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浦和の隅から教育をのぞく
す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。
「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。
ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。

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第205回 子どもの教育についての第一義的責任
 先日、ひさしぶりに遠出をしたときの電車のなかでのことです。小4ぐらいの男の子と4、5歳くらいの女の子を連れた女性が、わたしが立っている窓際にやってきました。彼女は、矢継ぎ早にたたみかけるように男の子を詰問しています。「あんたはどうしてそんなウソをつくの? ねえ、どうして? どうしてなの? 答えなさいよ。お母さんに恥をかかせたくてやってるの? お母さんがあんなお父さんのためにどれだけつらい思いをしているか、あんただって知っているでしょう。あんたもお父さんと同じよ。顔も見たくないよ。家に入れてあげないからね。・・・」

 どんなことがあったのかわかりませんが、さすがに声を小さく抑えながらであっても、ともかくすごい剣幕でまくし立てています。男の子は涙を浮かべながら窓外を見つめたままです。妹のほうが「お母さん、おなか空いたよ。いつご飯食べるの?」と心細そうに聞くと、「外で食べるお金なんかあるわけないじゃない。・・・わかったよ。駅に着いたらかけうどん食べさせるから、すこしだまってなさい。」

 それ以前の事情がどうであったのかも知らず、わたしからは後姿しか見えないそのお母さんが、どんな表情でまくし立てているのかもわからないまま、おおよそこんな話を耳にしていました。その幼い兄妹の不安とつらさを考えるといたたまれなくなって、声をかけようとしましたが、そうすることが、必ずしもその兄妹にとってなにかが好転することにつながらないだろうと考え、思いとどまりました。

 あまりの重苦しい状況に、その場から離れようとする気持ちよりもその母子のことが気がかりで立ち去りがたく、そのまま聞いていました。すると、その女性がとても重い心の傷を抱えているようすが少しずつ伝わってきました。そして、子どもたちの表情をそっとみていると、こういうことが珍しいことではないらしいことも読み取れました。さらに、彼らの顔色や様子から見ても、食事はまあまあ摂っているらしいこと、いわゆる折檻(せっかん)は受けていないらしいことも推察できました。しかし、いずれにしても母子ともどもそのままにはしておけない、と思いました。

 「いっしょに食事でもしながらゆっくり話を聞いてみよう」などと、声のかけ方を思案しているうちに次の駅に着き、その女性は子どもたちの手を引っ張るようにして降りていきました。一瞬、わたしも後を追おうとしましたが、乗り換え駅での待ち時間がないことに気がついて迷っているあいだに、電車のドアが閉まってしまいました。

 そして、一週間経った今でも、あの時の母親の声と子どもたちの表情が脳裏を離れません。なぜ声をかけられなかったのか、ためらった自分の心の中に“逃げ”の気持ちはなかったのか、いや、声をかけてもわたしにできることはなく、見ず知らずの他人にとがめられたと母親が受け取ればかえって事態を悪化させたかもしれないなどと、とりとめもなく振り返っています。

 うつろな表情で涙をためていたあの少年は、学校ではどうなのだろう。いじめられていないか、いや、むしろ他の子たちをいじめる側にいるのではないだろうか、ずたずたに切り刻まれた彼の心は、陰湿で激しいイジメの衝動を育むのではないか、そんな思いさえよぎります。そのイジメを受けるかもしれない子どもたちは・・・、成長した後の彼は・・・、母親の心のうちは・・・、と考えていくと、何もできなかったわたし自身の無力さと自責の念に立ち戻ります。

 前回、「市場原理の導入」が生むさまざまな問題は、その政策を推し進める側にとって“折込済み”なのではないかと書きました。

 わたしがそう考える理由のひとつは、現在審議中の教育基本法改正法案第10条です。ここには「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」とあります。

 「元気でいることがなにより」と考えるか「社会の勝ち組になってほしい」と考えるか、“子の教育の方向”はそれぞれ異なっても、だれしもが「わが子よかれ」と思い、それゆえに無上の喜びと希望があり、それゆえに悩み苦しむことがあります。こころならずも親になってしまった人たちでさえ、他に子育ての責任をゆだねることが本能的にできないからこそ、上記のエピソードに書いた女性のようになったり“虐待”と言われる事態が生じます。

 その意味で、当然のことのように思えるこの改正法案第10条をなぜあえて加えたのかを考えないわけにはいきません。「市場原理の導入」によって今後予測される事態、すなわち、これまで潜在していた「階層化社会」の顕在化にともなってさらに増加するであろう不登校・イジメ・少年犯罪・・・ひいては、この“教育改革”の結果底辺に位置づけられてしまう“負け組学校”の荒廃を、“社会の責任”ではなく“親の責任”として明確化します。さらに、すでに厳罰化が進んでいる少年法に加えて、現代のIT社会の中では、80年前の“治安維持法”よりもはるかにおそろしい効果があるとされる“共謀罪”を用意して備えようとしています。
 
 善し悪しは別として、教育行政は、政治・経済や国際関係の動きと無縁ではありません。“マクロな教育”とは、その社会から要請されている“教育”です。現在の教育行政は、“現在の国民に選ばれていることになっている”政府によっておこなわれています。したがって、国の教育行政に対して、個々の子どもたちが直面している問題を軽減または回避することを期待するなど、幻想に過ぎません。“マクロな教育”がそのまま、社会そのものの問題、政治問題である所以です。

 誰かを責めることでは、けっして事態は好転しません。次代をみつめ知恵を出しあって、社会のなかの個々人が、さまざまな問題に直面している個別の家族や教師に手を差しのべること、親も教師に対しても孤立させない空気を作ることが、いまの大きな流れを克服していく途ではないかと考えています。これは、先日、深い無力と自責を感じる機会をもらったわたしの自戒です。


**11月7日(火)掲載**
(す〜爺)

元の文章を引用する

 
悪循環2006/11/07 10:36:59  
                     1人の母より

 
毎週楽しみに拝見しております。

たった今このコラムを拝見して、思わず返信せずにはおられませんでした。
電車の中で子どもにこういう言葉を言わずにはいられなかった母親。男の子はきっと
母親のつらい気持ちを肌で感じ取っている。その空気を不安に感じとっている妹。そしてお父さんはどういう人なのか、考えるときりがありません。

今の子どもたちの両親は「男女は同等だ」と教えられてきた世代です。(私もその1人です。)
勉強すれば女性も男性と足並みをそろえて働ける。
でも実際はそんなことは夢でしかない。子どもを生めば母親となり、社会から追い出され、子どもだけ育てていればいいと。つまはじきです。
社会に出たい意欲のある女性は必ず戦わなくては社会に出られません。戦わなくてもいい家族と戦うのが一番つらいです。

学校で教わり、テレビでコメンテーターが言う「男女同等」なんて夢ですよね。

男性側は母親に甘やかされて、何一つできず、結婚したら奥さんが全部やってくれると思い、妻が完璧でないと不満をあらわす。
完璧な夫だっていないのに、妻に完璧を求めるばかり。

これでは男女が協力し合って家庭を築くなんて無理です。
足りないところを補いあい、支えあうのが家族なのに。

さいたま市では男女共同参画ということが言われているようですが、
さいたま市のどこでそういうことが行われているのか、成功しているのか、
知りたいものです。

す〜爺さまのおっしゃりたい本題から大幅に外れてしまいましたが、
私は今さらながらに自分が受けてきた教育とは何だったのかと悩む日々です。

これからの教育が法律上いろいろと変わってくると思います。
でも根本にある地域や家庭、それらがもっとしっかりしなくては
法律だけ変えても変わらないでしょう。
今の政府が行っていることをニュースで見るたびに、茶番劇を見ているような
気がしています。

子どもを守り、無事に巣立たせてやるためにどうしたらいいか。
日々考えています。

乱文になりました。
大変失礼いたしました。




 

