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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2013/07/26(金)
第160回:立ち入り禁止区域を訪ねる(7)
 普段、まったく人付き合いの悪いぼくが、旧知の友人たちや先輩方と疎遠にならずにつながっていられるのは、この拙稿のおかげという側面が多々あって、時々意見や感想、質問をメールで伝えたりしてくれるからだ。特に今連載している「立ち入り禁止区域を訪ねる」は、よほど関心があるとみえて反応が強い。ありがたいことに、読者諸兄からも、いつにもましてメールをいただいている。
 先日も、出版社時代のぼくをよく知る先輩から、こんなメールが寄せられた。「一読すると、かめさんにしてはいつもの論調とは異なり、随分抑制を利かせて書いているように思えるけれど、行間から義憤が噴き出していますね。現場の空気を吸った者として、かめさんの性格からしても、もっと書きたいことがあるのではないのかと察しています。避難区域のああいうタッチの写真は初めて目にするし、文章で主張したいことを補って余りある表現をしていると痛感するけれど、本当はどうなの? また、故吉田所長にも触れているけれど、巷で言われているように彼を英雄視しているわけではないでしょう?」(メールのママ)となかなか鋭い質問を浴びせかけてきた。

 事実として、故吉田昌郎所長が震災前に、そして震災時に誤った判断を下したということは様々な書物に取り上げられている。人は誰でも過ちを冒す。自分の冒した過ちについて彼は東電幹部、政府と関連省庁役人のような保身のための責任転嫁、隠蔽、偽言をすることなく、その反省を踏まえて、だからこそ命を賭して闘い、結果として日本崩壊という当座の大惨事を防いだということをぼくはいっている。最低限の職業倫理、そして人間としての倫理感をあの極限状況のなかで守り抜いたことは、やはり尊ばれることだとぼくは述べたつもりだ。他の文脈との対比でそれを読み取っていただければと思う。

 また、読者の方から、第154回に添付した写真「福島第一原発」の汚水タンクは「なぜこんなにタンクが作られているのですか?」という素朴な質問もいただいた。これは大変重要な質問なので、各方面からの書物から知り得た情報を要約してお伝えしておこう。
 事故を起こした福島第一原発の核燃料は事故初日から溶融し始めた---いわゆるメルトダウン。政府、東電、保安院、マスコミは事故直後、炉心溶融が良心的でフェアな学者たちから指摘されていたにも関わらず(素人のぼくでさえそうなると推測していた)、“溶融”という語彙を意図的に使わず“損傷”と言い換え、もしくは「通常とは違う状況になっている可能性がある」(東電小森明夫常務)、「必ずしも溶けてなだれ落ちているという状況ではない」(松本純一原子力立地本部長代理)と言葉巧みに、あの手この手で現実を曖昧なものに見せかけてきた。国民をいつもの手で欺こうとしていた。そのために被曝せずにすんだ人までもが被曝した責任は重大な過失といえる。保安院がようやく“溶融”と認めたのは事故から2ヶ月以上経過した5月22日。事故翌日の3月12日に「炉心の燃料が溶け出しているとみていい」(共同通信)と発言した原子力保安員の中村幸一郎審議官は直ちに事実上更迭された---。正直で誠実な者がはずれくじを引かされるような醜い仕組みになっているのである。
 “溶融”で発生する熱を冷やし続けるために注入した水が高濃度の汚染水として(汚染地下水も含めて)毎日約400トンも溜まり続けている。そのようなものを海に流すわけにはいかないので、東電は現在敷地内の林を伐採し急ピッチで汚水タンクを増設し、タンクで埋め尽くそうとしている。炉心冷却のため、その高濃度汚染水は今後最低でも10年間は出続ける。一体どうするのだろう?原発は「トイレのないマンション」なのだそうである。「トイレのないマンション」とは、本来核廃棄物の処理方法が解決出来ずに増え続けるという意味である。
 ちなみに、1979年に米国スリーマイル原発事故で生じた汚染水は8,000トンで、当初隣接するサスケハナ川に流そうとしたが住民の抗議により、やむを得ず汚染水をできるだけクリーンにし、蒸発させ空中散布した。この事故で、空気中に放出された放射性物質はキセノンなどの希ガスと呼ばれるものが主で、放射性ヨウ素は微量。セシウム137は放出されず、人体への影響はなかったとされるが、過去に米国が行ってきた非人道的で嘘八百ばかり並び立ててきたことを知っている者にとって、誰が信用などするものか! 米国が設置したABCC(原爆障害調査委員会)が原爆投下後の日本で一体何をしてきたか、みなさん、どうか知ってください!

 第154回の添付写真の下部に写っている黒い袋は、高濃度に汚染された土壌や廃棄物などを入れたフレキシブル・コンテナーだと思われる。捨てる場所がなく敷地内に放置されているのだろう。
 ぼくの撮った増設中の汚水タンク群は、現在のGoogle Mapではまだ映し出されていない。

 双葉町をはじめとする避難区域を称して「ゴーストタウン」とも呼ばれるが、我々の認識している「ゴーストタウン」とはそもそも成り立ちの要因がまったく異なるのでぼくには抵抗感がある。「死の町」と呼称し政争の具に使われた政治家もいたが、それは別としてもやはりひどく違和感がある。あの現場に立って、自分の感覚に最も近い形容を探し求めてみたが、なかなか見つからず、強いていえば、「沈黙の町」なのかなとも思う。一瞬にして造化が禁じられ、停止し、沈黙し、ささめきさえ断たれたのだ。住民は何一つ抵抗できず、誤った情報に翻弄され、1号機の水素爆発とともにすべてを奪われたのだった。押し黙る他なかったのだ。やり場のない怒りと無念さを思えば、あの光景は筆舌に尽くしがたい。ぼく自身も自家撞着のるつぼに呑み込まれている。

※前回の添付写真「双葉町11」の解説文にて「震度5強」と記しましたが、「震度6強」であったことが、福島県地方自治情報センターの書面にて判明いたしました。訂正させていただきます。尚、人口6,923人の双葉町の地震による死亡者は53名、行方不明者1名。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/160.html

★「原発01」。原発作業員と4号炉煙突。
 データ:2013年6月6日午後12時57分。EOS-1DsIII。EF50mm F1.8。絞りf 8.0。1/640秒。露出補正-0.33。ISO 100。

★「原発02」。何を思うか原発作業員とやがて汚水タンク増設のために伐採されるであろう林。
 データ:2013年6月6日午後1時05分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 8.0。1/100秒。露出補正-0.33。ISO 100。

★「避難01」。原発の南に隣接する民家。震災当日の夜に避難指示が出たまま放置されている。クローバーの花が咲き乱れていた。
 データ:2013年6月6日午前9時11分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 9.0。1/160秒。露出補正-1。ISO 100。

★「避難02」。ここも原発隣接地にある民家。できる限り私有地には立ち入らないように心がけたが、着の身着のまま避難せざるを得なかった人々の気配を求めて。
 データ:2013年6月6日午前9時01分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 5.6。1/20秒。露出補正-0.33。ISO 250。
(文:亀山哲郎)

2013/07/19(金)
第159回:立ち入り禁止区域を訪ねる(6)
 過酷事故を起こした福島第一原発は、東京から直線距離にして北北東230kmに位置し、福島県双葉町と大熊町をまたいで立地している。原子炉1〜4号機が大熊町、5〜6号機が双葉町に属する。関連施設を含めたその敷地は約350平方キロで、東京ドームの約75倍という広大な面積を占めている。

