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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/05/27(金)
第299回:栃木県真岡市(3)
 「撮影は一人に限る」というのがぼくのいつもながらの持論だ。このことは以前にもどこかで触れたように記憶するが、被写体にじっくり、そしてひたむきに向き合おうとすればするほど、一人のほうがなにかと具合がいい。一人であることの最大の利点は、集中力と緊張感を保てることにある。同行者に気を遣うあまり集中力や緊張感を欠いてしまえば、「被写体を見失う」とか「新たな発見を見過ごす」ことにつながりかねず、延いては写真の “あがり” に大きな影響を与える。何気ない光景のなかから魅力的なものを抽出する能力を殺いでしまったりもする。複数人での撮影は感覚の鈍化をもたらすということである。

 撮影に限らず、旅もまた同様だ。旅に何を求めるかは人それぞれだろうが、そこには人的資質のようなものが大きく関わっているとぼくは考えている。旅の目的を大別すれば、楽しさを求めるのか、自己発見に努めるのかということだ。前者は日常の延長線上にあり、後者は非日常に身を置くという意味でもある。旅は臨機応変に使い分ければいいが、こと撮影に関しては精神の解放がより求められるので、どうしても一人が有利だ。
 精神の解放はとどのつまり、より強い自己管理を要求されるので、そこに自ずと責任を伴う。自己のすべて(感情や意志、行動・行為など)を注意深く管理しなければならなくなる。であれば些細なことも見逃すわけにいかず、それにより強い自己規制が働き、多くの発見をもたらすのだとぼくは信じている。

 ひと月の間に、少ない時は数十枚、多い時は数千枚の写真を見ることをぼくは余儀なくされている。それは楽しみと苦痛の入り混じったおもしろくも困難な作業であるけれど、よい写真を見逃すことなく撮影者に伝え、至らぬものについては注意点を述べる義務があるので、その心労はいかばかりか。しかし、癪なことに誰もぼくの労を知ろうとはしない。思いやりの心得を欠いているのだ。
 とはいいつつも、興味深いことは、見せられたその写真が同行者のあるなしを色濃く語っているということだろう。単独行かそうでないかを、百発百中とまではいかないが、作品がそれらしい匂いを発している。写真とはそれほどに正直で雄弁な表現媒体だから、努々(ゆめゆめ)侮ることなかれである。

 集団での写真は、どこかユルかったり、体重がしっかりかかっていないので、カンナ屑のように浮ついているようにぼくには思えてならない。作品から厳しさが薄れているようにも見える。ほのぼのとした写真やユーモラスな写真であっても、よい写真は作者の厳しい目(被写体への感情・理解・思索による深い共感と感動)がそこにあるからこそのものだ。報道写真でもユルユルに間延びしたものは数多く見られるので、問題は被写体ではなく、あくまで撮影者の目に依拠するところが大きい。
 今、これを書きながらぼくは少々冷や汗をかいている。自分を棚に上げて、思うところを忌憚なく他人に述べるということはとても辛いことだ。物づくりで報酬を得るというのは、写真でも文章でも、世に恥を晒すことだと、ぼくはそのような詭弁を弄さずにはいられない。

 ぼくの真岡撮影を聞いて、ぜひ一緒に行きたいという奇特な人が現れ、再訪することとなった。残念なことは、写真好きの彼女たちはどうもぼくの掲載した真岡写真に惹かれたわけではないらしく、話によるものであるということが判明した。「あたしならもっといい写真を撮る」との自信と気骨溢れる女性たちであるので、ぼくとて彼女たちの写真が楽しみだ。
 同行女史たちの写真的感覚は “ほどよく深化したもの” だとぼくは認めているし、高く評価もしている。名所旧跡、風光明媚な風景にばかり心奪われることなく、普段の生活のなかから自分にとっての美しいもの、大切にしたいものをしっかり見極めているので、ぼくは彼女たちのそのような感覚を育ててやりたいと思っている。真岡詣は彼女たちにとって大変意義深いものであろうと思い、同行を許可した。

 現地に至り、前回ぼくの逍遙した狭い区画をまず案内しようとした。一通りの案内の後解散して、それぞれが気ままに撮影すればいいと思いきや、案内などそっちのけで彼女たちは嬌声を上げながら盛んにシャッターを切り始めたのだった。よほどその光景に波長が合ったとみえる。
 ぼくは不寛容な態度を取り、「後にしなさい。一角を回って解散してからにしなさい」と、気骨ある女たちに負けてはならじと毅然といった。「だって、いいと思った時が撮り時だって、いつもかめさんいうじゃない!」と、真岡くんだりまで来てぼくに反駁してくる。ぼくは途端にしおらしい女(ひと)が恋しくなった。

 ともあれ、口うるさい彼女たちを無事放逐し、ぼくは安らかな気持で一人撮影に取りかかった。前回の曇天とは異なり、雲のほとんどない晴天だった。考え方をがらりと変え、モノクロ赤外線フィルムで撮ったように青空をイメージし、強い斜光と相まってコントラストの強い作画を試みた。
 狭い区画なので意図せず彼女たちとすれ違うことになる。すれ違いざま、「次回は雨がいいわね。雨よ、雨。いいわね! どこかにお団子屋さんないのかしらねぇ」と聞こえよがしにいう骨っ節と食い気一辺倒の女たち。ぼくの腕っ節をもってしても到底敵いそうにない。ぼくは再びしおらしい女が・・・。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/299.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01羅生門」。
羅生門とは偽りで、ここは般若寺山門。なぜか黒澤明監督の『羅生門』に出てくる荒廃した山門を咄嗟にイメージ。幼少時、奈良に遊んだときの古ぼけたイメージがどこかに擦り込まれているのだろう。

絞り11.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02長連寺」。
日本一の弁財天さまが祀られている長連寺。曇り空を飛ばさないように露出補正に気を配る。マイナス補正により黒く潰れた山門はPhotoshopで慎重に描き出す。

絞りf10.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「03荒町・寿町交差点」。
交差点にあったノスタルジックな建物。アナログの引き伸ばし作業で、レンズの前に黒の紗をかけたようなソフトなイメージに。

絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2016/05/20(金)
第298回:栃木県真岡市(2)
 タイムマシーンに乗って過去や未来に身を置くことができたらどんなに興味深く愉快なことだろうと考えるのは、子供ばかりではなく白髪ジジィでも同じだ。そんな夢に、もし異なる点があるとすれば、子供は純粋な夢を希望に代え、そして託し、年配者ほど純粋性を失うが故に、現実を睨みながら夢のなかを浮遊することになる。夢のなかでさえ現実という呪縛から逃れられず、だからどうにも不安定で居心地が悪い。子供ほど夢中になれず、同床異夢というわけだ。
 時として、論理にこだわりながらの夢見心地なので、その夢想にはどうしても邪念がつきまとう。懺悔とか贖罪という邪念を夢のなかに引きずり込んでしまい、畢竟ぼくなど過去に身を置いたら切腹ばかりしなければならない。
 タイムマシーンに乗って、もし過去に戻れたらとか、未来へ行くことができたらとか、子供は生きた時間がまだ少ないので過去を顧みることは少ないだろうが、年配者は敢えて辛い過去に遡ることを厭わないのは、そこで幾ばくかの執り成しを図ろうとするからではないだろうか。少なくともぼくの場合はそうだ。何度も切腹させられるのはたまったものじゃない。

