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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2004/08/02(月)
第120回「誕生日 その1」
 「なんでまたよりによってこういう日に事故なんかあるのかなあ。それも川口線入ってすぐのとこだよ。8q40分だってよ。しょうがないなあ、川口線やめて池袋線を廻るよ」
 ドイツでモダンダンスのダンサーをしている努(つとむ)が4年ぶりに帰ってくる日。7月28日午前7時50分成田着ということだったので、インターネットで到着時刻が約30分遅れていることを確認して、6時半前にわが家を出ました。妻と私、翔(かける)に沙羅(さら)が私の車、電車が大好きな蓮(れん)は麻耶(まや)と2人でスカイライナーで、成田に向かいました。
 外環の浦和ランプに近いわが家から成田空港までは、高速道路を使って約1時間半。多少の渋滞があっても2時間はかかりません。ところがこの日は外環に乗る直前で事故を察知。自然渋滞ならともかく事故では、どのくらいかかるかも想像ができず、首都高池袋線を廻ることになりました。板橋から中央環状線に入るつもりが運悪く、その先の中央環状線でも事故。
「ダメだこりゃ。箱崎を廻ることにするよ」
というわけで、成田に着いたときには、電車で成田に向かった麻耶と蓮が到着ロビーに出てきた努を出迎えて話をしていました。4年ぶりに見る努はほとんど変わりがなく、元気そうでした。孫の蓮と沙羅はこの時初めて努に会いました。ところが不思議なもので、まるで生まれたときから一緒に暮らしているような懐きよう。蓮も沙羅も努にまとわりついて離れません。おそらく自分たちの母親と努の様子から、安心していい相手だということを瞬間的に感じ取るのでしょう。

 空港で軽く食事をし車に乗り込むと、「努歓迎」のためのスケジュールの確認です。
「とりあえず家によって、その後、ペットショップと陶芸教室とカウンセリング研究所を見に行く。今日は真(まこと)が来るって言ってるので夜はお寿司かなんか食べに行こう。」
「うん。それでいいよ」
「31日が蓮の3歳の誕生日だから、その日はカウンセリング研究所の研修室で誕生パーティ。麻耶が一生懸命、弘子ちゃんや真に連絡とって人集めしてたよ。”25日がパパの誕生日でしょ、31日が蓮の誕生日でしょ、それにオーちゃん(努のこと)歓迎の合同のパーティやるから”って…」
「わかった! やろう、やろう! あっ、そうそう。今一緒に踊ってるダンサーで、ちょっと仲良くしてる黒人のイギリス人がいるんだけどさあ、その子のお母さんとウチのお母さんと誕生日が同じなんだよ!」
「へーぇ。討ち入りの日なんだあ?」
「そうそう、12月14日」
「いくつくらいの人?」
「だから、誕生日同じなんだよ」
「?」
「同じ日なの!」
「1941年っていうこと?」
「そうそう」
「へーぇ、そりゃあめずらしいねえ。歳まで同じっていう人はあんまり聞いたことないね」
「なんだかさあ、直接は全然知らないのにすごく親しい気がするでしょ? それが不思議だよねえ。誕生日が同じっていうだけなのに…」
「なんだか昔っから知ってるような気がするよ」
「タハハッ、そんなわけないのに…」

 人間って、自分の大事なものと同じものを持っている人がいるととっても親近感がわくみたいです。
さて、蓮くんの誕生日。何をプレゼントしようかなあと、妻と一緒に本屋さんに行きました。主人公の魚のひれがキラキラ光ってとってもきれいな本と「泣いたあかおに」(子どものころ読んだ「泣いたあかおに」をどうしても読んでやりたいと麻耶が言うので)、ちょっと変わった作りになっている魚の図鑑、それに沙羅ちゃん用の子熊の絵本です。
小さい子どもの誕生日のプレゼントってとっても困るけど、どれもとてもかわいい本だったので、けっこう喜んでくれているみたいで、昨夜は「本読んで、本読んで!」とずっと騒いでいました。毎晩、この調子で騒がれるとちょっと困るなあと思いつつもなんとなくどこか嬉しいよね。

次回も誕生日の話。
(文:大関 直隆)

2004/07/26(月)
第119回「サービスエリア」
「間に合うかなあ?」
「んー、どうだろうねえ…」
「間に合わなかったらバッカみたい。なんで早く出てきたかわかんないじゃん」

妻の両親は熊谷で2人暮らし。父が92歳、母が88歳になりますが、週に数回ヘルパーさんを頼んで、なんとか2人で暮らしています。そんな両親の昼食や夕食の世話をするために、妻があるいは妻と私が、週に一度くらいの割で熊谷を訪れることがあります。この日は、昼食を作りに妻と私で熊谷へ向かっていました。以前は国道17号を使って熊谷まで行っていましたが、ここのところ渋滞がひどく、わが家から熊谷まで、2時間以上もかかってしまうことがあるので、ちょっとお金はかかるけれど、今では東北道を使って加須経由で行くか、関越道を使って東松山経由で行くことにしています。

「どうかなあ? あるかなあ?」

午前10時くらいに家を出て、関越道経由で行くことが多いのですが、この日は30分ほど早く家を出ました。目的は高坂サービスエリアのメロンパン。これが一度食べたらやみつきになっちゃう美味しさ(メロンパンの宣伝をしているわけじゃないんだけどね。カハハッ、とりあえず私の好みだっていうことにしておいてください。どうも妻は私ほどは感動してないみたいだから)なので、関越道経由で熊谷に向かうときは必ず高坂サービスエリアに寄ることに。ところが人気があるらしく、ちょうど焼き上がったころに行かないと買えないことが多いのです。サービスエリアですから、定時に焼き上がっているというわけでもないらしいのですが、ここのところタイミングが悪く、3回連続して買えなかったので、この日は若干時間をずらして、少し早めに出てきました。

