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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2020/03/27(金)
第488回:「気色の悪い」ことばかり
 毎年恒例となった我が倶楽部の写真展(4月21日~26日)は、現在のところ、会場である埼玉県立近代美術館が臨時休館しており、開館時期は未定とのことで、こればかりは如何ともし難い。今年は武漢ウィルスのため何もかもが先行き不透明で、どうなることやら。
 
 ぼく個人も、今月10作品ばかり出展を予定していた催しが中止になった。武漢ウィルスの余波は私たち個人の間にも入り込み、今や全世界を覆い、計り知れぬ影響を及ぼし、喫緊の問題となっている。
 第485回にも述べたことだが、我々市井の臣は防疫を心得ながら普段通りの生活を送るしかない。ぼく個人に限っていえば、満員電車に乗ることを義務づけられているわけでもなく、人の密集度の高いところは意図的に避けることができるので、それは一応の救いともいえるが、しかし感染確率との因果関係は不明なのだから、当てにはならず、防疫といっても気休め程度のものだ。目に見えないものを敵に回すことほど「気色の悪い」ことはない。

 枕はこのへんにして、写真好きの同窓生A君がこんなことをいってきた。「ぼくが写真を撮るのはもっぱらスマホだけなのだが、見るのはとても好きだ。写真鑑賞は趣味のひとつといってもいい。荒唐無稽な質問だと重々承知なのだが、写真撮影って、どんなものが一番難しいのか?」。
 その質問は、彼のいう通りまさに荒唐無稽であり、こしらえごとでもある。彼は無理難題を知りながらそれをぼくにふっかけ、困る様子を見て愉快がっているようにも見えた。彼は今までぼくのオリジナルプリントを3点も購入してくれているので、写真に対する趣味は際立って良いのだが、その質問はあまり良い趣味とはいい難い。
 かといって写真を生業としているぼくは、出放題の嘘を並べ立てるわけにもいかず、頭の中のあまり上等ではない辞書を繰りながら、「それを一言でいうのであれば、 “由無し” (よしなし)というんだよ」と返した。そして、「 “由無し” って分かるか?」とつけ加えた。「 “由無し” というのは、理由・根拠・係わり・由緒などがないという意味で、つまりぼくにしてみれば説明の術がないということね」と、彼を煙に巻きながら諭しにかかった。
 「いや、君はプロなのだから、荒唐無稽なことにも、それなりに答える義務があるんじゃないの?」と、食い下がってきた。まったく趣味の悪い男だ。

 彼の仰せに従って、ぼくは真面目にこの問題を考えてみた。結論からいえば、撮影者が何を表現したいかに尽きるように思う。畢竟、結論など導き出せないのだが、それでは身も蓋もなく、何十年も写真に従事してきた職業人としてちょっとだけ体裁が悪く、「気色の悪い」ことでもある。

 撮影者には被写体に対する好き好きがあり、また向き不向きもあるので、これについて語るにはまったく個人的なことに限られてしまうのではないかと思う。しかし、逃げを打つと思われたくないので、考えられる最大公約数的なことがらについて触れてみる。
 ひょっとして、当たり前のことを改めて述べることになってしまうかも知れないが、10年もの間毎週書いているので、ぼくとて歳とともに痴呆(現在では厚生労働省により「認知症」という言葉に置き換えられている)気味となっているに違いなく、そこはお目こぼしを願いたい。

 ぼくの専門であるコマーシャル写真にもいろいろな分野がある。大雑把にいっても、物撮り(ぶつどり。商品撮影など)、ポートレート、料理、建築、宝石、ファッション、風景などに分けられるが、ダボハゼのようにぼくは何にでも食らいつく。得手不得手はあっても、ほとんどのコマーシャルカメラマンがそうだろう。得意分野だけではなかなか糊口を凌ぐことが難しいからだ。ぼくがお断りする分野は、水中写真と大股開きの写真くらいのものだ。
 さてそこで、プロ・アマ関係なくどの分野にも当てはまる共通項は、当然のことながら、写真の基礎知識と基礎技術だ。「基礎」とはいえ、それを臨機応変、手足のように使いこなすには、かなりの修業と忍耐強さがあってこそのものだ。もうひとつつけ加えるのであれば、ライティングの技術なのだが、これはアマチュア愛好家には最も縁遠い事柄なのでここでは触れない。

 どの分野にも、それぞれ異なったノウハウと約束事が存在するが、それはあくまで「基礎」あってのこと。それらをすべて勘案しながらも、最も大切なことは「場数を踏むこと」に尽きる。この努力がぼくのいうところの「修業」。
 先に、臨機応変とも書いたが、多くの場数を踏み、そこで得たノウハウを頭に溜め込み、たくさんの「引き出し」を作ることが肝要なことだと考えている。これがないと(引き出し)、応用が利かないということになる。「引き出し」を持っていないと、被写体を前に、いつもあたふたとするか、その反対に惰性に身を任せるかの二者択一しかできなくなってしまう。そこに堂々巡りが始まる。ぼくだってそれが「分かっちゃいるんだけれどね」。

 写真は何万枚撮ろうが、同じ条件はふたつとしてないことを肝に銘ずべし、ということになる。その場で得たあらゆるデータを頭の中に蓄積し、「この状況下では、この引き出しを開ける」ことが思いつけば一安心できるのだが、その「引き出し」に何が入っているのかを記憶しておかなくては、せっかくの場数も元の木阿弥、海の藻屑となる。 
 「あの時どうしたっけな?」の科白が歳を重ねるにつれ多くなってきたような気もする。いろいろなことが思い出せないがために、やたら日常会話に代名詞が登場することになる。相手も、分かった風に装うから嫌になる。しかし、大事な「引き出し」を思い出せねぇってぇのは、「気色の悪い」こった。

http://www.amatias.com/bbs/30/488.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
人気のない古ぼけた建物を眺めていたら、いきなりシャッターが開き、ヌーッと赤いフォルクスワーゲンが顔を出した。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
驟雨のなかの自画像。「雨ニモマケズ 冬ノ寒サニモマケズ 金欠ニハオロオロ歩キ・・・」。鏡のドアの前を横切ったら、白髪の人物がいて、よく見たらぼくだった。その悔しさにカメラを向けてみた。
絞りf7.1、1/25秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第487回:カラー写真再検討(3)

 ぽかぽか陽気につられて、昨日はTシャツ1枚の出で立ちで久しぶりに1時間半ほど散歩に出かけた。ここのところ家に閉じ籠もり、キーボードを打つ指が痛くなるほど生真面目かつ不健全な生活を強制されていたため、薄らと汗ばむ散歩は良い気晴らしとなった。

 菜の花も満開で、桜も3~5分咲といったところか。しゃがみ込んで青空に映える菜の花をローアングルから観察がてら、「これぞまさに前号で述べた補色関係(B(青)→Y(黄))の見本だわ。記念にスマホで撮っておこうか」とも思ったが、前号で言い放った「絵葉書写真じゃないんだからさぁ」に従って、スマホをポケットから出すことはしなかった。

 もちろん、「絵葉書写真」(きれいにしっかり写し撮ることを指す)が悪いということではない。それは、情景をできるだけありのままに写し撮り、相手に伝える手法の一分野として立派に成り立っているのだから。
 ぼくがいいたいのは、「絵葉書写真」のようなありのままの情景ではなく、作者自身の姿や佇まい、思想や感情をフィルターとして描かれた世界の具現化が、創造物だと考えている。そこには、自身のアイデンティティー(自分が自分であることの証)や人生観が窺えるようなものがあって然るべきで、それが創造の意義であり、原点でもあると思っている。ぼくには「絵葉書写真」を撮ることの必然性が見出せないということなのだ。

