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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2017/10/13(金)
第368回:ある写真展
 ぼくにとって「至福の時を過ごす」とはどのような趣をいうのだろうかと振り返ってみた。ぼくの至福は考えるほどに貧相なもので、本人が風雅を装っているだけのようにも思える。
 唯一あるとすれば、自分で丁寧に煎れた珈琲を飲みながら、パイプをくゆらすくらいのものだ。実に内向的かつ慎ましい至福である。珈琲は、豆を吟味する質でないことは少し前に触れたが、パイプ煙草は20歳以来のたしなみで、パイプも葉もお気に入りの厳選したものだけをもっぱら愛用・愛煙している。パイプは芳香に満ち、美味であるとともに精神の沈静化を促し、しかも雅があって良い。
 葉巻も大の好物だが、こちらは経済的な理由で残念ながら常時愉しむというわけにはいかない。写真屋になってからは、衝動買いをする程度にとどめている。パイプや葉巻に比べれば、紙巻き煙草などはニコチン切れを補う程度のものでしかなく、味も素っ気もなく俗気そのものだ。また、煙草というものについていえば、日本は他の先進国にくらべ恐ろしいほどの後進国である。日本人は本当の煙草の味わいを知らない。

 読書が趣味だという人を見て、とても羨ましく思う。ぼくは1年間に100冊読了を毎年目標に掲げているけれど、それは愉しくて読むというより阿呆にならぬための自分なりの方法論であり、致し方なくという面を以(もっ)て、苦痛ですらある。でも一生懸命読む。苦しみながら手に入れたものは必ずや身になるという信条にすがっているのだ。なので、ぼくにとっての読書はとても趣味とは言い難い。一心不乱に1日16時間ほど読書に費やすこともあり、それは至福の時とはほど遠いが、思想や思索の構築という面で写真に通じるものが多々ある。

 音楽鑑賞は常に受け身のもので、読書にくらべると苦痛ははるかに少なく、慰藉であったり、凝った気持をほぐしてくれたり、時には愉快な気分にさせてくれたりもする。しかしぼくにとって音楽は、写真と対比することにより、得るものがとても多い。音楽鑑賞は、写真のための滋養と教材のようなもので、質の高い楽曲ほど効用も大きい。
 それは喩えていえば、音楽でいうところの主題やハーモニー、リズムやアクセント、楽曲の構成などの扱いを、写真に於ける主役と脇役、明度やコントラスト、色彩とトーン、構図などに置き換えることができるからである。良い音楽を聴くことは、とんちんかんな写真を撮らぬように、写真音痴にならぬようにという、ぼくなりの配慮と方法論でもあり、また魂胆でもある。加え、情感の育成にも何某かの貢献を果たしているようにも思える。読書は知であり、音楽は情である。

 音楽鑑賞は世間が寝静まった午前3時以降と決めているのだが、数日前の就寝時にJ.S. バッハの『半音階的幻想曲とフーガ BWV903』とR. ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』ー第1幕への前奏曲ーを聴き、大きなヒントを得、ぼくは突然布団を蹴り、再びMacを起動させ、補整途中の写真に取りかかったくらいだ。
 「ここはマルカートでなく、もっと滑らかに」とか「主題が目立ちすぎる。ハーモニーの中からたおやかに、浮かび上がるように」なんて、指揮者になったような気分でPhotoshopを捌(さば)いていた。
 話がどんどん横道に逸れていく。他(あだ)し事はさておき、突然本題に。

 午後の珈琲とパイプの至福なひと時開始と同時に、突然電話が鳴った。「今写真展に来ているのだけれど、かめさんの意見や感想をぜひ聞きたいので出てらっしゃい」と、妙齢のご婦人(以下Tさん)が問答無用とばかり無慈悲な命令調でいう。Tさんは以前よりぼくの個展には必ず来場してくれ、写真に鋭く豊かな感受性を持ち、深い理解を示してくれる。
 慌てて身支度を調え、せっかくの珈琲を飲み残し、慈悲深いぼくはチャリンコに跨がり、久しく会うことのなかったTさん目指して、いそいそと会場に駆けつけたのだった。会場では2度立ち止まっただけで、在廊時間は10分もなかったように思う。

 作品を見ながら、思い感じるところ多く、ぼくたちは近くの喫茶店でお喋りをすることにした。美味しい珈琲とケーキ付きである。ぼくはTさんの期待に添うべく、ケーキには目もくれずに、滔々と約1時間熱弁を振るった。その内容は文章にすればあまりに分量が多くなり、ここに記すことはできないが、作品群に対するぼくの見解にTさんは十分に得心してくれたようだった。

 ぼくに評価の資格があるなし云々ではなく、彼女がぼくを指名してきたのは、ぼくが何十年もの間自身の作品を人目に晒してきたという事実を尊重してくれたからなのだろう。晒すことにより報酬を得てきたのだから、彼女の恣意的な発想をぼくは甘受した。

 話の根幹は、写真に限らず作品というものは、どのようなものであれ、常に社会的リアリティが存在していなければならず、自身との関係がそこに明確に示されていなければならない。社会的リアリティとは、乱暴にいえば社会と自身との繋がりや、哲学・思想・宗教観などが含まれていなければならない。そこに依拠する撮影の必然性がなければならない。したがって、ただ綺麗に写真を撮るだけでは作品としての意味をなさないことなどなどを、多岐にわたって分かりやすく説明した。展示作品のほとんどが、それを欠いていたからだった。

 「ねぇTさん、あなたはとても利発な人なので敢えて聞くが、衆愚政治という言葉を知っているよね?」とぼく。「衆愚政治ならぬ衆愚観衆・視聴者というのも当然のことながら存在するわけで、ついでに作品を晒すことにより報酬を得る人間にとって、この都合は如何に?」とつけ加えた。
 Tさんは、我が意を得たりとほくそ笑み、安堵の胸を撫で下ろしたようだった。ぼくは至福の時を得、まだ手つかずのケーキを美味しくいただくことにした。店を出る時、ドアに貼られた紙に気づいた。「喫煙室での葉巻、パイプはお断りします」だって。嗚呼、衆愚ここに極まれり。

http://www.amatias.com/bbs/30/368.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県さいたま市、群馬県館林市。

★「01さいたま市」。
立ち枯れ、うなだれる蓮の葉の奥に水滴が落ちることなくしがみつく。
絞りf10.0、1/25秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」。
沼一面に睡蓮の葉が。太陽の日射しがわずかな水面に反射する。
絞りf8.0、1/125秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03館林市」。
館林市を初めて訪れたのは13年前だった。その時すでに廃業となっていた大衆食堂のウィンドウは、当時と何も変わらぬ佇まいでそこにある。
絞りf8.0、1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2017/10/06(金)
第367回:レンズの正体
 私的写真のみならず仕事でも常用レンズだった広角ズーム(16〜35mm。APS-Cサイズであれば10〜22mmに相当)を購入したのが、ちょうど10年前の10月だった。長期の酷使に耐え、やっとお役御免となった。
 このレンズからは非常に多くのことを学ぶことができた。特に超広角である20mm以下の使い方については、計り知れぬほどの恩恵をもたらしてくれたように感じている。清濁併せ呑むこのレンズに、ぼくは朧気(おぼろげ)ながらではあるが広角世界の酸いも甘いもかみ分ける一種特有の感覚を与えられたような気がしている。いや、与えられたというより、余儀なくされたというほうが当を得ている。
 気持をあちこち引きずられぬように、ぼくはあらん限りの自己弁護を弄し、このレンズを潔く手放し、それに代わるレンズを新調することにした。「二刀流は性に合わない」(実のところ「下手くそは二刀流などしてはならない」)がぼくの信条だから。10年間の慰労とともに、愛惜と惜別の情を持って、ぼくは落涙。

