プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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| 2026/05/29(金) |
| 第791回:退屈な写真の話 |
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前号を指し、「写真の話を無理に入れようとするから、かえって内容が窮屈になるのよ」と、いつものこわ〜いご婦人方のひとりが、いとも物の分かった風にいう。癪なこと、このうえない。
加え、「前回など、風邪の話を一気に押し通せば、それなりに恰好がつくものを、生真面目を装って途中から無理に写真の話をねじ込もうとするんだから。不器用な人間がそんなことをするものではない。った〜く分かってないんだから〜」と、やはりこわ〜い群勢のもうひとりが、我が意を得たりと強(したた)かにいう。癪を通り越して、ぼくは目に角を立てながらも、はやる気持を必死に押さえた。 だが、彼女たちの軍門に降れば、本稿は「写真よもやま話」なので、今度は担当女史に顔向けできない。いずれにしても、板挟みのぼくには立つ瀬がなく八方塞がりだ。 以前にも、同じような葛藤に苦しんだことが度々ある。写真の話などどこ吹く風で、世の中の取り沙汰に対する私見を述べることに現(うつつ)を抜かし、思いの丈を、しかし自重しながら記したことがある。このような所業は、器用か不器用なのか定かではないが、「ちゃんと写真を掲載しているのだから」との免罪符にぼくはしがみついた。 今回は、久しぶりに写真を2枚掲載させていただく。同じ被写体(芙蓉)を同時刻に二通りのイメージに従って撮影したものだ。 この2枚は、雨上がりの風の強い夕刻に撮ったもの。ぼくの頭の斜め上方にある茎の長い芙蓉は強い風に吹かれ、左右に大きく首を振り、100mmマクロレンズを掲げるぼくを、「お年寄りには、ついてこられないでしょう」と嘲笑うように踊っていた。 現役を退いたとはいえ、ぼくは一気に職業モードに立ち返った。写真を愉しむなどという優雅な気分は瞬く間に消え、「失敗したら、家族が路頭に迷う」と、かつての悲哀が戻って来たように感じられた。長年にわたって染みついたアザが未だ消えずにしっかり沈着している。これは一種の宿痾のようなもので、永遠に逃れることはできないであろうと思われる。 芙蓉はぼくの好きな花のひとつで、透明感のある花弁は逆光下で見ると一際美しい。この時は、雨上がりの直後であり、花弁に付着した雨粒が趣きを添え、撮影意欲をいっそう掻き立てた。 「なんとしても、捉えてみせる」とぼくは意気込んだのだが、100mmマクロレンズは非情にもぼくを嘲笑うが如く、雌しべを捉えられることを極度に拒否した。ファインダーの狭い視野のなかで一瞬の静止をも拒み続け、自由闊達に、風任せに揺れ動く。この様をもし動画で撮り、音楽を付けるのであれば、ストラヴィンスキィ(ロシアの作曲家。1882 - 1971年)作『春の祭典』に於ける荒れ狂う打楽器群のリズムがよく似合う。 いつもは被写体に対し気長に構えることのないぼくだが、この時ばかりはこわ〜いご婦人方相手に「江戸の敵を長崎で討つ」(直接関係のない場所や筋違いな場面で、過去の恨みや因縁に仕返しをするという諺)を心に刻んだ。この時の芙蓉の撮影はぼくの尋常ならざる執念の表れだった。 昨年、研究熱心だがこわ〜いご婦人方のひとりに、この100mmマクロレンズを半年間お貸ししたことがある。このレンズで覗き見る一種独特の世界に魅了されたはいいが、その使い勝手の難しさに、彼女は音を上げたらしい。「私が使いこなすにはまだまだ技量が足りず、分不相応にも程がある」などと珍しく殊勝なことをいいながらも未知の世界を知った嬉しさをこっそりぼくに告げた。 今ぼくが頭上で風に舞う芙蓉に白旗を掲げては、彼女の手前、プロの沽券に関わる。それは、ぼくのまったく馬鹿げた料簡なのだが、彼女の遭遇したすべての困難にぼくは打ち勝たなければならなかった。また、心地良い調和(背景が白い雲により、雨にしとど濡れる花弁は透明感をより増す)の撮影を拒み続ける芙蓉をどの様に撮像素子(イメージセンサー)に確実に定着させるか。ぼくは今までに蓄積させたノウハウを真剣な面持ちで集結させた。とはいえ、常識の範囲内のことなんだけれど。 手ブレと被写体ブレを防ぐため、シャッター速度は1/500秒、部分的にでも質感や水滴の描写が欲しいので被写界深度はf 11 に決めた。そうすることにより、ISOは16,000にまで跳ね上がったが、優れたRaw現像ソフトを使用すればノイズや解像感は十全に保てる。ワンショットAFなのかサーボAFなのか、AFエリアは何を選択すべきか。ダイアルとボタンを頻繁に操作しながら、計23枚を撮った。 以前なら、マニュアルフォーカスで片を付けたのだが、そんな昔気質の技を今さら敢えて持ち出すのは愚行に思えた。ぼくも少しは賢くなっているようだ。ただ、このカメラの優れた連写機能(メカシャッターで12コマ/秒)だけは意地でも使用しなかった。これがプロの沽券というもので、そんなものに拘るぼくは、やはり賢くない? 「01」は、動きを止めたモノクロ仕様。「02」は、風に揺れる花弁の一部を交えたカラー仕様。好き嫌いや良し悪しは、作者が語るものではないので、読者諸兄に委ねるが、同じ花を同じ条件下で、異なるイメージで描いてみた。 口の悪いどこぞやの人たちは、ぼくを精神分裂症の二重人格者というのだろうか? きっとそういうに違いない。 写真の話って、やっぱり退屈でしょ。 https://www.amatias.com/bbs/30/791.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。 埼玉県さいたま市。 ★撮影データは「01」、「02」ともに同じ。 絞りf11.0、1/500秒、ISO 16,000、露出補正ノーマル。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/05/22(金) |
| 第790回:写真の話ではないのだが… |
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ちょうど1週間ほど前、22年ぶりに風邪を引いた。長い間、風邪らしき症状とは無縁だったが、この病特有の喉の痛みで目が覚めた。最も初歩的な病?である風邪に違いないとぼくは観念した。熱はないものの鼻水とくしゃみの連発で、味覚と嗅覚を同時に失った。五感のふたつを殺がれただけで、人間としての営みに支障を来すという当たり前のことを自覚せざるを得なかった。それは、異様かつ不思議な世界に放り込まれたような感覚だった。
