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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2022/03/18(金)
第587回:秩父詣で
 先週、約5年ぶりに秩父市に出向いた。自宅から車で約2時間の距離だ。秩父市は、2017年5月に訪れたのが最後。「また秩父に行きたいなぁ」との思いはあったものの、武漢コロナに遮られ、思いを果たせずにいた。そんな折、数年前に縁あって友人となった若人に誘われ、春うららを満喫しようと出かけたのだが、ここでぼくはとんでもない目に遭ってしまった。

 今から30年ほど前、栃木県は鬼怒川にある会員制ホテルの撮影のため逗留したことがあった。鬼怒川到着後3日目くらいだったか、撮影中にぼくは速射砲のようにくしゃみを連発し、止まるところを知らなかった。そうこうしているうちに、鼻や目がくしゃくしゃとなり、今度は鼻水の垂れ流し状態となった。情けないが、しかし青っぱな(青洟。子供などが垂らす青い鼻汁)でなかったのが唯一の救いだ。聡いぼくは、すぐにこれが花粉症だと悟った。

 同行した2人の女性モデルに向かって、「おれの流れ出る鼻水を何とかしろ。ティッシュの箱とゴミ箱を持っておれの隣に待機せよ。鼻水が垂れてきたらそれを甲斐甲斐しく拭き取れ」と、暴言を吐いていたくらいだった。
 4 x 5インチの大型カメラを覗いていると、くしゃみとともに鼻水がダラダラと流れ、大小の水滴となって飛び散るのだからたまらない。そうなるともう撮影どころではなかった。特に料理撮影となると目も当てられぬような光景が繰り広げられ、現場は戦場のような惨たらしい様相を呈した。ぼくの口にタオルを押し込もうとする人でなしまで現れた。撮影台の周りには、撮影後厚切りのローストビーフをせしめようとの人が群れていたのだった。賤しくも、陋劣(ろうれつ)かつ欠食児童のような人々が、ぼくがくしゃみをする度に、嘆声と怒声の入り混じったような遠吠を発していた。

 悔しいかな、2人のモデルたちは花粉症に悶え苦しむぼくを横目に、事の重大さをまったく理解できず、「蛙の面に小便」(京都では “小便” 。通常は「蛙の面に水」。どんな仕打ちにも動じないこと)を貫き通し、ぼくに何が生じたのかさえ知ろうともしなかった。加え、同情の気配など微塵も感じられない。
 可愛い顔をしていながら、揃いも揃って、鉄のように頑丈かつ冷たい女たちであった。ぼくは彼女たちを「マーガレットとサッチャー」(マーガレット・サッチャー。1925-2013年。英国の首相で、「鉄の女」との異名を取った)と呼ぶことにした。
 「鉄の女たち」もぼくに遅れること1日後に同じ症状を呈し、苦悶に陥ったのだが、鼻水だらけの顔を撮るわけにもいかず、ぼくもメイクさんも苦労した記憶がある。ぼくの花粉症初体験による悶死は、「鉄の女たち」とともにあった。

 モスグリーンのぼくの車が花粉で真っ白になっていたくらいだから、「花粉症、然もありなん」といったところだ。生涯花粉症に取り憑かれ、ぼくも花粉アレルギーの人同様に、厄介な症状に悩まされることを覚悟したが、帰京してから先週の秩父までの約30年間花粉症とはまったくの無縁だった。
 花粉症で苦しむ坊主(息子)や友人たちを見ていると、一見ぼくも彼らに対して「鉄の女」然としているのだが、いやいや、それとは事情が違う。ぼくは彼らに心よりの同情を示しているところが異なるのである。鬼怒川で、花粉症のあの凄まじい症状を体験してこそ、アレルギーに苦しむ人の気持ちが理解できたので良かったとさえ思っている。

 秩父は、今までガイドブックや伝統芸能の紹介写真のため数度訪れたことがあるが、花粉舞う時期は経験がなかった。
 秩父名所でありながら何故か今まで行ったことのなかった秩父神社に詣でた。友人の案内で境内に立ち入った瞬間、神の怒りを買ったのか、くしゃみと鼻水の競演となった。秩父滞在約3時間後の出来事だった。「牛にひかれて善光寺参り」というが、秩父神社に、善光寺のような御利益は期待できないのだろうか?

 くしゃみと鼻水の連呼は、咄嗟に30年前の、あの鬼怒川の忌まわしさを想起させたことはいうまでもないのだが、あの時との違いは、ここには「鉄の女」はおらず、優しく気遣ってくれるありがたい友人が寄り添ってくれたことだった。だが、なぜ神の怒りを買ったのか未だに考えあぐねているのだが、もしかすると秩父三社のうち、ぼくはここだけに義理を欠いていたからかも知れない。あるいはこの2年間撮り続けてきた花の写真から一旦離れて(植物を振って)、ぼく本来の更なるものへの転換を図ったからだろうかと思案してもみた。

 5年ぶりの秩父市だったが、以前訪れた時にフォトジェニックと感じた建物や雰囲気が、失われつつあることに気がついた。重両級のレンズを2本携えて勇み立ったが、撮影のテンションがなかなか上がらない。
 1日撮影に行って「1枚撮れれば上出来、御の字だよ」と人様にいうぼくも、自分のこととなると「何が何でも、3枚はものにしろ。撮れなければ帰ってくるな」と、一人二役を演じながらもうひとりのぼくに発破をかけるのだが、この地で神と花粉には勝てないことを知った。
 翌日、坊主に「秩父で突発性花粉症になった」といったら、「山林に囲まれた秩父盆地は花粉が渦巻いているのだから、鬼門というものだ。そうなって当たり前さ」と、事も無げに親父の無知を嘲り、冷徹に言い放った。我が家にも「鉄の女」ならぬ「鉄の男」がいたのである。 

https://www.amatias.com/bbs/30/587.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県川越市。

★「01川越市」
ショーウィンドウに体格の豊かな碧眼女性。「もしかして、なんとなくぼく好み」とつぶやき、何故か照れながら思わず撮ってしまった。
絞りf5.6、1/100秒、ISO125、露出補正-1.00。

★「02川越市」
店先に置かれてあったディスプレー。鏡の映り込みだけを凝視しながらシャッターを押す。
絞りf10.0、1/100秒、ISO640、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2022/03/11(金)
第586回:映画のポスターを撮る
 小学・中学・大学時代の同窓生、そして社会人になってからこんにちまで親しく付き合ってきた老若男女の得体の知れぬ友人たちから異口同音に、「3回目のワクチン打った? 私ももうすぐ打つので、そうしたら会いましょうよ」とのお誘いをしばしば受けるようになった。
 このようなことはぼくばかりでなく、昨今は案外日本各地で合い言葉のように使われているのかも知れない。

 疫病のため、みなさん相当なストレスを抱え、はけ口を求め、悶え苦しんでいるようにも見える。かくいうぼくは、子供時分から友だちは多かったものの、元々自室に籠もり夢中で何かに取り組んだり、また独り遊びを好んでいたので、このコロナ禍でもストレスを感じることはほとんどなかった。そのような性分なのだ。
 好きな場所に撮影に行けないとのきらいはあったが、元来撮影は独りでするものとぼくは決め込んでいるので、それは孤独であることのストレスとは性質が異なる。
 また、ぼくは人が思っているほど社交的な人間ではなく、それどころか、非社交的だと認めている。自分のほうから食事に誘ったり、宴(うたげ)を持ち掛けることはほとんど無いに等しい。誘われれば応じるといった具合で、至って自由気ままな人付き合いである。

