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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2018/03/16(金)
第388回:正直な写真
 原画と仕上げた写真のあまりの違いを指して、ぼくは友人からドロボー呼ばわりされたと前号で述べたが、しかし作品に嘘はない。
 仕上げた写真は、撮影時に描いた「心象」に可能な限り忠実に従おうと努力した結果であって、自分に対して正直そのものだと思っている。いわば名誉あるドロボーなのである。ここで、着せられた汚名をそそぐ気はないが、写真はどのようなものであれ虚構の世界なのだから、小さな嘘は許されても、大きなものは看過されないというのは不公平であり、ものの道理から外れている。虚構に嘘の大小などありはしない。
 創作の過程で粉骨砕身しながら、小さな嘘がやがてドロボーに育っていくのは必然でもあり、これまた試行錯誤のなかでは自然のことであり、致し方のないことなのだ。
 描く「心象」により、問われるべきは嘘の質であり、大小ではない。ピカソを観るまでもなく、ここが肝心要なのではあるまいかと凡人のぼくは一生懸命考える。

 撮影時、自分の感じたことや動機を印画紙上で鑑賞者に訛伝(かでん。誤って伝えること)なくという強い意志と感情を持っているが、しかしながら作品を見る側がどのように受け取ろうとも、ぼくには一切の頓着がない。当たり前のことだが、それは鑑賞者にとってまったくの自由だし、そこに鑑賞の値打ちがあると考えている。作者がそこに立ち入るべきではないとも考えている。また、鑑賞者におもねるのは低俗の極みであり、創作の意義を著しくはき違えたものだ。双方にとって何の利にもならないことは推して知るべし。

 それと同様に、ぼくは作品に関する最小限の情報は親切心として案内すべきだと思っているが、如何にもそれらしい題名をつけたり、哲学的な文言を並び立てて鑑賞者を誘導することにも極めて消極的である。穿った見方をすればそれは後出しジャンケンのようにも思われ、独り合点による不粋なる領域といってもいいのではなかろうか。ざっかけなくいうと「おためごかし」変じて「大きなお世話」というところだ。ぼくは偏屈だから、そんなものには惑わされないよとの気概を持っている。作品が美しいかそうでないかは、鑑賞者自身の手によってのみ委ねられるものだ。
 効能書きによらず、鑑賞者の心に深い印象を与えたり、呼び起こすことができれば、それが即ち美しい作品なのだとぼくは解釈している。

 ぼくの生い立ちや素性を顧みると、物心ついてからこんにちに至る70年の長きにわたり、暇さえあれば白日夢にふけってきた。非現実的な幻想の世界に浮游するとたちまち忘我の境に入り、他人の言葉がまったく聞こえなくなるという特異な体質でもある。これは社会生活を人並みに営む上で大きな支障となり、娑婆にあってはしばしば迷惑の種となる。
 幻想の世界の、その何百分の一でよいから、日夜それを写真で表現してみたいと念じているわけだが、思いが強くなるに従って、嘘つきが昂じドロボーにならざるを得ないというあらましが無きにしも非ず。

 さて今回の3枚の掲載写真は、記録写真として撮ったもので、近年どこででも見かけるスマホでパチリという類のものである。自己主張が目的ではないので、嘘もつかず、ドロボーになることもない堅気一辺倒のものだ。
 ただし、単なる記録写真といえども、発表するからにはそれなりの技術を用いたものでなければならない。
 
 若い女性とよく( “よく” でもないのだが、ここでは少々見栄を張っておく)食事をともにすると、彼女たちは逸(はや)る気持を抑え、舌舐めずりをしながら食べる前に申し合わせたかのようにスマホでパチリとやる。まるで、食前の儀式のようである。
 時によって、写真に興味のないぼくにまで「手を出すんじゃないよ!」と凄み、待ったをかけてくる。ぼくは仕方がないので腕組みなんかしちゃって無言でそれを優しく見守っている。「おあずけ」を喰らった犬みたいだ。「早く食わせろ!」なんてはしたないことは決していわない。「何のために撮るの?」なんて野暮なことも訊かない。年々歳々、ぼくはこうやって忍従を学んでいく。

 料理写真の要点はただ1点のみである。光の方向性と光質だけを読むことができれば、申し分のない写真が得られる。自然光を如何に上手く取り込み、利用するかにかかっている。細かなライティングをもっぱらとするコマーシャルの写真屋が正直にいうのだから、信じていただきたい。ここで嘘はつかない。
 特に料理は光の方向性により見え方がかなり異なってくる。与えられた自然光の下、テーブルに置かれた皿もしくは器を手に取り上下左右に振ってみるといい。色や質感、シズル感(sizzle)が生き物のように変化して見えるものだ。この現象は、もちろん料理に限ったことではないのだが、料理での変化は著しい。料理が最も美味しそうに見えるアングルを探し当てれば、もうそれだけで立派な写真となる。

 3点の掲載写真はそのアングルを見つけ出し撮ったもの。撮影したRawデータを現像時に微調整しただけのものだ。ホワイトバランス、明度、コントラスト、彩度の4大調味料を調整しただけで、細かいことは一切していない。いってみれば生(き)のままのような、正直な写真である。ライティングをせずとも、面倒な暗室作業をせずとも、この程度までは誰でも写すことのできる、まったく嘘偽りのない正直な写真ということができそうだ。
 ぼくの、つかの間の堅気でありました。

http://www.amatias.com/bbs/30/388.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。

★「01サラダ」。
斜め約10時の方向から、薄曇りの光が差し込む。磁器の白が飛ばぬように露出補正を慎重に。
絞りf7.1、1/30秒、ISO400、露出補正-1.67。

★「02ペペロンチーノ」。
「01サラダ」と同条件。焦点距離24mm(APS-Cサイズなら15mm相当)の特徴を生かして。
絞りf4.5、1/30秒、ISO200、露出補正-1.67。

★「03天ぷら」。
「天そば」を食う。左と正面から曇天下の光が差す。店内のタングステン光もあり。天ぷらのサクサクした感じを出すためRaw現像ソフトで僅かながら明瞭度を上げた。
絞りf7.1、1/20秒、ISO200、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2018/03/09(金)
第387回:写真は生き様の転写(3)
 今になって、このテーマ「写真は生き様の転写」はまだまだ経験の浅く青臭いぼくには荷が勝ったものだと気づき始めた。予定回数3回をはるかにオーバーして思いつくままに長々と述べれば、少しは言わんとするところをお伝えできるのかも知れないが、このテーマに確信を持ちつつもやはり3回では荷が重い。もはや逃げ場がないので「窮鼠猫を噛む」ではないが、自己弁護めいた開き直りとも取れる屁理屈をこねてみたい。

 何故このようなテーマを持ち出したかというと、複数の人たちからの、ぼくの写真に対しての感想がどれも同質なる傾向にあり、その要因はどこにあるのかを探り当て、合点が行くように様々な角度からの思考を試みたのだが、とどのつまりぼくは今自家中毒を起こし、錯乱状態に陥っている。
 他人の作品と人柄についての関連性は、ぼくの尺度を持ち出せばほとんど辻褄が合い、互いに直結しているのだが、自分のこととなると皆目見当がつかぬというのが正直なところだ。

 長年の友人から「かめさんはますますドロボー(泥棒)の度合いを深めている」といわれた。ドロボーとは縁もゆかりもないぼくだが、ここにぼくの写真に対する意見の集約があるように思えた。
 「なんでぼくがドロボーなのだ?」と訊くと、「 “嘘つきはドロボーの始まり” というではないか」との返事。ぼくは「 “嘘をつかねば仏になれぬ” (必要な嘘はついても許されるということ)ともいうぞ」と混ぜっ返した。

