す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第195回 大人の問題 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前々回「高3の親」さんへのレスにも書きましたが、このところ新聞紙上をにぎわす事件は、テレビではさらにエンターテインメント化されて面白おかしく報道されているのかもしれません。
「子どもが疎(うと)ましかった」という述懐が、驚きをもって取り上げられているようです。こういうことばだけを聞くと、あるいはドキッとする人がいるかもしれません。しかし、どの親でも、「フッと子どもが疎ましく」なったり、「なんで、わたしの子がこんな子なのだろう」という気持ちがよぎる瞬間がたぶんあったはずです。ふと自己嫌悪に陥ったりする瞬間がだれにでもあるのと同じです。 しかし、瞬間的にそう思うことと、日常的にずっと子どもへのそうした思いを抱えている場合とは、大きな違いがあります。はっきりとことばにしないまでも、こういう親はそれほど珍しい存在ではありません。具体的な例は出せませんが、「子どもの健康のことをしっかり考えているのだろうか?」「ほんとうは、子どもが邪魔なのではないだろうか?」とツレアイと話すことがときどきあります。「ちゃんと塾にやっているし、必要なものも買い与えている。」ということばも聞きますが、どこかしら、自分の子どもに対する“ダイレクトな愛情”が感じられない親がいます。もちろん、こうした場合と、実際に子どもを殺したり遺棄してしまう場合とでは、さらにはるかな隔たりがあるのは言うまでもありません。 ところで、秋田の事件の母親は、わたしたちにとっては子どもの世代に属します。彼女と同世代の塾OBは、この塾のささやかな歴史の中でも塾を“第二の家庭”と心得、親たちともいまだに深く親密にかかわり続けている人たちです。同世代だからといって、彼女と重なり合う部分があるわけではないのですが、彼女が育ってきた時代の空気は見えるような気がします。 前にも書いたとおり、わたしは自分の子どもを育てたことがないので、“子育て”について書くことはいつもためらいがちになります。「子どもを育てたことがないからそんなことが言えるんだよ。」と、面と向かって言われたこともあります。しかし、多くの親子関係をかなりの程度まで踏み込んで見聞し、いっしょに悩み迷ったり、ともに喜び合ったりしてきたことが、これまでの連載の原動力のひとつになっていることも確かです。 そのわたしの目には、子どもをめぐる事件についてのマスメディアの取り上げ方が非常にヒステリックなものに映ります。テレビのようなエンターテインメント産業は別にしても(とは言っても、その影響を受ける人たちが圧倒的多数なのですが・・・)、新聞も雑誌も、事件があれば、徹底的に加害者の家族関係を暴露し、生育歴を洗いざらい調べ上げ、学校関係にまでその原因を求めようとする、その報道姿勢は異常としか言いようがありません。 ほんの数十年前には、栄養失調、伝染病、事故、事件などで、子どもがあっけなく死んでしまうことは、わたしの周辺でさえ、ときどき見聞しました。親に殺される子も凶悪な少年事件も、現在よりははるかに多かったという統計もあります。その意味では、現在の社会は、子育てのレベルがとても高くなっている分、子育てのストレスは、昔よりも格段に大きくなっています。そこに加えて、上記のマスメディアの狂奔ぶりが、いつか自分たちもその被害者や加害者になるのではないか、という親の不安をあおります。 “子育ての失敗”は、人間以外の生物にはあるのでしょうか? 偶発的な自然現象が子育てに影響を与えることはあっても、それは“子育ての失敗”ではありません。ところが、人間が「わたしは、自分の子どもをなんの失敗もなく完璧に育てた」と聞けば、かえって恐怖感を覚えるはずです。人間は社会的な存在だからこそ、親が思い描くとおりに育つことがないのが当然、と感じるからです。 ここまで書いてきて、無性に腹が立ってきたことがあります。親たちを不安に陥れ、教師たちを萎縮させているマスメディアやそれにつながる“識者”“教育評論家”“精神科医”“文化人”と言われる人たちに対してです。以前に補遺として書いたことですが、長い夏休みをいただく前の“す〜爺の暑気払い”だと思って読み流してください。 ゆとり教育を推進しながら、一方で超エリート養成に奔走する文科省トップ官僚。系列週刊誌で毎年のように高校別大学合格ランキングを発表しながら、教育問題特集を組む新聞社。自らが環境破壊の先頭になっていながら、「もっと自然に」 「エコ計画」「地球環境保全に全力を尽くしています」と宣伝する自動車会社・ケータイ大手・石油元売、家電・・・、命を売り買いしながら、「お子さんに、命の大切さを・・」と宣伝しているペットショップ、家庭文化を徹底的に壊してきた元凶である(とわたしが考えている)テレビに嬉々として出演し、トクトクと学校教育批判を展開する“教育評論家”・・・・。 近いところに行くにも車、自然のなかにも平然と車で乗り入れ、買い物は郊外型大型店舗やスーパーで、食事はファミレスで、ところかまわずケータイで話し、ともかく、何の疑いもなくラク・トク・ベンリを謳歌しながら、「いまの教育は・・・、学校は非常識・・・、このごろの教師は・・、親の生きる姿勢が・・・」と口にする人たち・・・・。 そう言いながら、わたしもまた、そういう社会を構成する一員であるし、子どもの気持ちを傷つけ、親を不安にしてきたこともあるかもしれません。だからこそトクトクとして、自分だけが高みに立っていることはできないので、また、目の前の親や子どもたちとの日常を一つ一つ大切にしていくしかない、と考えています。 **7月25日(火)掲載**
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第194回 一人っ子 | ||
