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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2003/12/08(月)
第90回「いいお産 その2」
前回のつづき。

「お産」ていうのは医療なのか医療じゃないのかは難しいね。5番目の息子を妊娠した時、妻は44歳だった。近くの病院に通ってはいたけれど、とにかく三森助産院以外で産むなんていうことは考えられなかったので、三森先生に連絡を取った。かなり高齢っていうことで、妻も私も神経質になっていて、三森先生にお願いするにも「大丈夫でしょうか?」みたいな聞き方になる。そのとき返ってきた三森先生の言葉は「妊娠したっていうことは産めるってことよ」だった。三森先生のその言葉を聞いてどんなに安心したことか…。それから先は、お産のことより生まれてくる子どものことに気持ちは移ったんだよね。

ところがその後、三森先生に知り合いの32歳で初産の人を紹介したら「30歳以上で初産の人は引き受けてないの」ってきっぱり断られてしまった。後になって考えてみると、そのころの三森先生は肝臓癌の末期で、もう手の施しようもなかった状態。ウチの子が生まれる半年ほど前に開腹手術をしたけれどどうにもならなくて、ほとんど手を打てないまま閉じたとか…。まあ、そういう事情もあったのかもしれない。それにしても、三森先生は30歳を線引きに使ってた。要するに30歳を過ぎた初産は、「医療の分野」ってお考えになっていたのかもしれない。

妻の親戚に産婦人科医がいるんだけど、産婦人科は訴訟になるケースがとっても多いんだって。そう言われてみれば「そうかも」って感じ。「お産」て当たり前のことなのか医療なのか、よくわかんない。当たり前のことって思ってるのに事故が起こることも多い。それで訴訟になっちゃうらしい。なんでもなく生まれてくれば医療じゃないけど、ちょっとでもドクターが手を加えれば医療になる。それで逆に故意に手を加えて、治療費を稼ぐ。三森先生曰く「だからすぐ(会陰を)切っちゃうのよねえ。病院はほとんどが異常産」。

出産をするお母さんや家族のほうも揺れていて、「いいお産」の定義が難しくなってるんだと思う。なるべく自然にお産をするのか、それとも「安心」を中心に据えるのか、それともお母さんの「私、産んじゃった」的な感覚でお産をするのか…。

どんな人から出産の経験話を聞くかによっても変わるよね。安産だった人から話を聞けば、「出産は安全」って感じるだろうし、難産だった人から話を聞けば「出産は危険」って感じるだろうし…。私も出産についての講演をするような立場になっちゃったので、いろいろな人から話を聞く機会があるけれど、どうも出産っていうのは、ことの性質上あまり公にはなってない。だから、ある意味病院のやりたい放題っていうことも言える。

普通にいったらそんなに危険なはずはないのに、やたら危険を強調することで「ウチの病院は安全ですよ」って言って妊婦を集める病院、あるいは前回登場させたようなお産をすっかりイベント化させて、外から見える部分だけをやたらきれいに見せている病院…。そこの病院の看護師や助産師が言うには「最近のお母さんは自分で産もうとしないで、産ませてもらおうと思ってる」んだって。その通りだと思う。でもね、それは病院がそうさせてるか、あるいはそういうお母さんばかりを集めてるんだよね。

やっぱり本当に「いいお産」をしようと思ったら、客観的にいろいろな情報を集めないとね。何となくの評判も悪くはないけれど、基本的に出産をした人は、よほどひどいお産じゃなければ、自分がしたお産が「いいお産」だったって言うのは当たり前。だれだって一生に何度もない出産はいいものであったって思いたいに決まってるんだから。

お産についての評判がとてもいい産婦人科医を何人か知っているけれど、よくインターネットで流れている情報と私の知っているドクターの人柄とは全然違うよね。だからそこが悪い病院っていうことじゃないけれど、「いいお産」をするには、自分の目で見て、耳で聞いて、たくさん情報を集めた方がいいよ。そして何より大切なことは、何が「いいお産」なのか、しっかり夫婦なり家族なりで話し合うことだよね。

看護師さんから、お産に立ち会った話を聞いたので、2回つづきでお産の話になっちゃった。なんだかすっかり自分の子どもも赤ん坊に戻ったような気がしてきちゃった!
(文:大関 直隆)

2003/12/01(月)
第89回「いいお産」
ある評判のいい産婦人科の話。
ビックリしちゃうけど、出産して退院の時にはフランス料理のフルコースが出るんだって。こんなことにビックリしてると「そんなの当たり前じゃん」なんて笑われちゃうのかな?そこの病院、産後のエステもあってえらく評判がいいらしい。そんなことって、どう「いいお産」と関係があるのかなあ? ウチの子なんて、上の二人は私の子じゃないけど、妻に話を聞くと、ごくごく普通の産婦人科の病院だった(普通ってなんだかよくわかんないけど、何となくは通じてる? 今から35年も前の話だから普通で当たり前だけどね)らしいけど、3番目は自宅分娩でしょ、4番目と5番目は今や伝説的助産婦(師)の三森先生の助産院。