「あああああああ! なーい!」
「・・・」
高ぶっていた気持ちが一気に引いて、頭から首筋にかけてが、なんかこうヒンヤリとしてくるような寂しさ…。
”ダーッ! 今日は絶対買うー!”
「おばさん! 次のメロンパン焼き上がるまでにどれくらいかかります?」
「うーん、まだこれからオーブンに入れるから、40分はかかると思うよ」
「ホーッ、40分…」
妻にむかって
「ねえねえねえ、食事するよ」
「うふふっ、そう言うと思った」

結局メロンパンが焼き上がるまで、レストランで食事をすることに。
ったく、いい大人がそこまでこだわるかねえ?!
なんとかメロンパンをゲットして熊谷に着いたのは正午。これじゃあ、17号を使った方がよっぽど早く着いたかも…。

22日、熊谷うちわ祭りの最終日はちょっと熊谷のウチに顔を出すことになりました。仕事をちょっと早めに切り上げて熊谷に向かった私が着いたのは午後8時半。父と母が食べた夕飯の残りをちょっと食べて帰路に。
この日は、えらく食欲旺盛で、
「ねえねえ、ウチに帰っても御飯ないって言ってるし、これから麻耶に炊かせて食事の支度するのもおっくうだから、ステーキでも食べて行っちゃおうよ」
ところがちょっと時間が遅く、お目当てのステーキやさんはタッチの差で”CLOSE”。加須方面に向かっていたので、
「しかたないから、蓮田のサービスエリアでいいか…」
ここのところ関越道を使うことが多かったので、蓮田のサービスエリアに寄るのは久しぶりです。
「あっ、変わってる! この前工事してたけどこんなにきれいになったんだあ。早く入ってみよう」
ところが、入った途端に愕然!
「なにこれ?! 吉野家じゃん!」
サービスエリアにお店を出していたのは、”らあめん花月””吉野家””麺処すいれん”(すいれんていうのはよく知らない)。
「えーっ、なんでこんなんなっちゃったの?! あのローカルな豚汁定食とコロッケ定食でよかったのに…。吉野家で食べるんだったら、なにも高速道路のサービスエリアなんかに寄らないよ。ローカルでいろーんな味のものがあって、その中から美味しいって思うもの探すのが楽しかったのにね。知ってる味のものなんてこんなところで食べたくない。こういうところからもどんどん個性が失われて行っちゃうのって嫌だね。こういう時代だからこそ、どんなところにもいろいろな顔があっていいのにね。人も同じように個性が奪われてっちゃうのかなあ? 安全な方、安全な方ってね。ちょっと寂しいね。なんだかこうなっちゃうとあのまずかったラーメンが懐かしいよね。きーめた! 熊谷に行くときは絶対関越道。あのメロンパンは高坂のサービスエリアにしか売ってないもんね」

 
Re: 第119回「サービスエリア」2004/07/28 3:52:30  
                     りんりん

 
そういえば、北陸道だったか、東北道だったかのS.A.に寄った時、モスバーガーがあったんですよ。私的には、まずい そば かなんかを食べなくてすんだんで、助かったんですけど、大関さんが言うように社会がどんどん画一化されていくことって、子供を画一化することにつながっているんですよね。個性重視って言いながら、大きな部分で反対に向かっているのは心配です。
もっとも、私は吉野家歓迎ですげど・・(笑)
子育てはS.A.にならないように気をつけます。
 

元の文章を引用する

 
画一化2004/07/31 13:31:06  
                     大関直隆

 
ご意見ありがとうございました。
価値観が非常に多様化しているなかで、
S.A.も個性的になりつつあります。
温泉やマッサージ、水族館、スキー場…
そういう意味では、個性化が進んでいる(実はこれも自分がわかっているサービスを求めるという点で画一化なんですけれどね)と言えるのに、
一方で吉野家やモスバーガーのような店舗も増えている。
味がわかっているという安心感や
日頃の自分の行動範囲から出たくないというような
オタク的な発想がそこにはあるのだろうと思います。
本来、高速道路のS.A.などというところは、
子どもたちにとって心が浮き立つ場所であるはずなのに、
そこに子どもの日常と同じものしかないということが、
子どもの無感動を生みはしないかと気になるところです。
小さい頃にはとても表情が豊かなのに、
大きくなるにしたがって、表情が消えていく。
そうかと思うと、異常なまでに陽気になったり、
激しく怒ったりする子がいる。
日常の生活の中から、
”ごく平凡な感動”が消えるだけで、
子どもたちの心は歪んでいってしまうのではないかと思います。
安心を求めて社会の画一化が進んでいくのではなく、
不安な中にも喜びや悲しみや感動がある世の中になったら、
子どもたちも感動の持てる人間に成長していくのでしょうけれど。

 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2004/07/20(火)
第118回「スイカ」
あごを引きながら、大きく息を吸ってー、はいっ、止めて!
今度は勢いよく下あごを突き出しながら、吸った息を一気に吐いてー!
「ぷっ!」
さーて、種はどこまで飛んだかな?

