【マイタウンさいたま】ログイン 【マイタウンさいたま】店舗登録
■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

全372件中  新しい記事から  341〜 350件
先頭へ / 前へ / 25... / 30 / 31 / 32 / 33 / 34 / 35 / 36 / 37 / 38 / 次へ / 最終へ  

2010/12/24(金)
第32回:デジタルのメリット(4)
 プリントの楽しさをお話する前に、順序が前後しないように、デジカメのワンランクアップの活用法について先にお伝えしておきましょう。

5.予想以上に電気を消費するのがデジカメ

 前回お話したように、電気がなければ ”ただの箱” というのがデジカメ。撮りたいものを目の前にして“電池切れ”では、あまりに悲しく惨めです。この悲劇から逃れるためには、ただひたすら事前の準備あるのみ。単三電池使用であれば、充電のできるニッケル水素電池の使用がお薦め。ただニッケル水素電池はメモリー効果というものがあって、十分な放電を行っておかないと、完全な再充電ができないことに注意してください。また、電池というものは使わずしても自然放電をしますから、撮影前日の充電がベストです。最近はメモリー効果が少なく、自然放電の少ないリチウムイオン電池が主流になりつつあります。     
 そして、専用のバッテリーをもう一つ予備として購入しておけば安心です。電池残量を気にしながらの撮影は、精神衛生にも良くありません。                            
 ここで注意すべきことは、電池をカメラにセットする時は必ず電源をオフにしておくという習慣を身につけてください。そのためにカメラが壊れるということはありませんが、自分の意識しないところで、カメラが突然動作を始めてしまうので、事故を起こしかねないからです。

6.メモリーカードをさらに用意しておきましょう

 デジタル写真は撮影した電気的な情報を記録保管しておく、メモリーカードを使います。メモリーカードは様々なタイプがありますが、カメラの機種により使うものが決められていますので、購入の際には自分のカメラにはどのタイプが適するのかを知っておかなければなりません。              
 メモリーカードもバッテリー同様に買い足しておいた方が安心でしょう。メモリーカードは、撮影後パソコンなどに情報を移してしまえば、消去して何度でも繰り返して使うことができるのが、フィルムにない利点です。

7.三脚はおっくうがらずに使いましょう

 デジタル写真が手ぶれを起こしやすいのかどうか、その物理的な根拠を私は知りませんが、フィルムに比べて手ぶれを発見しやすいのは確かです。その大きな理由は、フィルムはせいぜい4x-8xのルーペでピントを確認していたものが、デジタルではカメラやパソコンのモニターで画面を拡大して見ることができますから、その拡大率はルーペの比ではありません。その拡大率による差が、手ぶれの発見を促しているのではなかろうかと思っています。ぼくは、フィルム時代に比べて、手ぶれに神経をより尖らせるようになったことは確かです。
 せっかく軽くて身軽に持ち運べるカメラを買ったのだから、三脚なんていやだという向きには無理強いできませんが、写真をよりシャープにきれいに撮りたい、あるいは夜の雰囲気を壊さずにスローシャッターを切りたいと考えている方には三脚の使用をぜひお薦めします。三脚は重さと強度と価格がほぼ比例するという原則めいたものがありますが、体力に合ったものでいいと思います。レリーズをもっていなければ、あるいは使用できなければ、セルフタイマーを使って撮ってみてください。今までとは違う写真の出来ばえに出会えるかも知れません。
 今は「手ぶれ防止機能」なるものが一般化しつつありますが、はっきり申し上げておきたいのですが、「あれは横着さをカバーするものでは決してない」ということなのです。撮影の基本のできた人は大いにその御利益に与れるのですが、「手ぶれ防止機能」に頼る人?にはほとんど効果がないということです。「ほんの気休め程度」のものだと捉えた方が、慎重さを欠かさずに、結果的には良いのではないかと思います。
 私見ですが、物事すべからく便利になればなる程、文化の質というものが凋落の憂き目に遭うように思えてなりません。

8.デジカメの利点を最大限に使おう

 デジカメの大きな特徴は撮ってすぐに画像を確認できることです。そして、思うように撮れなかったら、気に入るまで何枚でも挑戦できること。それを積極的に活用しない手はありません。                     
 イメージ通りの写真に近づけるための二大機能として、「ホワイトバランス」と「露出補正」があります。フルオートはあくまでもカメラまかせで、必ずしも自分の撮影意図を反映してくれるものではありません。フルオートで撮ってみて、全体の色調や明るさが好みのものでなかったら、ホワイトバランスや露出補正をいろいろと変えてみるのも有効な手段です。  
 例えば、白熱電灯下ではホワイトバランスを ”電球” マークに合わせて撮ってみたら、がらっと感じが変わります。お肌の色合いも変わります。ホワイトバランスを光源に合わせて使うのは、肉眼で見た通りの色調に最も近づける方法でもあります。一方、露出補正は、画面を明るく撮ったり暗く撮ったりという機能です。どのくらいの明るさが適切かというのは、これこそ個人的なものですから、あなた好みで決めるのが一番です。理論的には「適正露出」というものがあるのですが、それは個人の適正とは合致しないものです。

 とうとう今年中に「プリントの楽しみ」に到達できずすいません。今年最後の締めもやっぱりお詫びと反省で終わってしまいました。来年はもう少しうまくやろう?と思います。
 
 では、どうぞ佳いお年を。
(文:亀山 哲郎)

2010/12/17(金)
第31回:デジタルのメリット(3)
 いつでもぼくの話は順序が前後しますが、デジタルのメリットを書き続ける前に、銀塩フィルムとデジタルの画像の出来上がる仕組みについて簡単に述べておきましょう。

 従来のフィルムカメラは、レンズを通った光が、光を感じる化学的な物質(乳剤)を塗布されたフィルムに化学変化を起こさせ、光を記録します。ここまでが、撮影という行為の段階です。
 この段階では、実際にフィルムを見ても人間の目には画像として認識することはできません。暗黒な場所にフィルムを移し、薬品による「現像」という化学反応を加え、初めて人間の目で認識できるようなネガフィルムやポジフィルムが出来上がります。
 この作業を自分ですべて行う人もいますが、一般的には現像所や写真屋さんが行います。これは、モノクロ(白黒)フィルムでもカラーフィルムでも、同様の手続きを経ます。ポジフィルムはスライド写真ですから、フィルムの現像が済めばそのまま見て楽しむことができますが、ネガフィルムは色が反転されているので、そのままでは画像として鑑賞することが出来ません。ネガフィルムはプリントというもう一段階の化学処理を印画紙に加えて初めて画像として見ることができるのです。

