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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2022/11/04(金)
第617回:晴れて鉄道博物館(7)
 読者の方や本稿の担当氏から、ぼくの最後のお気に入りだった電気機関車であるEF58形が、先月30日より「てっぱく」にて、もう一両(61号)新たに常設展示されるとのご報告をいただいた。鉄道開業150周年の賜か。
 「てっぱく」には、すでに同形の 89号が鎮座しており、ぼくはその雄姿を20数枚撮ったが、外観写真は1枚もものにならなかった。つまり、撮影の段階で何かが間違っているのだが、見逃したもの(原因)を今のところ発見できずにいる。
 憧れた女性の写真をうまく撮れず、身の置き所を失い、体裁を繕いながら縮こまっている惨めな姿に似ている。「似ている」のであって、「重なって」いるわけではない。
 余計な話はさておき、EF58形を撮った写真を検討するたびに、「おまえ、違うだろ。どこを見てる! なんでこんなにつまらぬアングルになってしまうのか。ファインダーを覗いた時に気がつきそうなものなのに。このスカタン!」と、振られた腹いせに20数回も声を尖らす。嗚呼、この自虐的な姿、みっともないったらありゃしない。

 この悲痛な叫びは、確実にぼくの脆くなった老体を内攻し、サラミスライス戦略のように命を確実に削り取っていく。どれほどまで持ち堪えることができるだろうかと案じながらも、夢と憧れ多き鉄道博物館で、寿命を縮めるようでは、洒落にならぬ。「まったく様にならないよなぁ」と、9月初旬の訪問以来嘆くことしきり。ぼくにとって、「てっぱく」再訪は勇気の要ることと気がついた。

 新たに展示されたEF58 61号は、1953年(昭和28年)に「お召し列車専用機」として製造され、2008年(平成20年)まで、現役として働いてきたとのことだ。「お召し列車」としての仕様に従って様々なものが仕立てられ、いつしか「ロイヤルエンジン」と呼ばれるようになったそうだ。
 実物も、模型も、どうにも思い通りに撮れなかった、曰く因縁尽くのEF58形だが、ぼくはどうあってももう一度「てっぱく」に行く必要があるようだ。そうなると、すでに疎遠となっている鉄道に、根が好きなだけに、再び病を得るようなことになりかねない。武漢コロナにより中断している「 “年間パスポート” はまだか」と、その再開を心密かに願いつつ、そんな戯(ざ)れ言を吐いている。

 しかし、ぼくの鉄道熱や知識などは、子供の頃に得たそれと何ら進展しておらず、本来あるべき鉄道ファンの足元にも及ばない。彼らにくらべれば、ぼくの知識などしれたものだ。 “本物の” 鉄道ファンの知識や熱は、まったくもって狂気の沙汰という他なし。畏敬の念さえ覚えるくらいだ。英語で、 “enthusiast” という言葉があるが、それに相当すると思える日本語が見つからない(熱狂者、熱中しているひと、愛好家などなど、いずれもぼくの感じるニュアンスとはちょっと違う)のだが、まさに彼らは “enthusiast” というに相応しい。熱心な鉄道ファンの話を聞くにつれ、「世の中にはたいしたひとがいるもんだ」と感心しきり。

 最寄り駅の沿線(浦和駅から与野駅付近)や線路上の歩道橋に群がりカメラを構える子供たちやおっさんたちの姿を目の当たりにするにつけ、半狂乱(失礼!)であることの仕合わせを実感するのだ。そしてぼくは、走り来る車輌を撮ることの興味を、今やまったく持ち合わせていないことを知る。それは多分、その類の撮影に興味が失せたのではなく、車輌に感心を示さなくなったのだろう。そして、ごく一部であろう撮り鉄の、不躾で、無礼極まりない身勝手さを知るにつけ、ぼくの心は萎えていくのだ。

 「てっぱく」には、ガラスや透明アクリルの類が多く(ここから写真の話に入る)、必然的にそこに何かが映り込んでくる。その映り込みを作画に利用するもよし、あるいはそれを取り除きたければ、偏光フィルター(PLフィルター)を用意すればいい。
 ただし、「てっぱく」は悪霊に取り憑かれたかのように暗いので、光の量を減少させる偏光フィルターは、極めて分が悪い。露出でいえば、約1絞り半〜2絞り分変化するので、スローシャッターを用いるか、もしくはISO感度を上げるしか方法がない。絞りを開けるという方法もないわけではないが、それでは被写界深度が変化し、撮影時に描いたイメージが否応なく変化してしまうので、これは邪道ととらえるべし。
 いずれにせよ、偏光フィルターは嵩も取らず、常時バッグに忍ばせておけば何かとお役立ちの安心ツールである。

 反射の除去について、最も効果の期待できる角度は被写体の平面に対して斜め30〜40度であり、真正面からでは効果がない。フィルターを回転させることにより、映り込みの程度(濃淡)が変化するので、程良いところを選べばいい。
 一眼レフ以外のカメラで使用する時は、ファインダーでは効果が確認できないので、フィルターを目の前で回転させ、イメージに合ったところをレンズにかざせばよい。なお、スマホではモニターで確認でき、使うことは可能ではあるが、不器用なひとは落とす可能性があるので、お勧めしない。また、偏光フィルターは経年変化し、メーカーによると、通常の使用状態、保存状態で7年前後だそうだ。

 偏光フィルターを購入した我が倶楽部のご婦人曰く、「このフィルターって何回シャッター切るまで使えるの?」。「偏光フィルターが、シャッター回数を数えてくれるんかい!」とぼく。身近にもぼくの心身を蝕むようなことを平然というひとがいる。「てっぱく」だけでも、一杯一杯なのに。

https://www.amatias.com/bbs/30/617.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
弁慶号(7100形)。1880年(明治13年)、北海道の官営幌内鉄道の開業にあたり、アメリカより輸入された。
絞りf5.6、1/8秒、ISO 400、露出補正-1.33。

★「02てっぱく」
日本に現存する唯一のマレー式機関車(スイスの技術者アナトール・マレーに因む)の9850形。製造1912年(大正2年。ドイツより輸入)。牽引力に優れ、曲線を通過しやすくした「関節式台枠」を採用。
絞りf6.3、1/15秒、ISO 3200、露出補正-1.33。

(文:亀山 哲郎)

2022/10/28(金)
第616回:晴れて鉄道博物館(6)
 60年来の友人が危うく轢かれそうになったという電気機関車EF58形(1946−1958年までに172両が生産され、1980年代に営業運転から撤退)は、ぼくが憧れた最後の車輌だった。そして、この車輌は電気機関車としては、今までのデッキ付きを廃し、流線型を採用した最初のもの(異形のEF55形を除く。今回の掲載写真)だった。すでに記述したが、EF58形が地元の路線から姿を消した頃、ぼくは鉄道への興味を失い、そしてそこから遠ざかっていった。

 ぼくの最もお気に入りの電気機関車(ぼくらの子供時代には、子供も大人も “デンカン” と称した。省略言葉を極力嫌うぼくは、小学校の時から、 “デンカン” という嫌な語感に大きな抵抗感を持っていたので、使用したことはない)は、EF53形(1932−1934年に19両が生産)で、大きなデッキ付きの、そしてリベットで身を固めた、これ以上にない実に格好のいいデンカンだった。
 これを撮りたいがために、ぼくは中学校に隣接した新潟鉄工所の際で、カメラをぶら下げて線路脇を走り回っていたのだが、ドジな友人と異なり、危ない目に遭ったことは一度もなかった。いわば、場をわきまえた、正しい元祖撮り鉄だったのである。今から60年ほど前の話だ。その時に撮ったフィルムやプリントはおそらくどこかへ消失し(もしかすると、家捜しをすればあるかも知れない)、残念ながら手許にないことが悔やまれる。ぼくも、他人のことはいえず、やはりドジな奴なのかも。

