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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2012/02/24(金)
第90回:放蕩のすすめ
 前回、トリミングの考え方についてお話ししましたが、少しだけ補足をしておきます。小型カメラ(35mm判フルサイズ36mm x 24mmを頂点としたそれ以下のサイズの受光素子を持つもの)でも、商業写真や印刷物を目的にしたものなどはデザイナーを介して使用されますから、トリミングを前提として撮影をします。「撮影をしておきます」という方がより正しい言い方です。どのようにでもトリミングできるように撮影時から心がけます。その場で撮った写真をモニターで見ながら「これでトリミングできる? 大丈夫?」とデザイナーや担当者にお伺いを立てるのが通常の手順ですから、なにがなんでも絶対にノートリミングというわけではありません。私的写真のフレーミングより、後でトリミングのできる余地を残して少し引き気味に撮影しておくのが普通です。

 商業写真などはカタログやポスター、雑誌やリーフレットが主なる目的ですから、クライアントの意向に沿って作られ、どのようにトリミングするかはデザイナーのセンスに負うところが大です。カメラマンは色調を整えたりコントラストを調整したりしてデータを納品するまでが仕事で、自分でトリミングすることはありません。写真をよく見せるも悪く見せるのもデザイナーの腕次第というところです。
 これはプロの世界のことだとお考えかも知れませんが、デジタルが市民権を得た昨今は編集者やライターが取材現場でプロのカメラマンに頼らずに自分たちで撮影することも多々ありますし、時によってはアマチュアでさえそのような場に駆り出されることがあるようですので、目的によっては撮影時からトリミングを前提にして撮っておかないと、デザイナー諸氏を困らせることになりかねません。

 また、私的写真であっても中判・大判カメラはトリミングを前提として撮ることの方が多いように思います。ぼくがフィルム時代に使用していた中判カメラは縦横比が6cm x 6cm の正方形でしたから、できるだけ正方形で構図を整えるように工夫したものですが、いつもそれで思い通りのものが得られるわけではありませんから、トリミングを前提として撮影することもありました。以上がトリミングについての補足です。

 過日、ある団体からの依頼で写真の基礎講座を2時間お引き受けしました。プロとして長年この世界で飯を食わせていただいてきましたので、そこで培った技術的なことや考え方を一般の写真愛好家の方々に還元すべしという熱い?使命感と義務感を持っていますが、今年はなぜか写真以外のテーマについて講演を依頼されることが多々あり、あと2回都内と地方の大学で異なったテーマについてのべ6時間の講義をすることになってしまいました。ぼくにその資格があるかどうかは非常に疑わしいところですが、それはともかくも、写真屋が一体何をやっているんだとの気持ちに襲われています。昨年末から地方紙ですが、マイク片手に講演をする怪しげなオヤジのバストアップ写真が恥じらいもなくデカデカと2度も掲載され、これですっかり面が割れてしまいました。スナップ写真をこそこそと撮る身に至っては、面が割れるのは困りものです。
  
 しかし、考えてみるとぼくにとって写真以外のテーマについてお話しするよりも写真の話をする方がはるかに難しいことに気がついたのです。原因をあれこれ探ってみるに、それは「写真をなまじ知っている」からであろうという結論に辿り着いたのでした。
 過日の写真講座でも聴講者の方々から様々な質問がありました。「そのご質問にお答えするには実は5時間くらいかかりますけれど・・・」と言い逃れを試みようとするのですが、実直なぼくはそうも言っておれないのでできるだけ簡潔にお答えしようと(汗)。“これを説明するには、このことにもあのことにも触れておかなければならない”という思いが瞬時に脳裏をかすめるものですから、難儀を極めてしまうのです。「知らぬは仏、見ぬが極楽」とはよく言ったものだと思います。
 カメラの構え方についてもお話ししました。なぜ構え方が大切なことかといえば、すべてがブレに帰結するのですが、ブレのテーマだけで納得いくようにお話ししようとすれば優に2時間はかかってしまいます。本当は話し手が納得するようにお話ししたいということだけなのかも知れません(再び汗)。

 熱心な担当者から「どのメーカーのカメラがいいですか?」ということも訊かれました。この類の質問はかなり頻繁に受けますが、質問者の心情を察するに余りある事柄のようにも思えます。各メーカーには様々な利点があることは重々承知ですが、質問者の好みも百人百様。質問者はメーカー名をあげて具体的な機種やレンズ名を欲しているわけで、そこでメーカー品についてあれこれ申し上げても個人の好みに合うかどうか、それもまた埒の明くことではありません。でもなにか言わないと恨みを買う。
 そのような時ぼくはいつも「あなたのあらゆる財産を質に入れて、騙されたと思ってライカ(ドイツ製カメラLeica)をお買いなさい」と真面目に申し上げます。趣味の世界ですから懐具合など黙殺しての放蕩をしてみて、初めて味わうことのできる深い世界があるからです。20代にして迂闊にもその深淵を覗いてしまったぼくは、分不相応にライカに取り憑かれ、ドツボにはまってしまいました。そういう人間がいうのですから間違いありません。それで写真が上手になるという保証はありませんけれどね・・・。
(文:亀山 哲郎)

2012/02/17(金)
第89回:トリミングについて
 写真に関わりを持って、というよりは自分のカメラを所有するようになってという方が正確なのでしょうが、先月の誕生日に過去を思い返し、ぼくは都合55年間もカメラを振り回していたことに気がつきました。様々な趣味に没頭して、途中写真を中断した時期もありますが、最後まで飽きもせずしぶとくしがみついていたのが写真だったというわけです。編集者を経てプロの写真屋になる決意とともにすべての趣味を放棄し、家族も失いかけて(実際には危ういところで捨てられずに済みましたが)、以降写真一筋に生きてきた、というと聞こえはいいのですが実際には他のものにかまけている余裕がなかったというところなのでしょう。

 アマチュア時代に地元の某写真連盟に所属したことはありますが、「得るところなし」と3回通っただけで辞めてしまいましたから、長いアマチュア時代は実質一人で黙々と写真して(変な日本語)いました。
 ぼくの青年期は今ほど情報氾濫のない時代でしたから、頼りとするものはぼく自身が普遍的な美を包摂すると認めた写真家の写真集と海外の手引き書だけでした。写真集も今のように雑然とした流行歌的なものは少なく、淘汰されたものが書店に並んでいましたから、どれを手にとっても見応えのあるものを探しやすかったのです。ある意味では仕合わせな時代でした。ただ洋書がほとんどでしたから高価であったり、“Books In Print” (米国で入手可能な図書目録)をたぐりながら欲しい書籍を取り寄せてもらったりしていました。