 拙稿にて現在ぼくが綴り、写真を掲載している双葉町について、原発事故発生時から住民の避難に至る経過を執筆者として大雑把にも記すべきかどうか図りかねたが、ぼくは直接の取材者ではなく、あくまでもそれらの情報は6,000ページ近い書物や資料からの引用に過ぎず、いわば一読者である。
 東電幹部とその取り巻き識者のように「事故が起こったのは(“起こした”ではない)、あたしたちのせいではぜ〜んぜ〜んなくて、すべて津波が悪いのよ〜」の大合唱のもと、臭い物には蓋をして頬被りする無責任・無反省・無謝罪・御身大切・データの隠蔽体質などなど(ご興味のある方は「東電事故調最終報告」をご参照のほど。しかし、東電しか知り得ない基礎的なデータ以外は読む価値もない。犯罪者が自分の都合の良い証拠だけを採用して、被害者を演じている裁判のように思えてならない)、はらわたが煮えくり返り、胸の悪くなるような言い逃れを、ぼくは真似たくない。「だって、あの本にはこう書いてあるんだもん。だからぼく知らないもんね」。

 彼らや、3.11震災発生直後に現場での重大任務をいの一番に放棄し、敵前逃亡を図り、60km以上離れた福島県庁に真っ先に、ちゃっかり逃げ込み果(おお)せた原子力安全・保安院の保安検査官たち。ぼくが何を書こうが彼らほどその重責を担うものではないが、書き手として、写真屋として、彼らとは異なった職業倫理とささやかな矜恃くらいは持ちたいものだ。

 しかし、書物など漁らずとも、事故発生当時からマスコミなどに頻繁に登場していたその手の人間たちの所行や思考が(もちろんフェアな人々もいたことは否定しないが)、如何にうさん臭く、直ちに信用しがたいものであるかは、専門家でなくとも、物事を少し理論的に筋道立てて考える人であれば十分に予見・洞察できる類のものであったはずである。多少の嗅覚があれば、そこには、過去の公害と同じ図式が透けて見えてくる。
 現場で闘った故吉田昌郎所長をはじめとする東電作業員と協力会社作業員、日本を窮地から救ったいわゆる「フクシマ50」(実際は70人)の献身的な作業は、彼らの名誉のために書き留めておかなければならない。関東首都圏をも覆う原発から半径250kmに住む3,000万人の避難という日本崩壊を、すんでのところで食い止め、救ったのは彼らなのだ。ぼくが今のうのうとコーヒーをすすりながら、さいたま市でこの原稿を書いていられるのも、彼らの知見と勇気、その行動力のおかげだ。
 けれど、現在まだまだ予断は許されず、危機的な状況から完全に逃れられたわけではないことも付記しておかなくてはいけない。

 毎度毎度、「写真よもやま話」と称しながら、写真の話には触れずこんなことばかり書き連ねていることに気が咎めるのか、ならば写真添付でお茶を濁し、やり過ごそうとしていることを弁明するために、「世の中には本業を顧みず、保身に明け暮れながら、自分の利益ばかりを追求して恥じない輩もいる。それに比べればぼくの使命放棄など取るに足らないものだ」ということを、まわりくどく読者諸兄に言い放っているように思えてならない。「左右を顧みて他を言う」の故事に倣い、従うことを止めそろそろ写真の話をしなければ・・・。

 チェルノブイリ事故当初、そこに映し出された映像や写真に、白い小さな斑点のようなものがパチパチと記録されているのを、読者は覚えておられるだろうか? 放射能(放射線)は肉眼では見えないとされているが、フィルムには写る。強い放射線なら、フィルムの感光材(おそらく銀粒子)に確実に反応して、記録される。デジタルは分からないが(多分、反応しないのだろう)、しかし、ぼくのまぶたにはチェルノブイリで記録されたパチパチ光る斑点のある映像が、しっかり定着液に浸され、こびり付いている。

 今回の短い旅でぼくは756枚の写真を撮ったが、シャッターを切った後思わず「よしッ!」と呟いたものがたった1枚だけある。降り積もった放射性物質が撮れたような気がしたからだった。それが第157回に掲載した“参考写真:「双葉町02」”である。Rawデータを現像し、モノクロ変換をした後、細部を調整し入念に仕上げたものだが、人っ子一人いない寂莫とした世界は表現できたものの、積もっているはずの放射性物質がどこにも写っていないのだ。撮影時とはやや異なったイメージになり、猛烈なストレスに襲われてしまった。その後、あの手この手を駆使して、あの時にイメージできた映像(確かに積もった放射能が見えた)を再現しようと、Photoshopという暗室でたった1枚の写真再現に5時間半も費やしてしまった。90%近く撮影時のイメージが再現できたので、もう一度掲載させていただこうと思う。暗室操作で虚構を作り出すのではなく、撮影時の虚構の世界こそが、ぼくのリアリズムなのだ。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/159.html

★「双葉町10」。第157回参考写真「双葉町02」を再補整し、より撮影時のイメージに近づけたもの。元データにソラリゼーションをかけたものをレイヤーに重ね、さらにRGBが0の真っ黒のデータを上乗せし、不透明度を調整しながら、マスク上でブラシを使い削り取って行くという非常に面倒な作業を何度か繰り返した。撮影データは同じ。

★「双葉町11」。震度5強の地震と度重なる余震により倒壊した医院。
 データ:2013年6月6日午後6時04分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 7.1。1/30秒。露出補正-0.67。ISO 200。

★「双葉町12」。ガソリンスタンド。後方の建物は双葉町体育館。
 データ:2013年6月6日午後6時26分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 5.6。1/125秒。露出補正-0.67。ISO 320。

★「双葉町13」。初發神社前の商店街に崩れ落ちた木造家屋。
 データ:2013年6月6日午後6時19分。Fuji X100S。焦点距離35mm。絞りf 5.6。1/105秒。露出補正-1。ISO 200。
(文:亀山哲郎)

2013/07/12(金)
第158回:立ち入り禁止区域を訪ねる(5)
 撮影初日、ぼくは午前5時半に起床した。なんと5時半である。いつもなら睡魔に襲われ本を閉じる時間だ。ぼくにとって、この尋常ならざる早起きは気持ちが張り詰めていたからではなく、「地震・津波・原発事故」をひとつのテーマとして捉え、扱おうという欲張った企みのため、撮影時間が正味2日間では足りないと予想してのことだった。そして一刻も早く切り上げて、帰京したいという事情も抱えていた。
 確か、F. カフカの小説に「早起きは人をダメにする。したがって人間は十分な睡眠を取らなければならない」という主人公の一節があったように思う。『変身』だったかも知れない。
 ぼくはとんでもない早起きをし、福島へ来る前日までの約1週間、睡眠時間が平均2〜3時間だったので、カフカの言によれば、人の体(てい)をまったく成していなかったことになる。
 それに第一、にわとりと同じような時間に起きるということがそもそも大いなる辱めだ。にわとりは面相も声も仕草も、最も美しくもなく可愛くもない鳥であるからして、ぼくはカラスの次に気に入らない。そんな屈辱を受けながら「早起きは三文の徳」などという戯れ言に惑わされ、それに従ういわれはぼくにはない。こんな諺を真に受けてはいけない。この諺の元々の意味は、「早起きなどしても三文の得にしかならない」であって、「だからそんな愚かしいことはするな」という戒めなのだ。ぼくは長年カフカの仰せに従ってきた。ここ福島県にはその昔、小原庄助さん(会津)という清濁併せ呑んだ(とぼくは勝手に決め込んでいる)生き方をした男がいるではないか。彼の郷国で5時半に起床せざるを得ないことはなんという皮肉でありましょう。カフカも小原庄助も人間臭紛々としていて、まことに正しい。