初めて三森先生のお宅を訪ねたときは、三森先生がそんなに有名な方だなんて、なーにも知らなかった。上の子どもたちが立ち会える病院を探していたところ、たまたま妻の同僚が機関誌のような誌面に三森先生の記事を見つけて、紹介してくれたことがきっかけだった。三森孔子(みもりよしこ)助産婦は、日本でのラマーズ法の普及に努めた方で、助産婦(師)をしている人なら知らない人がいないくらい有名な人物。聞くところによると、お亡くなりになってから16年になるにもかかわらず、未だに看護学校の出産の授業で教材に使われているのは三森さんのビデオだとか…。確かにラマーズ法を取り入れている病院の呼吸法は若干のバリエーションはあるにしても、どこも「ヒッヒッヒッ フー」という三森式をベースにしたもの。まあせいぜい「フー ウン」が「ハー アン」になってたりするレベル。いやこの話は、ラマーズ法での出産を経験してない人は、よくわかんないかな?

ちょっと話を戻すけど、その三森助産院なんてただの普通のお宅だし、料理は三森先生が作ってくれる普通の家庭料理。入院してる部屋だって何用に作ったかわからないような普通の和室。それと比べて考えると、前出の病院はすごい! そこの病院は毎日3〜4人の出産があるんだってよ。でもね、妊娠中の管理はあまりやってないらしく、太りすぎの妊婦が多い(実は三森先生のところもそんなの喧しくなかったので、妻はだいぶ太っちゃったんだけどね)から、生まれてくる赤ちゃんも大きくて分娩も大変らしい。その上、ラマーズ法をまったく導入してないから、妊婦が痛がって叫んじゃうんだって。叫んじゃうと力がうまく入らないから分娩にも時間がかかって、なお悲惨なことになっちゃう。

そんな病院だから当然帝王切開も多くて、けっこうすぐに切っちゃうことにするとか…。それがね、切り口の痕があまり残らないように、ほんのちょっとだけ切って、小さい穴から無理やり赤ちゃんを引っ張り出す。でも、こういうのを上手な帝王切開って言うんだよね。もちろん傷口は縦じゃなくて横だから、何年かするとほとんどわからなくなっちゃうらしい。これぞ名医! 分娩中に異常があれば、近くの日赤と提携していて、すぐ日赤に運んでくれる。安心だよねえ。だから救急車の出入りが頻繁にある。

次回につづく
(文:大関 直隆)

2003/11/25(火)
第88回「しつけ」
変な話だけど、犬との関わりの中ですっごくいっぱい「子育ての基本の基本」を学んでいます。もう5人の子どもを育てちゃったわけで、必要ないっていえば必要ないけれど、自分がやってきた子育てを「犬のしつけに重ね合わせながら、考えて理論的に解釈する」っていう作業を毎日やっているような感じです。

ペットを飼う上で一番問題になるのが「しつけ」。「無駄吠えをする」「噛みつく」「トイレの場所を覚えない」などなど。悩んでる人も多いんじゃない?

悩みを解消するにはきっちりとした「しつけ」をするしかないわけだけれど、これにはちょっとした“こつ”がいるから、訓練士なんかに話を聞くのが簡単。ウチのショップにももちろん訓練士はいるけれど、本を読んだりして、その通り実行してみるのもいいかも…。

つい先日、訓練を専門に商売にしているグループの一人が訪ねてきて、店内にチラシを置かせてほしいっていうわけ。それが「置かせてほしい」って頼みにきてる割には威張ってるんだよね。「私らみたいな優秀な訓練士のチラシをあんたのショップに置いてやる」みたいな…。正直言って「なんだこいつ?」って思ったけど、まあ一応話は聞くことにして、もしビジネスとして組めることがあれば協力しようかなって…。

ところがとんでもない。オーストラリアかどっかに留学して犬の訓練について学んできたとかいうことで、やたら自信がある。確かにアメリカやオーストラリアっていう国は日本と比べてペットの先進国。しつけについてきっちりとしたマニュアルがあって、その通りに訓練すれば従順な犬ができる。それは私も認めるけれど、この人との話の中で、「従順な犬をつくることが犬を愛していることか」って、かえって疑問がでてきちゃった。

