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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/09/02(金)
第312回:那須烏山 モノクロからカラーへ(5)
 「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」とか「礼も過ぎれば無礼になる」、はたまた「分別過ぎれば愚に返る」などは常に手許に置いておきたい標語だ。真実を言い当てているし、また分かりやすく含蓄にも富んでいる。それは気の利いた戒めでもある。振り向く機会を与えてくれるこの標語はとても貴重なものだとぼくは思っている。我が身にこの教えはちょうど良い。
 それに加え、ぼくは人様に中庸の美をさかんに説いて回る。「中庸の美を知らずして美を語ることなかれ」な〜んてこともうそぶいている。ぼくに言われれば聞くほうは白んでしまうかも知れないが。

 今さらながらではあるけれど、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を辞書で引いてみると「度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じで、どちらも正しい中庸の道ではない」(広辞苑)とある。
 洗練さに欠けるエキセントリックなものは美にあらずと解釈できる。ぼくを含めた世人は新しきものを渇望するあまり、これを斬新なものとして受け止めがちで、時には褒め称えたりもする。履き違えも甚だしきである。

 だがしかし、どのように思慮深く、また確かな審美眼を備えた人でも一旦は過剰なものに翻弄され、支配されることが往々にしてあるのも事実だ。渦中にある者はなかなか気づきにくい。過剰なものは一時的にではあれ麻薬的な要素をふんだんに含んでおり、人々を魅了する。けれど、魅了されっぱなしというのはどうにもいただけない。
 過剰や不足に鋭敏に反応できることが本来の審美眼の持ち主なのではないかと思うことがよくある。過不足を見極め、その物差しの洗練を極めるのは、しかし容易なことではない。

 一方で、写真ばかりでなく創造的なことに関われば誰でもが他人とは異なる何かを求めて彷徨うことになる。人と違う表現方法を編み出す意欲を失っては、何のための創作意識なのかが問われる。趣味としても、それでは低次元に終わってしまう。  
 凡庸に甘んじては居心地が悪いとばかり試行錯誤を繰り返すことになるのだが、一時の安らぎ(過度なもの)は容易に手に入るが、固執すれば長い苦痛をもたらすものだ。ぼくなどいつも熱くなり過ぎて、火傷ばかり負っているので満身創痍。年中心身消耗戦を繰り返している。何の因果か、写真などに没頭してしまい、だから傷だらけの人生なのだ。

 ぼくは誰彼なく「プリントは画像補整をしてから、ある程度間を置いてしなさい。すぐにしてはいけない」といっている。熱を冷まして何時間か、あるいは何日かしてから、もう一度仕上げた作品をモニターで見てみると必ず違和感を覚えるものだ。じっくり仕上げたものほどそのような傾向が強く、要再補整である。
 仕事の写真など、至急の場合を除いては、翌日納品などという離れ業をぼくは演じ難い。ぼくにそんな度胸はない。一度の推敲くらいで原稿を手渡す勇気などないのと同じこと。私的な写真はすべてを自身がマネージメントしなければならず責任を転嫁する余地がないので、なおさら厄介だ。

 何時間もかかってやっと納得できる補整ができたと思った時が一番危ない。モニターをじっと睨むほど視覚が麻痺していき、知らぬうちに魔界に入り込んでどんどん過激な方向へ走ってしまうことがよくある。翌日見てみると「やり過ぎなんだってばっ!」と声を上げることしばしば。
 過剰であることが一時的な心地よさを誘い、補整も良いものに仕上がっていくというとんでもない錯覚に陥る。それは誰もが吸い込まれる巨大なブラックホールのようなものだ。強い刺激にこそ人は憧れ、同時に慣れるのも早いのではないだろうか。つまり、過ぎたるものは飽きるのも早いということだ。
 中庸の美は、絶対普遍の美を成すその中核といっていい。

 視覚は聴覚と異なり絶対音感に値するものが存在しないので、とにかく人は真面目であるほど惑わされ、過ちを冒しやすい。どれほど写真の達人であっても、露出計なしにポジフィルムの露出決定をできる人は世界広しといえどもいない。それほど人類は光に鈍感であり、容易に惑わされる。

 人は強い刺激に憧れるといったが、もしかするとご婦人方の厚化粧もその一種なのかも知れない。薄化粧では飽き足らず、何時間も鏡の前に陣取り、あ〜でもない、こ〜でもないと一点を見つめながら化粧品や白粉をこれでもかと塗りたくり、色の三原色と補色を色彩豊かに塗り分け、色飽和を起こしながら、やがて全身麻酔状態となり、コテコテのお化けに変貌を遂げていく。あるいはバランスの崩れた塗装を意に介さず、油絵のように重ね塗りをし、得意気である。どう見てもそうとしか思えない過剰型ハデハデ好みの人々がいる。
 ぼくは同類のいることに安堵し、そして同時に恐怖を味わうのだ。自身がお化けと気づきその場で全身を痙攣させながら卒倒する人は救いがあるが、永遠に気のつかない人もいる。さて、写真に於いては一見上品を装う薄化粧が必ずしも良いとはいえず、では厚化粧は?あなたとわたくしはどちらの好みなのでありましょうか?
 カラーはモノクロと異なり、色彩を操作する手はずが余分に増える。カラー画像を補整しながら、ぼくはいつもご婦人方の化粧に思いを馳せるのだ。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/312.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市、真岡市。

★「01夕闇迫る」。
陽は地平線に沈み夕闇が迫るなか、あたりを照らすように赤い花が咲き乱れる。
絞りf7.1、 1/25秒、ISO400、露出補正-1.0。

★「02青いペンキ」。
廃屋となったスナックと隣家の色鮮やかなブルーペンキが寂しさを誘う。
絞りf9.0、 1/40秒、ISO400、露出補正-0.67。

★「03烏山駅前」。
かつて訪れた厳冬の青森県五所川原駅前をとっさに思い浮かべた。雲は真っ黒だが雨はどうしても降ってくれず。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO200、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2016/08/26(金)
第311回:那須烏山 モノクロからカラーへ(4)
 この盆休みに若い頃から関心の深かった同和問題についての書物を1冊再読してみた。以前と異なり、現在はネットの普及で様々な情報が手に入る。功罪併せ持つネットだが上手く活用すれば、氾濫する情報を嗅ぎ分けながら、正邪・正誤をつかむことができるとぼくは考えている。怪しげなネット情報に振り回されずに済むというわけだ。
 ひとつの物事を知り、理解するには最低でも20冊以上の書物を読まなければならないというのがぼくの信条。これでネットに惑わされる可能性はぐっと低くなる。20冊以上を必須条件としているぼくはその信条に従い、青年期に同和問題、被差別部落についての書物を読み漁った。

 そのきっかけとなったのが、昭和34年(1963年)に起こったいわゆる“狭山事件”(埼玉県狭山市で発生した少女誘拐殺人事件。または強盗強姦殺人事件)だった。なぜこのように不条理な冤罪事件が生じてしまったのかを知るために(本稿では事件のあらましは割愛させていただくが)、関連書物を手当たり次第読みふけり、また当地に住む友人の手助けを借り、現地調査に何度か足を運んだ。犯人とされた石川一雄氏のお宅にもお邪魔し、捏造された万年筆の出所である鴨居などを見せていただいた。そして彼は真犯人ではないとの確証を得た。事件から10年後のことだった。
 これは明らかな冤罪事件である。被差別部落民への偏見が権力や一部のマスコミによって利用され、犯人に仕立て上げられた忌むべき出来事である。
 なお、ぼくは自身の政治的信条により、あらゆる市民運動・集会の類には一切参加したことがない。

