す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第65回 理科・社会科について | ||||||||||||||||||
長いお休みをいただきありがとうございます。おかげさまで、この1ヶ月、積み残してきた仕事や遊び、そして、子どもたちとの約束を果たすことに全神経を使うことができました。ここで、気分も新たに別のテーマを、とも考えたのですが、もう少しキリのよいところまでおつきあいください。
埼玉県公立高校の入試問題のなかで、特に理科・社会科は、このところ、ただ単に丸暗記しただけでは対処できない作問を心がけているように思われます. 社会科は、地図・グラフ・写真・統計資料・歴史史料を駆使し、どの分野も現代社会との関連のなかでの総合的な判断力を問うています。昨年度まで随所に取り入れていた記述問題は、採点の都合のためか今年度は見られなくなりましたが、多分、また新しい工夫を凝らして復活するのではないでしょうか。 理科は、すべて実験と観察の問題で、この傾向はすっかり定着してきています。観察図を描いたり、実験結果の理由を記述することを要求されたりと、受験生たちにとってはかなり大変なことですが、わたしは、この傾向を比較的好感を持ってみてきました。 ところが、わたしが子どもたちを通してみる限り、学校の先生方のなかには、旧態依然としてひたすら暗記させる授業であったり、定期テストの出題も細かい知識をおぼえなければできないものであったり、という人が多いように見受けます。たとえば、実際の入試問題では歴史の流れとその理由を問われるのに、子どもたちは、細かい年号の丸暗記や歴史用語の難しい漢字にうんざりしたり、異様に執念を燃やしたりしています。学校で要求されるからだ、と言います。また、実験をやってもほとんど教師実験で、意味がわからないまま終わってしまったという生徒もいます。 テレビとゲームにどっぷりとハマって、新聞も本も読まない、とりあえずの刺激だけに反応するような子どもたちが少なくないのも現実です。東西南北もはっきりしない、マッチを使ったこともない中学生もいます。そういう子どもたちを前にして、なにが総合だ、なにが記述問題だ、という気持ちもわからないではありません。でも、上記のような授業や定期テスト問題が、ますます理科離れ・社会科嫌いを助長しているような気がします。 そういう状況の中でも、授業に工夫を凝らしている先生を何人も知っています。ある理科の教師は、生徒一人ひとりに条件を変えた実験の課題を与えて、出てきた結論の違いを比べたり、毎回ビデオを使ってビジュアルな理解を試みた後に、授業に入ります。また、ある社会科の教師は(もともと彼女は演劇畑の出身ですが)、まるで壮大な物語を語るように、迫真の演技力で歴史を描き、子どもたちをひきつけてから、おもむろにその日の授業に入ります。この人たちに共通なことは、いずれも、生徒に教えることよりも、むしろ、自分が今取り組んでいる授業の内容そのものにワクワクしている節があることです。 指導要領の改訂によって、いくつかの項目は削減され簡素化された分、その行間を埋めようとして、かえって以前より詳しく細かい授業になってしまっている熱心な先生もいるようです。でも、所詮、(といってしまっては言い過ぎかもしれませんが)中学の限られた授業時間の中で、すべての生徒が内容を理解したり、いま公立高校の入試問題が要求している総合力を身につけることは不可能に近いことだと思います。だとすれば、少々手間はかかっても、教える側がワクワクする授業のほうが、伝わっていくものも多く、生徒にとっての知的刺激もあるのではないかと思うのです。 じつは、当塾の夏の講習では、「歴史」に充てることができる時間は、せいぜい3時間ほどしかとれず、そのなかでやれたことといえば、いま流行の「へえ、へえ」を、できるだけ多く子どもたちに示すことでした。卑弥呼が死んだと思われる3世紀中ごろに九州地方で2年連続で皆既日食があったことと、天岩戸伝説のこと。漢の武帝が万里の長城のかなたに追いやった匈奴(フュヌ)と約400年後にボルガ川のほとりに現れたフン族のこと。義経とチンギスハン伝説、秀吉の恐るべき陰謀や江戸幕府265年と維新から現在までの135年のこと・・・。歴史が専門でない気楽さで、まだ検証も実証もされていないことを断った上で、子どもたちとやり取りしながら大いに楽しみました。藤村某氏の捏造によって、教科書の旧石器時代が書き換えられたことを思えば、罪も軽いというものです。しかも、歴史嫌いの子どもたちでもこういうことによって、かなり歴史の流れを把握してくれたように思えました。 学校現場の大変さを、こんなお気楽な言説でくくってしまうことに、内心いささか忸怩たるものがありますが、現場で苦労されている先生方からのご意見をぜひお聞かせいただきたいと考えています。 **9月2日(火)掲載**
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第64回 夏休み・そして子どもたちの事件 | ||
学校が夏休みに入りました。塾という仕事は因果な商売で、学校が休みになると子どもたちが多く出入りするようになります。当塾は、中3の講習以外特別なことはしませんが、それでも、旧盆前後の休みをのぞいて、これまでと変わらない塾の授業があります。
