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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/06/17(金)
第302回:栃木県真岡市(6)
 人間は50歳を超えたら、自分のことより他人のために何かをしようと心得たほうがずっと生きやすいのではないかと思うようになった。なかなか成しにくいことではあるけれど、息苦しくも世知辛く、殺伐とした現世にあって、そのほうが精神的に麗しいことではないかと自分に言い聞かせもしている。
 ぼくに信仰心といえるようなものは何もないのだが、「望まれれば、他人に自分の信ずるところを取り運ぶ」とか、「他人の利に資する」ことを第一に踏まえ、それを信心とすれば、少しは救いがあるようにも思える。分相応の心がけが肝心で、ぼくとしてはかなりの上出来だと思っている。
 他人のためなどといえば聞こえはいいが、とどのつまりそれは自分のためだとも認めている。だからそれは、決して慈善でも奉仕でもなく、ましてやひとかどのことでもなく、ぼく自身の生きるための方便なのであり、ここにぼくの “生きやすさ” を求める楽天性(楽観主義とも)がある。したがって、義人とはいいかねる。

 40歳代に世界各地で起こっている不条理な死に幾度となく直面し、自身も今日まで2度にわたる癌の告知を受け(これは不条理ではないが)、死の際にある人々を多く見てきた。そのようなこともぼくの精神に何某かの影響を与えている。50を超えて、天性の楽天に影が落ち、つまずき始めたのだった。
 話は飛躍するが、青春時代に知った李白(701〜762年。唐時代の詩人)の「生は暗く、死もまた暗い」という詩の一節が、50にして実感あるものとして響き始めたともいえる。

 2003年、55歳に至って、ぼくは前述した「望まれれば、他人に自分の信ずるところを取り運ぶ」ことに従い、長年写真に従事してきたその体験の切れ端のようなものを、プロ・アマに関係なく伝えることにした。とはいえ、どんなに力んだところで、人様に伝えられることは、ものの一端に過ぎないことは重々承知のうえだった。たかが知れている。
 写真倶楽部は強要されてのことではあったものの、ここでぼくの放蕩はますます色を濃くしていった。ここでいう放蕩とは、何ひとつ憚ることのない世界という意味であり、それは写真を撮る際にとても大切な精神的環境である。これなくして、人は現在の自分(写真)から “突き抜ける” ことは困難だ。堂々巡りから抜け出る最良の方法は、硬直を解きほぐすことから始めるのが一番だ.

 どこで話を真岡に持って行こうかとぼくは今右往左往している。硬直して話の取っ掛かりが掴めずにいる。放蕩に(こんな日本語あるのかなぁ? “唐突に”というべきか?)始めてしまおう。

 真岡は人情がとても良いとお話ししたが、ぼくは面白い体験をした。狭い区域を歩き回っているうちに大谷石で作られたという「久保記念観光文化交流館」を覗いてみたくなった。近所にあるはずなのに、どうしても見つからない。地元の人に訊ねるしか方策はなさそうである。
 表通りに面した歩道で犬を連れた、年の頃40手前と覚しきご婦人に「久保記念観光文化交流館はどこにあるのでしょう?」と聞いてみた。ご婦人は間を置き思案中だった。ぼくは「このへんにあるはずなんですが・・・」と続け、彼女の返答をじっと待った。彼女のもじもじした沈黙に、時が止まったような錯覚を覚えた。
 彼女は首を傾げ、誠にか細い声で「すいません。分かりませんで。申し訳ありません」と、何か罪悪感を抱いているかのような声の調子でいった。恥じ入るように、内気というか、控え目というか、最近になくお淑やかそのものだった。
 「そうですか。この近くにあるはずなんですが・・・」と、ぼくも彼女の調子に合わせ、ディミヌエンドしながらいった。ちょっと気まずい空気が流れた。お互い二の句が継げないのだ。この空気の醸成はぼくに責任がある。

 犬を散歩させているのだから、当然地元の人であり、知っていて当たり前だという条件付きでぼくは彼女に期待を込めてその場所を問うた。勝手な期待感が彼女に負担をかけたに違いない。期待通りの反応を相手が示してくれないあの失望感が、ぼくの表情と声に表れたのだろう。可惜(あたら)好機を逃した無念さが彼女に直に伝わってしまったようだった。ぼくは申し訳ない気持で一杯になった。
 と同時に、ひょっとすると彼女は外国人かも知れないという思いが刹那頭をかすめたが、すぐに打ち消した。僅かな言葉のやり取りではあったが、外国人特有の訛りがみられない。言語の発音と抑揚に極めて敏感なぼくは、彼女は日本人であると決めつけた。

 ぼくは彼女に丁重に礼を述べ、表通りに沿って一人歩を進めた。すると50mも行くか行かぬうちに、目的とする建造物の看板が現れた。彼女同様にきわめて控え目な看板だ。ぼくは、目をすった自分が悪いのか、目立たぬ看板が悪いのか、けりをつけてやろうと建物の前に立ちながら責任のなすり合いを始めた。ここは譲れない。数少ない街の観光名所であろう。外貨獲得の場所ではないか。それに相応しい駐車場もちゃんと備わっているではないか。にも関わらず、なんだ、このしみったれた看板は! と威勢づいていると、ぼくの後から申し訳なさそうにやってきた先程のご婦人が離れた所から、「見つかってよかったですね。ここなんですね。とにかくよかった」と無言の霊波を送り、微笑みながら手を振っている。ちゃんと異郷人に別れの挨拶を送ってくれているのだった。ぼくはこの時、彼女本来の愛想を初めて見た。犬も機嫌良さそうに尻尾を振っている。
 今彼女の顔すら覚えていないが、ぼくはもう一度あの人に会いたいと思っている。思慕を巡らすとはこういうことなのだろうか?
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/302.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01謎の店」。
向かいに住む人の話によると、10年以上前に廃業したというが、裏手に回ると商売の痕跡がしっかりある。
絞りf11.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02くじけず」。
かつてシベリアで見た永久凍土に建つ家のよう。平行も垂直も失われながら、健気に立つ。
絞りf11.0、 1/250秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03月の出」。
斜光を浴びる空き家。東の空にうっすらと月が浮かぶ。
絞りf13.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。
 
★「04蔵」。
立派な大谷石造りの蔵だ。東日本大震災にも持ち堪えたようだ。平面撮影にf13まで絞り込んだのは、周辺の解像度をしっかり保つため。
絞りf13.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「05男写真」。
かつて鉄道少年だったぼくは、このような被写体を見るとやはり惹かれる。ダイナミックなメカが美しい。女性はこういう写真は撮らないんでしょうね?
絞りf13.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2016/06/10(金)
第301回:栃木県真岡市(5)
 前回申し忘れたことを補足事項としてお話ししておきましょう。
 雲ひとつない晴天下の撮影はコントラストが高く、撮影時の技術的なことを塩梅すれば、必ずしも好条件とは言い難いと述べたが、もちろん利点もたくさんある。
 そのひとつをお話ししておくと、時間帯を選べば劇的な光と陰の戯れを愉しむことができるということだ。みなさんすでにご承知のように、朝夕の光は陰が長く、しかも時間を追いながら大きな変化を見せる。特に冬の陰の動きは目視可能なほどだから、写真好きには斜光のおもしろさを十分に堪能できるだろう。夕方、陰が長くなればなるほどコントラストも低くなっていくので、なおさら好都合である。ただし、太陽を背にするとファインダーのなかに自分の影が入ってしまうことがある。な〜に、そんなもん、気にせずにどんどん撮ることだ。昨今流行の、お洒落な自撮りと考えればいい。