この人たちは、「欧米流にしつけをする」ことが犬を愛していることだって主張するわけだけれど、私はちょっと違うと思う。私は犬も含めて動物を愛するっていうことは「共生」だと考えてる。その中にしつけがあるんであって、「まずしつけありき」じゃない。「犬との共生」って言ったら「共生って何ですか?」って答えが返ってきたのにはビックリした。「共生」っていう言葉を知らないんだよね。オーストラリアでいったい何を学んできたんだろう? 私は「しつける」っていうより、「共生」って考えてるんだけどなあ…。

人間も同じで、「しつけ」の基本は、やっぱり相手を本当に愛しているかだと思う。それがどんなに小さな子であろうときっちりと一人の人格として見る。これはずっと述べてきていることだけれど、「大人の都合に合わさせる」は最悪だよね。そんなの「しつけ」じゃない。

「泣いてる子を抱いてやると抱き癖がつくから放っておけ」っていう人がよくいるよね。確かに泣いている時に抱かないでいれば、泣いても抱いてくれないって学習するから泣かなくはなるかもしれない。「いつまでも母乳を飲んでいないように」って、乳首にカラシを塗ってなめさせたりする人がいるよね。これも確かに母乳は飲まなくなるかもしれない。でももっと大切なものを失っているんじゃないかなあ?

犬はもともと集団で生活する動物なのでリーダーを見極めます。そういう意味で人間が毅然とした態度で接することは重要です。(でもこれだって人間の親子関係と同じだよね)マンションで「吠えられるのが困る」といって無駄吠えをしないようにしつける。それはその通りだけれど、時には発想の転換をはかって「吠えても人の迷惑にならないところに引っ越す」なんていう考え方もあっていいんじゃないのかな?

犬にばかり共生の負担を強いるんじゃなくて、たまには人間が負担を背負ってあげられる優しさもあった方がいいよね。犬だってバカじゃない。そんな優しさこそ「リーダーの強さ」って感じることがあるはずだよ。

「しつけ」っていう言葉はあんまり響きがよくないね。訪ねてきた訓練士に「しつけっていう言葉は好きじゃない」って言ったら「じゃあ教育って言えばいいですか」だって。
う〜ん???
やっぱり「共生」だね。
(文:大関 直隆)

2003/11/17(月)
第87回 「知らないおじさんに近づいちゃいけないんだもん」
私が1歩前へ出る。
少女は後ろへ1歩さがる。
私がさらに1歩前へ出る。
少女は後ろへさらに1歩さがる。
「だめだよ、そばに来ようと思っても。知らないおじさんに近づいちゃいけないんだもん」
「???」
「ねえみんな、逃げよっ!」
少女は、周りにいた4、5人の女の子たちと一緒に私の前から逃げていってしまいました。「ダメだねえ、チラシ配りは。なんか宣伝の方法、考えなきゃ」
「とにかく別な学校へ行って見ようよ」
4年ほど前、毎年、カルチャーセンターでやっている夏休みの親子講座(親子でオカリナづくり)が好評なので、カルチャーセンターばかりでなく私の教室でも「オカリナづくり」を企画しました。夏休み初日の海の日に20〜30名くらいを目安に募集をして、オカリナを作ってもらう計画でした。
チラシも作り、いざ宣伝に出かけてみると肩すかし。なんといっても小学生中心の親子講座ですから、小学生の下校途中を捕まえてチラシを渡すのが一番です。ところが、チラシを手渡しする距離まで近づけないのです。
「別な学校に行ってみようよ」
「そうだね」
気を取り直して、別な学校に行ってみましたが、結果は同じ。どんなに近づいても5mくらいまでがやっとです。小学校のPTA会長をやっている時でしたから、もちろんウチの子どもが通う小学校の子どもたちに手渡すことは簡単です。とはいえモラルの問題からいって自分がPTA会長をやっている小学校の子どもたちに露骨に宣伝するわけにもいかず、近所の小学校へチラシを配りに行ったのでした。ちょうどこのころ、近隣で子どもに声をかける不審者が頻出し、PTAの連合会でも「どうやって子どもを守るか」が問題になっているところでした。自分もかかわって立てた対策が、まさか自分に跳ね返ってくるとはね。「おーい、別に怪しいものじゃないよー!」と叫びたい気分でしたが、そんなこと言ったってどうにかなるわけじゃない。結局、男じゃ配れないので、妻や子どもにチラシを配ってもらって、なんとか海の日のオカリナづくりは成功しました。
最近わが家の近くで、小学生を連れ去ろうとする事件が何件か起きました。その数日後には、私の実家の近くでも同様の事件があったと新聞報道されました。川口市は携帯型防犯ブザーを児童に貸与したそうです。
私が子どものころは「鍵っ子」という言葉があったように、自宅の鍵すら子どもには持たせなくてすむ子育て環境だったわけですが、とうとう防犯ブザーまで持たせなくてはいけない時代になってしまったのかと思うととても寂しいですね。真(まこと)が高校生だった時、学校の中で頻繁に盗難が起こりました。学校からの指導は「大金は持つな、鍵を締めろ、しっかり自衛しろ」ということでした。確かにその通りなのですが「他人のものを盗まない」という最も大切な部分が抜け落ちていました。「どうやって守るか」だけでなく、「どうやって事件のない社会を作るか」の議論がなされないと、おそらく今よりももっとエスカレートした事件が起きるのではないかととても心配です。
子どもたちには、安心して遊べる環境を保証してあげたいですね。
(文:大関 直隆)

