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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2023/03/17(金)
第635回:今さらながらに
 湯船に浸かりながら、他愛のないことについて、真剣な面持ちで考えを巡らすのはぼくの大切な日課のひとつとなっている。「おれは、これでもいろいろなことをちゃんと考えているのだ」と自己暗示をかけつつ、意味不明な安堵感を得るために、この作業をもう何十年も続けている。
 湯船で没頭するあまり、ゆでだこ状にならぬよう、湯温は低めに設定してある。何事にも不用意なぼくだが、こと湯船に関しては用意周到なのだ。精神ばかりでなく、肉体までもがふやけてしまっては、写真屋として、もはや手の施しようがない。

 風呂は精神を開放させ、ぼくは取り留めのないことを真面目に思考するのだが、何ひとつまとまらないうちに、気づくと濡れた体をタオルで拭いている。この流れるような一連の動作は、実は用便に似て、まるで茶道の立ち居振る舞いのように一切の無駄がない。一日を締め括るにはもってこいの安定的動作手順だ。しかもこの所作は、用便同様に虚無であるので、なおさらに美しい。
 写真撮影も斯くありたいと願うのだが、そういかぬところが、写真に駆り立てられる原動力となっている。写真は、いろいろと未熟であると自覚しているうちが華というものだ。

 要らぬことと知りつつ敢えて記すのだが、生涯の用便回数(75年間に及ぶ大小を含めて)と今まで切ったシャッター回数は、どちらが多いのだろうかと、数字アレルギーのぼくは計算機を持ち出し、わざわざ計算に及んだ。この手のことに、ぼくはすぐに血道を上げたがる。何故か、嬉々として計算機のキーを叩くぼくがいた。
 いうまでもなく、シャッター回数のほうが “圧倒的に” 多い。ぼくがどのような恰好をして写真を撮っているのかは知りようがないが、用便より遙かに多い回数をこなしながらも、しかしきっとその撮影姿は洗練とはほど遠く、どこかおどおどし、へっぴり腰であるに違いない。同じ動作を飽くことなく繰り返しているうちに、姿形というものは自然と恰好がつき、いわゆる「身のこなし」がはまるものだが、さてぼくはどうかと案じるに、きっと怪しい。

 話をもう一度快楽の湯船に戻す。そこは一種の精神安定剤の役目を担っている。しかし時に、ここで得た結論や決着がいつも弱気で脆弱なぼくの精神をいくらか鼓舞し、確信を持たせる場合がたまにある。謎解きに挑み、それを解いた時の喜びは一入(ひとしお)だ。

 昨夜の決着を、筋道立てて綴ると以下のようになる。今さらながらの感があるのだが、ここにもう一度反芻してみる。
 被写体を選択し、シャッターを切る時、頭のなかでまずイメージを描く。今まで何度か述べたことだが、写真は「初めにイメージありき」をぼくは信条としている。どのようなイメージを描くかで、写真の質は決定する。技術は二の次だ。ぼくは撮影に至るこの経緯と考えを後生大事に懐にしまい込み、そして信じ続けてきた。もちろん、今も変わりない。

 イメージを描く礎となるものは、撮影者の思想と感受であり、延いては人生観によるところが大きい。また、何を、どの様なかたちで体験してきたかに依拠するところ大であろう。
 ぼくが暗室作業をことのほか大事にし、また重んじるのは、描いたイメージを二次元の世界に、より正確・精緻に具現化したいとの思いからだ。ぼくの、そのような思いを指し、「強すぎる我」だとする友人もいるが、それがなければ、物づくりなどする必然性がない。
 撮影時に大胆なイメージを描き、それを自室に持ち込み、パソコン上に再現しようとすると、ぼくは途端に尻込みをし、縮み上がってしまうということに気がついた。ぼくの「強い我」は、何時しか、臆病風に吹かれているのだ。

 一旦は大胆に描いたものを、「それでよし」とする勇気がどうしても持てないでいる。誰に忖度するでもなし、ぼくは理由が分からずに、ただ怖じ気づいている。自身の写真を、他人に気に入られようがそうでなかろうが、まったく頓着しない質のぼくが、何故、この時になると身を縮めてしまうのか? 
 この疑問が、湯船で解けたのだった。パソコンの前には、もうひとりのぼくがおり、彼はコマーシャル・カメラマンという分際ながら、作画については至って行儀が良すぎるのだ。その彼が、いつもぼくの耳元で「ちょっとやり過ぎなんじゃない。いつもお前は、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』といってるではないか」と、意地の悪い目つきをしながら、囁き戦術に出てくる。ぼくの冒険を諫めたり、過ぎたる「我」を押し止めようとしてくる。姑のようなもうひとりのぼくに打ち勝たないと、次なるステップに進めないことを、ゆでだこ一歩手前のぼくは悟った。 “一般受け” をことさら嫌うぼくにとって、昨夜の湯は、上機嫌だった。

 しばらくは勇気を持って、なり振り構わず、うるさい姑を完全無視しながら、晩年の写真生活に臨む決意を、まずは、今さらながらにしたところだ。「人生は取り敢えず」が口癖だった亡父の教えに従い、ぼくは写真の楽しみがひとつ増えたように感じている。さて、どうなることやら。

https://www.amatias.com/bbs/30/635.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4.0L USM。RF50mm F1.8 STM。
群馬県桐生市。

★「01桐生市」
塗装が剥げ、錆びだらけの、かなり年季の入った歩道橋。早速、気難しい写真に打って付けの被写体を見つけ、ぼくは「一発必中」との気構えで、1枚だけ撮る。
絞りf11.0、1/160秒、ISO 100、露出補正-0.67。

★「02桐生市」
平面性に劣るガラス戸とそこにゆらゆら映り込んだ家。「やはり昭和。映り込んだ家にもう少し風情が欲しいんだが」と無いものねだりをしながら。
絞りf2.0、1/1000秒、ISO 100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2023/03/10(金)
第634回:都内桐ヶ丘団地に赴く(4)
 やっと疫病が治まりつつあるなか(これが一時的なものかどうかは先行き不透明だが、流行り病というものは歴史的に見て、いずれ治まることになっている)、ぼくはかつて何度か通った近県のいくつかの街に足を向けた。約3年ぶりの訪問だった。
 それらの街でぼくが撮ろうとしたものは、おそらく以前と変わり映えのしないものなのだが、気が晴れれば見え方も、捉え方も以前と多少異なるのではないかとの期待を込めてのものだった。もしかしたら、この3年の間に、ぼくは何かが成長しているかも知れない、いや断じてそうに違いないと、相も変わらずの極楽とんぼだった。

 だが、勝手知ったる横丁や家屋の様相が、この3年余りの間に姿を消し新しいものになっていたり、あるいは更地になっていたりして、茫然自失とまでは行かないが、多少の意気込みがあっただけに、狼狽えた。
“そこにあって然るべきもの” が、断りもなく知らぬ間に消失しているのだから、新米の後期高齢者は慌てふためき、そしてあろうことか取り乱した。ぼくは口惜しいかな、まだまだ修業が足りない。

 この世のありとあらゆるものは、生滅流転し、永遠なるものはひとつとしてないという真理を知ればこそだが、何もこの期に及んで、ぼくの油断をあざ笑うかのように、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の掟を持ち出さなくてもいいではないか。
 「気も晴れ晴れと、心も軽く、やっと来られたのだから、そのような無常観を示すのは、今でなくともよいではないか。酷というものだよ」と、相手の顛末も考えずに、ぼくは恨み辛みを込め、天を仰いだ。

