![]() ■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
全760件中 新しい記事から 181〜 190件 |
先頭へ / 前へ / 9... / 15 / 16 / 17 / 18 / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / ...29 / 次へ / 最終へ |
2022/01/28(金) |
第580回:女性ポートレート |
小学生と中学生の頃、ぼくを殊のほか可愛がってくれた母方の祖父(以下じいちゃん)の写真をよく撮った。じいちゃんも写真を撮られるのが好きで、ぼくの求めに、いつも程よいポーズを気取ってくれた。写真を撮られることへの、一切の恥じらいも照れも持っていなかった。
「てつろうが撮ってくれる写真は、ほかの誰が撮るよりもええんや。何年か後には、わしの葬式写真を頼むわな」と京都弁でいっていたものだ。 じいちゃんは、自分が「写真写りがいい」ということを、十分に認識していたのだろうと思う。実際、写真に見るじいちゃんは確かにそうだった。普段、被ったこともないベレー帽姿を撮っても、まったく違和感がなく、様になっていたのだから、じいちゃんにはそれなりの徳があったのだろう。 世の中には少数ながら(これは「写真写りがいい」と感じている人の自己申告によるもの)、そのような恵まれた人がいる。 また、時々ぼくをお忍びで祇園や先斗町に連れて行ってくれた。じいちゃんは、「てつろう、このことは内緒やで。ゆ〜らたあかんぞ、ええな」と、孫であるぼくに秘密であることを強要した。もちろん、口外したことはない。口を滑らすようなヘマをしなかったのは、ぼくのけちな自慢でもある。 叔父貴たちの誘導尋問に引っかかったこともなく、無事やり過ごすことができた。誘導尋問ということは、叔父貴たちは気がついていたとも受け取れるのだが、見て見ぬ振りをしていたのだと思う。 「じいちゃんとの約束は絶対守る」と心に決めていたのは、ぼくにとってじいちゃんはこの世にいないほどの大事なパトロンであったことを、子供心ながらに察知していたからだ。じいちゃんに、「てつろうは隅に置けぬやつ」と思われてしまえば、それはぼくの人生にも大きく関わる問題と捉えていた。 祇園や先斗町の芸妓さんたちは皆じいちゃんを医者だと思い込んでいた。実際には、印刷所のワンマン社長だったのだが、「医者だ」といえば、誰もが疑うことのないような風姿でもあった。じいちゃんは、「わしは肛門科だ」といって、芸妓さんたちの医学に対する質問を封じ込めていた。ぼくは、横で笑いを抑えるのに必死だったことを、昨日のことのように思い出している。じいさまは、手練手管の芸妓さん相手に大した役者でもあったのだ。 じいちゃんは、夏にはへばりつくような湿気に包まれた、生死を分かつような酷暑の京都を避け、さいたま市(「京都の暑さに比べればここは過ごしやすい」といっていたくらいだった)の我が家に長逗留をしたり、軽井沢で過ごすことを命題としていた。雇い人である職人さんたちには、「ちょっと埼玉と軽井沢に避暑に行ってくる」というのが、社長としての沽券であると思っていたらしい。実に可愛げのあるじじいだった。 そして、じいちゃんにとって人生を如何に生きるかということのひとつは、初孫であるてつろうを猫可愛がりすることにあると叔父・叔母たちはいつもいっていたが、彼らも、じいちゃん同様にぼくにひとかたならぬ愛情を注いでくれた。それは、早くして母を病気で失ったぼくへの自然な心緒だったのかも知れない。 「写真写りがいい」と思う人は、前述したが如く、ぼくの見立てでは少数であるように思われる。不幸にして、ぼくは写真を撮られるのが好きではなく、撮られた自分の顔を見るとげんなりを通り越して気持ちが悪くなる。これは、初めて自分の声をテープレコーダーで聞いた、あのいたたまれぬような気持ちの悪さと、瓜二つである。 逆に考えれば、「自分の顔はこんな風ではなく、俄然もっといい男だ」と思い込んでいる節がある。多くの人は、不幸にしてホントの自分を知らない。 この傾向が女性となると、さらに著しい。今、恨み辛みを存分に込めていうが、仕事の写真を除き、女友だちから「私をこんな風に撮ってもらって嬉しいわ」などという声を、長い写真生活の中で未だかつて一度も聞いたことがない。女性というのは、よほどご自分の顔や容姿に自尊の念が強いか、ぼくが下手くそかのどちらかであろう。 ぼくは、自分が “やや” 下手くそであることは認めるが、世の中には “お世辞” とか “心遣い” とか “労い” とか “方便” という言葉があるだろうに! この点に関して、女性はこれらの言葉を一切無視してくる。臨機応変に使い分けることを頑強に拒むから始末に負えない。ぼくが、よく撮れたと思う写真を彼女たちは凝視し、首を曲げたり、唇を歪めたりしながら、沈黙を貫き通すのだ。この、地獄のような沈黙のため、ぼくは心身ともに蝕まれ、自信をどんどん喪失していく。女性らしい肌理(きめ)の細かい優しさを大外刈りよろしくかなぐり捨てて、「もっとましな写真を撮れ」と、目に炎を燃やしながら迫ってくる。 あれこれ思い起こすと、彼女たちは、「わぁ、いいわねぇ、嬉しいわぁ」などといってしまうと、何かとてつもない損をしたり、膨大な借りを作ってしまうと錯覚するらしい。過剰反応もいいところだ。普段、誠実でお淑やかそのものの女性でも、自身のポートレートを見せると、化け物のように変貌していくから恐ろしい。目は天涯、虚空を掴んで歯を食い縛り、その形相のもの凄さ。いい女だけになおさら恐い。 ぼくはこんな目に何度も遭ってきた。だが、性懲りもなく、可愛げを装う女性に会うと、すぐに「写真、撮ってやろうか」と期待を込め持ち掛けてしまう自分が、情けなく、哀れでさえある。一切の学習能力が欠如しているのだ。 「女性ポートレート」の撮り方について、建設的だと思うところを綴ろうとしたのだが、過去の痛みに耐えきれず、またじいさまの言葉に惑わされ、こんな様相を呈してしまった。だが、写真好きの男衆よ、とくと女性の真実を肝に銘じていただきたい。どうか、重大な覚悟を持って、臨むようにとの老婆心である。 前号にてY君の、「君は何をいわれようと、いつも “屁の河童”」は偽りである。 今回の掲載写真は、女性ポートレート。物言わぬ人形とマネキンを、これ幸いと、しかもガラス越しに恐る恐る撮ったもの。 https://www.amatias.com/bbs/30/580.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4.0L IS USM。 栃木県栃木市。 ★「01栃木市」 汚れたガラスの向こうは薄暗く、女性が色褪せた和服姿で朧気に佇んでいた。 絞りf6.3、1/60秒、ISO800、露出補正-0.33。 ★「02栃木市」 ガラス越しのマネキン。カメラの角度をわずかに変えるだけで、ガラスの反射が変化してしまうので、アングルを慎重に選ぶ。もう少しだけ、正面に回りたかったのだが、これで精一杯。 絞りf5.0、1/125秒、ISO250、露出補正-0.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2022/01/21(金) |
第579回:写真の背骨 |
写真音痴だが教養ある旧友Y君がぼくに、拙稿についてわざわざご託宣を並べ立ててきた。曰く「かめさんは自分の主義主張を憚りなく書き連ね、それに基づいた写真を毎週掲載している。オレにはそんな恐ろしいことはとてもできないが、それをちゃらっとしてしまう君は大胆というか、恐いもの知らずというか、世間知らずというべきか、はたまた神経が図太いというか。小学校時代から何をいわれようと、いつも “屁の河童” という顔をしていたよね」。
