す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第145回 期末テスト | ||
6月の半ばから7月初めにかけて、中学・高校の期末テストが続きます。もう終わってしまった学校もあれば、まさに、きょうあしたがテストという中学もあります。高校生などは、ほとんどが7月初めに集中しています。
なかには、期末テストの前に修学旅行、などという学校もあって、子どもたちは「テストが気になって、修学旅行が楽しめないよ〜」と嘆いています。もっとも、学校としては、テストが終わった後の開放感といっしょに修学旅行に行ったのではなにが起きるかわからない、という管理意識が働くのかもしれません。 そういえば、中間テストなどでも、意識的に連休のあとにテスト期間を設ける学校も多く、子どもたちの反応は2つに分かれます。ひとつは「連休なのに遊べないよう〜」というもの、もうひとつは「まあ、連休だから、朝から塾に行って勉強すればいいさ」というものです。子どもたちの勉強に付き合うのはもともと負担に感じないほうですが、後者のように使われるのは釈然としません。そこで、勉強を“やらせる”でも“してもらう”でもなく、子どもたちのほうから“お願いされて”勉強に付き合うことにしています。とはいえ、6月半ばからのほぼ1ヶ月は、土日の朝から入れ替わり立ち代りテスト勉強の子どもたちがやってくるので、ゆっくり本を読む時間も取れません。 ところが、塾の定例授業日でないときにテスト勉強をしに来るのは、子どもたちにとっての“非日常”なので、なんだか楽しいらしいのです。お母さんにお弁当を作ってもらって、お菓子を持って午前中から出かけてくる女の子もいます。あまり楽しそうなので「塾に遊びに行くんじゃないの?」と疑われる(?)子もいます。しかし、テスト直前ということもあってか、ふだんよりずっと集中している子が少なくありません。 そのなかで、日常では取り上げる時間がない社会科や理科の質問が多く出ます。たとえば、中1の地理では“時差”が出題範囲にあって、子どもたちにとってはこれがむずかしいらしいのです。ともかく丸暗記をしてしまおうと思っても、なかなか覚えられません。そこで、経度・緯度・本初子午線・赤道などの最小限の知識を押さえた上で、壊れてしまった地球儀の代役としてサッカーボールに登場してもらい“時間旅行”の始まりです。まず、地球がどちらに自転しているのかを考えて、世界各地の現在時刻を計算します。つぎに、いま成田を離陸した飛行機が13時間後にシカゴ空港に着いたときの現地時刻を求めます。子どもたちにとっては、これがいちばん難しいらしいのですが、これも目で見えるような形で示してみると、どの子もはっきりと納得します。 中2の歴史は、江戸時代が出題範囲です。まず、江戸時代が265年、明治維新から2005年の現在までが138年と計算して時間目盛りをつくってもらいます。すると、子どもたちはかなり驚きます。もし、明治維新が徳川開幕だとすると、現在は、まだ享保の改革のころなんだ、どうして徳川幕府はそんなに長く続いたんだろう、と疑問を持ちます。そこで、幕府にとって、おのれを危うくさせる敵をあげてもらうと、農民、大名、外国、朝廷貴族と続きます。それぞれを抑えるための幕府の対策を教科書から拾ってみると、慶安のお触書、武家諸法度、鎖国、公家諸法度と、その用意周到さにまたまたおどろきます。さらに、もし鎖国をしなかったらどんなことになっていたか、を想像します。すると、日本の近代化を遅らせたと言われる鎖国政策も、それなりの意味があったことがわかります。 中3の理科は、等速直線運動など、力学が範囲です。ここは元物理教師だったツレアイの守備範囲ですが、家事から手が離せない状態なので、文系人間のわたしが、紙テープとエンピツで、かんたんな手動の記録タイマーをつくって始めます。 ふだんは、部活で疲れ、朝練習で寝不足の彼らも、テスト週間で部活が休み、しかも白昼のなかでの勉強ということもあって、かなりの時間集中してやっていきます。いつも早めにテスト準備を始める高校生たちが、教室の隅で黙々と勉強に取り組んでいるのをみて、テスト直前で少々アセリ気味の中学生たちも、シ〜ンとして取り組み始めたりします。 なによりも、こうしてわたしたちに“お願い”して、自分から取り組んだ(ように思える)ことは、かなりの程度定着するようです。どんな勉強法よりも、アタマが活性化することが大事だとわかるのは、まさにこんなときです。 **6月28日(火)掲載**
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第144回 仮面 | ||
月初めの日曜日、小学校6年のときのクラス会に出席しました。幹事さんの気配りが細やかなことと、先生がお元気であることで、ほとんど毎年のように10名前後が集まるようです。わたしが前回出席したのは、もう10数年前になるので、どの顔も年齢相応の風貌になっていました。なかには、まさに半世紀ぶりに会った人もいて、紹介されて初めてわかる人もいました。かく言うわたしも含めて、それなりに社会の辛酸をなめてきた“初老の仮面”をつけての近況報告が一通り済んだところで、すこしずつおたがいの顔が見えてきました。まず、しぐさや口調のなかに、子どもだったころの面影が浮かび上がるころから“仮面”が取れ始めて「〜ちゃん」と、子どものころの名で呼び合う場面も見かけられます。
