【マイタウンさいたま】ログイン 【マイタウンさいたま】店舗登録
子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

全500件中  新しい記事から  391〜 400件
先頭へ / 前へ / 30... / 36 / 37 / 38 / 39 / 40 / 41 / 42 / 43 / 44 / 次へ / 最終へ  

2004/05/24(月)
第110回「安全特区」
5月22日、昨年の夏の甲子園で優勝した常総学院野球部の寮に泥棒が入って、現金6万円と腕時計など17万円相当がなくなったらしい。約60人の部員が生活している11部屋のうち8部屋が荒らされ、28人の現金や腕時計、ダウンジャケットなどが盗まれたという。この日は練習試合で部員全員が朝から夕方まで出かけていて、無人だったのだそうだ。寮の入り口と荒らされた部屋は鍵がかかっていなかった。

 いやいや、ひどいことをする奴がいるよね。一生懸命野球に打ち込んでいる高校生の部屋から金品を盗むなんて。だけどこの泥棒、野球部の事情をけっこう知ってる奴だね。こんなにたくさんの部屋を荒らすにはそれなりの時間がかかったんだろうけど、その間誰も寮に帰ってこないってわかってたわけでしょ? たぶん練習試合だっていうことも知ってたんだろうし、練習試合のときは寮が空になって、途中で誰も帰ってこないっていうことも知ってたんだろうね。さらに施錠がされてないっていうことも…。
たははっ、私が明智小五郎やってもしょうがないね。

 すごくおかしなことなんだけど、こういう事件が起こったときまず最初に非難されるのは、盗んだ奴じゃなくて、盗まれた子どもたちなんだよね。この野球部の部員たちはどうだったんだろう? 親に報告した途端に、「おまえ、何で鍵をかけとかなかったんだ! 鍵をかけとかなかったおまえが悪い!」ってね。まさに自己責任論だよね。
だけど、よく考えてみるとどこかおかしい。確かに鍵をかけなかったのはまずかったけど、自分が反省すればいいこと。そのことで怒られることはないよね。
「そういうこともあるから、気をつけないとね」
くらいじゃダメなの?
悪いのは、盗まれた方じゃなくて、盗んだ方なんだから。

 私の実家は20年くらい前まで、和室を囲むように南側と西側に縁側がある和風の建物でした。もちろん縁側には雨戸が付いているけれど、雨戸を開けてしまうと障子だけ。障子に鍵なんてないから、昼間は外から誰だって入れちゃう。それでも泥棒に入られたことなかったからねえ、ずいぶんいい世の中だったんだね。

 真(まこと)が高校のとき、学校のロッカーから金品が盗まれる事件が何件も起きました。でも、その程度のことでは保護者になんの連絡もなくて、子どもたちは、
「施錠していなければ盗まれるのは当たり前だろっ! 盗まれないように自分の責任で管理しろっ!」
って学校から注意されたっていうから、すっかり論理が逆転しちゃってる。
まあ、世の中こんなご時世だから、わからなくはないけれど、せめて学校くらい「安全特区」であってほしい。

 県北のある中学校の総合学習の時間に、池をきれいにしようとして、コンクリートに穴を開けようとしていた子どもたちが、体育の教員に怒られ、校長室に連れて行かれると、校長から「器物破損だ」と言われ、いきなり殴られた。
一月ほど前に池にヘドロが溜まってとても汚いので、池の一部を壊してきれいな池に生まれ変わらせるという計画書を担任を通して学校に提出してあったという。その計画書には担任をはじめ、管理職の検印があった。

 池をきれいにしようとして、学校の許可をもらって行動しようとした子どもたちが、いきなり校長に殴られたということで、ご両親(お父さんは元中学校の教員)が抗議に行くと、なんと校長は、
「これは器物破損ですよ、警察を呼んでもいいんですよ。こんな計画書に目を通してないことくらい、お父さんも教員だったんだからわかってるでしょ」
と言ったそうな…
嘘のような本当の話。
残念なことだけど、子どもたちにとって学校っていうところは「危険特区」なのかもね。

(文:大関 直隆)

2004/05/17(月)
第109回「ジェンダーフリー その2」
「専業主夫っていった場合の中身は、やっぱり”子育て”が中心になるんじゃないかなあ。もちろん家事労働って子育てだけじゃないんだけれど、子育てを除いた家事労働だけで主夫っていうのはほとんどあり得ないんじゃない? 家事の量も極めて少ないわけだし…。その程度だと主夫っていう言い方しないよね」
「まあ、そうですよね」
「専業主婦って言っても、子どもに手がかからなくなると徐々にパートに出る時間が増えて、子どもが高校に入るころには教育費のこともあって、ほとんどフルに働いてる人もいますよね。私の場合は、自分で会社をやってるからパートとはちょっと違うけど、状況は同じですよ。だから、一般的に専業主夫っていった場合、皆さんがイメージしてるのは、おそらく”子育て中の家事労働”って考えていいと思うんですけどね」
「そういうことなんでしょうね」
「そういうことで言えば、主夫っていうのは近所との付き合い方みたいなものの中に主夫か主夫じゃないかのひとつの基準があるような気はします。子どもを育てるには、母親同士の関係ってどうしても必要だから。私が翔(かける)を育てているとき、ウチのマンションの隣の公園で翔を遊ばせながら近所のお母さんたちと話をしていたら、ちょうどそこへ妻が帰ってきて、”あなた、ああやって女の人たちとどんな話してるの?”って言われたんですよ。”どんな話って、普通の話だよ。今晩のおかずは何にする?とかどこどこの薬局でトイレットペーパーが安かったとか…”って答えたら、”それで違和感ないの?”って妻は言うんですよね。そう言われても”はあ?”っていう感じで、私全然違和感ないんですよね。そこで、違和感があるようだとなかなか主夫にはなれないんじゃないかなあ?」
「はあ…。それってけっこうすごいかも…」
結局、アンケートの電話は1時間半におよびました。
「いやー、勉強になりました」
「全然アンケートにならなくてすみません」
「とんでもないですよ。こちらで用意したアンケートの中身が勉強不足っていうか…」
「お役に立てなかったけれど、何かあったらまたいつでもご連絡ください」
というわけでアンケートの電話は終わりましたが、全然アンケートにはなりませんでした。

