す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
全265件中 新しい記事から 1〜 10件 |
先頭へ / 前へ / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / ...11 / 次へ / 最終へ |
第265回 最終回 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
いよいよ最終回となりました。2002年4月1日に、“第1回「文教都市浦和」という幻想”を掲載してから、ちょうど6年になります。寛容な担当スタッフのおかげで、書きたいことをそれほど制限を設けず書かせていただいた6年間でした。
振り返ってみると、わたしがこの連載を通して言いたかったことは、教育のシステムにしても、学校の現状、地域や家族、そして子どもたちの状況についても、あるいは政治や経済の方向や社会の流れに関しても、そのベースには、“次世代の行く末”への希望と危惧とがあるように思います。 浦和の隅っこの、吹けば飛ぶよな小さな私塾のおやじが言うことなど、なんの力にもならないことを承知の上で、このつたない文章を読んでくださった人のうちの一人でも、いままで考えたこともなかったことに思いを馳せていただければ、望外の幸せと思い定めて書き続けてきました。その思いの一端は、前回のレスに長々と書きました。 40年の間、さまざまな人たちが、あたかも稚鮭のように成長し、岩をかむ怒涛に翻弄されてもがいたり、大河の主流から離れた深淵をさまよったり、それでもやがてきらきらと光を浴びた穏やかな河口の川面に遊び、そして次の世代を残すために、大海の水平線のかなたに泳ぎ出ていく・・、そんな現場に居合わせることができました。 わたしのパソコンの“浦和の隅から教育をのぞく”のフォルダのなかに“書き溜めフォルダ”があって、そこには、わたし個人のファイルの中だけにとどめておくべきものがいくつも入っています。とどめておくのが惜しいエピソードもたくさんあったのですが、これは、“稚鮭たち”一人一人との関係を大切にしたいわたしの矜持でもあります。 最終回に何を書こうかと思い悩みました。子どもたちと20年以上にわたって続けてきた“交換ノート”のこと、心の底によどむ悔恨と迷い、わたし自身の障害のこと、“使い捨て”にされていることへの怒りさえ奪われてしまった若者たちのこと・・・、どれも、短い紙面では書き切れないか、わたしの筆力に余ることです。 第214回では「わたしが塾を続ける理由」について書きました。その後半部分は、まさに、わたしの“塾への思い”そのものです。第79回 「無意味の意味」と、第245回「便利さのツケ」では、“社会と文明への思い”を書きました。これらが、長い連載のエッセンスかもしれません。 そこで、あらためて「学ぶことの意味」について考え、締めくくりとすることにしました。 わたしが塾を始めた動機のひとつに、“自分の世界を広げる喜び”を知ってほしい、という思いがありました。古今東西から発信され営々と積み重ねられてきた“人類の知恵”を共有する喜び、知らなかったことに初めて触れる喜び、を子どもたちと楽しみたい、という思いがありました。自分の世界ができかかってきたときに、ふと気がついてみると、その自分の世界の先にドアがひとつ、そのドアをコンコンとノックすると、そこには、さらに新しい世界が広がる、それが世界のすべてだと思っていると、またその先に見慣れぬドアが・・・、と際限もなく広がっていくことの喜びです。しかし、現代では、その“際限のなさ”とあふれかえる情報とが、子どもたちを“自分の世界を広げる喜び”から遠ざけます。 そして、あたかも山登りのように、苦しくても頑張っていく道程の先に“広大でさわやかな展望”が待っていた時代ではなくなりつつあります。「つらくても頑張って、かならずよい結果が待っているよ。」というのは、目の前の成績であったり、合格の喜びであったりします。塾である以上、それらを目指すのは当然のことで、そのための努力と工夫は怠っていないつもりです。でも、それらの結果は、豊かで充実した人生の入り口であり、持続する社会への橋渡しであってこそ意味を持ちます。それらの“よい結果”が、一時的な周りへの見栄や優越感で終わってしまうような社会であってよいはずがありません。 わたしが繰り返し述べてきたことのひとつに、人間の“多彩な能力”があります。それらの多くは、与えられた課題に対して的確に反応する能力とは限りませんが、これもまた“自分の世界を広げる”という意味では“学び”であることにちがいありません。 「学ぶことができなくなった文明は滅亡に向かう」というのは、歴史が教えるところです。この“学ぶことの意味”が希薄になってきた現代、わたしたち一人一人の大人が、次の世代になにを伝え、なにを残すことができるか、目の前の子どもたち一人一人と真剣に向かい合いながら、この命尽きるまであがいてみるしかないか、と考えています。 さて このつたない連載に、貴重な時間を割いて書き込んでくださった「高3の親改め、ふたたび中2の親」さんを初め、「風」さん、若い「MOTER MAN]くん、「よっちゃん」、かつて、たびたび参加してくださった「教師29号?」さん、『小さな塾の講師」さん、「なっつん」さん、「かーやん」さん、cocoさん・・・、とても書き切れないほどの大勢の方々、多彩で貴重なご意見ありがとうございました。そして、書き込みはしなかったけれど、ずっと読み続けてくださったたくさんの方々、もうすでにこのサイトから離れてしまって、感謝のことばも伝えることができない方々、ほんとうにありがとうございました。 **3月25日(火)掲載**
|
第264回 地球温暖化? | ||||||||||||||||||
この連載では、“教育”だけではなく、政治に対しても世相に向けてもさまざまな批判をしてきました。そんな経緯もあったので、前々回、つたないながらもわたしなりの“公教育再生試案”を提言しました。今回は、わたしがもっとも関心が深い“地球環境”について、年来考えてきたことの一部を書きたいと思います。