ずいぶんないい方をされるものだと思いつつも、そうなのであろうと自覚めいたものがあるので、ぼくにはいい返す言葉が見つからない。気心の知れた彼の言葉の行間をひねくって解読すると以下のようになる。「偉っそうなことをいっているが、いっていることと掲載写真には齟齬が生じているにも関わらず、その気恥ずかしさをものともしない君の度胸には呆れてしまう」と読める。まったく仰せの通りだと思う。 彼はそういいつつ、ぼくのオリジナルプリントをそれ相応の値で気前よく買ってくれる良き友人でもある。それはきっと半世紀以上の友情の謂れなのだろうとぼくは受け止めているのだが。 「身の程知らずだからできることなんだよ。大きな会社で立派に出世した君とはそこが異なるんだ。社会的に大人になりきれない写真屋ってそういうものだと思うよ。自身の身分や力量を都度塩梅していたら、いくらぼくが図太くあろうが、やはり躊躇せざるを得ない。ぼくだって人並みの気の弱さや遠慮、加えて斟酌というものを持ち合わせているつもりだ。文章と掲載写真が食い違い、訴求力に乏しいことは重々知っている。ぼくの常套句である「それとこれとは別だ」を都合の良い合い言葉にしないと、衣鉢を継ぐ(禅宗の始祖達磨が弟子に道元の法語集『正法眼蔵』を伝授した時、その証として袈裟および施しを受けるための鉄鉢を授けたとの故事。ここでは、写真ばかりでなく、ぼくの生涯に貴重な教えや学びを与えてくれた人々の言葉との意)ことはできないと考えている。だから臆面もなくいって退けることができるのさ」と返した。 先週、写真好きの女性(以下Aさん)が、「写真を見て欲しい」とわざわざ県をひとつ跨いで浦和までやってきた。このコロナ禍をものともせずの来訪だった。Aさんは11年前ぼくが新宿のコニカミノルタプラザで個展を開催した時の来場者で、当時大学生だった。あれ以来だから約10年ぶりとなる。 どんな写真を撮っているのだろうとぼくも興味があったので、印刷された写真集(昨今は、昔には考えられぬほどの価格で作れることは知っているが、ぼくもそれに啓発されて、そのうち試してみようかという気になった)とオリジナルプリントを、老眼のぼくは時折眼鏡を外しながら双方を丁寧に拝見。 ここにAさんの写真をお見せできないのは残念だ。それが故に、ぼくが述べた感想について読者諸兄には理解が及ばぬことと、説得力にも欠けることを承知で、その時の銘肝(深く心に留めて忘れがたいこと)を述べてみたい。 写真のテーマは、街で見かけた様々な様相を呈す花や人物を主体に写し取ったものだった。ぼくも同じテーマで撮っているが、その表現のありようはぼくとは対極にある。 “対極” とは極めて抽象的で曖昧な表現だが、もちろん良し悪しのことではない。平たくいえば、良い意味で「ぼくには撮れない写真」ということになるのだろうか。ぼくにないものを、Aさんは内包している。 一人の人間は、所詮は自身の定形から離れがたく、それに従って様々なバリエーションと変容を繰り返し、 “無意識” のうちに自身の生きてきた道にそぐわぬよう気を配り、警戒しながら繁雑な心理を作品に反映しようとするものだ。定形は間もなく少しずつ外からの刺激や影響により形成された人生観・死生観・宗教観などにその造形を遂げていく。それが、創作の糧ともなっている。 “無意識” とは “自然” という意味に置き換えてもいいだろう。 白髪のジジィが30歳のAさんを前にどのような感想を述べ、質問を持ち掛ければいいのか。これは容易なことではない。ぼくは大きな展示会の審査委員を務めているが、ここでは俎上に載せられる作品の作者を知らないので、クオリティーに重点を置くだけで事足りる。だが、不思議なもので、その作者が男か女かは十中八九見分けがつくから面白い。 もし、まだうら若きAさんが、ぼくの撮るようなコテコテで陰に籠もった暗々たる写真を撮ったなら、人はどう反応するだろうか? きっと耐え難い違和感を覚えるに違いない。ぼくは常々「年相応の写真を撮ることが大切」といってきた。その人が生きてきた体験や、そこで培ってきた人生の機微や襞などが作品に反映されて然るべきで、そこに齟齬や誤謬が生じると、何かがちぐはぐで、やはり違和感やあざとさが生じることになる。それを個性と勘違いする人の、なんと多いことか! Aさんの作品にはそれが見当たらない。これは評価に値することだ。写真を嬉々として撮っている様子が目の当たりに窺え、まさに「年相応」の作品であることが爽やかでもあり、女性らしいしなやかさを湛えた作品をとても好ましいと感じ入った。写真の質も申し分ない。 ひねたジジィは目を皿のようにしながら、率直で衒(てら)いのないAさんの作品に感服したといっても過言ではない。と同時に、ぼくは改めて自身の作品のありようを振り返り、良い示唆を与えられたようにも感じている。ぼくは徳を得たような気持だ。 彼女もやがて年を経て、作品に背骨のようなものが表れてくるであろうことを願うばかりだ。 “背骨” という表現も抽象的だが、主人公や脇役のコントラスト(役割や性格描写の骨格)が、作品に力と求心力を与えてくれる。それは、主張の強さや明確さをさらに助長してくれるだろう。スポーツでいえば、アスリートが体幹を鍛えることの大切さを訴えるのと同じ理屈である。これは同時にぼくへの訓示でもある。そうなれば、強かなY君に足を取られずに済むのだが・・・。 https://www.amatias.com/bbs/30/579.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 久しぶりに浦和の街を、35mmレンズ1本だけという気楽なスタイルでぶらついた。西日の当たる高架線壁の織り成す陰影に魅せられて思わずシャッターを切る。 絞りf5.6、1/1600秒、ISO100、露出補正-0.33。 ★「02さいたま市」 廃業した理髪店。色あせ、シワになったペンキと丸い看板。 絞りf6.3、1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。 |
(文:亀山哲郎) |
2022/01/14(金) |
第578回:またぞろデジタルとフィルム |
今ここで敢えてフィルムとデジタルについて記す必然性があるかどうか、少なくともぼくのなかではすでに両者のあれこれについて決着がついているので、それは愚問というべきかも知れない。
今まで拙稿でこの件については何度か触れているし、今回改めてこのテーマについて振り返るだけの余力というか気力というか頼りない腕っ節というか、それを保持しているかを自問してみると、まだ多少の残り滓があるようだ。このテーマを再度取り上げても、現在フィルムに興味を持って熱心に取り組んでおられる読者の方々がどのくらいかはまったく分からない。おそらくかなりの少数だと思われる。 「今はもうフィルムは使っておりません。デジタル一辺倒です」とのメールはいただくが、フィルムについての言及や質問は、この11年間で数えるほどしかない。デジタル撮影が前提での質問が大半なので、おそらくフィルム派は希有な存在なのだろう。ぼくの身の周りを見渡しても、たったの1人という寂しさだが、けれど今のぼくにはフィルムに対する未練はない。 この2,3年の間にフィルムにこだわった何人かの作品を見せてもらう機会があり、それはとても有意義なものだった。「フィルムとデジタルの両刀遣いを身をもって体験してきた人間として、たいしたことではないのだが、ちょいと記しておこうか」という気になってしまった。残り火というものは、しぶとく執念深いものだ。未練がないといいつつも、しかしいつまでもくすぶり続けている。未練というよりは、かつてフィルムに熱心に取り組み、そこで得た恩恵をデジタルに生かしたいとの願望が勝っているのだと思う。 そしてまた、「デジタルから写真を始めたが、フィルムが聞くほどに良いものであればぜひ試してみたい。如何なものであろうか?」と複数の人たちから問いかけられた。この点に関しての私見を正直に記す。 過去に述べたこととの重複は避けられないが、それにはお目こぼしいただき、ぼく自身新たな発見もあったので、それについて触れてみたい。 結論を先にいうと、 “デジタルから写真を始めた人” は、新たにフィルムに取りかかる必要はない。メリットを感じ取れないのではないかと思う。 その理由はいくつかあるのだが、デジタルの一番のメリットは、暗室作業によるイメージの追求がフィルムにくらべ柔軟かつ広範囲に及ぶ点にある。あなたの描いたイメージ、あるいは被写体を見つけた時に生じる心理、思考、発案などを、デジタルは自在に、しかも精緻に画像に反映でき、モニター上に、あるいは印画紙上に転化できる。もちろん、それなりの補整技術(画像ソフトによる暗室作業)は必要だが、その自在さは大変な魅力だ。それについては、ぼくが今さらいうまでもないことだろう。 補整をしているうちに、撮影時には気のつかなかったことに着眼できたりして、自身のスタイルを確立する機会が与えられることも多々あり。