【マイタウンさいたま】ログイン 【マイタウンさいたま】店舗登録
■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

全687件中  新しい記事から  91〜 100件
先頭へ / 前へ / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / ...20 / 次へ / 最終へ  

2022/06/03(金)
第597回:秘訣なんてあってたまるか!
 「大きなお世話だよ」といいながらも、拙話に関する友人からの難癖や脅し文句をぼくは非常に面白がっている。残念ながら読者諸兄からは今のところこれに類したものがないのだが、誰に何といわれようが、ぼくはほとんど意に介さぬ可愛げのない質なので、相手も躍起になって責め立ててこようとする。これがなおさらに面白い。そこに “怒気” が加わってくればさらに面白いのだが、 “怒気” を帯びるほどの内容でないことくらいは多少わきまえているようだ。 
 前回に引き続き今回も同輩から、「君は公に “腹いせ” のできる場があっていいなぁ。羨ましい限りだ」とやっかみ半分でいってきた。行間の読めるぼくはそれを、「お前はいい気なもんだ」と解釈している。しかし、この歳になって他人を羨んではいけない。この言い草も、難癖を浴びる火付けの材料になるのだろうか。

 拙稿に記した世評に対するぼくの意見や考えは、同輩たちにいわせると、「かめやまの世間に対する “腹いせ” 」なのだそうである。誰もがよく知るこの “腹いせ” という言葉の正しい意味を確認しようといつもの如く辞書を何冊か引いてみた。
 それによると、「怒りや怨みを他の方に向けてまぎらわせ、気を晴らすこと」(広辞苑)、「怒り・恨みを他の方向に向けて晴らすこと」(大辞林)とある。語源は定まっていないが、「腹を居させる」の意からであろうという。歴史的仮名遣いは「はらゐせ」、と辞書に記されている。
 上記の観点からすれば、彼らのぼくに対する指摘はほぼその通りだと認める。ぼくには、その自覚症状こそないものの、結果的には何某かの “腹いせ” をしていると見るのがまっとうかも知れない。

 いずれにしても、ぼくの “腹いせ” と、彼らの “やっかみ” は意味こそ違え、言葉の出処と受け止め場所は大同小異というところか。つまり、着地点にたいした距離はないということである。
 ここで、 “腹いせ” の弁明をひとつだけしておくのであれば、本連載は写真に直結、もしくは関連した事柄を扱っているので(時にはまったく写真に触れないという横着の限りを尽くすこともある。今回はそうかも)、それはぼくの生業であり、時としてどうしても辛辣さを免れないとの嫌いがある。半世紀以上にわたって培ってきた信念がそうさせるのだろう。そして職業写真屋として、この世界に身を置き、一通りの修業を積んだ(つもり)人間として、少数意見であっても自身の考えを公にするのも仕事であり、また義務であろうと考えている。

 ついでながら申し添えておくと、写真を自身の「好み」と「クオリティ」とに区別することは、写真評をしたり、選考作業をするうえで欠かせぬ要素であり、その資質が問われるところでもある。「好み」と「クオリティ」を明確に区別できなければ、その資質を疑われるというのがぼくの考えだ。
 ついでながらもう一押しすれば、ぼくが写真倶楽部を運営させられ、曲がりなりにでも指導をしているその理由はたったのひとつ。それはぼくがプロであるということ。倶楽部創設時、いくら同窓生の「写真を教えろ。でなければ・・・」との老獪な脅迫があったにせよ、自身がプロでなければ決してこのような向こう見ずなことは引き受けていない。このことは、もしぼくが何か習い事をするのであれば、プロにしか手ほどきを受けないということでもある。

 ぼくは自己発信に意欲というものがほとんどないので、いわゆるSNSの類にはそっぽを向いている。する気もない代わりに、否定もしない。今の時代を生きていくうえで、ぼくがもし20歳ほど若ければ、つまり50半ばであれば考えるかも知れないが、いややはり恐らくしないだろう。ぼくがアマチュアなら、それを愉しむのもいいか、という程度である。
 しかし、YouTubeはよく見る。いろいろな分野のエキスパートの話は面白いし、ほとんどのことが写真にも当てはまるので、なおさら興味深い。

 滅多にテレビを見ないぼくだが、見る尻からテレビに向かって文句ばかりいうので、女房殿はうんざり顔をしてぼくを睨みつけ、直ちにリモコンを天空にかざし、素早くチャンネルを変えてしまう。ぼくは何か悪いことでもしたかのような錯覚に襲われるのだから、たまったものではない。
 先日、茶を飲みに居間に行ったらテレビがかかっており、ぼくは上の空で聞いていた。テレビの音声が断片的に聞こえてくる程度だったのだが、アナウンサーが何かの専門家(興味がなかったので不明)に、「修得するのに何か秘訣のようなものがありますか?」と真顔で質問していた。ここだけは都合良くはっきり聞こえた。途端にぼくは口に含んだ緑茶を思わず吹きそうになった。チャンネルを変えられる前に、ぼくは今が勝負時と心得、すぐさまテレビに向かって悪態をついた。
 「物事の修得に、秘訣なんてあってたまるか! この質問者、アホとちゃうんか!」と標準語をまったく喋れない京都人の女房殿に向かっていった。ぼくは同意を求めるためにそういったのだが、女房殿は習い事に秘訣があるとでも思い込んでいるのか、リモコンを宙に振りかざさなかった。
 ほとんどのことを取り仕切ってきた我が家の女主人が、「習い事の修得には、秘訣なるものがある」との思考の持ち主であるのなら、2人の子供たちが不憫このうえなく思え、ぼくは暗澹たる気持に襲われた。

 仮にだが、もし秘訣めいたものがあるのだとすれば、それは毎日地味で退屈な努力を欠かさず、雨の日も、風の日も、暑さも、寒さも関係なく、10年間飽くことなく続けることに尽きる、と答えるのが最も確かで責任あるものだとぼくは思うが、いかがだろうか? これにも難癖をつけられるのだろうか?

https://www.amatias.com/bbs/30/597.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
風のある時の矢車草は、首が長いだけに大変。マニュアルフォーカスで小さな蜂を辛抱強く狙う。リサイズ画像なので、蜂の羽毛が見えないのが残念。
絞りf8.0、1/320秒、ISO 800、露出補正-0.67。

★「02さいたま市」
スイカズラ。別名ニンドウ(忍冬)。右上の白は、葉の間からの木漏れ日。
絞りf5.6、1/125秒、ISO 400、露出補正-0.67。


(文:亀山 哲郎)

2022/05/27(金)
第596回:夢見る少女
 1ヶ月ほど前から、寒い冬を無事やり過ごした花々が少しずつ美しい姿を見せ始めてきた。真冬の、寒風吹きすさぶなかでの散歩は、それはそれで味わいを感じられぼくは好きなのだが、花の咲き始めはやはり心を和ませ、弾ませてくれるものがある。開花は、春の到来を五感で感じ取れる瞬間でもある。

 歩を緩め、開花し始めたそんな花にふらっと近づき、「今年も咲き始めたんだね。元気だったんだね」などと、およそぼくらしからぬ科白を吐いたりして、思わずハッとする。無言であるにも関わらず、どこか照れ臭ささを感じ、周りに人がいないことを確認しようとキョロキョロしてしまうから不思議だ。言葉ならまだしも、そっと花に近寄り、鼻を近づけ、そこに漂うものを味到しようとする自分の姿に気がつくと、それはそれはもう恰好悪いたらありゃしない。「誰にも見られていないだろうな」と、ジトッとぼくは意味もなく汗ばむ。自意識過剰なんでしょうかねぇ?
 しかし、口の悪い友人にいわせると、「かめさんは遠くのほうにいてもすぐ分かる。何故かというと、白い発光体が頭の上にボーッと見えるからだ。そのくらい君の白髪は甚だしい」と、まったく大きなお世話だ。けれど、多分そうであるに違いなく、したがって、自意識過剰には当たらない。