 デッキ付きの、この格好いいEF53形は、現在群馬県の「碓氷鉄道文化むら」と広島車輌所(こちらはカットボディ)に静態保存されており、2018年に世界遺産の富岡製糸場(ぼくの希望を適えてくれなかった珍しい世界遺産)を訪問したついでに、「碓氷鉄道文化むら」のある横川駅に足を伸ばし、EF53形にお目にかかるつもりだったのだが、連れが何人かいて、碓氷第三橋梁、通称めがね橋(重要文化財)やアプト式鉄道跡(ぼくは少年期から青年期にかけてここを何十回も往復している。現在、線路が取り払われた部分は遊歩道になっている)を先に訪れ、そこで時間を取られてしまい、「碓氷鉄道文化むら」の営業時間に間に合わなかった。
 二度と行くことのない富岡製糸場で費やした時間をどれほど恨めしくも腹立たしいと思ったことか。富岡の街のほうが、ずっとフォトジェニックなものを発見できるだろう。少なくとも、ぼくはそう感じた。今、当時の恨み辛みを並べ立てているが、ぼくはEF53形を撮り逃したことが、痛恨の極みなのだ。
 今回の「てっぱく」訪問をきっかけに、眠っていた子を叩き起こされたぼくは、もう一度、どうしてもEF53形にお目通り願いたく、来年にでも機を見て「碓氷鉄道文化むら」を訪れたいと思っている。

 さて、EF58形にまつわるぼくの写真的大失敗談を述べると前々回で述べたにも関わらず、前回にて書き損じたので、今回改めて述べる。写真の基本として大切なことなので、恥をものともせず、しかと綴っておく。
 今ここで、ぼくのかつての鉄道模型熱について述べると、何ページあっても足りそうもないので、それは後回しにして、まず「ギャーッ!」という話を。写真の話だかんね!

 多くの気の良い大人たちを言葉巧みにたぶらかし、ぼくは中学2年時に、発売されたばかりの、憧れのEF58形電気機関車の模型(HOゲージ。Oゲージの半分の縮尺)キットを手に入れた。それは多くの部品を組み立てる真鍮製のキットで、極めて精度の高いものだった。子供の小遣い程度ではなかなか手にできぬもので、当時、既製品はまだ発売されていなかった。
 それ故、黄色いテカテカの、真鍮むき出しの模型は、それぞれがエナメルで好きな色に塗れと仕様書に記してあった。ぼくは色を塗る前に、出来上がったその雄姿を先ず写真に収めるべく、買って間もないキヤノネット(第613回参照)で、本棚の上に飾ったEF58を線路に乗せ、正面から30度ほど斜めに置き、真横のアングルから、三脚を使い撮った。当時ぼくには、同じ物を何枚も撮るという知恵も習慣もなかった。写真は1枚撮ればすべてよしと考えていたし、フィルムの値段も馬鹿にできなかった。
 撮影後、ぼくは胸を躍らせ、近所にあった信頼すべき写真店にネオパンSS(フジフィルム製ISO100のモノクロームフィルム)を持ち込んだ。歩いて7,8分の距離にあるその写真店まで、下駄履きで突っ走って行ったことを覚えている。

 ぼくは精一杯張込み、カビネサイズ(120 x165mm。当時は65 x 90mmの大名刺サイズが一般的だった)にしてもらい、プリントされたEF58の写真を見て、まさに驚天動地の大混乱。ピントを合わせたEF58の顔以外は、すべてボケボケで、「なんだ、これは!」と、気を失いそうになった。機関車の末端部分までしっかりと写ることを頭に描いていたので、まったくそうでない写真の出来映えにぼくはすっかり落胆し、狼狽え、その日の夕食が喉を通らなかったことを今でもよく覚えている。

 翌日は日曜日だったことも覚えている。よほどの衝撃だったに違いない。ひとは生涯に、決して忘れ去ることのない出来事をいくつか経験する。この味わいもそのうちのひとつだ。
 ぼくは意を決し、父に写真を見せ、「と〜ちゃん、なしてこぎゃんなっちしもうたっちゃろう? 教えてちゃ」と泣きついた。
 父は、中学生のぼくに嚼んで含めるように、丁寧に、しかし難しい日本語遣いで、そして不器用な標準語の発音で、赤子を諭すような調子で教えてくれた。ぼくはこの時、初めての写真用語「被写界深度」というものに出会い、それが何たるかを学んだ。キヤノネットはシャッター優先AEで、しかも室内撮影。レンズ開放値はF1.9。三脚を使ったとはいえ、カメラはきっとf1.9 を指示したのではないだろうか?

 60年後の今、人様の写真を見て、「ドジ、マヌケ、スカタン」を連呼するぼく。父は東京大学やケンブリッジ大学でインド哲学の教鞭を執ったことがあるが、ぼくが人様に何かを伝えるのは、知識の問題ではなく、人格としてまったく不具合で、相応しくないということだ。そんな人間が、しかつめらしくも(まじめくさって、堅苦しい感じ。如何にも道理に適っている様子)、616回も回を重ねているのだ。なんか、おかしいね。

https://www.amatias.com/bbs/30/616.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
文中にある「異形のEF55」(1936年に3両制作)。北浦和駅の開かずの踏切でこれに初めて遭遇した時の形容し難いほどの違和感。「なんじゃ、このカッコウは。カッコワル!」。今は、ただただ懐かしい。天井ライトの写り込みと背景の映写スクリーンを意識して。
絞りf6.3、1/15秒、ISO 2500、露出補正-0.67。

★「02てっぱく」
同EF55の横腹。双方とも、現像方法の一種である、いわゆる「銀残し」(Bleach Bypass)を撮影時にイメージ。
絞りf7.1、1/15秒、ISO 3200、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)

2022/10/21(金)
第615回:晴れて鉄道博物館(5)
 いつまで「てっぱく」の話を続けるのか、書いているぼく本人もよく分からない。根が単純そのものであり、しかも楽天的でもあり、 “出たとこ勝負” を生きることの旨としているので、だからぼくは愉しくもおめでたいのだ。それをして、他人はぼくを無責任とか無軌道な奴などとおっしゃるが、然に非ず、父の口癖であった「人生は取り敢えず」に痛く共感し、それに従って生きてきた。それはぼくにとってまことに好都合な、しかも大切な教えでもあり、物の真理であると感じている。こんな心強い味方は他にあろうはずがない。なにしろ「真理」なのだから。

 あらかじめ人生の設計図を描き、敷かれた規定通りの線路の上を自制を利かせ転がっていくなんて、退屈で窮屈の極みではないか。不如意に出くわさないよう、安全な規定(線路)に自己を囲い、外れることなく身を縛るのは、少なくとも物づくり屋の精神にはまったく合わない。百人百様の生き方を極力尊重するが、ぼくには “出たとこ勝負” が生きやすく、似合っているということなのだろう。
 ぼくは父の言葉を座右の銘とし、その教えに従順であろうと努めているに過ぎない。そんなぼくを不料簡と罵る輩は、「人生は取り敢えず」という哲学の奥義や、仏の教えなどに、まさに “縁なき衆生は度し難し” といったところだ。

 「てっぱく」には4時間の滞在ながらも、ぼくは童心に返り、そして無我夢中となり、子供時分に鉄道に関連した様々な事柄について教えてくれた人々の姿が(主に父と叔父や中学時代の学友。当時は秋葉原の「交通博物館」が学習の主だった場であり、そこに足しげく通ったものだ)、シャッターを切る度に、走馬灯のように、次から次へと浮かび上がっては消えていった。
 と同時に、ぼくから鉄道の趣味を奪った元凶はどこにあるのだろうかと、その犯人捜しにも躍起になっていた。もちろん、ぼくの心のなかで犯人はとっくに御用となっているのだが、その確証探しを「てっぱく」で写真を撮りながらしていた。ぼくは忙しかったのだ。

 「やっぱり犯人はお前たちか! 直ちにここから去れ!」と、憤懣遣る方なく独りごちた。ここで、犯人を槍玉に挙げるような恨めしいことはしないが、ぼくの鉄道離れは、懐古主義によるものではなく、自分にとって「何が美しいか」の一点に集約される。それが唯一の指標である。
 坊主は、「とーちゃんは、かつての鉄道を懐かしんでいるのであり、今の子供たちは気の毒だとの見方は間違っている」と指摘する。坊主の言い分の3分の1くらいは素直に認めても良いが、「てっぱく」で、子供や若者に人気のあるものは、ぼくが鉄道好きから遠のく以前のものであるように見受けられる。ぼくの、彼らに対する刑事のような目配りは鋭く、犯人を多角的に捜そうとしていた。勝手な能書きはこのくらいにして、前号からの続きね。

