す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第45回 志望校合格! | ||||||||||
今年の高校入試も、それぞれの思いを抱えながら終わりました。進学塾のチラシには“難関”といわれる高校の名がハデに踊り、生徒たちの名がびっしりと並んでいます。
「○○先輩A高校だって、すごいなあ。ひとりで高校をいくつも受けさせられたらしいよ。塾の実績を上げるためだって・・」子どもたち同士のそんなうわさ話を聞き流しながら、いつもの通り「さあ、この前の続きから始めようか、自分のファイルを開いてみてね」と呼びかけると、すかさず「ここの塾ではどういう高校に入ったのかは発表しないの?」という声が飛びます。「うん、全員それぞれの志望校に合格したよ」と答えます。 じつは一人だけ最後まで不安だったAくんが、公立高校不合格になってしまったのです。いっしょに受けたBくんは合格したのですが、彼はAくんとは中学もちがうので様子がわからず、自分のことそっちのけでAくんのことを心配していました。発表後の塾の日は、彼にしてはめずらしく連絡もナシで欠席でした。「あいつオレよりアタマいいくせに、なんで落ちちゃったんだよ。納得できないよ。だいじょうぶかなあ。立ち直れるかなあ。オレからはメールも電話もできないからなあ」というのです。こちらのほうが泣きたくなるほどやさしいBくんです。 そこで、わたしがAくんに電話をしてゆっくりと話を聞くことになりました。Aくんはとっても落ち込んでいましたが、いろいろ聞いてみると、不合格だったこともそうだけれど、いちばん気になっているのは「自分が私立に入ったら、親が経済的に大変だろう」ということなのでした。お母さんに聞いてみると「そんなことを考えていたの」とびっくりして、「そういうお金はちゃんと確保しているからだいじょうぶ」と言ってくれたのです。親が励ましのつもりで「うちは苦しいのだから、絶対に公立じゃなければダメだよ」と言っていたことを、正直に受け止めて、だれにも言えないまま大きなプレッシャーにしていたAくんも、ほんとうにやさしい子なのです。そして、確保してある私立高校で思いっきり自分の力を試してみる、という気持ちになってくれたのです。土曜日には塾に現れて、心配していたBくんをびっくりさせました。 公立推薦入試での不合格はめずらしくはないものの、何年かぶりの一般入試の不合格者です。それにもかかわらず、冒頭のように「全員志望校に決まったよ」と言ったのは決してウソではなく、こういう経過があるからです。それに、本人にとっては、結果として進学することになった学校こそが、自分にとっていちばんいい学校であってほしいのです。わたしのところには、いわゆる難関校に入った生徒も何人もいるし、そうでないところの生徒もいます。でも、悔いが残る生徒にしても、こつこつと積み上げてきた子、どの子にとっても自分なりに頑張った結果として進学します。 以前のレスにも書いたように、学校は一時的な入れ物に過ぎません。そして、入試での難易度と、それぞれの生徒にとっての学校の適合度はちがいます。それを、ランク付けされたりすれば、たとえ自分が“難関校”に合格したとしても、プライドが高い生徒ほどいい気持ちはしないはずです。AくんやBくんのやさしさこそが、合否の違いを乗り越えて、彼らの将来にとって大きな希望になるような気がするのです。 **3月18日(火)掲載**
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第44回 山登りと勉強 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山に登ることを、広い意味の「勉強」と置き換えてみます。
すこしでも早く、すこしでも高い山に登ることこそが「登山」である、と考えている人がいるとします。ところが、あえぎながら頑張っている彼のそばを、重そうな荷物を背負っているのに、いとも軽々と追い越していく人がいたとき、たぶん3通りの反応が考えられます。 1つは、アセってしまって、自分の体力を考えずにムキになってスピードを上げてオーバーぺースになってしまい、早々とダウンしてしまう人。2つめは、頂上直下の絶壁に取り付いて最短コースをめざす人。何回もふもとまで滑り落ちることを繰り返すうちに大けがをすることもあるし、なによりも無力感におそわれて、山登りそのものがすっかりイヤになってしまうかもしれません。そして、3つめは、自分の体力を知り尽くして、ペースを崩さずに一歩一歩着実に登っていく人。もちろん3番目の人だけが、早さについても高度についても、その人なりの最高の記録を出すことができるでしょう。 一流の登山家といわれる人たちの多くは、3番目の登り方を考えるようです。