す〜爺です。30数年間さいたま市(浦和)の片隅で小学生から高校生までのさまざまなタイプの子どもたちと楽しさや苦しさを共有しその成長を見守ってきたことと、 ここ10数年来、学校教師・塾教師・教育社会学者・精神科医などからなる小さな研究会で学んできた者の一人として、みなさんのお知恵を借りながら考えを進めていくことにしました。 「教育」はだれでもがその体験者であることから、だれでもが一家言を持つことができるテーマでもあります。この連載がみなさんの建設的なご意見をお聞かせいただくきっかけになればうれしい限りです。 ただ、わたしとしては、一人ひとりの子どもの状況について語る視点(ミクロ)と「社会システムとしての教育」を考える視点(マクロ)とを意識的に区別しながらも、 わたしなりにその相互関係を探ることができれば、と考えています。よろしくお願いします。 |
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第185回 わかり合おうとする心 その2 | ||
前回「『絶対的な真実なんてない』のは、一神教でもない限り当然のこと」と書きましたが、“わかり合おうとすること”は“絶対的な真実”を求めることとは違います。ましてや、やみくもに妥協したり、意見を調整したり、無定見に肯いたりすることでもありません。結果的には「わからない、納得できない」ことのほうがはるかに多いのは当然です。“わかり合うことが大切”なのではなく“わかり合おうとする心”です。今回は、このことをもうすこし掘り下げて考えてみます。
友人から「思い込みが強い」との評があるわたしですが、これまで、さまざまな場面で思い込み・先入観・固定観念などを修正してもらいました。 まずは、子どもたちからもらった修正です。「勉強はわかれば、楽しいはず」という思い込みは、「だって、わかってくれば、その次にまたわからないことをやらされるんでしょ」という一言で粉砕されました。「基礎から一つ一つ積み重ねていけば・・・、急がば回れだよ。」は、「いま、みんながやっていることができないのはツラい。」という悲痛な叫びで考えさせられました。さらに、せいぜい一ヶ月程度と考えて「返すのはいつでもいいよ」と言って貸した本が半年も帰ってこない、聞いてみると「もう、もらったんだと思っていた」と言われて、表現のあいまいさを反省させられました。わたしが年を取ったせいか、こういうことは、日常茶飯事に起きています。 つぎに、初期のころ(第14回)で取り上げた「ゲーム脳」のデータが怪しいということも、後に知るところとなりました。ただ、データはともかく、子どもたちの様子やわたし自身の体験からも、いまだに子どもたちの生育環境にとって、決してプラスであるとは考えられないところが、わたしの“思い込みの強さ”の所以でしょうか。地球温暖化に関する固定観念も、ある本のおかげで考え直す機会をもらいましたが、これも“ラク・トク・ベンリ”な生活を追求することが、人類の将来にとってよいはずはない、という“思い(込み?)”も持ち続けています。 5月11日(木)の『忍者のつぶやき』に、一般論化の例として「・・・やっぱり○×ってのはバカだな」「人間というのは必ず△▲するものだ」とありましたが、同じ一般論・決め付けのように見えても、前者は、それを聞いた人間としては「そう感じるなら、もう是非もないこと」と受け取るしかない。後者は、反証をあげる余地があるという点で大きく異なります。わたしの“思い込み体質”は、この後者に属しているのではないか、とヒソカに考えています。 多少の牽強付会を許していただけるなら、だれでもが“思い込み”のなかで日常生活を送っています。たとえは悪いのですが[この角を曲がれば、わが家が見える−でも、実際はすこしまえに焼失しているかもしれない。ほんとうは人生最後の夜だとしても、目を覚ましたときいつもと変わらない朝がくると“思い込んで”床に就く]というのは、ありうることです。このように、すぐに現実が現れることや個人的な想念だけでなく、「いまのままでは社会が危ない」と考えることも「今の状態を守らなければ、われわれの将来は危険だ」と考えることも、じつは“思い込み”なのかもしれません。公共心が低下しているのは、戦後教育がまちがっていたからだ、と考えるのも、社会が変質しているからだ、と考えるのも同じことかもしれません。わたしは後者の考えに近いのですが、それとても、もっと大きな国際的な流れや地球環境が主要因になっているということだってありえます。あるいは、公共心はずっと昔からないもので、実は幻想に過ぎないものだ、という可能性さえもあります。 そして、こういう“思い込みや固定観念”は、広く学ぼうとする姿勢がある限りは、修正されたり、次のステップに進むことができるのではないか、というのがわたしの言いたいことです。 ところが、ここに、経済的得失や、ある種の信仰、自分の立場とか家族を庇うなどの動機が強く働いていたり、あるいは、育ってきた家庭文化や子どものころの潜在記憶など、理屈を超えた拒絶感や皮膚感覚が強くあれば、“アタマ”では納得しても、その“思い込み”(とはいえない固執した立場)は、頑として守られるはずです。 わたしもまた、このように“固執する立場”のいくつかを持っているはずです。その場合でも「わたしは、理屈を超えてこの立場を崩すことができない」ということで、別の場面での、コミュニケーションを維持することができるのだと思います。しかし、“固執する立場”から往々にして出てくるのが、初めに挙げた「おまえはバカだ」「なにもわかっていない」「認識が甘い」ということばや、すこしでも自分と異なる考え方に出会うと相手を罵倒・中傷する態度です。これは、相手と“わかり合おうとする”のを拒否することです。 わたしが“わかり合おうとする心”というとき、こういうことまでも含めて考えています。浅学非才を恥ともせず、こういう連載を続けさせていただいているのも、自分の“思い込みや固定観念”を修正したり、ステップアップできるのではないかと考えているからです。 **5月16日(火)掲載**
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第184回 わかり合おうとする心 その1 | ||||||||||||||||||||||||||
