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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2025/02/21(金)
第728回 : 40年の仕事を終える
 この10日間近く、優柔不断のぼくは、あることに悩まされていた。今日この原稿を認める頃には決着をつけているのだろうが、物事にはすべて “潮時”というものがある。
“潮時” とはどのような意味で、どのような時に使用するのかを、何冊かの辞書を繰りながら調べてみたのだが、そこに新たな発見はなく、従来から誰もが心得ていること以外のものは見つからなかった。
 この言葉の意味や使い方にぼくが悩まされているのではなく、写真業からの、自身の “身の引き方” について、先日来、頭を痛めていたのである。戦争と同じく、始めるのは容易いことだが、止める(撤退)のは、非常な困難を伴うのと似ている。何もここで、喩えとして戦争を持ち出さなくてもよいのだが、引き際というのは、自身の都合だけで決められるものではなく、斯様に難しいものだ。

 “潮時” といったが、世間で案外誤解されていると思えるのは、「物事の終わり」や「やめ時」だけを示唆する時に使われる言葉であるように見なされていることだ。往々にして、そのような時だけに使用されると思われている節があるが、それに限定するのは間違いであることくらいはぼくだって知っている。けれど、ぼくをも含めて、そのような、ちょっとした勘違いに人々は案外気づかぬことがある。

 ぼくより何倍も多く読書を嗜んでいる身近な人間が、「おかしい、おかしい」とさかんに首を傾げていた。「どうしたの?」と訊いたら、「『原因』という言葉がこの辞書には載ってないんだ」と狼狽えていた。彼は、「原因」の発音を20年近く「げんいん」ではなく、「げいいん」と思い込んでいたのだった。何を隠そう、その読書家はぼくの息子なのだが、ぼくはその現象にたまげはしたが、笑うに笑えなかった。人は誰でもそのような、たわいない間違えをするものだからだ。ぼくだって、始終している。

 「潮時」とは、「物事をするのにちょうどよい時」(大辞林)、「あることをするための、ちょうどよい時期。好機。時期」(広辞苑)とある。あるいは、「物事を始めたり終えたりするのに、適当な時期」(大辞泉)ともある。作例として、「そろそろ引退の潮時だ」(明鏡国語辞典)、「今が潮時と辞任する」(三省堂国語辞典)といったものも示されている。要約すれば、「やめる」(止める。辞める)時に使用するのは間違いではないが、 “潮時” はそれに限定される訳でないということだ。

 ちょっとくどくどと言い過ぎたが、ぼくはここ10日間ほど、自身の、写真屋からの撤退伺いを、今は亡き、心より師事してきた人たちに立ててみたのである。この歳になってさえも、ぼくにはかつて人生の師と仰いだ故人たちが身の回りをうろちょろと徘徊しているのだった。とはいえ、人生相談とはいいつつも、それは自分の気持ちや心の確認作業を経るためのエクスキューズに過ぎないのだが、それでも心の拠り所というものを求めたくなることもあるようだ。

 しかし、残念ながらぼくには天からの声を察知したり、聞き取ることはできなかった。ただ、亡父の声だけがかすかに頭のなかで低く反響していた。「そげなことは他人に頼らず、自分で決めれ。いつまで経ってん、おまえはいかんの」っち佐賀弁で言いよる。
 ぼくはこれ幸いと父の声に全責任をおっかぶせようと、「来週早々ん撮影ばケツ(最後)に、40年ん写真業に終止符ば打つ!」と、ぼくも佐賀弁で啖呵を切った。見得を切った以上、もう後戻りできないような状況に追い込むのが賢明というものだ。

 ただ、仕事を引退すると何から何まで生活意識が変化するのだろうと思う。それをどの様にして愉快なものに導くかがきっとぼくの才覚なのだろう。もちろん、この才覚とは、金銭や名誉などといったまったくの俗物なものとは無縁でなくてはならないし、そうあるべきことはいうまでもない。こんなものにかまけていたら、下手な写真がさらにダメになってしまう。これが、ものの道理であり、かつまた真理というものだ。

 今この原稿を記しながら、ぼくは言葉では言い表せないような不思議な感慨に浸っている。実に複雑奇っ怪な感覚なのだが、一番強く感知していることは、写真屋から足を洗えば、「これからはもう、あんな恐い思いをせずに済む」ということだ。
 写真屋としてこの40年間に何千もの場数を踏み、そこには撮影の楽しさと恐怖がいつも同居していたものだが、経験を積めば積むほど写真を撮ることの恐さが身近に迫り、楽しみを打ち負かしつつあった。最近は特にその兆候が著しくなってきたように思う。昔から、ロケ現場が近づけば近づくほど、Uターンをして帰宅したくなったものだが、最近は特にその傾向が著しい。
 創作というものは、知恵と技術の使い処を知れば知るほど恐さが増していくものらしい。この矛盾は趣のある哲学的思考であるように思え、実に面白いものだ。
 ぼくは、本来はその逆であると思っていたのだが、予想外のどんでん返しに、目をパチクリとし、慌てふためく自分がいることに気づき始めている。

 ぼくの現役引退の目論見をとっくに見透かしたように、拙稿の担当者から、来年度の契約書が有無をいわせぬ絶妙のタイミングで我が家の郵便ポストに入れられていた。何のお伺いもなしに、書類に判を押し、送り返せとのことだ。ぼくはまた連載記録を1年間延長するようだ。「してやられた」って、こういう時に使うらしい。相手が上手(うわて)だったという事実だけが残った。
 娘に、「てつろうくん、ボケ防止にいいよ」と、ちゃらっといわれたが、「うん、確かに」と返すのが精一杯だった。

 嬶(かかあ)には、「もう写真屋を辞める」とは、どうしても言いづらく、まだ白状していない。ぼくが今悶々とし、気の晴れぬ思いをしている唯一の原因(げんいん)がここにある。

https://www.amatias.com/bbs/30/728.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
東京都中央区銀座。奥野ビル、旧名「銀座アパートメント」(次号で触れる)。

★「01銀座」
銀座にある築93年(昭和7年建築)の奥野ビルの一室で開催されている知人の個展会場を訪れた時に撮ったもの。ビルのエントランスに入った途端に、30数年前、このビルでロケをしたことを、突然思い出した。
絞りf5.6、1/25秒、ISO 2,000、露出補正-1.33。

★「02銀座」
昔のロケ現場を懐かしみながら階段の上り下りを愉しんだ。新レンズは上手いこと描写してくれるか、なんてどうでもいい。
絞りf4.0、1/25秒、ISO 1,000、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2025/02/14(金)
第727回:200gの重量差にへこむ
 5話にわたり記してきた「首都圏外郭放水路」については、今回で一旦打ち切り、従来通りの “咄嗟の、思いつき” による無駄話(与太話)に戻ろうと思う。といいつつも、実は「首都圏外郭放水路」そのものについては多くを語っておらず、相も変わらず自分のことばかりなのだが、掲載写真は現場のものなので、それでお茶を濁すというのが、ぼくのもっぱらの逃げ口上だ。
 手刀を切りながら、少しは反省もし、心を入れ替えなければと思いつつ、ぼくは未だどこからもお小言を頂戴しないのをいいことに、もう15年もそんなことを続けてきた。まったく、たいした度胸だ。ぼくには、肝というものがあるのだろうか。

 その後、「首都圏外郭放水路」での別企画(8色のスポットライトやレーザーライトを用いたライティングデモ)のため、過日予備撮影を行ったのだが、まだその催しの本番を迎えていないので、その後改めて許可を得てから、可能であれば現場写真とともに本稿に掲載させていただこうと思っている。
 「地下神殿」で、色とりどりの光りが飛び交う光景は、それはそれで見ごたえのあるものだった。コンクリート打ちっぱなしの「地下神殿」は、写真屋であるぼくにとって殊更趣を感じるのだが、色彩を添えられたそこもまた風趣の異なるものだった。
 ただぼくの場合は静止画なので(飛び交う光りを止める)、それがどのくらい訴求力を得られるかは不明である。「動画と静止画は、自ずと役割と目的が異なるものだ」と考えているが、現場写真を掲載するまでは、取り急ぎそのような予防線を張っておこう。

