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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/12/09(金)
第326回:ゴールデンタイム
 先月中旬、栃木県栃木市に我が倶楽部の同胞とともに赴き、今年2度目の撮影会を敢行した。栃木市はぼくのお気に入りの地ではあるが、それはあくまで単独行でのことであり、仲間と一緒の撮影は寸毫ながらも指導モドキの義務を伴い、今回は「牛に引かれて善光寺参り」が似合う。

 振り返ること13年前、暇を持て余す停年間近の同窓生8人(ジジババ)に「写真を教えろ」と半ば強要され、「オレはみんなにお遊び写真を教えるほど暇じゃないんだよ」と抵抗を示しながらも仕方なく指導を無代(ここが肝心)で引き受けてしまった。
 この頃は停年予備軍ばかりだったので容易に撮影会の日取りを決められたということと、撮影より親睦という意味合いを多く含んでいたので、頻繁にあちらこちらに出かけて行ったものだ。ぼくも無料奉仕であるが故に写真を教えるという義務感にとらわれずに済み、たいそう気が楽だった。
 親睦組のなかには写真の才能(天分ではなく、努力する能力)がないと諦めたのか、やがてその姿をくらました者が大半なのだが、何とかして良い写真を撮りたいというジジババだけがしぶとく “居座り”、頑強に “籠城” を続けている。 “居座り” はあたかも落語の『居残り佐平治』のようであり、 “籠城” は「浅間山荘事件」の連合赤軍のようだ。団塊の世代は粘りに長けている。また打たれ強くもあり、ぼくのムチ打ちにも何食わぬ顔で耐え、堪えないのだから質が悪い。 
 期を同じくして停年親睦組と入れ替わるように写真好きの若い人たちが次々と仲間に加わり、老若男女の入れ乱れる風変わりな写真倶楽部となった。ぼくはここで初めて指導者モドキとしての自覚を余儀なくされ、使命感に目覚めたのだった。

 若い人たちはそれぞれに職があり、撮影会の日程が合わずいつも計画倒れに終わった。我々は、撮影会の計画は頓挫するものだとの暗黙の了解をいいことに、近年はとんとご無沙汰の傾向にあった。
 そんななか、実行力に富み、熱情溢れる企業戦士でもある若い女性が参入し、まるで古参兵のように怠惰な我々を厳しく戒め、ビシバシと発破をかけ、一時(いっとき)中断していた撮影会もこの半年に栃木市を含めてすでに2度を数えることとなった。
 彼女は写真を始めてまだ日も浅く、3ヶ月前に初めて一眼レフを手に入れ、先月はMacを、今月はプリンターを予定し、来月はPhotoshopと、順次機材の仕入れ計画に余念がない。おかげでぼくは気合いを入れられ、撮影会の現場でゆくりなくも指導者の如き振る舞いに出てしまうのである。ちゃんと健気に「一日一題」(この日は露出補正について)をそれらしく教えているのである。しかしそれは、ぼくにとって誠に不似合いな仕草であるに違いなく、どう見ても板についているとは言い難い。ここが辛いところだ。

 この日の栃木市は雨上がりであり、路面が濡れ、街の雰囲気もしっとりし、撮影には好条件だった。写真を始めたばかりの女企業戦士は現場に着くと「あたし、Rawで撮る!」と勇猛に言い放ち、ぼくを上機嫌にさせた。であればまず雲(空)を白飛びさせないような露出を心がけること(露出補正)に専心すればよいと伝え、具体的な考え方と技術を伝えた。露出補正をどうするかは写真を続ける限り常について回る大切な事柄なので、つまずきながらもまずは「一日一題」に取りかかってみなさいと申し伝えた。

 ぼくが自分勝手に「ゴールデンタイム」(日没後から空が暗黒になるまでの短い時間帯。天候と露出の加減により、空を深い濃紺に写し出すことができる)と名付けた時間帯に、昼間チェックしておいた被写体のいくつかを撮影した。空が深い紺色に染まるのは極めて短い時間なので、せわしいことこの上ない。
 ぼくのいう「ゴールデンタイム」は、映画界などで好んで使用される「マジックアワー」より少し後の時間帯である。「マジックアワー」は日没後まだ太陽の明かりが残っているいわゆる黄昏時を指し、最も美しい時間帯とされている。

 フィルムと異なり、デジタルでこの「ゴールデンタイム」を上手く表現するのは案外容易い。辺りにある光を利用し(できればタングステン光が望ましい)、露出を切り詰めながら空が濃紺に表現されるようにすればよい。
 質感を表現したいシャドウ部は潰れがちになるが、情報が残っていればデジタルは再現可能であるから、手ブレをする限界までISO感度を低くするのがコツといえばコツである。ISO感度が高いとシャドウ部を持ち上げたときにノイズが目立ってしまう。

 撮影はRawで撮ることが原則である。Rawデータ現像時に、2枚の異なったものを作成する。ひとつは空の明るさと色温度を基本に調整したもの。もうひとつは、空以外の被写体をという具合だ。この2枚の画像をPhotoshopのレイヤーを用い、マスクを使用して必要な部分だけを残していく。2枚の画像を統合し、細かい調整を施していけばほぼイメージ通りの画像が得られる。
 イメージ通りとは、「肉眼で見たように」でもいいし、または非現実的な光の交差を描くものでもよいとぼくは考えている。時には「アメリカンナイト」(映画の撮影手法のひとつで、疑似夜景)のような効果も得られる。

 「ゴールデンタイム」の撮影に三脚があれば怖いものなしだが、この風変わりな倶楽部には誰一人三脚を立てている者がいない。ぼくはここでも「おいらは三脚を使用しなくてもいいが、君たちはダメ!」の常套句を連発したにも関わらず、“やはり言うことを聞かない人たち” だったということを付記しておかなければならない。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/326.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。3枚の掲載写真は「ゴールデンタイム」を意識して、3分以内に撮ったもの。

★「01栃木市」。
蝋燭1本あればあらゆる撮影は可能だが、背後に微かなタングステン光源あり。汚水の流れ出た跡のような模様があるがこの建物は一体何か? 
絞りf6.3、 1/10秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「02栃木市」。
映画で用いられる撮影技法「アメリカンナイト」を真似てみた。蔵に塗られたペンキの発色が面白い。
絞りf5.6、 1/8秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「03栃木市」。
山門に向かう道(画面左)の入口に佇む居酒屋。「絵を描くならこんな感じで」をイメージして。
絞りf5.0、 1/20秒、ISO200、露出補正-2.67。

(文:亀山哲郎)

2016/12/02(金)
第325回:ある俯瞰風景
 幼少期のぼくは病弱で床に伏すことが多く、熱発ばかりしていた。高熱にうなされながらの幻影は、火影(ほかげ)に照らされているようであり、そんな夢をいつも見ていた。そのいくつかは未だに鮮烈に脳裏に焼き付いており、その映像は終生忘れ得ぬ原風景として、ぼくに執拗にまとわりついている。 “からまれている” といってもいい。
 その幻影はリスフィルム(Lith Film。モノクロの中間調を排除した高コントラスト・高解像度フィルムで、印刷製版などに使用された)のように極端なモノクローム線画であったり、また時には原色まがいのカラー・ソフトフォーカスと線画が重なり、交じり合って部分的に歪んだり、紗を掛けたように滲んだりしていた。それがまぶたの裏で変幻自在に伸縮を繰り返しながら荒波のようにうねっていた。ゆらゆら揺れる火影が面白く、ぼくはいつの間にか熱発を待ちこがれるようになっていた。
 混濁した意識のなかで見る夢模様はいつも奇っ怪で、グロテスクで、極めて印象的な映像を提供してくれたものだ。それがきっかけで、ぼくの夢想癖は病膏肓(やまいこうこう)に入ってしまったように思われるが、同時に病弱の身は精神もかぼそく、しみったれて精気に欠け、泣き味噌をもたらした。