 話は急に本題に入るが、桐ヶ丘団地の何人かの方々とお話しをする機会を得た(高齢の方ばかりだったが)。そのあらましを聞くにつれ、どこか昔を懐かしむ面と、上記したような、寂しさや持って行きようのない心の鬱積に近いものを彼らに感じた。
 一言でいえば、栄枯盛衰は世の常であり、そのやるせなさが言葉の端々から漏れ聞こえた。それはおそらくぼくの、この団地に対する過ぎた思い入れや感情移入によるところのものが主ではなく、あくまで団地や商店街を視覚から読み取ったところでの素直な感想だったように思われた。その思いと、住民の方々の言葉が同期し、錯綜していると考えるのが順当だと思う。そこにはきっと、視覚によるぼくの情趣的直感も多少は入り混じっている。

 ひとつつけ加えるのであれば、桐ヶ丘団地に限らず、ぼくの撮影時間は(私的写真に限り)ほとんどが夕方近くであり、その光のもたらす情緒的な気分と光景が、撮影時の意欲や動機づけに大きく付与している。光は、晴れても曇っていても、ぼくは斜光と日没から30分程度が好みなのだ。したがって、ぼくの撮影時間は、いつも2時間〜長くても3時間というところだ。集中力もこのくらいが限度である。ぼくが多作屋ではないことの言い訳としておく。
 もうひとつ、ついでにつけ加えるのであれば、ぼくは午前中が滅法弱いという生活習慣上の理由がある。午前4〜5時頃まで仕事や読書、時には音楽や落語を愉しみながら寝入るのが、還暦後のしきたりとなっている。したがって最近は、仕事も午前中の撮影はお断りするという放逸ぶりだが、もう許されてもいいんじゃないかな。

 今から13年前のことだが、我が倶楽部の撮影会に初参加した人がいうに、「日光での撮影会の時、午前11時半に北浦和駅前に集合って、一体どんな倶楽部か? この倶楽部は何かが間違っているのではないか、と非常に面喰った」とのことである。
 因みに、北浦和駅前から日光東照宮までの道のりをナビで調べたところ、高速利用で1時間48分とあるから、何ら不思議も不都合もない。至極まっとう、十分過ぎるくらいの待ち合わせ時刻ではないか。ぼくは日が傾いた頃に写真を撮っていればそれでいいんだし。

 閑話休題。

 今は多くの店舗が店終いし、いわゆるシャッター街と化した感のある桐ヶ丘中央商店街だが、それほど広くない中庭を歩くと、閉じられたシャッターにスプレーで、様々な絵が描かれてある。スプレーアートというんだそうだ。
 人気TV番組「プレバト」の新企画として2020年に、閉じられたシャッターを利用し、そこに描かれたもので、まだ当時のものが残っている。拙話第632回に、その一部を掲載させていただいたが、説明文に記した通り、ぼくは写真的な様々な要素を勘案し、極力彩度を落としスプレー画を描写している。

 が、今回は「くっきーさん」の描いたものを中心に、頭のなかで僅かながら彩度を落としたイメージを描き、夕刻のシャッター街を「丁寧に、丁寧に」とひとりごちながらシャッターを押した。
 話を伺った方々の気持が、そこはかとなく伝わって来るような情景だった。

https://www.amatias.com/bbs/30/634.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4.0L USM。
東京都北区。

★「01東京都北区」
桐ヶ丘中央公園北エリア。公園の裏手の細い道を通っていたら、車窓からぼくの眼鏡に適った公衆トイレが。夕日が一瞬射したところを、油断なく撮る。
絞りf6.1、1/100秒、ISO 100、露出補正-1.00。

★「02東京都北区」
上記した桐ヶ丘中央商店街のスプレーアート。
絞りf8.0、1/25秒、ISO 400、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2023/03/03(金)
第633回:都内桐ヶ丘団地に赴く(3)
 写真の仕事に従事してかれこれ40年近く経つ。その間いつも感じていたことは、ベッドに潜り込んだ時の、「ああ、これでやっと寝られる。寝てしまえばこっちのものだ」と、それは半ば不貞寝にちかく、だがその感覚は得もいわれぬ心地良さをもたらす。するべきことを果たしたとの思い込みによる充溢感は安堵感に取って代わり、それはぼくにとって極めて贅沢な時間なのである。もちろん、その感覚は今も変わりない。
 だが、「寝てしまえばこっちのもの」との不貞寝の代償は悪夢(撮影現場に於けるありもしない失態)に取って代わり、生涯この厄災からは逃れられそうもない。

 「やっと寝られる」との感覚がぼくは殊のほか好きで、却って寝るのが惜しく感じられるほどだ。一日の、唯一の安住の地を得たとの思いから、この貴重な時間をできる限り長引かせたいと思ってしまうのだから、それは子供じみた健気さのようでもある。この状態をいつまでも続けるには、どの様にしたらいいかを真剣に考えてみたりもする。こんな自分の姿は、しかしながらどうみても痛々しく、やはり子供じみている。父の言葉を借りれば、「もうよか加減、解放してもらえなかっちゃろうか」(いい加減、解放してくれ)ということになるのだろう。
 余談だが、歳を取るにつれ、無意識下にある父の地言葉が何の抵抗もなく知らずのうちに出て来るようになった。面白かもんやね。人間って、そのようにできているのかな。先祖返りとでもいうんですかね?

 この数年、意識的に仕事写真から距離を置き、遠ざかろうとしている自分がいるのだが、それでもこの心地良い感覚はまったく変わらない。変わったことといえば、最近頓(とみ)に感じるのだが、以前にくらべ「撮影時の緊張感」の質が異なってきたということだ。これは良し悪しや強弱の問題ではなく、ぼく自身の、写真への対峙の仕方が変化したということなのだろう。
 
 仕事写真は、強いていえば、クライアントや一般の方々への責任。プライベートな写真は、自分への責任。分けて考えるべきものでないことは承知しているのだが、やはり仕事写真は、責任の大きさとその性質的な問題からどうしても言い知れぬ「恐さ」を伴うものだ。一方、プライベートな写真の恐さは、自分の姿が明確に露呈することで、それは即ち「自分はこの程度の人間であります」と公表するに等しい。決して誤魔化しは効かない。この不気味な恐さから逃れるには、写真屋を辞めるか、そうでなければ開き直るしか目下のところ手がない。だからぼくは、いやいやながら開き直っている。

 「責任」という言葉を無定見に使用するのは好ましいことではないと思っている。何故かといえば、責任をことさら強く追求したり、こと細かく問題にする人間ほど、義務を果たすことに使命感が薄く、責任逃れのために過ぎたるご都合主義や屁理屈を持ち出し、自ら何も反省することなく、平然としているからだ。このような事例が多すぎる。責任と義務は両輪であることを知ってか知らずか、振り向こうともせず、その厚顔さったらありゃしない。
 したがって、「責任」という言葉を持ち出す時は、非常な慎重さを要するというのがぼくの考え。

 翻って拙稿についてだが、ぼくは団地住まいをしたこともなければ、団地に対する浅薄な知識しか持ち得ぬのだから、記述について大きなことはいえない。もし、どこかに本稿の大義名分を立てるのであれば、一介の写真屋として、やがて消えゆく歴史の断片を記録として残しておくことは、義務の一部であるように思う。
 写真はその伝、最適な表現手段(もしくは記録媒体)であるように思われる。「思われる」というのは写真に対する一般的な感覚で、写真以外にも、文章や絵画、その他の手段もあるのだから、この役目を担うのは必ずしも写真の独擅場(どくせんじょう)というわけではない。

