す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第25回 勉強の「気分」 | ||||||||||||||||||||||||||
塾を始めたころは、若気の至りで「勉強することのおもしろさを子どもたちに伝えてみたい。自分が子どものころ、食わず嫌いで避けてしまった苦い後悔は子どもたちにさせたくない」という気負いがありました。だからこそ、必死になってガリ版を切り、一人ひとりにオーダーメイドの宿題を出し、ノートをチェックし、夜遅くまで子どもたちを引き留めて、わかるまで教え込んでいました。
子どもたちが勉強嫌いなのは、勉強がわからないからだ、わかってくればおもしろくなるし、おもしろくなれば、自分からどんどん勉強するようになる、と確信していました。 そんなある日のこと、分数が大の苦手、という小学生のA子ちゃんに、タイルや折り紙を使って分数の基本の考え方から一つ一つ説明しては問題を解かせ、やっと分数の足し算のところまで進みました。ホンの30分ぐらいの間に格段の進歩です。ところが、彼女は少しもうれしそうな顔をしていません。それどころか、A子ちゃんはだんだん苦しそうな表情さえ見せてきました。これだけわかってきたんだからすこしは楽しくなるはず、と内心決めつけているわたしは「どうしたの?どこか痛いの?」と聞いてみました。すると、「もう、イヤだ。やりたくない」と憮然としています。「えっ?すごくよくできているよ。わかってくるとおもしろいでしょ?」とわたし。そして、返ってきた答えが「わかりたくなんかな〜い。だって、これができるとまた次があるんでしょ。分数ぜ〜んぶ終わっても、今度はもっとむずかしいのがあるんでしょ」でした。「そういうふうにしてどんどん算数のおもしろさがわかってくるんだよ」というわたしを「そんなこと言って、いつまでもいつまでも勉強やらせようとするんだ。オトナはずるい!」とA子ちゃんはふくれっ面でにらみます。 親も教師も教える側は、「わかるようにしよう。できるようにしよう」という気持ちで教えます。少なくとも、子どもを苦しめようとして教えているオトナは皆無のはずなのに、必死になって教え込もうとするほど子どもは勉強から遠ざかっていきます。 偏食が始まった子どもに向かって「これ、おいしいよ。栄養もたっぷり入っているんだから、しっかり食べないと大きくなれないよ」などといって、これでもか、これでもかと手を変え品を変えて食卓に並べていったとすれば、それがどんなに豪華なごちそうで、言っていることはどんなに正しくても食欲はどんどん減退していってしまいますね。その代わり、栄養の足しにもならない妙なお菓子は喜んで食べる、ということはよく聞くことです。 先日、新人戦とそれにともなう自習授業つづきの中学生たちが「きょうは、なにもやりたくな〜い。頭を使いたくない」といいながら、疲れ切ったようすで入ってきました。こういう勉強意欲最低のときに勉強をやっても、わかっていたはずのことまで混乱してしまって、かえってマイナスになることさえあります。安くもない月謝を払って塾にやっている親から見るととんでもないことですが、こんなときは「テストの役に立たない勉強の時間」が始まります。 たまたま、わたしの年齢の話になって、癸未(みずのとひつじ)だよ,と言ったことから、十干十二支の話になりました。いまどきこんな話はすぐあきるだろうから、そうしたら、定番の人気メニュー「英語マージャン」でもやろうかと考えていたところ、トロンとしていた子どもたちの目がどんどん輝き始めました。それから、十干十二支と定時法、十六方位の関係、日本の4つの色の話と四神、四季、四方位の関係、などについて思いつくままに話すことになってしまいました。 子どもたちの日常の勉強に対する気分は、テストの成績に対するおそれや、ある種のしかたなさなどが入り交じって、この話とA子ちゃんのエピソードとの中間のところで行きつ戻りつしています。それでもテストのためだけではないものが少しは蓄積していっているはずだと思いたい、これもまた長いこと塾稼業をやってきた者の困った習性なのかもしれません。 **10月15日(火)掲載**