 ぼくは当時から反欧米でしたけれど(良い部分だけちゃっかりいただけばいい)、こと写真の指導書に関して日本はまったくの後進国で、日本で出版されたその類は「勘」や「科学的根拠が希薄で個人的なもの」を拠り所にしたものが大半で、その伝欧米のものは合理的かつ論理的で、科学を無視したところでは何も成り立たないという考えにぼくもまったく同意していましたから、海外から取り寄せるしかありませんでした。どんな芸術分野も半分は科学で成り立っています。

 ぼくの高校時代から青年期に至る頃は、土門拳の提唱した「リアリズム写真」が隆盛を極めていたように記憶していますが、“写真はこうあるべきだ”というファッショ的“べき”主張には「リアリズム写真」の好き嫌いとは別に、ひどく抵抗感を覚え「クソ・リアリズム」なんて揶揄していました。ぼくの写真はどちらかと言えば土門拳言うところの「絶対非演出の絶対スナップ」という点に関してだけは「リアリズム写真」的傾向なのでしょうが、何が「リアリズム写真」なのか未だによく分かっていません。そんなことどうでもいいさ、というのが本音です。

 しかし、当時すでに神格化されたスナップの名手H. カルチエ=ブレッソンは一切のトリミングをしないという言説には大いに共鳴、共感させられました。つまり「ノートリミング」という意味ですね。
 35mm写真に於いて、この説だけは未だ金科玉条のようにぼくは守り抜いています。トリミングをしなければならないのは撮影時点ですでに失敗しているとぼくは考えます。ファインダーを覗いて隅々にまで目が行き届かず注意力も集中力も散漫になっているから、必然構図も曖昧で、トリミングをしなければならないという事態に追い込まれるのだと自分に言い聞かせています。質の良くないダメ写真はトリミングなどで救えるものではありません。撮影時の失敗を棚に上げて、トリミングをして後で取り繕うなんて男らしくないぞと戒めているのです。

 35mm判はただでさえ受光面積が小さいのですから、それをトリミングすると解像度も画質も悪くなってしまいます。ぼくは「ノートリミング」作法を他人に押しつける気はありませんが、パララックスと呼ばれる視差修正程度は致し方ないと思いますが、「画面面積の半分以上をトリミングして、こうやったんですよ」と自慢気におっしゃる方がしばしばおられます。それで写真が上達するはずもなかろうと思います。あるいは撮ってきた写真をモニター上で見て、真っ先にどうトリミングをすればいいかを考える人も似たり寄ったりでしょう。

 画家は与えられたキャンバス上で構図を考え、目を広角にしたり望遠にしたりして選んだ画角をそのキャンバスに寸分の狂いもなく収める作業を強いられます。画家がキャンバスをトリミングするなんて聞いたことがありません。写真も同様に、決められた3:2 もしくは4:3 の縦横比に被写体を最も適切と思われる画角に配置し、収めなければなりません。構図は求心力や訴求力に大きな影響を与えるからです。

 そして、印画紙一杯にプリントをしてしまうと印画紙の縦横比と写真のそれとは異なりますから、自分の意図しないところで自動的にどこかがトリミングされてしまいます。いわゆる「縁なしプリント」ってのは困りものです。印画紙に余白を残してノートリミングでプリントするよう心がけるのも上達の一方法です。

 写真クラブを始めた頃、写真評をする際に、印画紙一杯にプリントされたものを見せられても何がトリミングされているか分からないので評価のしようがないとよく言ったものです。

 どうして人は印画紙一杯にプリントしたがるのかなぁ〜? ぼくのような貧乏人でさえ、印画紙にはかなりの余白を残してプリントしているのになぁ。
(文:亀山 哲郎)

2012/02/10(金)
第88回:写真雑記
 技術的な話が続きましたので、ここらで息抜きとして、今回は写真にまつわる無駄話をいたしましょう。

 某出版社の編集部より電話があり、読者と覚しき方からぼく宛の書簡が届いているのでお送りすると言ってきました。2日後にかなり厚手の封書が届き、キーボードを叩く手を休めつらつらと読んでみるに、差出人の主たる訴えは写真と共にプリント技術をさらに磨きたいというものでした。写真に賭ける本質的な願いです。
 「良い写真を撮るためのポイント」や「美しいプリントを仕上げるにはどうしたらいいか」、また「カメラやプリンタ、印画紙は何を使用しているのか」、「フィルムかデジタルか、どのような処理を施したのか」等々が何項目かに細分化されて述べられ、どうかご教示願いたいと。
 紙面によると、その方は昨年ぼくが写真メーカーの大きなギャラリーで催した個展に来場されたそうで、その時の印象が忘れられず思い切って手紙をしたためることに相成ったとのことでした。
 在廊時、来場者からの質問もほとんどが上記と同じような事柄でした。

 ぼくはできる限り誠実にお答えすることにまったくやぶさかではないのですが、う〜ん、いつもこのタイプの質問に最も窮してしまうのです。なにが良い写真なのか、どのようなプリントが美しいのか、その基準となるものは好き嫌いに関わりなく、ぼくなりにかなり明確な尺度と感覚を持っているつもりなのですが、それを他人に伝え、理解していただくのは容易なことではありません。理解をいただいたとしても、質問者にとってどれ程有益なものとなるか窺い知ることはなかなかできないものです。
 時間をかけてお伝えしたところで、では撮影やプリントを実際にどの様にすれば質問者の当を得て、願いを適えられるのか。それを見ず知らずの方に指し示すことはとてもむずかしいことです。なにか思い余っての手紙でしょうから、やはりその文面からはただならぬ必死の形相が見え隠れしています。面識のない分、ぼくも硬直しながら静々とお答えするようにはしていますが・・・。(※お手紙をいただいたご本人の了解を得て、これを書いています)

 ぼくの写真クラブに於いてさえ、「この写真はどうやって撮って、どのように仕上げたのか? かめやまさんの言う通りにやったのだけれどできないじゃないか! 絶対になにか魔法の粉を振りかけているに違いない。なにか懐に隠しているに違いない。出し惜しみしないでちゃんと正直に教えろ、ケチッ!」と、あらぬ疑いをかけられ、理不尽な言葉の嵐に見舞われるのです。「デジタルは科学なのだから、魔法の粉なんてありゃしないっていつも言ってるでしょ。このわからんちん!」と、毎月顔を合わせていてもこの有様ですから、ましてや初対面の方には言い知れぬ慄きを覚えるのです。教えられたことを忠実になぞっても同じものを作ることはできないものだという真理を理解してもらうことから始めないとなりません。理解しても事が思うように進まぬ時、人の性として、友人と言えども猜疑心というものはなかなか拭い去ることができないもののようです。

