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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2026/06/19(金)
第794回:レンズ道楽(最終回)
 ニコンF FTNと中判カメラのペンタックス67(フィルムの撮影寸法が6 x 7cm。因みに小型カメラの主流は24 x 36mm)を出汁に、ロンドンで古風な物々交換という手法を用いて、2台のライカをちゃっかり生け捕った父は、帰国後もやはり中判カメラの描き出すきめ細やかで滑らかな絵柄が忘れられずにいたのだろう。
 祖父(ぼくが生まれた時には既に鬼籍に入っていたので、会ったことはない)の影響により、「門前の小僧習わぬ経を読む」が如く、父の美に対する見識眼は幼少時から鍛え上げられていたので、絵画や陶磁器などの美術作品を前に、「てつろう、ここを見てみなさい」との教えを度々受けたが、素養に欠けるぼくにはさっぱりだった。そんな父は、やはり中判カメラの描写が忘れられずにいたようだ。

 帰国から間もないある日、父は取材に来た記者とカメラマン両氏とすっかり打ち解け、取材後カメラマン氏に向かって「あなたのカメラはハッセルブラド(6 x 6cmのスウェーデン製の中判カメラ)だね。ちょっとわしに見せてくれんかね?」と、白髪を掻き上げながら、目を輝かせて願い出た。
 父は標準語を使ったつもりだろうが、惜しむらくは、九州人が故に「せ」を正確に発音できず、彼の地特有の「しぇ」となり、「ハッセルブラド」は無残にも「ハッシェルブラド」とか「見しぇて」に置き換えられた。

 カメラマン氏とのやり取りの詳細は省くが、父は以前からこの中判カメラにかなりご執心であることを、話の節々からぼくは嗅ぎ取っていた。彼の頭のなかではもう既に、スウェーデンが世界に誇る美しくも軽量なハッセルブラド(レンズは主にドイツの名門カール・ツァイス社製)を、ライカフレックス同様に、心のなかで掌(たなごころ)に乗せていたに違いない。

 社会人となっていたぼくは、父がハッセルブラドなどというトンデモカメラに手を出してしまったおかげで、カール・ツァイス製の交換レンズを手に入れんがため、給料のうちの幾ばくかを差し出すことと相成った。「とんだ父親だ」といいながらも、ぼくは自然と笑みをこぼしていた。
 ここから、父と子の、合いまみれる悲喜こもごもの、涙ぐましい新たな「レンズ道楽」を患いながら荒波に立ち向かうのだが、その詳細は駄文長文の羅列となり、いつまで経っても、肝心なことに言及できず、えらいことになってしまう。中判カメラの後は、大判カメラのレンズ群(ドイツのシュナイダー製やローデンシュトック製)についての気持が疼くが、我を張らずに、ぐっと堪えることにする。

 自身の分不相応を振り返りつつも、「レンズ道楽」というのっぴきならぬ道に足を踏み入れ、我を通してきたぼくだが、今日現在の心境を正直に告白するなら、「レンズはそこそこ写れば、それで良いよ」との結論に至っている。それは甚だしい遠回りをしながら到達したぼくなりの帰結である。
 だがこのことは、恐らく他人には当てはまらず、むしろぼくの結論を他所(よそ)に、できるだけ良いレンズを使って欲しいとの思いが勝る。趣味が高じれば、交換レンズが欲しくなるのは自然の情理であり、大まかに述べればそのような欲求が希薄な人は、写真もそれなりのところに留まるのではないかと思っている。

 懐具合に応じて、というのが大原則であることに異論などあるはずがなく、かつて拙稿で述べた記憶があるが、「自己への投資は、必ず自身の身に戻って来る」からだ。「安物買いの銭失い」という諺を肝に銘じつつ、「自分のできる範囲で、可能な限り良いレンズを使いなさい」と、ぼくは信念を持っていってきた。
 少し背伸びをしながらも優れたレンズ(この定義はあまりにも多岐にわたるので、ここでは記さないが)を使用( “所有” ではない)することにより、写真への意識・意欲が高揚し、それが延いては上達に繋がる。そして、写真を見る眼も育っていくものだ。

 上記した「レンズはそこそこ写れば、それで良いよ」は、それ以上に大切なことに遅まきながら気づいたからでもあった。簡潔にいえば、「レンズやカメラが写真を撮るのではなく、写真は、ぼくが、あなたが、撮るのだから」という当たり前のことに行き着いたということである。「写真のクオリティは機材に依拠しない」と今まで何度も述べてきた。そう言いつつ、自分のこととなると、当たり前のことに、人間は案外気づかぬものだ。知・情・意の三大要素が、ぼくには上手くバランスが取れなかったともいえる。まぁ、未だにその気配から抜け出せずに、歪(いびつ)なままだが。
 そして、そこに至る道程として、ぼくの場合は「レンズ道楽」が、感情や感覚に大きな影響を与えたことは否めない。そこに深遠な学びがあったと思わなくては、あまりに居心地が悪すぎる。

 仮定の話をしても意味ないが、もし「レンズ道楽」をしていなかったら、おそらくぼくの写真生活は30代半ばに終焉を迎え、気の多いぼくは他の楽しみを見出していたに違いない。写真で飯を食おうなどという不料簡を起こすこともなかったであろうし、そうであればもちろんこのような場を与えてもらうこともなかった。
 「レンズ道楽」をしたアマチュア時代で得たことは、40年間の写真屋生活に何某かの貢献を果たしてくれたことは間違いのない事実であった。生活を賭けたプロとしての写真人生は、濃密な時間と人的交流をもたらしてくれた。この事実は、何ものにも替え難い宝となっている。

 もう「レンズ道楽」をすることはないが、ベッドで仰向けになり、慣れ親しんだカメラに「そこそこ写れば良い」レンズを付け、天井に向けてパシャパシャとシャッター音を響かせると、妙に気持が落ち着き、睡眠導入の良い道具立てとなっている。やはり、過去の「道楽さまさま」である。

https://www.amatias.com/bbs/30/794.html  

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
直径5cmほどのオルレアホワイトレースが風に吹かれながらツツジの合間から顔を出したところ。両者の位置と大きさのバランスを取るのに四苦八苦。
絞りf5.6、1/1000秒、ISO 2500、露出補正-1.00。

 

(文:亀山哲郎)

2026/06/12(金)
第793回:レンズ道楽(2)
 「道楽」についての捉え方や考え方、そしてその定義については前号で少し触れたが、ぼくが「レンズ道楽」に至った細々としたあらましは多岐にわたり過ぎ、そのすべてを記すことは到底できそうもない。出し惜しみではなく、それを試みようとすれば、10話では足りないくらいの分量になってしまう。
 ここでは「レンズ道楽」をした挙げ句、現在それについて、時流に乗ることなく、どのように感じているかを記してみたい。

