。つまり、どちらかと言えば、具体的・実際的なことに力を発揮する人を“所作の人”、また、抽象的・非実用的なことに強い関心と能力を示す傾向の人を“抽象の人”と便宜的に呼んでみました。たとえば、理系でも理論物理・基礎医学・数学などは抽象ですが、工学や臨床医学は所作、文系でも文学・歴史・哲学・教育学などは抽象で、会計学・考古学などは所作的な感じがします。さらに、作家や芸術家は抽象の人だけれど、翻訳家・職人・事務職は所作の人、というちょっと乱暴な分け方のほうがわかりやすいかもしれません。哲学者や数学者で芸術家としても一流の人がいたり、器用にDIYをこなす臨床医の話を聞いたことがあります。多分、理系・文系という分類よりも、この「所作・抽象」のほうが傾向の違いがはっきりしているような気がしています。 聞くところによると、ドイツの教育制度がこれに近い考え方に基づいているようです。ドイツでは10歳前後から基幹学校・実技学校と高等学校に行く人に分かれ、それが将来の親方(マイスター)と大学修了者(アカデミカー)につながっていくと聞きます。ドイツ職人の誇りとドイツアカデミズムの栄光を支えてきたこの制度も、外国人の流入と都市化が進むにつれ、基幹学校などが荒れてきた結果、かなり崩れてきているということですが、根本に流れる教育思想は、人間の幸福と誇りと夢であるように思えます。 日本の教育制度が、どちらかといえば“抽象”に軸足を置いたものであったので、自分の特性を無視した不本意な進路選択をしやすかったのではないでしょうか。冒頭で述べたように、未消化のテーマながら、折に触れて掘り下げていきたいと考えますので、みなさんからのご批判、ご意見をお聞かせください。 **9月30日(火)掲載**
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第68回 ネガティヴ キャンペーン ―ハゲッ!― | ||||||||||
このところ“硬い”話が続いたので、「おもしろくな〜い」という声が聞こえてきました。そこで、今回は、ちょっとばかり目先を変えてみました。
わたしの髪はかなりウスいので、子どもたちにとっては、わたしへの悪態やらちょっかいの格好のネタになります。 以前、“塾内禁止用語!”として、「ひかる、うすい、つるっ、ぴかっ・・・」などと列挙して教室に掲示しておいたのですが、子どもたちは、「ハゲッ」が書いてないことに目ざとく気がついて、大喜びで連発したものです。 わたし「毛がウスいっていうのはだな、文化的に進化しているってことだぞ。サルの中でもオランウータンは頭うすい(オデコ広い)だろ。頭洗っても5分で乾くし、便利なもんだよ」 子どもたち「えーっ、いつごろからはげてたの?」 わたし「17歳まで坊主頭で、27歳からうすくなってきたから、髪の毛がまともにあったのは10年かなあ」 子どもたち「アデランス買えばいいのに〜」 わたし「心配してくれてありがと。でも、そんなお金があったら、おいしいものたくさん食べるよ」 子どもたち「おばさ〜ん、結婚したとき、おじさんの髪の毛あったあ〜?」 ツレアイ「今とあまり変わらなかったよ」 子どもたち「えっ、よく結婚する気になったねえ」 と、こんなやりとりが続きます。 そこで、わたしからの逆襲です。男の子たちに「きみたちの両方のおじいちゃんたちは、髪の毛どうなってる?」と聞くと、さっきまで喜んではしゃいでいた子が「お母さんのほうのおじいちゃんはフッサフサだけど・・・・お父さんのほうのおじいちゃんがね・・・・」と口ごもります。「それじゃ、きみも確実におじさんの仲間になれそうだ。握手しよう」と言ったとたん,真顔になって「どうしよう、オレ、そんなことになったら生きていけないよ〜」と頭を抱えます。ほかの子たちも真剣な顔で、自分のおじいちゃんたちを思い浮かべている様子が、かわいいやらおかしいやらで思わず噴き出してしまいます。 髪型を気にする子どもたちはだいぶまえからいましたが、最近の“ハゲ”に対する関心はすごいものです。気がついてみると、むかしはごく普通にいた中年のハゲおやじを見かけることも少なくなりました。そして、将来“ハゲ”になることを恐れる男の子や、「ハゲだけは絶対イヤッ」と言う女の子が増えています。まさに、男性カツラのCMの効果絶大、といったところでしょうか。ごく最近は、むしろ深刻すぎる話題として、子どもたちのほうから避けるようになったり、悪意とフザケの区別がつかなくなってイジメ気分ではやし立てる子がいたり、「そんなこと言われて、どうして笑っていられるの?」と、不快な顔をする女の子がいたりして、上で書いたような能天気なやり取りが成り立ちにくくなっているほどです。 ところで、人々にとってそれほど必要のないものを売りつけるためのテクニックのひとつは、<持ってないのはあんただけ・やってないのはあんただけ>を強調し、<あんたはフツーじゃない>と、新しいコンプレックスを作り出したあとで、人々の中流・普通意識を刺激して、<ランク・レベル・ステップ・ステージ>のアップを売り込むことだそうです。 