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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/01/22(金)
第282回:頑固と頑迷
 前回と前々回に、映画と落語を引き合いに写真と共通する一面を再吟味してみた。映画や落語について造詣の深い人からくらべれば、ぼくの智見など取るに足りない程度のものであることは十分に承知しているのだが、異なる分野に探りを入れながら写真を見澄ますことは、より高い位置から写真を鳥瞰できるような気がしてならない。このことは、今まで気のつかなかったことに改めて感じ入ったり、別の角度から写真を推し測ることができるようになったりと、何かしらの恩恵に浴することができるものだ。良いことずくめなのである。

 それで良い写真が撮れるようになるという保証はないが(だからイマイチぼくの説は説得力に乏しいのだ)、知識の蓄積は、やがて無意識のうちに形を変え写真に影響を与えるものだということを、確信を持ってみなさまに申し上げてよい。
 単に物ごとを多く知っているというのは知識ではなく、それは雑学というもので、知識とは系統立ったものでなければならず、身につかないというのがぼくの考えだ。雑学は聞きかじりの堆積であって、残念ながら写真を撮るうえで役に立つものではない。
 系統立った知識を世の中では知性というのだろうが、“適度な知性” は片意地や頑迷さから自己を解き放ってくれる優れものかも知れないと、片意地のぼくでさえそう思っている。“適度な知性” は写真の強力な味方をしてくれるものであって欲しい。ある程度の知性がないと自分の姿を見失ってしまい写真どころではなく、知性が勝ちすぎても写真は上手くいかない。理屈に走りやすくなって、何にでも自分の主義主張をねじ込み、自分の写真にも理屈をこねるようになる。そうなると情趣が失われやすい。それでは、やっぱりうまい具合にはいかない。ぼくはその手合いを数多く見ている。写真は理屈や能書では撮れないもんね。“適度な知性” と“ほどよい呆け” が必要で、ここがむずかしいところだ。

 物を創り出すことはとどのつまり、技術や方法論の違いこそあれ、精神面に於いては同工異曲(どうこういきょく。外見は異なって見えるが、内容や道理は同じという意)であることを知る。他の分野のものを系統立てて学ぶことは、写真を撮る際にも、得るものも大きいのではないだろうかと思う。
 ぼくは今も、そして多分これからも写真に手一杯で、他の分野に手を染めることはないだろうが、多くの分野に於ける秀でたものを深く学び取っていきたいと思っている。

 何故このようなことをくどくど申し述べたかというと、ぼくのような指導者モドキにとって、意固地な人ほど教えにくい存在はないと常々感じているからだ。誰しも自我というものがあるのだから、一面それは自然なことと受け止めてはいるが、程度を逸した人の歩みはいつも遅々たるものか、あるいは堂々巡りをいつまでもやっている。
 いや、遅々たるものであれば幸いとすべきことだが、金縛りに遭ったように自己の言い分から逃れられない強い我の持ち主を散見する。彼らは心底真面目であり、善良でもあり、熱心であるが故に自家中毒を起こし身動きが取れずにいる。その原因のひとつが自身の頑迷さにあることを知らないところに悲劇が始まる。
 彼らの傷ましい眼差しは、何かを哀願しているようにも思え、ぼくはそこが辛い。自分を顧みれば、その心情が痛いほど理解できるだけに。

 写真の指導よりも慰めに比重を置かざるを得ない状況は、お互いに好ましいものではない。「頑固はいいが、頑迷はいけない」というのが、精神科医でもないぼくがいえる精一杯のところだ。若い人となると、頑固と頑迷の区別さえつかないようで、だからなおさらいけない。頑迷とか偏屈は、かたくなで柔軟性がなく、ものの道理が解らないという意味だから、写真以前に解決しなければならない問題が横たわっているように思えてならない。

 そのような時、落語というものは受け止め次第で一種の良薬となるのではないだろうかと、この頃思い始めている。
 ぼくは意を安んじて、悩める人々に「落語の登場人物や光景を思い浮かべながらじっくり聴いてごらんよ。落語は、聴き手の想像力だけで、物語の世界を広げていく特異な分野だから、そこで語られる人情の機微、洒落、粋、ユーモア、悲哀などなど、生の営みと業を噺家の一語一語から自在に感じ取り、自分なりの解釈を加えながら物語を再構築することができる。どこか写真に通じるものがあるんじゃないか。そこで君が自家撞着に陥れば、それもまた一歩前進」なんて、いってみようかな。

 落語に限らず、自分の性に合った分野から何かを感じ取ったり、学び取ったりすることは、きっと写真に良き味付けをしてくれるものだと、みなさん、一緒に信じましょうよ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/282.html

今回は「猫三題」。

★「01疾走」。
何かに追われるように猫が目の前を疾走する。突然の出来事に、カメラを設定する時間なし。41mm(35mm換算)のレンズに28mmの光学ファインダーをつけたデタラメさ加減で、1枚いただく。埼玉県比企郡川島町。
絞りf6.3、 1/60秒、ISO100、露出補正ノーマル。
カメラ:Sigma DP2、レンズ焦点距離41mm(35mm換算)。

★「02猫の逆立ち」。
写真のピエロは、もはや伝説的な存在となったロシアの「ユーリー・ククラチョフ・ネコ劇場」の創始者でもあるユーリー・ククラチョフ氏。現在も世界的なピエロであり、調教師でもある。撮影当時は旧ソビエト時代のボリショイサーカスだった。ぼくは望遠レンズ使用を嫌い、舞台に躍り出て50mm標準レンズで撮った。もちろん、何のお咎めもなし。モスクワ。
フィルム:コダクローム200。カメラ:ライカM4。レンズ:ズミクロンF2。

★「03踏切」。
都電荒川線の踏切で。東京都荒川区。
絞りf8.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-1。
カメラ:Sigma DP1S、レンズ焦点距離28mm(35mm換算)。

(文:亀山哲郎)

2016/01/15(金)
第281回:写真と落語と
 歳晩からこんにちまでの約20日間、ぼくはかつて親しんだ書物の再読に多くの時間を費やした。読みふけるうちに、以前とは異なった解釈をしたり、新たな発見をしたりで、いつも思うのだが再読はとても大切なことだ。読書は疑似体験の最たるものなので、同じ事の繰り返しはやがて血となり肉となっていくものだと信じたい。これが名作の名作たる所以であろう。
 自分の考えや体験が時を経て幾十にも重なり、良くも悪くも変容を遂げ、それを過去の自分と照らし合わせながら、少しは物事を立体的に眺めることができるようになる。これは大変おもしろいことだ。
  
 読書が一段落し、寝床で狸寝入りをしながら、やはり子供時分から馴染んだ落語に聞き耳を立てていた。再読ならぬ再聴である。読書にくらべ、落語を聴くことは心身に負担をかけずに済むので、ぼくにとってこの比類なき“口承文学”は大変ありがたく、掛け替えのないものだ。落語は大衆芸能を超越した立派な芸術である。
 同じ演目でありながらも、噺家によって印象ががらりと異なるところは、写真の暗室作業(現像、画像補整、プリントなど)に酷似している。ひとつの素材をどう扱うか、その担い手(撮影者)によって作品自体の味わいが変わってくるところが落語にも通じている。
 技術の練達は必要不可欠だが、主たるものは技術にあるのではなく、あくまで作者の感覚(センス)に従ったものである。技術と感覚の絶妙なバランスがあってこそ作品は活力を与えられ、説得力と訴求力を持つのではないかとぼくは考えている。自身の感覚(イメージ)を具現化するのが技術である。
 作品は作者の人格、言い換えれば生きざまに直結しているので、「ごまかしようがなく、だから恐ろしい」とぼくはいつもいっているし、「取り繕ったものはすぐに馬脚を露わしてしまう」ことも明々白々なことだ。
 いくら技術に長けても、そこから面白味や豊かさを引き出せるわけではなく、素材(イメージ)の貧しさは致命的なこととぼくは捉えている。

 写真に関連づけて話を落語に戻すと、虚構の世界に視聴者を引きずり込む一人芝居は、いにしえの情景や人物描写、庶民の生活感情や文化を彷彿とさせ、その話芸・話術には本当に感嘆させられる。
 名人と呼ばれる噺家の “笑いのツボ” は美しいとさえ感じる。押しつけがましいところがなく、気が利いているから美しいのだ。因ってぼくは笑いのツボの美しさを心得た噺家だけを名人と呼ぶことにしている。