以下、写真の話ではないのだが… 今から22年前の2004年9月9日に、ぼくは北極圏直下にあるロシアのアルハンゲリスクという街に降り立った。30℃を優に上回る残暑厳しい日本から、Tシャツと半ズボンという勇猛な出で立ちで、気温8℃のそこに突如降り立ったものだから、阿呆なぼくは途端に鼻風邪を引いてしまった。この件(くだり)は拙写真集『北極圏のアウシュヴィッツ - 知られざる世界文化遺産』(ブッキング刊。現復刊ドットコム)に詳述したが、今回の風邪はそれ以来のことだった。 拙書より、その一部を引用してみる。 「空港(アルハンゲリスク)で車待ちをしているぼくに何人かのロシア人が、『そんな格好で大丈夫か? 車が来るまで上着を貸してやろうか』と声をかけてくれた。おじさんも、おばさんも、おにいちゃんも、おねえちゃんも、どの顔もみな大真面目でぼくの顔を覗き込んできた。リュックは盗難防止のためラップでぐるぐる巻きにされていたので、上着を取り出すのは面倒だった。16時間で夏から冬へと時空移動したぼくは、よほど珍妙で放胆な姿であったようだ」。 免疫力が人一倍強いと自認していたぼくだったが、上記のありさまでぼくは風邪を引いてしまった。幸いなことにそれはウィルス性のものではなかったようで、翌日ぼくはホテルからほど近い薬局に飛び込み、たどたどしいロシア語を交えながらくしゃみの仕草をして見せ、流暢なロシア語を操るおねえちゃんに「ヤクをくれ」とせがんだ。 ぼくの危機的状況を直ちに察した金髪碧眼の、どこか眩しいロシアねえちゃんは、白湯と薬を持って来て、子供を諭すように「これを飲めば大丈夫。日に3度、食後に服用のこと。忘れずに飲んでね」と、初めて接するという日本人に、ゆっくりしたロシア語で、嚼んで含めるようにいってくれた。 22年後、あの時以来の風邪薬をぼくは日本語の通じる近所の薬局で、流暢な日本語を駆使しながら買い求めた。もはや、ゼスチャーは不要だった。金髪碧眼のおねえちゃんに取って代わり、決して眩しいとは言い難い年配の、男の薬剤師のおじさんが、「2日間この薬を服用し、回復の兆しが見えなかったら医者に行きなさい」と、彼もロシア人同様、親切な対応をしてくれた。 ぼくは医者の世話にならず、1週間で風邪の症状はほぼ消え失せた。 この1週間はぼくに次のような口実を与えた。「どこか撮影に行きたいが、体調を慮(おもんぱか)って、近所を徘徊し気休めとしよう。年老いての無理は禁物」との逃げ口上を打ち、自身を言い包(くる)めた。ましてや、この1週間は真夏日が続き、腰が引ける状態であったため、「これを機に、心身共にしっかり養生せよ」ということなのだと解釈することにした。 現役を退いたぼくは、1週間くらい写真を撮らずしても誰彼から咎められることはなく、困ることもない。怠惰なぼくは、1週間くらいでは写真依存症に悩まされることもない。だが一方で、どこかお天道様に顔向けできないという不可思議な不運を纏っていた。かといって、無聊(ぶりょう)を託つというほどでもないのだが、どことなく気が晴れない。 風邪を引く前に近くのハーブ園で撮った様々な葉や居酒屋で友人が飲み干したカクテルに水を注いだグラスの写真を仕上げてみた。 今回の掲載写真は、上記した居酒屋で撮ったものだが、この手の写真は今まで仕事で散々撮った経験がある。 もちろんポスター用としてスタジオで撮るのだが、グラスやボトルの撮影は大変手の込んだ仕掛け(細工)が必要であり、それに伴いライティングも複雑なものとなる。バーテンダー(シェイカーなどでカクテルを調合する人物)に立ち会ってもらい、同じカクテルを何杯も作ってもらわなくてはならない。1カット撮るのにかなりの知恵と重労働を強いられる。 今回の居酒屋での写真は、まったくのプライベートな写真であり、自然光下で何の仕掛けもなく、グラスの位置とカメラのアングルを微妙に調整しただけである。また、写真上部にある玉ボケ(絞りf値とレンズの焦点距離、ピント合わせの場所により変化)をどう描くかにだけ神経を尖らせればよい。 Rawデータ現像時にホワイトバランス、コントラスト、明度を微調整したものをPhotoshopに渡しただけで、ほとんど手を加えていない。深味のある写真ではないが、勘所を押さえれば誰にでも撮れる写真。 撮影の邪魔をしようと性格の良くない建築家がグラスの向こう側に自分の顔を入れ込もうとしたのだが、その歪んだ顔入り写真も撮っておくべきだったと、今ぼくは後悔している。それをここに掲載し、世界中に晒してやればよかった。写真の話ではないのだが… https://www.amatias.com/bbs/30/790.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF50mm F1.8 STM。 埼玉県さいたま市。 ★「さいたま市」 絞りf9.0、1/2秒、ISO 250、露出補正-1.67。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/05/15(金) |
| 第789回:沈黙は金? |
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今月、我が倶楽部の勉強会で、改めて撮影の最も基本的なメカニズム(理論)の一端を講義した。今さらながらと思いつつ、古参のメンバーは別として、ここ数年の間に来られた方々に対し、撮影目的如何に関わらず、一応のお復習いをしておかなければということをぼく自身が痛切に感じたからだった。
約200年前の写真創生期から昭和の前半くらいまでであろうか、写真好きは「何故写真が写るのか」とのメカニズムに通じていなければ、写真を撮ることがままならなかった。昨今の、 “理論を知らなくとも、シャッターを押せば誰でも写真が撮れちゃう” という事実は、善悪の問題を離れて、「功罪相半ばする」とぼくは考えている。古いタイプの写真人であるぼくにとって、何も知らずして写真が撮れるとの魔術が出現するなんて、まさに青天の霹靂である。こんなことがあってもいいのだろうか? かつては、1枚の写真を撮り、それをプリントすることに苦心惨憺したことが、今は何の苦もなく出来てしまうという事実は、当然のことながら科学の進歩に負うものだが、「果たして、本当に、それでいいの?」との疑問をぼくは常に抱いている。これは写真に限った現象ではないと思うが、何時の場合も、時代と折り合いをつけながら、人は生を歩んで行かざるを得ない。 またそれは、現代人にとって永遠不滅の問いかけであるようにも思える。便利さと引き換えに、尊い何かが必ずや失われ、また犠牲になっているとの確信は自身の居心地をひどく悪いものにしている。便利さを手放しで喜べる人たちが、皮肉ではなく誠に羨ましい。 写真撮影に於ける現代科学の「功」と「罪」のどちらが大きいかをぼくはとくと考えてみるのだが、それは意味のないことだとすぐに気づく。おそらく、現在は写真人口の99%が、「シャッターを押しさえすれば、写真らしきものがちゃんと写る」という仕組みを享受している。残りの1%が写真のメカニズムを操り、自身の写真のありようや表現を愉しんでいるような印象を受ける。この数字はほぼ間違いのないところだと思っている。 科学の進化による利便性をぼくは安易に「文明の利器」とは認めがたいが、現代に於いて、写真についていえばその端的な一例としてスマホが上げられる。スマホの功罪については既に何度か述べたことがあるので、改めて記すことはしないが、敢えていうならば「酸いも甘いも噛み分けた」人たちでさえ、それをどう捉えるかは意見の分かれるところだろう。 ぼくはこの歳になっても未だ「酸いも甘いもまったく噛み分けられず、迷ってばかり」の愚図な人間なので、写真を撮る手間暇を厭わず、むしろそれを愉しんでいる節がある。 