続けて少子化問題を取り上げましたが、調べれば調べるほど、そして考えるほどにむずかしい問題です。すくなくともわたしの余命の中では結論が見えないと思います。しかも、人為的な結合体である(association)よりも手渡しの(community)こそが人間関係の基本である、と考えるわたしは、どうしても悲観的な見方になってしまいがちです。
そこで、少子化の象徴とされている“一人っ子”を取り上げ、“口直し?”をします。 村上春樹の小説に『国境の南、太陽の西』があります。一人っ子がまだ珍しかった時代の1951年生まれ、という設定の小学校の同級生だった男女が、おたがいに“一人っ子”であるがゆえに、20数年の時を隔てて激しく惹かれあうストーリーです。ここには、一人っ子の典型的な2つのタイプが描かれています。「一人っ子は、甘やかされていてひ弱でわがままである」という周囲のステレオタイプな反応に傷つきながらも、それが自分にすべて当てはまっているという事実にさらに深く傷ついている男の子。彼は、嫌なものはあくまでもイヤ、を通す少年です。一方、女の子のほうは、自分を護るための高く強い壁を意識的に自分の周りに張り巡らせて、嫌なこともがまんをし、成績も優秀、誰に対しても公平で親切。そして、2人の共通点は、一人で過ごすための引き出しをいくつも持っていること、たとえば読書、音楽、猫・・・。さらに、たぶん両方とも、再会するまでの過程の中で、それぞれ大切に思う相手を心ならずも深く傷つけてしまう。本文の主題とは無関係ですが、このように書いてくると、村上氏の人間観察の絶妙さに改めて感服します。 ところで、塾生たちを含めて、わたしがこれまでにお付き合いしてきた一人っ子たちのイメージは、上記のステレオタイプな一人っ子像よりも、おおむね、内省的で控えめな印象があります。村上氏の小説にあるように、とくに、現在ほど多くなかったころは、一人で過ごすための引き出しを持っていたからかもしれません。時代が下がるにつれて、一人っ子の様相が変わってきているようにも感じます。 A君は、もう20数年前の塾生です。両親が比較的高齢になってから生まれた彼は、中学生のころから落ち着いた雰囲気を持つ少年でした。まれに、思い通りにならないことがあるとイライラした様子を見せるところが“一人っ子的”といえなくもありませんでしたが、それは、この時期の子どもに大なり小なりあるもので、全体としては抑制の効いた子どもでした。大学生になってから塾のアシスタントをお願いしましたが、中学生たちからもたいへん信頼されていました。 その彼が、就職と同時に家を出て自活する、というので、ご両親はたいへん驚きました。そこで、わたしが、じっくりと彼の話を聞いてみることになりました。すると、彼は「ぼくは、一人っ子として育ってきて、ほしいものも親の愛情もなんの不満もなく育ってきた。だからこそ、これから社会に出るに当たって、自分のそういう育ち方に大きな不安があるんです。両親には申し訳ないけれど、自活してみてすこしずつ自分自身を確かめたいと思うんです。」というようなことを話してくれました。彼は、早くから管理職になり、浦和に帰ってきても、わたしのところに顔を出すどころか、実家で両親の顔をみるか見ないかでとんぼ返り、という生活が続いていました。現在、ご両親は郷里で自適の生活ですが、いまだに盆暮れのご挨拶をいただきます。二回りも年下のわれわれはいつも恐縮してとまどってしまうのですが、この律儀な両親あってのA君なのだな、と納得するのです。 A君より5年ほど下のB子さんの場合は、若い両親の間の一人っ子です。その当時のニューファミリーの典型のような3人家族で、友だち親子のようにジャレ合っている感がありました。中学生のB子さんを一人置いて夫婦で遊びに行ってしまうこともあったようですが、さりげなく温かい愛情をかけていることがうかがえる両親でした。B子さんが高校生のころ、お父さんが遠地に転勤になったとき、お母さんは迷わず、お父さんの勤務地に自分自身も転職をしてしまったのです。もちろん、高校を変わることができないB子さんはそのまま残されました。初めはあこがれの一人暮らしを楽しみにしていたB子さんでしたが、掃除・洗濯・買い物・ゴミ出し・支払いと、それまで両親がやってきたことのすべてが自分にかかってきて、とうとうネをあげてしまいました。彼女は、社会に出てからも、多くの人に好かれる明るい女性ですが、30歳をとうに過ぎた今でも独身貴族を謳歌していて、わたしたちを心配させています。 そして、最近の一人っ子C君の場合は、情報が溢れる昨今の世相を反映してか、両親ともに、不安で一杯のようです。わたしたちを信頼してくれてはいても、進学塾の宣伝合戦などのすさまじい“あおり”を受けて、「もっともっと勉強をやらせなければ、どこの高校も受からないのではないかと心配です。わたしたちのころとはずいぶん違うといいますから・・・」と、おろおろ気味です。「ご両親のころよりも、高校の選択の幅は増えているし、受験の機会もパターンも段違いに増えているのだから、まずは、本人がいままで通り自分なりに一生懸命取り組んだ結果で選べば、問題ありませんよ。」と言っておちついてもらいます。それでも、すこし気分が落ち込んでいれば「いじめられているのではないか」と心配し、塾からの帰りがすこし遅いと電話がかかってきます。 こうしてみてみると、“一人っ子”とはいっても、時代により親の性格によりさまざまである、ということがわかります。ただ、一人っ子が当たり前になるこれからの時代、A君やB子さんの時代にはなかった問題が出てくるのかもしれません。 **7月18日(火)掲載**
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第193回 続・少子化 | ||||||||||||||||||
少子化問題の続きです。
