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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2004/03/08(月)
第100回 「はみがき」
公立の学校で開催が義務づけられている学校保健委員会。学校、生徒、保護者、校医の4者が一堂に会して会議をします。学校からは、校長、教頭、養護教諭に保健担当の先生、子どもたちは児童会や生徒会の保健委員、保護者はPTA会長に保健部(呼び方の違うところもあるけど保健担当の専門部)の人、それに校医さんが一人。さすがに4者が集まるわけだからけっこうな人数になります。

形式は学校によって様々。校医さんが一方的に話して“オーワリ”なんていうのもあれば、子どもたちがアンケート調査なんかをやって、それをたたき台に話し合いをしたりする学校もあります。もちろん子どもたちが何かやってくれた方が飽きないけれど、いずれのやり方を取ったとしても、まっ、どこの学校もやることが義務づけられているからやってる、おざなりな会に変わりはなし。とにかく、時間だけが過ぎればいいかっていう感じで、あってもなくてもいいような会議になっているのが普通なんじゃないかな?

ずいぶん何度も経験したけど、印象に残ってるのは2回だけ。
1回は高校のPTAで参加したとき。この時は喫煙についての調査を子どもたちがかなり綿密にやってきて、その報告を聞いているだけでもなかなか面白かった。もう1回は、つい昨年の今頃、中学校のPTAで参加したとき。この時は虫歯予防の話。

歯のことについては、TVのコマーシャルなんかでも歯磨き粉(あれっ? 今でも“歯磨き粉”って言う? 何も考えないで使ったけど最近あんまり聞かない言葉だね。最近はなんて言うんだろ?)のコマーシャルもあれば、キシリトールガムのコマーシャルもあったりして、皆さん少なからず興味を持ってるよね。

この時は、なんか変なものなめさせられて、口の中に虫歯菌がいるかいないか調べさせられたんだよね。基本的に虫歯菌が口の中にいなければ虫歯にならないらしいんだけど、「みんないないのに、私だけたくさんいたらどうしよう」なんてドキドキしちゃって。結局私の口の中には、ほとんどいないっていうことになって、ホッとはしたんだけどね。

話の中でためになったのは、「糖分をとらなければ虫歯にならない」っていう話と「虫歯菌が口の中で活躍するのは食後20分程度だけ」っていう話、それともう一つ、「虫歯にならないために歯垢を完全に落とすには、食後すぐに20分間の歯磨きが必要」っていう話。100%正しいかはわからないけれど、とても参考になりました。

その後、TVで「赤ちゃんは虫歯菌を持っていないのに大人からの口移しなどでうつる」っていうのを聞いて、「なーるほど」って思っちゃった!

♪ はみがき上手かなあ? ♪
「蓮くんも歯磨きするー!」
孫の蓮(れん)は、自分で歯磨きができるようになりました。せっかく一人で磨けるようになったのに、問題はその後。

♪ 仕上げはおかあさーん ♪
というわけで、娘の麻耶(まや)が蓮の口を強引に開けて仕上げをします。
「ギャー! ギャー!」
「おいおい、もうそんな程度にしておけよ。かわいそうだよ。」
「ダメー! もう虫歯あるんだからね! ちゃんと口開きなさい! そうやってギュッてしてるから、いつまでたっても終わらないんだからー!」
泣き叫ぶ蓮を押さえつけて、無理やり“仕上げ”をします。
「そこまでやったら虐待だろ。もうそんなもんにしとけよ。歯磨き嫌いになっちゃうぞ」
というわけで、毎晩娘と孫は格闘しています。

豊かな生活を送るには歯がとっても大事なのは、その通り!でも、まっ、丈夫な歯を手に入れた代わりに、“親子関係が最悪”なんていうことにならないように、歯磨きはほどほどにね。
「だいたい、おまえがお菓子とジュースばっかり買ってくるから悪いんだろ!?」
「だって私が食べたいんだもん!」
「まったくどうしようもない母親だなあ」

つい先日、歯の具合が悪くて歯医者さんに行きました。
「小さいのも入れると、7本虫歯があるんですけど、全部治療しますか?」
「えーっ、虫歯菌がいなければ虫歯にならないんじゃないのー?」
トホホッ…。毎日20分間、歯磨きしてるのに…。どういうわけか、ほとんど歯を磨いてるとこを見たことのない息子の翔(かける)は、高校1年生になっても虫歯が1本もありません。なんでー???
(文:大関 直隆)

2004/03/01(月)
第99回 「ボランティアの質 その2」
ある日の校長室。
「ところで校長先生、部活のことなんですけどね。この前、林田先生に、“宇田川さんの子どもたちに対する声のかけ方があんまりひどいので、学校の管理下としての部活動でやってるわけだから、コーチか監督みたいな振る舞いをさせるのはまずいんじゃないですか”って話したんですよ。そうしたら、“私が頼んだわけじゃないから自分たちで解決してください”って言われちゃって。だけど、ウチの子に聞いてみたら、日曜日なんかは宇田川さんのお子さんが部員を招集して宇田川さんがサッカー部の子どもたちを指導してるって言うし、お母さんたちの話では学校からの要請で宇田川さんが正式に外部コーチになるっていう話を聞いたんですけどね…。それって本当なんですか?」
「ああ、その件ね。確かに打診はしてますよ。林田先生が進路の担当で夏休み明けくらいからは忙しくなるから、あんまり部活の面倒を見られなくなるんですよ。ウチみたいな小規模校だとどうしても教員一人でいくつもの役割を果たさなくちゃならないもんだから、部活の部分を外部の方にお願いしようっていうことで…」

