【マイタウンさいたま】ログイン 【マイタウンさいたま】店舗登録
子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

全500件中  新しい記事から  431〜 440件
先頭へ / 前へ / 34... / 40 / 41 / 42 / 43 / 44 / 45 / 46 / 47 / 48 / 次へ / 最終へ  

2003/07/22(火)
第70回「”子育て支援”という名の子どもの受難」
春子の携帯が鳴った。レミからのメールだ。「今日はカレーライスです」

嫁からのメールを最初はうれしく思った。
「リュウ君てとっても優しいしぃ、私、大好き!彼といると癒されるっていうかぁ、ホッとするんです」
ちょっと現代風なところはあるが、おっとりしたいい子だと思った。どちらかというとおっとりしている自分ともうまくやっていけそうだった。

リュウとレミは、俗に言う「できちゃった結婚」で、半年後には子どもが産まれた。それから7ヶ月。
「私仕事が忙しいので、悪いんですけどお母さん”萌”を保育園まで迎えに行っといてもらえます?」
まだこのあたりまではよかった。
「夕飯も作っといてもらえます? 萌にも食べさせて寝かせといてもらえると助かるんですけど?」
最近では当たり前のように、夕飯のメニューがメールで送られてくる。
「今日はカレーライスです」
「今晩はスパゲッティにしてください」
それを作ったら、萌に食べさせて寝かせる、そしてさらにリュウとレミの分も電子レンジで温めて食べられるようにしておけという意味だ。春子もどこか変だと思う。けれども、自分がしなければ萌の面倒は誰が見るのだろうと思うとやめられない。

「リュウ、飲んできたでしょ!? お酒臭い! 私だって友達と飲みたいと思ったって萌のことあるから我慢して帰ってきてるのにずるーい! リュウはウチのこと何にも手伝わないんだから、私にコーラ買ってきてよ!」
もうそろそろ限界だなあ…。春子は思う。やっぱり子どもは自分たちの手で育てないと…。

20日(日)の朝日新聞朝刊にさいたま市の子育て支援センターオープンの記事が載っていました。場所は「エイペックスタワー」の3F。何の巡り合わせか、私が陶芸教室に借りることになっている部屋の真上です。さいたま市の子育て支援の拠点となるところで、主に2歳児までの保護者らを対象に、子育て不安についての相談や子育てサークルの活動支援、ベビーシッターなどの情報提供をするんだそうです。さらに記事によると、今後は浦和駅を利用する保護者らの出勤時に子どもを一時的に預かって市内の保育園へ送り迎えし、帰宅時に保護者に戻す保育ステーション事業も取り入れるとも。「子育て支援」っていうことにはもちろん賛成ですけれど、これって本当に「子育て支援」なんでしょうか?

まあ、子どもを育てている人を支援するっていうことでいえばその通りなんでしょうけれど、誰のための子育てなのかっていう観点からすると、論理が逆になっているように感じます。本来、保護されなくてはいけないのは、子どものはずなのに「子育て支援」という名のもとに保護されているのは母親だけです。もちろん、遊んでいる人たちばかりではないけれど、最近幼児が被害にあった事件を見てみると、ほとんどの場合が親が子どもから目を離して遊んでいるケースが多くないですか?もう少し基本に立ち返って、父親や母親が子どもと接する時間を十分にもてるような子育て支援をする必要があると思います。

高度成長と急激な核家族化は、家庭から父親を奪いました。ここへきての女性の社会進出は著しいものがあります。父親を家庭に帰すことをせずに今度は母親を家庭から奪ってしまうのでしょうか?私は常々、「女性が男性化する社会ではなく、男性が女性化する社会にするべきだ」と主張してきましたが、まさにそのことが今問われているような気がします。子育て支援という名のもとにますます子どもが見放されるようなことがないといいのですが…。

萌ちゃんは38℃近い熱がなかなか下がらないのだそうです。小児科の先生の診断では「特に悪いところはないので、集団の中にいるためのストレスかなあ?」萌ちゃんは毎朝8時から夜7時まで保育園に預けられています。

 
近頃よくあるパターンかも2003/07/24 17:22:56  
                     かーやん

 
リュウさんとレミさん、うらやましいです。
なんだかんだ言いながらも、やっぱり孫の面倒をみてくれる“じーちゃん・ばーちゃん”が
いるんだもの。
私の場合、自分がインフルエンザで10日間熱が続いたとき、子供も具合悪くなるし、主人の
勤務にも支障がでるしで、さんざんな日々でした。最終的には家政婦さんに来てもらったこと
で、ようやく生活を立て直すことができましたが。

現代は生活サイクルの多様化に伴い、支援も様々な形がありますが、何か大事なものが置き
去りにされているような気がします。
お金とかお礼が欲しいわけでなくても、若いお2人には何らかの形で常に感謝を表して欲しい
ですよね!?

   byかーやん
 

元の文章を引用する

 
子育て支援は必要です!2003/07/26 15:19:19  
                     阪神ファン

 
 大関さんのおっしゃることがよくわかりません。リュウさんとレミさんの例はご両親に甘えているだけで、行政による子育て支援とは関係がないと思います。
 私は現在専業主婦をしていますが、仕事と子育ての両立がどれほど大変か想像がつきます。保育園に5時にお迎えに行こうと思えば会社の場所にもよりますが、4時ごろには会社を出なくてはならないのでは?駅で預かってお迎えもしてくれるサービスというのは画期的だと思います。もちろん、ヨーロッパの一部の国のように、父親も育児休暇を取りやすくするとか、時短やワークシェアリングを広げるほうがはるかにいいと思います。でも、なかなか実現しない理想を追い求めるより、現実的に可能なことから始めてもらうほうがありがたいと思います。
 また、専業主婦にだって子育て支援は必要だと思いますよ。子供がいるとちょっとした買い物だって大変です。例えば、スーパーなどで買い物の間だけ子供を預かってくれる施設があれば(あるところもありますが)、目を離して事件や事故に巻き込まれることも減るのではないでしょうか?
 日本は女性(特に母親)が遊んだり楽をすることに非常に厳しい国だと思います。仕事と育児の両立で疲れ果てた母親や、一日中子供といっしょで思うように外出もできない専業主婦はストレスがたまっています。少しでも楽をしてリフレッシュして、その結果子供に余裕を持って優しく接することが出来れば、立派な子育て支援になるのではありませんか?母親を支援することは、間接的にその子供を支援することになると私は思います。もちろん、他人にまかせっきりで全く自分で子育てをしない親は論外だと思いますが。
 

元の文章を引用する

 
Re: 子育て支援は必要です!2003/07/27 6:33:09  
                     大関直隆

 
「子育て支援は必要ない」ってとられちゃった?
ちょっと言葉が足りなかったかなあ?
支援センターがやろうとしていることを排除するという意味で言ったんじゃなかったんだけど…。
私が言いたいのは行政が目指してほしい方向性の問題で、子どもを中心に考える視点がいつもないがしろにされがちだということです。その辺がうまく伝わらなかった?