レンズの焦点距離(遠近感の操作)、絞りf 値(被写界深度の操作)、シャッタースピード(ブレをぎりぎり回避するスリル)、適正露出を得る操作(露出補正)はすべて自分の意志で自在に決める。カメラにお任せはISO感度のみ。格好を付けるのであれば、カメラの設定だけは愚図ったれに似合わず独立独歩。 絞りf 値、シャッタースピード、ISO感度は露出決定の三角関係ともいうべきもので、この連携をしっかり把握していないと、表現としての写真は覚束ない。三要素の関係を自分の網膜に焼き付けている人がどれ程かをぼくは知らないが、おそらく悲観的な状況であろうと思う。 ぼくはアマチュア時代より、「自分のことはすべて自分で賄う」ことしかできない大型カメラ(カメラのプロトタイプで、フィルムの大きさが、4 x 5インチ、8 x 10インチ)を愛用していたこともあり、オートマティック(Automatic)とは無縁のものだった。ぼくは、どちらかといえば前時代的写真人だった。ただ、これほど多くのことを教えてくれたカメラは他にない。 人は自身の体験や知識でしかものを語れず、伝えられずなのだが、我が倶楽部の人たちにホワイトボードを使用しながら、学校の先生よろしく上記した露出の原則について、口角泡を飛ばしながら伝えた。 だが、どの程度咀嚼してくれたか非常に心許ない。神妙にノートを取りながら、分かった振りをする名人揃いなので、ぼくとしては不意打ちのテストを何度かし、成績の悪い順に、折檻、お仕置きを繰り出し、挙げ句、獄門に懸けてやろうと思っている。しかし、年季の入ったゾンビのような女衆はそれくらいで怯むはずもなく、ぼくは返り討ちに遭うこと必至。 ポートレート、風景、建物、接写、街中スナップなどの講義の後、どのような変化を期待できるか、ぼくも興味津々といったところなのだが、知恵の集大成として、「半年後、東京国立博物館で、美しい宝物を撮るのもいいアイデアだね」といったら、誰も返事をしてくれなかった。沈黙は鬼なりか? https://www.amatias.com/bbs/30/789.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 群馬県高崎市。 ★「高崎市」 掲載写真は、再び「たかさき中央銀座」に舞い戻る。歴史的な映画館「高崎電気館」。大正2年(1913年)に開館した常設映画館。 絞りf9.0、1/80秒、ISO 200、露出補正-1.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/05/08(金) |
| 第788回:神のみぞ知る |
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半月ほど前に骨の折れる催し物を終え、ぼくは未だその後遺症から逃れられずにいる。以前なら2日も経てば元通りに回復し活動できたものが、昨今は身体が思うに任せずという難儀を抱えるようになった。回復に時間がかかるのは自然の摂理というもの。だが、精神は「未だ衰えず」なので、その矛盾に悶えることしばしば。脳の指令に手足が思うように従ってくれないという、なんとももどかしい悲劇だ。そのついでに、自家撞着に陥ってしまうことの恐怖も同居する。まったく始末に負えない。
とはいえ、試行錯誤に明け暮れることは苦にならず、それが救いといえばいえる。その意欲がなくなった時は、写真の辞め時と考えている。試行錯誤こそ、上達の極意だと思っているのだが、ぼくの場合は試行錯誤で終わってしまうところが悲しい。 拙稿を重ねるごとに、「今日は何を書くべ」と思い悩むのだが、編集者時代に多くの執筆者や評論家の方々とお付き合いさせていただき、ぼくが「教えを受けたい」と感じた何人かから、「大切なことは何度述べたり書いたりしてもいい。一度だけではなかなか真意が伝わりにくいものだ。繰り返しが大切だよ」と、異口同音にいわれたことを思い出す。その言葉は、今のぼくにとって大変心強い味方となっている。 ぼくの文章は、自分でもコテコテでリフレイン(文章や詩、楽曲などで、同じ句を繰り返し表現すること)をよく用いると自覚しており、なおさら彼らの言葉をありがたく感じている。 ぼくは、「写真」と「文章」という場を借りて、普段からの、社会現象やある種の人間たちへ控え目ながらも反旗を翻し、ついでにその鬱憤を晴らそうとしていることに気づいている。写真や文章を公に晒すという行為自体が、とどのつまりそういうことにあるのだろう。自身の恥など顧みず、そして臆さないとの両輪がフル回転してしまうのだと思っている。ただ、この掲示板の主人が公的機関なので、ぼくはこれでも遠慮しいしい書いている。 今回の掲載写真は、前回に続き「たかさき中央銀座」のものを取り上げようと思ったのだが、前回の写真が自分でもあまりにおどろおどろしいと感じたので、一旦間を置き、雨粒の付着したイチハツ(あやめ科あやめ属)とした。「たかさき中央銀座」の写真に、何故かちょっと気が引けたからである。 今回の花の写真は、まぁ、殊勝ながらもお口直しにといったところか。前々回の「『あやめ』美人」にあやかってという気持もなくはない。ただし今回はモノクロ仕上げである。花の色はご想像にお任せしたい。 今月1日の豪雨の後、表に出てみたら雨は止み、夕方の薄曇り特有の、柔らかくも澄んだ光が射していた。「雨粒のついた花」は一種特有の美しさがある。ぼくはそれを写し撮ろうとかつて足繁く通った近所の貸し農園に赴いた。きっとあやめが咲いているに違いないと決め込んでいた。 マクロレンズを持参しようかとも考えたのだが、「花全体を」との気持が勝ち、常用の24-70mmで済ますことにした。「2本持っていけばいいじゃないか。横着するな」といつもは他人にいうのだが、一人なので、誰も見てないもんね。自分に踏ん切りをつけようと、ぼくは「男らしく、花1輪につき1枚で決着をつける」と、巌流島に向かう武蔵のような面持ちで、目星を付けた貸し農園に向かった。 小次郎のように気取った花を見つけようと、ぼくは吉原遊廓の中見世や小見世にあったといわれる格子から、そこに居並ぶ遊女を覗き込むように(ぼくの実体験ではなく、小説や落語からの知識)お気に入りの娘、じゃなくて花をあれこれ物色。アングルを調整しつつ、光の加減を見定めながら、カメラ位置を探すのだが、花に近づけば近づくほど足場が悪く、ぼくのスニーカーにじくじくと水が染み込んでいく。これも定めであり、だからといって命まで奪われるわけではない。 今まで、もう何千、何万回も体験してきたことであり、ぼくは父の佐賀弁で「そがんこつに今さら動じてどがんすっとね」と、盛んに士気を鼓舞し、奮起を促した。それくらいぼくは気合いを入れた。 「パンフォーカスで撮る必要はない。今回はピントを合わせた前後の水滴はある程度ボカしたほうが立体感を得られる」と言い聞かせながらも、一方で「マクロレンズなら、f 22まで絞り込んで、トリミング前提で僅かに後退りして撮る(すべての水滴の輪郭をしっかり描くため)のだが、前後の水滴はボカそう」と、ぼくは心の片隅で、マクロレンズを置いてきたことの正当化に努めた。 ズームレンズの焦点距離を70mmに固定し、絞りはf 10、シャッタースピードは1/250秒に設定。