 ここからいつもの与太話に戻るのだが、先週から今週にかけて、あろうことか、ぼくは省線電車(鉄道省、運輸通信省、運輸省。1920〜49年)でなくて国電(日本国有鉄道。1949〜1987年)でもなく、そうだ今時はJRというらしいが、10日間に5度も乗ってしまった。それは近年にないことだった。写真屋は機材があるので、常に車移動。今週末には、銀座に行かなくてはならず、ぼくはこれでも一端の、にわか社会人を気取っている。
 スマホに入れたSuicaの残高がみるみる減っていくその様は、心地良い(まだこのジジィは何かの役に立つとの認定書)ものなのか、そうでないのか(すでに用済みの退役軍人)、ぼくは未だ結論を出せずにいる。だが、いずれにせよ「老体に鞭打つ」との状態に変わりはなく、元々人混みと電車の苦手なぼくはすでに疲労困憊といったところだ。

 新調したレンズは、仕事目的に購入したものではないと割り切っているので、これは思いの外、ありがたくもストレスを解放してくれる。テスト撮影もせず、身近なものを無造作に楽しく撮っている。極言すれば、心情的にはスマホ写真の如しといったところだ。
 レンズの描写や性能を意識していないので(描写にさほどの破綻がなく、普通に写ってくれればいいよ、との面持ち)、なかなか正体が見えてこないのだが、もはや気に止めていない。また、ぼくの普段からの性癖上、購入時にネットやらYouTubeでの情報はまったく当てにしていないので、気楽な選択だった。

 ただ、現在特に私的写真で重宝しているオールラウンドレンズのRF24-105mm F4 L IS USMにくらべ、新調したRF24-70mm F2.8 L IS USMはちょうど200g重い。ぼくはこの差について高を括っていた。ボディに装着して初めて、「なんじゃ、この重さは!」と唸ってしまったのだ。この重量差が、今後疫病神にならなければいいのだが。

 アマチュア時代から商売人に至るこんにちまで、レンズの描写というものは、いつもぼくの心に重くのしかかり、頭を痛めてきた。また好みと良し悪しについても多くの事柄に身を割いてきた。重く厄介な漬物石が、歳を重ね血の気がなくなるのと同調しながら取り払われ、肩が凝らなくなったように感じている。きっとこれはかつてのレンズ道楽という病がもたらしたものに違いない。道楽あってこその、今の快適さである。多分、この病がぶり返すことはないだろう。

 このレンズで撮った作例をまだ拙稿にて掲載できていないが、ぼくは出し惜しみなどするような性分ではなく、ぼくにとって高価だったので、何処ともなく気が揉めているだけだ。このレンズは、2019年発売なので、殊更新しいレンズというわけではない。
 また、このレンズは、巷でいわれるあまり品の良い表現とは思えない所謂「大三元レンズ」というものなのだそうである。ぼくはこのいい方に非常な抵抗感を持っているので、今回が最初で最後の使用だ。ついでながら、時々見聞きする「小三元レンズ」、「レンズ沼」、「撒き餌レンズ」、「Jpeg撮って出し」、「ワイ端、テレ端」その他その他の語彙も同様にして、ぼくの世界にはない。写真が下手くそな分、言葉くらいはまっとうなものを使い、それで埋め合わせをしたいものだ。

 話が前後するが、先述した解放感がテストに殊更執心してきたぼくにどのような変化をもたらしたのかは、自身でも明確でないのだが、多分、「もう仕事の写真は撮らない」との意志から派生しているのだと思う。そしてまた、もうひとつは、レンズやカメラの性能に惑わされ(煩わされ)ながら、写真を撮るのは「もういいよ」との心境なのだろう。ぼくは、後者のほうに重きを置いているように思える。
 とはいえ、新レンズについての自身の評価に、多少は悩むことがあるだろう。つまり、「思った通り写ってくれない」とか「ここが物足りない」ということは、いずれにせよ起こり得ることだ。反面、「だからそれが何だっていうのだ!」との強い意志があるようにも感じている。それをして「意地」というのだそうだが、見得を切った以上、笑殺もやむなしといったところか。

https://www.amatias.com/bbs/30/727.html

カメラ:EOS-R6&R6 MarkII。レンズ : RF35mm F1.8 Macro IS STM。RF50mm F1.8 STM。
埼玉県さいたま市。川越市。

★「01さいたま市」
数年前、35mm単レンズを購入。レンズテストがてらに近くの公園で。このレンズはお気に入りの1本。
絞りf5.6、1/160秒、ISO 400、露出補正-0.67。

★「02川越市」
川越市内にある旧山崎家別邸。川越市指定文化財、国登録記念名勝地。アールヌーボー風のステンドグラスはぼくの好みではないのだが、夕日の極一瞬に垣間見せてくれた色彩の乱舞に思わずレンズを向けた。
絞りf8.0、1/10秒、ISO 2,000、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2025/02/07(金)
第726回:首都圏外郭放水路(5)
 読者の方から、「前号の掲載写真は、カラーとモノクロで異なる立坑をそれぞれ表現されていますが、どちらが亀山さんの意図に合致しているのでしょうか? 再来月、見学に行く予定なので、とても興味があるのです」との、かなり身に迫った(?)実直なご質問をいただいた。ぼくは自分の意図するところを正確にお伝えするべく、語彙を選びながらメールにて返信を差し上げた。
 ぼくが横着者で、少しばかりの悪知恵が働けば、きっとその返信メールの全文をコピペし、削除と加筆をしながら、今回の原稿にしてしまうのだろうが、生憎ぼくにそんな度胸はない。第一、それは姑息であり、読者の方に失礼である。この拙稿は、新たに記したものだ。

 また、拙稿に触発された小学生時代の同輩からも、「見学に行きたいんだけれど、カラー写真とモノクロ写真のどっちがリアルなの? 君はカメラマンだから、やはりモノクロのほう? 『地下神殿』への階段の上り下りに、荷物はどうしたらいいかな?」と、かなり一方的かつ気弱な質問を投げかけてきた。なかなか真に迫った問いかけなのだが、彼は昔から根が愉快で、間の抜けたところが級友に面白がられていた。70年近く経った現在も、それを引きずっている愛すべき男なのだ。
 そのため、応える側のぼくも言葉選びにあまり頓着せずに済む。ましてや電話なので、録音でもされない限り、ぼくもその場の思いつきで、無用心でいられるのはありがたい。けれど、写真に関してのことだけに、舌先三寸という訳にはやはりいかない。

 一見すると、質問内容が読者の方とは似て非なるものと感じたのだが、回答の方向性は同じところにあるように思えた。同質のものが多く含まれているように感じたのである。
 元々がカラー写真のものを、どのような理由でモノクロ化したのか(それについては、前号の写真解説のところに簡潔に述べている)? そして、双方のどちらが現場にいたぼくにとって、それらしく被写体を捉え得たのか、ということなのだろうとぼくは勝手に想像し、しかも自分に都合の良いように解釈することにした。このへんの “臨機応変” は、亀の甲より年の功である。

 だが、「ああいえばこういう、こういえばああいう」との、利かん気に満ちた奸悪な人々に普段囲まれている身としては、 “臨機応変” より、「毀誉褒貶(きよほうへん)は人生の雲霧なり。この雲霧を一掃すれば、すなわち青天白日」(幕末の儒者、佐藤一斎の言葉。心に一点のやましいことのない境地に至ることが大事であり、正しい気持を持って事に接すれば、恐れることは何もないとの意)のほうが、勝機に恵まれ、何をするにも気持が良い。まぁ、勝ち負けの問題ではないのだが、朴訥(ぼくとつ)な人間が、巧言を弄する人間に引けを取るのはやはり我慢がならない。