先日、塾OBの若者が二人訪ねてきました。ひさしぶりの話に花が咲いて、楽しい時間を過ごしましたが、そのうちの一人A君が「最近、大学なんかで話していても、『そんなの、それぞれでいいじゃん』ってことになって、それ以上話が進まないんですよ。だから、こういう“まともな”話ができたのは、ひさしぶりのような気がする」と言い始めました。B君が「とくに、社会問題や憲法のことなんかの話になると、ぜったいと言っていいほどシラケてしまうから、みんな、女の子の話とか芸能やスポーツの話題ばかりですよ。」と続けます。
社会・政治・経済から恋愛・文学・生き方に至るまで、夜を徹して侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしていたわたしたちの時代とまったく違うことは、当然のことです。しかし、このところの様子は、すこしでも“危なそうな話”になりそうだとサッと話題を変えた、と伝え聞く戦前の社会のようです。戦前と違うのは、外側からの恐怖を感じているからではなく、ひとりひとりの内面から出ていることです。考えようによっては、こちらのほうが数段恐ろしいことだと思いませんか。 「摩擦を避ける・シラケられたくない・なにを言っても流れを変えることはできない・話したって通じない・・・・」こういう空気が、子どもから大人まで支配しているような気がします。そのくせ「多数派でいたい・だれもわかってくれない・なんかむかつく」という気分も同時に共存しているので、始末に負えません。 さきほどの若者の話のなかに、超ベストセラー養老孟司著「バカの壁」(新潮新書)が出てきました。やや天邪鬼なわたしは、売れている本には通常あまり手を出しません。書店で見かけたときも、本のタイトルと帯の「『話せばわかる』なんて大うそ」というキャッチフレーズをみて違和感を感じていました。今回のタイトルにあるように“わかり合おうとする心”こそ、この時代に欠けているものだと考えているからです。彼らの話を聞いて、読んでみることにしました。時代に受け入れられているものが何か、に興味がありました。 著者が言いたいことは、まえがき3ページのなかにすべて述べられていました。すなわち、「いろいろな考え方を認める社会が住みやすい社会」「どう考えてもわからないことがだれにでもある」「思考停止になるな」です。このコラムを長いことお読みくださっている方には、わたしも繰り返し述べてきたことだと理解していただけると思います。ただ、わたしが気になったのは、そのタイトルと惹句だけが強調され、それが驚異的な売れ行きにつながったのではないか、ということです。 つまり、上の第3段落に書いたことの裏付けとして「話が通じないのは、当たり前なんだ」という安心感?が得られるような気分が読者をひきつけたのではなかろうか、と感じたからです。 わたしは、塾の子どもたちに、「わかろうとしてわからないのは、教える側の責任」と言い続けてきました。その姿勢を放棄したら、塾をやっている意味がありません。でも、現実には、どうしてもわからない子が出てきます。わたしやツレアイが四苦八苦、あれこれ工夫しても、とうとう納得を得られなかったり「わかった」と言っても、じつはわかっていなかったことはまれではありません。それでも、まず、教えている側の工夫の足りなさを検証するのが、塾というものの宿命だと考えています。だからこそ、口にするかどうかは別として、いつでも「ごめんね。もうすこし工夫してみるからね」という気持ちでいます。その逆で、子どもたちが考えていることなんてわかりっこない、と決め付けるより(しょせんわからないものであったとしても)すこしでも理解したいという姿勢を持ち続けていたいと思います。 「絶対的な真実なんてない」のは、一神教でもない限り当然のことです。しかし、このごろの子どもたちの口癖のように「間違っているかもしれないけれど・・」という前置きをつけて自分の意見を言うのは、ヘンだと思うのです。「わたしはこう考えている。あなたの考えていることは、これこれのところが間違っていると思う。」と主張しあってこそ建設的な議論ができるはずです。それに対して、しっかりと反証をあげて反論することで議論が深まっていきます。そして、最後には、「おたがいにここが違うのだね」というところまで煮詰めてこそ議論というものです。わたしも、これまで、そういう議論の中から自分の思い込みや多くの偏見に気づかせてもらいました。その議論を阻害するのが「あなたはなにもわかっていない」「おまえにわかるはずがない」「おまえの認識は甘い」という態度やことばです。そこで、相手を尊重しようとする気持ちが切れてしまうからです。このところ「○○はうそつきだ」「○○はデタラメ」と、初めから議論を封じてしまうような論調が目に付きます。次回は、そういうことも含めて「わかり合おうとする心」について、さらに考えてみたいと思います。 **5月9日(火)掲載**
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第183回 “好い加減”と“イーカゲン”のあいだ | ||||||||||||||||||
第180回への書き込みの最後に、「小さな塾の講師」さんが「まじめ≒頭が固い」と考えられたり、学生時代から「正論だけれど、いささか現実離れしている」と言われたりして、“まじめに考えること”を「人生の修行が足りないから」と受け止めているように感じました。(「小さな塾の講師さん」、わたしの曲解でしたらごめんなさい。)
そんなことを考えているうちに、ふと、「わたしは“好い加減な塾”を作ろうとしてきたのかもしれない」と思い至りました。そこで、第176回「土日の授業」の続編を書くことにしました。 以前、塾OBの一人から「いつ訪ねてもほとんど在宅しているし、定例授業日に休んで別の日に来ても席が空いていれば入れてもらえるし、電話でもメールでも質問できる、そのうえ、塾をやめたあとでも、相談や質問があればいつでもOK。これじゃあ、普通に月謝払って決まった授業日に来ているのがバカらしくなる人もいるんじゃない? おじさんはそれでいいと思っていても、まわりからは“イーカゲンな塾”としかみえないよ。」と痛烈な批判を受けたことがあります。心底心配して言ってくれていることだけに、一つ一つのことばが身にしみました。 第176回では、「土日の授業についての約束(1.塾の定例授業で一生懸命取り組もうとしていること 2.休んだ日の振り替えではなく、プラスの勉強であること 3.緊急でない限り、前以て“予約”してあること)を生徒たちに伝えた」と書きました。じつは、中学生の土日の授業についてはそのように決めても、ある程度“大人扱い”をすることにしている高校生などでは、上で指摘されたようなことをやり続けてきました。 休んだときの<振り替え>は基本的にしていませんが、レギュラーの生徒優先、という条件で定例日以外の日に来ることを認めていました。