私も25年前から専業主夫をして5人の子どもを育ててきたので、子育てのストレスはよくわかります(ただし男なので、社会の目は非常に甘かったとは思いますが)。前にもちょっと書いた(?)けど、私が子育てをしていたころには男性用の育児用品なんていうものは皆無で、おぶおうと思っても今のような便利なものはないし、普通に売ってる女性用のおんぶ紐(この言い方すごいね。でも他になかったので…。ときには浴衣の三尺帯なんか使っておぶったりもしてたから。最後の翔を育てるときにリュックを前に背負うみたいにして子どもをだっこできるやつがあったのにはビックリした。なにか作業するには向かないけれど、とにかく両手を話しても子どもの顔が見えるからね)では短すぎて、かなり困ったものです。男性用のトイレに子ども用の椅子とかベッドなんていうものはないので、買い物の途中でトイレに行きたくなったら大変なことになります。おなかの具合が悪いときは絶対買い物には行けません。今では笑い話ですが、まさにそのまっただ中にいるときは大変なことでした。ずいぶんいろいろな機会に活字や言葉や映像を通して「子育てしている者に優しい世の中にしてほしい」ということを言い続けてきたので、少しはそういった方向を応援してきたつもりなんだけどなあ…。もちろん上の二人は保育園だったし、妻が保育園に迎えに行くのはいつも一番最後。いつも園長先生に文句言われてた。そのころは、まだ直接私が子育てをしていたわけではないけれど、5時に間に合わない妻(今から30年近くも前の話でそのころはもちろん妻じゃないけど)に変わって私が迎えに行ったりなんかして…。延長して6時にしてもらったって間に合わないのに、5時なんていう時間の設定はすごくばかげていると思ったし、女性に「働くな」といっているとしか思えなかった。どうしても子どもの見手がいないときに、一時預かりをしていた「乳幼児センター」(たぶんここの役割が発展してきたのが「子育て支援センター」なんじゃないのかなあ?)っていうところにも、かかわってたんですよ。

まあそういう経験をしているので、「駅で預かって…」っていうのは、社会構造のあり方から考えたらもっと違う方向にいくべきだと思うけれど、なかなかのアイデアだとは思いますよ。
ただ、そういったことで子どもにかかった負担を誰がどう取り除くのかっていうことを忘れてはいけないっていうことを言いたかったんだけど…。以外に行政は子どもに冷たいんです。未だに行政は子育てをしたことがない男中心に回っていることが多いし、公務員の大半は子育てについても、条件のいい中で勤めていることが多いですから。(これ、また反論きちゃうかな?)

「自分たちの手で育てないと」っていう部分がまずかったかなあ?
嫁と姑、息子と母親という関係の中で、ちょっとそこのところは若い夫婦の問題として深い意味があったんだけど、伝わらなかったねえ…。すみません。
        大関直隆
 

元の文章を引用する

 
伝わりましたよ。2003/07/31 22:57:57  
                     くわ

 
こんにちは、はじめまして。3歳と1歳の姉妹の母(専業主婦)です。
上手く言葉に言い表せませんが、大関さんの言いたい事は伝わってきました。

読んでいて思い出した事が一つ。20年前、私は保育園児でした。いつもお迎えは一番最後。
待っている時間はとても寂しかった。他の子のお迎えが来るたび、次は自分の番かな・・・って結局最後なんですけどね。迎えに来るのが母親以外だった時(母親の友人や近所の方)は、大声で泣きながら帰りましたね。通行人の方が「誘拐か?」と疑うほど。
今なら考えられない事でしょうけど、保母さんに送ってもらったり、一人で歩いて帰った事もあります。保育園の当時の記憶は寂しかった・・・というのが9割です。楽しかった事も沢山あったはずですが、残念ながら思い出せません。母親となった今は「保育園」がトラウマです(苦笑)

ただ、母親と一緒にいたかったのです。本当にそれだけ。小学生になったら、そんな事思わなくなりました。不思議ですね。

最近の世の中の流れに着いていけない(いきたくない)自分です。


 

元の文章を引用する

 
Re: 伝わりましたよ。2003/08/01 2:24:28  
                     大関直隆

 
ありがとうございます。
いつも私が言いたいことの根底にあるのは、「社会的弱者の立場」ということです。それはときに性差であり、年齢差であり、貧富の差であり、社会的地位の差であります。子育てという観点で見れば、子どもは常に弱者であり、どんなに「悪い子」であっても大人に対して強者ではあり得ません。強者に対して厳しくなるのは当然で、ときに言い方が極端になったりすることもありますけれど、力関係によってひどく傷つけられている人がいるということをぜひみなさんに考えてもらいたいと思っています。
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2003/07/14(月)
第69回「露天風呂」
ギャーア、忙しい、忙しい!!忙し過ぎちゃって寝てる暇がなーい!!
今度、陶芸教室と教育カウンセリング研究所を浦和にできた「エイペックスタワー」に集めることにしちゃった。今は、浦和でしょ、南浦和でしょ、東川口でしょ。私なんか、南浦和から浦和までの定期買っちゃってさあ、南浦和の陶芸教室の駐車場に車停めて、時々浦和までJRで行ってんの。定期買うほど研究所に用があるのかっていうと、そんなにあるわけじゃないけど、お金がないもんだから内装屋さんを頼まないで、一生懸命自分たちでペンキ塗ったり床貼ったりしたんで、愛着があるんだよねえ…。ちょっとかしこまった人と会うときは、浦和にしちゃったりしてね。食事できるとこもいっぱいあるし…。

でもね、本当の理由は、定期を使ってみたかったの!なんかあの「Suica」の定期ってかっこいいでしょ?! そりゃあもちろん、あのデザインじゃなよ。デザインは”ダッサダサ”。ほらあの、”ピッ”って当てて通るやつ。あれやってみたかったの。定期じゃなくてもいいんだけどさ、定期だったら何回通ってもそれ以上お金かからないでしょ。だから”ピッ”ってやってみたくなったら、何回でも安心して電車乗りに行けばいいわけよ。

こんなこと言ってると、読者のみなさんは「いったい大関っていうやつは何考えてんだ?!」って思うだろうね。でもさあ、誰だって子どものころって、定期にあこがれてたんじゃないの? 昔”サッ”って改札口で見せて通っててさ、切符買わなきゃならない私は、すっごくうらやましくて、やってみたかったよ。その後もサラリーマンやることもなかったから、あんまり定期を使ったことがないんだよね。だから今ごろになってやってみたいんだよね、きっと。