 人類に科学という概念が生じて以来、特に時空遊泳は人間の果てしない願望のひとつといっていい。
 近未来、科学の発展によりそれが可能かどうかは分からないが、願わくは未来永劫に時空移動はSF小説のなかに封印しておいてもらいたい。実現不能のものとして、いつまでも人類の夢として留めておきたいものだ。だがしかし、ぼくは元来科学者の道徳的・倫理的規範というものを信用していない。平たくいえば、歴史を顧みるという知的ロマンを空(うつけ)に奪って欲しくはないのだ。科学が我々の営みにもたらす恩恵はなかなか否定しづらい面もあるが、見境なく我々の精神生活を蝕んでいることに無批判ではいられない。科学と商業主義が結びつくと碌なことにならない。

 真岡では廃墟や寂れたものに目を奪われたが、ぼくは所謂廃墟マニアではなく、必ずしも廃墟を見ればシャッターを切るというわけではない。そこに暮らした人々の息づかい(生の営み)のようなものに共感を覚えれば(これは直感によるしかないのだが)、血が騒ぎ出し、被写体として感情を移入することができる。
 すべての造形物には喜怒哀楽があるが、ぼくは強いて廃墟に「哀」を求めるタイプなのだろう。つまり、廃墟のどこかに哀感が漂っていれば、それを写し取りたいという意欲が湧いてくる。それはおそらく自分の生きてきた過程のなかで、「哀」の記憶が最も印象深く刻まれているからだと思う。廃墟に漂う哀感はもちろん自分の人生に照らし合わせてのもので、それは多様な「哀」の一種を探るという作業に他ならない。廃墟に感じ取った「哀」を自己に転写し、それをさらに受光素子に写し取るということだから、哀感変じて哀婉(あいえん)なるような写真であればいいと思っている。

 久しぶりに地方に出て嬉しかったことは、真岡で出会った人々の人情だった。お喋りというわけではないが、親切で懐こく、しかも礼儀正しい。そして何よりもおらが郷を誇りに思っていることだった。ぼくは旅に出て、国内でも海外でも、カメラを振り回し傍若無人に振る舞うが、にも関わらず幸いなことに不快な思いをした記憶がほとんどない。誰もがぼくより質がいいということなのだろう。
 真岡での2時間は半径200mほどの一角を徘徊したに過ぎないが、ここに暮らす人々との、瞬時ではあったが心温まる触れあいは良き思い出となった。これは特筆すべきことのような気がする。ぼくもこの地で、奇妙ながらも日本人としての誇りを少し取り戻せたような気がしている。こんな発見が旅の御利益というものなのだろう。

 地方都市の衰退が叫ばれて久しいが、車窓から見る市街地は、よくいわれるシャッター街とは趣を異(け)にしている。人影はまばらだが、生活が根付いている印象を受けた。どこかしっとりとして落ち着きがあるのだ。殺伐としたものが見当たらない。市の財政などぼくに知る由もないのだが、どうすればこの羨(ともしい。心惹かれること)しくも人気乏しい街にあれほど立派な駅舎(蒸気機関車を模した)が建てられるのか?
 土地の気風が人を育てるというが、この地の人たちはきっと長い間地に足のついた生活を営んできたに違いないとぼくは察している。安易なタイムマシーンなどに乗らずとも、歴史の持つ魅力は存分に測れるのではないだろうか。切腹の憂き目に遭わずに済むしね。


※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/298.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01スナック街」。
かつて賑わいを見せたであろうスナック街。隣接してまだ10軒ばかりのスナックや飲食店が。

絞りf8.0、 1/60秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02異国の人」。
地方都市のご多分にもれず外国人が通りかかった。ちょっと意外な出会いだった。「こんにちは〜」との挨拶にぼくも機嫌良く返答する。

絞りf9.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2016/05/13(金)
第297回:栃木県真岡市(1)
 連休直前の先月末、栃木県の真岡市にあてもなく出かけてみた。グループ展も終わり開放的な気分に浸りながらの、自由気ままな写真放楽といった趣だ。愁眉を開いての撮影ほど愉しいものはない。
 正午に起床し、珈琲豆を挽きながら急に思い立ってのことだから、下調べはおろか予備知識もない。見ず知らずの街に飛び込むのは、ある意味未知との遭遇が期待できるので、心弾むものがある。誰にも止めることのできないワクワクした感情に包まれ、そうなるともう “心ここにあらず” で、飲みかけの珈琲を味わう間もなく一気に飲み干しながら、「オレは親の死に目に会えずとも今日は断固行く!」と、固い決意を誓ったのだった。ずいぶんと勝手な情動である。思慕を寄せる人から思いもかけず誘われる、あの心境と同じだ。居ても立っても居られない。親より、 “そちら” が大切といえる人は正直者であり、かつ熱情的であり、放蕩者でもあり、そのような人間はよい写真を撮る資質に恵まれているのだとぼくは断言しておく。

 何故真岡なのか? との問いには答えようがない。「もおか」という語感に惹かれたような気もするし、門前町としての歴史的風致を今にとどめているという話もあまり聞かないのだが、江戸時代には木綿産業の栄えた街道筋でもあるので、小規模な遊郭もあったに違いない。
 遊郭に対するぼくの思い入れは、たとえば井原西鶴をはじめとする日本文学や浮世絵にも広く描かれており、そして落語にも出番が多い。いわば当時の文化の発祥地でもあったのだ。また、子供時分に遊んだ京都の遊郭(すでに使用されていなかったが)の一風変わった佇まいは遠い昔の懐かしい思い出として、ぼくの心のなかに刻印されている。
 もしかして、そんな情致の一片が真岡のどこかに見つかるかも知れないとの淡い期待があった。とにかく、あてにならぬ勘を頼りに、フォトジェニックな光景を探しに出た。

 午後1時半、「善は急げ」(ずいぶんと遅い善だが)とばかり、一眼レフに広角ズーム(16〜35mm)1本というぼく定番のスタイルで車に乗り込み、東北自動車道浦和ICから北上し、連結された北関東自動車道の真岡ICまで、約1時間の道程。距離にして約100kmである。
 暗雲垂れ込める真岡市街に着いたのは午後3時近くなっていたが、日も長くなり、撮影は2時間もあれば十分だった。ただこの雲模様に対して、露出補正に抜かりがあってはならず、それだけが要注意。

 余談だが、14年前(初めて購入したデジタルカメラが2002年に発売されたEOS-1Dsだった)からぼくの描く空や雲は重たい(暗い)といわれるようになった。この現象はデジタルカメラを手にして以来のことであり、空の描写がより思い通りに操作できるようになったからだろう。また、デジタルは白飛びさえさせなければ、フィルムよりはるかに精緻に明度やコントラストをコントロールできる。
 指摘されるまでもなく、ぼくの描く空と雲は確かに重く暗いことは十分に自覚している。それは北極圏での “生きた雲” との遭遇がもたらしたものだ。彼の地に於ける雲の目まぐるしい動きは、日本ではなかなかお目にかかれぬものだった。まるで巨大な生き物が休むことなく天空でうねっており、明度とコントラストの急激な変化に畏怖の念さえ抱いたものだ。
 デジタル技法と “生きた雲たち” との出会いはぼくに何某かの霊感を与えてくれたのだと思っている。これこそ天の恵みだった。ぼくにとって曇天時の露出決定法は、雲を最優先とし、天空をより立体的に、そして象徴的に描きたいということに基づいている。

