![]() ■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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2024/03/22(金) |
第683回:「写真的雑談」を必要以上に |
いわゆる名所旧跡というものは、自身の知識を深めたり、古(いにしえ)に思いを馳せたり、あるいは単に興味本位だったりする場合がほとんどなのだろう。ぼくもご多分に漏れず、人並みの興味を示すが、ただぼくの浅ましいところはまともな方々と異なり、その場所が、自身にとってフォトジェニックな佇まいでなければならないことに尽きる。では何が「フォトジェニックな佇まいか?」との問題を論じると大変なことになるので、今回はおとぼけを演じ、そこには触れず、しれっと通り過ぎることにする。
一般的にいわれる「フォトジェニック」について、ぼくは確たる答を持っているわけではないが、それについては百人百様でそれぞれに異なるであろうし、また趣向の違いということもあろう。あるいは、人生観によっても大きく異なってくるものだ。つまり、何が撮りたく、またどのような被写体が自己表現に適しているかは、人それぞれであるということだ。 思い描くものによって、意味が異なってくるので、日本で一般的に使われる「フォトジェニック」とはどのようなものかについて容易に述べることはできない。 たとえば、ぼくは風光明媚な風景というだけでは、非常につれない態度を示す。よほど感じ入るものがない限り、ぼくは風景写真を撮らないし、また写真的な興味を呼び覚ますこともない。 誰もがスマホで歓び勇んで撮るようなものに(それが悪いという意味ではない)、ぼくはほとんど興味を示さないということだ。まぁ、ひねくれ者だということもあるのだが、もっと大きな理由は撮影の必然性がぼくにないと感じるからだろう。つまり、それはぼくにとって面白味に著しく欠ける被写体ということになる。 ぼくがよく喩えに使う具体的な言句として、「紅葉の見事な青空の下、上高地で、定番のような写真をいくら上手に撮っても、それは記録写真か記念写真の類であり、そしてそのようなものは世にごまんとあり、 “あなたの写真” としての評価に値しない。写真の通過点としての一時期、一現象であって然るべきものではあるが、そこから早く脱皮して、次の段階を目指して欲しい。たとえ万全でなくても、あなたの作品として撮る意義を感じさせるものを、ぼくは上位に位置づけするし、それを評価する」と、思うところを正直にいったりもする。「きれいな写真ですねぇ」などと感心している場合じゃないのだ。 もちろんぼくだって、自然の美しさや偉大さに敬服したり感応する能力は人並みに持っている。だが、「誰が撮っても似たり寄ったり」となりそうなものに(同じ写真はこの世に2枚とないことを考えれば、必ずしもそうなるかは疑問の余地があるのだが)、敢えてレンズを向けたり、シャッターを切ることにどうしても躊躇してしまう。自己を主張する何かが発見できないと撮る気が起こらないのだ。 時には次のようなこともある。他人の写真を拝見した時に、「このようにありふれた被写体を、あなた流にイメージし、上手にアレンジしましたね。そして心血を注いで撮りました。見事な出来映えです」と感服することがある。 「あなたしか撮れない写真」をぼくは殊のほか高く評価するし、そうあって欲しいと願うばかり。ぼく自身もそれを写真の本旨としている。 同じ場所を他人が撮って、感心することは「よくこんな被写体を見つけたね。ぼくは気がつかなかったし、もし気づいても上手く撮れなかったに違いない」と撮影に同行した人に打ち明けることがしばしばある。これが、ぼくの気の進まぬ、いわゆる「撮影会」というものの “唯一の値打ち” と考えている。 同じ場所に居て、発見できなかった自身を恥じるということはとても良いことであり、そして大切な精神的効果を得ることができる。 他の写真倶楽部の実情は知らないが、ぼくは昔から撮影会という集団行動がどうしても性に合わず、積極的にそれを催さなかった。メンバーから要望があれば、人任せという塩梅だ。デジタル時代になってからは、写真はシャッターを押せば誰でもが一応は撮れるので、現場での指導も自分のほうからはいい出さない。 加え、現場で指導者もどきを演じるのは、ぼくの生活信条から大きく離背しており、そんな振る舞いは傍目からしてとても小っ恥ずかしく、到底できるものではない。自分で「どの面下げて、したり顔で」と悪態をつくに決まっている。「写真はひとりで撮るもの」が、本来あるべき姿であり、それこそが本寸法と考えている。 同行者が、難問に突き当たれば、もちろんそれらしきことを指導者もどきとして、人目を気にしながらも丁寧にお伝えするが、我が倶楽部の面々は元々自尊心が必要以上に強く、干渉されることを必要以上に嫌い、唯我独尊の気質が必要以上に満ち、おっさん(ぼくのこと)などに借りをつくってたまるかとの気概が必要以上に溢れているのである。 今回掲載する栃木足利市での撮影について認(したた)めるつもりでいたのだが、蓋を開ければこのありさま。ぼくの成り行き任せもどうやら必要以上である。 https://www.amatias.com/bbs/30/683.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。 栃木県足利市。 ★「01足利」 かつて撮影会に同行した人によると、ぼくの足利市訪問は6年前とのことだ。以前お気に入りだった映画館や通りなどの様変わりに、一喜一憂したが、やはり「憂」のほうが多いかな。ショーウィンドウの向こう側に色違いのガラスコップが3個置かれ、柔らかな質感と雰囲気に思わずシャッターを切る。 絞りf8.0、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.33。 ★「02足利」 野外のベニヤ板にピン留めされたこの丈夫なポスターは6年以上前のもので、埃が積み重なり、顔を酷く汚していたが、美人ぶりは変わらずだった。以前に訪問した時は、この被写体の面白さに気づかず、撮っていない。 絞りf11.0、1/400秒、ISO 100、露出補正-0.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/03/15(金) |
第682回:学びは失敗から |
大それた標題を掲げてしまったが、それは昔から世でいわれる「失敗は成功のもと」と同じような意味合いと捉えてもらっていい。誰もが幾度か耳にした覚えのある諺であろう。
失敗は、残念ながらどのような人たちにも生きている限り常に平等にやってくる。いってみれば逃れようがない宿痾のようなものだ。この事実は、だがしかし、こと写真に関する限り、ぼくにとって命のやり取りでもある切実な問題となる。写真を生業としてしまったのだから、それも已(や)む無しといったところだ。 だが、拙稿を読まれる読者諸兄の大方は、写真を趣味として、まず楽しむことに主眼を置いておられるであろうと推察しているのだが、趣味とはいえ、やはり満足や歓びの得られる作品を如何にして体験できるかを、特に熱心な方は藁をも掴むような気持で !? 臨んでおられるのだろうと勝手ながらに想像している。時には、生き甲斐としておられる方もいよう。写真に、プロもアマもないのだが、楽しむことはアマチュアの特権であり、それを放棄せざるを得ないのがプロであると、ぼくは大雑把ながらにそう考えている。 そんな含みを持って、ぼくは身分不相応をよくよく知りながら、写真倶楽部を主宰し(事始めは強要されたものだが)、指導者もどきを演じている。もしぼくがアマチュアであれば、指導者もどきとはいえ、とても引き受けることなどできなかっただろうし、実際にしていない。とてもそんな勇気は持ち合わせていない。 写真好きの方々の作品を毎月の勉強会で、あるいは年一度の大がかりな作品展の選考委員をさせていただいているので、多くの作品を拝見する機会に恵まれている。