![]() ■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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2023/05/19(金) |
第643回:下町人情に触れる |
昨日、30℃を越える暑気にもめげず、仕事帰りの道すがら、かつて何度か通ったことのある三河島(東京都荒川区)に、8年ぶりに立ち寄ってみた。ここは、かつて本稿にて、ぼくの甘い甘い基準からして、100点満点のところなんとか60点以上と思える写真(すべてモノクロ)を掲載させていただいたことがある。
三河島事故(1962年。昭和37年。ぼくが中学3年時に起こった三河島駅構内で発生した大事故で、死者160人、負傷者296名を出した戦後五大事故のひとつ)の現場の気配を窺えるものかどうかと、8年前に初めて訪れた。また、事故当時を知る人に出会えれば、直接当時の模様などを伺うつもりでいた。 その訪問は、事故からすでに約半世紀も経った2015年のことなので、今回は8年ぶりということになる。頭のなかでは、4、5年前のような感覚だったが、時の経つのはなんと早いことか。 この原稿を書くにあたり、過去の掲載写真30点弱をとくと見直してみたのだが、「なんと下手くそな写真ばかり撮っていたことか。けれど、まぁ数点は許せるものがある」と思いつつ、脇の下からジトッと汗が滲むのを覚えた。 ぼくには、「自らを省みる」との良心が未だ多少は残っていると知ったことは、不幸中の幸いといえよう。自身の写真を、一途に下手くそだと感じる能力と心があるということは、即ち向上の可能性を依然秘めていると解釈していい。このように楽天的であることは、飛躍には欠かせぬ大切な要素である。 8年前は、事故後すでに半世紀近く経っていたので、悲惨さを感じさせる具体的なものはもうすでに存在せず、事故を知る地元の人々の、痛々しい思いだけが重苦しく沈殿しているように思え、どこか息苦しさを感じたものだが、それは、ぼくの穿ち過ぎだったのだろうか。事故当時の生々しさを語る人が、見当たらなかったので、すべてがぼくの頭のなかで想像逞しく処理された。 今回、そのような重苦しい空気を感じることはほとんどなかった。初訪問から8年後の昨日は、何故以前のような感覚を持たずに済んだのか、その理由らしきものが判明したようにも思えた。 車を有料パーキングに止め、カメラに1本だけレンズを付け、かつての記憶を頼りに、あたりを彷徨ってみたのだが、以前に見た木造家屋のほとんどが姿を消し、建て直され、今風の、明るいものになっていた。 この景観の変化が、先述した「今回、そのような重苦しい空気を感じることはほとんどなかった」ことに通じているのだろう。時代とともにあるこのような変化は、三河島ばかりでなく、ぼくがよく往来をする近県の市町村でも、似たり寄ったりである。ついこの間まで、所在なく存在しつつも、しかしその存在感を否応なく露わにしていた建造物が、知らぬ間に消え去り、まず最初の犠牲者となるのだ。油断も隙もあったものではない。 なくなってしまったものは二度と撮れないので、やはり気に入った場所には足しげく通うしか方法がない。 真夏を思わせるような強い夕日を浴びながら、「8年前、ここで戦後間もないころを彷彿とさせるような木造家屋を背景に、走る少女の宙に浮く姿を撮ったが、これではもう絵にならない」と、ぼくはその現場に立ち、ファインダーを覗きながら肩を落とした。 かつての、日に焼け、風雪に打たれた暗褐色の古色蒼然とした木造家屋はほとんど見かけることがなく、「このことは三河島ばかりではない。昭和人間のノスタルジアを思い起こすような佇まいがどんどん消失していくのは、時の流れの必然なのであろうが、そうはいえ、どこか寂しさを禁じ得ないなぁ」と、ぼくは意気消沈しながら駐車場に戻った。 仕事で疲れていたこともあってか、長居をせず早々に引き上げることにした。40分ほどの滞在時間で、撮影枚数も33枚に過ぎなかった。 何度か歩いた常磐線の南側に添う道をもう一度見届けようと、路地をそろりそろりと車を走らせたのだが、なんだか道行く人々の様子がおかしいことに気がついた。すれ違う人々がそれとなく「ここは一方通行ですよ」と、合図を送ってくれていたのである。その仕草があまりにも控え目で、しかも穏やかだったので、ぼくは確信犯になり切れず、「もしかしたらここは一方通行?」と思いながら、しばらく走り続けた。ぼくの知る限り、三河島駅近辺の細い道路には、一方通行や進入禁止のマークや立て看板が見当たらなかったのだ。 慌てて方向転換をし、巡査にも見つからず、ことなきを得たが、ぼくの交通違反を目の当たりにした人々の反応は、違反者を咎めたり叱責するものでなく、下町特有の人情とでもいおうか、どこか温かみさえ感じたものだった。住居環境は変われど、江戸っ子の下町人情はまだ健在だったのである。これが今回の一番の収穫であり、また嬉しくもあった。 長い運転歴で、ぼくはその禁を犯したことは一度もないのだが、年老いてからの運転は、ことのほか慎重になっていた。自分の反射神経や動体視力、判断力といったものは年相応に衰えているに違いなく、それを自覚した運転を心得るべしと常に言い聞かせるようにもなっていた。 無謀な試みは、写真だけで十分と思えるようなことでは、やはり先が思いやられる。常識的な大人になってしまったら、それに準じたつまらない写真しか望めないのが、ことのほか、痛し痒しである。だがしかし、この論理の分からぬ人がこの世の大方であるから、ぼくは神経をすり潰さなければならないのだ。ホンに、シンが疲れるとね。 https://www.amatias.com/bbs/30/643.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。 栃木県栃木市。 ★「01栃木市」 S・ダリの名作『記憶の固執』に描かれている時計を模したものを、ショーウィンドウに発見。ダリの作品はかつて20点ほど撮影したことがあるが、『記憶の固執』は今のところない。 絞りf10.0、1/80秒、ISO 320、露出補正-0.67。 ★「02栃木市」 5月人形の兜。これも、ショーウィンドウに鎮座していた。 絞りf8.0、1/60秒、ISO 400、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/05/12(金) |
第642回:辛い禁断症状 |
今年のゴールデンウィークは、神戸の義兄から譲り受けた車を試乗してみようと、近県(栃木、群馬、茨城)のあちらこちらを、ぼくはこの時期特有の風物詩ともいえる凄まじい渋滞をものともせず、小さなカメラバッグを後部座席に乗せて走り回った。多忙のため10日以上も撮影できずにいたので、禁断症状に襲われたのも一因だった。