 もちろん、このレンズが良くてあれはそうではないという類の話をするつもりはなく、「レンズ道楽」はぼくのアマチュア時代についての、極めて大きな比重を占める経験談でもある。
 「道楽」の意味については前号で述べた通り、「本職以外の趣味にふけること」と辞書にあるので、あくまでアマチュア時代に経験した事柄についてのこととなる。したがって、商売人になってからのレンズに関する蘊蓄は本題目に該当しない。プロになってからのレンズ選びは「道楽」とはいえず、食い扶持を担保するためのものである。つまり、ぼくにとっての「レンズ道楽」は、40年以前のアマチュア時代に遡っての私的な所感についてであることをお断りしておかなければならない。
 それをふまえた上で、現在のぼくのレンズ事情にも少しだけ触れておこうと思っている。

 父がイギリスから持ち帰ったライカM3に標準レンズである50mmF2.0 ズミクロンを付け、父を助手席に乗せ、栃木県は益子に試写を気取りながら出向いた。フィルムは、小西六写真工業の「さくらカラー」(後のコニカカラー)のカラーネガフィルムとコダックPlus XフィルムISO 125(モノクロ)を1本ずつ持参した。
 当時、ぼくは富士フィルムのカラーより(ポジフィルムもネガフィルムも)さくらカラーのほうが好みに合っており、カラー写真といえば、もっぱらさくらカラーを愛用していた。

 標準仕様のM3には露出計が付いていなかったので、父の友人から譲り受けた美しい単独の入射光方式露出計Gossen Luna 6(ドイツ製)を携帯し、ぼくはカラーとモノクロ合わせて72枚を撮影した。
 カラーネガは近所の、いつものカメラ店で2L判にプリントしてもらったが、ぼくは、はやる気持ちを抑えきれず、店頭でプリントを確認し、声を失った。2L判という小さなサイズでありながらも、1966年に製造中止となったM3 + ズミクロン・レンズの解像度とシャープネスに加え、いつもとは次元の異なる豊かな色合いに、まさに天地のひっくり返るような思いだった。この驚きは、ぼくの写真史を語るうえで、終生忘れられぬ出来事だった。この時はネガカラーを使用したが、さらに色再現性や解像度に優れたカラーリバーサルフィルム(ポジフィルム。スライドフィルム)であれば、より際立った結果となっていたに違いない。

 同時に持参したモノクロフィルムは、コダックのPlus XフィルムISO 125(モノクロ)であり、いつもと同様の現像仕様を行い、拡大率の高いルーペでネガフィルムをライトテーブルに乗せ、丹念に覗き込んだところ、カラーフィルム同様の瞠目すべき結果に、ぼくは抱え切れぬお菓子と玩具を丸抱えした子供のような心地になった。それをして「夢見心地」というのだろう。

 幸か不幸か、こんな目に遭ったものだから、ぼくは翼を広げた鷲のような気分となり、広角レンズ(35mm)と望遠レンズ(90mm)を渇望するようになった。もう誰にも止められぬほどの事態に陥ってしまった。
 この事実は、新たな「夢見心地」を味わいたいがために、身上(しんしょう)を潰しかけた「道楽事始め」となった。ぼくは、レンズを手に入れることに、恥ずかしくも欲どしい青年に変貌していった。
 「レンズ道楽」を今風に砕いていうならば「レンズ沼」(嫌な言葉なので以後使用しない)にすっかりはまり、それはもがくほど身を滅ぼす、まさに底なし沼のような様相を呈していたのだろう。

 ぼくのような若造が出入りすることのできないようなプロ御用達ともいえるカメラ店が銀座にあり、頻繁に通ううちに、ちゃきちゃきの江戸っ子である大番頭とすっかり昵懇(じっこん)となった。
 ライカには同じ焦点距離のレンズでも開放絞りの異なるレンズが何種かあり、それらは、例えばズミルックス(F1.4)であったりズミクロン(F2.0)であったりエルマリート(F2.8)などと呼称されていた。どれを選べばいいかに悩んでいると、大番頭は「いいよ、持って行きな。心行くまでテストすればいい」と、ありがたくも悪魔の囁きをぼくの耳元でそっと呟くのだった。ぼくは彼の囁きに乗じて、中古のレンズを何本かカメラバッグに忍ばせ、持ち帰り、テストに明け暮れていた。

 そんなぼくを、父はどのような面持ちで眺めていたのか分からないが、ある日、「てつろう、わしゃ良かもんば見つけたったい。ライカん一眼レフでな、こんカバンには新品んライカフレックスSL2が入っと〜。掌(たなごころ)に乗しぇると、何とも言えん感覚が伝わってきて、不見転(みずてん)だが迷うことのう購入した。明日(みょうにち)にでも試写に行くか。フィルムはあるかの?」と、どこかバツの悪そうな顔をしながら、佐賀弁でぼくに切り出した。
 気まずさや後ろめたさを感じた時、父は必ずぼくには九州の地言葉で、一気呵成に言い放ったものだ。
 ぼくは江戸っ子の大番頭と九州男児の父に捲し立てられ、ますますドツボにはまっていくのだった。

https://www.amatias.com/bbs/30/793.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
雨上がりの夕刻、太陽が地平線から強い光を放っていた。透明感のある斜光に照らし出された貸し農園の風景を、運転席に居座ったままガラス越しに。そんな横着をしてはいけないという見本。
絞りf10、1/160秒、ISO 400、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2026/06/05(金)
第792回:レンズ道楽(1)
 「どうらく」とは一般に「道楽」と書き、それは「道」を「楽しむ」という意味に取れるが、「道」に「落ちる」と書いても「どうらく」である。もちろん後者はぼくのこじつけだが、あながち誤りだとも思えない。
 「道楽」とは大辞林によると、「本職以外の趣味にふけること。趣味を楽しむこと。酒色・ばくちなどの遊興にふける・こと(さま)。仏道修行によって得た悟りのたのしみ」とある。広辞苑では「本職以外の趣味にふけり楽しむこと。また、その趣味。ものずき。好事。酒色・博打などの遊興にふけること。放蕩。遊蕩。また、その人」とある。

 Wikipediaによると、否定的な用法として、「本人の品位を損ね、自堕落になったり、他人に迷惑をかけたり、家庭環境を破綻させたりするおそれのあるものも含まれる。趣味への熱中度が甚だしいがために自分の職業に支障をきたすようになってしまったり生活が自堕落になるものも多く存在しており、そういった者は『道楽者』や『道楽息子』などと呼ばれることがある」と記されている。

 写真好きや愛好家にとって一概に「レンズ道楽」といっても、各々の生活に対する姿勢や環境に於いて写真がどの様な位置付けにあるかで、その様態が異なってくるということになろう。一括りに「レンズ道楽」を規定することはできない。
 したがって、今回の議題については、あくまでぼく自身が辿ってきた道での限られた感想と意見である。謂わば、過去から現在に至る様々な体験を通しての私見である。

 20歳を過ぎた間もない学生時代からぼくはアルバイトに精を出し始めた。学業を放り出し、アルバイトに一極集中といってもいい。それは一途に交換レンズを求めてのことだった。当時ぼくは中古のNikon Fを愛用していたが、標準レンズの50mm F2.0(露出計連動ガイドである山形の出っ張りの付いている非AIレンズ)を1本しか持っていなかった。が故に、どうしても異なる焦点距離のレンズが欲しかった。もう半世紀以上も昔のことだ。