中にはロッククライミングを楽しむ人もいますが、これは、<早く高く>をめざすというより、トレーニングを含めて準備を万全に整え、岩登りの技術そのものを楽しんでいるようです。勉強に例えれば、ひとつの難問にこだわって楽しんでいることと似ています。いずれにしても、彼らは自分の体力と技術を知り尽くしていて、<自分なりのペース>というのは、一人ひとりまったくちがうのだ、ということもまたよく知っているはずです。だから、パーティーを組むときには、とくにメンバーの体力と技術を客観的に見ようとします。 こう考えてみると、頑張りさえすれば、だれでもエベレスト(チョモランマ)に登れるはずだ、という考え方は、自分なりの努力をしている人にとっては「まだまだ自分の努力が足りないのではないか」と苦しんだ末に、やはり山登りから遠ざかっていくことになるのではないかと思うのです。 しかし、ここにまったく別の山登りの楽しさがあります。それは、足元のかれんな花、谷川のせせらぎ、おいしい空気、さわやかな木々の緑、そういうもののひとつひとつに目を留め、耳を澄ませ、体で感じることです。ここには、競争もありません。ミエもありません。こころから山を愛し、自然の中に溶け込んでいくことができる<山の達人>は、こういう人の中にいるのかもしれません。 きょうも、子どもたちがいい表情で勉強に向かえるように、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、準備を始めます。いい表情で取り組んだことは、その子なりに最高の理解をしていくし頭も活性化していく、ということを、30年以上も子どもたちに教わってきているからです。 **3月11日(火)掲載**
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第43回 青は藍より出でて・・・ | ||||||||||||||||||
もうだいぶ以前、将棋にハマってしまった子がいました。わたしが駒を八枚落として、歩9枚と王様と金2枚だけから始めました。彼が連勝するとハンディが1ステップ減り、わたしが3連勝するとハンディが重くなる、といういわゆる指し込み勝負でした。負けず嫌いの彼は、負けても負けても挑戦し続け、休みの日にまでやってきて、わたしと指しているうちにどんどん強くなっていきました。そして、高校生になって将棋部に入った彼は、なんと高校将棋選手権にまで出て、アマチュア三段の腕前になってしまいました。
ところが、その彼がひさしぶりに訪ねてきて、さて一局、と指し始めてみると、せいぜいアマ初段程度の棋力であるはずのわたしにコロコロ負けるのです。わたしが何の気ナシに指した手がとてもすばらしい妙手に見えるらしく、彼は信じられないような悪手を連発してしまうのです。弱かったときに刷り込まれたものはなかなか拭いきれないようでした。しかし、一度彼が圧勝して、はっきりと彼我の差が分かってからというものは、わたしはもう彼の敵ではなく、それこそ一勝もできなくなってしまいました。 小学生の男の子たちは、取っ組み合いが好きです。ところが、最近では学校でも「危ないから」といって禁止されるし、家では兄弟が少なくて、子どもたちは取っ組み合う機会がほとんどありません。だから、スキンシップも手加減もいつまでも身に付かなくて、かえって大けがをするのだ、というのがわたしの持論です。 それはさておき、小学生の男の子が何人もいたころは、塾が終わったあとのホンの10分ほど、つくえを隅に寄せ、危ないものをどかし、角張ったものには座布団を巻き、わたしが見ているところで取っ組み合いをさせました。当然、何人かはわたしにも挑戦してきます。中学・高校のときに少しばかりかじっただけのわたしの柔道の技(?)で小学生たちはコロコロところがされます。こういう中で危険な動き方や自分の体の守り方も教えます。こうした彼らが中学生になり、もうわたしなどよりもぐっと背が高く、腕力もついておとなびてきたのに、ときどき思い出したようにじゃれかかってくる彼らは、わたしには到底かなわない、と思っているようなのです。そして、高校生ともなると、今度は、わたしの方からじゃれかかっていって「わっ、じじい、まだ強え! 負けた負けた」などと、軽くあしらわれるようになります。 将棋や取っ組み合いのように表に現れるものだと、子どもたちも比較的早く自分の成長を確かめられるのですが、学力ともなるとなかなかそうはいきません。わたしは、ひとりひとりの子どもと1対1の交換ノート(このことについては、いずれ稿をあらためて書くつもりでいます)を続けています。このノートを毎回英文で書いていたT子がいました。わたしもその英文を一切添削せずに、やはり英文で返事を書いていました。こうして、その英文交換ノートは、彼女が中2のときから高校を卒業するときまで続きました。