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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2019/01/11(金)
第429回:野放図な正月
 毎年我が家はどうやら他とは異なり、年末年始は野放図によるところのゆっくり・のんびりスタイルを貫き、日本の古き良き伝統やしきたりに囚われず、かなり無頓着かつ気儘に過ごしている。雑煮や少々のおせち料理、正月の生け花である千両(庭から取ってくる)くらいは飾るが、熊手や門松、鏡餅などには終生縁遠く、それらしい佇まいがぼくの家には昔から見当たらない。
 大掃除をするわけでもなく、除夜の鐘を聞くでもなく、初詣に行くでもなく、普段と何も変わらず、家人は自室に籠もり思い思いに時を過ごしている。我が家の正月は深閑とし、流れる時間だけがいつもよりゆったりしているように感じられる。

 正月にしか味わえない特別な感覚や風情は貴重で美しいものだが、それを排斥しているわけではなく、あるいは日本的な何かにあらがおうとの魂胆があるわけでもなく、それがいつの間にか我が家の家風のようなものになってしまっているのである。手っ取り早くいえば、全員が厚かましくも「正月くらいはずぼらでありたい」などと思っているのかも知れない。正月から家族全員が勘違いをしているのだ。
 因みに、正月唯一の雑音は嫁必見の「箱根駅伝」くらいのもので、ぼくは元々テレビを見ないので、まったく関心がない。歌好きの嫁ではあるが、さすがにもう何年も「紅白歌合戦」には見向きもしなくなった。

 正月行事に無関心との気配は、おそらく家長であった父の代からのものであろう。父の郷里である佐賀県では、現在でも正月というものは一年の計の元締めとしてもっと大切に、粛として扱われているのではないだろうかと推察する。ぼくは佐賀の正月を体験したことはないのだが、父の話から想像する限り、その儀に相応しくあったのだろうと思う。
 そして父は、地方特有の堅苦しさを因習として片付けたがっていたことをぼくは子供心ながらに感じ取っていた。同時に、社会人としてのさまざまな規範を堅気に守りつつも、精一杯の自由を希求して止まない父の姿をぼくは見て育ったような気がしている。人はどうあっても、生まれ故郷の何かを棺桶にまで引きずって行くものだと、父は教えている。逃れがたい業に終生押し込められているとも思える。

 佐賀や終戦直後の数年間を過ごした京都にあって、父は忍びがたい息苦しさを覚え、学生時代を過ごした東京に自分のあるべき息吹のようなものを見つけたに違いない。話題が佐賀や京都に及ぶと、よく父は「ほんに、のさんのう」( “ほんに” は京都弁で「本当に」の意。 “のさん” は九州の方言で「耐えられない」とか「大変」の意)が口癖でもあった。
 そしてまた、「九州の夏は太陽が二つもあり、それで九州の人間はみんな頭がおかしくなってしまうのだ。カチンカチンの太陽にやられ、こりゃ、のさんわ。太陽に一番近い頭が助かる道理がない」と、いつも真顔でいっていたものだ。「京都は盆地特有の湿気に、脳にカビが生えやすく、やがて糜爛(びらん。ただれること)してしまうので、早く逃げ出さなければならなかった」と述懐していた。
 ぼくは、頭が二つの太陽にやられ、脳が糜爛して機能しなくなると怯えていた父の直系の子孫である。ぼくは父の自由闊達な野放図さに引きずられ、自分の位置を確認さえできずに、それに付き従わざるを得なかったのはある意味必然だったのかも知れない。

 今ぼくは、我が家がこのような野放図さに至ったのは、あたかも父のせいだといわんばかりだが(野放図さは、ぼくにとっては大助かりだが、実は父が他界してからすでに39年もの年月が経っている)、親類縁者が遠隔の地ばかりというのも大きな理由だろう。遠いので容易く会うことができず、正月の身繕いを正さずに済む。横着のままでいられるというのは、とてもありがたいことだ。今度は、親類縁者のせいにしようとしているが、しかし父の死後、我が家の長として、39年間に及ぶ野放図を甘受し放任してきたのは紛れもなくこのぼくである。そのくらいの自覚は持っている。

 交通の便が良くなり、より速くなったとはいえ、やはり感覚的に京都や佐賀は遠い。特に九州は、文化的にも地理的にもパスポートが必要なのではなかろうかと思うくらい同じ日本にあってどこか異質であり、しかも魅力に溢れている。このことは逆説のようであるのだが、足が遠のく要因であり、その理由付けともなっている。
 つまり、晴れ晴れと「明けましておめでとうございます」というまではいいのだが、その地が魅力的であればあるほど、ぼくは「写真を撮らなければならない」との強迫観念に襲われる。正月早々、まさに「のさん」のである。

 今年はもう一度京都に足を運ぼうかと思っているのだが、実は神社仏閣を撮ることの難しさにぼくはへこたれている。「見えているはずのものが見えてない」という発見をして、ぼくの足はすっかりすくんでしまった。何故ヒットする確率が低かったのかを見つけ出さない限り、また同じことを繰り返すことになるのだから、よほど勉強をして何かをつかみ取らなければならない。
 今年はそんなことに、気も新たに挑戦したいと思っている。野放図であることの利点がどこかにきっとあるはずだ。

http://www.amatias.com/bbs/30/429.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF11-24mm F4L USM。

茨城県筑波山。今年の初撮りのため結城市に向かったのだが、圏央道を走っていると筑波山が見え、急遽行き先を変更し、初めての筑波神社へ願掛けに。到着したのがすでに午後4時近く。撮影は1時間足らずだった。

★「01筑波神社」
春日大社本殿(手前)と日枝神社本殿(奥)。
絞りf5.6、1/15秒、ISO200、露出補正-2.00。

★「02筑波神社」
超広角のパースを利用して。お祈りをした後、参拝客を。
絞りf5.6、1/40秒、ISO200、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2018/12/28(金)
第428回:カレンダーを振り返る
 今年も余すところあと数日となった。ちょっとした調べもののためにパソコン上にある今年1年のカレンダーを繰ってみた。そこに書かれてあることはメモ程度に簡略化されたもので、ぼくの死後、誰に読まれてもまったく差し支えなく、したがって面白味のあるものではない。いってみれば極めて事務的なものだ。

 しかし一般的に、パソコンの中には他人に見られることに差し障りがあったり、それに類するものが意図的に保存されていたり、あるいは削除し忘れているものがあったりするのが通り相場というものだ。違う?
 そのような怪しきものや不適切なものの露見を避けるために、老後はしかと、然るべく始末をしておかなければならない。それが晩歳の掟というものだ。 
 けれどぼくは未練がましくも、まだそれができずにいる。放棄の義務は、ただ “家人のためにだけ” から生じている。ぼくは写真屋だから、ぼくの撮った写真は “家人以外” の誰に見られても一向にかまわない。ついでながらもっと正直にいってしまうと “嫁” 以外なら誰が見てもいいのである。斯様に “嫁” の存在というのは凄味のあるものなのだ。

 特に写真を趣味としている男衆は、趣味が高じるに従って、必ずやそのようなものを密かに所有している可能性が大きい。デジタルであれ、アナログであれ、自分だけの秘密にしておきたい写真というものが存在し、あたかも神からの贈り物であるかのように大切に、後生大事といわんばかりにしまい込んでいるものだ。時に、どこにしまい込んだかが分からなくなってしまうから、男というものはいつまで経っても愚かしい。ご婦人方から見れば滑稽そのものなのだろうが、しかしぼくは、それが健康で正しい写真人の本来の姿であると確信している。とても好ましく、勇ましく、まったく男らしい。
 もし、そのような写真を1枚も撮ったことのない写真人は、きっと変化に乏しい写真生活と退屈で窮屈な人生を送ってきたのではあるまいかと、大きなお世話と知りつつも懸念する。写真人として備えるべき決断力と冒険心に欠けるので、そんな姿勢は決して好ましいこととはいい兼ねる。何故って、彼もしくは彼らは、ギリシャ神話の神々のなかで最も美しい神とされるエロスとは縁遠いところに居座りつつ、ややもすれば見放されているからだ。

