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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2018/04/27(金)
第394回:グループ展雑感
 現在、埼玉県立近代美術館で催している拙グループ展にぼくはぼくらしからぬことに、初日から3日間続けて在廊し、今その所感なるものをここに記そうとしている。

 額装に至るあれこれから搬入まで目一杯老体に鞭打ち働かされ、会場では来場の方々の質問に答えたり、写真談話を繰り返したので、さすがのぼくもくたびれ果ててしまった。ぼくは学校の先生ではないので、同じ事を繰り返し喋ることがどれほど労力を消費するかという事実も今回改めて知った。なかにはご自身の作品を持参し、見て欲しいという人まで現れ、もちろんぼくは好意的に接している。普段お付き合いがないのだから、お役に立てるものならここを先途と、大いに利用してもらえばそれでいい。

 例年は控え室に閉じ籠もり、やってくる知人友人とたわいもない話題に花を咲かせたり旧交を温めたりすることが多かったのだが、それではいけないと改悛の情を示し、今回は犬の鑑札のような名札を首から吊し、会場に出ずっぱりとなった。当たり前のことをしているに過ぎないのだが、我ながら見上げた心持ちだと感心している。
 会場にて来場者と直接話をせずとも、漏れ聞こえてくる会話や様子を窺(うかが)えば、おおよその感触は伝わってくるものだ。そのほうが、実は真実を言い当てているのかも知れない。

 メンバーの話によると、見終わった青年が「すげぇ、すげぇ」といいながら廊下を走り去って行ったと聞き、それを好意的に受け止め、よしんば褒め言葉や賛嘆と解釈するのであれば、ぼくの気持は非常に複雑なるものがある。
 自他共の作品に対して、「今のままじゃダメなんだよ」という気持ちのほうが遙かに勝っているので、時によって、あるいは人によって、それは上昇志向や向上心を妨げる毒牙や麻薬のような作用をもたらすものであることをぼくは熟知しているし、警戒もしている。ぼくはそのような讃辞や褒め立ちに戦(おのの)くのである。メンバー諸氏には、どうか戦いてもらいたいと願っている。
 讃辞は、時によって中毒作用を引き起こす非常に危険なものとなるからだ。会場の机に置かれたアンケート用紙に書き込もうとされる方に、ぼくは「悪口を書いてくださいよ」と、冗談ではなく本気で申し上げている。
 メンバー諸氏が自分の作品に対して否定的な見方をされることを恐れるのはまったくの見当違いで、むしろ有意義なことと受け止めて欲しい。褒められたって、所詮大した意味などないとぼくは断言しておく。このことは決して斜に構えていっているわけではないのだ。

 しかしどうやら、ぼくの作品は欲目に見ても評判がよろしくないようだ。おおよそのところを伝え聞くに、 “むずかしい” のだそうだ。 “むずかしい” という言葉自体の解釈がとても “むずかしい” のだが、今ぼくは改めていくつかの辞書を繰りながらこの言葉の意味を探り、解釈を導き出そうとしている。おかしな光景だ。
 恐らく、ぼくが自身の必然に従って写し取っているものが、見る側にとっては当然のこととは思われないので、そこに齟齬(そご)や背離(はいり。そむきはなれること)が生じているのであろうと推察される。ぼくの作品を指しての “むずかしい” は、否定の表現を和らげてのものであろうと推察している。
 一見不遜に思われるかも知れないが、あるいは人によっては “負け惜しみ”
と取られるかも知れないが、そうではなく、創作者としてそれは本望だと思っている。まことにありがたく、けっこうなことというわけだ。
 大べらな言い草だが、ピカソやストラビンスキー、フェルメールやシェーンベルクだって、作品の転換期にはそのような時期があったとものの本には記されている。そのような例は枚挙にいとまがない。

 ぼくが何十年も前に遊んだピンホール写真をデジタルカメラで再現しようと遊んでいたその時期に、我が倶楽部にやって来たTさんは、「ぼくはまともな写真を撮る勉強をしたいのに、ここの指導者はピンホール写真ばかりやっている。まずいところへ来てしまった。いつ辞めるべきか」と真剣に思い悩んだそうである。
 ちょうどその時期にぼくは都内の某所で個展を催し、彼はそれを見学し安堵したというのだ。つまり、「このおっさん(ぼくのこと)は、今ピンホールでピンのボケた写真を撮って遊んでいるが、まともな写真をちゃんと撮るのだ」ということを知り、あろうことか彼はこんにちに至るまでちゃっかり居座り続けている。おまけにぼくのすることにやたら口うるさい。
 あるいは逆にYさんは、特に今回のぼくの展示作品を見てのことなのだろうが、「ぼくは昔のかめさんの写真の方が好きだ」と憚りなくいう。

 作品の創作過程に関しての認識が、人によってこのように異なるという良い例である。正否の問題ではなく、現在の作品(創作)というものが、発展途上にあり、試行錯誤中のものと捉えるか、現在を最終形と捉えるかの違いであろう。ぼくについていえば、もちろん発展途上の、試行錯誤真っ只中のものであり、持論であるところの「終生試行錯誤に終わる」不幸なタイプなのだろうと、ピンのボケた頭で考えている。

http://www.amatias.com/bbs/30/394.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
栃木県栃木市。
「ガラス越しの世界」シリーズの2点。

★「01朝顔」。
骨董店のショーウィンドウで見つけた昔懐かしい蓄音機(チコンキ)の朝顔。子供時分に大変お世話になったものだ。
絞りf8.0、1/20秒、ISO200、露出補正-2.00。

★「02ポスター」。
化粧品店のガラスに貼られた化粧品会社のポスター。
絞りf11.0、1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2018/04/20(金)
第393回:リアリティの証としての「かさぶた」
 2011年3月11日の東日本大震災から7年余の歳月が経過した。揺れが始まったのは、ひと仕事終え、珈琲店のトイレで小用を足しているちょうどその最中(さなか)だった。至って不都合である。放水の矛先が定まらないほどの揺れに、どうやらその心地よさを味わっているどころではないと気づいたものの、ぼくは生理的欲求による解放感を押し止めようとはせず、最後の一滴まで泰然自若として目的を完遂すべきと判断した。絞り出さないと男の沽券に関わるような気がしたからだった。ばかな沽券である。

 生理的快感の目的は果たしたものの、激しい揺れに体のコントロールがままならないなか、大切な物を格納しようとした際、それをチャックに挟んでしまいぼくはギャッと悲鳴をあげた。なんともしまりのない話だ。
 それがトラウマとなり、以降何千回、用を足すたびにその恐怖に苛まれている。男の試練として、これが死の間際までつきまとうのかと思うとやり切れない。だが、これがぼくの受けた震災なのだからまことにたわいないものだ。運不運とはいえ、被災された人たちには申し訳ない気持で一杯である。

 震災直後、東北の地へ押っ取り刀で駆けつけた同業者の多いなか、ぼくにその気はまったくなかった。それより、津波に襲われた福島第一原子力発電所が全電源喪失(いわゆるステーション・ブラックアウト。SBO)となったことに気を奪われた。テレビ報道を見ながら「メルトダウン(炉心溶融)しているに決まっている」とぼくは家族の前で言い放った。嘘八百を並び立てる政府(当時、菅直人首相の民主党)に激しい怒りを感じたものだ。
 事態が落ち着いたら、放射線で汚染され人っ子ひとりいなくなった福島県の「立ち入り禁止区域」を訪ねてみようと決意した。その訪問記は拙稿「第154回〜165回、176回〜197回」に、都合34回にわたり写真とともに掲載しており、関心おありの方はそちらをご参照くださればと思う。

