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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2006/03/06(月)
第200回「卒業式」
いやぁ、早いもので200回になりました。とにかくこういう連載は“休まない”を基本に考えていましたので、大腸ポリープの手術をしたり、子どもたちの病気やケガがあったり、パソコンのトラブルがあったりといろいろなことがあったけれど、とにかく休まずここまで続けられていることに、ホッとしています。この連載は、テキストファイルをメールに添付して、それを商工会議所の皆さんのお骨折りにより編集していただいているわけですが、メールの本文だけ(“よろしくお願いします”だけですよ)を送って、原稿の添付を忘れてしまったこともあり、いつもいつも商工会議所の皆さんにはご迷惑をかけっぱなしで続けさせていただいているわけです。

月刊誌に2年半ほど連載をしていたこともあるのですが、活字の媒体に比べると、ネットというのは、掲載してしまってからの訂正もできないわけではないので、ついつい不用意な言葉遣いになったり、わけのわからない文になったり・・・こちらが多少楽な分、読者の皆様にご迷惑をおかけしている部分もあるのだろうなあと、毎回反省しています。

さて、この連載を始めたときはまだ中学生だった翔(かける)が、今日(3月5日)無事に高校を卒業しました。我が家の場合、中学校までは公立でしたので、中学校の卒業というのも義務教育の終わりあるいは地域との関わりの終わりという意味で、大きな節目ではありましたが、高校の卒業というのは、“親の責任はここまで”という親としての責任からの解放という点では、さらに大きな節目を越えたという気がします。私も妻も全くゴルフをやらないという環境の中で、小学校4年生からゴルフをやってきた翔は、高校での3年間もゴルフ部で通し、大学でもゴルフを続けるということなので、経済的にぎりぎりの生活の中で、さらに経済的には支えてやらなくてはならない状況は今しばらく続きますが、今日の卒業式を見て、一気に肩の力が抜けて、楽になりました。講演に呼ばれるとよく言うのですが“幸せは探すものではなく、作るもの”、今までは子どもの幸せも親が作ってやらなくてはいけない要素が多くあったけれど、“もう自分で幸せを作れよ”と言ってやるときがきたのだなあ、そんな気持ちです。

そんな親の気持ちとは裏腹に、真っ直ぐに社会の一員になれない子どもたちもたくさんいます。
茨城県古河市の県道で、3月2日未明高校生3人の乗った乗用車が石塀に衝突し、後部座席に乗っていた18歳の少年が亡くなりました。あとの2人も重傷を負いました。3人は、前日の1日に卒業式を終えたばかりでした。亡くなってしまったお子さんは、大人として社会の一員となることなく、人生を終えてしまいました。

また駒大苫小牧高校の事件も、大変残念な事件でした。第171回に扱った明徳義塾高校野球部の件もありましたが、内容はやや異なっているとはいえ、同じような背景の中で起こった事件と言えます。そしてまた相変わらずの連帯責任論、さらに連帯責任によって選抜大会に出場できなくなった子どもたちがかわいそうという論評。

駒大苫小牧の件については、明徳義塾のときにも述べたので改めて述べませんが、子どもを一人前の大人として社会の一員にすることはとても難しいことだと感じます。「どうにもならない奴らだなあ」と切って捨ててしまうことは簡単ですが、どうしたら一人前の大人として、社会に参加させてやることができるのか、それを考えるのは一人前の大人として社会を構成している私たちの責務なのだと思います。

これから県内の公立高校や中学校でも卒業式を迎えますが、無事卒業式を終えて全員が社会に巣立っていけるといいですね。

ところで、うちの息子はちゃんと帰ってくるだろうなあ・・・。そんなことを心配しているようじゃあ、子育て失敗?かな。

先週お話ししたアキレス腱を切ってしまった真(まこと)は、金曜日にアキレス腱をつなぐ手術をして、無事成功したようです。なんでも、火曜か水曜に退院とか。やはり息子の年齢は治りが早い! 私なんか、7月にちょっと肘を痛めたと思ったら、治るどころかかえってひどくなってるくらいで未だに毎日整形外科通い。こうしてパソコンを打ってると手が浮腫んできちゃったりして・・・。やっぱり若い世代にしっかり自立してもらって、うまく世代交代ができるようにしてもらわないとね。
「おーい、翔ぅ! ちゃんと帰って来いよぉ!」
(文:大関直隆)

2006/02/27(月)
第199回「湯布院から」
−湯布院から−
今日は、一度きてみたいと思っていた湯布院温泉からです。
第181回でちょっとお話しした北九州市立男女共同参画センターの講演会が今日(26日)でした。
“何で来よう(行こう)かなあ”と迷ったあげく、結局“自家用車”。依頼した方は、当然飛行機か新幹線と考えて、「チケットをお取りして送らせていただきます」と連絡してきてくれたんだけれど、耳下腺腫瘍ができたせい(原因はよくわからないんだけれど、約10年前に耳下腺に腫瘍ができてそれの進行に合わせて、気圧が低くなると激しいめまいと吐き気、それに発汗をするようになった)か、手術をして腫瘍を取った今も飛行機に乗るととんでもなくひどい状態になるので、飛行機はダメ。新幹線も速度が速いために気圧が下がって飛行機と同じようになることがあるので、ちょっと躊躇して、「遠いけど、九州まで行くのなら、まだ行ったことのない広島にも寄ってみたいし、湯布院にも行ってみたい。運転もめっぽう好きだし、“えーい、車にしちゃえ!”」。

うちからセンターのある北九州市小倉北区までは、1,000キロちょっと。途中休憩や食事をしなければならないことを考えると約12〜13時間はかかります。講演は午後1時30分からなので、その日に出たのでは間に合わない。1,000キロという長丁場は、何が起こるかわからないので、前日の25日中に門司まで行っていることにして、25日の朝3時半に家を出ました。

いやぁ、やっぱり1,000キロは遠い、遠い。一度飲み物を買いたくて、どこだったかのPAで止まって、浜名湖で休んで、大津で朝食。そのあと、一度どこかのPAでトイレ休憩。そして広島へ。やはり原爆ドームと資料館は重かったぁ。子どもたちには見せたいし、世界中の人たちにも核兵器の悲惨さを見てもらいたい。この悲惨さを伝えられるのは唯一の被爆国である日本だけなのだから、私たちが伝えなければいけない、と強く感じました。

門司は、門司港を見下ろす高台に立つ国民宿舎めかり山荘に泊まりました。とにかく値段の安い国民宿舎ということで、子どもの団体が泊まっていて、講演前の緊張感とは裏腹にちょっとわさわさしていたけれど、窓から眺める門司港の夜景は最高でした。

男女共同参画センターの企画した“男のライフセミナー”と題する講演会は、主催者や私たちの予想に反して、来場者は年配の方が圧倒的。“自分らしく生きる”ということをテーマに、“素敵なお産をありがとう”のビデオを見てもらい、私と妻で約30分ずつ話をしました。出産と子育てを通して、家族をどう作るかという話なので、年配の男性がかなりの割合を占める中で、うまく伝わるのかなあという不安はありましたが、九州という土地柄なんでしょうか、とても暖かく受け入れていただけたように感じます。九州の男性といえば、とにかく男尊女卑と思っていたけれど、ちょっと違った側面を見た気がして、九州人の柔軟性というか、人なつっこさというか、少し私の九州観が変わったかな?