 夕陽は太陽が傾き始めるとともに、色温度が低下(黄味・赤味を帯びていく)していく傾向にあるので、情景は温かい雰囲気に包まれる。
 白昼下、へちゃむくれの被写体と思われたものが、夕暮れ時に化粧をし直して現れ出でたるそのお姿に思わずうっとり、などということはままある。夕陽は、何気ない風景を美化してしまう化粧の名人でもあるのだ。
 「♪ 赤い夕陽が校舎を染めて・・・♪ 」という流行歌(はやりうた)もあったくらいだ。好きな歌じゃないけれど。

 得てして、厚化粧というものはまったくの個人的な見解ではあるが、どうもいけない。いや、かなりいけない。だいたいに於いて、美的センスがなさすぎやしないか。女は老若に関わらず、うっすらとした化粧が一番美しい。
 まぁぼくの趣味はこの際どうでもいいのだが、夕陽はしかし、コテコテの厚化粧であるほど、郷愁というか哀愁を帯びた調べを誘うものだ。それはおそらく誰もが、人類のDNAとして備わった「あの夕焼けの原風景」を思い起こすからではないだろうか。沈む夕陽に神秘とロマンを感じるのは、これもやはり老若を問わず、といったところだろう。厚化粧のおばさまたちには、神秘もロマンもあったものではない。
 夕陽の厚化粧は、いってみれば、「悪女の深情け」的なところがあり、それをありがた迷惑などと捉えてはいけない。ぼくの文章はかなりコテコテだと自認しているので、こちらを本物の「悪女の深情け」と呼ぶべきかも知れないが、女の厚化粧よりはよほどましであろう、ってぼくもくどいな!

 ぼくは朝寝坊の質なので、斜光というと夕陽しか頭に浮かばないのだが、慌ただしく移りゆく光と影の競演は同時に物の質感をダイナミックに際立たせる。斜光の当たる角度によって質感が、白昼時よりさらに浮かび上がる。質感描写の大立て役者だ。この現象を感知しながら逃さずに写し取るのもひとつの妙味ではないだろうか。  
 アスファルトの舗装路や板塀、モルタルなどなどを観察していると、その質感がまるで早送りの動画のように変化していく。そこに夕陽(斜光)でしか撮れない写真を撮る面白さ、言い換えれば醍醐味を見ることができる。斜光を上手に捕らえ、利用することによって写真の楽しみを倍加させていただければと思う。

 質感をしっかり写し取れた写真をさらに強調して印象深い写真に仕上げようとする試みは一種の麻薬的作用を作者にもたらすことがある。カラーはカラーの、モノクロはモノクロの味をそれぞれに引き立てられればいいのだが、時として人は情に流され、過剰な期待をかけてしまうことがある。その過剰さは画質の荒れを惹起させ、空手や剣道でいうところの「寸止め」の機会をつい見失ってしまうものだ。「過ぎたるは及ばざるがごとし」だ。かく言うぼくも、知らずうちに何度もそのような轍を踏んできた。
 そこで学んだことは、一先ずは過剰であってもよいということだ。「平穏無事のことなかれ主義」をいつまで踏襲していても、得るものは少なく、なかなか前に進むことができない。冒険の繰り返しこそが、創作の心であり、真髄でもあり、そして要だと今更ながらにぼくは感じ入っている。何事もまず淫してナンボではあるまいか?

 そんなことを自分に言い聞かせ、行きつ戻りつしながら斜光の真岡を仕上げた。商売人としてここに公表する以上は、今の時点ではこれが自分の撮影時に抱いたイメージに最も近寄ったものであり、嘘偽りのないものだとの確信を持っている。
 写真もいささか「悪女の深情け」的ではあるけれど。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/301.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01陰とひび割れ」。
窓に貼った遮光材が長い年月を経て、ひび割れしている。真横から陽が射し、陰が面白く、引き込まれるように1枚いただく。リサイズ画像なので、壁の質感をよく見ていただけないのが残念。

絞りf13.0、 1/250秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02粋な黒塀」。
「辻善兵衛商店」。黒く塗られたナマコ板が斜光により際立つ。建物の金属壁が白く飛ばぬように細心の露出補正を心がけた。

絞りf11.0、 1/320秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03開店時刻」。
陽の沈みかけた時刻、画面左下の陰が生き物のように移動する。店には電気が灯る。

絞りf10.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/06/03(金)
第300回:栃木県真岡市(4)
 とうとういつの間にか300回目を迎えてしまった。記念すべき慶事!? であります。毎回「これでいいのか?」と思いつつ、丸6年間もぼくはへこたれることなく戯れ言ばかりを綴ってきた。自分の思うところに懐疑の目を向けながらも、できるだけ画餅(がべい。絵に描いた餅。役に立たないこと)に帰すことのないよう気を通してきたつもりではあるけれど、無粋の感を免れようと恥なしこと多々である。ぼくの写真体験などたかが知れているが、何より自己顕示が先立っての狼藉・亡状でありました。
 幸か不幸か、今のところ担当諸氏からのお小言もなく、それをいいことに、いつまで続くか分からないが、建て前を捨て、信条に寄り添い正直に書き殴っていきたいとの所存。どうぞ今後とも懲りずにご愛顧のほどを。

 前回まで重い雲の垂れ込める真岡写真を掲載させていただいたが、今回は日を改めて再訪した晴天時の真岡も交えたいと思う。また、「写真よもやま話」に相応しい?写真の技術的なメカニズムについて、記念すべき今回こそ真面目にお伝えしたいと思う。

 読者諸賢は、“雲ひとつない晴天時の写真” つまり俗にいうピーカンは非常に撮りにくいものだということをすでにご存じだと思う。その理由の最たるものは、被写体コントラストが高いからだということも十分に認識されているだろう。コントラストが高いとは即ち濃度域が広いということに他ならない。とても快適な撮影条件とは言い難い。

 人間の目は、1 : 20,000の明暗比を感知できるといわれているが、それにくらべフィルムやデジタル撮像素子の再現可能な明暗比はおよそ1:200に過ぎない。レンズの絞り値でいうとせいぜい7絞り半ほどである。写真は自然界の光の明暗比(おおよそ14絞り強)をギュッと圧縮して、印画紙上に再現しなければならない。当然ここに科学的・物理的な無理が生じ、シャッターを切った瞬間に、カメラは「再現できません!」と音を上げる。
 最も明るいハイライト部を飛ばさずに再現しようとすればシャドウ部は真っ黒に潰れ、反対にシャドウ部を再現しようとすれば、ハイライト部は真っ白に飛んでしまう。つまりコントラストの高い被写体では階調を失ってしまうということだ。
 コントラストが高くなればなるほど、このような不都合な現象に見舞われることとなる。結果、非常に醜く、汚い写真となってしまう。