そうなればなったで毎日のように来る生徒もいて「席が空いている限りはいいかあ、積極的に来てくれるのはうれしいし・・・」などと自分を納得させてきました。 そして、ほとんどの生徒は、そういうわたしの気持ちを理解してくれていました。中学生の時間にゲストでやって来た高校生は、隅の空席で黙々と自習をしていて、中学生たちが帰った後に2,3質問して帰る、という状況でした。ときどき英文のメールを送ってきて添削を依頼するD君は、部活の関係で塾をやめた高校生です。このD君も、小学生のころからの付き合いで、本人・ご家族とも信頼関係が続いています。やはり部活で塾を続けられなくなったK君も、進路のことでご両親・本人とは現在でも頻繁に連絡し合っています。 ただ、入塾して間もない生徒とは、なかなかこういう関係を築くことはできません。また、長い付き合いの生徒でも、こういう“阿吽(あうん)の呼吸”が理解できない子がいます。彼らの目には、まさに“イーカゲン”な対応にしか映らないようです。そういう生徒は、他の時間帯に来ても、レギュラーの生徒を差し置いて自分のことをみていてほしいので「すこしも見てくれない」と不満だけを抱えてしまいます。 ということもあって、イレギュラーの勉強に関しては、この“阿吽の呼吸”が通じるかどうかで、いわば“生徒を差別”してきました。誤解されるといけないので付け加えるならば、これは、生徒の好き嫌いや相性とは無関係なことで、上のように「すこしも見てくれない」と不満を持つのでイレギュラー差し止めになっている生徒でも、休みの日などに“お話を聞いてもらいに来る”かわいい高校生もいます。 入塾するかどうかにかかわらず入塾面接料をいただいていたり、イレギュラーな出席の場合の授業料を決めている塾仲間もいます。彼らは「親のほうも、そのほうが気が楽であるし、こちらもお金をいただく以上、一分たりともおろそかにできない」と言います。それはそれで、とても誠実な対応だと思います。一方で、わたしのメッセージとしては「そのつど、おっくうがらずに、阿吽の呼吸を計ろうよ。“好い加減”の関係を続けましょうよ。」というものです。けっして“イーカゲン”に接しているつもりはないのですが、なかには、「お金を取ってもらわないと困ります。」と言って、有無を言わさずお金を置いていく親御さんもいますが、“阿吽の呼吸”を理解している生徒の親の場合は、最終的には理解していただけます。 しかし、このように文にしてみると自明であるように見える“好い加減”と“イーカゲン”のあいだを隔てる“壁”は、現実の日常のなかでは、限りなくうすくてもろいものです。 「これは、○○と決めている」というのは“まじめ”とは思えません。「かくかくあるべし」というマニュアルに忠実に従っているだけ、というのは、思考停止状態だと思います。“まじめ”も“好い加減”も、わずらわしくともそのときどきの状況や人間関係を誠実に測ってこそ成り立つものだ、という意味ではこのふたつは同類項だとわたしは考えています。 どちらも、現代では“生きにくく”“現実離れ”していると見られがちな態度なのかもしれません。 **5月2日(火)掲載**
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第182回 国を愛する心 | ||
先日、勉強が一段落した後、高校生のA君が「“国を愛する”って当たり前のことなのに、なんでわざわざ法律で決めたり、それに反対したりするの?」と聞いてきました。そこで、2年前の6月、この連載コラムのちょうど第100回(教育基本法)に書いたものを彼に読んでもらったところ、「むずかしくてわからない」という答えが返ってきました。
高校生にわからないのでは“独りよがりの文章”と言われてもしかたありません。折りしも、今国会での上程・成立を目指して「教育基本法改正案」が与党間で最終合意したこの時期に、次代の子どもたちが育つ教育環境に大きな影響があるこの問題について、改めてA君への手紙の形式で考えてみました。 ----------------------------------------------------------------- きみは、“国を愛する”って、当たり前のことだと言っていましたね。きみは、この間のWBCやトリノ五輪などで、みんなが夢中になって日本を応援したことなどを思い浮かべているのだと思います。わたしもまた、一昨年のサッカーW杯のときは、ひさしぶりにテレビにかじりついてどきどきしながら日本代表の試合を追っていました。サッカーと言えば、レッズやアルディージャの試合結果には、地元ファンならだれでも関心があります。母校が甲子園出場ともなれば、仕事を休んでバスを仕立てて応援に行く人さえいます。出身地の高校と現在住んでいるところの高校のどっちを応援するか悩んでいる、という人がいて笑ってしまったことがあります。クラス対抗球技大会などがあると、自分は出場しないのに、こちらがびっくりするほど自分のクラスの勝敗に一喜一憂するするのが、きみたちの自然な感情ですね。このように、自分が所属する組織・団体・グループに肩入れするのは、ごくあたりまえのことです。その意味で、日本国民であるわたしたちが“日本国”を愛することも、また自然な感情です。 しかし、一方で、先のWBCで有名になったB.デイヴィドソン主審のような人が、仮に、日本のすべての試合のあらゆる場面で日本に有利な判定をした結果優勝したのだとしたら、それでも日本の野球ファンたちは喜んだでしょうか。たぶん、大部分の人は全敗する以上にクラーイ気持ちになったはずです。これも、また“わがチーム”を愛するがゆえの感情でしょう。話はわき道にそれますが、ついでに言えば、自分が応援するチームにすばらしい助っ人外人(これもバイアスがかかった表現ですが・・・)がいることで勝ち続けている場合、以前よりは抵抗なく喜ぶ人が多くなっていることも、今回のテーマを考えるヒントのひとつになるかもしれません。 だれでもが、自分は“善きこと・優れたもの”に属していたい、だから、自分の属するものに“悪・劣”の烙印を押されれば、自分自身のこと以上に激しく反発します。これが、いわゆるパトリオティズム(愛国心)と呼ばれるものの原型だと思います。これもたぶん人間の本能的なものに根ざしているような気がします。その意味では、きみが言うように、この心情は、法律で決めたりだれかに言われるまでもなく持っているものだとは思いませんか。 その一方で、なにかのきっかけで自分が属するもの、たとえば学校が、とても居心地が悪く、しかも自分にとってツラいことばかりある場所であるとき、その学校を心から応援する気持ちになるでしょうか。