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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/03/04(金)
第288回:黒焼きに秘めた願い
 20代前半の頃、ぼくは父を助手席に乗せて、ノーベル賞受賞者湯川秀樹氏の居邸に赴いたことがある。文筆業であった父は湯川氏と対談をし、その人物像と歴史を単行本にものする仕事を請け負っていた。
 京都下鴨神社(正式には賀茂御祖神社 “かもみおやじんじゃ”。紀元前90年に祀られていた記録がある)近くの湯川氏宅の門口で、「坊主、君も来るかね?」と父は持ちかけてきた。父の誘いは十分予測していたことだったが、ぼくは科学青年ではなく、またノーベル賞受賞者にも関心がなかったので、その誘いを断り、子供時分によく遊んだ下鴨神社に行こうと決めていた。
 見ず知らずの人前でかしこまるより、初夏の緑深き幽玄なる杜で、いささか感傷的ではあるが、自分の少年期を追想しながら今を知ることのほうがずっと魅力的だった。感傷と理性の対立をうまく取り計らうことができるかどうか、下鴨神社にかけてみるのも一興というものである。ぼくはそれをして然るべき年頃にさしかかっていたのだろう。しかし、ぼくの思いは3時間ばかり空転を続け、折悪しく父の待つ湯川邸に戻らなければならなかった。

 助手席に乗り込んだ父に、「どんな人だった?」とぼくは真っ先に訊ねた。「うん、賢いお方だ」と父は一言にまとめて答えた。“賢い” とは、さまざまな解釈が成り立つ言葉であるけれど、父にとってのその言葉は、湯川氏がノーベル賞受賞者だからという一般的な意味合いでないことは、長年のつき合いで知りすぎるほど判っていた。
 父は何事にも一切の取り繕いをせず、一見磊落(らいらく)そのものだったが、職業柄言葉の選択や使用法には厳格厳正で、異常なほど神経を尖らせていた。
 「坊主、そんな日本語はないぞ」と、ぼくはいつも父のその言葉にくじけたものだ。「父ちゃんは老獪なる言葉遣い人だな」が精一杯の反駁だった。
 父は自身の解釈と尺度をもってして “賢い” と答えたのだった。

 言葉を一般的な概念に従って一面的な解釈をしてしまうと、意味をはき違えることがあるということをぼくはすでに教えられていた。この点に関してだけは、極めて早熟であったようだ。
 早熟なぼくは、「ここでいう “賢い” とはどういう意味?」と素朴に訊いてみた。
 「うん、自分自身をとてもよく知っているという意味だ」と、父はまたしても一言で片をつけてしまった。含みのあるこの解釈は、以降こんにちまでぼくの心に戒めに似たものとして居座り続けている。それに加え、儒教の五常ではないけれど、仁・義・礼・智・信をもってして、“賢い” ことの本質があるのではないかとも思っている。清濁併せ、ものを解釈する正しい思考の道筋を持つことが即ち “賢い” ことに他ならない。
 学校での授業に、より多くの模範解答を示すことが即ち“賢い”ことにつながらないことはいうまでもない。そんなことは無関係だと言い切ってもいい。一方で、冒険心がなければ模範解答にすがるしか残る手立てがないのだとぼくは思っている。

 なぜこんなマクラを長々と書いてしまったかというと、最近ぼくの写真はますます黒の占める面積が広くなり、まるでイカ墨を乱雑に塗りたくったかのように見えるらしい。“らしい”といいながら、本人もそうだと認めている。つまり自身の写真がどういう傾向にあるのかを感知しているということをいいたかったらしいのだ。
 ちなみに、イカ墨を英語でセピア(sepia)というが、ぼくの写真はセピアではない。口の悪い連中はぼくの写真を見て、黒焼きだとかどす黒いとか炭焼きなどという。幼児的な人は「真っ黒け〜」なんていう。
 彼らの思考はそこで止まってしまっているのでぼくは気にもかけないが、実をいえばこの黒焼きに焼き上がるまで10年の歳月を要したのである。難行苦行?の試行を重ねた挙げ句、「取り敢えず今は “黒焼き”」ということにしているらしい。良いか悪いかは別問題、というより個人の美意識や審美の問題であるのだが、ここに至る何か必然性のようなものがあったらしいのだ。ぼくは賢くないので、未だその必然性を見つけられずに右往左往している状態だ。ただ、非常な勇気を必要としたことは確かである。「勇気」なんちゃって。ホントは「やけくそ」が正しい。

 シャドウ部のディテールにこだわり続けて、いつの間にかもう何十年も経過してしまった。ここらで勇気と冒険心を持ってシャドウ部を省略してしまえばいいじゃないか、というのが天からのお告げであった。悪魔の囁きといっていい。
 人知れず密やかに、遠慮がちに少しずつシャドウを黒く潰していったのだが、気がついたら “時すでに遅し” と、黒焼きになっちまったというのが今の現実。改心も未だ道ならずといったところだ。これを過渡期というらしい。
 68歳になり、もうそろそろアマチュアに徹して自由奔放に写真を愉しみたいというのが本音なのだ。

 プロ・アマに関係なく、創作者は常に新しい表現を目指して試行錯誤するものだ。それは創作の大きな楽しみのひとつであり、喜びとなる。新しいものは尊ぶべきものだが、性急な目新しさを追うと、往々にしてあざとさだけを生む。「新しさ」と「目新しさ」は似て非なるニュアンスだとぼくは受け取っている。
 一見すると個性的に見える作品の多くが鑑賞者に媚びていると感じるのはぼくだけだろうか? 見せようとする気持が勝ちすぎて己の姿を見失っている。個性的と自称他称するものに、「本当に、果たして、これがあなたの姿なの?」と問いたくなるものを多く見かける。自身の必然性に基づいていないものを目指して無理強いしたり、特異なものになびくことは誰しも同様なのだが、そこに自然さが失われていることに気づいて欲しいと感じることしばしば。
 冒険とは、賢くも、己を知って初めて成り立つことだと、ぼくは黒焼きから学び取ったような気がする。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/288.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
場所:東京都葛飾区立石。

葛飾区立石に行った時のものを引き続き掲載。

★「01猫」。
入口から顔を出した猫がぼくを睨んだ。ぼくは「お願いだから前をすーっと横切ってくれ」というと、「はいよ」と応じてくれた。
粒状シミュレーション:イルフォードDelta400フィルム。
絞りf5.0、 1/30秒、ISO400、露出補正-1.0。

★「02傾く看板」。
日よけはヨレヨレになり落下寸前。隣のスナックの看板も首を傾げたまま。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf8.0、 1/60秒、ISO250、露出補正-0.67。

★「03痩身」。
前回掲載の「三軒長屋?」に続いて、痩身ならぬ極薄家屋の登場に、ぼくの頭は???となる。やはり、ナマコ板に惹かれて。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf5.6、 1/80秒、ISO400、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2016/02/26(金)
第287回:気の利かぬ言い訳
 仕事仲間の編集者Y君から前回の拙「よもやま話」についての感想をもらった。仕事話のついでにというところだった。写真好きの彼は電話口でケラケラと笑いながら、「前回の『写真は技術じゃない』は、特に若人や写真を始めたばかりの人たちを惑わす危険性をはらんでいる」というのだ。「危険がいっぱい」というわけだ。
 「うん、そうかも知れないね」とぼくは彼の言葉に我が意を得た。「写真は技術じゃない」といっておきながら、一方では技術あっての写真論を肯定し、その重要性を説いているからだ。ぼくは彼の文章を読み解く能力を高く評価しつつも、そこに誤謬のないことを改めて確認しておきたかった。
   