「撮っても、撮っても、写らない。神は未だ降臨せず。だがいつしか降臨するに違いない」ことをぼくは頑なに信じつつ、もはや65年もの歳月が経ってしまった。いつまで写真が撮れるか、そんな思いが去来しての、渋滞覚悟の痛々しい撮影行だった。 連休中のそれは、「行きはよいよい帰りは恐い」(行きは寝坊のため午後出発なので、恐怖の渋滞を免れ、帰りは夕刻過ぎなのでどこも渋滞)だった。 余談だが、ぼくの血には京都以東のものは一滴も入っておらず、出自は京都(母)、倉敷(本籍)、佐賀(父)であり、それが因であるのかどうか分からないが、現在住んでいるさいたま市から西の、特に太平洋側にはまったく興味がないに等しく、どうしても足が向かない。菩提寺のある鎌倉にも馴染みを持てずにいる。したがって、墓参りと仕事以外には縁がない。 伊豆など、あの夏のベタベタ感は、ぼくにとって恐ろしいほどの鬼門といってよく、「何があっても、身の毛のよだつ伊豆には絶対に行かない」と友人たちに公言しているくらいだ。ぼくの憧れはもっぱら居住地である埼玉県を除く(「住めば都」というが、人生の大半を過ごしたこの地は至って魅力に乏しい)それ以北である。東北地方などは憧れの地といってもいいくらいだ。 徒事(あだしごと)はさておき、車メーカーの重要なポストにあった義兄は、車の整備や扱いには、商売柄ことのほか丁寧だったため、譲り受けたそれは年式こそ少し古いが、それをまったく感じさせず快調そのものだった。排気量1500ccの車は、燃費もすこぶるよろしい。 近年、仕事で大掛かりな撮影をしなくなったぼくにとって、プライベートな写真撮影にはこの手の車が最も使い勝手が良い。この車は義兄からもらった2台目のもので、ぼくの、普段からの心がけのお陰か、今回もありがたいプレゼントだった。 かつては大型の四輪駆動車に撮影機材を満載し、クライアントの発注に応じて、北は北海道から、南は九州まで所狭しと走り回ったものだ。何の苦もなかった(仕事なので当たり前だが)この一例を挙げても、若い時代がぼくにもあったのだと痛感させられる。運転が商売でないにも関わらず、一介の写真屋が1年に7万km走破なんてこともしばしばあった。面白いもので、走行距離と年俸はほぼ比例したものだ。 プライベートな撮影行では、「1枚ヒットすれば御の字」と自分に言い聞かせもし、他人にもそのように説くのだが、内心はというと、「1枚なんてしみったれた慰めをいうものじゃない。そんな気弱で女々しい魂胆でどうする! オレは商売人なのだから、私的写真であろうが、数枚ヒットさせて元を取るぞ!」と、貧乏人気質丸出しで嘯(うそぶ)く。 心得としてはなかなか見上げたものなのだが、撮影が終了し、日が暮れ駐車してある車に戻り運転席に滑り込むと、ドッと疲労感に襲われ、大きなため息をつき、「写真なんかどうでもいいや」と捨て鉢になり、途方に暮れながら茫然としている自分に気づく。そして、やがて気を取り直し帰路につくのがいつものパターンだ。 デジタルにも関わらず、撮影後に写真を見ないのは、長年のフィルム経験からであろう。撮影済みの写真を見るのは、データをMacに保存してからである。 拙稿で何度か記した「現場百回」といえど、同じ場所への度重なる訪問は、新たに発見するものが少なくなるとの現象は誠であろうかと、ぼくはその真意を測りかねている。だが心情的には、否定的であるほうが、何かと心強く、また意気軒昂でいられることに間違いはなさそうだ。 「いつも新鮮な気持ちを保ち、あらゆるものに目配り怠りなく、針に糸を通すが如く気を張っていなければならない」と老体に活を入れながらも、根っから楽天的なぼくは、「来れば来るほど、良いものに巡り会えるのだから、無駄なことは何ひとつないさ。そうでなければ、また来ればいい」と、今度は自分に言い放つのだ。 禁断症状に見舞われるからといいつつも、写真を撮るのは楽しくない。ぼくは、ただの写真中毒なだけ。 結果的に、趣味が高じて写真屋になったのだが、人様は「趣味を仕事にできてホントに仕合わせですね。羨ましい限りです」と判で押したように仰る。まぁ、そう見えるんでしょうね。だが、「そんなことはありません」と、ぼくは決していわない。趣味と仕事とでは、隔絶した世界があることに気の付かない人が多いことも確かだしね。 写真屋になって後悔こそないが、商売というものは写真に限らず、身を削ってナンボであるから、その辛さや痛さは本人でなければわからないものだ。どんな職業でも同じであろうと思う。 写真を1枚撮るたびに、身を削られるような思いというのは、決して大仰な言い草ではない。これがプロの悲哀であり宿命でもある。ただ、好んでこの道に入ったのだから、誰にも愚痴をこぼせない。弱音を吐いたり、愚痴をこぼすくらいなら、辞めればいいだけのことで、それはプロとしての資格がないということに通じる。 「でもなぁ、満点の写真なんて撮れるものなのかなぁ?」と、思わず弱音を吐くぼくの連休明けでありました。 https://www.amatias.com/bbs/30/642.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。 栃木県栃木市。 ★「01栃木市」 バーの窓際に並べてあった空ビンと少々色褪せたハイネケンのポスター。 絞りf10.0、1/50秒、ISO 200、露出補正-0.67。 ★「02栃木市」 巴波川(うずまがわ)の上にたくさんの鯉のぼりが泳ぐ。それには目もくれず、水面に揺らぐ鯉のぼりと土蔵群の瞬間を見計らって。 絞りf10.0、1/250秒、ISO 400、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/04/28(金) |
第641回:写真の品位って? |
写真展より絵画展に出向くことのほうが多いと拙稿で述べたばかりだが、1ヶ月ほど前、友人の主宰する倶楽部の写真展に赴いた。都内の雑踏が大の苦手であるぼくは、あの人混みに精神の何かがキリキリえぐられ、破壊されるような気がして、とにかく憂鬱で怖く、億劫になってしまう。特に年寄りとなってからは、仕事でない限り都内に積極的に出かけるにはいろいろな覚悟がいる。そんな思いをしてまで、行きたくないと思いつつも、だが不義理をしてはいけないので、やはりトボトボと出かけることになる。
長い間無定見に生きていると、いろいろなしがらみやら因縁やら悪縁に纏わり付かれ、身動きもままならず、これも浮き世の風と観念するしかない。 気の重くなる主な理由のひとつは、柄にもなく、写真評もどき(これが苦手)を求められることがままあり、気楽に作品を味わったり、愉しんだりという具合にはなかなかいかないことにある。知り合いの展示会に顔を出すということはとても勇気の要ることだ。 作品についての意見を求められるとなると、ぼくは至って気弱で、しかも遠慮が服を着て歩いているような人間であるため、他人の作品に対して、たとえ顔をしかめるような作品であっても、ネガティブなことはいい難く(ぼくの助手君でない限り)、少しでも良い点や美しいところを無理くり探し出し、にこやかに作り笑いなどしながら、事を穏便に済まそうと躍起にならざるを得ない。その疲労感たるや相当なもので、それはかなりのストレスを誘発し、やはり相当な覚悟を必要とする。とにかく、写真展ひとつでいろいろな覚悟をしなければならないというのは、あまり仕合わせなことではない。 ちょうど2週間前にもある大きな展示会の作品選考をしたばかりで、今、様々な思いが行ったり来たりしている。冒頭に述べた写真倶楽部の指導者である友人と話題になったことのひとつは、「作品の品位というものについて、かめさんはどう考えている?」ということだった。あまりにも漠然とした問いかけだったが、正面切ってのものだったので、不真面目なぼくはたまには真面目に考えてみるのもいいかと思った。 