大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。 |
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2003/05/12(月) |
第60回「おやじ子育て大学 その2」 |
土屋知事が学長としてのあいさつの中で、「お父さん、お母さん。お子さんと話をしていますか。一緒に食事をしていますか。一緒に遊んでいますか。一緒に笑い、泣いていますか。子どもが健やかに育つには、何よりもまず家庭が大切です。子どもにとって、親のあふれんばかりの愛情がなくては、健全な成長は望めません。今の若い方は知らないでしょうが、昔は、お風呂のある家は少なかったので、家族そろって銭湯に行きました。そこには近所のおじさん、おばさんがたくさんいました。文字どおり裸の近所づきあいがありました。子どもは地域社会のみんなで育てていくものではないでしょうか。みなさんも、もっと気軽に周りの人々に声をかけてみてください」と言っています。
確かにその通りです。けれども、これは実行できません。 「一緒に××していますか」と言われても、そんな時間はどこにもないんです。私の周りにお父さんが亡くなってしまったご家庭が何軒かあります。どこのお宅もお父さんが亡くなっても「何も生活は変わらない」と言っています。皆さん、とてもお子さんをかわいがっていたのですが、関わる時間がなかったのです。 昔風の銭湯などというものはどこにもないですよね。今の銭湯は大人の息抜きの場でしかないんです。そして「家族そろって」という部分にもまやかしがある。私は子どものころ銭湯に通っていた時期がありましたが、銭湯に行くのはいつも母親とで、父親と行った記憶はほとんどない。ここでも父親の存在はなかったのです。もちろん他の男の子たちも女湯に入っていました。私は「何歳までは女湯に入っていいんだろう」なんて考えていたこともありました。幼いころの私には、一人で男湯に入るということがとても大きな冒険であったのをよく覚えています。 25年も主夫をやっていると世の中の動きがとてもよくわかります。25年前のスーパーマーケットには、男性の姿は皆無でした。ところが最近は、かなりの数の男性が買い物に来ています。駅周辺の深夜まで営業しているスーパーマーケットなどでは、むしろ男性客の方が多いくらいです。もちろん主夫が増えたわけではなくて、既婚率の低下などから一人暮らしの男性が増え、男性が買い物に来ると考えられますが、そういうことだけではなくて、ここには男性の意識の変化があると思います。スーパーマーケットに来る男性の数だけを単純に比較したら、おそらく私が主夫を始めたころの数百倍くらいにはなると思います。どう考えても、一人暮らしの男性がそんなに増えたとは思えません。要するに、若い男性はスーパーマーケットで買い物をするということに抵抗がないんです。 これは子育てについても同じです。 PTA活動の中でも「父親不在」がよく話題に上ります。けれどもこれは意識の問題というより、PTAの活動時間と父親の自由な時間が重ならないという物理的な問題です。翔の通っていた中学校は、今年から「機械警備」に代わりました。小学校は私の記憶がはっきりしないほど以前から「機械警備」でした。「機械警備」になるとある一定の時間から後は学校に入ることができなくなります。教職員の勤務時間の問題からすると、当然の成り行きなのかもしれませんが、各地でPTAにおける父親参加が一つの問題になっている時に、夜間(といってもせいぜい7時、8時のレベルですが)の学校使用ができにくいとなると、父親の子育て参加という観点から見て矛盾していませんか。 土曜日の休日化にしても然りです。「家庭に帰す」的な発想があったはずなのに、必ずしも土曜日に父親はいない。あわてて受け皿作りを考える。けれども未だに受け皿は作れないまま、子どもたちは宙ぶらりんにされている。父親の「家庭」に対する意識は着実に変化しています。行政の役割は、父親の意識変革を促すことではなくて、父親が子どもと関われる環境整備をすることなのではないかと感じます。 たぶん、今の若いお父さんたちは子どもと関わる父親の方が「普通の父親」と思っているんじゃないのかな?私なんかは、「父親の子育て参加」をことさらに叫んでいる人たちの方が、子育てに参加していないような気がするんだけど、違ってる?子育てに参加したことのない人たちが、「他人」に子育てに参加”しろ、しろ!”ってあんまり言わない方がいいんじゃないのかな? まるで子どものころ勉強しなかった親が自分の子どもに勉強”しろ、しろ!”って言ってるみたいでみっともない!よね。 次回につづく。次回は土屋知事さんの言っている「地域の問題」と「父親の持っている子育て観」についてです。 |
(文:大関直隆) |
2003/05/06(火) |
第59回「おやじ子育て大学 その1」 |
「おやじ子育て大学」なんていうのが埼玉県のHPにあるなんて、ぜ〜んぜん知らなかった〜!