何の種が飛ばしやすいか知ってる?
もちろん一番飛ばしやすいのは、”サクランボ”!
種の大きさ、形状、そして重さ、どれを取っても申し分ないよね。
下あごを突き出すタイミングと息を一気に吐き出すタイミングがぴったり合えば、相当遠くまで飛んでいくよ。1m、2mなんていうもんじゃない。5mくらいも夢じゃないかも…。
サクランボの甘酸っぱさは大好き! 特に佐藤錦の美味しさは格別だね。大粒なやつはちょっといい値段はするけれど、ちょっと小さめの粒があんまりそろってないやつなら、スーパーでそこそこの値段で買えるから、旬のころにはいつも2パック買ってきて、一気に食べちゃう。最近は、「ぷっ」と飛ばせるような庭もないので、サクランボを食べ終わった私の前には種の山。知らない人が見たら、たぶん10人くらいで食べたと思うだろうね。ハハハッ!
さて、サクランボの次に飛ばしやすいのは、なんだと思う?
ターッ! 知ってるかなあ? ”ザ・ク・ロ”
私が子どものころ、実家の庭にザクロの木があって、よく食べました。昔は庭にザクロの木を植えてる家が多かったよね。ザクロの木にはよくアゲハチョウが卵を産みにくるんだよ。最近は夏の終わりから秋にかけてスーパーでもザクロの実を見かけるけれど、スーパーで売ってるやつは大きいのにはじけてなくて、あのはじけた口から見えるルビーのような真っ赤な実が見えないのは残念だね。今考えると、酸っぱくて渋くて決して美味しいとは言えないザクロの実をけっこう夢中になって食べていたのは、一つ一つほぐして口に入れ、いっぱいになったところでその酸っぱくて渋い汁を吸っては、まるで機関銃のように口から、
「ぷっぷっぷっぷっぷっぷっぷっぷっ」
と出す、その”ほき出す行為”そのものが楽しくて、食べていたのかなあ???
そうそう、種のある果物といえば、スイカもあるよね。
スイカには2種類の食べ方(食べ方なーんてそんな大げさなもんじゃないよ)がある。一つはまず種をほぼ全部取ってから食べる方法(この方法は子どもがまだ小さいころ自分で種を出すことができないので、大人が先にとってやってからスイカを渡す方法)、もう一つは適当な大きさに切ったスイカを種を取らずにそのまま食べて、口の中にたまった種をあとから出す(時には”ぷっぷっぷっぷっぷっ”とね)方法。わが家の努(つとむ)は口の中でうまく種がより分けられないらしく、スイカを食べるのが苦手でした。

昨日(19日)は、浦和のお祭りで、わがショップのあるエイペックスタワーも休憩所になっていて、子どもたちが汗びっしょりになりながら、御輿を担いできました。休憩所に用意されたのは、ジュースやラムネ、スイカに唐揚げ。すごい暑さの中を担いできたので、まずジュースやラムネを夢中になって飲みます。私なら、次は当然スイカにいきたいところですが、どうも子どもたちの行動は違いました。スイカは避けて、ほとんどの子が唐揚げへ。食べているのを見るだけでも暑そう。大した量じゃなかったのに結局スイカは余っちゃいました。
どうも最近の子どもたちは種を出すのがおっくうなのかなあ???
ちょっとそんな感じ。確かに舗装された歩道の上に種をほき出すわけにもいかないし、食べたあとに手はベタベタするし、味もはっきりしてないし…。
もしかして、スイカって小さくカットしてパックに入ってるのをフォークで食べるって思ってるのかなあ???

私が子どものころは4分の1に切ったやつをイチョウ切りにして、ほっぺたには汁をつけ、肘からはボタボタと汁を垂らしながらスイカを食べたもんだけど、あんなスタイルで果物を食べるのなんて、今は流行んないンかもね。
そう言えばわが家でも、桃を食べるとき皮を剥いて一気にかじるのは私だけ。みんな上品にナイフでカットして出してやらないと、甘くて美味しい桃でも誰も手を出さないもんね。ちなみに私は桃を食べるときは、”流し”に立って、汁が垂れるのもおかまいなしに、一気にかじっちゃいます。丸かじりするときの幸福感といったらなんとも言えないんだけどなあ…。

(文:大関 直隆)

2004/07/12(月)
第117回「夏祭りの季節」
イヤーッ、暑い、暑い!!
今年の梅雨はどこに行っちゃったんでしょう?
なんだか雨らしい雨が降った覚えがない。
雨らしい雨と言えば、この前上陸した台風(何号だったっけ?)のときくらい???
何か最近の天気図を見ると前線が日本列島の上にあることが多くて、「もしや梅雨明け?」っていう感じです。このまま梅雨が明けちゃうと水不足が心配だよね。
さてこの時期って言えば「夏祭り」!
私が子どものころは
♪ピーヒョロ ピッピッピ
ピーヒョロピー …♪
で始まる秩父音頭の笛の音が祭りの象徴的な役割を果たしていたけれど、最近では
♪… うらわ踊りは トトントトント
    トント 手拍子足拍子 ハア トトントねぇ ♪
に、すっかり取って代わられちゃった。
私たちの世代は、運動会でも全校で秩父音頭を踊ってきたので、ちょっと寂しい気もするね。

妻の実家は熊谷なので、7月20日から22日まで開かれる「うちわ祭り」によく行きます。「関東一の祇園」とうたっているだけのことはあって、市内を回る山車の奏でるお囃子は、なんとも言えない情緒・風情があります。山車と山車がお互いに進路をふさぎ合った時に行う叩き合いは、山車が曳かれているときにゆっくり奏でるお囃子とは対照的に、そのテンポ、迫力は圧巻。大きな和太鼓こそありませんが、鼓と鉦を激しく連打する音、相手を威嚇する叩き手の身振りやかけ声には、身震いするほどの迫力を感じます。そして「うちわ祭り」のクライマックスは22日夜に行われる12台すべての山車がお祭り広場に集まっての叩き合い。3日間で約70万人が訪れると合って、最後の叩き合いで興奮は最高潮に達します。

「うちわ祭り」に行くといつも感じるのは、熊谷の人たちの入れ込みよう。やっぱり”土地”のお祭りには特別のものがありますよね。

浦和にはそれほど歴史のある大きなお祭りがあったわけじゃないから、”私のお祭り”といえば、実家のある原山のお祭り。
タハハッ! 「うちわ祭り」のことを言ったあとじゃ、とても恥ずかしくて言えないようなお祭りだけど、子どものころの私にとっては1年に一度のとても”大きな”お祭りでした。産業道路沿いにある”原山会館”の小さな庭で(ほんの百人もいたらいっぱいになっちゃうような)行われる演芸大会や盆踊り。昼間は汗をいっぱいかきながら、一生懸命山車を曳く。夜は大人の輪に交じって踊りを踊る。夢中になって金魚すくいをしたこともありました。

