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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2026/07/17(金)
第798回:悪態の嗜み
 関東甲信地方の梅雨明けは7月中旬とのことなので、もうそろそろというところか。ぼくの住むさいたま市の最高気温は本日16日、34℃(最低気温は26℃)、曇り時々雨とあるが、頭のボケかけたぼくには、この気温が子供時分とくらべて巷でいわれるほど高いのかどうか、はっきり思い出せない。70年前の記憶について、懐旧の情にかられることはあっても、定かな記憶となると、途端に怪しくなる。

 同年配の手合いにいわせると、全員口を揃え、「かめさん、大丈夫か? 記憶にないの? 今のほうが暑いに決まってるでしょ」と、あたかも自分たちの記憶は正しく、ついでに脳も未だ健全だといいたげな顔をし、高の知れたそんなことで優位に立とうとするから嫌になる。浅ましいったらありゃしない。「記憶の他に取り柄はないのか?」とぼくは彼らの勝ち誇ったような顔に向けて、一言放ちたくなるが、奥ゆかしいので黙っている。
 なかには、「化石燃料の使用により、そこから吐き出される二酸化炭素による温室効果で、地球全体が温暖化しているんだよ」などと、聞きもしない科学的な説明を加えることにより、ぼくより優位に立とうとする者もいて、やはり嫌になる。分かった風なことをそれらしく解釈してみせようとの心胆が見え見えである。白々しいったらありゃしない。温暖化の原因はそればかりではないだろうに。

 のっけから些(ち)と悪態ばかりとなったが、どうやらこれが最近のぼくの愉しみとなってきた。歳を取ると、何くれとなく悪態をつけるので生きやすく、なかなかの居心地である。ぼくは、昨今やっとそんな仕合わせに巡り会え、いたって機嫌がいい。悪態をついて、人に嫌われようがなんだろうが一向に気にならない。「どんどん嫌っておくれ」という具合だ。「お前は元々得な性分だからなぁ」と古くからの友人はいうが、最近は特に「言ったが勝ち」を自ら認めるようになった。厄介なジジィだ。世間では、「厄介なジジィ」を「クソジジィ」というらしい。

 先日、我が倶楽部で最古参の女史(ぼくの中学時代の同級生で、彼女はあと半月ばかりで齢79となる。1月生まれのぼくより半年ばかり偉い)と、「もう我々はこの歳になったら何をいってもいいんだよね」と、自虐まじりに、お互い納得尽くでそう言い合った。四文字熟語を借りれば「形影相憐」( “けいえいそうりん” 。ここでは、お互いに歳を取り、残り少ない生を哀れみ合う、という意味で)ということになろうか。

 その彼女が、「どこか撮影に行きたいのだけれど(本心からかどうかは疑わしい。多分、ぼくに対するポーズだろう)、こう暑くちゃねぇ。足も腰も痛いし。それに熱中症も恐いし。そう思うと昼日中なかなか出られないのよ」といいつつも、意気揚々、娘さんと4泊5日で、先週しかと北海道に飛んでいる。「涼しかったわぁ。見渡す限りのラベンダー畑が見事だった」などと口ずさみながらのご帰還であった。

 すぐに息が上がりつつ、軽い腰痛を抱えながらも機嫌の良いぼくは、夕方気温が少し下がってから、100mmマクロレンズを付け、北海道より10℃以上も暑い近所に咲く花を漁ろうと、エアコンの効いた部屋から這い出す。夕刻とはいえ、風に揺れるひまわりや百合を追いかけると、首筋に汗がツーッと伝う。
 言い訳がましい上記した女史は、「百合もねぇ、橙色のものはきれいでないし、今たくさん咲いているヤブカンゾウ(藪萱草)も橙色の、出来の悪い百合の弟分みたいで、どことなく美しさや可愛げに欠けるしねぇ。撮る意欲を殺がれるのよね。ダボハゼのように、何にでも食らいつけるあ〜たは得ねぇ、いい性格だわ」と、ぼくをしゃくり上げるように見遣る。

 コロナ禍以前は、自分がマクロレンズを振り回しながら熱心に花を撮るなどとは夢にも思っていなかった。いつか記したことがあるが、ぼくが最も熱中する被写体は街中での人物スナップ写真なのだが、昨今の肖像権やらなんやらが必要以上に喧(かまびす)しくなり、そんなわけですっかり嫌気が差し、そちらに気が向かなくなってしまった。窮屈で、ヒステリックで、意味もなくやかましい昨今の風潮に腹を立てつつも、しかし「それを理由にしてはいけない」と言い聞かせてはいる。ぼくは作品を発表する立場にあるので、肖像権に関しては、商売人の仁義としてなかなかに難しいものがある。

 とはいえ、ぼくはお気に入りの単レンズを付け、現在のカメラ機能を十全に生かし、どのような人物スナップを撮るかについて考えを巡らせている。この作業は難しくもあるが愉しい。
 優れた写真や絵画、文学や映画にたくさん接し、自分のものを作り上げていく作業に早く取りかからなければと思っている。納得のいくものが得られずとも、余生を意義ある時間として過ごせれば御の字である。写真のお陰で、美しいもの、優れたものに出会えるのだから、始める前から結果を問うような贅沢をいってはいけない。

 花の写真もさらに極めなければならないが、ぼくとしては良い表現の方向に進んでいると思いたい。ぼくの花写真を指し、「かめやまさんは、よくあるふわ〜っとした、淡い色の、誰が見てもきれいと思うような花写真は撮らないんですね」といわれることがある。
 「残念ながら、ぼくはそのような人生を送っていないんですよ。どのような表現も受容するように努めてはいるけれど、男40過ぎて、そういう写真を撮って、得々としていられるっていうのもねぇ。ぼくはそういう人間じゃないから」と、正直に答えることにしている。この段落、悪態の極みだね。

https://www.amatias.com/bbs/30/798.html    

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
橙色ではなく、黄色の百合。カラー仕上げもきれいなのだが、素直な生き方をしてこなかったぼくには、やはりモノクロのほうがしっくりする。
絞りf6.3、1/200秒、ISO 200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2026/07/10(金)
第797回:先人の教え
 若かりし頃、人生について貴重な示唆を与えてくれた人たちと出会えたことは何ものにも代えがたい宝となっている。ぼくは彼らの教えや心構えを今も大切なものとして心に刻んでいる。そんなぼくも、既に彼らの歳をとっくに越え、改めて自身の佇まいについて振り返ってみると、誠に心許ない。
 もしぼくが若い人に、人としてあるべき倣いや人生の何かについて訊ねられたら、きっと良き先人たちに教えられたことをしたり顔で諳(そら)んじ、安請け合いするだけに留まるであろうと思うと、自身の勉強不足と臆病さに恥じ入るばかりだ。今まさに、「実際そうなのだから」と、ぼくはここで一足先に罪滅ぼしをしておく。

 何故今こんなことを唐突に言い出したかというと、先日知り合いから「写真を教えたり、『よもやま話』で毎週色々なことを伝えようとするのは、さぞや骨の折れることでしょうね」といわれたことにある。ぼくは、「伝えるのではなく、勝手なことをただ書き連ねているだけ」と正直に答えたが、いろいろ反省を込めて、新たに考え直そうという気になった。
 昨夜湯船につかりながら、前述したかつての先人の言葉をぼくは思い起こし、何度かそれを諳んじていた。「他人に何かを教えたり、また伝えようとすれば、質問者の持つ知識の少なくとも数倍から10倍程度のことは知っておかねばならない」ということだった。同じ事を、ぼくの父も述べていた。