 今年読んだ数少ない新刊書のなかで、直接狭山事件に言及したものではないが、冤罪というものがどのようなメカニズムを経て醸成されていくかを明晰に綴った『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(管賀江留郎 著/洋泉社 2016年)は良書というべきもので、関心のあるかたには是非のお勧めである。
 
 改めて同和問題・被差別部落問題をネットで調べていくうちに、東京都墨田区東墨田や隣接する八広(やひろ)地区に突き当たった。同和問題をも含め、多感な時期を送った昭和の懐かしい面影がそこには未だ色濃く残っているとネットにある。何かに惹かれるようにぼくは3日前の蒸し蒸しする日にこの地を訪れてみた。
 午後3時から5時までの2時間に狭い一区画をコマネズミのように歩き回り、汗を滴らせながら170枚ばかり撮った。この地でのくだりは後日拙稿にて写真とともに掲載しようと思っているが、昭和の佇まいを従来のモノクロではなくカラーで写し取ることに目下執心のぼくは、烏山や真岡の延長線上に東墨田を置いた。
 今のところカラーの熟成度は36%だと前号に記したが、この数値は謙虚でも卑下でも詭弁でもなく、実感としてのものだ。しかし、「伸び代」を64%と見立てるあたりがぼくらしく、尊大かつ横柄なのである。「わたくしはまだまだこんなものじゃない」という強固な意思表示に他ならないのだが、少しでも前進を目論みたいぼくとしては、さらなる材料(写真)が欲しかった。これで40%を超えることができはずだと勝手に思い込んでいた節がある。

 撮影したRawデータをざっと見ながら2,3枚を選び出し、この1ヶ月で修得した36%のカラー作法と手順を用いて暗室作業を試みたのだが、思いのほか、どうしても上手くいかない。Photoshop相手に奮闘するも、イメージしたものが開発中のメソードを適用すると変形してしまうのだ。36%から24%くらいに低下してしまうのだから、ぼくにしてみれば死活問題でもある。原因?分からない!空気と地磁気の違いくらいしか思い当たらず、ぼくは途方に暮れてしまった。
  
 水が変わればすべてのことが変化するという理(ことわり)と筋合いをぼくはないがしろにしているのではないかということに、この原稿を書きながら今気がついた。烏山と東墨田の辻褄を無理に合わせようとするからいけないのだ。何事も無理強いしては碌なことがない。
 種類の異なる魚に同じ調理法を用いては上手くいくはずがないではないか。ぼくはこんな単純な理屈を見逃していたのだった。今、九死に一生を得るには、取り敢えずこの考えに全面的な賛同を示しておく必要がある。
 36%をアレンジしながら地道に模索するのが最良の方法だろう。長生きしなけりゃならんわ。

 長い間写真に従事し、アナログ時代から暗室作業にもことのほか熱心に取り組んできたつもりでいたが、この困窮と不覚を自身の力と素直に認めなければならない。それでこそ楽しみが倍加するというものだ。そして自身の「伸び代」を大きく取りたがるぼくは、とは言えやはりどこか謙虚なのかも知れない。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/311.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市。

★「01 烏山和紙会館」。
大正時代に建てられた旧烏山病院で、那須烏山市の近代化遺産となっている。窓を上下に開け閉めするタイプで、現在では珍しいとのこと。
絞りf9.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02 廃屋」。
街道に面したかつての商店。蔦の枯れ葉が建築内部にまで侵入している。
絞りf13.0、1/40秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03 烏山駅」。
下校時、気動車の排気ガスが駅に立ちこめる。懐かしい臭いだ。分厚い雲により空の明度が極端に落ちる。
絞りf11.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2016/08/19(金)
第310回:那須烏山 モノクロからカラーへ(3)
 熱暑のお盆だったそうである。“だったそうである” とはまるで他人事(ひとごと)であるかのような言い草だが、涼を求めての避暑に出かけたわけでもなく、また外地にいたというわけでもない。よんどころなく、エアコンの効いた自室にジトッと閉じ籠もりっぱなしだった。世間が静かなので普段落ち着いて読めずにいた書物を精読したり、目下課題としているカラー写真の暗室作業に勤しむこともできた。私的写真の、カラーへのさまざまな試みはまだまだ暗中模索の真っ最中で、未だ道半ばであり、なかなか思うように仕上がってくれない。自己採点をすれば36点くらいか。

 もう半世紀近く、ぼくはお盆や正月という日本の習わしに背を向け続けている。我が家の墓地は鎌倉の名刹であるにも関わらず、億劫が先に立ちことごとく義理を欠いている。言わずもがな先人に対する義理と人情の板挟みに苦しめられているのだ。ご先祖様には申し訳ないと思いつつも、「生ける人間最優先」というご都合主義のお題目を唱えながらお許しを請うている。これは我が家に脈々と受け継がれた厳粛な?家風でもある。
 祖父は美術に、父は文学に、成れの果てのぼくは写真に従事と、この家風は無定見な仕来(しきた)りのなかで育まれ、そして気ままに生きてきた必然性から生じたものであろうとぼくは考えている。また無信心のぼくにとって、興味ある純正日本型取り繕い・応急手当式信心にも明確な料簡を持てずにいる。
 聞くところによると、ぼくの曾祖父は敬虔な仏者であったそうだ。父は学生の身ながら並み居る教授陣を前にインド哲学の講義をしていたと彼の学友から聞かされた。どこでぼくの宗教的DNAは寸断されちまったんだか?

 ともあれ、ぼくの盆・正月引き籠もり症候群に特段の理由はなく、手短にいえば、ただ帰るところがないだけなのだ。これが故郷を持たぬ人間の、祭りや祈りに対する素っ気なさなのであろうと思っている。60年以上も住んでいるさいたま市に郷土愛のようなものを感じることもなく、いつもよそ者感覚でいることの不思議さ。それはまるで60年にも及ぶ仮寓のようでもある。住めば都=郷土愛ではないのである。
 帰るところのないぼくは、帰省で賑わう人々の心情やその帰巣本能を羨みながらも、しかしあの雑踏と混雑には到底耐えられそうもない。おそらく帰るところがあっても、屁理屈をこねながら世間への義理立てを拒むに違いない。

 今年3度通った真岡、先月訪れた那須烏山などは撮影を目的としたものに違いはないのだが、ぼくの心理分析によると、心のどこかに里帰りをする人々への羨望を何かで補おうとの目論見が見え隠れしていたように思えてならない。
 見知らぬ土地に行くと、「ここがぼくの故郷であれば好きになるだろうか?」という問いかけを無意識のうちに必ずしていることに気づく。わずかでもフォトジェニックなものや自身の原風景のようなものが発見できればたちまち親近感を覚え、にわか故郷に取って代わるのだから、なんともお手軽なふるさと仕立てである。名所旧跡などなくてもぼくは一向にかまわない。それはぼくの被写体としての対象にはなってくれないからだ。そして、風光明媚でなくてもいい。原風景のイメージ構築を手助けしてくれるようなものがそこにあれば、それで事足りる。真岡はそのような直感を与えてくれた街であったが、烏山は1度限りの訪問では未だ不明である。だが、カラー写真への自身のアイデンティティーを示唆してくれたことはとても幸運だった。烏山はカラー写真をもう一度見直すチャンスを与えてくれた街だった。