この題目について、ぼくはもちろん自分なりの考えを持ってはいるが、それを言葉で表現するとなると、とても難しく、途端に口籠もらざるを得ない状況に追い込まれる。 ある作品を前にして、その作品の品位や品格がどうであるのかを問われれば、ぼくは即答できるとの確信はあるのだが。 友人はぼくに追い打ちを掛けるように、「品位って、生まれついたものとの見方もできるけれど、それでは身も蓋もないので、指導をする際に、ではどうしたものかと、時々思い悩むことがあるんだよ」と、品位のある彼は、品位に欠けるぼくに訴えてきた。 ぼくには難し過ぎる問いかけだったが、品位のある写真とそうでないものが、この世には確かに存在するので、ぼくは先ず自分のことは棚に上げてから(でないと言葉が口を衝いて出ないので)、機を逃さず思うところを率直に彼に伝えてみようと試みた。もちろん、ここで対象とするものは、自己表現のための写真についてであって、記念写真や記録写真の類は除外する。 「それはつまり、人間的に品位に欠ける人は心がけ次第で、それが向上するかどうかということ? あるいは、撮影者の品位は作品に反映されるかということ? 生まれついたものを除外してのことであれば、ぼくは自分なりの答を伝えることができるように思うけれど」と、前のめりになりながら彼に畳み掛けた。 プロのカメラマンである彼とは、もう50年来の付き合いなので、ぼくの思考回路を読み込んでの問い掛けなのであろうとぼくは感じ取った。 「作品は人格の反映(鏡)」との信念をぼくは持っているので、彼に「もし、作品に品性のようなものが欠落していると感じさせるものがあるのならば、それは作者の人間性を問うしかないと思う」と答えた。 加え、「作品の良し悪しの定義と品性がどう関わってくるかという問題に突き当たるわけだけれど、それは比例するものだ。もちろん、技術的なことではなく、品位は作品の良し悪しを左右する大きな要素という意味に於いてね。そして、俗にいう『大衆受け』するものや『一見するとハッとさせられるが、1分間の観賞に堪えられぬもの』も、とどのつまり作者のありように帰結するのだと思うよ」と。 人品というものについて、ぼくが改めてどうのこうのと述べる資格などないので、そこは誰もが自身の良心や見識に基づいて推し測れば良いことだと思う。ただ、ぼくが人品の絶対的判断として言い切れることは、「お金にきれいでない人」とか「名誉欲の強い人」とか「自己犠牲を惜しむ人」とか「思いやりに欠ける人」とか、それらに類することに必然的に付き従う事柄などなどである。 もうひとつつけ加えるのであれば、「いっぱしの口を利いて、恥じぬ人」なのだが、あっ、これはぼくのことだった! https://www.amatias.com/bbs/30/641.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。 埼玉県川越市、加須市。 ★「01川越市」 この場所は同じアングルで以前に掲載したことがあるが、時が変わり、今回は自転車も有り。強い夕日に照らされて。 絞りf8.0、1/60秒、ISO 100、露出補正-0.33。 ★「02加須市」 空き家に張り付いていたルート66の看板(標識?)。以前、何度も行き来した場所なのだが、こんなものがあったとは気がつかなかった。 絞りf7.1、1/100秒、ISO 500、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/04/21(金) |
第640回:普遍性を探ることの難しさ |
先日、さまざまな分野の専門家の集まりに出席するため、都内のあるホテルに出向いた。ぼくもこの会合の委員を務めているので、午前10時という、非人間的で、尋常でない集合時間にも関わらず、眠い目を擦りながら電車に乗る羽目となった。
とはいえ、後期高齢者のぼくはどんなに睡眠時間が短くても、取り敢えず1日だけの頭脳労働であれば(肉体労働は後遺症がひどい)、ほとんど支障を来さない。頭の回転は年相応に鈍くなっているけれど、苦もなく事を済ます自信は、まだ辛うじて保っている。これは負け惜しみではなく、しかし、2日連続となると、そこはそれ、多分たちまちアゴを出し、使いものにならなくなるだろう。 時に、「まだいけるかも」などとの甘い見立ては、「無理は禁じ手」であることを知っているので、「もうこれ以上はダメだ」という振りをすることにしている。そうでもしないと、老人の特権を無為に放棄することになり兼ねず、加え、都合の良いように使われ、損をするような気がしてならない。ジジィが、年甲斐もなく気張ってはいけない。年寄りを敬うことを忘れた無慈悲な人々に囲まれていると、このような知恵が泉のように湧き出し、そして知らずのうちに自然と護身術が身についていくものだ。 この最たる処世術に、ぼくの、まだふさふさの白髪は大きな貢献を果たしてくれる。ぼくは、甘塩のような味わい(ぼくの白髪を称した友人の言葉)を出汁とし、我ながら巧妙に立ち回るのである。 下車駅である地下鉄虎ノ門駅はおよそ20年ぶりであった。地下から地上に這い出ると、見上げるような超高層ビルが乱立しており、ぼくは一種の感動すら覚えた。「一体いつの間に? 誰が?」が、高所恐怖症であるぼくの率直な感想だった。仰ぎ見ているうちに平衡感覚を失い、ふらふらした。 カメラを持っていなかったぼくは、何故か良心が咎め、「この位置なら、24mmの広角がいいね。16mmなら面白味は出るが、最上階に行くに従って小さくすぼみ過ぎて、ぼくのイメージとは合わない」と、一応は写真屋を気取り、言い訳がましくも格好を付けてみせたのだった。 「おれは、損な性分だなぁ」とも呟き、委員のなかで最年長者であるぼくは、ダラダラ坂の途上にあるホテルに息切れすることなく辿り着いたが、午前中とはいえ夏日を思い起こさせるような強い日射しが眩しかった。古稀を迎えたばかりの委員のひとりは、この上り坂で一度立ち止まって、息を整えなければならなかったと告白し、ぼくはなんだか勝ったような気持になり、安堵したのだから面白い。 で、写真の話をしなければならないとの強迫観念に駆られつつ、この集まりでの興味深い話に花を咲かせたいのだが、そうもいっておれず、意を強く持たなければと観ずることに。 国内外を問わず、ぼくは展覧会に何度通ったかは計りようがないが、多かったのは写真展ではなく、圧倒的に美術展のほうだ。美術展と写真展の絶対数など知る由もないが、数の問題ではなく、ぼくは美術展のほうに足が向く。 絵画の歴史的な長さもおそらく影響しているのだろうが、写真屋のぼくは絵画を見ることによって、多くの写真的示唆を受ける。作画についてヒントとなることがたくさん見つかる。それは、ぼくばかりでなく写真の好きな人であれば、心持ち次第で、絵画を観賞することにより、写真を撮ったり、暗室作業をするうえで、たくさんの気づきを与えられ、また学ぶことができると思う。写真にしか琴線が触れないという人をしばしば見かけるが、そのような人は別である。 絵画の色使いや構図、トーンやタッチなどの “描き方” を含めて、どれもが写真には欠かせぬ有益で普遍的な要素がそこにあるとぼくは考えている。たまに「絵と写真の構図は違う」という人がいるが、ぼくは大局的な見地からして、それはへそ曲がりの一家言に過ぎないと断定している。何かをいわないと気の済まぬ半可通の人に、そのタイプが多い。あなたの周りにも、そういう人、いるでしょ。 