わたしの友人にも、『高3の親』さんと同様に、「少子化はいろんな問題を含んでいるけれど、基本的に人間は生き延びる方向だと思っている」と言う人がいます。「今後、人口が増加していけば、限りある食糧・エネルギーなどの消費も増え、また、環境破壊も進んで人類は絶滅の方向に向かうだろう。少子化は、それを避ける人類の自然な本能の表れである」という理由だと思います。 また、別の若い友人は、「・・・・・・・・結婚もしない、子供を作らないという現象は今後50年くらい続いたところで反転すると思います。なぜなら、これは孤独を選ぶことを意味するからです。・・・・・」と書いてきてくれました。 これからの社会を生きる若い人々、次代を生きる子どもを持つ人、そして、わたしのように、自分の子どもはいなくとも、子どもたちとかかわっている人にとっては、「少子化は人間が生き延びる方向である」、あるいは「いずれは増加に転じる」と考えたいところです。しかし、わたしには、どうも悲観的な方向ばかり見えてきてしまいます。 まず、全地球的・超長期的には、人口減少が人類存続の方向だとしても、当面のわれわれの社会の持続可能性という視点からは、われわれの社会だけが、前回書いたような急激な少子化の負担を負わなければならないのか、というエゴイスティックな気持ちになります。少なくとも、緩慢な少子化ならばそのメリットも出てくるでしょうが・・・。また、少子化が高度大衆消費社会の産物だとすれば、上記の若い友人が言うような『反転増加』の可能性より、孤独でも生きていくことができる、あるいは孤独をネガティブだと感じないシステムや生活スタイルが確立されていくような気がします。 わたしの周辺を見回しても、少子化は確実に進んでいます。わたしの兄弟が3人、わたしのところが0で、弟と妹の子どもがそれぞれ一人っ子です。ツレアイの兄弟5人のなかでは、長男のところに2人末妹のところが3人で計5人。いずれも半減しています。 また、わたしの偏見による可能性が大きいと思いつつ、友人知己の子どもたちを見ていると、すでに大人になってはいても、親の個性や能力に匹敵するような青年があまり見当たらない、という感じがします。あるいは、個性・能力というよりも、親たちが若いころ持っていたある種のエネルギーを感じられない、と言うべきかもしれません。もっとも、古代エジプトのパピルス文書に「いまの若い者は・・・」という記述があるそうなので、若者に対する不満は繰り返された歴史なのかもしれない、と思います。しかし、その反面、われわれの社会は、“無軌道でエネルギーに溢れた若者”ではなく“従順で依存的な若者”を抱えた人類史上類のない時代を迎えているのかもしれない、とも感じています。 結婚しない若者が増え、夫婦関係も希薄になっている、という話を聞くと、まさに“生き抜くエネルギー”の低下ではないかと考えますが、一方で“婚姻外の性”は、ますます増え続けている、というデータもあるようです。モンタネッリの『ローマの歴史』(中央公論)によれば、「ローマ帝国末期には、・・・家族の崩壊と、避妊中絶の普及によって“婚姻外の性”が広がり、指導層の少子化が進み、その補充を農村中産階級に依拠しようとしたが、これも急速に腐敗し、次の世代にはしようのないやくざ者ばかりになった。そこで、農民に産児奨励補助金を出した結果農村が過疎化したところに外国人が浸透してきたので、ローマは、彼らを吸収同化するヒマもなかった。」(筆者要約)これを「道徳的真空の結果生じた物理的真空」とモンタネッリは表現しています。 現在2児の母親であるA子が、高校生のときに(本人は憶えていないはずですが・・)「わたしたちの孫の時代ってあるのかなあ」と、いつになく深刻な表情でつぶやいていたことがあります。飢えの苦しみや死の恐怖から最も遠い社会に到達しながら、未来に希望を持ちにくい社会を作ってきた責任の一端を痛感したものです。 “少子化”が、望ましい方向なのか、憂うべきものなのか、わたしには、まだ判然としません。少子化が進んだ結果、われわれの社会が、末期のローマ帝国のような運命をたどるのか、それとも、持続可能な安定した社会が待っているのか、わたしにはまったくわかりません。しかし、わたしには、現在の社会の状況が好ましい方向にいっているとはどうしても思えません。その社会の中に生じている“少子化現象”だからこそ、大きな不安を感じているのです。 このように後ろ向きの考え方に至るのは、年齢ゆえか、わたし自身の生きるエネルギーが低下してきているためか、しっかり自己分析をする必要がありそうです。若い人たちからの前向きのメッセージがぜひほしいところです。 **7月11日(火)掲載**
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第192回 少子化 | ||||||||||||||||||
少子化が進んでいるようです。わたしたち夫婦には(人間の?)子どもがいませんが、たくさんの“息子・娘”たちに恵まれて、ワクワクさせてもらったり、ハラハラさせられたり、大きな喜びに包まれたり、頭を抱えてしまったりしてきました。しかし、社会的には、少子化にちょっぴり手を貸してしまったのだなあと、ひそかに心痛めています。
少子化が社会に与える影響がどのようなものであるかは、とくに政治・経済の側からは将来の労働力や年金の問題として語られることが多いようです。しかし。それらの問題は、移民の積極的受け入れ、経済政策、人口集中の緩和など、政治的な手法によって解消される可能性があります。 しかし、兄弟姉妹を含め、同世代の人間が少なくなるということは、とりもなおさず、その時代を生きる人たちの“社会意識”の大きな変化をもたらすことではないかと思います。 以前にも書いたとおり、人は、“かけがえのない自分”であると同時に“おおぜいの中の自分”でもあります。この“おおぜいの中の自分”という意識は、家庭・学校・塾を問わず、“自分だけではない場”に身をおくことで育まれていきます。自分だけでは成し遂げられない経験、自分だけのアドヴァンテイジをとることが不可能な状況、おおぜいの中で注目される高揚感と負担感、まったく目立たなくなることの悲哀と安堵などなど、これらは、おおぜいの中で行動するとき、いわば“やむを得ず”経験することです。 この“やむを得ずおおぜいの中に身をおくこと”の経験は、人の成長と人が暮らす社会にとってたいへん大きな意味を持つものです。その意味で、同世代集団がどんどん少なくなる中で、一人一人に“目が行き届く”少人数クラスを目指し、個別指導を望むような風潮は、むしろ時代に逆行しているのではないか、と考えています。 