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子育てはお好き? 専業主夫の子育て談義!
大関直隆 1957年生まれ。妻は高校1年生の時の担任で16歳年上。専業主夫(だった。今は陶芸教室をやっている会社の社長兼主夫)。 子どもは義理の娘・弘子(1968年生まれ)と息子・努(1969年生まれ)、その下に真(1977年生まれ)、麻耶(1979年生まれ)、翔(1987年生まれ)の5人。 5番目の子どもの出産ビデオを公開したことでマスコミに。その後、年の差夫婦、教師と教え子の結婚、専業主夫などたびたびTV・新聞・雑誌に登場。社会現象を起こす。 妻・大関洋子(上級教育カウンセラー)とともに、育児、子育て、性教育、PTA問題等の講演会や教員研修などで全国を回る。

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2003/03/04(火)
第50回 「小澤征爾っていい音?」
妻は音楽、長女は油絵、長男はバレエ(モダンダンス)、次男は演劇、私は陶芸。よく「芸術一家ですねえ」なんていう言われ方をするけれど、そりゃあまったく実態を映していない!要するに、私が勉強嫌いな上に、サラリーマン生活に耐えられないと思ったからこんな生活をしているわけで、それを見て育った子どもたちも、勉強嫌いで、サラリーマンやOL生活に耐えられないと思っている、というのが実のところじゃないのかな???

妻は、音楽といっても38年間教員生活を続けてきたわけだから、かなり健全だけどね。「芸術」(なーんてそんな大げさなことを言いたいわけじゃないけど)ってなかなか難しくて、ホントは何が芸術なんだか全然わかんない。確かにいい絵を見たり、いい陶器を見たりすると、「なーるほど!」なんて思うこともあるけど、「なーにこれ?」なーんて思うこともある。例のゴッホの絵じゃないけれど、その絵そのものがいいか悪いかじゃなくて、誰が書いたかが問題なんだよね。まあ、そこまでに至るには、それなりの評価があるわけだけれど・・・。

もうずいぶん前(20年とかそれくらいかな?)になるけれど、上野の東京文化会館で、小澤征爾が振ったサンフランシスコ交響楽団を聞いたことがあるのね。これにはすごく感動した。なんかこう音がすごくクリアで、爽やかっていうか、すっきりするようなっていうか、そんなような記憶。何の曲だったかも覚えてないんだけどね。アンコールはヨハン・シュトラウスの「ピチカートポルカ」だったと思う。その後何年かして、今度は小澤征爾が埼玉会館で新日フィルを振ったことがあったのね。これには私はがっかりだった。なんか音が沈んでて、のびてこないわけ。「もうちょっと、もうちょっと! もうちょっと、ここまで来てよ!」っていう感じ。

「何、この違い!」と私はがっかりしてホールを出たんだけれど、ホールから出てきた人たちのほとんどが、すごく感動してて、
「やっぱり小澤ねえ!」「感動したわぁ!」
なーんてやってるわけ。
「おいおい、冗談じゃないよ。こんなののどこがいいんだよ! 小澤征爾なら何だっていいわけじゃない。いったいどういう耳してるんだ!」って言ったかどうかは覚えてないけど、私はそんなように感じたのを覚えてる。
でも、音楽の教員をやってた妻は、音がよかったんだか、悪かったんだか全然わからないらしくて、
「あっ、そうなの? 今日のはあんまりよくなかったんだ?」
だって。困ったもんだよ・・・。

なんていう番組だったかなあ?
値段のまったく違う楽器を弾いたり、ワインを飲んだりして、どっちが高級なものだか当てる番組をやってましたよねえ? けっこう当たらないのね。でも、そんな感じだよね。高いって言われれば、いい音だったり、美味しいような気がするし、安いって言われればいい音じゃなかったり、まずいような気がする。けっこうみんな、小澤征爾って言うだけで、絶対いい音だって思ってる。

少し前(これは何十年も前じゃないよ)に保育園で生演奏を聴かせて保育をしているっていうのをニュースで取り上げてました。泣いたり騒いだりしてる子も、生演奏が始まると落ち着いて静かにしてるんだって。確かにそういうこともあるかもしれないねえ。私も音楽好きだから、「子どもだって音楽聞いたら落ち着く」なんていう気もするけれど、でも、ホントかな?

まだしゃべれないような子にも音楽は通じるんだなんていうようなこと言ってたけど、何かちょっと疑問。演奏家の人たちが中心になってやってるみたいだったけど、演奏してる側の自己満足なんじゃないのかなあ???いい音楽を聴かせたら情操教育になるっていう発想なんだろうけど、音楽としてどうしようもない音楽だったらどうすんだろっ? いいか悪いかなんて、すごく難しいのに・・・。

連れて行ってるお母さんが音楽好きなら、もちろんそれでいいんだけど、そういうふうに育てたら「いい子に育つ」と思ったら、間違いだよね。私も生活の中に音楽があることは賛成。でもそれはあくまで大人の側の自己満足に過ぎないんだと思うけどね。大きくなったら音楽のわかる人になるかもしれないけれど、音楽のわかる大人が「いい大人」っていうわけじゃないし・・・。音楽やってる人でも、やな奴いっぱいいるよ。ところで、埼玉会館の小澤征爾はみんなが感動してたように「いい音」だったのかなあ?私にはどうしようもなく聞こえたんだけどなあ・・・。

