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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/07/22(金)
第307回:晴海から佃島へ(4)
 「晴海から佃島へ」の本シリーズは前回でお仕舞いにしようと思っていたところ、地方にお住まいの読者からメールをいただき(ありがとうございました)、「佃島は、話に聞くものの、なかなか訪問する機会がないのでできるだけ多くの写真を見せて欲しい」との趣旨が寄せられた。ぼくの与太話などではなく、 “写真を” というところがありがたくも憎いではありませんか。
 返信を差し上げたところ、「私も落語が好きで、なかでも特に『佃祭』はお気に入りのひとつ。佃島ってどんなところだろうといつも頭に描いております。ガイド的な写真は多く見るものの、個人の主観や思い入れによって撮影されたものはあまり見ることができず、大変興味をそそられています。ましてやモノクロですからなおさらです」と返してこられた。  
 落語の文学性を高く評価しておられる読者のメールにすっかり気をよくしたぼくは、もう一度だけ佃島の写真を掲載させていただくことに。

 今シリーズで掲載した佃島は5月上旬に撮影したものだが、今回は1ヶ月半の時を経て6月下旬に訪れたものを取り混ぜてと思っている。
 実のところ、今回の撮影はぼく個人の希望で訪問が実現したわけではなく、我が倶楽部1年半ぶりの撮影会という名目によってである。我が倶楽部は他の倶楽部に比べ、極端に撮影会の少ない倶楽部のようだ。理由は、全員が怠惰であることに加え、現役の職業人がほとんどだから日程がなかなか合わないことにある。自分の都合ばかりを主張し合うので、したがって、音頭取りが現れにくく、いつも企画倒れとなるのだ。

 「撮影会といいつつ、いつもかめさんは現場で行方をくらまし、何も教えてくれない」と口を極めてぼくを揶揄 & 非難しているが、現場で「撮り方を教えて」なんて可愛げのあることをいったこともないのに、よくいうわ。この責任転嫁を、濡れ衣という。
 今回は写真を始めたばかりの若い女性が2人加わったこともあり、ぼくは汚名挽回を図ろうと、そして多少の反省も込め、犠牲的精神を発揮し実地指導に臨んだというわけである。濡れ衣を着せられたままでは、悔しかろうといものだ。
 
 企画は若い2人にお任せしたのだが、どうやら彼女たちはぼくの案じた通り、撮影より、やはり食い気に負けてしまったようだ。 “文学的『佃祭』” をないがしろにして、佃島に隣接する月島名物のもんじゃ・お好み焼きに突っ走ったのである。ちゃっかり予約まで済ませ、デザートのクーポン券まで手に入れているではないか。許しがたい狼藉である。
 ぼくはこの危険性を見越し、前もって全員にYouTubeに於ける志ん朝の名演『佃祭』を聴いてイメージ構築の手助けとするように促しておいた。少しでも写真に気が向くようにと、指導者としての心憎いばかりの心慮がそこにあった。新参の彼女たちはこの時点でまだしおらしさを失ってはおらず、「聴きましたよ〜」とぼくへの配慮を心なしか示すのだが、古参の婦女子軍団となると、こうはいかない。撮影などどこ吹く風で、団子屋と饅頭屋に入り浸るのである。女性の生態はどうにも不可解だ。

 このような状況下、現場での指導は技術的なこと優先ではなく、特に女性には感覚的なことを念頭に置いて指導したほうがいい。女性のほうが感覚的なことと饅頭に対しては、男より飲み込みが早いものだ。写真を始めてまだ間もない人に技術的なことをあれこれいっても混乱を招くか、理解しがたいのではないだろうか。

 被写体を前に、自分がどこに立つかは(立ち位置を定めるということ)写真を決定付ける大きな要因となる。その原則的な考えを(あくまでもかめやま流だが)信念を持って伝えた。
 被写体を立方体に見立て(光との兼ね合いもあるが、今回は考慮せず)どの角度から見れば姿形として一番美しいかという感覚的な面での教えである。左右に動けば横方向が決まる。この時に周辺や背景にある物との重なりに留意しなさいと。物が重なってしまうと、往々にして立体感を損なうからだ。その具体例を示しながら、まるで指導者のように優しく訓示するぼくの珍しくもあるまじき姿。嗚呼、照れ臭い!

 横方向(左右の位置)が定まれば、今度は縦方向(前後)である。レンズの焦点距離によって遠近感(パース)が決まってくるが、ズームレンズばかりを使用している人にとってはここに気がつきにくく、教えるのもなかなか骨が折れる。自分は動かずにズームを押したり引いたりするのが一番良くない。それに頼っていると進歩は遅れるばかりだ。横着は一文にもならない。
 撮影者はズームレンズの言いなりになってしまう危険性をはらんでいるので、写真事始めの人に限らず、まず肉眼で被写体を眺めながら、前後に動いてみることをお勧めしたい。位置決めができたら、そこで初めてファインダーやモニターを見て、ズームで同じような感覚となる焦点距離を選べばいいということだ。しかし、肉眼とレンズの感覚的なズレはズームレンズのみ使用という人には矯正しにくいので、まず「習うより慣れよ」である。それからお気に入りの単レンズを購入すればいい。単レンズを使うと肩の荷が下りたように感じること請け合いである。

 横方向と縦方向の交差したところが撮影の立ち位置となることを、大雑把に知ってもらえばいい。一度の現場指導ではこれで十分だとぼくは考えている。何事も少しずつ、少しずつが肝心と思うからだ。
 立ち位置を定めることは極めて高度なことであるけれど、ここからスタートしていいのではないかとぼくは考えている。このことは、あまりにも多くの事柄に関連しているので一言で説明することはできず、まさにケース・バイ・ケースであり、場数を踏むしか納得の手立てがない。
 饅頭の誘惑を断って、ぼくに従えばさらなる飛躍を遂げること疑いなし。ぼくも照れ臭さを払拭できればいいのだが。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/307.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都中央区佃、月島。

★「01佃島」。
曇天下、狭い通りに傘が日乾しに。「邪魔になる」なんて窮屈で野暮なことはここの土地柄、誰も言わないんでしょうね。
絞りf8.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「02佃島」。
佃小橋から、掘割りと石川島の高層ビル群を望む。右端にある立て札には「この場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が、埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないで下さい。佃住吉講」とある。(幟は “のぼり”。抱は “棒” のこと)。
絞りf8.0、 1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03佃島」。
隅田川と佃大橋。
絞りf13.0、 1/400秒、ISO100、露出補正-1.33。
 
★「04佃島」。
仕事を終えた住民の後ろをそっと歩く。いなせなTシャツと雪駄履き、江戸っ子だねぇ。 
絞りf5.6、 1/30秒、ISO100、露出補正-0.33。

★「05佃島」。
長屋の間を細い路地がたくさん走る。すれ違い出来ぬほどの幅だ。
絞りf6.3、 1/20秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「06月島」。
もんじゃに急ぐ我が倶楽部の3人婦人部隊。先頭は左うちわ、後に続く2人はすでに饅頭袋をぶら下げ、撮影は眼中にないらしい。ぼくは照れて損をした。
絞りf5.6、 1/13秒、ISO200、露出補正-0.33。

(文:亀山哲郎)