 お誘いの理由はもうひとつ考えられるのだが、もしかするとこちらのほうが当を得ているのかも知れない。それは、「あのジジィもそろそろ行くべきところへ行く時期が迫っている。今のうちに会い、そして早く送り出してやろう」というありがたい仰せである。どうやらこちらのほうが彼らの本音であるようにも思える。
 めでたく彼らの抱く本懐を遂げるには、もう少し写真を撮ってからと願うが、こればかりはいつ打ち切りを余儀なくされるのか、今のところ残念ながら目処が立たない。だが少なくとも、「憎まれっ子世に憚る」とはいわれたくないような気もするし、一方で「そういわれれば我として本望」との気持もある。嫌われるよりは好かれるほうがいくらかまし、という程度のことなのだろう。

 職業上、ぼくは他人に仕事を与える立場にはないので(いただく一方である)、他意を持って近づいてくる人はいないと考えている。したがって、人との出会いには極めて無警戒だが、そうとはいえ人見知りは強いほうだし、人柄や骨柄の見立ても人並みにはする。友人の言葉を借りれば、「見立てはかなり厳しくも、一見するとその柔和な物腰に人は騙される」のだそうだ。随分と人聞きの悪い言い草だが、「ぼくは写真屋なのだから宜(うべ)なるかな」と受け流し、時に甘受さえしている。

 電話やメールでのお誘いには、今世界を危機に晒しているロシアのウクライナ侵攻の問題についての質問もかなり含まれている。ウクライナにはかつて延べ2週間ほど滞在したことがあり、ロシアには約400日間。それを理由としてなのかどうか定かではないのだが、報道カメラマンでないぼくに向かって、古くからの友人さえも、「どこへでも飛んでいくかめさんは、ウクライナには行かないの?」といってくる。
 拙話はいわば「写真よもやま話」なので(脱線ばかりしているじゃないかとのお叱りの声が聞こえてくる)、今ウクライナの話題には触れず、珍しくも掲載写真について少しだけお話ししておこうと思う。

 掲載写真「01川越市」は、川越市にある「スカラ座」(コミュニティシネマ。市民映画館。明治38年創設)で現在上映されている『チェチェンへようこそ −ゲイの粛清−』(ドキュメンタリー映画)のポスターの一部を材料とし、自身の思想的なイメージを重ね合わせ、仕上げたものだ。
 現在のチェチェン共和国に於いて、国家主導で行われている凄まじい “ゲイ狩り” (いわゆるLGBTQといわれる性的マイノリティへの迫害・殺害など。Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシャル、Tはトランスジェンダー、Qはクエスチョニング)に対し、命を賭して立ち向かう活動家グループを追ったドキュメンタリー映画。
 川越市に行く度にぼくは必ず「スカラ座」の前を通る。残念ながらここで映画を見たことはないのだが、その佇まいに惹かれて、外観やポスターを撮ることがある。これはその1枚。

 ソビエト時代、ぼくはまだ紛争の起こる直前のチェチェン・イングーシ共和国(現ロシア連邦北カフカース連邦管区チェチェン共和国)を訪れたことがある。コーカサス(ロシア語でカフカース)山脈の山懐に抱かれた大変風光明媚なところだった。コーカサスは人種・文化・宗教・言語が非常に複雑に絡み合った地域であり、島国育ちの日本人には到底理解しがたいものが多々ある。この地を案内してくれたガイドによると(当時この地域はガイドなしでは歩けなかった。きっと今でもそうだろう)、コーカサスには50種の言語があるとのことだった。如何にこの地域が複雑な様相を呈しているかが分かる。

 掲載した『チェチェンへようこそ −ゲイの粛清−』のポスター写真は、かつて逗留したことのあるチェチェンへの思い入れと、特定グループへの迫害と殺人に対するぼくなりの怒りだ。これ以上、写真屋は自身の写真について語るべきではないので、あくまで写真の背景となったものに留める。

https://www.amatias.com/bbs/30/586.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県川越市。

★「01川越市」
本文参照。ガラス越しの反射に注意を払う。
絞りf4.5、1/160秒、ISO250、露出補正-0.33。

★「02川越市」
これも「スカラ座」のポスター。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(原作 トーマス・マン)のビョルン・アンドレセン。彼を描いたドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』のポスター。この映画で、彼はヴィスコンティや周囲の大人たちから性的搾取されていたことを告発。ガラスの映り込み(空と屋根)をどの様に取り込むかに右往左往。
絞りf7.1、1/125秒、ISO200、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2022/03/04(金)
第585回:「小江戸」って?
 先週の祝日(天皇誕生日)に、川越市に撮影に出向いた。ご承知のように、ぼくは前々回(第583回)に栃木市と川越市の比較をたった2行で片付けている。
 「(栃木市は)観光客に媚びていないところにぼくはさらなる好感を抱いた。川越市より栃木市のほうに気を惹かれる最大の理由はここにある」と川越市を腐しながらも、何の因果か、先週4年ぶりにいそいそと撮影に出かけてしまったのである。魔が差したとしか考えようがない。
 疫病に閉じ込められたせいで、ぼくは正常な判断能力を完全に失っていた。邪念を払うこともできず、すっかり病んでいたのである。人間、飢えると何を仕出かすか分からぬものだが、ただ救いは意地でも川越名物の蔵とさつま芋だけは撮らないと心に決めたことだった。

 当日は祝日で手持ち無沙汰だったことが災いし、ぼくは完全に平常心を失っていた。そして、このコロナ禍、観光地である川越も未だ人出が少ないのではと踏んでのことだった。我が家から車で40〜50分の距離にあり、地の利は良いのだが、しかしぼくにとって川越は「灯台下暗し」というほどのものではない。
 「小江戸」などと自ら呼ぶのは、媚びそのものであり、そしてあまりにも卑屈だ。そのような呼称を用いるのは矜恃のなさの表れであろうとぼくは思っている。同じ埼玉県人として情けないではないか。川越ばかりでなく、同様にして「小京都」などというのもまた然りである。真似事のような呼称は止めて、自身の生まれ育った地の文化や歴史に誇りを持って欲しいものだと思う。

 なお、「小江戸」の概念については、「古い街並みなどが残り、江戸のような趣を持つ小都市」(広辞苑)とある。「小江戸」と呼ばれる地域の例として、埼玉県川越市、栃木県栃木市、千葉県香取市(旧佐原市)などがあり、江戸との船運で発展し、また江戸天下祭の影響を受けた山車祭があることから、「小江戸」と呼ばれることがある。
 私見では、「小江戸」などというどこか阿(おもね)るような響きに浸るより、埼玉県人としては、凜として「川越市」に重きを置いて欲しいと思っている。

 ぼくの「人出は少なかろう」との目算は見事に外れ、どこもかしこも大賑わいで、人気店には長蛇の列。ましてやぼくの毛嫌いする「食べ歩き」をよしとする礼節貧しき雲霞の如き大軍に囲まれ、自分のペースで歩くことさえままならぬという状態。駐車場を出たところからぼくのストレスはマグマのように勢いよく噴出する。そして、そこに群がる人々に恐怖さえ覚えた。
 憤懣やる方なく、「こんな日に来なきゃよかった」を連発し、昔読んだ坂口安吾(1906〜1955年)の一節、「衣食足れば礼節を知り、窮すれば罪の子となる。食に窮すれば、子は親に隠れて食い、親は子の備蓄を盗む。これが人間の姿である」を思い出したくらいだ。川越で「食べ歩き」軍団を見て、この一節に思い至ったというのは過剰だろうか。

