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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2017/02/10(金)
第334回:再訪の意義
 今週の月曜日、目覚めて空を見遣ると薄曇り。雲の様子も程よく、格好の撮影日和と決め込んで、ぼくは珈琲を一杯だけ流し込みすぐさま車に飛び乗った。特段、行く当てがあったわけではないのだが、倶楽部創設時に仲間たちと何度か行ったことのある群馬県館林市を思い出し、気がついたら東北自動車道を北上していた。気運に逆らってはいけないので、懐かしい館林市を徘徊することにした。 
 写真を撮りに出かける(仕事の写真ではなく)時、何故ぼくはこんなにわくわくした気分になってしまうのだろうかと、自分の職業(あるいは性というべきか)に改めて感謝した。私的写真なのでそれがすぐにお給金となるわけではないのだが、それがかえって気を楽にし、ありがたくも嬉しさが増すのである。
 そしてまた、撮影に行けば一発は必中だとのおめでたい気質も、大いにこれに荷担している。「待つうちが花」の言葉通り、結果がどうなるかと予想するのもまたとても楽しいことだ。

 ハンドルを握りながら、10年以上も前に撮影した館林は今何がどう変化しただろうかと思いを巡らせた。
 昨今、特にこの10数年は新旧の交代期なのか街の様子や家屋の佇まいが目まぐるしく変化している。ぼくのような非能率的・非社会的、かつ情緒優先主義の者にしてみれば、趣のあるもの(ぼくにとってのフォトジェニックなもの)がどんどん失われて行く寂しさを感じており、そのことは一介の写真屋として「記録に残しておく」という職業的倫理感を心ならずも誘発させている。ここで、一応は道義的責任を感じているのだと、おためごかしのような道徳心(?)をぶっておこう。

 昨年同じ場所に何度か通って、つくづく感じたことのひとつは、「よくもまぁ、おまえは嘘八百をこれ程並び立てたものだ。何が “記録に残しておく” だ。我ながら呆れてしまう」ということだった。年を経るに従って、ぼくの写真的虚言癖は老眼鏡のように強度を増していく。
 再訪時に同じポイントに立ってみると、実物と自分の撮った写真があまりにも違いすぎるということに畏れ入ってしまうのだから、勝手なものである。「写真は真を写さない」を地で行っている。
 時にはその被写体に気がつかぬことさえあるのだから、ますますもって呆れるというか、やはり畏れ入ってしまうのだ。自分の撮った写真が脳髄にまで染みこみ、そしてこびりついて、実物が目の前にあるのに、気がつかないでいる。「えっ、本当はこんなだったの? へっ、そうなの?」なんて無責任なことを人知れずつぶやいている。現実と幻想が混濁しているそのさまに、何故かぼくは恥じらいを感じてしまうのである。

 あたかも写真こそが自身のリアリティであり真実であると言い張ること自体は間違いどころかとても正しい。写真は「虚構の世界に遊ぶ」ことにあるという自説に合致しているのだからそれでいいのだと言い聞かすしかない。それが、延いては写真であることの使命と醍醐味でもあり、取り敢えずの言い訳は立つのだが、あまりのデフォルメに当人が戸惑う始末。ここまでぼくの心は捻れてしまっているのだろうかと、不安こもごもといったところだ。

 再撮を試みても、前回撮ったそれとほとんど変わりがないのだから、やはりそれが自身にとっての真実なのだろうと思うことにしている。もし変化をもたらすものがあるとすれば、それは光と空模様だ。その変化により方向や画角、遠近感を改めて操作(イメージを作り直す)しなければならないが、基本はまったく変わらない。出会いの直感を信ずるべきだろう。
 十分なイメージを描けず、しかし心のどこかに引っかかりのある被写体を取り敢えず撮ったものに上手くいった試しはないのだが、再訪により新たな発見をしたということはままあることだし、本懐を遂げることもある。そのための再訪である。
 何度か通ううちに異なる自己発見をするということがとても貴重なことだと思っている。自分が変化していれば被写体の様子も変わって見えるものだ。

 館林に到着したら、天空を覆っていた薄雲は地平線に追いやられ、あまりにもあっけらかんとしていた。関東の冬の空はまったく色艶というものがない。物語ることを知らないから、この地で情緒的に暮らすのは骨が折れる。
 上州の空っ風なのか、館林は寒風が吹きすさび、ぼくは身を縮め、うきうきした気分も同時に半分ほど吹き飛んだが、緩みかかった気を執り成しながらかつて撮影した現場を車でそろりそろりとたどってみた。
 13年前館林で撮った写真(第207回「暗室道具」(4)に掲載の「03館林市」参照)にある怪しげな建造物はすっかり取り壊され、新しい住宅が建てられていた。ぼくに向かって、「おまえなんか知らないよ」と新参者はなんだか乙に澄まし込んでいる。自分の過去が一炊の夢であるかのごとく風とともに消え、どこかに飛び去ってしまったような気がして、ぼくはしょげかえった。意地になって「兵(つわもの)どもが夢の跡」と洒落てみるのだが、どうにも虚しさばかりが漂う。
 こんな強風に煽られては意気が上がらない。薄手のウィンドブレーカーがパタパタと音を立てるなか、ぼくは2時間限定でこの地に踏ん張ることにした。再訪はきっと何かが掴めるものだと信じ、今度は「風ニモマケズ」と息巻いてみせた。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/334.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:群馬県館林市。

★「01館林市」。
寒風のなか、畑の片隅に廃屋のようなガレージを見つけた。超広角レンズ16mmの特質を最大限に活かしながらのイメージがすぐにできあがり、立ち位置を慎重に定め一発必中? 濃紺の青空だった。
絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-2.0。

★「02館林市」。
いつまで営業していたのだろうか? 斜光に反射する看板が白飛びしないように露出の決定に集中する。
絞りf10.0、 1/300秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03館林市」。
城沼。太陽の大きさをどれくらいにするかは露出によって決定される。つまりどのくらいの面積を白飛びさせるかということ。
絞りf11.0、 1/800秒、ISO100、露出補正-2.33。

(文:亀山哲郎)

2017/02/03(金)
第333回:「補整」と「加工」
 今回のテーマは、前回同様に「暗室作業の功罪」の一部と密接に関わっている問題なのかも知れない。現在、一般的にいえば「補整」と「加工」の棲み分けが明確になされているとはいえず、曖昧な部分をここでほじくり返してもそれほど意義があるとは思えないが、人それぞれにそれなりの見解があるように思う。正否や是非でなく、ぼくの考えを述べさせていただいたうえで、そこに一考の余地があれば幸いである。

 ぼく自身は「補整」と「加工」の概念を、自身の写真のありように照らし合わせて使い分けているが、曖昧なものを曖昧なままにしておくのも一種の生きやすさのための方便であり、ことさらに目くじらを立てるような性質のものではないと考えている。自分は自分、他人は他人である。
 「補整」という言葉をぼくは頻繁に用いるが、今回のような場合を除いて「加工」は滅多に用いない。縁がないからだ。もちろん、双方の厳密な線引きは困難を極めるが、自分なりの定義はあって然るべきで、ぼくは自分の定めたそれに忠実に従っている。

 ぼくにとっての「加工」の概念は、平たくいえばであるが、「写し取った写真から何かを消し去ったり、元々何もないところにある物をつけ加える」と解釈してもらっていい。自身、現代アートの美術家ではなく一介の写真屋であり、事象の一瞬を注意深くかすめ取り、そこに感じ取ったものを反映させる写真表現の姿そのものに生き甲斐を見出しているので、できるだけ原画に映り込んだものを、自身の責務として偏愛するように仕向けている。 
 写真愛好家はプロ・アマに限らず誰もがその一瞬に賭けるのだから、原画から削除したいと思える不都合なものが存在していれば、それは迂闊と粗相の寄り合いに他ならず、失敗作だと潔く認めなければならない。
 また、極めて保守的な写真屋だと自認しているので(保守的ではないという声も多々あるけれど)、写真の原形を可能な限り保ちたいとの気持に逆らえないでいる。「身の程を知れ」ということなのだろう。

