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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/11/11(金)
第322回:写真の偉大な記録性
 つい先日、86歳になる叔母から写真が送られて来た。それは80年前の、セーラー服に身を包んだ女学生のモノクロ肖像写真で、営業写真館で撮られたものだった。長い時を経て、印画はいわゆるセピア調と化し、淡いグレーの部分はわずかに青の成分を含んだ灰色に見える。写真の周辺部は色あせ、純黒が失われつつあり、軟調化している。全体の色調はセピアとカーボンプリントを混ぜ合わせたような具合だ。

 時の経過とともに味わいある色調となった印画を興味深くしげしげと見入っていた。そしてこの時、ぼくは68年目にして初めて生みの母との対面を果たしたのだった。しっかり正面を見据えた母の目には上品なキャッチライトが写り込み、ぼくを優しく見守っているかのようだった。しばし見つめ合っちゃったりして、どうにも照れ臭い。写真から今まで感じたことのない母性愛のようなものも同時に伝わってきた。これが母親の魔力というものなのだろうか? 感傷的な思いは湧かなかったが、今までにないような感慨を抱いたのは確かだった。
 敬意を払い、挨拶くらいはきちんとしなくちゃならんなぁと思い、ぼくは照れながら、「母上、初めまして。あなたの一人息子は68歳の白髪じじぃとなりましたが、まだ元気に生きております。しばらくはそちらに行く予定はありませんので、どうぞご安心を。そして、あなたにはふたりの孫もいるんですよ」とひとりごち、報告に及んだ。写真は大変な手柄を立ててくれた。

 母はぼくを産んで乳離れするまでに病気で他界した。なぜ母の顔さえこんにちまで知らされなかったのかについては善意に基づく複雑な経緯があったようだが、それはさておき、写真の持つリアリティについて改めて考えさせられた。それは偉大かつ確実な記録性といってもいいだろうと思う。
 記録することによって、時空を過去に遡らせ、失われた時を目の前に呼び戻してくれる。写真とは不思議な道具立てであり、口寄せをする巫女のようでもあり、また芝居や映画の役者のようでもある。それは、常に奇妙な符号を伴った希有な表現媒体であることにも気づく。

 文章や絵画とは異なった記録媒体としての写真は最も歴史が浅く、しかしながら現代に於いてますます隆盛を極めている。写真は、複雑で精密なる科学と化学の合弁事業により育成されるものなので、歴史に遅れてやって来たのはそれなりの理由と合理性があるのである。また、写真は時代の最先端を行くという言い方もできる。鑑賞という枠を飛び越えて、写真はその優れた記録性によってあらゆる分野に貢献を果たすようになり、我々の生活になくてはならないものとなった。

 今や「記録媒体としての写真」という観点からすれば、文章や絵画を遙かに凌ぐ数の人々が、写真に親しむようになった。社会的貢献というより個人に向けた貢献である。一番の要因はやはりそのお手軽さと面白さにある。
 お手軽さについては、功罪相半ばを認識しつつも、写真を生業とするぼくは否定も肯定もしないという曖昧な立場を取り続けている。商売人は、それについて語る資格を奪われている。お手軽さとは縁のないところで写真に関わっているのだから、ということなのだろう。

 実のところ、 “写真愛好の士” という限定的な言い方が無理なく通ったのはお手軽ではないアナログ時代までのことであり、デジタルが普及するに従いかつての “写真愛好の士” はすっかり陰が薄くなり、ひっそりと鳴りを潜めるようになった。否応なくデジタルという魔物のなかに身を沈め、その存在感を失い始めたのだ。
 誰でもが写真をワンタッチで撮れるようになり、撮るという行為に負担と知恵が不要なものになってしまった。そしてまた、80年間も待たなくては得られなかったセピア調も一瞬のうちに “疑似セピア” として出来上がってしまう。

 便利でお手軽なことをぼくは頭から否定するようなことはしないが(ぼくもその御利益に与っている)、ただ不安の繁衍は止めようがない。喩えていえば、本物のセピアを知らないが故の恐さに気づいていないのではないかということである。このような類例は枚挙にいとまがない。世の中に “疑似” が溢れかえる様は異様であり、感知能力の衰えは、人々をあらぬ方向へと押し流してしまうのではないかと憂虞するのはぼくだけではないだろう。 “疑似” も美しければよいのだが、大半のものは本物より過剰・過激であり、美の範疇を逸脱しているように思える。
 現代は簡便さとの引き換えに、 “熟成” とか “醸成” といった言葉を、手間暇のかかる非効率的なものとして疎んじる傾向にある。

 職業写真屋も、あるいは写真倶楽部の指導者たちも、そのような世情につれて居心地が悪くなっているのではないか。ぼくは自分の立ち位置を確保せんがために、 “即席” を嫌い “熟成” の大切さを躍起になって説いているのだが、はて、どこまで通じているんだか? 

 初対面のセピア母さんに向かって、ぼくはそんな屁理屈を延々と並べ立てていた。次回会ったら母は必ずぼくの所業に説教をするに違いなく、だからもう母の写真を引っぱり出すことはしないつもりでいる。ぼくに不似合いな母性愛は一度だけでいいよ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/322.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
公民館で秋祭りの笛太鼓の練習をしていた。威勢のいい調子が響く。
絞りf11.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02栃木市」。
路地裏の向こうに何かがある? しとしと雨に髪を濡らしながら。
絞りf11.0、 1/15秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03栃木市」。
元銭湯と覚しき廃屋。煙突を支えるワイヤーが稲妻のように見えて面白かった。東日本大震災によくも耐えたものだ。
絞りf9.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2016/11/04(金)
第321回:名物に旨いものなし?
 20年ほど前にぼくは仕事で栃木県の栃木市を訪れたことがある。どのような撮影だったのかほとんど記憶にないのだが、撮影後空きっ腹を抱え、最寄りの蕎麦屋に飛び込んだことだけははっきりと覚えている。蕎麦好きのぼくにとってそれはあまり芳しい味だったとはいえず、ぼくはこの見知らぬ地を歩くこともなくそそくさと立ち去った。栃木は押し並べて蕎麦処と聞いていたので、「名物に旨いものなし」という諺通りなのかとがっかりしたものだ。

 2003年11月といえば今からちょうど13年前になるが、撮影会と称して我が倶楽部の郎党に担がれ栃木市に行ったことがある。ぼくの発案ではなかったのだが、栃木市内を流れる巴波川(うずまがわ)添いに広がる蔵屋敷の景観はなかなかのものだと言い含められた。通船堀にある蔵屋敷をぼくは目にしたことがなく、一見の価値ありといわれたが、それでもやはり半信半疑だった。
 何故かといえば、失礼ながらぼくは彼のフォトジェニック・アイを頭から信じていなかったからである。写真的見地からして、名所旧跡イコール撮影に適した所とは必ずしも言い難いというのがぼくの昔からの持論である。
 加え「名物に旨いものなし」をもじり「名所旧跡にフォトジェニックなものなし」とぼくは決め込んでいた。少なくともそのようなものに写真的興味を覚えたことは生憎ながらほとんどない。不器用なぼくは、自分の撮るべき必然性のようなものを名所旧跡に感じたことがなかったからだろう。
 「名所に見どころなし」(名声は必ずしも実質を伴わないということのたとえ)ともいうしね。ただ、京都の東寺や奈良の法隆寺などは別格なので、むろん皆無というわけではない。 
 そしてまた、名所旧跡に勇んでレンズを向けることは写真的精神年齢を考えると、どうにもたじろぐ。他人はいざ知らず、半世紀以上も写真に熱中してきた自分の姿として、それはあまりにも浅薄そのものではないか?との思いが頭をかすめてしまうのだ。
 ついでながら、栃木の名誉のために申し添えておくと、この時に訪れた蕎麦屋は大変結構なものだった。「名物に旨いもの稀にあり」と訂正しておく。