時には、見ず知らずの方からの要望もある。 プロとはいえ、アマチュアの方々の作品から学ぶこと多々ありというのが正直なところであり、また気づきを与えられることもある。自分とは異なる人生を歩んできた人たちの作品から受ける刺激も、ぼくの貴重な財産となり得ている。 月一度の我が倶楽部の勉強会でも、ぼくは様々な試みをしてくる生徒たちの作品から非常に良い刺激を受けたり、考えさせられることが多い。身分不相応といいながらも、倶楽部を主宰してよかったと実感している。 幾ばくかの授業料をいただきながら、ぼくは落語の名演目のひとつ『三方一両損』(さんぽういちりょうぞん)ならぬその逆である御利益をちゃっかりいただいているのだ。つまり授業料をいただきながら、貴重なものを得ているのである。この倶楽部が21年間も生き存(ながら)えたのは、どうやらぼくの通暁なる? 良からぬ料簡からかも知れない。 「1を相手に教える、もしくは伝えるには、こちらが10を知っていなければならない」のがぼくの持論なのだが、したがって怠慢・横着が服を着て歩いているようなぼくでさえ、彼らに隠れてしめやかに勉強をしなければならず、また普段から偉っそうなことばかり唱えている手前、それ相応の作品を提示しなければならない。これが最も辛いところだ。 何故なら、勉強というものはちゃんとすればあるところまでは達することができるが、だからといって作品もそれに追随して成せるわけではない。そう上手くは問屋が卸してくれないので、そこが猛烈に辛いところなのだ。 しかし、そのお陰で、ぼくは得るものを得ているわけで、『三方一両損』ならぬ『三方一両得』を体感していると、殊勝ながらも感謝の気持ちを持って、お陰様、21年をどうにかやり過ごしてきた。 今月の勉強会で、生徒のひとり(以下Aさん)が蓮の枯れた花托に群がる蜂の写真を何枚か持って来た。Aさんは写真に取り組み始めてまだ日が浅いのだが、とても良い感覚と目的意識を持っている。まだ技術が伴わないのは仕方のないことなので、ぼくはそれには頓着せず、技術論の言及を避けた。 後日、それらの写真についてAさんばかりでなく全員宛のメールにて、何故思い通りに写せなかったのかについて、あれこれと注意点を述べた。そして、烏滸がましいと思いつつ、参考として過去にぼくの撮った蓮の花托の写真を2点添付した。 注意点のほかに、ぼくは以下のようなことを同メールで述べた。それを要約すると、当たり前のことなのだが、上達のためには根気よく場数を踏まなければならないと。同じことを何度も飽くことなく繰り返せということだ。それなくして、欠陥の発見もなければ、修正の方策も見つからない。つまり、経験値の大切さについて、ぼくはメールでも同じように “偉っそう” に書き連ねたのだった。「急がば回れ」と、古人の教えに学ぶのが最良の方法だと信じている。 ぼくは商売人なので、場数(経験)の多さだけは他に引けを取らないのだが、当然それに比例して失敗も多い。Aさんに「あなたに限らず、どんなベテランでも同じ過ちを犯すものだが、それを少しずつ克服していかないと前進・上達はままならないものだ」とつけ加えた。 おそらくは、成功より失敗のほうが、より学びが多いものだとぼくは思っている。成功は今までの積み重ねで得るものだが、失敗はより能動的な精神の活動がなければ、失うものが多い。きっと、成功より失敗のほうが得るもの大だとするほうが、より建設的な思考である。失敗は、失意を助長する場合があるが、それは本人の気持ち次第ではないだろうか。齢76にして、先はまったく見通せず、暗闇での手探りが、やがてカメラを持てず、歩けずの状態になるまで続くのだろう。 https://www.amatias.com/bbs/30/682.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mmF2.8L Macro IS USM。RF24-105mm F4.0L IS USM。 栃木県栃木市。 ★「01栃木」 以前にも同じ被写体を掲載した記憶がある。柄にもなく少しばかり反省した部分もあり、「今度こそ」との意気込みだったのだが・・・。曇天の日暮れ間近に。 絞りf7.1、1/125秒、ISO 5000、露出補正-0.33。 ★「02栃木」 10年以上も前に閉店した中華料理店の食品サンプル。埃だらけのガラス越しに、青カビの発生した餃子が見え、ラーメンは傾いてしまっている。このなにか侘しい佇まいは何度訪れても、思わずレンズを向け、どう切り取れば良いかに、今回も懲りずに苦心惨憺。 絞りf9.0、1/125秒、ISO 1600、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/03/08(金) |
第681回:写真解説 |
掲載写真についての撮影データをはじめ、必要最小限のことを記してきたつもりだが、読者諸兄から、撮影時に於けるイメージ構築やそこで感じたことについてもう少し詳しく述べて欲しいとのご要望をしばしばいただいていた。かなり丈の高い質問である。
つまり、掲載写真についての、ぼくの2,3行の記述では、「簡単に過ぎる」ということらしい。「出し惜しみをしないで、もう少し開示しろ」とのことなのだろうが、それはぼくにとって恐れ多くも、大変ありがたいことと思っている。 お応えすることはまったくやぶさかではないのだが、一方で自身の写真についてのあれやこれやを書き連ねることに少しばかりの抵抗感がぼくにはいつも付きまとっている。作者が自身の作品について、必要以上のことを語るのは、野暮天と不粋、そして無礼の極みであると、ぼくは若い頃からそう思ってきた。自由な気持で作品に接したい時、それはまったくの「大きなお世話」というものだ。 故にぼくはそれを憚ってきたのだが、その振る舞いは、「控え目」だとか「横着」だとか、ぼくの相反する性格によるものではないし、ましてや「出し惜しみ」からでもない。 物分かりの良いか悪いか分からぬややこしい(語源は京言葉。物事がこんがらがって厄介なこと)友人にいわせると、「何事についても、取り敢えずはいわずにいられない君の性格からして、出し惜しみなどするはずがない」のだそうで、ややこしい友人もたまには正しいことをいう。 ぼくが述べずにいるのは、書き出したら少なくとも4〜5回の連載となってしまうことは火を見るより明らかだからだ。しかも読み手に理解を求めるにはぼくの筆力では難しく、しかも内容的に面白くなく、そしてさほど興味深い事柄でもないと思われるので、ぼくは敢えてそれを避けてきた。 労力の割に、つまらないということだ。この歳になってエネルギーの節約を考慮せずにはおれず、「割に合わない」ことは可能な限り避けるのが賢明であると決めてかかっている。「労多くして功少なし」というわけだ。 既述の如く、多くを述べないのは出し惜しみなどではなく、昨今の写真界で、最早当たり前のようになってしまった悪習について酷い嫌悪感を持っているからだ。ぼくの説明や解説が、そこに僅かながら抵触しているかも知れないと思うとどうしても筆が進まない。 その悪習とは、作品に「題名」を付けるという行為は一種の極めて姑息な印象操作であり、誘導でもある。「題名」なんてものは、99%が後付けであり、後出しジャンケンそのものではないか! そこまでして、自身の作品に共感を呼び起こしたいのだろうか? 作品を観る側にとって「題名」は、本当に「大きなお世話」なのである。 しかし、こんな薄気味悪くも小っ恥ずかしいことを、しかも後味の悪いことを大の大人が何の問題意識もなく敢行する(もしくは強要する)ものだと、呆れてしまう。したがって、ぼくの掲載写真の説明は、それらとは一線を画したものでなくてはならないし、第一に読者のみなさんに礼を逸するものだ。もちろん、ぼくは自身の作品に「題名」など付けたことはないが、必要最小限の情報は、本稿の性質上、あって然るべきだと思っている。