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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2024/04/19(金)
第687回:成田山詣で(2)
 成田山新勝寺にはかつて撮影(ガイドブック)のために訪れたことがあると述べた。今回の訪問はあの時(約30数年前)以来のことで、前号では新勝寺を指し「ぼくにとってさほど魅力的ではなかった」と記したが、当時のかすかな記憶を辿ると、今回もその印象はあまり変わってはいない。ただ、この日の天候が雨だったため、写真的には以前より興をそそられた。10年後、仮にぼくがまだ生きていても、今回の新勝寺の記憶は、ボケも手伝い、失せているのではないかと思える。

 新勝寺は規模の大きな立派な仏寺なのだが、ぼくの写真的な琴線に触れるには、いまひとつ何かが不足している。雨降る広い境内に立ちながら、その理由をしきりに考えていた。
 真っ先に思いついたことは、建造物が新しいからではないかということだった。一概に、「古いものには価値がある」との短絡的な見方をぼくはしないが、少なくともファインダーを通して見た限りに於いて、新勝寺はあまり魅惑的には映らなかった。

 蛇足だが、ぼくは真言宗の開祖である弘法大師空海にどうも肌合いが悪いのだ。といっておきながら、ぼくが最も好きな仏寺のひとつである京都の東寺(教王護国寺。創建796年。多くの国宝や名宝を有する世界文化遺産。本尊は薬師如来)は、真言宗の総本山であるのだから、いい加減なものだ。きっと他に、新勝寺に惹かれぬ理由があるのだろうと思う。だがどう足掻いても、興味は 参道にある “鰻” に流れてしまう。ぼくのなかで、不遜ながら、新勝寺はどうしても鰻に太刀打ちできないでいるのだ。

 奈良・京都の神社仏閣に吸い寄せられ、そこでシャッターを切るような熱が、どうも新勝寺からは得られにくいのである。やはり、建造物の歴史的古さや多様な美しさに起因するところ大というのが、偽らざるところなのだろう。
 京都生まれのぼくが、幼少時を過ごした地に肩入れするわけでは決してないのだが、「お寺さん」の周辺の佇まいなども含めて、つまり、京都や奈良などの総体的な風情や情趣も、彼の地の由緒ある神社仏閣に、目に見えぬ影響を与えているように思う。神社仏閣だけが孤立して在るわけではないということだ。

 聞くところによると、新勝寺の参拝者は社寺としては明治神宮に次いで全国第2位であり、寺院に限れば全国第1位を誇るとのことだ。創建も940年であり、由緒も京都に引けを取らないのだが、写真屋のぼくにとって、やはり撮影の意欲が等量というわけにはいかず、ぼくのハートを掴む力がどこか弱いと感じる。

 学問的、学術的な面での詳述は、専門的知識を身に付けているわけではないので、説明できずに曖昧さが残るが、ぼくの半造語的文言に従えば、奈良や京都に限らず他所の由緒ある神社仏閣に漂う「感覚的神々しさ」とか「神秘的神々しさ」が物足りないのだろうと思う。新勝寺は、「故事来歴、曰く因縁」も遜色ないのだが、写真屋にとっては何かが物足りない。その体系的な説明がどうしてもできない。ここでもぼくは、いい加減なのだ。強引に付け足せば、「古都の空気感や雰囲気が欠如している」ということと「あまりにも実質的」と感じるからなのだろう。

 新勝寺に打ち勝つことのできた鰻の写真について述べておくと、掲載写真はまさに成田に来たその証として、取り敢えず撮ったものだ。本来であれば、手を付ける前に撮るべきところを、一口食べてから「そうだ、撮るのを忘れた」と、慌てて撮ったというほどの体たらく。食べかけの鰻重写真というところだ。 
 外食時、その記念として写真を撮っておくという習慣がぼくにはないので、つい忘れたというのが事実である。食べかけの鰻重なので、ちょっと不調法な撮影だった。「一口手を付けただけなので、まぁいいか」というところだ。ホントにぼくは、いい加減だ。
 
 店などの自然光下で料理を撮る時、最も注視することは、被写体に当たる主光線がどこから来ているかということ。コマーシャル写真での料理写真は、逆光をほど良く使い、材質のテカリやシズル感(sizzle。できたての料理がいかにもおいしそうな感じがすること。転じて、食欲や購買意欲を刺激すること。大辞林)を表現する。料理写真のライティングは如何に逆光を上手に使いこなすかにあるといってもいい。ここが通常の「物撮り」とは多少異なるところ。
 
 掲載の鰻重写真は、まったくの自然光だが、ほど良く天井のタングステン・スポットライトからの光りを利用したもの。
 仕事写真の場合、稀にライティングのできぬ条件下で撮影しなければならない時がある。そんな時は料理を窓際に持っていき、外光を逆光として利用したものだ。あるいは、外光の射さない店では、天井のライトがどこにあるかを意識し、料理を移動させたりもした。
 この逆光効果は、料理が精気を失ったり、生き生きと見えたりするから面白い。もちろんスマホでも一眼レフでも同様なので、みなさんも贅沢品や高級品を頬張る前に、ぜひ一度お試しあれ。

https://www.amatias.com/bbs/30/687.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
千葉県成田市。

★「01成田」
新勝寺三重塔(1712年創建。重文)。高さは25mで、東寺の五重塔(高さ55m。木造としては日本一。国宝)の半分ほどだが、新勝寺の三重塔は、雲水紋の彫刻が施され、垂木は一枚板でつくられた珍しいもの。極彩色に彩られているが、ぼくの趣味とはかけ離れているので、特徴を失わぬ程度に、彩度を落とした。
絞りf8.0、1/40秒、ISO 500、露出補正-1.67。
★「02成田」
上記した食いかけの鰻重。
絞りf11.0、1/30秒、ISO 3,200、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/04/12(金)
第686回:成田山詣で(1)
 今から50年ほど前、ぼくがまだ編集者だった頃、親しくお付き合いをしていた方が千葉県成田山の近くにおり、彼の家まで時々車を飛ばし遊びに行ったものだ。趣味が同じだったこともあり、そして彼は生粋の、優れた職人でもあったので、彼との意見交換はとても楽しかった。彼はぼくより数歳年上だったが、いろいろなことについてすっかり意気投合したものだ。

 当時のぼくは編集者として各方面の職人や芸術家(ぼくのなかでは、両者とも同じ位置づけなので、異論のあることは承知のうえで、一括りに「職人」とする)と親交があったが、彼らに一種特有の憧れと畏怖の念を抱いていた。
 まだ20代のぼくは、いずれ優れた職人になりたいとの淡い夢を見ていたが、ぼくの膝元には本物の職人がたくさんおり、彼らの精神と生活態度、そしてその一挙手一投足をつぶさに観察するに、やはりそれは到底適わぬこととして、物深くも、遠回しにそっと眺めるのが精一杯といったところだった。

 時が経ち、ぼくは写真で飯を食おうと、出版社をあっけらかんと辞め、それが起因で離婚騒動にも発展したが、美術工芸品の撮影では、知る人ぞ知るという師匠の元に弟子入りし、写真やプロとしての心得を学ぶことになった。
 日本で一番歳を食ったアシスタントと揶揄されながらも、厳しい徒弟制度を2年間体験した後、どうにか写真屋もどきになった。今以て、 “もどき” である。
 納税申告書の職業欄は、税務署職員の指示に従い「写真家」となっているが、職業欄を見るたびに、顔がポーッと火照る。「写真家」と書き込む時、手が震えるくらいだ。ぼくは精神が健康・健全なので、そんな自分を指し「おまえは、そんな代物かよ」と、都度発しなければ気が収まらない。これは自虐や謙遜などから発するのではなく、本心からそう思っている。写真だけで食っていけるのだから、ぼくは、 “もどき” で満足である。