 今までいろいろなところを旅して、一度もホームシックに駆られた経験をしたことのないぼくは(厳格な父が待ち構えているので)、育った住み処を懐かしく思ういわゆるノスタルジーというものを他所に求めていたのだろう。帰宅拒否症が、さいたま市に郷土愛を持てぬ一因となっているのかも知れない。なんだか住み慣れた街に申し訳ない気持で一杯だ。
 父が急逝して今年で36年になるが、過去の習性に対する条件反射とはしぶといもので、父のいない家と知りつつも未だに帰宅拒否症が続いている。嫁が父の代役を律儀に務めているからかも知れない。公平に測ってみるに、どうやら嫁の方が父より厳格さを有しており、しかもいろいろと執拗に追及してくるからどうにも敵わない。出不精のくせに一旦飛び出すと、もう永久に帰らないとの誓いを何度立てたことか!でもちゃっかり帰ってしまう。ぼくにも帰巣本能というものがあるらしいのだ。
 そろそろご先祖様への不義理を反省し、そんな弊習を改める時期なのかも知れないと、このお盆に悟った次第。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/310.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市。

★「01紫陽花となまこ板」。
降り出しそうで降ってくれない雨。紫陽花に雨は似合うと思いきや、なまこ板にもマッチすることを発見。
絞りf9.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02枯れ紫陽花」。
路地の入口にすっかり色あせた紫陽花が。
絞り8.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03龍門の滝」。
かつて訪れたことのある龍門の滝に行ってみた。雨ならぬ滝のしぶきに濡れた草花が毛髪のようにベッタリと地面にへばり付いていた。コントラストや色相、彩度を細かく調整し立体感を。補整に丸半日がかり。
絞りf8.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/08/05(金)
第309回:那須烏山 モノクロからカラーへ(2)
 「真を写す」ことを意味して「写真」となったのかどうかぼくは知らない。
「写真」の語源とその由来について調べてみると諸説あるようだが、少なくとも写真の発明された西洋では今日に至るまで、そしてヨーロッパの友人の話からも、写真が「真を写す」という捉え方はほとんどされてないと窺える。ぼくもその考え方にはまったく異存がない。

 写真の発明されるずっと以前から「写真」という言葉(漢語も含めて)はすでに存在していたようで、西洋から輸入された「フォトグラフィ」を「写真」と翻訳して(当てはめて)しまったのは、迂闊にも写真表現の範囲を狭めかねない不幸な出来事だとぼくは思っている。生真面目な日本人にとって、「真を写す」という哲学的概念の呪いは自由な表現を束縛しかねないからだ。「写真」などという大仰な翻訳ははた迷惑であり、また人騒がせでもある。「写真」だなんて、そんなに深刻ぶらなくてもいいじゃないか。
 「フォト」は”光”という意味であり、「グラフィ」は”絵図”とか”表現法”であるから、フォトグラフィは「光学的描画」であり、それを縮めて「光画」と解釈したほうがよりまっとうだ。ぼくは常日頃から、「写真は光で描く絵」といっているので、感覚的には「光画」が最もしっくりする。「真を写す」などというものでもあるまいに、と思うのだが。
 余談だが、英語圏では一般に「写真を撮る」ことを”take a picture”と表現する。写真は”picture”と同義なのである。そのような文化的背景が確立されているので、オリジナルプリントが絵画同様に扱われ、そのことにより欧米には高品質デジタル印画紙が意欲的に産み出されているのだろう。そこには再現性ばかりでなく面質や保存性にも細心の注意が払われている。日本の技術は優秀だが、ソフト面に於いては欧米に一日の長がある。

 デジタルこそ作者と被写体の相互関係が、「そこに存在したことの単なる証明」から離れ、自由な”筆遣い”を許し、また可能にし、被写体の向こう側にある作者の感情や心理・思考、そこに成り立つ固有の心象風景を追い求めるに相応しい媒体だとぼくは認めている。デジタルはフィルムよりずっと自由度が広がっているのだ。


 改めてカラー写真再考のきっかけとなった理由はいくつかあるのだが、そのひとつをお話しすると、今まで親しんだ画集を何冊も長時間にわたって凝視したことにある。普段から、写真にはもっと自由な色遣いがあって然るべきだと思いつつ、その勇気をなかなか得られずにいた。ぼくのカラー写真は、頭のなかで描く色遣いはもちろんのこと、自分の写真的規範という良心に従ったものでなければならず、怪しげなモダンアートの類に与(くみ)せずという制約の下での試みである。モダンアートというあやふやな免罪符を利用して、何やらインチキ臭いものが氾濫し、跋扈しているその独善的な現状にぼくは好意的な反応を示せずにいる(我慢ならないという時もある)。カラーへの挑戦は、「ならばおまえはどうか!」という試みでもある。
 どのような色遣いをしようと、それがぼくの心象をより良く、色濃く表現できるのであれば、果敢に取り組むべしという命題をぼくは自身に与えた。普遍的な美との折り合いをどのようにつけ、昇華させるかという難問が立ちふさがるけれど、まず始めてみなければ何も見通せないのだから、「案ずるより産むが易し」である。

 烏山市では当初あて込んだ降雨がなく(降水確率90%にも関わらず)、ぼくは天より気象庁を恨んだが、素早く気持を切り替え、いつものモノクロ写真を放棄し、命題としたカラー写真に挑むことにした。
 私的写真では久しぶりのカラーであり、戸惑いながらも被写体を前にして「ここはビュッフェ調、ここはマティス風、ここはカンディンスキーもどき」なんていうことを次々に唱え、かつて愛用した幾種類ものカラーポジフィルム(スライドフィルム)に多様なフィルターワークを重ね合わせ、イメージを構築していった。それを具現化するための暗室技術が追いつくかどうか、一抹の不安が頭をよぎるが、デジタルの恩恵を受けながら何か新しい発見が出来ればしめたものだと言い聞かせたのだ。

 ぼくのカラー写真に対する感覚は、ポジフィルムによるところが非常に大きい。特に写真屋になって以来、毎年量販店のポイントが10万を超えるほどポジフィルムを購入していたので、まさに「使い倒していた」という表現がぴったりかも知れない。ポジフィルムの扱いはとても厄介で難渋したが、再現能力の高さは今日でも随一のものだと信じている。そのくらい完成度の高いものだった。このフィルムの使いこなしは、商売人になったからこそのものだと感じている。あらゆる知識と技術の総動員を要求されるのがポジフィルムである。

 決して完成度が高いとはいいかねるデジタルのカラー原画を、「気分はカラーポジ」といいながら、イメージに添って仕上げてみた。もちろんポジフィルムがこのように発色するわけではなく、あくまでもぼくのイメージカラーである。したがって、被写体の実際を「真」とするならば、「写」っていないので、これはいわゆる一般にいうところの「写真」ではないことになる。
 ぼくは怖ず怖ずとしながらも思いの丈をPhotoshopという絵筆でイメージを描きながら、今正直な人間に少しだけ近づいたような気がしている。