 愛着心を抱きながらも、別れを惜しむ気持に手心を加えたぼくの道ならぬ浮気心は、16mm未満の超広角レンズが醸す尋常ならざる世界を覗き見たかったからに他ならない。15mm対角線魚眼レンズは持っているが、これは用途がまったく別である。

 思い立ったら矢も楯もたまらず、以前から気になっていた11〜24mm(APS-Cサイズでは6.88〜15mm相当)というエキセントリックな広角ズームにぼくは触手を伸ばした。これを常用レンズ(ただし、私的写真)にしようという料簡だ。ぼくの身分からすれば価格も尋常ならざるものだし、重量もボディと合わせ3kg弱で、常時持ち歩くには鉄アレイを持っているような感覚だ。ちょっとたじろぐが、ぼくは先を案じて躊躇する性分ではないので、浮気心を抑えることができなかった。きっと何か良いことが待ち受けているに違いないとの気配を読み取っていた。楽天的かつ進取の気性に富み、ぼくは見知らぬ世界に飛び込むことを無上の喜びとしている。実に都合の良い極楽トンボだ。これを「めでたい」というらしい。

 カメラやレンズを新調する時、ぼくは常に “不見点” (みずてん。見通しもなく行動すること。出たとこ勝負。広辞苑)を押し通す。昨今、ネットではさまざまな情報が乱れ飛んでいるがぼくは一切見ないし、関心もない。撮影の実践的な意味合いに於いて、それらはぼくにはほとんどお役に立たないことの羅列だろうし、それより長年にわたって培った勘を信じたほうがずっと確かである。

 この愉快なレンズを三脚に据え、まず新聞紙を相手に格闘してみた。絞り開放f 4.0 〜 22の6段階に、焦点距離11、14、16、20、24mmの5段階を組み合わせての30通りを撮り、中心部と周辺の解像度がどのように変化するか、歪曲収差と色収差、周辺光量の落ち具合、コントラストや発色を詳細に検討。翌日、同様のテストを、今度は新聞紙ではなく、もう少し被写体との距離を取り、ブロック塀相手に挑みかかった。
 このテストでレンズの何が分かるかというと、実はほとんど分からないのだが、この儀式を通過させておかないとぼくは気が済まない。このテストは気休め程度のものと考えている。人間でいえば「あの人は背が高い」とか「痩せている」とか、せいぜいその程度のことだ。性格まで分かるわけではないが、しかし、それを知るだけでもある程度の保険はかけられる。
 ズームレンズゆえ、f値と焦点距離、そして被写体との距離を組み合わせれば、それはほとんど天文学的な数となり、それをテストすることは不可能だ。

 あとはフィールドテストで、より多く撮ってみるというのが最も賢い方法だ。それしか方法がない。1ヶ月間で約1,500枚の実写テストをしてみたが、ぼくの“不見点” はまったく正解だった。性能は極めて優秀であり、お値段がとこあると納得したが、予期せぬ目に遭ったことも確かだった。

 この季節、ぼくはどこへ行くにも半ズボンだが、このレンズを使用することにより、右膝頭の皮が擦り剥けてしまったのだ。最短焦点距離である11mmの正体を見極めようと、それを多用したせいである。
 11mmとなると、カメラのちょっとした振り具合でパース(遠近感)が著しく変化し、今まで使用していた最短焦点距離16mmとはまるで世界が異なるのだ。極端なパースであるがゆえに、突っ立ったままカメラを下振りするには不都合なことがままある。そのためローアングルを多用するようになり、立ち位置を定めるのに今までのように一発では決まらず、右膝を突いたままアスファルトをズリズリと移動するのだからたまらない。ぼくの右膝頭は痛々しく赤剥け状となり、思わぬところに厄災が潜んでいたというわけだ。
 膝を突いて撮影するという得意のポーズを取れなくなり、仕方なくスクワットの要領で体を沈めながらローアングルに挑むというウェイトトレーニングさながらの撮影スタイルとなった。撮影に出るとこれを何百回も繰り返すことになり、しかもシャッターを切る時はそのスタイルで静止しなければならず、翌日は大臀筋と四頭筋(太股の前部にある筋肉)がパンパンに張ってしまうのだ。
 極楽トンボなので、筋トレにちょうどよかよかと喜んでいる始末。

 このレンズを正しく、上手に使いこなそうとすると、膝頭赤剥け、筋肉パンパンの身体的変調を来すとの情報は、数多あるネット情報にはおそらく上がっていないのではないだろうか。
 ぼくの長年にわたり培ってきた勘も、ここまでは想像できなかった。レンズを新調して喜んでばかりはいられない。「めでたさも中くらいなり」といったところか。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/367.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県栃木市、足利市。
今回のものはすべて焦点距離11mm。

★「01栃木市」。
このレジスターはいつの頃のものか? 
絞りf4.0、1/15秒、ISO400、露出補正-2.33。

★「02栃木市」。
蔵と屋敷に挟まれた家屋。どのような意図で建てられたのだろう。
絞りf8.0、1/125秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03足利市」。
足が写らぬように慎重にアングルを決める。
絞りf8.0、1/20秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2017/09/29(金)
第366回:改まってポートレート・続
 前回はぼくの流儀に従ったポートレート撮影の一端をご紹介したが、今回はより一般的な、言い換えればもう少し “まともな” 段取りについてお話ししてみたい。とはいえ、ぼくの体験に基づいたことにしか思いが及ばないので、あくまでも持論・自説の域を出ないけれど。

 「街中の人物スナップ」の多くは私的写真であり、それを除けばぼくのポートレート撮影はほとんどが仕事上でのもの。正確な人数は把握できないが、少なく見積もっても2,000人を下回ることはないだろう。
 著名人あり、芸能人あり、政治家あり、また多くの分野で活躍する市井の人々である。そして、専門外ではあるけれど、いわゆる営業写真館的な分野である婚礼や祝い事、記念写真の類も多くはないが撮ってきた。専門外なので、都内にある明治記念館の写真部に菓子折を持って3日間スタジオでの撮影を見学させてもらったこともある。30年以上も前のことだが、やはり「餅は餅屋」だと感じ入ったものだ。

 仕事でのポートレート撮影はほとんどが初対面だ。ぼくの信条は、「撮影時間がどんなに短時間であれ、ポートレート写真は撮影前に人柄を計り、人物像を作り上げることから始める」というものだ。
 撮影時間を切り詰めても、可能な限りぼくなりに相手の人物像を作り上げることに集中する。インタビューアーがいればその対話を注意深く聞き、表情の変化を読み取ることに腐心する。肉眼で凝視しながら心の中で “模擬シャッター” を切り続ける。目つぶりを避けるために、まばたきの頻度も計算に入れる。ものの本によると、まばたきは1分間に男20回、女15回が定説であるようだ。しかし、状況により大きく変化することはいうまでもない。
 ぼくの友人に、写真を撮ると必ず目つぶりをしてしまう人がいる。3枚に2枚は寝ているのだから、寛容なる精神も時には癇癪を起こす。ぼくが悪いのではなく、必ず相手のせいにしてしまうのだ。

 「初対面の人の人物像が描けたら」といってもそれは徹頭徹尾ぼくの勝手な想像であり、解釈でもある。例えば、好みの食べ物は何か、親御さんや兄弟は健在か、人間関係の構築は上手か苦手か、金銭や名誉についてどのような考えを持っているのか、どのくらい心遣いのできる人か、延いてはどんな人生を歩んできたか、などなどすべてがぼくの見立てによる創作である。正しいかそうでないかはこの際問題外とする。それは誰にも分からないことだから。
 ぼくのなかで相手をじっくり観察しながら姿かたちを自在に作り上げ、自身の描いたその人物像に沿ってシャッターを切れば、それほど軸はぶれないで済む。思い描いた雰囲気と表情が撮れれば、人物描写に長けた良いポートレートとして認めることにしている。他人の写真とて同様である。