 さらにここからが重要なポイントなのだが、シャドウ部、ハイライト部の「質感再現」をしっかりしようとするとその限度域は、標準露光値より「-2絞り 〜 +2絞り」の範囲に留まるということだ。ここに非常に厄介な問題が横たわっている。

 例えばファインダー一杯に無地のタオルを標準露光(露出補正ノーマル。18%グレー)で撮影し、露出補正を-2絞り(露出不足)〜 +2絞り(露出過多)の5段階で撮影してみればこの事実を発見できる。これが質感を失わずに済む露光範囲である。-3と+3の露出補正値ではタオルの質感はほとんど再現することができない。

 明暗比の大きな自然光を印画紙の狭い濃度域に十分に再現するためには、アナログではアンセル・アダムスの提唱した「ゾーンシステム」が最も有効な手段となる。「ゾーンシステム」は、シャドウ部を基準に適正露出を決定し、ハイライトの濃度をフィルム現像処理により調整していく。露出と現像調整により過不足なくできあがったネガフィルムを、引き伸ばし機を用い、印画紙上に自在に表現できるという仕組みになっているが、デジタルでは同じようにいかない。

 アナログ人口は昨今非常に限られているので、デジタルに話を戻すと、デジタルでも「ゾーンシステム」に準じた考えを用いて、過不足ない濃度域の再現が可能だ。そのためにはどうしても良い画像ソフトが必須である。
 フィルムはシャドウ部を基準にした露出決定だが、デジタルは逆にハイライト基準の露出決定をすればいい。要約すれば、白飛びを極力避けるような露出補正をして撮影すればいいということだ。シャドウ部が潰れがちになるが、デジタルのシャドウ部は案外潰れにくく、わずかな情報さえ残っていれば、Photoshopのような画像ソフトを使用してシャドウ部を起こすことができる。粘り強いのだ。さらに要約すれば「デジタルは露出アンダー気味に撮れ」とぼくは大胆に申し上げておく。
 この際に心がけておきたいことは、可能な限りISO感度を低めに設定することである。ISO感度を上げれば上げるほどノイズが増え、画像はどんどん劣化する。シャドウ部を起こしたくても、ノイズでザラザラ、どうにもならぬという憂き目に遭う。

 それを避けるために、自分のカメラはどのくらい感度を上げれば嫌なノイズが発生するか、それが耐えられるものかそうでないかをしっかりテストしておくことが肝要。ノイズを軽減するための機能がカメラや画像ソフトに附属しているが、弊害も多くぼくはその使用をお勧めしない。

 晴天時の被写体は思いの外コントラストが高いので、まずハイライト部を白飛びさせぬような露出補正を心がけていただければと切に願う次第。
 掲載写真は上記の掟を破り、意図的にシャドウ部を潰している。もちろん理由あってのことだが、ぼくは現在いち早く「ゾーンシステム」の呪縛から逃れようと、試行錯誤の真っ最中なのだ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/300.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01晴天下」。
晴天下では当然陰が至る所に出現する。女性の影がぬーっと出現。曇天下では撮れない写真だ。

絞りf10.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02晴天下」。
徘徊した一画の駐車場にへたり込み振り返ったら面白い陰が、やはりぬ〜っと目に入り5分観察の後、シャッターを切る。

絞りf11.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03曇天下」。
湿気を吸いブヨブヨになった畳のような駐車場のアスファルト。もの寂しい佇まいに、エステだかスナックだか、得体の知れぬ建物が。焦点距離16 mmの超広角故、雲が周囲に流れる。

絞りf9.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「04晴天下」。
「03曇天下」と同じ場所だが、これ以上後ろに下がると逆光の太陽が直接レンズに入ってしまうため、ハレーションを起こさぬギリギリの位置で撮る。太陽光の周辺にある雲を飛ばさぬように露出補正をする。建物はかなり露出アンダーとなるが、綺麗に再現できることを見越しての露出補正。

絞りf11.0、 1/250秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/05/27(金)
第299回:栃木県真岡市(3)
 「撮影は一人に限る」というのがぼくのいつもながらの持論だ。このことは以前にもどこかで触れたように記憶するが、被写体にじっくり、そしてひたむきに向き合おうとすればするほど、一人のほうがなにかと具合がいい。一人であることの最大の利点は、集中力と緊張感を保てることにある。同行者に気を遣うあまり集中力や緊張感を欠いてしまえば、「被写体を見失う」とか「新たな発見を見過ごす」ことにつながりかねず、延いては写真の “あがり” に大きな影響を与える。何気ない光景のなかから魅力的なものを抽出する能力を殺いでしまったりもする。複数人での撮影は感覚の鈍化をもたらすということである。

 撮影に限らず、旅もまた同様だ。旅に何を求めるかは人それぞれだろうが、そこには人的資質のようなものが大きく関わっているとぼくは考えている。旅の目的を大別すれば、楽しさを求めるのか、自己発見に努めるのかということだ。前者は日常の延長線上にあり、後者は非日常に身を置くという意味でもある。旅は臨機応変に使い分ければいいが、こと撮影に関しては精神の解放がより求められるので、どうしても一人が有利だ。
 精神の解放はとどのつまり、より強い自己管理を要求されるので、そこに自ずと責任を伴う。自己のすべて(感情や意志、行動・行為など)を注意深く管理しなければならなくなる。であれば些細なことも見逃すわけにいかず、それにより強い自己規制が働き、多くの発見をもたらすのだとぼくは信じている。

 ひと月の間に、少ない時は数十枚、多い時は数千枚の写真を見ることをぼくは余儀なくされている。それは楽しみと苦痛の入り混じったおもしろくも困難な作業であるけれど、よい写真を見逃すことなく撮影者に伝え、至らぬものについては注意点を述べる義務があるので、その心労はいかばかりか。しかし、癪なことに誰もぼくの労を知ろうとはしない。思いやりの心得を欠いているのだ。
 とはいいつつも、興味深いことは、見せられたその写真が同行者のあるなしを色濃く語っているということだろう。単独行かそうでないかを、百発百中とまではいかないが、作品がそれらしい匂いを発している。写真とはそれほどに正直で雄弁な表現媒体だから、努々(ゆめゆめ)侮ることなかれである。

 集団での写真は、どこかユルかったり、体重がしっかりかかっていないので、カンナ屑のように浮ついているようにぼくには思えてならない。作品から厳しさが薄れているようにも見える。ほのぼのとした写真やユーモラスな写真であっても、よい写真は作者の厳しい目(被写体への感情・理解・思索による深い共感と感動)がそこにあるからこそのものだ。報道写真でもユルユルに間延びしたものは数多く見られるので、問題は被写体ではなく、あくまで撮影者の目に依拠するところが大きい。
 今、これを書きながらぼくは少々冷や汗をかいている。自分を棚に上げて、思うところを忌憚なく他人に述べるということはとても辛いことだ。物づくりで報酬を得るというのは、写真でも文章でも、世に恥を晒すことだと、ぼくはそのような詭弁を弄さずにはいられない。