 修行中は、友人との交歓の余裕などあるはずもなく、必然的に往来がなくなり、疎遠になってしまった人も多くいるが、元々ぼくは群れることを嫌い、ひとりを好むので、まったく苦にはならず、それでよかった。「急いては事を仕損じる」というが、「群れては事を仕損じる」がぼくの行動指針である。
 人生の師は必要不可欠だが、友人は可能な限り少ないほうが良いというのが、青年期からのぼくの確たる持論である。極論すれば、この歳になって友人は要らないとさえぼくは思っている。近くにいる人たちを大切にすれば、それで良いのだ。

 先週の3日、心地良い雨音(どしゃ降り)で正午少し前に目が覚めた。掲載写真のネタが心許なかったので、ぼくは撮影の候補地をあれこれ探ってみた。どこへ行けば撮影のテンションが上がるかは、現地に行ってみないと何とも判断しかねるが、35年ほど前に撮影で訪れた成田山に決めた。
 だが、そこがどんな様子だったか、ほとんど記憶にない。撮影の記憶が乏しいということは、ぼくにとってさほど魅力的ではなかったということだろうが、実は参道の名物である鰻に惹かれ(地元である浦和も同様に鰻が旨い)、横恋慕をしてみるかと思い立った。
 ただ、疎遠となっていた同好の士である友人に会うつもりはなかった。撮影との両刀遣いは写真を無体にしてしまう。ぼくはそれほど器用ではないしね。

 激しく降る雨のなか、市営駐車場に車を置き、カメラバッグの上から雨合羽(現代では、古式ゆかしい「雨合羽」はあまり使われず、どうやら「レインコート」というらしい)を羽織り、カメラを懐に抱いて、何はともあれ鰻を焼くあの魅惑的な香りに吸い寄せられるように、評判の店に入った。ウィークデイで、しかもこんな雨降りながら、入店客はかなり多く、満席ではないが、繁盛そのものだった。

 出されたうな重に唾液がジュワーッと染み出し、お吸い物を一口味わってから、箸で鰻を切り、同時に適量の飯(ぼくはいつもこの量に悩む)を一緒に放り込んだ。久しぶりの鰻とあって、脳天に「至福」の二文字がツーンと突き刺さる。この一瞬のために、雨をものともせず車を走らせたのである。いや違う、撮影のためだった。

 浦和に、ぼくの気に入っている鰻屋が2店あるのだが、「食べ物の比較論評はしてはいけない。それは、はしたなくも無作法だから」というのが、ぼくの昔からの考えだ。したがって、浦和か成田かは述べない。
 酒も、料理も、出されたものはありがたく、しかも美味しくいただくのが、本物の通人であり、それが正しい行儀作法だと、一流どころ(シニアソムリエや利き酒の名人など)から無言で教えられた。ぼくも、行儀作法というものは知性そのものだと感じている。
 彼らは決して品物を前に、能書きなど垂れないということを、過去何度も体験している。二流どころほど、したり顔で蘊蓄(うんちく)を傾けたがり、理解の乏しい知識をひけらかすものだ。

 写真もまったく同じことだ。お〜っ、こわっ!

https://www.amatias.com/bbs/30/686.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
千葉県成田市。

★「01成田」
新勝寺仁王門(1831年創建。重文)。人気のほとんど絶えた日没直後。どしゃ降りのなか、3番目の石灯籠にピントを合わす。フルサイズカメラなら、f11.0でパンフォーカスとなる。レンズ焦点距離は50mmちょうど。
絞りf11.0、1/40秒、ISO 3,200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2024/04/05(金)
第685回:掲載写真について
 遠隔地の友人から博多弁で、「もっと写真を掲載して欲しか。以前は3点以上の時もあったとに、今は、なして2点に減ってしまったと? 出し惜しみばしたらいけんばい」と、あたかもぼくが省エネ兼手抜きに走ったかのような文面で訴えてきた。 
 何食わぬ表情(文面)を装った博多女性は、ぼくより50歳も年下である。彼女の命令調九州言葉はぼくを少しばかり震撼させたが、しかし方言特有の、どこか愛嬌と可愛げのある博多弁に、ぼくはいつも上手いことたぶらかされている。これからどんどんボケるぼくには、危ういことである。
 文面が標準語であれば、どんな印象を受けるのだろうか。ぼくはひどく叱られ、鞭打たれたような気持になって、不条理極まりない反省をし、そして意気消沈してしまうような気がする。それほど標準語は、ぼくにとって冷たく、ぶっきらぼうで、しかも味けのないものだ。

 余談だが、彼女がネイティブである博多弁を使ってメールをするのはぼくだけだそうだから、その点女性というものはそつがなく、手の込んだことを素知らぬ顔をしてやって退(の)ける。ぼくはこの博多弁使いの達人にほとほと感心する。標準語でいいにくいことでも、方言であれば遙か年上の人間にもちゃらっといえてしまうことを、彼女はきっと十代の頃には、本能的に身に付けていたのであろう。男はその伝、真のあほやけん、そうはいかんと。

 加え、ジジィは九州の血が半分入っていることを知っての仕業なのである。女性というものは誠に抜け目がない。歳の差50など物の数ではないということだ。ホントに大したものだ。その様、まさに百鬼夜行といったら、叱られるだろうか?
 とはいえ、ぼくは子供の頃から、九州言葉(佐賀・博多弁)で会話をしてくれた父に、方言ならではの豊かで細やかなニュアンスを自然に教えられ、その言葉遣いに心が和み、癒され、今更ながらに感謝している。

 ぼくは今、彼女の指摘についていろいろな思いと考えに囚われているのだが、自身のことにはあまり深入りしないことにする。しかし、文章でも、写真でも、あるいは人間でも、「差し障りのない」ものは、往々に面白味がなく、深みもない。味がないので感動を生まないのである。それをして、「毒にも薬にもならぬ」という。

 写真に喩えていうなれば、「毒にも薬にもならぬ」ようなものは、作者にとって必然性のない写真ということになる。写真の、特筆すべき重要な役割のひとつに「記録」がある。世の中の写真の99%以上がそれに属すとぼくは思っているのだが、残りの1%以下を「上手くやってのける」のは、凡人であるぼくには難しく、なかなか覚束ない。
 1%以下のものとは、ぼくが時折使う「自己表現のための写真」のことである。つまり、「あなたしか撮れない写真」という意味であり、それが写真を愛好する人たちの最も望むものなのではないかと考えている。

 写真を媒体とし、自身の考えや感じ方、人生に於ける立ち位置や役割、悲喜こもごもの記憶を1枚の印画紙(あるいはモニターなどの映像画面)に表現する行為は、醍醐味そのものであるのだが、しかしそれが思うようにできぬが故に悩みともなる。思い描くようには行かぬものだからこそ、希望を捨てることなく、いつまでも挑み続けるのだろう。