実際に主夫をやってみると、”性差”っていうものを嫌というほど思い知らされます。私がいちばん困ったのは、母乳が与えられないこと。わが家の場合は、妻が教員で職場も近かったこともあり、子育てについてはとても楽な社会的環境を与えられていました。産休もしっかり取れるし、場合によっては育児休暇も取れる。さらに仕事に戻ってからも、授乳時間が取れないわけではない。そんな環境の中ですら、「なんで私は母乳が出ないんだろう!」って何度思ったことか…。”子どもを産む性”と”子どもを産まない性”の違いは厳然とあります。”ジェンダーフリー”という言葉がそこの部分を否定するものなら、それは明らかに間違っていると言わざるを得ません。けれども”ジェンダー”の意味は全然違います。「男らしさ、女らしさは性別がある限りある」という言い方はどう考えても、そこを取り違えているんじゃないのかな?
「男らしさ」という言葉から連想する言葉は、「たくましい」とか「包容力がある」とか「決断力がある」とか、そんな言葉じゃないかと思います。「女らしさ」という言葉からは「優しい」とか「きめ細やか」とか「気配りができる」とかかな?
「女らしい」っていう言葉から物事を肯定的に捉える言葉を見つけるのって意外に難しいね。「女々しい」とか「女の腐ったの」とか「ぐずぐずしてる」とか、けっこうそんな言葉が出てきちゃう。
励ましたりするときに「男でしょ!」とは言うけれど、「女でしょ!」とは、あんまり言わない。「女でしょ!」って言うときは、行動を否定されるときだよね。
常に男は肯定的な存在としてみられているけれど、女は否定的な存在としてみられている。だからそういうことが起こるんだよね。
それが”ジェンダー”っていうことかな? 動物として本来持っているものとは全然関係ないのに…。
でも、それがあたかも生まれたときから違うように感じちゃうのもまさに”ジェンダー”なんだと思うけど…。

 
Re: 第109回「ジェンダーフリー その2」2004/06/22 17:45:59  
                     まりさ

 
みなさんは主夫についてどのようにお考えでしょうか。自分が主夫と呼ばれることについて抵抗はありますか。今、ドラマで放映もされて、世間はさらに主夫に興味を持っていると思うのですが、やはり、みなさんはご自分から進んで主夫をやろうと思ったのですか。質問ばっかりですみません・・
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2004/05/10(月)
第108回「ジェンダーフリー その1」
 「ジェンダーフリー」ってなんだかわかったようなわからないような言葉だけれど、99年に男女共同参画社会基本法が成立して、一気に広がった言葉だ。
それが最近批判の矢面に立たされているらしい。

「危険な思想だ」
 03年9月、石川県議会の一般質問。宮元陸県議(47)が言い放った。
新宅剛・県民文化局長が答弁する。「県が新たに作成する文書で『ジェンダーフリー』の使用は控えます」翌月、「男女共同参画推進条例を、ジェンダーフリーと称する過激な思想運動に利用されてはならない」とする請願も採択された。(5月2日 朝日新聞)

 02年11月。参院内閣委で、当時男女共同参画担当相だった福田官房長官が「男らしさ女らしさは性別がある限りある」と答弁した経緯があって、その辺りから「ジェンダーフリー」が悪者にされてきたようだけれど、「ジェンダーフリー」っていう言葉をねじ曲げて解釈しているようで、どうも納得がいかない。

 「ジェンダー」という言葉の意味を調べてみると、「文化的・社会的につくられる性、性別、性差のこと。男女の主として外性器官の形態上の差などによる、いわゆる生物学的性差をセックスというのと区別して使われる」(イミダス)というわけだから、「男らしさ、女らしさは性別がある限りある」という言い方が「ジェンダーフリー」をある意味で否定することを目的に使ったのだとすれば、「ジェンダー」の意味すらわかっていないことになる。

