す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
全265件中 新しい記事から 91〜 100件 |
先頭へ / 前へ / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / ...20 / 次へ / 最終へ |
第175回 愛すること・拒否することのむずかしさ | ||||||||||||||||||||||||||
前2回は、受動態としての“愛されること”や“拒否されること”について書きました。現代社会の中で“愛される実感”と“拒否される恐怖”は、だれでもが比較的得やすい経験です。それらは、適度なものであれば、あたかも“調味料”のように、人生に厚みと深みを与えてくれます。しかし、この“適度”というのがむずかしいところです。そのことを今回のテーマにしてみました。
ただし、ここでは、嫌われることを避けたり、自分に振り向かせるための“甘やかし”や、憎悪を伴った“拒絶”には触れないことにします。それらは、相手に対するものではなく、自分自身の好悪の感情だけにもとづくものであるし、また、どちらも、少量の毒が薬効を示すことがあるように、それを受ける側にとって乗り越えるべき“試練”にはなっても、人生に厚みと深みをもたらすものにはならないと考えるからです。 “生徒指導の達人”と呼ばれる高校教師のことを聞いたことがあります。ことばだけを取り上げるとなにやら校則を盾にこまごました“指導”を与える教師のように思われますが、彼女は、小手先ではなく、生徒を“丸ごとかわいがる”ことに徹底しています。「だって、どの子もこれまでの10数年をいろいろな思いを背負って育ってきて、いま、わたしの目の前にいる。悪態をつこうがふてくされようが、いとおしくてならないよ。」と言います。 何か問題行動を起こした生徒に対しても「あんなことをする子じゃないのに、いったいなにがあったの?」と言い、やむなく停学などの処分をせざるを得ない生徒の手を涙ながらににぎりしめ、「何の力にもなれなくてごめんよ。早く戻ってきて元気な顔を見せてね。」と訴えます。これらの場面はわたしの推測も交えているのですが、心底、生徒をかわいいと思い続けている彼女の姿はたぶんこういうものだと思います。そこまで、かわいがられれば、生意気盛りの高校生とはいえ、彼女の気持ちに応えよう、つらい思いをさせまい、と考えるようです。 彼女の“やりかた”をまねて生徒に接しようとした他の教師たちは、ことごとく失敗したようです。決してマニュアル化することなどできない、彼女の人間観に根ざしていることだからです。 性格ゆえか修行が足りないせいか、わたしもまた、とても彼女のようにはできません。ただ、目の前の子どもが、ほかでもない“わたしの塾”を選んで来てくれている、という事実の重みをいつも感じているので、どの子に対しても「わたしたちがこの子にできる最善のことは何だろう」と自問しています。 手取り足取りかゆいところまで手が届くことが、マイナスになることもあります。体調が悪かったり疲れきっている子に、なにがなんでも勉強を強制して、取り返しのつかない勉強嫌いになることもあります。反面、もうすこし踏み堪えればずっと見晴らしがよくなるはずの子には、すこしぐらい不平顔をされても多少のムリをさせることもあります。自信をなくしている子には、手応えを感じられるところまでつききりで付き合う、ということもあります。「わからな〜いから教えて」と言う子に「もうすこし考えて」と突き放すこともあります。どれも、塾という仕事を通して子どもたちを大切にすることだ、と考えています。 「今度の日曜日、朝から勉強しに来てもいいですか?」とA君が言います。じつは、その日は、何ヶ月も前から友人と会う約束がありました。以前のわたしなら、友人に連絡して予定変更をしていたはずですが、このごろは「その日は、都合がつかないな」と断ることにしています。「学校の課題をコピーしていい?」と言う子にも、以前ならなんの疑問もなくOKをしていましたが、最近では「どうしてコピーする必要があるの? 何枚ぐらいコピーするの?」と確かめます。塾でコピーすればタダ、と考えるようになっては困ります。子どもたちはもちろん不満顔ですが、そういうことも含めて、わたしのところを選んで来てくれている塾生やその親たちへの責任ではないかと考えています。 拒否することもまた、相手に対する“愛”(やはり、日本語にはなじみにくいことばです)いや、大切にすることにつながるのではないかと思います。 **3月7日(火)掲載**
|
第174回 愛される経験 | ||
このタイトルは、このコラムには、と言うより、す〜爺には似つかわしくない、と思われるかもしれません。しかし、前回の「拒否・否定される経験」と今回の「愛される経験」とは、表裏の関係にあるのではないかと考えるのです。
