す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第55回 学校信仰 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
<学校に期待してはいけないもの>シリーズを読んだある若者から「なぜ、そんなに学校や教師をかばうの?」と言われました。これは大変な誤解を受けているのかもしれない、と思い、シリーズの総まとめをかねて<学校信仰>について考えてみることにしました。
わたしは学校や教師をかばっているのでもなければ、学校や教師はどうやってもダメなのだから期待しないほうがいい、と言っているのでもありません。子どもにかかわる様々な問題を学校に依存し、あるいは思うようにならない結果を学校の責任にする、というような発想をそろそろ転換して、親あるいは生徒の一人ひとりが学校という制度を<利用>する主体になっていく必要があるのではないかと考えているのです。 一人ひとりが主体となる上での障害となるのが、いろいろな意味での<学校信仰>です。「学校さえ出ていればなんとかなる、学校を出ていないと社会に出ていけない」という全面依存型。「学校は子どもたちのためにあるのであって、知識の量も知的能力も人格もすぐれた教師たちがわれわれの子どもを教育・指導しているところ、あるいはそうあるべきところ」という信頼型。そして、こういうものの対極に「学校こそが現代教育のすべての元凶だ。学校をもっと楽しく明るい場所にしていかなければ」という全面改革型があります。どれも学校を主体に考えているという意味では<学校信仰>に陥っているのではないかと思います。 それでも、学校さえ出ていれば・・、という<全面依存型学校信仰>は徐々に崩れつつあるようです。不況が長引き、企業も、従来のように学歴や学校学力だけで採用するような安易な方法では、この時代を乗り切っていくための有能な人材は確保できなくなっていて、ソニーなど一部の大企業でも、採用時には学校名を一切伏せたまま、本人の独創力・適応力などを先入観なく測る、という動きが進んでいます。また、終身雇用制はほぼ完全に崩れ、いつリストラされるかわからない時代に、全面肯定型の<学校信仰>は薄れていかざるを得ないでしょう。その一方で、<資格社会>といわれるように、さまざまな資格を付与する法人が次々と現れ、10年以上前から、あたかも<資格信仰>とでも言いたくなるような現象が起きてきています。 つぎの<信頼型学校信仰>は強く残っています。中でも1970年代以前に中学時代を過ごした大人たちには、この傾向を強く持った人をよく見かけます。それでも、IT革命・情報化社会が進むにつれ、学校でなくとも必要な知識はいくらでも手に入る時代になって、若者たちにとっては、これもだんだん影が薄くなってきた<学校信仰>です。 最後の<全面改革型学校信仰>こそ、ほんとうに根強い学校信仰です。この種の信仰を強く持つ人は、学校の現状や教師に対する不満がいっぱいです。そして、「子どもたちにとってより楽しく、より過ごしやすい学校を求める」というのは、いかにも正論のように聞こえてきます。しかし、これは、子どもの人間的生活をすべて学校という理想的な枠の中に囲い込んでしまうという発想がベースにあると思います。これでは、子どもたちも教師もますます窒息状態に陥ってしまいます。各地で、<理想の教育>と銘打って発足した私立学校が非常に厳しい状況に置かれているのは、その一つの表れではないでしょうか。 こうして<学校信仰>の基盤は次々と崩れていっているにもかかわらず、ほとんどの人が学校に通っているなかで、子どもが<不登校>にでもなったら、親はほんとうに家庭崩壊でも起こしかねない状況、というのがいまだにあります。そして、それをなんとか克服していっても<中学卒業資格認定試験>や<大学入学資格検定試験>などで、何とか<学校というコース>に戻ろうとします。げに、<学校信仰>は根深いものだなあ、と思います。 このようなことを書いてくると、今度は、す〜爺は学校を否定しているのか、と言われそうです。そうではありません。今後、少しずつ述べていくつもりですが、わたしは、学校勉強は大切だと考えています。また、さまざまな個性を持った同世代と過ごす学校生活は、人間の成長にとって、そして、将来の社会にとっても大切なことだと思います。しかし、それは、学校に依存することではなく、生徒本人と親たちが主体的に学校とかかわっていくことによって、学校の存在意義が装いを新たに浮かび上がってくるのでないでしょうか。その中には、当然、学校に行かない、という選択肢も、学校というインフラと教師という人間的なツールをフル活用していく選択肢もあっていいのではないかと考えています。 **5月29日(木)掲載**