 また話が横にすっ飛んでしまった。元に戻して、元来自身の作品を、言語でつまびらかに説明することをぼくはひどく嫌がり(しかし、世の中にはそれを好む撮影者がたくさんいるようだ)、したがって、なかなか話が前に進まない。
 仕事で撮った写真を拙稿の掲載写真に流用したことはないのだが、今回は多少の制約はあるものの、許可を得ることができた。一風変わった建築写真として、現場ではかなりの表現の自由を許していただいた。

 しかし、同じ写真でも、ここに掲載したものと納品したものとは様相が少しばかり異なるのだが(特別な意図でない限り、モノクロで納品することはない)、多くの被写体はここでしか見られぬ特異な建造物であったため、どの様に表現するかに面白味があった。対象とする被写体がぼくにとって大変興味深く、またフォトジェニックだったということなのだと思う。それがために、「『首都圏外郭放水路』を訪問してみたい」との感想を多くいただいたのかも知れない。

 簡潔ないい方をすれば、納品写真は客観性を重んじ、ここでの掲載写真はぼくの、まったくの主観によるものだ。自分の抑制的な気分を払い退けて、もっと思い切った表現をしても良いのではとの気持に駆られるのだが、現地を訪れた方々から、「写真で見る現場は、まったく違うではないか! 嘘つき!」との反応が間違いなく寄せられるだろう。気の弱いぼくは罪の意識に苛まれることになる。

 ぼくはいつも、「 “写真は真を写さない” 」といっている。「写真は嘘をついても良いが、自分を偽ったら、もうそれは創造の、創造たる価値のないものに成り下がってしまう。人間は無機的な機械ではないのだから。創造は人間が人間であることの証」ともいう。
 いや、 “写真は嘘をついても良い” というより、撮影者が人間である以上、あるいはカメラやレンズ、現像ソフトなどの創造主が有機的な人間である限り、どこに、どのようにして、客観的な一貫性を求め、またそれを示せというのだろうか。土台、無理な相談である。

 ぼくはこんな話をよくする。同じ場所で、同じ時に、同じ機材を使って撮影しても、印画紙上に写し出された写真に、同じものはふたつとない。
 写真は過去の思い出を程良く記録するが、時空を止める訳ではないともつけ加える。ぼくらが、そう錯覚しているだけだ。「過去に、確かにこの瞬間があった」ことの証にはなるかも知れないが、そこに写し出されたものが、時空を越えた真実だと、誰が証明できるだろうか。

 メールをいただいた読者の方と友人の質問には直接ぼくの考えをお伝えした。ここでは直接的に触れず概略を示しただけだが、それは写真的見地からした正誤の問題ではないからである。そこのところ、どうぞご了解いただければと思う。

https://www.amatias.com/bbs/30/726.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県春日部市。首都圏外郭放水路。

★「01首都圏外郭放水路」
地下神殿の最奥部にある排水ポンプの巨大なインペラ(羽根車)。深さ50cmほどの水の中を、長靴を履きジャブジャブと進む。2灯の懐中電灯で照らしてもらう。
絞りf5.6、1/15秒、ISO 2,500、露出補正-0.67。

★「02首都圏外郭放水路」
インペラのアップ。ここも懐中電灯で照らしてもらう。
絞りf5.6、1/15秒、ISO 2,000、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2025/01/31(金)
第725回 : 首都圏外郭放水路(4)
 今回の撮影「首都圏外郭放水路」は、ぼくの40年間に及ぶ最後の仕事と心密かに決めていた。この先、仕事を依頼されれば、義理と人情の板挟みになるだろうが、意を決して、潔く身を引き、自分の作品づくりに埋没したいとの気持が強い。ぼくは、仕事の写真と私的写真の両刀遣いができるほど器用でないことを自覚している。

 願わくば、現役から “人知れず身を引く” のが理想であり、格好がつく。そのためには、「あいつはどこかで “野垂れ死に” したようだ」との噂をそれとなく流してもらえばありがたい。自然消滅が理想なのだが、家族を背負っている以上、現実にはなかなかに難題であろうと思われる。知人友人の半数以上が、仕事を通してのお付き合いなのだから、なおさら “人知れず” 身を隠すことは困難だ。

 義理とは、筋や道理を通そうとする理性であり、人情を生まれ持った情趣や感情であるとするならば、なるほど、その板挟みというのは、矛盾を晒さなければならず、どこか痛みを伴うものであるに違いない。これは、かなり厄介な痛みだ。
 胸の疼きというのは、やはり忍び難いものであろうから、「あちらを立てればこちらが立たず」などという道理に背いた我を通すべきでないのかも知れない。中途半端は身を痛め、傷つける。ぼくは今そのような大きな憂鬱を抱え、年老いて人生の岐路に立っているといってもいい。何だか、めでたくもそんな憂慮を抱えつつ右往左往している自分が滑稽に思えてくる。

 どこかで踏ん切りをつけるために、熟慮の挙げ句、ぼくは久しぶりにレンズを新調することにした。実に唐突なる思いつきだった。そのレンズは何某かの性能向上のために選択したものではなく、また今まで使用していたレンズ群を遙かに凌ぐ優れた点が認められるという訳でもないのだが、勇んで踏ん切りをつけるための、一種の儀式のようなものだ。あまり神聖とはいえない儀式である。得体の知れないレンズに高額を支払うのはその決意の表れかというと、そうでもないところが、如何にもいい加減なぼくらしい振る舞いであった。

 若い頃から、かなりエキセントリックなテスト魔であることは以前に述べたことがあるが、今回新調したレンズは、まったくの、衝動に近い「不見転」(みずてん。後先を考えずに事を行うこと。見通しもないのに行動すること)であり、使用したこともテストしたこともないものだ。話が横道に逸れそうなので、このレンズに関しては、実際の写真を掲載時にお話ししようと思っている。

 「首都圏外郭放水路」を撮影するにあたって、ぼくの大きなカメラバッグはいつもと同様に太鼓腹のようにパンパンに膨れあがった。今回ほとんど使うことがないであろうと思われるレンズ(主に望遠系)や万が一のための予備のボディ、そしてその他諸々の付属品などを含めると相当な重さとなる。
 レンズというのは、既にみなさんもご承知の通り、石や鉄と同じ重さと考えていいくらいのものだ。そのくらい重量がある。同じものが、何故か歳を取るとともに重力が増すから嫌になる。その理不尽さに癇癪を起こし、本気で怒るぼくは、やはり心(しん)から阿呆なのであろう。

 また、その場の思いつきでものをいう不気味なクライアントのために(たまにいるんですね。光学的、物理的配慮に欠けたり、絶対に使用しないと分かりきったカットを「一応念のために」と写真屋に拝み倒すような、極端に気弱な人たち)、ともあれマクロレンズも携行しないといけない。油断ならない人々のために、あらゆる準備をしておかなければならないので、本当に大変なのだ。つまり写真屋というものは、まったくの肉体労働者である。
 「写真は感性よね、やっぱり感性よ」(何故、ここで女言葉になるのか分からないが)などという素っ頓狂な分からんちんがいるが、「感性なんてものは、二の次、三の次なんだよ! “感性” などという言葉を容易に乱発する人間ほど、感受性に劣るんだよ! 喝!」と、何故ぼくはこんなことでムキになり、突如いきり立つのか?
 社会の底辺に蠢(うごめ)くフリーランスの写真屋の悲哀であるが、歳とともにその悲哀をかなぐり捨てることが少しずつではあるがやっとできるようになったことは、誠に喜ばしきことである。「めでたさも 中くらいなり おらが春」(一茶)といったところか。