 その伝、ご婦人方は存在そのものがエロスであるがために、男衆のような型にはまった縛りがなく、ずっと自由奔放であるが故に、時として堅苦しい技術的理論を放棄しやすく、無手勝流を果断に用い、悪びれるところがないけれど、男のような邪(よこしま)な心得や理(ことわり)を持っていない。彼女たちはある種の不安や恐れ、形骸化した固定観念から常に解放されているので、ばかばかしい都市伝説に惑わされることもほとんどない。そして、男にはない曖昧さを許容できる確固とした下地を備えているのである。

 この議題について、ぼくはさらに多くを事細かに書き綴る気力が今非常に充実しつつあるのだが、あまり建設的かつ写真的な内容になるとも思えず、また今年最後の原稿に際し、あまり相応しくないので取り止めておく。書きたくて仕方がないのだが、思い止まることの、今年最後の勇気を男らしくここに示しておきたい。

 話を元に戻すと、カレンダーに記されていることは仕事の予定を始めとして、何処で何を発見したか? そして、会った人、読んだ本、見た映画、日帰り旅行、日々の出来事などなどの覚え書きばかりが簡単に書き込まれている。例えば、「痛風に白髪が逆立った」とか。
 1年を振り返ったのは、来年に向けた撮影に寄与すべく何かがあわよくば見つかるかも知れないとの思いがあったからだ。少なくとも、日々の生活に於いて “良い写真を撮るために” 何が欠落し、不備なのかが分かるかも知れない。事はそう単純なものではないが、ぼくは何となくそのような気がした。「閃き」というものだ。

 カレンダーを繰っているうちに、2003年にまで遡ってしまった。ぼくにとって2003年はアナログからデジタルへ移行した画期的な年でもあった。それまでデジカメは友人たちが購入したコンパクトデジタルカメラ、所謂コンデジを借用し遊んでいたが、ぼく自身はデジカメを持っていなかった。仕事はもちろんフィルムのみであった。
 デジタルカメラこそ持っていなかったが、来たるべきデジタル時代に備えて準備を始めたのは2003年から遡ること5年の1998年のことだった。今からちょうど20年前のことで、Photoshopもバージョン4.0だった。高額なフィルムスキャナーを購入し、撮り溜めたカラーポジフィルム(スライドフィルム)をデジタル化し、画像補整の基本を学んだ。当時はまだ良い教本も少なく、まわりに訊ねる人もおらず、ほとんどが独学だった。

 2003年、「このカメラなら仕事に使える。フィルムに劣らないはずだ」と初めて購入したデジカメが、フルサイズの初代EOS-1Ds(2002年12月発売)だった。1台100万円は相当な出費だったが、仕事の道具だから仕方がない。サブカメラにEOS-1Dも購入した。「仕事の量と質は投資額に見合う」のだが、ぼくは貧血症状に陥ったように、蒼い顔をしていた。
 今だからこそぼくは声を大にしていうが、このカメラを使用し始めて2年ほど、巷では「デジタルはフィルムに敵わない」とまことしやかにうそぶく輩がかなりいたものだ。デジタルがダメなのではなく、カメラマンも印刷所もデザイナーもデジタル写真に対する知識が不全なために起こった現象だった。彼らは自身の知識とスキルの無さを棚に上げ、デジタルを悪者に仕立てていた。そんな時代でもあったのだ。

 当時のカレンダーを見ると、「還暦過ぎまでよくもまぁ、こんなにバタバタ、あくせくと仕事をこなしたものだ」との感慨が込み上げてくる。多い日は、今時地方の映画館にもないような1日三本立て興行(朝・昼・晩)のような際どいこともしていた。これは今思えば危険な曲芸に等しい。
 撮影後の処理の大変なデジタルを、寝る間もなくこなしていたわけで、「当時にくらべ、昨今は身の細るような緊張感に欠けているんじゃないか? この7,8年は仕事写真から身を引き、すっかりあの感覚を忘れているよね」とつぶやく。「来年はピリピリした緊張感のなかで私的写真を撮る!」とぼくは一応誓いを立ててみる。
 今年はつまらぬ禁煙をして、何一つ得るものなどないと公言して憚らないが、もし仮に有益なことがあるとすれば、「やろうと思えば、ワタクシはちゃんとできるのだ!」を実証したことにある。吹けば飛ぶような自信ではあるけれどね。

 来年の掲載は1月11日(金)からとなります。今年もご愛読をありがとうございました。来年もどうぞよろしく。みなさまの福寿無量をお祈りして。

http://www.amatias.com/bbs/30/428.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF11-24mm F4L USM。
栃木県佐野市。

★「01佐野市」
洋食屋さんの看板。実際はもっと鮮やかな色なのだが・・・。
絞りf8.0、1/30秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02佐野市」
人っ子一人居ないガススタンドに強烈な西日が当たる。なんだか不思議な風景だった。
絞りf13.0、1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2018/12/21(金)
第427回:1年1万枚は撮りましょう!
 今年1年間、仕事の写真を別にして、私的な写真を何枚撮ったのだろかと気になった。フィルムと異なり、デジタルはファイル番号を見れば正確に知ることができる。撮影枚数が多ければ良いというものではないが、しかし自分がどのくらい熱心であったかという一種のバロメーターにはなり得る。今それを知り、公開に及ぼうとしている自分はどこか面映(おもは)ゆい。
 ならば、しなければいいじゃないかとも思うのだが、自身に対する好奇心と、もしかすると読者諸兄にとって何某かの目安になるかも知れないので、敢えて勘定をしてみようと思っている。ぼくは取って付けたような疑似的啓蒙精神に溢れている。

 何時の頃からかは判然としないのだが、ぼくは2桁以上の足し算と引き算(もちろん、かけ算も割り算も)が何よりも苦手となり、今その能力は小学校低学年と同等か、ややもすると下回るのではないかとさえ思われる。少なくとも、自慢しているわけではないが、小学校高学年に劣ることだけは確かだ。
 しかし、ぼくは小学校卒業までは算数のとても良くできる子供であり、通信簿は常に最高評価の「5」だったのだから、どこで道を踏み違えてしまったのだろうかと不思議でならない。何が不思議なのかというと、能力を持った者がある時を期して、突然それを失ってしまうことだ。
 不思議さの原因となった事柄についての詳細はここでは言及しないが、中学校入学後、間もなくぼくは数字に関するあらゆる能力を失ってしまったのだ。それは一種の数字アレルギーでもあった。何故ぼくがそうなってしまったかについては、その全責任を父に被せることにしているのだが、機会があれば筆硯を新たにしたい。父が数字に対する愛着のすべてをぼくから奪い去ったといっても過言ではない。数学に対する(父に対してではない)その恨み辛みと毛嫌いは、中学生から高校卒業までの約6年間に及び、ぼくはその尋常ならざる苦痛に耐えなければならなかった。いや、そうではない。それはこんにちまでの58年間に及ぶ。

 ともあれ、ある事情により極端に数字に弱いぼくは、撮影枚数の計算をパソコンに附属している計算機に頼るしかない。電算機でさえ同じ計算を3度すれば、これも自慢ではないのだが、2種類の答えが出てくることは決して珍くない。数字の桁が多く、項目も増えれば、10回試みて10通りの答えを導き出してしまう手品師のようなぼくは、他人がこれを成そうとしてもなかなかできることではないのだから、けっこうエライのかも知れない。
 ただこのことは、ぼくとて人並みに自己嫌悪を抱く瞬間でもあるのだが、劣等意識は微塵も持っていない。何故なら数字音痴であるがために、他にはない得難いものを導き出したり、生み出したりする可能性のあることを模糊たりながらも、ぼくはちゃんと知っているからだ。
 とはいえ、買い物などをした時、あるいは居酒屋やレストランで、ぼくはレジの人が計算するその金額について非常に懐疑的にならざるを得ないのである。自分を基準に考えれば、大変恐ろしいことに違いないのだ。しかし気弱なぼくは、「もう一度計算してみてください」とはどうしてもいえないので、そのストレスを数時間引きずることしばし。