 ISO感度を上げることによる弊害は、ざっくりいえば画質の劣化に尽きるのだが、特に昨今はAI(人工知能)の進化により、優れた画像ソフトを使用することでかなり防ぐことができるようになった。もちろん、カメラも進化を遂げている。今さら、遅ればせながらの感ありといったところだが、なにしろ化石写真屋なのだから、大目に見てもらいたい。
 とはいえ、商売人は高感度ISOをむやみに使うことなど恐くてできないというのが、生真面目で正しい写真屋のあるべき姿であり、本音でもある。であるがゆえに、ぼくが時代遅れの写真屋というのはちょいと的外れであると、こっそりとくぐもった声でいっておきたい。

 それはともかくも、撮影時は、RawもしくはJpegでの撮影が一般的であると思われるが、高感度撮影による目障りなノイズ(輝度ノイズとカラーノイズ)を、画像ソフトは最新の技術をもって緩和しようと努めてくれる。
 画像ソフトにあるノイズリダクションを使用し、輝度ノイズ(ざらつき)とカラーノイズ(RGBの気持ちの悪い斑点模様)を、調整バーを動かしながら軽減させていくのだが、この度合いが過ぎると画像は途端に解像感を失っていく。この画像の質感を敢えて表現するのであれば、「どこかプラスティック的な、質感に乏しいのっぺりとした感じ」とでもいっておこうか。

 ノイズリダクションをどの程度かけるかとの “頃合い” を見計ることは経験と感覚に頼るほかないのだが、大事なことはその画像がどのような状態で鑑賞されるのかということにある。そして、ぼくは補整途中に、シャープネスはかけない。ノイズとともに画質劣化の元凶でもあるシャープネスは、補整の最後にかけるのが、画像補整の正しいありようだと信じている。シャープネスのかけ方は、非常な慎重さを要し、しかもあまりにも多岐にわたるのでここでは言及しない。

 昨今は、従来とは多少様相が異なり、印画紙ばかりでなく、モニターで鑑賞される機会が多くなった。これは、撮影者にとって大ごとであり、まことに由々しきことらしい。 “らしい” などと、ぼくはまるで他人事のようだが、それにはまったく頓着していないからだ。だが、観賞される写真の大きさは鑑賞者次第なんて、一昔前には考えられぬことだった。この容易ならぬ事態はしかし、個人の使用状況や感覚による差異で大きく考え方が変わってくる。だから、ぼくはその恐さを認識しつつも、頓着しないのだろう。しても仕方のないことだ。
 また、ノイズ如きはプリントの大きさ(拡大率)により、見え方は順次変化するので、やはり “頃合い” を見計る感覚を磨くことが、ノイズ除去の技術とともに必要となってくる。
 第612回で掲載したISO25600の写真は、RawデータをDxO PhotoLab5のノイズリダクションを用い現像し、細部をPhotoshopで仕上げ、さらにNik社のDfine2(これもノイズリダクション)に渡している。つまり、二重がけである。その画像にシャープネスをかけ、A2プリントに引き伸ばすとどうなるかの実際を試みたが、ノイズはまったく気にならぬほどに押さえられていたことをご報告しておきたい。

https://www.amatias.com/bbs/30/615.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
我が倶楽部には、蒸気機関車の動輪中毒のご婦人がいらっしゃる。「てっぱく年間パスポート」をいつも懐に忍ばせているあのひとである。このような掲載写真を現像する時にぼくが留意し、着目することは、その質感描写である。だが、その気持ちが強すぎると、ギトギトの写真になり、品位を下げてしまうので、要注意。これが、ぼくの限度だ。
絞りf4.0、1/30秒、ISO 2000、露出補正-2.00。

★「02てっぱく」
モノクロ写真に調色を施し、イメージ した通りの写真となった。写真の生命感はこちらのほうが上。
絞りf4.0、1/15秒、ISO 1600、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)

2022/10/14(金)
第614回:晴れて鉄道博物館(4)
 60年来の友人が、ひと月に1度の割合で、約1時間半という長旅にめげることなく、いそいそと我が家に遊びにやってくる。いくら仲が良くてもぼくには到底できぬ仕業であり、何かに思い詰めたようなその精勤さは、一種の技芸を思わせるくらいだ。
 来宅早々、息を整える間もなく、「かめさんも、あの新潟鉄工所(前号にて言及)に隣接した線路脇で遊んでいたんだね。危ない思いをしなかった?」と、同じ中学の4年後輩にあたる彼は当時を懐かしむように目を輝かせながら問いかけてきた。
 そして、「ぼくはさ、あそこでEF58に危うく轢かれそうになって、ホントに “命からがら” 爆走してくるEF58を除けたんだ。恐ろしいほどの汽笛を鳴らしながら迫ってきて、急停車する列車を尻目に、あそこから遁走したんだよ。ついでに、罪悪感もぼくの跡を追ってきた。それ以来、あそこで遊ぶことはしなくなったけれど」と続けた。

 列車に轢かれかかったことにはそれほど感情を動かされなかったが、ぼくにとっての驚きは、彼の口から「EF58」という具体的な電気機関車の名称が突如吐かれたことと、彼が「鉄道大好き人間」であったこと。それに加え、60年間親しく付き合ってきたのに、お互いが「鉄道好き」であることをまったく知らなかったこと。そして、ぼくの拙よもやま話を、彼はまるで世捨て人が人目を憚るように、素知らぬ顔をして読んでいたというこわ〜い事実。しかし、そんな様子を彼はおくびにも出さなかった。う〜ん、やっぱりこわ〜い。
 ぼくは友人知人に極力拙話の存在を知られぬように努めてきたのだが、非常に身近な友人がこっそり、しかも長年にわたり読んでいたという事実を知り、それはぼくを震撼たらしめるものがあった。ネットとは、顔の見えぬ隣人の如くであり、まことに気味の悪いものだ。

 ここに述べた「EF58」については、第612回の掲載写真の説明に、「EF58が地元の路線から姿を消すとともに、鉄道ファンから身を引いた」と紹介しているが、この列車に関する写真的な思い出(無知による失敗談)は、撮影についての大切な事柄なので、恥を忍びつつも、次号あたりで触れようと思っている。今、それについて述べると、またもや宿題を放り出すことになってしまうので、取り敢えず、難しい問題「暗所での撮影」について、お伝えするのが先決だ。

 暗所での撮影に最も心強い味方は、誰が何といっても(誰も何ともいってないが)三脚を使うことにある。それに異論を挟むひとはいないだろう。写真を撮るにあたって、これほど力強い味方は他にないことは衆目の一致するところだ。これさえあれば、まさに “恐いものなし” である。しかし、何事に於いてもメリットとデメリットが共存するのだから、ここに誰もが頭を痛める。ご都合主義的人間は、何が何でもデメリットにばかり肩入れし、強調したがる。曰く「だって重いんだもん」。とにかく楽をすることばかり目論んでいる。

 どこかの写真倶楽部の指導者は、私的写真に三脚を持ち出すことは滅多にないので(仕事では9割方使用するらしい)、生徒たちはそれでいいものだと大いなる勘違いをしている。とんでもない横着者の集団である。それでいて、「てっぱくでは、三脚が使えないしぃ〜」などと、平然としながら、あたかも恨み言のようにいう。さもしいったらありゃしない。
 ぼくは、呆れを通り越して、おもむろに「後頭部、しばいたろか!」と関西言葉でいい、それでも飽き足らず「後頭部ば、張り倒しゅぞ!」と博多弁を追加して、彼らの、まるで際物師のような立ち居振る舞いに、ここを先途とそのご都合主義をなじる。それらの罵声を、だがしかし、ぼくは口に出すことができず、心のなかで叫ぶので、畢竟彼らに届くことはない。ぼくには猛烈なストレスだけが残る。そのたんびにぼくの心身は蝕まれていく。

 写真を損じる大きな要因は今まで何度も述べたように、「ブレ」と「ピンボケ」と「露出」だ。これはあくまで、計算のできる人間と、それに対応できるカメラの世界での話である。したがって、すべてが自動で操れるカメラについての言及ではない。
 三脚なしで「ブレ」を防ぐには、より早いシャッター速度を用いなければならないが、そのためには絞りを開けるか、ISOを上げるしかない。「三脚を使えばブレないわけではない。三脚を頭から信用してはいけない」と、随分昔の拙稿で述べた覚えがある。三脚の代わりに、ISO感度を上げるというのは、横着事始めだが、もっともな論理である。
 今さら、ぼくがみなさんにブレ防止の方策をお話しするのも気が引けるのだが、ざっかけなくいえば、撮影の三種の神器である「f 値、シャッター速度、ISO」を適切に使いこなせば事足りるということに尽きる。ここでいう「適切」とは、「撮影者の描いたイメージを、できるだけ画質を劣化させずに、正確にイメージセンサーに転写できるような設定」のことで、「使用機材を使いこなす」という意味でもある。

