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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2014/06/06(金)
第202回:良い写真を撮るって? (2)
 日々の猛暑が今日は一段落し、出不精のぼくはこの陽気と2人のおばさまに誘われて、今埼玉県立近代美術館で催されている「県展」を見に、重い腰を上げ、小雨の中を傘も差さずにふらふらと出向いた。県展に関わっている知人、友人が何人かいることもあり、また拙稿を書くためにも熱心なアマチュア諸氏がどのような写真を撮っているのか、その傾向を一通り知っておきたいという気持ちもあった。この拙稿を始めてから、それまで縁遠かった「県展」、「市展」に足を運ぶようになった。
 また、関係各位に意見を求められることもあるので、そつなく身熟(みごな)しを整えておかなくては不義理につながることにもなる。以前にも述べたことがあるが、過去も現在も、ぼく自身は県展に関わりを持ったことはなく、まったくの部外者である。

 ぼくの感想を率直に述べさせてもらうなら、年々“写真らしさ”の濃度が増してきたように感じる。地元であれどこであれ、少しずつではあるが自己表現としての作品が増えつつあることは素直に喜ぶべきことと思う。つまり撮影者の佇まいが印画紙から窺えるものが多くなってきたということだ。
 僭越だが、「お定まり」や「定番」の作品が(ないわけではないが)少しずつ淘汰され、その陳腐さに選考者も観客も気がつき始めたのではないだろうかという好ましいきざしは、ぼくに希望を抱かせる。この現象はとても大切な要素をふんだんに織り込んでいる。端的にいえば、写真を撮る側の意識(乱暴にいえば、美意識や信念)が、見る側のそれを越えていると思えるようなものが、以前に比べ確実に増えている。このことは本来然るべきことなのだが、以前は拮抗しているというかどんぐりの背比べだったと、敢えてここで明言しておく。
 また、以前のように「奇をてらった、これ見よがし」な作品が減少したことも、写真界にとって喜ばしきことだ。「上手な写真」より「良い写真」が尊ばれるようになった気配を感じさせる。ぼくは部外者なのでこれでも控え目に論じているつもり。そうでなければ、さらに厳しい意見を述べざるを得ないことになるだろうから、部外者がちょうどいい。といいながらも、口うるさく厳粛な気持ちで直言しておきたいこともある。ぼくの見るところ、賞を取った作品とそうでないものの質的食い違いが、相変わらず顕著に生じている。より質の高い写真が見落とされ、それより見劣りのするものが上位に鎮座している。純朴なぼくは、それがとても嘆かわしく、やるせない気分になってしまう。これを主観の問題として扱い、論じているうちは、永遠に是正されることはないと、再び明言しておこう。

 多くの作品を見、ぼくは何十年に及ぶ自身の考えを振り返りながら、改めて問い直してみた。写真とは(写真に限らず創作は)「なにを?」と「いかに?」という設問に作者は常にまとわりつかれる。その件に関して思い当たる節があったので、今真っ黄色に変色した書物を引っ張り出してみた。
 第198回で触れたA.ソルジェニーツィンの処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』で、囚人同士の会話にこんなくだりがある。ちょっとばかり引用してみる(木村浩訳、新潮社)。
 ある囚人が「エイゼンシュテイン(著者注。旧ソ連邦の映画監督)の天才は認めざるを得ませんな。・・・中略」。それに対して囚人「X123番」は「あんなに芸術過剰じゃ、もう芸術とはいえませんな。・・・中略」。
 「しかしですね、芸術とは“なにを”ではなく、“いかに”、じゃないですか?」
 「X123番」はすぐ言葉じりをとらえて、テーブルの上を激しく掌でたたいた。
「そりゃちがう。あんたのいう『いかに』なんて真っ平ごめんだ。そんなもので私の感情は高められやしませんよ!」と。
 ソルジェニーツィンは「X123」の言葉を通して、彼の確たる芸術感を示している。大切なことは真実であり、そこにはいかなる妥協もあってはならないと。そして、芸術の内容は「なにを」がすべてを決定すると主張している。特に「芸術過剰では、もう芸術とはいえない」との主張は耳目を属す。そして、作品の真価とは、それを享受する側の「感情を高める」ことにかかっているということだ。近代に於ける文学の衰退は「なにを」を忘れて、「いかに」ばかりに神経を奪われ、追い回し、それにかまけている結果だと、この短い段落で彼は語っている。まさに正論であろう。
 そのことはそっくり写真界にも当てはまるようにぼくは思う。
 
 ソルジェニーツィンの作品はきわめてオーソドックスで伝統的な手法を重んじ、それを踏襲しつつも、長篇『煉獄のなかで』から『マトリョーナの家』や『クレチェトフカ駅の出来事』の短編に至るまで、常に新しい手法を編み出している。つまり普遍的な美を通奏低音のように響かせ、常に新たなバリエーションを奏でている。
 写真と文学は、その制作過程が心理的・精神的に最も似通っている(あくまでぼくの解釈だが)との考えから、優れた文学を精読することは、多大な啓示を受け、「いかに」という酩酊から自己を解き放つ良い手法であるとぼくは思っている。「なにを」と「いかに」は、創作上切っても切れない縁で結ばれていることは間違いのないことだが、ソルジェニーツィンは一方で策に溺れることの危険性を暗にほのめかしているのではないだろうか。悔しいかな、ぼくは双方に酩酊ばかりしているから、熟慮が足りず耳鳴りばかりに悩まされている。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/202.html

 すべてRawで撮影。

★「01さいたま市」。ふじを見るとぼくはいつもA.アダムスの撮ったものを思い浮かべる。40年以上も昔に見たそれは未だ心のどこかに刻印されている。カメラを横にあった柱にくっつけてブレを防ぐ。
撮影データ:Sigma DP2。レンズ焦点距離41mm(35mm換算)。絞りf5.6、1/6秒。露出補正-1。ISO100。

★「02東武動物公園」。トカゲの名前は覚えていないが、「君、カッコいいねぇ。動かないでくれよ」といいながら。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF100mm F2.8 USMマクロ。絞りf11、1/10秒。露出補正ノーマル。ISO400。三脚使用。

★「03さいたま市」。新浦和橋を歩行中に見つけた風景。口径の合わない大きめのPLフィルタ(偏光フィルタ)をレンズにかざして。
撮影データ:Sigma DP1s。レンズ焦点距離28mm (35mm換算)絞りf6.3、1/200秒。露出補正-0.67。ISO100。

(文:亀山哲郎)

2014/05/30(金)
第201回:良い写真を撮るって? (1)
 拙稿「写真よもやま話」は、いわゆる“How toもの”とは立ち位置や趣きが異なるので、最近少しばかり戸惑いながらの記述である。ちなみに「よもやま話」を辞書で引いてみると、「世事についての雑談。世間話。」とある(広辞苑)。つまり、写真にまつわる雑事や世間話と解釈してもよく、やはり“How toもの”とは距離を置いていいことになる。
 そうはいえど、撮影や写真について読者諸氏に何かお役に立つようなことをお伝えできればさらに喜ばしいとも思っている。ぼくは写真で家族を養い、今日までどうにか生き長らえてきたのだから、そこで得たノウハウをお伝えする義務も感じている。このHPの冒頭に「ワンポイントアドバイス」(ぼくが書いたんじゃない)なんて書いてあるし。だからますます肩身が狭い。

 下手の横好きが高じて、横着、不遜、大胆不敵にも写真屋になってしまった。写真を撮り、あるいはそれに付随すること(原稿や講演、その他)で、人様はその代価として金銭を与えてくれる。この拙稿もそのうちのひとつ。

 たった今、過去の連載でどのような写真を掲載したのかを調べようと、そしてぼくはいつの頃から写真の「ワンポイントアドバイス」を忘れ、単なる私事の雑談(与太話といったほうがいいかも知れない)に興じるようになってしまったのか、このHPを過去に遡り改めて覗いてみたのだが、自省と自照の結果、思いのほか極めて真面目?に写真について書いていることが判明した。そう卑屈になることもなさそうだ。加えて、与太話には写真掲載をしてお茶を濁してしまうという離れ業も演じている。良心の呵責に耐えきれず妙案を捻り出してしまったというわけだ。
 以前に述べたことを読み返すことはしていないが、前回の読者お二方からのご質問には既にほとんどお答えしているような気もする。ざっと見返して(“読み返す”ではない)いるうちに、その要約部分が箇条書きされていたので、もう一度その部分を今流行のコピペをして、以下に再表記(カギ括弧部分)する。上達について他人に物言うには、自分を棚に上げて語らなければならないのが辛い。