 約2年間、被写体としてお世話になった花々に、ぼくは感謝の気持ちを込めて、そのように振る舞ってしまうのだが、一方では心のなかに「オレとしたことが。った〜く!」との感情が確固として宿っている。やはりどこか根性がひねくれているようで、被写体に対する感謝は当然のことながらも、しかし今まで予想もしなかった自分の「花への入れ込みよう」に驚きを隠せないでいる。「なんてこった」との情動に駆られ、それはぼくの今までの写真のありようとして、年相応に健全といえば健全なのだとも思う。畢竟ぼくはこのような、少々ヘソの曲がった人間だと自覚している。

 70歳をとっくに過ぎたジジィが、まるで麗しき少女のような所作を、恥じらいもなく演じているのだから、「先祖返り」ならぬ「子供返りのボケた可愛いジジィ」とは到底思えず(思いたくない)、それどころか自分を罵倒さえしたくなる。そのほうがずっと生きやすく、気楽でもある。
 つい先日も、今を盛りと咲き誇る矢車草を眺めながら、「可愛いぃぃ〜」なんて、まるで少女のようにほざく白髪のクソジジィがいた。何を隠そう、それはぼくなのだが、相当焼きが回っている(大辞林によると、“焼きが回る”とは、「年をとるなどして衰えてにぶくなる。ぼける」とある)と見える。
 「可愛いぃぃ〜」などというより「他に何か適切な形容詞はないのかよぉ〜 それはジジィの科白じゃないだろ〜」と、正論を振りかざし、自身を猛烈な勢いでなじったりしているのだから、ぼくは極めてまっとうであり、したがって、まだ焼は回っていない。
 上記したことを前提に、以下をお読みいただきたい。

 花の咲き始める時期になると、量販店などから「花の撮り方」に類するものが画像とともに毎年案内されてくる。そこに掲載されている写真のすべてとはいわないが、大半のものが柔らかいボケ味(これに関しては筆硯を改めようと思っている)を生かし、どちらかといえばハイキー(high key)調(ハイキー。写真などをはじめとする映像で、画面全体の調子が明るいこと)なものに仕立てられている。「如何にも」という感じである。

 表現の自由を最大限に尊重するぼくは、そのこと自体については何の反論もないのだが、それは「誰が見てもきれいで、一般受けのするものの代表格であり、万人向けであるかのような錯覚を生じさせるもの」であるように思えてならない。別の言葉で表現するなら、そこに描かれた花は、まるで「夢見る少女」のようでもある。「夢見る少女」を “身の詰まった” 個性的な表現とするかどうかは、その人の美の価値観次第であるから、他人がとやかくいう筋合いのものではない。ここのところ、ぼくはとっくに了承しているが、私見ではそれを没個性の権化としている。
 配布している量販店などは、様々な顧客がいるであろうから、誰が見てもきれいに感じるとの前提を崩せないであろうことも重々承知している。ただぼくは、自分の写真を棚に上げていうのだが、もう少しクオリティの高いものを提供して欲しいと願っている。
 「夢見る少女」一辺倒では、花が可哀相だ。花にも喜怒哀楽や深い人生観があるはずだ。花の美しさの表面だけをさらっと掠(かす)めただけに過ぎないものを、見本写真として顧客に提示するのは好ましからざることと感じている。

 かつて編集者だった時に、「物書きになりたい」という人が相談に来たことがあった。ぼくはその方に「あなたが今まで読んだ小説のなかで、何が一番感動しましたか?」と訊ねた。彼女は開口一番、「はい、『赤毛のアン』です」と答えた。『赤毛のアン』は、文学には違いないが、ぼくのなかでは最も下位に位置するものだったので、若いぼくは「海外の文学も、日本文学も、あなたはもう少しマシなものを読み、それに感応できるようになってから考え直しても遅くない」と、率直に答えたことがある。
 あれから、もう半世紀近くが経とうとしているが、その質問をされれば、今も同じ答を返す。「少女趣味」という観点から述べるのだとすれば、確かに『赤毛のアン』はその筆頭に挙げてもいいだろう。それだけのものに過ぎない。

 ぼくが今回記した考えを、独断と偏見として読まれてもかまわないが、自身の人生観(感情や思想、哲学や宗教、延いては死生観など)を表出するのが創作の本道だという信念をぼくは抱いているし、ぼく自身もそれを原点とし、また座標軸にしたいと願っている。いつまでも「夢見るジジィ」でありたいものだ。「少女趣味」は、少女時代だけの特権なのである。大の男が、それをしてどうする。

https://www.amatias.com/bbs/30/596.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF100mm F2.8L Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
チェリーセージ。長さ2cm足らずの小さな花の超接写。あたかも二窒フ鳥のように見えるアングルを探しつつも、捕捉されまいと風に揺れる鳥ども。ぼくも粘る。シャッターを切り終わって立ち上がったら、強烈な立ちくらみに遭った。
絞りf8.0、1/200秒、ISO 800、露出補正-0.67。

★「02さいたま市」
たんぽぽの種子を初めて見た。一つひとつが風に吹かれて飛んでいくその様が、容易に想像できた。このバッタはぼくに尻を向けて何をしているのだろう。
絞りf10.0、1/200秒、ISO 1250、露出補正-1.00。

(文:亀山 哲郎)

2022/05/20(金)
第595回:触らぬ神に・・・
 今年3月、若人に誘われちょっと鼻の下を伸ばしながら秩父市に出向いたものの、花粉症でないぼくは突如花粉の嵐に見舞われ、突発性花粉症を誘発し(これを医学的には、 “誘発突然変異” とか “人為突然変異” というらしいのだが、確証はない)、酷い目に遭ったという話はすでに拙稿にて述べた。
 我が倶楽部に居並ぶ恐いご婦人方に、「鼻の下を伸ばすなんて、年甲斐もないことをするから花粉症になるのよ。それって祟りよ。 “触らぬ神に祟りなし” っていうでしょ。それも分からないんだから」と揶揄され、ぼくはいつもの如く指導者としての面目を失いかけた。毎度のことながら、「いわなきゃよかった」と臍(ほぞ)を噛んだ。「懲りない質」というのも、ほんに困ったものだ。

 今回の掲載写真はその時に撮影したもの。本来なら、原稿を書いた手前、間を置かず、3〜4月にかけて掲載すべきところ、あの悪夢の再来を恐れ、それがままならなかった。秩父での写真を見ると、にっちもさっちも行かなかったあの拷問のようなくしゃみと鼻水の嵐。あの襲来を恐れ、ぼくは当地での写真を見ることを避けてきた。「22.3.11秩父市」と記したフォルダーは、パソコン上からお引き取り願って、外付けハードディスクに移してしまったくらいだ。そしてまた、何故ぼくが神に祟られなくてはならないのか、どうもよく分からない。
 だが、拷問の恐怖が蘇り、臆病風に吹かれてしまうとはこのようなことを指すのだろう。秩父の写真は、まさにフラッシュバックそのものなのである。鼻の下なぞ伸ばしている場合ではないのだ。

 時が経ち、今あの時の傷もだいぶ癒え、少ない撮影枚数のなかから未掲載の何枚かを辛うじて選び出し、どうにか補整を終えたばかり。写真の出来映え(撮影と暗室作業の双方)については、「もう少し何とかなったに違いない。いや、なったはずだ」との思いを抱きつつも、「これも “かめやまの写真” 」の片鱗が窺える部分があると思われた。その一方で、内心忸怩(じくじ)たるものがあることも確かだ。
 けれど、毛穴まで入り込んだ花粉を拭うには、将棋でいうところの一手透き(次の一手で相手の王を詰むために、王手ではない指し手を一手指すこと)はかなり良い謀(はかりごと)のように思えた。

