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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2026/03/23(月)
第781回:老いの独り言
 同輩の多くが何らかの組織で定年まで働き、そして退職という手続を経て、今では勝手三昧(かどうか分からないが)の暮らしをしているかのように見受けられる。
 だが、ご多分に漏れず、あっちが痛いだの、こっちが不調だの、そして自慢気に病院通いの話などを得々と語り出す。だがしかし、これも世の習いなのかと、ぼくは慈悲と思いやりの心を持って彼らの話に折り合いをつけながら頷いている。ぼくとて、例外ではないからだ。

 最近は、「おれは君たちとは違う」という気振りを示すことがなくなった。力みがすっかり取れ始めたこともあるのだが、彼らの語るさまざまな難儀が、我が事として素直に受け入れることができるからだろうと思う。時には、彼らが自身の投写であるかのような錯覚に陥ることさえある。それは、「歳を取り、そして衰える」ということに晒される瞬間でもある。物事は、いつも順序通り。
 「おれもそうなんだよ。実はさ」との科白を、何故か嬉々として喋り始めるから嫌になる。お情けや哀れを共有し合おうなどという気持ちはさらさらないのだが、こんなことで同志を得た歓びのようなものを感じるから気色が悪い。

 ただ、食事後、大っぴらに医者から申し渡された服用薬をテーブルに並び立て、人目も憚らず、口に放り込むような、凄味に満ちた不敵なことはしない。否、したくてもできない。不肖ながら、ぼくはまだ、ごく軽い降圧剤を処方されているだけなので、多種の薬を頬張るとの境遇には至っていないのだ。
 彼らのそのような所作は、何十年も身を粉にして、懸命に働き続けてきたひとつの証であり、また勲章のようなものなのだろうと、ぼくはまるで他人事(ひとごと)であるかのような面持ちで眺めている。

 ぼくも、遅ればせながらひとまず現役を退いたが、元々がフリーランスの写真屋ときているから、同輩たちのいう「退職」という概念の実感に乏しい。「自由勝手の独りぼっち引退」なので、退職金もなければ、お別れ会もないし、小洒落た花束などまるで無縁だ。労いの言葉も縁がない。つまり、引き際の美学としての「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」をかっこ良く演じることができないという仕組みになっている。
 同輩たちは、「かめさんは定年がないからいいなぁ」なんてことを、何の抵抗感もなくちゃらっと言い放つのだが、これはまさに「世間知らずの高枕」であり、お互い異業種間では知らぬことがほとんどなのだから、ぼくはここでも軽く聞き流す。「知らぬが仏」でいいのだ。

 ぼくが引退を決めた理由はふたつある。撮影現場で関係者がぼくの身(年齢からくる体力)を案じて、余計な気遣いをさせてしまうことに気づいたことにある。本人がいくら若ぶっていても、周りはそうはいかないのだろう。
 そしてまた、ほとんどの場合、振り向けば自身が仕事集団の最年長者となっており、ぼくが意見を述べれば従わざるを得ないとの状況に引き釣り込む恐れがあることも大きな理由だった。ぼくは、まったくぼくらしくなく、身の程をわきまえてしまったのだ。

 現役の40年間は、当然のことながら、写真を心底愉しむこととはほど遠い所に位置しており、今突如として、にわか仕込みのアマチュアに立ち返ろうとしても、おいそれとはいかない。クライアントに怯えることなく、また仕事用の顔をせずに写真を愉しむにはまだ多少の時間を必要とするだろうが、アマチュアの楽しさを謳歌できるように、早く自身を仕向けたいものだ。

 フィルム時代(使用フィルムのほとんどは、露出に非常にシビアなカラーポジフィルム)、クライアントの「露出がちょいアンダー気味」、「ちょいオーバー気味」という言葉はまさに捉えがたい痛みのようなもので、それは明らかに失敗を意味した。「ちょい」は「わずかに」という意味ではなく、「まったくダメ」を意味する大人の言葉遣い。ぼくはただ頭(こうべ)を垂れ、うなだれるのみ。
 加え、「ピンがちょい甘くない?」というのも、年に一度くらいはありましたな。それはマニュアルフォーカス時代のお話。とはいえ、オートフォーカス全盛にあっても、動体撮影ではピンを外すこと、稀にあり。

 昨今はデジタルなので、露出や色見についての脅し文句に対しては、「あなたのモニター、ちゃんとキャリブレーションされてる? 大丈夫? ヒストグラムを見てごらん」なんて多少の突っ込みどころがあるのだが、フィルム時代はそうもいかず、こちらに理があっても、相手を納得(さらにいえば “籠絡する” )させるには、光学的な知識に加え、それなりの話術が必要だった。 “それなり” とは、相手をよく知り、しっかりした理論を立て、納得してもらうという意味だ。写真屋は我が儘だとか、エゴが強すぎるといわれるが、多分それは恐れの化身ではないかと思う。

 上記した技を習得しておかないと、たった一度の失敗のため、仕事が貰えないということになりかねないが、最も肝要なことは、失敗の釈明をしないということ。言い訳はすべてを台無しにしてしまう。これはこの業界に限ったことではない。
 その原因となったものを素直に認め、同じ失敗を繰り返さぬよう鍛錬に励むしかない。何時の場合も十分な誠意を尽し、努力を惜しまぬことで、まともな人はしっかり受け止めてくれるものだ。ぼくにそれが出来たかどうかは怪しいが、その気づきは貴重なものだった。

 「写真の話が出て来ないではないか」とお叱りを受けそうだが、先週担当氏から「来年度の契約書に捺印せよ」と命じられた。来年度は、拙稿と拙写真を少しでもましなものにと、ぼくは心を入れ替えなければならない。
 こりゃ、えらかこっちゃ。もしかしたら、ぼくは担当女史の嫋(たお)やかさに、手もなく “籠絡” されたのかも知れない。情けなかぁ。

https://www.amatias.com/bbs/30/781.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。RF24-70mm F2.8L IS USM。
さいたま市見沼たんぼ。茨城県古河市。

★「01さいたま市」
ぼくは椿が好きで、なかでも侘助には心惹かれるものがある。散歩がてら、地面に落ちた椿を見つけた。何故か無意識のうちに我が身と重ね合わせた。
絞りf6.3、1/50秒、ISO 1250、露出補正-1.33。

★「02古河市」
洋品店のショーウィンドウ。造花と他のものとの色合いが面白く、思わず立ち止まり、知らずのうちにシャッターを押していた。
絞りf7.1、1/80秒、ISO 125、露出補正-1.67。


(文:亀山哲郎)

2026/03/13(金)
第780回:またまたデジタルとフィルム
 かつて、デジタルとフィルム(アナログ)の、ぼくなりの考えを何度か述べた。だが、その違いについての明確な考察は困難を極め、元々が言葉足らずであるが故に、核心に迫ったことを書けずにいる。両者の差異については、まさに「曰く言い難し」であり、今以てその本質とするところを語れずにいるというのが正直なところ。
 写真愛好の同志たちには、したり顔で偉っそうなことを言いつつも、本音を明かせば、ぼく自身が本質的なことにまだまだ近づけずにいる。本来であれば、そんな輩が写真倶楽部の指導者を名乗る資格などないというのが世の例(ためし)であり、したがって、自身を「指導者モドキ」と、正しく称している。

 ぼくの写真歴に照らし合わせると、フィルム歴が44年(内、フィルム・印画紙現像の暗室作業は約30年)、デジタル歴は22年ということになる。デジタルは、奇しくもフィルム歴のちょうど半分。合わせて66年、嗚呼、ぼくはいつの間に、これほど歳を取ってしまったのだろう!と愕然。
 アマチュア時代(途中、他のことにかまけ写真を中断したこともある)が26年間、プロとして糊口の資としていたのが40年間ということになる。その間、仕事の写真は別として、1枚でも得心のいく出来映えというものを味わったことがないという事実は、悲運であるのか幸運であるのかさえ、今のところ分からず終い。撮れないからこそ、飽きもせずこんにちまで続けている、というのが本寸法なのかも知れない。

