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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2011/12/26(月)
第82回:ヒストグラム(4)
 前回は前振りだけに終始し、本題にまで至らず失礼してしまいました。なぜあのようなことをくどくどと申し上げたかと言いますと、デジタル写真の事始めに於いてモニターのキャリブレーションはとても大切な一歩なのですがそれをお伝えするためではなく、作例の画像を添付してもそれが読者諸兄にどの程度正確に伝わるのか常に疑心暗鬼につきまとわれていたというぼく自身の問題からでした。

 自分の写真を他のモニターで見る機会は、たまたまはあってもそれほど多いということは普段ありませんし、その必要もありません。ぼくは職業柄、使用するパソコンはMacですし、仕事相手も圧倒的にMac使用者が多く、カラーマネージメント機能に難点があると思われるWinのブラウザでは自分の写真が本来の色調とどのような隔たりが出てしまうのだろうとかと一抹の危惧と不安を抱いていました。
 そんな折、技術畑であるWin使用者の友人から極めて悲観的な「調査報告(前回:第81回参照)」なるものが送られて来たのでした。デジタルの宿命と言ってしまえばそれまでですが、写真クラブのメンバーに頻繁に画像添付をして解説してきた身としては、やはり背筋が凍るような思いに囚われています。

 30cmの穴を深いと言う人もいるでしょうし、浅いという人もいるでしょうから、解決出来ぬ事にこだわっていては前に進めませんので、理論武装はこのへんで止めて本題に移りましょう。

※参照写真とヒストグラム → http://www.amatias.com/bbs/30/82.html

●「01」のような被写体を見つけました。この被写体は写真の明度再現域をはるかに越えています。以前に写真の再現可能な明暗比は約1:200だとお話ししたことがあります。その範囲を越えてしまっているのでシャドウ部はつぶれ、ハイライト部は白飛びを起こしています。人間の目は約1:20,000の明暗比を識別できるそうですから、このようなコントラストの強い被写体でも細部を視認できるのですが、ところが写真はそうはいかないのです。この写真はRawデータで撮り、Photoshop CS5のデフォルトで現像したものです。ちなみに色域はぼくの常用しているAdobe RGBではなく一般的なsRGBに変換してあります。

●「02」そのヒストグラムです。山の両裾野が最暗部0、最明部255を越えてちょん切れています。このヒストグラムから被写体はコントラストが極めて高いことが分かります。

●「03」画像の青い部分が黒つぶれで、赤い部分が白飛びをしています。ちょうど太陽の入射角と反射角のほぼ等しいところがぼくの立ち位置ですから、なおさらハイライト部の輝度が高く、高コントラストとなっています。

●「04」盛大に黒つぶれと白飛びを生じた画像をPhotoshopの「トーンカーブ」ツールを用いて出来るだけ見た目に近づけるように補正してみました。この画像でも黒つぶれと白飛びを完全に取り去ることはできませんが(力業を駆使すれば出来ますが、それは画質を劣化させてしまいますし見た目にもどこか不自然さを免れません)、ほとんど目視上差し支えのない程度に補正しています。ただ祠の木製の階段だけはほとんどデータが(情報が)失われているため補正による質感描写ができません。

●「05」そのヒストグラムです。「02」のヒストグラムと比べると、山の裾野が完全ではありませんが、なんとか両端内に収まっています。

●「06」太陽との入射角と反射角を変えた位置に移動してみました。こうすることにより多少はコントラストが低くなります。そして露出補正値は白飛びを起こさない程度ぎりぎりに-1絞りにしてみました。これでも完全に白飛びを防ぐことが出来ませんが、その部分は面ではなくほとんどが点ですのでOKとします。露出補正を-1にしたため暗部が犠牲となりますが、明部に比べ暗部は後の補正である程度は救うことができます。

●「07」露出補正-1画像のヒストグラムです。

●「08」Photoshopの「トーンカーブ」を用いて、暗部をつぶさず、明部をも飛ばさずに補正した画像です。画面右上の樹木やその下の陰のディテールが描写できるようになりました。またコントラストも平均的なものとなっています。

●「09」そのヒストグラムです。暗部は急峻ではありますが、山の形は両端に収まっています。最暗部から最明部まで写真の明度域にピタリ収まっています。

 ヒストグラムの見方が習得できるようになれば、デジタル写真の利用価値と応用範囲は飛躍的に多大なものとなります。撮った画像をカメラのヒストグラムで眺め、露出補正をしながら出来る限り白飛びを抑える(グラフの右端が最明部の限界点ですから、山の裾野をそこからはみ出さないように)ことがまず第一歩です。“露出の適正な補正こそが綺麗な写真を撮る事始め”なのです。ここから出発しないといつまで経っても“あてずっぽう”な写真の域から脱出不可能です。
 なお、太陽や室内の電球、蛍光灯などの発光体がある場合や真逆光なども、ヒストグラムの読み方が分かるようになればいくらでも応用が利くようになります。発光体はグラフの右端から飛び出してもかまいません。どの程度はみ出して良いのかは、山の中間部との兼ね合いで判断がつくようになります。そう時間はかからないでしょう。ヒストグラムはデジタルの最上かつ最強の道具ですから、まずはヒストグラムに馴染んでくださるように。

(文:亀山 哲郎)

2011/12/16(金)
第81回:ヒストグラム(3)
 先日、写真と暗室作業にとても熱心な友人(ぼくの写真クラブのメンバー)から「調査報告」なるものがメールにて送られてきました。彼とはここ数年来のお付き合いなのですが、技術畑の人なので、ぼくとは異なり物事を極めて理論的に構築することができるのです。片やぼくは感覚一辺倒の人間ですから、論理的に分かりやすく説明をするのがまことに苦手だし下手くそなのです。彼はそのような質のぼくを十分知っているくせに、写真についての質問をあれこれとメールで浴びせかけてきます。それは、時には純粋に写真的なことだったり、メカニズムについてだったり、暗室作業についてだったりと、多岐に亘りきわめて生真面目に体当たりをしてくるのです。
 幸いなことに今のところぼくの知識で手に余ることはないのですが、真面目に答えようとすればするほど相手の頭を混乱さてしまうようです。頭脳構造の異なる彼に張り合おうとしながらも、実際にはその面では勝負できないのでいつも話を抽象論にすり替え、ぼくは逃げを打つのです。今回81回目を迎えましたが、振り返ってみると「ぼくは一体何をみなさんにお伝えしているのだろうか? もう少し実践的な事柄を書かなければいけないのかな」という思いばかりが頭をもたげます。写真について好き勝手に書かせておけば、おそらく尽きることがないと思われます。まことに困ったものです。

