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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2004/12/20(月)
第140回「ゆとり教育の転換」
世界の中学2年生と小学4年生を対象に国際教育到達度評価学会(IEA)が昨年実施した学力調査の結果が15日付で公表されました。中学2年生の数学は前回(1999年調査)と同じ5位、理科は4位から6位、小学4年生の算数は前回(95年調査)と同じ3位、理科は2位から3位に下がりました。7日には高校1年生を対象とする「総合読解力」「科学的応用力」「数学的応用力」の三分野と「問題解決能力」の学習到達度調査の結果がOECDから発表になったばかりで、この調査でも「科学的応用力」は前回と同じく2位を維持したものの、「総合読解力」が8位から14位、「数学的応用力」は1位から6位に下がっていました。今回から加わった「問題解決能力」は4位でした。
マスコミは、「学力が低下した」と大きく扱い、中山成彬文部科学相「二つの調査結果を見ると我が国の子どもの成績には低下傾向が見られる。世界トップレベルとは言えない」とコメントし、「ゆとり教育の転換」を示唆しました。

順位というのは目で見るものではないけれど、とってもビジュアル的でわかりやすいので、センセーショナルに扱われがちですが、よーく見てみるとIEAの調査は中学2年生は46カ国・地域の参加で理科が4位から6位に下がっただけ、小学4年生は25カ国・地域の参加で理科が2位から3位に下がっただけ。まあ、細かい点数まで見ると確かに低下傾向にあることは間違いないんだけれど、「順位について大騒ぎ」して「授業時数の減少」が原因なんて簡単に断じてしまうのはあまりにも浅はかだし、以前にも述べたように学校での授業時数は減っているとはいえ、小学校高学年からの”塾通い”が当たり前になってきているわけだから、もう少し子どもの生活をきちっと把握した上でものを言った方がいいんじゃないかという気がします。
どちらかと言えば問題なのは、OECDの調査の方で、高校生の学力低下はかなり著しい。これはおそらく授業時数の減少が原因というよりは、入試制度に起因する方が大きいんじゃないかと思います。私の子どもを含め、最近関わりのある中・高生を見ていると少子化の影響で、勉強しなくてもとりあえず入れる高校はあるという意識に加え、個別相談でかなり早い段階から私立高校が合否を本人に伝えるので、合格の確約をもらった生徒は受験に向けての努力をしなくなっている。こういったことは授業時数の減少とはまったく関係がありません。要するに時間の問題ではなく、意欲の問題なわけだから。
一部報道はされましたが、同時に実施された意識調査はあまり注目されませんでした。私は順位云々よりもこちらの方が問題が深刻だと感じました。日本の中学2年生はテレビ・ビデオの平均視聴時間が2.7時間で最長、小学4年生でも2.0時間で米国の2.1時間に次いで2位(これはビデオ・テレビの普及率と密接に関わりがあるので、この数字だけを大きく問題にするわけにはいきませんが)、さらに「理数の勉強が楽しい」と答えた生徒の割合は全体でワースト2〜4位。
こういう数字を見ると勉強に対する興味の無さが浮き彫りになります。教育改革でいつも話題になるのは「授業時数」と「指導要領」。けれども、本当に重要なのは「授業時数」でも「指導要領」でもなく、「どう教えるか」。学力を上げることが目的とは言わないけれど、「どう教えるか」ということを抜きにして学力低下を語れるわけがない。
授業参観に行っていつも驚かされるのは授業の質。中学校の地理の授業で”ヨーロッパのオーストリア”を教えるのに「南半球にあってカンガルーがいる国と名前の似た国」じゃあね。オーストリアのことを教えてるはずなのに、オーストリアのことは何も教えてない。こんなこと何時間やっても、何の意味も持たないよね。
(文:大関 直隆)

2004/12/15(水)
第139回「子どもに伝えたいこと」
”シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「よっ!」
”シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「もいっちょっ!」
”シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャンシャンシャン シャン”
「ありがとうございました。来年も商売繁盛いたしますように!」

今日は調神社の「十二日まち」。熊手を売るお兄さんの威勢のいい声があたりに響きます。6時くらいに出かけたら、神社の一番東側に設けられる熊手を売っている通路は、いつもより少なめな人出。久しぶりの日曜の市とあって、どうやら人出が昼と夜に散ったようです。
わが家では、毎年一二日まちで鯉を買います。水槽で泳いでいる太って脂ののっていそうな鯉を選ぶとその場で捌いてくれます。鯉の腹から取り出した肝はお猪口に入れ、酒と一緒にゴックン。いつも三枚におろしてもらって、家に戻ってから”身は洗い”、”あらは鯉こく”にして食べます。
なんでこんなことが毎年の行事みたいになっているのかなあと考えると、私が子どものころ祖母や父が鯉を捌いていたのが、私の意識の中で鮮明な記憶になって残っているからかなあ? とっても大事なことのように…

