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■亀山哲郎の写真よもやま話■
亀山哲郎氏 プロカメラマン亀山哲郎氏が、豊富な経験から、カメラ・写真にまつわる様々な場面におけるワンポイントアドバイスを分かり易くお伝えします!
■著者プロフィール■
1948年生まれ。大手出版社の編集者を経て、1985年よりフリーランス・カメラマンとしてコマーシャル写真に従事。雑誌、広告の仕事で世界35ヶ国をロケ。
現在、プロアマの混成写真集団フォト・トルトゥーガを主宰。毎年グループ展を催し、後進の指導にあたる。
2003年4月〜2010年3月まで、さいたま商工会議所会報誌の表紙写真を担当。 これまでに、写真集・エッセイ集などを出版する他、2002年〜2008年には『NHKロシア語講座』に写真とエッセイを72回にわたり連載するなど、多方面で活躍中。

【著者より】
もし、文中でご不明の事柄などありましたら、右記アドレス宛にご質問ください。 → kameyamaphoto2@mac.com

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2020/07/17(金)
第505回:水芭蕉の災難
 まだプロの写真屋になる前、ぼくは出版社で編集者として働いていた。その時代、公私にわたり尾瀬に何度か出向いたことがある。初めての訪問は尾瀬に詳しい執筆者に連れられてのことだった。いわば編集者と執筆者の関係だったが、この時はプライベートでの訪問で、ぼくは執筆者であったTさんに随分と可愛がってもらった。それ以降、おそらく7,8度は雑誌の表紙や扉写真の撮影のためデザイナーやカメラマンを同行し、尾瀬を訪問したものだ。
 尾瀬ヶ原ばかりでなく、燧ヶ岳(ひうちがたけ。尾瀬国立公園にある標高2,356mの火山で、約500年前に噴火)や至仏山(しぶつさん。同2,228m)にも登った。
 Tさんを介して懇意にしていただいた山小屋のご主人のガイドにより、ぼくのような山歩きの素人が立ち入ることの難しいところを幾度となく案内してもらったものだ。
 写真を職業とするようになってからは、今日まで訪れる機会がなく、尾瀬はぼくにとって過去のものになっている。Tさんも山小屋のご主人も今はすでに亡き人となってしまった。

 当時(アマチュア時代)、花の撮影にはほとんど興味を示さなかったぼくだったが、尾瀬ヶ原に初めて足を踏み入れた時に見た色とりどりの衣装をまとった花々は、それはそれは一大感動巨編で、ぼくは人目を憚ることなく木道に寝そべり、嬉々として一心不乱に花の接写を試みていたことを、まるで昨日のことのように思い出す。
 今、約40〜50年昔のあの状況に立たされれば果たして同じことをするだろうかと思いを巡らせてみるのだが、なかなか答に辿り着かない。この4ヶ月近く近所を徘徊し、花を渉猟しながら、夢中になって撮っているのにである。

 木道の朝露を度重ね踏んだお陰で、接写に於ける被写界深度やフォーカスの合わせどころを学べたと思っている。初めての尾瀬から帰京し、カラースライドフィルムとモノクロネガフィルムをルーペで丹念に覗いてみて、多くの失敗に気がついたものだ。同じ失敗を繰り返すまいと、行く度にそれを強く意識するようになった。
 普段、何となく知ったつもりになっていた被写界深度について、接写をして初めてその恐ろしさを実感したといってもいい。アマチュアのぼくにとって、花の撮影は大変多くの学びと気づきを与えてくれた。「尾瀬は過去のものになった」と書いたが、そこで得た教訓はこの4ヶ月ほどの集中的な花撮影で大いに役立ってくれている。尾瀬は接写の極意ならぬ勘所を余すところなく教えてくれた。

 写真の話はそこそこに(本末転倒じゃ?)、尾瀬の話に戻るが、彼の地に於ける一大感動巨編から唯一抜け落ちたものがあった。それは尾瀬の名物とされる水芭蕉だった。最初にどうしてもいっておかなければならないのだが、ぼくは水芭蕉がどうにも好きになれない。それどころか嫌いである。その理由を控え目ながらも記しておきたい。
 このようなものを尾瀬の主役として扱うのは我慢がならないし、またこれを喜び、愛でる人々の美意識を “大きなお世話” と知りつつ、ぼくは著しく疑うのである。ぼくがこの世で毛嫌いをする花は、水芭蕉とケイトウ(鶏頭)のふたつだけだ。

 尾瀬を初めて訪れたのはニッコウキスゲが湿原を山吹色に染めていたのでおそらく7月下旬だったであろうと記憶する。ニッコウキスゲも特段好きな花ではないが、水芭蕉よりはおかしな芸のない分、あざとさがなくまだ救いがある。
 7月下旬の水芭蕉は旬を過ぎ、その残滓がまだところどころで見られた。化け物のように巨大化した、グロテスクそのものの姿にぼくは唖然としたものだ。他の時期に巨大化していない水芭蕉も見たが、あの気取ったよそよそしさにぼくはどうしても親しみを持てなかった。「人気者と聞くが、写真なんか絶対に撮ってやるものか!」といつもつぶやいていた。

 花はエロスの化身、あるいはその対象であるかのようにぼくはしばしば捉えているが、水芭蕉は自らの佇まいに控え目な感覚を有しておらず、抽象的な美しさが夥しく欠損している。
 エロスのありようが非常に押し付けがましく、しかも図々しい。これ見よがしに咲くその姿は露骨であるが故に、品位に欠ける。それに加え、あのどこか偽善的な造形は、淫靡で如何わしささえ窺わせる。アンスリウム(熱帯アメリカ産の観葉植物)のほうがあっけらかんとし、しなを作ってへつらうような様がないだけ、はるかに健全な精神を宿し、好感が持てる。水芭蕉は性悪女に似、アンスリウムは知的ではないが悪気がない分、直裁で気立ての良さがある。

 とまぁ、ぼくは他人から見れば自らをひねくれ者と称しているようなものだが、世の中には “本気で” 「水芭蕉は美しい」と感じている人がいるのだろうかと、ぼくはこの半世紀近くも信じ難い思いを “本気で” 持ち続けている。
 尾瀬を謳った有名な唱歌「夏の思い出」が頭のなかで鳴り響いたり、どこかから聞こえてくるとぼくは頭を抱えながら、「頭が頭痛で痛い!」としゃがみ込んでしまうのだ。
 水芭蕉の印象をぼくのなかで左右したもうひとつの要因がこの歌の作詞家にあるような気もする。作詞家の江間章子(1913-2005年)が1972年に「金日成首相は地球の上のともしび」を発表したのを知り、なおさらの感がある。水芭蕉も多少はそのとばっちりを受けているのかも知れない。
 いろいろなものが重なり合っての水芭蕉嫌悪であるが、もう一度尾瀬を訪ね、木道に寝転がってみたい衝動に駆られている。でもやはり、約束通り水芭蕉にレンズを向けることはないだろう。

http://www.amatias.com/bbs/30/505.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
泰山木(たいざんぼく)。モクレン科の常緑高木。樹高20mにもなるそうで、原産はアメリカ南部。花に魅せられて、何度も通った。その度に、変化する花の様子を観察。微妙な色具合と質感に惹かれる。
絞りf11.0、1/30秒、ISO400、露出補正-1.67。
★「02さいたま市」
同木。異なる日に異なるつぼみを。今週も見に行ったが、花はもう一輪も咲いていなかった。陽が地平線に沈む頃、手ブレに気をつけて、気合いを入れる。
絞りf13.0、1/20秒、ISO400、露出補正-1.67。

(文:亀山哲郎)