 ただ「良い写真を撮るためのポイント」に関しては、「ぼくもよく分からない」というのが嘘偽りのない答えです。ぼくが教えて欲しいくらいです。でも、こう言ってしまうと「よもやま話」は成り立たないことにもなり兼ねませんので、ぼくは上達の確約ができる(と言い切る自信はないのですが)事柄を抽出して、88回も回を重ねているようです。

 基本に徹するのはプロもアマも同じですから、ぼくは常にその部分に固執しています。いや、下手くそなぼくなどそこにしがみつくしかないのかも知れません。基本を身につけないと応用が利かず行き当たりばったりのものになってしまいます。その場しのぎなので、いくら写真が好きでも、いつまで経っても上達が見込めないということになってしまいます。特に写真は作者の技量や心情を直截に表わす表現形態ですから、決して誤魔化せない。そこが怖いのですね。写真はシャッターを押せば誰にでも撮れるものですが、撮影者の心情や美意識も同時に写し取ってしまいます。
 また一方では、基礎のないところに美しいものや個性も生まれないということも事実です。実に厄介なものです。

 そして抽象的なことですが、もうひとつの方法があるとすれば、良いもの、本物に親しむことが最良・最強のことではないのかなと思っています。美しいものに憧れを抱き、自分もそのようなものを作ってみたいと願うから写真を撮るのではありませんか? 美しいものを作り出すためには本物を知らなければ無理難題だし、それを具象化するためにはまず初めに基本ありきという、ちょっと回りくどいですが、そこに帰結するように思います。
(文:亀山 哲郎)

2012/02/03(金)
第87回:雪とスポット測光について(2)
 ぼくの所属する写真クラブの若人2人が愉快な病に冒され、「そんなわけで今写真が撮れないのです」と言い訳がましく訴えてきました。一人はまだ20代の若さで、デート中に痔の痛みに襲われ彼女を置き去りにし、撮影をも放棄して病院に駆け込み、もう一人は前立腺炎に見舞われ、おしっこをしてもしても、猛烈な尿意にさいなまれ身動きができず、とても撮影どころではないとのこと。ぼくは身を捩るような嬉しさがこみ上げてきて、ここぞとばかり「撮影に対する根性が足りない」とか「写真に対する詰めが甘い」とか、「だから膀胱や肛門が大炎上してしまうのだ」とか、命に関わるような病状ではないので、クラブの全員宛メールで悪罵、詰責、罵詈雑言のし放題。近年にないそのあらましに欣喜雀躍。「人でなし」などと言うなかれ。ぼくは同情したような振り(こちらの方がずっと「人でなし」)を決してしないとても正直なタイプの人間なので、小躍りしてその歓びを赤裸々に表現し、囃し立て、全員と分かち合おうとしたのでした。
 その直後、あと2日で64歳を迎えようとするぼくに腎臓結石という激痛の伴う病が襲いかかりました。なんとかやり過ごした2日後、朝から撮影だったのですが、再びその痛みに襲われ悶絶しそうになるのを冷や汗・脂汗とともに必死に堪え、担当者にも悟られず、血尿を振りまきながらしっかりと撮影をいたしました。撮影後、医者に直行し病名が判明したという次第。しかし、ぼくは彼らを嘲笑したことにまったく反省はなく、「写真に対する詰めが甘い」と啖呵を切った手前、どうにか人としての面目とプロとしての矜恃を保ったのでした。
 あっ、こんなことを書いて自画自賛してる場合じゃなかった。

 本題に入ります。「雪とスポット測光について」をお話しする前に、以前にも述べましたが反射光式露出の原理についてもう一度おさらいの意味を含めてお話ししておきます。反射光露出計とは物体の明るさを測り、それを18%のグレー濃度(下記URL参照)に置き換えて表現します。しかし困ったことに、どんな明るさの物体でも18%のグレーに表現されてしまうのでは、白を白く、黒を黒く表現できないことになります。現実の世界には画面のすべてが単一濃度ということはありませんが、この原理を知っておくことが「スポット測光」を使う際に必要となってきます。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/87.html

 まず、「白タオル」を撮ってみましょう。全面に均一な光が当てられ、タオル地は無地の同一濃度ですから、測光方式はどのようなものでもかまいません。

★「02.N」は、露出補正をノーマル(N)で白タオルを撮ったものです。露出の原理通り「01.18%グレー」とほぼ同じ濃度で示されていることがお分かりでしょう。真っ白なタオルが(純白というわけではありませんが)これでは困りますね。白いタオルをそれらしい濃度に表現するために露出の補正が必要となってきます。

★「03.+2補正」は、露出補正を+2 としました。つまりノーマルより2絞り分露出を多めにかけています。実は2絞りオーバー(露出過多)がタオルに限らず、物の質感(テクスチュア)を損なわずに表現できる限界なのです。ここが露出補正の最も重要なポイントです。これはデジタルでもフィルムでもほぼ同様です。この原則を科学的・論理的に述べたのがA. アダムスで、目を洗われるような彼の美しい写真表現(プリント)の基本となっています。
 同様にシャドウ部の限界も-2絞り分が質感描写の限界です。「05. -2補正」をご覧ください。

★「03.+2補正」より実物はもう少し白いので、このデータをPhotoshopの「レベル補正」ツールで右端の三角印をヒストグラムの山裾に被らない程度に左にわずかに移動し明度を増してやればいいのです。これで質感を失うことはありません。それが「04.+2補正を補整」で肉眼上のものとほぼ同一になります。

 さて、露出の原理が分かったところで「スポット測光」の話に移ります。

★仕事帰りコーヒーが飲みたくなり、行きつけのコーヒー店のベランダに残雪がありました。サンプル写真に好都合と思い、カメラの「スポット測光」で夕陽に照らされたテーブル上の雪を測りノーマル露出で撮ったものが「06.N」です。全体に露出不足で、これでは如何ともし難いですね。雪の白さが18%グレーに表現されてしまっているからです。