 「加工」の作業は、アナログでは高度な技術を要求され、特別な目的がない限り行われない。これを行うのは専門職の領域となり、素人は手出しができず、したがってぼくはしたことがない。
 アナログにくらべデジタルは画像ソフトを介して、上手い下手はあっても、「加工」そのものを容易ならしめている。文明の利器の扱い方は人間の良心と見識に大きく依存するものだというのがぼくの考えであるけれど、ぼくは自分への示しをつけるために「加工」は行わないことにしている。そしてまた、良心の咎に苛まれるような気がしてならない。

 写真は絵と異なり不要なものを画面から排除できないので、気分や雰囲気に乗じて不用意にシャッターを切ることはできない。ファインダー内に何が存在しているのかを精査し、慎重を期したとしても、「写ってしまうんだから仕方ないじゃないか!」と開き直りたくなることが往々にしてある。
 特に「憎まれっ子世に憚る」の代表格である電線や電柱には恨み骨髄となるが、ここで負けてはいけない。あの手合いを否定するのではなく、仲間に引き入れることを考えたほうが身のためだ。絵作りに憎まれっ子を駆り出し、懐柔し、抱き込むくらいの手腕が必要となる。「鞭鐙(むちあぶみ)を合わす」という言葉があるではないか。ちなみに「鞭鐙を合わす」とは、 “馬に乗って速く走らせる時、鞭うつ拍子に合わせて鐙をあおる” (広辞苑)とある。拍子が合わず、くれぐれも返り討ちに遭わぬように。
 憎まれっ子とどのように折り合いをつけるかは、ひとえに撮影者の叡智や観察眼にかかっているといってもいいのではないかとぼくは思っている。構図とカメラアングルでほとんど討ち取ることができる。

 さて、「加工」はどちらかといえば、あまり好意的に受け取られていないようにも思える。 “「加工」したものは受け付けない” などと雑誌などの応募欄にも記されている。しかし、何事も程度問題だから、良識や見識の物差しを得て、写真というものの概念をどう捉えるかで答えが得られるのではないだろうか。「電線1本くらいは消してもいいじゃないか」は、情けではないかとも思う。

 昨年のグループ展でこのようなことがあった。
 ぼくの作品(第281回「写真と落語と」に掲載の「02学校帰り」)をご覧になった来場者のひとりが我が倶楽部の担当女子をつかまえて、「この写真はね、後でこの女の子をはめ込んだんですよ」とわざわざご注進に及んだのだそうだ。つまり、「加工」を施したものだと決めつけたらしい。
 彼女の言を借りると、その中年と覚しき男性は「でなければ、こんな瞬間を撮れるわけがないのです」と、再度断定的にいわれたそうである。ぼくを「加工を施す」阿漕な写真屋に仕立てたかったらしい。ぼくはその方にお目にかかっていないが、彼女は入部して3ヶ月足らずだったので、来場者の言句に不審を抱きながらも素直に耳を傾けていたとのことだった。
 ぼくは彼女の話を聞きながら苦笑交じりに、「20m先から小走りにやってくる女の子を観察し、その歩調にタイミングを合わせればいいだけのことで、あなただってちょっと訓練すれば容易くできるんだよ」と言い伝えた。そして「人間の走るさまというのは、宙に浮いてる時間のほうがずっと長いんだよ」とつけ加えた。
 彼女は満面に笑みをたたえて、「かめさんがそんな姑息なことするはずないと思ってました」とぼくを慰めてくれた。彼女にとってもその手の「加工」は姑息なものだとの意識があったのだろう。
 小走りの女の子とは「鞭鐙を合わす」ことができたらしい。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/333.html

 先月、鎌倉の瑞泉寺で母の四十九日の法要を家族4人で執り行った。久しぶりの瑞泉寺を撮ってみようと、凍てつくような寒気の中、亡き母に思いを寄せてシャッターを切る。

カメラはすべてFuji X100S。
★「01瑞泉寺石庭」。
夢窓疎石(夢窓国師。1275-1351年)の作庭。鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園。
絞りf4.0、 1/160秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「02夢窓国師座像」。
本堂に祀られている夢窓国師座像(重文)。三脚は使用できないので、頭にカメラを乗せ、呼吸を止め、ついでに心臓も止めて、根を詰めてシャッターを静かに押す。レンズシャッターは衝撃がないので具合がいい。
絞りf2.0、 1/15秒、ISO800、露出補正-1。

★「03供え花」。
どのくらい時間が経過したものだろうか。見ず知らずの人のものだが、故人を偲ぶ心境が、し〜んと伝わってくる。
絞りf4.0、 1/25秒、ISO400、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2017/01/27(金)
第332回:暗室作業の功罪 (3)
 今や神格化されているアメリカの風景写真家アンセル・アダムス(1902〜1984年)のモノクロ・オリジナルプリントに初めて接したのは今から40年以上も前のこと。その時の衝撃と感動は、こんにちまでぼくのなかに脈々と息づいている。オリジナルプリントとの出会いは、写真を生涯の友にすることへの決定的な意義をぼくに与えた。
 「なんという美しさなのだろう! どうすればこれほどの美しいプリントができるのだろうか?」と感嘆と疑問の声を一時にあげた。当時暗室作業に四苦八苦していたぼくは居ても立っても居られず、蛮勇を振るってアダムス氏に便りをしたためた。欧米では著名人であっても、見ず知らずの人にちゃんと返信をくれるということを身をもって経験していたので、 “蛮勇” という言葉は当たらないかも知れない。

 「アダムスさん、あなたは暗室でどのような魔法(Magic)をお使いか?」と記したのだった。しかしこの文言はやはり “蛮勇” というべきものだったかも知れないが、すぐに返信をいただいた。ぼくの手紙に対して丁重な謝意を表した後、こう綴られていた。
 「暗室作業は科学ですから私は魔法など使っていません。私の著した数冊の書物はその教本であり、露出の厳密な決定法と暗室に於ける科学的な処方を詳述したものです。私の開発した理論体系である “ゾーンシステム” をあなたが修得すれば、同様のプリントが得られるでしょう」とあった。ぼくは彼の公明正大さに畏怖の念を抱いた。

 早速すべての原書を航空便で取り寄せ、翻訳しては暗室に閉じ籠もるという日々が3年間続いた(現在は翻訳本があるが、誤訳が多いので要注意!)。
 当時まだアマチュアだったぼくは、仕事場から飛んで帰り、暗室であんパンやサンドイッチを連日頬張っていた。ぼくの小遣いはすべて “ゾーンシステム” 修得のために費やされ、自己所有の財産を見事に売り払ってしまった。この3年間は他人から見れば(嫁も含めて)狂気の沙汰であり、迷惑以外の何ものでもなく、けれど本人にいわせれば「それはまるで厳格な修道僧の良き手本のようであった」といっておこう。実に献身的な3年間であったのだ。
 
 マキシマム・ブラックからハイエスト・ライトまで、非常に滑らかなトーンを思い通り描けるようになり、またシャドウ部・中間部・ハイライト部に於けるトーンの分離やコントラストの操作、加えて全体のバランスにも目が届くようになった。同時に大枚を叩いて購入した大型カメラの扱いも自在にこなせるようになっていたのだから、ぼくは密かに自分自身を生涯で初めて褒め称えてみた。そして、アダムス氏を心の師と仰いだ。それは今も変わらない。