 損な性分といえばそれまでだが、この10年ほどは、仕事の請求書なども横着を決め込み、相手が大企業であっても「計算して書いておいて」なんてことをチャラッとすることにしている。源泉やら復興税やら、ややこしくてぼくの手には負えないので、当たり前のことのように相手に放り投げて平然としている。相手も仕方ない奴ととっくにぼくを見放している。
 「これも “年の功” ってやつだなぁ(違うだろ!)。歳を取るって生きやすくなるねぇ」なんてぼくは勝手なことを “ほざいて” いるのだが、「かめさんが計算したものは間違いだらけだから、こっちでしてあげます。そのほうが正確で早いんですよ。余計なことしなくてもいいですよ」と慇懃無礼というか、にべもない。あたかも親切心を装う彼らには、温情とか、思いやりとか、敬老の精神というものが感じられず、まったくの自己本位である。どちらかというとおためごかし的人非人といったほうがいい。
 けれども、慣れ親しんだ仕事相手は、ぼくの珍無類な計算音痴を嫌々ながらも受容してくれている気配は十分に感じる。ありがたいことである。因みに拙稿も、担当者の作ってくれた半年分の計算書にぼくは無言にて従い、書類を見ることもなく判子をひとつ「エイッ」と押すだけだ。請求書を書いたことは一度もない。

 ぼくがここで声を大にしていいたいことは、自分にできて他人にできないことを指して、あたかも相手が劣っているが如く振る舞う輩のあまりに多いことである。「えっ、そんなこともできないの?」とか「えっ、そんなことも知らないの?」という、あの手の、人を蔑んだ言い草にぼくはいつも呆れ果てるのである。あの偏狭な勝ち誇り方が哀れを誘う。それはおおよそ賢い人間の仕業ではなく、自己主張ばかりが一人前で、個体差の尊重ができずにいるひどく野蛮な人たちである。

 おもむろに本題なのだが、「今年何枚の写真を撮ったか?」。この3年間を調べてみると平均約6,000枚だった。この数字が多いか少ないかぼくは分からないが、この3年間はぼく本来の人物スナップをほとんど撮らず、静物が主だったので、年間6,000枚で収まっているのだろう。つまり、ぼくの今までの写真生活からすれば、少ないということになる。
 冒頭にも述べたように、たくさん撮ればいいというものではないが、少ないよりは多い方が良いに決まっている。素振りとイメージトレーニングは多ければ多いほど上達が見込める。場数を踏み、そこで得た知識とカメラやレンズをはじめとする機材の正しい使い方を覚え、使いこなせるようになれば、誰だってある程度の写真は撮ることができるとぼくは断言する。やはり「習うより慣れろ」である。
 1年間で最低1万枚を目標に臨んで欲しいというのがぼくの本音。それを何年も続けることが肝要。来年はかる〜く1万枚を超えるようにと、今原稿を書きながら誓いを立てている最中。

http://www.amatias.com/bbs/30/427.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF11-24mm F4L USM 、EF24-105mm F4L IS USM。
栃木県佐野市。

★「01佐野市」
仕事帰りにふらっと寄った佐野市。150m四方の狭い区画を行ったり来たりしながら日が沈むまで1時間半撮影。撮影枚数142枚。
絞りf9.0、1/40秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02佐野市」
「こんなありきたりの、ただきれいなだけの、つまらぬ写真を撮ってはいけない」という見本のような写真と思っていたのだが、尊大な自分に気がついて、熱を入れて補整に取り組む。でも、所詮はこの程度か。
絞りf7.1、1/60秒、ISO100、露出補正-1.67。 
(文:亀山哲郎)

2018/12/14(金)
第426回:サクマ式ドロップスとハイエナ
 竹馬の友から「まだ禁煙は続いているか?」と電話があった。「堅実に続いているが、他人様(ひとさま)に興味本位で訊かれる謂われはないわい。大きなお世話というものだ。放っておいてもらいたい」とぼくは無愛想に返した。
 無遠慮な友人はぼくの心情など意に介すことなく、「でも、禁煙していいこともあったんだろう?」と追及の手を緩めない。「いいことなど断固何ひとつとしてない! 3.5kgも太ったしね。禁煙して60日以上経つが、毎日パイプを吸いたくてイライラしている。もう電話切るぞ」。

 ぼくはちょうどこの時、嫁がぼくに買い与えた好物の「サクマ式ドロップス」(登録商標)120g入りの包装を破り、ご開帳に及びながら中身を点検・仕分け中であった(38個入っていた)。昔からある懐かしい8種類のドロップの盛り合わせである。
 「何故、一番好きなオレンジが選りに選ってたったの1粒しか入っていないのか! これはどういうことなのか! 倍率38倍って、宝くじに似た博打のようではないか! つまり、オレンジは食べられないに等しいということだろう! あまりに配分が不公平・不均一ではないか! 作為なくしてこのようなことは起こらないだろう! メーカーは顧客にこんな見え透いた、しかも意地の悪い嫌がらせをしてはいけない! オレンジはそんなに製作費がかさむものなのか!」と、ビックリマークを満載しながら憤慨の真っ最中でもあったのだ。まったく大人気のないワタクシ。
 そしてまた、一番興味のないこげ茶色をした、見た目にも美しくないチョコレート味のドロップが、ぼくをあざ笑うかのようにご丁寧に8個も入っているではないか! 8個もですぞ! 「38個中8個って、この比率は嫌がらせ以外の何ものでもないだろう!」と、ぼくは再び雄叫びをあげた。
 オレンジ対チョコの1:8という数字が示す唖然とするような意図的不均衡及び差別的な、しかも非民主主義的所業は許されざる行為であり、ぼくの神経をこれでもかと逆撫でした。

 しかしメーカーも心得たもので、包装袋にはこうしっかりと印刷してあった。曰く、「8種類の混合には十分注意しておりますが、全種類が入らない場合があります」。う〜ん、メーカーも隙を見せない。知恵者というか切れ者を抱えている。抜かりがなく、ぼくのような偏執的な人間に対して、それなりの対応をしている。大したものだ。
 だがしかし、ぼくはクレーマーではないので、実のところメーカーのこのような惨(むご)い仕打ちに腐ることなどなく、大いに愉しんでいるのだ。負け惜しみじゃ〜ない。望むことのまったく逆のことがまるで計られたように偶然(多分)起こってしまうことの面白さと可笑しさを味わうくらいの余裕はぼくにだってある。ワタクシは大人なんである。
 と言いつつも、メーカーのこのような心ない差別的な迫害に遭いながら、ぼくはたった一粒しかないオレンジを何時、どのような状況下で食べるかをじっくりと検討していたところでもあったのだ。
 そのような時に「禁煙はどうだ?」と。ぼくが取りつく島もないような対応をしたとしても罪にはならないだろう。

 あっ、いけねっ、今週はドロップについてではなくハイエナのことだった。
 先月ぼくは、生まれて初めてハイエナ(アフリカ産。正式には「ブチハイエナ」といい、ハイエナのなかでは一番の大型種)という哺乳動物を「大宮公園小動物園」で間近に見た。
 動物園の存在についての可否は、あまりに思うところ多々であり、とんでもなく横道に逸れることが分かり切っているのでここでは敢えて触れない。でも、一言だけ触れておけば、ぼくは見世物と営利を主目的とした動物園の存在自体を若い頃から、つまり半世紀以上前から完全否定している。現代にあって、こんなものは地上からいち早く無くすべきだとの考えを持っている。
 動物・生物学の研究はもちろん必要であるし、認めもするが、人類は動物園(存在を認めるのであれば)について欲得のない方法をもっと賢く考案すべきである。また、展示された動物を見るより(つまり動物園やパークの類)、野生の姿を映像で見る方がより教育に付するという貴重な指摘も見逃せない。
 動物園については、短いスペースでは曰く言い難しであり、これ以上言及しない。

