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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2019/10/18(金)
第467回:通うことの大切さ(2)
 「通うことの大切さ」については、前回の最後の5行で実は核心部分の大半を言い尽くしているのだが、今回はぼくのささやかな体験談を踏まえて、いつもながら横道に逸れながら(これが大半を占めてしまうことがままあることは、重々自覚している)、少しばかりの上塗りをしてみたいと思う。

 熱中症の恐れが遠のいたことを見計らって、十何回目かの栃木市に赴いたのは、前回に述べたことではあるが、久しく留守をしていた35mm単レンズ(絞り開放値がf 1.4という明るさ。ぼくのものは最新型ではなく、フィルム時代に開発された1998年製の旧型)が手元に戻って来たことも大きな要因だった。久しぶりに手にする感触はやはり心地良く、しっくりと手に馴染む。
 ズームレンズ全盛の現在、ぼくは事あるごとに、愛好家に対して「単レンズの優位性や使い勝手の良さ」を、半ば無駄と知りつつクドクドと説いてきた。曰く「だまされたと思って、一度使ってごらん。単レンズを使用したことのない人は一角(ひとかど)の “もぐり” である」とも。 “もぐり” とは、「禁を犯したり、あるいはしてはいけないことを密かに行うこと。あるいは、ある種の集団に勝手に入り込み、あたかもその一員であるかのように振る舞う人」のことをいうので、ぼくの “もぐり” の語法は正しいと思っている。

 いくら声を大にしてそう叫んでも、世間や友人たちはぼくの悲痛な !? 雄叫びになかなか耳を貸してくれない。そんなもどかしさを感じながらも、職人として道具の使い方を執拗に訴える義務があるような気さえしている。それほど単レンズというものは、ズームレンズに比べてさまざまな意味で良い面を有している。ある意味でそれは写真の原点だと思っている。
 ぼくの単レンズに対する固執は、青年時代に始まった。当時は単レンズが主流で、ズームレンズの性能はひどく劣り、使い勝手も悪かった。今にして思えば、それがかえって良い方向へ導いてくれたと思っている。現在は描写性能が拮抗しているが、それでもやはり単レンズの優位性は認めざるを得ない。

 単レンズを使用することは、焦点距離特有の画角や遠近感(パース)といった感覚を身につけるには最良の手はずであることに異論を挟む人はいないと信ずる。そしてまた、ズームレンズに比べf値の数値が小さい(レンズが明るい)のが一般的で、このことは暗所での撮影に大変有利に働く。速いシャッター速度が得られるので、写真最大の敵であるブレを防ぐことに大いに貢献してくれる。むやみにISO感度を上げ、画質を犠牲にすることから逃れることもできる。

 概して、どのようなレンズにも付きものの歪曲収差(被写体の形状が、樽型や糸巻き型に変形する。これは絞り値を変えても修正できない)や色収差(とくに周辺部に於けるコントラストの強い輪郭部分に、本来ないはずのマゼンタ系やグリーン系が発色する現象。絞り値を変えればある程度軽減される)が、単レンズでは程度の差こそあれ、その他の収差もズームレンズほど際立たない。

 そして最大の利点は、被写体を前にして「自身が動かなければならない」ことだ。ここが肝心要である。単レンズの利点はこれに尽きるといっても良い。精神的な意味で、「被写体により肉迫できる」ことは良い写真を撮るための第一条件でもあろう。
 単レンズは常に画角が決まっているので、その感覚を修得すればそれほど動かずに済む。この作用が撮影時の精神を安定させ、また非常に楽にもする。立ち位置が「ストン」と決まることもあるし、また前後左右に一歩ほど移動し、事が済むようになれば、もうしめたものだ。頭に描いたイメージの視覚化にどれほど役立ってくれることか。
 慣れないうちは右往左往するだろうが、辛抱強く1本の単レンズを使いこなしていくうちに、的確なアングルを掴めるようになること請け合いである。その感覚を掴めば、ズームレンズを賢く使う方法も見出せるようになる。まずは、すべからく単レンズをものにすべし、というところだ。
 ズームレンズを使用していると、横着に走り、自分は動かずに被写体を近づけたり遠ざけたりして画面構成をしてしまう(これは禁じ手というものだ)というドツボにはまりやすいが、画角に囚われながら、ついでに遠近感をもないがしろにしてしまう。いつまで経っても、画角もパースもレンズ任せとなり、適切な距離感を見つけ難くなってしまう。これがズームレンズ最大の罪であるとぼくは考えている。お手軽なものには罠が仕掛けてあるものだ。

 また、単レンズは同時に工夫を凝らさなければならない場面にも遭遇し(アングルが固定されているので、夾雑物を排除したり、写り込みを避けることなどの知恵が身につく)、ファインダーを覗きながら細かい所まで神経が行き届くようになる。ズームレンズは、強いていうなら、がさつさを誘発しかねない。事始めの人ほど固定焦点(単レンズ)の使用をぜひお勧めしたい。

 嗚呼、こんなことを書いていたら、本題について述べる余地がなくなってしまった。どことなくそんな気がしていたのだが、ぼくはそれ程にまで、写真を愛好すると強固に主張する人たちに、単レンズの使用をお勧めしたいとの思いが強い。ぼくのそんな健気で真摯な思いを、無視する輩が余りにも多く、したがって今回の逸脱はぼくのせいではないと、改めて訴えておく。
 本テーマについて、次回こそ横道に逸れずに、「体験談を踏まえて」お伝えしたいと思っている。単レンズの得(徳)はまだまだあるのだが・・・。
 今回は今まで栃木市で見逃していた写真の掲載。それでお見逃しのほどを。

http://www.amatias.com/bbs/30/467.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM + PLフィルター。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
テーマにしている「ガラス越しの世界」。ショーウィンドウに古びた人形が。値札の貼られたサングラスに、間近に止めてあったトラックのテールランプが程良く写り込んでくれたのだが、この可否について未だに悩んでいる。
絞りf7.1、1/20秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02栃木市」
さほど大きくない印刷物が貼られていた。店主のお気に入りなのだろうか? 何度も張り替えられたとみえて、テープの跡がベタベタと。オリジナルとはまったく異なる色調をイメージして。
絞りf8.0、1/200秒、ISO100、露出補正-0.67。 

(文:亀山哲郎)

2019/10/11(金)
第466回:通うことの大切さ(1)
 威圧的で厚かましいほどの猛暑だったこの夏、ぼくは私的写真を撮りに出かける勇気がなく、ずっと家に閉じこもりっぱなしだった。約2ヶ月の間、カメラをぶら下げて “勇気凜々” 歩き回ることができなかった。勇気凜々とは、敢えて説明すれば「何事をも恐れずに、立ち向かう気力に溢れている」ことをいう。
 けれど、この気力を意図的に遠退けることを即ち「怠惰」と決めつけるに今夏は少々酷であった。写真屋の矜恃として、この暑さでさえも、撮影の意欲と気力はもちろんあるといいたいのだが、正直にいえば体力にちょっとばかり自信が持てなかったのだ。
 まだ未体験ではあるが、今風にいえば「熱中症」、昔風には「日射病」を恐れてのことだった。世間ではこのようなぼくの言い草を、あたかも他人事のように「屁理屈」と断じ、非難する人さえいる。でも、確かにそうかも知れない。「商売人のくせに」といわれれば返す言葉がない。
 しかし、尋常ではなかったこの暑さのなかで、ぼくの好きな言葉である「野垂れ死に」を地で行ってしまっては元も子もなくなる。同情もしてもらえなければ、憐憫の情もかけてもらえない。「あいつ、阿呆だよなぁ」でお終い。ぼくはこれでも「野垂れ死に」の「寸止め」くらいは知っているつもりだし、海外で何度かその体験もしている。
 何の自慢にもならないが、-51℃(シベリア)~ +48℃(パキスタン)を、身を捩りながら体験せざるを得なかった。今思うと、恐いもの知らずの、まさに勇気凜々だったのである。写真を撮りながら、野垂れ死ぬのであれば本望だと、この際いい恰好をしておく。