 「双方の相反する真実を、写真愛好家の力量や経験に添って順序立てて述べようとすれば、どうしてもあのような書き方になるのはもっともなことではないか。君は文芸物の編集者なのだから理解できるだろう?」とつけ加えた。
 「もちろんよく分かっています。例えばですね、“いくら正しい文法を使えても文章は書けない” とか “演奏技法に達者なだけでは、聴衆は感動しない” とか、そういうことですよね。つまりかめさんのいう『逆もまた真なり』を、自分の経験や程度に照らし合わせて斟酌すればいいということですよね」と、何度か念を押し、どこまでも心配性の彼でありました。
 「まぁぼくの場合は実質を伴わない表現上の言辞にすぎないけれど、ソルジェニーツィン(ロシアのノーベル賞作家。1918-2008年)あたりになると、予備知識のない読者には何が本当だか分からないようなレトリック(修辞法)を駆使しながら(読むほうはたまったものでないが)、真実にぐいぐいと迫っていく。ぼくは彼の小説を読みすぎたのかもね」なんて、彼を茶化してやった。

 “実質を伴わない表現上の言辞” なんていうと、「どういうことなのか?」とまた心配性の彼に突っ込まれそうである。
 ぼくの友人に理屈っぽい建築家がいて、彼は事の進行が遅れるたびに、その言い訳として「上り階段と下り階段の段数が合わなくて困っているんすよ。どこで計算違いをしたんだか、何度勘定をしても合わない。だから仕事が捗らないんすよ。それを解決してからでないと、身動きが取れないんすよ」と、黄門様の印籠の如く、得意気に建築設計上の技術理論を振りかざそうとする。これは “実質を伴わない表現上の言辞” に似ている。判で押したようなそんな繰り言をもう5年以上も聞かされているのだが、ここでぼくは「そうなんすかぁ」と首を縦に振り、妙に納得してしまうのだ。
 何故かといえば、まずこの言い訳は非常に気が利いている。こんな気の利いた言い訳は近年お目にかかったことはなく、ぼくはその感動に打たれて、反抗の意欲を、悲しいかな毎度失ってしまうのである。これこそ真の頓智だ。

 彼に対抗しようとすれば、第一にその頓智を上回るような悪態を思いつかなければならない。そして第二に、ぼくは彼以上に設計の技術理論に長けていなければならない。両方ともぼくには無理無体である。
 そこで浅はかな常識を持ち出し、「上り下りの段数が合わないなんて、そんなわけねぇだろっ!」という無粋な感情論(これをして “生真面目” とでもいうのだろうか)は通用しないのである。そのようなことは現実には起こらないと言い切る証明ができない。ぼくの知らないところに、もしかして実際にそのような階段があるのかも知れない。我々の常識や知識はプロには通用しないものだということをぼくは知っているので、どうやっても専門家の彼には歯が立たないということになる。
 歯の立たないことを知って立ち向かえば、墓穴という名の返り討ちに遭ってしまう。相手は何十階のビルを建ててしまうのだから、それにくらべれば、我々はせいぜい犬小屋で手一杯である。それも安普請のものだ。だから、ここで伸るか反るかの勝負に出てはいけない。
 ただ、彼の弱点というか欠陥は、合わぬ段数を何とかしようという努力が皆目見られぬことだ。笑い飛ばして誤魔化そうという魂胆がすっかり性根に張り付いてしまっている。

 ぼくは墓穴を掘りたくないので、「段数合わず」を極めて質の良い洒落と感心し、面白がって容認することにしている。それが賢者の方便というものではないだろうか。白旗を掲げるということではなく、「負けるが勝ち」の論法も融通無碍の一種であり、老後を愉しく生き延びるひとつのコツだとぼくは心得る。
 「段数合わず」を洒落ととるか、あり得ないこととして目くじらを立てるかで、写真のありようも大きく変わってくるのではないかとぼくは思う。したがって、 “実質を伴わない表現上の言辞” も、読者諸兄の受け止めように委ねているということである。

 写真の話を書かなければと思いつつ、前回のテーマについて心配性な人がいたため、みなさんに誤解を招かぬようにと解説ならぬ解説を書き連ねてしまった。残念ながら気の利いた言い訳が出てこない。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/287.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
場所:東京都葛飾区立石。

葛飾区立石に行った時のものを引き続き掲載。

★「01三軒長屋?」。
三軒長屋というのは嘘で、驚くほど痩身の家屋が三軒仲良く建ち並ぶ。ナマコ板を見るとどうしてもシャッターを切りたくなる。
粒状シミュレーション:イルフォードHP5フィルム。
絞り5.6、 1/60秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「02廃屋」。
ナマコ板の塀に囲まれた廃屋。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf4.0、 1/60秒、ISO400、露出補正-1。

★「03ナマコ板とアルミサッシ」。
ナマコ板にアルミサッシという奇妙な取り合わせ。
粒状シミュレーション:イルフォードHPS800フィルム。
絞り10.0、 1/60秒、ISO200、露出補正-1。

(文:亀山哲郎)

2016/02/19(金)
第286回:写真は技術じゃない
 先月末、新たな歳を加えたぼくは、歳とともにあと何年写真に携わっていられるのか、その写真的体力が頭をかすめた。さらなる写真の楽しさを深めるための心積もりを “密かに” 自分に誓った。もちろんこれは写真修行の計画などというものではなく、あくまでも心積もりだ。
 歳を重ねるに従い、誰だって事の寸分多分はあろうが、このような心情に至ることは身命の摂理として、ままあることだろう。今ここにその誓いを述べようとすると “密かに” ではなくなってしまうので、高尚なる!? 誓いも途端に怪しく色あせたものとなるのだが、写真について思うところありで、だからその誓いを破ることにした。

 といっても、それは大仰なことではなく、ささやかな向上心をより具現化して、少しはましな写真を撮ろうではないかという思いつきにすぎない。「今年こそは」などという誓い事や意気込み、そして計画性といったものは、ぼくにはまったく不似合いなものだし、まずもって窮屈この上ない。自分を縛ってしまっては、文字通り自縄自縛に陥る。進退きわまって、どうにも動きが取れなくなる。計画通り事を運ぼうなんてそんな生き方は嫌だし、だいいち粋じゃない。
 計画に従おうという思いが強いがために、かえって自身の能力を削いでいるという例をぼくは少なからず見てきた。
 ぼくにとって、“計画性” とか “計画を立ててそれを励行する” ことは、堂々巡りか退歩の予兆であることのほうが多く、あまり褒められたものではない。無計画を善しとするわけではないが、計画を厳守しようとすれば、弊害をもたらすことも多々あるのだということをぼくは十分に認識している。創造は事業ではないのだから。

 寿命に対する未練は極めて希薄だが、1年でも多く好きな写真の能を磨きたいと思うのが人情で、それにしては命というものは短すぎる。
 本来なら、短い人生を味わいながら “人知れず黙々と” (つまり “密かに” )というのがカッコいいのだが、誓いを破ってまで披瀝しちゃおうというのは、無粋の極みかも知れない。ぼくはサービス精神が旺盛なのだ。

 テーマとした「写真は技術じゃない」とは日頃から感じていることだが、そう言い切る自信があるかといえば、実はそうでもなかったのだ。1枚の写真を成立させるためには、技術よりはるかに重要な事柄が他にあることは、明白なことと感じていた。写真は精神的なメカニズムと、そして科学的なメカニズムの両立によりはじめて成り立つもので、したがって技術的な要素を軽視することは無謀にすぎる。にも関わらず、やはり「写真は技術じゃない」のである。

 ぼくの秘めたる誓いは、「来年の誕生日までの1年間、自分の技術をもう一度見直し、さらに研鑽して修得する」ことにある。撮影時の技術と暗室作業(撮影時のイメージをより精緻に表現するための技量)を磨くことだ。
 ぼくは写真屋ではあるけれど、心の片隅では写真技術屋であっていいと思っている。それも優れた技術屋でありたい。それはつまり優れた職人でありたいと同義である。一番でも二番でもなく、優れた職人になりたいのだ。
 間違っても自称 “写真家” だとか “写真作家” などという日本語は、およそ小っ恥ずかしくて使えたものでない。それは他人が称するべきものであって、自分でそういってしまっては身も蓋もないではないか。
 