「あれっ、おじさん。今日、鯉いないの?」
毎年、同じ場所で鯉を売っているおじさんがいるのですが、今年は鯉が見あたりません。「悪いねえ、社長。今年は日曜日だったんで、昼間から売れちゃってもう売り切れちゃったよ」
「えーっ! 毎年必ず買ってるのに…」
「一人で25匹買ってくれた料理屋の人がいたかんねぇ。捌くの大変だったんだ」
「へーっ、そうなんだ。楽しみにしてたんだけどなあ。でもよかったね、そんなに売れたんじゃ」
「15日は川口。17日は蕨だよ。そっちへ来てよ」
「そうだね。蕨だったら自宅のそばだし」
仕事が忙しいので蕨神社の酉の市に行くわけにはいかないんだけれど、そんな会話を楽しんで鯉のいない鯉屋さんをあとにしました。

「いつもの”じゃがバター”のおじさん来てるかなあ?」
今度は毎年買っているじゃがバターの店へ。
「おじさーん!」
「おー、久しぶり!」
「去年忙しくてさあ、来られなかったんだよねぇ。だから1年空いちゃった」
「2年だよ。一昨年も来なかっただろっ?」
「あれっ、そうだっけ? よく覚えてんねえ」
「覚えてるさあ」

毎年、熊手やかっこめを買っているわけではないので、特別行く必要があるわけではないけれど、子どものころからの年中行事みたいになっていて、よほどのことがない限り酉の市に出かけます。大宮の氷川神社、調神社、蕨の蕨神社と3カ所行ったことも。
何を伝えるというわけでもなく子どもに見せて、今では孫に見せて。
でも、そんな中に日本の文化があり、お正月を迎える心があるのかなあ…。
友だちと行って帰ってきた翔(かける)は帰ってくるなり、
「じゃがバターのおじさん、今年もいたね」
酉の市でしか会うことのない、たったそれだけの関係のおじさんなのに、そのおじさんに会うことが、わが家にとって今年も一年間無事に過ごせた証のようになっている。子どもに何を伝えるっていうわけではないけれど、そんな中から人と人とが交わること、一年間一生懸命に生きること、平和を守り続けること、きっと子どもたちはそんなことを学んでいるのかなあ…。
(文:大関 直隆)

2004/12/15(水)
第138回「雷さまの作ったかき氷」
「赤ちゃんてどこから生まれてくるの?」という子どもの問いに、真正面から答えず、「ここが割れて生まれてくるんだよ」と盲腸の傷痕を見せて答えたり、「コウノトリが運んでくるの」とか答えたりしてる人はいない?
まさか「橋の下から拾ってくるんだよ」なんて答えちゃう人はいないだろね?
妻の担任してた生徒に、高校1年生まで「盲腸の傷痕から生まれてくる」って思ってた生徒がいたっていうからビックリしちゃった。
冗談みたいな話だけれど、嘘じゃないらしくて、小学生のころにお母さんから聞いた話を信じてたらしいよ。やっぱり嘘はまずいね。心から大人を信用できなくなっちゃう。
子どもって、別に深い意味を持って聞いてるわけじゃなくて、ただ単にどこから生まれてくるんだろうって思ってるだけなんだよね。だからごまかさずに真っ直ぐ答えた方がいい。性交と結びつけて考えるようになるのは第二次性徴のころから。もし、小さいころからそんなニュアンスで質問をしてきたとしたら、そりゃあ「親の教育が悪かった」って反省した方がいいかもね。