「大人とはなにか」(第129回〜第132回)のシリーズで、書かなかったことがあります。それがこの“仮面をかぶる”ことです。仮面などというと、表と裏の使い分け、ずるい大人などという悪いイメージがありますが、他の動物たちとちがって、良くも悪くも、人間は社会のなかで生きていく動物なので、場面に応じた“仮面”を持つことは“社会的大人”になるための必須条件です。幼児や動物のようすをみていて心が和むのは、彼らが“仮面”を持たないからかもしれません。 「子どもは正直だ」と言いますが、子どもも小学生ともなれば、ごまかしたり悪知恵を働かせる子もいます。大人並みのうそをつくこともあります。ところが、ごまかしも悪知恵も“そのまんま”本人の現在の願望や欲望を実現するためのものです。高学年になるにつれて、周りの状況を見たりこちらの表情を読み取ったり、あるいは自分の行動がもたらす結果について思いを巡らせたりと、個人差こそあれ、“仮面”をつけ始めます。 塾には、小学生から付き合い始めた子、中学生になって入塾してきた子、高校生からのお付き合いと、さまざまな子がいます。そして、どの子も入塾してから2、3ヶ月もすれば、わたしたちや周囲ともなじんで、ずっと以前から塾生であったような顔をしています。そして、子どもたちは、どういうわけか、この時点でつけていた“自分の仮面”が“この場所での自分の素顔”であるように感じるのです。 もちろん、子どもたちは、成長と共に自分なりの“仮面”をつけていっているのですが、おもしろいことに、小学生のときに入塾した子は、いつまでも幼さの余韻を残し、中学生からの付き合いの子は、なまいきな表情、高校生になって入ってきた生徒は、すでに大人の仮面をつけています。これは、たぶん、わたしたちの主観に起因するものなのだと思います。おなかのなかにいたときから付き合ってきた親が、いつまでも子離れできないのは、ある意味では当然のことかもしれません。ただ、わたしたちも、ふだんは付き合いの長さなど意識の外にあります。 ところが、何か問題を抱えたとき、たとえば、机を並べている子が突然イヤになり始めたとき、わたしたちのことばや対応に不満を感じたとき、成績が下がったとき、受験などの不安が高まったとき・・・、そんなときに、この違いがでてきます。小学生のときからの子は、ストレートにこちらに言ってきます。中学生からの子は、表情や態度に表れます。ところが、高校生からの付き合いともなれば、ある日突然のように「きょうで塾をやめます。ありがとうございました。」ということもあります。 長いこと塾をやっていれば、ある学年だけが少人数のままであることがあります。そんなときでも、中3については、夏休み以降の入塾をお断りしています。これは、もうこの時期を過ぎると“受験生という仮面”だけをつけるように、本人はもちろんのこと、周りからも要求されているので、勉強そのもの以上に、細心のメンタルケアが必要な受験期を乗り切れないからです。 経験上、多くの子どもたちは5年生になるころには、仮面をつけ始めます。人前で泣いたりなどの感情をあらわにすることもすくなくなります。それでも、中学生までは、ふとしたときに仮面が取れて、幼いときの表情が現れることもあります。笑ったり、ドジをしたり、怒ったり、楽しいイベントに参加したり、あるいは、わが家の愛犬と見つめ合ったりしたときに、どの子も愛くるしい素顔が現れます。 もちろん、個人差があって、高校生からの付き合いでも、親しくなるにつれて取れていく仮面もあれば、少数ながら、いつまでも距離をとるための仮面をかぶり続ける子もいます。そういうときには、その仮面のまま、ゆっくりと付き合うようにしています。 このところ、この“仮面のつけ方”がわからない子どもや若者が増えているような気がしています。 **6月21日(火)掲載**
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第143回 成果主義 | ||
前回までのシリーズはいったんお休みをして、別のテーマを用意していたのですが、風さんからの書き込みをいただいて「成果主義」について書いてみようと思い立ちました。
気がついてみれば、「高二の親」さん「教師26号」さん「風」さんなどのリピーター(?)を初めとして、さまざまな方の書き込みに刺激を受け、ヒントや励ましをいただいてなんとか続けることができたコラムです。書き込みに参加しない人たちからも、直接メールをいただいたり、きびしい論評を聞かせてもらったりします。そういうつながりがなくても「○○さんという人も読んでいて『おもしろい』と言っていたよ」と知人から聞かされたりすれば、少しの緊張とともに次へのエネルギーも出てこようというものです。 こうしていろいろな方に読んでいただいているのも、書き続けてきたことの“成果”だと言えなくもありませんが、これが、仮に「できるだけ多くの読者を獲得すること(成果)」を要請されていたとしたら、これだけ長い間書き続けることはできなかったと思います。「自分が一体何をどのように見て、なにを考えてきたのか」については、無意識の部分が多く、こういう機会を与えていただいて、そのことをあらためて整理して見つめなおしてみたい、という“好奇心”が原動力でした。そういえば、先ごろ読んだ新聞にも「中世ヨーロッパでは、経済効率が人を動かすことはなく、好奇心が人々の行動を説明する原理であった。フランス革命もそのような知的環境の中で起きた。」という文があって、我が膝を打ったばかりです。 新聞といえば、“成果主義の弊害”を取り上げている特集記事を読みました。がんばって成果を挙げるごとに重要な役務を任され、責任も重くなるにつれて就業時間も非常に長くなった結果、すべてのことから逃れるために死を選んでしまった、というものです。これは、特殊な状況の特殊な人のことではありません。死に至らないまでも、気持ちのバランスや体調を崩す人が増えている、と記事は指摘しています。 子どもたちの“勉強”についても同じことが言えます。「お子さんの成績だけ見て一喜一憂をしないでください。そこに向かう姿勢や気持ちの持ち方を見てあげてください。」と親御さんに言うと「でも、どんなにがんばっても結果が伴わなければ意味がないでしょう?」と切り返されます。