初めは文法もスペルもメチャクチャだったのが、わたしに伝えたいことを手持ちの英語の知識を総動員して必死に書いているうちに、目を瞠るほどのりっぱな英文エッセイになり、わたしの英語スキルも彼女のおかげでずいぶん上達しました。そして、T子は、高2のときには英語一本でヨーロッパを1人旅をし、多くの国の人たちと交流してきました。現役で国立大学に入った後は、休学して半年もマニラのスラムに住み込むなど強烈な体験を重ね、数多くの民族の友達を作りました。その結果、彼女は、訛りの強い留学生たちと大学の先生たちとのあいだの通訳を引き受けるほどに、練達の英語使いになっていました。 その彼女が、ときどきふらっと立ち寄っては「こんな表現を見つけたのだけれど、どう思う?」などと言います。「そんなの分かるわけないよ。」と言うと、「ここに来れば分かると思った」などとけげんな顔をします。彼女に言わせると、わたしのところに来るのは、自分の成長を測るためなのだそうです。T子はもう、わたしなどが逆立ちしても届かないほどの語学力と国際性を身につけてしまいました。 「青は藍より出でて藍よりも青し」(荀子)の例にはまだまだ事欠きません。あるいは、すべての子どもたちが何らかの形やさまざまな分野で、とっくにわたしを乗り越えていっているのだなあ、と感じることが多いこのごろです。 **3月3日(月)掲載**
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第42回 修学旅行 | ||||||||||
「は〜い、おみやげ」「つかれたよ〜。帰ってきたばかりなのに、もうすぐ学年末テストだよ。ひどいよ〜」とT中の2年生何人かが教室に入ってきました。彼らはおとといの土曜日に修学旅行から帰ってきて、日曜日の昨日は学年末テストの準備のためにわたしのところにやってきたのです。
その勉強の合間のお茶の時間には、他校の友だちも混じって修学旅行の話で盛り上がります。現地では班別の行動になるので、集合時間に遅れそうになってあわてたり、とんでもないところに行ってしまって迷子になったり、言うことを聞かない仲間たちに班長がふててしまったりと、いろいろあったようです。それにしても古都の風情を味わったなんて話がまったく聞こえてこないのは、昔から変わらぬ修学旅行のみやげ話です。 中2の2月に修学旅行!なんていつごろから始まったのか、記憶をたどってもはっきりしません。費用と交通手段、それに受け入れ先の旅館の手配、他の中学とのトラブルを避けるなど、さまざまな理由で観光の閑散期をねらったとはいえ、底冷えのする京都盆地を散策するのはチトきつかったようです。でも、子どもたちはこの一年ですっかり親しくなった級友たちとの3日間を、思う存分楽しんだようです。わたしの塾でみる限り、M中も2月の初めでしたが、他の中学は3年生になってからというところが多いようです。 聞くところによると、市内のK中学は、ここ何年か、まだクラスメイトの顔もおぼつかない中3の新学期早々に修学旅行を実施しているようです。これから受験期を共に乗り切っていくクラスを、修学旅行を通して早いうちにまとめてしまおう、という学校としてのねらいが見えます。ちょっとうがった見方をすれば、生徒同士がまだなじんでいないうちの方がトラブルが少ない、ということがあるのかもしれません。いずれにしても、受験に向けての動きが過密になる秋を避けよう、というのは、どの中学でも共通した気持ちなのでしょう。 わたしが中学生だった昭和30年代半ばのころは、1学年600人の大所帯が移動すること自体が大変で、しかも京都まで片道約9時間という長旅では、関西なんて夢のまた夢でした。だから、修学旅行は、たしか箱根芦ノ湖の一泊だけだったように記憶しています。それでも、級友たちとの楽しい語らいや湖畔の夕暮れの景色などなつかしく思い出されます。いまでは、海外旅行に行く私立の中学もあると聞いています。 もう10数年前、市内某中学の先生たちが、東北地方のある村でそれぞれ農家に分宿し農作業を手伝う、という修学旅行を企画したことがあります。この企画が発表されたときには、親からだけではなく生徒たちからもかなりの抵抗があったと聞いていますが、いざ行ってみると、現地の人たちの温かい歓迎を受け、なにもかも初めての経験をしたようです。帰ってからの生徒たちの感想文を読ませてもらいましたが、ほとんどの生徒にとって、新鮮で充実した修学旅行だったようすがうかがえました。 その後、どのような経過をたどってか、このユニークな修学旅行はなくなったようです。広辞苑によれば、修学旅行とは「児童・生徒たちに日常経験しない土地の自然・文化などを見聞学習させるために、教職員が引率して行う旅行」であるのだそうで、まさに<総合学習>を先取りしたようなこの修学旅行が復活する余地はないものでしょうか。 今、3年生は、公立の一般入試が終わる2月末から合格発表までのおちつかない約1週間のあいだ、東京ディズニーランドなどのテーマパークや球技大会など、各学校さまざまに工夫を凝らしています。だとしたら、この期間こそ修学旅行にふさわしい期間であると思うのですが、なぜか、そうしている学校の話を聞いたことがありません。もしかしたら、先生たちも親たちも<修学旅行>どころではない、という気持ちなのでしょうね。 **2月24日(月)掲載**
