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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2018/01/12(金)
第379回:久々の撮影旅行
 写真のクオリティは機材に依拠するものではないということは今までに何度か触れた。良いカメラやレンズがいわゆる画質(解像度やグラデーションなど)に何らかの貢献を果たすことは否めないが、ぼくのいう写真の品質はそれとは別次元の事柄である。その点を踏まえればスマホで撮る写真も、自由度は非常に制限されるが立派な写真といえる。一眼レフだろうとスマホだろうと、それにより写真の品質が左右されるとは考えていない。
 良い写真はどのようなカメラでも撮ることができる。写真を撮るのは機械ではなく、人間なのだから。

 今現在スマホを使用していない理由は、話は少しだけ横道に逸れるが、ぼく自身はもう何十年もの間、あまりにお粗末なこの国のマスメディアによる偏向報道や誣言(ふげん)、意図的で下世話な世論操作に辟易とし、また憤慨もしているので、お陰さま、新聞やテレビとは絶縁状態にあるという極めて文化的な生活を強いられている。
 まだ世捨て人ほどの高尚なる精神には到達していないので、重要な情報は国内外の見識ある人々や公平と思われる情報源から手に入れる必要があり、そのためにネットを活用しているが、依存症ではないのでもっぱらガラケーを愛用している。スマホの便利さはよく知っているが、ぼくはその便利さによって大切な何かが失われることを必要以上に警戒している。
 そしてまた、街中や電車内で必死にスマホと格闘している不気味な大人たちを見るにつけ、あの鬼気迫るような光景の一員には決して与したくないというささやかな気概を持っている。

 スマホについて述べることはここでの論旨ではないのだが、もしスマホを使用するはめに陥ったら、それで写真を撮るだろうかと考えてみた。記録・記念写真を別として、やはりぼくは撮らないだろうと思う。露出補正や被写界深度の調整ができないカメラではイメージの描き方が制限されてしまい、それでは面白味がないからだ。すぐに限界が見えてしまうようなものに打ち込んだり、興味を示したり、そこまで酔狂にはなれない。それでは写真屋としても肩身が狭いというものだ。
 写真を何のために撮るかは個人の自由で、他人が口を挟む余地はないのだが、スマホ写真一辺倒の人を写真愛好の士と同列に語ることはしない。描きたい絵柄をカメラの機能を駆使しながら撮る人々をぼくは写真愛好の士と呼ぶことにしている。

 そんな愛好の士何人かと年の瀬も押し迫った昨年12月、群馬県草津温泉に撮影旅行と称して繰り出した。目的は親睦(毎月親睦会をしているにも関わらず)と温泉であり、撮影は常に二の次三の次という優秀な生徒たちに囲まれての1泊2日の旅だった。
 写真撮影に限定すれば、怪しげで俗っぽい歓楽的要素(昭和の残滓のようなストリップ劇場とかスマートボールとか射的とか)の多い温泉地などが面白いのだが、草津温泉は未知の世界だったので、ぼくは並み居る団子・饅頭超絶愛好の士である婦女子たちに抵抗を示すことなく機嫌良く出かけた。

 温泉街の中心部には有名な湯畑があり、見回す限りストリップ劇場は見当たらない。同行した写真愛好の士である男子Tさんは「ストリップ劇場はどこにあるのか?」と湯畑を巡りながら目を皿のようにし、しかも血走らせながら鼻息も荒くいった。彼は撮影などより、めくるめくようなエロスの世界にどっぷり浸りたいようであった。快活で情感豊かな還暦前の男子と一応いっておこう。
 ホテルの年配女性従業員に「ストリップ劇場はありますか?」と訊いたところ、ずいぶん前に廃業してしまい、今は一軒もないそうだ。ぼくはTさんの赤く燃えた目を見ていると真実を言い出せなかった。

 夕方になると外気はさらに冷え湯畑にはもうもうたる湯気が立ちのぼり、それがスポットライトによるライトアップで浮かび上がってきた。マゼンタ、緑、黄、青などが交ぜ合わさり、デリカシーはないが確かにきれいだ。ストリップ劇場のスポットライトの代わりよろしく、夜の湯畑は実に華やかな舞台を演じてくれた。ミラーボールこそないが、湯畑は夜のとばりとともに妖艶な姿に変貌を遂げていた。
 このカラフルな光景を絵葉書以上にきれいに撮ることは造作もないことだが、「おまえがそれを撮ってどうする」という思いが湯畑の湯気同様に臭気をはらんで執拗に立ちのぼってくる。ぼくの描いたシナリオも、もうもうと曇り出し、たちまち白んでいく。
 恐らくこの心情はぼくばかりでなく、程度の差こそあれ誰もがそう感じたのではないだろうか。愛好の士にとって、自撮りに興じる人々を横目に、スマホでパチリという具合にはやはりいかないようだ。湯畑を自身のアイデンティティーをもって表現することは並大抵のことではなく、非常に難しい。
 ぼくはそそくさと湯畑撮影を打ち切り、スマートボール(ストリップではない)の看板探しに身を追いやろうとしたが、可愛い生徒の手前それもできず途方に暮れた。
 ぼくは彼らの撮った湯畑写真をまだ見ていないが、さて如何相成ったであろうか?

 翌日の少し遅めの昼食を帰路軽井沢で取ったが、Tさんはオムライスを強く所望した。ぼくはペペロンチーノを強烈に食したかったので、一言をもってこれを拒否。オムライスもストリップも儚く消え去ったTさんの背中には、50男の哀愁のようなものが湯気のように漂っていた。

http://www.amatias.com/bbs/30/379.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:群馬県草津温泉。湯畑を時系列に。

★「01草津温泉」。
日の傾き掛けた頃、湯気がレンズのようになり中央が乱反射している。ネガカラーフィルムの粒子を粗目にかける。
絞りf10.0、1/500秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02草津温泉」。
日が落ち、街に明かりが灯り始める。
絞りf11.0、1/25秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03草津温泉」。
色とりどりに彩色を施された湯畑だが、敢えてモノクロに。そのモノクロ画像にクロス現像処理の色合いをシミュレート。ロシアの映画監督A.ソクーロフ「オリエンタル・エレジー」をイメージして。歩道の手すりにカメラを置き固定。
絞りf4.0、1/8秒、ISO400、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2018/01/04(木)
第378回:老後の愉しみ
 被写体そのものの色やコントラストを、写真という表現手段を用いて写し取り、再現しようとする試みは、科学的見地からして相容れない。端的にいってしまえば、それは不可能に近い。叶わぬことと知りつつも人はそれに血道を上げる。業が煮え、依怙地にさえなっていく。何故だろうか?
 人は時によって “ありのまま” を強く要望し追究しようとする。写真に於けるこのことは、レコードやCDから生演奏の音や響きをそっくりそのまま再生しようとする心情によく似ている。科学的にそれが叶わぬことは誰でもが承知しているにも関わらずだ。

 絵画や彫刻を見て、それが “ありのまま” とは異なるという疑義を抱いたり、指摘する人はいない。文学や映画、演劇や落語に於いても然り。すべての創作物は虚構であり、フィクションあることをすでに承知しているからだろう。
 では何故、写真に於いて実物との相違をムキなってただそうとする人がいるのだろうか? この摩訶不思議な現象は写真にだけ向けられる。写真は例外というわけだ。
 曰く「実際はこのような色ではない」とか「このような明暗ではない」とか、そのような声を時折耳にすることがあるが、写真は徹底して写実的でなければ我慢がならないとする向きが少なからずおられるようだ。ぼくはそのような言葉を向けられたことはないのだが、自分の私的写真を振り返ってみれば、その傾向は著しいと自覚している。
 彼らは、写真を一風の絵画として観賞することができないような仕組みになっていると思える。写真をフィクションとして認めることができずにいるのだろう。言葉通り「写真は “真” を “写す” 」ものだと思い込んでいる節がある。
 あるいは、写真は撮ったままのものこそが真実を伝えるのだから、補整などの手を加えてはいけないと極論・暴論を吐く人も一握りながら未だに存在する。写真こそ真実(写実)であると信じ切っているようだが、何をもって真実とするかは個人の意識や価値観に依拠する事柄なので、ぼくは反論の言葉を持たない。持ちようがないのである。ぼくにとって正確なカラー表現は客観性ではなく、心に感じたままを写し取ることだ。


