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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2020/02/21(金)
第484回:今日も独り言
 フィルム時代、暗室に入り浸っていたぼくはとうとう病膏肓に入り(やまいこうこうにいる。あることに熱中して抜け出せなくなること)、身を処す手立てを失ってしまった。
 当時、編集者として出版社に席を置いていたが、暗室作業ばかりに気を取られ、編集者としての任務が疎かになり始めていた。そんな状態では会社に迷惑をかけると思い、一大決心をして、よせばいいのにこの道で自分を試してみようなどと不埒な考えを持つに至った。これをして「魔が差す」というのだろう。悪念に取り憑かれ、気がついた時にはすでに後戻りの道を失っていた。

 当時ぼくには小さな子が2人おり、そんな身勝手なぼくを見て嫁は離婚を申し出てきた。家族に対する責務を放棄してまで、この道に突き進んで良いものかどうか。ぼくは良心と闘いながら呻吟したものだが、幸いなことに嫁から2年の猶予が出た。執行猶予のようなものだ。「渡りに船」とはまさしくこのことだ。ぼくは嫁に大きな借りを作ってしまった。
 「案ずるより産むが易し」というではないかと、ぼくはそれを念仏のように唱えるとともに、覚悟を決めた。さまざまな趣味に興じていたぼくは、同時にすべてを潔く捨てた。それらは未だに捨てたままになっているが、趣味を職業としてしまった不始末として甘受しなければならないと思っている。
 2年経って写真で食うメドが立たなければ、すっぱり足を洗い、どんなことをしてでも家族を養うことを最優先にしようと心に決めた。また、覚悟さえ持てば、どんなことにも挑戦する資格があるのだと、自身を諭すことも忘れなかった。

 写真の修行期間を2年と定め、徒弟制度を経て、フリーランスの写真屋として出発したが、サラリーマン時代に築いた人脈もあってか、さまざまな人たちがありがたくも手を差し伸べてくれた。ただし、元在籍した2社の出版社にお願いすることは憚られたので、それはしなかったが、回り回ってご好意に甘えることはあった。営業せずとも、クライアントが枝葉のように広がっていったのは、好運だったと今も感謝している。

 下手くそな写真屋は、クライアントに熱意と誠意を汲み取ってもらうしか方策がない。食い扶持を家に入れるためにはそれだけが頼りだった。
 いくら長い間趣味として熱心に写真に取り組んできても、師匠についた時に、今までアマチュアとして得てきた写真的知識や技術のすべてが無駄だったとはいわないが、当たり前のこととはいえ、そこは隔絶した世界だと思い知らされたものだ。一から出直すしか他なしといったところだった。

 そしてまた、助手として働き始めた当時、いつも師匠にいわれたことは、「まずサラリーマン根性を捨てることから始めろ。それができないのならカメラマンになることは諦めろ」だった。「サラリーマン根性」とは、あまり良い言葉でなく、ぼくは好きではないが、彼のいいたかったことは「意志や感情を知らず識らずのうちに抑えてしまう習性」を意味しているのだろうと思う。そして「今まで持っていた “取るに足りぬプライド” など即座に捨ててしまえ」ということだとも解釈している。
 意志や感情、強い精神力と一徹さの発露が物づくりの原点だと、彼は主張したかったのだと思う。ぼくもそれに異存はない。
 それはやがて、写真屋としての、あるいは職人としての職業倫理ともいうべきものにつながっていくのではないだろうか。それがために、世間から奇人・変人・身勝手な奴と謗(そし)られることもあろうが、世評などどこ吹く風である。それは “取るに足らぬプライド” の変異が成せる業とも思える。

 今回は、カラー写真に取り組んで(私的写真の)から今年7月で丸3年を迎えようとしていることについて述べようと思っていた。冒頭の「暗室に入り浸っていた」と記したところから、カラー写真についての事柄や暗室作業に話を展開する心積もりでいたのだが、何故か訳の分からぬ変化球を投じてしまった。
 どこで話が曲がっちゃったんだか・・・。

 つい先程まで、まったく別次元の事柄についてキーボードを叩くことに専念していたものだから、気の執り成しが利かず、つい手元が狂ってしまったのだろう。そのことに今気づくのだから、まったくぼくはおめでたいとしかいいようがない。
 拙稿はお題目を与えられているのではないので、文章のどこかに「写真」という語彙を含ませれば、危うくも逃げ果せるとぼくはどこかで油断している節があると正直にいわなければならない。今回は( 今回“も” かも)担当者の寛大な心意気に甘んじて、キャッチャーも取り損なう変化球をこの際看過してもらおうと目論んでいる。折角?ここまで書いてしまったものだから、文章を削除するのも忍ばれ、横着を決め込むことにした。

 「プロになりたいのですが」との希望を持った若人がポートフォリオを抱えて折々訪ねて来る。彼もしくは彼女に写真を撮る能力があるかどうか、ぼくはまったく頓着しない。一応ポートフォリオに目は通すが、それを批評することもない。ただ、すべてを捨てる「覚悟」があるかどうかだけを訊ねることにしている。
 何事も覚悟次第との信念は、嫁から与えられたものなのかも知れないと、ぼくは臍(ほぞ)を噛んでいる。まだ借りを返せずにいるが・・・。

http://www.amatias.com/bbs/30/484.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L USM、FE35mm F1.4L USM + 偏光フィルター。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
眼鏡店のショーウィンドウ。すっかり色あせてしまったポスター特有の色調。シアン系だけが浮き上がっている。
絞りf8.0、1/40秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
まだ行ったことのなかった巴波川(うずまがわ)西側を歩いてみた。長屋の一角に陣取る古い魚店。35mmレンズに偏光フィルターを付ける。補整は部分的にソラリゼーションを活用している。
絞りf9.0、1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2020/02/14(金)
第483回:ひねくれ者の独り言
 自身の写真に対しては常に自己批判(自己否定)と自画自賛(そうでもしなければやっていけない)に明け暮れている。そんな日々を送りながら、写真を撮ることの愉快さを満喫。
 この満喫は、時に酷い苦痛を伴いながらも、ぼくの精神生活に対する不安を覆い隠す唯一の手立てであるように思える。今のところそれしか生きる方策が見つけられないでいる。幸と不幸の間を行ったり来たりしながら、不安な心情を写真(印画紙上)で吐露し、表現できれば本望と考えている。

 写真に興味を持ち始めてから60年以上の歳月を過ごしてきたが、写真に傾注すればするほど闇は深くなり(質量が巨大化しつつあるブラックホールのようなもの)、そこからの脱出は、やれやれ、生が尽きるまで続くのであろうと覚悟している。この覚悟にぼくは自己陶酔している嫌いがあるが、それも満喫の際どさであろう。自家中毒に冒されているのかな?

 ぼくにとって私的な写真(専門であるコマーシャル写真ではないという意)は、自身の生き様を晒すための手段であり、多少手前勝手な言い方をすれば、他人に見せ、共感を得ようとするためのものでは本質的にない。
 もしそれに邁進しようとすれば、必ずクオリティの低下を招くと信じている。あるいは、高評価を得ようと写真以外のことにあたふたとかまけるのも同様の結果を招く。

 少なくとも美のあり方は、あくまで創造主独自のものであり、故に他人の目を意識するのは邪道の極みだと考えている。そのことは、手を束ね膝を屈む(機嫌をとったり、へつらうこと)に等しいという考えに基づいている。
 ぼくにとって創造を具現化する一手段である写真は、あくまで自己表現のためのものだ。他人の共感を斟酌するものではない。論じるまでもないことだが、このことは他人に強いるべきことではなく、「他人は他人、自分は自分」を踏襲しているに過ぎない。
 だが、作品は視聴者・閲覧者の存在あってのもので、それを度外視したところで論じることはできない。また、自己を顕示したがるのも人間の性として、しっかり意識下に根づいている。それを承知の上での独り言である。

 ぼくの写真に閲覧者がもし何かを感じ取れるものがあれば、素直に嬉しいとは思うが、必然的に賛否両論があればこそ評価・評論が成り立ち、それはさらに好ましいことだと認めている。評価に対して聞く耳は持つが、それに一喜一憂する隙間など存在しないというのがぼくの心の持ちようでもある。
 そんなぼくを評して “ひねくれ者” とする向きもあるようだが、しかしぼくは写真屋であって太鼓持ち(人にへつらい、機嫌をとるのに懸命な者。大辞林)ではないのだから。
 回りくどい言い方と自覚しつつ、上記したことに従えば、写真の好評価は大多数から(もしそうなら自分の作品を怪しんだほうがよい)ではなく、ごく少数の人たちから「良い写真」と目されるのが、ぼくの理想である。やはりたいそうな “ひねくれ者” なのだろうか?