 曇天より雨模様を心の片隅では期待していた。ぼくはあのしっとりとした空気感と陰影がとても好きなのだが、雨天はさらに露出補正に慎重さが要求される。こればかりは自然まかせの他力本願だから気を揉んでもしかたがない。

 真岡鉄道の踏切近くに来ると、蒸気機関車の形をそっくり模した駅舎が目に飛び込んできた。風変わりには違いないが、およそぼくの趣味ではなく、撮影の対象になるものではなかった。真岡鉄道は土、日、祝日に蒸気機関車を走らせており、古き良きものを大切にしながら後世に残すことは非常に意義のあることと認めるにやぶさかではないが、かつて鉄道少年だったぼくは、所謂 “撮り鉄” の世界にはまったく興味がない。鉄道のロマンには強く惹かれるが、 “撮り鉄” とは無縁でいたいと思う。
  

 広い無料?駐車場を見つけ車から降りると、小径を挟んだところに寂れた佇まいを発見した。途端に上気したぼくは、足早にその小径を進んだ。遊郭の気配こそないが、この道は往時を忍ばせる何かがあった。人馬の往来が目に見えるようだ。四つ角に立ちながら「そう、これが欲しいんだよね」とひとりごちた。上機嫌になりながらのまず第1カットが、前号掲載写真。この周辺を徘徊すれば、ぼくが当面親よりも大事にしたいものに出会えるのだという予感がひしひしと漂ってきた。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/297.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01関街道」。
前号掲載写真の関街道右側にある廃業したスナックと料理屋。地元の人の話によると10年以上も前に廃業とか。この街道筋と脇道にはこのような佇まいがあるに違いない。

絞りf10.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02蔵元」。
真岡に唯一残った蔵元、「辻 善兵衛商店」。創業宝暦4年(1754年)。代表酒に「桜川」や「花の舞い」がある。学校帰りの女の子が通りかかる。地元の人間と初めて出会った瞬間でもあった。

絞りf11.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2016/05/06(金)
第296回:写真展雑感(2)
 当方のグループ展も無事終了し、ご来場いただいた読者諸兄にこの場を借りて、篤くお礼申し上げます。ありがとうございました。
 毎年確実に来場者数が増え、定期的な積み重ねの大切さに改めて感じ入っております。

 素知らぬ様子で来場者の声に耳を傾けたり(無意識のうちの盗み聞き)、あるいはメンバーから「このような意見があった」と聞き及び、ぼくはいつもその伝聞に「おもしろいものだなぁ」と興味を惹かれる。自分の作品に対する意見にはまったくといって良いほど頓着しないぼくだが、メンバーの作品が来場者にどのような印象を与えているかについては関心がある。それで写真愛好家の動向が多少なりとも窺えるからである。とはいっても、指導者としての信条はいうまでもないが、寸分たりとも揺らぐようなことはない。メンバーにとってはそれが唯一の救いなのではないかと思う。

 また、来場者のなかには、作者を前にして、その作品についてのあれこれを(感想ではなく、撮影動機や暗室作業に)こと細かに踏み込み、解説を試みようとする人たちもいる。それがまったくの的外れなので、そのような人を好く料簡してみると、それはきっとその人の生き甲斐のようなものとなっているのではないかとさえ感じる。それほどに熱心である。
 ぼくはその意図を汲み取りかねるが、写真好きが高じて、あらぬ方向に歩を進めていると感じさせるような人が少なからずいることは、ぼくのような人間にしてみれば、これまた新鮮な驚きでもある。写真評とは異なる次元の、それはあたかも格闘技の荒技のようにも思えるからだ。
 あるいは、同行者に(おそらく写真仲間か友人なのであろう)、「この作品はね、このような意図で・・・」と、説いて回る人もいる。ぼくは、嬉々とされているその様子を、微笑ましく眺めている。会場に於けるこのようなアナログ的臨場感は、さまざま取り混ぜて貴重なものがあり、ネットでは体験しがたいものだ。

 この風景はグループ展に限らず個展に於いても同じである。ただ残念なことに、ぼくが常々いうところのいわゆる都市伝説や迷信めいたものに惑わされ、それを頑なに信じ込んでいる “解説者” が後を絶たない。ベテランといわれる人ほど、なぜか都市伝説を鵜呑みにしやすい。
 “なんちゃって話” の9割以上が伝言ゲームの所為であり、実証を経てないことに大きな要因がある。ベテランほどあらぬ先入観に囚われやすく、自身の手で科学的な実例や証拠を幅広く収集するのが億劫なのだろうか? 人の知らない珍しいことや欠陥を、裏側から捉えたり指摘したりすることに利を感じているのであれば、それはやぶ蛇というものだ。その類は長屋のご隠居にでも任せておけばいい。

 技術的な(これは科学)事柄に根拠なき都市伝説をもって解説されることが多々ある。感覚的なものは多神教でもいいのだが、科学は一神教でなければならず( “取り敢えず真実はひとつ” という意)、寛恕の心得に欠くぼくは、誤った信仰はその場で正さなければならないという写真屋としての義務感に駆られてしまう。お節介ながらも看過できないというわけだ。
 なので、できるだけ丁寧に、信仰心の篤い “解説者” に科学的な論理を示しながら、ぼくはしぶとい “解説者” に変貌せざるを得ないのである。

 デジタル写真が世に少しずつ浸透しつつあると感じたのは、「このプリントはどのようにして仕上げたのか?」とか「この印画紙は何?」という質問が以前にもまして多くなってきたことだ。あるいは「どのように暗室作業を施したのか?」を熱心に訊ねてくる人もいる。
 単純なお答えは、実はここにも落とし穴を作ってしまうので、注意深い説明が必要なのだが、ぼくは取り敢えず思うところを正直に申し伝え、そのうえで、留意すべき点に言及することにしている。ともあれ、少しずつではあるが、明るい兆しが見えてきたと思っている。

 「一に撮影、二に仕上げ(暗室作業とプリント)」を写真の両輪と標榜するぼくは素直にこの事実を喜びたい。得てして、一は熱心だが、二については無関心、もしくはないがしろの現状を憂いているぼくは、一足飛びにとはいかずとも、そのような意識を抱いている人の増加は、写真本来の質やありようを向上させるはずだと信じている。

 写真展雑感として、日頃感じていることはまだ山々あるのだが、写真も絵画も、さらにはあらゆる分野に於いて、論評はあって然るべきだが、作者以外の他人があれこれ作品を解説することにぼくは昔から非常な違和感と抵抗を覚えている。その違和感は苦笑でごまかす以外に手はなく、否定も肯定もできない作者だけが疎外され、また解説者は自己にとって疎遠な他者となる。ヘーゲルいうところの自己疎外とでもいうんでしょうか?