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第41回 高校入試 | ||||||||||||||||||
「15の春を泣かせるな!」ということばを聞いたことがあるでしょうか? 昭和30年代から40年代のはじめ、進学希望の中学生は全員高校へ、という高校全入運動の関係者たちからよく聞かれたフレーズです。昭和50年頃、高校進学率が90%を超えるとともに高校も“準義務教育”と言われるようになりました。また、その後少子化が進むにつれて、数字の上では高校進学率はほぼ100%に近くなっています。そして、さらに絶対評価導入、公立中高一貫教育・・と全入運動はその目的を完全に達成したように見えます。しかし、たぶん、だれもこの現状に満足している人はいないはずです。どのように制度を変えたところで必ず不満が出てくるのが、この「受験」という仕組みの宿命だからです。
このコラムを書いている2月16日現在、中学3年生たちは県内都内の私立高校の推薦入試・一般入試と公立高校の推薦入試の結果が出そろったところです。そして、2月26・27日の公立高校一般入試に向かう受験生たちにとっては、今がまさに正念場、といったところです。 今さら<正念場>なんて遅い、と思われる向きもあると思いますが、これがそうでもないのです。たしかに学力面ではとっくに<仕上げ>は終わっているのですが、大学受験とちがって、さすがにまだ中学生、これからの健康管理や精神面でのケアがとても大切なのです。 かつて、というよりわたしが高校受験をした昭和34年当時(ホントにはるか昔ですネ)埼玉県は、寄留が認められていたために実質的にほぼ全県1学区で、国・社・数・理が各50点満点、英語・職業・図工・音楽・体育が各30点満点の計350点という入試で、出題範囲もやたらと広く、勉強量よりも雑学の量で勝負したような記憶があります。そのうえ、経済状態もまだ良好とはいえなかった時代だったので、県内トップ高を受験した生徒でも、失敗すれば定時制に通いながら就職、などという話もあちこちで聞きました。 前回のレスに、「もうこれで受験しなくてもいい!」という、推薦合格の生徒の感想を書きました。まして、周囲のかなり多くの級友が私立のA推薦や公立の推薦で決まってきているなか、公立高一般入試に臨む生徒のほとんどが私立高校を確保しているにもかかわらず、彼らがかかえているプレッシャーは相当のものです。冒頭に述べた時代やわたしの時代の生徒たちよりも、そのプレッシャーははるかに大きいように感じます。受験で決定的に失敗することが充分あり得た時代より、失敗者があまりいない現代の方が<失敗>への恐怖が強い、という皮肉な現象でもあります。 わたしは子どもたちには「風邪ひくな。テストは昼間だから、夜はしっかり寝て、朝はすっきりと起きられるように」「わからない問題はできる必要はない。自分の力を出し切ることだけ考えてね。それだけがきみの責任だ」と、呪文のように唱えています。ほんとうに透明人間になって、そばに立っていてやりたい思いです。わたしがだまって指をさすだけで正解を得られることが多いのが、この時期の子どもたちなのです。 **2月17日(月)掲載**
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第40回 インフルエンザ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
「寒気がするのでお医者さんに行ったら、インフルエンザだって。だから休みま〜す」「学級閉鎖になっちゃった〜、きょうの塾休むね」この1,2週間、こんな電話がかかってきて、ポツポツと空席ができます。1人復帰したと思ったら、べつの子が休むこともあります。8人しかいないクラスで2人も休むと、なんだかとても寒々とした感じになります。