 三脚を使えず、しかも暗所であれば、「ISO感度を上げれば良い」の答は、まったく正しい。1カット毎に感度を変えることができるという離れ業を演じることのできるデジタルは、大変便利で有用なものだと認めるが、感度を上げれば上げるほど、ノイズが発生し、画像を汚すという結果をもたらす。「あちらを立てればこちらが立たず」という具合だ。便利さには、悪魔が宿るという訳だ。
 何年かぶりに新調したカメラは、常用感度が100〜102400と、ぼくには信じられぬほどのばかばかしさなのだが(102400は、まだテストさえしたことがない)、少なくとも「てっぱく」の EF58の運転席(第612回で掲載)の写真はISO25600を使用しており、それはぼくの生涯最高感度記録達成の瞬間でもあったが、しかしながら、画質の劣化は優れた画像ソフトを使いこなすことで、低感度ISOとほとんど遜色のない画質を提供してくれた。
 「なんてこった。こんなことがあっていいものだろうか?」と、化石写真屋のぼくは首を傾げながら、未だに信じ難い思いでいる。最新の画像ソフトもまた、優れた技芸を見せてくれた。またしても、この話、次号に持ち越しだ。

https://www.amatias.com/bbs/30/614.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
新幹線E5系。子供の頃には、考えられぬプロポーションだ。まるで潜水艦か飛行機か魚雷かあひるの如くである。地上を320km/hで走るには、こんな恰好が必要なのか?
絞りf6.3、1/25秒、ISO 100、露出補正ノーマル。

★「02てっぱく」
同じくE5系の横っ腹をグラフィックに描いてみた。2例とも、超広角レンズでしか描けぬ世界。
絞りf5.0、1/100秒、ISO 400、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2022/10/07(金)
第613回:晴れて鉄道博物館(3)
 小学4年時からカメラをぶら下げていたぼくは、やがて中学生となり(当時、浦和市立常盤中学に通っていた。現在は “さいたま市立” となっている)鉄道写真に目覚めた。校舎の東側には新潟鉄工所の広い敷地に陸上競技用の400mトラックがあり、ぼくら生徒は運動会が近づくと、自由に出入りできたそこでいつも練習をしていたものだ。
 そのトラックに隣接して東北線と京浜東北線が走っていた。時折通る蒸気機関車は、あの香ばしい煙の香りや迷惑な煤、悩み事や憂さを一気に吐き出そうとするような勇壮な汽笛を響かせながら、すぐそばをかすめるように通り過ぎ、ぼくはすっかりその姿に魅せられたものだった。
 北浦和駅の横には、通称「開かずの踏切」があり、開くのを待つ多くの人や自転車でごった返していたが、目の前を通過する電気機関車や蒸気機関車を至近距離で、しかも誰からもお咎めを受けずに鑑賞できるのだから、周囲の人々のうんざり顔を尻目に、ぼくは退屈したり、イライラすることは少しもなかった。根っからの、鉄道好きだったのである。

 新潟鉄工所に隣接した線路は、今と違い、当時は「立ち入るべからず」という好奇心旺盛な少年にとってこれ以上にないほど鬱陶しく、また悪霊のような柵などが設けられておらず、自由に線路内に立ち入ることができた。列車が通過した直後に、レールに耳を当て、遠のいて行くレールの継ぎ目の音を味わったものだ。
 とはいえ、鉄道関係者に見つかれば、直ちに追い出されたであろうことは言を俟(ま)たないが、向学心に富んだ少年にとって、それは何事にも寛容な良き時代の賜物であり、大いなる恵みに与ったといってもよいのではないかと思う。良い分け前を、何の衒(てら)いもなくいただくことができた時代だったのだ。

 鉄道好きの少年はクラスのなかに何人かいたものだが、「あれもダメ、これもダメ」という窮屈な現在とは異なり、当時は誰もが鉄道世界の自由で豊かな空気を満喫できたものだ。危険を顧みつつも、やはり自由だったのである。
 今の写真少年や大人の好事家は、あのもっともらしく、憎々しい柵や金網越しに鉄道の世界を覗かざるを得ないわけで、時代とはいえ、大らかな当時を知る者には、少々気の毒にさえ感じる。いや、鉄道に群れる昨今の、あの光景を見るにつけ、なんだか痛々しささえ覚える。
 このようなことをいうと、白髪のジジィを指差し呼称しながら、「年寄りの繰り言」などと必ず茶々を入れてくるひとがいる。斯くいうひとは、頭が老化し、ついでに硬直化し、洞察力が腐乱し、悪臭を放っていることに気づきもせずにいるのだから、不憫そのものだ。ぼくは昔を懐かしんでいるわけではない。

 しかし、いつの時代にも決まった割合で、鉄道に魅せられた正しい少年がいるものだ。それは今も昔も変わらないのだろうと思う。
 好きな鉄道車両や走る雄姿をカメラに収めたいというのはごく自然な欲求であるのだが、あの頃は、今とは異なり、どこの家庭にでもカメラがあるという時代ではなかった。幸運な者は、カメラを誰かから借用できたり、もしくは親をたぶらかし、買ってもらうことにあの手この手を使うことが許された。それは、どちらかといえば、こまっしゃくれた、あまり質の良くない少年であるのだが、ぼくは後者のほうだったと小声でいっておく。

 カメラを持っている少年(大人も)は少数派であるがために、“撮り鉄”などというどこか浅薄で陰険な言葉が当時はまだ徘徊していなかった。写真的欲求に関してマセガキだったぼくは、小学生の時に買ってもらったフジペットでは走り迫る車輌を捕まえるには役不足だと気がつき、写真好きの父の横顔をチラチラ窺い、タイミングを見計らいながら、ついに勇気を振り絞って、「とーちゃん、ぼく、カメラが欲しいんだけど」と、恐る恐るいってのけた。この段階で、ぼくはまだ “おねだり” などというはしたないことはしていないとの屁理屈をこねながらも、もう次なる機種を決めていた。油断のならないガキだった。

 親父が定期的に講読していた写真雑誌を盗み読んでいたぼくは、キヤノンから発売予定のキヤノネット(1961年1月発売。レンズシャッター式の中級35mmカメラで、18,800円と例外的に安価だった。1週間分の台数がわずか2時間で完売されたという快記録が残されている。ご興味のある方は、以下にURLを貼っておきますので、ご参照のほど)に目を付け、発売前に父の承諾を得る必要があった。
https://global.canon/ja/c-museum/product/film41.html

 欲しいと思ったら、「居ても立っても居られない」というぼくの厄介な稟性は、世間に対する少しばかりの見識と父への遠慮を木っ端微塵に打ち砕いた。「遠慮などしていられない」との心持ちは、得体の知れない父への仕返しのような快感をもたらした。ぼくは、キヤノネットを手にできる確信を勝手に得ていた。

 勘の鋭い父は、ぼくの要望に対する心理をとっくにお見通しであるかのように、あっけらかんと、「そうか、そうか。では、浦和のxx写真店にこれから行くとするか」と、和服の袖に、実に無造作な仕草で財布を仕舞い込んだ。ぼくの快感は一気に吹き飛ばされた。ぼくより、父のほうが颯爽として若々しく、意気軒昂たる壮年の、39歳の男だった。

 あれあれっ、前号で約束したことをすっかり反故にし、思いつくままの無責任ぶりを演じてしまった。キヤノネットの話を父に切り出す時の、心理描写を書こうとしたのだが、それはとんでもない長文となることが分かったので、思い止まったまではよかったのだが、予想もしなかった事柄を並べ立ててしまい、やはりこれが、いわゆる「年寄りの繰り言」なのか? 
 先日、高齢者運転免許証更新のための認知機能検査を受け、完璧に近い優秀なる成績だった。今回こうなってしまったのは、意図的なボケなのか。やはり今も個我一点張りのガキみたいだ。な〜にが「晴れて、てっぱく」だよ。

https://www.amatias.com/bbs/30/613.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。