先日、福島の二岐(ふたまた)温泉に行ってきました。いろいろな経緯(とってもややこしいのでここでは省略)で、私の両親と私と妻、それに孫の蓮(れん)と沙羅(さら)の5人という変(?)な組み合わせ。
沙羅(1歳9ヶ月)はもちろんのこと、蓮(3歳4ヶ月)もまだ一人で何でもできるという年齢ではないので、いやいや大変大変。行きの高速道のサービスエリアでの食事から大騒動。わがままを言うわけではなく、いい子はいい子なんだけれど、とにかく手がかかる。食べさせようとすれば一人で食べたがる、一人で食べさせればそこら中めちゃくちゃで洋服もダラダラ。
「子育てってこんなに大変だったっけ?」と今までやってきたことなのに今さらながらの感慨(?)にひたりながら、「やっぱり子育ては若いうちに限る」なんて考えちゃったりして…。これで本当に無事一泊してこられるのかなあ???
旅館に着くと蓮も沙羅も大興奮。こわーいママはいないし、優しいじじ・ばばにひいじいちゃん、ひいばあちゃんまでいるわけだから当たり前。もちろん他人に迷惑がかかるようなところでは大騒ぎをするような子たちではないんだけれど、部屋の中では大運動会を繰り広げることに。
それだけならまだしも、もっとたちが悪いのは私のおやじ。旅館に着いた途端に「酒持ってこい」状態。私は全然飲まないのにまったくこのおやじはアル中だよ!
結局、食事になる前に部屋で4合、食事のときに3合飲んじゃってべろんべろん。
孫はチョロチョロ、おやじはべろんべろんで、ゆっくり食事どころじゃない。
ああ、なんということか! とにかく部屋を2部屋にしといてよかったよ。
なんとかおやじとおふくろを隣の部屋に押し込んで、ホッとしたのもつかの間、またまた蓮くんと沙羅ちゃんが大暴れ。昼寝をほとんどしていなかったので、すぐおとなしく寝てくれるという予定だったのにとんでもない。布団の周りをぐるぐると走り回る、ちょっと目を離すと冷蔵庫の中の飲み物を全部廊下に並べちゃう。ついに私と妻はダウン。どうやら最後に残ったのは沙羅らしく、気がついてみると沙羅は変なところで寝ていました。
翌朝。
妻が外を指さして騒いで(無言で)います。
「ああ、雪だあ!」
外はすごい雪です。降り始めてそれほどの時間ではなさそうなのに10p近く積もっているでしょうか。外を眺めていると蓮も目を覚ましました。外の様子に気づいた蓮は、目をまん丸くして、
「あーっ!」
と声ともつかないような声を発して、じーっと外を眺めています。蓮は雪をまったく見たことがないわけではありませんが、今まで蓮が見た雪は、自宅の近くに降ったほんのわずかな雪。それも果たして記憶にあるかどうか…。
「蓮くん、露天風呂行こうか?」
「うん!」
と露天風呂に行くことに。
 露天風呂は、坂を下って渓流のすぐ脇にあります。とにかく寒いのなんのって。慌てて湯船に浸かり、蓮と二人で雪だるまを作りました。
「雪って冷たいでしょ。でも、お湯の中にはいるとすぐ溶けちゃうんだよ」
「ほんとだ! 雪ってなんでできてるの?」
「雪ってねえ、かき氷なんだよ。ほらっ、食べてごらん」
積もったばかりのきれいな雪を蓮の口の中に入れてあげると、
「わーっ、かき氷だ!」
「きっとお空の上で、雷さまがかき氷をいっぱい作ってるんだよ」
蓮は、空から降ってきたかき氷をいっぱい食べました。
「そろそろ朝ご飯だから出ようか?」
「蓮くん、朝ご飯食べないよ。かき氷でお腹いっぱいだもん!」
露天風呂から出てから妻に、
「”かき氷”って言っちゃったのまずかったかなあ? 素材としては嘘じゃないんだけど本当にかき氷なわけじゃないもんね。嘘ついちゃったみたいで…」と言うと、
「”雷さまが作ったかき氷”って確かに嘘だけど、でもそれって嘘じゃなくて夢を与えたんじゃないの?」
「なるほど。それならいいんだけどさ。ちょっと考えちゃった」

家に帰ってくると、食器棚の上に乗っているウルトラマンのかき氷器を見つけて、
「じいちゃん、かき氷作って食べよっ!」という毎日が続いています。
参ったなあ! あんなこと言わなきゃよかった…
(文:大関 直隆)

2004/11/29(月)
第137回 「今どきの若い子の国語力」
今どきの若い子の国語力(日本語力)が相当落ちてるんだって。以前の学生は約3万語の語彙があったらしいけれど、最近は2万語くらいとか(あまり確かな数字じゃないかも…。ちょっとラジオで言ってただけだから)。
う〜ん、なるほど。数字で言われるとわかりやすい!
”若者の国語力のなさを感じたことがありますか? ”(ちょっとよく覚えてないので間違っているかも…。だいたい内容はそんな感じだった)というテーマで聴取者からの電話とFAXを受け付けていました。
う〜ん、そう言われてみるとそんな感じはわかる。でも、最近カウンセリングに来るちょー若い女の子(まあ、女子高生だけど)たちと話をしていると、あんまり違和感がなくて普通に話ができちゃう。それってもしかすると、私も国語力が落ちてる仲間ってこと?
ダーッ! そうかもしれなーい!
だいたいいつもちょー少ない語彙でこんな文章書いて(打って)るわけだから、当たってるかも? ちょーヤバッ! どうしよっ?!
やっぱ勉強、勉強! それっきゃない!
恥ずかしいことだけれど、この程度の文章を書くにも最近は辞書なしじゃあ書けないんだよね。”漢字は出てこない、意味はよくわからない”っていうわけで、絶対辞書は離せない。もちろんPCで打ってるんだから、漢字は変換されちゃうんだよ。それでも辞書引いてるんだからね。
あ〜あ、情けない…。
私の国語力ってその程度のことか…。
そうそうそうそう、そう言えば、そんな私も今どきの若い子の国語力のなさを感じたことがありました。
うちのペットショップのスタッフに、”給料を振り込むので銀行の口座を知らせてください”って言ったときのこと。
店の前に出すブラックボードには、なかなかのセンスでとっても上手に書いてくれるスタッフなんですが、
「ねえねえ、”ぎんこう”の”ぎん”の字って、どういう字だっけ? ”食へん”だっけ?」と他のスタッフに尋ねているじゃないですか。まさかと思ったけど、本当だったので唖然としました。
いやいやもちろんこの程度の問題は”今どきの若い子”の問題じゃなくて、その子の個人的な漢字力の問題なんだと言ってしまえばそれまでだけれど、ブラックボードにはとてもうまくメッセージを書いているところをみると単純に”漢字が書けない”というふうには片づけられない。もちろんブラックボードに書いているお客様向けのメッセージにも漢字は含まれているわけだから、まんざら書けないわけでもない。文章だって私にはないようなセンスを持っているし、
「おーっ、こういうことうまいじゃん!」
というくらいには、立派なメッセージを書いてくれているのです。どうしても”ぎんこう”の”ぎん”の字がわからないなんて信じられない。いろいろ話をしてみると、どうやら自分たちが普段使っている言葉や文字はわかるけれど、それ以外はわからないということらしい。
”なーるほど”と納得はしたものの、「もうちょっとなんとかならないの?」っていう感じ。

