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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2002/12/10(火)
第40回 「なにやってんだか、未だに離婚に冷たい行政」
「児童扶養手当」って聞くと、誰でも漠然と知っていますよね。国の制度として母子家庭に支給される手当で、市(町村の場合は都道府県)が窓口になっています。

「児童扶養手当」を受けようとする人は、まず市役所の担当課の窓口に行き申請をして、審査を経て受給できるようになります。今年の8月から制度が改正されて、これまで受給限度額は2段階に分けられていましたが、今回の改正で収入に応じて小刻みに分けられることになりました。

この辺の制度については、あまり詳しくないので詳しく知りたい方は厚生労働省のHPを見てもらうか、ネット上で「児童福祉手当」あるいは「母子家庭 手当」とかで、検索してみてください。

知り合いの話によると、この「児童扶養手当」の審査っていうやつがどうやら問題で、男性の影があるともらえないっていうんですよね。どうやら民生委員が審査をしていて、たまたま民生委員が訪問してきたときお母さんの知り合いが訪ねてきていて、玄関に男物の靴があったらそれだけで支給を見送られたっていうんです。その「母子家庭」とは直接関わりのある人じゃないのに・・・。
なんかちょっと変でしょ?

この民生委員っていうのが地域に住む年輩の男性で、「離婚」とか「現代風の女性」とかに、ひどく偏見があるようなんです。
とにかく「髪の毛染めてたら男がいる」みたいな・・・。
そんなことって本当かなあって疑ってかかってたんだけど、ついこの前はまったく別な知り合いから、「市役所の窓口に行ったら、相談にのってもらっている男性がいたらダメ」って言われたって聞きました。

世の中には男性と女性が半々にいるのに、母子家庭の母親は女性としか友達になっちゃいけないってこと?
手当をもらうっていうことは「母子家庭」が前提だから、当然再婚っていう可能性だってあるわけなのに、男性と知り合った瞬間から「ダメー!」っていうんじゃ、母子家庭の母親は再婚できないよね。まさか「知り合った瞬間から生活費出してくれる」なんていう人、いるわけないんだから・・・。
もちろんそうなってるのにもわけがあって、実体はほとんど夫婦なのにごまかしてもらってる人がかなりの数いるので、そうなっちゃうらしいんですけど、それにしても髪の毛とか爪に色が付いてようもんなら、それだけで「男がいる」って決めつけちゃうような偏見を持ってる民生委員の独断っていうのはやめた方がいいですよね。

誰が困っている人なのかっていうことをもう少し考えた行政ができないものかなあ・・・。

つづく
(文:大関直隆)

2002/12/03(火)
第39回 「高校選びと塾選び」
2週間ほど前、翔(かける)の同級生のお母さんから「中学校との三者面談でなんて言えばいいかなあ?」と相談を受けました。上にもお子さんがいるので、お母さんにとって高校入試は初めての体験ではないのだけれど、あまりにも”ころころ変わる”入試制度にちょっと戸惑っているようでした。それについてはわが家も同じで、翔で5人目とはいえ4番目までとはまったく違う入試制度にちょっとだけ戸惑っています。

一番大きく変わったのは、個別相談のシステム。4番目までは私立高校への合否の打診は中学校がやってくれていましたが、今では個々に対応しなければならないこと。ほとんどの親は、学校との「交渉」なんていうものには慣れていないわけで、戸惑いがあるのは当然です。個別相談を初めてやった私としては、「まあ、こんなもんか」っていうのが正直な感想。基本的に少子化で高校の経営環境は厳しく、今までのような「入れてやる」という姿勢ではなくて、「来てください」といったムードがありありなので、「ずいぶん高校入試も楽になったなあ」という印象です。もちろん学校によっては「入れてやる」というような旧態依然とした学校もあるのでしょうが、そんな時代遅れな学校はやめた方がいいんじゃないのかあ???