 「小江戸」といい「食べ歩き」を売りにしていることといい、 “豊かな歴史ある街” というのであれば、現在のありようは何もかもが相応しくない。もっと地に足の着いた品位ある “観光名所” であって欲しいと願うのはぼくだけだろうか。
 商売っ気が旺盛なこと(リアリズム)は人間が生活を営むうえで否定すべきことではないが、そのために失うものも多い。ぼくは敢えてその重大さについて、つまり情緒的で品位のある佇まいにもしっかりと目を向けて欲しいと痛感した。リアリズムがその地の文化や歴史的な趣といった大事な観光的要素を殺いでしまうこともあり得るのだから。
 また、よそ者であるぼくに苦言を呈す資格があるのかといいたい人もいるだろうが、よそ者であるが故にその有様に心を痛めるということだってある。川越は、同県人としてこその憂いなのだ。

 とはいえ、ぼくは過去、川越で撮った写真に気に入ったものもあり、難癖ばかり(本当は “難癖” ではなく、 “心ある憂い” とか “親心” のようなものだと思っている)付けていては罰当たりというものだ。
 「何かが作為的」と感じても、それを除けて撮る工夫をすれば、面白い写真の撮れる場所であることも確かだ。その点を鑑みれば、「灯台下暗し」変じて、魅力ある写真ネタは多く発見できる。そのことは、撮影の高揚感を与えてくれ、被写体に対していつもより鋭敏な反応を得られる。また、イメージも描きやすくなり、技術的にどのように対処すべきかを示唆してくれるものだ。
 憂いながらとの障壁こそあれ、好循環を導き出すのは自分自身しかいないので、ぶつくさいいながらも、4年ぶりに川越を歩いた。この4年で、ぼくの体力減退も著しいと自覚しているが、川越に於ける様々な反感をバネにし、大いに反骨精神を養おうと思っている。ぼくの写真は反骨精神を土台としているので、それを失った時が写真の辞め時。何をするにも気の持ちようひとつ。今からでも気合いを入れるのは遅くないよ、ご同輩!

https://www.amatias.com/bbs/30/585.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県川越市。

★「01川越市」
ショーウィンドウに時期尚早の鯉のぼりが飾ってあった。着物の柄に喩えて、大きくイメージ変換をする。
絞りf6.3、1/80秒、ISO250、露出補正ノーマル。

★「02川越市」
喫茶店の凝った入口。手を変え品を変え、ぼくにしては珍しく15枚も撮るが、これは一番最初のカット。「だからそんなに撮るなっていっただろう!」と帰宅後自分を叱る。この写真は、この日の第1カットで、すでにぼくの脳は怒りで沸騰していた。
絞りf8.0、1/500秒、ISO100、露出補正ノーマル。

(文:亀山哲郎)

2022/02/25(金)
第584回:撮影会(続)
 集団行動をあまり得意としていないので、というより特に撮影という行為は共同作業ではないのだから、常に独りであるべきとの考えがぼくにはこびり付いている。
 独りでないと集中力が保てないが故に感覚が鈍り、被写体を見逃してしまったり、技術的な誤りを犯したりとの恐れが生じる。そんなこともあって、写真倶楽部の一応の指導者であるにも関わらず、自ら進んで撮影会を催すことはない。もっぱら人任せだ。倶楽部の誰かに「行きましょうよ」と突かれ、「それもまたよし」という具合である。撮影行を不承不承ではなく、ぼくはいつも快諾する。
 事と次第によっては、指導者としての責務を健気に果たさなければならない。特に技術について伝えなければとの思いが強い。

 人間離れしていると思われるほどの確たる記憶力を有した婦女子相手に、指導者たるもの「ちゃんと教えたぞ」という一種のアリバイづくりもしておかないといけない。彼女たちに付け入る隙を与えては指導者失格である。ぼくは、いつも失格ばかりしている。指導者とは、何かと忙しいものであるらしい。あるいは反抗などしようものなら、かえって墓穴を掘ることになる。「そんなこと聞いてな〜い、教えてもらってな〜い」と連呼させないためにも、このような血と涙の滲む小細工が指導者には必要となるのである。

 撮影現場からすぐに消え去るらしいぼくではあるのだが、狭いエリアをそれぞれが然したる当てもなく行ったり来たりするので、後日プリントを見せてもらった時に、「上手いこと撮ったね。実はぼくも同じものを撮っているのだけれど、思うように撮れなかった。このようなアングルもあったんだね。なるほどね」と感心することがよくある。
 自分では見つけることのできなかった被写体やアングルを示されると、そこには必ず「学び」があるので、撮影会というものをまったくの他人事(ひとごと)と捉えていたぼくだが、写真倶楽部をきっかけとして知ることのできた良い点は率直に認めている。他人から学ぶということに関して、そこにはプロ・アマの違いはない。プロとはいえ、アマチュアから学ぶこともある。プロだって本(もと)を正せば皆アマチュアだったのだから。
 
 そのような時は、指導者と生徒の境界はなく(少なくともぼくには)、ここには同好の士ならではの、 “共感・共鳴” という貴重な感情と体験が存在する。そのような瞬間を実感する時、「撮影会の唯一の利点はここにあるのかな?」と合点がいったりする。そして、つけ加えるのであれば、「親睦を兼ねて」との名分が加わるのだろう。写真を通じて他人と交わるのは価値のあることだと思っている。
 まぁ、時には撮影そっちのけで、名物の食い気に走る人もいる。団子や饅頭を抱えながら「あ〜たも食べなさいよ」と、ご愛嬌を通り越して、小走りに迫ってくるのは、何故か年配のご婦人方と相場が決まっている。そして決まったように必ず背中を引っ張る。ぼくはファインダーを覗きながら、とてもそれどころではないのだ。婦女子たちは、ぼくの邪魔をしているとは露程も思わず、団子の恩を売ることに躍起になっているから凄味がある。男は、こ〜ゆ〜ことは絶対にしない。
 婦女子は老いも若きも、特に食物にはひどく目ざとく、しかも麻薬犬のように鼻が利く。そのくらい被写体の渉猟にも目ざとくなって欲しいといつも実感させられるのだが、しかしちゃっかり撮っているから油断がならない。男には到底真似のできぬ芸当である。
 
 人それぞれなので、同じ倶楽部にあって、ぼくのように独りを好む者もいれば、他人に引っ付いて安心感を得るという人もいるだろう。見知らぬ土地に行き、どんなところにも平気で潜り込める人もいれば、臆病風に吹かれて?不安がる人もいる。これは男女の区別があまりないように思うが、70過ぎても「痴漢が出たらどうしよう」が口癖となっているご婦人もおられるので、決定的なことはいえない。
 好奇心と不安を天秤に掛け、身の処し方を自ら決めるしか方策がなく、これは写真指導の範囲外にある。アマチュア諸氏に、「死ぬ覚悟でやれ」ともいえないしね。

 前号で、栃木市の由緒ある銭湯(ぼくは “湯屋” の呼称のほうが好きなのだが。違いは長くなるので割愛)の内部を案内してもらったと記したが、同行したご婦人から以下のようなメールをもらった。
 「湯殿まで入れた貴重な機会だったのに、一枚も撮れていなかったのは返す返すも残念です。私ドキドキして、ちょっと焦ってしまったかも。相変わらずのパニック症候群、もったいないことをしました」と。
 ぼくにパニック症候群の治療はできないが、ぼくが彼女の側にいれば(女湯なので侵入できず)、「湯気でレンズが曇ってしまったら処置無しだから、そのためにはどうするべきか?」の科学的な話をしながら、次第に落ち着かせることはできるかも知れないが、所詮女の人に科学的な話をしても徒労に終わること多々あり。また、「洗い場の床が石材であれば、そこに打ち水をして石の色を変化させたり、光の方向によってはテカリを加減したりするのも写真術のひとつ」と、コマーシャル写真撮影の知恵を授けたりすることはできる。