「事情はよくわかっていますから、それはそれでいいんですけれど…。ただね、どういう方をどういう形でお願いするのかっていうことに対して、きちっとしたものが必要だと思うんです。現段階では、部活動は課外活動として全員加入で、内申書の評価の対象にもなってるわけだから、そういう意味では指導する側も学校の管理下におかれていないといけないと思うんですよ。地域の方の力を活用するっていうのもわからなくはないんだけれど、ボランティアっていうのはある意味、危険でしょ。今回の件みたいに個人が中学校の部活動の生徒を勝手に集めちゃったりして、“無責任”っていうことにもなりかねない。学校外のクラブチームみたいなものならともかく、全員が加入しなくてはならない中学校の部活動で、しかも小規模校が故に部活の種類が少なくて、ほとんど選ぶことができないような状況下では、指導する側の公人としての立場も強く意識してもらわないとね。積極的にやりたい子ばかりではないわけだから。いくらボランティアとはいえ、罵声を浴びせたり、学校のグランドのU字溝にタバコの吸い殻を捨てるような人ではねえ…」
「うーん、8月からと思ってるんですけどねえ…。もちろん、外部からお願いしたコーチといっても、学校の管理下だっていうことはその通りですよ。最終的には私が責任を負います。本当はこの学校の卒業生みたいな子の中に引き受けてくれる子がいるといいんですけどねえ」

「問題は、誰がどういう質の人間を外部からお願いして、どこが責任を負うのかっていうことだと思いますよ。今の宇田川さんの状況はとてもよくない。まだ誰も正式にはお願いしていないのに、実質的には学校からお願いされたような立場で行動してるし、しかもそういう行動をしているにもかかわらず、どこもその行動に対して責任を負っていない。ここ何回かの練習試合を見ててもらえばわかったと思うけれど、もうまるで宇田川さんのチームのような振る舞いでしたよ」
「んー、それはまずいなあ。まだ正式にお願いしたわけじゃないですから。ちょっと私の方でも考えてみますよ」
「そうしてください。宇田川さんも、中にお子さんがいるわけだから保護者としての立場もあって、父母の中でトラブルにでもなったら、学校も宇田川さんもやりにくいですから。どなたかにお願いするとしたら、お子さんが内部にいない方の方がいいんじゃないですか」
「そうですね」
「宇田川さん個人の問題じゃなくて、学校がお願いしているボランティア全体の問題と捉えてもらいたいんですよね。部活動に限らず体験学習でお願いしているボランティアにしても、ボランティアなんだからこれでいいっていうことじゃなくて、技量の面でも人格の面でも子どもたちに与えるものとしてふさわしいか、きちっと学校の中で吟味していただかないと…」

結局、校長先生から宇田川さんをコーチにお願いすることはありませんでした。
前々回取り上げた、いじめっ子を投げ飛ばしちゃった警察官の問題も然りですが、指導者たるもの、たとえボランティアとはいえ、自分の感情をむき出しにするようでは指導者として失格ですよね。これからも、教育に関わるボランティアの人たちが増えていくことと思うけれど、“ボランティアだから…”というのはそろそろ終わりにしないとね。
(文:大関 直隆)

2004/02/23(月)
第98回「ボランティアの質」
「笠原ー! なにやってんだあ!」
「ばっかか、おめえ! ほらほらっ、こっちに走れって言ってんのっ!」
「やめちまえ! おまえ才能ないよ!」
「ほらほらほらほらあっ! ここあいてんだろっ! おまえが入るんだよ、ほらっ! スッとくる、スッとおっ! のろまっ! もう、相手が詰めてきちゃっただろっ! ぐずっ! おせえって言ってんだよっ!」

グランドに罵声が飛びます。
サッカー部の練習試合、顧問の林田先生がベンチに座っているにもかかわらず、その頭上を指示の声が飛びます。

「あれ、誰?」
「宇田川さんだよ。少年団の監督やってる人」
「ああ、なるほど」
「お子さんが、今試合に出てるよ。ほら、あの子」
「一応、保護者っていうわけね」
「だけどあれじゃあ、まるでコーチか監督じゃん!」
「まあね。なんか今度外部コーチになるっていう話もあるみたいよ。林田先生がけっこう忙しいでしょ。だから校長が普段の練習も含めて宇田川さんにお願いしようとしてるみたいよ。でも、お子さんいるからねえ…。それにあの怒声でしょ。ちょっとねえ…」

しばらくすると林田先生から、
「よーしっ! 笠原、そうだ! 行け行けっ!」
と声がかかります。
笠原君は保護者の席にいる宇田川さんの方に目をやり、そしてベンチの林田先生の方に目をやると走り出しました。
一瞬躊躇した分、スタートが遅れボールを敵に奪われます。
「なにやってんだっ!」と林田先生の怒鳴り声。続いて、宇田川さんから、
「おまえは”ぐず”なんだよ!」
笠原君は林田先生と宇田川さんの顔を交互にのぞき込みました。

試合が終わると子どもたちは林田先生のところに集まり話を聞いています。そしてその話が終わると誰がどうというわけでもなく、なんとなくずるずると子どもたちは宇田川さんのところに集まり、話を聞き始めます。
「ありがとうございました!」
子どもたちがお礼を言い散っていくと宇田川さんはタバコを吸い始め、そしてU字溝のふたの隙間からタバコの吸い殻落とすと、学校のグランドから出て行きました。