2020/07/10(金)
第504回:湿気にご用心
 今週、相も変わらず、連日雨模様のなか濡れ鼠になりながら、紫陽花の撮影に大半を費やした。もうそろそろ紫陽花も栄映えを閉じる頃だろう。ぼくも今年最後の足掻きのように「花は季節物。天敵と覚しき紫陽花を撮るのは今のうち」と唱えながら、「紫陽花の裏側にうごめく得体の知れない想像上の気味の悪い生き物たち」の正体を見極めるべく、撮影の士気を鼓舞していた。

 しかし紫陽花に限らず、ぼくがこれほど花に憑かれたようにレンズを向けるとは考えてもみなかったことだ。花とは、元々美しいものであり、それをより美しく、しかも自身のアイデンティティやオリジナリティといった、つまるところ「かめやまの花」をどのように表現するかに思いを巡らせば、それは至難の技であることのように思われた。
 上記した「美しい」の定義は非常にデリケートで著しく玄妙なものだ。創作物に対する美のありようについていえば、それはその人の生き方に基づいており、そこで磨かれた物差しにより決定されるものであろうと思う。
 撮るのであれば、「ぼくの美しい花」、さらに好ましくは「気味の悪いほど美しい」ものでなければならず、誰が撮っても同じようなものであっては写真(創作物)の意味がない。誰からも、曰く「きれいね〜」では、写真愛好家の名折れというものだ。このことは極めて本質的なことであると明確に主張しておきたい。「万人に好かれちゃ、そんなものは駄目なんだよ」とぼくは自身に強く言い聞かせる。

 自己表現のための題材として、ぼくが花を選ぶ必然性のようなものが今までは見出せなかったし、実は今もそうかも知れない。ぼくより花に詳しく、好きな人はごまんといるのだから、そのような人にお任せすればよく、ぼくでなくてもいいと本気で思っている。そんな理由もあって、前号「自分の姿が、我ながら何だかおかしい」と述べたのだが、そうはいいつつも今ぼくは玩具を与えられた子供のように、花にご執心である。花に畏敬の念を抱き、その美しさと神秘性に絆されている。
 自身の主題(花ではない他の被写体)を外れて、今花に固執しなければならぬ状況を作り出したのは、皮肉にも忌々しき流行疫病である武漢ウィルスのためだ。

 ぼくはコマーシャル・カメラマンなので、花を図鑑的により美しく、正確に写し取ることの処方箋は過不足なく心得ているつもりだが、自身の姿を花に転写するとなると、いささか事情は異なってくる。端的な言い方をすれば、私的な写真は、必然的に客観性より主観性に重きを置くことになる。
 コマーシャル写真であれば、背景を整え、ライティングをし、撮影者の都合通り事を運ぶことができ、それなりに見映えもするのだが、自然界にある花を撮るには、自然・花・光・自身の調和を必要とする。調和のバランスが上手く取れないと不協和音が鳴り響き、ありきたりで面白味のないものや作者の存在感が伝わって来ない。それは無個性な亡霊のようなものだ。したがって、主張すべき美の世界を失うということになってしまう。それでは創造の意味がない。このような現象が特段顕著になるのが花の撮影であるように感じている。

 しかしこの季節、紫陽花も然る事ながら、私たちの大切な機材にとってはカビという大敵が待ち受けている。始末の悪い季節だが、忙しい合間を縫いながらも十分なメンテナンスを行わなければならない。
 特にレンズは要注意。カビの発生を防ぐために、ぼくは週に一度、しばらく使用していないレンズを取り出し、カメラに装着し、空シャッターを切ることにしている。カビ防止のメンテナンスといってもせいぜいこの程度の気安さで良い。ぼくはもう何十年もこの作業を繰り返しているが、カビを生やしたことは未だない。ぼくのようにずぼらな人間がこれを励行しているのは、やはり商売道具という意識がどこかにあるからだろうと思う。

 カビ防止については、拙連載の初めの頃に(何時だったか失念)にその防止法を詳しく記した記憶があるのでそちらを参照していただければと思うのだが、要は「カメラバッグに仕舞いっぱなし」や「袋などに入れっぱなし」が機械にとっては一番良くない。湿気によって蒸されると、機械というものは接触不良を起こしたり、潤滑機能なども劣化の一途を辿る。
 バッテリーや記録メディアをカメラに装着しっぱなしというのも、「百害あって一利なし」で、とにかく「・・・しっぱなし」を避けるだけで、機械の寿命はかなり延びるものだということを知っていただければと思う。
 カメラやレンズはいうに及ばず、若い頃から車やオーディオの道楽三昧をして得た機械の延命処置の秘訣は、「定期的に正しく使用することを第一に心がけること」だ。おかげでぼくは誰よりも物持ちが良いと自認している。
 ただし体に関しては大変無頓着で、錆と油切れ、不摂生・不養生の極みだから、いつまで悪態をつきながら元気に写真を撮れるか知れたものではない。

 多分来年の梅雨時にも、「雨ニモマケズ」(宮澤賢治はぼくの肌合いではないのだが)を元気に口ずさみ、「ずんだれパッチのように」レインコートを引きずりながら、潮垂れた姿で、近所の貸し農園あたりを彷徨っているのだと思われる。せっかくの、周回遅れの「花の美しさ発見」なのだから。

http://www.amatias.com/bbs/30/504.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
以前から気になっていた「さいたま市園芸植物園」がやっと自粛解除により開園となったので、仕事帰りにふらっとそこの温室に寄ってみた。着物の襟元を重ね合わせたような木肌を持つ大木「旅人の木」の面白さに魅せられて。
絞りf11.0、1/30秒、ISO400、露出補正-1.33。
★「02さいたま市」
同じく「旅人の木」の上部。さらに多くの着物を重ね合わせたような模様が面白い。
絞りf11.0、1/50秒、ISO400、露出補正-1.00。


(文:亀山哲郎)

2020/07/03(金)
第503回:紫陽花(続)
 今週も雨の降りしきるなか、レインコートを身にまとって群生する紫陽花を撮影していた。ムキになって紫陽花との対決を迫っている自分の姿が、我ながら何だかおかしい。おかしいが、やはり「雨の日には紫陽花がよく似合う」なんて気恥ずかしいことは、自分の過ごしてきた生き方や形風俗からして、どうしてもいえない。残念ながら、今のところぼくには似合いそうもない。だが、いつか一度くらいはそう嘯(うそぶ)いてみたいものだ。
 雨中撮影の難儀を耐え忍んでまで紫陽花の容姿に魅了されているわけではないのに、髪の毛をぐしょ濡れにしながらもぼくは半ば意地になってレンズを向けていた節がある。それは獲物を一発で仕留めようとの鬼気迫るような雄々しい姿ではなく、あたかも悪女の深情けに取り憑かれ、潮垂れた(しおたれる。元気がなく、みすぼらしいこと)男のようであったろうと思われる。悲しいかな、それを空意地とでもいうのだろう。

 もしかすると、その意地は前号にて記した幼年時代から今日に至るまでの長きにわたる幻影によるトラウマ(厳密には実体験による傷ではないので、トラウマとは言い切れないのだが)からの克服を試みようとしているものなのか、あるいはまた、幻影の実体を確かめようとしているかのどちらかであろう。畢竟するに紫陽花の撮影は、「写す」という行為を越え、幻影の実体を見極めるための、一種の執念に近いもののようだ。
 ぼくの脳裏にある幻影とは、「紫陽花の裏側にうごめく得体の知れない想像上の気味の悪い生き物たち」のことなのだが、それを幻影だと決めつけることができないような環境にいつだって紫陽花は生育し、かつ「そんなこと、私の知ったことではない」という無頓着な咲き方を実際にしている。咲き姿が運動会や学芸会に見られる丸い花のように「ひと山いくら」というありように似て、有難味に欠ける。そして花の形状がカリフラワーのようでもあり、無邪気過ぎて、丁寧さや繊細さというものが感じられない。ぼくはこの料簡に嫌気が差すのだ。
 ただし、日本固有の梅雨時の風物詩に、文字通り「花を添えて」いる点は、動かしがたい美だと認めざるを得ない。その風景は絵画的ですらある。