 やがてそうこうしているうちに、間もなく重要なことにハタと気づいた。「アダムスの提唱した “ゾーンシステム” は果たしてぼくの作画に合致しているのだろうか?」との疑問が沸々とたぎってきたのだ。手短にいえば「ぼくの写真にこのメソードは不似合いの部分があるのではないか?」と気づき始めたのである。
 アダムスの提唱したメソードは写真を美しく仕上げるための、最も重要かつ基本的なものであることを十全に認めた上で、しかし万人のものではないというのがぼくの見解だった。アダムスは自身の望む作画に完全に合致したメソードを編み出したといってもいいだろう。彼の選んだ被写体のイメージを具現化するために、彼の開発したメソードは見事なまでにマッチしたのである。ここが偉大なところだ。
 したがって、誰にでもこのメソードが当てはまるというものではない。ただし、この論理的なメソードによる写真のありようを知っているのとそうでないのとでは、天と地ほどの差があるということは明言しておきたい。
 ぼくの作風に合致しない部分があるとはいうものの、彼のメソードから学んだものは何ものにも替え難いくらい貴重なものだ。「基本を知らなければ応用などとても覚束ない」のだから、ぼくはこの作法をデジタル写真にありがたく応用しているつもりである。

 しかし、ここで本当のことをいってしまえば、ぼくは自身の作品のシャドウ部を、モノクロであれカラーであれ、もっと勇ましく潰してしまいたいという衝動に駆られることがある。それをする勇気が持てないでいるのは、きっとゾーンシステムが骨の髄まで染み込んでいるからではないかと思うことがよくある。背後にアダムス先生の憑依妄想(ひょういもうそう)があり、それに悩まされ続けている。
 いくら潰しても全体のバランスが取れていればそれでよしと考えるのだが、今のところぼくにはそのバランスを見極める審美眼というか慧眼が備わっていないので、恐くてできないでいる。

 その伝でいえば、うちの一味はぼくの軫念(しんねん。天子が心にかける、また、心を痛めること。広辞苑)などどこ吹く風で、勇猛果敢にシャドウを潰したり白を飛ばしたりしても平然たる面持ちでいる。なんとも羨ましい限りだ。「真っ黒や真っ白のべた塗りはどうか止めましょうよ」とぼくはその科白が喉元まで出かかるのだが、いつも言い淀んでしまうのだ。勉強会後の飲み会で、酔いに任せて言おうとするのだが、特に酔った女傑たちの憑依(この場合は悪魔や悪霊が乗り移ること)と怨念はさらに恐ろしく、ぼくは手も足も出せない状況がこんにちまで続いている。

 来月こそは、古今亭志ん生の口調を真似て、「暗室作業というものは・・・あんたたちがシャッターを切った時の・・・正直な気持ちを示すもので・・・Photoshopってぇもんは、後出しジャンケンに使うもんじゃねぇや」と、含蓄に富んだ(?)言い回しをひょうひょうとしてみたいのだが、まだそれが似合う歳でもないしなぁ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/332.html

★「01真岡市」。
第298回に掲載した真岡市のモノクロ写真「01スナック街」から日を改めての再撮影。天気も時間もアングルも異なり、カラーで寂れた様子を表現してみた。
カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
絞りf11.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02自画像」。
「ポラロイド写真のように撮ってみる」と同行の人に。誰か?なんて無粋な詮索はしないこと。
カメラ:Fuji X100。
絞りf8.0、 1/240秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「03行雲」。
仕事の打ち合わせ後出会った風景。カメラを持っていなかったので、同乗者に「ちょっとカメラ貸して」と言って撮ったもの。
データ:不明
(文:亀山哲郎)

2017/01/20(金)
第331回:暗室作業の功罪 (2)
 「功罪」と銘打ったものの、実のところ「罪」の部分にぼくはそれほど厳しい姿勢を示していない。それにはひとつの前提条件があり、その暗室作業があまねく撮影者の理想とする方向(自己の描いたイメージをより的確に、美しく表現するための道程)への一過程であることが暗示されている場合である。多少奇異なものであったり、行き過ぎがあってもあくまでそれが発展途上であることを物語っていれば、ぼくはそれをよしとすることにしている。
 もがきながらの試行錯誤であることが認められればぼくはその試みを大いに評価することにしているし、とても好ましいことだと思っている。その段階を着実に踏んでいけば、必ず良い方向が見出せるであろうから、ぼくが目をつむっているうちに、恐れずどんどんやりなさいといっている。
 そんな理由でぼくはうちの一味には目をつむり、放任を是としている。放題はさせたほうが実のりがあり、そこで気づいたものがホントの宝となっていくのだから、ここが我慢のしどころで、畢竟ぼくは極限まで忍耐を強いられることになる。けれど、なかには「親の心子知らず」という人もおりますな。
 「褒めながら軌道修正をしていく」のは骨の折れることで、しかしこの処方は相手が成熟した精神の持ち主である場合にのみ通用するという真理も学び取った次第。

 冒険を恐れていては前に進むことができないし、また無難にやり過ごそうとすることは創作という観点から眺めれば愚の極み。創作活動というものはいつだって、誰だって発展途上にあるもので、そこに終着駅などないのだから、 “発展途上の質” を上げるように努力を惜しまぬことが最善だと思っている、ってなんだか我ながら説教がましいね。たかが写真じゃありませんか。

 ぼくが好ましからざることとするのは補整をすることにより自身の気持ちにあらぬフィルターをかけ、エキセントリックなものに仕上げようとする料簡である。そのような作品を個性的だとする作者と評者がいるということだ。彼らはその勘違いに気づいていないから、本当に困りものだ。そのような作品と人たちが巷には溢れている。
 写真のクオリティが届かぬところでの、暗室作業に於ける苦心惨憺は無意味であるということを知らないでいるのは、それはやはり不幸というものだろう。何故ぼくがそう断言できるのかといえば、自身が散々その憂き目に遭い、今もその渦中にあるからだ。
 一定のクオリティに届かぬものにいくら化粧を凝らしたところで、美への接近は望めないどころかますます遠ざかり、逃げ場を失い、挙げ句「受け狙いの写真」や「みてくればかりの写真」に終始することになる。そのような写真は、観衆を一瞬でもハッとさせることがままあるものだから、作者は見当はずれの高評をいいことに自分の写真は個性豊かなものだとの錯覚地獄に落ちることになる。嗚呼、自戒、自戒。
 「中庸の美こそ美の中核」がぼくの信条だから、中核をはずれ奇をてらった写真に、お節介のぼくはついつい口を挟みたくなってしまうのだ。
 
 本テーマに付随して述べておきたいことがもうひとつある。
 感受性豊かな人の作品が、写真知識の欠如や撮影技術の稚拙さが災いし、なかなか思ったように写し取れていないと感じる時がある。この現象は写真歴の長短、プロ・アマに関わらず誰しもがすでに経験している。   
 「これこれこのような思いを込めてシャッターを切ったのに、なんじゃこの写真は!」という、いつものあれである。どこかに撮影上の失策があったのかも知れないし、あるいは撮影者の思い入れに対して実はその被写体自体がフォトジェニックという観点からして、みすぼらしく、撮るに値しないものであったのかも知れない。撮影者と被写体の間に通じるものがなく、つまり片想いというやつだ。自身に宿る「悪女の深情け」に身をやつしてしまうとこういうことになりがちである。
 思い通り写らないのは、イメージ力が豊かでも写し取る技量が不足しているとするのは簡単だが、しかしその前に被写体を見極める目を養うことが先決であるようにぼくは思う。まず観察ありきだ。そのためには場数を踏んで、悪女の正体を見極め、片想いの悲哀を体に叩き込むことしかない。
 そうこうしているうちに、健忘症でない限り必ず写るようになる。そしてそのような写真は、暗室作業に困難を来すことがない。モニター上の写真があなたのイメージに添って適切な指示を順次与えてくれるので、迷いながらも素直に従うだけでいい。この現象は特筆すべきことのように思える。

 さてここでぼくが強調しておきたいことは、ここからが大事なのだが、あなたのイメージが豊かであればあるほど、強ければ強いほど「念写」が可能だということである! 科学信奉者であるぼくがいうのだから間違いない!