2016/07/15(金)
第306回:晴海から佃島へ(3)
 『佃祭』の主題となっている「情けは人の為ならず」とは、のっけから教訓めいて恐縮だが、 “情けをかけるとその人のためにならないので、かけないほうがいい” との解釈は誤りで、 “情けをかけるのは、その人のためになるだけではなく、いつか巡り巡って自身にも良い報いがもたらされるものだ” とか “陰徳を施しておけば必ず良い報いが訪れる” というのがこの教えの本来の意味である。若い人ばかりでなくその真意を取り違えている人が多いようなので、お節介ながら書き添える次第。

 この諺を主題とした落語噺『佃祭』の舞台となった佃島は、かつて隅田川河口にあった独立した島であり、江戸初期に摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁民が移住したのが地名の由来とされている。
 渡し船による佃島への往来は、320年あまりの長きにわたり存続してきたが、昭和32年(1964年)に、佃大橋の完成とともに幕を閉じた。長い渡し船の歴史のなか、明和6年(1769年)に佃島住吉神社の藤棚見物の客を満載した渡し船が波浪により転覆し30数名が落命したと伝えられる。それを元にこの噺が作られたとの説が有力である。映画の字幕によくある “Based on true story” だ。
 このノンフィクションに、「情けは人の為ならず」を織り込み、創作されたものがフィクションの『佃祭』である。江戸の情趣と、豊かな人情が綴られ(語られ)ている。これはちょっとした文学作品だ。

 その血筋を受け継いだ?と覚しき現在の佃島の人々は、観光名所であるにも関わらず、ぼくの知る限り気さくで人情に厚く、愛想がいい。また江戸っ子であることに誇りを持っている。しかし、それを前面に押し出すことのない様子がなんとも心地良く、またアッパレでもある。これが本物の粋というものだ。江戸っ子は本来シャイであるというぼくの考えを彼らは具現してくれている。
 江戸の職人気質となるとまた別の話をしなければならないのだが、本稿は「写真よもやま話」なので、ここらで止めておこう。

 雨の降りしきるなか、懐かしい割烹着を身にまとったおばあちゃんが向こうから傘を差してやって来た。「このおばあちゃんを撮る」と決めたぼくは背景を選び、撮影位置を決め、ズームレンズの焦点距離を約28mmにセットし、フォーカスを約3mに固定、絞りはf6.3となにかと忙しい。設定後は、ぼんやりと突っ立ち、ぼんやりとシャッターを切るのがスナップ撮影の秘訣なのだとぼくは最近悟った。この心境に至るまでにぼくは50年の歳月を費やしてしまったけれど、自分の流儀としてそこに気がついただけでもましである。だから、最近ぼくはいつもぼんやりしている。

 立ち位置を定めているうちにぼくの脇を若い女性がスーッと通り過ぎて行った。予定外の出来事に、ぼくはその女性とおばあちゃんの距離を考え直さなくてはならなくなった。ぼんやりとはしていられなくなった。いつでもこのような予期せぬ出来事に見舞われるのが街中スナップで、それは避けることのできぬ宿命のようなものだ。
 ぼくはあらかじめ定めた位置より何歩も後退りをし、「私はおばあちゃんを撮りませんからね」という強い電磁波を力一杯送り続け、ぼんやり待ち構えた。その甲斐あって、油断をしたおばあちゃんをフレーム一杯に計算通り収めることができたのだが(「01信心」)、これはいわば一種のだまし討ちのようなものであり、この巧妙さ(ずる賢さ)は人様に大声で語るようなものでは決してない(語っているじゃないか!)。

 この後おばあちゃんに声をかけたところ、これから住吉さん(神社)にお参りに行くのだとか。雨が降っても、風が吹いても、雪が積もっても、毎日欠かさずに物詣でをするのだと静かにいう。
 「わたしがこうして毎日元気でいられるのも住吉さんのおかげ。家族仲良くしていられるのも住吉さんのおかげ。娘が嫁に行って機嫌良くしていられるのも住吉さんのおかげ。なにもかも住吉さんのおかげなんだよ」と、おばあちゃんは晴れ晴れとした表情で、不信心者のぼくを見上げながらいう。
 「おばあちゃんは地元の人なんだね」というと、「そう、生まれた時からずっとここ。住吉さんと一緒なの」と嬉しそう。おばあちゃんにとって、住吉さんは生涯のなくてはならない伴侶に違いない。
 「じゃあ、おばあちゃんは生粋の江戸っ子というわけだ」。
 「そうさ、わたしは江戸っ子よ」と、待ち人来たるというような微笑みを顔一杯に広げ、ついでに精気溢れるように背筋を伸ばし、左手に持った賽銭入りの紙入れを胸のあたりに差し上げて見せた。おばあちゃんは、今日も賽銭箱に幾ばくかの金子(きんす)を投げ込むのだという気魄に満ち溢れていた。
 とりとめのない話をしながら、別れ際「あんたは、いい “お兄さん” だね」とおばあちゃんは締め括った。「えっ、オレが “お兄さん” か」と一瞬戸惑ったものの、不思議と違和感がなかった。80を優に超えたおばあちゃんにしてみれば、ぼくは若い “お兄さん” だったのかも知れない。不信心者のぼくでさえ、住吉さんの御利益に少しばかり与ったような気がした。

 今まで国内の人物スナップは掲載しなかった(複数人の写ったものはあるが)のだが、今回は話の行きがかり上、例外として掲載することにした。次回の訪問時にプリントをお渡ししようと思っている。地元の人に尋ねれば判明するでありましょう。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/306.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都中央区佃。

★「01信心」。
こちらに向かうおばあちゃんと去りゆく女性の距離感が思い通りに描けた。左手に握りしめた紙入れにおばあちゃんの願いも入っている。
絞りf6.3、 1/250秒、ISO360、露出補正-1.00。

★「02信心」。
住吉さんへの道すがら話し込むおばあちゃん。
絞りf6.3、 1/125秒、ISO250、露出補正-1.00。

★「03信心」。
祈りの場へ。
絞りf5.6、 1/160秒、ISO250、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2016/07/08(金)
第305回:晴海から佃島へ(2)
 子供時分、落語好きだった父に連れられ、年に数度は寄席に通っていた。その影響だろうか、大人になってからも寄席は常に身近な存在だった。寄席通いをしなくなったのは写真屋になって以来だから、もうかれこれ30年以上もご無沙汰していることになる(仕事では噺家さんの撮影に10数度出向いてはいるが)。

 幼少時に、 ”紙切りの正楽” と呼ばれた林家正楽(8代目。1896-1966年)に動物の紙切りをしてもらったことが何度かあった。今となっては、遠くおぼろ気な記憶ながらも、お囃子に合わせ体を前後左右に揺らしながら紙切りをする正楽師匠の姿は未だ脳裏に焼きついている。高座からの「ぼうや、今日は何を切ろうか?」という師匠の声掛けがどれほど嬉しかったことか。
 父はあらかじめ正楽師匠の出番の日を選び、子供のぼくに、紙切りであれば退屈せずに間が持つであろうと気を遣っていたのだろう。父がどのような意図でぼくを同伴させたのか今は知る由もないのだが、もしそれが情操教育の一環と考えていたのであれば、彼はまことに正しかったと思っている。