 自治体の許可を取り付け、ぼくは述べ15日間にわたり「立ち入り禁止区域」を撮影した。帰宅後、記憶の覚めやらぬうちにと走り書きしたメモにこんなことを記している。
 「人々の消え去った家屋や町は、凝固した風景には違いないが、身をよじり、打ち震え、そしてため息とも怨嗟ともつかぬ悲鳴をあげている。放射線は野火のように人々の営みや古来からの伝統を焼きつくしたが、それでも汐風の香りが染みついた浜通り一帯の生類は未だに精を放っているように思えた。
 時を経たからこそのリアリティの確かな存在は----それは生乾きのかさぶたのよう----うずくような親しみと懐かしさを覚えさせた。そこは「沈黙の町」として内部分裂と自家撞着を内包し、宗教的・哲学的深化を与えている。到底「廃墟」とはいい難い。カメラをぶら下げ、息を放つそれらに、すくんだ足をさすりながら、へっぴり腰で呼吸を合わせていた。この地に於ける近代産業の所業は、いつまでも馴染むことのできない因果関係を残したのだ」とある。  

 けれどこのことは、ぼくにとって特段に福島に関してだけのことではないということに、遅まきながら気がついた。福島はその端的な例に過ぎないのだが、過ぎゆく時間のリアリティはいつだって「かさぶた」のようなものだとぼくは捉えている。あるいは、ここでいうリアリティを物証と解釈してもいい。「かさぶた」は受けた傷の物証という意味である。
 ぼくはどうやらそのような物証に憧れもし、惹かれるような質でもあるらしく、それを色濃く示す被写体をことさら関心深く撮っているような気もする。旧ソ連邦の北極圏直下に存在した人類初の強制収容所然りであった。

 被写体を前に撮影の準備をしようとする時、被写体に自身の姿を照会し、投影もし、時によっては擬人化しながら想像を逞しくしていることに気づく。ぼくは器用な写真屋ではないが故に、そのような手続きがどうやら必要なようで、そんなことを知らず識らずのうちにしている。

 被写体との波長が同期(シンクロ)したとの自覚症状を得た時には躊躇することなくシャッターを切る。そんな時は相手に呼吸を合わせることがとても円滑であり、自然にストンとシャッターが落ちるものだ。だからといって、その結果が必ずしも良好というわけでないところが、とても恨めしい。良い写真が撮れているに違いないとの思いは非常にしばしば裏切られる。これが力量の証というものだ。
 しかし、このような精神的作業は程度の差こそあれ恐らく誰もがしていることなのではないかと、ぼくは思っている。そんなことはないという人は、ぼくのように不器用ではないか、あるいは言い訳がましくないだけだ。また、ぼくだけが特別なナルシストであったり、あるいは自我の発露に猛々(たけだけ)しいわけでもあるまい。

 写真は多種多様のリアリティを包含しており、作られた世界(前号にて取り上げたコマーシャル写真など)にもリアリティを想起させるものは十分にあるが、しかしそれは「かさぶた」とはなり得ず、本物のリアリティではない。
 虚構と夢と憧れと、その現実(リアリティ)をどこで具合良く引き合わせ、融合させていくかを考えていると、ぼくの頭はいつしかメルトダウンしてしまうのだ。

http://www.amatias.com/bbs/30/393.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。

なぜかいつも光沢を放ち、艶やかなやつでの葉。ぼくはやつでに何かを感じ取る。天狗のうちわじゃないぞ。

★「01やつで」。
絞りf9.0、1/320秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02やつで」。
風に吹かれるやつで。モノクロにわずかなアンバーを加える。
絞りf5.6、1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2018/04/13(金)
第392回:グループ展のご案内
 写真を撮ること以外、最近はすっかり引き籠もり老人の様相を呈している。撮影以外に何をしているかと思えば、もっぱら勉学に勤しんでいる振りをしている。勉学といえば聞こえは良いが、勝手気ままに関心事を漁っているに過ぎない。あるいは写真の肥やしになるものをかき集めては消化不良に陥り、もがいているというのが今のぼくの姿である。

 本を読んだり、美術や音楽を鑑賞することが即ち人間の情操育成に直結しているかといえば、ぼくの見解は極めて否定的なものだ。それを勉学とは言い難い。それらは受動的なものであり、雑学としての知識こそ吸収できるが、情操の育みとは能動あってこそのものだというのがぼくの主張である。
 良い写真を鑑賞することは大切なことだが、たとえ稚拙な写真であっても、自身が撮ることの方がずっと尊く、価値のあることだとぼくは思っている。受動と能動が両立していなければ意味がない。実践の伴わない耳学問なんて机上の空論に似て、高の知れたものだ。

 ぼくの専門はコマーシャル写真だが、50半ばを迎えたあたりから、社会の需要に応じた “気張った” 写真や “作られた” 写真とは距離を置きたいと思うようになった。その手の写真は、烏滸(おこ)な言い方だが、どこか大仰で、事々しく思え、ぼくの性には似つかわしくないと感じ始めたからだ。またお歳柄、疎遠になってもいいのではないかとも思った。
 ぼくにとっての写真とは、社会の需要より自身の夢や欲求を追究するためのものであったはずだ。初めてカメラを手にしたちょうど60年前の胸躍るような思いに立ち返りたかった。

 否応なく撮らなければならない写真と距離を置くことで、収入を巡る駆け引きや葛藤はもちろんあったが、ぼくは迷いなく後者を選んだ。コマーシャル写真で、子供2人を無事に育て上げ、家族ともども人並みの生活を送ってこられたのだから、ここらでもう無罪放免となってもよいだろうとぼくは自己暗示をしきりにかけ、どのように詭弁を弄するかに知恵を絞った。古希を迎え、夢を食う獏(バク)になっても許されて然るべきではないかと思っている。
 健全なるアマチュアリズムの維持こそ精神を解放してくれる最も大切にしたい味方だと思えてくる。

 今、初々しくもフジペット(1957年、フジフィルムから発売されたブローニー判フィルム使用のカメラ。小学4年時に初めて買ってもらったカメラでもある)を手にした頃の何ともいえない高揚感を味わっている。しかしそれでも、今写真を撮っていて楽しいかと問われれば、やはり楽しいとはいえない。楽しくはないが、仕事で撮影することに比べれば、そこにはなかった悦びがある。
 仕事の写真と私的写真のどちらが辛いかといえば、それは明らかに私的写真のほうだ。辛いからこそ悦びが見出せるのであろう。私的写真とコマーシャル写真の異なるところは、「撮影の動機」が能動であるか受動であるかだ。

 依頼主の要求に応じて、相手の満足する写真を提供しなければならないことは大変なことに違いないが、写真のすべてが覆い被さってくる私的写真は逃れる道がない。防波堤のない海岸は美しいが、自然災害に無防備であることに似ている。災害から逃れるにはすべて(動機やテーマ、表現の独自性や思想、撮影や暗室作業の技法など)を自身でマネージメントしなければならず、人任せの部分がまったくないので、だから辛いのだ。辛さの代償として、より新鮮で刺激的な自由と醍醐味が与えられる。