★そこで「白タオル」の原則に従って、「スポット測光」で測った値より露出補正を+2絞り分オーバーに撮ったものが「07.+2補正」です。雪の質感を失うことなく、ほとんど肉眼で見た白さ同様に表現されています。
 これが「スポット測光」の最大効用で、他の測光方式では画面にはさまざまな濃度がありますから、このようにドンピシャリという保証はなかなか得られにくい。ファインダーで被写体を覗き、もっとも重要な部分をどのくらいの明度にしたいのか、それを自在に、かなり正確に表現するための測光方式が「スポット測光」なのです。

 露出に自信がない時など、ぼくはひとつの基準として「スポット測光」で順光に照らされたアスファルトを測ることがあります。逆光や準逆光でなければ、厳密な順光でなくともかまいません。その値をAEロックし撮ればほとんど露出補正なしに平均的(安全な)な露出が得られます。応用として複数箇所を「スポット測光」で測り、カメラが自動算出してくれる賢い機能のついたものもあります。意図する露出値を正確に得るための方式が「スポット測光」と言えるでしょう。今日も余計なことを書いてしまったので、ちょっと分量が多くなりましたが、厳密な字数制限のないWebの最大効用にあやかりました。
(文:亀山 哲郎)

2012/01/27(金)
第86回:雪とスポット測光について(1)
 ぼくの住むさいたま市にも久しぶりに雪が降りました。雪景色というものは誰でもある種の情趣と郷愁をそそられるものです。雪と共にある生活とは普段あまり縁のない地域に住んでいる人たちにとって、それはなにか特別なものとして肯定的に受け入れることのできる一種特有な感覚であるのかも知れません。しかし、雪の多い地域で人目を憚らずに「情趣に富んだ」とは、なかなか言い出せる科白でないことは十分に承知しているつもりです。特にここ数日の日本海側や東北、北海道など、雪と悪戦苦闘している人たちに対してはなおさらです。
 そんなことを言えば、「いい気なもんだ。あんたたちは・・・」と言い返されることまず間違いなく、あるいは睨みを利かされることに相違なく、ぼくもその程度の慎みというか節操というか見識は持ち合わせているつもりではおります。あくまでも「つもり」であります。

 しかし、写真愛好家にとって一応はものの分かったような振りをしながらも、やはり偶の雪景色を目の当たりにしてしまうと、「いいねぇ、きれいだなぁ」と感嘆しつつカメラを引っ張り出してしまうのも人情なのでしょう。
 風景を風景写真として意識して撮ることのほとんどないぼくでさえ、カメラを持ち出さずとも(単に怠惰なだけ)、「この場合、雪を止めるべきか、止めるのであれば背景に何を持ってきて、どうコントラストをつけるのか。それとも雪を流して撮るべきか。流すとすればどのくらい流し、であればシャッタースピードをどのくらいに設定するか。この情景では、積もった雪の質感描写はどの程度に表現したらいいか?」などなどを咄嗟にシミュレーションします。十中八九、いつもシミュレーションに終始し実際に撮影をしようとはしませんが・・・。本当に物臭な男なのです。

 雪景色の露出決定にはベテランでさえも苦慮する場合が多々あるように思います。その露出決定に最も信頼できる露出の測り方と操作をお話しいたしましょう。この方法は雪景色ならずとも他の分野でも非常に役立つ方法ですので、お伝えしておきたいと思います。

 現行製品の99%のカメラには自動露出という大変にありがたい機能がついています。それでも仕事には単体露出計が手放せませんが、一般的にはほとんどカメラ内蔵の露出計で事足りると言っても差し支えありません。

 カメラ内蔵露出計にはさまざまなタイプの測光方式が採用されています。例えばC社一眼レフの取扱説明書を見てみると安価な機種から高価な機種に至まで、測光方式には次のような表示があります。「評価測光」「部分測光」「スポット測光」「中央部重点平均測光」など。ぼくが私的写真に使用しているコンパクトなカメラにも「マルチ測光」「スポット測光」「アベレージ測光」とあります。各社、表示の名称は異なっても内容的にはほぼ同じものです。測光方式のそれぞれの違いについては取扱説明書に書いてありますのでここでは述べませんが、かなり廉価なコンデジであっても「スポット測光」を選択できるようになっています。廉価なコンデジにもこの機能が付属しているということは、撮影に際して極めて有用なものであることの証であると受け取ってもよいでしょう。

 「スポット測光」とは文字通り被写体の一部をスポット的に測る方式です。受光角はカメラにより異なりますが、かなり狭い範囲の明度を測ることができます。ぼくの使用していた単体スポット露出計は受光角が1度という精緻なものでしたが、そこまで狭い範囲でなくともほとんどの場面、カメラ内蔵のスポット測光は満足できるものです。
 ちなみにぼくの私的写真用カメラは「表示面積の2%」が測光範囲と表示がされています。また、仕事で使用している一眼レフは「2.4%」なのだそうです。2%とはどのくらいの受光角なのか数字に疎いぼくには分かりませんし、その気もないのですが、画面を50分割しその1つの範囲と考えればいいのでしょうか? スポット範囲は各社似たようなものなのではないかと推察します。それで不便さを感じたり、信頼を裏切られたりしたことはあまりないので、大判フィルムを使用しなくなった現在、高価な単体スポット露出計を持ち歩く必要性がもはやなくなりました。フィルムは、質感描写の得られるシャドウ部を基準にしハイライトまでの再現域(つまりコントラスト)をフィルム現像の加減で調節するメソード(A. アダムスのゾーンシステム)にぼくは従っていたので、どうしても厳密な輝度域を測る必要がありました。
 ですがデジタルはフィルムの方法論ではなく、露出はあくまでもハイライト基準(ハイライトを白飛びさせない)ですので、輝度域を知る必要はありますが、フィルムのように現像でのコントラスト調整を撮影段階で考慮する過程がありません。ここがフィルムとデジタルの露出に対する考え方の大きな違いなのです。この明確な差異を認識しておかないと堂々巡りとなってしまいます。フィルム時代にきれいなプリントをした人がデジタルでは思うに任せずとは、ここに起因すること大であるように思います。ただ、デジタルはそれでも一応「写っちゃう」と勘違いをさせてしまうので、罪作りなのです。

 どの測光方式を選択するかは、いつかも述べたようにあなたの慣れ親しんだ測光方式を使いこなせばそれが一番なのですが、「スポット測光」はちょっと事情が異なり、露出の原理を理解していれば非常に強力なものとして機能してくれます。次回では添付画像とともにスポット測光の勘所についてお話ししたいと思います。ま〜た、本題に行き着けなかった!
(文:亀山 哲郎)