「学校が休みなのに塾があるなんてヤダ」と言う子がときどきはいますが、その顔をみていると、あっけらかんとしています。むしろ、多くの子どもたちは、学校があるときよりおだやかな表情をしています。学校や先生がイヤなのではなく、もちろん友だちが嫌いなのでもなく、<なにかに追われている気分>から解放されるからだ、と言った子がいました。 ところで、子どもたちは、勉強休みの雑談のなかで、ときどきは社会的事件を話題にすることがあります。しかし、夏休みに入ってもう1週間が経とうというのに、例の「長崎の事件」「沖縄の事件」など、いわゆる“少年事件”にはまったく触れません。そこで、わたしがある中学生に「長崎の事件どう思う?」と水を向けたところ、「う〜ん、わかんない。ニュースを見ると、なんかわかんないけれど“ふあ〜んな気持ち”になるから見ない。」という表現をしました。これは、子どもたちとのつきあいを通してわたしに伝わってくる“感じ”をよく表しているような気がします。 自分がしていることの“実感”がない、これは、近年になって塾での勉強の場面でも、子どもたちによく見られるようになった現象です。わからないわけではない。でも、ストンと胸に落ちない、自分の手の中にしっかりと握ったという感触がない・・。 以前は「わかった」ときの子どもたちの表情ははっきりと変化していました。そして、そういう実感を持った子は、少なくとも、その事項についてはほぼ安定してできるようになりました。現在、わかったかどうかまったく表情に出ないのに、その後、問題をやるとできている、つまり、「わかった」というステップを経ずに「できてしまう」子が多くなっているような気がします。そして、あれほど“完璧にできていた”はずのことを、学校のテストでは信じられない間違いをしてしまう、ということがよくあります。 わたしは、各地で起こる、いわゆる<少年事件>のくわしい情報を、それほど把握しているわけではありません。どれだけ詳細に知ったところで<ほんとうのこと>がわかるとは思えないからです。でも、子どもたちだけではなく、若者たちのなかに“実感”さらには“実在感”さえあやうい、という空気を感じることがあります。具体的な例は差し控えますが、そういうとき、彼らがさまざまな形で“実感の確認”を試みる場面を見ることがあります。<長崎の事件>があてはまるかどうかはまったくわかりませんが、そんな“実感の確認”作業のような行為が事件にまで至ることもあるのではないかと考えています。 あらかじめ断っておきますが、もし、わたしの愛するものがそういう行為の犠牲になったとしたら、たとえその行為者が少年であったとしても到底許せるものではなく、できることなら自分の手で復讐を遂げたい、と思い詰めるはずです。メディアが被害者の家族の手記を載せて少年法対象年齢の引き下げを援護したり、思慮の足りない<青少年育成担当>の大臣が「親を引き回しの上打ち首」などと発言して、それが一定の支持を得る、というのも、こういう一般感情の表れだと思います。しかし、もし、子どもたちが抱える<実感のなさ>がこういう事件のベースにあるとすれば、親の責任でも学校の責任でもなく、社会全体が負うべき課題であるような気がしています。 英語・数学・日本語ときたところで、理科・社会と芸術科目などについても考える予定だったのですが、これらは、別の機会にゆずることにしました。というのも、冒頭で述べたように8月は、塾OBも含め子どもたちの出入りが多く、やむを得ずこのコラムをお休みにさせていただくことにしたからです。大変勝手ですが、よろしくお願いします。 そして、この間、みなさんには、過去のコラム関連を含めて言い足りなかったこと、その他さまざまなご意見を自由に書き込んでいただければ幸いです。わたしもレスの形で随時参加させていただくつもりでいます。これからの夏本番を乗り切って、9月にはコラムに復帰します。みなさんもお元気でお過ごしください。 **7月29日(火)掲載**
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第63回 国語・日本語について | ||
前回の続きのような話から書き出すことにします。文学作品・ドキュメント・評論、を問わず、あるいは個人的な手紙でさえも「これを表現するにはまさにこれしかない」と思われる文章に出会うと、わたしは、心の底から「この人、頭がいいなあ」と思ってしまいます。なんの変哲もないこの数行の文を書くのだって、呻吟した挙げ句つまらない表現にしか行き着かない自分へのいらだちから来ているのかもしれません。また、じつに整理され配慮の行き届いた言葉を温かい語調に包んで、多くの人たちに向けて発することができる人に出会ったときも同様に感じます。これも、ほとんど1対1の対話しかできないわたしの妬みなのかもしれません。