先日、朝日新聞に紹介されていたので、早速のぞいてみました。(埼玉県の公式HPから簡単にアクセスできるので、皆さんも覗いてみては?) う〜ん、なるほど… 県のHPを開くとすぐに目に付く割には、内容が貧弱? かな??? 子育ての中の父親像をどう描くかというのは、とても難しいことです。以前、英語の教科書の挿絵で、「いつも家事をしているのが女性」ということが、問題になったことがありました。男女共同参画の考え方からすると、単に現実を映したような挿絵は好ましくないということだと思います。何気なく触れる教科書の挿絵のようなものが人の潜在意識に大きく影響するのは当然のことなので、子どもの目に触れるものはとても慎重に作られるべきだと思います。県も男女共同参画社会づくりに、とても積極的に取り組んでいるように見えます。けれども、先日の県立高校の男女別学維持の決定(これにはいろいろ議論のあるところだと思いますが、ここで扱うととんでもないことになるので、別のところでということで。ただし、私は当然のことながら共学支持です)などの例を見れば、それが充分でないことも明らかです。この「おやじ子育て大学」を男女共同参画という観点から見ると、やはり英語の教科書的な部分が見え隠れするというのが、私の印象です。それは、「父親」「母親」の役割を規定してしまっているからです。 数年前に「父性の復権」(林道義著 中央公論新社)という本が話題になったことがありました。これを読んでどこか引っかかるところがあったのですが、検証しないまま読み流しました。もう一度読んでみないとよく整理はできませんが、確か「父性」というものの規定にとても強く抵抗を感じたのを記憶しています。(HP上できっちり反論してくださっている方もいらっしゃいますので、興味がある方は「父性の復権」でネット上を検索してみてください) 「おやじ子育て大学」もややこの嫌いがある。例えば、最初の『おやじ子育て大学とは』の中の「子どもとどうつきあっていいかわからない、あるいは、子どもが何を考えているのかわからないなど、お父さんを中心にとらえたページです」という部分。「子どもとどうつきあっていいかわからない」「子どもが何を考えているのかわからない」というのは、「父親だから」という悩みではないはず。私が今まで子育てをしてきた経験から言うと、こういった悩みを持っているのは父親ではなく、むしろ母親です。もし、父親がこういった悩みを持っているとしたら、おそらくそのお父さんは、「おやじ子育て大学」を訪れなくてもいい人だと思います。 また、そのすぐあとの「家庭での父親の存在感が薄くなり、社会の善悪のしつけがおろそかになってきたといわれています」のくだり。これは漠然とした社会認識から生まれる考え方で、根底に女性に比べて男性の方が理知的で道徳観に優れているとの暗黙の了解がある。男性が社会の善悪のしつけをするというのは事実ですか? これを真っ直ぐに受け取れば「男性中心の封建的な古き良き時代」というふうに聞こえますよね。まずこのメッセージを書いている人の意識の中にはっきりと男女の棲み分けが存在してしまっている。昔、本当に父親がしつけをしていたのでしょうか?私はあまりそう思わないのですが…。昔の父親は、妻に対しても子どもに対しても、ただ自分勝手に振る舞っていただけだったのではないでしょうか?「そのツケが、今来ている」、そう捉えることだってできませんか?そういう子育てをされてきた世代が父親になっているわけだから…。 このジャンルは私が最も得意(?)なところなので、どうしても長くなっちゃいます。2回で終わるかなあ? 3回くらいになっちゃうかなあ???とりあえず、次回につづきます。 |
(文:大関 直隆) |
2003/04/28(月) |
第58回 「ウチの子には小児科医になってもらいたい」 |
25日の朝日新聞・朝刊に医師国家試験のことが載っていました。ちょっと長い引用になっちゃうけど、あんまり切れるところがなかったので…。
「厚生労働省は24日、今年3月に実施した医師国家試験の合格者を発表した。視覚障害のある男性が初めて合格。最高齢の合格者は66歳の男性で、調査を始めた86年以降で最年長となった。 〈中略〉 心身の障害を理由に資格や免許の取得を制限する法律が政府全体で見直され、医師国家試験は01年7月の法改正で目や耳などが不自由な人の受験が可能になった。厚労省の検討会が昨年11月、問題の読み上げや試験時間の1・5倍までの延長を認める特例受験の方針を決め、3月の試験で初めて3人の視覚障害者が受験した。今後、厚労省は専門家らによる委員会を設置し、合格した男性からどの分野を目指すのかなどを聞き、医師としての業務が可能か判断し、免許を与えるかどうか決める。米国には全盲の精神科医がいるという。 〈中略〉 最高齢の合格者となった66歳の男性は昨年3月に熊本大学医学部を卒業した。これまでの最高齢は62歳の女性だった。」 ヒャー、びっくり! 66歳でお医者さんになるなんて、信じらんなーい!!今までの62歳っていうのも相当すごいと思うけど、それを一気に4歳も上回っちゃうなんて!(スピードを競ってるものとは違うからちょっとこの言い方変かな?)視覚障害があって合格したっていうのもすごい!この人は足と手指にも障害があるんだって。いやいや、世の中にはすごい人がいる。私もまだやれるかなあ???頑張っても、あんまり可能性ないね。 親は子どもにけっこう期待をしてるから、こんな職業についてもらいたいなんていう希望はそれなりに持ってる人が多いですよね。小学生のお子さんを持つお母さんが、「小児科医が足りないでしょ。