 話を友人に戻して、その彼が当初「モニターとプリントの色や調子が合わないのだけれど、どうすればいいのか?」と訊ねてきたことがあります。ぼくの知る限りこの質問が最も多いような気がします。解決方法は至って明快なのですが(つまり科学に正しく従えばいいのです)、それを相手に率直に伝えるにはかなり勇気の要ることで、故に必ずと言っていいほどぼくは躊躇してしまうのです。科学に正しく従うには、モニターの色成分(RGB)や明るさ・コントラストなどを測るための測色器とハードキャリブレーションの出来るモニターが必要となるからです。それはかなりの出費を迫られることになります。
 「まずそのふたつを用意しないと何も解決しません。モニターは目測で調整できるものでは決してないのです」と、どうしても正直に言えないのです。ある意味でそれは残酷な答弁ですから、そこで言いよどんでしまうのです。ぼくはこと写真に関してだけは真面目ですから、正直さによるところの残酷さを選ぶべきか、曖昧に答えて相手に金銭的安らぎを与えるべきか、悩ましげに呻吟を繰り返すのです。
 モニターを正しく調整できれば、その次はカラーマネージメント(色管理)のできる画像調整ソフトが必要となります。そしてプリントする際のICCプロファイル(使用印画紙に適切なインクの噴出量などを決めるためのもの)などの知識が必要となってきます。この設定を誤るとせっかくの出費が元の木阿弥となってしまいますから、最後まで油断ならない。

 で、そんなこんなを技術畑の彼にたどたどしく説明したら、数日後明快なタッチで、「他のメンバーにも分かりやすくザッとまとめましたので、念のためみんなにも送ります」と言ってきました。ぼくは「よくこんな面倒なことを分かりやすく、正確に、順序よくまとめられるもんだね」と感嘆しながら彼に伝えたところ、「な〜に、朝飯前ですよ」だと。ぼくなら夜食後でも追いつかない。しかも順不同で混ぜご飯のようだから、読む方はよほど頭が冴えていないと解読できないという代物。

 で、何だっけな? アッ、彼の「調査報告」でしたね。
 「調査報告」とは、以前ぼくが「科学に従って正確にモニターを調整しても、WindowsのブラウザやソフトではMacintoshと違い正確な色再現はできない。カラーマネージメントのできる、例えばPhotoshopとはまったく違った色味で表現されてしまう」と述べたことについての技術畑の彼らしい詳細な実験報告でした。もちろん彼のモニターは正確にキャリブレーションされたものです。正しく投資をしているということです。
 結論から言うと、「何種類かのブラウザを試してみたが、まともな色再現をしてくれたのはMacintoshの純正ブラウザであるSafariだけだった」そうです。
 このような体験はぼくも他所でしばしばしています。撮影データを納品し、それを編集者などがノートパソコンで見ながら、「かめやまさん、今回は露出オーバー気味ですね、どうしたんですか?」なんてね。ぼくは「不届き者!」と思わず叫びたくなる衝動に駆られながらも優しく諭すように言います。「あのね、ぼくのモニターはね、ちゃんとキャリブレーションされたものなんだけれど、あなたの見ているモニターは何もしてない買いっぱなしのものでしょ。それで判断されちゃ、ぼくは泣くに泣けないよ」と。

 モニターのキャリブレーションされていないものはWinであろうとMacであろうと、1つの画像が百人百様に見えるのです。つまりあなたの作品がWeb上では百通りの異なった色調で表現されることになります。世の中の大半の方がモニターのキャリブレーションを行っていませんし、そうだとしても大半の方がWin使用者でしょうから、そこでは作者の表現意図が変形・変質されて世にばらまかれてしまうのです。決して大袈裟な言い方ではなく「こんな恐ろしい事はない」、「こんな戦慄すべきことはない」のです。

 今日は「ヒストグラム(3)」について画像を添付して、ヒストグラムのお話しを続けようと思いつつ、その前段階のお話しがこんなことになってしまいました。ぼくはやっぱり夜食後でもダメなんだ。
(文:亀山 哲郎)

2011/12/09(金)
第80回:ヒストグラム(2)
 デジタル画像を画像ソフトで立ち上げ、様々なツールを使って誰もが暗室作業のできる時代となり、一般の人たちにも写真の表現域がずいぶんと広がりました。一昔前には考えられぬことです。
 以前にも述べたように、昔は(昔のことばかり言いたくはありませんが、ついそうなってしまうのはやはり歳のせいでしょうかね。いや違う!)暗室作業をするのはごく一部の愛好家だけで、ぼくも御多分に漏れずそれに勤しんでいたものです。そこで得た感覚や感触がそっくりそのまま(フィルムとデジタルという違いはありますが)パソコンのモニター上で活用できるのですから、こんなにありがたいことはありません。しかも、より精緻に、お手軽に再現できてしまうので、この点に関してはある意味でドライな性格であるぼくなどは、もうフィルムに戻ることはないように思います。ただ、フィルムの暗室作業によって得られた事柄は多大なるものがありました。

 今はフィルムの銀の含有量が減って(正確に何%くらい減ったのかは分かりませんが)以前のように露出と現像時間で濃度域やコントラストを思うようにコントロールする妙味も失われたようにも思え、暗室に入り浸っていたぼくにはあまり利点と面白さが感じられぬようになってしまいました。写真の表現形態としてどちらが自分に合っているかということとは意味合いが異なるとぼくは思っており、であればより意のままに操り易い方を選択すればいいのではないかとも思っています。写真の善し悪しは道具や媒体に依存したり左右されたりするものではないからです。

 前回例題として添付した白菜の画像は写真の再現濃度域を100%使っていないために(つまり“軟調”という意味です)、どこか寝ぼけたというかシャッキリしない印象を受けます。コントラストが弱いという言い方もできます。フィルムであれば現像時間を変えたり、印画紙の号数を変えたりしながら、濃度域を合わせるのですが(被写体の濃度域がまったく同じという現象は、現世では二度となく、その作業は熟練を要します)、デジタルではこの作業が10秒もあれば出来てしまうのですからビックリマークも10個分に値します。“青天の霹靂”とか“一新紀元を画す”(ちょっと古いか)とか言いますね。