 感覚と技術は持ちつ持たれつなのだが、写真を始めたばかりの人の作品をつい最近1,000枚近く見せてもらった。ぼくはその写真を見ながら、「写真は技術じゃない」という確信に至ったのである。写真のメカニズムについての知識も乏しく、撮影技術があるわけでもない。いや、かなりメチャクチャである。 
 それでも「今のデジカメは写っちゃう」というのは別の問題で、彼女の写真を見ていると、どんな思いを抱いて写真を撮っているのかが “じんわり” と伝わってくるのだ。決して完成度が高いというわけではないのだが、強く訴えてくる何かがある。これは技術によるものではなく、何故写真を撮るのかという彼女の確固たる意志力のようなものだ。それが見え隠れしながら、何枚かに1枚はハッとさせられるものが現れる。それらの写真は、どこに出しても恥じることのないとても良質な写真であり、30枚ほどもあった。被写体に対する彼女の意識が明確であることの証左である。
 「あたしはこれが撮りたかったのよ。なぜなら・・・」と写真が語っている。撮影者の感情や意志がしっかり写真に乗り移っていたのだった。写真の訴求力には技術より心意気が必要ということなんでしょうかね? あるいはそれ以上に、誠実なお人柄も大きく作用しているのだろう。

 技術が大いに不足している分、かえってあざとさや嫌みがなく、実直そのものである。外連味(けれんみ。俗受けをねらったいやらしさ。はったり。ごまかし。広辞苑)がなく、そのような作品のあり方は大変尊いものだ。彼女の写真は女性特有の優しく、美しい視点であり、ぼくの写真とはまったく正反対のものであるけれど、この実直さは素直に見習うべきだと、ぼくは唸った。
 なまじ技術のあるぼくなど、そのような作品を前にすると “じんわり” 汗ばむのである。

 技術は応用を引き出し、独創性を高めるに不可欠なものだ。技術的な不足は写真の欠点を露わにすることもまた事実である。まだ写真人生は長いことを見越して、技術の向上にこの1年を賭けてみるのも面白いかも知れない。あくまで心積もりでありますが。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/286.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
場所:東京都葛飾区立石。

前々回、葛飾区立石に行った時のものを引き続き掲載。

★「01京成電鉄立石駅」。
粒状シミュレーション:イルフォードDelta400フィルム。
絞り7.1、 1/125秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02ナマコ板」。
トタン板を波形に成形したものを「生子板」というのだと専門家に教えてもらった。何故かぼくは青ペンキと赤錆の浮いたナマコ板に郷愁めいたものを感じ惹かれてしまうのだ。いつもナマコ板のモノクロ化には神経を使うけれど。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf8.0、 1/60秒、ISO160、露出補正+0.33。

★「03路地」。
古い家並みに一軒だけ新しいスナック・バーが。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf6.3、 1/100秒、ISO250、露出補正-1。

(文:亀山哲郎)

2016/02/12(金)
第285回:JPEGとTIFF
 「知らぬが仏」とはよく使われる諺。ぼくがいうまでもなく、 “真実を知れば、後悔をしたり、悩んだり、悲しんだり、腹を立てたりもするが、知らずにいれば仏のように平穏な気持でいられる” という意味だ。
 生を営むうえでこのようなことは日常卑近で、世の習いといってもいい。誰にだっていくらも身に覚えのあることだろう。
 「知らぬが仏」は、悲劇には違いないが、序の口であり、まだまだ軽傷のうちとぼくは捉えている。喜劇的な要素も多少含まれていると感じているので、それは穏やかな形容といってもいい。知らずにいたことを笑って済ませることができる場合があるからだ。「知らぬが仏」の語句に、ぼくはそのようなニュアンスを嗅ぎ取っている。
 しかし、「笑っている場合じゃない」ということだってある。「知らぬが仏」が昂じると、「めくら蛇に怖じず」(物事に通じていないために、恐ろしさを知らず大胆な振る舞いをすること)ということになる。

 例によって話はちょっと横道に逸れるが、以前ある出版社の依頼で原稿を書いた時、「めくら滅法」という語句を用いた。編集者が「“めくら” は差別用語なので、他の言葉に置き換えて欲しい」と、案の定いってきた。「やみくもに」と書き直したが、そのような体験は枚挙にいとまがない。
 ぼくは物書きではないので出版社の規定に従うつもりでいたが、1時間近く差別用語について話し合った記憶がある。彼らもぼくの考えに同意を示してくれたが、いわゆる社の “立場上” そうもいかないらしい。無用な言葉狩りに右往左往しなければならない昨今の編集者はまことに気の毒である。
 ここで差別用語についての考え方を述べるつもりはないが、ぼくはもともと差別用語などというものは存在しないと考えている。使い手と受け手の問題であって、文脈やそこで意味するところの真意を読み解けば、自ずと良し悪し・可否の判断ができるというものだ。
 しかし、文章や会話でいうところの言葉狩りに相当する傲慢不遜な考え方が写真界にも存在することは、極めて嘆かわしい。自分の考えにそぐわぬ作品を排除するというおびただしき偏見を見る。これこそまさに「めくら蛇に怖じず」である。

 さて、いきなり写真の話になるが、大半の方々の扱う画像データはJPEG(Joint Photographic Experts Group の略称。拡張子.jpg)だと拝察する。コンピューター上の解析や説明はぼくにはできないので省略させていただくが、デジタルデータ(画像)を圧縮するひとつの方式と考えてもらえばいい。
 JPEGの利点はたったひとつしかない。たったひとつです! それは、データの容量が少ない(軽い)が故に、取り扱いや保存に便利だということ。データを圧縮すればするほど、必然的に画質は情報量が減り劣化の一途をたどる。ゾッとするほど劣化する。その劣化は、今風にいえば “ハンパない” のである。
 「ギャーッ」とか「ギョッ」とか「ギョエーッ」とか、あらゆる “おったまげ風恐怖” を表す擬音の羅列でも間に合わぬくらいだ。そのくらいヤバイんだって! 

 この現象を、あなたは「知らぬが仏」とするか、あるいは「めくら蛇に怖じず」とするかは自由だが、作品の画質を大切にし、愛おしく思う向きはJPEGの使用(画像補整などは、なおさらのこと)は断固避けるべきだ、というぼくの考えにどうか同意していただきたい。
 加えていえば、圧縮されたJPEGデータは元には戻らないので始末が悪い。これを非可逆的圧縮という。JPEGを補整しそれをまたJPEGで保存すれば、加速度的に写真は汚れていく。圧縮により劣化した画質はもう永遠に蘇ることがない。臍(ほぞ)を噛むような思いを避けるには、「知るも仏」!? になるしかない。

 現実的な事柄として、デジタルカメラなどに使用する記録メディアは、写真データ1枚の容量が少なければ(JPEG圧縮率が高い)、また画像サイズが小さければより多くの枚数がメディアに収納できる。経済的であることはありがたいが、画質が犠牲になることも同時にお忘れなく。
 願わくは、写真愛好の士には、より圧縮率の低いJPEGのLargeサイズで記録していただきたい。圧縮されないRaw(生という意)形式であれば、それが画質の面ではベストであり、自由も融通も利くが、少しばかり取り扱いが面倒なので万人向きとはいい難い。ぼくとしては、すべての写真愛好家はRawで撮りなさいといいたいところだが、う〜ん、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感ありというところが無念! 