絵と写真は元々異なるものとの認識から、ぼくを指して「一緒くたにして語ってはいけない」とおっしゃる。そんなことはぼくとて、先刻とっくにお見通しだ。 多種多様な創作分野から、良いもの、美しい点、優れた部分を抽出し、吟味しながら、自分の作品に如何にして取り込むかに苦心するのは、ぼくの見方からすれば、とても謙虚で好ましい姿に見える。 他の分野の美しいものに感応できずに、写真のあれこれにもっともらしい蘊蓄(うんちく)を傾けても、説得力など無に等しいとぼくは思うのだが、どうだろうか? 写真が絵画的である必要はなく、写真は写真特有の美をおおいに開花させたいと願うばかり。「写真特有の美」と一言でいってしまったが、そのありようは、まさに百人百様なのだが、そこに宿る普遍性はそう多くはないはずだとぼくは考えている。あと何年かで、それが少しでも掴めればいいのだけれど。 https://www.amatias.com/bbs/30/640.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF100mm F2.8L Macro IS USM。RF24-105mm F4L IS USM。 群馬県館林市。埼玉県加須市。 ★「01館林市」 かつて波板のトタン板ばかりを撮っていたが、日の当たった部分と影のバランスが巧妙だと感じ、思わず撮ってしまった。 絞りf13.0、1/200秒、ISO 100、露出補正-1.00。 ★「02加須市」 今まで加須で何十回も撮った被写体。一度も撮れたためしがなかったが、やっとイメージ通りの写真が撮れた。微妙な、何かの差なのだろうが、「第636回」で題目とした「現場百回」は、どうやら当てはまるようだ。 絞りf7.1、1/100秒、ISO 500、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/04/14(金) |
第639回:老人とデジタル |
先週、遠方よりの来客に懐かしい写真をお見せしようと、古いアルバムを引っぱり出した。ページを繰っているうちに、糊の剥がれた1枚の変色しかかったプリントがはらりと落ち、それを手に取り、目を近づけて眺め、つくづく感じたことは、前々回に記したフィルム写真の「曖昧なる美しさ」だった。
42年前の1982年に、金沢の兼六園で友人を写したその写真は、Rollei 35(ローライ35。ドイツ製で1967発売。沈胴式のレンズを備えたコンパクトな筐体は手のひらに収まり、とてもカッコのいいデザインだった。レンズはカール・ツァイスのTessar F3.5、40mm)によるもので、フィルムカメラとして特出した描写をするわけではないのだが、ぼくはこのカメラの「曖昧な描写」が当時から好きだった。 セピア色に変化した友人とは現在連絡の取りようがないので、残念ながらその写真を本稿で掲載するわけにはいかないが、みなさんもフィルム時代に撮られたアルバムを引っぱり出してみたらいかが。曰く言い難しの「曖昧なる美しさ」について、ぼくの言わんとするところが、おそらく多少はお分かりいただけるのではないだろうか。 また、今年の正月に同窓生のジジババが毎年「今生の別れかも」なんてことを口実に、いや、もう口実とはいえなくなり、現実味を帯びているかも知れないのだが、「会いたさ見たさ」に、取り敢えず新年会を催した。 中学時代の集合写真を引っぱり出し、肝心の1枚は見るも無惨なピンボケ写真だった。一体誰が、どんな悪意と恨みと、そして救い難いほどのふやけた脳味噌を持って、こんな酷いボケボケ写真を撮ったのだろうかと、取り敢えず写真屋もどきのぼくはその異次元世界に唸ってしまった。呆れをとうに通り越し、もはや言葉を失い、押し黙ってしまった。しようと思ってもなかなか成し難いほどにピンが外れている。 ここまでくると、ぼくは撮影者の歩んできた人生やそこで形成された人格をも疑わざるを得なかった。その人物をここに連れてきて、荒縄で縛り上げ、木に吊し、折檻しなければならないと思ったくらいだ。世の中には、許されることとそうでないことがある。見る者を厭世的な気分にさせてしまうこのピンボケは、明らかに後者である。 辛うじて目鼻と髪の毛の存在がボヤーッと分かるというほどの究極的なボケボケ写真ではあったが、しかし、不思議不思議、そこに居合わせた誰もが、「これは何君、これは何ちゃん」と、嬉々としながら次々に正確に指摘するのだった。その写真にどんな魔力が潜んでいたのだろうか。もちろんぼくも美人で有名だったTちゃんを見つけ「これはTちゃんだ」と目尻を下げ、白髪を逆立て、抜け目なく言い当てた。上下6mmほどの顔のボッケボケ写真であり、曖昧の極致であるかのような写真にも関わらず、不可能をものともせず、人物を特定できてしまったのである。「これが、齢75の成せる業だ」、なんてことは絶対ない。 「写真って凄い! 偉い! 水彩画を水にたっぷり漬けたようなふやけきった写真なのに、しっかり面が割れちゃうんだ!」とぼくは叫んだ。ぼくばかりでなく、誰もが写真の偉さに感服した瞬間だった。そしてまた、写真への認識を改めた非常に意義深い、新年早々の宴会でもあった。 監視カメラによる犯罪捜査などの映像を見て、ぼくは、「あんなやくざな映像で、犯人の顔など、どうやって判別し、断定できるのだろう? 誤認逮捕もあり得るんじゃない?」と怪しんでいたのだが、新年会で見た気持ちが悪くなるほどのボケ写真にくらべれば、監視カメラのほうが、ずっとしっかりして、断然目鼻や髪型などが、はるかに人間らしく描く能力を有している。 少なくとも、先述の途方もないくらい不鮮明な写真にくらべれば、原チャリ(排気量50cc以下の原動機付き自転車)とナナハン(排気量750ccの大型バイク)くらいの差がある。これなら容易に犯人を割り出せるだろう。ここでも、ぼくは認識を改めた。 さて、今風にデジタルの話だが、先日ひょんなことから最新のフルサイズ・ミラーレス一眼を、「遊んでみて」と手渡された。我が倶楽部にも最新のミラーレス一眼を使用している人が2名おり、その描写性能の素晴らしさは十分に認識しているのだが、ぼくは夕刻の銀座で、借りたカメラを振り回しながら撮った画像のラチチュード(露出再現範囲)の広さと抜けの良さにほとほと感心してしまった。もちろん解像感も素晴らしい。 ちょうど、時を同じくして、友人がフィルムの8 x 10インチ大型カメラで撮影した風景写真を、データにして送ってきた。ぼくも8 x 10インチサイズのカメラは、今まで散々使用してきたので、その描写力は熟知している。 両者を同じ土俵で比較するほどぼくの頭はまだふやけていないが、重く、撮影に時間のかかる8 x 10インチカメラを使用する利点は何であろうかとの答はすでに得ている。それは、精神的な面での、電気の抵抗器のようなものである。この負荷が、被写体への観察眼を養い、撮影意識を高揚させる。すべての操作がマニュアルなので、撮影の全責任を自身が負うことになる。つまり、まったく、逃げ場がないのだ。全自動の、昨今のカメラとはここが根本的に異なる。 しかし、だからといって、この種の面倒なカメラを使えば良い写真が撮れるかというと、そんな保証はどこにもないのだが、現代に於いて忘れかけたものを思い出させてくれる良い道具立てではあることは否めない。だが、原チャリでもナナハンでも、良い写真という同じ目的地に辿り着くことは平等にできる。