 そして今年9月下旬、春と秋は窓を開け放しで寝る習慣のぼくは心地よい雨音で目が覚めた。前日、江戸小史を紐解いていたら、江戸っ子なる条件は「蕎麦」と「落語」に通じていることという一節があった。ぼくは江戸っ子ではないが、「蕎麦」と「落語」は子供時分から一人前に嗜(たし)んできたという経緯があるので、強く共鳴するものがあった。
 「蕎麦」と「雨」がどこでどう結びついたのか分からないが、13年前撮影会で栃木市に行った時の小雨に煙る蔵屋敷が、夢半ばにぼんやりと目の前に現れたのである。寝ぼけながらも布団を蹴り、珈琲豆を挽きながら衝動的に栃木行きを決めた。Googlemapで所要時間を調べると、東北自動車道浦和インターから栃木市内まで1時間8分とある。意外に近い。珈琲とともにサンドイッチを流し込み、カメラにレンズ1本といういつもの横着な出で立ちで、雨の高速道路を走った。 

 時間通り栃木市に辿り着いたぼくは、13年前に徘徊した有名な蔵屋敷を車の中から見遣り、「再挑戦は例幣使街道(れいへいしかいどう)を挟んだ街の路地裏」と決めていた。
 「例幣使街道」とはWikipediaによると、「江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛(へいはく)を奉献するための勅使(日光例幣使)の通った道である。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る」とある。

 栃木宿(現在の栃木市)は倉賀野宿(現在の群馬県高崎市)から13番目の宿場にあたり、蔵屋敷が並ぶ街並が保存されている。車でそろそろと市内の例幣使街道を行くとあちらこちらに立派な蔵が点在し、なかなか趣がある。個人的な好みでいえば、どこか媚びを売っているような川越市(埼玉県)よりずっと好感が持てる。
 余談だが、栃木市も川越や千葉県佐原と同じく小江戸とか小京都とか関東の倉敷と呼ばれているそうだが、ぼくはこのような呼び方には昔から異常なほどの違和感を覚えてきた。こんな形容をされたのではお互いに迷惑千万なのではないだろうか。誇りというものがあるでしょうに!日本人はこういうの、好きだね。「日本アルプス」だって。呆れてしまう。

 栃木市には、名所旧跡にありがちな、取って付けたような唐突さと滑稽さがなく、自然なのがとてもいい。てらうこともなく、しかも住民と生活環境との乖離がない。蔵は蔵、なまこ板はなまこ板、板塀は板塀と、互いを尊重しながら自然な形で混在し、この街が辿ってきた歴史を時系列にそのまま表現している。“これ見よがし”といった姿があまり感じられず、旅人には肩が凝らなくていい。ぼくから見て、この街は一流である。路地裏に潜り込んで被写体を渉猟し、シャッターを切る機会に多く恵まれるのだ。写真的精神年齢を高く保てるのは誠にありがたいことだ。
 今月中旬、我が倶楽部の一族郎党を引き連れて栃木市へ繰り出すことになった。彼らがぼくのフォトジェニック・アイを信ずるか、はたまた蕎麦食いに走ってしまうのか、ぼくは今複雑な心境である。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/321.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
麻問屋兼銀行を営んでいた明治時代の豪商横山家の裏手。現横山郷土館。
絞りf6.3、 1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」。
「とちぎ蔵の街美術館」。200年前に建てられた土蔵3棟を改築し、美術館として利用されている。
絞りf8.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03栃木市」。
例幣使街道の一角。多くの蔵が店舗として利用されている。理容室もかつては蔵の一部だったのだろうが、違和感なしの佇まい。
絞りf9.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/10/28(金)
第320回:季節はずれの鯉のぼり
 前回、埼玉県加須(かぞ)市の写真を掲載させていただいたが、ちょうど5年前の11月にぼくは仕事で訪問したことがある。某出版社の依頼による日本伝統工芸撮影の一環として、加須市の鯉のぼり製作工房を訪ねたのだった。この仕事で2ヶ月以上もあちこちを走り回り多忙を極めたが、優れた職人の技と工芸品を数多く拝見することができ、ぼくにとってそれはとても有意義なものだった。

 すべての撮影を自然光のみで撮影するとぼくは意地を張り、担当者も快諾してくれた。工芸職人の仕事場にライティング機材を持ち込めば、撮影はより容易なものとなるが、同時に職人の魂が失せてしまうような気がした。人工光が職場の空気を掻き消すようにも感じた。撮影する側も職人の技術や感受性、生活環境にシンクロさせなければ生きた写真とはならないというのがぼくの信条だった。
 ストロボ光というものはいつだって現場の空気感や雰囲気を損ねやすく、しっかり写すことがまず優先される撮影は別として、職人のありのままの姿や息吹を写し取るには自然光が最も適っていると考えた結果だった。
 職人の動きは一見すると無造作に見えるものだが、すべてが計算づくのものである。長年にわたって培った動作は理に適っており、狂いもなく、しかも無駄がない。そしてまた、手の動きは素早く、被写体ブレも計算した上での自然光採用だった。
 「そこで止めてください」なんてことをプロがいってはいけないのだというぼくの片意地一徹が(これをパラノイアというらしい)、撮影をますます困難なものにしていった。
 また、上質紙に大きく印刷されるとのことで、ISO感度も極力抑えなければならない(ノイズを抑え、解像感と豊かなグラデーションを得るために)という苦役というか拷問のような撮影に自らを導いた。苦労すればするほど大きな達成感が得られるという法則にぼくは賭けたのだった。こちらも写真の職人なのだから。

 そして、職人の仕事場というのは概ね光量が不足気味であり、自然光(外光、タングステン光、蛍光灯、そしてそれらのミックス光)採用と意地を張った分、露出の設定には四苦八苦の連続だったが、厄介なフィルターワークに神経をすり減らされるフィルムと異なり、デジタルのありがたさをしみじみと感じ取ったものだ。
 Rawで撮影し、現像時にホワイトバランスを慎重に調整すれば、色温度や色被りをほとんどクリアできるデジタルは涙が出るほどありがたい。現場で闘う者にとって、“感涙にむせぶ”とは、決して大袈裟な表現ではないのである。

 鯉のぼりは撮影した季節が冬だったため五月晴れの空に泳ぐ鯉のぼりとはいかなかったが、手作りによる鯉のぼり製作現場は一見の価値ありだった。練達した職人の手になる鯉のぼりは、重厚さや品位というものを窺わせ、大量生産品にはない、まさに代々伝わるところの工芸品だった。