それでその相談に来たお母さんですけれど、いろいろ話を聞いてあげて、私の個別相談に対する感想とかを話してあげたら、少しは気が楽になったみたいでしたが、三者面談に行ったら担任の先生からいろいろ「アドバイス」をされて、また迷っちゃったみたいです。

迷ったときはどうすればいいかというと、私はいつも「見てくること」と相談に来た人には答えています。学校選びで一番大切なのは、自分に合った学校を選ぶことだと考えているので、他人の話だけ聞いて「どこがいい、ここがいい」というのではなく、自分の目で確かめてくるのが一番だと思います。もちろん時期にもよりますが、偏差値で「入れる」「入れない」の判断をするのもどうかなあ??? 中学校の姿勢は昔も今も基本的にはそういう姿勢なんでしょうけれど、個別相談になったんだからその利点を生かして、「はいれるところを探す」んじゃなくて、「はいりたいところを探す」でいいんじゃないのかな??? もし成績が足りなければ、「そこに向かってとりあえず頑張る」。それでもまだちょっと足りなければ「交渉する」。そんなのも、どうやら「有り」になってるような感じ。それが個別相談のいいところですよね。「個別」なんだから子どものいいところをしっかりアピールなんかして・・・。

そういえば、小学生の塾のことで悩んでるお母さんもいました。
「どこの塾だったら受験に対応できるか・・・」
誰だって悩みますよね。でもこれも、見てくるのが一番。
「どこの塾が子どもに合っているのか」、発想は同じですよね。塾に行ったから成績が上がるわけじゃない。小学校での成績を見ればわかります。塾は塾のいいところばっかりいいますけれど、ほんとにそうかな? ちゃんと検証してみないと・・・。

どこの進学塾でも言うように塾に行っていれば簡単に成績が上がるのなら、小学校での子どもたちの席次(もちろん成績のですよ)は、まず塾に行ってる子たちが塾での成績通りの順番で上位を占める。その後に塾に行っていない子たちが順に並ぶ。となるはずでしょ?でも実際にはそんなことないんじゃない? おそらく上位にいる子は、塾に行っている子というのではなくて、幼稚園くらいのころから「あの子は優秀」って言われてた子じゃないですか? ほんとはちっとも塾の力じゃなくて、その子の持ってる能力ですよね。塾選びも「その子に合った塾」を選ぶことが大切なんだと思います。世間の評判とか人の話にあまり惑わされないで、自分で見て、「いいところ、悪いところ」を判断することだと思います。「××塾っていいよ」なんて友達のお母さんに言われて入れてみたら、いつの間にかそのお友達は別な塾に移ってた、なんて経験ありませんか?

そうそう。それとあまり営業トークに乗せられないでね。高校よりさらに生徒の獲得合戦が熾烈なんだから・・・。「話半分」じゃなくて、「話、10分の1」くらいに聞かないとね。中学受験のために子どもを塾に入れたら、「合格」という勲章を手に入れられることもまれにあるけれど、間違いなく子どもの時間と心は犠牲になっているのだから・・・。
(文:大関直隆)

2002/11/26(火)
第38回 「隣の芝生は青くない!」
わが家はマンションなんですけど1階で専用庭が付いています。もう築20年以上経っているので、売るに売れない値段になっちゃっててすごく困っている(もともと中古で買ったから大した値段じゃなかったけど、やっとローンが減ってきたと思ったらリフォームでローンを組み直して、結局ローン残高は最初に戻っちゃった)んですが、角部屋なので庭が窓側(南東の方向)からグルッと脇の方(南西の方向)にも付いていて、約30坪ありのでいろいろ植木が植えられて、それなりに気に入っています。

最初、ここのマンションに越してきたときは隣の109号室を買いました。ちょうど1年が経ったとき、110号室の大森さんが実家に入るために引っ越すということで、直接譲って貰って現在の110号室(角部屋)に移ったんです。

大森さんはとてもよく庭の手入れをしていました。休みの日ともなると必ず芝刈り機の音がします。芝刈り機が終わると今度はハサミでフェンスの周りの芝をきれいに刈り込みます。土があまりよくなかったので黒土を庭全体に入れて芝の養生をはかったそうで、私が住んでいる109号室とは大違い。しっかりと手入れされた芝がいつも青々としていて、その上でかわいいチック(大森さんが飼っていた猫)がお昼寝。
ところが110号室にわが家が移るとアッという間にはげちょびれの庭に・・・。20年も経った今では、はげているどころか雑草の生い茂る荒れ野状態。その中で野良猫が昼寝。

そして109号室はというと、これまたウチの後に入った蒲生さんという方がとっても庭をきれいにしている。
「やっぱり隣の芝生は青いなあ・・・」(本当に青いんだからどうしようもないね)