 成長とともに人並みの健康を手に入れるようになると、知らず識らずのうちにオシロスコープの波形のような火影は、頼りない光を残しながらもすっかり姿を潜めてしまった。健康で醒めた脳には再現不能のものとなり、ぼくは高熱による幻想のなかでの遊びをすっかり奪われてしまったのだ。如何ともし難い無念な気持で一杯である。
 今年は幼少期の熱発を思い浮かべ、世の森羅万象を火影のイメージになぞらえながら、その再現を果たそうと、新たなるカラー写真への取り組みを始めたような気がしている。

 54歳の時に癌を宣告され、ふたつの臓器を失う大きな手術を受けたが、麻酔から覚めつつも、混濁した意識に高熱が加わり、ぼくは50年ぶりに幼少期に見たとほとんど同じ火影に出会うことができた。幼少期のそれに比べ、宗教的なものと死生観が意識下に加わり、火影も多少は変質していたようだったが、ぼくはその再会を手放しで喜んだ。
 病院の17階の病床からは築地市場をまるごと見渡すことができた。夢ではなく今回は現実世界である。ぼくはその美しさに見惚れ、痛みの走る体を「イテテテ、ヨイショッ!」というかけ声とともに病床から起こした。その美しい鳥瞰風景は、学生時代に魅入られ、小遣いをはたいては購入していたH. ボルマンの鳥瞰絵図のようだった。
 ベッドから身を起こすには、まさに無念無想・一念発起ともいうべきかけ声と偉大な決意を必要とした。ミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされた体には点滴やモルヒネ、酸素やカテーテルなど7本もの管が無慈悲に差し込まれ、あっちこっちで錯綜していた。
 ぼくはより良い俯瞰を求めようと、人造人間フランケンシュタインのような面持ちでベッドを蹴り、眼下を一望するために30mほど離れた面談室にフラフラしながら赴いた。手術の翌日のことだった。

 入院中、何度も飽くことなくその風景をガラス越しに眺め、夢うつつのような築地市場俯瞰は退屈な入院生活に大きな愉しみを与えてくれた。知人友人には入院を伏せていたし、家族には「見舞いになど来る必要なし」(家族仲が悪いわけではない)と言い含めておいたので、ぼくは3週間近く、今まで味わったこともないような解放感に浸っていたのだが、カメラだけが欠落していた。
 2002年5月のことでぼくはまだデジカメを持っていなかった。この年の末に初代EOS-1Dsが発売され、それがぼくの初めてのデジカメだった。

 術後の10年間、定期検診に訪れるたびにぼくは17階の面談室に赴き、築地市場を眺めるのが恒例行事となったが、1度もシャッターを切ったことがなかった。機の熟すのを待ったといえば聞こえはいいのだが、入院時に知り合った患者さんたちのことを思うと複雑な思いに囚われ、なかなかシャッターが切れないというのが本当のところなのだろうと思う。
 余命宣告をされた人たちや癌が転移し治る希望なく故郷に帰って行った人たちのなかで、ぼくだけが外科手術の回復待ちの、フランケンシュタインを装いつつも、いわゆる「明るく元気で開放的な患者」なのであった。ぼくは彼らの御用聞きを日に3度承り、1階にある売店通いをしたものだった。あるいは、努めて囲碁・将棋のお相手をしていた。玉子焼きを食べたいという患者のために、フランケンシュタインのまま向かいにある築地場外に立ち入り、玉子焼きを仕入れこっそり手渡したこともある。ぼく以外のそれぞれが言葉にできぬ重苦しいものを背負っていた。元気で退院するのが辛く感じたものだ。だから挨拶をせずにこっそりぼくは出て行った。

 今年10月に築地に行く用足しがてら、カメラを持参して17階の面談室に赴いた。築地市場問題が持ち上がり「早く撮っておかなくては」と急かされての撮影だった。さまざまな思いが去来するなか、ぼくはそこで見慣れた俯瞰風景を初めて撮った。帰宅してRawデータをデフォルトで現像してみたら、ガラス越しであるにも関わらずあまりにもクリアに写っている。
 入院当時の夢のなかに戻り、幼少時の火影を忠実に再現しようと元気な状態で試みたのが掲載写真。高熱のなかで仕上げたほうがよかったかも。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/325.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:東京都中央区築地。

★「01築地市場俯瞰図」。
17階の面談室よりガラス越しに。
絞りf8.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2016/11/25(金)
第324回:「使い方」と「さばき方」(2)
 「さばく」(捌く)という語彙には、何冊かの辞書を繰ってみると幾通りもの解釈が含まれていることに気づく。ここでいうところの「さばき」とは、我々が日常的に使用している「包丁さばき」とか「ハンドルさばき」といった意味と捉えてもらっていい。つまり「取り扱いのむずかしい道具を手にとって巧みに扱う」とか「からまったり、くっついたりしているものを解き分ける」とか「錯綜した物事をきちんと処理する」という意味合いを込めての「さばき方」である。
 技術にばかり頼るのが「さばき方」ではなく、それは同時に感覚(センス)を誘導するものでなければならず、また逆にセンスによる技術の練達に直接的に関わっていなければならない。この相互関係はいつでも密接に結びついているものだ。
 「包丁さばき」の良し悪しで魚の味が左右されるともいわれるし、車の「ハンドルさばき」は国家による免許を必要とし、ハンドルの誤りは、被害者にも、加害者にもなり、我々の生活の質に直結している問題でもある。「ハンドルさばき」とそのセンスの極致にあるものがレースと呼ばれるモータスポーツだろう。

 敢えて余談を差し挟むと、かつてこのようなことを経験したことがある。
 日本の食材を海外に向けて紹介する大規模なキャンペーンで、豆腐の撮影をしたことがある。著名な豆腐店の豆腐を水槽ごとスタジオに持ち込み、熟練の職人さんも同伴してくれた。料理の用途によって豆腐を最適な大きさに切り分けてくれるのだが、その手さばきはもちろんのこと、ぼくは豆腐の断面の美しさに瞠若した。その断面は粒立ちが細かく、滑らかで、艶めかしいほどの光沢を放っていた。見るからに旨そうである。思わず唾をゴクリと呑み込むほどだった。
 包丁さばきに興味を抱いたぼくは、「ぼくにも切らせてください」といい、包丁を受け取り何度か試みたのだが、職人さんの “切る” 美しい断面には到底及ばなかった。どうにもいけない。撮影に耐えられる代物ではない。豆腐職人の包丁さばきは “切る”というより “奏でる” といったほうが相応しいと感じたくらいだ。そのくらい美しくも見事なものだった。
 職人さんは笑みを浮かべながら「包丁さばきというものは一朝一夕(いっちょういっせき)にできるもんじゃないんだよ。教えてすぐにできるものでもない。包丁さばき如何で豆腐も味が変わるんだ」と教えてくれた。
 食い意地の張った我々スタッフは撮影後、「もう当分、豆腐は食いたくない」というほど豆腐三昧であったことはいうまでもない。