 デジタル写真は、当然、今説明をしたフィルムが使われていません。フィルムのかわりに、撮像素子というものが使われています。その光をフィルムのような化学反応ではなく、撮像素子という半導体で電気信号に置き換えるのです。そして、この電気的な信号を増幅処理しメモリーカード(記録メディアとも言います)に書き込みます。得られた電気信号を画像情報にする「画像処理回路」などを働かせるためには当然電力を必要としますから、フィルムカメラよりデジタルカメラは多くの電力を消費するため、バッテリーにより多くの負担を強いることになります。バッテリー電力がなくなれば、デジタルはただの箱に過ぎませんから、バッテリー残量には常に気を配っておかないと、いざという時に役立ってくれません。
 デジタルでもRawデータ(ここでは現像していない撮影済みフィルムと捉えていいでしょう)で撮影するとそのままでは使うことができませんから、それを通常のJPEG や TIF などの画像データに変換する作業を「現像」と言っています。Raw は未現像フィルムと異なり、何度でもやり直しができることは第29回でお話した通りです。
 Rawデータで撮らずJPEG で撮影して、メモリーカードを現像所や写真屋さんに持ち込めば、あっと言う間に(なのでしょ? ぼくは経験がなく聞きかじりなのですが)プリントしてくれるのだそうです。

 では先週の続きを。

4.現像作業の快適さ
 
 銀塩時代の暗室作業は暗く(当然ですが)、また様々な薬品の臭気でうんざりさせられたものです。いくら換気をしても数日間の立てこもりとなってしまうと定着液などから発するガスに頭痛を訴えたり、透明の黄色い結晶状の目ヤニで起床時に目が開かないということもしばしばでした。また、液温の管理などもかなり手のかかる問題で、暗室に飛び込むにはそれ相応の覚悟が必要でした。

 それに比べデジタルの暗室作業はなんと快適なこと! と言っても、フィルム同様に現像作業の手順を踏むことに変わりはありませんが、気楽に取りかかれるという点で、やはりフィルムの比ではありません。
 また、快適な部屋でパソコンを使い画像を補整したり、好みの色調にプリントするという楽しみがあります。画像ソフトを使っての暗室作業は、その精密さや精緻さ、多様さという点において、アナログの比ではありません。
 またデジタルはフィルム代や現像料がかからないので、フィルムより費用が少なくて済むという切実な長所を持っています。ですが、お気に入りの一枚を納得できるまで上質に仕上げようとなると、印画紙代やインク代もばかにならないという面もありますが、それでも、それが達成できた時の喜びはお金には変えられぬ醍醐味と楽しさが味わえます。

 写真というものは、最終段階がプリントだという考えにぼくは固執しています。そこには様々な理由があるのですが、プリントでなくWebですと、ぼくの、もしくはあなたの写真を見る人が100人いるとすれば、100通りのものが現出することになります。つまり、一つの写真がモニターにより見え方がまったく異なるということです。自分の写真を他人のモニターで見て、「これはオレの写真じゃない」という経験を何度もしています。前回添付した写真にしても、ぼくが色調補整したものがあなたのモニターでは伝わらないという可能性だって捨てきれません。
 このような行き違い?はWebでは避けようがなく(避けるためには精密な測光機器を使った厳密なモニターキャリブレーションが必要ですし、色管理のしっかりした画像ソフトも必要です)、したがってプリントが唯一、作者の意思や感情を伝えるものだとぼくは捉えています。

 次回はデジタルプリントの楽しさについてお話しいたしましょう。
(文:亀山 哲郎)

2010/12/10(金)
第30回:デジタルのメリット(2)
 平均的な日本人なら、「未だかつて、シャッターを押したことがない」という片意地な人はまずいないでしょう。それほど、写真を撮るという行為は日常化しています。

 科学の進歩とともに、写真の世界も急激な変化を遂げつつあります。フィルムの時代が長く続き(いわゆるアナログ写真)、昨今ではこのフィルムに取って代わり、デジタルが主流を占めることに戸惑いを覚え、困惑されておられるご年配の方々も多数いらっしゃるのではないでしょうか。携帯電話にさえデジタルカメラが付き、誰もがどこでも、いつでも簡単に写真を撮り、それをコミュニケーションの手段として活用している様を横目で見ながら、引け目を感じておられるご年配の方々、「なに、デジタル恐るに足りず!」です。基本的には従来のカメラと同じと考えてよいのです。ただ、写真はデジタルに限らず、アナログであっても、どうしてもそこに科学が介在しますから、その部分をしっかりと押さえておけばいいのです。

 「その科学の部分がわからないのですよ」とおっしゃる気持ちはよくわかりますが、科学と言ってもぼくたちは技術者ではないのですから、科学という言葉を他に置き換えて、それを小学生の教科書程度の簡単な約束事と捉えてください。そのためにはまず、デジタルやパソコンといったカタカナ言葉に必要以上の生理的なアレルギーを抱かぬ事です。そして、多少の前向きな姿勢があれば誰にでも操作できるものなのです。操作を間違えたくらいでは、カメラは壊れませんから、安心してデジタルの世界を遊んでください。実際にカメラを手にしてみれば、「なーんだ。そんなことだったのか」とおっしゃるに違いありません。そして、デジタル写真の持つ大きな可能性と創造性を存分に楽しんでもらえたらと思います。


1.デジタルカメラでしかできないことはこんな事

 デジタルカメラには、画像を確認する液晶モニターというものがついています。体からカメラを離し、そのモニターを見ながらシャッターを切ることができるのです。モニターは二次元の世界ですから、ファインダーを覗き込んで見る従来の方式より、構図や遠近感などが捉えやすいのです。ここには実は大きな落とし穴もあるのですが、慣れがそれを解消してくれるでしょう。そして、この液晶モニターの持つもう一つの大きな役割は、撮ったばかりの写真をすぐその場で確認できることです。思い通りの写真が撮れなかったら、何度でも撮り直しができることも、デジタルカメラの大きな利点です。ただ、写真屋さんにできあがったフィルムとプリントを取りに行くあのドキドキ感は失われますが・・・。

 ここで注意していただきたいことは、撮った写真をカメラのモニターで見て、それがお気に召さなかった時に、その画像データをカメラから消去してしまう人のなんと多いことか。一枚のメモリーカードには当然枚数制限がありますから、気に入らないものは捨てて、無駄を省きたいとの衝動に人は駆られるようです。ここにとんでもない危険が潜んでいるとも知らずにです。ですから、途中で捨てるようなことはせずにそのまま撮影を続けてください。