数日後、偶然林田先生と職員室前の廊下で顔を合わせました。
「宇田川さん、まずくないですかねえ? 子どもたちも迷っちゃってるし…」
「…」
「先生から話をしてもらって、ああいうやり方やめてもらうわけにはいかないんですか? 他のお母さんたちも自分の子どもがすごい勢いで怒鳴られるので、あんまり気分よくないみたいだし…」
「私が頼んだわけじゃないですから。勝手にやってるんだから保護者の中で解決して下さいよ」
「そういう言い方なさるんですか? 実際にああやって先生の頭を飛び越えて指導してるわけだから、先生だってやりにくいじゃないですか。われわれ保護者の立場からすれば、自分と同じ立場の人間が自分の子どもを怒鳴るわけだから納得いかない部分もあるし。私は宇田川さんが指導者をしている少年団に子どもを入団させたんじゃなくて、ここの中学校のサッカー部に入部させたんですよ。学校の指導下で起こってることに対してはこうして先生には意見を言える。けれども宇田川さんは何の責任も義務もないわけだから、意見が言えないじゃないですか」
「だから私が頼んだわけじゃないので、お父さん同士で解決してくださいって言ってるんですよ」
「先生はあれでいいと思ってるんですか? 学校の指導下なんですよ。しかも宇田川さんは父親として子どもたちを励ましてるんじゃない。まるでコーチとして指導してるじゃないですか。私は宇田川さんに子どもを預けた覚えはない!」
「私にはどうにもできませんね。保護者の間で解決してください。あんまりゴチャゴチャするんだったら私、顧問降りますから」
林田先生は職員室に入っていきました。

つづく
(文:大関 直隆)

2004/02/16(月)
第97回 「とーりゃ!」
「ったくう! あたし仕返ししてやろうかと思ったよ」
「なに? またなんかあったのかよぉ?」
「だってさぁ、公園にいつもいる“ガキ”ったら、いっぱいオモチャ持ってきてるのに蓮(れん)に貸してくれないんだよ。蓮は自分のをちゃんと貸してあげてるのにさっ」「そりゃまあ、そういう時期なんだよ。“自分の物”っていう意識が育ってくる時期なんだからしかたないだろっ」
「違うの! だからぁ、そんなのは蓮だってあるからいんだけどぉ。ちょっとそいつのオモチャ、蓮が持っただけで飛んで来て、いきなり蓮のこと突き飛ばしたんだよ。それで自分のオモチャ引ったくっていったんだから!」
「あらあら」
「蓮なんてさぁ、いきなりだったから何が起こったのかわからなくて、ビックリしてしばらくじっと立ってた。それからあたしのとこまで走って来て泣き出したんだよ」
「かわいそうに…」
「だけどさぁ、そういうことあったら普通お母さんが“××ちゃん、お友達に貸してあげなさい”とか言わない? この前、蓮も同じようなことやったから、私、蓮のこと怒って蓮と一緒にオモチャを貸してあげにいったよ。親だったら普通それぐらいはするだろっちゅーの」
「はぁ、なるほど。そりゃ、そうだ」
「見てたくせに、ぜーんぜん知らんぷりだからね。ったく、どうかしてんだよ、最近の若い母親は!」
「っとっとっと、お前も“最近の若い母親”だろっ? それで、母親に“仕返し”するの?」
「違うよっ! 仕返しするのはその“ガキ”だよ。ちょっと母親が目を離した隙に思いっきり蹴飛ばしてやろうかと思った」
「ゲーッ、怖っ!」
「当たり前じゃん。蓮は突き飛ばされたんだよ!」
「そりゃそうだけど、子どもの責任じゃないだろっ。親のしつけの問題なんだから」
「そう思うよ。でもね、でもね、親が知らんぷりして何もしないんだから、あたしが思い知らせてやるぅ!っていう感じだよ」
「何考えてんだか…」
「そうは言ったって、“って思った”っていうだけだよ。結局、しっかり蓮を抱きしめてやっただけだもん」
「蓮がその“ガキ”にオモチャ貸してあげられたら、次はその“ガキ”も蓮に貸してくれるかもよ」
「そうだね。蓮にもよく話しておくよ」

ダーッ、びっくり、ビックリ、びっくり、ビックリ!
「警視庁青梅署(東京都青梅市)に勤務する30代の巡査が1月、地元の柔道教室で指導中に小学生2人を強く投げ飛ばし、1人に鼓膜が破れる大けがを、もう1人にも打撲などのけがを負わせていたことが分かった。巡査の子どもが学校で2人にいじめられていたといい、同署の調べに「結果的に仕返しと受け取られても仕方がない」と話しているという。」(2月13日 朝日新聞より)

ああああ、どうしてこういう事件が起こるのかねえ???
“投げ飛ばした”巡査の自分の子どもを思う気持ちがわからないわけじゃあない。でもね、ほんとに問題なのは“いじめてる子”たちなんじゃなくて、そういういじめを放置してる学校の問題なのに…。

この柔道教室は「青梅市が小学生などを対象に企画。市内の体育館で週2回、夕方開いている。巡査は柔道団体の推薦を受け、ボランティア講師として数年前から参加していた」(朝日新聞)とのこと。
巡査自身も“いじめてる子”たちの教育に関わっていたわけで、もっと深いところで教育を理解しないといけなかったんじゃないのかな?

最近、ボランティアの人たちを教育に関わらせる動きが盛んだけど、教育に関わるっていうことの責任をもっとしっかり感じないといけないよね。それにしても、この巡査、“親”としても、“教育に関わるボランティア”としても、そして何よりも“巡査”としても失格だね。 個人的に“仕返し”をしなくてすむように、学校ももっとしっかりしないと…。いじめられてた巡査の子にも、そして巡査に“とーりゃ!”と投げ飛ばされちゃったいじめてた子にも、本当に謝罪しなくちゃしけないのは、学校なんだよね。
(文:大関 直隆)

2004/02/09(月)
第96回「夫にしてほしい育児」
ぎゃあー!! ショック!!
夫に担当してほしい育児は「特になし」だって!!
こりゃ大変だよ。いったい夫の存在って何だろうってことになりかねない。いやいや、もうなってる。

おもちゃのバンダイのアンケートでこんな結果が出たそうです。昨年の秋、12歳以下の子どもを持つ保護者を対象に実施し、2000人分の回答をまとめたものです。夫に担当してほしい育児(複数回答)は「特にない」が39%、「遊び」12%、「お風呂」11%。1年前に行った調査でも、子育ての相談相手の1位は「母」、2位「友達」、3位が「夫」(19%)。(2月8日、朝日新聞参考)