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/296.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

先週、ふと思い立ち栃木県の真岡市に出かけました。今にも雨の降り出しそうな厚い雲に覆われていましたが、それなりにイメージを描き2時間ばかり撮ってきました。来週から真岡市を連載いたします。

★「01真岡市」。
700年以上も前から鎌倉と奥州を結ぶ街道として開かれていた。ここは関街道と称され人馬の往来が盛んだった当時の面影を残している。写真右の道路が関街道。

絞りf9.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2016/04/22(金)
第295回:写真展雑感(1)
 今、埼玉県立近代美術館で開催中の我がグループ展を顧みながら、昨今の写真展に思いを馳せている。とはいってもぼく自身、歳を重ねるにしたがって写真展に足を運ぶ回数は激減している。出不精になったということもあるのだが、それより興味惹かれるものになかなか出会うことができないので、どうしても足が重くなってしまうのだ。
 歳とともに世情に寄り添うとか、迎合するとか、その類のものに極力逆らいたいというぼく本来の性格によるところも一因なのだろう。また、巷で囃し立てられるものに、好ましいものが見つからないということもある。流行りものは所詮流行りものでしかない。作品は時代とともにあるものだが、諺をもじれば「流行歌(はやりうた)は聞くに名高く、食うに味なし」といったところか。

 若い頃は寸暇を惜しんで、写真展ばかりでなく、美術展にも、演奏会にも足しげく通ったものだ。それが歳とともに遠のいてしまったのは、負け惜しみではなく、つまり感受性が弱くなったり、好奇心が薄れたりしたのではなく、繰り返しになるが自分にとって心に染み入るものが徐々に少なくなったと感じているからだろう。この仕事を続けている限り、進取の気象に衰えが生じたとも思えないのだが。
 それどころか歳を取って、作品の向こう側にあるものへの見通しは、若い頃にはなかなか持ち得なかったものがあると感じている。それは非常な愉しみでもある。ひとつの作品を眺めながらの想像や洞察は、より玄々なるものに少しずつ近づいているのだと思いたい。「玄々」とは、大辞林によれば「妙の一字は不可得不可思議の間に出て玄々のうちにあるなり」とあるが、そんな境地にはまだほど遠い。玄妙なる教理の理解と味わいに一歩でも近づきたいものだ。

 他に足の遠のいた要因を敢えて探し出すのであれば、自身の写真流儀やそのありようといったものの足固め( “確立” ではない)をしたいがために、今必要でないものはできるだけ身の周りから遠ざけておきたいという思いがよりいっそう強くなったからなのだろう。そんなお年頃なのかも知れない。その方法論が正しいか否は、今のところ確信が持てずにいる。


 世はデジタル写真一色に塗りつぶされた感があるが、それは時代の趨勢であり誰も否定できない。誰でもが写真を気軽に愉しむことができるようになったことは、ひとえに科学の進歩によるものだ。以前にも述べたと記憶するが、この功罪は果てしない。それについて改めてみなさんに言及する必要もないと思うので割愛させていただくが、写真の繁栄(氾濫)は写真を愛好する者にとって一種の錯覚を生み出す。
 そのひとつが「写真人口が増えたのだから、写真愛好家も増えた “はずだ” 」、あるいは「それにつれて写真の質が高まった “はずだ” 」 という、根拠の薄い希望的観測である。ぼくは残念ながら “はずだ” の否定論者である。そう思いたいが現実は正反対だとの思いが勝っている。写真展を覗く回数が減ったとはいえ、そんな感慨に浸ることが多い。

 いうまでもなく写真には様々な分野があり、ぼくと最も距離のある分野がいわゆる「ネイチャーフォト」と称するものだ。「ネイチャーフォト」の定義をぼくは知らないが、文字通り「自然写真」とか「風景写真」といった類のものを指しているのだろう。各所で催されている写真展を見る限り、この分野が特にに多いように思われる。一般論を交えていうのであれば、「ネイチャーフォト」が最も世間受けがいい。作品が一定水準を満たしていれば、鑑賞者にいくばくかの安らぎと明るさを与えるからだ。
 誤解を招かぬように申し上げておくと、どのような分野であれ、その奥深さは同じものだ。自由・平等の精神に則り、どの分野を好み、得意とするかは各人各様である。ぼくが「ネイチャーフォト」に縁遠いのは、自身の稟性と思想を育むその環境によるところが大きい。

 きれいなカラーの風景写真は、ぼくの内的発酵過程に存在したもので、いつまで経っても埒の明かぬ「感性的」という点に於いてそれなりの意義を果たしたが、30歳を少し回った頃にすっかり姿を消し、色あせてしまった。
 前々回、尾瀬ヶ原通いをし、夢中になって風景写真に取り組んだ「そんな時代がぼくにもあった」と書いたが、風景写真への興味を失わせたその元凶はといえば、風景写真家のアンセル・アダムスのオリジナルプリントを目にしたその瞬間だったのだから、おもしろい。「きれい」と「美しい」とは、まるで次元の異なる、似て非なるものであることの実感は、それ以降の自身の写真に様々な影響を与えることになった。アダムスの写真との邂逅は、ぼくが写真というものに目覚めた瞬間でもあった。感性的なものからやっと思想的なものへの方向転換がアダムスの写真により見え始めた時期といってもいいだろう。斯様にアダムスは、単なる美しい風景写真を超越して、思想や哲学、宗教的なものを感じさせる写真であったのだ。

 そのような「ネイチャーフォト展」であれば、むろんアダムスのような名画でなくともぼくは勇んで出かけていくのだが、多くのものがその場の思いつきであったり(出会い頭)、希有な瞬間を捉えただけのものであったり、また技巧を凝らしただけのものであったりで、ぼくはどうしても足がすくんでしまうのだ。なるほど、とても「きれい」には違いないのだけれど。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/295.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

前々回、桜探しに出かけた時のもの。

★「01高すぎる堤防」。
もう少し反射鏡を宙に浮かせたかったのだが、座り込んでも堤防が高すぎて、反射鏡が天に伸びてくれず。
絞りf11.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2016/04/15(金)
第294回:果たしてそうだろうか?
 冒頭から私事で恐縮ながらも、この場をお借りしてぼくの主宰する写真倶楽部フォト・トルトゥーガ展のお知らせを。
 来週4月19日(火)〜24日(日)まで、埼玉県立近代美術館にて第10回フォト・トルトゥーガ写真展『光と影の記憶2016』を開催いたします。メンバー一同、心よりみなさまのご来場をお待ち申し上げます。お気軽にお声がけいただければ嬉しく存じます。

 この倶楽部が発足して早13年の歳月が経とうとしていますが、その間メンバーばかりでなく、様々な写真愛好家との出会いがありました。怪我の功名とでもいうのでしょうか。―――今回は何故か戸惑いを感じながらも「です・ます調」になっています―――そのうちいつもの口調に戻るでしょう。

 何故こんなこと(写真を教える)を始めてしまったのか、後悔はしていないのだが、とても不思議な感覚に囚われたまま、こんにちに至っている(もういつもの口調に戻っている)。ぼく自身が教えてもらいたいくらいだというのが正直な気持ちである。
 13年前、気の置けない仲間から半ば強迫のような要請を受け、プロとして身につけたささやかなるものをアマチュア諸氏に還元すべきとの思いもあって、重い腰を上げたのが過ちの始まりだった。長年、写真だけで飯を食わせてもらっているのだから、些少でも世にお返しをすべきだというぼくにあるまじき殊勝な心がけがいけなかった。慣れないことはするものじゃない。しかし、教えを請う方はといえば必ずしも殊勝とは言い難い。ここに大きな問題がある。ぼくはここでも、この場を借りて遠慮がちに「江戸の仇を長崎で」討たせていただく。
 