どうも「“結果”や“成果”なんてどうでもよい」と言っているように聞こえるらしいのです。「もしあなたが監督だったら、よけたバットに当たってフラフラと野手の間に落ちたテキサスヒットと、ナイスフォームでジャストミートしたけれど、野手に好捕されてアウトになった場合と、どちらを評価しますか?」と改めて問い返すと、うなずいてくれる人もいれば、「絶対に塁に出ようとする気迫がテキサスヒットを生むのではないですか?」と言う人もいます。まあ、このことについての当否は、野球の専門家ではないのでなんともいえませんが、目先の結果しか評価されないとしたら、人は思考停止状態になってしまいます。 風さんも書いている尼崎の脱線事故や、例の東海村JCOで起きたバケツマニュアルによる臨界事故などは、おそらくそういう事例に含まれるのではないでしょうか。尼崎事故の場合は、ともかくオーバーランや遅延という“結果”から逃れることだけしか頭になかったのかもしれませんし、JCOの場合は、 手っ取り早くノルマを果たすことだけに知恵を使った結果なのかもしれません。 学校の部活でも、顧問の先生が「なにがなんでも勝て。負けたら今までやってきた練習の意味がない。」とハッパをかけた結果、大好きだった部活がすっかり苦痛になってしまった子もいます。考えてみれば、好きなスポーツならだれでもが自分のベストを出そうとするはずです。実際に、選手たちにのびのびとやらせて大きな“成果”を上げた監督さんが何人もいます。選手たちは、自分の頭で考え工夫して、そこに経験豊かなコーチのアドヴァイスが入るのですから、“成果”が出ないほうが不思議です。そして、この“成果”がいわゆる“成果主義”によって得られたものではないのがおもしろいところです。 わたしには、風さんのように「役に立たないからいい!」と言い切るほどの徹底した美学はありませんが、「成果がなければ意味がない、経済的にマイナスであるものは切り捨てる」という風潮が進んでいけば、“人間社会の有意な持続”という大きな“成果”を失うことになると考えています。 **6月14日(火)掲載**
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第142回 “勉強することの意味”を考える まとめ | ||||||||||
このシリーズのなかでは、初めに、“勉強することの意味”が時代とともに変化してきたことを述べました。つぎに、“人類の知の遺産”へのアプローチとしての“勉強と学び”の違いについて、さらに、“勉強”がもつ2つの意味のうち、子ども本人やその周辺の“強いて勉める”側からみた勉強が、要領や勉強方法によって解決できるものではないことについて書きました。そして、前回、“勉強”ということばでは到底くくることができないほど人間の能力が多彩であることについて書きました。
わたしが言いたいことについてのアプローチは、まだまだ長いのですが、このところわたし自身の体調もすぐれないためか、ややわかりにくくなっているようです。このあたりで、いったんまとめ、回を改めて取り上げることにします。 以前にも書きましたが、“勉強”ということになると「できなければならない、すくなくともできるに越したことはない」という論調が支配的です。これは、教育学者にしても、教師にしても、こういうことを論じる人たちの「西欧近代合理主義的」な考え方に由来しているように思います。 塾をやっている身としては、たいへん“危険な”言い方になりますが、「なんとなくそうなった。カンが働いた。」という子どもの中に、合理的には説明できないけれど、みごとに本質を捉えているのではないか、と思われるものがよくあります。しかし、これは、近代学校教育制度には、まったくなじまないものです。 「歴史や仏教、木造建築や仏像のことをもっと知りたいと思って、本を読んでみるのだけれど、ぜんぜん頭に入ってこない」と嘆いていた宮大工の若者が、わたしのところにある「原色日本の美術」を引っ張り出して、瞑想にふけるような深い目で寺社建築や仏像の写真を見ていたのを思い出します。「オレは数学なんて大嫌いだった」という金型の職人から、複雑な曲線の曲率を、曲尺一本でみごとに割り出す方法を説明してもらったことがあります。そのときの得意そうな彼の表情と、一向に理解できなかったわたしの困惑の表情が対照的だったと、そばにいたツレアイが笑います。 学校教育のなかでの“勉強”は、近代の学問の手法である“分析と総合”を基礎として成り立っているので、宮大工や金型職人である彼らのすばらしい能力は、およそ評価の対象になることはありません。彼らに“分析と総合”の手法を強要することは、彼らの持つ能力を“勉強コンプレックス”によって殺してしまうことになりかねません。 一方で、学校教育が基盤としている近代の学問が対象としてきたものは、数学をはじめとして、自然科学、社会科学、文学、語学にしろ、直接なにかを生み出すものではありません。だから、子どもたちが「なんの役に立つの」と疑問を持つのは当然のことでもあります。とくに、数学などは“役に立つことを恥と心得る”人たちによって深められてきた学問であることは、最近売れている「世にも美しい数学入門」(藤原正彦・小川洋子ーちくまプリマー新書)のなかにも書かれています。 その意味では、まだ「勉強すればよい生活ができる」という学歴神話がそれほどなかった時代でも「ガリ勉」とさげすまれ(?)ても勉強に励む人たちがいました。わたしの高校時代「ぼくは、きみたちのように、直接学問の世界をのぞくだけの力はない。だから、現在与えられている課題をひとつひとつクリアすることで、いつかその高みが見えるかもしれないと思ってがんばっているんだ」という強烈なことばを、埒もない議論に没頭していたわれわれにぶつけてきたガリ勉君は、後に航空工学の第一人者として大きな成果を残しました。 繰り返しになりますが、前回に書いた“多彩な能力”も、今回書いた“カンやコツの世界”も数学者の感覚も、さらに、ガリ勉君のモチベーションも、どれも学校教育にはなじまないものです。 「○○を実現するために、苦しくてもがんばって勉強する」という学歴神話が、神話ではない現実のものになっていた時代から、そういう“勉強”の必然性さえ見えなくなってきた現代に“勉強することの意味”を問い直す試みは、いったんお休みにします。 「じゃあ、いったい学校はなにをすればいいんだ」という教師26号さんの声が聞こえるような気がします。まさに、“勉強することの意味”を真正面から考える舞台が、学校です。しばらく別のテーマを取り上げながら、このことを考え続けていきます。 **6月7日(火)掲載**