 閑話休題。写真に免許は必要ないが、写真の「さばき方」も実は私たちの生活に於ける趣味のありようと質に大きく関わっているとぼくは考えている。生活や考え方のセンスといったものが直接写真に反映・投影されてしまうのだから、油断ならない。
 写真は(他の分野でも同じであろうが)「さばき方」の前に、まず道具の最小限の「使い方」を修得しなければならず、これが思いの外お手軽とはいかないが、真面目に取り組めばそれほど時間のかかるものではない。
 スマホなどで撮る写真をぼくは否定しないが、応用のための知識と技術を必要としないので(メカ的に応用が利きにくく)、必然的に表現に限界が生じてしまう。このことは同時に、感覚を磨く妨げにもなっていることをぼくは強く訴えたい。
 写真を始めてまだ日の浅い方々にとって、趣味の幅と深さを愉しみたいのであれば「急がば回れ」の諺通り、道具の「使い方」を地道に学ばれるのが最善である。それに併行して感覚も育っていくのだから。
 「日の浅い方々」とはいいつつも、実のところここだけの話なのだが、いわゆるベテランといわれる人たちのなかにも、誤った知識と技術を堂々と振り回し、それを他者に押しつけて憚らない方々が多数いる! 折伏でもされたかのように、どこでそんないい加減なことを言い含められてきたのだろうと呆れ返ることあまりに多し! 誰にでも勘違いや思い違いはあるものだが、科学で解析できる部分での過ちは素直に認めなければならない。写真でいうところの基礎技術は科学である。

 その基礎技術をどのように駆使して思い描く写真を撮り、仕上げるかが「さばき方」とぼくは捉えている。「さばき方」は応用とセンスの範疇に組み入れられる。
 写真は、明度・コントラスト・色彩の3要素からなるというのはぼくばかりではないだろう。自身のイメージはその3要素が過不足なく使用されてこそ初めて表現の門前に立てるのだと思っている。ぼくは目下「さばき方」の暗中模索を繰り返しているが、おそらく写真を続けている限り、それは永遠に続くのだろう。

 けれど、3要素を過不足なく扱えただけでは、写真は平坦・凡庸の域を出ず、また力感もなく、面白味のない没個性を晒すだけだ。美しさも中途半端なものに甘んじてしまう。どこかに破綻というか破れのようなものを来さないと自身が魅入るような写真にはならない。崩す勇気を持てるかどうかが次なるステップへの足がかりとなる。
 写真の(被写体の)細部に透徹したこだわりを求めながらも「木を見て森を見ず」にならぬよう、それを金科玉条のように唱えている。それがぼくの写真の「さばき方」なのかなとつとに思う今日この頃。そんな写真が撮れればいいのですがね。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/324.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
栃木市に古くからある銭湯「金魚湯」。入口に描かれた金魚。「湯船に金魚が泳いでいるのですか?」と聞いたら、出てきたおばちゃんは「そうよ」と事もなげにいい、思わず笑い合ってしまった。
絞りf10.0、 1/20秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」。
例幣使街道を一本入った路地裏にある駐車場。5分ほど立ちすくんでからやっとシャッターを切る。
絞りf11.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03栃木市」。
蔵に隣接した家屋が何かの理由で取り払われたのだろう。その痕跡。
絞りf10.0、 1/15秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2016/11/18(金)
第323回:「使い方」と「さばき方」(1)
 写真を見ることを職業の一部とし、そして選択することのプロである友人がぼくのカラー写真について面白い指摘をしてきた。彼は20年以上もぼくの写真を飽きずに興味深く眺め続けてくれた奇特な人でもある。写真に対する優れた審美眼を持った非常に稀な存在だとぼくは認めている。ぼくの周辺には、残念ながら写真を見ることのできると覚しき人物は彼以外にいないといってもいい。その道のプロとしてアマチュアとは隔絶した世界観と感覚を持っている。彼はまた絵画にも造詣が深く、何事にも論理的である。
 
 そして、熱心な読者からも彼同様の質問が寄せられた。ぼくのような半可通な人間に突っ込んだ質問をされるのだから、お答えするには少しばかり尻尾を丸めざるを得ないのだが、尻込みをしながらも思うところを正直にお話した。
 両者の質問を手短にまとめると以下のようなものだった。
 「補色同士が際立っているが、撮影の際に “補色” を意識するのか? それとも暗室作業時に?」。

 さて困った。 “補色” の重要性は十分に知っているつもりではいるものの、撮影時に於いても、暗室作業時に於いても、ぼくは “補色” をことさらに意識したことはまったくない。ただ良い色合いと感じるから撮る。これが正直な答えなのだが、出来上がったプリントを見てみると、ぼくのような非論理的な頭脳保有者でも、色遣いに関してはなるほどそのような指摘は当たっているとも感じるし、また「当たらずとも遠からず」だなぁとも思える。
 補色同士の効果は意識外のところで生じたもので、畢竟「おらぁ、知らねぇよ。写真は一瞬芸なんだから、そんな難しいことを逐一考えているわけじゃない。自然に撮っているのだから、それは偶然の賜なのだ」と、まったくの無責任調を貫くのである。
 本来なら、「撮影時に “補色” を考慮し、暗室作業時にそれを浮き上がらせるように努めている」とでもいってみたいところなのだが、それは第一に嘘だし、第二に “後出しジャンケン” のようなもので、心苦しく居心地も悪く、残念ながら今のところぼくにはそこまで見透す力はまだ備わっていないというのが正直なところである。

 補色同士が際立って見えるのは、自然とそのような配色の光景に惹かれ、それをフレーム内で抽出し、力説しようとの意図が招いたその結果であるともいえるし、「何が美しいか?」だけに集中した結果であろうとも思う。つまりぼくは結果オーライ男なのである。それほど小難しいことを考えているわけではない。それに加え自分の拙い美の感覚に対して依怙地に、愚直に従おうとしたものなのだと考えられる。
 今までのモノクロ一辺倒時代!?にほとんど気にかけなかった被写体の配色には、カラーとなるとやはり無頓着を振る舞うわけにはいかない。時によっては色合いこそこの写真の命だなんて思うことも多々ある。光との相乗効果により、光景の色合いが美しければ、カラーはそれだけでも価値を見出せるものだ。

 “補色” についてぼくは色彩学の専門家ではないので詳しく述べることはできないが、RGB(赤・緑・青。光の三原色)とCMY(シアン・マゼンタ・黄。色の三原色)のそれぞれに相対する色のことをいう。あるいは色相環の反対側にある色を指す。R→C、G→M、B→Yの補色関係を知っておけば写真を撮ったり、暗室作業をする上で不都合は生じないだろう。
 補色同士が同一紙面上(あるいはモニター上)にあると、互いの色を引き立たせるという効果があり、これを “補色調和” という。優れた絵画にはその効果を上手く利用したものが多い。
 また、例えば緑をじっと眺め、目をつむったり、白い物を見た時に補色であるマゼンタが残像として浮かぶことは誰しもが経験済みであろう。残像の出現を意図的に利用したものは身の周りにいくらでも見つけることができる。