また、ふるさとに苦しくて嫌な思い出しかない人がふるさとを懐かしむことができるでしょうか。そんな場合でも、多くの人は自分が所属したものへの思いをけなげにも維持しようとしますね。でも、その学校やふるさとが「あなたは、ここの所属なのだから、ここを愛するべきである。」と強制するとしたらどうでしょうか。とても強い拒絶反応を示すのも無理からぬことだと思いませんか。 所属するもの(ここではグループと呼びます)への愛着を持っている人に対しても、離れたいと感じている人に対しても、求めたり強制することに意味がないと思われるパトリオティズムを、あえて強調する理由には3通りの場合があるように思います。 ひとつは、そのグループがメンバーにとって魅力のないものになり始めている場合です。この場合は、本来、グループのリーダーたちがメンバーの協力を仰ぐことと自身の努力によって、その魅力を回復しなくてはならないはずですね。それが非常に困難である場合がこれに当たると思います。2つ目は、そのグループに他のグループからの流入者が多くなっている場合です。“人種のるつぼ”といわれる移民国家アメリカ合衆国が、ことあるごとに“星条旗に忠誠を誓う”のはこの意味です。そして、3つ目は、そのグループが他のグループと対立抗争する場合です。スポーツであれ国であれ、あるグループが戦いに臨もうとしているとき、いの一番に必要なのは、まず、なにがなんでもメンバーの意識をひとつにまとめておくことですね。 自分の町に、立派な施設を誘致する運動に賛成の署名をしたら、じつは利権を狙う人たちの手助けをしていただけだった、などということはよくありますね。 自分が属するグループへのsympathy(この単語習ったよね)はとても自然で、すがすがしいものですが、それが、何かに利用されていないかどうかは、いつも考えておかなくてはならないことだと思います。長々と書きましたが、次の時代を担うきみたちがどのような選択をするか、舞台を降りるのもそう遠くはないす〜爺は、息を凝らして見つめています。 **4月25日(火)掲載**
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第181回 小学校英語の必修化 | ||
第61回のコラムに「英語について」の本文中では、主に中学以降の英語について書きました。その折、中学の英語の先生である「風」さんから書き込みをいただいたり、知人からメールをもらいました。そのなかで、早期英語教育についてすこしだけ触れました。先月、中教審が「小学校高学年での英語を必修化する」との方針を示したことを機会に、早い時期からの英語教育について、わたしの経験を交えて書くことにします。
まず、わたしのささやかな英語体験です。終戦直後のこと、浦和には駐留米軍の埼玉軍政部があり、近所の洋館は米軍将校の住居として接収されていました。そこに、わたしより1、2歳年長の男の子がいて、何度か遊びに行ったことがあります。緑の芝生に白いガーデンテーブルとデッキチェアがあって、ギンガムチェックのスカートに真っ赤なブラウスを着たブロンドのママがクッキーとへんな飲み物を出してくれました。まだ4歳であったわたしは、なんの臆することもなく遊んでいました。そこで覚えたのは「こっちに来て」はコミアであったし、「水」はワラ、「はい、どうぞ」はヒアリティスでした。 時は流れ、中学に入って最初の英語の先生は、その駐留米軍で働きながら英語を学んだという先生で、わたしの耳に届いたのは、およそ10年のブランクを感じない英語の音でした。当時の英語の教科書は「I have not much time.」のようなイギリス英語だったので、先生は「こんな英語は間違っている」と何度も息巻いていました。もっとも長じてからは、その先生からはずいぶん変な英語を教わったことに思い当たったものです。その後、いわゆるカタカナ英語の洗礼を浴びつづけるうちに、わたしの“英語耳”は、すっかりカタカナ化してしまいました。 学生時代には当時のFENを聴いていましたので、すこしは取り戻したようですが、所詮、ふだん使うことのない英語なので、英文の読み書きや文法以外の「聴く・話す」ことからはすっかり遠ざかってしまいました。塾を始めてからしばらくのあいだは、そんなわたしの英語でも、ほとんど支障がなかったようです。当時、妹が外資系の会社の秘書をやっていて日常的に英語を使っていましたが、読む力・書く力については、それほどの“差”を感じませんでした。 ところが、ある時期から英語がブームになり、英語教室に通う子どもが増えてくるにつれて、英語を習っていない子がほとんどのわたしの塾でも「中学に入ってから英語で困るのではないか」という不安を持つ親や子の声が聞こえるようになりました。そこで、知人の仲介で、数年前から、小6の3月だけネイティヴスピーカーの若者たちに“英語の音”を教えてもらうことにしました。数回で英語に慣れるはずがないので、「ナマの英語を聴いた。」という感触を持ってほしかったからです。 そして、このカナダやアメリカの若者たちから多くのことを学んだのは、子どもたちより、むしろわたしのほうでした。まず、当然のことながら、日本の若者たち以上に、一人一人が違っていて“むこうの若者”と一括りにはできない、ということです。したがって、言っていることがほとんど聞き取れず、こちらが話す言葉もわかってもらえない場合もあれば、すっとわかり合えてしまう場合もありました。また、子どもとの接触の仕方もそれぞれで、なにをしに日本に来ているのかわからないような若者が、みごとに子どもたちの気持ちをひきつけて活き活きとした授業を展開する反面、自分が好きな詩を朗読させて、英語が初めての子どもたちをしらけさせてしまう若者もいました。余談ですが、その授業が下手なほうの若者のひとりJ君(J君ゴメン)とは深く意気投合し、彼が母国での研究生活に入った今でもメールのやり取りをしています。彼との交流については改めて書く機会があると思います。 現在では、わたしの塾でも、小学校の低学年から英語塾に通っていたという子どもが少なからずいます。また、アメリカの小学校に在籍したことのあるいわゆる帰国子女の生徒もいました。さらに、日常的に英語のネイティヴスピーカーと接する環境にいる子もいます。そういう子どもたちと接してきての感想のひとつは、“なんとなく”英語をやってきた一番目の子たちの“貯金”は、ほぼ中1の2学期で使い果たし、中学で始めた子と違いがなくなること。