 遠隔の地にある彼は、ぼくの発表した写真の原画を見たがり、リサイズしたそれをメール添付で送れとしばしば要求してくる。ぼくは原画を見られたくないなどというしみったれた料簡はまったく持ち合わせていないので、写真に興味津々の彼に気前よく、しかも意欲的にそれを送りつける。
 彼は、仕上がった写真と原画のあまりの隔たりと変貌ぶりを指し、ぼくを大嘘つきと断じるのだ。ここに彼のいうドロボーの起源があった。ぼくのエッセンスはドロボーにあるらしい。

 写真の質を大きく左右する被写体の選択は「心象」(「心象」については前号に)に頼ったものであることはいうまでもないのだが、そこで撮影した原画という素材を使って、如何に「心象」を忠実かつ誠実に再現するかにぼくは腐心する。そこにドロボーが触媒となり、徘徊しているらしいのだ。
 しかしこのことは、程度の差こそあれ写真創生期から好事家によって行われてきたことである。ぼくだけが変調を来したドロボーというわけではない。
 
 常日頃、ぼくは「聖人君子に写真は撮れない」と憚りなくいってきた。実際に「聖人君子」などこの世に存在しないのだが、そのありようを尊いもの、あるいは理想像のように捉えたがる人たちがいる。もちろん、その姿勢は大いに結構なことで否定すべきものではないが、写真や物づくりにそのような人たちは極めて不向きである。
 昔から「聖人に夢なし」(聖人は心身ともに安らかで、雑念に煩わされないから常に安眠でき、つまらぬ夢など見ない)とか「君子危うきに近寄らず」(君子はいつも身を慎み危険なことは冒さない)というではないか。
 夢(憧れや願い)や冒険(試行錯誤や挑戦)あってこその写真(創造)であり、我を折ることに刻意するような心立ての人もまた不向きなのだと思う。勇を鼓しながら失敗を繰り返し、清濁併せ呑む鷹揚な気っ風のほうが相応しいとぼくは思っている。

 将来AI(人工頭脳)が進化したら良い写真を撮るだろうか? ぼくは決してそのようなことはあり得ないと考えている。「美しい」写真ではなく、誰にでも撮れる「きれいな」写真くらいは撮れるかも知れない。
 何故かといえば、人間の造るAIは失敗を知らないからだ。失敗のなかで育っていない。そしてもしAIのなかに「生き様」という有機的なものが生じ、人間を超えるさらに有機的で抽象的な「心象」を生み出せるかといえば、ぼくの答えはノーだ。AIは美や哲学、宗教や死生観の概念に立ち入ることはできないのではないかといえば、科学者はどう答えるのだろうか?

 囲碁や将棋は、センスや駆け引きがあるにしても、写真よりはるかに理詰めの科学(数学的な要素が多い)であるが故に、人間に勝るとも劣らぬ能力を発揮することができるが、写真は生き様の、失敗や失態の連続から生み出されるものだ。写真技術は恐らくAIには太刀打ちできないだろうが(現在にあっても実に素晴らしい)、人間は技術に走ったり頼ったりすると作品から魂が抜ける。AIは抜けるような魂をもともと持っているのだろうか?

 魂を描くことに挑戦するのは人間だけに与えられた数少ない愉悦であり、また戯れであると、ぼくは目下のところそう考えている。
 将来、AIが人類の生みだした偉大な文学や絵画を凌駕する日がもし来るとすれば、その時人間はとっくに滅び去っているに違いない。「君子は豹変す」の如く、魂を宿したAIにもやがてその日がやって来るのだろうか?

http://www.amatias.com/bbs/30/387.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県足利市。埼玉県川越市。

★「01足利市」。
やつ手の葉を見ると幼児体験からか宗教的なものを感じ、ついシャッターを押してしまう。宗教的ではなく、単に天狗のうちわかな?
絞りf9.0、1/20秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02足利市」。
最近のミニクーパーはつまらないなぁと思いつつ、若い頃の郷愁からか、気になって仕方がない。超広角で鼻っ面を歪めてやる。
絞りf13.0、1/125秒、ISO100、露出補正-2.67。

★「03川越市」。
眼鏡店の店先。ガラスケースに入れられた形容しがたい造形物。
絞りf9.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2018/03/02(金)
第386回:写真は生き様の転写(2)
 かつては同業者仲間(コマーシャル分野ばかりでなく他分野のプロカメラマンたち)が多くいたが、年月を経るとともに数が少なくなりつつある。物故した人や引退した人も数人いるが、ぼく自身がコマーシャルから意図的に距離を置き、閉じ籠もったことも大きな要因と思われる。
 彼らとの会話を今改めて思い起こすと、写真屋というものは節度ある一般の方々に比べると、誰もが押し並べて非常に饒舌だった。珈琲1杯で何時間も話し込むのだから、さすがのぼくも手を焼いた。なかには著名な写真家もいたが、ホントに迷惑な人たちである。

 自己顕示欲というか自己主張が際立っており、故に話さずにはいられない心持ちなのだろう。かく言うぼくも、ご多聞に漏れずそうであった(過去形)らしいのだが、それでも珈琲3杯は必要とする。概ね写真屋とはそういう種族だとぼくは思っている。
 また、失敗談については特に熱心に語りたがり、それは病気を経験した人にありがちな、いわゆる “病気自慢” に似たようなものだと思う。ぼくだって、癌治療時に於ける入院生活や周囲の人々(医師・看護師・患者たち)とのやり取りを話し始めれば滔々と一日を費やすに違いない。おかしなことに、どこかが自慢めいてしまうものなのだ。
 余談だが、入院生活中に起こった種々雑多なことを某大手出版社の編集者に大真面目に、面白おかしく語ったところ、「その体験談を単行本にしたいのだが、原稿を書いてくれないか」といわれたことがあった。病に苦しむ多くの人たちを実際に目の当たりにして、「人を茶化すような、そんな笑い話を書けるものか」と丁重にお断りしたことがある。

 それはさておき、写真屋同士は当たり前のことだが、通じ合うものが多く案外仲が良いものだ。なかには性格破綻を来したと思われる者もいるが(ぼくじゃぁない!)、その戯れはほとんどが情報交換(カメラやレンズ、フィルムやライティングなど)の場であったように記憶している。
 喧々囂々(けんけんごうごう)と写真論や写真の良し悪しを語り合うなどという建設的なことはまずしなかった。ぼくも自身の写真論を開示したりすることは滅多になかった。誰もが一国一城の主であり、そんなことは「いわれるまでもなく、大きなお世話だ」と思っていたからに違いない。したがって、「写真は生き様の転写」なんていう小難しいこととも縁がなかった。

 ぼくが「写真は生き様の転写」との認識を新たにするようになったのは、写真を教える立場になってからだ。教えるというより、自分がプロの現場で得た様々なノウハウを、それぞれの個性に応じて伝えていくというのが正しい言い方だと思っているが、多くの人たちと接し、その作品を見せてもらうにつけ、その観がますます強くなっていった。
 手短にいえば、作品を見るまでもなく、人となりを窺えばおおよそのところどのような写真を撮り、そのクオリティについても見当がつくものだ。まず外れることはない。作品とはとても正直なものだ。取り繕いが利かぬ「空恐ろしい」ものなのだと、今更ながらにぼくは痛感している。

 作者の生い立ちに始まり、こんにちまでのあらゆる体験に基づく感覚(感情)や思考(知性)、そして意識(意志)が複雑な年輪を編み上げ、写真を撮るに際して最も重要な「心象」を形づくっていくのだとの思いに至る。
 「心象」とは、感覚・思考・意識によって心のなかに描き出される形や像を指し、読んで字の如し。
 同じ被写体を前にして、百人いれば百様の「心象」が描かれることになる。

