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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2005/12/19(月)
第190回「節操」
「じいちゃんとお風呂入るぅ!」
私がお風呂に入ろうとしていると、孫の蓮(れん)が寄ってきて一緒にお風呂に入ると言い出しました。
「蓮くん、じいちゃんとお風呂入るの?」
「うん!」
「じゃあ、じいちゃん先にお風呂に行って、お風呂丁度よくしてくるから、ちょっとしたらおいで」
「うん!」
私が先にお風呂に行って、湯加減を調節しようとしていると、蓮ではなく妹の沙羅(さら)がお風呂の前まできて、どんどん服を脱ぎ始めました。
「あれっ? 沙羅ちゃんかぁ。沙羅ちゃんもじいちゃんとお風呂入るの?」
「うん!」
なかなか湯加減が丁度よくならないのに、そんなことはお構いなし。沙羅はどんどん服を脱いで風呂場に入ってきてしまいました。
「沙羅ちゃん、ちょっと待ってて。まだね、お湯が熱いんだよ」
「うん」
そうこうしているうちに蓮も裸でやってきました。
わが家はマンションで、お風呂はユニットバスなので、狭い狭い。私くらいの体格だと湯船に浸かっても身体全体をお湯に浸けるのはとっても難しくて、肩まで浸かろうとすると膝が出る、膝を入れようとすると肩が出る。なんとか全身を入れるには、全身が浸かった時に湯船からお湯があふれるレベルまでお湯を入れてから、まず肩を入れる、そしてちょっと身体をひねって、湯船から顔を出した膝を横に倒してお湯の中に納めるという順番で入らないと、全身をお湯に浸けることができません。

というわけですから、蓮と沙羅が一緒に入るととにかく狭い。ゆっくり暖まるなんていうことはぜーんぜん無理。私はお腹の上まで入るのがやっとです。
「沙羅ちゃん、お尻よく洗って・・・。そうそう、上手だね。じゃあ入ろうね。せぇのう!」沙羅はまだ湯船に一人で入れないので、入れてやりました。
「蓮くんもお尻洗ってね。そうそう。蓮くんも上手だねぇ」
蓮は最近やっと台を使わず湯船に入れるようになりました。まるで芋洗いのように3人で湯船に浸かって、ワアワア大騒ぎ。
「じいちゃん、ちょっと出て頭洗うよ」
「うん」
私が湯船から上がると、お湯は一気に半分に。
「あーっ、お湯が小さくなったぁ! じいちゃん出るとお湯が小さくなるぅ!」
沙羅が叫びました。少ないという言葉を知らないわけではないので、沙羅の頭の中では、こぼれてなくなったのではないので、お湯の量が減ったということではなくて、小さくなったと思っているのでしょうか???
「またじいちゃんとお風呂入ろうね!」
「うん!」
元気よく返事をして、二人はお風呂から上がりました。

翌日。
この日は妻と私の帰りが早かったので、私が食事の支度をしている間、妻が蓮と沙羅を遊ばせていました。
「ばあちゃんとお風呂入るぅ!」
蓮が叫ぶと沙羅も続いて
「沙羅ちゃんもぉ!」
「あれっ?じいちゃんと入るんじゃなかったの?」
「じいちゃんとは入んない!ばあちゃんと入るぅ!」
「はぁ?お前、じいちゃんと入るって言ってたじゃん!」
と私が言うと、蓮はニヤッと笑ってどんどんお風呂の方へ行ってしまいました。沙羅もそれに続きます。そしてそれからしばらくの間、お風呂から蓮と沙羅が楽しそうにはしゃぐ声が聞こえていました。

食事になると娘の麻耶(まや)が、
「蓮くんが好きなのはねぇ、まずママでしょ、次が沙羅ちゃん、次がやよいちゃん、次がやよいちゃんのママ、そこまで言ってあとは言わないの。ばあちゃんとじいちゃんはねぇ、その次らしいよ」
と言いました。
「それって麻耶に言ったんだろっ?」
「そうだよ」
妻が、
「この前、私には一番好きなのはばあちゃんって言ってたよ」
と言いました。
「そうそう。すぐ替わるんだよ」
「まったく節操のないやつだなあ!でも麻耶もそうだったもんなあ。誰かに遊んでもらうとすぐ遊んでくれた人が好きって言うの。まあ、子どもなんてみんなそんなもんだよな」
「そうやって自分を保護してくれる人を見つけてるんだよね。そうしないと自分一人じゃ生きていけないからね」
さて、今日は誰とお風呂に入ることになるのかな?
(文:大関 直隆)

2005/12/12(月)
第189回「危機管理」
スーパーに買い物に行ったら、なんと犬のように胴輪を付けられている2歳くらいの子どもが・・・。
あぁ〜
たぶんその子は慣れているので、特別“いや”という感覚もないのだろうけれど、あの親子の間の距離感は、必ず後になって影響が残るはず。リードを持っていることで、子どもがどこかに行ってしまう危険性は少なくなるのだろうけれど、心が危険な状況になっちゃうよ〜。別に胴輪にリードじゃなくたって、手をつなげばいいじゃないの!
見ているだけで、鳥肌が立つような寒気がしてしまって、つい目をそむけてしまいました。