 撮影を済ませたぼくは他のメンバーと別れ、一人で加須市内を歩いてみた。これといった特徴は見出せないのだが、何かが琴線に心なしか触れているような思いに囚われ、その後2度ばかり35mm(フルサイズ換算。もしくは35mm換算)広角レンズ固定のカメラ(APS-Cタイプ)をぶら下げて訪れたことがある。すべてモノクロ写真をイメージしての街中スナップだったが、満足感のない写真に自然と足が遠のいてしまった。
 撮影が上手くいかない時、ぼくは自分に不備があるのではなく、被写体のせいにすることにしている。そうでないことを十分に自覚しているからこそ相手のせいにしたがるのだ。
 けれど、非科学的ではあるが、相性というものは確実にあるので、ぼくはもっぱら「所詮は相性が悪かったのさ」で片を付けることにしている。

 前号で述べたNさんの「撮ったもののほとんどがボツでしょ」という正しい見解にも関わらず、写真屋は撮ったすべてを親バカのような気持で、出来の良くない分身を少しでも良いものに見立てようとする。毎度毎度の、そんな呆れた所業に辟易とするのは写真屋に限ったことではないだろうが、「労多くして功少なし」だとどうしても人は責任の転嫁に励んでしまうものだ。
 加須に於ける自分の不始末を謙虚に考えてもみるのだが、力量以外(言いたくはないけれど、相性も本来は力量のうちであろう)に思い浮かぶものがない。これはかなり悲劇的な状況である。ぼくは潔く加須への思念を断ち切った。

 あれから2年経った今年、目下勉強中のカラー写真を念頭に置き、「加須はカラーのほうがイメージを固定できるのではないか」と思い始めた。善は急げとばかり、残暑厳しい9月上旬に、ぼくは決着をつけようと最後の加須に臨んだというわけである。
 「カラー写真で」をイメージすると、今までとは異なった見え方がするものだ。写真の出来不出来は見る側に委ねるとしても、カラーとモノクロによる相性の違いってあるのだろうか?というのが目下の研究課題となりつつあるようだ。力量不足なんて、思いたくないもんなぁ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/320.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
    「鯉のぼり製作工房」での撮影は、EF24mm IS USM。

撮影場所:埼玉県加須(かぞ)市。

★「01加須市」。
廃業となった銭湯の母屋。赤いなまこ板と青の鉄骨。やはりカラーが似合っている。
絞りf10.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02加須市」。
きっと由緒ある屋敷なのだろう。「火気厳禁」と殴り書きされた看板が面白い。
絞りf13.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03加須市」。
路地裏。蒸し暑い日だったのでなおさらムッとするような湿った空気に包まれる。
絞りf10.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-2.00。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5年前に撮った鯉のぼり製作工房の写真2点。残念ながら職人さんの写真は掲載できないが、雰囲気だけでも。
★「04鯉のぼり製作工房」
絞りf13.0、 1/2秒、ISO100、露出補正ノーマル。

★「05鯉のぼり製作工房」
絞りf13.0、 1/3秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2016/10/21(金)
第319回:ひょっとして良い写真が?
 「またやっちゃった!」とは、ぼくの撮影時に於ける常套句のようなものだ。撮っても良い結果を得られないことが分かっていながら、過去の習性とか呪縛から逃れられずに、つい似たような被写体を惰性で撮ってしまうのである。新鮮な刺激を感じていないのに、仕方なく撮ってしまうのだ。写真屋(ぼくばかりでなく、おそらく写真の好きなみなさんも)はそんな悲しい性を引きずっている。撮影を思いとどまる勇気をなかなか持てないでいるのだから始末が悪い。だから同じようなものを懲りもせず、飽きもせず、一縷の望みにすがりながら撮ってしまう。よせばいいのに、である。
 また、撮らなければ撮らないで、不安ばかりが増殖していくのだからいやになる。“取り敢えず撮っておこう”という「取り敢えず写真」が上手くいった試しなどないのに、本当に学習能力がない。
 それは、結果が直ちに見えないという写真特有の性質にも起因している。写真が発明されて以来この方、写真愛好家は「現像してみなければ分からない(デジタルでさえ)」との不安をずっと抱いたままである。しかし、写真の上がりをルーペ(フィルム)やPCのモニター(デジタル)で見るあのドキドキする感覚は何ともいえない醍醐味なのだが、カメラのモニターは、その役目を十分に果たしてくれるとは言い難い。あれはまったく当てにならないものだ。
 撮った結果がすぐにカメラのモニターで確認できるので、デジタルはとても便利だという文言を別の意味合いでぼくは使用している。

 何万回も同じ失敗を繰り返しつつ、前号でも述べた「写真的精神年齢」などちっとも成長していないことを知る時の自虐志向は相当なものがある。地団駄踏みながら自分の撮影行為をなじるのである。「アホ」だの「マヌケ」だの「オタンコナス」といった具合だ。あまりに悔しいものだから、ぼくはこの言葉を他人にも無遠慮にぶつける。これを“とんだとばっちり”と世間ではいうらしい。
 「でもひょっとすると(良い写真が撮れるかも)」と、未練がましくもわずかな希望に身を委ねてみるのだが、写真に「ひょっとして」などということは残念ながらない。くじ引きではあるまいし、「そんなことがあってたまるか!」というのが本心である。写真にまぐれなど決してないとぼくはいつも信念を持って言い切っているにも関わらず、「ひょっとして」という悪魔の囁きに抗しきれず、シャッターを切りなんとなく安堵のひと息をつくのである。浅ましいというか、そこには雅というものがない。精神安定剤のように煙草などを吹かし、憩いのひとときを味わう振りをしながら、内心「またやっちゃった!」と、照れ隠しに余念がない。写真というのはなんと女々しくも罪つくりな趣味ではないか。

 性懲りもなく同じ過ちを繰り返しているのは、決して自分だけではなく、写真を愛好する同志もきっと同じであるに違いないというのが唯一の救いでもある。同病相憐れむという塩梅だ。写真とはそのようなものだと思い込むことにしているのだが、肝心なことは、良い写真が撮れる確率にあるのだろう。

 20歳の時、尊崇する陶芸家Nさん(重要無形文化財保持者。人間国宝)の窯出しに立ち会わせてもらったことがある。Nさんは窯出しをした作品を手に取り、一瞥をくれ次から次へと惜しげもなく割ってしまう。
 ちょうど取材に来ていた新聞社の記者がその様子を見て「うゎ〜もったいない」と思わず声を上げると、Nさんは、しきりにシャッターを切る同行のカメラマンに向かって、「カメラマンさんなら分かりますよね。撮ったもののほとんどがボツでしょ。陶芸も写真とまったく同じなんですよ。多くの条件が理に適っていれば良い作品ができる。良い作品とは思い通りにできたものをいうのです。製作過程に於ける条件が多く、複雑すぎて、また化学反応というものはとても不安定なものなので、いくら私が熱を込めても、偶然に良い作品がつくれるということはないんです。そんな奇跡は起こらないのですが、実際には窯から出してみないと私にも分からないんですよ」と笑顔でいわれた。名工の名を欲しいままにしたNさんはどこまでも謙虚な方だと感じ入ったものだ。

 血の滲むような訓練をした人ほど他人にそれを感じさせないものだ。夜の酒席に同伴させてもらったが、磊落で人間臭紛々とし、世俗に通じた気さくな普通のおじいさんと何ら変わりがなかった。「清濁併せ持つ」とはこういうことを指すのかと、若かったぼくは教えられた。本物の偉人とは得てしてそのようなものではないだろうか。
 窯出しに立ち会った数人の共通した思いは、「割ってしまうくらいなら、ひとつくらい欲しいなぁ」という世俗の極致にあったが、腹を割って申し出る人は一人もいなかった。みんな禁句を守り通したことは付記しておかなければならない。