 誰もが自身の描いた「心象」を美しいものだと信じたがる。あるいは語りたがる。何としてでも人々にそれを伝えたいと願う。それが人情というものだが、その「心象」を十全に印画紙上に再現できるかとなると話は違ってくる。ここが難しいところだ。
 写真の質を最も左右するものは、ぼくは「心象」より他になしとしている。描いた「心象」を具体的に記録するのが撮影技術であり、そこで得られた素材を「心象」に基づき上手に料理するのが暗室技術だと考えている。このことは今まで拙稿にて言葉や表現を変えて、あの手この手を繰り出し述べてきたことでもある。ぼくのこの執拗さは熱心さの余りであり、珈琲3杯分の、写真屋の業のようなものかも知れない。

 「心象」を具現化するには数々の手続きを踏まなければならないが、そこに大きく立ちはだかるものが撮影技術であり、暗室技術だ。しかし、案ずることはない。そんなことは一顧だにしないでいい。「心象」が技術を引っ張り上げるという摂理をテコのように利用すればいいのだ。必要なことは努力あるのみ。

 「心象」は、あらかた作者の過去に依拠するものだと書いたが、過去は消すことができないので、ではどうするか? 
 ぼくは元来の楽天トンボだから、自分の体験してきた過去についての考え方を転換させることにしている。つまり切り口を変えて見つめ直すこと。その転換点として、本を読んだり、美術や音楽を鑑賞する。歌舞伎でも落語でも、何でもござれだ。百人百様なのだから、お気に召すもの(ただし、上質なものに限る)を探し出し、馴染むことが一番なのだと、今珈琲を飲みながらも強く主張しておこう。

http://www.amatias.com/bbs/30/386.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県川越市。どの写真も色調が渋すぎるかなぁと。生き様が地味で渋いからかなぁ!?

★「01川越市」。
寒波襲来の折、夕刻寒さに耐えかねて飛び込んだ喫茶店で。珈琲を待つ間、光と影、ガラスと水の質感描写、構図を上手くまとめ上げてみようと試写。
絞りf11.0、1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02川越市」。
表通りのショーウィンドウを覗くと二重になった窓ガラスに面白い絵柄が。日は暮れかかり、月が輝き始めた。
絞りf5.6、1/25秒、ISO160、露出補正-1.33。

★「03川越市」。
山口百恵、桜田淳子の懐かしい音楽雑誌がショーウィンドウに飾ってあった。
彼女たちが売れっ子だった頃、ぼくはとうに成人しており何の興味もなかったけれど。
絞りf5.6、1/50秒、ISO160、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2018/02/23(金)
第385回:写真は生き様の転写(1)
 写真屋になって以来、ぼくは個人的な興味からいわゆる社会主義諸国の多くを歴訪した。冷戦時代の真っ只中だった頃だ。社会主義国の盟主であったソビエト連邦(現ロシア)をはじめ、東欧諸国、モンゴル、中国など、述べ日数にすれば450日間ほどの滞在だった。フィデル・カストロ(1926-2016年)が存命中に、キューバにも足を伸ばしたかったがそれが叶うことはなかった。カストロとともに闘ったチェ・ゲバラ(1926-1967年)の人物像にも関心が深かったので、同時代に生きた者としてその空気を現地で吸ってみたかった。

 ともあれ、当時世界は資本主義と社会主義に二分され、何事も表裏一体であるが故、対極にある世界を知っておかないと物事は立体的に見えぬものだし、判断を誤るとの意識をぼくは強く持っていた。そのために社会主義諸国の実態を知りたかった。
 自分の足で歩き、そこに住む人々と交わり、時空を共にすることで、ある程度その実態と現実を感じ取れるのではないかという思いから、ぼくは足しげく社会主義国を訪問したのだった。ただし、どの国も、ほとんど言葉が通じなかったのだが、このことがかえって幸いし、旅の醍醐味や彼らとの親交に一役も二役も買ってくれたことは紛れもない事実だった。
 また、ぼくはマルクス・レーニン主義者でもなく共産主義思想にシンパシーを抱いているわけでもないが、社会体制のまったく異なる国々がこの地球に共存し、そして互いにいがみ合い、非難合戦を繰り返しているその現実を自分の目で確かめたかったからでもあった。
 これらの国々を、肩に食い込むほど重たいカメラバッグを抱え、右往左往しながら所かまわず何処へでも入り込んでしまった予期せぬ侵入者を歓待してくれた人々との思い出は尽きぬものとなった。

 社会主義国は、とりわけ撮影に関して制約が多く「あれを撮ってはだめ、これもだめ」という具合に、写真屋としては非常に仕事がしにくい。軍用建築物や施設(一見して分からない場合があるので始末が悪い)は当然のことながら、空港・橋・駅・鉄道・港などは撮影禁止の代表格であったが、ぼくは隠し撮りを忌み嫌い堂々とレンズを向ける質なので、その間隙を縫って撮るのがいつの間にか快感となり、無事シャッターを切った後、何故か勝利したような錯覚に陥ったこともしばしば。ぼくはどこか危ない性格らしい。なので、今の中国や北朝鮮には行かない。

 かつてソ連邦や東欧で、時にはドジを踏み、その筋にしょっぴかれたことも何度かあった。当然の報いであったがいつも無罪放免となった。フィルムを没収されたこともない。事の顛末は拙書に詳述したのでここでは書かないが、未だに「御用! 御用! 神妙にいたせ!」という岡っ引きの勝ち誇ったような言葉が頭のなかで、各国語でぐるぐると渦巻き、響き渡っている。今となっては良き思い出である。

 社会体制が異なっても、そこで暮らす人たちは我々と何も変わらぬ人間性を有していることはいうまでもないのだが、ぼくらは案外このことを見逃しているのではないか。感情にまかせて、個人と国民性を十把一絡げにして判断しようとする。最近は特にそのような論調が目立つような気がしている。これは誤りだ。
 民族性や国民性というものは確かに存在するが、それは風土や歴史、宗教や政治などによって文化的に形づくられたものであって、本来人間に宿る性善説や性悪説をひっくるめて、道徳や倫理というものは環境に関わりなく同じであると、ぼくは “今のところ” そう考えている。他国に於ける民族性や国民性は、我が国と比較しても、犬と猫ほどの違いはない。強いていえば、秋田犬とブルドッグは背格好や性格こそ違え、犬としての性格はまったく同じだというに似ている。せいぜいその程度のものだ。

 社会主義国家ばかりでなく、社会体制の異なる国々を巡り、特に負の部分にぼくは大きく揺らいだ。未だに揺らぎ続けている。
 人間と社会体制、個人と国家権力、宗教と国家、人権や自由に関しての軋轢や弾圧、そしてどこにも救いのない民族浄化やむごたらしい死を実際に目の当たりにして、日本育ちのぼくはそこに至る過程と事の次第を整理し切れずにいるが、片や絵空事のような「人道」という言葉の乱用に、いたたまれないほどの痛みと嫌悪を感じている。世界は「人道」という名のもとに、現実を直視する目が曇り、視野狭窄状態に陥っている。

 報道カメラマンでもないぼくが、「もう日本に帰れないかも知れないなぁ」とか「ここでオレも死ぬのか」との思いを体験したこと自体が、そもそも日本人の生活感からすれば大きくかけ離れている。ぼくは幸い悪運が強いらしく、うまくすり抜けたというだけだ。「命長ければ恥多し」ともいうが、「もう少し生きておれ」という神の思し召しであったのかも知れない。