 この“補色調和” を意図的に使用しているのかというのが、質問の趣旨であった。
 抽象的な話になってしまうが、ぼくはよく言葉の「使い方」と「さばき方」の違いについて考えることがある。優れた文学を読んだり、名人の落語を聴いていると「なるほど上手い表現をするものだ」とつくづく感心することがある。日本語の「使い方」も然るものだが、「使い方」というよりやはりその「さばき方」といったほうが正しいのだろうと思う。
 最近よく使われる(何かに取り憑かれたように頻繁に使用されている)「上から目線で」など、あまり感心したいい方ではないが、「反り身になって」などと表現されると、ぼくは何かとても得をしたような爽快な気分を味わう。
 それがぼくの言わんとする言葉の「さばき方」というもので、文語であれ口語であれ、話の前後関係に適した語彙を的確に、お洒落に、テンポ良く使用するその洗練されたセンスに参ってしまうのだ。大変な美学である。言葉の選択に気が利いているのだ。
 江戸時代から現代に至る文豪たちはこぞって落語から多くを学び取ったという事実はなるほどと窺わせる。また名人の語る擬音も絶品であり、特に志ん生や志ん朝の品位をここに垣間見る思いがする。

 このことは写真についても同じ事がいえるのではないかと常々思っている。
 「嗚呼、字数ここに尽きる」なので、写真への置き換えは次回にということに。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/323.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
Simple is best!
絞りf8.0、 1/20秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02栃木市」。
なまこ板ばかりでなく、こんなお洒落な路地裏風景もあるんです。
絞りf8.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03栃木市」。
左は立派な蔵だが、う〜ん、この青なまこ板の家は何だろう?
絞りf11.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2016/11/11(金)
第322回:写真の偉大な記録性
 つい先日、86歳になる叔母から写真が送られて来た。それは80年前の、セーラー服に身を包んだ女学生のモノクロ肖像写真で、営業写真館で撮られたものだった。長い時を経て、印画はいわゆるセピア調と化し、淡いグレーの部分はわずかに青の成分を含んだ灰色に見える。写真の周辺部は色あせ、純黒が失われつつあり、軟調化している。全体の色調はセピアとカーボンプリントを混ぜ合わせたような具合だ。

 時の経過とともに味わいある色調となった印画を興味深くしげしげと見入っていた。そしてこの時、ぼくは68年目にして初めて生みの母との対面を果たしたのだった。しっかり正面を見据えた母の目には上品なキャッチライトが写り込み、ぼくを優しく見守っているかのようだった。しばし見つめ合っちゃったりして、どうにも照れ臭い。写真から今まで感じたことのない母性愛のようなものも同時に伝わってきた。これが母親の魔力というものなのだろうか? 感傷的な思いは湧かなかったが、今までにないような感慨を抱いたのは確かだった。
 敬意を払い、挨拶くらいはきちんとしなくちゃならんなぁと思い、ぼくは照れながら、「母上、初めまして。あなたの一人息子は68歳の白髪じじぃとなりましたが、まだ元気に生きております。しばらくはそちらに行く予定はありませんので、どうぞご安心を。そして、あなたにはふたりの孫もいるんですよ」とひとりごち、報告に及んだ。写真は大変な手柄を立ててくれた。

 母はぼくを産んで乳離れするまでに病気で他界した。なぜ母の顔さえこんにちまで知らされなかったのかについては善意に基づく複雑な経緯があったようだが、それはさておき、写真の持つリアリティについて改めて考えさせられた。それは偉大かつ確実な記録性といってもいいだろうと思う。
 記録することによって、時空を過去に遡らせ、失われた時を目の前に呼び戻してくれる。写真とは不思議な道具立てであり、口寄せをする巫女のようでもあり、また芝居や映画の役者のようでもある。それは、常に奇妙な符号を伴った希有な表現媒体であることにも気づく。

 文章や絵画とは異なった記録媒体としての写真は最も歴史が浅く、しかしながら現代に於いてますます隆盛を極めている。写真は、複雑で精密なる科学と化学の合弁事業により育成されるものなので、歴史に遅れてやって来たのはそれなりの理由と合理性があるのである。また、写真は時代の最先端を行くという言い方もできる。鑑賞という枠を飛び越えて、写真はその優れた記録性によってあらゆる分野に貢献を果たすようになり、我々の生活になくてはならないものとなった。

 今や「記録媒体としての写真」という観点からすれば、文章や絵画を遙かに凌ぐ数の人々が、写真に親しむようになった。社会的貢献というより個人に向けた貢献である。一番の要因はやはりそのお手軽さと面白さにある。
 お手軽さについては、功罪相半ばを認識しつつも、写真を生業とするぼくは否定も肯定もしないという曖昧な立場を取り続けている。商売人は、それについて語る資格を奪われている。お手軽さとは縁のないところで写真に関わっているのだから、ということなのだろう。

 実のところ、 “写真愛好の士” という限定的な言い方が無理なく通ったのはお手軽ではないアナログ時代までのことであり、デジタルが普及するに従いかつての “写真愛好の士” はすっかり陰が薄くなり、ひっそりと鳴りを潜めるようになった。否応なくデジタルという魔物のなかに身を沈め、その存在感を失い始めたのだ。
 誰でもが写真をワンタッチで撮れるようになり、撮るという行為に負担と知恵が不要なものになってしまった。そしてまた、80年間も待たなくては得られなかったセピア調も一瞬のうちに “疑似セピア” として出来上がってしまう。

 便利でお手軽なことをぼくは頭から否定するようなことはしないが(ぼくもその御利益に与っている)、ただ不安の繁衍は止めようがない。喩えていえば、本物のセピアを知らないが故の恐さに気づいていないのではないかということである。このような類例は枚挙にいとまがない。世の中に “疑似” が溢れかえる様は異様であり、感知能力の衰えは、人々をあらぬ方向へと押し流してしまうのではないかと憂虞するのはぼくだけではないだろう。 “疑似” も美しければよいのだが、大半のものは本物より過剰・過激であり、美の範疇を逸脱しているように思える。
 現代は簡便さとの引き換えに、 “熟成” とか “醸成” といった言葉を、手間暇のかかる非効率的なものとして疎んじる傾向にある。

 職業写真屋も、あるいは写真倶楽部の指導者たちも、そのような世情につれて居心地が悪くなっているのではないか。ぼくは自分の立ち位置を確保せんがために、 “即席” を嫌い “熟成” の大切さを躍起になって説いているのだが、はて、どこまで通じているんだか? 