いろいろあって、実家との関わりが10年以上なかった時期があったり、「うちわ祭り」のようにそのために出かけるほど、”大きな”お祭りではないので、20年くらい原山のお祭りに出かけることはありませんでした。祖母は歌が好きで、お祭りに行われる演芸大会によく参加をしていました。亡くなる少し前、祖母が演芸大会に参加するというので見に行ったのがきっかけで、その後は何度か子どもを連れて原山のお祭りに出かけました。地域のお祭りというのは何年経っても変わらないもので、かなり長い間地域の人たちとは会っていないのに、みんなが声をかけてくれます。
「元気? ずいぶん太ったんじゃない?」
そんな会話の中にも暖かさを感じます。お祭りの世話人をやっている人たちの顔ぶれを見ると、子どものころと変わらないように見えるんですけど、ちょっと違う。みんなJr.になっているので顔はよく似ているのになんとなく雰囲気が違うのがすごくおかしくて、ついつい微笑んじゃう。そんなのが地元っていうか故郷っていうか…(ちょっとおおげさ)

大宮で夏祭りに出かけた人が、中学生の女の子たちがお酒を飲んでいるのを見かけたんだそうです。翌年、子どもが入学する中学校の生徒のようなので心配になり、中学に電話を入れてその女の子たちの様子を話し、現在の中学校の様子を尋ねたそうです。教頭先生は、
「少し荒れてるんですよ。タバコの吸い殻は落ちているので吸っている連中はいるんですが、現場に出くわしていないので指導はしていません。かなりひどい連中は授業にも出ませんから、そんなに心配はないですよ。荒れてるんじゃないかとご心配のようですけど、公立中学に入れるっていうのはそういうことですから」
と言われたそうです。私立っていう選択もあるけれど、”自分のつながりのある地域”っていう選択もなくてはならないものだと思うんだけれど、学校がこの姿勢じゃあねえ…。これはめずらしいくらいひどい例だと思いますが、”地域との連携”なんて学校が叫んでいる割には根本的なところがわかってないよね。きっと教頭先生はどこか遠くから通ってきてる人なんだね。地域の暖かさの中で子どもを育てることがどんなに大切なことか、しっかりと教員にもわかってほしいよね。公立・私立の選択の中で公立を選択している人たちは、お金がないから公立を選択しているわけじゃないと思うんだけどね。
(文:大関 直隆)

2004/07/05(月)
116回「金縛り」
「(うっ! あっ!)」
「(あれっ? 息ができない!)」
「(たっ、たっ、たすけてーっ!)」
「(だめだっ!)」
 必死で息をしようとしますが、まったく空気が気管を通過しないのです。
「(たすけてーっ!)」
 心の中では叫んでいるのに声も出ません。
「た〜っう〜っえ〜っえーっ!」
 やっとのことで息を絞り出しますが、とても声にはならず、ますます息がなくなっただけで、苦しさが増してしまいました。
「(あっ! うっ!)」
 と強く吸い込もうとしてもやっぱりだめです。
「(あれっ? 身体も全然動かない!)」
 右に寝返りを打とうとしても、左に打とうとしてもダメ。手もまったく動きません。目だけは開き、辺りを見回すことはできるのですが、どうしても身体は動きません。とても奇妙な感覚です。
「(金縛りだ!)」
 スーッと自分の顔から血の気が引いていくのがわかります。
「(どうすればいいんだろう? とにかく落ち着かなきゃ!)」
 すると突然、頭の周りで、何か小さな生き物が畳の上を走り回るような音がし始めました。
「(ねずみ?)」
 トコトコトコトコトコトコトコトコ、トコトコトコトコトコトコトコトコ…… どんどんその数が増えていきます。
「ピチプチュパプパピプチュピチプチュプチュ……」
 その生き物はテープレコーダーを早回ししたような声で、しゃべっています。
 その生き物は、ネズミのようなものではなく、どうも人間の子どものようにも感じます。見えているような見えていないような私の意識の中に、とんがり帽子をかぶった体長30センチくらいの人間の子どものような生き物が浮かび上がってきました。
 身体の硬直感は増し、私の恐怖心は最高潮に達しました。
「(だれ!? だれ!?)」
 必死で叫んでも、まったく声が出ません。
 そんなことが5分くらい続いたでしょうか…。
 その私の周りを走り回っていた人間の子どものような生き物は波が引くように一気に減り、一匹もいなくなりました。
 最初に感じた息苦しさはいつの間にかなくなっていましたが、それまでまるで石のように堅くなっていた身体からは、スーッと力が抜け気怠い感覚だけが残りました。
 これは、小学校6年生での体験です。中学生になってからも、同じようなことが何度か起こりました。2度、3度と体験するうち、私はそれを楽しむことができるようになりました。
 身体が硬直して、まったく動けない状況の中でも、
「今日はあの子どもたち来るかなあ? 何か話ができないかなあ?」
 と考えるようになり、金縛りに遭う恐怖心が金縛りに遭う楽しみになっていったのです。

 つい先日、筑波大学の調査で小学生の1割が抑うつ傾向にあり、「よく眠れない」「やろうと思ったことがうまくできない」「落ち込むと元気になれない」「何をしても楽しくない」「たいくつ」などという回答が10%を超えたそうです。
 朝から寝るまでを管理されている子どもたちが、自由な創造性の中で生きられるわけもなく、えらく納得させられる結果だなあと思いながら、もし自分が今の子どもたちのように育っていたら、「金縛りを楽しむ」何ていうことはできなくて、身動きができない状況の中で、きっと抑圧され続けて生きなければならないという恐怖心だけが増幅され、恐怖で「夜眠れない」何ていうことが起こったんだろうな、などと新聞を読みながら考えていました。
 金縛りは睡眠不足や不規則な睡眠、ストレスなどが原因で、浅い眠り(レム睡眠)の時に身体はぐったりと寝た状態なのに脳が目を覚まして起きる現象とか。別に霊によって引き起こされるものではないのでご心配なく! 一応付け加えておきます。

(文:大関 直隆)