 しかしぼくのこのような理屈は屁理屈ともいえ、若い頃に読んだアドラー心理学(アルフレッド・アドラー。オーストリアの精神科医、心理学者。1870-1937年)の「原因論」(あることが原因となって、必ずあることが帰結するとする理論)などを頼れば話の辻褄合わせくらいは見つかるかも知れないが、今この話はひとまず差し控える。どこかでまず有益な?写真の話をしなくっちゃと、ぼくはやはり得体の知れない何かに脅かされているのだ。

 撮影途中から、暑さと湿気に弱いぼくはたまらずレインコートをかなぐり捨て、カメラバッグのベルトに結びつけて、非常にだらしない恰好となっていた。レインコートが左肩から所在なくだらっとぶら下がっていた。それは誰がどう見ても、フィールドワークにこなれた颯爽たる職業カメラマンの姿ではなく、かといって時折見かける熱心なアマチュア愛好家のようなスマートで知的な様相などでもなく、やはりぼくはどこまでも泥臭く、潮垂れていた。
 半ズボンや靴下もだらしなくずり落ち、レインコートの裾に泥が付着していたくらいだから、引きずっていたに違いない。全体どんな恰好であったのだろうと考えるだに滑稽である。
 ぼくは、亡父が口癖のようにいっていた「ずんだれパッチのような」(九州の言葉。「ずんだれる」は、「だらしのない」とか「締まりのない」とか「みっともない」とのニュアンスで、「パッチ」は「ももひき」のこと)ありさまで、お気に入りの紫陽花を探してはそれに立ち向かっていた。これがプロの出で立ちとは到底思えないような、おおよそ洗練さとはほど遠い野暮な恰好で写真を撮っていたのである。
 しかし、「ずんだれパッチのような」とは、如何にも親父の好みそうな、ちょっとひょうきんだが凄味のある表現だと、ぼくはシャッターを切りながら感心していたくらいだった。その表現は見事にぼくの風体を言い当てていた。

 雨と汗を吸い取れなくなったバンダナからは、塩っぱい雫が頬に流れ落ち、首筋をスーッと伝ってTシャツに染み込んでいった。レインコートによる暑苦しさから逃れられるのであれば、濡れ鼠(ぬれねずみ。衣服を着たまま、全身水に濡れた状態。大辞林)のほうがずっと心地良い。雨に濡れたぼくの白髪は多分黒くなり、髪だけはこのままずっと乾かないでいて欲しいと願ったものだ。

 雨降りの神社仏閣や山間地はとても暗い。ぼくの感覚からすれば紫陽花は他の花に比べ奥行きがある(アングルにもよるが)ので、ある程度の被写界深度を必要とする。それがぼくの好みでもある。風に揺れる紫陽花を捕らえるには、それ相応のシャッタースピードを必要とするので、ISO感度は滅多に使用しない400〜800だった。ピンポイントのアングルを探せても、写真がブレては元も子もない。カメラブレ、被写体ブレの双方を避けるには、より慎重なシャッタースピードの設定(延いてはISO感度の設定)が要求される。

 また、絞り値を大きくすること(絞り込む)で改善できる収差もある。収差とは非常に厄介なレンズ特性であり、像の流れ、色のにじみを生じさせ、解像感やコントラストなどに悪影響を及ぼす。特にコントラストの強い白い花弁の縁などに色収差が出現する。これを軽減させるためにもある程度の絞り値を必要とする。絞りを開けて撮影した時に「ギャッ!」と叫ぶほどの色収差に悩まされることがあるので、使用レンズの特性をよ〜く知っておく必要がある。
 雨中の暗所での紫陽花撮影で、ぼくはパンツまで濡らしてしまったが、肝心の妖怪たち(幻影)の正体を暴くまでには未だ至っていない。

http://www.amatias.com/bbs/30/503.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
人間にたとえるなら、まだ思春期の紫陽花といったところか。「このアングルから撮りなさい」と自ら指示をしてくれたおませな紫陽花だ。黄色と青とピンク、化粧過多だよ。
絞りf13.0、1/30秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
額紫陽花。花弁の付き方がどこか遠慮がちで、しかも戸惑っているように見えた。カリフラワーのような厚かましさがなく、ぼくはこの額紫陽花に好感を抱いた。
絞りf10.0、1/80秒、ISO400、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/06/26(金)
第502回:紫陽花
 県外脱出OKの公布がなされ、早速都内へ仕事の打ち合わせに出かけた。心情的に、自他共に与える影響を考慮し電車より車を選んだ。運転時に限らずひとりでいる時に、あれこれと夢想に耽る習癖のあるぼくは、ハンドルを握りながら「今までに撮った花で(私的な写真)一番多いのは何だっただろうか?」と自問してみた。
 候補はふたつに絞ることができた。 “ひまわり” と “あじさい” だ。
頭の中では平仮名でなく漢字の “向日葵” と “紫陽花” がフワッと迷うことなく浮かんだ。平仮名と漢字、どちらの表現が自身にとって親しみが持てるかといえば、 “ひまわり” は平仮名のほうであり、 “あじさい” は漢字のほうが、少なくともぼくにとってしっくりし、しかも美的に優位であり、また好ましくもあると感じている。

 紫陽花は別名 “七変化” (しちへんげ)とか “四葩” (よひら。花弁が4枚あること)ともいわれ、どことなく文学的なニュアンスを漂わせている。 “ひまわり” と “あじさい” は、 “ばら” と “らん” が対称的な印象を与えているのと同じような感覚をぼくは持っている。これは個人的な感覚なので、異なる人も多いかも知れない。
 また、音楽でいえば “ひまわり” は長調であり、 “紫陽花” は短調のようでもある。ぼくにとって長調と短調を代表する花を今まで躊躇なく選んできたように思える。しかし、どちらかといえば、短調である紫陽花のほうが陰影と妖しさを感じさせ、ぼくのなかではイメージのバリエーションが豊富に存在するような気がしている。
 撮影の難しさは変わらないが、自己表現の対象としては、ぼくは今紫陽花に肩入れをしているし、盛夏となりひまわりが強い存在感を示しても紫陽花に対するほどの執着心は起こらないように思う。ただし、観賞としての花そのものはひまわりのほうが大らかで屈託のない分、ぼくの好みに合っている。ここらがちょっとややこしい。

 今、思い返すとぼくが私的な写真にカラーを持ち込んだのは、4年前に栃木県の那須烏山で紫陽花を撮ったことに起因する(第310回:「那須烏山 モノクロからカラーへ」に紫陽花を掲載)。あれ以来、紫陽花を意欲的に撮ることはなかったが、武漢ウィルスのおかげで、今再び紫陽花にレンズを向けるようになった。
 紫陽花は日陰で咲くジメッとした花との感受を示し、黄色一色のひまわりとは異なり色とりどりだが、どこか陰鬱なものを感じさせる。陽光が燦々と降り注ぐ下での紫陽花は違和感があり、想像しにくい。太陽の下での花でないところが、ひまわりとの大きな差であろう。

 白状するが、ぼくは実は物心のついた頃から紫陽花が大の苦手だった。理由は単純なもので、あの薄暗い花のなかに手を入れるのがとても恐かったからだ。花と花の間に手を差し込もうものなら、何か得体の知れぬものにガブッと食いつかれるような気がして、気味が悪かった。その気分に未だ囚われたままだ。生育環境も晴れ晴れとはせず、熱帯雨林のように湿気で蒸れたような印象を与えるので、やはりぼくは苦手なのだ。