 当時は現在と違い、交換レンズといえば単焦点レンズが至極もっともな時代だった。ズームレンズがなかったわけではないが、サードパーティ製を含めて満足のいくものはなく、単レンズの描写に、ズームレンズは到底及ばなかった。そんな時代だったのだ。
 ぼくは中古レンズを探し求め、胸を躍らせながら銀座や新宿のカメラ店を巡る日々が続いたといっても過言ではない。欲しいと思ったら居ても立ってもいられないという気質は、親父譲りのものだ。
 アルバイトの稼ぎだけでは間に合わず、助け船の欲しかったぼくは、写真好きの親父の顔色を窺うことに余念がなかったが、胸の内を明かす勇気がどうしても持てなかった。

 声を潜めていうのだが、当時学生だったぼくは、同じゼミナールに所属する1学年下の女性にただならぬ好意を抱いており、その一方的な想いを何とかするためにはどうしても彼女のポートレートを撮る必要があった。彼女にしてみれば、悔しくもそのような必要性など毛頭もなかったに違いないが、ぼくに彼女の心情を斟酌する余裕などまったくなかったのである。

 とはいえ、「撮ればなんとかなる」との思いは日々募るばかりだった。独り合点もいいところだ。それを成就するためには何としてでも105mmの中望遠レンズ が必要であり、使用フィルムはコダックPlus XフィルムISO 125(モノクロ)、フィルム現像液は自家調合のコダックD23を使えば万全と勝手に決め込んでいたのだから、ぼくは相当おめでたい。この世にレンズというものは105mmを於いて他にはないと感じていたので、ますます以ておめでたい。女性の力とは偉大なものだ。

 おめでたいぼくは、カメラにPlus Xフィルムを装填し、やっとの思いで購入した中古の105mmレンズを取り付け、全身冷や汗と脂汗にまみれながら、ゼミナールの行事に託けて、彼女に写真を撮らせて欲しいと声を震わせながらおずおずと願い出た。それは、ぼくの写真史上、命を賭けた一世一代の願い事であった。ぼくの心的重圧を嘲笑うかのように彼女は屈託のない笑顔で受け入れてくれた。その後、ぼくの撮影依頼に彼女はいつも快く応じてくれた。
 事の顛末は記さないが、「甘酸っぱくも淡い青春の良き想い出」とだけいっておく。

 卒業後間もなく、父が英国より2台のライカを携えて帰国。在英中、ニコンFTNとペンタックス67(超重量級の一眼レフ中判カメラ)の2台を携え、仕事の合間を縫い、ロンドンを拠点にヨーロッパ中を駆け巡った父のその気力と体力にぼくは心底から敬意を払った。ぼく以上に写真好きなのかも知れないと感じたものだ。
 聞くところによると、2台のライカと日本から持参した上記のカメラを無条件でイギリスの好事家と交換したのだという。イギリス人は、日本人ほどライカに畏敬の念を抱く風潮はなく(ぼくもそう思う)、お互いにウィンウィンの体で、異国産のカメラを撫で回していたのだそうだ。

 だがぼくの思うところ、父は頑固でしたたかなイギリス人を、あの手この手でたぶらかしたのではないだろうかと考えている。父の頭脳は商売柄もあろうが、理論構築と言葉遣いの巧みさに於いて、良い意味で殊更に抜きんでていた。気の良いイギリス人は父にすっかり懐柔されたに違いない。
 ともあれ、ライカIIICとM3(共にレンジファインダー)は、父とぼくの共有財産となったが、ここからいよいよ本格的な、そして地獄のような「レンズ道楽」が始まるのだった。

https://www.amatias.com/bbs/30/792.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
アリウム丹頂。4,5年前、この農園に咲いていたチューリップを撮った。それを撮ろうとした際に、栽培をしていたおばちゃんから「チューリップは縦位置で撮るのよ、いいわね!」といわれ、ぼくは「ははぁ〜、仰せの通りにいたします」と頭を下げた記憶がある。今回、そのおばちゃんの姿は見えなかった。
絞りf5.6、1/1000秒、ISO 160、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2026/05/29(金)
第791回:退屈な写真の話
 前号を指し、「写真の話を無理に入れようとするから、かえって内容が窮屈になるのよ」と、いつものこわ〜いご婦人方のひとりが、いとも物の分かった風にいう。癪なこと、このうえない。
 加え、「前回など、風邪の話を一気に押し通せば、それなりに恰好がつくものを、生真面目を装って途中から無理に写真の話をねじ込もうとするんだから。不器用な人間がそんなことをするものではない。った〜く分かってないんだから〜」と、やはりこわ〜い群勢のもうひとりが、我が意を得たりと強(したた)かにいう。癪を通り越して、ぼくは目に角を立てながらも、はやる気持を必死に押さえた。
 だが、彼女たちの軍門に降れば、本稿は「写真よもやま話」なので、今度は担当女史に顔向けできない。いずれにしても、板挟みのぼくには立つ瀬がなく八方塞がりだ。

 以前にも、同じような葛藤に苦しんだことが度々ある。写真の話などどこ吹く風で、世の中の取り沙汰に対する私見を述べることに現(うつつ)を抜かし、思いの丈を、しかし自重しながら記したことがある。このような所業は、器用か不器用なのか定かではないが、「ちゃんと写真を掲載しているのだから」との免罪符にぼくはしがみついた。

 今回は、久しぶりに写真を2枚掲載させていただく。同じ被写体(芙蓉)を同時刻に二通りのイメージに従って撮影したものだ。

 この2枚は、雨上がりの風の強い夕刻に撮ったもの。ぼくの頭の斜め上方にある茎の長い芙蓉は強い風に吹かれ、左右に大きく首を振り、100mmマクロレンズを掲げるぼくを、「お年寄りには、ついてこられないでしょう」と嘲笑うように踊っていた。
 現役を退いたとはいえ、ぼくは一気に職業モードに立ち返った。写真を愉しむなどという優雅な気分は瞬く間に消え、「失敗したら、家族が路頭に迷う」と、かつての悲哀が戻って来たように感じられた。長年にわたって染みついたアザが未だ消えずにしっかり沈着している。これは一種の宿痾のようなもので、永遠に逃れることはできないであろうと思われる。

 芙蓉はぼくの好きな花のひとつで、透明感のある花弁は逆光下で見ると一際美しい。この時は、雨上がりの直後であり、花弁に付着した雨粒が趣きを添え、撮影意欲をいっそう掻き立てた。
 「なんとしても、捉えてみせる」とぼくは意気込んだのだが、100mmマクロレンズは非情にもぼくを嘲笑うが如く、雌しべを捉えられることを極度に拒否した。ファインダーの狭い視野のなかで一瞬の静止をも拒み続け、自由闊達に、風任せに揺れ動く。この様をもし動画で撮り、音楽を付けるのであれば、ストラヴィンスキィ(ロシアの作曲家。1882 - 1971年)作『春の祭典』に於ける荒れ狂う打楽器群のリズムがよく似合う。