 彼らは殊勝な心得が夥多に不足しているので、なかなか意図することが伝わらない。ぼくに責任はないので、だから時々開き直ることにしている。「おれは写真を撮るのはプロだが、教えることはプロじゃねぇ」といった具合だ。今まで何度かぼくは絶望感に打ちひしがれ、辞めようと思ったことがあるのもまた事実である。にも関わらずそうしなかったのは、根っからの写真好きと相まって、どこかに写真屋としての義務感と矜恃が青白い光を放っていたからだろうと思う。

 そして、ぼくの話し言葉や書いたりする(倶楽部では全員宛メールが恒常化している。ぼくはそのくらい熱心なのだ)ことの内容が、老いも若きも理解できないと強情にも主張する。自分の読解力と国語力を棚に上げて「おまえのいうことは理解できない」と迫ってくるのだ。理不尽この上ない。辞書など引いたこともないような人たちなので、写真ついでに語彙の解説までしなくてはならない。ぼくの努力はまったく間尺に合わない。ここに虚しさが漂う。

 大体に於いて、写真を愛好するなどという人たちは初めからヘソが曲がっているのだから、何事も一筋縄ではいかない。自分のヘソだけは真ん中についていると思い込み、微塵の疑いもないのでますますもって始末が悪い。自覚が足りないのだ。そのような人々に取り囲まれてのグループ展を、よくも恥じ入ることなく10回も重ねてきたものだと思う。

 「個性は人間の最も輝ける部分で、それを尊重するのは顕正ともいえるが、しかしながら自分本位、唯我独尊は許さない!」と言い続けてきた13年間。
 「個性とは基本と修学の積み重ねがあってのもので、自然に生成していくものだ。それは恣意的なものでは決してない。百人百様に自然の摂理というものがあるのだから、それを素直に受け入れ、新たな自分発見に努めること。今の場所に留まっていてはいけない」とぼくは自分にも言い聞かせているので、その道に背く者はぼくの脇で悪態をつく必要もないわけだ。悪態をつくくらいなら辞めればいいと思いがちだが、それは大きな間違いというもので、悪態あっての写真だとぼくは思っている。そのくらいでなければ写真は写らないとも思っている。おかげで減らず口を叩く人たちばかりが居座っている。

 ぼくは技術的な指導・解説は見ず知らずの人たちにも最小限に止めるようにしている。写真的なメカニズムというものは誰でも自分で学ぶことができるからだ。プロを目指すのでない限り、努力をすれば独学でこと足りる。
 力点を置きたいのは、写真を撮る(物づくりの)ための精神的メカニズムについてであり、この難題をぼくはあの手この手でたとえ話を引き合いに出し伝えようとするのだが、至らなさも手伝ってか思うようにいかない。物づくりの作法というか方法論(考え方)はおそらく非常に多岐にわたるものであろうけれど、前述した「新たな自分発見」は、まず世間で常識とされることに疑いの目を向けることから始めるのが一番だとぼくは思っている。ぼくの知る限り、一般的に生真面目で融通の利かないお堅い人ほど写真には不向きである。おそらく「暗中模索」が苦手なのか、もしくは我慢がならないのであろう。

 常識とされるつまらぬものに囚われているうちは、常識的なつまらぬものしか産み出さないものだとの確信をぼくは得ている。常識を打ち破る気概と勇気がエネルギーとなり、それは必ず作品に反映されるものだ。
 世間の常識に対して、「果たしてそうだろうか?」という精神的な宝を使い熟(こな)し、運用すればあなたの写真は一皮剥けること疑いなし。信ずる者は救われるのである。果たしてそうだろうか?

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/294.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

前回、桜探しに出かけた時のもの。

★「01菜の花」。
今年は菜の花の時期が少しばかり遅い。以前この道の向こうに電柱と電線がありぼくの好きな絵だったのだが、今無慈悲にもなくなっていた。
絞りf13.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02荒川土手」。
30数年前、同じ位置から8 x 10インチの大型カメラで撮影したことがある。ぼくはあまり進歩していない。上手く撮れたためしがないのだが、今回も失敗。
絞りf11.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2016/04/08(金)
第293回:桜づくしの一日
 今週の火曜日に、遠来の友人に誘われて満開の桜を探しに行った。桜見物に行くのではなく、あくまで「探しに行った」のだ。写真屋なのだから桜を愛でることより、どこに様子のいい(フォトジェニックな)桜があるのか、その発見のほうに気が向いてしまうのは致し方のないこと。ぼくも桜好きの庶民のひとりだが、優先順位が市井の人とは逆さまになってしまうのは、写真屋の悲しき性なのだろう。愛でることと写真を撮ることは、まったく次元の異なることだから。

 ぼくの望む桜は、残念ながら桜の名所ではなく、それ故に独自に見つけ出さなければならない。それは、いってみれば野にひっそりと咲く桜であり、そちらのほうにより魅了される。また、感じ入るところ多く、情趣豊かなりといったところだ。せっかくの桜が世俗にまみれるのは、ぼくとして堪え難いものがある。
 桜とは脱俗した高尚な趣を誘うものなのに、どうも最近の桜というものは媚びを売りながら咲いているように思えてならない。これ見よがしに集団となり咲き乱れ、凄味を利かせながら威圧してくる。野放図も甚だしい。人々もこの集団的人為桜に迎合しつつ、己の趣味の悪さを隠蔽しようとしている。
 したがって、ぼくは情緒や仙味を引き裂くような現代風花見など、勉めて見向かないようにしている。「どうぞご自由に」といったところか。
 さらに、ライトアップされた桜などというのも、まったく忌々しい限りだ。自然のものは自然光下で鑑賞するのが乙というものだ。ましてや、無頓着なライトの光源(色温度や光質)下に於けるそれは毒々しいばかりである。そこには夜桜の味わいもへったくれもないではないか。

 散りゆく桜に愛惜や哀傷の情を重ね、その思いや境地をしっとり味わうのが我々日本人の古来のDNAではなかっただろうか、というのがぼく流の解釈なのである。
 古人は、「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」(紀友則845-907年)と、桜への思いを込めて詠んでいる(古今和歌集)。自然との触れあいがより濃密だった古代に詠まれたものだが、その情緒纏綿(てんめん)たる心の機微は世知辛い現代にあっても、古人の感受性同様、我々にも脈々と受け継がれていると思いたい。昨今はその仕来(しきた)りが風流を通り越してややガサツになっただけのことだろうとぼくは思うことにしている。

 そんな思いを抱きながらぼくは友人を助手席に乗せ、あてもなく車を走らせた。桜も紅葉と同じく、晴天下のほうが彩度も上がってずっと見映えがし、写真も撮りやすいのだが、この日はあいにく雲居の空だった。
 20代から30代初めにかけて、ぼくは何度も尾瀬ヶ原に通った。風景写真や花のクローズアップを夢中になって撮ったものだ。そんな時代がぼくにもあった。
 雲に遮られた太陽光がひょっこり顔を出し、再び隠れたりするその瞬間に、紅葉が申し合わせたように彩度を劇的に変える。鮮やかに燃え上がったかと思うと、波打ちながら再び山麓に沈み込む。紅葉した樹木の息づかいがこだまのようにぼくの耳元で響いた。
 ぼくはお天道さまの悪戯に翻弄され、まるで何かの魔法にかけられたように金縛りに遭い、その不思議な現象に長い時間魅入っていたことを昨日のことのように思い出す。自然界の光と色の感動的な同期をこの時初めて知った。と同時に、自然の造化に感嘆したものだ。