 今回掲載の「01栃木市」は「念写」である。というのは “半ば” 冗談だが、この写真を撮る2日前にぼくは火事の夢を見た。夢見(昨年11月)は糸魚川大火以前のことだが、見知らぬ街に仕事で訪れていたら夜半にサイレンが鳴り響き、何故か木造モルタル家屋の2階でぼくは寝ていた。目を開けたら天井が真っ赤に照り映えている。周囲が火に包まれる寸前であったのだろう。ぼくは慌ててカメラを握り、悠長ながらエクタクロームかコダクローム(両方ともコダック社のカラースライドフィルム)かと迷っていた。「迷っている場合じゃないだろう!」と見知らぬクライアントに急かされ表に出てみるとぼくのコートは火風にあおられた。
 髪の毛がチリチリと焦げ始めたところで目が覚めたというわけだが、ぼくは子供時分に京都大文字焼の打ち上げ花火が原因で、京都御所に火柱が立つ(1954年8月16日)のを目撃した。そのことを洗顔中に思い出したのだ。御所はすぐ近くだったので、子供のぼくは恐怖を覚えた。
 そんな夢と現実の火事がない交ぜとなり、栃木市へと向かった。そこにあった木造モルタル家屋を前にして、ぼくはメラメラとイメージの火焔を上げたのだった。

 しかし、「悪女の深情け」って、どこか婀娜(あだ。女の美しくたおやかなさま。色っぽくてなまめかしいさま。広辞苑)っぽくて、ついふらふらしちゃうんだなぁ。メラメラと炎を上げないだけいいか。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/331.html

★「01栃木市」。
この写真はぼくの定義する「補整」ではなく、「加工」の部類に入るんでしょうか。是非については論の分かれるところ。
カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

絞りf11.0、 1/60秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02羽生市」。
土砂降りの雨の中、C.ツァイス製のソフトフィルターをかける。
カメラ:Fuji X100。
絞りf5.6、 1/125秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「03さいたま市」。
我が家の近くで。6年前新調したカメラのテスト撮影。
カメラ:Sigma DP1s。
絞りf6.3、 1/500秒、ISO200、露出補正ノーマル。

(文:亀山哲郎)

2017/01/13(金)
第330回:暗室作業の功罪 (1)
 良い写真についての考えやそのありようを、より良く、率直に「伝えたい」との一心でぼくは何度も同じようなことを述べたり書いたりしている。あの手この手を繰り出して、同じものを異方向から、あるいは切り口を変えて、できるだけ分かりやすく立体的に伝えようとの努力をしているつもりだ。ついでに自身にも言い聞かせて確認を取っておくというずる賢い面がなきにしもあらずだが、その熱意が昂じ、今や執念と化しているようにも思える
 拙稿もそれが成せる業なのかも知れない。我ながら「よくもまぁ、330回も連ねるものだ。この執念は全体何なんだろう?」と訝ったりもしている。

 「伝えたい」(「伝えておきたい」とか「伝えなければ」のかなり欲張った意も含んでいる)との思いが強ければ強いほど空転する率も高くなるのだろうが、元が心配性のお節介(写真に関してのみ)、おまけに懇切ときているから、止めようがない。
 そしてまた、お互いに大人なのだからその空転に頓着する必要もないのだが、「おいらはちゃんと述べておいた」という逃げ口上だけは抜かりのないようにしておかなくてはならない。ここが指導者の指導者たる知略というものだ。
 しかし、世の中には齟齬や背馳を見つけると鬼の首を取ったように言い寄り、それを生き甲斐にしているような人もいるというから愉快だ。いえ、読者のみなさんではなく、身近にいる一味のことだ。なので、こちらは何があっても「屁の河童」という心胆だけがどんどん力強く育っていく。端から見ると可愛くないんでしょうねぇ。

 他人に何かを伝えなければならないという立場(悲境)に追い込まれると、人は否が応でも忍耐を強いられることになるので、元来の癇も弱まり、胆汁質もずいぶんと矛を収めるようになったと自分で苦笑している。余計な知恵がついてしまったのだ。  
 隠忍自重の繰り返しにより「角が取れて丸くなる」ことは人間として当たり障りなく生きて行くには好都合であろうが、こと写真に関すれば感情制御の習癖がついてしまっては良いはずもなく、それどころか確実に悪影響を及ぼすであろうと、心配性のぼくは最近富みに怯えている。
 「写真はどこかが尖っていないと面白くない」というのはぼくの本音だが、そういうと「尖りだらけの写真」を持ってくるという素直すぎる人もいる。真に受けすぎるのも困りものだが、しかし、言うことを聞かないより素直であることのほうが何百倍も良い。素直であるということは即ち人間的資質が豊かであることと同義であるから、 “多くの場合” 上達も明らかに早い。この事実は隠しようがない。

 ここ何ヶ月か、ぼくは他人(以下Mさん)の素のままのデータ(つまりRawデータ)を見る機会に恵まれ、とても良い勉強をさせてもらっている。Rawデータの主は写真を始めたばかりの人なので、まだ暗室作業を始めていない。毎月の勉強会に持参するためのプリントができないので、ぼくがコンタクトシートを作り、良い写真を何枚か選び出し勝手な補整を加えてA4にプリントしている。
 Rawデータをモニターで眺めていると、良い写真は無補整でも写真の向こう側から、あるいは奥から何かメッセージのようなものを確実に送ってくる。メッセージというのは写真の非常に重要な要素だと捉えているので、ぼくは素直な気持ちで「良い写真だ」とMさんに伝え、勝手に読み取ったメッセージを元に補整を加えプリントをする。
 Mさんにとってぼくの選択する写真や補整は恐らく意中にないもの多々なのかも知れないが、それは仕方のないことだ。まだ写真を見る眼が育っていないのだから、「良い写真」といわれたものが何故そうなのかを考えてもらえればそれでいい。好き嫌いで判断して良いのである。

 このようなことはMさんばかりでなく、他の人々も大同小異だ。ただ一応指導者モドキのぼくはそれでは威厳を示せない。ただのうるさいおっさんにすぎない。好き嫌いではなく、純粋クオリティを計ることができなければ指導者としての資格がない。
 良い写真を見逃してしまったり、指摘することができなければ大きな罪を犯すことになるので、月一度の写真評は大真面目で取りかかっている。

 写真のクオリティというものは撮影した瞬間に決定するものだとぼくは信じている。したがって、無補整であれ、念入りに補整したものであれクオリティは一緒だとの考えだ。補整の塩梅によって写真のクオリティが上下したり、カバーできたりするものではない。ただ補整というものは品位を下げることに荷担することがある。
 暗室作業の目的は、前述した写真の向こう側にあるものや作者のイメージしたものをより明確に、強く訴えることにある。そして、誤解を恐れずにいえば、デジタル画像は200年の歴史を持つフィルム(特にカラースライドフィルム)にくらべると非常に未完成なものだ。写真愛好家でなければ撮ったものが素のままでも良いのだろうが、いみじくも写真が趣味と名乗るのであれば、不足した部分に手を入れなければならないという心情に導かれるのは自然のことではあるまいか。
 フィルムにくらべデジタルは暗室作業が容易なので、そこに大きな落とし穴がある。暗室作業に力技を駆使し、悪事に手を染める人々が確実にいるのだ。ぼくの身近にもそのような一味がいる。次回こそ、その悪事を白日の下に曝してしてやろうと思っている。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/330.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
日の暮れかかる寸前。第326回でお話しした「ゴールデンタイム」を意識して。
3枚の写真はほぼ2分以内に撮影したもの。
絞りf6.3、 1/30秒、ISO250、露出補正-2.33。