1月までペットショップも経営していたので、犬のかわいらしさもわかるけれど、やはり「犬は犬」、「人は人」。こんな子育てがはびこったら、人間が人間として育つはずがない。オオカミに育てられた「カマラ」と「アマラ」が人間らしい人間にはなれず、死ぬまで獣の習性から脱しきれなかったように、胴輪にリードという人間関係では、人間の優しさや暖かさを身につけられるはずがない。

子育てにとっての「危機管理」っていったい何なのか、しっかり考える必要があるんじゃないかと思います。
確かに親が目を離しているときに、子どもがどこかに行ってしまう危険性はあります。けれども、そういう危険が存在するなら、目を離さなければいい。あるいは直接つないだ手を離さなければいいのです。胴輪とリードを付けて、親と子どもの間に距離をおく必要はない。胴輪とリードという発想は、「大人が自由になりたい」、自分たちが子どもから離れて「自由に買い物がしたい」「ベンチに座ってタバコを吸いたい」そんな発想から生まれてくるのだろうと思います。「あっ!」と思ったその瞬間に子どもを守ろうという発想がない。

「どんなときでも子どもの体と心に手の届く距離にいること」、これは子育てにとって最も重要なことです。
リードを持っていたのはお父さん。そばでお母さんが買い物をしていたけれど、引かれている子どもも含め、3人ともまったく表情がありませんでした。買い物をしているおよそ15分くらいの間、1度も笑うこともなく、子どもに言葉をかけることもなく、私には信じられない光景が繰り広げられていました。普通、2歳くらいの子どもを連れている夫婦って、楽しそうにしてるものだろうと思うのですが・・・。

でも、胴輪を付けている子どもを見るのは初めてじゃないなあ・・・。以前、3組くらいの母子が皆胴輪とリードを付けて、グループで買い物をしているのを見たことがあります。そのときも、目を疑いたくなるような大きなショックを受けました。もう5年くらい前になるでしょうか。あれから1度もそういう光景に出くわさなかったのは、それほどお母さんたちに受け入れられてないのかな?
もう2度とあんな光景は目にしたくないですね。

ここのところ、小学生が犠牲になる事件が相次いでいます。この連載の中で、何度となく述べてきたように、教育というのは本来人を信じるところからスタートするべきものなのに、人を疑ってかかるところからスタートするよう教えている現状を、とても心配しています。多くの子どもたちが、人間関係をうまく結べないと言う。人を疑うところから教育しているわけだから、それも当然のことでしょう。そんな中で、うまく人間関係を結べるよう子どもたちにスキルを教えている学校もある。

塾の講師が生徒を刺しました。これは私がずっと心配していたことです。人間関係を結べないのは、子どもたちではなく教師のほう。子どもたちに人間関係の結び方を教える前に、教師の方が学ばなくては・・・。
12月10日の朝日新聞1面に「親睦から危機管理へ 変わるPTAの役割」という記事が掲載されました。
「おいおい冗談じゃない!PTAの役割は、元々危機管理じゃないか!」
親睦を図るということが、どれほど地域の中での危機管理につながっているか・・・。朝日新聞ですら、そんなこともわからず記事を書いている現状。

多少のリスクを負ったとしても、人を信じるところから教育をスタートさせることが、20年後、30年後の危機管理につながっていくのだろうと信じます。「人を信じない」という負担を子どもたちに背負わせるのではなく、子どもたちが安心して人を信じられるよう、大人がすべての負担を負わないと、20年後、30年後にはさらなる危機管理が必要になってくるのだろうと思います。
「危険な世の中になるから身を守る術を身につける」ではなくて、「安全な世の中をつくる」という、大人の決意が重要なのでしょう。
(文:大関 直隆)

2005/12/05(月)
第188回「お母さんの同窓会 その2」
4階に上がると、
「こちらのテーブルです」
ドキドキしながら「Sさん、Sさん」と思っている私には、一番はじにいたSさんがなかなか目に入らなかっただけでなく、Sさんの隣にいた女性が、
「ああぁ! 大関さーん!」
と私に声をかけたのに、それが誰だかすぐには頭が回らず、なお目でSさんを探していました。やっとSさんの顔が私の目に入り、ちょっとホッとして、
「どうもおめでとうございます。久しぶりですねえ。私そこのビルにいるので、招待状もらったんですよ」
「大関さんじゃない! ほらっ、この人Tさん。覚えてる? 今、お嬢さんは弁護士目指してるの」
あっ! やっと最初に私に声をかけた女性の顔が目だけでなく脳を通過し、はっきりと認識できて、
「わーっ、久しぶりですねえ。忘れるわけないよ。Tさんにはすごくお世話になったもん。あの時、男って私一人だったでしょ。それに若かったし・・・。遠足とか行っても、なかなかお母さんたちの集団には入りづらくて、麻耶と二人でお昼食べようとしてたんだけど、そのとき一緒にお昼食べてくれたのが、Tさん親子だったから。私とTさんとあと子どもたち二人だけでしょ、だからTさんだって、ずいぶん気を遣ったと思うよ。同じリス組の中でも特別なんだから。ほんとに何年ぶりだろっ?」
「20年くらいじゃない? 子どもが26歳だから・・・。でも、年賀状とかやりとりしてたから・・・」
「えーっ、20年? そんなかなあ? そのあとどこかで会わなかったっけ? いや、会ってないよねえ??? なんだかついこの間のことみたい。SさんもTさんも、全然変わらないよねえ」
まるで昨日まで子どもが幼稚園に通っていたような、そんな気がして、20年の空白なんてまったく感じられません。
そのうち、同じクラスだったIさんもやってきて、まるで同窓会。年少のリス組はたった11人のクラスで、いつもみんなで行動していました。誰かの家に集まって、学芸会の衣装を縫ったり、サンドイッチパーティーを開いたり・・・。
「ねえねえ大関さん、知ってる? リス組ってすごいんだよ。東大生も出たし、東北大医学部もいるんだから!」
「ひぇー、そうなんだぁ!Sさんとこみたいに大金持ちか、子どもがちょー優秀かなんだね。うちだけ?どうにもなんないのは・・・」
「麻耶ちゃん、身体こわしたんだよねえ?でも、今お子さんいるんでしょ?」
「ほんとに死ぬとこだったんだよね。奇跡的に助かって、今は子どもが二人。もう幼稚園だよ」
「大関さん、おじいちゃんなんだよねぇ?!」
「麻耶ちゃんてさぁ、色がすごく白い子でさぁ…。会いたいなあ! 今どこにいるの? 呼んどいでよ!」
「たはっ、今ごろ、子どもお風呂に入れて夕飯食べさせてるよ。もう少しで寝かせるとこじゃないかな?」
「はっ、じゃあダメかぁ」