 
指揮者も2003/03/04 14:02:12  
                     初めまして

 
そうかもしれないけれど、やっぱ演奏者や場所も関係するんじゃないですか?
などと、たかだか中学3年間吹奏楽部だっただけでウンチク語ってみたりする。もうあれは20年も前だと言うのに。だけど、腹の底から出る音は澄み切った青空のような気持ちいい音が出ると思います。私はコントラバスでしたが・・・・・。

いい音楽と言うよりもいい音、心地いい音楽が感動を与えるのではないでしょうか。

昨年は学習院大学の定期演奏会に望んで行ったにもかかわらず、睡魔に襲われ不覚にも寝てしまいました。が、今年はちゃんと演奏を聞きたいですね〜。

 

元の文章を引用する

 
確かに演奏者や場所の問題はありますよね2003/03/05 19:08:23  
                     大関直隆

 
サンフランシスコ交響楽団と新日フィルの違い、東京文化会館と埼玉会館の違い、それは間違いなくありますよね。私も音の違いなんてそんなにわかってるなんて言えないですけど、あのときは、どういうわけかそんな感じを受けちゃったんですよね。だけど、ほとんどの人たちは、「小澤が振った」というだけで感動してたんですよ。まあ、それも音楽の楽しみ方の一つなんでしょうけれど…。
本当は、生演奏を子どもに聴かせている託児所の話がメインのはずだったんですけれど、すっかり音楽のことになってしまいました。(笑)
 

元の文章を引用する
(文:大関直隆)

2003/02/25(火)
第49回「義務教育、終了間近」
「大関さん、もう学校来なくていいんだ?」
「いやいや、そんなことないよ。卒業式終わっても、懇談会あるでしょ」
「懇談会来るの?」
「教頭先生! 懇談の前にPTA会長のあいさつ、放送で流すんですよねぇ?」
「ええ、流します」
「ほーらね。だから、懇談はなくてもあいさつには来なくちゃならないでしょ。それとも、副会長がやる?」
「原稿書いといてくれればね。あっ、そうだ! 放送なんだから、テープに録音しとけばいいじゃない!」
「そこまでやるぅ? そんなことまでしなくても、5分かそこらのことなんだから来るよ」
つい先日行われたPTAの総務会でのことです。私が仕事でなかなか時間を取るのが大変なことを知っている総務会のメンバー(私の他に副会長2人、幹事3人、教頭先生)が、私に気を遣っての会話です。私が仕事のために、懇談会のあいさつをパスするような性格でないことはよくわかっているメンバーですから、ちょっとジョークも入っているのですが・・・。こういう話が出てくると、「ああ、もう中学校も終わりだなあ・・・」なんて実感します。

義務教育が終了するというのは、子どもにとっても、親にとっても、一つの大きな区切りです。子どもの中学校卒業というのは、これで5回目ですが、どの子の時も「うれしさ」と「寂しさ」と、そしてなんとも言えない「ホッとした気持ち」で複雑です。とりあえず、「親としての最低限の責任は果たしたかなあ?」、そんな気持ちが涌いてきます。わが家も翔(かける)が最後の中学生なので、なおさらそんな気持ちが強く涌いてくるのかな???

私自身のPTAとの関わりも、中学校で初めて役員をやらせてもらってから、ちょうど20年になります。PTAでは、ずいぶん多くのことを学ばせてもらいました。初めての役員のときは、私と12歳しか離れていない息子のクラスでしたから、周りのお母さんの中には、私より30歳くらい年上の方もいました。逆に、翔の学年のお母さんの中には、わが家の長女よりも年下のお母さんがいますし、PTA会員全体を見回すと、私よりも20歳くらい年下のお母さんもいます。

この両者の50年の開きは、かなり大きな価値観の違いを生んでいます。そんな中でPTA活動をしてきた私には、「今時の若いお母さんは・・・」という言い方が、当たっていることも大変よくわかるし、また反対にまったく当たっていないこともよくわかります。けれども、しつけの仕方や子どもとの接し方が大きく変わっても、子どもを大切に思い、愛情を持って接している親の気持ちは、いつの時代もまったく変わりません。

教員を長くしてきた妻が昨年3月で退職したことで、翔の同級生のお母さんたちと関わる時間をずいぶん持てるようになりました。
「いろんなことをお母さんたちから教わったよ」
最近、そんな言葉が妻の口癖のようになっています。今まで教員という立場からしか見られなかった子どもと親の関係が、初めて「子どもを持つ親」という立場で見られるようになったというのです。そして、そういう立場でお母さんたちと付き合ってみると、子どもを大切にするということがどういうことか、よくわかると言っています。

私が経験してきたPTAは、誰もがみんな対等でした(やたら威張ってる人がいるPTAもありますけど。ひょっとすると、私もそう思われてるのかもしれません)。組織上での地位や年齢に関係なく、「子どもに対する愛情」という部分でみんなが手を結べたら、きっと子どもたちにとって幸せな世の中になるんじゃないのかなあと思うのですが・・・。