 自分を差し置いて、人様の写真に対して、「この写真、あなたが撮る必然性がないでしょう。あなたがどう感じたかを頭の中で描き、それを写真で表現してこそ、意味があるんだよ。きれいに写し撮ることは基本中の基本であることは否定しないけれど、そこから一歩抜き出たところから写真本来の面白さが始まるんだ」がぼくの常套句ともなっている。

 題目としてしまった「カラー写真再検討」だが、横道に逸れながらもぼくのお話ししたいことを書き連ねようとすれば、やはり10回くらい連載しなければならなくなる。読む人が、『そして誰もいなくなった』ということになりかねない。余計なことだが、この著者であるアガサ・クリスティ(英国の推理作家。1890-1976年)は、世界有数のベストセラー作家だが、ぼくのなかでの評価は高くない。

 余談はさておき、フィルム時代、公私にわたってカラー写真(99%がスライドフィルム)を何万枚も撮った。デジタルを含めれば膨大な数になる。
 フィルム時代には難しかったカラー写真の暗室作業が誰にでもできるようになったのは、デジタル写真が出現してからだ。その意味で、デジタルのもたらした恩恵は計り知れないほど大きい。
 特に、客観的表現や印象主義的な表現から脱して、内面の主観的な表現に主眼を置こうとする愛好家にとって、カラー写真の暗室作業が身近になったことは、従来の概念を覆すほどのものといっても過言ではないだろう。

 極言すれば、「あなたはあなたの描いた写真を思いのままに操れる」ということになる。情景をありのままに描写することから、今度は見つけた被写体にどの様な想いを託してシャッターを切るのかとの段階に進むことになる。「何故それを撮るのか?」との原点に立ち返る必要に迫られる。
 そこには幸福感や喜びよりも、行き場のない不安感や閉塞感、悲観、虚無、孤独、恐れなどなど、よりネガティブなものが真っ先に想起され、そして突き刺さり、表出してくるものだとぼくは考えている。ぼくのような楽観的な人間でさえそうなのだから、くよくよしがちな人の苦労は察するに余りあると思うのはぼくだけだろうか?
 そしてまた、前述した「自身の姿や佇まい」に於けるネガティブなものは個人の差こそあれ、生を営むうえで避けることのできないものとして受容しなければならない。その受容の仕方が作品にダイレクトに反映されるのではないかとぼくは思っている。「作品は全人格の鏡。だから恐い。徒や疎かにしてはならじ」と以前に述べたことがあるが、気の弱いぼくはいつも自分の写真を見てはがっくりしている。

 時たま、「モノクロとカラーはどちらが難しいですか?」と問われることがある。この両者は、囲碁と将棋を比べるようなもので、そもそも比較の対象にはならず、曰く言い難しだが、「被写体に出会った時に描くイメージに左右される」と答えるしかない。ぼくに限っていうのであれば、街中の人物スナップやポートレートはモノクロで。その他は今のところカラーのほうに傾きがちである。
 フィルム時代、カラー写真はもっぱらスライドフィルムを使用しており( “使用せざるを得ず” といったほうがいい)、多くの場合それはぼくにとって鮮やかすぎると感じたものだ。前述したネガティブな感情を表すには、デジタルはその方向性に沿って暗室作業ができるので、より融通が利くと感じている。
 色が濁らぬほどに彩度を控え目にし、ある程度シャドウを犠牲にしてでも極力ハイライトを飛ばさないとの方向に傾きつつある。
 カラー写真を始めてつくづく思うことは、やはり「絵葉書写真じゃないんだからさ」に尽きるのかも知れない。

http://www.amatias.com/bbs/30/487.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L USM、FE35mm F1.4L USM 。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
裏通りに一際目立つバーの壁。本当はもっと明るく平和な赤色なのだが、人間は虐げられた生活を送るとこのように見えるものだ。
絞りf8.0、1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
中学以来、理髪店に行ったことがない。自分で切ってしまうので、ぼくの髪はいつも虎刈り状態。なので、理髪店を見るとそこはかとなく憧れに似た気分になる。湿気で曇ったガラスの雰囲気と室内を白く飛ばさぬように留意。
絞りf6.3、1/25秒、ISO200、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第486回:カラー写真再検討(2)
 デジタルカメラはほんの一部を除き、ほとんどの機種がカラーで撮影される。最終的な目的がカラー写真であれ、モノクロ写真であれ、まず知っておかなければならないことは「光と色の三原色」とその「補色関係」についての事柄。これを厳密に記せれば、とても複雑になってしまうので、ここでは大雑把かつ必要最低限に留めようと思っている。

 すでにご承知の方もたくさんおられると思うが、一応のお復習いとして述べておくと、色には「光の三原色」と「色の三原色」がある。

 「光の三原色」を利用したものの代表例として身近なものをあげれば、PCやカメラのモニター、スマホのディスプレーなどがそうである。いわゆる発光体の放つ色がそれである。
 「光の三原色」は、R(赤)、G(緑)、B(青)で構成されており、一般に「RGB」と呼ばれる。「光の三原色」は色を混ぜ合わせるに従って、色が明るくなり、三色を等量に加えていくと白になる。これを「加法混色」と呼ぶ。

 「色の三原色」は、印刷物やカラー写真の印画紙、絵画などなど身の回りの物体のほとんどが「色の三原色」を利用している。C(青緑)、M(赤紫)、Y(黄)、つまり「CMY」と表示される。
 「色の三原色」は、色を混ぜ合わせるにつれ、色が暗くなっていくので「減法混色」と呼ばれるが、すべてを混合すれば理論的には黒になるのだが、実際には色材(インクや絵の具、塗料など)が、理想的な反射特性を持っていないため、暗茶色や暗灰色になってしまう。そこで、CMYにK(黒。BlackのK)を追加して、黒を表現している。それが、「CMYK」と呼ばれる所以である。

 “数値” で表現できる色は、「光の三原色」(モニターなど)は約1,600万色で、「色の三原色」(カラー写真を印字した印画紙など)は約1億色といわれるが、実際の表現領域は「光の三原色」のほうが勝っている。
 PCのモニターで見た写真をプリントしてみると、色の彩度やコントラストが、モニターに比べ若干不足していることにお気づきであろう。モニターのキャリブレーションを正確に整え、使用印画紙のICCプロファイル(印画紙に応じたインクの噴射量を調整する機能)を精密光学測定器により作成し、プリントしてもこの現象は起こる。
 RGBをCMYKに正しく変換しようとしても、元々物理特性が異なるのだから、この現象は無理からぬことと諦めざるを得ないのだが、しかし、酷似させることは可能である。この差異をどこまで許容するかは個人の問題となるので、ここでは触れない。
 余談だが、同じ写真でも、どの様な光源下で見るかによって、色調は異なって見えることがままある。これをメタメリズム(条件等色)という。

 光と色の三原色を理解したうえで、次なる段階は「補色」。「補色」とは、色相環(カラー・サークル)で、正反対に位置する色を指すのだが、簡潔にいえば、R(赤)→C(青緑)、G(緑)→M(赤紫)、B(青)→Y(黄)となる。(「補色」を検索すれば、色相環が実際に記されているので、そちらをご参照下さい)。
 これも厳密にいえば多くの要素が絡むのだが、上記した大まかな原則さえ知っていれば、ほとんどのことに用立てることができるので、それで十分だとぼくは思う。