2.明るさに応じて一枚一枚の感度を変えることができる

 また、自然界の光は明るかったり暗かったりと、必ずしも写真を撮るに適した明るさばかりだとは限りません。フィルムにはISO感度の異なるものが何種類か使用目的に応じて売られていますが、フィルムをカメラに詰めてしまえば、そのフィルムの枚数は指定された感度で撮らざるを得ません。
 しかし、デジタルカメラは、一枚一枚自由な感度を選ぶことができるのです。暗くて手ぶれを起こしそうであれば、感度設定を変えてその場の光の明るさに合わすといったような使い方ができるのは、とても便利でありがたい機能です。これはデジカメの特筆すべき利点です。

 また、撮影モードも多彩で、花などを画面一杯にアップで写したい時はマクロモード、女性を撮るのならポートレートモードといったふうに、夜景やスポーツ撮影にもそれぞれのシーン別撮影モードが装備されていますから、お手軽にきれいな写真を撮ることができます。また、ビデオカメラのように動画を撮るための動画モードもほとんどのカメラに搭載されています。


3.色かぶりを起こさない

 デジタルがまったく色かぶりを起こさないかというと決してそんなことはないのですが、フィルムに比べればその調整の煩雑さは比ではありません。このことは、第27回「デジタルの恩恵に泣く」で少しばかり触れました。

 作例01は軽井沢万平ホテルのダイニングルームです。光源はタングステンのみで、その温かさを残しながら色かぶりを抑え補正しています。フィルターは使用していません。

 参照画像 01 → http://www.amatias.com/bbs/30/30.html

 フィルムカメラでは、例えば蛍光灯下で撮影すると緑がかぶってきたり、電球下だと赤がかぶってきたりと、目で見たような色がなかなか再現できません。この現象は、太陽光下できれいに写るように設定されたフィルム(デーライト用)に、光源の色温度が合わないために起こります。デジタルカメラでは、カメラが自動的にこの色かぶり調整をしてくれます。フィルムではやっかいな蛍光灯下でも、デジタルではとても綺麗に写すことができるのです。これはホワイトバランス(白を色かぶりなく白く表現する)をカメラが大雑把とは言え自動的に取ってくれるからです。

 今回はここまでですが、次号からもまだまだ尽きぬデジタルの利点についてお話していきましょう。

(文:亀山 哲郎)

2010/12/03(金)
第29回:デジタルのメリット ( 1 )
 すでに何度か申し上げたことの繰り返しで恐縮なのですが、ぼく自身は写真に関して、デジタルでもアナログ(フィルム)でも、どちらでもいいと考えています。美の創造は使用機材・器具・道具などに支配されたり、左右されたりするものではないと信じているからです。要は使いこなしにあると第26回「ある日の出来事」で述べたばかりです。
 しかし、何事においてもメリットとデメリット(長所と短所)は常に表裏一体で共存しているものです。片方だけを取り上げてその長所を並び立てることはある意味で公平さを欠きますが、時代とともに新しい方式が開発され、便利さを増し、世の多くの人々に受け入れられるのも、科学の進歩という意味で、否定できぬものがあります。
 また、デジタルとかアナログに限らず、「作品というものは時代とともにあるものだ」というのもぼくの持論なのです。

 そのような観点に立ち、ここではアナログの長所はひとまず置いておいて、新参者であるデジタルの長所について思いつくままに(ここがぼくの駄目なところで、系統だった話し方ができないという短所には、お目こぼしを願います。短所があれば長所もあるのだとおおらかな気持ちで受け取ってください)述べてみたいと思います。

1.「ホワイトバランスをとる」
 第27回「デジタルの恩恵に泣く」でお話したように、フィルムに比べ自然光下〜〜たとえば太陽、タングステン、蛍光灯、ストロボなどの様々な光源などなど〜〜での撮影にデジタルは神経質にならずに済むということです。特に撮影時にRawデータ(Rawは英語の「生」という意味)で撮影しておけば、どのような光源下の被写体であっても、パソコン上で使用する現像ソフトなどで、その色温度を自在に操り、色かぶりを取り除き、自分のイメージに添った調整を連続可変のスライドバーを動かすことで一瞬にしてできてしまいます。
 この作業を、「ホワイトバランスをとる」と称します。つまり、白い物を白く表現するという意味です。Rawデータであれば、画質を劣化させることなく、この作業が何度でも、気に入るまで、繰り返し繰り返しできるのです。

 参照の画像は両方ともデジタルですが、光源はタングステンの写真電球です。電球の色温度は105v近辺を使い3200ケルビンに調整してあります。この条件下、疑似Daylight用フィルムで撮ったもの「(1)タングステン補正前」と、色温度を合わせたもの「(2)色温度調整後」を比べて見てください。
 厳密には両方ともフィルムで撮ったものではありませんが、ここではその違いを感じていただくことが主眼ですので、他の煩雑なことには触れません。
 ただ、ネガカラーフィルムで撮ったものも実際には色温度が合わず、また色かぶりをしているのですが、 DPE屋さんなどの現像機でコンピューターによる処理が施され、自動補正されたプリントを渡されるので、普通、気がつきにくいだけのことなのです。

 ※参照画像(1)と(2)→ http://www.amatias.com/bbs/30/29.html

 2. 「物の形を自在に変えられる」
 これにはいろいろな意味合いがあるのですが、ここでは広角レンズを使用した際に、特に強調されがちな歪みを修正しています。
 フィルムカメラでは、大型カメラを使い、蛇腹のアオリ操作を行うことで物の形を整え、垂直を出すことが可能ですし、35mmカメラでもシフトレンズというものがありますが、大型カメラほどにはいかず、限界があります。
 ましてやこの写真は焦点距離16mm(35mm換算)という超広角レンズを使用していますので、その歪みはかなり強調されています。これ以上後ろに下がれず建物の全貌を写し取るには、このような超広角レンズを使わざるを得なかったのです。
    
 レンズの特性上、広角になればなるほど、画面の両端に行くにしたがって垂直が保てなくなります。もちろん、広角レンズでもカメラの受光面を垂直に保てば、垂直な線を垂直に描写できますが(魚眼レンズを除く)、それでは空が入りませんから、カメラを上に振ることにより受光面が垂直を保てず、ご覧のような描写になります。

 ※参照画像(3)と(4)→ http://www.amatias.com/bbs/30/29.html#a

 何の補正も加えていないのが「(3)補正前」です。建物がゆがみ、遠近感も強調されています。それを補正したものが「(4)補正済み」で、できるだけ広角の歪みを押さえ、ついでに玄関などの暗部を描出し、ホテルの看板も肉眼で見えるのと同様なくらいに、浮き出るようにしてあります。これは「加工」ではなく「補正」です。