第一、それは「題名」の類ではない。 或る規模の大きな写真展の当落の基準に、「題名」も加味されると審査員がいうのだから、その劣悪粗悪な気運に開いた口が塞がらない。とんでもない頓珍漢をやらかして、安穏としている審査員の多くをぼくはよく知っている。 以前に本稿にてぼくは何故写真に「題名」を付けないのかについて持論を展開したことがある。その考えは今も変わらずにいるので、ここで改めて長々と記すことはしない。 今回の掲載写真「01栃木」は、今や全国区になりつつある銭湯だ。プロ・アマを問わず、かなり多くの方が撮っている。栃木市の歌麿通りにある創業明治22年(1889年)の銭湯「玉川の湯」(別名金魚湯)で、一年前に訪れた時は、内部を案内してもらい、写真も撮らせていただいた。そんなわけで、金魚湯は馴染み深く、もう何十回もこの前を行ったり来たりしている。 写真は、この銭湯のシンボルマークである金魚。入口の両袖に掲げられた2枚のうちの1枚で、向かって右側のもの。青のアクリル板に金魚が可愛く描かれている。今まで何度か撮ったが、今回やっと “ぼくの金魚” が撮れたような気がする。今まで失敗した主な原因は、やはりイメージが貧困だったからだ。アクリル板の写り込みや全体の色合い、そしてコントラストがどうしても思うに任せなかった。そして、今回やっと水中にいる金魚が、立体感と透明感を持って動感豊かに描けたような気がする。ほんの些細なことなのだが、写真とは何とデリケートなものなのかと、今更ながらにぼくは深く感じ入っている。 と、このくらい正直なところを書けば、ぼくに注文をされた読者諸兄は納得されるだろうか。撮影は瞬時のことなので、これ以上書けば、どこかに作り事が混じってしまう恐れありというところだ。それでは、「題名」と同じ罪を犯すことになりそうだ。 「02栃木」の八手(やつで)写真。ぼくは八手を見ると、ついレンズを向けてしまう。つまり、ぼくの習性でもあり、それほど好きなのだ。したがって、八手の写真はたくさんあるが、どれも良い出来!? だと自画自賛しておく。実が線香花火のように面白く、どんな八手でも何故か葉が艶やかで埃が積もっていないのが不思議でならない。埃自動払拭装置という変なものがこの植物には備わっているに違いない。 この八手も、自動車の往来の多い通りの脇道に生えていたものだ。艶やかな葉と可愛らしい実。光(光質と方向性)のバランス(コントラスト)などが相まって、「モノクロ写真、1枚出来上がり。1発で決めろよ!」と呟き、1カットだけいただいた。「嗚呼、また性懲りもなく撮っちまったよ!」。 https://www.amatias.com/bbs/30/681.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。RF100mmF2.8L Macro IS USM。 栃木県栃木市。 ★「01栃木」 絞りf5.0、1/100秒、ISO 500、露出補正-0.67。 ★「02栃木」 絞りf9.0、1/60秒、ISO 1600、露出補正-1.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/03/01(金) |
第680回:写真のための自己回顧 |
ぼくは自認するところ、決して社交的な人間ではなく、むしろその反対であり、えらく人見知りをする。だが、恥ずかしがり屋というわけではない。そのような性格なので、できるだけ、人とは会いたくない。自分ひとりで遊ぶのが好きなのだ。
ぼくはこれでも気を遣うほうなので、したがって、知らない人の前では、まったくの借りてきた猫状態。だが、それでは人並みの人間生活を送るには困ることがしばしばある。なかなか上手く行かないものだ。 ぼくをよく知るほんの一部の友人を除き、他の人々は本心より、「かめやまは、人付き合いが良く、穏やかで物腰が柔らかく、いつもニコニコと愛想が良い。そして、物分かりが良い」と、ぼくの好きでない宮澤賢治の詩のように、良いことずくめのようにいう。彼らは、ぼくがその振りをしているだけということを見抜けないでいるのだ。これを人迷惑な錯覚といい、ぼくの素振りは、世を忍ぶ仮の姿に他ならない。しかしよくもまぁ、これだけ人を騙せるものだと自ら感心さえする。否、騙しているのではなく、相手が勝手にそう決めつけているだけなので、ぼくに一切の落ち度はないし、良心の呵責もない。 だが、古くからの友人たちは少数ではあるが、ぼくの正体を知っている。では何故そのような誤解を招くのかといえば、ぼくを少しは知っていると横着にも宣う彼らは、「 “一見” 当たりが柔らかく、 “一見” 優しそうで、しかも “一見” 丁寧な応対をするから、君を知らない人は10人中9人までがそれに引きずられ、騙される」のだとか。「騙される」とは恐れ入るが、兎にも角にも「一見」がついて回る。 だが、ぼく自身は、多くの人に好かれたり、親愛感を持たれるより、「一見そのように見えるのだが、実はそうではない」というほうが遙かに好ましいし、生き易いと考えている。ぼくにとって、自分を偽る必要がないからだ。 もしぼくが少しでも如才なく振る舞っていると勘違いしている人たちがいるとすれば、ぼくの振る舞いは虚飾に満ちたものであり、とどのつまりトンデモペテン師であり、荒唐無稽も甚だしい奴だ。そこには、ぼくに対する理解に誤謬を生じさせ、 “誤解” と “錯覚” によりぼくは大きな悲劇と悲哀、加え喜劇が何の目的もなく背負わされていることになる。 ぼくは俗にいう口八丁手八丁の、誰からもよく見られたいと愛想良く振る舞う「八方美人」を「芸者や幇間じゃあるまいし」と酷く嫌う。その様かなり極端で、頑なな「一方美人」なのだ。こと好き嫌いに関する限り、ぼくはまったくの融通無碍を押し通している。きっと、ぼくの写真もそれに倣っているが、巷に跋扈するいわゆる「写真芸者」だけにはなりたくない。 もしかしたら現在も、他人への配慮は必要だが、身を守るための方便として、他に良い方法が見つけられないでいるように思えてならない。 幼児期のある物事をきっかけに、端的な人見知りと恐怖心が身につき、馴染みのある人間としか頑愚にも口を利かなくなった。幼心ながらもそれは、猜疑心などという心理的で、かつ複雑なものでなく、もっと本能的なものであり、その中心核は不信感と恐怖心から来たものだった。 初対面の人には、大人であっても同輩であっても余程心を許さない限り、決して口を開こうとはしなかった。相手に対する好き嫌いがすべてを支配していたといっても過言ではない。婉曲にいえば我が儘ということになるのだろうが、現時点ではそれを否定しておく。 子供にとって、物事の好き嫌いは、生活の基本軸となり得るものである。若ければ若いほど、人は嫌いなものを拒否し、また撥ね付けるという挙に出るものだ。それで良いと思っている。 歳を取り、百歩譲って、黙して相槌を打つのが精一杯と思うようになってきた。自分の意志を伝えるにはこれしか手の打ちようがないのである。 小学校4年時の、担任の先生の指導よろしく、ぼくは活発で十人並み以上の悪ガキに成長していったが、やがて大人になり、そして社会人に至って、かつての忌まわしい症状がぶり返し(病気だとする見方は誤りであり、それがぼくの稟質ともいうべきものなのだろう)、集団での人付き合いが徐々に苦手となっていった。社会人となった自身の周りにいる人間たちへの不信感が時とともに増幅の一途を辿った。 誰とでも「そつなく、可もなく不可もなく、付き合う」ことに大変な労苦と抵抗感を覚えるようになった。「そんな器用なことなどできるものか。第一、どんな必要性があるのだ」とのストレスたるや、生半可なものではなかった。 余談だが、ぼくの二度にわたるがん発症(胃がんと大腸がん)は、国立がん研究センターの、長時間に及ぶ先生の聞き取り調査によると、主たる原因は「ストレス」であろうとのことだった。「普段の不摂生や不養生」とか「不料簡の成せる業」といわれないだけ、まだ救いがあった。 