前置きが長くなりました。今回は「国語(日本語)について」です。 中学生・高校生のあいだでは、日常の会話のなかでも、奇妙な日本語が飛び交います。塾の教室で「こんど塾に行く日はいつなの?」「オイオイ、どこの塾に行くの?」、電話で「今から塾に来ていいですか?」「えっ、きみは今どこにいるの?」などのトンチンカンな会話は日常茶飯事です。「いまごろ日テレで、巨人阪神戦がやってるよ」というような表現もよく聞かれます。 そういうこともあって、わたしのところの小学生クラスでは、4年前から「日本語」の授業をやることにしました。漢字の書き取りとか、文を読んで登場人物の気持ちを答える、などの、いわゆる「国語」ではありません。日本語の語順・句読点の打ち方・擬音語擬声語の用法・原稿用紙の使い方・上の例のような語法・漢字の用法などを中心に、さまざまな素材を使ってわたしなりに考えながら作った教材で勉強しています。 こういう作業のなかで、自分の能力不足を痛感したり、長い間思い違いをしてきたことに気がついたりして、子どもたちよりもむしろわたし自身のほうが大変な勉強をさせてもらっています。絵ことばを巧妙に使うなど、子どもたちの反応の中から日本語の新しい可能性を見つけることもあります。 また、「作文だいっきらい」という子どもが多いので、具体的な場面を指定して文を書いてもらったり、<うそ作文>と称して思いっきりウソを書いたり、塾の広告文を考えるコンテストを試みたりします。そして、それらの作文の内容についての論評は一切しないで、<言いたいこと>が読む人にしっかりと伝わるかどうかに主眼をおいて一つ一つ添削をします。これは子どもたちには好評のようです。そして、これもまた、わたしにとってはありがたい勉強の場になっています。 ここまで読んでこられたみなさんのなかには「な〜んだ、えらそうなことを言って、す〜爺の文章はわかりにくいし、表現がおかしいところもある。そんなす〜爺が子どもたちに日本語を教えていいの?」と思われる方がいらっしゃるでしょう。じつは、ほかならぬわたし自身がそう思っています。 冒頭に書いたように、わたしには拭いがたい「日本語コンプレックス」があります。小学生のころ、先生に指名されたときも、わかっているはずなのになかなかことばが出てこなくて級友にバカにされたり、作文を書けば、事実だけを列挙した文を書いて「そのときの自分の気持ちをもう少しくわしく書きましょう」と何度も朱を入れられていました。その当時の同級生で現在もご近所づきあいをさせていただいているS子さんは、いま読み返してみても、多彩な語彙を駆使したみごとな作文を書く人で、彼女の作文を読むたびに「ぼくには作文なんてとても書けないんだ」と落ち込んでいたことを思い出します。 そんなわたしだからこそ、現在、子どもたちに「日本語」を<教え>たり、毎週のように苦しみながら(?)不遜にもこのようなコラムを書かせていただき「日本語修業」をすることにこだわっているのかもしれません。 **7月22日(火)掲載**
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第62回 算数・数学について | ||||||||||
むかしから、算数や数学ができる小中学生は「頭がいい」と言われてきました。たぶん、だからこそ、親たちは必死になってわが子の算数や数学の成績を気にして、他の科目そっちのけで、低学年のころから算数の勉強に口を出し、数学のできが悪いとと言っては心配するのでしょう。たとえば公立高校入試では5教科が同じ配点であるのにもかかわらず、多くの塾で算数・数学が主要教科の筆頭としてとりあげられるのも、そういう感覚がもたらしたものでしょう。
「頭がいい」というのを、与えられた条件を読みとって、正確にすばやく必要な目標に到達できる能力、とすれば、確かにそのようなことが言えるのかもしれません。実際、塾でみていると、算数・数学が全般的にできる生徒は、他の教科も、概ねそこそこ以上の理解力を示す、というのが実感です。数学はできても他の教科はまるでダメ、という生徒がまれに見受けられますが、これは、きわめて少数派だから目立つだけではないかと思います。 ただ、これはあくまでも中学数学までの基本的部分について言えることであって、その後、それぞれの関心が多岐に分かれていくに従って、数学好きが他の面ではまったくさえなかったり、逆に、数学は苦手だけれど語学などにはかなりの力を発揮するなどの現象が出てきます。 話は少し変わりますが、小学生のわが子を塾に連れてくるお母さんのなかに「ウチの子はわり算もできなくて・・」という人がときどきいます。さっそく一つ一つ確かめてみると、たしかに一つ一つの処理は遅いのですが、子どもの表情をみていると、どこか不安そうではあっても、頭はしっかり働いているな、と感じるときがあります。そこで、ちょっといたずらっ気を起こして「問1.12個のミカンを3人で分けると一人何個ずつ? 問2.12個のミカンを一人3個ずつ分けると何人に分けられる?」を、親子それぞれに計算してもらった後に図解してもらうと、子どものほうが迷わず正しく描き分けたということがよくあります。同じわり算でも等分除と包含除の違いを意識しないで、ただ教え込まれてしまうので、子どもとしては不安を感じていたようなのです。 「ウチの子は算数が覚えられなくて・・」と言うお母さんがいて、よく聞いてみると、「小数の足し算引き算は小数点をそろえて、と教えると、今度はかけ算のときも小数点をそろえるんです。かけ算はちがうの、小数点から下のけた数を数えるの、わり算は上の方からけたをそろえて・・・といくら言っても覚えないんです」と言います。小学生はお母さんの指示に素直に従うことが多いので、これでは混乱してしまいます。