ISOはカメラ任せ。ファインダーではなくモニターを眺め、右上から左下への対角線を意識し、構図を確認した。ヒストグラムを見ながら、ハイライト側に余裕を持たせ、露出補正を決定。 背景はなるべく暗所を選び、緑・黄の彩度と明度を落とした後にモノクロ化し、周辺光量を落とし、プリセットを微調整しただけ。これで花の背景は黒バックとなる。複雑な「選択」などはせず、レイヤーマスクで不要なところに大雑把にブラシがけをするのみ。 小次郎必殺の剣 “燕返し” に遭わず、ぼくは返り討ちに成功したのかどうかは神のみぞ知る。いや、読者のみなさんのご判断に委ねることにしよう。 https://www.amatias.com/bbs/30/788.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 埼玉県さいたま市。 ★「さいたま市」 絞りf10.0、1/250秒、ISO 400、露出補正-1.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/05/01(金) |
| 第787回:撮れぬ者ほど理屈をこねる |
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のっけから手前味噌でやや気が引けるが、前回掲載した写真「あやめさん」について、知人友人を含めて「やればできるじゃないか」とか「こういう写真をもっと見せて欲しい」とか「こんなあやめの写真は初めて見た」との言葉を多方面からいただいた。柄にもなく、いつになくちょっとはにかみながらも、この事件については美辞麗句雨あられと一応いっておこう。ぼくは恰好を付けながら、「もう撮らない(見せない)もんね」とか「コマーシャル写真屋だから、どうにでも撮れるのよ」と、すまし顔で返しておいた。
このような彼らの上目遣い(この言葉の解釈は多種多様かつ複雑だが)に対し、ぼくは天性の天の邪鬼(あまのじゃく)なので、額面通りに受け取ることはしない。なんというひねくれ者。「斜に構える」って、こういうことを指す。ホントに嫌な奴だと自分でも思う。そういわれる前に先んじていうぼくは、もしかするとホントに賢いのかも。いや “ずる賢い” んだわ。 あっちのほうから、「もぉ〜、素直じゃないんだからぁ〜、まったくぅ〜」という遠吠えが聞こえてくる。いつもの女衆だ。 「あやめ」写真に限らず、自分の作品はいつの場合も、仕上げには丹精を込め、描いたイメージに素直に従属することに心血を注いでいる。仕上がった写真はいつの場合も結果論に過ぎず、だがそれは自分の生き方に付き従うものでなければならない。いわば転写である。どこでどう評価されようが、ぼくの場合は二の次だ。それがぼくの生き様なのだから変えようがない、とぼくはやはり素直である。 いつもいうように「他人のために写真を撮るわけではなく、写真は自分が何者であるかを表現するための唯一の手段」。きつい言い方をすれば、ぼくは不見転(みずてん)芸者ではないので、その気(け)のある多くの方々を、いつも遠目に眺めている。ぼくにとって彼らは、縁なき衆生であり、「君子危うきに近寄らず」である。ぼくは君子になったり、ずる賢くなったりと忙しい。 写真の出来映えというものは、イメージを描いた時点で、既に決まっているとぼくは自分に言い聞かせている。写真の出来不出来は、もうその時に決定しているということだ。そこに発見や洞察の妙があると思っているが、写真に関していうならば、技術というものはそれを補足する一種のツールとして考えている。描くイメージが貧しければ写真もそれなりのものでしかなく、極論すれば、撮影技術や仕上げの術はグラウンド外にいる心強い応援団のようなもの。 A. アダムス(アンセル。米の写真家。1902−1982年)いうところの、「ネガは楽譜であり、プリントは演奏」は言い得て妙であり、ぼくは楽譜のクオリティを最優先している。いくら優れた演奏家であっても、楽譜のクオリティが良くなければ(つまらない曲であれば)、どう足掻いても奏でる音楽には自ずと限度がある。それ程ぼくはイメージ(楽譜)を重んじている。イメージのクオリティは写真のクオリティに直結する。 余談となるが、ぼくは中学・高校と、 “嫌々ながらも仕方なく” 吹奏楽部(クラリネット)に6年間席を置いていた。何故かといえば、吹奏楽用に作曲された音楽のクオリティに心地良いものを見出せず、どうしても管弦楽曲と比較してしまったからである。演奏する歓びがとても中途半端かつ希薄なものだった。管弦楽の名曲を吹奏楽用に編曲したものも数多くあったが、所詮それはお茶の出がらしのようなものにしか感じられず、嬉しさもありがたさもなく、出るはあくびばかりだった。興味は、自身の技術的向上だけにあった。 クラリネットを携えて、ぼくは大学の管弦楽部に入部したが、そこで初めてクラリネット本来の、確かな存在意義を見出したものだ。嬉しさより、先ずホッとしたというのが本音だった。 斯様にして、ぼくにとって写真の発端は、「始めにイメージありき」を強く意識することとなった。抽象であるイメージを、写真という具象に置き変える作業にぼくは長年絆(ほだ)され、その魅力に取り憑かれてきたのだろうと思う。 “いわれる前に、先んじていう” が、それは「妄想癖」が長ずるに及んだ挙げ句の果てなのだろう。幼少時のぼくは、朝から晩まで祖母の背中に負われながら独り言をぶつぶついう、へんちくりんでけったい(京言葉で、奇妙なさま)な妄想ばかりに囚われた幼児であった。その記憶は、今も生々しくある。 「たかさき中央銀座」を訪れたことは既に述べたが、そこでの印象はまだ述べていない。取り立てて述べるべくことが見つからないというのが本当のところなのだが、ここも恐らく全国の何処にでも見られるいわゆる「シャッター街」のひとつというに過ぎない。それは日本社会が直面している社会現象の断片なのだろうが、そこに立つ今日現在のぼくに、昭和の何かを感じる能力が欠けていることは事実だった。したがって、確固たるイメージが描けず、難渋の極み。 昭和という、ぼくにとって懐かしくも良き時代は、しかし一方で得体の知れぬ恩讐という複雑な心情が織り交ざり、その残滓が未だ色濃く宿っている。どうにも始末がつかないのだ。辛苦の思い出は、時とともに相容れようとする感情が勝り、和解への道が開かれるものだが、現状そこにある寂しさはなかなか受け入れがたく、今のところ未消化に終わっている。極端な言い方をすれば、迷い変じて気が触れるといったところか。 言葉で語れぬ歯がゆさを、写真でなんとか取り繕うと立ちすくむ自身の姿だけが、写真に浮かび上がっているような気がしてならない。写真掲載も恐る恐るである。屁理屈ばかり並べ立てて、嗚呼、辛い辛い。 https://www.amatias.com/bbs/30/787.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 群馬県高崎市。 ★「高崎市」 「たかさき中央銀座」のアーケードに連なるシャッターたちの一部。アーケードの天窓が、商店の窓ガラスに写り込んでいるが、何故看板と平行ではなく、斜めなのだろうか? 光学的な解明に再び足を運ぶ気はないので、永遠不滅の謎が残った。しかし、我ながらえぐい写真やなぁ。 絞りf8.0、1/50秒、ISO 2500、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/04/24(金) |