 来週はお盆休みのため休載となるそうです。悪しからずご了承ください。

※参照 →  http://www.amatias.com/bbs/30/309.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mmF2.8LIIUSM。

撮影場所:栃木県那須烏山市、真岡市。

★「01赤い酒蔵」。
降雨に未練のあるぼくは烏山から見慣れた真岡に移動。酒蔵の赤ペンキを見て、若い頃熱狂したビュッフェ(仏の画家。B.Buffet、1928-99年)の絵を咄嗟にイメージ。
絞りf4.5、1/100秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02枯れた紫陽花」。
烏山市。うっすらと残った色を強調。
絞りf5.6、1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03般若寺五重塔」。
精密に作られた五重塔の模型。かなりの大きさだ。京都生まれのぼくは五重塔には特別な思い入れがある。また、幸田露伴『五重塔』に記された五重塔の模型にも思いが至る。
絞りf9.0、1/30秒、ISO400、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2016/07/29(金)
第308回:那須烏山 モノクロからカラーへ(1)
 原稿を書いている本日、関東は平年より一週間遅れの梅雨明けとなった。うっかり者のぼくは、梅雨明けはもう少し先のことだろうと高を括っていた。梅雨は苦手だが雨は好きというつむじ曲がりのぼくは、天気予報と仕事との兼ね合いを睨みながら、この時期にもう一度雨中の写真を撮ろうと目論んでいたのだ。しかし、すっかり肩すかしを食らってしまった。油断大敵である。

 まだ梅雨の明けぬ今月中旬、降水確率90%と予報にあったので、ぼくはかつて一度だけ訪れたことのある栃木県那須烏山市まで、雨を期待して出向くことにした。
 8年ほど前だったと記憶するが、益子に行ったそのついでに烏山に立ち寄ったことがある。名所好きの友人に連れられて帰路遠回りをして烏山の “龍門の滝”を見物したのだが、やはりへそ曲がりのぼくはさしたる感動を覚えなかった。あまりプロポーションのよい滝とは思えなかったからだ。
 車で通過しただけの烏山市街だったが、おぼろ気ながらどこか寂れた街の残像が蜃気楼のように揺らいでいた。沖の火影のようにぼくの心象に棲みついていたようにも思える。過度な憧れや期待は幻夢を損じることになりかねないが、それはいわばファンタジー映画にある空中楼閣のようにも思えた。

 曖昧な記憶にしとしと雨を重ね合わせ、烏山に行けば、ひょっとしてフォトジェニックな何かに出会えるかも知れないとの期待を抱いた。
 ことさらに思い込みの激しいぼくは、雨に煙る烏山をすでに現実から乖離させ、特異なものに仕立て上げていた。頭の中ではかなり明確な烏山のイメージが出来上がっていたので、撮影の段取りとしては上々というところだろう。

 浦和から車で約2時間少しと、意外に時間がかかる。降水確率90%という天気予報をあてにしての決行にも拘らず、雲はどんよりと厚く、気を持たせるばかりで一向に降雨の気配がない。天気予報など信じるぼくがいけないのだと言い聞かせながら乾いた路面を走らせた。
 街中に辿り着いたものの予備知識がないために、街のヘソを探すべく決して広くない場所を走り回ってみた。その限りに於いて、不思議や不思議、この街にはヘソらしきものや繁華街というものが存在していないのだ。
 「いや、ある!」といわれればぼくは直ちに訂正をするが、そんな状況だったのでどこを撮影ポイントとすればいいのか、皆目見当がつかないでいた。ここは当惑を誘うようなエキゾティシズムに満たされていたのだった。
 捉え所を得ようと、縁台で涼むご年配の2人を見つけ話を聞くが、どうも要領を得ない。2人とも対応が好意に溢れ、また親切であるが故に、ぼくも根掘り葉掘り聞き出すのが憚られてしまった。というより、ぼくが何を撮りたいのかがうまく伝えられず言葉に窮したというのが正しい言い方だ。話を聞きながら2枚失敬したのが掲載写真01と02。

 地理と撮影地不案内の時は、「まず駅前を目指す」のがぼくの流儀である。烏山駅はJR烏山線の終着駅で、1日の乗降客は500人前後というのだから、ひっそりとした街であることに変わりはない。
 駅前広場から伸びる道路を眺めていると、15年前に訪れた青森県の五所川原(ごしょがわら)駅前が突然眼前に現れた。厳冬の五所川原は雪に覆われており、駅前広場の角にあった「平凡食堂」と称する大衆食堂に空きっ腹を抱え飛び込んだ覚えがある。親子丼を注文したら当家のおばあちゃんがみかんを両手に抱え、津軽弁で「みかんサ持って行きまれ」といい、ぼくはそのワンフレーズだけを理解した。
 「平凡食堂」という気の利いた名前にぼくはすっかり魅了され、その由来を聞こうとしたのだが、如何せんぼくらには共通の言語がなかったのだ。いや、地方の常として、相手はこちらの言葉を理解するが、こちらは相手の言葉がさっぱり分からないという悪意なき不平等の生じることがままある。特に東北地方にはそれが著しい。気の弱いぼくは何度も聞き直すことがどうしてもできず、「君子危うきに近寄らず」と、いつだって分かった振りをして、事済ませてしまうのだからいやになる。しかし、ぼくは東北地方に言うに言われぬ親近感を抱き、この不平等をこよなく愛している。
 Googleのストリートビューを見てみると、今「平凡食堂」は姿を消している。あのおばあちゃんは元気だろうか?

 烏山に来て気のついたことがある。それは街の色彩が極めて低く、それが地味な印象を与えているのではないだろうかということである。街全体が良い意味でくすんでいるといってもいい。それは天候のせいばかりではないようにも思えた。「今日はいつものモノクロ表現より、カラーの気分だ」と気持を入れ替え、地味な色調のこの街を、油絵を描くように思い通りの色彩で表現してみようと思い立った。
 仕事の撮影は100%カラーであり、色再現の忠実性を第一に要求されるが、私的な写真はその制約から完全に解き放たれる。久しぶりのカラーにぼくの気分にも明るさが射してきた。もう気象庁のあてにならぬ予報などどうでもよくなり、すっかり画家気取りになっていった。首を取られるわけではなし、思いっきり君子危うきに近寄ってしまおう。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/308.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市。

★「01烏山」。
野良仕事を終えたおばあちゃんに街の様子を聞いてみた。別れ際に1枚サッといただく。烏山での第1カット。
絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02烏山」。
陽気なおじいちゃん。話を聞きながらシャッターを切る。
絞りf7.1、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03烏山駅前」。
駅前唯一の飲食店。このあたりは居酒屋さえない。右上から左下の対角線を意識して、超広角16mmの構図を決める。かつて愛用したコダック・エクタクロームフィルムのクロス現像処理 + ポラロイド669フィルムをイメージして。
絞りf10.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-1.0。
(文:亀山哲郎)