これで義務教育も終わりかって思うと、やっぱりちょっと寂しいですね。
「大関さん、会則変えて、会員資格を『会費を払った人』ってしたら? そうすれば、まだ会長やれるでしょ?」
「バカなこと言わないでよ。PTAは自分の子どものためにやってるんでしょ。そこにいる人たちがやらなきゃ。うまくいかないことがあっても、試行錯誤の中から必ずなにか生まれてくるよ。みんな、子どもを愛してるんだから・・・」

3月14日(金)が卒業式です。
(文:大関直隆)

2003/02/18(火)
第48回 「訴えてやるー!!!」
ずいぶん前になりますけれど、ある小学校で子どもの歯が折れたということで訴訟騒ぎになったことがありました。どんなことだったか、はっきり覚えてはいませんが、確か教室の中を歩いている時に、いきなり足を出されて転んだ拍子に机の角に歯があたって、折れてしまったというようなことだったと思います。もちろんお母さんはカンカン。足を出した子にも相当腹を立てていたと思いますが、それにも増して腹を立てていたのは、学校の対応でした。

お母さんは、
「そういう状況を招いた学校の管理責任をはっきりさせろ」
と言っているのに、学校にはまったく通じず、学校は個人的な問題として処理をしようとしているようでした。そんな学校の態度に納得がいかず、訴訟にまで発展してしまったのです。

わが家でも、長男の努(つとむ)が中学校でいじめにあったとき、一番下の翔(かける)が同級生に殴られたとき、ともに学校の対応は同じようで、暴力を振るったお子さんがお母さんと一緒に菓子折を持って謝りにきました。もちろん、暴力を振るうという行為が許される行為でないことは言うまでもありませんから、その子自身の謝罪というのも当然です。けれども、それで問題が解決するわけではありません。暴力を振るおうと思った原因が取り除かれたわけではないのだから・・・。

いじめや暴力が横行するような学校は、雰囲気でわかります。よく言われるような「今の若い親はしつけがなっていない」という問題とは次元が違います。個々の家庭の問題も一つの要因ではありますが、子どもたちが集団としてどのような扱いを受けているかと言うことがかなり大きな要因になっているように感じます。そう考えると、個人的な問題に見える小さな事件も、学校全体の問題なのです。

先日、大阪府は学校での事故に備えて、弁護士を顧問として対処すると発表したようです。その記事は、教員の対応の悪さがさらに事態を不利にする可能性があるので、法律の専門家を前面に出すことで、事が有利に運ぶようにする、という趣旨でした。

これからの日本が、アメリカのような訴訟社会になっていくだろうことは、予測がつきます。教育の現場で何か事件・事故が起きるたびに、訴訟騒ぎになっていることも事実です。けれども、教育は単純に「勝った」「負けた」で判断できるものではありません。訴訟を起こして勝った側も、負けた側も大きな傷を負います。

行政も単純に自分たちの責任を少しでも回避しようとするのではなく、その原因がどこにあって、どうすれば本当の問題の解決ができるのかということを考えてほしいものです。

おそらく、子どもたちが引き起こす事件を想定しているのではなく、学校で起こる事故を中心に考えてのこととは思いますが、この記事を見て寂しい気がしたのは私だけでしょうか・・・。
(文:大関直隆)

2003/02/12(水)
第47回 「大学に託児所」
何日か前に、車を走らせながらラジオを聞いていたら、託児所を作る大学が増えているという話をしていました。ラジオのスイッチを入れたときには、もうその話をしていたので、若干聞き損なっちゃってるところがあったかもしれないけれど、学生が授業を受けている間、子供を預かる託児所を作る大学が、徐々に増えているという話でした。
昔だったら学生結婚だって白い目で見られちゃってたわけだから、子どもの面倒まで見てくれちゃうなんて。いやーっ、世の中変われば変わるもんですよねえ。
今だってそんな話を聞いたらちょっとビックリしたんだけど、津田塾大なんて20年も前から託児所があったっていうから、これにはホントにビックリ!でも、それって女子大だからだよね?

子育てをしてきた私としてはなんとなく不満!やっぱりこんなところにも性差別ってあるんだね。 実際には女の人が子育てしてるのが多いわけだから仕方ないかなあ???実態が先か、施策が先かっていう問題なんだと思うけど、私としては施策は常に実態の先を行っててほしいんだけどなあ・・・。 
とはいえ、最近の傾向としてシングルマザーなんていうのも増えてるし、性別や年齢に関係なく学びたいなんていう人も増えてるから、これからの時代、そういう人たちにとっては朗報だよね。

少子化問題がしょっちゅう取り上げられている割には、国や地方公共団体の取り組みは後手後手で、保育園や託児所待ちの子どもたちもたくさんいる現状の中で、いち早く(いやいや、早くはないかな?)大学がそういった方向に動きだしたっていうのは意味があるっていうところかな・・・。

でも、ラジオの中の話には落ちがありました!保育料が、だいたいどこも「1時間 1,000円」だって!!!

なにそれっー!
そうすると、9時から5時まで授業に出てたら、8,000円!
20日間授業に出たとすると、16万円!