 そのような気分を味わいながら撮影したこの1年間の写真の何枚かを選び出し、恒例のグループ展で発表することになった。ぼくの主宰する写真倶楽部「フォト・トルトゥーガ写真展」は、毎年「埼玉県立近代美術館」を本拠とし開催しているが、今年で12回目(第6回のみキヤノンギャラリー全国巡回展)を迎えることになった。

 今から15年前の2003年、中学時代の同窓生数人に写真を教えろと威喝されたのが厄災の始まりだった。2002年に胃癌の大手術を受け、まだ体力が戻っておらず気弱になっていたその隙を突かれたのだった。
 数年後には設立当初の、教え甲斐のない初期老年部隊のほとんどは姿をくらまし、ぼくはどれほど喜んだことか。しかしぼくの安堵もつかの間、創作には無縁である自由・民主・平等という小癪で凡俗なるものを強固に訴える老若男女の襲来に遭い、昨今その減らず口はいよいよ勢いを増し、回を重ねながらも恥じ入ることなく、とうとう第12回目を迎えてしまった。
 ぼくにとって唯一の救いは、少しずつ着実に各人各様の個性が生まれつつあることだ。「生みの苦しみ」とはまさにこのようなことなのだろうが、ぼくはこの15年間に「一利を興(おこす)は一害を除くに如かず」(利益になることをひとつ始めるより、障壁となっていることをひとつ取り除いたほうがよい)との諺を身をもって体験したことだ。

ご案内:「第12回フォト・トルトゥーガ写真展 “光と影の記憶” 2018」。
2018.4.24(火)〜2018.4.29(日)10:00〜17:30。於埼玉県立近代美術館。JR京浜東北線北浦和駅西口より徒歩3分。
 ご来場を心よりお待ち申し上げます。忌憚のないご意見をいただければ万福の至りです。

http://www.amatias.com/bbs/30/392.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。

椿の花に宗教的なものを強く感じるのはぼくだけだろうか? やつでの葉とともにどうしてもついレンズを向けたくなる。なぜか放置しておけないのだ。

★「01椿」。
思春期をこれから迎える椿。今年3月都内で。
絞りf5.6、1/25秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02椿」。
何年か後のぼく。今年1月栃木県岩船山で。
絞りf5.6、1/20秒、ISO200、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2018/04/06(金)
第391回:桜写真
 桜写真についてのぼくの思いや考え方は、今から5年前、2013年3月22日の拙稿「第143回 花より団子」に掲載写真とともに詳述しているので、そちらをご参照いただければと思うのだが、今回この季節にやや遅ればせながら、手を変え品を変え、桜写真について執拗に述べてみたい。ちょっと北上すればまだ十分に間に合う。

 ぼくの住む地域では、咲き誇った桜は衣替えを始め、葉桜になりつつある。ファインダーを覗き移りゆく風景を眺めつつ、散りゆく花に愛惜の情を示し、来たるべき新緑の季節到来にぼくは胸を躍らせている。今、生命の不思議と歓びを肌で感じている。

 桜の季節到来前にぼくは拙稿にて「桜の撮り方」なるものを書こうかどうしようかと迷った。何か少しでもお役に立てれば幸いという、ぼくにしては殊勝な面持ちをお見せしておきたいとの思いがあった。
 しかし、これに類する情報はネットに溢れかえっているし(いささか懐疑的なものもある)、量販店やメーカーのHPでも散見できる。ぼくとて特別仕立てや秘策めいたものがあるわけではないのだが、しかしここでぼくが改めてネットにあるようなことと同じことを記す必要があるかどうか極めて疑問に感じた。

 情報の多くが技術的なことと状況に応じての撮り方指南という類のものである。それらはもちろん欠かすことのできない事柄に違いなく、決してないがしろにすべきものではないのだが、さらに大切なことは前号でも触れた「あなたならでは」の写真のあり方にある。
 そこには「創作に技術は必須だが、それ以上に重んじなければならないのは、あなたにしか撮れない桜のイメージを描く」ことなのであって、誰にでも撮れるような、そしてどこにでもあるような桜写真をただきれいに撮っても評価に値しない(写真を初めてまだ日の浅い人を除く)と、ぼくは我が倶楽部の面々に言い切っている。

 前号にて「絵葉書やポスター、ガイドブックなどに見られるあの手合いの桜は、非情かつ無慈悲なぼくによってたちまち却下されることを賢明な彼女はよく承知している」と書いたが、それは「あなただけの桜を大切にして欲しい」との切なる願いに他ならない。
 その思いがじんわり伝わって来るような写真は、たとえ作品自体が多少稚拙であっても、あるいは至らぬ点があってもぼくは高い評価を与えることにしている。ただし、唯我独尊はダメ。

 そして欲をいうと、技術と感覚(上質なイメージを描く能力)の絶妙なバランスがより良く整えば作品はさらなる活力を与えられるのだとぼくは常に自分に言い聞かせている。自身の感覚(イメージ)を具現化するのが技術であることに間違いはないのだが、写真を撮る悦びはやはり虚構の世界に遊ぶことにある。技術指導には限度があるが、イメージにはそれがない。
 写真表現に於いて、ぼくらは言語学者の立場にあるのではなく、あくまで文学者にあるのだということを強調したい。つまり、いくら文法や言語解釈に長けていても良い文章が書けるわけではないということである。それらに頼った写真はとどのつまり、どうにもつまらないものだということをいいたいのだ。
 
 「桜の撮り方」について書き記すことを敬遠してしまったのは、上記にてすでにお察しのように、イメージの描き方などぼくにお伝えする能力がないことに起因している。
 誰もが異なった人生を歩んできたのであり、それぞれに異なった人生観を有し、そこに自分と重なる部分を探し出すことは容易であるかのように錯覚しがちだが、しかし実はそれはとても難しい作業に違いない。と同時に立ち入ることのできない世界でもある。人生のあれこれはその人の、唯一無二のものだからである。
 同じ場所で、同時刻に、同じ機材を使用し、同じ被写体を撮り、最終的に印画紙上に表れたものが、決して同じにはならないという事実がこれを証明している。ぼくのいう「あなたならでは」の写真は、これを二歩も三歩も進化させたものであって欲しい。

 ここでいうところの人生観とは、嗜好的な意味合いを含めてのことである。大雑把にいえば写真はどのようなものであれ、文学的・美術的・哲学的・宗教的なものなどが礎となり、有機的に成り立っていなければならないと考えている。潤沢を帯びた思惟(しい。感覚・知覚とは異なる知的精神作用。仏教用語では、対象を心に浮かべよく考えること)は無意識のうちに写真に少なからず影響を与えるとぼくは考えている。そこにはその人の人生の歩みや思考が色濃く滲み、反映されるものだ。

 今回、桜の開花が気になったのは、今月末に催すグループ展の特別展示企画として、各自1点桜写真を出品することという命題を果たさんがためである。今のところ誰がどのような桜写真を撮っているのか知らないが、ぼくは今からちょうど10年前に撮った写真(「第143回 花より団子」に掲載)を凌ぐ作品が撮れるかどうか非常な不安に駆られている。
 若い婦女子に、「あのさぁ、こ〜ゆ〜桜写真って見たことがないとかね。そ〜ゆ〜新鮮さというものも必要なんだよ」といったら、彼女はぼくの言葉に屈託なく「そだね〜」と快活にいい、微笑みを返してくれたのだった。

http://www.amatias.com/bbs/30/391.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。EF24-105mm F4L IS USM。
撮影地:埼玉県さいたま市。