 長年コマーシャル写真に従事してきた身として、 “ありのまま” を強く求められることが多かった。この世界には、カタログやポスター、図録などはできる限り実物と相違なく描写すべきという一定の法則めいたものがある。写真の目的がそうであるのでこれは当然のこととして受け止めている。
 そのためにフィルター操作やライティングなどに工夫を凝らす。デジタルになってからはより精緻にいろいろなことが操作できるようになり、フィルム時代の苦労はパソコン上でほとんど補えるようになった。かつて制約の多かったフィルム(仕事の99%はカラースライドフィルムだった)は厳格な使用が求められ、反対にデジタルには自由自在な世界が広がっている。もちろん、デジタルといえども仕事では同様の厳格さを求められるが、その自在度は雲泥の差といっていい。

 窮屈な仕事上での制約から逃れ、せっかくのデジタルなのだから、カラー写真に於ける様々な要素を自在に扱ってみたくなったのが一昨年の7月。
 モノクロ一辺倒だったぼくは、カラー写真を再考し、自分なりの色を構築してみようという試みを始めた。このことは同時にモノクロをもう一度見直すという意味合いを込めてのことだった。 “ありのまま” を意識せずに済む私的な写真は多くのことをもたらしてくれたように感じている。何よりもまず、肩の力を抜けることがありがたかった。
 ぼくは権謀術数(けんぼうじゅっすう。巧みに人をあざむくはかりごと。広辞苑)の使い手になることから始めてよいのだということを悟った。厳格さを要求されるプロの世界から、自由な表現を諾う(うべなう。いかにももっともだと思って承知する)アマチュアの世界に侵入し、身を置くその心地の良さは何物にも替え難いものがある。
 
 そのおかげかどうか、被写体を眺めイメージを作り上げる自由度もさらに広がった。全体のトーン、部分的なトーンを考慮しながら、慣れ親しんだモノクロのトーンに準じれば自身のアイデンティティをそれほど損なわずに済むということも同時に知った。ぼくのカラー写真は、「かめさんの流儀に従ったモノクロ写真に色をつけたようなもの」と仕事仲間からいわれたりもする。
 ただ、カラー写真を試みるようになって、被写体とする対象が多少変化した。モノクロは街中での人物スナップを中心としていたが、カラーになってからピタリと止んでしまった。

 ぼくにとって人物写真は、モノクロでなければ表現できない何かがあるようで、カラーでは人物の性格描写が薄れてしまうように感じている。モノクロでは撮らなかったものが、反対にカラーでは撮影の対象になるということもある。
 もうしばらくカラー写真とのせめぎ合いをしてみるのも面白く、カラーとモノクロの分水嶺(そのようなものがあるとすればだが)を極めてから、再びモノクロに戻ることができれば万々歳である。
 モノクロは老後の愉しみに残しておこうと思っている。

http://www.amatias.com/bbs/30/378.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM、EF24-105 F4L IS USM。
撮影場所:東京都。長野県。
つい最近モノクロの郷愁に駆られて、先祖返り。

★「01東京都」。
通い慣れた墨田区の路地裏で。強烈な夕陽に思わず「これ、モノクロでしょ」とつぶやく。
絞りf9.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02長野県」。
薄らと雪化粧した浅間山。噴煙こそ見えなかったが噴火口の上に地熱の蒸気が。レンズを付け替え、焦点距離90mmに。A. アダムスを気取ってみる。
絞りf11.0、1/800秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03東京都」。
小春日和に惰眠をむさぼる猫。超広角レンズゆえ、そーっと鼻っ先にまでレンズを近づけるが、お目覚めの気配なし。
絞りf8.0、1/800秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2017/12/22(金)
第377回:写さないことの勇気
 のっけから「写さないことの勇気」などと禅問答のような題目になってしまったけれど、忌々しくもぼくはいつもこの勇気を持てずにいる。
 ダボハゼ(食用にならない小形ハゼの蔑称。餌にすぐ食いつく習性がある)のように何にでも食らいついてしまうので、「ああ、また撮っちゃったよ。こんな写真、ボツに決まっているのに」と嘆いてばかりいる。このアホさ加減にほとほと愛想が尽きそうなものだが、勇気がないので「一応撮っておくか」と口ごもりながら、気をごまかし、なだめすかし、未練を断ち切ることができずにいる。女々しいったらありゃしない。

 「ひょっとして、まかり間違って万が一」と、一縷の望みにすがってみるのだが、それが叶ったためしなど一度たりともない。断言してもよいくらいダメ写真の連発である。ぼくはこの失敗を、物心ならぬ写真心がついて以来約60年の間に何万回も懲りることなく繰り返してきた。
 そこには「あわよくば」という姑息かつ怯懦(きょうだ。臆病で気が弱く、いくじのないこと)な精神が脈々と息づいている。道理に適わぬから失敗するのであって、それを知りつつ撮ることへの抑制が利かない。つまり良い写真を撮ることの道理を未だ理解していないのである。まことにいじましい限りだ。「阿呆につける薬なし」と大いに自嘲している。

 人はおそらく、上手くいった時を顧みることより、失敗したことを悔やみながら顧み、そしてそれを重宝なものとして扱う。これを反省というらしいが、方法論として一理でなく半理くらいはあるようにも思える。
 だが、ぼくのように失敗ばかりの人間にとってこの方法論はあまり当てにならぬのではないかと最近になって気づいた。謙虚さが足りないので、失敗から何かを学び取ろうとする姿勢が褪せているのかも知れないが、それよりむしろ、上手く撮れたことの要因を解析したほうが得策ではなかろうかと思い始めている。

 「失敗は成功の母」ともいわれるが、写真には失敗こそあれ、元々成功(100%得心できるような作品)など永遠にないのだから、何故上手く撮れないかという謎解きより、自分で合格点をつけることのできた作品を探ったほうが良い。そのほうがずっと建設的であり、広がりもあり、将来を見通せる。何万回も失敗をしてきた結論として、ぼくはベテランといわれる写真愛好家にこそ、そう訴えたい。

 自虐的な告白をすれば、ぼくが失敗から学び取ったことの唯一は観察力の欠如だ。観察力の欠如は集中力や緊張感をも減殺させ、描くイメージも曖昧なものとならざるを得ず、これではどうあがいても上手くはずがない。
 盲目状態の撮影は、時によって唯我独尊という悪しき習性を生み出す。独断的な写真は煮ても焼いても食えないものだ。これを個性だと思い込んでいる人があまりにも多く、始末に負えない。

 被写体を前にして、碌な観察もせずおもむろにシャッターを切ってしまうことの性急さは半ば本能的なものともいえ、本能に従っては良い結果を生まない。言い換えればおっちょこちょいの思慮足らずということになる。
 かといって、慎重居士では様々なことが計算づくとなり、写真はどこか面白味のないものになってしまう傾向が強い。線が弱く作品から力を奪ってしまうのだ。この匙加減がまことに難しい。その頃合いを掴み切れてないと、いつまで経ってもドジを踏むことになる。

 注意深く観察することと慎重さとは意味が異なるのだが、それを同質なものと捉え、結びつけようとすることから過ちが生ずるとぼくは考えている。観察力のあるなしは、観察時間に比例するものではない。そして、慎重であるほど前述の如く、写真から精気が消え失せ、ダイナミズムも失われていく。失うもののほうが多い。
 写真はできる限り迅速に、手早く撮らなければならない。短い時間のなかで、如何により多くを観察し、理解し、イメージをまとめ上げるかということに尽きるような気がする。ここに求められるのは目と心の練度しかないのではないかとも思う。