 本稿にて、長い間写真を2枚ずつ掲載させていただいたが、何とか及第点(60点)を得るのは至難の業といってよく、これからは1枚掲載ということもあり得るので、どうかご理解をいただければと思っている。さぼる訳ではなく、楽をするのでもなく、及第点のやれないものを掲載することは、やはりぼくだって良心が痛むのだ。だが、掲載写真がまったく「無し」というのも、写真屋としてやるせない。
 自身への責務として、作品の良し悪しに関わらず、自分を晒さなければと考えている。したがって、とんでもない駄作を掲載せざるを得ず、大いに恥を晒せばいいと考えている。

 週に2枚も及第点のやれる写真など、実はそうそう撮れるものではないと、ぼくは信心に似たものを持っている。年に1万枚撮るとして、許せるものは精々2、3枚が関の山というのが、ぼくの偽らざる気持ちだ。いや、それどころか、2,3年に1枚くらい撮れれば御の字だとさえ思っている。  
 昔撮ったもので、得心したものを今見ると、「どうしてこんなものを後生大事に抱えていたのだろうか」ということがある。そして、ここが肝要なのだが、「昔、まったく感心しなかったものが、今見ると案外いける」といいたいところだが、ぼくの場合は決してそのようなことは起こり得ないことを涙ながらに告白しておく。世の中、そんな甘いものではないのだ。駄目なものは、今も昔も、あくまで駄目なのだ。

 時を経て、自身の審美眼やら慧眼が進化する場合もあるだろうが、非常に残念ながらぼくに限ってそのような現象は今のところ起こっていない。変化することはあるかも知れないが、進化はどうやら期待できそうにない。わしゃ、ほんに、のさんとよ。

https://www.amatias.com/bbs/30/685.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県足利市。

★「01足利」
鑁阿寺(ばんなじ)の太鼓橋から堀の鯉を。錦鯉に混じって1匹だけ黒一色の鯉。差別をされる風もなく、人間よりずっと上等である。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 400、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2024/03/29(金)
第684回:年度末のあれこれ
 人事異動の季節となり、ぼくは異動する人々への奉仕を次から次へと否応なく仰せつかる。と、こんなけったいな(関西言葉。妙ちくりんな、の意)日本語遣いをせずとも、早い話が「人事異動の前に、もう一度ジジィをこき使っておこう」という彼らの魂胆が透けて見える。ぼくにとって、痛し痒しといったところだ。
 ものの分かった風な顔をしたがる友人たちは、「その歳になって頼まれごとをされるなんて良いことじゃない」とか「忙しいなんて羨ましいよ」とか「ボケなくていいじゃない」などと判を押したような定型文を臆面もなく羅列しながら、したり顔で宣う。それこそ大きなお世話というもので、人の身にもなっていただきたい。「ボケの危うさはそっちのほうだろう」と悪態をついてみたくもなる。

 仕事の依頼人(クライアント)を擁護する気持はないが、ただひとつ確かなことは、何故か忙しい時にはいろいろなことが計ったように重なり、それらがひとかたまりとなり、まるで雪崩のように弱った体目がけて襲ってくる。ぼくは危機を素早く感じ取り、ハッと我に返る。
 わざわざこの忙しい時にタイミングを見計らって彼らは、申し合わせたかのように揉み手をしながらやって来る。気の良いぼくは断ることをしないから、いつも窮地に追いやられる。今ぼくは雪に埋もれてにっちもさっちも行かず、苦悶のなかで喘いでいる。

 若ければそこから這い出る体力も精神力もあるのだが、今若い頃の活力を憂愁を帯びた面持ちで懐かしんでいる。だが一方、嘆きばかりでなく、子供が親に何某かの仕返しをしようと駄々をこねる、あの心地良さに酷似したものを感じる。それは、かまってもらうことに飢えた幼児特有の行為らしいのだが、ぼくは70年ぶりにそんなおかしくも複雑な気分を味わっている。
 だが、現実はそんな甘酸っぱい思いに耽っているほど甘くはなく、ぼくはもう自棄のやんぱちで、どうにでもなれと開き直るのが精一杯。ただどんな場合でも、言い訳だけは決してしたくないので、いつどのようなタイミングで平身低頭し謝るかに無い知恵を絞っている。

 「猫の手も借りたい」との現象は老若男女に平等に訪れる。目下、ぼくは久方ぶりに年不相応の激務をこなしつつあるのだが、声を潜めていうならば、実は先述の如くちょっと楽しいのである。
 心身ともに衰えを自覚し始めたところなので、その流れに逆らって櫓を漕ぐのもまた楽しからずやといったところだ。

 観念しているといきなり亡父の口癖が頭のなかで響いた。「そげんこつな、どげんかなるもんしゃ。死ぬわけではあらんめえし、と高ば(高を)括るとが一番。それにな、人生は取り敢えずや」なのだそうである。
 ぼくは、特に「人生は取り敢えず」という含蓄に富む父の格言に若い頃から従おうとしてきた。解釈はその人次第だが、この言葉に救われたこと多々ありといったところだ。

 クライアントに、「歳を取るとね、何故か意志に反して上手いこと事を運べなくなるものだ。迷惑をかけてしまい、ごめんね」と伏し目がちに、哀感のこもった調子で反省の弁を述べると、すべてが許されてしまうのだから、やはり愉快だ。もっと若い頃にこの術を身に付けておけばよかったと思うのだが、歳を取ったからこその技だということに気がつかないでいるから、ぼくはおめでたい。歳を取ると、いろいろおめでたくなるので、ものの道理として生きやすくもなるのだ。

 今月のある日、拙稿の担当氏から「来年度の契約書をお送りしますので、判を押して送り返してください」と、有無をいわせぬ調子で、電話があった。「つべこべいわずに連載を継続せい」とのお達しである。この連載を始めたのは2010年5月のことで、14年目に突入ということになる。なんたること。ぼくはこうなることを想像だにしていなかった。

 プロフィールにもあるように、商工会議所とのお付き合いは、会報誌の表紙写真を2003年から7年間担当させていただいたことから始まり、こんにちまで21年もの長きにわたってということになる。浮き世のしがらみのようなものなのだが、その間、この連載に於いて写真好きの人たちにどのような貢献を果たしてきたのかを顧みると、身震いする。いつも写真のことは放りっぱなしで、自分のことばかりを書き連ね、お茶を濁しているので、呆れるばかり。

 「写真にまつわることや基本的なことを簡単でいいので、書きませんか?」の結果がこんなことになるとは考えもみなかった。当初の1年ほどは、写真の基礎的なことについてかなり真面目に記したが、それ以上のことは書物やネットで探ればよいことであり、ぼくが敢えて書く必要もなかったのだが、しかし任を解かれずにいたので、その後は自由気ままの勝手三昧となり、その暴走をこんにちまで許していただいている。

 来年度となる次回から、少しは心を入れ替えることができるかどうか怪しい。鋭意努力をするつもりだが、この期に及んで約束などしてはいけない。
 嗚呼、今回も写真のことなどにまったく触れることなくやり過ごしてしまった。良心の呵責に苛まれ、今宵も眠れそうにない。

https://www.amatias.com/bbs/30/684.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県足利市。