バイリンガルに近いところまでの英語を身につけた二、三番目の子たちは、相変わらずの中学・高校の“日本英語”のなかで、まったくと言ってよいほど意味を成さなくなることです。 それでも、“早期英語教育”が、個々人の状況や環境の中で選び取ってきたものならば、それなりの意味があると思います。しかし、公教育のなかで“早期英語教育”をやっても、小学校の先生たちの備え・日本人の言語環境などを考えれば、英語嫌いを増やす結果になるのではないか、それだけならよいけれど、異文化コミュニケーションを嫌う子どもたちが増えるのではないか、と心配です。 いくら英語表現を身につけ、どれだけ英単語を覚えたからといって、英語がうまくなるものではありません。極端なことを言えば、ヘタな英語を下を向いてぶつぶつと言うより、しっかりと相手の目を見て、自分の意思を込めてはっきりとした日本語で話すほうが、よほど相手に伝わるものです。でも、たぶんこれは“日本の文化”ではありません。小学校の英語必修化を推進しようとしている人たちは、そのあたりのことを理解しているのでしょうか。 ほんとうに力を入れなくてはならないのは、これまでの西欧言語文法のマネではない、現代の言語状況に即した“あたらしい日本語文法”を年月をかけてつくりあげ、それを学校教育に導入することでしょう。現在の“学校日本語文法”は、あまりにも日本語の実態と離れているので、子どもたちも理解しにくく、日本語を学ぶ外国人にとっては、さらにわかりにくいものだからです。 **4月18日(火)掲載**
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第180回 脳を鍛える? | ||||||||||||||||||||||||||
「おじさん、これやってみてよ」高校生のM子が、わたしの目の前にいきなり携帯ゲーム機を差し出しました。授業の後始末の手を休めないままに画面を見てみると、グーチョキパーを「勝つように、負けるように、あいこになるように」という指示通りに出していく、というゲームらしいということがわかりました。一通り終わったところで「おじさん、すごーい、40歳! うちのお母さん60歳だって、ショック受けてた。おじさんとお母さん逆じゃん。お母さんには言わないでおこう」とうるさいこと。「おじさんは、こういうことに慣れているから、できて当たり前なんだよ。」とわたし。
聞くところによると、中高年のあいだでこのゲーム機が異常な売れ行きで生産が追いつかないということです。そのゲーム機のソフト“脳を鍛える”がお目当てだということでした。多くのみなさんにとっては自明のことなのかもしれませんが、テレビを見る習慣がないわたしは、それを聞いたとき「う〜む」と唸ってしまいました。“こんなもので脳を鍛えることができる?”“かりに、そうやって鍛えることができたところでどうなる?”という思いが頭の中を駆け巡ったからです。IQテストにしても、こういうゲームにしても何回かやれば、だれでもすぐ習熟してしまうはずです。 先日も「脳力アップの秘訣」という冊子を見かけました。聴くだけで努力や訓練は必要なし、という謳い文句です。しかし、よく読んでみれば、“作業の習熟度UP”といったところだと思います。先のゲームで、脳年齢?が70歳近いと“診断”された人が、2時間あまりがんばったら、33歳まで“若返った”という記事を読みました。“脳が活性化する食品”などというものもあるようです。 「頭がよくなりたい」という“願望”はじつに根深いものがあります。“頭がいい人”(どうしてそんなことが感じ取れるのかは不思議なところですが・・・)に会えば、うらやましいと思うのは、ごく自然な感情でしょう。 むかしの日記を取り出してみると、小学生のころのわたしは、成績は大してよくもないのに「自分がホンキになって考えれば、あらゆることが理解できる」と考えていたフシがあります。中学になって、いろいろなことが“見えて”くるにしたがって、自分が考えることができる限度がわかってきました。ところが、わたしの周囲には“頭のいい”同級生が何人もいて、わたしが考えることができる限度をいともやすやすと乗り越えていくのです。これは、かならずしも点数や成績だけのことではなく、みごとな工夫であったり、理解の早さであったり、洞察の深さであったりしました。成績がよくても“頭のよさ”を感じられない子もいましたし、さほど成績がよくなくても「あっ、頭がいいんだな」と感じさせるものを持っている子がいました。 高校生ともなれば、ごく短時間で数ページもの文章を読み取る友人や、一晩で世界史の教科書一冊分が頭に入ってしまう同級生、複雑な因数分解をほとんど停滞することなく解答していくヤツなどがいました。そういうなかで、わたしなりに「“頭のよさ”は、生得のものだから、他人と比較しても意味はない。自分が持っているものを充分に活用できるようにすればよい」という考え方を身につけたような気がします。 いまこうして書いている文章にしても、深い洞察力を感じる文章、鋭いキレがある文章、温かく包み込まれるような文章、精緻な建築物を思わせるような文章、洒脱な文章、軽快なリズムにのった文章など、あまたの“頭のいい人たち”が書いた文章を意識したら、一行も書けなくなってしまいます。わたしの将棋の実力は、弱いアマ二段といったところですが、羽生・谷川・森内・佐藤などの超一流棋士の読みはおろか、棋士の卵である奨励会の少年たちのそれでさえ理解を超える深さを感じると同時に、もう、50年近く将棋を趣味としてきている自分の“頭の悪さ”を認識します。でも、将棋を指しているときには、いつも「いまの自分にとって最高の手を指そう」とあがくことに喜びを感じています。 これほどの“脳ブーム”になった背景には、インターネットに代表される急激な情報環境の変化があります。21世紀に生きる人間は、このかつてない環境変化のスピードに対応できる脳が求められている、ということだそうです。そして、昨今の“脳ブーム”は、「処理が速い、記憶が持続する、いくつもの作業を併行して処理できる」という方向を目指しているように見えます。しかし、考えてみれば、これらはまさに“コンピュータの能力”そのものであることに気がつきます。 ほんとうに求められているのは、コンピュータにはまねのできない人間の能力、つまり他者とコミュニケーションする能力や新しいものを生み出す創造性である、とは言えないでしょうか。このコミュニケーションの力や創造性は、ゲームなどで“脳を鍛える”ことによって身に付くものではありません。 健康ブームが、病弱な人たちを憐れむ風潮を生み、カツラブームが“ハゲ”(わたしがそうです)に対する“差別?”を生んだように、処理が遅い人、記憶が定着しにくい人、などを「脳が弱い」と言って蔑むことがないように、脳への関心が人間そのものへの深い関心につながっていけば、“脳ブーム”もそれなりの意味を持つかもしれませんが、はたしてどうなのでしょう。 **4月11日(火)掲載**