 初見参だったハイエナの第一印象は、「恐く、気味が悪い。そして想像外にデカイ。サバンナでこんなヤツに出くわしたら真っ先に逃げる。ライオンやヒョウより敬遠したいほど」だった。
 ぼくは恐らく人並み外れて哺乳動物が好きだし、彼らに親愛の情を示すことを惜しまないできた。身の丈がぼくよりずっと高い(約2m)シベリア狼を抱きしめたこともある。一方でぼくらは、ハイエナやハゲタカなどの正しい知識もないままに彼らを悪者にしたがる。これを洗脳とか印象操作というのだろうけれど、誤った知識ほど始末の悪いものはない。ぼくもそうだった。
 目の前を行ったり来たりするハイエナを眺めつつ、ぼくは誤った先入観に流されてしまった。その結果、悪いイメージを払拭できぬまま、もちろん写真も撮らずにぼくは動物園を後にしたのだが、しかし他の哺乳動物にはないような、有無をいわせずというような特別な感動を覚えた。
 肩の高さより腰が下がっているので歩く姿は不細工に見えるが、頭が良く、体力に秀でた狩りの名手であることをここの説明板で知った。
 
 あれから1ヶ月、よんどころなくハイエナを撮るために再訪したぼくは、レンズを向けずに10分ほどじっくり動きや表情を観察した。哺乳動物の好きなぼくはたちまち感情移入に成功。といっても彼がどう感じたかは定かでないが。この度ぼくは、ハイエナに対する誤った概念を完全に払拭できた。ハイエナの名誉のためにつけ加えておかなければならないが、こんな素晴らしい発見ができたことに感謝したい。そしてまた、多くを教えられたようにも思う。
 タイミングを測りながら何枚か撮っているうちに、野性を失ったハイエナの悲しい眼差しを感じ、「喩えどんな理由があろうとも、彼らを檻に閉じ込め、自由を奪う正当性や権利などどこにも存在しない。あるのは人間の悲しい業だけだ」と改めて動物園の存在意義を熟慮してみようと思い立った。

http://www.amatias.com/bbs/30/426.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF24-105mm F4L IS USM、EF11-24mm F4L USM。
埼玉県さいたま市大宮公園と氷川神社。

★「01大宮公園小動物園」
休むことなく歩き回るオスのホシ君。見ているうちにどんどん情が移る。しかし、デカイ! 見学の女性を入れるべきか悩んだが、今回はこのカットを。
絞りf5.0、1/80秒、ISO400、露出補正-2.00。

★「02氷川神社」
氷川神社舞殿の高欄は朱ではなく、赤に近い。後ろの楼門などはぼくの苦手な明るく鮮やかな朱色。建築物の垂直線・水平線の重なり具合を慎重に選びながら、アングルを決める。ハイエナ撮影後、夕陽が沈みかかった頃。
絞りf8.0、1/8秒、ISO200、露出補正-2.33。
(文:亀山哲郎)

2018/12/07(金)
第425回:神社仏閣の朱色について
 大宮公園近くに住む友人宅で用事を済ませ、その足で大宮公園と隣接する氷川神社(武蔵国一宮または三宮、勅祭社)に立ち寄ってみた。大宮公園は東京ドームの約18倍の広さを誇り、元々の名称は氷川公園であったが、何時を期して大宮公園に名称変更されたのかは分からない。現在は1000本以上の桜が植えられており、日本さくら名所100選にもなっている。花見時は地元ばかりでなく近隣の地からも多くの観光客がやって来て大変な賑わいを見せているとのことだが、ぼくはあの喧騒なる雰囲気が苦手なので行ったことはない。

 最近、神社仏閣を撮る機会が何故か多くなった。宗派に関係なく、僅かばかりの賽銭を奉り、過去の悪行に対する懺悔滅罪をしてもらおうと神妙な心がけをもって祈願している。改悛の情あってか、因果関係は定かでないが、「事実は小説より奇なり」というような信じ難くも奇っ怪なる現象やら、愉快なことが身の周りで頻繁に生じている。信心のないぼくだが、今しばらくにわか仕込みのお百度を踏もうと思っている。

 この日も由緒ある氷川神社を訪ねてみた。今回は懺悔と撮影が主な目的ではなく、かねてより鳥居や楼門などに塗られる魔除けでお馴染みの、あの朱色についての考察をしてみたかったのだ。
 「朱色って一体どんな色なのか?」を自分なりに解釈し、今一度確認もし、カラー表現に於ける朱色の許容範囲(もちろん、ぼく自身の)を定めておこうとの心積もりだった。具体的にいえば、朱色の彩度・色相・明度を絵柄に合わせてどの様に扱うかの見当を実物を見ながら少しでも身につけたかった。
 朱色自体は変えようがないのだが、絵作り上、得心のいくぼくなりの朱色を見つけたいと思ったからであった。このことは今年5月に訪れた京都で散々考えあぐね、あれこれ試行もし、大きな試練の矢面に立たされた体験が基になっている。あの朱色には、実に閉口してしまった。
 朱塗りの鳥居が連続し(千本鳥居)、トンネル状となっている有名な「伏見稲荷」(創建 和銅年間。708-715年)で、ぼくは朱による消化不良と中毒に冒され、解毒剤も免疫血清もないままに精神錯乱に陥り、意識朦朧としたままついに一度もシャッターを切れなかったほどだ。いつの日にか、あの千本鳥居を撮ってみたいと願っている。
 また、平安神宮や八坂神社の前をぼくは目を伏せて自転車で走り抜けた。到底太刀打ちできるような朱色ではなかったのである。来年、ぼくは弔い合戦に挑んでみようと密かに腕に磨きをかけておこうと思っている。

 そのような体験から、いつも朱色が気になって仕方がなかったのだが、どうやら本当は朱色自体をぼくはあまり好きではないようだ。このことが朱色について考え込まなければならない最も大きな原因だった。性に合わないものを如何にして馴染ませ、取り込むかという問題を先ずは解決しておかなければならない。
 元を正せば朱色が「あまり好きではない」のではなく「嫌いなのだ」が、嫌いであるが故に人目を気にしながらその被写体をこっそり避けたり、あるいは撮らないで済ませてしまおうと目論むのは、商売人としての沽券に関わるし、面目が立たないではないか。そんな自分の姿をきっと誰かがじ〜っと見ているに違いない。いや、ぼくの経験によると、見られたくない姿ほど、人は虚を衝くように目ざとく見つけ出す。当人は他人の凝視になかなか気がつかないでいるものだ。したがって、喩えは飛躍するが、万引きや窃盗は逃れる術なしと心得るべし。

 朱色の親戚のような赤はぼくの最も好きな色なのだが、朱と赤は似て非なるものだ。しかしぼくの好き嫌いなど、神社仏閣は聞き入れてくれないそうもないので、ぼくが妥協せざるを得ず、朱色がぼくに与えるフラストレーションは溜まる一方だ。
 どのようにして朱色と精神的融和を図るかにぼくは苦心惨憺する。時に、ここだけの話だが、過度に気に染まぬ朱色だったりするとぼくは猛烈に憤慨し、「どうせなら蛍光色にしてしまえよ!」と毒突いてみたりもする。こんな恐れを知らぬ罰当たりな姿は誰にも見られたくない。
 色の三属性である色相・彩度・明度が揃いも揃って最も気に染まぬ朱色を作っているという不運に見舞われることもあるが、暗室作業でこの三属性をどう調整していくか、悶々とする時がしばしばある。そのくらいぼくにとって神社仏閣の朱色は面倒なことこの上ない。