今こうして、原稿を打っている湯布院の宿は、温泉街からちょっと離れたところで、とても静かです。耳を澄まして聞こえるのは、時々ONになるエアコンの風の音と部屋に付いている露天風呂にほんのわずかずつ流れ込む源泉の音だけ。パソコンのキーボードを叩く音がこんなに大きかったとは・・・。

というわけで、講演も終わり、ゆっくり湯布院の夜を満喫しようと思っていた矢先、携帯電話が鳴りました。娘の麻耶からです。
「うちの留守電に入ってたんだけどね、マコちゃん(息子の真)がケガして入院したんだって。SET(真の所属している三宅裕司が主宰する劇団)の人から連絡があったよ。この留守電聞いたら、折り返し携帯に電話してほしいって」

ああぁ〜、せっかくの湯布院がぁ〜。5人も子どもがいると、しょっちゅうこういうことばかり。まあ、これが子育ての宿命かなあ。どこかに出かけるときはいつも心配はしているんだけど、よりによってこんな遠くにきてる時じゃなくたっていいだろっ、まったく!

真のケガは、バク転の練習中に、アキレス腱を切って踏ん張れず、回転の途中で頭から落ちたらしい。なんでもしばらく意識がなく、肩と手が動かなかったとか・・・。救急車で運ばれて、入院したらしいけど、まあとりあえず、さっき真とも直接メールのやりとりができて、本人は“たいしたことない”と言っているので、予定通り、明日の朝、チェックアウトをして、帰ることにしました。
まったく、ゆっくり温泉にも浸かってられないよ。


くだらない話で長くなったけど、どうしてももう一つ。
24日の朝日新聞朝刊に「中絶希望者に里親案内」という記事が載りました。新聞の記事をそのまま受け取れば、福島県は「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」として、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用していく方針を決めたとか。どうやら、人工妊娠中絶をする人に、里親を紹介し、産んでもらえれば、子育ては里親がするということらしい。

これを見たときは、びっくりしました。生まれた瞬間から捨てられた子どもになっちゃってるわけで、親は子育てを放棄することを前提に出産をする。いったい子どもの人権は、どこに行っちゃったのでしょうか。“中絶して殺すよりはまし”という考えもあるのかもしれませんが、もしそうだとしたら、行政がやらなければいけない施策は、妊娠させないこと。ところが、これはそういう話じゃなくて少子化対策だという。こんな子どもの人権を無視したものが少子化対策になるはずがない。そんな風に育てられた子どもがさらに次の世代の子育てをまともにできると思っているのでしょうか。もちろん里親の子育てが悪いと言っているわけではありません。血のつながりのない子どもを引き取って育てている里親の人たちの善意をも踏みにじるようなことにもなると感じるのです。育てたくない人が育てたい人に子どもを譲る。まるで人身売買のよう。こんな人権感覚で、子どもはまともに育たない。教育より、「産めよ、増やせよ」なんですかねえ。そんなことあるわけないけど、もしそんなことで人口減に歯止めがかかっても、そんな国に未来はなぁーい!

 
アキレス腱!?2006/02/27 23:25:42  
                     金崎

 
大関真さんを心から応援している者です。
彼のお怪我をココで知りました。
もうすぐ公演ですのに。。。とても心配です。。。
早くお元気になられるよう祈っています。
 

元の文章を引用する

 
ありがとうございます2006/03/01 11:20:48  
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
いろいろな方に読んでいただいているんですねぇ。
息子だけでなく、
私にまでレスをいただき、
本当にありがとうございます。
それほど大げさなつもりではなく、
子育てっていうのはこんなものですねというつもりで、
真の話をしたのですが、ご心配をおかけしてしまったみたいで…。
ただSET(スーパー エキセントリック シアター)のファンの方にはいずれわかることなので…。
昨日の明け方、湯布院から戻って、夕方真のところに行ってきました。
完治には6ヶ月くらいかかるらしいです。
入院は、1〜2週間くらいですむと思います。
ファンの皆様のお心には、感謝感謝です。
昨日、パソコンを持ってこいとか言っていましたので、
ケガのことやどういう形でいつごろ復帰できるか等は、
本人が自身のブログでお話しすると思います。
今後も、よろしくお願いいたします。
 

元の文章を引用する
(文:大関直隆)

2006/02/20(月)
第198回「ナンパ族取り締まり路線」
「“ナンパ族取り締まり路線”だって!」
「えっ?」
「ナンパ族取り締まり路線」
「何それ?」
「ここの道だよ」
「?」
「だからー、ここの道が“ナンパ族取り締まり路線”だって!」
「ええっ! なんだそれぇ〜?」
「きっとナンパしてたら捕まるんだよ」
「ん? “ナンパ”って法律違反?」
「取り締まられるっていうことは、そうなんじゃないの?」

熊谷駅南口から南へまっすぐ荒川の土手に向かう道には、「ナンパ族取り締まり路線」の標識が。最初は目を疑いました。「ナンパ族? 取り締まり? はぁ?」っていう感じ。もちろんそこに書いてある意味が、わからないわけじゃないんだけれど、“ナンパ族”っていう言葉も奇異に感じたし、“ナンパ”って果たして取り締まるようなことなんだろうか、と疑問に感じました。ところが、これが熊谷っていう町だって考えると納得がいっちゃうので、それもまた不思議なものです。

妻の実家が熊谷なので、昨年亡くなった義父のことがあったり、それ以降一人暮らしをしている義母のことがあったりで、ここのところかなり頻繁に熊谷に行きます。熊谷に行ってまず感じるのが、若者たちが妙に派手なこと。これにはほんとに驚きます。