体力と燃費の悪さを否応なく背負わなければならず、それが間尺に合うか、そうでないかは個人の価値観による。 ぼくは大型カメラの素晴らしい描写力を認めつつも、文明の利器を使いこなし、そのエネルギーを撮影自体に注ぎたいので、粋がらずに、もう体力に見合ったカメラを使用しても良いのではないかと思っている。ぼくのふやけ始めた頭脳に、多機能過ぎるデジタルはかえって良薬かも知れない。 https://www.amatias.com/bbs/30/639.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。 群馬県桐生市。 ★「01桐生市」 有鄰館の煉瓦蔵。かつては酒・味噌・醤油等を醸造し、それを保管するための蔵だった。現在は、展示やコンサートなど、さまざまな催しが行われている。 絞りf8.0、1/50秒、ISO 64000、露出補正-1.33。 ★「02桐生市」 有鄰館。味噌・醤油蔵の壁に一瞬光が射す。 絞りf6.3、1/15秒、ISO 500、露出補正-1.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/04/07(金) |
第638回:老いの気づき |
写真という分野に限らず、創作に携わる(もしくは趣味としている)多くの人たちは、「他と異なった自分独自の表現方法」を見つけ、それを我がものにしようと努めている。と同時にそれを愉しんだり、生き甲斐を感じているのではないだろうか。
その行為や思惟は、創作を形づくるうえで、大きな醍醐味のひとつであろう。この醍醐味に、創作者は魅了されるのだ。このことはまた、良い意味での自己顕示欲のあらわれであり、写真という行為を通して、本能としての自己顕示欲を、手の込んだ厄介さをものともせず、満たそうとしている。ホントにご苦労なことだと思うが、ぼくとて他人事ではない。 創作のありようは千差万別だが、なかには極少数であると思われるが、自分を表現するのが第一目的ではなく、観賞する側の心地に塩梅の手を差し伸べようとするタイプの人がいる。「世のため、人のため」というわけだ。 他人の生き方や嗜好に口を挟むのは野暮というものだが、ぼくは写真を生業としている一方で、頼りない指導者の真似事もしているので、その立場を以てすれば、ぼくはこれを、鑑賞者に「おもねる」ことであるとし、したがって、本来の創作の姿ではないとの信念を持っている。 端的にいえば、我(が)を捨てているので、そのような作品には面白味がなく、独自性も見られず、陳腐で退屈なだけだ。しかし奇妙なことに、そのような代物は、いわゆる「大衆受け」するのだが、およそ創作とはほど遠いところに位置している。我を殺したものを創作とはいわない。 今回、この手の人々については、ぼくの創作の定義には当てはまらないので言及しない。ただ、写真を記録、記念として撮っている人々はこの限りではない。ぼくはそれを、ひとつの写真のありようとして十分に認めている。 今、何故このようなことに思い至ったかというと、ある大きな作品展のための作品をつぶさに審査選考する必要に迫られ(ぼくはへとへとになったけれど)、また、我が倶楽部の人たちの上達ぶりと彼らの良い作品を見るにつけ、彼らの「他とは異なる何か」に向かって精励する様子が直に伝わってきて、改めて自分自身を見つめ直す機会を強要されたように感じてしまったのだ。まったく以て、迷惑このうえない。 けれど、正直にいうと「自身を見つめ直す」ことなどしたくない。そんな面倒で、厄介なことは真っ平御免だとの気持が勝る。自然の理として、見つめ直すことによって、得心のいく作品が生まれる保証などどこにもないことを、ぼくは及ばずながらも知っている。 得心がいかないから、何十年も写真という作業を続けられる。どんなに精進しようが、満点をやれるような作品など生まれようはずがない。その懊悩にもがくことが創作の原点である。 それは、写真の上手い下手に関わらず、創作に於ける普遍的摂理なのではあるまいかと、ぼくは考えている。自分の作品を自画自賛できる人は、どんな人なのだろうかと、尽きぬ興味を抱いている。そのような人は、仕合わせなのか、不幸なのか? きっと不幸な人に違いない。やっかみなどではなく、「やはり気の毒な人だなぁ」とぼくは無意識のうちに、本音を漏らすのだろうと思う。 ただ、努力が報われないなどということはあり得ず、努力は良い方向に向かって歩を進めることができる力強い方策であるというのも自然の理であろう。努力は上達の、これ以上にない強力な味方でもある。 ぼくは哲学者ではないので、これ以上の話はできないが、「努力は裏切らない」との文言を信ずるより他なし。何かにすがって、「信ずる者は救われる」ことにしようと思うが、信ずる対象はもちろん神でなく、自分にあることを明示しておかなくてはね。「努力の賜物」ともいうしね。「神頼み」はダメだ。 「十年一日」の如く写真に対峙してきて、今ひしひしと実感するに、それは対義語である「一日千秋」のように思うことが非常にしばしばある。年を経るに従って、ぼくの写真は “えぐみ” (あくが強くて、舌やのどがひりひりとするような感じや味。大辞林)が増しているとの自覚がある。これを進歩と捉えるか、退化と捉えるかを、謙虚に顧みながら、しかし会釈もなくいうのであれば、絶対的に進歩であると、ぼくはめでたくもそういって憚らない。 長年、雑多なことを通り抜けながらも、未だ「酸いも甘いも噛み分ける」境地には到底達していないが、一つひとつの体験を通して、ぼくの写真は、年寄りのダミ声とともに自然にえぐみを増していったのだろうと思っている。人間も作品も、灰汁(あく)の強いほうが、おそらく他人は辟易とするから、なおさら面白いじゃないかとぼくは嘯(うそぶ)く。そして、「作品は人格の鏡」とも嘯いている。 えぐみを増すことによって形成される個性や人格は、必ずしも他人に心地良さをもたらすものではないだろうが、それが自分の偽らざる姿・佇まいだとすれば、終生作品もダミ声を発しながら、嘘偽りなくあるべきというのが、この1週間の、老人の不気味な発見だった。猫なで声で、退屈極まりない写真を羅列するより、このほうが何十倍もましである。 https://www.amatias.com/bbs/30/638.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。 群馬県桐生市。 ★「01桐生市」 ショーウィンドウのマネキン。向かいには、有名な矢野園の看板が映り込んでいる。 絞りf5.6、1/100秒、ISO 200、露出補正-0.67。 ★「02桐生市」 桐生出身の女優の篠原涼子氏は、桐生市観光大使なのだそう。その宣伝ポスター。 絞りf6.3、1/800秒、ISO 1000、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/03/31(金) |
第637回:スマホに返り討ち |
フィルム時代にくらべ、デジタルになってから、写真人口は圧倒的に多くなったのだそうだ。数字的なものを確認する手立てをぼくは持っていないが、感覚的にはぼくも同意する。厳密には写真人口(ぼくの定義によるもの)が多くなったというよりも、誰もが手軽に写真を撮れるようになり、より身近な存在になったといういい方が正しいのではないだろうか?