今どきの若い子の国語力が落ちているのにはいろいろ理由はあると思うけれど、よく言われるのは希薄になった子どもたちの人間関係と言葉の乱れ。教育現場では”日記を書け”とか”本を読め”とか言うけれど、本当にそういう問題かな?
教育現場でどういうことが起こっているか、知ってる?
英語教育の重要性が叫ばれて、ずいぶん英語の時間は増えたよね。もちろん国際化ということから考えれば当然のことかもしれないけれど、中学・高校で英語に力を入れているのは受験のため。教育現場には、文系よりも理系の方が優秀という意識があるから、当然のように理系に力が注がれる。なんと受験を乗り切るために高校2年生から国語は無しなんていうのも当たり前。実際、大学受験に国語が必要なところは何割くらいあるの?っていう感じ。こんなことで、今どきの若い子の国語力についてとやかく言える大人はいるの?若い子を責める前に、国語の重要性を考えなくてはいけないのは、大人たちなんじゃないのかな?
(文:大関 直隆)

2004/11/22(月)
第136回「親子の関係」
 皇太子妃雅子さまの祖母、江頭寿々子さんが亡くなったという報道がありました。新聞には、雅子さまが愛子さまを連れ、お母さまとの間であいさつをかわしている写真が載り、テレビでは、その場面の映像が流れました。なかなか御公務に復帰できない雅子さまですが、「こういう報道に耐えられる程度にはご回復なされたんだなあ」とご不幸のときではありますけれど、ちょっと暖かいものを感じました。
この時の写真や映像を見て強く印象に残ったのは、雅子さまのお母さまが雅子さまと愛子さまに深々と頭を下げるご様子です。
「おい、おふくろ!」とか
「くそばばあ!」とか
「おまえなんか、死んじまえ!」なんてやっている”われわれ平民”とは大違い。
”親子や孫の関係であんな風にしていなくてはならないのはなんなんだろう?”とちょっとお気の毒に映ったりもして…。もっとも、もし雅子さまが皇太子さまとご結婚なさらなかったとしても、まさか「くそばばあ!」なんて言ってたとは思えないけどね。
紀宮さまのご結婚が決まり、間もなく紀宮さまは平民に。結婚前と結婚後で一人の人間の中身が大きく変わってしまうなんていうことはないのに、平民から皇族へ、皇族から平民へとの変化は大きく人の人生を変えてしまいますね。
平民になったからって、まさか紀宮さまが自分の子どもから
「くそばばあ!」なんて言われる日がくるなんていうことは雅子さま同様、ありえないんだろうけど。

さて、親子関係の築き方ってとっても難しいよね。いろいろなことが原因で子どもが危機に瀕したときはなおさら。話を聞いてみると”そこはこう対応すべき”って思う場面がよくあるんだけれど、お父さんもお母さんも、なかなかそう対応しきれない。特に学校が絡んでいる場合は”学校に××って言ったら、××っていう答えが返ってきたのでもう学校には期待しません”ってなっちゃう。
例えばいじめに対する学校の対応が悪いとき(そもそも学校の子どもたちに対する対応が悪いからいじめが起こっているわけで)、”何を言ってもろくな答えが返ってこないので学校には期待しません”ってなっちゃうと、お父さんとお母さんはそれ以上学校と付き合わなくてもすむわけだけれど、子どもはその後も学校に通わなければならないわけだから、子どもはいじめを受けてる環境から逃れられないことになっちゃう。
こういう対応はとっても悪くて、下手をするともっとひどいいじめにも繋がりかねない。それを嫌うお父さんお母さんは、”だからあまり波風立たないように先生対する攻撃はしないで、軽くいじめがあった事実だけをお話ししてきました”となる。それで学校がきちっとした対応を取れるのならいいけれど、そもそもいじめが起こっちゃうような対応をしている学校なんだから、それですむはずがない。
やはり親がとらなければいけない態度は、学校が”いじめが完全になくなるような対応をとってくれるまでは絶対に引かないこと”。ところがこれができる両親はほとんどいない。これは学校に対する対応だけに言えることじゃなくて、子どもに対する対応にも言えることで、こういう両親は概して子どもに対しても同じような甘さがある。”厳しい”っていうことの中身の難しさはあるけれど、やはり子どもに対する厳しさは必要だよね。
”厳しさ”の中身については、また後日。

うちのクライアントの女子高生がお父さんに向かって、「他界しろ!」って言ったそうだけれど(”死ね”じゃないところがこの子のすごさなんだけれど)、愛子さまが皇太子さまにそんな言葉をお吐きになったら、果たして皇太子さまは厳しく対処するのかなあ?
まっ、そんなことはありえないんだろうね。そんな言い方って、やっぱり平民の世界でのことなのかねえ???
(文:大関 直隆)