 つい先日、小学館から「主夫についてのアンケートに答えてほしい」と電話があった。私は見たことがないのだが、主夫ものの漫画があり、テレビ番組も始まったらしい。それに関連して主夫からアンケートを採っているという。
「大関さんは主夫をなさっているそうですが…」
 おいおい、こいつ全然わかってねえよ! 「主夫」っていうのは、ほぼ私から始まったような言葉なのに。
「主夫について、いろいろとこちらから質問をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
 そりゃあ、別にかまわないけどさ、「主夫」っていうことがほんとにわかってるのかなあ???
「男の主夫の特徴ってありますかねえ?」
 ほーらきたっ!
「いや、別に主婦(主夫)だから、特別なことはないですよ。要するに普通は女の人がやってる家事を男だけど普通にこなしてるだけだから…。洗濯して、掃除をして、食事の支度をして、基本的にそれの繰り返し。それが主婦(主夫)でしょ。最近、リストラされて職を失ったから仕方なく、家事をやってるっていう男の人が『私は主夫です』なんていうケースが多いみたいだけれど、形の上では主夫でも、私の感覚では本来そういうのは主夫って言わないような気がするけどね。たまたま、現時点でそうなってるっていうわけでしょ。前にも、『男女共創社会を考える』っていうシンポジウムでご一緒した主夫の方が『今はリストラされて職がないので妻に養われているけれど、私の将来の夢は妻と子どもを養うことです』って言ったんですよ。それってなんか違和感あるんです。働きたいっていうのはわかるけど、一般的に言って主婦の方が『夫と子どもを養うことが将来の夢』って言わないでしょ。そう考えると、主夫って言ってもやっぱり主婦ではないんだなって。そういう意味では私は主婦だったから」
「はあ、なるほど…。なんだかちょっと今まで私がお話を伺ってきた方たちとちょっと違うみたいだなあ。こちらで用意したアンケートの質問だと無理かもしれません。あのう、大関さんてお子さん育ててたわけですよねぇ? 男が主夫をやってると、例えば夜すごく飲んじゃって、翌日の朝お子さんを幼稚園とか保育園とかに送っていくのが大変になっちゃうなんてことありませんでしたか?」
「だからね、そういうのって主夫じゃないの。それは外で働いてる男がすることでしょ。主婦っていうのは次の日に子どもを送って行けなくなっちゃうほど、飲んだりはしないよね。基本的に主婦が酔っぱらうっていうのは認められてないでしょ。それに子どもを育ててる時って、もし飲んだときに子どもの具合でも悪くなったら、車で病院にも連れて行けなくなっちゃうし。だから、飲むっていうことはほとんど考えられない」
「あっ、そうかあ。言われてみればそうなんだけど、なんだか新鮮な驚きだなあ…。今まで全然そんなふうに考えなかった…」
とほほっ、主夫のアンケートだって言ってこのレベルだからねえ、ちょっと困ったもんだね。
堅くなったり、やわらかくなったりだけど、「ジェンダーフリー」の話は、次週につづく

(文:大関 直隆)

2004/04/26(月)
第107回 「変な画家 その2」
「私の妻はナースをしていて、週に2回は私が子どもの世話をしてた」
プライスが言いました。
(本当はプライスが言ったんじゃなくて、通訳の大谷さんが言ったんだけど、一応通訳は影に隠れてもらって。でも、ここの部分はプライスがそう言ったのがわかったんだけどね。「おお、何て言ったかわかったよ」なーんて感動しちゃったりして…。ちょっと次元が低いね)

「ちょっとの時間ならいいけれど、小さい子どもを一日ずっとみるって大変ですよね。毎週みてたんですか?」
「そうそう。妻はずっと働いているからね」
「少し大きくなってからならいいけれど、小さいうちはほんとに大変ですよね。ちょっと目を離すと何をしでかすかわからない」
「そうそうそうそう。ずっと子どものあとについていかないとね」
「私が子どもを育てることでいちばん大変だったのは、とにかく休めないこと。具合が悪いからちょっと横になりたいと思っても、子どもはそんなことおかまいなし。熱があろうが下痢をしてようが、子どもには必ず食べさせなくちゃならないわけだから、具合が悪いなんて言ってられない」
「そうそうそうそう!! 私もずいぶん経験したよ。でも、子育てって楽しい!」
今度は私が、
「そうそうそうそう!! 日本のような社会の中で男性が子育てにかかわれないのはかわいそう」
「イギリスでは男性が子育てにかかわることはそんなに珍しい事じゃない。女性が働いていれば当然男性が子どもをみることになるわけだから…」
「ずいぶん変わったとはいえ、日本の場合は、子育てについてはほとんど専業主婦の仕事ですからね。その背景には、男女の賃金格差の問題とかがあって、男性がかかわりたいと思っても、日本ではそう単純にいくものでもないんですよ。女性が男性と同等に働く機会が与えられて、さらに女性が働こうという気持ちになる。そこまでの環境が整って初めて、男性の”子育てにかかわろう”っていう気持ちが問題になる。日本でも、妻が出かけてるちょっとの間を夫が埋めるというところまでは来てるけど、”子育て”っていうレベルからはほど遠い。ちょっと穿った見方をすれば、”子育て”という方にウェートがあるんじゃなくて、”女性が子育てから逃れる”方にウェートがあって、子育ての穴を男性が埋めてるって感じ。それはそれでいいんだけど、今プライスが言ってる”子育てって楽しい”っていうこととはちょっと方向が違うような気がする」
「そうね。直隆の言うことはよくわかる。たぶんその通りだと思う。子どもを押しつけられるっていうことじゃなくて、子どもをみる権利があるっていう意識の問題だよね」
「もうずいぶん前の話になるけど、イギリスの議員が国会の議場に赤ん坊を連れていったっていうことが話題になったことがあったけど、あれにはちょっとビックリした」
「私にはちょっと記憶がないけれど、充分あり得るだろうね。それはイギリスでは許容されることだと思う」
「イギリスでは記憶に残らない程度のことっていうことかなあ??? 私はすごくよく覚えてるけど」
「そうかもしれない」
「男がごく普通に子育てができるようになるには、そういう社会の成熟っていうか、意識の成熟っていうか、そういうものが必要なんだろうね」
「まあそういうことなんだろうね」
結局、2時間もしゃべっちゃいました。

「パーティを開いても、妻は流しに食器を積んでおくだけ。私がやればあっという間にすごくきっちり片付くんだ」って、威張ってみせるプライスは、私より2歳年上の48歳。でも、とってもかわいい無邪気な坊やのようでした。
秋にはまた来日の予定です。今度はどんな話をしようかな???
秋までには、英語を勉強しとくからと言ったら、
「おお、私も日本語を勉強しておかなくちゃ」
と言っていました。

(文:大関 直隆)