先日、叔父が亡くなったばかりなのに今度は父の従兄弟が亡くなりました。父の従兄弟とはいえ、すぐ近くに住んでいて父や父の兄弟たちとはまるで実の兄弟のように育った間柄なので、私もとてもお世話になりました。

通夜、告別式には親戚中が集まります。私の従兄弟や再従兄弟(はとこ)もたくさん来ていて、その内の何人かは子どもを連れています。私は従兄弟、再従兄弟の中では一番上なので、ちょっと年齢に開きがあって、私の孫と同じくらいの子どもたちがいました。

わが家に戻ってから、
「××(再従兄弟の子)はボーっとしてるけど、蓮(ウチの孫)はキリッとした顔してやっぱり頭が良さそうだね」
「表情が違うよな。こうなんていうかなあ、いろいろなことに興味があるっていうか・・・。やっぱり子どもに大事なのは好奇心だから」
「どうしてどこんちの子も落ち着きがないのかねえ。ウチの子たちはこういう席では絶対騒いだりしないのに・・・」
と、こんな会話に。

そういえば、翔がまだ生まれたばかりのころ、妻の同僚が生まれたばかりのお子さんを連れてわが家にやってきたことがありました。私が子ども好きなせいか、すぐに私になついて私に抱かれたがります。
「ほんとに直隆さんて子ども好きなんですねえ」

確かにそれはその通りだけど、あのとき考えていたのは、「こんな奴に鼻水つけられたら困るなあ」っていうことだったんだけどなあ・・・。翔の鼻水ならぜーんぜん気にならなかったのに、なんでだろうね。こと子どもに関しては「隣の芝生は青くない」ってことかねえ・・・。でも、中学3年になった息子を見ていると、やっぱり「隣の芝生は青い」ような気がするのはなんでだろっ!

順序通りじゃない親戚の者の死は、やっぱり悲しいですね。
(文:大関直隆)

2002/11/19(火)
第37回 「門前の小僧・・・」
そういえば、翔(かける)がまだ幼稚園に入園する前、初めて間もない陶芸教室によく連れて行っていました。今考えると、生徒さんたちには大変失礼なことをしていたなあと思うのですが、陶芸教室の先生が自分の子どもを教室に連れてくるなんて、なんとまあ家族的で暖かい雰囲気の陶芸教室なんだろうなんて勝手に考えていた気もします。そのころは、まだ生徒さんの数も30名ほどで、確かにそんな雰囲気もありました。

6年ほど前、それまで借りていた20坪ほどのビルから、駅前の40坪ほどのビルに移りました。家賃も一気に倍。それはそれは大変な決断でした。場所も格段によくなり、広さも倍になりましたから、生徒さんの数も100人に。主婦と定年後の男性という生徒層から、OLやサラリーマンへも層が広がりました。

そこで私は、「家族出入り禁止令」(そんな大げさなもんじゃないけれど)を出し、教室に子どもを連れて行くことをやめました。それはもちろん、会費を頂戴している教室の質を、落とさないためでした。

教室に出入りしているころの翔は、生徒さんたちにとてもかわいがられていました。もちろん「先生の子ども」ということもあったのでしょうが、邪魔にすることもなく粘土を使わせたり、電動ろくろに座らせたりしてくれました。
私は一度も粘土の扱い方を教えたことがないのに、いつの間にか見よう見まねで覚えたらしく、電動ろくろを使って「茶碗らしきもの」を作り出しました。あるときは、右手に持った粘土を左の手のひらに押し当てて、キノコにそっくりな形のものを作り、「きのこ!」と言って私に見せました。あまりのでき映えに私もうなりました。

そのころ真(まこと)は中学校で、美術の時間に陶芸をやりました。コーヒーカップを2個作ったのですが、まったく美術のダメだった真でしたが、そのコーヒーカップは県の美術展までいきました。
まさに「門前の小僧・・・」ですよね。