★「01てっぱく」
ストーブ列車。20年以上前、吹雪の青森は五所川原駅に停車していたストーブ列車を覗いたことがあるが、実際にぼくは乗ったことがない。屋根と内装は木製。
絞りf6.3、1/15秒、ISO 3200、露出補正-1.00。

★「02てっぱく」
1号機関車(1871年製。イギリスから輸入)の運転席。重要文化財。ガラス越しに見ているので、写り込みの面白いアングルを探した。
絞りf5.6、1/15秒、ISO 3200、露出補正-0.77。

(文:亀山 哲郎)

2022/09/30(金)
第612回:晴れて鉄道博物館(2)
 秋分の日の連休により連載が一週空いてしまったので、最近つとに、都合に合わせて物忘れのひどいふりをしたがるぼくは、とんちんかんなことを書かないよう、「前回は何を書いたんだろう」と、取り敢えず読み返してみた。
 「てっぱく」についての過去からの深い思い入れについて、くどくどと書いていたくせに、それも忘れがちになるという徒(ただ)ならぬ茶人ぶりをぼくは時折り演じてしまう。心持ちの良くないひとたちに認知機能をからかわれないよう、しっかり確認しておく必要があった。

 しかし、前号には臆面もなく、今回は「 “暗さの克服のための方策” について」このぼくが書くようなことが記されている。今ぼくは、まるで他人事のようにいっている。こんな難しいことについての約束などしなければよかったと後悔もしている。かなりの経験者のなかには、「そんなことは、簡単なことじゃないか」と思われる方もきっと、いや絶対におられるだろうが、この課題はそんな容易なもんじゃないんですね。甘く見てはいけない。

 これについては、実のところかなり複雑多岐にわたって言及しなければならず、それは書くほうも、読むほうも退屈至極という事態になりかねないので、取り急ぎ肝要な部分を抜き出すことに専念してみようと思う。別に、逃げを打っているわけではない。
 そうはいいつつ、ぼくの筆力では1回の文字量で消化できないとの恐れがある。ましてや、余計なことばかり書きたがる悪癖に50年近くも取り憑かれているので、なおさらである。そしてまた、ぼくは、容易に屁理屈の化身となるから、自分で身を持て余す。これでも、なかなか大変なのだ。

 「写真は引き算。何を写すかではなく、何を写さないかが肝心」と確信をもっていうくせに、ぼくの場合「文章は足し算」になってしまう。だから、ぼくの、書くことに対しての素人芸は、「下手の横好き」とか「下手の考え休むに似たり」とか「下手の長談義」とか、それはまことにもって正しく、そしてまた前述した例のひとたちからは、散々ないわれようをする。だが、このいわれようは愉快そのものだ。いつ、どこの、誰がいっているのか知らないが、ぼくはそれをしかし、意地を通り越して潔く素直に認めることにしている。そのほうが、ずっと賢くも生きやすいからだ。

 編集時代と写真屋を通して、多くの、いわゆる名匠や名人と接してきたと、前々回に述べたばかりだが、ぼくは彼らの言葉から、「知る者は博(ひろ)からず」という老子の言葉を思い起こした。この格言を我流に解釈すれば、「物事や現象を深く理解しているひとは、自分の知識や技術を惜しむようなことはしないが、やたらに軽々しく喋らないものであり、反対に何でも知っている人の知識や経験は浅いものである」ということに尽きる。
 ぼくは博学の士には到底達しておらず、したがって、素人の作法を踏襲しても許されるのではないかと考えている。「言葉足らず」を異様に恐れるから、どうあっても素人の域を出られないのだ。

 さて、「てっぱく」のありがたいところは、個人で写真を愉しむ限りに於いておおっぴらに写真を撮れることである。それは鉄道好きや写真好きにとって何ともありがたく、撮影の意欲をさらに掻き立ててくれる。
 「てっぱく」では、当然のことながら、三脚や一脚( “自撮り棒” などという小賢しくも不細工で低俗の極みのようなものも)は、一切禁じ手である。誰に何といわれようと、自撮り棒は “低俗の極み” との考えを、ぼくはまったく変えるつもりはないが、冥途の土産に自撮り棒の一本でも買って、アホ面を晒すのも酔狂かとの思いが「てっぱく」で頭をよぎった。ありし日の、ぼくの姿を撮ってくれる人が誰もいないという寂しい現象に、柄にもなく、しんみりしてしまったのである。

 それはさておき、この “禁じ手” が、「てっぱく」での撮影を、ありがたくも、ことのほか難しいものにしている。ちゃっかり抜け駆けをして、「てっぱく」に足を向けた我が倶楽部の面々が言い訳のように決まって宣う科白が、「暗くてねぇ」というものだった。このありがたさに、気がついていない。三脚を使えないその代わりに頭を使うのだ。亡父の口癖、「頭は生きているうちに使え」。

 「暗い」ことのありがたさを列挙してみると、まずカメラブレという写真の天敵が喜び勇み眼前に躍り出て、そして迫り来るのである。ブレに怖じ気づかないひとは、もう写真など止め、行李(こうり。竹や柳で編んだ荷物入れ)をまとめて、郷に帰ったほうがいい。
 かといって、カメラブレを防ごうと、血の滴るような修練を積むことを面倒がる人も、やはり「てっぱく」には行かないほうが仕合わせというものだ。
 やたら高感度ISOを使えば事足りると安易に考える人も、「てっぱく」には、また「写真」にも、無縁だと知るべきだ。

 「f 値、シャッター速度、ISO」を、撮影の「三位一体」とか「三種の神器」とか「三つ巴」などと、いうかどうかは知らないが、密接に関係し、その間柄を機能的に、適切に処決しなければ、「てっぱく」での写真は成り立たない。
 被写界深度を得るために、f 値をどの位絞り込むか? これは、シャッター速度とISOに連動しているので、まことに頭が痛い。この痛さを、心地良いものに還元しようという心意気に乏しい人もまたやはり、荷物をまとめて、里帰りをしたほうがいい。
 こんなことばかりいっていると、英国の超二流推理作家A. Cの作品『そして誰もいなくなった』になりかねず、このままでは、ぼくは認知機能障害の、心持ちの悪い写真屋に仕立て上げられてしまう。来週は、そこに配慮しつつ、改めてしっかり述べたいと考えている。

https://www.amatias.com/bbs/30/612.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。同じ写真をモノクロ(調色)とカラーに。ぼくはモノクロのほうがしっくりする。

★「01てっぱくB&W」
EF58型電気機関車の運転席をガラス越しに。ぼくはこのEF58が地元の路線から姿を消すとともに、鉄道ファンから身を引いた。窓から入る光の質感を重視し、露出を決める。外光は2枚のガラスを通ってぼくの目に入っている。
絞りf7.1、1/60秒、ISO 25600、露出補正+0.33。

★「02てっぱくColor」
撮影時のイメージはモノクロだったのだが、光線の感じはカラーのほうが、生々しい。データは、同上。

(文:亀山 哲郎)

2022/09/16(金)
第611回:晴れて鉄道博物館(1)
 先週の金曜日に、やっとかねてよりの念願がかなって(少し大仰か)、大宮の鉄道博物館こと「てっぱく」に行ってきた。かねてよりの、といってもここが開館したのは2007年のことだから、取り立ててというほどのことではなく、のんびり屋のぼくにとって15年前というのは 、悔しいかな、もうこの歳になればこその、 “ついこの間のこと” なのだ。
 また、「念願がかなって」とはいうものの、長年待ちわび、恋い焦がれていたというような性質のものではなく、「かつての “撮り鉄” として(ぼくが鉄道写真に執心だった小・中学生時代は、まだそんな薄っぺらで、軽佻な言葉は製造されていなかった)、かつての沽券を保つために、そのうちに行っておかなければなぁ」との程度だった。

 だがそこに行けば、鉄道車両に対して抱いていた憧れや畏敬の念が、マグマのように今も色褪せることなく赤々と吹き上がり(これも少し大仰か)、ぼくはそこで時の経つのも忘れ、カメラを振り回し、そして再訪を期すことくらいは、己を知るぼくには、すでに分かりきったことだった。
 老体を引きずる身とはいえ、鉄道はやはり今も昔も “心ある” 男の子のロマン(昨今は婦女子の鉄道ファンも、男ほどではないがおられるようだ)として、多大な生命力と夢を与え続けている。ただぼくは現在、昔抱いていたような興味と熱はなく、その理由は機会があれば、あるいはこのシリーズで余力があれば、触れたいと思っている。