 得体の知れぬものとは、アンモナイトのように大きく異様に変形したカタツムリや蟒蛇(うわばみ。巨大な蛇)のようなアオダイショウが赤い目をして枝に絡みつき、50cmもあるムカデやザリガニのようなサソリがウジャウジャいるような気がしてならず、小学生の頃はそのような取り留めもなく不確かな幻影が心のなかで現実と化し、いつの間にかそれを信ずるようになっていった。紫陽花の群生する環境とはそのようなものではなかったか。
 齡70を過ぎても、そのトラウマから逃れられずにいる。紫陽花の写真は嬉々として撮るが、「君子危うきに近寄らず」とばかり、未だに花に触れることはない。「雨の日には紫陽花がよく似合う」なんて気恥ずかしいことを、少女のようにさらっといってみたいものだ。気負いなくそんな科白をいえるようになれば、ぼくの写真も少しは様相が異なってくるのかも知れない。

 写真は本当に不思議かつ正直なもので、ちょっとした心の動きや変化、そして幼少時に培われた原体験や原風景が映像に少なからず影響を与えるものだ。したがって、自分自身の心のありようを事細かく観察し、分析し、自覚しないとなかなか次の段階に進めないのではないだろうかと、ぼくは今頃になってそう思うようになった。このことが正しいかそうでないかは、今のところ確かめようがないのだが。

 物作り屋は迷うことを常とすることを宿命づけられているのだから、答を求めるべきではないと考えている。元々答などないのだしね。「迷えば凡夫、悟れば仏」というが、物作り屋は宗教者とは生きる哲学が正反対のところに位置するものだとの信念をぼくは若い頃から持っている。しかし双方とも、遠い遠いところで交差することがあるかも知れないと観念的には思うが、ぼくはまだまだそこには至っていないので、取り敢えずは、古今東西の優れた写真を見て自己暗示をかけることに専心したほうが良策というものだ。ぼくはこの効用に何度かお世話になり、それ相応のものを与えられたように思っている。海外ロケや見知らぬ土地に行く時はよくこの手に頼ったものだ。
 今度紫陽花を撮る時には、蛮勇を奮って花のなかに手を差し込んでみようかと、ぼくは迷っている。

http://www.amatias.com/bbs/30/502.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
雨の日にブルーの紫陽花を。「雨の日には紫陽花がよく似合う」とはいえなかった。
絞りf11.0、1/40秒、ISO400、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
雨しずくに濡れた紫陽花。今まで見たこともないような色合いだった。文字通りの紫色がかった色に見惚れて。
絞りf13.0、1/40秒、ISO400、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/06/19(金)
第501回:ジジィの手習い
 「500回は “折り返し地点” ですね」と知人から不意を突くようにいわれ、ぼくは当意即妙の受け答えができず、思わず口をへの字にして電話口で黙りこくってしまった。どう返事をしてよいものかが分からなかったからだ。
 「折り返し地点」とは、つまり「半分まで来た」ということであり、「あと500回」もの先行き不透明で、自棄糞(やけくそ)のような長く辛い復路が待ち構えているという意味だと解釈した。ぼくが口をつぐんだのは、当然の仕草でもあった。これからの10年が長いかどうかはともかくも(きっとあっという間なのだろうけれど)、辛いことに変わりはない。

 10年経てばぼくは82歳になるらしいが、男の平均寿命を越えて厚かましくもそんな歳まで生き長らえるはずがないじゃないかというのが正直なところだ。自身の生命力にそんな自信はない。今でこそ「あと10年はいけるだろう」と高を括っているが、衰えの放物線は歳とは比例せず、年々急下降の一途を描くだろうことは、ぼくがいくらお人好しの極楽とんぼでも気がつこうというものだ。
 今まで、親族をも含めて、かなりの数の人々を見送ってきたが、ぼくの本心はというと、「元気なうちにこの世から去ろうじゃないか。それがせめてもの家族孝行でもあり、子孝行でもある」と思っている。気持は十分に健気なのだが、こればかりはきっと思うに任せず、現代の終末医療の問題点を身をもって学び、そしてそれに懊悩するのではないかと今から暗澹たる思いに駆られている。これが老いの憂鬱というものか。

 「生きる自由」があれば「死ぬ自由」があって然るべきだとぼくは考えるが、この世に「生まれ落ちる」ことは宇宙もしくは神の領域であり、したがって「死を選ぶ自由はない」と考えれば、いつまでも禅問答の様相を呈し、そこに倫理的な問題も加わり、凡人には取り留めもないままにお開きとなる。
 「その儀は如何に?」と問うても、人の幸・不幸はいつだって未解決のままだ。もしかすると、人は生と死の狭間にそれを悟るのだろうか?
 いずれにせよぼくは、さらに質の悪いジジィになって、憚りなく憎まれ口を叩き、偏屈で昔気質の「世直しジジィ」を気取るのかも知れない。迷惑この上なしだ。それでは家族孝行もあったものではなかろうにと、我ながら先が思いやられる。

 本日19日からやっと県をまたぐ移動が解禁となるらしい。ここしばらくの間、ぼく自身もかしこまって移動を控え、近所の貸し農園などで花や野菜を中心に撮り、それを掲載させていただいている。まだ撮り溜めがあるので、しばらくは花の写真ばかりになる模様。
 今まで花の撮影はスタジオでライティングをしながらのものだったが(仕事の写真)、この約2ヶ月間、自然光で集中的に私的な撮影をしてみると、スタジオとは別の面白さと難しさを発見し、この流行疫病を上手く利用したような気になっている。やはり、気を入れて集中的に長時間撮影すると学ぶことが多い。夢中になると今まで見えなかったものが見えてきたりするから面白い。あるいは、しばらく使わずに忘れかけていた技術的なことを思い出し、「そうそう、あれだ、あれだ」なんて苦笑いしている。
 そんな時、ぼくは辺りを窺いながらひとりであることのありがたさに一息つく。「プロのくせに!」と意地の悪い眼差しに晒される恐れがないからだ。世の中には目ざとく他人の手落ちを発見し、笑いを噛み殺しながら内心ほくそ笑んで憂さを晴らすという人が必ずいるものだ。何故かぼくの身の回りにはこのような好ましからざる手合いが、老若男女に関わらずはびこっている。自分に甘く、他人に厳しいという邪悪な心を持った人々である。

 武漢ウィルスのため友人とお喋りをしたり、飲食をともにすることを慎んだことによるストレスはあるものの、草花を凝視することにより得られる心の安らぎはとても貴重なもののように感じられた。小さな宇宙と生命を具現化している花は、陰鬱なストレスを拭い去ってくれたといってもいい。
 草花はどのような必然性があってこの地球上に存在しているのだろうかと、しみじみ考えさせられる。そんな体験は今までになかったことだ。そしてまた、時間や光の加減で同じ花が違って見えたりすることの発見は、今さらなのだが、その美しさと相まって非常な感動を覚えるものだ。

 そんな花を前に、ぼくはオキーフ(ジョージア。米国の女流画家。1887-1986年)やビュフェ(ベルナール。フランスの画家。1928-1999年)なら、「この花をどのように描くだろうか?」を勝手に想像していた。もちろん彼らが実際にどのように描くかは知れないが、ぼくはその想像をひとつの目安としてイメージを構築していった。そのほうがアングルや光の方向を定める確かな手助けになるような気がしていた。ぼくは甲斐甲斐しく自分の想像するそれに従った。

 撮影時には、それを画像ソフトで補整する際の事細かなことにまで想像を膨らませ、小さな宇宙に同化しようと試みた。それが上手くいくこともあるし、そうでないこともある。しかし万が一、小さな美しい宇宙が自分の手元で再現できれば、それはジジィの手習いにしては年相応で、今さらながらに上出来ではあるまいかと思うことにしている。

http://www.amatias.com/bbs/30/501.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
百合。撮影時のイメージ通りモノクロ仕上げに調色を施す。我ながら上出来。
絞りf13.0、1/160秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
うちわサボテン。これも撮影時からモノクロイメージで。美しい色なのでカラー写真への誘惑に駆られるが、ここは初志貫徹。
絞りf11.0、1/40秒、ISO200、露出補正-0.67。