 写真は、記録や記念を目的とするための、他にはないとても大きな役割を有している。絵では表現できない別の世界があるので、ぼくでさえ一月に一度くらいはスマホでパチリと撮ることがある。
 純粋な表現手段とは別に、写真の利用価値があることは百も承知しているし、それが世界的な主流となっていることにも異論はない。分野や目的如何に関わらず「写真はまず楽しむこと」から始めればいいのだから、スマホ写真は大いに結構なことだ。また、それは時代を変えるほど大きな力を持っている。人類は「簡便かつ実用的」ともいうべき潮流に抗うことはできない。訝しいものであっても、やがて大衆化していくものだ。
 それ故、写真を楽しむ人が増えたことは自然の流れというべきもので、写真人口の底辺は広がりを見せるが、これはぼくの当て推量だが、自己表現に活用しようとする向きはそれに比例していないように見受けられる。むしろ昨今は反比例しているのではないかとさえ思える。

 その大きな要因のひとつは、「誰でもが容易に写真を撮れる」ということにある。このことはつまり、写真を撮るためのさまざまなメカニズム(機械ばかりでなく、精神に及ぼす影響をも含めて)を理解しないで済むことにある。この現象の可否判断は複雑な文化論の様相を呈するので、ここでは言及しないが、ぼくの気持を一言でいうのであれば、写真人口の増加は “痛し痒し” ということになろう。喜ぶ人もいれば、一方で嘆く人もいる。善悪の問題ではないのだが、 “ひねくれ者” のぼくは、ややもすると精神文化の沈滞を招くのではないかとの懸念を抱いている。これは物質文化と相対的な意味合いに於いてである。

 このような現象は写真ばかりでなく、あらゆる分野に於いて共通した事柄でもある。ものの道理からいえば、「お手軽で、お気楽なもの」はそれ相応のものしか生み出せないということだ。これを是認(この語用もおかしなものだが)する、しないという難しい問題は個人の自由だし、またその人の資質に委ねるしかない。

 どこかから、「老いた “ひねくれ者” は、手触りが悪いや」との声が聞こえて来るような気もするのだが・・・。

http://www.amatias.com/bbs/30/483.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE35mm F1.4L USM、FE24-105mm F4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
前号掲載写真より時制が1時間遡るが、朽ちかかったモルタルに面白い影が投射されていた。この場の空気感を重んじて。
絞りf7.1、1/1000秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
ショーウィンドウに、お世辞にもきれいとは言い兼ねる水仙の造花が無造作に置かれていた。画面左に風に吹かれてひるがえる旗の赤い線が写り込み、それを意識して。
絞りf8.0、1/20秒、ISO200、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/02/07(金)
第482回:ある巡り合い
 栃木市内を徘徊し日没が迫ってきた頃、ぼくの気力は体力とともにまだまだ余裕があった。陽が完全に沈み、三脚を使用しなければ撮れない(三脚を持参していない不心得者だった)状況まで粘ろうとの意気も軒昂だった。ブレを防げないほど暗くなるまで撮るとの感心すべき心がけは久しぶりのことでもあった。ぼくは例によって鼻を膨らませながら、「おれもまだ捨てたものではない」と自画自賛に浸った。

 しかし、この良き心がけは必ずしも常に報われるわけではない。ここが物づくりの皮肉というものだ。膨らんだ鼻もすぐに萎む。我が経験に照らせば、むしろ報われないことのほうが圧倒的に多い、というのがぼくの率直な感想でもある。天に向かって恨み言を並び立てても仕方ないのだが。
 心がけは不可欠だが、それだけで写真は写ってくれないところが面白くもあり、歯がゆくもあり、また悲しくもありというところか。写真は感情の起伏を演出してくれるので、それが愉快でなかなか止められない。

 ぼくがいつも力強く、時には我勝ちに自画自賛をしてみせるのは、生きるための方便であり、それは不可欠なものであって、決して自惚れの類ではない。
 けれど粘ったおかげで、奇妙で、しかも興味ある被写体に出会った。 “出会った” ことは幸いなのだが、写真の出来は残念ながら幸いとはいかなかったので(掲載写真「01」)、ぼくはそれを指して、だから “皮肉” という。

 謙虚に自己批判を試みれば、思い通りの写真が撮れなかった要因のひとつに、興味ある被写体の何に感じ入ったのかが絞り切れていなかったことが挙げられる。「心象のへそ」がどこか散漫であり、主張したいことの的がしっかり掴めていないのではないかということだ。
 表現の凡庸さという目に見えぬ手強い敵に対峙しながら、凡庸という非難を自身に向けなければならぬのは、やはり皮肉ととるべきものだ。いつもながらの堂々巡りを演じている。光や造形を考慮すれば、もっと適切なアングルがあったはずと思われるのに(あれこれ24枚も撮ったにも関わらず)、それを二次元(写真)に思い通りに投射することができなかったのは、ただ何となく撮ってしまったからだろう。

 及第点を与えられぬ写真を、ここに掲載しなければ写真の員数合わせができぬことは悲劇である。前回記した「因果晒し」を如実に露呈している。また、読者諸兄に対しても良心の呵責に耐えなければならない。本来そのようなことは、たとえ職人の端くれであっても許されようがないのだが、何の因果か、これがぼくの職業だと観念している。逆恨みは嫌な心得なので、ここはぐっと堪えて(堪えてないじゃないか)、奇異な建物についての話を続ける。

 裏通りからさらに路地裏を進むと、学校の校舎(モルタル造り)のような大きな建造物が現れた。かなりの年代物と思われるが、窓に奇妙な形の木枠がはめられていた。「これは一体何なのだろう?」と首を傾げていると、近くの駐車場に急ぐ人影が見えた。年の頃還暦ほどだろうか。地元の人に違いないと見当を付けたぼくは、彼が車に乗り込む前に、話を聞いてみようと駆け寄った。
 若い頃には躊躇しがちだったが、今はもう見ず知らずの人にも気軽に声をかけることができるようになった。年功なのだろうか? 風体が怪しい(作務衣にジーンズ、縁の太い丸眼鏡に迷彩帽というヘンテコな出で立ち)にも関わらず、白髪のジジィを警戒する人はまずいないとの勝手な思い込みがそうさせるのだろう。あるいは、哀れみをもって接してくれるのかも知れない。

 かぶった帽子を取り、「お急ぎのところお手間を取らせて申し訳ありませんが、ちょっと教えてください」とぼくは切り出した。そして、「あの建物は一体何なのでしょうか?」と続けた。
 「ああ、あれね。あれは昔病院だったんですよ。私の父が医院長をしており、経営者でもあったんです。私は父の意志を継ぐ気がなかったので、アッハッハッ、今はご覧の通り荒れ果てたままにしていますがね」と屈託なくおっしゃる。
 ぼくはまさかの奇遇に驚き、頭の中が真空状態になるのを覚えた。たまたま声をかけたその人が、当事者の息子さんだとは。このような奇抜なことが実際に起こるので、この世は侮れない。
 