さてそれで、エイペックスタワーなんだけど、中の設計を秋葉原にある会社に頼んでるわけ。それがね、担当の設計士の人と気があっちゃって気があっちゃって…。乗りがいいっていうか、何なんだろうね? 私は仕事柄、スーツを着て仕事をすることがほとんどなかったんだよね。でも、これからは増えそうな気配。スーツを着て動くと汗かくでしょ。だから、どうせ内装を手直しするんだったら、会社の中にシャワーをつけてほしいなって思ったの。ちょうどうまい具合にトイレが2つあって、1つをつぶせば何とかなることになったんだよね。”ヤッター!”って感じ。

でも、シャワーの話してたら、「私、腰の具合もあんまりよくないし、やっぱり湯船がほしいよなあ」ってなってきちゃって、
「花井さん(設計士の人)!やっぱりさあ、湯船も作って!」
「んなことできるわけなーい!」
だって、シャワーにとれるスペースって1坪ないんだもん。そこで私のアイデアがジャンジャーンと登場するわけ。どんなアイデアかっていうと、あのほら、キャンプなんかに持って行くコップ。じゃばらみたいになってて伸びたり縮んだりするやつ。わかる?「あれ、作ってよ」って花井さんに頼んだの。中に入って、シャワーでお湯を貯めてね、だんだんお湯が増えてきたら、上の方に伸ばしていくわけ。そうすると、初めから中に入ってるから身体の分だけお湯の量が少なくすむし、お湯を出すときは、上からだんだん縮めていけばいいでしょ。立って入らなきゃならないのが難点だけどね。

「洗車とか釣りのときに使う布でできたバケツみたいなやつでもいいよ」って言ったら、もう花井さんたら本気になってくれて、陶芸教室の内装と全く同じ次元で手帳にメモしてくれてた。メモし終わると、それまで「社長といると頭を柔らかくしとかなきゃダメですねえ」と言ってた花井さんも、「社長! それいいですよ。特許とったらどうですか?」だって。

それが一週間前。そして昨日また会いました。内装の細かい部分まで詰めたんだけど、「あのー、湯船のことなんですけど、広さの関係でやっぱりシャワーの中につけるのは難しいかもしれないんですよ。それで考えたんですけどぉ、あのベランダがありましたよね。あそこ7階なんで、あんまり外からは見えないので簡単な目隠しをして、ベランダで湯船につかるっていうのはダメですかねえ? まあ、露天風呂っていうことで…。それとぉ、カタログ見てたらいいの見つけたんですけど、壁の中に入っちゃうベッドがあるんですよ。社長、結構忙しそうだし、もし会社で徹夜なんてなったときに、あったら便利ですよねえ?」だって。

もちろん、私の答えは、「それいいねえ! そうして、そうして!」でした。隣で聞いていた妻が、
「ちょっと、あんたたちさあ、何本気で考えてるのよ。全体の内装のことと、シャワーとお風呂のことが同じ次元?」
「そりゃあそうだよ」
妻はあきれていましたが、やっぱり人間て、そういう自由な発想って大事ですよね。みーんな子どものころには持っているのにね。子どものときからぜーんぜん変わらないで大人になっちゃってる私の意見でした!

Hi!原稿終わり!
これで電気を消すと、天井には星が燦々と輝くのでした!(わかる?この部屋の天井は蛍光塗料で星が描いてあるの。だから、電気消すと光るんだよ!ただし、これは妻のアイデア!)
(文:大関 直隆)

2003/07/07(月)
第68回「誰がそんなにお寿司を食べたいんだろう?」
最近メッチャメッチャ忙しくて、夕飯を外ですませることが多いこと、多いこと。1日おきに外食、いやいや、3日に2日は外食っていう感じ。諸々の事情で朝昼ほとんど外食なので、“夕飯くらいはウチで”って思うけど、とてもそんなこと言ってられなくなっちゃいました。

専業主夫をして、ずっと子どもを育ててきたけれど、ふつうの主婦と同じように、子どもが大きくなるのに合わせて少しずつ仕事の量を増やしてきました。ここ数年、中学校のPTA役員はしていたけれど、一時の“4校(幼稚園、小学校、中学校、高校)かけもち”みたいな状態からは解放されていたので、それなりに仕事の量も増えてはいました。そこへ妻が定年退職、一番下の息子が高校入学と、我が家の生活パターンを大きく変えるような出来事が続いています。

息子は、よりによってゴルフ部なんていうものに入部したので、お金がかかる、かかる。想像をはるかに超えていて、今までと同じだけ仕事をこなしていたのではとても支えきれない。ゴルフなんていうものをちょっとばっかりやらせた(私も妻も全然やらないのに…)ことを後悔してももう後の祭。妻は年金生活で、今までの収入は半減。この時期になってもボーナス無し。子どもが5人もいるともちろん蓄えなんてあるわけもなく、妻が退職したことを話すと、誰もが同じように、「じゃあ、これから悠々自適の生活でいいですねえ」という言葉が返ってくるけれど、我が家の台所事情はそんなに甘くない!

「ぎゃー、大変!! 働かなきゃ!!」
というわけで、必死になっているわけです。妻は同級生がみな旅行に行ったり、趣味に時間を使ったりしているにもかかわらず、結局働かなきゃならなくて…。トホホッ…。

もっとも、今までと違って学校という枠にとらわれないで仕事ができるので、かえって生き生きしてはいるけどね。「さーて、ビジネス、ビジネス」なーんて、出かけようとしてタンスを開けると、「あっ! スーツがなーい!」

考えてみたら、Tシャツにジーパンなんていうカッコばかりしていたために、スーツの数が足りない。Yシャツに至っては10年以上も前に買ったやつばかり…。「よし! ここは設備投資と行こう!」と、7月が誕生月なのを利用して、丸井(誕生月は5%割引)にスーツとYシャツを買いに行くことに。たまたま7月はボーナスっていうこともあってどこのお店もセール中。丸井もその例外ではなくて、Yシャツなんて、6,800円、7,800円のものが2枚以上まとめて買うと、なんと1枚1,000円!「ヤッター!」とばかり、まとめて12枚も買ってきちゃった。5%割引も合わさって12枚でたった11,400円也!