 ぼく個人の考えは、絵画や音楽、写真は人間の情操を育てるにそれほど相応しいものなのだろうかという疑問を常に抱いている。一般に語られるほどではないということだ。芸術ばかりでなく宗教も同様である。人格形成に多大な貢献をしているとは素直に思えないのだ。
 渦中にある人たちは、自分の従事しているものについて過大な評価をする傾向にある。その傾向が強い人ほど、自身が情操とは縁遠いところに座しているのだということに気がついていない。あるいは我田引水的牽強付会(こんな言葉はありませんね。けんきょうふかい=自分に都合のいいように無理にこじつけること)をもっぱらとする。
 “惚れる”とか “信心” は個人の自由であり、また高貴な精神の顕れとぼくは見るが、それを他と比較したり、唯一のものとしたりするのであれば、すべてが灰燼に帰すわけで、何をかいわんやでありましょう。

 大学に進学し、華々しき学生運動をよそにぼくは寄席にしばしば通っていた。噺家・桂文楽(8代目。1892-1971年)の最晩年、場所は失念したがその時の演目が『佃祭』だった。おそらく文楽を最後に聴いたのが『佃祭』だったように記憶している。
 文楽の生の高座に接した機会は多かったのだが、名人には違いないけれどぼく好みの噺家ではなかった。端正すぎて面白味に欠け、人間的な破綻が感じられなかったからだ。つくられた上品さを感じ、そこに抵抗感があった。そして、どこか金属的な声の調子も馴染めなかった。とはいえ最後に聴いた『佃祭』は、佃島や住吉神社を知らない当時のぼくに大きなイマジネーションを与えてくれたことは確かだった。

 『佃祭』は、ぼくの好きな演目のひとつだったが、聴くたびに佃島への思いは募り、勝手に作り上げた映像ばかりが膨れあがっていった。
 実際に訪れたのは32歳の時であり、今から36年も前のことになる。カメラを持たずに、目的意識もなく、何となく友人とフラッと “行ってしまった” のだ。ちょっと思いを寄せた人に急に誘われたものだから、写真もイメージも、何もかも投げ打って、要らんことばかり考えながら出かけてしまった。若気の至りとはいえ、妄想に駆られたぼくはきっと無様であったに違いない。
 しかし、学習能力に欠けるぼくは、今でもきっと同じように振る舞ってしまうかも知れないと思うと、どこか情けないような気もするが、これも父の情操教育の賜なのでありましょう。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」という漱石の教えに、ぼくは体よく便乗しただけなのかも知れない。

 実際に触れた佃島は、『佃祭』だけを頼りに描いたイメージとは大きくかけ離れていたが(当たり前のことだが)、いわゆる下町情緒はまだふんだんに残っていた。失われた時は二度と戻ってこず、返す返すもカメラを持って行かなかったことは不覚の致すところだと残念でならない。良い写真が撮れたかどうかではなく、昭和晩期の色濃い、その名残ともいえる佇まいをフィルムに記録しておきたかったからだ。
 
 妄想に取り憑かれてから今日まで、ぼくは何度となく妄想なしに佃島を訪れた。ぼくの良からぬ残滓が漂っているのか、気に入った写真など撮れたためしがない。どこへ行っても写真の良し悪しは別として、案外現場にスポッとはまるタイプなのだが、佃島はとても撮りにくい。情に流されまいとの無意識の反動として「智に働けば角が立つ」に肩入れしすぎているのだろうかと反省もしてみるのだが、雲を掴むように解消の目処がない。
 今回は雨の佃島だった。雨模様は初めてのことであり、「気分を変えて速くなりつつある雨脚を愉しんでみたらどうか?」と、父が申し訳なさそうに呟いているようだった。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/305.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都中央区佃。

★「01佃島」。
堀割に係留されている釣り船。30数年前と変わらぬ風景だ。ご覧の通りの雨脚。右端が住吉神社。
絞りf13.0、 1/30秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「02住吉神社八角神輿」。
住吉神社境内に納められた八角神輿。なかには入れぬためガラス越しに。写り込んだ周囲の景観を一緒に撮る。
絞りf4.0、 1/60秒、ISO400、露出補正-1.00。

★「03佃島」。
雨のなか銭湯に向かうおじいちゃん。
絞りf10.0、 1/100秒、ISO250、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/07/01(金)
第304回:晴海から佃島へ(1)
 築地で寿司を堪能し、腹ごなしについでに晴海から佃島へ行ってみようと思い立った。ぼくは雨天が好きなので、少々の雨ではへこたれない。髪の毛が濡れ、その水滴がもみ上げあたりを伝い、首筋にツツッと流れ落ちるあの感覚は、「雨ニモマケズ」に写真を撮ることの意気を実感でき、ちょっと心地よい。ぼくはそんな自身の姿を自画自賛しながら、普段の怠惰を拭い去ろうとしている。なんとも浅ましい限りだ。保身的悪知恵ばかりが身についていく。

 晴海埠頭といっても、今まで特段フォットジェニックなものを発見したという記憶はないのだが、3年ほど前に若い写真屋のJ君を伴ってふらっと訪れたことがあった。だだっ広い空き地の向こうに高層ビル群が建ち並ぶだけの殺風景なものだったが、「このアングルは面白いね。8 x 10インチの大型カメラで撮るもよし。そんな風景だね」と頷き合ったことを覚えている。
 空き地の片隅に突っ立ちその風景をしばらく眺めていたのだが、光の具合がどうも心情に合わず(と言い訳をしておく)、シャッターを押すことなくぼくらは早々に引き上げた。正直にいえば、「撮影より早くどこかで一杯やろう」という誘惑にぼくらは完全に飲み込まれていたのだった。「花より団子」ならぬ「写真より酒」の正当化に罪の意識は感じなかったらしい。

 今回は3年前の罪滅ぼしを兼ねてのものであり、折良く雲にも表情があり、かつ雨模様であるため遠景にディフューザーがかかったようなイメージを描きながら、強くなった雨脚のなかハンドルを晴海埠頭に向けた。

 ただ、雨に煙った遠景のコントラストをそのまま写真に置き換えて(忠実にという意)しまっては、眠たい印画となってしまうので、部分的なコントラストをどのように調整すればいいのかという難題に取り憑かれていた。心配性のぼくは現場に着く前から、勝手に描いたイメージの始末について、あれこれ頭を痛めていたのだった。
 現場に到着してみると、以前のだだっ広い空き地はそのままだったが、周囲には高い金網が張り巡らされ、自由な立ち入りができなかった。気勢を殺がれた感はあるものの、都市開発というものは我々の日常時間より早く進むので致し方がない。しかし、意外なことにこの空き地にはまだ手が付けられてはおらず、3年前に見た風景とほとんど変わりがなかった。

 どんよりと重く、低く垂れ込めた雲は地面との距離を縮めながら覆い被さるように、「自然こそ最強の神である」と主張しているかのようだった。細かい水滴を天からまき散らし、テンポの速い現代の時空を睥睨しながら、気ぜわしい人間の生活になど関与したくはないという風情だ。
 雨にも関わらず遠景のビル群は思いのほか霞んではいなかったが、それでもぼくの頭には「雨+遠景=霞む」という固定観念がこびり付いてしまっていた。ここで敢えて船底に付着したフジツボを削り取る必要があるのかないのか、ぼくは再び頭を痛めた。自分を追い詰めることはあまり得意ではないので、その問題は取り敢えず放置して、まず撮影に取りかからなければならない。

 高く張り巡らされた金網の一部にカメラレンズをどうにか差し込むことのできそうな隙間を見つけ、不自由な恰好でまず1枚(掲載写真01)。非常にコントラストの低い被写体なのでモノクロ変換はしやすく、雲を白飛びさせないように露出補整をしている。
 水平が傾いているが、これは意図したもので、地面に引かれた2本の白線を構図的に活かしたいとの思いからだった。金網からの覗き見なので場所の選択肢も失われ、カメラアングルも自由が利かず、ぼくの知恵と能力ではこれ以上撮っても意味があるとは思えなかった。