 5年前の秩父市とくらべると、ぼくの好みに合う(触手を伸ばしたくなるような被写体)建物や佇まいが少なくなったように感じられ、鼻の下を伸ばしながらも寂しい思いをしていた。秩父神社の参道ともなっている「番場通り」を中心に行ったり来たりを繰り返していたが、以前目に留まった登録有形文化財に指定されている「パリー食堂」(昭和2年。1927年建造)に突き当たった。今も健在である。

 昭和レトロを代表するような趣きのある佇まいで、ネットなどでも盛んに紹介されているが、それはぼくにとって何か違和感のあるものだった。違和感というより、その建物を笑顔で喩えるのなら、「自然な微笑み」ではなく「作り笑い」のような気がしてならなかった。口が少し “への字” に曲がっているようにも見えた。その感覚は今回も5年前と変わることがなかった。

 西洋建築の流れを取り入れ、日本独自の様式美として発展した、いわゆる「看板建築」というものにぼくは好意的なのだが、この「パリー食堂」にはどこか作為的なものを感じ、今ひとつ馴染めなかった。
 だからといって、みすみす見逃すには惜しいという気が勝ってしまい、5年前には盛んにシャッターを切ったものだ。結果は全滅で、負けん気の強いぼくは、自分の言い訳のために何らかのケチをつけたかったのかも知れない。今回、この建物に再会し、やはり5年前と同じ感覚に襲われた。これも突発性花粉症のせいだといいたいが、それには少々無理がある。今思うに、「可愛さ余って憎さ百倍」というところか。いや、やっぱり「さり気なさ」が感じられないので、可愛いとはどうあってもいえない。

 したがって、再会できた喜びはほとんどなく、ぼくは腹癒せに、「厄介なものがまた目の前に立ち塞がりやがった」と、少し乱暴な言葉遣いを連れに聞き取られないよう、うつむき加減につぶやいた。舌打ちをするよりはずっとましな行為だ。憎しみの籠もった乱暴な言葉を年下の人に聞かせてはいけないとの配慮くらいはまだ残っていた。

 5年前の惨敗を思い浮かべながら、もう一度この看板建築にくしゃみを連発しながら対峙した。今回もしっくりするアングルが見つけられず、ぼくは探しあぐねた。この建造物は全体を捉えようとするから、どこかに無理が祟って散漫になってしまうのではないかと思え、象徴的な部分を思い切って切り取ってみようと一計を立てた。そして、アングルも色調も「内向的に。あくまで内向的に。調和を崩さずに。あれもこれも撮らずに潔く1枚だけ撮る。あらかじめ立ち位置を決め、焦点距離は70mm」を呪文のように唱え、シャッターを押した。
 不似合いで不細工なアルミサッシが「作り笑い」をし、あざ笑うかのようにぼくを見下ろしていた。

https://www.amatias.com/bbs/30/595.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県秩父市。

★「01秩父市」
本文参照。
絞りf8.0、1/160秒、ISO 100、露出補正-0.67。

★「02秩父市」
汚れたシャッターに設えられたレター・ボックス。何の加減か、赤ペンキが存在を主張していた。
絞りf5.6、1/50秒、ISO 800、露出補正-1.00。


(文:亀山 哲郎)

2022/05/13(金)
第594回:個展について
 最近富みに、様々なところから「個展をしないのか?」との質問を受ける。読者諸兄のなかにもそういってくださる方が何人かいらっしゃる。個人からも、写真関係者(社)からも、そのようなありがたいお声がけやお誘いを受けるのだが、愚図ったれのぼくはなかなか踏み出せずに、時間ばかりが無情に過ぎていく。聞かれたことに対して、いつも「そうだねぇ」と生返事を繰り返している。「もうそろそろ」などと気の利いたこともいわない。
 「機が熟すのを待つ」なんて恰好をつけているわけではないのだが、ぼくは個展というものに自分なりの偏屈な信念のようなものを持っていて、それが個展をなかなか開催しない理由のひとつともなっているのだろうし、加え個展にたいした執着心も抱いていない。そして、ぼくは厚かましくも自分を写真作家などと標榜しているわけではないのだから、実のところマイペースを気取っていればいいのだと考えている。

 思い返してみれば、ぼくが最後に個展をしたのは東北大震災のあった2011年のことだから(コニカミノルタプラザ)、もうかれこれ11年もご無沙汰という勘定になる。それでさえ、50点ばかりの作品を用意するのに足掛け24年を要している。それ以前は、2005〜2006年にかけてキヤノンギャラリーが全国巡回展を催してくれたが、これも18年間の集大成だった。
 ぼくは写真中毒のタイプではないので、つまり怠け癖が身に染みついているが故、決して多作の写真屋とはいえず、気の赴くまま自分のペースを守りつつ、愉しみながら撮るほうだと自身では思っている。これがぼくの写真生活のあり方だとしているので、負い目を感じるようなことはない。これを欲目というんでしょうかねぇ。

 欲目とはいえ、大上段に振りかぶっていえば、自分の作品に対してストイックであるが故の、当然の帰結なのだと他人様には格好をつけて宣うことにしている。
 先日、クラシック音楽好きの友人もぼくを急かしてきたが、「ドイツの名指揮者カルロス・クライバー(1930 - 2004年。ぼくはクライバーを現代の第一人者として認めている)は、あまりにもストイックだったために、なかなか演奏会をしない指揮者として有名だったじゃない」と、クライバーと同一視して自らを語るぼくもすごい。なので、ぼくの言い分には説得力というものがない。

 自分の写真行為は、他人を喜ばせたり、心地良い思いを提供するためのものではなく( “見せよう” との気が勝つと、必ず作品のクオリティは落ちて行くものだ。それをぼくは「大衆迎合」と捉えている)、自身の感情や思想を率直に写真に表現できればそれで由としている。それが創作の原点だ。ましてや、他人が自分の作品をどう評価しようがぼくの知るところではない。
 元来、根がひねくれているのか、褒められても、貶(けな)されても、つまり毀誉褒貶(きよほうへん)にはまったく頓着しない性格である。「蛙の面に小便」と、ぼくは可愛げがないが、それは自尊心の裏返しなのかも知れない。
 そしてまた、斜に構え「大衆的なものほど人気を博す」(ぼくの格言)は、洋の東西に関わらず不変であるというのが持論。「大衆的なもの」を蔑んでいるのではなく、いやむしろ人間が生きていくうえでそれは必要不可欠なものであると認めているが、ぼくはそのようなものを作りたくないというに過ぎない。自身のありようとして、必然性を感じていないともいえる。

 自分の撮る写真が、「かめやまの写真」であれば、それがぼくにとって良い写真であり、納得のいく作品なのだと考えている。ぼくの能力では、そのようなものがなかなか撮れないでいるので、作品の点数が稼げず、畢竟個展を開催することが思うに任せないというのが実際のところだ。
 自身の納得できる作品を世に問うことは、物づくり屋としてとても大切なことであるという気持に変わりはない。プロの写真屋として、個展を開く気構えや矜恃をぼくはことさら重んじたいだけだ。評価を気にするようではまだまだ半人前だし、それでは碌な写真も撮れないだろう。