2004/06/28(月)
第115回「“励ます”“ほめる”」
 私の会社のある「エイペックスタワー浦和」に商店会ができ、私は広報部を担当することになりました。長い長いPTA役員の経験の中で、一度だけとはいえ広報部を経験したことがあるので、広報誌の作り方はおおよそわかります。当時の広報誌を書類の山の中から引っ張り出し、1ページあたりの段数や1段あたりの字数と行数を数えて、とりあえずその体裁に倣ったニュースを作ることにしました。
PTA広報誌は、どちらかというと内部向け。ところが商店会のニュースとなると逆に外部向け。PTAなら新入生の学年を除いて組織自体はわかっているわけだけれど、商店会となるとPTAより任意性が強く、エイペックスタワーのすべての商店、事務所が入会しているわけではありません。創刊号ではまず、すべての会員の紹介から始めることにして、全会員から原稿をもらうことにしました。

 いやいや、これが大変。会員数は30弱。たいしたことないって思ったのが間違いの始まりで、PTAのように”学校”というとてつもなく強い存在の上に成り立っているのではないので、PTAでの原稿依頼よりはどうしても引き気味になっちゃう。店舗名を含めて15字・8行。 本文はたったの6行・90字しかない原稿なのに、
「すみません、商店会の広報部なんですがあ、これほんのちょっとでいいんですけど、原稿お願いできますか? あのそんなに難しいことじゃなくていいんで、申し訳ないんですけど、2週間後の金曜日までっていうことで、よろしいでしょうか?」
なあんて、すっかり嫌なことのお願いモード。考えてみれば、商店会の会費以外無料で、しかもこちらはボランティアで宣伝をしてあげようというわけだから、何もこっちがへりくだる必要はないのに”なんでだろう???”何て考えながら、学校という組織の化け物ぶりを痛感するのでした。
 結局、原稿が全部揃ったのは予定より1ヶ月遅れ。”5月末には印刷屋さんに入稿して遅くとも6月10には発行”なんていうつもりでいたのにとんでもない。「6月に発行」ということで総会を通っているので、何が何でも6月末までにはなんとかしないと…。とりあえず、ニュースに刷り込む日付だけは6月30日にして、つじつま合わせ(トホホッ)。

 いつもウチの会社でお願いしている印刷屋さんに無理を言って、なんとか急いで上げてもらうことに(ウチが出す印刷物は急がないであげてもらったことなんてないんだけどね)。原稿を取りに来てもらうなんていうことはとても頼めるような状況にないので、私が届けに行きました。なんとか打ち合わせをして、校正はFAXでやれば、ぎりぎり30日には上がるかなあ?なんていう感じで、ひとまず”ホッ!”

 印刷屋さんの帰りがけにそこの社長が本棚から数冊の本を出してきて、
「これ参考に読む?」
と本をくれました。
 坂本光男氏(もうけっこうご高齢ですけど、さいたま市在住で教員歴の長い方なのでご存じの方もいらっしゃると思いますが)の本だったんですが、私にいわせると、“もういったい何を言ってるの!”レベル。
「いま親と教師は子どもをもっと励ましてやらなければなりません」というまえがきで始まるこの本は、子どもを「励ますことば」の例をたくさん挙げています。「励ます」こと自体を悪いとは思わないけれど、ここに挙がっている例は、「いろいろ大変なこともあったけど、生んでよかった(母)。やっぱり育ててよかった(父)」「頭が悪いんじゃないよ。時間をかければできる。あきらめずに、くり返し覚えることをしっかりやるといいよ」「まじめに一生けんめい働いているおとなが、いっぱいいるんだよ。その人の方がはるかに多い。暗い部分だけでなく、明るい方をよく見てすすもう」「これができると大きくなっても役にたつよ。さあ、やってみよう。いますぐ無理なら、いつからならやれる?」「いっぱい食べたね。きっと、じょうぶで元気な子になれるよ。またおいしいものをいっぱいつくってあげるからね」等々。
 まず大人が子どもを常に見下しているし、しかもよく内容を考えてみると、大人を”いい大人”と”悪い大人”とに分けて、さらにそこに差別的な見方まで加えている。これじゃあ、励ましているんじゃなくて、単なるお説教でしかない。

 もちろん、”励ます””ほめる”が子育ての一つの要素であっていいとは思うけれど、”励ます”にも”ほめる”にも、価値観の押しつけが内包されているということを忘れないようにしないとね。私は、”励ます””ほめる”より、”共感”の方がいいと思う。嬉しいことは一緒に喜ぶ、悲しいことは一緒に悲しむ。そして、時に価値観のぶつかり合いがあるときには、”怒る”っていうことになる。
 小さいうちはある程度しかたがないけれど、ある年齢に達したら、”頭ごなしに怒られた”という感覚よりは”意見がぶつかり合った”って感じられるような関係作り方も重要なんじゃないかな。

(文:大関 直隆)

2004/06/21(月)
第114回「リセット」
なんか違うんじゃない???

 チャットの授業では、まず子どもたちに書き込みを楽しませる。絵文字で表情をつけたり、記号を使ったり。盛り上がると、先生がわざと悪口を書き込む。
 「○○君はいつも授業中遊んでいるよね。ア−ホ」。先生が書いたとはわからない。連動して子どもの言葉が乱れてくる。最後に「どう思った?」とモラルを考えさせる。
 石原教諭は「悪口を書いたらいけないと口で言っても、子どもにはわからない。中傷ばかりを書き込む大人用のチャットに参加している子も少なくない。授業で疑似体験をさせて考えさせることが大切だ」と話す。(朝日新聞 6月13日朝刊より)