 仏教の論書のひとつ「摩訶止観」(まかしかん)に「流れを汲みて源を知る」(末端を見て、そのもとを知ることのたとえ)という語句があるが、ぼく流の解釈をそれに当てはめれば、「写真を見て、作者の源流を知る」とか「写真は作者の生き様そのものを転写する」ということになる。
 マクラが長すぎてまだ本題に取りかかれないうちに、嗚呼、字数ここに尽きる。この続きは次回にて。

http://www.amatias.com/bbs/30/385.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県吉見町。栃木県出流町。

★「01岩室観音」。
吉見百穴古墳に隣接する岩室観音。懸造り様式のお堂(1661-1673年に再建)と岩窟に納められた88体の石仏を目指して。これ以上の引きが取れない。焦点距離11mm。
絞りf9.0、1/25秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「02岩室観音」。
お堂の2階に上がる。床にしゃがみ込み、剥き出しの天井を見上げる。奉納板には明治16年とあった。
絞りf6.3、1/20秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「03栃木県出流町」。
昨年行った時に撮った出流山満願寺山門。どうしてもイメージ通り仕上げることができず放置していたのだが、昨日やっとというところ。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2018/02/16(金)
第384回:遊び心あってこそ
 2010年から始めた拙稿も回を重ね、ぼく自身もとうとう古希に達してしまった。週一度のルーティーンを特段に苦痛とは感じていないのでここまでしぶとく続けられたのだろう。また、拙稿を綴りながらも自身を鼓舞する意味で、意見や考え方を「公開」することはとても大切なことだと思うようになった。今さらながらである。
 あれこれとここで偉そうなことを読者諸兄に訴えているのだから、あまり恥をかかぬようにしなければならないという気持がうごめく一方で、しかしながら、逆説であるかのように思われるかも知れないが、恥を晒すことは脱皮の機会を与えてくれる。ぼくは幸いながらその大切さを身をもって痛感している。
 恥を恐れる人ほどあらゆることに対する許容量を失い、井の中の蛙に安住し、そして小さくまとまりながら硬直し、やがて自身の進歩さえ止めてしまうものだ。その習性は特に精神を停滞させ、やがて忌避できぬものとなる。だからぼくはここで敢えて恥を晒す。

 ましてや効能書きの証左たる実践に於いて、その証となる写真掲載まで積極的に取り組んでしまったことは、返す返す愚行のそしりを免れないが、怠け者のぼくにとって叱咤督励と奮起の良い起爆剤ともなっている。
 だがいつも自分の得心する( “まぁまぁのところ” という程度だが)写真の掲載といかないところがまことに残念至極で、自身の至らなさを悟りながらも、痛し痒しの辛さを甘受している。
 しかし、恥を忍んでしないことより、 “してしまう” ことのほうが百倍も御利益に与れることは明白なことだと知った。何事も「案ずるより産むが易し」というではないか。

 拙稿は写真愛好の人々を対象としたものに変わりはないのだが、回を重ねるにつれ、何時の頃からか対象範囲が自然に狭まり、一握りの愛好家を対象としたものになりつつあることは重々承知している。いわゆる記念写真や記録写真を目的とする人たちにとってぼくの話はほとんど縁がないであろうこともすでに理解している。これだけ回を重ねて行けば必然的にそうならざるを得ない。
 拙稿は初歩的な事柄から始ったが、それ以上のことについての詳細は書籍やネットでいくらでも散見できるので、敢えてぼくが書く必然性がないように思えた。それより、多くの場数を踏みつつ、実戦の場で得た自身の信念に従って、写真の面白さや愉しみ方を伝えることのほうが、実があるのではないかと感じている。
 そうすると、技術的なことばかりでなく精神的なことや写真のありようにも言及せざるを得ず、分不相応であるが故に、ますますぼくは疎んじられることにもなりかねない。やはりここでも痛し痒しなのだ。

 余談だが、「痛し痒し」の正しい意味と用法を辞書で調べてみた。それによると「片方をたてれば、他方に差し障りが生ずるという状態で、どうしたらよいか迷うときにいう。どのようにしても結局自分に都合の悪い結果になる」(広辞苑)とある。また、別の用語集にも「この語句は、どちらを取っても自分に都合の悪い結果になるようなときに用いる」と書いてある。
 このことから、ぼくの心情をどうかお察しいただきたい。

 昨日、写真愛好の友人から電話があり「今迷いに迷って、試行錯誤の真っ只中なのだが出口が見つからない。どうしたものか?」とお嘆きの様子であった。
 彼は生真面目で神経細やかな分、その反動として当然ながらどこか間が抜け、悠長に構えることをひどく気にしてはいるが実働が伴わないので、焦燥感ばかりが募る。分かっていながら体が動かないというのは、ぼくなどいつものことで、とても辛いものだ。彼も負のスパイラルに巻き込まれているとぼくは感じ取った。
 そのような人が陥りがちな ”独り合点” 、もしくは “一人相撲” を彼は演じているようにも思えた。悩みを抱え込むあまり、客観的な視点が揺らいでいる。

 友人とは、実は我が倶楽部の一員なのだが、彼は「みなさんの写真を見ていると、それぞれに物語が伝わってくるのだけれど、ぼくの写真にはそれがない」のだという。
 彼の悩み事については幾分抽象的な説明ではあったが、初めて彼の作品に接した時、ぼくは非常に斬新な刺激を受けた。ぼくばかりでなく一同そう感じたのではあるまいかと思う。
 ちょっと過激な傾向もあるのだが、凡庸であるよりはずっと素晴らしい。ぼくは彼の作品を褒め称え、その良さを失わないようにして欲しいと願っているのだが、当の本人は自身の作品をエキセントリックなものと認め、そこから脱出せんがためにもがいているのだとぼくは受け止めている。不要なものを排除しながら次なるステップに臨むその難しさにきりきり舞いしているのであろう。

 ぼくは「行くところまで行ったほうがいい。中途半端で終わらせるのは悪いものばかりがこびり付いてしまうので、今までのものを踏襲しながら、早呑み込みせずに、まず汲々とした気持を解きほぐし、精神の解放に努めることが取り敢えず肝要なことではあるまいか」と伝えた。
 近いうちに、写真の不調を訴える人たちを連れ出して、小さな撮影会を催そうと思っている。遊び心あっての趣味ではありませんか。ぼくは遊びすぎなんだけれど。

http://www.amatias.com/bbs/30/384.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:埼玉県加須市。長野県軽井沢町。

★「01加須市」。
廃屋となった銭湯。以前にも撮ったことがあるのだが、どうしてもイメージ通り撮れず、再挑戦。ガラス越しに何とか撮れたかな。
絞りf7.1、1/100秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02加須市」。
銭湯の脇にあった家庭菜園で朽ち果てた白菜をいくつか撮った。そのうちのひとつ。「エイリアンみたいだなぁ」といいながらシャッターを押す。
絞りf10.0、1/20秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03軽井沢町」。
ペペロンチーノを食べたくて入ったイタリア料理店。自席から針金入りガラスを通して表を撮る。
絞りf5.6、1/320秒、ISO100、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2018/02/09(金)
第383回:下手の横好き
 太平山の麓まで不案内のため意図せず下ってしまったぼくは、意気消沈しながら中腹の謙信平にある駐車場まで再び息を切らせながら取って返さなければならなかった。下山するとき笑っていた膝頭は、今度はしぶしぶ心臓の鼓動を激しく促し、ぼくの体を支えつつその負荷に耐えなければならなかった。
 幸いにもぼくのあらゆる関節は体重を支えたり、回転させたりする機能を未だ十全に果たし支障を招くことはないが、その周囲に連結されている筋肉はすぐに酸欠を来たし、駄々をこねる。あの腹立たしくも退屈極まりないウォーキングを生真面目に励行したり、スクワットを週に2度ほどしたりしてはいるが、所詮それは訓練のための訓練に過ぎず、何事も実戦ともなると多少様相が異なるものだ。勝手が違うのである。
 唯一の慰めは「普段の訓練が功を奏し、疲労もこの程度で済んでいるのだぞ」と言い聞かせることだが、しかし客観的な因果関係は保証の限りではない。運動機能を争うスポーツは別としても、嫌で仕方のないウォーキングによる健康の保証など当てになるものかとぼくはいつも道破している。
 栄養価が高くとも、嫌いな食べ物を無理矢理口に突っ込まれるそのストレスの方が何十倍も健康に悪いとするのがまっとうな思考ではあるまいかと思う。