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第141回 “勉強することの意味”を考える 多彩な能力 | ||||||||||||||||||
前回の最後に「わたしたちの次の社会が持続可能なものになるためには、人間の多彩な能力が活かされ共生するものでなければならない」と書きました。“勉強することの意味についてさらに考えを進める前に、この“多彩な能力”ということを考えてみました。
わたしのところでは、8人の生徒のなかにツレアイとわたしの2人が入って、一人一人の勉強内容を見ながら説明したり質問を受けたりしています。それでも、質問が集中するテスト直前の時期や、ゆっくりと理解する子、すぐにパニック状態になってしまう子がいるときなどは、手が回らなくなることがあります。そんなときに、PCソフトを使った新しいシステムの説明会の案内があり、行ってきました。比較的ていねいな教材を作っている会社でもあり、費用も手ごろであったので、手が回りにくいときに使えるのではないかと考えたからです。 その教材は、当然のことながら、イントロもリトライもまとめも、ひとつの入り口しかない地下道のようなものになっています。問題集・参考書・教科書など、既存の教材の宿命のようなものです。ところが、前回書いたように、子どもの理解の仕方、納得の仕方は千差万別です。まったく同じ結論になるにしても、その入り口や切り口がちがうので、わたしたちは、目の前の子どもと対話しながら、いっしょに道を歩いていきます。宿題として使うのなら、既存のテキストだけで充分、手が足りないときの“間に合わせ”としてこれだけの費用をかけるのは気が引ける、ということで今回は見合わせることにしました。 話は変わりますが、いま、将棋の名人戦が大詰めを迎えています。森内名人と挑戦者羽生王将は幼いころからのライバルですが、その棋風はかなり違います。まったく同じ手を選ぶのにも、そこに到達するまでのプロセスには大きな違いがあるようです。その異質の才能がしのぎを削ってぶつかるからこそ、すばらしい棋譜がうまれるのでしょう。 あのノーベル物理学賞の学者たちにしても、じっと醸成していってパッとひらめく湯川秀樹博士、コツコツと積み重ねていく朝永振一郎博士、企業のなかで業績を上げた江崎玲於奈博士、大勢のスタッフを取りまとめていくことに手腕を振るう小柴昌俊博士と、まさにさまざまな才能です。また、音楽の世界にしても、同じ作曲者の同じ曲を、よくもまあこれだけ違う演奏をするものかと驚くことがあります。そして、それぞれがかけがえもなくすばらしいと感じるとき、人間のもつ能力の多彩な奥深さに触れる思いです。 スポーツの世界でも、工芸の世界でも、実業の世界でも、同じ世界にありながらも、多彩な才能が共存し切磋琢磨しています。どんなにすばらしい才能であっても、その才能のクローンだけでは、どの世界をとってみても成り立ちません。松坂投手、古田捕手、イチロー野手×7人、のチームが12球団あったら、こんなつまらないことはありません。武豊騎乗のディープインパクトが18頭走るダービーなんて見たくもありません。 同じ世界にいる人たちでもそうなのだから、ましてや、子どもたちの理解の仕方が異なるのは当然です。「これまで挙げた人たちは、それぞれの世界でトップレベルの人たちであって、子どもたちの勉強には、さまざまな理解の仕方なんてない。決まったことにしっかりと合わせていくことが勉強だろう」と言う人がいます。ところが、効率的な解き方だと混乱するのに、遠回りの方法だとみごとに安定する場合もあれば、小さなステップを一つ一つ登らないと納得できない子もいます。その逆で、プロセスが長いとアタマが宙に浮いてしまって、直観的につかむことで納得する子もいます。非常に論理的に英語を理解する生徒もいるし、そんな説明では混乱するけれど、まさにフィーリングで理解する場合もあります。英単語を音で捉える子もいれば、視覚で覚える子、何度も書く作業で身につく子もいます。 上で述べた世界の人たちは、その世界が好きで入った人たちがほとんどです。ところが、子どもたちにとっての勉強は、理解の仕方以前に、勉強という“概念”そのものを受け付けない子もいます。ところが、そんな子が手作業をしているところをみていると、みごとな手順を踏んで、手際よく仕上げていきます。 「駕篭に乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人」とはよく言ったものです。みんなが駕篭に乗る人では、駕篭はうごきません。獲得してきた自由と平等の社会のなかで、異なる個性がどのように共存し、さらに大きな世界を広げていくか、それこそが“勉強する意味”を探る方向なのではないかと、考え始めています。 **5月31日(火)掲載**
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第140回 “勉強することの意味”を考える−つづき | ||
前回は、“勉強すること”と“学ぶこと”について触れました。今回は、このことをもう少し具体的に考えていくことにします。