わたし自身のことで言えば、エネルギーが低下しているとき、おおぜいの人の中に身をおくことがつらくなります。さらに低下すると、一切の接触を絶って一人きりになりたくなります。わたしがそうなったところでだれも心配しませんが、若者がそうなれば、“ひきこもり”だったり“不登校”という問題になります。 現代は、それができる環境が整っています。親や自分自身に経済的な余裕があったり、ネットバンキング・ネットショップがあれば、人と接触しなくても、とりあえず生きていくことができます。ネットゲームのG(ゴールド)をネット上で売買することで、新米サラリーマン並みの収入を得ている“引きこもり”もいると聞きます。 緊急避難的には「人と顔を合わせることが非常に苦痛で引きこもる環境があるのならば、引きこもってもよい。」と、わたしは考えています。しかし、人は、いつかどこかで他人と接触しないわけにはいきません。人との接触がほとんどない人間が他人と接したとき、道行く人のちょっとした表情の変化や視線や行動、まして話しかけなどにおびえてしまうのは当然です。彼らが異常なのではなく、彼らと同じ環境にあれば、だれでもそうなるはずです。 これまで述べてきたことは、一見“少子化”とは関係なさそうですが、もしこのまま少子化が加速していけば、必然的に、目が行き届き手をかけやすい“子育ての個別化”も進みます。その結果、社会全体のエネルギーが低下します。人と人がつながりにくくなる環境は、前段で述べた“引きこもり”の環境と近いものがあります。バーチャルな日常の中のリアルな非日常、という生き方が普遍的になれば、われわれの社会が崩壊します。 こういう問題を“政治の責任”と考える人もいますが、わたし自身を含めて、大衆消費社会に洗脳され、ラク・トク・ベンリを追い求めてきた大人たちの責任がたいへん大きいと思います。かなり以前から、若者たちは「子どもは、経済的にも時間的にも、自分たちの現在の生活にとって、大きな“足かせ”になるもの」と考えているようです。それでも、親になってみれば、その生活を犠牲にしても惜しくない“かけがえのない存在”になる場合が大部分ですが、なかには、親になっても“足かせ”感が抜けないまま、子育てをしている人も少なくないように感じます。 少子化問題は、わたしたちの社会の根底を考え直す大きなキーワードなので、なかなか、わたしの手に負えるものではありませんが、またいつの日か、稿を改めて考えてみることにします。 **7月4日(火)掲載**
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第191回 聖域 | ||
かつて、わたしが子どものころ、父親はまだ“聖域”でした。「お父さんのものだから勝手に触ってはダメ」と言われ、友だちの家に行けば、「あっ、そこはお父さんの部屋だから入らないで」と言われました。だからこそ、第188回に書いたように、出張中の父の部屋に入り込むことは、ちょっとうしろめたくて新鮮な緊張でした。
終戦直後の飢餓時代ならいざ知らず、“カツアゲ”常習の不良少年たちも、むかしは大人を狙うなどということはなかったように思います。つまり、法律で禁じられているかどうかではなく、子どもが触れてはならない領域があちこちに存在したはずです。親が聖域でなくなり、ついで親以外の大人たちも聖域ではなくなってきたのだと思います。むかしの大人たちがとくに立派だったわけではありません。ただ、大人としてふるまおうという努力はしていたような気がします。“子どもの人権”は真剣に守られるべきだと考え、少年法の厳罰化などには強い疑問を持つわたしですが、子どもたちが“聖域”を持たないまま育っていくことに大きな不安を感じています。 お父さんが奥のほうに隠してあったものを“発見”して、「お母さんは恐いけれど、お父さんに叱られても、それがあるから恐くない。」と言っている中学生がいて、お父さんが気の毒やらおかしいやらで苦笑したのは、つい何年か前のことです。 食べ物、飲み物、持ち物、服装、趣味、読書、遊び場所・・・・・。家庭文化を大切にしている家では、大人の領域と子どもの領域が厳然として存在しました。どこの家でも、子どもの前ではあからさまな夫婦ゲンカを避けようとしていましたし、大人同士の話に子どもが同席することは許されませんでした。まして、大人の話に子どもが口を挟むなどはもってのほかのことでした。よく知っているお客さんが見えたときでも、一通りの挨拶がすむと、「あっちに行ってなさい。」と言われれば、当然のように外に遊びに行ったり、寝室に行ったりしました。だからこそ、子どもたちは、大人にあこがれ、早く大人になりたいと望んだのかもしれません。いまは、子どもの目には、大人になっても苦しいことばかり、くだらなさばかりが映ってしまっているような気がします。テレビというメディアが家庭文化を破壊してきた元凶である、と言い続けている理由のひとつです。 「外部の人間が足を踏み入れたり、手を触れてはならないものだからこそ、謎に包まれていて、いつかはそこに入りたい場所」というのが、本来の意味の“聖域”です。ここまで書いてきたのも、その意味に近いものでした。 じつは、今回のタイトルを決めたときに、初めに頭に浮かんだ“聖域”は、まったく別のものです。 以前、子どもから見せてもらったゲームソフトの中に“聖域の巻物”というアイテムがありました。これを床に敷くと、敵からは一切攻撃を受けずに自分からだけ攻撃できる、というものです。まさに、このイメージの“聖域”は、内部の人間が「ここは聖域だぞ。立ち入ってはいけない」と宣言しているような、現代的な“聖域”です。 ひとつの例をとりあげます。中学生たちが、自分の部活スポーツなどの技術面で迷いを口にすることがあります。卓球でスマッシュが入らない、バッティングでジャストミートしない、サッカーでは1対1に弱い、などなどです。わたしの周囲には、さまざまなスポーツでアマチュア全国レベルだった人が多いので、彼らが常日頃言っていることを、つい、口にしてしまうことがあります。そうすると、パッと明るい表情になる子もいる反面、「いいよ。