2003/11/10(月)
第86回 「ペットショップオープン!!」
「風が吹くと桶屋が儲かる」
これって、ことわざ?
なんで「風が吹くと桶屋が儲かる」かっていうと、諸説あるみたいだけど、一般的なやつは、まず、風が吹くと(砂)ほこりが舞う。今ならねえ、あんまり考えられないけれど、昔は道路も舗装じゃなかったし、畑なんかもいっぱいあって、ほんとに風が強い日はほこりがよく舞ってたよね。そういう光景を知らないとちょっと実感がないかも…。あっ、そうそう! 学校の校庭なんかでは今でもよくあるよね。いやいや話がそれた! まあ、いいや。

って言うわけで、そうなると、(砂)ほこりが目に入る人が出てくる。と、運悪く目が不自由になる人が増える。目が不自由になると門付になる。“門付”って“三味線の歌謡流し”らしいけど、なかなかここの部分って風情を感じるでしょ? もっと単純に“目が不自由になると三味線弾きが増える”なんていう言い方もあるみたいだけど、やっぱり“門付”がなくっちゃね。さて、“門付”は三味線を使う。三味線の需要が増えるから、三味線を作るのに必要な猫の皮がいる。「猫が獲られる→ネズミが増える→ネズミは桶をかじる→あっちこっちの家で桶に穴があく→桶屋が儲かる」というわけです。

さてさて私の会社は「ライフクリエイト」。なぜ「ライフクリエイト」かっていうと、そのまんまなんだけど、“ライフ”(人生)を“クリエイト”(創造)するっていう意味でつけたの。いったいなんのこっちゃ?って感じだけど、要するに“生まれたときから死ぬまでの人生を楽しく豊かに送れるようにお手伝いする”っていうこと。それで今までも生まれる部分で出産のビデオを売ってたり、特に老後っていうわけではないけれど、リタイヤ後の人生の楽しみっていうことも含めて陶芸教室やってたり、その中間ってことで教育のことやってたり…。それで今度はペットショップを始めることになりました。

今まで全然ペットなんていう話はなかったのに「なんでまた突然ペットなの?」ってよく言われるんだけど、それはまったく「風が吹くと桶屋が儲かる」っていうわけで、ライフクリエイト”って人生を創造するっていうことでしょ、人生には楽しい時もあれば苦しい時もある。楽しい時は陶芸とか文化とか、苦しい時はカウンセリング。カウンセリングは癒しでしょ、癒しにはいろいろなものが必要だけど、今注目されているのは“アニマルセラピー”。だから“ペットショップ”になったわけ。

まあ、“犬だけ”だけど大量の生き物の世話をするなんて、小学校の飼育係で鳥とウサギの世話をして以来やったことないので、ちょっと戸惑ってる。とにかく犬といえば“しつけ”。私も勉強しなきゃ、全然わかんないと思ってすっごく心配してたんだけど、実際にやってみたら、どうもそれがそうでもない。ここ数ヶ月犬を見てきて感じたことは、犬も人間も同じだっていうこと。犬の世話をしたり、しつけをしたりするのは、人間の子どもを育てるのにとってもよく似てる。日々の健康管理は、観察から。吐いたり下したりしたら特によく観察する。糞の色はどうか、動きはどうか、機嫌はどうか…。あまり多くの人と接するとストレスが溜まるので、充分休ませる。ストレスを解消させるために自由にさせる。そして最も大切なのは、愛情を持って優しく、どんな小さな子犬でもただ猫かわいがりせずに、“一人の人間”ならぬ“一頭の犬”として接すること。

ペットの飼育からこんなにいろいろなことを学ぶとは思わなかったね。でもやっぱり人間は複雑で難しいよね。子どもを育ててる時は最後には“親を越えてもらいたい”っていう期待のようなものがあるからね。ペットを飼うのにそんなのないから。そういう意味ではペットって、子どもを育てるっていうより孫と遊んでるっていうのに近いのかなあ…。でも、“子育ての基本”て何でも同じなんだなあとつくづく感じてます。
(文:大関 直隆)

2003/11/04(火)
第85回 「ヒャー! 39℃だー!!」
子どもを育てていて、びっくりするのが初めて経験する高い熱。
できれば避けて通りたいけど、そんなことできるわけがない。子育ても2人目、3人目、わが家みたいに5人目ともなれば、熱くらいではたいして驚かないけれど、1人目のときは大パニック。熱よりはむしろ「笑わない」「機嫌が悪い」「食欲がない」「ぐったりしている」とか、「子どもの様子」の方が重要なんだけど、大人は熱に慣れてないし、客観的基準としてはとってもわかりやすいので、熱を計って万が一40℃の世界にでも突入してでもいたら、もう大騒ぎになっちゃう!

