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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2016/10/14(金)
第318回:血気盛ん
 10年以上も前から、ぼくは本業であるコマーシャル写真から意識的に距離を置き始めた。恩義を受けてきたクライアントからの依頼はお世話になったお礼を込めて快くお引き受けをしているが、新規の仕事は丁重にお断りをしている。大した仕事をしてきたわけではなく、また仕事を断るような身分でないことは重々承知の上だが、自分の歳を考えてみれば「食べるための写真」からはできるだけ早く離脱して、自身の写真を愉しみ、そして極めたいという欲求に駆られたのが主な要因だった。ぼくは50代の半ばに差しかかっていた。まだまだ血気盛んなお年頃である。
 上手い下手ではなく、商売人とはいえ自分らしい写真を撮ることの大切さを自身に誠実に示さなければならないお年頃でもあった。ここで写真少年に立ち戻らなければ、その機を永遠に失ってしまうような気がしていた。

 どのような分野の写真であれ、その奥義に変わりはないと信じるも、やはり自分の体質に合った写真というものが人にはあるものだ。嗜好は体験や知識の深さにより年相応のものに変容していく。それを指してぼくは「写真的精神年齢」と呼んでいるが、とはいえやはり生まれ持った好尚というものは、拭ってもなかなか身離れするものではなく、いつまで経っても垢のようにへばり付いてくるものだ。
 そしてまた、嗜好の変化・転換を余儀なくされるような大きな刺激は外からもたらされるものではなく、自らのうちに産み出していくものだということを身に染みながら知った。このことはぼくの生涯のなかで得た貴重な財産であるように感じている。たかだかこんなことを悟るのにぼくは60数年の歳月を要したようで、相当な奥手でもある。

 つい先日もお悩みの読者からお便りをいただいた。
その返事に、「ご自分の性に合った写真を撮ることが一番。無理をするといつまで経っても借り物から脱しきれない。アマチュアであればこそ他人に見せるための写真ではなく、自分のために、大らかに写真を撮ることが大切。他人に写真を通じて自分を問うことは貴重な体験となるが、他人の目を斟酌しているうちは創造とは無縁であることを知ってください。そのような写真は概して写真的精神年齢の低いところに留まるものです。悩みながらも素直に、“天真爛漫”に写真を愉しみましょう」と申し上げたところだった。

 ぼくは無信心であり、日本人のなかには特定の宗派に属している人もいるが、多くは普段宗教というものに直接の関わりを持たずに生を営んでいる。日本は諸外国に比べ風変わりな国だ。それでいながら都合が悪くなると厚かましくも神頼みなどしている。信心などないといいながらも、ぼくもその手合いである。
 また、いとも容易く宗旨替えをしてしまう人間もいる。ぼくの親父がそうだった。「わしが死んだらあの寺の墓に葬られたい」との理由だけで、浄土真宗から禅宗にあっさりと鞍替えしてしまった。ことさらに仏教やインド哲学を真摯に学び、造詣の深い人間の成したことだから、若いぼくはそれでいいのだと思い込んでいたが、今になって「宗教って何だ?」という思いはいつもついて回る。
 富士山頂に登るのに、富士吉田側からでも河口湖側からでもいいじゃないかというのが、多分親父の言い分だったに違いない。頂上に立つのであればルートなどどうでもよかろうというのは如何にも親父らしく、ぼくはそのような考えに痛く同意する。一本足だろうが振り子打法だろうがヒットを打てばそれでいいのだ。写真とてそれと同じではあるまいかと思っている。

 なぜ唐突に宗教の話をしたのかというと、信仰心などないといいながらも人は本能的に、あるいは無意識のうちに神の存在を認めていると思うからだ。だから神頼みをする。「神は非礼を受けず」(神は道理にはずれた願いごとをしても決してお受けにはならないということ)という論語を知ってか知らずかであるが、人それぞれにそれぞれの神がご都合に応じているのだろう。
 レンズを向ける被写体が無機物であれ有機物であれ、ぼくはそこに一刻の生と滅びを感じる。生と死の営み、あるいはその交差といってもいいのだろうか。そんな時、宗教的な精神の高揚に出会う。良くも悪くもそれに引きずられてシャッターを押す。ぼくには場当たり的な神が存在する。
 また、光というものはまさに神秘であり、神々しくも見える。この世はそんな神がかりの光が充満している。その光を、一喜一憂しながらカメラという器具を用いてちゃっかりといただく。二度と同じ光に出会うことなどないのだから、その一瞬にのみ自分は生きているという実感を得る。その証拠を神とともに同衾(?)したいと考えるのが人情というものではないだろうか。
 生は時空とともに連続してあるのではなく、ぶつ切り状でつながっているのだとぼくは信じているのだ。輪切りの連続状である。それはあたかもムービーフィルムのようだ。
 「ボールが止まって見えた」とか「ボールの縫い目が見える」といった打撃の達人がいたが、彼らにはぶつ切りの瞬間が見えたに違いない。ぼくはまだまだその境地に達していないけれど、血気盛んなうちにその瞬間を見届けたいものだと願っている。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/318.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
このような佇まいに出会って、懐かしさとともに哀愁に胸を打たれる。
絞りf8.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02墨田区」。
都内にもまだこのような空気が残っているんですねぇ。
絞りf8.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-2.00。

★「03墨田区」。
子供時分には浦和市内にもこのような形状をした工場があったものだ。日の暮れかかる寸前。
絞りf6.3、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。

(文:亀山哲郎)

2016/10/07(金)
第317回:露出補正(2)
 日本国民が一喜一憂したらしいリオ五輪が終わり、ふと振り返ってみるとぼくはその1シーンさえもまったく見ていないことに気づいた。スポーツが嫌いなわけでもなく、関心がないということでもないのだが、それにしてもそんな自分の生活態度や感情に少し目をぱちくりさせている。
 我が家にはテレビもあり新聞も朝夕配達されているのだが、もとよりぼく自身はテレビも見ず、新聞も読まず(見出しだけ見て本文は読まず)、なんら関わりを持たずにこの何十年かを無事やり過ごしてきたし、不自由さも感じたことがなく、そんな自分を仕合わせだとさえ思っている。
 貴重な情報源は家族であったり(特に坊主はぼくの重要なスポークスマン)、知人友人であったり、世間の空気であったりするわけで、それでなんら不便を感じていない。よしんば情報の氾濫する現在にあって、否が応でも情報は何らかの形で侵入してくる。
 仕事をしていないのであれば、ぼくは電気も水道もない山奥の小屋で読みたい本や画集を持ち込み、それだけで何不自由なく過ごすことができるだろう。それは、 “写真一途” との公式に当てはまるものではないにしろ、世事の煩わしさから開放され、もっと写真に傾注できるのではないかという甘い誘惑となる。夢遊というべきか。
 嫁はぼくとの協同を断固拒否するであろうから、ここだけの話、それは一石二鳥の、願ったり叶ったりというものだ。
 「余計なことは知らないほうがいい」というのはぼくの生きるための方便であり、世情に遅れを取るという恐怖心もないのだから、早く実現の運びとしたいが、事態ははかばかしいとはいえず、なかなかに難しい。

 山小屋から記録メディアを街の写真屋さんに持っていき、プリントしてもらい、それをよしとするほどぼくは練れていないし、枯淡の境地にも達していない。そうなればどれほど気が楽であろうかと思う。生っぽいぼくは自分の意志や感情をより強く訴えたいという邪心と自己顕示から逃れられず、どうしても電気を必要としてしまうのだ。露出補正などにもこだわってしまうので、よんどころなくPhotoshopという暗室道具のお世話にならざるを得ない。