 「めきめき上達する人。あるいは緩やかではあるけれど確実に上達する人々を見ていると、いくつかの共通点を見出すことができます。熱意と意欲、向上心を前提として、箇条書きにしてみると以下のようになります。

★ 自分自身に素直であることと同時に相手を尊重し、常に誠実な対応ができる人。
★ 写真以外の美に感応できる人。写真しか関心のない人はダメ。
★ 好奇心とささやかな冒険心によるところの行動力が備わった人。
★ 分相応の投資を惜しまぬ人。
★ 想像と空想とにふけることができる人。リアリスト(現実主義者)はダメ。
★ ぼくの言うことに素直に耳を傾ける人。
以上であります。」

とある。これを記したのは2012年12月7日付け第129回:趣味としての写真(1)で、1年半を経過した今もぼくの考えはそれほど変化していない。敢えて補足しておくなら、「ささやかな冒険心」より「大いなる冒険心」のほうがずっと好ましい。
 また、思考ロジックが生真面目で常識的であれば、写真に面白味が欠けることも事実。冒険心のあるなしは、ここに通じてくる。換言すれば無難さや事なかれ主義は創造心を何一つくすぐらない。たまには他愛のない狼藉を働くくらいがちょうどよく、「触らぬ神に祟りなし」ではなく、多少は神に祟られたほうが御利益があるというものだ。「通例」や「定番」は心して避けるべし、であり、お定まりの道に手心を加え、酌量・安堵しながら歩いても、生噛りどころか得るものは何もない。それこそ“お手盛り”にすぎない。写真を撮るときくらいは、浮き世のしがらみを断ち切って、動物的精神を解放する術を身につけることが肝要だと思う。

 ぼく自身が常に心に刻んでいることは、「写真以外の美」云々で、できるだけ多くの分野の美に触れること。それも一流のものでないといけない。そういうものの蓄積がイメージを少しずつ磨き上げ、形成していくのではなかろうかと信じているし、大きな拠り所としたいものだ。
 そして励行していることは、失敗を恐れず、同じ事を何度も何度も辛抱強く繰り返すこと。この退屈さを堪え忍ぶことは、根気や集中力を養い、すなわち「急がば回れ」なのではないだろうかとも思っている。ある日、何かがパッと閃いたり、思わぬ発見ができたりするのは、決まってこの退屈な作業を飽き飽きしながら繰り返している時がほとんどだからだ。ここにプロ・アマの境界線はない。
 「信じる者は救われない」とはぼくの口癖だが(聖書の「信ずる者は救われる」という教義を一般の日本人は誤解釈しているが、ここでは触れない)、祟りを恐れることなく、たまには信ずるものがあってもいいのだとぼくは考えている。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/201.html

 すべてRawで撮影。顔の判明しない写真を選択。

★「01千葉県香取市」。いわゆるコンデジで。学校帰りの女の子を待ち構えていたら、計ったように来てくれた。
撮影データ:RICOH GR DEGITAL 2。レンズ焦点距離5.9mm(35mm換算28mm)。絞りf4.5、1/100秒。露出補正-0.33。ISO80。

★「02さいたま市」。別所沼の歩道橋。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf8.0、1/400秒。露出補正ノーマル。ISO100。

★「03埼玉県小川町」。キヤノンギャラリーの展示会DMで使用した写真。
撮影データ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm (35mm換算)絞りf5.6、1/800秒。露出補正ノーマル。ISO200。

(文:亀山哲郎)

2014/05/23(金)
第200回:200光年のお手盛り
 「えっ、もう今回で200回目なの!」と意気消沈。担当者を裏切り、読者諸兄を欺き、背反謀反の見本市のようなことをぼくは性懲りもなく今日まで長々と繰り広げてきた。世の中にはそのような輩が大勢いるものだ。ぼくはその一味だってことくらいは知っている。ぼくだって少なからず自覚というものがあるので、託言(かごと)をいうわけではないが、先日も担当氏に「読者から異論、反論、クレームの類が寄せられたら、遠慮なくいってください。誠実にお答えします」とお伝えしたばかり。幸か不幸か連載の4年間、まだお小言をいただいていない。 
 ぼくはひねくれ者だから、実をいうと、読者の反応というものは、賛同より反論のほうがずっとありがたく、また面白い。ニンマリとしてしまうのだ。

 写真や文章はほとんどの場合、反論や異論は予期したことの範疇で生じ、意外ということはまずない。したがって冷静さを保ちつつこちらも知恵や知識を絞って言辞を労することができるが、賛同や共感といったものはどうしても情に流されやすく、自己を見失うというテイタラクを演じかねない。共感を得ることは嬉しいことには違いないのだが、「オレの言いたいことが分かってくれたのか」と過剰に反応し、感涙にむせんでしまうからカッコ悪い。情にほだされる分、思考の停止と欠落が生じやすく、反論されるより得るものが少ないと感じるのはぼくだけだろうか? 
 「面白い」といったのは、甲論乙駁、議論がいろいろあってまとまらないほうが思考を巡らせることができ、新たな発見もあり、有益な場合が多いからだ。「なぜあの人は、オレと意見が異なるのだろうか? 総論なのか各論なのか、いや、その両方なのだろうか?」と、あれこれ推論する愉しみもある。ボケ防止にも一役買ってくれそうな気がする。

 今、世間を騒がせている漫画『美味しんぼ』の鼻血論争。ぼくはこの漫画を読んだことがないので、論じる資格はないのだが、著者はこの議論百出による炎上をひそかに織り込み済みだったのではなかろうかと思う。反論というよりバッシングに近いと思われるものが、所狭しとネット上を駆け回り、いわば集団ヒステリーの様相を呈している。しかしこの議論は、まったくの小田原評定だ。「そうではない」という反論があればいつでも歓迎。
 某マスメディアの記者が、福島の高放射線区域でかなりの被曝をしたぼくに訊ねてきた。「かめやまさんはどうでした? 鼻血や倦怠感についてぜひ教えてください。そして、この論争について、実際にあの地を経験した人間としてのコメントをいただけませんか」と、やっぱりお手軽(前号参照)なものだ。
 「君自身がカメラをぶら下げて、行ってくればいいじゃないか。後先考えずにまず行ってらっしゃい。ジャーナリズムに身を置くものとして、体張って行ってらっしゃい。話はそれからでしょ」と、ぼくは意地悪ジジィになりきった。いやいや、まともなジジィだった。そして、「政府がこの問題に口を挟むということ自体が極めて異常なことで、非常に薄気味悪い。都合の悪い何かがあるから口を出さざるを得ないということでしょ。そういうことをしっかり踏まえて、君自身の目で写真を撮り、記事を書くことが本来の記者魂というものでしょ」と、ぼくはさらにまともなジジィとしての意見を述べた。

 鼻血が出ようと出まいと、倦怠感に襲われようが襲われまいが、今ジャーナリズムが優先的に取り組まなければならないことは、ぼくがこの連載で述べた「他者の存在を知る」ということと、隠蔽され続けている「事故の真相」の究明を急ぐことではないか。「他者」への思いと「真実」を真摯に追い求めていただきたい。そして、被災者(原発作業員も含む)の手厚い救済手立てを世論に訴え、動かして欲しいと願っている。
 震災直後、日本国民は誰もが「自分には何ができるか。できることはしたい」と誓っていたのではないか? 時が経てば思いが薄れていくのは世の常だが、心ある人々は少なからず存在しているのだから、喉元に再び喚起を促してもらいたいと切に願う。

 今回は別のことを書くつもりだった。読者からいただいたメールにお答えしようと書き始めたのだが、どこからか話が曲がってしまい、やっぱりボケが進行中のようだ。どうやら1段落目最終行の「ニンマリ」から怪しくなっている。ニンマリして突如方向転換したのが誤りのもとだった。