 初対面のセピア母さんに向かって、ぼくはそんな屁理屈を延々と並べ立てていた。次回会ったら母は必ずぼくの所業に説教をするに違いなく、だからもう母の写真を引っぱり出すことはしないつもりでいる。ぼくに不似合いな母性愛は一度だけでいいよ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/322.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
公民館で秋祭りの笛太鼓の練習をしていた。威勢のいい調子が響く。
絞りf11.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02栃木市」。
路地裏の向こうに何かがある? しとしと雨に髪を濡らしながら。
絞りf11.0、 1/15秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03栃木市」。
元銭湯と覚しき廃屋。煙突を支えるワイヤーが稲妻のように見えて面白かった。東日本大震災によくも耐えたものだ。
絞りf9.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2016/11/04(金)
第321回:名物に旨いものなし?
 20年ほど前にぼくは仕事で栃木県の栃木市を訪れたことがある。どのような撮影だったのかほとんど記憶にないのだが、撮影後空きっ腹を抱え、最寄りの蕎麦屋に飛び込んだことだけははっきりと覚えている。蕎麦好きのぼくにとってそれはあまり芳しい味だったとはいえず、ぼくはこの見知らぬ地を歩くこともなくそそくさと立ち去った。栃木は押し並べて蕎麦処と聞いていたので、「名物に旨いものなし」という諺通りなのかとがっかりしたものだ。

 2003年11月といえば今からちょうど13年前になるが、撮影会と称して我が倶楽部の郎党に担がれ栃木市に行ったことがある。ぼくの発案ではなかったのだが、栃木市内を流れる巴波川(うずまがわ)添いに広がる蔵屋敷の景観はなかなかのものだと言い含められた。通船堀にある蔵屋敷をぼくは目にしたことがなく、一見の価値ありといわれたが、それでもやはり半信半疑だった。
 何故かといえば、失礼ながらぼくは彼のフォトジェニック・アイを頭から信じていなかったからである。写真的見地からして、名所旧跡イコール撮影に適した所とは必ずしも言い難いというのがぼくの昔からの持論である。
 加え「名物に旨いものなし」をもじり「名所旧跡にフォトジェニックなものなし」とぼくは決め込んでいた。少なくともそのようなものに写真的興味を覚えたことは生憎ながらほとんどない。不器用なぼくは、自分の撮るべき必然性のようなものを名所旧跡に感じたことがなかったからだろう。
 「名所に見どころなし」(名声は必ずしも実質を伴わないということのたとえ)ともいうしね。ただ、京都の東寺や奈良の法隆寺などは別格なので、むろん皆無というわけではない。 
 そしてまた、名所旧跡に勇んでレンズを向けることは写真的精神年齢を考えると、どうにもたじろぐ。他人はいざ知らず、半世紀以上も写真に熱中してきた自分の姿として、それはあまりにも浅薄そのものではないか?との思いが頭をかすめてしまうのだ。
 ついでながら、栃木の名誉のために申し添えておくと、この時に訪れた蕎麦屋は大変結構なものだった。「名物に旨いもの稀にあり」と訂正しておく。

 そして今年9月下旬、春と秋は窓を開け放しで寝る習慣のぼくは心地よい雨音で目が覚めた。前日、江戸小史を紐解いていたら、江戸っ子なる条件は「蕎麦」と「落語」に通じていることという一節があった。ぼくは江戸っ子ではないが、「蕎麦」と「落語」は子供時分から一人前に嗜(たし)んできたという経緯があるので、強く共鳴するものがあった。
 「蕎麦」と「雨」がどこでどう結びついたのか分からないが、13年前撮影会で栃木市に行った時の小雨に煙る蔵屋敷が、夢半ばにぼんやりと目の前に現れたのである。寝ぼけながらも布団を蹴り、珈琲豆を挽きながら衝動的に栃木行きを決めた。Googlemapで所要時間を調べると、東北自動車道浦和インターから栃木市内まで1時間8分とある。意外に近い。珈琲とともにサンドイッチを流し込み、カメラにレンズ1本といういつもの横着な出で立ちで、雨の高速道路を走った。 

 時間通り栃木市に辿り着いたぼくは、13年前に徘徊した有名な蔵屋敷を車の中から見遣り、「再挑戦は例幣使街道(れいへいしかいどう)を挟んだ街の路地裏」と決めていた。
 「例幣使街道」とはWikipediaによると、「江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛(へいはく)を奉献するための勅使(日光例幣使)の通った道である。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る」とある。

 栃木宿(現在の栃木市)は倉賀野宿(現在の群馬県高崎市)から13番目の宿場にあたり、蔵屋敷が並ぶ街並が保存されている。車でそろそろと市内の例幣使街道を行くとあちらこちらに立派な蔵が点在し、なかなか趣がある。個人的な好みでいえば、どこか媚びを売っているような川越市(埼玉県)よりずっと好感が持てる。
 余談だが、栃木市も川越や千葉県佐原と同じく小江戸とか小京都とか関東の倉敷と呼ばれているそうだが、ぼくはこのような呼び方には昔から異常なほどの違和感を覚えてきた。こんな形容をされたのではお互いに迷惑千万なのではないだろうか。誇りというものがあるでしょうに!日本人はこういうの、好きだね。「日本アルプス」だって。呆れてしまう。

 栃木市には、名所旧跡にありがちな、取って付けたような唐突さと滑稽さがなく、自然なのがとてもいい。てらうこともなく、しかも住民と生活環境との乖離がない。蔵は蔵、なまこ板はなまこ板、板塀は板塀と、互いを尊重しながら自然な形で混在し、この街が辿ってきた歴史を時系列にそのまま表現している。“これ見よがし”といった姿があまり感じられず、旅人には肩が凝らなくていい。ぼくから見て、この街は一流である。路地裏に潜り込んで被写体を渉猟し、シャッターを切る機会に多く恵まれるのだ。写真的精神年齢を高く保てるのは誠にありがたいことだ。
 今月中旬、我が倶楽部の一族郎党を引き連れて栃木市へ繰り出すことになった。彼らがぼくのフォトジェニック・アイを信ずるか、はたまた蕎麦食いに走ってしまうのか、ぼくは今複雑な心境である。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/321.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
麻問屋兼銀行を営んでいた明治時代の豪商横山家の裏手。現横山郷土館。
絞りf6.3、 1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」。
「とちぎ蔵の街美術館」。200年前に建てられた土蔵3棟を改築し、美術館として利用されている。
絞りf8.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03栃木市」。
例幣使街道の一角。多くの蔵が店舗として利用されている。理容室もかつては蔵の一部だったのだろうが、違和感なしの佇まい。
絞りf9.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/10/28(金)
第320回:季節はずれの鯉のぼり
 前回、埼玉県加須(かぞ)市の写真を掲載させていただいたが、ちょうど5年前の11月にぼくは仕事で訪問したことがある。某出版社の依頼による日本伝統工芸撮影の一環として、加須市の鯉のぼり製作工房を訪ねたのだった。この仕事で2ヶ月以上もあちこちを走り回り多忙を極めたが、優れた職人の技と工芸品を数多く拝見することができ、ぼくにとってそれはとても有意義なものだった。