2012/01/20(金)
第85回:アマチュアの特権
 6回にわたってヒストグラムとそれに関わる露出のお話しをいたしました。内容的にはまだほんの触りに過ぎませんけれど、読者諸兄にとってそれがどの程度必要であるのか、あるいは要望されていることなのか皆目見当がつきませんが、これがWebの宿命のようなものなのかなとも思っています。紙媒体であれば編集方針に従ってある程度読者対象が絞れますから、内容もそれに準じて容易に進めることができるのですが、顔の見えないWebではその内容についての難しさを痛感しています。
 読者のなかには、例えば携帯電話で写真を撮りそれを写真屋さんに持ち込んでL判くらいの大きさにプリントしてもらい、写真を楽しんでいる方もおられようし、一方では一眼レフを携えて自己表現のための手段としている人もいて、まさに対象は千差万別。

 この7、8年、アマチュア諸氏と触れ合う機会がつとに多くなりました。なかには九州や大阪などの遠方からはるばる写真を持って訪ねてくる人もいるくらいです。おかげで否応なく写真の話をすることになったり、今まで深く考えていなかったことについて改めて考え直してみたり、さまざまな発見があり、ぼくはぼくでそれを愉しんでいたりしています。
 それまでは同業者、つまり職業カメラマンとのつき合いがほとんどで、同業者というのはあまり写真の話などしないものです。したとしても話題の大半が機材などの情報交換に費やされていました。フリーランスのカメラマンというのはお互いに利害関係がなく(利はあっても害はない)、またお互いの身上も似たようなものですから、ぼくのような非社交的な人間でもすぐに打ち解け、つき合いが続くものです。「同病相憐れむ」という一面もあるのでしょうが。

 アマチュア諸氏と話していてこちらが困惑させられてしまうこともしばしば起こります。「エッ? あなた、そんなことを一体どこのだれに吹き込まれちゃったの? それはほとんどデタラメに近いことですよ。ダメダメ、今すぐにその考えは捨て去って」という類のものです。写真歴が長く、多い人ほどぼくにこう言わせる回数が多いという事実に、困惑を隠しきれないのです。
 独りで写真にこつこつと励んできた人はこのようなことはあまりないのですが、多くの仲間と一緒に写真を愉しんでいる人や、あっちこっちの写真教室を渡り歩いている人に限って怪しげな都市伝説を金科玉条のように信じ切っていたり、糧とする傾向があるように見受けます。このような人々のなんと多いことかを知り、他人事とはいえ放置しておくのも良心の呵責にさいなまれます。

 なぜこのようなことが生じてしまうのか、ぼくは未だ解明には至っておりませんが、写真に限らずどの分野でも同じように、ある土地には必ず土地の名士といわれるようなカリスマ的存在の指導者がいて、誰もが何の疑いもなくその人のいうことに“右に倣え”をし、習い事の拠り所としてしまうのではないかと想像しています。少なくともぼくの知る限り、だいたいがそのような仕組みになっています。科学的に何の根拠もないことをいとも簡単に信じてしまうのです。
 “右に倣え”をしてしまう人は科学的・論理的にものごとを捉えることが不得手なタイプで(ぼくもそうですが)、しかし彼らに責任があるわけではありません。
 問題なのは“土地の名士”たる人たちで(名士に担ぎ上げてしまった人たちには責任がありますが)、彼らのほとんどは撮影の修羅場で命を削ってきた経験を持っていないということです。平易にいえば、撮影に失敗しても「今日は上手くいかなかったなぁ」で何事もなく済ますことのできてしまう人たちです。まぁ、それがアマチュアの素晴らしい特権なのですが、経験年数が長いというだけで、あるいはアマチュアのコンテストで何回賞を取ったという名目で、名士に仕立て上げてしまうのはやはり間違いだとぼくは考えています。それはある意味で誰にとっても非常に罪作りな話です。

 アマチュアの“素晴らしい特権”とは多々ありますが、そのうちのひとつはいわゆる“芸術的な写真”を「意識して撮る」ことにあるように思います。“芸術”という広義のお題目には触れませんが、プロの写真屋がその世界を意識したり、また私的な写真であっても“芸術的な写真”を目的として写真を撮っているということはありませんから(少なくともぼくは)、アマチュアの方々には大いにその世界に遊び、満喫して欲しいと願っています。
 思うように写真が撮れなくて(それが当たり前なのですが、なかなか許してもらえない)キリキリと胃の痛むような思いをしたり、おマンマの食い上げを心配したりせずに済むのは、アマチュアこその権利であるように思います。

 好きが高じて職業写真屋になるというのは、ある意味で渡世人のようなもので、一旦この世界に足を踏み入れると抜き差しならぬ状況に追い込まれるものです。それが得も言われぬスリリングな快感といえばそれまでなのですが、やはり曰く言い難しといったところでしょうか?
 ある著名な美術評論家にこう言われたことがあります。「例えば10人の人がいて、あなたの作品を5人が好きだと言い、5人が嫌いだと言う。それがまずプロの第一歩だよ。誰でもが“いい”というような作品を撮っているうちはプロではないし、それでは本物は作れない」と。ぼくはこの言葉の持つ意味を非常によく理解しているつもりなのですが、さて、では実際にどうあるべきなのかが永遠の課題なのだとも思っています。
(文:亀山 哲郎)

2012/01/13(金)
第84回:ヒストグラム(6)
 前号で「適切な露出(何が適切な露出であるかは撮影意図に左右されますが)」と述べました。では、世間で用いられる「適正露出」とは一体何を指してそう言うのでしょう? 一般的には撮影された写真が「明るすぎず」「暗すぎず」、視覚的に「ちょうどいいと思われる」明度で表現されたものを言うのであろうと思います。これは極めて感覚的な問題ですので、誰もその写真についての露出を云々することができません。つまり正否がないのです。どれが正解なのか、あるいは客観的に見て他人はどの写真に安心感を得られるのか、永遠にけりのつかない問題です。