それぞれの駅にはそれぞれの顔があり、さいたま市周辺を考えれば、浦和には浦和の、大宮には大宮の、あるいは西川口には西川口の、顔があります。住まいを探す場合、いろいろな条件を考慮して探すと思いますが、私は、最寄り駅に行ってその周辺を歩き回ってみるというのも、一つの方法ではないかと思います。駅周辺が持っている顔というのは、それくらい地域の状況を反映していると思うのです。

熊谷というところは、田舎の都会。やけに田舎びた素朴なおじさん、おばさんがいるかと思うと、格好だけが変に派手な若者たちが大勢いる。熊谷駅北口周辺には、そんな若者たちやちょっと派手目なお姉さんたちが身につける洋服やアクセサリーをあつかった店がたくさんあります。駅周辺のスーパーに行くと「ホスト?」と思うような(たぶんほんとにホストだと思うけど)お兄さんたちがうろうろしていたり、メチャメチャど派手な色に髪の毛を染めたコギャルたちもいます。
「ナンパ族取り締まり路線ねぇ。なんか熊谷にあるとわかっちゃうから困っちゃうねえ…」
とは言え、たくさんある道路の一部を取り締まり路線に指定したところで、“ナンパ”がなくなるわけはないし、だいいち“ナンパ”が取り締まりに適するかどうかは大いに疑問がある。そんなところで大人の価値観の正義を振りかざしたところで、いったい何になるのか・・・。

青少年の健全育成なんて、そんな大人の“やってるふり”では、果たせるわけがない。毎回言うことだけれど、もし町をあげて“ナンパ族”が悪いと言うなら、ナンパ族を取り締まるなんていうことをしたって、意味がない。誰のせいで“ナンパ族”ができたのか、しっかり反省すべきは、取り締まっている大人の方。

浦和駅周辺に“ナンパ族”が出没しているっていう話は聞かないけれど、それは浦和が“いい町”なんじゃなくて、浦和の若者は都内に行っちゃってるだけかも・・・。“ナンパ族”がいけないというなら、浦和の大人も事実をしっかり見据えて、大いに反省すべし!かもね。
(文:大関直隆)

2006/02/13(月)
第197回 「メダル候補?」
いやいや、いつものことだけど、オリンピックが始まると眠い毎日が続きます。
別にLIVEで見ることはないじゃないって言われそうだけれど、スポーツっていうのは、結果じゃなくて(やってる選手にとっては結果がすべてだけれど)、真剣に勝負をしている人間を見ることのスリルというか、その瞬間のワクワク、ドキドキというか、生であることの迫力があるからこそ見ているのであって、眠い眠いと思いながら、やっぱりLIVEで見ることになっちゃう。

結果を先に知ってしまって見るハイライトくらいしらけてしまっているものはありませんよね。だいたいそういう放送っていうのは、編集されてしまっているので、ハプニングがない。もちろん、NG集に出てくるようなハプニングを期待しているわけではないですよ。上位の人、下位の人、すべての人の競技の中にそれぞれのドラマがあって、成功したり、失敗したり、喜んだり、悔しがったり…。スポーツを見ることの楽しさっていうのは、勝ち負けだけではなくて、そういった人間の姿に共感する楽しさがなんだなあって感じます。だから、どうしてもLIVEを追っちゃう。今この瞬間も、ケーブルテレビを含めて、4つのチャンネルで、放送されているんだけど、何の競技かが問題なんじゃなくて、ついついLIVEの中継をしているところにこだわっちゃう。

どうしてもハイライトしかやってないときは、なるべく結果を知らないもの、できるだけレアなもの。変なこだわりだけど、それが私のオリンピックの楽しみ方。
今もこれから、葛西がノーマルヒルのジャンプを飛ぶよ。
”ああ、ダメだぁ!”
次は伊藤。
”ああ、やっぱりダメだぁ!”
昨日は、原田が失格になっちゃうし、上村も里谷もダメ。残念だねぇ。
「残念ながら、メダルには届きませんでした」
実況のアナウンサーが言ってるよ。

オリンピックになると話題になるのが”メダル候補”。
今、名前を挙げたモーグルの上村、里谷、ジャンプの葛西、伊藤、岡部、原田をはじめ、スピードスケートの加藤、清水、フィギアスケートの荒川、村主、安藤…など、大勢います。マスコミはトリノへ出かける前から、まるで100%メダルは間違いないといった勢い。テレビを見た人たちは、メダルラッシュを期待しているんじゃないかなあ???

ところが、それに反して外国メディアの評価は厳しい。日本のメダル獲得数を2つと予想するところとか、1つと予想するところもあるとか…。そういう予想に対して、ワイドショーのコメンテーターは、
「名前を知ってる人だけあげたんですよ。日本選手の名前を知らないから、そんなこと言ってるんじゃないですか!」だって。

見たこともないんじゃないの?見れば予想も変わるよっていうような言いっぷり。選手の能力じゃなくて、名前を知ってるか知らないかだけで、予想してるっていう意味なんだろうけど、名前が知られてないっていうことは、やっぱり勝つ能力がないっていうことなのにね。世界で一流の人たちは、やっぱり有名だよね。

どうも日本のメディアの評価は、甘すぎる。自国の応援をするのは当たり前なので、それはそれでいいんだけれど、モーグルの中継を全部見ていても、上村が5位に入賞したとはいえ、1位から3位までの選手とは、明らかに滑る早さも技術も違って見える。そう思った人は多いんじゃない? もう少し競技の前から客観的な報道はできないのかなあとも思います。

どうも日本人は、「客観的に物事を見る」ということが苦手。親が自分の子どもを見るときは、最もそういうことが表れます。どの親も自分の子どもの能力を過信します。しかも、”親が子どもに対してこうなってほしい”と期待している部分の能力がある思いがち。それは、けっして子どもにとっていいことではない。

受験期を迎え、塾の前は送り迎えの車でどこもいっぱい。みんな自分の子どもが東大に入れると確信してるんじゃないのかな? だけど、そんなのは夢のまた夢。東大に入れる人なんて、ほんの一握り。しかも、東大に入れればそれだけで幸せなわけじゃない。それは、スポーツの世界もしかり。誰もが野球のイチローや松井、サッカーの中田や中村になれるわけじゃない。子どもの幸せを願うなら、もっと客観的な目を持たないと…。子どもの幸せってもっと違うところにあるかもしれないのに。

オリンピックの報道も、あまりメダルメダルと加熱しないで、もっと客観的でいいと思うんだけどなあ。そうは言っても、モーグルとノーマルヒルのジャンプは残念だったね。もしかしたらって思ってたのに…。