こういう時に夫婦2人でいられたらいいんだけど、母親1人だとすごく不安になっちゃって、”なんとかこの瞬間から逃げ出したーい”なんて思っちゃうんだよね。

そうそう、第45回に書いた、麻耶(まや)が救急車で運ばれた時も熱だった。まあ、単純に風邪だったんだけど、40℃くらい(妻の学校へ連れて行ってる時なので、実際に何度くらいだったかはわからないけれど)熱が出て、引きつけ起こしちゃって…。高熱が出ると子どもによっては引きつけを起こすことがあって、これも熱がある時ならそんなに心配することはないんだけれど、かちかちになってまるで棒だからビックリする。ピーンッって突っ張って、白目になって、泡は噴いちゃうし…。

携帯電話なんてまだないころだから、4階から1階の公衆電話までどっちが119番に電話をかけに行くかでやり合いになった。こう言うと、
「あなたかけにいってよ」
「おまえかけにいけよ」
っていうやり合いと思うのが普通だけど、この時は違って、
「ちょっと麻耶抱いてててよ。私、救急車呼んでくるから」
と妻が言えば、
「エーッ! いやだよ。私が電話かけにいってくるから、抱いててよ」
と私が言う。とてもじゃないけど、白目むき出しにして、口から泡を噴きながら棒みたいになってる麻耶を抱いてるのは、怖いのなんのって。

結局この時は妻が救急車を呼びにいって、私が抱いてることに。
でも、救急車が到着したころには引きつけもほぼ収まって、「ただの熱」になっちゃってたんだけどね。

「ヒャー! 39℃だー!!」
沙羅(さら)が初めて熱を出しました。
どうも熱いと思っていたら、やっぱり熱。
普段とはちょっと違うけれど、でもそんなに元気がないわけじゃなくて、ときどき笑ったりはしています。
「こんなに熱があるのに、この子こんなに元気なのかねえ?」
5人の子どもたちがお世話になった小児科が近くにあるので、娘の麻耶は沙羅を受診に連れて行きました。もちろん熱があるというだけでは、原因が特定されるわけもなく(だいたいは風邪かインフルエンザなんだけど)、対処療法的に症状を緩和する成分(要するに解熱剤)の入った薬をもらって帰ってきました。熱は3日間続き、4日目には36℃台に戻りました。

「あれ、顔とお腹に発疹出てるんじゃないの?」
「ほんとだ!」
「なあんだ、突発性発疹だったんだあ!」
たははっ、もうすっかり忘れちゃってて…。
生後半年過ぎくらいに初めて高熱を出した時は、突発性発疹を疑う。高熱があるのに元気だったらほぼ間違いない。昔はよく「育児の百科」かなんか出してきて、子どもに何かある度に調べてたね。
「ねえ、どこかに『育児の百科』ってなかったっけ?」
「ネットで調べるからいいよ」
突発性発疹についてインターネットで調べたら、
「やっぱりピッタリじゃん。熱は3日間だって。熱が下がると発疹が出る」
「忘れてたねえ…。そうだったよね」

沙羅の熱は、突発性発疹だったという結論になって…。
だけど、ネットで調べたら「熱は3日間」ってけっこう断定的な言い方してるページもあったりして。もちろん個体差はあるけれど、ほんとに3日間が多いのは何でだろっ?ちょっと不思議に思いながら、ホームページを閉じました。あんまり素人判断はよくないので、「元気がなくて様子がおかしい」時は、やっぱり小児科に診せといた方がいいよ。
(文:大関 直隆)

2003/10/27(月)
第84回「迷子」
「れーんっ! れーんっ! どこ行っちゃったんだろう???」
娘の麻耶(まや)は、蓮(れん)と沙羅(さら)の二人を連れて、近くのショッピングモールへ出かけました。蓮は2歳3ヶ月、最もチョロチョロする時期で、抽象的なことを除けばほぼ言葉は理解するものの、こちらの話している意図まではわからない年齢。沙羅は生後8ヶ月。かなり自分の意志もはっきりしてきて、ほしいものがあればあっという間に這って行く、とにかく手にしたものは、何でも口の中へという月齢。ちょっと麻耶が沙羅に気を取られているうちに、蓮の姿が見えなくなりました。