そういえば、私の周りのお母さんたちもみーんな相談相手は「友達」。
「夫にね、幼稚園どこにしようかって相談したら、『ああ。うん』で終わりだった」んだって。
「全然聞いてくれないの。だからこうやってみんなの話聞いて決めてるんだよね」ってべそかきながら言ってたお母さんがいたっけ。

翔(かける)の同級生でお父さんを亡くしたお宅のお母さんは、
「夫がいなくなってもなーにも変わらないよ。生きてる時だって、子どもが起きる前に仕事に出かけて、子どもが寝たあと帰ってきてたからね。まあ、私は夫が帰ってきた時には一応起きて食事の支度はするけれど、夕飯は子どもと一緒にしちゃってるから、作っといたおかずを“チン”するだけだったからね」

もう1人のお母さんは、
「ウチはずっと単身赴任みたいなもん。建築関係の現場監督やってたから、全国を飛び回ってたわけよ。2週間、3週間なんて当たり前。長いときは1年とかだもん。ほとんど帰ってこないでしょ。だからいない方が普通。いるときは子どもたちとよく遊んでくれる人だったけど、それでも子どもたちにとっては“いてもいなくてもそんなに変わらない存在”だと思うよ」

もちろんこれがすべて本音とは思わないけれど、夫を亡くした4人のお母さん全員が「夫を亡くしても何も変わらない」って、同じことを言ってた。あああっ、男ってなんだろうね。

最近、お昼の時間がずれちゃって3時ごろ近くのファミレスに行くことが多いんだけど、お母さんたちがウヨウヨいるよ。1週間くらい前にはぐるっと私たちの周りをお母さんグループが囲んでたことがあった。それが偶然すごくおかしなことになってて、後ろが30歳代、右が40歳代、前が50歳代、左が60歳代って、ちゃーんと世代順に並んでるの。一見してPTAがらみの人たちだなあってわかるんだけど、あまりに見事に順番に並んでるもんだから、おかしくて吹き出しそうになっちゃった。聞こえてくるのはもちろん子どもの話ばかり。(ただし“60歳代の人は除く”だよ)

子どもを持ってる母親はこういうところで情報交換してるんだよね。
夫と相談ができない状況にあるのか、相談をしても役に立たないのか、定かではないけれど、男が子育てに関わるようになってきたなんて、とてもそんなこと言える状況じゃないね。高度成長期の日本の産業は製造業が中心で、「日曜休み」っていうのがほとんどだったんだろうけど、産業構造の変化とともに休日がバラバラになって、「子どもたちの休みと、父親の休みが合わない」なんていうお宅も多いんだろうね。

それにしても「夫に担当してほしい育児は特にない」とはねえ…。夫の存在感が薄いのか、どう関わってもらいたいかがわからないのか、どっちにしても男って何だろうねえ…。わが家の場合は、「妻に担当してほしい育児は?」って質問になるのかなあ?タハハッ、ウチの場合はいっぱいあったけどね。
(文:大関 直隆)

2004/02/02(月)
第95回「受験勉強のやり方」
「どこか私立中学を受験させようと思うんですけど、ウチの子ってすごく面倒くさがるんですよねぇ。受験勉強ってやっぱりコツコツ地味にやっていく積み上げが大事でしょ。そういうことが全然できない。たぶんそういうことをやってるのが大手の受験塾だと思うんですけど、4年生くらいから週に2日も3日も通って、ウチに帰っても毎日毎日勉強漬けっていうのも失うものが多すぎるって思うし…。でもそう思って育ててきたら、6年生を目前にしてただただ雑にいい加減なやり方でしか勉強しない子になっちゃってたんですよ。」

「小さいころから何でもやってやっちゃってきましたからねぇ。そりゃあもう、周りがビックリするくらい。未だに学校の支度は私がほとんどしてやってるし、靴下まで履かせてやってる。ずーっとそうしてきちゃったから、今さら突然“自分でやりなさい”なんて言えないし。学校の先生は“いいお子さんですねぇ。どうやって育てたらあんなにいいお子さんになるんですか”って言ってはくれるんですけど、ウチでの実体を見たらビックリするんじゃないかなあ。すごく後悔してるんです、やっぱり育て方間違ったって。先生からも勉強のことは“とても理解力はあるんですけど、もう少し丁寧にやってくれるといいんですが…”って言われるんですよ。ノート見てもらえばわかります。すごく乱暴な字で読めないんだから。“字なんて自分が読めればいいんだなんて言うくせに、問題集をやって答え合わせしようとすると、あんまり雑なんで自分でも読めなくなってる。計算やってても“0”だか“6”だか区別がつかなくなって結局間違っちゃう。」

「今通ってる個別指導の先生は、“まず算数を固めて、その後国語に入りましょう。社会と理科は慌てなくていいですから。とりあえず家でやっといてください”なんて言ってるんですけど、ウチの子のこと、全然わかってない。家でなんてやれるわけないじゃないですか。そういう子じゃないんだから…。そんなことも見抜けなくていったいどこが個別指導なんだっていう感じ。かといって塾もこれでもう3カ所目で、あんまり塾を替えたりして子どもに負担をかけるのも嫌だし。私の正確がきっちりやらないと気がすまない方だから、なおさらなのかもしれないですけれど、やっぱり受験勉強には問題集を初めから最後まできっちりやり通すような几帳面さも大事だと思うんですよねえ。とりあえずなんとか自分できっちり丁寧にやる習慣をつけないと間に合わないと思うんですけど、どうしたらいいんでしょうか?」