わたしのところでは、5,6人の生徒に対してツレアイとわたしの二人で見ています。2人とも他の子に説明していて手がふさがっているときに「ここがわからな〜い。教えて」と言う子はよくいます。そういうとき「もうすこし説明をていねいに読んでごらん。ちょっとだけ粘って考えてみたら?」と言うと、ほとんどの子が少しの間をおいて「わかった〜」と言います。そして、どちらか手の空いたほうが、わかったところまでのプロセスを確認し、説明を追加したり、先に進むかリトライするかを指示します。手が回りすぎるのはかえってよくないとわたしたちが考えるのは、この「すこしがまんして読む、ちょっと粘って考える」時間の大切さを何度も経験しているからです。 そんなわたしの教室に、Aくんという中学生がいました。両親の愛を一身に受けて育ったはずの一人っ子です。ところが、「わからな〜い」と言ったらすぐ来てくれなければイヤ、説明よりも答えがほしい、自分がやったことについてはいつでも丸をもらわないと不機嫌になる、などという具合に、まったく待てないのです。周囲の子たちも、さすがに「おまえ、それじゃあわがままな幼稚園児と同じじゃん」とあきれ顔です。 ところがどういうわけか、このAくん、しばらくたつと、わたしの言うことはよく聞いてくれるようになりました。わたしがAくんにしたことといえば、わがままを言うたびに叱っていただけでした。だから、Aくんが素直になったのは、わたしの叱り方がきつかったからか、逆らってもソンと思ったのか、ふてくされたのかと思いました。でも、彼の表情は、それのどれでもなさそうでした。 あるとき雑談混じりに聞いてみると、両親の結婚7年目にやっと生まれた子で、そのうえ両祖父母にとっても初孫だったので、競い合うようにかわいがられ、ほしいものは何でも手に入るという育ち方をしたようです。小学校も高学年になって、まわりの友だちの様子なども見えてくると、自分の状態がまずいことだと考え始めましたが、しみこんでしまった習性はなかなか治らなかったそうです。そして、意識するほどわがままがでてしまい、友だちからも先生からも「また、やっている」という目で見られるので、必要以上にわがままにふるまうようになってしまった、ということでした。ところが、わたしには、それを何度も叱られる、初めはムカつくだけだったそうですが、どうも“かわいがられ”てはいるようだと感じたときから「ヘンな気持ちになった」のだそうです。Aくんにとっては、ちょうど自我の目覚め、反抗期という時期に当たっていたため、自分を客観的にみる目や、親に対する批判の目が育ち始めた、ということだったようです。 しかし、Aくんが、ちょっとしたきっかけだけでそんなに素直になれたのは、実は両親が無条件の愛情を注いできたからである、と気がついたのはそれからまもなくでした。それは、両親といっしょにいるAくんの、心から安心しきった表情に気がついたときでした。 思春期は、さまざまなトラブルを起こしがちなものですが「心からの愛情を受けて育った子は、すこしぐらい途に迷っても大丈夫ですよ」といえるのも、Aくんのような子どもと出会ってきたためかもしれません。 ただ、不思議なことに、愛情いっぱいに育った子どもがほかの人に対する愛情も豊かかというと、かならずしもそうではないだけでなく、むしろ「拒否・否定される経験」が多かったはずの子のほうがこまやかな愛情を示すような気がします。 エーリッヒ・フロムは、名著「愛するということ」のなかで、現代社会が“愛されること”は比較的容易であるけれど、“愛すること”が、ますます困難な社会になってきていることを指摘しています。 **2月28日(火)掲載**
|
第173回 拒否・否定される経験 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
好きな男の子がいるんだけれど、バレンタインデーにはチョコをあげない、という子がいます。無視されたりいやな顔をされるのがこわいから、という理由です。
バレンタインデーを別にすれば、これは、女の子よりもむしろ男の子のほうにその傾向が強いかもしれません。「もし、コクって(告白して)フラれたら、絶対に立ち直れない」と思うから、いつまで経っても悶々と苦しみます。むかしから、恋愛に関しては、男性のほうがいつまでも純粋に苦しむことが多く、女性の場合は“かなわぬ恋”と見定めると、あこがれのままで封印してしまうことができるように思うのですが、いかがでしょうか? 告白できない高校生の男の子に「“葉隠(はがくれ)”という本のなかに“恋の至極は忍ぶ恋と見立て候、一生忍んで思い死するこそ恋の本意なれ、逢うてからは恋の丈が低し”ということばがあるよ。いっそのこと“極上の恋”にしてみたら?」と言ってみると、「そんなの絶対にイヤだ。」そうして時が経つうちに彼女が自分を振り返ってくれるのを待つ、というのです。「いくら待っても振り返ってもらえなくて、そのうちに、彼女がだれか別の男の子を好きになってしまったらどうする?」と言いかけたことばを口の中で押さえました。彼にとって、そんなことは一瞬たりとも考えたくないことだからです。 そういえば「一瞬たりとも不安を感じさせない!」という予備校のキャッチコピーを見て驚いたことがあります。受験でも「合格をめざして」というより「落ちることが怖い」ので、「安全に安全に」という受験を選ぶ傾向があるようです。こちらも「無謀でない挑戦なら、若者らしく勝負してごらん」と言いたいところを、本人の強い不安を感じて、つい私立高校A推薦や大学の指定校推薦などを勧めてしまいがちです。 かつて、わたしは、塾の提言に「子どもたちが勉強することを要求される時期は、また、人生で心の揺れがもっとも激しい思春期と重なる」とフレーズを書きました。