(文:亀山哲郎)

2020/06/12(金)
第500回:不粋なる “通人”
 起床後ただちに珈琲豆を手でガリガリと挽くことからぼくの1日は始まる。単純な肉体労働は寝ている血行を呼び覚ますには持ってこいだ。珈琲ミルを回す感触と香りを楽しみながら、「今日はどんな被写体に巡り会えるか。そしてオレはどんな写真を撮るのだろうか」なんてことを大真面目に考えている。一寸先は闇、写真はさらに闇。なので、未知への想像はとても愉快だ。
 そしてまた、豆を挽き終わった時(約500cc分の珈琲を淹れるためには、ミルのレバーを400回近く回す必要がある)、その日の体調を推し測ることもできる。若い人はほとんど頓着せずに済むのだろうが、体調にデリケートにならざるを得ないお年頃の人間には、これほど些細なことでも、体調のバロメータになってしまうのだから嫌になる。この豆挽きバロメータ、案外正確なので侮れない。

 豆挽き労働による塩梅は、重いカメラをぶら下げて「今日は何時間彷徨えるか。どのくらい粘れるか」の目安にもなる。体調と根気は本来比例するものらしいが、ぼくはその感覚が未だアンバランスなので、凛々しくも身のほどをわきまえず、つい幼児の如く振る舞う。したがって、翌日にその付けが律儀な勘定書きのように回ってくる。曰く「足が怠い。腰が痛い。背中が・・・、肩が・・・」と忙しい。気分だけは若い頃と変わらないつもりなのだが、体はそうもいかず、知らぬうちに悲痛な面持ちとなる。もう何百回もそんな思いをしつつ、「こんなはずではないんだが・・・」を繰り返している。学習能力がないのと同時に、賢くないがために、過信による粗相ばかりしている。
 私的写真の撮影はほとんどが単独なので、「年甲斐もなく無理をしなさんな」という労りの声も聞こえてこない。もうそろそろ気の利く若人を随(したが)えようかとも考えている。

 自分の手で豆を挽き始めて、もうかれこれ20年以上も経つだろうか。いろいろな種類を試してみるのも楽しみのうちだが、ぼくはいわゆる “通人” ではない。どのような分野に於いても “通人” ぶる人がいるけれど、そんな人ほど信用の置けぬものはないというのが、齡70の結論だ。 “通人” とは、自身の懐具合に合わせて最良のものを選ぶ能力と知識を有する人とぼくは定義している。
 食についての蘊蓄(うんちく)を口走る人がよくいるが、物の聞こえからしてそれは無作法かつ不躾かつ不粋の極みで、「通人ぶるのは、この上なくみっともないからお止めなさい」とぼくはひとりごちる。これは紳士淑女の嗜み、いわば品性の表れではないかとも思う。
 本物の “通” は決して “通人” ぶらないものだし、どこにでもあるような酒を、如何にも美味そうに、楽しそうにいただくものだ。ぼくは実際に、このような人々に何度か出会う幸運に浴している。
 良き写真人は “通人” ぶらず、自身の使う様々な機材をこよなく愛玩し、使いこなすことが “通” への道なのだと思っている。自然体の “通” こそ本物なのだろう。

 珈琲好きの人に対しては身の置きどころがないのだが、ぼくは珈琲豆の銘柄について端的にいってしまえば、何でもいいのである。たいしたこだわりもなく、美味ければすべてよしとするその場凌ぎの乱暴者だ。加え、珈琲豆に詳しくもない。酸味だとか苦味だとかって、独立してあるものではないでしょ。ぼくはそのような複雑な混合体を見極める舌と感覚を残念ながら持っていない。
 豆の産地と味の因果関係など実際のところ、半分くらいあるようでないようなものだと本気で思っている。それくらい頼りにならぬものだ。
 豆が栽培されて、ぼくらの手元に届き、それを淹れるまでに一体何十、あるいは何百の工程(気候や化学変化)を経てぼくらの喉を通るのかを考えてみれば、ぼくのいう「豆の産地と味の因果関係など、漸(ようよ)う当てにはならぬ」というのも真実味を帯びてくるのではないか。まぁ、最大公約数的なものはあるのかも知れないが、ぼくにはそれすら判然としないし、確証も得られないでいる。

 そんなことをいいながらも、ぼくは昨日馴染みの珈琲豆店に出向き、「グアテマラの深煎り(焙煎)を500gください」なんてすまし顔でいっている。矛盾しているではないかといわれる向きもあろうが、そうではない。ぼくはこの店を信用しているのであり、そしてまた、この店の「グアテマラの深煎り」を好むということなのであって、「グアテマラの深煎り」ならどこで購入してもよいというわけではない。豆は幾多の、非常にデリケートな化学変化を経ているのだから、店との信頼関係があってこそというものである。

 食べ物に限らずだが、残念ながら味と値段は案外正直に比例「しちゃう」もんなんだよね。ぼくの語調が急に変わるのは、それほどに悔しくも認めざるを得ないことであり、その無念さが滲み出ている証拠でもある。半ば自棄っぱちなのは、この事実に安穏としていられぬ何かがあるからだ。もとを正せばそれが資本主義の太々しいところなのだが、商品の質を求めていけばそこに行き着くのだから仕方がない。ライカが高価なのは(ライカをダシに、無理矢理写真らしき話題をかろうじて挿入する)それだけの値打ちがあるということなのだが、しかしそれで良い写真が撮れるということとは関係がない。それを所有することで “通人” と錯覚している人も大勢いる。ぼくはそのような人々をわんさか知るという不幸にも遭ってきた。

 ぼくらは資本主義の原理に従い、それに甘んじながら生を営まざるを得ない。現実を直視しなければ何も見えてこないものだ。絵空事のような夢など、現世に足を踏ん張って生きてきた人間にとっては、噴き出したくなるほど滑稽なことに映る。
 今回は記念すべき500回目だが、写真の話を何もしないでぼくは話をしめくくってしまおうと目論んでいる。この際、拙話の内容は問わず、毎週欠かさず500回も続けられたことを、ひとまず自画自賛「しておかなくっちゃ」。

http://www.amatias.com/bbs/30/500.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
うちわサボテン。サボテンの花弁の繊細な透明感を写し撮ろうと棘にもめげず。
絞りf13.0、1/45秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
やっと一輪咲き出すところを真俯瞰から。足に針より細い棘が何本も突き刺さり、抜くのに一苦労。
絞りf13.0、1/50秒、ISO320、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/06/05(金)
第499回:赤くなったり蒼くなったり
 何かを読んでいたり、友人と話をしたりしている時に、拙稿についてハタと「次回はこれこれについて書こう」と閃くことがしばしばある。あるいは寝入る間際に何かを思いつき「それでいこう」と意を強めたりするのだが、目覚めとともにきれいさっぱり忘れている。どうしても思い出すことができず、精神衛生上極めて悪い。これが積み重なるとボケ老人になっていくのだとか。
 いつも「これしきのこと、忘れるわけがない」という自信過剰が災いして、毎度のことながらせっかくの思いつきがお蔵入りとなってしまう。

 面倒がらず思いついたことをその場ですぐにメモしておけばいいものを、ぼくはそれを億劫がってしない。自慢することでもないのだが、長年生きてきて記憶力の自信からぼくはメモを取るという殊勝な行為に及んだことが一度もない。手帳さえ持ったことがない。ものぐさの極みでもある。このことは他人様に迷惑をかけたり、困惑させたりする可能性を避けきれず、本来なら非常に不用心である。
 ぼくはどうやら「他人の迷惑を省みず、自分の都合で勝手気ままに生きる」傾向が “人並みに” といいたいところだが、あにはからんや他人よりかなり強いような気がしている。加え、自身の関心事に殊更執着するようでもある。誰もがそのような趨向にあると思うが、この件に関しても、やはり前号で述べた “ほど” というものがあるらしい。