★「01桜」。
花の配列を考え、切り取るのに四苦八苦。まさにカニの横ばい。不思議な桜をイメージして。
絞りf8.0、1/200秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02桜」。
曇天の雲の間から一瞬薄日が射す。
絞りf5.6、1/40秒、ISO100、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2018/03/30(金)
第390回:もう写真辞めちゃったほうがいいね
 前号で取り上げた「総括」すべき写真は、あのミニクーパーに限らずまだまだあるのだが、それを指摘するまでもなく、読者のみなさんに一任しようと思っている。
 ぼくとて、毎週3枚の合格写真を撮れるほどの腕前でないことは重々承知しているが、それはよくいえばサービス精神の表れのようなものであり、善意によるありがた迷惑(これほど始末の悪いものはない)としてどうかご容赦願いたい。
 故に、これからは分相応にもう少し慎み深く枚数を減らしてもいいのではないかと感じている。気持の負担が多少なりとも減るのは実は自分にとってあまり良いことではないが、忸怩(じくじ)たる思いを自ら招くことも精神衛生上さらによろしくない。掲載写真に於ける合格点とは、自己採点65点(かなり微妙な数値だが)以上のものにしようと思っている。

 先日、我が倶楽部の女性最古参であるMさんからメールをもらった。このメールは倶楽部全員宛のもので、満開になりつつある見沼田んぼの見事な桜(さいたま市見沼区と緑区を中心とする総延長約20kmに及ぶ日本一の桜回廊)を捉えようとレンズ3本を従え日々暗躍していると伝えてきた。倶楽部の展示企画の一環として定めた「 “あなたならでは” の桜を撮る」ために苦労しているらしい。
 もちろん、絵葉書やポスター、ガイドブックなどに見られるあの手合いの桜は、非情かつ無慈悲なぼくによってたちまち却下されることを賢明な彼女はよく承知しているので、ことさらに大変だと皆を煽動し、同病相哀れみながらぼくに辛く当たろうとしている。このテーマはぼくの号令ではなく、皆が民主的に決めたことであるにも関わらずである。

 普段は横着にも広角ズーム1本でどこへでも出かけて行くMさんだが、桜撮影は臨機応変とばかり望遠レンズまで動員しているのだという。望遠を振り回しているその最中に、新聞に掲載されていたある写真家の言葉が目に入り、「そこまで言ってしまう程のことなの?」と、ぼくに質問を投げかけてきた。
 彼女のいいたいことの要点は、その言葉の真意にあるのではなく、「そこまでいうか?」と面白がっているか、あるいは密やかに快哉を叫んでいるかのようにぼくは受け止めた。
 その言葉とは、写真家の細江英公氏の「望遠レンズで撮るっていう人は、もう写真辞めちゃった方がいいと思うね」だった。

 ぼくはこの言葉がどのような状況下で語られたものなのかを知らないので、即急に結論めいたことはいえないのだが、恐らく細江氏は「端的にいえば」とか「極論すれば」との但し書きあってのもので、その真意を行間から読み取れということなのだろうと理解している。
 そのうえでぼくの考えを述べれば、ぼくが常日頃撮影時に於ける心得についてお伝えしていることにそれはまったく符合している。このことは拙稿で過去に何度となく述べてきたことでもある。したがって、ぼくは「心情的に細江氏の言葉をもっともなこととして受け止める」と全員に返信した。

 撮影時の「立ち位置」についてぼくは倶楽部の面々にしばしば言及する。あるいは「もう一歩前に」とか「よく観察しろ」とか「被写体に肉迫しろ」とか。はたまた、「ズームで被写体を近づけたり、遠ざけたりするのは言語道断。まず自分が動け」とも。これらのことは、被写体に近づき五感を総動員して感じ取ることに通じている。
 ぼくも細江氏に倣って、「ズームレンズばかりで撮るっていう人は、もう写真辞めちゃった方がいいと思うね」と声高らかに謳いたい。望遠レンズより、ズームレンズのほうがずっと罪深い代物だとぼくは思っているからだ。

 かく言うぼくは目下ズームレンズばかり使用しているので、それでは説得力がないではないかという人がいるかも知れない。然にあらず、ぼくはファインダーを覗きながらのズーミングは決してしない。
 まず、被写体のプロポーションが最も美しく見えるアングルを探る。そしてレンズの焦点距離を決める。現在使用のズームレンズなら11mm、16mm、20mm、24mmと、焦点距離を固定しあたかも単焦点レンズのように扱う。「立ち位置」を定め、ファインダーを覗いて狂いがあれば自分が動くという手順なので、ズーミングをしないで済むのだ。この作法はもうすっかり体に馴染んでいるので、ズームの弊害を蒙ることはない。

 ファインダーを覗きながら、カニの横ばいやら振り子のように体を前後させているぼくの滑稽な撮影姿をMさんはよく目撃しているはずである。また、歩きながら急にしゃがみ込んだり(かなり頻繁にする)するのはお腹が痛いからじゃない。今度、股の下から天橋立(あまのはしだて。京都府)を見るように被写体を覗き込んでみようかと真面目に考えているくらいだ。

 大型カメラは天地左右を逆さまに見ての撮影なので、ぼくにとって慣れ親しんだものだ。違った世界が発見できるかも知れない。余談だが、もともと人間の網膜に写っている像は天地左右が逆さまのもので、それを脳の優れた機能が正像に戻していることは中学生なら知っていることだ。
 しかし、ぼくの脳は非常にしばしば機能不全に陥り、思考が鬱血して逆立ったままになる。「望遠レンズで撮るっていう人は、もう写真辞めちゃった方がいいと思うね」との思い切りの良さは、まさに “思い半ばに過ぐ” (考えた以上なので、感無量である。大辞林)のである。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/390.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影地:栃木県栃木市。いずれもガラス越しに撮ったもの。

★「01栃木市」。
洋品店の床に置かれていたシクラメンを道路に座り込んでガラス越しに撮影。このシクラメンを見てある画家の色調をとっさにイメージしたが、画家の名前が今日までどうしても出て来ない。
絞りf10.0、1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02栃木市」。
ショーウィンドウに飾られていた造花のバラ。
絞りf7.1、1/40秒、ISO100、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2018/03/23(金)
第389回:「総括」もどきの忸怩たる写真
 自分の失敗を率直に白状するのはかなり骨の折れることだ。事実関係に於ける明らかな正否を問う場合でも然りなのだから、なおのこと、抽象的かつ主観性によるところの評価に頼る写真などに関して、人によっては曖昧模糊とした創作上の過ちを打ち明けることは、自身の沽券に関わることと気にかけたりするものだ。また、沈黙もやむなしとする方向に舵を切りたがる。どこかに言い訳めいたものがあると錯覚したいのだ。