算数や初歩の数学はだれでも教えられる、と考えがちですが、教える側は<やり方>を教えるのではなく、その奥にある<考え方>をしっかりと消化した上で、教えてほしいものです。 “ゆとり教育”とやらで、義務教育段階での算数・数学の項目がかなり削られたことについて賛否両論ありますが、わたしは一定の評価をしています。むしろ、さらに算数からは<比例>、中学数学からは<確率>を削ってもいいのではないかと考えています。どちらも上級学年でしっかりとした概念のもとにやることになっているからです。その分、義務教育段階では、整数・分数の加減乗除の基礎的な計算力、文字式の習熟、実用的な文章題、図形の基本的な性質、ぐらいに絞って、徹底的に時間をかける必要があるのではないかと考えています。 IT時代になれば計算力は必要なくなる、という人もいます。たしかに、計算ができるからといって数学全般ができるとは限らないし、具体的な場面での計算力の必要性は少なくなると思いますが、計算という作業のなかには、全体に気を配りながらも、部分に神経をはたらかせる、という訓練の意味もあります。 一方で「受験数学は暗記だ。考える力なんて必要ない」という人がいます。じつは、これは、高難度の大学入試問題や大変テクニカルな中学入試問題などに当てはまることで、制限時間のなかで合格点を取るためには、それが能率的な勉強法であることは確かです。しかし、これは限られた場面でのことで、それらの問題に取り組む人は、それ以前の細かな納得がベースになっているのだ、とわたしは考えます。 前半で述べた「義務教育段階での数学全般の学力が学校学力全般と相関関係にあるのではないか」という実感は、日常的な子どもたちとの関わりのなかでのものです。わたし自身もまだその意味を捉え切れていないのですが、<数学>という教科が抽象的論理的なものであるうえに、ある種の言語能力を必要としているからではないかと感じています。 **7月15日(火)掲載**
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第61回 英語について | ||||||||||||||||||||||||||
現在、塾の教室での<学校勉強>との関わり方、子どもたちへの伝え方・教え方は従来と変わらないものの、<学校勉強>に対するわたしの見方は、このところはっきりと変化し始めています。このことは、ここ数回のコラムの流れから感じ取っておられるかもしれません。そこで、各教科についてわたしが考えていることにすこしずつ触れていこうと考えています。
もとより、わたしはどの教科についても専門性を持たないので、的はずれの言い方も混じるとは思いますが、その場合はそれぞれについての経験と意見をお持ちの方々からご教示をいただきたいと思います。あくまでも、小学校上級から高校までのさまざまな教科と<よろずや的>につきあってきた視点からの感想です。 まずは、英語です。 「おれ、英語なんて一生使わないよ。外国人とつき合うことなんてないし、旅行に行くとしても、英語話せる人と行くよ。」英語嫌いな子の常套句です。実際、英語なんて大っ嫌い、と言う子は少なくありません。 中津燎子さんの「なんで英語やるの?」という本が一世を風靡した30年ほど前、「そんなの、入試に出るからに決まってるよ」と言い放った塾生がいました。先の英語嫌いっ子の常套句と同じように、ある面での本質を言い当てています。だから、「入試から英語をなくそう、そうすれば日本人の英語も少しはマシになる」と言った人の真意もかならずしも反語表現ではないはずです。 学校でやる英語は、<評価>という前提から離れられない限り、そのままでは<使える英語>にはなりません。なぜなら、スペルがまちがっていたり、語順がちがっていたり、3単現のSを落としている答案に○をあげるわけにはいかないからです。一方、語学の修得は、どの英語上達書も指摘するように、まさに「習うより慣れろ」で、読む・聞くことはもちろんですが、むしろ、ミスをおそれずに“話す”“書く”ことによって、格段の進歩をします。この2つはどうしても相容れないものだと思います。第43回のコラムに書いた英文交換ノート(文法もスペルも気にせず、言いたいことを手持ちの英語語彙を使って相手に伝える)は、評価とは無縁のところでこそあり得たものです。 英語の教科書は<役に立つ>と称して、会話表現を取り入れてきています。ところが、こういう傾向が強まってきてから、いっそう「英語が分からない」という子が増えているのではないか、というのがわたしの実感です。<自然な会話>をめざすあまり、初歩段階から頻繁に短縮形で表示したり、文法的に説明しにくい、くだけた表現を取り入れているためだと思います。 結論から言えば、学校の英語は、評価から離れられない以上<すぐに役に立つ>ことを目指すのではなく、あか抜けなくても、英文の基本的な仕組みと表現をひとつひとつ積み上げていくことが必要なのではないかと思うのです。この学校英語の訓練は、英語上達の妨げになっている、と言われますが、それは「まちがってはいけない」という意識が刷り込まれているからであって、その意識さえ乗り越えれば、ほんとうに英語が必要な場面になったときに<学校英語>で培った知識が役に立った、という話をよく聞きます。また、英語嫌いっ子くんのように、生涯英語を必要としない人にとっても、母語とはちがう言語構造に触れる意味があるのではないかと思います。 国際人とは、かのピーター・フランクル氏も言っているように「他の人間を、民族・国籍・人種などとは無関係に、その人の言っていること、やっていること、考えていることによって判断する人」のことで、けっして語学に堪能なことが必須条件ではありません。また、観光旅行でもない限り、実用的な交渉の場面で、あの「初歩の英会話」的なものが役に立つとは思えません。表現がたどたどしかったり、通訳に頼っているとしても、そのビジネスの内容にどれだけ精通し、自分が言いたいことをどれだけ明確に持っているかが問われるんだ、ということを商社マンであった友人から聞いたことがあります。 **7月8日(火)掲載**