 「補色」を知れば、撮影時や暗室作業時をする時に、その効用は計り知れないものがある。フィルムであれば、撮影時に使用するフィルター(特にモノクロフィルムには欠かせぬ要素でもある)の選択に迷いが生じることもなく、またデジタル写真を補整する際には、最大の効力を発揮できる。
 デジタル写真に於ける「色被り」や「色の偏り」など、ホワイトバランスを調整(色温度と色相)することにより除去できる。これも「補色」関係を利用したものだ。

 ぼくは真っ青に晴れ上がった雲ひとつない空の下でのカラー撮影にいつも頭を痛める。いわゆる「ピーカン」時の被写体は非常にコントラストが強く、撮影には不向きという点はさておき、真南に太陽が来た時の、のっぺりとした抑揚のない空をどの様に表現すれば、最もぼくの心象に寄り添えるかに頭を抱えてしまうのだ。
 撮りっぱなしの表現ではあまりにも「あっけらかん」として、呆けた写真になりやすい。しかもグラデーションが貧弱で、ぼくの重んじる空気感や緊張感を生かし切れない場合が多いと感じる。「絵葉書写真じゃないんだからさぁ」とつぶやきながら、そのような時は、できるだけ空を画面に入れない構図を取ろうと苦慮することが大半。

 仕事の写真とは目的が異なるのだから、私的写真を撮る時に、そんな煩わしい制約に縛られるのは御免蒙りたい。自由な気分での写真は、陽が西に傾き始める時間帯が、ぼくの頃合いでもある。まぁ、寝坊助で立ち上がりが人一倍遅いということもあるのだが、夕刻から日没までは、光の具合も斜光となり、のっぺりとした空にもグラデーションがかかり、被写体がドラマチックに映えることも好都合だ。ただし、太陽を背に負うと自分の影がどうしても画面に入り、往生することもある。「あちらを立てればこちらが立たず」というわけだ。
 今回も、紙数ここに尽きたり。2回で書き終えるつもりが、続きはまた次回に持ち越しということで。

http://www.amatias.com/bbs/30/486.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
幼稚園児の頃、夢の中でモスグリーンに塗られた裸の男の屍を見た。とても不気味だったことを覚えている。未だにその映像が脳裏に焼き付いていおり、このポスターを見た瞬間に思い出してしまった。ホワイトバランスは敢えて取っていない。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
昭和時代の風雪に打たれた看板建築。日没に近く、空は色濃いグラデーションに染まった。ここに掲げてあるエステのポスターのアップが上の写真。
絞りf7.1、1/100秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2020/03/27(金)
第485回:カラー写真再検討(1)
 世の中は武漢肺炎ウィルスの話で持ち切りだが、楽観主義のぼくは、防疫を心得ながらいつも通りの生活を送るようにと自分に言い聞かせている。敢えて危険を冒すには及ばないが、今のぼくにとっては “普段通り” が賢明なことだと考えている。気持を萎縮させては一写真屋のぼくは前に進めないからだ。
 ウィルスは目に見えないので、考えようによっては気楽だが、その反面不気味でもある。放射線はガイガーカウンターなどの検知器を用いれば避けることができるが、存在の知れないウィルスに対しては打つ手がない。したがって、正しく恐れながらも、平常心を保つことを心がけるのが一番。
 ニューヨークで報道に携わっている2人の友人からの情報を参考にしながら、ぼくはそんな決め事をしている。(これを書いているのは、2月27日)

 前号にて書くつもりでいたことを、今改めて試みようと思ったのだが、イマイチ気が乗らずにいる。その原因のひとつは、本掲載のために選択した2枚の写真の補整がイメージ通り再現できずにいるからだろう。
 「また変わり映えのしない写真を性懲りもなく撮ってしまった」との後ろめたさも手伝って、ちょっと気恥ずかしいのだが、「同じ事を何度も飽くことなく繰り返すことが物事の真理に近づく最も良い方法だ。きっと今までに見えなかった何かが見つかると信じよう」とかなんとか、そんな弁明をしたくなる。それをして方便ともいうべきか。
 因みに「方便」を辞書で引いてみると、「ある目的を達するために便宜的に用いられる手段。真実の教えに至る前段階として、教化される側の、宗教的能力に応じて説かれた教え。都合のよいさま」(大辞林)とそれぞれの解釈がある。さて、どれを取るか?

 1週間に得心のいく写真を2枚などと、ぼくの技量を顧みれば撮れるはずもなく、それは無理難題であり、無謀とさえいえる。とても覚束かないのだが、自身を鼓舞するためにおかしな義務を課してしまったことを今更ながらに後悔している。身の程知らずもいいところだ。

 カラー写真に取り組んでからこの夏で3年が経とうとしているが、日々暗中模索が続く。元はといえば、ぼく自身のモノクロ写真(街中の人物スナップが中心。しかし個人が特定できてしまうので、残念ながらネットである本連載では発表できずにいる)のトーンを発見したいがために始めたことなのだが、これがなかなか思うに任せない。そんな簡単なものではなさそうだ。
 モノクロ写真の大御所であり、敬仰すべきA. アダムスの提唱したゾーンシステムはアマチュア時代に習得することができたつもりでいるが、それはぼくの作風には合致しない部分があるため、あくまでモノクロ写真の基本・支柱とし、心の片隅に置いておけばいいと考えている。
 そこから離れてぼく自身の “モノクロ色” を模索しなければとの思いで、カラー写真の再検討を始めた。

 ぼくの好きなアメリカの画家であるアンドリュー・ワイエス(1917-2009年)の、色の濃淡(シャドウやハイライト、彩度などなど)の描き方を良い手本として(それはゾーンシステムのありように合致しているように思われる)、それをカラー写真に転写してみようと考えていた。
 しかし、被写体を前にして実際にぼくの心象として浮かび上がってくるものは、もっとコテコテでドロドロしており、今ワイエスの素晴らしさを一旦忘れ、遅まきながらも自身の作品は傍目(はため)を憚ることのない作品であるべきだと思うようになった。換言すれば、より自分に正直であることが最良であるとの思いに至っている。たとえ他人がげっぷをしようとも。
 不信心者を自認するぼくだが、ちょっと気障な言い方を許してもらえば、「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」(ぼくの敬愛する良寛さんの言葉)というところか。

 心情に寄り添う理想主義的なものと、写真である以上現実主義的なものをほどよくバランスさせ、それらを上手く束ねて融合させなければならず、いささか観念論的ではあるが、その兼ね合いに容易ならざるものを感じている。
 理想主義に過ぎた写真は、ややもすればファンタジー(ここでは “少女趣味的な根拠のない空想” 、もしくは “自身の歳不相応な” という意)に偏向しがちなので、それはぼくの好むところではなく、しかし目の前にある現実をただ単にきれいに写し撮るだけでは深みに欠け、やはり作品としては偏頗(へんぱ。配慮や注意が一方にだけ偏り不公平なこと)なものとなり、好ましくない。それでは作品として成り立たないと思っている。

 カラーもモノクロと同様に、ぼくはハイライトを飛ばすことを嫌い、その自制に努めている。特に曇り空や青空に浮かぶ白雲を飛ばしてしまっては、全体の醸す空気感や緊張感が殺がれてしまい、立体感も損なわれる。デザイン的なものを重視するのであればそれでもいいと思える場合もあるが、ぼくの求める “写真のリアリティ” や “質感描写” に重点を置くとそうならざるを得ない。
 したがって、デジタル写真に於けるぼくの露出基準はフィルムとは逆にハイライト基準となる。掲載写真の撮影データの露出はほとんどがマイナス補正であるのはそのためだ。