★「02栃木市」。
懲りずになまこ板。ぼくは赤を見ると興奮し突進する牛みたいだ。
絞りf8.0、 1/15秒、ISO400、露出補正-1.67。

★「03栃木市」。
露出の基準はお寺の白壁。
絞りf7.1、 1/30秒、ISO200、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2017/01/06(金)
第329回:初夢
 初夢の大看板は、昔から縁起の良い順に「一富士二鷹三茄子」(いちふじ・にたか・さんなすび)とされているが、そううまい具合に事は運ばない。幸運を引き寄せることのできなかった人のために、続きもしっかりと用意されている。四以下は諸説あるようだが、「四葬礼五糞六座頭」(しそうろう・ごふん・ろくざとう)なんてものもあり、これでは有難味というものがない。明るい未来が待ち受けているとはどうしても思えない。
 年初から尾籠(びろう)な話で申し訳ないが、うんこの夢では気が滅入ってしまう。うんこのお化けに追いかけ回されるとか、狐に化かされて肥溜めに浸かるとか、下痢で焦りまくるなんていうのは、いくら縁起物の初夢とて誰も嬉しくはない。寝覚めの悪さは白眉であり、天下一品だ。寝正月を断行するにしても、これではおちおち寝ていられないではないか。初春から「糞まみれの1年を暗示」なんてやだもんなぁ。

 年末30日から三が日にかけ、嫁が急性なんとやらでぼくは受け付けてくれる病院を走り回り、したがって我が家には正月の雰囲気がなかった。世の中が申し合わせたかのように休眠する最悪の時期に、選りに選って体調を崩してしまったのだが、病院回り以外にすることもないので、ぼくは「何故うんこさん(関西ではうんこに敬意を払い “さん” をつける)は世間からそれほど疎まれるのか?」についてじっくり考えることができた。
 悪罵する時に最も多用されるこの言葉は言語の異なる諸外国でもまったく同様である。老いも若きも、子供さえもこの語彙を躊躇なく用いる。それ程までに人類は有史以来最も身近にあるうんこさんを毛虫のように忌み嫌ってきた。
 その不当な扱いについてのぼくの善意に満ちた解析は我ながら見事なものであった。もとよりぼくは、うんこさんへの肩入れについては人の何十倍もの蘊蓄(うんちく)を傾ける才覚を有すが、正月早々それは筆紙に尽くし難く、商工会議所より出入り止めを喰らうかも知れず、頃合いを図りながら筆硯を新たにしようと思っている。

 とはいえ、せっかくの機会なので蛮勇を振るってひとつだけ申し上げておくと、腹下りなどにより予期せぬ便意に襲われ、その解決法が見出せない時、つまり雪隠(せっちん。便所、憚りの意。文献によると夢の五番目に「五雪隠」というのがある)が見つからないと、どんなに取りすました紳士であれ、乙にすました淑女であれ、生死を賭けるが如くの、脱糞切望のその形相たるや物凄く、ここに至って彼らは人格のすべてを惜しげもなく投げ打ってしまうのだ。それほどこの欲望に対しては鬼気迫るものがある。
 それでいながら、立場を変え、時を変え、脂汗を浮かべ窮地に陥りながらもフン張る人を見つけると何故か愉快そうに高笑いをするのである。洞察力の貧困さにより思いやりを失い、嬉しくてたまらないという所作をどうしても隠すことができないでいる。人間は斯様に業が深い生き物なのだ。こればかりは他人事であって欲しいとの願望があまりにも強く作用している証であろう。「人の不幸は蜜の味」とでもいわんばかりに、仕合わせそうな顔をしている。

 ぼくは毎晩といってもいいほど夢を見る。そのほとんどを10日以内であればかなり克明に記憶している。なかには何十年も忘れることのないしぶとい夢もある。その多くは良い夢ではない。
 写真屋になって以来1ヶ月に1度は必ず写真の夢を見る。それは写真という仕事に熱心であるからではなく、自分の迂闊さをよく自覚しての掻い繕いである。大半の粗相が、カメラがない、フィルムがない、交換レンズがない、あれを忘れたこれを忘れたに終始一貫しているのだからたまらない。どのような撮影要求にでも応えられる装備と技能を調えておかなければお給金はいただけないのだから、撮影に取りかかるまでの恐怖心は言葉に尽くせぬものがある。
 特にロケに於いてその怯えは顕著となる。デザイナーとか編集者というのは思いつきの気分屋が多く、また理知に欠け、とんでもない要求をしてくるものだ。感覚任せの出たとこ勝負だから、こちらはたまったものではない。

 「かめやまさ〜ん、こ〜ゆ〜風に撮ってくださいよ。ほんで、こんな感じも欲しいなぁ。できますよねぇ〜。ほんで、Photoshop使えばなんとかなりますかねぇ〜」と “ほんで諸氏” は極楽トンボのようにいう。
 「できない! なんとかならない! あ〜たたちは物理や光学というものを無視している! まるっきし理解しとらんから平気でそげんこつばいいよると! そんな無茶な相談には乗れへんやないか!」とぼくは語調を和らげようと博多弁と京都弁を巧みに挟み込み、そしてビックリマーク満載で毅然と答えるようにしている。一応クライアントには気を遣っているのだ。ただここで終わらせてはいけない。ここで肝要なことは必ず代案やさらなる良案を提示することだ。時によっては何故できないのかを理論的に説明し、納得させなければならない。撮影前にぐったりと疲れてしまうのである。

 もう何千回もロケに出ているのに、未だに現場の手前まで来るとぼくは恐くてUターンをして帰りたくなってしまうのだ。こればかりは慣れるということがない。撮影現場で鷹揚に振る舞っているように見えるらしいが、恐怖心を悟られぬような素振りをしているだけだ。なんともしおらしい。
 しかし、長年この仕事に従事していると、その恐さの半分くらいは心がけ次第で払拭できることを知る。最大の良薬が前号でお話しした「しっかり撮る」ことにかかっており、それに必要な条件をどのくらいクリアしているかがパニックとの分かれ目となる。必要な条件の順列組み合わせは膨大なものになろうが、この考え方はプロもアマも同様である。「備えあれば憂いなし」というが、普段の練習のみがパニックからあなたを救うのだ。

 初夢はうんこさんより可愛げのない「三脚忘れたぁ〜〜〜!」であった。忘れられた大勢の三脚のお化けが怒りの形相で追っ手となり、ぼくを断崖絶壁に追い詰めたのである。すんでのところでぼくはうたた寝から覚醒し一命を取り留めたのだが、そこは消毒臭漂う病院の待合室でありました。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/329.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
例幣使街道の店先で。
絞りf3.2、 1/320秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」。
昭和にはこんな感じのお店兼オフィスのビルがたくさんありました。なんで屋上に家が建っているのか?
絞りf5.6、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03栃木市」。
日の暮れかかるわずかな時間、空にほんのり赤味が差したところ。2分ほどで消えてしまった。
絞りf5.6、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.67。

(文:亀山哲郎)

2016/12/22(木)
第328回:まずしっかり撮りましょう!
 写真を始めたばかりの人たちに対してどのようなことをお伝えすれば一番懇切なのであろうかと考えることがある。幸か不幸か、写真などというものに興味を抱いてしまったのだから、せっかくの好事に処してその出鼻を挫くようなことをいってしまっては元も子もなく、それは犯罪に等しいというものだ。
 以前しばしば「初心者のための写真講座」とか「写真の撮り方」なるものの講義依頼を受けた時に、担当者が困惑気味に訴えてきたことがある。
 聞くところによると、初心者に向かっていきなりの技術論だとか写真論に持ち込む講師が時折いて、論旨のズレに往生したとのことだった。初心者にその類は禁じ手というくらいはぼくにだって分かる。