ぎゃー!
ちょっと長くなっちゃたけど、なんていう相談を受けたことがありました。これでもはしょったつもりなんだけどね。

なかなか小学生に“きちっと勉強しろ”なんていうのは難しいよね。ほとんど不可能。まあ無理すればできないこともないだろうけど、そりゃあ今の話の中にもあったように犠牲が大きすぎるよね。あんまりいい子に育つとは思えない。ウチの子なんてすごくいい子だよ。ぜーんぜん無理しなかったから。だからその通りきちっとやらない子に育っちゃった。

さて、そうは言っても、やっぱり受験にはきちっと物事を処理していくっていう作業は重要だよね。もうどれくらい前だったかなあ?(15年とか20年とか前だよ)テレビで塾を取り上げてる番組があって、そこの塾は中学受験でものすごく結果を残してるので入塾するのも大変らしいんだけど、確か漢字の書き取りだか作文だかしかやらないの。そのかわりきちっとやらせる。なんかわかるような気はするよね。
私も塾をやってて思ったんだけど、限られた塾の時間の中で教えられることってたかがしれてる。結局“重要なのは勉強に対する姿勢をどう教えるか”だって。

「いい加減にやってるので、分数の計算すらわからなくなっちゃってるみたいなんです。やっぱり計算問題みたいなものをたくさんやってもらうように個別指導の先生に頼んだほうがいいんですかねぇ…」

「それでもいいけど、それができないからそうなってるわけでしょ。そういう風にやらせたくなかったわけだし。私もそれはそれでよかったんじゃないかって思いますよ。どう育てるかの問題なんだから。もし私が教えるとしたら、易しい問題からたくさんやらせるんじゃなくて、難しい問題を丁寧に最後まで解くっていうことを何度かやるかなあ。“丁寧に”っていうところが重要なんですけどね。難しい問題には易しいところから難しいところまでが詰まってるわけだから、1題解くことでいろいろなことが教えられるでしょ。そこは教える側の力量もあるけど…。解けた時の達成感も感じられるだろうし、そうすれば徐々に力はついてくると思いますよ。今までの育て方の根本を変えようと思うんじゃなくて、アプローチの仕方を変えたらいいですよ。個別指導の先生にそんな風に言ってみたらいいんじゃないですか」

たははっ! 自分チの子にはできないけど偉そうに答えちゃった。その後どうしたか聞いてないけど、うまくいってるかなあ???
(文:大関 直隆)

2004/01/26(月)
第94回「受験シーズン到来!」
いよいよ今年も受験シーズンがやってきました。いつものことだけど入試が近づく頃にはインフルエンザが流行って雪が降る。まったくどっちも受験生泣かせだよね。ウチの息子もどうやらインフルエンザらしくて、急に39℃も熱が出て1週間近く休んでる。まったくどうにもならないね。私はまだかかってないけど、かかりたくないよ〜!

去年なんて最後の最後に私に回ってきて、久しく37℃以上の熱なんて出したことなかったのに38℃近い熱は出るし、お腹にきちゃって何にも食べられないしで、とうとう点滴しながら仕事にいってたからね。ちょっと今年は勘弁してほしい…。

受験生を持ってるお宅は大変だよね。わが家は、あと翔(かける)の大学受験を残すだけだからずいぶん楽になったよ。

学習指導要領の改訂があって、義務教育で学ぶ内容が少なくなったからといって、入試で出題される範囲が急に少なくなるはずもなく、結局何を招いてるかと言えば、中高一貫教育だったり、小学校の私立化だったり…。まるで私立の学校経営を助けてるみたいなやり方。「15の春を泣かすな」なんていう言葉があったけど、今や受験競争は中学校と小学校に移っちゃって「12の春」や「7の春」なんていう感じだよね。もっとも12歳や7歳で受験の意味なんて本当にはわかってるわけはないし、もし落ちたとしてもいくところがないわけじゃないから、泣いているのはお母さんだけかも…。

「真(まこと)がね、勉強しなくても受験に成功する方法考えてるんだってよ。まったく親子って、同じこと言うんだから…。あなたは働かなくてお金が儲かる方法考えてるんでしょ?」

「まあね。でも誰だってそう考えてるんじゃないの? 発想は普通だと思うけど…。働いてお金が儲かるのは当たり前でしょ。逆に働いてもお金が儲からないのはどこかおかしい。だから、そんなことだったら考えなくたっていいでしょ。考えるっていうのは、やっぱりその先のことだからね」

「ふーん、なるほどね。真もそんなこと考えてるのかねえ?」

「何言ってんの! そんなわけないでしょ。あいつはただ勉強したくないだけだよ。まだまだ父親の域には達してない。でもさ、あんまり勉強しなくて成績上げるのなんてほんとにそんなに難しくないよ。効率の問題なんだから。塾やってたころ、いつも子どもたちに言ってたでしょ。100点満点のうち50点しか取れない子でも、ちょっと発想を変えれば今まで通りの勉強の仕方でも50点は取れるっていう言い方もできる。そしたらね、できてない部分をきちっと分析してやって、そこの部分だけをやらせれば、今まで通りの勉強の仕方で半分の25点は取れるようになる。だからね、もともとできてた50点の部分がそのまま取れれば75点。今まで見てて本当にそうなるのは知ってるでしょ。要は、そのできない部分を誰がどうやって分析するかだよね。それが塾の仕事だと思う」

「確かにそうだよね」

「子どもたちだってさあ、とにかく詰め込まなくちゃならないって言ったらそれだけでいやになっちゃう。どうやったら気持ちが楽になって、集中できるかが勝負なんだと思うよ。そこからスタートしないとね。自信も必要だし。塾がやるべき仕事をやらなすぎなんだよ。子どもと親の尻を叩いて詰め込むのは誰だってできる。しかもついてこられなくなっちゃった子は落伍者ってレッテル貼るだけなんだから。実際に目の前にいる子にあまり負担をかけないで成績を伸ばしてやるのが教える側の醍醐味だし、お金をもらってるっていうことに対する義務なのにね」