 デジタルとフィルムは、周知のように画像形成の仕組みがまったく異り、それを同じ土俵で語るには乱暴に過ぎるとぼくは考えている。双方は「似て非なるもの」として捉えるのが順正ではないかと考える。
 その上で、何がどう異なるかを論じるのがもっともなことなのだが、ぼくはそこが分からないのだ。大べらにいえば、シャッターを押して、何かが写るという事実を以てして、ぼくは「双方の長所・短所を自分なりに把握しているつもりだが、どちらでもいいよ。片一方に傾けば、窮屈だ」くらいに捉えている。ぼくにとって、写す楽しみは同じなのだから、どちらか一方に肩入れする理由が見つからない。
 ただひとつ確実なことは、写真を商売としていなければ、ぼくはアマチュア時代に愛用していたライカやハッセルブラド、大型カメラを未だ撫で回し、その合間に恐る恐るデジタルを “いじくって” いるのだろうと思う。

 ぼくのデジタル事始めは、仕事との兼ね合い上、使わざるを得なかったからであり、「自ら進んで」ということではなかった。また、世の流れに順応していかなければ、食い扶持がふさがれるので、必然性に迫られてというのが実際である。
 フィルムからデジタルへの移行期は、カメラマンの誰もが右往左往したものだ。ぼくは、印刷所に菓子折りを持って出かけ、納品のあり方を含め、日参しながら教えを請うた。だが、印刷所のほうもまだデジタルの知識や約束事、並びにその扱いに熟達してはおらず、互いに試行錯誤を繰り返したものだ。今となっては良い思い出となっている。

 と、「写真よもやま話」らしく写真に関する事柄を少しだけ記したが、面白くないでしょう? いや、絶対に面白くないし、退屈でしょう。
 というのは、あるご年配の読者の方からいただいたメールに以下のようなことが記されてあった。「亀山さんが文中で時々悪態をつかれるのが面白く愉快です。よくこんな言葉がでてくるなと感心しています。いろいろな憤懣を感じられるからこそ写真家としてやっていけるのですね」(ママ)なのだそう。「ぼくは写真家ではなく、“写真屋”です」と、返信の一部に書き加えた。だが、そんなに悪態をついているかなぁ、と頭をかき回しているところ。

 ぼくよりご年配の写真家ーーこの言葉の定義がぼくにはよく分からないのだが、一応そう呼ばれている人たち。余談となるが、「写真家」とか「写真作家」とは、他人が称する呼び方であって、自らそう名乗るものでは決してない。自身で「私は写真作家」と名乗ることに得々とする恥知らずが実際にいる。ぼくの身近にも公然とそう名乗る人がいた。ぼくは呆れ果てたが、それは美意識の欠如の最たるものであるーーのなかには、フィルムからデジタルへ移行することにより、「自身の作風が変わってしまう」とか「デジタルでは再現しにくい」との理由により、「なかなかデジタルに踏み込めずにいる」と、その心情を、ぼくに正直に吐露した方もおられた。ぼくはその方を立派な写真家として認めている。

 これで、「デジタルとフィルム」の題材と、読者諸兄の期待 !? される「悪態」を多少なりとも結びつけることができたと、例によって自画自賛。自画自賛しないとやっていけないんだってば! やれやれとぼくは今一息ついたところで、ならばもう一丁「悪態」をつこうかな。

 先日、友人の主宰する写真展に出向き、良い作品に多く出会え、ぼくは車を飛ばして観に行った甲斐があった。作品のなかで目を惹くもの(組写真)があり、ぼくは感心し、作者(女性)も自信作であったとのこと。それを、ある公の、規模の大きな写真展に応募したところ、落選の憂き目に遭い、ガッカリしたとの話を、後に同僚から聞いた。ぼくはその写真展の選考者の多くを知っている。
 「選考者たちは、趣味や遊興で写真を撮っている人たちであり、その人たちの評価を真に受ける必要なし。彼女の作品は紛うことなき優れた作品であり、自信を持って欲しい」との旨、同僚にメールで伝えた。

 メールに記したぼくの語調はもっと強いものだったが、ぼくはこれでも多少は大人なので、本稿では和らげて書いているのだが、優れた作品はもっと正当に評価されて然るべきだとの憤りを感じた。彼女の姿や、写真に対する真摯な姿勢が、写真から直接に響いてきたので、それを読み取れぬ選考者たちに、やり切れぬ思いを抱いたのだった。

https://www.amatias.com/bbs/30/780.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
さいたま市見沼たんぼ。

★「01さいたま市」
初春のおぼろ気な太陽を白飛びさせぬよう、ファインダーのヒストグラムと睨めっこ。シャドウ部にノイズが乗らぬようにISOは最少に。この写真は全体の明度がとても重要なのだが、ぼくのモニターと同じ見え方をするものは、恐らく無に等しく、そこが辛いところ。やはり写真はプリントでないとね。
絞りf13、1/250秒、ISO 100、露出補正-2.00。

★「02さいたま市」
収穫されず、放っておかれたキャベツ。原寸は6000 x 4000ピクセル。掲載の都合で800 x 533ピクセルに縮小しているので、ディテールが表現し切れず、残念。この写真、誰が見ても「きれい」とはいわないね。
絞りf13、1/50秒、ISO 200、露出補正-0.33。


(文:亀山哲郎)

2026/03/06(金)
第779回:久方ぶりの古河市
 実は前号の執筆中、ハッと気づいたら、いつもより1,000文字近くオーバーしていた。それ程の迂闊に気づかないことなど滅多にないのだが、この失態は他のことに気を奪われていたからだろう。あるいは呆けてしまったのか。ぼくは書き始めると、手を緩めることなく一気呵成なのだが(だから乱雑で、ミスが多い)、それにしても、文字数の大幅なオーバーは、「心ここに在らず」とか「心内にあれば色外(いろそと)にあらわる」(心に思うところがあると、隠そうとしても、自然に顔色や行為にあらわれる)といったところにあったのだと思う。
 いつも我が倶楽部のこわ〜い婦女子たちに向けてぼくの放つ精一杯の子供じみた悪態、「ドジ、マヌケ、スカタン!」を自身に向け連呼せざるを得なかった。

 文字数オーバーの主因は、昨年から入院中であった嬶(かかあ)が重篤な容態を何とか脱し、無事退院。そして、退院後の「あれやこれや」に片を付けなければならず、ぼくの頭はそれで一杯となり、忙殺されていたからだろう。それしか思い当たる節がない。何とも忌々しい出来事だが、病気とあっては致し方なし。ぼくとて、明日は我が身である。決して、他人事(ひとごと)ではない。

 嬶の入院中、家事の切り盛りは、ぼくと坊主の男二人であり、何とも “けったいな” (奇妙な。おかしな、というニュアンスの関西言葉)日常が続いた。だがしかし、男二人というのは、親子とはいえ日頃体験したことのないような “妙な遠慮と気遣い” が生じるから面白い。面白いどころか、 “くすぐったい” のである。家族構成が急変すると、このような現象が一時的に生ずるようだ。つまり、非日常が日常に化学変化する際に起こる、予期せぬ現象である。

 前号では、大幅な文字数オーバーにより、いくつかの段落をそのまま削ぎ落とし、文脈が寸断しないよう上手く !? 取り繕ったつもりだが、そのしくじりとも思えるようなところが二箇所あった。だが、ここでは黙っておこう。
 今回は、削除した段落を上手くつなぎ合わせることにより、「来週は楽をできる」と高を括ったが、然もありなん、世の中そう上手く事は運ばない。ジグソーパズルのピースが別物なのだから、どう足掻いてもそれは無理というものだ。ぼくの浅ましくも女々しい(差別用語ではない)目論見は脆くも崩れ去った。今、慚愧(ざんき)に堪えない。
 ぼくは潔く、保存しておいた約1,000文字を、多少の未練を残しつつも、ゴミ箱に放り込み削除した。

 東京国立博物館の陳列物写真の掲載が続いたので、読者の方々も少々食傷気味であるやも知れず、ぼくは気を遣い、今回は目先を変えることにした。趣の異なった写真(出来不出来を問うてはいけない)のほうが辟易とされずに済むとの考えからだ。機会が巡れば再び博物館写真をとの思いはあるし、未発表写真のなかには撮り直したいものがあり、また暗室作業についても異なったアプローチが必要と感じたものもある。勉強をすればする程、分からないことが増えるものだ。
 今回に限ったことではないのだが、展示物に関する勉強をするほどに、「こう撮るべきだった」との反省や発見があり、機会を見て再訪するつもりでいる。

 だがそうは言いつつ、実のところ、勉学の成果が積み重っていかないところが悲しい。それをして “お年頃” というのだそうだ。新しい知識や方法を得た分、ほぼ等量に、もしくはそれ以上に、ところてんの如く、忘れる分量がケツから(失礼!)押し出され、何のための勉強なのかが分からなくなる。それを思うと本当に悲しい。
 そう遠くない将来、知識が積み重なっていかないとの事態に陥るだろう。もう既にそのような兆候がある。そして、ひとつを覚えるとふたつを忘れるとのさらなる悲劇が、きっとやって来るに違いない。
 それを自覚した時、ぼくは悄然とするか、グレて自棄(やけ)となり、迷惑をかけることを唯一の生き甲斐とするだろう。見境のないジジィって、もしかすると、大器晩成型の、本物の天才かも知れない。80歳を過ぎて、「大器晩成」なんて、恰好良いなぁ!