 ぼくのいう露出補正の基本は多くの場合暗室作業を前提条件にしたものなので、果たして読者諸兄の何%くらいが暗室作業をされているのか皆目見当さえつかずにいる。メドの立たないところで技術論を展開しているという思いもある。
 写真好きでPhotoshopにも通じている友人が、「前回の露出補正の話は大変高度な技術論であり、多くの愛好家が立ち入る領域ではないのかも知れないね」といってきた。確かにそうかも知れないし、ぼくとてある程度そのように感じている節がある。彼の言葉に反論はまったくないのだが、「できる限り白飛びをさせない」という方法論(技術論)は金科玉条と捉えてもらっていいと思っている。デジカメには「白飛び警告」や「ヒストグラム」というデジタルならではの機能が備わっているのだから、ひとつの心得としてこの文明の利器を極力利用して欲しいと願っている。これはそう難しいことではないので、ぜひお試しあれ。

 適切な露出を得る方法に、「段階露光」というものがあることはみなさんもすでにご存知であろう。ポジカラーフィルムを使用する時は、この作法に従うことが定石だったが、撮影後に明るさの調整ができるデジタルになってからは軽視される傾向にあるようだ。そこには「後でPhotoshopを使いなんとかしよう」という横着な魂胆が見え隠れしている。Photoshopは技術上の誤りを修正する道具でないことを肝に銘じていただければと願う。第一、修正できない。画像を補整すればするほどその荒が目立ってくるのだから、最も基本的な画像の明度については慎重を期しましょうということだ。
 適正露出を得るための保険が「段階露光」とお考えいただければいい。そして、段階露光をしているうちに、1絞りの明度差(つまり2倍、もしくは1/2の光量差)がどのようなものかを身につけることができる。実はこれが貴重な体験となるのだが、案外ベテランといわれる人たちでも、この差が明確に描けていないのではないかと感じている。これはぼくの楽観的な言い方で、実際は描けない人がほとんどであろうと思っている。光の認識はとても難しいものだが、これも訓練である程度克服することができる。

 ほとんどのデジカメには露出補正のためのダイアルが附属している。1絞りの1/3 段階ずつ明るさが調整でき、これを使用して撮影者の望む明度の画像を得られるようになっている。たとえば1/3段階ずつ3枚とか、2/3段階ずつ3枚とか、1度シャッターを押すだけで自動的に段階露光をしてくれる便利な機能が附属している。取扱説明書にはAEB(Auto Exposure Brancketing)機能として解説してあるので、ご参照のほどを。

 露出については過去にお話ししたことに加え、まだまだお伝えしなければと思うのだが、また機に臨んでお話しできればと思う。
 しかしながら、写真が発明されて以来今日まで撮影者は延々と露出に悩まされてきた。科学の進歩と相まって、もうそろそろ被写体の濃度域に正確に合致できるような仕掛けが発明されないものだろうか? まぁ、山奥の住人となってしまえば、ぼくにはもう関係はないのだが。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/317.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
エボナイト工場。所在なさそうに突っ立つ煙突。戦後間もない頃のものらしい。
絞りf8.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02墨田区」。
長屋がいつしか倉庫に変わってしまったとは住民の話。とっさにB. ビュッフェの絵を思い浮かべた。
絞りf5.6、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03墨田区」。
青ペンキがまだうっすらと残っている。どのような意図でこのようなあつらえになっているのだろうか? 興味が尽きない。
絞りf5.6、 1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2016/09/30(金)
第316回:露出補正(1)
 秋の長雨でぐずぐずした日々が続き、なかなか秋特有の紺碧の空が姿を見せてくれない。撮影を思えば、ぼくはどちらかというと雲ひとつない晴天が苦手だ。若い頃は(フィルム時代)このような空模様には偏光フィルター(PLフィルターと呼ばれるもの)を多用し、コントラスを自在に変えながら写真を楽しんだものだが、写真というものが少し分かり始めると、カラー、モノクロに関わりなく晴天下のコントラストを持て余すようになった。
 これは愛好家なら誰しもが通過しなければならない関所のようなものだ。そんな苦労はしたことがないとか気にかけたことはないという向きはおそらくモグリに違いない。この関所をうまくすり抜けるのはなかなか容易なことではなく、ぼくは未だに苦心惨憺している。通行手形をいただくまでには、気の遠くなるような繁雑な手順をこなさなければならず、まだまだ時間がかかりそうだ。いや、ややもするとこのような手形はあってないようなものなのかも知れない。
 しかし、偏光フィルターはデジタルであっても大変有用な写真用品に変わりなく、天気の良い日に、久しぶりに使用してみたいと思っている。今取り組んでいるカラー写真のありように、何らかの貢献を果たしてくれるように思えるし、きっと重宝するのではあるまいかとの予感も漂う。ぼくの予感は百発九十中くらいの確率で当たる。
 デジタル時代にあって、偏光フィルターの効果はPhotoshopでもある程度再現できるが、やはりアナログの自然さには敵わない。またありがたいことにPhotoshopでの補整にくらべ画質の劣化を来すことがない。

 今週、山歩きの好きな坊主(息子)が岩手県の栗駒山に行き、帰宅するなり鮮やかな紅葉の写真を見せてくれた。「そうか、もうそんな季節なんだね。きれいだねぇ」とぼくは写真愛好家でもない坊主に向かっていった。「この写真をさらに際立たせるには偏光フィルターを用いればいい。葉っぱの反射が抑えられるので色彩がよりくっきり、そして豊かになる」とはいわなかった。父親というものは息子に余計なことをいってはならないのだ。
 ぼくにとって美しい紅葉はもっぱら目で楽しむもので、それをきれいに写真に写し取りたいという欲はさらさらないのだが、それでも20代の頃は重たい機材を背負って山野を歩き、夢中で撮ったものだ。「エクタクローム(コダック社のカラースライドフィルム)はマイナス1/3補正で使うと良い色合いが得られる」なんてことを悦に入りながら吹聴していたものだ。
 紅葉は晴天下ほど冴え渡る。陽が雲にかかり、直射光が遮られ翳(かげ)りを見せ始めると、まるで動画を見ているように紅葉の彩度がどんどん落ちていく。彩度の移り変わりが山を這うそのさまは、まさに劇的な変化となり、20代のまだ多感さを残したぼくの心身にほどよい英気を与えてくれた。お天道さまは、大自然のなかで織りなす光と色の関係とその跳躍を身をもって教えてくれたのだった。それは感動的ですらあった。

 偏光フィルターの効果についてはかつて拙稿で作例とともに述べたことがあるので割愛させていただくが、さらなる発展の兆しが窺えれば改めてお伝えしようと思っている。

 読者諸兄や友人の愛好家から期せずして同じ質問が寄せられた。同様の思いをされている方々もおられるかも知れないので、そのお答えを。
 「掲載された写真のデータを見ると露出補正はほとんどがマイナス補正となっていますが、何故でしょうか?」とのご質問である。
 お答えの前に、カメラには通常何通りかの反射光式露出測光モードが附属されているのだが、その違いによって露出補正値は異なったものになることをまずお伝えしておきたい。ぼくが通常使用している測光モードは「評価測光」というもので、ごく標準的なものだ。
 キヤノンのEOSを例に取ると、それ以外に「部分測光」、「スポット測光」、「中央部重点平均測光」などがあるが、どれを用いれば正確な露出決定ができるかは被写体次第ということになる。要は使い慣れることだ。また当然ながら測光方式の違いにより同じ被写体でも横位置と縦位置とでは露出値が変化することもある。