★「01足利」
鑁阿寺(ばんなじ。創建1196年。本堂は国宝)の境内に置かれた石仏。高校生の時、父に「庚申」の意味について詳しく教えられたが、今思い返すと朧気だ。
絞りf6.3、1/100秒、ISO 100、露出補正-0.33。
★「02足利」
廃屋となった建物の壁に設えられたギリシャ彫刻風レリーフ。材質は白の石膏状であるが、石膏ではなさそう。過去に何度か撮っているが、やっと思い描いたイメージに少しだけ近づくことができたかな、と疑問符付き。このような被写体はどう切り取るかだけが問題のように感じるが、その切り取りがなかなか思い通りにいかない。
絞りf7.1、1/50秒、ISO 200、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2024/03/22(金)
第683回:「写真的雑談」を必要以上に
 いわゆる名所旧跡というものは、自身の知識を深めたり、古(いにしえ)に思いを馳せたり、あるいは単に興味本位だったりする場合がほとんどなのだろう。ぼくもご多分に漏れず、人並みの興味を示すが、ただぼくの浅ましいところはまともな方々と異なり、その場所が、自身にとってフォトジェニックな佇まいでなければならないことに尽きる。では何が「フォトジェニックな佇まいか?」との問題を論じると大変なことになるので、今回はおとぼけを演じ、そこには触れず、しれっと通り過ぎることにする。

 一般的にいわれる「フォトジェニック」について、ぼくは確たる答を持っているわけではないが、それについては百人百様でそれぞれに異なるであろうし、また趣向の違いということもあろう。あるいは、人生観によっても大きく異なってくるものだ。つまり、何が撮りたく、またどのような被写体が自己表現に適しているかは、人それぞれであるということだ。
 思い描くものによって、意味が異なってくるので、日本で一般的に使われる「フォトジェニック」とはどのようなものかについて容易に述べることはできない。

 たとえば、ぼくは風光明媚な風景というだけでは、非常につれない態度を示す。よほど感じ入るものがない限り、ぼくは風景写真を撮らないし、また写真的な興味を呼び覚ますこともない。
 誰もがスマホで歓び勇んで撮るようなものに(それが悪いという意味ではない)、ぼくはほとんど興味を示さないということだ。まぁ、ひねくれ者だということもあるのだが、もっと大きな理由は撮影の必然性がぼくにないと感じるからだろう。つまり、それはぼくにとって面白味に著しく欠ける被写体ということになる。

 ぼくがよく喩えに使う具体的な言句として、「紅葉の見事な青空の下、上高地で、定番のような写真をいくら上手に撮っても、それは記録写真か記念写真の類であり、そしてそのようなものは世にごまんとあり、 “あなたの写真” としての評価に値しない。写真の通過点としての一時期、一現象であって然るべきものではあるが、そこから早く脱皮して、次の段階を目指して欲しい。たとえ万全でなくても、あなたの作品として撮る意義を感じさせるものを、ぼくは上位に位置づけするし、それを評価する」と、思うところを正直にいったりもする。「きれいな写真ですねぇ」などと感心している場合じゃないのだ。

 もちろんぼくだって、自然の美しさや偉大さに敬服したり感応する能力は人並みに持っている。だが、「誰が撮っても似たり寄ったり」となりそうなものに(同じ写真はこの世に2枚とないことを考えれば、必ずしもそうなるかは疑問の余地があるのだが)、敢えてレンズを向けたり、シャッターを切ることにどうしても躊躇してしまう。自己を主張する何かが発見できないと撮る気が起こらないのだ。

 時には次のようなこともある。他人の写真を拝見した時に、「このようにありふれた被写体を、あなた流にイメージし、上手にアレンジしましたね。そして心血を注いで撮りました。見事な出来映えです」と感服することがある。
 「あなたしか撮れない写真」をぼくは殊のほか高く評価するし、そうあって欲しいと願うばかり。ぼく自身もそれを写真の本旨としている。

 同じ場所を他人が撮って、感心することは「よくこんな被写体を見つけたね。ぼくは気がつかなかったし、もし気づいても上手く撮れなかったに違いない」と撮影に同行した人に打ち明けることがしばしばある。これが、ぼくの気の進まぬ、いわゆる「撮影会」というものの “唯一の値打ち” と考えている。
 同じ場所に居て、発見できなかった自身を恥じるということはとても良いことであり、そして大切な精神的効果を得ることができる。

 他の写真倶楽部の実情は知らないが、ぼくは昔から撮影会という集団行動がどうしても性に合わず、積極的にそれを催さなかった。メンバーから要望があれば、人任せという塩梅だ。デジタル時代になってからは、写真はシャッターを押せば誰でもが一応は撮れるので、現場での指導も自分のほうからはいい出さない。
 加え、現場で指導者もどきを演じるのは、ぼくの生活信条から大きく離背しており、そんな振る舞いは傍目からしてとても小っ恥ずかしく、到底できるものではない。自分で「どの面下げて、したり顔で」と悪態をつくに決まっている。「写真はひとりで撮るもの」が、本来あるべき姿であり、それこそが本寸法と考えている。

 同行者が、難問に突き当たれば、もちろんそれらしきことを指導者もどきとして、人目を気にしながらも丁寧にお伝えするが、我が倶楽部の面々は元々自尊心が必要以上に強く、干渉されることを必要以上に嫌い、唯我独尊の気質が必要以上に満ち、おっさん(ぼくのこと)などに借りをつくってたまるかとの気概が必要以上に溢れているのである。
 今回掲載する栃木足利市での撮影について認(したた)めるつもりでいたのだが、蓋を開ければこのありさま。ぼくの成り行き任せもどうやら必要以上である。

https://www.amatias.com/bbs/30/683.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県足利市。

★「01足利」
かつて撮影会に同行した人によると、ぼくの足利市訪問は6年前とのことだ。以前お気に入りだった映画館や通りなどの様変わりに、一喜一憂したが、やはり「憂」のほうが多いかな。ショーウィンドウの向こう側に色違いのガラスコップが3個置かれ、柔らかな質感と雰囲気に思わずシャッターを切る。
絞りf8.0、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.33。
★「02足利」
野外のベニヤ板にピン留めされたこの丈夫なポスターは6年以上前のもので、埃が積み重なり、顔を酷く汚していたが、美人ぶりは変わらずだった。以前に訪問した時は、この被写体の面白さに気づかず、撮っていない。
絞りf11.0、1/400秒、ISO 100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2024/03/15(金)
第682回:学びは失敗から
 大それた標題を掲げてしまったが、それは昔から世でいわれる「失敗は成功のもと」と同じような意味合いと捉えてもらっていい。誰もが幾度か耳にした覚えのある諺であろう。
 失敗は、残念ながらどのような人たちにも生きている限り常に平等にやってくる。いってみれば逃れようがない宿痾のようなものだ。この事実は、だがしかし、こと写真に関する限り、ぼくにとって命のやり取りでもある切実な問題となる。写真を生業としてしまったのだから、それも已(や)む無しといったところだ。

 だが、拙稿を読まれる読者諸兄の大方は、写真を趣味として、まず楽しむことに主眼を置いておられるであろうと推察しているのだが、趣味とはいえ、やはり満足や歓びの得られる作品を如何にして体験できるかを、特に熱心な方は藁をも掴むような気持で !? 臨んでおられるのだろうと勝手ながらに想像している。時には、生き甲斐としておられる方もいよう。写真に、プロもアマもないのだが、楽しむことはアマチュアの特権であり、それを放棄せざるを得ないのがプロであると、ぼくは大雑把ながらにそう考えている。
 そんな含みを持って、ぼくは身分不相応をよくよく知りながら、写真倶楽部を主宰し(事始めは強要されたものだが)、指導者もどきを演じている。もしぼくがアマチュアであれば、指導者もどきとはいえ、とても引き受けることなどできなかっただろうし、実際にしていない。とてもそんな勇気は持ち合わせていない。