 ぼくの真岡撮影を聞いて、ぜひ一緒に行きたいという奇特な人が現れ、再訪することとなった。残念なことは、写真好きの彼女たちはどうもぼくの掲載した真岡写真に惹かれたわけではないらしく、話によるものであるということが判明した。「あたしならもっといい写真を撮る」との自信と気骨溢れる女性たちであるので、ぼくとて彼女たちの写真が楽しみだ。
 同行女史たちの写真的感覚は “ほどよく深化したもの” だとぼくは認めているし、高く評価もしている。名所旧跡、風光明媚な風景にばかり心奪われることなく、普段の生活のなかから自分にとっての美しいもの、大切にしたいものをしっかり見極めているので、ぼくは彼女たちのそのような感覚を育ててやりたいと思っている。真岡詣は彼女たちにとって大変意義深いものであろうと思い、同行を許可した。

 現地に至り、前回ぼくの逍遙した狭い区画をまず案内しようとした。一通りの案内の後解散して、それぞれが気ままに撮影すればいいと思いきや、案内などそっちのけで彼女たちは嬌声を上げながら盛んにシャッターを切り始めたのだった。よほどその光景に波長が合ったとみえる。
 ぼくは不寛容な態度を取り、「後にしなさい。一角を回って解散してからにしなさい」と、気骨ある女たちに負けてはならじと毅然といった。「だって、いいと思った時が撮り時だって、いつもかめさんいうじゃない!」と、真岡くんだりまで来てぼくに反駁してくる。ぼくは途端にしおらしい女(ひと)が恋しくなった。

 ともあれ、口うるさい彼女たちを無事放逐し、ぼくは安らかな気持で一人撮影に取りかかった。前回の曇天とは異なり、雲のほとんどない晴天だった。考え方をがらりと変え、モノクロ赤外線フィルムで撮ったように青空をイメージし、強い斜光と相まってコントラストの強い作画を試みた。
 狭い区画なので意図せず彼女たちとすれ違うことになる。すれ違いざま、「次回は雨がいいわね。雨よ、雨。いいわね! どこかにお団子屋さんないのかしらねぇ」と聞こえよがしにいう骨っ節と食い気一辺倒の女たち。ぼくの腕っ節をもってしても到底敵いそうにない。ぼくは再びしおらしい女が・・・。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/299.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01羅生門」。
羅生門とは偽りで、ここは般若寺山門。なぜか黒澤明監督の『羅生門』に出てくる荒廃した山門を咄嗟にイメージ。幼少時、奈良に遊んだときの古ぼけたイメージがどこかに擦り込まれているのだろう。

絞り11.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02長連寺」。
日本一の弁財天さまが祀られている長連寺。曇り空を飛ばさないように露出補正に気を配る。マイナス補正により黒く潰れた山門はPhotoshopで慎重に描き出す。

絞りf10.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「03荒町・寿町交差点」。
交差点にあったノスタルジックな建物。アナログの引き伸ばし作業で、レンズの前に黒の紗をかけたようなソフトなイメージに。

絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2016/05/20(金)
第298回:栃木県真岡市(2)
 タイムマシーンに乗って過去や未来に身を置くことができたらどんなに興味深く愉快なことだろうと考えるのは、子供ばかりではなく白髪ジジィでも同じだ。そんな夢に、もし異なる点があるとすれば、子供は純粋な夢を希望に代え、そして託し、年配者ほど純粋性を失うが故に、現実を睨みながら夢のなかを浮遊することになる。夢のなかでさえ現実という呪縛から逃れられず、だからどうにも不安定で居心地が悪い。子供ほど夢中になれず、同床異夢というわけだ。
 時として、論理にこだわりながらの夢見心地なので、その夢想にはどうしても邪念がつきまとう。懺悔とか贖罪という邪念を夢のなかに引きずり込んでしまい、畢竟ぼくなど過去に身を置いたら切腹ばかりしなければならない。
 タイムマシーンに乗って、もし過去に戻れたらとか、未来へ行くことができたらとか、子供は生きた時間がまだ少ないので過去を顧みることは少ないだろうが、年配者は敢えて辛い過去に遡ることを厭わないのは、そこで幾ばくかの執り成しを図ろうとするからではないだろうか。少なくともぼくの場合はそうだ。何度も切腹させられるのはたまったものじゃない。

 人類に科学という概念が生じて以来、特に時空遊泳は人間の果てしない願望のひとつといっていい。
 近未来、科学の発展によりそれが可能かどうかは分からないが、願わくは未来永劫に時空移動はSF小説のなかに封印しておいてもらいたい。実現不能のものとして、いつまでも人類の夢として留めておきたいものだ。だがしかし、ぼくは元来科学者の道徳的・倫理的規範というものを信用していない。平たくいえば、歴史を顧みるという知的ロマンを空(うつけ)に奪って欲しくはないのだ。科学が我々の営みにもたらす恩恵はなかなか否定しづらい面もあるが、見境なく我々の精神生活を蝕んでいることに無批判ではいられない。科学と商業主義が結びつくと碌なことにならない。

 真岡では廃墟や寂れたものに目を奪われたが、ぼくは所謂廃墟マニアではなく、必ずしも廃墟を見ればシャッターを切るというわけではない。そこに暮らした人々の息づかい(生の営み)のようなものに共感を覚えれば(これは直感によるしかないのだが)、血が騒ぎ出し、被写体として感情を移入することができる。
 すべての造形物には喜怒哀楽があるが、ぼくは強いて廃墟に「哀」を求めるタイプなのだろう。つまり、廃墟のどこかに哀感が漂っていれば、それを写し取りたいという意欲が湧いてくる。それはおそらく自分の生きてきた過程のなかで、「哀」の記憶が最も印象深く刻まれているからだと思う。廃墟に漂う哀感はもちろん自分の人生に照らし合わせてのもので、それは多様な「哀」の一種を探るという作業に他ならない。廃墟に感じ取った「哀」を自己に転写し、それをさらに受光素子に写し取るということだから、哀感変じて哀婉(あいえん)なるような写真であればいいと思っている。

 久しぶりに地方に出て嬉しかったことは、真岡で出会った人々の人情だった。お喋りというわけではないが、親切で懐こく、しかも礼儀正しい。そして何よりもおらが郷を誇りに思っていることだった。ぼくは旅に出て、国内でも海外でも、カメラを振り回し傍若無人に振る舞うが、にも関わらず幸いなことに不快な思いをした記憶がほとんどない。誰もがぼくより質がいいということなのだろう。
 真岡での2時間は半径200mほどの一角を徘徊したに過ぎないが、ここに暮らす人々との、瞬時ではあったが心温まる触れあいは良き思い出となった。これは特筆すべきことのような気がする。ぼくもこの地で、奇妙ながらも日本人としての誇りを少し取り戻せたような気がしている。こんな発見が旅の御利益というものなのだろう。

 地方都市の衰退が叫ばれて久しいが、車窓から見る市街地は、よくいわれるシャッター街とは趣を異(け)にしている。人影はまばらだが、生活が根付いている印象を受けた。どこかしっとりとして落ち着きがあるのだ。殺伐としたものが見当たらない。市の財政などぼくに知る由もないのだが、どうすればこの羨(ともしい。心惹かれること)しくも人気乏しい街にあれほど立派な駅舎(蒸気機関車を模した)が建てられるのか?
 土地の気風が人を育てるというが、この地の人たちはきっと長い間地に足のついた生活を営んできたに違いないとぼくは察している。安易なタイムマシーンなどに乗らずとも、歴史の持つ魅力は存分に測れるのではないだろうか。切腹の憂き目に遭わずに済むしね。