2004/04/19(月)
第106回「変な画家 1」
私の陶芸教室に併設したギャラリーで、先週から昨日(18日)まで、企画展をやりました。17年間陶芸教室をやってきましたが、ギャラリーの経営は初めて。わからないことだらけで、何をどうすればいいのか全然わからない。一応、賃貸をメインにするつもりなので、お借りいただける方があれば、1週間ポンと貸してしまって、私の方でやることは何もないのだから問題ないわけですけれど、まだまだ宣伝が充分とは言えないし、お借りいただくと言っても、ギャラリーという性質上、作品がないとダメなわけだから、「はい、明日から」というわけにいかない。今の段階で予約が取れているのは、この秋が一番最初。

それまでウチの企画展と画商さんに借りていただいてつなぐことになりました。知り合いをたどっていってやっと一人の画商さんに辿り着き、そこからまたどなたかをご紹介していただいて、広げていく。ところが、困ったことにその画商さんとの付き合い方が全然わからない。何がなんだかわけがわからず、ゴチャゴチャやってるうちに、どういうわけか大阪のプロモーターの方と知り合うことができて、「アンドリュー・プライス」というイギリスの作家の展覧会を開くことになりました。

「それじゃあ、会期の2日前くらいに絵が着くように送りますから。プライスの来場は、必ず土日のどちらかは入るようにということにしていますので、4月の16、17日ということでいいですかね。社長さん英語は大丈夫なんでしょ?」
「いや、それが…。全然しゃべれないんですよ」
「いや別に通訳もつけますから大丈夫ですけどね」
「はあ…」

てな具合で、最初からプライスのプロモーターに押されっぱなし。会期は決まったものの、どう準備すればいいのか、段取りが全然わからない。とにかくDMのハガキだけは作って、陶芸教室の生徒さんや知り合いに約1000通配りました。

ところが期日が近づくにつれ、本当に絵が送られてくるのか心配になりました。確かに約束はしたけれど、契約書を交わしたわけでもなく、口約束だけで信用しちゃってよかったのかなあ???

30数点の絵が本当に届いたときは、ホッとしました。
いよいよプライスが来る日。
「初めてあったときはなんて言うんだっけ? “How do you do?” “Nice to meet you!” そんなんだったっけ?」
なんて言ってるんだからどうにもならない。

そんな不安を吹き飛ばしたのは、プライス本人でした。
いやいや、もう話し好きで話し好きで、とにかく話し出したら止まらない。女性の通訳の方がそれを全部同時通訳で日本語に直してくれるから、なんだか自分が英語が話せてる気分になって、どんどん話が弾んじゃう。プライスもちょっと変わった人で、画家としてきてるんだから、普通だったら絵の話になるんだろうけど、お子さんの写真なんかを見せちゃって、最初からすっかりプライベートな話。イギリス人て、アメリカ人よりも堅くて保守的っていうイメージがあったので、ちょっとビックリ。

私が主夫をやってたっていう話から、だんだん男の子育ての話に。どうやらプライスも、子育てにかなり関わっていたらしい。

ちょっと前置きが長くなっちゃったので、プライスとの“男の子育て談義”はまた次回。
(文:大関 直隆)

2004/04/12(月)
第105回「イラクの人質事件」
こういうコーナーに政治的な話が不向きなことはよくわかっていますが、子どもを育てている親として、これだけ大きな問題に触れないわけにはいかないので、イラクの人質事件について、述べることにしました。

昨日(11日)未明、「24時間以内に無条件解放」の情報が流れてから、まもなく24時間が経とうとしています。昨夜、仕事から帰ってずっとTVのニュースに注目をしていましたが、午前2時(12日)を過ぎた時点でも未だに「解放」のニュースはなく、たった今、ネット上のニュースにアル・ジャジーラTVを通して犯人側から突きつけられた新たな3つの条件がUPされました。その内容は、

一、日本の外務副大臣がファルージャを訪問し、米軍が行った虐殺と集団墓地を視察する。

一、日本政府がイラク国民の大義に関する公式の立場を表明し、イラク国民に謝罪する。そして、日本の軍隊(自衛隊)をイラク領土から撤退させる。

一、日本政府に24時間与える。これは延長されない。1人目の人質は、この24時間が過ぎれば殺される。取引の余地はなく、残りの人質もその後12時間で死を宣告される。

というもの。たった今、午前3時のニュースでその内容の信憑性は低いとの政府の見解が示されましたが、何が根拠なのやら…。

今の状況で、日本政府が自衛隊を即時撤退させられない立場もわかります(私が政治家でもおそらく撤退させないだろうという程度に)が、「撤退させないことが当然」という政治家の雰囲気がとても嫌です。

自衛隊を派遣する段階で、「今回のような事態を想定していたのか」と問えば、おそらく政治家でなくとも、「あり得る」と考えていたのだろうと思います。その上で、今回のような事態に自衛隊の即時撤退が考えられないとすれば、初めから民間人に犠牲者が出ても仕方がない(もっと強い言い方をすれば、”大義名分のためには犠牲者が出ても助けない”)と考えていたことになって、政治の世界のやっていることには納得がいかない。ここでまた「私が政治家なら」と考えると、おそらく日本国民を守るためには初めから自衛隊は派遣しない。ではいったい、政府(小泉首相)は何を守ろうとしていたのか? “男”のメンツ?