 前回のちょっと寝ぼけた添付画像を、コントラストを強くしてシャッキリとした(俗に言う“メリハリをつける”)画像にしてみましょう。
 今回使用した画像ソフトは世界的に最も一般的なAdobe Photoshopです。メリハリをつけるツールは他にもありますが、今回は一般的でやりやすい「レベル補正」ツールを使います。Photoshopの簡易版Photoshop Elements にも、あるいは他のほとんどのソフトにもヒストグラムを調整するツールがありますので、原理は同じですから、この方法を学んでおくことはとても有用です。

※実例ご参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/80.html

 ★前回の添付画像を、“01” として今回もう一度掲載しておきますので、ご覧ください。この画像は撮りっぱなしの無補正画像で、被写体の濃度域が写真の再現濃度域より僅かに狭く、そのために眠たい印象を受けます。
 ★“02” は補正以前のヒストグラムです。
 ★“03” はメリハリを「レベル補正」ツールを使って利かせた画像です。分かりやすいように少し極端に補正してあります。最暗部と最明部を切り詰めて、ヒストグラムの山の裾が両端に届いています。その結果、画像には最暗部と最明部が多くなりコントラストが強くなっています。
 ★“04” は補正後のヒストグラムです。山の裾が両端に届いているのがお分かりでしょう。山の形も”02” と異なっていますね。
 ★“05” は、Photoshopの「レベル補正」ツールを使い、両端の三角印を赤矢印の方向に移動させています。両脇を詰める量が多ければ多いほどコントラストが強くなります。山の裾を詰めれば詰めるほど黒つぶれと白飛びの量(面積)が多くなり強いコントラストとなります。
 ただ、あまり極端に詰めたりすると“トーンジャンプ”というやっかいな現象が生じ、特に無地の部分に(例えば青空などに)縞模様が生じることになりますから、要注意です。力業は禁物です。力業を用いるにはそれに対処できる技術や感覚が必要となりますから、まず画像を中庸に整えることから始めてください。それが基本中の基本です。

 ちなみに真ん中の三角は中間明度で、この三角を左に移動すると画像全体が明るくなり、反対に右に寄せると暗くなります。

 簡易ソフトなどには「明るく」とか「暗く」、「コントラスト強」とか「コントラスト弱」というツールがありますが、動作としてはこのヒストグラムの調整方法と同じことが行われています。

 デジタルの印画紙には銀塩のようにコントラストの異なるもの(号数の異なる印画紙や、もしくはコントラストを変えるためのフィルターが)を揃える必要ではなく、ただモニター上で前記したツールを用いればよいだけなのです。この作業がたった10秒足らずで出来、綺麗な写真がプリント出来てしまうのですから、やはり試してみる価値はあるでしょう?
(文:亀山 哲郎)

2011/12/02(金)
第79回:ヒストグラム(1)
 デジタルの功罪のうち罪のひとつは撮影時に於いて“お気楽な習慣が身についてしまうこと”だと言いましたが、何を隠そうぼくだって偉そうなことを言いつつもその傾向が大いにあることを認めざるを得ません。
 つい10年ほど前まで仕事の写真と言えば、ぼくの場合はポジカラーフィルム(スライド用フィルム)の使用が95%位だったと思います。その後数年はフィルムとデジタルの併用期で、現在は100%デジタルとなりました。

 余談ですが、カメラ量販店で一年間に溜まったポイントが15万以上なんてこともありました。お金を貯める楽しみを奪われていたので、ひたすら量販店のポイントを溜めることに精を出していたのです。なんだかしみったれた楽しみですね。15万ポイントすべてがフィルム代でしたから、相当な量のフィルムを消費していたことになります。したがって、プロラボにもそれ相応の現像代を支払っていたことにもなります。フィルム代や現像代といった感材費は請求できましたが、デジタルではフィルム代も現像代も要りませんから、ではその分一体誰が得をしているのかと貧乏性のぼくなどはいつも考えてしまうのです。社会の仕組みにひどく疎いぼくなど未だにそれを解明できずにいます。
 また、フィルム時代は撮影したフィルムを現像所に出してしまえばプロカメラマンの仕事は一応終わりなのですが(ポジフィルムですから現像のあがったものをクライアントに納品するだけ)、デジタルは撮影後データを持ち帰り補正も含めてそれに付随することをあれこれとこなさなければならず、特殊技能所有者の見地からすれば割に合わないと感じることもあります。対時間の労働単価としては(つまり時給)目減りというわけです(ここで愚痴ってどうする)。プロカメラマンにとってデジタルとは“泣きっ面に蜂”というところでしょうか。

 余談が過ぎましたが、ポジフィルムは色再現の美しいことの引き替えに露出のラチチュード(許容範囲)が狭く、露出の決定には非常に神経質にならざるを得ませんでした。段階露光を+1/3、ノーマル、−1/3( AEB=自動段階露出。AEBの使用は、”プラス、ノーマル、マイナス “ の順番をお薦めします)の順に3枚撮るのですが、それでもドンピシャリという保証はないくらい難しいものです。ポジフィルムというのはなかなか保険を利かせにくい。クライアントからは「今日の撮影はフィルム10本でなんとか抑えてください」と耳打ちされることもしばしばありましたから、撮影中に冗談を言う余裕さえない。それが今では「ダメなら撮り直せばいい」に変わってしまいましたから、撮影中に冗談ばかり飛ばしている。“現場の雰囲気を和ませるために”なんて言い訳をしている自分に気がつきます。フィルム時代、真剣で勝負していた者が、今はデジタルのおかげ?で木刀か竹刀を振り回しているんですね。ぼくは今、自分の“お気楽さ”を戒めるためにこの文章を書いています。

 いつからぼくはこんな自堕落な人間になってしまったのだろうか? なんでこんなに落ちぶれてしまったのだろうか? と自問自答してみるに、その原因はどうやら前回お話ししたヒストグラムにあろうと思われます。露出、コントラスト、再現域までもがグラフをひと目見ただけで判明してしまうのですから、大きな保険が得られ、こんなにありがたい仕掛けはかつて我が写真人生にあっただろうかと思うくらいです。

 ではヒストグラムとはなんぞや? ということになります。
 それは写した写真がどのくらいの明るさなのかということと、そして明度の分布と量がグラフによって示されます。「黒つぶれ」と「白飛び」なども確認できます。

