プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■ 1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。 現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。 2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。 【著者より】 もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com |
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| 2022/11/25(金) |
| 第620回:晴れて鉄道博物館(10) |
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「てっぱく」シリーズも、止(や)ん事ない理由で、とうとう10回になんなんとしている。だがおあいにく様、「好きこそものの上手なれ」とはなかなかいかない。写真も鉄道も好きなのだが、そうは問屋が卸してくれない。世の中、それほど甘くはないようだ。それをいやしくもぼくはここで実証し、みなさんに晒していることも承知している。それは、自虐でも謙遜でもない。ぼくの正直な直感がそういわせている。
被写体に対する理解は、撮影を手助けし、良い写真を撮ることの一条件であることは重々認めるが、好きであることと理解することはまったくの別物であるということを、今回改めて露呈してしまった。写真も鉄道も好きなのに、ぼくは逃げ場を失った。10回も続けてきて、ぼくは今、慚愧に堪えない。 ともあれ、ぼくはおどおどしながらも心を躍らせ、初めての「てっぱく」に突入した。館内をざっと見渡し、並み居る強者ども(展示物)を丹念に検分してまわり、ふたつの予期せぬことに戸惑いを覚えた。 そのひとつは、復元された年代物の客車内があまりにも綺麗すぎることだ。博物館の展示物が、いわゆる年代物である時、本来は、古び、色褪せ、汚れ、傷つき、そのためにそれが辿ってきた歴史を、来場者は五感を働かせ、想像したり、ロマンを感じたりするものだ。少なくともぼくはそうだ。 博物館や美術館の展示物に、修復や復元はつきものであることは、ぼくとてよく理解しているつもりだが、ぼくの尺度からすれば、鉄道車両は自然のなかで厳しい風雪に打たれながら活動してきたが故に、なおさら「新品同様」の装いはどこか違和感を覚えずにはいられない。 遠慮がちにいえば、「少しやり過ぎではないか」との思いを隠しきれない。博物館に「苦言を呈す」とまではいかないが、ロマンとリアリティの匙加減が、どこかちぐはぐしていると感じるのは、ぼくの思いが強すぎるからなのだろうか。 そしてもうひとつぼくが首を傾げてしまうのは、蒸気機関車の見せ場である動輪、主連棒、連結棒など、本来はむき出しであった素材に塗装が施されているものがあることだ。元は塗装などされていなかったと思うのだが、どうなのだろう? たとえ「保護」の目的があったにしろ、塗装のために金属特有の質感が失われてしまうのは、一写真屋の嗜好からして、考えものだと感じる。 すべての蒸気機関車ではないが、創生期のもの(1号機関車や弁慶号)のそれには塗装がされているので、塗料が “生きていた頃” の面影や生傷を覆い隠し、そのためにリアリティや躍動感を失い、どこか玩具化されてしまっているように思えてならない。 あの無慈悲なる塗装は、年増女の厚化粧を思わせ、非常に好ましくない。それがために、主連棒や連結棒に打たれた刻印(創生期のものにも打たれているとすればだが)を塗りつぶしてしまうという大罪を犯している。もしかしたら、塗装は錆止めのために塗られていたのかも知れないが、であれば、ここは剥げたままでいいので、塗り直さずに、油で磨いて欲しいものだ。 展示物は、可能な限りオリジナルな姿を保ち、保護していこうとの姿勢はもちろんあるのだろうが、いくら美形であっても、厚化粧の女性を撮ろうとの意欲を殺がれてしまう。 模型ならいざ知らず、本物の機関車として撮影するのは気が引けてしまったのである。撮るには撮ったが、現像する気にすらならないでいる。失意とはこのような状態を指すのだろう。 ぼくは今回を機に、「刻印マニア」という風変わりな性癖を持つ人々の存在を知り、彼らの気持ちや期待を察するに、塗装を呪う気持がよく理解できるようになった。鉄道ファンとは、やはり一方ならぬ多趣向人間の集団であるとぼくは改めて感じている。時刻表を諳んじることができる人もいると、巷でいわれるくらいだから。 そしてまたぼくも、主連棒や連結棒、クロスヘッド(シリンダー内のピストンの動きを、主連棒に伝える部品)などに打たれた不揃いの刻印文字を見ながら、さまざまな想いにふけることができることを再確認したが故に、「刻印マニア」の気持が痛いほど理解できる。「刻印友の会」でも、立ち上げるか! 我が倶楽部の、ぼくに無断で京都の梅小路に抜け駆けをした薄化粧のM女史も「刻印マニア」の一員で、「東京駅の『動輪の広場』に置かれているC62の動輪廻りにもちゃんと刻印があった」と、ぼくを出し抜いた罪悪感からか、鼻を膨らませながら、贖罪気取りでそう伝えてくれた。 中学時代に大宮の機関区に立ち入り(60年前は斯様におおらかだった)、機関士さんに刻印について訊ねたことがある。濃紺の作業衣を纏った彼は、笑みを浮かべながら、「まぁこれはね、悪戯書きのようなものなのだけれど、落書きではない。部品間違えをしないための大事な名札のようなものでもあるんだよ。君に名前があるのと同じようなものさ」と教えてくれた。油で磨かれた金属のあの美しい光沢感は、今も脳裏にしっかりと刻印されている。 塗装で覆われたものを、「想像力で補え」といわれれば、返す言葉はないが、写真は正直者故、いくらAI化が進んでも、厚化粧を剥いで、素顔を写すほどの器量は持ち合わせていない。 https://www.amatias.com/bbs/30/620.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4L IS USM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 ナデ6141。大正3年(1914年)製の電車内部。通勤電車の元祖で、2017年に重要文化財に指定された。カラー原画はとても美しいのだが、外観とのバランスがチグハグで、敢えてセピア調のモノクロに仕上げた。 絞りf5.6、1/15秒、ISO 8000、露出補正-0.67。 ★「02てっぱく」 マイテ39。昭和5年(1930年)製。戦前は東京〜下関間の特急「富士」の一等展望車として使用され、戦後は特急「つばめ」「へいわ」に使用。外気に開放された展望デッキを持ち、京都に帰京の際に、東京駅でその後ろ姿を見るのが楽しみだった。 絞りf8.0、1/8秒、ISO 4000、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2022/11/18(金) |
| 第619回:晴れて鉄道博物館(9) |
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「写真のことなど、何も触れずに、ただひたすら我が道を行く。嬉々として蒸気機関車のことばかり書いている! 君はホントにいい性格してるよなぁ」と前号について、ぼくの周囲の、粗探しの好きな、どちらかというとあまり性格の好ましくない取り巻き連中にそう茶化された。