| 第786回:「あやめ」美人 |
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我が家の近くに大きな公園(北浦和公園)があり、そこは元埼玉大学文理学部の敷地だった。ぼくの小・中学時代、そこは子供の領分でもあった。近隣の子供たちにとって、大学の構内は掛け替えのない遊び場として、多くの思い出を刻んだ場所でもあった。誰もが敷地を横切り、目的地に向かうことを常としていた。木々が生い茂り、小さな盛り土がいくつかあり、子供たちにとっては恰好の遊び場となっていた。
やがて埼玉大学が移転し、その跡地が現在の公園として整備され、敷地内には埼玉県立近代美術館がオープン。様々なオブジェが置かれ、また音楽に合わせて水を噴き上げる噴水も施設され、「文化の薫り高い」公園として市民に親しまれているのだそうだ。と、まるで他人事(ひとごと)のような言い草。 確かに「文化の薫り高い」公園なのかも知れないが、かつてを知る者として、本当にそれを手放しで喜べるのか、ぼくのようなひねくれ者には甚だ疑問に思えてならない。もちろん、ぼくはノスタルジーに浸っているのではなく、過去と現在のありようについて、「本当にこれでいいのだろうか」と懐疑的である。 これについて、ぼくの心情を解析しようとするなら、文化批判から始めなければ事は収まりがつかなくなり、写真の出番がなくなってしまう。「写真よもやま話」としての体裁を失うことになるので、後ろ髪を引かれるような思いで止めておくが、一言でいうならば「落葉や土と戯れ、泥だらけで恐る恐る家路につく」ことが失われてしまったことは寂しい限り。この事実は、決して大仰な言い方ではなく、心胆を寒からしめる現代の、都会の病理であるような気がしてならない。 今月の春うららかな日、この公園を歩いていたら、逆光に輝く黄色のチューリップに目が留まった。春風に揺らぐチューリップの逆光に透けて見える美しい花弁をしばらく凝視し、カメラを持っていなかったので、やむを得ずポケットからスマホを取り出し、「取り敢えず写真」を試みた。取り敢えず、である。 数日後、それをパソコンに転送した後、Photoshopで観察し、ぼくはギョッとした。近接撮影のため、いくらスマホがパンフォーカス(近景から遠景までピントが合った描写。被写界深度が深いこと)気味に写るとはいえ、チューリップ以外はボケが生じる。そのボケの、あまりの汚さに、ぼくは天を仰ぎつつ、すぐさま黄色いチューリップを「ゴミ箱」へ投げ入れた。 特にリング状のボケ(ドーナツ状に写るボケ)の汚さに、ぼくの腕は「さぶいぼ」(関西の言葉。鳥肌が立つこと)に満たされ、すっかり気が滅入ってしまった。「怖気を震う」とは、まさにこのことだ。程度の差こそあれ、スマホで写真を撮る(記録や記念のためであればいざ知らず)ことの、凄まじさと恐ろしさを改めて思い知った。 余談だが、55年ほど前に、ぼくはN社製の500mm超望遠ミラーレンズを購入したことがある。「ミラーレンズ」とは、レンズではなく鏡を主に用いて焦点距離を稼ぎ、F値が固定され、超望遠を小型・軽量かつ低価格で実現したレンズを指すのだが、その時に頻発した「リング状のボケ」を体感したものだ。パソコンのモニターに映し出されたチューリップの背景に、55年前の記憶が突然蘇った。 今回掲載の「あやめ」は、嬶(かかあ)が体調不良のため優れた主夫と化したぼくが、夕食の食材漁りの途上で見つけたもの。「もう『あやめ』の時期なんだなぁ」と、その姿が和服に包まれた “いい女” を連想させ、ぼくは引き込まれた。女性の美しさを花にたとえた慣用句、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というが、今回出会った「あやめ」は、和服姿のどこか淑やかな女性を思い起こさせた。 もう二度とスマホの轍(てつ)は踏むまいと、「家に帰ってカメラば持ってすぐに戻って来るけん、そんまま動かんで待っとって。わしが上手に撮っちゃるけん」と、ぼくは美人を前に、照れと恥ずかしさを隠そうと独りごちた。何故か標準語でなく、思わず父の地言葉でいってのけた。おかしかね(おかしいね)。 家に取って返し、35mm単レンズをカメラに装着し、ハンドルを握りながら、「あのあやめ美人、誰かに掠(かす)め取られなければいいが」と不安がよぎる。頭のなかで、盛んにアングルを探し求めながらも、屋外は夕方のせいか、車外の明度はどんどん落ちていく。 絞り値はf 3.2前後と決めており、大きな花弁のハイライトを飛ばさぬようヒストグラムを見ながら露出補正を決めるだけで、事が済む。アングルは車内で既に決着済みで、もう迷うことは何もない。 ファインダーを覗いて、描いたイメージに合わなければ、ぼくは敗者となり、その時は美人の前で男気を見せ、潔く退けばよろしい。凜とした態度で撮影に臨めば、「あやめさん」はきっとぼくの期待に応えてくれるに違いないとも思った。何事にも、ぼくはこ〜ゆ〜ふ〜に思考を繰り広げることができるノホホンとした性格なので、もしかしたら、やはり一瞬を切り取る写真という作業に向いているのかも知れない。写真屋は、楽天的でなければやっていけないのだから。 「あやめさん」を誰かに掠め取られると案じたが、今ぼくは「あやめさん」をちゃっかり掠め取ったような気がしている。 https://www.amatias.com/bbs/30/786.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF35mm F1.8 Macro IS STM。 埼玉県さいたま市。 ★「さいたま市」 絞りf3.2、1/160秒、ISO 100、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/04/17(金) |
| 第785回:フィルムの恩恵 |
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ぼくがパソコンを使用し始めたのは2000年で、初めてのパソコンなるものはMac G3だった。そして、「これなら仕事に耐え得る。フィルムからの離脱はこのカメラしかない」と、2002年に発売されたデジタルカメラEOS -1Ds(初代。2002年発売)を迷うことなく購入。パソコン購入のほうがカメラより早かったのは、来るべきデジタル時代を予見し、それを修得しなければ “食いっぱぐれる” との危機感からだった。先ずはパソコンの使い方を修得しなければと。パソコン購入時、カメラマンの世界はまだフィルムが本流だった。