元の文章を引用する

 
Re: 悪循環2006/11/08 23:32:00  
                     す〜爺

 
「1人の母」さん、初めまして。お返事が遅くなりました。

>電車の中で子どもにこういう言葉を言わずにはいられなかった母親。男の子はきっと
>母親のつらい気持ちを肌で感じ取っている。その空気を不安に感じとっている妹。そしてお父さんはどういう人なのか、考えるときりがありません。
 さすがに細やかな分析をしてくださっていて、なるほどとうなずいています。とくに「男の子はきっと母親のつらい気持ちを肌で感じ取っている」というくだりは、らちもなく悪い推測に傾いていき無力感と自責の気持ちが強くなっていたわたしは、救われる思いです。ありがとうございます。

>学校で教わり、テレビでコメンテーターが言う「男女同等」なんて夢ですよね。
 昨日も副官房長官の発言が出てきましたね。以前から繰り返し表明されている政権政党の根強い価値観を端的に表しています。女子差別撤廃条約を15年もかけてやっと批准し、一連の男女共同参画社会という“建前”はつくったものの、ホンネのところでは「ビジネスキャリアや高級官僚、先端の研究職・専門職以外の女性は、家庭を守るべきだ。」という政権中枢・経済界の体質は変わらないようです。これは、地方自治体も大差ないような気がします。

>足りないところを補いあい、支えあうのが家族なのに。
 まさにその通りです。若いころ、空腹を満たす食べ物と、寒暑を防ぐ服、雨露がしのげる家、あとは本とすこしの音楽があればいい、埃で死んだヤツはいないと考えて暮らしてきたわたしが、結婚直後から、掃除洗濯炊事はもとより、家事全般を粘り強く徹底的に仕込まれました。その結果、すくなくともわたしの家庭は支えあうだけのスキルをもつことができました。あとは、補い合う心情を維持する努力かもしれません。それなくして家族の平和と充実はないと思うからです。
 “教育改革”と呼ばれるものの実態と同様に、社会の流れがどのようなものであろうとも、本文にも書いたように、わたしたちひとりひとりが自らの家庭、周囲の人間関係、身近な地域を大切にすることがその流れに抗していく最も強い力になると考えています。

>私は今さらながらに自分が受けてきた教育とは何だったのかと悩む日々です。
 “マクロの教育”を変えるのは、社会が変わるしかありませんが、われわれの身近な“ミクロの教育”は、わたしたち一人一人、教師も親も地域も、それぞれが自分の耳目で感じ、自分の頭で考えたうえで、おたがいに尊重し合い知恵を出し合っていくほかはない、と考えています。皆さんのご意見をお待ちしています。
 

元の文章を引用する

 
想像力の欠如2006/11/09 18:16:14  
                     1人の母より

 
乱文にご返答くださり、ありがとうございました。

子どもは大人が考えるよりびっくりするほどいろいろなことを感じ、考えます。
育児の過程において驚かされることがしばしばです。
いじめ云々よりも前に、お母さんがなぜ理不尽に自分を責めるのか、
どうしたらお母さんが笑ってくれるのか、子どもなりに必死に考えていたことでしょう。
子どもとはそういうものだと思います。
ここからの成長過程でお母さんを憎むようにならなければいいと祈りつつ。

お母さんだって子どもの寝顔を見た途端「ああ、あんなこと言わなければよかった」と
後悔の念にかられていると思います。そして自分を責めるんです。

だれが悪いのか、そんなことはわかりません。

そして父親の姿は見えません。これが「一般的」だと思います。

家事ができるとか、スキル云々ではありません。
努力して身につけられたらそれに越したことはありませんが、
できないところを補い合い、いたわりあう気持ちが大事だと思います。
人間は完全ではないのですから。

お互いを思う気持ち、相手の立場で考えること、それらの欠如が原因だと考えています。いじめも本質的にはそういうことじゃないでしょうか。

できないところを補い合うというのはそういう意味です。

うっかり「相手の気持ちに立って考えてごらん」と教えたところで
考えて行動した子どもが嫌な思いをする世の中です。

マクロで考えると、こういう法律ができたらどうなるかを想像できない政治家が法律をつくっていくのかなと。
「ちょっと考えてみようよ」とテレビに向かって言ってしまいます。

マクロでも、ミクロでも、関係ない。「想像力の欠如」という病気がだんだんと親や子どもたちを蝕んでいっているのをひしひしと感じます。

私自身は難しい言葉が並ぶような文章は苦手です。
ですからこんな文章しか書けませんが・・・。

これからもコラムを楽しみにしております。


 

元の文章を引用する

第204回 “未履修問題”よりも大切なもの
 このところ、教育関係の報道は高校の“単位未履修問題”で溢れかえっています。これまでの大学入試の状況を考えれば、昨日今日始まったことではありません。元をたどれば、私立大学・国公立大学の入試科目数が異なっているのだから、いわば起きるべくして起きている問題です。ちなみに、わたしのところの高3生たちには履修漏れはありませんでした。

 すでに半世紀近くも前のわたしの高校時代でさえ、世界史の時間に数学の“内職”をしている私立大理系第一志望の生徒や、階段教室での物理の授業に、一番後ろの席でコソコソと日本史の問題集をやっている私立大文系志望の生徒がいました。そういう生徒たちは、テスト直前になるとノートを借りに走り回ったり、一夜漬けでギリギリで切り抜けたりと個人的に解決していました。

 現代では、それが、生徒や親からの強い要請や、学校間の進学実績競争が激化するにともなって学校ぐるみで行われるようになったに過ぎません。この問題に限って言えば、大学入試の現状を変えるか学習指導要領を入試の現状に合わせるかしない限り、このずれは解消しないはずです。

 ところで、“未履修問題”という現実を充分認識していたはずの文科省が、この時期に突然“建て前”を持ち出した真の意図を考えてみると、30日に本格審議入りした「教育基本法」から目をそらせること、そして、同じく指導要領の中にあって、違憲判決が出るなど風当たりの強い“日の丸・君が代の強制”との整合性(『指導要領は強制力があるもの』という)を確保しておく必要からではないかと勘ぐりたくなります。“未履修問題”にターゲットを絞って報道しているマスメディアと、「教師は〜である」という一般論で語ってしまう人たちとが、文科省の“意図”を体現しているような気がします。

 急速に現実化してきた改憲問題をもちだすまでもなく、教育の問題に限定しても、わたしたちの社会や次代の子どもたちにとって“未履修問題”よりずっと大切なことが進行中です。これまでも何度となく書いてきた「教育基本法」の問題です。

 教育基本法は、国の全体の流れを決定するという意味では憲法よりも大きな力があると言われています。戦前の「教育勅語」は法律ではありませんが、国民精神を底辺のところから作り上げました。「教育勅語」は、1890年に発布されましたが、その「教育勅語」起草者の一人であった、時の内閣法制局長官井上毅でさえ「・・・一歩でもその方向を誤れば、『臣民之良心之自由に干渉』する危険性を有するものである」ことを危惧し、その後に施行されることになっていた「帝国憲法」の存在を脅かす存在になることをおそれていたといいます。「教育勅語」は西園寺公望による反対などさまざまに揺れましたが、井上の危惧の通り、それから50年近くたって1938年の国家総動員法が施行されるに伴って、それを正当化するための軍国主義の聖典となってしまいました。

 ここでは、条文を取り上げるスペースがありませんので、関心のある方は、文科省HPの「法案と現行法との比較(参考資料)」(http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/houan/siryo/hikaku.pdf)をご覧ください。さらに、日弁連が9月15日に出した意見書(http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/060915.pdf)や、反対の立場からのわかりやすいレクチュア(http://www.kyokiren.net/_recture/taishouhyou)をお読みいただけると、事の重大さの一端が見えてくるはずです。

 今回の“改正”の骨子は、一口に言うと「愛国心」と「市場原理の導入」です。これは、新自由主義経済、グローバリズムの象徴とされる1980年代後半のサッチャー英首相の教育改革を下敷きにしたものであって、規制緩和政策・軍事強化政策と一体的なものと考えられています。具体的な条文解説は上記のHPにありますし、「愛国心問題」は、これまでも取り上げました。