 商売人は、伊達や酔狂で写真を撮っている訳ではないので、どのような撮影にも対処できる体制を常に整えておかなければならない。写真のあがりは、最低でも相手の注文通りか、それ以上のものを差し出さなければ次につながらない。
 プロは、高級機材を身に纏った茶人(ちゃじん。一風変わったものずき)ではないのだから、「撮れませ〜ん」という屈辱的な言葉をどんなことがあっても吐くわけにはいかない。撮影に対して用意周到であろうとするために、まともな商売人ほど、機材への投資は膨れあがり、どうしても避けることができないものだ。それは商売人の背負う性のようなものだとぼくは思う。また、投資は裏切ることがないというのも、ぼくの変わることのない信条である。

 仕事の写真は自己主張を優先するためのものにはなり得ず、その癖が長年の習わしにより身につき、もはや剥がし辛くなりつつあるような危機感を抱いている。客観視するのは良いのだが、私的な写真に必要だろうかとの疑念がムクムクと頭をもたげ、ぼくは息苦しくなってしまった。
 新調のレンズは、実はぼくにもう少し大胆さと勇気を植え付けてくれるのではとの思いで、後先見ずに、ある日突然大枚を叩いて入手してしまった。来月もう一度「首都圏外郭放水路」の撮影があるのだが、それが済んだら、何もかも忘れて、このレンズを相手に一丁遊んでみようと思っている。

https://www.amatias.com/bbs/30/725.html  

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM。
埼玉県春日部市。首都圏外郭放水路。

★「01首都圏外郭放水路」
第1立坑を最上部のキャットウォーク(作業員用通路)より覗き込む。深さ70mは目も眩まんばかりの光景だ。画面左の四角い穴の向こうは、「調圧水槽」内こと「地下神殿」。人の姿が見えれば、その巨大さが分かるのだが。
絞りf8.0、1/10秒、ISO 3,200、露出補正-0.67。

★「02首都圏外郭放水路」
立坑は全部で5本あり、高さは70m、内径30m。これは第2立坑。肉眼で見ると恐怖を覚えるが、不思議にもファインダー越しとなると、ぼくは恐怖から解放される。構造物をより立体的に表現したかったので、モノクロに。
絞りf8.0、1/10秒、ISO 2,000、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2025/01/24(金)
第724回:首都圏外郭放水路(3)
 読者諸兄を含めた数人の方々から、「首都圏外郭放水路」に行ってみたいとのメールをいただいた。確かにここは一見の価値ありとぼくも感じており、人様にお薦めすることにためらいがない。「一般公開(2018年より)されているので、ぜひ見学されたらいいですよ。十分に愉しめますよ」との返事を差し上げた。ここは老若男女を問わず愉しめる。ぼくの苦手な雑踏にも縁遠い。「視覚的びっくり」の刺激は、ボケ防止にもかなりの効用があるのではないかと思う。
 「過日、90歳のご婦人がこの地下神殿までの階段を上り下りされましたよ」と、ここの担当者が顎をしゃくり、何やら意味ありげに、息遣い荒く階段を上りへたり込みそうなぼくに向かって、実に際どいタイミングでいわれた。
 しかし、せっかくの仰せであったが、感心などしている余裕はなかった。太腿の上がらなくなっていたぼくは、とてもそれどころではなかったのである。

 また、写真好きの人たちには、殊の外お薦めである。「調圧水槽」は「地下神殿」と呼ぶに相応しく、圧巻の佇まいであるのだが、閉所恐怖症の方には向かないかも知れない。我が倶楽部にもその手の人が約1名おり、ぼくは、普段からのいじめと悪態に対しての報復に、いつの日にか、彼女を召し捕って、この神殿にしょっ引き、巨大なコンクリート柱に縛りつけてやるつもりだ。

 そして、もうひとつの見所である立坑を上から覗き込むのも、愉快のひとつだ。世のなかには、高所恐怖症という種族がいる。何を隠そう、ぼくもその一員なのだが、ぼくはファインダーを覗けばまったくの他人事(ひとごと)となるので、途端に恐怖は嘘のように去り行く。カメラが、身を守る最大の武器となってくれる。
 ここでいう高所恐怖症の愉快とは、恐怖に怯える人を見るのが愉快であるという意味だ。恐いもの見たさに、身を縮め鼻の下だけを伸ばしながら、恐る恐る高所より下方に向かって大きくポッカリと口を開ける大穴を覗き見る時の、あの恰好と形相はなかなかの見ものであろう。それを予想するだに愉快である。閉所・高所恐怖症の方々にとって、ほど良い肝試しの場でもあろう。

 ぼくがここの撮影を初めてしたのは、まだ一般公開される以前のことだった。確かな年月日は定かでないのだが、はっきりいえることは、デジタル撮影を始める少し以前のことで(ぼくが本格的にデジタル撮影を始めたのは、2002年に発売された初代EOS-1Dsを使用し始めた時)、助手君を2人従え、4 x 5インチの大型カメラを担いでの撮影だった。レンズは独シュナイダー社製のスーパー・アンギュロン90mm(4 x 5 インチカメラでは、広角レンズ)で、愛用の1本だった。
 ぼくもまだ50歳になったばかりの頃で、今回のように階段に怨色を示すようなことはなかったのである。何て小癪であることか!

 この時は、「地下神殿」のみの撮影だったが、大型カメラを使用したのは、建ち並ぶ異様に大きく高い柱の平行(水平・垂直)を保つためだった。フィルムで平行を保つためには、アオリ操作(蛇腹での)の効く大型カメラがどうしても必要だった。
 建築写真に於けるこの水平・垂直のばかばかしい神話や通念に、ぼくは当時より大変な疑問を持っているが、長くなってしまうので今その話はさて置き、何より苦労したのは、現場に於けるフィルターワークだった。

 ロケハンと称し、ぼくは本番の何日か前に、35mmの小型カメラ3台に異なるカラーポジフィルム(デイライト用とタングステン用)を入れ、色温度計と何十種類のゼラチンフィルターを用意し、試撮を行った。
 色温度に敏感なカラーポジフィルムなので、光源に合わせた調整を確かなものにしておかないと、本番撮影など恐ろしくてできるものではない。基準とする色温度と色相を前もって把握しておくことが必須だった。

 「地下神殿」の光源を色温度計で計り、フィルターを取っ替え引っ替えし、ノート片手の助手君に記録させながら、何十枚も撮って現像所に走るのだった。おおよその当たりを付けておき、後日4 x 5 インチの本番用フィルムとフィルターで、再度現場にて試撮といった塩梅だった。その試撮で上手くいけば良いのだが、念のため予備日を設けておいてもらったものだ。
 今思えば、当時はこのような作業を強いられ、それに付随する知識と技術を持ち合わせていないと、写真屋として食っていくことはできなかった。

 当時のフィルターワークの苦労も、現代科学の粋、デジタルなら屁の河童であり、まったく造作ないことだ。写真について何の理解もない子供や我が家の嬶(かかあ)だって、スマホ片手に、「へぇ〜い、一丁上がり!」というわけだ。自撮りまでしよるに違いないのだ。ホワイトバランスもクソもあったものではない。
 ぼくは、それが悔しいがためにいうのではないのだが(実は、多少のやっかみも交じって、やはり少々忌々しい。「そんなことが、この世にあってたまるか!」というのが本音である)、科学の発達やら、俗にいうところの文明の利器に、無批判に従うのは、知らずのうちに人類が蓄えた知恵や文化というものを、容易に手放すことになるとの懸念を捨てきれずにいる。多少はそのようなことに、思いを馳せてもらいたい。
 「ホワイトバランス」だってさ。「てやんでぇ!」とは、所詮は化石ジジィの遠吠えか?