 落語好きの人と話をすると、決まって「誰が名人か? 誰が好きか?」という話題になる。ほとんどの人が判で押したように「古今亭志ん生(五代目。1890-1973年)」と答える。ぼくに異論はまったくないのだが、ここだけの話、「この人に、志ん生の素晴らしさが本当に分かるのだろうか?」と、自分を差し置いて考え込むことがしばしばある。だからぼくは「志ん生」とは答えない。
 このことはつまり、ぼくとあなたの好みが、志ん生に限り一致してしまうことがどうにも我慢ならず、それは志ん生に申し訳ないことだという気になってしまうからである。ぼくが志ん生を尊崇するのは当然のことだが、あなたにその資格はないのだということを、どこかでほのめかしたくてたまらないのである。好みの資格を問うほど、志ん生は特別な存在だとぼくいいたいのだ。
 
 子供時分にぼくは落語好きの親父に新宿末廣亭や上野の鈴本演芸場によく連れて行かれたものだ。当時名人と謳われた志ん生や桂文楽(八代目。1892-1971年)の高座を何度も聴いている。子供に名人の味わいなど理解できるはずもないのだが、寄席に行くことはひとつの楽しみでもあった。
 学生時代には野球(長嶋茂雄)を見に後楽園球場(現東京ドーム)通いもしたが、雨天中止になると迷わず寄席に駆け込んだものだった。当時は林家三平(初代。1925-1980年)の全盛期で、笑いのツボが美しいとはいえないしお洒落でもないが、大衆の笑いを確実につかんだ風雲児でもあった。ちなみに二代目林家三平は噺家としてはからっきしダメである。タレントとの二足のわらじを履いて一人前の噺家になどなれるわけがないのである。
 
 ぼくは実演を聴いたなかでは「志ん生が一番」とは今もって人前ではいえず、声を潜めて「古今亭志ん朝(三代目。志ん生の次男。1983-2001年)」と遠慮がちに答えることにしている。志ん朝の羽織を脱ぐあの所作が、志ん朝の粋のすべてを物語っている。また、ネイティブともいえる江戸っ子の言葉が美しい。

 写真屋となり、ぼくは単行本、雑誌、広報誌などで多くの噺家を撮影する機会を得た。撮影の前に短い噺を必ず一席ぶってもらうことにしている。1対1の特典を利用しようという浅ましい魂胆からではない。アドレナリンやドーパミンといった物質が彼らの表情を変えるからである。それが撮影者にも伝播する。いきなり撮影に入った時の顔と、仕事をした緊張感のなかでの彼らの顔はまったく別人のように見違える。音楽家であれば無代で一曲弾いてもらうのだ。
 ぼくの体験では、この厚かましい申し出を拒んだ人は一人もいない。彼らもそのことをしっかり心得ている。こちらも彼らの高揚につられて、リズム良くシャッター音を響かせることができるのだ。
 「写真ってぇのも、落語とちょいと似てるところがおもしれぇってんで、え〜っ、師匠、あんまり写真なんてぇものに、お熱をあげるもんじゃありませんよ」なんて口上が思わず口を突いて出たものだ。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/281.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM
場所:すべて三河島界隈

★「01残り火」。
建物の隙間から暮れゆく夕陽が申し訳なさそうに顔を出す。
絞りf7.1、 1/100秒、ISO200、露出補正-1.3。

★「02学校帰り」。
学校帰りの女子生徒が足早に通り過ぎる。宙に浮いた瞬間をキャッチ。
絞りf6.3、 1/200秒、ISO200、露出補正-1.0。

★「03三河島稲荷」。
日が沈みほのかな光のなかで。
絞りf5.6、1/50秒、ISO250、露出補正-0.3。
(文:亀山哲郎)

2016/01/08(金)
第280回:映画は露出アンダー
 松の内も明け(地域や時代によって日時は異なるが)、この場をお借りしてみなさまの無病息災、福寿無量をお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 ぼくの正月は毎年文字通りの寝正月で、年末から年始にかけて家から一歩も出ないことを由とし、それを頑なに守り通してきた。特別な理由はないのだが、定年のないフリーランスの人間にとって、唯一この時期だけは気を緩め、油断してもいいことになっている。定年退職をした同輩たちは、職を離れて以来何年も油断しっぱなしだから、すでに脳の血流が停滞しかけているようにも見える。あるいは退化の一途をたどっていることに気づかず得々としている。
 「長屋のご隠居のようになって、近所の人たちの相談役になる」なんて、とんでもない思い違いをしている同窓生もいる。60、70歳で人生の何がわかるというのか。呆れるほどの思い上がりである。今まで年相応の真実を尊重する習慣を持てずにいたので、そんなことを平気で宣うのだろう。これほどの大愚は決まって男であって、女にはいない。

 職を辞した男衆にいわせると、まだ70歳にもならぬうちに、歳とともに何をするにも気力が萎えていくと告白する気の毒な人たちもいる。それにくらべ女衆は依然として元気いっぱいである。彼女たちは衰えを知らない。
 勝ち気を気取るわけではないが、ぼくは歳を重ねるごとに写真の愉しみが増え、集中力が増していくように感じている。ひとつ発見をする度に未熟な自分を思い知り、恥じ入るとともに、それが刺激となり、やたらと嬉しい。したがって、過去の自分はいつだってお莫迦である。
 一喜一憂を繰り返しているうちが生きることの華なのだろう。そんなわけで、いつまで続くか分からないが、あだ花にならぬように、まだ十数年は意欲的に写真に関わっていきたいと願っている。

 前号で映画について触れたので、ついでごとのように思い出したことがある。動画と静止画(写真)は同じ映像表現には違いないのだが、撮るほうも観る側も意識上異なったものがあることを承知で、ぼくの考えを述べてみたい。
 昔から映画を観るたびに感じていたことなのだが、どうみても静止画にくらべ映画は露出が不足している。「不足」という言い方は適切でないのかも知れないが、つまり露出アンダーということだ。ぼくはそれを科学的に実証しようと、先月無作為にカラー映画(昔は“総天然色”なんていったものだ。ちなみに映画は“活動写真”とも)を選び出し、モニターに映し出された画面を止めて50カットばかりキャプチュアしてみた。ハリウッド、ヨーロッパ、東欧、ロシア、イラン映画などの一場面である。

 キャプチュアしたものをPhotoshopで開き、時間をかけて「情報」(Photoshop / メニューバー / ウィンドウ / 情報)をチェックしてみた。ハイエストライトをチェックしてみると、RGBの値がすべて255、つまり完全に白飛びを起こしている場面はほとんどないということが判明した。
 電灯などの発光体でさえ白飛びを起こすことなく、しっかり情報が残っているのである。映画の撮影がどのような手順を踏んで、微妙な露出決定が成されるのか、その詳細をぼくは知らないが、ハイエストライトを基準とした露出であるので、画面全体がどうしてもアンダー気味となる。そのままではシャドウ部が潰れてしまい、補助ライティングで調整することになる。この匙加減が、監督やカメラマンの審美能力であり、映像美に直接の影響を与える一因となっている。
 過剰なライティングは得てして美しい映像を生み出しにくいということを、ハリウッドの映画人は知らないのではないかとさえ思える。豪華絢爛だがトーンに余韻がないのだ。ことのついでに、アメリカ人は余白の美しさを知らないのではないか? という疑念を持った。
 
 ハイエストライトを飛ばさないという露出の決定法は、いみじくもぼくのデジタル作法と合致している。私的写真ではライティングを施すことはないが、デジタルはシャドウ部が粘ってくれるので、補整時にちょっと持ち上げてやればこと足りる。これで見た目の露出アンダーはほぼ解消できるのだ。
 シャドウ部をどの程度持ち上げるかについては、“ほんの僅か”とか“心持ち”というほかないのだが、シャドウ部を肉眼で見るが如く表現してしまうと、非常に不自然かつ不気味な画像になってしまうので要注意。無理や力業は禁物である。
 Photoshopに限らず他の画像ソフト、あるいは最近ではカメラにも、HDR(ハイ・ダイナミック・レンジ。大きなコントラストを持つ被写体を再現可能なコントラストに圧縮するための画像合成法)という機能が付属しているが、ぼくはこれを利用して思い描いた通りの画像を得られたためしがなく、あまりにも気持ちの悪い仕上がりとなるので、作品作りにはお勧めしない。使いようなのだろうが、そんなことをせずとも、撮影時に適正な露出補正をし、画像ソフトで暗部を調整すればいいだけのことで、そのほうが画質の劣化も極力抑えられる。
 