 この2年間は、武漢コロナのために遠出ができず、草花ばかりを撮っていたが、それとて「かめやまの写真」は遺憾ながら数点しかない。贔屓目に見ても7〜8点というところか。したがって、掲載写真の多くは及第点をやれないと正直に告白しなければならない。衷心より、ごめんなさい。
 もし花をテーマに個展をするのであれば、ぼくの技量をもってして10年かかるという計算だ。テーマがありふれた花であるだけに、自分だけのものを表現するには10年ではとても追いつかないかも知れない。やはり20年か? そうだとすると、あと20年は花を撮り続けなければならず、ぼくはもう生きていないので、花をテーマにした個展は絶望的だ。
 中断を余儀なくされていたテーマである「ガラス越しの世界」のほうがぼくの質(たち)に合っているし、こちらのほうがまだ現実味があるような気がしている。忌むべき疫病もそろそろ終焉と期待しながら、残り時間を塩梅すれば「もうそろそろ」なんて口を濁さずに、このテーマに向けて動き出さなければと考えている今日この頃。

https://www.amatias.com/bbs/30/594.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF100mm F 2.8 Macro IS USM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
近くのハーブ園で。大きさ1cmほどのボリジの花が風に揺らぐなか、なんとかこの可愛い花を捕獲しようと格闘。立ち上がったとたんに立ちくらみ。ぼくもあと5年と覚悟を決めた日。
絞りf4.0、1/640秒、ISO 320、露出補正-0.67。

★「02さいたま市」
同じハーブ園にあった擬宝珠(ぎぼうし)の葉。撮影当初から「これはモノクロで」と決め、ハイライトとシャドウをスポット測光で濃度域を計り、久しぶりにゾーンシステム(A. アダムスのメソード)を応用。
絞りf10、1/50秒、ISO 800、露出補正はマニュアルのため明記できず。

(文:亀山 哲郎)

2022/05/06(金)
第593回:ありがたくも未熟者
 かなりの間急務が重なり、かれこれもう1ヶ月近くカメラに触れることができずにいる。これは近来稀な出来事といっていい。写真屋稼業に精を出してから初めてのことではないかと思う。そのくらい日々あたふたとしていた。途中、仕事の依頼もあったのだが、他に優先すべき事柄に追われ、心ならずもお断りしてしまった。

 撮影こそしなかったものの、その間久しぶりにお気に入りの印画紙を使って大量の(といっても40枚程度だが)大判プリント(といってもA3ノビだが)に取りかからなければならず、それは撮影と同じくらい良い勉強になったと自らを慰めている。プリントを凝視しながら、撮影時のイメージ構築や、そして技術的に及ばなかった箇所を知ることは、撮影と同じくらいの比重があるとぼくは考えている。そこでの発見は “慰め” 以上の価値あるものをもたらした。これは決して、悔しまぎれにいっているわけではない。
 加えプリント作業に取りかかる前に、データの点検やら検討も合わせてする必要があったので、老体に鞭を打ちながら、なんとか無事にやり遂げた。おかげで、腰は痛いわ、普段つったり痙攣したこともない筋肉までもがぼくを悩ませたが、プリントをする楽しみを考えれば、取るに足りぬことだ。

 そしてぼくは、今さらながらにプリント作業が、もしかしたら好きなのではないかと思えた。元来、銀塩時代(フィルム時代)から酢酸の臭い(匂い。もしくは香り、と書くべきか)が充満する暗室に籠もり、現像皿に浸した印画紙からぼーっと画像が出現してくるあの一刻が何ものにも替え難いほど好きだったし、胸がときめいたものだ。この一瞬に撮影の楽しみが凝縮されているとさえ考えていたので、まさに “寝食を忘れて” といったところだった。
 アマチュア時代から、暗室に籠もることの孤独をむしろ心地良く感じていたほどだ。デジタルと異なり、銀塩写真はポジフィルムを除いて、印画紙にプリントをしなければ画像を直接見ることができないのだから、否が応でもしなければならない作業だった。

 未だにあの懐かしい酢酸の臭いが脳裏(鼻)にこびり付いていて、 “耳鳴り” ならぬ “鼻鳴り” がする。匂いと過去への追憶は、他の器官にくらべ、より密接に、しかも濃密につながっているとさえ思える。今ぼくはデジタル一辺倒なので、酢酸臭を嗅ぐことはないが、プリンターからジコジコと印画紙が排出されてくるあの様は、撮影とともに写真の醍醐味と喜びを堪能できる瞬間でもある。これは、アナログでもデジタルでも同様だ。

 昨今、デジタルの目覚ましい進化により、あるいは世の中の移り変わりのなかで、写真は必ずしもプリントでの観賞とは限らず、モニター上でなされるようにもなっている。これについての問題点は過去に何度か触れたので、ここでその可否、長所・短所について改めて述べることはしないが、それを踏まえた上で、やはりプリントの価値と利点は余りあるほどある。
 デジタルは実体がない(観賞するモニターによって、色調、明度、コントラスト、色温度、ディスプレイの経年変化などがまちまち)ので、モニターとプリントの色味が合わず、どちらが正しいのかとの現象に悩まされることになる。その伝、プリントは実体そのものであるが故に(環境光の影響を多少は受けるものの)、作者の意図するところがそのままに反映される。つまり、プリントは信ずるに足りる媒体なのである。こればかりは、モニターは「信ずる者は救われる」という具合にはいかない。

 モニターによるまちまちの見え方を避けるためには、厳密に調整された(キャリブレーション)モニターを使用することが求められるのだが、写真を撮る人たちの、おそらく99%はそうではないだろう。
 写真屋のぼくとてそのような、いわゆるハード・キャリブレーション(カラーマネージメント対応のモニターを必要とし、室内光も高演色性光源を使用)はしておらず、ソフト・キャリブレーション(キャリブレーションセンサーとソフトウェアが必要)のみで、過不足のない結果を得ている。ただし、室内光は高演色性蛍光灯を9本使用し、その光源下でプリントを評価している。

 話が横道に逸れてしまったが、「モニター上のこの画像はプリントが難しいな」と感じた時、ぼくの常套手段は、A3ノビにプリントする前に、勝手知ったる印画紙(2L判)にまずプリントしてみることだ。何故なら、展示用の印画紙(貧乏人のぼくには分不相応に高価なもの)を用意しているので、そこで失敗しないためにも、テスト用の印画紙を用意しておく必要がある。
 ぼくはこのテスト用印画紙に、エプソンの絹目調写真用紙を使用している。ディープ・シャドウからハイライトに至るまでの性格や特徴をよく知っているので、プリント結果の全容をつかみやすい。
 特に注視することは、ディープ・シャドウの分離とグラデーションの具合を計ることにある。この印画紙をプリントしてみて、画像を僅かに調整することもある。本来なら、この作業手順は本末転倒ともいえ、それを否定する人もいるだろうが、使用するモニターやプリンター、及び印画紙の特性などを把握していれば、それで十分事足りる。ぼくはプリントに関しては「結果オーライ」で良いと思っている。ぼくにとって、ハード・キャリブレーションされたモニターが必ずしも必要ではないということだ。

 意図するところが十全にプリントできた時の喜びは他に替え難い。そして画像にマッチすると思われる印画紙の選択も非常に重要な要素のひとつだ。今回は、光沢紙以外に、マット紙や和紙など取り混ぜてプリントしてみた。思いのほか、撮影時のイメージに近づけたり、今さらながらの発見にひとりほくそ笑んでいる。まだまだ、ありがたいことに、ぼくは未熟者である。

https://www.amatias.com/bbs/30/593.html
                  
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF35mm F 1.8 Macro IS STM。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
夕闇迫るなか、自然の創造主は思いがけぬプレゼントをしてくれる。おかげでぼくは、菜の花を気の利いた、目立たぬ脇役に仕立て上げられたと思っている。
絞りf8.0、1/250秒、ISO 640、露出補正-0.67。

★「02さいたま市」
南天の葉が多彩な演出をしてくれた。ほとんど無補整。
絞りf5.6、1/60秒、ISO 200、露出補正-0.67。

(文:亀山 哲郎)

2022/04/22(金)
第592回:写真のジレンマ
 もう40日以上もシャッターを押していない。先週、ぼくの分際ではなかなか食すことのできない料理と超高級果物店の果物を差し出され、それを友人に自慢しようと、あの恰好の悪いスマホスタイルで辺りに目を配りながら撮ってみたが、ぼくのそのような魂胆のほうがスマホスタイルよりずっと野暮でみっともないことに気づき、撮るには撮ったがすぐに削除してしまった。 “すぐに” というより、ほとんど反射的だった。

 ぼくは写真中毒ではないが、写真屋という手前、いくらよんどころない用事に追われているとはいえ40日以上あの感触をないがしろにするとは許しがたく、さすがのぼくも良心が疼き始めている。また、生活のリズムも乱れそうな気がして、どうにも居心地が悪く、全身がむず痒い。
 それでいて、アマチュア諸氏には「年間、最低でも1万枚は撮れ!」と良心の呵責など打ち捨て、したり顔でそう豪語している。何故なら、若い頃のぼくはそれを励行していたので、今寸足らずでも、ぼくは胸を張り躊躇することなくそう言い放つのである。その資格があると思っているのだが、自分の資格を他人に押しつけている時点で、ぼくは間違っていると素直に認める。ただ惜しむらくは、誰も昔のぼくの勤勉さを知らないということだ。
 残念ながら、「年間撮影1万枚と読書100冊」の誓いも、この数年は箍(たが)が緩み、怠けがちである。古稀を境に「何事も量より質を優先」、でいいではないか?