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM。
埼玉県春日部市。首都圏外郭放水路。

★「01首都圏外郭放水路」
立坑を下より仰ぎ見る。釣り師が履くような腰まである長靴に足を通し、その冷やっこさによろよろしながら、シャッター音を響かせる。これがホントの「年寄りの冷や水」。嗚呼、つまらん洒落。
絞りf8.0、1/8秒、ISO 2,000、露出補正-1.00。

★「02首都圏外郭放水路」
「01」写真に見えるトンネル。手前から一灯、奥に一灯の懐中電灯を照らしてもらう。
絞りf5.6、1/10秒、ISO 12,500、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2025/01/17(金)
第723回 : 首都圏外郭放水路(2)
 拙連載を始めたばかりの「第2回 : どんなカメラがいいですか?」(2010年5月21日)で、「弘法筆を選ばず」について触れた。この諺は一般に流布されているので、その意味するところを改めて説明することはしないが、今拙稿を読み返すと、この諺についてぼくは「半分は真実で、もう半分はそうではない」と、無責任の極みのようなことを、ちゃらっと述べている。ぼくの連載は、当初よりこんな具合だったのだ。

 当時、何故この諺に触れたのかというと、「カメラが写真を撮るわけではなく、またレンズが写真を撮るわけでもなく、写真を撮るのはあなた(人間)なのです」(ママ。当時は “です・ます調” )ということを述べたかったからだ。つまり、「写真自体のクオリティは、機材に依拠しない」ということを端的にいいたかったのである。
 肝要なことは、道具の価格云々ではなく、あなたが所有する道具に対する理解と、それを使いこなす知恵や技術にあるということだ。
 喩えていうのであれば、現在小型カメラの市場に於ける最も高価なものは、ライツ社のライカだが、これを首に掛けたからといって、当然ながら良い写真が撮れる訳ではなく、そんな保証を得られるわけでもないことは、誰でもが知るところであり、ライカで身上(しんしょう。財産や身代)を潰しかけたぼくがいうのだから、なおさら間違いのないところだ。

 ただこの事実は、ぼくの人生に、言葉では言い尽くせぬほどの、大きなものをもたらしてくれた。ライカを通じて、カメラばかりでなくメカニズムやデザインの美しさに裏打ちされた製品価値を知ることができたが、だが無念至極、写真は上達しなかった。世情のあれこれに、いつだって例外はつきものだ。

 どうしても忘れがたい思い出は、ライカの引き伸ばし機フォコマートを使用した時の、暗室のほの暗い電灯下で、現像液のなかから浮かび上がる印画紙の像を見た時の衝撃だった。ぼくの写真人生で最も印象に残る出来事だった。あれから半世紀近く経った今も、印画紙上に浮き上がるあの時の画像が、走馬灯のように蘇ってくる。粒子の一つひとつが、まるで砂を撒いたように表現されていた。
 フォコマートにより、Tri - X (トライX、1954年誕生。コダック社製のモノクロフィルム。ISO400を、ぼくは200で使用)の粒状の美しさを初めて知ることができた。このフィルムは逸品であり、機会があれば述べてみたい。

 高品質な機材(もしくは道具)を手にする最大のメリットは、「それを手にする高揚感」であり、それによる「意欲の向上」にある。そのような人々は、ぼくの見るところ、ほとんどの場合、腕の上達が期待できるものだ。「大枚をはたき良いものを手にする」ことは、あながち無駄なことではない( “見栄” や “評判に流される人たち” は論外である)ということもついでに述べておかなくてはならない。

 一方で禅問答もどきを一言いっておくと、「安物買いの銭失い」は、言葉通り非常に厳しい現実を突きつけられる。幸か不幸か、おそらく世の半数近くの人々が、それを実感していないのではと思っている。「安いのだから仕方がない」との事実を知っていながら、その論理に打ち勝つことができずにいる。
 つまり、概念的に「安かろう悪かろう」を知りつつも、「良いものを使ってみよう」との意欲より、懐具合を先に見てしまうのである。これは人情の最たるものであるけれど、ここを突き破ったことのない人は、永遠に知ることのできない世界があるということに理解が及ばない。これはこれで、もはや悲劇なのだが、金銭の価値基準は個人差が大きく、あってないようなものなので、解決や導きの手立てが見つからない。

 現在ぼくは掲載写真のデータに記しているようにミラーレス一眼(プロの仕事に十分堪え得るEOS-R6 Markllだが、同社の最上機種ではない)を使用しているが、以前使用していたEOS-1Dsシリーズであれば、今回のような撮影には三脚使用を余儀なくされたことは疑う余地がない。今回も一応三脚を担いで階段の上り下りをしたが、現在使用中のカメラでは、まったくの用なしだった。すべて手持ちでOK。正味5時間の撮影で、730カット撮った。パノラマ写真以外は地下の暗所撮影だったが、不安を覚えることはまったくなかった。

 特に、大いに助けられたことは、カメラの高感度特性が優れていることと(優れたRaw現像ソフトのノイズリダクション併用)、ブレ防止機能のお陰である。この2点を武器に、ぼくは羽を伸ばして撮影することができた。
 「弘法も筆の誤り」という諺もあるが、ぼくは空海のような天才ではないので、この諺を引用するには気が引けるが、今回の暗所撮影では、文明の利器にすがり、筆を誤ることはなかった。

 撮影の慎重さと緊張感は機材に左右されるものではないが、労力と時間の節約については大変な御利益に与ることができた。限られた時間内に撮影をきっちり終えるということも、職業カメラマンの重大義務のひとつだ。
 今回掲載の写真は、「調圧水槽」、別名「地下神殿」だが、ここに達するために116段の急な階段を意気揚々と大股で降りたのだが、よ〜く考えてみると、次への撮影場所に移動するには、カメラバッグと三脚を担いでこの階段を上らなくてはいけない理屈に思い当たった。意気揚々なんていっている場合じゃないよ。「息も絶え絶え」が目に見えている。空身でさえ難儀しそうなので、機材を誰に持ってもらうかの算段を撮影中に抜かりなくしなければならず、ぼくは老体に鞭打つ他に、余計な心労を重ねなければならなかった。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF16mm F2.8 STM。RF24-105mm F4L IS USM。
埼玉県春日部市。首都圏外郭放水路。

★「01調圧水槽」
別称「地下神殿」。ここは今回で3度目の撮影だが、そのスケールと独特な雰囲気に圧倒される。なお、この画像は納品用の色調とは異なる。ぼくの心象に添ったものだ。
絞りf9.0、0.8秒、ISO 500、露出補正-0.33。

★「02調圧水槽」
サイドから赤や青のライトを順次照らしてもらった。地下神殿の柱は59本あり、その幅は2m、奥行7m、高さ18m、重さ約500トン。神殿の奥行きは177m。この色調も心象写真だ。
絞りf10.0、0.8秒、ISO 640、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2025/01/10(金)
第722回:首都圏外郭放水路(1)
 新年にあたり、みなさまの福寿無量をお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくご愛顧の程を。年老いてますます放埒になる原稿にも、どうかお目こぼしの程を、と年初より哀願調の揉み手をするぼく。

 なお、今回議題にあげた撮影現場(首都圏外郭放水路)についての詳細を記すと文字数がかなり必要となってしまうので、ネットやSNSなどに多くが記されており、そちらをご参照くださるよう。

 昨年最後の原稿にてお伝えした「聞くも涙語るも涙の物語」の一片を、クライアントの了承を得たので記してみようと思う。
 写真を撮るのが商売なので、「聞くも涙語るも涙の物語」もあったものではないと思うのだが、そうはいえ心身ともに難儀であったことは否めない。だが、プロが苦労話をするのはまったくの論外で、ぼくの美学にも著しく反し、本来なら風上にも置けぬことなのだが、このエッセイの性格上、何かのお役に立てばとの思いから、強いてその危険を冒す。この口上により、ぼくは取り敢えず溜飲を下げる。