写真屋になってからは、ますますその気配を強め、顕著なものとなっていった。フリーランスの人間が、これでは困るなぁといつも思っていたが、容易に軌道修正ができるものではなかった。そんな自分をよく知っているので、できる限り相手に不快感だけは与えないようにと努めてきた。 だがしかし、編集者時代は会社の一員だったが、写真屋は独りぼっちなので、誰の目を憚ることなく、そして約束事を遵守し、誠実に仕事をすれば、下手でもなんとかやって行けそうだとの目論見は当たっていた。長い間の写真生活で、ポートフォリオ(作品集)を持って、営業に走り回ることを一度もせずに済んだことは、ぼくの心得がそう間違ってはいなかったからだろうと、今になって思っている。 https://www.amatias.com/bbs/30/680.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF100mmF2.8L Macro IS USM、RF24-105mm F4.0L IS USM。 栃木県栃木市。 ★「01栃木」 女子高生の制服にご執心の怪しいジジィ。「何て美しい!」と感嘆。矯(た)めつ眇(すが)めつ、制服をなめ回すように5分ほど凝視しているのだから、通報されても仕方ないか。写り込みのあれやこれやを計算して。 絞りf4.5、1/100秒、ISO 800、露出補正-0.67。 ★「02栃木」 栃木市へ通い始めた当初より、和服店に掲げられているポスター。もう何年も、夏も冬も夕日を浴びているのだろう。行く度に撮るのだが、やっとましな物が撮れた。 絞りf7.1、1/125秒、ISO 100、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/02/16(金) |
第679回:偉人の金言 |
第679回:偉人の金言
数日前、床の中で暇つぶしがてら、仰向けになって偉人の名言集を繰っていたら、次のような言葉にぶつかった。曰く「70歳を過ぎた人間の言葉には、どのようなものにも理がある」というものだった。ぼくは、心してこの文章を噛み砕こうとした。暇つぶしには打ってつけだった。 この時のぼくは何十年ぶりかで食欲がなく、その初日には過去に記憶にないほど遠い昔に体験した熱発を感じ(37.7℃というささやかなもの)た。「いざ、おいらもやっとコロナか!」と思い、PCR検査キットで調べてみたら結果は陰性で、かかりつけの医者に電話でお伺いを立てた。詳細を話したところ、医者の見立てによると「単なる風邪でしょう」と事も無げにいわれた。「もし、症状が改善されなかったら来て下さい」ともつけ加えられた。 熱こそ翌日には平熱に戻ったが、ぼくのまったくの食欲不振は以後10日間も続いた。今さらながら、美味しく食べることのありがたさを噛みしめることとなった。我が家の食を一手に担う嬶(かかあ)は、いろいろ気を遣い、食べやすいものをあれこれ用意してくれ、ぼくはそれに果敢に挑んだが、不料簡ながらも無念を晴らすほどの美味しさも嬉しさも感じなかった。「仕方なく食べる」とは、なんという浅ましくも贅沢なことと、自身を戒めた。 長引く食欲大不振にも関わらずぼくの生活はさほど大過なく、自然治癒という持久戦に持ち込むことにした。おかげで5kgほど体重が減ったが、体調が悪く気怠いというほどではなく、ましてや生活にもほとんど支障なく、普段通りの生活をしていた。本来の “怠惰” だけが、これ幸いと頭をもたげただけだった。ぼくは甲斐甲斐しくもその道義と仁義を重んじた。 だが義理堅いぼくは、掲載写真もネタ切れになったので、ネタを仕込むために東北自動車道を北上し、慣れ親しんだ栃木市に行ってみた。この日は祭日ということもあってか、通い慣れた通りも、申し合わせたようにシャッターを下ろし、ぼくは途方に暮れた。1時間半ほど歩き、100枚程度撮っただけで、大渋滞の高速道路をノロノロと帰路についた。 先月、ぼくはとうとう齢76となり、その祝いに坊主(息子)が少し贅沢な2種類の珈琲豆をプレゼントしてくれた。だが病のせいで微妙な味の違いが分かりそうもなく、残念ながらまだ賞味していない。珈琲好きの坊主に申し訳ないとの気持が湧き、僅かな味覚障害により、今飲んでは損をするので(この姑息さが如何にも貧乏くさい)、症状が改善したら、ふたりで美味しくいただこうとの了解を取り付けた。病にあって、息子にも何かと気を遣う父であった。 さて、冒頭に掲げた偉人の金言についてであるが、おそらく65%くらいは当を得ているように思われる。しかし、ぼく自身が70歳をとっくに過ぎているので、ピンとくるものに乏しい。確信を持って理あることをいえることなどほとんどないというのが今のぼくだ。 人生については分からないことがほとんどだが、ぼくの小さな人生のなかで心血を注いできたものは写真以外になく、それについて、天井を仰ぎ見ながら少し考えてみた。もちろん、自身の作品についてである。自分のことは、自分が一番知らぬこととは重々に承知だが、どこまで客観的に考察できるかを試してみるのもたまには面白い。 自身の撮る写真について常々感じていることは、「なんでおれの写真はいつもこうなってしまうのだろう? もういい加減、飽き飽きする」に尽きる。それはぼくに限らず、しかも我田引水ではなく、写真に真摯に取り組もうとしている人はみな実感することではないかと推察する。 そして、「写真は年相応のものでなければならない」といつもいっている。では、果たしてぼくの写真はどうだろうかと繰り返し問うてみる。自分がどんな人生哲学を持って写真に臨んできたかについて、写真は誤魔化しが利かないというのは、まっとうな真理だ。写真は嘘をつかない。作者と作品には、齟齬が生じないものだ。 武漢コロナで出歩くことがままならず、近辺にある花ばかり撮っていた時期があった。2年間ほどは、花の写真ばかりを掲載させていただいたように思う。 他人の撮った多くの花の写真を見たが、ほとんどの写真が、良し悪しは別として、ぼくの写真とはかなり異なり、「とても見た目がキレイ」なのだ。 いってみれば、女子中学生や女子高生が胸に手をやり、半ば夢見心地で「わぁ〜っ、キレイ!」と感嘆するようなものだ。その類がきっと万人受けし、人気があるのだろう。それもひとつの表現なので、否定はしないが、本心をいえば「作者であるあなたはどこにいるの?」、つまり「あなたの顔や姿が見えてこない」との疑問が溢れ出てくる。「写真は自己表現。生き様表現の発露たるもの」が、ぼくの本意なので、どうしても違和感を拭えない。 あるいは、量販店のHPなどで「花の撮り方」の講釈を眺めていると、「この人は、今までどんな人生を歩んできたのだろうか?」と、ぼくは要らぬお節介と知りつつ、そう嘯(うそぶ)き、怪訝な顔を精一杯してみたくなるのだ。とても年相応とは思えず、人生の襞(ひだ)が感じられないからだ。 創作に終着駅はないので、趣味であれ仕事であれ、写真を生活の大切な分野として慈しんでいるうちは、自分の体臭にいやいやながらも付き従わなくてはならないのだが、「次なる新しい自分発見」を生活の糧として臨むのが一番良いことだと今ぼくは思っている。 ぼくが今まで様々な分野の創作物を観賞し、そこで得たものを、70代の、凡人の手習いとしていわせてもらえば、「 “キレイ”と “美しい” の両者はまったくの別物であり、似て非なるものである」ということだ。キレイなものはこの世に多いが、美しいものは極めて稀というのが、ぼくの実感である。 https://www.amatias.com/bbs/30/679.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0L IS USM。 栃木県栃木市。 ★「01栃木」 どの店もシャッターが閉まっていたが、このバーは幸いなことにシャッターが開いていた。開店休業のようにも見えたが、ガラス越しに全体を柔らかく表現。 絞りf9.0、1/125秒、ISO 2000、露出補正-0.67。 ★「02栃木」 アルミサッシの窓越しに見えた玄関。 絞りf8.0、1/100秒、ISO 2000、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/02/09(金) |