 JPEGを画像ソフトなどで補整する場合、まずJPEGをTIFF形式(可逆圧縮。Tagged Image File Formatの略称。拡張子.tif)に変換し、劣化を最小限に食い止めてから作業に移ればよい。Photoshopやその廉価版であるPhotoshop Elementsを使用であればPhotoshop形式(拡張子.psd)で扱ってもよい。TIFFもPSDも画質はまったく同じである。

 今回は圧縮されていないTIFF画像とJPEG画像を低圧縮、中圧縮、高圧縮した4種類を掲載する。EOS―1DsIIIで撮影した画像を400%に拡大した一部を切り取ったものだ。高圧縮になるに従ってJPEG特有のブロックノイズやモスキートノイズが盛大に発生し、「やたらめったら」に解像度や滑らかさを失っていくのがお分かりと思う。
 「やたらめったら」なんて言葉、文語としては劣化した日本語だわ。 

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/285.html

★「01.tif原画」。原画の容量は61MB(メガバイト)。
Rawデータをデフォルトで現像。掲載のためTIFFをJPEGにしているので、厳密とはいえないが、他も同条件で掲載。ピクセルが判明するまで拡大しているが、とても優れた画質。

★「02.jpg低圧縮」。原画の容量は4.4MB(メガバイト)。
上記TIFF画像を、PhotoshopでJPEGに変換。圧縮数値10の低圧縮。
僅かながらノイズが発生しているが、実用上はまず問題ない程度。

★「03.jpg中圧縮」。原画の容量は1.4MB(メガバイト)。
上記TIFF画像を、PhotoshopでJPEGに変換。圧縮数値5の中圧縮。
ブロックノイズ、モスキートノイズが盛大に発生。駐車禁止マークなどは大変貌。これだけ汚れると100%原寸拡大でも差が判別できる。

★「04.jpg高圧縮」。原画の容量は0.7MB(メガバイト)。
上記TIFF画像を、PhotoshopでJPEGに変換。圧縮数値1の高圧縮。
凄まじいでしょ? これが最も経済性の高い画質です。「知らぬが仏」、「知るも仏」でしょ?

(文:亀山哲郎)

2016/02/05(金)
第284回:粒子と空気感(2)
 写真評をする時に、ぼくはしばしば「空気感」という曖昧な言葉を用いることがある。極めて抽象的な語彙なのだが、なにかと便利なので、ついつい口を突いて出てしまう。その場の「空気」を感じさせる写真、言い換えれば雰囲気や佇まいをより強く伝える写真を、ぼくは良い写真の一条件として位置づけている。
 「空気感」のある写真は、“写真特有の客観性” と “作者の主観” に大きなつながりがある。両者の間柄を取り持ち、関連づけるバランス感覚に依拠しているともいえる。客観と主観のどちらかに肩入れすれば「空気感」も左右されるかというと、あながちそうともいえないので事は厄介だ。

 一般的傾向として、客観に過ぎれば作者の必然性や意識が希薄となるので、面白味や味わいに欠け、主観に過ぎれば実体を失うことになりかねない。客観と主観はシーソーのような関係で、一方に重きを置けば、もう一方が減じてしまうのが道理だが、被写体の象徴するものを強調しようとすれば(我の発露とでもいうんでしょうか)、経験上どうしても主観が勝つことになる。
 結論を急げば、そのために写真を撮っているのだと開き直ることもできようが、写真本来の持つ客観性(一般的にいえば写実性)を損なうことなく、自己のイメージを強固に定着させることができれば、ぼくはそれを「空気感」のある良い写真だとしている。客観と主観による視覚心像の巧みなバランスと融合である。

 また、被写体の雰囲気をより強く醸すことができれば、鑑賞者は感情を移入しやすいという面がある。即ちそれが良い写真であるかどうかは議論の余地ありだが、鑑賞者の感情移入が強ければ、作品に対する共感も得られやすいということになる。もちろん作者の感情や思考(撮影時に意図したもの)が鑑賞者と一致する必要はまったくなく、別の感じ方を誘発するものであってよい。つまり何かを感じ、想像の手助けとなるようなものがあれば、それでいいのではないか。

 写真鑑賞はまず視覚ありきだが、視覚が「嗅覚」、「聴覚」、「触覚」、「味覚」を誘発し、視覚を交えた五感の活性化につながればいいのである。それがぼくのいう「空気感」なのだ。

 前号にて掲載したキジー島の木造教会に喩えていうのであれば、「01」のモノクロは主観に従ったものであり、「02」は客観性を重んじたもの。その中間が「03」のつもり。写真の良し悪しは別として、ぼくの言わんとすることにご理解をいただければ幸いである。

 この「空気感」を手助けしてくれるひとつの手法が、ささやかではあるが粒状の累加だとぼくは感じている。科学的な根拠を示せといわれればぼくは言葉に窮すが、長年培った感覚がそういわせている。根拠がないので、ぼくは他人にこの方法をお薦めしたことはないが、身の周りを眺めてみると意外にも粒状のないデジタルに、敢えてフィルムの粒状をシミュレーションしている人々が少なからずいることに気づく。
 その理由を聞いたことはないが、粒状の持つ神秘的な魅力を自身で発見したか、あるいはぼくから知らずのうちに盗み取ったのかも知れない。いずれにせよ、なんらかの利点を見出したのであろう。

 ここで注目すべきことは、粒状愛好家のなかには、フィルム時代にはさして粒状に頓着しなかった人や、あるいはデジタルとなってから写真を始めた人が、粒状の魅力に憑かれたような目をしていることだ。このような粒状愛好家的目つきをしているのは、日本人より圧倒的に欧米人のほうが多く、またシミュレーションソフトも欧米のものに限られている。フィルムを知り抜いた質の良いソフトがいくつかある。写真先進国の住人は抜け目なくデジタルの盲点に気づき、それを克服しているかのようでもある。 

 フィルムからデジタルに移行した当時、フィルムの粒状に慣れ親しんだぼくは、デジタルの描くノッペリ・ベッタリとした質感にまったく馴染むことができなかった。写真を商売にする人間にとって、それは塗炭の苦しみだった。愛好家のなかにも、そのような感覚を抱いた人は多かったのではないだろうか?
 フィルムにくらべ解像感にはまったく引けを取らないデジタルだが、では何故立体感に乏しいと感じてしまうのか?
 このノッペリ感の原因は、独断と偏見を恐れずにいうのであれば、デジタルの撮像素子は平らなタイルを敷き詰めたものであり、フィルムは凹凸のある玉石からなることにある。ぼくは、このような大胆不敵で心情的な自説を頑なに信じている。また、フィルムは液体による化学反応であり、ふんだんに水を使用しながら仕上げるのに対し、デジタルは電気信号と素っ気ない。愛惜の情にも乏しいのだ。乏しいだらけのデジタルに、調味料を添加して、なんとかしてやろうというのがぼくの粒状作戦だった。この作戦は功を奏し、疑似とはいえなかなかに侮り難いものとなった。

 粒状による立体感は「空気感」をも引き寄せてくれた。その違いを明示したいのだが、掲載写真は長辺が800pixに縮小リサイズされているので、その効果の判別がむずかしい。
 Photoshopによる「フィルム粒状」や「ノイズ」は、実際のフィルム粒状とは似て非なるものだ。画像全体のトーンまでもが変化してしまうので、フィルムの粒状シミュレーションとしては不適である。ぼくの愛用ソフトは仏DxO社のFilmPackで、細部にわたり粒状性ばかりでなくフィルム自体のシミュレーションも可能な優れものだ。ご興味のある方には是非のお勧めである。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/284.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。
場所:東京都葛飾区立石。

仕事帰りのついでに、葛飾区立石にふらっと寄ってみた。戦後間もなく建てられた大衆酒場の一角が取り壊されず残っていると聞き、昭和レトロを味わうべく2時間ばかりその周辺を徘徊してみた。

★「01」。
「呑んべ横町」。細いアーケードに居酒屋が所狭しと居並ぶ。その入口。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞り7.1、 1/80秒、ISO200、露出補正-1.33。

★「02」。
「呑んべ横町」の路地。何本かの路地が走り、肩を寄せ合うかのように居酒屋が。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf6.3、 1/100秒、ISO500、露出補正-1。

★「03」。
開店前、近所の人だろうか。笑い声が路地に響く。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf2.8、1/80秒、ISO800、露出補正-1。
(文:亀山哲郎)

2016/01/29(金)
第283回:粒子と空気感(1)
 デジタル写真が世の趨勢であり、読者諸兄の大半がデジタル愛用者と拝察する。かく言うぼくもそのひとりだが、では何故粒子のないデジタル写真にフィルムをシミュレーションした粒子を加えるのか、その果たす役割についての理由を今回と次回で述べてみようと思う。遠大なテーマなので、できるだけ手短に(文章が下手っぴだから、苦手なんだよなぁ)その利点について、奮励努力して書いてみる。