 ついでながら、「写真は真を写さない」とぼくはことあるごとにいっている。それは今のところ、自身のなかだけで完結しているのかも知れず、写真を記録性のみに留めようとする人もいる。だがいずれにせよ、程度の差こそあれ、大雑把にいえば、主観性と客観性のどちらに重きを置くかということだろう。
 ぼくは、仕事写真で自身の意図や意志をある程度抑制しなければならず、そのような習性がすっかり身についているので、私的写真となると、その反動が大きくなってしまうようだ。目で見たものより、頭に描いたイメージやより象徴的なものに映像は大きく傾く。またそれが、自己表現のありようだと思っているので、この数年は控え目ではあるが絵を描くような感覚で、写真を愉しんでいる。
 一般的にいえば、それをして時に「心象写真」と位置づけることもできるのだが、ぼくにとっての心象写真事始めはモノクロ写真にあり、本来ならそれについての言及を避けるわけにはいかず、いずれ筆硯を新たにしようと思う。

 今回の掲載写真は、目覚ましい高度経済成長期の真っ只中に建造された壮大な団地群の一つである桐ヶ丘団地だが、建設から60年近くが経ち、解体を間近に控えているその様子を、かなり主観的に捉えてみた。

https://www.amatias.com/bbs/30/633.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ : RF16mm F2.8 STM。
東京都北区。

★「01東京都北区」
4階建ての本棟に2階建ての建築が後から併設されたと住民の方が教えてくれた。面白いシステムである。本棟の廊下を歩いてみたが、どの位の人が現在住んでいるのか見当がまるでつかなかった。
絞りf5.6、1/50秒、ISO 100、露出補正-0.67。

★「02東京都北区」
別棟の踊り場に斜光が強烈に差し込む。ドアの塗装が剥げ、そこから錆止めの赤い塗料が見え、印象的だった。頭に描いた通りの映像に仕上げることができた。これだからぼくの写真は好かれない。「何? この汚い写真!」という声があちこちから響いてくる。だが、「してやったり」である。
絞りf8.0、1/125秒、ISO 320、露出補正-0.33。

(文:亀山 哲郎)

2023/02/24(金)
第632回:都内桐ヶ丘団地に赴く(2)
 団地に関しての成り立ちや建築学的な構造には滅法疎いぼくだが、「昭和の匂い」とか「昭和レトロ」との言葉を聞くと、無知さ加減を放り投げ、すべての事情を脇へ置き、取るものも取り敢えず駆けつける習癖がある。無知蒙昧の成せる業でもあるし、またそれが、“昭和の”お調子者たる所以でもあるのだろう。

 ぼくにとって、その類の言葉は魅惑的ではあるが、残念ながら事実は「撒き餌」のようなものであり、そして麻薬的な響きを感じさせる何かがあるので、したがって、「無知」をかなぐり捨て、思考を失い、アッホーなぼくは、とたんに釣り上げられてしまう。釣り人にとって、こんなに好都合な魚はいない。

 古くからの友人はぼくを指して、「野良犬」のようだと減らず口を叩く。魚になったり、犬になったりと、ぼくは忙しい。
 「良い物を見せたり、与えたりしても、君は尻尾を振らない。それはまるで野良犬の仕草であり、可愛げがない。損な性格だから改めろ」と彼は言い放つのだが、それはとんでもない見立て違いだし、大きなお世話というものだ。
 第一、人の性格を断定していうことこそ、救い難いほどの「無知さ加減」である。彼はぼくの生活の5%も知らないではないか。人は自身の無知さ加減が如何ばかりかを知るようになって、はじめて賢くなるものだ。と、ここで息巻いてどうする。

 前号に述べたことだが、物心ついた頃から多感な時期、そして目眩(めくる)めくような高度経済成長期(昭和30-48年、1955-1973年)を過ごしてきた昭和人間のぼくとしては、同時代の風雪に打たれてきた団地群をひと目見ておきたかった。
 木造建築が大勢を占めた当時にあって、コンクリートづくりの巨大な団地は、三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)も身近に感じられるような憧れの住まいだった。桐ヶ丘団地も斬新で革新的な佇まいだったのだろう。そんな思いを抱きながら、当時から60年以上も経った巨大団地にぼくは辿り着いたというわけである。

 ぼくの知る昭和は(昭和23年以降)、「ごっちゃ混ぜの昭和」であり、「何でもありの昭和」でもあった。加え、「寛容で、どこかいい加減で、愉快な昭和」でもあった。世の中のすべてが、良くも悪くも、大きく、激しく揺れ動いていた。個人も大衆も世間も、様々なものの振り幅が今よりずっと大きかったのだ。
 それをして「活気」とか「躍動」というのであれば、確かに平成・令和(少なくともこんにちまで)は、停滞の時代であり、「何もかもが不寛容で窮屈。どことなく息苦しい時代で、人々は鬱屈した日々を余儀なくされている」ように思えてならない。

 今、ぼくが「昭和」と聞いて色めき立つのは、古き良き時代への、多少の懐古趣味の表れなのかも知れないと、小声で遠慮がちにいっておく。若いころは、懐古趣味というとどこか「古くさいもの」を直感し、年配者の嗜好との思いがあったが、今のぼくは年代や時代に関わりなく、「良いものは良い。ダメなものはダメ」と、辺りを憚ることなく率直に、柔軟に対処できるようになったと思い込んでいる。家人はぼくのそんな気振りを認めようとしないが、ぼく自身はお陰で生きやすくなった。昨今は、「頑固ジジィは嫌われる」を座右の銘としている。

 この時代しか知らぬ人たちには何の責任もないのだが、とはいえ、老いも若きもスマホにかじりついてばかりいる姿を見ていると、時の流れとはいうものの、背筋に冷たいものが走るのはぼくだけであろうか?寸暇を惜しんでスマホとの格闘に余念のない人たちって、自身の頭で考えたり、良書を嗜むことなどあるのだろうかと、お節介ながら気になって仕方がない。

 今、ぼくも友人に負けず劣らず減らず口を叩いているようなので、話を本題である「桐ヶ丘団地」に戻す。帰宅後、高度経済成長期とともに歩んできたこの団地についていろいろ調べていたら、ぼくの行ったところ(E棟群)からほど遠くないところに古いN棟群(昭和30年代初めに建設)があることを知った。NはNorthの意味で、北エリアを指す。
 ここの団地事情に疎いぼくは、得た情報を頼りに、「目指せN棟群」とばかり、土地勘のないところを再び心細げに車を走らせた。しかし、カーナビで位置を確認してみるのだが、古びて佇むはずのN棟たちがまったく姿を見せないのだ。あるはずの場所には広大な更地が無情に広がっており、車窓から容易に覗けないよう銀色の金属板でそこは遮られていた。
 「もしかしたら、ぼくの得た情報はかなり以前のもので、今建物はすっかり取り払われ、再生を待つばかりなのかも知れない」との思いが頭をよぎった。

 ぼくは正しい情報を得ようと車を降り、散歩をしていた年配のご夫婦に「N棟を見たくてやって来たのですが、もう取り壊されてしまったんでしょうか?」と訊ねた。「ほとんどが取り壊されてしまったが、数年前にその一部が登録有形文化財に登録され、現在でも残されていますから、そこに行ったらどうでしょう」と親切に教えてくれた。
 さて、ぼくはそこを目指して、またしても車で走り回ることに。途中、色々な人に伺い、駐在所のお巡りさんも丁寧に調べてくれ、1時間半近く探し回ったのだが、結局埒が明かず、とぼとぼ帰宅。自宅のパソコンで「赤羽台団地」を検索したら、ありゃりゃ、ちゃんと出てきよった。やっぱりぼくは、昭和のお調子者だ。
 現場で、スマホに頼ればよかったのか?いや、この悔しい実体験が写真撮影に役立つのだと信じ、ぼくはやはり元来の頑固ジジィに返り咲き、なり振り構わず「老いの一徹はやはり嫌われる」を実践してみるのも一興かと思った。嫌われても写真が写るのなら、「男子の本懐、これに過ぐるものなし」ではないか。

https://www.amatias.com/bbs/30/632.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
東京都北区。