 今ぼくはもう一つ大変面倒なことに直面している。実をいうと今回の原稿は、朱塗りの神社仏閣について述べるつもりはまったくなかった。それについては、書くほうも読むほうも、さして面白味がないということに気がついていたからだ。写真的に重要な事柄をお伝えするわけでもないし、また朱色に対する感覚があまりにも個人的趣向であり過ぎると思われるからだ。
 本来は大宮公園にある無料の動物園とそこにいたハイエナ(正確にはブチハイエナ)について大きな発見をしたのでそれを書くつもりでいたのだが、何かに呪われたように横道に逸れてしまった。神の導きはやはり相当強力なるものがある。これをして神通力とでもいうのだろうか。
 残り少ない行数で、動物園とハイエナに関する偉大な発見をここに述べようとすると、良い文章の条件を、金科玉条の如く「起承転結」に求める口うるさい旧友を喜ばせてしまう。
 今氷川神社(朱色)の写真もなければ、ハイエナの写真もないのだから、掲載写真にも事欠いて、ぼくは思わぬ所で立ち往生している。来週にでも氷川神社で柏手を打ち、身を清めてから、ハイエナを撮りに行ってみようか。今回は動物園のオウムと公園内のクラシカルな飛行塔でお茶を濁すことに。

http://www.amatias.com/bbs/30/425.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF11-24mm F4L USM、EF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県さいたま市大宮公園

★「01大宮公園」
昭和24年、新潟県長岡市博覧会で使用された飛行塔。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02大宮公園」
公園内にある無料動物園のオウム。一瞬魚のように見えたり、トカゲのようだったり、動物というのは見ていて飽きることがない。
絞りf6.3、1/40秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2018/11/30(金)
第424回:富岡製糸場(続)
 高さ31mの「めがね橋」に敷かれていたかつてのアプト式の線路(今は取り除かれ歩道となっている)跡を歩けるというのはわくわくするような思いだ。ぼくは軽度の高所恐怖症という不似合いな感覚を持っているのだが、ここはそんなことに関わっていられぬほど惹かれるものがある。
 因みに高所恐怖症の原因は、人間が本来持つところの想像力の賜であり、また知力の証!?でもあるとぼくはしている。高いところに登っても恐怖感がないという人はおそらく「落ちるかも知れない」とか「落ちることもある」とか「落ちたらどうなるのか」との想像力や洞察力が欠如しているのだろう。恐怖心を感じないとはそのようなことを指すのではないか。先行きに憂いのない人は一方で仕合わせなのかも知れない。
 また、そのような人たちは、「自分だけは絶対落ちることがない」とか「いざとなれば自分は空を飛べる」との錯覚を抱いているのではないだろうか。つまり、あまり賢くないのである。それをしてロマンとはいわない。

 余談はさておき、ぼくは目指す「めがね橋」の歩道まで一気に駆け上り、というのは大嘘で、途中三度ほど立ち止まり息を整えながら、やっとのことで這い上がった。寝不足が祟ってか、この日はやけに体が重く、すぐに息が上がった。
 それに加え、全員が恐い婦女子であったために、ぼくは必要以上に気を遣わなければならず、余計な気苦労が疲労に追い打ちをかけた。運転手も兼ねており、ぼくは心身ともにすでに疲弊していたのだった。

 彼女たちは70になったジジィを労る様子など微塵もなく、後ろを振り返ることすらなく我先にと階段を登っていった。手を引いてやろうなどという殊勝な素振りなど露ほども見せない。敬老の精神などどこ吹く風で、やがては自分たちもそうなるのだという想像力に著しく欠けていた。想像力の欠如は何事に於いても嘆かわしく、また痛々しくもある。
 やがて彼女たちが耄碌し、意地悪ばあさんとなるころには、すでにぼくは三途の川を渡っているだろうから、彼女たちが天罰を受けるその罪深い姿を見ることができず、少し残念だ。
 いや、三途の川は生前の業によって、善人は橋を渡ることを許され、罪深い人間は橋を許可されず、流れの速い深みを渡らなければならないのだそうだ。したがって、ぼくは対岸の「賽の河原(さいのかわら)」にあって、彼女たちの苦しみもがく姿を垣間見ることがあるかも知れないが、長い間趣味を同じくした朋友の、そんな姿は見たくないものだ。

 「めがね橋」やトンネルで遊んだぼくらは「鉄道文化むら」(正式名称は「碓氷峠鉄道文化むら」といい、信越本線横川ー軽井沢間の廃止とともに役目を終えた横川運転区跡地に1999年開園)にやって来たのだが、閉園時間の16時30分を過ぎたばかりで入園できなかった。
 ここにはデッキ付きの電気機関車として最もプロポーションの美しい(とぼくは考えている)EF53形が唯一保存されていて、その姿をぜひ愛でたかった。学生時代にはHOゲージ(縮尺1/87)の模型も持っていたくらいぼくはEF53形を気に入っていた。
 中学生の時に上野駅から大宮駅まで、ぼくはこのEF53の運転席に乗せてもらったことがある。上野駅のプラットホームに停車し出発を待っているEF53形の姿を写真に収めようと機関車の回りをうろうろしていたら運転手に声をかけられ、幸運に浴したのだった。今なら信じられないことかも知れない。昭和の良き時代でもあり、撮り鉄にとっても良き時代だったのである。 

 さて、「立ち入り禁止」ばかりの富岡製糸場に話は戻る。時制があべこべになり申し訳ないが現像の都合上お許しを。
 入場するとその真正面に東置繭所(ひがしおきまゆじょ。1872年建築。長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m。国宝)という大きな建造物があり、1階にシルクギャラリーがある。絹製品が展示・販売されている。
 ぼくはガラスケースに展示された絹製スカーフと覚しき製品の写真を、ファインダー越にアングルを探しながら撮ろうとしていたのだが、隣にいた観光客の女性にガラスケースの隅に置かれた撮影禁止マークを指差され、目配せされた。彼女は無言で「これは撮影禁止よ。あなたとは言葉が通じないと思って」という仕草をした。
 ぼくは撮影禁止のマークに気がつかず、女性にバツの悪い顔を見せた。女性はぼくの反省顔を見てか、柔らかな笑顔を返してくれた。白髪の老人を思い遣るような優しい表情であり、仕草でもあった。敬老の精神に富んでいたのである。彼女は東洋系の外国人で、しかもモンゴロイドだった。ぼくは彼女が台湾の人だと直感した。このような時のぼくの直感は90%以上の確率で当たることになっている。ぼくはもちろん、人種差別を忌み嫌う。
 ファインダーから目を離し、近くいたガイドと覚しき年配の日本女性にお伺いを立てた。
 「こちらのホームページによると、撮影は営利目的でない限り許可なく撮ってもよいとありますが、このショーケースには撮影禁止のマークが置かれてありますね。ぼくは営利目的ではないので、撮ってもいいでしょう?」と、満面の笑みをたたえて迫ってみた。5月の京都では成功の見込みはまったくなかったが、ここは訴えれば許可されるという直感があったのだ。
 思いの通り、くだんの女性はちょっと戸惑いながらも「ええ、かまいませんよ」といってくれた。彼女もやはり老人を敬い、敬老の精神に溢れていたのだった。
 ぼくは中国語を話せないが、名誉を挽回しておこうと台湾の女性(と勝手に決めつけている)に簡潔な英語で「撮影OKだよ」と伝えた。彼女は “ Many thanks ! ” と3倍返しの笑みを見せてくれ、ショーケースを撮り始めたのだった。ぼくは堅牢な橋を渡れそうである。

http://www.amatias.com/bbs/30/424.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF11-24mm F4L USM。
群馬県富岡市「富岡製糸場」と富岡市街。

★「01富岡製糸場」
「撮影禁止」だった絹製品。撮影許可をもらった。
絞りf9.0、1/25秒、ISO100、露出補正ノーマル。

★「02富岡市街」
貸店舗となっているかつての喫茶店。築何年だろうか?
絞りf11.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2018/11/26(月)
第423回:富岡製糸場
 季節の移り変わりに心躍らされることはあっても、撮影に際してはもう何十年もの間、正確にいえば30代半ば以降ぼくはそれに強く感応しなくなった。上手く利用しようという気がなくなったというほうが正しいのかも知れない。
 写真愛好の士であり写真屋でもあるのに、四季折々の美しい “見頃” をいともたやすく見送り、しかも平然としている。そこに如何なる未練も残さない。世の中に溢れかえるその手の写真に、ぼくは飽き飽きしているからだろう。
 “見頃” に心惹かれるものがあっても、しかしそれはぼくの撮る写真ではないと冷徹に決めてかかっている。ひょっとすると「そんな写真を撮ってお前は何が面白いのか」という一見反骨風の心胆が心の奥底にへばり付いているようにも思える。時にこれが自我の暴走ともなる、ということも生憎ながら同時にわきまえている。