今日は丸井の宣伝?
いやいやそうじゃなくて、その丸井に行ったときに、7階にあるお寿司屋さんに行ったんだよね。ここがまた安くて人気のお寿司屋さんで、いっつも行列になってる。土曜日だったこともあって、この日もやっぱり行列。店内の待合い用の椅子はいっぱい。外に並べてある椅子もいっぱい。かなり迷ったけれど、ちょうどお昼時だったし、どこへ行ってもそれなりに混んでいるのは仕方がないと思ったので、30分と言われた待ち時間を我慢して並ぶことに。5分くらい並んでいると私たちが並んだ後ろにも列ができてきました。私たちより3組後ろは夫婦2人、子ども2人(幼稚園の年長と年少くらいの)、それにおばあさんらしき人の5人。その5人は2,3分並んではいたんだけれど、決心したように列から離れて、別なお店に向かっていきました。そして、しばらくするとまた一番後ろに子ども連れが並びました。一番後ろまでは待合いの席がなくて立って待っています。これが電車の席なら、すぐに立って子どもに席を譲るところだけれど、このときばかりはそうもいきません。おなかは空くわ、後ろは気になるわ…。「誰がお寿司食べたいんだろうね?あの子どもたちが食べ始めるには30分じゃあ、きかないよ。そこまでして、お寿司がいいのかねえ?今日は誰のために出かけてきたんだろう?」

その翌日、950円のYシャツに味を占めて、ふたたび丸井へ靴を買いに。今度は近くの中華料理店でバイキングを食べてきました。やはりここにも親子連れ。まだ1歳くらいの子を連れた夫婦。お父さんが食べてる間はお母さんが子どもを見て、お母さんが食べてる間はお父さんが子どもを見て…。とっても優しそうなお父さんで、見ていて気持ちがホッとしました。あんな小さい子を連れて中華バイキングなんて食べる必要あるのかなあとも思わないではないけれど、あのお父さんの優しさはそんなこと充分にカバーしてあまりありました。それにしても、あのお寿司屋さんで並んでた親子連れは誰がそんなにお寿司を食べたかったんだろう?
(文:大関 直隆)

2003/06/30(月)
第67回 「浦和駅が一番大変だったよ!」
祖母の法事から帰った私と妻を迎えてくれたのは、孫の蓮(れん)の「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ!」というはしゃいだ声でした。

今朝、娘の麻耶(まや)は、間もなく2歳になる長男”蓮”と生後4ヶ月半の長女”沙羅”(さら)を熊谷から三峰口まで走っているSLに乗せるために出かけていきました。蓮は、生まれて間もないころからわが家の前を走っている高崎線や宇都宮線を見て育ったせいか、電車が大好きです。まだほとんど言葉がわからないうちから電車のことは「ドトンドトン」(これはもっと微妙な響きなのですが文字ではこれ以上表しようがありません)と呼んで、電車が通過するたびに、はしゃいでいました。

そんな蓮の好みに合わせて、麻耶が子守歌代わりに「汽車ポッポ」(汽車 汽車 ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ…)を歌って聞かせていたので、最近では電車のことを「シュッシュッポッポ」と呼ぶようになりました。

機関車トーマスのHPも大のお気に入りで、何度か私のノートPCで見せたものだから、ノートPCを持って帰宅したところを見つかったりすると、もう大変!「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ!」と言いながらノートPC入りのカバンを抱えて離しません。そこで見せなければ見せないで大泣きをするし、見せれば見せたで終わりがない。結局、やめようとしたところでやっぱり大泣き!ノートPCで機関車トーマスを見せてやったときの蓮の喜びようといったら、周りにいるもの全員が蓮の表情を見て微笑みたくなる(いやいや、大笑いしたくなる)ような喜び方なので、飽きるまで見せてやりたいと思うのですが、なかなかそうもいきません。そんな蓮を、”とにかく本物の機関車に乗せてやりたい”と、麻耶が沙羅も連れて熊谷まで出かけたのです。

「明日さあ、蓮を本物の機関車に乗せてやろうと思うんだ!」
「沙羅も連れて?」
「そうだよ」
「二人連れてじゃ、大変じゃん!?」
「まあね」
「明日は法事があるから、誰も一緒に行ってやれないよ」
「なんとかなるよ。だいぶ蓮も聞き分けよくなってきたし…」
「だけど、機関車に乗っちゃったら、機関車見えなくなっちゃうから、飽きちゃうんじゃないの?」
「ハハハハッ! そうかもね。蓮はグリーンセンターのちっちゃな機関車でいいのかな???」
みんなで大笑いになりました。

麻耶は機関車に乗っている蓮をカメラ付き携帯で撮って、メールしてきました。
「なにこれ? 全然つまんなそう! 怖いんじゃないの? やっぱりこれじゃあ、機関車なんか見えないじゃん」

法事から帰ると、機関車に乗った蓮はすでにウチにいて、玄関まで走って出てきました。「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ!」と大騒ぎして、機関車に乗ったことをアピールします。

「こんなに蓮が喜んでて、良かったねえ!」
「うん。運転席にも乗せてくれて、写真も撮れるんだよ。でもね、写真撮りたい子が並んで待ってるから、沙羅を抱えながらで慌てちゃって、いい写真が撮れなかったよ。ビデオもうまく撮れなかった。たぶん、”ほらっ、なにやってんの! 早くこっち向いて!”って言ってる声ばっかりが入ってるよ」(笑)と、自分自身も初めて機関車に乗った麻耶も、興奮気味に話します。

「そういうときは、写真なんか撮ることよりは、その場で楽しんでくればいいんだよ」
「そうだね。でもね、それはあんまり大変じゃなかったの。一番大変だったのは、浦和駅だよ。蓮は寝そうになっちゃってて、ベビーカーもあったから、二人を抱えて、ベビーカー持って…。それで階段上がったんだよ。浦和駅ってエスカレーターもないんだもん。それにそういうのを見たって誰も声かけてくれないの! 秩父はねえ、”ベビーカー、押しましょうか”って言ってくれた人がいた。浦和の人は全然ダメ!」
「おまえ、それはねえ、声をかけちゃ悪いかな?って気を遣ってくれてんだよ。浦和の人はデリケートだから…」
浦和生まれで、浦和育ちの私は、なんだかわけのわからない弁解をして、浦和をかばっちゃいました。

そういう人がいたら、みんなで助け合える浦和の街になるといいですね。それとエスカレーターも早くつけてほしいね。

 
浦和って子連れに冷たい街?2003/07/04 16:33:39  
                     阪神ファン

 
最近、他県から引っ越してきたのですが、「浦和ってひょっとして子連れに冷たい街?」と思うことが多々あります。ベビーカーの使えないところが多すぎる!だから抱っこひもを使っているお母さんの多いこと。うちは、もう使わないので関係ないのですが、もう少し転勤が早かったらと思うとぞっとします。こんな経験もあります。浦和のマクドナルドの店内で4才の娘が転んだ拍子に唇をひどく噛んでしまい、かなり出血し大声で泣きました。近くの席にはたくさんの人が座っていましたが、誰一人声をかけてくれる人はいませんでした。みんな何事もないような顔をして食事を続けていらっしゃいます。ハッピーセットのおもちゃが足元に飛んでいっても拾ってくれることもありません。まあ、声かけてもらってどうなるもんでもないけど、あまりの冷たさに唖然としました。浦和ではこういうの当たり前なんでしょうか?わたしだったら、小さい子が怪我をして泣いていたら、絶対声をかけるし、血を出していたらティッシュくらい差し出すし、おもちゃが飛んできたら拾ってあげるけど。
 