 話は急変するが、「忙中閑あり」と、ぼくは久しぶりに茨城県の古河市に向かった。ここは、過去何度か撮影に赴いた所で、至近では2021年4月下旬だった。その時は、ほとんど撮らずに終った。当時はコロナ禍で遠出ができず、ぼくは近所で花ばかり撮っていた時期だった。
 古河市は、我が家から車で約1時間の距離にあり、久しぶりに、花以外の被写体を撮りたかった。そんなわけで、コロナを物ともせずの古河行きだった。

 古河市の、いつもの駐車場に、何故か、まだ目も開かず、毛も生え揃わぬ雛一羽が、コンクリートの上で息も絶え絶えに蠢いていた。このままでは間もなく命が潰えるであろうが、ぼくには救う手立てがなかった。両の手のひらに小さな雛を包み、木陰の草地にそっと移してやったのが精一杯だった。「助けてやれない」というせつなさに満ちた諦観は、心に癒しがたい穴をぽっかりと空け、言葉にできぬ悲しさに襲われた。雛のその後を思うと、撮影の気はすっかり殺がれ、2,30枚を撮っただけで帰路についてしまった。

 あれから5年近くが経ち、ぼくはやっと雛鳥の感傷から気を取り直しつつ、かつてここで気に入った写真を撮ることのできたことを支えとし、久しぶりの古河だった。
 今までに撮った膨大な数の写真のなかから、「ぼくの50枚」を選ぶとすれば、2018年にここで撮った埃だらけの窓越しに見た野良猫の1枚を上げることができそうだ。この写真は、拙稿2018/11/02 第420回の「01古河市」として掲載させていただいた。
 野良猫を撮った日から数年後の先月、良いモデルとなってくれたこの子はどうしているだろうか? 元気だろうか? ぼくは、帰りがけ撮影現場の前を通ったが、そこには車を止めず、急かされるような気持で家路を辿った。

https://www.amatias.com/bbs/30/779.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
茨城県古河市。

★「01古河市」
かつて遊廓のあった「よこまち柳通り」(旧日光街道)を以前何度か歩いたが、来る度にぼくの好きな商店や建造物が減少していく。保存地区でない限り、そのような傾向は否めないが、やはり寂しさが募る。大谷選手のポスターが日焼けのためすっかり色褪せ、物悲しくも青一色に変化していた。
絞りf10、1/250秒、ISO 160、露出補正ノーマル。

★「02古河市」
大谷選手のポスターの真横にある郵便ポスト。右端の電柱は「01」と同じ物。
絞りf9.0、1/125秒、ISO 100、露出補正-0.33。


(文:亀山哲郎)

2026/02/27(金)
第778回:少しだけ写真の話
 ぼくの写真歴はアマチュア時代を含め68年、プロとして40年を過ごしてきたが、噂に違わず(どこで噂されているか知らないが)、現在でもささやかなミスを時たま犯す。歴史が長ければ良いというものではなさそうである。
 ただ、商売人となると、ミスの誤魔化し方が、微に入り細に穿って巧妙になる。悲しいかな、保身に迫られ、意図せぬところで「ずる賢さ」が自然と身につく。だが、ぼくは地が不器用なものだから、きっとクライアントには見透かされていたに違いなく、練れた人たちは、きっと「見て見ぬ振り」をしてくれていたのだろうと思う。その伝で、ぼくは恵まれていた。
 
 今だからこそいえるのだが、プロというのは、「ミスを悟られないこと」も大切な条件のひとつ。クライアントの前では、常に平然とし、顔色ひとつ変えず、冷や汗など見せてはならない。その点、アマチュア時代は、当然のことながらそのような精神的負荷を背負わずに済んだ。
 したがって、撮影は先ず楽しさが先行し、そうあって然るべき。気に入った被写体に出会えば、気分は高揚し、鼻歌のひとつも出ようというものだ。

 今は現役を退いたので、ミスを犯しても居場所を失うような決まりの悪さを味わったり、冷や汗こそ出ないが、「誰も見ていなかっただろうな」と辺りを窺うことがもはや習性となっていることに気づく。これは写真屋の悲しい性だ。そして、あろうことか、アマチュアに回帰しても、未だ鼻歌のひとつさえ出て来ない。「いつも生真面目で、真剣だからいかんのだ」とぼくは自らを慰める。
 慰めつつも、撮影意図に相応しい技術的な最適値(前回に記した撮影の4大要素)を確かなものにするのは並大抵のことではない。その最適値に正解はなく、故にぼくは「妥協の産物」と述べたのだが、であるからこそなおさら悩ましい。

 さて、被写界深度(ピントの合っている範囲)の話だが、結論から先に述べると、前3回で掲載した6枚の「伎楽面」について、ぼくは被写界深度にほとんど頓着していない。イメージの大づかみを優先した結果である。
 技術的な部分について最も留意したことは、ブレ(シャッタースピード)と高感度ISO使用時に於ける解像度の劣化、並びにノイズの発生である。この相関関係の頃合いを見計るには、知恵と経験が必要であり、また、使用機材や暗室作業をする画像ソフトの特性も理解しておかなくてはならない。

 「伎楽面」に限らず、技術より優先したいことは、どの様なイメージ(先述した “大づかみの” )を描いてシャッターを押すかということだ。また、撮影者は被写体に対してどの様な感情と思惟(しい)を抱いたかを知ることが肝要。ぼくのような、何事に於いても大雑把かつ粗放な人間でさえそう思うのだから、ここのところ、どうか真に受けていただきたい。

 技術とイメージは、相思相愛のようなもので、片想いで写真は成り立たない。そして、ぼくがいつも唱える「写真は、所詮ひとつのことしか表現できない」のだから、欲は最小限に抑えることだ。あれもこれも写したい、説明したいというのは人情として理解はするが、実のところ、それが一番の邪悪。別の言葉でいえば「さもしい」ということになる。

 「何故撮るの?」との自問に、最も素直で愚直な答えは、「見惚れたから」でありましょう? 「見惚れれば」色々なことが多岐にわたりイメージできる。それを最小限に絞り込んで、二次元の世界に投射するのが写真。
 写真の原始は、先ず「見惚れる」ことにある、とぼくは信念をもってここに記しておきたい。

 かつて、仕事で美術展の図録や学術用の写真、そして商品のパンフレットやポスターをたくさん撮ってきたが、これについては、当然のことながら、必要にして十分な被写界深度と再現濃度域(白飛び、黒潰れのない描写)を確保しなければならない。つまり、被写体のディテールを十分に保証するための描写が必要とされた。今回の「伎楽面」のような描写はダメ出しを食らってしまう。主観に重きを置いているからである。