ただ、「独りよがり」の墓穴を掘らなければの話だが。 フィルムは、どう贔屓目に見てもデジタルに及ばぬところが多すぎる。それがまったくできないということではないが、そこに至る過程は、相当な技術力と知識を必要とする。そして、光学・化学の制約に縛られながらの作業となる。それを都度駆使しなければならぬ労力たるや、到底デジタルの比ではない。ましてや、カラー写真となると、その自在性に於いて、デジタルは独壇場(どくせんじょう)といっていい。 さらにつけ加えるのであれば、デジタルは、カメラ、レンズ、ソフトなど日進月歩だが、フィルムやそれに付随するものはすでに歩みを止めている。この点も見逃せない。フィルムの種類も化学薬剤も、そして周辺機器も今や製品が限定されているなかでの作業は、フィルムに余程の肩入れをしないとやっていけないだろう。デジタルの自由闊達さを手に入れた人は、不自由なフィルムの操作や処理に手を焼くことになる。しかし、写真は趣味の世界なので、一方的な否定は理に合わないどころか、狭量で滑稽でもある。ぼくとて、そこは心得ているつもりだ。 これらのことを総合的に判断すると、写真の上達には融通の利くデジタルのほうに利があるというのがぼくの考えだ。 昨今のフィルム事情にぼくは疎いが、ごく一部の好事家がいるにしても(ぼく自身が血道を上げてきた道なので、それなりの理由があることは重々承知している)、かつての隆盛からは、くらべるべくもないことは容易に想像できる。 デジタル創生期には様々な難点があったが、テクノロジーの発展と情報の得られやすさにより、今や表現の多彩さはフィルムを遙かに凌駕している。文明の利器に振り回されることなく、上手に利すれば、老いを横目に精神の高揚を図ることさえできる。今のぼくにとっては、これが一番の妙薬なのかも知れない。 公平を期すために、フィルムならではの利点を挙げると、撮影時の丁寧さや慎重さを得られることだ。デジタルになって、ぼくをも含めてフィルムを体験した人は多かれ少なかれ、同じことを感じているのではないだろうか。フィルムは、むやみやたらと、デジタルのようにシャッターを切れないのだ。 1枚撮るごとに「チャリン」という金属音が何処ともなく響いてくるのは、精神的にまことによろしくないが、これが一種の精神的レジスタンスとなって次第に心地良く感じるようになるものだ。これは、ぼくなどの、貧乏人の特権なのである。デジタルでは、この快感が享受できない。「貧乏は三文の徳」というじゃありませんか(そんな諺あったっけな?)。 https://www.amatias.com/bbs/30/578.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。RF24-105mm F4.0L IS USM。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 昨年4月、浦和美術館で開催されたミュシャ展のポスター。日焼けし、汚れたかのようなポスターを模し(ホントはきれい)、仕上げる。新調したRF35mmの試写を兼ねて。 絞りf6.3、1/13秒、ISO200、露出補正-1.00。 ★「02さいたま市」 見沼グリーンセンターに置かれてあったりんごの造形物。高さは数10cmほど。レンズテストのため半逆光と光沢の被写体を選ぶ。 絞りf7.1、1/320秒、ISO100、露出補正-2.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2022/01/07(金) |
第577回:新年早々の無駄話 |
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。みなさまの福寿無量をお祈りして。
本連載を担当させていただいたのが、2010年の5月。今年で早12年目を迎えようとしている。「長く続けりゃ良いってもんじゃないよ」の典型的な代物に化しているのかも知れないなぁと思うと、ぼくとて多少の気詰まりを感じる。 “ぼくとて” といいつつ元来気弱なぼくが、長年継続できた主たる原動力は、読者諸兄からいただくメールは無論のこと、ぼくの我の強さと頑迷さが得体の知れない気詰まりに勝っているからだろう。このことは、それほど威張れるようなものではないのだが、自分自身を「諭すように、敢えて言い聞かせる」には良い方法だと思っている。ここで公言したことは守らなければならないし、誰が見ているか分からないというのが世の中。油断や隙を見せてはいけないのだ。本稿は個人の気ままなSNSの類ではないので、それなりの責任を負っている。 それに加え、ここまで続けられたのは、担当者の忍耐強さや寛容さあってこそのものだ。そして決して淡泊ではないぼくに対して、諦めによる悟りの境地、つまり達観しておられるからではないかとも思っている。 ともあれ、ぼくはみなさんの迷惑をも省みず、しかしながらいいたいことがたくさんあり過ぎて収まりがつかないというのが本音であり、まとめでもある。 何事も「初心忘るべからず」なので、12年前の第1回目に何を書いたのだろうと読み返してみたら、「この連載がいつまで続くか本人にはわかりません。内容が少し気ままに過ぎることもありましょうが」とあった。これは現在まで見事に踏襲している。12年前の予感は当たっていた。 さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を7年間毎月撮影させていただき、それがご縁で「写真撮影のワンポイントアドバイスのようなものを書きませんか?」と突然問われ、ぼくも深く考えることなく気楽に承諾し、ここまで来てしまったら今はもうお互いに意地の張り合いというか、抜き差しならぬ羽目に陥っており、「縁は異なもの味なもの」と認め合いながら、双方達観の他なしなのだろう。 今年も、一貫性がなく、前後の脈絡がない話が続くに違いないが、ぼくの年老いた白髪に免じてどうぞご海容くださいますように。 「年老いた白髪」を、何故免罪符にしようとしているのか? 書いている本人にもその脈略と因果関係が不可解なのだが、少なくともぼくは無条件に「年配者を敬え」との我田引水的な考えには極めて懐疑的だし(今誰も唐突にそんなことはいっていないのだが)、それはものの道理に適っていない。 それ以前に、年齢に関係なく公平に敬うこと、即ち、まずは誰もがお互いに尊重ありきだとの信念を持っている。これが聡明なる人間の基本なのだが、そう容易いことではなく、ぼくなど時折右往左往を余儀なくされる。 「年寄りは頑固で、人の意見を聞かない」との声も存在する。これをして「縁なき衆生は度し難し」(仏の広大な慈悲をもっても仏縁のない人は救えないのと同様に、人の言葉を聞き入れない者は救いようがない、という意)ともいう。時に、耳が痛いような気もするが(と、遠回しにいっておく)、その一因として、おそらく長い間の、経験の積み重ねと自負心が否応なくそうさせるのだろう。それが他説の邪魔をしたがるのかも知れない。 本人だけが過度に思い込んでいる “自負心” とは大変厄介なものだと感じるが、賢明で、論理的で、誠実な人ほど、取り敢えずはそんな “自負心” を隅に置き、他人の意見に耳を傾けることができるものだとぼくは思っている。けれど、これが意外に難しく感じるのは、残念ながら、ひとえにぼくは人間的にそう優れたものではないからだろう。と同時に、主義主張をはっきり伝えたがる性癖を持ち、ぼくは板挟みとなり、身動きがままならずとの常態に復す。 そういえば、「特技は人の話をよく聞くこと」と大言壮語したどこかの国の元首がいる。人の話をよく聞くことが特技に値することなのか甚だ疑問だが、だとしても優柔不断で何も決められないのでは、信念の喪失と同義だとぼくは決めつけている。経験値も本物の自負心もないので、何も決められないのだろう。これは国益と国民の安全保障を毀損する国家(我々)の一大事である。 第1回目に「生まれて初めて必死に写真の勉強をしました。ぼくの生涯に “必死” は後にも先にもこれっきりです」と書いているが、これは自負心ではない。当たり前のことを懸命にしたからといって、それが自負心につながるわけでないことは自明の理。これは工程であり、結果ではないのだから、自負心でもなんでもない。こんなこと、書かなきゃよかった。 修業時代、師匠に「プライドなどというくだらねぇものは今すぐに棄ててしまえ!」