 ポートレートにはもう一方で、知人・友人や家族を対象としたものがある。顔見知りというものだ。初対面とは反対に、ある程度人柄などを知っている “つもり” になっている。この “つもり” が大きな落とし穴となっていることに気づく人は少ないのではなかろうかとぼくは考えている。この種の撮影は常に功罪相半ばするということを知っておいてもらえればと願う。
 それは、撮影時に於ける「緊張感の欠如」である。緊張感の欠如は様々な禍(わざわい)をもたらすことにどうぞ留意のほどを。写真とは正直そのもので、撮影者に緊張感がないとピーンと張り詰めたものが見事に失せてしまうものだ。記念写真ならいざ知らず、緊張感のない写真はどこまで行ってもダメ写真である。「写真を撮る!」という強い意識も、前号で述べた「精神的なメカニズム」の一部である。
 家族写真で、なかなか良いものに出会わないのは、このメカニズムが十全に整っておらず、そこに起因するところ大なのではあるまいかと思う。
 
 レンズの選択については、通常標準レンズとされる焦点距離50〜135mmあたりが “無難” である(APS-Cサイズであれば30〜85mmに相当する)。望遠になるにつれ背景が整理しやすく、また人物を浮かび上がらせやすい。つまり人物以外のものを排除しやすいという利点がある。
 反対に広角レンズでは背景が広く映り込み、余分なものをどう整理するかに悩まされる。フレーミングが難しくなるということと、さらに問題となるのはレンズ収差による歪みが発生することだ。画面の四隅に行くに従って物体が引き連れるという現象が生じるので、顔を中心に置かざるを得ないという窮屈な制約が生まれてしまう。
 集合写真などはこの現象が現実のものとなるので、せいぜい35mm(APS-Cで22mm)が限度と考えたい。要注意である。

 しばしば、「カメラ目線はあったほうがいいのですか?」と訊かれることがある。これには原則がないので、答えもない。善悪・正否の観点から外れたところに正解(というより、より濃い人物描写と言い換えたほうがいいかな)があるようにぼくは考えているので、様々な条件を考慮してもケース・バイ・ケースとしかいいようがない。
 ただ、被写体となる人物をどの方向から眺めるのがあなたにとってより美しく見えるのかを見つけ出す作業はとても大切だ。そのアングルに従ってカメラ目線のあるなしを決定づけてもいいのではないだろうか。

 ぼく自身は、若い頃から古典的ではあるが、Y. カーシュ(ユサフ。1908-2002年。トルコ出身。カナダの写真家)が好きで、人物撮影のお手本としていた。特に、J. オキーフ(ジョージア。1887-1986年。米の女性画家)を納屋のような場所で撮った1枚は未だに忘れがたい印象を残している。カーシュもオキーフもぼくの青春時代の憧れだった。

 今回の掲載写真は、第364回でテーマにした「ガラス越しの撮影」の続編。

http://www.amatias.com/bbs/30/366.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県加須市、川越市。栃木県足利市。

★「01加須市」。
表通りを小学生の一団が長い列をなして騒がしく通り過ぎる。それを眺める理容室の客である女子高生。良いモデルを見つけたとばかり忍び寄りかすめ撮る。撮影後、ぼくは理容室のドアを開け、女性に篤く礼を述べた。
絞りf6.3、1/40秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「02足利市」。
足利市鑁阿寺(ばんなじ。創建1196年。日本100名城のひとつ)本堂(国宝)脇に、ガラスケースに入れられた電動獅子舞がぎこちなく動いていた。ガラスに透けて本堂の階段が見える。画面上部には空が写り込む。
絞りf5.6、1/60秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03川越市」。
老舗の薬屋に置かれた明治時代の看板をガラス越しに撮る。「健脳丸」の下には薬効として「脳病 神経病 全治の良剤」と書かれてあった。イラストの目が表通りを眺め、何やら暗示的だった。
絞りf4.5、1/15秒、ISO400、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2017/09/22(金)
第365回:改まってポートレート
 風景写真とともに肖像写真(いわゆるポートレート)は、写真の王道といわれることもあるが、一方で「学問に王道なし」ともいわれる。ぼくは後者を支持する。

 どのような写真分野であれ、極めようとすればどれも同等に奥深く、難しいものだ。写真に於いて、技術の使い方が異なる分野はあっても、「これだけは特別に難しい分野」など存在しない。
 “極める” という言葉が適切かどうか分からないが、元来、どんなに研鑽を積み、精進したところで、 “極める” ことなど人間には到底不可能なことだとぼくは考えている。それは自分の理想とするものを簡単に諦めたり、ゆるがせにするという意味ではない。物づくりに関しては、何かを悟ったような気になり、超然としては退化するだけだ。神業を身につける人も稀にいるが、しかし神ではない。1歩ずつ歩を進めながら、諦めずにもがくことが即ち生きることへのエネルギーとなるのではないだろうか。
 “作品は人格の投影” だと固く信じているぼくは、不完全な人間が完成されたものなど創れるはずがないとも思っているが、諦観の境地に至ることとは別次元のことである。そこのところ、どうぞ誤解なきように。

 名作と謳われる作品の数々はすべてが最も上質な未完さを保っており、その未完さゆえに、より人間的であったり、また身近に感じたり、手許に置いて観賞しようとしたりするのではないだろうか。写真以外の分野に於いてもまた然りである。

 写真には多くの分野があるが、どれに傾注するかは、どの分野が自己のアイデンティティをより良く、より強く表現できるかを拠り所としている。「性に合う」という類もそこに含まれる。
 表現には自由な世界が広がっているのだから、向き不向きや好き嫌いという個人的な理由にもぼくは肯定的である。どのような分野に進んでもかまわない。余談ではあるが、写真評をする際は好き嫌いを排除すべき第一項目としてあげている。評者の立場に於いては、その資質が最も問われるところでもある。

 「学問に王道なし」はとても含蓄に富んだ言葉で、どの分野を選んでも、良い作品を創るために楽な方法や近道はないということでもある。
 各分野にはそれぞれ異なった手法や作法というものが存在するが、共通項としてあるものは、技術だ。ここでいう技術とは通奏低音のようなもので、写真的なメカニズムと精神的なメカニズムの両翼を指し、ぼくがそれについて言及する資格はないのだが、ポートレート撮影の体験に基づいてお話ししてみたいと思う。

 ぼくの最も性に合った分野は「街中の人物スナップ」で(とはいえ、この1年は街の佇まいを写し取ることに血道をあげているけれど)、これも一種のポートレートといえばそうもいえるが、今回は区別して、もう少し積極的に正面から対峙するポートレート撮影についてである。
 それは例えば、お互いに会話の成り立つ条件下のものであったり、信頼関係が醸成されたものと考えてもらえばいい。シャッターを切る前に、相手と気持を通わすことがとても大切で、この仕組みをぼくは精神的なメカニズムという。

 自分の作品の成り立ちなどを語ることはまったくぼくの本意ではなく、またそのようなことを意味深長に聞かされるととたんに白けてしまう。延々と講釈ぶるのはどうも弁解がましくていけない。今回はぼくなりに多用する作法と過程をお伝えして、わずかながら読者諸賢のお役に立てればと願う次第。