だから、ウチの子には小児科医になってもらいたいの」と言った。 かなり優秀なお子さん(一浪して今年希望する大学に合格した)を持ったお母さんが言った。「医者はねえ、大変な割に給料が安いでしょ。月に100万くらいじゃあ、商社だって同じ。なるまでにかかるお金を考えたら、医者はねえ…。開業なんて親が開業医じゃないと無理だし」夫が職人で、ある程度成功している(ベンツに乗り、ロレックスの腕時計をしている)奥さんは、なんとか子どもを私立中学に入れようと思ってるけれど、「やっぱり医者の妻になった方がよかったなあ…。子どもがねえ…」 確かに医者ってなるの大変だし、だから一般的に言って社会的身分も高いし…。でも、社会的身分の高い職業に就くのが幸せかっていうとなんか違うし、じゃあ、ベンツに乗ってロレックスして、お金があったら幸せかっていうとそれもなんか違う。結局、何が幸せかっていったら、自分の好きなことをやって自分の生き方を貫くことかなあ???親が子どもの人生を決めるんじゃなくて、子どもには自分の人生をしっかり作っていける能力を身につけさせてやりたいね。ウチの子どもたちは、長女が油絵、長男がバレエ、次男が演劇、次女が子持ちのバツイチ、三男がゴルフ。みんな勝手なことをやってる割に、あんまり幸せそうには見えないなあ??? みんなお金に困ってる。やっぱりお金も大事かなあ??? 66歳のお医者さんも自分の持っている力を存分に発揮して、満足のいく人生が送れるとといいね。 |
(文:大関直隆) |
2003/04/21(月) |
第57回 「立候補のちところにより時々あみだくじ」 |
桜も終わって、いよいよ緑も濃くなってきました。今年はやたらと忙しくて、ゆっくりお花見もできなかった(;_;)花粉症がひどいので、お花見の季節はどうしても気が重いんだけど、「お花見をしなかった」ってなると、これがまたちょっと寂しい…。人間なんて勝手なもんだね。
90歳を過ぎた義父と、間もなく90歳になろうとしている義母が、未だに二人で暮らしています。普通だったら当然のように介護にあたらなくてはならない年齢なのに、元気でいてくれるのは、とてもありがたいことです。そんな義父と義母のために私が運転をして、年に数回旅行に出かけます。春のお花見、夏の海、そして秋の紅葉。二人が元気で私に時間がある時は、プラスα。二人とも車に乗ることをおっくうがらないので、かなり遠くまで出かけます。去年のお花見は、「弘前」と「角館」、紅葉は鳴子狭(本当は乳頭温泉に泊まって「八幡平」だったんだけど、父が体調を崩してしまい、松島に泊まって「鳴子狭」になっちゃった)。 今年はわが家の近場でのお花見ができなかったから、残るお花見のチャンスはこの両親を連れてのお花見だけ。ただ、年明けにかなりひどい肺炎を患って”危なかった”義父なので、「今年はあまり無理をせず」なんて、私の都合がつく4月末でもお花見のできる所を一生懸命探していました。そうしたらなんと!「オレは遠くに行けないほど年寄りじゃない」って義父が言ってるっていうから、どうやら今年も「角館」になりそう。 お花見は難しくて、一日ずれても「がっかり」ってなっちゃうので、場所が決まると今度は開花予想と天気予報との”にらめっこ”。今は毎日ネットで「角館」の桜情報を見ては、両親に報告しています。去年は2日くらい遅かったので、”今年は”って思うんだけど、今年もかなり微妙な情勢なんだよね、これが。ちょっと寒い日が続いてくれるといいんだけど…。 前置きがなが〜〜〜〜〜かったけど、さてこの季節、どこの学校でも懇談会でPTA役員を決めていることと思います。たぶん、どこの学校も同じだろうけど、これが毎年悩みの種。役員になるのがイヤだからって、懇談会に出席しない人までいて…。だいたいクラスで5、6人の役員を選んでいるんじゃないかと思うけど、2、3人は決まっても、最後の1人、2人になると、これがなかなか決まらない。特に”広報部”なんて残った日には大変なことになっちゃっう。出席した人が損をしないようにって、来てない人も含めて『あみだくじ』なーんてね。 こう言うと、「当たり前ジャン! そうしないと不公平だよ」っていう人も多いんだろうけど、どこか変。PTAなんて”国民の義務”じゃないんだから、そんなにみんながやりたくないPTAなら、なにも無理してやらないでぜーんぶやめちゃえばいいんだよね。『任意』だっていう本質から考えれば、本来は”やらない人が損”ってならなきゃおかしい。どこかで論理が逆転しちゃってるわけだよね。「何のためにPTAがあるのか」って考えた時に、「子どものため」って答えが返ってくるとしたら、役員をやろうとしない人って「子どものことを考えてない人」っていうことになっちゃう。相当ひどい親だよね。 そうは言っても、なんでそんなことになっちゃってるかっていうと、PTA活動の中身が「子どものため」になってないからだよね。それは個々の親にも責任があるし、PTAを引っ張っている人たちにも責任があるし、PTA活動に参加しようとしない教師にも責任がある。当たり前のことだけど、親は誰だって「自分の子の幸せ」を願って行動する。それは全然悪いことじゃない。でもここで重要なのは「自分の子だけ」が幸せになれるなんていうことがあるかっていうこと。”自分の子はいじめられていなくても、いじめられている子がいる”、”自分の子は元気に学校に行けていても、学校に行けない子もいる”。一見、自分の子にとってはそれでもいいような気はするけれど、そんな環境の中にいる自分の子どもが幸せなわけがない。