 「被写体を肉眼でよ〜く見る前に、シャッターを押してしまったね」とぼくは人の作品を前にしていうことがある。続けて「その気持はよく分かります。ぼくも同じことをしてしまいますから」と、同病相憐むというふうに必ず相手をいたわる。シャッターを切る前に一旦立ち止まって、もう一度被写体を観察してみることがどれほど困難なことか、ぼくはそれを知っているつもりでいる。
 ファインダーのなかの画像と実際を交互に見つめ直す作業はとても難儀なことだが、たいした手間暇が必要なわけではないし、肉体的な労力もほとんどない。にも関わらず、それを困難と感じるのは精神的な負荷が大きいと感じるからだろう。あるいは単にものぐさなだけだ。
 大型カメラ(4 x 5や8 x 10インチカメラ)を扱う時に感じる精神的な負荷というかレジスタンスのようなものを、我々が一般的に使う小型カメラに適用させてみるのも何某かの効用があるのではないかと感じている。

 「写してやろう」という野心より、「写さないことの勇気」の価値を重んじながら、あと10年写真を続けてみようか。

http://www.amatias.com/bbs/30/377.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県加須市。

★「01加須市」。
路地の片隅に使用済みのオイル缶が几帳面に積まれていた。湿気で繁茂した苔類との色合いが面白く、慌てずシャッターを切る。
絞りf7.1、1/13秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02加須市」。
ガラス越しの花束。人気のない店内に寂しく置かれていた。沈みゆく太陽が反射して、わずかながらゴーストが生じている。
絞りf5.6、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03加須市」。
かなり古いコンクリートの倉庫が異様な出で立ちで現れた。いつ頃のものか? 隣り合った病院の窓ガラスに夕陽が当たり、倉庫の壁に反射している。
絞りf9.0、1/20秒、ISO200、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2017/12/15(金)
第376回:シャッター街
 27年前、テレビ局の仕事で群馬県太田市に長逗留したことがある。当地のホテルとロケ現場だけを往復する日々で、街の様子を窺い知る暇もなかった。車を運転しながら街を通過するだけだったが、地方都市に於けるいわゆる「シャッター街」(「シャッター通り」とも)を初めて目の当たりにし、その殺風景な佇まいは漠然としながらも脳裏の片隅に焼き付いている。車窓から見る限り人通りも閑散としており、どこか物悲しさを漂わせていた。

 国内・海外を問わず、ロケというものは常に非情・苛酷なもので、名所史跡を訪ねる時間も余裕も与えられない。担当者はここを先途とカメラマンを酷使することばかり考えている。無慈悲なものだ。決められた場所と時間内に、クライアントの欲する写真をあの手この手を使って写し取らなければならないのだから、殺気立つのも無理からぬところだ。
 お互いに首がかかっているのだからそれでいいのだが、時には撮影上の不平不満を担当者にぶつけながら、ぼくは朝から深夜に至るまでひたすらシャッターを切り続け、コマネズミのように走り回ったものだ。
 不幸にもぼくは気楽なロケを体験したことが一度もない。とても不運な写真屋なのだが、本来のなまくらが厳しい環境下で多少は矯正されたようにも思う。今になって、ありがたいことだと感謝さえしている。芸事で食おうなどという妄動になんとか世間並みの体裁らしきものを付けようというのだから、このくらいのことは当たり前のことだとも感じている。

 しばしば、「海外にただで行けていいですね。しかも、お金までいただけるんでしょう。なんて羨ましい!」と、純真無垢という衣にすっぽりと身を包んだ仕合わせそうな人は忌憚なくそうおっしゃる。ぼくは返す言葉を失い、「あっ、はぁ〜、まぁ〜」とその場限りの感嘆詞を発するのが精一杯である。彼らはロケの実態を知っても、決して同情や憐れみを示すことなどなく、どう転んでも羨ましさが勝つのである。

 コマーシャル写真の現場を離れつつある今、かつて仕事で行ったことのあるあの街はどんな風情であったろうと振り返っても、特に国内はほとんど記憶にない。多くの場所を経験しているにも関わらず、その印象を語ることができずにいる。
 もっとも海外などは、思いのほか希望を受け入れてもらえることがままあり、ぼくは可能な限り単独行を望んだ。単独行はすべてを自身でマネージメントしなければならず、その分負担も大きく苦労するが、それが良い意味で負荷となり、観察力を鋭敏にしているようにも感じている。一人というのは何にも守られていないことに等しく、否が応でも身の周りで何が生じているかに神経を尖らさざるを得ないからだ。
 言葉も字もまったく理解できず、ホテルと空港以外は英語など通じないところに飛び込むことはどれほど愉快なことか。それが本来の旅の醍醐味というものだ。身振り手振りがすべての雌雄を決する、そのような旅をぼくはことさらに好む。
 そのような旅は記憶も正確について回り、何十年経ってもその体験をつぶさに語ることができる。ぼくは近しい友人に1話2時間単位で海外での体験談をあれこれと喋ることがよくある。自分でも驚くくらいの記憶力だと感心してしまう。それはきっと一人旅のおかげだろう。好奇心を満たしてくれる旅は一人に限る。苦難な旅ほど身につくものだ。

 27年前にシャッター街を他力本願にて車窓より見て以来、歳を経るに従い地方都市の哀切というか痛々しさというか、それをフォトジェニックなものと捉え、またその感受に従うべく撮影意欲が増したように思う。思わず、知らず識らずのうちに熱心にレンズを向けている自分に気づく。
 どのような感情に支配されてシャッターを押しているのかを自問自答してみるのだが、確かな答えを導き出せずにいる。言葉に置き換えることもできないのだが、恐らくはぼく自身のささやかなる宗教観によるところが大きいのではないかと思っている。

 写真愛好の士のどれほどが、地方都市の哀感漂う光景を興味ある被写体として眺めるのか、ぼくには分からないが、恐らく “ごく一握り” でしかないのかも知れない。ぼくが “ごく一握り” との根拠らしきものを示すのであれば、世の中はあまりにも “あっけらかん” とした写真で満ち溢れているからだ。ここでも純真無垢といえばそうもいえるのだが・・・。
 良し悪しをいっているのではなく、 “あっけらかん” 派が圧倒的多数(もしかすると98%以上と思える)を占めていると、ぼくはかなりの確信を持ってそう言い切ることができそうだ。
 ぼくだって、斜に構えていうのではなく、 “あっけらかん” 写真を、物ともせずに撮れる人をまことに羨やましく思う。「嘘ばっかり!」という心ない声があっちこっちから飛んできそうだ。

http://www.amatias.com/bbs/30/376.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県川越市霞ヶ関。

★「01川越市」。
シャッターの閉まったアーケードを行く。
絞りf5.6、1/15秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02川越市」。
ガラス越しの星条旗。波打つガラスにシャッター街が写り込む。
絞りf5.0、1/15秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「03川越市」。
しっかり稼働しているのは自販機のみ。
絞りf6.3、1/30秒、ISO200、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2017/12/08(金)
第375回:御の字
 「秋の日はつるべ落とし」といわれる。今はもう秋どころではなく、間もなく冬至を迎える時節となった。にも関わらずぼくの季節感覚はすっかり消失し、未だ夏のままで、いつまでも明るく撮影時間も午後6時過ぎまでは可能だと思い込んでいる。日照時間の減少という現実を差し置いて願望だけがいつも先走るのは、ぼくのでたらめさ加減とお座なりをよく示している。耄碌のせいか、時制感覚まで現実と乖離し始めている。夢を食う獏(バク)のようだ。
 日照時間の観念がすっかりずれてしまっているのは、仏教でいうところの「不増不減」(すべてのものは空なるものであるから、増えることも減ることもないという意)の教義の意味をはき違え、信じているからかも知れない。自身の怠惰と出不精をまやかすにはとても都合の良い教えである。ちゃっかりしたものだ。