元の文章を引用する

 
Re: 浦和って子連れに冷たい街?2003/07/06 1:39:44  
                     大関直隆

 
ん〜〜〜(>_<)
「浦和っ子」の私としては、浦和の悪口言いたくないし、
困ったなあ…
ちょっと弁解をさせてもらうと、浦和の人ってシャイで人見知りな所があるから…
でも浦和の人間て、ちょっと特殊な意識があるような気はします。
先日、初めて会った奥さんと挨拶を交わしたのですが、
「わたくし、××の家内でございます。ずっと浦和に住んでおります」って言われたのには、さすがの「浦和っ子」の私もビックリ!
「そんなこと聞いてない、聞いてない!」って感じ。
「そうですかあ…。私もずっと浦和なんですよ」って答えといたけど、
浦和の人ってちょっとそういうところがあるんだよね、特に年輩の人たちは。
古い町っていうか、保守的っていうか…。
今の市長さんのお父さんも浦和市長だったし…。
そういうところが外から入ってきた人たち(特に若い世代の)からすると、冷たいって感じるのかもしれませんね。逆に長く住んでいる者からすると、「落ち着いていて住みやすい」っていうことになるんだろうけど…。
そろそろ浦和も変わらなきゃね。
それにしても、そのマクドナルドに居合わせた人たちは、ひどいね。
浦和も「文教都市」って銘打ってるわけだから、偏差値ばっかり追っかけないで、
そういう人の心の優しさも教育しなくちゃね。
駅前が再開発で変わろうとしてるけど、新しいビルを建てるだけじゃなくて、人に優しい町づくり(ハードもソフトも)が進むといいですね。
 

元の文章を引用する
(文:大関 直隆)

2003/06/23(月)
第66回 「名前」
<b>「名前ランキング1987 男の子のトップは”翔”」</b>
なんていう記事が新聞に載りました。
「うそー!?」
「ホントだよ。一番多いんだって」
「なんで? あんなに考えてつけたのに?」
「世の中、みんな考えることは同じっていうことだよ」
「あぁぁ…。でも待てよ…。これはさあ”ショウ”でしょ? ウチは”カケル”じゃん! だから同じなわけじゃないよ」
「そんなの、大差ないでしょ!? それより、”ショウ”って読まれちゃうんじゃないの?」
「ん〜〜〜。そういうことも考えられる…」

<b>−それから2年後 幼稚園−</b>
「”オオゼキ ショウ”君!」
「あぁ〜、呼ばれた…」

<b>−さらに3年後 小学校−</b>
「”オオゼキ ショウ”君!」
「あぁ〜〜〜、またやったぁ…。あいつ、まともに名前呼ばれたことないじゃん」

この「翔」という名前が決まるまでにはいろいろないきさつがありました。16年前、出生届を支所に出しに行った窓口で、「入籍がまだのようなので、”私生児”という扱いになりますが、それで受理してよろしいですか?」

この”私生児”という言葉は正式には使われなくなっていますけれど、窓口でそう言われたときは、さすがに「ああ、籍が入ってないって、そういうことか…」と実感しました。私と妻はそれまで5年間生活していましたが、入籍していませんでした。私と妻にとって入籍してないっていうことが、それほど重大なことかっていうと、それはそうでもなくて、入籍しないっていうことにこだわっているわけでもない。ただ、妻にしてみれば、自分も長女、私も長男で、16歳も歳が違う上、子連れ再婚なんていう状況で、しかもそれまでの生活から私が名前(氏)を変えようしていることはわかっていましたから、「大澤家」(私の実家)に対して申し訳ないっていう気持ちがあったようで、妻はガンとして入籍しようとはしませんでした。
「ん〜〜〜、ちょっと考えさせてください」いったん、帰ってくるしかありませんでした。

「翔」という名前の他にもいくつか候補はありました。私が陶芸をやっていた関係で「炎」とか妻の父が推す「仁」とか…。結局「翔」という名前に決まったのですが、義父は「翔」は「欠ける」と音が同じでよくないとかなり強い調子で反対していました。そんな中での支所でのやり取りは私と妻との心を揺さぶりました。入籍するという決心はほぼついてはいたものの、「翔」という名前もふりだしに近い形に戻ってしまいました。4月13日に翔が生まれて14日が過ぎてもまだ、出生届が出せませんでした。

5月1日、朝日新聞朝刊。
「朝日新聞」という一面の題字の下に「若葉風翔る 三和銀行」という広告が載りました。「うーん、”風”も”翔る”んだねぇ!? やっぱり”翔”にしようよ」たった1行の三和銀行の広告は、「翔」という名前と妻と私の入籍というわが家にとってとても大きな仕事をしてくれました。

「どっちを下にして出しますか? 出生届が下ならいったん私生児として受理して、その後婚姻ということになりますし、婚姻届が下ならお二人の嫡出として受理することになりますけど」
「わかりました。それなら婚姻届を下にしてください」
妻と私が知り合って15年。3人目の子どもが生まれたこのとき、初めて正式に婚姻届を出しました。

一昨年生まれた孫は「蓮」(レン)という名前を付けました。「どこからこんな名前さがしてきたの? 埼玉の人は蓮田の”ハス”って思うんじゃないの???」ところが年が明けて「名前ランキング2002」が発表になると、2位が「翔」で4位が「蓮」に。結局ウチって”ミーハー”なのかなあ?