 肉眼の認識できる明暗比は約1:20,000であり、写真の表現域は約1:200でしかない。このことは以前にも述べたことがあるが、写真の明暗比は圧縮を余儀なくされることになる。ハイライトは飛ばさず、シャドウも潰さない(露出と現像による調整)との方法論がゾーンシステムだが、風景写真を基調としていないぼくはシャドウをある程度犠牲にしてもかまわないと考えている。
 1回ではやはり思うところを書き切れないので、続きは次回に繰り越すことに。

http://www.amatias.com/bbs/30/485.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
廃業か開店休業なのか分からないが、昭和時代の風雪に打たれた佇まいを見ると何故か望郷の念に駆られ、知らずのうちに襟を正し、シャッターを切っている自分に気づく。
絞りf8.0、1/80秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
思わず「バッチィ奴やのう。可哀相に。おれがアーティスティックに撮ってやる」と。昔からいつも日陰でばかり見るアオキ。ホントに君は日陰者なんだね。
絞りf7.1、1/25秒、ISO200、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2020/02/21(金)
第484回:今日も独り言
 フィルム時代、暗室に入り浸っていたぼくはとうとう病膏肓に入り(やまいこうこうにいる。あることに熱中して抜け出せなくなること)、身を処す手立てを失ってしまった。
 当時、編集者として出版社に席を置いていたが、暗室作業ばかりに気を取られ、編集者としての任務が疎かになり始めていた。そんな状態では会社に迷惑をかけると思い、一大決心をして、よせばいいのにこの道で自分を試してみようなどと不埒な考えを持つに至った。これをして「魔が差す」というのだろう。悪念に取り憑かれ、気がついた時にはすでに後戻りの道を失っていた。

 当時ぼくには小さな子が2人おり、そんな身勝手なぼくを見て嫁は離婚を申し出てきた。家族に対する責務を放棄してまで、この道に突き進んで良いものかどうか。ぼくは良心と闘いながら呻吟したものだが、幸いなことに嫁から2年の猶予が出た。執行猶予のようなものだ。「渡りに船」とはまさしくこのことだ。ぼくは嫁に大きな借りを作ってしまった。
 「案ずるより産むが易し」というではないかと、ぼくはそれを念仏のように唱えるとともに、覚悟を決めた。さまざまな趣味に興じていたぼくは、同時にすべてを潔く捨てた。それらは未だに捨てたままになっているが、趣味を職業としてしまった不始末として甘受しなければならないと思っている。
 2年経って写真で食うメドが立たなければ、すっぱり足を洗い、どんなことをしてでも家族を養うことを最優先にしようと心に決めた。また、覚悟さえ持てば、どんなことにも挑戦する資格があるのだと、自身を諭すことも忘れなかった。

 写真の修行期間を2年と定め、徒弟制度を経て、フリーランスの写真屋として出発したが、サラリーマン時代に築いた人脈もあってか、さまざまな人たちがありがたくも手を差し伸べてくれた。ただし、元在籍した2社の出版社にお願いすることは憚られたので、それはしなかったが、回り回ってご好意に甘えることはあった。営業せずとも、クライアントが枝葉のように広がっていったのは、好運だったと今も感謝している。

 下手くそな写真屋は、クライアントに熱意と誠意を汲み取ってもらうしか方策がない。食い扶持を家に入れるためにはそれだけが頼りだった。
 いくら長い間趣味として熱心に写真に取り組んできても、師匠についた時に、今までアマチュアとして得てきた写真的知識や技術のすべてが無駄だったとはいわないが、当たり前のこととはいえ、そこは隔絶した世界だと思い知らされたものだ。一から出直すしか他なしといったところだった。

 そしてまた、助手として働き始めた当時、いつも師匠にいわれたことは、「まずサラリーマン根性を捨てることから始めろ。それができないのならカメラマンになることは諦めろ」だった。「サラリーマン根性」とは、あまり良い言葉でなく、ぼくは好きではないが、彼のいいたかったことは「意志や感情を知らず識らずのうちに抑えてしまう習性」を意味しているのだろうと思う。そして「今まで持っていた “取るに足りぬプライド” など即座に捨ててしまえ」ということだとも解釈している。
 意志や感情、強い精神力と一徹さの発露が物づくりの原点だと、彼は主張したかったのだと思う。ぼくもそれに異存はない。
 それはやがて、写真屋としての、あるいは職人としての職業倫理ともいうべきものにつながっていくのではないだろうか。それがために、世間から奇人・変人・身勝手な奴と謗(そし)られることもあろうが、世評などどこ吹く風である。それは “取るに足らぬプライド” の変異が成せる業とも思える。

 今回は、カラー写真に取り組んで(私的写真の)から今年7月で丸3年を迎えようとしていることについて述べようと思っていた。冒頭の「暗室に入り浸っていた」と記したところから、カラー写真についての事柄や暗室作業に話を展開する心積もりでいたのだが、何故か訳の分からぬ変化球を投じてしまった。
 どこで話が曲がっちゃったんだか・・・。

 つい先程まで、まったく別次元の事柄についてキーボードを叩くことに専念していたものだから、気の執り成しが利かず、つい手元が狂ってしまったのだろう。そのことに今気づくのだから、まったくぼくはおめでたいとしかいいようがない。
 拙稿はお題目を与えられているのではないので、文章のどこかに「写真」という語彙を含ませれば、危うくも逃げ果せるとぼくはどこかで油断している節があると正直にいわなければならない。今回は( 今回“も” かも)担当者の寛大な心意気に甘んじて、キャッチャーも取り損なう変化球をこの際看過してもらおうと目論んでいる。折角?ここまで書いてしまったものだから、文章を削除するのも忍ばれ、横着を決め込むことにした。

 「プロになりたいのですが」との希望を持った若人がポートフォリオを抱えて折々訪ねて来る。彼もしくは彼女に写真を撮る能力があるかどうか、ぼくはまったく頓着しない。一応ポートフォリオに目は通すが、それを批評することもない。ただ、すべてを捨てる「覚悟」があるかどうかだけを訊ねることにしている。
 何事も覚悟次第との信念は、嫁から与えられたものなのかも知れないと、ぼくは臍(ほぞ)を噛んでいる。まだ借りを返せずにいるが・・・。

http://www.amatias.com/bbs/30/484.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L USM、FE35mm F1.4L USM + 偏光フィルター。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
眼鏡店のショーウィンドウ。すっかり色あせてしまったポスター特有の色調。シアン系だけが浮き上がっている。
絞りf8.0、1/40秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
まだ行ったことのなかった巴波川(うずまがわ)西側を歩いてみた。長屋の一角に陣取る古い魚店。35mmレンズに偏光フィルターを付ける。補整は部分的にソラリゼーションを活用している。
絞りf9.0、1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2020/02/14(金)
第483回:ひねくれ者の独り言
 自身の写真に対しては常に自己批判(自己否定)と自画自賛(そうでもしなければやっていけない)に明け暮れている。そんな日々を送りながら、写真を撮ることの愉快さを満喫。
 この満喫は、時に酷い苦痛を伴いながらも、ぼくの精神生活に対する不安を覆い隠す唯一の手立てであるように思える。今のところそれしか生きる方策が見つけられないでいる。幸と不幸の間を行ったり来たりしながら、不安な心情を写真(印画紙上)で吐露し、表現できれば本望と考えている。

 写真に興味を持ち始めてから60年以上の歳月を過ごしてきたが、写真に傾注すればするほど闇は深くなり(質量が巨大化しつつあるブラックホールのようなもの)、そこからの脱出は、やれやれ、生が尽きるまで続くのであろうと覚悟している。この覚悟にぼくは自己陶酔している嫌いがあるが、それも満喫の際どさであろう。自家中毒に冒されているのかな?