 現場でファインダーを覗き、露出情報を見て、そこで初めて「そうか、もう冬なんだ。すぐ暗くなってしまうんだ」と気づく。日没を意にかけないので、撮影に出かける時間も午後2時を回ることがほとんどだが、焦ることもなく鷹揚に構えることにしている。「慌てる乞食は貰いが少ない」とか「急いては事をし損じる」とか、ここでも本意のはき違えを演じている。ぼくは詭弁の才に長けている。

 被写体の明度が低くなるにつれ撮影の技術的条件は悪くなるが、その光は生涯に出会うことのできるたった一度きりのものなのだから、大切に扱いたいとの思いが強い。悪条件を上手にやり過ごし、乏しい知恵を絞りながらシャッターを押すことに専念するのが何よりも得策であるように思える。前号で紹介した魯山人の言葉を引用すれば、「自然に対する素直さだけが美の発見者である」のだそうだ。
 微弱な光をフィルムや撮像素子に記録するのも乙なものではなかろうか。暗ければ暗いなりにというところだ。私的写真の撮影集中度も、仕事とは異なり、2時間を限度と定めているので、夕闇が迫っても焦らず騒がずだ。

 前回掲載した満願寺の写真は、ぼくのそのような意図をもって撮影したものだが、光を上手くあやすことができたと思っている。
 「写真は技術ももちろん重要な要素のひとつであるけれど、それよりさらに大切なことはイメージをどう作り上げるかにある。写真は技術で撮るのではなく、イメージで撮るものだよ。被写体と光をデフォルメしながら、描き上げていくこと」と、ぼくはうちの一味に繰り返し述べている。ぼくは自分の信条を、手を変え品を変えつつ伝えており、そこに到達するまでに個人差はあれど、早い人でも数年を必要とするが、少しずつ浸透していると思いたい。

 誰もが “きれい” ( “美しい” ではない)で、万人受けのするような見映えのよい写真を初めは撮りたがり、それを欲する。ぼくはその過程を肯定的に捉えているが、それはあくまで初期の通過点に過ぎない。そこは通過儀礼としての関所なのだが、そのようなものは比較的好意を持って迎えられるので、関所の居心地が良くなり、長居無用の逗留を決め込む人が多い。次の関所を忘れるか、目に入れることなく安楽椅子にそっくり返る。科(しな)をつくることに傾注してしまう。
 見る側は関所など我関せずで、何の義務も責任も負わないのでそれでいいのだが(心地よければよい)、創作する側がそれに甘んじ、留まっては進歩がなくなってしまう。見る側と作り出す立場は両極にあるということを、理解できない人がたくさんいる。

 魯山人は、「魯山人味道」のなかでこうも述べている。
 「低級な人は低級な味を好み、低級な料理と交わって安堵し、また低級な料理を作る」と。胸を刺すようなドキッとする言葉だが、これはすべての分野に通じることだ。ぼくも十分に心しなければならないことと戒めている。

 かかりつけの医院にきれいな写真が印刷されたカレンダーが掲げてある。1ヶ月毎にページがめくられるのだが、そこにはいつも「予約済み」という付箋が貼ってある。きれいな風景写真や観光名所写真などがピカピカの光沢紙に印刷され、見るからに鮮やかである。「う〜ん、こういうものが毎月予約されるということは、一般にはこの手の写真が好まれるのだなぁ」と、絶望的な気持に襲われる。予約する人が低級かどうかは知らないが、魯山人の言葉を借りれば「低級な料理と交わって安堵」するのだろうか?

 誰にも好まれる作品づくりというのは、悪い意味で自己愛の成せる業ではあるまいかと思う。単なるナルシストに過ぎず、ぼくは自己愛より自身を尊んでいるので、鑑賞者の5%、多くても8%から共感や理解を得られれば嬉しいと感じる。むしろ大多数の人から「いいね!」などといわれたら、自分の作品はその程度と認め、生きた心地がしない。そんな次元に留まっているのであれば、写真は潔く止めた方がいい。
 へりくだるわけでもなく、尊大でもなく、自分自身はそれ以上でも、それ以下でもない、そんな正直なありようこそ尊ぶべきことだと信じていたい。それを上達の糧とし、やがてそのような生き様が写真に表出されれば御の字ではないかと思っている。

http://www.amatias.com/bbs/30/375.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県宇都宮市大谷。埼玉県加須市。
いずれも現地に到着したのは午後3時過ぎというテイタラク。

★「01宇都宮市」。
大谷石採掘跡。資料館の地下採掘場は時間がなく次回の訪問時に。地面に仰向けになり撮る。実際には大きな月だったが広角レンズのため小さく写る。アダムスの名作「ヘルナンデスの月の出」を思い浮かべる。
絞りf9.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02加須市」。
日の当たらぬ狭い畑に放置されたままの虫食いだらけの白菜。ライトアップされた大木のように見えた。
絞りf6.3、1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03加須市」。
陽は沈みライトが灯り始める。
絞りf8.0、1/60秒、ISO100、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2017/12/01(金)
第374回:新蕎麦を目指して
 夏と秋の年に二度、新蕎麦の季節が到来する。蕎麦好きのぼくはこの時期になると少しばかり心がざわつく。蕎麦好きといっても蕎麦に蘊蓄(うんちく)を傾けるほどの知識はなく、蕎麦特有の香りに敏感というほどでもないのだが、蕎麦は侮りがたい品目として心の片隅に居座り続けている。
 ただ、誰しもそうであろうが、あまりいただけない蕎麦の味には敏感なようだ。ぼく自身は美味い蕎麦にさほど敏感とはいえそうもないのだが、そうでないものには敏感ということであるらしい。ぼくの味覚には常にデリケートさが欠損し、曖昧さがつきまとっている。
 それは恐らく、食べ物について好き嫌いはあれど、あれこれいうのは行儀の良くないことだと思い込んでいるからだろう。手短にいえば「はしたない」のである。したがって、ぼくにしては珍しくも感情のコントロールができる分野が食物(料理)ということになろう。抑制が効きすぎて味に鈍感になっているのかも知れない。「不味い」という語彙もぼくの言語中枢からは注意深く取り除かれており、使用言語は「美味くない」や「旨くない」、あるいは「期待のわりには」と、かなり控え目な表現となる。

 しかし、心胆を寒からしめるような “オクラ” だけは(あれは料理でなく食材というべきだが)どう踏ん張ってもなかなか食しがたいが、自分の主義主張を押し通すために、食卓に上がれば “何食わぬ顔をして” 作法を重んじ、勇猛果敢に口に放り込むことにしている。あれを呑み込んだ後、しばらくは他人が横から何を云おうが、ぼくは気受けの悪さを悟られぬよう無言の行を貫くことにしている。苦虫をかみつぶしたような顔さえ見せないところに、ぼくの食に対する行儀作法の真骨頂がある。この時ばかりは魔が差したように柄にもなく、行儀の良い、堪え性のある、能(よ)くできた男を演じてしまうのだ。

 かつて編集者時代に、そしてそれ以降写真屋としてお付き合いした人のなかには本物の、食の通人といってもいいほど味覚や作法に洗練された人たちが僅かながらいた。
 味にうるさい人は何人もいたが、ぼくの “通人” の規範には当てはまらぬ人たちばかりだった。その規範とは、腹を充たす目的(食欲という本能)と味わうための食を明確に区別し、それを自然に実行できる人を指す。そのような人たちは接していて嫌味や気障りがない。つまりTPOをわきまえ、その時の目的に応じて美味しくいただくことのできる人という意味だ。