10代後半の多感な時期に、自分の思い通りにならないことや拒絶されることを経験する、という意味では、高校や大学の受験は、かなり意義のあることではないかと考えます。受験を通しての不安、達成感、悲哀、歓喜が、思春期特有の心の揺れと共鳴するところにこそ、この高度消費社会の中でのせめてもの“試練”になるはずです。わたしが、小学受験や中学受験に首を傾げるのは、その年齢では、不安、達成感、悲哀、歓喜が、単に、優越感や劣等感を知ることにしかならないのではないかと考えるからです。 大人への入り口である思春期に、失恋をすることもなく、不合格の悲哀もない、一切の挫折を避けようとする、そういう傾向を強く感じるようになったのは、いつのころだったでしょうか。わたしの塾の初期、これは思春期ではなくまだ小4の生徒でしたが、荒川堤防にピクニックの当日、お母さんに止められてしょげている子がいました。「川に落ちるかもしれないし、ケガをしても困る」という理由でした。わたしも若かったので「もう水も温かいので万一落ちても危険じゃないし、治るケガならむしろしたほうがいいと思いますよ。」と説得したのですが、そのお母さんはとうとう首を縦に振りませんでした。昭和45年前後のことです。その生徒も、いまでは高校生以上の子どもがいる年齢のはずです。「15の春を泣かすな」ということばが流行ったのは、そのすこし後のことだったと思います。 子どもたちもさることながら、最近では、「子どもにフテられるのがイヤなので、つい子どもの言いなりになってしまう」親や、「逆ギレされないように、子どもに注意しなければならないような場面に立ち会わないようにしている」先生の話などが耳に入ってきます。 だれよりも勝利がほしい当事者たちを差し置いて、メダルが取れないことを嘆く人たち、もろ手を挙げて“勝ち組”に迎合しながら、一旦地に落ちると徹底的に叩くメディアや政治家、そういう社会の中で、拒否・否定・無視されることへの恐怖心が極度に高まっていきます。そして、“何かあったときのための”安全対策が、これでもかというようにがんじがらめに強化されていきます。拒否・否定される経験の少ない人たちが育っていく社会からは、どんどん活気が失われていくのを感じます。 **2月21日(火)掲載**
|
第172回 バレンタイン・デー | ||
このコラムがUPされる日は、バレンタイン・デーですね。このところ重い話題が続いたので、先週の「忍者のつぶやき」のなかで忍者さんが書いているように「これはお菓子屋さんが仕組んだ陰謀である、などとヤボなことを言わずに楽しむ」のも一興かもしれません。
「あーあ、これでバレンタインもダメになりそうー」と叫んだのは、公立高校前期選抜が不合格であったことがわかったときのA子ちゃんの第一声です。“恋の行方”のことなどではなく、手作りチョコをつくる時間なんて親に認めてもらえない、という意味でした。子どもたち、特に女の子たちにとっては、数ある年中行事のなかでも、一番“はしゃぐことができる”イベントです。そして、そのイベントに受身の形で参加させられる男の子たちの反応も種々さまざまで、なかなかおもしろい“悲喜劇”が展開します。 ある年のバレンタインデーのこと、いつも、お母さんと妹からだけしかチョコをもらえなかった中学生のT君は、今年こそ学校の女子からもなんとかチョコをゲットしようと、「チョコください」と書いた札を首から下げて校内を歩いたそうです。それをみておもしろかったのか、気の毒に思ったのか、見知らぬ女子からの分も含めて、何個かのチョコが集まったということです。塾で、T君と同じ中学の生徒からこの話が披露されたとき、彼の奇抜な大胆さとユーモラスでほほえましい情景を思い浮かべて、みんなに大受けだったことは言うまでもありません。 中3のD君は、バレンタインチョコなんて自分には関係ないことと思っていました。ところが、その日、同じ部活の中1の女子から「はい、せんぱい」と言って手渡されたチョコの袋を手にしてびっくりしました。初めてもらったチョコ、うれしさがこみ上げてきて「ありがとう」もそこそこに、大切にカバンにしまおうとしたつぎの瞬間、「あのー、中身だけ先に食べちゃってください。」D君「???」。すると「それについている応募シールを集めているので、いろいろな人にあげているんです。すみません」という返事が返ってきました。ああ、傷心のD君・・・。 “手作りチョコ”ということばを初めて聞いたとき、カカオ豆をペースト状につぶして砂糖を練りこむ作業を想像して「ずいぶん手の込んだことをやるもんだな」と漠然と考えていたわたしは、板チョコを溶かして型に入れ、冷蔵庫で固めるだけと聞いて拍子抜けしたものです。ところが「友だちといっしょに作ったんだけれど、焦げ付いちゃうし、冷蔵庫に何時間入れておいても固まらない。間に合わないよう」と言う子がいて、聞いてみると「なべに板チョコを入れて水を入れてぐるぐるとかき回した」ということでした。“湯煎”を知らなかったようです。 「たくさん作ったので・・」と言って、わたしにもおこぼれが来たことがあって、聞いてみると「クラスの女子たちにあげるんだ」ということでした。この“トモチョコ”は、中学生女子の間では主流のようで、たくさんもらって「ホワイトデー、どうしよう」と心配している女の子もいます。 