 そして「適正露出」という言葉がよく使用されるが、「適正」という意味は物理的なものではなく、撮影者個人にとっての「適正」であるということを知っていただければと思う。何が「適正露出」であるかは、撮影者の意図により異なるという意味でもある。あなたの感覚に合致した露出が「適正露出」なのである。カメラの指示する露出より明るく撮りたければ露出補正はプラスに、暗く表現したければマイナスにという具合である。発光体や雪景色、夜景のように特殊なものはカメラのモニターやヒストグラムで確認しながら補正すればいい。デジタル様々である。

 前述した事柄を踏まえてのことだが、ぼくの露出補正はちょっと意味が異なり、白飛びを起こさないことに集約されている。白飛びを起こした部分はいくらPhotoshopなどのソフトで補おうとしても不可能だからだ。青空に浮かぶ白雲の一部くらいは白飛びをしても構わないが、その面積が広くなるほどに雲の質感と立体感は失われていくので、どの程度飛ばしてもいいかは撮影者のセンスの領域となる。ぼくは、雲は一種の発光体という考え方をしているのでどうしても露出補正には慎重にならざるを得ない。

 露出補正について述べようとすれば、連載5回は優に越えてしまいそうで、そんなものは誰も読んでくれそうもなく、次回でなんとかお終いにできればと願っている。
 読者のみなさん、暗中模索ながらも露出補正に気を配れるようになればしめたもの。美しい画像を得るコツのひとつは露出補正にあるといってもいいのだから。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/316.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
以前は油脂工場だったようだが、今は不明。柔らかな夏の残照に映えるスレートのなまこ板。
絞りf10.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02墨田区」。
昔はどこにでもあった町の商店。我が家の近くにもあったが、平成を迎えるとともに姿を消してしまった。
絞りf8.0、 1/80秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「03墨田区」。
色鮮やかなバイクと青いなまこ板。風雪に打たれたアパートとの対比が面白い。
絞りf9.0、 1/100秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/09/23(金)
第315回:よき昭和
 いつの時代も人は「昔はよかったねぇ」などと、遠くに視線をやりながら懐かしさを込めてつぶやく。どうやら歳を取れば取るほどにそのような訴えが多くなるようだ。過去を懐かしむのは人の業のようなものだ。現在の世情と過去の個人の思い出、そして後悔も取り混ぜ、何もかもごった煮にして、無定見に懐かしむのである。取り戻せぬ若き日々に思いを馳せ、だからこそその懐古に余念がない。それは時に言葉に出さずとも未練がましく、見苦しさを伴うこともある。懐古趣味なんていうと如何にも安普請だが、それは終生まとわりついて断ち切れるものではない。思い出というものは己の生きてきた証でもあり、また一種の拠り所ともいえ、だから未練も仕方がないのだ。
 「昔を懐かしむのは歳を取ったせいだよ」なんていうこともいわれるが、ぼくもきっとその例に漏れない。
 そしてまた、時を経るうちに過去に負った苦く痛い傷が少しずつ癒されていき、かさぶたの取れた新しい皮膚に愛おしささえ覚えるようになる。忘却の彼方に、人はなにがしかの、一筋の光明を見出そうとする。そうでもしなければ辛くて生きていけないといわんばかりに。

 1989年(昭和64年)1月7日、ぼくは出版社の依頼により、長丁場厳冬のロシアでの撮影をやっと終えその帰路にあった。
 昭和天皇が崩御された時、ぼくはモスクワから成田への機上にあり、何も知らなかった。空港には多くのテレビ局が詰めかけ、事情を知らず海外から到着する日本人乗降客目がけてコメントを求めていた。全体どのような意義があるというのだろうか。
 ぼくもコメントを求められたが、すでに当時からマスコミというものに大きな不信感と嫌悪感を抱いていたので、「ぼくのお喋り内容はおそらくあなた方にとって都合のいいものではないだろう。放映されないことは分かっているので、従ってノーコメントであります」ときっぱりお断りした。そんな安普請に応じるより、空港のレストランで早くビールを呷(あお)りたかった。

 ぼくはこの時41歳であり、過ぎゆく昭和を成田空港で迎えたわけだが、何か一抹の寂しさを覚えたものだ。多感な時期を過ごした昭和とは何だったのかを一言で言い表すことはとてもできないが、戦争を知らないぼくは(昭和23年生まれ)よきものへの惜別を漠然と感じていた。
 「あと十数年経ったら、昭和を指して “昔はよかった” などというのだろうね」と、モスクワで親しくなった人に向けていった。その予感は当たっている。

 昨年、荒川区の三河島に出向いた頃から、ぼくは自身の抱く昭和の残像の、その一片を切り取り始めた。テーマとしてはありきたりかつ平凡なものだが、他人の耳目に触れる必要などないので、あれこれ言い訳せずに済む。感じるままに(イメージするままに)、自己埋没して素直にシャッターを切れるのでまことに心地良い。またそれは記録写真に正対すべきもので、ノスタルジーに浸りながら、とことんフィクションの世界に遊ぶこともできる。フィクションとはいえ、勿論自身のリアリティに基づいていることは言を俟(ま)たない。

 自分の残像は自分のものでしかなく、どのようにして自分らしい表現をするかという難題に取りかかった。誰でもが撮る被写体であればこそ自身のアイデンティティを明確に示さなければならないが、これがなかなかの難物である。手に余るほど難しい。従来のモノクロ表現を一旦押し込め、今夏から一足飛びにカラー写真への挑戦を始めてみたのはそのような理由からだった。

 「下手の横好き」で、ぼくはかつて絵をよく描いた。物をよく観察する訓練には写生が打って付けだと過去に述べたが、もうかれこれ30年近く描いていない。当時の色遣いを思い出しながら、今ぼくはそれを写真に応用し、活かそうとしている。永遠に試行錯誤が続くだろうが、年甲斐もなく寝食を忘れ夢中になって取り組むことができるぼくは仕合わせなのだと思っている。

 三河島の写真は拙コーナーでご覧いただいたが、すべてモノクロ写真だった。一昨日ふと思い返し、色気を出してカラー写真に相応しいと思えるものを選び出し、半日がかりでイメージを追ってみた。今取り組んでいるカラーの作法に従おうと思ったのだが、どうしても上手くいかない。きれいと言えばきれいなのだが、モノクロに比べると核というか、強い芯を失っていることに気づく。ドロッとしたぼくの情念のようなものが薄まってしまうのだ。撮影時にモノクロをイメージして撮っているのだから当然といえば当然で、そうは問屋が卸さないということだ。ぼくは邪な考えを抱いた自分を恥じた。ただモノクロのつもりで撮ったものすべてがそうだろうかという疑問は残る。ぼくもやっぱり未練がましくも、見苦しいのだ。

 「ぼくの昭和」は何故か古び、半ば腐食したり、ペンキの剥げかかったなまこ板(波形のトタン板やスレート板)ばかりが写っている。別に選り好みしているわけではないのだが、これもぼくの昭和を象徴するものの一端なのだろう。なり振り構わず真剣にレンズを向けてしまうのである。昭和の形見分けのようなものだ。口の悪い仲間たちはぼくを「なまこオヤジ」などと揶揄するに違いない。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/315.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:東京都墨田区。