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第54回 学校に期待してはいけないもの−しつけ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「親がいくら言っても言うことを聞かないので、先生から強く言い聞かせてください」とか「おたくの学校の生徒が店で万引きをした。何とかしてほしい」などということばはよく耳にすると思います。
でも、親が言っても聞かないことを、他人である教師が言うことで結果として子どもが受け入れたとしたらどうでしょうか。それは、教師から受ける何かの威圧であったり誘導であったりして、当の子どもが心から納得したものではないかもしれません。また、仮に子ども自身が先生のことばに深く感じるものがあって受け入れたとしても、それは、たまたま親からの要請の内容が教師個人として深い共感があり、そのうえ、教師と子どもとの強い信頼関係がある場合に限られるような気がします。そして、その分、当の親と子の信頼関係を築くチャンスが遠ざかってしまうのではないでしょうか。 以前から、本の万引きは一つの書店をつぶしてしまうほどだと聞いたことがありますが、このところは、いわゆる新古書店というのが増えて高く本を引き取ってくれるので、被害はさらに拡大しているそうです。そして、その多くが子どもたちによるものだそうで、罪悪感もかなり薄いのが最近の状況のようです。 こうした万引きを見つけた場合、商店によって対応はさまざまですが、まず学校に通報するというのも多いようです。その結果、教師は放課後でも親といっしょにあやまりに行くことになります。なぜ、学校外で起きたことで教師が責任を負わなければならないのでしょうか。これは、たぶん商店の側からすると、<学校の責任>と考えているからではなく、子どもにとっては親に連絡されるよりも、学校に知られることはいろいろな意味で困ることなので、その抑止効果を期待してのことだと思います。しかし、これが繰り返されると「学校はいったい子どもたちに対してどういう教育をしているんだ」という定型句が力を得て、学校が何かしらの手を打つことを迫られたりします。 ある中学では、校長が「早いうちに犯罪の芽をつみ取った方がいいから、当校生徒の万引きを見つけたら、直接警察に通報してください。」と発言したそうです。これもまたおかしな話だと思います。学校が学校外の生徒の行動について、そういう<公式見解?>を出す必然性がありません。 浦和の調神社の十二日町のパトロールについても、同じような奇妙さを感じます。子どもたちは、何時頃はヤバイ、どの辺りには○○先生がいる、などと情報交換をしてスリルを味わって(?)います。 万引きのことについても、いろいろな場面での生徒に対するアドヴァイスにしても、十二日町のパトロールにしても、教師一人ひとりの人間としての個人的な関わりを否定しているのではありません。人間としてやむにやまれず行動したり、かかわってきた子どもがどうしても心配で動くことは、ある意味では当然のことです。しかし「学校だから、教師だから」という理由で、そういうことを期待したり、また学校もその期待に応えようとしていくことには疑問を感じます。 わたしがこのシリーズを通して言いたかったことは、社会や家庭が教師や学校に対する要求をどんどん増やすことによって、学校という場の主体である子どもたちにとっても教師たちにとっても、学校がますます住み難いところになっていくのではないかと感じているからなのです。 **5月20日(火)掲載**
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第53回 学校に期待してはいけないもの 教師の人柄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
またまた、クレームが付きそうなタイトルです。初めに断っておきたいのですが、「教師の人柄なんてどうでもいい」と言っているわけではないのです。人として社会人として当然に要求されるものはあるはずです。しかし、今回のコラムでは、「先生のくせに・・」「教師としてあるまじき・・」という非難や「先生なんだから当然・・」という期待について書こうとしています。そして、このシリーズで言い続けてきたとおり、日常接している生徒たちが教師に対して要求することは、大いにあっていいと思うのです。つまりは、親や外部の人間が、教室での教師の言動にかかわるとすれば、教師によるひどい言動や強い体罰など、子どもでは対応できない事態に限定されたものであってほしいと考えているのです。