 ぼくにとって私的な写真(専門であるコマーシャル写真ではないという意)は、自身の生き様を晒すための手段であり、多少手前勝手な言い方をすれば、他人に見せ、共感を得ようとするためのものでは本質的にない。
 もしそれに邁進しようとすれば、必ずクオリティの低下を招くと信じている。あるいは、高評価を得ようと写真以外のことにあたふたとかまけるのも同様の結果を招く。

 少なくとも美のあり方は、あくまで創造主独自のものであり、故に他人の目を意識するのは邪道の極みだと考えている。そのことは、手を束ね膝を屈む(機嫌をとったり、へつらうこと)に等しいという考えに基づいている。
 ぼくにとって創造を具現化する一手段である写真は、あくまで自己表現のためのものだ。他人の共感を斟酌するものではない。論じるまでもないことだが、このことは他人に強いるべきことではなく、「他人は他人、自分は自分」を踏襲しているに過ぎない。
 だが、作品は視聴者・閲覧者の存在あってのもので、それを度外視したところで論じることはできない。また、自己を顕示したがるのも人間の性として、しっかり意識下に根づいている。それを承知の上での独り言である。

 ぼくの写真に閲覧者がもし何かを感じ取れるものがあれば、素直に嬉しいとは思うが、必然的に賛否両論があればこそ評価・評論が成り立ち、それはさらに好ましいことだと認めている。評価に対して聞く耳は持つが、それに一喜一憂する隙間など存在しないというのがぼくの心の持ちようでもある。
 そんなぼくを評して “ひねくれ者” とする向きもあるようだが、しかしぼくは写真屋であって太鼓持ち(人にへつらい、機嫌をとるのに懸命な者。大辞林)ではないのだから。
 回りくどい言い方と自覚しつつ、上記したことに従えば、写真の好評価は大多数から(もしそうなら自分の作品を怪しんだほうがよい)ではなく、ごく少数の人たちから「良い写真」と目されるのが、ぼくの理想である。やはりたいそうな “ひねくれ者” なのだろうか?

 写真は、記録や記念を目的とするための、他にはないとても大きな役割を有している。絵では表現できない別の世界があるので、ぼくでさえ一月に一度くらいはスマホでパチリと撮ることがある。
 純粋な表現手段とは別に、写真の利用価値があることは百も承知しているし、それが世界的な主流となっていることにも異論はない。分野や目的如何に関わらず「写真はまず楽しむこと」から始めればいいのだから、スマホ写真は大いに結構なことだ。また、それは時代を変えるほど大きな力を持っている。人類は「簡便かつ実用的」ともいうべき潮流に抗うことはできない。訝しいものであっても、やがて大衆化していくものだ。
 それ故、写真を楽しむ人が増えたことは自然の流れというべきもので、写真人口の底辺は広がりを見せるが、これはぼくの当て推量だが、自己表現に活用しようとする向きはそれに比例していないように見受けられる。むしろ昨今は反比例しているのではないかとさえ思える。

 その大きな要因のひとつは、「誰でもが容易に写真を撮れる」ということにある。このことはつまり、写真を撮るためのさまざまなメカニズム(機械ばかりでなく、精神に及ぼす影響をも含めて)を理解しないで済むことにある。この現象の可否判断は複雑な文化論の様相を呈するので、ここでは言及しないが、ぼくの気持を一言でいうのであれば、写真人口の増加は “痛し痒し” ということになろう。喜ぶ人もいれば、一方で嘆く人もいる。善悪の問題ではないのだが、 “ひねくれ者” のぼくは、ややもすると精神文化の沈滞を招くのではないかとの懸念を抱いている。これは物質文化と相対的な意味合いに於いてである。

 このような現象は写真ばかりでなく、あらゆる分野に於いて共通した事柄でもある。ものの道理からいえば、「お手軽で、お気楽なもの」はそれ相応のものしか生み出せないということだ。これを是認(この語用もおかしなものだが)する、しないという難しい問題は個人の自由だし、またその人の資質に委ねるしかない。

 どこかから、「老いた “ひねくれ者” は、手触りが悪いや」との声が聞こえて来るような気もするのだが・・・。

http://www.amatias.com/bbs/30/483.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE35mm F1.4L USM、FE24-105mm F4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
前号掲載写真より時制が1時間遡るが、朽ちかかったモルタルに面白い影が投射されていた。この場の空気感を重んじて。
絞りf7.1、1/1000秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
ショーウィンドウに、お世辞にもきれいとは言い兼ねる水仙の造花が無造作に置かれていた。画面左に風に吹かれてひるがえる旗の赤い線が写り込み、それを意識して。
絞りf8.0、1/20秒、ISO200、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/02/07(金)
第482回:ある巡り合い
 栃木市内を徘徊し日没が迫ってきた頃、ぼくの気力は体力とともにまだまだ余裕があった。陽が完全に沈み、三脚を使用しなければ撮れない(三脚を持参していない不心得者だった)状況まで粘ろうとの意気も軒昂だった。ブレを防げないほど暗くなるまで撮るとの感心すべき心がけは久しぶりのことでもあった。ぼくは例によって鼻を膨らませながら、「おれもまだ捨てたものではない」と自画自賛に浸った。

 しかし、この良き心がけは必ずしも常に報われるわけではない。ここが物づくりの皮肉というものだ。膨らんだ鼻もすぐに萎む。我が経験に照らせば、むしろ報われないことのほうが圧倒的に多い、というのがぼくの率直な感想でもある。天に向かって恨み言を並び立てても仕方ないのだが。
 心がけは不可欠だが、それだけで写真は写ってくれないところが面白くもあり、歯がゆくもあり、また悲しくもありというところか。写真は感情の起伏を演出してくれるので、それが愉快でなかなか止められない。

 ぼくがいつも力強く、時には我勝ちに自画自賛をしてみせるのは、生きるための方便であり、それは不可欠なものであって、決して自惚れの類ではない。
 けれど粘ったおかげで、奇妙で、しかも興味ある被写体に出会った。 “出会った” ことは幸いなのだが、写真の出来は残念ながら幸いとはいかなかったので(掲載写真「01」)、ぼくはそれを指して、だから “皮肉” という。

 謙虚に自己批判を試みれば、思い通りの写真が撮れなかった要因のひとつに、興味ある被写体の何に感じ入ったのかが絞り切れていなかったことが挙げられる。「心象のへそ」がどこか散漫であり、主張したいことの的がしっかり掴めていないのではないかということだ。
 表現の凡庸さという目に見えぬ手強い敵に対峙しながら、凡庸という非難を自身に向けなければならぬのは、やはり皮肉ととるべきものだ。いつもながらの堂々巡りを演じている。光や造形を考慮すれば、もっと適切なアングルがあったはずと思われるのに(あれこれ24枚も撮ったにも関わらず)、それを二次元(写真)に思い通りに投射することができなかったのは、ただ何となく撮ってしまったからだろう。

 及第点を与えられぬ写真を、ここに掲載しなければ写真の員数合わせができぬことは悲劇である。前回記した「因果晒し」を如実に露呈している。また、読者諸兄に対しても良心の呵責に耐えなければならない。本来そのようなことは、たとえ職人の端くれであっても許されようがないのだが、何の因果か、これがぼくの職業だと観念している。逆恨みは嫌な心得なので、ここはぐっと堪えて(堪えてないじゃないか)、奇異な建物についての話を続ける。