 そしてまた、のっけから「良い写真を撮るには・・・」なんてことは意味をなさないし、第一ぼくにそれを語る資格などありはしない。ぼくが教えて欲しいくらいのものである。とはいえ、良い写真を撮るにはどのようなことを心がければいいのかとの一端くらいは信念を持っている。ただ誠に遺憾ながら説得力がないだけのことである。
 もうひとつ遺憾なことに、ぼくは写真を撮ることのプロではあるけれど、教えるほうはプロではない。それを微細な差異であると考える大雑把な人もいるだろうが、実際には撮ることと教えることは天と地ほども異なり、やはりまったくの別物である。何十年も写真を撮ることだけで家族を養い、なんとか路頭に迷わすことなくやり過ごしてきたが、そこで得た写真のノウハウを十全にお伝えすることなど到底適わぬことだと自覚している。にも関わらず、ここで太々しくも厚顔を晒しているのはプロとしての思い上がりであろうか。

 さてそこで考えるに、写真に初心者とかベテラン(“上級者” という意味ではない)というものがあるのだろうかという疑問に突き当たる。ベテラン=上級者という図式はまったく成り立たないのだが、世間の計算式はそうではないようだ。ここに気の毒ながらも迷惑を蒙ってしまう人たちが出現することに相成る。
 強いていえば、まだ写真を始めたばかりで知識や技量にも乏しい人を指して初心者とするなら、それはほぼ正しい。ならば長年写真を体験している人は確かにベテランといってもいいのだろうが、けれど必ずしも上級者ということにはならない。ぼくはベテランと上級者を明確に区別することにしている。

 どのような分野にも初級・中級・上級というものがあるらしい。写真の腕前や評価は、スポーツや科学と異なり、数字の仲立ちというものが存在しないので、事をなおさら複雑怪奇なものにしている。資格審査も合否の明確な判定基準もないところで、才腕や技芸とともにその成果を見定めようとするのだから、実に怪しげな世界でもある。本心は右往左往しているはずだが、それを見透かされないように取り繕うのも心(しん)の疲れる話だ。このストレスたるや尋常なものではない。
 人を納得させるに足る客観的要素に乏しい世界なので、どうしても主観に “甘んじ” ざるを得ない。主観に “甘んじる” ということは、 “かなりいい加減なものだ” と言い換えても良い。ぼくの知る限り、ベテランといわれる人ほど主観に “甘んじる” 傾向に歯止めがかからないのだから質が悪い。
 知識も技量も感覚も半可通なので、自身の作ったあやふやな物差しに振り回され、ひとしきり見当はずれのことをしたり顔で他人にぶつのである。これも犯罪の一種であることに変わりない。このことは決して他人事(ひとごと)ではないとぼくは今自戒を込めていっている。

 ぼくは初心者、上級者如何に関わらず「まずは、ブレずにしっかり撮ることを心がけましょう」といつもいう。「ブレ防止機能なんか信用しちゃいけませんぜ!」ともいう。まるで輪唱でもしているかのようにぼくは声高らかに歌う。
 難しいことは抜きにして、まずちゃんと撮る。これが、いやはや誠にもって非常に難しいことだと知っていただきたいのである。これさえできれば(さまざまな知恵と工夫が必要)写真は一気に道半ばまで到達したといっていい。これこそが良い写真への第一歩なのだ。ベテランほど「そんなことは朝飯前だ」とおっしゃる。だがそうだろうか?

 しっかり撮るにはいくつかの条件をクリアしなければならないが、そのひとつに、執拗だが「如何にしてブレを防ぐか」ということがある。写真の一番の大敵が「ブレ」であることに異論を差し挟む人はいないだろう。かく言うぼくだって半世紀以上もこの難問に悩まされ続けてきた。意図的なブレ写真は別にして、写真は時空を止め、カメラは光を射止めるマシーンなのだから、何があっても絶対にブレてはならないのだ。ブレとは「露光中にカメラまたは被写体が動いて画像がぼける」(広辞苑)とある。ブレには「カメラブレ」と「被写体ブレ」の2種があるが、問題となるのは通常「カメラブレ」のほうだ。

 実は「カメラブレ」を防ぐのは簡単なことだ。理論の自家撞着と思われるかも知れないが、これはシャッター速度だけで解決する問題である。一般的にいわれていることは(被写体が静物に限ってのことだが)「焦点距離分の1秒」がブレの目安とされ、たとえば50mm標準レンズでは1/50秒より速いシャッター速度を、200mm望遠レンズなら1/200秒以上であればブレを起こしにくいとされている。これはあくまで目安なので、妄信することなかれである。
 では何故ぼくにはその問題が半世紀以上も解決できないのだろうか? したり顔で書いている場合じゃない。

 今年最後の原稿の続きは来年に持ち越して、正月は餅でも食いながらよ〜く考えて見ようと思っとります。1年のご愛読をありがとうございました。
 ではみなさま、どうぞ佳いお年を。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/328.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
レンズに何度か息を吹きかけ曇りの程を見計らいながら、疑似の霧を演出。巴波川(うずまがわ)に泳ぐ鳥を「アヒルだ!」と言ったら、うちのご婦人方が声を揃えて「違います! 鴨です! まったくもぉ!」って。何でもっと優しく言えないのかねぇ、これでも一応先生なんだからさ。
絞りf8.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02栃木市」。
前号でお話しした映画でいうところの「マジックアワー」時に撮影。露出補正をノーマルにしたら真っ昼間の写真になってしまう。
絞りf9.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03栃木市」。
古くからある銭湯らしいが、隠し扉がないので客が開けたら中は丸見えなのではないだろうかと。中からの怪しい色の光線と天狗と得体の知れない木彫と。ネイチャーフォット専門の愛好家には縁のない被写体なのかな?
絞りf4.5、 1/10秒、ISO200、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2016/12/16(金)
第327回:闇討ち
 読者のみなさんからしばしばメールをいただく。インターネットのお陰で、なかには海外在住の方もおられるが、国内では北は北海道から南は沖縄まで、熱心な写真愛好家がぼくの予想を超えて多いことにしばし驚く。読者からのメールはいってみれば肯定的なニュアンスを含んだ “闇討ち” のようなものだ。見ず知らずの方から予期せぬ時に意想外な文面が飛び込むのだから、それはやはり “闇討ち” というに等しい。
 ぼくはこの “闇討ち” を歓迎し、いつも愉しみながら読ませていただいている。しかし自身は実際のところ写真の先生というわけではなく、プロの末席を汚しているに過ぎず、わざわざお便りをいただくことにこそばゆい思いをしている。ぼくなどたいそうなものではまったくないのだ。
 もしかして、 “闇討ち” は「下手の横好き」への共感(失礼!)が昂じたものなのではないだろうかと推量するのが公平な裁きなのかも知れない。

 ともあれ、読者諸兄からいただくメールの内容に重なるものがいくつかあれば、機を見てそれをここでの題目としてもいいのではないかと考えてきた。今回は最近いただいたもののなかから「へぇ〜、そうかなぁ?」と思わせるものを取り上げてみる。自分の写真への評価や感想をここで取り上げるのはおかしな話だとも思うのだが、興味深い事柄なので敢えて自己分析を試みながら、ご質問への答えとしてみたい。

 複数の方からぼくの写真は(特にカラー写真)は「版画のようだ」とのご指摘をいただいた。うちの倶楽部のメンバーからもまったく同様の感想が発せられたので(彼らは、オリジナルプリントを見るのでなおさらのこと)、ぼくの写真はどこか版画のように見えるものがあるらしい。そしてメールには「その際(版画のように仕上げること)、どのような暗室作業を施すのか、差し障りがなければ手順を教えて欲しい」とも書かれてあった。

 「版画のよう」との指摘はぼくをひどく戸惑わせた。「晴天の霹靂(へきれき)」とはこういうことを指すのだろうか。Photoshopでの暗室作業時に版画を意識したことはこれっぽっちもないのだから、無意識での結果を問われれば返事に窮すというのが正直なところだ。「へぇ〜、そうなんですか? ぼくには分からないのですが」といってしまっては身も蓋もないし、また「かめやまは何かを隠している。実に怪しげなやつだ」とも思われかねない。
 であるので、思い当たる節をすべて隠さずに披瀝してしまったほうが身のためだ。どこで闇討ちに遭うか知れたものではない。ぼくは精神医学者や心理学者(こちらのほうが一介の写真屋よりよほど怪しげである)ではないので無意識での行為を解析することができるかどうか、やや心許ない。