※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/298.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01スナック街」。
かつて賑わいを見せたであろうスナック街。隣接してまだ10軒ばかりのスナックや飲食店が。

絞りf8.0、 1/60秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02異国の人」。
地方都市のご多分にもれず外国人が通りかかった。ちょっと意外な出会いだった。「こんにちは〜」との挨拶にぼくも機嫌良く返答する。

絞りf9.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2016/05/13(金)
第297回:栃木県真岡市(1)
 連休直前の先月末、栃木県の真岡市にあてもなく出かけてみた。グループ展も終わり開放的な気分に浸りながらの、自由気ままな写真放楽といった趣だ。愁眉を開いての撮影ほど愉しいものはない。
 正午に起床し、珈琲豆を挽きながら急に思い立ってのことだから、下調べはおろか予備知識もない。見ず知らずの街に飛び込むのは、ある意味未知との遭遇が期待できるので、心弾むものがある。誰にも止めることのできないワクワクした感情に包まれ、そうなるともう “心ここにあらず” で、飲みかけの珈琲を味わう間もなく一気に飲み干しながら、「オレは親の死に目に会えずとも今日は断固行く!」と、固い決意を誓ったのだった。ずいぶんと勝手な情動である。思慕を寄せる人から思いもかけず誘われる、あの心境と同じだ。居ても立っても居られない。親より、 “そちら” が大切といえる人は正直者であり、かつ熱情的であり、放蕩者でもあり、そのような人間はよい写真を撮る資質に恵まれているのだとぼくは断言しておく。

 何故真岡なのか? との問いには答えようがない。「もおか」という語感に惹かれたような気もするし、門前町としての歴史的風致を今にとどめているという話もあまり聞かないのだが、江戸時代には木綿産業の栄えた街道筋でもあるので、小規模な遊郭もあったに違いない。
 遊郭に対するぼくの思い入れは、たとえば井原西鶴をはじめとする日本文学や浮世絵にも広く描かれており、そして落語にも出番が多い。いわば当時の文化の発祥地でもあったのだ。また、子供時分に遊んだ京都の遊郭(すでに使用されていなかったが)の一風変わった佇まいは遠い昔の懐かしい思い出として、ぼくの心のなかに刻印されている。
 もしかして、そんな情致の一片が真岡のどこかに見つかるかも知れないとの淡い期待があった。とにかく、あてにならぬ勘を頼りに、フォトジェニックな光景を探しに出た。

 午後1時半、「善は急げ」(ずいぶんと遅い善だが)とばかり、一眼レフに広角ズーム(16〜35mm)1本というぼく定番のスタイルで車に乗り込み、東北自動車道浦和ICから北上し、連結された北関東自動車道の真岡ICまで、約1時間の道程。距離にして約100kmである。
 暗雲垂れ込める真岡市街に着いたのは午後3時近くなっていたが、日も長くなり、撮影は2時間もあれば十分だった。ただこの雲模様に対して、露出補正に抜かりがあってはならず、それだけが要注意。

 余談だが、14年前(初めて購入したデジタルカメラが2002年に発売されたEOS-1Dsだった)からぼくの描く空や雲は重たい(暗い)といわれるようになった。この現象はデジタルカメラを手にして以来のことであり、空の描写がより思い通りに操作できるようになったからだろう。また、デジタルは白飛びさえさせなければ、フィルムよりはるかに精緻に明度やコントラストをコントロールできる。
 指摘されるまでもなく、ぼくの描く空と雲は確かに重く暗いことは十分に自覚している。それは北極圏での “生きた雲” との遭遇がもたらしたものだ。彼の地に於ける雲の目まぐるしい動きは、日本ではなかなかお目にかかれぬものだった。まるで巨大な生き物が休むことなく天空でうねっており、明度とコントラストの急激な変化に畏怖の念さえ抱いたものだ。
 デジタル技法と “生きた雲たち” との出会いはぼくに何某かの霊感を与えてくれたのだと思っている。これこそ天の恵みだった。ぼくにとって曇天時の露出決定法は、雲を最優先とし、天空をより立体的に、そして象徴的に描きたいということに基づいている。

 曇天より雨模様を心の片隅では期待していた。ぼくはあのしっとりとした空気感と陰影がとても好きなのだが、雨天はさらに露出補正に慎重さが要求される。こればかりは自然まかせの他力本願だから気を揉んでもしかたがない。

 真岡鉄道の踏切近くに来ると、蒸気機関車の形をそっくり模した駅舎が目に飛び込んできた。風変わりには違いないが、およそぼくの趣味ではなく、撮影の対象になるものではなかった。真岡鉄道は土、日、祝日に蒸気機関車を走らせており、古き良きものを大切にしながら後世に残すことは非常に意義のあることと認めるにやぶさかではないが、かつて鉄道少年だったぼくは、所謂 “撮り鉄” の世界にはまったく興味がない。鉄道のロマンには強く惹かれるが、 “撮り鉄” とは無縁でいたいと思う。
  

 広い無料?駐車場を見つけ車から降りると、小径を挟んだところに寂れた佇まいを発見した。途端に上気したぼくは、足早にその小径を進んだ。遊郭の気配こそないが、この道は往時を忍ばせる何かがあった。人馬の往来が目に見えるようだ。四つ角に立ちながら「そう、これが欲しいんだよね」とひとりごちた。上機嫌になりながらのまず第1カットが、前号掲載写真。この周辺を徘徊すれば、ぼくが当面親よりも大事にしたいものに出会えるのだという予感がひしひしと漂ってきた。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/297.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01関街道」。
前号掲載写真の関街道右側にある廃業したスナックと料理屋。地元の人の話によると10年以上も前に廃業とか。この街道筋と脇道にはこのような佇まいがあるに違いない。

絞りf10.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02蔵元」。
真岡に唯一残った蔵元、「辻 善兵衛商店」。創業宝暦4年(1754年)。代表酒に「桜川」や「花の舞い」がある。学校帰りの女の子が通りかかる。地元の人間と初めて出会った瞬間でもあった。

絞りf11.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2016/05/06(金)
第296回:写真展雑感(2)
 当方のグループ展も無事終了し、ご来場いただいた読者諸兄にこの場を借りて、篤くお礼申し上げます。ありがとうございました。
 毎年確実に来場者数が増え、定期的な積み重ねの大切さに改めて感じ入っております。

 素知らぬ様子で来場者の声に耳を傾けたり(無意識のうちの盗み聞き)、あるいはメンバーから「このような意見があった」と聞き及び、ぼくはいつもその伝聞に「おもしろいものだなぁ」と興味を惹かれる。自分の作品に対する意見にはまったくといって良いほど頓着しないぼくだが、メンバーの作品が来場者にどのような印象を与えているかについては関心がある。それで写真愛好家の動向が多少なりとも窺えるからである。とはいっても、指導者としての信条はいうまでもないが、寸分たりとも揺らぐようなことはない。メンバーにとってはそれが唯一の救いなのではないかと思う。