 いつもは被写体に対し気長に構えることのないぼくだが、この時ばかりはこわ〜いご婦人方相手に「江戸の敵を長崎で討つ」(直接関係のない場所や筋違いな場面で、過去の恨みや因縁に仕返しをするという諺)を心に刻んだ。この時の芙蓉の撮影はぼくの尋常ならざる執念の表れだった。
 昨年、研究熱心だがこわ〜いご婦人方のひとりに、この100mmマクロレンズを半年間お貸ししたことがある。このレンズで覗き見る一種独特の世界に魅了されたはいいが、その使い勝手の難しさに、彼女は音を上げたらしい。「私が使いこなすにはまだまだ技量が足りず、分不相応にも程がある」などと珍しく殊勝なことをいいながらも未知の世界を知った嬉しさをこっそりぼくに告げた。

 今ぼくが頭上で風に舞う芙蓉に白旗を掲げては、彼女の手前、プロの沽券に関わる。それは、ぼくのまったく馬鹿げた料簡なのだが、彼女の遭遇したすべての困難にぼくは打ち勝たなければならなかった。また、心地良い調和(背景が白い雲により、雨にしとど濡れる花弁は透明感をより増す)の撮影を拒み続ける芙蓉をどの様に撮像素子(イメージセンサー)に確実に定着させるか。ぼくは今までに蓄積させたノウハウを真剣な面持ちで集結させた。とはいえ、常識の範囲内のことなんだけれど。

 手ブレと被写体ブレを防ぐため、シャッター速度は1/500秒、部分的にでも質感や水滴の描写が欲しいので被写界深度はf 11 に決めた。そうすることにより、ISOは16,000にまで跳ね上がったが、優れたRaw現像ソフトを使用すればノイズや解像感は十全に保てる。ワンショットAFなのかサーボAFなのか、AFエリアは何を選択すべきか。ダイアルとボタンを頻繁に操作しながら、計23枚を撮った。

 以前なら、マニュアルフォーカスで片を付けたのだが、そんな昔気質の技を今さら敢えて持ち出すのは愚行に思えた。ぼくも少しは賢くなっているようだ。ただ、このカメラの優れた連写機能(メカシャッターで12コマ/秒)だけは意地でも使用しなかった。これがプロの沽券というもので、そんなものに拘るぼくは、やはり賢くない?

 「01」は、動きを止めたモノクロ仕様。「02」は、風に揺れる花弁の一部を交えたカラー仕様。好き嫌いや良し悪しは、作者が語るものではないので、読者諸兄に委ねるが、同じ花を同じ条件下で、異なるイメージで描いてみた。
 口の悪いどこぞやの人たちは、ぼくを精神分裂症の二重人格者というのだろうか? きっとそういうに違いない。

 写真の話って、やっぱり退屈でしょ。

https://www.amatias.com/bbs/30/791.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★撮影データは「01」、「02」ともに同じ。
絞りf11.0、1/500秒、ISO 16,000、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2026/05/22(金)
第790回:写真の話ではないのだが…
 ちょうど1週間ほど前、22年ぶりに風邪を引いた。長い間、風邪らしき症状とは無縁だったが、この病特有の喉の痛みで目が覚めた。最も初歩的な病?である風邪に違いないとぼくは観念した。熱はないものの鼻水とくしゃみの連発で、味覚と嗅覚を同時に失った。五感のふたつを殺がれただけで、人間としての営みに支障を来すという当たり前のことを自覚せざるを得なかった。それは、異様かつ不思議な世界に放り込まれたような感覚だった。
 以下、写真の話ではないのだが…

 今から22年前の2004年9月9日に、ぼくは北極圏直下にあるロシアのアルハンゲリスクという街に降り立った。30℃を優に上回る残暑厳しい日本から、Tシャツと半ズボンという勇猛な出で立ちで、気温8℃のそこに突如降り立ったものだから、阿呆なぼくは途端に鼻風邪を引いてしまった。この件(くだり)は拙写真集『北極圏のアウシュヴィッツ - 知られざる世界文化遺産』(ブッキング刊。現復刊ドットコム)に詳述したが、今回の風邪はそれ以来のことだった。

 拙書より、その一部を引用してみる。
 「空港(アルハンゲリスク)で車待ちをしているぼくに何人かのロシア人が、『そんな格好で大丈夫か? 車が来るまで上着を貸してやろうか』と声をかけてくれた。おじさんも、おばさんも、おにいちゃんも、おねえちゃんも、どの顔もみな大真面目でぼくの顔を覗き込んできた。リュックは盗難防止のためラップでぐるぐる巻きにされていたので、上着を取り出すのは面倒だった。16時間で夏から冬へと時空移動したぼくは、よほど珍妙で放胆な姿であったようだ」。

 免疫力が人一倍強いと自認していたぼくだったが、上記のありさまでぼくは風邪を引いてしまった。幸いなことにそれはウィルス性のものではなかったようで、翌日ぼくはホテルからほど近い薬局に飛び込み、たどたどしいロシア語を交えながらくしゃみの仕草をして見せ、流暢なロシア語を操るおねえちゃんに「ヤクをくれ」とせがんだ。
 ぼくの危機的状況を直ちに察した金髪碧眼の、どこか眩しいロシアねえちゃんは、白湯と薬を持って来て、子供を諭すように「これを飲めば大丈夫。日に3度、食後に服用のこと。忘れずに飲んでね」と、初めて接するという日本人に、ゆっくりしたロシア語で、嚼んで含めるようにいってくれた。

 22年後、あの時以来の風邪薬をぼくは日本語の通じる近所の薬局で、流暢な日本語を駆使しながら買い求めた。もはや、ゼスチャーは不要だった。金髪碧眼のおねえちゃんに取って代わり、決して眩しいとは言い難い年配の、男の薬剤師のおじさんが、「2日間この薬を服用し、回復の兆しが見えなかったら医者に行きなさい」と、彼もロシア人同様、親切な対応をしてくれた。
 ぼくは医者の世話にならず、1週間で風邪の症状はほぼ消え失せた。

 この1週間はぼくに次のような口実を与えた。「どこか撮影に行きたいが、体調を慮(おもんぱか)って、近所を徘徊し気休めとしよう。年老いての無理は禁物」との逃げ口上を打ち、自身を言い包(くる)めた。ましてや、この1週間は真夏日が続き、腰が引ける状態であったため、「これを機に、心身共にしっかり養生せよ」ということなのだと解釈することにした。
 現役を退いたぼくは、1週間くらい写真を撮らずしても誰彼から咎められることはなく、困ることもない。怠惰なぼくは、1週間くらいでは写真依存症に悩まされることもない。だが一方で、どこかお天道様に顔向けできないという不可思議な不運を纏っていた。かといって、無聊(ぶりょう)を託つというほどでもないのだが、どことなく気が晴れない。

 風邪を引く前に近くのハーブ園で撮った様々な葉や居酒屋で友人が飲み干したカクテルに水を注いだグラスの写真を仕上げてみた。

 今回の掲載写真は、上記した居酒屋で撮ったものだが、この手の写真は今まで仕事で散々撮った経験がある。
 もちろんポスター用としてスタジオで撮るのだが、グラスやボトルの撮影は大変手の込んだ仕掛け(細工)が必要であり、それに伴いライティングも複雑なものとなる。バーテンダー(シェイカーなどでカクテルを調合する人物)に立ち会ってもらい、同じカクテルを何杯も作ってもらわなくてはならない。1カット撮るのにかなりの知恵と重労働を強いられる。