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第60回 学校勉強って・・・ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「こんな勉強をやって将来なんの役に立つの?」と、子どもたちはこういう“素朴な”疑問をよく出します。じつは、その疑問を発する心の内は必ずしも素朴であるとは言えず、単に「勉強をやりたくないから・・」であることが多いのです。以前は「ほとんどなんの役にも立たないよ。まあ、塾の先生にでもなれば少しは役に立つかなあ」などと冗談めかして言っていたのですが、最近はちょっと考え方がちがってきました。
義務教育では、数学・英語・国語・社会・理科の5教科に、音楽・美術の芸術教科・技術・家庭の生活科目、そして健康を支えるための体育とがあります。わたしたち大人も、かつては「なんでこんなことまでやるんだ」と一度ならず考えたことがあるはずです。だから、前記の子どもの疑問にもハタと答えに窮してしまうのかもしれません。 しかし、この教科のラインナップをよくよく眺めてみると、なかなかよく選ばれていることに気がつきます。論理力や計算力(数学)、コミュニケーションの力・表現力(英語・国語)、社会現象を理解するための基礎知識(社会)、自然現象を理解するための基礎知識と考え方(理科)、それに生活と健康を豊かなものにするための経験と訓練(芸術・生活・体育)、これらの中には人類が営々として築き上げてきた知恵のエッセンスが確かに組み込まれています。これらが、学校または教師たちによって、具体的にどのように伝えられているかはべつの問題としても、こういう教科を通して伝えようとした能力が、人間社会の文明を支えてきたことを否定できないような気がします。 少なくとも、義務教育段階でのこういう勉強は、将来ごくふつうの生活をするごくふつうの子どもたちにとっても、充分に役に立つのではないかと感じるようになりました。このことについては、別に項を立てて書いてみたいと思っています。 話はちょっと脱線しますが、わたしが子どものころは、夜の娯楽といえばNHKのラジオしかないという時代でした。その選択の余地のないラジオの中で、政治・スポーツなどはもとより、新諸国物語などのラジオドラマをはじめ、歌謡曲からジャズ・クラシックなどの音楽、落語・講談・浪曲から長唄・新内・義太夫・歌舞伎中継などの伝統芸能まで、ありとあらゆるジャンルのものに接しました。皮肉なことに、現在のように豊富な情報量の中から“自由に”選べるとしたら、まず一生知らずに終わってしまったような文化に接することができました。今となってみると、このころのことは、わたしにとってはかけがえのない財産になっています。 それはさておき、<学校の勉強>(必ずしも<学校でやる勉強>を意味しません)を、<文化の継承>と捉えれば、ちょうどわたしにとってのNHKラジオのような役割を担う必要があるのではないかと、考え始めています。 「何でもきみの好きなようにしなさい」というのは、自分がやりたいことを明確に持っている子にとってはいいのですが、大多数の子にとってみれば、これほどキツい言葉はありません。ある程度の枠を示すことでかえって豊かな表現ができたりすることは、俳句などの定型詩の例にもみられることです。そして、自然にその枠を打破するだけの必然と能力を持った人間が、さらに新しい地平を切り拓いていくのだと思います。 最近の学校現場での流行に<朝の10分間読書>があります。これは、なかなかのヒットで、初期のころはとまどい気味だった子どもたちでしたが、これによって理屈抜きに本を読む楽しみを見つけた子が確実に増えました。 <朝の10分間読書>は、それによって感想文を書かされたり成績評価がされたりするものではないので、あれだけ普及してきたのではないかと思います。このことは、<学校勉強>が子どもたちに受け入れられるヒントになるものではないか、と考えています。 **7月1日(火)掲載**
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第59回 許容の幅 | ||||||||||||||||||||||||||
このところますます蒸し暑くなってきて、子どもたちが「クーラーつけてよ」と言うことが多くなりました。そういうことにキビしいわがツレアイとの間で「まだダメ」「もう暑くて勉強できないよ〜」「ウチワを使いなさい」「ケチッ」という応酬が続きます。