 倶楽部の面々に「伎楽面」のプリントを見せたところ、「原画が見たい」と要求され、ぼくは出し惜しみや姑息な隠し事などをするタイプではないので、撮影したままのRawデータを素直に見せたところ、「まるで原画と違うじゃない。大嘘つき! 嘘つきはドロボーの始まりなんだかんね」と、何でこんな不条理ないわれ方をしなくてはならんのか。「見せろ」との依頼に従い、素直に応じたら、こんなにも酷いいわれよう。全体、どんな料簡なのだろう。正直者が馬鹿を見るような社会や写真倶楽部であっては、絶対にいけない。
 原画と最終印画が異なる現象は、デジタルに限った話ではなく、程度の差こそあれ、フィルム世界にもドロボーはたくさん出没する。写真創生期から、多くの好事家は暗室でもがいてきた。ドロボー呼ばわり !? に甘んじてきたのだった。

 ぼく自身はフィルム歴のほうが遙かに長く、また親しみもあるのだが、デジタルで、それぞれの特質を生かした写真づくりができれば良いとの考えを持っている。フィルムの描写に憧れる面はありつつも、将来そこに舞い戻ることはない。ぼくのデジタルのあり方は、アナログを踏襲したものから大きく逸脱することはないだろうと思っている。AIによる描写やその使用にさしたる興味はないが(知らずのうちに利用という可能性はある)、今後デジタルがどこまで進化するかについては、興味津々といったところ。

 この原稿はWordを使用しているが、400字詰めの満寿屋の原稿用紙に、愛用のペリカン万年筆(Pelikan Souveran M800緑縞)で毎週書くと、きっと担当者はぼくの汚物のような字に涙するに違いない。ドロボー変じて、何と呼ばれるだろうか?

https://www.amatias.com/bbs/30/778.html   

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
東京国立博物館。

★「01土偶」
北海道室蘭市輪西町出土。重要文化財。縄文時代(晩期)。紀元前1000〜400年。
絞りf5.6、1/50秒、ISO 2,500、露出補正-1.33。

★「02釈迦涅槃像」
鎌倉時代13世紀。奈良県明日香村 岡寺より東京国立博物館に寄託中。重要文化財。涅槃像は絵画が圧倒的に多く、このような彫像、しかも等身大(171.1cm)の本像は大変珍しい。
絞りf6.3、1/25秒、ISO 4,000、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2026/02/20(金)
第777回 : 法隆寺_伎楽面(続)
 誰もがそうであるように、ぼくも人生をより生きやすくするための方便や主義、作法というものがある。そのうちのひとつに、「十人十色、百人百様」との言葉に付き従うのが、賢者の策と思うことにしている。この言葉は、過去拙稿に於いてしばしば使用したことがあるので、読者のみなさんは既にお気づきのことと思う。
 還暦(60歳)を過ぎたあたりから、自身の頑迷さを避けるために、ぼくはこの言葉を持ち出し、頼るようになった。自分の、他人への堪え性のなさにうんざりし始めていたからだ。ぼくは、「短気は損気」という諺を、わざわざ具現していた愚か者でもあったと反省しきりである。

 「十人十色、百人百様」と言い聞かせることは、人一倍気短で癇癪持ちのぼくをあやしたり、宥(なだ)めたりするのに、なくてはならない特効薬であると暗示をかけている。事あるごとにぼくはこの言葉を持ち出し、暗唱でもしながら、次なる言葉を発する前に、一呼吸置くように心がけている。随分と、大人になったように思える。
 仲の良い悪友たちは口を揃え、「一見すると、おまえは穏やかで温厚な平和主義者であるかのように振る舞い、悪意のない笑みを浮かべながら人を錯覚させる。特に、初対面となると、コロッと騙されてしまうのだ。物分かりの良さそうな振りをしているから、さらに始末が悪い」と人聞きの悪いことを正面切っていうのだから恐れ入る。彼らは大人になったぼくに気づいていない。先入観に囚われ、自己改革できず、旧態依然を晒して一向にへこたれない。だから「老害」なんていわれてしまうんだよ。

 意地の悪いご婦人方は、「よもやま話の冒頭にあるあ〜たの顔写真、あれに人は騙されるのよ。穏やかで優しそうな顔して、辛辣なことを事もなげに言い放つのだから、あれはまったくの嘘写真よねぇ。ホントはあんな顔してない。第一、もう16年以上も昔の写真でしょ。厚かましいったらありゃしない!」と手加減というものをまったく知らない。そのような手合いを称して、日本では「凶暴」とか「凶悪」という。

 ぼくの癇癪は、とどのつまり、我の強さと自身の価値基準による碌でもない過敏な正義感から派生する怒りそのものであって、それ以外の何ものでもない。癇癪や短気を抑止するために、「他人への尊重」や「敬意」、人間の「掛け替えのない人格」などに託け、関西弁でいうところの「ええかっこしい」を装いつつ、ついでに見えを切ろうとしているらしいので、事はなおさら荷厄介となる。だが、生憎ながら人格の尊重などという重厚で気位の高い位置にはまだまだ達していない。残念なことにぼくはまだそこまで熟していない、というのが実際である。

 で、「伎楽面」の写真をご覧いただいた方々からいくつかの質問をいただいたので、その話をしなくちゃね。『写真よもやま話』なんだから。個人的には既にお返事をさしあげたが、感覚的なことはそれこそ「十人十色、百人百様」なので、写真に対する誘導的な話題は避け、ここでは技術的なことに限定して述べようと思う。

 「法隆寺_伎楽面」の掲載写真も今回でとうとう6枚目に垂(なんな)んとする。本来であれば、展示されている伎楽面すべてを撮影したかったのだが、時間と労力を考えれば半日ではとても無理だった。だが、すべてを撮影したとしても、掲載はやはり今回のように6枚くらいに留めるがちょうど良い塩梅だろう。年月を経た伎楽面が如何に素晴らしいものであっても、興味のある方以外は、やはり食傷気味となるに違いない。

 前号で登場いただいた博物館に於けるお嘆きおじさん2人と同じような技術的な問いが複数あったので、被写界深度についてぼくの考え方を記しておきたい。
 今回の「伎楽面」に限らず、撮影の被写界深度に関しては、誰もが心に留める大切な問題であると思う。特に、展示物などは撮影上の技術的制約(明るさ、広さ、大きさなど)が多分にあるので、ことさらに厄介である。この厄介さを防ぐ手立てはただひとつだけ。それは、「無理をしない」という誰にでも分かる当たり前の理屈である。無理をすれば、負の面が大きくなる。世間ではこれを「無理が祟る」という。

 撮影の必要な条件をもう一度考えてみよう。
 絞り値、シャッタースピード、ISO 感度が「撮影の3大条件」、それに露出補正を加え4大条件となる。これらがシーソーのように絡み合い(あちらを立てればこちらが立たず)、それらの最適値を得た時に、初めて写真は “ちゃんと写る” 。だが所詮は、諸条件の譲り合いの結果なので、最適値というものはなく、残念ながら前述した「撮影の3大条件」を揃えることは、あくまでも妥協の産物なのである。
 ただ一応、ブレもなく、正しい露出(適正露出の定義は非常に広範囲に及び、しかも感覚に於ける全般に及ぶので、最適解はない)を得るには、最低限の約束事を確実に実行できる能力が必要となる。
 以上のことは、ここで改めて記述することでもないように思われるが、 “案外” 撮影条件に合致した「最適値」を見定めることは困難を極める。 “案外”ではなく、 “非常に” というほうが正しい。したがって、「自動で写真が撮れる道理がない」のである。

 枕が長すぎて、また例の如く尻切れトンボとなってしまった。「そうなるぞ」と予感、でなく確信しつつ、しかし止められない悲しい性。反省しきりといったところだが、次号には、枕なしで、ちゃんと続きを書く、とここに宣言しておく。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
東京国立博物館、法隆寺宝物館。

★「01伎楽面_酔胡王」
国宝。飛鳥時代7世紀。酒に酔った西アジアの王。2日がかりで原画をイメージに添って補整。補整の進捗状況は80%といったところか。
絞りf8.0、1/20秒、ISO 2,500、露出補正-1.67。