 「いつ頃まで経営されていたんですか? 当時としては大きな病院だったのでしょうね。そして窓には面白い木枠がはめられていますが、あれは何なのでしょう? デザイン上の何かとも思えませんが」と、矢継ぎ早に質問した。
 屈託のない彼は、「『栃木地方病院』といいまして、昭和40年代に廃業しました。約50年前です。当時としては他の医療施設にはない設備を誇った病院で、小中学生が団体でレントゲン検査などを受けていたものです。あの木枠は、蚊除けの網戸を張るために付けたものです。この辺りは蚊が多くてね。悪戯に窓ガラスが割られることもあったので、それらの防護用でもありました。一階が診療室、二階は入院用に使われていました」と、完璧な答えが返ってきた。

 昭和40年代と聞いて、ぼくは「それほど昔のことではない」と感じてしまった。ぼくのなかでは、平成時代の30年間がすっぽりと抜け落ちていたからだ。この錯覚はいつもぼくを混乱に招き入れる。昭和23年生まれのぼくは、平成を飛び越して、突然令和になってしまったのだとの思いが強い。平成は働き盛りの真っ只中で、今思い返すとまさに馬車馬の如きであり、心の中は案外殺風景なものだったのかも知れない。それが昭和の高度成長期とともに育った典型的な昭和っ子なのかなぁとも思っている。
 病院の経営者のご子息と偶然にもお会いできたことは、何かの因果であり、それはきっとぼくの心得によるものだと、ことさらに自画自賛しておこう。今、なんだか鼻が膨らんできた。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/482.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE11-24mm F4.0L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木地方病院跡」
本文で触れた日没間際の「栃木地方病院跡」。路地が狭く引きが取れず、向かい側にある家の壁に背を押しつけて、11mmの超広角で撮る。年季の入ったモルタルの質感を大切にしながら補整。
絞りf8.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02ヤマサ味噌」
今まで何度も見た風景。雑草などが廃除され見通しが良くなり、陽も地平線に傾きつつあった。空のグラーデーションにもコントラストがつき、やっと撮る気になる。
絞りf9.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/01/31(金)
第481回:モンドリアン
 先日栃木を訪問した際に、3本のレンズを携行した。1本はカメラに付け、もう2本を約20年前にメーカーからもらった小さなバッグに詰めて、栃木市内を3時間以上も心の糧!?を求めてさまよった。
 このバッグ、今はもう塗装が剥げちょろけとなり、見かけはボロボロだが、機能は衰えを知らず、まったく弱みを見せない。なかなかに達者で、しかもしたたかな奴なのである。海外ロケにも大変重宝し、大活躍してくれた。大きなカメラバッグに機材を詰め込み、ホテルでその日に必要なレンズを選択して小さなバッグに移し替え、持ち歩くには最適なサイズと機能を有している。

 しかしそうはいっても、3本のレンズとカメラボディを身にまとい、3時間以上も休みなく栃木市内を闊歩すれば、さすがにくたびれる。直立不動のままシャッターを押すことはほとんどなく、都度体勢を整え、カメラブレを恐れ、立ち位置を微調整しながらの作業を日に何百回も繰り返すのだから、老体にとってはやはり身に堪える。つくづく因果な商売だと、自身の不心得を懇々と諭さざるを得ない。
 「カメラマンは定年がないからいいねぇ。羨ましい限りだ」なんて、世間知らずの同窓生などは口をすぼめてお気楽にいう。職人が職を絶つことは、生を絶つことに等しいということに気が回らないようだ。前回記したように「写真屋の存在価値は、写真を撮ってこそ “なんぼ” なのだから」。今さらながらに、ぼくは因果晒し(前世の悪行の報いによって受けた恥を、現世にて世間にさらすこと)を余儀なくされている。そして「他人を羨むなんてもってのほかである」とぼくはすかさず彼らに悪態をつく。

 栃木から帰宅し、しばらくベッドに横たわり、立ち上がると途端に腰に痛みが走った。体を直立できず、腰を丸めながらの歩行は、まるで年老いたおじいさんのような恰好だ。すわ因果応報かと思いきや、しばらく体を動かすと血行が良くなるせいか、痛みはスーッと消える。同時に、心の痛みも消えるような気がするからおかしい。

 何事にも因果関係を突き止めることに固執するタイプのぼくは、この腰痛が果たして栃木撮影に起因したものか、未だ疑問に思っている。体力の衰えを何としてでも認めたくないとの潜在意識が働いているようだ。
 素直に認めれば、写真を撮るという行為に差し障りが生ずると分かっているので、今のところ観念することを見送っている。気力はあるが体力が追いつかないという悲劇をいずれ体験することになるだろうが、その時の絶望感を考えると暗澹たるものがある。「まだまだいける」との暗示をさかんにかけている今日この頃。

 前回の題目「写真の『題名』は野暮天?」を自身の都合に合わせて鞍替えしてみる。これはぼくの凄味ある生きるための方便であり、あるいは言いこしらえ(もっともらしい話で相手を安心させてだましたりすること。うまく言い繕うこと)でもあるのだが、写真に「題名」があるのとそうでないのとでは、理解への筋道が早くなることが極稀にある。今回の掲載写真はその一例として、野暮天を重々承知のうえで、敢えて「題名」を付けてみようと思う。

 裏通りを歩いていると、廃業となった婦人服店に出くわした。ぼくは咄嗟に「おっ、モンドリアンのコンポジション!」(ピエト・モンドリアン。1872-1944年。オランダの画家。水平と垂直の直線のみによって分割された画面に、赤・青・黄のみを用いるというストイックな原則を貫いた一連の作品群がもっともよく知られる。出典:Wikipedia)とつぶやいた。
 すぐに頭の中でイメージが固着し、店のシャッターを含めた壁面をどう切り取るかにだけ神経を注げばよかった。

 子供の頃、ぼくの枕元には父の蔵書棚があり、その最下段には美術全集や解説書が並んでいた。目覚めると、寝床でぐずぐずしながら、美術全集を引っぱり出しては眺めていたものだ。そのなかにモンドリアンの抽象画があった。幼心に「こんなものが絵なのか? これならぼくも描ける」との思いが強かったことだけはよく覚えている。絵画としての認識を訝りつつも、幼少時に受けた印象は大人になってからもなかなか拭い去れるものではない。

 栃木でぼくは懐郷の念にかられながら、被写体を前に蟹の横ばいを真似た。構図を図る上で困惑したことはただひとつ。モンドリアンの一連の作品はどれも正方形であり、ファインダーの縦横比は3:2であることだった。正方形のトリミングも考えたが、まるで真似事のように思え、「トリミングはしない」のがぼくの流儀だと、それを頑なに守ることにした。そして、「これはぼくの写真なのだから」と言い聞かせた。
 この写真の題名を「モンドリアン」とせずとも、写真としての完成度をどう高めるかに注力すべきと言い含めた。世の中には、モンドリアンを知らない人だって大勢いるに違いなく、題名を「モンドリアン」とし、閲覧者を惑わせたり誘導するのは、お門違いというものだ。これこそ大きなお世話だ。
 斯くして、初めての「題名」付けには大いなる抵抗感が生じ、ぼくにそぐわぬことが判明した。「モンドリアンもどき」なんていわれたくないし。けれど、ぼくのこの「題名」は、シャッターを切る以前にイメージしたものなので、「後出しジャンケン」でも「あとづけ」でもないのが、救いといえば救いなのかも知れない。

http://www.amatias.com/bbs/30/481.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE35mm F1.4L USM、FE24-105mm F4.0L USM。
栃木県栃木市。