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第24回 子どもの心の声を聞く?「みっちゃん」さんへ | ||||||||||||||||||||||||||
第21回のコラムに「みっちゃん」さんからレスをいただいて、もう3週間近くが経ってしまいました。「みっちゃん」さんは、Reレスを期待されてはいなかったのかもしれませんが、わたしは、このレスの中の「子供の心の声を聞く為にはどうしたらいいんでしょう」という問いかけをずっと反芻していました。
「子どもの心の声を聞く」って、一体どういうことなんだろう。自分は「子どもの心の声」を聞いたことがあっただろうか? ある子は、ただ黙って涙を流しました。その涙の意味はいまだに分かりません。また、わたしに向かって口汚くののしる中学生がいました。「そんなにイヤなら塾をやめなさい!」というわたしに「いつ塾がイヤだと言った。オレのこと見捨てるのか」とふてくされながら、いまにも泣き出しそうだった彼の顔を思い出します。受験を目前にして「ぜ〜んぶ落ちたら気持ちいいだろうなあ」なんて言いながらはしゃぎ回る子がいました。キャッチボールの相手をしてくれるお母さんに向かって突然メチャクチャにボールをぶつけ始めた不登校の子がいました。何年も父親と口を利いていない、という子もいました。テレビも見ず、漫画も読まず、何かにとりつかれたように勉強にのめり込んでいる子が、わが家の庭の片隅に咲いている小さな花をじっと見つめていた横顔が昨日のことのように記憶の中によみがえります。 このように一人ひとりの顔を思い出しながら書きすすめていると、胸が苦しくなってきます。でも、この「胸が苦しくなる」というのも、実は「子どもの心の声が聞こえている」というわたしの思い上がりから来ているのではないか、と思うことがたびたびあります。 第20回に登場した例の“問題児”N君があのコラムを読んでつぎのようなメールをくれました。「中学生の頃なんて、そんな深く考えなくていいのにただヤンキーがもてるとか、かっこいいとかの世界だよ!俺にしたら目立ちたいだけの事!例えば勉強が一番でも、足が速いのが一番でもよかったのだ。ただ不良になるのが一番てっとりばやいから、なっただけだよ!楽しちゃったんだねーまったく!みんな考えすぎー(原文のまま)」ということです。現在の彼のことばにウソはありませんが、中学生のころの彼の表情には、たしかにこれとは別の思いがあったような記憶がわたしの中に残るのも、わかりにくい子どもの言動を“解釈”しようとするオトナの性癖が働いていたからでしょう。 消え入りそうに思い詰めた表情の子が、実は今月のお小遣いをプラモに使い込んでしまったためであったり、能天気に笑いこけている子の両親が離婚調停中だったり、という例はいくらでもあります。大体、長年連れ添ったツレアイの“心の声”さえ聞こえないのに(これは冗談半分!)、まだはっきりとした価値基準を持たない子どもたちの「心の声」を聞くなんてことができるのかどうか、わたしにはわかりません。わたしができることは、現在子ども時代を生きている一人ひとりの人格としっかりと向き合っていくこと、だと思っています。ついつい“解釈”しようとする性癖はなかなか抜けないけれど、できるだけ、こちらの側からの「子どもへのまなざし」を大切にしようと考えています。 「みっちゃん」さん、少しも答えにはなっていませんが、以上があなたの「子供の心の声を聞く」というフレーズに触れて考えたことです。 **10月7日(月)掲載**
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第23回 負けるのキラい! | ||||||||||||||||||
プリントを見るなり「わからな〜い」と叫ぶ子がいます。「いま説明したことの確認だから、まず、ゆっくり読んでね」と言いながら、他の子のやり終わったプリントを前に、赤丸をツケ始めます。途中でペンを止め「ん?」とでも言おうものなら「びっくりさせないでよー。まちがえちゃったかと思っちゃったよ〜」と、胸をなで下ろすまねをするので、顔を見るとホントにちょっと青ざめていたりします。また、トントンと進めているプリントをのぞき込んで、「これは?」と言ったとたん、さっさと消してしまう子もいます。「答えは合っているんだけれど、どうやって考えたの?って聞こうと思ったんだよ」と言うと「なあんだ、早く言ってよ」というブーイングが返ってきます。「教科書とはちがうけれど、きみが書いたのもりっぱな英語だよ」とほめたつもりが「え〜っ、それじゃあいやだよ。教科書と同じのを教えて。」