 ぼくの乏しい経験から割り出すと、「取り敢えず写真」は多く撮れば撮るほど良いということだ。運動の、いわゆる“素振り”に見立てればいい。それを飽くことなく繰り返して初めて次なるものが見えてくる。もちろん、漫然と撮っても意味がないが、真面目に「取り敢えず写真」に臨んでいるうちに、少しずつ手応えというものを知るようになるのだとぼくは信じている。これで一段上昇間違いなしだ。
 Nさんはこうもいわれた。「割っても割っても私は陶芸が好きだから、好きなうちはもっと割る。割ることも愉しみのうちですよ」と。
 割ることの痛みを知ってこそ、ナンボのものではないだろうか。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/319.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:埼玉県加須(かぞ)市。

★「01加須市」。
残暑厳しい9月上旬の加須市。何かの倉庫らしい。
絞りf11.0、1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02加須市」。
建築の専門家によるとなまこ板の夏はかなり暑いとのこと。長屋らしき佇まいに思わず足が止まる。
絞りf13.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03加須市」。
真っ赤に膨れあがった太陽が沈んでいく。
絞りf10.0、1/25秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/10/14(金)
第318回:血気盛ん
 10年以上も前から、ぼくは本業であるコマーシャル写真から意識的に距離を置き始めた。恩義を受けてきたクライアントからの依頼はお世話になったお礼を込めて快くお引き受けをしているが、新規の仕事は丁重にお断りをしている。大した仕事をしてきたわけではなく、また仕事を断るような身分でないことは重々承知の上だが、自分の歳を考えてみれば「食べるための写真」からはできるだけ早く離脱して、自身の写真を愉しみ、そして極めたいという欲求に駆られたのが主な要因だった。ぼくは50代の半ばに差しかかっていた。まだまだ血気盛んなお年頃である。
 上手い下手ではなく、商売人とはいえ自分らしい写真を撮ることの大切さを自身に誠実に示さなければならないお年頃でもあった。ここで写真少年に立ち戻らなければ、その機を永遠に失ってしまうような気がしていた。

 どのような分野の写真であれ、その奥義に変わりはないと信じるも、やはり自分の体質に合った写真というものが人にはあるものだ。嗜好は体験や知識の深さにより年相応のものに変容していく。それを指してぼくは「写真的精神年齢」と呼んでいるが、とはいえやはり生まれ持った好尚というものは、拭ってもなかなか身離れするものではなく、いつまで経っても垢のようにへばり付いてくるものだ。
 そしてまた、嗜好の変化・転換を余儀なくされるような大きな刺激は外からもたらされるものではなく、自らのうちに産み出していくものだということを身に染みながら知った。このことはぼくの生涯のなかで得た貴重な財産であるように感じている。たかだかこんなことを悟るのにぼくは60数年の歳月を要したようで、相当な奥手でもある。

 つい先日もお悩みの読者からお便りをいただいた。
その返事に、「ご自分の性に合った写真を撮ることが一番。無理をするといつまで経っても借り物から脱しきれない。アマチュアであればこそ他人に見せるための写真ではなく、自分のために、大らかに写真を撮ることが大切。他人に写真を通じて自分を問うことは貴重な体験となるが、他人の目を斟酌しているうちは創造とは無縁であることを知ってください。そのような写真は概して写真的精神年齢の低いところに留まるものです。悩みながらも素直に、“天真爛漫”に写真を愉しみましょう」と申し上げたところだった。

 ぼくは無信心であり、日本人のなかには特定の宗派に属している人もいるが、多くは普段宗教というものに直接の関わりを持たずに生を営んでいる。日本は諸外国に比べ風変わりな国だ。それでいながら都合が悪くなると厚かましくも神頼みなどしている。信心などないといいながらも、ぼくもその手合いである。
 また、いとも容易く宗旨替えをしてしまう人間もいる。ぼくの親父がそうだった。「わしが死んだらあの寺の墓に葬られたい」との理由だけで、浄土真宗から禅宗にあっさりと鞍替えしてしまった。ことさらに仏教やインド哲学を真摯に学び、造詣の深い人間の成したことだから、若いぼくはそれでいいのだと思い込んでいたが、今になって「宗教って何だ?」という思いはいつもついて回る。
 富士山頂に登るのに、富士吉田側からでも河口湖側からでもいいじゃないかというのが、多分親父の言い分だったに違いない。頂上に立つのであればルートなどどうでもよかろうというのは如何にも親父らしく、ぼくはそのような考えに痛く同意する。一本足だろうが振り子打法だろうがヒットを打てばそれでいいのだ。写真とてそれと同じではあるまいかと思っている。

 なぜ唐突に宗教の話をしたのかというと、信仰心などないといいながらも人は本能的に、あるいは無意識のうちに神の存在を認めていると思うからだ。だから神頼みをする。「神は非礼を受けず」(神は道理にはずれた願いごとをしても決してお受けにはならないということ)という論語を知ってか知らずかであるが、人それぞれにそれぞれの神がご都合に応じているのだろう。
 レンズを向ける被写体が無機物であれ有機物であれ、ぼくはそこに一刻の生と滅びを感じる。生と死の営み、あるいはその交差といってもいいのだろうか。そんな時、宗教的な精神の高揚に出会う。良くも悪くもそれに引きずられてシャッターを押す。ぼくには場当たり的な神が存在する。
 また、光というものはまさに神秘であり、神々しくも見える。この世はそんな神がかりの光が充満している。その光を、一喜一憂しながらカメラという器具を用いてちゃっかりといただく。二度と同じ光に出会うことなどないのだから、その一瞬にのみ自分は生きているという実感を得る。その証拠を神とともに同衾(?)したいと考えるのが人情というものではないだろうか。
 生は時空とともに連続してあるのではなく、ぶつ切り状でつながっているのだとぼくは信じているのだ。輪切りの連続状である。それはあたかもムービーフィルムのようだ。
 「ボールが止まって見えた」とか「ボールの縫い目が見える」といった打撃の達人がいたが、彼らにはぶつ切りの瞬間が見えたに違いない。ぼくはまだまだその境地に達していないけれど、血気盛んなうちにその瞬間を見届けたいものだと願っている。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/318.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
このような佇まいに出会って、懐かしさとともに哀愁に胸を打たれる。
絞りf8.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02墨田区」。
都内にもまだこのような空気が残っているんですねぇ。
絞りf8.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03墨田区」。
子供時分には浦和市内にもこのような形状をした工場があったものだ。日の暮れかかる寸前。
絞りf6.3、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2016/10/07(金)
第317回:露出補正(2)
 日本国民が一喜一憂したらしいリオ五輪が終わり、ふと振り返ってみるとぼくはその1シーンさえもまったく見ていないことに気づいた。スポーツが嫌いなわけでもなく、関心がないということでもないのだが、それにしてもそんな自分の生活態度や感情に少し目をぱちくりさせている。
 我が家にはテレビもあり新聞も朝夕配達されているのだが、もとよりぼく自身はテレビも見ず、新聞も読まず(見出しだけ見て本文は読まず)、なんら関わりを持たずにこの何十年かを無事やり過ごしてきたし、不自由さも感じたことがなく、そんな自分を仕合わせだとさえ思っている。
 貴重な情報源は家族であったり(特に坊主はぼくの重要なスポークスマン)、知人友人であったり、世間の空気であったりするわけで、それでなんら不便を感じていない。よしんば情報の氾濫する現在にあって、否が応でも情報は何らかの形で侵入してくる。
 仕事をしていないのであれば、ぼくは電気も水道もない山奥の小屋で読みたい本や画集を持ち込み、それだけで何不自由なく過ごすことができるだろう。それは、 “写真一途” との公式に当てはまるものではないにしろ、世事の煩わしさから開放され、もっと写真に傾注できるのではないかという甘い誘惑となる。夢遊というべきか。
 嫁はぼくとの協同を断固拒否するであろうから、ここだけの話、それは一石二鳥の、願ったり叶ったりというものだ。
 「余計なことは知らないほうがいい」というのはぼくの生きるための方便であり、世情に遅れを取るという恐怖心もないのだから、早く実現の運びとしたいが、事態ははかばかしいとはいえず、なかなかに難しい。