「それ、ちょっと曲がってるよ。ほら、もっとまっすぐ貼って! もうー、何やってんだよ!」
わが家の壁には「命名 沙羅」の文字が…。「なんだか麻耶(まや)の子どもの名前って、宗教じみてないか? ”蓮”の次は”沙羅”?」来年発表される「名前ランキング2004」のベストテンには、きっと「沙羅」の文字があることでしょう!
(文:大関 直隆)

2003/06/16(月)
第65回 「エキスを吸い取る」
陶芸を教えていると、いろいろな話になるんですよね。
陶芸の技術的な話はもちろんですけど、例えば「益子に行く」とか「笠間に行く」とかいう話になると、陶芸の話からだんだん離れて近くの観光地の話、さらに花の名所、いい温泉…なんていう風にね。今年はずいぶんお花見の話をしました。そんな話の中にけっこう私のプライベートな話も混ざったりしてね。

たまにTV局なんかから電話があると、「先生、またTVでるんですか?」っていう話になっちゃう。今までのことをよく知っている人はいいんですが、何も知らずに陶芸をやりにきてる人はわけがわからないので、そこで最初から説明をしなくちゃならない。そうすると「あ〜、どっかで会ったことあると思ってたんだけど、私TVで見た!」なーんてね。またTVの出演依頼が何本か来ていて、今日も「出るときは教えてください」みたいな話から、「歳の差のある夫婦っていうのは、年上の人が年下の人からエキスを吸い取っちゃう」って言いだした生徒さんがいて、「だから妻は若くいられる」っていうんだよね。もちろんそれは夫婦に限ったことじゃなくて、歳が離れていればそうだって…。

だから、子どももおばあちゃんに育てられるとエキスを吸い取られちゃうので、おばあちゃんは若々しくなるけど、子どもはおとなしい子になっちゃうんだって。「はあ、なるほど…。そういえばウチの翔(かける)は私の曾祖母と祖母に育てられたから、確かに大人しい…」なーんて、えらく納得しちゃったりして…。

そんな単純なわけないっちゅーの!
でも、一理あるなって思うのは、やっぱり年輩で子育てを経験してきている人たちは子どもとの接し方が落ち着いているんだよね。その「落ち着いている」っていうのが重要で、あんまりせかせかぎゃーぎゃー怒らずに、ゆったり話しかけてあげるとどんなに小さな子どもでも、やっぱり落ち着いてゆったり(テンポだけじゃなくて、もちろん心もね)話すようになるよね。

さっき、7月で2歳になる孫の蓮(れん)と生後5ヶ月の沙羅(さら)、妻と娘と息子、それに私の6人で食事に行きました。孫はまだ小さいので、外食するっていうことはほとんどないんだけれど、今日はいろいろ事情があって迷ったすえにそういうことになっちゃった。ウチにいるときはいつも落ち着きのない蓮が、子ども用の椅子に座ったらビックリするほどおとなしくて、一人で一生懸命食べてるんだよね。「おーっ、いい子に育ってるじゃん」っていう感じ。ちょっと自慢に思ったりなんかしてね。

ちょっと妻と仕事のことで打ち合わせをしたいことがあったので、娘と孫二人は先に家に帰ることに。ちょうど娘が出ていくのと入れ替わりに、蓮とほぼ同い年くらいの男の子を連れた夫婦が入ってきて、私と妻から正面に見える席に座ったんだよね。それが珍しいことにお父さんと子どもが隣に座って、お母さんが子どもの正面に座ってるの。もう少し子どもが大きくなるとそういうこともあるんだけど、ちょっとあの年齢ではね…。食事の間中ずっと、お母さんは子どもに落ち着いてにこやかに接してるんだよね。子どもも一人でとってもおとなしく、食べてるの。「ほっ、ほーっ!」っていう感じ。

とても厳しいしつけをしてるなんていう風には見えなかったけど、あの子どもの落ち着き方を見ると、やっぱり子どもはお母さんの優しさをしっかり受けとめるんだね。もちろん、お父さんもとっても優しく子どもと接していましたよ。それを見ていた私と妻も、とても優しい気持ちになりました。

孫を見ているおばあちゃんは、必ずしも子育てがうまいっていうわけじゃなくて、「最後は親の責任」っていう気持ちがあるから、ゆったりと孫の面倒を見られるっていうのもあるよね。私も孫に対しては無責任だもんね。

そうそう、話は戻るけど、年上が年下のエキスを吸い取っちゃうっていうのが事実とすれば、私は吸い取られちゃってるわけ???どおりで最近痩せてきたと思ってたら、吸い取られすぎてしぼんじゃってんのかな???
(文:大関 直隆)

2003/06/09(月)
第64回 「怒る」と「叱る」
ちょっと今回は理屈っぽく…
「あなたたち、『怒る』と『叱る』の違いがわかってる?」

ある保育士が保育実習にきている学生たちに言いました。学生たちは、漠然とした違いは感じるものの自信がなかったので、その後の質問の矛先が自分に向けられないように、全員が曖昧に目を伏せました。「あなたたち、そんなこともわからないで子どもたちと接してたの? もっと勉強しなきゃダメよ!」怖い怖〜い保育士の一撃が学生たちの上に落ちました。

さて、みなさんは「怒る」と「叱る」の違いがわかりますか?
「怒る」が感情的、「叱る」は理性的っていうような感じがしますよね。怖い怖〜い保育士もそういうことが言いたかったんだろうと思うし、学生たちもおそらくその通りに感じていたんじゃないかな?やっぱりこういうことは、きちっとしなきゃいけないから広辞苑を引くと、

<b>・「怒る」</b> 1)いかる。腹を立てる。 2)叱る。
<b>・「叱る」</b> (目下の者に対して)声をあらだてて欠点をとがめる。とがめ戒める。

ということになります。さらに、

<b>・「とがめる」</b> 1)気にかける。取り立てて気にする。 2)取り立てて言う。 3)取り立てて問いただす。責める。非難する。
<b>・「戒める」</b> 1)(禁じられていることを)教えさとして、慎ませる。 2)過ちのないように注意する。用心させる。 3)行動を禁止する。とどめる。4)罰する。(「戒める」については、明らかに意味の違うものは省略しました)

こうして意味を調べてくると、目上の者が目下の者に対して「怒った」場合は「叱る」と言えなくもないっていうことがわかってきます。ここで重要なのは、「叱る」という言葉は、常にそこに身分の違い(年齢の上での上下、地位の上での上下といったような)が存在するということです。私も、子どもに対して「教えさとす」ということがあってはいけないとは思いません。けれども、「教えさとす」ということは、「教える」わけだから、その内容が絶対に正しくなくてなりません。子育てにこの「絶対に正しい」っていうことがあるかっていうと、これが難しい。

例えば、食事の時に食べ物をこぼす子がいたとする。あるお母さんは「こぼさないように食べなさい」と叱った。あるお母さんは、子どもの自主性を育てるためにこぼすことを容認した。どちらも間違ってはいないですよね。けれども、目に見える現象はまったく逆の結果になる。結局そこに「絶対に正しい」ということは存在しない。

保育や教育の現場で、「怒る」ことはいけなくて、「叱る」ことはいいように語られることがよくあります。おそらく前出の保育士もそういうことが言いたかったのでしょう。けれども、私はまったくその逆に「叱る」がいけなくて、「怒る」がいいのではないかとおもいます。子育てや教育を語るときに「子どもの目線」という言葉をよく使います。私はもう少し踏み込んで、「子どもと対等」とか「子ども扱いしない」とかいう言葉を使います。「叱る」という言葉は、上下関係があるときに成り立つ言葉だから、もし子どもと対等と考えたら「叱る」ということはなくなって「怒る」ということになる。