佐世保の事件以来、小学校でのネット教育を見直す動きが広がっているけれど、どこか違うんじゃないかなあ?
ネット上でのマナーを教えることに反対ではないけれど、教えている教師の子どもたちに対するマナーは、誰が教えてるんだろう?
ネット上でのエチケットを「ネチケット」と言うんだそうだ。でも、いったい何語?
子どもの通っていた中学校では、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ると急いで席に着くことを「チャイム席」と言っていました。懇談会に行くと「チャイム席」っていう言葉が何度も出てくるから何かと思っていたら、まあそういう意味。わけのわからない言葉を作り出して、自分たちが喜んでいることをそんなに非難するつもりはないけれど、それを言っている先生の口癖が「子どもたちの言葉が乱れている」だから、ビックリしちゃう。ちょうどそのころは、「チョーむかつく」とか「チョベリバ」とかいう言葉が流行っていたころで、私には子どもたちが独自に作り出す言葉は悪くて、学校が作り出す言葉は悪くないという理屈がどうしても理解できなかった。
今回もちょっとそんな感じ。
「ネチケット」っていう言葉自体が悪いとは思わないけれど、そういう言葉を使って子どもたちを指導している教師の「教育についてのその軽さ」が、どっぷりとネットに浸かっている感覚なんだということを忘れないでほしい。

「悪口を書いちゃいけない」と言いながら、教師が悪口を書いてる。普通の感覚からしたら、書いちゃいけないことはどんな理由があっても書いちゃいけないんだと思うけど…。
「○○君はいつも授業中遊んでいるよね。ア−ホ」と先生が書いた。○○君の気持ちは傷ついた。「ほーら気分悪いだろ? だからやっちゃダメ」と言われたって、「○○君の傷ついた気持ち」はリセットできるわけがない。「○○君はいつも授業中に遊んでいる」と教師が書き込んだとすれば、○○君は教師にいつも「授業中遊んでいる」と評価されていることになっちゃう。たぶん教師は「○○君は授業中に遊んでいる」と本当に思っているんだよね。これって授業を利用した教師の生徒に対する「いじめ」じゃない? そう言うとたぶん先生は「私と子どもとたちの間には信頼関係がありますから」とか言うんだよね。
ゲームの世界は「死のリセット」ができるから、命の尊さが軽んじられると言う。学校という世界は「子どもの言動のリセット」はできないのに「教師の言動のリセット」はできるから、子どもの気持ちが軽んじられる。
6月17日、福岡の高校で40代の男性教師が、授業中に居眠りをした男子生徒にカッターナイフを渡し、この生徒の指の血で「反省文」を書かせていたという事件があった。「本当に血で書くとは思わなかった。驚いてやめさせた」そうだが、もう指を切って書いちゃったんだから、リセットできないんだよね。おそらく、そうせざるを得ないくらいに子どもをせっぱ詰まらせる怒り方をしたんだろうね。
校長曰く「教師として自分の気持ちを伝えようと熱心なあまりの指導だったと思うが、不適切だった。佐世保でナイフを使った事件があったにもかかわらず、教師に対する指導が不足していた」んだって。
こんなことやってて何が「ネチケット」だか…。
教師はしっかり「チャチケット」(チャイルドに対するエチケット)を身につけた方がいいんじゃないのかな???
(文:大関 直隆)

2004/06/14(月)
第113回「素敵なお産をありがとう」
 6月10日(木)〜13日(日)(昨日)まで、映画「素敵なお産をありがとう」の上映会を浦和教育カウンセリング研究所の研修室でやりました。
 この映画は、翔(かける)が生まれる瞬間を当時17歳だった努(つとむ)が撮ったビデオを編集し映画化(現在は映画がさらにビデオ化されています)したもので、キネマ旬報ベストテン文化映画部門第6位、日本産業映画ビデオコンクール奨励賞を受賞した作品です。
 1990年から行ってきた講演会「メルヘントーク」の3回目に浦和市民会館(当時)で初めて公開した出産シーンのオリジナルビデオ映像に家族の紹介映像と真(まこと)によるナレーションを加え、再構成し完成しました。
 当時、出産の映像というのはとても珍しくて(今でも珍しいですけど)、しかもそれが子どもたちも含めた家族全員の立ち会い出産ということで、かなり話題になりました。このビデオの最初の公開がきっかけでTVに出演するようになるのですが、TV、週刊誌、新聞といったマスコミの取材が重なって、明け方3時くらいまで取材を受けてるなんていうこともありました。
 もともとただ単に家庭の中の記録として撮ったものでしたが、いろいろな成り行き(この辺のことは長くなっちゃうので割愛)で公開することになり、マスコミに取り上げられてしまうと、貸し出し依頼が殺到して、それにお答えするには内容が内容なだけにビデオという形よりはフィルムという形の方がいいだろうということで、16ミリ映画にしました。
 岩波映像販売(映画化のプロデュースをしてくれたところ)が主催で、六本木の俳優座劇場で2週間の上映会をやったり、その後いろいろな団体に全国各地で上映会を開いていただいたりしました。上映とセットで講演にも行きました。まだ映画化する前に鈴鹿の青年会議所の皆さんに呼んでいただいたり、青少年健全育成関係団体の方や大学、高校、教職員組合などなど、いろいろな方々に上映会、講演会を企画していただきました。
 ウチが企画したのは初めて公開したとき以来、今回で2回目です。今回企画してみて、ずいぶん時代が変わったなあと思いました。十数年前は出産のビデオを公開することはもちろんですが、立ち会い出産そのものがあまりポピュラーとは言えなくて、夫だけでも立ち会える病院はまだまだ少なかったし、ビデオ公開後1年くらいの間の出産の話題が沸騰したときにも、“夫が立ち会うと妻の出産の動物的なグロテスクさに驚愕してすぐ離婚になる”何ていうことが“成田離婚”と一緒に平然と言われていたことがあって驚きました。
「素敵なお産をありがとう」は、もちろん出産を扱った作品ですけれど、全編に流れているものは、“出産”というよりむしろ“家族が新しい仲間をどう迎えるか”という映画です。母親にとっても父親にとっても、また子どもたちにとっても新しい家族の誕生は、人生の上でとても大きな出来事です。もちろんそれは出産というその瞬間だけにとどまるものではなく、人の一生に大きく影響を与えるものです。
 13年前と比べて今回は、映像そのものによるインパクトよりも、出産が我が家の中でどういう位置づけだったのか、あるいはご覧いただいた方の家庭において、出産がどういう意味を持っていたのか、そういったことを考えながらご覧いただけたのではないかと思いました。
 映画を見るとずいぶん幸せそうな家族に見えますが、わが家も決して順風満帆なわけではなく、しょっちゅうガタガタと揺れているし、せっかく積み上げた積み木がいっぺんに音を立てて崩れることもあります。まあ人生ってそういうものかなって思いながら生きてはいますが、頻発する少年少女の自殺や事件を思い、今回ご覧いただいた方たちは、一つの新しい命の誕生をどんなに周りが愛おしく思い、暖かく迎えるか、何かそんなものを感じていただけたかなあと思いながら、上映会を終えました。