 山小屋から記録メディアを街の写真屋さんに持っていき、プリントしてもらい、それをよしとするほどぼくは練れていないし、枯淡の境地にも達していない。そうなればどれほど気が楽であろうかと思う。生っぽいぼくは自分の意志や感情をより強く訴えたいという邪心と自己顕示から逃れられず、どうしても電気を必要としてしまうのだ。露出補正などにもこだわってしまうので、よんどころなくPhotoshopという暗室道具のお世話にならざるを得ない。

 ぼくのいう露出補正の基本は多くの場合暗室作業を前提条件にしたものなので、果たして読者諸兄の何%くらいが暗室作業をされているのか皆目見当さえつかずにいる。メドの立たないところで技術論を展開しているという思いもある。
 写真好きでPhotoshopにも通じている友人が、「前回の露出補正の話は大変高度な技術論であり、多くの愛好家が立ち入る領域ではないのかも知れないね」といってきた。確かにそうかも知れないし、ぼくとてある程度そのように感じている節がある。彼の言葉に反論はまったくないのだが、「できる限り白飛びをさせない」という方法論(技術論)は金科玉条と捉えてもらっていいと思っている。デジカメには「白飛び警告」や「ヒストグラム」というデジタルならではの機能が備わっているのだから、ひとつの心得としてこの文明の利器を極力利用して欲しいと願っている。これはそう難しいことではないので、ぜひお試しあれ。

 適切な露出を得る方法に、「段階露光」というものがあることはみなさんもすでにご存知であろう。ポジカラーフィルムを使用する時は、この作法に従うことが定石だったが、撮影後に明るさの調整ができるデジタルになってからは軽視される傾向にあるようだ。そこには「後でPhotoshopを使いなんとかしよう」という横着な魂胆が見え隠れしている。Photoshopは技術上の誤りを修正する道具でないことを肝に銘じていただければと願う。第一、修正できない。画像を補整すればするほどその荒が目立ってくるのだから、最も基本的な画像の明度については慎重を期しましょうということだ。
 適正露出を得るための保険が「段階露光」とお考えいただければいい。そして、段階露光をしているうちに、1絞りの明度差(つまり2倍、もしくは1/2の光量差)がどのようなものかを身につけることができる。実はこれが貴重な体験となるのだが、案外ベテランといわれる人たちでも、この差が明確に描けていないのではないかと感じている。これはぼくの楽観的な言い方で、実際は描けない人がほとんどであろうと思っている。光の認識はとても難しいものだが、これも訓練である程度克服することができる。

 ほとんどのデジカメには露出補正のためのダイアルが附属している。1絞りの1/3 段階ずつ明るさが調整でき、これを使用して撮影者の望む明度の画像を得られるようになっている。たとえば1/3段階ずつ3枚とか、2/3段階ずつ3枚とか、1度シャッターを押すだけで自動的に段階露光をしてくれる便利な機能が附属している。取扱説明書にはAEB(Auto Exposure Brancketing)機能として解説してあるので、ご参照のほどを。

 露出については過去にお話ししたことに加え、まだまだお伝えしなければと思うのだが、また機に臨んでお話しできればと思う。
 しかしながら、写真が発明されて以来今日まで撮影者は延々と露出に悩まされてきた。科学の進歩と相まって、もうそろそろ被写体の濃度域に正確に合致できるような仕掛けが発明されないものだろうか? まぁ、山奥の住人となってしまえば、ぼくにはもう関係はないのだが。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/317.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
エボナイト工場。所在なさそうに突っ立つ煙突。戦後間もない頃のものらしい。
絞りf8.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02墨田区」。
長屋がいつしか倉庫に変わってしまったとは住民の話。とっさにB. ビュッフェの絵を思い浮かべた。
絞りf5.6、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03墨田区」。
青ペンキがまだうっすらと残っている。どのような意図でこのようなあつらえになっているのだろうか? 興味が尽きない。
絞りf5.6、 1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2016/09/30(金)
第316回:露出補正(1)
 秋の長雨でぐずぐずした日々が続き、なかなか秋特有の紺碧の空が姿を見せてくれない。撮影を思えば、ぼくはどちらかというと雲ひとつない晴天が苦手だ。若い頃は(フィルム時代)このような空模様には偏光フィルター(PLフィルターと呼ばれるもの)を多用し、コントラスを自在に変えながら写真を楽しんだものだが、写真というものが少し分かり始めると、カラー、モノクロに関わりなく晴天下のコントラストを持て余すようになった。
 これは愛好家なら誰しもが通過しなければならない関所のようなものだ。そんな苦労はしたことがないとか気にかけたことはないという向きはおそらくモグリに違いない。この関所をうまくすり抜けるのはなかなか容易なことではなく、ぼくは未だに苦心惨憺している。通行手形をいただくまでには、気の遠くなるような繁雑な手順をこなさなければならず、まだまだ時間がかかりそうだ。いや、ややもするとこのような手形はあってないようなものなのかも知れない。
 しかし、偏光フィルターはデジタルであっても大変有用な写真用品に変わりなく、天気の良い日に、久しぶりに使用してみたいと思っている。今取り組んでいるカラー写真のありように、何らかの貢献を果たしてくれるように思えるし、きっと重宝するのではあるまいかとの予感も漂う。ぼくの予感は百発九十中くらいの確率で当たる。
 デジタル時代にあって、偏光フィルターの効果はPhotoshopでもある程度再現できるが、やはりアナログの自然さには敵わない。またありがたいことにPhotoshopでの補整にくらべ画質の劣化を来すことがない。

 今週、山歩きの好きな坊主(息子)が岩手県の栗駒山に行き、帰宅するなり鮮やかな紅葉の写真を見せてくれた。「そうか、もうそんな季節なんだね。きれいだねぇ」とぼくは写真愛好家でもない坊主に向かっていった。「この写真をさらに際立たせるには偏光フィルターを用いればいい。葉っぱの反射が抑えられるので色彩がよりくっきり、そして豊かになる」とはいわなかった。父親というものは息子に余計なことをいってはならないのだ。
 ぼくにとって美しい紅葉はもっぱら目で楽しむもので、それをきれいに写真に写し取りたいという欲はさらさらないのだが、それでも20代の頃は重たい機材を背負って山野を歩き、夢中で撮ったものだ。「エクタクローム(コダック社のカラースライドフィルム)はマイナス1/3補正で使うと良い色合いが得られる」なんてことを悦に入りながら吹聴していたものだ。
 紅葉は晴天下ほど冴え渡る。陽が雲にかかり、直射光が遮られ翳(かげ)りを見せ始めると、まるで動画を見ているように紅葉の彩度がどんどん落ちていく。彩度の移り変わりが山を這うそのさまは、まさに劇的な変化となり、20代のまだ多感さを残したぼくの心身にほどよい英気を与えてくれた。お天道さまは、大自然のなかで織りなす光と色の関係とその跳躍を身をもって教えてくれたのだった。それは感動的ですらあった。