拙稿は連載当初からWord(Microsoft Office。日本での初版は1991年)を使用しているが、ぼくの編集時代(40年以上も前)にはまだそのようなものはなく、もっぱら原稿用紙に、鉛筆なら2B、もしくは万年筆で書いていた。原稿を依頼される執筆者も同様だった。 デジタル歴25年とはいえ、アナログ育ちのぼくは、未だにキーボードを叩いて文章を書くことに慣れずにいる。現在、すでに万年筆はキーボードに取って代わったが、それでも、文章を書くということにはどこか違和感を覚えている。キーボードと万年筆では、文章が異なるように思えて仕方ない。どこが異なるのかは判然としないが、何かが確かに違う。 しかし、編集者にとってデジタル原稿は、おそらく大変便利でありがたいものに違いない。原稿を渡したり、取りに行ったりする手間が互いに省け、加え、読み易いのだから、このうえなく重宝するだろう。「原稿取り」などという言葉は、もはや死語になったのではないかと思う。 長い間、ぼくもご多分に漏れずメールでのやり取りが当たり前になっているが、やはり1年に数度は、手描きの手紙や葉書を出すように心がけている。デジタルによって失われた大切な何かを取り戻せるような気がするからだ。 一番の理由は「暖かさ」や「ありがた味」、「ぬくもり」の伝わり方が、デジタルとは異なると感じている。手紙を差し上げれば、相手もそれに応じて、手描きの手紙を出さねばという気持になるのではと、身勝手な妄想をしている。人によっては、ありがた迷惑かも知れないね。 写真に関しても、確かにアナログとデジタルは異なる点多々ありで、それについては拙稿で何度か触れているので、改めて記すこともないのだが、文章について感じることと同質のように思うことがある。だが世間一般に流布されているその差異について今回は述べないが、ぼくは多くの異論がある。 ぼくにとって、デジタルのありがたさは、技術面に関していえば、1枚ごとにISO感度が選べること。精神面でいえば、機材は高価だが、労力を惜しまなければ、何枚撮っても懐が痛むことはない。これは誰にとっても大きな得であり、経済的な圧迫から逃れられることは、とてもありがたい。 そして決定的な違いは、暗室作業の精緻さと自由度がフィルムとは雲泥の差であることだ。このことは、撮影時に描くイメージの自由さが無限に広がることにある。ぼくにとって、この歓びは、まるで天空を舞うオーロラが夜空を彩るさまに似ている。それは、決して大仰な言い方ではなく、まさにデジタルという地の利を最大限に活かしたものだ。 パソコンのモニターに映し出された写真(Rawデータを調整し、tifに変換した画像)と対峙しながら、撮影時に描いたイメージを何度も思い起こし、明度、彩度、色相、コントラストなどを細かく調整して行く。自身に忠実であるかどうかを自問自答しながら、何度でも試行できるので、これはまさにデジタルの 恩恵ともいうべき“離れ業” であり、 “必殺技” でもある。 この危険な “離れ業” が、「奇をてらったもの」や「あざとさ」に繋がっていないかを、ぼくは執拗に問いかけることにしている。オーソドックス(一般に正統的と認められているさま。伝統的な教義や方法論を受け継ぐもの)とエキセントリック(ひどく風変わりなさま。突飛なさま)の両端のどの位置に存在しているかを執拗に問いながら、1枚を仕上げる。これは、デジタルの独壇場ともいえるものだ。 とはいうものの、ぼくのデジタル作法の根幹は、あくまでフィルム現像と印画紙現像に基づいたものであり、もしぼくがアナログを経験せずにデジタルに及んだとすれば、誠に空恐ろしいことに思える。他人はいざ知らず、ぼくにとっては、常にフィルム時代に得たものが、デジタルの土台となっている。 そしてまた、「中庸の美」ほど貴重なものはないと憚りなくいえるのは、アナログで培ったものが、通奏低音(表面にはあらわれないが一貫してその物事に影響を及ぼし続けている要素。大辞林)のように流れているからであろう。 https://www.amatias.com/bbs/30/785.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 群馬県高崎市。 ★「高崎市」 「たかさき中央銀座」へ向かおうと、駐車場から歩いての第1カット。原画のほうがきれい。でもぼくの描いたイメージは掲載写真の通り。 絞りf10、1/60秒、ISO 160、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/04/10(金) |
| 第784回:写真補整の難しさ |
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今ぼくは、あれやこれやの雑務に追われ、すっかり憔悴してしまい、結局一度も満開の桜を見られず。もちろん写真もままならなかった。桜の撮影はぼくにとって大変難しく、68年間の写真生活で、合格点をやれるものはたったの2枚しかない。如何にぼくが下手くそであるかの証左である。
2枚ともモノクロ写真だが、桜をカラーできれいに撮ってもぼくにはその必然性がなく、端からカラーで撮る気はない。第一、そのようなものは既に巷に氾濫しているので、同じようなものを撮っても、アイデンティティ(自分が自分であることの証)が示せない。 もし独自のイメージをしっかり構築できるようになれば、カラーにも挑戦したいとは思っているが、目下のところ、ぼくは自身の写真に少々意固地になっているので先行きが見通せない。桜、嗚呼、宜(むべ)なるかなである。 桜を見られず終いとなった要因は他にもあった。突然、膝に激痛が走り、カメラを持って出歩くことに難渋したこと。同輩たちからも、そのような膝関節の不具合について良からぬ報告をしばしば受けてはいたが、ぼくも他人事(ひとごと)ではなくなったようだ。また医者通いがひとつ増えた。 もうひとつは、写真仲間の悪人たち数人がグループ展をするとのことで、画像データの検討と補整を迫られ、荷担を余儀なくされたことだ。モニターを見ながら、ぼくは彼らに、独りブツブツ、普段滅多に使わない罵声を浴びせ続けた。このことにより、ぼくは言語障害を患った。言語中枢に鬆(す)が生じたようだ。まったく忌々しい。 お人好しのぼくは、身を投げ打って彼らの狼藉に対して、願いを叶えて差し上げようとの親心を捨てきれない不運を託った。放っておいても良いとは思ったが、データを見ると最低限のことに不備が見られ、展示会場で恥ずかしい思いをするのは彼ら自身なので、ぼくは嫌々ながらも救いの手を差し伸べたというわけだ。彼らの写真の補整・修正は、ぼくが日頃から、撮影と暗室作業に心がけていることを基準としたものであり、粗探しを目的としたものではない。 だが、この事実は彼らに限ったことではなく、個展やグループ展などに伺うとかなり多く見られる現象である。その一つひとつをここに挙げる余地はないが、画像データをいじり回した挙げ句、画質の劣化や荒れ、それに伴う夾雑物の付着が際立ってしまうという現象に気づいて欲しいと願う。非可逆圧縮のJPEGなどに何度も補整を繰り返すと劣化がより目立つということを知ってか知らずか、荒技を繰り出し、豪快にやってくれる。大した度胸だとぼくは戦くが、それもこれも「知らぬが仏」である。 特に展示が目的の場合や大伸ばしプリント(例えばA3ノビ以上)では、「粗が目立つ」という憂き目に遭う。劣化や汚れの程度問題は、あくまで作者に依存する事柄なので、「見極める眼を養う」ことも必要だろう。それが延いては、撮影にも大きく差し響くのではと思う。 