子どもを育てるという部分での関わりって、普通の関係を超えた何かを感じます。私は男なので、普通の主婦の役割をこなしてきたとはいえ、なかなか普通の主婦でない部分がたくさんあります。けれども、リス組の11人のメンバーは忘れることのできない仲間であり、20年という長い空白があっても、会った瞬間に空白が埋まってしまうそんな関係です。この関係って、自分の小・中・高の同級生のつながりよりも、もっと強いもののように感じます。子どもを育てるということは、一人の力ではなく、こういう仲間に支えられてこそできたことなんだと改めて実感した一日でした。

 
第188回「お母さんの同窓会 その2」2005/12/06 15:54:18  
                     キャリー

 
はじめまして!七日以降こちらのメールが有効です。よろしくおねがいいたします。いきなりで突然の出会いに乾杯!!で我を見失いそーな感じなことに出会ってしまい、あなたにも、あなたにも、、聞いて!聞いて!!って言いたくついつい書き込んでしまいました!!
 

元の文章を引用する

 
レス遅くなってすみません2005/12/12 2:49:17  
                     大関直隆

 
どう感じてくださったのかな?
中身についてどう感じてくださったのか、
よくわからなかったんですけど、
楽しく読んでくださったのなら、とても嬉しいです。
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2005/11/28(月)
第187回「お母さんの同窓会 その1」
「大関さん、幹事やってよ」
「そりゃあいいけど、私なんかじゃない方がいいんじゃないの?」
「いいよぉ、大関さんでぇ!」
「そうそう、大関さん幹事ね! ここでやろっ、ここで!」

なんだか思わぬ展開。
ことの始まりは、うちの会社の近くにある居酒屋チェーンの店長が、会社に訪ねてきて、「工事で大変ご迷惑をおかけいたしましたが、この度新装開店いたします。つきましては、ご招待状をお持ちしましたので、オープンの日にぜひお越しください」と招待状を置いていったこと。

「あそこ、工事でしばらく通れなかったから、それで持ってきたんじゃなの? ここの社長はSさんなんだよね。この前「会社情報」見ててビックリしちゃった。年商70億円くらいなんだよ。お嬢さんが麻耶(まや)と幼稚園で一緒だったでしょ。同じリス組で誕生月が同じなのは2人だけだったから、お誕生会のあと2人で撮った写真があったよね」
「ああ、そうだったね。お店やってるって言われて、ちょっと覗いたことあったっけね。社長かなあとも思ったんだけど、何十店舗も同じお店があるから、“まさかなあ…、フランチャイズかなんかの店長さんかなあ”って…。ほんとに社長だったんだぁ?」
「そうみたいよ。あれから20年。ここまで大きくしたんだよね。すごいねぇ! 会社の所得だって年間6億円以上とか…。招待状ももらったし、とりあえずあいさつにだけは行っとく? すぐ近くなのにほんとにご無沙汰だし…」
「うん、そうだね。お祝い包んで行く?」
「うーん、遠慮するって書いてあるからいらないんだと思うけど、Sさんじゃねぇ…。一応持って行って、雰囲気見て出すか出さないか決めよっかな?」
「そうだね、Sさんじゃぁねぇ」

というわけで、私が新装開店の無料ご招待に出かけることになりました。入り口にいた一番偉そうな人を捕まえて、
「すみません。大関と申しますけど、社長の奥さんいらっしゃいますか?」
「専務ですか?」
「はっ? ええぇ、社長の奥さん」
「はい、ちょっとお待ちください」
「あのう、Yちゃんっていうお嬢さん、いらっしゃいますよねぇ?」
「ええ、いらっしゃいますよ」
一番大柄で偉そうなおじさんは、社長の奥さんを探しに行きました。
専務?おいおいSさんの奧さんが専務?そんな柄じゃないよ。まるっきり人違いなんていうことないよなあと不安がよぎったりもして…。
待つこと数分。どうしよう、大丈夫かなあなんてドキドキしていると、そのおじさんが戻ってきて、
「4階にいらっしゃいますので、このエレベーターでどうぞ」
と4階まで案内してくれました。

つづく
(文:大関 直隆)