結局、自分一人の幸せなんてあり得ないんじゃないのかな? ちょっと大げさな言い方をすれば、アフガニスタンや今回のイラクを見てみれば誰だってわかることだよね。一人一人がもう一度「子どものため」っていうことの意味を真剣に考えて行動をするべきなんじゃないのかな。 役員をやることが”義務”だって思っている人もいるんだろうけど、”権利”だっていうことをもう一度考えて、PTAを見てみると”目から鱗”っていうこともあるよ。中には役員を引き受けたいって思っていても、いろいろな事情で引き受けられない人もいる。そういう人に、実にくだらない『PTAの作業』を押しつけたりせずに、そういう人のことも考えてあげられる、そんなPTAにならなくちゃ嘘だよね。『他人(ひと)のことを理解して、助け合える』それがまさに教育の原点でしょ。そんな単純で当たり前のことができないPTAなんて、本当にいらなーーーーい!! 週間予報によると、東北地方はここ一週間あまり天気のいい日はないらしい。出かける予定の29日までなんとか花が持つといいんだけど…。 「今年の役員決めは、立候補のちところにより時々あみだくじ」でした。「来年の役員決めは、ところにより時々立候補のち全域で激しいあみだくじに見舞われるでしょう」なんていう『長期予報』が流れないといいけどね… |
(文:大関直隆) |
2003/04/14(月) |
第56回「校庭の開放」 |
「ピッチャー投げました」
「バッター打ちました」 「これは大きい! 大きい、大きい! 大きい、大きい! フェンスを越えました!」 その途端、『ガチャーン!』 「わーっ、やばいよ!」 「どうする?」 「しょうがないよ。みんなで謝りに行こうよ」 先日、ドン・キホーテの近くを通ったら、子どもの頃のこんなシーンを思い出しました。 私が子どもの頃、今はドン・キホーテになっているところのすぐ近くに、ちょっとした空き地があって、よくそこで野球をしていました。野球といってもゴムボールを使ってやってる三角ベースのたわいのないものだけれど、そんなに広いところじゃないので、すぐに塀を飛び越えて、どこかのお宅に飛び込んでしまうわけ。もう35年くらい前の話だから、そこにあるお宅もただのトタンの塀で、ガラスが割れたりしなければ、どんどん入っていってボールを取ってくることはできました。けれどもガラスを割っちゃったとなると、ボールだけ取ってくるわけにもいかなくて、この時はきちんとみんなで謝りました。 でも今考えると、弁償した覚えがないなあ??? 年齢が大きくなると、そこの空き地では収まらなくなって、だんだん小学校の校庭で遊ぶようになりました。 私が子どもの頃は、夏はソフトボール、冬はサッカーという季節によっての棲み分けができていました。 「ほら、俺がノックしてやるから、みんなあっち行って取れよ」 時にはラーメン屋のお兄さん、時には小学校の用務員さん(今は校務員さんとかいうけど)が、相手をしてくれました。日曜日は、一人で学校に行っても遊び相手に困ることはありませんでした。子ども同士でぶつかって、鼻血を出しちゃうなんていうこともしょっちゅうありました。もちろん休みの日は保健室なんて入れないので、 「おい、だれかティッシュ!」 なんて言って、鼻にティッシュを詰めて、しばらくじっとしていたものでした。 「このごろさあ、パンダ公園危なくて…」 子どもを二人連れて、近くの公園(小学校の正門の真ん前で、パンダの遊具があるのでパンダ公園と言っています)によく遊びに行く麻耶(まや)が言います。 「なんで?」 「小学生がサッカーやってるんだよ。すごい勢いで走ってきたり、ボールが飛んできたり…。蓮(れん)の他にもやっと歩き出したくらいの子が4、5人はいるんだけど、みんなお母さんがピリピリしてるよ。あんまりひどいから、『ここは小さい子が遊ぶための公園だからボール遊びはやめて』って言ってやった。『はい、はい』とか言ってその時はちょっとおとなしくなるんだけど、5分も経たないうちに元に戻っちゃうんだよ。なんで学校でやらないんだろうねえ?」 「日曜日だから、大人のソフトボールと少年野球で校庭を使っちゃってるんだよ」 「普通の小学生が使えないの変だよねえ。自分の学校なのに…」 これは、以前からずっと問題になっていて、私が小学校のPTA会長をしている時も、校長先生とずいぶんお話をしました。地域への開放が進む小学校は、今では子どもの遊び場というより、大人の遊び場と化しています。うちの地域では、学区内にあるのは幼児が遊ぶための公園が二つだけ。その一つがパンダ公園で、実はそこも半分はゲートボールで使われているのです。 そんな麻耶との会話があって数日後、中学校のPTAの人たちと話をしていた時のこと。 「うちの息子がさあ、小学校の校庭で遊んでたらここで遊んじゃいけないって校務員さんに怒られちゃったんだって。許可をもらってからじゃないとダメだって。もう高校生だからさあ、小学生にケガさせちゃいけないからしかたないとは思うけど、卒業生が校庭の隅の方でちょっとボール蹴るくらいでもダメなのかなあ…」 「違う違う。小学生でもいけないんだよ。土・日は校庭で遊んじゃいけないことになってるし、平日でもいったん学校から家に帰ったら、もう校庭で遊んじゃいけないの。ウチの子なんかそれで怒られたんだから」 これにはビックリ! いったい誰のための、なんのための学校なんだろう??? 今日も小学校の校庭では、ちゃんと許可をもらった大人たちがソフトボールをしていました。 |
(文:大関直隆) |
2003/04/07(月) |
第55回 「学校の桜」 | ||||||||
桜満開!!