ほんのちょっと話はずれるんだけれど、子どもっていうのはいろいろなことに興味があって、大人が余計なことを言わなくても(というよりは、言わない方が)、いろんなことをやってくれますよね。例えば「書」にしても「絵」にしても、筆の持ち方がどうだこうだ、構図がどうだこうだ言わずに、ただ単純に道具を与えてやれば、一生懸命「書」や「絵」を書(描)くのに、学校の先生なんかはそこのところを勘違いしてる人が多いんじゃないのかな? 先生って妙に 教えるっていうことが重要だと思ってる人が多い。本当に大切なことは 興味を持たせることなのにね。

やっぱり昔の人はうまく言ったもんで「門前の小僧 習わぬ 経を読む」なんだよね。
私たち親も、そこのところを間違わないようにしないとね。
(文:大関直隆)

2002/11/12(火)
第36回 「誰のための学校?」
ある小学校の参観日。
例の池田小学校での殺傷事件があってから、どこの学校も校内に入るためのチェックは厳しくなっているようです。特に小学校は、自分で自分を守ることが難しいので、どうしても親の力を借りることになります。参観日といえども、まず、昇降口でチェック!いたる所にPTAの役員さんがいて、チェック、チェック!例えば、あらかじめ保護者に配られている身分証明のようなカードを首からぶら下げる。忘れた場合は、昇降口で名前を記入して、リボンをもらってつける。教室に行くための廊下の角でも不審者が入ってこないか、役員さんがにらみを利かせている。まあ、あんな事件があると仕方のないことですよね。
でも考えてみると、参観日じゃないときは役員さんが出て警備をしているわけじゃないから、あんまり意味がないような気もするけど・・・。
確かに参観日は保護者に混じって不審者が入りやすいっていうことも言えるけど、大人がいっぱい来ているわけだから、かえって子どもは安全(?)なんじゃないのかなあ???

さて、その警戒厳重な廊下を通って教室の前まで行くと、廊下の片側には粘土で作った作品がいっぱい!その廊下の反対側の壁には、子どもたちの描いた絵がいっぱい!教室へ入ると、後ろの壁には習字(知り合いの書道の先生は「習字」って言うと怒るんです。「習字」じゃなくて「書道」だって。もっともですよね。私もそうあるべきだと思うけど、ここでは小学校のことだから一応「習字」っていうことにさせてもらって・・・)の作品が重ねていっぱい貼ってある。もちろん教室の廊下側の壁にも、班でまとめた資料や係りの分担等々・・・。窓以外の所はぜーんぶ何かで埋まってる。最後に極めつけは、黒板の周り。
「学校の目標」「学年の目標」「クラスの目標」!!!
もう一つおまけに、後ろの壁の一番入り口に近い所には、忘れ物の回数をまとめた表。ぜんぜん壁が見えない!でも、これって誰のためかねぇ???
「ウチの学校はこんなにしっかり教育してますよ」っていうこと?どこか違和感あるよねぇ・・・。だいたい、気分が落ち着かない。こういう学校に限って、「休み時間は外で元気に遊びましょう」なんて言って、無理やり子どもを外に出しちゃったりしてね。それも、「子どものため」かなあ?
外で遊ぶことも大切なことことではあるけれど、私には、「ウチの学校は、元気な子どもを育ててます」って威張ってる校長先生の顔が浮かんじゃう。外で遊ぶことが義務になっちゃうと遊びじゃないもんね。

教師や親があんまり目立ちすぎない学校の方が学校らしいんじゃないのかな?
たくさんの掲示物を貼ることで「これだけしっかり教育してます」っていう教師の自慢に終わってない?学校に警備に行くことで「私は子どものことを第一に考えてます」っていう親の自己満足に終わってない?そんな学校たくさんあるよね。

来週、「北足立南部地区公立小・中学校PTA役員等研修会」の事例発表者になってるんですけど、最初「特色あるPTA」なんていうテーマでって言われたんで、困っちゃったんです。どこのPTAもみんな子どものためを思ってやってるわけでしょ? そんなに違いがあるわけない。ウチのPTAなんて特色がないっていうことが特色かな??? 特色なんてあったら、やたらPTAが目立っちゃって子どもがどこかにいっちゃいますもんね。

どうやら、「今年PTAで力を入れていること」っていうテーマでいいらしいので、ホッとしましたけどね。
(文:大関直隆)