 写真好きの方々の作品を毎月の勉強会で、あるいは年一度の大がかりな作品展の選考委員をさせていただいているので、多くの作品を拝見する機会に恵まれている。時には、見ず知らずの方からの要望もある。
 プロとはいえ、アマチュアの方々の作品から学ぶこと多々ありというのが正直なところであり、また気づきを与えられることもある。自分とは異なる人生を歩んできた人たちの作品から受ける刺激も、ぼくの貴重な財産となり得ている。

 月一度の我が倶楽部の勉強会でも、ぼくは様々な試みをしてくる生徒たちの作品から非常に良い刺激を受けたり、考えさせられることが多い。身分不相応といいながらも、倶楽部を主宰してよかったと実感している。
 幾ばくかの授業料をいただきながら、ぼくは落語の名演目のひとつ『三方一両損』(さんぽういちりょうぞん)ならぬその逆である御利益をちゃっかりいただいているのだ。つまり授業料をいただきながら、貴重なものを得ているのである。この倶楽部が21年間も生き存(ながら)えたのは、どうやらぼくの通暁なる? 良からぬ料簡からかも知れない。

 「1を相手に教える、もしくは伝えるには、こちらが10を知っていなければならない」のがぼくの持論なのだが、したがって怠慢・横着が服を着て歩いているようなぼくでさえ、彼らに隠れてしめやかに勉強をしなければならず、また普段から偉っそうなことばかり唱えている手前、それ相応の作品を提示しなければならない。これが最も辛いところだ。
 何故なら、勉強というものはちゃんとすればあるところまでは達することができるが、だからといって作品もそれに追随して成せるわけではない。そう上手くは問屋が卸してくれないので、そこが猛烈に辛いところなのだ。
 しかし、そのお陰で、ぼくは得るものを得ているわけで、『三方一両損』ならぬ『三方一両得』を体感していると、殊勝ながらも感謝の気持ちを持って、お陰様、21年をどうにかやり過ごしてきた。

 今月の勉強会で、生徒のひとり(以下Aさん)が蓮の枯れた花托に群がる蜂の写真を何枚か持って来た。Aさんは写真に取り組み始めてまだ日が浅いのだが、とても良い感覚と目的意識を持っている。まだ技術が伴わないのは仕方のないことなので、ぼくはそれには頓着せず、技術論の言及を避けた。
 後日、それらの写真についてAさんばかりでなく全員宛のメールにて、何故思い通りに写せなかったのかについて、あれこれと注意点を述べた。そして、烏滸がましいと思いつつ、参考として過去にぼくの撮った蓮の花托の写真を2点添付した。

 注意点のほかに、ぼくは以下のようなことを同メールで述べた。それを要約すると、当たり前のことなのだが、上達のためには根気よく場数を踏まなければならないと。同じことを何度も飽くことなく繰り返せということだ。それなくして、欠陥の発見もなければ、修正の方策も見つからない。つまり、経験値の大切さについて、ぼくはメールでも同じように “偉っそう” に書き連ねたのだった。「急がば回れ」と、古人の教えに学ぶのが最良の方法だと信じている。

 ぼくは商売人なので、場数(経験)の多さだけは他に引けを取らないのだが、当然それに比例して失敗も多い。Aさんに「あなたに限らず、どんなベテランでも同じ過ちを犯すものだが、それを少しずつ克服していかないと前進・上達はままならないものだ」とつけ加えた。

 おそらくは、成功より失敗のほうが、より学びが多いものだとぼくは思っている。成功は今までの積み重ねで得るものだが、失敗はより能動的な精神の活動がなければ、失うものが多い。きっと、成功より失敗のほうが得るもの大だとするほうが、より建設的な思考である。失敗は、失意を助長する場合があるが、それは本人の気持ち次第ではないだろうか。齢76にして、先はまったく見通せず、暗闇での手探りが、やがてカメラを持てず、歩けずの状態になるまで続くのだろう。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mmF2.8L Macro IS USM。RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木」
以前にも同じ被写体を掲載した記憶がある。柄にもなく少しばかり反省した部分もあり、「今度こそ」との意気込みだったのだが・・・。曇天の日暮れ間近に。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 5000、露出補正-0.33。
★「02栃木」
10年以上も前に閉店した中華料理店の食品サンプル。埃だらけのガラス越しに、青カビの発生した餃子が見え、ラーメンは傾いてしまっている。このなにか侘しい佇まいは何度訪れても、思わずレンズを向け、どう切り取れば良いかに、今回も懲りずに苦心惨憺。
絞りf9.0、1/125秒、ISO 1600、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2024/03/08(金)
第681回:写真解説
 掲載写真についての撮影データをはじめ、必要最小限のことを記してきたつもりだが、読者諸兄から、撮影時に於けるイメージ構築やそこで感じたことについてもう少し詳しく述べて欲しいとのご要望をしばしばいただいていた。かなり丈の高い質問である。
 つまり、掲載写真についての、ぼくの2,3行の記述では、「簡単に過ぎる」ということらしい。「出し惜しみをしないで、もう少し開示しろ」とのことなのだろうが、それはぼくにとって恐れ多くも、大変ありがたいことと思っている。

 お応えすることはまったくやぶさかではないのだが、一方で自身の写真についてのあれやこれやを書き連ねることに少しばかりの抵抗感がぼくにはいつも付きまとっている。作者が自身の作品について、必要以上のことを語るのは、野暮天と不粋、そして無礼の極みであると、ぼくは若い頃からそう思ってきた。自由な気持で作品に接したい時、それはまったくの「大きなお世話」というものだ。
 故にぼくはそれを憚ってきたのだが、その振る舞いは、「控え目」だとか「横着」だとか、ぼくの相反する性格によるものではないし、ましてや「出し惜しみ」からでもない。
 物分かりの良いか悪いか分からぬややこしい(語源は京言葉。物事がこんがらがって厄介なこと)友人にいわせると、「何事についても、取り敢えずはいわずにいられない君の性格からして、出し惜しみなどするはずがない」のだそうで、ややこしい友人もたまには正しいことをいう。

 ぼくが述べずにいるのは、書き出したら少なくとも4〜5回の連載となってしまうことは火を見るより明らかだからだ。しかも読み手に理解を求めるにはぼくの筆力では難しく、しかも内容的に面白くなく、そしてさほど興味深い事柄でもないと思われるので、ぼくは敢えてそれを避けてきた。
 労力の割に、つまらないということだ。この歳になってエネルギーの節約を考慮せずにはおれず、「割に合わない」ことは可能な限り避けるのが賢明であると決めてかかっている。「労多くして功少なし」というわけだ。

 既述の如く、多くを述べないのは出し惜しみなどではなく、昨今の写真界で、最早当たり前のようになってしまった悪習について酷い嫌悪感を持っているからだ。ぼくの説明や解説が、そこに僅かながら抵触しているかも知れないと思うとどうしても筆が進まない。