ぼくも、原稿を書きながら、自分の勝手放題に感心していたくらいなので、まったくの同感。感心などしている場合じゃないのだが、しかし、もうとっくに自覚しているので、敢えて指摘されても、馬耳東風で済ますことができる。ぼくには、「だから何なの?」と開き直る余裕さえあった。 「写真を律儀に掲載しているのだから、それでいいじゃないか」と、襟を正しながら!? 喉元まで出かかった言葉をぐっと呑み込んだ。そこには得体の知れない余裕のようなものが生じていた。呑み込んだ理由として、「律儀な掲載」といいつつも、それはぼくの勝手な仕業で、体の良い逃げ口上として、あるいは写真屋としての男振りをどこかでしっかりと上げておこうとの魂胆だったのかも知れない(もしかしたら、1週毎に2枚の写真掲載は、ぼくにとって荷の勝ちすぎたことで、それ故大事な男振りを “下げて” いるのかも知れないが)。「墓穴を掘る」って、こ〜ゆ〜ことなのだろうか? だがしかし、思ったことや感じたことを咄嗟に口にせず、一呼吸置いてのんびり対応するとの、至難の業を会得するには、ぼくはまだまだ発展途上にあるのだが、 “時と場合により” その真似ごとくらいはできていると思いたい。この連載のお陰で、年相応の成長を遂げつつあるぼく。「我田引水」って、こ〜ゆ〜ことなのだろうか? 「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」と、どこか性格の陳(ひ)ねた、というよりひん曲がった、ある種、屁理屈だけが頼りの人々から自己を守ろうとするのは苦痛であり、時にひどく疎ましくもあるのだが、邪険にするのもどこか心が痛む。彼らだって、多少の可愛げがあるし、人間の本性は善であり、悪の行為や考えは、環境による意志の弱さによるものだそうだから、すぐにかばい立てをしたくなるぼくは、寛容といえるが、とても損な性分ともいえる。寛大というのも、時と場合によっては考えものだと感じている。 性善説はさておき、今年9月9日にふらっと「てっぱく」に出向いたのだが、“こんなこと”になるとは当初予想もしていなかった。「3回くらいの連載で」と軽く考えていたのだが、その3倍も書き連ねており、これを称して、「焼けぼっくいに火が付く」と世間ではいうらしい。 火を付けた罪深き者は、我が倶楽部の面々であり、彼らはぼくの知らぬ間に「てっぱく」やら、ぼくの故郷である京都は小雨の梅小路(ここに「京都鉄道博物館」がある。蒸気機関車の宝庫であるにも関わらず、ぼくがそこに行かなかったのは、それほど鉄道に疎遠となっていたからだった)にまで、こっそり足を伸ばしている。そして、「夜の先斗町で、ほれっ、ついでにこんなスナップも撮った。どうよ!」と、何食わぬ顔で、そのプリントをぼくの目の前に晒すのだ。京都弁も喋れないくせに。 ぼくが無用の用に刺激され、それに倣い、「若かりし頃、今はなき『交通博物館』(東京都千代田区神田須田町にあり、2006年まで営業。翌年よりさいたま市の「てっぱく」に引き継がれた)に何十回も通ったのだから、地元にできた『てっぱく』に行ってみるか」と意を決した。そこで、極めて暗い(との噂)ながらもしっかり写真を撮って、取り敢えず指導者もどきとしての沽券をしっかり示し、若さを取り戻そうとの気概があった。 武漢から漏れ出た長引く疫病のため、自由に出かけることがままならず、近くにある花ばかりを撮っていたここ2年余り。花の撮影は、奥深いものがあり、興味もあるのだが、ぼくには、どちらかというと元々縁遠い被写体であったため、不遜ながらもいささか食傷気味となっていたことは否めない。なんとか浮気の正当な理由を欲していた。 そんな時の「焼けぼっくい」は、無意識のなかで、根が好きなだけにやはりくすぶり続けていたに違いない。見て見ぬ振りをしていた無理が祟り、ぼくの「鉄道大好き」は一気に噴出したようだ。特に、「陸蒸気」(おかじょうき。明治時代に呼ばれた「蒸気機関車」の俗称)には、首っ丈(くびったけ。すっかり惚れ込んで、夢中になること。今、こんな言い方するのかなぁ?)である。 平日だったためか、「てっぱく」の駐車場は思いのほか空いており、館内の混雑を窺わせぬその雰囲気にぼくは胸を撫で下ろした。年老いて心の琴線が弛みかけ、百戦錬磨だけが取り柄のジジィが、胸の高鳴りを抑えきれずにいたくらいだから、その心情を察していただきたい。 バッグからカメラを取りだし、レンズを装着し、鉄道の「指差し呼称」さながらに、カメラの設定をし(ボタンやダイアルが多すぎるんだってば!)、息を整えぼくは戦場に赴いた。 撮影モードは、EOS-Rシリーズから装着された便利で有用この上ないFv(フレキシブル・バリュー。マニュアルとオートのいいとこ取りをしたハイブリッドな使い方のできる機能)AEモード。ぼくの使い方は、任意のf値、任意のシャッタースピード、任意の露出補正をあらかじめ設定し、ISO 感度だけをカメラ任せにし、適正露出を得るという方法。使用カメラの優れたISO高感度特性により、暗所の「てっぱく」で安心して使える。この点に関しては、ひと時代以前のものとは、隔世の感ありといったところだ。 ボタンやダイアルをカスタマイズしておけば、サクサク使える。ただし、何をどうカスタマイズしたかを忘れなければの話だが。 昨今のカメラは、使いこなすほどに、なるほど便利この上なく、痒いところに手が届くような仕掛けがなされており、加え高齢者のためのボケ防止機能までメーカーは用意してくれていることを知り、すべて手動で育ったぼくなど感慨無量である。「命長ければ蓬莱に会う」(ほうらい。不老不死の地)と思いきや、「命長ければ恥多し」ともいう。たかがカメラではないか、難しいことは言いっこなしだ。 https://www.amatias.com/bbs/30/619.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 第613回でも登場したストーブ列車。今回はローアングルで。20年以上も前のイメージは、頭のなかですっかり古び、渋くなっている。 絞りf10.0、1/4秒、ISO 8000、露出補正-0.67。 ★「02てっぱく」 やっぱり美しい陸蒸気。この動輪が急勾配で空転し、息も絶え絶えに客車を引いていた。 絞りf5.6、1/10秒、ISO 1250、露出補正-2.00。 |
| (文:亀山 哲郎) |
| 2022/11/11(金) |
| 第618回:晴れて鉄道博物館(8) |
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蒸気機関車のプロポーションを成す印象的なパーツは、何といってもあの大きな動輪や主連棒・連結棒(シリンダーの動力を、往復運動から回転運動に変えるためのロッド)にある。電気機関車や電車、そして新幹線などのそれとはそもそも動力伝達方式や形状が大きく異なり、あの大きく格好の良い動輪は見る者に対して特有な感情を呼び起こす。鉄道ファンでなくとも、蒸気機関車の動輪や主連棒・連結棒に魅せられる人はきっと多いのではなかろうかと思う。
そして、幼児言葉でいうところの「汽車ぽっぽ」や「シュシュポッポ」は、煙突から煙をもくもくと立ち上げ、シリンダーから蒸気を噴射し、象が腰を上げるような重々しいリズムで走り出す。「さぁ、行きまっせ〜!」(ここは関西言葉が最適)との、こんな堂々たる気概を直に示してくれるものは、蒸気機関車をおいて他に見当たらない。「汽車ぽっぽ」という言葉は、小柄の蒸気機関車か、原初の頃の、例えば前回の「弁慶号」などのまだ可愛さの残ったそれを想起させる。 大人の!?蒸気機関車は、この世で最も大きな音とも思える汽笛、というより勇壮な雄叫びを上げ、沿線の住民に如何なる遠慮会釈もなく、「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」とばかり、地響きを立て、煤をまき散らしながらの、堂々のお通りである。 あの姿を見ていると、「あんな生き方をしてみたいものだ」とか、それほど大胆でなくとも、小心者のぼくなどもう少し控え目に、「一度くらいはあのように振る舞ってみたいものだ。一度でいいからさぁ」との気にさせられる。 そしてまた、山々にこだまするあの汽笛は、まるで名手の吹き鳴らす管楽器のように美しく響き渡る。全身全霊、あらん限りの力を振り絞りながら驀進するあの様は、まさに感動的ですらある。鉄道ファンが、あの雄姿に群がるのは、然もありなんというところだ。 現代にあって、汽車の実際の活動は限定的だが、美しくも勇猛で、人間臭紛々としたあの佇まいを、いつまでも後世に残して欲しいと切に願うばかり。 我が倶楽部にも動輪中毒のご婦人(ぼくは彼女を「ドーリンM子」と命名)がおられることはすでに述べたが、ぼくとて、中学時代に与野駅や大宮駅の操車場で、何十輌も連結された貨車や客車が動き出す瞬間に、蒸気機関車の動輪が恐ろしい速さで空転するのを初めて目の当たりにした時の驚きは、今も鮮やかに脳裏にこびり付いている。ぼくが動輪に一方ならぬ想いを抱き、あの時がいわば「ドーリンの哲」になった瞬間でもあった。今から60年も昔のことである。 一緒にいた鉄道好きの学友とともに空転する動輪を見て、「ウォーッ!」と声を上げ、「今の見たかい! おれたち、すごいもの見ちゃったな!」と、顔を見合わせながらひどく興奮したものだ。