 中央清掃工場の高い煙突が周辺のビルと重ならない位置を探そうと、ぼくは金網を離れた。地上からだと周囲の樹木が妨げとなり、良いロケーションが見つからない。そこで埠頭の端にある旅客ターミナルに上り、見つけ出したのが掲載写真02。
 5月初旬ではあったが、眩いばかりの新緑とはいかずとも、まだその名残が所々に見られた。モノクロで新緑を鮮やかに浮かび上がらせるには、カラーからの変換時に疑似Y(イエロー)フィルタを掛ければいい。新緑の濃度が自在に操れるデジタルならではの芸当だ。
 フィルムでは、濃度の異なるYやG(グリーン)フィルタを各種かけて調整するが、現像をしてみなければ結果が分からない。時間もかかるし費用もかさむ。まさにデジタル様々である。

 旅客ターミナルを歩くうちに雨脚がだんだん速くなり、チェス盤模様の床がピカピカと光り出した(掲載写真03)。と同時に首筋に水滴がツーッと走った。チェス盤模様と高層ビルをどのようにグラフィカルに描くか、ぼくは「雨ニモマケズ」を地で行くこととなったのだが、どうやってもありきたりの絵しか描けない。この日初めてズームリングを回し、ズームレンズの御利益に与ろうと「焦点距離24mmでやってみるか」と試みたのだがどうもいまいちピンとこない。ぼくはやけくそ気分で1枚だけ撮り、諦めてしまった。雨ニマケテしまったのだ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/304.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。16mmに固定。

撮影場所:東京都中央区晴海。

★「01晴海」。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02晴海」。
絞りf13.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03晴海」。
絞りf11.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/06/24(金)
第303回:築地
 第290回で述べたと同じように、再び用事がてら雨の築地を訪れた。もっぱら回転寿司にしか縁のないぼくは、築地に行けば値段の割には旨い寿司にありつけるのではないかという思い込みと期待があった。築地事情に詳しい人は何というか分からないが、「あそこに行けば、なんとなく旨い寿司を他よりは安く食えそうだ」との予感を抱いても不思議はない。それは、ぼくのような一般庶民にしてみればごくありふれた感覚なのだろう。
 そんな思いも手伝って、寿司を出汁に久しぶりに人物スナップを撮ってみようと思い立った。出汁にされた寿司には多少迷惑な話かも知れないが、雑踏の苦手なぼくにとって小雨の築地は良い機会だった。

 築地近辺に住む友人に訊いてみたところ、「価格の割にいける店」を教えてもらい、ぼくは空腹を抱え脱兎の如くその店に突進。ウィークデイということもあり、通りの混雑も前回ほどでなく、思い通りに歩を進めることができた。自分のペースで歩けないことほどストレスを生むことはない。あれだけでぼくはげんなりし、意気消沈に加え、目眩・眩暈雨あられとなり、生きる希望をすっかり失ってしまうのだ。
 20年ほど前、渋谷のセンター街を大きなカメラバッグを肩にかけて歩いた日々を思い出すだけでも、それは拷問のようであったと、生が尽きるまでぼくはあの雑踏ひしめく界隈に怨嗟の声を上げ続けるであろう。いや、これは決して大袈裟な文言ではなく、それほどぼくは雑踏と雑音に弱い。

 ストレスを感じることなく寿司屋のカウンターに辿り着いたぼくは、寿司を注文しながら、外を歩く5分の間に、人間の精密で、変則的で、アクロバティックな動きと表情を、どれほど正確にしっかりとカメラに収められるかの実験をしてみようと考えていた。もちろん、ただ撮ればいいというものではなく、如何にフォトジェニックな味付けができるか、それを試みようとガリをかじり、芳香のほとんど失せた緑茶をすすりながら考えていた。

 写真には様々な分野があるが、ぼくは常々、街中の人物スナップは他の分野とは一風異なった能力と技能が要求されると感じている。一言ではいいにくいが、動体観察と予測が特に強く求められる分野ではないかということだ。それに応じたカメラの扱いにも修得していなければならない。
 「いいな、おもしろい!」と感じてからシャッターを切っても間に合わない。シャッターを切る前の観察と段取りが重要で、そこが他の分野とはかなり異質である。咄嗟の判断にカメラ操作が追いつかなければ、獲物を逃してしまうことになる。前もっての準備がことさらに大切な要素となる。
 山形の写真家・土門拳は「写真家は掏摸(すり)」と言ったそうだが、人物スナップが掏摸であるかどうかはさておき、撮られた相手に気づかれようが気づかれまいが、どちらでもいいとぼくは考えている。そんなことは何一つ自慢すべきことでもない。相手の目線は撮影者自身がコントロールすればいいだけのことではあるまいか。

 ぼくの街中人物スナップは、もう何年も被写体に対しての大接近戦である。つまり、レンズ焦点距離が長くても35mm(35mm換算)広角であり、通常は16mm(超広角)という他人から見ればかなりエキセントリックなものだ。時には相手の顔まで50cmということもしばしばある。こんな時は掏摸に徹さざるを得ないのだが、超広角レンズがぼくの体質により良く合致しているのだから仕方がない。
 人物スナップの名手と謳われたH. カルチエ=ブレッソンは標準レンズである50mmしか使わなかったという伝説じみた話があるが、実際には望遠レンズも使用したらしい。
 焦点距離が長くなればなるほど被写体との距離が取れるので、相手に気づかれる確率は低くなる。遠近感も薄れ穏やかな表現となるが、画面がどうしても平面的になるのは否めない。しかし、写角が狭まるので画面が整理しやすいという利点もある。望遠レンズは、さらに画角が狭まり、被写体の動きにだけ注視していればいい。表情だけを追うのに適している面もある。

 ぼくはそれらの利点を放棄してまでの肉弾戦が好きなのだ。被写体にできるだけ肉迫して、本質的なことを探り出そうというのは、ぼくの質なのであって、もちろん正否の問題ではない。被写体を取り囲む状況も同時に写し込み、主被写体との有機的なつながりを重視したいとの思いが、超広角レンズを使わせる大きな理由となっている。

 満足げに寿司屋を出たぼくはズームレンズ(16-35mm)を16mmに、露出補正は-0.67、ISOは200に固定。操作するのはフォーカス(マニュアル)と絞りのみだから気が楽だ。これでほとんどの場面に咄嗟に反応できる。
 寿司屋から大通りに出るまで、被写体を渉猟した時間は3分間ちょうど。撮影したカットは13枚。ぼくの試みは一応上手くいったと思っている。今回は13枚のうちの5枚を時系列に掲載させていただこう。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/303.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。16mmに固定。

撮影場所:東京都中央区築地。

★「01築地」。
左端の男性に、「横顔でいいから、こちらに顔を向けてよ」と念じたら、思い通りに。「念じる者は救われる」(?)という見本。
絞りf11.0、 1/50秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「02築地」。
真ん中に外国人夫婦を入れて。16mm広角の遠近感を最大限に利用。
絞りf5.6、 1/160秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「03築地」。
二組の夫婦と子供。5者5様の一瞬。
絞りf5.6、 1/200秒、ISO200、露出補正-0.67。
 
★「04築地」。
ガイドブックを手に。
絞りf5.6、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.67。