「○○が休みだと、勉強に集中できるよ」なんて、さわがしさのサンプルのような子が憎まれ口を叩きます。「よし、その言葉たしかに聞いたぞ」とわたし。「うちのクラスもあと2人休むと学級閉鎖なんだけれどな。だれか休まないかな〜」という声があがれば、すかさず「おまえが休めよ」と別のほうから声が飛びます。 学校ではこの時期、欠席する子が多いために授業を先に進めにくいということもあってか、学校によっても先生によっても授業進度が大幅にちがってくることもあります。中2などは、これにスキー学校やら修学旅行などが重なるので、調整に四苦八苦しているのではないかと思います。なかには、「ひさしぶりに授業に出たけど、先に進んでいて、わかんなくなっちゃったよ〜」と言って、日曜日のきょう、勉強をしに塾に来た子もいました。 今年のインフルエンザによる児童・生徒の欠席者数は、県内で2万人を超え、昨年の5倍近くになり、学級閉鎖は昨年の約7倍の約2200学級だそうです。A香港型ウィルスが多いそうで、わたしのところでも、「39度も出て救急車で運ばれた」とか「頭がガンガン痛い」という話を聞きます。2週間も休んだ高校生がいて、ずいぶん心配しました。例年2月上旬が流行のピークだそうで、まだまだ油断はできないものの、きのうのニュースでは流行のスピードが鈍りはじめたということで、ホッとしているところです。 予防接種が有効かどうかは諸説あるようですが、全員が予防接種を済ませている中3生が1人もインフルエンザにかかっていないところをみると、流行型にジャストミートしたことに加えて、受験直前の緊張感がインフルエンザをはねつけているのかもしれません。 もちろん、少しぐらい風邪気味でもインフルエンザの兆候があっても、症状が軽ければ子どもたちは塾に来ます。あっちで鼻をグシュグシュ、こっちでゴホンゴホンと、あちこちの学校から持ち込まれるウィルスがいっぱいです。ひょっとして塾なんかがインフルエンザ拡大の元凶になっている、なんて報道が出てきてしまうかなあ、などと、つまらない心配をします。 ところで、このウィルスいっぱいの教室で、わたしとツレアイのふたりは、予防接種もしていないのに、ほとんど症状が出ません。少しアブナイかな、と思っても翌朝にはまったく正常です。 子どもたちにも勧めているわたしたちのウィルス撃退法は、紅茶の出がらしをボトルに入れて洗面所に常備しておき、塾の授業の合間でも、終わったあとでも、できるだけ頻繁にのどの奥までうがいをすることです。紅茶は粘性が高く、粘膜についたウィルスを包んで出してしまうそうで、これはよく効きます。また、鼻がグスグスいいはじめたら、<鼻うがい>をします。<鼻うがい>は、その紅茶を鼻孔のとちゅうまで吸い込んで、片方ずつ鼻を押さえながら出します。あとは、徹底した<手洗い>を心がけ、睡眠をとり食事に気をつけていれば、わたしたちのようにウィルスにさらされている<高齢者?>でも、まず完璧な予防ができます。 今回は、<教育>というテーマからちょっと離れてしまいましたが、このところの塾の教室で、もっとも気になる日常のひとつなのでとりあげてみました。みなさんもどうぞお気をつけください。 **2月10日(月)掲載**
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第39回 耳に心地よいことば | ||||||||||||||||||
親しくしている八百屋さんがこんなことを言っていました。「突然、マイタケを買いに来るお客さんが増えたり、納豆が早々と売り切れてしまったり、ということが何度もあるの。不思議だなあ、と思っていたら、テレビの健康番組でとりあげられたらしいんですよ。」産地直接買い入れの有機野菜や、無添加食品を扱っている彼女は、憤懣やるかたないといった表情です。
うわさには聞いていたものの、テレビというものをほとんど見ないわたしも少々興味を持って、昼過ぎにやっているその番組を見て驚きました。まるで薬の宣伝ででもあるかのように食品の効能を並べ立てています。これでは、わたしだって食べてみようかな、という気持ちになります。 でも、どんなによい食品でも必要以上に食べ過ぎた分は排泄されてしまうし、さらにこわいことには、単品を多く摂取すると、さまざまなバランスが崩れて取り返しのつかないことになる、というのは医者から得た知識です。 そして、こういう番組がなぜ人気があるかというと「・・・を食べると効果がある」「○○はからだにいい」というように、耳に心地よい肯定語が多いことです。健康に不安がある人たちにとっては、飛びつきたくなるような<情報>がいっぱいです。 いったいこういう話が<教育>となんの関係があるの? という疑問が出てきそうです。 今は塾の折り込みが多い時期です。いわく「成績向上保証」「確実に成績が上がる」「一流高校合格者多数」「群を抜く○○メソッドの効果」・・etc.35年も塾をやっているわたしでさえ、「なるほど、もしかしたら・・」と思ってしまうことがあるほどに、期待が膨らむようなメッセージが並びます。 前々回のコラムで書いたように、こういうキャッチフレーズにとても弱いのが親というものです。もっとうまい勉強法があれば、もっと上手に教えてもらえれば、ウチの子はこんなものではないはずだ、と思っています。そういう親心に、こういうメッセージは実に心地よく響いてくるはずです。 