 その悪習とは、作品に「題名」を付けるという行為は一種の極めて姑息な印象操作であり、誘導でもある。「題名」なんてものは、99%が後付けであり、後出しジャンケンそのものではないか! そこまでして、自身の作品に共感を呼び起こしたいのだろうか? 作品を観る側にとって「題名」は、本当に「大きなお世話」なのである。
 しかし、こんな薄気味悪くも小っ恥ずかしいことを、しかも後味の悪いことを大の大人が何の問題意識もなく敢行する(もしくは強要する)ものだと、呆れてしまう。したがって、ぼくの掲載写真の説明は、それらとは一線を画したものでなくてはならないし、第一に読者のみなさんに礼を逸するものだ。もちろん、ぼくは自身の作品に「題名」など付けたことはないが、必要最小限の情報は、本稿の性質上、あって然るべきだと思っている。第一、それは「題名」の類ではない。

 或る規模の大きな写真展の当落の基準に、「題名」も加味されると審査員がいうのだから、その劣悪粗悪な気運に開いた口が塞がらない。とんでもない頓珍漢をやらかして、安穏としている審査員の多くをぼくはよく知っている。
 以前に本稿にてぼくは何故写真に「題名」を付けないのかについて持論を展開したことがある。その考えは今も変わらずにいるので、ここで改めて長々と記すことはしない。

 今回の掲載写真「01栃木」は、今や全国区になりつつある銭湯だ。プロ・アマを問わず、かなり多くの方が撮っている。栃木市の歌麿通りにある創業明治22年(1889年)の銭湯「玉川の湯」(別名金魚湯)で、一年前に訪れた時は、内部を案内してもらい、写真も撮らせていただいた。そんなわけで、金魚湯は馴染み深く、もう何十回もこの前を行ったり来たりしている。

 写真は、この銭湯のシンボルマークである金魚。入口の両袖に掲げられた2枚のうちの1枚で、向かって右側のもの。青のアクリル板に金魚が可愛く描かれている。今まで何度か撮ったが、今回やっと “ぼくの金魚” が撮れたような気がする。今まで失敗した主な原因は、やはりイメージが貧困だったからだ。アクリル板の写り込みや全体の色合い、そしてコントラストがどうしても思うに任せなかった。そして、今回やっと水中にいる金魚が、立体感と透明感を持って動感豊かに描けたような気がする。ほんの些細なことなのだが、写真とは何とデリケートなものなのかと、今更ながらにぼくは深く感じ入っている。
 と、このくらい正直なところを書けば、ぼくに注文をされた読者諸兄は納得されるだろうか。撮影は瞬時のことなので、これ以上書けば、どこかに作り事が混じってしまう恐れありというところだ。それでは、「題名」と同じ罪を犯すことになりそうだ。

 「02栃木」の八手(やつで)写真。ぼくは八手を見ると、ついレンズを向けてしまう。つまり、ぼくの習性でもあり、それほど好きなのだ。したがって、八手の写真はたくさんあるが、どれも良い出来!? だと自画自賛しておく。実が線香花火のように面白く、どんな八手でも何故か葉が艶やかで埃が積もっていないのが不思議でならない。埃自動払拭装置という変なものがこの植物には備わっているに違いない。
 この八手も、自動車の往来の多い通りの脇道に生えていたものだ。艶やかな葉と可愛らしい実。光(光質と方向性)のバランス(コントラスト)などが相まって、「モノクロ写真、1枚出来上がり。1発で決めろよ!」と呟き、1カットだけいただいた。「嗚呼、また性懲りもなく撮っちまったよ!」。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。RF100mmF2.8L Macro IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木」
絞りf5.0、1/100秒、ISO 500、露出補正-0.67。
★「02栃木」
絞りf9.0、1/60秒、ISO 1600、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2024/03/01(金)
第680回:写真のための自己回顧
 ぼくは自認するところ、決して社交的な人間ではなく、むしろその反対であり、えらく人見知りをする。だが、恥ずかしがり屋というわけではない。そのような性格なので、できるだけ、人とは会いたくない。自分ひとりで遊ぶのが好きなのだ。
 ぼくはこれでも気を遣うほうなので、したがって、知らない人の前では、まったくの借りてきた猫状態。だが、それでは人並みの人間生活を送るには困ることがしばしばある。なかなか上手く行かないものだ。

 ぼくをよく知るほんの一部の友人を除き、他の人々は本心より、「かめやまは、人付き合いが良く、穏やかで物腰が柔らかく、いつもニコニコと愛想が良い。そして、物分かりが良い」と、ぼくの好きでない宮澤賢治の詩のように、良いことずくめのようにいう。彼らは、ぼくがその振りをしているだけということを見抜けないでいるのだ。これを人迷惑な錯覚といい、ぼくの素振りは、世を忍ぶ仮の姿に他ならない。しかしよくもまぁ、これだけ人を騙せるものだと自ら感心さえする。否、騙しているのではなく、相手が勝手にそう決めつけているだけなので、ぼくに一切の落ち度はないし、良心の呵責もない。

 だが、古くからの友人たちは少数ではあるが、ぼくの正体を知っている。では何故そのような誤解を招くのかといえば、ぼくを少しは知っていると横着にも宣う彼らは、「 “一見” 当たりが柔らかく、 “一見” 優しそうで、しかも “一見” 丁寧な応対をするから、君を知らない人は10人中9人までがそれに引きずられ、騙される」のだとか。「騙される」とは恐れ入るが、兎にも角にも「一見」がついて回る。
 だが、ぼく自身は、多くの人に好かれたり、親愛感を持たれるより、「一見そのように見えるのだが、実はそうではない」というほうが遙かに好ましいし、生き易いと考えている。ぼくにとって、自分を偽る必要がないからだ。

 もしぼくが少しでも如才なく振る舞っていると勘違いしている人たちがいるとすれば、ぼくの振る舞いは虚飾に満ちたものであり、とどのつまりトンデモペテン師であり、荒唐無稽も甚だしい奴だ。そこには、ぼくに対する理解に誤謬を生じさせ、 “誤解” と “錯覚” によりぼくは大きな悲劇と悲哀、加え喜劇が何の目的もなく背負わされていることになる。
 ぼくは俗にいう口八丁手八丁の、誰からもよく見られたいと愛想良く振る舞う「八方美人」を「芸者や幇間じゃあるまいし」と酷く嫌う。その様かなり極端で、頑なな「一方美人」なのだ。こと好き嫌いに関する限り、ぼくはまったくの融通無碍を押し通している。きっと、ぼくの写真もそれに倣っているが、巷に跋扈するいわゆる「写真芸者」だけにはなりたくない。
 もしかしたら現在も、他人への配慮は必要だが、身を守るための方便として、他に良い方法が見つけられないでいるように思えてならない。

 幼児期のある物事をきっかけに、端的な人見知りと恐怖心が身につき、馴染みのある人間としか頑愚にも口を利かなくなった。幼心ながらもそれは、猜疑心などという心理的で、かつ複雑なものでなく、もっと本能的なものであり、その中心核は不信感と恐怖心から来たものだった。
 初対面の人には、大人であっても同輩であっても余程心を許さない限り、決して口を開こうとはしなかった。相手に対する好き嫌いがすべてを支配していたといっても過言ではない。婉曲にいえば我が儘ということになるのだろうが、現時点ではそれを否定しておく。

 子供にとって、物事の好き嫌いは、生活の基本軸となり得るものである。若ければ若いほど、人は嫌いなものを拒否し、また撥ね付けるという挙に出るものだ。それで良いと思っている。
 歳を取り、百歩譲って、黙して相槌を打つのが精一杯と思うようになってきた。自分の意志を伝えるにはこれしか手の打ちようがないのである。