外国メディアの予想に反して、日本のメダルラッシュに終わるといいのになあ!
まだまだ今月いっぱい、眠い日が続きます。
(文:大関 直隆)

2006/02/06(月)
第196回「健康志向」
変なことをする人間が多いわが家にあって、特出して変なことをするのが、今ドイツの劇場でダンサーをしている努(つとむ)。この連載の第111回でもお話ししましたが、19歳でフランスのバレエ学校に留学して、5年後に初めて戻ってきたときは、玄関で靴を脱がずに家の中に上がってきて、みんなに非難されたり、日本ではまだそのころ珍しかったエスプレッソのコーヒーポットをフランスで買ってきて、コーヒーがドロドロになるまで煮詰めては、50CCくらいしかないそのドロドロのコーヒーに、砂糖をスプーン山盛り5杯も入れて飲んでみたりと、まったく訳のわからないことをやりまくり。
みんなから、
「何カッコつけて、フランスかぶれしてるんだよ!」
と非難されても、一向にやめる気配もなく、
「あっ、間違えた!」
と言っては何度も靴で上がってくるし、いつまでたっても山盛り5杯の砂糖はやめない。

結局初めて帰国したときは、1ヶ月の滞在期間中、ずっとそれをやり通してフランスへ帰って行きました。それから3年後。

この時は、靴のまま玄関を上がってくるのも、コーヒーにスプーン山盛り5杯の砂糖を入れるのもすっかり収まっていて、フランスかぶれはなくなっていました。ところが今度は、オートミール。家にいる間中、オートミールを食べまくり。
「お前、何やってんだよ! そんなもの好きだったっけ?」
「いいの、いいの! 栄養のバランスもいいし、食物繊維もいっぱいだからね」
「これどんな味するの? げっ、まずい!」
「いいの、いいの! ダンサーは健康が大事だからね」

さらに2年後。
今度はオートミールに代わって、プロテインが登場!1日に何度もジュースや牛乳に混ぜてはプロテインを飲みます。
「お前、そんなのばっかり飲んでちゃだめだろ!?」
「いいの、いいの! 脂肪をつけないで、筋肉つけなきゃならないんだから」
「ちゃんと食事から摂とらなきゃだめじゃないの?」
「食事は食事で摂ってるよ。だけど、身体をちゃんと作らないと・・・」
「はぁ? だったら、プロテインの前にスプーンでグルグルかき回して炭酸抜いてコーラを大量に飲むのをやめた方がいいよ」
「へへへへっ!」

最近、イソフラボンが話題になっています。大豆イソフラボンは、骨粗鬆症やガン予防効果があるとか・・・。

構造が女性ホルモンのエストロゲンによく似ているため、体内でエストロゲンと同様の作用をすることが期待されて、乳がんやエストロゲンの減少で進行する骨粗鬆症などの予防に有効とされています。心臓病による死亡率を下げるという報告もあるそうです。ところが過剰に摂取すれば、ホルモンのバランスを崩す恐れがあり、食品安全委員会の専門調査会は、過剰摂取に注意を促す報告書案をまとめました。それによると、通常の食生活に加え特定保健用食品などで1日に追加的にとる安全な上限量を30r、特に、妊婦や乳幼児に対しては「追加摂取は推奨できない」としています。

年々、サプリメントを摂取する人が増えています。受験勉強には、サプリメントを摂るのが効果的と考えている人も多く、子どもたちの間にも広がっています。サプリメントは、医薬品ではなく、栄養補助食品だから副作用はないとか。とはいえ、イソフラボンは、妊婦、乳幼児には「追加摂取は推奨できない」と言う。子どもの健康のためということであれば、サプリメントの前に、やはりきちんとした食事を摂らせることを考えないとね。どちらが大事か順序を間違えないようにしないと・・・。

副作用はないと言うけれど、私はビタミンCを錠剤や顆粒で飲むと必ず下痢をしちゃいます。レモンやキウイをいくら食べても下痢しないんだけどね。それって副作用じゃないのかなあ?

一昨年、一時帰国した努は、オートミールもプロテインも一切摂らずに、わが家の食事だけを食べて、ドイツに帰っていきました。
(文:大関直隆)

2006/01/30(月)
第195回「えーっ、これだけぇ!」
28日のオンエアを見てビックリ!
「えーっ、これだけぇ!」
スタジオで収録するときにも、モニターで私たちの紹介VTRとか再現VTRとかがスタジオの全員が見られるように流れて、それを見ながら収録が進むので、つじつまが合わなくならないように通常はスタジオで流れたVTRをすべて使うんですが、今回はぜーんぜん。

孫の蓮(れん)や沙羅(さら)が、私と一緒に掃除機をかけているところとか、キャベツを刻んでいる私のそばで遊んでいるところとか、そんな映像がスタジオでは流れたのに、ぜーんぶカット。幼稚園の先生にまで「蓮が出ますから」なんて言っちゃったのに、“ズコッ!”ってなっちゃいました。
今回はそんな気がしたんですよね。

放送された映像は、実際の収録とは全然順序が違うんです。
放送ではウチの出番は6つのテーマのうち4番目になっていましたが、収録は5番目。子育ての参考に私もずいぶん著書を読ませてもらった、あの有名な小児科医、毛利子来(もうりたねき)氏が最後の6番目。それが放送では、1つずつ繰り上がって、収録時には4番目だった少子化問題が最後になっていました。

それには理由があって、一つは田嶋陽子さんで終わりたかったんだろうなあっていうこと、もう一つはアシスタントをしていた山本モナさんと真鍋かおりさん、自民党の世耕弘成議員と新党大地の鈴木宗男議員が、午後8時半で終わる予定の収録が10時半までかかってしまったことで中座せざるを得なくなったこと。番組の終わりに、それだけの出演者が欠けていたのでは、エンディングの格好がつかないんだろうなと思いました。

ああやって、実際にスタジオ入りしてみると、鈴木宗男氏の存在感というのはすごいんだなあと思います。もう完全に議員の域を出てますね。もちろん国会議員をやっているからこその存在感なんでしょうが、政治的なことは抜きにして、充分タレントでやっていけますね。ほとんど一人で議員側を引っ張っている感じでした。そういう方がいなくなってしまっていたので、制作会社曰く「鈴木宗男さんがいなかったので議員の方々の盛り上がりが欠けちゃって・・・」。
というわけで、あまりにも短かったのでちょっと残念でしたが、前回お話ししたように、テレ朝とのギャップが全然埋められていなかったので、放送された映像を見て、「課税」という不本意なやり方ではありましたけれど、そのこと以外あまり気にくわない場面が流れなかったので、内心ホッとしました。収録の中で、ウチの法案に賛成してくれた公明党の澤雄二議員が「課税することが重要なんじゃないんですよね。気づかせることが重要なんでしょ? だから課税は100円だっていいんですよね」と言ったんですが、それに対して渡りに舟とばかり「そうです、そうです!」と言ってしまった私の考えは、「罰として課税する」という過激さを求めていたと思われるテレ朝の思惑とはかみ合わなかったということですね。