2016/07/22(金)
第307回:晴海から佃島へ(4)
 「晴海から佃島へ」の本シリーズは前回でお仕舞いにしようと思っていたところ、地方にお住まいの読者からメールをいただき(ありがとうございました)、「佃島は、話に聞くものの、なかなか訪問する機会がないのでできるだけ多くの写真を見せて欲しい」との趣旨が寄せられた。ぼくの与太話などではなく、 “写真を” というところがありがたくも憎いではありませんか。
 返信を差し上げたところ、「私も落語が好きで、なかでも特に『佃祭』はお気に入りのひとつ。佃島ってどんなところだろうといつも頭に描いております。ガイド的な写真は多く見るものの、個人の主観や思い入れによって撮影されたものはあまり見ることができず、大変興味をそそられています。ましてやモノクロですからなおさらです」と返してこられた。  
 落語の文学性を高く評価しておられる読者のメールにすっかり気をよくしたぼくは、もう一度だけ佃島の写真を掲載させていただくことに。

 今シリーズで掲載した佃島は5月上旬に撮影したものだが、今回は1ヶ月半の時を経て6月下旬に訪れたものを取り混ぜてと思っている。
 実のところ、今回の撮影はぼく個人の希望で訪問が実現したわけではなく、我が倶楽部1年半ぶりの撮影会という名目によってである。我が倶楽部は他の倶楽部に比べ、極端に撮影会の少ない倶楽部のようだ。理由は、全員が怠惰であることに加え、現役の職業人がほとんどだから日程がなかなか合わないことにある。自分の都合ばかりを主張し合うので、したがって、音頭取りが現れにくく、いつも企画倒れとなるのだ。

 「撮影会といいつつ、いつもかめさんは現場で行方をくらまし、何も教えてくれない」と口を極めてぼくを揶揄 & 非難しているが、現場で「撮り方を教えて」なんて可愛げのあることをいったこともないのに、よくいうわ。この責任転嫁を、濡れ衣という。
 今回は写真を始めたばかりの若い女性が2人加わったこともあり、ぼくは汚名挽回を図ろうと、そして多少の反省も込め、犠牲的精神を発揮し実地指導に臨んだというわけである。濡れ衣を着せられたままでは、悔しかろうといものだ。
 
 企画は若い2人にお任せしたのだが、どうやら彼女たちはぼくの案じた通り、撮影より、やはり食い気に負けてしまったようだ。 “文学的『佃祭』” をないがしろにして、佃島に隣接する月島名物のもんじゃ・お好み焼きに突っ走ったのである。ちゃっかり予約まで済ませ、デザートのクーポン券まで手に入れているではないか。許しがたい狼藉である。
 ぼくはこの危険性を見越し、前もって全員にYouTubeに於ける志ん朝の名演『佃祭』を聴いてイメージ構築の手助けとするように促しておいた。少しでも写真に気が向くようにと、指導者としての心憎いばかりの心慮がそこにあった。新参の彼女たちはこの時点でまだしおらしさを失ってはおらず、「聴きましたよ〜」とぼくへの配慮を心なしか示すのだが、古参の婦女子軍団となると、こうはいかない。撮影などどこ吹く風で、団子屋と饅頭屋に入り浸るのである。女性の生態はどうにも不可解だ。

 このような状況下、現場での指導は技術的なこと優先ではなく、特に女性には感覚的なことを念頭に置いて指導したほうがいい。女性のほうが感覚的なことと饅頭に対しては、男より飲み込みが早いものだ。写真を始めてまだ間もない人に技術的なことをあれこれいっても混乱を招くか、理解しがたいのではないだろうか。

 被写体を前に、自分がどこに立つかは(立ち位置を定めるということ)写真を決定付ける大きな要因となる。その原則的な考えを(あくまでもかめやま流だが)信念を持って伝えた。
 被写体を立方体に見立て(光との兼ね合いもあるが、今回は考慮せず)どの角度から見れば姿形として一番美しいかという感覚的な面での教えである。左右に動けば横方向が決まる。この時に周辺や背景にある物との重なりに留意しなさいと。物が重なってしまうと、往々にして立体感を損なうからだ。その具体例を示しながら、まるで指導者のように優しく訓示するぼくの珍しくもあるまじき姿。嗚呼、照れ臭い!

 横方向(左右の位置)が定まれば、今度は縦方向(前後)である。レンズの焦点距離によって遠近感(パース)が決まってくるが、ズームレンズばかりを使用している人にとってはここに気がつきにくく、教えるのもなかなか骨が折れる。自分は動かずにズームを押したり引いたりするのが一番良くない。それに頼っていると進歩は遅れるばかりだ。横着は一文にもならない。
 撮影者はズームレンズの言いなりになってしまう危険性をはらんでいるので、写真事始めの人に限らず、まず肉眼で被写体を眺めながら、前後に動いてみることをお勧めしたい。位置決めができたら、そこで初めてファインダーやモニターを見て、ズームで同じような感覚となる焦点距離を選べばいいということだ。しかし、肉眼とレンズの感覚的なズレはズームレンズのみ使用という人には矯正しにくいので、まず「習うより慣れよ」である。それからお気に入りの単レンズを購入すればいい。単レンズを使うと肩の荷が下りたように感じること請け合いである。

 横方向と縦方向の交差したところが撮影の立ち位置となることを、大雑把に知ってもらえばいい。一度の現場指導ではこれで十分だとぼくは考えている。何事も少しずつ、少しずつが肝心と思うからだ。
 立ち位置を定めることは極めて高度なことであるけれど、ここからスタートしていいのではないかとぼくは考えている。このことは、あまりにも多くの事柄に関連しているので一言で説明することはできず、まさにケース・バイ・ケースであり、場数を踏むしか納得の手立てがない。
 饅頭の誘惑を断って、ぼくに従えばさらなる飛躍を遂げること疑いなし。ぼくも照れ臭さを払拭できればいいのだが。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/307.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都中央区佃、月島。

★「01佃島」。
曇天下、狭い通りに傘が日乾しに。「邪魔になる」なんて窮屈で野暮なことはここの土地柄、誰も言わないんでしょうね。
絞りf8.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02佃島」。
佃小橋から、掘割りと石川島の高層ビル群を望む。右端にある立て札には「この場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が、埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないで下さい。佃住吉講」とある。(幟は “のぼり”。抱は “棒” のこと)。
絞りf8.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03佃島」。
隅田川と佃大橋。
絞りf13.0、 1/400秒、ISO100、露出補正-1.33。
 
★「04佃島」。
仕事を終えた住民の後ろをそっと歩く。いなせなTシャツと雪駄履き、江戸っ子だねぇ。 
絞りf5.6、 1/30秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「05佃島」。
長屋の間を細い路地がたくさん走る。すれ違い出来ぬほどの幅だ。
絞りf6.3、 1/20秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「06月島」。
もんじゃに急ぐ我が倶楽部の3人婦人部隊。先頭は左うちわ、後に続く2人はすでに饅頭袋をぶら下げ、撮影は眼中にないらしい。ぼくは照れて損をした。
絞りf5.6、 1/13秒、ISO200、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2016/07/15(金)
第306回:晴海から佃島へ(3)
 『佃祭』の主題となっている「情けは人の為ならず」とは、のっけから教訓めいて恐縮だが、 “情けをかけるとその人のためにならないので、かけないほうがいい” との解釈は誤りで、 “情けをかけるのは、その人のためになるだけではなく、いつか巡り巡って自身にも良い報いがもたらされるものだ” とか “陰徳を施しておけば必ず良い報いが訪れる” というのがこの教えの本来の意味である。若い人ばかりでなくその真意を取り違えている人が多いようなので、お節介ながら書き添える次第。