と何度かいわれた。まったく仰せの通りである。異論のない、これこそ正論だとぼくは現在もそう信じている。くだらぬプライドほど、自分の姿を見誤るものだ。それを棄てることができれば、他人の話を素直に傾聴できると思っている。「言うは易く行うは難し」なのだが、師匠の言葉を胸のどこかに刻み、肩の力を抜いて構えてみるのも興趣なのではないかと思う。 新年早々、写真に触れないけったいな原稿になってしまった。今年も先が思いやられるが、スタジオでもスタッフと無駄話をしてから撮影に取りかかるのがぼくのスタイルなので、次号からそれらしき写真話ができればいいなぁと。正月ですっかりネジが緩んでしまったようで、松の内から衷心よりの陳謝。 https://www.amatias.com/bbs/30/577.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。RF100mm F2.8L Macro IS USM。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 枯れて丸まった里芋の葉。茶と緑が混在し、大きなサナギを連想させた。 絞りf8.0、1/30秒、ISO400、露出補正-0.33。 ★「02さいたま市」 母はいつも和服だったが、その柄を思い起こさせた。Rawデータを、色温度を二通りに変え現像したものを、Photoshopで合わせただけ。手の込んだことは何もしていない。 絞りf2.8、1/200秒、ISO125、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2021/12/24(金) |
第576回:撮り鉄(続) |
このテーマについてはたくさん述べたいことがあるのだが、それを心置きなく記そうとするとかなりの分量となってしまう。2回や 3回の連載ではとても収まりきれず、駄文長文のぼくとしては、どう端折っても5回を優に越えてしまうに違いない。
「撮り鉄」からは完全に足を抜いてしまっている分際で、それは出過ぎたことと思われ、未練を残しながらも、慎み深く今回で止めにしておくのが賢明というものだ。 あれからすでに60年近い歳月が経過しており、鉄道に関しての知識なども、現状認識が著しく不足しているであろうことは容易に想像できる。したがって、今のぼくは鉄道に関する情報が足りず、原稿を書こうにも足元が覚束ない。 ぼくにとって「鉄道写真」は過去のものとなったが、どこか潜在意識のなかにかつての鉄道ファン気質が確実に息づいていることは隠しようがない。だが、潜在意識を覗き込むには、今の鉄道に対峙し比較することが必要で、それを思うと、今のぼくにはとても気遣わしく、頼り甲斐もない。 とはいえ、今も昔もおそらく鉄道好きの人たちに共通していることも多々あろうと思われる。そんな事柄を拾いながら、技術的なことをも含めて、思いつくままに「撮り鉄」の点描を試みてみたい。 「撮り鉄」から足を抜いた理由は、「電化が進み鉄道車両のデザインがぼくの意に沿わなくなったから」と前号で述べたが、人里離れた地方に行った時などに見かける線路(廃線ならなおさら)や無人駅は別物で、様々なロマンを感じ、夢中となることしばしば。この現象はおそらくぼくだけではなく、普段鉄道にあまり関心のない人も同様なのではないかと思う。 線路は哀愁や郷愁を感じさせ、そのシチュエーションによっては、自身の歩んできた道を思い起こさせることもある。それは「喜怒哀楽を敏感にさせる作用」があるようにも感じられる。感情が高ぶり、ある時は感慨深く、ジーンとしてしまうことさえある。線路を人生に見立てるとまではいわないが、それに近いものがある。そんな時、写真好きに限らず、撮影意欲に駆られ、スマホ動員となるのではないかと思う。ひとまずぼくのなかでは、感情に照らせば、「鉄道写真」と「線路」はまったくの別の世界のものとして分類される。 ぼくのような写真化石人間(いわれる前に先手を打ちつつ、あながち化石はそう捨てたものでもないのだと、ここで声を大にして開き直っておく)が、鉄道に限らず、動くものを撮る際には、非常な熟練度をかつては必要としたものだ。オートフォーカスやAIサーボ(動く被写体にフォーカスする機能)などという洒落か堕落かは知らないが、そんな便利なものが存在しなかった頃の話をすると、老人(ぼくは自分を“老人” とは思っていない)の繰り言のように思う人がいるかも知れないが、そのような人はこの拙稿は読まなくともよろしい。化石(職人技)あってこその、現代のテクノロジーなのだから。 カメラから見て横方向に走るものは、シャッター速度に注意を払えばよいが、縦方向は骨が折れる。カメラに向かってくるもの、去って行くものは、フォーカスリングを回しながらピントを合わせることになり、これは相当な訓練をしなければ成し得ない。ましてや望遠レンズ使用となるときりきり舞いをしてしまう。シャッター速度はいうに及ばず、シャープで切れのある写真をものにするには、訓練を積むしか方法がなく、ない知恵を絞らなければならなかった。 ぼくはよく道路や鉄道の歩道橋の上から、こちらに向かって来る(あるいは去って行く)車や電車を相手に、ピントを合わす訓練をし、それに明け暮れた時期があった。フィルム時代のことなので、最も安価なモノクロフィルムの長尺を暗室でパトローネ(フィルムをカメラに装填する際に用いる円筒形の容器)に詰め、使用したものだ。しかし、フォーカスリングを回しながらのピント合わせは、いわゆる「歩留まり」が悪く、したがって不経済そのものだった。 そこで、従来から使用されてきた「置きピン」(あるところにあらかじめピントを合わせておき、そこに車や電車、時には人が来た時にシャッターを切る方法)の古典的な知恵を借用し、一発撮りを試みたが、確実性を確保するのであれば、この方法が優れている。しかし、この方法は妙味がなく、あらかじめ構図も整えておく必要があった。このことは、したがって意外性のない写真となる可能性が大きかった。 負けず嫌いのぼくは、あくまで由緒ある正当な作法を踏襲しようと自虐的にもなっていたので、フォーカスリングを回しながら、たとえ「歩留まり」が悪かろうと、正確なピントを得ることに固執し、それを気取ろうとしたものだ。 また、もう一つの方法である「置きピン」をずらしながら、何枚か撮るという知恵も身についたが、これもどこか姑息な感を否めず、生みの親に申し訳ないような気がし、実際に使用したことはない。かなりの意地っ張りだ。 老人の繰り言も昔話として片づけてよいが、さて現代はテクノロジーが進化し、そのような苦労は、今やどこ吹く風。初めて購入したデジカメである初代EOS-1Ds(2002年発売)にはAIサーボ機能があったが、「歩留まり」の観点からいうと、6〜7割ほどだったので、実際に使用したことは一度もなかった。 ぼくが嬉々としてAIサーボを使用し始めたのは、なんと今年の4月に購入したEOS-R6からで、これは「瞳フォーカス」(人間と動物)なる化石人間には信じ難いほど正確な動体追従機能が附属しており、その精度は(「歩留まり」)、少なくともぼくの使用条件では十分に満足できるものだ。この凄まじい科学の進歩に諸手を挙げて感嘆する化石男がここにいる。 だがしかし、ぼくの天敵、風で前後に揺れるコスモスにはあいにく「瞳」がないのである。「昔とった杵柄」も、老化のおかげか、この8ヶ月の間に廃れてしまったかのようだ。悲しくもあり、嬉しくもあり、といったところか。複雑な心境を抱いて、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」なのであろうか。 https://www.amatias.com/bbs/30/576.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF100mm F2.8L Macro IS USM。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 百合。右後ろからの半逆光。そのためか、色変化(いろへんげ)が面白い。背景にはまだつぼみの2輪。 絞りf3.2、1/250秒、ISO320、露出補正-2.00。 ★「02さいたま市」 散々悩ませてくれたコスモス。この時も首をさかんに揺らせ「撮れるものなら撮ってみろ」と天敵はいう。「絞り開放で射止めてやるわ!」とぼくは強がる。 絞りf2.8、1/1000秒、ISO400、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2021/12/17(金) |