「E先生ってすごいんだよ。球技大会に勝ったら、だれを胴上げしようかって話していたら、そんなの、まず先生を胴上げするに決まっているじゃない、と怒ったんだ。それでね、Aくんがね、先生重いからみんなつぶれちゃうよ、って言ったら、また怒って、Aくんは立たされちゃったんだ。」小6のMちゃんが話す中年の女教師E先生のエピソードは、どれもユニークです。5月頃には1学期の分を終わらせてしまって「先生は優秀な先生だから、ほらこんなに早く終わっちゃったでしょ」とすましています。親が聞いたらびっくりするような話がいっぱいです。でも、Mちゃんだけでなく、クラスの子どもたちは、そんなE先生に不満を漏らしながらも、どこかおもしろがっているようすが伝わってきます。中学生になったMちゃんたちは、今度E先生を訪ねていくことをとても楽しみにしているようです。 学校を休みがちのT先生がいます。その先生の担当クラスだけ大幅に授業は遅れるし、親たちはもちろん、子どもたちからも不満が噴出していました。推測ですが、さまざまなストレスが原因のようです。ところが、そんなT先生のことをとても慕っている生徒たちがいるという話を聞きました。「オレたちはどうせ嫌われ者さ」と言って授業をエスケープして学校の廊下などでたむろしている生徒の一群です。T先生は彼らのつらさや不安を真剣に受け止め、親身になって心配していたようです。たぶん自分が置かれている状況と彼らのそれを重ね合わせて、<教育的配慮>としてではなく一人の大人>として接していたのではないかと思います。 E先生やT先生のような先生ばかりではありません。生徒たちからバカにされ無視される先生、子ども顔負けにすぐキレて職員室に引き上げてしまう先生、授業中はまったくさえないのに、部活の顧問としてはオニの○○に変身する先生、わたしの耳に入ってくる話だけでもさまざまな先生たちがいます。 でも、幸いなことに、子どもたちにとっては、どんな先生であろうと3年も同じ一人の先生に習うということはほとんどありません。仮にそうだとしても、何人もの他の教科の先生、他のクラスの先生たちと接しています。前回にも書いたとおり、学校は社会の縮図なのだから、さまざまな教師がいていい、欠点も弱点も持った生身の人間としての先生たちからこそたくさん学んでいくのではないかと考えています。 教師という職業は特殊なもので、だからこそ一般人よりも高い人格や広い社会常識を身につけていなければならない、とか、教師ってヘンな人種だ、ということを言う人は多いと思います。上に書いたように、あるいはときどき報道されるように、確かに首を傾げざるを得ない教師もいるにはちがいありません。しかし、これはその人たちが<人間>としておかしいのであって、単に一般社会がヘンになっているのと比例しているにすぎないのだとしか思えません。むしろ、<完成した人格?>の教師ばかりがいる学校があるとしたら、その方がずっとこわいような気がしています。 子どもたちが日常接する親以外の大人として、少年団のリーダー、お稽古ごとや塾の先生、近所や商店街のおじさんおばさんなどがいます。教師たちがこういう人たちよりも<高い人間性>を要求されるいわれもありません。逆に言えば、教師たちに要求される<人間性>があるとしたら、子どもたちと日常接する大人たちにはみな同程度に要求されるはずです。 そして、かくいうわたしも、子ども時代を生きている人たちと日常接する人間の一人として、自分自身の未熟をいっしょに鍛え上げていくという気持ちで生きていこう、と考えているのです。 **5月14日(水)掲載**
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第52回 学校に期待してはいけないもの−授業の質 | ||||||||||||||||||||||||||
「えっ? だって、今年の先生は当たりかな?ハズレかな?っていうのが、年度初めの話題の中心でしょ。なんでそれがいけないの?」今回のタイトルを見て、そう感じた方は多いと思います。
新年度の授業が本格的に始まってまもなく、中1のMちゃんが「ねえ、社会科ぜ〜んぜんわかんないから教えてください。社会の先生、なに言ってんだかわかんない、ってみんなも言ってるよ」とすっとんきょうな声で言います。どれどれ、と授業のノートを見せてもらうと、子どもの写し違いの可能性の分を割り引いたとしても、あまりにもわかりにくい板書です。ふだんは英語・数学をやるだけで精一杯なのですが、ほかの子もまだ来ていないときだったので、地図の経線・緯線の見方から世界の時刻の話を始めていました。 すると、あとからやってきたべつの中学のAちゃんが「あっ、わたしもそれわかんない。でもさ、ぜんぜんわかんない授業ってヤバいって思うから、自分でちゃんと調べたり、こういうふうにして聞くから、だいじょうぶだったりしてね。おもしろい先生の授業って、笑っているうちに時間が過ぎて、なにやってたんだかわかんなくなちゃうってことあるよ」と、なかなかうがったことを言います。 ひどい授業のために勉強がわからなくなってしまった、という話を聞きます。長年、学校の外側から子どもたちを通していろいろな先生を見てきました。Mちゃんの社会科の授業のように、あきらかに先生自身が力がないと思われるもの、逆に、殊更むずかしい問題をテストに出したり、進学塾顔負けのようなハイテクニックの解法を示して悦に入る先生もいます。手ヘンのハネが小さいだけで×にする先生、ピリオド一つで英文全体をペケにして英語苦手っ子を増やす先生・・それこそ枚挙にいとまがありません。