 この諺を主題とした落語噺『佃祭』の舞台となった佃島は、かつて隅田川河口にあった独立した島であり、江戸初期に摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁民が移住したのが地名の由来とされている。
 渡し船による佃島への往来は、320年あまりの長きにわたり存続してきたが、昭和32年(1964年)に、佃大橋の完成とともに幕を閉じた。長い渡し船の歴史のなか、明和6年(1769年)に佃島住吉神社の藤棚見物の客を満載した渡し船が波浪により転覆し30数名が落命したと伝えられる。それを元にこの噺が作られたとの説が有力である。映画の字幕によくある “Based on true story” だ。
 このノンフィクションに、「情けは人の為ならず」を織り込み、創作されたものがフィクションの『佃祭』である。江戸の情趣と、豊かな人情が綴られ(語られ)ている。これはちょっとした文学作品だ。

 その血筋を受け継いだ?と覚しき現在の佃島の人々は、観光名所であるにも関わらず、ぼくの知る限り気さくで人情に厚く、愛想がいい。また江戸っ子であることに誇りを持っている。しかし、それを前面に押し出すことのない様子がなんとも心地良く、またアッパレでもある。これが本物の粋というものだ。江戸っ子は本来シャイであるというぼくの考えを彼らは具現してくれている。
 江戸の職人気質となるとまた別の話をしなければならないのだが、本稿は「写真よもやま話」なので、ここらで止めておこう。

 雨の降りしきるなか、懐かしい割烹着を身にまとったおばあちゃんが向こうから傘を差してやって来た。「このおばあちゃんを撮る」と決めたぼくは背景を選び、撮影位置を決め、ズームレンズの焦点距離を約28mmにセットし、フォーカスを約3mに固定、絞りはf6.3となにかと忙しい。設定後は、ぼんやりと突っ立ち、ぼんやりとシャッターを切るのがスナップ撮影の秘訣なのだとぼくは最近悟った。この心境に至るまでにぼくは50年の歳月を費やしてしまったけれど、自分の流儀としてそこに気がついただけでもましである。だから、最近ぼくはいつもぼんやりしている。

 立ち位置を定めているうちにぼくの脇を若い女性がスーッと通り過ぎて行った。予定外の出来事に、ぼくはその女性とおばあちゃんの距離を考え直さなくてはならなくなった。ぼんやりとはしていられなくなった。いつでもこのような予期せぬ出来事に見舞われるのが街中スナップで、それは避けることのできぬ宿命のようなものだ。
 ぼくはあらかじめ定めた位置より何歩も後退りをし、「私はおばあちゃんを撮りませんからね」という強い電磁波を力一杯送り続け、ぼんやり待ち構えた。その甲斐あって、油断をしたおばあちゃんをフレーム一杯に計算通り収めることができたのだが(「01信心」)、これはいわば一種のだまし討ちのようなものであり、この巧妙さ(ずる賢さ)は人様に大声で語るようなものでは決してない(語っているじゃないか!)。

 この後おばあちゃんに声をかけたところ、これから住吉さん(神社)にお参りに行くのだとか。雨が降っても、風が吹いても、雪が積もっても、毎日欠かさずに物詣でをするのだと静かにいう。
 「わたしがこうして毎日元気でいられるのも住吉さんのおかげ。家族仲良くしていられるのも住吉さんのおかげ。娘が嫁に行って機嫌良くしていられるのも住吉さんのおかげ。なにもかも住吉さんのおかげなんだよ」と、おばあちゃんは晴れ晴れとした表情で、不信心者のぼくを見上げながらいう。
 「おばあちゃんは地元の人なんだね」というと、「そう、生まれた時からずっとここ。住吉さんと一緒なの」と嬉しそう。おばあちゃんにとって、住吉さんは生涯のなくてはならない伴侶に違いない。
 「じゃあ、おばあちゃんは生粋の江戸っ子というわけだ」。
 「そうさ、わたしは江戸っ子よ」と、待ち人来たるというような微笑みを顔一杯に広げ、ついでに精気溢れるように背筋を伸ばし、左手に持った賽銭入りの紙入れを胸のあたりに差し上げて見せた。おばあちゃんは、今日も賽銭箱に幾ばくかの金子(きんす)を投げ込むのだという気魄に満ち溢れていた。
 とりとめのない話をしながら、別れ際「あんたは、いい “お兄さん” だね」とおばあちゃんは締め括った。「えっ、オレが “お兄さん” か」と一瞬戸惑ったものの、不思議と違和感がなかった。80を優に超えたおばあちゃんにしてみれば、ぼくは若い “お兄さん” だったのかも知れない。不信心者のぼくでさえ、住吉さんの御利益に少しばかり与ったような気がした。

 今まで国内の人物スナップは掲載しなかった(複数人の写ったものはあるが)のだが、今回は話の行きがかり上、例外として掲載することにした。次回の訪問時にプリントをお渡ししようと思っている。地元の人に尋ねれば判明するでありましょう。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/306.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都中央区佃。

★「01信心」。
こちらに向かうおばあちゃんと去りゆく女性の距離感が思い通りに描けた。左手に握りしめた紙入れにおばあちゃんの願いも入っている。
絞りf6.3、 1/250秒、ISO360、露出補正-1.00。

★「02信心」。
住吉さんへの道すがら話し込むおばあちゃん。
絞りf6.3、 1/125秒、ISO250、露出補正-1.00。

★「03信心」。
祈りの場へ。
絞りf5.6、 1/160秒、ISO250、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2016/07/08(金)
第305回:晴海から佃島へ(2)
 子供時分、落語好きだった父に連れられ、年に数度は寄席に通っていた。その影響だろうか、大人になってからも寄席は常に身近な存在だった。寄席通いをしなくなったのは写真屋になって以来だから、もうかれこれ30年以上もご無沙汰していることになる(仕事では噺家さんの撮影に10数度出向いてはいるが)。

 幼少時に、 ”紙切りの正楽” と呼ばれた林家正楽(8代目。1896-1966年)に動物の紙切りをしてもらったことが何度かあった。今となっては、遠くおぼろ気な記憶ながらも、お囃子に合わせ体を前後左右に揺らしながら紙切りをする正楽師匠の姿は未だ脳裏に焼きついている。高座からの「ぼうや、今日は何を切ろうか?」という師匠の声掛けがどれほど嬉しかったことか。
 父はあらかじめ正楽師匠の出番の日を選び、子供のぼくに、紙切りであれば退屈せずに間が持つであろうと気を遣っていたのだろう。父がどのような意図でぼくを同伴させたのか今は知る由もないのだが、もしそれが情操教育の一環と考えていたのであれば、彼はまことに正しかったと思っている。

 ぼく個人の考えは、絵画や音楽、写真は人間の情操を育てるにそれほど相応しいものなのだろうかという疑問を常に抱いている。一般に語られるほどではないということだ。芸術ばかりでなく宗教も同様である。人格形成に多大な貢献をしているとは素直に思えないのだ。
 渦中にある人たちは、自分の従事しているものについて過大な評価をする傾向にある。その傾向が強い人ほど、自身が情操とは縁遠いところに座しているのだということに気がついていない。あるいは我田引水的牽強付会(こんな言葉はありませんね。けんきょうふかい=自分に都合のいいように無理にこじつけること)をもっぱらとする。
 “惚れる”とか “信心” は個人の自由であり、また高貴な精神の顕れとぼくは見るが、それを他と比較したり、唯一のものとしたりするのであれば、すべてが灰燼に帰すわけで、何をかいわんやでありましょう。