 万やむを得ず !? 撮ったその料理やデザート写真をスマホから削除した瞬間、何ともいえぬほどの心地良さを覚えたのだから不思議や不思議。いや、不思議ではない。その快感は、とどのつまり、出来の悪い写真を削除したからではなく、そのスマホ写真はぼくのケチな、何某かの自慢の種に過ぎず、そこには実に姑息な料簡と浅ましい根性がはびこっていたということである。
 そんな好ましからざるものが、古稀を過ぎたあまり賢くない白髪ジジィの頭のなかであたかも通奏低音のようにうねり、それを潔く葬り去った自身を振り返り、快哉を叫びたかったのだろう。

 忌々しきその写真を削除するその瞬間、「こんなものをいちいちスマホで撮り、SNSにアップしたがる人間の、そんな心胆を寒からしめるような所業が理解できんわ」と、大きなお世話と知りつつそう嘯(うそぶ)いた。何故か、「江戸の敵を長崎で討つ」ような、そんな面持ちだった。嗚呼、ホンに疲れるジジィやなぁ!
 加えていうなら、しかもその料理は “当然のことながら” 手銭(自分の金銭。この言葉など、最近はあまり使われなくなったように思う。含みのある良い言葉なのに)ではないだけに、他人に自慢するようなことではまったくない。しかし、後れ馳せながら、己の無様さに気づいただけでもぼくはまだましなほうだと思っている。

 歳を重ねるに従って、好きで始めたつもりの写真が、年々恐くなっている。上記した「しばらく写真にご無沙汰」は、気力の問題ではなく、また身体が思うに任せず(幸いなことにまだそこまでは難儀していない)ということでもなく、何か別の理由があって恐いのだと感じている。その正体が何であるのかを探ろうともがいている自分がいることも、恐いことのひとつであるような気がしている。
 仕事の写真は恐くて当たり前のことなのだが、もっと愉しく、気楽なはずであって欲しい私的な写真までもがそのような感覚に襲われるようになった。

 学校を卒業してからすでに半世紀以上が経過し、試験の夢はさすがに見なくなって久しいが(試験科目や場所を間違え七転八倒する夢。実際にそのようなことはなかったにも関わらず)、写真に苦しめられる夢は、未だ1〜2週間に1度は必ず見るのだから、たまったものではない。あまりの辛さに冷や汗をかき、跳ね起きるということはないが、目覚めて「あ〜、夢でよかったぁ〜」と胸を撫で下ろす。「何の因果でおれはこんな夢を見なければいかんのか?」と自問するのだが、心当たりがないから困ってしまう。ただ、いつも平然を装いながらも、実際は写真を撮ることの恐怖に戦いていたことは確かだ。
 もしぼくが失敗すれば、大勢の人に多大な迷惑をかけ、そしてぼくは食い扶持を失い、ぼくだけならまだしも、家族が路頭に迷うことになる。それを避けるために、準備の限りを尽くし、撮影には集中力と知恵を総動員しなければならなかった。ぼくには荷が勝ちすぎたのだろう。それが夢見の主たる原因ではないかと思う。

 撮影現場で、フィルムやレンズ、その他の機材がなかったり(コマーシャル・カメラマンは大型の四輪駆動車やワゴン車に機材を満載して移動するのが常で、カメラバッグひとつで済む他分野の写真とはここが異なる)、あるいは現場にどうしても辿り着けず、山の中をグルグル回っていたり、クライアントやデザイナーと意見が合わず悶着を起こしたりと、ありとあらゆる不具合・不都合が嵐のように襲ってくる。ぼくはその度に夢の中で煩悶し、時に遺言を残しながら悶死さえしていた。

 そんな夢を頻繁に見始めたのは実は最も活動的だった壮年期ではなく、還暦を過ぎた頃からだった。因果応報とか、善因善果とか、悪因悪果とか、悪事身にとまるとか、ファインダーを覗きながらそんなことに思いを馳せるから、ぼくの私的写真はどこか抹香臭いといわれるのかも知れない。自分の体臭は自分では分からぬものなので、それに準じ、自分の写真は自分には分からない。これも恐怖の一因になっている。
 そういえば、ぼくは壮年期までは「性善説」、還暦の頃は「性悪説」、今は「人それぞれ」と変化を遂げてきた。そして未だもって無信心だが、日本古来からの「八百万(やおよろず)の神」が、可愛げがあって一番好きだ。でも、ぼくの写真は可愛く、夢見心地のものであってはならず、頑固一途で、ホンに疲れる写真でありたいと願っている。

https://www.amatias.com/bbs/30/592.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県栃木市。

★「01栃木市」
例幣使街道に残る理髪館。何度も、何度も撮ったが、いつ頃のものだろう?
絞りf7.1、1/50秒、ISO 2000、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
家の土台の一部らしいが、どう見ても未完成で放り出したまま。左端には固まってしまったセメントの山が。
絞りf6.3、1/200秒、ISO 200、露出補正-1.0。
 
(文:亀山 哲郎)

2022/04/15(金)
第591回:妄(みだ)りな言い訳
 いつの頃だったかよく覚えていないのだが、以前拙稿で「ぼくが写真を続けている限り、話のネタが尽きることはないだろう」と述べた。今も確かにその通りであろうと思っているが、近頃、いざ書き始めようとするとなかなか最初の一行目が出て来ずに、パソコンのモニターの一点を10分ほど見続けていることが多くなったような気がする。
 一見、ボケの始まった老人のようにも思えるが、いやいや、「肝要なのは始めの一行をどう踏み出すかだ」などと、まるで本物の物書きが述べるようなことを、厚かましくもいってのけ、悦に入っている。ひとり自室に籠もり、陰鬱な顔をしながら、これから文章を綴ることの重大さを肌で感じ、その覚悟をもっていざ挑もうと、その意気込みだけは一人前である。著述家の科白を引用したがること自体、大した身の程知らずだと自覚しているので、まだしばらくボケとは縁遠く、大丈夫だろう。

 そんな時、ぼくは決まって「写真以外の話でも書きたいことはいくらでもあり、すぐに出てくるのだが、写真の話となるとことは厄介だ」と弁解がましく自身を言い含めるようにつぶやく。しかし、それはあながち逃げ口上ではなく、真を突いているようにも思える。
 また、写真以外のことについて、大きなお世話と知りつつ、まだまだ述べたいことがたくさんあり過ぎる。そんな時こそなおさらに、写真好きの方々の心情を斟酌商量すべきなのだが、それを放り出して心の赴くままに突き進めばどれほど気軽で愉しいだろうかと考えることがある。だがしかし、いくらやくざなぼくとて、少しは気遣いというものをどこかで見せなければならないのだから辛い。
 意地の悪い友人などは、「写真のことなど、どこにも触れていないではないか。なんで “写真” よもやま話なの?」とぐりぐり問い詰めてくるから、ぼくの気はいっそう沈み萎縮していく。相手の納得する説明やら釈明をできずにいるので、澱のようにストレスが溜まっていく。「嗚呼、やんぬるかな」が、お決まりの科白として定着し始めている。