※実例ご参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/79.html

 ★01:ヒストグラム画像例
 横軸が明度です。左の「0」と示されたところが最暗部(Max.Black)で右の「255」と示されたところが最明部 (Max.White) です。中間の三角(1.00)はガンマ値で中間の明るさを示し、これは画像補正をする時に使用するものですから、今は無視してください。
 縦軸が量を表します。グラフの山がこのグラフのように中央付近にあれば標準的な明るさの画像で、山が左に寄ればローキー(暗部の多い)の写真となり、右に寄ればハイキー(明部の多い)となります。山の裾が左側で途切れてしまったものは、画像のなかに「黒つぶれ」した部分があり、右側で途切れたものであれば「白飛び」をしているとグラフが教えてくれるのです。何が「適正露出」であるかは個人の撮影意図により、山が中央に位置しているものが必ずしもそうだとは言えません。
 山の両端が途切れてしまったものはコントラストが強く、反対に両端にとどいていないものはコントラストの弱い写真です。

 ★02:このグラフの写真
 ヒストグラムの一番高い山が地面です。一番右にある小さな突起物のように見える部分が、発泡スチロール上蓋の最も明るい部分です。ヒストグラムの仕組みを理解すれば「この山は画像のこの部分」ということが解析できるようになります。
 このグラフの山は右端に届いていませんから「白飛び」のない写真だということがわかります。「白飛び」をさせないように露出補正をするのです。撮影時の露出補正は−1/3 (0.33)です。

 この写真は少し寝ぼけて(コントラストが弱い)見えますので、次回は画像ソフト(Photoshopの講義をするつもりはありませんが)を使いシャキッとさせてみましょう。“泣きっ面に蜂”というばかりではありません。
(文:亀山 哲郎)

2011/11/25(金)
第78回:カメラのモニターについて
 先日、友人がぼくのカメラモニターを覗き込み、「どんな風に撮ったのか見せてください」と言うので素直に応じたところ、「わ〜っ、ずいぶんヒドイ色ですね。ヒドイモニターですね!」と、ずいぶんヒドイことを駆け出しのカメラマンに言われてしまいました。
 一瞬ぼくはひるみましたが、彼はその隙を突いて追い討ちをかけてくるのです。「色も悪いし、暗いし、一体いつ頃のカメラなんですか? 前時代的ですね。化石的。これじゃモニターの役目を果たさないでしょう。ぼくのなんか、ほらっ、こんなにきれいで明るいですよ。かめやまさんのモニターでは昼間はほとんど役に立たないでしょう」と言いたい放題。

 ぼくは大人ですから、こんな稚拙な挑発には乗らず淡々と物静かに、しかし強い意志を持って「あのね、オレはさ、もう何十年もモニターなんて小癪なものがなかったむか〜し、むか〜しから写真撮っているんだよね。君たちが生まれるず〜っと前からさ。だから君たちと違いモニターなんかに傅(かしず)かない。なけなしの金はたいてフィルム買ってたから、一枚一枚身を削られるような思いをしながら丁寧に撮っていた。時代の趨勢だからそれがエライというわけじゃないが、しかし今はどうだ、『ダメなら撮り直せばいい』という誠にお気楽な習慣が身について、シャッター切り終わった瞬間にカメラのモニターを覗き込んでいる。“露出間違えたら、ピンがはずれたら、ブレたらカメラが爆発する”という緊張感も危機感もまるでない。撮影直後にモニター覗き込むのはプロとして恰好悪くない? その仕草って職業カメラマンとして醜くない? 確かにオレのモニターは最新のものに比べて性能悪い。とっても悪い。だけれど君は撮影能力が悪いからモニターに頼ってしまう。シャッター切った後の“余韻”なんてまったく関係ないでしょ。“余韻に浸る”という高尚な精神を味わったことがないし、知らない。
 人前で鼻水垂らしたら恥ずかしいし、恰好悪いでしょ。でも君は『鼻水出てますよ』と言われ、ティッシュで拭けばそれで事済むと思ってるんじゃない? その差だね。昔は良かったなんて事とは関係なく、もっと根源的な問題じゃない」と、やんわり言い返しました。これを世間では“倍返し”と言うそうです。

 さて、それはさておき、実際にカメラのモニターというものはプロ・アマに関わりなく非常にありがたいものです。これこそ文明の利器とも言えます。フィルムであろうがデジタルであろうが、シャッターを切った後、誰もが「果たしてどのように写っただろうか。大丈夫だろうか」という不安を持つものです。この不安を払拭するために思わずモニターを覗き込みたくなる衝動に駆られます。ぼくはこの行為をなじっているわけではありません。むしろ大いにモニターを活用すべきだと思っています。
 ぼくが若い駆け出しのカメラマンに警告を発したのは、シャッターを切った時の手応えをモニターに頼らず、心身で感じ取って欲しいと願ったからなのです。また、「ダメなら撮り直せばいい」という安直さを戒めたかったからです。

 どんな優れたモニターでも昼間では確認が取りにくいものです。いや、できません。モニター視認で明るさ(つまり露出)を判断する基準になるとは科学的にも無理があります。もちろんコントラストなどを見極めることもできません。視覚は聴覚と異なり当てにできるものではなく、多少は脳でイコライズすることも可能でしょうが、まず不可能と思っていた方が無難です。モニターを眺めてよしとした画像を自宅のパソコンで見ると、その隔たりのあまりの大きさに驚いた経験は誰もがお持ちでしょう。

 ではモニターの有用性とは何なのでしょう。それはヒストグラムにあります。画像再生をしてヒストグラムの設定をすればほとんどのカメラでヒストグラムを見ることができます。ぼくがモニターを確認するのは画像そのものではなくヒストグラムです。それを見れば露出もコントラスト(被写体の濃度域)も一目瞭然で、露出補正に迷いが生じた時などこれほど重宝する機能はありません。こんなに素晴らしい保険はないのです。そんなわけでぼくはヒストグラムさえ見られればそれで十分であり、「暗い、前時代的」もなんのその。
 特に静物撮影をする場合などは、ヒストグラムを読む能力があれば段階露光をせずに済みますから労力と時間の節約ともなり、また後に画像ソフトでどの様に整えるかの見当もつきます。安心を買うための機能がヒストグラムです。

 また、ファインダーで覗いたものと実際にモニターで再現された画像の表れ方に差異が生じることがあります。一眼レフではファインダーの視野率が100%という機種はまれで、そのためにほとんどのカメラがファインダーで見たものよりモニターでの再生画像の方が大きく(広く)見えます。目の錯覚による遠近感の違いなども生じる場合がありますから、一眼レフにまだ不慣れな方にはモニターはやはりありがたいものだと思います。

 一にも二にもヒストグラムの読み方が重要なのですが、それには実画像とそのヒストグラムを同時に表示しながらご説明しなければなりません。ぼくは目下、連日撮影に追われておりその暇が持てずに申し訳ありません。なるべく次回には実現できればと思っています。
(文:亀山 哲郎)