できるまで何度でもやらせる熱血先生のために、まちがえることに強い恐怖心を持つようになった子もいます。 当面は、確かに困ったことではあります。でも、Aちゃんの言うように子どもたちは意外にたくましいところがあります。それに、同世代を生きる人たちはもとより、先生も含めてさまざまな人間と出会い、悲哀を感じたり、失望したり、感動したりすることこそ、社会の縮図としての学校の最大のはたらきだと思いませんか? その意味では、上に挙げた状況をどのように克服していくかというのも、人間の成長にとっては大切なことだと思っています。 以前のコラムでも書いたように、食欲だって、本来は生きていくための本能として自然に備わっていたはずなのに「おいしいよ。栄養があるよ。だからどんどん食べなさい」といって、毎日のように豪華な料理ばかり並べられたら、食欲も減退するし、拒食にだってなるはずです。勉強も同じことです。勉強することだけに価値と目的があって、すばらしい素材をすばらしい教師たちが理想的な手際で展開する授業ばかりに接していたら、ほとんどの生徒にとっては、じわじわと息が詰まるような気持ちになってくるはずです。まずい素材をうまく料理する先生や、いい素材をわざわざまずくするような授業、あるいはまずい素材をさらにまずくする先生など、いろいろいてこそ生徒たちにとっては、多面的な見方ができるのではないかと思っています。 つまり、長い目で見れば、勉強は単なる素材に過ぎないのであって、その料理人である先生とのさまざまな人間関係こそが、目的だとさえ言えるのではないかと思っています。オトナになったみなさんも、学校時代を振り返ったとき、先生にどういう教科内容を教わったかよりも、良くも悪くもどんな先生だったかを鮮明に思い出すことの方が多いでしょうし、それがかりに劣悪な師弟関係(?)だったとしても、その後の人生に与えた影響は、授業内容よりもずっとプラスに働いているのではないかと思います。 かなり大胆なことを書きましたので、すこしでも誤解が少なくなるように補足すると、生徒たちは上記のような授業に対して、わかるように教えてほしいと要求していいと思いますし、先生たちもまた、少しでもいい(と自分自身が考える)授業をする努力があってもいいと思うのです。しかし、それはまさに現在進行で向きあっている教師と生徒の個別の関係、の中で言えることであって、「授業はかくあるべし」などと一般論でくくったりすることはできないのではないかと考えています。 **5月6日(火)掲載**
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第51回 学校に期待してはいけないもの | ||||||||||||||||||
昨年の暮れにこのコラムで取り上げた「学校が見える!」というシリーズをご記憶の方はおられるでしょうか? その後、お母さん方や学校の先生たちと話す機会が多く、学校に対するさまざまな注文が年々増えているようなことを耳にしていますので、改めて、そのことについて考えたいと思います。
わたしが塾を始めた30数年前は、学校はまだまだ敷居の高いところでした。「ウチの子が先生に殴られてケガをして帰ってきたのですが、たぶんウチの子も悪かったはずですし、しようがありませんね。」という親や、「学校できちんと教えているのに塾に通うなんて、学校を信頼していないんですか?」と言われて、塾をやめていった子もいました。 その後、塾を主体にした研究会や学校教師を中心とした教育市民運動の第一のテーマは<学校の垣根を低くすること>でした。教師による体罰・進路選択の半強制など、当時学校が抱えていた問題の根っこが、「学校の垣根の高さ」にあると考えられたからです。その甲斐あってかどうかはわかりませんが、学校を取り巻く社会状況の変化もあって、学校の垣根は急激に低くなっていったような気がします。 それは、理想に一歩近づいたかのように見えて、反面では、無分別な教師バッシング、それまでは曲がりなりにも成立していた授業の不成立、それにともなう教師たちの困惑、疲れ、自信喪失を生み出したと言われています。 子どもたちは日常的に学校や教師と接し、学校の楽しさも不合理さも知り、教師のすばらしさやダメさ加減、頼りがいやくだらなさを身を以て感じているはずです。その意味では、生徒と教師は、まさに人間対人間として対等の関係であっていいと思います。誹謗・罵倒・暴力など、教師が人間として生徒に対してしてはいけないことは、生徒も教師に対してしてはいけないはずです。そういうものに対して、教師も人間として毅然としているべきだと思うのですが、そうもいかなくなっているのが、一部の学校現場の実態です。 その原因の一つに冒頭の<学校に対するさまざまな注文>があるように思います。当の教師を跳び越えて、いきなり管理職や、教委にクレームを付ける、しかも「ウチの子が・・」というものが多いと聞きます。