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第179回 “安全”の怖さ | ||
このところ、子どもが被害者となる事件が多発している(ように見える)ので、家庭も学校も地域も、そして行政も“安全”と聞けば、錦の御旗・葵の紋所といった風情です。しかし、その実態を見聞すると、かえって底知れない恐怖を感じます。第125回に書いたことと別の角度から、この“安全”について考えて見ます。
先月の「忍者のつぶやき」にも、子供用携帯電話の話が取り上げられていましたが、わたしの知人からも「子どもに携帯を持たせた」という話を聞きました。いざとなったら役には立たないだろうと思いながらも、お守り代わりに・・というのがホンネかもしれません。いやなことを連想するようですが、いざというときにすぐ取り出せなければならないし、すぐに取り出せるところにあれば、計画的な犯罪者によって取り上げられて放り投げられるでしょう。だからといって、まさか、子どもにICチップを埋め込んでGPSで追跡するなんてことはできません。 そこで、登下校のすべてを大人が監視しようとする動きが各地で広がっているのかもしれません。わたしの地域でも、自治会を通して校長・PTA会長連名で「防犯ボランティア募集」の回覧がきました。ところが、よく読んでみると「在校生の保護者」に限定されたもののようでした。なぜ地域の老人たちの力を活用しようとしないのかよく理解できません。それはともかくとして、どんなに監視しても、帰宅後の危険まで防ぐことはできません。それでも、地域の大人同士がこのボランティア活動を通して親しさを回復し、地域コミュニティが復活することになれば、それこそが防犯の大きな力になるはずです。子供用携帯を買い与えたという先ほどの知人も、「近所の人たちとのつながりが密なので、いつも声をかけてもらえる」ということでした。 しかし、世の中は、それとは逆の方向に進んでいるようです。先月19日に岐阜県大垣市で開かれた『子どもの安全を考えるタウンミーティング』では、新学習指導要領に『安全教育』を盛り込む考えを文科相が表明したそうです。また、昨年10月に東京ビッグサイトで開かれた「危機管理産業展2005」では、防災関連商品とともに、学校向けの不審者対策用ツールボックスが展示されたそうです。金属製の収納ボックスには、不審者が侵入するなどの緊急時にワンプッシュで開き、警報ブザーとLEDライトが点灯して周囲に危険を知らせることができ、催涙スプレーや警笛・さすまたなど、いざというときに必要になるものを1カ所にまとめてあるということです。文字通り、危機管理が商売になっているわけです。 しかし、どれほどの備えをしたところで、川崎の小3投げ落とし事件(3月)や、滋賀の園児殺害事件(2月)のように、建物の内部に入ってしまった後や、送り迎えを託した相手から襲われたのでは、もう手の打ちようがありません。 “不審者”を寄せつけない、と言いますが、上記の2つの事件でも、彼ら犯人が“不審者”であることを事前に見抜くことのできる人がどれだけいるでしょうか。むしろ、子どもたちは、人を服装や顔つきなど“見かけ”で判断するようになり、その結果、障害を持つ人やホームレスの人などを差別する意識が植え付けられ、それが、子どもたちによる襲撃事件につながらないと、だれが断言できるでしょうか。 現在、広がりを見せている“防犯対策”は、子どもが巻き込まれる交通事故よりもはるかに低い確率で起きる“事件”に備えるあまり、子どもたちにとって大切なものを失っていくように思えてなりません。 あまり大きくは取り上げられませんが、労災保険の民間開放、学校運営に株式会社の参入を認めるなどの“規制緩和政策”が急速に進められています。競争原理を導入し、自己責任をうたい、経済のグローバル化を推進する政策です。「今回のテーマと無関係ではないか」とお考えの方もおられるかもしれません。しかし、この政策が今後、国民のあいだに大きな格差を生むことは明らかです。 推進している人たちは、格差を作ることによって社会に活力をもたらす、と言います。格差の拡大は、人と人のつながりが密であった一時代前であれば、大きな反政府運動の流れを生むことになるかもしれませんが、現代では、これまで当然のように“中流の暮らし”を享受してきた多くの人たちにとっては、“負け組”になることで上昇志向をもつどころか、自分の内部に大きなフラストレーションを溜め込む方向にいくことは必然です。そして、それこそが、一見して“不審者”とは見えない、孤立して心の内部に“静かに”危険を抱え込んだ人間を増やしていくのではないかと心配するのです。 子どもたちの安全は、大きな意味では、格差拡大の社会を作らないこと、身近な点では、良質な地域コミュニティーが復活すること、によってこそいくらかでも守られるのだと考えるのですが、いかがでしょうか。防犯目的で普及したブロック塀がかえって空き巣を誘発するのだそうです。だからこそ、最近では周りから見通せる生け垣の防犯性が見直されているようです。これも、まさにコミュニティー復活の大切さを示唆しています。 以前にも書いたとおり、“絶対安全”は“限りない危険”をもたらします。危険・不便・不安・不都合・痛み・・・など、「望ましくないこと」を一定程度受容することは、わたしたちの社会が持続可能な社会になるためには、必要不可欠なことのように思えるのです。 **4月4日(火)掲載**
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第178回 制服 | ||
「部活が終わったのがギリギリだったんで、そのままで来ちゃった」と言いながら学ラン姿のA君が飛び込んできました。続いて「友だちとおしゃべりをしていて、気がついたらこんな時間になっていた」とゆうゆう登場のB子ちゃんも、ひさしぶりの制服です。