 裏通りからさらに路地裏を進むと、学校の校舎(モルタル造り)のような大きな建造物が現れた。かなりの年代物と思われるが、窓に奇妙な形の木枠がはめられていた。「これは一体何なのだろう?」と首を傾げていると、近くの駐車場に急ぐ人影が見えた。年の頃還暦ほどだろうか。地元の人に違いないと見当を付けたぼくは、彼が車に乗り込む前に、話を聞いてみようと駆け寄った。
 若い頃には躊躇しがちだったが、今はもう見ず知らずの人にも気軽に声をかけることができるようになった。年功なのだろうか? 風体が怪しい(作務衣にジーンズ、縁の太い丸眼鏡に迷彩帽というヘンテコな出で立ち)にも関わらず、白髪のジジィを警戒する人はまずいないとの勝手な思い込みがそうさせるのだろう。あるいは、哀れみをもって接してくれるのかも知れない。

 かぶった帽子を取り、「お急ぎのところお手間を取らせて申し訳ありませんが、ちょっと教えてください」とぼくは切り出した。そして、「あの建物は一体何なのでしょうか?」と続けた。
 「ああ、あれね。あれは昔病院だったんですよ。私の父が医院長をしており、経営者でもあったんです。私は父の意志を継ぐ気がなかったので、アッハッハッ、今はご覧の通り荒れ果てたままにしていますがね」と屈託なくおっしゃる。
 ぼくはまさかの奇遇に驚き、頭の中が真空状態になるのを覚えた。たまたま声をかけたその人が、当事者の息子さんだとは。このような奇抜なことが実際に起こるので、この世は侮れない。
 
 「いつ頃まで経営されていたんですか? 当時としては大きな病院だったのでしょうね。そして窓には面白い木枠がはめられていますが、あれは何なのでしょう? デザイン上の何かとも思えませんが」と、矢継ぎ早に質問した。
 屈託のない彼は、「『栃木地方病院』といいまして、昭和40年代に廃業しました。約50年前です。当時としては他の医療施設にはない設備を誇った病院で、小中学生が団体でレントゲン検査などを受けていたものです。あの木枠は、蚊除けの網戸を張るために付けたものです。この辺りは蚊が多くてね。悪戯に窓ガラスが割られることもあったので、それらの防護用でもありました。一階が診療室、二階は入院用に使われていました」と、完璧な答えが返ってきた。

 昭和40年代と聞いて、ぼくは「それほど昔のことではない」と感じてしまった。ぼくのなかでは、平成時代の30年間がすっぽりと抜け落ちていたからだ。この錯覚はいつもぼくを混乱に招き入れる。昭和23年生まれのぼくは、平成を飛び越して、突然令和になってしまったのだとの思いが強い。平成は働き盛りの真っ只中で、今思い返すとまさに馬車馬の如きであり、心の中は案外殺風景なものだったのかも知れない。それが昭和の高度成長期とともに育った典型的な昭和っ子なのかなぁとも思っている。
 病院の経営者のご子息と偶然にもお会いできたことは、何かの因果であり、それはきっとぼくの心得によるものだと、ことさらに自画自賛しておこう。今、なんだか鼻が膨らんできた。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/482.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE11-24mm F4.0L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木地方病院跡」
本文で触れた日没間際の「栃木地方病院跡」。路地が狭く引きが取れず、向かい側にある家の壁に背を押しつけて、11mmの超広角で撮る。年季の入ったモルタルの質感を大切にしながら補整。
絞りf8.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02ヤマサ味噌」
今まで何度も見た風景。雑草などが廃除され見通しが良くなり、陽も地平線に傾きつつあった。空のグラーデーションにもコントラストがつき、やっと撮る気になる。
絞りf9.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/01/31(金)
第481回:モンドリアン
 先日栃木を訪問した際に、3本のレンズを携行した。1本はカメラに付け、もう2本を約20年前にメーカーからもらった小さなバッグに詰めて、栃木市内を3時間以上も心の糧!?を求めてさまよった。
 このバッグ、今はもう塗装が剥げちょろけとなり、見かけはボロボロだが、機能は衰えを知らず、まったく弱みを見せない。なかなかに達者で、しかもしたたかな奴なのである。海外ロケにも大変重宝し、大活躍してくれた。大きなカメラバッグに機材を詰め込み、ホテルでその日に必要なレンズを選択して小さなバッグに移し替え、持ち歩くには最適なサイズと機能を有している。

 しかしそうはいっても、3本のレンズとカメラボディを身にまとい、3時間以上も休みなく栃木市内を闊歩すれば、さすがにくたびれる。直立不動のままシャッターを押すことはほとんどなく、都度体勢を整え、カメラブレを恐れ、立ち位置を微調整しながらの作業を日に何百回も繰り返すのだから、老体にとってはやはり身に堪える。つくづく因果な商売だと、自身の不心得を懇々と諭さざるを得ない。
 「カメラマンは定年がないからいいねぇ。羨ましい限りだ」なんて、世間知らずの同窓生などは口をすぼめてお気楽にいう。職人が職を絶つことは、生を絶つことに等しいということに気が回らないようだ。前回記したように「写真屋の存在価値は、写真を撮ってこそ “なんぼ” なのだから」。今さらながらに、ぼくは因果晒し(前世の悪行の報いによって受けた恥を、現世にて世間にさらすこと)を余儀なくされている。そして「他人を羨むなんてもってのほかである」とぼくはすかさず彼らに悪態をつく。

 栃木から帰宅し、しばらくベッドに横たわり、立ち上がると途端に腰に痛みが走った。体を直立できず、腰を丸めながらの歩行は、まるで年老いたおじいさんのような恰好だ。すわ因果応報かと思いきや、しばらく体を動かすと血行が良くなるせいか、痛みはスーッと消える。同時に、心の痛みも消えるような気がするからおかしい。

 何事にも因果関係を突き止めることに固執するタイプのぼくは、この腰痛が果たして栃木撮影に起因したものか、未だ疑問に思っている。体力の衰えを何としてでも認めたくないとの潜在意識が働いているようだ。
 素直に認めれば、写真を撮るという行為に差し障りが生ずると分かっているので、今のところ観念することを見送っている。気力はあるが体力が追いつかないという悲劇をいずれ体験することになるだろうが、その時の絶望感を考えると暗澹たるものがある。「まだまだいける」との暗示をさかんにかけている今日この頃。

 前回の題目「写真の『題名』は野暮天?」を自身の都合に合わせて鞍替えしてみる。これはぼくの凄味ある生きるための方便であり、あるいは言いこしらえ(もっともらしい話で相手を安心させてだましたりすること。うまく言い繕うこと)でもあるのだが、写真に「題名」があるのとそうでないのとでは、理解への筋道が早くなることが極稀にある。今回の掲載写真はその一例として、野暮天を重々承知のうえで、敢えて「題名」を付けてみようと思う。

 裏通りを歩いていると、廃業となった婦人服店に出くわした。ぼくは咄嗟に「おっ、モンドリアンのコンポジション!」(ピエト・モンドリアン。1872-1944年。オランダの画家。水平と垂直の直線のみによって分割された画面に、赤・青・黄のみを用いるというストイックな原則を貫いた一連の作品群がもっともよく知られる。出典:Wikipedia)とつぶやいた。
 すぐに頭の中でイメージが固着し、店のシャッターを含めた壁面をどう切り取るかにだけ神経を注げばよかった。