そしてまた、写真撮影の熱心さについては、スマホを除外して考えれば、「さて、ホントのところはどうなのだろうか?」と、ぼくは首を傾げながら訝っている。 一歩外に出れば、今は何処でも見事な桜が見られる。あっちでもこっちでも、多くの人がスマホ片手に、これでもかと桜に食らい付いている。なんと、写真を撮っていらっしゃるのだ! 一昔前には、信じ難くも、鬼気迫る光景である。 ぼくは「う〜ん、すごい! すごい!」と、 “すごい” の意味も分からず連発し、改めて現代に於ける写真撮影者の姿に、握りこぶしを作りながら感嘆の声をあげる。何が “すごい” んだか訳も分からずに、この言葉を使ってしまうぼくも、彼らに負けず劣らず、やはり “すごい” 。 現在は、「なぜ写真が写るのか?」との理論やメカニズムを知らなくても、シャッターを押しさえすれば、写真は写って “しまう” 、というのが実態だ。この現実は、ぼくのような化石人間(いわれぬうちに、先回りしていっておく)にとっては、未だ別世界のように映る。到底考えられぬことだ。 首から単独露出計をぶら下げ、露出を決定し、同時にフィルムの現像時間を捻り出していた昔気質の写真愛好家から見れば、やはり何もかもが現代のデジタルカメラは “すごい” のひとことに尽きるのだ。オートフォーカスの凄まじさにも舌を巻く。秒間20コマとか40コマとか、特写でない限り、こんなもの、一体何に使うんだい? これをして、ぼくを含めたマニュアル操作専門だったかつての写真人間にとって、まさに「隔世の感を禁じ得ず」といったところだ。 以前にも何度か述べた記憶があるが、フィルム時代を懐かしみ、あの描写の淑やかさを捨てがたいものとしつつも、それに囚われることなく、ぼくのフィルム離れは同業者のなかでは目立って早かった。その因は、文明の利器をなんとか使いこなそうというような、建設的で、かつ前向きなものではなく、デジタルを我がものにしないと、飯の食い上げになってしまうとの危機感を抱いたからだった。 つまり、家族や愛犬を路頭に迷わせないための算段であり、「仕方なく」というのが正直なところだ。デジタルへの移行は、それはそれは、聞くも涙語るも涙の物語であり、悲鳴混じりの、大いなる悲哀に満ちたものだった。フィルムとの決別は、仲違いでなく、リアリティ溢れた生活のためだったのである。 ぼくはもう、私的写真であってもフィルムに戻る気持はまったくないが、昨今の新技術を搭載したカメラやレンズの写りを体感するにつけ(メーカーからの借り物だが)、「どうあっても、君は写り過ぎなんだよね。デジタルに淑やかさとか奥ゆかしさが少しでもあればそれを購入するにやぶさかではないのだけれど」と、辺り構わず、そんな決まり文句を吐く。 「写り過ぎて何が悪い!」と反論されれば、返す言葉が見つからないのだが、何か特別に大切なものが欠如しているように感じてならない。何故そう感じてしまうかを考えるに答は明白で、知らずのうちに、ちゃっかりフィルムと比較している自分がいたりするのだ。 それは一言でいうならば、「曖昧なる美しさ」という装いがフィルムにはある。これがデジタルにはない。それを重々承知で、デジタルを使わざるを得ない理由は何なのだろうかと、やはり昨夜も、福をもたらすという座敷ワラシ、というより妖怪のように、ぼくは湯船のなかで含み笑いをしながら考え込んでいた。 デジタルの、あまりにも厚かまし過ぎる描写ではあるが、それを差し引いたとしても、撮影や後処理(暗室作業)に於いて、その長所はフィルムをはるかに凌駕している。これは個人的な嗜好にもよるだろうが、頭に描いたイメージを具現化するには、ぼくにとって、デジタルのほうがずっと融通が利く。そして、イメージの描写範囲が何倍も広く、多岐にわたる。この発見により、ぼくは玩具を与えられた子供のように、欣喜雀躍、後戻りができぬほどに飛び跳ねてしまったのだ。 カラーフィルムでは、暗室作業での操作は極めて困難だった。特に厳密さを要求される液温の管理は、素人では打つ手がなかった。そんなフィルム時代にあって、自身で操作できるのはモノクロ写真に限られていた。 そのような狭い、窮屈なフィルムの世界を骨の髄まで堪能 !? してきた化石人間のぼくにとって、デジタルの表現域は、青天の霹靂ともいうべきものであったが、今度は「その利点を何%ほど生かしているのだろうか?」との疑念を抱き、使えば使うほど不安が増すようになった。この不安こそ知性の証とだとの考えがムクムクと頭をもたげてきた。手放しでの喜びは、いつしか手痛いしっぺ返しを食うものだ。 その例ではないが、昨夜遅く、散歩がてらに夜桜を撮ろうと思いつき、カメラ性能が良いと定評のスマホで(ぼくは滅多に撮らない)、いたずら半分に何枚か撮り、あがりを見て、ぼくは「ギャッ! ギエ〜ッ!」といって、押し黙ってしまった。 先端技術の粋を集めたスマホという狭い筐体のなかで、何がどのようにして、映像をこしらえているのかぼくは知らないが、しかし、水銀灯に照らされた夜桜は見るに堪えぬほどの画質の悪さだった。 “すごい” でなく、 “すんげぇ” と声を振り立ててぼくはしばらくの間、然もありなんと呟きつつベンチに座り込んでいた。 https://www.amatias.com/bbs/30/637.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。 群馬県桐生市。 ★「01桐生市」 八百屋の店先で。小学生の使うような木の椅子にトマトが一盛り乗せられていた。 絞りf8.0、1/400秒、ISO 100、露出補正-0.33。 ★「02桐生市」 長い間風雪に打たれたと覚しき看板に、画材、文具との文字が微かに読み取れる。とっくに廃業した店に街灯が、影絵のように転写されていた。 絞りf8.0、1/400秒、ISO 100、露出補正-0.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/03/24(金) |
第636回:現場百回 |
流行り病も落ち着きつつあるなか、久しぶりに群馬県桐生市へ足を運んだ。前回に続き今回もそこで撮った写真を掲載させていただく。ここはかつて数度訪れたことがあるのだが、ぼくは「何とかのひとつ覚え」で、いつも同じ所ばかりを(桐生市本町通りを中心に、その辺りを)行ったり来たりしていた。したがって、何度か通いつつも、桐生市のごく一部しか知らない。
プロ・アマを問わず、写真愛好の士というのは、刑事の「現場百回」と同じように、ひとつの被写体に何度も対峙することが大切だし、また、その都度新たな発見があるものだ。とはいえ、ぼくはいつも同じものばかり、同じように撮ってしまい、進歩のない自分に「出るはため息ばかりなり」だ。 だが今回は、お目当てとした「桐生が岡遊園地」とそこに隣接する「桐生が岡動物園」が生憎お休みで(どうやら休園は不定期らしいのだが、ネットにはちゃんと告知してあった)、思わぬ肩透かしを食い、少しばかり恨み辛みに似たお門違いの感情を抱いた。 遊園地前にある駐車場には、休園を知らずして来てしまった不運な10台ほどの車が家族とともに所在なく佇み、やはりぼくと同じように彼らも、やり場のない感情を持て余しているように見えた。 手落ちのすべてが自身にあることを誰もが悟っていたので、顔が合えばお互いに気恥ずかしく、そして照れ隠しに笑うしかない。そんな仕草は嫌なので、ぼくは彼らに目を向けることなく、その場から逃げるように、すぐ近くの、いつもの場所(本町通り周辺)へと取って返した。気まずさが先に立ち、残念ながら「同病相哀れむ」を確認し合うには至らなかった。 桐生市は、ぼくにとって特段胸に迫り来るような被写体があるという訳ではないのだが、しかし所々に気をそそられる佇まいが見受けられる。