かなり学力があるはずの子まで、このような反応が多くなっています。最初から「わからな〜い」と言う子は、やってから間違えるよりは、と考えるからでしょう。理解する・できるようになるという欲求ではなく、とりあえず「正しい」ことに合わせることに必死です。 まず、目の前の課題をどう捉えて考えていくか(考え方)があって、つぎにそれを実現していくにはどのような方向から迫ればよいか(やり方)があるはずなのに、「こうやった」という結果だけが先行しています。よく聞く「勉強のやり方が分からないから、教えて」ということばの正体がここにあるのではないかと思っています。 話を元に戻してみます。間違えたくない、×をもらいたくない、負けたくない、という気持ちが強すぎると、本来、だからこそもう少し考えてみよう、もうちょっと頑張ってみよう、というところにはつながらず、思考停止してしまって「合わせてしまおう」「×をもらう前に直してしまおう」「負けそうなことは初めからやらないでおこう」という方向に向いていきがちです。これを、「負けんのキラい症候群」と呼んでいます。「負けず嫌い」ならば、×をもらっても負けても何度でも挑むのでそれだけ理解も深くなっていくのですが、「負けんのキラい」では「わかる」からも「できる」からも遠ざかっていきます。 そういうこともあって「一生懸命やって間違えることはラッキーだ」「塾ではマグレ当たりは損だよ」「悪かったテストほど宝物がつまっている」というメッセージを送り続けているのですが、これが、身に染みて分かってきて、答えを取り繕うことがなくなるのは、やはり、早くても1、2年かかるようです。 **9月30日(月)掲載**
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第22回 「のの理事長!」 | ||||||||||||||||||
わが家には、今年13才になる野々(のの)という名の柴系の雌の雑種犬がいます。家の中で家族同様に暮らしているのですが、のんきに寝そべっていることに飽きると、ときどき居間の引き戸を開け、さらに間仕切りゲートも開けて教室に侵入します。たまに、犬が大の苦手という子もいて、野々が入ってくるなり机の上に飛び上がりますが、ものの2,3ヶ月もしないうちに、自分の席の隣に座り込んでいる野々の頭を左手でなでながら、プリントに鉛筆を走らせていたりします。
飼い主のわたしが言うのもなんですが、なかなかかしこくて、子どもとのつきあいの深さ・親しさの度合いによって、また、その日の子どもの状態によっても、出迎え方も対応もちがっています。 犬がグッスリと寝ているときの表情はかわいいもので、つい手を出したくなりますが、こんなときでも、ビクッとして目を覚ましたあと、親しい子だと分かれば、そのまままた寝入ってしまいますが、つきあいの浅い子に対しては、絶対噛むことはないものの、ウゥッと威嚇します。 ある子が、学校でとてもつらいことがあってショボンとしてやってきたとき、“彼女”は、そっと傍らに佇んで「どうしたの?」とでも言いたげに子どもの顔をのぞき込みました。その子はこらえきれずに「のの〜!」と叫びながら、野々の頭を抱きしめて泣いていました。 たまには、子どもたちをからかうこともあります。ある日、ヒマな高校生が、野々のベッドに寝そべって野々に悪態をついていたら、のそっと起きあがって、彼の足を傷つけない程度にアグッと噛んだものです。 ときには「野々はいいなあ、一生勉強しなくてもいいし、おいしいものいっぱい食べて遊んでいられて。それなのにみんなにかわいがられてさ。ぼくも野々みたいになりたいよ。」と言う子がいます。「そうかあ、じゃあ、外に出るときはつながれて、ウンチを取ってもらって、マンガも読めなくてゲームもできない・・・」と、わたし。こんなとき、中学生になっていても「オレ、人間でよかった」と屈託がありません。子どもは自分自身をよく分かっているのです。 冒頭の情景のように、野々が教室に侵入して一人ひとりの席を回る様子を見て「よっ!のの理事長!」と言った子がいます。疲れてふてくされていても、野々にくんくんと足のにおいを嗅がれて見つめられると、ふと笑顔が戻ってしまうところなどは、わたしなどの遠く及ぶところではなさそうです。まさに“名理事長”さながらです。 **9月24日(火)掲載**