 誰だって、できることなら黙ってやり過ごしたいと願う。「世の取り沙汰は七十五日」(「人の噂も七十五日」に同義)にすがってみたくもなる。その考え方自体に罪はないのだが、「あの時はこれが正しいと思った」との逃げ口上を一応は用意したくなるものだ。さらに厚かましくなると「それが人情というものではないか」と、情緒的な詭弁を弄して平然としている。
 だが一方で、誰かがそれに気づいているということを知らず識らずのうちに感じ取ると、今度はとたんに居心地が悪くなる。気が弱く実直な人間には堪え難いものとなっていく。喉につかえた小骨のように不快感がいつまでもつきまとうのだ。加え、内心忸怩(じくじ)たる思いに駆られる。ぼくの今の心情を語れば、まさにこれに尽きる。たった1枚の写真がこのような精神状態を招いているのである。

 気の弱いぼくはある掲載写真について、日々苛(さいな)まれている。「あの写真は明らかなる失敗作であった」ということを痛感しているのだ。曰く「どうしてあんな写真をこの期に及んで公表してしまったのだろうか?」と、小骨がチクチクしている。
 拙稿で公表してしまったのだから、時すでに遅く、今さら取り返しがつかない。紙媒体であれ、Webであれ、頻繁ではないが過去何十年もそのような体験をしてきた。ぼくは痛みに耐えながら?生きてきたのである。
 このことは、公に写真や文章を発表することを義務づけられた(商売にしてしまった)人間にとって避けることのできない一種の宿命でもある。宿痾(しゅくあ。長い間治らない慢性の病)といってもいい。

 最善の治療法は、その作品の欠陥を頬被りせずに、いち早く自らが認め、その理由を正直に開示する他に道なしと思っている。「言ったもの勝ち」という無作法である。言い訳がましくもやぶ蛇を恐れていると傷がますます深くなる。なので、今回ぼくは勇んで「自己批判」、もしくは「総括」をする決心をした。

 「自己批判」とか「総括」という言葉を聞くとぼくはギクリとする。団塊の世代であるぼくにとって、その言葉はかつての学生運動(特に連合赤軍)のそれを彷彿とさせ、想起させてしまうからだ。
 「総括」とは本来「全体を整理してひとつにまとめることとか政治運動などで自らを評価したり検討したりすること」という意味であるが、「総括」が陰湿な殺人事件に発展した経緯をよく知っているので、その言葉のニュアンスには良い印象を持っていない。しかしぼくの写真総括は、真面目一方の潔さと責任感に基づくものであり、自己愛や自己顕示とは性質の異なるものだ。

 「総括」対象の掲載写真とは、前々回第387回「02足利市」の、ミニクーパーの写真。イタズラに超広角レンズ11mm(APS-Cサイズであれば、約6.9mmに相当)という極めてエキセントリックな画角の焦点距離を使用しようとしてあらぬ災いを招いてしまった。
 地面に座り込み、ファインダーを覗き、要らぬことばかり考え、何も見えないうちにシャッターを押してしまった結果が、この「ウンコ写真」である。
 「写真は引き算」と口を酸っぱくして常日頃いっている本人がこのテイタラクを演じている。「写真は所詮、ひとつのことしか表せないのだから、あれもこれも写して説明したいという助平心を排除せよ! それをしようとするから訴求力が弱まってしまうのだ」とは、ぼくの口癖だったのではないか?
 
 ボンネットにあるミニクーパーのマークと写り込み、後ろに控えるひょろ長い建物を、画角の極端に広い超広角レンズを使って、厚かましくもひとつの画面に取り込み、まとめ上げようとしたところに大きな過ちがあった。
 特にマークにこだわったのが間違いのもと。これを入れたがために、視点がバラバラになり、写真から力が奪われてしまった。カメラを僅か左に振りマークを外し、ヘッドライトの円形を欠かすことなくアングルを取ればもう少し立体感が出たのにとぼくは悔やんでいる。さらに、座り位置を20cmほど左に移動し、ヘッドライトを強調すればさらに良かった。
 したがって、残念ながら何を撮りたかったのかがこの写真には明確に描かれず、ただそつなくまとめ上げたという、そんなつまらぬ写真になってしまった。

 このミニクーパーの写真は今年2月23日に撮ったものだが、昨年12月に軽井沢で車種こそ違え、ぼくは車の特徴を生かし(1939年製のビュイック)、やはり11mmで納得のいく写真を撮っている(今回掲載)。これはぼく自身の細かい方程式に従ったもので、上手くいったと思い込んでいる。車の頭部だけが外光に晒され、薄暗い室内に置かれていた。
 もう1枚の掲載写真は、この写真を撮る2分前に通りかかった絨毯屋の店先で。テーマとして撮っている「ガラス越しの世界」の一作に加えてもよいと思える出来映えで、この異邦人写真は、目下のお気に入りである。しかし、七十五日まで、まだ先は長いなぁ。

http://www.amatias.com/bbs/30/389.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影地:長野県軽井沢町。

★「01軽井沢」。
店先に置かれてあった1939年製のビュイック(米)を見つける。
絞りf4.5、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02軽井沢」。
絨毯屋の店先で、ガラス越しに異邦人を撮る。
絞りf8.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2018/03/16(金)
第388回:正直な写真
 原画と仕上げた写真のあまりの違いを指して、ぼくは友人からドロボー呼ばわりされたと前号で述べたが、しかし作品に嘘はない。
 仕上げた写真は、撮影時に描いた「心象」に可能な限り忠実に従おうと努力した結果であって、自分に対して正直そのものだと思っている。いわば名誉あるドロボーなのである。ここで、着せられた汚名をそそぐ気はないが、写真はどのようなものであれ虚構の世界なのだから、小さな嘘は許されても、大きなものは看過されないというのは不公平であり、ものの道理から外れている。虚構に嘘の大小などありはしない。
 創作の過程で粉骨砕身しながら、小さな嘘がやがてドロボーに育っていくのは必然でもあり、これまた試行錯誤のなかでは自然のことであり、致し方のないことなのだ。
 描く「心象」により、問われるべきは嘘の質であり、大小ではない。ピカソを観るまでもなく、ここが肝心要なのではあるまいかと凡人のぼくは一生懸命考える。

 撮影時、自分の感じたことや動機を印画紙上で鑑賞者に訛伝(かでん。誤って伝えること)なくという強い意志と感情を持っているが、しかしながら作品を見る側がどのように受け取ろうとも、ぼくには一切の頓着がない。当たり前のことだが、それは鑑賞者にとってまったくの自由だし、そこに鑑賞の値打ちがあると考えている。作者がそこに立ち入るべきではないとも考えている。また、鑑賞者におもねるのは低俗の極みであり、創作の意義を著しくはき違えたものだ。双方にとって何の利にもならないことは推して知るべし。

 それと同様に、ぼくは作品に関する最小限の情報は親切心として案内すべきだと思っているが、如何にもそれらしい題名をつけたり、哲学的な文言を並び立てて鑑賞者を誘導することにも極めて消極的である。穿った見方をすればそれは後出しジャンケンのようにも思われ、独り合点による不粋なる領域といってもいいのではなかろうか。ざっかけなくいうと「おためごかし」変じて「大きなお世話」というところだ。ぼくは偏屈だから、そんなものには惑わされないよとの気概を持っている。作品が美しいかそうでないかは、鑑賞者自身の手によってのみ委ねられるものだ。
 効能書きによらず、鑑賞者の心に深い印象を与えたり、呼び起こすことができれば、それが即ち美しい作品なのだとぼくは解釈している。