★「02伎楽面_酔胡従」
国宝。飛鳥時代7世紀。酔胡王の家来である酔胡従。ガラスケースの写り込みがどうしても避けられず。本来はPLフィルターで防ぐべきところ、Photoshopの新機能で、難なく消せた。文明の利器といっても、この場合はPLフィルターか黒服一着でちゃんと克服できる。パースを付けたかったので、ズームの焦点距離を35mmに固定して。
絞りf9.0、1/20秒、ISO 6,400、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2026/02/13(金)
第776回 : 法隆寺_伎楽面
 今日現在まで、ぼくの「カツカレー」に対する反論はあちらこちらから寄せられているが、賛同はひとつたりとも得られていない。だからといって、ぼくの「カツカレー」に対する考えは頑なで、変化の兆しなど一向にない。これをして「老いの一徹」とはいわない。ぼくは若い頃から、「カツカレー」を親の仇のように忌み嫌ってきたからである。
 そしてまた、数多の謀反の民を相手にしようとも、ぼくは自身の信条を変えるほど柔(やわ)ではない。だが、これはいわゆる信条などというほどの代物ではなく、ただの「好き嫌い」で片のつく問題だ。大上段に構えてどうのこうのという次元ではなく、それにかまけるのは滑稽だ、といわれる前にいっておく。

 ただ、現時点に於いて賛同者を一人も得られないという事実は然もありなん、と大いに納得するし、ぼくは大変満足だ。何故なら、気高い精神による高尚なる嗜好、ならびに高踏(こうとう。地位や金銭など世俗の欲望から超越し、気位を高く保つこと)なる気構えや作品は何時の世にも受けが良くなかったり、もしくは理解が得られないというお定まりを以てすれば、ぼくの「カツカレー」に対する嫌悪は筋が通っている。ちょっと筋の違う話かなぁ。「我田引水」もここまでくれば芸が無いね。

 前号で「法隆寺の国宝である伎楽面(撮影可)を、撮影を兼ねて、東京国立博物館に行ってきた。少しばかりの技術的な話は次号で触れようと思う」と述べたが、1週間後の今日、実はすっかり失念していた。
 技術的な話については、誰もが知っているようでいて、だが実際にその場面に出会すと、つい忘れがちという事柄について述べることにする。

 国立博物館の一角に設けられた「法隆寺宝物館」には、明治11年に法隆寺より皇室に献納された宝物が展示されている。展示物の撮影が許可されている(もちろん三脚やストロボの類は禁じられている)ことは誠にありがたいのだが、作品保護のため照明が極めて控え目なので、被写体の輝度が低いことを覚悟しておかなければならない。
 そして、声を潜めていうが、展示品に対するライティングがちょいお粗末である。せっかくの美術品なのだから、それに見合った心地良い光質を提供してもらいたいとぼくは切に願う。光のあり方ひとつで、被写体の見え方はまるで異なるものだ。

 それはさておき、明るさが十分に確保できないということは、撮影者にとって大きな障壁となるが、それを押してでも十分な価値がある。腕に覚えのある方は、極上の美術品鑑賞と併せて、単に写し取ることを超越し、自己表現への挑戦として是非お勧めしたい。1日かかっても撮りきれないので、写真好きの年寄りにとって、これ以上に潤いある憩いの場はそうそうあるものではない。

 前回と今回の掲載写真である「伎楽面」は作成年代が古く(西暦600~700年代。飛鳥・奈良時代)、材質(クスノキ、キリ、乾漆)の保存にも配慮され、一般公開は金・土曜に限られている。すべてガラスケースに収められており、撮影の際、ガラスにレンズフードや本体が接触しないよう細心の注意を払わなければならない。カメラを支えるのは撮影者の体幹と腕だけとなるのだから、ブレ・ボケ防止の訓練にもなり、願ったり叶ったりではないか。
 たとえ、貴方のカメラやレンズが手ブレ補正機能付きの優秀なものであっても、「おめおめ油断なさるな」と、ぼくは声を大にして申し上げておきたい。何故って? あの便利と思われる機能を、ぼくはほとんど信用しておらず、気休め程度のものとして扱うのがちょうど良いとしているからだ。

 「伎楽面」を前にして、2人の写真好きと覚しき中年のおじさんが、こんなことを囁き合っていた。曰く「もう少し被写界深度が欲しいんだけれど、これ以上は絞れないし(f値)、参ったなぁ。シャッタースピードもISOも限度だし。仕方ないか」。
 おじさんたち、ガラス面にへばり付くような位置でカメラを構え、どこかとても悲しげだった。彼らのカメラやレンズの機種名までは判然としないが、2人ともペンタプリズムを有した立派なレンズ交換式のデジタルカメラを首にぶら下げての嘆き節だった。

 2人で代わる代わる「伎楽面」を撮り、都度モニターで拡大しながら、「奥までピンがこない」、「鼻先がボケる」、「しょうがないか」、とお嘆き連発である。
 ぼくは辛抱強く待ちながらも、一言「もう少し被写体との距離を取って、撮影されたらいかがでしょうか」と、喉まで出かかったその言葉を飲み込んでしまった。出し惜しみではなく、意地悪でもなく、ただ偉そうに見えたら嫌だなと瞬時に感じ取ってしまったからだった。意気軒昂で壮健な中年男たちが、総白髪の半呆けジジィに、初歩的な技術の理(ことわり)を、居並ぶ仏さまの御前で口授されては面目が立たぬであろうとの配慮からだった。

 「被写体との距離が離れれば離れるほど、同じf値であってもピントの合う範囲は広がる」という光学的原理を当てはめれば良い。構図上、僅かに遠いと感じたら、後でトリミング(ぼくはトリミングを嫌うが)をして、整えれば済む。現在はトリミングをしても、昔と異なり、画質の低下を気にせずに済む優秀なソフトが存在している。

 このおじさんたちの話を我が倶楽部の婦女子たちに話したら、声を揃えて「うん、技術的にその通りよねぇ」と、さも「私たちはとっくに知っているので、そのような悩みに縁はない」といいたげである。あたしたちは百も承知だといわんばかりに、首を大きく縦に振りながら頷き合っている。
 ぼくも、意気軒昂な中年男たちも、中年を過ぎた婦女子の勇ましくも凄まじい笑いに吹っ飛ばされるのである。男というものは、いくつになっても、女子軍団を前にすると、あたかも陽炎のようにゆらゆらと、どこか所在なげである。まるで、バネの伸びきった締まりのない首振り人形の様相を呈すから不思議である。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
東京国立博物館、法隆寺宝物館。

★「01伎楽面_崑崙」
国宝。飛鳥時代7世紀。劇中では、前号で紹介した「呉女」を助けるために悪者を懲らしめる力士が「崑崙」とされている。虫に食われてはいるが、なかなかに良い面構えだ。
絞りf8.0、1/20秒、ISO 4,000、露出補正-1.67。

★「02伎楽面_金剛」
国宝。飛鳥時代7世紀。金剛とは力強い勇士を意味する。口の周りや顎に点々とみられる小孔は毛を植えた跡。
絞りf9.0、1/20秒、ISO 3,200、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2026/02/06(金)
第775回 : たわいのない話(続)
 連載を綴るにあたって、今回のように続きものにするのが書きやすく、また主題に頭を悩まさずに済むということを、編集者時代に偉い先生から伺ったことがある。確かにそう思うが、現在ぼくにこの作法が当てはまるかといえば甚だ疑問だ。
 本連載は、年12回ではなく、毎週のことであり、しかもすでに16年目を迎えている。我ながら、このしぶとさと足元の覚束かぬ粘りに呆れているが、余りにも多くの回を重ねてきたので、必ずやどこかで重複を免れないとの恨みが生ずる。彼方(あなた)任せの足取りに、小心者のぼくはジワッと汗ばむのである。いち早く「知らぬが仏」の心境に至りたいものだ。いや、それよりボケるが勝ちだ。

 大切なことは何度触れても(述べても)良いとの考えは変わらないのだが、内容に何某かの齟齬が生まれる可能性は否定できない。人間も、科学も、環境も、日々変化しながら歴史を刻んでいるのだから、それに準じて、ましてや生ものである人間の思考や感じ方が不変である道理がない。正しいと信じていたことが、経験や勉学を重ねるうちに疑問が生じたり、逆転したりすることは、特に生半可なぼくのような人間にとって頻発もやむなしといったところ。だがそれは同時に、未熟ではあるが、一方で謙虚ともいえる。16年の長きにわたり信念を持つのは結構だが、 “「十年一日の如く」相も変わらず” というのは、やはりちょい悲しい。
 加え、常に新しいことや未知なることに興味を抱き、向上心が高ければ高いほど、変化の度合いも大きくなるというのが自然の摂理というもの。