 一昨日、やっと蒸し暑さの過ぎ去った栃木市を訪れた。裏通りを行くと廃業して長い年月が経とうとしている木造家屋が目に入った。表に掲げられた看板はペンキが剥げ、錆だらけで色あせ、辛うじて文字が読めるほどのものだった。その家屋を正面から1カットいただき、遠目に電気の灯っていない薄暗い中を窺うと年老いたおばあちゃんが土間に置かれたソファに座っていた。「このおばあちゃんを撮る!」と決意。
 一旦その場を離れ、カメラを “それ用に” セットする。おばあちゃんがソファから腰を上げ、顔を覗かせてくれればしめたもの。その瞬間をスリの如くいただく。これは盗み撮りではない! ここまでは普段の「街中の人物スナップ」と変わらない。撮られると意識される前にまず1カット。無意識写真はこの1カットしか撮れないのだから、相当な緊張感だ。手に汗する瞬間でもある。
 レンズは超広角ズーム(焦点距離11〜24mm。APS-Cサイズ換算なら6.88〜15mmに相当するとても愉快なレンズ)1本という横着スタイルだが、このような撮影時にぼくは決して望遠レンズは使用しない。
 「おばあちゃん、出てきてちょうだい」と念じる。念が届き、軒先に突っ立つ怪しい男が何者なのかを確かめようとおばあちゃんはソファから腰を上げ、頃合い良くひょっこり顔を出した。念ずる者は救われる!?の通り、おばあちゃんはカメラの存在を意識する前に悪賢いスリにかすめ撮られた。シャッターを切った後、ぼくは丁寧に感謝を述べ、挨拶を交わした。
 ぼくらはすぐに親しげに会話を交わし、ぼくはおばあちゃんとの信頼関係を築くことに専心。2カット目はそれが築けてからという思いだった。おばあちゃんは御年90だという。とめどなく自身を語るおばあちゃん。ぼくを信頼してくれたらしい。
 差し越えたぼくは無遠慮に土間にまでズカズカと入り込み、ソファでくつろぐおばあちゃんを28枚いただいた。おばあちゃんの「彼岸の入り9月20日に」と題した書き物をぼくは強引に奪い取り、それも写真に収めた。そこには遠い昔、おばあちゃんが子供の頃に母親から教えられた心得が綴られていた。ぼくはその文面にジーンと胸が熱くなった。
 別れ際、「写真、公開してもいいかなぁ?」と訊ねると、おばあちゃんはにっこり頷くばかりだった。

http://www.amatias.com/bbs/30/365.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
第1カット。細心の注意を払い、用意周到・準備万端でおばあちゃんを待ち受ける。「どちら様かね?」との言葉を発する直前に素早くいただく。70cmほどの至近距離から。
絞りf5.0、1/25秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02栃木市」。
信頼を得、おばあちゃんと気持が通い合う。話をしながら、生きた表情を狙い澄ましながら撮る。全身がカーッと熱くなり、ぼくは汗だくとなった。すっかりいつもの仕事モードになってしまった。
絞りf4.0、1/40秒、ISO400、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2017/09/15(金)
第364回:ガラス越しの撮影
 かつてぼくは、「ガラス越しの写真」をテーマのひとつとして考えていた。若い頃からガラス越しに見る情景に何故か惹かれるものがあったからだ。ガラスの向こう側に見る世界は、実は現世ではなく、一種の幻影であるかのように感じていた。あれは夢かまぼろしか、といった風情である。
 ガラスによって隔離されたあの世的な世界は、被写体をまぼろしと錯覚させ、あるいはまた蜃気楼そのもののようにも感受させる。時空が歪んだりして見えるのだ。そこにはぼくの知らない遠い昔の光景や、憧れにより浮かび上がる未来の姿があるようにも思えた。

 ガラスの向こうは、被写体が無機体であれ有機体であれ、彼らはいつも無防備で油断をしている。ガラスに守られているとの意識がありありとくみ取れるのだ。外敵の侵入を疑っている気配すらない。生のままの姿を晒しているといっていい。そこは佇まいの本質的なものが垣間見える空間でもある。
 したがって、被写体を渉猟する写真屋にとって、そこには鮮烈で魅惑的な世界が広がっている。ぼくは近頃、彼らの油断と隙につけこみ、用心深く突き始めた。
 ガラスの向こうにはまぼろしの世界が展開されており、こちら側はまことの現世である。その二面世界が、ガラスの写り込み(反射)とともに現れる。まぼろしと現世をどのようにバランスさせ、描き出すかに苦慮するが、「ガラス越しの撮影」はさまざまな意味で、写真の醍醐味をくまなく味わえるものだと感じている。自身の技量やセンスが容赦なく試される場でもある。

 写真愛好家の多くは、ガラス越しのショーウィンドウなどに魅せられてシャッターを切る体験をされていると推察する。ぼくのような身勝手な解釈や分析をされているかどうかは分からないが、そこに何かしら独自の “言い訳” が存在するに違いない。“言い訳” とは自己分析の開示でもある。
 多くの場合、ガラスの写り込みは嫌われ者だ。嫌われ者を排除するために、巷では偏光フィルター(PLフィルター。ポラライザーとも。偏光フィルターについては拙稿第13〜24回「風景を撮る 1〜12」で必要に応じて言及しているのでそちらをご参照のこと。また例題については第24回にて掲載)の利用を勧めている。
 
 偏光フィルターを利用することで、光の方向性や明度により、写り込みを加減でき、条件さえ整えば完全に取り除くことさえできる。大変重宝なフィルターでもある。通常、写り込みは迷惑者や邪魔者として扱われるが、ぼくはそれを逆手に取り、敢えて写り込みを活用し二元的な表現を試みることが多い。

 30代に試みようとした「ガラス越しの写真」は、その後手つかずの企画倒れに終わっていた。駆け出しのコマーシャルカメラマンにはとても私的写真など撮る余裕はなかったからだ。
 どのような条件下でもクライアントの望むような写真を的確に撮るのがプロの最低限の使命であり、それを成就するために、スタジオワークとフィールドワーク双方の技術と知識を同時に徹底して修得しなければならなかった。未だ成就せずだが、コマーシャル写真をそろりそろりと切り上げ、修得した技術を駆使しながら残された時間を自分の写真のために費やすことに専念し始めた。月日の経つのは早いもので、そう思い始めてからすでに7,8年が経とうとしている。

 そうこうしながらも、「ガラス越しの写真ねぇ。ばたつくことなく、思いに適ったものに目が留まった時に撮ればいい。急(せ)いては見えるものも、自分の世界も見失ってしまう。 “急いては事をし損じる” というではないか」と逃げ口上を呟きながら、安堵の胸ばかり撫で下ろしていた。ぼくにとって、思いが深く錯綜したテーマであるだけに厄介さを感じていたのだった。

 呻吟(しんぎん。苦しみうめくこと)のさなか、予期せぬ時に恰好の被写体(この時は有機体)に出会った(第358回掲載の番猫)。ガラス越しに油断していた隙だらけの猫を見つけ、ぼくは咄嗟に目をファインダーに移し、問答無用とシャッターを切った。猫は「やられた!」といいながら!?ぼくを睨んだが、後の祭りである。雨に濡れた現世の石畳と大地に踏ん張るぼくの足もしっかり写し取られていた。ガラスの向こうでは、猫だけが正気を取り戻し、現世に逃げ帰って行った。
 ぼくはすっかり気を良くして、「やればできるじゃないか」とひとり祝杯をあげた。ガラス越しの猫は予期せぬ時に恩恵をもたらしてくれたが、それもこれも「少しテンポを上げて撮りなさい。撮れますよ」という神のご託宣をその認可と受け取り、おだてにあやかってありがたく木に登ることにした。

 そうはいっても「ガラス越しの写真」に専心腐乱?しては、せっかくのご託宣も台無しとなる。それが分からぬ年頃でもあるまいし、淡々と精進するのが一番だ。「ガラス越しの撮影」は、自分の写真生活に適切かつ快いリズムを与えてくれるものと捉えるのが年相応の考えというものであり、それが粋というものではなかろうか?