★「01東京都北区」
団地の中央に位置する桐ヶ丘中央商店街の裏手。団地ではないが、このような空気感が漂っている。
絞りf6.3、1/125秒、ISO 100、露出補正-0.67。

★「02東京都北区」
桐ヶ丘中央商店街の中庭。シャッターに描かれた絵はもっと鮮やかなのだが、実物通りに描写すると絵にならず。ここが写真の難しいところ。
絞りf8.0、1/125秒、ISO 320、露出補正-0.33。

(文:亀山 哲郎)

2023/02/17(金)
第631回:都内桐ヶ丘団地に赴く(1)
 団塊世代の真っ只中であるぼくは、75年の生涯のうち半分以上の41年間、昭和の時代を過ごしてきた。連合国軍(実質的にはアメリカ軍)占領下の実情もリアルタイムで味わってきた。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部。1945〜1952年)下の、いわゆる “進駐軍” との共存も体験している。
 だからといって、その時代を過ごしたことが別に偉いわけではないのだが、父が京都の進駐軍で通訳をしていたお陰で、米軍の物資をよくくすねてきてくれ、ぼくはそのおこぼれに与ることができた。それは、当時の日本国民からすれば、どれもこれも、相当な贅沢品であり、憧れの品々でもあった。第一、手に入るようなものでもなかった。
 父の家族思いで前向きな略奪精神により、ぼくは当時の子供たちがよく口にした「ギブ・ミー・チョコレート!」という屈辱的なおねだりを、米兵にせずに済んだ。

 父の運転する(無免許だったが、当時は進駐軍の許可証のほうに分があり、効力があったと聞く。今思えば日本国民としてそれは屈辱的なことだが、まだ日本は占領下にあり、主権国家ではなかったのである)進駐軍のWillys製ジープにぼくを乗せて、京都を走り回っていたのだそうだが、あの格好いい本物の軍用ジープの記憶は細切れでしかない。ただハーシー(Hershey’s)のチョコレートだけはよく覚えている。
 大文字でHERSHEY’Sと記された茶色の包装紙を剥くと、白い蝋紙で包まれたこげ茶色の、何とも艶かしくも香しいチョコレートが出現し、ぼくはそれをアメリカの象徴的なお菓子として毎日頬ばっていた。一方父は、Bond Streetという名のパイプ煙草を吸い、西部開拓時代に創業されたMJB製の珈琲を毎日煎れていた。

 とはいえ、ぼくの家は、上京区寺町通りにあるいわゆる京長屋風の一部であり、ぼくは我が家を「ぼろくその家」と呼び、面白がっていた。3〜4歳の子供はすでにそのような感覚を持っているものだと、今さらながらの思いに至るが、これが最も古い記憶の一端なのだろうと思う。1,2歳の確かな記憶って人間にはあるのだろうか?
 「ぼろくその家」は、Hershey’sやBond Street、そしてMJBなどとはどう見ても似つかわしいものではなく、とても奇妙な取り合わせに思える。アメリカの占領はそのようなチグハグしたものまで日本にもたらしたのである。

 京都は戦火を逃れたがゆえに、その家は戦前のものであり、建材の何もかもが黒光りをし、家の水平・垂直さえ怪しいものだったのではないだろうか。
 因みに京都の人間にとって、戦前戦後とは、第二次世界大戦を指標とするのではなく、応仁の乱(1467〜1477年)というのが通説である。「嘘と間違ったことは、わしはいわぬ」といつも大見得を切っていた母方の爺様(いつぞや紹介した祖父で、祇園では芸妓に「わしは肛門科の医者だ」と大嘘をついていた)は大真面目な顔で、ぼくにそう教えた。ホンマかいな。したがって、ぼくの家は重文か国宝級だったのである。

 人生の、若く多感な時期を過ごした昭和は、ぼくにとって思い出のぎっしり詰まった良き時代であり、平成や令和はいわばどことなく実感に乏しく、借り物のようなものに思えてならない。あまり古いことをことさらに持ち上げ、それを懐かしむ様子を見せたり、いったりすると、それを揶揄する人々にぼくは取り囲まれることになるのだろうが、あなた方だってやがてはそうなるのだ。「順繰り」の法則を侮ってはいけない。老いの繰り言、「昔は良かったなぁ」と大きな声でいいたくはないが、半分は事実であると思っている。

 郷愁に駆られるというのは、人間的な本能の一部であり、過ぎ去った時、失った時間を取り戻す縁(よすが)でもある。とても貴重な瞬間なのだとぼくは思っている。またそれが生きるための養分と化すこともある。誰もが、そのような年齢にやがては辿り着くのだ。過去があって、こんにちの自分が形成されているのだしね。すべてのものが過去からの現在進行形であり、それが自然の摂理というもの。

 ぼくにとって、興味ある多くの被写体は、やはり「昭和どっぷり人間」に相応しく、その時代を彷彿とさせるようなものにどうしても惹かれがちだ。コロナ禍以前は、そのようなものを求めて関東近県をうろついていたが、疫病のために出かけることが憚られるようになり、近所の花ばかり撮り、それを掲載させていただいていた。

 やっとコロナも下火となりつつあり、以前から少々気になっていた古い団地(アパート)に出向いてみた。そこは、東京都北区にある、都内最大級の団地密集地帯のひとつである都営桐ヶ丘団地で、友人から「戦後の深刻な住宅難と人口増加に備えて作られ、まだ昭和のレトロな香りが存分に漂っている」との情報を得た。団地の詳しい仕様についてぼくは音痴だが、軍用地を利用して最初の団地棟が作られたのは昭和30年(今から68年前)ということだった。興味深い被写体に出会えるのではないかと期待し、取り敢えずは下見気分で観察してこようと車を走らせた。
 膨大な団地群なので、週末あたりにもう一度出かけてみようと思っている。

https://www.amatias.com/bbs/30/631.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。RF24-105mm F4L IS USM。
東京都北区。

★「01東京都北区」
3月には取り壊わされるとの立て看板が。すんでの所で、間に合ったというところか。もう一度行って、再撮を試みようと思っている。
絞りf8.0、1/100秒、ISO 100、露出補正-1.00。

★「02東京都北区」
桐ヶ丘中央商店街の一角。シャッター街と夕日に照らされた万国旗。う〜ん、な〜んか侘しくもあり、これってレトロなんかなぁ〜。
絞りf8.0、1/200秒、ISO 100、露出補正-0.33。

(文:亀山 哲郎)

2023/02/10(金)
第630回:晴れて鉄道博物館(最終回)
 とうとう掲載のための写真が種切れとなってしまった。仕込みのための「てっぱく」再訪の意気は十分にあるのだが、「今どうしても時間が取れない」などという浅ましい言い訳をひねり出しお茶を濁そうとしている。「てっぱく」の写真ネタが毎回減っていく様を感じながらも、「まだ在庫あり」と高を括っていたら、不覚、もはや品切れとなっていた。
 文章はまだまだ述べたいことがあり、それは頭のなかで捻り出せばよいのだが、写真は物理的な形態を以て示さなければならず、文章のようにはいかない。取り敢えず、20回目となる今回で「てっぱく」シリーズは一旦終了し、次なるテーマに取りかかろうと思っている。ぼくの鉄道趣味は随分と偏ったものなので、このあたりがちょうど良いような気もする。