3月始めに「みんなの掲示板」に桜の名所の問い合わせがあったので、氷川女体社と見沼代用水沿いの桜のことを書き込みしといたけど、今日(6日)は私もそこを通っちゃった!(車だったからちょっと残念だったけど…) いやいや、すごいすごい!! 氷川女体社の周りは人もすごいけど、桜満開!! 今度の日曜日だとちょっと遅そうだけど、まだ6、7分なんていう木もあって、今週半ばくらいまでは充分楽しめそうですよ。 私(わたし)的(たまにはこういう使い方もいいかな?)には、北宿通りからさいたま市立病院の裏を見沼代用水沿いに南へ行くコースがお奨めかな? 時間があるんだったらそのまま「氷川女体社を通って越谷街道まで歩く」なんていうのはいいと思うよ。これは歩くのが得意な人向き。もちろん「途中止まりながら車で」なんていうのも悪くないかな? でも歩ってる人にはちょっと迷惑かけちゃうけどね。 私は実家が「原山」なので、子どものころ、桜と言えば「原中」(原山中学)か「桜並木」の桜だったんだよね。もう30年以上も前の話で、原中の校舎はまだ木造。グランドが上下に分かれていて、そのグランドの周りはぜーんぶ桜。以前敷地の北側にあった校舎は建て替えられて、今では南側に。桜も越谷街道に面したわずかが残るだけになっちゃった。 「桜並木」なんてもっと悲惨。駒場スタジアム(私たちは「駒場サッカー場」って言ってるけど)の北側を通って競馬場の方へ流れていた谷田川沿いの通りが「桜並木」(っていう固有名詞になってた)だったんだけど、今では谷田川に蓋をして、桜の木を切ってしまったので桜は全然残ってない…。 やっぱりちょっと寂しいよね。今ごろ残っていれば、どっちも古木でいい桜だったと思うんだけど…。 今、住んでいるのは川口市だけど、さいたま市のすぐ隣で、川口市立芝中学校からそう遠くないところ。この芝中学校は地域では有名な桜の名所で、たしか夜はライトアップしてるんじゃなかったかな? 以前は桜の時期でも学校を開放するっていうことはなかったんだけど、一連の学校開放の流れの中で、数年前から桜の時期はグランドを開放してるんだよね。 妻の埼玉大学の同級生が芝中学校の校長先生をしていた時に、「桜の時期はグランドを開放することにしたんだよ。満開の時はすごいだろ、やっぱり地域の人にも見てもらわなきゃな」って言ってたような気がする。まあ、あんまり定かじゃないけど、そんなことで校庭が開放されたんじゃなかったかな??? 今朝、定期点検に車を持っていこうとして、妻と一緒に芝中学校の方向へ向かって家を出たんだけど、妻が「芝中に寄って行こうよ。学校の外を通るだけじゃなくて、校庭まで上がる(坂を上って高いところに校舎とグランドがある)とすごくきれいだよ」って言ったんだよね。 「そうだね」って私は答えたのに、無意識にその手前の道を左折しちゃったわけ。けっこう私は花を見たり、紅葉を眺めたりするのが好きなのに、なんで左折しちゃったんだろう? そこで考えてみた。 そうしたら、わかった。 「桜並木」は桜を見るために行ったことがあるけど、原中の桜は、生徒として学校の中から見てた桜だったんだよね。特別に桜を見物に行って見たわけじゃない。 たぶん芝中の桜は、見に行くものじゃないって感じたんだよね。それはどうしてかっていうと、なんとなく学校の桜って学校っていう権威の象徴のような感じを受けちゃうから。芝中はね、妻が言うには校門のところに記帳するためのノートがあるらしい。もちろん、それが見物に訪れた人を管理するものじゃないことはわかっているけど(でも、なんのためにあるのかな? 数でもカウントしてるの?)、桜を見るのに記帳は必要ない気がする??? どうしても、「見せてやる」っていう姿勢を感じちゃうんだよね。 考え過ぎかなあ??? やっぱり学校にはどこかそんな姿勢があるんじゃないの??? 見沼の桜、すごくきれいですよ。
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(文:大関直隆) |
2003/03/31(月) |
第54回 「親の役割、教師の役割」 |
年度替わりで、幼稚園や学校ではいろいろなことがあったんじゃないかなあ???卒園式、卒業式はもちろん、担任の先生やクラスのお別れ会とか、転校する子のお別れ会とか…。
学校全体でやってる学校行事は「学校」がやっているので、内容に不満はあるにしてもそれほど大きな問題はないと思うんですが、「クラス」っていうのはけっこう問題があるんですよね。先生と子どもたちだけでやってる場合はいいんですけど、小学校(特に低学年)はそこにPTAの役員が絡む場合がけっこうあるでしょ? ある学校で、担任の持ち上がり(最近は1年で替わることがほとんどだけどね)がないことがわかっている学年で、クラスでお別れ会をやったんですって。そこの学校はかなりPTAのお母さんたちが熱心(?)で、各クラスの企画をほとんどお母さんたちがやっちゃうらしいんですよね。特にそこのクラスの役員さんは大いにリーダーシップを発揮する人で、お別れ会の企画から進行まですべてやってたらしい。もともとの発想は「クラスのお別れ会」だったはずなのに、親が企画するんだから当然といえば当然、担任の先生の謝恩会さながらで、感謝の言葉あり、先生に対する別れの歌有り、花束贈呈有り…。 ところがこの先生、親からの評判は最悪だから、もうやらせもいいところ。もちろん、子どもたちにはそんな悪い先生なんていう気持ちはないわけで、「お涙頂戴」の演出で女の子の中には泣き出しちゃう子までいて…。 「ハーイ、みんな立って! 先生にお別れの歌を歌いましょう!」 「××ちゃん、そこじゃあ顔が隠れて映らないから、もっと左によって…」 「一人ずつ順番にお花を渡しましょう!」 