2004/11/15(月)
第135回 「権利と義務の逆転」
11日の朝日新聞に「都立高「奉仕」必修へ」という記事が載りました。

 東京都教育委員会は07年度から、すべての都立高校に「奉仕体験活動」を必修教科として導入する方針を固めた。05年度は単位認定などに関する研究校20校を指定する意向で、新年度予算で300万円を財政当局に要求した。学校教育での奉仕活動を巡っては、森首相当時の私的諮問機関「教育改革国民会議」で義務化が検討されたが、「自発的でないと意味がない」などの反発で義務化を見送った経緯がある。
−中略−
 都教委幹部は導入の狙いについて「内容はボランティア活動と変わらない。生徒がいろいろな人と交流し、活動を通してより広いものの見方ができるようになることを期待する」と話している。

もちろん、奉仕の心を否定するつもりはないけれど、「奉仕」といえば教育改革国民会議が義務化を見送った通り、「自発的」ということが基本なのは当然です。こういった労働が義務化するということは、軽率に行われるべきものじゃなくて、じっくりと議論されるべきものだと思います。
「たかが奉仕くらいのことで何を大げさなことを言っているのか」とお思いの方もあるかもしれないけれど、私が根本的に心配するのは、既成事実の積み上げによって、しだいに権利と義務が逆転してしまうことです。「奉仕」ということを強制してしまうと、大人に科せられた「教育を受けさせる義務」と子どもの持っている「教育を受ける権利」が変質してしまって、本来守られるべき「教育を受ける権利」が「教育をする権利」へといつの間にかすり替えられてしまう恐れがある。
実は、末端の教師の意識の中にはそういったものがすでにしっかりと根を張っていて、子どもの教育を受ける権利は、かなりないがしろにされている。最近うちにお出でになる方からの教育相談で強く感じるのは、「学校のやり方が非常に乱暴で強引になっている」ということです。守られなければいけない「子どもの権利」と果たさなければいけない「教師の義務」がすっかり逆転してしまって、子どもは義務を課せられ、教師が権利を主張している。
「お宅のお子さんは病気なので集団行動には馴染めません。家庭の責任において学校に来させないでください」
「何をしでかすかわからないので修学旅行には連れて行けません」
「危険なので通学班にはいれられませんから保護者の方が学校まで付き添ってきてください」
などなど、学校が保護者を呼びつけて通告のような形で行われています。
けれども、そう”通告”されたお子さんたちに会ってみると、これが全然そんなことを言われるようなお子さんたちではない。要するに指導力のない教師が指導しきれない子どもたちを家庭の責任という名のもとに投げてしまっている。
どうも学校や教師の力量不足を表に出さないために、それに気づいた勘のいい子どもや親たちを切り捨てる方向に学校が動いているとしか思えない。
保護者は素人ですし、”子どもを人質に取られている”という意識がありますから、学校がそういった行動を起こしたときには、もうなすすべがなくなってしまいます。
基本的に権利があるのは子どもで、義務を負っているのは教師なんだから、それをきちっと意識した上で教育は行われるべきです。
今回の都教委の決定がそれとはまったく逆の方向に進むことを助長するようなことにならなければいいのですが…。
(文:大関 直隆)

2004/11/08(月)
第134回 「薬」
「大関さん、今日はどうしたの?」
「風邪ひいちゃったみたいで…」
「いつから?」
「昨日、一昨日でしょ、えーと3日前かな?」
「で、どんなふう?」
「のどが痛くて、だるくて、肩が張ってます」
「熱は?」
「熱、出ないんですよ。さっきあんまりだるくて熱っぽいんで、計ったんですけど、6度8分。いつもこうなんですよね」
「どうする?」
「まあまだ抗生物質はいいとして、とりあえずペレックスとトランサミン、それととにかくだるくて熱っぽいのでロキソニンも出してください」
「ちょっと鼻声みたいだけど、鼻はいいのかな?」
「まだダン・リッチ飲むほどじゃないです。のどがひどいんで、のどだけ塗ってもらえますか」
この日は、私が希望した3種類の薬を処方してもらって帰ってきました。
確かこのクリニックができたのは15年くらい前だと思うんですが、開業したてのころ私が交通事故にあってひどいむち打ちになりました。ほぼ1年くらい毎日のように理学療法に通ったことでとっても先生と親しくなり、ときには先生と看護師さん全員と一緒にコーヒーを飲んだり…。すごく空いてたんですよね。待ち時間がないというどころか、ほとんど他の患者さんに会ったことがないくらいだったから。今ではとんでもないことですけれど。そんな関係ができていく中で、私がひどいアレルギーだっていうこともあって”この薬は合うけど、この薬は合わない”なんていうことを繰り返しながら、私が薬を選ぶことが多くなりました。