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第21回 「心のノート」 | ||||||||||
今年度から文部科学省が導入した「心のノート」中学生版が目の前にあります。このノートのページを繰りながら、わたしはなんとも言えない思いにとらわれています。
とびらには「自分さがしの旅に・・・自分づくりの旅に出かけよう」とあります。目次の大きな項目だけをあげると、1、自分を見つめ伸ばして 2,思いやる心を 3,この地球に生まれて 4,社会に生きる一員として、の4つです。そして、各ページのそこここに「自分を見つめて」「感じたこと、考えたこと」など、生徒自身が書き込むスペースがたくさん用意されています。 見開き8,9ページには「あなたが手にしているのは23の鍵、あなたの生きていく世界を開いていく「鍵」として、自分自身・他の人とのかかわり・自然や崇高なものとのかかわり・集団や社会とのかかわりの4つの分野にわたって「心もからだも元気でいよう」に始まる23の“鍵”が、まさにキラキラとちりばめられています。たぶん、これが、この「心のノート」のエッセンスなのでしょう。これらをずっと追っていると、目が眩みそうな“すばらしい宝石のようなことばたち”がぎっしり詰まっています。 思い返してみると、わたしもこれらのなかの多くのことばは、表現こそ違っても折に触れて子どもたちに伝えてきたものです。だからこそ、このノートを読んで、まるで、太陽を直接見たり、酸素100%の部屋で呼吸しているような気持ちになっている自分に気がついて、ことばを失ってしまいます。「自分をまるごと好きになろう」と呼びかけながら、「自分のこんなところを、こうしたい」を書き込ませるなど矛盾はあちこちに見受けられますが、どのことばも、うなずけるものばかりです。例えば、この「23の鍵」をすべて持っている大人がいたら、どんなにすばらしいだろう。でも、どこか変だ、と感じるこの気分はどこから来るのでしょう。 一番こわいことは、このノートに書き込んでいるうちに、これらの「ことばたち」が、無意識のうちに、あたかも自分自身のことばのように思ってしまうのではないだろうか、ということです。そして、「ほんとうの自分は・・」とか、「ホントはなにをしたいんだろう」と、“ことば”で考えているうちにマインドコントロールされていきそうな不安におそわれます。 この「心のノート」からイメージされる子ども像は、きれいに剪定された“盆栽”です。子どもは未完成であることが当たり前です。枝がひん曲がっていたり、片方だけが異様に伸びてしまったりしている幼木が、風に抗し、雨に打たれ、年月を経るとともに、穏やかに整った姿になっていくはずです。(そうなっていかないわたしのような?木もありますが・・)前回のN君のように「よい子」でいられないのも、また、青春前期の子どもたちです。そういう子どもたちにとって、このノートは「自己否定」の引き金になるのではないか、とさえ、わたしには思えてしまいます。ただ、このノートを使った授業がほとんどないことと、子どもたち自身が「つまらない」と言っていることが救いではあります。一方で、わたしが向き合っている目の前の子どもたちに伝えていくことはかならずあるはずだ、とも考えるのです。みなさんも、お子さんの「心のノート」をお読みになった感想をお聞かせください。 **9月17日(火)掲載**
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第20回 さまざまな衣装 | ||
前回に述べた学校教師たちとはその後研究グループを作り、いっしょに活動することになりました。こうして親しくなった中学教師の1人にS教諭がいました。知り合った当時はまだ20代の青年教師でした。繊細な感性を内側に秘めながらも、授業への情熱や生徒たちとの取り組みはエネルギッシュで、おもしろいと思ったものは塾のプリントであれゲームであれ、積極的に授業に取り入れていたようです。また、生徒たちからの信頼もあつく、当時まだ名残があった「荒れる教室・荒れる生徒たち」のなかで、一人ひとりの生徒と実に丹念につきあっているようすがうかがえました。