 ぼくはそんなことを繰り返してばかりなので、すでに食傷気味となり、そのため、時には勝手に自家中毒を引き起こし、しばし病膏肓(やまいこうこう)に入る。おまけに罪悪感がついて回る。したがって、ぼくはやつれる一方だ。
 写真に関係ないと思われるようなことを、どのように写真に結びつけ、如何に「写真よもやま話」であるかのような体裁を取るかに頭を悩ませること、やはりしばし。この汲々とした様が、実は精神衛生上最も良くない。

 何事に於いても、言い訳ほど見苦しいことはなく、それをよく承知しているので、もうそろそろ本稿も年貢の納め時かと思いきや、本年度の本稿承諾書(1年契約)が半月ほど前に届いた。
 その書類に判を押してお送りすればいいのだが、まだお会いしていない(武漢コロナのおかげで)新しい担当者がふたりおられ(しかも若い女性)、そしてまた1年間お世話になるのだから、ご挨拶かたがた、身だしなみをちゃんと整えて(といっても、ぼろTシャツに古びたジーンズだが)、今年初めての夏日となった日に、いそいそと承諾書を手にお伺いした。

 「喋りすぎる年寄りは嫌われの素」はぼくの自作格言なのだが、ふたりの女性を前にそれを果敢にも打ち破り、超長期にわたる拙連載についての苦心と喜びをごっちゃ混ぜにし、余分なものをつけ加えながら、滔々と45分も喋ってしまった。20代の若者相手に、「嫌われの素」大爆発である。大失態の夏日だった。ぼくは今、非常な後悔とともに、打ちひしがれている。

 昔、一世を風靡した植木等のスーダラ節に、「♪分かっちゃいるけど やめられねぇ ♪」という名科白があった。ぼくはそれを地で行った。この歌詞の源は、ぼくの尊崇する親鸞聖人の『歎異抄』にある教えからのものであるとも思える。
 その原文の一句を意訳すれば、「ダメだと頭では分かっていても、人は甘い誘惑を目の当たりにすると、おかまいなくそちらになびいてしまうものだ」となるのであろうか。つまり、「分かっちゃいるけど やめられねぇ」などといっているうちは、何も分かっていないも同然だという高教なのであろう。

 唐突に写真の話に移るけれど、川越の、幅2mに満たないほどの路地裏で、蓮の花のような出で立ちのオレンジを見つけた。輪切りにされたオレンジが串刺しにしてあり、それがあたかも蓮のように見えた。その数がいくつだったかうろ覚えなのだが、5〜6個だったように思う。西日を浴び、その影が後ろの壁に投影されていた。
 見たこともないようなものだったが、これは鳥の餌としてここの住人が、オレンジを惜しげもなく与えているのだと直感した。少なくともアーティスティックなオブジェとしてでないことは誰の目にも明らかだ。
 ほぼ毎日ウォーキングのために近所のあちらこちらを1時間近くうろつくぼくだが、地元では見たこともない蓮の花、いや、それを連想させるような佇まいのものだった。この辺りには、オレンジ好きの鳥がいて、それをついばむのだろう。鳥にしてみればこの上なくありがたいだろうが、あまりにも安直に餌にありつけ、皮を破る必要もなく、これでは大切なくちばしが劣化してしまうのではないかと要らぬ心配をした。野性の生き物にとって、人間の好意、もしくは浅知恵が時として徒となるが、このオレンジがそうかどうかは分からない。

 西日により壁に投射された影とオレンジの重なり具合を考慮するだけでアングルは自ずと決まる。そして、壁をどのくらいボカせばいいか。そのためには、前号に述べた被写界深度をどれくらい取るかに頭を働かせさえすればよかった。ぼくは見栄っ張りだから、私的写真を取る時は、他人の目がなくても、f 値を変えながら何枚か撮るとの安全策(保険)は取らない。そんな有様だからなおのこと、危機感と心労で、やはりやつれてしまうのだ。もう一度、「嗚呼、やんぬるかな」である。

https://www.amatias.com/bbs/30/591.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県川越市。

★「01川越市」
ガラスの向こうに令嬢がひとり。初めから、「モノクロしかないな」。
絞りf8.0、1/160秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02川越市」
本文参照。
絞りf6.3、1/1000秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山 哲郎)

2022/04/08(金)
第590回:良くない指導者
 長い間写真を愉しんでおられる読者諸兄にとっては、これから述べる事柄について今更感ありありのように思われるかも知れないのだが、ぼく自身も改めて今「はて?」と思うようなことに突き当たったので、それについて少しばかり述べてみたい。

 被写体を見つけ、それをしっかり写し取ろうとする時、まずどのようなことに気を砕くかということである。ここで述べることはあくまでカメラのメカニズムに関してのこと(操作や設定)であり、それが延いては写真の良し悪しを左右する要因ともなるので、看過できない問題だと思えたからである。
 何故このようなことに思い至ったかというと、最近友人2人の写真を拝見する機会があった。ひとりは写真を始めて約半年の、事始めの方(以下Aさん)の作品で、もうひとりは写真歴約20年のベテランともいうべき人(以下Bさん)のそれであった。

 写真を撮るときにぼくがまず注意すべき3項目を書き出すと、
 1 ピント。2 ブレ(手ブレと被写体ブレ)。3 露出、ということになる。これにつけ加えるならば、4 被写界深度(つまりf 値の選択)ということになる。
 被写界深度に注意を払わぬ人は思いのほか多い。そんなことなどにお構いなく、辺り構わず大なたを振るう猛者も多く見受けられる。被写界深度の決定にいつも汲々とし、頭痛や耳鳴りまで誘発するひ弱なぼくなど、そんな様を目の当たりにすると、やっかみ半分で、思わず「う〜ん、こやつ、できる! ご先祖様の顔が見てみたい! きっと弁慶か鍾馗大臣(しょうきだいじん。疫病神を追い払い、魔を除くという神)なのだろう!」と皮肉を交えて唸ってしまう。

 上記3項目についてみなさんはどのように注意を払われるであろう。ほとんどの人が、意識的、もしくは無意識的にこれらを操作(なにしろ今時はすべてオートだから)しているのだろうが、体調の思わしくない時や精神が不安定な時には注意力が散漫になりやすく、これらの基本を疎かにすることがままあるのではないか。特にベテランになるほどこの傾向が顕著になるのではなかろうか。 “分かったつもりで” 確認もせずにシャッターを押してしまうことがあると想見する。ぼくも、仕事の写真でなく、私的な写真を撮る時につい気が緩んで、ということがある。ただほとんどの場合、不思議なことに何故かシャッターを切った直後に気がつくので救いがあるといえばそうなのだが、「だったら初めから気づけよ!」と自らを咎めてみたりもする。集中力を欠くとはこういうことなのだろう。
 事始めの人は「知らぬが仏」を決め込めばよく、大事に至って自ら気がつくか、あるいは “良い指導者に恵まれれば” それ相応の教えを受け、以後注意を払うようになるだろう。
 ぼくが今回「はて?」と思ったことの発端は、このご両人の撮ったブロック塀と看板だった。今回は4番目の被写界深度について、度々ながら記す。大切なことは何度訴えても良いだろう。

 Aさんの撮った平面のブロック塀にはペンキが塗られており、それが長年の風雪で剥がれ、面白い模様となり、写真の題材としてはつい撮りたくなってしまうものだ。この平面のブロック塀を正面から撮っているのだが(撮影者は正面のつもりなのだが、実際はそうなっていない。これが複写の難しいところ)、この写真をよく見てみると、中央にはピントが来ているのだが、左端が甘く、いわゆる「片ボケ」の様相を呈している。写真をお見せできないのが残念だが、よくあることなので心当たりのある方もおられるに違いない。