「ほー。なーるほどぉ」

「だってさあ、お金を払ってるんでしょ。お金を払って子どもが苦しくなってるなんて、どこかおかしくない?」

「そう言われてみればそうだ…。ところでさ、あなたは働かなくて儲かってるわけ? 朝出てさ、毎晩10時、11時。たばこも吸わない、お酒も飲まない。あれは働いてるって言うんじゃないのかねえ??? 働いて儲かるのは当たり前なんでしょ?」

「あんまり当たり前のことはやりたくないって言ってるんだよ。だから今はね、働いても儲からない方法を考えてるの。わかった?」

「ほほぉー」
(文:大関 直隆)

2004/01/19(月)
第93回 「性教育の難しさ その2」
前回からのつづき。

森泉先生のお話で、保護者会の会場は一瞬ざわつき、すぐにシーンと静まりかえりました。

当時「素敵なお産をありがとう」は文化映画として高い評価を得、多くのマスコミにも取り上げられ、ビデオ化がなされたばかりの時でした。全国各地から上映会や講演の依頼が相次ぎ、幼稚園に通うお子さんから70歳、80歳のご年輩の方まで、幅広い年齢の方々に見ていただいていました。森泉先生とのやり取りの中で私が述べたように、このビデオは出産を取り上げてはいますが、まさに「家族」がテーマのビデオです。「性」をどう捉えるのかによって扱い方が大きく変わってしまいます。滋賀県の青少年育成会議から上映依頼があった時には「子どもが生まれてくる瞬間だけ早送りしてはだめか」というビックリするような問い合わせがありました。最終的にはもちろん早送りなどせずに上映されましたが…。

マスコミがセンセーショナルに取り上げれば取り上げるほど、「出産」ということだけが一人歩きし、本来のテーマは置き去りにされてしまいます。それがまさに「性」ということがかかえる大きな問題なのでしょう。

それまでの性教育の授業参観で「どうすると赤ちゃんができるのか」というところまでを扱っています。今回の授業はそれを受けて「どうやって赤ちゃんが生まれてくるのか」というテーマです。

森泉先生によって、受精から出産までの胎児の様子について淡々と説明がありました。子どもたちがいるわけではないのに、保護者の反応を気にしてか、ちょっと緊張気味に、
「お母さんがこうやって産んでくれたということを子どもたちに伝え、ここで出産のビデオを見せます」と森泉先生は説明をしました。

ほんの数分間、子ども(翔)が生まれてくる瞬間の映像が流れました。お母さんたちの緊張した息づかいが聞こえてきます。
「ビデオを見せた後、出産の感動や生命の尊さなどを子どもたちに伝えたいと思います。こんな形で次回の性教育の授業は進めたいと思いますが、何かご意見がございましたらお聞かせください」

一瞬の間があって、その後数人の手が勢いよくあがりました。
「私は出産の場面を子どもに見せるのは反対です。きちっと性教育をしようとする先生方のお考えはわかりますけど、なにもここまで見せる必要はないんじゃないですか。まだ家庭の中でそんな話したことないし、子どもがショックを受けるだけだと思います」
「私はこういうものは見せたいとは思いません。だれかから教わらなくたっていずれわかることだし、もし教えるんだとしたら興味を持った時に話をすればいいんじゃないですか」

見せたくないという意見のお母さんたちの勢いに押されながらも、一人のお母さんが、
「ウチは男の子しかいないので、母親がこんなに苦しい思いをして赤ちゃんを産むんだということを教えてもらえたらとてもうれしいです」
「母親が息子に性や出産のことを教えるのはとても難しいので、これくらいの年齢から学校で性教育をしてもらいたいと思います」

顔を上げず黙ってじっとしている人も多くいましたが、意見はほぼ半々か、やや賛成の人が多いように感じられました。けれどもこういう時は反対の人たちのトーンが高いもの。反対の人たちの意見はどんどんヒートアップして、声も大きくなりました。私は黙って聞いていましたが、意見がほぼ出尽くしたところで手をあげて、
「わが家のビデオなので意見はちょっといいにくいんですけれど、今見ていただいたビデオは出産がテーマではなく家族をテーマに作ったビデオです。出産というところだけを取り上げて見てしまうとテーマが大きくずれてしまいます。私としては部分的に見ていただくよりも全編を見ていただきたかった。今ここでも意見が割れているように、性についてはそれぞれの家庭で考え方が大きく違います。そのことをよく考えていただき、先生方にお任せするということではどうですか」
と言いました。それを受けて森泉先生が、
「こういう問題は全員の方に納得していただけないと進めにくいものなので、今回はビデオは見せないことにします」

結局そういう結論になりました。
性に対する考え方は人それぞれなので、一様に学校で性教育を行うことはとても難しいことです。性に対する価値観を教えたり押しつけたりするのではなく、事実を客観的、科学的に教えることが重要なのではないかと考えます。もっとも何を客観的、科学的と捉えるかというところで考え方が違っているから東京都のようなことが起こるんでしょうけどね。

そうそう、おかしなことだけど、そのビデオを見せることに最も反対ですごく大きな声を張り上げていたお母さんは、その後のPTA活動でとっても仲良しになりました。子どもたちもとっても仲良し。「あのときすごく反対してたんだよね」って言ったら、「ワッハッハッ!」だって。今は自分の子どもにわが家のビデオを最も見せたい側の一人なんじゃないのかな?