これが高じると、教師たちは<当たらず障らず>になるか<神経過敏な対応>のいずれかになってしまいます。 行政機関としての学校のあり方だとか、生徒が畏怖を感じるほど教師が威圧的な場合などは、親は大いに出ていくべきだと思うのです(意外にも、こういう教師に対しては親も沈黙することが多い)。しかし、必要以上に学校や教師に期待したり、その裏返しとして、細かいクレームを付けることは、結局は<子どもをあずけているわたしたちの側>にとっては、こと志とはちがって、学校がどんどん居心地の悪い場になっていくのではないかと、ひそかに心配しているのです。 次回から、2,3回、「学校に期待してはいけないもの」について考えてみたいと思います。ご意見をお寄せください。 **4月28日(月)掲載**
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第50回 時代の子 | ||||||||||||||||||
学校の新年度が始まって2週間が経ちます。子どもたちは、それぞれ新しい担任やら、それぞれの教科の先生、部活の新顧問、そして初めて同じクラスになった級友の品定めに忙しい時期です。
ところで、まったく根拠のない話なので、本格的な話題にはならないのですが、かなり広い範囲のわたしたち塾仲間が集まる会では「今年の中1は、何となく幼いんだよね」「そういえば、ウチの中1もそんな感じだなあ」「中2はガキっちょって感じでおちつきがないしなあ」「そうそう」「中3はうるさいけれど私語は少ないんだよね」などという話がときどき聞かれます。 友人の学校教師に聞いても、なんとなくの学年カラーというものがあるようです。わたしのところのように小さな子ども集団だと、末っ子や一人っ子が大部分を占めているとか、男子が多いとかいうように、たまたまの組み合わせによるのではないか、と思われることもあります。でも、かなり広範囲の地域での塾のようす、多くの子どもたちがいる学校でも、同じような傾向にあるというのが大変興味深いのです。ほんの1学年の違いでずいぶん印象がちがう、というのが実感です。こういうことは学者がいくら分析してみたところで、はっきりした要因を突き止めることは不可能なのでしょう。 ツレアイとときどき話しているのは「そういえば、いまの中3の子たちはポケモンってほとんど関心なさそうだけれど、中2の子たちは、小学校のときけっこう夢中になっていたよね。」「あの子たちが生まれたころ、なにか大きな事件ってあったかなあ」などと、根も葉もないようなことです。 だいぶ以前、1964年東京オリンピックの年にカラーテレビが一気に家庭に普及して、その前後に生まれた子たちが中学生になってきた1970年代後半、高校進学率が90%を超えたのだそうです。そして、その後に到来した校内暴力の嵐・・・。こういうものに何かしらの相関関係があるかどうかなんて、だれにもわからないことです。でも、その当時、わたしは漠然とですが、「カラーテレビに育てられた子どもたち」というイメージを彼らから感じたものです。 そして、バブルがはじけたころに生まれたいまの中学生たち、ファストフードが当たり前になり、不況の時代を乗り切るためなりふり構わぬテレビ番組、コマーシャル、は節度がなくなり、そのうえゲーム、ケータイと、彼らはとてつもなく大変な時代を生きているような気がします。 オウム真理教事件が連日テレビに流れ、阪神大震災の悲惨が日本中を駆け抜けた1995年生まれの子どもたちは、いまちょうど8歳になり始めています。イラク戦争の報道と底なしの不況の世の中が茶の間に流れる現代に生まれた子どもたちはどうなるのでしょう。人間が成長する1時期、<時代>がどのような光と陰を与えるかが、どれほど影響があるものなのか、だれにもわかりません。 子ども一人ひとりをみている限り、昔と少しも変わらないものが見えるのですが、集団の目で見ると、それぞれの時代によって、子どもたちのカラーはずいぶん変化しているような気がするのです。わたしが、「子どもは両親の子であると同時に<時代の子>なのではないか」と感じるのはこういうことです。 **4月22日(火)掲載**
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第49回 「男の子」という精神的弱者たち | ||||||||||
このところのコラムで、どちらかといえば「男女共学推進派」としての議論を進めてきましたが、これは「<さいたまの教育状況>が自然なものになるためには」という、いわば真正面からの議論でした。しかし、わたしの周辺のせまい見聞に限ってみると、男の子たちがますます弱くなってきているような気がしています。「男女共同参画社会」とは言っても、今のままではかなりバランスの悪い、つまり、極端な女性主導型の社会になるのではないかと思っています。ジェンダーバイアス(性別役割意識)という非常に危険なテーマに踏み込んでしまうおそれを感じながらも、「近ごろの男の子たち」のことを考えてみたいと思います。