 すでに齡70を越したので、この「怠惰」は許されてもいいが(と、自己中心的に考えている)、何故、勇気がなかったのかをつらつら考えてみるに、都合の良い理由はいくらでも見つかるのだが、とどのつまり、きっと誰もがそうであるように不快指数が限界を超えたためだった。
 「体力は辛うじてまだしもというところだが、あの不快指数が写真を撮る気分にさせない」との結論に至る。体力と情緒(精神)、この行き違いというか自家撞着はまことに狂おしい限りだ。ぼくの横柄なる果敢さも、今年の夏には到底立ち向かうことができず、尻尾をまいてしまったのだ。
 本来は歳などには関係なく、不快指数などものともせずという商売人の強固な意地を示さなければならぬはずだった。「老いてはますます壮(さかん)なるべし」というではないか。悲しいかな、諺通りいかないところが、諺の諺たる所以ではなかろうか。

 暑さも人心地つき、写真の精霊が姿を見せ始め、ぼくはやっと使命感に突き動かされ始めた。今年ばかりは、去りゆく夏を惜しむ、などという気取った気分にはなれず、万々歳の秋到来である。おまけに、嫁もクラス会だとかで京都に里帰りしており、ぼくはそこはかとない解放感を味わっている。只今、得もいわれぬほどの上機嫌である。

 どこへ撮影に行こうか、「鬼の居ぬ間に洗濯」とはしゃぎつつも、これといった当てはないのだが、行けば何かが見つかるとの予感を与えてくれる土地というのは誰しもあるものだ。うん、多分ね。
 相も変わらずぼくは栃木市へひとっ走りすることにした。もう何十回も訪れた所ではあるが、きっと相性が良いのだろう。「困った時の栃木頼み」といったところか。
 「行けば必ず1枚はヒットする」というものではないのだが、確率が高いような “気がする” ので、行き場所に迷った時はどうしても自然と足が向く。引力のようなものだ。

 我が家から、東北自動車道で1時間ちょっとというのも寝坊助のぼくにはありがたい。栃木市は「蔵の街」といわれるほど蔵が多く残っているが、ぼくは蔵自体にさしたる興味があるわけではない。良い写真が撮れたためしがないので、悔しまぎれにそういっているに違いない。
 巴波川(うずまがわ)沿いに蔵が建ち並ぶ街一番の名所など、何度撮っても上手くいかない。観光写真か絵葉書になってしまうのだ。だから、面白くも何ともなく、ぼくが撮る必然性も感じられない。
 蔵より、ショーウィンドウや店の佇まいなどに、どことなく懐かしくもしっとりとした昭和の味わいが見られ、それに惹かれるのだろうと思う。気が乗るのは作品を創るうえで大変大事なことだが、気だけでは何ともならない最右翼が写真なのではないかと思っている。

 駐車場に車を止め(ここは午後5時になると管理人がいなくなるので、5時以降に戻れば無料となる。したがって、5時までは真冬であっても経済観念の発達した人は駐車場に戻ってはいけない。ぼくの経済観念は非常に劣っており、ただ貧乏なだけだ)。
 大通り沿い(例幣使街道)を歩く。勘に頼って横道に立ち入ることもある。幾度通った道も、天気や季節、光が変わればまったく異なった佇まいや装いを見せてくれ、思わぬ発見をしたりもする。「何で今まで気づかなかったのだろう?」と感じた時の高揚感、ワクワク感は何ものにも替え難い。
 ところで夏の盛りはどうだったのだろうかと、ぼくは地団駄を踏み鳴らすのだ。

http://www.amatias.com/bbs/30/466.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
行く度に気になり撮ってはいたものの、どうしても描いたイメージに撮れなかった。今までで、一番それらしく撮れたもののベストとはいかなかった。
絞りf8.0、1/400秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」
脚立になまこ板。一体何屋さんなのか窺うも、得体知れず。「何となく面白いなぁ」と思いつつ、何となく1枚だけいただく。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2019/10/04(金)
第465回:ある演奏会で
 先週ある演奏会に赴いた。この合唱団は秋に年一度の定期公演を催しているが、ぼくにとって大変心地の良い演奏を聴かせてくれる。中学時代の同窓生のご両親(すでに故人となられた)が音楽家で、お二人に指導を受けた方々が、ご両親の音楽とお人柄を慕い合唱団を創設し、年に一度素晴らしい歌声を響かせてくれるのだ。
 今年は40回目を迎え、団員も高齢化が進み、最後の演奏会となった。ぼくにとって、年一度の楽しみがひとつ失われたことは、残念至極といったところである。

 大学時代、お父上(同窓生だった娘御さんのお父さんで声楽家)に浦和のレストランで海老フライをご馳走になったことがある。経緯は定かではないのだが、演奏会に連れて行ってもらい、その帰りだったような気がする。二人だけだった。
 緊張のあまり粗相をしでかしてはいけないと自身に言い聞かせた。「行儀を意識して食事をするのはこれ程にまで大変なことなのか」と、学生のぼくは改めて感じたものだった。テーブルに敷かれた真っ白なクロスの一点を凝視しながら、決して失儀があってはならないと身体をこれ以上になく硬くし、かしこまっていた。まるで厳粛な儀式に臨むようにも思え、一挙手一投足にまで気を配らなければならなかった。ぼくにもこんな時代があったのだ。
 この状況を指し、「決死の覚悟」という。あるいはまた、「断頭台への行進」(ベルリオーズ作「幻想交響曲」。因みにこの交響曲、ぼくは好きではない)から「ワルプルギスの夜の夢」(同)に至るが如し。

 ぼくの親父は、行儀作法には極めて厳しかったのだが、大学生のぼくには、時代も手伝ってか、大人と同じテーブルに、しかも一対一で食事をするというのは、やはり大ごとであり、荷が勝ちすぎて海老フライを味わう余裕などあるはずもなかった。しかしこれも大人に至る大切な関所と心得、ぼくは痛々しくも覚悟を決めた。関所破りは、 “男一世一代” の大仕事でもあった。
 大仕事を前にすっかり萎縮していたやさ男は、萎縮した分海老フライが3倍ほど大きく膨張して見え、いくらフォークとナイフを操っても一向に小さくならなかった。そんな思いが、あれから半世紀を経た今、生々しく蘇ってくる。ぼくはこんにちまで、海老フライを前にすると、思わず身を正し、ただならぬ緊張感に襲われるのだ。終生、海老フライの呪縛から解き放たれることはないだろう。

 お母さん(娘御さんのご母堂で、やはり声楽家)は、遊びに行くといつも紅茶とショートケーキ(今のように洋菓子やケーキをスイーツ呼ばわりしない時代だった)をご馳走してくださった。ぼくにしてみれば、当時にしてショートケーキを常備してあるとても摩訶不思議な家だった。そういえば、娘御さん(以下、Kちゃん)は、両親を「パパ、ママ」と呼んでいた。「と〜ちゃん、か〜ちゃん」でも「おとぉ〜、おかぁ〜」でもないのである。因みに我が家の娘は、誰に対してでもぼくを「てつろうくん」と呼ぶ。

 お母さんの前でぼくは “男一世一代” を演じる必要はなく、母親に甘える(ぼくには経験がない)ような気持でいろいろな話をした。お母さんが話し相手になってくださる時は、中学時代の同窓生であり、大学の同期生でもあったKちゃんが不在の時だった。
 ぼくはよくお母さんに「この話、Kちゃんにはしないでくださいね」と懇願したものだ。お母さんは「分かったわ。Kにはいわないでおきましょ。でも、かめさん、ダメよ!」と、これ以上ない優しい目でぼくにお目玉を与えた。定期的にお目玉を頂戴したぼくは、それを嬉しく感じ、病みつきとなり、敢えてKちゃんのいない時間帯を狙って訪れた経験が2度ばかりある。50年以上経った今、もうこの話は時効だろう。