 大学に進学し、華々しき学生運動をよそにぼくは寄席にしばしば通っていた。噺家・桂文楽(8代目。1892-1971年)の最晩年、場所は失念したがその時の演目が『佃祭』だった。おそらく文楽を最後に聴いたのが『佃祭』だったように記憶している。
 文楽の生の高座に接した機会は多かったのだが、名人には違いないけれどぼく好みの噺家ではなかった。端正すぎて面白味に欠け、人間的な破綻が感じられなかったからだ。つくられた上品さを感じ、そこに抵抗感があった。そして、どこか金属的な声の調子も馴染めなかった。とはいえ最後に聴いた『佃祭』は、佃島や住吉神社を知らない当時のぼくに大きなイマジネーションを与えてくれたことは確かだった。

 『佃祭』は、ぼくの好きな演目のひとつだったが、聴くたびに佃島への思いは募り、勝手に作り上げた映像ばかりが膨れあがっていった。
 実際に訪れたのは32歳の時であり、今から36年も前のことになる。カメラを持たずに、目的意識もなく、何となく友人とフラッと “行ってしまった” のだ。ちょっと思いを寄せた人に急に誘われたものだから、写真もイメージも、何もかも投げ打って、要らんことばかり考えながら出かけてしまった。若気の至りとはいえ、妄想に駆られたぼくはきっと無様であったに違いない。
 しかし、学習能力に欠けるぼくは、今でもきっと同じように振る舞ってしまうかも知れないと思うと、どこか情けないような気もするが、これも父の情操教育の賜なのでありましょう。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」という漱石の教えに、ぼくは体よく便乗しただけなのかも知れない。

 実際に触れた佃島は、『佃祭』だけを頼りに描いたイメージとは大きくかけ離れていたが(当たり前のことだが)、いわゆる下町情緒はまだふんだんに残っていた。失われた時は二度と戻ってこず、返す返すもカメラを持って行かなかったことは不覚の致すところだと残念でならない。良い写真が撮れたかどうかではなく、昭和晩期の色濃い、その名残ともいえる佇まいをフィルムに記録しておきたかったからだ。
 
 妄想に取り憑かれてから今日まで、ぼくは何度となく妄想なしに佃島を訪れた。ぼくの良からぬ残滓が漂っているのか、気に入った写真など撮れたためしがない。どこへ行っても写真の良し悪しは別として、案外現場にスポッとはまるタイプなのだが、佃島はとても撮りにくい。情に流されまいとの無意識の反動として「智に働けば角が立つ」に肩入れしすぎているのだろうかと反省もしてみるのだが、雲を掴むように解消の目処がない。
 今回は雨の佃島だった。雨模様は初めてのことであり、「気分を変えて速くなりつつある雨脚を愉しんでみたらどうか?」と、父が申し訳なさそうに呟いているようだった。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/305.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都中央区佃。

★「01佃島」。
堀割に係留されている釣り船。30数年前と変わらぬ風景だ。ご覧の通りの雨脚。右端が住吉神社。
絞りf13.0、 1/30秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02住吉神社八角神輿」。
住吉神社境内に納められた八角神輿。なかには入れぬためガラス越しに。写り込んだ周囲の景観を一緒に撮る。
絞りf4.0、 1/60秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「03佃島」。
雨のなか銭湯に向かうおじいちゃん。
絞りf10.0、 1/100秒、ISO250、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/07/01(金)
第304回:晴海から佃島へ(1)
 築地で寿司を堪能し、腹ごなしについでに晴海から佃島へ行ってみようと思い立った。ぼくは雨天が好きなので、少々の雨ではへこたれない。髪の毛が濡れ、その水滴がもみ上げあたりを伝い、首筋にツツッと流れ落ちるあの感覚は、「雨ニモマケズ」に写真を撮ることの意気を実感でき、ちょっと心地よい。ぼくはそんな自身の姿を自画自賛しながら、普段の怠惰を拭い去ろうとしている。なんとも浅ましい限りだ。保身的悪知恵ばかりが身についていく。

 晴海埠頭といっても、今まで特段フォットジェニックなものを発見したという記憶はないのだが、3年ほど前に若い写真屋のJ君を伴ってふらっと訪れたことがあった。だだっ広い空き地の向こうに高層ビル群が建ち並ぶだけの殺風景なものだったが、「このアングルは面白いね。8 x 10インチの大型カメラで撮るもよし。そんな風景だね」と頷き合ったことを覚えている。
 空き地の片隅に突っ立ちその風景をしばらく眺めていたのだが、光の具合がどうも心情に合わず(と言い訳をしておく)、シャッターを押すことなくぼくらは早々に引き上げた。正直にいえば、「撮影より早くどこかで一杯やろう」という誘惑にぼくらは完全に飲み込まれていたのだった。「花より団子」ならぬ「写真より酒」の正当化に罪の意識は感じなかったらしい。

 今回は3年前の罪滅ぼしを兼ねてのものであり、折良く雲にも表情があり、かつ雨模様であるため遠景にディフューザーがかかったようなイメージを描きながら、強くなった雨脚のなかハンドルを晴海埠頭に向けた。

 ただ、雨に煙った遠景のコントラストをそのまま写真に置き換えて(忠実にという意)しまっては、眠たい印画となってしまうので、部分的なコントラストをどのように調整すればいいのかという難題に取り憑かれていた。心配性のぼくは現場に着く前から、勝手に描いたイメージの始末について、あれこれ頭を痛めていたのだった。
 現場に到着してみると、以前のだだっ広い空き地はそのままだったが、周囲には高い金網が張り巡らされ、自由な立ち入りができなかった。気勢を殺がれた感はあるものの、都市開発というものは我々の日常時間より早く進むので致し方がない。しかし、意外なことにこの空き地にはまだ手が付けられてはおらず、3年前に見た風景とほとんど変わりがなかった。

 どんよりと重く、低く垂れ込めた雲は地面との距離を縮めながら覆い被さるように、「自然こそ最強の神である」と主張しているかのようだった。細かい水滴を天からまき散らし、テンポの速い現代の時空を睥睨しながら、気ぜわしい人間の生活になど関与したくはないという風情だ。
 雨にも関わらず遠景のビル群は思いのほか霞んではいなかったが、それでもぼくの頭には「雨+遠景=霞む」という固定観念がこびり付いてしまっていた。ここで敢えて船底に付着したフジツボを削り取る必要があるのかないのか、ぼくは再び頭を痛めた。自分を追い詰めることはあまり得意ではないので、その問題は取り敢えず放置して、まず撮影に取りかからなければならない。

 高く張り巡らされた金網の一部にカメラレンズをどうにか差し込むことのできそうな隙間を見つけ、不自由な恰好でまず1枚(掲載写真01)。非常にコントラストの低い被写体なのでモノクロ変換はしやすく、雲を白飛びさせないように露出補整をしている。
 水平が傾いているが、これは意図したもので、地面に引かれた2本の白線を構図的に活かしたいとの思いからだった。金網からの覗き見なので場所の選択肢も失われ、カメラアングルも自由が利かず、ぼくの知恵と能力ではこれ以上撮っても意味があるとは思えなかった。