★「01墨田区」。
台風が来るというので期待したが、ここでも雨は降らず、雲がモクモクし、やたら蒸し暑い。皮革工場や油脂会社のある一画で、辺り一帯に異様な臭いが漂う。
絞りf7.1、 1/250秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02墨田区」。
近くの工場の主人と思われる人に「このアパートは築何年くらいでしょうか?」と訊ねた。「オレが来た時にはもうあったから40年以上だろう。2階は階段が崩れて上れないので住人はいないが、1階には住んでいるようだよ」と教えてくれた。まさに風雪に打たれたモルタル仕様である。
絞りf8.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03墨田区」。
油脂工場の入口だが、鉄骨の赤ペンキとともに腐食。かなり年季が入っている。
絞りf9.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2016/09/16(金)
第314回:善光寺参り
 今週のある日、2人のご婦人に引かれ近所にある量販店に赴いた。「牛に引かれて善光寺参り」という塩梅である。牛とは、もうベテランの域に達したと覚しき写真愛好的友人のIさんとAさんである。
 ここでいうベテランとは、写真的精神年齢の意味であり、一般女性のご多分に洩れずメカに関しては怪しさ満載なのだが、ぼくは女性特有の感覚を羨み、また尊重もしているので、「メカが何さ!カメラが写真を撮るんじゃないわよ!」と言い放つこの気概と威勢をこれからも維持して欲しいと願っている。彼女たちは正論過ぎることを述べる正しい女たちのようで、この件に関してぼくが口を差し挟む余地などない。はい、余計なことは知らなくていいのです。
 ただ、ぼくは彼女たちに畏れを抱きつつ、願わくはもう少しだけメカについて知って欲しいと思うのだが、実はこれは女性に向けた無いものねだりなのかも知れないと、最近自身に強く言い聞かせる“ようにしている”。
 余計なことばかりに気を奪われて、感覚を焦げ付かせている男衆が多いなか、かえって彼女たちの愚直さというか直感に従う感受性は清々しくもある。知らぬが仏ともいうじゃありませんか。やはり余計なことは知らないほうがいい。

 ご婦人の買い物とかウィンドウショッピングに付き合うことは、心身ともに健康な男児であれば苦手とすべきところであり、それは大変なストレスを生むものだ。第一愉しくない。そうでないという向きはきっと女性孝行であるか、恐妻家の類ではあるまいか。
 IさんもAさんもぼくの連れ合いではなく、一応純粋な異性とみることができるので、嫁とは気分が異なり買い物が苦手なぼくでもちょっと嬉しい。ましてや写真用品の購入についてであるのでなおさらというところだ。
 ぼくはすこぶる健康な男児なので、嫁は滅多なことでぼくに買い物に付き合えとはいわない。嫁は嫁で、ありがたいことにぼくを「そばにいると煩わしいやつ」と認定している。これこそ長年の教育の賜である。

 Aさんはこれから展示会が立て込んでおり、今まで使用していたプリンターでは役不足なので、目的に適うべく良いものを購入したいとのことだった。ついては相談かたがた量販店に連れて行けとのこと。ついでにカメラも新調したいとの意向だった。フツーは“ついでに”カメラを買うものか?ずいぶんと豪気な牛もいたものだ。
 聞くところによると思わぬ不労所得に恵まれ、「写真に投資しなくっちゃね」と彼女は地面を前足で掻きながら意気が上がっていた。予期せぬ実入りは写真的精神の活性化をもたらしたようである。

 Iさんは三脚に付けるクイックシューが欲しいので見立てて欲しいとのことだった。もちろん彼女はクイックシューという名詞など知る由もないのだが、「あれよ、あれ。三脚にくっつけるあれよ。便利そうなあれなんだってば!分かるでしょ」と、ぼくにいきなりの代名詞を使い自己の言わんとするところを無謀にも知らしめようとする。やはり彼女も豪気というべきか。
 「素早くカメラを三脚に据える用品」という的確な一言があればすぐに察しがつくが、とにかくいつもこのような言葉足らずの「“あれ”専門」的省略形で迫ってくる。しかし、ぼくは彼女が三脚なるものを使用している姿をもう長い間見ていないし、聞いてもいない。本当にクイックシューを役立てる気があるのだろうか? 
 レンズの口径ごとに高価な偏光フィルターを揃えたはいいけれど、それを使用した形跡さえないのだ。経年変化のある偏光フィルターについて、「何回使えばダメになるの?」と真顔で問うてくる。洒落ならぼくは大笑いをし、許しもするが、時間と回数を一緒くたにしてしまうところがけたたましくも物凄い。はりったおしてやりたいが、写真は感心するものを撮ってくるので、やはりメカじゃないという彼女たちの言説は妙に説得力がある。 
 ちなみに彼女の三脚は軽量で丈夫なカーボンファイバー製の立派なものなのだ。ぼくはこれをちゃっかり借用し、1ヶ月の苛酷な海外ロケに持って行き重宝したものだった。そのくらい良いものをお持ちである。「使わないのならオレにくれよ」と何度かお願いしたのだが、この代名詞専科のおねえさんは首を縦に振らない。
 ぼく自身は私的写真で三脚を使用することはないので、彼女ともども、うちの倶楽部の人たちは撮影に三脚は持参しなくてもいいと思い込んでいる節がある。愚直さの極みである。

 「三脚を使えば、自分のレンズがどれ程の解像度かよく分かるものだ。ハッと驚くこともあるのだよ。シャープさに欠ける一番の原因は、フォーカスでもなければ、レンズでもカメラでもない。手ブレなんだ!」と、ぼくは今まで何度となくそういってきたのだが、聞き入れる者は誰もいない。肝心なところではまったく愚直でない人たちにぼくは囲まれている。

 無事買い物を済ませ、珈琲店でひと息つく間もなく、彼女たちから写真の質疑。こちらのほうが買い物よりはずっと気が楽だ。
 「よもやま話に書いてあったあの部分。あれはどういう意味なんですか?Aさん分かる?かめさん、説明しなさい」と代名詞使いの達人Iさんはいう。
 「あ〜、あれね、あれはあれなんだよ。分かるだろ。あれさえしっかり押さえておけばきれいな印画ができるってぇもんだわ。あれはな、そういうもんだ」と、ぼくはもう一方の代名詞使いの名人である吉田健一(ぼくの最も尊崇する小説家の一人。英文学翻訳者でもある。1912-77年)を気取ってみせた。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/314.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市、真岡市。

★「01烏山」。
川魚料理店の冷凍ウィンドウ。ガラスに着いた水滴で中がよく見えない。客はどうするのだろうか?
絞りf5.6、 1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02真岡」。
日没時、お寺の山門に黒猫が物憂げに佇む。ブルーの粉末らしきものは何だろう?
絞りf5.0、 1/25秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「03真岡」。
向こうから母子がやってきた。後ろの黒い背景に入れようと待ち構え、被写体ブレを狙って思い通りだったが、子供が重なってしまったのは、ぼくの心得のせいだろうか。「かめさんの撮る人物はいつも何かがおかしい」といわれるが、これも確かに変だ。右下の明かりは車のライト。
絞りf5.6、 1/13秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2016/09/09(金)
第313回:自戒こもごも
 遠方の読者からメールをいただいた。地元の写真倶楽部で指導をしておられ、悩み事相談というわけではないのだが、指導の多事にわたる悩みや迷いを訴えてこられた。また、ご自身の考えを記し、その確認作業をされたかったのではないかと思う。文面からお察し申し上げるに、ぼくよりはるかに熱心かつ真面目でいらっしゃる。そしてまた、謙虚で真摯な様子が窺えて、ぼくはちょっと身の細る思いをしている。いかがわしい指導者の多いなか(と自戒を込めて)、彼(以下Aさん)のような方は頼もしくもある。