 さて、前回「カツカレー」について、あらん限りの悪罵を浴びせてしまったので、読者のみなさんから、そして友人知人から、はたまた本稿の担当氏から、「その顛末について」面白半分に「実際に食べてみたカツカレーはどうだった?」とのメールをいただいた。ぼくは、いつものことながら、都合良くおちょくられているのだが、これは「ぼくのサービス精神に基づくものだ」ということが、何故分からぬかと、不平のひとつもいいたくなる。だが、このような反響は、2,3年ぶりのことであり、ぼく自身が戸惑っている。

 「カツカレー」の食後感を先にいえば、「美味しくない!」の一言。どのような不味さかというと、「カツ」と「カレー」という一丁前の大人が見境なく諍いを起こしている。互いの旨みを相殺しており、「譲る」とか「引き立て合う」とか「相乗効果を生む」とか、そのような利点を一切放棄して憚らないので、見ていて実に腹が立つのである。彼らの醜い争いは、「諍い」を通り越して、つかみ合いの「争議」に発展している。実に見苦しい。

 どちらか一方が、少しでも健気な心意気を見せ、「食感はあなたに譲るから、香ばしさは私にちょうだいね」などといえばそれで済むものを、互いに強固に譲らないから、ぼくは強欲そのものの彼らの知能を徹底的に低く見積もらざるを得ない。
 双方とも一人前であるはずの料理が、互いに “がんまち” (京言葉。我が強く自分勝手なこと。欲張って出しゃばること)のため、火花を散らしている。口腔内で爆竹が弾け散っているようなものだ。はっきりいってしまえば、同じ皿に乗った時点で彼らは食に値するとかそうでないとか、もうそんな玉ではないのである。食うに値するような代物ではないということに気づいていない。

 「カツカレー」と同じく、ぼくは20代の時に手ひどい目に遭ったことがある。それは、「白ワインと目刺し(いわし)」の取り合わせだ。これほどにまで激烈で峻烈を極めた戦いはそうそうあるものではない。どうぞ、一度はお試しあれ。ぼくのいうところが実感として理解していただけることと思う。
 上物の白ワインを先輩よりいただき、ぼくは上機嫌で、手近にあった目刺しを七輪で焼き、ワインの肴としたのだった。その相性の凄まじさに天地がひっくり返るような体験をしたことがある。食い物と飲み物の相性とはこのようなものかと、ぼくはその教えに頭(こうべ)を垂れたものだ。

 斯様に、ものの相性というものは様々に広がりがあるということなのだろう。40歳の奥ゆかしい淑女は、ぼくがギブアップした「カツカレー」の残りをこともなげに口に放り込み、まだ食い足りないという様子だったし、メールをいただいた主婦の息子さんは大の好物だそうで、今のところぼくの意見に大手を広げて賛同の意を示してくれた人は残念ながら皆無である。
 自分の好きなものを嫌いといわれても、ぼくは何ともないが、逆に嫌いなものを好きといわれると、精神的にダメージを受ける。と同時に、密かに人格を疑ってしまいたくなるという悪い癖があるようだ。誰にも悟られぬよう「未熟者めが!」と独り言(ご)つのが精一杯。

 この傾向は、特に写真や文学について著しい(おっ、やっと写真の話にこじつけたか)。趣味の世界なのだから、他人の好みについてあれこれいうのは大きなお世話だと、ぼくは本心より思っている。ただ自分の評価しないものに対して、公の場で他人がぼくと正反対の意見を滔々と開陳したりすることに、ぼくはひどく戸惑う。戸惑うだけで、無論非難したり、反論もしない。そんな権利をぼくは有していないことは言わずもがなである。だがいろいろ、ここでは述べないが、ぼくはぼくで、なんやかやと大変なんである。

 今回の掲載写真については1話を要するが、先月やっと時間が工面できたので、以前より観賞したかった法隆寺の国宝である伎楽面(撮影可)を、撮影を兼ねて、東京国立博物館に行ってきた。少しばかりの技術的な話は次号で触れようと思う。うん、これで、次号が書きやすくなった。

https://www.amatias.com/bbs/30/775.html   

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
東京国立博物館、法隆寺宝物館。

★「01伎楽面_呉女」
国宝。飛鳥時代7世紀。古代の仮面劇に登場する唯一の女性。元々可憐な顔立ちで、「呉の国の乙女」とのこと。欠けた部分をイメージしながら、ぼくも古(いにしえ)に思いを馳せる。
絞りf6.3、1/20秒、ISO 2,000、露出補正-1.67。

★「02伎楽面_酔胡従」
国宝。飛鳥時代7世紀。酔胡とは酒に酔った異国人の呼び名で、従とは従者。西アジアの人を模したようで、日本人とは異なる骨相。実際は赤茶色だが、ぼくの描いたイメージに添って、敢えてモノクロに。
絞りf8.0、1/20秒、ISO 2,500、露出補正-2.00。



(文:亀山哲郎)

2026/01/30(金)
第774回 : たわいのない話
 人が恐れ嫌うことのたとえとして、「蛇蝎(だかつ)の如く嫌う」という言い方がある。蛇やサソリに出会った時の人間の感情・感覚を指してそう呼ぶらしい。実際、ぼくは蛇愛好家ではなく、したがって、あまりありがたい存在ではない。どちらかというと、やはり「毛嫌い」の部類に入る。どうあっても彼らを好きにはなれないのだが、子供の頃は彼らをよく見かけ、たいした抵抗感を持たなかった。だが近頃はさっぱりお目にかかれない。これはこれで寂しいと感じるのだから、勝手なものだ。
 愛好家は、蛇を「美しい」とか「可愛い」との感覚を持つらしいが、まっとうな神経を持っているぼくは、やはり「気色の悪さ」が先に立つ。ましてや、毒蛇となると、なおいけない。ぼくも「人並み」ということだ。

 余談だが、20数年ほど前、爬虫類のムック本を上梓するにあたり、出版社の命を受け毒蛇をたくさん撮ったことがある。今は亡き、愛すべき千石正一さんと蛇を求めて、国内で飼育されているそれ相手にカメラを振り回した。恐さは麻痺したが、だが最後まで蛇に愛着を抱くことはなかった。 
 蛇馴れしている専門家の千石さんが「こいつだけは嫌だ」と、子供のようにおよび腰になったのはブラックマンバ(アフリカ、サバンナに棲息するコブラ科マンバ属の一種。あらゆる蛇毒のなかで、最も毒に即効性がある)で、ぼくも千石さん以上にへっぴり腰となり、ガラス越しにライティングをしながら、恐る恐る撮った記憶がある。

 さらなる余談を披瀝すれば、サソリを割り箸で捕獲し、煮えたぎる油の釜に放り込み(つまり唐揚げ。毒は熱により消失する)、モンゴルの遊牧民とともに、ウォトカの肴として、美味しく食したこともあった。サソリは彼らにとって、貴重なタンパク源であり、サソリの毒がどうのこうのと、四の五のいっている場合ではないのである。生きるために欠かすことにできぬ大切な栄養源なのだ。ぼくもそれに倣い、彼らとともに割り箸片手に “サソリ掴み” に興じた。サソリは海老の唐揚げのようで、けっこういける。

 サソリは蛇と異なり、ぼくのなかでは「最も美しく、恰好の良い動物」であり、いってみれば「神からの素晴らしい贈り物」のように捉えている。甲冑を身に纏い、ハサミと尻尾を振り上げ前進してくる彼らは、とにかく、誰がなんといおうが、圧倒的にスタイリッシュだ。神の創造した優れた造形物のひとつとぼくは認めている。

 そしてもうひとつ、ぼくが昔から「蛇蝎(だかつ)の如く嫌う」ものの筆頭格に「カツカレー」というけったいで、どうにも我慢ならぬ食い物がある。ぼくはこの得体の知れぬゲテモノを食したことは未だかつて一度もなかった。これはちょっとした自慢であり誇りでもある。「カツカレー」を好んで食べる人間の人格をぼくは端から疑っているし、蔑んでいるくらいだ。
 「カツカレーが好き」という人間とは、男は無論のこと、どんな別嬪さんでもお付き合いなどまっぴらである。こんな品性下劣な食い物は「カツカレー」をおいて他に見当たらない。おそらく、世界中で最も醜い組み合わせである。