2005/11/21(月)
第186回「子どもと接する時間と質」
「私は上の二人にはいい子育てしてこなかったなあ」
「そんなことないんじゃないの?」
「いやあ、やっぱりよくなかったと思うよ。あなたの子育て見てると、すごく丁寧だし、時間もかけてるし…」
「そうねえ…。主夫っだったからねえ。外で仕事をしてないわけだから、時間はあったよね」
「私なんか、子どもを保育園に預けて、迎えに行くのもいつも最後でしょ。家に戻って、お風呂に入れて、食事をさせて、あとは寝るだけ。毎日それだからね」
「それは、仕事をしていれば仕方がないでしょ。でもそのころの関わり方見ていたら、確かに普通に主婦して子育てしている人と比べて時間は短いけど、ずいぶん密だったと思うよ。働いている時間以外は、すべて子どもとの時間だった。自分のための時間ていうのなかったもんね。子育てにとって重要なのは時間の長さじゃないでしょ。やっぱり重要なのは質だと思うよ。もしね、子どもにとって悪い親だったとしたら、長くいることでかえって子どもは悪くなっちゃうよねぇ。だから、保育園に預けていたっていうだけで、子どもと関わる時間が短くていい親じゃなかったっていうことにはならないよ」
「そうねえ。確かに長さではないと思うけど、生きるためにやらなくちゃならないこと、例えば食べるとか、お風呂に入るとか、寝るとか、トイレに行くとか、そういうことをさせる時間を除くとほとんど時間がなかったんだよね」
「でも問題なのは、その食べるとか、お風呂に入るとか、寝るとか、トイレに行くとか、そういうときにどう子どもと関わるかっていうことだと思うけど。あと、子どもたちと関わりたいって思っているか、思っていないか、関わる時間が取れなくてごめんねっていう気持ちを持っているのか、それとも働いているんだから関われないのは当たり前って開き直っているのか、とかね。子どもに対してどういう気持ちを持って接しているのかっていうことがすごく重要なんだろうって思う」
「そうかもなぁ…。でもやっぱり保育園に入れてると幼稚園に入れてるお母さんと比べて、子どものことを大事にしていないような気持ちになるっていうか、私の場合は負い目になってた」
「そうねぇ、それはわかる気はする。でも最近は傾向が違うんじゃないの? 早く子どもから離れたいから、3歳で幼稚園に入れるお母さん、仕事を持っているからやむを得ず保育園に預けているお母さん。どっちがいいかって言ったら微妙でしょ」
「できるだけ早く子どもを幼稚園に入れて、自分の好きなことをしたいっていうお母さん増えてるよね。っていうか、みんなそう」
「そうだね。保育園もちょっと前までは、働か“ねばならない”から、保育園に預けていたけど、最近は“ねばならない”じゃなくて、“働きたい”から預けるに変わってきた。そのこと自体が悪いとは思わないけれど、“したい”というなら“ねばならない”というよりもっと“子どもに対して申し訳ない”というような意識を持った方がいいと思う。やっぱり重要なのは、そういう気持ちを持っているかどうかにかかっているんじゃないかな? 親が子どもに対して“生んでやった”“育ててやってる”って思った瞬間に子育ての質は下がる。親と子はどんなに小さい子でも“対等”でいいと思うけれど、子育てに対する自覚と責任を親は常に持つべきだね。ただし、子どもを囲い込むということではなくて、独り立ちさせるという意味でね。そのためには、やっぱり時間じゃなくて、質なんだろうと思うよ」
(文:大関 直隆)

2005/11/14(月)
第185回「携帯電話のコミュニケーション」
2006年中にも携帯電話会社が3社増えることになるとか・・・。
これまでNTTドコモ、KDDI、ボーダフォンの3社の寡占状態にあった携帯電話市場に12年ぶりの新規参入で、どう展開していくのかなあ?
新たに参入するのは、BBモバイル、イー・モバイル、アイピーモバイルの3社だそうですが、データ通信の定額制など割安なサービス展開を目指しているらしく、今でもだいぶ下がりつつある携帯電話の料金がさらに下がりそうな気配ですね。

私が携帯電話を使い始めたのは、いつごろだったかなあ? もうはっきりは覚えていないなあ。でもかなり早い方で、今でこそ携帯といえば“090”で始まるんだけれど、私が初めて携帯を使い出したときは、確か“030”だった(?)んですよね。それが途中から“090”が頭に付くようになって“090−3×××−××××”ていう具合に“030”の“3”が“090”の後に付くことになったんです。だから、携帯電話の番号が“090−3×××−××××”っていう人がいると、始め携帯電話を使っていた人はほとんどが仕事上で利用していた人だったので、“この人は仕事上で携帯電話を使ってた人かな?”なんて想像しちゃう。

私が携帯端末(こういう言い方が適切なのかなあ?)に初めて出会ったのは、約27、8年前。そのころ私が勤務していた法律事務所のボスは運転手付きで仕事をしていたので、運転手にポケットベルを持たせていて、出かけるときになるとポケベルを鳴らして、運転手を呼んでいました。ポケベルの番号に電話をかけると“ピーピーピーピー”と音が鳴るだけの今から見れば単純なものですが、初めて見たときはビックリしました。それが呼び出した電話番号の違いにより音が変えられるようになり、さらにディスプレイ表示ができるようになったときは、使いやすさが格段に増しました。