 現在の我が倶楽部を見渡しても、フィルムでの作品づくりを試行している人は皆無となり、全員がデジタルである。何故完成度の高いフィルム(取り扱いは厄介であるけれど)を心置きなく放棄してデジタルに走り、そしてそこに身を委ねてしまったのか? 
 その要因について考えて見るに、それはおそらく心身に負担を強いるアナログの暗室作業を、パソコンの前に陣取り、エアコンの効いた明るい部屋に場所を移し替え、自在に行ってみようという建設的な魂胆からではないかと察している。それはぼくのちょっとした希望的・願望的な観測であろうが、少なくともそう見積もりたい。
 その魂胆というか、腹づもりというか、目論見は大変結構なことなのだが、翻ってそこに怠惰と安直さが横たわっているということを、同時にぼくは見逃さない。デジタルは、いろいろと “お手軽” に感じてしまうものなのだ。

 そしてまた、以前にも述べたことだが、大がかりなアナログ暗室作業と比較し、デジタルの暗室作業は、はるかに精緻な画像補整ができ、思い描いた絵が得られやすい。もちろんデジタルの暗室技術を習得することが前提ではあるけれど、それにしても、これこそデジタルの多大なる利点であることに異論はない。ぼくがデジタルに邁進した大きな要因はそこにある。
 今まで、暗室作業をしたことのない人たちにとっても、デジタルは暗室作業の魅力と愉しさを身近に感じさせるものがあるはずである。このことはより多くの人が、写真を単なる記録ではなく、自分の作品として考えるその導火線の役割を果たしている。
 しかし、時として「過ぎたるは及ばざるがごとし」に気づかず、過剰・過多という落とし穴にはまり込む危険性をはらんでいる。誰でもが一度や二度は必ず陥るところの、この “ドツボにはまる”現象について、ぼくは自戒の念をこめて、この際正直にいっておかなければならない。デジタル補整という業火に焼かれ、その責め苦を味合わされ続けている。一線を越えてしまえば、手痛い打撃を受けることになる。

 ぼくが、粒子のないデジタル写真に敢えてフィルムの粒状をかけるのは、フィルムへの郷愁ばかりではなく、他にいくつかの利点を発見しているからだ。それをお話しする前に、まず「粒子」について簡単にお伝えしておこう。

 「粒子」とは、銀塩写真のハロゲン化銀を指し、ここでは広義に写真の粒状性という意味で用いることにする。大雑把にいえば、ハロゲン化銀(粒子)の密度と反応の違いによりフィルム上に濃淡が描かれ、画像が形成される。一般的に、大きな粒子は光を受ける面積が広いので、ほの暗い光に対して感度(反応)が高く、逆に小さな粒子は感度が低い。このことにより、低感度フィルムは粒状性が微細であるがために、滑らかなグラデーションを得やすく、高感度になるに従って粒子が大きく(粗く)なるという性質を持っている。粗粒子表現もまた捨てがたい魅力を有している。

 同じフィルムであっても、現像処方により粒状性やコントラストを自在に変化させることができるが、粒子のより細かいほうが視覚上きれいに見えることから、フィルム粒状を如何に微細に仕上げるかに多くの愛好家は心血を注いできた。
 「写す」ということに限っていうのであれば、高感度フィルムのほうが低感度フィルムよりずっと使いやすく、高感度優位論は揺るがない。速いシャッター速度を使えることは何ものにも替え難い長所でもある。

 余談ではあるが、かつてぼくはコダック社のテクニカル・パン(ISO100)という複写用フィルムを英国製のプロマイクロール希釈現像液を用い、ISO感度5で使用していたことがある。そんな時期が半年ほど続いた。それをライカのフォコマート引き伸ばし機でプリントしたその画調は、まさに瞠目するほどのものだった。超微粒子ゆえの解像度、鮮鋭度、そして滑らかさは圧巻だったが、ISO5では動きのあるものはなかなか捉えにくく、やがて同じくコダック社の低感度フィルムであるパナトミックX (ISO16で使用)やプラスX (ISO64で使用) に移行していった。そのくらい低感度・微粒子にはこだわった経歴がある。

 閑話休題。 
 フィルムの持つこのような性質は、デジタルにも当てはまる。高い感度を設定すれば暗い場所でも手ブレを起こしにくくなる。絞り込んで(数値の高いf値)の使用にも有利だ。デジタルはフィルムと異なり、1枚ごとにISO感度を変化させることができるので、精神的な負担を軽減させてくれ、それは大きな利点なのだが、感度を上げれば上げるほど画質は劣化することに留意して欲しい。
 高感度ISO使用時の、また長時間露光の、弊害の最たるものはノイズの発生である。ノイズの汚らしさはみなさんも十分にご存じであろうから記述しないが、このノイズは画像のトーン全体にも影響を及ぼすことはあまり触れられていない。

 ノイズを軽減させるために、カメラやソフトにはノイズリダクションという仕掛けが付属しているが、これは一種の劇薬のようなもので解像感やシャープさを犠牲にする。あちらを立てればこちらが立たず、というわけだ。根本的な治療方法ではなく、あくまでも対症療法であることをお忘れなく。したがって、乱用を避け、最小限にとどめるのが使用上のコツである。
 ISO感度については拙稿第107〜109回を。ノイズの実例も第109回に掲載してあるのでご参照のほどを。この原稿のなかで「ISO感度の選択は、知恵の見せどころ」というようなことを書いている。

 次回は、粒子と空気感がどこでつながっているのかという本題に取りかかる。今回はマクラで終わってしまいすいません。長年、何万枚ものフィルムを高倍率ルーペで覗き見てきたその後遺症!? なんでしょうね。粒子の限りない神秘性に取り憑かれ、それでは粒子中毒になろうというものだ。「そこに無限の宇宙を見る」なんてね。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/283.html

 写真はすべて「キジー島の世界文化遺産」(1990年登録)。ロシア連邦カレリア共和国のオネガ湖に浮かぶキジー島にある木造建築群の一部。このロシア正教会の木造建築は世界一の高さを誇り、37mもある。釘1本使われず、寄せ木細工のように組み立てられている。1690年落雷により消失したが、1714年再建。
撮影は水中翼船に乗り往復すること4日間。

カメラ:EOS-1Ds。レンズEF20-35mm F2.8L II USM

★「01」。
掲載写真は長辺800pixにリサイズされているので、粒子が分かりにくいが、これは粗粒子に仕上げているのでお分かりと思う。
粒状シミュレーション:イルフォードHP800フィルムを200%で。
絞りf8.0、 1/300秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02」。
この写真のみ200mm望遠レンズ使用。時を待つことを滅多にしないぼくだが、この時ばかりはバックの雲を睨みながら15分ほど雨中で待機。季節は9月中旬だったが、寒さに震え、手がかじかむ。
粒状シミュレーション:コダックTri-Xフィルム。
絞りf9.0、 1/200秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03」。
雨に煙る教会群。手前の小さな教会はロシアで最も古い木造教会。1300年代建立。
粒状シミュレーション:イルフォードDelta400フィルム。
絞りf8.0、1/100秒、ISO100、露出補正ノーマル。

(文:亀山哲郎)

2016/01/22(金)
第282回:頑固と頑迷
 前回と前々回に、映画と落語を引き合いに写真と共通する一面を再吟味してみた。映画や落語について造詣の深い人からくらべれば、ぼくの智見など取るに足りない程度のものであることは十分に承知しているのだが、異なる分野に探りを入れながら写真を見澄ますことは、より高い位置から写真を鳥瞰できるような気がしてならない。このことは、今まで気のつかなかったことに改めて感じ入ったり、別の角度から写真を推し測ることができるようになったりと、何かしらの恩恵に浴することができるものだ。良いことずくめなのである。