ここで自衛隊派遣の是非を議論するつもりはないけれど、この連載の中で常々述べてきたように、私は世の中が競争原理を中心とした“男の論理”で回るのではなく、共生の原理を中心とした“女の論理”で回っていくことを是としているので、イラク問題だけでなく、イスラエルとパレスチナの問題や世界各地で起こっている戦闘を憂慮しています。

もし、自分の子どもが人質に取られたとしたら、政府の対応は許せない。「解放」のニュースが流れたときには、「自衛隊を撤退させないという選択が正しかった」という空気になりましたが、もともと派遣しなければこういう事態そのものがないわけだから、「撤退させないという選択が正しかった」というのはちょっと違う気がする。もし、無事解放されたとしたら、それは政府の力ではなくて、これまでイラクのために働いてきたまさに人質になっている3人のこれまでの行動が解放させたと言えるのではないか…。

「イラクに行ったのは自分の意思で行ったのだから本人の責任。自分の子どもが行きたいと言っても行かせない」という意見もあるようです。それも一理あると思うけれど、もし日本にも軍隊ができれば、そうとも言えなくなる。やっぱり、私たち親にできることは、「自分の子どもを守るにはどうしたらいいか」を真剣に考えること。世界中の人たちがそう考えたら、もっと平和になるんじゃないのかなあ???

午前4時のニュースでも進展無し。
この原稿がUPされるころには、解放されていることを祈ります。

 
Re: 第105回「イラクの人質事件」2004/04/13 19:31:56  
                     あきら

 
ほんとに今回のことでは、毎日胸が痛みます。
私の周りの人たちも「撤退は無理でしょ」という事を呑んでしまっていて、いったいどうして「民間の人が死ぬかもしれない」のをそんなにあっさり理解してしまうのか、疑問に感じる私がおかしいのかと、苦しい思いをしていました。このエッセイを見て、まっとうなご意見にほっとしました。思い切って書いてくださってよかった。ありがとうございます。
イラクの人たちも、毎日家族が死ぬかもしれない緊張の中で過ごしていることでしょう。早くこんな状況が終わることを願ってやみません。
 

元の文章を引用する

 
Re: 政治的話題は不適切2004/04/14 18:32:05  
                     ありり

 
大関さんが書いているように、「子育てはお好き」というコーナーに政治的な話は場違いだと思いますよ。
書いてある内容にも疑問がありますしね。
例えば、自衛隊を派遣しなければ3人は人質とならなかったのか?
それは誰にも分らないことです。自衛隊を派遣していなくても中南米等の危険地域に行けばテロ・誘拐は普通にあり、当該国の治安当局が具体的な注意事項を指摘していますよ。
だから自分の子供が危険地域に行きたいと希望するのであれば、危険地域で、どのような事態が起こっているのか教えます。自分が平和に対応しても、相手が平和に対応してくれない地域があるのが現実なんだから。
アラスカの自然を楽しむためには、必ずライフルを携帯すること。という当然の準備なしで行った知人はグリズリーに襲われて大怪我を負い、今でも太ももに爪あとが残っています。アラスカの場合には人間を襲った熊を殺すことはありませんが、熊恐怖症の日本は例え人間が熊のテリトリーに入ったことによって熊に襲われたとしても、一般的には探索し捕殺します。勝手に熊のテリトリーに入ったのは人間なのに。
高級ブランドを身に付けて肌を露出している女性が、○○○(具体名は書きませんが、私が行ったことのある場所です)を歩けば、ほぼ確実に誘拐されるか、少なくとも高級ブランドは全て剥ぎ取られるし、場合によってはレイプされるでしょう。何故なら、それは楽に稼げる仕事であり肌を露出させて扇情を煽っているからです。自分がどこで何をしているのか、理解していない人間を無責任というのではありませんか。
私は3人を非難しているのでもなければ、自衛隊派遣に賛成でもありませんよ。
但し、自衛隊が撤退したら3人が解放されるという主張に何の根拠もないことを冷静に捉えるべきでしょう。
また3人のご家族を中傷する人達には直ぐに止めて欲しいですね。家族であれば救出して欲しいと願うのが当然の心情でしょう。ご家族を追い掛け回しているマスコミ各社を具体的に批判すべきだと思います。
 

元の文章を引用する

 
いろいろご意見ありがとうございました2004/04/16 7:16:16  
                     大関直隆

 
昨夜、解放のニュースを聞いて、ホッとしています。新たに、邦人2人拘束の情報やイタリア人殺害の報道もあって、手放しで喜べる状況ではないですけれど…。もちろん、こうしている今だってイラクの子どもたちや民間人の方たちは犠牲になっているわけだし…。
こういう問題を”政治”と捉えちゃう人もいるかもしれないけれど、私が言いたかったのは、政治的にどうこうしろということじゃなくて、どんな場面、どんな立場の人間も”まず目の前にいる一人の人間を慈しむ”ということを大切に考えたら、もっと優しい世の中になるんじゃないかっていうことです。例えば、親子関係、学校の中での子どもと学校の関係、国家の中の国民と政治の関係、もっと言えば国際社会の中の国家と国家の関係も…。
政治はある意味マクロだけれど、どういう決断を下すかは別にして、根本の部分でミクロの部分を忘れないでほしいと思っています。私も経営者だから、時にミクロを捨ててマクロを取ることもあります。けれども、子育てっていうことを考えたら、たとえマクロを取る場合であっても、常にミクロから考えた結論がマクロになってほしいということです。
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2004/04/05(月)
第104回「発想の転換」
「大人の都合」と「子どもの都合」のことを何度となく述べてきましたけれど、どう考えてもやっぱり世の中は大人の都合で回ってるみたい。六本木ヒルズの回転ドアであんな事故が起こったと思ったら、今度は大阪府高槻市の回転式遊具で指を切断するという事故が1日に2件続けて起きてしまいました。もし、六本木ヒルズの事故が、ケガですんでいたら、おそらくこんなに大きな騒ぎにならず(これまでに何件もの事故が起きていたにもかかわらず葬り去られていたように)に、公にすらならないで終わっていただろうし、高槻市の事故にしても、もし指を切断してしまったのが一人だったら、おそらくこちらも公になることはなかったのではないかと思います。