 このような広角レンズによる歪みを取ることの善し悪しはまた別問題ですが、極端な例をあげ、デジタルで簡単にできる補正を2例だけ示しました。建物の垂直が常に出ていないといけないという約束事などありませんし(コマーシャルの建築写真にはそれを要求されることがしばしばありますが)、レンズの特性を逆手に取り、肉眼で見るのとは異なる世界を表すことができるのも写真表現の面白さです。

 大型フィルムカメラを使えばこのような写真を撮るのに三脚を構えてから30分はかかるのに、デジタルではたった10秒で撮れてしまいます。何事にも「急ぎすぎる」現代にデジタルは則しているのかも知れません。

 今日は初回でしたので、デジタルのちょっと極端な使用結果をご覧いただきましたが、次回からは箇条書きで済むようなことも含めてお話しいたしましょう。
(文:亀山 哲郎)

2010/11/26(金)
第28回:がんばれ、男衆!
 前回「デジタルの恩恵に泣く」の一部を述べましたので、今回はその2として、“デジタルとはなんぞや”ということに触れてみたいと思います。それは相当な範囲に話を広げかねませんので、小分けしながら(小出しではない)述べていきたいと考えています。
 ただし、その前にお断りしておきたいことは、ぼくは、一カメラマンであって、学者や学究の徒ではなく、したがって、デジタルの科学的な解析や、あるいは学術的な解説には疎いのだということをご理解ください。手早く言うと、「その方面にはあまり鋭く突っ込まないで」と懇願しているわけです。

 大型量販店のカメラ売り場などでよく見かける光景は、ご年配の方がなにか人生の重大な悩み事を隠すように、ちょっと眉間にシワを寄せながら、後ろ手に組み、じっと佇んでいるとういう姿です。察するに、「どのカメラを購入しようか?」という以前の問題が、かなりの重大事として横臥しているように思えてなりません。それは「私にはデジタルは無縁なのだが」とご自分に言い聞かせながらも、反面、長年写真に親しんできて、新しいものに抵抗感がないわけではないが、どうも気になって仕方がないので、カメラ売り場を徘徊せずにはいられないという喜歌劇というか悲歌というか哀歌を奏でているようにもお見受けできるのです。眩惑し逡巡しながら、多岐亡羊の感ありというところでしょうか。

 彼らは決して保守派の論客ではないのですから、誰かがポンと背中を押してあげさえすればいいのです。それで意外とすんなりデジタルに移行できることがままあるように思います。確固たる保守派(取りあえずフィルム派としておきましょう)は、今迷いのない人生を送っておられ、眉間にシワなど寄せずに、背筋をピンと伸ばし、かくしゃくたる姿でフィルムカメラ売り場に直行。顔貌も姿勢も異なり、それは一目瞭然で、何事も順風満帆と言ったところでしょうか。

 迷い派は、「デジタル=パソコン=むずかしい=手に負えない」という手順をまず勝手に踏んでしまうようです。「デジタルだと、パソコンを覚えないとならんでしょう」というのがお決まりの科白で、自己暗示をかけようと盛んにぐずっているのです。ぼくの周りの年配職業カメラマンでさえ、「デジタルになってカメラマンを辞めました」という気の毒というか潔いというか、そのような人たちが何人もいますし、またそういった類の話には事欠きません。世の中、猫も杓子も(失礼!)デジタルなのに、そのような話を聞くと、「なぜ、ご同輩!」という気持ちに駆られてしまうのです。

 翻って、ぼくのような“新しいもの好きのおっちょこちょい”でさえも、総じて女衆の方がずっと我々男衆からみると、柔軟かつ進歩的で、新しいものには対応力があるようです。辛抱強く、また大胆不敵で活殺自在、なんていうと叱られるちゃうかな? なかなか手強いですね。

 「女性はメカに弱い」なんて言いますが、若い頃のぼくは、「そうじゃないよ、ただ依頼心が強いだけだ」なんてことを言って憚らなかった。きっと強がっていたんでしょうね。ですが、昨今女性写真愛好家を間近に眺めていると、その考えを修正せざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。
 男は物事を理論的に考えようとする傾向があり、また女は感覚的に捉えようとする傾向があることは否めませんが、しかし、こと写真に関する限り女性であることの方が、利点が多いのではないかと考え始めています。男は確かに肉体的に有利であるがために、重いカメラバックや三脚を担いだりすることはできますが、だからと言って、それが良い写真に直結するわけではありません。そこのところが、実はここだけの話、悔しくて夜もおちおち眠れないのです。男とは妙な性を抱えているものです。

 で、話は戻りますが、女性は依頼心が強い(ま〜だこだわっている)が故に、素直にぼくの言葉に従ってくれます。この件に関してだけは、ぼくを信用しているようで、したがって上達が早いのです。これは決してぼくがエライのではなく、彼女たちがエライのです。これが真相であるだけに、なおさら悔しいわけです。
 女衆は、「今はデジタルの時代なんだから、デジタルで撮るしかないでしょう! カメラもデジタルカメラに決まってます!」とまぁ、男らしく、そういう啖呵を切ってくるんですね。

 それに比べると男はどこか女々しいですね。ぼくも含めてなんですが、過去のことを掘り返し、引きずり、「昔はよかったね」なんて慰め合っているんだから、行く先が案じられる。意味のない“こだわり”や“美意識”にしがみつき、ついては素直になれず、なかなか上達もままならない。悔しさ紛れにカメラやレンズにウンチクを傾けようと躍起になっちゃう。挙げ句、「女はメカ音痴だからなぁ」なんて捨て科白を残しながら・・・。

 どこからどうやってご年配男衆の背中をポンと押そうかと、思案しながら書いていたら、余計なことばかり書いてしまって、こんな字数になってしまいました。

 次回は押します!
(文:亀山 哲郎)

2010/11/19(金)
第27回:デジタルの恩恵に泣く
 先日、撮影と遊びを兼ねてぼくの主催する写真集団とともに一泊二日で軽井沢へ行ってきました。言ってみれば、軽井沢強化合宿というところです。紅葉はちょうど1週間ほど前に盛りを終えていましたが、まだまだその残滓も多く、また道には落ち葉が敷かれ、カラ松の香りに包まれて、その風情を堪能してきました。
 紅葉目的の撮影ではありませんでしたが、盛りを過ぎてもやはり紅葉というものは撮影意欲をそそるものらしいですね。“らしい”と言うのは、ぼくはいわゆる風光明媚なものに敢えてレンズを向けようとするタイプの写真屋ではないからです。「ああ、きれいだなぁ」と感嘆しつつも、肉眼で鑑賞するだけで美に対する欲求が満たされるのでしょう。そういう言い訳をしながら素通りしてしまうのが常です。「誰か撮っておいて!」なんてね。非常に横着と言えば横着なのでしょう。