第575回:撮り鉄 |
ぼくはテレビや新聞をめったに見ない。その理由を大雑把にいえば、肝心と思われることがまったく報じられなかったり(「報じない自由」なんだそうである)、さらに嫌悪することは偏向や捏造、そして事実に基づかないことを(最近では “evidence” 「エビデンス」という言葉も一般化してよく用いられるようになった。大まかに訳せば、「科学的根拠」、「証拠」、「証言」など)あたかも事実であるかのように報じたり、また報道する側に不都合なことを隠蔽したり、専門的な知識のないコメンテーターとか称する怪しげな人々が跋扈(ばっこ)していたりするその現状にうんざりしているからだ。そのようなものからは身を遠ざけるのが賢明だと思っている。
我が家は新聞を取っているが、それは、どれほど「嘘・インチキ」を報じているかを知るために、といっても過言ではない。それほどぼくは、新聞やテレビの報道(主に政治や世界情勢)を信用していない。「新聞で信用できるのは、日付けとスポーツのスコアぐらいのもの」がぼくの口癖。 国内外の様々な情報は、ネット(海外のものを含めて)と現地に在住する友人たち(世界的な報道機関に勤める友人もいる)から積極的に得ることにしている。彼らの話を鵜呑みにするわけではないが、そこから寄せられる情報に基づき、ぼくなりに総合的な判断を下している。 報道に関して、日本は残念ながら後進国だと認めざるを得ないとの判断に至っている。ある程度の偏りは仕方ないとも思っているが、あからさまで、意図的な偏向報道は、民主主義にはあるまじきことであり、健全で公正な報道とはとてもいい兼ねる。 そんななか、日本のネットニュースに、いわゆる「撮り鉄」に関する記事があった。それに目を通してみたのだが、概ね当を得ているように思われる部分もある。 文中には、「海外の場合は、線路内や鉄道施設への立ち入りについて日本ほど厳しくなく、まだ比較的寛容な国や地域も多い。中略。とりわけ先進国と呼ばれる国や地域は、年々こうした(線路内や鉄道施設への立ち入り。亀山注)規律に対して厳しくなっており、最近は日本と同じように簡単に施設内へ立ち入ることはできなくなりつつある」とある。 文意に対する “突っ込み” は今しないが、かく言うぼくも中学時代はキヤノネットを振り回す「撮り鉄」(当時、この言葉はなかった)の一味であった。 キヤノネットとは、1961年1月(昭和36年1月)キヤノンから発売されたレンズシャッター式の中級35mm版カメラで、当時18,800円。発売2年半後には100万台を突破した人気のカメラだった。 これを首に掛けて、近隣の線路際を歩いたり(まだ線路を跨ぐ歩道橋はなく、すべてが踏切だった。柵のないところも多かった)、上野駅に停車する蒸気機関車や電気機関車などを夢中で撮っていた。上野駅から上尾駅まで電気機関車EF53の運転席に乗せてもらい、警笛の紐を引っ張らせてもらったりしたこともある。当時は何事に於いても大らかで良い時代だったと懐かしんでいる。 また、修学旅行にもこのカメラを持参し、ほのかに憧れを抱いていた女子(実はぞっこんだったのだが、恥ずかしいのでそうはいわない)を盗み撮ろうと目論んだのだが、その画策はことごとく失敗に終わったことをつけ加えておかなければならない。当時、ぼくは早撮りにも技術的にも長けていなかった未熟者だったのだ。まぁ、今もあまり変わりはないのだが。 しかし、何の因果か、半世紀以上経ったこんにち、彼女は我が倶楽部の一員としてどっかりと腰を据え、幅を効かせている。「事実は小説よりも奇なり」、ホントに「何の因果か」である。だから人生は愉快だ。 高校に入学し、ぼくは「撮り鉄」からあっさり手を引いた。理由は簡単、電化が進み鉄道車両のデザインがぼくの意に沿わなくなったからだった。「味気ない」、「魅力なし」との二言でぼくは鉄道写真から足を洗い、他の被写体に衣替えをした。女子ではない。 昨今、「撮り鉄」の評判が芳しくない。ぼくはその実情を目にしたことはないのだが、写真に限らず、創作活動に於ける様々なことが、世間が窮屈になるつれ、はみ出し者も多くなってきたと思われる。写真の同好の志として、極めて残念至極である。だがそれはごく一部の人間だと信じたい。しかし世の中では、その “ごく一部の人間” が素早く“すべての人間”に取って代わる仕組みとなっている。 マナーの欠如は、即ち倫理・道徳の欠如と同義であり、彼らのお陰で「撮り鉄」以外の良識ある人間がカメラをぶら下げて街を徘徊するのも憚られる有様。善良な写真愛好家にとって、このような風潮は、しかし「行き過ぎ」である。無礼、不躾は許されるものではないが、前述したニュースには「撮り鉄」が引き起こすトラブルの一因として、「インターネットの誕生とSNSの普及により、アマチュアによる作品発表の場が増えたことで、他人との差を付けるため過激な行動へと走る人が増えたことがいわれている」とある。 この論理を「当たらずとも遠からず」に集約しては的外れである。それ以前に、この問題は撮影状況に関わらず、個人の良識や良心といった資質の問題なのだ。マナー違反をする人たちは写真に限ったことではなく、あらゆる分野に粘着テープのようにしつこくへばりつき、はびこっている。「憎まれっ子世に憚る」である。「雑草は早く伸びる」ともいうしね。 良識や常識を持ち合わせた人たちが、十把一絡げに悪者扱いされ、怪しげな輩と同じような視線を浴びせられるのはとても辛いことだ。撮影に支障を来すような心境に追い込まれないようにするには、消極的だがぼくは、「君子危うきに近寄らず」が一番だと思っている。 どっかりと腰を据えた女史は、「あーたから、 “君子” なんていう言葉が出るとはねぇ。『君子に写真は撮れない』っていつもいってるじゃない!」と冷ややかにおっしゃるに違いない。 https://www.amatias.com/bbs/30/575.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF50mm F1.8 STM。RF100mm F2.8L Macro IS USM。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 葉牡丹。当初、葉脈と葉の縁取りが鮮やかだったのでモノクロでイメージしたのだが、カラーでも表現できると補整途中から衣装替え。 絞りf8.0、1/60秒、ISO400、露出補正-1.67。 ★「02さいたま市」 木の名前、記憶は茫々。去りゆく秋を惜しむように、まだ紅葉の残滓が。 絞りf3.5、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2021/12/10(金) |
第574回:ちょっとピンぼけ |
のっけから写真の話ではなく、ぼくとしてはちょっと気詰まりなのだが(といいつつ、前号だって写真の話にはほとんど触れず、自身のことばかりに終始していたことは十分に自覚している)、今まで読者数人の方々から、「かめやまさんは、イデオロギー的にはどちらなのですか?」との趣旨のご質問をいただいたことがある。ぼく同様、読者諸兄の話も写真に関してではなかった。