 Bさんの写真はレトロ調の看板を下方から撮ったものなのだが、目を凝らして見てみると、看板の上部に行くほど描写が緩んでいく。つまり、被写界深度が浅すぎて、ピントの合った下方から上方にいくにつれ解像度が甘くなっていく。女性に甘いぼくだが、これは見逃してやらない。
 「良い写真なのに、被写界深度が稼げていないので、上方はピンボケ。絞りf 値はいくつを使ったの?」と訊ねてみた。その翌日だったか、「f 4.5 で撮ってました」と申し訳なさそうな返事をもらった。きっと口の悪いぼくに叱られるとでも思ったのだろう。「少なくともこの場合はあと2絞り、つまりf 9.0 くらいは絞らないとね」と、優しくご教示申し上げた。やはり甘い。

 被写界深度については、同じf 値でも、被写体の距離により異なってくる。被写体が近ければ近いほど深度は浅くなり、遠ければその逆となる。また、レンズの焦点距離によっても(望遠か広角か)、 “見かけ上の” 深度は異なって見える。そして、撮像素子(イメージセンサー)の大きさによっても変わってくる。
 さまざまな要因が重なり合っての被写界深度なので、実際には頭と体に叩き込むしか方策がない。不安な場合は、f 値を変えて何枚か撮ればよい。被写界深度は、数学的な方式により計算で導き出すことができるのだが(許容錯乱円)、被写体を前にその都度計算するわけにはいかない。

 文中、 “良い指導者に恵まれれば” と他人事(ひとごと)のように述べたが、実はぼくは写真事始めのAさんに、「プログラムオート(P)でいいから、とにかくたくさん撮ることを優先しましょう」と、非常に良くない指導をしてしまった。良い指導者は、始めから「プログラムオートでなく、絞り優先モード(AvまたはAとカメラに表示)を使いなさい。Avというのはね・・・」と伝えるもので、ぼくは今深く反省している。Avに設定し、「同じ被写体を、同じアングルで、絞りを変えて撮ってみる」ことがもっと早く試せたに違いなく、また露出に対する理解も早かっただろうと悔やんでいる。
 このことをBさんに伝えたら、「私は初めからかめやまさんに『Avで撮れ』といわれたけれど、でも理屈は教えてもらえず『自分で考えろ』」と、やはりぼくはいつだってヒジョーに良くない指導者であるようだ。
 これからでも遅くはない、良い指導者を目指そうではないか。なんてね。

※被写界深度の実際は、拙稿第42回に写真を掲載しているので、ご参照のほどを。

https://www.amatias.com/bbs/30/590.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ: RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県秩父市。下から仰ぎ見た平面の被写体二態。

★「01秩父市」
どのような理由か分からないが、波板の部分に付いていた家が剥がされたんですね。波板の余りの派手な青色にぼくは尻込みし、彩度をぐっと抑えてしまった。影の模様にも撮影意欲を促された。
絞りf8.0、1/500秒、ISO100、露出補正-1.00。因みに焦点距離は24mm(フルサイズ)。

★「02秩父市」
秩父神社の奉納板を仰ぎ見る。
絞りf7.1、1/40秒、ISO1250、露出補正-1.00。因みに焦点距離は80mm(フルサイズ)。

 
(文:亀山 哲郎)

2022/04/01(金)
第589回:元祖ライカについてちょっとだけ
 秩父市で見舞われた突発性花粉症のその後は、ぼくにとってやはり一過性のものだったようで、おかげさま、今のところ住み慣れたさいたま市で大過なく過ごしている。花粉症に悩まされている知人友人を見るにつけ、その艱難辛苦を自身のこととして感じ取れるようになったのだから、秩父に於けるあの凄烈な花粉の襲来は、ぼくを多少ながらも大人にしてくれたように思う。

 今思い返しても怖気を震うような悪辣で粘液質、かつ品性下劣な花粉どもの襲撃のなか、約4時間で撮った写真を見返すと80枚(ポートレートを除く)ばかりで、ぼくにしては極めて少ない。
 これを花粉のせいにしたいところだが、実のところそうではなく、5年前に訪れた秩父市とは何かが大きく変化していたからだろう。つまり、ぼくの好きな佇まいが以前のようでなくなってしまい、それを発見するのが難しくなっていたというのが本当のところだ。

 誘ってくれた友人のポートレートを何枚か真面目に撮った後、年季が入ったショーウィンドウにひっそり置かれたオールド・ライカ(バルナック・ライカ)を発見した。カメラ店でも骨董店でもないのに、何故このような古色蒼然としたものが、これ見よがしに置かれているのか、そのちぐはぐさがとても愉快だった。だが、カメラの元祖ともいえるライカは、何処にあっても様になる。
 連れとともに、足の向くまま、気の赴くままの面白いもの(被写体)探しだが、陳列物とその店との関連性が見出せずにいたぼくは、そのちぐはぐさに戸惑いを憶えた。思わぬ出会いに、「なんで君がここにいるの?」との言葉がつい喉まで出かかった。

 そのライカは、ぼくが20代の頃にお世話になった1930年以降に製造されたライカD III型(第170回:接写-2。このカメラの軍艦部を掲載)で、レンズもスクリューマウントのエルマー(ライカレンズの名称) f = 5cm(標準の50mmレンズ)、開放値f 3.5が付いていた。残念ながら完動品ではないようで、レンズは曇り、錆が浮いているところもあったが、何はともあれ、世界に冠たるライカ、腐っても鯛である。このカメラとレンズ、完動品であれば、きっと今使っても得も言われぬ良い描写を約束してくれる。デジタルに慣れた現代の目には、極めて新鮮なものに映るであろうこと間違いなし。
 陳列棚に置かれたこのライカの瀟洒(しょうしゃ)な出で立ち、そして品格に溢れ、しかも威風辺りを払う姿に、かつてライカで身上(しんしょう)を潰しかけた自分の姿を重ね合わせ、最大限の敬意を表しながら、ガラスの映り込みを計算に入れ、そっとシャッターを押した(掲載写真「01」)。

 20代から、都内にあったライカ特約店の大番頭と懇意になり、そこに入り浸り、気になるライカレンズを伝えると、「良い中古が入ったので、試写のため持って行っていいよ」といってくれ、彼の好意的な言葉にぼくはいつも甘えていた。小躍りしながらそのレンズを持ち帰り、試写を繰り返し(フィルムはもっぱらコダック社のPlus X とTri Xを半分の感度で使用)、ライカの引き伸ばし機であるフォコマートを使い、空が白むまで暗室に籠もっていたものだ。
 プリントした印画紙を大番頭に持参し、「ほれっ、このレンズはこんな写りだ。こんな特徴がある」と、いわばギブ・アンド・テイクの紳士協定を結んでいた。だが、これこそ曲者で、「欲しくなると居ても立っても居られぬ」とか「親を質に入れてでも」というぼくのやくざな性格を、海千山千の大番頭はとうに見抜いていた。15歳年長の彼は、ぼくより一枚も二枚も上手を行っていた。
 だが、ここでの大散財は、後々「レンズとは何か」を知る良いきっかけとなった。被写体や描くイメージに添って、レンズを選択する技を身に付けたと思っている。

 拙話で、ライカだけを取り上げる気持はぼくにはない。ライカはカメラの歴史そのものといってよく、それだけに神話や伝説、いわんや都市伝説めいたものが巷には溢れ返っている。今さらぼくが改めてライカについての蘊蓄を語る気もない。世に流布されていることのどれを信じ、また真に受けるかは個人の自由だが、ぼくはそのようなものの情報提供者になりたくはないし、また荷担もしたくないというのが主たる理由だ。
 本質的なことを知りたいのであれば、身銭を切って自身のものにするしかなく、人からの又聞きはよしたほうが良いというのが、ぼくが知り得たライカに関する事柄である。伝言ゲームのような危うい話は信ずるに足りない。