ここまでやっちゃうと、もう完全にやり過ぎ。 まあ私立の幼稚園の役員さんには、幼稚園からある程度の委任があると思うんですけど、公立の小学校PTAとなるとちょっと役割が違うんじゃないかな?ここぞとばかり、「お母さんの自己表現の場」になってる。私はいつも「PTAは直接子どもと接しないこと」って言ってきたんですよね。それはなぜかというと、学校や先生に対してはそれぞれ意見が言えるけれど、PTAの役員に対しては言えないでしょ? もし、自分の子どもが誰かのお母さんに、かなり強い口調で怒られたり、指示されたりしたら気分が悪い。教育観が近くてかなり信頼関係のできている親同士ならともかく、「子どもをどう育てるか」という教育観がまったく逆だったりすると、かなりムッとくる。特に文化系的な子育てをしている場合、体育会系ののりで指導されたりすると、子どもも親も拒絶反応を起こす場合がありますよね。 学校の先生だったら、どの子にも同じように接する義務があるし、また実際そうしてる(たまには「えこひいき」っていうのもあるけれど、それはちょっと違う次元の問題だから)と思うのですが、PTAのお母さんたちでそこにいる一人一人の子どもたちの性格や家庭の子育てのありようまで考えて接してる人なんていないんじゃないかな? どこかの公園で会ったとか、道ばたで会ったとかいうような個人的レベルなら、もちろんかまわないんですよ。学校という組織の中で集団教育というもののやり方のわからない親が、個人的価値観で子どもと接するということは、半ば強制され、欠席することも難しい、文句を言うことも難しいという状況の中では、行事そのものがない方がいい。いつもそう感じます。 翔(かける)の学年は、小学校の時全員でたった43名の学年でしたが、小学校の6年間に一人のお母さんと二人のお父さんが亡くなりました。両親ともいなくて、おばあちゃんが育てていたお子さんもいます。どこのPTAでも、子どものためとか、参加者を増やすためとかいう名目で、親子を対象にした行事をやっていると思いますが、親が参加できない家の子どもたちがどんなに負担を強いられているかなんて、普通に参加できるお母さんたちにはちゃんと理解ができないんじゃないかな? 学校行事はしかたないとしても、会費を払っているのに子どもの心に負担をかけてしまうようなPTA行事なんて本当に必要?自己表現ができるからって、PTA行事をあんまりパフォーマンスの場にしないで、親の役割・教師の役割をふまえて行動した方がいいんじゃないのかな…。 |
(文:大関直隆) |
2003/03/24(月) |
第53回 「教師の話 その3 −優遇される教師−」 | ||||||||||||||||
午後7時半。
「直隆さん帰ってる?」 「まだだよ。もうちょっと遅くなると思うけど…。食事しちゃってればいいよ」 食事が終わって、午後8時半。 「まだ帰ってこないのかなあ?」 「もうそろそろ帰ってくるんじゃないかなあ。今日はちょっと早く帰ってくるって言ってたから」 「いつもこんなに遅いの?」 「だいたい毎日10時過ぎだよ。9時まで教室やってるでしょ。すぐに生徒さん帰るわけじゃないし、そのあと、片付けして帰ってくればだいたい10時半かな」 「毎日そんなに遅いんだぁ?」 「そうだよ。それから食事だからね」 私に用があった妻の妹は、私の帰りが遅いことにちょっとびっくりした様子。 午後9時。 「ただいま」 普段より1時間以上早く帰ってきた私は、それから義妹と話をしながら食事をしました。話がいろいろな方向へいって、長女(弘子)の結婚のことに。 「弘子が、マンション借りるのにチャコちゃん(義妹)に保証人頼んだんだって?」 「『いいよ』って言ったけど」 「二人立ててくれって不動産屋に言われて、向こうはお父さんがなるって言ってるらしいのに、こっちは叔母でいいのかって言ったんだけど、向こうのお母さんがまだあんまり賛成じゃないらしくて、こっちは親じゃない方がいいとか言ってるから、ちょっと迷惑かけるけどよろしくね」 「不動産屋に教員だったら、全然問題ないって言われたらしいし、私はかまわないから」 そんなわけで、義妹が長女のマンションの賃貸契約の保証人になることになりました。 今回のことはちょっと事情が違うんだけれど、わが家では私が専業主夫をしていたこともあって、不動産関係の保証人になるのはほとんど妻。もちろん今は私にも収入がないわけじゃないから、私が保証人になってもかまわないんだけど、「教員」っていう方が通りがいいんですよね。公務員だから大きく給料が下がるなんていうことは考えにくいし、だいたい教員はかなり高給。妻の退職前の年収は1,100万円くらいだったし、退職金は3,000万円を超えてる。義妹(48歳)も年収800万円を超えてるらしい。弘子も今年の1月で退職するまで公立の養護学校で常勤講師をしていたんですけれど、常勤講師に採用されて2年目なのに600万円もらってて、弘子自身も「こんなにもらっちゃっていいのかなあ?」と言ってました。 賃金が高いか安いかなんていうのは、もちろん金額だけでは決められないけど、いつも「教員は忙しい」って言っていた義妹が実際に私の帰りが午後10時過ぎなのを目の当たりにして、今まで忙しいって言ってたのが嘘のように「忙しい」って言わなくなっちゃたんですよね。私の周りには教員が多いので、小・中・高の教員の勤務実態をかなり知ってるけれど、今の給料で、忙しいって言うのはやめた方がいいんじゃないのかな? 保護者会に行くとよく先生方は言うんですけどね。パートで働いているPTAのお母さんたちと比べれば、フルタイムなんだからそりゃあ確かに忙しいけれど、1,000万円近く取ってるっていうことになればちょっと話は違ってくるんじゃない。