 前回、双葉町の写真を掲載したので、旅を時系列に語るとはいかないが、双葉町の話から始めることにする。

 当日、午前6時過ぎからぼくは福島第一原発周辺をうろつき、午後3時に一旦宿舎のある南相馬市に戻り、そこで3人顔を揃えた。Iさんは思ったような写真が撮れなかったのか、かなり神経が立っていたようだ。英国仕込み特有のレディであり(近年は“英国レディ”など希少価値だそうだが)、その対応ぶりは穏やかだが、どこかピリピリした空気を漂わせていた。撮影の手応えを気に病んでいたに相違ない。
 その伝、若年のJ君の方は逞しい。彼は撮影結果より、8x10インチフィルムの残数の方が気になるらしい。神経が細やかで実に利発な男だが、一方でどこか間が抜けていて、信じ難いドジをよく踏むなかなかの大物でもある。ぼく同様、彼も科学信奉者であるので、フィルムは化学反応による現像をしてからでないと分からないから、今、結果など気にしても仕方がないじゃないかと暗に語っている。それは大変まっとうな心得で、“手応え”という非科学的な“勘”などには頼らないぞという気概を示していた。この開き直りというか割り切り方が実に清々しい。
 ぼくは今回、アーティスティックな写真ではなく記録優先という意図を明確に持っていたので、撮影に際して自己の心情より倫理観に忠実に従うというやっかいな義務感を除けば、今回の撮影作法もやはり「お気楽トンボ」だった。もう一度初心に返り、「しっかり丁寧に写し取る」ことを最大の優先課題とした。我が写真倶楽部の人たちに80枚の写真を公開したら、「かめさん、そうはいってもやっぱりかめやま調だよ、どうみてもかめやま調!」」と断じられ二の句が継げなかった。自分の体臭は自分では分からないということなのだろうか。

 双葉町には町のイメージに合った光を考え、夕刻5時から出かけることにした。この季節なら、7時まで撮れる。ぼくの文章では、センチメンタルな描写は一切したくはないし、それに貧弱なものしか表し得ない。しかし、この静寂はかつて北極圏の孤島で経験したそれとどこか相通じるものがあった。双方の相似点はそこにかつて多くの人間の息づかいがあったということだ。その息づかいがある時期を境に突然、時空からかき消え、気配だけがどこかにひっそりと取り残されたことである。

 自分の呼吸と胸の鼓動しか聞こえないなか、たった1匹しか出会うことのなかった生き物、小鳥(にわとりではない)の羽音と甲高い鳴き声がこんなに鮮明に大きく聞こえたことは未だかつてないことだった。静と動のコントラストが際立っていたからだ。このような場での人間の感覚は、一桁も二桁も鋭敏になることをぼくはよく知っている。

 深閑とした空気に馴染んだ頃、遠くから赤いライトを車上に点滅させながら一台のパトカーが近づいてきた。なんだか現実のものとはどうしても思えない不思議な光景だった。人の気配はどこにもないが、パトカーだけはどこでも頻繁に顔を出す。原発周辺でも同様。ぼくはその都度、許可証と身分証を提示しなければならない。照会が済むと彼らはぼくに別れ際敬礼をし、ぼくは「ごくろうさまです」と笑顔を返す。
 照会を終えた警察官はぼくに、「ところで猪豚ってご存じですか? 豚とイノシシが自然交配してですね、あちこちに出没しているのですが、決して刺激しないでくださいね。危ないですから」と忠告してくれた。「猪突猛進というわけですね」とぼく。「そう、そうなんです。あいつら、体当たりしてきますからね。そういう時は物陰にサッと身を隠せば大丈夫ですから。実は私も何度か・・・」と、業務を忘れて身のよけ方まで指導してくれる。東北の人は親切だ。
 「捕獲しないんですか?」と聞くと、「猪豚は美味いというが、ここのは汚染されているから食うわけにはいかんのですよ。だから始末が悪いんです。なにもかも地元の物は食えなくなってしまいました」と、悲しげに目を伏せて呟く。パトカーが去ると、つかの間の人気が幻となり、再び深い閑寂の世界が舞い戻って来た。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/158.html

★「双葉町06」(前回からの通しナンバー)。双葉駅。真っ赤に錆び付いたレールと雑草が生い茂る。
 データ:2013年6月6日午後5時48分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 8.0。1/50秒。露出補正-0.67。ISO 100。

★「双葉町07」。二階建ての家の一階がぺっしゃんこに潰れ、道路に投げ出されたまま歳月が経っていく。
 データ:2013年6月6日午後6時15分。Fuji X100S。焦点距離35mm。絞りf 8.0。1/40秒。露出補正-1。ISO 200。

★「双葉町08」。三叉路に佇む美容室。ドアを覆った蔓が2年以上の歳月を物語る。
 データ:2013年6月6日午後6時22分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 5.6。1/80秒。露出補正-0.67。ISO 100。

★「双葉町09」。崩れ落ちた塀と曲がった屋根。遠くの寺が何かを語る。
 データ:2013年6月6日午後6時38分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 7.1。1/30秒。露出補正-1。ISO 400。
(文:亀山哲郎)

2013/07/05(金)
第157回:立ち入り禁止区域を訪ねる(4)
 未だ文中にて撮影を始める段階にまで至っておらず、文脈と掲載写真の時制が合致していませんが、その点については当人も大変気にしておりますので、そこはどうか大目に見てやってくださるように。この調子で綴っていくと、ぼくのことだから余計なことばかりでなかなか本題に入れず(本題というものがあるとすればの話ですが)、おそらく30話くらいの連載になってしまいそうです。そこをなんとか、要点をまとめて、簡潔に書きたいと願っています。
 昨年9月、津波で大きな被害を被り、多くの犠牲者を出した宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪れたくだりも、たかだか2時間ほどの滞在にも関わらず5話(第121〜125回)を費やしてしまったくらいですから、今回の2泊3日の旅は先が思いやられるというところです。

 初回にて(第154回)、ぼくは「数値(放射線量)は敢えて記しません。その理由は次号で。」と書きました。それをすっかり失念していましたので、その理由からお話しいたします。なお、閖上訪問記同様、「です・ます調」は書きにくいので、このシリーズでは止めることにいたします。

 福島から帰京し、新たに原発事故関係の書物を4冊読む。都合13冊読んだことになる。調査・検証報告書の類にも目を通す。素人のぼくにとって、それはおおよその概要をつかんだに過ぎないが、しかし放射線というものがどのようなかたちで、どのように人体に影響を与えるかについては、非専門家のぼくにはやはり人様にお伝えするほどの理解が得られていない。「偏執狂的検証魔」であるにも関わらず、である。
 チェルノブイリ関係の書物も過去何冊か読んだが、同じ「レベル7」−− 国際原子力事故評価尺度 “INES”による原発事故の深刻度を示す0〜7の尺度。「レベル7」は“放射性物質の重大な外部放出” に分類される“最も深刻な事故”。つまり「最悪」−− でも、チェルノブイリとは放出された放射線物質やその量が異なるので同一には計れないところがある。ちなみに、1999年に起きた東海村JCO臨界事故は「レベル4」で “所外への大きなリスクを伴わない事故”。同じく米国スリーマイル原発事故(1979年)は “所外へのリスクを伴う事故”で「レベル5」だった。

 数字は確かな科学的証明を与える一方法ともいえるが、その数字がどの程度人体に影響を及ぼすかについての因果関係とその証明は定まっておらず、また多様な論調もあり、「65歳の男であるぼくが、Xマイクロシーベルト/毎時のところに何十分いた」結果から受ける外部被曝や内部被曝により、果たしてどうなるのかを正確に知る術がない。確かに線量計は“Dangerous!”とけたたましく唸ってはいるが、どのくらい“Dangerous!”なの? その判断のしようがない。ぼくにとってはただ茫漠とした話だ。
 そしてもうひとつは、線量が高いから撮影を中止し、低ければ敢行するという選択肢はぼくにはない。高かろうが低かろうが撮ると決めたものは撮る。恰好をつけていっているわけじゃない。無理を押してここまで写真を撮るためにやってきたのだから、写真を撮らずに帰れば、大きな悔いを残す。第一、それこそ恰好が悪い。おまえは商売人じゃないか。従って所持を義務づけられている線量計をぼくは借りなかった。数値などぼくにとって意味がない。時たまJ君のポケットからかすめ取ることで十分。もちろん、直ちに死に結びつくような線量なら話は別だ。もう少し生きて、もう少しマシな写真を撮りたいから、ぼくだって大慌てで遁走する。