なぜ“地球環境”かというと、次世代の人類社会を考えるとき、それこそが、まさにすべての問題の最上位にある問題だからです。世界のあらゆる英知があれこれと議論しているなかで、わたしごときが何か有益な知恵を出せるはずもないのですが、これからの社会を作って行く若者や子どもたち一人一人の顔を思い浮かべると、人生の舞台から消えゆく前に、ほんのわずかなヒントにでもなればと、考えています。 “地球環境問題”については、根底からの危機意識に欠ける2つの動きがあるように思います。 1つには、「地球をたいせつに」「自然を守ろう」などという情緒的なキャンペーンがあります。これはこれで大事なことだと思います。しかし、車や家電だけではなく、携帯電話会社に至るまで「エコロジー」をキャッチコピーにしています。“ラク・トク・ベンリ”を現出してきた企業ほど、その声は大きく、そのキャンペーンに乗って“ラク・トク・ベンリ”な生活を享受してきたと思われる人たちが、ずかずかと車で乗り込んでは「自然とのふれあい」「自然に対して謙虚に」などと言っているのを耳にすると、非常に空虚な言葉に聞こえてしまいます。 とは言え、車も持たず、携帯電話も電子レンジもない、電気も20アンペア契約のまま、という生活をしているわが家も、ずいぶん“ラク・トク・ベンリ”な毎日を送っているなあと実感することがよくあります。数年前から導入したエアコン、塾の初期にはなかったコピー機、パソコンと周辺機器、幼少のころにはなかった掃除機、洗濯機、冷蔵庫、蛍光灯、ガス器具、固定電話、音響機器、テレビ・・・(これですべてのようです)、人類の歴史の中のごく最近になって獲得した“ラク・トク・ベンリ”に囲まれて生活しています。そして、外出すれば、さらに多くの“ラク・トク・ベンリ”を享受しています。ということは、わたしのところでもまだまだ削減できそうです。それが、後で述べるわたしの提言の端緒になります。 そして、もう1つは、政治と経済の動きです。7月に開かれると「洞爺湖サミット」は、まさに“地球温暖化対策”がメインテーマですが、それに向けた各国政府の取り組みもまた、「1人1日1キログラムCO2削減」運動などのキャッチコビーだったり、二酸化炭素排出権取引だったりと、政治的エクスキューズ(言い訳)に終始していて危機意識が薄いようです。こんなことから、「温暖化論は、それで金儲けをしようとしている人たちの陰謀」(『環境問題のウソ』池田清彦著ーちくまプリマー新書)などという説も出てくることになります。 地球温暖化が、仮に「地球規模の気温の上下動の自然のサイクルの一端・・」(前掲書)だとしても、産業革命以前は、およそ 280ppm(0.028%)の濃度であったと推定されている二酸化炭素が、現在では、大気中およそ 370ppm(0.037%)ほどになっていることは事実で、その濃度増加の要因が、主に化石燃料の大量消費、つまりは、人間の“ラク・トク・ベンリ”を追い求めてきた営為の結果であることははっきりしています。 そして、それは“地球環境”だけではなく、世界規模の戦争の頻発や経済グローバリズムなど、人間の生物としての本能の低下につながってきました。 「自然を守ろう」などという情緒的なキャンペーンだけでは、“ラク・トク・ベンリ”を追い求める個人や企業には、ほとんどなんの効果もありません。必死に“エコ生活”を心がける人たちの“辛・損・不便”が拡大するだけです。また、二酸化炭素排出権取引などで“お茶を濁して”も、途上国の経済成長や森林破壊の加速化などで、早晩行き詰ってしまうはずです。 わたしの温暖化対策は、エネルギー削減対策とほとんど同義です。まず、現在の日本の人口がおよそ1億3000万人(在留外国人を含む)として、乳児から老人まで一人当たり年間10万円をエネルギーバウチャーとして、電子マネーか限定通貨券として支給するものです。それは、天然ガス・LPG・電気・ガソリン・灯油など、排出エネルギー削減効果の高いものに限定して使用できるものとします。 エネルギー利用が少なくて余剰が出てしまう場合は、そのバウチャーを専用の窓口を通して売ることができます。不足する個人や、エネルギーを安く使いたい企業は、その窓口を通してバウチャーを購入する、という仕組みです。これによる具体的なエネルギー削減量の算定は、いくつか試みましたが、わたしの力及ばず未知数ながら、かなりのものが見込めそうです。 あまりにも簡単に書いてしまいましたが、予算として15兆円ほどの規模になる上に、本音としては、あまり売り上げを落としたくない電力などエネルギー関係各社によってつぶされてしまいそうです。 道路特定財源が10年で59兆円、さらに、ある試算によると、税収約50兆円のわが国の実質的な国家予算は、200兆円を越しているとのことです。真剣にエネルギー削減の緊急性と重要性を考えるならば、15兆円はさほど高いとは思えません。また、バウチャーの売買に伴う経済効果も充分望めると思います。あるいは一笑に付されるのではないかと思いつつ、財政や経済の専門家の意見も、機会があったら聞いてみたいものと考えています。 さて、新年第1回に「わたしが書きたいことの大半は、すでに書き尽くした感があります。」と書きました。6年もの長い間、皆さんに励まされ担当者の方々に支えられて続けてきたこの連載も、3月いっぱいで終了させていただくことになりました。この件については、最終回となる次回に、さまざまな思いとともに書くつもりでいます。 また、とても僭越ながら、「オフ会」を開いて、これまでこのつたない連載を読んでくださった方々と、一人でも二人でもお目にかかることができれば、今後の励みになります。みなさんのご意見をお待ちしています。 **3月18日(火)掲載**
|
第263回 ある17歳 | ||
わたしにとってはややエキセントリックでほろ苦いエピソードです。先日も、現職校長の起こした信じがたい事件が報道されたばかりでもあり、現代ならば物議をかもすかもしれませんが、何しろ30年も前のことです。登場するご当人も、相手がだれであったかさえ覚えていないでしょう。
「どうしても観たい映画があるんです。母に話したら『一人ではダメ』ということなので、先生にごいっしょしていただきたいのです。友人を誘えない事情があるので・・・」そろそろ大人の風格が出てきた高校3年生の女生徒から、こんな言葉をかけられた30歳そこそこの独身男の驚きととまどいを想像してください。しかも、彼女は、非常に感性豊かで育ちのよい優等生です。かろうじて心の平静を取り戻して、「友だちを誘えない事情って?」と、最も気になったことを聞くと、「それは、あとでわかります。ご都合がよければ、○○日××時、銀座の○○という喫茶店の入り口付近の席で待ち合わせてください。」ふだんは控えめで冷静な彼女の、半ば強引ともいえるほどの態度に押されてうなずくほかないわたしでした。 恥ずかしながら、その日がくるまでの3日間というもの、「女生徒があこがれるような要素がどこにもないこのぼくに、どうして?」とか、「彼女の親はどう思うだろう」「友だちを誘えない理由は?」「なんで銀座? いったいなんの映画?」と、気持ちはちぢに乱れて、まさに夜も寝付けず、“背徳の畏れ?”と毅然とできなかった自分に苦しみました。 そして当日、約束の時間よりも少し早めに着いて、喫茶店で本を広げていたわたしの前に現れた彼女は、びっくりするほど大人びた装いで、見れば口紅さえ薄く引いているではありませんか。もう言葉さえもなくしているわたしに「きょうはわがままを言ってすみませんでした。これは、母からです。」と、テーブルの上に白い封筒を差し出しました。