どのような画像ソフトを使用しても良いが、「より丁寧に。より慎重に」を心がけたいものだ。特に、プリセットなどを幾重にも重ねていくうちに、画質は加速度的に劣化して行く。ぼくはプリセットをひとつ重ねる毎に、痛んだところを注意深く点検し、そのような箇所があれば都度丁寧な修復を試みる。時には、気の遠くなるような補修が必要な時も生ずるが、ここで根気が試される。 ぼくは元々根気には縁遠い質だが、こと写真には関しては非常に執念深く、「丁寧さ」を失えば、その粗雑さが写真のすべてに反映されると思っている。ついでに、人品を見透かされそうな気さえする。 画質の悪さが、性格からくるものなのか、あるいは技術の未熟さからくるものなのかは、作者を知っていれば分かることなので、ぼくはそれに応じて対応するようにしている。 前者、つまり性格的なものから派生する粗さであれば、それを指摘するのは一言で済ますことができるが、経験不足による未熟さは、本人の努力次第であり、「待てば海路の日和あり」だ。ここが大きく異なる。 今まで、助手君を含めアマチュア諸氏など40数人と直に接してきたが、撮影と暗室作業は常に相互関係にあるように感じている。どちらか一方だけが勝るという現象に出会ったことはない。熱心さは嘘を吐かないし、写真もまた然り。 そんな信念を掲げつつ、我が身を振り返ってみるのだが、そうなると上記したぼくの信念が揺らぎ始めるから癪。 つい先日、アマチュア諸氏に「『好きこそものの上手なれ』はアマチュアの特権だが、プロはそうはいかない」と述べたばかりだった。ぼくは自分を庇い立てしているのかなぁと、目下自問の最中。 https://www.amatias.com/bbs/30/784.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 群馬県高崎市。 ★「高崎市」 「たかさき中央銀座」を歩いていたら、アーケードの向こうに、ぼくの好きなトタン葺きの家が目に入った。電気が灯り独特な空気感を醸していた。 絞りf8.0、1/50秒、ISO 200、露出補正-1.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/04/03(金) |
| 第783回:空気を写す |
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今年度、のっけから大そうな題名を掲げてしまったことに後悔しきり。抽象的な事柄を、抽象的な言葉を紡ぎながらどう取り繕うか、今頭を痛めている。掲載写真で察していただくしか手がないか。
それはさておき(既に逃げ腰)、前号で「来年度からはもう少し手短に」などと、自身の力量の無さをなじりながらもいってしまった。そう放言したからには、男としてもう後戻りはできないと、なんとかそれに添うよう努めようとは思っている。我の発達しすぎたぼくに、それができるかどうか甚だ疑問だが、実のところ新たな挑戦に生き甲斐を感じ、愉快がっている。「君は、得な性分だね。楽に生きることの才ありだね」という旧知の友人たちの言葉が聞こえてくる。 文章の下手な人間に限って、駄文長文を書き連ねる傾向があるとの事実をぼくは認めるが、反面、しっかり学校教育を受けた大の大人が、まるで小学生の絵日記のような文を書いて平然としているという紛れもない事実に出会うこともある。そんな文を読むと、可愛げさえ感じ、ぼくは旧知の友人たちにやり返すように、「得な性分だなぁ。ぜひあやかりたいものだ。ほんに羨ましかと」と、父の地言葉を交えながら、正直にいう。これは皮肉でも何でもない。駄文長文と絵日記、何事にも大切なことは “ほど” であることを教えてくれる良い材料である。 特に昨今、SNSなどが市民権を得、長文を読めない・書けない人が激増していると、高名な言語学者が指摘していた。ぼくも同感である。延いてはそれが、出版社低迷の一因となっているのかも知れない。 以下はぼくの穿った見方だが、このようなSNSなどによる安直な表現方法が、文章ばかりでなく、写真も同様であるように感じている。これも時代の流れというものなのだろうか。ぼくの写真が一般受けしないことは重々承知しているが、しかし、それで大いによろしい。 誰からも好かれるような作品というのは、得てして深度に欠け、表層を飾っただけのものが多いからだ。 先月、友人が「お前さんの好きそうな撮影場所を偶然見つけたよ。高崎市にある長い商店街なのだが、人がほとんどおらず、閑散を通り越して、寒々とした感じだった。面白いから行ってみたらどう?」と、何かの事件現場を発見したというような面持ちで伝えてくれた。旧友である彼は、一言ではなかなか食い付かないぼくのひねくれた性格を熟知しているので、瞬時に目を輝かせたぼくを見て得意気な顔をして見せた。 早速ネットで調べてみると、「昭和レトロの雰囲気が漂っており、全長約430m」とある。どのネット掲示板にも、アーケードの入口にある大きな看板が載っていた。ぼくもそれにあやかって、同じ物を撮ってみようとの気持になった。 ネットで見る限り、特段にその情景がフォトジェニックだとは思わなかったが、ここの雰囲気を撮ってみたかった。大上段に構えれば「空気を写す」ことを試みるのも面白いと感じた。「空気を写す」なんて至難の業。試して「ダメ元」というわけだ。 今まで高崎市には縁のなかったぼくだが、早速彼のご注進に従って、カーナビで調べたところ、我が家から関越自動車道を利用し、約1時間半で行ける。ぼくは久しぶりに浮き浮きした気分で車を飛ばした。 アーケードの正式名称は「たかさき中央銀座」といい、カーナビの教え通り1時間半で到着。天候は厚い雲が垂れ下がり、ぼくにとって誠に好都合。アーケードはより暗いだろうが、以前仕事で使用していた最後のカメラEOS-1DXと異なり、現在使用のEOS-R6 MarkIIは暗所撮影に滅法強く、高感度ISOを安心して使えるとの事実は大きな利点(大敵であるノイズの軽減)である。また、視力が怪しくなってきたぼくにとって、低輝度合焦限界が-6.5EVというのもありがたい。 長いアーケードを歩きながら、気になった情景を写し取った。それらは次回から掲載させていただくつもり。 アーケードの北端に差しかかったところ、ネットに見る「たかさき中央銀座」と記された大きな看板を見つけた。天から雲が重く垂れ下がり、今にも雨が降り出しそうだった。この商店街の今を象徴しているように見えた。しかし、やはり情景としてはフォトジェニックだとは思えなかったが、友人いうところの「寒々とした感じ」の「空気を写す」ことを念頭に置いていたので、先ず立ち位置を定めることから取っ掛かった。 「焦点距離は28mm。これで看板の大きさやアーケードの奥行き、その遠近感を確保できる」と独り言ちながら、ズームレンズを28mmに固定。パンフォーカスにしたかったのでf13に設定(実はf11で十分)。 準備が整ったところで初めてファインダーを覗き込み、フォーカスを看板に合わせた。5秒もかからず撮影終了。ただ、看板を横切る何本もの電線が気にかかるが、「おそらくPhotoshopのAI機能を使えば、上手に取り払ってくれるかも」と、それにすがるしか手がない。Photoshopはそれを見事にやってのけた。デジタル様々である。 それが掲載写真だが、我ながら「鬱陶しい写真やなぁ。誰がどう見ても “きれい” だとはいわない。けれど、立体感のある写真やわ」と感心しきり。例によって、誰からも「いいね!」なんていう変態的賛同は絶対もらえない。ひねくれ者の我として、「してやったり」というところ。で、ここの空気は写せたのか? 今回の原稿はいつもより字数を減らすことができた。原稿用紙にして、1枚弱減。やればできるじゃないか。 https://www.amatias.com/bbs/30/783.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。 群馬県高崎市。 ★「01高崎市」 絞りf13、1/40秒、ISO 400、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2026/03/27(金) |