妻は市立高校だったこともあって、若干給料は高めだったみたいだけど、そんなに違ってるわけないんだから。その上、長期休業もいっぱいあるしね。本当は「勤務を要する日」なのに誰かに管理されてるわけじゃないから、休み中に行く行かないはほとんど自分の裁量だし…。東京都は夏休みも勤務をさせるっていうことになったらしいけど、まあ当たり前。それにしたって生徒はいないわけだしね。 妻が勤務していた高校では1年生を全員スキーに連れて行っていたんだけど、学年の先生10数人のほとんどがスキーが達者なんですよね。妻も1級で、妻を先頭に先生方でたいまつを持ってV字滑降してきたっていうからすごい! 生徒も感動したらしいからとってもよかったと思うんだけど、教員てそれくらいみんながスキーが滑れるようになる環境で勤務してるんだっていうことを忘れないでほしい! もちろんウチの子どもたちも埼玉に住んでるにしてはスキーは達者な方なんじゃないのかな? 私が一番下手。 つい先日、女性の指導主事の方と話をしていて、妻が教員で私が専業主夫をしていたっていう話をしたら、私が男なのに家事を受け持たなければならないほど「先生って忙しいから大変ですよね」って言われちゃったんですけど、私は「妻を他のお母さんと比較したらフルタイムなので忙しいかもしれないけれど、普通のお父さんと比較したらかなり楽ですから」って言ったら黙っちゃいました。 教員は教員の世界だけを見るんじゃなくて、もう少し社会全体を眺めて自分たちの置かれている立場を考えた方がいいんじゃないのかな?実態を知ってる者からしたら、誰がなんと言っても教員は勤務が楽なのに給料がよすぎる! もう少し勤務実態とか労働条件とかを公にして、その上で社会的論議をしたら学校もよくなるんじゃないかと思います。自分たちの権益だけを守ることに終始して、その負担を子どもたちに押しつけているとすれば、子どもたちが荒れるのは当たり前ですよね。 勤務が楽で給料がいいからって教員になる人を採用するんじゃなくて、本当に子どものために働いてくれる人を採用するような体制に改めないと、ろくな学校はできないよね。
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(文:大関直隆) |
2003/03/17(月) |
第52回 「教師の話 その2 −教師の感覚−」 | ||||||||||||||||||||||||
尾道市立高須小学校の校長先生の自殺は大きな波紋を広げています。インターネットで検索してみたら、高須小学校のHPがあったので、覗いてみましたけれど、相当教育内容に自信のある学校のようですね。ここまできちっとHPを作っている小学校っていうのは少ないんじゃないのかなあ…。(今、「高砂小学校」で検索したら、高砂小はHP持ってないのかな?出てこないや)こういう学校は民間出の校長では誰が考えても無理ですよね。(ぜひHPを見てください)
今の教育界に問われていることは大きくわけて二つあると思います。一つは政治や官僚、病院などにも蔓延しているやる気のなさやモラルの問題、もう一つは先生方の偏った教育観(どういう子どもを育てるか)の問題だと思います。HPを見るだけではやる気やモラルの問題は見えてきませんが、教育観の問題はよく見えます。高須小学校のHPを見る限り、先生方は教師という枠の中での強い教育観を持っていて、教師の価値観、教師の都合で子どもを動かしているんじゃないかということがとても気になりました。おそらく校長先生は、そういった教師の価値観や教育観にかなりの違和感を持っていたんじゃないんでしょうか。このことだけでも言いたいことがいっぱいあるんですけど、また折に触れ述べたいと思います。 さて、『教師の感覚』。 わが家はかなり車に乗る方だと思うんですよね。おもに私が使っている車は年間3万q、おもに妻が使っている車も年間1.5万q。これくらい乗っているとどうしても事故に遭う回数も多くなります。自分ではぶつけたことがない(いやいや、ちょっとどこかの柱に当てたなんていうことはもちろんありますけど)のに、信号待ちで停車してたら後ろから追突されたとか、駐車場に止めておいたら当てられたとか、そんなたぐいの事故は結構あります。免許を取ってから、何回事故にあったかは定かでないけれど、すごく印象に残っている事故が3件あるんですよね。なぜかというと修理代を払ってもらうのにとっても苦労したからです。1件は私の車も動いていた(駐車場の中ですけどね)んですけど、あとの2件は駐車場で乗っていないときに当てられたんです。3件とも相手は学校の先生。どう見たってどの車がどう当てたかまではっきりわかるのに、「私はぶつけてない」。当てたのを認めたら今度は「これくらい大したことないじゃないですか」。そして見積もりを出したら「私が当てたところ以外の傷も入ってるんじゃないですか」とくる。 オイオイ! お前が当てたんだよ!!! 冗談と思うかもしれないけれど、これ本当ですよ。他の事故ではそんなこと言われたこと1度もないのに…。1件は「払う、払う」って言いながら結局修理代もらうまでに3年かかったし、もう1件は、ちょうどその車を廃車にして買い換えるところだったので、「いいですよ」って私が言っちゃったのも悪かったんだけど、菓子折ひとつ持って来ない。もし修理したら間違いなく20万円以上はかかる傷でですよ。あきれちゃって、あきれちゃって…。教師の常識ってなんなんですかねえ??? 教師のセクハラ(というより性犯罪かな?)がよく問題になりますけど、半年くらい前でしたっけ、たしか所沢の方で女子生徒を送っていくって車に乗せて、触りまくっちゃった先生。