2011/11/18(金)
第77回:ブレを防ぐには?
 ブレ補正機能(C社では“補正機構”と書いてありますが)について前回簡単に述べましたが、言い忘れたこともありますので補足として少しだけお話ししておきます。
 まず初めに、この機能はブレをなくすためのものではなく、あくまでも軽減させるためのものであること、どうぞ勘違いなさらぬように。つまり絶対的なものではありません。
 仕様書などに、「ブレ補正効果はシャッター速度約4段分」などという記載がされていますが、例えば200mm望遠レンズであれば理論上では1/12.5秒までは手持ちで「ブレない“はず”」という意味です。あくまで“はず”なのです。200mm望遠が1/12.5秒で三脚なしに使えるというのはかなり驚異的なことです。まったく素晴らしい!
 しかし、前回にお話ししたようにブレには個人差もあり、また体調などによる差異もありますから(つまり日替わりというわけです)、それは一応の目安と考えた方が得策です。過信は禁物です。安全圏を見越して2倍速の1/25秒と考え、取り扱うのが賢明でしょう。それでもまったく素晴らしいことに変わりはありません。絞りで言えば3絞りも余計に絞れるのですから。

 そこでぼくには疑問が沸々と湧いてくるのです。ブレ補正機能というのは確かにありがたい機能には違いないのですが、その機能は概ね望遠ズームや望遠系単レンズに付けられています(レンズ内蔵のもの)。レンズというものは望遠であればあるほどブレやすく、また目立ちますから一理はあります。しかし、望遠レンズを多用する人ってスポーツや野鳥といった動態を写すことが多いのではないでしょうか? だとすると手ブレは起こさずに済むけれど、被写体ブレは防ぎようがありません。1/25秒では動態はほとんどがブレます。手ブレも困るし、被写体ブレも困るといった時に、ではブレ補正機能ってどんな御利益があるのだろうかと、思わず考え込んでしまうのです。もちろん山岳撮影などの静態には重宝するであろうことは想像に難くありませんが、あくまで動態撮影の場合です。
 曇天下のお子さんの運動会や室内光の学芸会などに必携と思われる望遠レンズにブレ補正機能って本当に役に立つの?というのがぼくの素朴な疑問なのです。ぼくはそのような撮影経験がまったくないので分からないのです。あくまで想像で言っているのですが、経験がなくとも理論的にはぼくの想像は正しいことになります。デジタルであればその場に応じてISO 感度を変えられますから、ISO 感度を上げれば速いシャッター速度が得られ被写体ブレを防ぐことができます。コンデジには自動的にISO 感度を上げブレ補正をしているものもあるようです。感度を上げれば上げるほど画質は劣化していきますが、何を犠牲にするかは撮影者の意図次第です。
 いささかシニカルな見方かも知れませんが、動態撮影に於いてブレ補正機能は、レンズ内蔵であろうとカメラ内蔵であろうと、無くて済むとも言えますし、ぼくにとっては無用の長物とも言えます。また、友人であるスポーツ専門のベテランカメラマンに(オリンピックの公式カメラマンでもありますが)この原稿を書くにあたって訊ねてみたところ、「う〜ん、ブレ補正機能って使ったことないなぁ。スローシャッターとは縁がない世界だしね。それより高感度特性の良いことの方がずっと大事」という返答を得ました。
 ブレ補正機能とは手ブレを軽減させるには効果のあるものですが、被写体ブレを防ぐものではありません。意外にもここを勘違いされている人が多いようです。

 そして、ブレ補正機能は三脚使用時にはOFFにしておくことです。シャッターを押して光が受光素子に届くわずかな時間に、カメラ内部では様々な機械的な動作が生じます。シャッター幕や絞りが動いたり、ミラーが跳ね上がったり、ブレ補正機能をONにしておくとブレ補正のための振動ジャイロのモーターが唸ったり(つまり微振動している)、それらが加算されカメラ内部ではかなりの振動が生じています。この振動は極めて短時間のうちに発生しますから、ブレ補正機能が反応しきれないのです。「三脚を使用したのに、なにか甘い」と感じた時はありませんか?
 三脚使用時にはブレ補正機能をOFFにし、ミラーアップのできるカメラはアップし(もちろんレリーズを使用して。レリーズの持ち合わせがなければセルフタイマーを)使えばブレによる悪作用はかなり軽減できます。

 そして三脚を過信しないことです。カメラやレンズに贅沢をしろとは言いませんが、三脚こそ贅沢をしてください。ぼくは海外ロケ用にカーボン製の(軽量のため)、それもかなりしっかりしたものを使っていますが、ライブビューで拡大した画面を見ていると空恐ろしくなります。カメラ操作をし終わってから手を離しても何秒間かはブルブルと細かく揺れているのです。みなさんもご経験があるかも知れません。ぼくは今まで10本近い三脚を使ってきましたが、どのような三脚でもブレるものです。しかし、高価な三脚ほどブレの収まる時間が短いのです。残念ながら、安くて良いものはありません。

 ブレ補正機能にしろ、三脚にしろ、ブレは写真の一番の大敵です。基本は手持ちで如何にブレを防ぐかということに尽きます。繰り返しになりますが、詳しくは第7回「シャープな写真を撮る」と第8回「ブレを防ぐための基本動作」をご参照ください。この基本をマスターできれば、上記した“はず”は確かなものとなり1/12.5秒でいける“はず”です。
(文:亀山 哲郎)

2011/11/14(月)
第76回:ブレ防止って?
 写真が撮りたくて、父にねだってカメラを買ってもらったのが小学4年生の時でしたから、もうかれこれ54年も写真に関わってきたことになります。途中中断したこともありますが、よくもまぁ、半世紀以上にわたって飽きもせず続けてこられたものだと、自分の執着心にも呆れています。

 病高じて結局この道で飯を食うことになったようですが(まるで他人事のよう)、歳を取るにつれますます写真というものが面白くもあり、愉快でもあり、また難しくもあり、辛苦でもあり、取り組めば取り組むほど分からないことが増えてきます。ぼくのような凡人には半世紀ではとても埒の明く問題ではないようですが、残りの人生を考えるほどの余裕もなく、ただ一途であればそれでいいと言い聞かせています。
 ぼくは多分200才くらいまでは生きられるだろうから、その頃にはなんとか格好のつく写真が撮れるのではあるまいかと願を掛けています。これこそ大器晩成の典型で、熟成には長い時間をかけた方が味わいもあるというものです。