 今回の事々物々は、たとえぼくの身体が若くても同様であっただろう。だが少なくとも撮影の技術的な面に於いて、若い頃のほうが経験値が不足しており、そしてまた悪知恵が働かないので、今よりさらに要らぬ苦労をしたに違いない。もしぼくが駆け出しのカメラマンであれば、今の、ジジィの悪知恵は圧倒的なものだ。いや、圧巻でさえある。「頭は生きているうちに使え」とは、亡父の常套句だった。今回ぼくは、あまり賢くない頭を捻りながらも、それを地で行った。

 思わず “悪知恵” と書いてしまったが、これは「同じ結果を得るための最短距離」という意味であり、その方策でもある。決して高くない鼻を膨らませていうのであれば、40年間写真だけで6人の家族と多くのペットを飼い続けてこられたのは、撮影技術と知恵のお陰である。ぼくが今回、へま(時間内に撮影を終えることも最重要事項)をせずに済んだのは、まさに “悪知恵” のおかげだった。
 首都圏外郭放水路各所の撮影要領はスタジオワークではなく、まったくのフィールドワークである。その撮影手続きとコツは、ひたすら技術の簡略化にある。

 撮影上、不要なものは潔く切り捨て、余計な手間暇をかけず(楽をするという意味ではない)、良い結果を得ることにある。それを悪知恵というかは別としても、結果が良いかどうかは、実はぼくが決めることではなく、クライアントである。多くの場合、白髪ジジィというのは、聞くところによるとそれだけで説得力があるらしいのだが、ジジむさければ、それが弱点ともなり得るので、痛し痒しである。
 どう見ても自分の風体は褒められたものではないとの自覚があるだけに、今回もビクビクといったところだった。首に一眼レフをぶら下げた担当の若い女性に、「カメラはね、こうやって構えるの。足の位置はね」と、ぼくは嫌われぬ程度に、俄好々爺を演じて見せた。

 撮影日直前に、現地の建物屋上から北と南への、2方向のパノラマ撮影を追加したいとのメールをいただいた。ぼくの心中は掻き乱され、一天にわかにかき曇った。「撮影には心や機材の準備というものがあるのだから、もっと早めにいってよ」という訳である。だが、これがフリーランスという社会の最下層で蠢(うごめ)く者の悲哀というものだ。

 今から20年ほど前、全国に展開する会員制高級リゾートホテルの撮影を一手に引き受けていた頃、「かめさん、パノラマ写真撮れる~?」と、担当女史が上目遣いで、ねっとりと訊ねてきた。
 パノラマ写真は未体験だったが、「上目遣いのねっとり表情」が、愛嬌たっぷりだったので、その手にすぐ引っかかるぼくは、二つ返事でOKした。「ダメ元なので、やってみんべぇ」という具合である。当時のデジタル事情を以てすれば、上手くいかずとも、ぼくの返事はあながちプロの沽券に関わるというほどのものではなかった。
 テストを繰り返し、本番では、撮影・暗室作業と大変な苦労をしつつも、何とか注文通りの映像を仕上げることができた。今とは異なり、AIなど一般的でない時代であり、画像ソフトをそれなりに駆使する必要があった。
 今回のパノラマ写真は、当時のフラッシュバックにより、少々精神を乱し、平衡感覚を失いかけた。

 撮影の前々日、近所に4車線道路を跨ぐ長い歩道橋があり、ぼくはそこでパノラマ撮影の実験を試みた。パノラマは通常横写真だが、撮影は基本的に縦写真で撮り、それをつなぎ合わせる。ファインダー内を12分割し、画像の3分の1程度が重なるように撮影。マニュアル・フォーカス(パンフォーカスに必要な絞り値を選ぶ)使用、ファインダー内の水準計を利用し、露出はマニュアル。これで良し、とぼくは僅かに息巻く。
 最新のAdobe Photoshopであれば、三脚不要と踏んでいたので、すべて手持ち撮影である。何度か試写を繰り返し、結果はどこにも破綻なく、万々歳。

 意を強くしたぼくは当日、龍Q館(施設の母屋)の屋上から、冷たい強風に吹かれながら、約1時間かかって480枚を撮り終えた。デジタルはその場で写真が確認できるという大きな利点があるが、パノラマ写真となると、その利点を生かすことができない。画像ソフトが破綻なく画像をつなぎ合わせてくれるかどうかは実際にしてみないと分からぬところがあるので、念には念を入れ、ぼくは強風に立ち向かったのである。久しぶりの無我夢中が、無性に嬉しかった。

 パノラマ写真を撮り終え、カメラバッグに機材を仕舞おうと腰を下ろした瞬間、ぼくは不覚を取り、もんどり打って、後ろ向けにでんぐり返りを演じてしまった。やはり平衡感覚に不調を来していたのだった。クッソ〜、やっぱりもう歳なんかなぁ〜。

https://www.amatias.com/bbs/30/722.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L Macro IS USM 。
埼玉県春日部市。首都圏外郭放水路。
面白味のある写真ではないが、取り敢えず証拠として。乞う、次号。

★「01パノラマ」
視野角、おおよそ160度ほど。遠くに富士山やスカイツリーが見える。
マニュアル露出。絞りf13.0、1/400秒、ISO 320。

★「02パノラマ」
視野角、おおよそ160度ほど。右端は筑波山。
マニュアル露出。絞りf13.0、1/400秒、ISO 320。
(文:亀山哲郎)

2024/12/27(金)
第721回:灰汁(アク)は取らずして
 とうとう今年も終わりを迎えつつあるなか、忙中閑ありでもないのだが、この原稿を認めつつある。年明け早々、ぼくはとうとう喜寿(77歳)を迎える。自分がこの歳になるまで生き長らえるとは、まったく予想外のことである。父よりちょうど20年も長生きしたことになり、この事実は至って実感に乏しい。そしてまた、このことは知らぬうちにぼくに大きな強迫観念を植え付けている。この歳までぼんやりと無為に過ごしてきたことを思うと、何だか父に申し訳のない気持で一杯である。

 父は、やっとこれから自身の目標に向かおうとした矢先の死であっただけに、どれほど無念であっただろうと、家族ともども悔やんでも悔やみきれない思いを残して去って行った。罪作りな死である。もし、ぼくに父の無念を晴らす能力が備わっていれば、分野こそ違え、まだ救いもあるのだが、何事に於いても到底父には及ばないと端から諦めが先立っている。努力を欠いたことを素直に認めざるを得ず、ぼくには忸怩たるものがある。

 “強いていうならば” 、写真だけはぼくのほうが父より上手かも知れないと想像するところが、如何にもぼくらしい。ここにしかぼくの勝機は見出せずというのが、嘘偽りのないところだ。あくまで、 “強いていうならば” である。
 写真好きの父から、子供時代その手ほどきを受けてきただけに、良い写真を撮って父を喜ばせたいと願うのだが、父はぼくの写真を見て、「もう少し灰汁(アク)抜きをせななぁ」というに違いない。

 ぼくが写真を見て欲しいと願う唯一の人間が父であることは未だ変わりないが、きっとぼくは、「灰汁のない写真のどこが面白いか。灰汁のない写真が巷では好感を持たれることは重々承知だが、逆に灰汁がないので、作品として肌触りは良いが、味も素っ気もない、表層をさらっただけのものが跋扈(ばっこ。のさばりはびこること。大辞林)している。ただぼくは現在、その灰汁を上手く使えないでいるだけであって、今深味のある灰汁を作品に加味し、反映すべく苦心惨憺しているところ。物づくりというものは常に発展途上にある。それは、親父が一番良く理解していることじゃない?」と反駁するだろう。このことは、先日述べた、「日本酒がジューシーだとかフルーティだとか、そんなことがあってたまるか!」と同義である。
 灰汁を取ることにばかり気を取られては、文化の凋落を招くとさえ感じている。ぼくの意地を通せば、灰汁取りは諸悪の根源となりかねないので、ご用心あれというところか。灰汁も妙薬となり得ることがあるのだ。