こりゃー、ダメだ!!
いったい何のための託児所なんだかよくわかんないね。
学生はあんまり授業に出なくていいってこと?それとも、こんなことまで配慮している「いい大学」っていうふりかねえ?まあ、ちょっと変な気はするけど、そういう方向で世の中が動き出したっていうことだけは評価しなくっちゃかな?だけど、20年も続けているらしい津田塾大は、いったいいくらの保育料を取ってるんだろう???これが事実だったら、やっぱり子育てってお金がかかるねえ。これじゃあ、ますます少子化になっちゃうかも・・・。
(文:大関直隆)

2003/02/04(火)
第46回 「そろそろ花粉症の季節ですねえ・・・」
「先生、もう花粉が飛んでるんですよ。抗アレルギー剤出してもらえますか?」
いかにも怪しそうな顔をして、「ホント?」と先生。看護士さんまで一緒になって、
「こんなに寒いのに花粉なんて飛んでるんですか?」

一昨年の1月半ばの話です。
「だってわかるんだもん。絶対飛んでる! 唇が乾いてヒリヒリするし、喉もガラガラするし、間違いないんだから」
全然信用しないかかりつけの先生を説得して、抗アレルギー剤を出してもらいました。
それから一週間後。
「先生、点鼻薬と点眼薬も出してください」
そこへ先週花粉が飛んでいることを信じなかった看護士さんがきて、
「あの後ね、もうひとり患者さんが来たんですよ。花粉が飛んでるから薬をくださいって。だから、大関さん言ってたのホントかも???」
「だから言ったでしょ! 全然信用してもらえないんだかから、もう!」
花粉症になって10年ほど。だんだん症状がひどくなっているような気がします。

秋にほんのちょっと目がかゆくなったのが花粉症の始まりで、2年くらいそんな症状が出た(もっともそのころは花粉症だなんて思いもしませんでしたけど)と思ったら、3年目からは春先のくしゃみと涙。その後は坂道を転がり落ちるよう(ちょっと比喩が変かな?)に、どんどんどんどん、どんどんどんどん症状が重くなって、1月半ば頃から5月のゴールデンウィーク明けまで地獄のような毎日です。

まず唇がヒリヒリなって、喉が渇いて、目がかゆくなって、くしゃみ・鼻水、喉の痛みに咳、湿疹・・・。
あのパイナップルを食べたときに舌がピリピリするような目の痛み、まるで唐辛子を鼻につっこんだような鼻の痛み、とても我慢ができるようなレベルではありません。一番ひどい時期には、布団で寝るのが無理になって、お風呂場で湯船に浸かって寝ることもあるくらい。今年はかなりのお金をかけて業務用の空気清浄機を陶芸教室と私の事務所と自宅に入れたので、少しは改善されるかなあと期待してるんですけど、どうですかねえ???

それまでなんのアレルギーもなかった私が、なぜ花粉症になり、その後いろいろとアレルギーで悩まされているかって、ときどき考えるんですけど、どうも東京外郭環状道路(外環)ができたことと無関係じゃない気がします。
10数年前、私が小学校でPTA会長をしていたとき、開通する外環についてPTAの中で不安の声があがった(子どもの通っていた小学校は外環浦和の出口のすぐ脇です)ことがありました。PTA連合会の会長・校長会で私も発言をしましたが、興味を示してくださる校長先生はとても少なく、小学校の窓ガラスを二重にするとか、冷暖房を完備させて窓を開けなくてもすむよう対策を講じるといった噂もありましたが、結局なんの対策も講じられないまま、外環は開通してしまいました。

養護の先生にも排気ガスについての心配を話したことがありましたが、養護の先生は、
「大関さん、ここは車が渋滞するような場所じゃなくて通過するだけだから、そんなに排気ガスの心配はいらないですよ」と言いました。ところが蓋を開けてみると、毎日必ず交通情報に登場するのが「外環浦和」付近。実際に外環を走ってみるとドームの中が真っ暗になるくらいの排気ガス。ドームを越えた排気ガスを毎日吸っているかと思うとそれだけで、咳き込みそう。

年々子どもの花粉症も増えているらしくて、中にはティッシュを箱ごと持っている子もいるとか・・・。私自身がひどいだけによくわかりますが、熱まで出ることもあって風邪よりも辛い花粉症。養護の先生も環境問題をあんまり軽視しないで、真剣に取り組んだ方がいいんじゃないのかな???

シックハウス症候群も含めて、大人の責任で解決しないといけないことが学校の中にはたくさんありますよね。養護の先生って歯みがきばかりが好きだけど、歯みがきなんて家庭の問題だから、家庭でできないもっと大きな問題に目を向けることの方が重要なんじゃないのかと思うんだけど・・・。
(文:大関直隆)

2003/01/28(火)
第45回 「救急車」
先週の月曜日のこと。
「蓮(れん)の様子がおかしいんだよ。昼間からちょっと下痢はしていたらしいんだけど、熱はないのに、いま唇の色が急に紫色になって、すごい勢いで吐いた。顔も真っ白だよ。」
「熱がないなら変だよ。とにかく急いで小児科に電話したら・・・」
妻からの電話でした。

今までの子育ての経験から熱がないのに、顔色が急に悪くなって、チアノーゼを起こしているようなときは、まず何かを飲み込んだのではないかと疑います。例えば、タバコ、コイン、蚊取りマット、コイン、洗剤・・・。そうだとすると、緊急を要する可能性があるので、できる限り速い判断が必要なのはいうまでもありません。