六本木ヒルズの事故では、建物を所有している森ビルとドアを製造した三和シヤッターとの間で、主張にズレがあるみたいだけれど、どうも議論が責任論に終始している(企業にとっては当たり前のことだけれど)みたいで、子どもを育てていた私にしてみると、どっちが悪いかなんていうことよりは、まず先に子どもにとって危険な場所はないか、総点検してほしい。

昨日だったか、一昨日だったかの新聞に京王百貨店が数年前に暖房効率の関係から回転ドアを設置したけれど、多くの来店客が回転ドアを使わずに両サイドにある押し開きのドアを利用してしまうので、回転式ドアはやめて自動ドアに直したという記事が載っていました。まあ、新聞記事なので事実のすべてを正確に伝えているとは言い難いけれど、回転ドアを直した理由について、「回転ドアを利用せずに隣のドアを利用してしまう人が多い」ことと「回転ドアの回転速度が遅い(危険回避のためにゆっくりにしていたようではあるけれど)ため、人がドアの前に溜まってしまう」ことがあげられていて、今回の事故でもわかるようにいちばん肝心な「危険だから」という発想がないことに、がっかりしました。

最近の報道をみていると、回転式ドアを設置していないところは、「ウチは一カ所も設置していません」って堂々と胸を張ったりして、なんとなく自慢げにインタビューに答えていたりするけれど、それは本当に危険を認識して設置していないわけじゃなくて、どっちがお客の流れがスムーズで、短時間に大勢の人が入れるかといった単に経済効率を優先した結果がそうなっているだけなのに…。そんな発想で物事を考えていると、また事故に繋がるんじゃないのかな?

大切なのは、回転ドアを設置しているか設置していないかではなくて、「どうして設置していないのか」なんだから。

高槻市の事故についても同じようなことが言えると思う。現在問題になっているのは、「(1)ボルトはいつ、なぜ外れたのか(2)遊具の管理はどうなっていたのか(3)最初の事故後、どうして遊具の使用を禁止しなかったのか−などの解明が課題だ」そうだ。確かに大切なことだとは思うけれど、それだけで終わらないで、もっと子どもの行動を理解して、どんなことになっても危険のない遊具を作ってもらいたいよね。誰が考えたってボルトは抜けることがあるし、抜かれることもある。「やりたい放題」ってオモチャがある(今もある?私が育てていたころにあった、穴があったり、ボタンがあったり、受話器がついていたり、とにかく子どもがやりたいことを網羅したようなオモチャ)ように、子どもは穴があれば指を突っ込むし、ティッシュペーパーのようにちょっとでも出ているものがあれば、必ず引っ張る。子どもの“遊具”を作っててそんなこともわかんないのかよぉ!って感じ。

もっと根本的な部分の発想を変えなきゃね。私が考えるに、たぶん回転ドアや遊具を作っているのは、理工系を出たエンジニアでしょ? こんな言い方しちゃ悪いけど、そういう人たちに子どもの心理なんてわかるわけがない。もっと設計段階から、子どもを育てた主婦にでも関わってもらった方がいいんじゃないの。そういう発想が大事だと思うけどね。

そうそう、もう一つ。
台形の面積を求める公式が、小学校5年生の教科書に復活するんだってね。それについての報道をテレビで見たんだけど、誰が出てきても議論が陳腐なの。とにかく公式を覚えさせることが必要か必要じゃないかの議論に終始してる。まったくあきれるんだから…。台形の面積を教えるっていうのは、公式を知ってるか知らないかが重要なんじゃなくて、一つの台形の面積を求めるのに上下を逆さまにくっつけて、いったん2つの台形にするっていう発想を教えることが大切なのに…。公式をただ単に覚え込ませるんじゃなくて、そういう発想の柔軟性を教えてくれたら、きっと子どもに対する事故も減るんじゃないのかなあ?
ちょっと飛躍しすぎ???
(文:大関 直隆)

2004/03/30(火)
第103回「悪でも××になれる?」
先週、妻が勤務していた高校の職員のOB会があって、30年程前に同僚であった先生方と妻は会食をしてきました。ちょうどそのころは私が在学中で、帰ってきた妻から聞く先生方の名前は、もちろん私も知っています。というより、妻と私にとっては、「あのころはずいぶんと迷惑をかけたなあ」という感じ。

「××先生と××先生が来てたよ」
「ああああ。××先生とは数学の授業のやり方でぶつかっちゃって、白紙で答案出したんだよね。敵も然る者でさ、答案を返すときになったら、私の答案用紙で飛行機折って“零戦が飛ぶ”って飛ばして返すんだからね」
「そうそう、そんなことあったんだよね」

「いい人なんだけどさ、担任だったでしょ。だから、よく呼ばれてなんだかんだ言われたよ。“大澤(私の旧姓)、しっかり勉強してるか?”とか“あんまり音楽ばっかり夢中になってないで、いろいろなことに目を向けなくちゃダメだぞ”とかね」
「そんな言い方っておかしいよね。そういうことで言えば、サッカー部の子たちなんか、みんなサッカーにばっかり夢中になって、勉強なんか全然してなかったもんね。“サッカーにばっかり夢中にならないで、他のことにも目を向けろよ”なんて言ったら笑われちゃう」
「ハハハッ、まったく! 本当は、“あんまり大関先生と親しくなるなよ”って言いたかったんだよね。そんなストレートには言えないもんね」