北側のマンションからの排気に耐えきれなくなって、3年ほど前にやっとクーラーを教室に入れたのです。それまでは扇風機とウチワとタオルで、子どもたちは塾の夏を乗り切っていました。わたしたちは「汗をかいたほうが新陳代謝がよくなるし、頭も働くよ」と言い、彼らに言わせると「学校よりもマシだ」ということで、暗黙の合意が成り立っていたようです。 ところが、こうしてクーラーを入れてみると、とたんに、冒頭のような子どもたちのブーイングが多くなりました。“ドライ設定”にしていたのに、どうも涼しすぎると感じていたら、だれかがこっそりと25℃の冷房設定に変えていたなどということもありました。冷暖房完備の私立の高校生に聞くと、学校では“室温設定20℃”のなかでみんながふるえていた、なんてこともあったようです。 寒さについても同じようなもので、以前は、寒い教室の中で足元を温かくしていれば、大した不満もありませんでした。勉強の能率もむしろ上がっていたような気がします。ところが、ガスストーブ、赤外線暖房となるに従って、かえって「寒い、寒い」を連発する子が増えてきました。 話は変わりますが、駅の階段がガラ空きなのに、押し合いながらエスカレーターに殺到している光景を、わたしはいつも不思議に思っていました。あるとき高校生が「だって、あるものは使わなければ損じゃん」というのを聞いて、妙に納得をしてしまいました。 人数が少なくて、われわれがずっとそばについていることができていた学年がありました。必然的に、子どもがちょっと行き詰まると教えてしまう、ということになります。ところが、それが習慣になってしまうと、少しの時間でも「わからない」という状態に耐えられなくなります。 兄弟が大勢いたり、1クラス50人などという時代には、親や先生の目が行き届かず、ぽつんと一人で遊んでいる子が必ずいました。わたしもそういう子どもの一人だったことがあります。その時代には、だれかにシカト(無視)されるのが怖い、などという感覚はなかったような気がします。いま、イジメの中でもっともツライのが<シカト>だと言います。核家族の中で、いつでもだれかに注目されて育ってきているからなのでしょうか。 教育関係者の中には「子どもたちに耐性がなくなってきたのではないか」という言い方に激しく反論する人がいます。わたしの目から見ても、一人ひとりの子どもから受けるものは千差万別で、これはむかしとすこしも変わっていません。しかし、彼らを取り巻く環境は大きく変わっています。そして上記のような子どもたちの言動はどんどん増えています。 子どもたちに限らず、われわれの社会が便利になればなるほど、細かいところに目が届くほどに、「ちょっと我慢する」「ちょっと待ってみる」ことに対しての“許容の幅”がどんどん狭くなってきているような気がします。 許容の幅が狭いということは、環境や境遇の変化に対応できない、ということです。そして、その許容度の狭さが1億3千万人分集まって、ますます環境を悪化させていく、という悪循環になっていくとしたら・・・と、埒もないことを爺は考えているのです。 **6月24日(火)掲載**
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第58回 反抗期 | ||||||||||
「あれっ、来ていたんだね。こんばんわ!」「・・・・・」「こんばんわっ」「・・・・・」。中2は反抗期のまっ盛りです。「チワッスでも、チワでもいい、ニコッとするだけでもいい、あいさつしよう。それともなにか気に入らないことがあったのかな?」と、シツコク迫ります。「べつに・・」「だったら、あいさつしよう」「どうしてしなきゃいけないの?」「きょうは、いまきみと初めて顔を合わせたんだ。戦う相手とだってあいさつするんだからね・・。おじさんのこと憎んでいるわけじゃないだろ?」というやりとりがあって、それでも、彼はブスッと黙ったまま席につきます。かといって、そのままフテているわけでもなく、しばらくすると「きょう、学校でねえ・・」と屈託のない笑顔で話しかけてくるのです。
「なんで、こんな勉強なんかやんなきゃいけねえんだよ〜」いつもやっていることなのに、部活で疲れているせいか、Tくんは、きょうはやたらと反抗的です。「そうか、やりたくないか、それならやらなくていいよ。バイバイ」と、あっさりプリントを取り上げると、キョトンとした顔をしています。わたしが困ると思っていたのに、肩すかしを食ったのでしょう。 個人差がありますが、わたしのところでは中1の中ごろから中2にかけて男の子たちが<反抗期>に入ります。女の子たちはこれよりも早く、小学校の5・6年から始まるようです。 観察していると、この<反抗期>に入る前は、親が、子どもに対してふだんどんなことを言っているのかがとてもストレートに伝わってくる時期があります。いわく「高い授業料出して塾に来ているんだから、○○高校ぐらい入れてくれるよね」とか、「パパみたいにならないように、もっと勉強しなくちゃ」などなど・・・。これが、<反抗期>に入ってくるとピタッと言わなくなり「かったるい」「ウザい」「ヤダ」 が始まります。 ものの本によると、なにに対しても「やだ」「いらない」という幼児の反抗期を第1次反抗期といい、この時期に、自他の関係を測り、自我感情が目覚めていき、さらに、青年前期の、環境からの分化・独立にともなう不安や動揺を起因とするものを第2次反抗期と呼ぶそうです。