妻と娘(蓮の母親)は急いでかかりつけの小児科に電話をしましたが、夜の8時。もちろん電話は留守電になっています。小児科の当番医を確認しながら、その間にも近くの小児科に電話です。やはり、電話には誰も出ません。小児科の当番医はわかりましたが、わが家からは少し距離があるところで、細かい場所まではわかりません。そこでやむを得ず救急車を呼ぶことに。
「今、救急車呼んだから」
救急車を呼んだ報告を受けて、私は急いで家に戻りました。マンションの入り口には救急車が止まっています。救急車の窓から中を覗くと、妻に抱かれた蓮が私を見つけて、私の方に手を伸ばします。私は妻に替わって娘の麻耶(まや)と蓮と一緒に救急車で病院へ行くことになりました。

救急車はしばらく動きません。受け入れてくれる病院を探しているのです。私が救急車に乗ってから10分くらいが経ったでしょうか。ようやく病院が決まると救急車は病院に向かって走り出しました。病院に着いたとき、蓮の熱が上がっているように感じました。看護士さんが持ってきた体温計で測ってみると、37.9℃の熱がありました。熱があって安心というのも変ですが、こういうときばかりは熱があった方が安心です。
「なあんだ。ただの風邪じゃないの?」
診察したお医者さんは、
「今は吐いたり、下痢をしたりする風邪もはやってますから・・・。薬を出しておきます」
蓮は無事(?)に、ただの風邪でした。

これまでにも何度か子どものことで救急車を呼んだことがありました。麻耶がひきつけを起こしたとき、翔(かける)が寒冷蕁麻疹のため呼吸が困難になったとき・・・。そんな時にいつも感じるのは、
「なぜ受け入れ先の病院がなかなか決まらないんだろう?」
ということです。救急車がくるまでにはそんなに長い時間はかからないのですが、救急車に子どもを乗せた後、その場で待機する時間は10分〜20分くらいは優にあります。麻耶のひきつけの時などは、相当長い待機時間があった上、さいたま市辻にある浦和南高校から北浦和の中央病院まで運ばれ、さらに20分ほど救急車の中で待たされたあげく「小児科医が食事に出てしまったから」と受け入れを拒否されて、浦和駅近くの開業医まで戻されてしまいました。いったい北戸田の近くから北浦和まで行ったのは何だったのか・・・。救急車を呼んでから診察を受けるまでには、1時間半以上の時間がかかりました。

もう20年以上も前のことなので、状況が変わっているといいのですが、翔の場合や蓮の場合も待機の時間が長いことはあまり変わっていません。小児科医の絶対数が少ないために夜間や休日の診療のできない地域があることが問題になっていますが、私の住んでいる地域は恵まれているとはいえ、やはり緊急の時には助からないのではないか・・・。どこの地域でも安心して子育てができるような、医療体制が整うといいですね。

病院で蓮を抱いていた私は、まずシャツとズボンの左側、続いてシャツとズボンの右側に救急車に乗る前に飲んだリンゴジュースをしっかりと吐かれて下着までがびっしょり。家に戻って、シャツとズボンのポケットのものを全部出して洗濯機に入れたはずだったのに、ズボンのポケットに入っていた携帯電話も、とってもきれいに洗われてしまいました。

 
Re: 第45回 「救急車」2003/01/30 22:58:58  
                     かーやん

 
私も19歳の厄年の時、交通事故に遭い救急車のお世話になりました。
頭を打ったものの意識はあったので、やはりなかなか出発してくれない救急車に
イライラしたのを覚えています。
「早くどこでもいいから、医者に連れてって!」と叫びましたが、これは失敗でした。
結局近くの小さな病院に運ばれましたが、入院して1週間後に突然40度近い発熱と
耳の痛み・顔面マヒという異常な事態に陥ってしまいました。
そこの病院では詳しい検査をする設備がなく、かといって大きい病院へ搬送するといった
こともせず、ただ点滴等の処置のみで、しかも医者は「なんで熱が出るのかねえ。耳鼻科は
専門外だしな〜」などと言い、結局フラフラの状態で無理やり転院しました。

どんなに急を要していても、収容先の病院の質は重要です。
蓮クン、大事に至らなくてよかったですネ。

 

元の文章を引用する

 
Re: まったく病院の質、そんなこともありますね!2003/02/03 0:57:51  
                     大関直隆

 
そうですねえ。救急車で運ばれる時の病気あるいはケガの質によっては、救急車の搬送に要する時間以上に、どこの病院に運ばれるかが問題になることがありますよね。事故の場合はなかなか病院を選ぶことは難しいですけれど、命に関わるような重大な病気の時は、緊急性の有無にもよりますが、運ばれる病院も指定したいですよね。
今までの子育ての経験から、子どものことに限っていえば、やはり信頼できるかかりつけの小児科の先生と相談して、あらかじめ緊急の場合にかかる総合病院なり、大学病院なりをある程度決めておくと安心ですね。なかなかその「信頼できる」っていうところが難しいんですけれどね。
おかげさまで、蓮はすっかりよくなりましたが、蓮から妻、翔、私へとしっかり風邪がうつってしまいました。「吐いたものの中にはウイルスがいっぱい」なんてよく言いますが、まさにそんな感じだったんですかねえ・・・。私は脱水になって、水曜日には点滴を2本打ちました。この1週間は惨憺たるものでした。やっとなんとか立ち直りつつありますけれど、今年の風邪はかなり辛いですねえ・・・。
だいぶ流行っているようですので、気をつけてくださいね。
 