「一応直接お世話になった先生方には謝らなきゃと思って、“当時は大変ご迷惑をおかけして…”って言ったんだよね。そうしたらなんて返ってきたと思う?」
「???」
「“音楽室は火事出したもんな。あのときはオレも行ったんだ”とかね、“そうそう、あのときの緊急放送は私、私!”とか言うんだよね。“違う、違う! そんなこと謝ってるんじゃなーい!”って叫び出したいくらいだったよ」
「そんなことまで覚えてるんだあ!?」
「そうなんだよねえ。それだけじゃなくて、××先生なんて“大関先生はいろいろご活躍でテレビなんかにも出てらっしゃったでしょ。ウチの学校のこと、とっても有名にしてくださって私も嬉しいんです”だって。“はあっ?”って感じだったよ」

「どうなっちゃってるんだろっ? 教師と生徒が恋愛するなんて褒められたことじゃないのにね。暴走族やってたような奴もいたし、いかにも不良なんて感じの奴もいたけれど、教師を引っかけたっていう言い方すればさあ、かなり私も不良だよねえ。“悪でも主夫になれる!”ってやつで、そこまでやったら評価の対象かね?」
「“悪でも××になれる”っていうのは、××の部分がもっと社会的に身分が高いって言われるようなものじゃないとだめだよ」
「そりゃ、そうだね。主夫じゃあね。弁護士とか医者とか俳優とか…」
「そうそう。今流行ってるんだよね、そういうの。昔は暴走族だった弁護士とか俳優とか。ほらっ、『ジェネジャン』(日本 TVの番組)で一緒だった宇梶さんとか」
「ああああ。でも“悪でも××…”って考えるのは危ないよ。”あの弁護士さん、昔は悪だったんだって”って言うんならいいけど、“悪でも××…”って言うと明らかに職業に貴賤をつけてることになるし、だんだんエスカレートすると”悪じゃないと××になれない”なんて勝手に曲げて解釈する子も出てくるかもよ」
「そうかもね」
「誰が考えたって、本当は悪じゃない方が何にでもなりやすいんだけどね。それがどこかに飛んじゃうのはちょっと違うよね」
「うんうん、そうだね。そうするとやっぱり、ウチの場合は“悪でも主夫になれる”っていう部分を評価してもらったんじゃないわけ?」
「なわけないでしょ! 主夫はあこがれの職業じゃないの! そりゃあね、高校のころはずいぶんいろいろな教員と喧嘩したよ。だけど、××先生にはいろいろお世話になったの。だから、向こうもあんまり悪く思ってないんじゃないの?!」
「そんなこと言うけどね、今や主夫はあこがれの職業かもよ??? ××さんも××さんも、退職したら自慢そうに“今は主夫してます”って言ってたもん!」
「そんなもんかねえ…」

どうも最近、個性重視に偏ってるっていうか、“昔は××だったけど、××になりました”みたいな報道や出版が多いような気がします。それはそれで確かにすごいことだと思うけれど、報道したり出版したりする側は、もっと気を遣わないといけないんじゃないかなあ。“悪”だったことはいいことではないのに、うっかりすると“悪”だったことがいいことにすり替えられちゃうことがある。だいたい“××になれる”と言えば、必ずその職業の部分は一般に地位の高いと言われるような職業がくるに決まってる。まさか“悪でもホームレスになれる”なんて言うわけないんだから。新聞なんかを見てるとそこの部分にはずいぶんと気を遣った記事になってることが多いけれど、TVや雑誌は扱いがとっても乱暴。職業についての貴賤じゃなくて、本当に自分は何をしたいのかをじっくりと見極める力を持ったような子どもに育てたいですね。
(文:大関 直隆)

2004/03/22(月)
第102回 「仕事モードと子育てモード」
ペットショップを始めて早4ヶ月。
最近、子犬の仕入れに市場に行ったり、ブリーダーを訪ねたり、店内の子犬の世話をしたりと初めてのことばかり。次から次へ未経験ゾーンへ踏み込まなきゃならないので、面白いことは面白いけれど、けっこう忙しい。

朝8時過ぎに家を出ると帰りはだいたい夜の10時過ぎ。バタバタしているときはお昼を食べ損なっちゃうこともしばしばで、しょっちゅう「ああ、腹減ったあ」状態。うっかり朝食を食べ損なうと夜の11時頃まで何も食べてなくて、「あれっ、今日何か食べたっけ?」なんていうこともあったりして…。

自宅に帰ってきてから、広告の原稿考えたり、PCを使って事務処理をしたりで、寝るのはほぼ毎日午前2時頃。こんなんでよく身体が保ってるなあって感じだけれど、最近わかったのは、“大変なのは睡眠時間が短いことはもちろんだけれど、常に緊張していて緊張がほぐれる瞬間がないっていうこと”だっていうこと。

従業員も管理しなくちゃならないし、お客様にも対応しなくちゃならない。人に会うこともずいぶん増えたけれど、すべて仕事モード。顔の筋肉が緩んでない。あんまり仕事にかかわってる時間が長いので、食事をしてるときも、お風呂に入ってるときも、トイレに入ってるときも、もしかすると寝てるときも仕事顔。全然自分では気づいてなかったんだけれど、ちょっと前に、中学校のPTA会長さん(私が小学校で会長をやったときに副会長をやってもらってた女性)から携帯に電話が入って、
「大関さん、元気?」
なんて言われた途端、
「あれっ? なんか変な感じ。すごく違和感ある」って思っちゃった。それは何でかっていうと、自分がこれまで過ごしてきたポジションと、いま生きているポジションがあまりにも違うので、自分の気持ちのモードが全然違うから。今が「仕事モード」なら以前は「子育てモード」。どっちにもそれぞれよさはあるけれど、人間的なのはやっぱり「子育てモード」かな???