子育て真っ直中だった私は、新しもの好きだったこともあり、ディスプレイ表示のポケベルに飛びつきました。妻と2人でポケベルを持ち合い、子どものことで相手に連絡することがあるときに使います。ちょうどそのころ高校生の間でもポケベルが流行りだし、ベルトモなんていう言葉ができたりして。数字しか表示できないころには、「0840(オハヨウ)」とか「0906(オクレル)」「3341(サミシイ)」こんな感じでコミュニケーションを取っていましたよね。それが文字を送れるようになって、オハヨウなら「*2*2 15 61 85 13」、オクレルなら「*2*2 15 23 94 93」、サミシイなら「*2*2 31 72 32 12」。

今ではすっかり“そんな時代もあったけなぁ”っていう感じ。
それまで大きなバッテリーを持ち歩かなければならなかった携帯電話(そのため携帯電話というよりは自動車電話というものがありました)が小型化し、その携帯電話の普及に火をつけたのは、やはりここでもベルトモを一大ブームにした女子高生でした。

携帯電話は、コミュニケーションの手段としてはかなり優れています。というより、ほとんど究極です。もちろん、さらに大容量の画像が送れるようになったり、インターネットへの接続がこれまで以上に高速で大容量になったり、クレジットカード機能が果たせたりと進化は続け、利便性は増すと思いますが、1対1のコミュニケーションが何処でも簡単にできるという点では、もうこれ以上は進みようがありません。

この連載の181回で、「主婦(主夫)の重要な役割は地域との関わり」ということを述べました。「関わり」というのは、自分がそこから出ることのできない関係(自分の居心地のいい、悪いに関係なくその場を立ち去ることができない関係)の中で出てくる問題です。もちろん人間は究極の選択として、誰にも会わずに一人で山奥に暮らすなんていうことも不可能ではないわけですが、そういった特殊なものは除いて、例えば“地域”“学校”“職場”などでの「関わり」は、“拒否ができない”あるいは“関わらなければならない”関わりです。もちろん、楽しいこともあれば辛いこともあります。けれどもこの関わりこそが、人間の成長には重要で、そこを通過しないと人間としての独り立ちができないし、社会生活も送れない。

そこで携帯電話なのですが、これはまさに“個対個”の関係を成立させてしまいました。しかも自分の気に入らない相手は拒否できる。とても恐ろしいことだなあと思います。「関わり合うということに知恵を絞らなくていい」状況が、多くのニートを生んでいるんだと思います。最近、朝のファミレスには明らかにニートであると思われる親子が何組もいます。うちの研究所にみえるクライエントの方にも、親子の関係ばかりを取っていて、社会との関わりが取れないクライエントの方が多くいます。自分のお気に入りの人としか関わらないという携帯電話社会が、まさに世の中にはびこっているわけで、このままいったらますますニートは増え続けるんだろうなあと思います。やはり重要なのは拒否のできない人間関係の中で、どう関わり合いの知恵を発揮していくかということにかかっているのでしょう。

携帯電話の利便性はしっかりと享受しつつ、携帯電話に人間が振り回されることのないようにしなくては・・・。
(文:大関 直隆)

2005/11/07(月)
第184回「やっと出会ったちょっとまともな話」
このところ教育問題への学校の取り組みや行政の施策などが次々と打ち出され、しばしば新聞報道されます。けれども、その中にどうもしっくりくるものがない。それはなぜかと考えてみると、以前からこの連載の中でも何度となく言ってきていることですけれど、教育の荒廃に対する対策として行われることが、ただでさえ負担のかかっている子どもたちにさらに負担を強いることばかりで、学校なり行政なりが自分たちを変えようとする施策になっていないということなのだろうと思います。

例えば最近取り上げられ始めたCAP(キャップ)。これは、犯罪やいじめから子どもを守るためのプログラムを教える団体ですけれど、子どもたちにロールプレイを用いて自己の身の守り方を教えています。あるいはさいたま市が小中学校で進める「人との関わり方」の授業。どちらも、教育の問題点を子ども自身の中に見いだそうとするもので、ロールプレイあるいは授業を受けて変わらなければならないのは、子どもたち自身です。学力が低下したとして大騒ぎされたときにしても、授業時数の増加や家庭学習の増加によって負担を強いられるのは、同じく子どもたち。私は、今の子どもたちが昔と比較して、単純に「荒れている」とは思わないけれど、百歩譲って「荒れている」と考えたとしても、それに対する対策が、子ども自身に向けられたものであっていいはずがないと思います。それは「荒れてる」という原因が、成長していく無垢な子どもたちにあると考えるより、大人たちの子どもたちに対する対応に原因があると考えた方が自然だからです。

11月6日の朝日新聞朝刊に「学力向上七つのカギ」という見出しで、公立小中学校の底上げ策を研究者のグループが調査したという記事が掲載されました。大変長い引用になって申し訳ないのですが、大変わかりやすくよくまとまっている記事なので、一部をそのまま引用させてもらいます。すでにお読みになった方には、申し訳ありません。