 そんな講釈をしているうちに、彼女のドキドキは治まり、自分のイメージが描けるかも知れない。今、返す返すも女湯に侵入しなかったことが悔やまれてならない。「ジジィ、女湯に乱入。現行犯逮捕!」などと下野新聞(しもつけしんぶん。栃木県の地方新聞)に書き立てられてもまったくかまわないが、ぼくは慣れ親しんだ栃木市から出入り止めを喰らうかも知れない。ぼくにとって、新聞などより、こちらのほうがずっと辛いことだ。

https://www.amatias.com/bbs/30/584.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
へぇ〜、こんなところに教会があったんだ。見逃していたものが、まだたくさんあるに違いない。でもこれはちょっと退屈な写真かな。
絞りf5.6、1/1250秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02栃木市」
タングステン電灯の影。
絞りf8.0、1/500秒、ISO100、露出補正ノーマル。



(文:亀山哲郎)

2022/02/18(金)
第583回:撮影会
 前々回、約2年ぶりに栃木市を訪れたとお話しした。過去、栃木市へ何度くらい通ったのか正確なところは分からないが(根性を入れて調べれば分かるだろうが、あまり意味がないのでしない)、初めて訪れたのは今から19年前の2003年11月のことだった。
 北海道で約10日間の長期ロケを終え、息つく暇もなく我が倶楽部の面々に、  
“撮影会” と称して、半ば強制的に連れて行かれたのが栃木市だった。メンバーのひとりが、事あるごとに「かめさんは栃木市を気に入るに違いない」と耳元でささやき、しきりにぼくを暗示にかけようと目論んでいた。一応指導者もどきだったぼくは、致し方なく、しおらしくも彼らの要望に応じた。嫌だったわけではないのだが、それはぼくの、以下に記す人間的な質(たち)に起因している。いわゆる “撮影会” と称する団体行動、もしくは集団行為に気後れしてのことだった。

 初めての栃木市は、小雨模様の、まさに “しとしと降る” とても良い雰囲気を醸していた。何事にも「相性」というものが存在するが、ぼくはどことなくこの街との相性の良さを直感した。「蔵の街」としてではなく、街の佇まいそのものとの「相性の良さ」が、写真的な発見を助長する役目を果たしてくれそうな気がした。昭和生まれの昭和育ちに、しっくりする何かがあったのだろう。
 また、「蔵の街」とはいうものの、観光客に媚びていないところにぼくはさらなる好感を抱いた。川越市より栃木市のほうに気を惹かれる最大の理由はここにある。

 アマチュア写真愛好家の間では、 “撮影会” という奇妙で摩訶不思議なものがまかり通っていることは知っていた。写真好きが集まって、ぞろぞろ練り歩き、指導者と覚しき人物がなにやら写真的な指導をするらしいのだが、それ自体がどうもぼくの性分には向いていないのだ。公の場所で特定の人たち相手に一端の講釈をぶつ行為は、まともな神経の持ち主であれば、なかなかできることではない。気恥ずかしいやら、照れ臭いやら、身の置き所に窮し、したがって、ぼくのように現地到着とともに行方知れずとなるのが、正しい人間のありようだと確信している。子供たち相手の野外教室であれば、そこそこの可愛げもあろうが、得体の知れない老若男女がカメラをぶら下げ、同じ方角を見据え、シャッターをバシャバシャ切るさまは、誰がどう見ても美しさとはほど遠く、鬼気迫るような光景ではないか。ぼくは能転気に、そんな渦中に身を投じたくはないのだ。

 「すぐに姿をくらまし、いなくなってしまうかめやま」と揶揄されるが、誰もそれを非難してはいけない。非難するくらいであれば、現地到着からぼくにへばり付いていればいいだけのこと。質問されれば、ぼくはいつだって必要と思われることを吟味しながら、まるで指導者にように丁寧に、極めて好意的にお伝えするにやぶさかではない。
  “撮影会” について、ついでに言及しておくと、世の中には “モデル撮影会” というまったく理解不能で、身の毛もよだつようなものが存在する。仕事上、モデルクラブとお付き合いのあったぼくだが、「まったくもって、何をか言わんや」という話をたくさん聞いている。 “モデル撮影会” に於ける人間的心理が及ぼす行為の実体について、ちょっかいを出しながら面白おかしく述べると、数回を超えても書き切れず、ましてや写真の話ではなくなってしまうので、今回ここに留めるだけとするが、ぼくの写真話などより、そちらのほうが面白いかも知れない。

  “撮影会” に於いて特質すべきことは、今まで一緒に撮影をしていて、一度たりとも質問らしい質問を受けたことがないとの事実に、この原稿を認(したた)めながら思い当たった。彼らの言い分は分かっている。「だって、あんたはあっという間に行方不明になってしまうから、それでは取りつく島がない」ということになるのだろう。いくら女性上位の我が倶楽部とはいえ、一歩でも譲ったり、気弱な姿勢を見せたりすると嵩に掛かって畳みかけられるので、ぼくは相身互いを装いながら、慎重を期し、これについては水掛け論に終始すると思わせるのが妙薬との結論に至っている。強靱な彼女たちに勝利しようなどと思ってはいけない。

 巴波川(うずまがわ)と蔵の街大通り(日光例幣使街道)に挟まれて、ミツワ通りと名づけられた、決して活気があるとは言い難いぼくの好きな商店街がある。2年ぶりに訪れたのだが、その間に昭和の面影を残している何軒かがすでに取り壊されていた。寂しくもあるがそれは時の流れなので致し方ない。この通りの一角に、「玉川の湯」(金魚湯)という100年以上の歴史を持つ銭湯があって、ぼくは毎回必ずここで何カットかいただく(中ではなく、暖簾をくぐった上がりがまちまで)。
 今回も下足箱を撮ろうとしていたら、常連と覚しきおじさん、おばさんに声をかけられた。「中を撮りなさいよ。今、番台のおばちゃんに掛け合ってあげるから」と、地方特有の暖かい立ち居振る舞いにぼくは甘えた。直ぐに許可が下り、「袖振り合うも多生の縁」に力を得たぼくは、躊躇することなく初めて中に立ち入り、脱衣所に飛び込んだ。残念ながら、ぼくは男湯のほうへ。同伴のふたりのご婦人たちは女湯に通され、彼女たちの力感溢れる嬌声が、風呂場特有の長い残響を伴いながら、湯気に掻き消されまいと、天井を伝い男湯にまで侵入してきた。どこまでも力強い女性軍。
 堪能した我々は、一呼吸置こうとコーヒーブレークを取った。彼女たちは、ぼくの握りこぶし2個分は優にあろうかという巨大なシフォンケーキをそれぞれに注文し、欠食児童のようにパクつきながら、「『譲る』という単語は、あたしたちの辞書にはな〜い!」とナポレオンのように威風堂々と言い放ち、薄情にもぼくには一切れもくれなかった。「袖振り合うも縁なき衆生」でありました。

https://www.amatias.com/bbs/30/583.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
ガラスに移ったビル。こういう写真はへそ曲がりの証。
絞りf5.6、1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
ショーウィンドウに置かれた造花。ぼくの写真はどんどん鬱陶しくなる。
絞りf5.6、1/80秒、ISO125、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)

2022/02/14(月)
第582回:相剋の限り
 先週は久しぶりに都内へ出かけた。疫病のためできるだけ控えていたのだが、知人(以下Aさん)から個展のご案内をいただいたので、これ幸いと都心にあるギャラリーに向かった。作品はとても質が高く、仕上げにも凝った手順を踏んだものだったが、今回は作品から受けた印象には触れず、ぼく自身のありようについて考えさせられたので(これは誰にも当てはまること)、それについて少しだけ述べてみようと思う。

 作品づくりは常に恒久的な模索の繰り返しだが、ぼくは以下に述べるような体験を常々している。昔から友人たち(プロの写真仲間)に、「かめさんは、 “暗室フェチ(フェティシズム)” だからなぁ」 と異口同音にいわれるくらい熱心さと執着心を持っていた。デジタルになってもこの性向は変わらない。 “フェチ” といっても、 “性的倒錯” ではないので、念のため。ぼくは幸か不幸か、まだその奥義には至っていない。