遊具がたくさんあり、行き慣れたところなので、麻耶もちょっと気を抜いていたようです。どこかの遊具で遊んでいるのだろうという思い込みが、目を離させたのです。蓮がいなくなったことに気づき、慌てて遊具の周りを探しますがどこにも見あたりません。よく行く別のプレイスペースに行った可能性もあるので、そちらの方も見て回りましたがやはり見つかりませんでした。

どうしようかと困っているところに、
「迷子のお尋ねを申し上げます。ブルーの機関車トーマスの靴を履き、黒の半ズボン、グレーのTシャツを着た3歳くらいのお子さんが迷子になり保護しております。お心当たりの方は…」
「ああっ! 蓮だあーっ!」
麻耶は沙羅を抱いて、急いで引き取りに行きました。ちょっと年輩の女性にだっこされた蓮は、麻耶に気づくと、
「ママーっ!」と声を上げ、手に持ったお菓子を差し出して、
「これ、もらった!」

どうやら最初にいなくなった場所を動かなければよかったようで、麻耶が別な場所に探しに行ってしまったあとに、どこからか戻ってきたらしく、いなくなった場所でべそをかいているところを保護されたようでした。

そういえば最近、めっきり「迷子の放送」が減りました。私が子どものころなんてデパートのようなちょっと大きな施設では、しょっちゅう館内放送が流れていて、「迷子の放送」のない日なんてまずなかったけれど、最近は逆にほとんど「迷子の放送」を聞くことがありません。最近は昔と違ってみんなベビーカーを使っているし、おんぶやだっこをするにもいろいろいいものがあって、親が子どもを身体につけているので、ウロウロ、チョロチョロしてる子がめっきり減ったような気がします。

「今くらい親と子どもの物理的距離が近ければ、迷子なんてないよなあ」
と一人で納得して…。「でもそれってホントにいいのかなあ? 子どもの好奇心や冒険心はいつ養われるんだろう? 親は楽になったけど子どもは縛り付けられてるだけじゃん」と思いつつ、

「そうだ! この前新聞に“学校の帰りに声をかけられたり、車に乗せられそうになったりする事件がさいたま市と川口市であった”って載ってたっけ」と思い出して、ずいぶん子育ては楽になったように見えるけど、実は逆に子育てが難しくなってる時代なんだなあとつくづく感じて、「大人の責任で解決しなくッちゃ」と益々重圧を感じるこのごろでした。マル
(文:大関 直隆)

2003/10/20(月)
第83回「3時半までに行けばいいんだよ」
「ホントにお前の言ってた通り、変なカッコの奴は校門から中に入れなかったよ」
「へーっ、ホントにそうなんだ?」
「何言ってんだよ、お前。自分の学校のことわかんないの?」
「まあね! 僕、その時間にまだ学校にいなかったし…」
「ターッ! 結局何時に行ったんだよ?」
「ん? 何時ごろだったかなあ…? 2時か2時半だったか…。たぶんそんな感じ。」
「ホントに3時半までに行けばよかったの?」
「そうだよ。3時半に出席採るからそれまでに来いって担任に言われてたんだもん」
「それって、朝登校はしてるっていうのが前提で、出席を採るのが3時半っていう意味じゃないの?」
「ん? そんなこと言われてないよ。3時半までに来いって言われただけだもん」
「ゲーッ! ”私立”ってみんなそうなん?(「××なん?」っていうのは熊谷弁。けっこうリズムがいいから好き)だけど3時半ってもう学校終わりの時間だろっ?」
「まあね。出席採ったら解散だよ」
「お前、それまで何やってたの?」
「練習場でゴルフやってたよ」
「はぁ…。じゃあ、生徒さん本人は学校にいなくて、親だけ学校に行ってたわけだ?」
「うん、そうだね」
「お前の学校ってどうなってるの? あんなに”格好”のことはうるさいのに遅刻みたいなことはどうでもいいんだ?」
「だって今日のは遅刻じゃないもん。普段もそんなに怒られたりはしないけどさ。だいたいいつも誰がいて誰がいないなんてよくわかんないよ。公欠いっぱいいるから。ゴルフの練習ラウンドだって公欠だもん。でも、遅刻してくる奴なんてほとんどいないよ。文化祭だってそんなにいい加減にやってるわけじゃないよ。ホラッ理事長、彫刻じゃん! 理事長が作った作品、学校の中にいっぱいあるもん」
「うーん、なるほど。じゃあ生徒はわりに自由にやってんだ?」
「まあね。そんな感じじゃん」