撮影の意欲や緊張度はどこでも同じだが、気楽に身構えられるのは、老体にとってありがたい。「淡々と撮る」ことができるようになるには、まだしばらく時間がかかりそうだが、一日でも早くそうなりたいものだ。 そして、桐生に好感が持てることのひとつは、他の観光地にあるような「これ見よがし」な感じがしないことだ。揉み手をして媚態を晒す様子が窺えないのが、ことさらよろしい。衒(てら)いを感じさせずに、市民が肩を張って暮らしているのではないことが窺える。つまり、「ひけらかし」の度合いが極めて低いのだ。観光客が列を成して歩くわけでもなく、食べ物を頬張りながら闊歩する姿もここでは見かけない。桐生は、まことに行儀が良く、清々しい。 車で往復4時間弱なので、寝坊助のぼくにとって、午後出立はあまり効率的な時間の使い方ではないが、最後は少し息が上がっていたくらいだから、ちょうど良いのかも知れない。近いうちに、休園日をしっかり見定め、少し早起きをして、暑くならぬうちに遊園地と動物園を再訪し、カメラを振り回したいと思っている。 この日は1時間40分滞在し、160枚ほど撮った。だいたいぼくのペースはいつもこのようなもので、これが多いか少ないかは、場所やその時の気分にもよるが、他人と一緒に撮ることはほとんどないので、比較の対象がなく何ともいえない。 多く撮れば良いというものでは無論ないが、しかし質と量の因果関係は、65年間の写真生活を以てしても、ぼくにはやはり分からない。ということは、畢竟関係がないと結論づけてもいいのではないかと思う。 写真は、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」という具合には決していかず、また「写真にまぐれはない」というのが真理だが、可能性ということに限定して考えると、良い写真が撮れる割合が増えるということはあるように思う。いや、その執念がより良き方向に導いてくれる可能性があるということなのか。 気に入った被写体に対して、「アングル、絞り値、露出、必要とあらば、時間やレンズの焦点距離などを変え、全知全能を総動員し、納得いくまで撮ること」と、人様にはくどくどという。「フィルムではなく、デジタルなのだから、心ゆくまで撮るべし! 惜しむものは何もないじゃないか。ただし、安易に流れないように」と、ぼくはとても正しい御託を並べ立てる。 そんな指摘が正しいかどうか、ぼくは前号に引き続き、湯船に身を横たえ、昨夜は少し気のぼせしながら、もっともらしい顔で、考え込んでいた。 写真を絡めて話しをしようとするため、厄介かつ大変なのだ。写真抜きで、「何故ぼくは遊園地や動物園が好きなのか?」について述べるのであれば、ずっと気楽に、しかももっと面白おかしく書けるのだが、題目が「写真よもやま話」ときているから始末に負えない。ここらへん、どうぞご理解をいただきたい。と、ひとまず “示し” を付けておき、実はこっそり「次回に書いてしまおう」と目論んでみたものの、もう一度当地へ行かないと遊園地と動物園の写真を掲載できないことに、今遅ればせながら気がついた。 往々にして、文と写真の組み合わせがちぐはぐになってしまうことは、今までの例によりとっくに承知しているのだが、そのたびにぼくは、遊園地前の駐車場で体験したような気まずい思いを余儀なくされている。 https://www.amatias.com/bbs/30/636.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF50mm F1.8 STM。RF16mm F2.8 STM。 群馬県桐生市。 ★「01桐生市」 初めてこの地を訪れたのが20年前。当時からこの建物があり、何度か撮っている。けれど、1枚も思い通り撮れたためしがない。さて、今回はかなり思い切ったつもり。 絞りf6.3、1/160秒、ISO 100、露出補正-0.33。 ★「02桐生市」 無隣館(旧北川織物工場。大正5年頃建設。国登録文化財)のノコギリ屋根。清々しい桐生に相応しいトーンに。 絞りf8.0、1/320秒、ISO 100、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/03/17(金) |
第635回:今さらながらに |
湯船に浸かりながら、他愛のないことについて、真剣な面持ちで考えを巡らすのはぼくの大切な日課のひとつとなっている。「おれは、これでもいろいろなことをちゃんと考えているのだ」と自己暗示をかけつつ、意味不明な安堵感を得るために、この作業をもう何十年も続けている。
湯船で没頭するあまり、ゆでだこ状にならぬよう、湯温は低めに設定してある。何事にも不用意なぼくだが、こと湯船に関しては用意周到なのだ。精神ばかりでなく、肉体までもがふやけてしまっては、写真屋として、もはや手の施しようがない。 風呂は精神を開放させ、ぼくは取り留めのないことを真面目に思考するのだが、何ひとつまとまらないうちに、気づくと濡れた体をタオルで拭いている。この流れるような一連の動作は、実は用便に似て、まるで茶道の立ち居振る舞いのように一切の無駄がない。一日を締め括るにはもってこいの安定的動作手順だ。しかもこの所作は、用便同様に虚無であるので、なおさらに美しい。 写真撮影も斯くありたいと願うのだが、そういかぬところが、写真に駆り立てられる原動力となっている。写真は、いろいろと未熟であると自覚しているうちが華というものだ。 要らぬことと知りつつ敢えて記すのだが、生涯の用便回数(75年間に及ぶ大小を含めて)と今まで切ったシャッター回数は、どちらが多いのだろうかと、数字アレルギーのぼくは計算機を持ち出し、わざわざ計算に及んだ。この手のことに、ぼくはすぐに血道を上げたがる。何故か、嬉々として計算機のキーを叩くぼくがいた。 いうまでもなく、シャッター回数のほうが “圧倒的に” 多い。ぼくがどのような恰好をして写真を撮っているのかは知りようがないが、用便より遙かに多い回数をこなしながらも、しかしきっとその撮影姿は洗練とはほど遠く、どこかおどおどし、へっぴり腰であるに違いない。同じ動作を飽くことなく繰り返しているうちに、姿形というものは自然と恰好がつき、いわゆる「身のこなし」がはまるものだが、さてぼくはどうかと案じるに、きっと怪しい。 話をもう一度快楽の湯船に戻す。そこは一種の精神安定剤の役目を担っている。しかし時に、ここで得た結論や決着がいつも弱気で脆弱なぼくの精神をいくらか鼓舞し、確信を持たせる場合がたまにある。謎解きに挑み、それを解いた時の喜びは一入(ひとしお)だ。 昨夜の決着を、筋道立てて綴ると以下のようになる。今さらながらの感があるのだが、ここにもう一度反芻してみる。 被写体を選択し、シャッターを切る時、頭のなかでまずイメージを描く。今まで何度か述べたことだが、写真は「初めにイメージありき」をぼくは信条としている。どのようなイメージを描くかで、写真の質は決定する。技術は二の次だ。ぼくは撮影に至るこの経緯と考えを後生大事に懐にしまい込み、そして信じ続けてきた。もちろん、今も変わりない。 イメージを描く礎となるものは、撮影者の思想と感受であり、延いては人生観によるところが大きい。また、何を、どの様なかたちで体験してきたかに依拠するところ大であろう。 ぼくが暗室作業をことのほか大事にし、また重んじるのは、描いたイメージを二次元の世界に、より正確・精緻に具現化したいとの思いからだ。ぼくの、そのような思いを指し、「強すぎる我」だとする友人もいるが、それがなければ、物づくりなどする必然性がない。 撮影時に大胆なイメージを描き、それを自室に持ち込み、パソコン上に再現しようとすると、ぼくは途端に尻込みをし、縮み上がってしまうということに気がついた。ぼくの「強い我」は、何時しか、臆病風に吹かれているのだ。 