 身の回りにもライカ愛用者は何人かいるが、使いこなしていると思われる人はごく僅かしかいないのが実情。ぼくは現在も、おそらくこれからもライカを使うことはないだろうが、我が身を省みることなくいえば、写真の上手い下手の観点からではなく、知識や使いこなしの点で、ほとんどの人が「宝の持ち腐れ」だといっていい。中型カメラの雄であるハッセルブラドもまた然り。

 写真撮影ではなく(本来の目的を離れて)、所有することで満足感を得るというのもある種人間の業のようなものなので、この件について深入りはしない。また、側杖を食いたくないとの思いも無きにしも非ずというところか。
 ただ、写真好き、カメラ好き、物の良さや美しさを理解できる人には、「騙されたと思って、ライカを使ってごらんよ」と、ぼくは憚りなくいうことにしている。

https://www.amatias.com/bbs/30/589.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF100mm F2.8L Macro IS USM。RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県秩父市。

★「01秩父市」
本文にて紹介したライカD III。
絞りf6.3、1/100秒、ISO320、露出補正-1.00。

★「02秩父市」
ビン詰めのスプライト広告。年代的にはいつ頃になるのだろう? 波板ガラスに映るものと窓枠の色合いから、かつてのポラロイドをイメージして。
絞りf5.6、1/250秒、ISO100、露出補正-0.67。



(文:亀山 哲郎)

2022/03/25(金)
第588回:亡父の口癖
 父が亡くなって42年の歳月が流れた。「明日3月23日は親父の命日でね」と親しい友人にメールしたら、「42年前といえばかめさんは32歳。中略。カメラマンになったことを知らないお父様は、かめさんの写真を、そして書いたものをどのように見てくださるのかしら? きっと嬉しそうに、感慨深げに息子を見やり・・・」と返信してきた。

 10歳の時にカメラを買ってもらい、写真好きの父(写真ばかりでなく、絵画や彫刻、書や陶器などの美を見定める眼は非常に肥えていたし、確かだった)に手ほどきを受けたが、おそらく父は、今のぼくの写真を見てそう悪くはいわないだろうとの確信がある。
 ひょっとして、贔屓目に見れば、父は眼を細めて嬉しそうな表情さえ浮かべてくれるかも知れない。何故なら、存命中の父の写真より、今のぼくのほうが「写真に於ける我の発達」という点で、ずっとましだからである。

 けれど、文章のほうとなると、これはもうとんでもなくいけない。ぼくの文章を読んで、きっと苦笑交じりに「やれやれ」というのが精一杯で、それ以上の言葉を発する気力はないだろうと思う。
 何故なら、ぼくの文章はあくまで素人の戯れであり、さらにはっきりいうならばインチキも甚だしきものであるからだ。それをして、正しい日本語で「まがいもの」という。もちろん謙遜などではなく、ぼくは本気でそう思っているし、至極当たり前のこととして捉えている。

 物心がつく頃から、ぼくは文章に苦悶する父の背中をずっと見続けてきたし、学生時代は翻訳の下訳をさせられ、「てつろう、こんな日本語はないぞ。ここはな、 “本来はなぁ” ・・・」と、間違いを飽くことなく何千回も指摘してくれ、そしてしごかれたものだ。ぼくはぐうの音も出なかったが、父は写真同様に、文章についても「何故この日本語が間違っているのか?」について懇切な説明を惜しまなかった。しかしぼくは、そんな父親の愛情から逃げ出したくて、いつもその機を窺っていた。挙げ句、家出を敢行したくらいだ。まさに「親の心子知らず」である。
 学生時代(大学時代)に書いた原稿は父の手によって、いつも真っ赤に染められた。赤で訂正された日本語をとくと眺めるぼくは、「なるほど美しいなぁ。上手いこと使うもんだ」と、素直に感じ入っていた。そして、素人と玄人の違いをまざまざと思い知らされたものだ。ぼくも「物づくり屋」の端くれだが、父の文章の域には遠く及ばない。素人と玄人は、修業の度合いや意識の持ちようが桁違いなのだから当然のことだ。

 本文冒頭に「本来は〜」という父の口癖を書き、そこから始めようと思ったところ、命日と友人からのメールに引っかかり、とんでもなく横道に逸れてしまった。いやはや、 “本来は” ですね、前回秩父での出来事について述べたのだから、 “本来なら” 掲載写真は秩父で撮ったものであるべきなのだが、そう上手くは問屋が卸してくれず、その言い訳をぐだぐだ記そうと思っていた。だが、今その気はすっかり失せてしまった。掲載できない理由を一言で記しておくと、それは現像が追いつかないということに尽きる。
 
 過日、秩父で撮ったある画像を4時間近くあれこれ意に添うようにと画像ソフト相手に格闘していたのだが、どうにもならず放り出してしまった。いつもながらのことなのだが、原因と結論はただひとつ、写真の質が悪いからだ。それはあの激しい花粉症のせいだと思いたいが、実はそうではない。
 クオリティの及ばない写真は、如何に暗室作業を駆使しても救いようがないということを百も承知しながら、ホントにもう、我ながらいやらしいったらありゃしない。そんなことは、とうの昔から分かっていることなのだが、どうしてもスケベ心が拭えず、「もしかしたらいけるかも」なんて、淡い期待を抱いてしまう浅ましくも愚かな自分がいる。「ダメなものは、いくらやってもダメなんだってばっ!」と、怒声を発しながら、そんなことを今日こんにちまで何百回(あるいはそれ以上)も繰り返しているのだから、ぼくはまったく懲りない阿呆男である。そんなに自虐的になってどうするよ。たかが写真ではないか!

 ダメ写真は、どのように画像ソフトを駆使しても良くならないとの考えについて、あっちこっちの意見を集約しても、賛意を示す人が多い。少なくともぼくのまわりのプロたちは、ほぼ同じ意見を述べている。
 今まで拙稿で何度か述べてきたことでもあるのだが、アナログより融通が利き、器用に立ち回れるデジタルは上手く使ってナンボのものだということだ。自分らしさを演出しようとエキセントリックな表現に走る人を時折見かける。目を覆いたくなるようなものにも出会すが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の匙加減をどうするかは、その人の感受性と知性に加え、見識の問題だとぼくはしている。
 暗室作業を施せば作品の印象は確かに変わる。変わることイコール質の向上と勘違いする人も多く見かけるが、作品の質が良くなければ何をしてもすぐに底が割れてしまう。だからとても恐い問題だとも思っている。自分の作品を歓び勇んで他人にお披露目するなんて、 “本来は〜” 正気の沙汰とは思えず、また、もっての外であろうとぼくは思っている。
 毎週、ネットで全世界に写真と文章を同時公開している味噌っ滓もいるようだが、一体どんな人相と風体をしているのか一度見てみたいものだ。

 父はぼくに自分の後を継がせたかったようだが、然に非ず。ぼくは、原稿を書くほうではなく、取るほう(編集者)に回った。そして、父が亡くなってから、その呪縛から逃れようと足掻き、知らずのうちにやくざな写真屋になっていた。42回目の命日をして、どこまでも「親の心子知らず」を通している。

http://www.amatias.com/bbs/30/588.html
            
カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。
埼玉県川越市。

★「01川越市」
かつては壊れかかった長屋だったが、今若い人が新たな試みとして廃れた通りを活性化しようとしている。ここに見る西日のように陽が射してくれるといいのだが。
絞りf7.1、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02川越市」
「01」の斜め向かいにある廃屋に何故か電球が灯っていた。ここも何かに利用されるような気配だった。
絞りf5.6、1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)