 大学時代、学校近くの喫茶店でKちゃんとお茶をしたことがあった。ケーキといえばショートケーキしか知らないぼくに向かって、Kちゃんはこれ見よがしに「あたし、モンブラン」と注文した。そこには「あんた、知らないでしょ。食べたことないでしょ」と、ぼくを未開人扱いしたくて仕方がない彼女の心胆が渦巻いていたように思う。その時、モンブランを目の当たりにして、ぼくは思わず「焼きそばみたいだな」と迂闊にもいってしまったのだ。あの時の、Kちゃんの目つきは、母親に似ず、実に冷ややかなものだった。
 今現在、ぼくは彼女(夫君も同窓生で、ぼくとも仲が良い)の家を訪れるたびに、頑なにモンブランを持参することにしている。だがしかし、モンブラン娘のぼくに対する野卑人間扱いは今でも止むことがないし、これからもずっとそうだろう。
 
 え〜っと、写真の話なんだけれど、前述した演奏会に、ありし日のご夫妻の二重唱がCDにより流された。あまりの素晴らしさにぼくは涙を禁じ得なかった。
 合唱団の指揮者であるKiさんが挨拶され、ご夫妻の二重唱の素晴らしさについて、「まさにお人柄や人格が音楽に反映されており、演奏が感動的であるのはその表れである」といわれた。
 ぼくは客席で、涙と鼻水を拭いながら「写真もまったく同じ」と共感と快哉を叫んだ。「写真に限らず、作品とは全人格の投影」との信念を、ぼくはいつも自戒の念を込めていう。
 この合唱団の心地良さは、技術や音楽性はもちろんのことなのだが、「聴衆に聴かせてやろう」との意識をほとんど感じさせないからだと思う。それはきっと直截な人間のみが成せる業ではないだろうか。
 写真も「見せてやろう」と感じさせるものは、どこかあざとさがあるものだ。作品が「どうだ、見ろ!」という。「来場者におもねる」こと、「媚びを売る」ことほど醜いことはないが、巷にはその類があまりにも多く、しかも幅を利かせ闊歩している。人々の多くは、あろうことか、そのようなものに喝采を送ってしまうのだ。 

 ある日、車の運転席から何十年ぶりにお母さんを見かけた。ぼくは運転席の窓を下げ、首を出し「おばさん、おれだおれだ!」と叫んだ。こんな邪気のない(乱暴で無礼なだけ?)直截な男はやはり未開人であり、蛮族なのであろうか?

http://www.amatias.com/bbs/30/465.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF11-24mm F4L USM。
茨城県古河市。

★「01古河市」
古河市地域交流センター・はなももプラザに置かれている屋台。享保14年(1729年)に製作された。実物は色彩豊かだが、ぼくにはこのように見えた。 
絞りf6.3、1/20秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02古河市」
屋台の裏正面。人がひとりやっと通れるほどの空間から、背中を大きな窓ガラスに押しつけ11mmの超広角で。外光が手伝ってくれたのが幸運だった。
絞りf9.0、1/25秒、ISO200、露出補正-1.00。 

(文:亀山哲郎)

2019/09/27(金)
第464回:スマホ写真(やっぱり最終回とはいかなかった)
 前号にて「スマホ写真(最終回)」と、ぼくにしては男らしく見得を切ったものの、デジタルカメラ(フィルムも同様)に於ける画素数(フィルムなら粒子)とイメージセンサー(フィルムの受光面)の大きさのどちらが画質により大きな影響を及ぼすかについて、上手く説明できたのだろうかと、ぼく本来の心配性が祟って、目下不安な気持に襲われている。説明に過不足のあることが分かっているので、なおさらの感ありというところだ。 
 もっともぼくは、読者諸兄が混乱を来すような書き方が好きなのだが、物事を論理的に解説するとなると話は別で、そ〜ゆ〜のは本来苦手な部類に入る。だから論理的な話はホント、あまりしたくないのだ。第一、論理的な話って可愛げないし、つまらないもんね。なので今回は論理的な話はできるだけ避けようと思っている。

 「画質」とは主観的な要素が多く含まれるので、一概にこうだと決めつけるわけにもいかず、なかなかに悩ましい。ぼくの所有するiPhone 8 の画質を指して、かなりネガティブな感想を述べたが(ネット界隈に於ける評価が、比較的良好であることは知っている)、このことはもともと「無いものねだり」を十分承知の上で述べたもので、著しく公平さを欠く評価であることもよく自覚している。そもそも、イメージセンサーの大きさが異なるものを、同じ土俵で比較などしてはいけないのだ。それは極めて非論理的というものである。
 しかし、このことは実体験(前号で述べた小型カメラと大型カメラの実際比較)を何度も重ねないと、「身につまされる」ものではないし、公言する自信も生まれない。職業写真屋が耳学問に頼ってはいけない。
 公平な比較とは、最低限でも、イメージセンサー(画素数ではない)の大きさが同じとの条件でなければならない。「画素数」がまったく無関係とはいわないが、イメージセンサーの大きさが同様との条件が伴わなければ、画素数を論じてもあまり意味のあることではない。軽量級のボクサーが、いくら手数の多い強者でも、重量級のボクサーには歯が立たないのと同じことだ。

 スマホ写真について公平な見解を示しておけば、構図を除いて、誰がどう撮っても、とにかく「賢く写る」ということだ。否、「写ってしまう」のだ。これは兎にも角にも凄いことだ! こんなことがあって果たして良いものだろか? いやぁ〜、天地神明に誓って、良いはずがないじゃないか! と写真原始人のぼくは、せっかくなのでここで思わず本心を明かしておく。
 ぼくのような古いタイプの愛好家には、「押せば写っちゃう」というのは、まさに驚心動魄、天孫降臨、驚き桃の木山椒の木である。現代人はますます阿呆になり、原始人はただただ狼狽え、血迷うばかりだ。

 もともと、フィルム写真に比べればデジタル写真は良い意味でも悪い意味でも現代文明の落とし子である。お手軽の手間要らずなのだが、何度もいうように「写真の良否は機材に依存しない」のがぼくの持論なので、極論すればスマホで一世一代の傑作をものにすることはもちろん可能だ。
 だが、「写真は絶対まぐれでは撮れない」のと「写真に於ける最難関のひとつである “構図” は、スマホがいくら優れものであっても、上手に取り計らってはくれない。こればかりは逃げようがない」。ここに原始人の知恵の躍動が残されているのである。
 今これを書きながらふと思ったのだが、ぼくが手軽で賢いスマホを好んで使用しないのは(不慣れゆえ、かえって面倒と感じる面もあるのだが)、画質云々より知恵の効かせどころがないからなのだろうと思う。人間は、ロボットとは比較にならぬほどの知恵と経験値を有しているが、得手不得手の分別をわきまえれば、自ずと賢い使い分けができるものだと考える。ロボットと異なり、「頭は生きているうちに使え」とは、よく親父にいわれた言葉だ。

 フィルム時代の愛好家は「何故写真が写るのか?」との理屈を知らなければ、写真を撮れなかった。シャッタースピード、絞り、ISO感度(当時はISOでなく、ASAで表示された)の三つ巴(みつどもえ。勢力や力関係がほぼ同等の三者が入り乱れて争うこと。ここでは三者の相関関係を指す)を把握していなければ、露出オーバー、アンダーのオンパレードだった。カメラに今のように露出計が内蔵されておらず、単体露出計を使用したものだ。
 いろいろな意味で原始的ではあったが、そこに創意工夫という非常に人間的な振る舞いがあり、否が応でもそれが写真に色濃く反映されたものだ。
 そして、最も深刻な問題はシャッターを1度切るごとに、タクシーメーターよろしく、カメラが「チーン」と音を立てて(嘘です)、値が嵩上げされることだった。したがって、露出、ピント、ブレには細心の注意を払いながら、まるで儀式を執り行うが如く、恐る恐るシャッターを、しかし厳かに押したものだ。全員が緊張感に包まれ、Vサインなどするマヌケが出現する隙を与えなかった。