中をあけてみると、一通りの挨拶のあとに「先生となら、安心してお任せできます。失礼ですが、チケット代としてお使い下さい」とお金が同封してありました。出てきたコーヒーもそこそこに、「あまり時間がないので・・」という彼女に促されて映画館へと急ぎました。すると、着いた先には「赫(あか)い髪の女」という当時日活ロマンポルノとして評判の映画の看板がかかっていました。思わずたじろぐわたしは、彼女の「チケットお願いします。」という声に背中を押されて、なにがなんだか分からないうちにチケットを買い、館内に入っていました。 映画は、全編、陰鬱な雨のシーンを基調とした男女の絡み合いの連続で、恥ずかしいほど晩生(おくて)だったわたしは、まともにスクリーンを見ていられません。彼女のほうをそっと見ると、食い入るような目で身を乗り出して観ている横顔に、寒気さえ覚えました。映画が終わって、明るい街路に出てからも一言も出ないわたしに「きょうはありがとうございました。先生のおかげであきらめかけていた映画が観られました。でも、この映画の内容については母にも話していません。だれにも言わないでくださいね。それではここで失礼します。」と深々と頭を下げたかと思うと、コートの裾をひるがえして颯爽と歩いて行く後姿がありました。 もちろん、件の映画は、当時の「18歳未満お断り」現在の「R18指定」でした。わたしは今の年齢になってようやく、鋭い文学的なセンスを持っていた彼女が、なぜあのようにデカダンでありながらシリアスな愛欲の世界をのぞきたかったのかが分かるような気がします。そして、その相手がなぜわたしだったのかも・・・。 わたしへの誘いから始まって、母親にチケット代入りの手紙を書かせ、おとなの装いをしての喫茶店での待ち合わせ、映画館を出てすぐに別れるという手順まで、みごとに計算し尽くし、しかも、その計算さえも楽しんでいたかのように思えます。つまりは、当時17歳だった彼女は、一回り以上年長のわたしなどよりもはるかに“おとな”であったわけです。 じつは、今回の文章は“18歳成人論”が急速に進むことへの危惧をテーマとし、そのイントロとして書き始めたものです。ところが、それにしては、思いもかけず長いものになってしまいました。そこで、後半部分をカットし、このエピソードだけを独立させてしまいました。本論の“18歳成人論”については、あらためて書くつもりでいます。 **3月11日(火)掲載**
|
第262回 “公教育再生”私案 | ||
「情報化社会」と言われる現代は、ありとあらゆる情報があふれています。大学生にレポートを課すと、ほとんど同工異曲のものばかりになるそうです。ウィキペディアなどを初めとするネット情報から引用している学生が多いことから考えると、当然の結果です。さらに言えば、小学校から大学まで、学校からこれまで与えられてきた知識や方法のほとんどは、ネット・活字媒体・映像メディアのなかに存在します。少なくとも、「知りたい・分かりたい」という“意欲”と“理解力”があれば事足りるはずです。教科書さえろくになかった時代とは、“学ぶ”ことの意味は、大きく変わっています。さらに、ごく一部の大学を除いて、大学を出ただけでは、身分不安定で低所得の仕事しか選べない状況のなかで“学歴神話”も大きく崩れています。
そういう現代社会に生きる子どもたちや、その子どもたちを育てている親たちに向かって、どれほど言葉を尽くしてみても空虚に響くだけではないでしょうか。子どもたちの目と耳には、多種多様な情報が飛び込んでいます。その結果、まさに“スルー”するしかない状況におかれているはずです。あるいは、細心の栄養配慮をした豪華なごちそうを毎食目の前に置かれていて食欲がいちじるしく減退しているのと同じような状況にあります。ここに、さらに学習量を増やす方向がどのような結果をもたらすか、歴然としているように思えます。これは、日々子どもたちと接しているわたしの実感です。 ただ、そういう世の中の趨勢や教育行政の動きに対して、ただ異を唱えているだけではなんの発展もありません。そこで、10数年来温めてきたわたしなりの案を提示し、みなさんからの反論・異論をいただきながら考えを進めていきたいと思います。 まず、わたしが考える“公教育の目的”は、「われわれの種属(ホモ・サピエンス)が、今後、平和を維持しながら少しでも長くこの地球上で生き抜くために、祖先から受け継いできた知恵と感性とエネルギーを次世代に伝え、さらに豊かなものにすることができる社会をつくること」に尽きます。つまりは、“持続可能な社会の構築”です。あまりにも大きすぎるかもしれませんが、“公”の本質はこういうことにあると考えます。 つぎに、それを具体化するためのキイワードとして、「コミュニケーションの力」と「プライド(自己肯定感)ーかけがえのない自分」の2つを揚げることとします。 そのためには、授業や教科書など“ことばによる情報”をサブステップとすることが必要だと思います。もちろん、教師による“人間的な語りかけ”としてのことばは、ここでも大変重要です。しかし、メインステップとして、それ以上にたいせつなのは、インフラ(基幹施設)としての学校の位置づけです。 すでに一部地域では実現していますが、少子化傾向が進む中で、空き教室やスペースが多くなっている各小学校の施設内や敷地内に、公民館、老人福祉施設(デイサービスセンー、各種老人ホームなど)、障害者福祉施設(授産施設などを含む)を併設すること、がわたしの提案の骨子です。 公民館には、地域の大人たちが出入りします。子どもたちは、さまざまに学んだり楽しんだり活動したりする大人たちの姿を、“日常的に”目にするはずです。また、子どもたちは、地域の大人たちから“日常的に”見守られるはずです。 多くの老人たちは、子どもたちの歓声や笑顔が大好きです。ボランティア活動などで老人施設を訪れる子どもたちに接するときの老人たちのうれしそうな顔を、わたしは何度か見ています。成長するエネルギーは、老いていく者たちにとって最高の賦活剤(ぶかつざい)になります。また、子どもたちにとっては、”日常的な”自然な交流を通して、さまざまな知恵や引き継いできた文化を学び、人に喜ばれる自分を経験し、さらには、人の病気や死と、それがもたらすものについて学ぶことになるでしょう。 ハンディキャップのある人たちからは、人間の尊厳や生きることの意味を学ぶことができます。また、自分がわずかな力を貸すことだけで、その人たちがどれだけ行動の範囲を広げることができるかということを“日常的に”実感できるはずです。 このようなインフラを整備することの意味のなかで、“日常的”ということは、特に重要です。これまでも書いてきたように、子どもたちは“非日常”に強く反応します。「和田中・夜スペ」への異議も、高名な教育者による特別授業の意味を過大評価することに疑問を呈するのも、それが“非日常”であるからです。“非日常”のなかでの感動や楽しさは刺激にはなっても、自然に身にしみこむものにはなりにくいものです。