 映画に於ける“意図的な” 露出アンダーの映像(いわゆる“ローキー”Low-Key。反対はHigh-Key)は、一般論でいえば鑑賞者に強い印象を与える。映画はこの視覚心理をうまく利用しているのだろう。
 かつてカラーポジフィルム(スライドフィルム)を使用していた頃、適正露出と思われる値より-1/3絞りアンダーに撮ると、色のりがよく、こってりと仕上がることを志気盛んな愛好家は知っており、これはローキーとは定義の異なるものだが、ぼくも彼らも好んでこの作法を踏襲したものだ。
 しかし、昨今一般受けのする写真はローキーではなく、ハイキー(High-Key)なのだそうだ。そういえば、「ただハイキーなだけの写真」を売りものにしている写真屋もいるくらいだ。時代はどんどん軽くなっていく。
 往来を眺めていても、様子のいいご婦人にはなかなかお目にかかれなくなってしまった、って関係ないか。ぼくも寝正月ゆえの大愚である。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/280.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM
場所:すべて三河島界隈

★「01 夕食支度の頃」。
日も暮れかかり、くたびれ果てて、もう一踏ん張りというところ。
絞りf6.3、 1/125秒、ISO200、露出補正-0.7。

★「02 おかしな三叉路」。
すべてが木造家屋だった頃の風情を思い浮かべて。
絞りf5.6、 1/200秒、ISO200、露出補正-0.3。

★「03 下町風情」。
赤いコートにジャージのズボンという、いかにも下町情緒溢れる出で立ちで、おばあちゃんがさりげなくぼくの前を横切る。
絞りf7.1、1/50秒、ISO400、露出補正-0.3。

(文:亀山哲郎)

2015/12/25(金)
第279回:フィルムからデジタルへ
 先日、キアヌ・リーブス(俳優)がプロデュースした映画『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』(2012年制作)を興味深く観た。そのドキュメントは、映画制作に携わるさまざまな職種の人たちが、フィルムからデジタルに移行するその変遷期のなかで、必然的に抱かざるを得なかった心の葛藤と、そしてそこから導き出した持論をインタビュー形式で伝えるものだった。
 あの変遷期に於ける彼ら自身の心情を吐露しているのだが、動画と静止画の違いこそあれ、それはぼくがあの時期に体験した心の揺らぎと移り変わりをそっくりそのまま代弁してくれているようでもあった。

 フィルムとデジタルについては過去この拙稿で何度か触れたので、今ここで改めて問い直すことはしないが、要は「道具としての使いこなし」ができればどちらでもよいというのが終着駅(結論)でもあり、すべてが「使いこなし」に収斂されるべきこととぼくは考えている。
 「道具の使いこなし」とは、いうに及ばず自己の描きたいものを、如何に正確に再現し伝達するかの手法・手段(道具)であり、その機能と技術に長ずるという意味である。
 未だ芸術性云々を持ち出して、どちらが優れているかという好事家(こうずか。変わった物事に興味を抱く人。物好きな人。大辞林)の議論を耳にするが、ぼくはそのような場からは、不毛の論戦には加わりたくないという気が先に立ち、コソ泥のようにそっと逃げ出すことにしている。論旨のすり替えも甚だしきことだからだ。
 また、芸術や芸術性(ぼくはこの言葉を好んで用いているわけではなく、他に代用の言葉が見当たらないから仕方なく使用)は常に作品自体に宿るものであり、道具や方式に依存するものではない。フィルムであれデジタルであれ、最終的には一枚の印画紙上に描かれるものなのだから、どちらの道具を選んでもいいのである。「弘法筆を選ばず」ともいうしね。

 ただ、200年近くの歴史を持つフィルムの再現性からは学ぶべきことがあまりにも多く、その良い点や好きなところをデジタルにすんなり移行できればいいのだが、なかなかそうもいかず、因ってぼくは未だに悪戦苦闘を強いられている。長年フィルムに馴染んできたからこその苦行ともいえる。今に至って、双方のいいとこ取りを理想とし、なんとかそこに漕ぎ着けたいと欲張ったことを願う。理想は、実現させてこその夢なのだ。正夢こそ希望が持てるというものだ。
 しかし、そもそもメカニズムの根本が異なるのだから、当然のことではあるが無理が生じる。同じ無地のグレーを段階露光しても、フィルムとデジタルのトーンカーブ特性は異なるし、ダイナミックレンジ(再現濃度域)もまた然りなのだが、「そこをなんとか善処していただきたい」と揉み手をしながらの神頼み。希望が叶うのであれば、揉み手だけはあまりにも手抜きゆえ気が咎め、ならばまず柏手を打ち、願掛け、お百度参り、水ごり、滝行、断ち物などなどを一式取り揃えて、何でもいたしましょうと不信心者のぼくは神様に機嫌買いをする。
 フィルムからデジタルへの移行は、そのくらいの決意と厚かましい度胸がないとできるものじゃない。

 ぼくの近しい友人にこんな人がいる。I君としておく。理工系特有の生真面目さと几帳面さを前面に押し立てて、「アンセル・アダムスの写真集から画像をスキャニングし、データ化して、そのヒストグラムを精査した」というのである。
 ヒストグラム(Histogram)とは、ご承知の方も多々おられるであろうが、画像の明るさの分布を棒グラフで表したもの。純黒から純白までの階調の度数分布を示したもので、画像がどのような明暗分布とコントラストで成り立っているかが一目で判別できる優れた図表。デジタル画像補整には欠かせぬツールでもある。

 I君は、「アダムスの美しいモノクロ写真のヒストグラムを一つひとつ検討していたら、ある共通した形(ヒストグラムの)を発見した」と、得意気にいうのである。そこでぼくは、「オレの写真のヒストグラムはおおよそこのような形になっているだろ」と、描いて見せた。
 I君は意表を突かれたかのように、「そ、そうなんですよ。一定の形があるんですよね。アダムスと非常によく似ている」と。彼は一呼吸置きながらも、鳩が豆鉄砲を喰らったままの顔で、「ぼくはかめさんのひとつの特徴を発見したんです。ヒストグラムの左側(シャドウ部)がぐっと盛り上がって、そこから急激な傾斜で中間部まで下がり、右側(ハイライト部)になだらかに落ちて行くんですね」とつけ加えた。彼はぼくのプリントが美しいとは一言も発しなかった。

 I君が全体何のために、アダムスの写真をデータ化したのかぼくは分かりかねるのだが、考えられることはふたつ。ひとつは、理工系の過ぎたる探究心の成せる業で、それは実験魔を自認するぼくにも考えられぬほどの離れ業というべきものだ。もうひとつは、美しいプリントを目指すあまりの、藁をも掴むほどの熱狂的な向上心だ。
 文系のぼくにはちょっと理解しがたい理系の粋狂なのだろう。ヒストグラムを睨みながら暗室作業(画像補整)をするわけではなし、第一そんなことは不可能だ。ヒストグラムはあくまで結果を目視で測るためのものであって、補整の過程に用いるツールではないのだから。しかし、それを十分に知り尽くしている彼の粋な遊び方にぼくは感心している。ともあれ、I君も自前の論理に従って、フィルムとデジタルの狭間を彷徨っているのかも知れない。

 8年前、I君と初めて出会った時のこと。彼はアナログの暗室設計図を描いていたらしいのだが、ぼくに出会ってやめたというのだ。ぼくが何をいったのかさっぱり記憶にないのだが、ぼくの言質がそれをやめさせたと彼はこんにちまで恨めしそうにずっと言い張っている。アダムスのヒストグラムはもしかしたら、ぼくへの当てこすりなのかも知れない。「あの一言が私の人生を取り返しのつかないものにした」と、そういう人がいるでしょ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/279.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM

★「01 三ノ輪から三河島へ」。
常磐線の高架壁に、夕陽の陰が焼き付く。赤外フィルムをイメージして。
絞りf9.0、 1/400秒、ISO400、露出補正-1.3。