 70年経ってぼくはようやくこの事実に気がついた。気がついたぼくには救いがあるが、気のつかぬジジィは周辺を見渡せば多数存在しており、始末の悪いことに体だけは丈夫ときている。そのような者は頑固ジジィとか気の利かぬジジィと相場が決まっており、世間から疎まれたり、迷惑がられたりするものだ。同窓生にもこの手合いがあまりにもたくさんいるので、ぼくは同窓会なるものからは還暦を機に足を洗った。この歳になってまで、お義理のお付き合いは御免蒙りたい。気が置けない仲間同士で悪態をつきあえば、それで十分だ。

 また興味のないことに対する無関心さも甚だしく、友人にいわせると得手勝手が過ぎるのだそうだ。確かに、関心のないことへの冷ややかな態度はぼく自身も認める。だが同時に、関心を持てない話題に参加させられることほど苦痛を覚えることはなく、それはほとんど拷問に近い。おじさん、おばさんたちが嬉しそうに興じる、いわゆる世間話や教科書通りのお説に相槌を打ちながら応じることほど虚しく、つまらぬことはない。
 早々とその場から立ち去るか、お誘いを慇懃に断るのが賢明というものだ。「君子危うきに近寄らず」とか「逃げるが勝ち」だと、ぼくはもっぱらそうすることにしている。

 どこかで写真の話を始めなくっちゃと思いつつ、取っ掛かりが掴めないでいる。目下疫病のため、近所で花や野菜ばかり撮っているが、それらの撮影に関する難しいあれこれがたくさんあり過ぎて、どのようなことを記せばいいのか判断に戸惑う有様。今回は、唐突ではあるけれど、読者の方からいただいたご質問についてお答えすることに。

 「被写体は野外でしょうか? 黒バックで撮ったように表現されていますが、これはレタッチソフトで花以外を選択し明度を落としておられるのでしょうか?」とのご質問。

 被写体はすべて野外で、太陽光。概して直射光を避け、ぼくの好む日没前後の間接光下が大半。花弁を厳密に画像ソフトなどで選択して、それ以外の箇所の明度を落とすということはほとんどしていない。
 いくつかの手順と考え方を記すと、基本は、撮影する時に光の条件をよく見極めること(花弁と背景の明度・コントラストなど)で、これが最も肝要。次に露出補正(あくまでも花弁優先の露出とする)を慎重に。ここまでが撮影での段階。

 Rawデータを、tif 形式で非常に慎重に現像し(ぼくは仏DxO社のRaw現像ソフトPhoto Lab 3を使用)、それをPhotoshopに渡す。ぼくのメイン画像ソフトであるPhotoshopには、3社(独ON1社、独Nik社、仏DxO社のFilmPack)の様々なプラグインソフトがインストールしてあり、「周辺光量」や「Glow」(日本語の写真用語では “光彩” に近いのかな? 柔らかな表現に用いることも)など、多いときは10種以上のプリセットを微調整し、都度それらをレイヤーで重ね、マスクを作ってブラシで必要な部分を残しながら、撮影時に描いたイメージに添って仕上げていくのだが、それをしているうちに花以外は黒バックのように明度が落ちていくので、スタジオで撮影したかのように見えるのかも知れない。1枚を仕上げるのに、丸2日以上かかることも。

 花の写真に於いて、背景を暗く落とすことは視覚的にも有益な手法と思う。薄い花弁の質感や透明感を表現するにも最適と思われる。また暗く落とすことで夾雑物を画面から取り除くことができ、主人公が引き立つので、求心力が増すという効果が期待できる。今ぼくは、集中的に花を撮らざるを得ない状況(武漢ウィルスのため)だが、その難しさに、試行錯誤の連続である。
 プリセットを駆使しながら、近頃失念が過ぎるので、その使用順序と手順などをメモしてみたが、異なる画像にはまったく適応できず(とっくに分かっているのに、あわよくばという色気に負けて)、ひとりで顔を赤らめたりしている。時には蒼くなったりもするので、ぼくは大変なのだ。

http://www.amatias.com/bbs/30/499.html
        
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
ジャーマンアイリス。造形的に最も美しく見えるアングルを探しながら。
絞りf11.0、1/30秒、ISO100、露出補正-0.67。

★「02さいたま市」
矢車草。雨と風のなかで。中心の矢車草は止まっているように。右奥は風に吹かれた瞬間を、それぞれに狙う。大きく揺れる手前の赤いポピーの動きも計算に入れながら。
絞りf10.0、1/250秒、ISO400、露出補正-1.67。
(文:亀山哲郎)

2020/05/29(金)
第498回:“ほど”についての考察
 リフォームついでに、仕事部屋にベッドを持ち込んでちょうど10年になる。家族に一切の気兼ねなく過ごせる心地良さは何ものにも替え難く、自室に入れば文字通りぼくは一国一城の主となる。
 部屋が散らかろうが、埃が積もろうが、蜘蛛の巣を見つけようが、嫁から文句をいわれる筋合いなどまったくないのだが、にも関わらず嫁は「たまには掃除機くらいかけろ」と定期的にぼくを威嚇してくる。亭主を機を見て逃さずに恫喝するのは自分の大切なライフワークと心得ているようで、敵わない。 
 しかしぼくは、決して嫁の恫喝に屈することはなく、仏頂面をしながらも完全無視を決め込んでいる。このことは、ぼくが嫁に逆らえる唯一の瞬間でもあり、またささやかながらも可愛げのある優越感を覚えることのできる稀なる機会でもあるのだ。嫁の言葉に「馬耳東風」を貫ける貴重なひと時でもある。

 独り寝のおかげで、誰に憚ることなく、ぼくは就寝時YouTubeで子守歌のようにお気に入りの落語を聴くのだが、 “落ち” に辿り着くまでに寝入ってしまうことがほとんどだ。愛聴するのは8割方古今亭志ん朝(3代目)と三遊亭金馬(3代目)の2人であり、残りの2割が古今亭志ん生(5代目)といったところか。
 子供の頃から父に連れられて寄席通いをし、以来いろいろな噺家を聴いてきたが、今はこの3人に収斂されている。このことはぼくにとって、当然の帰結と考えている。
 ぼくは落語を「語る文学」としてみており、見事で粋な日本語(正確には江戸言葉)捌(さば)きにただただ感服するばかりである。また生きることの襞(ひだ)や機微、そしてその真理を面白おかしく伝える「語りの術」はまさに芸術そのものであり(ただし名人に限る。昨今テレビなどで人気の噺家はまったくダメ)、同じ演目を何度聴いても飽きることがなく、その都度新たな発見がある。1日の終わりに落語の美に浸り、笑いながら意識を失っていくのは、乙なものだと思っている。

 昨夜、久しぶりに志ん朝の『鰻の幇間』(ほうかん。俗称太鼓持ちとか男芸者とも。宴席などで客の機嫌を伺いながら、その席の取り持ちをすることを職業とする男。人にへつらい、機嫌を取るのに勤しむ者)を聴いた。その枕で、客との間を巧く取り持つには、客のいいなりにばかりなるのではなく、時には逆らってみせるのも芸のうちなのだそうだ。そこには “ほど” というものがあって、その加減が客の機嫌を左右する重要な要素なのだということを述べている。
 これを聴きながら、ぼくは写真屋として、我が身を振り返り “ほど” の難しさについて考えさせられた。というのは、ぼくはバウハウスの教えである「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を自身の “ほど” の基準としてきたのだが、そこから逸脱してみたいとの欲求にいつも駆られる。創造の根源は「ものは試し」であるからして、自分をなだめながら “ほど” からの脱出をしてみようと、今回の掲載写真は「その試し」である。