 撮影時に抱いた被写体のイメージを再現するために、暗室作業をしながら「違う、違う。こうじゃない」を連発し、喘ぎながら悲嘆に暮れる。描いたイメージとの隔たり、もしくは不一致を如何に埋め合わせ、補うかに汲々としながら、ぼくの一生は終わるのかも知れないが、一度くらいは神の恵みがあって良さそうなものだ。「信ずる者は救われる」のだからと、ここに至って無信心のぼくはご都合主義よろしく神頼みをする。適うなら、願掛けや御百度参り、五体投地さえも厭わない。
  
 デジタルの暗室作業は、パソコン上で画像ソフトによって行われるが、ほとんどのソフトにプリセットが用意され、細かく調整できるものが多い。調整したいくつかのプリセットを重ね合わせ、欲しい部分だけ抽出することのできるものもある。これは大変有用なもので、ぼくもその恩恵にたっぷり与っている。だが、それをしているうちに、わけが分からなくなることもあり、そんな時は一呼吸置くに限る。再びモニターを見て「おまえ、阿呆か」というのは、日常茶飯。

 プリセットによって表示された画像は、「何でもできるPhotoshop」を使用し、技量さえあればそこに至ることは可能だろうが、それにはかなり繁雑で難しい作業を強いられる。プリセットはそれが一発でできてしまうのだから、時間と労力の削減に与ること多し、というところだ。これは以前にもお話しした通り。

 さて、ここからが本題なのだが、プリセットによってもたらされた画像を見て一瞬、「撮影時のイメージとは多少異なるが、これもいいなぁ。否、断然いいかも」と浮気心を起こすことがしばしばある。ほとんどの場合、かなりエキセントリック(奇矯なさま)な表現なのだが、思わず手は震え、心はひどく揺らぎ、ぐらぐらと目眩を覚える。時には、「おれの新しいトーンはこれでいいのではないか」と自己暗示に努めることさえある。
 一方で、「おれの本道は、 “オーソドックス” にあるのではないか? “迷った時は古典に帰れ” を旨としていたのではないか? それにより、取り敢えず今の自分の住み処に辿り着いたのではないか? 奇妙奇天烈を最も嫌い、蔑んできたのは、他ならぬこのぼくではないか」との葛藤に苦しむ。

 普段、指導者もどきを演じているので、生徒たちがあらぬ方向に舵を切り始めたり、独り合点なことをするのを諫めなければならぬ立場であり、その意識が自然とぼくにブレーキをかけさせることにもなっているのだろう。
 「抑制」という言葉に縁遠くありたいと願うぼくだが、巣立ちのように思い切って飛んでみればよいのに、それがなかなか思うに任せない。一度くらいは生徒たちに怨色を見せてやろうかという気になる。

 プリセットにより出現した、いささか極端な表現手法を用いる勇気がなく、理屈をこねながらそれに少しずつ手を加えていくと、今まで通りの表現に戻っているという体験は、どことなく虚しいものを感じる。これを「元の木阿弥」というらしい。勇気のないしみったれた自分に苛まれるとの悪循環を今まで一体何度繰り返してきただろうか。
 自虐的になりつつも、では「何のために試行錯誤をしているのだ」と、逃げ道を塞がれたぼくは仕方なく自身を治めることにしている。安住の地を “不幸にも” 得てしまえば、創作はそれで終止符を打つことになるので、もがきは創造の原点と捉えるのがより建設的であろう。うまいことを思いつくものだと、自画自賛などしている場合ではない。

 冒頭にて記したAさんは、ぼくにない勇気を十分に備えており、とても羨ましかった。特有の技法を駆使しているのだが、Aさんの「写真の眼」はその技法に適した被写体や光りを巧みに読み切っているので、そこに違和感が生じていない。大したものだと感じ入ることしきり。
 普段、女性から心ないいじめに遭っているぼくは、最近の拙稿で何度かその憂さを晴らしたつもりだが、女性であるAさんは、なるほど男のような女々しさや未練がましさがなく、自身の信ずるところを支柱とし果敢に作品づくりに挑んでいる。そんな姿を目の当たりにし、ぼくは爪の垢を少しだけ分けていただいたような気がしている。

https://www.amatias.com/bbs/30/582.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。
いずれの写真も「ガラス越し」。

★「01栃木市」
ガラス反射の写り込みを塩梅しながら。
絞りf6.3、1/125秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
汚れたガラス越しに女子高生。鬱陶しい写真やなぁ。
絞りf5.6、1/125秒、ISO100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2022/02/04(金)
第581回:おめおめ信ずることなかれ
 武漢コロナの呪縛から少しだけ解放され、約2年ぶりに、以前何度も通っていた栃木市に、写真好きのご婦人2人を引き連れて撮影に出かけた。当日は、薄曇りの、ほとんど無風状態の、絶好の写真日和だった。彼女たちにいわせると「私たちの普段の心がけが良いから」なんだそうである。出かける前から、彼女たちは自分たちの身勝手さと自儘を、ハンドルを握らざるを得ないぼくに、何の遠慮もなく披露してくれた。どうあっても「私たち」にぼくは含まれてないのだと、強固に主張なさる。
 「ああいえばこういう、こういえばああいう」との手合いだから、残念ながらぼくに勝ち目はなく、寛容で賢明なぼくは素直に「仰せの通り」と従順さを装った。文字通り「君子危うきに近寄らず」である。ことあるごとに、手練手管の限りを尽くす女史たちには、ぼくの如何なる純真さをもってしても、到底敵わぬことをぼくは知り尽くしている。
 撮影前には余分な労力と心労を取り除いておくのが、ぼくの撮影時に於ける揺るぎない心得である。そのような不埒な放言に対して、「譲る」のではなく「無視」を決め込むのがぼくの流儀であることに女史たちは気づいていないので、やはりぼくのほうが上手(うわて)である。

 ぼくとしても、たまには実践的なレクチュアを真面目にしなければいけないとの思いがあった。普段、「撮影はひとりに限る」がぼくの口癖であるだけに、この日はそれ相応の覚悟と観念の臍(ほぞ)を固める必要があった。
 女史のひとりは、写真歴約20年のベテランであり、ぼくに「スカタン、トンチキ!」といわれることを常としていた。もうひとりは、写真を始めたばかりで、まだぼくの心ある罵声を浴びた経験がない。コントラストを成すご両人への実地指導はどうなることかと、ぼくは少し心許なかった。

 ベテランの彼女は、事始めの人に「かめさんはね、現地に着くと、あっという間に姿をくらますから、用心深く見張ってないとダメよ。安曇野に行った時などみんなに『道祖神を撮るから探せ』と命じておいて、私たちがやっと見つけたと思ったら、道祖神には目もくれず、消えてしまうんだから」と、8年も前の仕業に目を三角にして、執念を燃やしながら恨み辛みをぶつけてくる。
 女房殿の「あん時あ〜たはこういったわよね」と、異常とも思える記憶力を悪用しながら、ねちっこく責め立ててくるあの非情さに酷似している。ぼくはすでに記憶茫々なのだが、「そんなことをいった覚えはない」とは反駁せず、条件反射のように「すいません」と発してしまう。無駄な抵抗はしないことにしている。抵抗をすれば、彼女は芋づる式に過去のあれこれを持ち出してくることがぼくには分かっているので、塚原卜伝(戦国時代の剣豪。1489〜1571年)の「戦わずして勝つ、これが無手勝流」に準ずることにしている。