普通だったら明らかに刑法犯で、社会的に抹殺されちゃうくらいのことなのに、たしか停職3ヶ月(6ヶ月だったかな?)。これで学校に戻られたら、たまったもんじゃない。ある男の音楽の先生。「セクハラ? 何それ? 私なんか女生徒に触り放題だよ」と公言する。子どもが通っていた小学校では、修学旅行で女の子の布団で一緒に寝っちゃった男の先生がいた。 精神的不安定を理由に、校長が担任から降ろした先生がいた。ある時、子どものクラスの一番後ろの机で研修をしてるから、校長に「何であそこにいるんですか」と尋ねたら、「いったんは職員室に引き取ったんですが、子どもと接していないともっと情緒が不安定になって、ナイフでも振り回しそうなので、一応教室に戻したんですよ」。 これはちょっと極端な例だけど、本当に私が経験したことの一例です。しかもまだまだあげればきりがない。もちろん一生懸命おやりになってる先生方もいるわけで、全部が全部ひどい先生ということではないけれど、こういうことが許されているという事実は、私たちもしっかり認識していかないといけないですよね。 さらに「教師の話 その3 −優遇される教師−」につづく
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(文:大関直隆) |
2003/03/10(月) |
第51回 「教師の話 その1 −教師が教師を評価する−」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ただただ批判をするのは、気持ちのいいものじゃないし、「人の悪口」って読者のみなさんも聞きづらいものだから、あんまり露骨な批判は避けてきたけれど、息子も中学を卒業することだし、ここのところ教育界の動きがけっこう急なので、この辺りでちょっと私の思っていることを言っておこうかなあ…。
というわけで、教師の話。 私はニフティを使っているんですけど、ニフティには「ニュース・クリップ」という機能があって、速報ニュースをあらかじめ自分で設定したキーワードが含まれている記事ごとにクリッピングできます。私は「教育」とか「医療」とか「家族」とか、いくつかのテーマを自分で設定したキーワードでクリッピングをしています。これがけっこう便利で、キーワードの設定を変えれば、かなり細かい記事の分類ができるので、無駄を省いて「必要な記事にだけ目を通す」ことができるし、見方を変えると「必要な記事を確実にピックアップ」してくれるとも言えます。 さて、少し前(2月25日)になりますが、毎日新聞の「教員の人事考課」の記事が「教育」のところにピックアップされました。この記事の内容は、「人事考課をする側の管理職は、なぜそのような評価になったのかの説明責任をきちんと果たせ」という内容の記事でした。最近、教員の不祥事や勤務態度不良の教員への風当たりが強くなり、人事考課を実施する自治体が増えてきているそうですが、果たしてどの程度意味があるのやら…。 おそらく、評価をされる教員の中では、評価をする管理職の能力を疑問視する声が多いのだろう(それはもちろんですが)けれど、私はそれよりも評価をする管理職も所詮教員であるということの方が問題だと思っています。教育界というのは非常に閉ざされた世界なので、教員以外の人が教員を評価するというのはとても難しいことではあるけれど、誰のための評価なのかということを考えると、教員同士では難しいのでは? 教師から見ていい教師というのは、多くの場合子どものことを考えているように見えても、教師の権益を守る教師でしかないことが多いと思うからです。 管理職対教諭という関係だけでなく、現場対行政という点でも問題があります。 例えば、学校でトラブルがあったときに、話を教育委員会に上げた(もちろんそんなことをせずに学校の中で解決できる方がいいに決まってはいますが)とします。親の方からすると学校よりも上の機関に上げたのだからなんとかなると思うかもしれませんが、これが難しい。管理職試験に受かって、教頭、校長になる前に教育委員会に勤務することが多いので、自分より先輩に当たる現場の校長を指導することはとても難しいのです。実際、私も教育委員会と話をして、「校長を指導するのは難しいんですよね」と具体的に言われたことがありました。そういった教育界の構成の問題を解決しないと、どんなに人事考課をしたとしても意味があるとは思えないのです。 例の池田小学校の事件が起こる前は「開かれた学校」なんていうことがよく話題になっていました。けれども、あの事件以来「開かれた」という言葉をあまり聞かなくなりました。あの事件の時に、ある学校の校長が「ウチの学校は、開かれた学校ということで塀を取り払ったのですが…」などという話をしていましたが、言葉遊びをしているのではないのだから、そんなくだらないことを言っていないで、本来の意味の「開かれた学校」を目指していかないと子どものための教育は死んでしまうのではないかととても心配です。 ちょうど、この原稿を打ち始めたときに、広島県尾道市で民間から登用の小学校長が学校の非常階段の手すりにロープをかけて首をつって自殺した、というニュースがクリッピングされました。毎日新聞によると「自分の教育理念通りの学校運営ができず、悩みを周囲に漏らしていた」とありましたが、これがきっかけになって「学校って、民間の人間には務まらないほど大変なところなんだ」なんて、ならないといいのですが…。 ずっと教員の夫をやってきた私としては、とてもそんな風には感じていないので。とてもお気の毒です。 次回「教師の話 その2 −教師の感覚−」につづく
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(文:大関直隆) |