 あと何年写真活動ができるかどうかは神のみぞ知るところだが、ぼくは若い頃から、「人間の平均寿命がもし200歳くらいであれば、人類はさらにクオリティの高い芸術作品を生み出し、ぼくらはそれを観賞することができるであろう」と常々考えていた。それは今以て変わらない。
 天才といわれたモーツァルトは(天才というのであれば、ぼくはモーツァルトでなくJ. S. バッハやベートーヴェンを位置づける)37歳で夭逝、チェーホフ44歳、佐伯祐三30歳、岸田劉生38歳などなど枚挙に暇がない。
 人生200年であれば、ドストエフスキイは、『悪霊』以上のものを著したであろうし、トーマス・マンは、『魔の山』を凌駕する作品を撰したであろう。それらをぼくらは読めたに違いないのだ。誠に恨めしい現世の平均寿命である。

 余談だが、ドストエフスキイの墓には、『カラマーゾフの兄弟』の序文が刻まれており、それは聖書の『ヨハネによる福音書』の一節である。
 「よくよく私はあなたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死なない限り、それは一粒のままだ。だが、死んだのであれば、それは多くの実を結ぶ」と。
 今から30数年前、厳冬下のサンクトペテルブルク(当時は、レニングラート)はネフスキー修道院に、ぼくはドストエフスキイを詣でた。

 決して有意義とは思えないぼくの夢想話をこれ以上しても意味のないことだが、それはぼくがこの歳になったからこそ、今まで以上に強く感じることなのかも知れない。あるいは、自身の体力が衰えている自覚が成すものなのであろうかとも考えられる。
 身体の衰えは、天に抗うことは不能だが、気持だけはまだ一丁前の面をしている。「老いてはますます壮(さか)んなるべし」というわけではないのだが、写真への興味と気力だけは未だ衰えずというところか。明日にはきっと良い写真が撮れると信じており、それが唯一の生きる糧であり、それにすがることが今一番の良策に思えてならない。

 ところが、今週始めにぼくは極めて困難を伴う仕事を請け負ってしまった。その撮影場所は過去2度経験があったので、軽い気持で「あいよっ」といってしまったのである。肉体は悲鳴を上げ、撮影時には技術的な困難さも手伝ってか、翌日は全身の筋肉痛。帰路につく際、運転席に座ったぼくは、疲労と安堵が綯い交ぜとなり、しばらくエンジンをかけられぬくらいだった。
 この撮影はまさに、「聞くも涙語るも涙の物語」であり、もしクライアントの許可が下りれば、年明けにでも、掲載写真とともにお話しできればと思っている。

 年々、回を重ねる毎に、言いたい放題の意味不明文を辛抱強く属目してくださった読者諸兄、担当者諸氏に、この場をお借りして、厚くお礼を申し上げたい。みなさまにとって、佳き年でありますよう。 

https://www.amatias.com/bbs/30/721.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
近くの公園で。「撮れるものなら撮ってみろ」と、馬がいななく。
絞りf8.0、1/160秒、ISO 400、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
近くの公園で。これも子供用の乗り物。実物は可愛く、きれいな色をしたカバ。「こんなカバに乗りたくない」と子供が恐がるカバに仕立ててやろうと撮ったもの。地面に転がる玩具のバケツの配置を測りながら。
絞りf4.5、1/50秒、ISO 250、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2024/12/20(金)
第720回:人物撮影の困難
 年の瀬も押し詰まり、雑務に追われながら、生来の怠惰も重なりなかなか撮影に出かけることができずにいる。これは精神衛生に極めてよろしくない。自分では、写真を撮ることしか取り柄(かどうかは疑わしいが)がないのだから、日々の無為が何とも遣る瀬ない。こんなことをしているうちに、足腰がままならず、近い将来撮影にも支障を来すかも知れないと思うと、生きた心地がしない。元気であることは至上の宝であるからして、怠惰を貪っては罰が当たる。罰当たりは碌な死に方しかしないものだ。そう神様がいっている。

 少し前に、「浦和 vs. 大宮」と題して撮影したものを未だ懲りずに掲載写真としていることに、言葉にならぬほどの後ろめたさを感じている。たかだか1時間だけ撮影した大宮を未だ厚かましくも掲載し続けている事実は、ぼくの体たらくを如実に示している。やはり、罰当たりである。
 大宮の写真は今回で打ち止めにしようと考えているのだが、よくもまぁ16枚も掲載してしまったものだと、その面張牛皮に、穴があったら入りたい気分だ。人様にお見せするような写真が、1時間に16枚も撮れるはずがないではないか。我が倶楽部の面々はぼくを「天災」と揶揄するが、否定しきれないところが何とも嘆かわしい。「モアレ(仏語。点や線が規則正しく分布したものを重ね合わせた時に生ずる縞状の斑紋で、醜い波形模様を指す)のようなおっさん」などという者もいる。った〜く、放っとけよ!

 現在撮影できずにいるので、まだ手つかずのもの(今年撮影し、Raw現像をせずにいるもの)を引きずり出し、それらを吟味しながら、目下現像ソフトと格闘し、気分を紛らわせている。
 撮影時に、かなり明確なイメージを抱きつつも、いざそれを画像にするための手立てが見つからず、右往左往しているうちに「後回し」を決め込んでいた。見通しのつかぬものを、その場凌ぎのやっつけ仕事では、「急いては事を仕損じる」に違いないことくらいは、ぼくにだって分かる。合点の行くものにならないことが分かっていることを敢えてしようとすれば、職人の資質を問われることにもなる。それは職人の禁じ手である。

 そうこうしているうちに、身近の写真同好の士が、人物撮影に難儀している内情の一端を窺い知った。仮にAさんとする。
 Aさんの特技は、商店街などで出会った歳を重ねた店主などと気楽に話をし、「これを買うから1枚撮らせろ」との条件付き口上を容易く操ることができることだ。このような技は、生来人見知りのぼくにはとても使うことができない。Aさんの勇気と作法をぼくは羨む。Aさんの写真を見せてもらう度に、印画紙上に新顔が現れ、ぼくはそのような作法はかつて一度も用いたことはないのだが、これは人物撮影の方向性がAさんとは異なることにあるのだと思う。
 もちろんこれは良し悪しの問題ではなく、写真に求めるものや表現の方向性、もしくは作法が異なるのであって、撮影者にしっくりくる方法を用いればそれで良い。

 お近づきになった方の人物撮影には難しい点があることも確かで、それは相手が常にカメラを意識するということにある。一概にそれを弱点とする論拠はないのだが、ぼくが私的写真でそれをしないのは、相手の平素の表情や何気ない仕草、つまり自然さが失われたり、また、構えたりする恐れがあるとの点にある。知らぬ間に、かすめ撮るのがぼくの主たる方法。ごく稀に「おいの(おれが)写真ば撮っちやるけん」とか「写真、わしが撮ったろか」などと、照れ隠しに九州言葉や京言葉を武器にすることもある。何故か、標準語は小っ恥ずかしくて出てこない。

 人物描写の難しさは、写真ばかりでなく、文学や映画、美術でも同様であり、作者は常に非常な困難とそれに伴う自身の思考への理解、そして観察眼と予知能力を伴うものだ。Aさんがこの困難さを克服する手掛かりとなったり、自身の方向性を見つけることの手助けとして、誠に僭越と思いながらも、ぼくが過去に撮った人物写真の例として、身近にあった92枚の写真をリサイズデータにしてお渡しした。
 相手が写真を撮られていると意識する直前のものが大半である。Aさんとは作法がまったく異なるので、どの程度参考になるのかはAさん次第だが、少なくとも技術や構図などを参考としていただければと願っている。ここまでが、大雑把だが人物撮影の難しさの内的要因である。