 Aさんはアマチュアだそうで、ぼくも自分の倶楽部を主宰するようになってからアマチュアの方々と接する機会を持てるようになった。そうでなければおそらく接点のないままこんにちまで過ごしたのではないかと思う。この拙稿もアマチュアの方々との出会いを後押ししてくれている。
 私的な写真についての限りであれば、大局的に見てプロもアマも大同小異であり、さほど明確な境界線があるとは考えていない。もしその差異を強いていうのであれば撮影時の技術くらいのものだろう。
 一般的にPhotoshopなどの暗室技術に関してはアマチュア諸氏のほうが長けているのもひとつの特徴であり、またそれは彼らの特権でもある。首を取られるわけではないのだから、その特権を大いに活用して欲しい。
 その伝、プロの暗室作業は一定のメソードに従えばよく、冒険を嫌う傾向にある。これは今日のデジタルに限らず、フィルム時代から写真屋は自分の流儀を頑なに踏襲してきた。プロは使い慣れたものを最優先せざるを得ず、新しいものを使用する時は慎重なテストを繰り返してからでないと怖くて使えない。進取の気象に富むことはプロもアマも同じなのだが、方向性が異なるのだ。

 Photoshopなどの暗室ソフトを使用して、自身のイメージを正確に形づくる作業をぼくは写真表現の重要な要素と位置づけているが、時としてその技術に溺れてしまうことがある。そのような作例を、国内外を問わず多く見かける。熱心に取り組めば取り組むほどそのドツボ(土壺)にはまりやすいのが人情というものだ。苦労して得たのだから、それは間違いのないものだと勝手に思い込む。人は悲しい人情に支配されている。
 ぼくもその悲しい人情に支配されたことが何度かあるし、今もってそうなのかも知れないと、戦々恐々の日々を送っている。
 前回、過剰なものには麻薬的な要素が含まれていると述べたが、「毒を食らわば皿まで」とはよくいったもので、好事家は悦に入りながらも意地を張り、抜き差しならぬところに立ち入って、引き返す勇気を忘れてしまう。香辛料が利きすぎて味を損ねていることに気づかず(つまり麻痺してしまう)困窮を極めるのだが、しかし何もないよりは毒のほうがずっとましだとぼくはいつも自己弁護に奔走する。
 「毒にも薬にもならぬ」というのは、つまらぬことのたとえであり、もっぱら否定的な意味合いで使われるじゃないかと。
 多分、毒を喰らい、修羅場を経験したことのある人のほうが得てして面白味があり、深みもあるものだ。ただし無事帰還できればの話だが。

 Aさんのメールから一部引用させていただくと、
 「Photoshopの面白さを知ったばかりにへんてこりんなことをしてくる生徒が時折いて、その誤りをどう諭してよいのやら。まさに亀山さんが前号でおっしゃった“過ぎたるは猶及ばざるが如し”なんですが、そのような場合どうされますか?」というものだった。
 「それもその人の持ち味であり、試行中ならしばらく放任しておいてもいいんじゃないでしょうか。できれば、その持ち味を殺さぬように、最小限の指示を一つだけ伝えること。あれもこれもはいけません。例えば、“彩度を上げ過ぎて色飽和を起こしています。色飽和をさせてしまうと質感が失われるので、もう少し彩度は控え目に。次回はそうしてみましょう”というような一言をつけ加えればいいように思います。直ちにきっぱり全否定という指導方針もあるでしょうが、北風よりお天道さまのほうが相手も素直に聞き入れてくれるようです。
 ですが、時には頑迷さにとらわれ、周囲の見えなくなった溺死寸前の人には “はりったおすぞ!”という乱暴な威嚇射撃も必要。なかにはそういってもらいたいというへそ曲りもいるようです。“毒をもって毒を制す”といいますしね。いろいろな人がいますからお互い往生しますね」とぼくは返信した。

 まだ日本にA. アダムスの提唱したゾーンシステム(暗室技法の一種)が紹介されていなかった青年時代に、ぼくはアメリカからゾーンシステムの教本を取り寄せ暗室三昧の日々を送っていたことがある。そのための暗室用品をアメリカのゾーンシステム・ワークショップから都度送ってもらった。同梱されていた定期刊行物に掲載された写真を見て気のついたことは、ほとんどの人たちの作品が「ゾーンシステムのための写真に終始しており、これでは本末転倒ではないか」との思いに至った。
 そして我が身を振り返った時、同じ過ちを冒していることに気づき、暗室技法より写真自体の質(撮影)を優先すべき事項と捉えるようになった。ぼくは危ういところで写真を取り戻すことができた。
 ゾーンシステムは非常に有益な技法であり、このメソードを自身の写真に似合うようにアレンジしてこそ意義のあることと悟った。なんでもかんでもゾーンシステムでプリントすれば良いというものではない。

 このようなことは暗室作業が容易かつ自在に行うことができるようになったデジタルに於いて頻繁に見受けられる。Photoshopの技法のための、Photoshopのための写真になり果てている。先日もそのような集団の写真を見て、写真自体の質が疎かにされていることの本末転倒的現状を、ぼくは憂慮せざるを得ないのだが、これも自戒こもごもである。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/313.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県真岡市。

★「01真岡」。
体の弱かった幼少時、ぼくはよく熱発していた。寝床の横にあった書棚からいつも絵画集を引っぱり出して夢うつつで眺めていた。誰の絵か分からないがそれを彷彿とさせる場面に出くわし、逆光のなか思わずシャッターを切る。夢の残像といったところか。
絞りf11.0、 1/160秒、ISO100、露出補正-1.67。

★「02真岡」。
古くなった家を内装だけ改築し、今流行?のモダンなお店に。
絞りf9.0、 1/40秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「03真岡」。
スナックの酒瓶が波ガラスに透けて。ぼくにしては未だかつてなかったような色使いだが、撮影時にこのようにイメージしちゃったのだから仕方がない。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO200、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/09/02(金)
第312回:那須烏山 モノクロからカラーへ(5)
 「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」とか「礼も過ぎれば無礼になる」、はたまた「分別過ぎれば愚に返る」などは常に手許に置いておきたい標語だ。真実を言い当てているし、また分かりやすく含蓄にも富んでいる。それは気の利いた戒めでもある。振り向く機会を与えてくれるこの標語はとても貴重なものだとぼくは思っている。我が身にこの教えはちょうど良い。
 それに加え、ぼくは人様に中庸の美をさかんに説いて回る。「中庸の美を知らずして美を語ることなかれ」な〜んてこともうそぶいている。ぼくに言われれば聞くほうは白んでしまうかも知れないが。

 今さらながらではあるけれど、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を辞書で引いてみると「度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じで、どちらも正しい中庸の道ではない」(広辞苑)とある。
 洗練さに欠けるエキセントリックなものは美にあらずと解釈できる。ぼくを含めた世人は新しきものを渇望するあまり、これを斬新なものとして受け止めがちで、時には褒め称えたりもする。履き違えも甚だしきである。