 ここでは 安倍首相が考えている一連の「市場原理の導入」についてまとめてみます。まず、1.「ゆとり教育の弊害で落ちた学力を取り戻す。国語・算数・理科の基礎学力を徹底させる。全国的な学力調査を実施し、結果を公表するべきだ」(『美しい国へ』より)、そして、2.「国の監査官による学校評価制度」の導入、さらには、3.「父母が学校を選べる学校選択制」と自治体が配布するクーポン券で学校を選択できる「教育バウチャー制」導入、および、4.教員免許を十年に一度見直し、能力や実績のない教師の免許更新を認めない「教育再生法案」。これらは、どれもサッチャー首相の教育改革とそっくりです。

 1と2は、統一学力テストによる学校評価、教員評価です。そして、3は、それに基づく“教育現場の市場化”です。さらに、こういう流れを確実にするための、4の“教育現場管理”で仕上げます。かくして、優秀な生徒が多く集まる学校に優先的に予算が配分され、広範囲で学校間格差が広がります。学校間格差は、富裕層の上位校地域への移動を呼び、地域間格差が生まれます。先生たちは自主性を失い、第32回で取り上げたようなユニークな先生たちは皆無となり、子どもたちは、なんとしても上位校に入れようとする親たちの意向の中で押しつぶされていきます。じつは、これらのことは、どうも“折込済み”であるらしいことが、さまざまな動きの中から読み取れるのが、なんとも恐ろしいことです。


**10月31日(火)掲載**
(す〜爺)

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第203回 エスカレーターに群がる子どもたち (その2)
 前回の最後に“エスカレーターに群がる子どもたち”に代表される子どもたちの状況が“わたしたちの社会そのもの”の責任であると書きました。

 その意味では、前述の投書にあったような“学校にその解決を委ねたり警察に通報する”対処の仕方ではなく、その場に居合わせたわれわれが、社会の一員としてのメッセージを伝えることが必要ではないでしょうか。“教育の現場”が学校だけであるはずはありません。しかも、こういう“公衆道徳”は、学校の先生からではなく、社会生活の場面でこそ伝えられるべきことです。

 子どものころ、友だちと銭湯で泳いでいて、よそのおじさんにこっぴどく叱られたことがあります。無人踏切で危険な遊びをしていて、通りかかった見知らぬおじさんに本気で殴られたのもほろ苦い思い出です。だれも見ていないのをいいことに、学校近くのドブ川で友だちとツレションをしていて、近くのおばさんにキツい口調でとがめられたときの恥ずかしい思いはいまだに忘れられません。こういうことは、学校で教わるというより、親の目が届かない場面では、近所の人たちや地域のおじさんおばさんたちに叱られながら身につけたものです。

 ただ、現代の子どもたちは、親に“ちゃん付け”で呼ばれ、大衆消費社会の中で育ち、口うるさく言われることはあっても、厳しく叱られたことがあまりない、というのが大多数です。話は横道にそれますが、“口うるさく言うこと”や“ヒステリックな怒り”と“厳しさ”とは、まったく別物です。たとえ、一時的には理不尽であっても、断固とした親(大人)の姿勢・生き方を示すことこそが、“厳しいしつけ”そのものであると考えています。この場合の“厳しさ”とは、激しい叱責のことではなく、穏やかでも断固とした態度(かなりむずかしいことではありますが・・・)のことです。このことについては、これまでにも書きましたし、これからも取り上げることがあると思います。

 話を元に戻します。前回のエピソードにも書いたように、現代の子どもたちの多くは、心やさしい反面“周囲への配慮”という意識は薄いようです。さらに、親からだけではなく、教師からも社会からも“厳しいしつけ”を受けていません。したがって、叱責や非難に対してもきわめて弱いのです。だからこそ、“なんの意識もなく”周囲への配慮を欠いている子どもたちに、そっと気づかせることが必要なのだと思います。

 そんなことを言ったって、彼らになにか言うのはやっぱり恐い、という人は、その場面での“社会的責任”を放棄したわけなので、それを学校に持っていくのは“お門違い”というものではないでしょうか。

 わたしにしても、道をふさいで座り込んでタバコを吸っている若者たちのそばを通るときなどは、「ちょっとごめんよ。」と言って通るだけです。バイクでの暴走行為をしている若者たちに出会えば、道をよけます。そんなとき、「こうしていると、通る人に迷惑になるよ。」と一声かけられない自分に、ちょっぴりうしろめたさを感じることがあります。しかし、率直に言えば、自分の身を危険にさらしてまで彼らの身の上を心配したり、公衆道徳を守らせようとするほどの“義侠心”はない、というところでしょうか。自分たちが悪いとわかっていて“いきがっている”若者の集団は、ときには危険なことがあるからです。

 しかし、エスカレーターに群がる子どもたちの表情には、たぶんそういう危険な兆候は見られないはずです。その光景に“社会的義憤”を感じる人は、ぜひ彼らに声をかけてやってほしいと思います。

 ただ、「8時半になると校門の前で、『遅刻だぞー!』と叫んでしまうので、それまで歩道を歩いていた生徒も、車道までふさいで、一斉に校門に向かって走る」という書き込みに表れた校門指導などの結果で起きる問題は、学校に(抗議でなく)善処を申し入れるのが当然だと思います。

 困った事態の解消のためには、まずは当事者たちが冷静に考えあい、話し合うことが常道ですが、どういうわけか、学校に対しては、ことの初めからおっとり刀で乗り込むような剣幕で抗議してくる人が多いようです。それに対して学校は、これまた、いつも身構えてしまって、そっけない対応をするか、平身低頭するかのいずれかになってしまって、肝心の事態解消には程遠いことになることも少なくない、と聞きます。「学校は閉ざされた世界」「“先生と言われる人たち”は、世間知らず」と考えるのであれば、その人たち自身が、そういう学校や教師と話し合いながら、事態を解決する道を探る知恵を持つべきだと思います。それが、ひいては、子どもたちやわたしたちの社会にとって有益な結果をもたらすのではないでしょうか。

 わたし自身“世間”というものがどういうものかいまだにわからず、人づきあいも苦手、塾という狭い世界で生きている人間です。しかし、大きな世の中の流れに対してはかなり闘争的になりがちであっても、個々の人たちとは、まずは、おたがいに知恵を出し合うことから始めたいと考えています。

 最後に、わたしが書いていることに「学校や教師をかばっている」と感じる方がいるとしたら、それはわたしの筆力不足からです。あるいは、わたしの考え方に“偏見”や“世間知らず”を感じられたら、ぜひ、ご指摘いただければさいわいです。


**10月24日(火)掲載**
(す〜爺)

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第202回 エスカレーターに群がる子どもたち (その1)
 わたしがお休みをいただいていたころ、ひさしぶりに「育児・教育のコトなんでも」掲示板(8/12)を開いてみたら、たまたま興味深い意見が載っていました。

 「南浦和駅で(中略)エスカレーターは雀の大群(高校生たち?注:す〜爺)が占領して、誰はばかるところがありません。(中略)この現状を校長先生はご存知ないのでしょうか?(中略)体育の先生とか強い方々もご一緒に何とかしつけして下さい。{後略)」というものです。ほかに2人の方が、この意見に同感の書き込みをしていました。なかには「教育の現場がこんなことでいいわけないと思うのですが…。」と書き込んだ人もいました。

 このことは、この連載の第195回のレスとしても書いたのですが、本編から時間が隔たっていたので、どなたの目にも留まらなかったようです。しかし、その後いろいろな方の意見を聞くにつけ、これはどうも大多数の人が持っている考え方でもあり、世間で多く見られる“教育問題の混迷”の根幹に触れる問題ではないかと思い至ったので、あらためて考えてみることにしました。

 元気であるはずの中高生たちがエスカレーターに殺到している姿を、わたしも以前から憂慮しています。なかには運動部で鍛えているはずのガッシリとした体格の高校生たちまでが、広々と空いている階段を横目に、ギュウギュウ詰まりながらエスカレーターに鈴なりになっている光景は異様であるにちがいありません。若いエネルギーがあれば、からだがむずむずとして自然と階段を2、3段ずつ駆け上がりたくなるものではないか、と思うからです。わたしが、あの姿から感じるのは“公衆道徳の低下”以上に“若者たちの基礎体力の衰え”です。