 また、来場者のなかには、作者を前にして、その作品についてのあれこれを(感想ではなく、撮影動機や暗室作業に)こと細かに踏み込み、解説を試みようとする人たちもいる。それがまったくの的外れなので、そのような人を好く料簡してみると、それはきっとその人の生き甲斐のようなものとなっているのではないかとさえ感じる。それほどに熱心である。
 ぼくはその意図を汲み取りかねるが、写真好きが高じて、あらぬ方向に歩を進めていると感じさせるような人が少なからずいることは、ぼくのような人間にしてみれば、これまた新鮮な驚きでもある。写真評とは異なる次元の、それはあたかも格闘技の荒技のようにも思えるからだ。
 あるいは、同行者に(おそらく写真仲間か友人なのであろう)、「この作品はね、このような意図で・・・」と、説いて回る人もいる。ぼくは、嬉々とされているその様子を、微笑ましく眺めている。会場に於けるこのようなアナログ的臨場感は、さまざま取り混ぜて貴重なものがあり、ネットでは体験しがたいものだ。

 この風景はグループ展に限らず個展に於いても同じである。ただ残念なことに、ぼくが常々いうところのいわゆる都市伝説や迷信めいたものに惑わされ、それを頑なに信じ込んでいる “解説者” が後を絶たない。ベテランといわれる人ほど、なぜか都市伝説を鵜呑みにしやすい。
 “なんちゃって話” の9割以上が伝言ゲームの所為であり、実証を経てないことに大きな要因がある。ベテランほどあらぬ先入観に囚われやすく、自身の手で科学的な実例や証拠を幅広く収集するのが億劫なのだろうか? 人の知らない珍しいことや欠陥を、裏側から捉えたり指摘したりすることに利を感じているのであれば、それはやぶ蛇というものだ。その類は長屋のご隠居にでも任せておけばいい。

 技術的な(これは科学)事柄に根拠なき都市伝説をもって解説されることが多々ある。感覚的なものは多神教でもいいのだが、科学は一神教でなければならず( “取り敢えず真実はひとつ” という意)、寛恕の心得に欠くぼくは、誤った信仰はその場で正さなければならないという写真屋としての義務感に駆られてしまう。お節介ながらも看過できないというわけだ。
 なので、できるだけ丁寧に、信仰心の篤い “解説者” に科学的な論理を示しながら、ぼくはしぶとい “解説者” に変貌せざるを得ないのである。

 デジタル写真が世に少しずつ浸透しつつあると感じたのは、「このプリントはどのようにして仕上げたのか?」とか「この印画紙は何?」という質問が以前にもまして多くなってきたことだ。あるいは「どのように暗室作業を施したのか?」を熱心に訊ねてくる人もいる。
 単純なお答えは、実はここにも落とし穴を作ってしまうので、注意深い説明が必要なのだが、ぼくは取り敢えず思うところを正直に申し伝え、そのうえで、留意すべき点に言及することにしている。ともあれ、少しずつではあるが、明るい兆しが見えてきたと思っている。

 「一に撮影、二に仕上げ(暗室作業とプリント)」を写真の両輪と標榜するぼくは素直にこの事実を喜びたい。得てして、一は熱心だが、二については無関心、もしくはないがしろの現状を憂いているぼくは、一足飛びにとはいかずとも、そのような意識を抱いている人の増加は、写真本来の質やありようを向上させるはずだと信じている。

 写真展雑感として、日頃感じていることはまだ山々あるのだが、写真も絵画も、さらにはあらゆる分野に於いて、論評はあって然るべきだが、作者以外の他人があれこれ作品を解説することにぼくは昔から非常な違和感と抵抗を覚えている。その違和感は苦笑でごまかす以外に手はなく、否定も肯定もできない作者だけが疎外され、また解説者は自己にとって疎遠な他者となる。ヘーゲルいうところの自己疎外とでもいうんでしょうか?

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/296.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

先週、ふと思い立ち栃木県の真岡市に出かけました。今にも雨の降り出しそうな厚い雲に覆われていましたが、それなりにイメージを描き2時間ばかり撮ってきました。来週から真岡市を連載いたします。

★「01真岡市」。
700年以上も前から鎌倉と奥州を結ぶ街道として開かれていた。ここは関街道と称され人馬の往来が盛んだった当時の面影を残している。写真右の道路が関街道。

絞りf9.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2016/04/22(金)
第295回:写真展雑感(1)
 今、埼玉県立近代美術館で開催中の我がグループ展を顧みながら、昨今の写真展に思いを馳せている。とはいってもぼく自身、歳を重ねるにしたがって写真展に足を運ぶ回数は激減している。出不精になったということもあるのだが、それより興味惹かれるものになかなか出会うことができないので、どうしても足が重くなってしまうのだ。
 歳とともに世情に寄り添うとか、迎合するとか、その類のものに極力逆らいたいというぼく本来の性格によるところも一因なのだろう。また、巷で囃し立てられるものに、好ましいものが見つからないということもある。流行りものは所詮流行りものでしかない。作品は時代とともにあるものだが、諺をもじれば「流行歌(はやりうた)は聞くに名高く、食うに味なし」といったところか。

 若い頃は寸暇を惜しんで、写真展ばかりでなく、美術展にも、演奏会にも足しげく通ったものだ。それが歳とともに遠のいてしまったのは、負け惜しみではなく、つまり感受性が弱くなったり、好奇心が薄れたりしたのではなく、繰り返しになるが自分にとって心に染み入るものが徐々に少なくなったと感じているからだろう。この仕事を続けている限り、進取の気象に衰えが生じたとも思えないのだが。
 それどころか歳を取って、作品の向こう側にあるものへの見通しは、若い頃にはなかなか持ち得なかったものがあると感じている。それは非常な愉しみでもある。ひとつの作品を眺めながらの想像や洞察は、より玄々なるものに少しずつ近づいているのだと思いたい。「玄々」とは、大辞林によれば「妙の一字は不可得不可思議の間に出て玄々のうちにあるなり」とあるが、そんな境地にはまだほど遠い。玄妙なる教理の理解と味わいに一歩でも近づきたいものだ。

 他に足の遠のいた要因を敢えて探し出すのであれば、自身の写真流儀やそのありようといったものの足固め( “確立” ではない)をしたいがために、今必要でないものはできるだけ身の周りから遠ざけておきたいという思いがよりいっそう強くなったからなのだろう。そんなお年頃なのかも知れない。その方法論が正しいか否は、今のところ確信が持てずにいる。


 世はデジタル写真一色に塗りつぶされた感があるが、それは時代の趨勢であり誰も否定できない。誰でもが写真を気軽に愉しむことができるようになったことは、ひとえに科学の進歩によるものだ。以前にも述べたと記憶するが、この功罪は果てしない。それについて改めてみなさんに言及する必要もないと思うので割愛させていただくが、写真の繁栄(氾濫)は写真を愛好する者にとって一種の錯覚を生み出す。
 そのひとつが「写真人口が増えたのだから、写真愛好家も増えた “はずだ” 」、あるいは「それにつれて写真の質が高まった “はずだ” 」 という、根拠の薄い希望的観測である。ぼくは残念ながら “はずだ” の否定論者である。そう思いたいが現実は正反対だとの思いが勝っている。写真展を覗く回数が減ったとはいえ、そんな感慨に浸ることが多い。