薬って本当はとっても怖い物なんだけれど、なかなかその実感はありませんよね。かかりつけの先生とこんな関係をつくっていたもんだから、ちょっと薬を甘く見ていたっていうか、頭痛がとってもひどかったときにウチにあったセデス(病院からもらったもの)を飲みました。かなりひどい頭痛だったのでなかなか効かなくて、もうどうにも我慢ができない。もう1包飲もうとしたらセデスがない。たまたま薬箱にノーシンが入っていたので、「まあいいか」とそれを飲みました。30分ほどしたら、突然手足はしびれる、吐き気はする。目の前が真っ白になって立っていられなくなりました。1時間くらいそんな感じが続いたでしょうか…。これが薬の副作用かどうかははっきりしませんが、もう死ぬかと思うくらいだったので、その後の薬の服用はとっても慎重になりました。

ウチのカウンセリング研究所を訪れるクライアントさんの中に、精神科に通っていたけれど、あまり状態が改善されないと言っていらっしゃる方がいます。そういう方のお話を伺って驚かされるのは、処方された薬の種類が多いことと量が多いこと。睡眠薬、精神安定剤、抗うつ剤…。いろいろお話を伺うととても薬を飲まなくてはいけないほどの症状とは思えない。1番驚いたのは、自殺願望を持っているという高校生が1ヶ月も服用を続けられるほどの量の睡眠薬を持っていたこと。私もそれほど薬に詳しいわけではないので、その薬がどの程度危険なものかはわかりませんが、まあ素人の常識の範囲では危険なんじゃないのかなあということはわかります。それを”うつ”と診断した高校生の患者に直接渡してしまう危うさ。そうは思いたくないけれど、お金が儲かるなら患者の命はどうでもいいといった発想で薬を出しているのではないかと勘ぐりたくなります。多くの高校生から話を聞いてみると、うつのふりをして薬を手に入れ、みんなで譲り合っているらしいのです。なぜこんなことがまかり通るのか理解に苦しみますけれど、社会をあげて子どもを守ることが必要なのに、子どもに害をまき散らしている大人たちも多いのかもしれませんね。

突然の麻耶(まや)からの電話。
「ねえ、パパ! 机の上に何錠薬あったの?」
「? 3錠かな?」
「ほんとに3錠?」
「たぶん」
「たぶんじゃダメだよ。今、沙羅がパパの机の上にあった薬飲んじゃったかもしれないんだから」
「ええ! 確か、昨日4錠あって1錠飲んだから??? 3錠あって1錠空のやつがあったでしょ?」
「ああよかった! それなら大丈夫だ…。まったくー! あんなところに薬おいとかないでよ!」
「どうもすみません…」
いやいやよかったよかった! 危うく1歳の沙羅が私の薬を飲んでしまうところでした。
反省!!
(文:大関 直隆)

2004/11/01(月)
第133回 「学校の水」
「最近、お母さん方の中から学校に水筒を持たせたいという意見が出ているのですが、皆さんの学校ではいかがでしょうか? 中学校ではあまりないのではないかと思いますので、小学校が中心ということになるかと思いますが」
「ウチの学校では、水に限って運動会の日までということで認めています」
「ウチは認めていません。水筒をどこに置くかっていうことがけっこう問題で、まあ机に掛けておくと授業中に飲んだりする心配もあるので。そうなると歯止めがかからなくなっちゃいますから」
「ウチの学校でも運動会までです。お茶くらいはいいのではという人たちもいますが、ジュースを入れてくる子がいるかもしれませんからねえ。やはり”水のみ”ということで限定していますよ」
「ウチの学校は9月いっぱいです。9月いっぱいまでは暑い日もあるので。一応暑さ対策ということで…。学校の水はどうしても生ぬるいんでねえ」
地域のPTA連合会の会長・校長会でのことです。
わが家の地域では、他校との情報交換のために年に数回、地域のPTA連合会主催で会長・校長会が開かれます。会についての世話役である当番校が開催の日時・場所・内容を決め、2学期はじめと3学期の中頃に開かれるのが通例です。当番校を除いて各校出席者はおおよそPTA会長・副会長・校長で、学校とPTAのトップが集まる会合です。
「会長・校長会」という名前の順序が面白いでしょ?! もちろんPTA主催ということもあるけれど、保護者と学校とでは必ず保護者が先。こんな形式的なことだけじゃなくて、学校運営もそういう意識の上で行われるといいんですけどね。

(私と私の隣に座っているウチの学校の校長とのヒソヒソ話)
「なんであんなことを真剣に議論しなくちゃならないんですかねえ? ウチの学校はお茶も認めてますけど、ジュースを持ってきちゃう子なんていないでしょ?」
「そういうことはありませんよ。ほとんどの子は水です」
「もうちょっと大様でいいんじゃないですか、ウチの学校みたいに。親だってわかってないわけないんだから。何か言わないとまずいでしょうねえ」

私が挙手をして、
「ウチの学校は一応夏だけですけど、特別期限も定めず、お茶も認めていますが、校長先生方のおっしゃるようなジュースを持ってきたり、授業中に飲んだりというような問題は一つも起きていません。基本的には子どもたちを信じて保護者に任せるということでいいのではないですか」

それまでどう規制するかでいろいろと発言をしていた校長先生方も「うっ」と詰まって、何も意見が出なくなってしまいました。司会者が、「自由に持たせているところでも、あまり問題は出ていないようですね」とまとめてくれたので、その話題はそれで終わりになりました。