自分の塾を知ってもらうということはとても大切なことで、わたしもなにがしかの広報活動をしなければと思う時期でもあります。ところが、上に挙げたようなきらびやかなチラシを見ると、とたんにユーウツになってしまいます。 長く塾をやってきて、子どもがどこにつまずいているかを見つけ、それをその子のわかり方の都合に合わせて理解できるようにすることには、いささかの自負があります。そして、その結果、すくなくともほとんどの子どもたちの<理解の度合い>は確実に進んでいるはずです。これは子どもたち自身がいちばん知っているはずなのです。 しかし、<成績>ともなると、子ども一人ひとりのそのときどきの体調、気持ちの状態、テストの出題状況、などによって、大幅に上がる子、それほどでもない子、下がってしまう子、それこそ千差万別の結果が出てきます。そうなってくると、「わたしの塾に来れば、成績は上がります」とはどうしても書けないのです。ある塾OBからは「どの親だって心の底ではそんなことはわかっているんだ。でも、『成績が上がる』って言ってほしいんだと思う。」と、半ば叱るように指摘されます。 わたしにできることは「子どもたちが勉強を通してその子なりに活性化すること、をお手伝いすること、そして、つきあっている子どもたちを心から大切に思うこと」だけです。こういう<ことば>は、必ずしも<耳に心地よいことば>とは言えません。もっとはっきりと、<効果>を示す必要があるのかもしれません。でも、わたしには、こういうメッセージだけでも精一杯の表現です。それでも、ありがたいことに、そんなわたしの塾でも信頼してくださる方がおおぜいいたおかげで、これだけ長くつづけて来られたのだなあ、とふりかえってみると、わたしの塾では<耳に心地よいことば>は必要ないかな、などと虫のいいことを考えてしまいます。 「マイタウン浦和」に深くかかわっていながら、いまだに自分の塾を登録できないわたしの、<耳に心地よくない>いいわけでした。 **2月3日(月)掲載**
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第38回 テストがないと勉強しない? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨年の5月、近づいてきた学年最初の中間テストに、のんきな子どもたちもさすがに少々アセリはじめていたころ、塾の教室で「ええっ、おまえのとこ、中間テストないの? いいな〜」という声があがりました。うらやましがられた当のD君は「でも、期末テストの範囲が広くなるからなあ」と、なかなか冷静です。それに、その後も学校の授業にもかなり腰を据えて取り組んでいるように思えました。
これまでも、子どもたちは、ほぼ2ヶ月に1度の定期テストのたびに浮き足立っていました。だから、総合学習の導入などで実質授業時間が減った分の補充と、学習目標への到達度を測る絶対評価の導入などを考えて出てきた試みなのだろう、と納得していました。浦和ではいくつかの中学で実施されたようです。 こうした中で、春日部の谷原中学では、今年度、中間・期末とも定期テストの廃止を実行していたようです。その代わりに科目ごとの小テスト、単元テストなどで学習の到達度をみて、さらにレポート提出や授業態度などを総合的にみて評価をつけてきたということです。新聞記事の校長談話によると、この取り組みによって、日常の授業を大切にするという意識が教職員にも生徒にも浸透してきていたらしいのです。わたしも、現在の学校制度の中で、ベストではないにしてもよりよい方向に向かうモデルのひとつではないかと思っていました。 ところが、この谷原中学で、来年度からまた期末テストを復活することが決まった、という記事が出ました。 期末テスト復活の原動力となった昨年末の保護者対象のアンケートと、それに先だって行われたという生徒へのアンケートの結果との相似と食い違いに、まさに親と子の<思い>が象徴的に表れているように感じました。 保護者では「1学期1回程度の定期テスト」を望む人が56.1%だったのに対して、同じように、生徒の側も何らかの形で定期テストを望む子が52.4%いたのは高校受験への不安からなのでしょう。あるいは、このあたり、定期テストを望んでいる生徒のほとんどは、自分の親の意向に沿った回答をしていると思われます。反抗期の中学生でも、受験とか進学に関しては親の価値観を反映した考え方をするような気がします。 ここでおもしろいのは「順位が出るテストで刺激されてがんばる子ども」「定期テストがないと勉強しない」という保護者側の指摘とは逆に、生徒たちは家庭での学習時間に関して「少し増えた」」「かなり増えた」を合わせて62.2%、「変わらない」が27.9%、そして「減った」というのが、なんとわずか9.7%だったといいます。 