★「02 高架下」。
夕陽に急き立てられるように帰路を急ぐおばちゃん。
絞りf7.1、 1/800秒、ISO400、露出補正-0.7。

★「03 常磐線ガード」。
鉄道のガード下には特別な何かがあると、ぼくはいつも感じている。1962年(昭和37年)に起こった三河島大事故は、この近辺。当時中学3年だったぼくはこの日(5月3日)に特別な思い出がある。
絞りf7.1、1/50秒、ISO400、露出補正-1.3。

(文:亀山哲郎)

2015/12/18(金)
第278回:カラーとモノクロと(補足)
 カラーとモノクロについて思うところを前回ざっと述べたのだが、この遠大なテーマをさらに分解し、枝葉末節にまで手を伸ばそうとするのであれば、ぼくの文章力では歯が立たない。確信を持てることなど何もないのだから、みなさんを混乱のるつぼに巻き込むこと疑いなしというところだ。第一、まともに取り合ってもらえない。ただでさえぼくの考量は怪しいのだから。

 写真というものが、自身の「心象」を述べ伝えるものだとする立場であれば、カラーかモノクロかを論ずる意味など存在せず、どちらのフィールドに身を置いても何ら差し障りがない。撮影者と被写体との融合性により、どちらを選ぼうとも自由だ。
 それにくらべ、被写体やその状況を鑑賞者に分かりやすく「説明」しようとするのであれば、たとえばガイドブックや絵葉書といったものには、カラー写真のほうがより具象性に優れていると考える人が大半だろう。
 心象表現は主観を、状況説明は客観に重きを置いたものだといっていい。

 上記したような写真表現特有の、ふたつの際立った性質のどちらに重点を置くかは撮影者に委ねられるわけだが、時としてその両方が欲しいという貪欲な人がいる。いや、貪欲というより強欲というべきだ。
 「二兎を追う者は一兎をも得ず」とか「あぶ蜂取らず」いう優れた摂理を反故にして、「一石二鳥」を狙う不届きさは写真の訴求力をたちまち殺ぐということにどうか留意していただきたい。心当たりがあるでしょう? ぼくにもあります。このような“不心得”で上手くいった試しなど一度もないのだから。
 写真評の時、「あなたはあれもこれも相まって説明しようとしているから、何をいいたいのかが伝わりにくいんだ。写真は、所詮ひとつのことしか表せないのだから、主たるものを注視し、よ〜く観察すること。何を抽出して、どう切り取るか。写真の良し悪しのひとつは、夾雑物を如何に潔く捨てられるかにかかっている」がぼくの口癖のようになっている。写真は一挙両得という具合にはいかない。ぼくの文章も、だから上手くいかないのだ。

 話が少し横道に逸れてしまったが、写真を趣味として愛好する人たちのほとんどはカラーであれモノクロであれ、自己の心象を写したいのであろうとぼくは思い込んでいる。ところが県展や市展を覗き、その結果(写真)を見てみると、作者の心象ではなく、現象や状況の説明に終始しているものが多いように思えてならない。
 もちろんぼくは、その善悪を論じようとしているわけではなく、自分の思い込みに疑念を感じ始めているのだ。だからといって、この疑念はぼくの信ずるところーーーつまり写真愛好の意義と醍醐味は自己の心象を写すことに主眼を置くことーーーを曲げたり、修正を加えたりする理由にはまったくならないのだが、前号で述べたように、そのほうが「現代の世相には受けがいい」のだろうと思う。状況を鮮やかに描き、説明するにはカラーが有効に働くことは否めようがない。
 ぼくの私的写真は受けが悪いということを十分に承知しているので、方向転換を図る必要性がない。だからダメな商売人なのである。よりシニカルにいえば、写真の信憑性を問われれば問われるほど、ぼくは悦に入る。このような指導者に教えを請う人たちは一方で気の毒でもある。

 デジタルカメラの基本はカラーである。カメラによっては撮影時からモノクロで撮れる機能を持つものもあり、感色性を理解していない人にとってはお手軽にモノクロを愉しむことができる。しかし、感色性を変化させる細かいフィルター操作(フィルターの濃度を自在に変える)がカメラ内でできるというわけではないので、通り一遍のものでしかないのは致し方がない。
 デジタルのカラー原画をモノクロに変換するには、画像ソフトを使い、感色性を操作しなければならず、このことは補色の関係に通じていれば、グレーの濃度を自在に変化させることができる。補色の理論はさておき、感覚に頼ってモノクロ変換のスライドバー(各色)を行ったり来たりする人もいるのだから、それでいい。
 今これを書いていて気がついたことなのだが、モノクロ変換時のちょっとした繁雑さが、モノクロ写真の減少の一端を担っているのかも知れない。魚の小骨を取るのが面倒なので、美味い魚を諦めているという人がいるが、どこか似たものを感じる。魚が嫌いなのではなく、食に至るそのプロセスが億劫だと無用な言い訳をする人たちだ。骨か魚か、どちらが嫌いなのか、男らしくはっきりしていただきたい。

 その伝でいうと、カラーはモノクロより直感的に操作できるという利点がある。取っ掛かりやすく手ほどきがあることは大きなメリットだろう。
 ここに特筆すべきことを述べておきたいのだが、女性のほうが男性より優れた色彩感覚を有しているのではないかと感じることがしばしばある。医学的、生理学的解釈は知らないが、ぼくの知る限り女性のほうが色づかいがずっと細やかである。そしてまた、色が鮮やかだとか地味だということに関係なく、どこか艶っぽいのだ。グラデーションひとつ取っても、優しいふくらみがある。
 そこへ行くと、男はいけない。男の色づかいは無骨でふくよかさがない。いくらてらてらの光沢紙にプリントしてもそうはいかない。
 有史始まって以来、女性は本能的にも、男にくらべずっと艶(あで)やかな色彩の衣装を好み、纏うようにできている。ここに色づかいの原点らしきものが存在しているようにも思う。

 カラー写真を一同に並べ、作者が女であるか男であるかを、ぼくは90%以上の確率で観取することができるが、モノクロとなると確率はずっと低くなる。女性の生理学的機能は無彩色を操るようにできていないのではないかと、ぼくは大変な発見をしたと思い込んでいる。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/278.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM

★「01 三ノ輪」。
東京都荒川区三ノ輪。三ノ輪近辺をふらふらしていたら、昭和の香り漂う居酒屋の長屋に。写真は居酒屋の裏手。
絞りf8.0、 1/160秒、ISO400、露出補正-1.3。

★「02 スリッパ屋さん」。
おばさんが内職したものを売っているのだろう。これも下町特有の情緒なのか? 前時代的な空気に包まれて。
絞りf4.5、 1/30秒、ISO400、露出補正-0.7。

★「03 常磐線高架下」。
往来の多い高架下。秋の夕陽はつるべ落とし。刻々と時は移り変わる。ここに10分ほど居続ける。さまざまな人生が垣間見えて、良い情景だった。
絞りf9.0、1/250秒、ISO320、露出補正-0.7。

(文:亀山哲郎)

2015/12/11(金)
第277回:カラーとモノクロと
 「拙稿を書くに際して」を、ちょっと昔風にいうのならば「原稿用紙を前にして」と気取るのだろうが、さてぼくは毎回のこと、「今回は何を書こうか」と頭を悩ませる。書きたいことがたくさんあり過ぎて、どれを選択するかに時間を取られなかなか書き出せないでいる。あるいは、「次回はこれを書こう」と心したことを気前よく忘れてしまうから難儀する。歳とともに直近のことが思い出せない。今気取っている場合じゃないのだけれど。
 日常茶飯というものを観察しながら、そこに生じる玄妙なしくみを一つひとつ紐解こうとすれば、それはぼくの小さな脳を立ちどころもなく飽和させてしまう。第一、手に余る。ましてや拙稿は、それを写真に連結させなければならず、ますます手に余る。

 写真を始めたばかりの人から「カラーよりモノクロの方が奥行きがあり、想像をかき立てられますね」というメールをもらい、今ひょいと「カラーとモノクローム」について、思うところを反芻してみたのだが、評論家でも哲学者でもないぼくにはテーマが大きすぎて取っ掛かりがつかめない。これこそ手に余る。
 モノクロしか撮らない人、カラーしか撮らないという風変わりな人たちに(案外“風変わり”な人のほうが多いのかも知れない)、それぞれ言い分はあるのだろうが、それは時として優劣を論じるという間違った方向に舵を切ることになりかねない。そのような場を実際に何度か目の当たりにして、ぼくは「それは宗教論争のようなものだ」と思うことにしている。
 優劣を論ずるべきでない事柄に、優劣を持ち込もうとするから不毛の論議となる。ほとんどの人たちが、それは無意味なことだと知っているにも関わらず、人々は果敢にそれに挑み、意地を張ろうとする。この摩訶不思議。
 短兵急ないい方をすれば、それは「人それぞれ」という配慮を著しく欠いた結果である。この論争は裨益(ひえき)するところが何もない。