 今月初旬、栃木市内の例幣使街道をぶらついてみたくなった。その界隈で見つけた「ガラス越しの写真」たち。

http://www.amatias.com/bbs/30/364.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県栃木市。

★「01栃木市」。
廃屋となった家のショーウィンドウに洗浄剤が並んでいた。すっかり色あせたバラの造花がありし日を回想するが如くひっそり咲いていた。
絞りf6.3、1/40秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02栃木市」。
理容院かカツラ屋さんか? 太陽と街並の写り込みを慎重に配置する。「モナリザと石川五右衛門」と命名しながら、シャッターを切り終えた後、腹がヒクヒクとなる。
絞りf8.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03栃木市」。
大通りに面した瀬戸物商の店先。磁器と陶器の混在に、歩道の模様と花を写り込ませる。
絞りf6.3、 1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2017/09/08(金)
第363回:こだわりは三文の徳?
 人は誰しもこだわりを持っている。他人から見ればささいなことを必要以上に気にしたり、あるいは物の価値を追求したり、時には難癖をつけたりもする。これも自己主張の一環と捉えればご愛敬というもので、罪がない。
 罪はないのだが、そのこだわりを他人に押しつけるところから迷惑が始まるということも同時に知らなくてはならない。この手合いがたくさんいるのだから。そういうぼくだって知らず識らずのうちに、迷惑を及ぼしているに違いない、と一応の言い訳をちゃっかりしておく。
 写真に関したこと以外、ぼくは思いのほか何事にも無頓着な質だと思っている。衣食住にしても好みはあるが、執念はない。扱いやすい男なのだ。

 目覚めとともに珈琲豆を挽くことからぼくの一日は始まるが、珈琲はその時美味しく飲めれば良いのであって、銘柄や産地、浅煎り焙煎か深煎り焙煎かにこだわりを持つことはない。どのように湯を注ぎ珈琲汁を上手に搾り出せばよいのかとの知恵はなく、注意深く丁寧に煎れることが一番大切なのではないかと思っている。雑に煎れれば味も雑になることくらいは分かる。味とは正直なものだ。
 とはいえ、いずれにしてもぼくは愛飲家というより、その場限りの痛飲家といったほうがいいのかも知れない。でっかいマグカップでぐいぐい飲む。珈琲豆の出自には至って鷹揚だ。酒とて同様である。
 衣は、写真屋になってからは見てくれなどに介意しないという高邁な精神に導かれ、今は着た切り雀のようなものだ。歳を取ったからではない。年中同じ物ばかり着ているけれど、清潔であればそれで好し。したがって、ぼくは着古しの名人でもある。

 「写真に関したこと以外」と述べたが、しかしぼくはここでも再び高邁な精神に導かれ、胸中の拘泥(こうでい。こだわりの意)を取り除くことに成功したといっていい。それは機材、主にカメラやレンズに関してである。
 このことは、アマチュア時代に散々分不相応な贅沢をしたお陰であろうと思っている。カメラ、レンズ、引き伸ばし機、印画紙は当時入手し得る最高品質のものを、自分の懐具合を顧みることなく使用することに努めた。サラリーマンだったぼくは秘密裏にアルバイトに精を出し、世界最高品質とされるものが如何なる様子(性能)かを知りたいがために寝る間も惜しんで働いたものだ。

 それは計り知れないほど大きなものをもたらしてくれた。その成果、大なるものがあったと信じている。優れたものは、懐勘定に痛みを感じながらも自分の手にして初めてその正体を知ることができ、雑誌やカタログ、伝聞などで窺い知るものでは決してない。語る資格というものはそういうことだとも思っている。「使わずして語ることなかれ」である。

 写真屋になると決意した時、ぼくは手許にある憧れの的であった品々(これを道楽品という)を次々と手放してしまった。その代表的なものが、ライカ4台とライツ製の11本のレンズだった。そんな道楽などしている場合ではなかったからだ。ぼくにとって写真はもう道楽ではなくなり、糊口を凌ぎ、暮らしを立てる手段に取って代わっていた。潔く手放すことこそぼくのリアリティだった。情緒で商売は成り立たないことは自明の理。
 そしてまた、優れたカメラやレンズが良い写真を撮ることとは直接的にはまったく無関係であることを自覚していたからでもあった。実際プロの世界では、どのような写真分野であれ、ライカレンズの醸し出す描写を求められることなどあり得ないこともよく承知していた。写真屋になって以来、仕事仲間や担当者とライカについての蘊蓄(うんちく)を傾けることは一度もなかった。

 少しばかり利いた風な言い草であるかも知れないが、ぼく自身は「ライカやハッセルブラド(スウェーデン製の中型カメラ。レンズはドイツのカール・ツァイス製)に育てられた」といっても過言ではない。育っていればの話だが。
 高性能カメラやレンズに見合う写真を撮らなければ申し訳が立たないとの一種の義務感が、向学心を煽り、ぐうたらな身を鼓舞してくれたように思えるのだ。

 ぐうたらでないアマチュアの好事家(こうずか)に、時折ぼくは自身の体験を踏まえて、冗談12%、本気度88%くらいの気持で「騙されたと思って、一度ライカを使ってみなさい」という。性能はもとより、その手触り、デザインやメカニズムの美しさも秀でており、手にした時の、気分の高揚感は他では得られぬものがある。
 ぼくの確たるメッセージに洗脳された人も過去に何人かいる。彼らがライカに恥じぬ写真を撮れるようになるかどうかはぼくの関知するところではないけれど、良い意味でのこだわりは写真に対する理解と上達を支えてくれるものだ。こだわりは身銭を切ってこそ価値がある。

 ライカはあくまで端的な例だが、ぼくのお伝えしたいことは、経済的に許容できる範囲で精一杯のものを持てということに尽きる。ケチってはダメ。写真は一点豪華主義が通用する世界だ。その一点に技術や感覚が引きずられるという道理に気づかずにいるのは不幸というもの。ケチる人は自身の能力を過信しているのではないかとさえ思う今日この頃。

http://www.amatias.com/bbs/30/363.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:群馬県太田市。

★「01太田市」。
写真を撮る前に、10分ほど看板を正面に見上げながらボーッと突っ立つぼく。様々な思いに耽りながら突然「撮らなくっちゃ!」。
絞りf10.0、1/50秒、ISO160、露出補正-1.67。

★「02太田市」。
大通りに面してたくさんの風俗店などが建ち並ぶ不思議な街。
絞りf9.0、1/125秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03太田市」。
駅近くの路地裏。看板には「憩いの家」とあった。シミだらけのモルタル、築何年だろうか?
絞りf13.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2017/09/01(金)
第362回:極寒での撮影
 出版社・新聞社・旅行代理店の共同依頼を受けての、厳冬期の旧ソビエト連邦(現ロシア)長期ロケを終えて、休む間もなく酷暑のマレーシアに飛び込んだぼくは、急激な気候の変化によって人間の体がどう反応するかにも関心があった。この時の気温差は実に80℃もあり、また湿度も大きく異なり、いくらぼくが脳天気であるとはいえ、不安がまったくなかったわけではない。だが撮影となればそんなことに頓着することもなかったし、常に好奇心が勝ってしまうものだ。

 数多の動植物は過度の気候変動によりとたんに生命を絶ってしまうのだから(種の保存ができない)、人間だってこの限りではないと考えても不思議はない。人間には叡智というものがあるので死ぬことはなくても、体調に何らかの異変を来すことだって十分にあり得る。
 ただ人間は-50℃ 〜 +50℃の世界にしぶとく力強く適応しながら生き長らえてきたという事実を踏まえながらも、だからといってまったく支障を来すことはないとするのは、あまりにも安易に過ぎるとぼくは考えていた。

 環境の違いにより、肌や目、毛髪の色、汗腺数までもが異なり、その土地の気候に合わせて気の遠くなるような年月をかけて人間の体は変化してきたのである。ある学説によるとこのような遺伝子の育成には最低でも5万年を要するのだそうだ。即座に順応できるはずがないのである。
 