 こと写真に関していうのであれば、嫌々ながらも退屈極まりない訓練を繰り返し、あらゆる感触・感覚を体に叩き込むのは失敗の許されない商売人であるからであり(それでもしくじる)、好んでしているわけではない。ぼくがアマチュアならやはり愉しさを最優先したがるのではないかと思う。
 「好きこそ物の上手なれ」という諺があるが、それはアマチュアの特権だと考えている。プロはそれだけでは食えないのだから、糊口の道を開くために好きでもない訓練を黙々とこなさなければならない。職人とはそのようなものではないかと思う。飯のため、それも無理からぬことと認めている。
 上記したことと文意に多少の齟齬が生じていることを重々承知でいうのだが、基本の繰り返しこそが上達の早道というのは疑いようのない事実だ。
 
 多くの上達志願の人たちと接してきて思うことは(プロを目指す助手君は別)、退屈な基本の習得と写真を撮る愉しさをバランス良く取り込んだ人は上達を確かなものにしているという事実である。しかしその一方で、写真が好きで大変熱心なのだが一向に上達しない人も少なからずいるという現実がある。この原因・理由を探るのはぼくにとって非常に困難なことだ。才能とか天性のものに持ち込むのは容易いことだが、それ以前に大きな問題があるのではないかというのがぼくの見立てである。
 才能というのは以前にも述べたことがあるが「努力する能力」を指すのであり、天性や天分の存在は否定しないが、それも努力あってこそ開花するものだ。従って、ぼくはここに原因を求めることはしない。それ以前の「何か」があるに違いないと思っている。教える立場になって以来、ぼくは自分を棚に上げて、この問題についていつも考え込んできた。未だ悩みは尽きない。

 原因究明の手立てとなる事柄はどのようなことであろうかと、彼らに共通するものを拾い上げることは、因果関係を探るうえである意味科学的であるかも知れない。そうするといくつかの共通項が見えてくる。それを順不同に、思いつくまま箇条書きにしてみると以下の如し。

 1. 洋の東西を問わず存在する芸術作品の本物の美を知らない。もしくは感応できない。
 2. 憧れの対象となる作品や作者を持たない。
 3. 自分の意志や感情を抑えることに慣れてしまっている。
 4. いわゆる写真バカ。写真以外の他分野の美しいものに関心を示さない。
 5. カメラやレンズに関するメカニズムについて、必要以上に固執する。
 6. 当たり障りのないものを最善のものとする(冒険をする勇気の欠如)。
 7. 集中力がなくどこか散漫な性格。

 と、今のところこの7つが咄嗟に思いついた。ぼくは責任を持っていわなければならないが、この7条件すべてに思い当たる節のある方は、写真は愉しむことをもっぱらとし、上達は諦めたほうがよろしい。このことは恐らく写真ばかりでなく他の分野についても同様ではないかと思う。

 かつてこのようなことがあった。弟子にしてくれと20代の若者がやって来た。将来はカメラマンになりたいのだという。彼を見ているとビジネスマンになるには一見如才がないように見えるのだが、それよりもカメラマンになるために大切な精神構造や思考回路が明らかに欠損していた。この道理がどうしても彼には理解できなかった。上記した非上達7項目に当てはまるわけでもなかった。
 2年近くぼくは彼にカメラマンになるためのあれこれを気長に説いたが、ぼくに反旗を翻すことすらあった。徒弟制度のなかで育ったぼくにしてみれば、それはあり得べからずことで、破門という言葉こそ使わなかったが「君はカメラマンに向いていないので、ぼくのところにいても意味がない。他の職業を志したほうがよい」と伝えた。一昔前の口上であれば「行李まとめて出て行け」というわけである。それ以降の消息は知らないが、一人前のカメラマンになったという話は彼の友人からも聞いていない。

 「好きこそ物の上手なれ」変じて、「下手の横好き」とはよくいったものだ。ぼくなど、差し詰めその手合いなのかも知れない。
 
http://www.amatias.com/bbs/30/383.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県下都賀郡岩船から大中寺を経て太平山神社へ。何回かにわたって時系列に。

★「01太平山神社」。
謙信平から太平山神社に至る道に並ぶ茶店。プリントから半世紀を経て、色あせたイメージを再現してみた。地面にあぐらをかいて撮る。
絞りf9.0、1/25秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02太平山神社」。
太平山神社本殿。他人にいわせるとぼくの描く神社仏閣はおどろおどろしいのだそうだ。だってこういう風に見えるのだから仕方がない。
絞りf6.3、1/50秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03太平山神社」。
境内にある星宮(ほしのみや)神社。天満宮文章学社(てんまんぐうもんじょうがくしゃ)のご神徳は学問成就・芸能上達の意。念入りに手を合わせる。
絞りf5.0、1/10秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2018/02/02(金)
第382回:宗教的ご都合主義
 前号で、「写真の最大の敵は手ブレ」と述べた。撮影者にとってこれほど頭を悩ませる問題はない。そしてまた、露出の問題も手ブレ同様頭が痛い。
 露出に関しては、世界広しといえど、例えば露出に最もシビアなカラースライドフィルムを使って、露出計(単体露出計であれ、カメラ内蔵の露出計であれ)のお世話にならず、意図した露出をドンピシャリ得られる人は皆無であろう。それほど露出の決定は難しく、厄介なものだ。一般的な意味でいえば、写真撮影にとって極めて重要な露出決定はデジタルになってからトコトンないがしろにされるようになってしまったのではないかとぼくは嘆いている。

 手ブレは主に身体的(生理的・物理的)な理由であり、露出は頭(経験値や撮影意図)の問題でもある。手ブレ防止は、よしんば手ブレ防止機能を使用し、スローシャッターが切れても、被写体が動くものであれば今度は被写体ブレが生じる。究極の策としてはISO感度を上げればよいのだが、如何に優れたカメラでもISO感度を上げれば上げるほど画質の劣化を招くことは否めない。
 ぼくが現在常用しているEOS-1Ds IIIは約10年前に発売されたものだが、基本性能が非常にしっかりしているので、最新の機種に買い換える気持はない。ぼくの撮影条件ではこれで事足りる。このカメラの最高ISO感度1600は、今となってはかなり控え目だが、仕事でも私的写真でも必要にして十分である。
 最新のEOS-1D X IIは51200だと! 科学は日々進歩するといえばそれまでだが、工夫という人類の知恵が根こそぎ奪われ、こんなことをするから横着者が無尽蔵に増えるのだ。メーカーの責任は大きいぞ。

 前号から掲載した写真は、もう一度岩船山の採石跡を異なった角度から見てみたいとの思いで出かけたもの。採石跡は初回に大福餅のMさんに連れられて行った時以上の良いアングルを見つけることができず、それではと近くにある大中寺(だいちゅうじ。創建1154年。1489年曹洞宗として再興)や太平山神社(おおひらさんじんじゃ。創建827年)に足を伸ばした。