 ただ、「この写真はカラーのほうがいい」とか「モノクロのほうがいい」というものは確実に存在する。それはあくまで作者の意図にのみ依拠するものであって、他人の言い分ではない。したがって、そこにも優劣は存在しない。

 模範解答など存在しないところに、何が何でも模範解答を求めたがる人たちもいる。これがそもそもの過ちなのだ。異なる土俵であれば諦めもつくであろうが、それが似て非なる土俵だから、混乱してしまうのだろう。「もしかしたら優劣の決着をつけられるかも知れない」と思い込むのだ。
 模範解答というものほど真実を遠ざけ、歪めるものはないとぼくは信じているので、それを問われると、「写真は知的行為のなれの果て。それぞれを時に応じて巧みに使い分けること」が模範解答なのだと、わけの分からぬことを説き、人をたぶらかす。模範解答=正しいこと、と信じ込んでいる人たちがあまりにも多いので、ぼくはそういわざるを得ないのだ。
 若い人ほど模範解答を知りたがり、歳を取れば取るほど、真実とされることに疑いの眼差しを向けるようになる。これが正常ではないか?

 県展や市展に限らず、昨今の展示会を覗くと圧倒的にカラー写真が多い。今やモノクロはごく少数派のものになってしまったのだろうかとの錯覚を抱くくらいだ。この傾向はデジタル写真が市民権を得始めたここ十数年のことのような気もする。そして年々カラー写真の占める割合が確実に増えている。
 穿った見方を承知でいうのであれば、カラーのほうが視覚的な情報量が多く、直裁的で、現代の世相には受けがいい。端的にいえば、分かりやすい面を多く有しているともいえる。視覚に近い分、被写体の持つリアリティをより強く感じることができるという思いもあるのだろう。肉視(造語ですいません。肉眼とか肉情という言葉もあるくらいですから、いいでしょう)という生々しい表現には、カラーのほうが合致しているという感覚を多くの人が抱くのだろうとも思う。

 自身のモノクロ愛用について述べれば、モノクロは既知の色彩を鑑賞者に与えない分、ぼくに限らず作者のリアリティが色濃く、素直に表出する。無彩色ゆえ、色彩の持つ既成概念にとらわれずに済む。このことはつまり、鑑賞者をカラー写真のように現実世界に導くのでなく、モノクロは想像の世界に誘導するものだとぼくは考えている。より幻影に近いもの、あるいは個々人の原風景の復元は、モノクロ写真の持つ強いリアリティなのではなかろうかと思う。
 またぼくは、カラーで人肌を緑色や青色に表現する勇気がないからだということもできる。だからぼくはそんな煩わしさを避けるために、モノクロをもっぱら愛用する。
 モノクロはごまかしが効かないとの意見もあるが、カラーで肌色を美しく表現することはリアルすぎてぼくには極めてむずかしく、はじめからモノクロという非現実的な表現でごまかしているということもできる。
 「モノクロは無彩色の濃淡を使い分けて、虚構の世界を演出する」といえば聞こえはいいが、肉視という現実が恐ろしく、そこから遠ざかったところで、自身の要求に唯々諾々としながら無彩色の羽を伸ばして遊びたいだけなのだ。
 虚構こそがぼくの現実世界であり、またリアリティでもあり、遊びとはいえ本人は大真面目なのだ。ぼくのモノクロは生真面目さの成せる業でもある。灰色の濃淡を操ることは、実生活に必要のない余計な緊張感を引き寄せ、そこに写真の醍醐味を堪能させてくれる。

 取り急ぎ、今回は「テーマが大きすぎて、取っ掛かりをつかめないまま」ごまかしてしまおう。起承転結を文章の金科玉条にしている風変わりな人もいるが、謀(はかりごと)なく、ものごとを正直に述べようとすればするほど、そうはいかないのが世の常だ。模範解答のないところに首を突っ込みたがるのがぼくのリアリティでもある。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/277.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM

★「01 都電荒川線」。
東京都北区王子。都電荒川線。王子から乗って、終点の三ノ輪あたりを徘徊。
絞りf9.0、 1/800秒、ISO200、露出補正-1。

★「02 王子さくら新道」。
王子駅に隣接する戦後間もないころに建設された居酒屋の居並ぶ長屋。過去、何度か撮影したが2012年に火災に遭い、一部が延焼を免れた。久しぶりの訪問。 
絞りf5.6、 1/20秒、ISO800、露出補正-1。

★「03 三ノ輪駅」。
終点と気づかずにいたら、地元の乗客に「この先には、線路ないよ」といわれ慌てて下車。何となく良い風情に1枚だけいただく。
絞りf8.0、1/60秒、ISO200、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2015/12/04(金)
第276回:京浜東北線(3)
 「写真を撮りたい」との思いに駆られてからちょうど60年もの年月が経過した。その動機についての記憶は、長い歳月を経てもぼやけることなく線画のようにくっきりとしている。明確な記憶の輪郭は、60年間もぼくに執拗に取り憑き、幸か不幸か、未だそれから逃れられずに悶々とした日々を送らせている。 
 写真を撮ることの歓びと、写真映像に対する憧れとの、その両輪に若干のずれが内在しているが、ぼくは後者への傾倒が強く、したがって鑑賞者側に立つことのほうが好きなのかも知れない。
 映像への憧れが撮影という行為を導くのだから(あるいはその逆であったり)、どちらが優位であるかの取り沙汰は無意味だが、世の中にはただ写真を撮ることに歓びを感じ、結果は二の次という大胆な人がいることも確かだ。ここに羨望の念を禁じ得ない。
 
 遠い記憶を呼び覚ますことは常に曖昧模糊とした残像に頼ることが多いが、半世紀以上昔の、セピアがかった、古ぼけたはずの「写真事始め」だけはなぜかとても鮮やかに、しかもモノクロームで蘇ってくるから面白い。それは記憶というより、自身のささやかな年輪のひとつとしてすでに体幹に深く刻まれてしまったのかも知れない。拭うことのできない生涯の記憶のひとつとして、「写真への動機」が、質の良くない主(ぬし)のようにぼくのなかに居座っている。
 ひょっとすると、「軒下を貸して母屋を取られる」との諺通り、ぼくは一時の気の迷いで写真を面白がってしまい、半世紀以上も写真という飼い犬に手を噛まれ続けているような気もする。

 小学3年時にぼくは病身の母を見舞うため、父に連れられて北浦和から千葉県の勝浦に週一度通っていた。千葉駅から外房線に乗っての下り線は、母に会えるという明るさがあり、帰路の上り線は日もとっぷり暮れ、母と別れた暗さがあった。明暗の入り混じった複雑な胸裏を覆うものが、「車窓風景」と勝浦の浜辺で拾い集めた貝殻だった。ハンカチに包んだ貝殻を握りしめて、ぼくは車窓に流れる風景を写真に撮ってみたらどれほど愉しいだろうかと、夢を見た。
 写真好きだった父にこわごわと「ぼくは写真機が欲しい」とつぶやいてみたのだった。大きな声じゃない。“つぶやいた”のだ。
 父はぼくの意に反してとても鷹揚に、「そうか坊主、写真機が欲しいのか。よし、こう(買う)たる、こうたる」と、ぼくの髪をくしゃくしゃ撫でながら、約束してくれた。つぶやき作戦が功を奏し、「何はともあれ言ってみるものだ」という知恵をぼくはこの時にありがたく授かった。何にでも極めて消極的で意気地無しだったぼくは、それ以降この格言!? を伝家の宝刀のように振り回し、少しずつ社会に馴染んでいった。

 この時に買ってもらった写真機がブローニー判のフジペットだった。この写真機を手にぼくは果敢に車窓風景に挑んだ。当時は、結果より撮影行為そのものが面白く、ぼくも一人前の大胆さを身につけていった。そしてまた、1本12枚撮りのブローニーフィルムは素早い消費を繰り返し、その度にぼくは覚えたてのつぶやき作戦を行使した。父は可能な限りのフィルムを与えてくれた。同時に、ぼくは写真のせいで徐々に油断のならない少年に育っていった。