いつもはジーンズやコッパンにセーターやジャケットというスタイルの塾生が、たまに制服で登場すると、他の学校の子たちからは「えーっ、○○中の制服ってオシャレじゃん」という声が上がることもあります。 なかには「どこへ行くときも制服」という子もいて、そういう子は塾にも制服で来ます。その理由を聞いてみると「いつでも時間ギリギリ派」「着替えるのカッタルイ派」「安上がり派」などいろいろです。 またまた昔との比較になってしまいますが、わたしの中学の卒業写真を見てみると、クラスの男子のほとんどが詰襟の学ランであるのに対して、女子はそれぞれ思い思いの私服−それもじつに質素な−を着ています。思い出してみると、わたしの詰襟も肘にはツギが当てられ、袖口はテカテカに光っていました。だぶだぶの高校の制服を着ていた子も珍しくはありませんでした。兄貴のお下がりを着ている子もいれば、取っ組み合いをしている最中に「オレが卒業したら弟が着るんだから、破るなよ」と言われたこともあります。こんな時代には、「学ランのボタンははずさないこと」とか「スカートは、膝上○センチ」などという校則もなかったと記憶しています。 高度成長期に入って一般国民の生活が豊かになるのと符合するように、公立の中学にも制服が取り入れられるようになってきました。高校もそれまで比較的地味であった制服から、学校ごとの違いを出すようになりました。とくに私立女子高校は、「制服がかわいいから」という理由で選ぶ受験生が増えてきたこともあって、さまざまにコーディネートできるようなファッション性の高い制服を取り入れるところも増えてきました。着用義務のない標準服を示すだけ、という学校もあります。 別の学校では、校門のところで、先生たちがスカート丈を計ったり髪型や持ち物を点検したり、という話もあります。 ところが「厳しく細かいきまりであるほど、破りたくなる」というのもまた、思春期の子どもの自然な気持ちの流れです。男子は学ランの下に派手な模様があるTシャツを着ていたり、女子は髪の毛のほんの一部だけ目立たないように脱色したり、校門を出るとすぐにウェストのところでタックを取れるようにしておいたりと、さまざまに“工夫”をするようです。また、それを見抜く達人先生がいて、話を聞いていると、その“いたちごっこ”をお互いに楽しんでいる風情を感じることさえあります。 制服を制定する公立中学がほとんどになったのも、校則のなかでも「服装の乱れは心の乱れ」と言われ、生徒指導を規格化してやりやすくする意味もあったようです。あるいは、全員が同じ服装をしていることを“美しく心地よいこと”と考える人たちも多いことと思います。 しかし、いくら外見を押さえつけてみても、子どもたちが心の中に抱えている不安や不満まで押さえつけることはできません。むしろ、服装の“乱れ”の形で表れたメッセージを受け止める必要がありそうです。 いつも地味でまじめな女子高校生が小さなピアスをしているのに気がついたとき、彼女は「進学なんてどうでもよくなって」いました。ゆっくりと話し合った結果、欲張らずに科目を絞って勉強する具体的な方針が立って目標が見えてきた彼女が、以前のペースを取り戻したのは言うまでもありません。 塾でも制服着用で授業を受けるところもあるようですが、わたしは「すくなくとも塾に来ているあいだは一生懸命勉強に取り組もう。おじさん、おばさんも一生懸命やるよ。」というメッセージだけを出しているので、髪形や持ち物、服装については、わたしたちのそれも含めて“自然”であればよい、と考えています。 なかにはかなり派手な格好をしてくる子もいるし、ブランド物と思われる服を着てくる子もいます。しかし、しばらくすると、それぞれその子らしい服装におちついてくるものです。私服の場合“ハズレル”意味がないので、男の子も女の子も、おのずと自分が好きなスタイルになっていくのでしょう。 外部へのPRの意味もある私立学校の制服についてはともかく、公立中学の制服については、改めて検討してみる意味がありそうです。 **3月28日(火)掲載**
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第177回 若い先生 | ||
このところ、教員の資質向上、という掛け声がどんどん大きくなっています。指導力不足教員が増えている、教員による事件が多い、などの“理由”は多くの人を納得させる力があるようです。
わたしは、自分自身の子ども時代に加えて学習塾という場を通して半世紀以上のあいだ、学校の先生たちを見てきました。その目から見ても、現在の先生たちと比べて、むかしの先生方のほうが学力や指導力があり倫理的にも高かった、とはとても思えません。 後から考えてみると、誤った知識を教わったことに気がついたことは数多くあります。塾の生徒たちが持ってきた板書ノートを見て「ちゃんとよく見て書きなさいよ」と言うと、同じ先生に習っている他の生徒も同じ間違いを書いていた、などということは珍しいことではありませんでした。もちろん、わたしの思い込みということもあるので、当然いろいろな角度から調べてみます。 教員によるセクハラにしても、むかしは表面化しなかっただけで、子どもたちが先生に疑いを持たなかった分、いろいろな例を耳にしました。ひどい体罰は、むかしのほうがはるかに多かったことは、だれしも認めるところだと思います。体罰は“指導力不足の証明”の最たるものです。それどころか、以前の書き込みにも、ある人が「私の小学生の頃などは、教師に殴られ『なんでぶつの』と聞くと『俺は巨人と輪島が負けると機嫌が悪いんだ』と言って生徒にやつ当たりする教師がたくさんいました。」(第55回)という“指導力以前”のひどい例を書いてくださったのを思い出しました。 その一方で、かつては、校長と掛け合って、校庭に復元した竪穴式住居での泊り込みを実現した若い先生や、親たちを説得して一日野外授業を敢行した先生もいました。どれも、今だったら“とんでもないこと”として、親たちや管理職から強い批判を浴びることでしょう。とくに、若い先生たちがこういう試みをすることは至難のことであるにちがいありません。最近読んだ新聞記事に、「『アイガモ自然農法』を総合学習として実践してきた小学校で『無農薬とカモ肉を同時に得られるのが利点である農法なのに、アイガモの最期を見届けないのは不自然』と考えた先生が、周囲の猛反対を時間をかけて説得して『アイガモの命をいただく会』を実現した話」が載っていました。これも、50代のベテランの先生だからこそできたのだと思います。 わたしの塾では、手が回らないときには塾OBの学生にアシスタントを頼むことがあります。彼らは、子どもの理解の程度やわかり方のクセなどおかまいなく、たたみかけていくように教えていくので、こちらとしては他の生徒の相手をしながらも、ハラハラして見ているのですが、子どもたちからはすこぶる好評です。