 本来なら、それらの写真を拙稿にて発表できればよいのだが、昨今の、あまりにもヒステリックで行き過ぎたばかばかしい事情(おぞましくも非文化的な、権利ばかりを主張する市民運動と称する人々や団体など)により、それができないことは、物づくり屋として大変無念であるし、また反面、ぼくのように発表を前提とする人間にとっては死活問題でもある。もう少し寛容で穏やかになる時を待つしかないのだろうか。前段落までが人物撮影の困難さの内的要因とすれば、これは外的要因である。

 とまれ、人物写真は被写体となるものが人間である以上、撮影者と被撮影者(撮られる側)の、その環境を含めた事柄の読み取りが不可欠であり、たとえ瞬間的な出会いであっても、目に見えぬ糸のような繋がりを必要とする。如何なる場合も、相手に対する個性の尊重がなければ、人物像は描けないというのがぼくの考えである。極端な言い方だが、特に人物写真は、被写体となる人物を借用しつつ、自身を投影した仮の姿ではなかろうかと思えてくる。

https://www.amatias.com/bbs/30/720.html

カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
埼玉県さいたま市大宮。

★「01さいたま市」
日もとっぷり暮れ、大宮の歓楽地にも灯がともった。半開きになったガラスドアに広告看板が写り込む。
絞りf8.0、1/100秒、ISO 1600、露出補正-0.67。

★「02さいたま市」
人出が多くなり、あれやこれやの誘惑的な看板が、脈絡なくファインダーを埋めていく。
絞りf8.0、1/125秒、ISO 2000、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2024/12/13(金)
第719回 : 年相応であることの大切さ
 あれも書こう、これも書かなくてはと事前に考えていたことが、いざパソコンを前にすると「何だったっけな?」と考え込むことしばしば。もうそろそろ焼きが回り、それを自覚せざるを得ないのかと多少塞ぎ込んでいる。
 原稿を書き連ねている途中、「次の行にはこの言葉を使って、このような比喩を用いよう」とニンマリするのはいいのだが、次行に差しかかると、さっぱり思い出せず、その時のもどかしさ、悔しさ、進退これ谷(きわ)まることにうんざり。
 そんな嘆きを同輩に白状すると、誰もが「オレもそう」とか「わたしもそうよ」と判で押したようにいう。「だからたいしたことなどない、大丈夫。もうそんな歳なんだからね」とつけ加え、したり顔で慰めてくれるのだが、ぼくはそのしかつめらし様が何とも癪なのだ。よくもまぁ、分かった風なことを厚かましくもいうものだ。他人事を装い、自分を納得させているだけではないか。

 前号で「インスタ映え」のする写真についてちょっとだけ触れたが、それについて、読者の方や知人から「それって、どういう意味?」と、漠然とした質問を投げかけられた。ぼくはそれについて「個人の自由」との立場を表明しているし、是非を問うてないつもりなのだが、もう少し掘り下げての見解を求めているように思えた。
 ぼく自身はInstagramにまったく関心がなく、またそれを利用しようと考えたことは一度もないことは前に述べた通り。その理由を大雑把にいってしまえば、いつもいっていることなのだが、自分の写真に対する他人の評価にはほとんど無頓着なことと(他人からの賛同や高評価を得ようと写真を撮っているのではない)世の価値観やつながりといったものから一定の距離を置きたいとの考えからだ。
 10年ほど前、ある目的のために、仕方なくFacebookをしたことがあるのだが、あまりのばかばかしさに、目的終了と同時に直ちに止めてしまったことがあった。

 今から30数年前のことと記憶するが、ある雑誌の仕事で新潟県の酒蔵を巡る取材(撮影)をしたことがあった。同行した2人の若い女性とある酒蔵を訪問した。そこで提供された酒を一口含み、彼女たちは大変お気に入りのようで、間髪を置かず「ジューシー! フルーティ! おいしい! 最高!」という多言語を含む、感嘆詞連発で言い放った。お世辞ではなく、それが彼女たちの本心だった。

 なるほど、若い女性はこういう味を「良しとする」のかと、ぼくは複雑な気持ちになった。彼女たちは2本の酒瓶を、酒蔵の責任者からちゃっかりせしめたのだった。もちろん、ぼくもその場で賞味させていただいたが、「ぼくにも1本」との言葉は撮影に熱中のあまり、発しなかった。ましてや、遠慮が服を着ているようなぼくにとって、それは厚かましく思えたことと、その酒がぼくの舌に合わなかったのである。これが本音かな。

 2人の女性に、臍曲がりのぼくは内心「日本酒が、フルーティとかジューシィだと! そんなことがあってたまるか!」と、ぼくも感嘆詞を用いながら、鬨(とき)の声を上げた。というより泣き叫んでいたというほうが正しい。いや、思わず「嘆声を漏らす」といったほうがさらに正しい。
 女性たちはおそらく、その若さゆえにまだ日本酒というものの場数を踏んでいないのだろうから、宜(むべ)なるかな、といったところだった。だが、万人に飲みやすいと感じられるものが好まれやすいことは世の趨勢であり、酒に限らず他のものに対しても同様である。人は、何となく心地の良いものに、その得体を知らずとも、あるいは深度を測れずとも、自然と惹かれるものだ。

 こと写真に関しても、女子中学生や女子高生が胸に手を当て、夢見心地で「うぁ〜、きれい〜」と発するのは自然の成り行きである。それでいい。そのような写真に憧れるのは、年相応というものだ。やがて、人生経験を重ねていくうちに、好みや理解度、審美眼や美意識が育ち、洗練されながら、やがて熟していくものだ。何度も脱皮を繰り返しながら、変化を遂げていくのだから、ぼくが案ずることは何もないのだが、なかにはほとんど変化せずに堂々巡りを延々と繰り返していることに気がつかぬ人が実際にいる。

 自分のことはさて置き、今まで数多くの写真愛好を自認する人たち(助手君たちをも含め)と接していると、作品から「年相応」が窺えず、男女を問わず、中年になってからも女子中・高生の感覚を引きずり、離れられぬ人たちを何人も見受けた。
 そのような人たちに共通する点は、いわゆる「がんまち」(京言葉。我が強く、利己心が強いさま。間違えを改めようとしないさま)ということに尽きる。標準語で、一言で表すのであれば、頑迷固陋(がんめいころう)ということになるのかな。

 物づくりをする人たちは、往々にしてそのような傾向が程度の差こそあれ、そこから逃れにくいことは重々理解しているが、それが誤った個性に結びついたり、自己表現の助けには無力であることに気づかずにいると、いつまで経っても「伸び代」が得られない。
 本人は、自分の作法に得々としているのだろうが、「伸び代」のある人やぼくのような架空指導者もどきの人間から見ると、立茶番を通り越して、悲劇に見えてしまうのはちょい思い過ごしだろうか。そのような人たちを前にすると、ぼくは如何ともし難く、自身の無力を感じる他なしということを悟ると同時に、良薬なしを知るのである。

 そんなことを回想しながら、自身のあり様を顧みる縁(よすが)とする今日この頃である。

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カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM 。
埼玉県さいたま市大宮。

★「01さいたま市」
どこにでも見かけるような被写体。店先に置かれたビア樽はどんな効果をもたらすのだろうかと考え、ぼくはその写真を撮りながら結論を求めていた。表示写真はかなりのリサイズ画像となり、シャープさが欠けてしまうのは致し方なし。
絞りf5.6、1/100秒、ISO 200、露出補正ノーマル。

★「02さいたま市」
大栄橋の下。落書きのなかの赤ペイントが、なかなか堂に入っていると感心しながらの1枚。画面の四隅までしっかりとした解像度を得たかったので、f8.0まで絞り込んでいる。
絞りf8.0、1/100秒、ISO 3200、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)