 ぼくの生い立ちや素性を顧みると、物心ついてからこんにちに至る70年の長きにわたり、暇さえあれば白日夢にふけってきた。非現実的な幻想の世界に浮游するとたちまち忘我の境に入り、他人の言葉がまったく聞こえなくなるという特異な体質でもある。これは社会生活を人並みに営む上で大きな支障となり、娑婆にあってはしばしば迷惑の種となる。
 幻想の世界の、その何百分の一でよいから、日夜それを写真で表現してみたいと念じているわけだが、思いが強くなるに従って、嘘つきが昂じドロボーにならざるを得ないというあらましが無きにしも非ず。

 さて今回の3枚の掲載写真は、記録写真として撮ったもので、近年どこででも見かけるスマホでパチリという類のものである。自己主張が目的ではないので、嘘もつかず、ドロボーになることもない堅気一辺倒のものだ。
 ただし、単なる記録写真といえども、発表するからにはそれなりの技術を用いたものでなければならない。
 
 若い女性とよく( “よく” でもないのだが、ここでは少々見栄を張っておく)食事をともにすると、彼女たちは逸(はや)る気持を抑え、舌舐めずりをしながら食べる前に申し合わせたかのようにスマホでパチリとやる。まるで、食前の儀式のようである。
 時によって、写真に興味のないぼくにまで「手を出すんじゃないよ!」と凄み、待ったをかけてくる。ぼくは仕方がないので腕組みなんかしちゃって無言でそれを優しく見守っている。「おあずけ」を喰らった犬みたいだ。「早く食わせろ!」なんてはしたないことは決していわない。「何のために撮るの?」なんて野暮なことも訊かない。年々歳々、ぼくはこうやって忍従を学んでいく。

 料理写真の要点はただ1点のみである。光の方向性と光質だけを読むことができれば、申し分のない写真が得られる。自然光を如何に上手く取り込み、利用するかにかかっている。細かなライティングをもっぱらとするコマーシャルの写真屋が正直にいうのだから、信じていただきたい。ここで嘘はつかない。
 特に料理は光の方向性により見え方がかなり異なってくる。与えられた自然光の下、テーブルに置かれた皿もしくは器を手に取り上下左右に振ってみるといい。色や質感、シズル感(sizzle)が生き物のように変化して見えるものだ。この現象は、もちろん料理に限ったことではないのだが、料理での変化は著しい。料理が最も美味しそうに見えるアングルを探し当てれば、もうそれだけで立派な写真となる。

 3点の掲載写真はそのアングルを見つけ出し撮ったもの。撮影したRawデータを現像時に微調整しただけのものだ。ホワイトバランス、明度、コントラスト、彩度の4大調味料を調整しただけで、細かいことは一切していない。いってみれば生(き)のままのような、正直な写真である。ライティングをせずとも、面倒な暗室作業をせずとも、この程度までは誰でも写すことのできる、まったく嘘偽りのない正直な写真ということができそうだ。
 ぼくの、つかの間の堅気でありました。

http://www.amatias.com/bbs/30/388.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。

★「01サラダ」。
斜め約10時の方向から、薄曇りの光が差し込む。磁器の白が飛ばぬように露出補正を慎重に。
絞りf7.1、1/30秒、ISO400、露出補正-1.67。

★「02ペペロンチーノ」。
「01サラダ」と同条件。焦点距離24mm(APS-Cサイズなら15mm相当)の特徴を生かして。
絞りf4.5、1/30秒、ISO200、露出補正-1.67。

★「03天ぷら」。
「天そば」を食う。左と正面から曇天下の光が差す。店内のタングステン光もあり。天ぷらのサクサクした感じを出すためRaw現像ソフトで僅かながら明瞭度を上げた。
絞りf7.1、1/20秒、ISO200、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2018/03/09(金)
第387回:写真は生き様の転写(3)
 今になって、このテーマ「写真は生き様の転写」はまだまだ経験の浅く青臭いぼくには荷が勝ったものだと気づき始めた。予定回数3回をはるかにオーバーして思いつくままに長々と述べれば、少しは言わんとするところをお伝えできるのかも知れないが、このテーマに確信を持ちつつもやはり3回では荷が重い。もはや逃げ場がないので「窮鼠猫を噛む」ではないが、自己弁護めいた開き直りとも取れる屁理屈をこねてみたい。

 何故このようなテーマを持ち出したかというと、複数の人たちからの、ぼくの写真に対しての感想がどれも同質なる傾向にあり、その要因はどこにあるのかを探り当て、合点が行くように様々な角度からの思考を試みたのだが、とどのつまりぼくは今自家中毒を起こし、錯乱状態に陥っている。
 他人の作品と人柄についての関連性は、ぼくの尺度を持ち出せばほとんど辻褄が合い、互いに直結しているのだが、自分のこととなると皆目見当がつかぬというのが正直なところだ。

 長年の友人から「かめさんはますますドロボー(泥棒)の度合いを深めている」といわれた。ドロボーとは縁もゆかりもないぼくだが、ここにぼくの写真に対する意見の集約があるように思えた。
 「なんでぼくがドロボーなのだ?」と訊くと、「 “嘘つきはドロボーの始まり” というではないか」との返事。ぼくは「 “嘘をつかねば仏になれぬ” (必要な嘘はついても許されるということ)ともいうぞ」と混ぜっ返した。

 遠隔の地にある彼は、ぼくの発表した写真の原画を見たがり、リサイズしたそれをメール添付で送れとしばしば要求してくる。ぼくは原画を見られたくないなどというしみったれた料簡はまったく持ち合わせていないので、写真に興味津々の彼に気前よく、しかも意欲的にそれを送りつける。
 彼は、仕上がった写真と原画のあまりの隔たりと変貌ぶりを指し、ぼくを大嘘つきと断じるのだ。ここに彼のいうドロボーの起源があった。ぼくのエッセンスはドロボーにあるらしい。

 写真の質を大きく左右する被写体の選択は「心象」(「心象」については前号に)に頼ったものであることはいうまでもないのだが、そこで撮影した原画という素材を使って、如何に「心象」を忠実かつ誠実に再現するかにぼくは腐心する。そこにドロボーが触媒となり、徘徊しているらしいのだ。
 しかしこのことは、程度の差こそあれ写真創生期から好事家によって行われてきたことである。ぼくだけが変調を来したドロボーというわけではない。
 
 常日頃、ぼくは「聖人君子に写真は撮れない」と憚りなくいってきた。実際に「聖人君子」などこの世に存在しないのだが、そのありようを尊いもの、あるいは理想像のように捉えたがる人たちがいる。もちろん、その姿勢は大いに結構なことで否定すべきものではないが、写真や物づくりにそのような人たちは極めて不向きである。
 昔から「聖人に夢なし」(聖人は心身ともに安らかで、雑念に煩わされないから常に安眠でき、つまらぬ夢など見ない)とか「君子危うきに近寄らず」(君子はいつも身を慎み危険なことは冒さない)というではないか。
 夢(憧れや願い)や冒険(試行錯誤や挑戦)あってこその写真(創造)であり、我を折ることに刻意するような心立ての人もまた不向きなのだと思う。勇を鼓しながら失敗を繰り返し、清濁併せ呑む鷹揚な気っ風のほうが相応しいとぼくは思っている。

 将来AI(人工頭脳)が進化したら良い写真を撮るだろうか? ぼくは決してそのようなことはあり得ないと考えている。「美しい」写真ではなく、誰にでも撮れる「きれいな」写真くらいは撮れるかも知れない。
 何故かといえば、人間の造るAIは失敗を知らないからだ。失敗のなかで育っていない。そしてもしAIのなかに「生き様」という有機的なものが生じ、人間を超えるさらに有機的で抽象的な「心象」を生み出せるかといえば、ぼくの答えはノーだ。AIは美や哲学、宗教や死生観の概念に立ち入ることはできないのではないかといえば、科学者はどう答えるのだろうか?