 ぼくは危うく湯船に沈みかけた。湯に浸っていたお陰で、冷や汗がジワッと滲み出る感覚は逃れたが、おしっこをちびりそうになった。場所が場所だけに、そこでそんな粗相をしたらえらいことになる。ちびりつつ、「何食わぬ顔をしておく」などという達者で優れた芸当はぼくにはちょっと無理。
 「正直者はバカを見る」に従えば、ぼくは家族にボコボコにされるに違いない。そんなことを思い煩いながら、湯船という最も安息な場を、ぼくは自ら台無しにした。湯のぼせではなく、気のぼせである。

 知識も知恵も大きく損なわれているぼくにとって(決してへりくだっているわけではない)、写真についていえることは唯一、場数を踏んでいるということか。もしかしたら、ぼくの場合は単なる数合わせというに過ぎぬことかも知れないが、今のところ頼りにするのはこの手しかない。しかし、場数を踏むということは、実戦経験が豊富ということでもあるので、頭のなかでいくら計算機を叩いたところで、実体験の積み重ねに敵うはずがない。
 計算立った知識もないぼくが、写真倶楽部を23年間続けられたのも、また拙稿を毎週14年間続けられたのも、実践の積み重ねあってこそのことと思っている。

 最新情報ばかりでなく写真機材などの知識に関しては、明らかにアマチュア諸氏のほうがよくご存じだろうし、また暗室ソフトやAIなどに関しても、ぼくより余程多くの知識をお持ちに違いない。
 それに比してぼくなど、そちら方面には然したる興味がなく、画家・山下清(1922 − 71年)の口癖「兵隊さんの位でいうと」を借りれば、「戦場での軍曹」あたりということになろう。コマーシャル・カメラマンという立場上、好むと好まざるに関わらず、あらゆる現場で臨機応変に撮影してきたことが、ぼくの唯一の取り柄であり支えともなっている。頼りになるのは場数の多さなんであります。

 ぼくが、声を大にしていえることは、「とにかくたくさん撮りなさい」という当たり前のこと。たくさん撮ればいいというものではないが(必ずこのような屁理屈が出てくる)、先ずは撮らなければ何も始まらない。撮ってから、四の五のと、ああだこうだと、文句を垂れなさいということだ。
 そして、さらに大切なことは他人の評価を窺うようなことはしなさんなということ。これに気を取られ、重心を置くと、ぼくは作品が汚れるような気がしてならない。実際に、ぼくはそのような人たちを多く見てきた。自分の足元をしっかり見定めることを疎かにしては、品位ある写真や良い個性が育たないのではと気に病んでいる。

 だんだん説教がましくなってきた。これはいかんと思いつつも、読者のみなさんには苦い思いをなるべくして欲しくない。いや、しなくていい苦労をして欲しくないとの気持からである。「冷や酒と親の小言は、後になって利く」というではありませんか。死なないうちにいっておかなくっちゃ。
 ぼく自身は、良い先生にはなり得ず、またそうありたいと願っているわけでもなく、強いていえば、現役を離れたとはいえ、現場仕込みの良い職人であり続けたいと願っている。それが高望みであるかどうかはさらに努力してみなければ分からない。「遠くにありて思うもの」かどうかは、今少し、時間が必要なのかも知れない。

https://www.amatias.com/bbs/30/797.html    

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。相も変わらず、最近は花ばかり。

★「さいたま市」
雨に濡れたニゲラ(クロタネソウ)の果実。「君、カッコウ良かね。わしが撮っちゃるけん」と声がけしながら、1枚だけいただく。
絞りf9.0、1/250秒、ISO 20,000、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2026/07/03(金)
第796回:ある実験
 同一写真をカラーとモノクロの双方で仕上げることは滅多にない。滅多にないどころか、ぼくにとってそれは意味がなく、したがってあり得ないことだ。双方で仕上げ、良いと思えるほうを作品として取り上げるなどという邪智深い心胆は、場当たり的で姑息極まりなく、武士の風上にも置けない。いや、日本人であれば武士でなくとも、ぼくら平民でさえそんな惰弱な精神は禁じ手なのだと、口の悪いぼくは一応親の欲目のように、言い繕う。
 
 写真というものはすべからく、デジタルであろうがフィルムであろうが、シャッターを押す前にカラーかモノクロのどちらであるかを既に決定すべきであり、迷うことなどあろうはずがないとぼくは頑なな姿勢を崩さずにきた。デジタルとなってからは(デジタルカメラは特殊なものを除き、元々がカラーであることは周知の事実)、カラーでの撮影・納品が仕事の習わしとなっていたが、先に述べた事柄は、あくまでプライベートな写真についてである。

 つけ加えれば、カラーかモノクロかの選択は、被写体による向き不向きはあるが(この基準は撮影者によって異なるのでまちまちである)、正解など本来はあり得ない。すべて作者の意向に添い従い、撮影の事前に決定済みであることとぼくは若い頃から思ってきたし、それは今も変わらない。被写体を前に、ぐずぐずと選択に迷うくらいなら、撮らぬほうが良い。

 フィルムはデジタルと異なり、媒体(フィルム)が既にそのどちらかに決定されているので、1台しかボディを持ち合わせていなければ、カラーかモノクロかを選ぶ自由がなく、用意周到な人であれば、常に2台以上のカメラを持参していたものだ。その点、デジタルは後処理(暗室作業)により、随時選択の余地があるのでありがたいのだが、そのために迷い人が出現するのかも知れない。文明の悪戯により、何が便利か分からず終いということだってある。

 話は横道に逸れるが、ぼくは既にフィルム(モノクロ)に戻る気はまったくない。理由は、フィルム特有の描写性云々より、コントラスト、粒状性、グラデーション、ダイナミックレンジなどを調整するには自身でフィルム現像(現像液の選択・調合を含めて)をしなければ意味を成さず、現在は自宅での作業が廃液の都合でできない。つまり、昨今はフィルムの自家現像が不可能となってしまった。フィルムに自身の意図を表すには、現像はそれほどに重要でデリケートなものであり、それが臨めないのであれば、諦めざるを得ないというのがぼくの結論である。

 今は昔と異なり、現像液をはじめ写真廃液を排水口に垂れ流すという訳にはいかない。排水による環境汚染に荷担しては、やはり写真屋の仁義に反する。写真屋というのは素が無頼の徒であり、普段が普段だけに、時に良い子ぶらなければならぬことが多々ある。拠って、これでも悲しい性を背負っているのだ。
 話を元に戻し、今さら昔を惜しんでも意味はないのだが、現像済みのフィルムを乾かし、それをライトテーブルに置き、ルーペで覗き込むあのワクワクするような気分が味わえないのは寂しい限りだ。

 デジタルでも撮影後、データをPCに移し、大きなモニターで確認する楽しみはあるが、フィルムにくらべると手間暇がかからず、枚数もフィルムとは桁違いなので、心情的に “ありがた味” が薄れるとの嫌いがある。便利さも良し悪しである。こんな愚痴をこぼしているから、「年寄りは」とか「ジジィは」とか「化石人間は」とか、京都弁でいうなら「じじむさい」なんていわれてしまうのだ。この京言葉も、ネットなどでそれらしく解釈されているが、やはり標準語にはどうあっても翻訳不能である。方言は、「似て非なるもの」にしかならない。