2002/11/05(火)
第35回 「たまには塾の話」
 最近すっかり「陶芸教室の先生」というか「経営者」をしているので、「親」として子育てとか教育とかを語ることばっかりですけれど、実は私も陶芸教室を始める前は塾をやっていたんです。一時は100人くらいをみていたこともありました。今のところに住むようになってからも、高校受験の子どもたちを中心に、40人くらいの生徒をみていました。そうそう、「男はつらいよ」や「北の国から」ですっかり有名になった吉岡秀隆君も高校受験のとき、ほんの数ヶ月ではありますけれど、みていたことがあるんですよ。彼の場合は、芸能活動を続けていくのにどこの高校を受験したらいいかということで相談にきたんですけれど、私のところに来るほとんどの子どもたちは、夏休み明けの「北辰テスト」(埼玉県内で行われていた高校受験のための偏差値をはかるための業者テスト)の結果が思うようではなくて、相談にきていました。

 偏差値でいうと30台後半から、50台後半くらいまでの子がほとんどです。それくらいの成績の子の偏差値を上げるのにはちょっとした「コツ」があって、すでにある程度理解しているジャンルを除いて勉強のプランを立ててやると、偏差値40台くらいの子では1ヶ月もしないうちに10前後偏差値が上がることもざらにあります。偏差値が高くなればなるほど、偏差値を上げることは難しくなりますが、60くらいの子でも65くらいにはなります。

 あんまり偏差値にこだわった「教育」は好きではないので、今考えるとずいぶんと無謀な「教育」をしていたんだなあと思いますが、受験を控えた親子にとって偏差値は絶対のものなので、「塾」という立場からいえば、それも一つのやり方であったんだとは思います。先日、知り合いから中学受験の塾の話を聞きました。

 某大手塾では、頻繁にテストをやってそのつど結果をクラス分けや着席順に反映していると聞きました。そういうやり方をしてくれると、子どもの席次がどこなのかはっきりわかるので、親にとって確かに安心は手に入ります。けれども、そこでの席次をあげるために、多くの子が別な塾にフォローに行っていると聞いてビックリしました。どうやら、その某大手塾は「教える」ことをあまりしていないらしい・・・。

 私は塾というものは、そこに通ってきている生徒の学力が上がるように「教える」ところだと思っていたので、ある意味私の塾観は根底からひっくり返されました。いろいろな塾があるんだろうけれど、これにはちょっとあきれました。要するに、頻繁にテストをすることで「中学受験で成功する子」を探しているにすぎない。「家で勉強をしないと成績が上がりませんよ」と言われたといいます。確かにもっともな話ではあります。でも、家には「先生」はいないのですから、家でやったことを塾でフォローしてくれないと塾の意味がない。どうもそういったこともないまま、某大手塾では常に「中学受験で成功する子」を探しているようです。結局、某大手塾に通い続けるには、他の塾でフォローをしてもらうしかなくなっちゃうわけですよね。

 週に3日ないし4日、大手塾に通い、さらにフォローのために数日別な塾に通う。今の子どもたちの忙しさを解消してやるにはどんな手だてがあるんでしょうねぇ???

 大手塾の皆さんも必死に「中学受験に成功する子を探す」んじゃなくて、「中学受験に成功する子を作った」らどうなんでしょうかねぇ・・・。子どもたちはそれぞれすばらしいものを持っているのだから、すべては教える者の力量にかかっているんですけどね。
(文:大関直隆)

2002/10/29(火)
第34回 「15歳の北朝鮮少女」
 キム・ヘギョンさんとのインタビューが波紋を呼んでいます。
今朝(28日)TVを見ていたら、コメンテーターが「確かにふさわしくない質問もあったかもしれないが、そういうところをカットしてON・AIRすればいいんで・・・」という 発言をしていました。私はどうしてもそういう気持ちにはなれません。「ON・AIRするかしないかじゃないくて、聞いてしまったことが問題なのに」という気持ちで見ていました。

 「これは北朝鮮の策略だ」とか「滞在延長を決めた5人へのメッセージだ」(家族会の方の中にはこの立場をとっている方もいるようです)という見方も強く、キム・ヘギョンさん自身の気持ちや人権を問題にしているのではなく、「北朝鮮政府に言わされているのだからそういう北朝鮮政府のメッセージを流したことは問題だ」と多くのコメンテーターは言っているようです。