 数字を記すことにぼくはついさっきまで逡巡していたが、気が変わりお伝えしておこうと思う。特別な意図はないが、現場のリアリティを拙い言葉でお伝えするより、常に数字は誰しも重大な関心事であるに違いない。

 第154回に掲載した参考写真:「福島第一原発」の撮影立ち位置では、36マイクロシーベルト/毎時で、ここに約15分間滞在した。ここから約15m離れた場所では68マイクロシーベルト/毎時という気味の悪い高線量を確認。J君のポケットから線量計を抜き去っての計測で、この値はJ君には知らせなかった。場所によっては5m移動するだけでかなり数値が異なることがある。これが放射線の特質、もしくはスポットというものなのかと奇異な感覚に囚われる。素人のぼくには、放射能のメカニズムはやはり分からない。
 68マイクロシーベルト/毎時というのは、7月4日のさいたま市の平均が0.04マイクロシーベルト/毎時であるから、ちょうど1,700倍にあたる。年間にすると約600ミリシーベルト被曝するという計算になる。確かに非常にDangerous!であるけれど、ぼくの体にはあれから1ヶ月経った今日現在まだ何の異変も起きていない。おそらく、あと20年先でもそれを被ったおかげで、という兆候は現れないだろう。亡父の口癖、「おまえはいつも楽天トンボやからのう」。
 マイクロシーベルトはミリシーベルトの1/1,000。
 双葉町を通過した際の車内は所により21マイクロシーベルト/毎時だったが(車内の方が線量は低い)、線量計を持たずして単身双葉町に入ったので、無色・無臭・無味・不可視の敵の得体は知れずだった。やっぱりぼくは「楽天トンボ」なのだろうか。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/157.html

★「双葉町01」。人っ子一人いない双葉町。地震の際に崩れ落ちた家が放置されたまま、町の至る所に点在する。
 データ:2013年6月6日午後5時33分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 5.6。1/60秒。露出補正-0.33。ISO 100。

★「双葉町02」。双葉駅駅前広場。乗降客でにぎわった偲ぶよすがもない。
 データ:2013年6月6日午後5時57分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 8.0。1/100秒。露出補正-1。ISO 100。

★「双葉町03」。地震で傾いた初發神社。
 データ:2013年6月6日午後5時39分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 5.6。1/40秒。露出補正-1。ISO 100。

★「双葉町04」。地震以来、開いたままの踏切の遠景を逆光下で。
 データ:2013年6月6日午後6時14分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 7.1。1/40秒。露出補正-0.67。ISO 100。

★「双葉町05」。住民は着の身着のまま避難。あまりにも物悲しい静寂が町を覆う。
 データ:2013年6月6日午後6時36分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 6.4。1/50秒。露出補正-1。ISO 100。
(文:亀山哲郎)

2013/06/28(金)
第156回:立ち入り禁止区域を訪ねる(3)
 写真屋という商売は見ず知らずの土地に出向く機会が多いので、カーナビゲーション・システム(以下、カーナビ)が世に出始めた頃に、ぼくは興味も手伝ってすぐに飛びついてしまった。お調子者のぼくに比べ、カーナビはぼくよりずっと賢く、なるほど便利この上ない。しかし同時に、便利なものは思考と自己管理能力を退化・停止させるという副作用がある。「世の中どんどん便利になっていくが、これで地図が読めなくなってしまう人もますます増えることだろう。カーナビというのは東西南北の感覚すらつかめなくなってしまう方向音痴倍増装置だな」と感じたものだ。カーナビの購入は、ぼくの記憶が正しければ1980年代半ばのことだったように思う。
 当時高価だったカーナビも使い始めて5、6年経った頃に故障してしまい、それ以来ぼくは20年以上もカーナビのお世話になっていない。この10年は道路地図さえ持つことを放棄してしまった。常に勘だけで勝負しようと天に誓い、時たまとんでもないしっぺ返しを食らうこともあるが、7勝3敗くらいの確率で現地に辿り着くことができる。勝率70%はなかなかのものだと自画自賛。ボケ防止にも何がしかの効用があるに違いない。

 そんなことも相まって、ぼくは暗闇の飯舘村を疾駆し無事南相馬市のビジネスホテルへ予定より30分遅れて到着した。30分の遅れは、勘が狂ったわけではなく、飯舘村の所々で車を止め、歩いて観察した結果である。道草を食いながら、原発事故当時の(現在も事故は継続中。収束宣言などトンデモナイまやかしであることは周知の通り)無責任な情報伝達・隠蔽・ごまかしにより大混乱を来した村民の姿を思い浮かべ、怒りを通り越してやりきれなさだけが募っていく。
 この連載で、ぼくは原発事故や放射能被曝、被災者について当時の状況を語る資格などないが、飯舘村村民の感情と彼らの取った対処が心に残り、どうしても触れておきたい一文があるので、それだけを記しておきたい。

 事故から約40日経った2011年4月20日、東京電力の幹部5人が飯舘村にやってきた時の模様である。
 『カウントダウン・メルトダウン』(上)船橋洋一著、文藝春秋。247ページより引用。なお、ここでは固有人名は伏せ、XとYとする。

 『30代と見られる男性がX(東電副社長)に向かって、大声で叫んだ。
 「貴様、何やってんだ。オレのところに来て、手をついて謝れ」
  村民の中の年配の男性が二人、同時に、声を上げた。
 「おまえ、やめろ、そんなことをさせたら村の恥だぞ」
  Y(村長)は、それを聞いて、胸がキュンと締め付けられる思いがした。
<よくぞ言ってくれた>
  心の中で、二人の年配者に感謝した。』

 ホテルの駐車場に車を止めると、窓越しに食堂で遅い夕食を取るJ君とIさんが目に入った。ぼくはチェックインせずに彼らのところに直行する。一通りの挨拶を済ませ、ぼくはハンバーグを食らうJ君の横に陣取った。Iさんは箸を左右の手に1本ずつ握り、器用にサバの味噌煮定食と挌闘していた。“Delicious!”(美味しいわよ!)なんだそうである。J君は早速地図をテーブルに広げ、ぼくに下見をした状況を英語で話し始めた。
 「あの〜、わし、日本人なんやけど。そんで、腹ぺこなんやけど。とにかく980円のトンカツ定食を先に食べたいんやけど」とぼくが無言で遠慮がちに訴えているにも関わらず、J君は2日間もIさんと異国語でしゃべり続けてきたせいか、勢い余ってぼくにも堪能な英語でおかまいなしに、色分けされた地図を示しながら、説明に余念がない。「お願い、食券買わせてくれ。地図よりトンカツなんだってば! Dango before flowers! (花より団子!)」と叫ぶが、熱中する彼にぼくの切ない声は届かない。ぼくの目はきっと宙を漂っていたようで、気を利かしたIさんはグラスに水を入れてぼくに差し出してくれた。「あの〜、ここは水よりビールなんやけどなぁ〜」という声もやはり届かない。
 J君の異国語を分かった振りをしながら聞くからいけないのであって、急遽鞍替えをして分からない振りをしてみたらトンカツが近づいてくるに違いないとぼくは考えた。鬼気迫る熟慮の末である。32歳のJ君にぼくは大人の才覚というものを示したつもりだったのだが、「ここの放射線線量はですね・・・」と取りつく島がない。虚しさだけが通り過ぎて行く。ぼくがやっとのことでトンカツにありつけたのも、30分遅れだった。欠食児童のようにトンカツに食らいつくぼくを見て、Iさんは「還暦を過ぎた日本人はよほど飢えているに違いない」と思い込んだとしても不思議はない。食足りて礼節を取り戻したぼくは、やっと明日からの撮影計画を真剣に練り始めようとしたところだった。
 「明朝は5時半に起きて出かけます!」と啖呵を切り、ひどい寝不足が続いていたぼくは、医者にもらった睡眠剤を服用し、なんと10時半に床についてしまった。久しぶりに穏やかな撮影意欲がふつふつと湧き出してきた。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/156.html