 以下に読者お二方からのメールを、許可を得て要約すると、「写真を始めて10数年(もうお一方は10年)になりますが、なかなか思うように上手くなれません。遅々として捗りません。乱暴ないい方ですが、さらなるヒントのようなものがありましたら、ぜひご教示ください」という内容。お二人とも、ありがたくも拙稿の愛読者とのこと。
 ということはつまり、ずっとご愛読いただいて、ぼくの能書きはほとんど役に立っていないということの証でもある。ぼくもそう思う。かなりの確信犯だ。発展途上人のぼくが人様にそんな大それたこと、「良い写真の撮り方」なんて論じられるはずがない。ここで開き直ってどうする。身も蓋もないよなぁ。でも、「はい、次回の連載で書きます」なんて、三百代言みたいなことをいっちゃったしなぁ。
 写真を生業にして30年、人に何かを伝えたり、教えたりすることの困難さに顔も頭もひん曲がってしまった。ついでに心も病んでしまった。ぼくの経験則による考えを、仕方がないので「糠に釘」の身内を俎上に載せ、許可を得ずして次回こそお話ししてみようと思う。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/200.html

 掲載写真は、近所をボケ防止のために徘徊しながら。Rawデータで撮影。

★「01さいたま市」。
撮影データ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf5.6、1/150秒。露出補正-0.33。ISO200。

★「02さいたま市」。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf5.6、1/240秒。露出補正-0.33。ISO400。

★「03さいたま市」。畑に転がった虫食いだらけのキャベツにぞっこん惚れて。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/90秒。露出補正-0.67。ISO200。

(文:亀山哲郎)

2014/05/16(金)
第199回:「お手軽」に効用はあるか?
 某出版社から何十年ぶりかで、写真屋としてではなく編集者としての仕事を押しつけられてしまった。立派な定刊ムック本で、この分野では高い評価を得ているが、業務スケジュールを睨み合わせるとあまりにタイトなため、発売日に間に合いそうもなく、猫の手も借りたいという状況であったらしい。「かめさん、昔取った杵柄でお願いしますよ!」と否応なく迫られた。忘れかけていた作業に、ぼくは「猫」として駆り出されることになった。
 「あの〜、わし、写真屋なんじゃけんのぉ。そげんこつばできんとですよ」と精一杯の抵抗を示そうと揉み手をしながら回避を訴えたが、ぼくの反駁に担当者は隙を見せず、手慣れた口上を巧みに操り、グイグイと攻め寄せてきた。ぼくのような気弱で純朴な人間は到底立ち向かえない。彼のさがない技には博多弁を以てしても効き目がなく、直ちに却下されてしまった。ついこの間、「博多の女性は気っ風がよくて美人が多い」と鼻の下を伸ばしていたくせに、それとこれとは別問題だと取り合ってくれる気配さえない。確かに関係ないわな。オレは猫女ではなく猫男だもんなぁ。ぼくの稚拙な策略をよそに、彼は「立っている者は親でも使え」との不心得を行使したのだった。
 第一、順当に考えれば、揉み手をするのはぼくではなく、彼のほうなのだ。長年フリーランスとして生きてきたので、クライアントにはどうしても撞着したる時に、一方的に卑屈になってしまう自分がひどく惨めで悲しい。

 不承不承の態で引き受けることになったのだが、ぼくが編集業に従事していた頃は、すべての作業がまったくのアナログだった。インタビューや取材には速記者が同行したり、執筆者をホテルに缶詰にし、徹夜で監視役を担ったり、遠方まで出向いて手書きの原稿をうやうやしく頂戴することが常態だった。アナログ=肉体の酷使という面が、今より多々あった。
 編集者が原稿を書いたり、もらった原稿に朱入れ(誤字脱字を正したり、訂正・添削し、文字数を合わせたり)することは、デジタル時代となった現在でも行われているが、昔ほどの頻度や重労働ではなく、編集作業も便利といえばそれまでだが、ぼくのような昔気質の編集者にはどこかお手軽さを感じてならない。「文明の利器」は時代とともに移り変わるものの、利器を上手に使いこなすのはあくまで人間の知恵やセンスであって、技芸の拙さを補うものではない。ぼくだって大した編集者でなかったことは素直に認めるが、昨今の編集者やライターの質の低下には目を覆う。もちろん、なかには優れた人材がいることも知っているが、総じて素人まがいである。

 インターネットなどもなかったので(良い面とそうでない面をぼくは見定めているつもりだが)、当時は情報や知見を得るためには、足で稼ぐか、自腹を切って関連書籍を漁るのが最良の方法だったし、それは今も変わらないと確信している。やはり、編集も写真も肉体の労を惜しまず使ってこそ「なんぼ」のものだと思う。

 拙稿「写真よもやま話」の連載を承った時点で、世の中の写真傾向や愛好家の動向を“多少”は知っておこうと、いわゆる「口コミ」なるものを初めて覗いてみた。立場の異なる多様な人たちが、自身の質問や見解を公に問い、語り合える場が出現したことについてぼくは非常に肯定的に捉えているし、ぼく自身“多少の”恩恵に浴してはいるものの、写真やカメラの口コミに関していえば、「喩えを引きて義を失う」(誤ったことを引き合いに出し、そこに固執するため、根本的・本質的な道理を見失うこと。無意味な比喩を弄し、真理を見失っていること)のことわざ通り、そんな例があまりに多いことにたまげ、動転してしまう。
 そのさわりを「都市伝説」として連載の初めの頃にかすめたが、「何のための文明の利器なのか」という感を強くしたものだ。労力なくして(お手軽に)得たものは、その帰結として巷説の増幅や妄言に偏りがちなものなってしまうのは、然りといえば然りなのではないだろうか。
 多種多様な意見があって、そのなかから注意深く選び抜く感覚を養いたいと思う。

 今回は前回に述べた「長文・駄文」の反省を踏まえつつ、また後悔と痛惜の念に駆られ、理性を保って適量を試みたつもり。「はぁ〜っ」とため息交じりに、「もっと書きたい!」。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/199.html

 掲載写真は、近くの日用雑貨店に出かけた際に、愛用のFuji X100Sで「お手軽に」撮ったもの。Rawデータで撮影。人物スナップの掲載が出来ず(顔が明確に写っているので)残念です。

★「01さいたま市」。
撮影データ:Fuji X100S。レンズ焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf5.6、1/320秒。露出補正-0.33。ISO200。

★「02さいたま市」。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf5.0、1/170秒。露出補正ノーマル。ISO200。

★「03さいたま市」。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf6.3、1/100秒。露出補正-0.67。ISO200。

(文:亀山哲郎)

2014/05/09(金)
第198回:屁理屈もどきの写真余話
 回を追うにつれ、文字の分量が増していくことに気が咎めている。ぼくの悪癖が徐々に増長し始めて、ちょっと居心地の悪さも感じている。
 昔、『悪い奴ほどよく眠る』という社会派の黒澤映画があったが、「下手な奴ほど長文(駄文)を書く」ものだと今までぼくは公言してきた。本心からそう思うが、もし他人に長文・駄文を揶揄されれば、「ソルジェニーツィン(旧ソビエト連邦のノーベル賞作家)は、たった24時間の出来事を延々と綴り、『イワン・デニーソヴィチの一日』というけれん味のない中編小説に仕立て上げ、ノーベル賞までもらっちまったんだよ」と、無理無体に減らず口をたたくのだろう。我が敬愛するドストエフスキーだって、一日の長い作家だ。長編小説『カラマーゾフの兄弟』はその典型かも知れない。
 こんなところで、偉人を引き合いにしてしまうところが、ぼくのあどけなさだ。

 無理と道理の辻褄合わせを、世間では妄言とか屁理屈などというらしいが、そうでもしなければ誰だって生きる道を狭め、窮屈この上ないことになる。余生を気楽に送ろうとするのであれば(ぼくはまだそんな歳ではないが)、屁理屈を生きる方便として愉しみ、大いに活用したほうがいい。
 人は子供の時から屁理屈を学び、やがて手練手管の老輩となっていく。子供のそれは侮りがたくも無邪気な気配があるが、老練は巧妙さが加わるのでどこか可愛げがない。ぼくは「そんなジジィになりたくはないなぁ」と常々思っている。