 かつて、フィルムで仕事をしていた頃に、よくこの問題に直面しました。印刷を前提にした写真ですからカラーはすべてポジフィルム(スライド写真用フィルム)を使いました。ポジフィルムは露出の許容度(ラチチュード)がネガカラーやモノクロに比べると狭く、プロでなくとも何段階かの露光をするのが、勇敢な人以外の作法でした(ぼくは現在ポジフィルムを使うことがないので、過去形で書いています)。
 ポジフィルムを使い1枚撮りで最適な露出を得るなどということは神業に近く、そのために何段階か露出を変えて撮ったものです。本番前にポラロイドを切って露出の確認をしてもなかなか当たらないのが露出というものです。そのくらい露出というものはシビアで、写真を愛好する人間は永遠にこの悩ましい問題から解き放たれることはありませんでした(ここも過去形)。
 最少でも1/3 絞りずつ露出を変えて3段階、多い時は5段階。画面の中に発光体があったり、逆光だったり、極端にコントラストが強い場合などは10枚くらい撮ったものです。これだけ“保険”をかけなければなりませんでした。
 それでもフィルム納品時にクライアントと段階露光をしたフィルムを見ながら、常に意見の一致を見るとは限りません。それはつまり感覚的な問題だからです。写真の明度に関する問題は、フィルムでもデジタルでも同様ですが、感覚に頼っていたフィルムに比べて(文字通りの“アナログ”です)、デジタルはそこに科学というものが介在するようになり、自分の撮った写真が「科学的に適正露出」であるかどうかが判明するような仕掛けになっています。それがデジタル最大の利器であるヒストグラムなのです。

 今回でヒストグラムのお話しは終わりにしようと思っていますが、せっかくヒストグラムに関わったのですから、それを利用しての画像補整についても少しだけ触れることにいたしましょう。
 使用ソフトは最も一般的なAdobe社のPhotoshopを使いました。Photoshopの簡易版であるPhotoshop Elements にも「レベル補整」というまったく同じ機能がありますので、それを使っても得られる結果は同様です。

※参照写真とヒストグラム → http://www.amatias.com/bbs/30/84.html

●添付画像「原画01」はRawで撮影。Photoshop CS5のACR ( Adobe Camera Raw )というRaw現像ソフトを使いデフォルトで現像しています。露出補正はノーマルですと空の一部が白飛びを起こしてしまうため、補正は−0.33 (−1/3 )で撮りました。「01ヒストグラム」でお分かりのようにハイライト(右端)の山がはみ出さず“寸止め”の位置です。画像がわずかに眠たいのはMax.Black(最高濃度)が存在していないことと半逆光のためです。

●「02ヒストグラム」の左三角を35まで右に移動して、最暗部を画面上に出すようにしました。山の裾よりわずかに右に寄せ山の左端をはみ出させていますが、この画像で最も暗い部分は画面右端中央のクリーニング店のほんのわずかな部分ですから無視してもいいのです。35まで寄せていくと画面全体が暗くなりますので、中央三角を左に移動し中間部を明るくしてやります。ここは大幅に動かしても白飛びしませんので安心して動かしてください。「02ヒストグラム」に記した赤矢印参照。
 この補整の結果、手前の旗の下部(価格表示)はMax.Blackとなり、全体のコントラストも上がり暗部が締まってきました。
 右の三角(ハイライト部)を左に移動すればさらにコントラストが上がりシャキッとした印象が得られますが、空が白く飛んでしまいます。せっかく空を飛ばせないように“寸止め”の露出補正をしているのですから、今回の補整はここまででいいでしょう。全体のコントラストを英語の手引き書などでは「Total Contrast」と言いますが、まずそれを整えることが画像補整の第一歩です。補正の画像をさらにインパクトあるものにするのであれば、あるいは作者のイメージに従うのであれば、部分部分を選択してコントラストや明暗を加減(Local Contrast)していきます。

●「03ヒストグラム」は「画像02」のものです。暗部は意図的につぶした部分がわずかに(目視できない程度)ありますが、白飛びをしている部分がなく、情報の損失がありません。

●「04ノスタルジー」は退色し始めた今はなきポラロイドのイメージを演出してみました。単なるぼくの悪戯です。この悪戯は10分とかかりません。こんな芸当はフィルム時代にはとても出来なかったことの事例として作ってみました。

 何度も繰り返しますがヒストグラムを読めるようになることがデジタル事始めです。こんなに便利で、しかも科学的裏付けを得られるものはないのですから、ぜひ習得されることを望んでいます。
(文:亀山 哲郎)

2012/01/06(金)
第83回:ヒストグラム(5)
 新年あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 新年早々いやな夢を見てしまいました。昔から「一富士二鷹三茄子」(いちふじにたかさんなすび)と言いますが、縁起担ぎなのでしょうけれど、ぼくは毎日夢を見ますがそんなものは一度も見たことがありません。強盗に襲われそうになったり、悪事を働き警察に追われる夢を見たりして、夢から覚めた時に「あ〜っ、夢でよかった」ということがしばしばあります。
 しかし、最も多い夢はカメラを忘れたり、いざという時にどこかにカメラを置きっぱなしにして手元にない夢です。夢の中でしきりと狼狽えているのです。この類の夢は非常にしばしば見ます。よりによって初夢は撮影現場でカメラバッグを開けたらカメラが入っていなかったというものでした。

 それは十数年前にしでかした「カメラ忘れちゃった事件」という職業カメラマンにあるまじき所行がトラウマとなり、その後遺症が様々なかたちに変質し、未だに尾を引いているのだと思われます。撮影現場に着き、車の後部座席を見たらそこに置いたはずのカメラバッグがなかったというとんでもない事態に遭遇したのでした。幸いにして取材先も時間の融通が利き、場所も都内でしたので家にいた当時大学生の息子に持って来てもらい事なきを得たのですが、この時の身も凍るような思いは終生忘れ得ぬものとなりました。担当者も旧知の間柄でしたので、お互いに顔を引きつらせながら笑い合ったものです。笑うしか手がありません。あの大きなカメラバッグがどこに消えてしまったのだろうと大の大人二人が座席の下などを覗き込んだりするのですから、粗忽によって浮き足立ち、忘我の境に入った人間は何をおっ始めるか知れたものではありません。
 「カメラ忘れちゃった事件」が余程堪えたとみえ、未だ撮影現場に向かう途上、信号待ちの時などに後部座席をちらちらと振り返る癖がついてしまったのです。このような滅多にない大技をこなしたぼくは、実は未だ悪夢から逃れられぬかなりの小心者なのです。十数年経った今も家人からは「カメラを忘れたカメラマン」と執拗に揶揄され、返す言葉もありません。
 ぼくの友人のカメラマンたちはさらに信じがたい超ドジを演じており・・・、そんなことを書き始めるといよいよ本題に入れなくなってしまいますから隠忍自重いたしましょう。

 ヒストグラムというものはデジタル最強の利器だとお話ししましたが、ヒストグラムと露出は切っても切れない関係にあります。ヒストグラムの説明を兼ねて、では実際に1絞りの差というものが写真上でどのくらい異なるのかを(案外、ベテランと言えどもこの差を明確に捉えていない人が大半です)、添付画像と合わせて説明いたしましょう。