子どもたちにとって“日常”とは、“慣れ”であり“自然に身の回りにあること”です。 わたしの塾でも、ハンディを持っている子や肌の色がちがう子などに初めて接して驚く子どもたちが、2,3ヶ月のうちには、まったくそのことを意識しなくなっていました。子どもたちにとって、“非日常”から“日常”への移行は非常に早く柔軟です。 ともあれ、こういう“日常”を通して子どもたちが学んだものは、どんな知識や方法よりも、確実な力を発揮するはずです。その上で、サブステップとしての基礎・基本となる読む・書く・伝える・聞くというトレーニングの意味が出てくると考えています。 前回、学校という“容器”の位置づけを決定的に転換し「子どもたち一人一人が成長するにしたがって、自分の生きる価値を発見し、さらに、自分以外の人間との共生力(コミュニケーション)を身につける場」として、その具体的なイメージについて書く、とお約束したわたしなりの構想の概略です。まだまだ書き足りないことがあります。みなさんからのご意見を受けて、すこしでも具体性のあるものにしていければと考えています。 **3月11日(火)掲載**
|
第261回 新学習指導要領(案)に思う | ||
文科省は15日に、小中学校の学習指導要領改定案を発表しました。来年度から移行措置をし、3年後の2011年度から本格導入するということです。
理数を中心とした主要教科の授業時間増、新教育基本法のナショナリズム的な色彩の部分を具体化した歴史重視や武道の必修化など、議論すべきことはたくさんあります。しかし、このような変化は、教育関係の重要法規が次々と入れ替わっていった時点で予想されたことです。 そこで、今回は、一つ一つの問題点よりも新指導要領案の背景にある問題を取り上げてみようと思います。 理念の中心には、いわゆる「生きる力」(基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力 ・自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性 ・たくましく生きるための健康や体力 など :文科省HPの定義より)があります。その“理念”を実現するための授業時間増と学習項目増である、というのが、新学習指導要領の骨子であるようです。 折りしも、中1・中2は学年末テスト、中3は県公立高校の後期入試が目前です。この土日は、朝から夕方まで、子どもたちのテスト勉強にびっしりと付き合いました。子どもたちには、それぞれのテスト範囲表に基づいてプリントを渡したり、各教科の重要な事項や苦手なところを中心に説明・演習を繰り返しました。そうしたなかで、やや意識して新学習指導要領の“理念”と子どもたちの現実を比べてみました。 「テストが悪かったら○○買ってもらえないよう、どうしよう。」「理科も不安だし、社会もヤバイ、それに家庭科の宿題も提出しなくちゃ、もう間に合わないよ」「おじさん、(数学の)証明、全部分からない。初めからびっしり教えて。」と、口々に言うのを、ツレアイと二人で、「まず、一番不安なところは何? それならこの間はしっかりわかっていたから、ここのところをもう一度やってごらん。証明やる前に、三角形の合同条件を、図と式と日本語で、それぞれ書き出してみてね。ほら、できているよ。さあ、この証明をしてごらん。・・・」などと、一人一人見ていきます。 現在、全体の8割ぐらいの子どもたちが、まがりなりにも勉強を投げ出すことなく取り組んでいるな、というのが、塾という狭い視野ながら、わたしが感じていることです。これは、ある意味では、学習項目が限定されている“ゆとり教育”の余禄?ではないかと思います。 「数学教育現代化運動」が学習指導要領に反映されたのが、わたしが塾を始めた1970年前後でした。まさに現代数学に直結する演算法則、集合論や位相幾何の初歩まで含まれ、抽象概念が好きな生徒はワクワクでしたが、その反面、実用的具体的な数学なら理解できるはずの多くの子たちが数学嫌いになりました。英語も、英米人でさえ知らないかなり特殊な熟語(be fond of〜など)が入っていて、やはり英語嫌いを増やしたように記憶しています。 “ゆとり教育”の旗振り役とされる元文科省審議官・寺脇研氏が、「学力低下と騒いでいる人たちは、“中の上”以上の子どもたちをみて言っているので、画一的に学習量を増やせば、“落ちこぼれ”が増える。地方分権が進めば、指導要領や文科省はいらない。」(毎日新聞2/16朝刊)とのコメントを寄せていますが、あながち彼の負け惜しみだともいえない面があります。一方、同じ日の紙面に、今回の改定案に中心的な役割を果たしたと言われる梶田叡一・中教審副会長のコメントがありました。要約すると「いまの若者は、都道府県の名前も、主要国の位置も分からない。公立学校から有名大学へどんどん合格できるだけの力をつけないとおかしい・・・」ということです。 そして、この両者ともに忘れているようにみえるのが、子どもたち一人一人の尊厳やプライドです。基礎基本が「都道府県の名前も、主要国の位置」であったりするわけではありません。現在でも、多くの子どもたちは、“必然がありさえすれば”そんなものはすぐ身につきます。受験のときできていればよい知識は、彼らにとって必然ではありません。それは、「できなければ○○してもらえないから」であったり「親に怒られちゃうから“いやいやながら”やるもの」にすぎません。それは、現行の簡易化した指導要領であっても変わりません。新指導要領では、寺脇氏の言うように、あきらめてしまう生徒がさらに増えるだけかもしれません。 これまでも書いてきたように、一握りの“優等生”を除く一般学生の“受験学力の低下”も、PISA(国際到達度調査)学力の長期下落も、社会構造の大きな変化がベースにあるものです。したがって、これは文科省や学校教育の力ではどうしようもないこととわたしは考えます。もし、あるとすれば、抽象的な学習内容や徳目を掲げるよりも、学校という“容器”の位置づけを決定的に転換し「子どもたち一人一人が成長するにしたがって、自分の生きる価値を発見し、さらに、自分以外の人間との共生力(コミュニケーション)を身につける場」とし、すべての学習は、それを実現し補完するものと捉えていくことではないだろうか、と思います。 す〜爺が言っていることも、しょせんは抽象的なお題目ではないかと言われそうですが、次回には、その具体的なイメージについて書き、みなさんからの意見をお聞きしたいと思います。 **2月26日(火)掲載**
|
第260回 大なり小なり“陳ハタリ” | ||