 すべての撮影を自然光のみで撮影するとぼくは意地を張り、担当者も快諾してくれた。工芸職人の仕事場にライティング機材を持ち込めば、撮影はより容易なものとなるが、同時に職人の魂が失せてしまうような気がした。人工光が職場の空気を掻き消すようにも感じた。撮影する側も職人の技術や感受性、生活環境にシンクロさせなければ生きた写真とはならないというのがぼくの信条だった。
 ストロボ光というものはいつだって現場の空気感や雰囲気を損ねやすく、しっかり写すことがまず優先される撮影は別として、職人のありのままの姿や息吹を写し取るには自然光が最も適っていると考えた結果だった。
 職人の動きは一見すると無造作に見えるものだが、すべてが計算づくのものである。長年にわたって培った動作は理に適っており、狂いもなく、しかも無駄がない。そしてまた、手の動きは素早く、被写体ブレも計算した上での自然光採用だった。
 「そこで止めてください」なんてことをプロがいってはいけないのだというぼくの片意地一徹が(これをパラノイアというらしい)、撮影をますます困難なものにしていった。
 また、上質紙に大きく印刷されるとのことで、ISO感度も極力抑えなければならない(ノイズを抑え、解像感と豊かなグラデーションを得るために)という苦役というか拷問のような撮影に自らを導いた。苦労すればするほど大きな達成感が得られるという法則にぼくは賭けたのだった。こちらも写真の職人なのだから。

 そして、職人の仕事場というのは概ね光量が不足気味であり、自然光(外光、タングステン光、蛍光灯、そしてそれらのミックス光)採用と意地を張った分、露出の設定には四苦八苦の連続だったが、厄介なフィルターワークに神経をすり減らされるフィルムと異なり、デジタルのありがたさをしみじみと感じ取ったものだ。
 Rawで撮影し、現像時にホワイトバランスを慎重に調整すれば、色温度や色被りをほとんどクリアできるデジタルは涙が出るほどありがたい。現場で闘う者にとって、“感涙にむせぶ”とは、決して大袈裟な表現ではないのである。

 鯉のぼりは撮影した季節が冬だったため五月晴れの空に泳ぐ鯉のぼりとはいかなかったが、手作りによる鯉のぼり製作現場は一見の価値ありだった。練達した職人の手になる鯉のぼりは、重厚さや品位というものを窺わせ、大量生産品にはない、まさに代々伝わるところの工芸品だった。

 撮影を済ませたぼくは他のメンバーと別れ、一人で加須市内を歩いてみた。これといった特徴は見出せないのだが、何かが琴線に心なしか触れているような思いに囚われ、その後2度ばかり35mm(フルサイズ換算。もしくは35mm換算)広角レンズ固定のカメラ(APS-Cタイプ)をぶら下げて訪れたことがある。すべてモノクロ写真をイメージしての街中スナップだったが、満足感のない写真に自然と足が遠のいてしまった。
 撮影が上手くいかない時、ぼくは自分に不備があるのではなく、被写体のせいにすることにしている。そうでないことを十分に自覚しているからこそ相手のせいにしたがるのだ。
 けれど、非科学的ではあるが、相性というものは確実にあるので、ぼくはもっぱら「所詮は相性が悪かったのさ」で片を付けることにしている。

 前号で述べたNさんの「撮ったもののほとんどがボツでしょ」という正しい見解にも関わらず、写真屋は撮ったすべてを親バカのような気持で、出来の良くない分身を少しでも良いものに見立てようとする。毎度毎度の、そんな呆れた所業に辟易とするのは写真屋に限ったことではないだろうが、「労多くして功少なし」だとどうしても人は責任の転嫁に励んでしまうものだ。
 加須に於ける自分の不始末を謙虚に考えてもみるのだが、力量以外(言いたくはないけれど、相性も本来は力量のうちであろう)に思い浮かぶものがない。これはかなり悲劇的な状況である。ぼくは潔く加須への思念を断ち切った。

 あれから2年経った今年、目下勉強中のカラー写真を念頭に置き、「加須はカラーのほうがイメージを固定できるのではないか」と思い始めた。善は急げとばかり、残暑厳しい9月上旬に、ぼくは決着をつけようと最後の加須に臨んだというわけである。
 「カラー写真で」をイメージすると、今までとは異なった見え方がするものだ。写真の出来不出来は見る側に委ねるとしても、カラーとモノクロによる相性の違いってあるのだろうか?というのが目下の研究課題となりつつあるようだ。力量不足なんて、思いたくないもんなぁ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/320.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
    「鯉のぼり製作工房」での撮影は、EF24mm IS USM。

撮影場所:埼玉県加須(かぞ)市。

★「01加須市」。
廃業となった銭湯の母屋。赤いなまこ板と青の鉄骨。やはりカラーが似合っている。
絞りf10.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02加須市」。
きっと由緒ある屋敷なのだろう。「火気厳禁」と殴り書きされた看板が面白い。
絞りf13.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03加須市」。
路地裏。蒸し暑い日だったのでなおさらムッとするような湿った空気に包まれる。
絞りf10.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-2.00。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5年前に撮った鯉のぼり製作工房の写真2点。残念ながら職人さんの写真は掲載できないが、雰囲気だけでも。
★「04鯉のぼり製作工房」
絞りf13.0、 1/2秒、ISO100、露出補正ノーマル。

★「05鯉のぼり製作工房」
絞りf13.0、 1/3秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2016/10/21(金)
第319回:ひょっとして良い写真が?
 「またやっちゃった!」とは、ぼくの撮影時に於ける常套句のようなものだ。撮っても良い結果を得られないことが分かっていながら、過去の習性とか呪縛から逃れられずに、つい似たような被写体を惰性で撮ってしまうのである。新鮮な刺激を感じていないのに、仕方なく撮ってしまうのだ。写真屋(ぼくばかりでなく、おそらく写真の好きなみなさんも)はそんな悲しい性を引きずっている。撮影を思いとどまる勇気をなかなか持てないでいるのだから始末が悪い。だから同じようなものを懲りもせず、飽きもせず、一縷の望みにすがりながら撮ってしまう。よせばいいのに、である。
 また、撮らなければ撮らないで、不安ばかりが増殖していくのだからいやになる。“取り敢えず撮っておこう”という「取り敢えず写真」が上手くいった試しなどないのに、本当に学習能力がない。
 それは、結果が直ちに見えないという写真特有の性質にも起因している。写真が発明されて以来この方、写真愛好家は「現像してみなければ分からない(デジタルでさえ)」との不安をずっと抱いたままである。しかし、写真の上がりをルーペ(フィルム)やPCのモニター(デジタル)で見るあのドキドキする感覚は何ともいえない醍醐味なのだが、カメラのモニターは、その役目を十分に果たしてくれるとは言い難い。あれはまったく当てにならないものだ。
 撮った結果がすぐにカメラのモニターで確認できるので、デジタルはとても便利だという文言を別の意味合いでぼくは使用している。

 何万回も同じ失敗を繰り返しつつ、前号でも述べた「写真的精神年齢」などちっとも成長していないことを知る時の自虐志向は相当なものがある。地団駄踏みながら自分の撮影行為をなじるのである。「アホ」だの「マヌケ」だの「オタンコナス」といった具合だ。あまりに悔しいものだから、ぼくはこの言葉を他人にも無遠慮にぶつける。これを“とんだとばっちり”と世間ではいうらしい。
 「でもひょっとすると(良い写真が撮れるかも)」と、未練がましくもわずかな希望に身を委ねてみるのだが、写真に「ひょっとして」などということは残念ながらない。くじ引きではあるまいし、「そんなことがあってたまるか!」というのが本心である。写真にまぐれなど決してないとぼくはいつも信念を持って言い切っているにも関わらず、「ひょっとして」という悪魔の囁きに抗しきれず、シャッターを切りなんとなく安堵のひと息をつくのである。浅ましいというか、そこには雅というものがない。精神安定剤のように煙草などを吹かし、憩いのひとときを味わう振りをしながら、内心「またやっちゃった!」と、照れ隠しに余念がない。写真というのはなんと女々しくも罪つくりな趣味ではないか。