予期せぬ御利益に動転した中学生のぼくらは、もちろん写真を撮るどころではなかったのだが、「逃がした魚は大きい」とは思わなかった。それどころではない驚愕だったのだ。 動輪の空転時間は、おそらく2〜3秒くらいのものではなかったかと思う。人生のなかの、その2,3秒が、ぼくの年輪の成り立ちに何らかの影響を及ぼしているのだと感じる。それは、生涯決して忘れ得ぬ瞬間でもあったのだ。 いやしくも写真屋となった今、空転する動輪をそれらしく撮ってみろといわれれば、かなりの用意周到さを必要とするだろうが、一度でそれを “らしく” 撮る自信はない。 ぼくは知らなかったのだが、東京駅の八重洲に「動輪の広場」というものがあって、そこに蒸気機関車として最後に製造されたC62形の動輪(動輪径はC57形と同様175cm)が3つ展示されているそうだ。その写真を、今や「同じ穴の狢(むじな)」である「ドーリンM子」がこれ見よがしに送ってくれた。M子も哲も善人であるので、ここでのこの諺引用は誤用か。 それはともかくも、C62形にまつわるぼくの思い入れは尽きぬものがあり、書き始めると取り留めのないことになってしまうので、今回は良識を示し、簡略に努めたい。第一、写真もないし。 最大、最強の蒸気機関車C62形が初めて製造されたのは、昭和23年(1948年)なので、ぼくと同年である。この大型蒸気機関車は世界最速の時速129キロを記録した韋駄天(いだてん。バラモン教の神。転じて、足の速い人)でもあった。 小学〜大学時代の、季節の休みには、母方の郷里である京都か、父の仕事場でもあった軽井沢のどちらかでぼくは過ごしていた。年に何度かは、C62形(東海道線)やアプト式電気機関車(横川ー軽井沢間の碓氷峠)のED40形のお世話になっていた。 8時間で、東京駅ー大阪駅間を走った特急「つばめ」と「はと」は、東海道本線全線電化(昭和31年。1956年)まで、C62形が牽引機を務めた。その後を継いだのがEF58形電気機関車だった。 残念ながら、さいたま市の「てっぱく」にぼくと同い年のC62形は置かれておらず、現存する5両のうち3両が京都鉄道博物館に保存(1両は動態保存)されているのは、何かの因果因縁かとぼくは勘ぐったりしている。京都は梅小路にも行かなくっちゃ。 https://www.amatias.com/bbs/30/618.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 C57形の動輪と主連棒。光沢の部分に色が塗られていない(ありがたい)ので、質感とともに刻印がしっかり見える。 絞りf7.1、1/15秒、ISO 10000、露出補正-1.00。 ★「02てっぱく」 C57形。こちらも刻印がたくさん見える。古い汽車は保存のためか、塗装されてしまっているので、リアリティに欠け、写真的にはあまり面白くない。 絞りf7.1、1/13秒、ISO 3200、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2022/11/04(金) |
| 第617回:晴れて鉄道博物館(7) |
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読者の方や本稿の担当氏から、ぼくの最後のお気に入りだった電気機関車であるEF58形が、先月30日より「てっぱく」にて、もう一両(61号)新たに常設展示されるとのご報告をいただいた。鉄道開業150周年の賜か。
「てっぱく」には、すでに同形の 89号が鎮座しており、ぼくはその雄姿を20数枚撮ったが、外観写真は1枚もものにならなかった。つまり、撮影の段階で何かが間違っているのだが、見逃したもの(原因)を今のところ発見できずにいる。 憧れた女性の写真をうまく撮れず、身の置き所を失い、体裁を繕いながら縮こまっている惨めな姿に似ている。「似ている」のであって、「重なって」いるわけではない。 余計な話はさておき、EF58形を撮った写真を検討するたびに、「おまえ、違うだろ。どこを見てる! なんでこんなにつまらぬアングルになってしまうのか。ファインダーを覗いた時に気がつきそうなものなのに。このスカタン!」と、振られた腹いせに20数回も声を尖らす。嗚呼、この自虐的な姿、みっともないったらありゃしない。 この悲痛な叫びは、確実にぼくの脆くなった老体を内攻し、サラミスライス戦略のように命を確実に削り取っていく。どれほどまで持ち堪えることができるだろうかと案じながらも、夢と憧れ多き鉄道博物館で、寿命を縮めるようでは、洒落にならぬ。「まったく様にならないよなぁ」と、9月初旬の訪問以来嘆くことしきり。ぼくにとって、「てっぱく」再訪は勇気の要ることと気がついた。 新たに展示されたEF58 61号は、1953年(昭和28年)に「お召し列車専用機」として製造され、2008年(平成20年)まで、現役として働いてきたとのことだ。「お召し列車」としての仕様に従って様々なものが仕立てられ、いつしか「ロイヤルエンジン」と呼ばれるようになったそうだ。 実物も、模型も、どうにも思い通りに撮れなかった、曰く因縁尽くのEF58形だが、ぼくはどうあってももう一度「てっぱく」に行く必要があるようだ。そうなると、すでに疎遠となっている鉄道に、根が好きなだけに、再び病を得るようなことになりかねない。武漢コロナにより中断している「 “年間パスポート” はまだか」と、その再開を心密かに願いつつ、そんな戯(ざ)れ言を吐いている。 しかし、ぼくの鉄道熱や知識などは、子供の頃に得たそれと何ら進展しておらず、本来あるべき鉄道ファンの足元にも及ばない。彼らにくらべれば、ぼくの知識などしれたものだ。 “本物の” 鉄道ファンの知識や熱は、まったくもって狂気の沙汰という他なし。畏敬の念さえ覚えるくらいだ。英語で、 “enthusiast” という言葉があるが、それに相当すると思える日本語が見つからない(熱狂者、熱中しているひと、愛好家などなど、いずれもぼくの感じるニュアンスとはちょっと違う)のだが、まさに彼らは “enthusiast” というに相応しい。熱心な鉄道ファンの話を聞くにつれ、「世の中にはたいしたひとがいるもんだ」と感心しきり。 最寄り駅の沿線(浦和駅から与野駅付近)や線路上の歩道橋に群がりカメラを構える子供たちやおっさんたちの姿を目の当たりにするにつけ、半狂乱(失礼!)であることの仕合わせを実感するのだ。そしてぼくは、走り来る車輌を撮ることの興味を、今やまったく持ち合わせていないことを知る。それは多分、その類の撮影に興味が失せたのではなく、車輌に感心を示さなくなったのだろう。そして、ごく一部であろう撮り鉄の、不躾で、無礼極まりない身勝手さを知るにつけ、ぼくの心は萎えていくのだ。 「てっぱく」には、ガラスや透明アクリルの類が多く(ここから写真の話に入る)、必然的にそこに何かが映り込んでくる。その映り込みを作画に利用するもよし、あるいはそれを取り除きたければ、偏光フィルター(PLフィルター)を用意すればいい。 ただし、「てっぱく」は悪霊に取り憑かれたかのように暗いので、光の量を減少させる偏光フィルターは、極めて分が悪い。露出でいえば、約1絞り半〜2絞り分変化するので、スローシャッターを用いるか、もしくはISO感度を上げるしか方法がない。絞りを開けるという方法もないわけではないが、それでは被写界深度が変化し、撮影時に描いたイメージが否応なく変化してしまうので、これは邪道ととらえるべし。 いずれにせよ、偏光フィルターは嵩も取らず、常時バッグに忍ばせておけば何かとお役立ちの安心ツールである。 反射の除去について、最も効果の期待できる角度は被写体の平面に対して斜め30〜40度であり、真正面からでは効果がない。フィルターを回転させることにより、映り込みの程度(濃淡)が変化するので、程良いところを選べばいい。 一眼レフ以外のカメラで使用する時は、ファインダーでは効果が確認できないので、フィルターを目の前で回転させ、イメージに合ったところをレンズにかざせばよい。なお、スマホではモニターで確認でき、使うことは可能ではあるが、不器用なひとは落とす可能性があるので、お勧めしない。また、偏光フィルターは経年変化し、メーカーによると、通常の使用状態、保存状態で7年前後だそうだ。 偏光フィルターを購入した我が倶楽部のご婦人曰く、「このフィルターって何回シャッター切るまで使えるの?」。「偏光フィルターが、シャッター回数を数えてくれるんかい!」とぼく。身近にもぼくの心身を蝕むようなことを平然というひとがいる。「てっぱく」だけでも、一杯一杯なのに。 https://www.amatias.com/bbs/30/617.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 弁慶号(7100形)。1880年(明治13年)、北海道の官営幌内鉄道の開業にあたり、アメリカより輸入された。 絞りf5.6、1/8秒、ISO 400、露出補正-1.33。 ★「02てっぱく」 日本に現存する唯一のマレー式機関車(スイスの技術者アナトール・マレーに因む)の9850形。製造1912年(大正2年。ドイツより輸入)。牽引力に優れ、曲線を通過しやすくした「関節式台枠」を採用。 絞りf6.3、1/15秒、ISO 3200、露出補正-1.33。 |