元の文章を引用する
(文:大関直隆)

2003/01/21(火)
第44回 「『子どものため』という名の危険」
わが家もやっとインフルエンザから立ち直り、やや普通な日々を取り戻しつつあります。22日(これをアップした次の日)に翔(かける)の入試が迫っているので、慌ただしさはありますが、とりあえず”入れていただける”という返事だけは、すでにもらっているので、今まで経験した4人の入学試験と比べると、気の抜けたような気分です。上の4人の時はちょうど今頃が追い込みで、子どもの勉強を見ていた私も徹夜も辞さない覚悟で臨んでいました。
「少子化ってこういうことかあ・・・」
まさにそんな感じです。

10年前はまだまだ「入れていただく」という感じでしたが、なんだか最近では「入ってやるよ」っていうようなイメージです。この急激な変わり様には、本当に驚かされます。私の周りでも、初めて入試を経験するお宅では、かなり追いつめられた気持ちになっているようですが、それほどはっきりとした上位校を望まなければ、なんとかどこかには入れる状況なので、少し気を楽に持って受験に対応した方がいいのかもしれませんね。

私立の学校では、かなり個性の強い学校も出てきているので、入試が易しくなった分、どこの学校を受験するかという受験生側の選択が難しくなってきているとも言えますけれど・・・。

先週の水曜日、さいたま市民会館うらわで、北足立南部地区公立小・中学校PTA役員等研修会がありました。「学校週五日制の完全実施に伴う子どもたちの過ごし方とPTA」というタイトルで、板橋区からわざわざ講師の方が来てくださり、講演(というより事例発表という内容でしたが)をしてくださいました。

子どもたちの休日の受け皿ということで、行政でもなく、PTAでもなく、自治会でもなく、そういう枠を取り払った組織で、自主的に子どもたちにいろいろな体験(料理、スポーツ、伝承文化、アウトドアなど)をさせてくださっているというお話でしたので、まあある部分感心して聞いていたのですが、聞いているうちにだんだん、「これは子どもたちのためと言ってはいるけれど、大人が自分たちの楽しみのためにやっている大人の休日の受け皿なんじゃないか」そんな気がしてきました。会を進めるための会議を居酒屋で開いているからといって、「コミュニケーションではなく、飲みニケーション」と表現したのには、ちょっとがっかりしました。

子どもの能力を信じて、もう少し謙虚に子どもたちと接するべきです。大人の真摯な態度は必ず子どもたちを成長させます。大人の遊びに子どもを利用して、教える教えられるの関係を作る(それはいやというほど学校で経験しているのだから)のではなく、子どもたちが多くのものを自由に獲得できるような環境を整えてやることこそ、私たち大人に課せられた責任だと思うのですが・・・。

全然話は違うのですが、一昨日もデニーズで携帯しまくりのおじさんがいました。高校生も10人以上いたのですが、そんなことしてる子はもちろん誰もいませんでした。テーブルの上にはちゃんと「携帯電話はご遠慮ください」って書いてあるのにね。大人のマナーの悪さにはあきれるばかりです。
(文:大関直隆)

2003/01/14(火)
第43回 「ドタバタの幕開け」
あけましておめでとうございます。
今年は例年になく寒いお正月で、ちょっとビックリ。なんか去年秋くらいの長期予報では、エルニーニョ現象の影響で暖冬になるとか言っていたような???いざ冬になってみるととんでもない寒さで、こんなに寒いお正月なんてあんまり記憶がない! 最近は天気予報の精度も増して、けっこう雨の予報は当たるけど、どうも暑さ・寒さの予報は苦手みたいで、なかなか当たりませんねえ・・・。その寒さのせいっていうわけではないと思うのだけれど、わが家のお正月は惨憺たるものでした。

まず、始まりは孫の蓮(れん)。なんと12月31日から40度近い熱。そのうち身体にボツボツと赤い発疹が出てきて、
「麻疹だあ!」
と大騒ぎ。12月の半ば過ぎに麻疹の予防接種を受けていて、その予防接種を受けたお医者さんから「10日から2週間くらいしたころに熱を出すかもしれないから」と言われて座薬をもらっていたので、すっかり「麻疹」ということにして、面倒を見ていました。翌日、元旦から蓮の母親の麻耶(まや)が38度を超える熱。蓮の発疹はひどさを増すし、麻耶も寝込むしで大騒動。結局その日は私が蓮を抱えて寝たのですが、どうも40度を超えている様子。いろいろ手を尽くして冷やすのですが、なかなか熱は下がりません。ほとんど一睡もせずに朝になってしまいました。

そして、やっと麻耶だけはなんとか熱が下がりだした翌々日(3日)の夜から、今度は妻が38.6度の高熱。さらに4日からは翔(かける)が38度を超える熱。なんとか持ちこたえているのは私だけになってしまいました。