 子供の頃、ぼくの枕元には父の蔵書棚があり、その最下段には美術全集や解説書が並んでいた。目覚めると、寝床でぐずぐずしながら、美術全集を引っぱり出しては眺めていたものだ。そのなかにモンドリアンの抽象画があった。幼心に「こんなものが絵なのか? これならぼくも描ける」との思いが強かったことだけはよく覚えている。絵画としての認識を訝りつつも、幼少時に受けた印象は大人になってからもなかなか拭い去れるものではない。

 栃木でぼくは懐郷の念にかられながら、被写体を前に蟹の横ばいを真似た。構図を図る上で困惑したことはただひとつ。モンドリアンの一連の作品はどれも正方形であり、ファインダーの縦横比は3:2であることだった。正方形のトリミングも考えたが、まるで真似事のように思え、「トリミングはしない」のがぼくの流儀だと、それを頑なに守ることにした。そして、「これはぼくの写真なのだから」と言い聞かせた。
 この写真の題名を「モンドリアン」とせずとも、写真としての完成度をどう高めるかに注力すべきと言い含めた。世の中には、モンドリアンを知らない人だって大勢いるに違いなく、題名を「モンドリアン」とし、閲覧者を惑わせたり誘導するのは、お門違いというものだ。これこそ大きなお世話だ。
 斯くして、初めての「題名」付けには大いなる抵抗感が生じ、ぼくにそぐわぬことが判明した。「モンドリアンもどき」なんていわれたくないし。けれど、ぼくのこの「題名」は、シャッターを切る以前にイメージしたものなので、「後出しジャンケン」でも「あとづけ」でもないのが、救いといえば救いなのかも知れない。

http://www.amatias.com/bbs/30/481.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE35mm F1.4L USM、FE24-105mm F4.0L USM。
栃木県栃木市。

★「01モンドリアン」
説明は本文参照。
絞りf7.1、1/200秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
県道11号線から西へ1本入った商店街にある歌麿通りには、あちらこちらに色あせた歌麿のポスターが貼られている。歌麿は栃木の豪商と交流があり、旧家から肉質画が3点発見されている。
絞りf9.0、1/600秒、ISO100、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2020/01/24(金)
第480回:写真の「題名」は野暮天?
 昨年は私的写真に尽力したとの実感を持てなかった。我として慚愧(ざんき。自分の言動を顧みて恥ずかしく思うこと)に堪えない。この悲しい現実を大いに反省している。
 今年はまた一年歳を重ねることになるのだが、老いを養いながらも一徹さを自身に課さなければならない。大上段に振りかぶりながらも、自身を追い詰めるとの悲壮な覚悟を持って撮影に臨もうと決意している。写真屋の存在価値は、写真を撮ってこそ “なんぼ” なのだから。新年の誓いは、悲喜こもごも、というより哀感に満ちたものだった。

 正月明け早々に、慣れ親しんだ栃木市(といっても、まだまだ一部しか知らないであろう)に車を走らせた。途中、佐野サービスエリアに寄り、かき揚げうどんを掻き込みながら、不安ばかりが頭をよぎる。
 「ここのうどんは近所のスーパーで売っているうどんよりずっと旨い。第一食感がいい」なんて感心などしている場合じゃないのだ。
 何度も通った土地なので、「ぼくは緊張感を保てるだろうか? 惰性に走り、発見が疎かになりはしないだろうか? 何も見えなかったらどうしよう」などなどの不安と恐れが襲ってきた。

 第466回から4回にわたって「通うことの大切さ」について思うところを記したが、撮影場所との相性は誰にでもあると思う。ぼくが足しげく栃木市に通うのは、自身の感覚に釣り合うものが比較的多く見受けられるからだろう。しかし残念ながら、このことは当然、良い写真が撮れるとの保証を得るものではない。唯一の慰めは、被写体を渉猟しながら、間延びすることがあまりないということに尽きる。
 間延びしないということは、「緊張感を保て、気分を知らず識らずのうちに高揚させ、自身の気に入った写真を撮れる確率が高くなる」との自己暗示をかけやすいことだ。暗示にかかりにくいぼくだが、ここに至って、ぼくはこれにすがる。目下すがりっぱなしだ。

 前回登場願った「ゴムまり」とM女史から相次いで脅迫状めいたものが舞い込んできた。「あたしたちのことを冗談めかして書くより、そんな暇があったら写真の話をちゃんと書きなさいよ。写真のことなど、最後の段落に体裁づくりのためにお愛想でちょっと触れているだけでしょ。あたしなんか迂闊にも電車の中で読んでしまったものだから、笑いを堪えるのにお腹は痛くなるし、ついでに涙と鼻水を同時に垂れ流し、あまりにもみっともないので途中下車してしまったくらいなんだから。『コンパスで同心円状に描かれたような顔』とはなによ!」と、自身の修業不足を棚に上げ、おもむろにぼくを叱りつけるのだった。

 何をいわれようと、ぼくが改心などしないことをよく知っている最古参のM女史は、「たまにはさぁ、他人を茶化すばかりでなく、掲載写真の解説などしてみたらどうなの。つまり “自己批判” ね」と意地の悪さを押し隠すような調子で気やすくおっしゃる。
 確かにM女史のいわれることには一理あるような気もする。けれど、出来上がった1枚の写真について作者が蘊蓄(うんちく)を傾けるのは、あまりみっとも良いことではないというのがぼくの持論だ。ダサいよね。
 閲覧者に最低限の情報(場所、撮影日など。必要とあらばデーターも)を示すくらいは必要だが、ぼくの流儀からして、それ以上のこと(撮影意図や題名など)はしないと心に決めている。

 写真展や雑誌などのコンテストに見られる「題名」などは、良し悪しを別問題としても、ぼくは付けない。「題名」によって閲覧者に先入観や誘導を与え、ぼくはそれを極めて不粋で野暮天だと感じ、敢えて「題名」を付けることはしない。自身の作品は、閲覧者の自由な想像や発想にお任せすべきで、手枷足枷となる誘導は大きなお世話と考えているからだ。「どうぞご自由に(私はどう思われようとかまいません)」がスマートなのではあるまいかと思っている。
 また、「題名」の付け方によって、それが写真審査の優劣を左右することがあると聞く。まったく本末転倒も甚だしいことと苦々しく思っている。

 個展やグループ展などで、しばしば撮影意図などを訊ねられることがあるが、それを言葉で表現できないからぼくは写真を撮る必然性に迫られるのである。もちろん問われれば、「言葉は心の使い」とはいうものの、拙い日本語を弄しながらできるだけ誠実にお答えしようと試みるが、文学者や詩人でないぼくは、もどかしさと虚しさを覚えるばかり。そしてまた、それは大変気恥ずかしいものだ。時によって、撮影後の効能書きは「後出しジャンケン」のような厚かましさを感じさせ、男らしくない。
 「あなたがお感じになったことが、あなたの真実であり、作者であるぼくの意図が、たとえあなたの感じることと異なるからといって、ぼくが横槍を入れることはとても無作法で失礼なことだと思います」と正直に答えることにしている。