「どちらなのか?」という意味は、端的に解釈すれば「右か左か」という風に捉えてよいと思うのだが、だとすれば、ぼくはいつも返答に窮していた。何故窮するのかといえば、政治的イデオロギーなどというものより、自身が社会に於けるひとりの人間として、あるいは自身の信条や実体験に基づいて、何が正しくてそうでないかの是々非々を拠り所とし、それにぼくは従おうとしているからだ。 ただ何を根拠に是々非々を定めるかで、人は短絡的にその人を「右だ、左だ」と決めつけたり、所謂「レッテル貼り」をしたりして自分を納得させたりすることを好む傾向がある。それこそが、危険分子というべきものだとぼくは考えている。 政治的信条は誰でもが持っているものだと思うのだが、まったく無関心な人たちも少数ではあるがいるのだろう。もしかすると、少数ではないのかも知れない。 かつてぼくは写真屋として、世界の主だった社会主義国、もしくは共産主義国家の多くを訪問し、そこで仕事をした。特に盟主であった旧ソビエト連邦と現ロシア連邦には14度通い、市井のあらゆる階層の人々と、そしてそこに居住する様々な人種と交流した。言葉など通じずとも、我々は人類という共通の生物なのだから、たとえ国家体制がどうであれ、解り合える部分はたくさんあった。 「言葉が通じないから」というぎこちない言い訳をする人は、ただ好奇心が足りぬだけだろう。好奇心は撮影の発露であるので、旺盛な好奇心に欠ける人たちは、写真を嗜むには不向きだとぼくは思っている。 ぼくの撮影は、自分の足と甲斐性だけが頼りの独り旅。旅は独りに限る。ここでは他人の助けのないことを “独り” と解釈し、 “独り” であることは頭に立てたアンテナの本数をより多く必要とする。自分のことはすべて自分で管理しなければならず、したがってすべての責任を自身が負うということでもある。 好奇心による発見は、インスピレーションやイマジネーションを与えてくれる。それは写真を撮ることの最大の恵みであろう。ソ連邦とロシア連邦は、延べ400日滞在したことになるが、そこで得たものは大きい。 まったく好ましい旅のあり様なのだとぼくは思い込んでいるが、ぼくの場合、惜しむらくは甲斐性だけが欠如しているので、ある時は無手勝流の狼藉を余儀なくされ(と、責任転嫁をしておく)、時折、旧KGB(旧ソ連の国家保安委員会)の視線を感じながら、撮影禁止場所(日本とは異なり、あちらこちらが「撮っちゃダメ」だらけ)を重いカメラバッグを唯一の伴侶とし走り回った。 あっちこっちでぼくはとっ捕まったが、何故か今、こうしてこの拙稿を認(したた)めている。これが北朝鮮や中国なら、ぼくはどこかに消え、今「花の写真」などと悠長なことはいっていられないだろう。 その点、結果的には、ロシアは「話せばわかる」を地で行く国であったことは幸いだったともいえる。この地に於けるドタバタ劇の一部は拙単行本『やってくれるね、ロシア人!』(NHK出版)で、開陳した通り。そして、この地でぼくは、「早撮り」の極意?にあやかることができた。思わぬ果報を得たというべきか。 ソ連邦に通っていた頃、周囲の人たちは「かめやまは、親ソ派であり、左翼」と思っていたらしい。ぼくは反駁さえばかばかしいと思っていたので、まったく取り合わなかったが、旧ソ連の悪名高き強制労働収容所・矯正収容所の最初のがん細胞であるソロフキ(白海に浮かぶソロヴェツキー諸島の略称。強制収容所のあったところで、通説では1923-39年に稼働。そしてまた一方、ここは中世に於ける美しい修道施設の傑出した例として1992年世界遺産となったが、当時はロシア人さえ入島することができなかった)への入島が8日間だけ許可され、おどろおどろしくも、そこに佇む美しいクレムリン(城砦)と風景に圧倒され、修道士との追いかけっこ(修道士は撮影厳禁)をしながら撮影に勤しんだ。今から17年前の2004年のことだった。昨今、ソロフキはヨーロッパ人の間で、最も人気のある世界遺産となっているそうだ。 しかし当時は、どうやら彼の地ではぼくを危険分子、修道士の敵として見なし、手配書が回っていると、ぼくを引き受けた宿の主人がロシア人特有のユーモアを交えて、面白おかしく語ってくれた。 帰国後、ソロフキの写真は著名なギャラリーで写真展を催してくれ、また雑誌の巻頭グラビアでも扱ってくれた。やがて写真集(『北極圏のアウシュヴィッツ』復刊ドットコム)も出版され、ソ連の恥部を公開したことにより、ぼくを「親ソ派の左翼」と呼ぶ声はすっかり影を潜めた。 文頭に述べた “危険分子” をここでなじるつもりなど毛頭ないが、未だに世界のどこかに存在する強制収容所で、何が行われているかが白日の下に晒されている現実を直視しなければ、災難がやがて自身や子孫の身に降りかかってくることを知って欲しいと願うばかりだ。ぼくの言い分は左翼でも右翼でもない。 嗚呼、今回も写真の話からは、『ちょっとピンぼけ』(写真家R. キャパの著作)になってしまった。危険分子は、本題を無視し続けるぼくのほうかも知れない。 https://www.amatias.com/bbs/30/574.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF35mm F1.8 Macro IS STM。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 ダリア。花弁の裏側の微妙な色合いに魅了されて。色温度の高い(青味がかる)曇天下で。 絞りf8.0、1/60秒、ISO200、露出補正-1.00。 ★「02さいたま市」 葵。斜光の夕陽に、花弁が輝き、透過したりして、その一瞬を狙うのに一苦労。 絞りf3.5、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2021/12/03(金) |
第573回:「潮時」について、しおらしく考えた |
ものには「潮時」というものがある。「潮時」とはどのような意味なのだろうと、その使い方をも含めて数冊の辞書を頼りに調べてみたが、ぼくなりに「潮時」を総合的に解釈すると、一言でいうのであれば「頃合い」ということになる。
自己流の解釈による「頃合い」をやはり辞書に頼って繰ると、「しおどき」とあるので、あながち間違えではなさそうだ。しかし、同じ意味だとしても、双方は微妙にニュアンスが異なるので、言葉を無造作に使用してはならないと今さらながらに気づかされた。その使い分けには十分な気遣いと配慮が欠かせないとの思いにも至るのだが、所詮ぼくは物書きではないので、その甘えに寄りかかりたくもなる。だが誤ってしまうと恥をかくのはぼくひとりなので、言葉の使い方については、「徒や疎かにしてはならぬ」と戒めなければならず、「これでも素人なりに気を遣っているのだ」と一応は記しておこう。 青春時代に読んだトルストイ(レフ・ニコラエヴィチ。ロシアの作家・思想家。1828-1910年)の『芸術とはなにか』の一節を、遠い昔の記憶をたぐり寄せながら記すと、「言葉を大切にしない人は、人間もその程度のものだ」と書かれていたように思う。その文言については一字一句正確な記憶だとは言い切れないが、この一節は非常に印象的なものとして未だぼくの心に焼き付いている。 余談だが、ぼくは旧ソビエト時代、モスクワの南約200kmにあるトルストイの居住していたヤースナ・ポリャーナに詣でたことがある。世界第一級の大作家であることは認めるが、ぼくの肌合いにそぐわぬところもあり、ぼくのなかではドストエフスキィ(フョードル・ミハイルヴィチ。ロシアの作家・思想家。1821-1881年)のほうがずっとしっくりくる。 何故「潮時」という単語が脳裏に浮かんだかというと、ぼくにとって写真の「潮時」はいつになるのだろうかとの思いが最近沸々と湧いてきたからだった。 今から数ヶ月前、例によって農園(この時は小さなハーブ園)で撮影をしていて、一時間余りのうちにぼくはそこにあったベンチに3度もへたり込んでしまった。夏の暑さも手伝ってか、カメラを首にかけ、撮影もせずにボーッとしている写真屋ほど間抜けなものはない。悲しくもあり、情けなくもあり、ぼくはすっかり所在無げであった。身の置き所がなかったというわけだ。 人間の体はとてもデリケートなもので、歳を重ねるにつれて “その日暮らしの趣き” となるらしいが、それにしても予期せぬヘタレ具合に我ながらかなりのショックを受けてしまった。今まで、そのようなことに見舞われたことなど一度もなかったので、なおさらだった。それと同時に撮影の意欲も削がれてしまったことは、いいようのない受難であるかのようにも思われた。何度も気を取り直し、ベンチから腰を上げたものの、その時は気力・体力ともに失われ、撮影打ち切りを余儀なくされた。こんなことは長い写真人生のなかで初めてだったので、ぼくはわけが分からず、ただ狼狽えるばかりだった。 疲労感に襲われることは誰にもあることだが、「よしっ、ここでもうひと踏ん張りするか」という生来の意力が損なわれたことも未体験だったので、ぼくは悄然として天を仰ぐほかなかった。 気力が充実していれば、多少肉体が衰えても、それを填補することはある程度できるであろうとの考えを持ちつつも、今その信条は少しぐらつき怪しくなっている。写真を生業にしている人間にとって、怪しくなっては困るのだが。 さしあたって、「信ずる者は救われる」というから、その教えに従おうと思っている。