 今回の居酒屋での写真は、まったくのプライベートな写真であり、自然光下で何の仕掛けもなく、グラスの位置とカメラのアングルを微妙に調整しただけである。また、写真上部にある玉ボケ(絞りf値とレンズの焦点距離、ピント合わせの場所により変化)をどう描くかにだけ神経を尖らせればよい。
 Rawデータ現像時にホワイトバランス、コントラスト、明度を微調整したものをPhotoshopに渡しただけで、ほとんど手を加えていない。深味のある写真ではないが、勘所を押さえれば誰にでも撮れる写真。

 撮影の邪魔をしようと性格の良くない建築家がグラスの向こう側に自分の顔を入れ込もうとしたのだが、その歪んだ顔入り写真も撮っておくべきだったと、今ぼくは後悔している。それをここに掲載し、世界中に晒してやればよかった。写真の話ではないのだが…

https://www.amatias.com/bbs/30/790.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF50mm F1.8 STM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
絞りf9.0、1/2秒、ISO 250、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2026/05/15(金)
第789回:沈黙は金?
 今月、我が倶楽部の勉強会で、改めて撮影の最も基本的なメカニズム(理論)の一端を講義した。今さらながらと思いつつ、古参のメンバーは別として、ここ数年の間に来られた方々に対し、撮影目的如何に関わらず、一応のお復習いをしておかなければということをぼく自身が痛切に感じたからだった。
 約200年前の写真創生期から昭和の前半くらいまでであろうか、写真好きは「何故写真が写るのか」とのメカニズムに通じていなければ、写真を撮ることがままならなかった。昨今の、 “理論を知らなくとも、シャッターを押せば誰でも写真が撮れちゃう” という事実は、善悪の問題を離れて、「功罪相半ばする」とぼくは考えている。古いタイプの写真人であるぼくにとって、何も知らずして写真が撮れるとの魔術が出現するなんて、まさに青天の霹靂である。こんなことがあってもいいのだろうか?

 かつては、1枚の写真を撮り、それをプリントすることに苦心惨憺したことが、今は何の苦もなく出来てしまうという事実は、当然のことながら科学の進歩に負うものだが、「果たして、本当に、それでいいの?」との疑問をぼくは常に抱いている。これは写真に限った現象ではないと思うが、何時の場合も、時代と折り合いをつけながら、人は生を歩んで行かざるを得ない。
 またそれは、現代人にとって永遠不滅の問いかけであるようにも思える。便利さと引き換えに、尊い何かが必ずや失われ、また犠牲になっているとの確信は自身の居心地をひどく悪いものにしている。便利さを手放しで喜べる人たちが、皮肉ではなく誠に羨ましい。

 写真撮影に於ける現代科学の「功」と「罪」のどちらが大きいかをぼくはとくと考えてみるのだが、それは意味のないことだとすぐに気づく。おそらく、現在は写真人口の99%が、「シャッターを押しさえすれば、写真らしきものがちゃんと写る」という仕組みを享受している。残りの1%が写真のメカニズムを操り、自身の写真のありようや表現を愉しんでいるような印象を受ける。この数字はほぼ間違いのないところだと思っている。

 科学の進化による利便性をぼくは安易に「文明の利器」とは認めがたいが、現代に於いて、写真についていえばその端的な一例としてスマホが上げられる。スマホの功罪については既に何度か述べたことがあるので、改めて記すことはしないが、敢えていうならば「酸いも甘いも噛み分けた」人たちでさえ、それをどう捉えるかは意見の分かれるところだろう。

 ぼくはこの歳になっても未だ「酸いも甘いもまったく噛み分けられず、迷ってばかり」の愚図な人間なので、写真を撮る手間暇を厭わず、むしろそれを愉しんでいる節がある。
 レンズの焦点距離(遠近感の操作)、絞りf 値(被写界深度の操作)、シャッタースピード(ブレをぎりぎり回避するスリル)、適正露出を得る操作(露出補正)はすべて自分の意志で自在に決める。カメラにお任せはISO感度のみ。格好を付けるのであれば、カメラの設定だけは愚図ったれに似合わず独立独歩。

 絞りf 値、シャッタースピード、ISO感度は露出決定の三角関係ともいうべきもので、この連携をしっかり把握していないと、表現としての写真は覚束ない。三要素の関係を自分の網膜に焼き付けている人がどれ程かをぼくは知らないが、おそらく悲観的な状況であろうと思う。
 ぼくはアマチュア時代より、「自分のことはすべて自分で賄う」ことしかできない大型カメラ(カメラのプロトタイプで、フィルムの大きさが、4 x 5インチ、8 x 10インチ)を愛用していたこともあり、オートマティック(Automatic)とは無縁のものだった。ぼくは、どちらかといえば前時代的写真人だった。ただ、これほど多くのことを教えてくれたカメラは他にない。

 人は自身の体験や知識でしかものを語れず、伝えられずなのだが、我が倶楽部の人たちにホワイトボードを使用しながら、学校の先生よろしく上記した露出の原則について、口角泡を飛ばしながら伝えた。
 だが、どの程度咀嚼してくれたか非常に心許ない。神妙にノートを取りながら、分かった振りをする名人揃いなので、ぼくとしては不意打ちのテストを何度かし、成績の悪い順に、折檻、お仕置きを繰り出し、挙げ句、獄門に懸けてやろうと思っている。しかし、年季の入ったゾンビのような女衆はそれくらいで怯むはずもなく、ぼくは返り討ちに遭うこと必至。

 ポートレート、風景、建物、接写、街中スナップなどの講義の後、どのような変化を期待できるか、ぼくも興味津々といったところなのだが、知恵の集大成として、「半年後、東京国立博物館で、美しい宝物を撮るのもいいアイデアだね」といったら、誰も返事をしてくれなかった。沈黙は鬼なりか?

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
群馬県高崎市。

★「高崎市」
掲載写真は、再び「たかさき中央銀座」に舞い戻る。歴史的な映画館「高崎電気館」。大正2年(1913年)に開館した常設映画館。
絞りf9.0、1/80秒、ISO 200、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2026/05/08(金)
第788回:神のみぞ知る
 半月ほど前に骨の折れる催し物を終え、ぼくは未だその後遺症から逃れられずにいる。以前なら2日も経てば元通りに回復し活動できたものが、昨今は身体が思うに任せずという難儀を抱えるようになった。回復に時間がかかるのは自然の摂理というもの。だが、精神は「未だ衰えず」なので、その矛盾に悶えることしばしば。脳の指令に手足が思うように従ってくれないという、なんとももどかしい悲劇だ。そのついでに、自家撞着に陥ってしまうことの恐怖も同居する。まったく始末に負えない。
 とはいえ、試行錯誤に明け暮れることは苦にならず、それが救いといえばいえる。その意欲がなくなった時は、写真の辞め時と考えている。試行錯誤こそ、上達の極意だと思っているのだが、ぼくの場合は試行錯誤で終わってしまうところが悲しい。