 「てっぱく」に興味は大いにあるのだが、元来のものぐさが物をいい、なかなか重い腰を上げられずにいた。その大きな要因は、「もし、期待通りでなかったら、その絶望感に耐える自信がなく、自暴自棄になるより他なしとなる。ぼくは途方に暮れながらも、その喪失感によりふて腐れ、博物館内で多情多恨のために狼藉を働くに違いない。
 昔、亡父や若くして亡くなった叔父貴に連れられ、幾度となく通った、秋葉原は万世橋にあったてっぱくの前身である『交通博物館』に於ける夢のような時間と、懐かしさに咽ぶような、遠くありながらも、あの確かな記憶だけはどうしても奪われるに忍びない。あの時の思い出は、ぼくの子供時分の宝でもあり、そして明確な年輪を成した、豊かな、そして懐郷にも似た、心に牢記して忘れたくないもの」ということにあった。失うものの大きさに、ぼくは臆病風に吹かれ、それがために、億劫な気分も一方にはあったのだった。

 ところが、ぼくのそんな複雑で深遠なるものぐさぶりを尻目に、我が倶楽部の面々は、ひとりの食い気一辺倒のご婦人を除いて、全員がそれぞれにいつの間にかちゃっかり訪問し(なかには、内緒で「てっぱく年間パスポート」などという洒落たものを懐に忍ばせているご婦人もいる)、やはりちゃっかり “それなりの写真” を、ぼくの知らぬ間に、あたかも平然を装いながら撮っている。油断も隙もあったもんじゃない。
 そして、そのプリントを、月一度の勉強会に、これ見よがしに持参し、ぼくの未体験をなじるように、鼻を精一杯膨らませ、得意気な顔をして、「どうよ!」とばかり、机上に所狭しと、かるたを並べるようにしながら何気なさを気取り、「暗いから撮りにくくてねぇ」などと取り澄ましたような言い訳をして見せる。ところが、この仕草は、まるで茶道のようにまったく無駄がないときているから、付け入る隙がない。
 彼らは、先輩格であり、元祖撮り鉄であり、熱烈な鉄道ファンだったこの指導者もどきを、敬うどころか、見下すような尊大かつ横柄な仕草に打って出るから、ホントにたいしたものだ。たかが「てっぱく」如きでね。

 「え〜っ、おいっ! てっぱくに行ったことぐれぇで威張るなよ。そんなに偉いのかよぉ! おれはあ〜たたちが、とんでもねぇ在に住み、青っぱなを垂らし、乾いた鼻汁で頬をガビガビにしながらも、余ったそれを惜しむように鼻の穴から出したり、すすったりしていたころから、秋葉原つ〜、と〜きょ〜のど真ん中に通ってたんだよ」と、ぼくは少々荒れながらも遠慮がちに独りごちる。声に出さないところが、これまた、あっぱれである。
 しかし、ここだけの話、彼らの持参する「てっぱく写真」のなかには、なかなかのものがあって、ぼくはそれを衷心より褒め称えることにしている。
 ぼくが、世辞をいわない(世辞というのは、相手に失礼なものと思っているので、ぼくは社交辞令などというものもこそばゆく、あまりにもばかばかしいので使ったことがない。世渡りなどに縁のないところで生きてきた人間の特性のようなものか)ことを彼らは知ってか知らずか、一見素直に受け止めてくれる。そんな時、ぼくはふと、自分が指導者もどきであることに気がつく。そして、自分ならどう撮るかに考えを巡らせる。ぼくはぼくで、ちゃっかり美味しいところはいただいてしまおうという魂胆なのである。

 「暗いから撮りにくい」との彼らの指摘は、とても正しい。「てっぱく」で写真を撮ったことのある写真愛好の士すべてが同様に感じているかは、甚だ疑問である。ぼくは、世辞はいわぬが、正しく疑り深いのだ。
 「暗いから撮りにくい」、したがって「恐い」と感じることは、撮影の論理に、科学的にも、生理学的にも、機械工学的にも、人間工学的にも、すべてが完全に合致しているので、写真は暗所を恐れてこそ、ナンボの世界なのだ。
 恐れる者は、藁をも掴む !? (ちょっと違うだろ。「溺れる者は」だった)の如しなので、工夫を凝らし、頭に血を巡らせ、知恵を絞り、今までに培ってきた撮影や暗室作業のノウハウを思い起こし、それらを間違わずに総動員し、また駆使しなければならず、当然のことながらここには上達の道が大きく開かれている。ぼくは「てっぱく」でこの妙味をつくづく感じたので、今は残念ながら「年間パスポート」が武漢コロナのため中断しているのだが、いち早い復活を願うばかり。
 
 次号は、秋分の日のため休載となりますが、その翌週は「暗さの克服」について、ぼくなりの方策を記してみたいと考えています。少しは、写真的な話もしなくっちゃね。

https://www.amatias.com/bbs/30/611.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』

★「01てっぱく」
2Fの廊下より、転車台(ターンテーブル)の実演を実際の汽笛(4回実演。録音ではない)を聴きながら、超広角レンズで追う。掲載写真はリサイズ画像のため(長辺800pixにリサイズ。実画面は、長辺5725pix)、ディテールや質感が描けず残念。
絞りf4.0、1/15秒、ISO 640、露出補正-0.67。

★「02てっぱく」
C51の動輪。ライトが下から当てられ、フォトジェニックな画角を嬉々としながら探す。
絞りf6.3、1/15秒、ISO 2500、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)

2022/09/09(金)
第610回:一人前になるには何年がかり?
 前号で触れたカメラバッグは、もどかしくも「大は小を兼ねる」という性質のものではないのだが、一般論として、カメラ機材は概ね質が高くなればそれに準じて重量が増し、嵩がはるものだ。悔しいかな、価格もそれに否応なくお付き合いをする。この法則はしかし、印画紙にまで及ぶ。薄手の、非常に良質な和紙を用いた印画紙もあるが、これは法則に当てはまらない稀な例である。
 軽くて持ち運びに便利な工業製品に、過ぎたクオリティを求めるのは無理難題を押しつけるが如くの分からず屋、つまりがんまち(無遠慮で利己的なさま。ぼくは幼少時、京都の祖父からよくそういわれた)ともいうべきもので、残念ながら、重さ、大きさは、製品のクオリティに比例する傾向があり、それは物質文明の通り相場となっている。このことはおそらくカメラ機材ばかりでなく、他の製品についても似たり寄ったりの、どっこいどっこいというところだ。どんぐりの背くらべと捉えていいのだと思う。

 この大原則をなんとか打破しようと、製品づくりに携わる科学者たちは長年にわたって培ってきた知恵を頼りに、技術の粋を集め、その難題の克服に努めてきた。少なくとも、科学者でないぼくの目にはそのように映る。ただし、科学者は様々な試行錯誤を経て、自身の経験則やそこで得た勘、洞察力や観察眼という数値では表すことのできない何か、それをして “センス” といってもいいが、つけ加えているのだろう。
 いくらその分野の科学的知識や技術を持ち合わせていても、最終的な拠りどころは、やはりセンスなのではないかとぼくは考えている。科学の分野ばかりでなく、どのような分野でも、技術とセンスは常に同等のもので、両者が程よくバランスを整えたところに、良いものができあがるという寸法である。どちらか一方だけでは、おかしなものができあがってしまう。決して飛躍ではなく、写真も然りであろう。
 おそらくぼくのそのような見方は一面的であるのだろうが、けれど半分は当を得た言い分であろうとも思っている。