 だがしかし、どのように思慮深く、また確かな審美眼を備えた人でも一旦は過剰なものに翻弄され、支配されることが往々にしてあるのも事実だ。渦中にある者はなかなか気づきにくい。過剰なものは一時的にではあれ麻薬的な要素をふんだんに含んでおり、人々を魅了する。けれど、魅了されっぱなしというのはどうにもいただけない。
 過剰や不足に鋭敏に反応できることが本来の審美眼の持ち主なのではないかと思うことがよくある。過不足を見極め、その物差しの洗練を極めるのは、しかし容易なことではない。

 一方で、写真ばかりでなく創造的なことに関われば誰でもが他人とは異なる何かを求めて彷徨うことになる。人と違う表現方法を編み出す意欲を失っては、何のための創作意識なのかが問われる。趣味としても、それでは低次元に終わってしまう。  
 凡庸に甘んじては居心地が悪いとばかり試行錯誤を繰り返すことになるのだが、一時の安らぎ(過度なもの)は容易に手に入るが、固執すれば長い苦痛をもたらすものだ。ぼくなどいつも熱くなり過ぎて、火傷ばかり負っているので満身創痍。年中心身消耗戦を繰り返している。何の因果か、写真などに没頭してしまい、だから傷だらけの人生なのだ。

 ぼくは誰彼なく「プリントは画像補整をしてから、ある程度間を置いてしなさい。すぐにしてはいけない」といっている。熱を冷まして何時間か、あるいは何日かしてから、もう一度仕上げた作品をモニターで見てみると必ず違和感を覚えるものだ。じっくり仕上げたものほどそのような傾向が強く、要再補整である。
 仕事の写真など、至急の場合を除いては、翌日納品などという離れ業をぼくは演じ難い。ぼくにそんな度胸はない。一度の推敲くらいで原稿を手渡す勇気などないのと同じこと。私的な写真はすべてを自身がマネージメントしなければならず責任を転嫁する余地がないので、なおさら厄介だ。

 何時間もかかってやっと納得できる補整ができたと思った時が一番危ない。モニターをじっと睨むほど視覚が麻痺していき、知らぬうちに魔界に入り込んでどんどん過激な方向へ走ってしまうことがよくある。翌日見てみると「やり過ぎなんだってばっ!」と声を上げることしばしば。
 過剰であることが一時的な心地よさを誘い、補整も良いものに仕上がっていくというとんでもない錯覚に陥る。それは誰もが吸い込まれる巨大なブラックホールのようなものだ。強い刺激にこそ人は憧れ、同時に慣れるのも早いのではないだろうか。つまり、過ぎたるものは飽きるのも早いということだ。
 中庸の美は、絶対普遍の美を成すその中核といっていい。

 視覚は聴覚と異なり絶対音感に値するものが存在しないので、とにかく人は真面目であるほど惑わされ、過ちを冒しやすい。どれほど写真の達人であっても、露出計なしにポジフィルムの露出決定をできる人は世界広しといえどもいない。それほど人類は光に鈍感であり、容易に惑わされる。

 人は強い刺激に憧れるといったが、もしかするとご婦人方の厚化粧もその一種なのかも知れない。薄化粧では飽き足らず、何時間も鏡の前に陣取り、あ〜でもない、こ〜でもないと一点を見つめながら化粧品や白粉をこれでもかと塗りたくり、色の三原色と補色を色彩豊かに塗り分け、色飽和を起こしながら、やがて全身麻酔状態となり、コテコテのお化けに変貌を遂げていく。あるいはバランスの崩れた塗装を意に介さず、油絵のように重ね塗りをし、得意気である。どう見てもそうとしか思えない過剰型ハデハデ好みの人々がいる。
 ぼくは同類のいることに安堵し、そして同時に恐怖を味わうのだ。自身がお化けと気づきその場で全身を痙攣させながら卒倒する人は救いがあるが、永遠に気のつかない人もいる。さて、写真に於いては一見上品を装う薄化粧が必ずしも良いとはいえず、では厚化粧は?あなたとわたくしはどちらの好みなのでありましょうか?
 カラーはモノクロと異なり、色彩を操作する手はずが余分に増える。カラー画像を補整しながら、ぼくはいつもご婦人方の化粧に思いを馳せるのだ。
 
※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/312.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市、真岡市。

★「01夕闇迫る」。
陽は地平線に沈み夕闇が迫るなか、あたりを照らすように赤い花が咲き乱れる。
絞りf7.1、 1/25秒、ISO400、露出補正-1.0。

★「02青いペンキ」。
廃屋となったスナックと隣家の色鮮やかなブルーペンキが寂しさを誘う。
絞りf9.0、 1/40秒、ISO400、露出補正-0.67。

★「03烏山駅前」。
かつて訪れた厳冬の青森県五所川原駅前をとっさに思い浮かべた。雲は真っ黒だが雨はどうしても降ってくれず。
絞りf13.0、 1/100秒、ISO200、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2016/08/26(金)
第311回:那須烏山 モノクロからカラーへ(4)
 この盆休みに若い頃から関心の深かった同和問題についての書物を1冊再読してみた。以前と異なり、現在はネットの普及で様々な情報が手に入る。功罪併せ持つネットだが上手く活用すれば、氾濫する情報を嗅ぎ分けながら、正邪・正誤をつかむことができるとぼくは考えている。怪しげなネット情報に振り回されずに済むというわけだ。
 ひとつの物事を知り、理解するには最低でも20冊以上の書物を読まなければならないというのがぼくの信条。これでネットに惑わされる可能性はぐっと低くなる。20冊以上を必須条件としているぼくはその信条に従い、青年期に同和問題、被差別部落についての書物を読み漁った。

 そのきっかけとなったのが、昭和34年(1963年)に起こったいわゆる“狭山事件”(埼玉県狭山市で発生した少女誘拐殺人事件。または強盗強姦殺人事件)だった。なぜこのように不条理な冤罪事件が生じてしまったのかを知るために(本稿では事件のあらましは割愛させていただくが)、関連書物を手当たり次第読みふけり、また当地に住む友人の手助けを借り、現地調査に何度か足を運んだ。犯人とされた石川一雄氏のお宅にもお邪魔し、捏造された万年筆の出所である鴨居などを見せていただいた。そして彼は真犯人ではないとの確証を得た。事件から10年後のことだった。
 これは明らかな冤罪事件である。被差別部落民への偏見が権力や一部のマスコミによって利用され、犯人に仕立て上げられた忌むべき出来事である。
 なお、ぼくは自身の政治的信条により、あらゆる市民運動・集会の類には一切参加したことがない。

 今年読んだ数少ない新刊書のなかで、直接狭山事件に言及したものではないが、冤罪というものがどのようなメカニズムを経て醸成されていくかを明晰に綴った『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(管賀江留郎 著/洋泉社 2016年)は良書というべきもので、関心のあるかたには是非のお勧めである。
 