部活のことは部活で解決するから・・」と、迷惑そうな顔をする子もいます。また、クラスの友人関係で悩んでいる場合でも、他校の塾友が心配して口を挟むと「関係ないよ」と言って、黙ってしまうことがあります。どちらも、“他人”に踏み込んでほしくない“聖域”なのです。 夫婦のあいだでよくトラブルになるのは、相手が実家の親兄弟の悪口を言っているときに、かさにかかって同調してしまう場合です。塾OBの若い夫婦に「ツレアイに自分の親族のことをあれこれ言われるのは、自分自身のアイデンティティを根底から否定されたような気持ちになるから、ぜったいに言ってはいけないよ。」と言うと、「なるほど、だからあの時トラブッたんだ。」と合点することがあります。これも“聖域”のひとつです。 わたしの知人で、仕事とは直接関係のない分野に、趣味の領域をはるかに超える深い造詣を持つ人がいます。わたしも、その分野には若いころからいくらか親しんでいるので、ときどき教えを請うのですが、どうも相手にされないようです。経験・知識・思い入れ、すべてにわたって格段のちがいがあるので、半端に話をしたくない、という気持ちもむべなるかな、と思えるので、その“聖域”には踏み込まないことにしています。 これらの“現代的な聖域”もまた、人間関係をスムーズにするための現代的エートスなのかもしれません。 **6月27日(火)掲載**
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第190回 “父親”という存在 | ||
前回、前々回と登場した父は、第一子であるわたしの成人を待つことなく他界しました。海軍軍医将校として従軍し、わたしが3歳のときに復員してきた父は、初めて見る息子に「おまえが・・」と言ったきり口をつぐみました。わずか15年ほどの父子でしたが、父からはさまざまなことを学びました。
じつは、わたしたち夫婦の“一人っ子”である17歳の“尻尾のある娘”は、1年ほど前から寝たきりで、24時間介護の状態です。楽しみにしている食事は、一粒一粒ゆっくりと食べさせ、トイレはおなかの張り具合を見ながらの介助です。これらは“お父さん”であるわたしの役目です。ツレアイは、夜中に何度も起きては水を飲ませています。傍目には“ただの犬”ですが、わたしたちにとっては“かけがえのない娘”です。 まず、わたしの父子関係から話を始めましたが、6月18日が「父の日」だったことでもあり、この“父親”といういわく言いがたい存在について書くことにしました。 子どもをつれて遊びに来る塾OBの多くは母親としてですが、なかには父親になって顔を見せるOBもいます。そのうちの一人Sくんが当時3歳の娘Nちゃんを連れてきたときのことです。ひとしきり遊んたあと「ワンワンといっしょに帰る」というNちゃんの“要請”に応え、わたしは犬を前カゴに彼は娘を子ども用のいすに乗せて、自転車で15分ほどの彼の実家まで行きましたが、到着後の彼の様子がどうも不機嫌なのです。「どうしたの?」と聞いてみると、「野々(尻尾のあるわが娘)のほうだけみて、かわいい、って言っていた。」と言うのです。そういえば、途中で会った女子高校生たちが「きゃー、かわいい」と言っていましたが、わたしは気にも留めずにいました。色白で、くるっとしたおめめが愛くるしいNちゃんは、集まるママたちのあいだでも評判の“美形”で、そんな娘が自慢のSくんのとてもすなおな“拗ね方”に、みんなで大笑いしたものです。そのNちゃんも、いつしか小学生になり「パパ、あっちへ行って」と言われてショックを受けていたSパパでしたが、Nちゃんが6年生になった今では、再び“頼りになるパパ”として復活したようです。 子どもが思春期になると、子どもとの距離をつくってしまうお父さんをみかけます。娘や息子からは「だらしない、くさい、ウザイ、文句しか言わない、押し付ける・・」と言われ、とくに娘からは口も利いてもらえなくなった、と嘆いているお父さんもいました。この年代の子どものお父さんの多くは30〜40代の働き盛りです。早朝に出て帰宅は深夜、ときにはほろ酔い気分で帰ってきて、よせばいいのに、そういうときに限ってふだん言えない“説教”を試みようとするから、ますます子どもたちから敬遠される存在になりやすいようです。「ちゃんと勉強やってるか? テストの成績どうなってる? ヘンな友だちと付き合ってるんじゃないだろうな」とたたみかけられれば、子どもたちならずとも“ウザったく”なります。大体、そういうことを言われた子どもが「お父さんは、自分のことを心配してくれているんだ」と思うはずがありません。パパたちは、子ども時代に自分の父親から同じようなことを言われてイヤ〜な思いをしたことをすっかり忘れているのです。 「すれ違いが多い子どもだからこそ、せめて顔を合わせているときぐらいは楽しい話をしたら?」というのが、親しいパパたちにわたしが言うことばです。なかには、毎回、中学生の娘を塾に迎えに来るお父さんが2人ほどいます。ときには仕事帰りのスーツ姿のままで玄関先で待っていて、帰り道は楽しい会話が弾むこともあるようです。 わたしのところでは、ときどき『お父さんの会』というのをやります。なんということもないただの飲み会ですが、異業種・異年齢のお父さんたちが、立場や仕事抜き、子どものつながりだけでおしゃべりする、というのもいいものです。今度の夏休みにも予定しています。 ある年の『お父さんの会』たけなわのころ、当時22、3歳の塾OBたちが何人か、自分たちの飲み会の後に立ち寄ったことがあります。ややほろ酔い加減の30代・40代のパパたちは、まだどこかに若者の気分が残っているので、彼ら彼女たちの仲間になりたくて、あれこれと話の輪に入ろうとするのですが、若い子たちは、とまどった表情で黙ってしまいます。そこを、さらに割り込もうとしたとき、「すみません。そろそろ失礼します。おじさん、ごめんね、また来るから」と帰られてしまいました。残った彼ら「オレたち、家でも会社でも同じようなことやってるのかもしれない」と反省しきりでした。 母親は“実感として”わが子を見ることができるので、子どもがさまざまなトラブルを起こしたとき、悩みぬいた末に、真剣に向かい合って現実的な対処ができることが多いようです。反面、多くの父親をみていると、よくも悪くも、この“実感”がうすい分、冷静にもなれるし、逆に、建前や世間知、あるいは自分自身の子ども時代の体験だけで判断してしまいがちです。特殊な場合を除いては、思春期以前の子どもたちの多くは、口にこそ出さなくとも、お父さんが大好きです。それを思春期以降までつなげられるかどうかは、子ども自身が、お父さんからの、建前や世間知ではない“ダイレクトな愛情”を感じられることにかかっているような気がします。 **6月20日(火)掲載**