 
ありがとうございました2004/06/15 2:52:56  
                     もさく

 
3歳の息子と参加させていただきました。
上映中、静かにできないようなら退室しますので、なんて言っておきながら
おしゃべりを始めた息子を押さえつけるようにして観つづけてしまいました。
もちろん、幼児はしゃべり続けます。
限界かな、観たいよ、なんでアイツ(夫)は日曜に仕事なんだ、と思ったところへ
「おばちゃんと遊びに行こう」と洋子先生が手を伸ばしてくださいました。
息子は笑顔で退室。別室で大関さんに遊んでいただきました。
ありがとうございました。図々しくて申し訳ありません。
洋子先生のあまりの若さに、娘さん?と思ってしまいました。本当に。

近頃「どうしてナニナニなの?」という質問をしては間髪入れずに
「ナニナニだからなの?」という答えまで用意してくるウチの子供。
「どうして今、おかあちゃんは横を向いたの?僕がうるさいからなの?」
そのとおり。うるさくて、つい適当に答えたり、怒鳴ったり、無視することもあります。

洋子先生の足元で、ヘソの緒をつけて丸まっている翔くんを観て涙がこぼれたのは
3年前の、私と息子を見せてもらえた気がしたからです。
ありがとうございます。本当に素敵でした。

夫は9歳年下。私と舅は15、姑とは14歳違いです。
婚姻届を広げて見たときの姑のゆがんだ顔が忘れられません。
面と向かって年齢差について言われたことはありませんが
嫁として認められていないことは伝わってきます。
「もうすぐ40歳だなんて。子供は産めるの?」てなことを夫に言ったそう。
また夫も正直に私に話しちゃったもんです。
洋子先生は偉いです。私は夫の親に対して「済まない」なんて思いません。
結婚してやったんだ、ばーか、って今この瞬間でも電話してやりたいくらい。
好きになったのは私が先ですけど。
洋子先生のお話を聞きながら泣いたのは少し自分と重ねたからです。

すみません。長くなりました。


 

元の文章を引用する

 
こちらこそありがとうございました2004/06/16 4:31:28  
                     大関直隆

 
本当は話を最後まで聞いていただけるとよかったのですが…。
私がもう少し隣の部屋で見ていた方がよかったですね。
お母さんのところへ早く戻してやった方がいいかな?と思ったのがまずかったみたいです。でも、私が見ている間、とてもいい子でしたよ。
年齢差と愛情は関係ないと思いますが、育ってきた環境の違い、世代によるものの見方の違いは厳然と存在します。同世代の結婚と比べて、そういう意味での難しさというのはあると思います。男性が上でも同じことが言えるんでしょうけれど、「男性がリードする」というような発想があるので、女性が上の場合よりは問題が少ないんじゃないかな? もちろんそれは女性の我慢の上に成り立っているのでしょうけれど。
人と人との違いを埋めるには、違いと真摯に向き合い、共通の体験を積み重ねるしかないのだろうと思います。結局わが家の場合には、それが立ち会い出産という形になったわけで、今回見ていただいたビデオの通りです。
また、何かの折りには是非お立ち寄りください。
 

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人と人との違い2004/06/16 11:05:12  
                     もさく

 
大関さんのお話を読んで、まずは夫との違いを埋めるべきなのかなと初めて思いました。
頭の中が少し明るくなったよう。まねっこして立会い&高齢出産するかもしれません!
ありがとうございました。
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2004/06/07(月)
第112回 「緊急のお願い」
 6月1日、長崎県佐世保市の市立大久保小学校で起きた事件は、日本中を震撼させました。私が最初にこの事件を知ったのは車のラジオでした。ラジオをつけた時ちょうどこのニュースが流れていましたが、次のニュースへ移る直前で、小学生にかかわる事件で何か大変な事件が起きたということしかわかりませんでした。あわてて、あちこちチャンネルを替え、ほぼ事件の概要を理解するのにそれほど時間はかかりませんでした。

 このニュースを聞いた時、大きな衝撃を受けましたが、あまり驚きはありませんでした。翌日の新聞だったかTVだったかの誰かのコメントにも、「いつどこで起きても不思議ではない事件」といったものがあり、事件そのものの悲惨さもさることながら、世の中がそういった方向に進んでいることを、とても悲しく思いました。 
 この事件の原因がどこにあるかは、簡単には言えません。チャットや「バトルロワイヤル」のことが連日大きく取り上げられていますが、単純にそういったものだけが原因のわけもなく、当然のことながら私たち大人の作っている現代社会全体のありようにも目を向けなくてはならないのでしょう。

 事件の翌日、素早い対応で保護者宛にプリントを配った小学校も多かったことと思います。そのこと自体は悪いことではないのですが、あるお母さんから見せられたプリントには、ちょっと違和感を感じました。
 校長名で保護者宛に配られたそのプリントは、「緊急のお願い」というタイトルになっていて、今回の事件を受けての”保護者に対するお願い”という形になっています。
 まず、私が違和感を感じたのは、”新聞・テレビ等の情報で御承知のように、また「あってはならないこと」が、長崎県佐世保市で起こってしまいました”という書き出しでした。何がどう違和感なのかということを説明するのは難しいのですが、私は「あってはならないこと」という言葉の響きに、非常に第三者的な無責任な感じと今回の事件を未熟な子どもと未熟な保護者の問題としてとらえ、子どもたちと保護者に”教師が正しい道を教え諭す”といったような感じを受けたからではないかと思います。
このプリントには「お願い事項」が7項目あります。
1.子どもの発するサインを積極的に受け止め、やさしさと厳しさを持って接してください。
2.刃物など「他人に危害を与えるもの」は、家庭の責任において子どもに持たせないでください。また、学校に持ち込まないようにしてください。