| (文:亀山 哲郎) |
| 2022/10/28(金) |
| 第616回:晴れて鉄道博物館(6) |
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60年来の友人が危うく轢かれそうになったという電気機関車EF58形(1946−1958年までに172両が生産され、1980年代に営業運転から撤退)は、ぼくが憧れた最後の車輌だった。そして、この車輌は電気機関車としては、今までのデッキ付きを廃し、流線型を採用した最初のもの(異形のEF55形を除く。今回の掲載写真)だった。すでに記述したが、EF58形が地元の路線から姿を消した頃、ぼくは鉄道への興味を失い、そしてそこから遠ざかっていった。
ぼくの最もお気に入りの電気機関車(ぼくらの子供時代には、子供も大人も “デンカン” と称した。省略言葉を極力嫌うぼくは、小学校の時から、 “デンカン” という嫌な語感に大きな抵抗感を持っていたので、使用したことはない)は、EF53形(1932−1934年に19両が生産)で、大きなデッキ付きの、そしてリベットで身を固めた、これ以上にない実に格好のいいデンカンだった。 これを撮りたいがために、ぼくは中学校に隣接した新潟鉄工所の際で、カメラをぶら下げて線路脇を走り回っていたのだが、ドジな友人と異なり、危ない目に遭ったことは一度もなかった。いわば、場をわきまえた、正しい元祖撮り鉄だったのである。今から60年ほど前の話だ。その時に撮ったフィルムやプリントはおそらくどこかへ消失し(もしかすると、家捜しをすればあるかも知れない)、残念ながら手許にないことが悔やまれる。ぼくも、他人のことはいえず、やはりドジな奴なのかも。 デッキ付きの、この格好いいEF53形は、現在群馬県の「碓氷鉄道文化むら」と広島車輌所(こちらはカットボディ)に静態保存されており、2018年に世界遺産の富岡製糸場(ぼくの希望を適えてくれなかった珍しい世界遺産)を訪問したついでに、「碓氷鉄道文化むら」のある横川駅に足を伸ばし、EF53形にお目にかかるつもりだったのだが、連れが何人かいて、碓氷第三橋梁、通称めがね橋(重要文化財)やアプト式鉄道跡(ぼくは少年期から青年期にかけてここを何十回も往復している。現在、線路が取り払われた部分は遊歩道になっている)を先に訪れ、そこで時間を取られてしまい、「碓氷鉄道文化むら」の営業時間に間に合わなかった。 二度と行くことのない富岡製糸場で費やした時間をどれほど恨めしくも腹立たしいと思ったことか。富岡の街のほうが、ずっとフォトジェニックなものを発見できるだろう。少なくとも、ぼくはそう感じた。今、当時の恨み辛みを並べ立てているが、ぼくはEF53形を撮り逃したことが、痛恨の極みなのだ。 今回の「てっぱく」訪問をきっかけに、眠っていた子を叩き起こされたぼくは、もう一度、どうしてもEF53形にお目通り願いたく、来年にでも機を見て「碓氷鉄道文化むら」を訪れたいと思っている。 さて、EF58形にまつわるぼくの写真的大失敗談を述べると前々回で述べたにも関わらず、前回にて書き損じたので、今回改めて述べる。写真の基本として大切なことなので、恥をものともせず、しかと綴っておく。 今ここで、ぼくのかつての鉄道模型熱について述べると、何ページあっても足りそうもないので、それは後回しにして、まず「ギャーッ!」という話を。写真の話だかんね! 多くの気の良い大人たちを言葉巧みにたぶらかし、ぼくは中学2年時に、発売されたばかりの、憧れのEF58形電気機関車の模型(HOゲージ。Oゲージの半分の縮尺)キットを手に入れた。それは多くの部品を組み立てる真鍮製のキットで、極めて精度の高いものだった。子供の小遣い程度ではなかなか手にできぬもので、当時、既製品はまだ発売されていなかった。 それ故、黄色いテカテカの、真鍮むき出しの模型は、それぞれがエナメルで好きな色に塗れと仕様書に記してあった。ぼくは色を塗る前に、出来上がったその雄姿を先ず写真に収めるべく、買って間もないキヤノネット(第613回参照)で、本棚の上に飾ったEF58を線路に乗せ、正面から30度ほど斜めに置き、真横のアングルから、三脚を使い撮った。当時ぼくには、同じ物を何枚も撮るという知恵も習慣もなかった。写真は1枚撮ればすべてよしと考えていたし、フィルムの値段も馬鹿にできなかった。 撮影後、ぼくは胸を躍らせ、近所にあった信頼すべき写真店にネオパンSS(フジフィルム製ISO100のモノクロームフィルム)を持ち込んだ。歩いて7,8分の距離にあるその写真店まで、下駄履きで突っ走って行ったことを覚えている。 ぼくは精一杯張込み、カビネサイズ(120 x165mm。当時は65 x 90mmの大名刺サイズが一般的だった)にしてもらい、プリントされたEF58の写真を見て、まさに驚天動地の大混乱。ピントを合わせたEF58の顔以外は、すべてボケボケで、「なんだ、これは!」と、気を失いそうになった。機関車の末端部分までしっかりと写ることを頭に描いていたので、まったくそうでない写真の出来映えにぼくはすっかり落胆し、狼狽え、その日の夕食が喉を通らなかったことを今でもよく覚えている。 翌日は日曜日だったことも覚えている。よほどの衝撃だったに違いない。ひとは生涯に、決して忘れ去ることのない出来事をいくつか経験する。この味わいもそのうちのひとつだ。 ぼくは意を決し、父に写真を見せ、「と〜ちゃん、なしてこぎゃんなっちしもうたっちゃろう? 教えてちゃ」と泣きついた。 父は、中学生のぼくに嚼んで含めるように、丁寧に、しかし難しい日本語遣いで、そして不器用な標準語の発音で、赤子を諭すような調子で教えてくれた。ぼくはこの時、初めての写真用語「被写界深度」というものに出会い、それが何たるかを学んだ。キヤノネットはシャッター優先AEで、しかも室内撮影。レンズ開放値はF1.9。三脚を使ったとはいえ、カメラはきっとf1.9 を指示したのではないだろうか? 60年後の今、人様の写真を見て、「ドジ、マヌケ、スカタン」を連呼するぼく。父は東京大学やケンブリッジ大学でインド哲学の教鞭を執ったことがあるが、ぼくが人様に何かを伝えるのは、知識の問題ではなく、人格としてまったく不具合で、相応しくないということだ。そんな人間が、しかつめらしくも(まじめくさって、堅苦しい感じ。如何にも道理に適っている様子)、616回も回を重ねているのだ。なんか、おかしいね。 https://www.amatias.com/bbs/30/616.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 文中にある「異形のEF55」(1936年に3両制作)。北浦和駅の開かずの踏切でこれに初めて遭遇した時の形容し難いほどの違和感。「なんじゃ、このカッコウは。カッコワル!」。今は、ただただ懐かしい。天井ライトの写り込みと背景の映写スクリーンを意識して。 絞りf6.3、1/15秒、ISO 2500、露出補正-0.67。 ★「02てっぱく」 同EF55の横腹。双方とも、現像方法の一種である、いわゆる「銀残し」(Bleach Bypass)を撮影時にイメージ。 絞りf7.1、1/15秒、ISO 3200、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山 哲郎) |
| 2022/10/21(金) |
| 第615回:晴れて鉄道博物館(5) |