 それで良い写真が撮れるようになるという保証はないが(だからイマイチぼくの説は説得力に乏しいのだ)、知識の蓄積は、やがて無意識のうちに形を変え写真に影響を与えるものだということを、確信を持ってみなさまに申し上げてよい。
 単に物ごとを多く知っているというのは知識ではなく、それは雑学というもので、知識とは系統立ったものでなければならず、身につかないというのがぼくの考えだ。雑学は聞きかじりの堆積であって、残念ながら写真を撮るうえで役に立つものではない。
 系統立った知識を世の中では知性というのだろうが、“適度な知性” は片意地や頑迷さから自己を解き放ってくれる優れものかも知れないと、片意地のぼくでさえそう思っている。“適度な知性” は写真の強力な味方をしてくれるものであって欲しい。ある程度の知性がないと自分の姿を見失ってしまい写真どころではなく、知性が勝ちすぎても写真は上手くいかない。理屈に走りやすくなって、何にでも自分の主義主張をねじ込み、自分の写真にも理屈をこねるようになる。そうなると情趣が失われやすい。それでは、やっぱりうまい具合にはいかない。ぼくはその手合いを数多く見ている。写真は理屈や能書では撮れないもんね。“適度な知性” と“ほどよい呆け” が必要で、ここがむずかしいところだ。

 物を創り出すことはとどのつまり、技術や方法論の違いこそあれ、精神面に於いては同工異曲(どうこういきょく。外見は異なって見えるが、内容や道理は同じという意)であることを知る。他の分野のものを系統立てて学ぶことは、写真を撮る際にも、得るものも大きいのではないだろうかと思う。
 ぼくは今も、そして多分これからも写真に手一杯で、他の分野に手を染めることはないだろうが、多くの分野に於ける秀でたものを深く学び取っていきたいと思っている。

 何故このようなことをくどくど申し述べたかというと、ぼくのような指導者モドキにとって、意固地な人ほど教えにくい存在はないと常々感じているからだ。誰しも自我というものがあるのだから、一面それは自然なことと受け止めてはいるが、程度を逸した人の歩みはいつも遅々たるものか、あるいは堂々巡りをいつまでもやっている。
 いや、遅々たるものであれば幸いとすべきことだが、金縛りに遭ったように自己の言い分から逃れられない強い我の持ち主を散見する。彼らは心底真面目であり、善良でもあり、熱心であるが故に自家中毒を起こし身動きが取れずにいる。その原因のひとつが自身の頑迷さにあることを知らないところに悲劇が始まる。
 彼らの傷ましい眼差しは、何かを哀願しているようにも思え、ぼくはそこが辛い。自分を顧みれば、その心情が痛いほど理解できるだけに。

 写真の指導よりも慰めに比重を置かざるを得ない状況は、お互いに好ましいものではない。「頑固はいいが、頑迷はいけない」というのが、精神科医でもないぼくがいえる精一杯のところだ。若い人となると、頑固と頑迷の区別さえつかないようで、だからなおさらいけない。頑迷とか偏屈は、かたくなで柔軟性がなく、ものの道理が解らないという意味だから、写真以前に解決しなければならない問題が横たわっているように思えてならない。

 そのような時、落語というものは受け止め次第で一種の良薬となるのではないだろうかと、この頃思い始めている。
 ぼくは意を安んじて、悩める人々に「落語の登場人物や光景を思い浮かべながらじっくり聴いてごらんよ。落語は、聴き手の想像力だけで、物語の世界を広げていく特異な分野だから、そこで語られる人情の機微、洒落、粋、ユーモア、悲哀などなど、生の営みと業を噺家の一語一語から自在に感じ取り、自分なりの解釈を加えながら物語を再構築することができる。どこか写真に通じるものがあるんじゃないか。そこで君が自家撞着に陥れば、それもまた一歩前進」なんて、いってみようかな。

 落語に限らず、自分の性に合った分野から何かを感じ取ったり、学び取ったりすることは、きっと写真に良き味付けをしてくれるものだと、みなさん、一緒に信じましょうよ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/282.html

今回は「猫三題」。

★「01疾走」。
何かに追われるように猫が目の前を疾走する。突然の出来事に、カメラを設定する時間なし。41mm(35mm換算)のレンズに28mmの光学ファインダーをつけたデタラメさ加減で、1枚いただく。埼玉県比企郡川島町。
絞りf6.3、 1/60秒、ISO100、露出補正ノーマル。
カメラ:Sigma DP2、レンズ焦点距離41mm(35mm換算)。

★「02猫の逆立ち」。
写真のピエロは、もはや伝説的な存在となったロシアの「ユーリー・ククラチョフ・ネコ劇場」の創始者でもあるユーリー・ククラチョフ氏。現在も世界的なピエロであり、調教師でもある。撮影当時は旧ソビエト時代のボリショイサーカスだった。ぼくは望遠レンズ使用を嫌い、舞台に躍り出て50mm標準レンズで撮った。もちろん、何のお咎めもなし。モスクワ。
フィルム:コダクローム200。カメラ:ライカM4。レンズ:ズミクロンF2。

★「03踏切」。
都電荒川線の踏切で。東京都荒川区。
絞りf8.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-1。
カメラ:Sigma DP1S、レンズ焦点距離28mm(35mm換算)。

(文:亀山哲郎)

2016/01/15(金)
第281回:写真と落語と
 歳晩からこんにちまでの約20日間、ぼくはかつて親しんだ書物の再読に多くの時間を費やした。読みふけるうちに、以前とは異なった解釈をしたり、新たな発見をしたりで、いつも思うのだが再読はとても大切なことだ。読書は疑似体験の最たるものなので、同じ事の繰り返しはやがて血となり肉となっていくものだと信じたい。これが名作の名作たる所以であろう。
 自分の考えや体験が時を経て幾十にも重なり、良くも悪くも変容を遂げ、それを過去の自分と照らし合わせながら、少しは物事を立体的に眺めることができるようになる。これは大変おもしろいことだ。
  
 読書が一段落し、寝床で狸寝入りをしながら、やはり子供時分から馴染んだ落語に聞き耳を立てていた。再読ならぬ再聴である。読書にくらべ、落語を聴くことは心身に負担をかけずに済むので、ぼくにとってこの比類なき“口承文学”は大変ありがたく、掛け替えのないものだ。落語は大衆芸能を超越した立派な芸術である。
 同じ演目でありながらも、噺家によって印象ががらりと異なるところは、写真の暗室作業(現像、画像補整、プリントなど)に酷似している。ひとつの素材をどう扱うか、その担い手(撮影者)によって作品自体の味わいが変わってくるところが落語にも通じている。
 技術の練達は必要不可欠だが、主たるものは技術にあるのではなく、あくまで作者の感覚(センス)に従ったものである。技術と感覚の絶妙なバランスがあってこそ作品は活力を与えられ、説得力と訴求力を持つのではないかとぼくは考えている。自身の感覚(イメージ)を具現化するのが技術である。
 作品は作者の人格、言い換えれば生きざまに直結しているので、「ごまかしようがなく、だから恐ろしい」とぼくはいつもいっているし、「取り繕ったものはすぐに馬脚を露わしてしまう」ことも明々白々なことだ。
 いくら技術に長けても、そこから面白味や豊かさを引き出せるわけではなく、素材(イメージ)の貧しさは致命的なこととぼくは捉えている。

 写真に関連づけて話を落語に戻すと、虚構の世界に視聴者を引きずり込む一人芝居は、いにしえの情景や人物描写、庶民の生活感情や文化を彷彿とさせ、その話芸・話術には本当に感嘆させられる。
 名人と呼ばれる噺家の “笑いのツボ” は美しいとさえ感じる。押しつけがましいところがなく、気が利いているから美しいのだ。因ってぼくは笑いのツボの美しさを心得た噺家だけを名人と呼ぶことにしている。

 落語好きの人と話をすると、決まって「誰が名人か? 誰が好きか?」という話題になる。ほとんどの人が判で押したように「古今亭志ん生(五代目。1890-1973年)」と答える。ぼくに異論はまったくないのだが、ここだけの話、「この人に、志ん生の素晴らしさが本当に分かるのだろうか?」と、自分を差し置いて考え込むことがしばしばある。だからぼくは「志ん生」とは答えない。
 このことはつまり、ぼくとあなたの好みが、志ん生に限り一致してしまうことがどうにも我慢ならず、それは志ん生に申し訳ないことだという気になってしまうからである。ぼくが志ん生を尊崇するのは当然のことだが、あなたにその資格はないのだということを、どこかでほのめかしたくてたまらないのである。好みの資格を問うほど、志ん生は特別な存在だとぼくいいたいのだ。
 