“勉強”には、2つの意味があると思います。ひとつは、子ども一人一人、あるいは彼らを取り巻く大人たちの側から見た“勉強”があります。これは、少しでも要領よく成績を上げる対象としての“勉強”です。これとは別に、わたしたちの社会が次の世代の人たちに身につけてほしいものとしての“勉強”です。じつは、こちらのほうの“勉強”こそ、緊急に、そして真剣に考えなければならないものだと思います。文科省や多くの教育関係者から熱望されている“個人の興味関心に従って学ぶ”ことについては、ここでは触れないことにします。前にも述べたとおり、これは社会や行政が育てることでも干渉することでもないからです。 しかし、かくいうわたしも、日々やっていることといえば、子どもたちに対して、前者の意味の“勉強”をできるだけ消化のよいものにする工夫をしているにすぎません。まずは、この意味での“勉強”が一般的でしょう。 「ウチの子は勉強の要領が悪くて」とか「勉強をやらなければならないのはわかっているけれど、やり方がわからないのでできないんです」などと言われると「うまいやり方とか要領なんてありませんよ。自分が理解しやすい、そして長続きできるような方法は一人一人違うのだから、いっしょにみつけましょう。」と答えることにしています。たとえば、非常にすっきりとした数学の解法であっても、かえって混乱してしまう場合があります。そういうときは、多少能率が悪くても地道にやっていくほうがその人にとってはよいやり方です。漢字を覚えるのでも、わたしは字の一つ一つの用法や原義を理解して覚えていったのですが、それよりは何回も練習するほうが身につく、という子もいます。英単語は文例のなかで覚えることがいい、とわたしは思いますが、それでは覚えなければならないことが多すぎてそれだけでいやになる、と言った高校生がいます。 『超整理法』で知られる野口悠紀雄氏に『「超」勉強法』という著書があります。彼が掲げた勉強法の基本原則は、 (1)おもしろいことを勉強する (2)全体から部分へ (3)8割わかったら先に進む の3つだそうです。そして、「勉強は強制されたものではなく,自分から意欲をもたなければダメ」としています。さらに、英語は教科書を丸暗記せよ、数学は基礎からやるな、と続きます。それぞれに理由のあることで、一握りの生徒には効果を発揮しますが、ほとんどの生徒にとっては短期間で挫折してしまいます。 また、精神科医である和田秀樹氏による『受験は要領』というベストセラーがあります。全部で200項目近い“ご託宣”は、“勉強”のテクニックとしてはうなずけるものもありますが、これが実行できる生徒は、相当に明確な動機と意志の強さを持っていなくてはなりません。 『声に出して読みたい日本語』の著者、齋藤孝氏も、日本語ばかりではなくさまざまな“勉強本”を出しています。彼は、小学生を対象にその理論『齋藤メソッド』を実践して、絶大な成果を挙げていると書いています。しかし、その実践は“イベント会場”のような場所での、いわば非日常のなかで行われたもののようです。 この3人の“勉強法”に共通するのは、日常の子どもたちと接している感触がないこと。よく読んでみると、これらの“勉強法”は、彼ら自身が、あまたの東大卒のなかにあっても並外れたエネルギーと恵まれたオールラウンドな処理能力とで獲得してきたものであること。さらに「わたしが言うとおりに実行すれば、だれでも勉強ができるようになる」との豪語?のうらに、人間の持つ多彩な能力に対する畏敬の念が感じられないこと。そして、そのオールラウンドさのゆえに得られなかった“学問バカ”へのあこがれを感じてしまいます。 文科省を初めとする教育行政の担当者たちにも、彼らと共通するものを感じます。それが「“自分自身の興味関心にしたがって学ぶ心”を育てる」などという教育目標を立ててしまうことにつながっているのかもしれない、とかんぐってみたくもなります。 わたしたちの次の社会が持続可能なものになるためには、人間の多彩な能力が活かされ共生するものでなければならないと考えます。そういう社会を実現するには、子どもたちにどのような“勉強”をしてほしいのか、そして、子どもたちに、本来の“勉強することの意味”を実感してもらうにはどうしたらよいか、という壮大な?話を、おのれの無能を省みずに進めてみようと考えています。 **5月24日(火)掲載**
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第139回 “勉強することの意味”を考える | ||
第67回と第137回で“勉強することの意味”について取り上げました。67回では本質的なところを学ぶよりは、手っ取り早く問題を解くことを求める傾向が強まっていることを書きました。第137回では、このように“勉強することの意味”が変わってきているのは、社会の変化によるものだと言いました。この“社会の変化と勉強することの意味の変遷”については、回を改めて書くつもりでいます。