 「さぁ撮るぞ」という心構えは個人的な問題で、その差異も大きいが、風景写真などを撮るに際しての、大型カメラが醸す得も言われぬある種の精神的レジスタンス( “抵抗” とでもいうのかな)は、仕事であっても宗教的な感覚を覚えるものだ。おおよそVサインなどとは無縁の世界が厳然としてそこにある。
 近未来、デジタルのフルサイズは、感覚的にフィルム時代の大型カメラに取って代わるのだろうか? 日進月歩の科学は、スマホカメラをフルサイズのクオリティにまで導くのだろうかとぼくは興味津々だ。重いカメラに日々うんざりさせられているぼくにとって、その日が来るまでしぶとく生き長らえてやろうと思う今日この頃。

http://www.amatias.com/bbs/30/464.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM + PLフィルター。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
誰が見ても「きれいな写真」などと邪な!? 思いを抱くのはぼくらしくない。正直に、感じたままを撮ることこそ大切なことと言い聞かせて。
絞りf8.0、1/200秒、ISO100、露出補正ノーマル。

★「02栃木市」
なまこ板に囲まれた広い駐車場。過去何度も通った所だが、やっと陰がそれらしく壁に映ってくれた。
絞りf7.1、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2019/09/20(金)
第463回:スマホ写真(最終回)
 4 x 5インチ(通称 “シノゴ” )大型カメラを購入し、馴染みの店で4本のレンズをテストのために借用した。この店の大番頭は事あるごとにぼくのような若造にいつも便宜を図ってくれた。品定めに迷っていると「持ち帰って、じっくりテストしなよ」といってくれ、ぼくは大いに助けられた。そのお礼に、テスト結果を詳細に伝えていた。
 彼の好意と恩義は終生忘れ得ぬものだ。その店はブランド品の中古も扱っており、ぼくはよく「こんな物、一体どこで見つけてきたの?」と訊ねたものだ。彼は鼻をうごめかしながら、「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)さ」が常套句で、出所を明かすことはなかった。もうとっくに定年退職をされ、今どうしておられるのだろうかと、ぼくは時折彼に思いを馳せる。

 テストのために借用したレンズは4 x 5インチカメラの標準レンズに近い210mmだった。大型カメラ用レンズは、国産(ニコンとフジ)と海外製(シュナイダーとローデンシュトック。どちらもドイツ製)取り混ぜて、入念なテストを約2週間かけて行った。40数年前のことだ。
 どのレンズも甲乙付けがたいほど優秀だったが、発色や雰囲気なども含めて、ぼくの好みに最も合ったのはローデンシュトック製(Rodenstock。日本では “ローデンストック” とも)のものだった。店の大番頭にいわせると、「プロの間ではシュナイダー製が定番」とのことだった。ぼくは当時まだアマチュアだったが、科学では解明できないであろうローデンシュトック製レンズの醸す “雰囲気” に惹かれた。
 余談だが、40年以上も前に、ぼくはシュナイダー製のルーペやローデンシュトック製の眼鏡を使用し、その秀逸さに瞠目したものだ。
 それはさておき、大型カメラで撮られたフィルムをルーペで初めて覗き込んだ時、その解像度の悪さに肝を冷やしたと前号で述べたが、この原因についてぼくは専門家(メーカーの技術者)に問うことなく、自己診断をした。恐らく、「当たらずとも遠からず」であろうと思ったからだ。

 写真を撮るほとんどの人たち(好事家も記念写真派の人々も)が使用していたフィルムは(過去形で書くのは正しくないが、今はデジタル全盛なので取り敢えず)、画像の写る範囲が24 x 36mm(デジタルカメラでは、この大きさのイメージセンサーを “フルサイズ” と称す)が大半で、これを小型カメラと称していた。フィルムは、「135フィルム」と呼ばれる。

 スナップ写真には大変利のある小型カメラなのだが、このサイズに物足りなさを感じた写真愛好家たち(主に風景写真を好んで撮る人々)は、こぞってブローニーフィルム(120フィルム)を使用する中判カメラ(主に6 x 4.5 cm、 6 x 6 cm、6 x 7 cmなど)にある種の思いを託すようになるものだ。出来る限り微細な部分まで遜色なく写し取り、それを印画紙上に投影したいと願うのは、写真愛好家の本能的な要求ではあるまいか。ぼくもその手合いだった。
 中判カメラへの憧れは畢竟、画像を写し取るフィルム面積が広くなればなるほど、解像度やグラデーションの豊かさに恵まれるということを、理論的に、もしくは体験上、誰もが自ずと知っていたからであろう。

 かなり偏執狂的なテスト魔であったぼくは、以下のような実験を大型カメラ購入時にしたことがある。最近こそ、テスト魔の陰は薄れたが、可能な限り科学的かつ客観的な論拠を求めたいとの心情は変わっていない。
 実験は、小型カメラ(ライカM4にズミクロン50mmレンズ。撮影絞り値はf 8.0)に極微粒子フィルム(コダック社のテクニカルパンをISO 5で。パナトミックXをISO16で使用)を入れ、4 x 5インチの大型カメラ(撮影絞り値はf 32.0)には、コダック社のプラス-X(ISO64で使用)とトライ-X(ISO160で使用)を用い、平面と立体物を何通りか撮影した。
 印画紙に投影された被写体のある部分が、双方同じ大きさになるように引き伸ばしてみるとその違いは一目瞭然、圧倒的な差で大型カメラに軍配が上がった。

 前号の最終行に書いた「ところがである・・・」とはこれを指している。大型カメラのレンズは解像度より各種の収差除去に重点が置かれ(面積が広いので多少解像度を犠牲にしても影響が少ないと思われる)、小型カメラのレンズは解像度を最優先して設計されているのではないかというのが、ぼくの自己診断というか見立てである。また、大型カメラ用フィルムはベースが厚く、ベース内で光が拡散するので、なおさら解像度を損なうのではないかと思う。
 いくら極微粒子フィルムを使い、当時最高の描写力を誇ったライカの純正レンズでさえ、大型カメラの解像度には上記した条件下では、とても太刀打ちできないという事実をぼくは知った。

 このことはそっくりデジタルに当てはまると考えている。つまり、画素数はフィルムでいうところの粒子の細かさであり、如何に画素数が多くとも、イメージセンサーの大きさには敵わないということだ。
 かつて、APS-Hサイズ(フルサイズとAPS-Cサイズの中間くらい。19.1 x 28.7mm)、820万画素で撮ったデータをA2より二回りほど大きくプリントしたことがあったが、820万画素という控え目な画素数にも関わらず、ビクともしなかった覚えがある。これは間違いなくAPS-Hサイズの御利益である。
 画素数の多さが画質に影響を及ぼすという説は、半分は事実であり、半分は嘘である。それよりもイメージセンサーの大きさの方がずっと大きな影響を与える。

 さて、肝心の「スマホ写真」がどこかへ行ってしまったけれど、スマホカメラは、記録や記念写真には打って付けの文明の利器で、誰でもが容易くSNSなどに発信できる。これほどの有用性を示す素材も珍しい。一昔前には想像すらできないことだった。
 物事は表裏一体をなすものが最も好ましいのだが、「あちらを立てればこちらが立たず」というのが自然の摂理というものだ。この摂理を、適宜ポケットから出し入れできるのが現代に生きる人々の嬉しくも由々しい事情なのではあるまいか。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF35mm F1.4L USM。Apple iPhone 8。
栃木県栃木市。埼玉県さいたま市。