 曇天下の桜は、空と花びらに明度の差がなく、メリハリが付きにくい。ぼくは初めからモノクロ写真をイメージしているのでなおさら厄介だ。青空であれば赤外線フィルムとまでは行かずとも、PLフィルター(偏光フィルター)を装着し、空の明度をほどよく調整できるのだが、曇天ではそうはいかないところが辛い。
 前日の就寝時、「空と花びらにコントラストをつけて、わずかにフォギーをかけ、ハイライトを散らす」ところまでイメージができていたのだが、起床したら重い雲が一面に垂れ込めておりイメージの修正を迫られた。「ええいっ、出たとこ勝負だ!」と、このような自棄っ腹の武者震いというものも、時には撮影の必須要件だ。

 曇天下の桜撮影で最も気を遣ったことは、改めていうことでもないのだが、露出補正この一点に尽きる。第290回「雨天の撮影」で述べたように、乳白色に近い空を白飛びさせないように、注意怠るべからず。空をどのように描写するかは作者の自由だが、随意操作したいのであれば、ある程度情報を残しておかなくてはお手上げとなる。
 もし、カメラにスポット測光の機能が附属していれば、カメラを曇天の空に向けて露出を測り、その値より1~ 1.5絞りほど露出オーバーにしたところで露出を固定して撮ればいい。これが最も確実で安全な露出決定法だが、スポット測光がなくとも、たとえば平均測光や評価測光でも、画面一杯に曇り空を入れて側光し、その値より1~ 1.5絞りほど露出オーバーでほとんど上手くいく。

 当日は曇天でもあり、友人も一緒だったので撮影に没頭できるわけでもなく、桜探しを早々に引き上げ、目指すは食にありということに相成った。意中の店に飛び込み、我々を唸らせたのが旬の「桜えびのかき揚げ天ぷら」だった。
 桜を逃して、桜えびを得た一日でありました。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/293.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

★「01菜の花」。
露出補正値は雲に向けて側光したものでないので、この値に。雲の向こうにぼんやりと太陽が。お気に入りの桜が見つからず、急遽菜の花に心変わり。
絞りf11.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.0。

★「02土手桜」。
雲が面白かったので思わず1枚。曇天下の桜、これが精一杯。ここまで絞っても周辺の解像度は十全ではない。これがこのレンズの限界。
絞りf13.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「03通りすがりの桜」。
神社につきものの桜。桜は諦めてここの空気感を。
絞りf11.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/04/01(金)
第292回:再び「写真は引き算」
 写真に従事すればするほど、また熱心であればあるほど、そして撮れば撮るほど、写真がますます難しくなっていく。勉学や修学というものはこんなものなのだと、この歳になってつくづく思い知らされている。学べば学ぶほどに、分からないことがカビのように繁衍し、収拾し難い状況に追い込まれるということは観念的にとうに理解していたつもりだったが、いざその渦中に放り込まれると、極楽トンボのぼくでさえ頭を抱え、迷路に踏み込み、自分の姿を見失ってしまうのだ。
 迷宮を彷徨いつつ、ぼくはそこから脱出するために、自分で作り上げた貴重な写真的格言の検証に取りかかる。今のところこれしか手がない。平衡感覚を失ったままの検証なのでいささか心許ないが、何もしないよりはいいだろう。ここでのんびりと手をこまねいているという勇気もない。
 「溺れる者は藁をもつかむ」という心境だが(うそです)、溺れないうちになんとかしようという決意は涙ぐましくも健気でさえある。ぼくはその涙にすがりつく。真摯に顧みればなにがしかの御利益に与り、ついでに度胸よく魔除けのお札もいただいちゃおうという魂胆だ。

 助手君やアマチュアの方々に、そして我が倶楽部のメンバーにいつもいってきたことは、「写真は足し算ではなく、引き算だ」というものである。そのことはつまり、言い方を変えれば「写真は何を写すかではなく、何を写さないか」ということでもある。写真はこれに尽きると思っている。
 何やら抽象的で、禅問答のようでもあるけれど、ぼくはこの自作格言をいつも念頭に置きながら被写体に対峙し、シャッターを切ってきたつもりだ。然るに、未だ道半ばである。
 
 写真事始めの小学3年時、写真好きだった亡父に「ファインダーを覗いて、ここでいい(立ち位置が)と思ったところから、もう一歩前に進み出て撮れ」との教えを受けた。その言葉はぼくの心に深く刻み込まれ、こんにちまでその意味するところを金科玉条のように守り通している。心強い魔除けでもあるのだ。
 「写真とは “何を写さないか”に尽きる」という禅問答的言質と父の言葉
はまったくの同義なのだが、子供に理解できるように言葉を噛み砕いた父は、今さらながらたいしたものだったと頭が下がる。早世した父は恐い存在でしかなかったが、今思えば子煩悩であったことを知り、少し胸が熱くなる。

 他の人の写真を見る機会を得て、意見を聞かれることも多々あり(そんな身分ではないのだが)、ぼくはよく「あなたは何を撮りたかったの?」と聞くことがある。何を撮りたかったのか、心の襞や情感のようなものが伝わってこないのだ。
 脇役が主人公の邪魔をして、あるいは押しのけて、その存在感を薄めてしまっているという写真に多く出会うので、思わずそんな言葉が口を突いて出てしまう。
 1枚の写真のなかに、あれもこれも説明して、状況を整え、主人公を際立たせようとの思いなのだろうが、ほとんどの場合、それは逆効果となり、成功しているとは言い難い。「写真は所詮ひとつのことしか伝えられない」という割り切りはぼくの頑なな卑見でもある。そう信じたほうが何かと気が楽でしょ?

 あれこれと説明したい気持は痛いほど理解できるのだが、そこをぐっと我慢して、隠忍自重を心がけることから始めて欲しいと常々思っている。画面上の夾雑物を取り除き、写さないことの勇気を持てば、写真のクオリティはワンステップもツーステップも上がること請け合いである。
 それにつれ脇役を活かすことができるようになれば、写真は御の字というところだ。そのためにはまず主役に焦点を当てることから始めないと、堂々巡りの悪循環に陥ってしまう。
 このことはしかし、言葉だけではなかなか伝えにくく、お互いにまだるっこい思いだけが残る。

 この考え方(何を省略するか)を大飛躍させて、暗室作業に積極的に応用してもいいのではないかということに思い当たった。気がついてみると、ぼくはその大胆とも狡猾ともいえるふてぶてしさを無意識のうちに暗室作業に取り込んでいたのだった。この2,3年、その傾向が著しくなったことに今頃気がついたのだから、相当な脳天気である。
 「そういえばオレの “黒焼き”(第288回:黒焼きに秘めた願い) は、無意識の所産だったのかぁ」との思いに今耽っている。
 1枚の写真には様々なものが写り込んでいるが、余計なものは黒く塗りつぶしてしまえという非常に乱暴な作法である。およそぼくらしくないが、これは「言うは易く行うは難し」で、相当な骨っ節を要する。気の弱いぼくは、恐る恐る、少しずつ少しずつといったところだ。