勉強ということばは、137回に書いたお父さんが言われたように「ほんとうはやりたくないことだけれど、がんばってすること」が本来の意味で、お店での値引きなどにも使われています。一方で「人類の遺産と知恵」に触れることも“勉強”と呼ぶことがありますが、ここではこれを“学び”と呼んで区別することにします。 古今東西から発信されている“知の遺産”に触れ自分の世界を広げていくことは、だれにとっても苦痛であるとは思えません。そして、この“学び”と“勉強”とは、対象が、自然科学、社会科学、文学、歴史・・・というように、重なり合ってはいても、そこに向かう気持ちはまったく異なるものであるようです。 子どもたちに「ぜんぜん勉強しなくても将来の生活が保証されるとしたら、勉強する?」と聞いてみたことがあります。その逆に「どんなにがんばって勉強しても将来の保証がないとしたら、勉強する?」とも聞きました。どちらにも、「するわけないじゃん」と予想通りの反応が返ってきます。「それじゃあ、将来の生活が保証される代わりに『政府からのお知らせを読んだり、自分の名前や住所が書けたり、買い物の計算ができる、ということ以上の学力は一切持ってはならない』という法律ができたらどうする?」と水を向けてみると、「えっ? それはいやだなあ」という子が大半です。「それでもいいよ。オレ、どうせ本読まないし・・・」という子がいたので「このあいだ、『宇宙の果てってあるの?』って聞いてたけど、そういう疑問ももてなくなるよ」と言うと、「う〜ん、それはちょっとイヤかも」と考え込む様子でした。 「子どもは、みんな学びたがっている」などというつもりはありません。でも、彼らが知的好奇心を発揮するのは、多くの場合“やらねばならない勉強”から離れたときです。数学大嫌いなはずの中学生が、たまたま隣の席の高校生にわたしが説明していた“微分の考え方”に興味を持って「あとで教えて」と言ったことがあります。学校で教えなくなった筆記体の練習に夢中になるのも同じような心理かもしれません。 このように“学ぶ”ことについては、どの子もほとんど問題ありません。わたしたち大人が考えなければならないのは、“勉強する意味”をどのように見つけ、伝えていくかということです。 話は少しずれますが、職業選択の自由がなかった時代、幼いときから親と同じ仕事に就くことが運命付けられていた時代には、いやでもなんでも一定の技術や知識を身につけることが生きることそのものでした。明治16年生まれのわたしの祖母も、幼いころから家業を仕込まれ、親の目を盗んで練習した読み書きが、一番の楽しみだったそうです。この場合、家業は“勉強”で、読み書きは“学び”です。親は、どのようにして子どもに家業を伝えていくか、に心を砕いたはずです。 現代では、だれでもが平等な可能性を持って生まれてきます。“勉強が優秀ならば”、家柄や性別に関係なく、どんな職業にでもなれる可能性を持っています。だから、どの子にも平等な教育の機会が与えられます。中学までだった義務教育が、実質的にほとんどの人が高校まで進学し、普通教育の期間がどんどんと長くなっていきます。“勉強することがお仕事”になってきた時代です。そしてさらに、前にも述べた「勉強したところで、将来の保証が得られないばかりか、仕事の内容も定かではない人が巨万の富を手にする」時代の到来です。文部科学省が“学ぶ意欲”をいくら強調しても、どだい無理な話です。 「自分の興味関心にしたがって学ぶ」ことに対して文科省あるいは社会が干渉したり“育て”たりする必要はありません。それよりも、わたしたちが獲得してきたこの自由と平等を目指す社会を維持するために、次代の子どもたちに身につけてほしい知識や技術はなにか、を社会の側が明確に持つ必要があるのではないかと考えます。 **5月17日(火)掲載**
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第138回 公民教科書 | ||
第121回のコラムで「新しい歴史教科書」を取り上げました。今回は、新県教育委員高橋史朗氏が監修者の一人であったとされる「新しい公民教科書」−市版本(扶桑社)を取り上げます。批判するにせよ歓迎するにせよ、その内容を知ることは“埼玉の教育の今後”を考える上で、避けては通れないものだと思います。
前回と同様に、現在さいたま市の中学校で使われている「新しい社会 公民」(東京書籍、以下東書)と比べながら見ていくことにします。 まず教科書の構成ですが、東書は、「現代社会とわたしたちの生活」として、大量消費社会・食生活・情報・多文化社会などの社会の大きな変化を、公民を学習するに当たっての基礎的な問題と位置づけ、第一章で取り上げています。これに対して、扶桑は、序章として「なぜ『公民』を学ぶのか」というタイトルで、ギリシャから近代社会の形成までを取り上げています。このなかでは、日本の近代を『外発的』として捉え、現代の特徴を“個人的自由”と“技術の合理”であるとして、それぞれ否定的な見解を述べています。さらに、“国”に対する“公民”の自覚を促すなど、かなり強い論調を展開しています。 つぎに、東書は「人権の尊重と日本国憲法」の章で、日本国憲法の基本原理のひとつである基本的人権をひとつひとつ克明に記述し、人権保障や社会権、知る権利や環境権、プライバシーなどについても多くのページを割いて取り上げています。そして、障害・差別・高齢などさまざまな困難と共に生きる社会への参加に、個人と社会の関係を見ています。これに対し、扶桑は「現代文化の価値と規範」と題して、近代の基本的人権や民主主義あるいは福祉のあり方に疑問を投げかけています。とくに市販本P36では「民主主義は『私』の事がらよりも『公』の事がらを優先させる公民がいて初めて実現される」という、この教科書の根幹となる考え方を述べています。さらに、個々の基本的人権については、東書のおよそ半分の記述にとどまり、どちらかというと、法の尊重と道徳の大切さ、福祉国家の問題点の指摘などに多くの紙面を割いています。 現代政治の仕組みについて、東書は、選挙の仕組み、国会、行政、司法、地方自治について万遍なく触れながら、一人一人が政治に参加することの意義を述べています。扶桑も政治の仕組みについては東書とほぼ同量の記述をしていますが、法治主義、間接民主制の意義を随所に述べています。そして、この章についての扶桑に特徴的なことは、“少年法”“住民投票”“死刑廃止論の是非”“国旗・国歌に対する意識と態度”“憲法論議と第9条”“北朝鮮による日本人拉致問題”の6つのコラムを設け、積極的に問題提起をしているところです。このうち“国旗・国歌”については、サッカーのラモス氏の昂揚した思いを長く引用して生徒の感情に訴えています。