シナリオなしに自由に語らせてもらうと・・・。
ニートが生まれるメカニズムは複雑ですが、基本的には現代の社会構造を作っている政治の問題と考えます。一般的によく言われることですが、ライブドアの問題を生み出したような小泉政権の経済政策、政治手法等にも問題があることは否定できません。けれども、「政治の問題」と簡単に片づけてしまうのも大きな誤りです。子育ての質、教育の質の問題を抜きにニートを語れないのも、これまでのカウンセリングの経験から、否定できない事実なのです(もちろん子育ても教育も政治の問題ではあるのですが)。不登校も含め、「どういう子育て」、「どういう教育」がニートを生み出しているのか、私たち親は真剣に考える必要があります。「課税」という手段はともかくとして、親や教師の子どもたちに対する態度が、ニートを生み出す大きな要素になっているということの自覚を、親も教師もしっかりと持つべきです。

子どもの気持ちを聞く前に「××食べる?」「××する?」と何でも先回りしてしまう親、「××先生ってひどいんだよ」という子どもの言い分に、何がどうひどいのかも確かめずに「それはひどいねぇ」と簡単に子どもの言い分を鵜呑みにしてしまう親、仕事にも就かずぶらぶらしている子どもに「やりたい仕事がないんだったら働かなくてもいいのよ」と子どもをかばってしまう親。そうかと思うと、自分たちの力量は棚に上げて、子どもの悪さ、親の悪さばかりを強調する学校や教師。

27日発行の「フライデー」に“「指導力不足教員」の実態と優遇リスト”という表が載っています。東京都83人、神奈川県85人(数字は認定者総数)は特出していますが、埼玉県の14人はちょっと少ないんじゃない? 政令市であるさいたま市は、なんと0人。横浜市27人、北九州市26人、福岡市の20人と比較すると、「ほんとにさいたま市ってそんなにすばらしい教員ばかりなの?」と疑問を感じざるを得ません。どうも親の感覚とは乖離している。

改めて、“ニートは元を絶たなきゃダメ!”

親や教師がもっと自覚を持って責任を果たさなくては、ニートはなくなりません。 
(文:大関直隆)

2006/01/23(月)
第194回「収録終了!」
19日の金曜日、六本木のアークヒルズで「ドスペ!」の収録してきました。いやー今回の番組は、正直言ってあんまり見て欲しくないなあ・・・。テレ朝の思惑とウチの主張がぶつかっちゃって、どちらかというとテレ朝の思惑通りに話が展開しちゃったっていう感じ。

2時間番組で、6人(6組)が法案を提出することになっているんですが、皆さんご存じの通りコマーシャルが入るので、2時間番組の放送時間て正味100分くらい。その時間の中には、番組の説明やら出演者の紹介やら、当然そんなものまで入っているので、法案を審議する時間はさらに短くなって全体で90分あるかないか。結局法案1本当たり15分くらいになっちゃう。14日の土曜日にはウチを紹介するためのVTRも撮りに来て、そのVTRも挿入されるし、局が作った法案を提出することになったそもそもの理由のVTRも挿入されるので、VTRが全部その通り流れたとすると、それだけで5分以上。プレゼンと議論の部分て、ほんとにちょっとになっちゃう。スタジオでのウチの持ち時間が挿入VTRも含めて40分程度だったので、30分以上の議論が10分以下になっちゃうっていうことかなあ??? 一番言いたいところがカットされなければいいんだけど・・・。

さて、そのニート対策。
数ある社会問題の中でテレ朝がニートを取り上げようとしたのは、前回紹介したように、ニートが増加することにより確実に納税者一人ひとりの負担が増えていくこと、さらに多額の対策費を使っているにもかかわらず、まったく効果が現れないことなどからだと思います。

政府が実際に進めているニート対策も含め、多くの人が考えているニート対策というのは、家から出ることのできないニート本人に、人との交流の場を与えたり、職業訓練をしたり、というような本人を対象にしたようなものばかり。そんなことでニートが解決するかっていうと、前回紹介した沖縄の例のように、人とうまく関われないニートに対して、ただ「参加してください」と呼びかけて待っているだけなわけだから、うまくいくはずがない。

ニートの原因はいろいろ考えられます。どんどん広がっていく勝ち組、負け組の格差の問題、教育の荒廃、止まらぬ少子化・・・。すべてがニートと関わっていると言ってもいいと思います。その原因の部分に焦点を当てないとニートはなくならない。ニートに限らずどんな問題でもそうですが、問題を解決するには、元を絶たなきゃダメ。そういう意味で、今回私たちが、提案することになったのは、ニートの原因の一つと考えられる親子の部分に焦点を当てて、「ニートを作り出した親に課税する」というもの。私も本質的には政治の問題と考えているので、「親」を対象にするなんていうことが、正しいニート対策だなんて考えているわけではないけれど、カウンセリングで親子関係の部分でいつも苦労しているっていう話をしたら、どうしてもそこの部分を取り上げてくれって番組のプロデューサーに言われちゃって、親を守っている立場のウチが親を攻撃するような立場になっちゃうのでどうしようかとさんざん迷ったあげく出ることにして、結論を「親を守っているんだ」というところまで最終的には持って行こうとしたんですが、収録時間が予定より2時間も押してしまったこともあり、思ったように話が展開できなくて、誠にウチらしくない惨憺たる結果に終わってしまいました。

とほほっ。
どういう放送になるのかなあ・・・。勘違いされないといいんだけど。大失態からまだ立ち直れなくて、ちょっと今回の文章は混乱してるね。オンエアを見て、来週もう一度ニート対策について述べようと思います。
(文:大関 直隆)

2006/01/16(月)
第193回「“ドスペ!”出演決定!」
テレビ朝日の土曜夜7時、「ドスペ!」に出まぁーす!
1月28日(土)夜7時からの「ドスペ!」(土曜スペシャルの略?)に出ることになりました。今回は「ザ・法案 ファイト!」とかいうタイトルで、今の政府の政策に欠けている、不満があるということを法案という形でプレゼンして、各党代表の国会議員とタレントとディスカッションするというもの。何人かの提案者がいるようですけど、その中の一人(一組)ということで私と妻と二人で、教育相談を受けているカウンセラーという立場と20数年間主夫という形で子育てに関わってきた立場から「ニート対策」についてプレゼンすることになりました。