 当時、京浜東北線にはまだ南浦和駅は存在せず、浦和駅の次は蕨駅だったので、少し長目の距離を運転手は上機嫌で飛ばしたのだろう。他の区間より車速が速かったのだろうか、あの田圃と雑木林の移り変わりはいつもブレて写っていた。父は流れ行く風景に合わせて写真機を動かせと、実に正しい指導をぼくに施した。窓に近いものは速く動き、遠いものは遅いと、父は子供にはむずかしい理論を展開してみせたが、ことの次第はさておき写真機を動かしながらシャッターを切るという魔法のような手法を教えてくれた。
 後年、父のむずかしい理論を意のままに操ろうとぼくは修練を積んだ。この技法を手玉に取れば車窓風景はより活気に満ちた描写が可能であり、撮影の許容範囲もさらに広がること疑いなしだ。車窓風景ばかりでなく、動くものに対してもこの技法は役立ってくれるに違いない。また、意図的にぶらすという小賢しい技術も駆使できる。カメラの動きとシャッター速度の相関関係を絡繰(からく)れば、写真に於ける生殺与奪の権を握ることができるはずだとぼくは信じた。

 7年前の秋、ぼくは友人たちと東北1週間の撮影旅行に出た。運転は若いカメラマンのK君に任せ、ぼくは後部座席から助手席に陣取るM女史に「流し撮りの練習をしなさい」と命じた。M女史は写真を始めてまだ4年。「流し撮り」という写真用語を知ってか知らずか、「はい!」と素直に応じた。車窓に流れる風景とは逆方向にカメラをサッと動かしながら得意満面でシャッターを切っていた。
 東北自動車道を高速で走る車が一瞬グラッと方向感覚を失ったかのように揺れた。彼女のあまりの違法的・武者修行的撮影作法に、運転をしていたK君は度肝を抜かれ、動揺し、その衝撃が直にハンドルに伝わったと思われる。
 K君とぼくは輪唱するように、「あっ、あっ、あのぉ、な、流し撮りってのはさぁ・・・そうじゃないんだってば」と、それ以上声も出せず、腹の底から笑いが込み上げてきた。ぼくは腹をよじりながら、「あほ、まぬけ、なすかぼちゃ! うんこったれ!」と、この時も思わず幼児言葉が口を突いて出たものだ。

 ぼくらは平常心を取り戻すまでに多少の時間を要したが、再びM女史が「時速100キロの場合、シャッタースピードは1/100秒よね。60キロの時は1/60
秒以上で切ればいいのね」と、ぼくの父よりむずかしい理論を持ち出してきた。
 1分ほどの、やはりむずかしい沈黙が車内を支配しつつあった。一応プロであり、賢人でもあるぼくとK君は重苦しい計算に悩まされたが、彼女の新説を打破する明確な根拠に恵まれず、さかんに頭を傾げるのみだった。
 彼女はかつて大手銀行本店の花形として長年勤め上げ、それに比べぼくら写真屋組は計算というものにはまったくの与太郎であったので、もっともらしく思える新説には極力慎重にならざるを得なかった。こんなところで馬脚を露わしてはプロの沽券に係わるとでも思ったのだろう。
 ぼくとK君は何度か目を合わせながら「なんか違うよな。なんか変だよな」と、乏しい根拠を元に、臆病風に吹かれながらも、再び幼児言葉を発し、お茶を濁してしまったのだ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/276.html

カメラ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。

★「01 港南台駅」。
絞りf5.6、 1/10秒、ISO800、露出補正-0.33。

★「02 本郷台駅」。
絞りf4.0、 1/250秒、ISO400、露出補正ノーマル。

★「03 帰路」。
帰路は各駅停車の京浜東北線を諦め、大船より湘南新宿ラインで。
前に座ったおじさんは懸命にシャッターを切るぼくを見て「何がそんなに面白いのか?」という顔で訝る。おじさんは自分の少年時代を忘れている。
絞りf5.6、1/500秒、ISO640、露出補正-0.33。

★「04 帰路」。
ガラスの写り込みを意識。
絞りf5.6、1/450秒、ISO640、露出補正-0.33。

★「05 帰路」。
多摩川。手前の鉄柱は速い移動のため、タイミングを計る。
新幹線ではできないかも。
絞りf5.6、1/320秒、ISO640、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2015/11/27(金)
第275回:京浜東北線(2)
 東西冷戦の終焉期(1990年前後)、ぼくは足しげく旧ソ連邦や東欧を訪れていた。今思うと、歴史的な動乱期と大転換期を現地の人とともに体感し得たことは、おぼろ気ではあるがその後の写真のありようや思想になにがしかの影響を与えたような気がする。明確でないところがぼくの、駄目の駄目たる所以だ。 
 そしてまた、瞬時に思考が追いつかず、時間が経った頃に事の次第を悟り、慌てふためくのである。事象とそれを飲み込むまでに時間差があり過ぎて、思うように嚥下できず、だからぼくはいつも知ったかぶりばかりしている。週刊誌や月刊誌の求めに応じて、ぼくは東欧見聞録なるものについていい加減なことばかりいっていた。もうとっくの時効じゃけん、よかでしょう。

 旧レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)から寝台列車でエストニア共和国の首都タリンへ向かう車中、同室となったイギリスのご婦人から、「中国で今大変なことが起こっている」と聞かされた。駆け出しの新聞記者であった彼女は、知り得る情報を細かくぼくに伝えてくれた。それが天安門事件だった。1989年6月のことである。
 彼女はイギリス諜報機関MI6の回し者に違いなく(と、勝手に決めつけている)、ぼくは彼女に「ところでMiss 007、あなたの上司はイアン・フレミングというんじゃない? 白状しなさいよ」といったら、「そうね、私はBBCのエージェントということにしておこうかしら」と屈託のない大笑いをしてみせた。やはり怪しい。
 西洋の女たちは、大和撫子とは打って変わって、ところ憚らず大口笑いをし、手で口元を覆うなどという所作を心得ていない。大股、外股で闊歩することもまったく厭わない。西洋と日本では、色香とか艶姿(あですがた)というものの基本的概念が根本から異なるのだ。西洋女はいってみればすべてが異形であり(その異形もまたよし)、敢えていうなら「女っ振り」がいいということだろうか。ぼくは車窓に流れ行く針葉樹林帯を眺めながら、こんなところで日本女性のしとやかさを懐かしんでいた。
 そして翌年、ぼくは再びバルト三国のひとつ、ラトビア共和国の首都リガにエストニアを経由して赴いた。ホテルのベッドに横たわりテレビのドキュメントを眺めていたぼくは、その映像の美しさに思わず身を起こし、「こんなに美しいビデオ映像は見たことがない」とひとりごちた。それは隣国リトアニアの独立運動を記録したドキュメント番組だったが、室内からガラス越しに撮影されたシーンの美しさは圧巻だった。言葉はまったく理解できなかったが、その映像美たるや、ぼくを虜にするに十分だった。

 テレビにビデオ映像が用いられてからこんにちに至るまで、ぼくは美しいビデオ映像を見たことがない。ビデオ動画はフィルム動画の美しさには到底敵わないとの観念がぼくにはすっかり定着していたし、その考えは当時も今も変わっていない。
 そのドキュメントは帰国後日本でも放映され、ぼくは再び感嘆した。それはぼくの見ることのできた唯一無二の美しいビデオ映像だったが、それでも「ビデオは美しくない」という観念を払拭するには至っていない。

 つい1ヶ月ほど前、何気なく見ていたハンガリーのB級映画の数秒間にぼくはまいった。不覚、題名を忘れた。
 夜、男と女がコーヒーを飲んでいる喫茶店のシーンが、外からガラス越しに写されていた。タングステン電球に照らされた、なんとも形容しがたいほどの、滑らかで柔らかいグラデーションにぼくはまいってしまったのである。ハリウッド映画では滅多に見られぬ美しさだ。
 ガラスの微妙な乱反射が光の具合と相まって(おそらく偶然だろう)、得もいわれぬ色調を醸していたのだ。微妙な乱反射は、物の輪郭や色を微かに滲ませ、解像度を甘くし、コントラストを和らげ、適度に立体感を失わせ、それはカメラに取り付けるフィルターからは得られぬ何かだった。
 ぼくは咄嗟に、古い建築に使用されていた昔のガラスを思い浮かべた。厚さに均一性がなく、向こうの風景がゆらゆらと揺れ、波打つあのアンティークなガラスである。