ホワイトデーと言えば、プロ顔負けの極上のパウンドケーキ作り名人のわが義兄は、毎年3月上旬は、オーブンをフル回転させて数十個のケーキを焼くのが慣わしです。会社の部下同僚と言わず、上司までもが「ウチの家内から、娘から」とたくさんのチョコを彼のところに持ってくるからです。また、若いころモテモテだった大学教師のわが親友は、研究室の前に山積みになったチョコを前に思案投げ首の挙句、全員に文庫本をプレゼントして、その感想文を新年度までの宿題にしたそうです。 「おばさんは、おじさんにチョコを上げないの?」と聞かれたツレアイは「100年分のチョコを上げちゃったんだよ」と涼しい顔をしています。さて、どう解釈してよいものやら・・・。 そういうわたしも、昨年末、第165回で書いた彼女からは、毎年のバレンタインデーに、とびきりおいしいチョコかセンスのよい小物をいただいていました。もう20年近くも続いたそのプレゼントも、今年はありません。でも、彼女のセンスに負けないものを選ぼうとしていた毎年のホワイトデーの楽しみは今年もそのまま、彼女の祭壇の前に、なにを持っていこうかなと考え始めています。 **2月14日(火)掲載**
|
第171回 入試制度 | ||
埼玉県公立高校の入試制度は、ここ数年で大きく変わりました。平成15年度(2003年)から調査書が絶対評価になり、ついで、その翌年には全日制普通科の通学区が廃止されました。さらに昨年度からは、それまでの推薦入試が廃止され、中学校長の推薦が不要となりました。それに伴って、一般入試は前期選抜・後期選抜の2回行われます。しかし、前期選抜は推薦入試時代の名残りをとどめ、コース・専門学科・芸術系では募集定員の50%〜100%が決まってしまいますが、普通科の多くは募集定員の25%程度の枠にとどまっています。
この前期選抜には、従来の面接(このなかには学校によって適性検査や英問英答・小論文が入ります)に加えて、県作成の2種の総合問題から、A問題を課す高校が14校、B問題を課す高校が34校あります。その他、学校独自の総合問題を課す高校が7校あります。この総合問題は、1つのテーマ(今年の総合Bでは「水」)をキーワードに英文を読み、理科・社会科などのデータを読み取り、計算をしていくものです。比較的やさしい問題ですが、子どもたちにとっては、いろいろな教科が組み合わされているということだけで混乱する子もいるようです。 わたしのところでは、ほとんどが普通科受験なので、わたしは「前期は力試しのつもりでやろう。本番は後期だよ。」と言い続けています。子どもたちは、受験のプレッシャーから早く解放されたいので「どうしても前期で合格したい」と考えがちです。その結果、前期選抜が終わると発表までの1週間気の抜けたようになってしまう子や、前期の不合格のショックから立ち直れなくて、後期まで失敗してしまう子もいます。 また、前期選抜では、各高校が定める“求める生徒像”を踏まえた自己PR書を提出します。これがまた一苦労で、中学の先生の指導なのか「わたくしが貴校を志望したのは・・・」などと、ふだん使い慣れないことばを四苦八苦して使う子もいれば、「将来のことは何も考えていないので、高校に入ってからゆっくり考えたいと・・・」など、じつに素直なホンネを書いてあわてさせる子もいます。わたしは、友人の高校教師たちから「中学や塾で徹底して指導されているのがミエミエな子が多くて、面接のときに具体的なことを聞くと、書いてあることとまったく違うことを答える子もいるよ。われわれはいままで多くの生徒と付き合ってきているんだからすぐ見抜かれてしまうのに・・・」という話も聞いているので、「きみがこの高校を決めるときに、部活のこと、学力のこと、通学時間のこと、あれこれ悩んだよね。そして、きみが中学でやってきたことは、どんなことだったかな? きみのいいところは? きみの夢は? そうことを高校の先生にわかっていただくつもりで一生懸命書いてごらん。それだけでいいよ」と言うと、ずいぶん気楽になるようです。あとは、漢字や言葉遣いなどをすこし手直しするだけでよい場合がほとんどです。 思えば、公立高校の入試制度もずいぶん変遷がありました。わたしが高校受験をした昭和34年当時は、寄留が認められていたために実質的にほぼ全県1学区で、国・社・数・理が各50点満点、英語・職業・図工・音楽・体育が各30点満点の計350点という入試で、出題範囲もやたらと広く、勉強量よりも雑学の量で勝負したような記憶があります。その後は、偏差値全盛のなかでの5教科入試が30年近く続きました。 そして、学力では測れない特性を見るために専門学科の推薦入試が始まり、ついで、学校が荒れた時代、問題行動を起こしそうな生徒を実質的に事前チェックするために、いわゆる困難校と呼ばれた一部の普通科高校に取り入れられ、それがまもなく県下の全高校に広がりました。そして、冒頭に書いたような制度になりました。 戦後、日本の教育は、一貫して「教育の機会均等、高校の全入化」という流れをとってきました。昭和50年ごろには、高度経済成長とともに高校進学率が90%を超え、少子化が進むにつれて、ほぼ100%に近くなってきました。この時代、東京都の学校群制度に見られるように、学校間格差を縮めようという動きがありました。 そして現在、「多様な選抜方法を実施し、子どもたちにさまざまな選択肢を与える」という建前が強く打ち出され、前回書いた公立中高一貫教育の増加とともに、むしろ意識的に、学校間に格差をつけようとする力がはたらいるのを感じます。競争原理、自己責任、自己負担、規制緩和、グローバル化、という滔々とした流れは、おそらくこの入試制度の変遷のなかにもみえるはずです。 **2月7日(火)掲載**