年が明けて3日までは救急診療の当番医しかやっていないので、4日を待って蓮が予防接種を受けた小児科(内科もやっている)で、蓮と妻が見てもらうことに。てっきり麻疹だと思って受診した蓮は、
「私が犯人じゃない。水疱瘡だよ」
あっじゃー!
ちょうどタイミングがぴったりだったので、すっかり予防接種のせいだと決めつけていたのですが、とんだところに落とし穴が・・・。そういえばできた発疹のてっぺんにかさぶたができていたので、ちょっとそんな気はしたのですが、人間の先入観というのは恐ろしいものです。

原因が「予防接種」なのに救急診療の当番医のところに行って、かえってインフルエンザでももらってきては、と受診しなかったのに水疱瘡とは・・・。だったら早く痒み止めだけでももらってやればよかったと大後悔。しかも、妻はインフルエンザときてるから、まったく何をやってるんだか・・・。もちろん翔もインフルエンザだったので、結局今日(13日)までずるずると寝てる始末。麻耶はなんだったんだか、1日ちょっとで熱は下がってしまいました。私はというと、途中何度か気持ちの悪いことはあったけれど、なんとか持ちこたえて今日まできています。まだこれからですかねえ・・・。わーっ、恐ろしい!!!

そうそう、今日の朝刊に、志木市の中学が理系・文系に色分けされるという記事が出ていました。それほど強い色分けではないようではありますが、ちょっと安易な決定なんじゃないですかねえ???

果たして小学校6年生に理系・文系の選択なんてできるんでしょうか?
記事によると学区自由化による人気の偏り防止というのが、大きな理由のように書いてありますけれど、だったら自由化そのものをもう少し考えた方がいいような気もするのですが・・・。記事にある通り、子どものことより学校のことを優先した結果だとしたら大きな問題ですよね。全国に先駆けて25人学級を実現している市なので、その意気込みは買いますが、ただのスタンドプレーにならないことを期待します。あくまでも主役は教育委員会ではなくて、子どもたちなのだから。
(文:大関直隆)

2002/12/24(火)
第42回 「わが家の近くの公園」
娘の麻耶(まや)から電話がかかってきました。
「ねえ、あとどれくらいでこられる?」
「もう、出ようとしてたとこだから10分くらいかな?」
「あ、そう。それくらいだったら、ここにいようかな」
「???」
「またいるんだよ、あの人」
「ああ、そうかあ。周りには誰かいるの?」
「うん。ゲートボールやってる人とかいるよ。だから、10分くらいならいようかなあと思って・・・。蓮(れん)もよく遊んでるし・・・」
「わかった。じゃあ、急いでいくよ」
「うん。それまで、少し離れたところにいるよ」

この日は、孫の蓮(麻耶の息子で1歳4ヶ月)をつれて私の実家に行くことになっていたのですが、私と妻が支度をしている間、麻耶が近くの公園まで蓮を遊ばせに連れて行って、私たちが車で蓮を拾うことにしたのです。

ところが、その公園には挙動不審な青年がよくきていて、この日もその青年がいるというのです。麻耶や妻の話ではもう何度も会っていて、これといって攻撃的であったりするわけではないというのですが、滑り台の上でうずくまったまま動かなかったり、ブランコにずっと腰掛けていたり・・・。

ゲートボールをやっているおじいさんやおばあさんは、わりとよく知っているらしく、
「ほーら、赤ちゃんが滑り台やろうとしてるんだから、降りてやんな」とか、
「そこにいたらブランコ乗れないんだから、ちょっとそっちへよけてやんなよ」
と声をかけてくれるのだそうです。

「ほら、あの人だよ」
「ああ、なるほど。あれじゃあ、ちょっと用心するよね」
私はその時初めてその青年を見ました。
危害を加えるようなことはないのでしょうが、かなり体格はいいし、何かあった場合には麻耶や妻ではとても蓮を守りきれるとは思えません。それで麻耶も用心しているのです。
「今さあ、ちょっうどパトカーが回ってきたから、よく巡回してくれるように頼んでおいたんだ」
と麻耶が言いました。

少し前に、確か宮城県だったと思うのですが、精神病患者の「閉鎖病棟」を段階的に減らして、将来はゼロにするという記事を読みました。日本の精神医療はとても遅れていて、閉鎖病棟に入院中の患者数は、先進国の中では抜きん出ているうえ、環境も劣悪なんだそうです。日本では精神病患者がなにか事件を起こすたびに、「地域社会での共生」という世界的な流れにさからって、ますます地域社会からの隔離という意識が広がっているような気さえします。そんな中で、この宮城県の決断は画期的なものだと思いました。

私はもちろん「地域社会での共生」ということを強く支持しますが、子どもを育てている親にとって、「何かあったら」という不安はそう簡単に消すことはできないということも事実です。

どんどん隣との距離が遠くなっていく現代において、そこにいる人間が何者であるかを知ることはとても難しいことです。私が子どものころには、精神病患者の人たちが近所に何人かはいました。けれども、そういった人たちが「どこの誰で、どういう性格の人である」ということを周りはみんな知っていたのもので、そこにはある意味で安心感がありました。