 早速友人の建築家に「あのガラスは何というのだ。手に入れるにはどうすべきか。わたくしは、あのガラスを使って裸婦像を撮るのだ」とメールした。
 自分の専門分野には過剰で居丈高な態度を示す彼がいうに、「あんたにはわからんじゃろが、あれは手延べガラスといいましてですな・・・あんたにはわからんじゃろが、すでに国内では生産されておりません。海外から取り寄せるしかありません。あのゆらゆらガラスをPhotoshopでそれらしく模したものを添付するので、あんたにはできんかも知れんが、それを見てよく研究しなさい」と、高飛車な鼻息にぼくは吹き飛ばされそうになった。この人、いみじくも、わたくしの教え子なんですよ! ちょっとましな写真を撮るようになったと思ったら、すぐこのありさまだ。

 気に入った女性ポートレートを取り出し、ぼくは直ちに手延べガラスをPhotoshopでシミュレートしてみた。手延べガラスの雰囲気は見事に醸せるのだが、顔がクニャクニャ・ユラユラして、彼女の顔はまるで正月の福笑いのようになり、「ここで笑い転げてはいかんだろ。失礼だろ。男は忍従」と、ひくつく腹を必死に押さえた。手延べガラス作戦は、肖像画に関する限り見事に敗退せりだった。

 どのような条件が揃えば、あの映画のような描写が可能なのだろうか? その因果関係を探るにはとにかく場数を踏むしかない。まず電車の窓からガラス越しにいろいろ試行してみようと思い立ち、京浜東北線での移動にカメラを持ち出したというわけである。
 前振りの長い立川談志が生前こんなことをいっていた。「前振りの長い噺家は下手くそなんだ」と。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/275.html

カメラ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。

★「01 車窓風景」。
京浜急行との交差地点。
絞りf5.6、 1/640秒、ISO400、露出補正-0.33。

★「02 車窓風景」。
学生時代にこの近辺を訪れたことがある。当時は雑木林しかなかったが、今新しい街ができ、ぼくはそれだけ老いたということか。
絞りf5.6、 1/800秒、ISO400、露出補正-0.33。

★「03 新杉田駅」。
席に座ったまま後ろ向きになり、ホームの情景を。意図的にブラして。
絞りf5.6、1/105秒、ISO800、露出補正-0.33。

★「04 車窓風景」。
さまざまなソフトのプリセットから、都合11枚の画像を作り、貼り合わせた。複雑なことをし過ぎて、頭が混乱し、そのさなか仕上げたもの。
絞りf5.6、1/800秒、ISO400、露出補正ノーマル。

(文:亀山哲郎)

2015/11/20(金)
第274回:京浜東北線(1)
 先月久しぶりに電車の遠乗り?をした。所要時間約1時間40分。埼玉県北浦和駅から神奈川県本郷台駅まで、京浜東北線に揺られての、のんびりとした移動だった。撮影が目的ではなく、友人の病気見舞いだったが、ぼくはある写真的試み(次号にて解説)のためにカメラを持ち出すことにした。
 写真屋になって以来何十年も、移動はもっぱら車に頼っていたが、“改札の呪縛”から解き放たれた今、ぼくは一丁前の顔をし、勇んで電車を利用することにしている。“改札の呪縛”といってもいいほどに、ぼくは乗車に対する気後れと怯えによる拒否反応を示していた。

 ずっと以前のこと、改札を通過する際に何かの手違いによりドアが問答無用とばかり権威主義的にバタンと閉じ、ぼくは太股に予期せぬ衝撃を受け、金縛りに遭い、そして立ち往生となってしてしまったことがある。後方からの声なき声、「どないしたんや、はよせんかい!」という、なぜか関西訛りの怒声的音波を敏感に汲み取ったのである。後頭部に受けた音波を未だ拭いきれないでいる。 
 いつの頃からか出現した自動改札による無機質かつ無慈悲な通過儀式のさまざまを知らなかったがために引き起こされたことどもは、一種の物言わぬ恫喝のようなものだった。その強迫観念はぼくに複雑で重篤な精神疾患をもたらしたのだ。  
 中年に差しかかった頃に、現代風ともてはやされる社会的仕組みに自ら身を置き、それに順応することのばかばかしさと浅薄さを知っていたはずだったが、還暦を過ぎてまでこのような不躾な仕打ちに順応しなくてはならないとは、まったく思いのほかだった。
 切符自動販売機と自動改札というコンピューターによる威嚇装置がじくじくと疼きながらトラウマとなり、「君子危うきに近寄らず」とばかり、電車利用を極力避け続けてきたのである。改札を無事通過することに何度か失敗したため、小心者のぼくは利用の度にオドオドし、狼狽もし、異常な緊張を強いられた。

 そして今、世間並みの“改札通過技能”を修得したことはまことに悦ばしい。このことはぼくにとって大仕事であり、決して他愛のないことなどではない。
 妻はぼくにSuicaなるものを持たせ、一人前の正しい社会的人間に育ててやろうとの心意気を示したが、カードの利用金額が枯渇して以来、ぼくは妻の麗しき配慮を徒(あだ)にしている。そして皮肉なことに、そのカードは定期入れに入れたままで使用可能であることを知った矢先のことでもあった。ぼくはだから今、乗車の度に切符を購入し、改札に差し込み(出てこなかったらどうしようと怯えながらも)、律儀に“通過儀式”をこなしている。
 人は一度トラウマを抱えると、その傷はなかなか癒しがたく、何かの拍子で条件反射のように生々しい記憶がひょっこりと顔を出す。通過技能を修得したといっても、その痛みに終生つきまとわれるのだ。

 そして電車行脚の苦難はまだまだ続く。それはこの4,5年、プラットフォームや車内にわがもの顔で猛烈に増殖したスマホ虫である。この虫は害虫とまではいえず、ぼくに強迫観念を与えない分人畜無害ではあるが、ただひたすら虚しさばかりを覚える。この虫たちは感情も、意識も、思考もまさに完全停止状態にあり、それに気づいていないので“やはり”空恐ろしい。公共の場にあって、自分を取り囲む状況に無感覚でいられることは、触覚を失うに等しく、さらに恐ろしい。まさに無痛・無感の逞しき人々である。
 このありさまを眺めていて、ぼくは老婆心を必要とはしないが、虫たちの脳細胞の壊死を直視しなければならず、それは“やはり”憂鬱である。この絶望的な風景は、悼むべき現代風社会的仕組みの断片なのだろう。
 ぼくは自尊心が強いのか、スマホなるものに一顧だにしたことがない。

 北浦和駅を出発した時間は正午だったので、比較的空席があった。ドアのすぐ右手に誰も坐っていない優先席があり、自分の姿を鏡に照らしながらそこに坐ってよいものだろうかとさんざん悩み抜いたのだ。団塊の世代は今、「優先席」という名称に悩ましいお年頃なのだ。
 ぼくが何故優先席にこだわったのかの理由はふたつ。ひとつは、車窓風景だけでなく車内も撮りたかったので、優先席の向い側には席がなく(こういう仕様があるとは知らなかったなぁ)、人物との距離が取れ、なおかつ観察地点として好都合だったこと。つまり、そこはほどよい撮影空間に恵まれていることだった。
 そしてもうひとつは、優先席に坐ればどのような心理状態に陥るのかという興味だった。この着座はちょっと勇気が要る。団塊世代の読者諸賢には、その複雑なる心境について改めて述べる必要もないだろう。自尊心によるやせ我慢を取るか、ご都合主義の成りすましのどちらを選ぶかということである。普段、優先席に坐ることのないぼくは、今回長旅と撮影を全面に押し出し、後者を選んだ。“優先席に相応しい”乗客がいれば、もちろん席を立つ。