 子供時分にぼくは落語好きの親父に新宿末廣亭や上野の鈴本演芸場によく連れて行かれたものだ。当時名人と謳われた志ん生や桂文楽(八代目。1892-1971年)の高座を何度も聴いている。子供に名人の味わいなど理解できるはずもないのだが、寄席に行くことはひとつの楽しみでもあった。
 学生時代には野球(長嶋茂雄)を見に後楽園球場(現東京ドーム)通いもしたが、雨天中止になると迷わず寄席に駆け込んだものだった。当時は林家三平(初代。1925-1980年)の全盛期で、笑いのツボが美しいとはいえないしお洒落でもないが、大衆の笑いを確実につかんだ風雲児でもあった。ちなみに二代目林家三平は噺家としてはからっきしダメである。タレントとの二足のわらじを履いて一人前の噺家になどなれるわけがないのである。
 
 ぼくは実演を聴いたなかでは「志ん生が一番」とは今もって人前ではいえず、声を潜めて「古今亭志ん朝(三代目。志ん生の次男。1983-2001年)」と遠慮がちに答えることにしている。志ん朝の羽織を脱ぐあの所作が、志ん朝の粋のすべてを物語っている。また、ネイティブともいえる江戸っ子の言葉が美しい。

 写真屋となり、ぼくは単行本、雑誌、広報誌などで多くの噺家を撮影する機会を得た。撮影の前に短い噺を必ず一席ぶってもらうことにしている。1対1の特典を利用しようという浅ましい魂胆からではない。アドレナリンやドーパミンといった物質が彼らの表情を変えるからである。それが撮影者にも伝播する。いきなり撮影に入った時の顔と、仕事をした緊張感のなかでの彼らの顔はまったく別人のように見違える。音楽家であれば無代で一曲弾いてもらうのだ。
 ぼくの体験では、この厚かましい申し出を拒んだ人は一人もいない。彼らもそのことをしっかり心得ている。こちらも彼らの高揚につられて、リズム良くシャッター音を響かせることができるのだ。
 「写真ってぇのも、落語とちょいと似てるところがおもしれぇってんで、え〜っ、師匠、あんまり写真なんてぇものに、お熱をあげるもんじゃありませんよ」なんて口上が思わず口を突いて出たものだ。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/281.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM
場所:すべて三河島界隈

★「01残り火」。
建物の隙間から暮れゆく夕陽が申し訳なさそうに顔を出す。
絞りf7.1、 1/100秒、ISO200、露出補正-1.3。

★「02学校帰り」。
学校帰りの女子生徒が足早に通り過ぎる。宙に浮いた瞬間をキャッチ。
絞りf6.3、 1/200秒、ISO200、露出補正-1.0。

★「03三河島稲荷」。
日が沈みほのかな光のなかで。
絞りf5.6、1/50秒、ISO250、露出補正-0.3。
(文:亀山哲郎)

2016/01/08(金)
第280回:映画は露出アンダー
 松の内も明け(地域や時代によって日時は異なるが)、この場をお借りしてみなさまの無病息災、福寿無量をお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 ぼくの正月は毎年文字通りの寝正月で、年末から年始にかけて家から一歩も出ないことを由とし、それを頑なに守り通してきた。特別な理由はないのだが、定年のないフリーランスの人間にとって、唯一この時期だけは気を緩め、油断してもいいことになっている。定年退職をした同輩たちは、職を離れて以来何年も油断しっぱなしだから、すでに脳の血流が停滞しかけているようにも見える。あるいは退化の一途をたどっていることに気づかず得々としている。
 「長屋のご隠居のようになって、近所の人たちの相談役になる」なんて、とんでもない思い違いをしている同窓生もいる。60、70歳で人生の何がわかるというのか。呆れるほどの思い上がりである。今まで年相応の真実を尊重する習慣を持てずにいたので、そんなことを平気で宣うのだろう。これほどの大愚は決まって男であって、女にはいない。

 職を辞した男衆にいわせると、まだ70歳にもならぬうちに、歳とともに何をするにも気力が萎えていくと告白する気の毒な人たちもいる。それにくらべ女衆は依然として元気いっぱいである。彼女たちは衰えを知らない。
 勝ち気を気取るわけではないが、ぼくは歳を重ねるごとに写真の愉しみが増え、集中力が増していくように感じている。ひとつ発見をする度に未熟な自分を思い知り、恥じ入るとともに、それが刺激となり、やたらと嬉しい。したがって、過去の自分はいつだってお莫迦である。
 一喜一憂を繰り返しているうちが生きることの華なのだろう。そんなわけで、いつまで続くか分からないが、あだ花にならぬように、まだ十数年は意欲的に写真に関わっていきたいと願っている。

 前号で映画について触れたので、ついでごとのように思い出したことがある。動画と静止画(写真)は同じ映像表現には違いないのだが、撮るほうも観る側も意識上異なったものがあることを承知で、ぼくの考えを述べてみたい。
 昔から映画を観るたびに感じていたことなのだが、どうみても静止画にくらべ映画は露出が不足している。「不足」という言い方は適切でないのかも知れないが、つまり露出アンダーということだ。ぼくはそれを科学的に実証しようと、先月無作為にカラー映画(昔は“総天然色”なんていったものだ。ちなみに映画は“活動写真”とも)を選び出し、モニターに映し出された画面を止めて50カットばかりキャプチュアしてみた。ハリウッド、ヨーロッパ、東欧、ロシア、イラン映画などの一場面である。

 キャプチュアしたものをPhotoshopで開き、時間をかけて「情報」(Photoshop / メニューバー / ウィンドウ / 情報)をチェックしてみた。ハイエストライトをチェックしてみると、RGBの値がすべて255、つまり完全に白飛びを起こしている場面はほとんどないということが判明した。
 電灯などの発光体でさえ白飛びを起こすことなく、しっかり情報が残っているのである。映画の撮影がどのような手順を踏んで、微妙な露出決定が成されるのか、その詳細をぼくは知らないが、ハイエストライトを基準とした露出であるので、画面全体がどうしてもアンダー気味となる。そのままではシャドウ部が潰れてしまい、補助ライティングで調整することになる。この匙加減が、監督やカメラマンの審美能力であり、映像美に直接の影響を与える一因となっている。
 過剰なライティングは得てして美しい映像を生み出しにくいということを、ハリウッドの映画人は知らないのではないかとさえ思える。豪華絢爛だがトーンに余韻がないのだ。ことのついでに、アメリカ人は余白の美しさを知らないのではないか? という疑念を持った。
 
 ハイエストライトを飛ばさないという露出の決定法は、いみじくもぼくのデジタル作法と合致している。私的写真ではライティングを施すことはないが、デジタルはシャドウ部が粘ってくれるので、補整時にちょっと持ち上げてやればこと足りる。これで見た目の露出アンダーはほぼ解消できるのだ。
 シャドウ部をどの程度持ち上げるかについては、“ほんの僅か”とか“心持ち”というほかないのだが、シャドウ部を肉眼で見るが如く表現してしまうと、非常に不自然かつ不気味な画像になってしまうので要注意。無理や力業は禁物である。
 Photoshopに限らず他の画像ソフト、あるいは最近ではカメラにも、HDR(ハイ・ダイナミック・レンジ。大きなコントラストを持つ被写体を再現可能なコントラストに圧縮するための画像合成法)という機能が付属しているが、ぼくはこれを利用して思い描いた通りの画像を得られたためしがなく、あまりにも気持ちの悪い仕上がりとなるので、作品作りにはお勧めしない。使いようなのだろうが、そんなことをせずとも、撮影時に適正な露出補正をし、画像ソフトで暗部を調整すればいいだけのことで、そのほうが画質の劣化も極力抑えられる。
 