 今回の拉致被害者の一時帰国に端を発した出来事が、今後の日朝交渉を有利に進めようとする北朝鮮の駆け引きであることは間違いないでしょう。けれども、そのことと15歳の少女を政治的な駆け引きの場に引きずり出した上に、答えに窮するような質問をすることは、別な次元の問題です。

 一部のコメンテーターは、北朝鮮がインタビューをさせたという見方をしていて、少女を政治的に利用した北朝鮮を強く非難していました。けれども、フジテレビの話を聞いていると、今回のインタビューはフジテレビ、朝日新聞、毎日新聞という日本のマスコミが主導して行われている。何度もそのことをフジテレビは言っているのに、コメンテーターたちは、まったくそのことには耳を傾けない。

 私はそういった政治的、イデオロギー的なものをすべて除いて今回のインタビューについて考えたときに初めて、「15歳の少女に対するインタビュー」ということの問題点が見えてくると思います。フジテレビの中継車の中でインタビューのVTRを初めて見た横田早紀江さん(キム・ヘギョンさんのおばあさん)は、「見ているのがつらい」とおっしゃって、途中で席を立ってしまわれたと報道されています。複雑な気持ちでおられるのでしょうから、どういうお気持ちで席をお立ちになったのかを正しく推測することは困難ですけれども、もし私の孫だったら、やはり同じようにいたたまれない気持ちになったであろうことは、容易に想像がつきます。

 私もON・AIRされたインタビューを見ましたが、このインタビューで一番強く感じたことは、「これは15歳の少女に対する虐待だ」ということです。

 彼女が15歳とは思えぬほどしっかりしていると感じたのは私だけではないと思います。けれども、しっかりしているから何を聞いてもいいということにはなりません。15歳という何も知らない少女に対し、尋ねていいことと尋ねてはいけないことがあるということは、マスコミも充分に知っているはずです。

 「今回のインタビューには問題はあったかもしれませんが、話の中からまた新たな疑惑が浮かんできたという点で意義はあったと思います」というくだらない発言をしたコメンテーターがいました。ひとりの少女の人権ということにすら配慮できない人間に、拉致という人権侵害をとやかく言えるのかと、とても腹が立ちました。

 子育てという観点でいえば、今回のインタビューが、北朝鮮の責任なのかあるいは日本のマスコミの責任なのか、ということはどうでもいいことです。子どもを育てるものとして、今回のようなインタビューが、たとえどんなに政治的な解決を早めるものだとしても、「子どもの人権だけは犯さないでほしい」と強く感じました。

 「子どもの人権を守ること」まさにそのことが現代の政治に大きな課題なのですから・・・。

※浦和教育カウンセリング研究所を立ち上げました。学校やPTAでのトラブル、いじめや不登校のことなど、ご相談のある方は<b>048−883−9488</b>までお電話ください。
(文:大関直隆)

2002/10/22(火)
第33回 「ついていい嘘」
 いやー、大したもんですねえ。20日のジェネジャン、前回言ったようにぜーんぜん対決になってなかったのを、あそこまで対決に見せるんだから・・・。でもやっぱり無理してるから、教師側が本当に言いたかったことが落っこっちゃってて、すべてを見たものからするとちょっと残念でした。(第31回・第32回参照)

 さて、ここのところメディアはノーベル賞と北朝鮮の拉致問題で占領されています。暗い話題ばかりが多かった最近にあって、ノーベル賞の話題は私たちに明るさを取り戻してくれました。拉致問題も大きな問題を残しつつも、帰国した5人の行動や表情などから、帰国前の重苦しい雰囲気からは考えられないほど明るい雰囲気になりつつあります。これこそ「北朝鮮の思う壺」(?)ととらえる人もいるのでしょうけれど、きちっと解決しなくてはいけない政治問題を残しているとはいえ、最初にメディアが報道していたのとは裏腹に明るい方向に向かっているのを見ていると、やはりほっとさせられます。

 小柴さんのノーベル賞は、昨年の野依さんのノーベル賞に続き「超エリートの受賞」といった感じで、私のような一介の主夫からするとはるか彼方の出来事でしたが、田中さんのノーベル賞はなんとなく庶民が受賞したようで、努力さえすれば誰にでもチャンスがあるといった感じを抱かせてくれました。(もちろん田中さんも超エリートなんですが、お人柄というんでしょうか、庶民の代表みたいな感じで・・・)