一旦は大胆に描いたものを、「それでよし」とする勇気がどうしても持てないでいる。誰に忖度するでもなし、ぼくは理由が分からずに、ただ怖じ気づいている。自身の写真を、他人に気に入られようがそうでなかろうが、まったく頓着しない質のぼくが、何故、この時になると身を縮めてしまうのか? この疑問が、湯船で解けたのだった。パソコンの前には、もうひとりのぼくがおり、彼はコマーシャル・カメラマンという分際ながら、作画については至って行儀が良すぎるのだ。その彼が、いつもぼくの耳元で「ちょっとやり過ぎなんじゃない。いつもお前は、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』といってるではないか」と、意地の悪い目つきをしながら、囁き戦術に出てくる。ぼくの冒険を諫めたり、過ぎたる「我」を押し止めようとしてくる。姑のようなもうひとりのぼくに打ち勝たないと、次なるステップに進めないことを、ゆでだこ一歩手前のぼくは悟った。 “一般受け” をことさら嫌うぼくにとって、昨夜の湯は、上機嫌だった。 しばらくは勇気を持って、なり振り構わず、うるさい姑を完全無視しながら、晩年の写真生活に臨む決意を、まずは、今さらながらにしたところだ。「人生は取り敢えず」が口癖だった亡父の教えに従い、ぼくは写真の楽しみがひとつ増えたように感じている。さて、どうなることやら。 https://www.amatias.com/bbs/30/635.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4.0L USM。RF50mm F1.8 STM。 群馬県桐生市。 ★「01桐生市」 塗装が剥げ、錆びだらけの、かなり年季の入った歩道橋。早速、気難しい写真に打って付けの被写体を見つけ、ぼくは「一発必中」との気構えで、1枚だけ撮る。 絞りf11.0、1/160秒、ISO 100、露出補正-0.67。 ★「02桐生市」 平面性に劣るガラス戸とそこにゆらゆら映り込んだ家。「やはり昭和。映り込んだ家にもう少し風情が欲しいんだが」と無いものねだりをしながら。 絞りf2.0、1/1000秒、ISO 100、露出補正-0.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2023/03/10(金) |
第634回:都内桐ヶ丘団地に赴く(4) |
やっと疫病が治まりつつあるなか(これが一時的なものかどうかは先行き不透明だが、流行り病というものは歴史的に見て、いずれ治まることになっている)、ぼくはかつて何度か通った近県のいくつかの街に足を向けた。約3年ぶりの訪問だった。
それらの街でぼくが撮ろうとしたものは、おそらく以前と変わり映えのしないものなのだが、気が晴れれば見え方も、捉え方も以前と多少異なるのではないかとの期待を込めてのものだった。もしかしたら、この3年の間に、ぼくは何かが成長しているかも知れない、いや断じてそうに違いないと、相も変わらずの極楽とんぼだった。 だが、勝手知ったる横丁や家屋の様相が、この3年余りの間に姿を消し新しいものになっていたり、あるいは更地になっていたりして、茫然自失とまでは行かないが、多少の意気込みがあっただけに、狼狽えた。 “そこにあって然るべきもの” が、断りもなく知らぬ間に消失しているのだから、新米の後期高齢者は慌てふためき、そしてあろうことか取り乱した。ぼくは口惜しいかな、まだまだ修業が足りない。 この世のありとあらゆるものは、生滅流転し、永遠なるものはひとつとしてないという真理を知ればこそだが、何もこの期に及んで、ぼくの油断をあざ笑うかのように、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の掟を持ち出さなくてもいいではないか。 「気も晴れ晴れと、心も軽く、やっと来られたのだから、そのような無常観を示すのは、今でなくともよいではないか。酷というものだよ」と、相手の顛末も考えずに、ぼくは恨み辛みを込め、天を仰いだ。 話は急に本題に入るが、桐ヶ丘団地の何人かの方々とお話しをする機会を得た(高齢の方ばかりだったが)。そのあらましを聞くにつれ、どこか昔を懐かしむ面と、上記したような、寂しさや持って行きようのない心の鬱積に近いものを彼らに感じた。 一言でいえば、栄枯盛衰は世の常であり、そのやるせなさが言葉の端々から漏れ聞こえた。それはおそらくぼくの、この団地に対する過ぎた思い入れや感情移入によるところのものが主ではなく、あくまで団地や商店街を視覚から読み取ったところでの素直な感想だったように思われた。その思いと、住民の方々の言葉が同期し、錯綜していると考えるのが順当だと思う。そこにはきっと、視覚によるぼくの情趣的直感も多少は入り混じっている。 ひとつつけ加えるのであれば、桐ヶ丘団地に限らず、ぼくの撮影時間は(私的写真に限り)ほとんどが夕方近くであり、その光のもたらす情緒的な気分と光景が、撮影時の意欲や動機づけに大きく付与している。光は、晴れても曇っていても、ぼくは斜光と日没から30分程度が好みなのだ。したがって、ぼくの撮影時間は、いつも2時間〜長くても3時間というところだ。集中力もこのくらいが限度である。ぼくが多作屋ではないことの言い訳としておく。 もうひとつ、ついでにつけ加えるのであれば、ぼくは午前中が滅法弱いという生活習慣上の理由がある。午前4〜5時頃まで仕事や読書、時には音楽や落語を愉しみながら寝入るのが、還暦後のしきたりとなっている。したがって最近は、仕事も午前中の撮影はお断りするという放逸ぶりだが、もう許されてもいいんじゃないかな。 今から13年前のことだが、我が倶楽部の撮影会に初参加した人がいうに、「日光での撮影会の時、午前11時半に北浦和駅前に集合って、一体どんな倶楽部か? この倶楽部は何かが間違っているのではないか、と非常に面喰った」とのことである。 因みに、北浦和駅前から日光東照宮までの道のりをナビで調べたところ、高速利用で1時間48分とあるから、何ら不思議も不都合もない。至極まっとう、十分過ぎるくらいの待ち合わせ時刻ではないか。ぼくは日が傾いた頃に写真を撮っていればそれでいいんだし。 閑話休題。 今は多くの店舗が店終いし、いわゆるシャッター街と化した感のある桐ヶ丘中央商店街だが、それほど広くない中庭を歩くと、閉じられたシャッターにスプレーで、様々な絵が描かれてある。スプレーアートというんだそうだ。 人気TV番組「プレバト」の新企画として2020年に、閉じられたシャッターを利用し、そこに描かれたもので、まだ当時のものが残っている。拙話第632回に、その一部を掲載させていただいたが、説明文に記した通り、ぼくは写真的な様々な要素を勘案し、極力彩度を落としスプレー画を描写している。 が、今回は「くっきーさん」の描いたものを中心に、頭のなかで僅かながら彩度を落としたイメージを描き、夕刻のシャッター街を「丁寧に、丁寧に」とひとりごちながらシャッターを押した。 話を伺った方々の気持が、そこはかとなく伝わって来るような情景だった。 https://www.amatias.com/bbs/30/634.html カメラ:EOS-R6。レンズ : RF24-105mm F4.0L USM。 東京都北区。 ★「01東京都北区」 桐ヶ丘中央公園北エリア。公園の裏手の細い道を通っていたら、車窓からぼくの眼鏡に適った公衆トイレが。夕日が一瞬射したところを、油断なく撮る。 絞りf6.1、1/100秒、ISO 100、露出補正-1.00。 ★「02東京都北区」 上記した桐ヶ丘中央商店街のスプレーアート。 絞りf8.0、1/25秒、ISO 400、露出補正-1.33。 |
(文:亀山哲郎) |