 物書きの本職にいわせれば、文章は人格の鏡として誤魔化しようがないということになろうが、ぼくは素人だから一時しのぎに「かすめてくらます」ことくらいはあってもいいと勝手に思い込んでいる。つまり文章を書くにあたって、自己を表現するような技術は持ち合わせていないという意味なのだが、思考の浅薄さと短慮愚蒙さはどうにも隠しきれないので、その部分だけは遺憾ながら本職の見解を認めざるを得ない。
 翻って、写真はどうかというと、文章より断然誤魔化しが利かない。“誤魔化し”という言葉が適切かどうかは別にしても、これはぼくが接した優れた物書きや詩人、陶芸家や映画監督が異口同音に指摘したことであり、あながち見当はずれのこととも思えない。

 写真は瞬間芸で成り立ち、直感(直感とは、すべてが“計算づく”であり、経験則に基づいて反射的に行動すること、というのがぼくの解釈)に左右されやすく、作りながらの修正(文章でいえば推敲)が物理的に一切できず、彼らの意見に多少なりともこれを以て加担しているのではないかとぼくは推察する。  
 これは写真が持つ他の分野とは異なる唯一の、そして特有の現象だ。作者自身と制作時間の共有が許されない。したがって、イチかバチかに賭けるスリル満点の面白さが写真にはある。度胸も必要だ。ぼくは四六時中写真に携わっているので、だからこそ写真を特別視する気持ちは毛頭なく、それどころか、客観的に、より公平に眺めようと努めている。そのほうがずっと愉しいから。
 
 文章も、絵画も、音楽も、建築も、陶芸も、他の分野のものは作品を作り上げるのに固有の時間を要するが、写真の制作時間はほとんどの場合、人間が肌で感知できない一瞬に勝敗を決し、その質が決定される。そしてまた、「偶然性」にもまったく期待できない。物づくりに「偶然性」はあり得ないというのがぼくの持論だが、「たまたま上手く撮れましてね」という言葉は、本人が敬譲を示しているか、あるいは無意識のうちに「偶然性」を信じてやまないのか、そのどちらかである。

 暗室作業にいくら多くの時間を費やし、技法を凝らしたところで、それによって作品自体の質を賄ったり、加算することはできない。敢えていうならば、暗室作業は撮影時のイメージを確保し、成就するための手段にすぎない。
 ただ、暗室作業が経験を積むに従って巧妙になり、それに頼ってしまうと歩を危めてしまう。「毛を謹みて貌(かたち)を失う」ということになりかねない。
 自戒を込めていうのだが、世の中にはそのような作品が、あまりに多すぎるように感じている。芸に頼りきってしまうと、自己の本来の必然性を忘れて、見かけを重んじるようになってしまうことには警戒を要する。見かけ倒しの陳腐なものに甘んじなければならない。創作の本質的な目的をどこかで履き違え、気づかずにいるのは悲しいことだと自分に言い聞かせている。老練と老獪とはまったく世界が異なることに、ぼくは特別な意識を置くことにしている。まぁ、老練の域に達することができるかどうかは、はなはだ疑問だが・・・。

 掲載写真は竹馬の友と蕎麦を食いに、栃木県の出流(いずる)に出かけた際に撮ったもの。自宅近辺では桜の時期をすぎていたが、当地ではまだ7分咲きといったところだった。カレンダーや絵葉書のような桜にはまったく興味のないぼくだが、自分の桜として、こんな桜もアリではないかと撮ってみた。たまにはこんな桜があってもいいじゃないか!というぼくのささやかな反抗。判断は読者諸兄にお任せする。また、その近辺にあった石灰採石場にも心を惹かれ、かなり夢中になってしまった。150枚撮ったうちの5枚(カラー写真)を“取り急ぎ”掲載。すべてPLフィルタ(偏光フィルタ)使用。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/198.html

★「01栃木市満願寺」。咲き始めた桜と新緑。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16~35mm F2.8L II USM。絞りf13、1/125秒。露出補正-0.67。ISO100。2014年4月7日。

★「02栃木市満願寺」。満願寺山門近くの7分咲の桜とかすかに見える月。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/40秒。露出補正-0.67。ISO200。2014年4月7日。

★「03出流町」。太陽を正面に据えて。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/160秒。露出補正-2。ISO100。2014年4月7日。

★「04石灰採石場」。栃木県道202号線に点在する石灰採石場。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/125秒。露出補正-1。ISO200。2014年4月7日。

★「05石灰採石場」。栃木県道202号線に点在する石灰採石場。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/25秒。露出補正-0.67。ISO250。2014年4月7日。

(文:亀山哲郎)

2014/05/02(金)
第197回:福島県「立ち入り禁止区域」再訪(22)
 4泊5日のこの旅についてはまだまだ書き足りないことが山ほどあるが、ぼくの筆力ではもうそろそろ潮時かと思っている。まとまりが悪すぎる。写真の話もあれこれとあるのだが、内輪の話になりすぎてしまうので躊躇せざるを得ない。
 「立ち入り禁止区域」のシリーズは今回で終えて、また原点に戻り写真の話をしようと思う。

 最後に、現地の人に聞いた話を二題紹介しておこう。

 初日、ぼくは投宿したホテルで早めの夕食を取ろうと食堂に出向くと、おじさんたちばかりでほぼ満席状態だった。係のおねぇさんに「夕食後、出かけなくてはならないので、時間の都合もあり相席でもいいから席を確保してもらえまいか?」とお伺いを立てた。愛想のいい、極めて仕事熱心な彼女は、おじさんたちの席を縫うように歩き回り、相席のお願いをしている風だった。相席はすぐに許可が下り、ぼくは彼女に手を引かれ(そんなわけない)るような気分で、席に着いた。3人のおじさんたちに礼を述べ食券を彼女に渡した。
 おじさんたちは歳の頃、皆そろって50を少し越えたくらいだろうか。彼らも愛想がいい。ぼくが同業者ではないことをすぐに察したようで、「どちらからいらしたのですか? お仕事は?」と丁寧な言葉遣いで質問をしてきた。ぼくは答えを返し、「みなさんは?」と訊ねた。3人は浜通りの出身で、現在除染作業に従事しているのだという。「1年ほど前まで1F(イチエフ。福島第一原発のこと)で働いていたんだがね・・・」と重く言葉を濁した。

 ぼくは、原発で働く作業員の手記などを何冊か読んでいたので、そこがどのような過酷な状況なのかおおよその見当はついていたが、それはあくまで誌面による知識であって、彼らを前に知ったかぶりをしてはならないと言い聞かせた。ぼくは自分の言葉を呑み込み、彼らの言葉を待った。
 「寝食をともにする」というが、同じテーブルで食事をしていると、人というものは初対面であっても話の内容如何で、思いのほか打ち解けたり、警戒心を緩めるものだ。かといって、こちらの関心事を無理に聞き出そうとすると、相手は口をつぐんでしまう。この話題は、政治的にも社会的にも難しい問題が絡んでいるので、なおさらだ。部外者のぼくには難しい匙加減が要求される。残念ながらぼくは、「それとなく」聞き出すという話術を知らない。しかし、ぼくは困惑しながらも誘惑に抗しがたかった。
 自身の不器用さを嘆きつつも、思い余って、まず箸初めの質問から始めた。「なぜ1Fから除染作業に移ったのですか?」とおじさんの目を見据えて直裁に聞いてみた。おじさんは隣席の仲閧ニ一瞬目を合わせた後、「なぜって・・・、これがいいからね」と親指と人差し指で輪を作って見せた。「へぇ〜、そうなんですかぁ」とぼくはとぼけた。「だとすると、1Fの作業員は放射線のリスクもあるし、今後人員確保が大変ですね」と続けた。
 仲閧フ1人が割って入り、「現場のことなど何も知らない上の人たちが、頭の中だけで勝手な工程表なんか作っているけれど、土台無理な話なんだよね。これからは、作業員が足りなくなって、予期せぬ事故もたくさん起こり、工程表の2倍くらい時間がかかるのは目に見えている。熟練の作業員も被曝限度を超えていなくなるし、はっきりいってかなりやばいね」と一気呵成に言い切った。その言葉は、ぼくの思い描いていた現実に対する厳しさと軌を一にしていたので、暗澹たる思いに襲われた。立場の異なるぼくらは、もうこの話題に口を閉ざしたが、初対面で彼らの口からこのような言葉を聞けるとは思っていなかったので、意外や意外というところだった。