 ノーベル賞のような大きな賞を日本人が受賞すると、必ず英才教育がもてはやされます。英才教育が必ずしも悪いとは言いませんけれど、私は競争優先よりも共生優先の方が世の中が平和になると信じている者なので、野依さんや小柴さんの話ではなく、今回受賞した田中さんのインタビューを聞くたびに、どこか暖かい気持ちにさせられました。

 拉致問題は、次から次ぎへと予想に反する展開になって・・・。帰国前にメディアに登場したコメンテーターたちの発言はなんだったんだっていう感じですよね。ことごとく予想を覆されて、拉致された方々のお子さんを含めた家族の永住帰国さえ、ご本人たちの意志さえあればすんなりいきそうな気配です。もちろん、「これが『北』のやり方」っていう人もいると思いますが、私は真っ直ぐに受け止めたいですね。

 蓮池薫さんが、「子どもたちには旅行だと嘘を言って出てきました」とおっしゃっていました。子どもたちを「朝鮮人」として育ててきたとすれば、当然の配慮です。私のように複雑な家庭を持っていると、「子どもに嘘をついた方がいい」という場面が多々あります。けれどもそんな時、子どもたちには真実を語って乗り越えてきました。「真実を真正面から伝えれば必ず気持ちは通じる」、そう信じて生きてきました。妻が前夫と離婚し、私と暮らすことを告げに義父の元を訪ねたとき、義父がわざわざ墨をすって書いてくれた、「誠者天道也」(誠は天の道なり)の言葉を思い出しました。

 一刻も早く蓮池ご夫妻をはじめ拉致されたら方々が、嘘のない家庭生活を送れるような環境が整うといいですね。本来、子育ての中に「ついていい嘘」などというものがあるわけないのですから。
(文:大関直隆)

2002/10/15(火)
第32回 「だれにとって問題児?」 その2
 タハハッ! ごめんなさい。
 前回「13日放送」なんて言っちゃのに、20日の間違い(9日の水曜日に収録は終わっているので、たぶん今度は大丈夫だと思う)でした。「はっきり言わない日テレが悪い」のか、「よく聞かない私が悪い」のかわからないけれど、とにかくごめんなさい。

 「問題児 VS 教師」っていう予定だったのに、収録してみたらちょっと違っちゃったみたいです。っていうのは、『VS』にならなかったっていうこと。

 私はずっと舞台の裏に置いてあるモニターを見ていたのだけれど、印象でいったら断然「問題児」の勝ちっていう感じでしたが・・・。

 もちろん2時間にわたって収録したものを担当ディレクターがどう編集するかでだいぶ印象は変わっちゃうんだとは思うけれど、収録中も勝ち負けをつけることができませんでした。

 それは「問題児」に対する学校の対応が、あまりにも学校の身勝手で行われてきていたことを誰しもが認めないわけにいかなかったからです。収録前、スタジオ脇の控え室でスタッフから、「先生方は皆さん立場が違うので、問題児の肩を持ちたくなる場面があるかもしれません。『問題児』の意見に多少は同意してもらってもいいんですが、『問題児 VS 教師』という設定なので、それを崩さないようにお願いします。それと先生方同士の批判はしないようにしてください」という注意がありました。

 ところが蓋を開けてみると、『VS』なんていう姿勢はすっかりどこかに飛んでしまって、スタジオ全体が『問題児』に同情的に。それは『問題児』の発言がほとんどすべて、「先生に注意された通り努力をしたのに認めてくれなかった」という趣旨の内容だったからです。教師サイドとすれば、せいぜい「まだ君の努力が足りなったんじゃないの」くらいにしか言いようがありません。どこかでディレクターが展開を変えるのかなあと思っているうちに、方向はどんどん『問題児』の話を聞いてやるという方向に・・・。結局、「君たちはずいぶんひどい目に遭ってきたんだなあ」で終わってしまいました。(放送される番組はどんなふうになっているのかわかりませんけれど)