「じつはオレ・・・ふられちゃってさ。いま、駅のそばの電話ボックスからかけているんだ」夜中の1時過ぎに、塾OBのK君から電話です。「ホントはケータイ持っているんだけれど、知らない人に涙見られそうで恥ずかしいからさ・・」「わるいけど、ここまで来てくれる?」というわけで、そそくさと着替えて出かけてみると、彼はボックスにもたれかかって呆然としています。「ま、歩きながら話すか」と声をかけると、黙ってついてきました。問わず語りにポツポツと話し始めます。「わかってたんだけどなあ、つらいよ・・・。なんか、オレの気持ちをもてあそばれたような気がしてさ」K君からの電話とメールは、それから2,3ヶ月は続きました。 「ほかに好きな子ができたんだってさ、チョームカツク・・」と憤懣やるかたないのは、A子ちゃん。ひとしきり当たり散らして「ま、いーか。じゃあね。ありがと」と、さっぱりした表情で帰っていきました。 失恋のときだけではなく、進学についても、職探しでも、決まるまではあれこれ迷うものの、いったん決まったあとの割り切りが比較的早いのは女の子たちのようです。男の子たちは、決まったあとで「やっぱりまずかったかなあ。止めてくれればよかったのに・・」とグチることが多かったような気がします。大学などでも、男子ばかりの中の女子学生は比較的たくましく学生生活を楽しむのに対して、女子学生が多い中に入った男子学生はほとんど無視されてしまう、という話を聞いたことがあります。 「母親が男の子に甘い」というのは、昔から言われてきたことですが、このところ「どうも、兄(弟)のほうにばかり目がいって、妹(姉)のことは、まあ、いいかって思っちゃうんですよね。」と言ってのけてしまう母親が年々多くなっているような気がします。「お父さんが頼りないから、せめてこの子だけはちゃんとした教育を受けさせたい」などと言う人もいます。女の子には家事をさせて、男の子には勉強をやって・も・ら・う・ために、ついついほしいものを買い与えてしまうことさえあるよう です。 なにやら、戦前の男尊女卑が復活したかのようですが、旧時代とちがうのは、「男は、やってしまったことの責任から逃げるな」とか「いざというときには、命を懸けて女子どもを守り抜け」という、いわゆる<男子教育>がなくなったところに、<甘さ>だけが与えられるのですから、たまったものではありません。かくして精神的に弱い男の子たちが量産されているのではないか、とさえ感じるのです。 元来、男は女性に比べて<精神的に弱い性>だからこそ、<武士道>や上述のような<男子教育>が必要だったのだ、という説を聞いたことがあります。少女の犯罪に比べて少年による犯罪が圧倒的に多いのも、腕力の違いだけではない、この<精神的な弱さ>から来ているようです。だとすれば、ジェンダーバイアスに陥らないような新しい時代の<男子教育>を、<家庭での子育て>という観点から考えてみるのも必要かもしれませんね。 **4月15日(火)掲載**
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第48回 エリート意識 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前回のコラムでは、みなさんからの活発な書き込みをいただいて、楽しく読ませていただきました。しかし、わたしが<男女共学の問題>と<イナカ臭いエリート意識>を並列的に扱ってしまったために、議論が混乱してしまったようです。そこで、今回は予定を変更して、この<エリート意識>について考えてみたいと思います。
自分が行きたかった私立高校にA推薦(以前の単願推薦)で入学した男の子がいます。その男の子のお母さんが、悲しそうな顔でやってきました。そして、「ウチの子のところに遊びに来ている子がいるんですが、その子が母親のわたしの目の前で『おまえの高校、クズみたいだから、オレなんか100回受けても受かるよ』って言うんですよ。その子、浦高に受かった子だから、言われてもしようがないし、ウチの子もあまり気にしていないようなのだけど、わたしはとてもいやーな気分なんです。」と言います。それを聞いたわたしは二の句が継げなくて「本人はジョーダンのつもりで言ったのでしょう。それにしても、もしかしたら、品性の低い親に育てられた気の毒な子かもしれないなあ」と言うのがやっとでした。 中学生だったころ、非常に深く鋭い思考力を持ちながら、学校が要求する時間制限や既成の解答からズレているために劣等生とみなされてしまった同級生がいました。教師はもちろん、本人自身も劣等生だと思っていたフシがあります。反面、当てはめ、模倣の能力に長けていたおかげで優等生を続けて、現役で東京大学に入ったけれど、どうしようもなく品性下劣としか言いようもない人間に会ったこともあります。感性豊かで見識も広く、ひたすら謙虚ながら卓越した技術を持つ小学校卒の家具職人を知っています。もちろん謙虚で好奇心旺盛で温かい人柄の東大教授もいます。 <テスト適応力>という限られた能力だけで見ても、中学で優等生、高校で優秀といったところで、たかがしれています。<井の中の蛙(イナカ)>は広い世界に出るほど、自分が小さいことを思い知らされるはずです。そうなれば、少なくとも学歴だの<学校のレベル>だのといった次元で人を見下げたりプライドを持ったりすることはできなくなるでしょう。スポーツであれ、技術であれ、学問であれ、超一流と言われる人ほど謙虚になるのは当然なのだと思います。たぶん、それだけ広い世界を知っているからです。 そして、客観的にはどうであれ、ある分野で自分が<エリート>であると考える人は、一番の強者が登山パーティーの殿(しんがり)を務めるように、1歩も2歩もひくことにプライドを持つものではないでしょうか。英語に「noblesse oblige」ということばがあります。もともとは、高貴な身分の人間は、その分、いざというときには率先して身を挺して皆を守り、財をなげうつ義務を負う、という意味だそうです。そう言えば、東洋にも「君子は先んじて憂い、後れて楽しむ(先憂後楽)」ということわざがありましたね。自分が<エリート>になりたい人も、エリートとはそういうものだと考えていてほしいものです。 高級官僚や政治家が、エリートとはとても呼べなくなって久しくなります。身分制度は無くなりましたが、それにともなって<エリート>がいなくなり、<エリート意識>だけが残った社会は不幸です。 下世話な話ですが、飲み屋の<ほんとうの常連>というのは、女将さんや大将に顔を利かせて威張る客ではなく、一歩譲って、一見の客を立てて常客にする人だ、と聞いたことがあります。これも一種のエリートの香りがします。 **4月8日(火)掲載**
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第47回 共学化見送り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「ねえ、おじさんはどこの高校出たの?」子どもたちは、ときどきこんなことを聞いてきます。聞いている子どもの気持ちの状態によっては「オヤコウコウ」だとか言って受け流すこともありますが、だいたいは、あっさりと「浦高だよ」と正直に答えます。「すっげえ、おじさんアタマよかったんだあ」という反応を示す子から、「えっ、ホント? オレ安心したよ。浦高出ても(車も電子レンジもない)恵まれない生活している人もいるんだねえ」と妙な感心の仕方をする子もいれば「昔は今よりもずっと入りやすかったんじゃない?」と憎まれ口を叩く子もいます。ことほどさように、この地域では、かつてほどではないにせよ、まだまだ浦高(県立浦和高校)という名前の威力は健在のようです。
公立高校が全盛だった時代、この<浦高>を目指して、県内各地から浦高の学区域の中学に寄留する生徒が多くいました。わたしの母校の中学もご多分に洩れず、大宮・川口・岩槻・蕨などの近隣は言うに及ばず、遠くは春日部市や小川町あたりから地域に下宿して通学する生徒もいました。その結果、1学年600人にまでふくれあがりましたが、男子約300人のうち浦高に入学する生徒が50名近く、6人に1人の割合でした。わたしの中学からは女子の名門といわれる<一女>(県立浦和第一女子高)も同じようなもので、入学者数では浦和市立高を含めた3校が群を抜いていました。そのうえ、近所のお兄さんお姉さん、自分や友人の親兄弟もあたりまえのように両校の卒業生だったので、わたしの近辺での<浦高><一女>は、エリートでもなんでもなかったのです。 高校入学後にびっくりしたことの一つは、いわゆる地方(失礼!)出身の人たちのエリート意識の強さで、村で花火が上がって村長さんが駅まで見送りに来た、とからかわれる同級生もいたりして、いわば十把一絡げで入ってきたわれわれは驚くばかりでした。それでも、旧制中学の気風が残る男ばかりの高校生活は、思春期の少年たちにとってはきわめて快適で、夏の暑い日などは上半身裸、短パン一つで授業を受けることもありました。保健室に初めて若い女性の養護教諭が赴任してきたときには、授業中気分が悪くなる生徒が続出し、それを保健室まで連れていく役の保健委員の志望者が引きも切らなかった、というウブな時代でもありました。 そういうなかで、年1回の神奈川・湘南高校との定期戦はスポーツの楽しさもさることながら、共学の彼らが異性同士で話すようすがじつに自然であることに、うらやましさを超えて、自分たちがどこか特異な青春を送っているのではないか、と自問したことを覚えています。 そんな感覚が尾を引いていたのでしょうか、塾を始めて間もなく、友人に誘われて高校の同窓会に出たときのことです。先輩諸氏の意気軒昂とした<村夫子>丸出しのエリート意識に辟易としていたわたしは、若気の至りで「こういう学校があるから埼玉はいつまでも井の中の蛙(イナカ)なのじゃないか。