 
我が家の場合・・・?2004/01/19 16:23:17  
                     きち

 
性教育に関するお話、大変興味深く読ませていただきました。
私には現在、4歳と1歳の男の子がいます。性教育を実際に・・・には、少々早いのかもしれません。
しかし、ちょっと心残りな事がひとつ。
下の子妊娠中の事。上の子はお腹の子をとても可愛がり、毎日「早く出ておいで!」と声掛けをしていました。
そしてある日、「赤ちゃんは、どうやって産まれてくるの?僕は、どうやって産まれてきたの?」との質問。
そして私は、こう答えました。「お母さんのお腹に、赤い縦線があるでしょう?赤ちゃんは、ここから産まれてくるんだよ。で、あんたもここから産まれてきたんだよ。」
私は帝王切開で、上の子を出産しました。そしてその数ヵ月後、下の子もやはり帝王切開で出産。その傷跡を見せて、こう答えたわけなのですが・・・。

「ほとんどの場合は、こうして産まれてくるんだけど、お母さんは病気だったから、ここから産まれたんだよ。」と、正しい(というのはおかしいかもしれませんが)方法を教えた方が良かったかな?と、ちょっと後悔しています。

「興味を持った時が、教え時」
とは、よく言われる事ではありますが・・・なかなか難しいです。
迷いつつ、でも、子供たちと接していくもの、また私達親の勉強になるものですね。
 

元の文章を引用する

 
Re: 我が家の場合・・・?2004/01/23 2:31:39  
                     大関直隆

 
皆さん迷うんですよね。
でもきちさんの場合はなおさらですね。
傷痕から生まれてきたっていうのもまんざら嘘でもないわけだし…
びっくりしちゃうけど、中学生のお嬢さんに盲腸の痕を見せて、
「あなたはここから生まれてきたのよ」って教えたっていうお母さんがいました。
お子さんも半分くらいは信じてたみたい。
ここまでいっちゃうとどこから生まれてきたかっていうことより、
真実がわかった時の「母親に嘘をつかれた」っていう意識の方が問題ですよね。
性教育って伝える側が真実を語ろうとする意識が大事なんじゃないですかねえ。
そこを間違うと、そのうち大きなしっぺ返しをくうことになるかも…
「性」って、親と子どもがどういう関係を築いていくのかっていう踏み絵みたいな感じもしますよね。

今、学校で行われてる性教育って「性」っていうことだけにとどまっちゃってることが多いんですけど、私は「他者との違い」を教えることが性教育なんだと考えています。
そしてそれが、「違いを知る」というところにとどまらず「理解し共生する」というところまでいって初めて意味がある。
「性教育」って結局「共生の教育」なんだろうなって思います。
巷に溢れているような興味本位な「性」ではなくて、相手を理解するための「性教育」が行われるといいですね。
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2003/12/22(月)
第92回「性教育の難しさ」
「東京都内の養護学校や小中学校の性教育に都教育委員会が不当な介入をし、子どもの教育を受ける権利や教師の教育の自由などが侵されたとして、教職員や保護者、研究者らが東京弁護士会に人権救済を近く申し立てる。代理人の弁護士によると、申立人には、映画監督の山田洋次さんや脚本家の小山内美江子さん、東京大教授の上野千鶴子さんも含まれ、千人を超える」(21日付 朝日新聞朝刊)という記事が新聞に載りました。

「申立書などによると、都教委は、体の名前を並べた歌や人形を使った都立七生養護学校(日野市)の性教育を問題視して、教材や教具を没収。30人を超す指導主事を派遣して教師から教育内容など異例の聞き取りをしたという。さらに盲・ろう・養護学校を調査し、学級編成や性教育などで「不適正な実態」があったとして、校長ら116人を処分した。他の小中学校にも「性交を授業で扱わない」などの指導をし、教師を委縮させたという。申し立てでは、教材などを返すよう石原慎太郎知事と都教委に勧告し、教師らに圧力を加えないよう警告することなどを求めている」とのことです。

性教育はそれぞれの家庭で考え方が違うので、とても難しいですよね。“正解”みたいなものがあるわけではないので、どういうふうな授業をするかはいつも手探りです。一般的感覚からあまりにずれたことをすれば批判を浴びる。かといって保守的になれば性に対する意識は育たない。性に対して「誰が、どこで、どういう役割を果たすか」、それが問われているんだと思います。

それにしても東京都の処置は、わけわかんない。これは価値観の問題だから“処分”じゃなくて、どこまでも“話し合い”なのに…。こういう強権的な政治はちょっと怖いね。ただ、授業をやる側にも生徒に対するそういう強権性があったんじゃないのかなあ?ちょっとそういう気はするよ。

「ビデオを授業で使わせてもらおうかと思うんですけどいいですか?」
翔(かける)が小学校2年生のときのこと。担任の森泉先生から電話がかかってきました。
「どうぞ」
「ビデオは50分以上かかるんですよねえ。授業時間が45分なので、前後の休み時間を加えても、全部見せるのは無理かなあと思うんですよ。“見せて終わり”っていうわけにもいかないので…。それにまだ2年生っていうことを考えると長いかなって…。それで、授業としては“出産”ていうことの事前学習を充分にやって、出産の場面だけ使おうと思うんですけど、よろしいですか?」
「…。確かに53分なんで、授業時間に納めるのが難しいことはわかるんですけど、単純に“出産”がテーマのビデオじゃないですから。それだと曲がっちゃうなあ…」
「となりの増山先生とも相談したんですけど、“赤ちゃんはこういうふうに産まれてくる”っていうことで使わせてもらおうかなって」
「ん…。どうしても出産の場面のインパクトが強いんで、そうお考えになるのはわかるんですけど、“家族”がテーマのビデオですから…。どうしても全部っていうのは無理なんですかねえ? 2コマでやるとか…」
「そこまでやって理解できるかと…。まだ2年生ですから」
「私は逆に“まだ2年生だからなんの偏見もなく映像を真っ直ぐに受け止められる”と。まあ授業をやるのは先生方なんで、お任せするしかないですけど…。私としては全部見せてもらいたいっていう気持ちです。前後がないと全然違うものになっちゃうので…」
「大関さんのお気持ちはよくわかるんですけど…。もう一度増山先生と相談してみます」
「わかりました。ぜひ全部見せてもらいたいんですけどねえ」
「それと、内容が内容なんで使うっていうことになったら今度の保護者会で事前に保護者の皆さんにも見てもらおうと思うんですけど、いいですか?」
「そうですね。ウチとしてもその方がありがたいです。いろんなご家庭がありますから」