 もともと、ゴミや薄汚れた看板、そこに漂う人間のたたずまい、そして人物スナップを通して、いかに自分の思想や姿をそこに投影させ、美しく表現するか、ということに固執し、血道を上げるタイプの写真屋ですから、コマーシャル・カメラマンでありながらも自分のエゴに気を奪われてしまうのです。無論、仕事の撮影ではそうはいきませんけれど、いつの間にかその反動みたいなものが身についてしまったのかも知れません。

 昨年、創業115周年を迎えた軽井沢の老舗ホテルで、ぼくは10年近く仕事をさせてもらいました。料理や施設をはじめとする紹介パンフレットやクリスマスなどのイベントのための撮影ですが、今風のコンクリート+蛍光灯のホテルではないために、そのライティングには特に気を遣ったものです。
 黒光りをした木造建築にタングステン光が使われていますから、その温かく重厚な雰囲気をフィルムに定着させないといけない。当時まだデジタルはなく、フィルムですからそのまま撮ってしまうと、喩えタングステン用フィルム(3200ケルビンを基準としたフィルム。ケルビンとは色温度の単位)を使ってもなかなか色温度が合わず、思うような発色を得られませんでした。とても一筋縄ではいかないわけです。もちろん、フィルムは印刷用途ですから、ポジフィルム(スライドフィルム)です。色温度に非常に敏感に反応します。ぼくはコマーシャル・カメラマンですから、仕事の99%がポジフィルムでした。

 大型カメラの4 x 5インチか8 x 10インチフィルムで撮るわけですから、どうしても自然光では弱すぎて(露出時間がかかり過ぎる)、スタジオ用の強力なストロボが必要になってきます。
 ストロボ光は太陽光に近い色温度(5500ケルビンが基準ですが実際には6000ケルビン前後)で、しかも室内の自然光はタングステンですから(つまりミックス光)、どのようにフィルター調整をして、しかもストロボ光とタングステン光の割合をどうするか、そしてストロボにはどんなゼラチンフィルタをかけるか、その複雑極まる計算などぼくの粗末な脳みそではとても消化できるものではありませんでした。色温度計は一応の目安にはなりますが、それを信じてしまうと後で泣くことになります。「信ずる者は救われない」のです。

 大型カメラですから、絞り値がf 45 とかf 64を使うことになり、当然露光時間も何十秒〜何分という単位でかかります。フィルムというものは相反則不軌というやっかいな問題を抱えており、露出通り(計算通り)にフィルムが反応(感光)してくれません。そういう問題を抱えての撮影でした。

 回を重ねていくうちに、あがったポジフィルムをクライアントに見せながら、心うち、「今度はどうやって、クライアントを洗脳(はっきり“誤魔化す”と言いなさい!)するか?」という知恵を身につけていきました。
 「いいねぇ〜、うまくいったねぇ〜、最高じゃ〜ん!」なんて、心にもない言葉が次から次へと出てくるようになってしまったのです。つまりぼくは堕落し、落ちぶれていったのです。ぼくはそんな人間じゃなかったはずなんだがと、後ろめたさだけが心にこびりついたものです。

 老舗ホテルの雰囲気満点のダイニングルームで夕食を終えた我々は、お客の引けた後、実技指導夜の部としてこの場をお借りすることにしました。もちろん自然光はタングステン光源です。この場の雰囲気を逃さずにどう撮影するか、という技術的な指導です。

 まず三脚にカメラを据え、レリーズをつける。全員がデジタルカメラです。ぼくは、「ん? あれっ! フィルタって要らないんだよね」ってことに気づいたのです。厳密に言えばデジタルでもフィルタが必要な場合もありますが、デジタルのメリットを十分に活かそうと試みる方がずっと賢明というものです。

 ほとんど指導することもないのですが、基本的なことだけを指示しました。「ISO 100。f 8〜11。ピントはここに合わせる。露出はまずノーマルで。ヒストグラムを見ればOK! それでやってごらん」。あまりのあっけなさに、ぼくは自分の存在意義を失って、しばし狼狽しながら、言葉が出ませんでした。

 レンズはAPS-C用の10〜22mmズーム故、ピントの合わせ場所さえ間違えなければf 8〜11まで絞り込まずに済むのですが、周辺の解像度が甘くなったり、流れたり、その他の収差をできるだけ防ぐための絞り値です。それはぼくの所有するレンズではありませんので、実際のところどのくらいまで絞れば収差が防げるのかは使用している人にしか分かりようがありませんが、多分、所有者も把握していないだろうと思われます。

 モニタで撮影した写真をのぞき込んでいた写真学校生の可愛い娘が言うに、シャンデリアが白く飛んでしまっているのが気に入らないというので、「では−2絞り補正で撮ってごらん」というと、食欲を満たされた彼女は非常に素直にぼくの言うことを聞きました。ノーマルで撮った部屋と−2補正で撮った照明を後でPhotoshopを使い、合わせるのだそうです。ぼくもそのような操作をすることはありますがしかし、なんてデジタルってやつは、安易なことか(この場合良い意味で)。文明の利器って言うんですかね。

 ぼくはフィルム時代の修行僧のような難行苦行を、このお嬢さんには語らないことにしたのです。
(文:亀山 哲郎)

2010/11/12(金)
第26回:ある日の出来事
 先日、友人2人がやってきました。旧来からの友人で、アマチュアではありますがかなりの写真好き。一人は48歳で写真歴13年、もう一人は55歳で写真歴16年になるそうです。
 曰く「かめやまさん、やっぱりデジは銀塩に敵わないね。同じ場所でほとんど同条件で撮り比べてみたんだけれど、そのプリント持って行くのでちょっと見てくれる?」と言うので、ぼくも大いに興味をそそられました。

 ぼくの部屋の照明を9灯の色評価用蛍光灯に切り替え(ぼくは蛍光灯の光が嫌いなので普段の照明はタングステン光です)、早速見せてもらいました。フィルムの方はポジフィルム(スライドフィルム)で撮り、プロラボでいろいろ注文をつけてのダイレクトプリント。デジは2200万画素クラスの一眼レフでインクジェットプリンタによる出力です。フィルム、デジとも共通する部分はレンズのみという条件です。もちろん三脚使用とのこと。