★「検問所」。立ち入り禁止区域に入る検問所。ここで許可証と身分証明書の提示をして通される。

★「浪江町01」。立ち入り禁止区域に入ると窓を開けて車の走行はできないので、窓越しに撮影。
 データ:2013年6月6日午前6時24分。Fuji X100S。焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf 5.6。1/680秒。露出補正-0.33。ISO 400。

★「浪江町02」。浪江町の田んぼ(現在は雑草が茂る)に津波で押し潰された車があちこちにたくさん点在する。立ち入り禁止区域なので処分できずに放置されたまま。
 データ:2013年6月7日午前7時27分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 11。1/60秒。露出補正-0.33。ISO 100。

★「浪江町03」。津波に流されず、捻れボロボロになった家が一軒だけ寂しく佇む。おぼろげな太陽と16mm超広角レンズの描く雲が印象的。
 データ:2013年6月7日午前7時22分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 11。1/200秒。露出補正-0.67。ISO 100。

★「南相馬市・津波」。津波に洗われたガソリンスタンド。
 データ:2013年6月7日午前7時10分。Fuji X100S。焦点距離35mm(35mm換算)。絞りf 5.6。1/1250秒。露出補正-0.67。ISO 200。
(文:亀山哲郎)

2013/06/21(金)
第155回:立ち入り禁止区域を訪ねる(2)
 J君とIさんはぼくより1日早く現地入りし、ありがたいことに下見(いわゆるロケハン)や役所に出向いての手続き・手配を済ませてくれていた。ぼくも一緒に出発したかったのだが、野暮用にかまけて1日遅れの出立。彼らの投宿している福島県南相馬市まで我が家(さいたま市中央区)から東北自動車道を北上し現地まで車で約4時間の道程。夕刻4時に出発し現地到着は午後8時の予定。浦和から福島西のインターチェンジまで約250km。このくらいの距離は軽いものだと思いきや、あにはからんや今回はなんと遠く感じたことか。こんなに運転が退屈な旅は久しぶりのことだ。元来長距離ドライブは好きだったのだが、今回ばかりはそうでもなさそうである。それを歳のせいだとは思いたくないが、物見遊山が目的ではないので、やはりどこか気重に感じていたことが大きな原因だと考えることにした。現地についての入念な下調べが不十分だったこともぼくの気分を重たくしていたのだろう。とはいえ、福島第一原発事故に関する著作は8冊ばかりすでに読了していたのだが、しかし、8冊くらいの読書量では、複雑な要因が錯綜する「原発事故」や周辺の「立ち入り禁止区域」の概要を知るには撮影目的のぼくにとって不足であることは否めない。書物の内容は、悔しいかな歳のせいで、読んだ尻から忘却の彼方である。全体何のための読書か! 
 ただ読後感として印象に残っていることといえば、東電、政府、原子力安全・保安委員会の国民を愚弄するような不実な隠蔽・改ざん・ごまかしや御用学者によるご都合主義的なすり替えに対する憤りだ。すべてではないがマスコミも少なからずそれに加担しているという寒々とした日本の現状。ごく一部の良心的な人々を除く我が国のジャーナリズムの貧困に、今に限ったことではないが失望を禁じ得ない。
 かつて電力自由化を謳いつつ、うやむやな対応に終始しながら、競争相手のいない電力会社は地域独占を享受し、既得権益にしがみつき、それを我が世の春とし、その見返りにお上のいうことには無批判に従い、お上は独占させてやる代わりにいうことを聞けという寸法だ。お互い楽に保身できるように癒着をもっぱらとする図式が小賢しくも定着している。これが日本の電力行政。このようなみっともない破廉恥な状況は我が国だけの現象ではなく、おそらくどこの国も似たり寄ったりなのだろう。
 IAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)なる、一応もっともらしく世界的な権威として振る舞い続けている組織が、何事にも清く正しいなどと信じて疑わぬ向きはよほど脳天気な人々である。「原子力マフィア」とはうまいことをいったものだとぼくは感じ入る。

 福島西インターを降り、一路国道115号を東へ。途中右折し県道31号線に入る頃にはとっぷりと日が暮れ、周囲の様相が一変した。暗黒の世界である。ぼくは何年ぶりかで車のヘッドライトをアップにしたまま、曲がりくねった山道を昔取った杵柄で、ラリーよろしくヒール・アンド・トゥー(アクセルとブレーキを右足で一緒に踏むテクニック)を駆使しながらポンコツ車のハンドルをさばく。対向車も人の気配もまったくない異様な静けさだ。所々に集落が現れては消えるがどの家屋にも電灯が灯っていない。午後7時30分。いくら山奥の人家とはいえ、まだ就寝には早すぎる時刻だ。姿なきグロテスクなブラックホールに吸い込まれるような錯覚が襲ってくる。頭の芯がツーンとする。かつて真夜中に信州の山中を何度か走った経験があるが、それとはまったく次元の異なる不気味さがあたり一面を覆っている。まるで墨汁を噴霧したような空気が立ちこめ、支配しているのだ。漆黒の闇といえばいいだろうか。左右に揺れ動く自車のヘッドライトの光だけが唯一人間の存在する証だ。

 世の中には科学で立証できない事柄はたくさんあるが、ぼくは幽霊とか亡霊、心霊現象といったものは一切信じないタイプの人間であり、もし仮に幽霊をこの目で見たとしても、それを脳内現象のひとつとして、例えば暗示による脳内物質の異常分泌による幻覚や幻視としてあっさり片付け、ケリをつけてしまうだろう。「私は実際にこの目で、しかと見たのだから」というお決まりの科白にはまったく耳を貸さず、取り合うことさえばかばかしいと思うに違いない。ぼくは科学一辺倒の可愛げのない質なのだ。従って夜間の墓地に放り出されても、恐くも何ともないという、ぼくは暗闇を恐れる人間的本能の回路が寸断された気の毒な異常体質ともいえる。それをして、ぼくを「鈍感」と罵る人もいるくらいだ。

 しかし、この異様さの正体は一体何なのだろうと考えていると、ライトに照らし出された看板が闇の中で一瞬ピカッと輝いた。「飯舘村」とある。これですべてに合点がいった。ぼくの通った道筋はおおよそ飯舘村の「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」(2013年5月現在)の境目あたりだった。「解除」となっても、もはや政府を信用しない村民は戻ろうとはしないかも知れない。一般市民のほうが、保身に長け、嘘の上塗りを重ねてきた東電のお偉いさんや政府、その癒着関係機関より遙かに賢明で、そんな指示に直ぐさま従うとは思えない。疑心暗鬼のほうが先に立つだろう。彼らが生まれ育ち、生活を営んできた愛着ある地に1日でも早く安心して戻れるようにぼくも衷心より切望するが、実現するまでにはまだまだ時間と費用を要することは火を見るよりも明らかだ。少なくとも未だに強い線量のホットスポットが点在するなか、元住民の心情はいかばかりであろうか? 一方で楽観論もあるようだが、ぼくのような専門外の人間がこれ以上軽々に語るべきものではないことは重々承知の上である。いずれにしても過剰な反応は禁物であることに変わりはない。