 映画に於ける“意図的な” 露出アンダーの映像(いわゆる“ローキー”Low-Key。反対はHigh-Key)は、一般論でいえば鑑賞者に強い印象を与える。映画はこの視覚心理をうまく利用しているのだろう。
 かつてカラーポジフィルム(スライドフィルム)を使用していた頃、適正露出と思われる値より-1/3絞りアンダーに撮ると、色のりがよく、こってりと仕上がることを志気盛んな愛好家は知っており、これはローキーとは定義の異なるものだが、ぼくも彼らも好んでこの作法を踏襲したものだ。
 しかし、昨今一般受けのする写真はローキーではなく、ハイキー(High-Key)なのだそうだ。そういえば、「ただハイキーなだけの写真」を売りものにしている写真屋もいるくらいだ。時代はどんどん軽くなっていく。
 往来を眺めていても、様子のいいご婦人にはなかなかお目にかかれなくなってしまった、って関係ないか。ぼくも寝正月ゆえの大愚である。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/280.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM
場所:すべて三河島界隈

★「01 夕食支度の頃」。
日も暮れかかり、くたびれ果てて、もう一踏ん張りというところ。
絞りf6.3、 1/125秒、ISO200、露出補正-0.7。

★「02 おかしな三叉路」。
すべてが木造家屋だった頃の風情を思い浮かべて。
絞りf5.6、 1/200秒、ISO200、露出補正-0.3。

★「03 下町風情」。
赤いコートにジャージのズボンという、いかにも下町情緒溢れる出で立ちで、おばあちゃんがさりげなくぼくの前を横切る。
絞りf7.1、1/50秒、ISO400、露出補正-0.3。

(文:亀山哲郎)

2015/12/25(金)
第279回:フィルムからデジタルへ
 先日、キアヌ・リーブス(俳優)がプロデュースした映画『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』(2012年制作)を興味深く観た。そのドキュメントは、映画制作に携わるさまざまな職種の人たちが、フィルムからデジタルに移行するその変遷期のなかで、必然的に抱かざるを得なかった心の葛藤と、そしてそこから導き出した持論をインタビュー形式で伝えるものだった。
 あの変遷期に於ける彼ら自身の心情を吐露しているのだが、動画と静止画の違いこそあれ、それはぼくがあの時期に体験した心の揺らぎと移り変わりをそっくりそのまま代弁してくれているようでもあった。

 フィルムとデジタルについては過去この拙稿で何度か触れたので、今ここで改めて問い直すことはしないが、要は「道具としての使いこなし」ができればどちらでもよいというのが終着駅(結論)でもあり、すべてが「使いこなし」に収斂されるべきこととぼくは考えている。
 「道具の使いこなし」とは、いうに及ばず自己の描きたいものを、如何に正確に再現し伝達するかの手法・手段(道具)であり、その機能と技術に長ずるという意味である。
 未だ芸術性云々を持ち出して、どちらが優れているかという好事家(こうずか。変わった物事に興味を抱く人。物好きな人。大辞林)の議論を耳にするが、ぼくはそのような場からは、不毛の論戦には加わりたくないという気が先に立ち、コソ泥のようにそっと逃げ出すことにしている。論旨のすり替えも甚だしきことだからだ。
 また、芸術や芸術性(ぼくはこの言葉を好んで用いているわけではなく、他に代用の言葉が見当たらないから仕方なく使用)は常に作品自体に宿るものであり、道具や方式に依存するものではない。フィルムであれデジタルであれ、最終的には一枚の印画紙上に描かれるものなのだから、どちらの道具を選んでもいいのである。「弘法筆を選ばず」ともいうしね。

 ただ、200年近くの歴史を持つフィルムの再現性からは学ぶべきことがあまりにも多く、その良い点や好きなところをデジタルにすんなり移行できればいいのだが、なかなかそうもいかず、因ってぼくは未だに悪戦苦闘を強いられている。長年フィルムに馴染んできたからこその苦行ともいえる。今に至って、双方のいいとこ取りを理想とし、なんとかそこに漕ぎ着けたいと欲張ったことを願う。理想は、実現させてこその夢なのだ。正夢こそ希望が持てるというものだ。
 しかし、そもそもメカニズムの根本が異なるのだから、当然のことではあるが無理が生じる。同じ無地のグレーを段階露光しても、フィルムとデジタルのトーンカーブ特性は異なるし、ダイナミックレンジ(再現濃度域)もまた然りなのだが、「そこをなんとか善処していただきたい」と揉み手をしながらの神頼み。希望が叶うのであれば、揉み手だけはあまりにも手抜きゆえ気が咎め、ならばまず柏手を打ち、願掛け、お百度参り、水ごり、滝行、断ち物などなどを一式取り揃えて、何でもいたしましょうと不信心者のぼくは神様に機嫌買いをする。
 フィルムからデジタルへの移行は、そのくらいの決意と厚かましい度胸がないとできるものじゃない。

 ぼくの近しい友人にこんな人がいる。I君としておく。理工系特有の生真面目さと几帳面さを前面に押し立てて、「アンセル・アダムスの写真集から画像をスキャニングし、データ化して、そのヒストグラムを精査した」というのである。
 ヒストグラム(Histogram)とは、ご承知の方も多々おられるであろうが、画像の明るさの分布を棒グラフで表したもの。純黒から純白までの階調の度数分布を示したもので、画像がどのような明暗分布とコントラストで成り立っているかが一目で判別できる優れた図表。デジタル画像補整には欠かせぬツールでもある。

 I君は、「アダムスの美しいモノクロ写真のヒストグラムを一つひとつ検討していたら、ある共通した形(ヒストグラムの)を発見した」と、得意気にいうのである。そこでぼくは、「オレの写真のヒストグラムはおおよそこのような形になっているだろ」と、描いて見せた。
 I君は意表を突かれたかのように、「そ、そうなんですよ。一定の形があるんですよね。アダムスと非常によく似ている」と。彼は一呼吸置きながらも、鳩が豆鉄砲を喰らったままの顔で、「ぼくはかめさんのひとつの特徴を発見したんです。ヒストグラムの左側(シャドウ部)がぐっと盛り上がって、そこから急激な傾斜で中間部まで下がり、右側(ハイライト部)になだらかに落ちて行くんですね」とつけ加えた。彼はぼくのプリントが美しいとは一言も発しなかった。

 I君が全体何のために、アダムスの写真をデータ化したのかぼくは分かりかねるのだが、考えられることはふたつ。ひとつは、理工系の過ぎたる探究心の成せる業で、それは実験魔を自認するぼくにも考えられぬほどの離れ業というべきものだ。もうひとつは、美しいプリントを目指すあまりの、藁をも掴むほどの熱狂的な向上心だ。
 文系のぼくにはちょっと理解しがたい理系の粋狂なのだろう。ヒストグラムを睨みながら暗室作業(画像補整)をするわけではなし、第一そんなことは不可能だ。ヒストグラムはあくまで結果を目視で測るためのものであって、補整の過程に用いるツールではないのだから。しかし、それを十分に知り尽くしている彼の粋な遊び方にぼくは感心している。ともあれ、I君も自前の論理に従って、フィルムとデジタルの狭間を彷徨っているのかも知れない。

 8年前、I君と初めて出会った時のこと。彼はアナログの暗室設計図を描いていたらしいのだが、ぼくに出会ってやめたというのだ。ぼくが何をいったのかさっぱり記憶にないのだが、ぼくの言質がそれをやめさせたと彼はこんにちまで恨めしそうにずっと言い張っている。アダムスのヒストグラムはもしかしたら、ぼくへの当てこすりなのかも知れない。「あの一言が私の人生を取り返しのつかないものにした」と、そういう人がいるでしょ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/279.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM

★「01 三ノ輪から三河島へ」。
常磐線の高架壁に、夕陽の陰が焼き付く。赤外フィルムをイメージして。
絞りf9.0、 1/400秒、ISO400、露出補正-1.3。

★「02 高架下」。
夕陽に急き立てられるように帰路を急ぐおばちゃん。
絞りf7.1、 1/800秒、ISO400、露出補正-0.7。

★「03 常磐線ガード」。
鉄道のガード下には特別な何かがあると、ぼくはいつも感じている。1962年(昭和37年)に起こった三河島大事故は、この近辺。当時中学3年だったぼくはこの日(5月3日)に特別な思い出がある。
絞りf7.1、1/50秒、ISO400、露出補正-1.3。

(文:亀山哲郎)