 いうまでもなく写真には様々な分野があり、ぼくと最も距離のある分野がいわゆる「ネイチャーフォト」と称するものだ。「ネイチャーフォト」の定義をぼくは知らないが、文字通り「自然写真」とか「風景写真」といった類のものを指しているのだろう。各所で催されている写真展を見る限り、この分野が特にに多いように思われる。一般論を交えていうのであれば、「ネイチャーフォト」が最も世間受けがいい。作品が一定水準を満たしていれば、鑑賞者にいくばくかの安らぎと明るさを与えるからだ。
 誤解を招かぬように申し上げておくと、どのような分野であれ、その奥深さは同じものだ。自由・平等の精神に則り、どの分野を好み、得意とするかは各人各様である。ぼくが「ネイチャーフォト」に縁遠いのは、自身の稟性と思想を育むその環境によるところが大きい。

 きれいなカラーの風景写真は、ぼくの内的発酵過程に存在したもので、いつまで経っても埒の明かぬ「感性的」という点に於いてそれなりの意義を果たしたが、30歳を少し回った頃にすっかり姿を消し、色あせてしまった。
 前々回、尾瀬ヶ原通いをし、夢中になって風景写真に取り組んだ「そんな時代がぼくにもあった」と書いたが、風景写真への興味を失わせたその元凶はといえば、風景写真家のアンセル・アダムスのオリジナルプリントを目にしたその瞬間だったのだから、おもしろい。「きれい」と「美しい」とは、まるで次元の異なる、似て非なるものであることの実感は、それ以降の自身の写真に様々な影響を与えることになった。アダムスの写真との邂逅は、ぼくが写真というものに目覚めた瞬間でもあった。感性的なものからやっと思想的なものへの方向転換がアダムスの写真により見え始めた時期といってもいいだろう。斯様にアダムスは、単なる美しい風景写真を超越して、思想や哲学、宗教的なものを感じさせる写真であったのだ。

 そのような「ネイチャーフォト展」であれば、むろんアダムスのような名画でなくともぼくは勇んで出かけていくのだが、多くのものがその場の思いつきであったり(出会い頭)、希有な瞬間を捉えただけのものであったり、また技巧を凝らしただけのものであったりで、ぼくはどうしても足がすくんでしまうのだ。なるほど、とても「きれい」には違いないのだけれど。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/295.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

前々回、桜探しに出かけた時のもの。

★「01高すぎる堤防」。
もう少し反射鏡を宙に浮かせたかったのだが、座り込んでも堤防が高すぎて、反射鏡が天に伸びてくれず。
絞りf11.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2016/04/15(金)
第294回:果たしてそうだろうか?
 冒頭から私事で恐縮ながらも、この場をお借りしてぼくの主宰する写真倶楽部フォト・トルトゥーガ展のお知らせを。
 来週4月19日(火)〜24日(日)まで、埼玉県立近代美術館にて第10回フォト・トルトゥーガ写真展『光と影の記憶2016』を開催いたします。メンバー一同、心よりみなさまのご来場をお待ち申し上げます。お気軽にお声がけいただければ嬉しく存じます。

 この倶楽部が発足して早13年の歳月が経とうとしていますが、その間メンバーばかりでなく、様々な写真愛好家との出会いがありました。怪我の功名とでもいうのでしょうか。―――今回は何故か戸惑いを感じながらも「です・ます調」になっています―――そのうちいつもの口調に戻るでしょう。

 何故こんなこと(写真を教える)を始めてしまったのか、後悔はしていないのだが、とても不思議な感覚に囚われたまま、こんにちに至っている(もういつもの口調に戻っている)。ぼく自身が教えてもらいたいくらいだというのが正直な気持ちである。
 13年前、気の置けない仲間から半ば強迫のような要請を受け、プロとして身につけたささやかなるものをアマチュア諸氏に還元すべきとの思いもあって、重い腰を上げたのが過ちの始まりだった。長年、写真だけで飯を食わせてもらっているのだから、些少でも世にお返しをすべきだというぼくにあるまじき殊勝な心がけがいけなかった。慣れないことはするものじゃない。しかし、教えを請う方はといえば必ずしも殊勝とは言い難い。ここに大きな問題がある。ぼくはここでも、この場を借りて遠慮がちに「江戸の仇を長崎で」討たせていただく。
 
 彼らは殊勝な心得が夥多に不足しているので、なかなか意図することが伝わらない。ぼくに責任はないので、だから時々開き直ることにしている。「おれは写真を撮るのはプロだが、教えることはプロじゃねぇ」といった具合だ。今まで何度かぼくは絶望感に打ちひしがれ、辞めようと思ったことがあるのもまた事実である。にも関わらずそうしなかったのは、根っからの写真好きと相まって、どこかに写真屋としての義務感と矜恃が青白い光を放っていたからだろうと思う。

 そして、ぼくの話し言葉や書いたりする(倶楽部では全員宛メールが恒常化している。ぼくはそのくらい熱心なのだ)ことの内容が、老いも若きも理解できないと強情にも主張する。自分の読解力と国語力を棚に上げて「おまえのいうことは理解できない」と迫ってくるのだ。理不尽この上ない。辞書など引いたこともないような人たちなので、写真ついでに語彙の解説までしなくてはならない。ぼくの努力はまったく間尺に合わない。ここに虚しさが漂う。

 大体に於いて、写真を愛好するなどという人たちは初めからヘソが曲がっているのだから、何事も一筋縄ではいかない。自分のヘソだけは真ん中についていると思い込み、微塵の疑いもないのでますますもって始末が悪い。自覚が足りないのだ。そのような人々に取り囲まれてのグループ展を、よくも恥じ入ることなく10回も重ねてきたものだと思う。

 「個性は人間の最も輝ける部分で、それを尊重するのは顕正ともいえるが、しかしながら自分本位、唯我独尊は許さない!」と言い続けてきた13年間。
 「個性とは基本と修学の積み重ねがあってのもので、自然に生成していくものだ。それは恣意的なものでは決してない。百人百様に自然の摂理というものがあるのだから、それを素直に受け入れ、新たな自分発見に努めること。今の場所に留まっていてはいけない」とぼくは自分にも言い聞かせているので、その道に背く者はぼくの脇で悪態をつく必要もないわけだ。悪態をつくくらいなら辞めればいいと思いがちだが、それは大きな間違いというもので、悪態あっての写真だとぼくは思っている。そのくらいでなければ写真は写らないとも思っている。おかげで減らず口を叩く人たちばかりが居座っている。

 ぼくは技術的な指導・解説は見ず知らずの人たちにも最小限に止めるようにしている。写真的なメカニズムというものは誰でも自分で学ぶことができるからだ。プロを目指すのでない限り、努力をすれば独学でこと足りる。
 力点を置きたいのは、写真を撮る(物づくりの)ための精神的メカニズムについてであり、この難題をぼくはあの手この手でたとえ話を引き合いに出し伝えようとするのだが、至らなさも手伝ってか思うようにいかない。物づくりの作法というか方法論(考え方)はおそらく非常に多岐にわたるものであろうけれど、前述した「新たな自分発見」は、まず世間で常識とされることに疑いの目を向けることから始めるのが一番だとぼくは思っている。ぼくの知る限り、一般的に生真面目で融通の利かないお堅い人ほど写真には不向きである。おそらく「暗中模索」が苦手なのか、もしくは我慢がならないのであろう。

 常識とされるつまらぬものに囚われているうちは、常識的なつまらぬものしか産み出さないものだとの確信をぼくは得ている。常識を打ち破る気概と勇気がエネルギーとなり、それは必ず作品に反映されるものだ。
 世間の常識に対して、「果たしてそうだろうか?」という精神的な宝を使い熟(こな)し、運用すればあなたの写真は一皮剥けること疑いなし。信ずる者は救われるのである。果たしてそうだろうか?