 ゴッホやモネなど多くの西洋画家に大きな影響を与えた浮世絵師・歌川広重(安藤広重)の版画は日本に於いても大変好まれているが、ぼくも御多分に漏れず子供のころから目を皿のようにして魅入っていたものだ。マッチ箱に貼られた「東海道五十三次絵」を剥がしてはノートに貼り付けていた。我が家のマッチ箱は絵を剥がされ、不細工で無残なものになっていた。
 ぼくにコレクションの趣味はないのだが、この収集には特別ご執心であった。そのくらい広重の描く深い情緒に惹かれたということだろう。ところかまわずの収集癖こそなくなったが、広重への憧れは今も変わらない。
 そして青色というより深い藍色の美しさにも目を見張ったものだ。俗にいわれる「ヒロシゲブルー」である。広重の藍色はことのほか強い印象を与えてくれた。ぼくが藍染めに惹かれるのは案外このことに因をなしているのかも知れない。そして、写真を熱心に始めたころには広重の描く不思議な遠近法にも強い興味を抱いたものだ。
 そして後年、版画の世界にすっかり魅了され、大枚をはたいて葛飾北斎の画集を求めたものだ。

 写真を撮ったり、暗室作業をする時に、もしかするとぼくの版画への憧れが何かの形でひょっこり顔を出すのかも知れない。もちろんぼくは、「版画は版画であって、写真とは世界の異なるもの」と理知的にもわきまえているつもりだし、それを混同してしまうほどの勇気もなく、そしてお茶目でもないのだが、どこかで通底するものが意識下でゴソゴソと蠢いているような気もする。

 とまぁ、強いていえば以上のようなことになるのだろう。したがって、「どのような暗室作業を施すのか」という質問には正確に答えることができないでいる。
 Photoshop以外の優れた画像ソフトで、何種類ものプリセットを作ってはいるが、そのプリセットは写真が異なれば調整が必要であり、すっぽり嵌まることなど決してない。プリセットで調整したものをさらに次のプリセットに渡し、また調整を繰り返すという手順を踏んでいる。いくつものプリセットを組み合わせながら撮影時のイメージを追い求める作業はまったく個人的なものなので、他人にはほとんど意味をなさないものとお答えするのがぼくの良心だとお伝えしている。隠し事もなければ秘伝でもない。
 みなさんの写真も、ぼくの写真も、今生1枚限りのものであるので、どうぞその伝ご理解くださるように。“闇討ち” は大歓迎であります。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/327.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
とっぷり日が暮れ、仏シトローエン2CVを発見。この車に関しては述べたいことがたくさんあり、しかしますます冗長な文章にならざるを得ず、残念ながら今回は見送りに。
絞りf5.0、 1/25秒、ISO400、露出補正-2.33。

★「02栃木市」。
昔から「やつで」を見ると必ず撮るという習性から抜け切れず。これも日が暮れてからの撮影。今回の撮影会でお気に入りの1枚。
絞りf5.6、 1/10秒、ISO200、露出補正-2.00。

★「03栃木市」。
原画はもっと綺麗で優しいハイビスカスだが、それをイメージして撮ったらぼくの今までの人生は台無しだ。
絞りf3.2、 1/250秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2016/12/09(金)
第326回:ゴールデンタイム
 先月中旬、栃木県栃木市に我が倶楽部の同胞とともに赴き、今年2度目の撮影会を敢行した。栃木市はぼくのお気に入りの地ではあるが、それはあくまで単独行でのことであり、仲間と一緒の撮影は寸毫ながらも指導モドキの義務を伴い、今回は「牛に引かれて善光寺参り」が似合う。

 振り返ること13年前、暇を持て余す停年間近の同窓生8人(ジジババ)に「写真を教えろ」と半ば強要され、「オレはみんなにお遊び写真を教えるほど暇じゃないんだよ」と抵抗を示しながらも仕方なく指導を無代(ここが肝心)で引き受けてしまった。
 この頃は停年予備軍ばかりだったので容易に撮影会の日取りを決められたということと、撮影より親睦という意味合いを多く含んでいたので、頻繁にあちらこちらに出かけて行ったものだ。ぼくも無料奉仕であるが故に写真を教えるという義務感にとらわれずに済み、たいそう気が楽だった。
 親睦組のなかには写真の才能(天分ではなく、努力する能力)がないと諦めたのか、やがてその姿をくらました者が大半なのだが、何とかして良い写真を撮りたいというジジババだけがしぶとく “居座り”、頑強に “籠城” を続けている。 “居座り” はあたかも落語の『居残り佐平治』のようであり、 “籠城” は「浅間山荘事件」の連合赤軍のようだ。団塊の世代は粘りに長けている。また打たれ強くもあり、ぼくのムチ打ちにも何食わぬ顔で耐え、堪えないのだから質が悪い。 
 期を同じくして停年親睦組と入れ替わるように写真好きの若い人たちが次々と仲間に加わり、老若男女の入れ乱れる風変わりな写真倶楽部となった。ぼくはここで初めて指導者モドキとしての自覚を余儀なくされ、使命感に目覚めたのだった。

 若い人たちはそれぞれに職があり、撮影会の日程が合わずいつも計画倒れに終わった。我々は、撮影会の計画は頓挫するものだとの暗黙の了解をいいことに、近年はとんとご無沙汰の傾向にあった。
 そんななか、実行力に富み、熱情溢れる企業戦士でもある若い女性が参入し、まるで古参兵のように怠惰な我々を厳しく戒め、ビシバシと発破をかけ、一時(いっとき)中断していた撮影会もこの半年に栃木市を含めてすでに2度を数えることとなった。
 彼女は写真を始めてまだ日も浅く、3ヶ月前に初めて一眼レフを手に入れ、先月はMacを、今月はプリンターを予定し、来月はPhotoshopと、順次機材の仕入れ計画に余念がない。おかげでぼくは気合いを入れられ、撮影会の現場でゆくりなくも指導者の如き振る舞いに出てしまうのである。ちゃんと健気に「一日一題」(この日は露出補正について)をそれらしく教えているのである。しかしそれは、ぼくにとって誠に不似合いな仕草であるに違いなく、どう見ても板についているとは言い難い。ここが辛いところだ。

 この日の栃木市は雨上がりであり、路面が濡れ、街の雰囲気もしっとりし、撮影には好条件だった。写真を始めたばかりの女企業戦士は現場に着くと「あたし、Rawで撮る!」と勇猛に言い放ち、ぼくを上機嫌にさせた。であればまず雲(空)を白飛びさせないような露出を心がけること(露出補正)に専心すればよいと伝え、具体的な考え方と技術を伝えた。露出補正をどうするかは写真を続ける限り常について回る大切な事柄なので、つまずきながらもまずは「一日一題」に取りかかってみなさいと申し伝えた。

 ぼくが自分勝手に「ゴールデンタイム」(日没後から空が暗黒になるまでの短い時間帯。天候と露出の加減により、空を深い濃紺に写し出すことができる)と名付けた時間帯に、昼間チェックしておいた被写体のいくつかを撮影した。空が深い紺色に染まるのは極めて短い時間なので、せわしいことこの上ない。
 ぼくのいう「ゴールデンタイム」は、映画界などで好んで使用される「マジックアワー」より少し後の時間帯である。「マジックアワー」は日没後まだ太陽の明かりが残っているいわゆる黄昏時を指し、最も美しい時間帯とされている。