もちろん、この記事からだけでは実態はわかりません。定期テストがなくても、小テスト、単元テスト、レポートなどで追いまくられていたのが実情かも知れません。でも、親や大人の側が「テストがないと勉強しない」と決めつけているのと裏腹に、少なくとも子どもたちの意識の中では、定期テストや順位が勉強をする動機にはなっていないようです。また、以前にも書いたように、テストや成績のことを離れると意外にキラキラした好奇心を発揮しはじめる子どももけっこういるのです。 先生の立場からも「成績のためにテストをする」というより「自分の授業がどれだけ生徒に伝わったか」を検証するための小テスト・単元テストであるなら、それこそ<本来のテスト>としての意味を持つわけで、「日常の授業を大切にする姿勢ができてきた」という校長談話にもうなずけるものがあります。 「テスト廃止」というのは、案外、現代の子どもたちの極端な<勉強嫌い>の歯止めと、先生たちのプロ意識の復活という一石二鳥になり得たかもしれない、と思うのは、わたしの独りよがりでしょうか。 **1月27日(月)掲載**
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第37回 親子の情 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
先日、ウチの塾の親の会で聞いた話です。「ウチの子のこういうところはどうしようもないなあ、困ったなあ」と思っていても、その同じところを、他人とくに学校の先生に指摘されるとムッとする、というのです。
何年か前に、詩人の伊藤比呂美さんが、同じようなことを書いていたのを思い出しました。母親の強烈な個性を受け継いだかのような中学生の長女に手を焼いていて、こんなこと書いていったい親子の仲はだいじょうぶなのかな、とこちらが心配するほどに「ひねくれ者」「じゃじゃ馬」と、それこそ言いたい放題に新聞の連載コラムに鬱憤をぶちまけていました。ところが、ある日、学校の先生に「お宅のお子さんは、ほんとうに素直じゃないですね。」といわれた途端、頭にカーッと血がのぼって、気がついてみたら、ふだんはとても発見できない長女の「いいところ」をまくし立てていた、というのです。 親という存在は、こと自分の子については、塾のわたしから指摘されても気分が悪くなることに変わりはありません。「きみは、問題に取り組むとき、ほとんど目と手しか使ってないなあ、目と手と頭を連動させていかないと、こういうミスはなくならないよ」と、子どもに言った場合、これが親の耳に入るとかなり大変です。「ウチの子は頭を使っていないんでしょうか?」となります。また、親との面談で「ちょっと雑学が足りないから、もう少し新聞や本を読む習慣をつけるといいんですけどね」と言ったとすると「家では、テレビのニュースなども見ていて、ああ見えてもかなり雑学があるんですよ。」と返ってきます。「○○君は、もうちょっと落ち着いてくれば、よくなりますよ」と言えば「塾ではそんなに落ち着きがないんですか?」と、トガめるような目になります。 若い親だけではありません。40才にもなろうとする息子に、長年の貯えを崩してまで援助している70才過ぎの母親に、「もう、いい加減にして自分の老後資金を確保しておかないと」と言うと「あの子は、この間も手土産を買ってきてくれたりして、やさしいところがあるんだよ」と目を細めます。 こちらからすれば「せっかく親切で言っているのに、勝手にしてよ」とでも言いたくなるところですが、実は、わたしは、こういう<親の習性>を、どちらかと言えば、好ましいものとしてみています。無条件に、あるいは反射的に<わが子をかばってしまう>のは、親として自然な本能です。昔、学校に<権威>があった時代には、先生からいろいろ言われて、ひたすら頭を下げて、家に帰ってから我が子を抱きしめて泣いた、という話を聞いたことがあります。そういう親の思いが解き放されたのが現代だとすれば、学校の先生たちにとっては<やりにく〜い時代>ではあっても、望ましい傾向なのかもしれません。外側からの<わが子への攻撃>に対する最後の砦は親しかいないからです。 むしろ、学校が、親を動かすことによって生徒を変えよう、とするところに問題を複雑にする原因があるような気がします。体罰は絶対に容認できることではないにしても、一発バシッと殴って終わり、親を呼び出すこともなく、その場で一件落着、といった時代のほうが、生徒と先生の信頼関係があったような気がするのは、昔のことがよく思えてしまう老年の悪いくせでしょうか。 先ほどあげたいくつかの例でも、本人は、こちらの指摘をかなり正確に、しかもすなおに受け入れている場合がほとんどなのです。すこしふくれたり、反発したりしても、時間をかけて作ってきた信頼関係は案外強いものです。