 塾生たちには「どうして?」と聞いたことが何度かあります。「みんながそうするから」「あるものだから使わなくちゃ」というのが彼らの答えです。「おじさんだって、よほど疲れているときか急いでいるときで、しかもエスカレーターがガラガラである場合以外は乗らないんだから、若いきみたちが乗るのははずかしいことだ」と言っています。「そうかあ、これからは階段を使おうかな? でもさ、健康オタクオヤジ(わたしのこと?)が階段を駆け上がっているのを見ているから、やっぱ、ジジ臭い感じだもんな。どうしようかな?」と言う子もいます。そのあたりがホンネなのでしょう。

 わたしは、老人やからだの不自由な人と外出することがときどきあります。そんなとき、南浦和駅ではありませんでしたが、やはりエスカレーターに群がっている高校生たちに出くわすことがありました。わたしが、「この人が上がりたいので、場所を譲ってね」と言うと、彼らは、じつに気持ちよくわれわれの場所を空けてくれて、荷物まで持ってくれる子さえいました。それに、エスカレーターは動くものなので、電車の優先席の占拠とは異なり、よほど急ぐのでない限り、すこし待っていればすむものです。

 上記の掲示板の意見を読んでびっくりしたのは、なぜこのことが「この現状を校長先生はご存知ないのでしょうか?」という発想につながるのか不思議に思ったからです。わたしには、子どもたちがエスカレーターに群らがること以上に理解できない考え方です。

 投書された方は、また「体育の先生とか強い方々もご一緒に何とかしつけして下さい。」とも書いています。ということは、権威や力ずくでもその状況を変えたいと考えているのかもしれません。だとすれば、その権威や力が届かないところでは同じことの繰り返しが起きます。もし、そういう状況のためにエスカレーターが利用できなくて困ったのであれば、叱責注意するのではなく「通る道をちょっと空けてくれるかな」と言ってみたらどうでしょう。彼らには、通行の邪魔をしている意識がないのだから、まず例外なく道を空けると思います。反面、無意識にやっている行動を叱られたと感じれば「うるせー」と“反応”する不届きな生徒もいるかもしれません。

 また、仮に、そういう光景そのものが許せないのであれば、これまで何度となく述べてきたように、そういう現象は、そのままそっくり、ラクでトクでベンリであることを追求してきたわたしたちの社会そのものの責任であるとわたしは考えるのですが、みなさんはいかがでしょうか?。

 じつは、書いているうちに、ここまでの2倍を超える長さになってしまいました。そのうえ、改めて読み返してみても、どのパラグラフも削れそうにありません。そこで、次回にこの続きを書くことにします。


**10月17日(火)掲載**
(す〜爺)

元の文章を引用する

第201回 “シカト”がこわい
 イジメに苦しみ、昨年9月に自殺した小6の女の子の遺書を、学校や教育委員会が黙殺していたことが報じられました。なぜ黙殺されていたのかが謎でしたが、先週、遺書の内容が報道されたときの市教委幹部のコメントが「無視が即陰湿ないじめに結びつくとは思わない。学級ではよくあること。」というものであったことを知りました。このコメントで、無視(シカト)についての教育行政の理解のしかたの一端が見えたような気がしました。「具体的な暴力や暴言などを伴わないものはイジメではない。」という感覚です。そして、報道を受けて全国から批判や抗議の電話やメールが殺到すると、一転して「遺書の内容を踏まえ、イジメであったと判断する」と見解を変えました。

 子どもたちに聞くと「シカト(無視)されたりハブられ(仲間はずれにされ)ることは、悪口を言われたり暴力を受けたりするよりもずっとつらい。だから、それほど気持ちがノラなくても、誘われれば断れない。」と言います。以前の事件では、シカトされるのが恐くて多額のお金を巻き上げられている子がいたり、殴られてもニコニコしてついてくるので、殴っているほうもいじめている意識がなかったのに、突然自殺してしまった、という例があったように記憶しています。塾では、他の子に対して乱暴な態度をとる子が、学校ではパシリ(使い走り)をさせられていた、ということがありました。

 じつは、最近わかったことですが、わたしとツレアイは、それぞれの子ども時代、まったくちがう理由でクラスのなかで孤立していた時期がありました。だれからも声をかけられず、登下校も一人、遊びの仲間にも入りませんでした。でも、わたしの場合は、登校のときに顔が合えば、「おはよう」、帰りのときは「じゃあね」と声をかけ、休み時間はひとりで本を読み、などしているうちに自然と元に戻りました。ツレアイの場合も、生徒会の仕事を着実にやることで、それまで周囲が敬遠気味であったものが、一定の評価をされ始めたということです。われわれが、一人でいることにあまり苦痛を感じない性格だったとはいえ、当時は、仲間はずれも現在ほど陰湿でも執拗でもありませんでした。

 一時期“自分探し”が流行したことがありました。自分がこんな人間ではないはずであり、どこかに“ほんとうの自分”があるはずなのだから、その自分に隠されている才能や長所を開花させるようにしよう、というものです。しかし、この試みは、逆に自分をどんどん苦しめていくことがあります。その能力や長所が他人との比較から始まる場合です。どれほど優秀な学校成績を上げても、次のステップに立てばかならずその上をゆく他人がいます。地域でどれほどずば抜けた運動能力を示しても、全国・世界とステージが広がれば、もっと優れたアスリートが必ずいます。むしろ、ほとんどの場合、劣等意識を持つだけで終わってしまいます。それが“他人との比較”であるかぎり当然のことです。

 そういうことから、最近は「ナンバーワンよりオンリーワンをめざせ」と言われることが多くなりました。しかし、これもよく考えてみると“わたしにしかないもの、わたしでなければできないもの”などということは、そうザラにあるものではありません。もちろん、血液型や星座占いなども、同じ類型の人が無数にいることからも“ほんとうの自分”にはたどりつけません。それでも、いつの時代にも、真剣な表情でそれらの解説を読んで一喜一憂している若者の姿があります。

 話が複雑になるので、この話はこの辺で切り上げて、わたしなりの結論を急ぐと、人が自分が存在していることを一番感じることができるのは、自分がだれかから呼びかけられるとき、他者から自分に向けてのことばや表情や、場合によっては好意だったり悪意だったり、賛意だったり批判などが発せられるときです。わたしの場合で言えば、このつたない連載に、なんの書き込みもない状況がずっと続くよりも、どなたかが書き込んでくださったとき、それがたとえ痛烈な批判であったとしても、自分が書いていることの意味を体で感じることができます。(いえ、けっして書き込みを強要しているわけではありませんのでお気遣いなく)

 このようにして、人が、他者からのことばやまなざしなどの働きかけを感じることによって、自分の存在を確かに感じるものだとしたら、やはり“シカト”は、最も辛いいじめなのかもしれません。その辛さを乗り越えたり回避することはできないものでしょうか。

 「だれとでも仲良くしなければならない。」「だれからも愛される人になれ」というメッセージは、多くの人、とくに子どもたちを苦しめてしまいます。建前としてはそうであっても、だれでも一人や二人苦手な人や好きになれない相手はいます。まじめな子どもや若者ほど、そういう自分を責めてしまったり、がんばって仲良くなろうとします。ところが、「苦手・好きになれない」ということは、その相手からみても同じであることがほとんどなので、このあたりで、シカトする側とされる側が微妙に交錯します。

 わたしが、そういう若者たちに伝えているのは、1.苦手な人、好きになれない人の悪口(とくに陰口)は絶対に口にしない。2.苦手な人とは、ひとつ距離を置く。それでも一定の距離以内に入ってくるときには、ことばや態度ではっきりと回避する。その一方で、苦手なのは自分の都合からだと心得て、あいさつや笑顔を相手に送る。の2点です。昔の人が、道で行き会う人に「お寒うございますね」「お天気がよくてよろしうございますね」「お元気そうで何よりです」と挨拶を交わしたのも、そういう知恵だったのでしょう。しかし、かく言うわたし自身、口ほどにはかんたんではありません。とくに2.は、年齢を重ねてもむずかしいことに変わりありません。