叱られたら、そこに上下関係が存在するわけですから反論はできませんが、怒られたのなら反論の余地がある。私は子育てや教育にはそれが重要だと思います。子どもにも意見を言う余地があるからこそ、子どもは考えるのであり、自立していくものです。また、それが自分の行動に責任を持つことにもつながっていく。

子どもに腹が立つときがあったら、「しつける」なんていうことは考えずに、しっかりと「怒って」みたらいいんじゃないのかな? それが子どもを一人の人格として認めることになると思うんですけどね。

ただし、自分の力(腕力)の方が強いことを笠に着て「怒った」ら、それは不平等。それはやっちゃいけない。子育てや教育に「正しい」なんていうことはまずあり得ないんだから、やっぱり保育士や教員も「叱っ」ちゃいけないんだよね。
(文:大関 直隆)

2003/06/02(月)
第63回 「スポーツと教育」
昨年のワールドカップ日韓共同開催やJリーグの隆盛によって注目を集めているサッカー。たしか3月4日からだと思いますが、朝日新聞の火曜日の朝刊に『井原正巳の世界』というコラムが連載されています。4月22日のコラムの中で「DFにとって反則は必要なプレーだ。反則の多いチームの方が勝つ確率が高いとも言われる。1点を取られる場面、警告を覚悟して反則で止めるプロフェッショナルファウル。よくその良しあしが議論になるが、それも選択肢だと思う。」と井原氏が述べたところ、多くの反響がありました。反則をしないDFを望む人、反則が必要なときもあると容認する人…、その後5月13日の連載まで反則の是非についての議論が続きます。

ちょうど例の「おやじ子育て大学」と時を同じくしていたので、私は「子育てにおける男の感覚」という意味で、興味深くその議論を見ていました。
私はどちらかと言えば「反則容認派」です。というか「当然」と考えています。私が育ったころの浦和はまさにサッカーの町でした。今ほどサッカー熱が高かったとは思いませんが、とにかく全国で浦和という町は抜きん出ていました。中学の2年先輩に現在ガンバ大阪の監督をしている西野朗さんがいました。よくNHKの解説をしている加藤好男君は中学のクラスメイト、田島幸三君は高校のクラスメイトです。そういった中で育ってきていますから、スポーツという世界が勝たねばならない世界であることをよく知っています。特にプロならなおさらのこと。反則をしないで負けるより、反則をしても勝った方がいいに決まっている。

私も中学に入学しての数ヶ月間、サッカー部に所属していました。そこで先輩からだったか、先生からだったか指導されたのは、「試合が始まったらまず敵のストライカーを蹴飛ばしてこい」ということでした。「まず怯ませる」、これは戦術としてはなかなかいい戦術です。それが勝負です。誰も「参加することに意義がある」なんて思ってやっている人はいませんから、当然です。

スポーツの世界で「フェアプレー」っていうのが高く評価されることがありますが、よく考えてみるとちょっと変ですよね。「フェア」でないことが前提にあるから「フェアプレー」が評価されてる。私はスポーツはそういうものだと思います。特にプロスポーツの世界は…。それが嫌なら、スポーツをやめればいい。

ここで問題になるのは、教育とスポーツの関係だと思います。前述したようにスポーツの指導者が勝つことを教えるのは当然だと思いますが、教師の役割はちょっと違います。よく、スポーツをやることで礼儀が身につくとかモラルが身につくというような言い方をする人がいますが、これは明らかに嘘です(百歩譲って私の知る限りではとしましょうか)。ここで言う「礼儀」とか「モラル」は、あくまでも指導者への服従という意味しか持っていません。簡単なことでいえば、私が高校の時、放課後掃除をするよう決められていましたが、サッカー部で掃除をしている人は皆無でしたし、ある学校の野球部では万引きをした生徒が処分をされませんでした。

スポーツの世界の論理を単純に学校教育に持ち込めば、学校のモラルは崩壊します。5月13日の記事の中でセルジオ越後氏は、
「ルールを、ただ守るためにあるとみるか、自分が得するためにあるとみるか。例えばぼくは赤信号を「道路を渡っちゃいけない」でなく、「車にひかれちゃいけない」と考えている。交通違反にいろいろあるように、スポーツの反則にもランクがある。ルールの幅をどう考えるかです。絶対許されないのは、選手生命を絶つようなけがを負わせるものだ」
と言っています。大変わかりやすい話ですが、学校では赤信号を無視してもいいとは教えられませんよね。

子育てや教育には自分だけが得をするといった考えがあってはいけない。また、そんなことはあり得ないんです。「ルールの隙をついて自分が得をする」と考えるのではなくて、「ルールがなくても皆が幸福な生活を送れる」と考える方がより健全な子育てや教育なんだと思います。

スポーツの世界って男的。それもいいけど、あんまり子育てや教育の中にははびこってほしくないですね。
(文:大関 直隆)

2003/05/26(月)
第62回 「求められる父性」
「父親参観」っていう言葉が公立の学校から消えて、ずいぶん経ちます。幼稚園には残っているところも多くて、母の日にはお母さんの絵を描かせたり、父の日にはお父さんになにかプレゼントをさせたり…。そういえば、私も父の日に柄の部分に私の顔が描いてある靴ベラををもらいました。

子どもを持った”シングル”の増加は、子育て観に大きな変化をもたらそうとしています。「母子家庭」という言葉から、以前のような悲愴感は消え、むしろ今は「シングルマザー」と名を変えて、もてはやされそうとしている。

そんな時代ですから、仕事のために父親不在になっている家庭と併せて、子育ての中での父親(あるいは父性)の存在がクローズアップされるのは当然の結果だと思います。そこで重要になってくるのが、子育てにとっての良き父親像。これが一番大切なところで、本来だったら父親の存在が子育てをよりよい方向に導くところなのでしょうが、これが意外に逆な方へと向かってしまう。世の父親たちはあまりにも子育てから遠いところで生活しているんです。そのことが「シングルマザー」の存在を後押ししているとも言えなくはない。まあ、そんなことから「おやじ子育て大学」的な発想が生まれてきたんでしょうね。

土曜日とか日曜日とかに授業参観がある(週5日制の実施でかなり少なくなってしまったようですが)と、数人のお父さんが訪れます。ときに懇談会まで残ってくれて、意見を述べてくれることも。ところがここで発言する内容といったら、
「最近の子どもたちはまったくしつけがなってない。ビシビシやってください」
「先生方は子どもを甘やかしている。ときには殴ったっていいじゃないですか」
と、くる。