 ぼくは、「カレー」も「カツ」も、それぞれに大好物なのだが、これらが合体するとあらぬ化学的・精神的変化を引き起こし、その様は醜悪まっしぐらとなる。先ず、両者が屎(ばば)色にまみれたようなあの汚(けが)らわしい視覚に我慢がならない。臭気が漂ってきそうである。見てくれも、みっともないくらいだらしなく、しかも下品である。カレーの香ばしさが別物に変化を遂げるのだから、もう何をか言わんや、である。
 食べ物を汚すことは、道徳上してはいけないことと知りつつ、しかも罰当たりなことだとぼくはこれでも警戒しているのだが、それを押しのけてでも、「カツカレー」の正体に、やはり我慢がならないのだ。この世から抹殺したいものの筆頭格だ。

 「カツ」と「カレー」は、お互いの主張が強すぎて、日本人特有の「謙譲の美」を双方が放棄し合い、失っていることに気づいていない。両者は、その片鱗すら示すことがない。彼らの、他人の迷惑を顧みず大声で怒鳴り散らせばいいと思っているあの根性がたまらなくどぎつく、しかも毒々しく、迷惑千万である。それに彼らは気づいていない。
 皿の上で、顧みて恥じるところが一切ない両者の諍いは、見るに堪えない。こんなものをカレー好きの子供に見せるのは大罪である。

 「文句ばかりいってないで、生涯に一度くらい食べてみたらどう? 食べてみないと分からないでしょう」と、奥ゆかしい淑女(一応そういうことにしておく)に言明され、ぼくは勇気を震いながらも、生まれて初めて、小癪極まりない「カツカレー」とかいうへんちくりんなものを、この正月に不覚ながらも、とうとう食らってしまったのである。
 「カツカレー」云々より、「食べてみないと分からないでしょう」という淑女のありきたり過ぎる思い込みによる凝り固まった考え方に、ぼくはまったく納得がいかなかったのだ。これは一見彼女が正しいように見えるが、だが実は感受の未熟さがそう言わしめるのだとぼくは思う。

 たとえば、「あんな映画、見たくないよ」というぼくに対して、「見なければ分からないじゃない」とは何事かと反駁したくなる。ぼくは特段映画に詳しいわけではないが、監督や出演者である程度の見当はつくものだ。映画然り、文学然り、音楽然りである。うるさいジジィだね。
 「 “見なければ分からない” なんて、社会で責任ある仕事を全うし、創作に励んできた人が、そんな生っぽいことを言っちゃだめだよ」とぼくは精一杯優しくなだめるように毒突く。
 この考えの根底には、「創作物は決して “まぐれ” や “思いつき” で生まれるものではない」との確固たる信念が横たわっている。「作者により作品の質の見当をつけるとか、察するとか、それを洞察力というんだよ」と、ぼくは嫌味にならぬように、懸命に彼女を諭したのだった。正月早々、「カツカレー」とともに、ぼくは大変だった。

 どこで写真の話につなげようかとモゴモゴしているうちに、綴るスペースがなくなってしまった。「カツカレー」の感想は次回に続くということで、どうかお目こぼしを。

https://www.amatias.com/bbs/30/774.html  

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
滋賀県大津市石山寺。

★「石山寺多宝塔」
以前に掲載した多宝塔(国宝)を、立ち位置はそのままに、レンズの焦点距離を50mmに変え撮影。前回は35mm。今回は暖色系モノクロで表現。ぼくにはこちらのほうが好ましくあったので、多宝塔をもう一度掲載させていただくことに。
絞りf13.0、1/60秒、ISO 320、露出補正-0.67。


(文:亀山哲郎)

2026/01/23(金)
第773回 : あるモノクロ写真展
 餅の好きなぼく。だが、今年の正月はあいにく雑煮にありつけなかった。我が家の雑煮は、嬶(かかあ)が京女なので、それに倣い白味噌の雑煮が主流。もちろん関東風の雑煮もぼくは好きなのだが、今年の正月は嬶が不在だったため、京風も関東風も、雑煮なしの正月だった。
 加え芋棒(いもぼう。京都の伝統的な料理)もなしという侘しさ。正月の偉大な愉しみがふたつも失われた。芋棒というのは、全身に震えのくるくらい味わい深い料理だ。あの旨さは、鱧(はも)やふぐに匹敵する。

 嬶の不在はこの上ない歓びなのだが、雑煮のない正月はぼくにとって「初日の出」を逃したようなものだ、と一応それらしいことをいっておこう。今年最初の嘘である。
 もっとも、ぼくは「初日の出」を見たこともなければ、憧れたこともなく、もしそれが眼前に現れてもシャッターを押すなどということは決してあり得ない。ぼく自身が撮ることの必然性を一切認めていないので、意地でもシャッターは押さない。この片意地、やれやれ、だね。

 日の出は有史以来毎日繰り返される天文学上の約束事であり、何十年に一度とか千年に一度の現象ではないのだから、何の感動も呼ばない。呼ぶはずがない。ぼくは何事にもこんな調子だから、きっといつも物憂い顔の興ざめした人間なのだろう。可愛げのない鬱陶しいやっちゃね。
 世間で騒げば騒ぐほど、話題にのぼればのぼるほど、ぼくはそれに比して、意図的に距離を置きたくなったり、無関心を装いたくなるという実にまっとうな人間なのだ。人前で、絶対にスマホなど取り出さないもんね!

 で、「初日の出」を(しつこいなぁ)眼で見る分には、ぼくも人並みにそれ相応の心の揺らぎを認めるが、世の、喜寿を越えた “写真好きと称する男(たち)” が嬉々としながら、競って撮影に臨めば、「もうそんな面白味のない月並みなことはおやめよ。若い人ならいざ知らず、酸いも甘いも噛み分けたはずのジジィが、みっともなかよ」と小言のひとつもいいたくなる。大きなお世話だよなぁ。
 正月早々、ぼくは雑煮の食えぬ腹いせを今ここでしている。ぼくこそ、この歳になって「腹いせ」とか「念晴らし」なんて「みっともない」ことをしている。

 話を戻して、京料理について嬶にいわせると、こちらでは具材が揃わないので、如何様に調理しても、あくまで「 “疑似” 京風料理」の域を出ないのだそうだ。嬶にしては、えらく遠慮がちな言い方であるように感じる。
 「疑似」とはどのような意味かを確認しようと辞書を繰ってみたところ、「本物とよく似ていて区別をつけにくいこと」(広辞苑)、「区別のつけにくいほどよく似ていること」(大辞林)とある。「区別がつきにくい」のだとすると、嬶の「疑似」という語彙の選択は彼女の意志を多分に表しておらず、誤りである。
 「疑似」でなく、「似て非なるもの」、もしくは「似非」(えせ)が正しい。何事に於いても仇のような嬶が目の前にいないので、この場で嬶の言葉を厳格に糺しておく。「鬼の居ぬ間に洗濯」である。

 嬶の不在により、炊事はもっぱらぼくと坊主(息子)で賄っていた。雑煮の作り方が分からぬのではなく、ただ面倒臭かっただけ。だが二人とも炊事が苦手というわけではなく、けっこうマメなのだが、あまりにも忙しすぎて店屋物に頼らざるを得なかった。とはいえ、洗濯・掃除は、男所帯に似合わず、完璧といってもよいくらい行き届いていた。つまり、嬶がいなくても、ぼくは家事をしっかり切り盛りできるというわけだ。

 写真の話に入る取っ掛かりが掴めず今困り果てているのだが、良い個展が県下で催されているので、それをご紹介することにする。
 友人知人の写真展情報は、個展であれグループ展であれ、本稿は商工会議所という公の場なので、ぼくは道義を重んじ、自主的に公表を今まで控えてきたが、快諾をいただいたので、改めてここにご紹介したいと思う。