CMばかりではありません。人間の心の内側に潜んでいるほんのわずかな不安・不満・コンプレックス・欲望などを、必要以上にメいっぱい煽り立てて成り立つ宗教・商売・出版物・メディアなどが少なくありません。「だいじょうぶだよ。あなたのままでいいんだよ。」というメッセージよりも、「いまのままだと、大変なことになるよ」と言われるほうが、はるかに耳に残りやすいものです。立ち話、うわさ話が、どんどん悪いほうにシフトしていくのはそういうわけなのかもしれません。塾という仕事も、ともすれば、そういうネガティヴ・キャンペーンに乗って成り立つこともあるので、いつも自戒しているのですが・・・。 こういう時代の中で、自分自身を見失わずに生きていくことはとても大変なことですが、こういうときだからこそ、わざわざみんなと同じになることも、わざわざ個性的になることもなく、<そのままの自分>を大切にしていく観点が、教育にも求められているのではないかと考えています。 **9月24日(水)掲載**
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第67回 受験の現在と勉強の意味 | ||||||||||
大手の予備校では、一部の超人気講師は別として,時給が高くなりすぎたベテラン講師からどんどんクビになっているといいいます。少子化時代の過当競争は大学だけでなく、予備校にも及んで、徹底したコスト削減に追い込まれているようです。若くてカッコいい講師は、コストが安い上に学生たちからの受けもいいので、引き抜き競争も激しいそうです。そして、なによりも特徴的なことは、それぞれの教科の内容の本質的なところを押さえながら、わかりやすく興味深く、と考えている講師ほど敬遠される傾向にある、と聞きます。そんなことより、いかに手っ取り早く問題を解けるか、のノウハウを知りたい、というのが学生たちの要望です。
このことは予備校の授業に限りません。 かつて、吉岡力の「世界史の研究」、山崎貞の「新々英文解釈研究」、小西甚一の「古文研究法」など、長い間受験生のバイブルとされてきた受験参考書がありました。研文書院の「大学への数学シリーズ」も、大学の教養課程レベルの内容まで踏み込んだ意欲的な解説で、根強い支持がありました。これらの参考書は、いま読み返してみても味のある記述にあふれていて,興味深いものがあります。これらの参考書は、当時それぞれの分野の第一線で活躍していた研究者によって書かれたものだからでしょう. しかし、現在、これらの参考書を本屋さんの棚で見つけることはできないのではないかと思います。現在では内容も古くなっているから、ということではなく、この種の重厚な参考書はどんどん売れなくなっているといいます。「例の方法」とか「画期的なメソッド」といったキャッチフレーズの参考書が増えています。 受験ということに限って言えば、多くの出題パターンをひたすら覚えていくことがかなり有効です。リズミカルに唱えて覚えたり、問題文に出てくるキーワードをチェックして解答を導いたり、というテクニックが通用してしまうのも確かです。そして、それで一定の成果を挙げていくのも事実です。典型的な受験問題は、いわば明確な結論を持つ知恵の輪のようなものだからです。だから、それをわずかでも補うために、小論文や記述問題が取り入れられてきたのですが、これも、公平の建前から採点の基準を明確にしなければなりません。そこに、「だれでも書ける小論文テクニック」などというマニュアルが入り込むことになります。 しかし、このようにして進学していった学生たちは、よほど明確な目的を持っていない限り、大学では、単位をそろえるためにノートの売り買いをしたり、カンニングの技術をみがくことなどにうつつを抜かしたりします。しかも、そういうテクニックについていったり、それだけのパターンを覚えきってしまう学生は、本来かなりの程度の処理能力を持っている学生です。そういう彼らが、大人になったときに、「勉強とは、つらくていやなことを我慢してやることだ。」と高言して、自分の子どもたちにもそれを強要していくのではないかと思うのです。実際、いわゆる共通1次世代以降の若い親たちには、その傾向がはっきりとみてとれます。 これまで5回にわたって学校の教科について書いてきました。この中でわたしが考えてきたのは、各教科の本質はなんだろうか、そして、それぞれの教科を通して子どもたちに伝えることはなんだろうか、ということでした。いずれも、わたしの力を超えるテーマであるにもかかわらず、取り組んできたのは、上に挙げたような現実に直面しているからです。 少し大げさかもしれませんが、せっかく「人類の遺産と知恵」に触れる機会を得ながら、「つらくてもがんばってやらなければならない勉強」であったり、「勉強なんて、大っ嫌い」という子どもたちばかりが増えていったのでは、本人たちだけではなく、社会的にも大きな損失ではないかと思います。 こういう状況を変えようとして出てきたのが<新しい学力観>であったり、<ゆとり教育>なのでしょうが、現実は、ますます冒頭で述べたような方向が強くなっているようです。具体性に欠けるからだと思います。それに対して、予備校の授業や売れている参考書は、あくまでも具体的です。公立高校に予備校の講師を招いて、ノウハウを学ぶという試みがあるようですが、むしろ次代の子どもたちに具体的に伝えていくことを、われわれ大人が真剣に考えるときが来ているのでは、と思えてならないのです。 **9月16日(火)掲載**