一方、S先生が勤務する中学の生徒で、わたしのところの塾生であるN君という子がいました。3才上の兄が塾生だったこともあって、小学校のときから塾に来ていました。2人兄弟の下の子らしくちょっと甘えん坊でやさしい子でしたが、中学に入ったころから「学校がおもしろくない。勉強イヤだ。」と言い出しました。塾では明るい表情をしているのでそれほど気にもとめていなかったのですが、親からの話では、学校の中でちょっとした“問題児”をやっているらしいのです。 そこで、たまたま1年生の別のクラスの担任であったS先生にN君の話をしてみると、N君の行状は彼もよく知っていて、ときどき学校の中で“荒れ”ている姿を見かけるということでした。それから、しばらくして2年生のクラス編成があって、N君はS先生のクラスになりました。おそらく、わたしとの関係もあったので、S先生は積極的に彼を引き受けてくれたのでしょう。N君も2年生の初めのころは「S先生がね・・・」と、塾でもうれしそうに話していて、わたしも内心、よかったなあと、S先生に感謝しました。お母さんの話では家でも明るさを取り戻したということでした。 ところが、ここからが『失敗』の始まりです。研究会でS先生と会うたびにどうしても共通の話題がN君のことになることが多く、わたしは塾でのようすを,S先生は学校でのようすを、いわば“情報交換”していたのです。その上、N君をこよなくかわいがっている父親とも親しかったわたしは、父親から聞く家でのN君の「あどけなさ」までS先生に話していたのです。 いま振り返ってみると、S先生・わたし・父親、三者三様の“あたたかいまなざし”でN君を見守?いたつもりだったのですが、本人にとって、これはとてつもなく大変な苦痛でした。家での「まだ幼さを残したあどけないNちゃん」塾での「明るく元気なN君」学校での「ちょっとイキがっているN」という<さまざまな衣装を着ていた>のに、言うなれば、素っ裸にされたようなものだったからです。 N君は、まもなく塾をやめてしまいました。 N君はその後も年に1,2度くらいは塾に顔を出していたのですが、高校2年で学校を中退してしまいました。そして時は移って、ひょんなことから、なんとわたしたち夫婦がN君の結婚式の媒酌人を引き受けることになりました。(こうなるまでの経緯もなかなかおもしろいエピソードなのですが、本筋からはずれるので省くことにします)ともあれ、彼は、いまでは2児の若いパパとして、職場の中でもかけがえのない存在として忙しい毎日を送っています。 話は戻りますが、N君が塾をやめたころ、S先生にそのことを報告し「マズかったなあ」と自省を込めて語ったつもりだったのですが、後から考えると、このとき、S先生は自分の対応を非難されたと思ったらしく、しばらくして研究会に顔を出さなくなりました。 N君とは、いまでもときどき当時のことが話題になります。「S先生どうしているかなあ。会ってみたいなあ。先生はとてもいっしょうけんめいやってくれていたんだけど、オレ悪いことしちゃったよなあ。みんなオレのことかわいがってくれているのは分かっていたんだけど、それが、はずかしいっていうかなんていうか、身の置き場がないって感じだった。あれは仕掛け人のだれかさん(わたし)のせいだったんだね」と笑いながら話してくれます。 もう中堅のベテランになっているはずのS先生。もし、このコラムをお読みでしたら、とっても遅ればせながら、N君の成長とわたしの反省を謹んでご報告します。 **9月9日(月)掲載**
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第19回 学校と塾 | ||
8月中は、わたしの都合でコラムを休ませていただき、ありがとうございます。このコラムを何回か読んでくださっている方は、<す〜爺>の“素性”をとっくに見抜いておられると思います。