 その京都弁を流暢に操る嬶(かかあ)と娘(長女)相手にぼくはカンナ(花)の同一写真をカラーとモノクロの二通りをつくり、彼女たちはどちらを取るかの実験をしてみたのだった。
 普段より写真にはまったく疎遠のふたりなので、ぼくが推察するまでもなく、「カラーがいい」という反応を示すに違いないのだ。分かりきったことを、敢えて実験し、己の正しさを再確認し、それを実証してみたかったのである。

 彼女たちは、カメラという偏屈でけったいな機械を所持したことはこれまで一度もなく、また欲したこともなく、写真といえばもっぱらスマホである。何でもかんでもスマホでちゃらっと「片を付けてしまう」からスゴイ。彼女たちの写真を一見すると炭酸の抜けたビールのようだが、一方で気抜けしつつも邪心のなさを如実に露呈しているその表現に学ぶべきものありやといったところだ。彼女たちの撮るあまりにもあっけらかんとして、隙だらけ故の、汚れのない写真を見るにつけ、ぼくは足首を捻挫したような痛みを後頭部にズキッと感じてしまうのだ。彼女たちの写真は、思考のない分、歪みや屈託がなく、人生気に病む気配など微塵もない。夫や父親に対する遠慮というものがないのである。また、美を意識しないので、どこか獰猛でさえある。

 写真を撮れない坊主(長男)にいわせると、まっとうに生きようと心がければ、写真は自ずと自己主張などしないものなんだそうである。それをして「涅槃の境地」というのだと、味気ない能天気な口調で、やはりちゃらっと言って退(の)けるのだった。ほんに嫌な家族たち。

 ぼくは今少々自棄気味となり、「写真などちゅうもんな、カラーやろうがモノクロやろうが、どっちでん良か」との心境に至っている。ついでに、世にいうところの「通人はモノクロ好み」を、従来より如何にももっとらしいまやかしに過ぎぬ戯れ言と感じていたが、今「そげんこつば、どっちでん良か」と、深く頷いている。ただし、好みの問題かというと、決してそうではないとの確信もあり、事は複雑で難解な様相を呈す。

 因みに、カラーかモノクロか、どちらを好むかと無邪気な彼女たちに訊いてみたところ、間髪を容れず「カラーのほうが、そらもう断然ええわなぁ!」と、顔を見合わせながら言い切った。「そんなこともわからへんの?」と、嬶が追い打ちをかけるようにいった。ぼくは断罪されたような気分となった。恐るべき女たちである。

 「写真は人生の闇をひっそり照らす」と言い放つぼくは、やはりモノクロのカンナなのだが…。ひっそりとは縁遠い嬶と娘は、ぼくの写真話に分かった風な顔をするから嫌になる。

https://www.amatias.com/bbs/30/796.html   

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」モノクロ仕上げ
★「02さいたま市」カラー仕上げ
陽が沈みかけた頃、形の良いカンナを見つけた。後ろの葉を意識して。
絞りf4.5、1/500秒、ISO 500、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2026/06/26(金)
第795回:柄にもなく
 「レンズ道楽」は前回にて一旦打ち切りとしたが、実のところ言い残した部分も多い。それにより誤解を招く恐れがあるかも知れないとの気持から、手短に補足しておこうと思う。この事実は、ぼくだけが気にしており、読者の方々には本来あまり重要なことではないかも知れないが、自分の心情に偽りなく、正直かつ正確にお伝えする義務感がそうさせるのであろうと思う。
 ぼくの「手短に」という言葉は実に油断がならず、往々にして「手長に」なり、要らんことばかりを書き連ね、気づいたら、あわや丸々1話を費やしているとの恐れがあるので、1行毎に自身に注意喚起を促しながら、記してみたい。

 身上(しんしょう)を潰しかけた「レンズ道楽」の挙げ句、「レンズはそこそこ写れば、それで良いよ」との最終結論に至ったと述べたが、この事実は現役を退こうと決意したその瞬間からのものであることを明示しておかなくてはならない。
 現役時代のレンズ選択に関する考え方は実に多岐に及び、とても一言では表せないが、ぼくの信条のひとつとしてお伝えしたいことは、写真で飯を食わせてもらっている限り、カメラもレンズも自身にとって最も優秀と思われる製品を使用すべき、というのがぼくの揺るぎない考えである。商売人であれば、借金をしてでも優れたものを買えということである。
  “優秀” とは妥協を可能な限り排した製品であり、当然高価となる。このことは、仕事を提供してくれる人(会社)、並びに仕事仲間(ディレクターやデザイナーや編集者)に対する誠意と責任に他ならない。延いては、自身へのそれでもある。投資を惜しむ者は、畢竟何事にも先が見えているものだ。

 読者のみなさんのほとんどはプロではなく、大半は写真を愉しむアマチュアの方々であろうから、良い写真を目指し、上達思考をお持ちであれば、 “懐の許す限りで” レンズ三昧をなさいとぼくは責任を持っていう。
 その根拠は、今までの40年間に、プロを目指す助手君を含め50人ほどの健全な趣味人としての青年、おじじ、おばばたちと直に接して、つくづく感じたことである。「好きこそものの上手なれ」を「良い道具こそものの上手なれ」に置き換えても良いのではとぼくは思っている。それで上達がままならぬようであれば、それはあなた自身の、向上心の欠如による結果である。ただ、残念なことに「好きこそものの上手なれ」の半分はプロには当てはまらない。プロとアマは写真の意味がまったく違うからだ。

 この連載を始めたばかりの「第2回」(2010 / 5 / 21)で「弘法筆を選ばず」は半分は真実だと述べたが、「写真が上手になりたければ投資しなさい」とも記している。ご興味のある方は、ご参照の程を。
 引き続きこの件について書き連ねたいのだが、やはり「手短に」とはならず、いつまで経っても本題である「柄にもなく」に入れないので、意を決して、已(や)むを得ず中断。

 さて、ここからが本題。
 今から数年前、世はウィルスのパンデミック(ぼくは拙稿でばかりでなく、それを “武漢コロナ” とか “武漢熱” と正しく称してきた)で、遠出が憚られ、しかたなく近所で見かける花ばかり撮っていた。本来、ぼくは主な被写体として取り分け花を選ぶには遠い距離にあった。花は、誰が見ても一様に美しくあり、それを自身のアイデンティティとして写し込むのは、ぼくの実力では適わぬことと感じていた。元々が美しかったり、可憐であったりするので、花の撮影はぼくにとってそれほどに難題であった。
 枯れたひまわりの裏側や朽ちて地面に落ちた椿を撮るのがそれまでは関の山だった。

 世間ではよく「孫は子より可愛い」と聞く。ぼくは孫がいないので何ともいえないのだが、その理由の多くが「育てる責任がないから」などという誠に非論理的で不可解な言葉で片付けられる。ぼくはその言葉にいつも首を傾げる。
 ぼくなりにその心当たりを探ると、「責任」の有り無しより、恐らく自分が歳を取り、生あるものがさらに愛おしくなるからだと考えるのが純乎たる心情であり、道理に適っていると考える。

 ぼくは子供時分より常に犬がおり、もちろんいつであれ、どの犬も可愛がったが、歳を取るにつれ、より愛おしさが増したように感じている。最後の愛犬を失って13年の歳月が経つが、若かった頃に飼った犬を思うと、「もっと可愛がってやれたのに」と、胸が痛み、とても苦しい。すまないと思う気持ちで一杯になることがある。それは、ぼくが優しくなったからではなく、命の重みについて歳を経るごとに身に染み、敏感となり、愛惜の情が深くなっていったということではないか。