 性懲りもなく同じ過ちを繰り返しているのは、決して自分だけではなく、写真を愛好する同志もきっと同じであるに違いないというのが唯一の救いでもある。同病相憐れむという塩梅だ。写真とはそのようなものだと思い込むことにしているのだが、肝心なことは、良い写真が撮れる確率にあるのだろう。

 20歳の時、尊崇する陶芸家Nさん(重要無形文化財保持者。人間国宝)の窯出しに立ち会わせてもらったことがある。Nさんは窯出しをした作品を手に取り、一瞥をくれ次から次へと惜しげもなく割ってしまう。
 ちょうど取材に来ていた新聞社の記者がその様子を見て「うゎ〜もったいない」と思わず声を上げると、Nさんは、しきりにシャッターを切る同行のカメラマンに向かって、「カメラマンさんなら分かりますよね。撮ったもののほとんどがボツでしょ。陶芸も写真とまったく同じなんですよ。多くの条件が理に適っていれば良い作品ができる。良い作品とは思い通りにできたものをいうのです。製作過程に於ける条件が多く、複雑すぎて、また化学反応というものはとても不安定なものなので、いくら私が熱を込めても、偶然に良い作品がつくれるということはないんです。そんな奇跡は起こらないのですが、実際には窯から出してみないと私にも分からないんですよ」と笑顔でいわれた。名工の名を欲しいままにしたNさんはどこまでも謙虚な方だと感じ入ったものだ。

 血の滲むような訓練をした人ほど他人にそれを感じさせないものだ。夜の酒席に同伴させてもらったが、磊落で人間臭紛々とし、世俗に通じた気さくな普通のおじいさんと何ら変わりがなかった。「清濁併せ持つ」とはこういうことを指すのかと、若かったぼくは教えられた。本物の偉人とは得てしてそのようなものではないだろうか。
 窯出しに立ち会った数人の共通した思いは、「割ってしまうくらいなら、ひとつくらい欲しいなぁ」という世俗の極致にあったが、腹を割って申し出る人は一人もいなかった。みんな禁句を守り通したことは付記しておかなければならない。

 ぼくの乏しい経験から割り出すと、「取り敢えず写真」は多く撮れば撮るほど良いということだ。運動の、いわゆる“素振り”に見立てればいい。それを飽くことなく繰り返して初めて次なるものが見えてくる。もちろん、漫然と撮っても意味がないが、真面目に「取り敢えず写真」に臨んでいるうちに、少しずつ手応えというものを知るようになるのだとぼくは信じている。これで一段上昇間違いなしだ。
 Nさんはこうもいわれた。「割っても割っても私は陶芸が好きだから、好きなうちはもっと割る。割ることも愉しみのうちですよ」と。
 割ることの痛みを知ってこそ、ナンボのものではないだろうか。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/319.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:埼玉県加須(かぞ)市。

★「01加須市」。
残暑厳しい9月上旬の加須市。何かの倉庫らしい。
絞りf11.0、1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02加須市」。
建築の専門家によるとなまこ板の夏はかなり暑いとのこと。長屋らしき佇まいに思わず足が止まる。
絞りf13.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03加須市」。
真っ赤に膨れあがった太陽が沈んでいく。
絞りf10.0、1/25秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/10/14(金)
第318回:血気盛ん
 10年以上も前から、ぼくは本業であるコマーシャル写真から意識的に距離を置き始めた。恩義を受けてきたクライアントからの依頼はお世話になったお礼を込めて快くお引き受けをしているが、新規の仕事は丁重にお断りをしている。大した仕事をしてきたわけではなく、また仕事を断るような身分でないことは重々承知の上だが、自分の歳を考えてみれば「食べるための写真」からはできるだけ早く離脱して、自身の写真を愉しみ、そして極めたいという欲求に駆られたのが主な要因だった。ぼくは50代の半ばに差しかかっていた。まだまだ血気盛んなお年頃である。
 上手い下手ではなく、商売人とはいえ自分らしい写真を撮ることの大切さを自身に誠実に示さなければならないお年頃でもあった。ここで写真少年に立ち戻らなければ、その機を永遠に失ってしまうような気がしていた。

 どのような分野の写真であれ、その奥義に変わりはないと信じるも、やはり自分の体質に合った写真というものが人にはあるものだ。嗜好は体験や知識の深さにより年相応のものに変容していく。それを指してぼくは「写真的精神年齢」と呼んでいるが、とはいえやはり生まれ持った好尚というものは、拭ってもなかなか身離れするものではなく、いつまで経っても垢のようにへばり付いてくるものだ。
 そしてまた、嗜好の変化・転換を余儀なくされるような大きな刺激は外からもたらされるものではなく、自らのうちに産み出していくものだということを身に染みながら知った。このことはぼくの生涯のなかで得た貴重な財産であるように感じている。たかだかこんなことを悟るのにぼくは60数年の歳月を要したようで、相当な奥手でもある。

 つい先日もお悩みの読者からお便りをいただいた。
その返事に、「ご自分の性に合った写真を撮ることが一番。無理をするといつまで経っても借り物から脱しきれない。アマチュアであればこそ他人に見せるための写真ではなく、自分のために、大らかに写真を撮ることが大切。他人に写真を通じて自分を問うことは貴重な体験となるが、他人の目を斟酌しているうちは創造とは無縁であることを知ってください。そのような写真は概して写真的精神年齢の低いところに留まるものです。悩みながらも素直に、“天真爛漫”に写真を愉しみましょう」と申し上げたところだった。

 ぼくは無信心であり、日本人のなかには特定の宗派に属している人もいるが、多くは普段宗教というものに直接の関わりを持たずに生を営んでいる。日本は諸外国に比べ風変わりな国だ。それでいながら都合が悪くなると厚かましくも神頼みなどしている。信心などないといいながらも、ぼくもその手合いである。
 また、いとも容易く宗旨替えをしてしまう人間もいる。ぼくの親父がそうだった。「わしが死んだらあの寺の墓に葬られたい」との理由だけで、浄土真宗から禅宗にあっさりと鞍替えしてしまった。ことさらに仏教やインド哲学を真摯に学び、造詣の深い人間の成したことだから、若いぼくはそれでいいのだと思い込んでいたが、今になって「宗教って何だ?」という思いはいつもついて回る。
 富士山頂に登るのに、富士吉田側からでも河口湖側からでもいいじゃないかというのが、多分親父の言い分だったに違いない。頂上に立つのであればルートなどどうでもよかろうというのは如何にも親父らしく、ぼくはそのような考えに痛く同意する。一本足だろうが振り子打法だろうがヒットを打てばそれでいいのだ。写真とてそれと同じではあるまいかと思っている。