★「01栃木市」
古〜い古〜い自転車屋さん。由緒ある「ツノダ自転車」に敬意を表して。
絞りf8.0、1/160秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02さいたま市・スマホ」
夜11時過ぎ。呑みに行ったことはないのだが、地元にこのようなものが残っているとは、なんだか嬉しい。何の意識もせずに、1/4秒で撮れちゃうって凄い!
補整は一切していません。
EXIF情報によると、絞りf1.8、1/4秒、ISO320、露出補正なし。焦点距離4mm。 

(文:亀山哲郎)

2019/09/13(金)
第462回:スマホ写真(2)
 画質の良し悪しは、画素数よりイメージセンサー(撮像素子)の大きさに起因するということを、今回と次号にて、ぼくの体験を踏まえてお話ししたい。

 前号にて、ぼくはスマホ写真(ぼくのスマホはiPhone 8)の “画質” についてかなり否定的な意見を述べた。他の人はいざ知らず、イメージを追求しながら作品を仕上げる過程に於いて、画質は無視することのできない重要な要素だとぼくは捉えている。それは若い頃からの、ぼくの信念でもあった。そんなぼくにとって、スマホ写真の画質はどうにも我慢ならないものであるといわざるを得ない。許容範囲をかなり逸脱しているといってもいいだろう。
 何故スマホ写真の画質が悪いのか、その要因については、「物理的に考えれば(イメージセンサーの大きさを考慮すれば)画質のお粗末さは言わずもがな」とも述べた。何事もメリットとデメリットは常に共存し、デメリットばかりを強調するのは理知的かつ公平であるとは言い難いので、メリットについては次号で取り上げようと思う。依怙贔屓(えこひいき)なる一方通行は訴求力に欠けるとの事実もあるしね。

 喩えは飛躍するが、ペットとして飼われている家猫(ここではスマホカメラ)に、ライオンや虎(フルサイズやAPS-Cサイズのカメラ)の強さや風格を同じ土俵で比較し、口角泡を飛ばしながらの議論はいささか暴挙であり、理にも背き、あまり賢いこととは思えない。
 動植物がこの世に生まれ出ずることは、自然の摂理に適っており、確かな利があるからこそのことだ。またそれは神の思し召しでもあろう。スマホだって同様ではあるまいか、とここでぼくは逃げ口上といわれないように、一応の自己弁護をしておかなければならない。したがって、スマホの利点を度外視して、画質が悪いからダメだと一方的に断じることは、間違っている。利便性を無視したところでの議論は、一種の「無い物ねだり」をしていることに等しい。

 何故、画素数よりイメージセンサーの大きさが画質に影響を及ぼすかについて、今回はいつにも増して真面目に(いつも大真面目であるつもりなのだが)述べてみたい。たまにはしおらしく「写真よもやま話」らしいことを書いてみようと思う。けれど、あまり面白くはないよ、とのおことわりをしておこう。

 話は遡ること何十年も昔のこと。20代の後半だったと記憶するが、アンセル・アダムス(米の風景写真家。1902~84年)のオリジナルプリントを新宿の小田急百貨店で初めて観た。その時の衝撃は生涯忘れ得ぬものとなり、その作品群は今もぼくの心に深く刻印されている。
 代表作『月とハーフドーム』は神の啓示を思わせ、ぼくにとってJ. S. バッハの『マタイ受難曲』のようなものだが、それよりも詩情豊かな『ヘルナンデスの月の出』がぼくの一番のお気に入りで、それはベートーヴェンの交響曲のような人間臭さを併せ持っており、30分以上身じろぎもせず魅入っていたことを今以て鮮明に覚えている。
 アダムスを観る少し前に、やはり米国のジョージア・オキーフ(米の女性画家。1887~1986年)の絵に接し、深い感銘を受けたばかりだった。2人の偉大な芸術家の作品を立て続けに鑑賞し、悶々とした日々から一時の解放を得たものだった。

 アダムスの作品はモノクロ写真の美しさを端的に表しており、その画調は解像度も然ることながら精緻そのものであり、またグラデーションの緻密さと豊かさも特筆すべきものだった。トーンの美しさは、神懸かりとさえ思えた。
 すべての作品が大型カメラ(一般的には、フィルムサイズが4 x 5インチ〜8 x 10インチのカメラを指す。8 x 10インチは203.2 x 254mm。ちなみにぼくのスマホは3.6 x 4.8 mm。フルサイズは24 x 36mm)で撮影されており、大伸ばしに印画された写真は、まさに驚天動地だった。「このようなものが世の中にあるのか」との思いは、決して大仰な表現ではない。
 露出、フィルム現像、印画紙現像などの作法(処方)は、アダムスの開発したゾーンシステム(以前に述べたことがあるので割愛)によるもので、ぼくは小田急百貨店で大型カメラの虜になってしまった。「目から鱗が落ちる」とはこのようなことをいうのだろう。

 鱗の落ちたぼくは、まだアマチュアだったが、時を置かず、早速4 x 5インチカメラを購入した。アメリカから大型フィルム用の引き伸ばし機(日本製の散光式引き伸ばし機は存在しなかった)も取り寄せ、ゾーンシステム修得のため毎夜暗室に入り浸ったものだ。否、正確にいうのなら、ゾーンシステムを学ぶためには、どうしても大型カメラが必要だったということだ。

 初めて撮影したネガフィルムを自作のライトボックスに置き、期待に胸を膨らませルーペで見た時に、ぼくは体中から血の気が引いたことを昨日のことのように思い出す。目眩を覚えたほどだった。
 普段35mmや6 x 6 cmネガを見慣れていたぼくは、4 x 5インチカメラで撮られたネガの解像度の悪さに唖然としてしまった。「え〜っ! なんじゃこれは ! ピンが来てないじゃないか! どうして!」と、ビックリマーク満載の雄叫びをあげたほどだった。
 ところがである・・・。と、もったいぶって次号に続く。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF11-24mm F4L USM。Apple iPhone 8。
埼玉県加須市。京都府京都市。

★「01加須市」
壁面が90度でない奇妙な形の家を見つけ、カメラを構える。逆光ゆえ、ゴーストやフレアの出ないアングルを慎重に選ぶ。
絞りf11.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02京都市・スマホ」
今年3月、義母の四十九日に。周りの婦女子たちが出される料理をスマホで撮っているのを見て、ぼくもスマホで彼女たちに負けじと撮る。補整など一切なしの撮ったまま。
EXIF情報によると、絞りf1.8、1/15秒、ISO80、露出補正なし。焦点距離4mm。 

(文:亀山哲郎)

2019/09/06(金)
第461回:スマホ写真(1)
 去年8月、長年愛用したガラケーの具合が悪くなり浦和にある販売店に出向いた。店員によるとぼくは30年間も携帯電話を使用しているのだそうだ。その間、何台ものガラケーを使い、今回も大方の人たちが使用しているスマホではなく、再び新しいガラケーを調達するつもりでいた。
 
 店員の話では、ガラケーの先行きを勘案すれば、この際スマホに切り替えてはどうかとのことだった。ポイントも盛大に溜まり、特典もあるのでそれを利用すればiPhoneをほぼ無料で購入できるとの甘言でぼくを釣ってきた。
 普段、MacとiPadを愛用しているので、スマホを買うのであればiPhoneと決めていたが、「高いなぁ」というのが実感だった。今直ちにiPhoneを手にしなければとの必然性は感じていなかったが、ポイントと特典のおかげで、ぼくの気持は揺れ動いた。
 いずれスマホを使用しなければならない羽目に陥ると思っていた矢先のことだったので、上目遣いで揉み手をする店員の思う壺にはまることにした。ぼくは勇躍「飛んで火に入る夏の虫」となった。虫となってから、今月でちょうど丸1年を迎える。