 「これなんだけれどさぁ」と得意気にプリントを机の上に広げて見せてくれて、刹那ぼくは苦笑せざるを得ませんでした。ぼくも得意気に、「あのさぁ、これって比較以前の問題だよ。まず言えることは、確かにこれを見る限り、解像感以外では圧倒的にフィルムで撮った方が勝っているかのように見える。そして、デジのインクジェットプリントは、圧倒的に画像処理ーーつまり画像ソフトAdobe Photoshopによる暗室処理ーーの未熟さとプリント技術の不全さが見られ、したがって、まったく公平さを欠いた非科学的な比較だと言わざるを得ない。なんの参考にもならないよ!」と断言しました。

 ぼくは9歳の時に初めてカメラを買ってもらいましたから、フィルム歴は約45年、デジタルカメラ歴はたった10年程です。心情的には、ですからフィルムに肩入れしたいのですが、この連載のはじめの頃に申し上げましたように、「どちらでもいいよ」というのがぼくの基本的なスタンスなのです。大切なことはどちらが優れているかなどということではなく、良い写真を撮ることに頓着し、血道を上げることだと信じています。また、フィルムかデジか感覚的に向き不向きということもありましょうし、被写体によってはどちらがより向いているかということは、あるかも知れません。これは個人の考えに委ねてもいい問題だと思います。

 余談となりますが、ご年配の方ほどデジタルを敬遠される傾向があるように思いますが、いずれ「デジタル、恐るに足らず」という講義を設けるつもりでおります。

 閑話休題。
 ただ、公平さを欠いた非科学的な論調や比較ーーこの類の流布をぼくは「都市伝説」と称しましたーーには我慢ならないらしく、目をつり上げながらも、それを相手に悟られぬよう慎重に言葉を選び、冷静さを装いつつ、淑やかに自分の意見を押し通すという性癖もあるらしいのです。

 旧来からの友人ですから、ぼくもそのような斟酌には及ばず、「自分たちのデジタル処理の未熟さと甘さを棚に上げて、まったくいい気なもんだ。それを悪い意味で“天上天下唯我独尊”とかさ、“無知蒙昧”とか“知らぬが仏”って言うんだよ」と、ぼくは鼻の穴をふくらませながら言いたい放題。

 「この写真のRawデータをぼくなりにPhotoshopを使って、まずきちっとしたバランスに整えるから。その後、『ここはこのようにして欲しい』と注文してよ」と、当人と一緒にモニタを睨みながら30分程を費やしデータを作成しました。
 そしてプリント作業の開始。印画紙は前回ご紹介したキャンソン社の光沢印画紙“バライタ・フォトグラフィック”です。サイズはフィルムで撮った印画紙とほぼ同様にするためA3ノビ(ああ、もったいない!)。プリンタのICCプロファイルは自作したものです。
 プリンタがジコジコと音を立てながら作業を開始し、友人たちは興味津々。やがて少しずつ印画紙がその姿を現し、半分程が見え始めたところで、2人は、「ん?」という言葉を呟いたきり。そして完全に印画紙がトレイに出てくるまでほとんど失語症に襲われたかのように沈黙があたりを支配し、やがてため息に変わりました。

 二人は異口同音に「デジの出力の方がずっといいし、自分の求めるイメージにより近い」と感心しきり。何を以てして“いい”と言うのかが不明ですが・・・。

 ぼくは、「でもこれが公平な比較かと言えば、決してそうだとは言えないと思うよ。もともと土俵が違うんだよ。横綱とボクサーの世界チャンピオンとどちらが強いかという喩えはちょっと乱暴に過ぎるけれど、それを比べるようなものじゃないかな。いくらプロラボで注文つけても、やはり自分でPhotoshopを駆使し、その精密な操作は、アナログで言うところの“覆い焼き”や“焼き込み”、コントラスト、色調の調整などなど、できないもんね。そのような精密な調整はデジの独壇場だから、それがまぁ、デジのメリットでもあるのだけれど。結果としての優劣ではなくて、どちらが好みに合っているかという風に考えた方が健全だと思うよ。どちらも長所を十分に活かし切ってこそ、どちらが好きだとか、そうでないとか言えるんじゃない」と、一見すると非常にまっとうな答えだと思うんですが。でも、本心ですよ。誰にでもそう言っていますから。

 でもやはり、ぼくは自分の意見を押し通しているんでしょうかねぇ?
(文:亀山 哲郎)

2010/11/05(金)
第25回:補足としての印画紙とプリンタについて
 第5回と6回で述べたことについて、何人かの方々からご質問を受けましたのでそれについて補足しておきましょう。

 ご質問の要点は以下の部分です。
 『「デジタル印画紙は銀塩印画紙の黒の濃度に及ばない」とお嘆きの方々、どうぞご安心あれとぼくは申し上げます。無論、このような再現性を得るためには、然るべき印画紙と然るべきプリンタ、そして科学的な約束事をしっかり守ってこそ、という条件付きです。あらゆる点で銀塩印画紙を凌ぐ素晴らしい再現性を約束できるでしょう!』
 という部分について、具体的な印画紙名、プリンタの機種を知りたいとのことでした。そう思っている方は質問者の他にもおられるに違いないと思いますので、ぼくの義務としてこの場をお借りしてお伝えしておきましょう。

 ぼくが敢えてメーカー名を伏せたのは、それはほとんどの方が使われていないもの、言い換えれば普及品ではないというところに引っかかりを覚えたからでした。時によっては、「それらを使わなければ銀塩プリントのような黒の締まり(濃度)を得られないのか。そしてまた、優れたプリントは望めないのか」と短絡的に考えてしまう人もいらっしゃるかも知れないと感じたからです。機械やソフトは使いこなしが一番で、その限界を感じたら上を目指して次の段階に移るというのが一般的なひとつの方法論です。

 ぼくが具体的な製品名をあげなかったもうひとつの理由は、デジタルとアナログのプリントに於ける差異についての考え方をお伝えすることがまず第一番のことと考えたからでもあります。

 本音を言えば(いつも本音で言っているつもりですが)、本当に良いものを紹介することは、この世界で飯を食わせていただいている者にとって、義務だと考えています。口幅ったい言い方ですが、プロとして得たものを社会にちゃんと還元してこそ、プロのプロたる所以ではなかろうかとも思っています。

 第5回で述べた「フランスC社」とは450年の歴史を誇るフランスの製紙会社で、Canson(キャンソン)という名称です。キャンソン社が新たに開発したInfinityシリーズの印画紙は、ぼくのテストした世界各国の印画紙で、光沢・無光沢に関わらず最良の結果を得ることができました。キャンソン印画紙の日本総代理店はマルマン株式会社です。
詳しくは以下をご参照下さい。
http://www.canson-infinity.com/jp/index.asp