|
第170回 公立中高一貫教育 | ||
一昨年の5月に「中学受験」(第94回)について書いたことがあります。その中で、中学受験が意味のある場合として、1.読書でもスポーツでも音楽でも、あるいは友だち関係でも、子ども自身が活き活きとかかわっているものを犠牲にしないで受験できること。2.小学校で深刻なイジメに遭っているような場合ならば、中学入学を機に場を移すこと。の2つを挙げました。
そのときは、どちらかというと大学進学実績を重視する私立中高一貫校を念頭に置いて書きました。今回は、平成11年度に制度化された後、急速に増えている公立の中高一貫校について考えてみます。 ところで、昨年までに設置されている中高一貫校が全部で173校、そのうちの、なんと120校が公立であることを最近になって知って、わたしは自分の不勉強にびっくりすると同時に、これは、容易ならざる事態が起こっているのかもしれない、と考えて調べてみました。 中高一貫校には3つのタイプがあります。教科の学年配当枠などをはずして、6年間を一体としてカリキュラムを組む“中等教育学校型”、中学入学の段階で選抜をし、高校段階でも別に生徒を選抜して補充する“併設型”、同一地域の市立中→県立高のように、中学は従来の地域進学で高校入試もあるけれど、カリキュラムや教員・生徒の相互交流をする“連携型”です。そして、平成17年の調査では、“中等教育学校型”が公立10私立9、“併設型”が公立39私立40とほぼ同数で、はっきりと違うのが、公立74私立1の3番目の“連携型”です。 中高一貫校の3分の2が公立!?というわたしの驚きは、やや和らいだものの、公立中高一貫校が私立校とほぼ同数にまで増えているという動きには、やはり注目しないわけに行きません。 わたしの塾でも、来年度から発足する“さいたま市立浦和中学”(市立浦和高併設型)を受けてみよう、という小学生がいます。今年は、東京都が一気に5校に増やすということで、新聞も大きく取り上げるようになりました。東京都の場合、中等教育学校型が3校、併設型が2校です。 平成15年度に発足した伊奈学園中学の今年の選抜は、1,352人の志願者の中から抽選によって作文+面接の受験者を160人に絞ったようです。この方法にも問題がないとは言えませんが、東京都や市立浦和の場合は、小学校からの通知表などの書類審査で人数を絞るようです。先生との相性が悪い生徒や個性の強い生徒にとってはかなり不利だということがいえます。 そして、最近になって増えている公立中高一貫校の多くが、社会のリーダー的な人材の育成・グローバリズムを前面に押し出していることに、ある方向への流れを感じます。 すなわち、ゆとり教育批判・指導力不足教師批判などを呼び水として、教育基本法の“改正”を待つまでもなく、一気に実質的な“教育改革”を図っていこうとする強い力を感じるのです。こうなってみると、あの“ゆとり教育”さえも、こうするための“おとり”だったのではないかと思われてなりません。 10倍前後の応募があるという公立中高一貫校の人気の陰で、この実質的な“教育改革”の動きがどのような狙いを持ち、これからの子どもたちや社会にどのような結果をもたらすのか、わたしたちは冷静に考えていく必要があると考えます。 **1月31日(火)掲載**
|
第169回 最短距離 | ||
前回の塾講師の話で思い出したことですが、こんな小さな塾にまで「講師派遣します」というDMが届いたり、電話がかかってきます。当然のことながらお断りするのですが、なかには、学生が自ら「あのう、そちらの塾では講師を募集していないでしょうか」と電話をかけてくることがあります。
ある日、わたしの知人からの紹介だと言って、一人の学生が訪ねてきました。その当時は生徒数も多く、夏の講習中だけでも、一人一人をもうすこしきめ細かくみる必要を感じていたので、ともかく話だけでも聞いてみようということになりました。 古びた廊下や教室を眺め回しながらどことなく不安そうな表情を見せていた彼でしたが、その知人の近況などの雑談を交えながら話を聞いてみると「ぼくは開成から東大の理Tに現役で入って、現在3年生です。高校生までならどの教科でも教えられる自信があります。」ということでした。わたしは、ちょっとおとなげないかな、と内心思いながらも「ほう、ぼくはもう30年以上塾をやっているけれど、まだまだそんな自信はないなあ。ところで、きみは、子どもたちにどのように教えますか?」と聞いたところ「ともかく、最短距離の解き方を徹底的に教えます。」と言います。 “最短距離”・・・・そう言えば、塾を始めたばかりのころ、このことばこそ使いませんでしたが、わたしもまた、効率的な解法やすっきりした表現を子どもたちに“教え込もう”としていた時期がありました。しかし、いわゆる“器用な生徒”は、ほんとうには理解していなくても、とりあえずそれで○をもらえるので、それらの解法を“覚え込んで”いきました。 