10月30日の朝日新聞朝刊に「水筒持参登校 ダメ?」という見出しの記事が載りました。「学校の水は安全か」という観点で取り上げられていたようですけれども、「安全でないから水筒持参」というのはどうかな? 本当に安全か安全でないかの検証をする前の議論としてはふさわしくないような気もします。安全でないとしたら、まずやらなくてはならないのは、安全にすることのはずだから。もちろん安全が保証されるまでは水筒持参ということになるんでしょうけれど。
安全性の問題は、それぞれの価値観の問題なので難しい問題ではあるけれど、そこまでいうなら「給食も」ってなってもいい気がします。
私は基本的に「持っていきたい人は持っていったらいいじゃない」と考える方だけれど、水筒持参のことで問題にしたいのは、「水の安全」じゃあなくて、保護者や子どもを信用しない学校の姿勢。そこの部分が変わったら、学校の水に不安を持っている人たちも水筒が持っていけて”安心”ということになるんじゃないのかな?
(文:大関 直隆)

2004/10/25(月)
第132回 「秋、まっただ中!」
土曜日の地震は大きかったですね。あんなに大きな揺れが続けてきたのなんて経験がなかったので、ビックリしました。31階建てと7階建ての間にある2F通路にかかっている屋根がそれぞれの建物と擦れたらしくて、揺れが続いている間中すごい音を発していたので、恐怖心が増大されました。被害に遭われた新潟の方々には心よりお見舞い申し上げます。これを打ってるたった今も、地震がありました。新潟の方の揺れがそんなに大きくないといいのですが…。

さて、”秋、まっただ中!” 先々週東北へ紅葉狩りに行ってきました。毎年、高齢の義父(92歳)と義母(88歳)を連れて、八幡平周辺(秋田と岩手の県境周辺)をぐるっと回ってくるのが年中行事の1つになっています。若いころ(20代くらいのころ)は、紅葉の良さなんていうものを感じたことはなかったけれど、10年くらい前に初めて八幡平へ行ってからというもの、すっかり紅葉のすばらしさに魅せられて秋の訪れが楽しみになりました。赤や黄色に染まる山々は、まさに”燃えるよう”という表現がピッタリ。咲き誇る桜の花もきれいだけれど、紅葉のスケールとその色彩のコントラストはさらに心を揺さぶってくるものがあります。たった1枚の葉の中で緑から黄、黄から赤と3色の鮮やかな色を持ったものがあるかと思えば、まるで火のように真っ赤に染まった葉っぱもある。思わず歓声を上げずにはいられません。
例年になく暑かった夏。そして記録を塗り替えた台風の数。やはり今年の紅葉はどこか変でした。例年だと麓が若干早ければ、中腹が見頃。麓が見頃ならば、中腹はやや遅い。そんな原則があるのですが、今年は麓がちょっと早くて中腹は落葉。麓と山の気候の違いが大きかったのか、例年に比べて見頃を迎えている場所が極端に少なく、ちょっとがっかりでした。
この時期の料理はなんといってもキノコ。山のあちこちでキノコを売っています。キノコ好きの私にとっては、もうたまりません。キノコのおいしさはなんといっても新鮮さにあるので、なかなか旅行の最中に生のキノコを買うわけにはいきません(といいながら、実はけっこう買ってくるのですが)が、ビン詰めをよく買ってきます。みそ汁に入れたり、炒めて食べたり…。
”ああ、秋だなあ!”なんてね。

秋になるとスーパーに並ぶものがあります。栗、イチジク、ザクロ、柿、梨…。
イチジクもザクロも柿も好きなんだけれど、どうしても買う気になれないんだよね。妻が柿を買おうとすると、
「そんなものスーパーでお金出して買うもんじゃないよ」
なあんてなっちゃう。
子どものころ、実家の庭にはいろいろ実のなる木がありました。柿の木は3本あったし、イチジク、ザクロ、ビワ、桃、梅、グミ…。どれもたくさんなって、全部食べるなんてことは全然無理。食べたくなったときに、先を割って小枝を挟んだ竹の棒(これ何のこといってるかわからない人の方が多いんだろうね? どう説明したらいいのかなあ? 見せてあげられればなんのことはないんだけれど)で採って食べるだけ。なるべく採って近所に配ったり、なんか工夫して保存したり、いろいろ無駄にしないようにはするけれど、全部無駄にしなくてすむような、そんなレベルの量じゃない。最後まで木に残っている柿を小鳥が食べたりしてね。もちろん熊はいなかったけれど。
果物を見ていると季節を感じるよね。昔は野菜でも季節を感じたでしょ? でも私くらいの世代までかなあ? 夏にはやたらとナス、キュウリ、トマトなんかが多くてね。冬になると白菜と大根。そんな季節感て、日本での子育てにはとっても重要だと思うんだけれど、最近は一年中ほとんど気候の変わらないハワイがいいなんていう人が増えちゃってね。ずいぶん多くのことを四季の変化から学んできた気がするので、それでいいのかなあ?なんてどうしても疑問に思っちゃう。
そろそろ、別所沼公園と大宮公園の銀杏(ぎんなん)が拾えるころだと思うよ。お子さんと一緒に出かけてみたら。ちょっとくさいけどね。手に汁が付くと手荒れの原因になるからちょっと注意してね。
(文:大関 直隆)