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いつまで「てっぱく」の話を続けるのか、書いているぼく本人もよく分からない。根が単純そのものであり、しかも楽天的でもあり、 “出たとこ勝負” を生きることの旨としているので、だからぼくは愉しくもおめでたいのだ。それをして、他人はぼくを無責任とか無軌道な奴などとおっしゃるが、然に非ず、父の口癖であった「人生は取り敢えず」に痛く共感し、それに従って生きてきた。それはぼくにとってまことに好都合な、しかも大切な教えでもあり、物の真理であると感じている。こんな心強い味方は他にあろうはずがない。なにしろ「真理」なのだから。
あらかじめ人生の設計図を描き、敷かれた規定通りの線路の上を自制を利かせ転がっていくなんて、退屈で窮屈の極みではないか。不如意に出くわさないよう、安全な規定(線路)に自己を囲い、外れることなく身を縛るのは、少なくとも物づくり屋の精神にはまったく合わない。百人百様の生き方を極力尊重するが、ぼくには “出たとこ勝負” が生きやすく、似合っているということなのだろう。 ぼくは父の言葉を座右の銘とし、その教えに従順であろうと努めているに過ぎない。そんなぼくを不料簡と罵る輩は、「人生は取り敢えず」という哲学の奥義や、仏の教えなどに、まさに “縁なき衆生は度し難し” といったところだ。 「てっぱく」には4時間の滞在ながらも、ぼくは童心に返り、そして無我夢中となり、子供時分に鉄道に関連した様々な事柄について教えてくれた人々の姿が(主に父と叔父や中学時代の学友。当時は秋葉原の「交通博物館」が学習の主だった場であり、そこに足しげく通ったものだ)、シャッターを切る度に、走馬灯のように、次から次へと浮かび上がっては消えていった。 と同時に、ぼくから鉄道の趣味を奪った元凶はどこにあるのだろうかと、その犯人捜しにも躍起になっていた。もちろん、ぼくの心のなかで犯人はとっくに御用となっているのだが、その確証探しを「てっぱく」で写真を撮りながらしていた。ぼくは忙しかったのだ。 「やっぱり犯人はお前たちか! 直ちにここから去れ!」と、憤懣遣る方なく独りごちた。ここで、犯人を槍玉に挙げるような恨めしいことはしないが、ぼくの鉄道離れは、懐古主義によるものではなく、自分にとって「何が美しいか」の一点に集約される。それが唯一の指標である。 坊主は、「とーちゃんは、かつての鉄道を懐かしんでいるのであり、今の子供たちは気の毒だとの見方は間違っている」と指摘する。坊主の言い分の3分の1くらいは素直に認めても良いが、「てっぱく」で、子供や若者に人気のあるものは、ぼくが鉄道好きから遠のく以前のものであるように見受けられる。ぼくの、彼らに対する刑事のような目配りは鋭く、犯人を多角的に捜そうとしていた。勝手な能書きはこのくらいにして、前号からの続きね。 ISO感度を上げることによる弊害は、ざっくりいえば画質の劣化に尽きるのだが、特に昨今はAI(人工知能)の進化により、優れた画像ソフトを使用することでかなり防ぐことができるようになった。もちろん、カメラも進化を遂げている。今さら、遅ればせながらの感ありといったところだが、なにしろ化石写真屋なのだから、大目に見てもらいたい。 とはいえ、商売人は高感度ISOをむやみに使うことなど恐くてできないというのが、生真面目で正しい写真屋のあるべき姿であり、本音でもある。であるがゆえに、ぼくが時代遅れの写真屋というのはちょいと的外れであると、こっそりとくぐもった声でいっておきたい。 それはともかくも、撮影時は、RawもしくはJpegでの撮影が一般的であると思われるが、高感度撮影による目障りなノイズ(輝度ノイズとカラーノイズ)を、画像ソフトは最新の技術をもって緩和しようと努めてくれる。 画像ソフトにあるノイズリダクションを使用し、輝度ノイズ(ざらつき)とカラーノイズ(RGBの気持ちの悪い斑点模様)を、調整バーを動かしながら軽減させていくのだが、この度合いが過ぎると画像は途端に解像感を失っていく。この画像の質感を敢えて表現するのであれば、「どこかプラスティック的な、質感に乏しいのっぺりとした感じ」とでもいっておこうか。 ノイズリダクションをどの程度かけるかとの “頃合い” を見計ることは経験と感覚に頼るほかないのだが、大事なことはその画像がどのような状態で鑑賞されるのかということにある。そして、ぼくは補整途中に、シャープネスはかけない。ノイズとともに画質劣化の元凶でもあるシャープネスは、補整の最後にかけるのが、画像補整の正しいありようだと信じている。シャープネスのかけ方は、非常な慎重さを要し、しかもあまりにも多岐にわたるのでここでは言及しない。 昨今は、従来とは多少様相が異なり、印画紙ばかりでなく、モニターで鑑賞される機会が多くなった。これは、撮影者にとって大ごとであり、まことに由々しきことらしい。 “らしい” などと、ぼくはまるで他人事のようだが、それにはまったく頓着していないからだ。だが、観賞される写真の大きさは鑑賞者次第なんて、一昔前には考えられぬことだった。この容易ならぬ事態はしかし、個人の使用状況や感覚による差異で大きく考え方が変わってくる。だから、ぼくはその恐さを認識しつつも、頓着しないのだろう。しても仕方のないことだ。 また、ノイズ如きはプリントの大きさ(拡大率)により、見え方は順次変化するので、やはり “頃合い” を見計る感覚を磨くことが、ノイズ除去の技術とともに必要となってくる。 第612回で掲載したISO25600の写真は、RawデータをDxO PhotoLab5のノイズリダクションを用い現像し、細部をPhotoshopで仕上げ、さらにNik社のDfine2(これもノイズリダクション)に渡している。つまり、二重がけである。その画像にシャープネスをかけ、A2プリントに引き伸ばすとどうなるかの実際を試みたが、ノイズはまったく気にならぬほどに押さえられていたことをご報告しておきたい。 https://www.amatias.com/bbs/30/615.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 我が倶楽部には、蒸気機関車の動輪中毒のご婦人がいらっしゃる。「てっぱく年間パスポート」をいつも懐に忍ばせているあのひとである。このような掲載写真を現像する時にぼくが留意し、着目することは、その質感描写である。だが、その気持ちが強すぎると、ギトギトの写真になり、品位を下げてしまうので、要注意。これが、ぼくの限度だ。 絞りf4.0、1/30秒、ISO 2000、露出補正-2.00。 ★「02てっぱく」 モノクロ写真に調色を施し、イメージ した通りの写真となった。写真の生命感はこちらのほうが上。 絞りf4.0、1/15秒、ISO 1600、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山 哲郎) |
| 2022/10/14(金) |
| 第614回:晴れて鉄道博物館(4) |
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60年来の友人が、ひと月に1度の割合で、約1時間半という長旅にめげることなく、いそいそと我が家に遊びにやってくる。いくら仲が良くてもぼくには到底できぬ仕業であり、何かに思い詰めたようなその精勤さは、一種の技芸を思わせるくらいだ。
来宅早々、息を整える間もなく、「かめさんも、あの新潟鉄工所(前号にて言及)に隣接した線路脇で遊んでいたんだね。危ない思いをしなかった?」と、同じ中学の4年後輩にあたる彼は当時を懐かしむように目を輝かせながら問いかけてきた。 そして、「ぼくはさ、あそこでEF58に危うく轢かれそうになって、ホントに “命からがら” 爆走してくるEF58を除けたんだ。恐ろしいほどの汽笛を鳴らしながら迫ってきて、急停車する列車を尻目に、あそこから遁走したんだよ。ついでに、罪悪感もぼくの跡を追ってきた。それ以来、あそこで遊ぶことはしなくなったけれど」と続けた。 列車に轢かれかかったことにはそれほど感情を動かされなかったが、ぼくにとっての驚きは、彼の口から「EF58」という具体的な電気機関車の名称が突如吐かれたことと、彼が「鉄道大好き人間」であったこと。それに加え、60年間親しく付き合ってきたのに、お互いが「鉄道好き」であることをまったく知らなかったこと。そして、ぼくの拙よもやま話を、彼はまるで世捨て人が人目を憚るように、素知らぬ顔をして読んでいたというこわ〜い事実。しかし、そんな様子を彼はおくびにも出さなかった。う〜ん、やっぱりこわ〜い。 ぼくは友人知人に極力拙話の存在を知られぬように努めてきたのだが、非常に身近な友人がこっそり、しかも長年にわたり読んでいたという事実を知り、それはぼくを震撼たらしめるものがあった。