このあたりで、「街の小さな学習塾」という視点で書いていることをお知らせしておいた方が、読んでくださっている皆さんにもわかりやすく、わたしも書きやすいのではないかと考えました。 わたしが、自宅で塾を始めた30数年前は、塾は「諸悪の根元」「学校教育を破壊する元凶」でした。若気の至りで「子どもたちに学ぶことのおもしろさを伝えたい」と、些か気負っていたわたしでさえ自分の気持ちを抑え、「子どもたちが学校で困らないように」と、朝からガリ版を切り、教材を工夫し、子どもたちには分かるまで徹底的につきあう、という毎日でした。 そのころ、かなり乱暴な教え方をする教師がいて、その先生に当たった子どもたちは授業で混乱し、体罰におびえ、という状態でした。そこで、子どもたちと話し合って、わたしの母校でもあるその中学を訪ねていったのですが「子どもとつきあっているという共通の立場で話し合いたい」というわたしの申し出は、けんもほろろに門前払いを食わされたものです。 その後、高校進学率が90%を超えるころから、それまで隠れていた校内暴力・イジメ・不登校などの、いわゆる<学校問題>が噴出し始めて、わたしの塾にもツッパリ君や、不登校(登校拒否)の子が何人も来るようになりました。わたしは「子どもが、その子なりに活き活きとしていればいい」と考えていたので、そういう子たちとも、それまでと同じように“フツーに”つきあっていたのですが、それが、子どもたちにとっては?新鮮な驚きだったようです。 前述のこともあって、このころまでは、わたしにとって学校は<子どもたちを不必要に苦しめる場所>でした。ところが、ある経緯で何人かの学校教師と出会い、学校の現状を知るようになりました。彼らは学校のなかで、誠実に子どもたちと向き合い、子どもたちの苦しみに耳を傾けようとしていました。彼らもまた「せっかくの自分たちの努力を無にするのは塾だ」という自分の“偏見”に気がついたと言います。 塾は、評価権も資格取得も権力もないかわりに、子どもたちやその家庭との信頼関係だけで成り立っています。だから、学校の教師たちからときどき聞く「この子は学校や教師である自分がイヤだけれど、仕方がなくてここに座っているのだろうなあ」という思いには囚われなくて済みます。塾では、どんなにふてくされていても、わたしの目の前にいる子は、わたしのところを“選んで”来ている子です。わたしが“かわいがり、かかわることが可能な子”です。 わたしには転勤も昇進もないので、何年経ってもかつての子どもたちが訪ねてきてくれます。彼らから聞く<世の中>は、能天気に生きてきたわたしにとっては、いまだに新鮮で刺激的です。 こんな塾の日常と、カーテンの向こうの明るい部屋の中のようにときどき透けて見える学校のこと、家庭のこと、などを書きつづっていきたいと考えています。 **9月2日(月)掲載**
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第18回 閑話休題 「満州建国大学物語」 | ||
北浦和在住の河田宏氏が「満州建国大学物語」(原書房)を著しました。河田氏は、これまでも「明治四十三年の転轍」(社会思想社)「第一次大戦と水野広徳」(三一書房)など、日本近現代史のなかに埋もれながらも歴史の大きな転換点をもたらした事実を掘り起こしてきた在野の社会思想史家です。古くから浦和に住んでおられる方は、浦和駅近くにあった名曲喫茶「麦」をご記憶だと思います。その兄弟店、本郷三丁目「麦」の名物マスターとして河田氏をご存じの方もいらっしゃると思います。
今回、この書を取り上げたのは、現実が理想を崩していく過程と、その現実の過酷な推移の中でも、一人ひとりが獲得していった思いとお互いの人間同士の絆は、時代の大きな転換を越えて連綿と続くのだということ、この大学に集った青年たちの日常が活写されていることに感動したからです。 満州建国大学(建大)は1938年に始まり、1945年の終戦と同時に閉じられました。満州建国の中心人物であった石原莞爾が発案し、かの<悪名高い>関東軍参謀・辻政信が奔走して創設した大学、という意味ではまさに<国策大学>です。 ところが、この大学では、それぞれ異なる目的を持って入学してきた日本・中国・朝鮮・モンゴル・ロシアの、この当時すでに敵同士のはずであった若い俊英たちが、同じ高梁飯を食べ、寮で共同生活をしながら、激しく議論し、お互いの個性と違いを認め合い尊重する気風があり、大学もそれを十分に容認していたということです。