 同様にして、草花についてもそのような感情を抱くようになった。思わず「うわぁ、可愛い! きれい!」なんていっちゃったりしながら、周りに人がいないことを確認しているまさかのぼくがいる。言葉を心に仕舞うことができず、思わず人目も憚らずとっさにいってしまい、独り狼狽えている全白髪のけったい(これに上手く当てはまる標準語が見当たらず)で不気味なジジィが、一丁前の顔をして、ミラーレスカメラにマクロレンズなんぞをやっぱり一丁前に付けて、揺れる花と同期しながら、ゆらゆらと振り回している。「クローズアップするほどに息もアップしよるとね」と最早やけっぱち。

 被写界深度に神経をすり減らし、どこにピントを合わせるかにあれこれ迷う写真歴68年の老人(10歳より始めた)が、花の生を愛でながら、ポートレートを撮るように、花との会話を無言で愉しんでいる。もう照れる歳じゃない。気楽なものだ。
 長年の写真屋の仁義として、花を摘むことは決してしない。生を奪えば、写真を撮る資格を失う。いつも、あくまで自然光で、そこにあるがままの姿を写し取って、ぼくの場合はナンボである。決して細工はしない。その作法を、他人に強要する気持は微塵もない。自分の流儀を頑なに通しつつあっても良いのだと、草花はジジィに最後のエールを送ってくれているような気がしている。

 数年前まで、花を意欲的に撮るなどとは夢にも思わなかった。ぼくはそんな柄じゃないのに、何処で何を間違えたんだか。人生、一寸先は闇だね。照れる歳じゃないといいつつも、花を前にシャッターを切っているぼくは、どこか借り物のように思えて仕方ない。どうしたものか?

https://www.amatias.com/bbs/30/795.html  

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
白玉星草。名前のように小規模な宇宙に星が点在しているかのように見えた。
絞りf4.0、1/200秒、ISO 3200、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2026/06/19(金)
第794回:レンズ道楽(最終回)
 ニコンF FTNと中判カメラのペンタックス67(フィルムの撮影寸法が6 × 7cm。因みに小型カメラの主流は24 x 36mm)を出汁に、ロンドンで古風な物々交換という手法を用いて、2台のライカをちゃっかり生け捕った父は、帰国後もやはり中判カメラの描き出すきめ細やかで滑らかな絵柄が忘れられずにいたのだろう。
 祖父(ぼくが生まれた時には既に鬼籍に入っていたので、会ったことはない)の影響により、「門前の小僧習わぬ経を読む」が如く、父の美に対する見識眼は幼少時から鍛え上げられていたので、絵画や陶磁器などの美術作品を前に、「てつろう、ここを見てみなさい」との教えを度々受けたが、素養に欠けるぼくにはさっぱりだった。そんな父は、やはり中判カメラの描写が忘れられずにいたようだ。

 帰国から間もないある日、父は取材に来た記者とカメラマン両氏とすっかり打ち解け、取材後カメラマン氏に向かって「あなたのカメラはハッセルブラド(6 × 6cmのスウェーデン製の中判カメラ)だね。ちょっとわしに見せてくれんかね?」と、白髪を掻き上げながら、目を輝かせて願い出た。
 父は標準語を使ったつもりだろうが、惜しむらくは、九州人が故に「せ」を正確に発音できず、彼の地特有の「しぇ」となり、「ハッセルブラド」は無残にも「ハッシェルブラド」とか「見しぇて」に置き換えられた。

 カメラマン氏とのやり取りの詳細は省くが、父は以前からこの中判カメラにかなりご執心であることを、話の節々からぼくは嗅ぎ取っていた。彼の頭のなかではもう既に、スウェーデンが世界に誇る美しくも軽量なハッセルブラド(レンズは主にドイツの名門カール・ツァイス社製)を、ライカフレックス同様に、心のなかで掌(たなごころ)に乗せていたに違いない。

 社会人となっていたぼくは、父がハッセルブラドなどというトンデモカメラに手を出してしまったおかげで、カール・ツァイス製の交換レンズを手に入れんがため、給料のうちの幾ばくかを差し出すことと相成った。「とんだ父親だ」といいながらも、ぼくは自然と笑みをこぼしていた。
 ここから、父と子の、合いまみれる悲喜こもごもの、涙ぐましい新たな「レンズ道楽」を患いながら荒波に立ち向かうのだが、その詳細は駄文長文の羅列となり、いつまで経っても、肝心なことに言及できず、えらいことになってしまう。中判カメラの後は、大判カメラのレンズ群(ドイツのシュナイダー製やローデンシュトック製)についての気持が疼くが、我を張らずに、ぐっと堪えることにする。

 自身の分不相応を振り返りつつも、「レンズ道楽」というのっぴきならぬ道に足を踏み入れ、我を通してきたぼくだが、今日現在の心境を正直に告白するなら、「レンズはそこそこ写れば、それで良いよ」との結論に至っている。それは甚だしい遠回りをしながら到達したぼくなりの帰結である。
 だがこのことは、恐らく他人には当てはまらず、むしろぼくの結論を他所(よそ)に、できるだけ良いレンズを使って欲しいとの思いが勝る。趣味が高じれば、交換レンズが欲しくなるのは自然の情理であり、大まかに述べればそのような欲求が希薄な人は、写真もそれなりのところに留まるのではないかと思っている。

 懐具合に応じて、というのが大原則であることに異論などあるはずがなく、かつて拙稿で述べた記憶があるが、「自己への投資は、必ず自身の身に戻って来る」からだ。「安物買いの銭失い」という諺を肝に銘じつつ、「自分のできる範囲で、可能な限り良いレンズを使いなさい」と、ぼくは信念を持っていってきた。
 少し背伸びをしながらも優れたレンズ(この定義はあまりにも多岐にわたるので、ここでは記さないが)を使用( “所有” ではない)することにより、写真への意識・意欲が高揚し、それが延いては上達に繋がる。そして、写真を見る眼も育っていくものだ。

 上記した「レンズはそこそこ写れば、それで良いよ」は、それ以上に大切なことに遅まきながら気づいたからでもあった。簡潔にいえば、「レンズやカメラが写真を撮るのではなく、写真は、ぼくが、あなたが、撮るのだから」という当たり前のことに行き着いたということである。「写真のクオリティは機材に依拠しない」と今まで何度も述べてきた。そう言いつつ、自分のこととなると、当たり前のことに、人間は案外気づかぬものだ。知・情・意の三大要素が、ぼくには上手くバランスが取れなかったともいえる。まぁ、未だにその気配から抜け出せずに、歪(いびつ)なままだが。
 そして、そこに至る道程として、ぼくの場合は「レンズ道楽」が、感情や感覚に大きな影響を与えたことは否めない。そこに深遠な学びがあったと思わなくては、あまりに居心地が悪すぎる。

 仮定の話をしても意味ないが、もし「レンズ道楽」をしていなかったら、おそらくぼくの写真生活は30代半ばに終焉を迎え、気の多いぼくは他の楽しみを見出していたに違いない。写真で飯を食おうなどという不料簡を起こすこともなかったであろうし、そうであればもちろんこのような場を与えてもらうこともなかった。
 「レンズ道楽」をしたアマチュア時代で得たことは、40年間の写真屋生活に何某かの貢献を果たしてくれたことは間違いのない事実であった。生活を賭けたプロとしての写真人生は、濃密な時間と人的交流をもたらしてくれた。この事実は、何ものにも替え難い宝となっている。