 ちょっとお堅い話になってしまうが、今までに拙稿で幾度となくぼくは聴衆におもねることをひどく嫌うという主張をしてきた。もちろんその考えは今も変わっていない。それどころかその信念はますます強固になりつつある。
 「曲学阿世の徒」(きょくがくあせいのと。真理に背いて時代の好みにおもねり、世間の人に気に入られるような説を唱える人)になっては、物づくり屋の本質的な資格を失うとの確信を持っており、また自身の作品を貶めることに通じるとも思っている。別の言い方をすれば、職人気質の矜恃を殊の外大切にしなければならないと願っている。
 大辞林によると、「職人気質」とは「職人に多い気質。自分の技術に自信をもち、安易に妥協したり、金銭のために節を曲げたりしないで、納得できる仕事だけをするような傾向」とある。
 
 太鼓持ちは立派な職業だが、太鼓持ち気質の写真愛好家(アマばかりでなくプロも)というものが確実に存在する。それは個人の生き方に通じるものだから、ぼくのありようや意見と異なるからといって、非難に値することではない。
 ただ、少しばかり辛辣な言い方をさせてもらえば、鑑賞者におもねるようなものは、大衆受けがし、人目に付きやすく、正直でない分底が浅いので人々に安心感や居心地の良さを提供する。これはグレシャムの法則である「悪貨は良貨を駆逐する」とか「燎原の火」(勢いが盛んで防ぎようのないもののたとえ。転じて、悪事や騒乱などが凄まじい勢いではびこること)と似たり寄ったりの面がある。

 鑑賞者に好感を持たれ、気に入ってもらいたいとの人情は痛いほど察しがつくのだが、その前に、自分は何故写真を撮るのか? 何故、物づくりに励むのか? について一考してみれば、自ずと自分がどちらの方向を向いているのかが分かるのではないだろうか。
 そんなことを考えながら、一昨日雨の中、近所にある家庭農園で栽培され、放置されているキャベツをぼくは嬉々として撮った。ぬかるんだ地に、新しいスニーカーを泥だらけにしつつも、イメージがふんだんに湧いてきたからだった。これらのキャベツは、ぼくにとって誰にもおもねることなく、自身を正直に晒すことができる恰好の被写体と見たからだった。

 いささか手前味噌だが、ぼくをよく知るアートディレクターや著名な詩人であるTさんは、「かめやまさんの写真には毒がある。そこが最大の魅力」なのだそうだ。なら、ぼくは毒虫? であれば本望であるのかな? “ほど” を逸脱しているのかな? そんなことを考え出すと寝付きが悪くなりそうだ。今夜は志ん生でも聴こうかな? 

http://www.amatias.com/bbs/30/498.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
刈り取られた後に残ったキャベツ。葉脈と腐った部分のコントラストに、生きることと死ぬことの様々な模様が見えた。
絞りf13.0、1/60秒、ISO100、露出補正-1.33。

★「02さいたま市」
放置された虫喰いで穴だらけになったキャベツ。自身は朽ちつつも、虫たちの大切な養分となっているのだろう。
絞りf13.0、1/30秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)

2020/05/22(金)
第497回:俗っぽい温泉街に憧れる
 昨今の疫病のため自室に籠もる時間が誰しも多くなったことだろう。ぼくはこの異様な世界を少しでも自身のために役立てようと乏しい知恵をあれこれと巡らせている。それは時に読書だったり、花を集中的に撮ってみたり、観察眼を養うために “凝視すること” をことさらに強く意識してみたりと、我ながら前向きで建設的な生活を営もうと努めている。この閉鎖的な社会空間にあって、そうでもしなければ「やってられんわ」という気にもなる。
 友人たちからも、「世の中落ち着いたら・・・」との誘いが増えつつある。やきもきしているのが手に取るように窺えるのだが、ぼくは決まって「テレビという名のウィルスにはどうぞご注意あれ。くれぐれも毒されぬように!」との進言に余念がない。テレビはその悪辣さに於いて天下一品である。

 外出自粛の折、やたら旅に憧れたりするのはぼくばかりではないだろうと思う。世間が元に戻ったらどこに撮影に行こうかとGoogle Mapをかき回したりしながら、候補地に思いを馳せ、想像を逞しくしている。一人遊びの好きなぼくとて、最近は来たるべき日を待ちわびるようになった。
 できれば昭和の名残ある非常に俗っぽい温泉街などがいい。場末にある昔ながらの居酒屋に、頭で縄のれんを分けて入り、あたりめを肴に安酒のお燗を引っかけながら、タングステン光下の割烹着姿の女将をモノクロフィルムで、カラーなら「銀残し」の手法を用いて撮ってみたいと、かなり具体的なイメージだけは描けているのだが、ほど良くそれに合致する状況に出会えるかどうか、ひとりで気を揉んでは、それを愉しんでいる。若い頃には確かにあった、そんな居酒屋風景を懐かしんでいる。

 だがしかし、現像タンクも引き伸ばし機もない現在の我が家の状況では、フィルム撮影は望むべくもなく、そのイメージを如何にしてデジタルで描き出すかを工夫し、勉強しなければならない。
 時間があるのだから、それも妙味があって面白いだろうし、そこには新たな発見があるかも知れず、今の閉塞感を打ち破るべくどこかで帳尻合わせができるのではと深読みしている。「なにしろ今のデジタルは写りすぎるからなぁ」と、恩を仇で返すような言い草は嫌な心得だが、ついデジタルに対する悪態が口を衝いて出てしまう。

 雑踏の苦手なぼくではあるが、人里離れたいわゆる秘湯などと称するところはフォトジェニックなものを見つけにくく、少なくともぼくのようなタイプの写真屋にとってはどうも不向きである。
 あくまで俗っぽい温泉街で、射的場やスマートボールがあり、壊れかかったネオンがジリジリと音を立てながらしばたき、加えペンキの剥げかかった看板のあるストリップ小屋などがあれば、さらに好ましい。どこかに哀愁やら小便臭さが漂っていないと撮影意欲がかき立てられない。そんな好都合な道具立てがどこかにあるだろうか?
 それぞれが勝手気ままに雑然とし、それがためにある種の趣を成しているというような温泉街が今時生き残っているだろうかとも思うのだが、それを暗示するような一片を発見し、かすめ撮るのも写真術の醍醐味なのだから、やはり観察眼を養い、 “凝視すること” の修練を積んでおくことは無駄にならないだろう。来たるべき日のために、「備えあれば憂いなし」というところか。

 温泉街も人間も、あるいはまた花も、すべての美は二元性を有するものであり、常に統一とはかけ離れたところに位置しているのではないかと考えるようになった。これが逆説かどうかは今のところぼくには判然としないのだが、統一による美は限りがあって、整然としているのでどうも面白くないと感じることが多い。乱雑で、雑然としていたほうが変化に富んで飽きないのだ。一定のルールから外れた面白さや危うさがあるので、魅力的と感じることが多い。
 乱雑さというものは、自分の考えや感覚に沿って、形や模様をジクソーパズルで遊ぶように一様に組み上げていく面白さがある。統一性に欠ければ欠けるほど自在性が増し、独創的かつ麻薬的な美に恵まれるような気がする。古希を過ぎれば、もうそろそろ麻薬的な美と戯れても罪はあるまいと思う。