★「01モンドリアン」
説明は本文参照。
絞りf7.1、1/200秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
県道11号線から西へ1本入った商店街にある歌麿通りには、あちらこちらに色あせた歌麿のポスターが貼られている。歌麿は栃木の豪商と交流があり、旧家から肉質画が3点発見されている。
絞りf9.0、1/600秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2020/01/24(金)
第480回:写真の「題名」は野暮天?
 昨年は私的写真に尽力したとの実感を持てなかった。我として慚愧(ざんき。自分の言動を顧みて恥ずかしく思うこと)に堪えない。この悲しい現実を大いに反省している。
 今年はまた一年歳を重ねることになるのだが、老いを養いながらも一徹さを自身に課さなければならない。大上段に振りかぶりながらも、自身を追い詰めるとの悲壮な覚悟を持って撮影に臨もうと決意している。写真屋の存在価値は、写真を撮ってこそ “なんぼ” なのだから。新年の誓いは、悲喜こもごも、というより哀感に満ちたものだった。

 正月明け早々に、慣れ親しんだ栃木市(といっても、まだまだ一部しか知らないであろう)に車を走らせた。途中、佐野サービスエリアに寄り、かき揚げうどんを掻き込みながら、不安ばかりが頭をよぎる。
 「ここのうどんは近所のスーパーで売っているうどんよりずっと旨い。第一食感がいい」なんて感心などしている場合じゃないのだ。
 何度も通った土地なので、「ぼくは緊張感を保てるだろうか? 惰性に走り、発見が疎かになりはしないだろうか? 何も見えなかったらどうしよう」などなどの不安と恐れが襲ってきた。

 第466回から4回にわたって「通うことの大切さ」について思うところを記したが、撮影場所との相性は誰にでもあると思う。ぼくが足しげく栃木市に通うのは、自身の感覚に釣り合うものが比較的多く見受けられるからだろう。しかし残念ながら、このことは当然、良い写真が撮れるとの保証を得るものではない。唯一の慰めは、被写体を渉猟しながら、間延びすることがあまりないということに尽きる。
 間延びしないということは、「緊張感を保て、気分を知らず識らずのうちに高揚させ、自身の気に入った写真を撮れる確率が高くなる」との自己暗示をかけやすいことだ。暗示にかかりにくいぼくだが、ここに至って、ぼくはこれにすがる。目下すがりっぱなしだ。

 前回登場願った「ゴムまり」とM女史から相次いで脅迫状めいたものが舞い込んできた。「あたしたちのことを冗談めかして書くより、そんな暇があったら写真の話をちゃんと書きなさいよ。写真のことなど、最後の段落に体裁づくりのためにお愛想でちょっと触れているだけでしょ。あたしなんか迂闊にも電車の中で読んでしまったものだから、笑いを堪えるのにお腹は痛くなるし、ついでに涙と鼻水を同時に垂れ流し、あまりにもみっともないので途中下車してしまったくらいなんだから。『コンパスで同心円状に描かれたような顔』とはなによ!」と、自身の修業不足を棚に上げ、おもむろにぼくを叱りつけるのだった。

 何をいわれようと、ぼくが改心などしないことをよく知っている最古参のM女史は、「たまにはさぁ、他人を茶化すばかりでなく、掲載写真の解説などしてみたらどうなの。つまり “自己批判” ね」と意地の悪さを押し隠すような調子で気やすくおっしゃる。
 確かにM女史のいわれることには一理あるような気もする。けれど、出来上がった1枚の写真について作者が蘊蓄(うんちく)を傾けるのは、あまりみっとも良いことではないというのがぼくの持論だ。ダサいよね。
 閲覧者に最低限の情報(場所、撮影日など。必要とあらばデーターも)を示すくらいは必要だが、ぼくの流儀からして、それ以上のこと(撮影意図や題名など)はしないと心に決めている。

 写真展や雑誌などのコンテストに見られる「題名」などは、良し悪しを別問題としても、ぼくは付けない。「題名」によって閲覧者に先入観や誘導を与え、ぼくはそれを極めて不粋で野暮天だと感じ、敢えて「題名」を付けることはしない。自身の作品は、閲覧者の自由な想像や発想にお任せすべきで、手枷足枷となる誘導は大きなお世話と考えているからだ。「どうぞご自由に(私はどう思われようとかまいません)」がスマートなのではあるまいかと思っている。
 また、「題名」の付け方によって、それが写真審査の優劣を左右することがあると聞く。まったく本末転倒も甚だしいことと苦々しく思っている。

 個展やグループ展などで、しばしば撮影意図などを訊ねられることがあるが、それを言葉で表現できないからぼくは写真を撮る必然性に迫られるのである。もちろん問われれば、「言葉は心の使い」とはいうものの、拙い日本語を弄しながらできるだけ誠実にお答えしようと試みるが、文学者や詩人でないぼくは、もどかしさと虚しさを覚えるばかり。そしてまた、それは大変気恥ずかしいものだ。時によって、撮影後の効能書きは「後出しジャンケン」のような厚かましさを感じさせ、男らしくない。
 「あなたがお感じになったことが、あなたの真実であり、作者であるぼくの意図が、たとえあなたの感じることと異なるからといって、ぼくが横槍を入れることはとても無作法で失礼なことだと思います」と正直に答えることにしている。

 自身の人生観ならびに美意識、思想や哲学、宗教観や死生観、そして都度の感情を相手に伝える手段としての写真、絵画、音楽などなどは、言葉より抽象的な要素が強い。
 直截的なものより抽象的なもののほうがより訴求力がある場合が多々ある。直裁的でない分、意図するところの解釈を相手に委ねることになる。それでいいのではないかと思う。余計なちょっかいは自身の作品意図を濁らせたり、汚したりすることにつながる。
 言葉多くして通じず、を切実に感じる人間は、他の方法を試みるしか手がない。やはり、悲喜こもごもなのだなぁ。

http://www.amatias.com/bbs/30/480.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE24-105mm F4.0L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
通りを歩き出しての第1カット。例によって「ガラス越し」である。左手前のマネキンをどれ程ぼかすかがポイント。マネキンの鼻先とポスターの間隔をさらに開けようとすると右上にある室内灯の位置が変わってくる。ぼくにしては珍しく同じ写真を3枚撮ってみた。これがベストアングルかな。
絞りf6.3、1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
かつてモスクワで実際の狼と遊んだことがある。友人であるロシア人が家の中で飼っていた。犬好きのぼくもさすがに狼との初対面は恐かったが、あにはからんや二度目に訪問した時は犬以上の歓待を受けた。ぼくの肩に手を掛けると見上げるほどの大きさだった。それ以来ぼくは無類の狼派となった。とにかく可愛くて賢い。栃木のショーウィンドウで見たこの狼にぼくは非常なシンパシーを感じた。モデルのサングラスをどの位画面に入れるかに、頭を悩ませた。
絞りf9.0、1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/01/17(金)
第479回:筋入りプリント・続報
 第477回にて、プリンターの頑固な目詰まりについて触れた。今回はその続報である。ここで取り上げた我が倶楽部の、刮目に値する筋入りプリントを毎回何食わぬ顔で持参してくる「あからさまな確信犯」だとぼくに名指しされたご婦人のその後について述べてみたい。
 写真には直接関係のない話に思われるかも知れないが、良いものに投資することは上達に於ける通則のようなものだから。

 拙稿を読んで「これはあたしのことだ。やばい! 書かれてしまった。このままだと本名を明かされてしまう。あの人ならやりかねない。ましてや相当なひねくれ者だし、人権というものを頭ごなしに否定する質だから、のっぴきならぬ事態に陥らぬうちに何とかしなくっちゃ。このまま放置しているとデッタイ住所氏名を公表するに違いない。『君子危うきに近寄らず』なんて今はいってられないわ」と、いじらしくも感応した確信犯は相当な危機感を持ったようだった。