第678回:写真評の苦難 |
人様の写真を評価するという身分でないことは十分に承知しているのだが、写真倶楽部を主宰している手前、ぼくは月に一度それを健気にこなしている。これは気遣いと十分な配慮が必要で(誰もそうは思っていないところが悔しい)、授業終了とともにぼくは心身衰弱の態となり、飲み会なしにはとてもやってられない。それほどに「心(しん)が疲れる」のである。
ましてや、こわ〜いご婦人方のご機嫌を窺い、時に突き刺すような視線を浴びながらの作業なので、ぼくのへたれ具合は推して知るべしだ。何事にも頑健そのものの彼女たちは、へたれというものを知らないので、彼女たちにひとりで立ち向かうには、やはりぼくは徹頭徹尾役不足なのだ。 以前に何度か述べたことがあるが、写真倶楽部は自ら進んで始めたことではなく、質の悪い同窓生やその取り巻きに、半ば強迫と恫喝により無理強いされたものだった。そうはいいつつもすでに20年以上も続けているのだから、他人のせいにできるものではない。ぼくの悲痛な言い訳にも無理がある。 自身の倶楽部ばかりでなく、他の品評会の審査委員も押しつけられ、分不相応にお引き受けしたりもしている。こちらは米国の大手企業の主催するコンテストであり、自分の倶楽部でのそれとはかなり性質も様相も異なっている。作者の顔が見えないので、自身の倶楽部とはそこが大きく異なる。 倶楽部のほうは、全員が顔見知りであり、彼らの好みや人柄をぼくなりに把握し、それに準じての写真評だが、もう一方は見ず知らずの方の作品であり、同じ土俵での写真評という具合にもいかず、かなりクールな写真評となる。いわば、一過性のきらいがある。名もなき貧しきぼくが、何故選考委員を命じられたのは、今以て不明である。 意義や目的が異なることをぼく自身が程良く理解し、そして噛み砕きながら、写真評をさせていただいている。 ぼくが20年以上おどおどしながらも倶楽部を続けられた大きな理由は、生徒たちの成長の過程が手に取るように分かり、怖気を震いながらも楽しみというものが得られるからだろう。 「次回、このような写真を撮る時には、ここに注意して」というような指示をすると、何故か殊勝を装いながら、そのように撮ってくる。思いの外、写真に関してだけは素直な面を垣間見せるので、気の良いぼくはすぐにそれに乗せられてしまうのである。「愛い奴(ういやつ)」と彼らが可愛く見えたりもするからおかしい。そこが、大きな落とし穴なのだが、ついその気にさせられるので、いつもおだてに乗せられてしまう。何事にも上手(うわて)なご婦人たち。 そんな繰り返しを何十回も飽くことなく繰り返しているうちに、確実に成果が表れてくるので、「写真など人に教えられるものではない」といいつつも、やはり教え甲斐があるというもの。 我(エゴ)を振り回し、殊勝に振る舞えない人は、いつも同じ所をグルグル回っているだけで、常に自分ひとりだけが悦に入り、自分の殻から飛び出せない。そのようなタイプの人はぼくの手に余り、「どうしたものか?」と頭を悩ます。相手を傷つけず、少しずつ矯正していくしかないというのが、目下の考えだが、なかなか至難の業といったところ。幸いなことに、現メンバーにはこのような我を張る人がいないので、これでもぼくはずいぶんと気が楽になった。 長年の心労が祟り、また寄る年波ということもあってか、先週の月例会(土曜日)にぼくはとうとうダウン。授業は午後1時〜5時までの4時間なのだが、その間、何度か「気が飛ぶ」というかつてない不思議な現象に見舞われた。瞬間的に意識が飛び、ぼくはとうとう腰から床にドサッと崩れ落ちた。 この時ばかりは、こわ〜いご婦人方も普段滅多に見せない母性を覚まされたのか、「厄介者ねぇ」と思いつつも、ぼくを案じてくれた。聞くところによると、「ぼくは男の子なんだから大丈夫」を何度か繰り返し、つまらぬ意地に固執したようだった。「もうジジィだからダメだ。大事にせい!」といったほうが的を射ていたと思っている。だが、こちらが弱気を見せると嵩(かさ)に掛かって攻め込んでくるので、やはり要警戒だ。 ぼくのおでこに手を当て、「あっ、熱がある。知恵熱だわ」、「鬼の霍乱ね」、「青菜に塩かも」とか、それぞれ好き勝手に囃し立てている。ほんに怖い母性だ。 とうとうこの日は、倶楽部始まって以来初めての、夜の部(飲み会)欠席となった。能登の七尾でご家族が震災に遭われた建築家のT氏が、家に取って返し、車を用意してくれ、ぼくを家まで送り届けてくれた。七尾の実家に戻った際に撮った無補整の写真(輪島市なども)をノートパソコンで見せてくれたが、彼によると「まだ写真を補整する気になれないんすよ」といっていた。それが今の彼の、偽りのない気持であろうことは、想像に難くない。貴重な写真なので、感情を移入した彼の写真をそのうち拝見できればと願っている。 腰から砕け落ちた日からすでに6日が経とうとしているが、熱こそないものの、まったく食欲がなく、この原稿を書きながらも、頭も体も借り物のような状態で、フワフワ・ポーッとし、目の焦点が合わず、まるで空中浮遊のようなありさまである。 原稿の出来不出来は別として、連載を始めて以来まだ穴を空けたことがないので、今意地になって書いている。「ジジィだから、ダメだ」といわせたくない一心からである。やっぱり、ぼくはまだ男の子なのだ。 https://www.amatias.com/bbs/30/678.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF50mm F1.8 STM。RF35mm F1.8 MACRO IS STM。 埼玉県川越市。 ★「01置き時計」 店の奥にひっそり置かれた時計。ひときわ異彩を放っていた。 絞りf8.0、1/320秒、ISO 100、露出補正-0.67。 ★「02写り込み」 コーヒーショップのウィンドウに写り込んだ蔵。 絞りf8.0、1/40秒、ISO 125、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/02/02(金) |
第677回:悪夢にうなされる |
長いこと写真に従事してきて、ふと、ぼくはどんな希望や夢を抱いて、また何を原動力として、このような辛いことに勤しんでいるのだろうかと思うことが非常にしばしばある。結論は直ちに出ないが、自分に反論をするのであれば「写真屋など、よしゃ〜いいのに」というところだ。
自ら選んだ職業ではあるものの、週に一度の割合で、夢のなかをさまよい歩き、右往左往しながら二進(にっち)も三進(さっち)も行かぬところに追い込まれ、そして目覚めとともに、「夢だった」ことを知り、安堵の胸をなで下ろす。夢うつつからの覚醒に感謝さえもする。こんなことが週一の割合で、折り目正しくも定例行事となってやってくる。ぼくはその度に身の細る思いをし、悪い汗をかき、まったく生きた心地がしないのだが、それは多分、自信のなさの表れなのだろう。ご丁寧に、まったく同じ夢を何度も見る。 夢でなく、現実世界で思い通り写せず、担当者に苦い顔をさせてしまったことは何度かあるのだが、ぼくにしてみれば成功より失敗のほうが多かったように感じている。それが錯覚であれば多少の慰めになるのだが、はて、贔屓目に見て、どんなものだろうか? 仕事の出来具合は本人が最もよく知るところだ。残念ながら、満点をやれる仕事は、自慢ではないが今のところまだ一度もない。95点さえない。悔しいけれど、これは仕事の写真でも、私的な写真でも同様だ。現世でも、ぼくはやはり身の細る思いをしている。 夢の内容は、やれ、「フィルムがない」、「機材が足りない」、「ロケ地に辿り着けない」、「ストロボ(スタジオ用)の光量調整ができない」、「露出計が壊れている」、「担当者と意見が(反りが)合わない」、「あれが壊れている、これが使いものにならない」などなどに満ち溢れ、そのような悪夢の因たる負の部分を数え上げれば切りがない。