 もう「レンズ道楽」をすることはないが、ベッドで仰向けになり、慣れ親しんだカメラに「そこそこ写れば良い」レンズを付け、天井に向けてパシャパシャとシャッター音を響かせると、妙に気持が落ち着き、睡眠導入の良い道具立てとなっている。やはり、過去の「道楽さまさま」である。

https://www.amatias.com/bbs/30/794.html  

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
直径5cmほどのオルレアホワイトレースが風に吹かれながらツツジの合間から顔を出したところ。両者の位置と大きさのバランスを取るのに四苦八苦。
絞りf5.6、1/1000秒、ISO 2500、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2026/06/12(金)
第793回:レンズ道楽(2)
 「道楽」についての捉え方や考え方、そしてその定義については前号で少し触れたが、ぼくが「レンズ道楽」に至った細々としたあらましは多岐にわたり過ぎ、そのすべてを記すことは到底できそうもない。出し惜しみではなく、それを試みようとすれば、10話では足りないくらいの分量になってしまう。
 ここでは「レンズ道楽」をした挙げ句、現在それについて、時流に乗ることなく、どのように感じているかを記してみたい。

 もちろん、このレンズが良くてあれはそうではないという類の話をするつもりはなく、「レンズ道楽」はぼくのアマチュア時代についての、極めて大きな比重を占める経験談でもある。
 「道楽」の意味については前号で述べた通り、「本職以外の趣味にふけること」と辞書にあるので、あくまでアマチュア時代に経験した事柄についてのこととなる。したがって、商売人になってからのレンズに関する蘊蓄は本題目に該当しない。プロになってからのレンズ選びは「道楽」とはいえず、食い扶持を担保するためのものである。つまり、ぼくにとっての「レンズ道楽」は、40年以前のアマチュア時代に遡っての私的な所感についてであることをお断りしておかなければならない。
 それをふまえた上で、現在のぼくのレンズ事情にも少しだけ触れておこうと思っている。

 父がイギリスから持ち帰ったライカM3に標準レンズである50mmF2.0 ズミクロンを付け、父を助手席に乗せ、栃木県は益子に試写を気取りながら出向いた。フィルムは、小西六写真工業の「さくらカラー」(後のコニカカラー)のカラーネガフィルムとコダックPlus XフィルムISO 125(モノクロ)を1本ずつ持参した。
 当時、ぼくは富士フィルムのカラーより(ポジフィルムもネガフィルムも)さくらカラーのほうが好みに合っており、カラー写真といえば、もっぱらさくらカラーを愛用していた。

 標準仕様のM3には露出計が付いていなかったので、父の友人から譲り受けた美しい単独の入射光方式露出計Gossen Luna 6(ドイツ製)を携帯し、ぼくはカラーとモノクロ合わせて72枚を撮影した。
 カラーネガは近所の、いつものカメラ店で2L判にプリントしてもらったが、ぼくは、はやる気持ちを抑えきれず、店頭でプリントを確認し、声を失った。2L判という小さなサイズでありながらも、1966年に製造中止となったM3 + ズミクロン・レンズの解像度とシャープネスに加え、いつもとは次元の異なる豊かな色合いに、まさに天地のひっくり返るような思いだった。この驚きは、ぼくの写真史を語るうえで、終生忘れられぬ出来事だった。この時はネガカラーを使用したが、さらに色再現性や解像度に優れたカラーリバーサルフィルム(ポジフィルム。スライドフィルム)であれば、より際立った結果となっていたに違いない。

 同時に持参したモノクロフィルムは、コダックのPlus XフィルムISO 125(モノクロ)であり、いつもと同様の現像仕様を行い、拡大率の高いルーペでネガフィルムをライトテーブルに乗せ、丹念に覗き込んだところ、カラーフィルム同様の瞠目すべき結果に、ぼくは抱え切れぬお菓子と玩具を丸抱えした子供のような心地になった。それをして「夢見心地」というのだろう。

 幸か不幸か、こんな目に遭ったものだから、ぼくは翼を広げた鷲のような気分となり、広角レンズ(35mm)と望遠レンズ(90mm)を渇望するようになった。もう誰にも止められぬほどの事態に陥ってしまった。
 この事実は、新たな「夢見心地」を味わいたいがために、身上(しんしょう)を潰しかけた「道楽事始め」となった。ぼくは、レンズを手に入れることに、恥ずかしくも欲どしい青年に変貌していった。
 「レンズ道楽」を今風に砕いていうならば「レンズ沼」(嫌な言葉なので以後使用しない)にすっかりはまり、それはもがくほど身を滅ぼす、まさに底なし沼のような様相を呈していたのだろう。

 ぼくのような若造が出入りすることのできないようなプロ御用達ともいえるカメラ店が銀座にあり、頻繁に通ううちに、ちゃきちゃきの江戸っ子である大番頭とすっかり昵懇(じっこん)となった。
 ライカには同じ焦点距離のレンズでも開放絞りの異なるレンズが何種かあり、それらは、例えばズミルックス(F1.4)であったりズミクロン(F2.0)であったりエルマリート(F2.8)などと呼称されていた。どれを選べばいいかに悩んでいると、大番頭は「いいよ、持って行きな。心行くまでテストすればいい」と、ありがたくも悪魔の囁きをぼくの耳元でそっと呟くのだった。ぼくは彼の囁きに乗じて、中古のレンズを何本かカメラバッグに忍ばせ、持ち帰り、テストに明け暮れていた。

 そんなぼくを、父はどのような面持ちで眺めていたのか分からないが、ある日、「てつろう、わしゃ良かもんば見つけたったい。ライカん一眼レフでな、こんカバンには新品んライカフレックスSL2が入っと〜。掌(たなごころ)に乗しぇると、何とも言えん感覚が伝わってきて、不見転(みずてん)だが迷うことのう購入した。明日(みょうにち)にでも試写に行くか。フィルムはあるかの?」と、どこかバツの悪そうな顔をしながら、佐賀弁でぼくに切り出した。
 気まずさや後ろめたさを感じた時、父は必ずぼくには九州の地言葉で、一気呵成に言い放ったものだ。
 ぼくは江戸っ子の大番頭と九州男児の父に捲し立てられ、ますますドツボにはまっていくのだった。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
雨上がりの夕刻、太陽が地平線から強い光を放っていた。透明感のある斜光に照らし出された貸し農園の風景を、運転席に居座ったままガラス越しに。そんな横着をしてはいけないという見本。
絞りf10、1/160秒、ISO 400、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2026/06/05(金)
第792回:レンズ道楽(1)
 「どうらく」とは一般に「道楽」と書き、それは「道」を「楽しむ」という意味に取れるが、「道」に「落ちる」と書いても「どうらく」である。もちろん後者はぼくのこじつけだが、あながち誤りだとも思えない。
 「道楽」とは大辞林によると、「本職以外の趣味にふけること。趣味を楽しむこと。酒色・ばくちなどの遊興にふける・こと(さま)。仏道修行によって得た悟りのたのしみ」とある。広辞苑では「本職以外の趣味にふけり楽しむこと。また、その趣味。ものずき。好事。酒色・博打などの遊興にふけること。放蕩。遊蕩。また、その人」とある。