本当にそう考えているお父さんは少なくなってきているんでしょうが、そういう場所で発言するお父さんには、どうもそういう傾向がある。一旦そういう方向で話が進んじゃうとそれを軌道修正できるお父さんやお母さんは少なくて、よほど先生が頑張らない限り、「学校では殴ってでもいいから、子どもを厳しく指導してください」というのがなんとなくその場の結論になってしまったりして…。「厳しい」っていうことが子育てにとってある意味で必要だということは私も認めるけれど、「社会はそんなに甘くない!」的な厳しさを子どもに押しつけるのはちょっとね…。あまりにも子育てが見えてない。

子育ての中に必要とされている「父親」とか「父性」っていうものは、子どもに対する暴力的な厳しさじゃなくて、父親自身が持っている「自分自身への厳しさ」なんじゃないのかな…。そこをはき違えて、子どもにだけ厳しくしても、子どもは真っ直ぐ育つわけがない。父親が子育てに参加しようとしたら、まず初めにやらなくちゃいけないのは、自分の生き方の検証でしょうね。自分の生き方と照らして、どう子どもに指導できるかを考えた方がいい。子どもに対してひかない父親である前に、自分の生き方にひかない自分でありたいですね。それが「しっかりと家族を守っている父親の強さ」と子どもに映れば、つまらない子どもとの接し方なんて学ばなくても、きっと子どもに伝わると思うけど…。それがきっと「父性」の本質なんじゃないかな???

「父性」って他人に対する力みたいに言われがちだけど、本来はやっぱり自分に対する「厳しさ」が本質だよね。もちろん父親だけでなく、母親の中にもあるべきものだと思うけどね。
(文:大関直隆)

2003/05/19(月)
第61回「おやじ子育て大学 その3」
「銭湯」っていえば、最近本当に増えていますよね。20年あまり前にいろいろな事情でちょっとだけ水商売をやってたことがあって、その時借りてたビルが「埼浴会館」。このビルは「埼玉県公衆浴場組合」(確かそうだと思うんだけど)っていう団体が持ってるビルだったんです。まあ、柔らかくいえば埼玉県の銭湯を経営している方々の組合です。当時の理事長さんには、とってもお世話になりました。何度か話をさせていただきましたけれど、これからの銭湯は従来の銭湯とは違い、複合型の銭湯(サウナ有り、食堂有り、マッサージ有りのような)でないと生き残れないとおっしゃっていました。経営者はみんなわかっているんだけれど、それには相当の資金がいるから簡単にはいかず、廃業せざるを得ないんだとも…。

私の行ってたころの銭湯っていくらくらいだったかすっかり忘れちゃった(というより母が払っていたので知らないのかも? 確か大人1×0円だったような気がする)けれど、まあそんなにすごーく儲かるっていうような仕事じゃないから、同じ公衆浴場とはいえ改築してまったく違った内容にするのは難しかったんだろうという想像はつきます。今流行りの「××の湯」っていうやつはかなり大規模だからそれなりに大資本じゃないとね。銭湯を経営している側が「番台に座ってるスケベなおじさん」(変な言い方してすみません。昔よく社会全体の中に親近感を込めてそんな言い方が蔓延してたので)から、顔も名前も知ることのない会社の社長になってしまった。

私の実家のある「原山」という地域は、旧越谷街道沿いに現在ドンキホーテがある花月の交差点までずっと商店街がつながっていました。そこに長崎屋ができたことで状況は一変しました。昔あった肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん、駄菓子屋さんは一件もなくなり、閑散とした通りに…。実家は長崎屋からそれほど遠くない距離なので、徒歩で買い物に行けない距離ではないけれど、長崎屋に来る買い物客はほとんどが自転車か車。日曜日には駐車場に入る車が狭い越谷街道で渋滞することも…。肉屋のおじさんや魚屋のおじさん、八百屋のおじさんたちと話をすることはなくなり、お金を払うのにもいっさい口をきく必要もなくなり、ときには買い物から帰るまで一度も口を開かなくてすんでしまうなんていうこともあります。

そんな中で子どもたちは育っています。これは父親のせいでも、母親のせいでもない。地域とのコミュニケーションなどというものは、銭湯どころでなく地域のどこを探してもない。

最近の社会情勢を受けて、数年前から緊急時の子どもの避難場所として、「子ども110番の家」(地域によって呼び方が違うとは思いますが)というのを地域のお店あるいは角の目立つ家などにお願いしています。幸い私の住んでいる地域ではほとんど利用されたという例はありませんが、そういうことをお願いしなくてはならないほど、地域との関わりが希薄ということはいえます。

けれどもこれは、誰のせいでもない。社会情勢がそうなったということです。それを父親母親に社会との関わりを持つよう促しても無理です。そういった社会情勢の中での人と人とのコミュニケーションの取り方を子育てという観点に限らず、大人も子どもも考えていく必要があるんじゃないでしょうか。

なんだか、まだ終わらないなあ…。父親の子育て観が言えないうちにこんなに長くなっちゃったので、「おやじ子育て大学」にこだわらずに、次回述べたいと思います。

 
お久しぶりです2003/05/23 10:23:04  
                     みっちゃん

 
今年は小学校で教育環境委員会の副委員長になってしまいました。今年、うちの学校では「こども避難所」の見直しを検討しているようです。数年前こども避難所をお願いしたお宅もいつの間にやら、日中留守だったり、先生や児童、保護者、それぞれがどこのお宅が避難所になっているかわからないという状況にあります。実は私も自分の子供の通学路にある避難所がわかりません。そして、実際避難所が活用されたのかも。本当はそんなことないに限るんだけど、変な人多いですからね。今年は子供たちと避難所になっているお宅に日頃の協力を感謝しに伺う行事があるそうです。昔は避難所など設けなくとも地域全体で守ってくれているような気がしてましたが、今は希薄な世の中になりましたね。
 

元の文章を引用する

 
Re: お久しぶりです2003/05/25 5:32:45  
                     大関直隆

 
役員になるのをみなさんイヤがりますけれど、学校の様子もずいぶんとわかるようになるし、先生方との距離も縮まりますから、私は積極的に受けるようにしていました。結局20年やっちゃったわけですけれど。17日にあったPTA総会で私も義務教育を終了しました。
避難所の問題は、利用する機会がほとんどないので忘れられがちですよね。私の地域でも、お願いしたお宅の名簿の整理とプレートの破損の点検を一斉にやったことがありました。重要なのは、日常の注意喚起だと思います。誘拐事件が起こっている中で、ますます地域との連携は重要になってきていると思います。地域というと、年輩の会長さんたちとの儀礼的なお付き合いになりがちですが、できるだけ身近な関わりができるといいですよね。
 

元の文章を引用する
(文:大関直隆)