 美食家として名を馳せた北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん。1883-1959年)は出掛けぎわ、生卵をご飯にかけ、醤油をぶっかけてかき混ぜ、満足げだったそうだ。また、陶芸家としても比類のない人だった。魯山人の料理は食べたことがないが、陶芸品は何度か撮影したこともあり、ぼくはその作品群をとても高く評価している。撮影台に置いた時の艶っぽさからして、他とは隔絶した何かがあると感じたものだ。
 「書でも絵でも陶器でも料理でも、結局そこに出現するものは、作者自身の姿であり、善かれ悪しかれ、自分というものが出てくるのであります」と魯山人は語っている。
 また、若い頃通人と認めた人に連れられコンサートに出向き、コンサートホールに施設されたレストランで一緒に食事をしたことがある。彼は蒸気機関車に石炭を投げ込むが如く、快活に、何の気取りもなく安いチャーハンを口に放り込んでいた。彼は仲間内の誰もが認める洗練された食の通人だったが、屈託なく食を摂るその姿にぼくは清々しさを覚え、本物とは常に斯くあるべしと知ったのだった。「かめさん、蕎麦でも食っていくか」と暖簾をくぐった店で、何を語るでもなく蕎麦の旨さを教えてくれたものだ。

 そんな思いに浸りながら、11月のある日、新蕎麦を味わいたくなりカメラを提げて栃木の出流(いずる)町に赴いた。ここは今まで何度か行ったことがあり、その都度美味しい蕎麦にありついた思い出がある。
 結構な蕎麦をいただき、すぐ近くの満願寺(真言宗。板東三十三観音霊場のひとつで、820年に空海も参詣している)でシャッターを切り始めたのは山の稜線に日が沈んだ午後4時頃だった。
 1枚目を撮ろうとファインダーを覗いた瞬間、いつもとは感覚の違うことに気づいた。ファインダーのなかの絵がピタッと止まらないのである。ゆらゆらと揺れ、ぼくは体調のすぐれないことを咄嗟に知り、「今日はブレに気をつけること」と命じた。
 ちょっとした体調の異変は、いつもはブレることなく切れるスローシャッターに悪影響を与える。50mm標準レンズを例にあげれば、1/15秒まで手ブレしない自信があるのだが、この日は焦点距離分の1秒(つまり通常1/50秒。保険を掛けるのなら2倍の1/100秒)でも危ういのではないかと思えるほど、ぼくはぐらぐらと揺れていた。おまけにここは四方を山で囲まれ、光の周りが少なく、いやが応でもスローシャッターを余儀なくされそうで、真面目なぼくは車に三脚を積んでこなかったことを悔いた。

 30分ほど境内を歩き、場数を踏んだ賢者の知恵!?を借りてブレを防ぎながら撮影。まだ行ったことのない奥の院まで行ってみようと山道を登り始めたのだが、体調のせいか途中でぼくは青息吐息。とうとうアゴを出し、暗くなってきたことを理由に引き返してしまった。
 ぼくは元来、空海(弘法大師)とはどうも肌が合わず、空海いうところの「虚しく往きて、実ちて帰る」とはいかなかったようだ。返り討ちにあったようで、帰路イメージばかりが膨れあがっていた奥の院に、次回は体調を整え、根性を入れ直し行ってみようと思っている。ホントは蕎麦が目当てなのだが。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県栃木市出流町満願寺。40分間の写真を時系列に。

★「01満願寺」。
第1カット。この時ファインダー内の揺れを知る。体調優れず。境内の薬師堂をシンメトリカルに。暗夜灯が1灯灯り始め、ブレぬように身を正し根性を入れる。
絞りf4.0、1/6秒、ISO200、露出補正-2.00。

★「02満願寺」。
本堂へ。葉が色づき始めた。
絞りf8.0、1/20秒、ISO400、露出補正-2.33。

★「03満願寺」。
本堂への右脇にあった稲荷大明神。左端に供物である狐の好物 “あげ” を入れる。ここの異様な空気感を表現したかったので、純白の狐に敢えて緑青色を被らせた。
絞りf11.0、1/20秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「04満願寺」。
本堂。光源は温かみのあるタングステン光だが、冷厳な佇まいをイメージし、赤と黄を極力抑える。
絞りf5.6、1/8秒、ISO400、露出補正-3.00。

★「05満願寺」。
うっかり誰を模した像かを見逃してしまったが、創師である勝道上人だろうか? ソフトフィルターをシミュレート。
絞りf4.5、1/15秒、ISO400、露出補正-3.00。
(文:亀山哲郎)

2017/11/24(金)
第373回:水族館
 今から40数年前、友人から熱帯魚とそれを飼うための装置一式を譲り受けた。当時ぼくの家では金魚鉢にメダカが泳いでいたのだが、飼育に不行き届きであったため、メダカは青菜に塩の如く精気を失い、その数を徐々に減らしていった。いくらメダカといえども、水面に腹を見せ動かなくなったそんな姿を見るのは忍びない。
 なんとかならんものかと思いつつも、編集業に忙殺され酸欠気味になっていたぼくはそのままメダカを見殺しにしていった。メダカもぼく同様、酸欠に喘いでいたに違いなく、それを放置し、逃げ場のないところに追いやっていたのだから、ぼくとて多少なりとも自責の念に駆られたものだ。ぼくにメダカを飼う資格などなかった。

 時あたかも好し、酸素の供給も、水質の維持も、温度管理もできる装置を友人の好意により手に入れ、そこにメダカを放してやった。ネオンテトラ(アマゾン産の熱帯魚)とともにメダカたちの喜色満面機嫌良く遊泳する姿を見て安堵したものだ。その時、魚も笑うのだということを初めて知った。嘘です。
 それ以来数年間、魚の色形、泳ぐ姿や習性などに魅せられ、我が家には大きめの水槽が次々と出現していった。ぼくの家は父の仕事柄膨大な蔵書に満たされていたので、新築した際に床は特別あつらえとし、堅牢に普請されていた。そのお陰もあって、重い水槽を部屋に並べても家が傾く心配はなかったのである。余談だが、その後、堅牢な床が裨益(ひえき。助けとなり、役に立つこと)するところ、ぼくの部屋は音響に優れ、スピーカーは非常に心地よい響きを奏でてくれた。

 他(あだ)しごとはさておき、熱帯魚に凝るというのはぼくの性向からして、そぐわしい趣味とは思えず、気恥ずかしさもあって、口外することはなかった。大の大人が日がな一日水槽を睨みつけ得々としながら微動だにしない姿はあまりみっともいいものではないと感じていたからだった。活動的な若者のすることじゃない。魚に名前こそ付けなかったが(オタク過ぎて、それこそ気味が悪い)、しかし心情は似たようなものだった。

 数年を経て、熱帯魚店に出入りするうちに知り合った愛好家に、潔く熱帯魚と水槽を譲り渡し、ぼくの熱帯魚趣味は水槽ひとつを残し終わった。苦しみを与えたメダカはとうに姿を消していたが、「サカサナマズ」(仰向けになって泳ぐ体長5cmほどのナマズで、アフリカ・コンゴ川原産)は、泳ぐ姿が面白く、また愛玩していたスコッチテリアの目とどこかが似ており、特にお気に入りだった。大きめの机の脇に彼らはしばらくの間陣取っていた。

 やがて、熱帯魚を趣味としていたことが写真屋稼業になってから役立ったものだ。魚の習性やきれいに見える光の状態などを熟知していたので、熱帯魚のムック本や図鑑などの撮影時、ライティングやアングル、使用レンズなどに迷いがなかった。水槽での撮影は機材や暗幕など、仕掛けさえ十全に行えばきれいに撮れるが、あてがい扶持で制約だらけの水族館となると様相が異なってくる。