そうしてみると、いま中学生たちが直面しているのは第2次反抗期であるはずです。でも、前述の例のように、彼らの言動はどうみても第1次反抗期的なものに見えてしまうのです。つまり、具体的に言うと、言われたこと、指示されたことと逆の行動をとることで、自分自身を主張し、どこまでやれば相手が怒り出すか、を測っていると思われる言動が多く見られるからです。 現代の中学生にとって、あと、5年や10年は親の保護下にあるのは当然のことで、ほとんどの子が「環境からの分化・独立にともなう不安や動揺」などということは、まったく無縁の環境の中にいます。むしろ、彼らにとって不安なのは、人との距離、自分が外からどう見えているか、ということのような気がします。 だから、<反抗>もほかの子と合わせる、というのがこの時期の特徴です。冒頭のあいさつについて言えば、ほとんどの場合、この時期でもふつうにあいさつをする学年が多いのですが、小学生のときから塾にいる子が反抗期になってこのパターンになると、あとから入ってきた子たちは、右へならえとばかりに、取りあえず、こちらの言うことにギャクフリ(逆振り)をすることになります。 なかには、反抗期らしい反抗期が見られないまま中学時代を終わる子がたまにみられます。<わたしの塾>というきわめて限定されたところからのちょっと乱暴な言い方になりますが、こういう子には、大きく分けて2つのパターンがあるように感じています。1つは、徹底的に親に抑えつけられてきた子、もう1つは、全く逆に、ほとんどの行動と欲求を認められ、受け入れられてきた子です。どちらも、反抗する気力を奪われているか、反抗する指標がないからなのだと思います。ともに、大人になってから、なんらかの大きな<生きにくさ>に直面しているようです。 子どもたちが<反抗期>にさしかかってきたとき、わたしは「これ以上はダメ」という限度を、理屈抜きにはっきりと示しています。 ――塾に来ている以上は勉強する、広い意味で他の人の権利を奪わない、あいさつをする――この3つについては徹底します。これは、<絶対的な正しさ>としてではなく、わたしからのメッセージです。それを示すことで、彼らは安心もするし、そのことについて<反抗>することによって、<第1次反抗期>的な目的を達成しているようにも思えます。あるいは、これは“気に入らなければ、いつでもやめることができる塾”だからこそできることなのかもしれません。でも、少なくとも、こういう限度を示したことでやめていった子はひとりもいません。 一方で、個々の生徒とわたしとの相性はさまざまでも、子どもたちはどの子も、おじさんやおばさんに<かわいがられている><心配されている>という確信があるから、安心して<反抗>ができるのではないかと、ひそかに考えています。 **6月17日(火)掲載**
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第57回 幼友達が「先輩」に変わる日 | ||||||||||||||||||
1年ほど前に「部活」をテーマに書いたことがありますが、今回は違う角度から「部活」を見ることにします。
春の大会が終わり、中間テストも終わって、部活が本格的になってくるこの時期、中1たちのなかに、ちょっと憂鬱そうな顔を見ることがあります。テストの結果が悪かったのかな、学校で何かあったのかな、と心配していると、ポツリと「○○ちゃん、先輩なんだよな〜」とつぶやきが漏れます。いままでにも何度か経験しているので、さては、この子も・・と思い当たります。 幼稚園の行き帰りに、じゃれあったりケンカをしたりしてきた友だち、小学校のときも登校班がいっしょで、お互いの家に遊びに行ったり、家族同士で出かけたりしたこともある親友、そんな大好きな○○ちゃんがいる部活だし「入っておいでよ」と誘われたから、喜んで入ったのに・・・。たった1、2年早く中学に入っただけなのに、○○ちゃんとは呼べない。いままで一度も口にしたことがない○○ちゃんの名字の後に「〜先輩」とつけて呼ばなければならないのです。 「○○ちゃん」と呼びそうになるのをグッとこらえて、やっと「Aセンパイ」と小さな声で言ってみると、○○ちゃんもなんとなくぎごちない笑いを返してきます。○○ちゃんも、ほかの上級生の手前、センパイとしての“威厳”を保とうとしています。 こういう状況が何ヶ月か続くと、この先輩・後輩関係は、かつてトモダチであったことをほとんど忘れたかのように、はっきりとした“身分関係”に変わっていきます。こんなちょっぴりはかなくも哀れな<子ども時代との別れ>を何度も聞いたことがあります。 1年生の中には「来年が楽しみだ。自分が先輩になったら思いっきりしごいてやる〜」という子もいます。反対に「先輩にやさしくしてもらったから、来年入部してくる子たちにはやさしくしてやるんだ」と言う子もいます。 もう20年近く前の話ですが、Mという子が部活に入ったとき、1年上にHという友だちがいました。Hは後にオリンピック選手となったほどの才能がある選手で、当時から目立つ存在でした。それほどの選手だったので、ともすればHは部活の仲間から孤立しがちだったようです。そんなHを後輩ながら“友だち”として自然に接してくれたMの存在は,Hにとってはありがたかったようです。