 小学校4年時の、担任の先生の指導よろしく、ぼくは活発で十人並み以上の悪ガキに成長していったが、やがて大人になり、そして社会人に至って、かつての忌まわしい症状がぶり返し(病気だとする見方は誤りであり、それがぼくの稟質ともいうべきものなのだろう)、集団での人付き合いが徐々に苦手となっていった。社会人となった自身の周りにいる人間たちへの不信感が時とともに増幅の一途を辿った。
 誰とでも「そつなく、可もなく不可もなく、付き合う」ことに大変な労苦と抵抗感を覚えるようになった。「そんな器用なことなどできるものか。第一、どんな必要性があるのだ」とのストレスたるや、生半可なものではなかった。
 余談だが、ぼくの二度にわたるがん発症(胃がんと大腸がん)は、国立がん研究センターの、長時間に及ぶ先生の聞き取り調査によると、主たる原因は「ストレス」であろうとのことだった。「普段の不摂生や不養生」とか「不料簡の成せる業」といわれないだけ、まだ救いがあった。

 写真屋になってからは、ますますその気配を強め、顕著なものとなっていった。フリーランスの人間が、これでは困るなぁといつも思っていたが、容易に軌道修正ができるものではなかった。そんな自分をよく知っているので、できる限り相手に不快感だけは与えないようにと努めてきた。
 だがしかし、編集者時代は会社の一員だったが、写真屋は独りぼっちなので、誰の目を憚ることなく、そして約束事を遵守し、誠実に仕事をすれば、下手でもなんとかやって行けそうだとの目論見は当たっていた。長い間の写真生活で、ポートフォリオ(作品集)を持って、営業に走り回ることを一度もせずに済んだことは、ぼくの心得がそう間違ってはいなかったからだろうと、今になって思っている。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mmF2.8L Macro IS USM、RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木」
女子高生の制服にご執心の怪しいジジィ。「何て美しい!」と感嘆。矯(た)めつ眇(すが)めつ、制服をなめ回すように5分ほど凝視しているのだから、通報されても仕方ないか。写り込みのあれやこれやを計算して。
絞りf4.5、1/100秒、ISO 800、露出補正-0.67。
★「02栃木」
栃木市へ通い始めた当初より、和服店に掲げられているポスター。もう何年も、夏も冬も夕日を浴びているのだろう。行く度に撮るのだが、やっとましな物が撮れた。
絞りf7.1、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/02/16(金)
第679回:偉人の金言
第679回:偉人の金言

 数日前、床の中で暇つぶしがてら、仰向けになって偉人の名言集を繰っていたら、次のような言葉にぶつかった。曰く「70歳を過ぎた人間の言葉には、どのようなものにも理がある」というものだった。ぼくは、心してこの文章を噛み砕こうとした。暇つぶしには打ってつけだった。
 この時のぼくは何十年ぶりかで食欲がなく、その初日には過去に記憶にないほど遠い昔に体験した熱発を感じ(37.7℃というささやかなもの)た。「いざ、おいらもやっとコロナか!」と思い、PCR検査キットで調べてみたら結果は陰性で、かかりつけの医者に電話でお伺いを立てた。詳細を話したところ、医者の見立てによると「単なる風邪でしょう」と事も無げにいわれた。「もし、症状が改善されなかったら来て下さい」ともつけ加えられた。

 熱こそ翌日には平熱に戻ったが、ぼくのまったくの食欲不振は以後10日間も続いた。今さらながら、美味しく食べることのありがたさを噛みしめることとなった。我が家の食を一手に担う嬶(かかあ)は、いろいろ気を遣い、食べやすいものをあれこれ用意してくれ、ぼくはそれに果敢に挑んだが、不料簡ながらも無念を晴らすほどの美味しさも嬉しさも感じなかった。「仕方なく食べる」とは、なんという浅ましくも贅沢なことと、自身を戒めた。

 長引く食欲大不振にも関わらずぼくの生活はさほど大過なく、自然治癒という持久戦に持ち込むことにした。おかげで5kgほど体重が減ったが、体調が悪く気怠いというほどではなく、ましてや生活にもほとんど支障なく、普段通りの生活をしていた。本来の “怠惰” だけが、これ幸いと頭をもたげただけだった。ぼくは甲斐甲斐しくもその道義と仁義を重んじた。
 だが義理堅いぼくは、掲載写真もネタ切れになったので、ネタを仕込むために東北自動車道を北上し、慣れ親しんだ栃木市に行ってみた。この日は祭日ということもあってか、通い慣れた通りも、申し合わせたようにシャッターを下ろし、ぼくは途方に暮れた。1時間半ほど歩き、100枚程度撮っただけで、大渋滞の高速道路をノロノロと帰路についた。

 先月、ぼくはとうとう齢76となり、その祝いに坊主(息子)が少し贅沢な2種類の珈琲豆をプレゼントしてくれた。だが病のせいで微妙な味の違いが分かりそうもなく、残念ながらまだ賞味していない。珈琲好きの坊主に申し訳ないとの気持が湧き、僅かな味覚障害により、今飲んでは損をするので(この姑息さが如何にも貧乏くさい)、症状が改善したら、ふたりで美味しくいただこうとの了解を取り付けた。病にあって、息子にも何かと気を遣う父であった。

 さて、冒頭に掲げた偉人の金言についてであるが、おそらく65%くらいは当を得ているように思われる。しかし、ぼく自身が70歳をとっくに過ぎているので、ピンとくるものに乏しい。確信を持って理あることをいえることなどほとんどないというのが今のぼくだ。
 人生については分からないことがほとんどだが、ぼくの小さな人生のなかで心血を注いできたものは写真以外になく、それについて、天井を仰ぎ見ながら少し考えてみた。もちろん、自身の作品についてである。自分のことは、自分が一番知らぬこととは重々に承知だが、どこまで客観的に考察できるかを試してみるのもたまには面白い。

 自身の撮る写真について常々感じていることは、「なんでおれの写真はいつもこうなってしまうのだろう? もういい加減、飽き飽きする」に尽きる。それはぼくに限らず、しかも我田引水ではなく、写真に真摯に取り組もうとしている人はみな実感することではないかと推察する。
 そして、「写真は年相応のものでなければならない」といつもいっている。では、果たしてぼくの写真はどうだろうかと繰り返し問うてみる。自分がどんな人生哲学を持って写真に臨んできたかについて、写真は誤魔化しが利かないというのは、まっとうな真理だ。写真は嘘をつかない。作者と作品には、齟齬が生じないものだ。

 武漢コロナで出歩くことがままならず、近辺にある花ばかり撮っていた時期があった。2年間ほどは、花の写真ばかりを掲載させていただいたように思う。
 他人の撮った多くの花の写真を見たが、ほとんどの写真が、良し悪しは別として、ぼくの写真とはかなり異なり、「とても見た目がキレイ」なのだ。
 いってみれば、女子中学生や女子高生が胸に手をやり、半ば夢見心地で「わぁ〜っ、キレイ!」と感嘆するようなものだ。その類がきっと万人受けし、人気があるのだろう。それもひとつの表現なので、否定はしないが、本心をいえば「作者であるあなたはどこにいるの?」、つまり「あなたの顔や姿が見えてこない」との疑問が溢れ出てくる。「写真は自己表現。生き様表現の発露たるもの」が、ぼくの本意なので、どうしても違和感を拭えない。
 あるいは、量販店のHPなどで「花の撮り方」の講釈を眺めていると、「この人は、今までどんな人生を歩んできたのだろうか?」と、ぼくは要らぬお節介と知りつつ、そう嘯(うそぶ)き、怪訝な顔を精一杯してみたくなるのだ。とても年相応とは思えず、人生の襞(ひだ)が感じられないからだ。