 大中寺は七不思議の伝説が心霊スポットとして有名であるらしいのだが、いわゆる心霊と称するものに一切関心のないぼくは、神社仏閣の建築的な興味と自身の宗教観をもって対峙し、よりフォトジェニックなるものの発見に努めることを第一としている。そこにはぼくのささやかな生き様や思想が端的に表現できるのではないかという思いに駆られてのものだ。
 従ってそれは学術的・歴史的なものからはかなり距離を置いたものとなる。また、名刹については芸術的には多大な関心を寄せつつも、絵葉書のようにただきれいに撮ることには何の関心もない。そのようなものは面白くもなんともなく、ぼくには撮る必然性がない。

 大中寺は1154年の創建当時、真言宗として開創されたが荒廃著しく、1489年に快庵妙慶禅師が曹洞宗の寺として再興されたと立て看板の由来にある。お寺も宗旨替えをするのかと興味深い。
 我が家も浄土真宗から父の死とともに、信心の希薄なぼくは菩提寺の遠近の都合で臨済宗に宗旨替え( “鞍替え” といったほうが適切かも)してしまったのだが、山はどのようなルートであっても頂上を極めれば良いのであって、「この道を通らなければならない」と決めつける宗派の争いは見苦しいばかりだ。宗教を利得の具に使うなんてもっての外だと思うのだが。

 太平山は標高341m(172mの岩船山の約2倍)の小さな山で、中腹にある駐車場(謙信平)に車を止めて、太平山神社に向かった。何軒かの茶店が並んでいたが、季節外れでもあり人気はなく閑散としていた。ただ、駐車場にあった昨今では少なくなってしまった緑色の公衆電話が目に留まり、厚めの汚れたプラスティックに透けてボーッと見えるのが面白く、イメージを模索しながらやっとのことで1枚だけ撮った。
 冷気の中、隣にツーリングでバイクを止めていた2人の紳士と言葉を交わしながら、彼らは公衆電話に執着しながらレンズを向けているぼくに「何が面白いのだろう」というような奇異な目で見つめていた。人にはそれぞれ特異で奇矯な趣味があるものだ。

 ものの資料によると大中寺も太平山神社も参道には紫陽花が咲き、なかなかの景観であるらしいが、この季節柄、それは茎が黄色に変色しただけの立ち枯れで、残念ながら撮影意欲を触発されるようなものではなかった。

 太平山神社から約1000段ある階段を下りながら、途中で息せき切らせながら登ってくる青年と軽く会釈を交わした。休息のため立ち止まっていた彼はどこか照れていた。もしかしたら、ぼくのようなジジィが1000段もある階段を登って神社に辿り着き、その帰路だと思ったのかも知れない。ぼくは中腹の駐車場からチョンボしていたのだった。
 500段近くを下ったところでぼくの膝は少しずつ笑い始めたが、この階段を神社まで登るのはかなりの体力と根性を要すると知った。階段を降りきって平地に辿り着いたぼくはひと息つく間もなく、あってはならぬ現実に衝撃を受けた。
 笑う膝をなだめすかしながらご丁寧に麓まで降りてしまったのである。車を止めた中腹に意気揚々と出るはずが下山してしまった。さて、ここから中腹に戻らなければならず、ぼくはこの季節に汗水を垂らしながら、1kmの上り坂を「賽銭返せ! ドロボーめッ!」と悪態をつきながら、「信心過ぎて極楽を通り越す」というが、不信心者にも信心家にもいい当てはまるご都合的言葉ではないかと、再び腹を立てていた。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/382.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県下都賀郡岩船から大中寺を経て太平山神社へ。何回かにわたって時系列に。

★「01大中寺」。
向拝柱と礎盤石。礎盤石は禅宗様式から広がったもの。緑青の青味を極力抑える。
絞りf5.6、1/15秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02大中寺」。
七不思議のひとつ「馬首の井戸」。井戸には関心がなかったが、ゴッホの描く「糸杉」のように見えて、取り敢えず1枚。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03謙信平」。
駐車場(謙信平)にあった公衆電話。白い部分は鳥の糞。
絞りf6.3、1/30秒、ISO200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2018/01/26(金)
第381回:失敗回避に保険を掛ける
 科学の発達とともに世の中はどんどん便利になっていく。科学の発展は人間の好奇心や探究心をくすぐり続けながら留まるところを知らない。無軌道に枝葉を伸ばし発展を謳歌しながら、ついでにぼくらの心の中に遠慮なく侵入し、そして蝕んでいく。科学は一方で虫喰いのような面があるが、しかし、これはもちろん科学の責任ではない。  
 誰もが利便さの功罪は常に相半ばするものと知りつつも、功の部分だけをありがたく頂戴するという具合にはなかなかいかない。そうは問屋が卸してくれない。それは近現代の、言い換えれば物質文明の悲劇でもあり、また喜劇でもある。まことに塩梅の悪いものだ。

 利便さにより失われるものに警戒心を抱き慎重さを心得る人を賢者といい、無批判による丸ごとの請負人をぼくは愚物としている。人類は貪欲に快楽を求めるよう仕上がっているので、これに抗うことは相当強固な意志と労力、そして知恵を必要とする。知恵を見出した人には救いがあるが、そうでない人は欲のままに機械やソフトに振り回され、知力さえも奪われていく。
 そういうぼくも近年は、原稿書きにパソコンしか使わなくなったし、便りもEメールで済ますことが多くなった。そのせいか、簡単な漢字を書き澱み「あれっ」なんて苦笑し、万年筆を置いて辞書を繰ることしばしば。そしていうのだ。「歳を取ると」って。違うだろ。歳のせいではなく、横着により知恵を置き忘れているだけだ。
 我々が普段使用する工業製品は科学による副産物ともいえるが、知恵を使いながら、ほどほどに身を委ねるのが心地よさというものだ。快楽はその程度にしておけと言い聞かせている。
 身の周りを見渡せばこのようなことは枚挙にいとまがないが、写真もご多分に漏れずといったところ。

 一昔前まで、 “何故” カメラを使えば写真が撮れるのか、そのメカニズムを理解していなければ撮影は覚束なかったものだ。カメラやレンズ、フィルムの仕組や特徴を知らなければ写真を得ることはできなかった。科学が進歩するにつれて、「何故?」が置き去りにされ(特にデジタルになってから)、シャッターボタンを押しさえすれば誰もが一応の写真を撮れるようになった。
 オートフォーカスやブレ防止機能などの出現は、ぼくのような古いタイプの写真愛好家にとって、それはまさに青天の霹靂(へきれき)ともいうべき出来事といっていい。未だに信じ切れない思いを抱いているとともに、「本当にこんなものが必要か?」という疑念を拭えないでいる。

 現在のカメラ(デジタルに限定)は至れり尽くせりの機能が満載されており、旧人のぼくなど要らないものだらけなので、それを省いて同性能のカメラを安く作って欲しいと思うくらいである。しかし、片意地を張り拒否する理由もなく、時流に逆行するようなことはかえって愚かなこととも考えているので、便利な機能を十全に使いこなすことに力を注いだほうが賢い。
 昨今のデジタルカメラに於いて、人智を尽くし、その知恵の絞りどころは何処にあるのだろうと考えてみると、いくつかのことに思いが至った。

 ひとつは露出補正。どのカメラも露出は自動的に決定されるような仕組みになっているが、被写体の明暗をどう扱うかは撮影者に委ねられる。カメラの自動露出は撮影者の意図を表すものではないということだ。また、自動露出は露出オーバー、露出アンダーを防ぐ機能を備えてはいない。あくまでファインダー内の明度をカメラの基準に従って測ることしかできず、それはほとんどの場合、作者のイメージを反映するものではないということだ。

 二つ目は、レンズの焦点距離の決定。昨今はズームレンズ全盛であるが、ズームレンズといえども、被写体の遠近感(パース)は撮影者が決定しなければならない。ズームレンズの効用(焦点距離を自在に扱うことができる)は、自身が動かずに被写体を遠ざけたり(広角)、近づけたり(望遠)するためにあるのではなく、遠近感の演出をするためのものであることに留意。本末転倒な使い方をしている人たちが大半ではないだろうか。