仕事ってある意味、常に利害が相反する人と接してるわけで、相手に気を許せないので、どうしても緊張がほぐれないけれど、子育てっていうのは逆に子ども同士、親同士が敵対関係にあるわけじゃないから、あまり緊張しないで付き合えるんだよね、きっと。もちろんそういう中にも緊張関係が全然ないわけではない(何年か前にあった音羽の事件のようなのもあるので競争の論理を強く意識しすぎると敵対関係になることもあるけれど)けれど、やっぱり一緒に子育てをしてきた仲間って悩みを共有できるっていうか、ホッとできるっていうか…。

10日ほど前、一緒に子育てをしてきた(翔の公園デビューからずっと)翔の同級生のお母さん二人が、私の仕事場にやってきました。二人ともウチと同じマンションに住んでいたんだけれど、一人は昨年の11月に近くの戸建てに引っ越してしまい、もう一人は同じマンションに住んではいるんだけれど、私がほとんど家にいないので、最近まったく顔を合わせる機会がなく、ほんとに久しぶりっていう感じでした。

話をしていると、「ああ、やっぱり違和感感じる」と思いながらも、4時間も話をしちゃって、「ありゃ、こんなに長い時間いったい何話してたんだろう?」ていう感じでした。お互いに相手の子どもの成長を喜べるような関係っていいなあって感じながら、「ガハハッ、やっぱり私は主夫の方が性に合ってるのかなあ?」なんて思ったりして…。
(文:大関 直隆)

2004/03/15(月)
第101回 「OB会」
5年ぶり(?)に原山中学校バレーボール部のOB・OG会がありました。集まったのは15期の卒業生から27期の卒業生まで。何人くらいいたのかなあ? 残念ながら一人の参加もない期もあったけれど、一番人数の多かった期で18人いたから、たぶん100人(?)くらいはいたのかなあ? 24期の私なんかは下の方。25期と26期が0人、27期が2人だったから、要するに後輩は2人しかいなかったわけ。私が中学を卒業してから31年経ってるから、一番上の先輩は卒業から40年経ってる55歳。普通の同窓会なら珍しくないけれど、中学校の部活動のOB・OG会がここまで続いていて、しかもこれだけ集まるっていうのはあんまりないんじゃない? いやいや、私も今回の会の参加者の多さには、ビックリしました。

会の中では全員が一言ずつ挨拶をしたのだけれど、先輩の一人が、「今までずっと前だけ見て生きてきたのでこの会に参加しなかったんですけど、そろそろ前がなくなってきたので今度は後ろを見ようかなと思い、今日は参加しました」って言ったのが、妙にわかったりして、心の中で笑っちゃいました。

この会は当時顧問だった設楽一元先生にお世話になった生徒の集まりで、設楽先生が原山中学校に勤務しておられたときには、毎年行われていました。設楽先生が原山中学校から移動になり、さらに52歳でお亡くなりになってからは間遠になり、今回は5年ぶりで、設楽先生の奥様をお呼びしての会でした。

設楽先生にご指導をいただいていた原山中バレー部は、どの期を取っても大変強いチームでした。県大会で優勝するのも珍しくなく、年間3回ある大きな県の大会で3連覇した期もいくつかあります。私たちは、県大会に3回とも出場させてもらいましたが、残念ながら最後の大会で3位になったのが最高で、優勝はできませんでした。

私がいたころの原山中学校は運動部がとても盛んで、現ガンバ大阪の西野監督が2年上にいて、同級生でときどきTVの解説に登場する加藤好男君がいたサッカー部をはじめ、卓球部、女子バスケット部、男子テニス部、剣道部などが県大会の常連だったと記憶しています。

現在、私の会社の代理人をお願いしているのが、バレー部の1年先輩の大倉弁護士で、今回のOB会の幹事。私と妻が仕事のことで伺っても最後に必ず、
「直ちゃん(わたしのこと)、OB会出てよね」
その言葉をもう何回聞いたことか…。妻も、
「大倉先生はウチの会社の仕事よりOB会の方が大事みたいね」
と笑っちゃってます。

翔(かける)が高校でゴルフ部に入部してからまもなく1年。そろそろ、ゴルフのスコアが伸びてもいい時期なのにいっこうにその気配も無し。中学校ではサッカー部のベンチ組で、試合に出たのは中学校生活最後の試合のほんの5分だけ。
「やっぱり、勝ち方を知らないっていうか、最後の踏ん張りがきかないっていうか、いつになったら芽が出るんだろうね。やっぱり子どもが育っていく過程の中で、一度は何かに立ち向かっていく厳しさみたいなものを経験させたいよね。それが運動の世界じゃなくてもいいけど、何かに打ち込んで目標を達成する。しかもそれが一人じゃなくて共同作業なんだからね。そういう体験てなかなかできないもんね。そんな昔のバレー部のOB会にそれだけたくさんの人が集まるっていうのは、やっぱり何かそういうものを共有してたっていう親近感なんだろうね」
と妻は言います。まったくその通りだと思うけれど、勝ちにこだわった部活動の危うさもたくさん見てきているので、
「まあ、翔は翔でいいんじゃないの。でもこのままだと、どうにも芽が出ないで終わっちゃうかもね。一発気合いでも入れ直すか!」

強い部活動がいいのか、それとも和気あいあいと楽しい部活動がいいのか、一長一短あるけれど、どこかで何かに真剣に取り組むっていう姿勢だけは、つけさせてやりたいよね。「優勝賞金もらったら、みんなにわけてやるからね」と言っている翔の優勝はいつのことやら…。まあ、ゆっくり待ってることにしよう!
(文:大関 直隆)