 Wikipediaによると、否定的な用法として、「本人の品位を損ね、自堕落になったり、他人に迷惑をかけたり、家庭環境を破綻させたりするおそれのあるものも含まれる。趣味への熱中度が甚だしいがために自分の職業に支障をきたすようになってしまったり生活が自堕落になるものも多く存在しており、そういった者は『道楽者』や『道楽息子』などと呼ばれることがある」と記されている。

 写真好きや愛好家にとって一概に「レンズ道楽」といっても、各々の生活に対する姿勢や環境に於いて写真がどの様な位置付けにあるかで、その様態が異なってくるということになろう。一括りに「レンズ道楽」を規定することはできない。
 したがって、今回の議題については、あくまでぼく自身が辿ってきた道での限られた感想と意見である。謂わば、過去から現在に至る様々な体験を通しての私見である。

 20歳を過ぎた間もない学生時代からぼくはアルバイトに精を出し始めた。学業を放り出し、アルバイトに一極集中といってもいい。それは一途に交換レンズを求めてのことだった。当時ぼくは中古のNikon Fを愛用していたが、標準レンズの50mm F2.0(露出計連動ガイドである山形の出っ張りの付いている非AIレンズ)を1本しか持っていなかった。が故に、どうしても異なる焦点距離のレンズが欲しかった。もう半世紀以上も昔のことだ。

 当時は現在と違い、交換レンズといえば単焦点レンズが至極もっともな時代だった。ズームレンズがなかったわけではないが、サードパーティ製を含めて満足のいくものはなく、単レンズの描写に、ズームレンズは到底及ばなかった。そんな時代だったのだ。
 ぼくは中古レンズを探し求め、胸を躍らせながら銀座や新宿のカメラ店を巡る日々が続いたといっても過言ではない。欲しいと思ったら居ても立ってもいられないという気質は、親父譲りのものだ。
 アルバイトの稼ぎだけでは間に合わず、助け船の欲しかったぼくは、写真好きの親父の顔色を窺うことに余念がなかったが、胸の内を明かす勇気がどうしても持てなかった。

 声を潜めていうのだが、当時学生だったぼくは、同じゼミナールに所属する1学年下の女性にただならぬ好意を抱いており、その一方的な想いを何とかするためにはどうしても彼女のポートレートを撮る必要があった。彼女にしてみれば、悔しくもそのような必要性など毛頭もなかったに違いないが、ぼくに彼女の心情を斟酌する余裕などまったくなかったのである。

 とはいえ、「撮ればなんとかなる」との思いは日々募るばかりだった。独り合点もいいところだ。それを成就するためには何としてでも105mmの中望遠レンズ が必要であり、使用フィルムはコダックPlus XフィルムISO 125(モノクロ)、フィルム現像液は自家調合のコダックD23を使えば万全と勝手に決め込んでいたのだから、ぼくは相当おめでたい。この世にレンズというものは105mmを於いて他にはないと感じていたので、ますます以ておめでたい。女性の力とは偉大なものだ。

 おめでたいぼくは、カメラにPlus Xフィルムを装填し、やっとの思いで購入した中古の105mmレンズを取り付け、全身冷や汗と脂汗にまみれながら、ゼミナールの行事に託けて、彼女に写真を撮らせて欲しいと声を震わせながらおずおずと願い出た。それは、ぼくの写真史上、命を賭けた一世一代の願い事であった。ぼくの心的重圧を嘲笑うかのように彼女は屈託のない笑顔で受け入れてくれた。その後、ぼくの撮影依頼に彼女はいつも快く応じてくれた。
 事の顛末は記さないが、「甘酸っぱくも淡い青春の良き想い出」とだけいっておく。

 卒業後間もなく、父が英国より2台のライカを携えて帰国。在英中、ニコンFTNとペンタックス67(超重量級の一眼レフ中判カメラ)の2台を携え、仕事の合間を縫い、ロンドンを拠点にヨーロッパ中を駆け巡った父のその気力と体力にぼくは心底から敬意を払った。ぼく以上に写真好きなのかも知れないと感じたものだ。
 聞くところによると、2台のライカと日本から持参した上記のカメラを無条件でイギリスの好事家と交換したのだという。イギリス人は、日本人ほどライカに畏敬の念を抱く風潮はなく(ぼくもそう思う)、お互いにウィンウィンの体で、異国産のカメラを撫で回していたのだそうだ。

 だがぼくの思うところ、父は頑固でしたたかなイギリス人を、あの手この手でたぶらかしたのではないだろうかと考えている。父の頭脳は商売柄もあろうが、理論構築と言葉遣いの巧みさに於いて、良い意味で殊更に抜きんでていた。気の良いイギリス人は父にすっかり懐柔されたに違いない。
 ともあれ、ライカIIICとM3(共にレンジファインダー)は、父とぼくの共有財産となったが、ここからいよいよ本格的な、そして地獄のような「レンズ道楽」が始まるのだった。

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カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
アリウム丹頂。4,5年前、この農園に咲いていたチューリップを撮った。それを撮ろうとした際に、栽培をしていたおばちゃんから「チューリップは縦位置で撮るのよ、いいわね!」といわれ、ぼくは「ははぁ〜、仰せの通りにいたします」と頭を下げた記憶がある。今回、そのおばちゃんの姿は見えなかった。
絞りf5.6、1/1000秒、ISO 160、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2026/05/29(金)
第791回:退屈な写真の話
 前号を指し、「写真の話を無理に入れようとするから、かえって内容が窮屈になるのよ」と、いつものこわ〜いご婦人方のひとりが、いとも物の分かった風にいう。癪なこと、このうえない。
 加え、「前回など、風邪の話を一気に押し通せば、それなりに恰好がつくものを、生真面目を装って途中から無理に写真の話をねじ込もうとするんだから。不器用な人間がそんなことをするものではない。った〜く分かってないんだから〜」と、やはりこわ〜い群勢のもうひとりが、我が意を得たりと強(したた)かにいう。癪を通り越して、ぼくは目に角を立てながらも、はやる気持を必死に押さえた。
 だが、彼女たちの軍門に降れば、本稿は「写真よもやま話」なので、今度は担当女史に顔向けできない。いずれにしても、板挟みのぼくには立つ瀬がなく八方塞がりだ。

 以前にも、同じような葛藤に苦しんだことが度々ある。写真の話などどこ吹く風で、世の中の取り沙汰に対する私見を述べることに現(うつつ)を抜かし、思いの丈を、しかし自重しながら記したことがある。このような所業は、器用か不器用なのか定かではないが、「ちゃんと写真を掲載しているのだから」との免罪符にぼくはしがみついた。

 今回は、久しぶりに写真を2枚掲載させていただく。同じ被写体(芙蓉)を同時刻に二通りのイメージに従って撮影したものだ。

 この2枚は、雨上がりの風の強い夕刻に撮ったもの。ぼくの頭の斜め上方にある茎の長い芙蓉は強い風に吹かれ、左右に大きく首を振り、100mmマクロレンズを掲げるぼくを、「お年寄りには、ついてこられないでしょう」と嘲笑うように踊っていた。
 現役を退いたとはいえ、ぼくは一気に職業モードに立ち返った。写真を愉しむなどという優雅な気分は瞬く間に消え、「失敗したら、家族が路頭に迷う」と、かつての悲哀が戻って来たように感じられた。長年にわたって染みついたアザが未だ消えずにしっかり沈着している。これは一種の宿痾のようなもので、永遠に逃れることはできないであろうと思われる。