 3日目、やって来た仲閧ニぼくは空腹を抱え、「ビール、酒、焼酎、もうこの際なんでもいい」と烏合の衆のように叫びながら居酒屋に繰り出した。「この際」とは、特段の意味はないのだが、見知らぬ土地で、大挙し勢い込んで出かけるわけだから、一人ひとりの好みなど斟酌していられないという意味だ。2台のタクシーに分乗し、運転手の言に従い連れて行かれた居酒屋は、前日の高級居酒屋とは打って変わり、極めて大衆的な居酒屋だった。皆の顔に一瞬暗い影が射したが、「この際」なんだから仕方なかろう。
 注文を取りに来た無愛想の極みのようなおばさんを一見し、ぼくはみんなに悟られぬよう、こっそりと腹をひくつかせた。そして、おばさんを見れば見るほど、ひどくひくつかせた。同時に、「この際」などという言葉を不用心かつ無分別に使ってしまった報いを受けたと思ったのである。
 こんな素気なくぶっきらぼうな人が客の前に姿を現し、注文を取りにくるということ自体が、ぼくにとって前代未聞の出来事であり、まして接客業として日本ではあり得ないことで、本当に様々な人間が存在して世の中は斯く斯く左様に成り立っているのだという実感が押し寄せてきた。そのような稀覯(きこう。「覯」は、思いがけなく会う意。容易には見られないこと。広辞苑)な方とこの地で巡り会ってしまったのだ。しかし、腹をひくつかせながらも、彼女のこの上ない無愛想さに、もしかしたら、ぼくはどこか迂闊さを託っているのではないか、ひくひくしている場合ではないのかも、という疑念を抱き始めた。
 元来陽気だった彼女は、震災によりこのような心的状態に陥らざるを得なかったという可能性だってある。事情あってのことかも知れないし、稟性のものかも知れない。ぼくは後者であることを願い、きわ立った無愛想さを彼女の人格として尊ぶことにした。しかしながら、誰もが吹き出しそうになるほど彼女は無愛想そのものだった。当ての外れた居酒屋だったが、そこに救いを見出したような思いだった。

 帰り間際、ねじり鉢巻きをした店主の大将に「もう住民はかなり戻って来たのですか?」と訊ねた。大将はぼくの問いには答えず、ぶっきらぼうに「ホントはよぉ、もう店を終いたいくらいだよ。でも、地元の知り合い連中が『辞めるなよ』ってうるさいんだ。オレは、辞めてえんだよ。もう辞めてえよ」と訴えかけるようにいった。
 おやじや住民の心情を表すには十分すぎる答えだった。ぼくは無表情を装い、のれんを払い、迎車の待つ外に出た。初秋の浜通りの夜風は、どこかチクチクとぼくの頬を刺した。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/197.html

★「01浪江町請戸」。一見きれいに見える自転車だが、錆とゴムの腐食が2年半の月日を物語る。自転車だけが浮いて見えるのはなぜだろう?
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16~35mm F2.8L II USM。絞りf7.1、1/100秒。露出補正-2。ISO320。2013年11月11日。

★「02浪江町請戸」。地震により倒壊。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf10、1/25秒。露出補正-0.33。ISO200。2013年11月11日。

★「03南相馬市小高区」。南相馬市小高区は最も激しい津波に襲われた地区。どこからか流れ着いた自販機が粛然と立つ。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf10、1/80秒。露出補正ノーマル。ISO100。2013年11月12日。

★「04南相馬市小高区」。南相馬市小高区の民家。掛けられた写真は家人のありし日の雄姿。ズッキッと胸が痛む。高校生だろうか? 生き残ったのだろうか?
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/20秒。露出補正-0.67。ISO320。2013年11月12日。

★「05浪江町市街」。みたび浪江町へ。時計は地震のあった時刻を示し、時を止めている。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf8.0、1/60秒。露出補正-2.33。ISO100。
2013年11月12日。

★「06浪江町市街」。街中で見た最も大きなスナック店。何10年か先、「おじいちゃんのアルバムを整理していたら、こんな色褪せた昔の写真が出てきたよ。昔の浪江町はこんなんだったんだね」と、そんな時代が再び蘇ることを祈って。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/200秒。露出補正-0.33。ISO100。2013年11月12日。

(文:亀山哲郎)

2014/04/25(金)
第196回:福島県「立ち入り禁止区域」再訪(21)
 原発事故は、放射能汚染、住民避難、その他それに関連する非常にデリケートな問題を多く包含しているので、いつもハラハラしながら読んでいるという心配性な友人もいる。原発事故を忘れ去る、あるいは早く葬り去り、なかったことにしてしまいたいと画策する組織や団体の一派が確かに存在するらしい。重々承知だが、あまりにバカバカしい。

 読者諸兄と一緒に考えてみたいと願うぼくの目的を達成するための現場の状況説明は、ぼくの文言と語りだけでは未だほど遠く、とても十分とはいえない。ぼくの効能書きは別としても、その不十分さを埋め合わせるためにできるだけ多くの写真を掲載して、お役御免を蒙りたい。

 原発に隣接する栽培漁業協会は、事故から2年3ヶ月を経た第1回訪問時、30μSv/h前後というかなり高い線量を示していた。あれから約半年後、つまり今回は半分近くに減衰していた。原因は分からないが、我が家の約200倍もあり、ここで仕事に従事できるような環境では到底ない。年間約130mSv被曝することになってしまう。法律では年間1mSvと定められている。
 放射線の半分は消失したのではなく、どこかに拡散し、絶対量が変化しているわけではないとぼくは考える。あちらこちらに気ままに浮遊し、積もっては巻き上げられ、場所を移動しながら再び積もるのだろう。完全な廃炉となるまでは、放射線核種の粒子が何十年も放出され、舞い続けるのだ。加え、高レベル放射性廃棄物はどこで、どう処理されるのだろうか? 
 風化という名の下に、そしてマスメディアの世論操作とともに、背筋の凍るような現実と得体の知れぬ魑魅魍魎(ちみもうりょう)が、人々の記憶から早々に失われていくのは、世の習いである。

 栽培魚漁協会を後にしたぼくらは、原発全体が見渡せる高台に案内された。ここも訪問希望地のひとつだったが、この地点を探り当てるのはよそ者のぼくらには敵わず、土地勘のある彼らに頼るほかない。曲がり曲がった行く手には倒木が横倒しになり、それをそろりそろりと避けながら丘の頂上に辿り着いた。車を止め、案内諸氏は建物の裏手に回り「こっち、こっち」とぼくらを誘導してくれた。原発より約2kmの地点だ。頂上からは原発の全貌が雨に煙って姿を見せた。雨脚が強くなったが、誰も気に止めることなく撮影を始めた。ぼくは今回ここで始めてレンズ交換という厄介な手続きを踏むことになかった。さすがに、超広角ズームではいかんともし難い。
 雨に煙る被写体は味わいがあるが、撮影技術と暗室作業はかなり難しい。予期せぬ雨は予期せぬイメージを要求してくる。とっさに思いついたイメージに従い、ぼくは望遠ズームで画角を変え6枚ばかり撮った。それで十分だと思った。
 帰京し、その画像を見てぼくは「ギョエ〜ッ!」と叫んだ。中央部の狭い範囲はなんとか規定の解像度を示しているものの、それ以外はボケて歪み、もうメタメタ。ぼくが普段から最も信頼を寄せているレンズだったので、そのショックにしばらく声を失ってしまった。15群20枚のレンズ構成だが、どこかのレンズのたがが緩んでしまったらしい。持ち主に似てしまったのである。肝心な時に故障してしまったデクノボウ・レンズでもあった。要修理、要再撮。残念ながら原発全景写真は掲載できないことになりました。ぼくではなく、レンズがデクノボウなのだ!