浦高も一女もなくしてしまえばいいと思うよ」と、隣にいた友人に話しかけたのを先輩の一人に聞きつけられて、 「きさま、それでも浦高生かあっ(この言い方もまた時代を感じます)」と怒鳴られました。「伝統の大切さが分かっていない」と諭してくれる先輩もいました。それ以来同窓会に顔を出したことはありませんが、ときどき送られてくる同窓会誌は、その当時の<オラが浦高>という意識に変化は感じられません。 以前、その同窓会有志から「共学化反対署名せよ」という手紙が来ました。<一女>についても同様だったようです。都立高校出身のわがツレアイは、異国の文化に触れたような顔をして「大学の同期で『わたしはイチジョです』という子がいて、とても不思議な響きを感じたけれど、この手紙を読んでなんとなく分かったような気がする。ほんとうに埼玉はイナカだねえ」と感じ入っていました。 25日、県教委は県立高校の一律共学化を当分見送る、という決定をしました。男子校の楽しさを充分味わい、田舎暮らしにもあこがれているわたしですが、政令指定都市になっても「さいたま」は当分イナカのままなのかなあ、とホッとしたような遠くを見るようなこのごろです。 **4月1日(火)掲載**
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第46回 イチローのコーチ | ||||||||||||||||||
「高校生クラスって、どんな科目をやっているのですか?」と聞かれることがあります。「どの科目でもいいですよ」と答えると、「えっ、先生一人でですか?」と電話の向こうで驚いた声が聞こえます。「文系科目はわたしが主で、理系の科目はツレアイが中心になりますが、二人とも何でもやります。・・」と、このあたりで、「そうですか・・、では失礼します。」と電話が切れることもあります。
高校の教科は科目数が多い上に、中学までとちがってどの教科も奥が深く、学習量も膨大です。そんなものを、一人や二人で全部できるわけない、という気持ちが働くのでしょう。たしかに、受験勉強を終えたばかりの、むかしの国立大学(かつては、文系理系とも受験科目は英数国のほかに理科・社会それぞれ2教科)の秀才1年生だったらともかく、すべての教科の内容に精通するのはムリというものです。しかも、英語・数学・古典・漢文などに加えて、物理・化学はいうに及ばず、地学・生物、世界史・日本史・倫理社会・現代社会から、はては、工業高校の「機械設計」、商業高校の「商業簿記」まで持ちこまれるのだから、「サギじゃないか?」と思う人がいても不思議ではないかもしれません。 しかし、いわゆる難関校といわれる高校の生徒も、商業・工業・看護などの専門学科の生徒も、音楽などを専攻している私立高の生徒も来ています。そして、ありがたいことに、どの生徒もそれなりに、ここに来ていることに満足してくれているようです。 わたしたちが、これらの教科のすべてに精通し、どんな事項でも<指導・教授>できると、豪語できるはずはないのです。それどころか、仮に、彼らと同一の問題を時間を決めて解いていったとしたら、われわれよりも高得点を取る生徒は何人もいるはずです。そんな塾で、まちがったことを教わったらどうするんだ、と思われるかもしれません。 そこで、あのシアトルマリナーズのイチローのことを思い描いていただきたいのです。彼の野球の才能を引き出したといわれるチチローことお父さんはじめ、高校の監督、オリックスの新井コーチなどに、イチローを上回る打撃の見本を示して見ろ、と要求する人はいないでしょう。でも、イチローにとって、彼らの存在は絶対に必要だったのです。彼らコーチにとって、自分が打てる必要はないのです。イチローが打てればいいのです。イチローのフォームをチェックし、メンタルのバランスやフィジカルのコントロールに気を配り、彼の能力を最高度に引き出すのが彼らの仕事でした。長島茂雄前巨人監督がコーチとしては失格と言われたり、現役東大生に家庭教師を頼んだら全然ダメだったという話を聞くのも、生徒が達成する前に、彼ら自身が易々とできてしまうからなのかもしれません。 わたしたちも、同じようなことをしています。どんな事項でも「もう一度教科書を読んでみてね」といい、「この本に載っているはずだよ」と資料を渡し、受験問題なら、はじめから解答をチェックしながら説明します。学校の授業が分からなかった生徒には、ノートを持ってきてもらって、もう一度先生の説明を繰り返してもらいます。「機械設計」だって「商業簿記」だって、これでほとんど解決します。スランプに陥った生徒の話はじっくり聞きます。まさに聞くだけです。 子どもたちは、たまたま10代という年齢を、現在生きている人たちです。こと勉強に限らず。われわれの計り知れないさまざまな可能性を秘めている存在です。<指導>したり<授業>する、というより、彼らの勉強の現場に立ち会っている、と表現した方が当たっているかもしれません。 **3月25日(火)掲載**
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