 東南アジアの観光ツアー客が、冬のモスクワでヨールカ祭(ヨールカとは、もみの木。新年をはさんだ2週間に行われる祭り。西側でいうクリスマスのようなもの。ロシアは1月が最も寒い)を楽しみながらも未体験ゾーンの寒さに縮み上がり、息も絶え絶えになりながら硬直した体で街を這っていたのを2度目撃したことがある。彼らにしてみれば、野外観光どころではないという様子だった。
 -22℃の厳寒のなか、ペテルブルクでぼくは彼らに「ロシア人のようにアイスクリームをなめながら街を闊歩してみたらどうか」と冗談めかしにいったことがある。「アイスクリームのほうが外気温より高いのだから」と屁理屈のような科学的考察をつけ加えた。

 また、あの極寒のなか、川や湖で水着一丁、寒中水泳を楽しんでいる彼らを何度も目撃し、ぼくはそれをカメラに収めている。日本人のように暖を取るための焚き火さえ彼らは必要としない。「暖を取るくらいなら寒中水泳などしなくていいのではないか」とロシア人は事もなげにぼくにいった。
 -20℃での寒中水泳など人間業とは到底思えないが、人間の適応能力というのは斯様に凄まじくも巧みなものだ。温帯の生ぬるい気候環境に生まれ育った日本人と彼らとの価値観の共有など端から無理というものだと、ぼくは暴論を吐く。
 余談だが、ナポレオンもヒトラーもロシアの極寒に阻まれて征服することができなかったというのが歴史的事実である。ロシアの軍人は極寒への適応能力が生まれついた時から備わっており、したがって、あの人たちとは冬に戦火を交えてはいけないというのは、決して暴論ではない。

 マレーシアに話を転じると、ぼくのガイドを引き受けてくれた麻薬Gメン(捜査官)たちは、街を練り歩いても一滴の汗も流さない。彼らは汗をほとんどかかないという事実にぼくは驚愕さえした。ぼくといったら、汗を滝のように滴らせながら、30分に一度冷えたコーラを喉に流し込んでいた。ビールではない! 汗止めに貢献するはずのバンダナもこの時ばかりはほとんど用をなさなかった。バンダナを通り越して汗が目に侵入してくるのだった。
 「あなたたちはどんな時に汗をかくのか?」と聞いたら、「目を離すとすぐにいなくなってしまう日本のカメラマンがいる。我々が汗をかくのはその時だけだ」と笑い飛ばされたものだ。

 さて、ここからが写真の話となるのだが、暑さ寒さに影響を受けるのは人体ばかりではなく、カメラやレンズも相当な苦難を強いられる。特に極寒での撮影はすべてが機能停止となってしまうので、商売上がったりだ。
 -35℃になるとフィルムが凍ってしまい、巻き上げようとすると粉々に砕けてしまう。バッテリーも用をなさないので、内蔵の露出計も機能を果たしてくれない。装着した自動巻き上げを外し(当時、キヤノンのNew F1を使用)手動に切り替えるのだが、シャッターがやたら重くなる。レンズのヘリコイドは凍りつきねっとりと重くなる(当時はオートフォーカスなどといった小賢しいものはなかった)。
 そして何より難渋するのは、凍傷を防止するための二重手袋なのだが、フィルム交換時にはそれをひとつ脱がないといけない。針を指すような痛みが走ったものだ。素手でダイキャスト製のボディに触れれば指の皮が引っ付き、剥がれてしまう。
 ロシア製のグローブのような手袋は保温に優れてはいるものの、カメラ操作には不向きで、日本から持参したものは手が麻痺せずに辛うじて操作可能程度のものだった。
 暖を取り、表に飛び出して撮影するのだが、カメラやレンズが持ち堪えられるのは気温にもよるが、-30℃を下回ればせいぜい10分が限度。そのカメラを自作したキルティングの袋(ビニール袋は簡単に砕けてしまう)に包んでから車やホテル、レストランに戻る。でないと結露して当分の間使いものにならなくなってしまうからだ。
 これはフィルム時代のことだが、デジタルとなった現在でも不自由さはほとんど同じ。むしろすべてがバッテリー頼みのデジタルのほうが厄介だろう。もし近い将来-50℃でも機能するカメラができたとしても、体が適応できるまでにはあと5万年もかかってしまうのだから、生きている間にフィールドワークの叡智を磨いたほうがやはり得策である。

http://www.amatias.com/bbs/30/362.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:群馬県太田市。

★「01太田市」。
いろいろと年季の入った何とも濃厚な建物。駐車場には埃で汚れた廃車が2台。
絞りf13.0、1/640秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02太田市」。
懐かしい映画(良い映画という意味ではない)の看板たち。「太陽の季節」のなんと卑猥な写真であることか。
絞りf10.0、1/80秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03太田市」。
太田市にはスナックや風俗店が建ち並び、写真を撮るには面白いところだ。
絞りf11.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。
(文:亀山哲郎)

2017/08/25(金)
第361回:麻薬撮影の御利益
 拙稿に限らず、ぼくは原稿を書く際の手続きとして、その前に必ず雪隠(せっちん。便所の意)に閉じ籠もる。自ら望んで雪隠詰めとなる。生理的な欲求のあるなしに関わらず、ロダンの『考える人』のようなポーズで便座に、あるいはズボンをはいたまま蓋に腰掛けて思索を練る振りをする。来たるべき執筆を前に、偉っそうに事を構えるのである。文章の、出だしの取っ掛かりさえ掴めれば “出たとこ勝負” で思いつくまま、一気呵成にほとんどの場合筆が進む。な〜んてまるで物書きのような言い草だ。

 前もって準備を整えたり、計画性という建設的な(かどうかは甚だ疑問だが)才覚にまったく欠如しているぼくはいつだって “出たとこ勝負” だ。それは精神を解放させておく良い手立てだと自己弁護をしておく。自他ともに認める感覚人間であり、熟慮なしに勘に頼って行動に移ってしまう軽薄さは免れようのないものだが、ぼくはそうやって生きてきたのだから、今さら変えようがない。
 人生の設計図を賢く描いたり、自身で引いた線路に頑なに従う人々を眺めていると、「なんと退屈で窮屈な歩みなんだろう。ぼくには到底不向きだ」と、かりそめにも投げやりな言辞を弄してしまう。
 そのような性向は、写真という創造的作業に於いて百害あって一利なしとぼくは明言して憚らない。前号に述べた「破綻」についての解釈の一部として捉えていただければいい。

 ぼくが用意周到な心がけで事に臨むのはカメラを首からぶら下げた時だけ。撮影は突発的な事態の連続のようなものであり、理想的な状況や条件が揃うことはごく稀なので、柔軟な物差しを用意しておかないと対処できぬものだ。どのような状況にも対処できる技術と知識、アイデアを用意しておかないと、写真はいつだって“出たとこ勝負” となってしまう。
 幸運にも感情を痛く鼓舞されるような被写体に巡り会った時にこそ、甲(かん。高い音。ある音に対して1オクターブ高い音)を走らせたり、気のぼせすることなく、一歩引きながら用意した物差しに照らし合わせ、淡々としつつも、まなじりを裂いてシャッターを押す。これが撮影に於けるフィールドワークの原点ではなかろうか。

 23年前の1994年、ぼくはマレーシア政府の依頼により「麻薬撲滅キャンペーン」(Anti-Dada)の撮影を、延べ40日間にわたってしたことがある。46歳の時だった。
 当時のマレーシアは先進国への仲間入りを果たそうと、マハティール首相の提唱する「ルック・イースト政策」(日本に学べ)の真っ最中だった。ただ、近くに「黄金の三角地帯」(タイ・ミャンマー・ラオスの国境にまたがる麻薬密造地帯)が存在し、そのために麻薬汚染が深刻で、様々な問題を抱えていた。麻薬の価格が子供の小遣いで買えるほど安価だったため、その類の犯罪は少ないのだが、麻薬は精神と肉体を蝕んでいくことに変わりはない。また、ヘロイン中毒は覚醒剤中毒に比べると他人に危害を加える頻度はかなり低いと捜査官はぼくに伝えた。