 拙稿を重ねるごとに、「今日は何を書くべ」と思い悩むのだが、編集者時代に多くの執筆者や評論家の方々とお付き合いさせていただき、ぼくが「教えを受けたい」と感じた何人かから、「大切なことは何度述べたり書いたりしてもいい。一度だけではなかなか真意が伝わりにくいものだ。繰り返しが大切だよ」と、異口同音にいわれたことを思い出す。その言葉は、今のぼくにとって大変心強い味方となっている。

 ぼくの文章は、自分でもコテコテでリフレイン(文章や詩、楽曲などで、同じ句を繰り返し表現すること)をよく用いると自覚しており、なおさら彼らの言葉をありがたく感じている。
 ぼくは、「写真」と「文章」という場を借りて、普段からの、社会現象やある種の人間たちへ控え目ながらも反旗を翻し、ついでにその鬱憤を晴らそうとしていることに気づいている。写真や文章を公に晒すという行為自体が、とどのつまりそういうことにあるのだろう。自身の恥など顧みず、そして臆さないとの両輪がフル回転してしまうのだと思っている。ただ、この掲示板の主人が公的機関なので、ぼくはこれでも遠慮しいしい書いている。

 今回の掲載写真は、前回に続き「たかさき中央銀座」のものを取り上げようと思ったのだが、前回の写真が自分でもあまりにおどろおどろしいと感じたので、一旦間を置き、雨粒の付着したイチハツ(あやめ科あやめ属)とした。「たかさき中央銀座」の写真に、何故かちょっと気が引けたからである。
 今回の花の写真は、まぁ、殊勝ながらもお口直しにといったところか。前々回の「『あやめ』美人」にあやかってという気持もなくはない。ただし今回はモノクロ仕上げである。花の色はご想像にお任せしたい。

 今月1日の豪雨の後、表に出てみたら雨は止み、夕方の薄曇り特有の、柔らかくも澄んだ光が射していた。「雨粒のついた花」は一種特有の美しさがある。ぼくはそれを写し撮ろうとかつて足繁く通った近所の貸し農園に赴いた。きっとあやめが咲いているに違いないと決め込んでいた。
 マクロレンズを持参しようかとも考えたのだが、「花全体を」との気持が勝ち、常用の24-70mmで済ますことにした。「2本持っていけばいいじゃないか。横着するな」といつもは他人にいうのだが、一人なので、誰も見てないもんね。自分に踏ん切りをつけようと、ぼくは「男らしく、花1輪につき1枚で決着をつける」と、巌流島に向かう武蔵のような面持ちで、目星を付けた貸し農園に向かった。 

 小次郎のように気取った花を見つけようと、ぼくは吉原遊廓の中見世や小見世にあったといわれる格子から、そこに居並ぶ遊女を覗き込むように(ぼくの実体験ではなく、小説や落語からの知識)お気に入りの娘、じゃなくて花をあれこれ物色。アングルを調整しつつ、光の加減を見定めながら、カメラ位置を探すのだが、花に近づけば近づくほど足場が悪く、ぼくのスニーカーにじくじくと水が染み込んでいく。これも定めであり、だからといって命まで奪われるわけではない。
 今まで、もう何千、何万回も体験してきたことであり、ぼくは父の佐賀弁で「そがんこつに今さら動じてどがんすっとね」と、盛んに士気を鼓舞し、奮起を促した。それくらいぼくは気合いを入れた。

 「パンフォーカスで撮る必要はない。今回はピントを合わせた前後の水滴はある程度ボカしたほうが立体感を得られる」と言い聞かせながらも、一方で「マクロレンズなら、f 22まで絞り込んで、トリミング前提で僅かに後退りして撮る(すべての水滴の輪郭をしっかり描くため)のだが、前後の水滴はボカそう」と、ぼくは心の片隅で、マクロレンズを置いてきたことの正当化に努めた。

 ズームレンズの焦点距離を70mmに固定し、絞りはf 10、シャッタースピードは1/250秒に設定。ISOはカメラ任せ。ファインダーではなくモニターを眺め、右上から左下への対角線を意識し、構図を確認した。ヒストグラムを見ながら、ハイライト側に余裕を持たせ、露出補正を決定。
 背景はなるべく暗所を選び、緑・黄の彩度と明度を落とした後にモノクロ化し、周辺光量を落とし、プリセットを微調整しただけ。これで花の背景は黒バックとなる。複雑な「選択」などはせず、レイヤーマスクで不要なところに大雑把にブラシがけをするのみ。

 小次郎必殺の剣 “燕返し” に遭わず、ぼくは返り討ちに成功したのかどうかは神のみぞ知る。いや、読者のみなさんのご判断に委ねることにしよう。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
絞りf10.0、1/250秒、ISO 400、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2026/05/01(金)
第787回:撮れぬ者ほど理屈をこねる
 のっけから手前味噌でやや気が引けるが、前回掲載した写真「あやめさん」について、知人友人を含めて「やればできるじゃないか」とか「こういう写真をもっと見せて欲しい」とか「こんなあやめの写真は初めて見た」との言葉を多方面からいただいた。柄にもなく、いつになくちょっとはにかみながらも、この事件については美辞麗句雨あられと一応いっておこう。ぼくは恰好を付けながら、「もう撮らない(見せない)もんね」とか「コマーシャル写真屋だから、どうにでも撮れるのよ」と、すまし顔で返しておいた。

 このような彼らの上目遣い(この言葉の解釈は多種多様かつ複雑だが)に対し、ぼくは天性の天の邪鬼(あまのじゃく)なので、額面通りに受け取ることはしない。なんというひねくれ者。「斜に構える」って、こういうことを指す。ホントに嫌な奴だと自分でも思う。そういわれる前に先んじていうぼくは、もしかするとホントに賢いのかも。いや “ずる賢い” んだわ。
 あっちのほうから、「もぉ〜、素直じゃないんだからぁ〜、まったくぅ〜」という遠吠えが聞こえてくる。いつもの女衆だ。

 「あやめ」写真に限らず、自分の作品はいつの場合も、仕上げには丹精を込め、描いたイメージに素直に従属することに心血を注いでいる。仕上がった写真はいつの場合も結果論に過ぎず、だがそれは自分の生き方に付き従うものでなければならない。いわば転写である。どこでどう評価されようが、ぼくの場合は二の次だ。それがぼくの生き様なのだから変えようがない、とぼくはやはり素直である。
 いつもいうように「他人のために写真を撮るわけではなく、写真は自分が何者であるかを表現するための唯一の手段」。きつい言い方をすれば、ぼくは不見転(みずてん)芸者ではないので、その気(け)のある多くの方々を、いつも遠目に眺めている。ぼくにとって彼らは、縁なき衆生であり、「君子危うきに近寄らず」である。ぼくは君子になったり、ずる賢くなったりと忙しい。

 写真の出来映えというものは、イメージを描いた時点で、既に決まっているとぼくは自分に言い聞かせている。写真の出来不出来は、もうその時に決定しているということだ。そこに発見や洞察の妙があると思っているが、写真に関していうならば、技術というものはそれを補足する一種のツールとして考えている。描くイメージが貧しければ写真もそれなりのものでしかなく、極論すれば、撮影技術や仕上げの術はグラウンド外にいる心強い応援団のようなもの。