 「てっぱく」で撮った写真を見ながら、不始末を仕出かした原因などにあれこれ考えを巡らせ、新たな発見に努めようとの意欲は持っているのだが、押っ取り刀で「てっぱく」に突入しても、その場で解決の糸口が見つかるかといえば、そうは問屋が卸してくれない。
 ぼくの長年の経験によれば、「もう一度行けば何とかなる」は、どう足掻いても「何とかならない」のである。返り討ちに遭うのが関の山。それ相応の勉強をしっかりし、新たなる気づきがないと、同じ失敗を繰り返してしまう。

 さて、前回からの続きだが、デジタル写真に於いて、質感描写の加減を操作するために画像ソフトは必須アイテムであり、この種のことはフィルムの世界(暗室作業)ではできなかったことだ。だが、この点について、フィルムかデジタルかの優劣論はまったく意味のないものなので、ここでは触れずにおく。

 今回は、フィルムにないデジタルならではの効用とその考え方に留めるが、その恩恵を受けるかそうでないかは、まさにあなたの使い方次第。しかし、質感描写のために用いるツールである「明瞭度」(画像ソフトにより、同機能を「ディテール」、「マイクロコントラスト」、「ダイナミックコントラスト」など、呼称は多様。ただ、「シャープネス」とは意味が異なるので混同しないように)は、功罪相半ばするとの自覚がないと、誤った方向に歩を進め、画像を著しく劣化させてしまう。画像は滑らかさを失い、ギラギラ・ギトギト・バキバキと音を立て、やたら姦しく、品位を落としてしまう。
 写真展などで、目を覆いたくなるような過剰な質感描写による、まさに中毒的な作品を多く見るにつけ、ぼくはフィルム時代の、ある種の、良心的な穏やかさを懐かしく思うことがある。これは懐古趣味ではない。薬は上手に使ってこその良薬であると痛感する、そんな瞬間なのである。
 
 拙稿で、過去何度か自己への戒めのため述べた諺、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の教えを、ぼくは目下のところ金科玉条としている。しかし、これに囚われ過ぎ、安全圏に止まっていては前に進めず、また面白味も醍醐味も得られない。この教えと独自のものを追求した結果としてのへんてこりんで奇々怪々なもの、もしくは非普遍的なるものの隙間を、身をくねらせながら、自身の表現方法とスタイルを探り構築するのが、今ぼくの心得とするところだろうと思っている。
 そこに辿り着ければ、取り敢えずは、腰痛を癒すためにそっと腰を下ろせる。沈思黙考の恩恵も得られるだろう。「寸暇を惜しんで」猪突猛進なんてことは若さあってのことで、この歳になったらきっと碌なことにならないだろう。怪我をするか大病を患うに決まっている。

 質感をより良く描写(鮮度高く、きめ細やかに)しようと、ソフトの調整スライド(もしくは数値)を上げていくと、最適であろうと思われるところを思わず通り越してしまうことがある。往々にして、そのほうが見栄えがし、また当を得ていると思いがちなものだ。それが人間の怪しげな視覚心理というもの。人は、蠱惑的(こわく。人の心を、怪しい魅力で惑わすこと)なものには、コロッと騙されるものだ。

 そして、人間の視覚ほど当てにならぬものはないとぼくは思っているので、調整の “ほど” に疑問が生じた時は、一旦モニターから目を離し、場所を変え、間を取ることを通例としている。騙された目をまともな状態に戻すにはこれしか方法がないので、ぼくはこれを誰彼なくお勧めしている。目を一旦ニュートラル・ギアに入れなさいというわけだ。
 目が惑わされていることに気がつかぬ人は、幸せな人か、不幸な人か、ぼくには判然としないが、やはり気の毒な人に違いないということにしておく。

 やたら「明瞭度」を上げたがる人をぼくは何人も見てきた。ギラギラの質感描写が心地良いんでしょうね。この病をして、「明瞭度中毒」とぼくは呼ぶ。身近にもそのような人はいたが、汚れた写真に気がつかず、というより、画質の劣化による写真の汚れというものに無感覚・無頓着となり、始末の悪いことに快感まで覚えるらしい。この症状に見舞われる人は、優れた写真を知らず、自分の写真に酔う傾向がある。これをして、「井の中の蛙」という。

 この中毒症状は感覚の問題なのだが、ぼくの見立てでは、ショック療法が一番だ。手にしやすいフィルムカメラでいいから(例えば富士フィルムの「写ルンです」など)を使ってみるのも良薬のひとつかと思う。「フィルムが良い」という意味ではなく、どこか曖昧さを感じさせ、一種の奥ゆかしさを知ることも、写りすぎる昨今のデジタル世界にあって、それもまた良きことなり、なのではないかと、「てっぱく」で、往年の機関車に囲まれ痛感した次第。

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF70-200mm F2.8L IS USM。RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
「てっぱく」屋上から、E5系新幹線を。大宮駅間近では何キロくらいのスピードなのか。取り敢えず1/125秒で流し撮りを試みた。動体列車の、まったくの私的写真、少年時代以来ではないだろうか?
絞りf6.3、1/125秒、ISO 160、露出補正-0.33。

★「02てっぱく」
第622回でも紹介した40系電車内を異なるアングルで。少年時代に乗っていたあのころの車輌イメージを追って。床が木製で、油が引かれ、触ると黒く汚れたものだ。また、あの特有の匂いもまだ記憶のなかにとどまっている。
絞りf5.6、1/15秒、ISO 2000、露出補正ノーマル。

(文:亀山 哲郎)

2023/02/03(金)
第629回:晴れて鉄道博物館(19)
 普段、誕生日というものにまったく無頓着なぼくは、自分のそれをも忘れてしまうくらいだ。だが先日、ぼくの75歳を口実に、都内に住む娘が愛犬とともにケーキを持って現れた。ご丁寧に色とりどりのロウソクまで用意され、これから起こるおかしな儀式に思いを馳せると、とんでもなく小っ恥ずかしくなった。それは、極(きま)りの悪いこと限りなく、もはや安穏としている場合ではなかった。

 ましてや、西洋の習わしに従っての祝い事なんて、まったく気の進むことではない。「オレはどんな顔をしていればいいのだ! きっと身の置きどころに困るはずだ」と、「穴があったら入りたい」心境に襲われると覚悟した。誕生日に厄災がやって来るとは思いもよらなかった。ついでながらつけ加えておくと、あの♪ Happy birthday to you ♪ という空々しい歌が、身の毛のよだつほど、虫酸が走るほど、ぼくは嫌いなのだ。幸いにして、この気色の悪い歌は聴かずに済んだのだが。
 誕生日の祝いごとなんぞ、ぼくにとって忸怩たらざるを得ないが、娘の仕切りを無下にするわけにもいかず、ここは素直に従うことにした。

 ぼくは、むろんナルシストではなく、国粋主義者でもないが、だがしかし、ロウソクを吹き消して、拍手などされる謂れなどさらさらない。日本男児、「そぎゃんもん、何ね嬉しかと!」。
 また、食べ物の上にロウソクを立てて燃やすという野卑で雑な感覚にぼくは我慢がならない。そして、浴室と便座を同居させて平気なあの西洋人の無神経さに、日本人のぼくがどうして体良く付き合わなければならないのか! ケーキの上のロウソクはそれと同じではないか。大の男が喜んですることじゃないよ。

 気の進まぬ儀式を眼前に、娘はスマホを取り出し、ぼくとケーキの上でもうもうと燃え上がるロウソクとともに誕生記念写真を撮ってくれた。その写真を見せられ、ある程度の覚悟はしていたものの、あまりの過ぎたるジジィぶりにすっかり意気消沈。いや、これが我が身かと、その絶望的な面相に、75歳の誕生日というのは斯くも厳しき定めになっているのだと、観念の臍を固めざるを得なかった。