 芙蓉はぼくの好きな花のひとつで、透明感のある花弁は逆光下で見ると一際美しい。この時は、雨上がりの直後であり、花弁に付着した雨粒が趣きを添え、撮影意欲をいっそう掻き立てた。
 「なんとしても、捉えてみせる」とぼくは意気込んだのだが、100mmマクロレンズは非情にもぼくを嘲笑うが如く、雌しべを捉えられることを極度に拒否した。ファインダーの狭い視野のなかで一瞬の静止をも拒み続け、自由闊達に、風任せに揺れ動く。この様をもし動画で撮り、音楽を付けるのであれば、ストラヴィンスキィ(ロシアの作曲家。1882 - 1971年)作『春の祭典』に於ける荒れ狂う打楽器群のリズムがよく似合う。

 いつもは被写体に対し気長に構えることのないぼくだが、この時ばかりはこわ〜いご婦人方相手に「江戸の敵を長崎で討つ」(直接関係のない場所や筋違いな場面で、過去の恨みや因縁に仕返しをするという諺)を心に刻んだ。この時の芙蓉の撮影はぼくの尋常ならざる執念の表れだった。
 昨年、研究熱心だがこわ〜いご婦人方のひとりに、この100mmマクロレンズを半年間お貸ししたことがある。このレンズで覗き見る一種独特の世界に魅了されたはいいが、その使い勝手の難しさに、彼女は音を上げたらしい。「私が使いこなすにはまだまだ技量が足りず、分不相応にも程がある」などと珍しく殊勝なことをいいながらも未知の世界を知った嬉しさをこっそりぼくに告げた。

 今ぼくが頭上で風に舞う芙蓉に白旗を掲げては、彼女の手前、プロの沽券に関わる。それは、ぼくのまったく馬鹿げた料簡なのだが、彼女の遭遇したすべての困難にぼくは打ち勝たなければならなかった。また、心地良い調和(背景が白い雲により、雨にしとど濡れる花弁は透明感をより増す)の撮影を拒み続ける芙蓉をどの様に撮像素子(イメージセンサー)に確実に定着させるか。ぼくは今までに蓄積させたノウハウを真剣な面持ちで集結させた。とはいえ、常識の範囲内のことなんだけれど。

 手ブレと被写体ブレを防ぐため、シャッター速度は1/500秒、部分的にでも質感や水滴の描写が欲しいので被写界深度はf 11 に決めた。そうすることにより、ISOは16,000にまで跳ね上がったが、優れたRaw現像ソフトを使用すればノイズや解像感は十全に保てる。ワンショットAFなのかサーボAFなのか、AFエリアは何を選択すべきか。ダイアルとボタンを頻繁に操作しながら、計23枚を撮った。

 以前なら、マニュアルフォーカスで片を付けたのだが、そんな昔気質の技を今さら敢えて持ち出すのは愚行に思えた。ぼくも少しは賢くなっているようだ。ただ、このカメラの優れた連写機能(メカシャッターで12コマ/秒)だけは意地でも使用しなかった。これがプロの沽券というもので、そんなものに拘るぼくは、やはり賢くない?

 「01」は、動きを止めたモノクロ仕様。「02」は、風に揺れる花弁の一部を交えたカラー仕様。好き嫌いや良し悪しは、作者が語るものではないので、読者諸兄に委ねるが、同じ花を同じ条件下で、異なるイメージで描いてみた。
 口の悪いどこぞやの人たちは、ぼくを精神分裂症の二重人格者というのだろうか? きっとそういうに違いない。

 写真の話って、やっぱり退屈でしょ。

https://www.amatias.com/bbs/30/791.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF100mm F2.8L MACRO IS USM。
埼玉県さいたま市。

★撮影データは「01」、「02」ともに同じ。
絞りf11.0、1/500秒、ISO 16,000、露出補正ノーマル。
(文:亀山哲郎)

2026/05/22(金)
第790回:写真の話ではないのだが…
 ちょうど1週間ほど前、22年ぶりに風邪を引いた。長い間、風邪らしき症状とは無縁だったが、この病特有の喉の痛みで目が覚めた。最も初歩的な病?である風邪に違いないとぼくは観念した。熱はないものの鼻水とくしゃみの連発で、味覚と嗅覚を同時に失った。五感のふたつを殺がれただけで、人間としての営みに支障を来すという当たり前のことを自覚せざるを得なかった。それは、異様かつ不思議な世界に放り込まれたような感覚だった。
 以下、写真の話ではないのだが…

 今から22年前の2004年9月9日に、ぼくは北極圏直下にあるロシアのアルハンゲリスクという街に降り立った。30℃を優に上回る残暑厳しい日本から、Tシャツと半ズボンという勇猛な出で立ちで、気温8℃のそこに突如降り立ったものだから、阿呆なぼくは途端に鼻風邪を引いてしまった。この件(くだり)は拙写真集『北極圏のアウシュヴィッツ - 知られざる世界文化遺産』(ブッキング刊。現復刊ドットコム)に詳述したが、今回の風邪はそれ以来のことだった。

 拙書より、その一部を引用してみる。
 「空港(アルハンゲリスク)で車待ちをしているぼくに何人かのロシア人が、『そんな格好で大丈夫か? 車が来るまで上着を貸してやろうか』と声をかけてくれた。おじさんも、おばさんも、おにいちゃんも、おねえちゃんも、どの顔もみな大真面目でぼくの顔を覗き込んできた。リュックは盗難防止のためラップでぐるぐる巻きにされていたので、上着を取り出すのは面倒だった。16時間で夏から冬へと時空移動したぼくは、よほど珍妙で放胆な姿であったようだ」。

 免疫力が人一倍強いと自認していたぼくだったが、上記のありさまでぼくは風邪を引いてしまった。幸いなことにそれはウィルス性のものではなかったようで、翌日ぼくはホテルからほど近い薬局に飛び込み、たどたどしいロシア語を交えながらくしゃみの仕草をして見せ、流暢なロシア語を操るおねえちゃんに「ヤクをくれ」とせがんだ。
 ぼくの危機的状況を直ちに察した金髪碧眼の、どこか眩しいロシアねえちゃんは、白湯と薬を持って来て、子供を諭すように「これを飲めば大丈夫。日に3度、食後に服用のこと。忘れずに飲んでね」と、初めて接するという日本人に、ゆっくりしたロシア語で、嚼んで含めるようにいってくれた。

 22年後、あの時以来の風邪薬をぼくは日本語の通じる近所の薬局で、流暢な日本語を駆使しながら買い求めた。もはや、ゼスチャーは不要だった。金髪碧眼のおねえちゃんに取って代わり、決して眩しいとは言い難い年配の、男の薬剤師のおじさんが、「2日間この薬を服用し、回復の兆しが見えなかったら医者に行きなさい」と、彼もロシア人同様、親切な対応をしてくれた。
 ぼくは医者の世話にならず、1週間で風邪の症状はほぼ消え失せた。