コミュニケーション手段がどんどんパーソナル化して、いつでもどこでも友達と会話ができるようになってきましたが、それがかえって近くを見えなくしているような気がします。子育てはやはり手で触れられる距離での人間関係が重要なのではないか・・・。子どもは自分の足で歩けるところで育った方がいいのではないか・・・。
そう考えると、私たち親ももっと地域のことを知らなくてはいけないのだなあと痛感しています。
(文:大関直隆)

2002/12/17(火)
第41回 「なにやってんだか、未だに離婚に冷たい行政 その2
前回、「児童福祉手当」の話をしましたが、それに絡んでもう一件。
やっと一歳になったばかりの子どもを抱えた妊婦さんの話。

夫はあちこちから借金をしてあげく、本来は自分が使っていた職人さんに支払うべき給料数十万円を持って、どこかに逃げてしまいました。妊娠7ヶ月を過ぎているので、仕事に就くことも難しく、「児童福祉手当」がもらえないか市役所に相談に行きましたが、婚姻届けが出ていましたので、母子家庭としては認められません。

おそらく市役所の対応も紋切り調であったのではないかということは想像できるのですが、離婚が成立していないので「児童福祉手当」の支給は難しいということ、まず離婚についての相談を家庭裁判所にするようにということで、裁判所の所在地と電話番号の書かれている紙をもらって帰ってきました。

なにぶん赤ん坊を連れた妊婦が非常に後ろ向きなことで、市役所に行くのは大変なことです。さらに裁判所となるとかなりの労力がいるし、私でもそう(もう遙か遙か昔のことだけれど私は法律事務所に勤めていたことがあるので裁判所には行き慣れている)ですが、自分のこととなるとちょっと行きにくいところですよね。

そんなわけで、家裁に行ったことが無駄足にならぬよう「夫が失踪している状況でどのようにしたら離婚ができるのか」の手順を問い合わせるために、家裁に電話をしました。
その時の家裁の返事は、
「電話ではそういう相談には応じられません。電話では答えられないんですよ。とにかく来てもらわないと」
の一点張り。(実際はもっと強い口調だったらしいのですが、家裁の名誉のため?にちょっと内輪に書いておきます)

困っている人間が意を決して家裁にまで電話をしているのに、もうちょっと違う言い方ってできないのかよって思うんですが、これだけでは収まらなくて、
「そりゃあ、まず失踪届を出してもらって7年経たないとダメですね」
と言われたそうです。「とにかく来てもらわないと」と言われたものの、「7年経たないとダメ」って言われてしまえば、大きいお腹を抱えてまで行く意味もないので、とりあえずその時点で家裁に相談するのはやめたというのです。

私はその話を聞いて、「あれっ?」って思ったんですよね。この辺からは民法のことなので、私もいい加減なことを言っちゃいけないのですが、失踪届を出して7年経つと『死亡』と見なされるんじゃなかったっけな?って思ったんです。離婚の調停を申し立てるんなら死亡を認定してもらう必要はないんだから、ちょっと違うんじゃないかなあ???

それで私が家裁に問い合わせをしてあげることになりました。みんな経験があると思うけど、こういうことってちょっとでも知識があった方がいいし、男が問い合わせると相手の態度がまるで違うんですよね。それで私が電話をかけてみると、
「そういうことは電話ではお答えできません。とにかく来ていただかないと・・・」
「××の事情で離婚したいんだけど、どういう手続きをどういう順序ですればいいかって聞いてるだけですよ」
「だから、そういうことには答えられないって言ってるでしょ!」
「どういう方法があるかっていうことだけでもですか?」
「とにかく来てもらわないと・・・」
「そんなことくらい答えられないの?」
「とにかく来てもらわないと・・・」
「あれっ? でも7年経たないとダメだって答えたんでしょ? そういうことは言えるわけ? 7年ていうのもなんかおかしいですよね。失踪宣告してもらうっていう話じゃなくて、離婚の調停の話なんだから。全然違うでしょ?」

そんなやり取りがしばらくつづいて、
「なんで家裁みたいなところが、困って相談をしようっていう人間にろくすっぽ話も聞かないで、いい加減な答えをするんですか! 答えられないって言っておきながら、相手が絶望するようなことをちゃんと言ってるじゃないですか! 別にどっちの味方をしろって言ってるんじゃない! あんたたちも公務員だろっ、弱いものを脅かすようなことをするんじゃないって言ってるんだあ!」
そこまで言ったら、やっと「7年」って言ったことは事実ではないことを認めて、大変申し訳ないって謝りました。だけど、私が電話をしなかったら、「7年」って言ったことがまかり通っちゃったわけで、単純にそれを信じて行動した人はとんでもないことになるところでした。
私も行政書士の資格は持っているんだけど、あんまり法律には詳しくないので、どこか間違っているかなあ、と不安になりながらのやり取りでした。

みんなそうだよね、相手の方が法律のプロだと思って電話してるわけだから。中身のことは弁護士さんに相談するとして、今回問題だったのは中身より『官』の対応の問題だからね、まっ勘弁してもらって・・・。

とにかく行政は、家裁みたいなところも含めて(というよりは家裁みたいに権力を持っているようなところほどかな?)女性に冷たいですよね。

あんまり腹が立ったので長くなっちゃいました。ちょっと話がよく見えないかな?
ぜひ、何かの折に家裁に電話をしてみてください。きっと対応の悪さに腹が立ちますよ。
(文:大関直隆)