 ぼくの指導に、「馬耳東風」、「馬の耳に念仏」、「暖簾に腕押し」、「糠に釘」といった不埒な輩が大勢を占める我が倶楽部にあって、彼女は入部してまだ半年足らずだが、ぼくの非人道的な性格だけはよく飲み込んでいるようだ。その点に於いて彼女は持ち前の聡明さを発揮しているかのように思える。
 なので、ぼくも「あからさまに」再びこの件について取り上げる気になった。彼女曰く「プリントの目詰まりについて、あ〜たが解決できたと声高に書いたその方法に従って、あたしも試みたのだがまったく解消できなかった。どうしてくれるのよ」と、実に恨めしい口調で、深夜に電話をしてきた。
 かなりプリンターと格闘した様子だったが、にも関わらずまったく埒が明かなかったので、ぼくを婉曲に嘘つき呼ばわりしたくて仕方ないご様子だった。逆恨みも甚だしい。鬼の首を取ったように、口をモグモグさせて(きっと餅を頬張っていたに違いない)攻撃を仕掛けてきた。ぼくにしてみれば、到底間尺に合わない。拙文から再び引用すれば、「まったくもって苦々しい限り」だ。

 そして、「私のプリンターはもう寿命なのよ。私は未練がましいあ〜たと違い、プリンターを新調することに経済的な躊躇などないのだけれど、一応予算を知らせるから、その範囲で最適な機種を選び、明日直ちにお店に連れて行きなさい」とナチスの女看守のような有無をいわせぬ強い命令調でおっしゃった。量販店に連行されそうな雲行き濃厚となったぼくは、御前(ごぜ。婦人に対する尊敬語)にかしこまるしかなかった。

 ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密警察)の女看守は、我が倶楽部の最古参であるM女史について、「明日、彼女も誘いなさい。今彼女は不幸があって落ち込んでいるんだから。あ〜たは “一応” 指導者なのだから、そのくらいの気は遣いなさいよ」と、執拗に追い打ちをかけてくる。「可愛さ余って憎さ百倍」なのかと、ぼくは達観したように応じた。女看守の目にも涙か、ぼくは御前の気配りにちょっと感心した。不可解なことは、何故その優しさをぼくに示せないのだろうか?
 余談だが、御前の顔の形状は、コンパスで同心円を描いたようにまん丸で、笑いのツボにはまると、ところ構わず壮絶ともいえる笑い声を涙と鼻水とともに発し、止まるところを知らず、周囲を圧倒する。正直で、誠実で、裏表のない、根っからの善人であると、ぼくも “一応” 褒めておこう。まん丸でぷよぷよ・ころころしているので、ぼくは彼女の名に引っかけて「ゴムまり」と呼んでいる。

 前日、ぼくはネットで彼女の命令に従い、予算に収まる機種をあれこれ吟味しながら、型番と価格をシワだらけの紙に写し取った。現在は複合機(プリンターとスキャナーが一緒になっている)がほとんどで、プリンター単体は限られていることを初めて知った。

 当日、M女史を同伴し量販店に赴いた。型番と価格を記したボロ紙を頼りに、お目当ての製品を物色しつつ、「ゴムまり」を一回り大きくしたような若い女店員さんに意見を求めた。「餅は餅屋」であるからして、彼女の助言を得るのは賢い方法だと思った。
 大きな「ゴムまり」は、専門家顔負けの豊富な知識を備えており、ぼくの選択肢に花を添えてくれた。「あなたは大したものだ」と、ぼくは彼女を素直に讃えた。
 小ぶりな「ゴムまり」が歓び勇んで選択したプリンターは、予算をはるかにオーバーしていたが、まったく意に介することなく、同心円状の顔に描かれたビー玉のような目でM女史に目配せをしながら「これに決めた!」と言い放った。磊落(らいらく。気が大きく、朗らかで小事にこだわらないさま)な「ゴムまり」は、上目遣いでぼくに一瞥をくれ、すまし顔だった。

 ぼくは内心、「あんたのいった予算の2倍もするじゃないか。昨夜苦心しながら選んだオレは何だったんだ。おいらの沽券はどうしてくれる」と、恨み言を吐いた。斯くして、良い買い物をした「ゴムまり」は、「これからお茶でもしましょうか」と、重い荷物を抱えたぼくを尻目に、隣にあるファミレスにM女史と手を取り合って突入していった。
 2人はデッカイあんみつとジャンボ・フルーツパッフェに食らい付きながら、倶楽部の面々を俎上に載せ、楽しそうに悪態をつくのだった。「他人の悪口をいうのは良くないこと、などというのは実に偽善的だね。あれほど面白く楽しいことはないね。良い悪口とそうでないものがあるんだよ」と、一端の、真実溢れる人生論を語ってみせた。
 ぼくは辛うじて、年長者らしい沽券を取り戻し、落ち込んでいたM女史の顔もパッ明るくなった。婦女子というものは現金なものだ。
 「この投資は必ず写真の上達に反映されるよ。投資は裏切らないからね。しかし、どんな高級なプリンターでも目詰まりは起こすんだよ。二度と筋入りプリントなど持って来るなよ」と、再び説教ジジィを演じて見せた。

http://www.amatias.com/bbs/30/479.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE11-24mm F4.0L USM。
埼玉県加須市、栃木県足利市。

★「01加須市」
ここを通る度に気になっていたのだが、いつ廃業したか分からない自転車屋。
絞りf11.0、1/200秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02足利市」
路地裏の雑草地に分け入ったら、これもいつ廃業したか分からない喫茶店兼美容室が忽然と現れ、焦点距離11mmという超広角を使い、思いっきり歪ませて遊んでみた。
絞りf9.0、1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/01/10(金)
第478回:「真面目」と「生真面目」
 新年明けましておめでとうございます。みなさまの福寿無量を心よりお祈り申し上げます。遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 喪中であったため知人・友人には新年のご挨拶は失礼させていただいたが、大晦日には何十年ぶりかで除夜の鐘を聞きたくなり、歩きながら年を跨いだ。
 近所の神社にお参りしようと思ったのだが、長蛇の列にぼくは怖じ気づき、列に並ぶことなく外から神社の本殿に向かってそっと手を合わせた。鳥居さえくぐらず、手水を使うこともせず、しかも賽銭を上げることもできなかったので、祈願成就のほどは疑わしいのだが、きっと神様はにわか信心を装うぼくを訝りながらも受け入れてくださったに違いないと思うことにしている。年初から、なし崩しの神頼みといったところか。

 手を合わせながら、「家族安寧」と「戦争が起こりませんように」を衷心より祈った。そして少年時代に多くのセミやトンボ、カエル、ザリガニなどなどを捕えた今も当時のままに残る雑木林の一角に立ち、彼らの命を無碍に奪い取った罪を許してもらおうと合掌した。少年の好奇心を満たし、楽しみを与えてくれた彼らの命を無残にも絶ってしまったことは大罪に値する。ぼくの初詣は殺生に対する贖罪だった。

 以前拙稿で、「1年間に1万枚は撮りましょう」と書いたことがある。年明け早々に読者の方からメールをいただき、「なんとか1万枚達成です」と喜びが綴られていた。
 ぼくは、「1年ポッキリでは意味がないので、今年も続けて下さいね」と返信した。「24時間煙草を吸わなかったからといって、それを禁煙したとはいわないでしょう。何ヶ月も、何年も継続して、初めて禁煙をしたということになるのと同様に、写真も同じこと。継続してこそ1万枚の効果が得られるというものです。禁煙に比べれば、写真愛好家たる者にとって1年1万枚など屁のようなものです。ましてやフィルムでなくデジタルなんですから」と続けた。