夢とはいえ、そこでは “本気” になって取りかかっているので、やはり身が持たない。 凶変と盤根錯節(ばんこんさくせつ。入り組んで解決困難な事柄)が、山をなすように襲いかかってくる。こんな恐怖にまとい付かれる写真屋はぼくだけだろうか。 上記したような難儀に、現世で遭遇したことは、幸いにしてまだ一度もないのだが、将来必ずやって来るに違いない。「ドジ」を踏んだり、「ど忘れ」や「迂闊」は、生きていることの証ともいえるのだから、いつかはそんな不幸に遭遇するだろう。気の弱いぼくのこと、正夢にならぬうちに生を終えてしまいたいものだと、つとに思う。 写真屋になる以前、定期的にうなされた夢は、高校時代の中間試験や期末試験のものだった。試験日や科目を間違え、夢の中であたふたともがく。目が覚めて、「夢で良かった!」と、取り敢えず安堵のため息をつく。「あの頃、もっと勉強すればよかった」との思いに一瞬駆られるが、「ぼくにとって価値のあるものは、学校での勉強とは違うものだ」との考えが、前文を直ちに打ち砕く。 勉強などしなかったくせに、しかし悪夢だけは十人並だった。それが夢と分かった途端に、親の仇を取ったような、晴れ晴れとした気持になったものだ。ぼくにとって高校時代は、懐かしくはあるが、良い思い出は何一つなかった。校風というか、反りが合わなかったのだ。 そんなわけで、勉学に悩まされる夢を月に一度ほど見た。それが、写真屋になった途端に、忍者のように姿をくらまし、ぼくの前からいなくなった。 勉学の、強迫観念による夢は、徒弟制度を経て駆け出しのカメラマンになったと同時に雲散霧消し、もう40年近く高校時代の、自身の姿を見ていない。親の仇はとっくに取ったように思えた。 試験の悪夢が、写真のそれに取って代わり、小癪な代役をしっかり務めた。人生、誠に以て油断も隙もありゃしない。知らぬうちに、さらに厳しくも執拗な返り討ちに遭うことになったのである。 写真の趣味が高じ、生業にしてしまった動機のひとつは、若い頃に読んだ平凡社刊の『世界教養全集』(1960-63年刊。全34巻 + 別巻4冊)に書かれてあった文言だった。誰の言葉だったかはっきりした記憶がないのだが、それは、「ものの真髄はプロにならなければ分からない」というものだった。微かな記憶によると、それは文学者か、陶芸家だったような気がする。否、画家だったか? 余談だが、この全集は2010年に、すでに本の屋敷と化し、床が抜けかけていた我が家をリフォームした際に、本好きにさし上げたので、今は手許にない。 この全集を読み漁っていたのは編集者時代のことで、当時ぼくは職業柄多くの専門家や職人、芸術家と触れ合うことができた。なかには、心を通わせることのできた人たちも多く、ぼくはそんな彼らのほんの些細な動作や、ちょっとした振る舞いから、「道を究めるには、プロになるしかない」との確信を抱くようになった。実際、彼らは身をもってそれを指し示してくれた。特に、職人の所作は、簡素で無駄がなく、美しいの一言に尽きた。 師匠の元を離れ、カメラマンのひよっことなった当時から、こんにちに至るまで、「撮影に慣れる」ということはない。仕事の写真は、どれほどの場数を踏んでも、ただひたすら怖く、恐ろしく、小便をちびるような思いだ。決して、大仰な表現ではなく、そのくらいぼくは怖じ気づく。粘着性の強い恐怖が脳味噌にこびり付き、始終夢を見るのだろう。 写真に「身を投じる」ことの浅ましさを演じた報いが、悪夢にうなされるという結果を生んだわけだが、もしそれが分かっていても、この道を選んだに違いない。もしかして、良い写真が1枚撮れれば、許してもらえるのだろうと思っている。写真に「もしかして」なんてことは、決してあり得ないのだが。 https://www.amatias.com/bbs/30/677.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF50mm F1.8 STM。RF24-105mm F4.0 L IS USM。 埼玉県川越市。 ★「01干し物」 ありふれた被写体だが、美しいモノクロ写真を撮ってみようとの気になった。 絞りf5.6、1/160秒、ISO 320、露出補正ノーマル。 ★「02ガラス越し」 古着店のマネキンに着せられたTシャツ。模様のプリントがひび割れ、ガラスは乱反射。画面左の黒の部分はぼくの陰。 絞りf5.6、1/50秒、ISO 100、露出補正-1.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/01/26(金) |
第676回:銀粒子が恋しい(3) |
前回と前々回にわたり、横道に逸れながらも本題について思うところを述べてきた。だが題目にまつわる大きな欠点は、科学信奉のきらいのあるぼくではあるが、残念ながら科学的な根拠に基づいて述べていないところにある。 “述べていない” のではなく “述べることができない” というほうが正直なところだ。そのことはとどのつまり、学者・研究者のような専門的知識を持ち合わせていないことに尽きる。
言い訳をするつもりはないのだが、ぼくは写真を撮る側の人間であり、デジタル、フィルムを問うことなく、写真に於ける構造的で科学的な論理には携わっておらず、どうしても感覚的な思考に頼りがちとなってしまう。 だが、いくら撮る側の人間といっても、多少の科学的な論拠を示さなければ、それは無責任との誹(そし)りを免れない。 感覚的とはいえ、「銀粒子が恋しい」についての所見の頼り処は、何万枚のフィルムをライトテーブルの上に乗せ、倍率の高いルーペを用い、そこで覗き見た世界にある。その発見を公に語って良いものかどうかについてぼくは今、勝手に呻吟している。多分、そんな苦しみやうめきも、ぼくの写真のどこかに潜み、時に表出しているのだろうと感じる。創造は、苦悶あればこそなのだから。 もちろん、このようなルーペ越しの気づき(発見)はぼくばかりでなく、かなりの撮影者が感じていることかも知れないが、その気づきについて述べている人、もしくは文章を見たことがない。それを知ったところで、良い写真に通じるわけではないので、撮影者の立場をして、「君子危うきに近寄らず」というところなのだろう。賢い人は科学的な論拠に基づかないものを述べないものだ。 あやふやなことを公に述べることは、昨今、特に注意と警戒を要するらしい。だが、ぼくはどこから突っ込まれても、そのお説を謙虚に受け止めればいいだけの話ではないかと思っている。その気構えがなければ、676回も回を重ねられない。幸か不幸か、今まで突っ込まれたことはないけれど。 さて、フィルム・プリントから受ける「柔らかさや優しさ」、大型カメラによる描写の「艶っぽさ」、そしてフィルム上に生じている「にじみ」との相関関係について私見を述べてみようと思うが、それはあくまで半ば推論に過ぎぬのだが、高倍率のルーペで見ることのできるフィルムは、デジタルとは異なる画像形成の面白さがある。 Wikipediaによると、「写真フィルムとは、写真撮影(映画も含む)においてカメラによって得られた映像を記録する感光材料であり、現像することにより記録媒体となるフィルムのこと」、そして「一般的な銀塩写真のフィルムは、透明なフィルムのベース(支持体)にゼラチンと呼ばれる、銀塩を含む感光乳剤が塗布されている」とある。 ここに記されたフィルムのベースとは、かつては燃えやすく、それを避けるために、30年ほど前ポリエステル製に取って代わった。 ぼくが初めて大型カメラを使用した時の衝撃は今も鮮烈に脳裏に焼き付いている。それまでは、ベースの薄い35mm(小型カメラ用)やブローニーフィルム(中型カメラ用)を使用していたが、平面性を重視しなければならない大型カメラで撮影した厚いフィルムを現像し、それをルーペで確認した際、「ピンボケやないか!」