 偏光フィルターの効果についてはかつて拙稿で作例とともに述べたことがあるので割愛させていただくが、さらなる発展の兆しが窺えれば改めてお伝えしようと思っている。

 読者諸兄や友人の愛好家から期せずして同じ質問が寄せられた。同様の思いをされている方々もおられるかも知れないので、そのお答えを。
 「掲載された写真のデータを見ると露出補正はほとんどがマイナス補正となっていますが、何故でしょうか?」とのご質問である。
 お答えの前に、カメラには通常何通りかの反射光式露出測光モードが附属されているのだが、その違いによって露出補正値は異なったものになることをまずお伝えしておきたい。ぼくが通常使用している測光モードは「評価測光」というもので、ごく標準的なものだ。
 キヤノンのEOSを例に取ると、それ以外に「部分測光」、「スポット測光」、「中央部重点平均測光」などがあるが、どれを用いれば正確な露出決定ができるかは被写体次第ということになる。要は使い慣れることだ。また当然ながら測光方式の違いにより同じ被写体でも横位置と縦位置とでは露出値が変化することもある。

 そして「適正露出」という言葉がよく使用されるが、「適正」という意味は物理的なものではなく、撮影者個人にとっての「適正」であるということを知っていただければと思う。何が「適正露出」であるかは、撮影者の意図により異なるという意味でもある。あなたの感覚に合致した露出が「適正露出」なのである。カメラの指示する露出より明るく撮りたければ露出補正はプラスに、暗く表現したければマイナスにという具合である。発光体や雪景色、夜景のように特殊なものはカメラのモニターやヒストグラムで確認しながら補正すればいい。デジタル様々である。

 前述した事柄を踏まえてのことだが、ぼくの露出補正はちょっと意味が異なり、白飛びを起こさないことに集約されている。白飛びを起こした部分はいくらPhotoshopなどのソフトで補おうとしても不可能だからだ。青空に浮かぶ白雲の一部くらいは白飛びをしても構わないが、その面積が広くなるほどに雲の質感と立体感は失われていくので、どの程度飛ばしてもいいかは撮影者のセンスの領域となる。ぼくは、雲は一種の発光体という考え方をしているのでどうしても露出補正には慎重にならざるを得ない。

 露出補正について述べようとすれば、連載5回は優に越えてしまいそうで、そんなものは誰も読んでくれそうもなく、次回でなんとかお終いにできればと願っている。
 読者のみなさん、暗中模索ながらも露出補正に気を配れるようになればしめたもの。美しい画像を得るコツのひとつは露出補正にあるといってもいいのだから。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/316.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
以前は油脂工場だったようだが、今は不明。柔らかな夏の残照に映えるスレートのなまこ板。
絞りf10.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02墨田区」。
昔はどこにでもあった町の商店。我が家の近くにもあったが、平成を迎えるとともに姿を消してしまった。
絞りf8.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03墨田区」。
色鮮やかなバイクと青いなまこ板。風雪に打たれたアパートとの対比が面白い。
絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/09/23(金)
第315回:よき昭和
 いつの時代も人は「昔はよかったねぇ」などと、遠くに視線をやりながら懐かしさを込めてつぶやく。どうやら歳を取れば取るほどにそのような訴えが多くなるようだ。過去を懐かしむのは人の業のようなものだ。現在の世情と過去の個人の思い出、そして後悔も取り混ぜ、何もかもごった煮にして、無定見に懐かしむのである。取り戻せぬ若き日々に思いを馳せ、だからこそその懐古に余念がない。それは時に言葉に出さずとも未練がましく、見苦しさを伴うこともある。懐古趣味なんていうと如何にも安普請だが、それは終生まとわりついて断ち切れるものではない。思い出というものは己の生きてきた証でもあり、また一種の拠り所ともいえ、だから未練も仕方がないのだ。
 「昔を懐かしむのは歳を取ったせいだよ」なんていうこともいわれるが、ぼくもきっとその例に漏れない。
 そしてまた、時を経るうちに過去に負った苦く痛い傷が少しずつ癒されていき、かさぶたの取れた新しい皮膚に愛おしささえ覚えるようになる。忘却の彼方に、人はなにがしかの、一筋の光明を見出そうとする。そうでもしなければ辛くて生きていけないといわんばかりに。

 1989年(昭和64年)1月7日、ぼくは出版社の依頼により、長丁場厳冬のロシアでの撮影をやっと終えその帰路にあった。
 昭和天皇が崩御された時、ぼくはモスクワから成田への機上にあり、何も知らなかった。空港には多くのテレビ局が詰めかけ、事情を知らず海外から到着する日本人乗降客目がけてコメントを求めていた。全体どのような意義があるというのだろうか。
 ぼくもコメントを求められたが、すでに当時からマスコミというものに大きな不信感と嫌悪感を抱いていたので、「ぼくのお喋り内容はおそらくあなた方にとって都合のいいものではないだろう。放映されないことは分かっているので、従ってノーコメントであります」ときっぱりお断りした。そんな安普請に応じるより、空港のレストランで早くビールを呷(あお)りたかった。

 ぼくはこの時41歳であり、過ぎゆく昭和を成田空港で迎えたわけだが、何か一抹の寂しさを覚えたものだ。多感な時期を過ごした昭和とは何だったのかを一言で言い表すことはとてもできないが、戦争を知らないぼくは(昭和23年生まれ)よきものへの惜別を漠然と感じていた。
 「あと十数年経ったら、昭和を指して “昔はよかった” などというのだろうね」と、モスクワで親しくなった人に向けていった。その予感は当たっている。

 昨年、荒川区の三河島に出向いた頃から、ぼくは自身の抱く昭和の残像の、その一片を切り取り始めた。テーマとしてはありきたりかつ平凡なものだが、他人の耳目に触れる必要などないので、あれこれ言い訳せずに済む。感じるままに(イメージするままに)、自己埋没して素直にシャッターを切れるのでまことに心地良い。またそれは記録写真に正対すべきもので、ノスタルジーに浸りながら、とことんフィクションの世界に遊ぶこともできる。フィクションとはいえ、勿論自身のリアリティに基づいていることは言を俟(ま)たない。

 自分の残像は自分のものでしかなく、どのようにして自分らしい表現をするかという難題に取りかかった。誰でもが撮る被写体であればこそ自身のアイデンティティを明確に示さなければならないが、これがなかなかの難物である。手に余るほど難しい。従来のモノクロ表現を一旦押し込め、今夏から一足飛びにカラー写真への挑戦を始めてみたのはそのような理由からだった。

 「下手の横好き」で、ぼくはかつて絵をよく描いた。物をよく観察する訓練には写生が打って付けだと過去に述べたが、もうかれこれ30年近く描いていない。当時の色遣いを思い出しながら、今ぼくはそれを写真に応用し、活かそうとしている。永遠に試行錯誤が続くだろうが、年甲斐もなく寝食を忘れ夢中になって取り組むことができるぼくは仕合わせなのだと思っている。