教授陣にはそれぞれの民族からはもとより、マルクス主義者・反日派学者・皇道派・イスラム教徒・キリスト教徒を問わず、さまざまな分野の学者が集められました。なぜそのような大学が存在し得たかは本書に譲るとして、この大学は1943年、学徒出陣が始まるとともに日本人学生が、ついで朝鮮台湾の学生が実質的な徴兵で、さらに中国人学生たちが抗日戦のために、つぎつぎに去っていき、実質的に終焉しました。 戦後、それぞれの国に戻った建大出身者は、社会的地位も違い、思想的立場は大きく異なっても互いに助け合っているということです。著者河田氏は「この学校の教育方針は現実を見せ体験させて、自覚的に学ばせることであり、同年輩の多様な青年が切磋琢磨する場であった。21世紀の若者に、学校という青少年教育の場の原点がここにあることを知ってもらいたくて本書をまとめた」と書き記しています。 **7月29日(月)掲載**
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第17回 子どもたちの周辺 その5 IT革命の中で | ||||||||||
TVゲーム、テレビの問題に触れたところで、さらにしつこく、インターネットを始めとするIT時代を生きる子どもたちのことについて考えてみることにします。
「これからはITの時代」という言い分に負けて、高価なパソコン一式やケータイを買ったけれど、メールにチャット、アダルトページにネット対戦ゲーム、ありとあらゆる仕掛けが子どもや若者を襲ってきている、という話に事欠きません。 チャットにハマった中学生の話を聞くと「もうこんな時間だ。ヤバいなあ。話もつまんないし、そろそろやめようかな」と思っていると次のレスが入ってきたりして、頭がモーローとしているのにやめられなくなる、と言います。もういいや、と思って強引に切って寝ようとするけど、なかなか寝付けない。翌日やっぱり気になってチャットにつなぐとブーイングの洪水になっていて、なんだか知らないけれど謝ってまた再開してしまう、ということの繰り返しだそうです。 親を言いくるめてケータイを買ってもらったものの、だれからもメールが来ないのがこわくて、誰彼かまわず手当たり次第にアドレスを聞き出して送信している女の子もいます。「いまなにしてる?」「メール打ってる」など、おかしくもたわいないメール交換をしているうちはまだ平和ですが、深夜までメールが切れない子もいます。ワンギリで電話をかけてきた相手に延々と電話をしなければならない、というイジメに遭っている子もいるようです。そういう子のひとりがケータイをどこかに落としてしまったときの、不安に押しつぶされそうな顔を思い出します。せっかく買ったものなのに、とか、情報がもれる、とかいう不安ではなく、「だれかからメールが来ていたらどーしよう」というのです。なかには、スリルが楽しくて<出会い系>の相手にアクセスしてみる子も少なくなさそうです。 そういえば、「ポケモン」に始まり「遊戯王」「マジック・ザ・ギャザリング」と高度化してきたカードゲームも、いまやネット上でカードの取引をし、ネット上に自分のライブラリー(デッキ)を置いて戦う、というところまで来ているようです。まさにブロードバンド・常時接続の時代ならではの現象です。 ウォークマンが出てきたころ、自分の世界のなかだけで完結する<胎内商品>といわれ、コミュニケーション阻害を引き起こすのではないか、との声もありました。一方、ケータイ、チャット、ネット対戦ゲームなどのように、相手と直接顔を合わせずにとりとめのない会話からかなり過激なやりとりまでやってしまうIT的な対人関係を、新しい時代のコミュニケーションと見るか、深刻なコミュニケーション阻害と見るかはかなりむずかしいところです。アダルトサイトをこっそりとのぞいているなどというのは、もはや古典に属するたわいない現象なのかもしれません。 先日発表された日大・森昭雄教授の脳波測定実験結果はかなり衝撃的でした。森教授は「視覚刺激に慣れた脳ほど、人間らしい感情や創造性をつかさどる大脳の前頭前野の活発さを示すβ波の活動レベルがはっきりと低下している」ということを実証したようです。