数日後の保護者会。
「増山先生と相談したんですが、やっぱり出産の場面だけということで」
「そうですか。わかりました」
「一応今日は、授業とまったく同じようにやって見せようかと思うんですけど。一応皆さんに了解していただくということで」
「ビデオの中で産まれてくる翔がいるわけだから、ウチも立場が難しいのでお任せしますよ。あんまり口を挟むわけにもいかないし…」
「すみません」

「皆さん、こんにちは。以前に性教育の授業を参観していただきましたが、今日の保護者会は今度行う性教育の授業をあらかじめ皆さんに見ていただくことにしました。幸い大関さんから“素敵なお産をありがとう”というビデオをお借りできましたので、それを取り入れた授業展開にしたいと思います。出産という内容のこともありますので、お考えがさまざまだと思います。今日見ていただいて、ご意見をいただければと思いますのでよろしくお願いいたします」

こんな予定じゃなかったのについつい長くなっちゃった。年を越して続きます。1ヶ月も間が空いちゃうけど、お楽しみに!
(文:大関 直隆)

2003/12/15(月)
第91回「教員のセクハラ防止策」
おいおいおいおい! 冗談じゃないよ!
数年前までは「教育先進県」なんていう感じで、いろいろ施策を打ってきた県教委も、最近はすっかり形無しだね。新聞を見てると、どうも埼玉県の教員の不祥事が多いような気がするよ。
こんなこと言うと「統計を取ったのか!?」なんて、県教委の人に怒られちゃいそうだから「いいわけ」しておくと、地方版に載ってるのは当然のことながら埼玉県のことだけだから、その分埼玉県の不祥事が多く感じるのかなあ? なんていうことにしておこうかな…。
私は見なかったんだけど、つい数日前にTVのワイドショーで、県教委が県内の教員向けに配った「セクハラ防止」用の啓発パンフレットのことが話題になったらしい。これがなんとセクハラやわいせつ行為をした時の処分の内容ばかりがクローズアップされているとか…。それがまた笑いものにされている。
その番組を見ていた妻なんて、私がトイレに入っているのに、
「ねえねえねえねえ、また県教委が変なパンフ作ったんだってよ!」
とわざわざトイレの前までやって来る始末。どうやらコメンテーターも一様に批判的らしい。
トイレの中から、
「ふーん。なんでまたセクハラとかわいせつ行為の事の本質とか、被害者に与える心の傷とかを言わないで、処分ばかりを強調するのかねえ? 処分が厳しいからやっちゃいけないっていうわけじゃないだろうに…。なんか発想が変だよね。刑法で定められた刑の重さが持っている犯罪抑止力みたいなものを全面的に否定するわけじゃないけれど、教育委員会が教員向けにそんな意味でパンフレットを作ったんだとしたら、生徒のことはどこかに飛んじゃってて、とても教育の世界で行われてることとは思えないね。でも、今まさに教育の世界が問題だらけなのは、まったくそこの部分の”生徒不在”で、教員の立場からしか教育行政が行われていないことだろうね。しかもそれがもっとひどいことになってるのは、行政も現場も自分たちの施策が”子どもたちのための施策”になっていると勘違いして、謙虚さを失ってることだろうね」

昨日(14日)の朝日新聞の朝刊に、その啓発パンフのことが載っていました。あんまり詳しい内容は載っていなかったんだけれど、「県教委によると懲戒処分の大半は交通事故、体罰、わいせつの三つが占めるという。交通事故と体罰のパンフレットは配布済み。これで”3部作”が完成した」んだって。その記事は、「県教委は、教職員によるセクハラやわいせつ行為の増加を受け、これにストップをかけるための啓発パンフレットを作った。わいせつ行為の事例や、懲戒処分を受けた場合の給与の損失額を掲載するなど、具体的で踏み込んだ内容だ」とおおむね好意的。
タハハッ、購読者に教員が多い朝日新聞らしい書き方だね。ウチもずーっと朝日新聞だから、こういう朝日新聞の感覚よくわかるよ。でもちょっと県教委の立場を「好意的に取りすぎ」に感じちゃったなあ。
懲戒処分ていうのとはちょっと違うけど、「罰があるからやっちゃいけない」って感覚って、教育の世界ではよくあるよね。例えば「忘れ物したら掃除」とか「××ができなかったらグランド3周」みたいな…。そういうふうに掃除とかグランドを走ることとかを罰にしちゃうと、なんだか掃除やグランドを回ることが”悪いこと”や”嫌なこと”になっちゃう。掃除だってグランド回るんだって、別に罰だからやるわけじゃないよね。”掃除をしたらきれいになって気持ちがいいよ”とか”ジョギングするのってとっても心地よいものだよ”とか教えるのが筋だと思うけど、違うかなあ???
これじゃあ、みんな掃除や走ることが嫌いになっちゃう。

セクハラやわいせつ行為の問題も、行為自体の卑劣さや被害者に与える心の傷をしっかりと認識することから始めないといけないと思うね。学校で罰を与えられる子どもたちだって、どうやって罰を逃れようとするかっていえば、”真面目にやろうとする”んじゃなくて、”見つからないようにやろう”とするのは、誰だって知ってるよね。
カハハッ!  ここだけの話だけど、私にも記憶がある。
先生方のセクハラやわいせつ行為が”より見つからないように”なーんてなっちゃったら、恐ろしいね。絶対にそんな先生は雇わないでほしいもんだね。
(文:大関 直隆)