 三河島の写真は拙コーナーでご覧いただいたが、すべてモノクロ写真だった。一昨日ふと思い返し、色気を出してカラー写真に相応しいと思えるものを選び出し、半日がかりでイメージを追ってみた。今取り組んでいるカラーの作法に従おうと思ったのだが、どうしても上手くいかない。きれいと言えばきれいなのだが、モノクロに比べると核というか、強い芯を失っていることに気づく。ドロッとしたぼくの情念のようなものが薄まってしまうのだ。撮影時にモノクロをイメージして撮っているのだから当然といえば当然で、そうは問屋が卸さないということだ。ぼくは邪な考えを抱いた自分を恥じた。ただモノクロのつもりで撮ったものすべてがそうだろうかという疑問は残る。ぼくもやっぱり未練がましくも、見苦しいのだ。

 「ぼくの昭和」は何故か古び、半ば腐食したり、ペンキの剥げかかったなまこ板(波形のトタン板やスレート板)ばかりが写っている。別に選り好みしているわけではないのだが、これもぼくの昭和を象徴するものの一端なのだろう。なり振り構わず真剣にレンズを向けてしまうのである。昭和の形見分けのようなものだ。口の悪い仲間たちはぼくを「なまこオヤジ」などと揶揄するに違いない。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/315.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
台風が来るというので期待したが、ここでも雨は降らず、雲がモクモクし、やたら蒸し暑い。皮革工場や油脂会社のある一画で、辺り一帯に異様な臭いが漂う。
絞りf7.1、 1/250秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02墨田区」。
近くの工場の主人と思われる人に「このアパートは築何年くらいでしょうか?」と訊ねた。「オレが来た時にはもうあったから40年以上だろう。2階は階段が崩れて上れないので住人はいないが、1階には住んでいるようだよ」と教えてくれた。まさに風雪に打たれたモルタル仕様である。
絞りf8.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03墨田区」。
油脂工場の入口だが、鉄骨の赤ペンキとともに腐食。かなり年季が入っている。
絞りf9.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2016/09/16(金)
第314回:善光寺参り
 今週のある日、2人のご婦人に引かれ近所にある量販店に赴いた。「牛に引かれて善光寺参り」という塩梅である。牛とは、もうベテランの域に達したと覚しき写真愛好的友人のIさんとAさんである。
 ここでいうベテランとは、写真的精神年齢の意味であり、一般女性のご多分に洩れずメカに関しては怪しさ満載なのだが、ぼくは女性特有の感覚を羨み、また尊重もしているので、「メカが何さ!カメラが写真を撮るんじゃないわよ!」と言い放つこの気概と威勢をこれからも維持して欲しいと願っている。彼女たちは正論過ぎることを述べる正しい女たちのようで、この件に関してぼくが口を差し挟む余地などない。はい、余計なことは知らなくていいのです。
 ただ、ぼくは彼女たちに畏れを抱きつつ、願わくはもう少しだけメカについて知って欲しいと思うのだが、実はこれは女性に向けた無いものねだりなのかも知れないと、最近自身に強く言い聞かせる“ようにしている”。
 余計なことばかりに気を奪われて、感覚を焦げ付かせている男衆が多いなか、かえって彼女たちの愚直さというか直感に従う感受性は清々しくもある。知らぬが仏ともいうじゃありませんか。やはり余計なことは知らないほうがいい。

 ご婦人の買い物とかウィンドウショッピングに付き合うことは、心身ともに健康な男児であれば苦手とすべきところであり、それは大変なストレスを生むものだ。第一愉しくない。そうでないという向きはきっと女性孝行であるか、恐妻家の類ではあるまいか。
 IさんもAさんもぼくの連れ合いではなく、一応純粋な異性とみることができるので、嫁とは気分が異なり買い物が苦手なぼくでもちょっと嬉しい。ましてや写真用品の購入についてであるのでなおさらというところだ。
 ぼくはすこぶる健康な男児なので、嫁は滅多なことでぼくに買い物に付き合えとはいわない。嫁は嫁で、ありがたいことにぼくを「そばにいると煩わしいやつ」と認定している。これこそ長年の教育の賜である。

 Aさんはこれから展示会が立て込んでおり、今まで使用していたプリンターでは役不足なので、目的に適うべく良いものを購入したいとのことだった。ついては相談かたがた量販店に連れて行けとのこと。ついでにカメラも新調したいとの意向だった。フツーは“ついでに”カメラを買うものか?ずいぶんと豪気な牛もいたものだ。
 聞くところによると思わぬ不労所得に恵まれ、「写真に投資しなくっちゃね」と彼女は地面を前足で掻きながら意気が上がっていた。予期せぬ実入りは写真的精神の活性化をもたらしたようである。

 Iさんは三脚に付けるクイックシューが欲しいので見立てて欲しいとのことだった。もちろん彼女はクイックシューという名詞など知る由もないのだが、「あれよ、あれ。三脚にくっつけるあれよ。便利そうなあれなんだってば!分かるでしょ」と、ぼくにいきなりの代名詞を使い自己の言わんとするところを無謀にも知らしめようとする。やはり彼女も豪気というべきか。
 「素早くカメラを三脚に据える用品」という的確な一言があればすぐに察しがつくが、とにかくいつもこのような言葉足らずの「“あれ”専門」的省略形で迫ってくる。しかし、ぼくは彼女が三脚なるものを使用している姿をもう長い間見ていないし、聞いてもいない。本当にクイックシューを役立てる気があるのだろうか? 
 レンズの口径ごとに高価な偏光フィルターを揃えたはいいけれど、それを使用した形跡さえないのだ。経年変化のある偏光フィルターについて、「何回使えばダメになるの?」と真顔で問うてくる。洒落ならぼくは大笑いをし、許しもするが、時間と回数を一緒くたにしてしまうところがけたたましくも物凄い。はりったおしてやりたいが、写真は感心するものを撮ってくるので、やはりメカじゃないという彼女たちの言説は妙に説得力がある。 
 ちなみに彼女の三脚は軽量で丈夫なカーボンファイバー製の立派なものなのだ。ぼくはこれをちゃっかり借用し、1ヶ月の苛酷な海外ロケに持って行き重宝したものだった。そのくらい良いものをお持ちである。「使わないのならオレにくれよ」と何度かお願いしたのだが、この代名詞専科のおねえさんは首を縦に振らない。
 ぼく自身は私的写真で三脚を使用することはないので、彼女ともども、うちの倶楽部の人たちは撮影に三脚は持参しなくてもいいと思い込んでいる節がある。愚直さの極みである。

 「三脚を使えば、自分のレンズがどれ程の解像度かよく分かるものだ。ハッと驚くこともあるのだよ。シャープさに欠ける一番の原因は、フォーカスでもなければ、レンズでもカメラでもない。手ブレなんだ!」と、ぼくは今まで何度となくそういってきたのだが、聞き入れる者は誰もいない。肝心なところではまったく愚直でない人たちにぼくは囲まれている。

 無事買い物を済ませ、珈琲店でひと息つく間もなく、彼女たちから写真の質疑。こちらのほうが買い物よりはずっと気が楽だ。
 「よもやま話に書いてあったあの部分。あれはどういう意味なんですか?Aさん分かる?かめさん、説明しなさい」と代名詞使いの達人Iさんはいう。
 「あ〜、あれね、あれはあれなんだよ。分かるだろ。あれさえしっかり押さえておけばきれいな印画ができるってぇもんだわ。あれはな、そういうもんだ」と、ぼくはもう一方の代名詞使いの名人である吉田健一(ぼくの最も尊崇する小説家の一人。英文学翻訳者でもある。1912-77年)を気取ってみせた。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/314.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市、真岡市。