 A. アダムス(アンセル。米の写真家。1902−1982年)いうところの、「ネガは楽譜であり、プリントは演奏」は言い得て妙であり、ぼくは楽譜のクオリティを最優先している。いくら優れた演奏家であっても、楽譜のクオリティが良くなければ(つまらない曲であれば)、どう足掻いても奏でる音楽には自ずと限度がある。それ程ぼくはイメージ(楽譜)を重んじている。イメージのクオリティは写真のクオリティに直結する。

 余談となるが、ぼくは中学・高校と、 “嫌々ながらも仕方なく” 吹奏楽部(クラリネット)に6年間席を置いていた。何故かといえば、吹奏楽用に作曲された音楽のクオリティに心地良いものを見出せず、どうしても管弦楽曲と比較してしまったからである。演奏する歓びがとても中途半端かつ希薄なものだった。管弦楽の名曲を吹奏楽用に編曲したものも数多くあったが、所詮それはお茶の出がらしのようなものにしか感じられず、嬉しさもありがたさもなく、出るはあくびばかりだった。興味は、自身の技術的向上だけにあった。
 クラリネットを携えて、ぼくは大学の管弦楽部に入部したが、そこで初めてクラリネット本来の、確かな存在意義を見出したものだ。嬉しさより、先ずホッとしたというのが本音だった。

 斯様にして、ぼくにとって写真の発端は、「始めにイメージありき」を強く意識することとなった。抽象であるイメージを、写真という具象に置き変える作業にぼくは長年絆(ほだ)され、その魅力に取り憑かれてきたのだろうと思う。
 “いわれる前に、先んじていう” が、それは「妄想癖」が長ずるに及んだ挙げ句の果てなのだろう。幼少時のぼくは、朝から晩まで祖母の背中に負われながら独り言をぶつぶついう、へんちくりんでけったい(京言葉で、奇妙なさま)な妄想ばかりに囚われた幼児であった。その記憶は、今も生々しくある。

 「たかさき中央銀座」を訪れたことは既に述べたが、そこでの印象はまだ述べていない。取り立てて述べるべくことが見つからないというのが本当のところなのだが、ここも恐らく全国の何処にでも見られるいわゆる「シャッター街」のひとつというに過ぎない。それは日本社会が直面している社会現象の断片なのだろうが、そこに立つ今日現在のぼくに、昭和の何かを感じる能力が欠けていることは事実だった。したがって、確固たるイメージが描けず、難渋の極み。

 昭和という、ぼくにとって懐かしくも良き時代は、しかし一方で得体の知れぬ恩讐という複雑な心情が織り交ざり、その残滓が未だ色濃く宿っている。どうにも始末がつかないのだ。辛苦の思い出は、時とともに相容れようとする感情が勝り、和解への道が開かれるものだが、現状そこにある寂しさはなかなか受け入れがたく、今のところ未消化に終わっている。極端な言い方をすれば、迷い変じて気が触れるといったところか。
 言葉で語れぬ歯がゆさを、写真でなんとか取り繕うと立ちすくむ自身の姿だけが、写真に浮かび上がっているような気がしてならない。写真掲載も恐る恐るである。屁理屈ばかり並べ立てて、嗚呼、辛い辛い。

https://www.amatias.com/bbs/30/787.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
群馬県高崎市。

★「高崎市」
「たかさき中央銀座」のアーケードに連なるシャッターたちの一部。アーケードの天窓が、商店の窓ガラスに写り込んでいるが、何故看板と平行ではなく、斜めなのだろうか? 光学的な解明に再び足を運ぶ気はないので、永遠不滅の謎が残った。しかし、我ながらえぐい写真やなぁ。
絞りf8.0、1/50秒、ISO 2500、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2026/04/24(金)
第786回:「あやめ」美人
 我が家の近くに大きな公園(北浦和公園)があり、そこは元埼玉大学文理学部の敷地だった。ぼくの小・中学時代、そこは子供の領分でもあった。近隣の子供たちにとって、大学の構内は掛け替えのない遊び場として、多くの思い出を刻んだ場所でもあった。誰もが敷地を横切り、目的地に向かうことを常としていた。木々が生い茂り、小さな盛り土がいくつかあり、子供たちにとっては恰好の遊び場となっていた。
 やがて埼玉大学が移転し、その跡地が現在の公園として整備され、敷地内には埼玉県立近代美術館がオープン。様々なオブジェが置かれ、また音楽に合わせて水を噴き上げる噴水も施設され、「文化の薫り高い」公園として市民に親しまれているのだそうだ。と、まるで他人事(ひとごと)のような言い草。

 確かに「文化の薫り高い」公園なのかも知れないが、かつてを知る者として、本当にそれを手放しで喜べるのか、ぼくのようなひねくれ者には甚だ疑問に思えてならない。もちろん、ぼくはノスタルジーに浸っているのではなく、過去と現在のありようについて、「本当にこれでいいのだろうか」と懐疑的である。
 これについて、ぼくの心情を解析しようとするなら、文化批判から始めなければ事は収まりがつかなくなり、写真の出番がなくなってしまう。「写真よもやま話」としての体裁を失うことになるので、後ろ髪を引かれるような思いで止めておくが、一言でいうならば「落葉や土と戯れ、泥だらけで恐る恐る家路につく」ことが失われてしまったことは寂しい限り。この事実は、決して大仰な言い方ではなく、心胆を寒からしめる現代の、都会の病理であるような気がしてならない。

 今月の春うららかな日、この公園を歩いていたら、逆光に輝く黄色のチューリップに目が留まった。春風に揺らぐチューリップの逆光に透けて見える美しい花弁をしばらく凝視し、カメラを持っていなかったので、やむを得ずポケットからスマホを取り出し、「取り敢えず写真」を試みた。取り敢えず、である。
 数日後、それをパソコンに転送した後、Photoshopで観察し、ぼくはギョッとした。近接撮影のため、いくらスマホがパンフォーカス(近景から遠景までピントが合った描写。被写界深度が深いこと)気味に写るとはいえ、チューリップ以外はボケが生じる。そのボケの、あまりの汚さに、ぼくは天を仰ぎつつ、すぐさま黄色いチューリップを「ゴミ箱」へ投げ入れた。

 特にリング状のボケ(ドーナツ状に写るボケ)の汚さに、ぼくの腕は「さぶいぼ」(関西の言葉。鳥肌が立つこと)に満たされ、すっかり気が滅入ってしまった。「怖気を震う」とは、まさにこのことだ。程度の差こそあれ、スマホで写真を撮る(記録や記念のためであればいざ知らず)ことの、凄まじさと恐ろしさを改めて思い知った。
 余談だが、55年ほど前に、ぼくはN社製の500mm超望遠ミラーレンズを購入したことがある。「ミラーレンズ」とは、レンズではなく鏡を主に用いて焦点距離を稼ぎ、F値が固定され、超望遠を小型・軽量かつ低価格で実現したレンズを指すのだが、その時に頻発した「リング状のボケ」を体感したものだ。パソコンのモニターに映し出されたチューリップの背景に、55年前の記憶が突然蘇った。