 最良の結果とは、客観的に言えばその物理特性ですしーーマキシマム・ブラックからマキシマム・ホワイトまでを21段階に刻んだグレーパッチをプリントし、その数値を精密な分光測光器で計ったもの。同時に色の捻れもわかりますーー、主観的な部分では印画紙の面質や手触り感、風合いや全体から受ける品位と言ったところでしょうか。
 そして、さらに素晴らしいことはその保存性にあります。しばらく印画紙を空気に晒しておくと黄ばんでしまったという経験は誰しもがおありだと思います。

 2ヶ月間、今夏の猛暑のなか、冷房を入れてない部屋で、空気に晒したままにしておいたキャンソンの光沢印画紙Baryta Photographique (通称バライタ・フォトグラフィック)とPlatine Fibre Rag (通称プラチナ)の2種を実験して、黄ばみがまったく見られないということに瞠目しました。Canson Infinity シリーズは、美術館などが要求する紙の長期保存の国際基準ISO9706を満たしていると、同社の解説に書かれていますが、その伝でも常識的な保存方法であれば安心できるものではないでしょうか。この安心感は何ものにも代え難い魅力だとぼくは感じています。

 キャンソン本社からダウンロードできるICCプロファイルは(純正プロファイル)、自家製のICCプロファイルと比べてなんら遜色のないもので、安心して使えるよくできたプロファイルです。

 プリンタはエプソンのA2サイズのプリントができるPX-6500 (現在はモデルチェンジし、PX-6550)です。普及タイプでは、A3ノビまでプリントできるPX-5500(現在はPX-5600 )でともに6500と同様の良い結果を得ています。
 どれも顔料インクですが、上記のプリンタを使用しての結果です。

 簡単に、使用したものについて列挙すれば、次の話に移れたのですが、ある程度詳細なご報告が必要と感じ、この話に終始してしまいましたこと、申し訳ありません。

 最後に一言。ぼくはメーカーの回し者ではありません。本当に優れたものを詳しく紹介したかったのです。
(文:亀山 哲郎)

2010/10/29(金)
第24回:風景を撮る(12)
 夏の猛暑も嘘のようにかき消え、いきなり中秋を端折って、晩秋がやってきたような気温です。澄み渡る爽やかな秋晴れも少なく、最近は秋の長雨という感ありですね。
 昨日やっと晴天に恵まれ、偏光フィルタ(PLフィルタ)を使った作例を作ることができましたので、まずご覧下さい。また言い訳をせずに済んだことにほっとしています。

 ※こちらをご参照下さい → http://www.amatias.com/bbs/30/24.html

 撮影の時間差は約20秒です。01は偏光フィルタなし。02は偏光フィルタを中くらいの強さにして、空のグラデーションが滑らかになるように操作しています。
 言うまでもなく、公平を期すために一切の補正をしていません。言わば撮りっぱなしの画像です。Rawデータを、DxO社(フランス)の現像ソフトで処理しています。
 偏光フィルタは、2枚のフィルタを重ねて作られており、1枚を回転させながらその効果を調整できるようになっています。レンズ径に合ったフィルタを装着し、ファインダー(もしくはカメラモニタ)を覗き、回転させながらその効果を確認し、お気に入りのところでシャッターを切ればいいのです。

 往々にしてその効果を最大限に発揮させ、利用したいとの思いは、心情的に余りあるくらい理解できますが、何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですから、ここが偏光フィルタを使う勘所です。良識と見識の問われる?ところです。

 01と02は、顕著な違いが見られます。偏光フィルタを使用したものは、全体にコントラストが上がり(高くなる)、空と雲が立体的に描かれています。空と雲ばかりでなく遠くの樹木や他の部分も色やトーンの分離が良くなり、全体のイメージがずいぶんと異なっています。
 偏光フィルタにより空が暗く表現されるので、露出計はそれを感知し、露出値が上がっていますから、地面や樹木が01より明るくなるという相乗効果を生んでいることにも注目してください。

 偏光フィルタはこのような使い方だけではなく、水面のテカリを抑えたり(つまり、水中のものがはっきり見える)、ガラスの反射を抑える効果もあります。例えばショーウィンドウの中にあるものを撮ろうとした時など、光の方向性によっては絶大な効果を発揮します。まるでガラスがないかのようにくっきり撮ることができるのです。

 ぼくはフィルム時代の海外ロケで、一時、スナップ用に偏光フィルタをつけっぱなしということがありました。作例03は20年以上前のものですから、もちろんオリジナルはフィルムで、それをデジタル化しています。中世の屋根瓦のテカリがなくなるまで偏光フィルタを調整し、瓦の色彩を明瞭にしています。そして、空の明度を極端に落としたことにより、その印象を強めています。スポット露出計で中央の白壁を測り、その露出値より2絞りオーバーに(明るく)撮っています。しかし、白壁重点の露出ですので、空の表現は偏光フィルタを使用せずとも、アンダーに表現されますが、偏光フィルタを使用してさらに明度を落としました。偏光フィルタを使用しなければ、このようなイメージには撮れなかったでしょう。

 現在はデジタル全盛ですから、偏光フィルタを使わずに、ではPhotoshopのような画像ソフトを使ってこのような表現ができるかと言えば、できます。
 がしかし、このようにするには極端な補正をせざるを得ず、かなり画質の劣化を招いてしまいますから、厳に慎むべき事だというのがぼくの意見です。
第一、屋根瓦の一枚一枚を抽出してテカリを抑える(白に飛んでしまったものは補
正のしようがなく、他からコピーせざるを得ません)なんてことは、気の遠くなる作業で、それをする商売人でない限り、大伸ばしをすれば不自然さを免れず、ただ徒労に終わるだけです。
 それを思うだけでも、偏光フィルタの効用は絶大なものがあるのだと知ってください。デジタル写真に於けるフィルタで、最も代用の利きにくいフィルタが偏光フィルタなのです。

 ある時、ぼくの生徒さんに「偏光フィルタというのは経年変化をするものだから、永久的なものでなく、時間が経つにつれ効果が薄まるのだよ。フィルタの保存状態により一概に何年とは言えないけれどね」と言ったことがあります。その生徒さんはこう言いました。「では、何枚撮れば効かなくなるんですか?」と。ぼくは腹をひくつかせ、「あのね、何枚撮ったかフィルタに記録されるもんじゃないでしょ。1年に1枚だろうが1万枚だろうが、同じなの!
経年変化と使用回数っていう言葉の意味の違いをよ〜く考えなさい」って。こういう科学的でない思考回路の人が写真専門誌で、優秀賞なんかバンバン取っちゃってるんだから、写真って何なんですかね〜。おもしろいですね。でも、これは世間で言うところの才能ではありません。第3回で述べたように「才能とは努力する能力」のことだとぼくは解釈しています。それをこの生徒さんは励行しているに過ぎないのです。
(文:亀山 哲郎)