 三つ目は、写真最大の敵ともいえるカメラブレである。ブレほど厄介なものはなく、またこれを防止するには人類の知恵を総動員して当たらなければならない。決して大仰ではなく、それほどブレ防止は困難極まる課題だとぼくは考えている。ブレ防止機能という小洒落たものがあるにはあるが、メーカーには申し訳ないが、それは気休め程度のものと考えたほうが無難である。信用したらとんだとばっちりを食ってしまう。あとの祭りとなる覚悟をしなければならない。ブレ防止は知恵も必要だが肉体的な訓練によるところも大きい。
 
 人為による露出補正とブレ防止は、しかし、保険が利くのである。露出補正については昔から行われてきた「段階露光」でほとんど解決できる。最も露出に鋭敏であるカラーポジフィルムを使ってきたコマーシャルのカメラマンは、「段階露光」なしでは恐くて仕事ができなかった。これを自動的にしてくれるのがAEB(auto exposure bracketing)機能。デジタルはフィルムと異なり、枚数が増えても懐が痛むことがないので大いなる活用をお勧めする。

 ブレ防止も保険を掛けることができる。この保険を掛けるには、まずあなたは何分の1秒まで手持ちでブレずに撮影できるのかを知っておく必要がある。焦点距離やその日の体調、構え方により左右されるが、一応の目安を知っていれば応用が効く。
 ぼくはギリギリの条件下で、ファインダーから目を離さずに、同じカットを4~5枚連続して撮ることにしている。1枚1枚モニターで確認するよりずっと手早い。5枚のうち1枚はブレていない写真を得ることができるという信念のもと、果敢に励行するのだ。これはあくまで静物主体だが、失敗を避けることのできる良い方法なので、三脚を持参しない横着者には是非お勧めしておきたい作法である。

http://www.amatias.com/bbs/30/381.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県下都賀郡岩船から大中寺を経て太平山神社へ。今回は大福餅のMさん(前回登場)同行でなく単独行。何回かにわたって時系列に。

★「01両毛線」。
かつての撮り鉄だったぼくは線路を見ると込み上げるもの多々あり。逆光を利用。ゴーストやフレアを慎重に避ける。

絞りf11.0、1/640秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02両毛線」。
単線を歩きながら。
絞りf13.0、1/125秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03大中寺本殿」。
大中寺の解説は次号で。禅寺に対してぼくは一種特別な感情を持っている。
絞りf5.6、1/15秒、ISO200、露出補正-2.33。
(文:亀山哲郎)

2018/01/19(金)
第380回:霊山岩船山参り
 三が日の明けた4日の正午、言ってみれば正月早々まだ心身ともに知覚がまどろんでいるところへ、我が倶楽部のご婦人から何の前触れもなく電話があった。曰く、「いろいろ撮影場所を調べていたら、かめさんの好きそうな所を見つけたのよ。岩船山って知ってる?」。
 ぼくはぼんやりしながら「知らないよ。どこらへんにあるの?」と聞き返した。「近いのよ」とMさん。「それじゃ質問の答えになってない。どこにあるかとぼくは聞いてるんだ」。
 Mさんはぼくの問いを完全に無視しながら続ける。「採石場があったりしてね、かめさんそ〜ゆ〜の好きでしょう。立派な神社が山のてっぺんにあり、そこに血の池があるんだって。両毛線というローカルな単線が通っていたりしてね、面白そうじゃない。かめさん、今年まだ写真撮ってないでしょう?」と無慮数万を数えるほどに要領を得ない。加えて、どこかに粘り気のある恩着せがましさが潜んでいた。

 「だからさぁ、どこにあるのよ?」とぼくは言葉少なく再び簡潔なる質問をした。Mさんは「電車で行くと時間がかかってちょっと大変なので、車ならすぐに行けそうなの。かめさん、まだ初詣してないでしょ。美味しい大福餅もあるのよ。それ持って行くからね」と、何としてでもぼくを道連れにしての強行突破を目論んでいる様子だった。
 “私” はこのような手合いに囲まれて写真のレクチュアを懲りることなくすでに15年も続けきた。ぼくの精神は蝕まれ、疲弊し、金属疲労したように弱々しくなっている。身体には結石が生成され、ついでに癌細胞までもが繁衍(はんえん)し、気力で追放したのが3年前。今のぼくに、もうその余力はない。
 賢明なるぼくはMさんの埒外な返事に期待することなく、刹那Macを立ち上げ、「岩船山」を検索してみた。岩船山は日本三大地蔵のひとつで霊魂の集まる霊山、標高172.7mとある。
 電話口に向かって「これから直ちに出かける。途中でピックアップするから準備しておけ」とどこまでも簡潔明瞭で正しい返答をする“私”。

 東北自動車道佐野藤岡インターを降り、佐野バイパスを行くと岩肌も露わな山塊が見えてきた。「あれよ、あれ! あの上に高勝寺(こうしょうじ)という立派なお寺(霊場)があるのよ。面白そう!」と助手席のMさんはキャラメルを頬張り、ペットボトル片手にかしましい。

 彼女の所作を見ていて、「女の人はたいしたものだ」とぼくは感じ入った。ぼくはハンドルを握りながら、光の方向や岩肌をあたかも学者のように念を入れて観察し、それを頭に刻み、あれこれと「捕らぬ狸の皮算用」のような計算を盛んにしていたが、女性はこのような面での計算高さを持ち合わせていないようだ。
 つまり、直感による出たとこ勝負で写真に寄り添ってしまう傾向が男よりはるかに強い。それでいて、同じ場所を撮っても写真に優劣がつけがたい場合が往々にしてあるのだから、ぼくの彼女たちに対する写真レクチュアがどのくらいの効能を果たしているのか、いささか疑わしい。
 女性は状況により物事を科学的に分析し判断するという面倒な手続きを踏まない。そして、それに縛られることを嫌い、それゆえの柔軟さがあるのだろう。的確さより柔軟さに身を任せてしまう、その勇気が「たいしたものだ」とぼくに思わせるのである。これを称して「大胆不敵」という。このことは皮肉ではなく、衷心より、そう思わざるを得ないのだ。
 個人的資質云々より「男写真・女写真」というものは確実に存在する。その違いは上記のようなことに起因するところ大なるものがあるのではないだろうかと思っている。

 登山口近くに車を置き、カメラに電源を入れ、まず儀式のようにISO100、f 8.0、露出補正-0.33、絞り優先に設定する。レンズは11−24mm1本、神社は通常木立に囲まれているので光量が不足しがちだが、三脚も持参せずという横着ぶり。
 ぼくのカメラはフルサイズなので、この焦点距離で何でも決着をつけてしまおうというのはかなり風変わりな作法かも知れないが、被写体に限りなく肉迫するという点に於いて、御利益が生ずるような気がしている。

 ダラダラ坂を少し登ったところからかなり勾配のある階段が目の前に立ちはだかった。ぼくはここで自分の体力を試されるのだと武者震いし、勇躍して挑んだ。300段ほど登ったところで少々息切れが始まり、後ろを振り返るとMさんは人っ子一人いない階段に座り込み、小さな革製の洒落たリュックから持参した大福餅を取り出そうとしていた。
 彼女は息も絶え絶えになりながら、生唾を苦しそうに飲み込み、ほぼ悶絶状態で「かめさん、大福餅食べようよ。“腹が減っては戦ができぬ” っていうじゃない。大福食べて荷を軽くしないと」とだけいうと、やおら餅を頬張り始めた。
 ぼくは女の執念に怖気(おぞけ)を震いながらも、興味深く彼女を観察していた。大福食ったらリュックは軽くなろうが、その分体重が増え、消化エネルギーが加算されるという科学的な判断と思慮が完全に欠如しているのである。柔軟といえば柔軟であるが、やはり女は「たいしたもの」なのだ。