「一人ひとり異なる環境にいる子どもたちの学力格差をどう乗り越えるか。公立学校が抱える根本的な課題に取り組むため、8人の研究者が11の公立小中学校に1年近く通った。そこで見えた学力向上策のカギは七つ。”子どもを荒れさせない””チーム力を大切にする学校運営”など、学校づくりの原点が並んだ。計算ドリルだけでは学力の底上げはできない。研究者はそう分析している。」「研究者らは各学校に10カ月通い、授業の様子を詳しく観察、数十時間、教職員をインタビューし、”効果のある学校”の共通点を七つにまとめた。」
1.子どもを荒れさせない
2.子どもを力づける集団づくり
3.チーム力を大切にする学校運営
4.実践志向の積極的な学校文化
5.外部と連携する学校づくり
6.基礎学力定着のためのシステム
7.リーダーとリーダーシップの存在
「子どもを荒れさせないは、授業が成立する大前提だ。”効果のある学校”は課題のある子に家庭訪問を重ねたり、休憩時間に子どもと過ごしたりしていた。子どもを力づける集団づくりもあった。”一人ひとりをないがしろにしない”態度を教職員が共有する。グループや班の活動をできるだけ取り入れ、”総合的な学習の時間”の事前学習や校外活動で”自分は必要な人間だ”と実感させようとする学校が目立つ。チーム力を大切にする学校運営も重要だった。成果を上げている学校は教職員の間に信頼関係がある。一人ひとりの力を引き出そうとし、課題を抱える教員をカバーしつつ、責任をおろそかにしない運営をしていた。実践志向の積極的な学校文化は、教職員の”まずやってみよう”という雰囲気を意味している。”効果のある学校”は、”動くときは一斉に、ぱっと”という姿勢があった。他校は、アイデアが出ても、”やってもむだ””負担が増えるだけ”となりがちだった。家庭などの外部と連携する学校づくりでは、家庭学習を促すのに家庭生活アンケートをしたり、家での学習の手引きをつくったりしていた。基礎学力定着のためのシステム。成果を上げた学校は、学力保障部などの校内組織を置き、”学習意欲の向上””家庭学習の習慣づくり”といった理念を掲げて少人数分割、習熟度別授業や補充学習など多様な指導を導入していた。リーダーとリーダーシップの存在も欠かせない。管理職の方針を徹底するというより教務、生徒指導、学年主任が中堅として動き、責任の所在をはっきりさせながら同じ方向に進む”教師集団づくり”を目指していた。」(「」内が朝日新聞よりの引用。「」の中の” ”は原文では「」)

割愛できないので、長くなりましたけれど、この調査の中に、一つの方向性が見えているように思います。この調査は「学力向上」がテーマですが、私は「学力向上」というより「学校運営全般」に渡って言えることだと思います。細かい中身の議論は省きますが、大切なのは、大きな方向性で、「七つのカギ」の中でも指摘しているような、責任の所在をはっきりさせ、責任をおろそかにしないということだろうと思います。学校や行政の至らなさを子どもや親に押しつけるのではなく、しっかりとした施策を実行して欲しいと願います。もちろん親も自分の責任をおろそかにしないことは言うまでもありません。子どもには、何の責任もないのですから。
(文:大関 直隆)

2005/10/31(月)
第183回「駄菓子屋横町 その2」
交番で教えてもらった通りに歩いていくと、“ありました! ありました!”確かに駄菓子屋です。ビルの外まではみ出すように昔ながらの駄菓子が並べられています。「とりあえず3軒とも覗いてみようかな?」

2階にも上がって、所狭しと並べてある駄菓子の山を一通り全部眺めました。チョコ、ガム、ラムネ、酢イカ、アンズ・・・。見る物すべてが懐かしく、「ああ、そうそう! こんなのあったなあ!」「これも食べた、食べた!」

見ているうちに、どんどん自分が子どもに返っていくような感覚に襲われます。いくつか候補をあげて、お店のお兄さんに値段を聞いてみました。とにかく種類が多いので選ぶのには一苦労なのですが、手に取る物はどうしても自分が懐かしく思うものばかりになってしまいます。「最近の子は、どんなものを好んで食べるんだろう?」と頭の中では考えているのに、気づいてみると手に提げている店内用のかごの中は、自分が昔好きだったもので埋まっています。「いやいや、これじゃあダメだ!」と自分に言い聞かせながら、
「おにいさん、最近人気があるものってどれですか?」
「そうだねぇ、これなんかよく売れるよ」
お兄さんはそう言いながら、いくつか選んでくれました。
「くじだったらこれなんか良く出るよ。ほら、男の子はこれ。昆虫のでどうだい? まだテレビの影響で昆虫物でいいと思うよ。女の子はこれなんてどう? 一回50円。この昆虫のは80個付いてるから、売値で4,000円が3,000円だよ。全部売れれば1,000円儲かるよ」
「くじってそんなにするの? 全部で予算が7,000円くらいなんだよ。くじ2つで6,000円いっちゃうと他のものが買えなくなっちゃう。1日限りだから売れ残ると困っちゃうんだよね」
「大丈夫だよ。売れちゃうよ。この昆虫のくじなんて、すごい人気なんだから。くじ以外のものは、そうたいした値段じゃないよ。あと2、3,000円あればいいんじゃないの」
おにいさんの言葉につられて、男の用のくじと女の子用のくじ(私は男の子、女の子という区別や差別をしないので、久しぶりに聞いた言葉の響きでした)をとりあえず買い、その他50個、100個くらい入って、1,000円でおつりがくるようなチョコやイカなどを買いました。