厳しい全日本の合宿明けの年末には、わたしのところでMとたわいないおしゃべりをするのが、Hにとってはこよなく楽しい毎年恒例の“行事”になっていました。 先生に対しては言いたいことを言うのに、部活の顧問とセンパイに対しては<敬語>を使い、なんでも言うことを聞かなければならない、これは古くからの<体育会系>の習わしで、まさに旧日本軍の統制の仕組みをそのまま持ってきたものです。それが、日本のスポーツを強くしてきたと信じている人たちがいまだに多くいるようです。 スポーツ競技の最先端は、まさに厳しい練習が必要です。たとえ、それがコーチの指示であったとしても、それぞれの競技の最先端の人たちのそれは、自ら求めて自分と自分の技術を鍛えるものです。そこに、練習の厳しさとは無関係の理不尽な人間関係は必要ない、ということは近年のスポーツ界でも少しずつ認められてきています。 中学生には、そんな理不尽さはなおさら無用のことです。むしろ、せっかく有能な逸材が、そういう人間関係の中で競技をあきらめていった例をいくつか知っています。愚弟は、ある競技のオリンピック日本代表監督を務めたことのある男ですが、「中学生までは、高度なテクニックや勝つことへの執着より、基礎的な体力をつけたり、なによりも楽しさを知ってほしい。それが、日本のスポーツを底上げすると思う」と述懐しています。 **6月10日(火)掲載**
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第56回 公開授業 | ||||||||||||||||||
先日、地域の中学の公開授業に行ってきました。在校生の父母はもちろんのこと、だれにでも開放しているので、土曜日ということもあり、来年入学する地域の小学生や、地元自治会の人の姿なども見られました。
わたしにとっては45年も前に卒業した母校で、当時が偲ばれるものは何一つとしてありませんが、このところ毎年授業参観させてもらっているので、学校内のようすはだいぶ分かってきました。当時は木造2階建て校舎が3棟と鉄筋2階建て校舎1棟、それに音楽室などいくつかの設備があるだけでした。現在は生徒数も大幅に減っているにもかかわらず、5階建ての校舎に重層体育館、さまざまな資料室、準備室など、じつに多彩に整っています。 木造校舎にすし詰めだったころの中学生と、近代的な設備にかこまれた現在の中学生との比較などというヤボなことはやめて、まず、この中学に10人ほどいるわが塾生たちのクラスの授業を足早に回ってみました。 塾にいるときとはおよそ違う彼らのようすにまずびっくりしました。緊張しているのか真剣なのか、ひたすら授業を聴き、黙々とノートを取っています。感心しながらよく見ていると、なかには、ひじをつきながら巧妙に居眠りをしている子が何人かいました。そして、塾生の一人が先生に指名されると、こちらがドキドキして「おい、それは何度もやったよな。答えられるよな」と、祈るような気持ちになり、無事に答えられたのを見て、ホッとしている自分に気がついて苦笑してしまいました。 日頃、子どもたちからそれぞれの先生の評判を聞いているので「なるほど、この授業じゃわからなくなるのもムリないよな」とか「子どもたちが言うほどじゃないぞ。なかなか有能な先生のようだ。でも、後々の発展のことまで考えて説明しているからわかりにくくなるのかもしれないな」などと、内心うなずきながら見て回っていました。廊下からそっとのぞいているわたしに気がついて、授業中にもかかわらず、ニコッとする子もいて「前を見るように」とあわてて目配せをしました。 休み時間になって生徒たちが廊下に出てきたので、目立たないようにしていたのですが、何人かはめざとく見つけ、満面の笑みを向けてくれました。子どもたちは<非日常>が大好きで、学校という場でわたしを見かけたことが、とても奇妙に新鮮な気持ちだったのだと思います。チャイムが鳴り、つぎの時間が始まったというのに、バタバタと走ってきた子が、わたしにドンとぶつかりました。振り向くと塾生のSくんです。ニコニコとうれしそうに「理科の実験なんだけど、忘れ物をして教室に取りに来たんだ」と言います。塾でもいろいろなものを忘れることが多い子なので、わたしも思わず吹き出してしまいました。 その夜、塾に来た子たちは、口々に「○○先生の授業どうだった? あれ、わかりにくいよね」とか「おじさん、塾でみるときとぜんぜん違って見えた。」などと言います。「きみらも学校にいるときは、みんなまじめだなあ。塾でもあの位シ〜ンとしてやってみないか?」と言ってみると「だって、つまんない授業はねむいからひたすら聴いているフリをしているだけだよ。」と返ってきます。彼らは翌日の日曜日もテスト勉強に来たのですが、先生があれほど時間をかけて熱心に説明していたはずの事項を、きちんと理解しているようすはありません。 公開授業に備えて特別の準備をしたように感じられる先生、いつもの通りの授業をやったと思われる先生、あきらかに参観者の目を意識して緊張していた先生、いろいろでした。生徒たちもまた、外来者たちが行き交うなかで、ふだんとは違う気持ちでいたかもしれません。そういうことを割り引いて考えても、この公開授業は、毎年いくつもの収穫があります。 **6月3日(火)掲載**
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