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第66回 芸術科目と実技科目 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
このコラムを読んでいるわたしの知人たちから「教科の話ばかり続いて、ちょっと食傷気味だね」とか、「いったい何を言おうとしてるの?」という声が聞こえてきています。学校の教科を、英・数・国・理・社と進んできたところで、タイトルに挙げた2つの分野のことも取り上げたくなりました。次回から、少しずつ、元の調子に戻っていきたいと考えています。
塾の日常では、音楽や美術などが登場することはほとんどありませんが、期末テストの前の準備勉強日などには「音符の長さがわからない」とか「リタルダンドってなあに?」「レンブラントって何派?」などの質問が出ることがあります。そんなとき、子どものころから音楽好きだったわたしと、大昔、大学の合唱団でメゾソプラノパートだったツレアイがすぐに答えると「えっ、何でそんなことまで知っているの?」とびっくりする子もいます。その上、二人とも大の美術好きなので、中学で習うくらいの美術作品の写真はたいてい持っています。こんなことを言うと、いかにも何かをひけらかしているように受け取られることもありますが、以前は、多少なりとも知的なことに関心のある若者が、音楽や文学や美術にハマるのは、ごく当たり前のことでした。“余分なこと”に興味を示さない優等生たちが目立つようになってきたのは、いつごろからだったでしょうか。 中学の音楽の時間はつまらない、授業が成り立たない、という声をよく聞きます。いっぽうで、期末テストでは校歌の歌詞が書ければ点をもらえる、などという話も耳に入ってきます。写生会では、野外に出た開放感からか、与えられた時間のほとんどを遊んでしまって提出できない生徒もいるようです。こういう話を聞くにつけても、中学での芸術科目の存在意義を考えてしまいます。中には、人柄のよさや生徒たちとの卓越したコミュニケーションで人望の厚い先生もいるようですが、授業そのものでは、相当に苦労されていることがうかがわれます。 町の中に、さまざまなタイプの音楽教室や絵画教室がある現代、学校には芸術科目は必要ないのではないか、という意見があります。わたしもそのように考えるひとりです。ただ、そうなると、経済的負担の違いから次世代に大きな文化的偏りができてくるとすれば、遠い将来にその影響はじわじわと現れるのではないかと心配です。かといって、現状のままでは、もっとひどいことになるかもしれません。 そこで、中学以降の芸術科目は、選択教科と部活動の中間的なものにして、生徒の自由選択に任せるほうがよいのではないかと考えています。そして、その分、小学校の芸術科目の時間を大幅に増やしていくというのはどうでしょうか。現在は、生徒たちが歌う、描く、という時間が圧倒的に多いと思います。しかし、むしろ、音楽にしても美術にしても、伝統芸能から古典音楽、世界の名画・彫刻から日本画・陶芸、ジャズ、ミュージカルからポップアートまで、古今東西できるだけ広いジャンルの、上質の作品や感性に触れる機会を増やしてみるのはどうでしょう。これは、小学生だからできることかもしれません。そして、ここに、保護者(特に祖父母)を中心とした一芸を持つ市民たちに、特別講師として参加してもらうのです。一部ではこういう試みがあるのは知っていますが、イベントとしてではなく定例の授業として実現できれば、大きく言うと、日本の文化状況も変わってくるのではないかとさえ思います。 人類の資産ともいえる芸術科目に対して、技術科や家庭科などの実技科目は、本来は各家庭の日常的な文化が色濃く反映されるはずの分野だと思います。その意味で、自我が育ち始める中学からのほうが、具体的に“日常生活で役に立つ技”として、受け入れられやすいのではないかと思います。わたしも、中学の技術(当時は職業科といった)の時間に教わったことが、今だに役に立つことがあります。コンビニ食、個食が普通になってきた危機的状況の食生活に、かろうじて歯止めをかけることができるのは、「中3の親」さんがおっしゃっていた学校給食と家庭科かもしれません。 **9月9日(火)掲載**
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