 写真への衝動は、小学3年の時に病気の母を見舞うために毎週千葉県は勝浦の病院へ通っていた時でした。千葉から勝浦への車窓を眺め、流れゆく風景を写真に撮ったらどんなに面白かろうと本能的に感じたものです。その思いは募るばかりでしたが、勝浦に通うこともなくなりそれは適わぬ風景となりました。
 父は写真好きでしたからカメラを欲しがるぼくの気持ちを汲んでくれ、ある日唐突に「哲郎、カメラを買ってやろうか」と言い出したのです。父の申し出に従い、小学4年になったぼくは自転車の荷台に乗せられ浦和にあったカメラ屋(今はなくなってしまいましたが)へ連れて行かれました。「と〜ちゃん、もっとしっかり速くこげ」と呟いていたことを覚えています。
 カメラ屋でカメラに触れた喜びはなぜか思い出せないのですが、店内の鼻をつくような甘酸っぱい匂い(現像停止液の酢酸とカメラ屋の夕食時の匂いが混ざっていたのでしょう)の記憶だけが今もはっきり脳裏に焼き付いています。買ってもらったカメラは富士フィルムから発売されたばかりのブローニー判カメラのフジペットで、今調べてみると当時1950円だったようです。半世紀前の1950円って今ならいくら位なのでしょうね? ラーメン一杯が30円の頃だったと記憶しています。

 フジペット以来多くのカメラ遍歴を経て今に至るも、その割にぼくはメカに詳しくないのです。カメラは幾多の変遷を経て内蔵露出計が付いたり、一眼レフの登場とともに自動露出となったりしましたが、科学や機能の進歩による御利益(世の中ではこれを称して“便利”と言うようですが)に与り感動した試しがほとんどありません。きっとへそ曲がりなのでしょう。感動はしないけれど、あるから使ってみようかという無機的冷血漢でもあります。「無ければ無いでいい。写真はカメラと露出計だけあればすべて事足りる」と、メカに冷め切ったぼくは今でもそう考えています。

 昨今のカメラは便利な機能がたくさん搭載されていますが、画期的なものはオートフォーカスと手ブレ防止機能でしょう。ぼくの仕事用カメラはレンズにブレ防止が付くタイプのものですが、所有しているレンズではブレ防止機能の付いたものは2本だけです。それは最近購入したものですから付いているのですが、ほとんどのレンズは以前から愛用し続けているものなので付いていません。
 手ブレ防止機能のレンズをテストしてみると確かにその効用は認められます。便利なものだとも思いますが、油断をすると防止機能のないものとさほど変わりはないというのが実感です。第一、仕事では手ブレを恐れるような際どいスローシャッターを使うわけにはいきませんので、ブレ防止付きであろうとそうでなかろうと、冷血なぼくにはあまり関係がないのです。

 また、手ブレを起こすかどうかはその日の体調にも大きく左右されるもので、ファインダーを覗いた時に、「今日は調子が良さそうだから、標準レンズの50mm(フルサイズの場合)なら1/15 秒まで安全圏だ」という目安を立てるようにしています。一応はプロですから。その目安に従って実際に撮ってみてカメラのモニターを拡大して確認するようにしています。
 「今日はブレるぞ」という感の働く時は、やはり予感通りブレやすく1/30秒でもブレてしまうことがあります。焦点距離分の1秒という理論通り、1/50秒より速いシャッター速度を心がけています。
 シャッター速度の限界は個人差や修練の度合いにもよりますが、一定したものではなく、その日の体調によるところ大だとみなさんにもお伝えしておきましょう。

 ブレには“カメラブレ”と“被写体ブレ”の二種類があることはすでにご存じの通りです。被写体が静止しているものであればブレ防止機能はありがたさが増し、重宝なものです。反対に被写体が動いているものだと、スローシャッターとブレ防止が災いして被写体ブレが生じますから、ブレ防止機能を使いこなすにはそのあたりのさじ加減が必要となってきます。

 私的写真用に購入した何台かのカメラには、なぜかブレ防止機能がなく、「新しい製品なのに何でオレの買うカメラには付いていないのだ」と、鬼の目ならぬ冷血漢の目にも涙ということがしばしあるようです(とまるで他人事のように・・・)。
(文:亀山 哲郎)

2011/11/04(金)
第75回:単焦点レンズとズームレンズ(4)
 前回でズームの歪曲収差について述べました。どのようなズームでも、あるいは単レンズであっても程度の差こそあれこの収差からは逃れることができません。物が歪んで写ってしまうこの現象はレンズの大敵でもあるのですが、レンズの設計上、ズームより単レンズの方がこの収差を取り除きやすいのです。

 歪曲収差の実例を4点添付しておきます。
 カメラはキヤノンのデジタル一眼レフ、フルサイズのEOS-1DsIII。ズームは同社EF24~105mm F4L IS USMで、1例だけあげた単レンズは同社EF85mm F 1.2L USMです。なお、これは厳密なレンズテストではなく、あくまで歪曲収差とは何であるかを分かりやすくするための作例であり、レンズの優劣を検討するものでないことをあらかじめお断りしておきます。

※参考写真 → http://www.amatias.com/bbs/30/75.html

★写真:「01 / 24mmズーム」は最も広角側の焦点距離24mmで、絞りはf 5.6 です(以下f値はすべて同条件)。ご覧のように樽型に歪んでいることがお分かりでしょう。そして、ごく僅かながら樽型歪みに加え陣笠型歪みも見られます。
 このレンズは絞り開放値がf 4 ですので、1絞り絞っただけのf 5.6では周辺光量(四隅)落ちが緩和されません。絞るにしたがってこの周辺光量落ちは改善されていきます。この現象はどのようなズームでも望遠側よりは広角側で顕著に現れます。ただ一般的なAPS-Cサイズの受光素子を持ったカメラでは実画面が狭まりますのでフルサイズほど目立たないことになります。

★写真:「02 / 32mmズーム」は焦点距離32mmで撮ったものです。前回「最も歪みの少ない焦点距離を把握しておくことはズームを使う上で重要事項でもあります」と述べましたが、このレンズの場合は32mm近辺がそれに相当します。32mmを境に望遠側になるにつれ糸巻き型となっていきます。
  最広角の24mmからちょっと望遠側に移動しただけで歪曲収差も周辺光量落ちも目立たなくなりました。

★写真:「03 / 105mmズーム」は最も望遠側の焦点距離105mmでのもので、糸巻き型に歪んでいます。ですが、「01 / 24mmズーム」で見られたような周辺光量落ちは望遠側ではほとんど目立たなくなっています。