 この1週間はぼくに次のような口実を与えた。「どこか撮影に行きたいが、体調を慮(おもんぱか)って、近所を徘徊し気休めとしよう。年老いての無理は禁物」との逃げ口上を打ち、自身を言い包(くる)めた。ましてや、この1週間は真夏日が続き、腰が引ける状態であったため、「これを機に、心身共にしっかり養生せよ」ということなのだと解釈することにした。
 現役を退いたぼくは、1週間くらい写真を撮らずしても誰彼から咎められることはなく、困ることもない。怠惰なぼくは、1週間くらいでは写真依存症に悩まされることもない。だが一方で、どこかお天道様に顔向けできないという不可思議な不運を纏っていた。かといって、無聊(ぶりょう)を託つというほどでもないのだが、どことなく気が晴れない。

 風邪を引く前に近くのハーブ園で撮った様々な葉や居酒屋で友人が飲み干したカクテルに水を注いだグラスの写真を仕上げてみた。

 今回の掲載写真は、上記した居酒屋で撮ったものだが、この手の写真は今まで仕事で散々撮った経験がある。
 もちろんポスター用としてスタジオで撮るのだが、グラスやボトルの撮影は大変手の込んだ仕掛け(細工)が必要であり、それに伴いライティングも複雑なものとなる。バーテンダー(シェイカーなどでカクテルを調合する人物)に立ち会ってもらい、同じカクテルを何杯も作ってもらわなくてはならない。1カット撮るのにかなりの知恵と重労働を強いられる。

 今回の居酒屋での写真は、まったくのプライベートな写真であり、自然光下で何の仕掛けもなく、グラスの位置とカメラのアングルを微妙に調整しただけである。また、写真上部にある玉ボケ(絞りf値とレンズの焦点距離、ピント合わせの場所により変化)をどう描くかにだけ神経を尖らせればよい。
 Rawデータ現像時にホワイトバランス、コントラスト、明度を微調整したものをPhotoshopに渡しただけで、ほとんど手を加えていない。深味のある写真ではないが、勘所を押さえれば誰にでも撮れる写真。

 撮影の邪魔をしようと性格の良くない建築家がグラスの向こう側に自分の顔を入れ込もうとしたのだが、その歪んだ顔入り写真も撮っておくべきだったと、今ぼくは後悔している。それをここに掲載し、世界中に晒してやればよかった。写真の話ではないのだが…

https://www.amatias.com/bbs/30/790.html

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF50mm F1.8 STM。
埼玉県さいたま市。

★「さいたま市」
絞りf9.0、1/2秒、ISO 250、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2026/05/15(金)
第789回:沈黙は金?
 今月、我が倶楽部の勉強会で、改めて撮影の最も基本的なメカニズム(理論)の一端を講義した。今さらながらと思いつつ、古参のメンバーは別として、ここ数年の間に来られた方々に対し、撮影目的如何に関わらず、一応のお復習いをしておかなければということをぼく自身が痛切に感じたからだった。
 約200年前の写真創生期から昭和の前半くらいまでであろうか、写真好きは「何故写真が写るのか」とのメカニズムに通じていなければ、写真を撮ることがままならなかった。昨今の、 “理論を知らなくとも、シャッターを押せば誰でも写真が撮れちゃう” という事実は、善悪の問題を離れて、「功罪相半ばする」とぼくは考えている。古いタイプの写真人であるぼくにとって、何も知らずして写真が撮れるとの魔術が出現するなんて、まさに青天の霹靂である。こんなことがあってもいいのだろうか?

 かつては、1枚の写真を撮り、それをプリントすることに苦心惨憺したことが、今は何の苦もなく出来てしまうという事実は、当然のことながら科学の進歩に負うものだが、「果たして、本当に、それでいいの?」との疑問をぼくは常に抱いている。これは写真に限った現象ではないと思うが、何時の場合も、時代と折り合いをつけながら、人は生を歩んで行かざるを得ない。
 またそれは、現代人にとって永遠不滅の問いかけであるようにも思える。便利さと引き換えに、尊い何かが必ずや失われ、また犠牲になっているとの確信は自身の居心地をひどく悪いものにしている。便利さを手放しで喜べる人たちが、皮肉ではなく誠に羨ましい。

 写真撮影に於ける現代科学の「功」と「罪」のどちらが大きいかをぼくはとくと考えてみるのだが、それは意味のないことだとすぐに気づく。おそらく、現在は写真人口の99%が、「シャッターを押しさえすれば、写真らしきものがちゃんと写る」という仕組みを享受している。残りの1%が写真のメカニズムを操り、自身の写真のありようや表現を愉しんでいるような印象を受ける。この数字はほぼ間違いのないところだと思っている。

 科学の進化による利便性をぼくは安易に「文明の利器」とは認めがたいが、現代に於いて、写真についていえばその端的な一例としてスマホが上げられる。スマホの功罪については既に何度か述べたことがあるので、改めて記すことはしないが、敢えていうならば「酸いも甘いも噛み分けた」人たちでさえ、それをどう捉えるかは意見の分かれるところだろう。

 ぼくはこの歳になっても未だ「酸いも甘いもまったく噛み分けられず、迷ってばかり」の愚図な人間なので、写真を撮る手間暇を厭わず、むしろそれを愉しんでいる節がある。
 レンズの焦点距離(遠近感の操作)、絞りf 値(被写界深度の操作)、シャッタースピード(ブレをぎりぎり回避するスリル)、適正露出を得る操作(露出補正)はすべて自分の意志で自在に決める。カメラにお任せはISO感度のみ。格好を付けるのであれば、カメラの設定だけは愚図ったれに似合わず独立独歩。

 絞りf 値、シャッタースピード、ISO感度は露出決定の三角関係ともいうべきもので、この連携をしっかり把握していないと、表現としての写真は覚束ない。三要素の関係を自分の網膜に焼き付けている人がどれ程かをぼくは知らないが、おそらく悲観的な状況であろうと思う。
 ぼくはアマチュア時代より、「自分のことはすべて自分で賄う」ことしかできない大型カメラ(カメラのプロトタイプで、フィルムの大きさが、4 x 5インチ、8 x 10インチ)を愛用していたこともあり、オートマティック(Automatic)とは無縁のものだった。ぼくは、どちらかといえば前時代的写真人だった。ただ、これほど多くのことを教えてくれたカメラは他にない。

 人は自身の体験や知識でしかものを語れず、伝えられずなのだが、我が倶楽部の人たちにホワイトボードを使用しながら、学校の先生よろしく上記した露出の原則について、口角泡を飛ばしながら伝えた。
 だが、どの程度咀嚼してくれたか非常に心許ない。神妙にノートを取りながら、分かった振りをする名人揃いなので、ぼくとしては不意打ちのテストを何度かし、成績の悪い順に、折檻、お仕置きを繰り出し、挙げ句、獄門に懸けてやろうと思っている。しかし、年季の入ったゾンビのような女衆はそれくらいで怯むはずもなく、ぼくは返り討ちに遭うこと必至。

 ポートレート、風景、建物、接写、街中スナップなどの講義の後、どのような変化を期待できるか、ぼくも興味津々といったところなのだが、知恵の集大成として、「半年後、東京国立博物館で、美しい宝物を撮るのもいいアイデアだね」といったら、誰も返事をしてくれなかった。沈黙は鬼なりか?

https://www.amatias.com/bbs/30/789.html 

カメラ:EOS-R6MarkII。レンズ : RF24-70mm F2.8L IS USM。
群馬県高崎市。

★「高崎市」
掲載写真は、再び「たかさき中央銀座」に舞い戻る。歴史的な映画館「高崎電気館」。大正2年(1913年)に開館した常設映画館。
絞りf9.0、1/80秒、ISO 200、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)