 この異次元空間を写真に撮っておきたいという衝動に駆られるが、一点の光もない状況では写真は写らない。車のヘッドライトを空き家となった人家に向けて照らし、三脚を立てれば写るには写る。しかし、そのイメージが湧いてこない。興味はあるが、わざとらしい撮影結果が見えるだけで、断念した方が身のためだということを悟る。住民が一人もいなくなり闇夜のなかで荒れ果てた姿を晒すこの光景は心の中に閉じ込めておこう。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/155.html

★「原発隣接地01」。朝霧のなか、津波によって流された車が草地の生い茂るなかに取り残されていた。草地の線量はかなり高いと思われるが、線量計はJ君が持って行ってしまったので確認不能だが、ぼくには関係なし。ここは高さ15m前後の津波に襲われた。
 データ:2013年6月6日午前9時5分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 8.0。1/320秒。露出補正-1.67。ISO 100。

★「原発隣接地02」。津波によりめくれ上がり、寸断された原発脇のアスファルト道路。
 データ:2013年6月6日午前8時00分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 5.6。1/80秒。露出補正-0.33。ISO 100。
(文:亀山哲郎)

2013/06/14(金)
第154回:立ち入り禁止区域を訪ねる(1)
 毎回気の趣くままに書き連ねていますが、今回は読者の方々や本稿を担当されている方からのご要望もあって、福島第一原発近辺の立ち入りが禁止されている「帰還困難区域」に行ってきましたので、そのご報告です。
 「帰還困難区域」とは「原子力災害対策特別措置法の原子力災害対策本部長権限に基づく帰還困難区域設定による立ち入り禁止」という長々とした法律に則った区域です。おおまかには、浪江町、双葉町、大熊町がそれに該当します。

 ここに行くきっかけとなったのは、かつてぼくのアシスタントを勤めてくれたJ君が現在所属する某公益財団法人を通して立ち入り許可を得、「かめやまさんは強い興味を示しているのを知っていますから」と、ぼくに声をかけてくれました。
 許可権者である浪江町長宛の申請書には子細にわたる条項が記されていて、立ち入り目的については、「アーティストが浪江町の今の姿を記録することを目的に写真撮影を行うこと」とあります。ぼくはアーティストなんて大層なものではありませんが、報道系の写真ではなく、自身の純粋な作品づくりのための撮影ですから、J君の誘いに二つ返事で応えました。
 また、放射線管理は自らの責任に於いて、必ずGMサーベイメーター及び線量計(いわゆるガイガーカウンター)を持参せよと付記されていました。
 急な申し出だったのですが、これを千載一遇の機会と捉え、連日ひどい寝不足にも関わらず、体をしばき上げて、取るものも取り敢えず出かける決心をしました。

 もう1人の同行者は、英国とイスラエルの両国籍を持つ40代半ばの女性で、Iさん。世界の修羅場を撮影してきた経験豊富なカメラマンです。写真は常に個人的なものなので、商売人が3人雁首を揃えて撮影する機会などあり得ぬことですが、それぞれに撮影意図も意識も異なり、現地にて各自がテーマに沿った場所へ散って行きました。白衣の防護服に身を包み、ゴム手袋を付け、ヘアキャップを被って、それはまるで給食おばさんのような出で立ちでありました。

 J君は8x10インチの大型カメラを従え、もっぱら福島第一原発を中心に。敷地内は立ち入り厳禁ですから、脚立を立てて周囲のフェンス越しに中を覗き込むような際どい撮影に臨んでいました。そんな彼を見ていて、ぼくはふと彼との初対面の時を思い出しました。あるところで「1灯ライトでスイーツを撮る」という講座を催した時に、ライトやスイーツの位置、撮影のメカニズムなどを克明かつ几帳面にノートに書き込んでいる熱心な小僧がいたのです。気弱そうなインテリ青年にも見えました。その気弱そうに見えた小僧が、今やガーガー、バリバリと鳴り響くガイガーカウンターの音などものともせずに果敢に撮影している逞しい姿を目の当たりにして、一応師匠もどきのぼくとしては嬉しさを隠しきれませんでした。J君とぼくの原発事故に対する考え方は、批判的思考法をもってすべきという視点で一致しています。あれは天災などではなく、論理的・客観的に理解すれば、起こるべくして起こった人災だということです。

 Iさんも4x5インチの大型カメラで、無人と化した廃墟の町に飛び込んで行きました。現在、「トラウマ」をテーマに世界のさまざまな地で撮影しており、福島県の無人の町もその一環として捉えています。聞くところによると、彼女のご母堂はポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所から幼少時に奇跡的に生還されたそうで、そんなことも起因してか、人間の精神的トラウマを写真表現として映像に転写することに努めています。ぼくが「ナチスのホロコーストに関する本は学生時代から200冊くらい読んでいるよ」というと、彼女は“Oh, concentration camp!(強制収容所)”と低くつぶやき、これ以上にないほど顔を歪ませ、かぶりを振りながら、「ねぇ、そうでしょ」(あるまじきことよね)と同意を求めているように見えました。非常にクリティカルな問題なのでお互いそれ以上は言及しませんでしたが。
 人類史上、初めて組織化された強制収容所(というより「絶滅収容所」)である旧ソビエト連邦に存在した(1923〜39年。1992年世界遺産登録)北極圏直下のソロフキ島をぼくが写真集にまとめ上げたことも彼女は知っており、そんなこともあってか彼女とは共感できる部分が多々あったのだと思います。

 ぼくことKは、彼らのように純真無垢な人間ではありませんから、彼の地で撮れるものなら何でもいいという無節操ぶり。3.11の地震、津波、無人の廃墟、原発と、全部ひっくるめて一つのテーマに仕上げてしまおうという、まことに見上げた魂胆なのです。カメラも彼らのように真面目?で大仕掛けなものでなく、デジタル一眼に広角ズーム(16〜35mm)を1本付けただけ。予備にレンジファインダーのAPS-Cサイズのコンデジ1台(35mm固定)。これで十分ぼくのテーマに対応できます。機動力最重視ですから、これでいいのです。

 今回のテーマである「立ち入り禁止区域を訪ねる」が何回にわたり続くのか分かりませんが、現像の上がったものから少しずつご紹介していこうと思います。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/154.html

★写真「双葉町入口」。無人と化した双葉町の入口に掲げられた看板「原子力 明るい未来のエネルギー」。なんとシニカルな標語となってしまったことか。このゲートのすぐそばに「原発と共に歩んだ結果・・・」という落書きがしてありました。
 データ:2013年6月6日午後5時19分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。絞りf 8.0。1/250秒。露出補正-1。ISO 100。

★写真「福島第一原発」。金網フェンスの外に脚立を立てて。製造中の汚水タンク。ガイガーカウンターが激しく鳴り響く。数値は敢えて記しません。その理由は次号で。ただ、カウンターには “Dangerous!”(やばいんじゃない!)という警告が。
 データ:2013年6月6日午前10時2分。EOS-1DsIII。EF16〜35mm F2.8L II USM。
絞りf 11。1/160秒。露出補正-0.67。ISO 100。
 本来なら広角でf11まで絞り込む必要はないと思われますが、周辺部まで画像をしっかり解像させるためです。レンズの焦点距離により変わってきます。
(文:亀山哲郎)