 囲碁や将棋は、センスや駆け引きがあるにしても、写真よりはるかに理詰めの科学(数学的な要素が多い)であるが故に、人間に勝るとも劣らぬ能力を発揮することができるが、写真は生き様の、失敗や失態の連続から生み出されるものだ。写真技術は恐らくAIには太刀打ちできないだろうが(現在にあっても実に素晴らしい)、人間は技術に走ったり頼ったりすると作品から魂が抜ける。AIは抜けるような魂をもともと持っているのだろうか?

 魂を描くことに挑戦するのは人間だけに与えられた数少ない愉悦であり、また戯れであると、ぼくは目下のところそう考えている。
 将来、AIが人類の生みだした偉大な文学や絵画を凌駕する日がもし来るとすれば、その時人間はとっくに滅び去っているに違いない。「君子は豹変す」の如く、魂を宿したAIにもやがてその日がやって来るのだろうか?

http://www.amatias.com/bbs/30/387.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県足利市。埼玉県川越市。

★「01足利市」。
やつ手の葉を見ると幼児体験からか宗教的なものを感じ、ついシャッターを押してしまう。宗教的ではなく、単に天狗のうちわかな?
絞りf9.0、1/20秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02足利市」。
最近のミニクーパーはつまらないなぁと思いつつ、若い頃の郷愁からか、気になって仕方がない。超広角で鼻っ面を歪めてやる。
絞りf13.0、1/125秒、ISO100、露出補正-2.67。

★「03川越市」。
眼鏡店の店先。ガラスケースに入れられた形容しがたい造形物。
絞りf9.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2018/03/02(金)
第386回:写真は生き様の転写(2)
 かつては同業者仲間(コマーシャル分野ばかりでなく他分野のプロカメラマンたち)が多くいたが、年月を経るとともに数が少なくなりつつある。物故した人や引退した人も数人いるが、ぼく自身がコマーシャルから意図的に距離を置き、閉じ籠もったことも大きな要因と思われる。
 彼らとの会話を今改めて思い起こすと、写真屋というものは節度ある一般の方々に比べると、誰もが押し並べて非常に饒舌だった。珈琲1杯で何時間も話し込むのだから、さすがのぼくも手を焼いた。なかには著名な写真家もいたが、ホントに迷惑な人たちである。

 自己顕示欲というか自己主張が際立っており、故に話さずにはいられない心持ちなのだろう。かく言うぼくも、ご多聞に漏れずそうであった(過去形)らしいのだが、それでも珈琲3杯は必要とする。概ね写真屋とはそういう種族だとぼくは思っている。
 また、失敗談については特に熱心に語りたがり、それは病気を経験した人にありがちな、いわゆる “病気自慢” に似たようなものだと思う。ぼくだって、癌治療時に於ける入院生活や周囲の人々(医師・看護師・患者たち)とのやり取りを話し始めれば滔々と一日を費やすに違いない。おかしなことに、どこかが自慢めいてしまうものなのだ。
 余談だが、入院生活中に起こった種々雑多なことを某大手出版社の編集者に大真面目に、面白おかしく語ったところ、「その体験談を単行本にしたいのだが、原稿を書いてくれないか」といわれたことがあった。病に苦しむ多くの人たちを実際に目の当たりにして、「人を茶化すような、そんな笑い話を書けるものか」と丁重にお断りしたことがある。

 それはさておき、写真屋同士は当たり前のことだが、通じ合うものが多く案外仲が良いものだ。なかには性格破綻を来したと思われる者もいるが(ぼくじゃぁない!)、その戯れはほとんどが情報交換(カメラやレンズ、フィルムやライティングなど)の場であったように記憶している。
 喧々囂々(けんけんごうごう)と写真論や写真の良し悪しを語り合うなどという建設的なことはまずしなかった。ぼくも自身の写真論を開示したりすることは滅多になかった。誰もが一国一城の主であり、そんなことは「いわれるまでもなく、大きなお世話だ」と思っていたからに違いない。したがって、「写真は生き様の転写」なんていう小難しいこととも縁がなかった。

 ぼくが「写真は生き様の転写」との認識を新たにするようになったのは、写真を教える立場になってからだ。教えるというより、自分がプロの現場で得た様々なノウハウを、それぞれの個性に応じて伝えていくというのが正しい言い方だと思っているが、多くの人たちと接し、その作品を見せてもらうにつけ、その観がますます強くなっていった。
 手短にいえば、作品を見るまでもなく、人となりを窺えばおおよそのところどのような写真を撮り、そのクオリティについても見当がつくものだ。まず外れることはない。作品とはとても正直なものだ。取り繕いが利かぬ「空恐ろしい」ものなのだと、今更ながらにぼくは痛感している。

 作者の生い立ちに始まり、こんにちまでのあらゆる体験に基づく感覚(感情)や思考(知性)、そして意識(意志)が複雑な年輪を編み上げ、写真を撮るに際して最も重要な「心象」を形づくっていくのだとの思いに至る。
 「心象」とは、感覚・思考・意識によって心のなかに描き出される形や像を指し、読んで字の如し。
 同じ被写体を前にして、百人いれば百様の「心象」が描かれることになる。

 誰もが自身の描いた「心象」を美しいものだと信じたがる。あるいは語りたがる。何としてでも人々にそれを伝えたいと願う。それが人情というものだが、その「心象」を十全に印画紙上に再現できるかとなると話は違ってくる。ここが難しいところだ。
 写真の質を最も左右するものは、ぼくは「心象」より他になしとしている。描いた「心象」を具体的に記録するのが撮影技術であり、そこで得られた素材を「心象」に基づき上手に料理するのが暗室技術だと考えている。このことは今まで拙稿にて言葉や表現を変えて、あの手この手を繰り出し述べてきたことでもある。ぼくのこの執拗さは熱心さの余りであり、珈琲3杯分の、写真屋の業のようなものかも知れない。

 「心象」を具現化するには数々の手続きを踏まなければならないが、そこに大きく立ちはだかるものが撮影技術であり、暗室技術だ。しかし、案ずることはない。そんなことは一顧だにしないでいい。「心象」が技術を引っ張り上げるという摂理をテコのように利用すればいいのだ。必要なことは努力あるのみ。

 「心象」は、あらかた作者の過去に依拠するものだと書いたが、過去は消すことができないので、ではどうするか? 
 ぼくは元来の楽天トンボだから、自分の体験してきた過去についての考え方を転換させることにしている。つまり切り口を変えて見つめ直すこと。その転換点として、本を読んだり、美術や音楽を鑑賞する。歌舞伎でも落語でも、何でもござれだ。百人百様なのだから、お気に召すもの(ただし、上質なものに限る)を探し出し、馴染むことが一番なのだと、今珈琲を飲みながらも強く主張しておこう。

http://www.amatias.com/bbs/30/386.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県川越市。どの写真も色調が渋すぎるかなぁと。生き様が地味で渋いからかなぁ!?