 中央清掃工場の高い煙突が周辺のビルと重ならない位置を探そうと、ぼくは金網を離れた。地上からだと周囲の樹木が妨げとなり、良いロケーションが見つからない。そこで埠頭の端にある旅客ターミナルに上り、見つけ出したのが掲載写真02。
 5月初旬ではあったが、眩いばかりの新緑とはいかずとも、まだその名残が所々に見られた。モノクロで新緑を鮮やかに浮かび上がらせるには、カラーからの変換時に疑似Y(イエロー)フィルタを掛ければいい。新緑の濃度が自在に操れるデジタルならではの芸当だ。
 フィルムでは、濃度の異なるYやG(グリーン)フィルタを各種かけて調整するが、現像をしてみなければ結果が分からない。時間もかかるし費用もかさむ。まさにデジタル様々である。

 旅客ターミナルを歩くうちに雨脚がだんだん速くなり、チェス盤模様の床がピカピカと光り出した(掲載写真03)。と同時に首筋に水滴がツーッと走った。チェス盤模様と高層ビルをどのようにグラフィカルに描くか、ぼくは「雨ニモマケズ」を地で行くこととなったのだが、どうやってもありきたりの絵しか描けない。この日初めてズームリングを回し、ズームレンズの御利益に与ろうと「焦点距離24mmでやってみるか」と試みたのだがどうもいまいちピンとこない。ぼくはやけくそ気分で1枚だけ撮り、諦めてしまった。雨ニマケテしまったのだ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/304.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。16mmに固定。

撮影場所:東京都中央区晴海。

★「01晴海」。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02晴海」。
絞りf13.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03晴海」。
絞りf11.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/06/24(金)
第303回:築地
 第290回で述べたと同じように、再び用事がてら雨の築地を訪れた。もっぱら回転寿司にしか縁のないぼくは、築地に行けば値段の割には旨い寿司にありつけるのではないかという思い込みと期待があった。築地事情に詳しい人は何というか分からないが、「あそこに行けば、なんとなく旨い寿司を他よりは安く食えそうだ」との予感を抱いても不思議はない。それは、ぼくのような一般庶民にしてみればごくありふれた感覚なのだろう。
 そんな思いも手伝って、寿司を出汁に久しぶりに人物スナップを撮ってみようと思い立った。出汁にされた寿司には多少迷惑な話かも知れないが、雑踏の苦手なぼくにとって小雨の築地は良い機会だった。

 築地近辺に住む友人に訊いてみたところ、「価格の割にいける店」を教えてもらい、ぼくは空腹を抱え脱兎の如くその店に突進。ウィークデイということもあり、通りの混雑も前回ほどでなく、思い通りに歩を進めることができた。自分のペースで歩けないことほどストレスを生むことはない。あれだけでぼくはげんなりし、意気消沈に加え、目眩・眩暈雨あられとなり、生きる希望をすっかり失ってしまうのだ。
 20年ほど前、渋谷のセンター街を大きなカメラバッグを肩にかけて歩いた日々を思い出すだけでも、それは拷問のようであったと、生が尽きるまでぼくはあの雑踏ひしめく界隈に怨嗟の声を上げ続けるであろう。いや、これは決して大袈裟な文言ではなく、それほどぼくは雑踏と雑音に弱い。

 ストレスを感じることなく寿司屋のカウンターに辿り着いたぼくは、寿司を注文しながら、外を歩く5分の間に、人間の精密で、変則的で、アクロバティックな動きと表情を、どれほど正確にしっかりとカメラに収められるかの実験をしてみようと考えていた。もちろん、ただ撮ればいいというものではなく、如何にフォトジェニックな味付けができるか、それを試みようとガリをかじり、芳香のほとんど失せた緑茶をすすりながら考えていた。

 写真には様々な分野があるが、ぼくは常々、街中の人物スナップは他の分野とは一風異なった能力と技能が要求されると感じている。一言ではいいにくいが、動体観察と予測が特に強く求められる分野ではないかということだ。それに応じたカメラの扱いにも修得していなければならない。
 「いいな、おもしろい!」と感じてからシャッターを切っても間に合わない。シャッターを切る前の観察と段取りが重要で、そこが他の分野とはかなり異質である。咄嗟の判断にカメラ操作が追いつかなければ、獲物を逃してしまうことになる。前もっての準備がことさらに大切な要素となる。
 山形の写真家・土門拳は「写真家は掏摸(すり)」と言ったそうだが、人物スナップが掏摸であるかどうかはさておき、撮られた相手に気づかれようが気づかれまいが、どちらでもいいとぼくは考えている。そんなことは何一つ自慢すべきことでもない。相手の目線は撮影者自身がコントロールすればいいだけのことではあるまいか。

 ぼくの街中人物スナップは、もう何年も被写体に対しての大接近戦である。つまり、レンズ焦点距離が長くても35mm(35mm換算)広角であり、通常は16mm(超広角)という他人から見ればかなりエキセントリックなものだ。時には相手の顔まで50cmということもしばしばある。こんな時は掏摸に徹さざるを得ないのだが、超広角レンズがぼくの体質により良く合致しているのだから仕方がない。
 人物スナップの名手と謳われたH. カルチエ=ブレッソンは標準レンズである50mmしか使わなかったという伝説じみた話があるが、実際には望遠レンズも使用したらしい。
 焦点距離が長くなればなるほど被写体との距離が取れるので、相手に気づかれる確率は低くなる。遠近感も薄れ穏やかな表現となるが、画面がどうしても平面的になるのは否めない。しかし、写角が狭まるので画面が整理しやすいという利点もある。望遠レンズは、さらに画角が狭まり、被写体の動きにだけ注視していればいい。表情だけを追うのに適している面もある。

 ぼくはそれらの利点を放棄してまでの肉弾戦が好きなのだ。被写体にできるだけ肉迫して、本質的なことを探り出そうというのは、ぼくの質なのであって、もちろん正否の問題ではない。被写体を取り囲む状況も同時に写し込み、主被写体との有機的なつながりを重視したいとの思いが、超広角レンズを使わせる大きな理由となっている。

 満足げに寿司屋を出たぼくはズームレンズ(16-35mm)を16mmに、露出補正は-0.67、ISOは200に固定。操作するのはフォーカス(マニュアル)と絞りのみだから気が楽だ。これでほとんどの場面に咄嗟に反応できる。
 寿司屋から大通りに出るまで、被写体を渉猟した時間は3分間ちょうど。撮影したカットは13枚。ぼくの試みは一応上手くいったと思っている。今回は13枚のうちの5枚を時系列に掲載させていただこう。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/303.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。16mmに固定。

撮影場所:東京都中央区築地。

★「01築地」。
左端の男性に、「横顔でいいから、こちらに顔を向けてよ」と念じたら、思い通りに。「念じる者は救われる」(?)という見本。
絞りf11.0、 1/50秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「02築地」。
真ん中に外国人夫婦を入れて。16mm広角の遠近感を最大限に利用。
絞りf5.6、 1/160秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「03築地」。
二組の夫婦と子供。5者5様の一瞬。
絞りf5.6、 1/200秒、ISO200、露出補正-0.67。
 
★「04築地」。
ガイドブックを手に。
絞りf5.6、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「05築地」。
スマホで寿司屋でも探しているのだろうか? どこの国のマフィアであろうか? 16mmでの最接近を挑むも、スマホに夢中である。
絞りf5.6、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)