「以前あった横町に行こうとしたら、分厚い鉄板で覆われて工事してたので、全部なくなっちゃったのかと思いました。交番で聞いてきたんですよ。何かイベントがあると仕入れにきてたんですけどね」
「もうここのビルに入ってる3軒だけになっちゃったんだよ。多いときは150軒くらいあったからね」
そこの店主らしいおばさんが答えてくれました。こういうお店っていうのは不思議なことにどうやら夫婦らしいおじさんとおばさんがやっていて、おじさんも近くにいるんですが、まず話をするのはおばさん。そして、おばさんと話をしていると、「うん、そうなんだよね」とか「懐かしいだろっ」とか合図地を打ったり、かけ声かけたりして、ちょっとだけおじさんが登場する。あれはどういうわけなんだろっ? ここもその例外ではなく、おじさんはちょっと奥の方からにこにことこっちを見ながら合図地を打っています。

「祖母が菓子屋をやっていたので、子どものころ、祖母の仕入れに何度かついてきたんですよ。そうすると帰りに必ずおもちゃを一つ買ってくれて、それが楽しみでね」
「おばあさん、なんていう名前?」
「大澤っていうんですけど」
「大澤さんねぇ。あそこの横町に仕入れにきてた人はね、みんな知ってるんだよ。どこの店のお客さんだかまでみんな知ってるんだ。そういうところだったんだよ」
「そうですかぁ。でも、もう祖母が亡くなって15年くらいになるし、祖母が仕入れにきてたのは、45年くらい前の話ですから」
「わかるかもしれないよ。おばあさんの写真あるだろっ?今度来るとき、持ってきて見せてよ。顔見ればきっとわかると思うんだ」
毎日フェスタをやっているわけじゃないから、次はいつくるかわからないんだけどと思いながら、
「そうですね。じゃあ今度くるとき、持ってきてみますよ」

結局、仕入れは予算をはるかにオーバーして12,000円ほどになりました。そしてフェスタ当日、訪れた子どもの数はほんのわずか。同じ子が何度もくじをひくというパターンでくじはほとんど売れたものの、駄菓子類は大半が売れ残ってしまいました。「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ・・・。私だったら、絶対買いたいのに・・・」

子どもと大人が交わることのできる大切な場所の灯が、また一つ消えたような気がしました。
(文:大関 直隆)

2005/10/24(月)
第182回「駄菓子屋横町」
「あれっ?どこだったっけ?」

私の会社のある浦和駅前のエイペックスタワーで、昨年に続き今年もフェスタを開くことになりました。昨年は1回目ということもあり、“何をやればいいのか”から大議論。結局、メイン会場でバンド演奏やバルーンマジック(細長ーい風船でいろんな形を作るパフォーマンス)、建物の周りではフリーマーケットや各テナントのショップ、医療関係や不動産関係などはそれぞれの店舗内で相談会を開くといった感じで落ち着きました。今年は2回目で、1回目に比べると格段に少ない予算で開くことになりましたが、とりあえず昨年の形は維持して、メイン会場ではバンド演奏、周囲ではフリーマーケットと各テナントのショップということになりました。予算をかけないので、当然のことながら規模は小さくなってしまいます。そこで、何か目玉を作るために、「餅つき」と「エイペックスタワー浦和会ショップ」(この春、組織名を「エイペックスタワー商店会」から「エイペックスタワー浦和会」に改名しました)をやることになりました。

ところが、組織が小さくて慣れてる人間がいない。野菜を仕入れるって言ったって、「どこで仕入れるの?」、餅つきをやるって言ったって、「餅を小さく切るのって、ハサミで切るの?」なんていう、ほとんどお手上げ状態。何とかなるまでには訳のわからない議論の連発。

そんな中で、私はPTAで毎年経験があるので、駄菓子の仕入れに行くことになりました。まず向かったのは、さいたま市桜区の浦和流通センター。何と言っても市場なのでいろんな物が安い。魚、肉、乾物、菓子、雑貨、調理用品、包装用品…。PTAでイベントをやるときは、焼きそばや肉、駄菓子や包装用品をよくここに買いに来ました。今回も、駄菓子やくじの付いたおもちゃを買いに来たのですが、いつも買っていたお店がなくなってしまっていました。

「しょうがないなあ。じゃあ、日暮里まで行こう!」
日暮里といえば、知る人ぞ知るあの有名な「駄菓子屋横町」が東口の駅前にあります。そこは小さな駄菓子の卸問屋が軒を並べているところで、全盛期には150件ほどの問屋があったそうです。40年ほど前、祖母が菓子屋をやっていたので、大きな風呂敷を背中に背負った祖母に連れられ、私も何度か仕入れについていったことがありました。

今回はまさか風呂敷を背負っていったわけではなく、車で行ったのですが、駅前まで行くとロータリー周辺は再開発で背の高いぶ厚い鉄板が立てられていて、その中ではクレーン車やショベルカーといった工事用の重機が盛んに動いているのがわかりました。
「確かこの辺だよなあ。なくなっちゃったのかなあ…」
仕入れができなくて困ると言うより、何かこう寂しさが込み上げてきます。
「とにかく1軒でも探さなきゃ!」
とは言え、その周辺すべてが取り壊されてしまっているので、仕方なく帰ろうとしたのですが、問屋があるかないかは別として、「どうなってしまったのか」だけでも知りたくて、ローターリーの中の交番に寄って確かめることにしました。交番も再開発で新しくなるらしく、仮設のプレハブの建物でした。
「あのー、そこの工事をしてるところにあった駄菓子屋さんはぁ…」
「駄菓子屋横町ね。なくなったんですよ、1年くらい前に。今でも、ビルの中で営業してるところがありますよ。3軒だけだけどね。そこの交差点を左に曲がって、1分くらい行くとガソリンスタンドがあるから、そこの隣のビルの1階と2階で営業してますよ」
と、丁寧に場所を教えてくれました。