テレビというメディアの中で議論慣れした国会議員の先生方とディスカッションするのは初めてなので、果たしてうまく論理立てして、国会議員の先生方を納得させることができますか・・・。テレビの討論番組を見ていると、なんだか訳もわからず反対のための反対をしたり、ただただ目立ちたいばっかりに、やたらと人を攻撃する人たちがけっこういるので、ちょっとドキドキしちゃうなあ。初めての体験なので、楽しそうといえば楽しそうではあるのですが・・・。

先日、予行演習みたいな形で、実際にテレ朝に行って、丸山弁護士相手にプレゼンをしてきましたけれど、それなりには話せました。が、満足と言うにはほど遠かったので、19日の本番収録までには、もう少しきっちりと話せるようにしなくっちゃね。

さてそのニートですが、政府はやっと本腰を入れて対策を立てようということになってきたようです。少子化に歯止めがかからず、高齢化社会がどんどん進行していく現状では、ニート問題も早急に解決しなければならない問題の一つです(もちろん、ニート問題が即少子化とつながっているという部分もあるのですが)。ニートの数は、15歳から34歳までの学校にも行かず、働きもせず、職業訓練にも参加しない若者という括りで、85万人とも言われています。そして増税論議が行われている現在、本来働いているべき若者がニートになっていることによる税収減が、なんと6,200億円。さらに、政府のニート対策費が756億円。単純に考えて、もしニートがいないとしたら、7,000億円近い金額を増税しなくてすむ計算になります。これには、学校に籍はあっても実際には学校に行かず不登校、あるいは遊び歩って怠学しているといった若者の数はカウントされていないし、ニートを親が扶養している場合の扶養控除分が含まれていないので、その点も含めて試算すれば、さらに減収分は増えることになります。国家財政の健全化を図っている政府にすれば、ニート対策に本腰を入れるのは当然で、今までいったい何をやっていたのかという感も否めません。

ところがです。さらに問題なのは、その対策費の使い方。政府は、「自立支援塾」なるものを各地に作って、ニートを減らそうと考えているようですが、なんと沖縄に作った二つの自立支援塾の一つは利用者ゼロ。もう一つも利用者3名とか。こんな現状を見ると、まったく打つ手なしといった感じです。民主党の主張も「ニートが集まることができる場所を作り、相談、支援を行う」と言うんだからあきれちゃう。人と人との関わりができないからニートになっているのに、どうしてそんなところに行けると思っているのか、とてもニートを理解しているとは思えない。

どんなことでもそうですけど、一番大切なのは「元を絶つこと」。何かの宣伝にあったけど、なんだって同じですよね。そうなってしまった末端の部分だけを何とかしようとしたってうまくいくはずがない。百歩譲って、今現在ニートの人に現状の支援策が有効だとしても、新たに生まれるニートが防げるわけじゃない。もっと根本を考えないと・・・。
そこで提案をするのですが・・・。

提案の内容は、次回。

 
ニート税について2006/01/28 21:28:52  
                     ネート

 
ニートが85万人とも言われているとのことですが、働いてもいず学校に通ってもいないというところで判断するしかないのですから、鬱病で会社を辞めた人や浪人中の人も含まれているのではないでしょうか。こうした人たちに対してニート税をかけるなどということは、社会的暴力に他ならないのではないですか?
最近『ニートって言うな!』という本が光文社新書で出ました。ニートについて詳細な情報が書かれた本です。こうした本でもっと勉強なさってから提案なりなんなりなされるべきではないでしょうか。また税金とは何かについて、もっと学ばれてはいかがですか。ニート税をかけるというのは、人頭税が望ましいとすることくらい、無茶苦茶な議論だと思いますが。
大体、税が減るからいけないとのことですが、ニートに現在計上されている人が全て働くことなど不可能です。現状ではいまだ仕事は足りない状況にあるし、フリーターにさえなれないだけかもしれませんね。
 

元の文章を引用する

 
ごもっとも2006/01/30 19:30:00  
                     大関直隆

 
いろいろと事情があってのことなのですが、
とにかく謝ります。
課税が本意ではなく、
対策の対象がニート本人に対するものばかりで、
親に目を向けたものがほとんどないので、
対策の一つとして、
親向けのものがあってもいいのではないかというのが、
元々の趣旨だったのです。
残年ながら『ニートって言うな!』はまだ読んでいませんが、
今回のことだけでなく、
仕事柄ニートについての本や資料は相当ありますし、
読ませてももらっています。
ニートについては、「ニート」という言葉の是非も含め、
皆さんいろいろな考えをお持ちのようですが、
実際にニートの相談を受けている立場とすると、
かなりの確率で、親と子の共依存があるという実感を持っています。
もちろん、”親がいけない””子どもがいけない”ということではなく、
”どうしてそういう状況になっているのか”
”どうやってそのような状況から抜け出すか”
ということを”一緒に考える”というのがうちの立場です。
今回の件については、いろいろ事情があったにせよ、
かなり反省しています。
こうしておしかりを受けて、逆にホッとしました。

番組収録後、
法案に賛成してくれた澤雄二代議士(もちろん課税には反対なのですが)に
お会いしてきました(それも収録の一部ではあるのですが)。
30分というお約束の時間が1時間半にもなり、
真剣にお話をさせてもらいました。
その席では、課税はせず、
”教育の質の向上と親の支援策を考えましょう”という話になりました。
税収アップのためでなく、ニートと言われている本人のために、
いい解決策があるといいのですが…。

また、何かご意見がありましたら、
ぜひお寄せください。
 

元の文章を引用する

 
Re: ごもっとも2006/01/31 18:27:49  
                     ネート

 
いきおい、いらだって書きこんでしまったのですが、丁寧なご返答ありがとうございます。 課税をすることが本意ではないこと、また議員さんは、家庭環境を含めた支援策という点に賛成された、という点について了解いたしました。 公明党は、所得者の低い人のための社会サービスに強い関心をもっていたと記憶しているので、個人的につじつまが合いました。
1/30の方に大関さんがあらためて書いておられますが、オンエアでは問題提起から可決までがあっという間で、「この部分はどういう意図で放送しているのか?」と、進行自体にもやもやとしたものを感じました。 「「罰として課税する」という過激さを求めていたと思われるテレ朝の思惑」との行き違いがあったということで、ネットでのマスコミ分析などを読むと、この点もさもありなんという感じがします。
マスコミは「自立支援塾」の無駄や、教師の質の低下、あるいは親子の問題を正面きって取り上げずに、逆に若年層の逸脱や、非常識な家庭がある、というように問題を道徳的に矮小化する傾向が強まっていると思います。 そもそも視聴者に受ける内容にしないといけないという事もありますが、マスコミ自体が、青少年対策事業において官僚の思惑と共依存になっていること(非公式情報ですが、毎日や読売新聞は有害図書選定の委員に論説委員を直々に送り込んでいるそうです。)が、労働問題に関するまじめな議論をテレビ新聞上ですることを今後も妨げるのではないか、と個人的に危惧しています。
 