 ぼくの頭の中には多種多様なものが詰まっているので、そのなかから女房殿の攻撃材料となる自分の言質を取り出すことなど不可能に近い。女房殿に限らず、ぼくの身辺をうろつく女性たちはみな申し合わせたようにこの手を使ってくる。「ほかに考えること、ないのかよぉ〜。大事なことはすぐ忘れるくせに!」とぼくは彼女たちには聞こえぬところで憂さを晴らすことにしている。
 20年のベテランでも事始めの人でも、大事なことはすぐに忘れるらしく、したがって、レクチュアは同じ内容でよいことになる。

 撮影に関して、大切な3大警戒要素は「ブレ・ボケ・露出」。これらは、写真創生期から現在に至るまで、愛好家たちを悩ませ続けた3大要素でもある。今敢えて過去形で「悩ませ続けた」と書いたが、ぼくの本心は「悩ませ続けている」と現在形で書くべきことと考えている。
 多くの人は、過去形を取りたいと思うかも知れないが、それはとんでもない思い違いであり、いくらテクノロジーが進化(Auto化)しても、これらの厄介な問題から、知恵や技術なくして逃れる術はない。ここのところ、どうか肝に銘じていただきたい。
 三脚を使用すればブレを防げる? 嘘です。オートフォーカスなので、ピントが合う? これも嘘です。カメラに内蔵されている露出計は正しい露出値を示してくれる? これも嘘です。今回は、ぼく自身も悩まされているブレとボケについて記す。露出については、あまりにも多くの事柄が複雑に絡み合うので、筆硯を新たにしたいと考えている。

 大型カメラ(4 x 5、8 x 10インチカメラ)用に作られた堅牢極まりない鉄アレイのような重両級の三脚を使い、撮影時にパソコンでピントを確認するのだが、接続されたパソコンモニターに拡大された被写体がわずかな間ブルブルと震えている。パソコンに接続したことのない人は、三脚を信用しシャッターを切ってしまう。三脚を使っているのだから(シャッタースピードにもよるが)安心と思いきや、そうは問屋が卸してくれない。上記のような堅牢そのものの三脚でさえそうなのだから、一般的(平均的)な三脚は言うに及ばず。
 また、ブレ防止機能がカメラやレンズに装備されているが、これは、ブレを防ぐための技術や知識を身に付けた人にこそ有用であって、そこに至らぬ人はこの機能を信用すると痛い目に遭うこと疑いなし。
 また、一般に流布されている「レンズの焦点距離分の1秒以上」は決して安全を謳ったものではない。倍の速度でも容易にブレること、非常にしばしば。なお、今回は「被写体ブレ」については述べていない。

 良い被写体を見つけ、歓び勇んでシャッターを切っても、ピントが合っていなければ折角の写真も水泡に帰する。オートフォーカス機能も時代とともに大きな進化を遂げ、精度が高くなっていることは認めるが、これも油断大敵。「鋏と奴(やっこ)は使いがら」(鋏は使い方次第でよく切れたり、切れなかったりするとの意)なのである。
 確実なピントを得たければ、三脚のところで述べたように、カメラとパソコンを繋ぎ、モニターで拡大し、マニュアルフォーカスを使用するのが最も安心感が得られるが、一般的でないのが悩みの種。オートフォーカスばかりに頼ってはいけない。「時にはマニュアルフォーカスの訓練をお勧め」と、化石写真屋はお伝えしたい。

 二人の同伴者に最も伝えたかったことは、ブレを防ぎ、確実なピントを得られるように努めることが、写真の第一歩ということだった。このことは、後々彼女たちの得意とする「あん時、あ〜たはこういった」を防ぐには好都合な事柄である。でも、女性たちは技術に於いて肝要なことはすぐに忘れるらしいんだよねぇ。

https://www.amatias.com/bbs/30/581.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
ショーウィンドウのガラスにボーッと霞む彫刻。
絞りf6.3、1/60秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02栃木市」
歌麿のビニール幕の前に、懐かしいSINGERミシンが放り出してあった。
絞りf8.0、1/125秒、ISO320、露出補正-0.67。


(文:亀山哲郎)

2022/01/28(金)
第580回:女性ポートレート
 小学生と中学生の頃、ぼくを殊のほか可愛がってくれた母方の祖父(以下じいちゃん)の写真をよく撮った。じいちゃんも写真を撮られるのが好きで、ぼくの求めに、いつも程よいポーズを気取ってくれた。写真を撮られることへの、一切の恥じらいも照れも持っていなかった。
 「てつろうが撮ってくれる写真は、ほかの誰が撮るよりもええんや。何年か後には、わしの葬式写真を頼むわな」と京都弁でいっていたものだ。
 じいちゃんは、自分が「写真写りがいい」ということを、十分に認識していたのだろうと思う。実際、写真に見るじいちゃんは確かにそうだった。普段、被ったこともないベレー帽姿を撮っても、まったく違和感がなく、様になっていたのだから、じいちゃんにはそれなりの徳があったのだろう。
 世の中には少数ながら(これは「写真写りがいい」と感じている人の自己申告によるもの)、そのような恵まれた人がいる。

 また、時々ぼくをお忍びで祇園や先斗町に連れて行ってくれた。じいちゃんは、「てつろう、このことは内緒やで。ゆ〜らたあかんぞ、ええな」と、孫であるぼくに秘密であることを強要した。もちろん、口外したことはない。口を滑らすようなヘマをしなかったのは、ぼくのけちな自慢でもある。
 叔父貴たちの誘導尋問に引っかかったこともなく、無事やり過ごすことができた。誘導尋問ということは、叔父貴たちは気がついていたとも受け取れるのだが、見て見ぬ振りをしていたのだと思う。

 「じいちゃんとの約束は絶対守る」と心に決めていたのは、ぼくにとってじいちゃんはこの世にいないほどの大事なパトロンであったことを、子供心ながらに察知していたからだ。じいちゃんに、「てつろうは隅に置けぬやつ」と思われてしまえば、それはぼくの人生にも大きく関わる問題と捉えていた。
 祇園や先斗町の芸妓さんたちは皆じいちゃんを医者だと思い込んでいた。実際には、印刷所のワンマン社長だったのだが、「医者だ」といえば、誰もが疑うことのないような風姿でもあった。じいちゃんは、「わしは肛門科だ」といって、芸妓さんたちの医学に対する質問を封じ込めていた。ぼくは、横で笑いを抑えるのに必死だったことを、昨日のことのように思い出している。じいさまは、手練手管の芸妓さん相手に大した役者でもあったのだ。
 
 じいちゃんは、夏にはへばりつくような湿気に包まれた、生死を分かつような酷暑の京都を避け、さいたま市(「京都の暑さに比べればここは過ごしやすい」といっていたくらいだった)の我が家に長逗留をしたり、軽井沢で過ごすことを命題としていた。雇い人である職人さんたちには、「ちょっと埼玉と軽井沢に避暑に行ってくる」というのが、社長としての沽券であると思っていたらしい。実に可愛げのあるじじいだった。
 そして、じいちゃんにとって人生を如何に生きるかということのひとつは、初孫であるてつろうを猫可愛がりすることにあると叔父・叔母たちはいつもいっていたが、彼らも、じいちゃん同様にぼくにひとかたならぬ愛情を注いでくれた。それは、早くして母を病気で失ったぼくへの自然な心緒だったのかも知れない。

 「写真写りがいい」と思う人は、前述したが如く、ぼくの見立てでは少数であるように思われる。不幸にして、ぼくは写真を撮られるのが好きではなく、撮られた自分の顔を見るとげんなりを通り越して気持ちが悪くなる。これは、初めて自分の声をテープレコーダーで聞いた、あのいたたまれぬような気持ちの悪さと、瓜二つである。
 逆に考えれば、「自分の顔はこんな風ではなく、俄然もっといい男だ」と思い込んでいる節がある。多くの人は、不幸にしてホントの自分を知らない。