 9月下旬のある日、一味である写真を始めて日の浅い最年少婦人が、「サンシャイン水族館の無料券を手に入れたので、写真の撮り方を指南しろ。美味しい焼肉屋さんも、も〜、ちゃ〜んと予約しておいたも〜ん( “ご馳走する” という文言は聞くことができなかった)」と音引きを多用し “猫撫で声での脅迫”、硬軟併せ持っての両刀遣いという器用な技を駆使しながら迫ってきた。40歳近くも年上のぼくに飴と鞭を使ってきた。歳に似合わずやるもんだ、なかなか手強いと、ぼくは少し感心。感心なんかしてる場合じゃない。
 ちょうど、ご年配の無手勝流の古参婦人もかねてより「水族館の写真を撮りたい」といっていたので、ぼくは老若2人のご婦人に拉致され、何年ぶりかのサンシャイン水族館連行となった。

 館内の明るさが分からなかったので、用心のため、水槽のアクリルに自身の姿が写り込まぬよう暗めの服を着用して来館するように命じたが、婦女子たちはそんなことよりやはりお洒落を優先させたようだった。親の心子知らずである。まったくいつもながら心(しん)が疲れる。
 ウィークデイにも関わらず思いのほか人出も多く、また館内も薄暗く、ぼくの心配も杞憂に終わったが、何事も「備えあれば憂いなし」だ。

 水槽のなかは意外と暗く、最も留意すべき点はブレ。ブレこそ写真の大敵である。ブレ防止などという小癪な機能があったとしても被写体ブレは防ぐことができないので、泳ぎ回る魚をしっかり止めなければならない。魚によって動くスピードも距離も異なるので一概に何分の1秒という定義はできないが、取り敢えずシャッタースピード優先で撮り、モニターで確認すること。水槽のなかはかなりコントラストが強く、上からのライトなので水面の動きにより、時にスポット的な光質となり、白飛びさせぬような露出補正を心がけること。今回はしっかり写すことを優先して欲しいので、高速シャッターを切るためにISO感度を適宜変えること。
 などなど、最小限の注意を与え(これらの操作だけでもかなり大変で、難しいのだが)、迷ったり分からないことが生じたら、ぼくに訊ねればいいと優しく伝えた。古参のご婦人にいわせると「撮影時のかめ先生はとっても恐い」のだそうだ。ぼくだって飴と鞭を使い分けているのだ。

 ご婦人方には指摘しなかったが、水族館での撮影でもう1点知っておかなければならないことは、水、アクリルの屈折率が異なるために鮮鋭な画像を得にくいということだ。光やアングルの取り方によって、著しい色収差が発生し、これは避けようがなく諦めるより仕方がないのだが、知るのと知らないのとでは撮影方法に雲泥の差が生じることも心得ておいていい。
 撮影後、2人のご婦人方は水族館撮影のことなどすっかり忘却の彼方で、肉をジュージュー焼きながら十分な酸素を与えられたメダカのように喜色満面でありました。やはりぼくは心が疲れるとです。水族館で何年ぶりかのサカサナマズに対面でき、ぼくも心ならず彼女たちに和んだ笑顔を見せたのだった。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF24-105mmmm F4L USM。
撮影場所:サンシャイン水族館と池袋地下街

★「01池袋」。
状況により変幻自在に色を変えるイカ。人間にもこういう人おります。イカは可愛いけれど。
絞りf5.6、1/50秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02池袋」。
水とアクリルの屈折を利用してアングルを取る。
絞りf5.6、1/125秒、ISO400、露出補正-0.67。

★「03池袋」。
頭上のアクリル水槽をあしかが泳ぎ回る。日暮れ間近の空とともに。
絞りf8.0、1/1280秒、ISO320、露出補正-0.33。

★「04池袋」。
ショーウィンドウを撮ろうとしたら、檻に入れられた猿のような恰好をして「早く〜、焼肉〜」と、再び音引きを使いながらぼくの邪魔をする。
絞りf4.0、1/60秒、ISO320、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2017/11/17(金)
第372回:特殊技能者(2)
 前回「知識と技術が収斂されたその先には、厳しい訓練によってのみ得られる手さばきや身のこなしが自然と備わっているものだ。それを身につけた人をぼくは特殊技能者と定義づけている」と述べた。
 翻って、このことは「自身の描いたイメージを具現化できる能力を持った人を特殊技能者といってもいい」との持論につながる。これは写真分野に限ったことでなく、あらゆる創造的な分野に通じるものだ。

 みなさんが、たとえばカラオケなどで歌う時、「このように歌いたい」とのイメージを抱いてマイクを握るのではないだろうか? 歌唱技能がおぼつかず、周囲は迷惑の蒙りっぱなしとなる。どう見ても拍手喝采とはいかぬことがほとんどだ。当人だけがそれに気づかず酔いしれている。単なるストレス発散的自己満足陶酔型である。気晴らしなのだからもちろんそれでいいと思う。
 同様に、写真に置き換えてもこの世はこの手の人々で満たされている。いや、ぼくも他人を笑えるような代物ではない。
 生憎ぼくはカラオケを嗜む性向ではなく、歌う時は持ち前がシャイであるがゆえ、必ず誰も聞いてないところで調子っぱずれよろしく、周囲を窺いながらこっそり口ずさんだりしている。羞恥心とつまらぬ見栄が災いしてか、引っ込み思案にならざるを得ない。そのくせ万能の神を演じて見せたいのだから、呆れてしまう。

 頭に描いたイメージ通り歌うことができれば、あなたは一応の特殊技能保持者である。リズムと音程を外さず、かつ心地よい音色(ねいろ)をもって、音符通り辿ることができれば、それだけで大したものだ。大変なものである。
 しかしながら、「言うは易く行うは難し」で、それは至難の業だ。法華経にある “不惜身命” (ふしゃくしんみょう。物事を修得するためには、自分の身も命も捧げて惜しまないこと)をもってすれば、な〜んてちょっと大袈裟に過ぎるか。しかし、信心の心得としてそれは真っ当なことで、程度の差こそあれ、それが修業というものだろう。修得に於けるプロ・アマの境界などない。

 さて、ここからが本題の骨子なのだが、描いたイメージを “ある程度” 具現化することが可能となった時、まず問わねばならぬことは、知識や技術ではなく、イメージの質である。写真の質はすべてここに帰着する。そうすると、いつもぼくは立ち止まりを余儀なくされてしまう。繰り返しとなるが「イメージの質が写真の質に直結している」ということだ。知識や技術を飛び越えたところに存在するイメージの質が問われる。写真の質は常にイメージに支配され、その環境下に置かれているということでもある。イメージの貧困は写真の質の低下を招くことになる。
 矯めつ眇めつ(ためつすがめつ。いろいろな角度からよく見ること)、思えば思うほど写真の質はイメージの醸成如何にかかっている。イメージ、もしくは心のなかの幻影が質のあるものでなければ、いくら技術に長けていても上質な写真には辿り着けないと思っている。

 被写体は取り立てて何の変哲もなく、ありふれたものであるにも関わらず、あの人の撮ったものは良い意味で何かが違うと感じることがしばしばある。それは特段、名代の写真家が撮ったものでなくとも、うちの一味でさえもそう感じさせられるものに出会うことがままある。
 一味の写真的知識や技術の応用については贔屓目に見ても恐らく中学校高学年ほどであろうと思っているが、被写体への思い入れや執着心がイメージの構築につながっているようで(と思いたい)、ぼくは知識や技術に固着するより、むしろ好ましいこととしている。
 いずれイメージをさらに明確化・具現化するために、知識や技術が否応なく要求され、そこに引きずられることとなるので、追いつ追われつの関係ができ上がればしめたものだ。イメージの質が上がれば、それにつられ必然的に技術の向上も見込めるものだと思う。
 イメージの構築に直接手を差し伸べることはできないけれど、技術面で大学卒業くらいにまでは指導できればと思っている。それまでぼくはただ忍従あるのみだ。