 丘を下り、浜通りの交差点で案内をしてくれた職員諸氏に篤く礼を述べ、別れを告げた。ぼくらは遅い昼食を取るために南相馬に戻った。頑なに「花より団子」を主張する強直・強面な女衆も、腹を満たし、おしとやかとはいえないまでも、徐々に女らしい柔らかさを示し始めた。目尻を下げて、口元を緩め、ニコニコしている。高レベル放射線を浴びたことなどどこ吹く風だ。まことに現金なものである。彼女たちが眉間にしわを寄せるのは空腹を訴える時だけであり、満腹時は、美味礼賛しながらこの世の春を謳歌することに徹し、彼女たちはいつ物事を深く考えたりするのだろうか? 女人を同じ人間などと思ってはならない。
 「雨も上がったようだし、これからどこに連れて行ってくれるのよぉ〜」と、ベルトを緩めながらせっついてくる。満腹女人たちは、これから撮影という知的作業に挑むのだという自覚を完全に失っている。
 「請戸」、「地震で崩れた家屋」、「陸(おか)に打ち上げられた多くの船」、「流失した家屋の痕跡」と、ぼくは矢継ぎ早に助動詞抜きで答えた。別に機嫌が悪いわけではなく、彼女たちに、ぼくの失いつつある威厳をここで取り戻しておきたかったからだ。助動詞の乱用は、時として、相手により、へりくだっていると解釈されることがある。

 検問を通り抜け、請戸地区に入り、しばらく行くと覆い被さるような真っ黒な雲が立ちこめるなか、一条の夕陽がスポットライトのように山々を照らし出した。こんな鮮やかな光と見事なコントラストは何年ぶりのことだろうか。紅葉の山々がまるで何色もの色セロファンをかけたように美しく発色し、次から次へとうねるように浮き上がってきた。雨上がりで空気中の塵芥が洗い落とされ、見事な透明感を醸していた。まるで、夢見心地。
 居ても立ってもいられない我々は、我先にと車から飛び出し走り出した。普段から冷静を装うIさんは、息をゼーゼーと切らし、言葉を詰まらせながら「こんなに勢い込んで走ったのは、何年ぶりですかね。苦しい」と膝を折り、夕陽を追いかける子供のような顔を見せた。さらに冷静を装う元美術教師のAさんは空腹時には口を尖らせ、ニコニコするのは酒と好物がテーブルに運ばれてきた時だけなのに、この時ばかりはどこかに吹っ飛んで姿をくらましてしまった。どんな表情をしていたのか、永遠の謎だ。誰もが雲の間から射す気まぐれな光を逃すまいと、必死の形相で、まさに右往左往。蹴散らしたように誰もいなくなってしまった。
 それでも、ぼくは無意味な威厳に固執し、この期に及んで腕組みなんかしちゃって、雲のまにまに見え隠れするお天道様の行方を仰角鋭く睨みを利かせ、じっと測っていたのだった。

 全員が美しいカラー写真を撮っただろうが、ぼくは大人の意地を張り、やはりモノクロで孤独な威厳を示さなければならなかった。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/196.html

★「01浪江町請戸」。おどろおどろしい雲の間から射す光に、津波により運ばれた船が浮かび上がる。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf11、1/200秒。露出補正-1。ISO100。2013年11月11日。

★「02浪江町請戸」。津波により生き残った陸前高田の松は有名だが、その類のものはあちらこちらに見られる。本物のスポットライトを受けたかのように、生き残りの樹木が1本、鮮やかに浮かび上がった。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/250秒。露出補正-1.33。ISO160。2013年11月11日。

★「03浪江町請戸」。床と土台だけが残された家。周辺には同じようなものが点在している。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/125秒。露出補正-1。ISO160。2013年11月11日。

★「04浪江町請戸」。請戸港の最も大きく頑丈な建造物。相馬双葉魚協。半月が見える。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf9.0、1/200秒。露出補正-1.33。ISO100。2013年11月11日。

★「05浪江町請戸」。リサイズ画像なので分かりにくいが、実画像では4艘の船が見える。月が次第に大きくなっていった。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf9.0、1/50秒。露出補正-0.67。ISO160。2013年11月11日。
(文:亀山哲郎)

2014/04/18(金)
第195回:福島県「立ち入り禁止区域」再訪(20)
 大熊町のJR駅名がなぜ「大熊駅」でなく「大野駅」なのだろうかと、素朴な疑問をこの1年来ずっと抱いていた。かつて鉄道少年だったぼくは、この疑問を晴らしておかないとどうにも居心地が悪い。駅名の成り立ちについて、勝手な想像を膨らませてみた。誘致の際に、駅名について町議会が対立し、熾烈な内部闘争が起こり、その結果町民の間に取り留めのないいがみ合いと諍いが生じた。やがて大野地区の分離独立運動にまで発展し、収拾がつかなくなってしまった。弱り果てた当時の国鉄が仲介役を買って出て、駅の立地する大野地区の名を取って「大野駅」とすることで矛を収めたというのが、ぼくの真相である。事の真意は測りかねるが、気ぜわしく、何にでも疑問符をつけたがり、自分の当て推量に従った自説を寸分なく相手に強要するのがぼくの悪い癖でもある。

 しかしながら、震災や原発事故により、避難住民同士の悲劇的な対立や差別は現実のものとなってしまい、ぼくの勝手な駅名推論が飛び火したわけではないが、他方に於いて皮肉な結果を招いている。避難 → 孤立 → 対立の図式を生んでしまったのだ。このことは、住民の生命や生活を守ることを捨て置き、自己の保身に汲々と身をやつした心ない人々の仕業によるものである。

 大野駅前広場に大きな看板が立てられ、そこには日本語と世界植民化語、つまり英語でこう書かれている。上段に「Welcome to Ohkuma」、下段に「ようこそ おおくまへ いらっしゃいました」と。駅構内には地震で落ちた看板にこうも記されている。「ようこそ フルーツの香り漂うロマンの里おおくまへ。Welcome to Okuma 大熊町」と。そしてまた、駅舎の外壁に立てられた観光案内地図には、上段に大きく「GREENTOPIA OHKUMA」と大文字で書かれ、下段に申し訳なさそうに日本語で小さく「グリーントピアおおくま」とあった。ぼくには“topia”なる英単語がどうもよく分からないのだけれど、“utopia”をもじって“Greentopia”としたのだろうか? 原発事故さえなければ、ここはほのぼのとした実り豊かな地であったことが窺える。

 「大熊」の英語のスペルがそれぞれ気まぐれのように異なることはご愛敬で面白いが、普通であれば固有名詞の統一を図るくらいは行政の役割であり(誰がぼくの許可なく英語を“国際語”と勝手に決めつけたのか知らないが)、裏を返せばそのくらいこの地は、そんなことなどに頓着せず、過疎地とはいえ人々は助け合いながら、おおらかにしてつましく生を営み、また人情味溢れた土地柄だったのだろう。3枚の看板から、ここは都会のような希薄なコミュニティではなく、郷土愛に満ちた濃厚な結びつきがあったのだろうとぼくは感じた。人影のなくなった今もその息づかいがどこからか聞こえてくるような気がした。

 そんな地で生まれ育った案内諸氏は、子供の頃によく遊んだという熊川に連れて行ってくれた。海岸より約2km上流にある橋の上から川底を覗くと、多くの鮭が産卵のため遡上していた。4年に1度の里帰りだそうである。避難住民と鮭が重なり合って、ぼくは複雑な思いに囚われた。いいようのない寂莫ともどかしさが、部外者であるぼくの頭のなかで跳ね回り、針で刺されるようなチクチクとした痛みを感じるのだから、当事者である彼らの無念と失意はいかばかりかと察するほかなかった。

 熊川を離れ、先導車は細い道をぬって、海岸より約800mの地点にある熊川区民会館(第162回に写真掲載)に辿り着いた。前回(2013年6月)、無意識のうちに辿り着いた区民会館(第163回に、そのくだりを記述)は晴天の新緑だったが、今回は公認案内人?という印籠をぶら下げての再訪で、曇天の紅葉だ。津波により建物の半分がスッパリと切り取られてしまった有様を仲閧ノ見てもらいたかった。このあたり一帯は、かなり切れ味の鋭い津波が襲ったようで、ほとんどの家屋が流失してしまった。津波にもさまざまな表情やしきたりがあるのだろうか?