 前回は写真の再現濃度域をはるかに越えた被写体を参考例にお話しをしましたが、今回はごく標準的な被写体を例にしてみました。昨日の寒風吹きすさぶ晴天時に撮影したものです。Rawデータで撮り、フランスDxO社のもので現像しています。絞りを固定しシャッター速度を変えています。

※参照写真とヒストグラム → http://www.amatias.com/bbs/30/83.html

まず、露出をノーマルから一段ずつ減らしていきます。

●「01露出ノーマル」とそのヒストグラム。カメラの指示通りの露出プラスマイナス0(つまりノーマル)で撮りました。実画からもヒストグラムからも(山の右裾野がはみ出しています)わずかに露出オーバーであることがわかります。山の中央部に大きく飛び出した部分は舗装道路です。

●「02露出補正-1」とそのヒストグラム。露出補正-1。全体が左に移動しています。

●「03露出補正-2」とそのヒストグラム。露出補正-2。

●「04露出補正-3」とそのヒストグラム。露出補正-3。被写体が写真の再現域にほぼ収まっている場合は(平均的なコントラスト)往々にしてここまで露出不足でも暗部(山の左側)が黒つぶれしないで持ちこたえていることがお分かりでしょう。

 ノーマルから、露出を一段ずつ増やしていきます。

○「05露出補正+1」とそのヒストグラム。一段露出オーバーになっただけで山の右側がはみ出してしまいました。つまり情報が失われ白飛びを起こしています。

○「06露出補正+2」とそのヒストグラム。もはやどんなに画像補整を駆使してもきれいな映像は得られません。

○「07露出補正+3」とそのヒストグラム。もう絶望的であります。

★「08完成画像」とそのヒストグラム。Photoshopにより適切に補整されたもの。山の両端が濃度域にピタリと収まりました。

 適切な露出(何が適切な露出であるかは撮影意図に左右されますが)を得られた画像はわずかな補整で適切な濃度域とコントラストが得られ、画像補整も力業に頼ることなく、画質の劣化を最小限に抑えられるということなのです。
 とにかく肝要なことは白飛びを起こさぬような露出を心がけてください。どうぞ、その伝お忘れなきように。ぼくも今年は忘れ物の悪夢から逃れたいと祈願しています。
(文:亀山 哲郎)

2011/12/26(月)
第82回:ヒストグラム(4)
 前回は前振りだけに終始し、本題にまで至らず失礼してしまいました。なぜあのようなことをくどくどと申し上げたかと言いますと、デジタル写真の事始めに於いてモニターのキャリブレーションはとても大切な一歩なのですがそれをお伝えするためではなく、作例の画像を添付してもそれが読者諸兄にどの程度正確に伝わるのか常に疑心暗鬼につきまとわれていたというぼく自身の問題からでした。

 自分の写真を他のモニターで見る機会は、たまたまはあってもそれほど多いということは普段ありませんし、その必要もありません。ぼくは職業柄、使用するパソコンはMacですし、仕事相手も圧倒的にMac使用者が多く、カラーマネージメント機能に難点があると思われるWinのブラウザでは自分の写真が本来の色調とどのような隔たりが出てしまうのだろうとかと一抹の危惧と不安を抱いていました。
 そんな折、技術畑であるWin使用者の友人から極めて悲観的な「調査報告(前回:第81回参照)」なるものが送られて来たのでした。デジタルの宿命と言ってしまえばそれまでですが、写真クラブのメンバーに頻繁に画像添付をして解説してきた身としては、やはり背筋が凍るような思いに囚われています。

 30cmの穴を深いと言う人もいるでしょうし、浅いという人もいるでしょうから、解決出来ぬ事にこだわっていては前に進めませんので、理論武装はこのへんで止めて本題に移りましょう。

※参照写真とヒストグラム → http://www.amatias.com/bbs/30/82.html

●「01」のような被写体を見つけました。この被写体は写真の明度再現域をはるかに越えています。以前に写真の再現可能な明暗比は約1:200だとお話ししたことがあります。その範囲を越えてしまっているのでシャドウ部はつぶれ、ハイライト部は白飛びを起こしています。人間の目は約1:20,000の明暗比を識別できるそうですから、このようなコントラストの強い被写体でも細部を視認できるのですが、ところが写真はそうはいかないのです。この写真はRawデータで撮り、Photoshop CS5のデフォルトで現像したものです。ちなみに色域はぼくの常用しているAdobe RGBではなく一般的なsRGBに変換してあります。

●「02」そのヒストグラムです。山の両裾野が最暗部0、最明部255を越えてちょん切れています。このヒストグラムから被写体はコントラストが極めて高いことが分かります。

●「03」画像の青い部分が黒つぶれで、赤い部分が白飛びをしています。ちょうど太陽の入射角と反射角のほぼ等しいところがぼくの立ち位置ですから、なおさらハイライト部の輝度が高く、高コントラストとなっています。

●「04」盛大に黒つぶれと白飛びを生じた画像をPhotoshopの「トーンカーブ」ツールを用いて出来るだけ見た目に近づけるように補正してみました。この画像でも黒つぶれと白飛びを完全に取り去ることはできませんが(力業を駆使すれば出来ますが、それは画質を劣化させてしまいますし見た目にもどこか不自然さを免れません)、ほとんど目視上差し支えのない程度に補正しています。ただ祠の木製の階段だけはほとんどデータが(情報が)失われているため補正による質感描写ができません。

●「05」そのヒストグラムです。「02」のヒストグラムと比べると、山の裾野が完全ではありませんが、なんとか両端内に収まっています。

●「06」太陽との入射角と反射角を変えた位置に移動してみました。こうすることにより多少はコントラストが低くなります。そして露出補正値は白飛びを起こさない程度ぎりぎりに-1絞りにしてみました。これでも完全に白飛びを防ぐことが出来ませんが、その部分は面ではなくほとんどが点ですのでOKとします。露出補正を-1にしたため暗部が犠牲となりますが、明部に比べ暗部は後の補正である程度は救うことができます。

●「07」露出補正-1画像のヒストグラムです。

●「08」Photoshopの「トーンカーブ」を用いて、暗部をつぶさず、明部をも飛ばさずに補正した画像です。画面右上の樹木やその下の陰のディテールが描写できるようになりました。またコントラストも平均的なものとなっています。