 それを支えるのは「自分へ真剣なまなざしを向けている人(それが友人であれ、家族であれ)が一人でもいること」かもしれません。その支えがなくなったと感じたとき、ひとは自分の存在理由を見失ってしまうのだと思います。


**10月10日(火)掲載**
(す〜爺)

元の文章を引用する

第200回 教師批判の前に
 この連載も、いつのまにか200回を数えることとなりました。時の流れはデジタルではないので、200という数字になにか意味があるわけではないのですが、苦しみ迷いながらも、みなさんのおかげでここまで来ることができたような気がしています。

 塾生たちの日常を観察し、塾生を通して学校や教師を見、さらに、さまざまな家庭や親子と接していると、毎日のように何かしらのエピソードやトピックがあります。しかし、これらは、現在進行形のことであり、タイムリーで新鮮な話題である分だけ塾生たちにとっては大切なプライバシーである場合が多く、とくに本人が知られたくないことを取り上げるわけにはいきません。そこで、あるときは、本質ははずさないまでも、事実としては多少脚色しながら書かざるを得なかったり、すでに収まってしまった過去のこと、とくに気心の知れているOB・OGのことで、本人とその周囲の親しい人たちが知っても差し障りの少ないことしか書くことができません。

 これまでも書いてきたように、一対一の人間関係のなかでの“手渡し的、個別具体的”なものを大切にしてきたつもりです。マクロの教育について考えるときでも、タイトルにあるように、あくまでも“浦和の隅にある”わたしの塾を通して見えるものにしたいとの思いで書いてきました。この思いとプライバシーとのはざまでゆれながらの200回でした。

 そういう視点から新首相の所信表明演説−教育再生を読み、与党幹事長の「安倍内閣が臨時国会での成立を目指す教育基本法改正案などについて、与党単独での採決も辞さない」とのコメントを聞くと、暗澹とした気持ちになります。70%前後の内閣支持率を背景に、教育基本法を初めとする教育関係法が矢継ぎ早に変えられていくとしたら、これからの教育や社会はどうなるのでしょうか。そして、それらを具体化する「教育再生会議」メンバーの人選が今週中にも始まるとのことです。

 「ゼロ・トレランス」や「愛国心」などの問題については、これまでもときどき触れてきましたので、今回の一連の教育改革指針のなかで、おそらく多くの人たちから共感が得られやすいと思われる“教員の質の向上(指導力不足教員の排除・教員免許更新制)”“学校評価の導入”について、あらためて疑問を呈したいと思います。

 現在の青少年に関する諸問題が学校教育とはほとんど無関係であることは、これまでも多くの人々が指摘してきました。これらの問題が、日本に先行する形でアメリカで日常的に起きていることからもわかるように、資本主義爛熟期の現象の一つとして早くから予想されていたことだからです。学校での問題(学級崩壊・怠学・不登校など)はその現象の結果に過ぎません。それにもかかわらず、新内閣の「教育改革」は、“学校”と“教員”に向かってはっきりと照準を合わせています。

 「“先生と言われる人たち”は・・・だと、誰もが思っている」「教師という人種は○○だ」という、一般論的な教師批判をする人たちが、政府の「教育改革」路線の後押しをしています。

 冒頭にも書いたとおり、子どもたちを通して、あるいは直接に、多くの学校の先生たちを見てきたつもりです。能力の高い先生、誠実な先生、温かい先生などがいる一方で、教科の知識不足、自信がない、強引な教え方、短気やヒステリック、だらしない、あきらかな怠け癖、などさまざまなタイプの先生がいます。さらに、教え方はかなり未熟だけれど無類の子ども好きの先生、ちょっとだらしないところはあるけれど、鷹揚でこだわらない先生、短気で強引だけれど親身になって子どものことを心配してくれる先生、もう一歩踏み込めば、偏屈で子ども嫌いで生徒たちの評判も悪いのに、自分のライフワークを持っていて、その研究姿勢で生徒たちに感動を与えている高校教師もいます。

 子どもたちは、ある意味でとてもたくましくて、小学校高学年ともなると、わたしから見ても、かなり問題があると思われる先生でも「あと少しで担任が変わるからいいよ。ああいう大人にはなりたくない。」と、しっかりそのまま“反面教師”にしていることもあります。何年も同じ先生といっしょ、ということはめったにありません。いろいろな先生と出会えてこそ、子どもたちは成長できるのだと思います。よく言われる「担任の当たり外れ」などという目先のことよりも、もっと長い目で子どもたちを見守りたいものです。

 ただ、子どもにとっては、相性の悪い先生が担任であったり、学級崩壊のクラスの中で過ごすのは、たとえ1年であっても大変なことです。そんなとき、まず先生を糾弾しよう、という姿勢では、当の子どもたちにとってもプラスになりません。おたがいに“子どもへのまなざし”を共有するものとしてともに協力して行こうという気持ちで話し合えないでしょうか。それでも、自らの立場に固執したり、明らかにバランスを崩したりしている教師に対しては、個別具体的に対応することが必要だと考えます。

 つまり、前述した“ダメな先生”たちよりずっと恐ろしいのが、追い詰められてバランスを崩している先生たちです。そういう先生に当たってしまった子どもたちのことは、とても心配です。決定的に子どもを傷つけてしまう可能性があるからです。彼らは、本来どちらかと言えばまじめな先生であることが多いような気がします。現在の社会状況は、先生や子どもたちに限らず、まじめであるがゆえに精神的なもろさを抱えている人が生きにくい時代です。

 今後、新内閣が目指している免許更新制や学校同士を競わせる学校評価が進めば、精神的なバランスを崩す教師がさらに増えてくるはずです。民間企業が“成果主義”を推進したときどんな現象が起こったかを考えてみればあきらかです。そういう“教育改革”がいままさに始まろうとしていることに、とても大きな不安を感じます。皆さんの活発なご意見をお聞かせください。


**10月3日(火)掲載**
(す〜爺)

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第199回 整然と雑然
 オリンピックのセレモニーで、たて・横・ななめ、どこからみても整然として一糸乱れぬ行進をするチームと、肩を組んだり帽子を振ったりと、それぞれのパフォーマンスを楽しみながら入場してくるチームがあります。みなさんは、どちらに好感を持ちますか? なぜこんなことを言い出したかと言うと、こういうことに対する感覚の違いは、さまざまな価値観の違いとしてあらわれるような気がするからです。

 わたしの本棚は、ある程度までジャンル別に分類されているので、本の高さも幅もでこぼこですが、人によってはビシッときれいにサイズをそろえている人もいます。ある友人などは、きっちりとサイズを揃えた上に、本の色の配置にまで気を配っていました。また、10年ほど前、市が主催する「まちづくりセミナー」に参加したとき、「街区や通り別に各家の屋根の色を統一すればよい。」という人がいて、まさに仰天したことがあります。そのセミナーでは、他にも、町並みも通りも碁盤の目のようにきちんとしていることが望ましい、と考える人が意外に多いことにも驚いた記憶があります。

 わたしの塾のことで言えば、第183回に書いた“好い加減”を“イイカゲン”としか考えられない人もいます。「どこまでも“けじめ”が大切だ」と考える人は、わたしのところでの“おじさん・おばさん”という呼び方に嫌悪感を覚えることもありました。このあたりは、どちらが正しいというよりは、まさに感覚の違いとしか言いようがありません。この違いを、便宜的に“整然派”と“雑然派”と呼ぶことにします。

 ただ、“雑然派”(ほんとうは“多様派”と言いたいところですが)のわたしにとっても、数学の整式は、降(昇)ベキの順や対称式にすることで解法への途が見えやすくなります。公式も、きれいな形に整備されているほうがリズムを感じるし、覚えやすいものです。用具や材料などは整理整頓されているほうが、はるかに使いやすいし危険もありません。なぜそう感じるかというと、これらは、“実用”からの要求だからだと思います。それに対して、上記の行進や、本の整理、町並みなどについての違いは、多分“美意識”の違いではないかと、考えます。