 ここで問題はさらに込み入ってくる。イメージの質とはどのようなことをいうのか? そしてそれを確保するにはどうすれば良いのか? という問題に突き当たる。見解が大いに分かれるところであろうけれど、抽象的な表現を避け、ぼくの考えをざっかけなく(東京の方言。“大雑把に”、 “乱暴に”、 “がさつに”、という意)いうと、様々な分野に於ける本物の美と自分がどう関わってきたかに尽きるのではないかと思う。「多くの分野の美と接し、ねんごろに付き合うこと」がぼくの唱える日々の題目。お題目に終わらぬようにしなくっちゃね。

 そうして育まれた感受と自分の生き様がどのように対峙し編まれてきたか。美に対する感覚の育成がイメージの醸成に大きな関わりを担っているとぼくは考えている。
 男女の性別、年齢を加味して、それが妥当なものとして写真に表現されているかということを含めて、ぼくのいう「年相応の写真を」という根拠となっている。
 自身の人生の歩みやそこで得た思想や美意識が写真に刻印されてしまうのだから、たかが写真と侮ることなかれと。ぼくも特殊技能者の端くれに早くあやかりたいと願っている。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF24-105mmmm F4L USM。
撮影場所:東京都豊島区池袋およびサンシャイン水族館

★「01池袋」。
一味の牛、じゃなくて婦女子に引かれて水族館参り。久しぶりの池袋。西武デパートのショウウィンドウに“引かれて” じゃなく“惹かれて”。
絞りf6.3、1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02池袋」。
水族館でペンギンの宇宙遊泳を見る。
絞りf7.1、1/500秒、ISO200、露出補正-1.33。

★「03池袋」。
落ちてくる水の形が面白く、姿を崩さぬように高速シャッターを切る。
絞りf4.5、1/1000秒、ISO400、露出補正-2.00。
(文:亀山哲郎)

2017/11/10(金)
第371回:特殊技能者(1)
 連休との折り合いで、先週は休載となりちょっと間が空いた。その間、私的写真のための徘徊老人をやめて、久しぶりに難読な書物何冊かに取り組んだ。ぼくはそれを “遊び” と称している。
 白状すれば、悔しくもそれは一種の “苦行” でもあるのだが、苦行を苦行で終わらせてしまえば何の実りもなく、身につくものまで失ってしまう。苦行には、どこかに “愉快” を持ち込まないとやりきれない。趣味であれ、職業であれ、まず愉しむ心が第一義であるとするのが賢人?の知恵であり、心得というものだ。
 多くの写真愛好の士を見てきたが、遊び心のある人は写真にも奥行きというものを感じさせる。洒落や茶目っ気に疎い人は、判で押したような、表面的で面白味のない写真ばかり撮ってくるものだ。

 ここ2週間の読書は、現代語でないものもあり愉楽とは言い難い面があるが、校注(古典などの文章を校訂し、注釈を加えたもの)を参照しながら読み解いている。お歳柄であろうか、校注は読んだ尻から忘却の彼方を余儀なくされるが、それも潔くて小気味がいい。校注を記憶しておこうなどという料簡そのものがそもそも厚かましいのだ。勉学や試験のためではなく “遊び” の対象なのだから、ぼくはそれでいいことにしている。
 古語で書かれたものは語彙と文意の双方を同時に理解しなければならず、現代語にくらべると2倍骨が折れるが、文学書の類は原書でなければ伝わらない妙もあり、面白さも2倍となるのでしばらく続けようと思っている。ぼくは姑息な人間なので、それらが有形無形、無意識のうちに何かの形となって、拙くも自身の写真表現に貢献してくれるのではないかという希望的観測を抱いている。少しでも先に進めるのであれば、たとえ親でさえも踏み台にしてしまおうという魂胆の持ち主なのだから。

 読書に熱中しているちょうどそのさなか、我が倶楽部の勉強会があった。いつものことながら、夜の部(酒席)も含めると延々10時間に及ぶロングランである。主婦、会社員、専門職、というか特殊技能者など多士済々のメンバーが集結しているのだが、誰一人としてくたばらない。よほど写真に熱心かと見紛うが、然にあらず。 “たまたま” 話題が写真に向いたりすると「まるで写真倶楽部みたいだね」なんて、憚りなく他人事(ひとごと)のように言い放ち、まったく悪びれた様子がない。剽軽(ひょうきん)にも程というものがあるだろうに。
 夜は目的のない写真集団となり、酒精の巡りが良くなるに従って放言極まる異業種集団に変貌を遂げる。我々は写真という唯一の共通項で弱々しくも辛うじて繋がれ( “結ばれ” ではない)ている。

 主婦や会社員はその分野の、一般的な意味でいうところのエキスパートであろうと思う。一方、スペシャリストを特殊技能者とするのであれば(英語の厳密な解釈はさておき)、ぼくは彼らの知識と技術を高く評価し、また敬仰もしている。
 建築家や獣医師の話を微に入り細に穿って聞いたところで、一軒の家も建てられず、また手術もできない。いくら車のメカに精通していても車を作れるわけではないのと同じである。作れる人には「偉い!」という言葉しかない。
 知識と技術が収斂されたその先には、厳しい訓練によってのみ得られる手さばきや身のこなしが自然と備わっているものだ。それを身につけた人をぼくは特殊技能者と定義づけている。その伝でいえば、憚りながら写真屋も特殊技能者であるはずである。
 ところが昨今はカメラに電源を入れ、シャッターを押しさえすれば誰でもが一様に写真が撮れるようになった。ぼくは素直に良いご時世になったと思っている。特殊技能者である写真屋もずいぶんと陰が薄くなったと見る向きもあろうが、それはまったくの見当はずれといっていい。誰でもが押せば写るというご時世と特殊技能者とは何の繋がりもなく、ただ両者が異なった場所に存在しているだけだ。
 
 酒席で、倶楽部の一味である建築家が昨今の報道写真の様子について質問してきた。「事件・事故現場に偶然居合わせた者がスマホでパチリと撮り、そのような写真が巷を賑わせたりする。そうなると報道カメラマンの意義やそのあり方が変化するように思えるが、どう思うか?」というものだった。
 特殊技能保持者の彼にとってそのことは、興味ある問題だったのかも知れない。ぼくはそれについて簡単に述べ、後日メールで全員宛に約2000文字を費やして書き送った。
 その一部を抜き出すと、「これからのご時世、報道写真は極端な現場主義(主にスマホ世界)と撮影者の意志や人生観に依拠したもの(職業カメラマンの立場)の二手が、今よりさらに極端なかたちで顕れるのではないかと思う。もちろん、どちらがいいということではなく、それが世の流れというものだ。その両立でいいと思うし、またスマホが職業カメラマンの食い扶持(くいぶち。食べ物を買うための金)を奪うとは思えない」と、ぼくは至って物分かりがいい。

 アマチュアもどきのプロカメラマンはたくさんいるが、プロもどきのアマチュアは決して存在しないとぼくはいつも明言している。よく「玄人はだし」ということがいわれる。「はだし」とは、(裸足、もしくは跣足とも。とてもかなわないほどにみごとであること。顔負け。大辞林)とある。「玄人はだし」とはもののたとえや言葉のあやであって実際にそのようなことはあり得ない。ぼくがここで意を強くし言い含めるのは、自身の、プロとしての沽券に関わるからではない。
 こんなことをいってしまうと、掲載写真がなぁ・・・。「旅の恥はかき捨て」ともいうしなぁ。やっぱりぼくは賢人じゃないなぁ。
 話の続きは次回に。

http://www.amatias.com/bbs/30/371.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県加須市。東京都台東区。栃木県栃木市。