 だがおそらく、これはぼくの多分に希望的な観測なのだが、「肉眼視では(実際には)このようなしわだらけのジジィ顔ではないだろう。これは写真の持つ際立った特異性のためであるに違いない」と、写真屋のぼくは想像力を余すところなく掻き立て、自身を庇い、欲目を発揮し、慰藉を得ようとしていた。
 前号で述べたように、写真の静止画に対し、肉眼はいってみれば動画であるため、細かなことを見過ごしてしまうものだ。この曖昧さを以てして、動画のほうが感覚的には実際に近いと感じる。
 
 特にポートレート(なかでも女性)などは、動画にくらべ、この傾向が、物理的にも心理的にもより顕著に感じられるので、撮影時は非常な慎重さが求められる。光質やその方向によっても、肌の様相は妖怪七変化(しちへんげ)を遂げる。デジタルでは、撮影後の暗室作業にも神経を尖らさなければならない。
 フィルムは、今のデジタル写真の解像度や鮮鋭度にはほど遠く(とぼくは敢えていう)、倍率の高い写真用ルーペでポジ・ネガフィルムを見ても、肌理(きめ)の細かさを精緻に見極めることは困難だが、デジタルはモニター上でいくらでも拡大できるので厄介だ。色々な意味でそこが “凄い!” 。

 モデルとなった女性は、写されたご自身の顔を必要以上にモニター上で拡大し、隅から隅まで、念入りに、とくと、穴の開くほど吟味し、撮影者の技量を嬉々としながら厳しく追及してくる。撮影者は、プロ・アマに関わらず、女性の、このような凄まじい執念と底意地を十分に熟知し、覚悟しておかねばならない。
 そして経験上、お肌の曲がり角にある女性に対しては(個人差が大きく、何歳とはいえないが)、ことさらに気を遣う。今の優れたデジタルカメラとレンズは、毛穴の観察までできてしまうのだからたまらない。その描写は、まさに残酷の極みだといっていい。
 
 「てっぱく」での写真と、女性ポートレートでは、その扱い(主に暗室作業)が真逆となる。簡潔にいうならば、「てっぱく」の機関車たちは、質感を重視したいので、ディテール(画像ソフトによっては「明瞭度」とか「マイクロコントラスト」などなどの呼称)を、カメラが本来記録したものを元に、少し際立たせる。ただ、それが過ぎると、ギラギラし、品位を落としてしまうので、「ほど」が肝心。この匙加減が、撮影者のセンスということになる。

 反対に、女性ポートレートは、ディテールを上げずに、艶やかで柔らかい肌の再現をぼくは第一に心がける。とはいえ、柔らかくし過ぎて、ディテールやメリハリを失うことは避けなければならず、これもまた匙加減ひとつだ。
 ただ、機関車は文句をいわないが、ご婦人方はそうではない。実際以上に美しく写って当たり前という顔をする。多少嘘っぽくてもいいから、柔和に仕上げれば、ご自身の顔を忘れて、ニコニコと当たりが良い。ここらへんが女性ポートレートのコツであろう。
 「女というものはこちらが歯の浮くようなことでも大変喜んでくれるから、仕事がしやすい」とは、名人古今亭志ん朝演ずるところの、幇間一八(ほうかんいっぱち。太鼓持ちの人名)の科白。

 今回は、枕を幾分端折ったつもりだったが、まだ十分ではないので、この続きは次回に持ち越し。やれやれ。

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105 F4L IS USM。RF16mm F2.8 STM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
「てっぱく」の外に置かれてあるD51愛称デゴイチもしくはデコイチ(1935〜1945年)のカットモデル。最も多く製造された蒸気機関車で、1,115両に達している。C57と相似点が多く、ぼくのなかでD51は、「漆黒の重戦車」とのイメージを持っている。
絞りf9.0、1/30秒、ISO 5000、露出補正-1.00。

★「02てっぱく」
ディテール描写を控え目にしながらも、光沢の質感を重視した。超広角レンズで、全体に重量感ある描写を演出。
絞りf5.6、1/15秒、ISO 2000、露出補正ノーマル。

(文:亀山 哲郎)

2023/01/27(金)
第628回:晴れて鉄道博物館(18)
 「人は誰でも」という言い方が過ぎるのであれば、「多くの人々は」と言い換えても良いが、物心のついた頃から、物づくりを好み、嗜むものだ。もちろん、その嗜好や方法、そして歩んできた経験により培われた思考などは、それぞれの顔貌(かおかたち)が異なるように千差万別。同一のものはこの世にふたつとしてない。

 物づくりのあり様を、他人があれこれ、とやかく述べることは野暮との誹りを免れない。それをして指導とはいわない。
 ぼくはそのことを重々承知のうえで、自身がプロの世界で学び、会得したものを教えろとの阿漕な指令(それは、複数の人たちからの、半ば脅迫まがいだったが)に遭い、写真倶楽部の創設を、気弱な性格が災いし、不承不承(ふしょうぶしょう)引き受けてしまった。以来、指導者もどきを20年も演じつつ、こんにちに至っている。ぼくには、まこと不似合い極まりない選択だったのだ。

 何故「指導者 “もどき” 」なのかというと、「写真を教えることなどできない」との自覚を、倶楽部を創設するずっと以前からぼくは持っており、それは確信に近いものだったからだ。阿漕な連中の脅迫・強要に、ぼくの彼らに対する義理人情が絡み、何かの弱みを握られていたわけでもなく、そして写真を教えることなど不可能と知りつつも、自ずとその禁を破ってしまった。清廉潔白なるぼくは、だがやはり不承不承だったのである。

 他の分野はいざ知らず、写真は技術やメカニズムを除けば、他人に教えることなど、ぼくには考えも及ばない。技術やメカニズムを知りたければ本を読めばいいのだし、今やネットにはそれに関することがごまんとある。ぼくでなくとも、十分に事足りる。より良い写真を撮りたいと願う人は、自ずとそれを学び、訓練により修得することができる。ぼくなど、お邪魔虫に他ならない。

 けれど、技術やメカニズム以外の、生業としてきた写真についての経験で得た “あれこれ” を伝えようとの気持はある。そして、「教える」ことと「伝える」ことの定義は、ぼくにとって次元の異なるものだ。「教える」は、個の尊重が含まれておらず、「伝える」は、それを含んでいると解釈している。
 その “あれこれ” をどう咀嚼し、受け止めるかは、学ぼうとする人たちの姿勢(向上心)次第と、冷徹に揚言していいと思う。ぼくの戯(たわむ)れ言を、責任の転嫁でないことを踏まえている人が耳を傾け、作品づくりに役立ててもらえればそれで十分だし、それ以上のことはぼくにはできない。
 
 趣味として写真を愉しもうとする人たちや、上昇志向を持つ人たちに、プロのルールを説いても意味はなく、敢えていえば、「写真についてのルール」を伝えたいとの思いは強い。職人という人種を尊重してもらえればの話だが。
 ここでいうところの “ルール” とは、言い換えれば “普遍性” ということになる。

 「写真についてのルール」といっても、人は前述したように千差万別であることを踏まえたうえでのルールということなので、それを個々人に当てはめ、普遍的なこととして伝えるとの試みは、ぼくにとって困難の極みだ。個々人のどこに共通点を見出すのか? どこかにすれ違いが生じて当然だという大前提に立ち、それをどう噛み砕き、解決していくのか?
 このような大役を担えるかどうかはいささか疑問なのだが、それを試みることにより、ぼく自身も自分を振り返ることができるとの、大きなメリットがある。不承不承でありながらも、ぼくにとって価値を見出せるものであると感じているので、他人の意をものともせず、果敢に「我が道を行く」しか手がない。