 じつは、こんなことを考えたのは、先週の東京地裁の判決「東京都による国歌・国旗強制は違憲」との報道の中で、都立高校のある校長が「卒業式や入学式で、教職員が立ったり座ったりでは、保護者らに失礼だ。」と感想を述べている(毎日・9/22朝刊)、という記事を見たからです。このように考えるこの校長も、失礼だと考える保護者も、やはり“整然派”なのでしょう。ちなみに、あの多民族国家アメリカ合衆国では、星条旗に忠誠を誓うことによって国民の連帯を求めているはずなのに、実際は、座っている人も立っている人もそれぞれの自主的な判断で行動していて、おたがいに相手の状態に違和感を持っていないそうです(「星条旗と日の丸」永家光子著・太郎次郎社)。アメリカでもベトナム戦争戦中派には、星条旗に対する拒否感を示す人が多く、また、アメリカ国歌はメロディーも歌詞もむずかしいので歌えない人がたくさんいる、という事情もあるようです(前掲書)。

 2年前の園遊会で「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させるのがわたしの仕事です。」と話し、「強制は望ましくない」という、この一手の“お言葉”を引き出した都教育委員の元将棋名人がいましたが、泥沼流と呼ばれる彼の棋風に似合わない“整然派”であることがわかりました。

 日の丸が、戊辰戦争のときの“賊軍”の旗印であったことや、戦争中の戦意高揚のシンボルであったことなどの経緯を知ってはいても、わたしは、世界有数の美しいデザインの旗だと思うし、雅楽のメロディーと歌詞が大幅にずれてはいても、君が代は、ゆったりとした気分を感じさせる歌だと思います。その意味で、今回の地裁判決をめぐる議論は、国旗・国歌に敬意を表すべきかどうかの違いよりも、“整然派”と“雑然派”の違いです。

 この違いを“美意識の違い”である、と書きましたが、このところ、社会の風潮も子どもたちの反応も、ますます“整然派”の勢いが強くなってきているような気がします。いわく、社会では「効率的に、みんないっしょに、シンプルに、わかりやすく」を求められることが多くなっています。あるいは、「かったるい、めんどっちー、どうでもいい、早く決めて」などの子どもたちの反応もじつは同根異株ではないか、とわたしは考えています。

 “多様な価値観が共存すること、さまざまな傾向の人たちが同じ場にいること”は、リードしたり管理しようとする側からすれば、大変やりにくいものです。みんなが整然と同じ方向を向いて同じような反応をしてくれれば、こんなに楽なことはありません。しかし、それは同時に「民主主義の死」を意味します。人類が長い年月をかけて到達した「民主制」という社会制度は、非効率で、扱いにくく、すっきりしない制度です。整わず、雑然と、グチャグチャと煮え切らない、それゆえに“衆愚政治”と呼ばれる社会制度です。人々が、効率やわかりやすさだけを求め、判断停止に陥れば、あっというまに瓦解してしまうものです。「民主制」を当然のように享受してきた世代は、そのかけがえのなさに気づかないまま、再び手放してしまうような気がしてなりません。それは、すでに“美意識”だけの問題ではなさそうです。


**9月26日(火)掲載**
(す〜爺)

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第198回 暴力
 先週、新聞各紙は、前年度に公立小学校の児童が起こした校内暴力、とくに対教師暴力について大きく取り上げました。対教師暴力は、前年度比38.1%増がとても大きな数字としてクローズアップされ、このままではいけないとばかりに、第153回で取り上げた「ゼロ・トレランス」(非寛容)の早期全面導入を声高に提唱する人もいるようです。
 この「ゼロ・トレランス」の問題点についてはすでに述べましたので、今回は、なぜ子どもが暴力を振るうのか、そしてそれに対してどのような対処ができるのかなどについて、わたしの塾生を通して見えてくるものを交えながら考えてみようと思います。

 当然のことながら、塾ではわたしに対する暴力はもちろんのこと、子ども同士の口げんか程度を超える暴力は一度もありません。特定の子どもに対する子ども間のいじわるは何度かあり、この38年間の中で3回、わたしのほうが手を出してしまったのはそんなときでした。不覚にも涙が溢れたことを覚えている上、この3回の“暴力”は、思い出すたびにトゲのような痛みを感じます。最近の“暴力”が約15年ほど前のことで、その最後の“犠牲者”となったY君が数年前に訪ねてきたとき聞いてみると、「そういえば、そんなことがあったっけなあ。先生が涙を浮かべたんでびっくりしたことを覚えている。たぶんオレが悪かったんだと思います。」と言ってくれました。

 それにしても未熟でした。力を行使した結果、もし子どもがこちらの思い通りになってしまったら、それは、恐怖や驚きからであって、けっして心から納得したからではありません。むしろ、そのツケが先送りされるだけです。Y君が言うように、たぶん、わたしの涙のほうが“効果的”だったのでしょう。

 さて、本題の「なぜ子どもが暴力を振るうのか」についてです。わたしの塾に、だれかれかまわず口汚くののしる小6のK君がいました。わたしのところの「日本語の勉強」では、みんなでいっしょに楽しくやることが多いのですが、彼は、ほかの人の発言機会を奪って、全部自分が発言してしまうのです。ほかの子たちからのブーイングが出るのは当然です。そうすると、前述の彼の“罵倒”が始まります。目に余るほどだったので、ツレアイに授業をバトンタッチして別室で話を聞いてみると「学校でみんなにいじわるをされる。だから、塾でカタキ?をとるんだ。」と言います。「えっ、(同じ学校の)○○ちゃんもいじわるをするの?」と聞くと「この塾の連中はカンケーないけど・・」と口ごもります。「そうかあ、それはツラいよなあ。でも、きみはせっかくいい子なのに、あんなふうにしていると、ますますみんなに嫌われちゃうよ。おじさんは、そんなのヤダなあ。ぼくがわかっているんだ、ってみんなに知ってほしいんだろ? それなら、だれも答えられなかったとき、最後に答えるってのはどう?“トリを務める”ってカッコいいことなんだ。」K君は、その後は辛抱強くみんなが答え終わるのを待つようになりました。

 こんなことを書くと「学校の先生たちだって、そのくらいのことはできるはず。」という声が聞こえそうです。しかし、聞くにつけても、学校のいわゆる“職務分掌”の多いこと、さらに加えて、学力テスト・学校評価・教員再評価制度・・・などのプレッシャー、同僚間のストレスなど、先生たちにとっては、ゆっくり子どもたちとつき合う時間などなかなか取れそうもありません。しかも、少人数学級になったとはいえ、30人の子どもの中に2,3人も“K君”がいれば、少なくともわたしだったらお手上げです。

 ただ、報道されたことが事実ならば、次のような対応には疑問があります。
 「40代の女教師が、モノを蹴散らす3年生の児童に『何かを蹴らないと収まらないのなら、わたしを蹴りなさい』と言ったら、ためらわずその教師を蹴り続けた」(毎日9/14朝刊))というのです。

 しかし、この教師の対応が通じるのは、ある程度分別がついてくる年齢の子です。とくに、遊び半分でやっている場合には、中学生の場合でも同様のことが起こり得ます。さらに、暴力はいったん始めてしまうと、感情がどんどんエスカレートしてしまって、止まらなくなるものです。暴力はできるだけ早い段階で、断固として止めてしまう必要があります。それは、力による押さえつけではなく、“絶対に許さない”という気迫を持って子どもの目を見ながら静かに「ダメ!」と言うことです。そのあとに必ず「どうしたのかな?」という受容的なアフターケアが必要になると思います。そして、これら一連の対応は、教師に時間的精神的に余裕がないとできないことです。

 文科省は“毅然とした対応が必要”と言いますが、それは、マニュアルとしてのゼロ・トレランスなどではなく、荒れる子に対する個々の教師の真剣な向かい合いと、毅然とした愛情であるべきだと考えています。それは、場合によっては学校という立場を超えた“人間同士としての対峙”だと思います。だとすれば、教師たちに、成長途上の人間と向かい合うプロとしての誇りを確保しなければなりません。制度としての“厳罰化”政策は、少年法の“厳罰化”と相俟って、いずれアメリカ的な社会を招きます。