元の文章を引用する

 
ご理解いただきありがとうございました2006/02/02 16:32:46  
                     
                              http://www.ed-cou.com大関直隆

 
プロデューサーも含め、元々の発想は、「自立支援塾の無駄」、
ニートに対する政府の無策の批判だったんです。
民間であるうちの役割は、
本来行政批判をすることにあるのに、
番組の設定が「法案の立案」だったにもかかわらず、
出演してしまったことに無理があったと思います。
うちと毛利氏の部分が一番まじめに議論をしていた部分だったと思うのですが、
残念ながら、バラエティという性質上、あんなもんなんでしょう。
なんだか訳のわからないオンエアで、かなり拍子抜けだったんですが、
とにかく「課税の部分」が強調されないように必死で抵抗したので、
あんな風にしかオンエアできなかったのかなあ、
なんて思います。
以後気をつけます。
もっと硬派の番組に出してくれるよう話しておいたのですが、
なかなか難しいんですよね。
もっと現場の生の声(親や子どもたちの)をメディアも取り上げてくれるといいんですが…。
 

元の文章を引用する
(文:大関直隆)

2006/01/10(火)
第192回「一生懸命さの空回り」
あけましておめでとうございます。
皆さんにとって去年はどんな年だったかな?満足のいく1年を過ごせたかな?
「一年の計は元旦にあり」というわけで、皆さん今年の目標はしっかり立てましたか?
私は、まあ一応会社をやっているので、「今年は飛躍の年にしよう!」なんて考えているんだけど、果たして飛躍の意味って何なんだって聞かれると、もちろん会社だからよりいっそうの利益を上げることに決まっているのに、仕事柄、利益を上げるということより、ついつい「世界中の子どもたちが幸せな一年を送ること」なんて考えちゃって、「利益」なんていうこととはほど遠いことになっちゃったりするんですよね。

広い意味で言ったら、まあそれも「飛躍」のうちかあ?なんて考えて、それが実現できたら、今年の終わりには「いい一年だった!」っていうことにしちゃおうかな・・・。だけどどう考えても、「利益を出すこと」より「世界中の子どもたちの幸せ」の方が難しいことですよね。逆に言えば、うちの会社の利益より、そっちの方がよほど大事なことですよね。今年一年、両方を目標に精一杯努力をすることにしましょう!

昨年の11月、妻と二人で義母と叔母(義母の妹)を四万温泉に連れて行きました。以前から、桐生に住んでいる叔母と湯治に行きたいと言っていたので、比較的近場で、部屋からお風呂までに段差がなく、湯治の効果があり、しかも長期滞在でもあまり費用のかからないところという条件で、いろいろ探した結果、四万温泉に行くことになりました。

四万温泉に行くのは初めてでしたが、四万温泉に着いてびっくりしたのは、「街のきれいさ」でした。四万温泉と言えば、そのレトロな雰囲気から様々なロケに使われていることは有名ですが、そのせいもあってか、ゴミが全然落ちていないのです。公衆浴場にも何ヶ所か入りましたが、当番制で清掃をしているとかで、とてもきれいでした。さらに驚いたのは、街のあちこちのお店に、「トイレご自由にご利用ください」の貼り紙が貼ってあること。観光以外何もないところですから、当然と言えば当然のことなのですが、街のきれいさとも重なって、そういった貼り紙に商売っ気を感じるというよりは、むしろその街の持っている優しさを感じるといったふう。義母と叔母は5泊、私と妻は二人を預けた旅館に1泊だけして戻ってきたのですが、四万温泉の印象はとてもいいものでした。

義母も叔母も四万温泉がわりと気に入ったようで、また行きたいということになり、8日の日曜に再び送ってきました。今度は二人を旅館に預けると、私たちは元湯の老舗旅館に1泊してきました。ところが、今度は印象が変わりました。相変わらず街もきれいですし、もちろん貼り紙もあります。泊まった旅館も接客態度に気分の悪くなるようなものはありませんし、部屋や旅館全体も掃除は行き届いている。一生懸命さは伝わってくるんだけれど、どこかちぐはぐ。「なんでだろう?」とずっと考えていたのですが、朝になって布団を上げにきた従業員が、部屋のドアをノックしたとき、その答えがわかりました。お客に対して一生懸命ではあるんだけれど、お客の気持ちの根っこの部分に寄り添ってないんだと思いました。ノックされたとき私は、部屋にあるユニットバスに入っていました。ユニットバスとは言え、源泉が出ますので充分満足していたのですが、ゆっくりとした落ち着いた時間を買いに行っている私は、ノックの音でいっぺんに興ざめです。そうなってくると、いろいろなことが気になり出します。それほど厳密な意味は持たないのに到着時刻を限定されたこと、最初に部屋に案内されたときトイレットペーパーの先端がきれいにたたんであったにもかかわらず、翌日までは絶対に保たないだろうという量しかなかったこと、今年は源泉の温度が異常に低いとかで露天風呂が使用不能になっているのに、こちらが尋ねるまでそのことが告げられていないこと、料理の量はそれなりに多くて凝ってはいるのにまずい・・・。サービスをしようという姿勢はよくわかるのに、非常に満足度が低いという奇妙な感覚になってしまいました。

そのときふっと思ったのですが、これって子育ての親子関係とよく似ています。親は子どものためにと思って一生懸命子育てをしています。その気持ちに偽りはないし、そういう親の気持ちは充分に子どももわかっている。ところがそれで子どもが満足しているかというと、子どもの気持ちと親のしていることには開きがあるので、子どもにはよくわからないフラストレーションだけが溜まっていく。結局子どもはどこかにフラストレーションのはけ口を見つけなければならないので、そういった行動を起こして一生懸命子育てをしている親と衝突する。

ああ、四万温泉もそんな感じだぁ!
旅館を出た私の行動は、別な旅館の日帰り入浴をたっぷり利用して、中之条まできてから回転寿司を食べて、沢渡温泉、伊香保温泉とドライブをして、高速道路のSAでパンを買って、かりんとうを買って、運転しながら食べまくり。

ああ・・・。とほほっ。
子どもたちが、そうならないように気をつけないとね!
(文:大関直隆)

2005/12/26(月)
第191回「翔サンタ再び登場 “メリー クリスマス 2005”」
今年もやってきました! メリー クリスマス!! 
最近アメリカでは、「Happy Holidays!」と言うそうで、「Merry Christmas!」と言わないブッシュ大統領に一部キリスト教団体が抗議をしているとか。まあ、とりあえず宗教色のない日本ではありますが、“メリー クリスマス!”