また、「溺れる者は藁をもつかむ」ともいうが、これは誰もいないところでしないといけない。また、口に出してもいけない。質の悪い人間がぼくの周りにはウヨウヨととぐろを巻いているから、絶対にそのような隙を見せてはならないのだ。彼らの毒牙にかからぬようにしなければならず、ぼくはぼくでけっこう大変なのだ。 それ以降、幸いにもまだベンチにヘタリ込むような無様なことにはなっておらず、「あれは一時的なもの」と決め込み、自らをさかんに慰め、奮い立たせようとしているのだが、もしそのようなことが度重なるようであれば、その時はもはや写真を辞める「潮時」なのかなぁと観念せざるを得ない。 ここに至って、気ばかり若いつもりでいるうちがまだ華なのだろうが、次なる一手を真剣に考えておかなければならないと思っている。ここだけの話、まず我が倶楽部のメンバーいじめなど、恰好の材料であり、またその最有力候補だ。今までの彼らのぼくに対する狼藉に対して、仇討ちに血道を上げるのも愉快なこと。余生をこれに費やすのも乙なものと考えている。 この倶楽部を否応なく立ち上げざるを得なかった当時(2003年)のメンバーの生き残りもまだ頑強に腰を据えている。立ち上げのきっかけとなった当時の初心である「プロの道で培ったものを惜しみなく分け与える」との趣旨に立ち返れば、ぼくは「アメとムチ」を上手に使い分けるどころかアメばかり与えてきた。今度はムチの出番だ。 今時小うるさい「パワハラ」なんて、徒弟制度をくぐってきたぼくにしてみれば、そんな小賢しいものは「ちやんちやら」(「ちゃんちゃら」ではなく、落語『雛鍔』の、志ん朝の口調で)おかしい。 この拙稿も「潮時」を迎える時がやがて来るだろうが、読者諸兄からのありがたいメールなどをいただいている限り、それに応える義務がある。こちらは体力が衰えても、気を張ってまだしばらくできそうな気がするが、そのうち打ち首に処されるということも、十分に心得ておかなければと思う今日この頃。 https://www.amatias.com/bbs/30/573.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF 100mm F2.8L Macro IS USM 。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 花名分からず。最近ど忘れがひどい。本当は知っているのだが、出て来ない。マクロレンズで覗いてみたら、別の世界が見えてきたように思え、絞りf 値に知恵を練る。絞りを変えて何枚か撮ればいいものを、困難な姿勢に耐えられず、1枚で決着をつける。 絞りf3.5、1/200秒、ISO640、露出補正-1.00。 ★「02さいたま市」 風に揺れる親の仇のようなコスモス。色褪せた加減が気に入り、逆光(夕陽)で花弁の1枚だけが透過。花の動きと自分の身体を同期しながら撮る。 絞りf10.0、1/400秒、ISO800、露出補正-1.33。 |
(文:亀山哲郎) |
2021/11/26(金) |
第572回:道具とは、「帯に短し襷に長し」? |
写真に肩入れをすると、誰でもが使用機材や関連ソフトに欲が出て、否応なく散財を繰り返すことになる。これはぼくだけの現象ではないと思う。趣味の世界に於いてごく自然な現象と思うが、熱を帯びるほどにそれが繁茂し、やがて抜き差しならぬ状況になってしまうことは、写真に限らずどの様な分野でも同じであろう。
自身を振り返り、また周囲を見渡すと、趣味に興じている限り(仕事ならなおさら)、永遠に続くものだとの確信をぼくは抱いている。逃れようのない業のようなものだ。出費を気にしつつ、それを警戒しながらも、抗うことはできず、知らずのうちに深みにはまっているという寸法だ。体温を測っていると、体温計の水銀柱(古い?)がどんどん上がっていくが如く、一般的には趣味に対する熱と出資も熱意に比例して上昇する。これはある意味、上昇志向の具体的な表れでもあり、それを測る指針ともなる。 では、抜き差しならぬ深みにはまってしまった人は、必ずしも上達を約束されるかというと、世の中そんな甘いものではないので、事は厄介だ。だが、深みにはまらないと上達が思うに任せずという現実も一方にはある。ここに至って、その約束を果たそうとする人は、上達が保証される傾向がより強いものだ。 機材やソフトの出資を惜しむ人は、「今あるもので間に合わせる」という “知恵” がそれなりにつくのだが、そこにはやはり限界がある。経済的な制約は誰にもあるが、その限界を何処に持って来るかで、その人の方向がある程度決まってしまうといっても過言ではない。このことは、ぼくが今まで助手君をも含めて、数十人の写真愛好家と触れあった、その経験則によるものである。 ただ一言添えておかなければならないが、経済的に制約がなく、高価な道具を惜しみなく手にしている人は、道具と一心同体になれず、とんでもなく下手な人が多いことも事実だ。これは、ぼくのやっかみではない! 話は前後するが、「今あるもので間に合わせる」との “知恵” を以(もっ)てこそ、適材適所に使いこなすための機材を無駄なく選択する見識が生まれるものだとぼくは思う。 だが、無駄を重ねないと深遠には行く着くことができないとの信念も、ぼくはついでに持っている。「無駄はできるうちにしておきなさい。無駄を肥やしにするか、できないかはあなたの心得次第」とえらっそうにいうが、それはぼくの偽りなきところだ。その本心を、ぼくは自身に向けてきたと、えらっそうでなく、ここでいっておきたい。 この連載の初めの頃に、「弘法筆を択ばず」について触れたことがある。この諺について論じるほどの、十分な経験や学識、素養や知見をぼくは持ち合わせているわけではないが、たとえば生涯に約12万体の仏像を彫ったとされる江戸時代前期の仏師・円空(1632 - 1695年)は、鉈(なた)での一刀彫りのようにいわれているが、滋賀県や岐阜県で撮影のため20数体ほど実見したぼくは、円空が多数の彫刻刀を用い丁寧に彫っていることを知った。同行した学芸員も、円空が鉈1本で彫ったという風説はまったくの誤りであることを教えてくれた。 “適材適所” の教え通り、性格の異なったそれぞれの彫刻刀を駆使しながら、あたかも一刀彫りであるかのような印象を与え、特有の作風に昇華させた円空という仏師は、紛れもない天才だと感じるのはぼくだけではないだろう。もともと円空仏に魅せられていたぼくは、非常な感銘を覚えながらシャッターを切ったものだ。 道具の適材適所について、写真に限っていうならば、撮影目的に合致した道具立ては、撮影の困難さを軽減させ、また同時に画質や写真のクオリティーを保ったり、上げたりすることに少なからず貢献してくれる。 8月末に新調した100mmマクロレンズ(以前使用していたものも同社のマクロレンズなのだが、マウントが異なるため新たに購入)をなんとかこなそうと目下奮闘中であることは、拙稿に何度か記した。今のところ、7勝3敗といったところか。 マクロレンズを持っていない方は、接写リングやクローズアップフィルターで賄うという知恵も一方にあるが、使い方が限定されるので、やはりあくまで「間に合わせ」の感は否めない。限定的な選択肢のひとつだとは思うが、使い勝手やクオリティーを勘案すると、マクロレンズには到底敵わない。それ用に作られているのだから当たり前のことなのだが、諸収差(特に像面彎曲と歪曲収差)が極力抑えられているので、通常の望遠レンズと比べても、クオリティーにまったく遜色がなく、それどころか優位な点がいくつも見出せる。中心から周辺までの描写が均一(ピントの平面性が一般のレンズより優れている。像面彎曲)なのもそのうちのひとつといえ、この秀逸さは撮影時に神経を尖らせずに済む。どれほどありがたいことか。 写真の道具立てのなかで、特に抜き差しならぬ状況に陥ってしまうのがレンズだ。それをして「レンズ沼にはまる」(ぼくはこの表現が嫌いなので、もう使わない)というらしいが、レンズほどではないにしても、ひとつで賄いきれないものに、三脚やカメラバッグがある。どのような製品でも「帯に短し襷(たすき)に長し」だとぼくは思っているが、使用中に我慢ができなくなると、まるでコレクターのようにあれこれ手を伸ばし始める。気がついてみたら、いつの間にか三脚もバッグも数個ずつなんてことになっている。ぼくの場合、すべてがこの有様である。 このような状況に陥った時の恐さは、出費ではなく、実のところ女房殿なのだ。戦慄を全身に走らせながらも、必要と思い始めたらもう我慢ができない。針のむしろに座ったような心地を耐え忍び、やがてそれらがぼくの上達にわずかながらでも寄与していると思わなければ、やっていけないのである。 https://www.amatias.com/bbs/30/572.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF 100mm F2.8L Macro IS USM 。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 彼岸花。以前(第517回)に掲載の彼岸花は赤のイメージを大切にしたが、今回はモノクロをイメージ。わずかに調色を施す。 絞りf2.8、1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。 ★「02さいたま市」 彼岸花の盛りは非常に短い。「01」と同じ日に撮ったが、もう2,3日もすれば完全に色褪せてしまうのだろう。 絞りf2.8、1/200秒、ISO125、露出補正-1.00。 |