 30年来の携帯使用者であることに思いも至らなかったが(へぇ、そんなに経つのかと感無量ではあったが)、まだ携帯電話がそれほど一般化していない時期からぼくは利用していた。それを購入するのに大枚を叩いた記憶がある。携帯電話の購入は「新しい物好き」が高じてのことではなく、フリーランスという立場上、仕事に差し障りが出ては死活問題となる。
 当時は通話料も高く、電話をかける時は携帯電話を使わず、わざわざ公衆電話を探し、10円玉を何枚か用意して、というへんてこりんなことをしていた。そのような使い方をしていたのはぼくばかりでなく、いわば平民?の常識でもあった。携帯電話はもっぱら受信専用に使われていたといってもいいくらいだった。電池の持ちも悪く、車のシガーライターから電源を取っていた。ぼくはそんな時代からの愛用者だった。

 何故そんな早い時期から携帯電話を使用したかというと、前述の如くフリーランスのカメラマンにとって「連絡が取れない」というのは、仕事相手に迷惑をかけるということもあったが、それより深刻なことは仕事を逃すことにつながるかも知れないと思ったからだ。「いつでも連絡が取れる」ということは、フリーランスの人間にとって営業上の大きな利点と考えた。特にぼくのように営業をしないカメラマンにとってはなおさらのことだった。大枚などすぐに元が取れると踏んでいた。
 自宅にはほとんどいなかったので、クライアントからよく「かめさんはなかなか連絡が取れず困ったものだ」といわれた。そんな事情もあって、出先から日に3度は自宅に「どこからか連絡なかった?」との電話を入れたものだ。この精神的な負担から解放されるには、携帯電話は持ってこいのツールだった。

 今この時代に携帯電話(ガラケーであれ、スマホであれ)を持っていない人を指してぼくは衷心より、「真の文化的生活者」とか「精神生活を重んじる人」として高く評価している。このことはもちろん皮肉でも何でもない。
 スマホ如きに生活の多くを占領され、振り回され、無批判に服従している現代人はつくづくみっともないと思っている。ヘソの曲がったぼくは、「そのような時代なのだから」を大義名分にしたくはない。大切なものを見境なく失っていることに気がつかないでいる多くの人々がいるだけだ。だからぼくは人前でスマホを必要以上に操作したりすることは厳に謹むことにしている。会話中にスマホを取り出したりすることに抵抗を覚えない人は極めて鈍感であり、頭脳の麻痺した阿呆であるとさえ思っている。

 心情的スマホ論をまだまだ続けたいのだが、それでは本題に入れないので泣く泣く難しい「スマホ写真」について述べてみたい。やっと写真の話だ。

 購入後1週間、スマホをポケットに入れているだけで、一種の写真的安心感を得られるに違いないとぼくは考えていた。いつどのような光景に出会ってもそれを逃すことなく捉えることができるとの勘違い的安心感だった。カメラ(一眼レフであれ、コンパクトカメラであれ)を持ち歩くことを考えれば、ここでも精神的・肉体的負担から解放されるとぼくは浅はかにも思い込んだ。
 しかし、ぼくの思い込みは無念至極、1週間で吹き飛んでしまった。スマホで撮った画像をPhotoshopに移し、PCのモニターで見た途端にぼくの期待と希望は雲散霧消、儚くも崩れ、無残にも打ち砕かれた。物理的に考えれば(イメージセンサーの大きさを考慮すれば)画質のお粗末さは言わずもがなのだが、期待が大きかっただけに落胆もそれに比例した。おまけに画質劣化の代表選手であるシャープネス(劇薬)までかかっている。「余計なことをするな!」と思わずつぶやいてしまったほどだ。

 拙稿で何度か触れたことがあるが、「写真の良し悪しは撮影機材に依拠するものではない」という考えは今も変わらないが、少なくともスマホカメラでイメージを追いかけることはぼくにとって不向きであるとの結論に至った。あまりにも画質が粗雑すぎるのだ。著しくデリカシーに欠ける。
 何を以てして画質の良否を論じるかは個人や目的により異なることは百も承知だが、プロの看板を背負って作品づくりをするにしては、融通が利かなすぎて、どうしても役不足の感が否めない。思慮分別のないロボットのようなものだから、ぼくにとってスマホはカメラの代用品にはならないことを悟った。

 次回は、スマホの優位性と役不足について思いつくままに、余計な枕なしに語ってみようと思っている。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF35mm F1.4L USM。
栃木県栃木市。

★「01栃木市」
変色しかかったポスターに夕陽がバランス良く当たる。単レンズの使い心地はやはり小気味いい。
絞りf8.0、1/100秒、ISO100、露出補正ノーマル。

★「02栃木市」
薄暗いショーウィンドウに何故かひとつだけ腕時計が置かれていた。
絞りf4.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2019/08/30(金)
第460回:吃音は写真向き?
 近頃、ぼくは会話することにひどく自信を失いつつある。先週も数人の友人たち(何故か全員が写真に意欲的な妙齢のご婦人方だった)と馴染みの居酒屋で酒を酌み交わしながら、様々な話題について熱っぽく語り合った。
 他人より2.5倍ほど自己顕示欲に勝っている(自他共に許すところだが)ぼくは、身振り手振りよろしく、写真を含めていろいろな議題や質問について自分の考えを伝えようと口角泡を飛ばしたのだが、帰宅しそれを反芻(はんすう)してみると、ほとんどの事柄について中途半端の尻切れトンボに終始していたことを悟り愕然としてしまった。
 伝えたいことのほとんどが結論に辿り着かず、結果として途中で放棄しているような話し方であることに気づいた。放棄というより寄り道が多すぎて話の本筋を見失い、迷い子のようになったというべきか。放棄に至った理由は意図したものではなく、話の手順を誤ったからだった。
 因って、ぼくの熱弁は全体何だったのだろうかと悲嘆に暮れてしまったのである。徒労に帰してしまったかも知れないと思うと、虚しい限りだ。この頃、そのようなことが頻発するようになった。

 何故そうなってしまったのかを自分なりに紐解き、分析してみると、容易に原因を突き止めることができるのだから、情けなさとともに自己嫌悪に陥ってしまう。分かっているのなら、修正すればいいではないかといってはみるものの、それが思うに任せないところに、今のぼくの危うさがある。

 原因の第一は、ぼくは非常にせっかちであるということだ。そうであるがために思考と言葉の歯車が噛み合わないという不都合に見舞われてしまう。頭ばかりが先行し言葉がついていかない。このようなことはぼくに限らず誰にでも起こり得ることなのだろうが、ぼくはそのズレが甚だしいのだ。ズレによって生じるもどかしさは、筋道を立てて手順良く話を進めるということに障害をもたらし、またそれを大きく妨害する。
 いろいろな議題について、ぼくのなかではすでに結論を導いているのに、いきなりそれを語っても相手に理解されないのではないかとの不安にいつもつきまとわれる。ぼくはこれでも結構な心配性だから、遠回しにいろいろ配慮を示し、懸念を抱きすぎるのだろう。つまり相手の心情やら理解力をいたずらに斟酌してしまうので、本来のせっかちさに要らぬブレーキがかかってしまい、自分の位置(話の中核)を見失ってしまうのだろうと思う。

 第二に、ある事柄を説明するために他のことを引き合いに出しすぎて、元に戻れなくなってしまうということ。根が親切だから主旨から枝葉が伸びすぎて、話があらぬ方向に進み、目標を見失ってしまうのだ。瞬間的健忘症に罹り、来た道がわからなくなってしまうというかなり絶望的な様相を呈す。そんな時、ぼくはここでも迷い子のような心細さを味わう。
 「え〜っと、ぼく、何のために今この話をしているんだっけ?」と相手に問うこと非常にしばしば。先日はそれを連発していた。おまけに、そのようなときに限って、肝心の固有名詞が出て来ないため、すべてを代名詞で賄おうとするから、話が余計にこんがらがってくる。曰く「あれが。これが。それが。分かるよね」。何故か、みなさん分かったような顔をするから嫌になる。