しかし、その他については、対立する議論を併記するなど、意外に抑制的な記述をしていながら、底流に“主権国家”という意識を自覚させようという意志を強く感じます。 経済については、東書がおよそ30ページをあてて、生活と経済、市場経済と金融、国民生活と福祉、と淡々と記述しているのに対して、扶桑は、50ページにわたって、かなり詳細に、そして中学生にはややむずかしいと思われる部分にまで踏み込んでいます。 全体としてみたとき、どちらの教科書も、民主主義とそれから導かれる基本的人権の考え方を、現代の基本的な価値と認めながらも、その切り口はかなり異なったものになっています。東書が、これらの考え方が歴史的に人類が獲得してきた大切な価値であって、これらを社会のなかでどう生かすか、を主題にしているのに対して、扶桑はこれらの価値を認めながらも、民主主義が衆愚政治に陥りやすいことや、人権が私的利益追求や乱用される傾向にあることを繰り返し述べています。 また、東書が、人々が共生していくための「ルールの必要性」と並んで、積極的に発言し、主体的に政治に参加し、「適切なルールを作り上げていく必要性」について書いているのに対して、扶桑は「自分の自由をある程度までは犠牲にしてもやむをえないという心構え」を説いています。 このコラムの性格上、両教科書の評価には極力言及しなかったので、「新しい公民教科書」を批判する立場からは物足りなく、歓迎する立場からは批判めいた書き方に読み取れる、というなんとも中途半端な分析になってしまいました。 ただ、どの教科書であれ、審議・採択に当たって、影響力を行使したと誤解?されるような事態を避けることが、信念を持って取り組んだ監修者として最低限の矜持であるように思えてなりません。 **5月10日(火)掲載**
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第137回 “勉強する意味”の移り変わり | ||
「勉強は歯を食いしばってガマンしてやるものだ」と考える人は意外に多いものです。忙しい仕事をやりくりして子どもの勉強を見てきたひとりのお父さんが、しみじみと言ったのもこのことばでした。「わたしは勉強が嫌いでしたが、自分の親父から『勉強は、読んで字のごとく、強いて勉めることだ。イヤだ、と言ってすむものではない。歯を食いしばってやれ。』と言われて育ってきました。そのおかげで何とかなってきたという思いがあります。だから、息子にもがんばってほしいのです。」ということでした。
ところが、当の息子は、親が寝てしまってから深夜に起きだしてゲームをやったり夜更かしをしたりで、学校では授業中に寝てしまう、塾では「疲れた、疲れた」を連発し、「帰ってから勉強やらされるから、いまのうちにすこしぼーっとしたい」と言い出します。 もともとは陽気で屈託のない子なのに,このごろは、説明もよく聞いていない、プリントの取り組み方もほとんど機械的にやっているので、ミスともいえないようなとんでもないことを書いていることさえあります。そして、そのお父さんは「わたしが親父からそう言い渡されたのが中3のときだったので、息子には、少しでも早く始めればそれだけ早く効果が出てくるのではないかと考えているんです。」と続けます。 そうして勉強を見てきたのに、この2,3ヶ月忙しくて手をかけることができなかったので成績も落ちてきている、ということです。 お父さんが中学生であったときと息子のいまとでは、どう見ても30年はちがうようです。30年前と言えば、高校の進学率が90%を超え、偏差値全盛の時代です。その当時は、なにがなんでも“いい高校・いい大学・いい会社”という構図が厳然としていて、大人たちだけでなく、中学生たちもそういう現実を目の当たりにしていたので、勉強への必然を感じていました。勉強が苦手の子どもたちも、その“学歴神話”を疑おうとさえしませんでした。 それよりずっと以前の1950年代から60年代、つまりわたしが中学・高校生であった時代のほうが、同世代人口が多かったこともあって、はるかに激しい受験競争でした。高校の数も現在よりはずっと少ないうえに、埼玉県ではいまと同じ全県一学区で、中学を卒業するとすぐに就職をする人も多くいました。 それにもかかわらず学歴神話はあまりなく、勉強をしたい子はすればよい、嫌いならばムリせずに親の職業を継いだり、自分に向く仕事に就いたほうが社会のなかで生きていきやすい、という感覚があったようです。わたしも、親からは「勉強しろ」と言われたり、勉強を教わった記憶はありません。ただ、高校時代に数学の問題集をやっていたら、父が横から覗き込み「もう少しすっきり解けるはずだぞ」とつぶやきながら風呂に入っていったかと思うとすぐに呼ばれ、風呂場のくもったガラスを指でなぞりながら、非常に洗練した解法を説明してくれた記憶があるだけです。数学が生涯の趣味のひとつであった父なので、息子の勉強を見てやる、などという気持ちはさらさらなかったはずです。 そして、当時の大学の就職部の掲示板には大企業からの求人が目白押しで、わたしのような“偏屈人間”を除けば、確かに高学歴が社会的な地位や高収入につながっていた時代だったかもしれません。冒頭のお父さんの時代は、経済力がついてきた親たちが、そういうわれわれ世代の状況を見て、子どもたちに「勉強すれば、あのようになれる」と説得し、子どもたちもまた、それを実感できたはずです。「15の春を泣かせるな」と言われたのもこのころです。 ところが、1980年代に入って、多くの人が豊かになり「石を投げれば大卒に当たる」と言われるほど、大学がありがたい存在ではなくなってきました。そのころになると、大学は出ても、それまでにかけた“投資”に見合う地位も収入も保証されなくなってきました。イジメ・不登校・校内暴力が多発した時代です。「なんのためにこんな思いまでして勉強しなければならないんだ。」ということばが、頻繁に子どもたちの口から出たものです。 さらに、子どもたちが生きている現代は、ほしいものが何でも手に入る、本を読むよりはウェブのほうがよほど手っ取り早く必要な情報が得られる、大学を出ても就職の保証はない、という時代です。フリーターのほうが高収入であったり、たいした芸もない芸能人や、アイディア一本で何億もの資産を作ってしまう若者もいる時代です。 そういう時代のなかで、子どもたちに“勉強する意味”をどのように伝えていくか、これは、わたしのような仕事をしている者だけではなく、現代を生きるあらゆる大人たちにとって大変大きな課題であると考えます。 **4月26日(火)掲載**