今回のタイトルを見て「???」となる人がいるかもしれません。この“陳ハタリ”というのは、わたしが塾を始めたころ(1960年代後半)の塾生が持ってきた少年雑誌に載っていたギャグマンガ「いなかっぺ大将」のなかのキャラクターです。中国人とアフリカ人のハーフという設定の少年で、中華帽をかぶっているときは、そつなくてややずるがしこいおだやかな父方の性格が出ていて、帽子が外れると、勇敢だけど凶暴な母方の性格が表れます。このマンガはテレビアニメ化されたと聞いていますが、それには出てこないということなので、この“陳ハタリ”は、たぶん、ちびくろサンボなどとともに、人種差別的ということで消えてしまったのではないかと思われます。
先日、あるお母さんと話していて「わたしはパパッと決めちゃうほうなんですけどね。まったく、主人に似たんですかねえ、グズグズとなにも決断できないんですよ、あの子は」という話になりました。「でも、彼は自分が好きなことだと止まらなくなっちゃうし、けっこうママにも似ているんじゃないかなあ」と、そこは長い付き合いの気楽さで言いたいことを話しているうちに、ふと“陳ハタリ”が頭に浮かんだというわけです。 もっとも“似たもの夫婦”ということもあります。どこか共有部分があったから夫婦になったはずだということでしょう。「夫婦は、同化しつつ異化し、異化しつつ同化する」とのたまわって「あれは、彼の敗北宣言よ。」と奥様に喝破されたのは、今は亡き恩師ですが、さまざまな夫婦を見てきてのわたしの現在の感想は、やはり「夫婦は、互いに決定的な異化に至ることを認めつつアウフヘーベン(止揚)する」というものです。若年離婚は、このアウフヘーベンまで到達していない現象なのでしょう。 つまりは、遺伝子も育ってきた文化的背景も異なる男女を両親として生まれ育ってきたのだから、子どもはだれでもがまさに、「大なり小なり“陳ハタリ”」であると言いたいのです。子どもとは、前述したアウフヘーベンの具体的な表徴なのかもしれません。 わたしの塾は、兄や姉の後に弟や妹が入塾してくることが多く、この場合、弟妹を兄姉の先入観で見ないことは、わたしたちの職業的な常識です。ところが、知人の子どもについては、この常識をうっかり忘れてしまうことがあります。いわく「あの親の子なのに、なぜこうなんだろう。」「いまは大人になって隠れてしまっているけれど、彼(父親)も子どものころは、あんなふうだったんだろうか?」などです。考えてみれば、DNAの配列組み合わせからいえば、親子の関係は、同じ両親から生まれた兄弟姉妹の関係よりもずっと遠いはずです。 その意味では、平穏なあきらめのための「蛙の子は蛙」「瓜のつるになすびは生らぬ」ということわざよりも、「鳶が鷹を生む」「出藍の誉れ」のほうの可能性にかけて、自分が果たせなかった夢を子どもに託そうとする親がいるのも無理のないことかもしれません。しかし、一方、「賢の子、必ずしも賢ならず」「親に似ぬは鬼子」というのもよくあることです。 実は、この“陳ハタリ”の具体的な例をいくつか書いてみたものの、本人たちの目に触れればあまりいい気持ちはしないかもしれない、と思い直してすべて削除してしまいました。 その代わりと言ってはなんですが、わたし自身の“陳ハタリ”について書くことにします。学生時代に「ツンツン節」という戯れ歌が流行ったことがあります。それをもじって、「顔のまずさは父に似て〜、アタマの悪さは母に似て〜」と口ずさんでいたら、たまたまそばにいた母に聞きとがめられて、叱られるかと思いきや、悲しげな顔をされて閉口したことがありました。母にしてみれば、今月初めの補遺に書いたように、世間的には“秀才”であった父の資質を、母親である自分が“うすめた”のではないかという思いがあったのかもしれません。 しかし、いま振り返ってみると、能楽、絵画、古典文学、武道などに触れることができたのは、母の実家に日常的に流れていた“文化の香”のおかげであったと思うし、われわれ兄妹3人に受け継がれているスポーツへの憧憬も、また母からのものであったかもしれません。このスポーツの才は、サッカー人生を歩んだ弟のところで開花し、母の実家の文化は多少なりとも妹に引き継がれ、長兄であるわたしにはどちらも中途半端のまま、好奇心旺盛で遊び好きだった父親の資質だけが、かろうじてその片鱗を残しています。 当然のことですが、この“陳ハタリ”現象は、マンガのようにはっきりと分けられるものではなく、渾然一体となってひとりの人間を形作っているのだということ、そしてたびたび表現してきたように、子どもは“時代の子”であり、さらには自我が育ってから以降は、当の子ども自身のものであるということを、子どもたちのさまざまな成長を通して学んできました。 そう考えてみると、「うちの子のあんなところ、どっち似?」とか「あっ、オヤジとそっくり同じことしてるよ、オレ」などと笑い話にしておくのが、“陳ハタリ”現象の平和的な扱い方なのかもしれません。 **2月19日(火)掲載**
|
第259回 “作られたポピュリズム”と公教育 | ||
第256回の冒頭に「教師という仕事が、いったいどうしてここまで虐げられる職業になってしまったのか」とする知人からのメールを紹介しました。このことについては、これまでも折に触れて考えてきました。現在のところ、わたしは、学校や教師に対してだけではなく、社会のあちこちで起きていることの背景に“作られたポピュリズム”がある、と感じています。
ポピュリズムとは、平凡社刊・世界大百科によると、(1)労働者や中産階級さらに一部の上流階級を含む多階級的な支持基盤をもち,(2)カリスマ的リーダーによって指導され,(3)反帝国主義,民族主義的イデオロギーを有し,(4)農地改革や労働者の保護政策により,大衆の生活水準の向上を企図するが社会の抜本的変革は志向せず,(5)階級闘争よりも階級調和を重視する点で共産党とは一線を画する、という共通認識があるようです。本来は、われわれ庶民にとって、どちらかと言えば望ましいものであったはずです。 ところが、現代日本のポピュリズムは、主としてテレビに主導されているポピュリズムです。それは、さまざまなスポンサーを背景とするテレビが誘導した“世論”によって示された視聴率に、テレビ局自身が振り回され自己増殖していくポピュリズムになっています。それがネットに連動して、匿名性の高いバッシングゲームに発展し、さまざまにストレスを抱えた人々にとっての絶好のサンドバッグになり、さらには現実社会がそれに過敏に反応する、という構図ができ上がりつつあるようです。 先日、いつも明るい中2の女の子がつらそうな顔をしているので聞いてみると「くーちゃん、かわいそう。なんであんなにいじめられなければいけないの?」と言います。倖田來未という歌手の大ファンである彼女から事の次第を聞き、あとで新聞やネットで調べて知った“問題発言”は、まさに、上記の構図の典型的な例です。厚労相あたりの発言ならば大問題でしょうが、何も知らない女の子がラジオの深夜番組で口走ったことなど「あら、私が40歳で生んだ子は、元気いっぱいに育っているよ。」で一件落着であるはずです。それを視聴率稼ぎのために引っ張り出すのが、テレビ業界の定法というものです。 