 ぼくは、訪問希望地に原発の南側に隣接する栽培漁業協会を申し出た。ここから見渡す海を撮っておきたかったからだ。高線量下のここで、前回は建物を中心に走り回っていたので、今回は海だけに焦点を絞って撮影したかった。頭の中で十分なイメージを何度も繰り返し描き、現場に立てば迷いの生じるはずがないと自己暗示をかけた。
 現地に到着し、仲閧ヘそれぞれに散って行ったが、ぼくは海抜4,5mの崖っぷちに立ち、シトシト雨の降るなか異なるアングルで2枚だけ撮った。イメージを描くという点で、同場所を二度訪れるのは、新たな発見も含めてとても大事なことだ。しかし、いくら精密にイメージを描いたところで、現場ではすべてが異なるといってもいい。あまりイメージに固執してしまうと身動きができなくなってしまう。イメージを描くことは大切だが、描いたものを一旦潔く放棄する勇気と度胸も、写真を撮る上で肝要なことだとぼくは思っている。囚われの身となってはならないということだ。

 海を撮り、ぼくは撮影意欲が急激に減衰していった。空腹感が一気に満たされ、他のものに触手を伸ばす気持ちが萎えてしまったのだ。これは自然なことで、ぼくが怠惰ぐうたら一辺倒の人間だからではない、と弁明しておく。好物を食し、満腹にも関わらず、あれもこれもと欲するのは、はしたなく、とどのつまり欲に転ぶ。集中力と天衣無縫の両輪を失っては、とても写真どころではない。小雨のなか、ぼくは一足先に車に逃げ込み、貪欲な人々の帰還を待つことにした。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/195.html
  <番号は前回からの通しナンバー>

★「16大熊町」。大野駅構内踊り場。震度6強の地震により照明器具が落ち、ぶら下がったまま。外の風景が白飛びをしないように露出を抑える。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf8.0、1/30秒。露出補正-0.67。ISO320。2013年11月11日。

★「17大熊町」。大野駅構内よりプラットフォームを俯瞰。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/30秒。露出補正-0.33。ISO200。2013年11月11日。

★「18大熊町」。熊川区民会館の向かいにある民家。新築のせいか、一軒だけ取り残されたように佇む。この写真のみ前回訪問時に撮ったもの。今回はブタクサが生い茂り思うようなアングルで撮れなかったため。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf8.0、1/400秒。露出補正-0.33。ISO100。2013年6月6日。

★「19大熊町」。栽培漁業協会敷地より海と津波の爪痕を。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/100秒。露出補正-1。ISO200。2013年11月11日。

★「20大熊町」。同敷地内より。崖下に設置された強固な防潮堤は木っ端微塵に砕かれてしまった。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/160秒。露出補正-0.67。ISO200。2013年11月11日。
(文:亀山哲郎)

2014/04/11(金)
第194回:福島県「立ち入り禁止区域」再訪(19)
 大野小学校を後にした我々が次に案内されたのは、かつての「大熊町役場」だった。立派な建造物だが、今は小学校同様ひっそりと佇んでいる。悲痛を増幅させるグランドがないだけだ。
 役場は町の中心部にあり、事故直後には2000μSv/h(2mSv/h)超という大変な放射線量に見舞われた区域である。原発事故から1年を経た段階で(2012年4月)、町内の大半が年間50mSvを少し超えるとみられていたが、ぼくはとてもそんな数値ではなかっただろうと推定している。もっと多かったはずである。当時放出された放射性ヨウ素は現在ほとんどなくなり、年間線量は下がってはいるだろうが、それでも居住にはまったく不適切だと考える。
 大熊町大川原地区の除染作業に労を厭わず、住民帰還のために献身的な作業を続けておられる『無人の町のじじい部隊』(NHK放映)の方々には頭の下がる思いだが、彼らの願いが達成できるまでに一体何十年の歳月を必要とするのだろうか? お世話になった手前、このような不人情とも没義道(もぎどう)ともいえるようなことを公に申し上げることは本意ではないが、お言葉に甘えて案内していただいたぼくとしては、感じたところを率直に読者諸兄にお伝えするのがぼくの義務でもあり、どうかご了承くださるように。

 チェルノブイリ原発事故後、ウクライナ、ロシア、ベラルーシでは年間線量5mSv以上の区域は強制退去地区となっている。2〜5mSv未満は、戻りたい人は自己責任で帰還してもよく、そのような人々には政府が援助金を出すという仕組みになっている。福島の「避難指示解除準備区域」は年間20mSv以下とされているが、しかしチェルノブイリも福島も、放射線による人体への影響に人種間の差などあるわけがない。大和民族は放射線に強いとでもいうのだろうか?
 余談だが、ぼくはチェルノブイリ原発事故の1年後に首都キエフに滞在した。毎日至る所で散水車が道路を洗い流す光景を目にしていた。そして、福島の「帰還困難区域」(年間20mSv以上)に2度行き、癌の精密検査と治療のために放射線を浴び、自慢じゃないが常人の何倍も被曝している。そんなこと、ちっとも自慢にならないけれど。

 国際基準や日本政府の定めた年間1mSv以下(被曝が人体に与える影響について科学的な解明がなされていない限り、この数字には根拠がない。“取り敢えずの合意”に過ぎない)を以てすれば、除染は果たしてどこまで有効なのだろうかと、ぼくは非常な疑問を感じている。このことは書物や資料を読むだけでは、なかなか計りがたい。今回同行した仲閧ヘ、あの現場に立ち、おそらくぼくと同じような感覚と感触を得たに違いない。どんなに部屋をきれいに掃除しても、何日か後には再び確実にチリは積もるものだ。非専門家である我々はその道理に従い、放射線も同様だと言い張るのがまっとうな思考だろう。

 案内の職員が大熊町役場で、「ここのアスファルトを見てください。引っ掻いたような帯状の跡がついているでしょう。これは除染をした時にできたものなんです」と教えてくれた。いわれなければ見過ごしてしまっただろう。確かにギザギザの筋がついている。付着した汚染物質を水で洗い流すことができず、削り取るしか方法がなかったということだ。そのくらいここには高濃度の放射線が降り注いだということであって、なんともはや、物凄まじい。ただ、残念なことに曇天だったため、光が柔らか過ぎて削り取られた帯状の痕跡(質感)が写真からは判読しにくいが、一応掲載しておこう。
 当初、坂下ダムの職員諸氏も案内諸氏も、我々には見せたくないものがあるだろうと予想していたが、彼らの対応はまったく反対だった。話が前後してしまうが、坂下ダムで俯瞰模型を指しながら「どちらに行きたいのですか? 希望地を申し出てください」と、どこかいかがわしい我々に「注文に応じますよ」といいたげな様子だった。こちらが身構えていた分、その意外さにぼくは少々拍子抜けしたものだった。ありがたいことに、ぼくが希望した以外の場所にも率先して案内してくれた。

 ぼくの予備知識にはなかった「大熊町保健センター」では、いつものんきに太平楽を並べる面々が、事の深刻さとその惨状に思わず眉をしかめ、黙りこくった。ぼくらは声を失った。保健センターに滞在していた介護の必要な人々が、慌てふためいて避難したその状態が今も生々しく、そのままの姿で残されていたのだ。誰もがその光景にそれぞれの物語を描いたに違いない。
 原発より5km圏内の医療施設は、震災のあった2011年3月11日の翌日には、双葉病院以外は(第180回に記述)すべて無事退避が完了した。ここもそのひとつで、玄関には車いすや布団が放置されたままだ。身体の不自由な人たちは、救助に駆けつけたバスか自衛隊の車に急遽乗せられ、取るものも取り敢えず、二度と戻ることのない道を運ばれたのだった。ぼくは、案内職員に当時の状況説明を求めなかった。聞く必要もなければ、語ってもらう必要もないからだ。
  
 福島第一原発事故はとてつもなく大きな犯罪である。その責任追及が私利私欲のためにないがしろにされている日本という国の、そして法治国家としてのありようを、自省の念とともに痛烈な思いで顧みなければならないのだろう。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/194.html
  <番号は前回からの通しナンバー>