●「09」そのヒストグラムです。暗部は急峻ではありますが、山の形は両端に収まっています。最暗部から最明部まで写真の明度域にピタリ収まっています。

 ヒストグラムの見方が習得できるようになれば、デジタル写真の利用価値と応用範囲は飛躍的に多大なものとなります。撮った画像をカメラのヒストグラムで眺め、露出補正をしながら出来る限り白飛びを抑える(グラフの右端が最明部の限界点ですから、山の裾野をそこからはみ出さないように)ことがまず第一歩です。“露出の適正な補正こそが綺麗な写真を撮る事始め”なのです。ここから出発しないといつまで経っても“あてずっぽう”な写真の域から脱出不可能です。
 なお、太陽や室内の電球、蛍光灯などの発光体がある場合や真逆光なども、ヒストグラムの読み方が分かるようになればいくらでも応用が利くようになります。発光体はグラフの右端から飛び出してもかまいません。どの程度はみ出して良いのかは、山の中間部との兼ね合いで判断がつくようになります。そう時間はかからないでしょう。ヒストグラムはデジタルの最上かつ最強の道具ですから、まずはヒストグラムに馴染んでくださるように。

(文:亀山 哲郎)

2011/12/16(金)
第81回:ヒストグラム(3)
 先日、写真と暗室作業にとても熱心な友人(ぼくの写真クラブのメンバー)から「調査報告」なるものがメールにて送られてきました。彼とはここ数年来のお付き合いなのですが、技術畑の人なので、ぼくとは異なり物事を極めて理論的に構築することができるのです。片やぼくは感覚一辺倒の人間ですから、論理的に分かりやすく説明をするのがまことに苦手だし下手くそなのです。彼はそのような質のぼくを十分知っているくせに、写真についての質問をあれこれとメールで浴びせかけてきます。それは、時には純粋に写真的なことだったり、メカニズムについてだったり、暗室作業についてだったりと、多岐に亘りきわめて生真面目に体当たりをしてくるのです。
 幸いなことに今のところぼくの知識で手に余ることはないのですが、真面目に答えようとすればするほど相手の頭を混乱さてしまうようです。頭脳構造の異なる彼に張り合おうとしながらも、実際にはその面では勝負できないのでいつも話を抽象論にすり替え、ぼくは逃げを打つのです。今回81回目を迎えましたが、振り返ってみると「ぼくは一体何をみなさんにお伝えしているのだろうか? もう少し実践的な事柄を書かなければいけないのかな」という思いばかりが頭をもたげます。写真について好き勝手に書かせておけば、おそらく尽きることがないと思われます。まことに困ったものです。

 話を友人に戻して、その彼が当初「モニターとプリントの色や調子が合わないのだけれど、どうすればいいのか?」と訊ねてきたことがあります。ぼくの知る限りこの質問が最も多いような気がします。解決方法は至って明快なのですが(つまり科学に正しく従えばいいのです)、それを相手に率直に伝えるにはかなり勇気の要ることで、故に必ずと言っていいほどぼくは躊躇してしまうのです。科学に正しく従うには、モニターの色成分(RGB)や明るさ・コントラストなどを測るための測色器とハードキャリブレーションの出来るモニターが必要となるからです。それはかなりの出費を迫られることになります。
 「まずそのふたつを用意しないと何も解決しません。モニターは目測で調整できるものでは決してないのです」と、どうしても正直に言えないのです。ある意味でそれは残酷な答弁ですから、そこで言いよどんでしまうのです。ぼくはこと写真に関してだけは真面目ですから、正直さによるところの残酷さを選ぶべきか、曖昧に答えて相手に金銭的安らぎを与えるべきか、悩ましげに呻吟を繰り返すのです。
 モニターを正しく調整できれば、その次はカラーマネージメント(色管理)のできる画像調整ソフトが必要となります。そしてプリントする際のICCプロファイル(使用印画紙に適切なインクの噴出量などを決めるためのもの)などの知識が必要となってきます。この設定を誤るとせっかくの出費が元の木阿弥となってしまいますから、最後まで油断ならない。

 で、そんなこんなを技術畑の彼にたどたどしく説明したら、数日後明快なタッチで、「他のメンバーにも分かりやすくザッとまとめましたので、念のためみんなにも送ります」と言ってきました。ぼくは「よくこんな面倒なことを分かりやすく、正確に、順序よくまとめられるもんだね」と感嘆しながら彼に伝えたところ、「な〜に、朝飯前ですよ」だと。ぼくなら夜食後でも追いつかない。しかも順不同で混ぜご飯のようだから、読む方はよほど頭が冴えていないと解読できないという代物。

 で、何だっけな? アッ、彼の「調査報告」でしたね。
 「調査報告」とは、以前ぼくが「科学に従って正確にモニターを調整しても、WindowsのブラウザやソフトではMacintoshと違い正確な色再現はできない。カラーマネージメントのできる、例えばPhotoshopとはまったく違った色味で表現されてしまう」と述べたことについての技術畑の彼らしい詳細な実験報告でした。もちろん彼のモニターは正確にキャリブレーションされたものです。正しく投資をしているということです。
 結論から言うと、「何種類かのブラウザを試してみたが、まともな色再現をしてくれたのはMacintoshの純正ブラウザであるSafariだけだった」そうです。
 このような体験はぼくも他所でしばしばしています。撮影データを納品し、それを編集者などがノートパソコンで見ながら、「かめやまさん、今回は露出オーバー気味ですね、どうしたんですか?」なんてね。ぼくは「不届き者!」と思わず叫びたくなる衝動に駆られながらも優しく諭すように言います。「あのね、ぼくのモニターはね、ちゃんとキャリブレーションされたものなんだけれど、あなたの見ているモニターは何もしてない買いっぱなしのものでしょ。それで判断されちゃ、ぼくは泣くに泣けないよ」と。

 モニターのキャリブレーションされていないものはWinであろうとMacであろうと、1つの画像が百人百様に見えるのです。つまりあなたの作品がWeb上では百通りの異なった色調で表現されることになります。世の中の大半の方がモニターのキャリブレーションを行っていませんし、そうだとしても大半の方がWin使用者でしょうから、そこでは作者の表現意図が変形・変質されて世にばらまかれてしまうのです。決して大袈裟な言い方ではなく「こんな恐ろしい事はない」、「こんな戦慄すべきことはない」のです。

 今日は「ヒストグラム(3)」について画像を添付して、ヒストグラムのお話しを続けようと思いつつ、その前段階のお話しがこんなことになってしまいました。ぼくはやっぱり夜食後でもダメなんだ。
(文:亀山 哲郎)