 「花が咲きました」とか「木々が色づき始めました」などの声とはどうも無縁のところに居るらしく、しかも頓着せずに暮らしていけるのでぼくの撮影に関する生活スタイルは至ってお気楽で、無骨でもある。敢えて “旬” を自分から求めたり、意識したりするようなことはしないので、ぼくの写真は季語のない俳句(そんなものはないのだけれど)のようにつれないものなのかも知れない。季語が、情念やら怨念に取って代わっている。仕事の写真と異なり、私的な写真は他人に見せるために撮っているのではないので、これを由としている。
 季節の変わり目につきものの、所謂 “耳目の欲” に捕らわれないといえば聞こえはいいが、ぼくの写真は季節(旬)を拠り所としてはいないのだろう。
 桜も、新緑も、紅葉も、雪景色も、それ自体を目的としていないので、その分手枷足枷がなく、撮影時の精神の解放については、ぼくはぼくなりの方法で、ご都合主義よろしく臨んでいる。季語があればあったでいいし、なければそれでよしという、やはりお気楽なのである。これはきっと、長年の間に培った息抜きと気張りのバランスなのだと思っている。どこかで帳尻をしっかり合わせておかないと長続きはしないものだ。

 先週、我が倶楽部の婦女子たちと群馬県の富岡製糸場(1872年開業。1987年操業停止。2014年世界遺産登録。国宝)に赴いた。以前からここに行きたいという声はあったものの、思い描くイメージを写真に収めるには難しいとの予感があり、ぼくは足が動かずにいた。
 自分の予感をいつも固く信じており、また大切にもしており、富岡製糸場ではおそらく最適な立ち位置を得られず、ぼくにとって好ましい写真を撮れる可能性は低いと踏んでいた。どうしても通り一遍の写真にしかならないと予想したのだった。職業柄、今まで特別な許可を得ての撮影をたくさんしてきたので、思い通りにならない富岡製糸場は明るい見通しが持てなかった。
 ぼくの写真的な興味は実は富岡製糸場ではなく、ここから車で約30分の位置にある碓氷峠の通称「めがね橋(碓氷第三橋梁。レンガ造りの4連アーチ橋。1893年に竣工され1963年まで使用された。高さ31m、全長91m。2007年世界遺産登録暫定リスト入り。重文)」や横川駅隣にある「鉄道文化むら」だった。「鉄道文化むら」には、元撮り鉄だった頃からの憧れでもあった電気機関車ED42とEF53が展示されている。加え、どこかで美味しい蕎麦にありつければ儲けものと考えていた。
 「めがね橋」付近は、紅葉を愛でるにはわずかに時期を逃したが、上記の如くぼくはほとんど頓着することがなかった。

 富岡製糸場に入場したぼくらは1時間半後に落ち合う場所を決め、直ちに解散。指導者もどきであるぼくは要請がなければ、実地指導はしないことにしている。
 この日はウィークデイであったためか思ったほど見学者は多くなかったのだが、案の定、どこもかしこも、どこを向いても「立ち入り禁止」ばかりで撮影はままならずであった。
 操糸場(国宝)に設置された大半の自動操糸機には透明ビニールが被せられ(埃よけのためだろうか?)、ラップに包まれたようにテラテラと光りながら風情を殺いでいた。まことに不粋なビニールであった。撮影の気勢はますます下がり、ぼくは早々に撮影を諦めてしまった。
 
 他の人たちがどのような写真を撮ったのか今のところ定かではないのだが、1時間半後誰もが勢いよく入場門から外に飛び出し、昼食目がけて奔走していたのは明らかだった。全員婦女子であったため、食の時間ともなると形容しがたいほどの殺気が立ちのぼり、彼女たちは淑やかさを振り捨てて、ついでに写真も打ち捨て、やたらと気色ばむのだった。
 富岡製糸場周辺の街中写真のほうにぼくは気を奪われた。ぶらぶら歩きながらシャッターを切りつつ、立ち寄った店で「近くに美味しい蕎麦屋があれば教えてください」と尋ねてみた。この時、すでに全員が蕎麦モードに突入していた。昼食後、ぼくらは富岡から逃げるように「めがね橋」に向かった。

 製糸場と異なり、ここはぼくにとって思い入れのたっぷりあるところだ。子供時分から廃線となるまで(当時15歳)、ぼくはアプト式列車に乗り、この「めがね橋」を十数回往復していた。
 信越線横川駅から軽井沢駅までの勾配が急になるため、普通の列車では滑って上ることができず、レールの中央に歯軌条を配し、動力車(ED42)の歯車とかみ合わせながら走行する歯車式鉄道(アプト式)だった。車両交換のため横川駅と軽井沢駅に通常より長く停車した。1893年に開業され、1963年廃止。
 小学1年の頃、横川駅から霧に包まれた妙義山(日本三奇勝のひとつ)を初めて見た時の、あの水墨画のような美しさと奇観は終生忘れがたいものとなった。未だに鮮烈な印象を残している。
 今はレールが取り除かれ歩道となっている「めがね橋」やトンネルを、遠い昔を懐古しながら55年ぶりに通ってみることにした。樹木の素晴らしい香気が辺り一面に漂っていた。

http://www.amatias.com/bbs/30/423.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF11-24mm F4L USM。
群馬県富岡市「富岡製糸場」と碓氷峠「めがね橋」。

★「01富岡製糸場」
予想通りとはいえ1枚くらいは掲載の義務が。東置繭所(ひがしおきまゆじょ。木骨煉瓦造りという工法。国宝)の2階。乾燥させた繭が貯蔵されていた。タングステン光なので原画はもっと赤い。「行ってきました。取り敢えず撮ってきました」という写真。情念も怨念もない。
絞りf5.6、1/8秒、ISO800、露出補正-1.67。

★「02めがね橋」
この上が歩道となっている。高いところはあまり強くないぼくだが、息を切らせて31m上る。トンネル数26、レンガの橋梁18が歩道となっている。とても良い風情だ。アーチの間に半月が浮く。1週間早ければ紅葉がきれいだったろう。
絞りf8.0、1/125秒、ISO100、露出補正-2.33。
(文:亀山哲郎)

2018/11/16(金)
第422回:夢見の恐怖
 ぼくは毎晩必ず夢を見る。昔の映画館のように、二本立て、三本立てなんてこともよくある。どんな夢だったのか、ほとんどを都合良く忘れてしまうので、毎夜繰り広げられる夢見に対しては、苦痛でもなく楽しみでもないのだが、そういいつつも月に2〜3回ほどは辛い夢を見る。悪夢のほとんどは写真に関するものだ。父とも夢の中で取っ組み合いの喧嘩をするが、それは年に1度ほど。

 これらは夢だからといって、都合良く直ちに忘却の彼方という具合にはいかない場合もあるので難儀する。後味が悪ければ、引きずってしまうのが人情というもの。時間の経過だけを待たなければならない。悪事を働いたわけでもないのに、じっと忍従を強いられるのはまったく間尺に合わない。
 ごく稀にだが、夢の中でのことが逃れようのない現実味を帯びることもあり、正気に戻ってからもしばらくは区別のつかぬことがある。夢と現実が入り混じり、その混濁により生ずる非現実に対する歪んだ思い込みこそ恐怖なのだ。
 そして3年に一度ほど、ぼくは殺人犯として警察に追われることがあるのだが、捕まったことは一度もない。悪運が強いのだ。すんでの所で逃げ果せ、この時ばかりは覚醒した瞬間に、戸惑いも混乱もなく「夢でよかったぁ〜」と素直に胸を撫で下ろす。上記の如く、夢と現実を取り違えることはないが、いくら夢とはいえ善と悪の取り違えは恐ろしい。
 計算によると、ぼくは今まで20回ほど殺人を犯している。かなり凶悪・凶暴な奴なのだ。だが幸いなことに、人を殺めるシーンが夢に現れたことは一度もない。これは大きな救いだ。