 今回掲載の「あやめ」は、嬶(かかあ)が体調不良のため優れた主夫と化したぼくが、夕食の食材漁りの途上で見つけたもの。「もう『あやめ』の時期なんだなぁ」と、その姿が和服に包まれた “いい女” を連想させ、ぼくは引き込まれた。女性の美しさを花にたとえた慣用句、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というが、今回出会った「あやめ」は、和服姿のどこか淑やかな女性を思い起こさせた。

 もう二度とスマホの轍(てつ)は踏むまいと、「家に帰ってカメラば持ってすぐに戻って来るけん、そんまま動かんで待っとって。わしが上手に撮っちゃるけん」と、ぼくは美人を前に、照れと恥ずかしさを隠そうと独りごちた。何故か標準語でなく、思わず父の地言葉でいってのけた。おかしかね(おかしいね)。

 家に取って返し、35mm単レンズをカメラに装着し、ハンドルを握りながら、「あのあやめ美人、誰かに掠(かす)め取られなければいいが」と不安がよぎる。頭のなかで、盛んにアングルを探し求めながらも、屋外は夕方のせいか、車外の明度はどんどん落ちていく。

 絞り値はf 3.2前後と決めており、大きな花弁のハイライトを飛ばさぬようヒストグラムを見ながら露出補正を決めるだけで、事が済む。アングルは車内で既に決着済みで、もう迷うことは何もない。
 ファインダーを覗いて、描いたイメージに合わなければ、ぼくは敗者となり、その時は美人の前で男気を見せ、潔く退けばよろしい。凜とした態度で撮影に臨めば、「あやめさん」はきっとぼくの期待に応えてくれるに違いないとも思った。何事にも、ぼくはこ〜ゆ〜ふ〜に思考を繰り広げることができるノホホンとした性格なので、もしかしたら、やはり一瞬を切り取る写真という作業に向いているのかも知れない。写真屋は、楽天的でなければやっていけないのだから。

 「あやめさん」を誰かに掠め取られると案じたが、今ぼくは「あやめさん」をちゃっかり掠め取ったような気がしている。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF35mm F1.8 Macro IS STM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
絞りf3.2、1/160秒、ISO 100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2026/04/17(金)
第785回:フィルムの恩恵
 ぼくがパソコンを使用し始めたのは2000年で、初めてのパソコンなるものはMac G3だった。そして、「これなら仕事に耐え得る。フィルムからの離脱はこのカメラしかない」と、2002年に発売されたデジタルカメラEOS -1Ds(初代。2002年発売)を迷うことなく購入。パソコン購入のほうがカメラより早かったのは、来るべきデジタル時代を予見し、それを修得しなければ “食いっぱぐれる” との危機感からだった。先ずはパソコンの使い方を修得しなければと。パソコン購入時、カメラマンの世界はまだフィルムが本流だった。

 拙稿は連載当初からWord(Microsoft Office。日本での初版は1991年)を使用しているが、ぼくの編集時代(40年以上も前)にはまだそのようなものはなく、もっぱら原稿用紙に、鉛筆なら2B、もしくは万年筆で書いていた。原稿を依頼される執筆者も同様だった。

 デジタル歴25年とはいえ、アナログ育ちのぼくは、未だにキーボードを叩いて文章を書くことに慣れずにいる。現在、すでに万年筆はキーボードに取って代わったが、それでも、文章を書くということにはどこか違和感を覚えている。キーボードと万年筆では、文章が異なるように思えて仕方ない。どこが異なるのかは判然としないが、何かが確かに違う。
 しかし、編集者にとってデジタル原稿は、おそらく大変便利でありがたいものに違いない。原稿を渡したり、取りに行ったりする手間が互いに省け、加え、読み易いのだから、このうえなく重宝するだろう。「原稿取り」などという言葉は、もはや死語になったのではないかと思う。

 長い間、ぼくもご多分に漏れずメールでのやり取りが当たり前になっているが、やはり1年に数度は、手描きの手紙や葉書を出すように心がけている。デジタルによって失われた大切な何かを取り戻せるような気がするからだ。
 一番の理由は「暖かさ」や「ありがた味」、「ぬくもり」の伝わり方が、デジタルとは異なると感じている。手紙を差し上げれば、相手もそれに応じて、手描きの手紙を出さねばという気持になるのではと、身勝手な妄想をしている。人によっては、ありがた迷惑かも知れないね。

 写真に関しても、確かにアナログとデジタルは異なる点多々ありで、それについては拙稿で何度か触れているので、改めて記すこともないのだが、文章について感じることと同質のように思うことがある。だが世間一般に流布されているその差異について今回は述べないが、ぼくは多くの異論がある。
 ぼくにとって、デジタルのありがたさは、技術面に関していえば、1枚ごとにISO感度が選べること。精神面でいえば、機材は高価だが、労力を惜しまなければ、何枚撮っても懐が痛むことはない。これは誰にとっても大きな得であり、経済的な圧迫から逃れられることは、とてもありがたい。

 そして決定的な違いは、暗室作業の精緻さと自由度がフィルムとは雲泥の差であることだ。このことは、撮影時に描くイメージの自由さが無限に広がることにある。ぼくにとって、この歓びは、まるで天空を舞うオーロラが夜空を彩るさまに似ている。それは、決して大仰な言い方ではなく、まさにデジタルという地の利を最大限に活かしたものだ。
 パソコンのモニターに映し出された写真(Rawデータを調整し、tifに変換した画像)と対峙しながら、撮影時に描いたイメージを何度も思い起こし、明度、彩度、色相、コントラストなどを細かく調整して行く。自身に忠実であるかどうかを自問自答しながら、何度でも試行できるので、これはまさにデジタルの 恩恵ともいうべき“離れ業” であり、 “必殺技” でもある。

 この危険な “離れ業” が、「奇をてらったもの」や「あざとさ」に繋がっていないかを、ぼくは執拗に問いかけることにしている。オーソドックス(一般に正統的と認められているさま。伝統的な教義や方法論を受け継ぐもの)とエキセントリック(ひどく風変わりなさま。突飛なさま)の両端のどの位置に存在しているかを執拗に問いながら、1枚を仕上げる。これは、デジタルの独壇場ともいえるものだ。

 とはいうものの、ぼくのデジタル作法の根幹は、あくまでフィルム現像と印画紙現像に基づいたものであり、もしぼくがアナログを経験せずにデジタルに及んだとすれば、誠に空恐ろしいことに思える。他人はいざ知らず、ぼくにとっては、常にフィルム時代に得たものが、デジタルの土台となっている。
 そしてまた、「中庸の美」ほど貴重なものはないと憚りなくいえるのは、アナログで培ったものが、通奏低音(表面にはあらわれないが一貫してその物事に影響を及ぼし続けている要素。大辞林)のように流れているからであろう。

https://www.amatias.com/bbs/30/785.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
群馬県高崎市。

★「高崎市」
「たかさき中央銀座」へ向かおうと、駐車場から歩いての第1カット。原画のほうがきれい。でもぼくの描いたイメージは掲載写真の通り。
絞りf10、1/60秒、ISO 160、露出補正-0.33。
(文:亀山哲郎)