視覚と運動の神経経路だけが働き、考えることが抜け落ちる、という指摘は、ケータイ、チャット、ゲームなどにハマっている子どもたちの日常のようすからわたしが実感していることと一致します。 大人世界から子ども・若者へのこれだけ強力な<仕掛け>に対して、「そうなってきたものはしようがない。そのITのおかげでかろうじて日本経済が成り立っているという事情もあるのだし・・・」と言っていられるかどうか、悩むところです。 地球温暖化をはじめとする環境問題が、究極的にはわれわれの生き方の問題に還元されるものでありながら、緊急に手を打たなければならないところまできているように、<子どもたちへの仕掛け>の危惧を感じながらも、われわれができるところからやらなければ、との思いが強くなっています。 わたしは、上に述べた「脳波測定実験」の新聞記事をコピーして、だまって子どもたちに手渡しました。子どもたちもまた、めずらしく真剣な表情で読んだあとで、何もいわずに自分のバッグにそっとしまいました。ひとりの子は「親には見せないでしまっておこう」とつぶやいていました。 **7月22日(月)掲載**
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第16回 子どもたちの周辺 その4 テレビ | ||
「TVゲームについて」が2回続いたので、ついでにテレビに矛先(?)を向けることにしましょう。
いつのことだったか、中学生たちの話を聞いていて、とてもびっくりしたことがありました。 「テレビを見ていないときでもつけっぱなしにしている」というのです。しかも、「テレビを消すと静かすぎて不安になる」という正直な答えが返ってきました。いろいろ聞いてみると、かなりの家庭でその現象が見られるようです。なかには新聞を取らずにテレビだけでニュースを知る家もあるようです。 今から40年以上前、白黒テレビが一般の家庭に普及し始めたころ、社会評論家の大宅壮一氏(大宅映子氏の父君)が「テレビがこのまま家庭に入り込んでいくと、国民みんながものを考えなくなる」と言って<一億総白痴化論>を唱えました。当時、小さな画面に展開するスポーツやドラマ、ニュースなどを食い入るように見ていた中学生のわたしは「こんなにすばらしい知識や楽しさを与えてくれるものが、そんなことになるはずはない」と憤慨していた記憶があります。 ところが、カラーテレビが当たり前になり、子どもたちの話題の主役がテレビになり、テレビを見ながら食事をする家庭を見聞きするようになったころ、大宅氏の慧眼に気がつきました。しかし、そのころは少なくともテレビを“真剣に”見ていました。 現在、冒頭のような事態が一般化しているとすれば、わたしたちはどう考えればいいのでしょうか。 親しい知人に某テレビ局の幹部がいます。彼は、自分の子どもが幼かったころにはほとんどテレビを見せないようにしていました。テレビの怖さを知り尽くしているからです。チャンネルを変えさせない仕掛けがいっぱいあるそうです。ザッピング(リモコンで次々にチャンネルを変えること)をしそうな時間帯は分析されていて、その瞬間に捉えることや、そういう人ほどCMの効果があるのだ、ということも聞きました。視聴率の仕組みを知ってみれば、なるほど、と思えるものばかりです。だから中毒症状のようになってテレビが消せなくなるのかもしれません。 このところ、若年性痴呆という言葉を耳にします。年齢のわりには忘れっぽい、本人でさえ信じられないようなミスをする、こんな症状が、頭の中にさまざまなメッセージを流し続けるテレビと無関係であるとは思えません。でも、テレビ局自身はテレビの深刻な害を知らせることは未来永劫なさそうです。 テレビ局は、視聴率が取れそうなことならばどういうことにでも飛びつきます。その結果、わたしたちはひょっとしたら、オウム真理教以上の深刻なマインドコントロールを受けているのかもしれない、と思うと背筋が凍るような恐怖を感じます。 近年、ほとんどテレビを見ることがなくなったわたしの<たわごと>を、思いつくままに書いてみました。みなさんのご意見もお聞かせください。 **7月15日(月)掲載**
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