ところが、そのうちすこしずつ“簡単には理解しない生徒”が来るようになりました。初めのうちは、彼らの理解力がないのだ、と考えていましたが、どうもそうではなさそうです。 効率的な解法や公式は、先人たちのさまざまな蓄積の上にできたものです。わたしたちの多くは、その蓄積の過程を考えることなく使ってきました。しかし、“簡単には理解しない生徒”たちは、その過程にこだわります。そのあゆみはかなりゆっくりとしていますが、“わかる喜び”を感じるようになってきます。そういうとき、彼らは「ストンと胸に落ちた」とか「目からウロコだ〜」とうれしそうな声を上げます。 たとえば、中3で習う2次式の展開でも、公式を使ったり別の文字に置き換えたりすれば早いのに、まずは一つ一つ掛け合わせていく生徒がいます。それで、かなり安定した結果を出します。しかし如何せん遅いので、「こんなやり方をしていてはだめだよ。」とばかりエレガントな解法に変えようとすると、それまでせっかくできていたことがすべて混乱してしまいます。ところが、その“非能率”なやり方が染み込んできた頃合をみて、すこしずつエレガントな解法を示すと、上述の「目からウロコ」になるわけです。 彼らは、数学や英語が得意になるわけではありません。でも、すくなくとも、嫌いにはならなくて済むようです。そして、もし、天才的な頭脳が現れるとしたら、それは“器用にこなす”子どもよりも“簡単には理解しない生徒”のなかから現れるはずです。 最近では、子ども時代に進学塾で勉強した学校教師も多くいるようで、非常にテクニカルな解法を教える先生がいます。それを“覚えこまされた”子のなかには、符号を逆にしたり、似たような表現と混同したりして、せっかく納得しかけていたものが振り出しに戻ることがあります。なかには、自分がカッコいい解法を示して一人悦に入っているとしか思えないプリントに出会うことがあるし、そういう問題をテストに出す教師もいます。 以前、勉強を登山にたとえたことがありましたが、いわば、子どもたちの体力や特性を無視して、山頂直下からのロッククライミングを押し付けようとするのが、“最短距離”的な考え方です。登山道の一歩一歩を確かめ楽しみながら頂上をめざすほうが、ずっとよい場合もあります。 冒頭の東大生をお断りしたのは言うまでもありませんが、考えてみると、いま話題のライブドア堀江社長を初めとして、かつての“器用にこなす生徒たち”による、性急に“最短距離”を取ろうとする感覚が世の中を支配し始めています。 **1月24日(火)掲載**
|
第168回 塾講師検定試験?! | ||
「昨年の暮れに、京都宇治市の学習塾で小学生がアルバイト講師に殺された事件をきっかけに、学習塾の業界団体が、07年度から塾講師向けの検定試験制度を創設することを決めた。」というニュースがありました。
ニュース記事によると、団体が策定した“倫理綱領”や“行動規定”などを元に研修を行い、研修の理解度、学力、関係法令知識などの筆記試験を行うことと、提出した本人の授業ビデオを見ながら、言葉遣い、服装、態度などを採点する、というものだそうです。 この検定試験は、厚生労働省の外郭団体の補助を受け、塾業界を所管する経済産業省もこの検定試験の受験を奨励する動きだということです。つまり、政府が全面的に支援をすることになりそうです。 わたしは、研究会や勉強会には参加していますが、どこの業界団体にも加盟していないので、この団体の真意がどこにあるのかわかりませんが「学習塾の社会的認知」を目的に政界などにも精力的に働きかけている団体のようです。 このような検定試験で、京都で起きたような事件を未然に防ぐことなど、到底できないことは、すこし考えてみればわかることです。報道で知る限り、あの事件の学生は学力がある上に多くの生徒からのウケもよく、たぶん日常の態度などは、しっかりしていたのではないかと思います。すくなくとも、この検定試験では、彼が内面に抱えていたものをあぶりだすことはできないはずです。もちろん、もし精神鑑定まがいのことを実施するとしたら、別の意味で問題ですが・・・。被害者には大変気の毒ですが、この上なく不幸な出会いであった、というほかはありません。だからこそ、企業塾はこういう検定試験を実施することで、一種のエクスキューズにしたいのかもしれません。 何十年も子どもたちと接していると、子どもたち同士の深刻なトラブルになることがあります。イジメやケンカと違い、どちらが悪いというより“ウマが合わない”のです。言うことやることだけでなく表情までも、おたがいに癇に障ったりストレスになります。これは、むしろおたがいに似たような気質同士の場合に起こりやすいようです。こういう場合は、どちらかの時間帯をずらしたり、曜日を変えたりします。 同様に、わたしやツレアイと“ウマが合わない”生徒がごくまれにいます。子どもに正面からしっかり向き合おうとすれば、必然的に生じることのような気がします。その場合は、わたしたち二人のうちいくらかでも“ウマが合う”ほうが主に接することになります。両方とも合わない場合は、自然に塾をやめていきます。 大変なのは、本人がその“ウマの合わなさ”をまったく感じていないときでした。