 A. アダムスの提唱したゾーンシステムによるモノクロ印画に長年心酔し、シャドウ部のディテール、ハイライトの冴を如何にして印画紙に定着させるかに心血を注いできたぼくにとって、「潰してしまえばいいじゃないか」は、奇想天外なる発想で、それは清水の舞台から飛び降りるほどの度胸と勇気を必要とする大転換なのだ。
 潰すことは容易だが、ではどうすれば全体のバランスを崩さずに、しかも美しく仕上げることができるのか? 撮影した原画自体がクオリティの高いものでなければならないという前提は火を見るより明らかなことで、ではそんな芸当が果たして可能なのだろうかという疑問が沸々と湧いてくる。果敢に挑戦といいたいところだが、よんどころなくというのが正しい。

 作例をご覧いただければ、そのまだるっこさが多少軽減されるかも知れないとの思いから、掲載させていただく。

 写真は例題のため、可もなく不可もなくといったものを選んだ。「01カラー原画」はシャドウを潰さず、ハイライトを飛ばさず、柔らかなグラデーションを重視して、自然光のみで撮影。この原画をモノクロ化「02ノーマル」とし、潰すところは潰して省略し、ハイライトは白飛びこそしていないが、光を強調しながら印象的な写真に仕上げてみたのが「03デフォルメ」。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/292.html

RawデータをDxO Optics Proで現像。
カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
絞りf10.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.33

(文:亀山哲郎)

2016/03/25(金)
第291回:ある日の撮影
 連休明けの22日都内某所で、うららかな春の日差しを浴びてのんびりと撮影を愉しんだ。私的写真ではなく、食うための写真である。大手企業の施設撮影で、ちょっと垢抜けした空間に、会員制のレストランやカフェ、ショップやレンタルオフィスが並んでいる。若人や白人種も多く、ぼくのようにヨレヨレのボロを纏った白髪ジジィにはおおよそ縁遠い異次元空間であるように思えた。
 もともと若い頃からその種の空間への出入りは興味がなく、自分とは異なる人たちの集うところと割り切っているのだが、とはいえここは普段着でふらっと訪れる若い人も多く、気取ったなかにも庶民性がうかがえ、なかなかの好感度である。

 ぼくはここで面白い発見をした。このような場にあって、日本人より外国人のほうが妙にしゃちこばって見えるのはなぜなのだろう。少なくとも我々日本人は彼ら外国人を見る時、彼らはほどよく自分のペースを崩さず自我を押し通すという考えを抱きがちである。ぼくのそのような考えは「当たらずとも遠からず」なのではあるまいかと思う。だが、彼らにとってここが外国であるという点を差し引いたとしても、なぜか彼らのほうがどこか構えて見えるのだ。
 よくよく考えてみると、ぼくのように比較的古い価値観を有している人間にさえ、昨今は日本人のほうが、特に若い人たちは海外に出ても物怖じしないのかも知れない。要するに彼らより我々のほうが様々な面で場慣れしているのではないだろうか。
 一昔、二昔前の日本人の様子を思い起こせば、隔世の感ありというところだ。いつから日本人は良きにつけ悪しきにつけ、“気後れ” という少し可愛げのある気質をかなぐり捨て始めたのだろうか。

 しかしそんなことをいいつつも、自分が海外の見知らぬ土地でどのような立ち居振る舞いをしているのか、それを顧みると思わず笑ってしまうのである。職業柄(ということにしておく)、写真を撮るためには、ところかまわずズカズカと足を踏み入れ、現地の人たちと親しく交わりながら(言葉の通じることはほとんどないにも関わらず)、異国文化の一面にまず直接触れることから写真は始まるという信念を持っているので、それは致し方のない所作といえる。ぼくが厚かましいのでは決してなく、場慣れ、物怖じ、気後れ以前の、それは職業的気質の性(せい)と義務感の成せる業といっていい。これは言い訳ではない。写真屋というものはカメラを手にすると、なり振り構わぬ道化者を演じてしまうことを厭わないらしい。これは言い訳だ。

 同業の友人が、「海外ロケに出て、ここで写真を撮るのは嫌だなぁ、やばいなぁと思う時に限って、家族、特にかみさんの顔が脳裏に浮かぶんだ。だから背中を押されて、仕方なくも撮らなければという心境にさせられるのだが、かめさん、そういうことない?」と聞いてきたことがあった。
 ぼくは即座に「君は家族思いだね。いいかみさんじゃないか。ぼくは撮影時、海外でも国内でも孤立無援と自分に言い聞かせているし、写真は家族のためにではなく自分の意志であり、撮りたいものを躊躇せずに撮ることに専心してしまうので、残念ながらかみさんの姿を見かけることはないよ。忘れてしまいたいくらいだ。海外に行ってまで、かみさんにつきまとわれたらたまらんじゃない」と返した
 「恰好をつけていうとだよ、座視するに忍びない状況が否応なく自分を奮い立たせるわけだから、やっぱりかみさんの出番はないんだよね」とつけ加えた。
 施設の中庭に突っ立ち、行き来する日本人や外国人を観察しながら、ぼくは何年も前の友人とのそんな会話を思い浮かべていた。

 1ヶ月ほど前にロケハン(下見)を済ませており、撮影の意図するところもすでに聞いていたので、ここでの大仰な仕掛けを使った撮影は不要だと判断していた。インテリアもエクステリアもすべて自然光を利用し、無用なライティングなどしないほうがいいと決めていた。担当者にも「あっさりパンパンと撮ります。奇をてらった写真や情緒過多のものでなく、雰囲気重視でオーソドックスに撮りましょう」と、同意を得ていた。

 立ち会いの担当者が撮影について興味あることをいう。「多くの撮影現場に立ち会ってきましたが、このような撮影に際しては、ベテランのカメラマンさんほどライト(ストロボ)を使いませんね。若い人ほどライトを使う傾向にある。確かに隅から隅まで写ってはいるのだけれど、なにか大切なものが欠落しているように感じてしまうのです。私は素人なのでそれ以上はいえないんですが」とのことだった。
 ぼくは担当者の意見に斯く斯く然々(しかじか)なる解釈を持っているが、それには言及せず、一言だけ「年配者のほうが、“物怖じ” しないからだよ。それに尽きる」と、前述したことの反対を述べた。
 物怖じしないことの理由はたくさんあるのだが、よくいえば、年配のカメラマンは勘所を押さえているのに対して、場数の少ない若い人は、近視眼的にならざるを得ず、また保険をかけること(思い通り写らない場合を考えての方策)に手一杯であろうとぼくは理解している。
 プロ・アマに関わらず、場数を踏むことの大切さはどのような分野にもいえることで、それは年齢にあまり関係のないことだ。自分を棚に上げていうのだが、写真的精神年齢というものは、実年齢に関係なく、場数の多さとその人の人生経験の豊富さによるものだとぼくは考えている。阿修羅が何度帝釈天と闘ったかということである。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/291.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
場所:東京都葛飾区柴又。