| 第782回:個性的であることの難しさ |
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先週金曜日は、拙稿の掲載が春分の日でお休みのため日延べとなり、今週の月曜となった。お陰でぼくは、先週末ちょっとのんびり気分だった。とはいえ、ひどく計画性に欠けるぼくは、いつ何時でも不意に対する準備を怠らず、「ぶっつけ本番」を旨としているので(大っぴらにいうようなことじゃないだろうに)、生活のリズムには何の支障もなかったのだが、ただ問題はこれだけ回数を重ねていると、ボケも手伝ってか、内容の重複は避けられず、それだけは如何ともしがたい。そこが、頭痛の種。
日延べにより、「次は何を書こうかな」と頭を痛める時間が多かったことは確か。罪作りな春分である。また、読者の方々に「いつも同じようなことばかりいってるなぁ」といわれそうだが、これでも身を縮めているので、どうかご容赦のほどを。 写真に限らず、どの様な創作分野に於いても、 “本物” とは美の結晶の集合体そのものである。その美を形成している部分の多くを占めるのが “個性” だとぼくは思っているが、では “個性” とは何ぞやと自問するに、なかなか確たる答が見つからない。少なくとも、ぼくには「見つけられずにいる」といったほうが正しい。敢えていうなら、「作者でしか成し得ぬ特有の表現形態」というべきか。 ここでいう “個性” とは、あくまで洗練さを伴ったものについての作品であって、単に「他人とは異なったもの」や「風変わりなもの」を指していうのではない。「異質なもの」を “個性” と見る向きが散見されるが、そこには作者の必然性や人となりが窺えないので、ぼくはそれを “個性” とは言わず、ただ凡庸で退屈な作品と断じている。そこには「あざとさ」だけが浮かび上がっているからだ。 なかには、個性を意図的に演出せんがために、自己を欺いていると思われる作品群に出会うと、ぼくは居場所を失うことがままある。創作に自己犠牲(ここでは、自己を仮の姿に置き換えること)は不要と考えている。それをしてしまうと、作品の「見てくれ」ばかりが先行し、自身の、ありのままの姿を失ってしまう。 かつて述べたことがあるように記憶するが、「写真は、自己を晒してナンボである。他人に見せるためではなく、まず己を正直に語り、そして知るために撮る」というのが本来の姿だとぼくは考えている。したがって、「いいね」欲しさの写真は、情の機微に照らせば理解できないことはないが、それはぼくにとってまったく無縁のものである。 撮影の行為は、自己の内なるものを表現するためのもので、恣意的であってならない。 作品は、自身の人生観や経験、そして死生観などによるところの被写体に対する思いや憧れなどによって、止むに止まれぬ心境に至ったその結果として、初めて生まれ出づるものと考えている。そこで、いわゆる「作風」として、延いては「個性」として自然な形で現出するのではないだろうか。 と、こんなことをいいながらも、写真に興味を示し始め、既に68年が経過してしまった。実のところ、未だ何も分かっちゃいないのだ。あと何年したら、ぼく独自の写真が撮れるのだろうかと、不安と期待が綯(な)い交ぜになっている。 ぼくは残念ながら、自分の写真が個性的だと思ったことは一度もない。写真好きの友人たちにいわせると「君の写真は誰が見ても一目瞭然」というが、ぼくはそんな甘言には乗らない。「一目瞭然」とはいうものの、「良い」という言葉は依然として聞こえてこないからだ。 「良い写真」にありつくひとつの約束事は、教養を深めることにあると自分を仕向けている。写真ばかりではなく、優れた文学・絵画・音楽・陶器・建築などなど、勿論あらゆる分野とはいわないが、自身の心酔する他の分野と懇(ねんご)ろ(心がこもって、親密になること)な関係を結んでこそ、写真に必要な嗜(たしな)みや美学が育まれるのではないかと考える。 自分の写真を「きれい」だと思ったことはないし、またそうありたいと願ってもいない。ただ、「美しく」ありたいと望んでいる。被写体に愚直に呼応し、自分を偽らなければ、自然と「美しい」に寄り添えるのではと、慰めに近い心情でシャッターを押そうと心がけてはいるものの、だがしかし、「それがなぁ、『言うは易く行うは難し』」。自分を誤魔化したりすると、そこには不毛な堂々巡りだけが繰り返される。 コマーシャル・カメラマンという職業柄、撮影は、自身が意図し欲する映像はあくまで二次的なものとし、第一は依頼主の要望に添う写真を最優先しなければならない。これはコマーシャル・カメラマンの使命ともいうべきことなので、俗にいう「きれいな写真」を撮ることは、横柄な言い方ではなく、造作もないこと。 市井の人々に「わぁ、きれい!」と感じてもらわなければ、ぼくも依頼主も商売にならない。そこに「美しさ」を加えることができればと思うのだが、「きれい」とは異なり、「美しい」という感覚は千差万別であるが故に、先ず「きれい」が優先されがちである。ぼくは「きれい」と「美しい」は別世界と捉えている。 もう職業柄を放棄してもいいのだから、「写真は、先ず自身の抱くイメージ」を最優先し、邪念を捨て、感じたままを素直に撮ることを心したいと願っている。次回、来年度からはもう少し手短に、穏和な表現で拙稿を綴りたいとも思っている。ぐちぐち、しつこいもんなぁ。 https://www.amatias.com/bbs/30/782.html カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ :RF24-70mm F2.8L IS USM。 栃木県栃木市。茨城県古河市。 ★「01栃木市」 近所の人の話によると、従来はここにもう一家屋がつながっており、それが取り払われ、新たに窓がつけ加えられたとのこと。ここに住んでいた人たちは何処へ行ったのだろうとの思いが膨れ上がった。 絞りf8.0、1/160秒、ISO 100、露出補正-1.67。 ★「02古河市」 駐車場のすぐ脇に昭和を彷彿とさせるような古びたアパート。手すりの陰がちょうど対角線上に伸び、「絵になるかなぁ?」と疑問を持ちつつ、「取り敢えず」撮った写真。「01」のほうが断然いいね。 絞りf5.6、1/200秒、ISO 100、露出補正-0.67。 |
| (文:亀山哲郎) |