 余談だが、ぼくは軽度ではあるが、子供の頃から吃音(きつおん。どもりの意)だった。今以てそうだ。もしかしたら頭と言葉のズレによるストレスから吃音が生じているのかも知れないと思っている。多くの人がぼくの吃音に気がつかないでいるのは、「どもる」と感じた時に、咄嗟にどもらない語彙にすり替えてしまうからだ。ぼくはすり替えの名手でもある。人前でどもることが恥ずかしいという心理状態が「瞬時すり替え」という奇手を放つに至ったのだろう。
 この裏技を使えないのは固有名詞であり、当然すり替えができないので、そんな時は黙りこくるか、深呼吸をして一拍おくしかない。しかし電話はそんな悠長な心理状態と時間を許してはくれず、したがって妙な沈黙が流れてしまう。相手は、言葉が出ないでもがいているぼくのことなど知るよしもなく、ぼくは申し訳なさとともに気まずさを感じ、だからこの歳になっても電話はどうにも苦手である。
 子供の頃は当然のことながら語彙の持ち合わせが貧弱なので、沈黙を余儀なくされた。今誰とでも気楽におしゃべりできるのはその時の反動なのかな? 因みに、我が家系は親子三代(父、ぼく、息子。ついでながら嫁も子供の頃はかなりの吃音だったらしいが、歳とともに逞しさを増し、今はその片鱗さえない)にわたり、程度の差こそあれ皆吃音である。吃音って、遺伝するものなのだろうか。

 知り合いの心理学者によると、「しゃべれる方が不思議なことで、特に顔の見えない電話はなおさらのこと。吃音者が電話を苦手とするのは当たり前。他の分野よりクリエーターや職人などは吃音者の比率が高いんです。だからかめやまさんは写真に向いているんだよ」とのことだった。何の気休めにもならないけれど。
 そのような目で周りを見渡すと、確かにそんな気がする。否定できない何かがあるように思えてならない。ぼくは父方の祖父には会ったことがないのだが(ぼくの出生前に亡くなっていたので)、父の話によると彫刻家だった。高村光雲らとともに東京美術学校(現東京芸術大学)の創設に尽力し、そこの第一期生となった。手の腱を切断してしまい彫刻を断念したと聞く。その後、明治天皇の勅任官として美術品の発掘や鑑定のため全国を放浪していたらしい。良い身分であったとのこと。
  
 今、祖父も吃音者であったのかどうかを父に聞き損ねたことを、返す返すも無念に思っている。今回は、余談が本題となってしまったけれど、ぼくはやはりすり替えが好きらしい。

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カメラ:EOS-1DsIII。レンズ:EF50mm F1.8II。EF11-24mm F4L USM。
茨城県つくば市、埼玉県加須市。

★「01つくば市」
前回掲載した神郡に行く途上、車窓からどうってことのない風景なのだが妙に心に響いた。
絞りf13.0、1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02加須市」
ガラス越しにバーの店内を。逆光となる太陽が様々なフレアやゴーストを演出してくれた。椅子と同系色のフレアが、「写真にするとどうなる?」と思いながら興味津々でシャッターを押してみた。
絞りf10.0、1/20秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2019/08/23(金)
第459回:暑くて写真が撮れない!
 お盆休みの間に、溜まりに溜まった用件を少しずつ片付けつつも、その間に何か有益なことをしたかといえば、何もしていない。もちろん、あまりの熱暑ゆえ写真を撮りに出かけることもしなかった。 “しなかった” のではなく、 “できなかった” 。写真愛好家の大方がそうであったに違いないと想像している。

 ぼくはジジィらしく殊勝にも異常な暑さによる体調の異変を警戒しつつ、思い通り撮影に行けないことを、歯ぎしりしながら天を恨んでいた。老体の身で、こんな熱暑のなか表に飛び出し、動き回ることは無謀の極みだし、ましてや重いカメラを振り回し、我を忘れて、滴る汗を拭いながら被写体と対峙することになる。恐らくぼくはいつものように「オレだけは大丈夫」を呪文のように唱え、歳を顧みず無茶をしてしまうに違いない。もう「大丈夫じゃない」のだ。
 そのような「賢い懸念」により、撮影は中断を余儀なくされた。蛮勇をふるえば、過信による熱中症に冒され、病院に担ぎ込まれるか、はたまた絶命するかも知れないと思えるほどの酷暑だった。身の程知らずを演ずれば、誰も同情を寄せてくれないほどの、そのくらい今夏は「危ない夏」だ。 

 それこそ「年寄りの冷や水」高じて「年寄りの達者 春の雪」(年寄りの生命力は儚いことのたとえ。春の雪が消えやすいように、老人がいくら元気だといっても、いつどうなるかわからないとの意)となりかねない。エアコンの効いた部屋に閉じ籠もり、ボーッとしつつも知的作業に勤しむことが、賢く健全な老人の所作というものではあるまいか。
 とはいえ、ぼくは夜の10時頃になるとバンダナを巻き、通気に優れた半ズボンに履き替え、そっと家を抜け出し、汗だくになりながら1時間ばかり気の赴くままに近隣を徘徊する。嫁からは「行き倒れにならぬように、住所・電話番号を記したものを首からぶら下げておけ」と命じられている。また、心ない友人はぼくを「歩中」(アル中)だと、冷ややかにわざわざLINEを通していってくる。「つまらん洒落をいうな!」とぼくもLINEで返すのだ。ウォーキングなどという無様でみっともない苦行をただひたすら写真のためだけに励行している。この健気さを褒めてくれる人間はひとりもいない。あまり賢くないからだろうか?

 去年のお盆休みはどうしていたのだろうとMacの「カレンダー」を繰ってみたら、神奈川県川崎区の千鳥町に工場の写真を撮りに行っている(第415~417回:川崎区千鳥町)。
 拙稿には、「猛烈な暑さがほんの少し和らいだお盆の8月12日(日曜日)、ぼくはチャンス到来とばかり押っ取り刀で神奈川県川崎区の千鳥町に駆けつけた」とある。当日は、陽がとっぷり暮れるまで撮っていたので、暑さの和らぎはきっと束の間の発奮材料を与えてくれたのだろう。
 今年のお盆は昨年とは異なり、暑さが少しでも和らぐような隙をまったく見せなかったという点で、より強靱であり、油断がならず、その分質が悪いというべきか。発奮どころか、気が滅入るばかりである。

 そんななか、大手某社から電話があり、「急な話なんやけど、イタリアへ10日間ほど撮影に行ってもらえへんやろか? 聞くところによると今イタリアは熱波襲来で40℃超えという日もあるらしいんやけど。なんとかお願いできひんもんやろうか? かめやまさんの体力ならど〜もあれへんやろ」と無責任かつ脳天気なことを関西弁丸出しでちゃらっといってきた。彼とは仕事上のつき合いも長く、かれこれ20年以上にもなり、ぼくが関西出身ということもあってか、ぼくに対してだけ常に方言を露骨に晒すのだった。
 関西弁に限らず、ぼくは大の「方言擁護派」であることを彼はよく知っている。人は自分の育った場所の言葉に誇りを持ち、大切にし、何ら恥じることなく大べらに使うべきとの信念を持っている。そのことは、翻って標準語の味気なさ、ニュアンスや気配の乏しさなどを、痛切な思いを持って感じ取っているからではないだろうかと思う。