 安易に教師批判をする人たちは、そういう現状をどの程度認識しているのでしょうか。子どもたちのことを考え、これからの社会のことを考えれば、むしろ、先生たちをどのようにサポートするべきかを探る必要があるように思います。

 なお、障害児とされる子たちが普通学級にいることは、この“校内暴力”対策としてもかなり有効であると思います。なぜなら、だれかをサポートする体験、そしてさまざまな不自由さを抱え、それを乗り越えている彼らからすなおに学んでいる子どもたちの様子を何度か見てきたからです。


**9月19日(火)掲載**
(す〜爺)

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第197回 少年法
 山口県で不幸な事件がありました。事件については詳細な“報道”がなされていると思いますが、わたしは新聞記事やネットニュースでその一部を知るだけです。事件の経緯はもとより、被疑者や被害者についても、その事実関係はほとんど知らない状態です。ただ、いくつかの報道機関が被疑者とされる少年の実名や顔写真を公表した、ということを知りました。

 わたしは、かつて法学部で学び、「少年法」の専門的研究を志したこともあります。さらに、現在まで、私塾という仕事を通して、多くのさまざまな子どもたちとかかわってきました。その意味でも、メディアや政治が「少年法」をとても軽く考え、安易に“改正”し、厳罰化キャンペーンを展開していることは、とても見過ごしにできない問題です。

 「少年法」第1条は、「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする」と、その目的を定めています。多くの人々は、この条文を非行(犯罪に該当する行為)をした(する)少年以外には関係のないものと見ているようです。法律家のなかにもそのように考えている人が少なからずいます。

 じつは、冒頭にある「少年の健全な育成を期し・・」とある“少年”とは、20歳に満たない人すべてを指しています。つまり、「あなたがたはわたしたちの社会の中で、20歳になるまではさまざまな保護の対象となっています。仮に、犯罪に該当する行為をしてしまったとしても、審判を公開しない(22条)、本人であることを推定できる記事・写真は公開されない(61条)など、社会の一員として成長するまでの猶予があります。それまでに、自分自身を抑制し、自分の行為に責任を持つことができるようにしてください。」というメッセージを、主権者である(成人)国民から発しているものです。そして、その結果として社会防衛の機能も果たしています。つまり、単に“非行少年の人権を護る”ための法律ではありません。

 ところが、6年前の大“改正”のときに、本来は少年法とは別の対策が必要な「被害者への救済措置」が盛り込まれ、さらに、14歳以上の検察官送致が認められるなどの「厳罰化」が進み、上に書いた少年法の趣旨はすっかりかすんでしまいました。

 そのときの“改正”の理由として「子どもといっても前より成長が早く大人並みになった、犯罪の年齢も下がって凶悪事件が増えた、生活に困っての犯罪よりも遊び型の犯罪が増えた、だからきちんと大人並みに刑罰を与えて責任を持たすことが必要だ、犯罪被害者から見ても少年院という処分は甘すぎる」などが言われました。

 わたしたちは、最近、茶飲み話のなかで「いまの子どもたちは7掛けだね。」と言うことがよくあります。つまり、20歳なら一昔前の14歳、15歳ならば11歳、ということです。なにげない日常の言動でも、“自分がやったことの実感”をもてない、と感じられることが多いからです。その“実感のなさ”は、いわゆるよいことからワルさまでふくめて、いろいろな場面で見られます。体格がよくなることと体力があることとが必ずしも比例していない(体力測定の結果)ように、肉体的な成長と精神的な成長が同じとは言えません。思春期の“危うさ”は、社会のさまざまな変容に伴って、むしろますます深刻になっているように思います。

 山口の事件に関して実名を明かし写真を公開したメディアが「事件の凶悪さや19歳という年齢などを考慮し・・」と言っているのは、法律が“20歳”という年齢を定めた意味を無視、あるいは理解していません。彼らの主張からすれば、19歳の少年が選挙権を主張したり、飲酒や喫煙を正当化したりした場合は認めなければなりません。おどろくほど適切な判断ができる13歳もいれば、30歳でも信じがたいほど思慮のない人もいます。しかし、人それぞれの判断力や規範意識に応じて法を運用することはできないので、“20歳”という年齢で線引きをしているのです。

 そして、成人の場合を含めて、“厳罰化”や取り締まり強化などの効果があるのは、比較的弱い欲望や怒りが惹き起こす万引き・暴行などの犯罪、駐車違反のような形式犯、注意力が不足しているために起こす過失犯などであることは、多くの人が感じていることだと思います。これは、刑事政策学の通説でもあります。
 
 それに対して、一気に噴き上がる激情や、強い欲望、あるいは病的な執着心に駆られて惹き起こされる殺人・強盗・放火などのいわゆる凶悪犯罪に対して厳罰化の効果が薄いことは、惹き起こされる状況を考えればうなずけることです。

 おとなたちでもそうなのだから、成長途上の少年たちにとって、そのような激情や欲望、執着心などのコントロールがしにくいのはいわば当然のことです。それは、少年自身の“悪い意志”が為したというより、社会全体の環境・家庭環境・教育・思春期の脆さなどの要因がずっと大きいはずです。そうだとすれは、厳罰によってもたらされるものは、犯罪の予防ではなく、成人して後の社会へのうらみと絶望です。そういう観点が「少年法」の立法趣旨だったはずです。

 少年法の対象年齢引き下げや厳罰化の動きは、現在のアメリカ社会のように、将来、この社会に大きな格差が生じ、その結果としてできる貧困層の、とくに直情的な年少者たちによる“暴走”に備えてのものではないか、とヒソカに危惧しています。


**9月12日(火)掲載**
(す〜爺)

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少年法って?2006/09/15 22:11:00  
                     よっちゃん

 
題名の「?」は解らないという意味ではありません。
いや、自分も周りの高校生に比べれば、こういった話題を家族で話したりするので、簡単なことは知っているつもりです。
しかし、少年法の意義というのが段々と変わっていっているというのは解る気がします。
体の成長と、心の成長が必ずしも平行線のように真っ直ぐではないはずです。
体だけが大人のように成長しても、心がまだまだ子供な人もいれば、体はまだ子供なのに、大人のような心を持つ子供がいるのもまた事実です。
むしろ、昔の人に比べ今の子供たちの方が心の成長が遅いのではないかと思います。
心の成長が遅いというよりは、事の善し悪しが曖昧になって来ているのではないでしょうか?
そういう人たちがどんどん大人になっていくこれからの世の中。
果たして、日本という島国はどのような「未来」を目指して進んでいるのでしょうか。
 

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Re: 少年法って?2006/09/17 11:53:59  
                     す〜爺

 
よっちゃん、こんにちは。
[>しかし、少年法の意義というのが段々と変わっていっているというのは解る気がします。
 少年法の意義は変わっていません。社会が複雑になり、膨大な量の情報があふれる現代では、子どもたちが、踏みとどまって考えたり、ゆっくりと判断しながら成長する機会が奪われていくので、少年法の意義はますます重要になってきています。ただ、その意義を弱めてしまおう、という動きが加速しています。
 これからの時代をになうよっちゃんたちは、「“ほんとうのこと”はしょせんわからないものだ」「○○は、そうしたものだ」などと、訳知り顔の大人にならずに、いつも、「なぜ?」「事実はどうなんだろう」という問いを忘れずにいてほしいと思います。
 

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第196回 “理事長”の死と塾の子どもたち
 例年のことながら、長いお休みをいただきました。この間には、「とくめい」さん「風」さんから貴重な書き込みをいただき、ありがとうございました。

 さて、この8月の休み中、わが家にとって、というよりは当塾にとって大きな出来事がありました。「第22回 のの理事長!」に登場し、その後介護の様子などについて書いたことがある“塾の一人娘”兼(犬?)“理事長”である野々(のの)が、静かに息を引き取ったのです。