 ぼくの映画館にモノクロはなく、いつだって、昔風にいえば「総天然色(カラー)」仕上げである。子供の頃に見た深緑色をした不気味な天狗の死に顔は、未だ脳裏にくっきりと焼き付いている。また、熱にうなされた時は決まって何千本という色とりどりの針が渦を巻きながら宙を舞っていたものだが、大人になってからはその美しい光景にお目にかかることがなくなってしまった。夢に関しては子供の時のほうがずっと空想豊かであったような気がする。
 子供は生きるための切羽詰まった事情が希薄なので、リアリズムよりロマンティシズムに肩入れをするのだろう。

 切羽詰まった事情満載の疑似老人であるぼくはベッドに潜り込み、「今夜はどんな夢を見るのだろうか?」と思いながら意識を失っていく。寝入り・寝起きに優れたぼくは、眠りに落ちるその瞬間を自覚できることもあるし、知らぬ間に朝を迎えることもある。
 意識が遠のきつつあることを自覚できるその時、「オレ、今、寝るぞ、寝るぞ。この世とあの世の境を今さまよっているぞ。生と死の間を今漂っているんだ」とさかんに言い聞かせ、面白がっている。これを現世では束の間の「夢現(ゆめうつつ)」とでもいうのだろう。ぼくはこの瞬間がとても好きだ。
 何故って、「夢現」だけが、義務・責任・使命といった重荷や厄介なしがらみから一斉に解き放たれる唯一の瞬間でもあるからだ。そしてまた、現実と非現実の境目、いわばその空洞にはかつて体験したこともないような摩訶不思議な世界が広がっている。そこは幻影で満たされており、その幻影は多くの、そして多様なイメージを与えてくれる。ぼくにとって撮影時のイメージ構築に欠かすことのできない貴重な役割を果たしてくれている。

 この3年近く、ベッド脇に置いたiPadで落語を愉しみながら寝入ることが慣わしとなっているが、噺を最後まで聴くことなく寝入ってしまうことしばしば。噺の落ちを聴く前にぼくは気を失っているので、それでは噺家に申し訳なく、したがって同じ演目を2度、3度続けて聴くことも珍しくない。また時には、笑いながら意識を失っていくという器用で込み入った芸を演ずることもある。
 ぼくにとって落語はただ好きだからという以上に、イメージの宝庫であり、家や人々の佇まいを描く時に大いなる手助けをしてくれている。そして名人たちが夢と現実を巧みにシンクロさせ、紡ぎ、如何にして生き生きとした虚構の世界を作り上げていくかという点に於いても、大変優れたお手本となっている。

 「苦労したことや思い通りにいかぬことほど夢に出てくるものだ」と、先日旧知の友人と話し合っていた。おそらくこの傾向は誰にも当てはまることではないだろうか。統計を取ったわけではないが、ぼくが夢で悩まされることの多くは写真に関することだ。
 交換レンズがなかったり、フィルムが尽きたり、カメラが故障したり、露出がまったく外れていたり、撮影に必要な機材を忘れていたり、ロケ現場にたどり着くことがどうしてもできず山奥をさまよったりと、一見他愛のないこととはいえ悩みは尽きない。クライアントとのやり取りで、お互いの理解が足りず、見当違いの写真を撮ってしまい、頭を抱えていたりすることもよくある。こんなことに月に2度は必ず遭遇する。痩せ細る思いだ。たまったものではない。
 かつてカメラバッグそのものを自宅に置いたまま撮影に出かけ、ロケ地で気がつき、坊主に持って来てもらったことは以前に書いたような気がするが、それがぼくの冒した忘れ物という現実の大ドジであった。それ以来、物忘れ恐怖症に陥ったことはいうまでもない。
 しかし、上記の如く夢がいつ現実に変わるか、ぼくは撮影(私的写真ではなく、仕事の写真)のある日はビクビクしながら怯えている。何度場数を踏んでも慣れるということはない。特に物忘れの多くなるお年頃でもあるので、恐怖はいよいよ現実味を増しているのである。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/422.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF11-24mm F4L USM。
茨城県古河市。

★「01古河市」
模型店のショーウィンドウ。かなり精巧に作られたハーレーのオートバイ。
絞りf7.1、1/25秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02古河市」
夕焼け時、ガラス越しに佐渡おけさの立て看板が。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2018/11/09(金)
第421回:新しいレンズは1年毎日使わないと分からない
 近頃、久しく連絡の途絶えていた人たちから何の前触れもなく、かなり集中的に電話やメールを続けざまにもらった。なかには長文の手紙もあり、気が抜けない。こんなことが実際にあるのだと少しばかり気味が悪くなった。
 珍しいことが立て続けに起こる現象は、神様が何かを示し合わせたかのようにする悪戯であり、忙(せわ)しい時に限って仕事が集中するあの意地悪な法則に似ている。天変地異の前兆か、どこか神懸かりというには大袈裟だが、これは不思議を通り越した超自然的な現象のようにも思える。

 何やら陰謀めいた予期せぬ電話に、しばらく様子が窺えず戸惑った面持ちでぼくは口を開く。「何か虫の知らせでもあったの? ぼくは変わりないよ。ところでどうしたの?」と切り出す。老若男女に関わらず、懐かしさも手伝ってか、ぼくらは労りの精神に満ち、情のこもったやり取りが始まる。
 断片化し、希釈された記憶を頼りに、過ぎし日々を回想しながら、話の糸口を探り出そうと苦心するのだからお互い世話が焼ける。いや、世話を焼かなければならないのは不意打ちを食らい、まごつくばかりのぼくのほうだ。加え、現世の符牒である固有名詞がなかなか出て来ないものだから、もどかしさもひとしおである。

 同世代ならこんなもどかしさも笑って済ませられるが、まだ頭のふやけていない溌剌たる年代の人たちにとって、ぼくの空威張りのような老健さはきっと見るに忍びなく、むしろ彼らにチクチクとした痛みを与えているのではないかと思うことがしばしばある。 
 そして、特に相手がご婦人であったりすると、必要以上に心身の壮健さを誇示したがり、そして頼り甲斐のあるジジィを演じるか、はたまた老い先の短いことを理由に人道的憐憫と寛容なる対応を執拗に求めたりする。ぼくはある時は若かったり、またある時は老人だったりと、いろいろと気忙しく大変なのだ。いつまでも気苦労が絶えないでいる。

 編集者時代に親しくしていた人から久しぶりに電話があった。かれこれ8年間のご無沙汰を互いに侘びた。彼は今年還暦を迎え、突発的に写真に目覚めてしまったのだそうだ。よせばいいのにである。おまけに拙稿の愛読者だと得意気に嘯く(うそぶく。偉そうに大きなことをいう)。
 趣味の取っ掛かりが「突発的」というのは、特に写真に於いてはあまり褒められたものではない。写真事始めの動機としては弱すぎて、好ましいものとは言い難いのだ。写真は隠微なる妄執(もうしゅう。迷いによる執着)の念に取り憑かれることを最上とする。
 その彼が、「前号は蕎麦の話ばかりで、写真の話がなかったですねぇ」と、再び嘯く。同様の指摘はうちの倶楽部の恐い婦女子からもあった。やはり気の抜けないことに変わりはないのだが、しかしぼくはそれに関して頓着などまったくせず、いつもながら悪びれることもない。

 寝食をともにしたことのある彼は、「かめさんは昔から関心のあることと好きなこと以外には目もくれなかった。こちらが言及しても、いつも上の空で生返事ばかりしていた。よくそれで世を渡っていけるものだと感心していたくらいだ」と電話口で追い打ちをかけてくる。
 言外に「あんたは勝手極まる与太者」を匂わせていた。実際に五十路の坂を越えても、「始末の悪い、非社会的なならず者」といわれたことがある。ぼくはそれに対して開き直るのではなく、もともと恥ずかしいこととも劣ったこととも考えていないので、説教がましい正調なる相手は、変調なぼくになおさら辛く当たるのだろう。