株高に煽られたのか、本当に景気がよくなったのか、今年のクリスマスはどこへ行っても人、人、人! 去年までのクリスマスとは、様変わりしたように感じます。

22日は、久しぶりに銀座に行きました。クリスマスがちょうど3連休に当たるということもあって、銀座はとても賑やか。渋谷だろうが新宿だろうが、東京だろうが赤羽だろうが、荒川の向こうへ行くときは、すべて“東京へ行ってくる”とひとくくりにする、ほとんど浦和を出ることのない田舎者の私にとっても、「銀座」だけは別。さすが「銀座」という感じです。東京ミレナリオにはちょっと早かったけれど、すれ違う人は皆ニコニコとやや興奮気味。一目でテンションの高いのがわかります。

この日は、陶芸教室の場所を仲介してくださった不動産屋さんの社長のお招きで、交詢社(福沢諭吉の主唱により創設された日本最古の社交クラブ)に行ってきました。交詢社の名前は知っていたけれど、私などのような者が足を踏み入れられる場所ではないので、当然入るのは初めてです。交詢ビルの入り口に着いたはいいけれど、私が行きたいのは10階。ところがエレベーターは8階までしかない。
「う〜ん?」
と困っていると守衛さんのような人を見つけました。
「すいませ〜ん! 10階に行きたいんですけど…」
「そこのボタンに触れてください」
「?」
そんなもん、どこにあるんだよ〜!
守衛さんの指さしている辺りの壁をよく見ると、確かにそれらしきところがあるにはあります。「まあ、とにかく触ってみよっ」と、そこに触れた途端、まるで「ひらけーゴマ!」とでも言ったかのように壁がガガガガガーッと開くではないですか!(ちょっと大げさ! でも本当にそんな感じでした)専用のエレベーターで9階まで行き、階段で10階まで上がるのですが、階段はすべて赤絨毯貼り。“ドヒャー! なんだここはー!”てな具合で、夕食会。なんだかテンション上がりっぱなし。もちろん男性はスーツにネクタイ着用のこと。クールビズなど無縁の世界。小泉さんて慶応だったよね。ここは福沢諭吉ゆかりの、まさに慶応の砦。ここに小泉さんが来るときは夏でもネクタイするのかなあ?なんてこと考えちゃいました。

そんなところに行ったあとのクリスマスだから、どこですれ違う人を見てもテンションが上がっているように見えるのかなあ? これってもしかして、テンションが上がっているのは私だけ?

イブの日、娘の麻耶(まや)からメールがきて、“長靴買ってきて!”とのこと。「はあ? 長靴ってなんだ?」マジでそう思っちゃうんだから、頭が固いというか・・・。コルソで“長靴”を買おうとしたら、ペコちゃんの長靴とアンパンマンの長靴と何も付いていないただの長靴があるじゃないですかぁ! さてまたまた困って、「どれにしようかなぁ???」麻耶に電話をしたけれど「任せるよ」の返事。おいおい任すなよぉ!

結局、2,000円もするペコちゃんの長靴と1,600円もするアンパンマンの長靴を一つずつ買って帰ることに。さて帰ろうかなって思ったら、“長靴売り場”のすぐ隣の宝石屋がにわかに賑わっているではありませんか!こうなりゃ勢いだっていうわけで、“ばあちゃん”にもサンタさんが来ちゃおうかな?と妻にも安ーい(これは妻には内緒!)サンタさんのプレゼントを買いました。さらに車で妻を仕事場で拾ってから麻耶と翔にもプレゼントを買っていると「あなたのはどうする?」と妻が言うので、「いやいやいや私のなんていいよ」と言うと、妻はまさか自分の分が用意されてるなんていうことは知らないので、「じゃあ、麻耶と翔のだけにしておこう」ということになりました。

「うちってやり過ぎだよなあ。あれは絶対まこちゃん(翔の兄の真のこと)だって思ったのに家中みんながすごい勢いで否定するでしょ。“違う違う! そんなことないよ! お前何言ってんだよ!”って。なんでサンタクロースからプレゼントもらうのに怒られなくちゃならないんだよぉって、悲しくなっちゃったよ」
と翔は言っています。麻耶は麻耶で、
「あたしなんてさあ、鈴やらされたからね。鈴だよ、鈴! それもさあ、いかにもそりが遠くから近づいてくるように、小さい音からだんだん大きくなるの。帰りは逆に大きい音からだんだん小さくしたりしちゃって。まったくやり過ぎなんだよ」
と言っている二人ですが、今年も去年に引き続き翔サンタが登場(第141回参照)。麻耶もサンタのために髭を用意したりして・・・。文句言ってる割にお前らもしっかりやってるじゃんかよぉ!

昨年はちょっと不審に思った蓮(れん)でしたが、今年はなんの疑問も感じなかったらしく、麻耶が用意した乗り物の図鑑を開いて「サンタさんにもらった」と大喜び。沙羅(さら)ちゃんも本、麻耶ちゃんは歌を歌いながら傘を回して踊る雪だるま、翔くんは手袋、そしてばあちゃんは指輪をサンタさんからもらいました。そしてケーキを切ろうとした瞬間、それまで大はしゃぎしていた蓮が、
「じいちゃんはサンタさんから何ももらってないから、これじいちゃんにあげる!」
と、ケーキに付いていた大好物のパラソルチョコを私にくれようとするではありませんか! そして沙羅が蓮の手からチョコを受け取り、「はい!」と私に差し出しました。
「ありがとう! 蓮くん、沙羅ちゃん!」
あんなに自分がはしゃいでいたのに、私が何ももらってないことに気づいてたんだ!

「だから、あなたの分も買っておけばよかったんだよ」
「いやいや、孫たちの優しさがなによりのサンタさんからの贈り物だよ」
今年も、優しいクリスマスが迎えられてよかった!
(文:大関 直隆)