 数多く写真を撮ることは、それに比例して発見することが多くなるということに直接つながる。たくさん撮っているうちにイメージ力が備わったり、無駄撮りの分別がつくようになってくる。これが最も大きな効用ではなかろうか。闇雲に撮っても写真は写らないということを悟るに近道のような気もする。自分にとって、絵になるものとそうでないものの仕分けのようなものができるようになるには、やはり多くの場数を踏むことが一番手っ取り早いとぼくは考えている。「急がば回れ」だ。
 個人差もあるが、この行いは良い写真を撮ることや上達にかなりの影響を与える。たとえ上達速度が緩慢であったにしろ、着実な歩みが見られるというのがぼくの “基本的” な考えだ。得るものは必ずある。このことは、第475回に記した「運鈍根」に通じている。

 けれども、意識の持ちようにより、「ただ多く撮っているだけ」という悲哀を感じさせる人が残念ながらごく稀にいることもいっておかなければならない。何故そうなってしまうかとの謎解きはぼくのなかでかなり明確にできているのだが、それをいってしまうとあっちこっちに差し障りが生じ、生っぽくなってしまうので、改まって公言できず、ここでは胸間に秘めておくが、この拙連載をずっとお読みいただいている方々にはお察しがつくであろうと思う。

 一言でざっかけなくいってしまえば、性格的にどこか破綻を来している人のほうが “物づくりには” 向いているということである。ただし過ぎたる「与太」は好ましくない。「与太」とは何ぞや? それは難しく繁雑な語彙だが、ここでは「情の機微に疎い人」(過剰な自己本位)とか、「真面目」と「生真面目」の区別ができない人とか、そう遠回しに表現しておこう。融通のまったく利かない「 “変に” 生真面目」な人って、実は迷惑そのものだし。
 ぼくは、「真面目」は善であり「生真面目」は悪と捉えている。つまりこの言葉は反語であり、まったく意味が異なると解釈している。この相反する語彙に無頓着かつ「生真面目」な人は必ずといっていいほど「写真の無駄撃ちに興じ、本質的なことを見落とし、前進できずにいる傾向にある。堂々巡りに気がつかない」ものだ。撮っても撮っても写真の質が上向かない人は必ずいる。「好きこそ物の上手なれ」とはいかない。なんと非情でつれないことか。
 上述の見解は、今まで多くの人々(プロを目指す助手君たちやアマチュア諸氏たち)に接して導き出した共通点でもある。ここのところ、よ〜くお含みいただきたい。

 翻って我が身を顧みれば、ぼくの「真面目さ」は際どく危ういような気もする。拙稿や写真倶楽部や講演などで、「どうすれば良い写真を撮れるか?」に類することについて、分不相応に口角泡を飛ばしながら唱えるのだが、それを言葉で伝えるにはぼくはまだまだ力量不足である。決して謙遜ではなく、ぼくが教えて欲しいくらいだ。
 ただ、状況に応じてどのような点に注意し、如何なる技術を用いるかについてはかなりの自信と信念を持ってお伝えできる。それは場数を多く踏んだことに起因している。どのような条件下であれ、クライアントの望む映像を提供しなければ食っていけないとの事情がそうさせるのだ。失敗すればお飯(まんま)の食い上げとなるのだから、常に崖っぷちでの撮影となる。必死になれば誰でも大凡のところは自然と身につくものだ。
 撮影中には冗談ばかりを放ち、周囲をなごませようと努めるが、心は狂乱、頭は悩乱状態である。

 ところで、昨年は写真を撮ったという実感がほとんどないので、枚数を数えてみたら、嗚呼、なんと私的写真は3,200枚ばかりであった。とても人様に「1万枚は撮りましょう」なんていえた義理ではない。こんな正直なぼくはやっぱり「変に生真面目」なのだろうか? 「屁のようなものだ」なんてよくもまぁ。

http://www.amatias.com/bbs/30/478.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE11-24 F4.0L USM、EF35mm F1.4L USM。
栃木県佐野市。

★「01佐野市」
子供の頃は虚弱体質でよく熱を出し、うなされていた。熱に浮かされて見たような色彩をなんとか再現しようと苦心。同時に優れたヨーロッパやロシアの映画に見られる色彩と光景に憧れを抱いて。
絞りf11.0、1/30秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02佐野市」
どこか惹かれる八手の葉。コントラストの強い斜光下、影と光を意識して構図を練る。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2019/12/27(金)
第477回:救われたパソコンとプリンター
 次々と難事に見舞われた。丸9年も酷使し続けてきたパソコン(以下PC)の動きがかなり遅くなってしまい、気のせいか挙動も僅かながら怪しくなってきたように思えた。しかし万事抜かりなく、普段からPCが何時お釈迦になっても慌てふためかないように二重のバックアップ体勢を整えているので、データ損失という最悪の事態には遭わずに済む。体中から血の引くような憂き目からは逃れられようが、しかし、最近作業をしていると、まどろっこしく感じるようになってきた。ぼくのPCは持ち主同様にきっと古希を過ぎているのだろう。

 定期的にMac専用の有料ソフト(Tech Tool Pro)を使いメンテナンスを行ってはいるものの、機械物は人間と同様に何の予兆もなく突然ダウンすることがあるので、油断がならない。
 今ぼくが恐れていることはデータの損失ではなく、新調する際に生じる経済的な損失である。日進月歩のデジタル界にあって、最新のMacは現在使用中のものに比べれば、飛躍的な進歩を遂げているに違いなく、新調する楽しみはあっても、先立つものを考えると頭が痛い。

 ぼくが現在使用中のMacは容量が1TBだが、使用領域が50%を超えぬように留意している。とはいえ、長年の使用により、PCには灰汁(あく)のようなものが溜まっているはずだ。それをここらで一気に除去しようと思い立った。
 まず、散らかったデスクトップの大掃除をし、使用していないアプリケーションの旧バージョンを「AppCleaner」(無料アプリ)というソフトを使い除去してみた。いわゆる「アンインストール」。
 特に重両級で大食らいのPhotoshopは、CS時代のものから各バージョンがPC内の上座に鎮座しているので、長年の労に感謝しながら丁重にお引き取りを願った。それに付随する他のアプリもすべて取り払い、さまざまなキャッシュ類もこの際潔くクリーンにした。これでだいぶ身軽になったのではなかろうか。

 その結果、PCは「水を得た魚のよう」、とまではいかないが、安定感を取り戻し、心なしか速度も回復したように思われる。何はともあれ、今のところは目出度し目出度しである。正月を前にして、「目出度さもちゅう位なり おらが春」(小林一茶が正月を迎えた時に詠んだ句)といったところか。
 
 PCに限らず、電化製品というものは、何故かひとつが壊れると面白いように(決して面白くない)連鎖反応を引き起こし、順次使用不可となる傾向がある。そこには、 “不文律” が存在しているように思えてならない。
 きっと電化製品には労働組合のようなものがあり、全員がそこに属しており、「お宅は随分酷使されてきたのだから、この辺で一度ストライキを起こし、お役御免としてもらったらどうか?」と周辺機器からまことしやかに唆(そそのか)されるに違いない。「一致団結」の旗印を掲げ、「インターナショナル」(古いなぁ)を歌いながら、彼らは彼らで、したたかに組合の不文律に触れぬよう申し合わせてるのだとぼくは睨んでいる。
 
 これで一段落したかと思いきや、しばらく使用していなかったプリンターがスト突入と相成った。やっぱり密かにPCと申し合わせができていたのだ。
 プリンターを使用する際にぼくは必ず「テストページをプリント」の手順を踏む。プリントヘッドの目詰まりを確認するためだ。インクの噴射口に目詰まりが生じると、色が思うように再現できなかったり、印字面に見苦しい筋が現れたりする。
 我が倶楽部にも、筋だらけになったプリントを何食わぬ顔をして持って来る不届き者が時々現れる。否、ヒジョーにしばしばだ。本人はそれを重々承知しているので、なおさら質が悪い。「あわよくば見つかるまい」との程度から「あからさまな確信犯」までいる。指摘するや否や、「やっぱりバレたか!」というような顔をして見せるものだから、まったく可愛げがない。
 不思議なもので、この可愛げのなさは、どこか滑稽さを漂わせているので、ヘッドロックをかまして痛めつけてやろうという気にさせない。「やむを得ない事情があったのだろう」と推察し、ぼくは恐ろしくも寛容な態度を見せ、貸しをつくるのだが、借りを返そうなどという殊勝な者は誰ひとりとしていない。指導者に度量があるので、いつまで経っても彼らは委細構わず狼藉を働き、平然としている。まったくもって苦々しい限りである。