(文:亀山哲郎) |
2021/11/19(金) |
第571回:やっぱりぼくはおめでたい |
友人から「君は、 “よもやま話” を利用して悪態ばかりついているな。たとえば “コスモス” や “ウォーキング” などに恨み辛みを執拗にぶつけている。鬱憤晴らしを、何とか写真に託けて、ストレス発散の場にしている。そんなことをしている君を見ていると、なんとも羨ましい限りだよ」なんてことをいってきた。ちょっと的外れな指摘ではあったけれど、甘受しておこう。
「今は誰でもがSNSを利用してぼくと同じようなことをしているんじゃないの? 自分の考えを何らかの形で文章化し、それを世間に公表したり、訴えることは以前には考えられなかったことだ。それをするには活字媒体を利用するしか手がなかったし、それができるのは限られた人たちだけだった。いってみれば、その分野のエキスパートと目されている人たちの特権ともいうべきものだったわけだ。 だが、今はそうじゃない。誰もが自分の意見や考えを世に伝える手段を有することになった。それが時代の流れだと思うけれど、ぼくの場合はテーマが “写真よもやま話” と銘打ち、写真に関連付けられているので、その “紐付け” に苦心惨憺している。必ずしも、言いたい放題ではないのだよ。 SNSやネット の風潮に倣って、“紐付け” とか “ハレーション” という言葉も一般化し、言葉の定義と使い方もそれに即して使用されるようになってきた。別に若ぶるつもりは毛頭ないけれど、言葉の使い方が独善的でなく、あるいは誤用や汚いものでなく、広義になるのであればむしろぼくは大いに歓迎すべきことだと思っているよ。社会文化に貢献するという意味でもね」と、ぼくも少々的外れな返答であることを承知の上で彼にそう返した。 そして、読者の方からメールをいただき(以下、文面そのママ)、「私も亀山さんと同じ100mmのマクロレンズを愛用していますが、風に揺れるコスモスを等倍(倍率1.0倍)、あるいは限界の1.4倍(新しいRFマウント用の100mmマクロレンズは倍率1.4倍という驚異的なもの)で撮ろうとすると、ピンボケばかりで、ちゃんと撮れたためしがありません。亀山さんのようなプロでも、やはり相当苦労なさっているのですね。それを聞いて安心しました。どのようにすれば良いかと途方に暮れる次第です」(かっこ内は亀山注)と記されてあった。 「私もそのお話を伺って安心しました。ぼくだけが意気地なしと思い込まずに済みそうです。カメラを担いで、国内はもとより、海外でも散々場数を踏み、修練を積んできたつもりの私は、フィールドワークにはそれなりの自信があったのですが、コスモスに恨み言を書き連ねました。自分の技術不足を棚に上げ、恨み骨髄に入ってしまいました。コスモスこそいい迷惑ですね。 取り敢えずの解決方として、無謀に槍を振り回すが如く、被写界深度を深く取り、速いシャッター速度を用い(当然、それにつれてISO感度をやたらと上げなければならない)、マニュアルフォーカスで見当を定め、盲目的に立ち向かうという方法が順当なものかどうかは分かりませんが、コスモスをブレずに、しかもピントの合った結果を得る可能性は高くなるでしょう。しかしこれは、 “行ってこい” の運次第ということになりましょう。写真は、結果オーライという無秩序で粗雑なものではありませんしね。この連載の初めの頃に、 “写真は決して偶然に撮れるものではない” と主張しました。 第一、被写界深度を深く取ればいいとの考えは、コスモスの背景描写をどの様に描くかということにまで気が回っていないことになります。背景はあくまで脇役であり、主人公の引き立て役を演じなければならず、脇役が出しゃばっては写真になりません。主人公と脇役はその意味では常に同等の役割を担っており、価値を共有するものです。この匙加減が大変難しい。 被写界深度に頼らず、思い通りの絵が描けるように、くじけず研鑽を積むのが最も建設的な考えだと私は思います」と返信した。 夕方、近所を歩いていると盛りを過ぎ色褪せたコスモスが、秋を惜しむように息絶え絶えに咲いていた。一輪だけポツンと咲いているその様は、哀愁を帯び、ぼくの心を打った。 幸いなことにこの日は無風状態。「コスモスめ、油断しおったな。直ぐ戻るからそのまま待っておれよ。動くなよ」と言い放ち、自宅から2,3分の距離だったので、サイレンを鳴らしながら走る緊急自動車のような面持ちで、早速家に取って返し、100mmマクロレンズをカメラに装着した。息絶え絶えになったのはぼくのほうだった。 約40年前に購入したハッセルブラド用のC. ツァイス製フィルター(ソフターI)も動員した。フィルター使用は背景の空模様と色合いが面白かったので(掲載写真「01」)、咄嗟に思いついたものだったが、その健気なコスモスに、この日ばかりは恩讐を越えて、ぼくは持ち前の寛容さ!?を発揮し、優しさを持って対峙するには、そのフィルターは似合った道具立てだと思った。 「もうコスモスを撮ることはないかも知れない」と、半ばヤケクソで、悔しまぎれに言い放った尻から、この有様である。けれどこの時、コスモス相手に恩讐を乗り越えた自分を誇らしく感じたものだ。どこまでおめでたい男なのだ。 だが、コスモスも「あたしを撮りなさいよ。今あたしを撮らないとあんたは金輪際コスモスを思うように撮れないんだかんね」と命令口調でいっているように思えた。やはり、ぼくよりコスモスのほうが、悔しいかな、位が上なのだ。 このフィルターはぼくのお気に入りのひとつで、約40年前、類似品をあれこれ試し、「この品位に勝るものはなし」と購入したものだった。ハッセルブラド専用で、他のカメラには装着できないが、レンズ径がフィルター径より小さければ、手でかざして使用できる。ソフトフィルターは、絞りf値を変えると、描写も変化するので、その違いを把握しておかなければ、自在にこなすことはできない。 掲載写真は、脇役となる空の模様・色合い(色合いはPhotopshopで多少の調整をしている)、そしてシルエットになった枯れたコスモスの描写などを勘案し、一発撮り(あまり良い表現ではないね)を敢行。 失敗を恐れ、何枚も撮るという魂胆では、またコスモスに見下されてしまう。料簡を見透かされているので、位を同等にするには、もしくは今後上位に立つには、1枚で決着をつけなければ示しがつかない。男の沽券に関わると思い込んだのだから、やっぱりぼくはおめでたい。 https://www.amatias.com/bbs/30/571.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF 100mm F2.8L Macro IS USM + フィルター。RF 35mm F1.8 マクロIS STM。 埼玉県さいたま市。 ★「01さいたま市」 今回記述したコスモス。フィルター効果も相まって、全体に柔らかく、ボーッとした仕上がりに。 絞りf4.0、1/250秒、ISO250、露出補正-1.00。 ★「02さいたま市」 芙蓉? 色鮮やかな芙蓉を見ていたら、ちょうど良い光線が脇から射した。 絞りf5.6、1/125秒、ISO160、露出補正-1.33 |
(文:亀山哲郎) |