 最初の企画からすると内容が大きく変わってしまい、明らかに失敗です。一緒に議論に加わっているタレントの方たちの影響が強いので、教師と生徒いう構図(権力と非権力という)が明確にされていないと私は感じました。実は、『教師と問題児』という関係の根本は、『権力と非権力』という関係に他なりません。そこを抜きにして、議論を戦わせるのは無理なのに、今回の番組はまったく対等な立場で議論をさせようとしていました。どんなに強がったところで、『問題児』側に教師と対等に戦える力があるわけもなく、開き直って「強い対場」であるはずの『問題児』は、同情される「かわいそうな生徒」となってしまった気がします。

 社会的にいって、『教師』は常に生徒を指導、教育する立場であり、『生徒』はまったくといっていいほど、教師を批判する権利を与えられていません。『教師』に対して自分の意見を表明することのできない環境が、『問題児』を生む一つの大きな要因であることは間違いないのだから、残念ながら『問題児』には教師と対決するだけの力はなかったのでしょう。

 一見、『問題児』側の勝利にも見えましたが、実は『問題児』は土俵にも上げてもらえなかったというのが、私の実感でした。教育のことでバトルを展開したいのなら、”次回は「教師 VS 親」というのをやったらどうですか”と担当ディレクターに進言しておきました。
それだったら間違いなくすごいバトルになるでしょうね。
(文:大関直隆)

2002/10/08(火)
第31回 「だれにとって問題児?」
 10月6日の日曜日、日テレに行って来ました。なんでも今度の「ジェネ・ジャン」(13日・日曜日の午前11時40分からの番組)に出てもらえないかということだったのですが、オーディションだとか打ち合わせだとか、なんだかわけのわからないこと言うから、「出るか出ないかを決めるのはTV局だけじゃなくて、こっちも番組選んでる。オーディションやってまでTV出たいなんて思ってないんだから」って偉そうなこと言ってやったんだけど、番組の進行が、堂本光一くんだっていうから、喜んで出ちゃおうかなあなんて考えたりしてね。

 まっ、それは冗談として・・・。今回は妻だけが出演することになって、私はマネージャー。見たことのない番組だったのでとりあえず日曜日、日テレに行く前に番組を見てみました。芸能人のゲストの他に、対立関係にある人たちが出演して、トークバトルを繰り広げ、それを聞いている100人の人たちが勝ち負けの判定をするっていうわけ(これじゃあ、見たことない人にはよくわかんないかな?)なんですけど、6日のは「嫁vs姑」で、かなり激しいバトルの末に、結局嫁の側に軍配が上がったんだけど、テーマもテーマだったから扱いが乱暴であんまりまじめさが感じられなくてイヤだなっていう感じだったんですよね。

 それで、次回は「問題児(不登校児も含めて)vs教師」なんだそうです。まあ社会的にいって、対等っていうにはほど遠い関係なので、「嫁vs姑」みたいなやり取りにはならないとは思うんだけど、重いテーマなので、まじめに扱ってくれるといいなあと思います。妻は退職して教師じゃなくなっちゃってるので、「元教師・現在は上級教育カウンセラー」っていう立場で出演するんですけど、どっち側に組みするんだろうね??どう考えてもウチの立場は「問題児」側なんだけどね。

 日曜日、日テレでちょっと文句を言ってやったんだよね。なんでかっていうと、「問題児」っていう言葉。もちろんこれは、象徴的にいってる言葉だから他にどんな言葉があるかって言われるとなかなか難しいんだけど、「問題児」っていうのは、誰にとって「問題児」かっていうと当然教師にとってだよね。教師の言うことを聞かない、教師の手を煩わせる、学校の規律を乱す・・・。ぜーんぶ教師にとって「問題」なんだよね。

 「問題児」側からすれば、いちいち細かいことを言う教師は「問題教師」っていうことになるんだろうけど、「問題教師」っていったらそういう意味じゃなくて、犯罪を犯したとか、生徒に対して暴力をふるったとか、ちょっと意味が違っちゃうでしょ。

 そんなわけだから、生徒の方にだけ「問題児」っていう言葉が存在すること自体、教師と「問題児」との関係を象徴してるなって思うわけ。だから日テレには、「問題児」っていう発想が間違ってるって言ってきてやった!その上不登校についても「不登校になるのはいじめられっ子」って考えてたなんて言ってるんだから、”おいおい”だよね。

 11日に収録だそうだけど、どうなることやら。まじめな議論ができるといいんだけど・・・。私は出ないけど、13日の日曜日は、ぜひ見てください。
(文:大関直隆)