 改めて同和問題・被差別部落問題をネットで調べていくうちに、東京都墨田区東墨田や隣接する八広(やひろ)地区に突き当たった。同和問題をも含め、多感な時期を送った昭和の懐かしい面影がそこには未だ色濃く残っているとネットにある。何かに惹かれるようにぼくは3日前の蒸し蒸しする日にこの地を訪れてみた。
 午後3時から5時までの2時間に狭い一区画をコマネズミのように歩き回り、汗を滴らせながら170枚ばかり撮った。この地でのくだりは後日拙稿にて写真とともに掲載しようと思っているが、昭和の佇まいを従来のモノクロではなくカラーで写し取ることに目下執心のぼくは、烏山や真岡の延長線上に東墨田を置いた。
 今のところカラーの熟成度は36%だと前号に記したが、この数値は謙虚でも卑下でも詭弁でもなく、実感としてのものだ。しかし、「伸び代」を64%と見立てるあたりがぼくらしく、尊大かつ横柄なのである。「わたくしはまだまだこんなものじゃない」という強固な意思表示に他ならないのだが、少しでも前進を目論みたいぼくとしては、さらなる材料(写真)が欲しかった。これで40%を超えることができはずだと勝手に思い込んでいた節がある。

 撮影したRawデータをざっと見ながら2,3枚を選び出し、この1ヶ月で修得した36%のカラー作法と手順を用いて暗室作業を試みたのだが、思いのほか、どうしても上手くいかない。Photoshop相手に奮闘するも、イメージしたものが開発中のメソードを適用すると変形してしまうのだ。36%から24%くらいに低下してしまうのだから、ぼくにしてみれば死活問題でもある。原因?分からない!空気と地磁気の違いくらいしか思い当たらず、ぼくは途方に暮れてしまった。
  
 水が変わればすべてのことが変化するという理(ことわり)と筋合いをぼくはないがしろにしているのではないかということに、この原稿を書きながら今気がついた。烏山と東墨田の辻褄を無理に合わせようとするからいけないのだ。何事も無理強いしては碌なことがない。
 種類の異なる魚に同じ調理法を用いては上手くいくはずがないではないか。ぼくはこんな単純な理屈を見逃していたのだった。今、九死に一生を得るには、取り敢えずこの考えに全面的な賛同を示しておく必要がある。
 36%をアレンジしながら地道に模索するのが最良の方法だろう。長生きしなけりゃならんわ。

 長い間写真に従事し、アナログ時代から暗室作業にもことのほか熱心に取り組んできたつもりでいたが、この困窮と不覚を自身の力と素直に認めなければならない。それでこそ楽しみが倍加するというものだ。そして自身の「伸び代」を大きく取りたがるぼくは、とは言えやはりどこか謙虚なのかも知れない。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/311.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市。

★「01 烏山和紙会館」。
大正時代に建てられた旧烏山病院で、那須烏山市の近代化遺産となっている。窓を上下に開け閉めするタイプで、現在では珍しいとのこと。
絞りf9.0、1/100秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02 廃屋」。
街道に面したかつての商店。蔦の枯れ葉が建築内部にまで侵入している。
絞りf13.0、1/40秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「03 烏山駅」。
下校時、気動車の排気ガスが駅に立ちこめる。懐かしい臭いだ。分厚い雲により空の明度が極端に落ちる。
絞りf11.0、1/80秒、ISO100、露出補正-1.00。
(文:亀山哲郎)

2016/08/19(金)
第310回:那須烏山 モノクロからカラーへ(3)
 熱暑のお盆だったそうである。“だったそうである” とはまるで他人事(ひとごと)であるかのような言い草だが、涼を求めての避暑に出かけたわけでもなく、また外地にいたというわけでもない。よんどころなく、エアコンの効いた自室にジトッと閉じ籠もりっぱなしだった。世間が静かなので普段落ち着いて読めずにいた書物を精読したり、目下課題としているカラー写真の暗室作業に勤しむこともできた。私的写真の、カラーへのさまざまな試みはまだまだ暗中模索の真っ最中で、未だ道半ばであり、なかなか思うように仕上がってくれない。自己採点をすれば36点くらいか。

 もう半世紀近く、ぼくはお盆や正月という日本の習わしに背を向け続けている。我が家の墓地は鎌倉の名刹であるにも関わらず、億劫が先に立ちことごとく義理を欠いている。言わずもがな先人に対する義理と人情の板挟みに苦しめられているのだ。ご先祖様には申し訳ないと思いつつも、「生ける人間最優先」というご都合主義のお題目を唱えながらお許しを請うている。これは我が家に脈々と受け継がれた厳粛な?家風でもある。
 祖父は美術に、父は文学に、成れの果てのぼくは写真に従事と、この家風は無定見な仕来(しきた)りのなかで育まれ、そして気ままに生きてきた必然性から生じたものであろうとぼくは考えている。また無信心のぼくにとって、興味ある純正日本型取り繕い・応急手当式信心にも明確な料簡を持てずにいる。
 聞くところによると、ぼくの曾祖父は敬虔な仏者であったそうだ。父は学生の身ながら並み居る教授陣を前にインド哲学の講義をしていたと彼の学友から聞かされた。どこでぼくの宗教的DNAは寸断されちまったんだか?

 ともあれ、ぼくの盆・正月引き籠もり症候群に特段の理由はなく、手短にいえば、ただ帰るところがないだけなのだ。これが故郷を持たぬ人間の、祭りや祈りに対する素っ気なさなのであろうと思っている。60年以上も住んでいるさいたま市に郷土愛のようなものを感じることもなく、いつもよそ者感覚でいることの不思議さ。それはまるで60年にも及ぶ仮寓のようでもある。住めば都=郷土愛ではないのである。
 帰るところのないぼくは、帰省で賑わう人々の心情やその帰巣本能を羨みながらも、しかしあの雑踏と混雑には到底耐えられそうもない。おそらく帰るところがあっても、屁理屈をこねながら世間への義理立てを拒むに違いない。

 今年3度通った真岡、先月訪れた那須烏山などは撮影を目的としたものに違いはないのだが、ぼくの心理分析によると、心のどこかに里帰りをする人々への羨望を何かで補おうとの目論見が見え隠れしていたように思えてならない。
 見知らぬ土地に行くと、「ここがぼくの故郷であれば好きになるだろうか?」という問いかけを無意識のうちに必ずしていることに気づく。わずかでもフォトジェニックなものや自身の原風景のようなものが発見できればたちまち親近感を覚え、にわか故郷に取って代わるのだから、なんともお手軽なふるさと仕立てである。名所旧跡などなくてもぼくは一向にかまわない。それはぼくの被写体としての対象にはなってくれないからだ。そして、風光明媚でなくてもいい。原風景のイメージ構築を手助けしてくれるようなものがそこにあれば、それで事足りる。真岡はそのような直感を与えてくれた街であったが、烏山は1度限りの訪問では未だ不明である。だが、カラー写真への自身のアイデンティティーを示唆してくれたことはとても幸運だった。烏山はカラー写真をもう一度見直すチャンスを与えてくれた街だった。

 今までいろいろなところを旅して、一度もホームシックに駆られた経験をしたことのないぼくは(厳格な父が待ち構えているので)、育った住み処を懐かしく思ういわゆるノスタルジーというものを他所に求めていたのだろう。帰宅拒否症が、さいたま市に郷土愛を持てぬ一因となっているのかも知れない。なんだか住み慣れた街に申し訳ない気持で一杯だ。
 父が急逝して今年で36年になるが、過去の習性に対する条件反射とはしぶといもので、父のいない家と知りつつも未だに帰宅拒否症が続いている。嫁が父の代役を律儀に務めているからかも知れない。公平に測ってみるに、どうやら嫁の方が父より厳格さを有しており、しかもいろいろと執拗に追及してくるからどうにも敵わない。出不精のくせに一旦飛び出すと、もう永久に帰らないとの誓いを何度立てたことか!でもちゃっかり帰ってしまう。ぼくにも帰巣本能というものがあるらしいのだ。
 そろそろご先祖様への不義理を反省し、そんな弊習を改める時期なのかも知れないと、このお盆に悟った次第。