若いころのこととてかなり苦しみましたが、そういう気持ちを隠して接していたのではその生徒に対してもマイナスであるし、わたしたちが鬱々としていたのでは、ほかの塾生たちにとってもよくはありません。そこで、思い切ってお母さんに事情をお話して塾をやめてもらうことにしました。幸い、お母さんもこちらの考えをわかってくださったので、その子に少しでも合いそうな塾をいっしょにいくつか探してみました。結果として、そのうちのひとつの塾で、大変うまくいっているという話を聞いて心からホッとしたものです。 わたしのところでは、夏冬の中3講習のときは、アシスタントをお願いすることがありますが、これは、塾OBで深く気脈の通じた大学生がいる場合に限られます。これもまた、学力などの数値や倫理ではかれるものでないことは当然です。 むかし、わたしが深く敬愛していた私塾の先輩が、塾の子どもたちに対して「きみたちとぼくとはなにかの縁で出会って結婚したようなもんだ。」と言っていたのを思い出します。人と人とは、数値でも倫理でも法令でもなく、まさに縁(えにし)で結ばれるものです。だからこそ、お互いに相手を思いやり、さまざまな意味での幸せを共有したいとするものではないかと思います。 もし、塾講師検定試験が公的なものになり、塾もまた公的な認定がなければならない、ということにでもなれば、そのとき、わたしは塾を閉じることになります。塾は、まさに“私的な関係”のなかでこそ成立しているものだと考えているからです。 **1月17日(火)掲載**
|
第167回 年越しの日記 | ||
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今回は、塾の子どもたちとわが家の年末年始の様子をお話します。 まずは、中3の冬の講習です。一日3時間×8日間、計24時間かけて、一人一人の弱点を補い、高校入試に向けて全部の教科の総復習と実戦演習をします。この時期は、親も本人もさまざまな情報に振り回されて不安でいっぱいの状態なので“自分が現在持っている学力を完全に出し切る”ことに全力を傾けます。したがって、高度すぎる問題や趣向の強い問題は極力扱いません。基本的で応用範囲が広い事項を“よく見、よく読む”練習に時間を割きます。 ところが「どうしてこんなすこししかやらないの?ほかの塾では毎日5時間15日もやるところがあるよ。大丈夫なの?」と言う子が毎年何人かはいます。そうすると「おまえ、この1時間だって集中し切れていないじゃん」という声がほかのところから出るのも、わたしの塾らしいところです。実際、あせる子どもほど遅刻してきたり、気が散ったり、みんなが真剣に勉強に取り組んでいるときに「どうしよう、こんな問題解けないと高校落ちちゃうよ」と叫んだりして「うるさいなあ、そんなこと考えているヒマに、問題をちゃんと読めよ」と隣の子に言われています。しっかりやる子は、早めに来て自習し弁当を持ってきて午後も塾に残って復習をしていきます。ただあせるだけだった子が、年が明けてからでもその仲間になってくれば、その年の講習は成功といえます。 塾の休みは、30日から正月4日までの6日間です。ツレアイは、27日ごろから新巻鮭の解体、出汁引きなどおせち料理の下ごしらえを始めているので、その間は塾OBの大学生とわたしの二人で大車輪です。彼女のことは気心も学力も充分に知り尽くしているので、まさに「ツーと言えばカー」の掛け合いの中で、子どもたちの状況を把握していきます。 わたしもツレアイも“遊びとしての”習俗は大好きなので、最後の2日は家中の大掃除をし正月飾りもお供えもしっかり準備して、大晦日には年越し蕎麦(例年はわたしの手打ち蕎麦)を食べて正月を待ちます。元旦には、五段のお重を初め、ほとんど手作りのおせち料理が、ふたりだけの祝い膳に並びます。あるとき、それを知った知人・友人・塾OBが、これを狙って?訪ねてくるようになりました。今年の元旦は、塾OBの青年を加えて楽しい祝い膳になりました。 2日は、第80回にも書いた恒例の湯島神社への初詣です。今年は、女子3人だけの参加でした。例によって合格祈願のお守りを求めたのですが、昨年あたりから「これだけたくさんのお守りをどうするのですか?」と聞かれるようになりました。問い返すと「商品などにつけて売ったり、景品にする人がいるから」なのだそうです。塾であることを告げてお守りを受け取って、オプションの東大構内巡りをしました。今年は、子どもたちの反応がいつもとすこし違いました。安田講堂前では「○○くんがすわっていたところだ。」とか、赤門前では「ここに○○が立って・・・」という話が頻繁に出てきます。聞いてみると『ドラゴン桜』というドラマの話で、低い偏差値だった高校生が東大を目指すというものだそうです。「そんなドラマ真剣に見て信じているの?」と聞くと「お話、お話。でも、おじさんと同じことをドラマの中でよく言っているよ。たとえば『成績は上下することもあるけれど、一度ついた学力は下がらない』とか、ねっ」と他の子に同意を求めます。そういうドラマが中高生たちの評判になること自体、いかにも今の時代を象徴しているようなので、機会があったら見てみようと考えました。 その後は、不忍池を巡り、無料閲覧日の東京国立博物館を訪れました。東洋館でトイレを済ませた彼女たちは、「疲れた〜」と言って、ロビーの椅子に座り込んでいます。わたしだけが、本館の展示や特別展を見たくてうずうずしている始末です。雨も降ってきたことで、早々に駅に向かうことになりました。 3日は、いつも超多忙な友人が、あらためての祝い膳を囲み、のんびりと過ごしてくれました。夜は、届いた年賀状を楽しみ、遅ればせの年賀状を書くことに専念しました。メール年賀や虚礼廃止とやらで、年賀状の扱い量がどんどん減っているそうですが、年に一度、「元気でいますよ」というメッセージをやり取りする文化はあってもよいのではないかと思います。 4日は、一日中、前期講習の整理と翌日からの講習の準備に追われました。その間に、ひさしぶりの友人からの電話、何人かのOBや塾生のお母さんからの電話などで、わたしの2006年の仕事が始まりました。 **1月10日(火)掲載**