子どもたちにとっては、“非日常”のワクワクもありますが、なんといっても、若さがかもし出すある種のハチャメチャなエネルギーこそが、年代が近い子どもたちのアタマとココロを活性化させるのだと感じます。 中学生2人小学生3人の親たちから「あんた、どうせ独り者でヒマなんだろうから、ウチの子たちを連れて行ってくれる?」と若いときのわたしが頼まれたのは、1970年の大阪万博で、早朝出発・深夜帰宅という日帰り強行軍でした。休日ともなれば、何軒かの塾生の家の“長男”のような扱いで、夕食をごちそうになっていたこともあります。どちらも、分別をわきまえ始めた30過ぎてからでは絶対にありえなかったことです。 子どもたちにとっては、学校でも塾でも、ベテランの先生とは一味違う若いエネルギーとの触れ合いが大切です。 ところが、冒頭で触れたように“教員の資質向上”の掛け声の下、若い先生たちの研修が強化され、教育学部学生たちによるアシスタントティーチャー制が導入され、ベテラン教師たちのやり方を見習うための制度が増えているようです。塾の業界ですら「徹底的な研修を経た講師たちによる・・」を売り物にしているところもあります。 しかし、当然のことながら、マニュアルをいくら反復しても経験は深くなりません。若者は、挫折し、恥ずかしい思いをし、ときには疑問を抱きながらこそ成長していきます。若い先生の資質としては、ただ、ひたむきに子どもと向き合う姿勢だけが必要不可欠のことだと思います。それさえあれば、子どもを深く傷つけることも、とんでもなく誤った知識を植えつけてしまうこともないはずです。周辺の大人であるわたしたちが、若い先生たちの未熟さや無知をあげつらうことなく温かい目で見ることこそが、ほんとうの意味の“教員の資質向上”につながるのではないかと考えます。 **3月22日(水)掲載**
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第176回 土日の授業 | ||||||||||||||||||||||||||
前回は、“小さな塾の講師”さんから、わたしにとっても大変重要なご指摘をいただきました。「以前は、予定を変更してでも子どもの要請を受け入れていたわたしが、いつから断ることも必要だと考えるようになったのか」ということでした。
わたしがそのことについて真剣に考え始めたのは、ツレアイからの「家庭のことや友人関係を犠牲にしてまで、子どものわがままに付き合うのはおかしい」という批判がきっかけだったように記憶しています。 結婚初期のころ、実家である現在の塾とは別に、徒歩15分ぐらいのところに家を借りていました。そのころは、塾が終わった後も、残って勉強する子どもたちの勉強を見たり、ふらっと訪ねてくるOBたちと付き合って帰宅が午前様になることは当たり前、土日でも塾の教室に常駐していて「いつでもおいで」と子どもたちに声をかけていました。ツレアイも「塾とはそういうものだ」と考えていて、とくに何も言いませんでした。 まだだれも来ていないある日曜日の午前中のこと、わたしが一人で教室で本を読んでいると、ツレアイから「久しぶりの友人が、近くに来たついでに訪ねてきた」という電話がありました。そこで、黒板に「用事ができたので家に帰ります。この後に勉強に来た人は、家に電話してね」と書いて塾を後にしました。その当時、実家にはわたしの母がいたので、いつでも玄関は開いていました。 そして、わが家で待っていた友人と昼食をともにし、さまざまな話題に時を忘れていたころ、電話が鳴ってツレアイが出たところ「いつでも来ていいって言っていたのに、どうして塾にいないの? せっかく来たのにヒドイよ」と言う子どもの声が飛び込んできました。その後のくわしい経過は省略しますが、そのとき、友人に「また今度会おう。きょうはこれで失礼」と言って席を立とうとして、ツレアイに強くたしなめられました。そして、前述のツレアイの“批判”が飛び出したのが、その晩のことでした。 しかし、このことがあってからも、相変わらず土日“出勤”や午前様を続けていました。そして、20年ほど前、職住一体となってからは、わたしとツレアイのどちらかは必ず塾にいる、という状況になって、その状態はエスカレートしていくばかりでした。わたしもツレアイも、元来、教えることが嫌いではないので、“つい”とことん付き合ってしまいがちでした。 もちろん、こうして“いつでも勉強を見てくれる”ということを「ありがたい」と思う生徒や親も多くいましたが、なかにはそれを当然と考えて、正規の塾の授業を、テレビがみたいなどの理由で欠席して日曜日に来る子やら、「どうせ塾で教えてもらうから」と、学校の授業をしっかり聴かない生徒もいることがわかってきました。 こういう状況を踏まえて、ツレアイとわたしは何度も話し合った結果、土日の授業を次のように考えることにしました。 1.塾の定例授業で一生懸命取り組もうとしていること 2.休んだ日の振り替えではなく、プラスの勉強であること 3.緊急でない限り、前以て“予約”してあること などを基本的な約束として、生徒たちに伝えることにしました。もちろん、テスト前の土日は時間割を組んで、全員に出席するように勧めます。 わたしが、「子どもは、いつでも受け入れる体制でいなければならない」という確固としたテーゼを持っていたとしたら、どんなにムリをしても初めの状態を続けていたと思います。しかし、よく考えてみると、そこに「子どもの喜ぶ顔が見たい。親からも感謝されるとうれしい。できれば不満顔をされたくない。」という気持ちが強く働いていなかったか、つまり“子どもたちにとって”というより“自分にとって”の快・不快が優先されていなかったか、きわめて疑わしいことに思い至ったのです。 さらに、年齢を重ねるにしたがってパワーがなくなってきたせいか、休むべき時にしっかり休まないと、塾の定例授業や家庭生活、自分自身のブラッシュアップ、などにシワ寄せが出てくるようになったことも理由のひとつです。 じつは、前回のコラムのA君は「家にいても親がうるさくて、塾に行くって言えば文句言われないから」というのがホンネでした。それもまた、状況によっては支援が必要なこともありますが、前からの約束を変更してまでのことではないと判断したわけです。 このテーマについては、もっともっと多くの伏線やら迷いがあったのですが、とても書き切ることはできません。“小さな塾の講師”さんのご質問に答えることができたかどうか、はなはだ心もとない思いがしますので、後日、レスの形で“追伸”を書くことがあるかもしれません。 **3月14日(火)掲載**
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