こんなことならまだしも、現在準備進行中の「裁判員制度」は、“被害者保護”“市民感覚の導入”などを眼目にしていますが、これも、本来ならば、職業裁判官の視野と見識という資質の向上を優先しなければならないところであるのに、“開かれた裁判”というエクスキューズで“可能な限り厳密で公正な裁判”から遠ざかろうとしているかに見えます。裁判といえば、少年法61条に違反して実名報道した出版社に対してお墨付きを与えた大阪高裁判決(2000年2月29日)なども、職業裁判官の見識を自ら放棄し、“作られたポピュリズム”に擦り寄ったとしか思えません。 “餃子問題”が起きると、何の検証もなしに中国製品と見れば撤去してしまうことも、相次ぐタレント知事の誕生も、センセーショナリズムの産物という共通項でくくれそうに見えます。その陰で、一つ一つを検証しようと努力している人たちや、地方自治について真剣に考えようとしている政治家だけでなく、有権者さえも、あきらめと思考停止に追い込まれていきます。 さて、教育問題です。これまで書いてきた“作られたポピュリズム”の延長上に、学校や教員が“虐げられ”自信を失っている現状があります。例の杉並区立和田中の“夜スペシャル”にしても、先週発表された京都府教委による「フリースクールでの学習成果を学校の内申書に反映させる」とする措置も、“子どもたちのため”という大義名分がつけられます。“夜スペ”に関しては、以前に述べたとおり多くの問題があるし、フリースクールの件についても、公教育の意義を放棄すると同時に、学校という枠組みから逃げてきた子どもたちを追い詰めてしまう可能性の高い危険な措置であることにどれだけ気づいているのでしょうか。 冒頭の知人が発した疑問には、これまで述べてきたように、大衆消費社会を背景とした“作られたポピュリズム”が大きな要因と考えられないか、というのがこのところのわたしの感想です。元来、ほとんどの人が、自分自身も子どもも“学校”を経験しているので、自分が見てきた範囲で学校や教師を一般化しやすいこと、さらには、比較的多数の人たちが、学校や教師へのなんらかの怨嗟を抱えていること、学校教師の多くが、批判に対して過剰に萎縮するか逆上したりと“打たれ弱い”こと、などはよく言われていることです。それでも、かつては、授業がつまらなくても教師が理不尽でも“教えてもらっている立場”という意識が残っていました。 しかし、大衆消費社会を背景とした“作られたポピュリズム”が加わって、公教育が“サービス”になってしまったところに現在の問題があります。モンスターペアレントという人たちもこれらのことを背景として登場しました。ちなみに、塾にモンスターペアレントが押しかけた、という話を聞いたことがありません。塾は、まさに本来的に“サービス業”だからです。塾や家庭教師は、わたしの塾も含めて「一人一人のニーズに応える」のです。 それに対して、「わたしたちの社会がよりよいものになるため、これまで蓄積されてきた共同体の知恵と経験を次の世代に伝えていく」のが、公教育の最も重要な役割であるというのがわたしの持論です。「一人一人のニーズ」から出発した塾も、共同社会から委託されている学校教員も、およそ“子どもと接する立場の大人”に共通するのが「一人一人の子どもを大切にする」という当然の責務です。 その、当然の責務を“学校目標”としてしまったところに、“作られたポピュリズム”が入り込む余地ができたのではないかと考えます。 **2月12日(火)掲載**
|
第258回 ファミリー・サポート | ||
昨年、第234回のなかで「ワクワクするような“お仕事”の正体については、しばらくのあいだ伏せておくことにして・・・」と書いたことを覚えているでしょうか。この“お仕事”が、今回のタイトルの“ファミリー・サポート”です。
ご存知の方も多いと思いますが、これは(財)女性労働協会が進めていることでわかるように、働く女性たちの子育てをサポートするための活動です。さいたま市では市役所の子育て支援課内のセンターを通して、登録された依頼会員(サポートを受けたい人)と提供会員(サポートの意思がある人)とが結びつきます。両方の会員になっている人もいるようです。 サポートは1時間当たり700円(夜間は800円)の有料です。このあたりの料金設定は、提供する側がバイトと割り切れるほど高くはなく、交通費程度で“社会奉仕”をしているほど安くはない、依頼するほうからすれば「お金払っているんだから」でも「わずかばかりで申し訳ない」というほどでもない、なかなか絶妙な設定です。そのほかにも、“サポート依頼と提供がおたがいに気軽にできて長続きをする”ための工夫がさまざまにあります。 この活動のことを市報で知り、夫婦で提供会員登録をしたのは、もう6年半も前のことになります。当時、塾OGたちがおしゃべり会を兼ね、子ども連れで半ば定期的に集まっていました。そのときのことは、「第134回 “孫”たちの非日常」に詳しく書きました。ママたちがおしゃべりに花を咲かせているときに、わたしが子どもたちと遊んでいるのを見て「あんな風にだれかが子どもを見ていてくれれば、仕事にも出られるのにね」という話になりました。彼女たちは、いずれも遠方に住んでいるので「わたしが看ていてあげるから」というわけにはいきません。その経緯があったので、ファミリーサポートの話を聞いたとき「これをやってみよう」ということになったのです。 ところが、いざ始めてみると、何度かセンターからの依頼打診はいただくものの、早朝の幼稚園までの送りだったり、夕方から夜にかけての“託児”だったりして、われわれの生活パターンではムリなものが続き、「残念ながら・・」とお断りするたびに心苦しく思っていました。 最初に「これなら・・」というサポート依頼があったのは2年前、登録してから4年以上経っていました。新1年生を学校から児童クラブまで、4月中だけ送るというサポートで、拙宅でセンターの担当者の方とわれわれ夫婦、依頼の母子とで打ち合わせました。その後、3人で“予行演習”までしたにもかかわらず、学校のほうから「送迎は保護者以外不可」というクレームが入り、センター・依頼者・わたしたちにとってはあきらめざるを得ない結果になりました。なお、この件については“教育行政の問題”として取り上げたいところですが、本題から逸れてしまうので不問に付すことにします。 このあと、幼稚園の年中さんのSくんを、ほぼ週2回ほど園にお迎えに行って送り届けるサポートを引き受けることになりました。このサポートは、もう1年半も続いていて、Sくんは、わたしにとっては、もう“孫”のような存在になっています。あと2ヶ月足らずで小学校入学になるので、すっかり親しくなったSくんもわたしも、“おたがいに”「さびしいね」「うん、でも遊びに来るからね」と言い交わしています。 