 こと写真について、ぼくがこの議題について述べる資格があるか否かはさておき、以前に(もうずっと前のことなので、第何回かは失念しているが、思うところは変わっていない)、「技術や知識は熱心に学べば修得できるが、センスを育むのは多くの積み重ねが必要で、一朝一夕(いっちょういっせき)に適うものではない。技術より時間がかかり、多難でもある」という意味のことを述べた記憶がある。
 写真を撮ることばかりにいくら一生懸命打ち込んでも、それがセンスを育てることになかなか直結しないという皮肉っぽい考えにぼくは賛同する。いわゆる「写真バカ」ほど始末が悪く、教え甲斐もなく、したがって希望のないものはない。ぼくはそのような、伸び代の感じられない、狭量な人にも出会ってきた。自分ひとりの世界に凝り固まってしまい、外の、他人の世界が見えなくなっている。写真以外の美に感応しようとするような向学心溢れた努力を知らないので(あるいはしたことがないので)、何も育たないということである。

 編集者と写真屋の過去52年の間に、ぼくは様々な分野の名人・名匠と謳われた多くのひとびとと接し、彼らと仕事をしたり、話をする機会に恵まれた。この意味では、特異な仕事であり、ぼくはこの幸運に多くを授かった。
 ここでいう名人・名匠・名工とは、職人であり芸術家でもあり、その双方を兼ね備えたひとびとのことである。職人と芸術家の定義づけは、ぼく自身明確なものがあるが、ここでは同義として言及してもいいと考えている。
 彼らとの会話は、インタビューアーを介してということもあったし、ぼく自身が訊ねたこともある。その場その場で、ぼくの興味ある質問を投げかけたものだが、そのなかのひとつに、ざっかけなくいうと、「一人前になるには、どの位の時間がかかるのか?」というものだった。ぼくは誰彼なしに同じ質問をしたものだ。
 「一人前」をどう捉えるかで、答は自ずと異なってくるものだが、均(なら)していえば、「毎日やって20年」だった。一人前になるには、日々苦心惨憺して20年を要するとの答はぼくを十分に納得させた。その答えに、意外性を感じたことは一度もない。

 ぼくは彼らに下世話な追い打ちをかけた。ちょっと勇気の要る質問でもあるのだが、我が身を振り返りつつ、おっかなびっくりというところだ。
 「一人前か十人前かは別として(と、彼らの逃げ道をまず塞いでおいて)、20年間そのようにすれば、誰でも蛍雪の功ありということですか?」と。読者のみなさんはどう思われるだろうか?
 彼らは異口同音に、「日々そう信じて、自身のすべきことを真摯に、コツコツと遂行する。それしか方法というものが見つからない」といわれた。

 かつて、いやつい最近まで、ぼくは重い、嵩のはる機材を身にまとい、心身をすり減らし、ついでに懐も寒々しいものにしながら、喘いできた。そうでもしなければ、一介の写真屋として、お天道様に申し訳が立たないと、おかしな理屈をつけていた。「心を入れ替え、情熱を持って事に当たれば、 “何事も遅すぎるということはない” 」との自家製呪文を唱えながらのことである。
 それは上出来な呪文なのだが、ただ惜しむらくは、日々根性を入れることなく、漫然としながら夜の帳(とばり)が下りるのを、何かの言い訳をするためにじりじり待ち焦がれていたし、布団に入っては、如何に惰眠をむさぼるかに明け暮れていた。「時の経つのは早いものだなぁ。『光陰矢の如し』というけれど、宇宙の摂理に従えば、失った時は戻って来ないらしいから、ぼくのような凡俗な人間は、日々朗らかに過ごすことが一番だ。高尚な落語でも聴きながら、今宵も笑いながら寝るとするか」。
 禁酒・禁煙・日々怠りのないウォーキング。そんなことをしたって、写真は写ってくれやしませんぜ。まだ半人前のぼくは自分を叱咤しながら、今この原稿を、さばさばした気持で認(したた)めている。

https://www.amatias.com/bbs/30/610.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県さいたま市。幸手市。

★「01さいたま市」
レンズテストのために新調のレンズを持ち出す。目に付いたものは何でも、ダボハゼのように食いつく。
絞りf4.0、1/40秒、ISO 250、露出補正-0.33。

★「02幸手市」
時計屋さんのショーウィンドウに懐かしい五つ玉の算盤が。
絞りf5.6、1/160秒、ISO 800、露出補正-0.33。

(文:亀山 哲郎)

2022/09/02(金)
第609回:いくつあっても足りないカメラバッグ
 本職以外のことで、あれやこれやに忙殺されることは、まことに喜ばしきこと、幸いなることと、自身を慰める日がもう2ヶ月以上も続いている。拙稿とて、そのうちのひとつに数えられるのだけれど、もう12年も、しかも毎週のことなので、半ば見当外れの仕事とはいえなくなっている。ましてや、自爆行為であるかのような写真掲載を自ら課してしまったので(今さら、 “迂闊” との御託を並べるわけにもいかず)、こちらは多少の本業も兼ねてのことだから、弱音を吐く間がない。
 写真と文章の乱打は、横着ここに極まりてというところ。こんな所業は常に首根っこを押さえられているに等しく、また友人たちに恰好の口撃材料を与え、気弱なぼくはそのうち自刎(じふん。自分で自分の首を斬り、絶命すること)するのではないかと恐れている。

 何事にも気丈な奥方は、ぼくに一応の気遣いをしている風に見せかけ、実のところ、家事を含めた雑事をしっかりといいつけてくる。
 「忙しかったら、あとでもかまへんしな。のんびりしとったらええわ」と京言葉でよどみなくいい、だがぼくは間を置くことなく素直に、やはりよどみなくいいつけに取りかかる。
 雨が降れば、坊主を新都心にある職場まで車で送ってやり、月に一度の割で実家に遊びに来る娘には駅まで送迎してやる。ぼくは一度として、彼らの要求を拒んだことはない。忠義が服を着て歩いているようなもので、ぼくの忠義立ては、得体の知れない強迫観念に打ち勝つことができず、足腰が立たなくなるまで続くのだろう。これをして、下僕という。嗚呼、やんぬるかな、である。
 無体な彼らに心身を蝕まれながらも、ぼくは写真に忠誠を誓い、一意専心、考えを巡らし、ない知恵を絞り、思うに任せぬ肉体を駆使し、立ちくらみを覚えながらも、神にかしずくような気持で何かを念じ、静かにシャッターを押すのである。だが、健気なだけでは、写真はどうあっても写ってくれない。

 自分の意に添うような写真を撮るにはどのような方法があるのだろうかと考えてみるに、「写真のクオリティは機材に依拠しない」との持論を堅持しつつも、使用機材により心身の負担を取り除き、快適さを得ることも、消極的な方策かどうかはよく分からないのだが、悪くはないだろうということに思い当たった。それもひとつの方策に違いない。
 カメラやレンズは画質というものに直接の関わりがあるが、それ以外にも大切な関連機材は多くある。撮影時に使用する諸々を具合良く収納するカメラバッグも熟慮に値する必須アイテムだろう。

 仕事柄といえばそれまでだが、今までに一体いくつのカメラバッグを使用してきただろうか。国内外のロケでは、できるだけ多くを収納できる大きなバッグをまずひとつ、そして現場で持ち歩くもののふたつは必要となるが、カメラバッグというものはどれもこれも「帯に短し襷(たすき)に長し」とまではいわないが、なかなか満足できるものがない。万能品というものが存在しない。不満足な部分を解消しようと、いつの間にか、あれもこれもと、真面目に写真に取り組むほどに、三脚同様、自然にどんどん増えていく。ひとつで事足りぬものの代表格がカメラバッグであろう。ほんに困ったものだ。

 仕事でなくとも、撮影目的により持参する機材も変わり、時には贅沢気分に浸りたく、使い勝手よりデザイン重視のバッグが欲しくなったりもする。ぼくにだってまだ多少の洒落っ気があるのだが、一方で昔メーカーから無料でもらった、今はもうぼろぼろになりハゲちょろけの年代物のバッグを揚々と肩に掛けていたりもする。「Kiss」と書かれた部分が申し訳程度に読み取れるくらい擦り切れている。ぼくはEOS-Kiss を使ったことはないのだが、この小さなバッグは地球のてっぺん近く、地の果てまで同行してくれ、風雨に打たれながらも大事なお役を果たしてくれたものだ。とても捨てる気にならず大切にしまってある。