 大福餅3個(ぼくは1個だけいただき彼女はちゃっかり2個腹にしまい込んだ)とペットボトル2本をリュックに詰めてきた用意周到なMさん。交換レンズは持参せず、10−22mm(APS専用レンズ。フルサイズ換算16-35mm)1本、三脚なしで勝負しようという用意周到でないMさんにぼくはいった。「まだ10年早いわっ!!!」。

http://www.amatias.com/bbs/30/380.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:栃木県下都賀郡岩船町静。時系列に。

★「01フロントガラス」。
登山口から高勝寺への階段に向かって歩いていたら、竹林の中から朽ち果てた車が顔を出した。フロントガラスに太陽が反射しているのだが、積もり積もった埃で点光源が拡散し面光源と化していた。
絞りf8.0、1/50秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「02岩船山」。
撮影時からモノクロイメージで。夕陽に照らされる岩肌を白飛びさせないように注意を払う。
絞りf11.0、1/60秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03高勝寺」。
高勝寺本堂横の斜面に多くの石仏や塔婆が。木漏れ日を拾う。
絞りf10.0、1/25秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2018/01/12(金)
第379回:久々の撮影旅行
 写真のクオリティは機材に依拠するものではないということは今までに何度か触れた。良いカメラやレンズがいわゆる画質(解像度やグラデーションなど)に何らかの貢献を果たすことは否めないが、ぼくのいう写真の品質はそれとは別次元の事柄である。その点を踏まえればスマホで撮る写真も、自由度は非常に制限されるが立派な写真といえる。一眼レフだろうとスマホだろうと、それにより写真の品質が左右されるとは考えていない。
 良い写真はどのようなカメラでも撮ることができる。写真を撮るのは機械ではなく、人間なのだから。

 今現在スマホを使用していない理由は、話は少しだけ横道に逸れるが、ぼく自身はもう何十年もの間、あまりにお粗末なこの国のマスメディアによる偏向報道や誣言(ふげん)、意図的で下世話な世論操作に辟易とし、また憤慨もしているので、お陰さま、新聞やテレビとは絶縁状態にあるという極めて文化的な生活を強いられている。
 まだ世捨て人ほどの高尚なる精神には到達していないので、重要な情報は国内外の見識ある人々や公平と思われる情報源から手に入れる必要があり、そのためにネットを活用しているが、依存症ではないのでもっぱらガラケーを愛用している。スマホの便利さはよく知っているが、ぼくはその便利さによって大切な何かが失われることを必要以上に警戒している。
 そしてまた、街中や電車内で必死にスマホと格闘している不気味な大人たちを見るにつけ、あの鬼気迫るような光景の一員には決して与したくないというささやかな気概を持っている。

 スマホについて述べることはここでの論旨ではないのだが、もしスマホを使用するはめに陥ったら、それで写真を撮るだろうかと考えてみた。記録・記念写真を別として、やはりぼくは撮らないだろうと思う。露出補正や被写界深度の調整ができないカメラではイメージの描き方が制限されてしまい、それでは面白味がないからだ。すぐに限界が見えてしまうようなものに打ち込んだり、興味を示したり、そこまで酔狂にはなれない。それでは写真屋としても肩身が狭いというものだ。
 写真を何のために撮るかは個人の自由で、他人が口を挟む余地はないのだが、スマホ写真一辺倒の人を写真愛好の士と同列に語ることはしない。描きたい絵柄をカメラの機能を駆使しながら撮る人々をぼくは写真愛好の士と呼ぶことにしている。

 そんな愛好の士何人かと年の瀬も押し迫った昨年12月、群馬県草津温泉に撮影旅行と称して繰り出した。目的は親睦(毎月親睦会をしているにも関わらず)と温泉であり、撮影は常に二の次三の次という優秀な生徒たちに囲まれての1泊2日の旅だった。
 写真撮影に限定すれば、怪しげで俗っぽい歓楽的要素(昭和の残滓のようなストリップ劇場とかスマートボールとか射的とか)の多い温泉地などが面白いのだが、草津温泉は未知の世界だったので、ぼくは並み居る団子・饅頭超絶愛好の士である婦女子たちに抵抗を示すことなく機嫌良く出かけた。

 温泉街の中心部には有名な湯畑があり、見回す限りストリップ劇場は見当たらない。同行した写真愛好の士である男子Tさんは「ストリップ劇場はどこにあるのか?」と湯畑を巡りながら目を皿のようにし、しかも血走らせながら鼻息も荒くいった。彼は撮影などより、めくるめくようなエロスの世界にどっぷり浸りたいようであった。快活で情感豊かな還暦前の男子と一応いっておこう。
 ホテルの年配女性従業員に「ストリップ劇場はありますか?」と訊いたところ、ずいぶん前に廃業してしまい、今は一軒もないそうだ。ぼくはTさんの赤く燃えた目を見ていると真実を言い出せなかった。

 夕方になると外気はさらに冷え湯畑にはもうもうたる湯気が立ちのぼり、それがスポットライトによるライトアップで浮かび上がってきた。マゼンタ、緑、黄、青などが交ぜ合わさり、デリカシーはないが確かにきれいだ。ストリップ劇場のスポットライトの代わりよろしく、夜の湯畑は実に華やかな舞台を演じてくれた。ミラーボールこそないが、湯畑は夜のとばりとともに妖艶な姿に変貌を遂げていた。
 このカラフルな光景を絵葉書以上にきれいに撮ることは造作もないことだが、「おまえがそれを撮ってどうする」という思いが湯畑の湯気同様に臭気をはらんで執拗に立ちのぼってくる。ぼくの描いたシナリオも、もうもうと曇り出し、たちまち白んでいく。
 恐らくこの心情はぼくばかりでなく、程度の差こそあれ誰もがそう感じたのではないだろうか。愛好の士にとって、自撮りに興じる人々を横目に、スマホでパチリという具合にはやはりいかないようだ。湯畑を自身のアイデンティティーをもって表現することは並大抵のことではなく、非常に難しい。
 ぼくはそそくさと湯畑撮影を打ち切り、スマートボール(ストリップではない)の看板探しに身を追いやろうとしたが、可愛い生徒の手前それもできず途方に暮れた。
 ぼくは彼らの撮った湯畑写真をまだ見ていないが、さて如何相成ったであろうか?

 翌日の少し遅めの昼食を帰路軽井沢で取ったが、Tさんはオムライスを強く所望した。ぼくはペペロンチーノを強烈に食したかったので、一言をもってこれを拒否。オムライスもストリップも儚く消え去ったTさんの背中には、50男の哀愁のようなものが湯気のように漂っていた。

http://www.amatias.com/bbs/30/379.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF11-24mm F4L USM。
撮影場所:群馬県草津温泉。湯畑を時系列に。

★「01草津温泉」。
日の傾き掛けた頃、湯気がレンズのようになり中央が乱反射している。ネガカラーフィルムの粒子を粗目にかける。
絞りf10.0、1/500秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02草津温泉」。
日が落ち、街に明かりが灯り始める。
絞りf11.0、1/25秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03草津温泉」。
色とりどりに彩色を施された湯畑だが、敢えてモノクロに。そのモノクロ画像にクロス現像処理の色合いをシミュレート。ロシアの映画監督A.ソクーロフ「オリエンタル・エレジー」をイメージして。歩道の手すりにカメラを置き固定。
絞りf4.0、1/8秒、ISO400、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)