 ぼくの愛用プリンターは14年前に購入したもので(A2までプリントできる)、故障しても修理不能の冷ややかな対応となっている。それが頑固な目詰まりを起こし、「プリントヘッドの清掃」くらいではとても解消できず、インクを大量に消費する「パワークリーニング」を行わなければならなかった。「パワークリーニング」を試みようとしたところ、「インクが足りません」とのアナウンスが発せられた。「まだ十分にあるじゃないか!」と大いなる不満をぶちまけた。ぼくは仕方なく量販店より1本4,000円以上もするインクカートリッジを3本も取り寄せた。

 いざパワークリーニングを試みようとしたところ、今度は「メンテナンスタンクが満杯です。取り替えてください」とのアナウンスが。「一時に言えよ!」と、ぼくはどんどんグレていく。ついでに、少し涙ぐんだ。ぼくの心は無残にも二つ折れとなったが、仕方がないので再び約5,000円を叩いて追加購入。きっと宅配のおにいちゃんも「一度に済ませよ!」と声に出していいたかったに違いない。しかし、ぼくの不満はやがて不安に取って代わって行った。
 これだけの大枚を叩いて、もし効果がなかったらどうしてくれようかと、半ば自棄糞(やけくそ)、自暴自棄、捨て鉢となり、やがて自嘲、ふて腐れに移り変わる自分の姿を明確に予見していた。

 案の定、パワークリーニングを二度繰り返しても、しぶとい目詰まりは一向に改善の兆しを見せず、せせら笑いを浮かべるばかり。
 思い余ってメーカーに問い合わせたところ、取説に書かれていることのオウム返し。電話口で粘るぼくに、別の担当者(多分技術部門の)が、「電源を抜いて、6時間ほど放置した後、パワークリーニングを試行してみてください」とのこと。
 ぼくは藁にもすがる思いで、いわれた通りにしてみたものの、やはり効果が得られなかった。そこで、6時間ではなく12時間以上電源を抜きっぱなしにした後、通常の「プリントヘッドの清掃」をし「テストページをプリント」を敢行。プリンターから出てくる普通紙を恐る恐る見ると、なんと綺麗になっているではありませんか! ぼくは再び涙がこぼれそうになった。

 PCとプリンター、共に没落の道を辿れば、とてつもない出費。一茶の句なぞ感心しながら詠んでいる場合じゃない。来年はなんだか良いことが起こりそうな予感がひしひし。

http://www.amatias.com/bbs/30/477.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
茨城県桜川市。今年の盛夏に汗を滴らせながら。

★「01桜川市」
誰しも好きな色というものがある。ぼくに自覚症状はないのだが、どうやら赤かも知れない。作画の中心にしたり、脇役に据えることがよくある。モノクロしか撮らなかった頃は、あまり頓着しなかったのだが。この写真は、なまこ板の赤をどれくらい画像に取り入れるかに気を配った。
絞りf8.0、1/250秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02桜川市」
すでに廃屋となった飲食店か? ドアにあった屋根はなく、窓も塞がれていた。
絞りf8.0、1/250秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2019/12/20(金)
第476回:古典を顧みる
 年の瀬も押し詰まりつつあるなか、さまざまな用事に追われ自分の写真を撮ることが思うに任せずという無念な状態が続いている。宝くじは買わなければ当たらないのと同様に、念写能力のないぼくは、写真を撮らなければ、何も生み出せない。
 自身本来の勤めを果たせずにいることはどこか後ろめたくもあり、嫁の手前とても居心地が悪い。焦りはないが気は縮むばかり。写真を撮ることは、ぼくにとって「勤行」(ごんぎょう)そのものであるからだ。それをさぼっている。この際、言い訳は無用だ。        

 「限りのある命、少しは焦ってみてはいかが?」と、冷ややかに自身に申し立ててみるのだが、しかし、ここのところぼくにはまったく不似合いである法律的な知識をかき込むことに時間を費やさなければならないのだから、意気消沈してしまうのは当たり前だ。
 「面白味」だとか「妙味」とはほど遠いことに気持を注がなければならないのは、まことにもって精神衛生に悪い。今ぼくは、精神を蝕まれるような面持ちに駆られている。

 写真を撮らぬ写真屋ほど「役立たず」なものはない。その気分たるや、針のむしろに座らされているようなものだ。四六時中写真のことしか頭にないものだから、情緒や趣きとは遠く離れたところに位置する法律は、ぼくにとって不向きの極みだ。            
 しかも、ぼく自身には直接関係のないところで派生している事柄なので、かえって余計に熱を入れるざるを得ない。「世のため人のため」などと振りかぶった気持はさらさらなく、それはとどのつまり、ぼくの信条とするところの、または普段の心得として諳(そら)んじている「情けは人のためならず。巡り巡りて己が身のため」に従っているにすぎない。それはなかんずく、ぼくのような人間が、殊更に善人を気取っていると解釈してもよい。

 本テーマの枕にもならぬ話はさておき、ある写真好きの若人から興味深いことをいわれた。曰く「かめやまさんの文章は古語を読むような感覚でとても面白い」と。彼女はまだ20代の大学院生なのだが、利発な彼女にそういわれると、確かにそうかも知れないと妙に頷いてしまった。
 ぼくは直裁かつ素直な人間であり(と、自分では思っている)、他人の言葉の裏に隠されたものを、はしたなくも無闇に探ろうとすることをよしとしない。世渡りの名人とか大看板にはなりたくないので、言葉を正面から受け取ることを常としている。つまり「いつも相手の言葉を真に受ける」ということである。したがって、はるか年下の彼女の言葉を深読みするような偏狭かつ歪(いびつ)なことはしなかった。
 
 けれど、相手が男子であれば、ぼくは手のひらを返すように、即座に待ってましたとばかり攻撃の手を加えるだろう。
 「それはただ君が勉強不足で、碌でもない本しか読まなかったということだ。そういう人間に限って、自分の知らない言葉を『死語』と称して体(てい)よく葬り去ろうとする。おまけに、自身の無知を棚に上げて、素知らぬ顔をして悪びれることがない。『今時、そんな言葉を使う人間が悪いのだ』といわんばかりにね」と、混ぜっ返すこと間違いなし。
 上記の如く、ぼくの “男女差別” は甚だしく直裁かつ明断であり、しかも確信に満ちたものだ。
 他人はぼくのそれをたしなめたり、訝ったりするのだが、それはしかし、人情として当然のことだとも思っている。男のあるべき正しい姿なのだ。「男女平等」などという脆弱で偽善的な言葉を、正しく理に当たることと勘違いしてはいないか。

 「古語を読むような」と、控え目で知的な表現をしたその別嬪さんにぼくは昨年の流行語大賞となった「そだね〜」を、快く返した。もしかしたらぼくはくにゃくにゃしながら、喜色満面だったのかも知れない。なんともお恥ずかしい。男と女とでは、こうも対応が異なるものか。
 そしてこうつけ加えた。
 「ということはさ、ぼくの写真もきっとその手合いということだよね。物作り屋というものは、いつも新しい表現を求めて試行錯誤に明け暮れているわけだけれど、その伝でいえばぼくの写真は保守的であると自覚している(異論を唱える人、数多だが)。 “迷った時は風雪に耐え抜いた古典を顧みる” ことを旨としているので、ぼくにとっては保守的であることの必然性のようなものが自然と生じてくるわけね。美の中心に自分なりの中庸を据え、それに付き従おうとするとどうしても保守的な傾向となってしまう。それは時に、蟻地獄の様相を呈し、もがけばもがくほど深みにはまってしまうものだ。保守的であることから脱し、自身のアイデンティティを求め、のた打つ自分の姿は醜いものだけれど、見て見ぬ振りをして欲しい」と、身振り手振りを交えながら、ぼくは聡明な彼女に取り入ろうと5時間近くも話し込んだ。