 なぜ唐突に宗教の話をしたのかというと、信仰心などないといいながらも人は本能的に、あるいは無意識のうちに神の存在を認めていると思うからだ。だから神頼みをする。「神は非礼を受けず」(神は道理にはずれた願いごとをしても決してお受けにはならないということ)という論語を知ってか知らずかであるが、人それぞれにそれぞれの神がご都合に応じているのだろう。
 レンズを向ける被写体が無機物であれ有機物であれ、ぼくはそこに一刻の生と滅びを感じる。生と死の営み、あるいはその交差といってもいいのだろうか。そんな時、宗教的な精神の高揚に出会う。良くも悪くもそれに引きずられてシャッターを押す。ぼくには場当たり的な神が存在する。
 また、光というものはまさに神秘であり、神々しくも見える。この世はそんな神がかりの光が充満している。その光を、一喜一憂しながらカメラという器具を用いてちゃっかりといただく。二度と同じ光に出会うことなどないのだから、その一瞬にのみ自分は生きているという実感を得る。その証拠を神とともに同衾(?)したいと考えるのが人情というものではないだろうか。
 生は時空とともに連続してあるのではなく、ぶつ切り状でつながっているのだとぼくは信じているのだ。輪切りの連続状である。それはあたかもムービーフィルムのようだ。
 「ボールが止まって見えた」とか「ボールの縫い目が見える」といった打撃の達人がいたが、彼らにはぶつ切りの瞬間が見えたに違いない。ぼくはまだまだその境地に達していないけれど、血気盛んなうちにその瞬間を見届けたいものだと願っている。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/318.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
このような佇まいに出会って、懐かしさとともに哀愁に胸を打たれる。
絞りf8.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02墨田区」。
都内にもまだこのような空気が残っているんですねぇ。
絞りf8.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03墨田区」。
子供時分には浦和市内にもこのような形状をした工場があったものだ。日の暮れかかる寸前。
絞りf6.3、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2016/10/07(金)
第317回:露出補正(2)
 日本国民が一喜一憂したらしいリオ五輪が終わり、ふと振り返ってみるとぼくはその1シーンさえもまったく見ていないことに気づいた。スポーツが嫌いなわけでもなく、関心がないということでもないのだが、それにしてもそんな自分の生活態度や感情に少し目をぱちくりさせている。
 我が家にはテレビもあり新聞も朝夕配達されているのだが、もとよりぼく自身はテレビも見ず、新聞も読まず(見出しだけ見て本文は読まず)、なんら関わりを持たずにこの何十年かを無事やり過ごしてきたし、不自由さも感じたことがなく、そんな自分を仕合わせだとさえ思っている。
 貴重な情報源は家族であったり(特に坊主はぼくの重要なスポークスマン)、知人友人であったり、世間の空気であったりするわけで、それでなんら不便を感じていない。よしんば情報の氾濫する現在にあって、否が応でも情報は何らかの形で侵入してくる。
 仕事をしていないのであれば、ぼくは電気も水道もない山奥の小屋で読みたい本や画集を持ち込み、それだけで何不自由なく過ごすことができるだろう。それは、 “写真一途” との公式に当てはまるものではないにしろ、世事の煩わしさから開放され、もっと写真に傾注できるのではないかという甘い誘惑となる。夢遊というべきか。
 嫁はぼくとの協同を断固拒否するであろうから、ここだけの話、それは一石二鳥の、願ったり叶ったりというものだ。
 「余計なことは知らないほうがいい」というのはぼくの生きるための方便であり、世情に遅れを取るという恐怖心もないのだから、早く実現の運びとしたいが、事態ははかばかしいとはいえず、なかなかに難しい。

 山小屋から記録メディアを街の写真屋さんに持っていき、プリントしてもらい、それをよしとするほどぼくは練れていないし、枯淡の境地にも達していない。そうなればどれほど気が楽であろうかと思う。生っぽいぼくは自分の意志や感情をより強く訴えたいという邪心と自己顕示から逃れられず、どうしても電気を必要としてしまうのだ。露出補正などにもこだわってしまうので、よんどころなくPhotoshopという暗室道具のお世話にならざるを得ない。

 ぼくのいう露出補正の基本は多くの場合暗室作業を前提条件にしたものなので、果たして読者諸兄の何%くらいが暗室作業をされているのか皆目見当さえつかずにいる。メドの立たないところで技術論を展開しているという思いもある。
 写真好きでPhotoshopにも通じている友人が、「前回の露出補正の話は大変高度な技術論であり、多くの愛好家が立ち入る領域ではないのかも知れないね」といってきた。確かにそうかも知れないし、ぼくとてある程度そのように感じている節がある。彼の言葉に反論はまったくないのだが、「できる限り白飛びをさせない」という方法論(技術論)は金科玉条と捉えてもらっていいと思っている。デジカメには「白飛び警告」や「ヒストグラム」というデジタルならではの機能が備わっているのだから、ひとつの心得としてこの文明の利器を極力利用して欲しいと願っている。これはそう難しいことではないので、ぜひお試しあれ。

 適切な露出を得る方法に、「段階露光」というものがあることはみなさんもすでにご存知であろう。ポジカラーフィルムを使用する時は、この作法に従うことが定石だったが、撮影後に明るさの調整ができるデジタルになってからは軽視される傾向にあるようだ。そこには「後でPhotoshopを使いなんとかしよう」という横着な魂胆が見え隠れしている。Photoshopは技術上の誤りを修正する道具でないことを肝に銘じていただければと願う。第一、修正できない。画像を補整すればするほどその荒が目立ってくるのだから、最も基本的な画像の明度については慎重を期しましょうということだ。
 適正露出を得るための保険が「段階露光」とお考えいただければいい。そして、段階露光をしているうちに、1絞りの明度差(つまり2倍、もしくは1/2の光量差)がどのようなものかを身につけることができる。実はこれが貴重な体験となるのだが、案外ベテランといわれる人たちでも、この差が明確に描けていないのではないかと感じている。これはぼくの楽観的な言い方で、実際は描けない人がほとんどであろうと思っている。光の認識はとても難しいものだが、これも訓練である程度克服することができる。

 ほとんどのデジカメには露出補正のためのダイアルが附属している。1絞りの1/3 段階ずつ明るさが調整でき、これを使用して撮影者の望む明度の画像を得られるようになっている。たとえば1/3段階ずつ3枚とか、2/3段階ずつ3枚とか、1度シャッターを押すだけで自動的に段階露光をしてくれる便利な機能が附属している。取扱説明書にはAEB(Auto Exposure Brancketing)機能として解説してあるので、ご参照のほどを。

 露出については過去にお話ししたことに加え、まだまだお伝えしなければと思うのだが、また機に臨んでお話しできればと思う。
 しかしながら、写真が発明されて以来今日まで撮影者は延々と露出に悩まされてきた。科学の進歩と相まって、もうそろそろ被写体の濃度域に正確に合致できるような仕掛けが発明されないものだろうか? まぁ、山奥の住人となってしまえば、ぼくにはもう関係はないのだが。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/317.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
エボナイト工場。所在なさそうに突っ立つ煙突。戦後間もない頃のものらしい。
絞りf8.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02墨田区」。
長屋がいつしか倉庫に変わってしまったとは住民の話。とっさにB. ビュッフェの絵を思い浮かべた。
絞りf5.6、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03墨田区」。
青ペンキがまだうっすらと残っている。どのような意図でこのようなあつらえになっているのだろうか? 興味が尽きない。
絞りf5.6、 1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)