 1年半前にカメラをミラーレスに変え、ぼくの機材も軽量化した。以前使用していたプロ用カメラを最近は使わなくなり、またぞろ、それに合うバッグが欲しくなった。1年前に購入した小さなバッグも良い使い心地なのだが、ミラーレスカメラ用に購入したレンズが嵩んできたので、時々役不足の感が拭えず、もう一丁欲しくなった。
 そんな折り、ぼくの気を見透かしたかのように、輸入代理店から台湾製のヴォータンクラフト(Wotancraft)や英国製のビリンガム(Billingham)の案内が届いた。ず〜っと以前からぼくはそれを物欲しげにしていたので、その気配を敵は察知したのであろう。

 「うんうん、なかなか良かね。使い勝手も良しゃそうだし、デザインも良かし。ばってん、値段の高かばい。どげんしよ〜。まちっと我慢しんしゃい」と、ぼくは京言葉でなく博多弁と佐賀弁の混合語でつぶやいた。
 何故か、標準語でいってしまうと、購入ボタンをポチッと押してしまうような気がしたからだった。今のところぼくは、九州言葉に救われ、衝動買いを辛うじて抑えている。欲望を思いとどまる理性というものが、どうやらこの歳になってようやく身についてきたかのように思われる。だが、バッグの新調は、きっと写真の前進をもたらしてくれるような気がしてならない。

 奥方の京言葉に抗うには、九州男児の言葉がよく、標準語では京言葉に到底太刀打ちできない。味気のない直裁的な標準語というものは、ニュアンスに乏しいがために誤魔化しが効かず、油断のならない同居人にあっさり言葉尻をとえられてしまうのだ。ぼくは我が家でも、首根っこを押さえられている。

https://www.amatias.com/bbs/30/609.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF50mm F1.8 STM。RF16mm F2.8 STM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
つわぶきの葉。
絞りf7.1、1/80秒、ISO 640、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
名称不明のきのこ。撮影時からモノクロをイメージ。A. アダムスになったような気分でシャッターを押す。新調した超広角レンズ、なかなかのもの。
絞りf8.0、1/45秒、ISO 400、露出補正-0.33。


(文:亀山 哲郎)

2022/08/26(金)
第608回:値段の割には案外・・・(2)
 2017年、ぼくは古稀を迎えた記念にちょっと値が張るが、気になっていたレンズを購入した。実は “ちょっと” ではなく、 “おおいに” だった。
 誰も古稀を祝ってくれないので(ぼくも他人の古稀を祝っていないので、別に祝ってくれなくていいのだけれど)、「ありがたくも、艱難辛苦を乗り越えて、今日までよくも無事に生きてこられた。これも何かの思し召し」と捉え、その御意に従い、大奮発してもよかろうとの思いに至った。

 60歳くらいまで、ぼくは広角レンズから望遠レンズまで満遍なく使用していたが(公私ともに)、写真を撮るにつれ望遠より広角のほうが性に合うようで、それなら今市場にある最も広角なレンズを手にし、遊んでみようと考えた。
 仕事の写真とは意図的に距離を置くようになっていたので、私的写真用にキヤノンEF11-24mm F4L USMという非常にエキセントリックなズームレンズは都合も良く、この重量級のレンズを振り回してみようと企んだ。2015年の発売当時では魚眼レンズを除くレンズ交換式カメラ用レンズとして、世界最広角であり(現在は中国製LAOWAの9mmがあるが)、11-24mmによる写真は、拙稿にも多くを掲載させてもらった。 
 もっぱらいたずらっ気十分な、いろいろな意味で積載オーバー(画角も、価格も、重量も、大きさも、性能も、何もかもが超弩級)なレンズだ。しかし、11mm広角レンズによる世界は異様ともいえるが、非現実的な世界を描き出すには十分に美しい役者っぷりである。遊びといいながらも、非常に多くのことを学べた(特に構図感覚や被写体との親和性)ので、ここではやはり勉強用と敢えていってもよいだろう。 

 このような出資(キヤノンオンラインショップでは、445,500円)を、いたずらにしては高価すぎると思う方がいるかも知れないが、遊びや冒険とは元々そのようなものとぼくは心得ている。価格に準じて得られる味わいの深さや醍醐味は、自然の摂理ともいうべきもので、そのために人は身を削り、汗水を垂らし、砂を噛み、血を吐きながら、一生懸命に仕事をするのだ。
 したがって、高尚な !? 遊びをするためには、大がかりなあれこれを必要とする。遊びの質も、残念ながら出資に準じるとは、夢のない、しかも味気のない恨みがましい筋書きだが、命題の肯定、否定は精神論に拠り所を求める他なさそうである。

 新調したRF16mm F2.8 STM の超広角レンズはキヤノンオンラインショップで41,800円とあるから、大奮発した前出の11−24mmの10分の1以下の価格である。いわば、今回は小奮発。
 このレンズは廉価版として新たに開発されたもので、価格も重量もかなり控え目であり、11-24mmと描写性能を比較するような野暮で非理知的な所業は道理に合わないどころか、愚行の極みというもの。 “撒き餌レンズ” などと卑しくもさもしい言い方をされている標準レンズRF50mmF1.8 STM(31,680円)と同焦点距離のRF50mm F1.2L USM (357,000円)を同じ俎上に載せ、「RF50mm F1.2L はさすがですね」との論調を散見するが、ぼくはとてもじゃないが、そのような向こう見ずな勇気を持ち合わせていない。

 描写性能に関して、ぼくはフツーであればそれでいいと思い購入した。欠点があれば納得づくで目をつむれる。いや、「欠点」ではなく「不十分」というほうが当を得ている。「欠点」と「不十分」は、意味合いがかなり異なる。とにかく小さくて軽いという利点に、ジジィは一も二もなく捕捉され、ノックアウトされたのだった。悲しいかな、今のぼくにはそれが説得力を持つのだ。 
 軽自動車の優れた点をありがたくいただけばよいとの賢い考え方同様に、至極まともであり、健康的でもある。そして、このレンズは、上着のポケットに忍ばせておける。こんな気楽なことはない。はなから、超弩級の11-24mmとの描写性能比較などという、アッホーなことはまったく考えにない。

 購入してからまだ日が浅いので、目下テスト中だが、長辺800ピクセルの当掲載写真で「百聞は一見にしかず」であるかのように、明確に判別できる歪曲収差(基本的に、広角レンズであれば、樽型歪み。望遠であれば糸巻き型歪み。この両者が組み合わさった陣笠型歪み。この収差は撮影時、絞りを絞っても緩和・修正できない)についての写真を掲載する。

 「01」は、タイル模様の建材の建物を、三脚を使い、複写の要領で撮影したもの。デフォルト現像では、憚りなく樽型に歪んでいる。かなり激しい歪曲収差だ。こんな歪曲収差の激しいレンズは今まで使ったことがない。
 「02」は、DxO社のPhotoLabに装備されているこのレンズのプロファイルをあてがい現像したもの。歪曲収差はきっちり修正されている。しかも、画質の劣化が見られない。
 「03」は、キヤノン純正の現像ソフトDPPを使用し、レンズプロファイルをあてがったもの。歪曲収差は正確に補正されているが、「02」に比べると、画像の周辺部がカットされている。つまり、結果として画角が狭められている。なお、DPPの使用説明書にも「歪曲補正を行うと、画像の周辺部が一部削除されることがあります」と記されている。だがこれも考えようで、画面の四隅はどうしても画質が劣化しているので、その部分を取り除いていると解釈しても良いのではないか。ものは考えようである。
 「04」と「05」も同一データだが、歪曲補正をDxOとDPPで処理したものでは、画角が異なっている。路面に描かれた「左折」の文字と空の広さなどが、DPPではかなりクロップ(切り取ること)されていることが分かる。

 今回の掲載写真は歪曲収差に特化した見本写真だが、メーカーに関係なく現代の廉価版レンズは、レンズの不十分なところを現像ソフトで(レンズプロファイルにより)補正することを前提に設計・製作されているとの見方は正しいだろうと思う。どんなに高価なレンズも程度の差こそあれ、歪曲収差を含めた諸収差が存在するが、このように極端な収差を持っているレンズは、同時に優れた現像ソフトにより救済の手立てがあるということだ。
 廉価なレンズをお宝ものにするか、 “撒き餌レンズ” で終わらせるかは、使用者次第なのだ。

https://www.amatias.com/bbs/30/608.html
             
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。

「01〜03」。
絞りf4.0、1/640秒、ISO 100、露出補正ノーマル。

「04〜05」。
絞りf2.8、1/800秒、ISO 100、露出補正ノーマル。


(文:亀山 哲郎)