 創作に終着駅はないので、趣味であれ仕事であれ、写真を生活の大切な分野として慈しんでいるうちは、自分の体臭にいやいやながらも付き従わなくてはならないのだが、「次なる新しい自分発見」を生活の糧として臨むのが一番良いことだと今ぼくは思っている。
 ぼくが今まで様々な分野の創作物を観賞し、そこで得たものを、70代の、凡人の手習いとしていわせてもらえば、「 “キレイ”と “美しい” の両者はまったくの別物であり、似て非なるものである」ということだ。キレイなものはこの世に多いが、美しいものは極めて稀というのが、ぼくの実感である。

https://www.amatias.com/bbs/30/679.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木」
どの店もシャッターが閉まっていたが、このバーは幸いなことにシャッターが開いていた。開店休業のようにも見えたが、ガラス越しに全体を柔らかく表現。
絞りf9.0、1/125秒、ISO 2000、露出補正-0.67。
★「02栃木」
アルミサッシの窓越しに見えた玄関。
絞りf8.0、1/100秒、ISO 2000、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2024/02/09(金)
第678回:写真評の苦難
 人様の写真を評価するという身分でないことは十分に承知しているのだが、写真倶楽部を主宰している手前、ぼくは月に一度それを健気にこなしている。これは気遣いと十分な配慮が必要で(誰もそうは思っていないところが悔しい)、授業終了とともにぼくは心身衰弱の態となり、飲み会なしにはとてもやってられない。それほどに「心(しん)が疲れる」のである。
 ましてや、こわ〜いご婦人方のご機嫌を窺い、時に突き刺すような視線を浴びながらの作業なので、ぼくのへたれ具合は推して知るべしだ。何事にも頑健そのものの彼女たちは、へたれというものを知らないので、彼女たちにひとりで立ち向かうには、やはりぼくは徹頭徹尾役不足なのだ。
 
 以前に何度か述べたことがあるが、写真倶楽部は自ら進んで始めたことではなく、質の悪い同窓生やその取り巻きに、半ば強迫と恫喝により無理強いされたものだった。そうはいいつつもすでに20年以上も続けているのだから、他人のせいにできるものではない。ぼくの悲痛な言い訳にも無理がある。
 自身の倶楽部ばかりでなく、他の品評会の審査委員も押しつけられ、分不相応にお引き受けしたりもしている。こちらは米国の大手企業の主催するコンテストであり、自分の倶楽部でのそれとはかなり性質も様相も異なっている。作者の顔が見えないので、自身の倶楽部とはそこが大きく異なる。

 倶楽部のほうは、全員が顔見知りであり、彼らの好みや人柄をぼくなりに把握し、それに準じての写真評だが、もう一方は見ず知らずの方の作品であり、同じ土俵での写真評という具合にもいかず、かなりクールな写真評となる。いわば、一過性のきらいがある。名もなき貧しきぼくが、何故選考委員を命じられたのは、今以て不明である。
 意義や目的が異なることをぼく自身が程良く理解し、そして噛み砕きながら、写真評をさせていただいている。

 ぼくが20年以上おどおどしながらも倶楽部を続けられた大きな理由は、生徒たちの成長の過程が手に取るように分かり、怖気を震いながらも楽しみというものが得られるからだろう。
 「次回、このような写真を撮る時には、ここに注意して」というような指示をすると、何故か殊勝を装いながら、そのように撮ってくる。思いの外、写真に関してだけは素直な面を垣間見せるので、気の良いぼくはすぐにそれに乗せられてしまうのである。「愛い奴(ういやつ)」と彼らが可愛く見えたりもするからおかしい。そこが、大きな落とし穴なのだが、ついその気にさせられるので、いつもおだてに乗せられてしまう。何事にも上手(うわて)なご婦人たち。
 そんな繰り返しを何十回も飽くことなく繰り返しているうちに、確実に成果が表れてくるので、「写真など人に教えられるものではない」といいつつも、やはり教え甲斐があるというもの。

 我(エゴ)を振り回し、殊勝に振る舞えない人は、いつも同じ所をグルグル回っているだけで、常に自分ひとりだけが悦に入り、自分の殻から飛び出せない。そのようなタイプの人はぼくの手に余り、「どうしたものか?」と頭を悩ます。相手を傷つけず、少しずつ矯正していくしかないというのが、目下の考えだが、なかなか至難の業といったところ。幸いなことに、現メンバーにはこのような我を張る人がいないので、これでもぼくはずいぶんと気が楽になった。

 長年の心労が祟り、また寄る年波ということもあってか、先週の月例会(土曜日)にぼくはとうとうダウン。授業は午後1時〜5時までの4時間なのだが、その間、何度か「気が飛ぶ」というかつてない不思議な現象に見舞われた。瞬間的に意識が飛び、ぼくはとうとう腰から床にドサッと崩れ落ちた。
 この時ばかりは、こわ〜いご婦人方も普段滅多に見せない母性を覚まされたのか、「厄介者ねぇ」と思いつつも、ぼくを案じてくれた。聞くところによると、「ぼくは男の子なんだから大丈夫」を何度か繰り返し、つまらぬ意地に固執したようだった。「もうジジィだからダメだ。大事にせい!」といったほうが的を射ていたと思っている。だが、こちらが弱気を見せると嵩(かさ)に掛かって攻め込んでくるので、やはり要警戒だ。

 ぼくのおでこに手を当て、「あっ、熱がある。知恵熱だわ」、「鬼の霍乱ね」、「青菜に塩かも」とか、それぞれ好き勝手に囃し立てている。ほんに怖い母性だ。
 とうとうこの日は、倶楽部始まって以来初めての、夜の部(飲み会)欠席となった。能登の七尾でご家族が震災に遭われた建築家のT氏が、家に取って返し、車を用意してくれ、ぼくを家まで送り届けてくれた。七尾の実家に戻った際に撮った無補整の写真(輪島市なども)をノートパソコンで見せてくれたが、彼によると「まだ写真を補整する気になれないんすよ」といっていた。それが今の彼の、偽りのない気持であろうことは、想像に難くない。貴重な写真なので、感情を移入した彼の写真をそのうち拝見できればと願っている。

 腰から砕け落ちた日からすでに6日が経とうとしているが、熱こそないものの、まったく食欲がなく、この原稿を書きながらも、頭も体も借り物のような状態で、フワフワ・ポーッとし、目の焦点が合わず、まるで空中浮遊のようなありさまである。
 原稿の出来不出来は別として、連載を始めて以来まだ穴を空けたことがないので、今意地になって書いている。「ジジィだから、ダメだ」といわせたくない一心からである。やっぱり、ぼくはまだ男の子なのだ。

https://www.amatias.com/bbs/30/678.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF50mm F1.8 STM。RF35mm F1.8 MACRO IS STM。
埼玉県川越市。

★「01置き時計」
店の奥にひっそり置かれた時計。ひときわ異彩を放っていた。
絞りf8.0、1/320秒、ISO 100、露出補正-0.67。
★「02写り込み」
コーヒーショップのウィンドウに写り込んだ蔵。
絞りf8.0、1/40秒、ISO 125、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)