 今月20日(火)〜25日(日曜日。最終日のこの日は16:00)まで、埼玉県立近代美術館一般展示室4(B1F)で催されている『モノクロ写真展ー光りと時間の彫刻ー』は写真人の信念と良心を示すとても素晴らしいものだ。揺らぎのないテーマによる稀に見る作品群で、一見に値する。
 作者は、米国カリフォルニア州生まれの純然たる米国人で、御年72歳。9ヶ月ほど前にぼくは知己(ちき)を得、それ以来の良き友人である。写真に対する彼の真摯さと情熱は、彼の作品に寸分たがわず具現化されている。ぼくに彼の “一途さ” が備わっていたら、ぼくはもう少しましな写真人になっていたのではないかと感じている。

 モノクロ写真への思い入れは、時として余聞なる「こだわり」による「偏執」や「依怙地」に陥りがちだが、彼がその土壺にはまらずにいられたのは、良い意味での理知によるものだと、ぼくは明確に言い切る。世の中には、「悪い理知」も隠れているものだ。 
 彼は、モノクロである必然性を自己のなかに見出し、それを神の啓示のように、謙虚に、忠実に、自己を欺くことなく、虚心坦懐に、表現の意欲を内なる自分に差し出したからだろうと感じる。

 これ以上の、ぼくの解説は控えるべきなので、興味と好奇心のある方は、実際に会場に足を運んでいただければと願う。正月より、良い縁起と感じていただければ幸いである。

https://www.amatias.com/bbs/30/773.html

カメラ:EOS-1DxMarkII。EOS-R6MarkII。レンズ : EF11-24mm F4L USM。RF35mm F1.8 Macro IS USM。
さいたま市。近所。

★「01さいたま市」
桜を撮ろうと上ばかり向いていたところ、ふと足元を見たら何と可愛いタンポポが。
絞りf11.0、1/25秒、ISO 100、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
ポピー。RF35mmの描写に絆され、何でもかんでも、このレンズ一本槍という時期があった。このレンズの醸す空気感がぼくは好きなのだ。
絞りf2.8、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2026/01/16(金)
第772回 : 枯淡の境地に憧れる
 10歳の時に初めてカメラを父にねだり、それがぼくの写真事始めだったことは、何年か前にお話ししたように記憶する。
 千葉県勝浦市の結核病棟で療養中だった母を見舞うため浦和から週に一度通い、外房線(千葉駅ー安房鴨川駅)の風景を車窓などから写し取りたいとの衝動にいつも駆られていた。それが動機となり、ぼくは写真機が欲しくてならなかった。
 瞬(まばた)きをシャッターに見立て、ぼくは流れ行く車窓風景を頭のなかで盛んに撮っていた。気動車(ディーゼルカー)からのモノクロ風景は、今多少黒の濃度が退化してはいるが、色褪せることなく、頭のなかにしっかり定着されている。当時、「写真はモノクロ」と相場は決まっていた。

 母の喪失に加え、京都からの移転はぼくのなかで甚だしいカルチャーショックと寂しさを呼び、不安障害やひどい吃音のため、学校でも、家でも、物言わぬ子となり、学校の先生や周囲の大人たちを困らせた。当時は、現在のように情報網が発達していたわけではなく、言葉も食べ物も文化の違いという高い塀に阻まれ、たて穴式住居に閉じ込められたかのような錯覚に陥ったものだ。京都と埼玉が同じ日本とはどうしても思えなかった。
 食に無頓着だった父の料理は、遠い記憶だが、どこか軍隊調 !? であるが故の不器用さで、母の入院中は豆ばかり食わされていたような気がする。父ひとり子ひとりのいびつな二人暮らしに、父は父で、気の休まる間がなかったであろうと思う。

 父はぼくの気を少しでも紛らわせるために、カメラや模型は必要な道具立てであったと思われるが、父の立場からすれば、気を病んでいたぼくが何かに熱中するのは救いであったのではないかと思う。
 紅梅キャラメル(当時の少年の誰もが熱狂した)をポケットに忍ばせ、自転車のサドルに乗せられて、浦和の写真店でフジペット(富士写真フイルム製。1957年発売)を買ってもらったことは、終生忘れ得ぬ思い出である。写真店には鼻を刺すような酸っぱい臭いが充満しており、当時はその正体を窺うことは出来なかったが、十数年後にそれは暗室で使用する酢酸を初めとする薬品の臭いであることを知った。

 あれから半世紀を優に超えたこんにちまで、未だぼくは写真にしがみついている。理由はただひとつ、ぼくの性分に写真が合っていたからだろう。絵も、文も、音楽も、創造的なことは何一つ及ぶべくもないぼくだが、自分をどうにか表現でき、また熱中できた唯一のものが写真であり、多くの私財をつぎ込んだのもそれだった。

 フィルム時代が44年間、デジタル写真を24年過ごしたことになる。写真屋になってから、デジタルとフィルムが重複する期が2,3年あった。どちらが良いか喧(かまびす)しい時期があったが、ぼくは一顧だにしなかった。
 ぼくが、明確にいいたいことは、それは個人の「趣味趣向の問題」であり、「物の善し悪し」では断じてないということである。
 フィルムだろうがデジタルだろうが、好きなほうを使えばいい。商売人はクライアントに従えばよく、また映像生成原理のまったく異なるものを比較して、あれこれ蘊蓄(うんちく)を傾けたところで、そこにどんな利点と価値があるのだろうか。そのようなことに一喜一憂する意義をぼくは認めていない。

 フィルムがフジペットで始まり、デジタルはキヤノンEOS-1Ds(初代。2002年発売。フルサイズ、1110万画素)だった。
 今まで双方合わせて、40台近いカメラを使用してきたことになる。全体何本のレンズを、取っ替え引っ替えしてきたことだろう。同種であっても同じものはふたつとなく、そのめまぐるしさのなかで、よくもまぁ窒息せず、飽きもせず、呼吸をしてきたものだと感心さえする。ぼくは知らずのうちに、「テスト魔」と化していったが、どの界隈にもよく見られる狷介(けんかい)な人物になってはいけないと警戒しきりだった。

 科学と化学、物理と光学の織り成す複雑なプロセスを慎重に操りながら、表現のあらん限りを尽くすことなど、ぼくには土台無理というものだ。またその必要もない。人間には、感受や機微というかけがえのない素因が多く内在しているので、科学も使い手次第。賢く用いるのが一番だ。
 また、主観と客観の二面が、同時に行儀良く居座るかどうか、ぼくには分からないが、何れにしろ経験を積まなければ、互いが理知的に相容れ、交差することは永遠にないだろう。写真は、現場主義なのでなおさらである。

 かつての「テスト魔」は、年を経て「亀の甲より年の功」(駄洒落ではない)というわけではないのだが、今やカメラもレンズも「写ればいいよ」との気分が強い。極めてお気楽なものだ。
 現在使用のカメラは、今までのような、いわゆるプロ仕様ではないが、「必要にして十分」なので、物持ちの良いぼくは、MarkIIIが出た今も迷いがない。つまり、買い換えの必要性をまったく感じていない。

 「写ればいい」というのは本音なのだが、ぼくはこう見えても安易さを極力嫌うので、「重い、重い」といいながらも、「年寄りの冷や水」を当分は続けて行くだろう。丁寧さを最重視する姿勢は、捨ててはいけないことの一番に据えている。「老いたる馬は道を忘れず」の境地に至れば、少しは自身の身体を労ってやろうかとも思っている。かつての「テスト魔」に、やがてそんな日、つまり「枯淡の境地」に似た日がやって来るだろうか?

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カメラ:EOS-R6 & MarkU。レンズ : RF35mm F1.8 Macro IS STM。
さいたま市。近所。

★「01さいたま市」
先週に続き、趣の異なる “はなみずき”。夜間に街路樹の光の下で。風が吹き、僅かな揺れのため、ブレたり変形したり。原寸画ではその面白さが見て取れるのだが、このリサイズ版ではちょっと無理かな。
絞りf4.0、1/20秒、ISO 1,000、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
エキナセア。別名ムラサキバレンギク。筒状花は丸く、花弁は下向きに咲く。
風との闘いだったが、これは克明な描写が欲しいので、しっかり止めなければならない。
絞りf3.2、1/200秒、ISO 800、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)