2013/06/07(金)
第153回:偏執狂的検証魔
 今や気がついてみると、ぼくはすっかりデジタル派となっていました。デジタル派という意味は、デジタルがフィルムより良いからとか悪いからとか、そのような基準でいっているのではありません。以前、拙稿で「デジタルであろうがフィルムであろうが、そのようなことはどちらでもいいことで、写真の本質はそれによってなんら揺らぐものではない」との趣旨を述べました。今、ぼくがデジタル一辺倒なのはそれが時代の要請でもあり、またデジタルを上手に使いこなすことに多大な興味を覚えたからでもあります。
 デジタル創生期には「どちらが良いか」という話題が沸騰し、また盛んに議論されもしましたが、当時からぼくはそれを意義深いものだと思ったことは一度もありません。
 「同一条件に於ける繰り返しの検証」を至当のこととする、ちょっと偏執狂的とでもいえるぼくが、唯一その主義に従わなかったのが「デジタル対フィルム」です。好き嫌いはあっても、写真の本質にはなんら関わりのないことだと決めつけていました。今でも自分にとっては、労力と時間を費やし検証するにはあたらないことだと思っています。

 ぼくは読書が趣味というわけでは決してないのですが、若い頃より年間100冊以上の読書を自分に義務づけてきました。義務づけるというより励行しようと心がけてきたといった方が正しいかも知れません。去年は何年ぶりかで達成できましたが(つまり暇だったということでもあります)、好奇心を満たすために、直接のテーマから外れた本を仕方なく、いやいやながらも読まざるを得ない状況にしばしば迫られることは、偏執狂的検証魔だからでしょう。興味に駆られた事柄の類似本を次々と漁らないと気が済まぬ厄介な質なのです。もちろん、1冊限りの「茶腹も一時」ということもありますが。
 ひとつの事柄を知ろうとすれば、それに関する本を最低でも10〜20冊は読まなければその概要を窺うことができないものだと常々若人にもいっています。1冊か2冊を読み、知ったつもりになってしまうことがどれほど恐ろしく、危険なことかを身に染みて感じているからです。1冊の本はひとつの物事の一断面、もしくは一断片を語るに過ぎません。「はたして真実はどうなのか? 本当にそうなのだろうか?」を突き詰めていくと、どうしても多くの断面を知る必要に迫られます。断面を多く知るほど、ものの姿、形が徐々に明確になっていきます。それでも真実はなかなか窺い知ることができないというのが本音です。良くいえば探究心に溢れ、悪くいえば猜疑心が強いともいえます。
 ぼくは学者ではありませんから、まぁ、そこそこのところでけりをつけて分かったつもりになっているんでしょうが、このようなことを何百何千と繰り返しているうちに、この本はいかにもそれらしく書かれているが、実は単にセンセーションを煽るだけのものだとか、暴露本の類だとか、既知の羅列に過ぎないとか、独創性や新味に欠けるということがそれとなく嗅ぎ分けられるようになる気がします。思い入れの激しいぼくにとって、読書は型にはまった思考から免れるための必須アイテムなのでしょう。と、体裁はいいのですが、中身は知れたものです。

 そんな性癖が災いしてか、ある人が信念を持って、「このレンズは・・・。このカメラは・・・。このフィルムは・・・」の蘊蓄(うんちく)を垂れると、「何に比べて? 同一条件で比較したの? 何がどう違うのか具体的に話して。科学的な裏付けはあるの?」と、間髪を入れず真面目にぐいぐい問うてしまいます。好奇心に抗しきれず、ついつい真顔で追求してしまうのです。いつの間にか、真面目さが過ぎて詰問となり、意地の悪い審問官に取って代わるのだそうです。「かめやまは自分だけが正しいとする意固地で手前勝手な人。他人は自分とは異なるという至極当たり前のことを露ほども省みない人面獣心の男」と上目遣いで不当なレッテルを貼るのです。最近は愛犬までもがぼくを「ああ、嘆かわしい!」と上目遣いで見るようになりました。

 ※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/153.html

「上目遣い」撮影データ:EOS-1Ds。焦点距離50mm。絞りf2.0。シャッタースピード1/50秒。露出補正ノーマル。ISO 800。ノイズリダクション Nik Dfine2。

 今週水曜日から金曜日まで、防護服を着て福島県の立ち入り禁止区域に入ることになり、今慌ただしいなかで書いています。ウクライナのチェルノブイリ原発事故の1年後にぼくはたまたま首都のキエフにいたのですが、報道カメラマンではないぼくが、今福島に赴くことになったのは何かの因縁でしょうか? ヘアキャップを被っての撮影は初めてのことですが、何かを検証するための撮影ではなく、上目遣いをされぬように自己を検証しに行ってまいります。
(文:亀山哲郎)

2013/05/31(金)
第152回:質感描写(2)
 肉眼で認識できる物質にはどのようなものでも質感が伴います。表面が滑らかであればあるほど光沢感が増し、輝いて見えます。また、反対に凹凸があるほどに艶が薄れ、反射機能も失われます。物質の質感はそれこそ千差万別です。その質感をどのように表現するかで写真の印象も大きく変わってきます。前回、写真の質感描写は撮影時の光の選び方と撮影後の暗室作業に負うと述べましたので、今回はそれを実証してみましょう。

 作例は愛用の水彩用画用紙を利用しました。画用紙の面質には大別すると、極細目、細目、粗目とありますが、今回は分かりやすいように最も凹凸のある粗目を被写体に選びました。
 光の方向でどのように質感が変化するかを示します。撮影はスタジオ用ストロボを用い、直射光で被写体との角度を3通りに変化させてみました。光源の大きさは直径17cmの円形で、画用紙との距離は約2.5mです。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/152.html

★「01」はできるだけ光源をレンズの光軸に近づけたものです。画用紙のほぼ正面からストロボを当てています。所謂“順光”です。粗目画用紙の質感がほとんど失われ、目を凝らして見ると“まったくの平滑ではないのかも知れない”という程度にしか識別できません。
★「02」。角度45度からの直射光によるものです。「01」に比べかなり面質が表れてきました。凸の部分に光が当たり、凹の部分に影が生じたからです。つまり面質にコントラストがついたという意味でもあります。
★「03」。画用紙と光源の角度を約20度にしてみました。かなりの斜光です。これでこの画用紙の表面がどのようなものかが明確に表現できました。実際に手で撫でてみるとこのザラザラとした感触がありありと分かります。

 ここで明確になったことは、面に対して光(光源)の角度が鋭角になればなるほど凹凸が目立ってくるということです。面に限らずすべての立体物には影が生じますから、立体感や質感が顕著になるのです。
 反対に光を正面から当てると影が生じにくく、一般論としていえば平坦で面白味に欠ける描写になります。
 かつて「風景を撮る」のところで、朝夕の光は斜光であるが故にドラマチックな表現に寄与する孝行者であるというようなことを述べた記憶があります。快晴時のお天道様は点光源ですから、影が濃く、斜光になるにつれ長く伸び陰影が際立ちます。もちろん、光質によっても質感描写は異なってきます。太陽に雲がかかったりして光源の面積が広がると(曇天時)、柔らかな光となりコントラストも弱くなります。太陽に限らず、光源の面積が広くなればなるほど光質は柔らかくなり、質感の描写も薄れるということも大切な要素として記憶に留めてくださればと思います。風景に留まらず、静物を撮る際にも、光がどの方向から差し、光源の広さを常に意識してください。「光を読む」ということです。

 余談ですが、カメラに内蔵されたストロボは被写体に対してほぼ真正面からの点光源に近いものですから、ポートレートなどはストロボを近づけるほど額や眉間の脂が反射し光ったりしてしまいます。とても醜い写真です。お手軽で確実に撮る手段ではありますが、決してきれいな写真は撮れません。かといって斜光であれば鼻やあごの影の面積が広がり、また肌荒れも目立ってきます。それを解消するためにストロボ光を天井や壁にバウンスさせて、柔らかい光を作り出すのです。