2004/10/18(月)
第131回「幼稚園決定!!」
蓮(れん)を入園させる幼稚園で悩んでいた麻耶(まや)。
「私が出た幼稚園てさあ、そんなに悪い幼稚園じゃなかったよねえ?」
「そうだね。この辺の幼稚園を全部見て回って決めたからね。大きく分けると2つに別れるでしょ。一方はやたらと幼児教育に熱心で、部屋からほとんど出ないで読み書きとか英会話とかばっかりやらせてる幼稚園。もう一方は昔風のっていうか、男の子・女の子っていうみたいなしつけにこだわってるような古い感覚の幼稚園。麻耶が通ってた幼稚園はその中間くらいかな?」
「ああああ、なんかわかる」
「園庭の広さとか、遊具の種類とか、子どもたちの様子とかを見て決めたんだけど、まあまあだったかな。主任の先生が園長先生のお嬢さんでまだ若かったからけっこう柔軟で、保護者の意見も取り入れようっていう感覚があったからね。まあ、それが逆に自信のなさに繋がって変なことになっちゃうこともあったけど」
「なるほどね」
「ただ給食のことにはかたくなで、とにかく残さないで食べるように指導してたよ。全部食べないとシールがもらえないの」
「ああ、覚えてる」
「おまえはレバーを無理やり食べさせらた」
「そうそう。涙流しながら吐いちゃったんだ」
「覚えてるんだ?」
「うん。相当嫌だったんだろうね。でもそれ以外は嫌なことなかったよ。楽しかったことは記憶にあるけど、嫌だったことは全然記憶にないもん。翔(かける)の通ってたところもいいとは思うんだけど、毎日お弁当だし、延長ないし…。ちょっと用事で遅くなるっていうのもできないしなあ」
「あそこは間違いないよ。園長先生の教育に対する理念ははっきりしてるし、子どもたちも伸び伸びしてる。まあ欠点を言えば、ちょっと教育に対する理念を親に押しつけすぎるかな。その理念を信頼して入れてるわけだから仕方ないけどね」
「なるほどねえ。明日ね、説明会があるんだよ。あたしが行ってた幼稚園の願書もらってこようかなって思ってるんだ」
「おまえ、あそこに入れるの? 私は翔の行ってたところに入れてほしいけどなあ…」
「まだわかんないよ。だからそっちも見てくる」
妻と麻耶はそんな会話をしていました。

「麻耶はやっぱり自分の行ってたところがいいみたいよ」
「そりゃあそうでしょ。自分の行ってた幼稚園を悪くは思いたくないし、実際そんなに悪い幼稚園でもなかったし」
「でもねえ、やっぱり幼稚園の姿勢が気に入らなくて翔を途中でやめさせたわけだから」
「まあそうだけど、いくつかの部分で妥協すればね。どこの幼稚園にも問題がないわけじゃないから」
「”パパには相談した?”って聞いたら、”麻耶が決めればいいって言うだけだもん”て言われちゃったよ」
「まあそういうことだね」

蓮はまず麻耶の出た幼稚園に連れて行かれました。3歳児のクラスはすでにいっぱいでしたが、”ここの卒園生なんですけど、息子を入園させたくて”と言うと、とりあえず願書はもらうことができました。受付で、
「お名前は?」
の問いに蓮は何も答えることができません。
「あれっ? お名前言えないの? お名前言えないと幼稚園に入れないよ」
いきなりこの言葉。その後の園長先生(麻耶が通っていたころの主任)のお話は、”幼稚園は厳しいところ、怖いところって教えないでください。楽しいところ、行きたいところとお話ししてください”。父母の会の会長さんのお話は”ここの幼稚園を出たお子さんは、小学校に行っても何も困ることのない、しっかりとしたお子さんになれます”。受付での対応と園長先生のお話、会長さんのお話、それぞれのギャップを感じながら、翔の出た幼稚園へ。
こちらの園では、年少・年中の子どもたちが園の中をウロウロ。中にはモップを振り回してる子までいて。

「園長先生がそばに立ってるのに、モップ振り回してる子全然注意しないんだよ。危ないっちゅうの。あそこまで徹底してるのってすごいよね。とにかく怒らない。でも、奥の方の部屋の子たちはちゃんと席について静かだったよ。あれ年長さんたちの部屋だよね。あんなにウロウロしてる子たちが年長になるとああなるんだよねえ。それがすごいよね」

この問題にけりをつけたのは蓮自身でした。
「蓮くん、かっくん(翔のこと)の行ってた幼稚園に行く」
それまでそんなことを一度も言ったことのない蓮が、突然そう言いました。受付の先生の対応にちょっと腹を立てていた麻耶も、
「よくわかったよ。ありゃあダメだ、ダメ。やっぱり翔のところだね」
どうやら麻耶は、毎朝お弁当を作る決心をしたようです。
(文:大関 直隆)