★「05築地」。
スマホで寿司屋でも探しているのだろうか? どこの国のマフィアであろうか? 16mmでの最接近を挑むも、スマホに夢中である。
絞りf5.6、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)

2016/06/17(金)
第302回:栃木県真岡市(6)
 人間は50歳を超えたら、自分のことより他人のために何かをしようと心得たほうがずっと生きやすいのではないかと思うようになった。なかなか成しにくいことではあるけれど、息苦しくも世知辛く、殺伐とした現世にあって、そのほうが精神的に麗しいことではないかと自分に言い聞かせもしている。
 ぼくに信仰心といえるようなものは何もないのだが、「望まれれば、他人に自分の信ずるところを取り運ぶ」とか、「他人の利に資する」ことを第一に踏まえ、それを信心とすれば、少しは救いがあるようにも思える。分相応の心がけが肝心で、ぼくとしてはかなりの上出来だと思っている。
 他人のためなどといえば聞こえはいいが、とどのつまりそれは自分のためだとも認めている。だからそれは、決して慈善でも奉仕でもなく、ましてやひとかどのことでもなく、ぼく自身の生きるための方便なのであり、ここにぼくの “生きやすさ” を求める楽天性(楽観主義とも)がある。したがって、義人とはいいかねる。

 40歳代に世界各地で起こっている不条理な死に幾度となく直面し、自身も今日まで2度にわたる癌の告知を受け(これは不条理ではないが)、死の際にある人々を多く見てきた。そのようなこともぼくの精神に何某かの影響を与えている。50を超えて、天性の楽天に影が落ち、つまずき始めたのだった。
 話は飛躍するが、青春時代に知った李白(701〜762年。唐時代の詩人)の「生は暗く、死もまた暗い」という詩の一節が、50にして実感あるものとして響き始めたともいえる。

 2003年、55歳に至って、ぼくは前述した「望まれれば、他人に自分の信ずるところを取り運ぶ」ことに従い、長年写真に従事してきたその体験の切れ端のようなものを、プロ・アマに関係なく伝えることにした。とはいえ、どんなに力んだところで、人様に伝えられることは、ものの一端に過ぎないことは重々承知のうえだった。たかが知れている。
 写真倶楽部は強要されてのことではあったものの、ここでぼくの放蕩はますます色を濃くしていった。ここでいう放蕩とは、何ひとつ憚ることのない世界という意味であり、それは写真を撮る際にとても大切な精神的環境である。これなくして、人は現在の自分(写真)から “突き抜ける” ことは困難だ。堂々巡りから抜け出る最良の方法は、硬直を解きほぐすことから始めるのが一番だ.

 どこで話を真岡に持って行こうかとぼくは今右往左往している。硬直して話の取っ掛かりが掴めずにいる。放蕩に(こんな日本語あるのかなぁ? “唐突に”というべきか?)始めてしまおう。

 真岡は人情がとても良いとお話ししたが、ぼくは面白い体験をした。狭い区域を歩き回っているうちに大谷石で作られたという「久保記念観光文化交流館」を覗いてみたくなった。近所にあるはずなのに、どうしても見つからない。地元の人に訊ねるしか方策はなさそうである。
 表通りに面した歩道で犬を連れた、年の頃40手前と覚しきご婦人に「久保記念観光文化交流館はどこにあるのでしょう?」と聞いてみた。ご婦人は間を置き思案中だった。ぼくは「このへんにあるはずなんですが・・・」と続け、彼女の返答をじっと待った。彼女のもじもじした沈黙に、時が止まったような錯覚を覚えた。
 彼女は首を傾げ、誠にか細い声で「すいません。分かりませんで。申し訳ありません」と、何か罪悪感を抱いているかのような声の調子でいった。恥じ入るように、内気というか、控え目というか、最近になくお淑やかそのものだった。
 「そうですか。この近くにあるはずなんですが・・・」と、ぼくも彼女の調子に合わせ、ディミヌエンドしながらいった。ちょっと気まずい空気が流れた。お互い二の句が継げないのだ。この空気の醸成はぼくに責任がある。

 犬を散歩させているのだから、当然地元の人であり、知っていて当たり前だという条件付きでぼくは彼女に期待を込めてその場所を問うた。勝手な期待感が彼女に負担をかけたに違いない。期待通りの反応を相手が示してくれないあの失望感が、ぼくの表情と声に表れたのだろう。可惜(あたら)好機を逃した無念さが彼女に直に伝わってしまったようだった。ぼくは申し訳ない気持で一杯になった。
 と同時に、ひょっとすると彼女は外国人かも知れないという思いが刹那頭をかすめたが、すぐに打ち消した。僅かな言葉のやり取りではあったが、外国人特有の訛りがみられない。言語の発音と抑揚に極めて敏感なぼくは、彼女は日本人であると決めつけた。

 ぼくは彼女に丁重に礼を述べ、表通りに沿って一人歩を進めた。すると50mも行くか行かぬうちに、目的とする建造物の看板が現れた。彼女同様にきわめて控え目な看板だ。ぼくは、目をすった自分が悪いのか、目立たぬ看板が悪いのか、けりをつけてやろうと建物の前に立ちながら責任のなすり合いを始めた。ここは譲れない。数少ない街の観光名所であろう。外貨獲得の場所ではないか。それに相応しい駐車場もちゃんと備わっているではないか。にも関わらず、なんだ、このしみったれた看板は! と威勢づいていると、ぼくの後から申し訳なさそうにやってきた先程のご婦人が離れた所から、「見つかってよかったですね。ここなんですね。とにかくよかった」と無言の霊波を送り、微笑みながら手を振っている。ちゃんと異郷人に別れの挨拶を送ってくれているのだった。ぼくはこの時、彼女本来の愛想を初めて見た。犬も機嫌良さそうに尻尾を振っている。
 今彼女の顔すら覚えていないが、ぼくはもう一度あの人に会いたいと思っている。思慕を巡らすとはこういうことなのだろうか?
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/302.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01謎の店」。
向かいに住む人の話によると、10年以上前に廃業したというが、裏手に回ると商売の痕跡がしっかりある。
絞りf11.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02くじけず」。
かつてシベリアで見た永久凍土に建つ家のよう。平行も垂直も失われながら、健気に立つ。
絞りf11.0、 1/250秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03月の出」。
斜光を浴びる空き家。東の空にうっすらと月が浮かぶ。
絞りf13.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。
 
★「04蔵」。
立派な大谷石造りの蔵だ。東日本大震災にも持ち堪えたようだ。平面撮影にf13まで絞り込んだのは、周辺の解像度をしっかり保つため。
絞りf13.0、 1/40秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「05男写真」。
かつて鉄道少年だったぼくは、このような被写体を見るとやはり惹かれる。ダイナミックなメカが美しい。女性はこういう写真は撮らないんでしょうね?
絞りf13.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2016/06/10(金)
第301回:栃木県真岡市(5)
 前回申し忘れたことを補足事項としてお話ししておきましょう。
 雲ひとつない晴天下の撮影はコントラストが高く、撮影時の技術的なことを塩梅すれば、必ずしも好条件とは言い難いと述べたが、もちろん利点もたくさんある。
 そのひとつをお話ししておくと、時間帯を選べば劇的な光と陰の戯れを愉しむことができるということだ。みなさんすでにご承知のように、朝夕の光は陰が長く、しかも時間を追いながら大きな変化を見せる。特に冬の陰の動きは目視可能なほどだから、写真好きには斜光のおもしろさを十分に堪能できるだろう。夕方、陰が長くなればなるほどコントラストも低くなっていくので、なおさら好都合である。ただし、太陽を背にするとファインダーのなかに自分の影が入ってしまうことがある。な〜に、そんなもん、気にせずにどんどん撮ることだ。昨今流行の、お洒落な自撮りと考えればいい。