★写真:「04 / 85mm単レンズ」。F1.2 という非常に明るい大口径レンズです。単レンズとしては極めて高価なものですが、それでも完全に歪曲収差を取り除くまでには至っていません。作例では樽型歪みを示しています。ただズームに比べコントラストが高く、このような白いタイルでは分かりにくいのですが、通常の被写体では色乗りが良く感じられ、抜けの良いものとなります。リサイズ画像ですので分かりにくいのですが、周辺解像度も優れ、他の諸収差もズームと比べよく取り除かれています。

 歪曲収差を取り除くための様々なソフトが発売されています。ぼくはそのすべてを使ったわけではありませんので断定的なことは言えませんが、四角形を完全な四角形にワンクリックで補整できるものは今のところ見当たりません。視覚上、気持ちの悪くない程度に補整できるというところでしょうか。
 Adobe Photoshopは歪曲収差を補整する優れた機能を有したソフトのひとつですが、完璧に“近い”補整を試みるためには労力とかなりのスキルを要します。レンズの右と左では収差の率が異なるものが多く、とても完璧に補整できるものではありません。また完璧な補整を求められるような場面に出会うことはほとんどと言っていいくらいありません。「レンズとはそういうものだ」という一般的な認識が根づいているからでしょう。

 フィルム時代は補整のしようもなかったのですが、デジタルでは完璧にとはいかずともほとんど視覚上は目立たぬようにできますから、これもデジタルの大きなメリットだと言えます。ただ、その作業は強制的に画像のピクセル補間が行われるため歪曲収差の強く表れる画面周辺では若干の解像度が犠牲となることを忘れてはなりません。

 また一般的に人間の心情として、ズームを使うとどうしてもその両端(つまり広角側と望遠側の)を多用しがちです。その結果、撮影者の意図が薄れてしまうことにも十分留意する必要があります。加えて、一般論ですがズーム両端の描写性能は、画面周辺部に行くにしたがってズームの中間焦点距離より劣性であることを知っておいてください。

 もうひとつズームの一般的な特性として開放F値の移動があげられます。例えば「1 : 3.5〜5.6」というような表示です。これは広角側では開放値がf 3.5 で望遠側ではf 5.6という意味で、約1絞り1/3 開放F値が移動することを示しています。今回作例として使用したズームはf 4 に固定されていますが、F値の移動するズームは使ったことがないので、どういうものなのかぼくにはうかがい知ることができませんが、開放値がF 5.6 というのはいくらなんでも暗すぎて使いにくいだろうなということしか浮かんでこないのです

 「単焦点レンズとズームレンズ」は今回で打ち止めにいたしますが、上昇志向のある方は是非一度馴れたズームから離れ、騙された?と思って単レンズを使用してみてください。今までと異なった世界が見えてくると思います。
(文:亀山 哲郎)

2011/10/28(金)
第74回:単焦点レンズとズームレンズ(3)
 一般的に単レンズはズームに比べると、安価で軽く、またレンズが明るいという長所があります。もちろん、単レンズでも非常に高価で重量のあるものもありますが、それはほとんどの場合レンズの明るさ(F値)に起因しています。同じメーカーでも、同焦点のレンズに明るさの異なるレンズが何種か用意されていますが、明るいレンズ=口径が大きい、ということになりレンズの設計上諸収差を取り除くために贅沢なものにならざるを得ないようです。
 そのような理由から、1絞り明るくなっただけで2倍から3倍以上に値段がはね上がったりします。たった1絞りの差だけなのにね。

 しかし、1絞りというのは2倍の明るさを得られるということですから、暗所での撮影は有利となり、一眼レフであればファインダーを覗いた際により見やすく、マニュアルフォーカスを使う場合などは殊更ありがたいものです。また、より速いシャッター速度が使え、ISO 感度も半分で賄えますから画質の劣化(デジタルはISO 感度を上げれば上げるほどノイズが増えるなど画質劣化を招く要因となる。フィルムであれば画像を形成する粒子が粗くなる)を防ぐという大きなメリットもあるわけです。1絞りの差にどのくらいの価値を見いだし、そこに投資するかは個人の価値基準に従うべきもので、どちらがいいかという問題ではありません。
 また画質については一概に値段の高い明るいレンズであれば必ずしも常に良い結果を導き出すというものでもありません。撮影の条件次第でどちらにも転ぶというのが正直なところです。同一条件で撮り比べてみて、値段通りのものもあればそうでないものもあるという意味です。ぼくの言う“良い”とは、解像度を犠牲にせず諸収差がどれくらい注意深く取り除かれているかという意味であり、いわゆる ”レンズの味“ について述べたものではありません。

 さて、ズームについての話に移りましょう。

 今ぼくは仕事で伝統工芸の撮影をしています。何十人もの職人さんの作業過程や作品のイメージ写真を3、4ヶ月かけて撮っています。イメージ写真は当然単レンズで撮りますが、作業過程を追う撮影で大活躍しているのがズームレンズです。
 職人さんの手元をマクロ的に撮ったり、少し引いて撮ったりしなければならないのですが、職人さんの手さばきというものは前後に、左右にと驚くほどの速さで動きます。素人目には一見無造作に見えるのですが、修練を積んだ職人さんの動きにはまったく無駄がありませんから、こちらもそれに追随しなければなりません。作業現場は狭いところが多いのでこちらの身動きもままならず、いちいち立ち位置を変えながらレンズ交換をしている暇などありませんから、このような条件下はまさにズームの独壇場。仕事でズームでなければというような撮影条件はほとんどないと言っても差し支えありませんが、今回ばかりは大変お世話になっています。

 職人さんの作業リズムを保ってもらいたいので、ぼくは「そこで止めて!」という指示を出したくないのです。ぼくもまた職人さんのリズムに同期しながらシャッターを切った方が写真の統一感が損なわれずに済みますから、ズーミングをしながらどんどん撮る。こんな時ほどズームのありがたさが身に染みることはありません。

 しかし、ズームのメリットってこれだけかなぁ(とたんに歯切れが悪くなる)。撮影者が動けない場合に、パースは無視せざるを得ませんが、極めて厳密な画角を確保できるというこの一点に尽きるように思います。
 かつて尾瀬に10回ほど通ったことがあります。ご存じのように木道が敷かれており、そこ以外に足を踏み出すことができませんが、ズームが必要だと感じたことは一度もありませんでした。
 強いて言えば1本のレンズで何本分かの単レンズを賄えるというところかなぁ。カメラバッグの体積を奪われずに済み、重量も軽減できるので旅行などには(特に海外)便利でしょうね。
 被写体を大きくしたり小さくしたりできるのも確かに便利でしょうが、自分が動かずに済むということが写真上のメリットになり得るかと言えばぼくにはそうとは思えないのです。