※参照 → http://www.amatias.com/bbs/30/310.html

カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mm F2.8L II USM。

撮影場所:栃木県那須烏山市。

★「01紫陽花となまこ板」。
降り出しそうで降ってくれない雨。紫陽花に雨は似合うと思いきや、なまこ板にもマッチすることを発見。
絞りf9.0、 1/60秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02枯れ紫陽花」。
路地の入口にすっかり色あせた紫陽花が。
絞り8.0、 1/125秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03龍門の滝」。
かつて訪れたことのある龍門の滝に行ってみた。雨ならぬ滝のしぶきに濡れた草花が毛髪のようにベッタリと地面にへばり付いていた。コントラストや色相、彩度を細かく調整し立体感を。補整に丸半日がかり。
絞りf8.0、 1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2016/08/05(金)
第309回:那須烏山 モノクロからカラーへ(2)
 「真を写す」ことを意味して「写真」となったのかどうかぼくは知らない。
「写真」の語源とその由来について調べてみると諸説あるようだが、少なくとも写真の発明された西洋では今日に至るまで、そしてヨーロッパの友人の話からも、写真が「真を写す」という捉え方はほとんどされてないと窺える。ぼくもその考え方にはまったく異存がない。

 写真の発明されるずっと以前から「写真」という言葉(漢語も含めて)はすでに存在していたようで、西洋から輸入された「フォトグラフィ」を「写真」と翻訳して(当てはめて)しまったのは、迂闊にも写真表現の範囲を狭めかねない不幸な出来事だとぼくは思っている。生真面目な日本人にとって、「真を写す」という哲学的概念の呪いは自由な表現を束縛しかねないからだ。「写真」などという大仰な翻訳ははた迷惑であり、また人騒がせでもある。「写真」だなんて、そんなに深刻ぶらなくてもいいじゃないか。
 「フォト」は”光”という意味であり、「グラフィ」は”絵図”とか”表現法”であるから、フォトグラフィは「光学的描画」であり、それを縮めて「光画」と解釈したほうがよりまっとうだ。ぼくは常日頃から、「写真は光で描く絵」といっているので、感覚的には「光画」が最もしっくりする。「真を写す」などというものでもあるまいに、と思うのだが。
 余談だが、英語圏では一般に「写真を撮る」ことを”take a picture”と表現する。写真は”picture”と同義なのである。そのような文化的背景が確立されているので、オリジナルプリントが絵画同様に扱われ、そのことにより欧米には高品質デジタル印画紙が意欲的に産み出されているのだろう。そこには再現性ばかりでなく面質や保存性にも細心の注意が払われている。日本の技術は優秀だが、ソフト面に於いては欧米に一日の長がある。

 デジタルこそ作者と被写体の相互関係が、「そこに存在したことの単なる証明」から離れ、自由な”筆遣い”を許し、また可能にし、被写体の向こう側にある作者の感情や心理・思考、そこに成り立つ固有の心象風景を追い求めるに相応しい媒体だとぼくは認めている。デジタルはフィルムよりずっと自由度が広がっているのだ。


 改めてカラー写真再考のきっかけとなった理由はいくつかあるのだが、そのひとつをお話しすると、今まで親しんだ画集を何冊も長時間にわたって凝視したことにある。普段から、写真にはもっと自由な色遣いがあって然るべきだと思いつつ、その勇気をなかなか得られずにいた。ぼくのカラー写真は、頭のなかで描く色遣いはもちろんのこと、自分の写真的規範という良心に従ったものでなければならず、怪しげなモダンアートの類に与(くみ)せずという制約の下での試みである。モダンアートというあやふやな免罪符を利用して、何やらインチキ臭いものが氾濫し、跋扈しているその独善的な現状にぼくは好意的な反応を示せずにいる(我慢ならないという時もある)。カラーへの挑戦は、「ならばおまえはどうか!」という試みでもある。
 どのような色遣いをしようと、それがぼくの心象をより良く、色濃く表現できるのであれば、果敢に取り組むべしという命題をぼくは自身に与えた。普遍的な美との折り合いをどのようにつけ、昇華させるかという難問が立ちふさがるけれど、まず始めてみなければ何も見通せないのだから、「案ずるより産むが易し」である。

 烏山市では当初あて込んだ降雨がなく(降水確率90%にも関わらず)、ぼくは天より気象庁を恨んだが、素早く気持を切り替え、いつものモノクロ写真を放棄し、命題としたカラー写真に挑むことにした。
 私的写真では久しぶりのカラーであり、戸惑いながらも被写体を前にして「ここはビュッフェ調、ここはマティス風、ここはカンディンスキーもどき」なんていうことを次々に唱え、かつて愛用した幾種類ものカラーポジフィルム(スライドフィルム)に多様なフィルターワークを重ね合わせ、イメージを構築していった。それを具現化するための暗室技術が追いつくかどうか、一抹の不安が頭をよぎるが、デジタルの恩恵を受けながら何か新しい発見が出来ればしめたものだと言い聞かせたのだ。

 ぼくのカラー写真に対する感覚は、ポジフィルムによるところが非常に大きい。特に写真屋になって以来、毎年量販店のポイントが10万を超えるほどポジフィルムを購入していたので、まさに「使い倒していた」という表現がぴったりかも知れない。ポジフィルムの扱いはとても厄介で難渋したが、再現能力の高さは今日でも随一のものだと信じている。そのくらい完成度の高いものだった。このフィルムの使いこなしは、商売人になったからこそのものだと感じている。あらゆる知識と技術の総動員を要求されるのがポジフィルムである。

 決して完成度が高いとはいいかねるデジタルのカラー原画を、「気分はカラーポジ」といいながら、イメージに添って仕上げてみた。もちろんポジフィルムがこのように発色するわけではなく、あくまでもぼくのイメージカラーである。したがって、被写体の実際を「真」とするならば、「写」っていないので、これはいわゆる一般にいうところの「写真」ではないことになる。
 ぼくは怖ず怖ずとしながらも思いの丈をPhotoshopという絵筆でイメージを描きながら、今正直な人間に少しだけ近づいたような気がしている。

 来週はお盆休みのため休載となるそうです。悪しからずご了承ください。

※参照 →  http://www.amatias.com/bbs/30/309.html


カメラ:EOS-1DsIII。レンズEF16-35mmF2.8LIIUSM。

撮影場所:栃木県那須烏山市、真岡市。

★「01赤い酒蔵」。
降雨に未練のあるぼくは烏山から見慣れた真岡に移動。酒蔵の赤ペンキを見て、若い頃熱狂したビュッフェ(仏の画家。B.Buffet、1928-99年)の絵を咄嗟にイメージ。
絞りf4.5、1/100秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02枯れた紫陽花」。
烏山市。うっすらと残った色を強調。
絞りf5.6、1/160秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「03般若寺五重塔」。
精密に作られた五重塔の模型。かなりの大きさだ。京都生まれのぼくは五重塔には特別な思い入れがある。また、幸田露伴『五重塔』に記された五重塔の模型にも思いが至る。
絞りf9.0、1/30秒、ISO400、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)