と非常なショックを受け、まずレンズを疑った。しかし、他の優秀なレンズを試しても、結果はやはりピンボケに見えたのである。 ピンボケに見えたその一因として、ぼくはレンズを疑うのではなく、フィルムの平面性を保つに必要なベースの厚さにあるのではないかと考えた。大型カメラに使用する厚手のシートフィルムの代わりに、35mm用の薄いフィルムを貼り付け、大型カメラで撮ってみたのである。 結果は、大型カメラに使用するシートフィルムを凌いだのだった。「はるかに凌いだ」といいたいのだが、実際はそうでなく、そしてあれこれ実験するうちに、レンズも小型や中型用レンズにくらべると、やや解像度が低いことが判明した。だが、根本的な原因は厚いベースにあると結論づけた。小型、中型用レンズと大型用のレンズは、そもそも設計思想が異なる(収差やイメージサークルなどの問題)ので、今この問題には触れない。 大型カメラは、フィルム自体が大きく(4 x 5インチや8 x 10インチ)、多少解像度を犠牲にしても、小型カメラや中型カメラにくらべ、描写の解像度は物の数ではない。それほど画像全体から受ける繊細さやグラデーションの滑らかさは殊のほか長けている。 ピンボケに見える主な原因は、厚いベースと多層に塗られた感光乳剤の内部で起こる光の乱反射のためとぼくは結論づけた。ぼくの持論が、実際に科学的に頷けるものかどうかは、どこかの研究室にお任せするとして、「ピンボケ」に見える一因であることにはかなりの確信を抱いている。 ルーペで凝視する「線」や「コントラストの高い際(きわ)」は「にじんで見える」のだ。この「にじみ」の集合体が、像を形成し、総体的に「柔らかさや優しさ」を奏で、「艶っぽさ」を演じているのだろうと考えている。「にじみ」の効用というわけだ。 デジタル写真から発せられる「キリキリ、バリバリ、ギリギリ、パキパキ」という擬音を感じない要因のひとつだとぼくは考えている。フィルムは、「にじみ」にグラデーションがあるが、デジタルのそれはあくまで四角のギザギザだ。その集大成の違いなのだろうと思う。 ある著名なフィルム愛用写真家の「フィルムは水を使うからいいんだよ」との理論よりは、ぼくのほうがずっと理論的だと思うのだが、如何であろうか? https://www.amatias.com/bbs/30/676.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM。 埼玉県川越市。 ★「01汚れたポスター」 『ほかげ』(2023年。塚本晋也監督)の映画ポスター。年季の入ったモルタル塀に無造作に貼られていた。このような表現(暗室作業)は、デジタルの独壇場。 絞りf5.6、1/100秒、ISO 100、露出補正-1.00。 ★「02ガラス越し」 正月明けに訪れた日は水曜日で、目当てだった「大正通り」はすべて閉店。ショーウィンドウの隙間越しに見えた、獅子頭を。 絞りf5.0、1/100秒、ISO 1250、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/01/19(金) |
第675回:銀粒子が恋しい(2) |
激しくも刺激的な擬音(前号参照)を発生しているデジタル画像について、ぼくはフィルムを懐かしんで述べているのではない。そこのところ、どうか誤解なさらずに。
デジタルにはデジタルならではの良さを十分に理解しているからこそ、あるいは逆にフィルムの良さを十分に認識しているが(ぼくの写真生活は、厳密にいうと44年間がフィルム。デジタルは22年間)、再びフィルムの描写に惹かれることはあっても戻る気はないということを、ここで改めてお伝えしておきたい。 そもそも論となるが、フィルムとデジタルでは、画像を形成する仕組みそのものが、物理的・科学的に異なることはすでにみなさんもご承知であり、したがって、それらを同じ土俵に上げて比較することほど虚無で無謀なことはない。端的にいえば、それぞれの良さがあるということに尽きる。これは、もはや良し悪しの問題ではなく、好き嫌いの範疇に入る。どちらを優先するかは個人の問題であり、そこに他人が立ち入り、是非を論じても話は前に進まない。第一にそんな論争は建設的ではない。 一方で、フィルムはこんにちまで約250年の歴史を有しており、そこで熟成されてきたものだが、栄枯盛衰は世の常である。乱暴な喩えだが、年寄りは、より多くの体験を重ねているが、だからといってその言動がいつも正しいとは限らないのと同じである。因って以て、年寄りは、ひたすら “しおらしく” あらねばならない。 科学の進歩は日進月歩であり、新しい方式が生まれる度に、必ずそのような論争が巻き起こるのは人の常である。デジタルが世に出始めた頃の論争はまっとうなこととぼくは捉えている。その違いについて、大いに論争してもいいとさえ考えている。 科学の進歩によりつくり出されたものを実際に手にし、検証もし、自身にとって長所を見出すことができれば、如何に自分のものとして取り入れ、生かしていくかというのが、現代に生きる者の知恵というものだ。これには相当な努力と時間を要する。今ぼくは既に市民権を得ているデジタルの利点を大いに活用しようとしているだけのことだ。 つけ加えるのであれば、写真を生業としている以上、クライアントが要求するものは、もう約20年来、99% がデジタル画像であることも、ぼくがデジタル一辺倒となった一因でもある。良し悪し、好き嫌いなどいっている場合ではなかったのである。本稿掲載写真もそれに準じたものであることは論を俟たない。 実際に、デジタルが採用された当初、年配のデザイナーやカメラマンが職を離れた。そのような人々をぼくは身近に何人か見ている。 写真創生期より、レンズ設計者は被写体をより精緻に、如何に細かいところまで描写できるかという課題に懸命に取り組んできた。そしてまた、撮影者もそのような機材を求めて、懐を痛めたのである。写真は金のかかる贅沢な趣味だ。それはきっと、程度の差こそあれ愛好家となれば現在に於いてもそうだろう。ぼくとて、かつてはその贅沢に、身の程知らずを演じてきた(過去形)。 長かったアマチュア時代を経て、写真を商売とした途端にぼくの道楽は影を潜め、他の趣味の一切を放棄した。やはり、そんなことをしている場合ではなかったのである。ぼくは写真依頼を受け、幾ばくかの金銭を得るために、機材の品質はクライアントに対しての感謝と敬意、そして使命と受け止め、最高のものを使うのは当然のことと思っていたし、実際にそうしてきた。その思いは今も変わらないが、これは道楽の類ではない。 デジタルに取りかかった頃には、それまで愛用してきたライカも、ハッセルブラドも、リンホフも、シュナイダーも、ローデンシュットックもぼくの手許から離れていった。 仕事の写真から距離を置いた現在(たまに依頼されることはあるが)、現用のカメラやレンズは私的な写真を撮るには余りある性能との思いが強い。過去に本稿にて何度か述べた「写真の良し悪しは機材に依拠しない」のだから(前号にてスマホ写真の “画質” を腐したが、それは論旨が異なる)、もう少し性能を落とした安価なレンズでぼくは十分だという気になっている。 そのようなことをいうと、「それはかめさんがレンズやカメラ道楽を過去に散々してきたからこそいえるんだよ」と、何かにつけてぼくにケチをつけたがる友人が勝ち誇ったように鼻を膨らませ、宣った。ぼくに真偽のほどは分からないが、ぼくが最高級品でなくとも不自由なく写真を楽しめると思うようになったのは、本物に投資をし、懐を痛めてきたからこその、褒美のようなものかも知れない。 ペリカン製やモンブラン製の万年筆の味わいを知っている者が、100円のボールペンを使うのと、そのようなものを知らずして安価なボールペンを使うのとは、まったく意味が異なるのと同様なのであろう。この哲学は、亡父から叩き込まれた教えでもある。 