ネットとは、顔の見えぬ隣人の如くであり、まことに気味の悪いものだ。 ここに述べた「EF58」については、第612回の掲載写真の説明に、「EF58が地元の路線から姿を消すとともに、鉄道ファンから身を引いた」と紹介しているが、この列車に関する写真的な思い出(無知による失敗談)は、撮影についての大切な事柄なので、恥を忍びつつも、次号あたりで触れようと思っている。今、それについて述べると、またもや宿題を放り出すことになってしまうので、取り敢えず、難しい問題「暗所での撮影」について、お伝えするのが先決だ。 暗所での撮影に最も心強い味方は、誰が何といっても(誰も何ともいってないが)三脚を使うことにある。それに異論を挟むひとはいないだろう。写真を撮るにあたって、これほど力強い味方は他にないことは衆目の一致するところだ。これさえあれば、まさに “恐いものなし” である。しかし、何事に於いてもメリットとデメリットが共存するのだから、ここに誰もが頭を痛める。ご都合主義的人間は、何が何でもデメリットにばかり肩入れし、強調したがる。曰く「だって重いんだもん」。とにかく楽をすることばかり目論んでいる。 どこかの写真倶楽部の指導者は、私的写真に三脚を持ち出すことは滅多にないので(仕事では9割方使用するらしい)、生徒たちはそれでいいものだと大いなる勘違いをしている。とんでもない横着者の集団である。それでいて、「てっぱくでは、三脚が使えないしぃ〜」などと、平然としながら、あたかも恨み言のようにいう。さもしいったらありゃしない。 ぼくは、呆れを通り越して、おもむろに「後頭部、しばいたろか!」と関西言葉でいい、それでも飽き足らず「後頭部ば、張り倒しゅぞ!」と博多弁を追加して、彼らの、まるで際物師のような立ち居振る舞いに、ここを先途とそのご都合主義をなじる。それらの罵声を、だがしかし、ぼくは口に出すことができず、心のなかで叫ぶので、畢竟彼らに届くことはない。ぼくには猛烈なストレスだけが残る。そのたんびにぼくの心身は蝕まれていく。 写真を損じる大きな要因は今まで何度も述べたように、「ブレ」と「ピンボケ」と「露出」だ。これはあくまで、計算のできる人間と、それに対応できるカメラの世界での話である。したがって、すべてが自動で操れるカメラについての言及ではない。 三脚なしで「ブレ」を防ぐには、より早いシャッター速度を用いなければならないが、そのためには絞りを開けるか、ISOを上げるしかない。「三脚を使えばブレないわけではない。三脚を頭から信用してはいけない」と、随分昔の拙稿で述べた覚えがある。三脚の代わりに、ISO感度を上げるというのは、横着事始めだが、もっともな論理である。 今さら、ぼくがみなさんにブレ防止の方策をお話しするのも気が引けるのだが、ざっかけなくいえば、撮影の三種の神器である「f 値、シャッター速度、ISO」を適切に使いこなせば事足りるということに尽きる。ここでいう「適切」とは、「撮影者の描いたイメージを、できるだけ画質を劣化させずに、正確にイメージセンサーに転写できるような設定」のことで、「使用機材を使いこなす」という意味でもある。 三脚を使えず、しかも暗所であれば、「ISO感度を上げれば良い」の答は、まったく正しい。1カット毎に感度を変えることができるという離れ業を演じることのできるデジタルは、大変便利で有用なものだと認めるが、感度を上げれば上げるほど、ノイズが発生し、画像を汚すという結果をもたらす。「あちらを立てればこちらが立たず」という具合だ。便利さには、悪魔が宿るという訳だ。 何年かぶりに新調したカメラは、常用感度が100〜102400と、ぼくには信じられぬほどのばかばかしさなのだが(102400は、まだテストさえしたことがない)、少なくとも「てっぱく」の EF58の運転席(第612回で掲載)の写真はISO25600を使用しており、それはぼくの生涯最高感度記録達成の瞬間でもあったが、しかしながら、画質の劣化は優れた画像ソフトを使いこなすことで、低感度ISOとほとんど遜色のない画質を提供してくれた。 「なんてこった。こんなことがあっていいものだろうか?」と、化石写真屋のぼくは首を傾げながら、未だに信じ難い思いでいる。最新の画像ソフトもまた、優れた技芸を見せてくれた。またしても、この話、次号に持ち越しだ。 https://www.amatias.com/bbs/30/614.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 新幹線E5系。子供の頃には、考えられぬプロポーションだ。まるで潜水艦か飛行機か魚雷かあひるの如くである。地上を320km/hで走るには、こんな恰好が必要なのか? 絞りf6.3、1/25秒、ISO 100、露出補正ノーマル。 ★「02てっぱく」 同じくE5系の横っ腹をグラフィックに描いてみた。2例とも、超広角レンズでしか描けぬ世界。 絞りf5.0、1/100秒、ISO 400、露出補正-0.33。 |
| (文:亀山哲郎) |
| 2022/10/07(金) |
| 第613回:晴れて鉄道博物館(3) |
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小学4年時からカメラをぶら下げていたぼくは、やがて中学生となり(当時、浦和市立常盤中学に通っていた。現在は “さいたま市立” となっている)鉄道写真に目覚めた。校舎の東側には新潟鉄工所の広い敷地に陸上競技用の400mトラックがあり、ぼくら生徒は運動会が近づくと、自由に出入りできたそこでいつも練習をしていたものだ。
そのトラックに隣接して東北線と京浜東北線が走っていた。時折通る蒸気機関車は、あの香ばしい煙の香りや迷惑な煤、悩み事や憂さを一気に吐き出そうとするような勇壮な汽笛を響かせながら、すぐそばをかすめるように通り過ぎ、ぼくはすっかりその姿に魅せられたものだった。 北浦和駅の横には、通称「開かずの踏切」があり、開くのを待つ多くの人や自転車でごった返していたが、目の前を通過する電気機関車や蒸気機関車を至近距離で、しかも誰からもお咎めを受けずに鑑賞できるのだから、周囲の人々のうんざり顔を尻目に、ぼくは退屈したり、イライラすることは少しもなかった。根っからの、鉄道好きだったのである。 新潟鉄工所に隣接した線路は、今と違い、当時は「立ち入るべからず」という好奇心旺盛な少年にとってこれ以上にないほど鬱陶しく、また悪霊のような柵などが設けられておらず、自由に線路内に立ち入ることができた。列車が通過した直後に、レールに耳を当て、遠のいて行くレールの継ぎ目の音を味わったものだ。 とはいえ、鉄道関係者に見つかれば、直ちに追い出されたであろうことは言を俟(ま)たないが、向学心に富んだ少年にとって、それは何事にも寛容な良き時代の賜物であり、大いなる恵みに与ったといってもよいのではないかと思う。良い分け前を、何の衒(てら)いもなくいただくことができた時代だったのだ。 鉄道好きの少年はクラスのなかに何人かいたものだが、「あれもダメ、これもダメ」という窮屈な現在とは異なり、当時は誰もが鉄道世界の自由で豊かな空気を満喫できたものだ。危険を顧みつつも、やはり自由だったのである。 今の写真少年や大人の好事家は、あのもっともらしく、憎々しい柵や金網越しに鉄道の世界を覗かざるを得ないわけで、時代とはいえ、大らかな当時を知る者には、少々気の毒にさえ感じる。いや、鉄道に群れる昨今の、あの光景を見るにつけ、なんだか痛々しささえ覚える。 このようなことをいうと、白髪のジジィを指差し呼称しながら、「年寄りの繰り言」などと必ず茶々を入れてくるひとがいる。斯くいうひとは、頭が老化し、ついでに硬直化し、洞察力が腐乱し、悪臭を放っていることに気づきもせずにいるのだから、不憫そのものだ。ぼくは昔を懐かしんでいるわけではない。 しかし、いつの時代にも決まった割合で、鉄道に魅せられた正しい少年がいるものだ。それは今も昔も変わらないのだろうと思う。 好きな鉄道車両や走る雄姿をカメラに収めたいというのはごく自然な欲求であるのだが、あの頃は、今とは異なり、どこの家庭にでもカメラがあるという時代ではなかった。幸運な者は、カメラを誰かから借用できたり、もしくは親をたぶらかし、買ってもらうことにあの手この手を使うことが許された。それは、どちらかといえば、こまっしゃくれた、あまり質の良くない少年であるのだが、ぼくは後者のほうだったと小声でいっておく。 カメラを持っている少年(大人も)は少数派であるがために、“撮り鉄”などというどこか浅薄で陰険な言葉が当時はまだ徘徊していなかった。