 政府お抱えのもと、麻薬撲滅のための一大キャンペーンが張られ、どのような経路を辿ってぼくに撮影のお鉢が回ってきたのかあまり記憶が定かではないのだが、当時撮影制約だらけの困難極まる旧ソビエト連邦で横着に振る舞っていたぼくに担当者が目を付けたようだった。
 ぼくはこの依頼を二つ返事で引き受けた。麻薬や中毒患者に興味があったことと、場数を踏み自身のフィールドワーク練磨に最適な条件であろうと思ったからだった。待遇も非常に良かったが、麻薬捜査官2人に脇を固められて撮影したフィルムはかなり際どいものも含まれており、すべて国外持ち出し禁止とされてしまった。
 「麻薬問題はマレーシアばかりでなく、全世界的な問題なのだから、啓蒙的な意味も含めて他国でも公開すべきだ」というぼくの主張は、「反マレーシア宣伝に使われる恐れもあるので許可できない」とのことだった。残念ながら当時のフィルムはぼくの手許にはなく、ここでお見せすることができない。

 酷暑のマレーシアを訪れる2ヶ月まで、ぼくは極寒のシベリアやロシア北部で右往左往していたのだった。
−25℃ 〜 −45℃に耐えた体が、連日+32℃を超える湿気満点の世界へ即座に鞍替えできるものかどうかという興味も尽きなかった。凍死や凍傷という無分別なる恐怖から比べれば、熱帯での活動は無慈悲ではあるが、死と直面しないだけずっとましである。啓蒙的精神を試されるのは、酷暑のなかで汗だくになりながらカメラを振り回さなければならないぼくの職人根性だけだった。

 ぼくは1日休暇を取り、貸し与えられた特大のベンツを駆って田舎に出かけた。仕事を離れた平和で穏やかな条件下、スナップ写真をカラーポジフィルムに収めた。
 ぼくの世話をしてくれた人が中規模のスタジオを経営しており、そのスタジオでついでとばかり何人かの州知事のポートレートを大型カメラで撮ったりもした。
 田舎で撮影したカラーポジフィルムはいつものようにクアラルンプールにあるコダック現像所には出さず、世話人のスタジオの助手君たちに任せた。
 現像のあがったポジフィルムを見てぼくは仰天。ポジフィルムの現像を誤ってネガフィルムの現像工程を用いてしまったためだった。期せずしてぼくは「クロス現像」の予期できない発色を、遠く離れたこの地で身をもって体験してしまったというわけである。

 後にも先にも、実際の「クロス処理」はこの一度しか経験していないが、ぼくの使用しているデジタル画像ソフトには多種多様で、きめ細かく調整可能な「クロス処理」のシミュレーション・プリセットが豊富にある。
 マレーシアでの発色イメージを勝手に頭の中で思い出し描いてみた。「クロス処理」に「ブリーチ・バイパス」(Bleach Bypass。邦訳で “銀残し” と呼ばれる現像処理で、一般的に彩度が低くなり、コントラストが強くなる。暗部が潰れがちになる。独特の風合いを醸す)を加えたものを1枚掲載。
 酷暑の麻薬撮影行は「クロス処理」という思わぬ御利益!? をもたらしたのだった。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/361.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県足利市。

★「01足利市」。
雨上がりの大門通り。「クロス処理」に「ブリーチ・バイパス」を加え、画像処理をした。入道雲が白飛びしないように慎重に露出補正をする。
絞りf10.0、1/320秒、ISO100、露出補正-2.33。

★「02足利市」。
一天にわかにかき曇り、雷鳴が轟き、瞬く間に豪雨。トタン張りの駐車場に緊急避難。赤い塗装の商店と豪雨間近の空気感を。
絞りf9.0、1/40秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03足利市」。
年季の入ったアパートと白ペンキの剥げかかった民家。焦点距離16mmの超広角だが、もう僅かに広角が(14mmくらいが)欲しいところ。アパートの白壁の質感を飛ばさないように露出補正。「ブリーチ・バイパス」の処方を交える。
絞りf11.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2017/08/18(金)
第360回:絵はがき写真
 お盆のさなか、回向(えこう。死者の冥福を祈り仏事供養を行うこと)をたむけようと鎌倉の菩提寺に赴いた。母の新盆でもあり、仏事や信心に疎く滅多に墓参りなどしないぼくも否応なくといったところだった。順に従えば、次はぼくの番でもあるので、不義理ばかりしているご先祖様への挨拶がてらという意趣含みだった。ぼくは入念に墓石を洗い流し、磨いた。

 翌日、お寺さん(関西弁?)からいただいた10枚1組のポストカードを開けてみた。ポストカード制作者の名誉のために寺の名称は伏せておくが、ケースには仰々しくも「史跡・名勝○○寺」と銘打ってある。
 確かにここは「史跡・名勝」であるに違いないのだが、この制作物は「史跡・名勝」というにはおよそ縁遠く、それに似つかわしくないクオリティだった。作りは立派なもので寺の解説文も英語併記と、それなりの気の遣いようなのだが、如何せん肝心の写真がベタ過ぎて、底意地の悪いぼくなど苦笑を禁じ得ずだった。

 いわゆる「絵はがき写真」をぼくはネガティブな意味で用いることがある。写真評の時なども「他はいざ知らず、ぼくの倶楽部に絵はがき写真は要らない」と公言している。「絵はがき写真」は写真の手続き上あって然るべきものなので、それ自体を否定しているわけではないが、写真の趣味を深化させるものとして、あるいは自己表現の手法として、「絵はがき写真」はあくまで途上のものであり、終着駅ではないと考えている。
 ただ、趣味として写真の上達を願うのであれば、その手順として「絵はがき写真」は良い手本となる。1枚の写真のなかに様々な情報を構図も含めてほどよく配置し、言葉では伝えきれない要素を上手く写し取ることは決して易しいことではない。
 また、写真を始めようとする人たちが「絵はがき写真」をひとつの通過儀式や関所とするのは大変けっこうなことだと思っている。「絵はがき写真」は誰が見てもきれいと感じさせることが必要条件でもあるからだ。きれいにしっかり撮ることは基本中の基本であり、まず事始めの目標とするのは賛成である。

 それを重々承知の上で敢えてぼくがいいたいことは、写真を撮る目的が自分のためであるのか、あるいは他人のためであるのかをよく問い質してみることだ。
 陶芸を例に取り端的な言い方をすれば、日常テーブルの上で使われる雑器を極めるのか、あるいは自分の美に対する信念や感情を表現したいのか、つまり美術工芸的な器を作りたいのかということである。志がどこにあるのかという問題である。これは無論善悪・正否をいっているのではない。
 ぼくの希望を申し上げれば、アマチュアの方々は写真で金銭を得るのが目的ではないはずだから、観覧者におもねるような大衆迎合的な写真の方向には向いて欲しくない。私たちの、個々人は人類始まって以来の唯一の存在である。同じ人間は二人としていなかったし、未来もそうだ。私たちは、自分は唯一の創造者であるという高い志を持っていいのではないかと思っている。

 誰が見ても美しいものは表現や作者のアイデンティティを保ちにくいものだ。あなたがそれを撮る必然性が希薄であるからだ。絵はがきやガイドブックにあるような写真、ぼくはそれを「通り一遍」という。「通り一遍」の写真を観覧者に「きれいですね」と褒められて果たして嬉しいだろうか? 
 必然性のないところに創作は生まれない。そしてまた、「絵はがき写真」に囚われている以上深化は望めないと明言しておこう。