文化祭は2時間くらい校内を観て帰ってきました。
「どこか変だな、どこか変だなと思って観てたんだけど、校内を一回りする間にひとりも走っている生徒がいなかったし、声を張り上げて叫んでる生徒がいなかった。文化祭とかだとさあ、けっこう大きな声出して叫んでる子とかいるのにねえ。さっきすれ違った焼きそば売ってた子、たいていああいう子は”焼きそばいかがですかあ〜”って叫んでるのに、ぜーんぜん大きな声出してなかったね。それでなんか変に感じたんだね、きっと」

数日後。
「今日さあ、交際がばれて4人停学になった。一組はね、キスしてるとこの写真が先生の手に渡っちゃったんだよ。もう一組はねえ、携帯持ってっちゃいけないことになってるんだけど、見つかっちゃって携帯の中のメールのやりとり先生に見られたんだって。それでバレちゃったんだよ。ガードかけといても全部外させられるからね」
「そこまでやるんだ? かなり徹底してるよなあ…」
「部活でけっこう活躍してた子だから大変なことになってるよ」
「へええ。そういう子でも特別扱いしないんだ?」
「うん。そうみたいよ。全国レベルの子だもん」
「ふーん。お前は大丈夫なんだろうな?」
「へへっ! ぜんぜん平気。まったく心配無し!」

生徒を見てるとずいぶん伸び伸びしてるように見えるんだけど、この男女交際の問題の徹底ぶりとのギャップはいったい何なのかねえ???高校生になった息子に女の子の問題について「まったく問題無し」って言われるのも、ちょっと寂しいよね。
(文:大関 直隆)

2003/10/14(火)
第82回 「なんでアタシたち入れないのよぉ!?」
12日、翔(かける)が通う高校の文化祭に行って来ました。いやーっ、10月に入ってからの文化祭なんて久しぶりに聞きました。今や高校の文化祭は、みーんな9月。それもどんどん時期が早くなって、中には「9月第1週の土・日」なんていう学校も…。
「ここの学校って夏休みないのかなあ??? いつ文化祭の準備するんだろっ???」

私が高校のころなんて、6月くらいから準備に入って9月いっぱい準備にかけて、やっと10月に文化祭にこぎ着ける。そんな感じだったから、今の状況にはビックリ!「いったいどうやって文化祭やってんの?」って感じ。

妻が在職中に、「どういう文化祭にするか」で職員会議で話し合っていたみたいだけれど、職員の中では「文化祭はガス抜き」なあんていう意見が大半だったみたい。「ガス抜きって何?」っていう感じだよね。

要するに、10月になんて文化祭やってたら「センター試験」まで間がないのに勉強に身が入らないから、早くエネルギーを発散させちゃって受験体制を整えるってことらしいけど、ガス抜いちゃっていいのかねえ? 車もガス抜いちゃったら走らないし、やっぱりガスは詰まってて初めて意味があるような気がするけど…。その詰まってるガスを利用して自分がどっちの方向に進むかが問題なだけだよね。バックもあれば前進もあるわけだから…。

まあ、文化祭に対する意識がそんなふうだから、年々文化祭の質は下がるばかり。どこの文化祭を見に行っても、ろくな内容のものはない。生徒がやってるものなんて、「お化け屋敷」か「喫茶店」。いつか見たのなんて、「ミスドー」をたくさん仕入れてきて売ってるだけ。こりゃあ、高校生は上手いよ。なにせ普段ホントにやってるわけだから。

結局一番内容の濃いのが保護者の展示コーナーだったりしてね。趣味の域を超えて充分作家でやっていけるような人たちがけっこういるから。そんな文化祭いくつも見たよ。どっかの高校なんて、文化祭が終わるころになると暴走族みたいな連中のバイクや車で正門前がごった返しちゃってさ。みーんな女の子を迎えにきてるわけ。いやいや悲しい有り様…。もっとひどい学校なんていうのは、正門のところに「××祭」なんていう看板が立ってるだけで、学校全体がお化け屋敷みたいにシーンと静まりかえってる文化祭なんていうのもあるけどね。どう見てもあれは「静かに文化を楽しんでる」わけじゃなくて、学校自体が死んでるんだね。全然やる気ないの。学校だけの責任とは言わないけれど、私も「文化」に携わってる人間だからもう少し「文化祭」を大事にしてくれないとと思うけどね。

さて、翔の文化祭。
「君たちは入れないよ」
「なんでアタシたち入れないのよぉ!?」
「その金髪じゃあねぇ…」
「どうして?」
「ウチの学校はこういう学校だから、その髪の毛変えてもらわないと」
正門での先生と外部からきた茶髪(というより金髪っていう感じの)の二人の女子高生とのやりとりです。正門の脇に貼ってあるポスターを指さして先生が女子高生に話しています。その女子高生を招待した男子生徒もそこにいましたが、まったく譲らない先生の様子に、
「じゃあ、来年またきてよ」
と女の子に声をかけると、女の子たちも、
「来年だってダメだよ。アタシたち変える気ないもん」