 夕陽は太陽が傾き始めるとともに、色温度が低下(黄味・赤味を帯びていく)していく傾向にあるので、情景は温かい雰囲気に包まれる。
 白昼下、へちゃむくれの被写体と思われたものが、夕暮れ時に化粧をし直して現れ出でたるそのお姿に思わずうっとり、などということはままある。夕陽は、何気ない風景を美化してしまう化粧の名人でもあるのだ。
 「♪ 赤い夕陽が校舎を染めて・・・♪ 」という流行歌(はやりうた)もあったくらいだ。好きな歌じゃないけれど。

 得てして、厚化粧というものはまったくの個人的な見解ではあるが、どうもいけない。いや、かなりいけない。だいたいに於いて、美的センスがなさすぎやしないか。女は老若に関わらず、うっすらとした化粧が一番美しい。
 まぁぼくの趣味はこの際どうでもいいのだが、夕陽はしかし、コテコテの厚化粧であるほど、郷愁というか哀愁を帯びた調べを誘うものだ。それはおそらく誰もが、人類のDNAとして備わった「あの夕焼けの原風景」を思い起こすからではないだろうか。沈む夕陽に神秘とロマンを感じるのは、これもやはり老若を問わず、といったところだろう。厚化粧のおばさまたちには、神秘もロマンもあったものではない。
 夕陽の厚化粧は、いってみれば、「悪女の深情け」的なところがあり、それをありがた迷惑などと捉えてはいけない。ぼくの文章はかなりコテコテだと自認しているので、こちらを本物の「悪女の深情け」と呼ぶべきかも知れないが、女の厚化粧よりはよほどましであろう、ってぼくもくどいな!

 ぼくは朝寝坊の質なので、斜光というと夕陽しか頭に浮かばないのだが、慌ただしく移りゆく光と影の競演は同時に物の質感をダイナミックに際立たせる。斜光の当たる角度によって質感が、白昼時よりさらに浮かび上がる。質感描写の大立て役者だ。この現象を感知しながら逃さずに写し取るのもひとつの妙味ではないだろうか。  
 アスファルトの舗装路や板塀、モルタルなどなどを観察していると、その質感がまるで早送りの動画のように変化していく。そこに夕陽(斜光)でしか撮れない写真を撮る面白さ、言い換えれば醍醐味を見ることができる。斜光を上手に捕らえ、利用することによって写真の楽しみを倍加させていただければと思う。

 質感をしっかり写し取れた写真をさらに強調して印象深い写真に仕上げようとする試みは一種の麻薬的作用を作者にもたらすことがある。カラーはカラーの、モノクロはモノクロの味をそれぞれに引き立てられればいいのだが、時として人は情に流され、過剰な期待をかけてしまうことがある。その過剰さは画質の荒れを惹起させ、空手や剣道でいうところの「寸止め」の機会をつい見失ってしまうものだ。「過ぎたるは及ばざるがごとし」だ。かく言うぼくも、知らずうちに何度もそのような轍を踏んできた。
 そこで学んだことは、一先ずは過剰であってもよいということだ。「平穏無事のことなかれ主義」をいつまで踏襲していても、得るものは少なく、なかなか前に進むことができない。冒険の繰り返しこそが、創作の心であり、真髄でもあり、そして要だと今更ながらにぼくは感じ入っている。何事もまず淫してナンボではあるまいか?

 そんなことを自分に言い聞かせ、行きつ戻りつしながら斜光の真岡を仕上げた。商売人としてここに公表する以上は、今の時点ではこれが自分の撮影時に抱いたイメージに最も近寄ったものであり、嘘偽りのないものだとの確信を持っている。
 写真もいささか「悪女の深情け」的ではあるけれど。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/301.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01陰とひび割れ」。
窓に貼った遮光材が長い年月を経て、ひび割れしている。真横から陽が射し、陰が面白く、引き込まれるように1枚いただく。リサイズ画像なので、壁の質感をよく見ていただけないのが残念。

絞りf13.0、 1/250秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02粋な黒塀」。
「辻善兵衛商店」。黒く塗られたナマコ板が斜光により際立つ。建物の金属壁が白く飛ばぬように細心の露出補正を心がけた。

絞りf11.0、 1/320秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03開店時刻」。
陽の沈みかけた時刻、画面左下の陰が生き物のように移動する。店には電気が灯る。

絞りf10.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/06/03(金)
第300回:栃木県真岡市(4)
 とうとういつの間にか300回目を迎えてしまった。記念すべき慶事!? であります。毎回「これでいいのか?」と思いつつ、丸6年間もぼくはへこたれることなく戯れ言ばかりを綴ってきた。自分の思うところに懐疑の目を向けながらも、できるだけ画餅(がべい。絵に描いた餅。役に立たないこと)に帰すことのないよう気を通してきたつもりではあるけれど、無粋の感を免れようと恥なしこと多々である。ぼくの写真体験などたかが知れているが、何より自己顕示が先立っての狼藉・亡状でありました。
 幸か不幸か、今のところ担当諸氏からのお小言もなく、それをいいことに、いつまで続くか分からないが、建て前を捨て、信条に寄り添い正直に書き殴っていきたいとの所存。どうぞ今後とも懲りずにご愛顧のほどを。

 前回まで重い雲の垂れ込める真岡写真を掲載させていただいたが、今回は日を改めて再訪した晴天時の真岡も交えたいと思う。また、「写真よもやま話」に相応しい?写真の技術的なメカニズムについて、記念すべき今回こそ真面目にお伝えしたいと思う。

 読者諸賢は、“雲ひとつない晴天時の写真” つまり俗にいうピーカンは非常に撮りにくいものだということをすでにご存じだと思う。その理由の最たるものは、被写体コントラストが高いからだということも十分に認識されているだろう。コントラストが高いとは即ち濃度域が広いということに他ならない。とても快適な撮影条件とは言い難い。

 人間の目は、1 : 20,000の明暗比を感知できるといわれているが、それにくらべフィルムやデジタル撮像素子の再現可能な明暗比はおよそ1:200に過ぎない。レンズの絞り値でいうとせいぜい7絞り半ほどである。写真は自然界の光の明暗比(おおよそ14絞り強)をギュッと圧縮して、印画紙上に再現しなければならない。当然ここに科学的・物理的な無理が生じ、シャッターを切った瞬間に、カメラは「再現できません!」と音を上げる。
 最も明るいハイライト部を飛ばさずに再現しようとすればシャドウ部は真っ黒に潰れ、反対にシャドウ部を再現しようとすれば、ハイライト部は真っ白に飛んでしまう。つまりコントラストの高い被写体では階調を失ってしまうということだ。
 コントラストが高くなればなるほど、このような不都合な現象に見舞われることとなる。結果、非常に醜く、汚い写真となってしまう。

 さらにここからが重要なポイントなのだが、シャドウ部、ハイライト部の「質感再現」をしっかりしようとするとその限度域は、標準露光値より「-2絞り 〜 +2絞り」の範囲に留まるということだ。ここに非常に厄介な問題が横たわっている。