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第136回 新年度雑感 | ||
新年度が始まって2週間、授業もすこしずつ軌道に乗り始め、子どもたちの表情もこころなしか落ち着いてきました。新年度といえば、先生たちにとっては3月31日の人事異動の発表も大きな関心事です。異動する先生は、あらかじめ希望を出していたり内示があったりで、ある程度予想しているらしいのですが、新聞に載った自分の名前を見ると、それなりの感慨もあるようです。異動しない先生たちも、別れる同僚・新しい同僚・親しい仲間の動向と、この時期は悲喜こもごもです。わたしもまた、友人・知己の教員たちの様子が気になったり、塾生たちから聞いているそれぞれの担任や部活の顧問、そして子どもたちに人気の先生・苦手な先生などの留任・異動を知って、喜んだりがっかりしたりします。
このごろの子どもたちは、先生の異動について意外に淡白です。親しんでいたはずの担任の転出について聞いてみると「うん、行っちゃったよ。でも、どうせ変わるんだから、どうってことない」という答えが返ってきます。それでも、塾のクラスはいくつもの学校からの子たちで構成されているので「○○って先生、そっちの中学に行ったよ。けっこう厳しいけれど、おもしろいところもあるよ。」「△先生、おまえの学校から来たんだろ、どんな先生?」という情報交換もたまにあります。そういうなかに、どうみても授業はうまくない、子どもたちからはなめられている、同僚の先生や管理職からの覚えもめでたくなさそうな先生がいました。でも、A子ちゃんは、その先生の転出をとても悲しんでいます。「黒板いっぱいに書いてくれるから、一生懸命写すので眠くならないし、先生の自慢話がけっこうおもしろいし、生徒に押し付けない」と言うのです。わたしが「学校にはいろいろな先生がいてよい。優秀な先生や熱血先生ばかりの学校では、子どもたちの息が詰まる」と思うのはこんなときです。 子どもたちの新年度の話題は、先生たちのことより、むしろクラスの友だちや部活の状況かもしれません。「塾でいっしょの○○ちゃんと初めて同じクラスになった〜」「よろしくっ!」「最悪のクラスに入っちゃったよ。前のクラスのヤツ以外、まだだれとも口を利いてない」などという話が飛び交います。「前からの友だちプラス新しい友だちができるんだからいいじゃないか」とわたし。選手をけなすことしかしない顧問の先生がいやで、大好きな部活をやめようかとまで悩んでいたMちゃんは「やった〜!出ていったよ、あの顧問。これからは楽しい部活になるよ。」と大喜びです。新1年生の仮入部も、本人たちはもちろんのこと、新先輩の2年生たちも、彼らに本入部してもらうまでは気が抜けないようで神経疲れしているようにみえるのが、気の毒でもありおかしくもあります。 はるか遠く、両親の故郷である山形の小中高に転校した4人兄弟からまだ便りがないところをみると、こういう新年度のあれこれに、浦和育ちの彼らにとってはまったく知らない土地での気苦労(?)が重なって、気持ちの余裕が出てこないのかもしれません。 受験の余韻さめやらぬ新高校生たちは、まだまだ学校の様子もわからないので緊張しているようです。中学からの友だちがほとんどいない高校に行った生徒にとっては、友だちができるかどうか、だれかが話しかけてくれるかどうか、そして、話しかけてシカトされたらどうしよう、と心配はつきません。また、中学までは、授業の進度はちがっても教科書も同じ、塾でのプリントもそれぞれ大差ないことをやっていた彼らも、おたがいの教科書を見比べて、かなりちがうことにびっくりします。授業の進み方にしても、まだ自己紹介をやっている学校もあれば、かなり進んでいる学校もあります。それぞれの授業への対策を話し合ったり、授業を補強するプリントを渡したりして塾の新年度も始まります。 塾の新年度といえば、お母さんといっしょに体験入塾にくる子も何人かいます。兄姉が塾生で弟妹もぜひ、と言ってきてくださる方もいれば、紹介されて見学に来る人もいます。こういう場合、かつては、お母さんが難色を示していたのに子どもが「ここにする!」と強く望んだので“しかたなく”ということも少なくありませんでした。ところが、最近の傾向では、お母さんがすっかり信頼してくださっているにもかかわらず、本人のほうが「塾に入って勉強するんだ、って覚悟をしてきたのに、授業が楽しかった。みんなも楽しそうなので、塾らしくない。心配だ」と言って、しり込みする例が見受けられます。「勉強がやさしすぎた?」と聞くと、そんなことはなさそうです。「わからないまま終わっちゃった感じがする?」と聞けば「しっかり説明してもらったから、よくわかった」と言います。塾というのは、みんながし〜んと静まり返って授業を聴いて宿題が出て・・、というイメージを持っているらしいのです。勉強は歯を食いしばってガマンしてやるものだ、という先入主を持った子どもたちのアタマをどうやって活性化させるか、これからが勝負?の日々です。 **4月19日(火)掲載**
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