 前号で、「幻想と現実が理知的に、しかも微妙にバランスされたものをぼくは最上のものとする」と述べたが、それは言い換えれば「理知的な整合性」でもあろうか。幻想と現実の狭間に漂い、翻弄されながら、ぼくらはものを創り出していくのだろうと考えている。どちらかに荷担してはなかなか上手くいかない。
 そんなことを考えながら花を凝視していると、さまざまな表情が回り灯籠のように巡り、ぼくのイメージの枠をはみ出して、花は自身のほど良いプロポーションを正直に示してくれる。ぼくはそれに従おうとするのだが、いざファインダーを覗いてみるとそれは単眼故、現実とはいささか離れたものになって、ぼくの脳裏というか瞼に浮かび上がってくる。この綾(あや。表面上は分かりにくい物事の入り組んだ仕組み。大辞林)を処決しないと写真は写ってくれないので、悶々としてしまう。ぼくには「大きなお世話だよ」という勇気が持てないでいる。花はぼくらより何倍も偉いからだ。花を美しく感じるのは、やはりぼくらが人生という腐敗した快楽に浸りきっているからだろうと思う。

http://www.amatias.com/bbs/30/497.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
ジャーマンアイリス。花のプロポーションと背景をどの様に組み合わせるか、花と相談しながら。
絞りf11.0、1/50秒、ISO100、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
アグロステンマ。一輪だけ孤独にポツッと咲いていた。小さな花火のように見えて、とても可愛らしかった。これも大きな宇宙だ。
絞りf9.0、1/60秒、ISO100、露出補正-2.00。

(文:亀山哲郎)

2020/05/15(金)
第496回:花について思うこと
 今年はぼくにとって73回目の春だった。乾っ風一点張りの関東の味気ない冬からやっと解放され、桜の咲き誇る春の到来となったものの、予想だにしていなかった悪疫の流行で、未だ誰もが閉じこもりを余儀なくされている。気づいてみれば、春を通り越しすでに初夏を迎えている。何の因果か、ぼくがこの連載第1回目を賜ったのは、ちょうど10年前の5月18日だった。

 撮影に出かけられぬことは写真屋にとって頭の痛い事柄でもあるのだが、身の回りにある美の再発見には絶好の機会である。写真好きであれば、身をやつしながら、またとないこの機を活用しない手はない。むざむざと手放すことなかれである。
 外出自粛とはいうものの、ぼくは以前にも述べたように「正しく恐れ、防疫を心得ながら、普段通りの生活を送ること」に徹しているので、遠出は控えつつも、カメラ片手に近所で花の撮影を愉しんでいる。今まで以上に「自分の花」を求め、頭に描いたものを正確に写し出すことに努めている。

 花を撮っていたら、見ず知らずの人に株を分けてもらったり、栽培法を教えてもらったりと、予期せぬ御好意に与ったりもしている。しかし一方で、ハナミズキ(花水木)の好きなぼくに、花の咲かない花水木を庭から放逐せんがために、ぼくに掘り起こしに来いという不料簡な友人も現れた。
 「花を付けない不良ハナミズキなんぞ誰が要るものか!」とぼくは電話口で精一杯の抵抗を示し、グレてみせた。彼女はこの際、疫病のどさくさに紛れて自分の庭の整備を目論んでいるようだった。前代未聞の流行り病はいろいろなものをもたらしてくれる。

 「花について思うこと」などと大仰な題名を付けてしまったが、花は自然界に於ける美の凝縮であり、宇宙に散らばる星座や銀河のようなものなので、それについて語るのはぼく如きにとって、大変難しい。また、一話で終えるようなテーマでもない。きっと、写真の話などどこ吹く風で書き連ねてしまうこと疑いなしなので、ほどほどにと思っているが、不器用なぼくにそれができるかどうか?

 自然の造形物を芸術にたとえる人が数多(あまた)いるが、ひねくれ者のぼくは昔からそのような見方に非常な違和感を抱き、好むところではなかった。それどころか、そのような意見は歯牙にも掛けないことにしている。論じる価値もなしというところだ。芸術(ぼくはこの言葉を安易に使うことを嫌い、できるだけ使用を避けているけれど)をどう定義するかにもよるが、もともと醜い人間が工夫を凝らし、技を磨き、生命と引き換えに創り出すものがいわゆる芸術だとするならばである。
 花を芸術品として担ぐことより、人生の写しとして準(なぞら)えることのほうが、ずっとまともな感覚であるように思える。

 親しい友人の言によれば、ぼくはどうも跳ね上がり者であるとのことだ。「跳ね上がり」を辞書で引いてみると、「全体の考えや動きとはかけ離れた、過激な考えや行動をとること。また、その人」(大辞林)とある。ぼくは内省に乏しいのか、そんな自覚はまったくないのだが、昔から花は盛りより、朽ちたものに、より思索的・宗教的なものを強く感じ取ってきた。そちらに魅せられ、惹かれてきたといってもいい。しかし、朽ち行く花より、精神の朽ちた人間のほうがずっとひどい悪臭を放っていることに気づかぬ人も多い。残念ながら、どのように言葉を労してもこのことの一片さえ伝わらないものだ。それをして「縁なき衆生は度し難し」というのだろう。ぼくは腐れた花や果実の存在を崇高なものと認めているので、跳ね上がり者だとは思っていない。

 しかし、友人たちのいう跳ね上がり者らしいぼくは、今を盛りと咲く花を至上のものとするのは、ぼくらが人生という腐敗した快楽に浸りきっているからではなかろうかと思うことがある。きっと行儀の良い人たちは、朽ちかけた、あるいは朽ちた花の美しさに気がつかず、目を留めることもなく、素通りしたがるのだろう。それを忌むことは、現実より幻想に重きを置くことに人生の拠り所を見据え、朽ちた花の、粗野だが叙情的な力強さを見ようとは決してしないに等しい。その美しさを発見する必然性のない生活を送ってきたのかも知れないし、あるいは汚らしいものという間違った固定観念に縛られているからでもあろう。

 それも人生の歩み方、もしくは方便であるのでかまわないが、プロであれアマチュアであれ、それが写真人であれば寂しい話だとぼくは思う。「思考・思索」イコール「あなたの写真」ともいえ、幻想と現実が理知的に、しかも微妙にバランスされたものをぼくは最上のものとする。
 自我の喪失や確立、そして宇宙との融合や死生観などを考え合わせるに、朽ちた花や果実に深い思いを寄せるのは、もしかすると極めて東洋的な神秘主義から派生しているのかも知れない。いや、東洋的というよりもむしろ無常観や滅びの美学(武士道的な意味合いでなく、宗教的な)などの、日本人特有の美意識なる所以であるかのようにも思う。

 朽ちて、汚れて、それでも与えられた環境で今を精一杯生きることの美しさに、ぼくは絆(ほだ)される。それは時に、あまりに妖艶であり、多くのイメージをバリエーション豊かに見せてくれる。ぼくはまんまと美の神々に絡め取られていくような気がするものだ。この時に出現する神々は何故か器量良しが多いものだから、朽ち行く花を矯(た)めつ眇(すが)めつ眺め、時の経つのをすっかり忘れてしまうほどだ。
 今しばらく、ぼくは「ぼくの花」探しに身をやつしてみようと考えている。

http://www.amatias.com/bbs/30/496.html
          
カメラ:EOS-1DsIII。レンズ: FE24-105mm F4L IS USM 。
埼玉県さいたま市。

★「01さいたま市」
しゃくなげ。茂みにひっそりと朽ち行く妖艶な姿を見て、ぼくはしばらく沈思黙考。ファインダーを覗きながら、どう切り取れば良いかに頭を悩ます。マクロレンズや接写リングを友人が持って行ったまま返してくれないので、このレンズ1本で何でも撮る。「弘法筆を選ばず」は嘘です。
絞りf8.0、1/30秒、ISO200、露出補正-1.00。

★「02さいたま市」
いちはつ。半逆光。花弁をどのように重ね、背景の落ちる角度との兼ね合いを図りながら。
絞りf5.6、1/320秒、ISO100、露出補正-1.00。

(文:亀山哲郎)