 この傾向が女性となると、さらに著しい。今、恨み辛みを存分に込めていうが、仕事の写真を除き、女友だちから「私をこんな風に撮ってもらって嬉しいわ」などという声を、長い写真生活の中で未だかつて一度も聞いたことがない。女性というのは、よほどご自分の顔や容姿に自尊の念が強いか、ぼくが下手くそかのどちらかであろう。
 ぼくは、自分が “やや” 下手くそであることは認めるが、世の中には “お世辞” とか “心遣い” とか “労い” とか “方便” という言葉があるだろうに! この点に関して、女性はこれらの言葉を一切無視してくる。臨機応変に使い分けることを頑強に拒むから始末に負えない。ぼくが、よく撮れたと思う写真を彼女たちは凝視し、首を曲げたり、唇を歪めたりしながら、沈黙を貫き通すのだ。この、地獄のような沈黙のため、ぼくは心身ともに蝕まれ、自信をどんどん喪失していく。女性らしい肌理(きめ)の細かい優しさを大外刈りよろしくかなぐり捨てて、「もっとましな写真を撮れ」と、目に炎を燃やしながら迫ってくる。
 あれこれ思い起こすと、彼女たちは、「わぁ、いいわねぇ、嬉しいわぁ」などといってしまうと、何かとてつもない損をしたり、膨大な借りを作ってしまうと錯覚するらしい。過剰反応もいいところだ。普段、誠実でお淑やかそのものの女性でも、自身のポートレートを見せると、化け物のように変貌していくから恐ろしい。目は天涯、虚空を掴んで歯を食い縛り、その形相のもの凄さ。いい女だけになおさら恐い。

 ぼくはこんな目に何度も遭ってきた。だが、性懲りもなく、可愛げを装う女性に会うと、すぐに「写真、撮ってやろうか」と期待を込め持ち掛けてしまう自分が、情けなく、哀れでさえある。一切の学習能力が欠如しているのだ。
 「女性ポートレート」の撮り方について、建設的だと思うところを綴ろうとしたのだが、過去の痛みに耐えきれず、またじいさまの言葉に惑わされ、こんな様相を呈してしまった。だが、写真好きの男衆よ、とくと女性の真実を肝に銘じていただきたい。どうか、重大な覚悟を持って、臨むようにとの老婆心である。
 前号にてY君の、「君は何をいわれようと、いつも “屁の河童”」は偽りである。

 今回の掲載写真は、女性ポートレート。物言わぬ人形とマネキンを、これ幸いと、しかもガラス越しに恐る恐る撮ったもの。

https://www.amatias.com/bbs/30/580.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
汚れたガラスの向こうは薄暗く、女性が色褪せた和服姿で朧気に佇んでいた。
絞りf6.3、1/60秒、ISO800、露出補正-0.33。

★「02栃木市」
ガラス越しのマネキン。カメラの角度をわずかに変えるだけで、ガラスの反射が変化してしまうので、アングルを慎重に選ぶ。もう少しだけ、正面に回りたかったのだが、これで精一杯。
絞りf5.0、1/125秒、ISO250、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2022/01/21(金)
第579回:写真の背骨
 写真音痴だが教養ある旧友Y君がぼくに、拙稿についてわざわざご託宣を並べ立ててきた。曰く「かめさんは自分の主義主張を憚りなく書き連ね、それに基づいた写真を毎週掲載している。オレにはそんな恐ろしいことはとてもできないが、それをちゃらっとしてしまう君は大胆というか、恐いもの知らずというか、世間知らずというべきか、はたまた神経が図太いというか。小学校時代から何をいわれようと、いつも “屁の河童” という顔をしていたよね」。

 ずいぶんないい方をされるものだと思いつつも、そうなのであろうと自覚めいたものがあるので、ぼくにはいい返す言葉が見つからない。気心の知れた彼の言葉の行間をひねくって解読すると以下のようになる。「偉っそうなことをいっているが、いっていることと掲載写真には齟齬が生じているにも関わらず、その気恥ずかしさをものともしない君の度胸には呆れてしまう」と読める。まったく仰せの通りだと思う。
 彼はそういいつつ、ぼくのオリジナルプリントをそれ相応の値で気前よく買ってくれる良き友人でもある。それはきっと半世紀以上の友情の謂れなのだろうとぼくは受け止めているのだが。

 「身の程知らずだからできることなんだよ。大きな会社で立派に出世した君とはそこが異なるんだ。社会的に大人になりきれない写真屋ってそういうものだと思うよ。自身の身分や力量を都度塩梅していたら、いくらぼくが図太くあろうが、やはり躊躇せざるを得ない。ぼくだって人並みの気の弱さや遠慮、加えて斟酌というものを持ち合わせているつもりだ。文章と掲載写真が食い違い、訴求力に乏しいことは重々知っている。ぼくの常套句である「それとこれとは別だ」を都合の良い合い言葉にしないと、衣鉢を継ぐ(禅宗の始祖達磨が弟子に道元の法語集『正法眼蔵』を伝授した時、その証として袈裟および施しを受けるための鉄鉢を授けたとの故事。ここでは、写真ばかりでなく、ぼくの生涯に貴重な教えや学びを与えてくれた人々の言葉との意)ことはできないと考えている。だから臆面もなくいって退けることができるのさ」と返した。

 先週、写真好きの女性(以下Aさん)が、「写真を見て欲しい」とわざわざ県をひとつ跨いで浦和までやってきた。このコロナ禍をものともせずの来訪だった。Aさんは11年前ぼくが新宿のコニカミノルタプラザで個展を開催した時の来場者で、当時大学生だった。あれ以来だから約10年ぶりとなる。
 どんな写真を撮っているのだろうとぼくも興味があったので、印刷された写真集(昨今は、昔には考えられぬほどの価格で作れることは知っているが、ぼくもそれに啓発されて、そのうち試してみようかという気になった)とオリジナルプリントを、老眼のぼくは時折眼鏡を外しながら双方を丁寧に拝見。
 ここにAさんの写真をお見せできないのは残念だ。それが故に、ぼくが述べた感想について読者諸兄には理解が及ばぬことと、説得力にも欠けることを承知で、その時の銘肝(深く心に留めて忘れがたいこと)を述べてみたい。

 写真のテーマは、街で見かけた様々な様相を呈す花や人物を主体に写し取ったものだった。ぼくも同じテーマで撮っているが、その表現のありようはぼくとは対極にある。 “対極” とは極めて抽象的で曖昧な表現だが、もちろん良し悪しのことではない。平たくいえば、良い意味で「ぼくには撮れない写真」ということになるのだろうか。ぼくにないものを、Aさんは内包している。
 一人の人間は、所詮は自身の定形から離れがたく、それに従って様々なバリエーションと変容を繰り返し、 “無意識” のうちに自身の生きてきた道にそぐわぬよう気を配り、警戒しながら繁雑な心理を作品に反映しようとするものだ。定形は間もなく少しずつ外からの刺激や影響により形成された人生観・死生観・宗教観などにその造形を遂げていく。それが、創作の糧ともなっている。 “無意識” とは “自然” という意味に置き換えてもいいだろう。

 白髪のジジィが30歳のAさんを前にどのような感想を述べ、質問を持ち掛ければいいのか。これは容易なことではない。ぼくは大きな展示会の審査委員を務めているが、ここでは俎上に載せられる作品の作者を知らないので、クオリティーに重点を置くだけで事足りる。だが、不思議なもので、その作者が男か女かは十中八九見分けがつくから面白い。
 
 もし、まだうら若きAさんが、ぼくの撮るようなコテコテで陰に籠もった暗々たる写真を撮ったなら、人はどう反応するだろうか? きっと耐え難い違和感を覚えるに違いない。ぼくは常々「年相応の写真を撮ることが大切」といってきた。その人が生きてきた体験や、そこで培ってきた人生の機微や襞などが作品に反映されて然るべきで、そこに齟齬や誤謬が生じると、何かがちぐはぐで、やはり違和感やあざとさが生じることになる。それを個性と勘違いする人の、なんと多いことか!