翔に「ひどいカッコの外部生は入れないんだよ」とは言われていました。「男女交際が発覚すると退学」なんていう学校だから、当たり前といえば当たり前だけれど、いやいやその徹底ぶりにはビックリ。こう言うと、すっごく管理の厳しい学校のような感じを受けるんだろうけれど、それがまたそうじゃないからまたビックリ。その辺の話は、また次回。
(文:大関 直隆)

2003/10/06(月)
第81回 「肥満度」
今年、高校に入学した翔(かける)の体育祭は、上尾の陸上競技場で行われました。なかなかの呼び物だったのは、7人の生徒と担任の先生がそれぞれ50mずつ走って400mトラックを2周する、クラス対抗のリレーです。

どうも早さを基準に選抜しているのではないらしく、早い子あり、遅い子あり。学校全体の中には陸上競技で国体級の子たちがぞろぞろいるために、老若男女すべての担任が参加するこの競技はもちろんアトラクション。クラス対抗種目とはいえ、和気あいあい暖かいムードが漂っています。

とはいえ、トラックを走っている人たちにとっては真剣そのもの(でもなかったかな?)。バトンタッチを工夫して、足の速い子の走る距離を長くしたり、遅い子の距離を短くしたり…。一人がたった50m、その上バトンゾーンなんて適当だから、中にはバトンを受け取ってから次走者にバトンを渡すまでに、2,3歩しか走らない子もいて、ちょっとかわいそう…。それでも全員がとっても楽しそうに競技をしていました。

「あーーーっ、転んだ!」
アンカーを務める先生がすごい勢いで転倒しました。次のチームがすぐ後ろに迫っていたため、当然次を走ってきた先生が転倒している先生につまずいて転倒すると誰しもが考えたその瞬間、後ろを走ってきたちょう体格のいい男の先生(あまり背は高くありませんが100sはあろうかというような)は頭から前に飛びました。そして”くるっ、バタン”と柔道の受身をやって見せてくれました。
「おおーっ!」
危うく大惨事(?)になるところ、難を逃れた最初にこけた先生もニヤニヤしながら立ち上がりました。
「あの先生、あの体格でとっさに受身ができるなんてすごいねえ」
「柔道部の顧問かねえ? 国体の選手だったりするんじゃないの」
「そうかもねえ。今のはすごい! もしつまずいてたら先に転んでた先生が潰されちゃうとこだったね」
いやいやホントに並の体格じゃないのにあの身の軽さにはビックリ。肥満、肥満っていうけれど、ちょっと見、肥満でも肥満ていうことの定義は身長と体重だけじゃないような気がした瞬間でした。

一般に肥満度を測る時ってBMI(body mass index 体重/身長×身長)を使うけど、小学校で使ってるのも同じ?
日本肥満学会では、標準をもっとも疾病の少ないBMI値「22」っていうことにしていて、「26.4」以上を肥満って定義しているらしいけど、真(まこと)も翔も小学校の時なんて肥満度「33」とか「34」(たしか肥満度はBMI値とは違って、BMI値「22」からどれくらい離れているかを%で表したものだと思う)とか書かれた紙をしょっちゅうもらってきてて、ちょっと心配してた時があった。確か肥満度「30」以上になると1年に1回、成人病検診に行くよう希望の用紙が配られて、翔を連れて行ったことがありました。身長、体重の他に血圧や血液検査、医師の問診、簡単な栄養指導なんかがあるんだけど、肥満度「30」をはるかに超えている翔の体格を見て、問診にあたったお医者さんが、
「君はなんでここにきてるんだろうねえ? 全然問題ないよ」
って言ってくれました。

「肥満度っていったい何なんだろう?」って思いました。そのころまでは、肥満度に対する指導がとっても厳しかった学校も徐々に指導の仕方が変わってきたような気がします。肥満度「30」をはるかに超えていた真は、中学校で部活動を始めるころにはすっかり痩せて、今では演劇でバクテンをやったりバク宙をやったり…。小学校のころ、数百人の中からあっという間に探し出せるくらいに太っていた翔も高校に入学した今では、グランドの中にいる生徒の中から翔を探し出すことはできませんでした。
翔の話から受身のとっても上手だった体格のいい先生は、どうやらレスリング部の顧問の先生らしいことがわかりました。

私くらいの年齢になるとやっぱり肥満は問題。私もここ半年でずいぶん痩せたんだけど、それでもBMI値「28」、肥満度は「26」。BMI値を「22」にするためには、あと18s体重を減らさなきゃいけないんだって。気が遠くなる話だね。
でも、自分でできる健康管理は自分でしなきゃね。私もガンバロッ!
(文:大関 直隆)