 例えばファインダー一杯に無地のタオルを標準露光(露出補正ノーマル。18%グレー)で撮影し、露出補正を-2絞り(露出不足)〜 +2絞り(露出過多)の5段階で撮影してみればこの事実を発見できる。これが質感を失わずに済む露光範囲である。-3と+3の露出補正値ではタオルの質感はほとんど再現することができない。

 明暗比の大きな自然光を印画紙の狭い濃度域に十分に再現するためには、アナログではアンセル・アダムスの提唱した「ゾーンシステム」が最も有効な手段となる。「ゾーンシステム」は、シャドウ部を基準に適正露出を決定し、ハイライトの濃度をフィルム現像処理により調整していく。露出と現像調整により過不足なくできあがったネガフィルムを、引き伸ばし機を用い、印画紙上に自在に表現できるという仕組みになっているが、デジタルでは同じようにいかない。

 アナログ人口は昨今非常に限られているので、デジタルに話を戻すと、デジタルでも「ゾーンシステム」に準じた考えを用いて、過不足ない濃度域の再現が可能だ。そのためにはどうしても良い画像ソフトが必須である。
 フィルムはシャドウ部を基準にした露出決定だが、デジタルは逆にハイライト基準の露出決定をすればいい。要約すれば、白飛びを極力避けるような露出補正をして撮影すればいいということだ。シャドウ部が潰れがちになるが、デジタルのシャドウ部は案外潰れにくく、わずかな情報さえ残っていれば、Photoshopのような画像ソフトを使用してシャドウ部を起こすことができる。粘り強いのだ。さらに要約すれば「デジタルは露出アンダー気味に撮れ」とぼくは大胆に申し上げておく。
 この際に心がけておきたいことは、可能な限りISO感度を低めに設定することである。ISO感度を上げれば上げるほどノイズが増え、画像はどんどん劣化する。シャドウ部を起こしたくても、ノイズでザラザラ、どうにもならぬという憂き目に遭う。

 それを避けるために、自分のカメラはどのくらい感度を上げれば嫌なノイズが発生するか、それが耐えられるものかそうでないかをしっかりテストしておくことが肝要。ノイズを軽減するための機能がカメラや画像ソフトに附属しているが、弊害も多くぼくはその使用をお勧めしない。

 晴天時の被写体は思いの外コントラストが高いので、まずハイライト部を白飛びさせぬような露出補正を心がけていただければと切に願う次第。
 掲載写真は上記の掟を破り、意図的にシャドウ部を潰している。もちろん理由あってのことだが、ぼくは現在いち早く「ゾーンシステム」の呪縛から逃れようと、試行錯誤の真っ最中なのだ。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/300.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01晴天下」。
晴天下では当然陰が至る所に出現する。女性の影がぬーっと出現。曇天下では撮れない写真だ。

絞りf10.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02晴天下」。
徘徊した一画の駐車場にへたり込み振り返ったら面白い陰が、やはりぬ〜っと目に入り5分観察の後、シャッターを切る。

絞りf11.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03曇天下」。
湿気を吸いブヨブヨになった畳のような駐車場のアスファルト。もの寂しい佇まいに、エステだかスナックだか、得体の知れぬ建物が。焦点距離16 mmの超広角故、雲が周囲に流れる。

絞りf9.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「04晴天下」。
「03曇天下」と同じ場所だが、これ以上後ろに下がると逆光の太陽が直接レンズに入ってしまうため、ハレーションを起こさぬギリギリの位置で撮る。太陽光の周辺にある雲を飛ばさぬように露出補正をする。建物はかなり露出アンダーとなるが、綺麗に再現できることを見越しての露出補正。

絞りf11.0、 1/250秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2016/05/27(金)
第299回:栃木県真岡市(3)
 「撮影は一人に限る」というのがぼくのいつもながらの持論だ。このことは以前にもどこかで触れたように記憶するが、被写体にじっくり、そしてひたむきに向き合おうとすればするほど、一人のほうがなにかと具合がいい。一人であることの最大の利点は、集中力と緊張感を保てることにある。同行者に気を遣うあまり集中力や緊張感を欠いてしまえば、「被写体を見失う」とか「新たな発見を見過ごす」ことにつながりかねず、延いては写真の “あがり” に大きな影響を与える。何気ない光景のなかから魅力的なものを抽出する能力を殺いでしまったりもする。複数人での撮影は感覚の鈍化をもたらすということである。

 撮影に限らず、旅もまた同様だ。旅に何を求めるかは人それぞれだろうが、そこには人的資質のようなものが大きく関わっているとぼくは考えている。旅の目的を大別すれば、楽しさを求めるのか、自己発見に努めるのかということだ。前者は日常の延長線上にあり、後者は非日常に身を置くという意味でもある。旅は臨機応変に使い分ければいいが、こと撮影に関しては精神の解放がより求められるので、どうしても一人が有利だ。
 精神の解放はとどのつまり、より強い自己管理を要求されるので、そこに自ずと責任を伴う。自己のすべて(感情や意志、行動・行為など)を注意深く管理しなければならなくなる。であれば些細なことも見逃すわけにいかず、それにより強い自己規制が働き、多くの発見をもたらすのだとぼくは信じている。

 ひと月の間に、少ない時は数十枚、多い時は数千枚の写真を見ることをぼくは余儀なくされている。それは楽しみと苦痛の入り混じったおもしろくも困難な作業であるけれど、よい写真を見逃すことなく撮影者に伝え、至らぬものについては注意点を述べる義務があるので、その心労はいかばかりか。しかし、癪なことに誰もぼくの労を知ろうとはしない。思いやりの心得を欠いているのだ。
 とはいいつつも、興味深いことは、見せられたその写真が同行者のあるなしを色濃く語っているということだろう。単独行かそうでないかを、百発百中とまではいかないが、作品がそれらしい匂いを発している。写真とはそれほどに正直で雄弁な表現媒体だから、努々(ゆめゆめ)侮ることなかれである。

 集団での写真は、どこかユルかったり、体重がしっかりかかっていないので、カンナ屑のように浮ついているようにぼくには思えてならない。作品から厳しさが薄れているようにも見える。ほのぼのとした写真やユーモラスな写真であっても、よい写真は作者の厳しい目(被写体への感情・理解・思索による深い共感と感動)がそこにあるからこそのものだ。報道写真でもユルユルに間延びしたものは数多く見られるので、問題は被写体ではなく、あくまで撮影者の目に依拠するところが大きい。
 今、これを書きながらぼくは少々冷や汗をかいている。自分を棚に上げて、思うところを忌憚なく他人に述べるということはとても辛いことだ。物づくりで報酬を得るというのは、写真でも文章でも、世に恥を晒すことだと、ぼくはそのような詭弁を弄さずにはいられない。

 ぼくの真岡撮影を聞いて、ぜひ一緒に行きたいという奇特な人が現れ、再訪することとなった。残念なことは、写真好きの彼女たちはどうもぼくの掲載した真岡写真に惹かれたわけではないらしく、話によるものであるということが判明した。「あたしならもっといい写真を撮る」との自信と気骨溢れる女性たちであるので、ぼくとて彼女たちの写真が楽しみだ。
 同行女史たちの写真的感覚は “ほどよく深化したもの” だとぼくは認めているし、高く評価もしている。名所旧跡、風光明媚な風景にばかり心奪われることなく、普段の生活のなかから自分にとっての美しいもの、大切にしたいものをしっかり見極めているので、ぼくは彼女たちのそのような感覚を育ててやりたいと思っている。真岡詣は彼女たちにとって大変意義深いものであろうと思い、同行を許可した。