 外に散歩に出られなくなってから1年半、ベッドから降りられなくなっておよそ1年、朝夕の食事とトイレ、寝返りを打ちたくてもがくので、夜は寝室でツレアイと交替しながらの介護が続きました。そしてこの夏、日を追うごとに、すこしずつすこしずつ動きと表情が少なくなり、食べることを何よりの楽しみにしていた野々が、一週間前からは一切なにも口にせず、前日の朝には、ストローからの水をほんのすこし含んだだけで、あとは静かな寝息を立てていました。

 そして、わたしたちが2人ともつききりでいることができる、わずか3日のうちの中日である8月9日(じつはわれわれ夫婦にとって大切な記念日)の午前0時を回ったころ、それまでゆっくりと命を刻んでいた野々の呼吸がいつの間にか止まり、わたしの指先に感じる心拍が微かに遠く小さくなっていき、わたし自身の心拍と交じり合っていつまでも続いているように思えました。まだ温かさが残っている野々の体をかわるがわる抱きながら、わたしたち2人は、“犬のクセに”百済観音のようにおだやかな微笑をたたえている野々を見つめていました。

 やるべきことをすべてやり遂げ、17歳5ヶ月、与えられた命の最期の一滴まで使い切って、わたしたちには、“すがすがしい悲しみ”と“たのしかった思い出”だけが残りました。

 野々と“面識”のないみなさんに、こんな“親バカ”の話をお休み明けの初回から読んでいただくことにためらいはありましたが、まずは、野々という犬の死を通じて、子どもたちが見せてくれたさまざまな表情について書くことにします。

 元気だったころの野々と子どもたちとの交流のほんの一部は「第22回」に書きました。まだまだ数々のエピソードがあって、それだけでも一冊の本ができるほどの濃密な17年間でした。今回は、介護状態になってから以降の野々と子どもたちのお話です。

 高校生たちが勉強している時間に、ちょっとツレアイに授業を交替してもらい、野々を抱いて教室の前を通ることがありました。彼らは、野々が間仕切りゲートを開けて教室に侵入してきたころからのつきあいです。とくに高校3年生たちとは同じ“学年”で、かつて「いっしょに成人式を迎えようね」と約束した仲なので、頭をなで、「がんばれよ」の一言にも実感がこもっています。トイレから戻ってきたときも「ちゃんと出た?よかったね。」となでられます。

 介護状態の野々しか知らない子どもたちは、わたしの肩に首をもたせかけ、やせこけた腰を抱かれてトイレに運ばれる野々の姿を見ません。わたしには、あえて目をそむけているように見えます。そんな気配を感じるので、野々の姿を見せないように通り過ぎようとすると、「野々、だいじょうぶなの?」と、ツレアイにそっと聞く子もいます。早めに塾に着いた小学生などは、野々のベッドの前にある本棚から「ドラえもん」を取り出しながら、寝息を立てている野々をチラッと見て、あわてて目をそらして教室に戻っていきます。

 そして、野々が“天寿”を全うし、子どもたちが塾に戻ってきた休み明けの日、「えっ、野々、死んじゃったの?」と口々に驚いたようすで、「野々のあの状態と死とは結びついていなかったんだな」と、かえってわたしたちを驚かせました。たくさんの花に囲まれた小さな祭壇に手を合わせる子、立ったまま祭壇と野々の写真を見つめるだけの子、そっと涙をぬぐう高校生もいました。「自分の与えられた命をぜ〜んぶ使い切るって、すごい生き方なんだよ。そして、なによりも、生き物として、これ以上ラクで、これ以上平和で、これ以上自然な死に方はないんだ。」わたしは、自分自身に言い聞かせるように、子どもたちにも話しました。

 連絡をした塾OB・OGの数人からあっというまに回って、メール・電話・訪問が相次ぎました。小さな祭壇はすぐにたくさんの花で埋まりました。「人間だってあんなに愛情を受けて育つ子はあまりいないとおもいます。」と書いてきてくれたのは、とてもつらい青春時代を送ったT子。「この世に誕生して、寿命を全うした野々はすごいね。悲しみが大きすぎて、かける言葉がないけれど、こちらこそ、野々にありがとうって言いたい。」とメールをくれたのは、“野々の妹”のように育ってきて、いまは2人の子どものママになっているA子・・・・・。みんな口々に「つらいときに野々に助けてもらった。心の底まで覗き込むような目で話を聞いてくれた。」と言ってくれました。

 それまで挨拶を交わすことさえなかった近隣の人たちにもかわいがられ、ひとづきあいが苦手だったわれわれ夫婦を助けてくれたのも野々でした。子どもたちに対しても、われわれでは決してできないたくさんのことをやってくれました。“名理事長”亡きいま、あらためてその存在の大きさを感じています。野々、長い間ありがとう。いつかまた会おうね。


**9月5日(火)掲載**
(す〜爺)

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Re: 第196回 “理事長”の死と塾の子どもたち2006/09/06 1:41:16  
                     高3の親

 
「面識」は、ありませんが、
“理事長”を取りまく「愛」を感じました〜。
しみじみ〜と、心に染みいるお話でした。

きっと、いまは、あちらの世界で、
自由に若い頃のように、やんちゃに飛び跳ねていますよ。


 

元の文章を引用する

 
ありがとうございます。2006/09/06 21:35:18  
                     す〜爺

 
 “面識”のない「高3の親」さんから、こんなに温かいことばをかけていただいて、こちらこそ“しみじみ〜”と、心に染み入りました。OB・OGも、中途で塾を辞めた子どもたちも次々に訪ねてきて、“理事長”が子犬だったころからのアルバムを繰りながら、いっしょに映っている幼かった自分や知っている顔を発見して、話題が尽きません。その子たちも、「いまごろ、きっと野々は自由に飛び跳ねているよね」と同じようなことを言っていたのを思い出します。“面識”のあるなしではないのかもしれませんね。ありがとうございました。
 

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Re: 第196回 “理事長”の死と塾の子どもたち2006/09/10 12:40:44  
                     よっちゃん

 
改めて文章を読むと、ののは塾にとっては大きな存在だったのだと実感しました。
自分がののと過ごしたのは、約2年半。
初めて塾に行ったときはまだ回りの同年代の高校生たちとまともに話すことも出来ず、ののにも触れなかった日々が続いたけど、最初に友達みたいになれたのはののでした。
ののに慣れ、周りの騒がしい2人が昔の話をしてくれたおかげで、今の楽しい塾生活をおくれているのだと思います。
当時は柵をすり抜け、勉強中のみんなの足元をうろついたり、玄関に脱走したり、笑わせてもらったのを覚えています。
1度だけののが食事をしている時に塾についたことがあります。
まだ中3が授業をしているからいつものように居間で待とうと入ると、おばさんの手から弱々しい動作でゆっくりと食事をするののがいました。
その時に「もしかしたら長くないのかな?」と思いました。
今年は自分も98年生きた曾祖母が天寿をまっとうし、天に召されました。
そのせいか、塾に行った際ののが死んだと知った時は人事には思えませんでした。
また、自分も家で犬を2頭飼っているので、段々と弱り、痩せて行くののを見たときは、「あぁ、いつかうちの犬たちもこうなるのかな?」と思いました。
塾のOB・OGの方々、昔を知る今の塾生、そして今の高校3年生達とは17年5ヶ月。
そして自分には約2年半の歳月を共に過ごしてくれた「野々」。
今この場を借りて、お礼を言わせていただきたいと思います。

今までありがとう。また会おう。
 

元の文章を引用する

 
ありがとう2006/09/10 17:18:40  
                     す〜爺

 
よっちゃん、こんにちは。
 よっちゃんが塾生になったのは高校生になってからだから、ののとはそれほど深い付き合いはなかったのかな、と思っていたけれど、いろいろ感じてくれていたのですね。ありがとう。現在、この連載を読んでいる塾のOB・OGや塾生の親御さんたちからは直接メールをいただきました。この連載のことは、子どもたちにはあまり知らせていない(秘密にもしていないけれど)ので、現役塾生で読んでくれているのはたぶんよっちゃんだけだと思います。
 

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