 自身の人生観ならびに美意識、思想や哲学、宗教観や死生観、そして都度の感情を相手に伝える手段としての写真、絵画、音楽などなどは、言葉より抽象的な要素が強い。
 直截的なものより抽象的なもののほうがより訴求力がある場合が多々ある。直裁的でない分、意図するところの解釈を相手に委ねることになる。それでいいのではないかと思う。余計なちょっかいは自身の作品意図を濁らせたり、汚したりすることにつながる。
 言葉多くして通じず、を切実に感じる人間は、他の方法を試みるしか手がない。やはり、悲喜こもごもなのだなぁ。

http://www.amatias.com/bbs/30/480.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE24-105mm F4.0L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
通りを歩き出しての第1カット。例によって「ガラス越し」である。左手前のマネキンをどれ程ぼかすかがポイント。マネキンの鼻先とポスターの間隔をさらに開けようとすると右上にある室内灯の位置が変わってくる。ぼくにしては珍しく同じ写真を3枚撮ってみた。これがベストアングルかな。
絞りf6.3、1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02栃木市」
かつてモスクワで実際の狼と遊んだことがある。友人であるロシア人が家の中で飼っていた。犬好きのぼくもさすがに狼との初対面は恐かったが、あにはからんや二度目に訪問した時は犬以上の歓待を受けた。ぼくの肩に手を掛けると見上げるほどの大きさだった。それ以来ぼくは無類の狼派となった。とにかく可愛くて賢い。栃木のショーウィンドウで見たこの狼にぼくは非常なシンパシーを感じた。モデルのサングラスをどの位画面に入れるかに、頭を悩ませた。
絞りf9.0、1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/01/17(金)
第479回:筋入りプリント・続報
 第477回にて、プリンターの頑固な目詰まりについて触れた。今回はその続報である。ここで取り上げた我が倶楽部の、刮目に値する筋入りプリントを毎回何食わぬ顔で持参してくる「あからさまな確信犯」だとぼくに名指しされたご婦人のその後について述べてみたい。
 写真には直接関係のない話に思われるかも知れないが、良いものに投資することは上達に於ける通則のようなものだから。

 拙稿を読んで「これはあたしのことだ。やばい! 書かれてしまった。このままだと本名を明かされてしまう。あの人ならやりかねない。ましてや相当なひねくれ者だし、人権というものを頭ごなしに否定する質だから、のっぴきならぬ事態に陥らぬうちに何とかしなくっちゃ。このまま放置しているとデッタイ住所氏名を公表するに違いない。『君子危うきに近寄らず』なんて今はいってられないわ」と、いじらしくも感応した確信犯は相当な危機感を持ったようだった。

 ぼくの指導に、「馬耳東風」、「馬の耳に念仏」、「暖簾に腕押し」、「糠に釘」といった不埒な輩が大勢を占める我が倶楽部にあって、彼女は入部してまだ半年足らずだが、ぼくの非人道的な性格だけはよく飲み込んでいるようだ。その点に於いて彼女は持ち前の聡明さを発揮しているかのように思える。
 なので、ぼくも「あからさまに」再びこの件について取り上げる気になった。彼女曰く「プリントの目詰まりについて、あ〜たが解決できたと声高に書いたその方法に従って、あたしも試みたのだがまったく解消できなかった。どうしてくれるのよ」と、実に恨めしい口調で、深夜に電話をしてきた。
 かなりプリンターと格闘した様子だったが、にも関わらずまったく埒が明かなかったので、ぼくを婉曲に嘘つき呼ばわりしたくて仕方ないご様子だった。逆恨みも甚だしい。鬼の首を取ったように、口をモグモグさせて(きっと餅を頬張っていたに違いない)攻撃を仕掛けてきた。ぼくにしてみれば、到底間尺に合わない。拙文から再び引用すれば、「まったくもって苦々しい限り」だ。

 そして、「私のプリンターはもう寿命なのよ。私は未練がましいあ〜たと違い、プリンターを新調することに経済的な躊躇などないのだけれど、一応予算を知らせるから、その範囲で最適な機種を選び、明日直ちにお店に連れて行きなさい」とナチスの女看守のような有無をいわせぬ強い命令調でおっしゃった。量販店に連行されそうな雲行き濃厚となったぼくは、御前(ごぜ。婦人に対する尊敬語)にかしこまるしかなかった。

 ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密警察)の女看守は、我が倶楽部の最古参であるM女史について、「明日、彼女も誘いなさい。今彼女は不幸があって落ち込んでいるんだから。あ〜たは “一応” 指導者なのだから、そのくらいの気は遣いなさいよ」と、執拗に追い打ちをかけてくる。「可愛さ余って憎さ百倍」なのかと、ぼくは達観したように応じた。女看守の目にも涙か、ぼくは御前の気配りにちょっと感心した。不可解なことは、何故その優しさをぼくに示せないのだろうか?
 余談だが、御前の顔の形状は、コンパスで同心円を描いたようにまん丸で、笑いのツボにはまると、ところ構わず壮絶ともいえる笑い声を涙と鼻水とともに発し、止まるところを知らず、周囲を圧倒する。正直で、誠実で、裏表のない、根っからの善人であると、ぼくも “一応” 褒めておこう。まん丸でぷよぷよ・ころころしているので、ぼくは彼女の名に引っかけて「ゴムまり」と呼んでいる。

 前日、ぼくはネットで彼女の命令に従い、予算に収まる機種をあれこれ吟味しながら、型番と価格をシワだらけの紙に写し取った。現在は複合機(プリンターとスキャナーが一緒になっている)がほとんどで、プリンター単体は限られていることを初めて知った。

 当日、M女史を同伴し量販店に赴いた。型番と価格を記したボロ紙を頼りに、お目当ての製品を物色しつつ、「ゴムまり」を一回り大きくしたような若い女店員さんに意見を求めた。「餅は餅屋」であるからして、彼女の助言を得るのは賢い方法だと思った。
 大きな「ゴムまり」は、専門家顔負けの豊富な知識を備えており、ぼくの選択肢に花を添えてくれた。「あなたは大したものだ」と、ぼくは彼女を素直に讃えた。
 小ぶりな「ゴムまり」が歓び勇んで選択したプリンターは、予算をはるかにオーバーしていたが、まったく意に介することなく、同心円状の顔に描かれたビー玉のような目でM女史に目配せをしながら「これに決めた!」と言い放った。磊落(らいらく。気が大きく、朗らかで小事にこだわらないさま)な「ゴムまり」は、上目遣いでぼくに一瞥をくれ、すまし顔だった。

 ぼくは内心、「あんたのいった予算の2倍もするじゃないか。昨夜苦心しながら選んだオレは何だったんだ。おいらの沽券はどうしてくれる」と、恨み言を吐いた。斯くして、良い買い物をした「ゴムまり」は、「これからお茶でもしましょうか」と、重い荷物を抱えたぼくを尻目に、隣にあるファミレスにM女史と手を取り合って突入していった。
 2人はデッカイあんみつとジャンボ・フルーツパッフェに食らい付きながら、倶楽部の面々を俎上に載せ、楽しそうに悪態をつくのだった。「他人の悪口をいうのは良くないこと、などというのは実に偽善的だね。あれほど面白く楽しいことはないね。良い悪口とそうでないものがあるんだよ」と、一端の、真実溢れる人生論を語ってみせた。
 ぼくは辛うじて、年長者らしい沽券を取り戻し、落ち込んでいたM女史の顔もパッ明るくなった。婦女子というものは現金なものだ。
 「この投資は必ず写真の上達に反映されるよ。投資は裏切らないからね。しかし、どんな高級なプリンターでも目詰まりは起こすんだよ。二度と筋入りプリントなど持って来るなよ」と、再び説教ジジィを演じて見せた。

http://www.amatias.com/bbs/30/479.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:FE11-24mm F4.0L USM。
埼玉県加須市、栃木県足利市。

★「01加須市」
ここを通る度に気になっていたのだが、いつ廃業したか分からない自転車屋。
絞りf11.0、1/200秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02足利市」
路地裏の雑草地に分け入ったら、これもいつ廃業したか分からない喫茶店兼美容室が忽然と現れ、焦点距離11mmという超広角を使い、思いっきり歪ませて遊んでみた。
絞りf9.0、1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)