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第189回 飲酒考 | ||
前回喫煙について書いたので、ついでに、と言うには、ちょっと次元の異なるお酒についてのお話です。
ヘビースモーカーであっただけでなく、大酒呑みだった父親は“医者の無養生”の見本のような人でした。ただ、酒を飲む父親の前に並べられたアタリメ・カラスミ・すじこなどの肴は「子どもが食べるものではない」と言われるほどにうまそうに見えて、大人になったら、酒は飲まないけれど酒の肴だけは食べられるようになりたい、と思ったものです。 余談ですが、大人が食べるもの・子どもの食べ物の区別はあってもよいと思います。わが家では、中学生まではコーヒーを飲ませないし、山ウド・ふきのとうなどの山菜は、まだ味覚が分化していない子どもにとっては苦いだけのようです。 そういうこともあってか、思春期・青年期のころのわたしは、読書をしながらウィスキーをなめるくらいで、コンパに参加しても、飲んで騒ぎ泥酔する友人たちの中で疎外感がありました。そもそも、そのころの日本酒は、お世辞にもうまいとはいえない代物で気分が悪くなるだけ、ビールも体が受け付けず、すこし飲んだだけで体中に斑点が出てしまいました。 ところが、ツレアイが無類の酒好きの食いしん坊で、作る料理の多くは酒の肴、酒は上等の純米酒、というぐあいで、日本酒がこれほどうまいものだと、家庭を持って初めて知ったというわけです。ビールも、コーンスターチが入っていないものだとまったく斑点も出ずに、おいしく飲めることがわかりました。 いまでは、塾の後始末が終わった11時近くになってから、何種類かの肴を並べて、二人で2合ほどの晩酌をするのが日課になっています。お酒は、銘柄だけではなくどのように管理しているかでかなり味が違ってくるので、だいぶ以前からM酒店さん(マイタウンにも出ています)にお願いしています。 そのお店の2姉妹が塾生になってからは、「きょうは○○ちゃんといっしょに、配達をお願いします。」と言うことが多くなりました。子煩悩なパパは、娘を送りがてら気持ちよく配達してくれます。酒やワインに関する知識も豊富で、おかげで“豊かな酒ライフ?”を送っています。 年の暮れ近くになってくると「お酒好きですか?」と聞く子がいます。なにげなく「うん、好きだよ」と答えたら、CMによく出てくるお酒がお歳暮に届いたことがあります。基本的に頂き物は遠慮しているのですが、「これ、ちょっと作ってみたのでお裾分けです」とか「これは、自分たちも大好物なので」という頂き物はうれしいものです。しかし、ここだけの話ですが、デパートからのお届け物で、立派な包装の中のまずい酒というのはガッカリです。いまは「お酒? ほとんど飲まないなあ。」と言うことにしています。 「子どもが成人したら、いっしょに酒を酌み交わしたい。」と言うお父さんがいます。めでたくその夢を実現できた人もいますが、多くは、その年頃になると友だちと楽しく飲むほうがよくて、とくに娘からはそっぽを向かれてしまって、ガックリしている話を聞きます。本人たちに聞いてみると「お父さんと飲むと、ぜったいに説教めいた話になるからなあ」ということなので、お父さんたるもの肝に銘じるべし、ですね。 若者たちには「落ち込んでいるときや、悲しいとき、むかついているときには、決して酒を飲まないようにね。初めて酒を飲むときには、楽しくゆかいに、そしてうまい肴もいっしょにね。」と言っています。そして、最後に「ほどよく酔うって、とても気持ちがいいもんだけれど、酔いに任せて、素面(しらふ)では決して言わないことを言ったり、やらないことをやってしまったりすることだけはしないようにしようね」と付け加えます。これは、ほかならぬ自分自身への戒めでもあります。 そうでなくても、酔ってしまうと、ついカッコいいことを言ってしまったり、愚痴が出てしまったりするのも、酒というものの特性です。 「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」 牧水25歳の作としてはなかなか生意気な境地だな、と思いきや 彼が口腔疾患に悩まされ続けていたと知って、この短歌が、じつは狂歌なのではないかと思い至って、酒の持つロマンと欺瞞?の両面性を感じたものです。 **6月13日(火)掲載**
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第188回 喫煙考 | ||
5月31日は『世界禁煙デー』だそうです。どのような経過で、この日が選ばれたのか定かではありません。そして、5月31日から6月6日までは禁煙週間だそうです。