 ズームの光学的な特徴は歪曲収差(ディストーションと呼ばれるもので、四角形が四角の像を結ばずに湾曲してしまうこと)が単レンズに比べ一般的に顕著なことです。広角側では樽型となり、望遠側では糸巻き型に歪みますが、その歪み率はズームの焦点距離によって異なります。最も歪みの少ない焦点距離を把握しておくことはズームを使う上で重要事項でもあります。
 樽型歪みとは中心部が膨らんだようになり、糸巻き型歪みはその反対に中心部がすぼまったようになることです。当然、この現象は中心部から逸れるにしたがって顕著に表れます。また、この複合として陣笠形に歪むものもあります。あるいは直線が波形に歪むものもあるのです。いずれの歪み方でも被写体の直線が曲がって写ってしまうというのはあまり気持ちの良いものではありませんね。尚ついでながら、歪曲収差はいくらf 値を絞り込んでも改善されません。

 前回も述べましたが、上記の理由により、単レンズ、ズームを問わずくれぐれも広角レンズで女性のポートレートなどお撮りにならぬようにご用心!
(文:亀山 哲郎)

2011/10/21(金)
第73回:単焦点レンズとズームレンズ(2)
 決まった焦点距離の単レンズを使用することによって「あなたの意志に従ってレンズが被写体を指し示すようになります」と前回述べました。ちょっと抽象的な表現ですので、では具体的にどのようなことなのかをお話しいたしましょう。

 若い頃は広角から望遠まで何本もの単レンズをカメラバッグに押し込み、都度レンズ交換をしながら撮っていたものです。今思い返すと、体力があったということも確かなのですが、それより自分の撮るべきものが定まっていなかったということの方が大きいように思います。重いカメラバッグを担ぎながら、接写から風景まで、あれもこれも撮りたいとレンズを取っ替え引っ替えしながら、様々なものを撮っていました。試行錯誤と言えば聞こえはいいのですが、ハゼのように何にでも食らいついていました。おかげでレンズの焦点距離による表現の違いは十分に把握できるようになりました。この時期が少し長すぎたかなという思いは残りますが、7,8年ほど前からやっと私的写真に傾注できる余裕が生まれ、撮るべき写真の方向も自ずと定まり、今誰も好んでレンズを向けないようなものを撮っています。ぼくの被写体そのものは特別目を惹くようなものでなく、身の周りにあるごくありきたりのものばかりなのですが、なぜか心を奪われるようになりました。そのようなものに的確なイメージが描ける確率が高いからなのでしょう。自分の体質に合致した、然るべく表現形態をかろうじて見つけ出したと言えるのかも知れません。
 ある焦点距離の単レンズを徹底的に使用することにより、イメージの明確化と固着化につながったのだと思います。そのレンズに適した被写体にしか目が向かなくなったことも、写真の方向を決定づけた大きな要因のようです。

 例えば標準の50mm (35mm判換算。以下同) レンズしか付けていなければ、野鳥を撮ろうとは思わないように。撮りたくても撮りようがないので諦めるでしょ? この諦めがぼくのようなハゼ人間(こんな日本語はないのでしょうけれど)には肝要でした。昔から「何事も諦めが肝心」って言うじゃありませんか。的を絞るには諦めが肝心です。「このレンズにはこの被写体は不向き! だから撮ってもダメ」と何度言い聞かせたことか。未練を残しながらシャッターを切っても、結果として写真の訴求力が弱まったり、曖昧になることはどうしても否めません。ぼくは私的写真の撮影(街中スナップが中心)ではもう3年以上もレンズ交換のできないカメラを使用していますから(28mmと35mm。35mm判換算 )、本当に諦めのよい男になっちゃいました。

 野鳥を撮ろうと思えばやはり300mm以上の望遠レンズが相応しくもあり、必要でもありましょう。しかしそんな長いレンズを振り回しながら街中スナップは撮れません(それはあたかも盗み撮りのようで、今時そんなことをすると警察に訴えられます)。接写レンズを付けていればどうしても花などの撮影が自然と多くなるものです。
 あるいは中望遠の85mm〜135mmレンズに、ぞっこん惚れ込んだ製品があれば(このクラスには名レンズと呼ばれるものが多く、光学設計にも無理がないので実際に優れた製品が多い)ポートレートに入れ込むのも自然の成り行きというものです。広角レンズで女性ポートレートをアップで撮ったら絶対にぶっとばされちゃいます。

 被写体によりあなたにとっての最適なレンズが決まるのが事実であるのなら、使用レンズによって被写体が決まってくるというのも「逆も真なり」で、あり得べきことですね。ぼくはこれを本末転倒だとは思っていません。
 自分がどのような被写体を主に撮りたいのか? そしてまた、自身の感覚に寄り添うレンズの焦点距離というものが必ずありますから、それを見いだすことも上達の大きな手立てとなるに違いありません。単レンズは意志のあるレンズで、ズームは意志のないレンズとぼくは決め込んでいます。ズームについては次回で触れることにいたしましょう。

 「第45回:街中でスナップを撮る(6)」で、スナップ写真の名手と呼ばれたカルチエ=ブレッソンを紹介しましたが、世評では彼は標準レンズである50mmしか使わなかったのだそうです。ぼくの青年時代はブレッソンを倣い50mmしか使わないというアマチュアカメラマンが多くいたようです。ブレッソンは今ではすでに伝説的な写真家となっていますが、初期の作品にはどうみても100mm前後のレンズで撮ったとしか思えないものもあります。伝説とはそういったものなのでしょうけれど、ブレッソンに心酔した当時から街中スナップが好きだったぼくには50mmというレンズはどうしても望遠レンズのように感じて馴染めないものでした。感覚的に長すぎるのです。ですから、もっぱら35mmの広角レンズを使用していました。広角レンズですから被写体に肉迫しないと構図が間の抜けたものになってしまいます。常に被写体との接近戦を強いられると同時に緊迫感が生じますから、性格的に間の抜けたぼくにはちょうどよかったのだと思います。釣り合いが取れ、相性がいいのでしょう。
 歳を取りさらに呆けてきたぼくはボケ防止のために28mmというさらなる広角レンズを愛用するに至っています。50mmのような穏やかな表現は望むべくもありませんけれど、勘所を押さえれば写真はどんどん尖鋭化していくようです。年甲斐もなく・・・。
(文:亀山 哲郎)