わたしが家を出てから送り届けるまでの約40分の行程ですが、毎回書いてきた「援助活動報告書」の記録を読み返してみると、ほぼ同じ道を80回以上いっしょに歩いてきたのに、1度として同じことがないことに気がつきます。そして、1年半の間のSくんの成長は、めざましいものがあります。たくさんのエピソードがありましたが、これは、わたしの“子ども理解の土壌”のなかに組み込まれて、いつの日か別の形で表れるかもしれません。 幼稚園の庭でSくんたちを待っている間に、若いママたちの会話を聞くともなく耳にするのも、わたしにとっては新鮮な“勉強”でした。塾OGのママたちは、わたしたちに遠慮こそないものの「こんなこと言えば、(わたしたちから)返ってくることばはわかっている」ので言わないことも、幼稚園のママたちにとっては、立ち木か置石のような存在のわたしなので、塾の品定めやら学校のうわさなど、おもしろく聞くことができました。 昨年の5月、第3子出産のために、3歳と2歳の兄妹を自宅から保育園まで送った1ヶ月ほどの、てんやわんやで楽しく、目まぐるしくてほほえましい体験は忘れられません。初めは、わたし一人でやる予定だったのですが、初日は、妹のほうが家を出るときから泣き叫び、念のため離れてついてきていたツレアイに助けを求め、やっと保育園まで送ることができました。ところが、お兄ちゃんが、健気にも妹のバギーを押したり、あやしたりしていたのは、初めの2回まで。“赤ちゃん無事誕生”のあとは、まったく逆転、今度はお兄ちゃんのグズリが始まって、もうツレアイと二人で“ひとさらい”状態でした。「ママから離れたくない」と泣きながら暴れるお兄ちゃんを抱きかかえての保育園までの道の長かったこと。ところが、そうなったら、2歳の妹のほうが、お兄ちゃんを気遣いながら元気に歩きます。お兄ちゃんは園に着いてもわたしのそばから離れようとしません。 しかし、だんだん回を重ねるにつれて、バギーも必要なくなり、途中で野草を摘んだりじゃんけんをしたり高い高いをしてもらったりゴレンジャーのまねをしたり、と約30分の行程を楽しむようになってきました。わずか1ヶ月の内面的な成長振りに圧倒される思いがしたものです。 いまでは、一人で育ったような顔をしている中学生や高校生も、“つい10数年前”にはこんな時代があったわけです。「人は3歳までに一生分の親孝行をしてしまう」という俚諺を肌で感じた一ヶ月でした。 **2月5日(火)掲載**
|
第257回 “勉強法”への怒り | ||||||||||
社会の流れや政治、経済を動かしているものに対しての憤りはあっても、特定の個人、殊に面識のない個人に対する怒りはほとんど持たない(あるいは持てない)、というのが、ある時期以降のわたしの傾向でした。わたし自身が、目の前の子どもたちや世の中にさしたる貢献もできないうえに、心ならずも人の気持ちを傷つけてしまっているかもしれない存在である、という忸怩(じくじ)たる思いがあるからです。
しかし、いわゆる“受験エリート”と言われる人たちが広言する“勉強法”とその表現の仕方は、活字で目にするたびに、はらわたの煮えくり返る思いがします。 今回、この稿を書くに当たって、それらを書いている人たちの経歴を調べてみました。すると、精神科医のW氏を初めとして、いずれも東京大学出身の医師?であるF氏、A氏、Y氏など、それぞれ家庭教師経験があったり、進学塾を経営していたりはするものの、いろいろな子どもたちと直接かかわってきた形跡はありません。 いわく、「かぶせ勉強法」「パラシュート勉強法」「丸暗記勉強法」などに始まって、「ガッツポーズ勉強法」「ドラマティック記憶術」「エピソード記憶術」までは、わたしも個別(ここが肝心です!)には、こんなタイトルこそつけていませんが、同じようなことを子どもに伝えたこともあるので、まあそれなりの意味があるかもしれません。ところが、「一発逆転丸秘裏ワザ勉強法」「一発逆転超手抜き受験術」などに至っては、学ぶことへの不真面目さだけでなく、人間観の貧しさまで感じて、彼が“人”と向かい合うべき医師であることでいっそうの嫌悪感さえ覚えます。 テスト前には読書三昧でろくな準備勉強もせず、生来勤勉とはいえなかった中学生時代、わたしなりに工夫した勉強法がありました。返却されたテストの間違えた箇所、曖昧なままの事項の周辺を、徹底的に納得がいくまでチェックし、調べ、先生に確認し、類似問題をやり、2度と同様な間違いをしない、というところまでやっていました。これは、自分の負けず嫌いで調べ好きの性格を考えてのことでした。宿題もサボり気味、授業中も自分の世界に浸っていたわたし(これは、塾の子どもたちにはナイショです)が、なんとか成績を維持できたのは、この習慣のおかげかもしれません。 そういうこともあって、負けず嫌いなのにあまり勤勉ではない子どもに上記の方法を“伝授”したことがあります。初めは、「な〜るほど、やってみます」と喜んでいましたが、実際には、×をみると悲しくなってしまったり「ほんとは、○○と書くはずだったんだ」と言いわけしてしまったり「同じ問題なんかこれから先のテストには出ないから・・」と、モチベーションが下がってしまったり、と続きません。まさに、比較的成績には無頓着だったわたしだけのやり方だったからです。いつも結果を問われ続ける今の子どもたちには向かないやり方でした。これもまた、子どもたちから教わったことのひとつです。 まして、東大医学部出身の諸氏が、「だれでもできる・・」「勉強にはやり方がある」「落ちこぼれでも東大に合格」などと、不特定多数に向かって広言することが、どれほど罪深いことか、彼らが意識せずにやっているとすれば、その想像力のなさにあきれるし、承知の上で、陰で舌を出しながら金儲けのためにやっているとすれば許しがたいことです。たとえば、上記Y氏の提唱する勉強法の中に「理系と文系科目を同時に勉強する」というのがあります。そんなことは、昔から多くの人がやっていたことです。 無精者だったわたしは、高校時代には、古典を英訳したり、英文を漢文調で訳したり、アメリカの数学教科書で勉強したり、A.トインビーの「歴史の研究」やIPS物理を英文で読む、などをしていました。要するに遊びながら勉強していたわけです。でも、そのわたしは、高校ではむしろ“落ちこぼれ組”のままでした。移り気なわたしに、継続する力とやっていたことを自分のものにする能力が備わっていなかったからです。 少なくとも勉強が嫌いではなかったはずの少年のころのわたしが、彼らの“勉強法”を実践したとしても、継続しなかった、あるいは、彼らが言うテストでの好成績は望めなかっただろうことは想像に難くありません。「それは、あんたの能力がなかったからだ」というのなら、「だれでも・・」という彼らのキャッチコピーは偽りであることの証明になります。 そして、彼らのもっとも傲慢なところは、自分たちが持つ学校学力・受験学力という限られた場面での処理能力(与えられた課題をクリアする能力)の高さが、あたかも唯一の人間の価値ででもあるかのように考えていることです。