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/294.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

前回、桜探しに出かけた時のもの。

★「01菜の花」。
今年は菜の花の時期が少しばかり遅い。以前この道の向こうに電柱と電線がありぼくの好きな絵だったのだが、今無慈悲にもなくなっていた。
絞りf13.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02荒川土手」。
30数年前、同じ位置から8 x 10インチの大型カメラで撮影したことがある。ぼくはあまり進歩していない。上手く撮れたためしがないのだが、今回も失敗。
絞りf11.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2016/04/08(金)
第293回:桜づくしの一日
 今週の火曜日に、遠来の友人に誘われて満開の桜を探しに行った。桜見物に行くのではなく、あくまで「探しに行った」のだ。写真屋なのだから桜を愛でることより、どこに様子のいい(フォトジェニックな)桜があるのか、その発見のほうに気が向いてしまうのは致し方のないこと。ぼくも桜好きの庶民のひとりだが、優先順位が市井の人とは逆さまになってしまうのは、写真屋の悲しき性なのだろう。愛でることと写真を撮ることは、まったく次元の異なることだから。

 ぼくの望む桜は、残念ながら桜の名所ではなく、それ故に独自に見つけ出さなければならない。それは、いってみれば野にひっそりと咲く桜であり、そちらのほうにより魅了される。また、感じ入るところ多く、情趣豊かなりといったところだ。せっかくの桜が世俗にまみれるのは、ぼくとして堪え難いものがある。
 桜とは脱俗した高尚な趣を誘うものなのに、どうも最近の桜というものは媚びを売りながら咲いているように思えてならない。これ見よがしに集団となり咲き乱れ、凄味を利かせながら威圧してくる。野放図も甚だしい。人々もこの集団的人為桜に迎合しつつ、己の趣味の悪さを隠蔽しようとしている。
 したがって、ぼくは情緒や仙味を引き裂くような現代風花見など、勉めて見向かないようにしている。「どうぞご自由に」といったところか。
 さらに、ライトアップされた桜などというのも、まったく忌々しい限りだ。自然のものは自然光下で鑑賞するのが乙というものだ。ましてや、無頓着なライトの光源(色温度や光質)下に於けるそれは毒々しいばかりである。そこには夜桜の味わいもへったくれもないではないか。

 散りゆく桜に愛惜や哀傷の情を重ね、その思いや境地をしっとり味わうのが我々日本人の古来のDNAではなかっただろうか、というのがぼく流の解釈なのである。
 古人は、「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」(紀友則845-907年)と、桜への思いを込めて詠んでいる(古今和歌集)。自然との触れあいがより濃密だった古代に詠まれたものだが、その情緒纏綿(てんめん)たる心の機微は世知辛い現代にあっても、古人の感受性同様、我々にも脈々と受け継がれていると思いたい。昨今はその仕来(しきた)りが風流を通り越してややガサツになっただけのことだろうとぼくは思うことにしている。

 そんな思いを抱きながらぼくは友人を助手席に乗せ、あてもなく車を走らせた。桜も紅葉と同じく、晴天下のほうが彩度も上がってずっと見映えがし、写真も撮りやすいのだが、この日はあいにく雲居の空だった。
 20代から30代初めにかけて、ぼくは何度も尾瀬ヶ原に通った。風景写真や花のクローズアップを夢中になって撮ったものだ。そんな時代がぼくにもあった。
 雲に遮られた太陽光がひょっこり顔を出し、再び隠れたりするその瞬間に、紅葉が申し合わせたように彩度を劇的に変える。鮮やかに燃え上がったかと思うと、波打ちながら再び山麓に沈み込む。紅葉した樹木の息づかいがこだまのようにぼくの耳元で響いた。
 ぼくはお天道さまの悪戯に翻弄され、まるで何かの魔法にかけられたように金縛りに遭い、その不思議な現象に長い時間魅入っていたことを昨日のことのように思い出す。自然界の光と色の感動的な同期をこの時初めて知った。と同時に、自然の造化に感嘆したものだ。

 曇天下の桜は、空と花びらに明度の差がなく、メリハリが付きにくい。ぼくは初めからモノクロ写真をイメージしているのでなおさら厄介だ。青空であれば赤外線フィルムとまでは行かずとも、PLフィルター(偏光フィルター)を装着し、空の明度をほどよく調整できるのだが、曇天ではそうはいかないところが辛い。
 前日の就寝時、「空と花びらにコントラストをつけて、わずかにフォギーをかけ、ハイライトを散らす」ところまでイメージができていたのだが、起床したら重い雲が一面に垂れ込めておりイメージの修正を迫られた。「ええいっ、出たとこ勝負だ!」と、このような自棄っ腹の武者震いというものも、時には撮影の必須要件だ。

 曇天下の桜撮影で最も気を遣ったことは、改めていうことでもないのだが、露出補正この一点に尽きる。第290回「雨天の撮影」で述べたように、乳白色に近い空を白飛びさせないように、注意怠るべからず。空をどのように描写するかは作者の自由だが、随意操作したいのであれば、ある程度情報を残しておかなくてはお手上げとなる。
 もし、カメラにスポット測光の機能が附属していれば、カメラを曇天の空に向けて露出を測り、その値より1~ 1.5絞りほど露出オーバーにしたところで露出を固定して撮ればいい。これが最も確実で安全な露出決定法だが、スポット測光がなくとも、たとえば平均測光や評価測光でも、画面一杯に曇り空を入れて側光し、その値より1~ 1.5絞りほど露出オーバーでほとんど上手くいく。

 当日は曇天でもあり、友人も一緒だったので撮影に没頭できるわけでもなく、桜探しを早々に引き上げ、目指すは食にありということに相成った。意中の店に飛び込み、我々を唸らせたのが旬の「桜えびのかき揚げ天ぷら」だった。
 桜を逃して、桜えびを得た一日でありました。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/293.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

★「01菜の花」。
露出補正値は雲に向けて側光したものでないので、この値に。雲の向こうにぼんやりと太陽が。お気に入りの桜が見つからず、急遽菜の花に心変わり。
絞りf11.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.0。

★「02土手桜」。
雲が面白かったので思わず1枚。曇天下の桜、これが精一杯。ここまで絞っても周辺の解像度は十全ではない。これがこのレンズの限界。
絞りf13.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「03通りすがりの桜」。
神社につきものの桜。桜は諦めてここの空気感を。
絞りf11.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)