写真的欲求に関してマセガキだったぼくは、小学生の時に買ってもらったフジペットでは走り迫る車輌を捕まえるには役不足だと気がつき、写真好きの父の横顔をチラチラ窺い、タイミングを見計らいながら、ついに勇気を振り絞って、「とーちゃん、ぼく、カメラが欲しいんだけど」と、恐る恐るいってのけた。この段階で、ぼくはまだ “おねだり” などというはしたないことはしていないとの屁理屈をこねながらも、もう次なる機種を決めていた。油断のならないガキだった。 親父が定期的に講読していた写真雑誌を盗み読んでいたぼくは、キヤノンから発売予定のキヤノネット(1961年1月発売。レンズシャッター式の中級35mmカメラで、18,800円と例外的に安価だった。1週間分の台数がわずか2時間で完売されたという快記録が残されている。ご興味のある方は、以下にURLを貼っておきますので、ご参照のほど)に目を付け、発売前に父の承諾を得る必要があった。 https://global.canon/ja/c-museum/product/film41.html 欲しいと思ったら、「居ても立っても居られない」というぼくの厄介な稟性は、世間に対する少しばかりの見識と父への遠慮を木っ端微塵に打ち砕いた。「遠慮などしていられない」との心持ちは、得体の知れない父への仕返しのような快感をもたらした。ぼくは、キヤノネットを手にできる確信を勝手に得ていた。 勘の鋭い父は、ぼくの要望に対する心理をとっくにお見通しであるかのように、あっけらかんと、「そうか、そうか。では、浦和のxx写真店にこれから行くとするか」と、和服の袖に、実に無造作な仕草で財布を仕舞い込んだ。ぼくの快感は一気に吹き飛ばされた。ぼくより、父のほうが颯爽として若々しく、意気軒昂たる壮年の、39歳の男だった。 あれあれっ、前号で約束したことをすっかり反故にし、思いつくままの無責任ぶりを演じてしまった。キヤノネットの話を父に切り出す時の、心理描写を書こうとしたのだが、それはとんでもない長文となることが分かったので、思い止まったまではよかったのだが、予想もしなかった事柄を並べ立ててしまい、やはりこれが、いわゆる「年寄りの繰り言」なのか? 先日、高齢者運転免許証更新のための認知機能検査を受け、完璧に近い優秀なる成績だった。今回こうなってしまったのは、意図的なボケなのか。やはり今も個我一点張りのガキみたいだ。な〜にが「晴れて、てっぱく」だよ。 https://www.amatias.com/bbs/30/613.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4L IS USM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。 ★「01てっぱく」 ストーブ列車。20年以上前、吹雪の青森は五所川原駅に停車していたストーブ列車を覗いたことがあるが、実際にぼくは乗ったことがない。屋根と内装は木製。 絞りf6.3、1/15秒、ISO 3200、露出補正-1.00。 ★「02てっぱく」 1号機関車(1871年製。イギリスから輸入)の運転席。重要文化財。ガラス越しに見ているので、写り込みの面白いアングルを探した。 絞りf5.6、1/15秒、ISO 3200、露出補正-0.77。 |
| (文:亀山 哲郎) |
| 2022/09/30(金) |
| 第612回:晴れて鉄道博物館(2) |
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秋分の日の連休により連載が一週空いてしまったので、最近つとに、都合に合わせて物忘れのひどいふりをしたがるぼくは、とんちんかんなことを書かないよう、「前回は何を書いたんだろう」と、取り敢えず読み返してみた。
「てっぱく」についての過去からの深い思い入れについて、くどくどと書いていたくせに、それも忘れがちになるという徒(ただ)ならぬ茶人ぶりをぼくは時折り演じてしまう。心持ちの良くないひとたちに認知機能をからかわれないよう、しっかり確認しておく必要があった。 しかし、前号には臆面もなく、今回は「 “暗さの克服のための方策” について」このぼくが書くようなことが記されている。今ぼくは、まるで他人事のようにいっている。こんな難しいことについての約束などしなければよかったと後悔もしている。かなりの経験者のなかには、「そんなことは、簡単なことじゃないか」と思われる方もきっと、いや絶対におられるだろうが、この課題はそんな容易なもんじゃないんですね。甘く見てはいけない。 これについては、実のところかなり複雑多岐にわたって言及しなければならず、それは書くほうも、読むほうも退屈至極という事態になりかねないので、取り急ぎ肝要な部分を抜き出すことに専念してみようと思う。別に、逃げを打っているわけではない。 そうはいいつつ、ぼくの筆力では1回の文字量で消化できないとの恐れがある。ましてや、余計なことばかり書きたがる悪癖に50年近くも取り憑かれているので、なおさらである。そしてまた、ぼくは、容易に屁理屈の化身となるから、自分で身を持て余す。これでも、なかなか大変なのだ。 「写真は引き算。何を写すかではなく、何を写さないかが肝心」と確信をもっていうくせに、ぼくの場合「文章は足し算」になってしまう。だから、ぼくの、書くことに対しての素人芸は、「下手の横好き」とか「下手の考え休むに似たり」とか「下手の長談義」とか、それはまことにもって正しく、そしてまた前述した例のひとたちからは、散々ないわれようをする。だが、このいわれようは愉快そのものだ。いつ、どこの、誰がいっているのか知らないが、ぼくはそれをしかし、意地を通り越して潔く素直に認めることにしている。そのほうが、ずっと賢くも生きやすいからだ。 編集時代と写真屋を通して、多くの、いわゆる名匠や名人と接してきたと、前々回に述べたばかりだが、ぼくは彼らの言葉から、「知る者は博(ひろ)からず」という老子の言葉を思い起こした。この格言を我流に解釈すれば、「物事や現象を深く理解しているひとは、自分の知識や技術を惜しむようなことはしないが、やたらに軽々しく喋らないものであり、反対に何でも知っている人の知識や経験は浅いものである」ということに尽きる。 ぼくは博学の士には到底達しておらず、したがって、素人の作法を踏襲しても許されるのではないかと考えている。「言葉足らず」を異様に恐れるから、どうあっても素人の域を出られないのだ。 さて、「てっぱく」のありがたいところは、個人で写真を愉しむ限りに於いておおっぴらに写真を撮れることである。それは鉄道好きや写真好きにとって何ともありがたく、撮影の意欲をさらに掻き立ててくれる。 「てっぱく」では、当然のことながら、三脚や一脚( “自撮り棒” などという小賢しくも不細工で低俗の極みのようなものも)は、一切禁じ手である。誰に何といわれようと、自撮り棒は “低俗の極み” との考えを、ぼくはまったく変えるつもりはないが、冥途の土産に自撮り棒の一本でも買って、アホ面を晒すのも酔狂かとの思いが「てっぱく」で頭をよぎった。ありし日の、ぼくの姿を撮ってくれる人が誰もいないという寂しい現象に、柄にもなく、しんみりしてしまったのである。 それはさておき、この “禁じ手” が、「てっぱく」での撮影を、ありがたくも、ことのほか難しいものにしている。ちゃっかり抜け駆けをして、「てっぱく」に足を向けた我が倶楽部の面々が言い訳のように決まって宣う科白が、「暗くてねぇ」というものだった。このありがたさに、気がついていない。三脚を使えないその代わりに頭を使うのだ。亡父の口癖、「頭は生きているうちに使え」。 「暗い」ことのありがたさを列挙してみると、まずカメラブレという写真の天敵が喜び勇み眼前に躍り出て、そして迫り来るのである。ブレに怖じ気づかないひとは、もう写真など止め、行李(こうり。竹や柳で編んだ荷物入れ)をまとめて、郷に帰ったほうがいい。 かといって、カメラブレを防ごうと、血の滴るような修練を積むことを面倒がる人も、やはり「てっぱく」には行かないほうが仕合わせというものだ。 やたら高感度ISOを使えば事足りると安易に考える人も、「てっぱく」には、また「写真」にも、無縁だと知るべきだ。 「f 値、シャッター速度、ISO」を、撮影の「三位一体」とか「三種の神器」とか「三つ巴」などと、いうかどうかは知らないが、密接に関係し、その間柄を機能的に、適切に処決しなければ、「てっぱく」での写真は成り立たない。 