 長年の風雪に耐え抜いたものは、普遍的な美を色濃く内包している。そこに宿る伝統や文化、その精神性に基づいたものに、自身の新しい表現をアプローチし、違和感が生じないように塗り込めていく作業はやはり醍醐味のあるものだ。プロ・アマに関係なく、それに心血を注ぐぼくたち愛好家は、なんやかんやと屁理屈や戯言を並べつつも、仕合わせを噛み締めてもよいのではないだろうか。

 いつの日にか、「写真はあいつの天職だった」といわれたいものだ。嗚呼、照れるなぁ! と、一応混ぜっ返しておこう。

http://www.amatias.com/bbs/30/476.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
避難警報が街中に鳴り響く少し前。どんより曇った空が、さらに重くのししかる。昭和の残り火を探し求めて。
絞りf8.0、1/30秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
閉店してどのくらい経つのだろうか? 夾雑物が多すぎたので、撮影時には始めから正方形のトリミングをイメージして。瓶の配置が思い通りではないので、アングル探しに一苦労。ぼくの好きな「久保田」と「緑川」だったので、取り敢えず親愛の情を込めて撮ってみた。何故か昔ながらのカミソリが1本。
絞りf9.0、1/25秒、ISO200、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2019/12/13(金)
第475回:「運鈍根」
 ここ3,4日、寒さが和らぎ過ごしやすい日が続いている。バカバカしいと思いつつも日課としているウォーキングを2年近く励行しているが、この日和で半袖のTシャツに長袖のシャツを1枚まとうだけで歩くにはちょうどいい。
 すれ違う人の衣装からすれば、ぼくの身ごしらえは軽装すぎるのか、奇異な眼差しを感じることもある。しかし、歩き始めて10分も経つと、全身に血が巡り始め暖かくなってくる。夏と異なり汗止め用のバンダナはさすがにもう必要ないが、それでも薄らと汗ばむ。

 この数年、体のあちこちに障害を来たし、痛い目に遭うことはあっても(痛風と結石は最悪)、それは年相応のものだと考えるようにしている。風邪やインフルエンザ、熱発はもう40年近く縁がなく、もしかしたらぼくには特別な抗体が備わっているのかも知れないと思うことがある。
 いずれにせよ、腹立たしいウォーキングは血の巡りを良くするとの感覚をぼくに与える。であれば免疫機能の向上を得られるはずだとの思いのみが、この愚かしい行為をなんとか支えている。

 普段あまり気に止めないことが、歩くことにより思わぬ効用や発見をもたらしてくれることがある。毎週厚かましくも拙連載にて写真を掲載させていただいているが(これは担当者より義務づけられたものではなく、自発的なもの)、「おれは相も変わらず同じような写真ばかり撮っているなぁ。自分でさえうんざりしているのだから、読者諸兄はさぞや飽き飽きしているに違いない。そう考えるととても辛い」と一応は人並みに嘆いてみせるのだ。この嘆きを如何にして正当化し、自身を納得させるかにぼくは歩きながら専心没入する。

 自分は凡人であるがゆえに、よりましな写真を撮るには “同じ事を繰り返し繰り返しコツコツと努める” のが最良の方策であることに疑いを持っていない。今はその最中であるとしている。
 親父の教えでもあった「運鈍根」(うんどんこん。好運と愚直と根気。事をなしとげるのに必要な3条件としてあげられる。広辞苑)を忠実に押し進めるには、上記のような「信念」を持たずしては成し得ない。同じことを繰り返しているうちに、きっと今まで見過ごしていた何かが、やがて見えてくるに違いないとぼくは信じている。
 
 「運鈍根」は非常に貴重な教えだが、「運」は、「鈍」と「根」によってもたらされるのではないかと思うことがある。「運」は単独で扱えるものではないので、その相関関係を一緒くたにしようとするからいけないのだ。したがって、「運鈍根」は、必ずしも三つ巴とか3種混合とばかりはいえないような気もする。
 ともあれ、あれやこれや、写真が思うに任せぬうちに時間ばかりがつれなくも過ぎていく。「不人情とも義理知らずとも」とぼくは毒突く。

 今まで自分は不信心者と憚りなくいってきた。過日歩きながら、期するところあって親鸞聖人の『歎異抄』(たんにしょう。鎌倉時代の後期に著された仏教書。親鸞の法語を弟子の唯円が記したとするのが通説。浄土真宗の聖典)に思いを巡らせていた。
 『歎異抄』の第三条にある有名な「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は悪人正機説を明快に説いたものだが、高校3年生のぼくにはあまりに難解な文節だった。このようなことは親父に訊くに限る。
 親父は原稿の筆を休め、1時間以上も現世のさまざまな例をあげながら、ぼくに丹念な解釈を試みてくれたが、そもそも親父の使う語彙が難し過ぎて消化不良だった。
 やがて大学に進み、『歎異抄』の注釈付きの訳文を原文と照らし合わせながら読み進んだが、実体験の少なさや釈迦の教えに不案内なため(つまり仏法に関する予備知識の欠如)、実感が伴わず、通り一遍のことしか分からなかったものだ。
 そして今、「生きることと死ぬこと」についての自覚作用のようなものが芽生え始め、『歎異抄』の意味するところが自分なりに多少は解釈できるようになってきた。この1ヶ月余り、ぼくは歩きながらこんなことばかりを考えていた。

 「写真には、作者の生き様が反映され、表出されていなければならない」との持論は、親鸞聖人や良寛さんによる影響がどこかに隠れているのかも知れないと考え始めている。
 ぼくが、「ただきれいなだけの写真」や「意図的と思われるような個性」、「上っ面を撫でただけの見てくれの良い写真」や「あたかも大衆受けを狙ったかのような写真」をまったく評価せず、それどころか忌み嫌うのは、そんなところに起因しているのだろうと思う。
 作品はすべからく「文学的、宗教的、哲学的」であるべし。それらの要因が含まれていなければならず、それを自身の作法で昇華させて然るべしと考えている。それはいずれ執念に取って代わる。

 こんな大仰なことをここで公言しまっていいのかと、今少し冷や汗と脂汗が滲み出ている。しかし、このようにして怠け者の自分を鼓舞し、追い詰めなければならないほどなのだから、ぼくはつくづく不幸者であるとさえ思える。大言壮語なんて、「よせばいいのに」と、また嘆いている。
 読者諸兄がぼくの写真に飽き飽きしているのは十分に予測できるが、当の本人でさえ食傷気味で、毎回げっぷが出るような思いに襲われている。
 『歎異抄』のなかから、自分に都合の良い教理を探し出すために、ぼくは今日も歩く。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF24-105mm F4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
台風19号で栃木市は大きな水害に見舞われた。その5日後に訪れたのだが、一天にわかにかき曇り、避難警報が町中に鳴り響いた。ぼくもそそくさと店終い。
絞りf9.0、1/30秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
得体の知れない壁が立ちはだかる。この写真はレンズの歪曲収差によるものではなく、実際に歪んでいるのだ。すべてのものが 妙に配分され、「こんなもの、写真に撮れるかぁ?」と訝りながら。
絞りf6.3、1/20秒、ISO200、露出補正-0.33。
(文:亀山哲郎)