 Aさんの作品にはそれが見当たらない。これは評価に値することだ。写真を嬉々として撮っている様子が目の当たりに窺え、まさに「年相応」の作品であることが爽やかでもあり、女性らしいしなやかさを湛えた作品をとても好ましいと感じ入った。写真の質も申し分ない。
 ひねたジジィは目を皿のようにしながら、率直で衒(てら)いのないAさんの作品に感服したといっても過言ではない。と同時に、ぼくは改めて自身の作品のありようを振り返り、良い示唆を与えられたようにも感じている。ぼくは徳を得たような気持だ。
 彼女もやがて年を経て、作品に背骨のようなものが表れてくるであろうことを願うばかりだ。 “背骨” という表現も抽象的だが、主人公や脇役のコントラスト(役割や性格描写の骨格)が、作品に力と求心力を与えてくれる。それは、主張の強さや明確さをさらに助長してくれるだろう。スポーツでいえば、アスリートが体幹を鍛えることの大切さを訴えるのと同じ理屈である。これは同時にぼくへの訓示でもある。そうなれば、強かなY君に足を取られずに済むのだが・・・。

https://www.amatias.com/bbs/30/579.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
久しぶりに浦和の街を、35mmレンズ1本だけという気楽なスタイルでぶらついた。西日の当たる高架線壁の織り成す陰影に魅せられて思わずシャッターを切る。
絞りf5.6、1/1600秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02さいたま市」
廃業した理髪店。色あせ、シワになったペンキと丸い看板。
絞りf6.3、1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2022/01/14(金)
第578回:またぞろデジタルとフィルム
 今ここで敢えてフィルムとデジタルについて記す必然性があるかどうか、少なくともぼくのなかではすでに両者のあれこれについて決着がついているので、それは愚問というべきかも知れない。
 今まで拙稿でこの件については何度か触れているし、今回改めてこのテーマについて振り返るだけの余力というか気力というか頼りない腕っ節というか、それを保持しているかを自問してみると、まだ多少の残り滓があるようだ。このテーマを再度取り上げても、現在フィルムに興味を持って熱心に取り組んでおられる読者の方々がどのくらいかはまったく分からない。おそらくかなりの少数だと思われる。
 「今はもうフィルムは使っておりません。デジタル一辺倒です」とのメールはいただくが、フィルムについての言及や質問は、この11年間で数えるほどしかない。デジタル撮影が前提での質問が大半なので、おそらくフィルム派は希有な存在なのだろう。ぼくの身の周りを見渡しても、たったの1人という寂しさだが、けれど今のぼくにはフィルムに対する未練はない。

 この2,3年の間にフィルムにこだわった何人かの作品を見せてもらう機会があり、それはとても有意義なものだった。「フィルムとデジタルの両刀遣いを身をもって体験してきた人間として、たいしたことではないのだが、ちょいと記しておこうか」という気になってしまった。残り火というものは、しぶとく執念深いものだ。未練がないといいつつも、しかしいつまでもくすぶり続けている。未練というよりは、かつてフィルムに熱心に取り組み、そこで得た恩恵をデジタルに生かしたいとの願望が勝っているのだと思う。
 そしてまた、「デジタルから写真を始めたが、フィルムが聞くほどに良いものであればぜひ試してみたい。如何なものであろうか?」と複数の人たちから問いかけられた。この点に関しての私見を正直に記す。
 過去に述べたこととの重複は避けられないが、それにはお目こぼしいただき、ぼく自身新たな発見もあったので、それについて触れてみたい。
 
 結論を先にいうと、 “デジタルから写真を始めた人” は、新たにフィルムに取りかかる必要はない。メリットを感じ取れないのではないかと思う。
 その理由はいくつかあるのだが、デジタルの一番のメリットは、暗室作業によるイメージの追求がフィルムにくらべ柔軟かつ広範囲に及ぶ点にある。あなたの描いたイメージ、あるいは被写体を見つけた時に生じる心理、思考、発案などを、デジタルは自在に、しかも精緻に画像に反映でき、モニター上に、あるいは印画紙上に転化できる。もちろん、それなりの補整技術(画像ソフトによる暗室作業)は必要だが、その自在さは大変な魅力だ。それについては、ぼくが今さらいうまでもないことだろう。
 補整をしているうちに、撮影時には気のつかなかったことに着眼できたりして、自身のスタイルを確立する機会が与えられることも多々あり。ただ、「独りよがり」の墓穴を掘らなければの話だが。

 フィルムは、どう贔屓目に見てもデジタルに及ばぬところが多すぎる。それがまったくできないということではないが、そこに至る過程は、相当な技術力と知識を必要とする。そして、光学・化学の制約に縛られながらの作業となる。それを都度駆使しなければならぬ労力たるや、到底デジタルの比ではない。ましてや、カラー写真となると、その自在性に於いて、デジタルは独壇場(どくせんじょう)といっていい。
 さらにつけ加えるのであれば、デジタルは、カメラ、レンズ、ソフトなど日進月歩だが、フィルムやそれに付随するものはすでに歩みを止めている。この点も見逃せない。フィルムの種類も化学薬剤も、そして周辺機器も今や製品が限定されているなかでの作業は、フィルムに余程の肩入れをしないとやっていけないだろう。デジタルの自由闊達さを手に入れた人は、不自由なフィルムの操作や処理に手を焼くことになる。しかし、写真は趣味の世界なので、一方的な否定は理に合わないどころか、狭量で滑稽でもある。ぼくとて、そこは心得ているつもりだ。
 これらのことを総合的に判断すると、写真の上達には融通の利くデジタルのほうに利があるというのがぼくの考えだ。

 昨今のフィルム事情にぼくは疎いが、ごく一部の好事家がいるにしても(ぼく自身が血道を上げてきた道なので、それなりの理由があることは重々承知している)、かつての隆盛からは、くらべるべくもないことは容易に想像できる。
 デジタル創生期には様々な難点があったが、テクノロジーの発展と情報の得られやすさにより、今や表現の多彩さはフィルムを遙かに凌駕している。文明の利器に振り回されることなく、上手に利すれば、老いを横目に精神の高揚を図ることさえできる。今のぼくにとっては、これが一番の妙薬なのかも知れない。

 公平を期すために、フィルムならではの利点を挙げると、撮影時の丁寧さや慎重さを得られることだ。デジタルになって、ぼくをも含めてフィルムを体験した人は多かれ少なかれ、同じことを感じているのではないだろうか。フィルムは、むやみやたらと、デジタルのようにシャッターを切れないのだ。
 1枚撮るごとに「チャリン」という金属音が何処ともなく響いてくるのは、精神的にまことによろしくないが、これが一種の精神的レジスタンスとなって次第に心地良く感じるようになるものだ。これは、ぼくなどの、貧乏人の特権なのである。デジタルでは、この快感が享受できない。「貧乏は三文の徳」というじゃありませんか(そんな諺あったっけな?)。

https://www.amatias.com/bbs/30/578.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
昨年4月、浦和美術館で開催されたミュシャ展のポスター。日焼けし、汚れたかのようなポスターを模し(ホントはきれい)、仕上げる。新調したRF35mmの試写を兼ねて。
絞りf6.3、1/13秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
見沼グリーンセンターに置かれてあったりんごの造形物。高さは数10cmほど。レンズテストのため半逆光と光沢の被写体を選ぶ。
絞りf7.1、1/320秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)