だから、子どもが塾に入って日が浅く信頼関係ができていないうちは、わたしも無意識に<否定語>を避けているような気がします。 そういうこともあって、わたしは、子どもにまつわる様々な問題を、極力子ども本人との間で解決しようと努力しています。 また、こちらからみれば、子どもに対してどう見ても理不尽な要求をしている親がいるとします。そのことを切々と訴える子どもに「それは、確かにお母さんがわかってないかもしれないよなあ」と言えば、我が意を得たり、というような顔はするものの、じつは、ひそかに親の期待に応えようとして苦しんでいる場合が多いのです。 わたしがつきあったことのある<家庭内暴力の子>の場合でも、親からの期待に沿えない自分自身に苛立っているのだなあ、と感じたことがありました。 げに、<親子の情>は、あたたかくも度し難く、理屈では割り切れないものですね。 **1月20日(月)掲載**
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第36回 人に成る!? | ||||||||||||||||||||||||||
正月と盆の16日前後に、奉公に出た息子が故郷に帰るのが「藪入り」でした。落語にもあるように、ひさしぶりに見る息子がすっかり大人になって、父ちゃん母ちゃんに土産のひとつも持って帰ってこようものなら、親としてはもうまぶしくて、まともに息子の顔も見られない思いだったのでしょう。その前日の15日が小正月で、江戸のあちこちの空に乱舞するとんびや奴の凧は、家路を急ぐ若者たちのそぞろな気持ちをあらわす光景だったにちがいありません。
そういう歴史的背景があって制定された1月15日の「成人の日」だったはずですが、不況対策のレイオフなのか、休日を増やすために3年前から1月の第2月曜日が成人の日になりました。今年は、このコラムがUPされる予定の13日にあたりますが、わたしには、まだどうもまだしっくりしません。 塾に行けば必ずだれかがいる、ということで、毎年の「成人の日」には、新成人たちが晴れ着姿で立ち寄ります。なかには、親といっしょに車で乗りつけ、庭でわたしとのツーショット写真を何枚か撮って、そそくさと帰っていく女の子がいました。親の話では、この子が育ってくるまでに<世話になった場所>を、晴れ着で一回りするのだそうです。 でも、大部分の新成人たちは、塾での<同窓会>を当てにして集まってきます。みんなで時間を示し合わせて来て、酒盛りをはじめるグループもありました。いっぱし大人ぶってビールなんかを飲んでいる彼らの顔を見ながら、中学生だったころのあれやこれやの記憶をたぐりながらも、わたしにとっては、とても<おとな>になっている、とは思えない彼らです。そういうなかでも、子どもたち同士のつきあった期間が短かったり、おたがいに親しくなれなかった学年の子たちは、バラバラにやってきて、仕事のこと、学校のことなどを、ひとしきり話して帰っていきます。 「成人式」が荒れたり、あたりかまわずの私語やケータイの着メロで<来賓>の話ができない、という毎年定番のニュースが今年も流れることでしょうが、これを「学校教育」に原因を求めようとするマスコミの風潮も、困ったものです。彼ら新成人にとっては、つけっぱなしのテレビの前でひさしぶりの友だちと<同窓会>をやっている感覚なのだと思います。その<テレビ>の音量を大きくして、彼らに聞かせようとしたところで、自分たちのほうの声を大きくするか、「うるせー」と言って切ってしまうだけなのでしょう。だから、こうした現象を、学校や家庭も含めた<教育>のせいにして嘆いてみせるマスコミを見ると「一番の原因はテレビをはじめとするマスメディアだろう」と憎まれ口のひとつも叩きたくなるのです。 行政が「成人式」を続けてきたのは<大人としての市民>を自覚させようという<教育的配慮>からのことだと思いますが、権威の失墜と情報の洪水の中で育った彼らにとっては、ほとんどその意味を為さなくなってきています。だとすれば、人気アイドルを呼んだりTDLに招待したりまでして「成人式」にこだわるのではなく、生涯たった1回だけ<公費同窓会>をセットしてあげるだけで充分なのではないかと思うのです。 「大人になる、とはどういうことなのか」とは、古来むずかしいテーマのひとつですが、このところ、生活年齢×0.7=精神年齢? という説をときどき実感しているわたしでも、晴れ着を着てちょっとはにかんでいるあどけない彼ら彼女らの表情の中に、ふと「もう、子どものままではいられない」という<あきらめ>のようなものを感じてしまうことがあります。<大人になる>ことが<希望への旅立ち>である時代をまた取り戻さなくてはならない、と思う瞬間でもあります。 **1月14日(火)掲載**
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