 話は変わり(枕が長すぎるんだってば!)、ちょっと写真の話。一茶をもじって「枕の子 そこのけそこのけ 写真が通る」、なんてデタラメいって遊んでいる場合じゃない。レンズが如何に残酷か、というお話。

 写真の大切な要素は数限りなくあるが、そのなかのひとつ「質感描写」を取り上げる。この議題だけでも多岐にわたってしまうので、相当な字数を必要とするのだが、今回はデジタルでの暗室作業に於ける質感描写に限定して、ぼくの意見を述べる。限定しても、到底今回だけでは書き切れないと予測するので、次回に続けてしまおうと考えたほうが、気が楽だ。読者のみなさんにとって、忌々しくも鬱陶しい「枕」なしにだ。

 昔と違い、昨今はほとんどの人が、写真を愉しんでいる。写真といえば、即ちデジタル写真といっても過言ではない。そして、ほとんどの人が、画像ソフトを使用しての暗室作業をしていないとぼくは思う。撮りっぱなしでも、それなりに “ちゃんと写ってしまう” ので、昔気質のぼくなど、「罪作りのデジタル」と悪人視しながらも、ちゃっかりその恩恵に浴している。

 この「てっぱく」シリーズでの掲載写真は、現地で見るものとはかなり様相が異なって見えるらしい。その指摘は、「写真は、真を写さない」というぼくの持論を証明しているように思えるが、実は「真を写すか、写さないか」に関わらず、レンズは正確に被写体を捉えているからこその結果なのだ。
 肉眼での観察は常に動画だが、レンズは静止画であり、その差異が実直かつ真率に現れているに過ぎない。これは、視力とか、レンズの解像度がどうのこうのという問題ではなく、人は情で被写体を捉え、レンズは冷厳な光学に基づいて、つまり感情の入る余地などなく、像を記録している。その違いでしかない。
 肉眼とレンズの描写は、良し悪しではなく、天と地ほどの差がある。そして写真は、時空を止めしっかり記録されているからこその、肉眼では見逃してしまう質感描写が可能となる。
 レンズは、怖めず臆せずとの性格の持ち主。残酷と前述したが、今回の話はまだそこには至らず、次回こそ、残酷極まるお話を。

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 USM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
ぼくが、動輪フェチであることはもうとっくにお分かりであろう。「いつも同じようなものばかり撮っている」と責められても、どこ吹く風。写真に描かれたような質感は、肉眼ではなかなか認知しがたいものだ。写真でこその描写。
絞りf6.3、1/13秒、ISO 8000、露出補正-2.00。

★「02てっぱく」
「01」と同じ蒸気機関車の異なった動輪。2枚とも、ハイエストライトからディープシャドウに至るグラデーションを重んじ、偉大な動輪を描く。
絞りf5.6、1/8秒、ISO 8000、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)

2023/01/20(金)
第627回:晴れて鉄道博物館(17)
 晩年になり、初めて「てっぱく」に足を向けたおかげで、ぼくの鉄道好きはすっかりぶり返してしまった。とはいえ、その嗜好は中学時代で止まったままだ。最近の電車や電気機関車に至っては、もうさっぱり知識がない。鉄道ファンにいわせれば、ぼくはきっと「エセ鉄道ファン」ということになるのだろうが、その文言を甘んじて受けざるを得ない。それほど現在の鉄道には音痴である。

 具体的にいえば、電気機関車はEF58形で終わっており、その先は関心の示しようがなくなってしまった。さっぱり心惹かれないのである。鉄道ファンに叱られるだろうが、ぼくの目には、どれも似たり寄ったりで(形体が)、面白味に欠け、したがって没個性であり、味わいを感じられずにいる。子供たちに人気の新幹線にも(乗るのは好きだが)さっぱり興味が湧かない。あと10日ほどで、後期高齢者の仲間入りなので、それは仕方がないのかな。「思い出話に花が咲く」といったところか。
 若い人の感覚や考え方に学ぼうとする気概は持ち続けたいと思ってはいるが、心身ともになかなか追いつかないというのが本当のところ。

 ぼくの鉄道趣味は、上記の如く、いってみれば旧態依然で、特定のものに対してしか物言えずであり、したがって大きなことはいえない。しかも、たった4時間の「てっぱく」滞在で、厚かましくも17回も回を重ねているのだから、良い度胸をしている。自身の知識不足を十分に認識しているので、「エセ鉄道ファン」のぼくは、実はこれでも縮こまって書いているのだ。

 けれど、ぼくが勝手に推察するところ、「てっぱく」での来場者を観察していると、老若男女を問わず興味や関心の的は、やはり蒸気機関車に帰結するのではないかと感じる。いささか身贔屓に過ぎるであろうか?
 蒸気機関車には様々な思いや感情がより多く込められているのではないかと感じている。その魅力は、誰をも虜にするものがあるからだと、ぼくは勝手に決め込んでいる節がある。自分の好むものは、誰しも同じであろうと思い込むところが、極めつけである。

 そうでないと思うところは、唯一自身の写真だけ。ぼくの写真は、良くも悪くも広く好まれるものでないことは重々承知しているし、それがぼくの、ぼくたる所以であるとさえ感じている。
 「万人受けのする、ただきれいなだけの写真」、「自己表現より、見てくれを感じさせる写真」、「奇をてらったもの」をぼくは軽視し、評価の対象外と見なす。幸か不幸か、ぼくの写真に蒸気機関車のような人気はなく、負け惜しみでなく、本心からそうあってはならないとさえ思っている。
 展示写真を褒められても、ぼくはその人がどの様な人かを会話のなかから先ず推し測り、返答をしたり、反応をしたりするという、ひどく捻(ひね)くれた、偏屈な人間でもある。素直じゃないのだ。友人知人によると、ぼくの生返事はすぐ分かるそうだから、考えようによっては、ぼくは案外素直なのかも知れない。

 どの分野に於いても、本当に優れたものは万人受けするものではなく、少数の人々が認めるものが本物なのだとの哲学を若い頃から抱いているので、より普遍的で、より上質なものに限りない憧れを抱いている。
 そんな写真が撮れれば本望だとは思うが、天はそれをなかなか許してくれないので、ぼくは神をおちょくりながらも、真面目な振りをしている。真摯ぶっていることは、誰かにしかと見透かされていることにもちゃんと気づいているので、いろいろ覚悟を決めて、脇目も振らず淡々と写真に臨んでいる、と思いたい。

 今のぼくの写真は「ぼくの、ぼくたる写真であること」の、試行錯誤真っ只中にあると自認している。けれど、撮っても撮っても、なかなか思い通りに写真は写ってくれないから、止められないでいるのだろう。どこまで、自分がそれに対して戦えるか、自分の課した関心と使命は、人生の吉凶は容易に定め難いことを勘案すれば、やはり残り火が消えるまで続くのだと、諦めている。ぼくは極楽とんぼなので、先行きの不安や焦燥に駆られることはない。

 「朋あり、遠方より来たる」。写真好きの友人が、ささやかな個展を晩春に催すので、作品を選んで欲しいとのこと。実際には遠方につき、会うことは適わず、データを送ってきた。20点ほど出展するために、3倍近い作品のデータがぼくの手許に届いた。ぼくを尊重している振りをしているらしいのだが、「まず、自分が20点選べ。話はそれからだ。作者の意図を知る必要があるから」と返した。作者自身が選ぶことが先決。そのうえで、作者が選択外としていた写真を拾い上げるのが、ぼくの役目だと考えた。差し替えるかどうかは本人の自由。