★「01加須市」。
小雨のなか、ボーッと突っ立っていると、駐車場に車が入ってきて、ちょうど良い具合にアクセントとなるブレーキランプが灯ってくれた。
絞りf8.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02台東区」。
かつての吉原遊郭のあたりを歩いてみた。吉原の面影は見つからなかったが、恐らく当時からあったと思われる長屋風アパート。
絞りf7.1、1/25秒、ISO200、露出補正-1.33。

★「03栃木市」。
廃業して数年以上は放置されたままと思われる中華店のショーウィンドウ。色あせ、焼け、埃が積もる。
絞りf8.0、1/40秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2017/10/27(金)
第370回:豊島区「鬼子母神」
 神社仏閣が濃密に寄り合った京都市で生を受けたぼくは、物心つくまでそこで育った。埼玉に住むようになってからも、小・中・高校の夏休みや冬休みは決まって母方の親族の元(京都市)で過ごしていた。自宅のある埼玉で過ごすことはほとんどなかったといっていいくらいだった。
 そんなわけで、60数年ほど居を構えている地元さいたま市に対する郷土愛のようなものがイマイチ希薄なのだ。元来、どこに住んでもいいという質なのでなおさらである。気質的には、郷里にまったく固着することのなかった親父や祖父(ともに九州)の血を受け継ぎ、ぼくには根無し草的要素が多分にあるのだと思う。“取り敢えず60年以上もさいたま市に住んでいる” という感覚なのだ。

 京都御所や下鴨神社(正式名 “賀茂御祖神社” かもみおやじんじゃ)、相国寺(しょうこくじ。臨済宗相国寺派の大本山)や賀茂川(上京区出町柳より下流は「鴨川」と書く。映画やドラマで見る川淵シーンの多くは賀茂川)がぼくの遊び場所だった。家の路地からは大文字山を正面に見据え、その向こうに比叡山が控えていた。
 クマゼミを追い、走り回っていた京都の神社仏閣や佇まいは脳裏にしっかりと焼き付き、終生忘れ得ぬ光景として心のどこかにいつも巣くってはいるが、とはいえ、京都をことさら誇りに思う京都人のようでもなく、精神的な意味合いに於いてぼくはやはり純粋犬にはなり切れず、駄犬(雑種犬)なのだ。駄犬ではあるが、神社仏閣に対する固有の情感は、京都という特有な土地柄によって知らず識らずのうちに育まれ、それを引きずっているようにも思える。

 ぼくの嫁は何故か期せずして京都生まれの京都育ちなのだが、育った地の倍近くをさいたま市で過ごしているにも拘らず、未だに京都弁丸出しである。まったく臆することなく、自己のアイデンティティを誇示するようにすまし顔でいるのだから恐ろしい。まぁ、臆する必要もないのだが、よそ者にはよそ者の仕来りというかそれなりの作法とか仁義ってぇものがあるんじゃないか?
 「郷に入っては郷に従う」というが、「郷に入っても郷に従わない」のが京都人という固有種である。ただ救いは「郷に入って」京都自慢をひけらかしたりしないことだ。
 テレビなどで京都の風景が映し出されると、嫁は相好(そうごう)をとたんに崩すのだから、ぼくのような駄犬には、郷土に対する愛着というのは「そんなものなのかねぇ」と、少し羨ましく思う時もある。
 しかしぼくも、嫁の実家(四条烏丸から河原町に向かったあたり)を訪れ、近所の由緒ある寺の本堂の畳の上で、無遠慮に、臆することなく昼寝を愉しんでいるのだから、駄犬にも三文の徳があるというものだ。

 ついでながら、我が家に於いては嫁と娘の会話は通常京都弁で語られる。京都に住んだこともない娘が、一家の主であり父親でもあるぼくを差し置いて、
実に器用に、正しい京都アクセントで、嫁と愉しげに、これ見よがしに二人だけの世界を構築している。言葉の習得を語学学習というが、正しくは語学ではなく語術というべきだ。
 親父は、時折外では滅多に使わない佐賀弁でぼくに話しかけていた。ぼくはネイティブではないので、佐賀弁と博多弁の区別がつかないが、歳を追うごとに九州の言葉や京都弁が無意識に出るようになった。普段使用している標準語というものは方言にくらべると実に味気なく、しかもニュアンスに乏しく、情感の豊かさを欠いてる。
 博多の友人にいわせると、ぼくはほとんどネイティブと見紛うような博多弁を器用に駆使しているのだそうな。けれどぼくの博多弁や京都弁はネイティブではないので、そのためにぼくの標準語には訛りがないらしく、白状しない限り誰もぼくを地元育ちと疑わない。父の日本語は完璧なものだったが、しかし、標準語の「せ」を終生発音できず、「しぇ」に甘んじていた。紛れもない九州男児だった。

 どんどん、テーマの鬼子母神(きしもじん)や写真の話から遠ざかっていく。
 神社仏閣について、ぼくはどのような環境の元に、どのような捉え方をしているかを記しておきたかったのが事の始まりで、気づいてみるとなんだかあらぬ方向へ歩を進めている。一話でまとめようというのだから、支離滅裂である。
 日本人はほとんどの人が信仰を持たずと思われるが、大方が神社仏閣に立ち入るととたんに信心深い振りをし、また神妙な面持ちにもなり、健気に手を合わせたりしながら、にわかごしらえの願い事などに走る。
 そのようなDNAはしかし、近年もたらされたものではないだろうかとぼくは考えている。戦後の日本があまりにも平穏無事で、外敵に晒されなかったことにも起因しているのではないだろうか。切羽詰まった祈りの必然性が希釈されているのだ。日本古来の信仰は一神教とは異なり、祈りというものが、ことさら日本では個人的なものであったということもあるだろう。
 ここでぼくも健気な振りをしてお伝えするが、ぼくの神社でのにわか祈りは、未来の希望を託したものではなく、過去の悪事に対する悔悟と贖罪に限られている。そこには生け捕りにしたクマゼミやトンボへの殺生も含まれている。
 未来は誰にも予知不能、つまり神頼みしか手がないが、過去は消すことのできない事実であり、取り繕いのできぬものだ。「もう決していたしません。ですからどうか見逃してください。約束を守ります」という宣誓のようなものなのだが、山門を出たとたんに勇ましくも忘れちゃうのだから、いつまで経っても癒されることがない。これを罰当たりとでもいうのだろうか。

 仕事帰りの夕刻4時過ぎ、ぼくは鬼子母神のそばを通りかかり、懺悔と贖罪のために立ち寄った。日も暮れかかり静まり返っていると思いきや、多くの露店が建ち並び(10月16日〜18日。年一度の御会式 “おえしき” 大祭)、しばし呆気にとられたが、すぐに正気に戻り、11mm超広角レンズでの人物スナップという異様な新分野?を開発すべく勇み立った。撮影距離1〜1.5mの異常な超接近戦に挑んでみようと決意。これを駄犬の逞しさとでもいうのだろう。
 11mmの並々ならぬ歪みは、足長おじさんや手長おばさん、そして末端肥大を果敢に生み出していった。神社仏閣、祭りの露店への叙情的な感傷を可能な限り排除して、このレンズだけが醸し出すリアリティを、駄犬らしく写し取ったつもりである。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/370.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:東京都豊島区雑司が谷「鬼子母神」

★「01鬼子母神」。
ぼくより背の高い外国人を撮影距離1.3mの至近距離から11mmレンズで撮るとこんなに「足長おじさん」なっちゃいます。
絞りf4.0、1/15秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「02鬼子母神」。
七味唐辛子の露店。「手長おばちゃん」。
絞りf6.3、1/30秒、ISO400、露出補正-1.67。

★「03鬼子母神」。
御会式大祭が最高潮(夜8時)に達する約3時間前。スローシャッターのため
子供たちは被写体ブレ。
絞りf5.6、1/10秒、ISO400、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)