★「06大熊町」。大熊町役場全景。玄関横の掲示板には震災前の日付のお知らせがたくさん貼ってあった。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf11、1/125秒。露出補正-0.63。ISO100。2013年11月11日。

★「07大熊町」。役場アスファルトの除染跡。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf11、1/40秒。露出補正-0.33。ISO200。2013年11月11日。

★「08大熊町」。大熊町保健センター。玄関に放置されたままの車いすや布団。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/60秒。露出補正-0.67。ISO200。2013年11月11日。

★「09大熊町」。同上。玄関口から撮影。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf13、1/25秒。露出補正-0.67。ISO320。2013年11月11日。

★「10大熊町」。同上。窓越しに内部を。コーヒーだろうか、ひっくり返った液体が拭き取られず、そのまま乾燥していた。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf9.0、1/40秒。露出補正-0.67。ISO500。2013年11月11日。
(文:亀山哲郎)

2014/04/04(金)
第193回:福島県「立ち入り禁止区域」再訪(18)
 滞在4日目、我々は大熊町を撮影することになった。福島第一原発は大熊町と双葉町にまたがって立地している。事故を起こした1,2,3,4号機は大熊町にあり、5,6号機が双葉町である。本来大熊町にあるべき大熊町役場は未だ放射線量が高く、ここで仕事に従事することはできない。現在は、会津若松市に仮の出張所を設けているので、立ち入り許可はここへ申請しなければならなかった。
 規定の申請書類に趣意書(立ち入り目的やぼくの経歴など)を添えて送付した。と同時に、電話での揉み手作戦を併用した。人数が多い上に、線量も高いので、無機的な書類より有機的な会話の方が、より許可を得やすいだろうと考えてのことだった。Face To Faceとまではいかないが、お互いに肉声を交わせば心情的にも理解が深まる可能性が高い。こちらの考えや目的などをしっかり伝え、また親近感を持ってもらうことができるとぼくは考えた。保証の限りではないが。
 当初、役場の担当者はやはり渋りがちだった。公益事業者(除染作業員や原発関連事業者など)や住民の一時帰宅(墓参りなど)は許可しているが、一般個人の立ち入り許可は前例がないのだという。
 「前例がない」というのは、いわばお役所や裁判所の伝家の宝刀であり、切り札でもあり、そこを突破するのがぼくに課せられた役目だった。交渉事は大の苦手のぼくが、それをしなければならないのだから沈鬱な気分にもなろうというものだ。もしぼくに宝刀らしきものがあるのなら、それは誠心誠意訴え続けることしかない。ただし、この誠心誠意は、執拗かつ明確で、悠々閑々とし、おっとりしていなければならない。この矛盾に満ちた作法はぼくの手に余る。胆汁質のぼくには、気が滅入ってしまう。
 そんな堪え難さを忍びつつも、担当者と言葉を交わしているうちに相手の対応が次第に軟化していくのを感じ取った。朗報近しというところだ。「前例がない」ことを「私が打ち破ってみよう」という担当者の気概をぼくは電話口で受け取った。先方から何度も電話をいただくようになり、職員2人を案内役として同行してくれることにまで話が進んだ。懇切な対応をしてくださった担当者に衷心よりお礼を申し述べておきたい。

 同行の職員諸氏と落ち合うために我々は大熊町にある原発より10km圏内の坂下ダム施設管理事務所に出向くことになった。ここに大熊町役場の現地連絡事務所がある。大熊町は町中でバリケードが施設され通過できないので、迂回しなければならない。南相馬から6号線を一旦楢葉町まで南下し、そこから県道35号線を再び北上して坂下ダムに至る。車で1時間20分の道程である。
 35号線の車窓風景も、阿武隈山系の初秋の色づきとともにのどかの一言で、とても美しい。だが点在する家々はひっそりと静まり返り、カーテンが下ろされ、人の気配はまったくない。風景の美しさに比し、ここも異様な不気味さと痛みを感じる。
 北上するに従って、線量計の音量がガーガーピーピーとうるさく騒ぎ立てた。助手席のぼくは、運転するSさんに「かなり上がってきましたよ」というと、Sさんもかなり気になるらしく「今どのくらい?」を連発し始めた。空間線量が8μSv/hを超えたところで(原子力規制委員会のモニタリング情報では、今年3月の埼玉県庁は0.053μSv/h。現在ぼくのロシア製と国産の線量計は双方とも0.08μSv/hを指している)、ぼくは下車し、後続の2台の車に「みなさん、マスクをしましょう」と促した。彼らも線量が上がってきたことを承知しており、ぼくがいうまでもなく素早い反応を示した。「糠に釘」の人々よ、普段もこのくらい迅速なる反応を示してもらいたいものだ。ぼくのいうことをこのように素直な気持ちで受け入れれば、もっと早く写真上手になれるのだぞ、とぼくは一人ごちた。

 坂下ダムに到着し、事務所を訪ねた。ダム近辺は除染がなされ比較的低線量である。といっても年間2mSvを超え、若い人が勤務するには不適だ。
 ぼくらは事務所に通され、ここに勤務するおじさんたち数人に温かいもてなしを受け、大熊町の現状について丁寧な説明を受けた。部屋の中央には町の精密で大きな俯瞰模型が置かれ、空間線量により色分けされた待ち針が指してあった。
 余談だがちょうど1ヶ月ほど前に放映された『無人の町のじじい部隊』と題するNHKスペシャルに登場していたおじさんたちである。俯瞰模型も映し出されていた。

 ダムで防護服に着替え、同行職員の先導する車にぼくらは続いた。まず大川原地区の除染現場を案内してくれた。楢葉町の除染現場でのきわどい撮影を経験したぼくは(第178回)、今回同行職員の官印をいただいたようなものなので、誰にも後ろ指を指されることもなく、ましてや逃げ回ることもなく、晴れ晴れと写真に専念できた。表土5cmをユンボ(重機)で削り取る作業だそうである。除染作業自体はあまりフォトジェニックなものではなく、ぼくはもっぱらユンボを器用に扱う作業員に見惚れていた。ユンボの扱いには多少腕に覚えがあったので、なおさらいけない。ぼくだったら、土ごとひっくり返してしまうだろう。良い写真は撮れなかったが、記録としてのものを掲載しておこう。

 地元の人間でしか分からないような道を先導車は進んで行った。やがて案内されたのは、大熊町立大野小学校だった。学校はさらに胸が痛む。ぼくは子供たちの騒ぎ立てるあの騒々しい音を極度に嫌い、そして避けてきた。頭が割れそうなくらい苦痛を覚えるのだ。けれど、無音の小学校というのはこの世のものとは思えない。なにか宗教的な厳粛さがあるが、それにも生理的な反発を覚える。それは静寂とは異質のものだ。校舎の間をぬって歩くぼくは、現実から浮遊し、地に足がつかぬままシャッターを切っていたような気がする。情動的というか、やはり胆汁質による情緒不安定が、肝心の幻覚を曖昧なものにしていた。座敷わらしでも出てくれればいいのに。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/193.html

★「01大熊町」。初秋の坂下ダム。ここから福島第一原発へ冷却用水が流れている。このダムがテロに遭ったらどうなってしまうのだろうと我々は話し合った。
撮影データ:EOS-1DsIII。レンズEF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf13、1/400秒。露出補正-2。ISO100。2013年11月11日。

★「02大熊町」。大川原地区の除染現場。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf10、1/320秒。露出補正-0.67。ISO200。2013年11月11日。

★「03大熊町」。大熊町立大野小学校。このレンズ、f8.0では周辺部の解像度がどうしても甘くなる。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞りf8.0、1/320秒。露出補正-0.67。ISO320。2013年11月11日。

★「04大熊町」。大熊町立大野小学校校庭。空間線量は約6μSv/hだったが、土壌は1kgあたり驚くべきベクレル値を示すだろう。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞り13、1/160秒。露出補正-0.67。ISO200。2013年11月11日。

★「05大熊町」。大熊町立大野小学校。立派な校舎だが、もはや廃墟と化している。物音ひとつしない音楽室に小太鼓が並べられていた。
撮影データ:カメラとレンズ同上。絞り13、1/100秒。露出補正-0.67。ISO320。2013年11月11日。
(文:亀山哲郎)