 Rawデータ撮影以外のJPEGやTIFF形式画像を、Photoshopを使用して質感を強調する一例を紹介しておきます。

★Photoshopの機能にAdobe Bridgeがあります。Adobe Bridgeを立ち上げ、メニューバー/Camera Raw 環境設定/を開きます。開かれたウィンドウの最下段に「JPEGおよびTIFFの処理」という画面がありますから「04」のように設定してください。このように設定してからJPEGやTIFF形式の画像をダブルクリックして開くと「05」の画面が画像の右に表示されます。下から3段目の「明瞭度」の三角印を右にスライド、または数字を打ち込むと、文字通り明瞭度が増します。左に移動すれば逆の効果が得られます。

★「03」画像の「明瞭度」を+100にしたものが、添付画像「06明瞭度+100」です。「03」との違いがお分かりだと思います。このアルゴリズムがどのようになっているのかぼくには分かりませんが、感覚的には細部のコントラストとシャープネスが上がったように見えます。ただ、注意すべき事はこの機能を過度に使用すると画質が悪くなります。ですからオリジナルの画像に明瞭度を上げたものをレイヤーで重ね合わせ、不要な部分(例えば空など)はマスクを作りブラシで削る取る作業が必要となります。つまり、明瞭度を加える必要のない部分はそのままにしておくことが肝心です。

 実例写真。晴天の夕刻(かなりの斜光)に撮った写真を上記「明瞭度」を使用して作成したものを2点掲載します。2013年5月17日。Fujifilm X100Sのテスト撮影を兼ねて。

★「実例07」。古い工場のコンクリート塀。長い間風雪に洗われてきたのだと思います。赤外線フィルムをイメージして。
★「実例08」。よく見かける青いビニールシートに囲われた家。かなりの斜光であることが影からお分かりでしょう。この写真の主人公はビニールシートですから、この部分だけレイヤーを重ね、明瞭度を残しています。

 今回は前置きなく本題に突入したつもりが、またまた長くなってしまいました。これでもずいぶんと省略して書いたつもりなのですが。あ〜あっ!
(文:亀山哲郎)

2013/05/24(金)
第151回:質感描写(1)
 久方ぶりの友人とコーヒーを飲みながら世間話に興じていたところ、こんな指摘をされました。「かめさんの『よもやま話』は枕が枕で終わらずに長枕。前置きが長く、最後の方に写真の話を思い出したかのようにひょっこり関連づけて書いている。こうなったら写真にこだわらず、ひと思いに全部前置きってことにしっちゃたらどうなの?」と、なかなか鋭く、痛いところを突いてきました。実は痛くも痒くもないのですが、書いている本人でさえ書き始めてみないとなにが出て来るのか分からないという無計画な性分ですから、ある意味で仕方がありません。「書いているうちに、『あっ、そうだ。今回はこの写真話を持ち出そう』ということがボワーッと浮かんでくる。要はどこでどのような写真話を長枕にこじつけるかということに苦心しているんだ。テーマが決められているわけではなく、自分で決めるというのは、ましてや週1回だから君が思っているほど容易なことじゃないんだよ。ぼくの写真話は、例えばよくある『〜の撮り方』という性質のものではないから尚更ね。まぁ、与太話みたいなものだから」。

 また、彼はこうも提案してくれました。「いっそのこと、自分の写真を1点掲載して、それについて撮影時の意図やかめさんの持論を展開するってのはどう?」と、彼はどこまでも心優しくささやいてくれました。友愛の精神というのですかね。慈愛の心に満ちている。いや、おためごかしか?
 せっかくのお心遣いですが、作者が自分の作品の成り立ちや、思考、思索のあれやこれやについて微に入り細に穿って語るのは、言う方も聞く方もドッチラケで、ただただ小っ恥ずかしい振る舞いでしかないとぼくは思っています。
 撮影意図の講釈など聞かされる方にとっては、積極的に望むのでない限り、まったく“余計なお世話”です。しかし、それを望む方々が思いのほか多いということも承知していますが、ぼくが聞かされる立場であれば、先入観により想像が阻まれるのでやはり迷惑。自分が迷惑だと思うことは他人にしたくはありませんしね。ただ、最小限の情報は伝える必要があると思っています。

 ぼくがシャッターを切る時は、なにも考えていないというのが偽らざるところで、「いいなぁ」という単純な動機と感情に突き動かされているだけです。ですから説明など本来できるわけがないのです。その動機と感情は一言で締め括れるほど単純なものでもなく、きっと無意識下のなかで複雑な要素が絡み合い、錯綜しているのでしょう。そのようなことに哲学的な言葉を弄して解説を試みたり、あるいは詩的な文言を添えたりするのは、この歳になればとても照れ臭くてできるものではありません。ケツの穴がムズ痒く、ぼくは悲鳴をあげてしまうでしょう。それが年相応というものですが、ぼくは若い頃からその考えを今日まで持ち続けています。写真は作者の言葉により陳腐化してしまうことが往々にしてあるからです。

 今回は「質感描写」についてぼくの思うところをお話しいたします。この言葉の意味するところはもはや必要ではないと思いますが、平たくいえば「滑らかなものは滑らかに。ゴツゴツしたものはゴツゴツと描写する」ということです。ぼくは長い間コマーシャル分野の仕事をしてきましたので、所謂「物撮り」(静止した被写体の撮影)の場数をたくさん踏んできました。自然光を利用したり、人工光を駆使したりして、クライアントの欲する質感を“過不足なく”表現しなければなりません。ライティングの加減次第で質感は目まぐるしく変化し、それを肉眼とは濃度域再現のまったく異なるフィルムやデジタル受光素子に正確に移し替える作業は、試行錯誤や場数を踏んでこそという面があります。また光学的な知識も欠かせませんから、一朝一夕にとはなかなかいきません。

 しかし、私的な写真(ぼくはもっぱら自然光の下で撮影)では口やかましいクライアントの目がありませんから、“過不足なく”などまったく斟酌する必要がありません。この縛りから解放されると表現の自由度がどんどん増していきます。だれ憚ることなく質感を自由に操りながら誇張でき(その反対も)、そのおかげでイメージを膨らませたり、デフォルメすることもできます。撮影は光の質と方向を考慮すればよく、暗室作業ではPhotoshopやサードパーティのソフトを使いこなすことでイメージ通りの質感を描くことが可能となります。

 添付写真の撮影意図を最小限にお話ししておきましょう。
 ぼくは畑を見るとそこに取り残された作物(この写真では朽ちつつあるキャベツ)がいつも気になるのです。この時もそんな思いで畑のなかを歩いていました。そこで虫食いで穴だらけになったキャベツがひとつだけ収穫されずに放置されているのを発見し、強い感動を覚えたのです。それは死と生の循環であったり、お百姓さんの優しさだったり。葉脈が血管のようにも見えました。自分の意識下でなにかが解決したのか、あるいは和解ができたのかは分かりませんが、ぼくは思わず「君、いいねぇ。ぼくが撮ってやるよ」とつぶやきながら、もうすでにシャッターを切っていたのです。お話ししたように「なにも考えていない」のです。
 この写真は撮影より暗室作業に負うところが多いのですが(その手順については次号で)、大体に於いてこの手の写真は少数派の人たちにしか受け入れてもらえないということは重々承知です。被写体が穴だらけで腐りかけているうえに、質感を見た目よりずっと誇張しています。だれも「わ〜っ、きれい!」なんてことは絶対いってくれません。でも、「美しい!」といってくれた人たちがいたことは確かです。このことは救いとして、やはり書き留めておかなくっちゃ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/151.html

撮影データ:Fuji FinePix X-100。焦点距離35mm(35mm換算)。F11、1/90秒。露出補正-0.33。ISO 200。
(文:亀山哲郎)