★「01烏山」。
川魚料理店の冷凍ウィンドウ。ガラスに着いた水滴で中がよく見えない。客はどうするのだろうか?
絞りf5.6、 1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02真岡」。
日没時、お寺の山門に黒猫が物憂げに佇む。ブルーの粉末らしきものは何だろう?
絞りf5.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03真岡」。
向こうから母子がやってきた。後ろの黒い背景に入れようと待ち構え、被写体ブレを狙って思い通りだったが、子供が重なってしまったのは、ぼくの心得のせいだろうか。「かめさんの撮る人物はいつも何かがおかしい」といわれるが、これも確かに変だ。右下の明かりは車のライト。
絞りf5.6、 1/13秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2016/09/09(金)
第313回:自戒こもごも
 遠方の読者からメールをいただいた。地元の写真倶楽部で指導をしておられ、悩み事相談というわけではないのだが、指導の多事にわたる悩みや迷いを訴えてこられた。また、ご自身の考えを記し、その確認作業をされたかったのではないかと思う。文面からお察し申し上げるに、ぼくよりはるかに熱心かつ真面目でいらっしゃる。そしてまた、謙虚で真摯な様子が窺えて、ぼくはちょっと身の細る思いをしている。いかがわしい指導者の多いなか(と自戒を込めて)、彼(以下Aさん)のような方は頼もしくもある。

 Aさんはアマチュアだそうで、ぼくも自分の倶楽部を主宰するようになってからアマチュアの方々と接する機会を持てるようになった。そうでなければおそらく接点のないままこんにちまで過ごしたのではないかと思う。この拙稿もアマチュアの方々との出会いを後押ししてくれている。
 私的な写真についての限りであれば、大局的に見てプロもアマも大同小異であり、さほど明確な境界線があるとは考えていない。もしその差異を強いていうのであれば撮影時の技術くらいのものだろう。
 一般的にPhotoshopなどの暗室技術に関してはアマチュア諸氏のほうが長けているのもひとつの特徴であり、またそれは彼らの特権でもある。首を取られるわけではないのだから、その特権を大いに活用して欲しい。
 その伝、プロの暗室作業は一定のメソードに従えばよく、冒険を嫌う傾向にある。これは今日のデジタルに限らず、フィルム時代から写真屋は自分の流儀を頑なに踏襲してきた。プロは使い慣れたものを最優先せざるを得ず、新しいものを使用する時は慎重なテストを繰り返してからでないと怖くて使えない。進取の気象に富むことはプロもアマも同じなのだが、方向性が異なるのだ。

 Photoshopなどの暗室ソフトを使用して、自身のイメージを正確に形づくる作業をぼくは写真表現の重要な要素と位置づけているが、時としてその技術に溺れてしまうことがある。そのような作例を、国内外を問わず多く見かける。熱心に取り組めば取り組むほどそのドツボ(土壺)にはまりやすいのが人情というものだ。苦労して得たのだから、それは間違いのないものだと勝手に思い込む。人は悲しい人情に支配されている。
 ぼくもその悲しい人情に支配されたことが何度かあるし、今もってそうなのかも知れないと、戦々恐々の日々を送っている。
 前回、過剰なものには麻薬的な要素が含まれていると述べたが、「毒を食らわば皿まで」とはよくいったもので、好事家は悦に入りながらも意地を張り、抜き差しならぬところに立ち入って、引き返す勇気を忘れてしまう。香辛料が利きすぎて味を損ねていることに気づかず(つまり麻痺してしまう)困窮を極めるのだが、しかし何もないよりは毒のほうがずっとましだとぼくはいつも自己弁護に奔走する。
 「毒にも薬にもならぬ」というのは、つまらぬことのたとえであり、もっぱら否定的な意味合いで使われるじゃないかと。
 多分、毒を喰らい、修羅場を経験したことのある人のほうが得てして面白味があり、深みもあるものだ。ただし無事帰還できればの話だが。

 Aさんのメールから一部引用させていただくと、
 「Photoshopの面白さを知ったばかりにへんてこりんなことをしてくる生徒が時折いて、その誤りをどう諭してよいのやら。まさに亀山さんが前号でおっしゃった“過ぎたるは猶及ばざるが如し”なんですが、そのような場合どうされますか?」というものだった。
 「それもその人の持ち味であり、試行中ならしばらく放任しておいてもいいんじゃないでしょうか。できれば、その持ち味を殺さぬように、最小限の指示を一つだけ伝えること。あれもこれもはいけません。例えば、“彩度を上げ過ぎて色飽和を起こしています。色飽和をさせてしまうと質感が失われるので、もう少し彩度は控え目に。次回はそうしてみましょう”というような一言をつけ加えればいいように思います。直ちにきっぱり全否定という指導方針もあるでしょうが、北風よりお天道さまのほうが相手も素直に聞き入れてくれるようです。
 ですが、時には頑迷さにとらわれ、周囲の見えなくなった溺死寸前の人には “はりったおすぞ!”という乱暴な威嚇射撃も必要。なかにはそういってもらいたいというへそ曲りもいるようです。“毒をもって毒を制す”といいますしね。いろいろな人がいますからお互い往生しますね」とぼくは返信した。

 まだ日本にA. アダムスの提唱したゾーンシステム(暗室技法の一種)が紹介されていなかった青年時代に、ぼくはアメリカからゾーンシステムの教本を取り寄せ暗室三昧の日々を送っていたことがある。そのための暗室用品をアメリカのゾーンシステム・ワークショップから都度送ってもらった。同梱されていた定期刊行物に掲載された写真を見て気のついたことは、ほとんどの人たちの作品が「ゾーンシステムのための写真に終始しており、これでは本末転倒ではないか」との思いに至った。
 そして我が身を振り返った時、同じ過ちを冒していることに気づき、暗室技法より写真自体の質(撮影)を優先すべき事項と捉えるようになった。ぼくは危ういところで写真を取り戻すことができた。
 ゾーンシステムは非常に有益な技法であり、このメソードを自身の写真に似合うようにアレンジしてこそ意義のあることと悟った。なんでもかんでもゾーンシステムでプリントすれば良いというものではない。

 このようなことは暗室作業が容易かつ自在に行うことができるようになったデジタルに於いて頻繁に見受けられる。Photoshopの技法のための、Photoshopのための写真になり果てている。先日もそのような集団の写真を見て、写真自体の質が疎かにされていることの本末転倒的現状を、ぼくは憂慮せざるを得ないのだが、これも自戒こもごもである。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/313.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01真岡」。
体の弱かった幼少時、ぼくはよく熱発していた。寝床の横にあった書棚からいつも絵画集を引っぱり出して夢うつつで眺めていた。誰の絵か分からないがそれを彷彿とさせる場面に出くわし、逆光のなか思わずシャッターを切る。夢の残像といったところか。
絞りf11.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02真岡」。
古くなった家を内装だけ改築し、今流行?のモダンなお店に。
絞りf9.0、 1/40秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「03真岡」。
スナックの酒瓶が波ガラスに透けて。ぼくにしては未だかつてなかったような色使いだが、撮影時にこのようにイメージしちゃったのだから仕方がない。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)