 どんなに科学が発達しても、写真というものが存在する限り、それはあくまでフィクションの域を出ることはない。被写体を選びどのようにして感情や思索を二次元の世界に昇華させるかはいつも人間の手によるものだとぼくは信じていたい。フィクションこそ人間の味わいであり、価値でもある。
 AI(人工知能)で撮ったものが遠からず出現するだろうが、AIが進めば進めほど、人間の誤りや破綻を避けるように仕組まれていく。それが科学の宿命でもある。

 しかしながら、人間の感覚的・技術的な「破綻」が大きな要因となって美を支え、生み出してきたのも事実だ。「破綻」が美を招いたともいえる。「破綻」をAIに仕込むことは可能だろうか?   
 ぼくは科学信奉者だと自認しているが、現在の科学は新しい知見により必ず修正される。したがって、現在の科学は恐らく未来から眺めれば間違いだらけだろう。私たちは正しいことを正しいと思うのではなく、現在の科学や知見により納得できることを正しいと思うだけだ。

 「破綻」のないAIは恐らく素晴らしくクオリティの高い「絵はがき写真」や雑器を可能にし、人々はこぞってそれをありがたく思い、金銭の授受が執り行われる。ぼくはそれを受け入れ、あまねく甘受もするが、自分の写真は「破綻」によるほころびを大切にしたところから始めたいと願っている。

http://www.amatias.com/bbs/30/360.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:栃木県足利市。

★「01足利市」。
廃屋となった足利東映劇場。12年前に訪問した時はまだ現役として頑張っていた。いつ建てられたかは分からないが映画館としてはモダンな佇まいだ。
絞りf11.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02足利市」。
当劇場の右につながる建物で、こちらも廃業したスナック。蔦に絡まれて痛々しくもあった。
絞りf11.0、1/80秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03足利市」。
表通りに現役のラーメン屋さんがポツンと一軒。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2017/08/04(金)
第359回:写生のすゝめ
 仕事や約束がない時、ぼくの目覚めは極めて自然流だ。元来、宵っ張りの朝寝坊だから何事にも急(せ)くことを知らない。陽はとうに昇りつつも、まどろみながら「今日は何をしようか? どこへ行こうか?」とまだ覚醒していない頭であれこれ思いあぐねる。あぐね果ててベッドを蹴るのがぼくの日課だが、その前にベッドの横に置かれたiPadに手を伸ばしメールチェックをする。
 発信時刻を見ると多くが午前6時から9時までに書かれている。この信じ難い事実は驚愕に値する。ぼくにしてみれば、まさにおどろおどろしい事態である。「この人たちの人生、大丈夫か? 世の中には恐ろしい人たちがいるものだ。ホントに大丈夫だろうか?」とぼくはお節介ながら本気で危惧するのである。

 こんな時間帯に、血流が盛んに巡っている人々の思考や感覚とぼくのそれがそもそも一致するわけがないのである。ここに大いなるズレがすでに生じている。このような一族と価値観を共有するのは端から無理というものだ。
 残念なことに、ぼくのような人間はごく少数派であるらしく、したがって、どうしても “族” や “衆” にはなりきれない。因って、幸か不幸か徒党を組む習性には恵まれず、常に孤独な戦いを強いられる。カッコ良くいえば “孤高” であり、カッコ悪くいえば “はみ出し者” ということになるのだろう。写真屋は、人と違うことにこそ自己のアイデンティティを見出すのだから、それでいいことにしている。

 今朝も8時11分発信のメールに、「朝から電車の保安装置故障で大幅に遅延しゲンナリしています。今、激混みのホームからメールしています・・・」という急を要するわけでない通知を受け取った。このことは、同情より憐憫の情を誘う。まことに健気というべきか。
 ぼくなど人いきれで窒息しそうな新宿駅構内を歩いただけでも、すっかり厭世的になり、絶望の淵に沈み、そして暗黒の闇に放り込まれたような気分になるのだから、「激混み」(ぼくの言葉ではない)のホームでスマホを操作するその精神的血流の活発さにはほとほと感心する。それは若さゆえの、宝ともいうべきものだろう。

 私的写真の撮影を半月ばかりさぼっている間、久しぶりに観察眼を養う目的で2度ばかり写生に出かけた。絵の出来映えには頓着せずに済むので至って気楽である。以前、写真上達のひとつの手掛かりとして「写生のすゝめ」を記したことがある。写生は、普段無造作に写真を撮ることに馴れてしまっている自分に気づく良い機会を与えてくれる。被写体を観察する前にシャッターを切っているという誰にもありがちな過ちに気づくこともできる。
 光と影(コントラストやグラデーション)、質感、色彩などの学習に写生ほど効果的なものはない。

 乱暴にいえば、肉眼で見たものを二次元の平面に投影する手法は写真も絵も大した変わりがない。変わりがあるとすれば、絵は肉眼によるもの、写真はレンズという光学システムを通過させることぐらいだろうか。絵は絵筆で画用紙をなぞり、写真は光で印画紙をなぞるのだ。
 また、写真はレンズを媒介するので(レンズを媒介しないピンホール写真などもあるが、一般的にはレンズを使用する)、焦点距離によりそれぞれに遠近感(パースペクティブ)が異なる。被写体や構図上の遠近感はレンズの焦点距離により決定される。
 焦点距離が短くなればなるほど(広角になるほど)近くにあるものはより大きく、遠くのものはより小さく表現される。望遠はその逆の効果を生じる。写真は機械任せ(レンズ任せ)のところがあり、その機械を如何に巧みに操るかという尽きせぬ課題はあるが、時代はデジタルとなり、暗室作業に於いては、明度・コントラスト・色彩・質感描写などが自在に、しかも精緻に操れるので、より絵画的操作が可能になったのではないかとぼくは感じている。

 写生をしながらぼくは妙なことに気づいた。写真のために写生をしているのだが、写生をしているうちに、ぼくの目が実は肉眼ではなくレンズを通した見方になっているということだった。消失点についてもまるでレンズのような見方をしている。また、主被写体を描きながら、その前景や後景をどの様にぼかすかなどに思案している自分がいるのだからおかしい。
 また、折りたたみ椅子に座った低い目線から主題を見上げると両脇にある垂直線は天の一点に向かって傾(かし)ぐはずだから、焦点距離24mmくらいのレンズになり切って描いてみようとか、思わぬところで写真があれこれと横やりを入れてくる。すっかり自分の体質が写真人間に染まっているようで、炎天下苦笑しながらも、お気に入りのお百姓さん麦わら帽を被り、気分はまるでゴッホ。描く絵はA. ワイエス(アメリカの画家。1917-2009年)風に、とはいかなかった。

 目下ぼくはカラー写真の勉強中なので、鉛筆によるデッサンではなく、水彩画だったが、アメリカの水彩画家D. キングマンの手法を真似た。ぼくの絵など人様にお見せするような代物ではないが、やがて体が衰え、早足で撮影できなくなったら、椅子に座って絵を描いているのかも知れない。縁のほつれた麦わら帽は日に焼け、茶褐色を呈し、急くことなく筆を握っているのだろうか。

そうそう、来週はお盆のため休載だそうです。どうぞ悪しからず。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/359.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
撮影場所:埼玉県川越市。

★「01川越市」。
木造家屋の薄暗いなかに生花の束が。花屋であるような、ないような。軒下からそっといただく。
絞りf6.3、1/20秒、ISO100、露出補正-2.67。

★「02川越市」。
路地裏で見つけたこの風景に思わず佇み、何となく良い気分で撮ってしまった。
絞りf7.1、1/200秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03川越市」。
郷愁を感じる長屋と棕櫚。傾いた板塀が盛んに自己主張をしている。
絞りf11.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)