|
第166回 次の世代にツケを残さない | ||
前回のお二人は、まさに「社会的な地位でも財産でもなく、人と正対しながらひたむきに生きること」を示すことで、次の世代にプラスの遺産を遺しました。世の中には、ひっそりと名も知られず暮らしながらも、周囲の人たちに潤いと希望と知恵を与え続けている人がたくさんいます。そういう人たちを見ていると、とくに“世のため人のため”というよりも、自分の持ち場(家庭・仕事・地域など)をしっかりと守ってひたむきに生きています。それが結果として“次の世代へのプラスの遺産”になっているのだ、と感じます。
かつて、「勉強のことは本人と学校と先生(わたし)にぜんぶ任せます。食べる・寝る・着るは、わたしが絶対におろそかにしません」と言って、苦しい家計をやりくりして、お子さんを塾に通わせてくれたお母さんがいました。その気持ちを痛いほど感じた本人とわたしは、真正面から勉強に取り組みました。そのお母さんは80歳を超えた今、地域の人たちの聞き役、陰のサポーターとして淡々と暮らしています。 3人のお子さんのそれぞれ異なる個性を「だからこそ楽しませてもらっています。」と慈しみ、フルタイムで働く職場でも、なくてはならない人として慕われてきたお母さんはいま、お孫さんたちにとってすてきなバアバになっています。 いろいろなお父さんお母さんがいていいと思いますが、わたしが心痛めるのは、子どもたちが成長した後の兄弟関係を壊してしまう人たちです。老後の介護や、亡くなった後の相続争いなどをみていると、兄弟それぞれの配偶者の影響もさることながら、せっかく恵まれた兄弟姉妹の関係を、親が壊してきた結果ではないかと思われることがほとんどです。そういう人たちの多くについて、ひとりの子どもに特別強い肩入れをしたり、逆に重い負担を強いてきたり、ということを聞きます。そしてさらに話を聞いてみると、その人たちも親から同じような扱いを受けたと言います。この“マイナスの輪廻”のようなものを自分の代で断ち切ることが“次の世代へのプラスの遺産”となるのだと思います。 このところ取り上げられる事件の主たちは、例の耐震データ偽装事件にしても、さまざまな事故にしても、膨大な“マイナスの遺産”を遺してしまったことになります。たぶん、生涯をかけてもそのマイナスは消えることはありません。わずかな気の緩みや過信、想像力の欠如、目先だけの打算などが、社会に大きな負債を残すことになりました。 しかし、あらためて考えてみると、わたしたちはだれでも多かれ少なかれ“マイナスの遺産”となるものをいくつも抱えています。わたしにしても、不注意な言動や日々の行いが次の世代への“マイナスの遺産”になってしまったのではないかと思い当たることがいくつもあります。それに気づいたときには、胸をかきむしるような悔いが残ります。なかには、人の心に残した影のように、取り返しのつかないものもあるかもしれません。一方で、中1から6年間通い続けてくれた女生徒が、最後の日のきょう、心のこもった手紙を握手とともに手渡してくれました。できればトータルとして“プラスの遺産”を遺したいものだと考えています。 国債残高は今日現在、およそ592兆円、国民一人当たり473万円だそうです。財政赤字にいたっては1033兆円、国民一人当たり826万円、大人の世代は、これだけのツケを次の世代に残してしまいました。それだけでなく、地球環境も地域コミュニティーも20世紀を生きたわれわれによってかなり崩壊してしまいました。 “修身斉家治国平天下”といいます。地球や国に遺した“マイナスの遺産”は、地球人や国民の大多数の意識が変わらないかぎり、償いようがないほど大きなものですが、せめて、新しい意味での“修身”(すこしでも魅力的な大人に近づけるよう)“斉家”(次の世代の人間関係を壊さない)を大切にすることが“治国平天下”(“プラスの遺産”を遺す)につながるような気がしています。 わたしにとっては、まず、つらいことの多かった今年のツケを残さないようにしたいと覚悟しています。今年も多くの方々に愛読していただきました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。みなさんも、どうかよい年が迎えられますように。 **12月27日(火)掲載**
|
全265件中 新しい記事から 91〜 100件 |
先頭へ / 前へ / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / ...20 / 次へ / 最終へ |