被写界深度を得るために、f 値をどの位絞り込むか? これは、シャッター速度とISOに連動しているので、まことに頭が痛い。この痛さを、心地良いものに還元しようという心意気に乏しい人もまたやはり、荷物をまとめて、里帰りをしたほうがいい。 こんなことばかりいっていると、英国の超二流推理作家A. Cの作品『そして誰もいなくなった』になりかねず、このままでは、ぼくは認知機能障害の、心持ちの悪い写真屋に仕立て上げられてしまう。来週は、そこに配慮しつつ、改めてしっかり述べたいと考えている。 https://www.amatias.com/bbs/30/612.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF24-105mm F4L IS USM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』。同じ写真をモノクロ(調色)とカラーに。ぼくはモノクロのほうがしっくりする。 ★「01てっぱくB&W」 EF58型電気機関車の運転席をガラス越しに。ぼくはこのEF58が地元の路線から姿を消すとともに、鉄道ファンから身を引いた。窓から入る光の質感を重視し、露出を決める。外光は2枚のガラスを通ってぼくの目に入っている。 絞りf7.1、1/60秒、ISO 25600、露出補正+0.33。 ★「02てっぱくColor」 撮影時のイメージはモノクロだったのだが、光線の感じはカラーのほうが、生々しい。データは、同上。 |
| (文:亀山 哲郎) |
| 2022/09/16(金) |
| 第611回:晴れて鉄道博物館(1) |
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先週の金曜日に、やっとかねてよりの念願がかなって(少し大仰か)、大宮の鉄道博物館こと「てっぱく」に行ってきた。かねてよりの、といってもここが開館したのは2007年のことだから、取り立ててというほどのことではなく、のんびり屋のぼくにとって15年前というのは 、悔しいかな、もうこの歳になればこその、 “ついこの間のこと” なのだ。
また、「念願がかなって」とはいうものの、長年待ちわび、恋い焦がれていたというような性質のものではなく、「かつての “撮り鉄” として(ぼくが鉄道写真に執心だった小・中学生時代は、まだそんな薄っぺらで、軽佻な言葉は製造されていなかった)、かつての沽券を保つために、そのうちに行っておかなければなぁ」との程度だった。 だがそこに行けば、鉄道車両に対して抱いていた憧れや畏敬の念が、マグマのように今も色褪せることなく赤々と吹き上がり(これも少し大仰か)、ぼくはそこで時の経つのも忘れ、カメラを振り回し、そして再訪を期すことくらいは、己を知るぼくには、すでに分かりきったことだった。 老体を引きずる身とはいえ、鉄道はやはり今も昔も “心ある” 男の子のロマン(昨今は婦女子の鉄道ファンも、男ほどではないがおられるようだ)として、多大な生命力と夢を与え続けている。ただぼくは現在、昔抱いていたような興味と熱はなく、その理由は機会があれば、あるいはこのシリーズで余力があれば、触れたいと思っている。 「てっぱく」に興味は大いにあるのだが、元来のものぐさが物をいい、なかなか重い腰を上げられずにいた。その大きな要因は、「もし、期待通りでなかったら、その絶望感に耐える自信がなく、自暴自棄になるより他なしとなる。ぼくは途方に暮れながらも、その喪失感によりふて腐れ、博物館内で多情多恨のために狼藉を働くに違いない。 昔、亡父や若くして亡くなった叔父貴に連れられ、幾度となく通った、秋葉原は万世橋にあったてっぱくの前身である『交通博物館』に於ける夢のような時間と、懐かしさに咽ぶような、遠くありながらも、あの確かな記憶だけはどうしても奪われるに忍びない。あの時の思い出は、ぼくの子供時分の宝でもあり、そして明確な年輪を成した、豊かな、そして懐郷にも似た、心に牢記して忘れたくないもの」ということにあった。失うものの大きさに、ぼくは臆病風に吹かれ、それがために、億劫な気分も一方にはあったのだった。 ところが、ぼくのそんな複雑で深遠なるものぐさぶりを尻目に、我が倶楽部の面々は、ひとりの食い気一辺倒のご婦人を除いて、全員がそれぞれにいつの間にかちゃっかり訪問し(なかには、内緒で「てっぱく年間パスポート」などという洒落たものを懐に忍ばせているご婦人もいる)、やはりちゃっかり “それなりの写真” を、ぼくの知らぬ間に、あたかも平然を装いながら撮っている。油断も隙もあったもんじゃない。 そして、そのプリントを、月一度の勉強会に、これ見よがしに持参し、ぼくの未体験をなじるように、鼻を精一杯膨らませ、得意気な顔をして、「どうよ!」とばかり、机上に所狭しと、かるたを並べるようにしながら何気なさを気取り、「暗いから撮りにくくてねぇ」などと取り澄ましたような言い訳をして見せる。ところが、この仕草は、まるで茶道のようにまったく無駄がないときているから、付け入る隙がない。 彼らは、先輩格であり、元祖撮り鉄であり、熱烈な鉄道ファンだったこの指導者もどきを、敬うどころか、見下すような尊大かつ横柄な仕草に打って出るから、ホントにたいしたものだ。たかが「てっぱく」如きでね。 「え〜っ、おいっ! てっぱくに行ったことぐれぇで威張るなよ。そんなに偉いのかよぉ! おれはあ〜たたちが、とんでもねぇ在に住み、青っぱなを垂らし、乾いた鼻汁で頬をガビガビにしながらも、余ったそれを惜しむように鼻の穴から出したり、すすったりしていたころから、秋葉原つ〜、と〜きょ〜のど真ん中に通ってたんだよ」と、ぼくは少々荒れながらも遠慮がちに独りごちる。声に出さないところが、これまた、あっぱれである。 しかし、ここだけの話、彼らの持参する「てっぱく写真」のなかには、なかなかのものがあって、ぼくはそれを衷心より褒め称えることにしている。 ぼくが、世辞をいわない(世辞というのは、相手に失礼なものと思っているので、ぼくは社交辞令などというものもこそばゆく、あまりにもばかばかしいので使ったことがない。世渡りなどに縁のないところで生きてきた人間の特性のようなものか)ことを彼らは知ってか知らずか、一見素直に受け止めてくれる。そんな時、ぼくはふと、自分が指導者もどきであることに気がつく。そして、自分ならどう撮るかに考えを巡らせる。ぼくはぼくで、ちゃっかり美味しいところはいただいてしまおうという魂胆なのである。 「暗いから撮りにくい」との彼らの指摘は、とても正しい。「てっぱく」で写真を撮ったことのある写真愛好の士すべてが同様に感じているかは、甚だ疑問である。ぼくは、世辞はいわぬが、正しく疑り深いのだ。 「暗いから撮りにくい」、したがって「恐い」と感じることは、撮影の論理に、科学的にも、生理学的にも、機械工学的にも、人間工学的にも、すべてが完全に合致しているので、写真は暗所を恐れてこそ、ナンボの世界なのだ。 恐れる者は、藁をも掴む !? (ちょっと違うだろ。「溺れる者は」だった)の如しなので、工夫を凝らし、頭に血を巡らせ、知恵を絞り、今までに培ってきた撮影や暗室作業のノウハウを思い起こし、それらを間違わずに総動員し、また駆使しなければならず、当然のことながらここには上達の道が大きく開かれている。ぼくは「てっぱく」でこの妙味をつくづく感じたので、今は残念ながら「年間パスポート」が武漢コロナのため中断しているのだが、いち早い復活を願うばかり。 次号は、秋分の日のため休載となりますが、その翌週は「暗さの克服」について、ぼくなりの方策を記してみたいと考えています。少しは、写真的な話もしなくっちゃね。 https://www.amatias.com/bbs/30/611.html カメラ:EOS-R6。レンズ:RF16mm F2.8 STM。RF24-105mm F4L IS USM。 埼玉県さいたま市。『鉄道博物館』 ★「01てっぱく」 2Fの廊下より、転車台(ターンテーブル)の実演を実際の汽笛(4回実演。録音ではない)を聴きながら、超広角レンズで追う。掲載写真はリサイズ画像のため(長辺800pixにリサイズ。実画面は、長辺5725pix)、ディテールや質感が描けず残念。 絞りf4.0、1/15秒、ISO 640、露出補正-0.67。 ★「02てっぱく」 C51の動輪。ライトが下から当てられ、フォトジェニックな画角を嬉々としながら探す。 絞りf6.3、1/15秒、ISO 2500、露出補正-1.00。 |
| (文:亀山 哲郎) |