ぼくがより安価な、たとえばレンズキットのレンズでも、私的な写真を撮るにはそれで十分だと思えるのは、上記したことに起因するのかどうかは定かではないが、そこに通ずる良い体験をしたからに間違いない。道楽にも一分の利というところか。 だがねぇ、もしそうだとすれば、ぼくの写真にはそれが反映されず、自分の納得ずくが得られないので、説得力がないね。「嗚呼!」と嘆き節の連発。 題目から外れ、話がとんだ横道に逸れて、戻れなくなってしまった。前号で、フィルム・プリントから受ける「柔らかさや優しさ」や「艶っぽさ」、そして「にじみ」の相関関係について記すつもりでいたのだが、ここで字数尽きたり。次回に持ち越さざるを得なくなってしまった。「ダメな私」と、やはりここでも嘆き節。 https://www.amatias.com/bbs/30/675.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM。 埼玉県川越市。 ★「01ガラス越し」 川越に行くとしばしば立ち寄る珈琲店。表から窓越しにダッチ珈琲のサイフォンを撮る。 絞りf4.5、1/100秒、ISO 800、露出補正-1.33。 ★「02ガラス越し」 ショーウィンドウの向こう側に貼られていた『アメリ』(2001年の仏映画。J=ピエール・ジュネ監督)のポスターを自分のイメージに添って補整。ガラスの反射が飛ばぬように露出を抑える。 絞りf6.3、1/100秒、ISO 1000、露出補正-1.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2024/01/12(金) |
第674回:銀粒子が恋しい(1) |
前回の題名「新年からの乱気流」は、能登半島の大震災や羽田の飛行機事故のことではなく、ぼくの文章が「新年から乱気流」という意味だ。今さらなのだが、相も変わらずぼくの文章は、本稿だけに関わらず、いつも何の反省もなく、宙を舞い着地点をなかなか見出せず右往左往の状態を維持しているという意味である。
自分でも「何とかならんもんか」と思うが、これが才覚というものだから仕方がない。どうにもならないのだ。だが、サディスティックな担当者は、「原稿はまだか!」と、弱い者いじめに精を出し、薄笑いを浮かべながら迫ってくるので、反省の間がないのが実情だと、新年早々、一応の言い訳をしておく。 おそらく本稿は、今時の若者向きではないだろうことはよ〜く心得ている。年老いたジジィの文章なのだ。それも出来損ないときているので、主に風変わりな(失礼!)読者対象向けなのだろうと思っている。加え、写真もそれに準じていると、変な確信さえ抱いている。 ある著名な哲人にいわせると、「己を知っているのが、本当の賢者」なのだそうだ。賢くない者は、己を知らず突っ走るのだそうである。ぼくは、果たして、そのどちらなのだろうかと、深く考える必要に、ここでも迫られている。 というわけで、今回は「銀粒子が恋しい」と題して、古今の写真の一端をお話ししてみたい。 ここでいう「銀粒子」とは、多様な意味を含んでいるが、フィルムで使用される通称「銀粒子」のことである。正確には、画像を形成し記録するためのハロゲン化銀で、「銀塩」ともいわれる。乱暴にいえば、「銀粒子」はデジタルの画像素子ピクセルにあたるものと、ここでは捉えてもいい。 「銀粒子」のややこしい能書きは抜きにして、フィルムで育ったぼくが昨今のデジタルを利用しながらも、ある種の郷愁を何故覚えるのかについて、ざっかけなく述べてみたい。 おそらく、どこの家庭でもフィルムで撮影された写真プリントが少なからずあると推察する。デジタル画像に親しんでおられる方が大半であると思われるが、かつての(現在もフィルムは生き長らえていて、愛好家も数は少なくても、確実にいる)銀塩フィルムで記録されたプリントにどのような感慨・感想をお持ちだろうかと、ぼくは興味津々といったところだ。 今、自身の撮ったフィルム時代のプリントや他人のそれを見ると、ある種の、良い意味でのノスタルジー(写真描写についての)に浸ることができる。デジタルとの違いは過去に何度か触れたことがあるが、フィルム・プリントに、そこはかとない「柔らかさや優しさ」を覚えるのはぼくだけだろうか? そのような感慨に囚われるのは、過去のものに触れるという懐古的な心緒からではなく、あくまで写真屋としての見地からである。「昔はよかった」という老人特有の決まり文句、そんな繰り言ではない。現に、フィルムを愛用する若い人を、数は多くないがぼくは何人か知っている。 年末に友人宅で見せてもらった中学時代の修学旅行時の、各クラスごとの集合写真を見ながら当時をその友人と語り合っていた。ぼくにその手の趣味はまったくないのだが、その友人は真逆で、やたら当時の話をしたがる。けれど、フィルム・プリントを見るたびに、デジタルにはない良さを発見するのは確かだ。 だが、前述したような同輩に限って、ラジオ体操に勤しんでいるとか、今の瞬間を楽しくとか、薬の世話になりながらとか、残りの人生を悔いなくとか、美術館や博物館を徘徊しているとか(「そんなことは若いときにしろ。それでこそ実になるものだ」とぼくは決まったようにいう)、そのような退廃的な賀状ばかりが、恥ずかしげもなく舞い込んでくる。そんな時、「わしゃ、のさんとよ」(のさん。九州言葉。いやになる、つらい。面倒臭いとの意)とぼくは亡父の口癖を決まり文句のように吐く。 それはさておき、フィルム・プリントからは「柔やかさや優しさ」を感じると述べたが、今のデジタルと比較してみると、誰でもが感ずるところは、先ずその解像感であろう。 デジタルは、キリキリ、バリバリ、ギリギリ、パキパキと擬音を立てているようにぼくには感じられる。特にスマホで撮ったものは、決して画質が良いとはいえぬうえに、無用なシャープネスが勝手にかけられているので(ホントに「大きなお世話だよ」と雄叫びを上げる人はいないのだろうか! このために画像はさらに劣化する)、ぼくは目を背けたくなるくらいだ。 しかし、昨今はこのような悪化の氾濫が何の抵抗もなく一般化され、そして面倒なことに市民権まで得、多くの人は「写真とは斯様なもの」として認知してしまっているように感じる。麻卑を起こしているのだ。 そしてまたスマホばかりでなく、高級機で撮られた写真も、画像にフィルムのような微妙な得も言われぬ「にじみ」が見られないので、やはり先述した特有の擬音を感じることが多々ある。 フィルムでは、最高の解像度を得られる8 x 10インチ(フィルムの大きさが20.32 x 26.4cm)の大型カメラでさえ、擬音は発生しない。それどころか、擬音に取って代わり「艶っぽさ」を感じるから不思議だ。あの「艶っぽさ」は何から派生しているのだろう。 ぼくが現在使用しているキヤノンのミラーレス一眼R6 MarkIIは、フルサイズの2420万画素だが、それを購入するにあたって、より高価な4500万画素のR5も候補のひとつだった。解像度についていえば、R6 MarkIIを凌ぐが、果たしてそんなものがぼくにとって有用だろうかと、珍しく冷静に熟慮してみた。ぼくにとって、それは間違いなくオーバースペックだった。使い勝手も、R6 MarkIIのほうが良い。懐への優しさも勝っている。 この際、声を大にして、「ぼくは珍しくも賢者だったように感じている」といってしまおう。 https://www.amatias.com/bbs/30/674.html カメラ:EOS-R6 MarkII。レンズ : RF24-105mm F4.0 L IS USM。 東京都中央区。 ★「01ガラス越し」 ショーウィンドウの向こうに貼られてあったポスターを、自身のイメージに添って補整。原画の色彩やトーンとはかなり異なっている。 絞りf5.6、1/200秒、ISO 800、露出補正ノーマル。 ★「02ガラス越し」 ショーウィンドウに面白いポーズのマネキン。これも「01」同様、自身のイメージに添って。 絞りf8.0、1/125秒、ISO 800、露出補正ノーマル。 |
(文:亀山哲郎) |