葛飾区立石に行った時のものを引き続き掲載。30数年ぶりに訪れた柴又帝釈天。

★「01帝釈天二天門」。
帝釈天二天門に冬とはいえ強い夕陽があたる。外国の修学旅行生と外国人夫婦。
絞りf6.3、 1/320秒、ISO200、露出補正-1.0。

★「02参道」。
こんな眩しい逆光は久々ぶり。露出補正に細心の注意を払う。
絞りf8.0、 1/500秒、ISO200、露出補正-1.33。

★「03矢切の渡し」。
ピンホールカメラをイメージして。
絞りf10.0、 1/100秒、ISO200、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2016/03/18(金)
第290回:雨天の撮影
 よくよく考えてみると、この原稿を書いている現在、まだ桜は開花準備中であることに気づき、ぼくはなんだかとてもバツの悪い思いをしている。前回「桜の季節ですが」を書いた時点で、「来週はもう桜も散っているだろうから、世間の話題にもなるまい。今回は不得手な桜や花の話についてどうお茶を濁そうか。どうやり過ごそうか」にばかり頭が向いていた。今すっかり当てが外れて汗ばんでいる。本気でそう思い込んでいたのだから、ぼくの体内時計というか世間的感覚は相当にいかれ、浮遊しながら喘いでいる。浮世離れもはなはだしい。まだそんな歳じゃないのに。

 今週、雨の降りしきる月曜日に用事かたがた、久しぶりに築地を訪れた。写真を撮ろうなどという殊勝な思いはなく、ちょうど昼時だったので築地場外で空腹を満たすのが目的だった。とはいっても、しっかりカメラをコートの下に隠し持ち、雨でレンズが濡れぬように気を配っていたのだから、ぼくに抜かりはなかった。抜かりはなかったのだが、あまりに雨が激しいのですっかり気勢を殺がれ、写真を撮らぬことの言い訳をしきりと捻り出そうとしていた。
 「雨くらいどーってことないじゃないか。そんなことで怯んでどうする!」なんていつもいっている手前、誰が見ているわけでもないのに、あまりに生真面目なためにやすやすと引っ込みがつかない。
 「食い気に負けて何が悪い」と一旦は開き直ってはみたものの、やはりどこか後ろめたさがつきまとう。良心のお咎めにいや〜な気分になってしまった。
 こんな葛藤に、正面切って勝負を挑まなくたっていいじゃないか、そんな浪費をするなよ、とぼくは自分を諫めるのだが、得体の知れぬ居心地の悪さほど嫌なものはない。考えれば考えるほど収拾不能になっていく自分の姿は滑稽そのものだった。
 滅多なことで傘をささぬぼくはこの日も傘を持参しておらず、「この雨では濡れ鼠になって、風邪を引いてしまっては元も子もない。ここはひとつ健康上の理由を持ち出して賢く処決するのが得策であろう」との結論に至った。

 気が晴れ、肩の荷を降ろしたはずのぼくだったが、場外に行く道すがら、歩を止めることなく懐からカメラを取り出してはパチリパチリとやっていた。なんと未練がましい男であることか。こんなことをするのは小心者か自惚れ屋かのどちらかである。ひょっとすると一世一代の名作が撮れるかも知れないと思うと、オチオチもウカウカもしていられない。そんな思いに駆られるのはぼくばかりでなく、写真愛好の士であるみなさんだって、程度の差こそあれ同様なのではあるまいか。

 雨は撮影の条件として決して悪いものではない(撮影技術ではなく風景として)。むしろとても良い条件だとぼくは考えている。晴天にくらべればはるかに情趣に富み、五感が鋭敏になるような気がするからだ。また反対に気がふさぐことによって(メランコリーなんていうらしいが)、普段見えなかったものが見えたりして、やはり雨を突いて打って出る価値は十分にある。
 そこで雨中の撮影には留意すべき点がいくつかあるので簡潔にまとめてみる。空の表情が、雲がうねっている場合を除き概ね平坦であるので、露出補正に気をつけないと空が白んだり、白飛びを起こす可能性がある。人間の視覚心理は、ものが明るくなれば軽く感じるという傾向があるので、雨降りのどんよりした重い空を描くには相応の気を配る必要がある。
 雨の量や路面の状況にもよるが、濡れた面は白い空の反射を受けるので(鏡のような作用をする)、ここも案外白飛びを起こしやすい。特にビニールなどの吸湿性の悪い材質はテカりやすい。雨といいつつも案外コントラストが強いことに気づいていただければと思う。曇天より、より露出補正に注意が必要ということだ。
 ただねぇ、厄介なことがあるのです。画面全体は、空や地面を入れると思いのほかコントラストが強いのだが、部分的なコントラストは雲という拡散物体を透過してくるので拡散光となり低い。雨天の被写体コントラストは実にアンバランスなもので、夜景ほど極端ではないが、美しいプリントを作ろうとすれば、全体のコントラストと部分的なコントラストをPhotoshopなど使い、ほどよく調和させなければならない。これが意外に難しい。ここは訓練あるのみだ。

 雨にカメラを濡らさないことはいうまでもないことだが、レンズに水滴が付いたまま撮ると、Photoshopを使ってもきれいに拭い去ることはなかなか困難なので、必ずレンズフードを着装するよう心がけたい。雨天でなくともレンズフードなしで撮影している姿を時折見かけるが、気の小さいぼくなどヒヤヒヤしてしまう。もともとフードは有害な光線を避けるためのものだが、広角レンズやズームレンズではあまり効果がなく、それよりレンズ保護という意識でいるほうがいいと思う。

 さて、場外にある飲食街にたどり着いたぼくは、今回は寿司ではなく鰻で腹を満たす心積もりだった。客引き?に似たおばちゃんに「鰻が食いたいんだけれど」というと、「あんた、鰻なんか食べないで、築地といえばマグロよ、マグロに決まってるでしょ、マグロを食べなさい!」と、鰻は築地では悪者扱いされていることを知った。
 ぼくはすっかり鰻モードだったのだが、それに固執するとぼくまで悪者扱いされることは目に見えていたので、しぶしぶ翻意し、「ではおばさん、安くて美味いマグロはどこで食えるの?」と訊ねるに、「安くて美味いものなんかこの世にあるわけないでしょ!」と一喝されてしまった。おばさんは苦労人らしく、とても正しい。ものの真理をいい当てている。
 マグロおばさんは毅然とし、自説を曲げる気配を微塵も感じさせなかった。誰かのようにすぐにお茶を濁すようなことをおばさんはしなかったのだ。このおばさんにくらべ、雨ごときですごすごと尻尾を巻き、撮影を放棄してしまったぼくは、マグロのわさびが効き過ぎて、ほろほろと涙するのだった。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/290.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
場所:東京都葛飾区立石。

葛飾区立石に行った時のものを引き続き掲載。

★「01黄昏」。
焦点距離16mmの超広角を活かして。
絞りf5.6、 1/50秒、ISO200、露出補正-1.0。

★「02ガレージ」。
古いガレージの佇まいと現代の車のミスマッチに、得体の知れぬ不安な気持ちに襲われる。
絞りf9.0、 1/125秒、ISO160、露出補正-2.67。

★「03呑んべ横町入口」。
呑んべ横町に再び舞い戻る。
絞りf9.0、 1/125秒、ISO160、露出補正-2.67。


(文:亀山哲郎)