20年ほど前までは、着席するとすぐにかすかにタバコのにおいがする高校生がときどきいました。思えば、ツッパリ全盛(?)の時代でした。わたしの塾にもその余波が及んで、“公然と”か“隠れて”かの違いはあっても、あきらかに喫煙を常習化している中学生や高校生が何人かいました。さすがにわたしの前ではごまかしてはいるものの、塾の門の前でもみ消してから入ってきたのではないか、と思われる場合もありました。 喫煙は、思春期の少年たちにとって、むかしからちょっと背伸びをして大人ぶった気分の象徴でした。 じつは、今となっては大変恥ずかしいことですが、このわたしも、高校生になったばかりのころタバコを覚えました。初めは、出張中の父親の部屋で、深夜に本を読んでいたとき、机の上にあったタバコに手を出したのが始まりでした。父親がやるように、机の上でトントンと吸い口を整えてから口にくわえ、マッチで火をつけて吸い込むと、頭がクラクラとしました。口の中がいがらっぽくなってイヤーな感じだったので、そのときは、たしか一口吸って終わりだったように記憶しています。 ところが、当時かなりのヘビースモーカーだった父親は、ニコチン含有度が非常に高い両切りピースの愛用者で、50本入りの缶ピースが家中のあちこちに置いてあって、数日後には、とうとう一本吸ってしまいました。それからというものは、本を読むときに無意識にタバコがほしくなってくるのを感じました。しかし、いつも父親のタバコを失敬するわけにもいかず、自販機がなかった時代でもあり、顔を見られないで買える遠くのタバコ屋さんまで自転車で行って、ピースより安い「いこい」を買い始めました。幸か不幸か、家の中には、父親のタバコのにおいが沁みこんでいたので、わたしが自室で吸っているのは気づかれていないはずでした。 そのタバコ買い何回目かの帰り道、どうしてもがまんできなくなって、途中で吸い始めてしまったのですが、それをたまたま目撃した知り合いから母親に“通報”されてしまいました。そのことをきっかけに、しばらくは“禁煙”していましたが、当時、同級生の中に、かばんの中に隠し持っている“ワル”が何人かいるのがわかりました。彼らは、いわゆる“文学青年”たちでした。授業を抜け出して見沼西縁あたりの土手に寝転び、紫煙をくゆらせながら“文学論を闘わせる”のを、あたかも明治・大正のころの無頼派文士たちの姿に重ねて気取っていたのかもしれません。 かくして、父親と同じヘビースモーカーになって20年、自室はヤニで汚れ、爪は黄色く染まっていました。これは塾を始めてからも続きました。かろうじて自負できるのは、塾生の前では吸わなかったこと・ポイ捨てをしなかったこと・雑踏では決して吸わなかったことぐらいでしょうか。 ところが、30年ほど前のある日、プリントを覗き込んだわたしの耳に「タバコくさ〜い、近づかないでください。」という中学生のA子ちゃんの声が飛び込んできました。聞いてみると、他の子たちも「言っちゃ悪いかな、と思ってがまんしていた」と言うのです。いまから思うと、嫌煙権運動もなかったころで、大人がタバコを吸うのが当たり前であるような時代だったからかもしれません。 このことが、わたしをタバコからきっぱりと離れるきっかけを与えてくれました。その日から2週間ニコチン切れの苦しさと闘って、やっと体が楽になった記憶があります。わたしがタバコをやめたのは、タバコの健康被害をおそれていたからではありません。子どもの一言とある事情(これはヒミツ)がわたしの目を覚ましてくれたのです。 喫煙者の中には、「自分の体のことだから、他人の干渉を受けるいわれがない」と言う人がいます。しかし、副流煙による受動喫煙の害や、タバコ産業とそこにつながる行政(財務省)が、どれほど恐ろしいことを考えているかを知れば、たぶん「やめよう」と考えるのではないでしょうか。 それでも、背伸びをしたい思春期の子どもたちの気持ちを表現するのに、タバコはその象徴のひとつであり続けます。わたしは、そんな彼らに「7歳の子どもだって、タバコをくわえて火をつければ吸えるよ。ちっとも大人っぽくないよ。いまは、タバコを吸ってないほうが“大人っぽいよ”。どうしてもやめられなかったら、おそくとも二十歳になったらやめようよ。」と言います。これはかなり効果があります。 **6月6日(火)掲載**
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第187回 “成績”が持つ意味 | ||
“塾は成績を上げることだけが求められる”と言われることが多いようです。実際に、大手の塾の宣伝チラシには、“偏差値UP”や“成績向上保証”などのことばが踊ります。わたしの塾仲間の多くは、こういう風潮に対して「塾にできることはそれだけではない。だからこそ塾をやり続けられる。」と考えます。今回は、このことについて考えてみます。
「ねえ、ねえ、聞いて、聞いて、すごいんだよ。わたし学年で2位だったよ。こんな成績とったの初めてだよ〜。これからがんばるからねえ。」高校入学後初の中間テストが終わったMちゃんが電話をしてきました。事情があって学力的には充分な余力を残しての受験だったので、わたしとしては、その成績は当然の結果として受け止めましたが、彼女の喜びはとどまるところを知りません。「寧ろ鶏口と為るも牛後と為るなかれ」(史記−蘇秦伝)ということわざのほんとうの意味は、この喜びと自覚のエネルギーを指しているのかな、と思えるほどです。 これほどすぐに結果が表れる場合だけではありません。中学の先生の評価が低く、会場テストの成績がギリギリでも、入試さえ突破すれば充分に伸びるだろう、と思われる子がときどきいます。もちろんその逆に、とりあえず入試はクリアするだろうけれど、高校の勉強では苦労するかもしれない、という場合もあります。まさに、20年ほど前に話題になった「ピーターの法則」がここでも成り立つのかもしれません。 それにしても、わたしが「お子さんの成績だけ見て一喜一憂をしないでください。そこに向かう姿勢や気持ちの持ち方を見てあげてください。」などと、親御さんたちに向かっていくら言ったところで、身にしみてそれを感じてきているはずの子どもたち自身が、上記のような、目の前の成績に一喜一憂します。「そりゃあ、悪い成績よりいいほうが気持ちいいに決まってるよ。」ごもっともデス。ここにおいて、わたしたちの「塾に来るのは、成績のためだけじゃないよ」などというメッセージは、いともかんたんに粉砕されてしまいます。 しかし、「ほんとうに安定した学力を身につけるためには、目先の成績ばかり気にするより、足元の勉強をしっかりやろう。スポーツ選手だって、荒川静香やイチローは『勝とうとは思わず、そのときそのときの自分のベストを出そうとしただけです』って言ってるだろ。あれは、そのほうがよい結果を生むことを知っているからだよ」と言うと、すなおにうなずいてくれるのもまた、子どもたちです。 わたしの塾に入ってきても、思うように成績が伸びなかった子や、成績が下がり気味の子もいます。