 彼の依頼にぼくは意地悪く九州言葉で返そうかとも思ったのだが、関西人にそのニュアンスが伝わることはないと思い、関西言葉で「わしを殺さんといてぇな。そらできひんわ。飛行機かて絶対にエコノミークラスはいややで。ビジネスクラスでないとあかんわ」と返した。
 本音をいえば、暑さより、エコノミーのほうがずっと身に堪える。6時間以上のエコノミーフライトは、観光旅行ならいざ知らず、海外ロケの厳しさを何度も味わい熟知している身として、あらゆるものを消耗させる最悪の運搬手段だと思っている。もう若くないぼくは、したがって、「年寄りは頑張らない」ことが最も肝要なのだと言い聞かせている。もし、この仕事を引き受けていたら、今頃は拙稿も存在せず、ローマのコロッセオで熱暑と過労という猛獣に食い殺されていたに違いない。
 
 友人たちが使い回していた焦点距離35mm単レンズが、何年ぶりかで手元に戻ってきたので、その小気味良さを堪能したいとぼくは胸を弾ませているのだが、この暑さでそれを試すことができず、欲求不満に陥っている。憤懣やるかたないのだが、自然現象には逆らえないので、「写真を撮らなければただのクソジジィ」にもうしばらく甘んじなければならないのかと、暗澹たる思いだ。9月の声を聞くまでは、隠忍自重の日々ですかね。

http://www.amatias.com/bbs/30/459.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF11-24mm F4L USM。
茨城県つくば市。

★「01つくば市」
「つくば」という名称に特別な思いはないのだが、春雨につられて筑波山に行ってみた。その途中、神郡(かんごおり)というちょっとだけ風情を感じさせる佇まいに出会った。
絞りf13.0、1/30秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02つくば市」
ここも神郡。昔ながらの佇まいが残されていた。カラーかモノクロか、どちらをイメージするか迷った結果、モノクロイメージに。
絞りf10.0、1/20秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2019/08/09(金)
第458回:久しぶりに写真もどきの話(2)
 写真に限らず、物づくりの第一歩は「まず自分の使用する道具の賢い使い方を身につけ、その性質を知る」ことにある。手足の如く道具を操ることの感覚と知恵を身につければ、そのこと自体が創作上大いに役立ってくれることは改めていうまでもない。また、バリエーションの展開にも利がある。
 それはある程度の修練を必要とするが、そこは神頼みよろしく「好きこそものの上手なれ」とか「急がば回れ」を素直に信じ、地味な作業(例えば前号に述べたようなレンズテストなど)を根気よく励行するに限る。「神頼み」といっても、お百度を踏んだり、日々呪文を唱えただけでは残念ながら成就できない。「信ずる者は救われる」という具合には絶対いかない。

 そしてまた修練を積めば、やがてさまざまな余禄を生み、また与ることができるようになること請け合いだ。同時に他の道具に対する応用力も身につけることができるのだから一挙両得以上のものがあり、十分に引き合う。
 しかしながら、ぼくの知り得る限り、写真愛好家、もしくは好事家と自認する人たちの間でさえも、この地味な作業を試行し、身につけた方々は一割程度に過ぎない(いや、きっとそれ以下だろう)のではないかとの確信を抱いている。この現象は、ぼくが分不相応にも20代の頃から出入りしていたライカ特約店にたむろする人々でさえそうだったのだから、他はいうに及ばずだ。

 修練によるこの分かりきった論理と道理をその時の都合に合わせよく忘れて(あるいは無視して)しまうので、みなさんにはその轍を踏まぬよう殊更強くお伝えしておきたいのだ。ぼくは「xxのひとつ覚え」のように、そればかりに固執してしまう性癖があり、それも悪くはないのだが、時折血が固まってしまい血行不良となり、道を誤ることがある。ぼくは自分のそれを「偏愛的一極集中型」と名づけているが、ものは言いようである。
 ひとつのレンズを知り、使いこなすためには、以前にも述べたことがあるけれど、毎日使っても一年はかかるというのがぼくの見立てだ。時に「虚仮の一心」(こけのいっしん。愚かな人でも一心に物事をすれば立派に成し遂げられるという意)にすがることは、このうえなく尊いことだと思っている。

 繰り返しになるが(そのくらい重要なことなので)、道具の使いこなしと理解は、物づくりの上で避けて通ることのできぬとても大切な事柄であり、課題でもある。この関門を無事くぐるのとそうでないのとでは、後々大きな差となって表れる。ちょっと大袈裟にいうのなら「雲泥の差」となって表れる。
 道具の性質を知らずして、「ただ闇雲に」とか「やたら滅法に」突き進むと無駄な労力ばかりを消費して、見当違いの方向に歩を進め、遅々として前に進むことができない。道具への理解も覚束ないので、描くイメージの発展やら展開を妨げてしまうことも多々あるのではなかろうかと思う。

 我が家の家訓である(嘘です)「無駄は必要だが、一度で良い」とはぼくの念誦(ねんじゅ。仏に祈り、経文を唱えること)のようなものなのだが、そう言い聞かせながらも、無駄という螺旋階段からなかなか這い出ることができない。同じところをぐるぐると回っている。そんな体験を、憚りながらぼくは山ほどしてきた。そして今もしている。
 それを重々承知していながらも、気に入った道具(今回の場合はレンズ)を手にすると、それ一辺倒となる。この2年間の連載写真のほとんどは11~24mmレンズで撮影されたものだが、この異様な画角とパースのレンズを手にしてちょうど今月で2年経つ。しかし、なかなか正体が見えてこないので、この難物を手なづけようと未だ苦心惨憺している。散々テストをしているものの、実戦ではテストと同じとはいかず、図らずもテストと本番の境目を見失うこともしばしばだ。
 あまりにも多くの要因が複雑に絡み合っているので、その因果関係とか相関関係が把握できずにいる。ぼくにとって、こんな「悪女の深情け」的レンズは初めてのことだが、その分魅力に溢れている。
 
 レンズに合わせて被写体を選ぶという本末転倒をしでかして知らん顔をしている自分がいるのだが、「もしかしたら、それもありなのかも知れない」と、魔が差すこともある。つまりぼくは善悪の区別もつかなくなり、自棄になって、「あばたもえくぼ」的な心境に追いやられつつあるということのようだ。

 前号にて記した京都で合流した友人は、ぼくの宿題をアッパレにもこなし、f値による描写の違いにびっくりしたのだそうである。f値を変えれば被写界深度も異なってくるが、それより解像度の変化に意表を突かれたと目を丸くしていた。利発な友人は、「f値の違いが同じレンズを別のものに変えてしまう。目から鱗が落ちた。知らないってホントに恐い!」と、広い妙心寺境内を走り回っていた。

 レンズによる描写の違いはf値の選択に起因することと知ってもらえば今回のぼくの役目は半分済んだことになる。後の半分は、画面内で水平線や垂直線がおかしな重なりをしていないかにだけに注力し、それをレクチュアすることに終始した。要するに、線の重なり具合により、立体感や臨場感が異なってくることを知らせたかった。加え、画面を整理することにもつながる。
 フィルムと異なりデジタルは撮影したものがすぐにモニターで確認できるので、その場で解説することができ、理解が早い。おかげでぼくは200回近く友人のモニターを覗き込み欠陥を指摘した。さすがにくたびれたけれど、熱心さに打たれて何とかその日1日を持ち堪えることができた。ビールの美味かったこと!
 我が倶楽部での撮影会で、ぼくは彼らのモニターを覗き込んだ記憶は未だかつてないような気がする。

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来週はお盆休みのため休載となります。

カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: EF11-24mm F4L USM。
京都市右京区妙心寺。中京区。

★「01妙心寺三門」
創建慶長4年(1599年。重文)。境内唯一の朱塗り建造物。今にも降り出しそうな厚い雲に覆われ、非常に柔らかい光に包まれる。絶好の写真日和だ。
絞りf10.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02京都市中京区」
妙心寺を出てブラブラ歩いていたら、空が徐々に晴れ上がった。こんな長屋がたくさんある。友人はその度に歓声を上げる。ぼくもつられて撮る。
絞りf11.0、1/60秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)