つづく
(文:大関 直隆)

2005/10/17(月)
第181回「地域との関わり」
先日、北九州市から講演の依頼がありました。どうやら「男女共生」がテーマで、「主夫」の話をして欲しいらしい。ここのところ、主夫のパートが高じて社長になっちゃったので、電話をもらったことで、久しぶりに自分が主夫であることを思い出させてくれました。

まだだいぶ先のことだけれど、「何を話そうかな?」なんて思いながら、「主夫」について考えてみました。そこで感じたことは、どうも最近「主夫」っていう言葉が簡単に使われすぎている気がする!っていうこと。私が主夫を始めた27、8年前は、スーパーに買い物に行っても、男なんて私一人だったし、保育園に送り迎えをしているお父さんはいても、幼稚園に送り迎えしているお父さんなんて皆無。1990年ごろから、わが家のことがTVで紹介されるようになって、そういう状態も徐々に変わってきました。

言葉(単語)っていうのは一般化すれば一般化するほど、その言葉の持っている意味がどんどん広がっていってしまって、本来持っている中身が形骸化してきてしまう。そういう意味では「主夫」っていう言葉も「ずいぶん薄まっちゃたなあ」って感じます。あちこちでいろいろな物を読んでいると、「料理をするから主夫」、「掃除・洗濯をするから主夫」「子どもと遊んでやってるから主夫」なんていう記述がどんどん多くなってる。でも考えてみると、かなり昔から「共働き」って言われてた人たちなんかは、男の人も家事の一端を担ってたわけで、そういう人たちは「家事をやってる」とは言ってたけれど、「主夫してる」とか「主夫の仕事をしてる」なんていう言い方はしてこなかった。私が考えるに、「主夫」っていう意味に少し違いがあるんじゃないかと思う。最近の傾向として「主夫」=「炊事・洗濯・子育てをする男」。もっと極端に言うと「炊事・洗濯・子育てをちょっとでもしている男」っていうイメージが広がってきちゃってるらしい。「主夫」=「男の主婦」っていうイメージはどこに行っちゃったんだろう? どう考えても「主婦」というときの仕事の幅より「主夫」っていうときの仕事の幅の方が、小さい。

私が主夫をしてきて最も重要だと感じたのは、「地域との関わり」。これがうまくいかなくて「主婦」(主夫)はあり得ない。「××のスーパーで××が安かったよ」「××さんのおじいちゃん、亡くなったらしいよ」「××さん、旦那さんと別居したんだって」。ちょっと聞くと“男”が嫌う、くだらない噂話に聞こえるかもしれないけれど、そういう中に地域との関わりがある。もちろん、くだらない噂話でしかないこともたくさんあるけれど、そういう情報の中から、地域で助け合ったり、助けられたりっていうことが出てくる。それが、主夫(主婦)の仕事としては大きいんだなって思います。特に子育てをするうえでそれは顕著です。地域との関わり無くして、子どもや家庭は守れない。そうやって女性たちは、子どもや家庭を守ってきたんだなあってつくづく感じます。最近では、車の利用でどんどん行動範囲が広がり、そういう「主婦」も少なくなってきているから、子どもたちの心も荒れてきちゃうんだろうなって思います。

やっぱり「主夫」も「主婦」としての機能をしっかり果たさないとね。

 
まさにその通り。2005/10/19 22:17:44  
                     Bear

 
言葉に出来なかった感覚を文章にして読んだ感じです。
すっきりしました。ありがとうございました。

主婦同士の交流は色々な意味で役に立つし、ストレス解消にもなるし、必要だと思います。
最初は独特の雰囲気に妙な気を使ってしまっていましたが、今は近所のママさんと話すのが楽しみです。半分はくだらない話しですが、くだらなくても楽しい会話が出来る事に意味がありますね。子育ての苦労も笑い飛ばしてくれる、成長も一緒に喜び合ってくれる。主人や祖父母とはまた別なんですよね。やはり同じような立場で共感したり議論したりって良いです。

今の時代、そのような時間の使い方をする事で後ろめたい気分にもなる事もあります。
そのため自信が持てなかったのですが、ここを読んで心が温まりました。
 

元の文章を引用する

 
よかった!2005/10/20 15:07:26  
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
お一人でもそういうふうに感じてくださった方がいてよかったです。
これは、なかなか男にはわからない感覚ですね。
主婦は効率だけで生きているわけじゃない。
もちろん、自分の気持ちが和らぐっていうこともあるけれど、
いろいろな意味で地域とのつながりができるっていうこともある。
最近、男の人たちも「親父の会」みたいなものを立ち上げて、
地域のコミュニケーションを取ろうとしている人たちもいるけれど、
それって、自然じゃないんですよね。
”入りたければ入る、抜けたければ抜ける”っていう任意性があるし。
主婦の付き合いっていうのは、任意性がない。
拒否ができないわけではないけれど、拒否をすれば地域の中で浮いてしまう。
だから、つまらない井戸端会議に見えてもとっても大事なんですよね。
そういうつながりで、どんなに助けられたことか…。
布団を叩いたり、なべを叩いたり、大音響でCDラジカセを鳴らしたり、
そんな近所付き合いにならないよう、
日夜主婦の努力は続いているんです!
男性もその恩恵を賜っていることを忘れずに!
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)