2010/10/22(金)
第23回:風景を撮る(11)
 「風景を撮る」というテーマにも関わらず、そのことにあまり触れていないじゃないか、とお考えの諸兄もおられるであろうことと思います。ある意味、ごもっともなことなのですが、ここまで述べてきたことは風景にとどまらず、どの分野にも共通することであり、風景写真に特化したものでないことは確かです。

 知識や技術だけで写真は撮れませんが、写真に限らず、何事も道理に適った知識と基礎・基本あってのこと、というのがぼくの考え方です。やみくもにたくさん撮ることが必ずしも無駄であるとも思いませんが、しかし、しなくてもいい無駄とすべき無駄があることをぼくの経験則に照らし合わせて、お話ししているつもりです。しなくてよい無駄を重ねていると上達もままならず、悩みばかりが多くなったり、また「写真ってこんなものか」と言いながら遠のいてしまうことだってあるでしょう。やはり趣味は上達あっての愉しみだと思いますから、まず基本を身につけることが「急がば回れ」なのです。

 紅葉の季節がやってきましたが、紅葉と言っても遠景あり近景ありで撮影の考え方も一様でなく、さまざまなシチュエーションで変わってきます。ぼくはもう20年以上も紅葉目的の写真を撮っていないことを白状しなければなりませんが、今、季節柄いろいろな写真雑誌などで取り上げられていますから、併せて参考にしていただけたらと思います。

 十人十色と言いますから、10人の撮影者がいれば、10通りのイメージがあるわけです。紅葉写真に限定しても、あくまで最大公約数的なことを申し上げるに終始せざるを得ません。撮った写真を前にして、作者の話を聞きながら、「では、こう撮ればもっとあなたのイメージに近づけたね。次回はそれを心がけて」という会話や指導は成り立つのですが、撮影以前にあれこれ指摘できるようなものは、実はないのです。でも、指導者という立場であればなかなかそうもいかず、そこがつらいところです。「あいつはもったいぶって、何も教えてくれない」なんてね。そうじゃないんだってば。

 ですから、本来「このような写真はこう撮るべき」というのはまったくのナンセンスであり、「写真に“べき”はあり得ない」との思いが、良い写真に触れれば触れるほど強くなっていきます。ぼくは訊かれれば、「露出を変えたり、構図を変えたりしながら、光の方向を見定めて、自由に、とにかくたくさん撮りなさい」と一見無責任調(実は無責任ではない)にまくし立てます。いろいろと変化をつけながら撮影して、その結果(どのように写ったか)を頭に叩き込むことこそが最も大切だとの信念を持っています。その結果を忘れちゃだめですよ。ですが、熱心さと向上心があれば、忘れっぽい人(ぼくはその典型)でも大丈夫。たとえ忘れても、繰り返し繰り返ししていれば、次第にいやでも身についていくものです。「同じ事の繰り返しこそが秘訣」と考えています。頭のなかに“経験と体験”の「引き出し」をたくさん作ることだけが、さまざまな状況に対応できる唯一の手段なのです。「あの時はああ撮ってああだったから、今回のこのような状況では、この“引き出し”を使えばイメージ通り撮れるだろう」ということなのです。同じ状況には生涯二度と出会うことがありませんから、「引き出し」はあなたの宝なのです。

 余談となりますが、おそらく世界中でプロ・アマを問わず、露出計(カメラ内蔵の露出計をも含む)を使わずに、露出ドンピシャリの写真を撮れる人はいないだろうと思います。音楽には「絶対音感」というものがありますが、「絶対光感」を人類が持ち合わせることはないのだそうです。ですから、どんなベテランでも露出計に頼らざるを得ません。聴覚にくらべ視覚は著しくあてにならぬのが人類の特質なのだそうです。
 肉眼で見た被写体が、印画紙上にどのように再現されるのかをイメージすることは訓練で成し得ますが、実際の光の強さや光質については撮ってみなければわからないというのが正直なところです。

 遠景の紅葉が最も色鮮やかに映えるのは、まず晴天であること。そして、順光(太陽を背にした時の光)です。太陽に雲がかかり始めると色の鮮やかさが急速に失われていきます。これは肉眼でも容易に確認できます。同時に雲の位置を確かめておく必要があります。特に高地では天候が目まぐるしく変化することがありますから、カメラの扱いに不慣れではタイミングを逃しかねません。天候は自分でコントロールできませんが、光の方向は待つことにより、自在に選択できます。

 晴天の斜光(朝夕)も順光の次に色が映え、順光よりも立体感の表現やドラマティックな表現に向いています。葉の色づきの塩梅とアングルが良しとなれば、そこで何時間も待機して期を窺うくらいの粘りと根性が必要とされます。ぼくは“ 決して待たない(”待てない“ではない)タイプ ”のカメラマンですから、そのようなことはしませんが、そういうぼくを見て、人は「根性なし」とか言います。人の事情も知らず、まったくいい気なものです。

 ここでひとつ心がけていただきたいことは、段階露光(露出を何段階かに変化させて撮影すること)で何枚か撮っておくということです。露出はノーマルで一枚撮っておいて、後で画像ソフトを使い調整すればいい、なんてとんでもないこと!
 面倒臭がり屋さんは、ほとんどのカメラに内蔵されているAEB ( Auto Exposure Bracketing 自動的に露出を変えてくれる便利な機能で、どのくらいの露出幅を持たせるかは、自分で設定する必要あり) を使えばいいでしょう。
 露出を変えると明るさが変化しますが、同時に色の彩度(鮮やかさ)やコントラストも変化しますから、あなたのイメージに沿ったものを後で選択すればいいのです。
 また、順光であればPLフィルタ( Polarized Light 偏光フィルタ) の効果に最も与ることができるので、青空の濃度を調整(暗く)しながら、紅葉をいっそう引き立たせることができます。また、葉っぱの反射も除去されますから、鮮やかさが増すという効果も得られます。フィルタを回転させながら連続可変に調整できますから、風景写真には必須のアイテムです。ただ、露出値も同時に変化しますから(下がる)、単体露出計を使用するより、カメラに内蔵されているもの(TTL 露出計)を使えば間違いのないところです。

 紅葉の近景も基本的には同じですが、遠景と異なるところは、葉を逆光に透かして撮るという方法があります。透けた紅葉はきれいですから、バックとなる背景に気を配ってください。

 PLフィルタを使用すると青空がどう変化するのか、昨日、一昨日と天候が悪く撮れませんでしたので、次号で添付いたしましょう。また、言い訳してる。
(文:亀山 哲郎)