 しかし、写真話をそっちのけにし、「蕎麦こそわが命」のようになってしまったことについては、「この時期は写真より蕎麦が好きだ」と正直に白状しているのだから、どうかお目こぼしを願いたい。
 「写真の話を書かなくても、毎週写真を掲載しているのだから、それで十分使命を果たしている」という良き理解者がいることもついでながら書いておかないと偏頗(へんぱ。かたよっていて不公平なこと)であろう。

 ここから真面目な写真の話。
 昨年の8月にぼくは久しぶりにレンズを新調した。この1年余り、ここに掲載した写真のほとんどは焦点距離11-24mm(APS-Cサイズであれば、約6.87-15mmに相当)という非常にエキセントリックな広角ズームでのものだ。このレンズは、当初仕事用にではなく、私的写真専用と考えていたのだが、性能の良さに加え意外なほどの素直さと利便性を兼ね備え、仕事でのインテリア撮影に大変重宝している。重いことだけが玉に瑕だが。
 クライアントも体験した事のないような広角の世界に驚嘆し、今のところ大変評判がいい。

 これを使い込んで1年3ヶ月になるが、そろそろぼくもこのレンズ一本槍から離れて、もう少し融通の利くレンズの携行(つまり従来通りの焦点距離にという意味)をしようと思っている。
 「レンズの性格を知り、使いこなすには毎日使用しても1年はかかる」というのがぼくの昔からの信念で、今やっとこの優秀なレンズの正体が分かってきた。フィールドワークを積み重ねないと決して知り得ないこと多々ありで、少しずつ全貌が見えてきたといってもいい。
 11-24mmという制約された世界からやっと解放され、気楽な撮影を新蕎麦とともに味わいたいと思っている。

http://www.amatias.com/bbs/30/421.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF11-24mm F4L USM。
茨城県古河市。

★「01古河市」
たばこ屋のショーケースに並んでいた俗称ピー缶。錆が浮いて中身が入っているのかどうか不明。若い頃ぼくはこのピー缶をカバンに入れて持ち歩いていた。
只今、禁煙続行中。
絞りf5.0、1/25秒、ISO200、露出補正-2.00。

★「02古河市」
珍しい色の枯れた紫陽花。紫陽花は好きな花ではないが、何故か見つけると気になって撮ってしまう。
絞りf7.1、1/50秒、ISO200、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2018/11/02(金)
第420回:蕎麦っ食い
 夏の新蕎麦を「夏新(なつしん)」、秋のそれを「秋新(あきしん)」と呼ぶそうだが(なんだか安易だなぁ)、この季節になるとぼくは不純にも蕎麦を基準に撮影地を選ぶ嫌いがある。蕎麦が食いたいのか、写真を撮りたいのかを天秤にかけてみると、どうやら蕎麦に軍配が上がりそうだ。それほど蕎麦はぼくにとって魅力的なもので、この季節の撮影場所は蕎麦に依拠しているといってもいい。

 とはいえ、蕎麦の産地や蕎麦屋さんの名聞にこだわることはほとんどなく(というより意味がないので頓着せず)、当たれば儲けもの、外れても悔しくはないという塩梅だから、至って気が楽である。正直にいえばだが、卑下するでもなく、謙遜でもなく、ぼくはどちらかというと蕎麦音痴なのだ。どう下手(したて)に出ても、蕎麦通じゃない。
 「蕎麦の風味やのどごしを楽しむ」なんて、その手合いの人々いうところの小洒落た曖昧な科白とは縁がなく、「うまい!」とか「けっこう!」の男らしい断定に満ちた一言が無意識のうちに出れば万々歳。それだけで生き甲斐を感じるという無邪気さだ。うまいことの説明や解釈などまったくの不要である。つまり蕎麦の蘊蓄(うんちく)など誰にも傾ける必要などない。

 一応の下調べをネットでしてはみるが、そこでの評判を鵜呑みにしたり、頼りにすることはまずない。味覚の点数ほど当てにならぬものはないし、ましてや、まなじりを決して蕎麦っ食いに挑むというのも、あまり恰好の良いものではない。蕎麦っ食いとしては質が悪すぎるとぼくは思っている。蕎麦の持つ文化性と庶民性を勘案すれば、その嗜みはどこかに「粋」がないといけない。蕎麦とはそのようなものではないか。
 蕎麦に限らず食べ物について、うまいまずいを大べら(人目を気にせずにするさま)にいうことほど無作法で卑しいことはない。もし食後の感想を聞かれたら、「非常に遠慮がちな品定め」に徹するとぼくは決めている。

 このことは定例の写真評にも通じている。ぼくは乏しい語彙のなかから慎重に言葉と語句を選び出し、ぼく以上に日本語にむずかる人々に対して、できるだけ本意を汲み取れるような的確な表現をしようと試みる。これが恐ろしいほどのストレスを生むことに誰も気づいていない。ここにぼくの悲劇がある。
 言葉が思い当たらない時には窮余の一策として仕方なしに「うんこ」という気高くも端的なる幼児言葉を用いる。しかし、食べ物を評するに「うんこ」とはルール違反だから、決していわない。

 今某出版社の編集長より問い合わせがあり、そのための調べものをしていたら偶然にも第374回に「新蕎麦を目指して」と題し、似たようなことを書いているのを見つけた。ホントに偶々であった。2017年12月1日掲載となっているのでまだ1年も経っていない。にも関わらずぼくの記憶は遙か彼方にまで飛んでしまい、その痕跡さえも見当たらないことにかなりのショックを受けている。
 来年もこの時期になったらこの原稿のことなどすっかり忘れ、蕎麦徘徊老人をしながら同じ事を書くのだろうか? 「二度あることは三度ある」というから恐ろしい。

 閑話休題。食の行儀作法は、人品やらを読み取られるものであるからして、故に蕎麦の味にも影響を及ぼすことがある。「蕎麦はズルズルと音を立てても良い」ということになっているが、ぼくは(あるいは我々は)日頃の習性からその作法に取り敢えず怖じ気づく。
 しかし、何故音を立てても良いかについては非常に理解が早い。音立てが蕎麦っ食いの道理に適っているからだ。出汁に蕎麦を絡めながら、一緒にズルズルと音を立て、口のなかに吸い込んでいくのが最もうまい食い方だ。だがそれを知っていても、初めは勇気が要る。
 ひとりならいざ知らず、誰かと一緒ともなると、ズルズル音の加減を計りながら、同時に相手の顔も窺いながら、蕎麦っ食いの儀式をそろりそろりと始めなければならない。食った気がしないのだ。したがって、蕎麦っ食いはひとりか旧知の間柄に限る。こんなに食い方のむずかしいものは他にない。

 「最小限の音立てによる最大限の旨味引き出し法」、これこそが蕎麦っ食いの極意であり、修得するまでにはそれ相応の年季を必要とする。いくら音立てが許可されているとしても、これみよがしに壮絶なズルズル音を発する輩が少なからずいるものだが、それは他人の蕎麦をまずくしてしまうのでしてはいけない。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。

 古今亭志ん朝は、「江戸前の蕎麦はちょっとだけ食べるものだ」と父親である名人志ん生からいわれたそうである。「蕎麦を腹一杯食べると、 “ばか” “どじ” “まぬけ” と親父から叱られた」と高座で語っている。
 音立てについては語っていないが、蕎麦を食う場面では、なるほどと思うくらいうまそうな音を立てている。これも噺家の大事な話芸の一部なのだろう。
 
 信州は蕎麦処だが昼飯にはちょいと遠い。栃木、茨城も蕎麦処であり、昼飯を取りに出かけるにはいい距離だ。古河市(茨城県)まで我が家から車で1時間とカーナビは示す。良い蕎麦があるらしい。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF24-105mm F4L IS USM。EF11-24mm F4L USM。
茨城県古河市。

★「01古河市」
埃で汚れきった廃屋のガラス越に野良猫が。
絞りf4.0、1/40秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02古河市」
古いアパートの階段。
絞りf7.1、1/40秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)