7.「常に一人ではない。困ったら親や先生に相談する」ことを、常に話し共感的態度で子ども達に接してください。
と、こんな感じです。
 一つ一つを見れば、特別間違ったことを言っているというわけではないのですが、こういう事件が起こったあとで、保護者が最も学校から聞きたいことは、子どもたちに対するお説教でもなく、もちろん保護者に対するお説教やお願いでもなく、公教育としての学校の責任ある対応、つまり”学校のこれまでの子どもたちに対する接し方と今回の事件を受けて今後どのような対応を子どもたちにしていくのか”ということです。保護者の立場からすると、「お願い」の1や7などまさに学校に突きつけたい言葉であって、今までどのように実践してきたのか知りたいところです。それを保護者に投げてどうするのでしょう。

 このプリントの中には、朝会をもち、「命の大切さ」を子ども達に訴えたこと、学級で話し合いをもち、指導の徹底を図ったことは書いてありました。が、教師が今回の事件をどうとらえ、学校としてどう対処していくのかはまったく述べられていません。
 学校や保護者がお互いに責任を押しつけ合うのではなく、学校は学校のできることを明らかにし、保護者は保護者のできることを明らかにすることで、現在社会の中で子どもたちにとっての最善の教育はなんなのかを模索していく必要があるのではないでしょうか。

(文:大関 直隆)

2004/05/31(月)
第111回 「身体の健康・心の健康」
「努! 靴!」
「・・・」
「何やってんだよ! 靴のまま上がってくる奴があるかよっ!」
「あっ! そうだっけっ! 日本は家に上がるとき靴脱ぐんだっけね。タハハッ、ついね…。最近靴脱ぐ習慣がないからね」
「ばーかっ! カッコつけてんじゃないよっ!」
フランスにダンスの勉強に渡って5年、初めて努(つとむ)が帰国したときのことです。もちろん、玄関で靴を脱ぐことなど本気で忘れているわけもなく、ちょっとしたジョーク。マンションの自分の部屋に水槽を持ち込んでその中に長芋の切れ端を植えて部屋中蔓だらけにしたり、毎日フケをノートの上に落としては、1ヶ月分を集めてフケの量を量ったり…。子どものころからそんなことばかりしていました。努っていう子は、いくつになってもそういう子(もちろんこの時にはもう大人と言っていい年齢でしたけど)です。

 5年ぶりに一家が揃っての食事。努がいることで、みんなそれなりに興奮しているので、いつもよりやや大きめな声で話します。帰国した努が主役になることもなく、弘子をはじめ、真、麻耶、翔、それぞれが主役になるべく、一斉に話し始めました。
「ねえ、ねえ、ねえ、今日ねえ・・・・・」
「だからさあ、××××がさあ、××だったんだよ」
「これ、美味しいねえ・・・・・」
食卓の上を、さまざまな話が飛び交います。誰と誰が話しているのか、全然わかりません。けれども、それなりにみんな話が通じているらしく、なんとなくではありますが、話が展開しているようです。すると突然努が、
「うるさいんだよ! ちょっと黙ってよ! 僕が話しできないじゃないか!」
「・・・」
一瞬、みんな黙りましたが、それもほんの1秒か2秒。その一瞬の沈黙が終わると、また元のようにワイワイガヤガヤ・・・・・
「だから、黙っててっ言ってんの! 話できないじゃないか!」
「??? なんで? 話せばいいじゃん!」
っていうような具合で、みんなの話が一段落して、努の話を聞き始めるまでには30分かかりました。
「まったくなんなんだよ、ここんちは!」
ところが帰国2日目。今度は努の声が食卓の上にいちばん大きく響き渡ります。どうやら5年間のブランクは1日で取り戻したらしく、すっかりわが家のペース。人と人とのほんのわずかな話の隙を突いて、割り込むコツを呑み込んだようでした。

 子どもたちがそれぞれ独立する前のわが家は365日だいたいこんなふう。
妻がフルタイムで働いているわが家にとって、夫婦のコミュニケーション、親子のコミュニケーションはこうして図られていました。夕飯の時間は毎日おおよそ2〜3時間。TVもつけずに行われる家族の団らんは、家族が家族として機能していくためには、どうしても必要な時間でしたので、まだ小学校の低学年だった翔でさえ、夜11時過ぎに起きていることもしばしばでした。

 つい先日、あるお母さんに担任から”子どもを9時に寝かせるよう”注意されたという話を聞きました。やはりフルタイムで仕事をしているそのお母さんにしてみれば、9時から10時というのは、子どもとのコミュニケーションには欠かせない時間。コミュニケーションを犠牲にしてまで9時に寝かせることが本当に子どもの健康に配慮することなのか???
 低学年のうちは、やたらと早く寝かせることにこだわっている小学校も、高学年になって塾通いが当たり前の学年になると、10時、11時に塾から帰ってくる子どもたちを個人の問題として容認する。塾通いというのは”学校は勉強を教えてくれない”という保護者や子どもたちからの学校批判の意味も込められているのに…。

 子どもの健康ってなんなのか、よく考えてみるべきなんじゃないのかな? 一律に9時に寝て6時に起きるなんていうのは、もう今の時代にそぐわないことになってきちゃってる。おそらく、そう指導した担任の先生の家も、もし子どもがいる方だとすれば、9時になんて子どもを寝かせてるわけないよね。やっぱりフルタイムで働いているんだもんね。
(文:大関 直隆)