 ただ肝心なことなのだが、データで見せてもらっても、厳密には分からず(作者のモニターとぼくのそれとでは再現が異なるため)、やはり「小さなサイズで良いので(2Lサイズほどで)、プリントにして見せて欲しい」と伝えた。また、プリントであれば、それらを並べ、俯瞰することができるので、なおさら良い。
 ぼくも写真展を催す時は、必ず使い慣れた印画紙に(やはり2Lサイズで)プリントし、展示作品全体の流れや構成、色合いなどを考慮している。展示の机上プランを練って、会場で並べてみて、順序を入れ替えるということは、ままあること。
 月末辺りに、ドサッとプリントが舞い込むことを、ぼくは今から恐れている。

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カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105 F4L IS USM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
今回は2点とも少し趣を変え、人間入りの写真。「てっぱく」の真ん中に陣取る転車台上の「貴婦人C57」が、汽笛を鳴らし、多くの人たちが見守るなか回転。
絞りf7.1、1/30秒、ISO 4000、露出補正-1.33。

★「02てっぱく」
新幹線E5系電車。アングルを決め、「誰か歩いてきて。足だけ写真に取り入れたいから」と念じたら、今度ばかりはその願いが天に通じ、バランスの良い位置でシャッターを「ありがと。いただき」とつぶやきながら切った。
絞りf8.0、1/100秒、ISO 640、露出補正-0.33。

(文:亀山 哲郎)

2023/01/13(金)
第626回:晴れて鉄道博物館(16)
 今回も掲載写真は懲りずにまた蒸気機関車。読者のなかには「またか」と思われる方がおられるに違いない。ぼく自身もそう思っているのだから、それはほぼ間違いのないことだろう。「てっぱく」では、他にも興味のあるもの、思い出深いものは多々あるのだが、やはり蒸気機関車はぼくにとって、いわば麻薬的な吸引力があり、魅せられる部分がたくさんある。

 このことはあくまでぼくにとって、フォトジェニック(写真写り・見映えがするという意味)なものに満ちていると感じるからであり、知らずのうちにレンズを向けているということに相成る。同じ部分を、手を変え品を変え、「2度と同じ写真は撮れないのだから」を標語に、イメージを新たにし、「また撮っちゃった」とつぶやきながら、性懲りもなくシャッターを押してしまうのだ。心底、蒸気機関車が好きなのだろう。また、蒸気機関車が好きな方は、ぼくの写真を好意的に見てくれると思いたいし、少なくとも、手前勝手ながら、「黒の表現」に共感を示してくれるに違いない。いい性格してるでしょ。

 ぼくにとっては、小さな蒸気機関車であれ、大型のそれ(「てっぱく」ではC57形機関車が会場のど真ん中に鎮座し、決められた時間になると、本物の汽笛を轟かせ、転車台を一回転し、そこに群がる観客を喜ばせている。 “彼” は、別称「貴婦人」と呼ばれているので、 “彼女” が正しいのかな。ドーンと腰を据え、辺りを睥睨し、まるでぼくの女房のように睨みを利かせている。要するに、「てっぱく」のC57も「あたしが大将なんだかんね」とばかり幅を効かせている)であれ、心身共に引きずられてしまうのは、やむを得ないことだ。誰がどう見ても、「てっぱく」の主役は、この「貴婦人」なのである。
 余談だが、因みに英語では船のように蒸気機関車も、代名詞は「she」で受け、ドイツ語、ロシア語も、名詞の性は女性名詞である。だが、走る姿は誰が見ても、「男性的」であり、「雄々しく」もあると思うのだが。

 機関車の大小に拘らず、懐かしさ以前に、彼らは男女の区別とは関係なく、その出で立ちは、「走る黒い弾丸」であり、「勇壮そのもの」でもあり、また「黒衣の戦士」だ。動輪が主連棒とともに回転するその様は、セクシーでさえある。そして、大仰にいえば「走る姿は、ぼくらの人生をなぞっている。実に哲学的だ」と感じる。以前にも述べたが、最も擬人法に適う乗り物は、誰が何といっても、蒸気機関車にとどめを刺す。
 かつて誰もが難渋した北浦和駅の「開かずの踏切」を、もうもうとリズミカルに煙を立ち上げ、白い蒸気を口ひげのように噴きながら爆走してくる機関車を目の当たりにしているぼくは、「開かずの踏切」にどのような恨み辛みも抱かなかった。胸を躍らせ、目を皿のようにして、イライラしている人たちを横目に、躍動感溢れる蒸気機関車の音と熱気にひとり喜んでいたものだ。彼の走り去った後の、煙の、特有の香りも大好きだった。

 とはいえ、「てっぱく」で、何十年ぶりかで会った蒸気機関車に対する懐古の情に、身をほだされることはなかった。レンズ越しに被写体を見ると、ぼくは幸か不幸か、感情を持たない無機的な人間に変身するようにできている。
 そして、よしんば懐旧の情にかられたとしても、それをいとも容易く回避することができる。蒸気機関車の迫力満点の姿・佇まい、造形の美しさにまず圧倒されてしまうからだろう。その一言に尽きる。蒸気機関車は、あらゆる乗り物のなかで、最も芸術的といっていいとぼくは思っている。その象徴的な部分を如何に切り取り、実物より美しく描くかに腐心。写真は実物より、より美しく描かなければ意味がない。

 ああでもないこうでもないと、ぼくは「ひっつき虫」(文房具)のようにC57にへばり付き、矯(た)めつ眇(すが)めつ凝視し、慎重にシャッターを切る。
 帰宅後、パソコンで撮影した映像を見ながら、「もっと良いアングルを発見できたのではないか? レンズの焦点距離が間違ったのかな?」と振り返ること多々ありなのだが、現場では、フィルム育ちの誇り !? (一発勝負に賭けた誇り。特にカラースライドフィルムを愛用したぼくは、この習性からなかなか逃れ難いという損な性分)が邪魔をし、かつプロの沽券に打ち勝つことができず、撮影後にカメラモニターをいちいち確認するなんて無様なことは、私的写真では意地でもしたくない。
 「写真は賭だ。根拠に基づいた一か八。伸るか反るかは、お前次第」と、格好をつけながらすまし顔でいたいのだ。いわれる前にいっておくが、それはまったく、アホーな沽券である。

 しかしこの気概、良い方向に導いてくれることがあると、デジタルを愛用する方、そして自身を愛好家と自認する方々に、非常に遠慮がちにお伝えしておきたい。「学びは失敗から」を是とするぼくは、「写真愛好家というのであれば、今日一日はカメラモニターを見ない」を偶には試してみたらいかが。
 撮った後、すぐにモニターを見るのではなく、不安であれば、設定値(f 値、シャッタースピード、露出補正など)を変えて、撮っておく。つまり、モニターでの結果に頼るのではなく、手間暇を惜しまず、しっかり保険をかけなさいということだ。デジタル時代であっても、これは上達の秘訣であると考えている。騙されたと思って、一度はやってみんしゃい!
 
 今回は「黒の表現の多様さ」について述べる予定だったのだが、新年早々、また悪い癖が出て、書き損じてしまった。そのための掲載写真だったのに、悪癖というのは治し難いものだ。

https://www.amatias.com/bbs/30/626.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105 F4L IS USM。RF16mm F2.8 STM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
C57形蒸気機関車「貴婦人」。ヘッドランプが白く飛んでしまうぎりぎりのところで露出補正をする。ど真ん中に置かずに、わずか左寄りにアングルを取った。
絞りf5.6、1/15秒、ISO 1250、露出補正-1.00。

★「02てっぱく」
C57の動輪を上方より、超広角レンズのパースを利用して。黒の質感と光沢の質感の対比を重視。
絞りf4.0、1/15秒、ISO 2500、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)