 フィルムと異なり、デジタルでこの「ゴールデンタイム」を上手く表現するのは案外容易い。辺りにある光を利用し(できればタングステン光が望ましい)、露出を切り詰めながら空が濃紺に表現されるようにすればよい。
 質感を表現したいシャドウ部は潰れがちになるが、情報が残っていればデジタルは再現可能であるから、手ブレをする限界までISO感度を低くするのがコツといえばコツである。ISO感度が高いとシャドウ部を持ち上げたときにノイズが目立ってしまう。

 撮影はRawで撮ることが原則である。Rawデータ現像時に、2枚の異なったものを作成する。ひとつは空の明るさと色温度を基本に調整したもの。もうひとつは、空以外の被写体をという具合だ。この2枚の画像をPhotoshopのレイヤーを用い、マスクを使用して必要な部分だけを残していく。2枚の画像を統合し、細かい調整を施していけばほぼイメージ通りの画像が得られる。
 イメージ通りとは、「肉眼で見たように」でもいいし、または非現実的な光の交差を描くものでもよいとぼくは考えている。時には「アメリカンナイト」(映画の撮影手法のひとつで、疑似夜景)のような効果も得られる。

 「ゴールデンタイム」の撮影に三脚があれば怖いものなしだが、この風変わりな倶楽部には誰一人三脚を立てている者がいない。ぼくはここでも「おいらは三脚を使用しなくてもいいが、君たちはダメ!」の常套句を連発したにも関わらず、“やはり言うことを聞かない人たち” だったということを付記しておかなければならない。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/326.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。3枚の掲載写真は「ゴールデンタイム」を意識して、3分以内に撮ったもの。

★「01栃木市」。
蝋燭1本あればあらゆる撮影は可能だが、背後に微かなタングステン光源あり。汚水の流れ出た跡のような模様があるがこの建物は一体何か? 
絞りf6.3、 1/10秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「02栃木市」。
映画で用いられる撮影技法「アメリカンナイト」を真似てみた。蔵に塗られたペンキの発色が面白い。
絞りf5.6、 1/8秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「03栃木市」。
山門に向かう道(画面左)の入口に佇む居酒屋。「絵を描くならこんな感じで」をイメージして。
絞りf5.0、 1/20秒、ISO200、露出補正-2.67。

(文:亀山哲郎)

2016/12/02(金)
第325回:ある俯瞰風景
 幼少期のぼくは病弱で床に伏すことが多く、熱発ばかりしていた。高熱にうなされながらの幻影は、火影(ほかげ)に照らされているようであり、そんな夢をいつも見ていた。そのいくつかは未だに鮮烈に脳裏に焼き付いており、その映像は終生忘れ得ぬ原風景として、ぼくに執拗にまとわりついている。 “からまれている” といってもいい。
 その幻影はリスフィルム(Lith Film。モノクロの中間調を排除した高コントラスト・高解像度フィルムで、印刷製版などに使用された)のように極端なモノクローム線画であったり、また時には原色まがいのカラー・ソフトフォーカスと線画が重なり、交じり合って部分的に歪んだり、紗を掛けたように滲んだりしていた。それがまぶたの裏で変幻自在に伸縮を繰り返しながら荒波のようにうねっていた。ゆらゆら揺れる火影が面白く、ぼくはいつの間にか熱発を待ちこがれるようになっていた。
 混濁した意識のなかで見る夢模様はいつも奇っ怪で、グロテスクで、極めて印象的な映像を提供してくれたものだ。それがきっかけで、ぼくの夢想癖は病膏肓(やまいこうこう)に入ってしまったように思われるが、同時に病弱の身は精神もかぼそく、しみったれて精気に欠け、泣き味噌をもたらした。

 成長とともに人並みの健康を手に入れるようになると、知らず識らずのうちにオシロスコープの波形のような火影は、頼りない光を残しながらもすっかり姿を潜めてしまった。健康で醒めた脳には再現不能のものとなり、ぼくは高熱による幻想のなかでの遊びをすっかり奪われてしまったのだ。如何ともし難い無念な気持で一杯である。
 今年は幼少期の熱発を思い浮かべ、世の森羅万象を火影のイメージになぞらえながら、その再現を果たそうと、新たなるカラー写真への取り組みを始めたような気がしている。

 54歳の時に癌を宣告され、ふたつの臓器を失う大きな手術を受けたが、麻酔から覚めつつも、混濁した意識に高熱が加わり、ぼくは50年ぶりに幼少期に見たとほとんど同じ火影に出会うことができた。幼少期のそれに比べ、宗教的なものと死生観が意識下に加わり、火影も多少は変質していたようだったが、ぼくはその再会を手放しで喜んだ。
 病院の17階の病床からは築地市場をまるごと見渡すことができた。夢ではなく今回は現実世界である。ぼくはその美しさに見惚れ、痛みの走る体を「イテテテ、ヨイショッ!」というかけ声とともに病床から起こした。その美しい鳥瞰風景は、学生時代に魅入られ、小遣いをはたいては購入していたH. ボルマンの鳥瞰絵図のようだった。
 ベッドから身を起こすには、まさに無念無想・一念発起ともいうべきかけ声と偉大な決意を必要とした。ミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされた体には点滴やモルヒネ、酸素やカテーテルなど7本もの管が無慈悲に差し込まれ、あっちこっちで錯綜していた。
 ぼくはより良い俯瞰を求めようと、人造人間フランケンシュタインのような面持ちでベッドを蹴り、眼下を一望するために30mほど離れた面談室にフラフラしながら赴いた。手術の翌日のことだった。

 入院中、何度も飽くことなくその風景をガラス越しに眺め、夢うつつのような築地市場俯瞰は退屈な入院生活に大きな愉しみを与えてくれた。知人友人には入院を伏せていたし、家族には「見舞いになど来る必要なし」(家族仲が悪いわけではない)と言い含めておいたので、ぼくは3週間近く、今まで味わったこともないような解放感に浸っていたのだが、カメラだけが欠落していた。
 2002年5月のことでぼくはまだデジカメを持っていなかった。この年の末に初代EOS-1Dsが発売され、それがぼくの初めてのデジカメだった。

 術後の10年間、定期検診に訪れるたびにぼくは17階の面談室に赴き、築地市場を眺めるのが恒例行事となったが、1度もシャッターを切ったことがなかった。機の熟すのを待ったといえば聞こえはいいのだが、入院時に知り合った患者さんたちのことを思うと複雑な思いに囚われ、なかなかシャッターが切れないというのが本当のところなのだろうと思う。
 余命宣告をされた人たちや癌が転移し治る希望なく故郷に帰って行った人たちのなかで、ぼくだけが外科手術の回復待ちの、フランケンシュタインを装いつつも、いわゆる「明るく元気で開放的な患者」なのであった。ぼくは彼らの御用聞きを日に3度承り、1階にある売店通いをしたものだった。あるいは、努めて囲碁・将棋のお相手をしていた。玉子焼きを食べたいという患者のために、フランケンシュタインのまま向かいにある築地場外に立ち入り、玉子焼きを仕入れこっそり手渡したこともある。ぼく以外のそれぞれが言葉にできぬ重苦しいものを背負っていた。元気で退院するのが辛く感じたものだ。だから挨拶をせずにこっそりぼくは出て行った。

 今年10月に築地に行く用足しがてら、カメラを持参して17階の面談室に赴いた。築地市場問題が持ち上がり「早く撮っておかなくては」と急かされての撮影だった。さまざまな思いが去来するなか、ぼくはそこで見慣れた俯瞰風景を初めて撮った。帰宅してRawデータをデフォルトで現像してみたら、ガラス越しであるにも関わらずあまりにもクリアに写っている。
 入院当時の夢のなかに戻り、幼少時の火影を忠実に再現しようと元気な状態で試みたのが掲載写真。高熱のなかで仕上げたほうがよかったかも。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/325.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:東京都中央区築地。

★「01築地市場俯瞰図」。
17階の面談室よりガラス越しに。
絞りf8.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)