これまでも書いてきたように、人間には、実に多彩な能力があります。この40年、さまざまな個性に触れることで、その多彩で限りない能力を活かすための“学び”とはなにか、を子どもたちに教わりながら自分自身も学んできたような気がします。 そう言えば、かつて東大医学部の臨時講師をしたことがある知人が言っていたことを思い出しました。世界の人口問題は、貧困地域の人たちの断種・避妊手術で解決する、と大真面目に考えている学生が少なくない、ということでした。それを聞いて、身の毛がよだつ思いがしたものです。彼らの考え方を延長していけば、当然“優生思想”につながり、それはやがてホロコーストにも戦争にもつながっていきます。 彼らが、もし、その“勉強法”とやらを伝えたいのなら、不特定多数にではなく、密に付き合って表情も気持ちも能力傾向も把握できる目の前の子どもにだけにしてほしいものです。 彼らがもつマルチな処理能力や並外れたエネルギーは、努々(ゆめゆめ)多くの人を惑わすことに使ってほしくはありません。ぜひ、焦眉の急を告げる人類の危機を回避するために知恵を絞り、持続可能な社会を築くためにこそエネルギーを発揮してほしいものです。しかし、彼らの言動を見ていると、宇宙船“ノアの方舟”で、自分たちだけ脱出するすべを考えるのではないか、と思いたくなります。 **1月29日(火)掲載**
|
第256回 百人一首 | ||||||||||||||||||
前回の最後に、中学の教員たちが疲れ果て自信を失っている現状は、子どもたちや社会にとって、大きな問題である、と書きました。知人からも、「教師という仕事が、いったいどうしてここまで虐げられる職業になってしまったのか」とするメールをもらいました。今回は、そのことについて書くつもりでいましたが、重い話ばかりが続くのは、読むほうも書くほうも疲れます。そこで少し目先を変えて、のんびりした話題に変更しました。
中学の国語の冬の定番授業というと、なんといっても百人一首です。わたしの記憶では、20年ほど前までは、百人一首歌留多は多くの家にあって、お正月のかるた取りを恒例とする家もありました。すくなくとも“坊主めくり”などで遊んだ経験はだれにもあったはずです。ご存知のとおり、山札を一枚ずつめくっていって、“坊主”を引くとそれまで獲得した札を全部場に出す、“姫”を引くと場にある札が全部自分のものになる、というあの遊びです。かつては、勉強にあきてしまった子どもたちとよくやりました。子どもたちは、この遊びをしながら、坊主が13枚ほどで、姫のほうがその2倍近くいることや、とくに、蝉丸が坊主であるかどうかでもめたりなど楽しいやり取りでした。 ところが、いまの子どもたちに聞いてみると「うちには、百人一首なんてない」という子がほとんどです。話はややわき道にそれますが、遊びといえば、ビデオゲームを初め、家族みんなで楽しむことができない遊びばかりになって、トランプさえも“大貧民”“ババ抜き”“七並べ”くらいしか知らない子もいます。“ブリッジ”や“ツーテンジャック”“51”“ポーカー”などのスリリングで知的な遊びの興奮を教えたいのですが、塾の限られた時間の中では、それに割く時間がありません。せいぜい、正負の数の導入となる“プラスマイナストランプ”か、わたしが考案した“英語マージャン”(この2種類は、現在の子どもたちにも好評です)を“勉強を兼ねて”楽しむ程度です。 さて、本題は百人一首です。 「あした百人一首のテストがあるんだよ。ほとんど覚えていないから塾でやってください。」勉強にあきてしまったA君が言います。いつもならば、「ダメダメ、ほかにもやることがあるから」と言うところですが、ちょうど全員がキリのよいところであるうえ、テストもまだ先、ほかのみんなも百人一首の宿題が出ていたり、などというとき「じゃあ、やるか〜」「わあい、やった〜!」となります。 取り札を50枚ずつに分け、子どもたちも2組に分けます。奇数人数のときは、一番強いと思われる子を少ないほうの組に入れて“源平”の始まりです。いそいそと並べる手元を見ていると、自分が覚えている札を自分の近くに並べている子がいます。入塾して日が浅い子です。「相手の札を取ると、その分自分のところの札を相手に上げることができるんだよ。」と言うと、そっと置き換えているのがおかしなところです。「遊びはルールを守ってこそおもしろい。だから、ズルをするとみんながつまらなくなる。」ということをよく知っている子たちは、ズルをすることがまずありません。 こうして取り札を並べ終わり、さて始まりです。以下は、何年分かのエピソードを織り交ぜて書いてありますのでご了承下さい。 ほとんどの場合、わたしが読み手を務めています。読み上げは独特のゆっくりした節回しなので、初句の間に取ってしまう子もまれにいますが、札が多いうちは、最後まで読み終えても取れない子がほとんどです。だんだん少なくなってくると、札の奪い合いやお手つき、取り違いなどが出てきてにぎやかになってきます。 百首のなかに自分や友人の名前や苗字を見つけて喜ぶ子もいます。「外山」「篠原」「吉野」「奥山」「小野」・・・あるいは「みか」「ちはや」「いづみ」・・と、こちらが気がつかなかったものもたくさんあります。「うちのお母さんの名前が5回も出て来るんだよ」と得意そうに言う子に聞いてみると、お母さんの名前が「しのぶ」さんで、これには感心しながらも笑ってしまいました。 「・・・昼は消えつつものをこそ思へ、あっ、ぼくのことだ。」の声に笑いが起こったこともあります。「明けぬれば暮るるものとは知りながら・・、休みの間、こんなことやっている子はいないだろうなあ?」とわたし。すると、「憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを、って、“うっかりはげ”っておぼえるの、おじさん知っている?」と逆襲されます。「きりぎりす・・」「ほととぎす・・・」など、よく知っている名が出てくる和歌を重点的に覚えてしまう子もいます。「ももしきや・・・なおあまりある・・」で喜ぶ子は、いまはもういません。これも温暖化の影響? 百人一首には意味深長な恋の歌も多いので、無邪気に取っている子どもたちのようすとのギャップにふと頬がゆるむことがあります。そういえば、「はいっ!」と同時に取ろうとした手が重なって、それが高学年の男女だったりすると、ちょっと顔を赤らめてあわてて引っ込めたのは、もうずいぶん前のことだったような気がします。性意識が進んでいるといわれる現代っ子のほうが、よほど意識している異性の手でもない限り、あっけらかんとしているのが、また興味深いところです。 **1月22日(火)掲載**
|
全265件中 新しい記事から 1〜 10件 |
先頭へ / 前へ / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / ...11 / 次へ / 最終へ |