★「01川越市」。
寒波襲来の折、夕刻寒さに耐えかねて飛び込んだ喫茶店で。珈琲を待つ間、光と影、ガラスと水の質感描写、構図を上手くまとめ上げてみようと試写。
絞りf11.0、1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02川越市」。
表通りのショーウィンドウを覗くと二重になった窓ガラスに面白い絵柄が。日は暮れかかり、月が輝き始めた。
絞りf5.6、1/25秒、ISO160、露出補正-1.33。

★「03川越市」。
山口百恵、桜田淳子の懐かしい音楽雑誌がショーウィンドウに飾ってあった。
彼女たちが売れっ子だった頃、ぼくはとうに成人しており何の興味もなかったけれど。
絞りf5.6、1/50秒、ISO160、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2018/02/23(金)
第385回:写真は生き様の転写(1)
 写真屋になって以来、ぼくは個人的な興味からいわゆる社会主義諸国の多くを歴訪した。冷戦時代の真っ只中だった頃だ。社会主義国の盟主であったソビエト連邦(現ロシア)をはじめ、東欧諸国、モンゴル、中国など、述べ日数にすれば450日間ほどの滞在だった。フィデル・カストロ(1926-2016年)が存命中に、キューバにも足を伸ばしたかったがそれが叶うことはなかった。カストロとともに闘ったチェ・ゲバラ(1926-1967年)の人物像にも関心が深かったので、同時代に生きた者としてその空気を現地で吸ってみたかった。

 ともあれ、当時世界は資本主義と社会主義に二分され、何事も表裏一体であるが故、対極にある世界を知っておかないと物事は立体的に見えぬものだし、判断を誤るとの意識をぼくは強く持っていた。そのために社会主義諸国の実態を知りたかった。
 自分の足で歩き、そこに住む人々と交わり、時空を共にすることで、ある程度その実態と現実を感じ取れるのではないかという思いから、ぼくは足しげく社会主義国を訪問したのだった。ただし、どの国も、ほとんど言葉が通じなかったのだが、このことがかえって幸いし、旅の醍醐味や彼らとの親交に一役も二役も買ってくれたことは紛れもない事実だった。
 また、ぼくはマルクス・レーニン主義者でもなく共産主義思想にシンパシーを抱いているわけでもないが、社会体制のまったく異なる国々がこの地球に共存し、そして互いにいがみ合い、非難合戦を繰り返しているその現実を自分の目で確かめたかったからでもあった。
 これらの国々を、肩に食い込むほど重たいカメラバッグを抱え、右往左往しながら所かまわず何処へでも入り込んでしまった予期せぬ侵入者を歓待してくれた人々との思い出は尽きぬものとなった。

 社会主義国は、とりわけ撮影に関して制約が多く「あれを撮ってはだめ、これもだめ」という具合に、写真屋としては非常に仕事がしにくい。軍用建築物や施設(一見して分からない場合があるので始末が悪い)は当然のことながら、空港・橋・駅・鉄道・港などは撮影禁止の代表格であったが、ぼくは隠し撮りを忌み嫌い堂々とレンズを向ける質なので、その間隙を縫って撮るのがいつの間にか快感となり、無事シャッターを切った後、何故か勝利したような錯覚に陥ったこともしばしば。ぼくはどこか危ない性格らしい。なので、今の中国や北朝鮮には行かない。

 かつてソ連邦や東欧で、時にはドジを踏み、その筋にしょっぴかれたことも何度かあった。当然の報いであったがいつも無罪放免となった。フィルムを没収されたこともない。事の顛末は拙書に詳述したのでここでは書かないが、未だに「御用! 御用! 神妙にいたせ!」という岡っ引きの勝ち誇ったような言葉が頭のなかで、各国語でぐるぐると渦巻き、響き渡っている。今となっては良き思い出である。

 社会体制が異なっても、そこで暮らす人たちは我々と何も変わらぬ人間性を有していることはいうまでもないのだが、ぼくらは案外このことを見逃しているのではないか。感情にまかせて、個人と国民性を十把一絡げにして判断しようとする。最近は特にそのような論調が目立つような気がしている。これは誤りだ。
 民族性や国民性というものは確かに存在するが、それは風土や歴史、宗教や政治などによって文化的に形づくられたものであって、本来人間に宿る性善説や性悪説をひっくるめて、道徳や倫理というものは環境に関わりなく同じであると、ぼくは “今のところ” そう考えている。他国に於ける民族性や国民性は、我が国と比較しても、犬と猫ほどの違いはない。強いていえば、秋田犬とブルドッグは背格好や性格こそ違え、犬としての性格はまったく同じだというに似ている。せいぜいその程度のものだ。

 社会主義国家ばかりでなく、社会体制の異なる国々を巡り、特に負の部分にぼくは大きく揺らいだ。未だに揺らぎ続けている。
 人間と社会体制、個人と国家権力、宗教と国家、人権や自由に関しての軋轢や弾圧、そしてどこにも救いのない民族浄化やむごたらしい死を実際に目の当たりにして、日本育ちのぼくはそこに至る過程と事の次第を整理し切れずにいるが、片や絵空事のような「人道」という言葉の乱用に、いたたまれないほどの痛みと嫌悪を感じている。世界は「人道」という名のもとに、現実を直視する目が曇り、視野狭窄状態に陥っている。

 報道カメラマンでもないぼくが、「もう日本に帰れないかも知れないなぁ」とか「ここでオレも死ぬのか」との思いを体験したこと自体が、そもそも日本人の生活感からすれば大きくかけ離れている。ぼくは幸い悪運が強いらしく、うまくすり抜けたというだけだ。「命長ければ恥多し」ともいうが、「もう少し生きておれ」という神の思し召しであったのかも知れない。

 仏教の論書のひとつ「摩訶止観」(まかしかん)に「流れを汲みて源を知る」(末端を見て、そのもとを知ることのたとえ)という語句があるが、ぼく流の解釈をそれに当てはめれば、「写真を見て、作者の源流を知る」とか「写真は作者の生き様そのものを転写する」ということになる。
 マクラが長すぎてまだ本題に取りかかれないうちに、嗚呼、字数ここに尽きる。この続きは次回にて。

http://www.amatias.com/bbs/30/385.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県吉見町。栃木県出流町。

★「01岩室観音」。
吉見百穴古墳に隣接する岩室観音。懸造り様式のお堂(1661-1673年に再建)と岩窟に納められた88体の石仏を目指して。これ以上の引きが取れない。焦点距離11mm。
絞りf9.0、1/25秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「02岩室観音」。
お堂の2階に上がる。床にしゃがみ込み、剥き出しの天井を見上げる。奉納板には明治16年とあった。
絞りf6.3、1/20秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「03栃木県出流町」。
昨年行った時に撮った出流山満願寺山門。どうしてもイメージ通り仕上げることができず放置していたのだが、昨日やっとというところ。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)