 新橋を過ぎたあたりで、インド人のビジネスマン2人が隣の空席に腰を下ろした。ターバンを巻いた年の頃40代と思しき壮健な人たちだった。ビジネスに余念がないらしく、もの静かに語り合っていたが、浜松町から“優先席に相応しい”老女が乗ってきて、ぼくらの前に立つや否や、くだんのインド人の1人が即座に老女に席を譲った。
 ぼくのほうがおそらくインド人たちよりずっと年配であろうから、ぼくが敗北感を味わう必要もないのだが、ぼくにだって若く壮健な時代があったのだ。いきなり白髪ジジィになったわけではなく、未だ若き時代の気分を引きずっている。つまりぼくは、インド人たちより若いと一瞬錯覚し、そうでありたいとの願望を抱いたに違いない。
 滑稽なことと一笑に付したいと思うのだが、そうはなかなかいかないところが団塊の複雑な、お年頃の悩ましさなのだ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/274.html

カメラ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。

時系列に掲載。
★「01 京浜東北線車内」。
優先席に座ったままの位置から。前に立った女性を観察しながら、カメラ設定をあらかじめ整える。車内は思いのほか暗いのでISOを上げておく。
絞りf5.6、 1/80秒、ISO800、露出補正-0.33。

★「02 京浜東北線車内」。
個人(集団ではなく単体での)を特定するような国内写真は今まで掲載を控えたが(そうしなければならない理由はないが)、今回は正面顔でないこともあり、掲載することに。
優先席から身を乗り出し、アングルを下方からにするため両膝に肘をつき、女性の様子を窺いながら静かにシャッターを押す。
絞りf5.6、 1/450秒、ISO800、露出補正-0.33。

★「03 磯子駅」。
席に座ったまま後ろ向きになり、ホームの情景を。ソフトフィルターを掛けたイメージで。
絞りf5.6、1/220秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「04 新杉田駅」。
窓ガラスの汚れと乱反射を暗室作業で強調し、この場の空気感を。
絞りf5.6、1/125秒、ISO800、露出補正ノーマル。

(文:亀山哲郎)

2015/11/13(金)
第273回:写真評
 他人の作ったものについてあれこれいうのはとてもたやすい。自分の言辞に責任を伴わぬ場合はますますたやすい。感じたままを、言いたい放題に、ぼくは良心に苛まれつつも、悪態さえつく。よせばいいのにである。
 率直にもの申す姿勢はしかし、相手に対する誠意であると同時に、自身の佇まいや自分の作品のクオリティの一切を、一旦棚に上げるというさもしさに等しく、畢竟そこに猛烈なジレンマが生じる。だから写真評という行為は常にぼくを大変悩ましい状況に追い込むのだ。そして、そこに共存する評論的ボキャブラリーの不足が輪をかけ、ぼくはますます苛立ち、窮地に陥り、所在を失っていく。
 本心をいえば、今このジレンマの正体についての詳細を述べたい気持に駆られている。それを強行すれば、自分の写真評についての論点とその拠り所となるものをいくらか整理・分析できるような気がするのだが、議題に取り上げた「写真評」から大きく外れ、しかも駄文長文となってしまうので、取り敢えず棚上げにしておく。

 写真評というものに対してのジレンマの解消には、ある種の離れ業が必要だ。 
 それは自身の好みを排し、歴史的に良い写真として評価の定まっている様々な形態の写真に自分の物差しを宛てがい、相手のレベルを斟酌しながら、思うところを信念に従って真摯に伝えること。この趣意が理想とは思わないが、評論家でもないぼくが取るべき当面の指針だとすれば、なるほど、離れ業というか、相当な芸当でありましょう?

 1ヶ月の間にぼくは100枚以上のプリントの写真評を課せられている。審査委員などしていないにも関わらず、一時に2000枚以上などということもあり、足腰が立たなくなってしまうこともある。また時には、見ず知らずの方々が、ぼく如きに「写真を見てもらえますか?」といってやってくる。わざわざ札幌や博多の遠方からも、一介の写真屋にすぎぬぼくのもとに足を運んでくれる奇特な方々もいる。「ぼくはそんな玉でないのに」と正直に思う。
 しかし、人様のつくったものに批評・論評を加える資格が果たしてぼくにあるのだろうかとは考えない。それはぼくが決めることではなく、相手が決めることだから。そしてまた、いくらぼくが、居住まいが悪く不遜であろうとも、ぼくに写真を評する慧眼が備わっているとも思っていない。
 写真を見せる人は、「自分の写真について何かの示唆を、このおっさんは与えてくれるかも知れない」との淡い期待と希望を抱いているのだろうと思うことにしている。ぼくの写真に少なからず好意を抱いているからこその、ぼくの悪罵に対しての容赦を認めているのだろう。

 言葉を受け取る側(写真評を受ける側)にもさまざまなタイプがあるので、ことは厄介だ。それを使いこなす的確な技量をぼくは持ち合わせていないだけに、だから余計に気を遣ってしまうのである。作品の否定的な面はできるかぎりソフトに述べ、良い面は大いに褒めることにしているが、その匙加減がとても難しい。
 欠点を指摘する時、「ではどうすればいいのか?」に必ず言及することを旨としているが、相手によっては(特に古兵とか剣客に対しては)「ダメ」の一言で済ます場合もある。
 欠点を指摘することより、長所を伸ばすことがぼくの役目と心得ているが、そうは言いつつもいつも欠点に目をつむってばかりいるわけにもいかず、その相剋にぼくはのたうつのだ。
 月一度の定例会の日に限って、様々なストレスにより、礼儀正しく結石の発作が計ったようにやって来て、ぼくはのたうち、強力な鎮痛剤をポケットに忍ばせている。結石の痛みと不快感は尋常なものではなく、しかしだからといってぼくは退座したことなど一度もない。この健気さを誰も理解しようとはしない。「しぶといおっさんだ」とくらいにしか思わぬ薄情者にぼくは囲まれている。

 褒められることにより精神が高揚し、今まで以上に意欲的に写真に臨もうとする人。これが一般的だが、もう一方では、ぼくの毒突きを、落ち込むどころか心地よく感じる変わった人たちがいる。このようなマゾっ気に富む人が身近に何人かいるのだから、気味が悪い。ぼくの悪罵を聞かないとすっきりしないとか、写真評をしてもらったという気がしないという変態さんがいる。
 
 先日、若い友人が個展を催し、個展の閉期間際になって電話をしてきた。「来て下さい」と、何か思い余ったというか切羽詰まったような口調だった。「グサッと心臓に突き刺さるようなことを誰もいってくれないので、ここはかめやまさんの出番だ」というのである。こんな出番はあまり嬉しくない。
 誤解を招かぬようにいっておかなければならないが、ぼくはこれでも作者に失礼にならぬように数少ない持ち言葉を丹念に選択し、相手を傷つけまいとの配慮くらいはしているつもりである。感じたことを適切な言葉で表現できない自身に苛立ち、そしてもどかしく、そんな時に仕方なく、どうしても手っ取り早い幼児言葉が意に反して口を突いて出てしまうのである。たとえば「ウンコ」とか。

 結石の発作に見舞われながらも、何故写真評を止めないのかを謙虚に振り返ってみると、「ぼくの信念に従った写真のありよう」を伝えることによって、写真の持つ深度を、頑迷・偏狭に陥ることなく深めて欲しいという個人的願望であることに気づく。第270回で、「類似品」や「既製品」を遠ざけて欲しいという嵩高な言いようをしたが、それは自身への強い戒めでもある。
 写真評が、写真の上達にどれ程の作用と影響を及ぼすのか、その因果関係を知る手立てをぼくは今のところ持たないが、助手君を含めた何十人の人たちを見てきて、そこにもし最大公約数的他律性のようなものがあるのだとすれば、それは「素直に受け取る」ことに尽きるような気がしている。「ウンコ」の効用はあなた次第なのだ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/273.html

 倶楽部の友人が家族旅行と称してロンドンに行ってきた。定例会でその写真を見せてもらい、ぼくは47年前(20歳)の郷愁に浸った。その時の写真を5点ばかり掲載させていただく。
 カメラは中古で買ったNikon F。レンズはNikkorの35mmと50mm。フィルムは英イルフォード社のもの。アナログ印画紙をスキャニングしデータ化。デジタルの暗室補整は加えていない。

★「ロンドン01〜05」はすべてロンドン市内。20年以上ロンドンに居を構え、勤めている友人によると、「この20年の間にかつての古き良きロンドンはどんどんなくなってしまった。イギリス紳士も淑女もどこかでひっそりなりを潜めている。寂しい限り」といっていた。

(文:亀山哲郎)