 現地に至り、前回ぼくの逍遙した狭い区画をまず案内しようとした。一通りの案内の後解散して、それぞれが気ままに撮影すればいいと思いきや、案内などそっちのけで彼女たちは嬌声を上げながら盛んにシャッターを切り始めたのだった。よほどその光景に波長が合ったとみえる。
 ぼくは不寛容な態度を取り、「後にしなさい。一角を回って解散してからにしなさい」と、気骨ある女たちに負けてはならじと毅然といった。「だって、いいと思った時が撮り時だって、いつもかめさんいうじゃない!」と、真岡くんだりまで来てぼくに反駁してくる。ぼくは途端にしおらしい女(ひと)が恋しくなった。

 ともあれ、口うるさい彼女たちを無事放逐し、ぼくは安らかな気持で一人撮影に取りかかった。前回の曇天とは異なり、雲のほとんどない晴天だった。考え方をがらりと変え、モノクロ赤外線フィルムで撮ったように青空をイメージし、強い斜光と相まってコントラストの強い作画を試みた。
 狭い区画なので意図せず彼女たちとすれ違うことになる。すれ違いざま、「次回は雨がいいわね。雨よ、雨。いいわね! どこかにお団子屋さんないのかしらねぇ」と聞こえよがしにいう骨っ節と食い気一辺倒の女たち。ぼくの腕っ節をもってしても到底敵いそうにない。ぼくは再びしおらしい女が・・・。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/299.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01羅生門」。
羅生門とは偽りで、ここは般若寺山門。なぜか黒澤明監督の『羅生門』に出てくる荒廃した山門を咄嗟にイメージ。幼少時、奈良に遊んだときの古ぼけたイメージがどこかに擦り込まれているのだろう。

絞り11.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02長連寺」。
日本一の弁財天さまが祀られている長連寺。曇り空を飛ばさないように露出補正に気を配る。マイナス補正により黒く潰れた山門はPhotoshopで慎重に描き出す。

絞りf10.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-2.33。

★「03荒町・寿町交差点」。
交差点にあったノスタルジックな建物。アナログの引き伸ばし作業で、レンズの前に黒の紗をかけたようなソフトなイメージに。

絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。
(文:亀山哲郎)

2016/05/20(金)
第298回:栃木県真岡市(2)
 タイムマシーンに乗って過去や未来に身を置くことができたらどんなに興味深く愉快なことだろうと考えるのは、子供ばかりではなく白髪ジジィでも同じだ。そんな夢に、もし異なる点があるとすれば、子供は純粋な夢を希望に代え、そして託し、年配者ほど純粋性を失うが故に、現実を睨みながら夢のなかを浮遊することになる。夢のなかでさえ現実という呪縛から逃れられず、だからどうにも不安定で居心地が悪い。子供ほど夢中になれず、同床異夢というわけだ。
 時として、論理にこだわりながらの夢見心地なので、その夢想にはどうしても邪念がつきまとう。懺悔とか贖罪という邪念を夢のなかに引きずり込んでしまい、畢竟ぼくなど過去に身を置いたら切腹ばかりしなければならない。
 タイムマシーンに乗って、もし過去に戻れたらとか、未来へ行くことができたらとか、子供は生きた時間がまだ少ないので過去を顧みることは少ないだろうが、年配者は敢えて辛い過去に遡ることを厭わないのは、そこで幾ばくかの執り成しを図ろうとするからではないだろうか。少なくともぼくの場合はそうだ。何度も切腹させられるのはたまったものじゃない。

 人類に科学という概念が生じて以来、特に時空遊泳は人間の果てしない願望のひとつといっていい。
 近未来、科学の発展によりそれが可能かどうかは分からないが、願わくは未来永劫に時空移動はSF小説のなかに封印しておいてもらいたい。実現不能のものとして、いつまでも人類の夢として留めておきたいものだ。だがしかし、ぼくは元来科学者の道徳的・倫理的規範というものを信用していない。平たくいえば、歴史を顧みるという知的ロマンを空(うつけ)に奪って欲しくはないのだ。科学が我々の営みにもたらす恩恵はなかなか否定しづらい面もあるが、見境なく我々の精神生活を蝕んでいることに無批判ではいられない。科学と商業主義が結びつくと碌なことにならない。

 真岡では廃墟や寂れたものに目を奪われたが、ぼくは所謂廃墟マニアではなく、必ずしも廃墟を見ればシャッターを切るというわけではない。そこに暮らした人々の息づかい(生の営み)のようなものに共感を覚えれば(これは直感によるしかないのだが)、血が騒ぎ出し、被写体として感情を移入することができる。
 すべての造形物には喜怒哀楽があるが、ぼくは強いて廃墟に「哀」を求めるタイプなのだろう。つまり、廃墟のどこかに哀感が漂っていれば、それを写し取りたいという意欲が湧いてくる。それはおそらく自分の生きてきた過程のなかで、「哀」の記憶が最も印象深く刻まれているからだと思う。廃墟に漂う哀感はもちろん自分の人生に照らし合わせてのもので、それは多様な「哀」の一種を探るという作業に他ならない。廃墟に感じ取った「哀」を自己に転写し、それをさらに受光素子に写し取るということだから、哀感変じて哀婉(あいえん)なるような写真であればいいと思っている。

 久しぶりに地方に出て嬉しかったことは、真岡で出会った人々の人情だった。お喋りというわけではないが、親切で懐こく、しかも礼儀正しい。そして何よりもおらが郷を誇りに思っていることだった。ぼくは旅に出て、国内でも海外でも、カメラを振り回し傍若無人に振る舞うが、にも関わらず幸いなことに不快な思いをした記憶がほとんどない。誰もがぼくより質がいいということなのだろう。
 真岡での2時間は半径200mほどの一角を徘徊したに過ぎないが、ここに暮らす人々との、瞬時ではあったが心温まる触れあいは良き思い出となった。これは特筆すべきことのような気がする。ぼくもこの地で、奇妙ながらも日本人としての誇りを少し取り戻せたような気がしている。こんな発見が旅の御利益というものなのだろう。

 地方都市の衰退が叫ばれて久しいが、車窓から見る市街地は、よくいわれるシャッター街とは趣を異(け)にしている。人影はまばらだが、生活が根付いている印象を受けた。どこかしっとりとして落ち着きがあるのだ。殺伐としたものが見当たらない。市の財政などぼくに知る由もないのだが、どうすればこの羨(ともしい。心惹かれること)しくも人気乏しい街にあれほど立派な駅舎(蒸気機関車を模した)が建てられるのか?
 土地の気風が人を育てるというが、この地の人たちはきっと長い間地に足のついた生活を営んできたに違いないとぼくは察している。安易なタイムマシーンなどに乗らずとも、歴史の持つ魅力は存分に測れるのではないだろうか。切腹の憂き目に遭わずに済むしね。


※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/298.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01スナック街」。
かつて賑わいを見せたであろうスナック街。隣接してまだ10軒ばかりのスナックや飲食店が。

絞りf8.0、 1/60秒、ISO200、露出補正-0.33。

★「02異国の人」。
地方都市のご多分にもれず外国人が通りかかった。ちょっと意外な出会いだった。「こんにちは〜」との挨拶にぼくも機嫌良く返答する。

絞りf9.0、 1/80秒、ISO200、露出補正-0.67。
(文:亀山哲郎)