それでも、むかしは、わたしたちとの信頼関係が固くて「お任せしているので、」と言ってくれましたが、最近では、信頼関係がないわけではなくても、成績が下がってくれば、親も子もさすがに不安になってくるようです。その場合でも、その原因を突き止めるためにしっかりと話し合うことができるかどうかは、それまでにどれだけの信頼関係を築いてきたかにかかっています。わたしたちとの相性が原因である場合には、他の塾を探すことまで含めていっしょに考えますが、中学生では、多くの場合、学校の教室や部活などでのトラブルや学校の先生への不信感、あるいは疲れすぎ・慢性寝不足・食事などが大きく影響しています。 むかし、囲碁の名人に通い稽古をしていた大店の旦那が「先生、わたしは10年もこうして教えていただいているのに、一向に上達しません。別の先生にお願いしようと考えているのですが・・・」と言うと「とんでもない。あなたは自分から上達しようとする気持ちがないのです。だから、わたしはあなたの棋力が落ちないようにするのが精一杯だったのです。」というエピソードを聞いたことがあります。大人相手だったら、これも通じる話ですが、“学校意識”が深く浸透している現代の親と子には、到底受け入れられるものではありません。まさに“たかが成績、されど成績”です。 **5月30日(火)掲載**
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第186回 中学1年生 | ||||||||||||||||||
このところ少々理屈っぽい話題が続いたので、中学生活7週目に入る中1のことを取り上げることにします。
今年度は、小学校での子ども同士の不協和音(?)が尾を引いたこともあって、6人のはずだった中1が4人でのスタートになりました。ひさしぶりの少人数クラスです。しかし、今回に限らず、辞めていった子どもたちのことは、わたしたちの責任のように思えて心配です。とくに、お母さんたちから「ずっとずっとお世話になろうと思っていたのに、残念です。」などと言われると、なにかこちらができることはなかったのか、と考え込んでしまいます。しかし、なにはともあれ、新しい場所で元気でやっているという話を聞けばホッとするものです。 別の見方をすれば、自宅で夫婦2人だけがかかわっている塾なので、ムリに引き止めることをせず、本人にとってよりよい選択の手助けができる状態であるのは幸いといえるのかもしれません。 話は変わりますが、小学1年生は親に手を引かれての登下校、学校での勉強も、多くの先生方は「楽しいのが一番」と考えてくれます。高校1年生は、入試を経ているうえにある程度の自覚も覚悟もできているので、入学前後の不安は比較的少ないようです。 それに比べて、中学1年生は、小学校のころから「小学校の勉強のようなわけにはいかないよ。中間・期末テストがある。教科ごとに先生が変わる。英語が本格的に始まってどんどんむずかしくなる。1年生のうちからがんばらなければ置いていかれる。部活では、先輩がこわい、朝練があるし、夏休み中も毎日練習だ・・・・。」などと、不安を募らせる話ばかりを、先生や親兄弟たちから聞かされます。 そのうえ、小学生のときには明るい時間帯だった塾も、始まる時間が遅くなって、帰りの時間も“本来の”就寝時間に近くなります。そんな彼らの状況に合わせて、わたしの塾では、4月のうちはできるだけ早い時間にしていますが、部活の本入部ともなるとそうもいきません。ところで、“本来の”とコーテーションにしたのには、ちょっとしたわけがあります。 かつて、と言ってもせいぜい10年ほど前の中1は、8時半も過ぎるころになると、目がうつろになってきて、握ったエンピツが手からポロリ、という子が続出したものです。そういう子の一人D君がコクリコクリとなると、すかさず女子陣から「D、Dがんばーれ!」というエールを送られるのが常でした。そういう女の子たちもまた、懸命に眠気と戦っていました。ところが、近年、このD君のような中1が皆無といってよいほどいないのです。小学生のころから夜更かしに慣れていて、むしろ遅くなるほど元気になるような感じさえあります。つまり、“本来の”就寝時間が大幅にずれているようで、それがまた別の心配を生みます。D君の時代は、成長するにつれてそういう眠気も自然に取れてきましたが、第162回に書いたように、現在ではむしろ学年が進むにつれて慢性寝不足状態の影響が出ているような気がします。 それでも、昔から変わらないのが、中1という年頃の子どもたちが発するエネルギーのすごさです。冒頭に書いたとおり、今年度は4人しかいない中1なのに、7人もいる高校生クラスよりも部屋が暖かいのです。中1が9人もいた学年では、冬の暖房を切っていたほどです。塾の仲間たちや親しい中学教師からも同じようなことを聞いたことがあるので、あながちわたしの教室だけのことではなさそうです。 以前にも書いたとおり、あまりにも少人数だと、つい手をかけすぎてしまいがちなので、ふつうはツレアイと二人で入るところを、どちらかひとりで英語・数学を見ることが多く、それはそれで新しい発見をします。たとえば、わたしのときとツレアイのときとでは、子どもたちの表情がビミョーに違うのです。どちらがどう、と書くのは差し控えますが、これは二人で入っているときには気がつかなかったことです。この文の中段で書いたように、中1は、さまざまに“気疲れ”をしていることが多いので、ことばは悪いのですが、手綱の締め方・緩め方に気を使います。 こうして付き合ってきた中1が、数学を「算数」と言い違えなくなったころ、中学生らしくなり、そして、すっかり中学生も板についた2年生になり、さらに、受験に向けていっぱしの大人びた表情をみせるようになるまでの3年間は、人生のなかでもっとも変化の大きい時期です。その意味でも、そのスタート地点に立った4人としっかり向き合っていきたいと、気持ちを新たにしているところです。 **5月23日(火)掲載**
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